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数学者のいたずら 2016 - iMetrics.co.jp
数学者のいたずら Les canulars de Mathématicien Structure are weapon of the mathematics. N. Bourbaki ブルバキの名前の由来は、アンドレ・ヴェイユ André Weil が聞いた友人のジョークが元になっ た。ENS、パリの高等師範学校の学生だったころ、友人のラウル・ユッソンが新入生をからか うために、つけ髭をつけて講義を始め、最後には高度なレベルまで飛躍させ、架空の"ブルバキ の定理"で話を締め括った。この冗談( Canulars, カニュラール)が気に入ったA. ヴェイユは、自 分たちのグループで執筆した数学書をニコラ・ブルバキ名義で発表するようになった. . . 今から50年前、高校生のときに、図書館の書棚にズラーと並んだブルバキの「数学原論37巻」 (日本語訳が1968年発行)に眼がいき、本の内容はさておき、この名前だけが記憶に残った。ブ ルバキとは、どういう人物だったのか。まさか、架空の人物とは、つゆにも思わずにだ。 これから、このブルバキの数学原論にであう機会 なんてものはない筈だ。数学教育に熱心だっ た高等学校か、大学図書館、あるいは古書店を探すしかない。しかし、この本が、ブルバキと して書かれた唯一の本であり、位相とか多様体という、高校生には耳馴れないタイトルで学生 時代に大きな影響を与えてくれた本だ。今、古書として全37巻を見つけようとすると、何でも 鑑定団に出せるような価格になっている筈だ。 ブルバキの歴史は、1934 年、ヴェイユと H. カルタンの間に生まれ、1939 年に「数学原論」 の最初の巻「集合論 要約」を出版. 以後 1950 年代末までに「数学原論」のうち「集合 論」、 「代数」、「位相」、「実一変数関数」、「位相線型空間」、「積分」からなる第 1 部を完結. その後もペースは落ちたものの、ひきつづき第 2 部の「リー群とリー環」、「可換代数」、 「スペクトル論」、「多様体」、第 1 部の改訂版の出版をつづけた。この他、毎年 3 回ブルバ キ・セミナーを主催していたというのがブルバキの歴史だ。 ブルバキというのは、数学原論を書くために 1930 年代にフランスで結成され た、数学者集団 のペンネームで、ブルバキの正体は、かなり長い間秘密だったが、今では、筆者は全て明らか に納得いる。 数学者の中には、アスペルガーもいれば自閉症だった者が多い。誇大妄想も分裂症も少なから ずいる。いたずら好きは、ギフトを与えられた人たちの気質なんだろう。その上、言葉遊び、 数字遊び、そしてジョークが好きなようだ。日本の数学者にも、寄席に行って落語で笑いなが ら定理を証明していたとの話を聞いたこといがある。もっと、子供たちに、ユーモア精神を! Bourbaki congress, 1938 While Nicolas Bourbaki is an invented personage, the Bourbaki group is officially known as the Association des collaborateurs de Nicolas Bourbaki (Association of Collaborators of Nicolas Bourbaki), which has an office at the École Normale Supérieure in Paris. École Normale Supérieureは、パリにある高等師範学校 多くのフィールズ賞受賞者を輩出している Le nom de famille Bourbaki était le nom emprunté par Raoul Husson en 1923 lors d'un canular, alors qu'il était élève en troisième année de l'École normale supérieure. Il avait pris l'apparence d'un mathématicien barbu, du nom du professeur Holmgren, pour donner une fausse conférence, volontairement incompréhensible et avec des raisonnements subtilement faux6. L'objectif aurait été la démonstration d'un prétendu « théorème de Bourbaki ». Cette histoire amusa tellement le groupe, que le nom « Bourbaki » fut choisi. Le choix de ce nom par Husson connaît quatre explications possibles : C. Kycaφyca 草房 誠二郎