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この作品に於て、 ハ スの美の典型の 一 っとして、 第六番目に` 風雨 に
荷 衰 へ芙蓉 死すi 古 典 詩 の 中 の は す - 北 宋の李綱 は ﹁ 蓮花賦﹂ を作り、 ハス の美 を 六 人 の歴 史 上 の美 女 に 市 川 桃 子 こ の作 品 に於 て、 ハスの美 の典型 の 一つと して、 第 六番 目 に、 風 雨 夜飲朝歌 線水如鏡 紅裳影斜 風雨樒 残 瓢零紅多 又如湘妃 亭亭煙外 乍疑西子 琶鼓雲和 凝立委佗 臨難涜紗 嬌困無力 播播繊何 又如察女 蕩舟抵詞 又如洛神 菌菖 初開 羅磯凌波 朱顔牛醜 イ メ ージ を 検 討す る こと を目 的 と す る 。 れ て いる のであ る。 本 論 は、 こ の、 古 典詩 に描 か れ る衰 残 し た ハス の 嘆 き ほ こる 満開 の花 に並 ん て、 零 落 し て いく 様 も 美 し いも のと 樗 え ら にさ ら さ れ て砕 か れ損 わ れ た 姿 が 記 さ れ て いる 。 ほ こ ろび かけ た蕾 、 又如南威 楚舞婆娑 妙響相磨 たとえて次のよう に歌 っている。 天風徐來 ハ スは 古 く から 中 國 にあ る植 物 で、 ま た食 物 と し て栽 培 さ れ、 生 活 ハユリ し、 ど の方 向 に獲 展 し て いく の かを 分 析 し 考察 す る。 で は、 そ の、 衰残 した ハスに郵 す る 美 意 識が 、 い つ頃護 見 さ れ、 定着 う にな り、 さ ら に は張 い美意 識 を 喚 起 す るも のと な る のであ る。 本 論 な か った。 そ れが 、 あ る時 期 から 美 の封 象 と し て詩 の中 に 歌 われ るよ 衰 萎 し たそ の様 に美 意 識 を感 じ ると いう こと は古 典 詩 のごく 初期 には し か し、 ハスは早 く か ら吉 瑞 の植 物 と し て詩 に書 か れ て は い たが 、 描 かれ て おり 、多 く の佳 句が 残 さ れ て いる。 る。 そ こ で、 古典 詩 の中 て、 衰 え た ハス の姿 は猫 特 の美 意 識 をも って み枯 れ る。 花 も 葉も 大 き い のて、 そ の衰 残 の姿 は こ と に 印象 的 であ る頃 は 巳 に秋 てあ る。 秋 の氣 配 と 共 に花 が散 り、 香 りが 裾 せ、 葉 も 傷 が 、 ハスの花 は夏 に険く 。 花 が衰 え て蜂 の集 のよ う な形 を し た實 が残 多 く の花 は春 に険く 。 花 が 散 る 頃 は緑 の盛 んな夏 であ る。 と こ ろ 又如戚姫 乍ち西子 の、路 に臨みて紗 を涜 ふかと疑 ふ。 緑水鏡 の如 し、 紅裳影熱 めなり。 あか 又南 威 の、 夜 に飲 み朝 に歌 ふが 如 し。 菌 茜 初 め て開 き 、 朱 顔 牛ぱ 醜 ら む 。 亭 亭 と し て 煙外 に、 凝 立 し て委 佗 たり 。 又洛 紳 の、 羅 磯波 を凌 ぐ が 如 し 。 天 風 徐 う に來 た り て、 妙響 相 ひ磨 す 。 又 湘 妃 の、 雲 和 を 琶鼓 す る が如 し 。 嬌 困 して 力 無 く、 掻 揺 たる 繊 何。 又 戚 姫 の、 楚 舞 し て婆 娑 た るが 如 し。 風 雨 に捲 残 せら れ、 瓢零 し て紅多 し。 又 察 女 の、 舟 を 蕩 か し て抵 詞 す る が如 し。 九 一 第四十 二集 九二 示 さ れ て いる。 そ こで、 ハスは、 ﹃詩 輕 ﹄ の中 では、 懸 愛 に關 わ る植 け 日本中國學會報 に密 着 して も い た の で、 多 く の名 稔 を持 つ。﹃読 文 解 字 ﹄によ る と、 蕾 製 斐 荷 以 爲 衣月 写 芙蓉 を墾 め て以 て裳 を爲 る 隻荷 を製 り て以 て衣 を 爲 り ば し ば 描 か れ る。 蘂芙 蓉 以 爲⋮ 裳 ︹ 離 騒︺ ﹃楚僻 章 句﹄ の中 では 、 ﹁離 騒﹂ ﹁九 歌﹂ ﹁九 章﹂ な ど に、 ハ スが し ハどり を ﹁菌 苔﹂、花 を ﹁芙 蓉﹂、 實 を ﹁蓮 ﹂、葉 を ﹁荷 ﹂、 根 を ﹁鵜 ﹂ と いう。 物 と し て意 識 さ れ て いたと 考 えら れ て いる。 総 穂 と し て ﹁芙 藥﹂ が考 えら れ て いる。 こ の意 味 分 類 は お お む ね 要當 であ る が、 時 代 、 地 域、 場 合 によ って異 な る こと かあ る。 菌茜 は花 の 意 味 に使 わ れ る こ と かあ る し、 荷 華、 荷 花 、 蓮 華 、 蓮 花、 鶏 花、 ま た 蓮 葉 と い った言 葉 も あ る。 芙 薬 だ け で はな く 、 芙 蓉 、蓮 、 荷も 総 構 と ハ り し て用 いら れ る。 さら に韮 や 種 、 胚芽 と い った 部分 にも 名 樗 か付 け ら こ の句 に 見 ら れ る よ う に、﹁楚 僻 ﹂ では 、 ハスを 身 に つけ た り 、 ハスで ぞり れ て いる 。 古 典詩 の中 で用 いら れ る頻 度 が 高 い言 葉 は ﹁蓮 ﹂ ﹁荷﹂ ﹁芙 屋 根 を 葺 いた りす る。 こ の行 爲 は、 蘭 草 や 葱 草 な ど 他 の香 草 のそ れ と 彼 の澤 の破 に 裳 を竈げ て足 を濡 ら す こと を揮 る 芙 蓉 に因 り て媒 と爲 さ んと す るも と への期 待 を思 わ せ る。 因芙 蓉而 爲媒 号 ︹ 九章 揮塞裳而濡足 先 秦時 代 の ハスは、 こ のよう に描 か れ て い た。 う。 測 す る に、 當 時 は ハスに媒 とな る 力 があ ると 思 わ れ て いた の で あ ろ こ の句 で は、 ハスを 仲 立 ち と し て用 いよう と し て いる。 こ の句 か ら推 思美 人︺ 同 檬 に、 自 己 の高 貴 さ を 象徴 す る と 共 に、 あ る種 の力 を 身 に付 け る こ 蓉﹂ であ る。 本 論 の第 一章 は ﹃詩 輕 ﹄ から 六 朝詩 ま でを 扱 い、 衰残 の ハスの美 の 獲 見 と 定着 に つい て考 察 す る 。第 二章 は唐 詩 を 中 心 と し て、 そ の護 展 獲 見 と定着 の方 向 に つ いて 考 え る。 第 鰯章 ハスが詩 に歌 わ れ る こ とは 古 く、 す で に ﹃詩 経﹄ に そ の姿 が見 られ る。 ﹃詩 脛 ﹄ ては、 陳 風 の澤 肢 篇 と 、 鄭 風 の山 有 扶 蘇 篇 と に歌 わ れ る。 有蒲與荷 蒲と荷と有り 彼澤之破 漢 代 て は、 ﹁拾 遺 記 ﹂ に牧 めら れ る昭 帝 の ﹁淋池 歌 ﹂ を 見 ても、 塞 帝 の ﹁招 商 歌 ﹂ を 見 ても、 ハスは 吉 瑞 の植 物 と 意 識 さ れ て いた と考 え 涼風 起 こり て 日 は渠 を 照 ら す ら れ る。 涼風 起号 目照 渠 第 一章︺ 傷 め ど も 之 を 如何 せ ん 澤阪 碩大 に し て 且 つ撮 し 惟れ 日足 らず し て樂 し み鯨 り有 り 青 荷 聲 に假 し葉 は夜 に鍔 ぶ 玉晃 を歌 ふ 青 荷 甕偲 ⋮ 葉夜 野 清蒜流管 惟 日 不足 樂 有 鯨 清 練 流 管 歌 玉髭 軽 韓 と し て枕 に伏 す 蒲と菌落と有り ︹陳風 美 し き 一人 有 り 彼 の澤 の阪 に 傷 如之 何 美 しき 一人 有 り 有 美 一人 有蒲菌菖 涕 洒湧 池 た り 碩大且撮 籍 廉 に爲 す 無 く 彼澤之破 籍課 に爲 す 無 く 涕洒湧池 有 美 一人 軽韓伏枕 籍 窯 無爲 籍課 無爲 ︹ 陳風 澤阪 第 三章︺ 澤 陵 篇 に 見ら れ る よう に、 いず れ の作 品も 、 懸 心を 歌 う 前 に ハ スが提 こ の句 に感 じ ら れる よ う に、 いず れ の作 品 も、 輕 快 な リ ズ ムに よ って 劉禎 ︹ 公謙詩︺ 遊 渉 の様 子 か生き 生 き と 描 か れ て い る。 樂 し か るべ き 行 樂 の描 窩 であ 魏 璽帝 ︹ 招商歌︺ る か ら、 ハスと 共 に記 さ れ る 景物 は、 璽 鳥 、仁 獣 な ど、 や は り吉 慶 の 千年 萬 歳 嘉 は 瞼 え難 し ﹁拾遣 記 ﹂ によ る と、 こ の時 南 國 から 大 き な ハスが 献 じ ら れ、 そ の 生 き 物 てあ る。 千年 萬 歳 嘉 難 喩 葉 が 夜 のび 書 に巻 く 所 か ら夜 釘 荷 と 名 付 け ら れ て 珍重 さ れ た と い う。 乃 ち芙 蓉 の璽 草 有 り 全 く な い。 ハスが秋 の景 物 と し て 歌 われ る のは、 南 渡 の後、 否宋 の時 概 括 し て述 べ た。 この時 代 ま ては、 衰 残 した ハスの姿 を 述 べ る詩 句 は 以 上、 ﹃詩 輕﹄ から漢 魏 詩 ま で に描 か れ る ハスのお お よそ の 傾 向 を 漢代 の閲 鴻 は ﹁芙 蓉 賦 ﹂ を作 って、 乃有 芙 蓉 盤 草 載ち中川 に育ま る 代 にな って から であ る。 榮 華 難 久居 曲 旦 二春 の薬 と 爲 るも 盛衰 量 る可 か らず 榮 華 久 しく は 居 り難 し すなわ 載育中川 修 幹 を煉 て て以 て波 を 陵ぎ 盛 衰 不 可量 今 は秋 の蓮 房 と 作 る そばた 煉修幹以陵波 と いう。 芙 蓉 を ﹁璽 草 ﹂ と記 す の は、 漢 の関 鴻 に止 ま らな い。 昔 爲 三 春薬 池育秋蓮 鋸 塗 に 旨り て以 て感 じ易 く 水 に は 寒漂 滅 す 池 に は秋 蓮 育 ち 宋 孝 武 帝 ︹離合︺ 陶漕 ︹ 雑詩十 二首 ︺ 緑 葉 の規 圓 を建 つ 百卉 の英 茂 を覧 る に 今 作 秋蓮 房 水滅寒漂 日 月逝 き て要 め難 し 膏 建緑 葉 之 規 圓 覧 百卉 之 英 茂 斯 の華 の猫塞 無 し 曹植 ︹芙蓉賦︺ 無 斯 華之 濁霊 璽繭を玄泉に漕め 旨韓 塗 以 易感 夏 侯湛 ︹英蓉賦︺ 日月 逝 而難 要 魏 漕躯繭於玄泉 修 蕗 を 清 波 に 擢 んず と いう よ う に、 賦 の分 野 で は か な り長 い間 、 ハスは 璽 な る植 物 と し て 晋 擢 修 藍 乎清 波 描 かれ て いる のであ る。 魏 詩 を 見 る と、 丈 帝 ﹁芙 蓉 池 作 ﹂、 王 棄 ﹁雑 詩 四 首之 二﹂ な ど 、 文 芙 蓉 其 の華 を 散 ら し 観 察 して形 容 す るも の では な い。 第 一の織 に つい て いえば 、 ハス以 外 第 二 に、 これ ら の作 品 に現 れ る ハスは 具象 性 に乏 し く、 特 定 の舞 象 を であ って、 秋 蓮 は失 わ れ て し ま った榮 華 の比喩 と し て描 か れ て い る。 これら の作 品 は、 第 一に、 盛 衰 の比 喩 てあ って、 ハスそ のも のを 歌 っ 菌茜 金 塘 に溢[ る 帝 を中 心と す る文 學 集 團 によ って、 ハスの池 に遊 んだ 作品 が 幾 つか 作 芙蓉⋮ 散其 華・ 璽 鳥水 高 に宿 り て いる わ でけ はな い。 主 題 は時 が 過 ぎ 去 り やす く 止 め難 い と いう こと 菌茜溢金塘 の植物 にも 目 を向 け れ ば 、 散 る花 が盛 嚢 の比喩 と し て 用 い ら れ る こと ら れ て い る。 竪 鳥宿 水 窟 仁 獣飛 梁 に遊 ぶ 九三 仁 獣遊 飛 梁 古 典詩 の中 のはす も 關 わ る こ と てあ ろう 。 い でき ご と であ ったと 考 え ら れ る。 これ は、 秋 景 への志 向 の高 ま り と る 。 そ れ にも 關 わら ず 、 秋 蓮 に目 を向 け た こと、 そ の こ と自 鶴 が 新 し の作 品 と 同 じ であ る。 つま り 、 それ ほど 新 し い句 て は な い こ と に な 風砕池中荷 倣窃望寒旭 開館臨秋風 遙遡西山足 這遽南川陽 結宇夕陰街 荒幽横九曲 霜 は甥る 江南 の菓 風は砕く 池 中の荷 窃を傲き て寒旭を望む 館を關き て秋風に臨み 遙遽たり 西山 の足 這遽たり 南川 の陽 荒幽 第四十二集 秋 を悲 しむ 作 品 の系 譜 は 古 い。 宋 玉 の作 と いう ﹁九 辮﹂ の冒 頭 に、 霜蕩江南蓑 既に東都 の金無し 日本中國學會報 ﹁悲 哉 秋 之 爲 氣 也 、 瀟 琶号 、 草 木 描 落而 攣衰 ﹂ と 歌 わ れ て以來 、 多 く 既無東都金 且 く東 泉 の粟 を税 ら ん 宇を結ぶ 夕陰街 の秋 を悲 しむ 作品 が作 ら れ てき た 。 し か し、 詩 の中 に、秋 の景 物 と し 且税東泉粟 おく 九曲横た ふ て蓮 房 、 は な び ら を落 と し蜂 の集 の よう な 實 に攣 じ た ハスの姿 、 が 描 は漢 代 か らあ った。 第 二 の貼 に つ いて考 え てみ れ ば、 これも 漢 魏 以 前 かれ る のは、 先 に學 げ た陶 漕 の作 品が 最 初 であ る 。 こ の時 代 から 、 秋 謝跳 ︹ 治宅︺ 九四 齊 窮秋九月 と てあ る 。 飽 照 ﹁代 白 綜 曲﹂ に感 じら れ る よ う な唐 突 さ は な い。 中 の る 。 ま ず 、 作 品 全 髄 の雰 園 氣 に、 ハスの景 が し っく り と 合 って い る こ こ の作 品 を 、 第 四 聯 の ハス の情景 から 見 て み る と、 次 の三鮎 が 言 え 北 風 雁 を騙 り て天霜 を 雨 らす 宋 代 に 入 る と次 の句 が あ る 。 の景 物 の 一つと し て、 ハスに目 が 向け ら れ る よ う にな った。 窮秋 九月 荷 葉 黄 三 聯 か風 景 描 篤 てあ る。 遠く めく る川 。遙 か に連 な る 山脈 。 吹 き す さ 荷 葉 黄ば む 北風 騙 雁 天 雨 霜 夜長 く酒 多 く し て樂 し み未 だ 央 き ず の席 を 歌 った詩 て、 寂 涼 た る外 景 に樹 し て歌 舞 の樂 し み を述 べ て いる 風 に吹 か れ て いる。 秋 の末 の瀟 條 と した 風 景 であ る 。 この作 品 は酒 宴 天 か ら降 って く る 霜 に黄 色く 憂色 した ハスの葉 は 、 恐 ら く 雁 と 共 に北 三 に は、 末 の聯 に記 さ れ る作 者 の氣 分 と、 中 三 聯 の風 景 、特 に第 四聯 ﹁砕 ﹂ ﹁魏 ﹂ と いう 動 詞 が、 秋 の持 つ冷 く 鋭 い氣 配 を言 い得 て いる。 第 た 植 物 を、 ﹁風 か砕 いた﹂﹁霜が 蕩 った﹂と表 す 護 想 も面 白 いし、特 に、 の封 句が 、 表 現 と し ても 洗練 さ れ て い る こと であ る。 秋 にな って枯 れ と し て、 破 れ た ハス の葉 は ふさ わ し い景 物 てあ る 。第 二 には 、第 四 聯 ぶ 秋 風 の音 と 冷 い 日 の光 。 こ の寒 々と し た光 景 を よ り 具髄 化 す る も の 夜長酒多樂未央 も の であ る。 荷 葉 の翻 る情 景 は 、盛 衰 の比 喩 ては な いし、 ま た ﹁悲 ﹂ の ハスの光 景 と かよ く合 って いる こと てあ る 。否 の院籍 ﹁奏 記 詣 蒋 公﹂ 飽照 ︹ 代白綜曲︺ ﹁愁 ﹂ と い った 主観 的 な 感 情 語 を件 う も ので も な い。 比喩 て はな く、 宋 客 観 的 な風 景 と し て、 枯 れ た ハスの景 が 描 か れ る、 こ れが 最 初 の作品 に、 ﹁方 將耕 於東 泉 之 陽 、 輸 黍 稜 之 税 、 以 避當 塗者 之 路 ﹂ とあ る。 作 作 者 の 心 には 霧 ら れ 砕 か れた 思 いが あ ったに 違 いな い。 景 と情 とが よ 者 も 、 當 塗 者 の路 を 避け るべ く こ こに家 を 建 て た の であ る。 この時 の であ る。 し かし、 衰 荷 の護 見者 と し て の功績 は、 齊 の謝 眺 に 麟 す べ き て あ る。 江花玉面爾相似 桂識 蘭櫨 浮碧水 香風起 こる 白 日低 し 蓮は疎 に繭は折 れ 香風起こる 江花玉面 雨 つな から相ひ似たり 桂械蘭椀 碧水に浮 かぶ 蓮疎繭折香風起 採蓮曲 君 をして迷はしむ 操蓮曲﹂ であ る。 の曲を用 い、 民歌 の風に倣 った簡文帝 の ﹁ 景 の襲 見 者 と いう 所 以 であ る。 こ の他 に も、 謝 眺 は、 ﹁冬 日晩 郡 事 隙 ﹂ 香風起 白日低 風景 と し て、 意 識 的 に 考 え られ て書 き 込 ま れ て い る。 謝 跳 を、 衰 荷 の と いう 作 品 の中 に、 ﹁颯 颯 浦 池荷 、 衛 備 蔭 窩 竹 ﹂ と いう 句 を置 き 、 同 操蓮 曲 使君迷 く 一致 し て いる 。これ ら の鮎 か ら 見 て、こ の作 品 の中 の ハスの景 色 は、 様 な 効 果 をあ げ て いる 。 ハスの花 と は 限 ら な いが 、 ﹁移病 還 園 示 親 島﹂ の美 しさ 、 ハス摘 み の乙 女 の姿 態 、 懸 心 、 を も っば ら に歌 うも のであ 採蓮 曲 は ハスの實 を 摘 む 女 性 を 歌う 傳 統 的 な 樂 府題 であ り、 ハスの花 詩 の ﹁秋 華 臨 夜 空 、葉 低知 露 密 ﹂ 句 にあ る ﹁秋 華 ﹂ ﹁低 葉﹂ に つ い て で は、 齊 の謝 眺 によ って褒 見 さ れ た衰 荷 の景 は、 ど のよ う に定 着 し も 同 じ てあ る。 槍 重月没早 浮煙 入綺寮 輕露沽懸井 贔思 夕腰嘆 螢飛夜的的 池蓮 寒條を生ず 罷葉を翻し 櫓は重なりて月 の没する こと早し 樹 は密 にし て風聲饒 し 浮煙は綺寮 に入る 輕露は懸井を浩し 贔思ひて夕 に腰腰たり 螢飛びて夜 に的的たり も しれ な い。彼 ら の間 に同 じ よう な 傾 向 の句が 見 ら れ る から てあ る 。 と いう より は、 簡 文 帝 を中 心と す る 文 學 集 團 にあ ったも のと いえ る か って い る。 明 る い主 題 の ﹁採蓮 曲 ﹂ に こ のよ う な情 景 を置 いた のは 、 う次 の部 分 を 引き 出 す も のだが 、 情 景 そ のも のに凄 涼と し た 氣 配が 漂 ま り見 られ な い。 こ の部分 は、 折 り 取 ら れ た ハスから 香 風が 立 つと い ば ら にな って蓮 も折 れ 荒 ら さ れ た様 を いう こと は、 後 世 の作 品 にも あ る。 こ の作 品 の第 三句 に あ る よう に、 ハス の實が 摘 まれ たあ と の、 ま 樹密風聲饒 霜篠 たとえば、 て い った のだ ろ う か 。 梁 の簡 文 帝 に、 そ れ への志 向 が 見 ら れ る。 池蓮翻罷葉 端 坐 し て蝕 の漏 に彌 る 此 の宥 に積 む 残練続折親 残綜続折蓮 砕珠紫 断菊 高荷没釣船 密菱障浴鳥 隻葉 低蓮 に映ず 残綜 残綜 砕珠 高荷 密菱 折鵜 を続 り 折蓮を続 る 断菊を紫り 釣船を没す 浴鳥を障り さえぎ 菱葉映低蓮 北周 九五 庚 信 ︹和艮法師遊 昆明池︺ も っと も 、蓮 疎 鵜 折 の景 に野 す る 好 み は 、簡 文 帝 個 人 に特 有 のも の 簡 文 帝 の關 心 が こ の凄 然 と し た光 景 にあ った から であ ろう 。 霜篠生寒條 離憂 わた 端坐彌蝕漏 簡文帝 ︹ 秋夜︺ 離憂積此宥 梁 こ の作 品 の構 成 は、 先 の謝 跳 ﹁治 宅﹂ 詩 に似 て いる。 第 三聯 に月 の光 と 風 の音 を述 ぺ たあ と て、 第 四 聯 に秋 荷 の景 を 示 す と いう 部 分 は 同 じ 構成 だ と いえ る。 謝 眺 の影響 を受 け て い る の かも し れ な い。 謝 眺 の影 響 を受 け たと し て も、 衰 残 の ハス に封 す る簡 文 帝 の志 向 は 明 ら か なも の てあ る。 次 に あげ る作 品 は 梁 の武帝 の改 作 にな る江 南 弄 古 典詩 の中 のはす 日本中國學會報 第四十二集 階 の蔵 は 漸 く葉 を 翻 し 北周 庚信 ︹ 詠 蜜屏風詩︺ 何遜 ︹ 秋 夕仰贈從兄寅南︺ って折 り荒 ら さ れ た 景 色 てあ り、 簡 文 帝 の ﹁操 蓮 曲 ﹂ と 同 じ稜 想 てあ 右 にあ る、 ハス の茎 が 折 れ て糸 を引 いて い る景 色 は、 いず れも 船 に よ 階 意 漸 翻葉 る。 ま た、 や 池 の蓮 は稽 く花 を 罷 む 梁 池蓮稽罷花 と いう 句 は、 先 にあ げ た簡 文 帝 ﹁秋夜 ﹂ 詩 の ﹁池 蓮 翻 罷 葉 ﹂ と いう 句 と よく 似 て いる。 そ こで、 簡 文帝 の ﹁山 池 ﹂ 詩 と、 周園 の文 學者 の ﹁山地 鷹 令 ﹂詩 を こと と す る。 九六 徐陵 ︹山池鷹令︺ 飽 至 ︹山池慮令︺ ハスに つ 、 いて は、 簡 文 帝 の詩 には描 窟 さ れ て いな いが 、他 の作 品 に 荷は疎にして樋⋮ を凝げず は次 のよ う に いう。 石は淺く して好んで苔を榮らす 時 に搬 に帯 び 荷 疎 不 凝椴 細薄 石 淺 好 榮苔 細薄時帯識 乍 ち舟 に入 る いず れ も、 まば ら で勢 いを失 った秋 の荷 葉 の様 を述 ぺ て おり、 句 作 り 低荷 や 雰 園 氣 か 似通 って いる こと が 見 て取 れ る 。 荷 の風景 ば かり でな く 、 低 荷 乍 入舟 描 かれ る 全 て の情 景 が 寂箕 と し て い て、 そ れ ら か作 品 の色調 を 決 定 し 荷 は低 く 芝蓋 出 て 聯か唱鶴 の舟 に登る 目暮 羽薩 に飾られ 浪 は涌 き 燕舟 輕 し 飛櫨 浪涌 燕舟 輕 日暮芙蓉水 長慢 綻油 に覆はる 輿を停め柳に依 りて息 ふ 荷 低 芝蓋 出 柳登鳴鶴舟 飛櫨飾羽詫 蓋を住め空を影 ひて留 まる 並 べ て検 討 して み よ う。 長慢覆綻油 停輿依柳息 古樹は横ざ まに沼 に臨 み 水逐雲峯闇 岸暗水光來 樹交櫻影疫 寒は殿影 に随 ひて生ず 水は雲峯 を逐ひて闇く 岸 暗 く し て水 光來 た る 樹 交 は り て棲影 没 し 荷風 浴鳥を驚かし くら 寒随殿影生 荷風驚浴鳥 橋影 行魚を聚む 檀 に逗ま って流る ハスの険 く 池 に遊 んだ 行 樂 の詩 で あ る。 庚 肩 吾 、飽 至 、王毫 卿 、徐 陵 、 橋影聚行魚 庚信 ︹ 奉和山池︺ 庚 肩 吾 ︹山池感令︺ 飽至 ︹ 山池鷹令︺ 庚肩吾 ︹ 山池鷹令︺ 住蓋影 空留 新藤は上 のかた棲 に挫 る 芙蓉 の水 古樹横臨沼 魚遊ひ闇に向 かひて集 まる て いる 。 た と えば 影 の風 景 てあ る。 新藤上挫櫻 戯鳥 おほ 魚遊向闇集 簡 文 帝 ︹山池︺ 戯鳥逗櫨流 梁 庚信 に ﹁山 池慮 令 ﹂ 詩 が あ る 。 庚 肩 吾 の句 に ﹁聞苑 秋 光 暮 ﹂ と あ る か ら 、 秋 の夕暮 れ の こと であ る。 次 に、 專 ら情 景 描 窟 に限 って考察 す る 四景 の歌 い方 は多 様 であ るが、 四人 の作 者 が 影、 闇 の部 分 に引 か れ て これ ら に、 簡 文帝 の ﹁魚 遊 向 闇集 ﹂ の句 を 加 え る ことが でき る。 こ の 蓮 寒池 不香 燕去個喧欝 蓮 寒 く 池 香 らず 燕 去 り て欄 恒 に齢 かに 石 は幽 にし て 細草 を街 み 復 騙 管 裏燕 已 折 池 中荷 復 た管 裏 の燕 を騙 る 已 に池 中 の荷 を折 り い る こ とが 注 目 さ れ る。 ま た、 石幽 街 細 草 林 末 に横 桐 度 る 芙 蓉 露 下落 楊柳 芙蓉 月中に疎なり 露 下 に落 ち 北 齊 の薫 慰 ﹁秋 思﹂ 詩 に、 次 の句 があ る。 梁 梁 と いう よ う に、 衰残 の ハスの景 を 歌 う句 が 見 られ る。 林末 度 横 桐 王 壷卿 ︹ 山池鷹令 ︺ こ の光景 は簡 文 帝 の ﹁古樹 臨 沼 ﹂ と いう景 色 に呼 慮 す るも の であ る。 楊 柳 月 中疎 王 塞卿 詩 の冒 頭 に ﹁歴覧 周仁 智 、 登 臨 歓豫 多 ﹂ と あ る か ら、 ﹁山 池 ﹂ 詩 ﹁山池 慮 令 ﹂ 詩 は 歓 樂 を盤 く し た行 遊 の作 であ る。 徐陵 詩 の冒 頭 に 時 人 未 之賞 也 。 吾愛 其 瀟 散 。 宛然 在 目 。 北齊 の顔 之 推 は ﹃顔 氏家 訓 ﹄ 文 章 篇 の中 で これ を、 は ﹁豊 胴 圖 仙 獣、 飛魑 佳 采 游 ﹂ とあ る から 、 贅 を 垂く し た 遊 び で あ る。 そ れ に し ては 、 描 か れ て いる 風 景 の何 と寂 真 と し て いる こと か 。 飽泉 ︹ 秋 日︺ 江洪 ︹ 秋風曲) 時 人 未 だ之 を 賞 さざ る な り。 吾 れ其 の薫 散 た るを 愛 す。 宛然 目 に と評 し て いる。 天 か ら降 る 白 露 の下 で散 って いく 秋 の芙 蓉 の景 が ﹁瀟 在 るが ご と し。 ﹁ 芙 蓉 地 作﹂ 等 の作 品 を 残 し たが 、 彼 ら の輕 快 な リズ ムに よ って描 き そ の昔、 魏 の文 帝 を 中 心 とす る文 學 集 團 が、 同 じ よう に水遊 び に出 て 出 さ れ た光 と色 彩 の世 界 と は全 く 異 な る。 し か し、﹁山 池﹂詩 ﹁山 池 慮 散 ﹂ と いう 語 によ って當 時 の評者 に認 めら れ た。 こ の景 が文 壇 に受 け 令﹂ 詩 に は、 秋 を 悲 しむ 句 や、 時 の移 ろ い を嘆 く 句 は 全 く な い。 静 ま り ゆ く 景 色 は、 比 喩 と して提 示 さ れ て いる の て はな い。す なわ ち 、 簡 入れ ら れ た こと の 一つの謹 左 であ る。 齊 の謝 眺 に よ って護 見 さ れ た衰 荷 の景 は、 梁 の簡 文 帝 を 中 心 とす る 文 帝 の文 學 集 團 は 、 秋 の寂 霧 を 客 観 的 な 光景 と し て見 、 それ に封 す る 文 學 集 團 の嗜好 に合 い、 彼 ら に 支 持 され る こと に よ って詩 的 風 景 と し 嗜 好 を も って詩 に窩 し た のてあ る 。 闇 に集 ま る魚 、 沼 に傾く 古 樹 と 共 久 しく 紅 を 落 と す 猶 ほ緑 を 巻 き 九七 き縫 がれ 、 さ ら に、 作者 の個 性 の稜 露、 小 さ な護 見 、 様 々な バ リ エー 南 北 朝 期 に稜 見 さ れ た衰 荷 の景 は、 それ を 縫 承す る 形 で 初 唐詩 に書 第 二章 獲展 の方向 其 一 荷衰ふ て定 着 し た。 これ が第 一章 の結 論 てあ る。 晩荷 徐悸 ︹ 夏 日︺ に、 まば ら に か しぐ 秋 荷 の景 は 、 簡 文 帝 を中 心 とす る 文 學集 團 の好 み 疎蓮 梁 に 合 うも の てあ った 。 衰荷 の景 は 、 彼 ら に支 持 され る こと に よ って、 丈 學 的 風景 と し て定着 し た の であ る 。 晩 荷 猫春 緑 梁 代 に は、 簡 文 帝 等 の作品 の他 にも 、 疎 蓮 久落 紅 古 典詩 の中 のはす 日本中國 學會報 第四十 二集 シ ョソが 積 み重 な って濁 特 の興 趣 と深 さ を持 つ風 景 と な って いく。 本 項 で は唐 代 に 於 て衰 荷 の景 が ど のよう に描 か れ て い った か を 、 時 代 を 追 って整 理す る こと に よ って分 析 考察 す る。 初唐 の衰荷 の景 が 、 意 識 的 に 六 朝期 の作品 を縫 承 し て書 かれ た こと 花 生 じ て圓 菊 蕊 た り ずい 荷 羅き て戯 魚 通 る は 次 の作 品 に明 ら か であ る。 花 生圓 菊 蕊 九八 秋 日 之 可 哀号 諒 無愁 而 不垂 嵯 秋 日 の哀 し む可 き、 諒 に愁 ひ無 く して 霊 きず 。 ﹁秋 興 賦 ﹂ は 嵯 壷 を提 ぐ 菊 花 の岸 と いう 悲 秋 の作 品 であ る。 し か し初唐 の衰 荷 の景 を見 ると、 秋 を 悲 し 提壷菊花岸 む と いう より は、 高興 芙 蓉 の池 高 興芙 蓉 池 葉 は 死 ん で蘭 に氣 無く て、 雰 園氣 に於 て縫 いだ。 表 現 の面 でも境 地 の面 で も 新 し い工夫 は見 荷 壷戯 魚 通 荷 は 枯 れ て 水香 ら ず 太宗 ︹ 儀驚殿早秋︺ 葉 死蘭 無 氣 遙 か に聞 く 郭 震 ︹同徐 員外除太子舎 人寓直之作︺ ちてあ る。 す な わ ち、 初 唐 の作者 は六朝 詩 の衰 荷 の景 を、 ﹁高 興 ﹂ の景物 と し と いう よう に、 興 趣 のあ る景 色 と し て描 かれ る場 合 が多 い。 荷 積 水不 香 ら れ な い。 こ の景 色 の持 つ意味 を 一段 と 深 め る のは 盛 唐以 後 の詩 人 た 太 宗 ︹秋日駿庚信暖︺ 遙 聞秋 興 作 言 ふは 是れ 脅 の中 郎 秋 興 の作 言 是 習中 郎 北池 雲水闊く 本 論 の中 て これ ま て ﹁衰 荷 の景 ﹂ と いう言 葉 を しば しば 使 ってき た 華館 秋風に聞く が ﹁衰 荷﹂ と いう 言 葉 を 初 めて詩 語 と し て 用 いた のは 盛唐 の杜甫 であ 北池雲水闊 猫鶴 元より渚 に依り 太宗 の詩題 に、 庚 信 の膿 にな ら う、 と あ る。 梁 の簡 文 帝 の ﹁ 葉疎行蓬 華館開秋風 出﹂ と いう 句も 震 想 と し ては これ に同 じ であ る。 ま た太 宗 の別 の作 品 衣 は 砕 かれ て荷 は影 を 疏 にす 濁鶴元依渚 杜甫 ︹ 陪鄭公秋晩 北池臨眺︺ る。 衣 砕 荷 疏影 花 は 明 るく し て菊 は 叢 に貼 ず 太宗 ︹ 秋 日郎目︺ 衰荷 遙 か かな た に蓮 な る空 と水 の間 を 秋 風 が吹 き 渡 る。 目 に入 る 生き 物 と 且つ空に映ず 衰荷且映空 に、 花 明 菊貼 叢 断菊 を紫 り の句 が あ る が、 これ は庚 信 の作 品 にあ る 、 折 蓮 を続 る いえ ぱ 、 風 に 吹 か れ て立 ち鑑 く す ただ 一羽 の鶴 が い るば か り。 そ の周 砕珠 團 に は空 を 背 景 に 傷 み衰 え た荷 葉 が折 れ曲 が った シ ル エ ット を見 せ て 残綜 庚 信 ︹和艮法師遊昆明池︺ 砕 珠 榮 断菊 の句 に雰 園氣 が 似 て い る。 郭 震 の作 品 に いう 習中 郎 の秋 興 作 と は 否 の い る。 静 まり ゆ く 季節 の中 にあ って、 孤 猫感 の漂 う 句 であ る。 残綜続折蓮 活 岳 ﹁秋 興 賦 ﹂ を 指す 。 ただ し ﹁秋 興賦 ﹂ に ハス の句 はな い。 そ し て 燭 至 り て螢 光 滅 し 杜 甫 が 廣 漠 と した景 色 に目 を 向け たと したら 、 同 じ く盛 唐 に蜀 す る 荷 枯 れ て雨 滴 聞 こゆ 杜 甫 に と って、 衰 荷 の景 は 傍観 者 と し て樂 し む べき 軍 な る 高 興 の景 燭至螢光滅 孟浩 然 や 、 や やあ と の世 代 に厨 す る 章慮 物 は、 よ り近 く 衰 荷 を見 る こ 荷枯而滴聞 と に よ って、 ハスの繊細 な表 情 を 描 き 取 る こと に成 功 し て いる。 子 を 引き て過 ぎ では な か った。 心 の痛 みを 伴 って迫 って く る、 寒 々しく 荒 涼 と し た景 花 を逐 ひ て低 る 色 であ った 。 鮫龍 孟 浩 然 ︹初出關放亭夜坐懐王大校書︺ 姜荷 枯 れ て乾 燥 した 秋 の ハスの葉 は 、 乾 い て大 き な音 を響 か せ る。 雨 の音 鮫龍引子過 杜甫 ︹ 到村︺ の縫化 に氣 付 いた のは 孟浩 然 の稜 見 てあ る。 以 來、 秋 丙 に打 た れ た ハ 斐荷逐花低 あ た かも 龍 と みず ちが 子 供 等 を引 き 連 れ て通 った か の よう に、 花 と 共 曾 て江 客 と な り て江行 を念 ふ スの音 を聞 く 佳 句 は多 い。 腸断す に葉 も 篁 も 折 れ 傾 い て いる 。 川 に洛 って う ね う ね と蚊 龍 が通 り過 ぎ て 曾 爲 江 客 念 江行 秋 荷 に雨 打 つの聲 腸 断 秋 荷 而打 聲 行 ったあ と に残 さ れ た秋 の斐 荷 は、 川 原 に漕 って や は りう ね う ね と、 遠 く ど こま で も 褐色 に臥 れ か し い で いる のてあ る。 荘 々と し て凄 蓼 た なり る光 景 であ る。 そ し て こ の廣 漠 と した 自 然 か、 人 間 が 本 來 的 に 持 つ孤 江 行 の追 憶 の中 て、 秋 荷 を 打 つ雨 の昔 は 腸 を断 ち切 ら れ る よう に張 い 李 端 ︹荊門歌途兄赴艶州︺ 曲江薫條 とし て秋氣高し 猫 感 を 激 し く 呼 び起 こす 。 曲江薫條秋 氣高 煙 に投 ず る鳥 印 象 を も って迫 る音 であ った。 瞑色 菱荷枯折 して風濤に随 ふ 瞑色投煙鳥 菱荷枯折随 風濤 亦た相ひ蕩く 雨 を 帯 ぶ荷 遊子空しく墜く 秋聲 白石 索沙 杜甫 ︹ 曲江三章章五句之 一︺ 秋聲帯而荷 遊子空嵯垂二毛 二毛の垂るるを 白石素 沙亦相蕩 哀鴻 濁り叫びて其 の曹 を求む 秋 陰散 せず 霜 の飛 ぶ晩 秋 陰 不 散 霜飛 晩 ハスを 打 つ而 の音 は、 秋 の響 き てあ る。 枯 荷 を 留 め得 て而 聲 を聞 く 李 商 隠 ︹宿酪氏亭寄懐径獲崔袈︺ 留 得 枯 荷 聴而 聲 白居 易 ︹ 薄陽秋塵贈許 明府︺ 哀鴻濁叫求其曹 いる 。 そ の果 て しな い寂 蓼 の中 でた だ 一羽、 曹 を求 め て鳴 いて い る鴻 瀟 條 た る 曲 江 を覆 う 菱 荷 は 褐 色 に枯 れ 折 れ て 風 と波 に空 しく 弄ば れ て は、 知 己 を 求 め て叫 ぶ作 者 の姿 であ り 、 衰 荷 の景 は作 者 の心 象 風景 で 満池 牛夜 荷葉 の聲 竹 窃︻ の雨 と耳 を 傾 け る。 牛 夜 竹窩 而 九九 秋 の響 き てあ る から、 友 を 思 う霜 の夜 には、 枯 荷 を 打 つ雨 の昔 にじ っ 満⋮ 池 荷 葉聲, 衰 荷 の景 は、 杜 甫 に至 って軍 なる 高 興 の景 か ら、 人 間 に野 置 す ぺき も あ る。 ち た景 物 であ る 。 荒 涼 た る 自 然 を象 徴 す る 景 物 の 一つと な った。 不安 と孤 猫 の感情 に滞 古 典詩 の中 のはす 日本中國學會 報 第四十二集 温 庭笏 ︹ 逸 人遊濫海︺ 夜 牛 に 窓邊 の竹 を濡 ら し て降 り始 めた 雨 は、 や が て池 い っぱ い に廣 が る 荷 葉 の音 と な ってあ た り に響 く 。 これ も 秋 の詩 てあ る 。 ヘアソ 孟 浩 然 の稜 見 にな る 荷 而 の聲 は、 こ のよ う に後 世 の詩 人 に歌 い縫 か 風 は 衰 荷 を動 か し て 一〇〇 寂箕として香る 緑 のま ま に凍 え た 荷葉 か ら はな お薄 く残 り香 が 漂 う 。 そ れ は ハスの愁 風動衰荷寂箕香 いが 漂 う よ う で あ る。 趙搬 ︹ 宿 楚國寺有懐︺ 共 に蒼 蒼 たり 断厘 残月 断厘残月共蒼蒼 人 に依 る こと少 な し 露 を 受く る こと 多く 裁 規 は 清 沼 を覆 ふ 野殿は涼氣を含み と によ って、 衰 荷 の持 つ冷 やや か で透 明 な 雰 團 氣 を表 わ し 得 て いる。 た が、 香 り だ け では な く、 かす かな 動 き や漂 白 され た色 彩 を用 いる こ 風 か運 ん でく る 衰 荷 の香 り は、 切 れ 切 れ の霞 や清 え か か る月 のよ う 野 殿 含 涼氣 衰紅 一方 の章 慮 物 も 、 繊 細 な感 箆 に よ って表 現 の充 實 に寄 與 し てい る。 れ 、 唐 末 五代 の詞 の中 の重 要 な景 物 の 一つと な る の てあ る。 裁規覆清沼 籐酸 章慮 物 ︹慈恩寺南池秋荷詠︺ 秋 渠 含 夕清 聞門 蔭 堤 柳 坐客 微風 秋渠 聞門 塵縷 を 散ず 荷氣 を 途 り 夕清 を 含む 堤 柳 に蔭 はれ 章慮 物 は残 り 香 を 歌 う こと によ って衰 荷 の風情 を爲 す 表 現 を稜 見 し 衰 紅 受露 多 に、途 絶 えが ち で寂 真 と し た香 り であ る。 絵観依人少 裁 規 は 荷 葉 の こと 。 上述 の、 梁 ・飽 泉 ﹁秋 日﹂ 詩 に、 ﹁燕去 欄 恒 静 蓮 微 風逸 荷氣 葉 ば 疎 にし て樹 の枯 る る を知 り 秋 荷 一滴露 清夜 秋荷 玄 天 より 墜 つ 一滴 の露 程 稀 薄 に な った ハスの氣 配。 清夜墜玄天 章 窓物 ︹詠露珠︺ 夕 暮 れ の秋渠 か ら微 風 に乗 って逸 ら れ てく る、 す でに 香 りと も 言 え ぬ 章慮 物 ︹興韓庫部會王祠曹宅作︺ 坐 客 散塵 縷 葉疎知樹枯 香 蓋 き て荷 の衰 ふ るを 毘 ゆ 寒 池 不 香 ﹂ の句が あ る。 また 北 齊 の瀟 態 にも、 香壷畳荷衰 藩⋮ 態 ︹ 和司徒鐙曹陽蹄彊秋晩︺ と いう 句 が あ る。 長 い間 、 秋 の池 か ら は香 り が 失 わ れ て いた 。 と ころ が 、 章 鷹 物 は、 人 の衣 を 染 める こと も でき ぬほど かす か で孤 濁 に漂 う 残 り香 を描 き 留 め て、 衰 荷 の氣 配 を傳 え て いる 。 全 く香 り のな い蓮 池 全 て現 實 の生 々し さ を 失 って、透 き 通 る よう な 秋 の氣 配 の 一つとな っ る ハスは 、 色 も 、 香 りも 、 表 白 され る作 者 の感 情 さ え ど こか稀 薄 で、 涼氣 、 清 沼 、 清 夜、 露 と い った透 明 な語 感 を持 つ言葉 と共 に描 かれ 清 ら か な 夜 空 か ら降 ってき て荷葉 に止 ま った 、 た だ 一滴 の露 。 そ し て は 殺 伐 と した 趣き であ るが 、 夏 の盛 り を思 い出 さ せ る かす かな 香 りが 渡 る を得 ず 漂 う こと によ って杳 秒 と し て寂 蓼 た る光 景 にな る。 こ の後 、 ハス の残 盈 盈 た る 一水 先 に學 げ た 詩 句 ﹁衰紅 受 露 多﹂ にあ る、 露 に濡 れ て色裾 せ た紅 。 盈 盈 一水不 得 渡 り 香 を 歌 う詩 人 は 多 い。 陸竈蒙 ︹ 秋荷︺ 愁 ひ て人 に向 か ふ 冷翠 遺香 冷翠 遺 香 愁 向 人 て い る。 古 典 詩 の中 の衰 荷 の景 は 、 盛唐 の杜 甫 によ って 内容 が 與 え ら れ、 孟 浩 然 、 章 鷹 物 によ って表 現 が 豊 か にな った。 衰 荷 に感 情 を注 ぎ 入 れ た の は晩 唐 の李 商 隠 であ る。 李 商 隠 に先 立 つ中唐 の白 居 易 は、 唐 代 の詩 人 の中 で も最 も 多 く 衰 荷 風は敗葉 の荷 に吹く 露は萎花 の榿 に墜ち の句 を残 し て いる 。 白 居易 の作 品 を見 る と、 露墜萎花横 老心 歓樂少なく ハス の色槌 せ てゆく 姿 そ のも のが 、 人 を 愁 いで浦 た す のであ る。 だ か ら 、李 商隠 の描 く 衰荷 の景 は 、 愁 い、 恨 む と いう 言 葉 と 共 に歌 われ る 樹 邊 池 寛月 影 多 樹 は池 の寛き を邊 り て月影 多 し も のが 多 い。 除 香薄 し 風羅 に隔 た る 西亭 の翠 被 村砧と鳩笛と 愁 ひも て 敗荷 に向 か ふ 李 商 隠 ︹夜冷︺ 西亭 翠 被鯨 香 薄 一夜 村 砧 潟 笛隔 風 藏 一夜 將 愁 向 敗荷 こ の絶句 の中 に、 たと えば 老齢 を思 う と か、 故 郷 を思 い出 す 、 と いう 老心歓樂少 風吹敗葉荷 南 北 朝 期 に褒 見 され た 衰 荷 の風 景 は、 唐 代 に 入 ってから 、 内 容 が 與 明も なく 、 ただ そ のも のと し て愁 い の景 色 な の であ る。 夜 の池 に薄 い香 りを 途 ってく る破 れ た ハスの葉 は、何 の理 由 も な く 読 よ う な、 愁 い の感 情 を も た らす 原 因 を 読 明す る句 はな い。 冷 や や か な 奈何すべき 此 の如 し 芳歳 今 秋 眼 感傷多し 白居易 ︹ 喚 笙歌︺ 秋眼感傷多 衰翁 芳歳今如此 衰翁可奈何 え ら れ、 表 現 が 研ぎ す ま さ れ、 感 情 が 注 ぎ 込 ま れ て、 多 面 的 で深 い興 と こ ろ で、 ここ に述 べ てき た衰 荷 の景 と は 全く 別 の、 そ し て南 北 朝 趣 を持 つ情 景 へと獲 展 し た の であ る。 期 に ば見 られ な か った 新 し い流 れ か、 唐 代 にな って から現 れ た。 そ の と いう よ う に、 風 に吹 かれ る破 れ た荷 葉 の景 は、 ただ ち に作 者 自身 の であ る 。 白居 易 の場 合 は、 秋景 を樂 しむ 幾 つか の作品 を除 いて、 全 て 老 衰 し た姿 に績 く 。 乃 ち衰 荷 の景 色 は 己 れ の老 いを思 わ せ て悲 し い の 老 齢 や 失 意 など 、 作 者 自 身 の感 惰 を喚 起 す る 景 物 と し て 衰 荷 があ っ 惟だ 緑 の荷 紅 の菌 菖 の み有 り 常 に相 ひ映 ず 一〇 一 れ て い た こと は 巳 に遮 ぺ た。 ﹁楚 欝 ﹂ の九 章 に ﹁因芙 蓉 而 爲 媒号 ﹂ と ﹃詩 脛 ﹄ の陳風 と 鄭風 に、 懸 愛 感 情 に 關わ る植 物 と し て ハスが 描 か ぺ よう 。 び 起 こす た めに不 可峡 な 流 れ で あ る の で、 こ こに そ の概 略 を 簡 輩 に述 れ て いた。 衰 荷 に關 わ ら ぬ 懸 の歌 は本 論 の圭 題 で はな いが、 次章 を呼 南 北 朝 期 に は、衰 荷 の景 と は 別 の、 懲 を歌 う ハスの詩 が 盛 ん に書 か 懸 の歌 流 れ を考 察 す る前 に、 しば らく 南 北 朝 期 の懸 の歌 を見 てみ よ う。 巻暫 此 の葉 李 商 隠 ︹賜荷花︺ 其二 た 。 と ころ が、 李 商 隠 の場 合 は、 衰 荷 そ のも のを 激 しく 悲 しむ。 衰 え てゆく 美 し さ、 減 じ てゆく 輝 き は 、 李 商 階 に と って何 よ りも 愁 惟有緑荷紅菌菖 此 の花 う るも の であ った 。 巻訂開合任天眞 翠減 じ 紅 衰 へて人 を 愁殺 す 天員 に任 す 此花此葉常相映 開合 翠減紅嚢愁殺人 古 典詩 の中 のはす 日本中國學會報 第 四十 二集 いう 句 が あ る こと も 巳 に述 ぺ た。 媒 と な る 力 を ハスが 持 って いた と い 一〇 二 武帝 ︹ 子夜四時歌 夏歌四首之 一︺ 爽花 田葉 芳 は衣を襲 ふ 五湖に遊戯して蓮 を採りて瞬る 遊戯五湖操蓮齢 畿花田葉芳襲衣 う こと は、 男女 の間 を 仲 立 ちす る 植物 と考 え ら れ て いた こ とが 想 像 さ れ る。 そ し て、 魏 齊 の頃 に は、 呉 聲歌 曲 の ﹁子 夜 歌﹂ が 民 間 に歌 わ れ 武帝 ︹ 江南弄 探蓮曲︺ 玉 の如き有り 江南弄 採蓮曲 世 の希 ふ所 君が爲 に盤歌す 世 の希 ふ所 寝 食 相 ひ忘 れ ず 有如玉 探蓮曲 ら れ る。 たと えば 盛 唐 の李 白 には、 ド イ ッ後 期 ロマ ソ派 の作 曲家 グ ス い。 唐 代 に は い ってか らも 一貫 し て、 女 性 を歌 う ハスの詩 の流 れ が見 そ の流 れ は、 宮 女 を 歌う 宮詩 が 盛 ん に 書 か れ た南 北 朝 詩 に 止ま ら な 題 と し た作 品 を 書 いて いる。 て多 く の人 々が ﹁探 蓮 曲﹂﹁ 江南﹂そ の他 の、蓮 の實を摘 む美女を主 いず れも 民 歌 の風 に倣 った作 品 であ る 。 これ以後、簡文帝を始 めとし 世所希 江南弄 爲君鑑歌世所希 寝食不相忘 同に坐し ︹子夜 歌四十 二首之 四十︺ て いた。 玉 の鵜 も 金 の芙 蓉 も 我 が蓮 子 に構 ふ こと無 し 復 た 倶 に起 つ 玉繭 金 芙 蓉 同坐復倶起 無藩 我 蓮 子 譜 昔 讐關 語 であ る 。 ハス の根も ハスの花も 、 蓮 の實 には か な わ な い。 最 後 の句 の蓮 子 は、 ﹁ハスの實 ( 蓮子) ﹂と ﹁あ な た を 愛 す ( 憐子)﹂ と の 南 朝宋 に入 る と 、 ﹁讃 曲歌 ﹂ が 流行 す る。 玉 も 金 も、 私 が あ な た を思 う 氣 持 ち に はか な わ な い。 ﹁探蓮 曲﹂ な ど 、 女 性 を歌 う ハスの詩 が た く さ んあ る。 タ フ ーー マー ラ ーが そ の歌意 を 採 って交 響 曲 ﹁大 地 の歌 ﹂ に組 み 入れ た 若 耶 難 の傍 に蓮 を 操 る 女 歓 を思 ふ こ と久 し 笑 ひ て荷 花 を 隔 て て 人 と共 に語 る 猫 枝 の蓮 を 愛 さず 若耶 鋸 傍 探 蓮 女 思歓 久 笑隔 荷 花 共 人 語 日 は新赦 を照 ら し て 水底 明 ら か に 不 愛狽 枝 蓮 日照 新散 水 底 明 只 だ 同 心 の繭 を惜 し む ︹ 請曲歌八十九首之五︺ 風 は香挟 を瓢 し て空 中 に學 が る 只階 同 心繭 末 句 の鵜 は ﹁ハス の根 ( 鵜)﹂ と ﹃つれ あ い( 偶)﹂ と の譜 昔 隻 關 語 であ 風瓢 香 挟 空 中 畢 李白 ︹ 探蓮曲︺ る 。 心 を同 じ く し た 懸 人が い と お し い。 いず れも 、 お おら か でた わ い が な い懲 の歌 てあ る。 断 威棘 多 く 試 み に緑董 を 牽 き て 下 のか た鵜 を 尋 ぬ 生 と 美 を誕 歌 す る 作 品 であ る 。中 唐 の張 籍 に も ﹁操 蓮 曲 ﹂が あ る。 女 江 南 に蓮 花 開く 試牽 緑茎 下 尋 鵜 白 練 も て腰 を 束 ね袖 は牛 ば 巻 く 性 の描 窟が よ り窩 實 的 であ る 。 江 南蓮 花開 断 威 棘 多 刺傷 手 梁 の武帝 は これ ら の民歌 を積 極 的 に取 り 入れ た。 紅光 白練 束 腰 袖 牛 巻 刺 し て手 を 傷 つく 色 同 じ く し て 心も 復 た同 じ 鵜 異 な れ ども 心 は異 な る こ と無 し 碧 水 を覆 ふ 色 同 心復 同 紅光覆碧水 霧 異 心無 異 今成断根草 今 は断 根草 と成 る 李白 ︹ 妾薄命︺ 玉叙 を挿さず して汝硫淺し ハスの花 のよ う に美 しく 幸 せ だ った女 性 は、 今 は寵 愛 を 失 って根 無 し 不挿玉銀販硫淺 張籍 ︹ 探蓮曲︺ 戚 姫 髭 髪 入春 市 團扇差網塵 芙蓉老秋霜 戚姫 團扇 芙蓉 髪 を 髭 り て入 り て市 に春 く 網 塵 を 差づ 秋 霜 に老 い 否 の王 璃 に 愛 され た謝 芳姿 は、 のち に 圭人 に鞭 打 た れ て ﹁團 扇 歌﹂ を 萬古 悲 辛 を 共 にす 寒沼 に芙蓉落 ち 歌 った 。 漢 の高 租 に愛 さ れ た戚 夫 人 は、 の ち に髪 を 切 られ、 永 巷 に春 萬古共悲辛 草 とな ってし ま った。 李 白 の次 の作 品 も、 美 人 の薄 命 を いう 。 ハスには、衰荷 の景 とは別 に、 このような、女性を歌 う懸 の詩 の流 れが準行してあ った。 この二つの流れは、南北朝期には交差する こと 芙蓉 死す がなか った のである。 其三 南北朝期 に交差することがなか った衰荷 の景と懸の歌 を、最初 に結 寒沼落芙蓉 秋風 楊柳を散らす か せら れ て ﹁春歌 ﹂ を 歌 った。 絶 世 の美女 と いわ れ た中 山 濡 子 妾 も、 び つけ たのは盛唐 の李 白であ った。 秋風散楊柳 以て顧頓 の顔 に比し 三人 の女 性 は共 に、 若 く 美 しく 幸 頑 な 時代 の思 い出 を 持 って いる。 そ 秋 霜 に打 た れ て 老 いた 芙 蓉 の よう に、 彼 女達 と同 じ 悲 し みを 味 わ う。 李白 ︹ 中山揺子妾歌︺ 以比額頓顔 空しく奮物を持ちて還 る ハ り 空持蕾物還 李白 ︹ 去婦詞︺ ハス の花 の境 遇 と 重な る のであ る。 の思 い出 を 抱 き つ つ、 末 路 は 不幸 せ であ った。 だ から 、霜 に打 た れ る 玉 のよう に美 し か った 妻 は、 久 しく 夫 の瞬 り を 待 つ内 に、 ハスの花 が 水 に落 ち る よう に、 楊 柳 が秋 風に 散 る よう に、 年 老 い てし ま った。 い 帝 ﹁操 蓮 曲﹂ に、 ﹁江 花 玉 面 爾 相 似﹂ と いう 。 浦 開 の ハス の大輪 の花 竹影掃秋月 いる。 ま た 一方 で、 荷花 竹影 古 池 に落 %︾ 秋 月を 掃 ひ と、 末 枯 れ た田 野 の景 色 を 描 い て いる 。 こ の二通 り の作 品が 、 憔 悼 し 李白 ︹ 贈圓丘彪士︺ 李 白 は、 先 に述 べ た よう に、 美 と 生 を 謳 歌す る ﹁操 蓮 曲﹂ を書 いて ま夫 の愛 は綺 麗 な 懸 人 に移 り、 妻 は去 ら ねば なら な い。 若 い女性 の顔 が 若 い女 性 の顔 に たと え ら れ る のなら 、萎 れ て落 ちよ う と す る 花 は美 荷 花落 古池 を ハス の花 に たと える こと は 、 六朝 時 代 か らあ った。 前 述 の梁 ・簡 文 し い女 性 の縢 惇 し た姿 と な る 。 ﹁去 婦 詞﹂ で は、 懲 の思 い出 が ま つわ た 美女 を秋 の ハスに重 ねる襲 想 の源 と な った こと は間 違 いな い。 る ハス の花 と、 當 時 す で に定着 し て いた 、も の寂 し い風 情 の漂 う衰 荷 の景 と を 結 び つけ て、 寂 し く 衰 弱 し た女 性 を 散 って ゆく ハスの花 に重 昔日 芙 蓉 の花 一〇 三 よ う に な った。 そ の イ メ ージ を、 一學 に流 行 さ せ た のは、 中 唐 の張 籍 こう し て、 衰 残 の ハスによ って美 人 の姿 を表 現 す る 作 品が 書 か れ る ね た。 か つて の美 しさ を 思 わ せる 花な の で、 そ の衰 微 した 姿 は な お さ 昔 日芙 蓉 花 ら 哀れ を 誘 う。 衰 荷 で はな いが、 李 白 の次 の句 も褒 想 は同 じ で あ る。 古 典 詩 の・ 甲 のはす 日本中國學會報 第四十 二集 の功 績 で あ っただ ろ う と思 う。 中 唐 の劉 萬錫 に次 の作 品 があ る。 世 間 才 子 昔 陪遊 章 句 衛 非 第 一流 呉宮 巳 に歎ず 世 間 の才 子 章句 空 しく 悲 し む 第 一流 に非 ざ る を漸 ず 奥宮已歎芙蓉死 邊月 藍 管 の秋 芙 蓉 の死 昔陪遊す 邊 月 空 悲 藍 管秋 劉 再 錫 ︹和令狐相公言懊寄河中楊少タ︺ の詩 句 と し て示 さ れ て いる第 三句 、 ﹁呉宮 巳歎 芙 蓉 死 ﹂ は張 籍 の句 で 劉 再錫 は この作 品 の中 で敷 人 の詩 句 を 學 げ て 藩讃 し て いる 。 そ の最 初 あ る 。劉 丙錫 は こ の句 を 第 一流 と認 め た の であ る。 そ の張 籍 の句 と は 江 清 く露 白く し て芙 蓉 死す 呉 宮 の四 面 次 のよ う な も のであ った 。 呉宮 四 面秋 江 水 秋 江 の水 江清 露 白芙 蓉 死 張籍 ︹ 昊宮怨︺ 臭宮 の宴 席 て 呉 王 に侍 る美 人 。 無 敷 に いる宮 女 の中 で 王 の 恩 を受 け る ことが でき る者 は ど れ ほど か。 既 に王 の心 を 失 って、 そ れ でも 空 しく 王 の前 で舞 を 舞 い歌 を歌 う 。 そ の宮 女 の姿 と 心を 象 微 し て いる のが 、 作 品 の冒 頭 に置 か れ て いる こ の 二句 で あ る。 豪 華 な宮 殿 の中 で冷 え 切 った 心 を抱 き な が ら朽 ち て ゆく 宮 女 。 冷 く澄 んだ 秋 の水 と透 き 通 る露 の中 で 死 ん で ゆく 大輪 の花 。 な る ほど 美 し いイ メージ であ る 。 一〇 四 李 賀 ︹九月︺ 水 のよう な 天 と 冷 い池 と の問 にあ って、 か す か な光 を引 い て飛 ぶ螢 と 死 ん で ゆく ハスの花 。 張籍 の句 と 同 じ よう な 雰 園 氣 を持 つ離 宮 の秋 て 秋 白 鮮紅 死 水 香 り蓮 子齊 ふ 秋 自 く 鮮 紅死 す あ る 。李 賀 に は次 の句 も あ る。 水 香蓮 子 齊 李 賀 ︹月漉漉篇) ハスの花 が鮮 か な紅 色 だ から 、 全 てが透 明な 秋 の景 色 の中 で 一層 そ の 死が 哀 れ に 感 じ ら れ る の であ る。 試妾與君涙 試 み に妾 と 君 と の涙 も て 芙 蓉 の花 誰 か爲 に 死 せ ん 孟 郊 ︹怨詩︺ 孟郊 も 同 じ よ う な表 現 を女 性 の言 葉 と し て語 ら せ て いる 。 看 取す 爾虜 池 水 に滴 ら せ ん 爾威滴池水 今年 看取芙蓉花 今年爲一 誰死 高池高閣相連起 主 人 巳 に遠 く 荷葉 團 團 と し て 高池高閣 王 建 の ﹁圭 人 故 池 ﹂ 詩 にも ﹁芙 蓉 死す ﹂ の語 かあ る。 ハス の花 は懸 人 のた め に 死 ぬ。 愛 と怨 みを 抱 いて 死 ぬ の であ る。 荷葉 團 團 蓋 秋 水 相 ひ連 な り て起 つ 主 人已 遠 涼風 生 蕾 客來 たら ず し て 芙蓉死す 涼風 生 ず 秋水を蓋ふ 蕾 客不 來 芙 蓉 死 ゆく と いう イ メ ージ に 美意 識 を 感 じ て いる。 死 ぬ、 と いう 言 い方 は花 張 籍 、 李 賀、 孟 郊、 王建 、 みな透 明 な 世 界 の中 で深 紅 の花が 死 ん で 圭人 は遠 く に離 れ て行 ってし ま った。 な じ み の客 も も う 尋 ね て は來 な こ こ に、 ﹁芙 蓉 死す ﹂ と いう 表 現 が 生 ま れ た。 劉 禺 錫 の 句 か ら も 想 離 宮 に螢 散 じ て天 水 に似 た り 豫 さ れ る が、 この語 は當 時 の文學 仲 間 の間 で評 剣 とな った の で はな か 竹 は黄 ば み池 は冷 や や か に し て芙 蓉 死 す い。 知 る人 も な いま ま に ひ っそ り と死 ん で ゆく ハスの花 てあ る。 離 宮 散 螢 天 似水 った か李 賀 にも こ の表 現 の句 があ る。 竹 黄 池 冷芙 蓉 死 る。 す な わ ち、 清 ら か で寂 し い世 界 、 たと え ば 俗 界 か ら隔 てら れ た 宮 を 擬 人化 し た言 い方 であ り 、 ま た女 性 の死 と 重 ね 合 わ せ た 表 現 で あ 秋水老芙蓉 夜 堂悲幡蜂 秋水 に芙蓉老ゆ 夜堂に幡 蜂悲しみ 漉水桃李熟 漣 水 に桃 李 熟 し 殿 の中 な ど て、 美 し いま ま に朽 ち てゆ く 女 性 の姿 てあ る。 ただ 、 た と え ば萎 れ た ハスの花 を年 老 いた 女性 の顔 にた と え る、 と いう 類 の直 接 杜 曲 に芙 蓉 老 ゆ ハリリ 孟貫 ︹ 寄 李庭士︺ 薄蕩疏なり 杜曲芙蓉老 葉 は陰 巖 に堕 ち 干潰 ︹ 季夏逢朝客︺ 葉 璽 陰 巖疏 蒔 蕩 芙蓉老ゆ 的 な 比喩 表 現 て はな い。 死 ん て ゆく 花 の映像 によ って、 愛 を 抱 いた ま ま 報 わ れ る こ とな く 年 を 輕 てゆく 女 性 の哀 し み を 象撒 的 に、 或 いは 雰 と ころ で、 張 籍 、 李 賀 、 孟 郊、 王建 は みな 韓愈 のグ ループ であ る。 園 氣 と し て表 現 す る暗 喩 であ る。 池 は秋 雨 を 経 て 劉槍 ︹ 題四皓廟︺ 池 経 秋 雨 老芙 蓉 と いう句 にあ る よう に、 軍 な る 秋 景 、 末枯 れ た ハス の景 色 を いう 場 合 白居 易 、 元 積 を 始 めと し て、 彼 ら 以 外 の同 時 代 の詩 人 に ﹁芙 蓉 死す ﹂ と いう表 現 は 全く 見 ら れ な い。 張 籍 の句 が韓 愈 のグ ループ に氣 に入 ら にも 用 いら れ る。 一方 の ﹁芙 蓉 死 す ﹂ と いう 語 は この よう に秋 の景 色 ﹁芙 蓉 死す ﹂ と いう 表 現 は、 濁創 的 でま た 猫 特 の意味 を持 つも ので れ、 流 行 し た の であ る。 鯉 魚 の風 起 こり て芙 蓉 老 ゆ 櫻 前 の流 水 ﹁芙 蓉 老 ゆ﹂ と いう表 現 は蹉 詩 の中 で 用 いら れ る こと も あ る 。 の描 窩 に用 いられ る こと はな い。 鯉 魚 風 起芙 蓉 老 櫻 前流 水江 陵 道 あ る。 そ も そ も 花 が 死 ぬと いう 畿 想 の表 現 は 少 いし、 ま た封 象 が限 ら れ て いる。 ﹁蘭 死 す ﹂ と いう詩 語 はあ っても ﹁櫻 桃 死す ﹂ と いう 句 は れ るも の に野 す る 絶 野 的 な 悲 し み に内 在 す る 美意 識 、 が あ る から であ ﹁死 ﹂ と いう 語 自 膿 に、 或 る種 の特有 な 美意 識 、 た と えば 永 遽 に失 わ て、 ﹁芙 蓉 死 す﹂ の句 にあ る よう な 強 い美意 識 を 喚 起す るも の で は な 蛉卵 ﹁芙 蓉 死 す﹂ が 、 猫 特 の意 味 と強 い イ メ ージ を持 つ言 葉 で あ る こ し か し こ の場 合 も、 鯉 魚 の風 (秋 風↑ ) に吹 かれ た ハスの様 を いう も の 江陵 の道 な い。 ﹁芙 蓉 死 す ﹂ と い う 語 は晩 唐 にも 受 け 縫 が れ る が ﹁菌 菖 死 す ﹂ ろ う。 そ のた め に、 ﹁死 ﹂ と いう 言 葉 によ って 植物 が擬 人 化 さ れ る 際 と が 理解 でき る 。芙 蓉 が ﹁死﹂と いう語 に よ って擬 人化 さ れ 得 た のは、 李 賀 ︹江棲曲︺ に、 擬 人 化 す る こと が 可 能 な植 物 と 不 可能 な 植物 、 或 いは擬 人 化 さ れ ﹁荷 花 死 す ﹂ と いう表 現 は唐 詩 の中 で そ れぞ れ 一例 しか な い。 そ れ は、 やす い語 とさ れ にく い語 が 匿別 され る の ては な い か。 八月 白 露 濃 った 句 と な る。 芙蓉 八月 香 を抱 き て 死す 白露 濃 や かな り 一〇 五 ﹁芙 蓉 死 す ﹂ の表 現 は晩 唐詩 に受 け 縫 が れ、 い っそ う 張 い感 情 を件 何 よ りも それ が 女 性 の姿 を 映 し て い る から であ る。 る。 ﹁芙 蓉 老 ゆ﹂ も 芙 蓉 を 擬 人 化 し た言 い方 で、 意 味 内 容 も ﹁芙 蓉 死 芙蓉抱香 死 この こ と は ﹁芙 蓉 老 ゆ ﹂ と いう 表 現 と 比 ぺ て み る と 一層 明 ら か にな ば、 す ﹂ と似 て い るよ う に 思 わ れ る 。 そ こて作 品 を 見 て みる と、 た とえ 古 典詩 の中 のはす 日本中國學會報 第 四十 二集 三秋 にして庭 の線は壷く霜を迎 へ 李璽 玉 ︹ 傷思︺ 花 びらの紅も蕊 の金粉も落 ちて褐色 に枯れた ハスの花がなお淺 い香 り を抱 いている様が哀れであ る。 三秋庭緑盛迎霜 惟だ荷花 の紅を守りて死す る有 るのみ 温庭錺 ︹ 懊悩曲︺ 惟有荷花守紅 死 攣わりはてた姿 の中 に昔 の美 しさ の名残りを大切 に持ち績けて いる芙 蓉 を哀 れに思う作者 の氣持 の中 には、紅を守り香を抱く芙蓉そ のも の 香り鎮き て心も亦た死す 郡謁 ︹ 古樂府︺ への同情が見られ、作者 の強 い感情移入が感じられる。客観的 に鑑賞 しているだけではいられな いのである。 留む可き無し 露滴り て芙蓉香る 香鎮心亦死 良時 池 水 に謝 る 露滴芙蓉香 良時無可留 残紅 夢生じて さ 残紅謝池水 百歳 羅隠 ︹ 聞居早秋︺ 芙 藥 泣く 挾蝶悲しむ 百 歳 夢 生 悲峡 蝶 香り死して 一〇 六 中 晩 唐 の作 品 の中 で は、 死 に ゆく ハス の花 に作 者 の感 情が こ のよ う に強 く 移 し 入 れ ら れ て い る。 それ は巳 に述 べ てき た よう に、 作 品 中 の 女 性 の心 を そ れ が 象徴 し て いる から であ るが 、 さ ら にま た、 そ れ が作 者 の心 情 を も 象 徴 し て い る から であ ろ う。 結 後 漢 の察 琶 の娘 、 音 律 に優 れ て いた と いう 察 瑛 は敷奇 な生 涯 を逡 っ た。 ま こと に 運命 に翻 弄 さ れ た女 性 だ ったと いえ よう。 嫁 いだ 先 に子 に乗 じ て 攻 め込 ん でき た旬 奴 に撰 わ れ て胡 の地 に連 れ て い かれ た。 爾 が 恵 ま れず 、 夫 に先 立 たれ て實 家 に戻 って來 た所 、 蜜帝 が 崩 じ た 混配 は⋮ 邑に 子 が な い の を憐 れ ん で、 壁 をも って察 瑛 を 贋 った。 票 瑛 は よう 來 十 二年 。 子 を 二 人も う け て いる 。 父 の琶 が 獄 死 し た の ち、 魏 の曹 操 や く 内 地 に戻 り、 再 婚 す る こ とが でき たが 、 そ こで 夫が 死 刑 を宣 告 さ れ る と い う事 件 に出 合 って いる 。察 瑛 は髪 を 解 き 裸 足 とな って曹 操 に 夫 の命 乞 いを しな け れ ば なら な か った。 曹 操 の前 に引 き 出 さ れ た時 の 彼 女 の言 葉 は哀 れ にも 痛 ま しく、 一座 の人 々は み な威 儀 を 正 し たと い 夏 に大 輪 の花 が 険 き、 大 き な葉 が 盛 ん に茂 る ハスは、 秋 の氣 配 が 感 う。 じら れ る 頃 にな る と 、花 が 色 襯 せ葉 も 枯 れ る。 そ の様 子 は鯖 條 た る 秋 一朝 の情 景 に ふさ わ し く、 寂 蓼 と し た趣 き を持 つ。 春 に花 開 く桃 李 や 、 秋 一朝 香 死 泣芙 薬 った ハスは 心を 亡く し てた だ 泣く ば か り であ る。 香 り を 失 って、 心 を 趣 のあ る 情 景 で あ る。 受け 入れ ら れ て 定着 し、 唐 代 に は い って 内 容表 現 とも に 充實 した 、 興 った 。 そ れ は 、 齊 の謝 眺 によ って酸 見 さ れ、 梁 の簡 文 帝 の文 學 集 團 に そ こで 、 ハスを 描 く詩 句 の流れ の 一つに、 衰 荷 の景 を 歌 うも のが あ 香 り が 死 ぬ こと は 心が 死 ぬ こと だ。 香 りが ハス の心な ら ば 、 香 り を 失 芙 渠 死 に抵 り て珠 露 を 怨 む に霜 を し の いで 険 く菊 に はな い味 わ いで もあ る。 芙 渠 抵 死怨 珠 露 失 って は、 生き て い ても 甲斐 があ る ま い。 幡 蜂 口 に 苦く し て金波 を嫌 ふ 羅 隠 ︹官池秋夕︺ 幡 蝉 苦 口嫌 金 波 死 に至 る英 蓉 の怨 み は い かば か り であ っただ ろ う か。 一方 で、﹁詩 纒 ﹂以來 、 ハスは 懸 の歌 、 女 性 を う た う歌 に象 徴 的 に描 かれ てき た。 風 景 詩 と 懸 歌 の二 つ の流 れ が、 盛 唐 か ら 中唐 に かけ て結 び つけ ら れ、 女 性 の憔 悼 し た姿 の美 し さを 表 す 詩 句 と な る。 夏 の美 し い思 い出 を抱 い た ま ま朽 ち て いく ハスの イ メ !ジ を 、 女性 の哀 し い運 又如察女 蕩舟抵詞 命 に重 ね合 わ せ る ﹁芙 蓉 死 す ﹂ の句 に は、 亡 ん で いく も の の美 に樹 す 瓢零紅多 る張 い情 感が 込 めら れ て いる 。 風 雨捲 残 風 雨 に打 たれ 砕 かれ 、 散 ら ん と し てな お 氣 品 を とど め る ハスの姿 。 そ れ に よ って察 淡 の 一生 を 象徴 さ せ る李 綱 の句 は、 こ の よう な 、 長 い 時 間 の中 に育 まれ た 詩 想 の廣が り の後 に生 ま れ た の であ った。 注 (1) ﹁ハス。 ハス厨 す いれ ん科 。 イ ラ ソ、 イ ソド、 中 國 、 オ ー ス ト ラリ ア に分 布 。 池 沼 、 水 漏 地 に は え る多 年 草 。観 賞 や食 用 に栽 培 さ れ る。﹂ ﹃原 唐 の劉 長 卿 に ﹁ 種 荷 依 野 水、 移 柳 待 山 鴬 ﹂ ︹途嚢 威 士︺ の句 が あ る。 花﹂ と いう例 であ る。 ﹁ 荷 ﹂ を組 稻 と す る例 であ る。 唐 の温 庭 鏑 に ﹁ 不 作 浮藩 生 、 寧 爲 繭 花 死 ﹂ ︹ 江 南 曲 ︺ の句 が あ る。 ﹁ 鵜 漢 の閲 鴻 に ﹁乃 有 芙蓉 握 草 ﹂ ︹芙蓉 賦 ︺ の句 があ る。 ﹁芙 蓉﹂ を総 稽 と 花 ﹂ と いう 例 であ る。 ﹃楚 僻 章 句﹄ の注 に ﹁芙蓉 蓮 華 也﹂と いう 。 ﹁ 蓮 華 ﹂ と いう 例 であ る。 す る例 であ る。 唐 の孟浩 然 に ﹁燭 吐蓮 花 醗 、 散 成 桃 李 春﹂ ︹ 宴 崔 明 府 宅夜 観 妓 ︺ の句 唐 の杜甫 に ﹁翠乾 危 模 竹、紅 風 小 湖蓮 ﹂︹寄 岳 州 買 司 馬 六丈 巴 州 嚴 八 使 がある。﹁ 蓮 花﹂と いう 例 であ る。 君 爾閣 老 五十 韻 ︺ の句が あ る。 ﹁蓮 ﹂ を総 稻 ま た は花 と す る例 であ る。 唐 の劉方 亭 に ﹁盟 射隻 膳 錦 爲 績、 芙蓉 花護 蓮 葉 暗 ﹂ ︹烏 栖 曲︺ の 句 が いう 。 ま た、 清 、 徐 雪樵 は ﹃毛 詩 名物 圖 説 ﹄ で ﹁今 臭 中 呼葉 爲 荷 葉 、 華 な お 、唐 、 陸 磯 ﹃毛詩 草 木鳥 獣 愚魚 疏 ﹄ に ﹁荷 芙 薬。 江東 呼 荷 。 ﹂ と あ る。 ﹁蓮 葉﹂ と いう 例 であ る。 ﹁(ハス の化 石 の)古 いも のは白 亜 紀 (一億 三 五〇 〇 萬 年 前 ) の も の 爲 荷華 。而 醤 説 北 方或 以 鵡 爲荷 。 或 以蓮 爲 荷 。 蜀 人 以 鵜 爲茄 。 或 用 其 母 色世 界 植 物 大 圖 鑑 ﹄ ( 北隆 館 昭和 六 一年 四 月 二十 日) で、 種 子 植 物 が袋 建 す る 頃 よ り既 に繁 茂 し て いた こ とが わ か る。﹂ 阪 本 爲 華 名 。或 用 根 子 爲 母葉 號 。此 皆 習俗 傳 靴 也 。﹂ と いう。 いず れ も 、 地 域 や習 俗 に よ って 呼稻 の異 な る こと を いう。 地 域 、 時 代、 習 俗 に よ って 一九 七 七 年 四 月 十 日) 砧 二著 ﹃蓮﹄ も のと 人 間 の文 化史 21 ( 法政 大 學 出 版 局 (2) ﹁四 川東 漢墓 中 出 土 許 多 長 方 形 的 陶 水塘 模 型 、 塘 里 有舳 和各 種 水 生 動 の花 を ﹁ 蓮 華 ﹂ と 表現 す る こと が多 いな ど、 用 いら れ る 場 や封 象 によ っ ( 學 習 研 究社 昭和 五十 七 年 一月十 一〇 七 は、 求 愛 の詩 の常 套的 な モ チ ー フであ る。 ( 中 略 ) 最絡 の ス タ ソザ で再 日 )澤 阪 篇 の解 設 に、 ﹁澤 や 水邊 に おけ る植 物 、 ま た は植 物 摘 み の行 爲 (5) 加納 喜 光 課 ﹃詩 脛﹄ 中 國 の古 典 18 其 根 鵜 。其 中 的 。 的 中慧 。﹂ と あ る。 (4) ﹃爾雅 ﹄ に、 ﹁荷 芙渠 。 其 壁 茄。 其 葉 蓮 。 其 本 薔 。 其華 菌 茜 。 其實 蓮 。 ても 使 い分 け が な さ れ て い る。 呼 稻 が 異 るば かり で は なく 、 た と えば 佛 敏 に關 わ り のあ る作 品 で は ハス ﹃四川 漢 代 霊象 碑 與 漠 代 肚 塘内 有 堤 境 、 左 端 有排 水 渠 和 水 匝、 相 隔 爲 三 段、 塘内 有 游 魚 、 野 鴨 、 物 、 與 ︽采 蓮 ︾ 畳 象確 基 本 相 同。 如 成 都 天 回 山東 漢 崖 墓 出 土 的 陶 水 塘 、 一九 八 三 年 十 二 月) 蓮花 和 小 船 等 。﹂ 劉 志遠 、余 徳 章、 劉 文 傑 著 會﹄ ( 文物出版 (3) ﹃欝 経 ﹄ 毛 傳 は ﹁菌 茜 ﹂ に注 し て ﹁荷華 也﹂ と いう 。 ﹁荷 華 ﹂ と いう 唐 の常 建 に ﹁ 渉 漠 傍 荷 花 、 聰 馬 聞 金鞍 ﹂ ︹張 公子 行 ︺ の句 が あ る 。 ﹁ 荷 例 であ る。 ま た、 ﹁菌 茜 ﹂ を 花 と 見 る例 であ る 。 古 典詩 の中 の はす 日本 中 國 學會 報 第 四十 二集 び ハスに か えり 、 この 花 のイ メ! ジ の女 性 が 求 める 意中 の人 であ る こと が 暗 示 さ れ る。﹂ と あ る 。 で、 魚 が列 を成 し て 通 り過 ぎ、 姜 荷 は花 が 散 り 實 が重 く 垂 れ る、 と二 つ (6) こ の句 に はも う 一つ の解 麗⋮ があ る。 蚊 龍 を魚 の 類 の 比 喩 に取 るも の の情 景 を 並列 した も のと す る解 澤 であ る。 こ の解 輝 で は情 景 が 李 凡 にな り 句 の面 白味 が 失 わ れ る 。 打團荷 ( 孫 光憲 ﹁思帝 郷 ﹂) 聲散敗荷叢裏 ( 李 殉 ﹁酒泉 子 ﹂) (7) 次 の よう な例 が あ る 。 秋雨連綿 看盤滞池疏雨 す る と 、 製作 年 代 が や や 下 ボ ると 思 わ れ る 。 (8) こ の句 は 顧 況 の集 にも ﹁棄婦 詞﹂ と し て牧 めら れ る。 顧 況 の作 品 だ と (9) ﹁荷 花 ﹂ の語 は 一に ﹁荷 衣 ﹂ に 作 る 。 (10) 曹 松 の集 にも こ の句 が 見 ら れ る 。 ﹁ 楓 樹 老 ﹂ ﹁慧花 老 ﹂ な ど の よう に、 ﹁死﹂ と蓮 って、 様 々な植 物 と結 び (11) ﹁老 ﹂ と い う 字 は、 ﹁ 梧 桐 老 ﹂ ﹁竹 老 ﹂ ﹁ 苺 苔 老 ﹂ ﹁白楊 老 ﹂ ﹁ 梨葉老﹂ つけ て 用 いら れ る。 一〇 八