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校長ブログ 平成27 年 10 月26 日 東京都立多摩高等学校 第23 代校長
校長ブログ 平成 27 年 10 月 26 日 東京都立多摩高等学校 第 23 代校長 常國 佳久 「タヌキ」が自分か、自分がたぬきか? ―正体見抜いたり― 明治の文豪「夏目漱石」に『坊っちゃん』という作品がある。近いうちまた映画ができるそうだ。そのなかに「狸」 とあだ名される校長が出てくる。「全くうまいあだ名をつけるものだ。ざまあ見ろ!」高校生の頃、勉強に身が入ら ずにだらだらと過ごしながら読んだとき、そう感じたのを覚えている。 さて、僕は先日、提出期限に追われて、疲れた目をこすりながらパソコンをを操作していた。いつか秋の夜も八時 半頃になっていた。余りに気候も良く、校長室にお隠りしているのも飽きてきので月でも眺めながら帰ろう!と思い 立った。僕は開放気分に包まれて、「しょ、しょ、しょうじょうじ、しょうじょうじの庭は、つん、つん、月夜だ、 みんな出て来い来い来いっと!」と、誰も聞く心配がないのをいいことに、結構な大声で自己陶酔のトランス状態に なって歌いながら玄関まで来た。ところが靴箱のところで上履きを脱いで履き替えている時のことだ。僕は奇妙なも のを見かけてしまった。僕の歌を聞いている人がいたのだ。いや、人と言えるかどうかいまだに確信がないのだが、 玄関を入ろうとする「タヌキ」だ。 嘘ではない。確かなのは、そのとき僕は自分の歌を他人に聞かれてしまった気恥ずかしさに、ちょっと気力負けし ていて、その狸に「ストップ」と強く抗議することができなかったという事実だ。これは自分にやましいことがある と厳しく生徒を叱ることが出来なかった若き日の自分の癖がでたのだ。僕はちょっとヘドモドしながら、「たぬちゃ ん、もう職員室には若手が二人ほどいるだけ。君が迷い込んでも、誰も助けられないよ。」と注意したが、僕の弱気 を見抜いているのか、たぬちゃんはちっともたじろがず、横目に僕を見ながらも【なにもそんなことを言われる筋合 いはないよ。】と言っているとしか思えない態度で僕の足元を通過してフロアに上がろうとした。何も見なかったこ とにしようかという弱気が僕の頭をかすめた。しかしそれでは日頃の主張が崩れる。 「たぬちゃん、もうお帰りよ。ねえ、本当に。」と横からもう一度気力を振り絞って懇願した。すると、【ちぇっ。 正体がバレてんじゃあしょうがねぇや。】というように白目を一瞬僕に向けてから、くるりと向きを変えて、立ちす くむ目の前をちょこちょことまた横切って玄関口に引き返し、玄関を出て一目散にアスファルトを駆けて桜の樹のさ きの闇に消えた。 僕は少しだけ安堵しながら、考えた。 「いったい今の狸は誰だったのだろう?」 うちの職員かな? 本当は狸なのだが、今夜の月にほだされて、気が弛んで正体を現したのに違いない。そうでなけ れば、あんなに堂々と校長である僕の前を通り過ぎる訳がない。僕はうちの教職員の顔をひとりひとり思い浮かべて みた。「〇〇さん? それとも、□□さん・・・かな?」 月を眺めながら七兵衛通りを半分ほど歩いて青梅坂に差し掛かったとき、突然、閃(ひらめ)いた。はっきり気づ いた。そして、冷や汗がどっと湧いてきた。 「そうか、誤解していた。いや、全く。」 たぬちゃんが僕の前を全く気もかけずに通りすぎようとしたのは、たぬちゃんから見て、僕こそが「狸」そのもの だったからに違いない。僕はあのとき気が抜けて、でかい声で「しょっ、しょっ、しょうじょうじ~っ」と歌うほど。 完全にトランス状態であった。気が抜けて正体を現していたのは誰でもなくこの自分だった。あの名作、『坊っちゃ ん』が校長を「狸」とあだなしたのは故なしとしない。当時、『坊っちゃん』を読んで「校長なんてカッコ悪い。」 と感想を日記に書き記してから40年たち、僕はあだ名の「たぬき」どころか、タヌキそのものになっていた。