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高度専門職養成指導について −「臨床心理実習」

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高度専門職養成指導について −「臨床心理実習」
高度専門職養成指導について
−「臨床心理実習」の場合−
心のクリニック室長 倉戸 由紀子 はじめに
臨床心理学は、多くの人々の悲しみや苦し
のクリニック」を立ち上げ、地域支援をねら
みに寄り添い、ともに生きるという実践的活
いとして心理臨床の実践を試みてきたことで
動によって培われた学問だといえる。よって、 ある。
その専門家を養成するための実践的な「実
表1のとおり、本学の実習指導方法の特徴
習」という訓練形態は中核的な位置にある重
は、学外での心理臨床的実習体験とその施設
要な方法であるといえよう。
スタッフによる指導および学内の担当教員の
さて、心の支援のできる専門職養成のため
スーパービジョンやケース・カンファレンス
には、従来大学院「臨床心理学コース」にお
と、さらに「心のクリニック」実習体験と学
いてはその一環として、「臨床心理基礎実習」
外講師によるグループ・スーパービジョンで
と「臨床心理実習」が実践されてきた。そこ
ある。とくにスーパービジョンをシステムの
で、本稿では2回生対象の「臨床心理実習」
中に組み入れたことで実習生は週1回3時間
を取り上げ、指導のねらいを明確にしたい。
年間約90時間受講できるようになっている。
「臨床心理実習」は、高度専門職のひとつ
この学外講師によるスーパービジョンは、心
として、現在日本臨床心理士資格認定協会が
理臨床の専門家の資質向上と同時に専門家と
資格化している「臨床心理士」があるが、そ
してひとり立ちしたときの重要で安全な枠組
の養成校として認定された指定校に必修科目
形成の基盤になると期待している。スーパー
として挙げられている。
ビジョンについては学内の教員が実施する場
合と、学外のセラピストにまかせる場合につ
いての議論がなされるところであるが、筆者
「臨床心理実習」の概要
のスーパーバイザー・スーパーバイジー経験
「臨床心理実習」には日本臨床心理士資格
からいえば、利害関係のないほうがより自由
認定協会の指定校と認定されるためにある一
に関われたという体験がある。利害関係のな
定の基準が定められていることは知られてい
い学外のバイザーが推薦される由縁であろう。
ることである。本学も2001年度より第2種指
学外でのスーパービジョン体験を院生にそれ
定校としてその要件を充たすカリキュラムが
ぞれ個人で受けるようにシステム化するのは
構成されていることは言うまでもないが、
本学院生にとっては経済的負担が重い。しか
2004年度は近い将来第1種指定校と認定され
し、学内で学外講師をスーパーバイザーとし
るようにカリキュラムを構成し実施してきた。 て位置づけできたことは院生にとって利点が
それは、専門職養成の一貫として有料の「心
大きいと考えている。
−9−
表1 2004年度「臨床心理実習」カリキュラム
は白紙の状態でクライエントの話を聴かなけ
「臨床心理実習」指導のねらい
ればならないとはよく言われるところである。
さて、ここで、必要とされる実習生指導の
白紙の状態、すなわち純粋性とは他の学派
ねらいについて考えてみたい。
でreal self(Horney、1950)とか、authentic
セラピストが出会うクライエントの心の状
self(Perls, 1969)といわれている自己概念
態は刻一刻変化している。また同時に、実習
と等しい。セラピストのみではなく、クライ
生にも個人差があり体験していることは刻一
エントも志向する自己の状態である。このよ
刻変化している。したがって、心理臨床実践
うな真実でかつクリスタルな自己に出会うこ
の指導にはスーパービジョンなどの「今・こ
となく自己防衛の鎧兜を身につけていると、
こ」ベースの個別指導がどうしても必要にな
真の自己に向き合えないばかりか他者とも利
ってくる。そのプロセスで院生相談員はより
害を超えた純粋な関係は築けない。鎧兜を身
高い専門性を培い、同時にわき道にそれない
にまとい心を閉ざしているセラピストにたい
ように安全弁(自己コントロール)を形成する
してクライエントは心を開けることはできな
ことができよう。院生相談員はバイザーとの
いし真の自己にも出会えない。これは罪なこ
安全基地のなかで自己を開放し信頼すること
とである。したがって、セラピストは、常に
を体験する。すなわち、Rogers(1957)の
心を柔らかくして自分自身と「今・ここ」で
いう自己の純粋性に気づくのである。一度自
起こっている事にオープンでなければいけな
己を開示する体験をしてこそ心地よい安全弁
い。セラピストやカウンセラーとしては、ク
をも形成できると筆者は考えている。
ライエントに心を開いてもらい真の自己に出
心理臨床家はクライエントと出会うときに
会ってもらうためにはこのあたりの生き様が
−10−
問われるところである(Jourard、1974)
。
臨床家としての資質を向上させていく力にな
一方で、現代の学校教育において、われわ
るのではないかと考えるようになった。
れはマークシートにおいて○×式で回答でき
2004年度は「心のクリニック」での実習も
るように知識を丸暗記して少しでも高い点数
可能になり、わずかではあるが院生たちがケ
を取り要領よく他者との競争に勝つという利
ースを持ち、
「今・ここ」ベースで指導でき
害関係の中で生きることを条件づけられてき
る機会を増やすことができた。教員としては
た。しかし「正・誤」という評価や要領のよ
院生を修了と同時に彼らを信頼して学外に送
さに価値をおいていたのでは、心理臨床の場
りだしたいと願っている。教員にもどのよう
で「今・ここ」において生きている人間と関
な指導ができかたを問われているところであ
わること、しかも自信を失い、苦しみ葛藤状
る。以下に学内の「心のクリニック」での臨
態にある混沌としたクライエントに向き合い、 床心理実習活動のうち今回は「集団プレイ・
精神的自立を支援するということは、不可能
セラピー」と「マザー・グループ」を取り上
に近い。簡単には答えの出せない、すなわち
げ指導方法として「スーパービジョン」につ
混沌としたグレイゾーンをともに生きる必要
いて報告する。
があるからである。グレイゾーンを生きると
① 集団プレイ・セラピー
いうことは、そのプロセスにおいては不安、
院生相談員が子どものセラピストになり1
混乱、葛藤、苦しみや行き詰まり感などを生
対1ベースで関わるものである。集団とはい
きることであり、決して容易ではない。そこ
え、基本は1対1のプレイ・セラピーで、結
でセラピストにはこのような状態を心で感じ
果としてメンバー同士が互いに関わりあうこ
理解し、引き受けることのできる柔軟性や包
とも生じてくる。関わり方の基本は原則とし
容力、創造性や暖かさ、正直さや持久力と、
て事前に学んだAxlineの遊戯療法(1972)と
それを伝える応答力が必要となる。さらに的
している。院生相談員は各担当のクライエン
確な応答には、「今・ここ」でなにが起こっ
トにより添い、補助自我の役目を果たし、ク
ているかを把握する現実認知力も必要になる。 ライエントの安全基地となる。このような関
また、心の世界と現実の世界、およびクライ
わりによって、最終的には各クライエントが
エントに寄り添うと同時にセラピストの役
潜在的に持っている生きる力を発揮し、より
割・倫理観などとの境界線も忘れてはいけな
伸び伸び自己表現ができ、自己を信頼し他者
い。すなわちクライエントの世界とセラピス
とも関わることができるようになることをね
トの世界の間に線引きができる力、言い換え
らいとしている。これは、臨床心理士の観察
るなら、選択する力、そしてそれらを刻一刻
指導のもとに実施されている。また、終了後
変化する関係性の中で表現できる能力(言語
は、ケース・カンファレンスを実施し、また
化能力)などが必要とされる。いわば、各ク
日 を 改 め て 収 録 し たVTRを も と に グ ル ー
ライエントとの小手先の関わり方の指導では
プ・スーパービジョンが行なわれている。さ
なく、本質的な生きざまに関わり、共に生き
らに、母親の希望に応えて連絡帳をつくり母
ることのできるセラピスト養成指導が昨今と
親とセラピストとの交流も図っている。一方
くに必要ではないかと考えられるようになっ
セラピストにとってはこの交流をとおして、
てきた。言い換えれば、心理臨床の理論や技
何を伝え、どのような言語を用いて母親と交
法指導を基盤にした、その実習生の「今・こ
流するのかを学ぶ機会にもなっている。
こ」での自己の気づきや相互の関係性に応答
できる人間的な感性の育成が最終的には心理
−11−
② グループ・スーパービジョン
ん方に日頃問題視していることを話し分ち合
スーパーバイザーは学外講師である。プレ
っていただくことによって、悩んでいるのは
イ・セラピーにおけるセラピストの役割であ
自分だけではないという感じを持ってもらっ
る補助自我の役割を明確にして、クライエン
たり、先輩のお母さんから経験談を聴くこと
トの成長に貢献すると同時に、セラピストと
によって視野を広めて不安を軽減したり、地
しての専門性を養成することをねらいとして
域の情報を集めたりして、育児やそれにとど
いる。グループではあるが基本は個別指導な
まらないで“生きる”ということに自信をも
ので、そのプロセスにおいて、さらに人間的
っていただくことである。「心のクリニック」
な感性を育てることも可能となる。最終的に
のスタッフを長い人生に渡っての相談相手に
は、臨床心理士としての資質や職業倫理につ
していただけたらうれしいと願っている。こ
いてのスーパービジョンも行なわれる。
れは地域支援のねらいでもある。
このところの育児に対するお母さん達のス
③ マザー・グループ
トレスは想像以上に高い。これまでは核家族
マザー・グループとは、子育て支援をねら
のため子どもと親が社会から孤立化し、密室
いとする母親のグループ・セッションである。 の中で行き詰まってしまう育児、経済的困難、
実存主義的現象学の立場にあるゲシュタルト
時間的な束縛感、育児のモデル像のないこと
療法を基盤とした教員がセラピストを担当し、 から派生する不安、子どもとの関係性を築く
コ・セラピストには臨床心理士、院生相談員
困難、子どもにたいする期待と現実とのギャ
には陪席と終了後に記録をとることが課せら
ップから生じる不安や焦燥感、自信喪失感、
れている。前掲の東アフリカのコミュニティ
嫁姑間の葛藤などが取りざたされてきた。現
ーとまではいかないが、地域の人々に対する
在もこれらは存続している。しかし、このと
子育て支援をねらいとしているグループであ
ころは母親同士の対人関係にストレスを感じ
る。このマザー・グループの目標は、お母さ
ている人が多いことに注目したい。
表2 マザー・グループの基本的姿勢についての文献から
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−12−
たとえば、一般的に“公園デビュー”など
ようなお母さんたちのよき理解者となり共に
といわれているように、子どもを公園へ遊び
仲間として生きて欲しいと願っている次第で
に連れて行くにしても母子ともどもどのよう
ある。
な服装でいくのかを始めとして、既存の母親
集団の中に受け入れてもらうためには大変気
を使わねばならない。なぜならその公園には
すでにボス的存在の母親がいて彼女の気に入
らないといじめの対象になって仲間はずれに
されてしまうからである。気に入らない新人
は、仲間に招くことも無く除外されてしまう。
これはとても悲しい現実である。まさに、お
となのいじめ社会の構造がそこにはある。そ
れでも子どものためにと、我慢をして公園で
遊ばせるのだそうだ。挙句の果てには疲れき
って、子どもにそのストレスをぶつけたり、
もう二人目の子どもはいらないという気持に
なってしまうそうだ。また、よくあるのは近
隣社会のおとなの無理解である。たとえば子
どもを泣かせるとすぐに苦情があったり、育
児に批判をしたりでこれまた子育てで張り詰
めているお母さんたちに、精神的に追い討ち
をかけることになる。あまりの苦痛にそこに
住めなくなって引っ越しをしたということは
よく耳にすることである。母親たちは昔に比
べると、社会の人たちに気を使って子育てを
しなくてはいけないようだ。もう二人目は欲
しくないと叫んでおられるお母さんたちの声
は、私たちにはどんなふうに聴こえてくるの
であろうか。「心のクリニック」では、この
ような緊張状態にあるお母さん方に少しでも
リラックスでき、生きる意味を考えていただ
く場を提供し、ひいては現実の生活場面で
“元気”でいられるようにエンパワーメント
できればと思っている。
今、日本で子育て支援でもっとも大切なの
は、冒頭に紹介したようにまず社会のメンバ
ーが子育てをしている家族を暖かい心で理解
し共に仲間として生きるという姿勢であるこ
とを感じさせられている。院生たちにもマザ
ー・グループへの陪席をとおして、是非この
−13−
文献
Axline, V. 1947 Play Therapy, Boston: Houghton
Mifflin,(小林治夫訳 1972「遊戯療法」岩崎学
術出版社)
Horney, K. 1950 Neurosis and Human Growth:
The struggle toward selfrealization, Norton and
Company. Inc: New York,(対馬忠監修 藤島み
ほ子、対馬ユキ子訳、1986「自己実現の闘い
――神経症と人間的成長」、アカデミア出版会)
Jourard, S.M. 1971 The Transparent Self, Litton
Educational Publishing, Inc.(岡堂哲雄訳 1987
「透明なる自己」、誠信書房)
Ornis, D. 1988 Love and Survival, EBURY Press
(吉田利子訳 1999「愛は寿命をのばす」、光文社)
Perls, F.S. 1969 Gestalt Therapy Verbatim,
Real People Press Rogers, C.R. 1957 A Necessary and Sufficient
Condition of Personality Change, Journal of
Consulting Psychology, 21, 95-103
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