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クライエント中心療法における変化のプロセスの再考
第4巻 理論心理学研究,2002 第1号 1-12 頁 クライエント中心療法における変化のプロセスの再考 原 理論心理学研究,2002 第4巻 著 論 文 第1号 Japanese Journal of Theoretical Psychology, 2002, Vol. 4, 1-12 クライエント中心療法における変化のプロセスの再考 ―構成主義の立場から― The Change Processes in Person-Centered Approach Reconsidered: A Constructivist Perspective 菅 村 玄 二(ノーステキサス大学大学院 * ) Genji Sugamura (Toulouse School of Graduate Studies, University of North Texas*) キー・ワード:クライエント中心療法,構成主義,実現傾向,自己組織化 Keywords: person-centered approach/ constructivism/ actualizing tendency/ self-organizing/ constructive personality change Abstract This article was intended to reconstruct the theory of the person-centered approach from the viewpoint of constructivism. In particular, the author attempted to reinterpret Rogers’ concepts of the actualizing tendency as a principle of self-organization and to discuss the views on human change processes in both constructive psychotherapy and person-centered approach. First, the historical and current backgrounds of constructivism were briefly reviewed. Second, Rogers’ three actualizing tendencies, i.e., the actualizing tendency, the self-actualizing tendency, and the unitary actualizing tendency, were respectively outlined and reformulated in the context of constructivism, especially with regard to self-organization. It was suggested that the client change processes in psychotherapy might be well expressed by viewing the unitary actualizing tendency as a self-organizing phenomenon. Throughout these discussions, the concept of “constructive personality change” was reconsidered. 現所属:セイブルック大学院・研究センター(Saybrook Graduate School & Research Center) * - 1 - 理論心理学研究,2002 第4巻 第1号 1-12 頁 クライエント中心療法における変化のプロセスの再考 はじめに 主流とされる心理療法のうち,クライエント中心療 法は,例外的に,このような考え方を採用していない。 「変わる」ということはどういうことであろうか。 逆に,この立場では,クライエントが成長に向かうよ これは,太古の昔からひとびとの関心を惹きつけ,魅 うな条件を,セラピストが用意できさえすれば,クラ 了してきたテーマである。紀元前およそ5世紀ごろ, イエント自身の実現傾向によって,建設的な結果が生 中国では,列子が「生成するものは生成せずにおれな じると考えられている(Rogers,1963)。しかしなが い必然性をもち,変化するものは変化せずにおれない ら,クライエント中心療法では,残念なことに,ひと 必然性をもつから,万物は不断に生成し,不断に変化 の変化の要となるはずの「実現傾向」という概念につ するのである」(福永訳,1991,p. 14)と言明してい いて,十分に理論立てされているとは言いがたい。 る。また,よく知られているように,ほぼ同時期に, 事実,人間性心理学は,1970 年代以降,学問として ギリシャの哲学者 Heraclitus は,万物は流転しており, の追究の対象から外れていき,近年のアメリカにおけ 「ある」という状態はなく,一切は「なる」ことだと る心理療法の教育場面でも,クライエント中心療法の 述べ,それに対し, Parmenides は,一切の変化は仮 人気がずいぶんと落ちてきていることが指摘されてい 象であり,現実とは,有限で,画一的で,動きがなく, る。この背景には,1960 年代に人間性アプローチが, 固定されたものであるとする正反対の見解を示した あまりに熱狂的,無批判的に受け入れられ,少なから (Bréhier, 1938/1963) 。 ぬ学者が敬遠したこと,また経験主義的な研究をしそ 変化とはそれだけで壮大なテーマである。少なくと うにないと見なされた人間性心理学者が学術機関にあ も,そうであった。しかし,16 世紀から 17 世紀にか ま り 採 用 さ れ な か っ た こ と な ど が あ る ( Rice & け て , Copernicus や Galileo の 地 動 説 , ま た Greenberg, 1992) 。 Newton の万有引力の原理などをはじめとした,いわ 他方,ここ数十年のあいだに,構成主義心理療法 ゆる科学革命が起き,変化についての考え方は大きく (constructive psychotherapy; constructivist psycho- 変わった。たとえば,Newton の運動方程式は,初期 therapy)なるものが,目覚しい発展を見せてきてい 条件を代入すれば,物体の将来の運動を予測するとい る。人間性心理学が学問としての地位を失いつつある うものであり,実際,日食や月食,潮の満干,日の出, のとは対照的に,構成主義(constructivism)は,哲 日 の 入 り の 時 刻 な ど を 正 確 に 予 測 で き る (米沢, 学,心理学,社会学,生物学,言語学,脳神経科学, 1995)。また,科学革命は,Descartes のコギト論証 複雑系科学などの成果を巻き込み,学際的な一大部門 を基礎とする心身二元論や Harvey の血液循環の原理 を形成しつつある(Mahoney, 1991) 。構成主義にあっ などを背景として,機械論的な世界観を作り上げるこ ては,これらのそれぞれの分野は相互依存的な関係に とにも助長した。つまり,科学革命は,変化というも ある。とくに複雑系科学における自己組織化(self- のが予測できるものであり,あたかも機械のように制 organization; self-organizing)の理論は,構成主義の 御ができるものであるという世界観,また人間観を生 思想と本質的なつながりをもつものであり,構成主義 み出すことにつながった。 の思想と共進化してきたという背景がある(菅村, このような人間観は,現代の心理療法,あるいはカ 2000a) 。 ウンセリングでも垣間見ることができる。典型的なの 自己組織化の原理の示唆は,なにより,科学革命以 は,たとえば行動療法であり,そこでは,ひとは環境 降続いていた変化の概念を再び大きく塗り変えるとこ の強化随伴性に応じて行動が変化すると考えられてい ろにある。この理論はまた, Heraclitus や東洋思想 る。また多くの心理療法は,医学モデルに準じ,セラ における変化の見解とも相通ずるものであるが,これ ピストが患者を「治療」するという姿勢をとっている は本論文の文脈でも,たいへん興味深いことである。 が,これは他者による制御可能性を当然のごとく見な というのは,クライエント中心療法の Rogers もまた, す考え方が奥底にあるのではないかと推測される。つ 「輔万物之自然,而不敢為(万物の自ら然るにしたが まり,今日の多くの心理療法では,クライエントの変 いてあえてなさず)」という変化についての老子の言 化は予測しうるものであり,セラピストはその変化を 葉を好んで引くからである(e.g., Rogers, 1959b) 。 作り出すことができると,なかば暗黙的に仮定されて このような背景から,本論文では,クライエント中 心療法における「変化」についての中心概念である しまっている感がある。 - 2 - 理論心理学研究,2002 第4巻 第1号 1-12 頁 クライエント中心療法における変化のプロセスの再考 「実現傾向」について,構成主義の立場から,自己組 識はしているものの,その思考の原因,あるいは思考 織性の理論を用いて再解釈を試み,変化のプロセス, がどのようにして作り出されるのかを知らない」(上 また建設的な変化という概念について再検討すること 村訳,p. 50)と批判している。 を目的としたい。ただ,日本では,構成主義なるもの Descartes(1637/1997)は「われ惟う,故にわれ在 がいかなる思想であるかということがあまり知られて り 」( cogito, ergo sum ) と 述 べ た が , Vico おらず,自己組織化の原理との関係についてもほとん (1710/1988)は,「真なるものは,作られたものであ (verum esse ipsum factum)と考えた。いずれの ど議論されてきていないため,上記の議論に先立って, る」 構成主義と自己組織化との関係性を論じる必要もあろ 主張も,一見すると類似した方向性をもつように見え う。 る が, そうでは ない 。Descartes ( 1637/1997 )は, そこで,本論文は,まず構成主義と自己組織化の理 「どんな身体も無く,どんな世界も,自分のいるどん 論との思想上の密接な関連性を示し,この観点から, な場所も無いとは仮想できるが,だからといって,自 クライエント中心療法に対して,新たな理論的枠組み 分は存在しないとは仮想できない」(谷川訳,p. 46) を提供することを企図する。 と考え,そこから精神を身体と区別するという心身二 元論を導き出した。 構成主義の思想と自己組織化の原理 他方,Vico(1710/1988)は,思考を存在の原因と するのは論理的誤謬であり,思考は存在の徴候にしか 構成主義という思想がなにを指しているのか捉える なりえないことを論証し,逆に「物体と知性とから成 のは難しいとしばしば言われるが,その理由は一言で っているからこそ,わたしは思考するのであって,物 いって,理論の動的多様性にある。構成主義の理論が 体と知性は結合してはじめて思考の原因なのである」 きわめて多岐の分野に渡り,また日進月歩しているこ (上村訳,p. 52)と反論した。すなわち,「われ精神 とが,理解のしにくさにつながっている。また,なに と身体から成る,故にわれ惟う」ということである をもって構成主義とするかについても,さまざまな理 (Hermans, Kempen, & van Loon, 1992) 。 解の仕方があり1) ,また構成主義という思想はそれを ここからは,心身二元論は導出されない。よって, Descartes のように, 「考える私」としての主観とそれ 許容する枠組みでもある。 数ある見解のなかでも,「人間は能動的に世界を構 に対する「延長」としての客観世界という二分法は適 成する存在である」というのは,最も一般的な理解の 用されなくなる。代わりに,Vico は,思考が思考のた され方と言ってよい。しかしながら,この理解は全く めに必要とする別の機構として,製作行為 間違いではないものの,舌足らずであるため,単なる (operatio)という概念を考えた。これは製作という 主観主義と混同されやすく,また自己組織化との接点 行為なくして思考はありえないという意味であり,行 がわかりにくい。構成主義の基本的主題についての詳 為という次元でもって,主客二元論を乗り越えようと 細を論じることはできないが,ここでは構成主義と自 したのである。Vico にあっては,認識と行為と世界と 己組織化の理論との関係に主に焦点を当てながら,構 は,相即的な関係にあったといえるかもしれない。 成主義の主張内容を簡単に見ておく。 Vico(1744/1979)が達した結論は,「知るということ とするということは同一である」ということであった (Hermans, Kempen, & van Loon, 1992) 。それゆえ Vico の構成主義 構成主義を主観主義と区別し,それが自己組織性と に,真実なるものは,自ら作り上げたものなのである。 密接に関係していることを示すためには,構成主義の 知識とは,ここにおいて,世界から一方向的に所与さ 近代的な系譜の祖といわれる Giambattista Vico (1668 れるものではなく,製作行為と相即的に組織化される -1744)の理論が適例であろう。Husserl(1936/1995, 19 ものなのである。 50/1980)は,現象学を体系化するなかで, Descartes のコギト論証を再評価したが,Vico は,Descartes を 徹底的に批判したことで知られる。たとえば,Vico Piaget の構成主義 このようなVicoの見解は,心理学の文脈ではJean (1710/1988)は,Descartes を指し,「懐疑論者とて, Piaget (1896-1980)の発生認識論を思い起こさせる。 自分が思考していることは疑っていない」 (上村訳,p. つまり,ひとは行為を通して現実を構成するという主 49)と揶揄し,「自分が思考しているということを意 張である。構成主義を語るうえでは,Piagetの発生認 - 3 - 理論心理学研究,2002 第4巻 第1号 1-12 頁 クライエント中心療法における変化のプロセスの再考 識論はきわめて重要であり,実際,これまでしばしば 雑な1つのシステムの統一体であり,ダイナミックな 引用されてきた。彼は,認識論に関する多くの著作を 多次元統制をおこなっていると見なされている。脳と 残したが,La construction du réel chez l’enfant(子 身体,および環境とは,無限の活動パターンを生成す 供 に お け る 現 実 の 構 成 ) と 題 さ れ た 書 物 (Piaget, る揺らぎのあるシステムであり,この揺らぎのなかで, 1937/1954)では,ひとが同化と調節との相互作用を 自己組織化が生じていると考えられている。言うなれ 通して,能動的に知識を構成しながら発達していくこ ば,この活動パターンの多様性自体が知識そのもので とが実証的に示されている。なかでも,構成主義者が あり,そのような活動の連続体のなかにひとの生があ 繰り返し引用するのは,「行為者はそれ自身を組織化 るのかもしれない。 することによって,世界を組織化する」という端的な 以上,はなはだ粗暴ではあるが,構成主義の歴史的 表現である。つまり,認識する主体が,その経験を形 経緯を通して,自己組織性やオートポイエーシスとの 作り,そうすることによって,経験を構造化された世 本質的な関わりについて概観した。細かなことをいえ 界へと転換させるのである(von Glasersfeld, 1995) 。 ば,オートポイエーシスを von Glasersfeld の急進的 Piaget は,知覚と運動の円環的関係を強調するが 構成主義と区別したり(河本,2000),自己組織化と (赤須,1991),これは,Vico のいう知識と製作行為 オートポイエーシスとは異なるシステム論だと考えた との相互置換性とも共通するものであり,また「すべ り(河本,1995)することも可能であるが,ここでは, ての行為は認識であり,すべての認識は行為である」 これらの相違点よりもむしろ類似性に着目したい。ひ (Maturana & Varela, 1984,管 訳,p. 28)とする とは自らを秩序づけながら,自己組織的に発達する存 オートポイエーシス(autopoiesis)の理論とも深い関 在であるという構成主義の基本発想は,ひとの変化と わりを持っている。発生認識論では,ひとは行為を通 いうことについて考える際に,実に示唆深いものがあ して自己言及(self-reference)をおこなうシステムと ると思われるからである。 して世界を組織化し,構成していると解釈しても,あ 実現傾向と自己組織性 ながち的外れではないだろう。 構成主義心理療法が,ひとの変化のプロセスについ 今日の構成主義 実際,構成主義と呼ばれる思潮は,今日,きわめて て,自己組織化を基軸として捉えるのに対して,クラ 多岐にわたる分野まで拡張しており,オートポイエー イエント中心療法では,実現傾向という概念がその基 シスや自己組織化の理論との本質的なつながりも数多 部に置かれている。しかしながら,実現傾向という概 く指摘されている(e.g.,Guidano,1987,1991; Mahoney, 念は,一般に受け入れられているよりもはるかに複雑 1991) 。 心 理 療 法 と の 接 点 で い え ば , Watzlawick な概念であり,実現傾向には,いくつかの水準がある (1984)が<構成主義への貢献>と銘打った編著書の と仮定されている。以下に,それぞれの実現傾向につ 執筆者に,オートポイエーシスで著名な Francisco いて整理し,それらを自己組織化という観点から読み Varela や,Principles of Self-Organizations(1962) 直していく。 を編集したことで知られる Heinz von Foerster などが 3種類の実現傾向 加わっていたことも特筆しておきたい。 オートポイエーシスの議論とほぼ平行して,自己組 自己実現(self-actualization)という概念は,少 織化に関する議論も,構成主義の文脈で語られること なくとも Aristotle の哲学まで遡るが,最初に心理学 が少なくないが,これは,ある意味,構成主義が,認 に導入したのは Carl Jung であり, またこの概念は 識と行為の円環性のなかに知識の創発を見出したさい 人間性心理学の大きな特徴でもある(Hergenhahn, の必然でもあろう。今日の心理生物学や脳科学もこれ 2001) 。 を支持する立場をとっており,脳と身体との関係を 実 現 傾 向 ( actualizing tendency ) に 関 し て は , 「脱中心的」,あるいは「連立的」と考えるようにな Maslow(1954)や Angyal(1941),Whyte(1949, ってきた(Mahoney, 1991) 。つまり,ひと(場合によ 1960)をはじめとした,多くの研究者によって議論さ っては環境も含まれる)というシステムにあっては, れてきたが(Rogers, 1959a,1963),それをカウンセ システム全体にアクセスするような「中心」となりう リングの実践的かつ機能的前提としたのは,Rogers に る部分がなく,認識システムと行為システムとは,複 ほかならない(Bozarth & Brodley,1991) 。実際しば - 4 - 理論心理学研究,2002 第4巻 第1号 1-12 頁 クライエント中心療法における変化のプロセスの再考 しば,実現傾向という概念がクライエント中心療法の 療法の主題となっている自己組織化の理論と比較して 基本にあるといった言い方がなされる(e.g., 佐治ら, いくなかで,深めていきたい。 1996)。確かに,この表現は,その限りにおいては間 違いではないが,Ford(1991)によれば,Rogers の 自己組織化の原理とその汎用性 いう実現に関する概念は,1950 年代初期とその後とで 自己組織化に関しては,構成主義の原理のなかでも は,理論的な意味合いやその使い方もずいぶん異なっ 述べたが,この概念に科学界が注視するような目覚ま ているという。 しい発展が見られたのは,Ilya Prigogine が散逸構造 1951 年 の 段 階 で は , 自 己 実 現 傾 向 ( self- 理論でノーベル賞を受賞した 1970 年代である。自己 actualizing tendency)は,実現傾向と等置されるか 組織化とは,簡単にいえば,自発的,自律的,自生的, のように,ひとが持っている基本的な動機づけの傾向 自動的,自然発生的な秩序形成のことであるが(吉永, であり,これによってひとは必ず健全になり,成長の 1996),忘れてはならないのは,平衡から遠くはなれ 方向に向かうものとされていた(Rogers,1951)。す た状態において,秩序が創発するという点である なわち,ひとには本来,人生の目標を達成すべく,社 (Prigogine,1998) 。 会的に生きようとするような自律的な傾向が備わって この基本原理は,単純な化学反応系や前細胞系のレ いると単純に想定されていた。ところが,のちには, ベルで発見されたのが発端であるが(Jantsch,1980), 自己実現傾向は,実現傾向の下位システムであり,自 今日では物理科学のみならず,広く人間科学にも適用 己構造の発達に伴って生じるものとされている 可能な一般法則へと定式化されている(花村,1998)。 (Rogers, 1959a)。わかりやすく言い換えると,ひと つまり,物理・生物システムだけでなく,社会や文化, が本来的に有しているのは実現傾向であり,その実現 さらには宇宙の生成,進化というレベルまで敷衍され 傾向によって自我が芽生えると,その自我に特有の自 う る 原 理 だ と 解 さ れ て い る ( Jantsch , 1980; 己実現傾向も生じてくるということである。つまり, Kauffman,1995; 菅村・春木,2001) 。 発達に伴って,実現傾向から自己実現傾向という新た この自己組織化の理論を用いて,クライエント中心 療法における自己実現傾向を読み直すという予備的な な傾向が枝分かれしてくるという意味である。 注意が必要なのは,自己実現傾向は,自己構造を維 試みはすでにおこなわれているが(菅村,2000b),そ 持,実現しようとする一方で,有機体は有機体でその こでは自己実現傾向の概念は 1951 年時点のものにと 特質を維持,実現しようとし,互いの目的が食い違っ どまっており,またそれが自己組織化のダイナミズム ているということである。実現傾向とは,2つのシス とどのように関連するのかという肝心な点については テムからなり,その方向性において,少なくとも部分 ほとんど論じられていない。そこで,ここでは,概念 的に拮抗しているのである(Rogers,1963)。Rogers の変化も視野に入れたうえで,実現傾向をよりダイナ (1959a,1963)自身が述べていることであるが,こ ミックなものとして捉えるべく,さらなる精緻化を試 のように理論化すると,もはや自己実現傾向を,最良 みる。 の心理学的な機能(optimal psychological functioning) とは必ずしも見なすことができなくなる。代わりに, 実現傾向と自己組織化 Rogers(1963)は,ひとが最適に機能するのは,有機 上記のような文脈で言われる生命の自己組織化現象 体の実現傾向と自己の実現傾向が協調しているときだ を,先述した3種類の実現傾向と比較してみると,ま と改め,それを「一元的実現傾向(unitary actualizing ずもって実現傾向との概念的類似性が指摘できよう。 tendency)」という用語で呼んでいる(Ford,1991) 。 というのは,実現傾向とは,器官や機能の分化や発達 まとめると,当初は,自己実現傾向は,実現傾向と を含んだ,すべての生物の成長に特有な傾向と考えら 明確に区別されていなかったが,その後,実現傾向か れており(Rogers, 1959a,1963),これは,生命にお ら自己実現傾向が発現し,そのまま分岐していくとい ける自生的秩序生成を強調する自己組織化の基本原理 うふうに訂正された。つまり,いわゆる実現傾向には, と一致するからである。また Rogers(1959a)は, 有機体を実現する実現傾向,自己を実現する自己実現 Angyal(1941)を援用し,実現傾向を単に生命を維 傾向とがあり,それらが協調した状態が一元的実現傾 持しようとするだけのものではなく,有機体自体を絶 向と呼ばれているわけである。さらに説明を要する部 えず増大させ,常に変化する環境に対して自律的決定 分もあるかと思うが,これについては,構成主義心理 を与えながら,有機体のそのときどきの状態を乗り越 - 5 - 理論心理学研究,2002 第4巻 第1号 1-12 頁 クライエント中心療法における変化のプロセスの再考 えていくものと見なしている。単なる生命の維持に終 トであり,”I”や”me”の特徴の知覚,および,それらと 始するものであれば,従来のホメオスタシス(恒常性 他者や人生のさまざまな側面との関連性についての知 維持)という概念で説明できるが,有機体自体を変化 覚,またそれに付随する価値から成り立つ」 (p. 200) させる自律性を説明する理論的枠組みは,自己組織化 とされる。 理論以外にはないと考えられている(本宮,1997) 。 「自己」の自己組織化 たしかに,両者の「自己」 実現傾向が「自律性への発達であり,他律性,ある 概念が,まったく異なった意味で使われてきたことは いは外部の力によるコントロールから遠ざかること」 確認しておく必要がある。しかし,ここで主張したい (Rogers, 1959a, p. 196)ならば,それはまさしく, のは,自己実現化の「自己」もまた自律的に組織化さ 吉永(1996)のいう自己組織化,すなわち「外発的な れているという見方である。構成主義において,現実 命令や法則によるものではなく,内発的なルールの生 はその都度構成されるものと考えるが,その現実には 成による,自由で自制的な構造形成」(pp. 227-278) もちろん「自己」も含まれている。すなわち,構成主 と 言 え る 。 の ち に Rogers ( 1980 ) は , Prigogine 義にあっては,自己もまた自己組織化されていると見 (1979)の複雑系における秩序形成の理論を引用し, なされる。 高く評価しているものの,自己組織化という用語で, この点,Rogers(1959)もまた,自己なるものを, 実現傾向を捉えなおすということは行なっていない。 絶えず流れゆき,変化するゲシュタルトであり,組織 むしろ,このような傾向は,実現傾向という言葉で説 化されるプロセスであると述べており,クライエント 明するしかないと述べている(Rogers,1987)。しか 中心療法と構成主義における「自己」概念とはきわめ し,Rogers(1980,1987)のいう「生体システムの て類似しているといえる。自己実現化における「自 みならず,宇宙のあらゆるレベルで現われる傾向」や 己」についても,自己組織的に生成されるものと仮定 「人類の進化における新しく崇高な方向性を創造する されていると考えても無理はなかろう。 力」とは,自己組織化の汎用性として再三繰り返し論 自己実現過程の自己組織性 さて,Rogers(1963) じ ら れ て い る こ と で あ り ( e.g., Jantsch , 1980; は,実現傾向を,有機体の実現を増進させる有機体と Kauffman,1995),Rogers の実現傾向という概念と しての指向であり,意識されないものと考えているの 自己組織化との相似性については,もっと検討されて に対して,自己実現傾向とは,自己を実現する目標に よいテーマだと思われる。 向かった意識的な努力と定義している。とすれば,自 己実現傾向という概念は,目標という事前に定められ 自己実現傾向と自己組織化 る到達点の仮定と,それに向けて努力するという意識 自己実現傾向は,実現傾向とはいくつかの重要な点 性を強調する点で,自己組織化の原理とはあまり馴染 で異なっているため,自己組織化の原理の適用には慎 まない。なぜなら,自己組織化とは,文字どおり自律 重さを要する。まず,自己実現化を自己組織化の文脈 的,自動的な秩序であるため,目標設定とそれに向け で捉えなおす前に,両者の「自己」という概念のつい ての努力といった意図的なプロセスとは無関係に見え ても述べておかねばなるまい。 るからである。つまり,自己組織化現象においては, 「 自己」概 念の 相違 そ れぞ れの原語 は,”self- 目標が前もってあるのではなく,新しい秩序はゆらぎ actualizing”と”self-organizing”であり,それらは同じ を通して結果として生じるものであり,固定化が不可 構造をしているように見えるが,必ずしもそうではな 能なのである。 い。英文法的には,「名詞-動名詞」という形からなる しかし,目標自体が可変的で動的な性質をもつと想 語は,「動名詞の動詞形+前置詞+名詞」の形に変換可 定すれば,目標とそれに向ける努力が自己組織的に生 能 で あ る 。 自 己 組 織 化 の 場 合 は , ”organize by 成されるという見方も可能かもしれない。たしかに, (one)self”であり,それ自身によって組織化することを 自己組織化現象が最初に確認されたのは,物理・化学 意味するが,自己実現化は,”actualize of (one)self”で システム内であり,そこは「意図」的なプロセスとは あって,自己が実現することであろう。 関係ない世界である。だが,自己組織化はさまざまな このように,自己組織化における「自己」が自律性 システムに適用可能であって,また先述したように, を表すのに対して,自己実現化の「自己」は文字通り 構成主義にあっては,人間の認知や行動,また情動は の自己を意味する。Rogers(1959)によると,自己と 能動的に組織化されると考えられている。 は,「組織化された一貫性のある概念上のゲシュタル - 6 - た と え ば , 構 成 主 義 の 情 動 理 論 家 で あ る Lewis 理論心理学研究,2002 第4巻 第1号 1-12 頁 クライエント中心療法における変化のプロセスの再考 (1996)は,認知的評価理論を自己組織化という観点 無数の相互作用を通して,それらが生成されていくも で捉えなおすことを試みている。旧来は,情動と認知 のだと想定したほうが,人間存在の複雑性に即してお の関係が論じられるとき,認知が情動に先行すると主 り,また Rogers の言わんとしたことにも近いのでは 張する立場と,情動が認知よりも先に生じると見なす ないだろうか。 立場が対立し,認知と情動とには一方向的な関係があ ると想定されていた。その後,Frijda(1993)は,認 一元的実現傾向と自己組織化 知と情動との相互作用モデルを案出したが,それも従 Rogers(1963)は,自己実現傾向と実現傾向とのず 来の原因―結果という線形モデルを踏襲したものであ れが,人間のあらゆる心理的症状の原型であると考え, った。Lewis(1996)が作り上げたのは,これをさら 逆に「もし,人間の象徴化のすばらしい能力が,あら に発展させ,情動に対する認知の影響も,認知に対す ゆる生物と同様に人間の中に存在する充実への傾向の る情動の影響も1つの創発プロセスなかで共存すると 一部として,あるいは,その傾向を示すように発達す いうモデルである。 るならば,...人間の調和,あるいは,人間としての 注目すべきは,そのプロセスは,生物学的な要因だ 完全さが達成される」(村山訳 p.423)と考えている。 けでなく,過去の体験や文化的背景までを巻き込み, 先の文脈に沿って換言すると,自己実現傾向が,実現 あらゆる相互作用を経て,非線形的に組織化されてい 傾向と協調して発達するならば,それこそ最良の心理 くという点である。そこでは,もはや従来のような認 学的な機能であると主張しているものと思われる。 知が先か,情動が先かといった議論は退けられ,その Ford(1991)によれば,もし,あるひとが完全に機能 いずれにもつかないような初期事象が自己組織化の契 しているといったとき,そのひとは一元的に実現して 機となって秩序化・組織化が進むと考えられている。 いる人だという表現がなされる。 Lewis and Douglas(1998)は,情動の生起ようなリ いましがた論じたように,実現傾向や自己実現傾向 アルタイムの自己組織化をミクロ発達と呼び,またこ が,自己組織化の文脈で捉えることができるのであれ の延長上に心理的防衛やパーソナリティの発達がある ば,一元的実現傾向というのは,構図として,これら と考え,マクロ発達という生涯レベルの自己組織化に よりも一段とメタのレベルの自己組織化と見なすこと ついても理論化している。 ができるだろう。すなわち,(1)実現傾向レベル:生命 自己実現傾向の文脈でも,このような組織化が生じ の本来有する,維持し,発達するという有機体の次元 ている可能性は多分にあると思われる。ミクロ発達の での自己組織化,(2)自己実現傾向レベル:目標設定と 視 点 か ら す れ ば ,「 意 識 的 な 努 力 」 と は , Kelly 努力という意識性の次元での自己組織化,(3) 一元的 (1955)がパーソナル・コンストラクトという用語で 実現傾向レベル:有機体の次元と意識性の次元との協 述べるように,リアルタイムに組織化される認知・行 調としての自己組織化,という構図である。 動・情動の総体であり,またその秩序化のプロセスか ただし,このように捉えたとき,注意が必要なのは, もしれない。マクロ発達の見地からすると,「目標の 一元的実現傾向を,有機体と意識性という単なる2つ 設定」自体,単に認知的な作用なのではなく,そこに の次元のダイナミズムという形でイメージしてはなら はこれまでの経験や価値観,社会的意味合い,生物学 ないことである。自己実現傾向を自己組織化現象とし 的制約など,あらゆる要素の相互作用過程があると推 て再公式化したときに示唆されたように,「意識性」 察される。すなわち,自己実現のプロセスでは,目標 そのものがさまざまな変数の相互作用のうちに成り立 とそれに向けての努力とは直線的な関係になく,いず っているため,意識性を1つの統一された次元と見な れも自生的に秩序化されるのであって,目標が先か, すと,そのなかに潜在している現象の複雑性を見落と 努力が先かということも問題ではなく,そのどちらに すことになりかねない。 もつかないような初期事象をきっかけとして,一刻一 さらに重要なのは, 自己組織化とは,その性質上, 刻,また生涯を通して,非線形的に組織化されていく 脱中心的で連立的な形態をとるため,実際の組織化の という見方もできる。 なかでは,有機体(実現傾向)と意識性(自己実現傾 むしろ,Rogers のように自己実現を「目標の設定と 向)というレベルの区別そのものが消失していると憶 それに向けての努力」と定義するよりも,目標と努力 測される点である。つまり,一元的実現傾向を,有機 との相互作用のなかに,生物学上の制約から,それま 体レベルと意識性レベルとの協調という自己組織過程 での個人史,文化的・社会的要因までも組み込まれ, として捉えた場合,その協調プロセスには双方向的な - 7 - 理論心理学研究,2002 第4巻 第1号 1-12 頁 クライエント中心療法における変化のプロセスの再考 因果関係が想定されるが,Lewis(1996)がいみじく パーソナリティ観 も言明しているように,相互的な因果関係が2要因間 Rogers(1951)は,人格とは,自己概念と体験から で特定されたら,その因果関係はもはや2段階では記 なると考えていた。 有機体としての実際の体験と個 述できなくなるということである。そこには,要因間 人の自己像との不一致が大きいときに何らかの心理学 の相互作用から生じるあらゆる要因へと変化するとい 的な症状が現われ,逆に一致が大きくなると適応的な う継続的なプロセスがある。 状態になるという(Rogers, 1957)。 これらがパーソ 自己実現傾向の自己組織化プロセスで,目標と努力 ナリティの全体であって, 不一致から一致へと移行 がその位相としての意味を失うのと同様に,一元的実 することが「建設的な人格変化」や「治療的人格変 現傾向の組織化の相互作用過程では,有機体の次元と 化」と呼ばれる。 一人息子が家を出ようと計画する 意識性の次元という2次元は, もはや異なる次元と た び に 具 合 が 悪 く な る 母 親 の 例 ( Rogers, しては記述できないであろう。より正鵠を期していえ 1957)でいえば, 実際の体験レベルでは単に引き留 ば,有機体次元での諸要素と意識性次元での諸要素と めたいだけなのだが,彼女は「良い母親」という自己 は,初期事象を同定できないまま,無数の相互作用プ 像をもっているため,それらは不一致の状態にあるこ ロセスを経ながら自生的に秩序を生成していくのであ とになる。 って,この過程こそ一元的実現傾向の内実ではないか たしかに,Rogers のように,体験と自己像の一部が と想像される。先述した「人間としての完全さ」,あ 重なり合う2つの円として人格を捉えると,クライエ るいは「最良の心理学的な機能」という用語でもって ントの気づきに上っている点とそうでない点の両方を Rogers が表現しようとしたものには,一元的実現傾向 理解しやすく,またそれらの重なる面の大きさが変化 のこのようなプロセスが含まれていたのではないだろ することを認めることで,パーソナリティを動的に理 うか。 解することが可能になる。しかし,この理解の仕方は, これは,Rogers がしばしば言及する「建設的な人格 同時に人格を分割的・分類的に捉えることでもあり, 変化」を考えるうえでも示唆に富む。実現傾向という また体験と自己概念のそれぞれにおけるダイナミズム 観点からは理論化されていないものの,晩年の Rogers を豊かに記述できなくする側面もある。 (1980)は,Prigogine(1979)を引用しながら,建 ここに自己組織化の視点を持ち込めば,単に体験と 設的な変化とは,非線形で突如として起こり,以前よ 自己概念の一致・不一致過程にのみ時間軸を含めるの りももっと秩序化し,また複雑性を増し,さらに新た ではなく,体験と自己概念のそれぞれも変化し,発達 な意味ある変化の可能性をもつような,根本的で自律 するものと見なしやすくなる。先の母親の例でいえば, 的な変化であると述べている。この意味において,一 息子を引き留めたいという体験も,「良い母親」とい 元的実現傾向とは,非平衡状態のなかから自己組織的 う自己概念も変化しうるものであることを積極的に認 に生成される新たな高次の秩序状態を指すともいえる。 めやすい。だからこそ,Rogers は後に,これらのプロ 心理療法におけるクライエントの建設的な変化という セスを協調するために,実現傾向,実現傾向,そして 自己組織化現象そのものを,メタフォリックに表現し 一元的実現傾向という用語で公式化し直したのかもし たものが一元的実現傾向という用語であったのかもし れない。 また,母親の人格を二分割的に単純化して捉えるの れない。 ではなく,体験のなかにも,母親のこれまでの生育環 カウンセリングへの寄与 境や人間関係の中での無数の経験から現在の刻々と変 化する体験が織り成す相互作用があり,自己概念もま ここまで,構成主義における自己組織化の理論とい た,認知的な作用だけでなく,対人的なプロセス,文 う観点から,クライエント中心療法における実現傾向, 化的意味合いなどをはじめとしたあらゆる要素の相互 自己実現傾向,そして一元的実現傾向という概念につ 作用過程として捉えると,より全体的にパーソナリテ いて再解釈をおこなってきた。次は,このような再公 ィを理解しやすくなる。もとより,カウンセリングに 式化によって,どのようなメリットがカウンセリング おいて,クライエントの陳述内容を分類し,まとまり にもたらされるのかについて簡単にまとめておきたい。 を与えることが大切なことは言うまでもないが,同時 に,自己組織化理論が示唆するように,自己像と体験 とを無数の相互作用系として理解し,そのいずれにも - 8 - 理論心理学研究,2002 第4巻 第1号 1-12 頁 クライエント中心療法における変化のプロセスの再考 つかないような事象もパーソナリティに含めて考える 雑な非線形相互作用を背景としており,初期事象の同 と,よりホリスティックなクライエント観につながる 定は不可能に近いはずである。セラピストは,クライ かもしれない。 エントの陳述を人格構造にもとづいて分類し,可能で あれば直線的因果律で変化を説明しようとすることも 治療プロセスについての見方 試みながらも,単純な因果律を排して,目の前にいる クライエント中心療法では,自己概念と矛盾するが ために否認されていた体験に気づくときに,治療抵抗 クライエントの複雑性をそのまま受け入れ,理解しよ うとする態度をもつことが望まれる。 が起こると仮定されている。先の母親の場合,自分が さいごに 満足したいために息子を引き留めようとすることに気 づくとき,不安や混乱を感ずる。このように仮定する と,クライエントが変化への抵抗を示した場合,それ これまで構成主義は,心理療法分野では家族療法や を体験への気づきという観点から整理可能にするとい 認知行動療法分野を中心に受け入れられ,理論化され う利点はあるが,同時に,たとえ母親が単にセラピス てきたが(Neimeyer & Mahoney, 1995) ,人間性心理 トへの不信から抵抗したり,その日の気分がすぐれな 学分野では,構成主義との理論的類似性などについて くて抵抗したりしている場合も,セラピストはそれを は,驚くほど議論がなされてこなかった。そのような 彼女が「建設的な変化」の過程にあると誤って判断す 状況にあって,本論文は構成主義における自己組織化 る危険性も高める。 の理論という視点から,クライエント中心療法におけ その点,ここにもうひとつ自己組織性の理論からの る実現傾向,自己実現傾向,そして一元的実現傾向と 示唆があれば,誤解釈の可能性を減じることができる。 いう概念について再公式化を試み,それを通して,ひ たとえば,自己組織化理論は,クライエントがつねに とが変化するというプロセスについて考察した。 さまざまな要因に囲まれ,その相互作用プロセスの中 これによって,人間性心理学の中心的概念でありな に生きていることを再認識させるものであり,クライ がら,積極的に理論化することの難しかった3種の実 エントの変化をいろいろな視点から見ることを促す。 現傾向概念について,さらに理論が発展する可能性が そもそも,クライエントの変化が非線形であると仮定 生まれたといえる。また自己組織化という観点は,実 されるため,母親が治療抵抗を示した場合も一様な解 現傾向という言葉の影に隠れて見えにくかった変化の 釈に陥ることなく多様な解釈に開かれる。同様に,ク プロセスの複雑性を再認識させるものであり,これは ライエントの突然の変化を目の当たりにしても,それ 実際のカウンセリング場面にも貢献しうることが示唆 を受け入れやすいだろう。 された。 振り返ってみると,クライエント中心療法と構成主 変化の因果律についての見方 義心理療法とは,理論構成上の要となる「変化」につ もとより,クライエント中心療法では,セラピスト いての見解に関して,自己組織性を媒介とした確固た の何らかの技法が原因となって,クライエントの変化 る内的親和性をもっていることがわかる。 興味深い が結果として生じるとは仮定していない。だが,クラ ことに,自己組織化の理論においては,秩序は平衡か イエントの人格を自己概念と体験からなると捉えるか ら遠くはなれた混沌から生まれるとされる(Prigogine 。厳密には,混沌(chaos)と無秩 ぎり,どうしても否認された体験への気づきが原因で, & Stengers, 1984) クライエントが変化するという結果が生じたと考えて 序(disorder)とは区別されるが,心理療法の文脈で, しまいやすい。 クライエントが「障害」(disorder)をもった「無秩 たしかに,クライエントの変化を単純な一方向的因 序」 (disorder)の状態から秩序を取り戻し,維持し, 果律で説明しようとすることは,効果的なカウンセリ 高次の秩序状態へと組織化していくというのは,ひと ングを模索する際に有効な場合が多い。しかし,すで の変化を考えるうえできわめて示唆深い(Mahoney & に論じたように,カウンセリング過程において双方向 Moes, 1997; 菅村,2000a) 。 的因果律が仮定される場合,諸事象のあいだの単純因 また自己組織化による変化は,非線形という性質を 果的な説明はきわめて困難になる。母親の自己像や体 持っているため,明確な因果関係を仮定できず,予測 験が無数の要因の相互作用プロセスとして成立してい もコントロールもできない(Kauffman, 1995; Prigo- るとすれば,そこから創発する変化もまた諸事象の複 gine & Stengers, 1984)。しかし,だからこそ自己組 - 9 - 理論心理学研究,2002 第4巻 第1号 1-12 頁 クライエント中心療法における変化のプロセスの再考 織化による変化は,システム全体の変化なのであって, は,19 世紀後半ごろから Wundt や Tichener が提唱 根本的な変化になり得るのである(Mahoney & Moes, し た ”structuralism” の 訳 語 と し て 定 着 し て い る 1997)。その意味において,Rogers が幾度となく言及 が,”constructivism”は,万物を要素の集合から構成 してきた”constructive change”とは,「建設的な変化」 されるという”structuralism”の考え方とは歴史上の直 (constructive change)であると同時に,「構成主義 接的な接点をもたない。 的な変化」(constructive change)ともいえるかもし 謝 辞 れない。 「万物はおのずから生成し,おのずから変化し,お 本論文の投稿に際して,文教大学の岡村達也先生を のずから形をそなえ,おのずから色をそなえ,おのず はじめ,早稲田大学の春木豊先生,同大学の根建金男 から智能をそなえ,おのずから力量をそなえ,おのず 先生から多大な励ましをいただき,またノーステキサ から消滅し,おのずから蘇生するのであって,これを ス大学とセイブルック大学院・研究センターのマイケ 何者かが意図的に生成し変化させ,形と色をそなえ, ル・マホーニー先生,宇部フロンティア大学の鈴木平 智能と力量をそなえ,消滅し蘇生させていると考える 先生,ならびに早稲田大学四天王会の各位に有難い刺 のであれば,それは間違いである」 (列子,福永訳,p. 激をいただく幸運に恵まれました。ここに心と体から 15) 。 の感謝の意を表します。 付 記 1)近年,日本において,”social constructionism” 本論文の一部は,2000 年9月に長崎にて開催された に関する本の出版が相次ぎ,訳者によっては,これを 日本人間性心理学会第 19 回大会で発表された(菅村, 「社会(的)構築主義」と訳し,またある者は「社会 2000c) 。Correspondence: [email protected] (的)構成主義」と呼んでいる。このよう に,”constructionism”が「構成主義」と呼ばれること 文 献 もあるが,本論文で「構成主義」といった場合,それ は 原 則 的 に ”constructivism” を 指 し , ”social constructionism”は「社会的構築主義」と訳すること 赤須和明(1991)ピアジェの構成主義 ―行動(行 にし,用語上でも概念的にも区別している。両者の思 為)の役割― 現代のエスプリ,287,32-40. 想上の共通点,また相違点については菅村(投稿中) Angyal, A. (1941). Foundations for a science of に詳しいが,本論文の文脈に限局していえば,構成主 personality. New York: Commonwealth Fund. 義が自己組織化の理論と本質的な関わりをもつ一方で, Bozarth, J. D. & Brodley, B. T. (1991). Actualization: 社会的構築主義は科学そのものに対して懐疑的な側面 A functional concept in client-centered therapy. があるため,複雑系の科学にも位置づけられる自己組 Journal of Social Behavior and Personality, 6, 織性については理論上の直接的な接点をもっていない 45-59. Bréhier, E. (1963). The history of philosophy: The と言える。 もっとも,これらを厳密に区分することは困難であ Hellenic Age (J. Thomas, Trans.). Chicago: The り,また海外では,社会的構築主義を構成主義の下位 University of Chicago Press. (Original work 概念と見なすことも一般的になりつつあるが,ここで published 1938) は暫定的に構成主義とは,”constructivism”と称され るが,構築主義(constructionism)を含まない思潮と Descartes, R. (1637). Discours de la méthode. 谷川多 佳子(訳) (1997)方法序説 岩波書店. したい。すなわち,哲学的には少なくとも Ford, G. J. (1991). Rogerian self-actualization: A Giambattista Vico まで遡り,心理学分野では Jean clarification of meaning. Journal of Humanistic Piaget や George Kelly,Ernst von Glasersfeld など Psychology, 31, 101-111. が代表とされる系譜を指し,Peter Berger と Thomas Frijda, N. H. (1993). The place of appraisal in Luckmann や Kenneth Gergen などは直接的には含ま emotion. Cognition and Emotion, 7, 357-387. 福永光司(訳) (1991)列子1 平凡社. ないものとする。 なお,日本の心理学では,「構成主義」という用語 - 10 - Guidano, V. F. (1987). Complexity of the self: A 第4巻 理論心理学研究,2002 第1号 1-12 頁 クライエント中心療法における変化のプロセスの再考 developmental approach to psychopathology and appraisals. Cognition and Emotion, 10, 1-25. therapy. New York: Guilford Press. Guidano, V. F. (1991). The self in process. New York: 花村邦昭(1998)「個」の自由から新たな秩序の創発 日本総合研究所(編) 生命論パラダイムの Hergenhahm, B. R. (2001). An introduction to the history of psychology (4th ed.). California: Hermans, H. J. M., Kempen, H. J. G., & van Loon, R. individualism The dialogical and rationalism. Phänomenologie: interactions in development. In M. F. Mascolo & S. Griffin (Eds.), What develops in emotional Press. Mahoney, M. J. (1991). 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