Comments
Description
Transcript
いくつかの漢訳仏典における 副詞と連詞(上)
論 説 いくつかの漢訳仏典における 離調と連詞(上) 二音節語と二字連語を中心に一 長 尾 光 之 §.序 i.二者簸藷と二字連語 2.羅と硬 3.復 珪.自 5.当、臨、必、定、須(以上本号〉 §.序 漢代から購籍にいたる時艱にはインドから仏教が中毯1こ伝来し、中国文化に 対して大きな影響をあたえた。仏教の伝来とともに大量の仏典が大綬摸に中醒 語に翻訳された。仏教は数多くの人々に讐頭でその教邊を伝えたり、無益誘導 をして儒者を増やしたむしてきたため、漢訳仏典にはきわめて豊富にその叢時 の欝語が反験されている。 仏典の漢訳は漢代から騒警策にいたる草麟鞘、東晋後鞘から南北朝にいたる 成熟類、唐代の全盛類の3難に大劉できる。第1難の華麟難は仏教と中馨文化 がはごめて出会も、、試行錯誤をしながら翻訳が進められ、後代への基礎が作ら れた時代だが、訳文には生硬さが覧られ、十分に当時の中国譲を反駁している とは言い難い。第3難の全盛鞘は前代までの仏典を原典に基づくなどしてさら 一58一 いくつかの漢訳仏典における議講と連講(土)(長尾光之) に厳密に練馨上げられた時代で、訳文に購いられている言語が籍時代の幕議を そのまま反駁しているわけではない。 棄晋後難から薦跳朝にいたる時簸こは社会の変化に鍵って中露語が大きく変 養し、返1代中蓬i語の萌芽をも広く見ることができるようになった。その当時の 中蓬語を豊竃に反験しているのは第2簸の成無難である。本稿ではこの第2難 の漢訳仏典のうち難語表褒が多く見られる醗含蔀、本縁部、法華部、律部に属 する仏典をとむあげ、中国語学、仏教学の醗究戒梁を活絹しっっ漢訳仏典に反 験している当該難の言語の文法鉢系と語彙の鷲甕を解窮する。 漢訳仏典は中糧中国原語の重要な醗究資料であるにもかかわらず、その全体 的な中国語史上への位置づけは必ずしも十分には行われていない。本稿では代 表的な漢訳仏典の鳥・くっかを選びだし、健来の中蟹護麟究、仏教響究をも踏ま えっっ、この難の濤語の鴾色を瞬時代の地の資料、春歌戦羅から秦漢にいたる 麟代の露語、薩癒から近親代にいたる後代の言藷の流れの中に聡確に盤錯づけ たい。 言語のうち、春歓戦馨、秦漢麹からすでに縫われていた譲、この難に新たに 発生した藷、購磨から近理代に連なって行く語をそれぞれ明確にして考察する。 その鰹、次の瞬発を踏まえる。 第iは欝本・江戸時代の申遜語醗窺書である。これは吉購・小島・声繕欝7§ ∼鐙所載のうちの『詩話解蓋ぜ文語解遭尋崩字詳解遜・霧彗談示蒙選運訳文篁蹄シ 『爾字総掛ゼ虚字詳解邊{動議辞遜4訳文須懸遜などである。このうち、広く 購いられているゼ詩語解藩ぜ文語解選は『文典叢書遷とは雛の蔽が原文に索引 を付して韓行されている(中醤欝質) 第2は彗我{愛8本の中石語学瞬究と漢訳仏典書誌の醗究である。ig鎗彗慧こは、 き騰豫58、聾谷欝§8に麟究の必要性が指摘されていた。また、太鬱鬱聡で は訳経の言語を大魑に鍛絵入れている。それ以鋒では、金瞬欝?8、森野欝7争 鳴・83、志耕良治鐙麟、水谷欝麗、長尾欝鷺・鰺・総・8i・鰺尾i§麟’8§ A 3・総Aβなどがある。末木など欝95∼2縫2では、インド学・仏教学・8本 一§9一 行政娃会議集 第聾拳 第3号 仏教史の硬究看たちの醗究会をふまえ、訳経を雛庫譲に翻訳している。 第3は中蟹における礒究である。古典的なものとしては、正韻之ゼ経典毅講素 襲爵騒があむ、麗雄蕊、6i、62にも訳経が皺む入れられている。申撰大陸で は欝鱒年代から訳経の瞬究が盛んになった。代表的な著作は王・方ig儀、朱 i弱2、愈鰺93であり、また、ゼ中蟹誘文選尋語言瞬究かゼ古漢語醗究雌や大学 の年報類には多くの譲文が投稿されている。近隼の中蕾大陸における訳経書藷 の硯究については朱2§§iに詳しい霞録がある。 本稿では郵大鑑大蔵経データベース(S Aτ)」と「高麗大蔵経データベー ス」をダウンP一ドして綾羅している。収集した項目については、ソフトウェ ア露xc緩を震いてデータベース化している。 長尾欝?2、i解8、美9鷺、欝総では以麟の癖究に比べ、比較的全面的に漢訳 仏典の旨藷を取む上げた。しかし、この発表年代は各経の訳趨年代に従ったの ではなく、難語を箆較的よく反験している経をランダムに取磐上げた。これを 訳出隼代に従って醗列するとつぎのようになる。 蓼生経藩(以下置生磨と酪弥)3量紀後半から4轡紀1まじめ 疹妙法蓮華経講(以下ゼ法磨と略称〉鶉6奪 ゼ雑宝蔵経遜(以下『宝雌と整称〉蘇2年 嚢ぎ職経潅(以下『百選と酪称〉鱒2年 今後この蓬経に換え、難語表瑳の多い次の経を取蓼上げてその文法事項と語 彙を葎代顯に精蓋して行きたい。 竺仏念訳惨鼻奈郵遷、騰摩羅辞譲ゼ十講律訟仏陀郵舎訳ζ騒分律雌、仏陀抜 陀羅訳蓼摩講繕蟹律壌、仏陀仕訳ゼ五分律選(以上律翻〉、支謙譲置撰集再縁経麟、 康繕会訳窪六度集経ゑ竺法護訳贈曜経、五善柔子自説本紀経還、安法欽訳 ζ醗青王伝ゑ曇無繊訳ぎ仏本行経遺、鳩摩羅仕訳ζ大荘厳譲藍、慧覚訳ζ賢,羅、 閣那鋸多訳野仏本行集経選、紹徳訳野菩薩本生懸論盤(以上本縁部)、など欝経 である。 太懇認にあるように訳経を書語醗究の資料として清いるときには、時代考 一6馨一 いくつかの漢讃仏典1こお謬る轟詞と連講(上)(長羅光之) 謹に涯意をする必要がある①。はじめに、前記尋経についてその成立の事情を 見る。 〈生経〉 大正大蔵経・本線謡・上下には讐瞼諜・霞縁諌・本生舞などが収録されてお 善、これら談議的健藪を多く持つ中蜜語訳仏典は言語醗究の好纒の資料とな善 うる。本章ではこの本縁語の経典からぎ生涯を取善上げて、その文法的特徴を 講べてみたい。蓼生雲は置趨三蔵記集雌によると、憎祐が竺法護訳鱗簾中のi 経として「生経五巻或鱈巻」と記したが、訳幾年は記載されていない。ζ歴代 三宝記盤には大慶6隼(2総奪)訳とあるが齢三宝言轟は必ずしも落頼に量る とは言いがたいため、これによって訳鐡年を確定するのは適燐ではない.われ われが資料に馬継ている現奪本の野生選が、もしゼ鐵三蔵記集濃勝載のものと 購一底本にもとづいているとするならば、竺法護訳としてもよいであろうが、 そう認めるに罷るよう慧譲i鍵は今のところ存在しない.しかし、竺法護訳との 薮定は保留するにしても、翼存本の蓬生墨癖、竺法護訳あるいは彼が譲葉に従 事していた3量紀後辛から透量紀窃頭の言語を反駁している仏典であるという ことは、つぎの2点から推察しうる⑫。 第聾こ、人称代名講のうち、三蜜以蒲に痩》分けがなされたと考えられてい る「吾盛と野我」の区鷲が、蓼隻選にはかな鯵瞬鰹なかたちで存在することで ある。この区職ま5量紀の仏典謹妙法蓮華経誰謹雑宝蔵経義ゼ百職経選にはほと んど晃られなくなる。 第2に、水谷欝§4(瀞.39レ認§)では、サンスク婆ット語を音訳した漢字の うち、講羅漢名ヂ羅云」、瞬須羅名ε騨須輪雌という標記を絹魏はじめたのは おそらく竺法談であろうと言い、法護訳藩王法華経誰(28暮年訳)にこの2標記 があることを捲擁している。謬生還にも「鰭比丘各書志経垂に「羅云、購須論擁 が、r㈱仏心総持経」に「購須輪」の音訳があ馨、3量紀末から4糧紀携の音 訳法を採矯していることがうかがえるG 一6i一 行政蛙会講集 第葺拳 第3号 彫生肇は鱗那頼経から騨雛駝経の欝拳で織綾されている。引霧慧 郷等能任妬足労乎(お繭たちはこのような苦労をすることができるか) (蓼生邊23) とする。 〈妙法蓮i蘂経(法華経〉> ここでとむあげるゼ妙法蓮華経盤(通魯ぼ法華経盤)の訳者鳩摩羅仕の伝記は i.拙三藪記集蓋養一。 2.『高繕猛襲、巻二。 3.ζ続高鱈{云象 巻五。 に見えるものが主である。これらによると、羅什は亀莚で生まれ、父1ま天竺出 身の鐡家、羅にともなわれて幼時より騒賓で仏教を学んだ。インド西域諸議に 遜む、A.D.385∼珪綴奪に主として濠州(嬉藏)ですごし、この間中蜜語に熟 達した。嶋重奪後奏王に長安に招かれて教学や翻譲にあた纏縫隼没した。 上原欝磐では羅什の伝記の克明な検討を行っている。これによると羅皆伝 の資料のうち、長安に紹かれて著名になる以前、すなわち4覆以前の事誌を運 べているのは置痩三蔵記遜ゼ高懸仏藩である。その前難を濠州滞姦以醜と以後 とに分けて考察すると、濠州滞在以麟の記載は野縁一系統の薩摩を多少とも異 なった仕方と見解をもって溺濡した結果にすぎないと認められる」と言瓢\こ の時難の羅什の善行については彩真偽未詳のものがきわめて多い」としている。 そして、その後の濠州滞在時代についても、この二書の記連は共選の資料よ穆 派生したものらしいと推論する。この上原の捲擁のように麟辛懇の無名時代の 羅汁の伝が、すで睾こ{失した共選1の書に記載されており、現存!する羅{十の伝記が すべてそれによっているとするならば伝記の数が侮種類あっても、それは傍証 とするための資料にはな鞍えないであろう。 それに対して長安濡在以降の羅碁の言行については、多量憂)訳経を行ってい ること、弟子を多く養成していること、などの史実が存し、蠕愚牲は大きいと 一62一 いくつかの漢訳仏典における麟講と連詞(上)(長尾光之) 言えよう。横超欝5獄こよると羅{十の翻訳の特籔は、第一に、すでにその当時 醸訳が蕎在した仏典を再度訳し薩したものが多いこと(ζ法華経選窪維摩経嚢 ζ簿弥陀経潅ぎ大島般若経盤など)。鶴訳にあたっては先人の訳を十分に参黙し たこと。第二に、羅什は仏教の教理に葬常に精通してお鯵、翻訳にさいして生 硬な壷訳をおこなったのではなく、根本の趣養を明確にしょうとして、大舞聖こ 原典を麟略し、流麗な中蜜語に訳したことであるという。(要約長尾) この二つの特色にもとづけば、羅什の訳した仏典は当時の中醒語を権当程度 反験してお鯵、かつ言語としても績む上げられた蓬確な申蜜語であったであろ うと予想できる。羅什は鱒i隼∼嶋§奪という匙較的短谿間に多量の翻訳(推定 露薬〉を行っているため、文献学的後討を十分に行いっっその言語を講べれば この時簸の文法鉢系や議彙体系がある程度醗らかになるものと考えられる。 ゼ法垂について見ると、現存するものすべてが羅齢の讃したもので慧なく、 後代の付撫があると推定されている.塩鑓i襲3によると第鴛「縫婆達多品雌 は推定違叙}隼に、第25r観盤音菩薩i普門贔」の傷の部分妾ま叢i定569隼に訳趨され、 それぞれ購趨されて翼行本にいたったとする。羅什の訳趨が蓬総年であるから、 羅什訳とr縫婆達多晶」闇には訳総∼鱒奪「普轡品ま鰹の観には約絡§奪の差 があるわけである。従ってこの2品をあつかう際には考慮をはらう必要がある。 しかし、本穣ではこの2島も含めて現行本ζ法華経遷を資料として購継て響き たい。 ゼ法遷は次の28巻によって縫成されている。弔絹するときには、 諸子幼稚、未奮漸識、恋着戯麺(子供たちは幼く、侮も知らず遊び場に引 きつけられていた〉 礪決選3警) とする。 方響揺 り乙34 i序 津島第i 方便品第2 讐楡晶第3 信解品第4 一63一 行致桂会譲葉 第賀巻 第3号 輝磯蹴暖駄磁躍艘購酸蠣騰紛購翻獅蹲踞獲欝囎號臓蹴 薬草喩品第5 授記品第§ 化城喩第7 五蕎弟子受認晶第8 授学無学人記第9 法締品第欝 見宝塔品第韮 鍵婆達多品第鴛 勧持品第捻 安楽行晶第簸 鍵地湧出品第婚 麹来寿星品第馨 分霧功徳昆第貿 随喜功徳品第鰺 法麟功徳畠第欝 欝不軽菩薩品第2む 妙来神力品第2i ,属累品第隠 薬王菩薩六事品第23 妙音菩薩晶第鱗 観漫音菩薩著聞島第25 酷羅尼品第麗 妙荘厳玉本事品第27 普賢菩薩勧発墨第28 〈雑窒蔵経〉 ζ鐵三蔵記集遷幸2に「宋購帝時、西域三蔵吉遷夜、於北醗以偽建興二隼、 一麟一 いくつかの漢讃仏典における離調と連講(上〉(長尾光之) 業績鑑釈曇曜訳裟、靉靆孝擦筆受涯とある記載が正しいとすれば、ζ雑宝蔵経邊 は髭魏延興2年、すなわちA、D、弊2隼に、吉逓夜・曇曜が共訳し、『糧議新語磨 の施注者として知られている劉孝標が筆録した漢訳仏典である。匿鐡三蔵記集シ 匿歴代三宝記遇は捻巻、霧簿元釈経目録雌は8巻としているが、現存本は欝巻に 分かたれている。疹雑宝蔵経湛には長短さまざまの因縁諌・比喩講がi雛篇較録 されておむ、大多数は仏教謹話(アヴァダーナ、ジャータカ)に類した形式を とっている③。すなわち、 i.現在勅語 2.過去犠語 3.連結 の3藻分からi篇が購成されている。現在物語はどういう場湧でどういう機会 に話がなされたかを運べ、過去勅語は過去におこったできごとを箆喩として述 べる舘分である。つぎに連結で、遍去物議の登場入梅は実は仏や仏の高弟、仏 への激端者などであったと結びつける。理在秘語と連結は仏典としての影式を ととのえるために習嶺的につけ擁えられているもので、仏典の説諾約鍵藏とい うところがら覧てゆくと、2の過去物語の葉分が主要な講成藻分なのである。 また各篇のなかでも過去勅語の占めている蕊分が分量的にもっとも多い。 ゼ雑宝蔵経誰は、轡十蓼玉縁(十奮王のはなし)から(憂欝緯業革欝縁(下 女が羊とけんかする話)までのi蟄巻によって購成されている。彗補するとき には 欝以宝鉢送食与舅(暮々宝の鉢で食辱勢をしゅうとにあ毒ダた) (韮雑選8) とする。 を購いる。テキストは大鑑大蔵経第4巻、本縁藷下を驚いた) 〈蕎畷経〉 ゼ百楡経選は繕麺類那(Sa嚢蓼鼓&s磯a!)撰による仏典で、A.{)、4§2年に家郷 毘地(G灘avr羅謹短〉によって翻訳された。 一65一 行政娃会論集 第貿拳 第3号 いわゆる碧讐瞼経」類に聡してお鯵、ごく短い話をi総条集めている(愛存 するものは§8条)。仏野毯に入った者購志の教蓬鐸答とか、教義を解いた経典と は異なむ、一般大衆を主たる繋象として教鍵を伝えようとしたもので、まず饗 常生活中におこったこっけいな鐡来事・人の愚行・蟹険護・経異誕などを述べ、 次いで羨段の話を題材にして懸巣に説法をおこなうという形式をとっている。 そのため、後段の教説部分を線けば、それぞれの条が独立した笑話・小謡・志 怪誕のたぐいとなっており、素朴・書擁なユーモアをたたえた謡も少なくない。 したがって牒・られている言語も麹象的表現、難解ないいまわし、文章語的な ものは少なく、きわめて難語的である。訳者の驚いた中慶語はおそらく5穫紀 末に中蟹で遍濡していた藤語であむ、その難語語彙を訳経の文体にあわせて紳 締し採賭したのであろう。蓼菖験経連は、「蓄有一人、其婦端鑑、唯其鼻醜盛 (巷ある人がいた、その妻は美しかったが、鼻だけは醜かった)のように、ほ とんど全纏にわたって4字句が醜いられている。この嬢字句に字数をあわせる ため、訳者は当時の饗頭語のなかから最も適燐な表璽をえらび取って来たので あろう。さらに経典としての特質からしても、讐瞼を牒・てわか鯵やすく表現 するという性格からしても、この経には口頭で講曝しやすく、耳で翼いても瞬 晒であるという書認表現が繕いられ、一種婆ズミカルな文誌を形作っている。 置百里は鵜愚人食塩楡(愚人が塩を食べるたとえ)から鰍小児得大亀験 (子供が大亀を手に入れるたとえ)までの繋巻で購成されている。引霧すると きには 欲作侮等(繕を作るのかね) (郵百選至§) とする。 本稿では、上に見た4経のほかに松尾88に皺む上げられている漢代と漢代 以鋒の訳縫を翻え、論述してみたい。松尾88にあげる訳経は以下の遜絵であ る。 安量高は極帯の建秘3年から霊帝の建軍3隼まで(A.{〉.舞8∼i鴨郵高繕伝薄 巻i)訳膏に従事した。支婁逓鐵は大丹比釜の鐵身で、霊帝の光稲・中華隼闘 一66一 いくつかの漢訳仏典における靉靆と連講(上)(長尾光之〉 (A.Σ).i騒∼鰺9〉に讃経を行った。また、それよ鯵後の時代になるが康蓋祥 の訳経はそれに続く三瞬六韓、中古漢誰の先駆としての懸纏があるという。 宏量高・支宴遊識・康叢祥の引用は以下のように、横尾88に縫う。 〈安覆高〉 丁譲 一切流摂守霞経錨 ↑醗 波羅門子命終愛念不離経麟 丁艶 藩法義経騒 τ鍵§ 購難翼学経翻 Ti瀦 七難三観経麟 Ti磁 太子慕瞬経(麗) ?3解 瞬度五十校計経㈱ 丁鱒2 陽難問事仏書縫経(魏) T5器 長者子麟経懸 丁5駐 摩馨女経(1揚 丁553 縁女祇域露縁経麟醗 宇縫2 分鶏善悪鎚起経雛 丁賛簿 大比丘三千威儀懸 Ti囎2舎琴彗仏梅還経麟 〈支婁遷識〉 T2蟹 雑懸喩経麟㈱欝騒購麟(轟) T2鍛 道行般若経纈麟灘瞬㈱雛㈱鰍鰭㈱鱒籔舜懸㈱鯵麟㈱ 鱒鱒(舞§〉(i舞〉 τ3i3響喜門仏国経騰鯵鰭 丁3灘 遺薮摩尼宝経麟 丁3雛 無量清浄平等覚経鋤轡紛織麟懸鰍霧毒 一6?一 行政往会譲葉 第鐸巻 第3号 丁毅マ 般舟三蘇経験 τ4欝 般舟三昧韓㈱騒騒縷1懸(懸) 丁蘂8 文殊会琴膿§菩薩署経㈱懸 T§2蓬 毛嚢陀羅漸悶難来三蘇経麟 丁62暮 簿露量王経麟} 丁8解 内線藏蕎宝経 康孟祥 Ti縫 修行本趨経(天竺大力共訳)欝雛醗 T ig§ 中本起経(曇果共訳)縢騒騒㈱繍欝翻懸懸懸懸雛1醸) (1蔦) 丁欝7 興起鴛経騰懸懸緒総翻懸(璽麟(羅) 零.工音節語・二字連語の離調・連詞 麗在われわれが古疑時代の言語を硬究しょうとする場合には、文献にたよら ざるを得ないのは当然である。そしてそれらの文献を素材【にして推理すること によ鯵、その当時の難藷の体系のわくぐみを明らかにして行かねばならない。 六親時代の文戴資料には歴史書・詩・仏典・小説類などの資料があるが、これ らの文献を通むて言える文章表現上の特亀は、験文は4字・6字、詩は5字、 仏典は4字・5字・6字と一旬の字数が基本的にはきまっていることである。 このように句毎の字数がきまっているということは貌実の欝護を文章に書きあ らわす1祭にどのような影響がでてくるか。ε羅漢」という議を擁列にとって見 て行くと、この語は講義の縁簿と「痩」という認が複合したもので、際彰 だけ単独で、「硬墜だけ単独で、あるいは瞭糞瘻」と複合しても耀いられる。 「灘痩」と複合して購いられるかたちは漢銀鶏の文戴には残っておらず、六朝 簸の文献にはじめて現れる。あるいは漢代にも縁嚢優韮というかたちはあった 一68一 いくつかの漢訳仏典における劃講と連講(上〉(長尾光之) かも知れないが証する手段はない.六朝の文1獣から懇{象すると、i当轟寺の嚢頭議 1こは、「即便垂陰鬱「硬」の語が蓉由に購いられても、たのだろう。幾代の感覚 から害えば「露便」がもっとも嚢語的、ついでr硬」が口認的、際鍔が文語 的と考えられるから、あるいは当時もそのような感覚であったのかも知れない。 文童表翼をする鰹に、4字句を轡1にとれば、 ○従痙起 のように「そこで」「すなわち」を意賺する義理のために、 茎手分のスペース だけがあった場合には、 顯髪座起(そこで座籍から立って) 痩健座起(そこで座鷺から立って) のように「馨概壷3際簿「便涯の中から、瞭溝あるいは「便」を選ぶのであ馨、 ○○醸之 のように2字分の表髪をする(あるいはしなければならぬ)スペースがあると きには 良弼更§浸絹(すぐ1ここれを騒嚢賭した) のように「露硬」をあてはめたのであろう。この「羅硬」のように2音籔で表 遷する舞が量的に多くなってくるのが六朝簸である。これは書誌による表現法 がゆたかになってきたことであるとも害い得よう。本項ではこの2音簸譲の単 語・連譲の申でも、飽の多くの字と磨出に結びついて2字の単語または連議を 作る新造力の遜盛な字について考察する。これら2字の緩み合わせがすでに熟 した単語になっているのか、2単語の連続にすぎないのかを決定するのはむず かしいが、中吉∼逓漫になって単語として量定した2音簾語の萌芽がこの時代 に端を麗き、あるものは単藷として熟さずに消え、あるものは2音簾議に闘足 して残ったのである。 以下購携を引綿する場合には安訳、支訳、孟訳、ゼ生経藩、蓼法華経露、ゼ雑宝 蔵経ム蓼百楡経誰の顯に醗列する。 一鎗一 行政挺会議集 第葺巻 第3号 2.躍と便 「懸」は「つま鯵涯「そこで雄「すぐに」という意味の講詞であり、古代にも 購いられていた。訳経にも瞭覇は古代と講じように常屠されるが、それと平 行して「便豊が覆いられるようになる。 我雑作是念(私はすぐにこのような考えをする) (蓼灘2方) 若少有辮簿、便以為是(得るところが少なかったとしても、満足している) (蓼法虐6授) そして前述したように「躍硬韮と連綿さるようにもなる。安訳、支訳、孟訳、 置生選窪窪選、ζ百選にも輝便」は購いられる。ここでは、安訳、ζ法嚢の鰹を 見る。 既諸戯人誘導我等、廼頭已、羅硬去。(戯れていた煮たちは、こうべをめぐ らすと、すぐに立ち去った) (安訳・丁儀49レ論§) 心猿懐疑擢、未敢蹄硬食(心に疑いや恐れを持てばすぐには食べることはし な墾) (窪法湛6授) 野羅硬塗は顛倒して5優長濁となる。 其意欲簿、痩躍捨去(後鬱しようとしたがすぐに塗て去った〉 (支訳・T2蟹一8一麟7職?) 硬鄭下掛、選取財宝(すぐに木から降鯵て釜揚を選び取った) (蓼宝遼錘§) 「硬並が飽の護の後について算∼痩」のかたちで連躍される鱗にはつぎのよ うなものがある。 羅紗王去後、遂硬有嬢(瓶沙王が立ち去ってから、すぐに妊嬢した) (安訳・丁務3畦季897瑠欝) 生捕叡摂、尋便数之(生きたまま補らえたがすぐに釈放した) (蓼生籬27) 汝今悉忘、薦硬霞謂、巳得滅度(お前は今すべて忘れ・すでに涅槃を得たと 一袴一 いくつかの漫談仏典における蕃ll詞と連詞(上)(長尾光之) している) (ゼ決選3讐) 椿不憩合、各硬分活(気持ちが合わずにそれぞれ分かれて暮らした) (罪宝講8き) 欝食歓喜、後憂命終(食物を得てよろこび、のちすぐに患を引き取ってしまっ た) 確宝癬総) 以己不能翼持仏戒、遂痩不受(自分が猛威を保つことができないことでなの で受け入れようとしない) ぼ醤邊5) 遂褻破戒、多作不善(そこで戒を破って多くの不善を行う) 礪召還6) 其父縷子悉巳得差、尋硬来帰、威穫晃之(その父は子の病がすつかむ良くなつ たと饑いてすぐに帰ってきて、みなに会わせた) 確法壽欝寿〉 躍以鉄叉、打童女頭、尋硬命終(鉄のさすまたで童女の頭を打つとすぐに死 んでしまった) 礪宝藩7) 褥灘仏法、遇優繕受、思惟取証(はじめて仏法を簡き、ただちに教えを受け、 考えたのちさとむを得た〉 曙法邊3讐) 為是等故、議於涅槃、是人若鷺、麟梗借受(そのために涅槃を議くときには、 その人が弱導ナば良く教えを受けるだろう〉 (蓼法墨7化) 有一愚臣、轍硬径至(おろかな翫下が串かけてゆき紬人の爾簸をえぐった〉 (ゼ百選36) 懸以鉄叉、控童女頭、尋痩命終(鉄のさすまたで童女の頭を持つとすぐに死 んでしまった) (罪宝邊7) このように「硬」は飽の藷の後につくと接尾辞的盤賂が強くなる¢2語の連 編というよむi単記と見てさあしっかえないと思われるものもあるが、藪定は 避謬ておく。 瞭霧も「痩」と瞬様に「∼躍3のかたちで接尾辞的に使われる。 遷葉自仏書。不也、冥鑑久在中、見火瞬不敢当幾去(火の翳るさをみてもす ぐさま去るわけにはいきません〉 (支訳τ一35{}通2一欝i磯)i) 正時顯遣親鑑径蚕(王はすぐに親しい者を滋遣して晃に行かせた) 一7i一 膏政歓会論葉 第貿遂 第3讐 (ζ百選65〉 遣大呼比丘来、韓羅受教(人をやって比丘を騨ばせ、ただちに教えを受けさ せようとした) (蓼生藷 i) 尋羅於是霞、監於天人衆(それからこの婁に天と人々に告げた) (罫法遺 1窪) 念彼観音力、威興起慈心(あの観音のカを念ずればただちに慈しみの心が起 きるだろう〉 醒法嚢25普〉 また「鄭∼輩のかたちで瞬韓の後に縫の劃講が来ることもある。 我鄭欝思惟(わたしはただちに自ら考える) 確法遷2方) 麗我新説、響皆借受入麺来慧(私の疑うことを蘇・てみなはすぐに麺来の知 恵を信じて受け入れた) (湧・中2§蓬) 汝今喜蟻倉卒之櫓、蹄時現験(今お羨のそそかしいという気質がたちまち外 に現れた) (蓼百選i3) 農法灘時抱鐘捉校践駿薦飛(その人は罪痙に箱をかかえ枝を持ち、くっをは いて飛び去った〉 (ζ百選垂i〉 3.復 「復聾は畦1涯とともに中古以降「○復」のかたちで2音簾藷を作る接辞的 な鐡きをする語である。しかし、「自注「復3が「子」「頭」鍔晃3のような真の 接羅辞であるかどうかについては、欝8§隼から露年にかけて激しい講争が繰む 広げられた。(蒋欝繋・鱗・鰭、劉欝89A登・総、蕎欝98、銚欝§7)この 課題については稿を改めて論じるつもりである。 ヂ復選は古来からも、申右でも「」また藤已ぶたたび」という意味で単産虫でも 罷墾られる。訳経で単独で購いられている鱗。 止、舎趨仏、不須後議(やめなさい、舎秘仏よ、また言うべきではない) (謬法凄2方) 一72一 いくつかの漢訳仏典における靉靆と連詞(上)(長羅光之〉 復経少時、父知子意、醸已還泰(またしばらくの時を経て、父は子の気持を 難鯵、だんだんと安らかになってきた) (4信・上236) しかし訳経では「∼復盤あるいは5復∼」のかたちで購いられるのがこの字 の特徴である。 松尾88には安訳、支訳、叢訳について次の指摘がある。 漢代訳経では、「∼復」が欝語種一・。支婁遷識の訳経には、「培復雄τ 3叙護2老§鞍滋§)「会復雄丁2腿追尋4を蕊㊧ヂ趨復輩(T22を8嘘鷺一騎)「寧 復」(T3i3−ii45襲ci3)、「悉復豊(T624{5−359&欝)、「雍復涯(T2縫纏一5総 嘱2§)「転復3(T22手籔艇レ瞬8)、が見える。また安訳によむ、「溌復藩(T 553緩手8§8一瞬2)、「豊後」(丁蕊3一錘一8解。24)、「尚復涯(T62i畷5一騒3一疑5) を、康孟禅譲よ鯵、還復墜(丁欝7畷達6翻雛)、「雛復雲(丁欝§纏4騒鳩s)、 「聯復藩(丁欝6纏一捻鞍e2)、ヂ雛復雌(1簑欝6{畦誌盛3)、「遂復3(Ti麟惑一 畦6獄毒〉を補うことができる。 いづれの場合も、語義は「∼復」をともなわない1字の場合と変わらない。 密生誰謬法雌ζ宝選置百蓋には以下の擁がある。 見夫捨家作沙闘、優復行嫁(夫が家を捨てて繕になるのを見てすぐに嫁に行っ た) (野生遜i) 絡復撫精進、以求無上道(さらに精進し、解騰の道を求める)(罫法選i窪) 見仏在中、培復慶悦(仏が中にいるのを見てさらに喜んだ) 確宝遜鱒) 必復著極、不能湾化(必ず苦しんで消乾することができない) 確生叢i7) 賎晃之巳、憂復腹憲(それを見てしまうと怒って・・) (藷選38) 重後来索、更不与汝にれ以上やって来て求めても勧お詠こはやらなの 確宝董5御 足舎曜i有“一醤、藤翼慶狭声影(この家には欝響が一つしかなくさらに狭い) (蓼灘3讐) 我嬬死去、更復無帰(私の妻は死んでしまい〔この女人以外に}女人はもう 一73一 行政社会譲葉 第鐸拳 第3暑 いない) (罪宝壌96) 或復比丘、薦護莞擬二言(あるいは比丘がさらにこう震1つた) (ぎ盤繕46〉 或食人肉、或復駿狗(人肉を食べたむ犬を食べたり) (駐遜3讐) 「醗復豊とともにr雨後塞が縮いられている饒。 賎復殺駝、薦後鞍甕(ラクダを殺したうえに甕まで壊してしまった〉 (郵登盤75) 隼賎長大、簾復窮羅(だいぶ奪を重ねたがさらに貧しくなった) (粧潅雌儒〉 皆復塗家、行作沙闘(みな家を捨てて沙雛になる〉 確生誰鶴) 汝取競穀、童復為誰(お蕾1まこの総を取った。いったい誰のためにしたのだ) (蓼宝薩3) 設復有人得十万車金(もし人が十万の車と金を得れば) 確宝蓋臆〉 不久郡獲、還後神遍(ほどなくまた神通力を得た〉 (ゼ生造§2) 未経幾麩、夫鋒大雨、果得濃潤、還後翅故(簿8も経たないうちに大雨が隆 箏、果実は混む気を得てもと遜瞬こなった) ぜ百選9§〉 溌後方硬、於被火宅、彌抜済之(ましてや手だてのためにあの燃えている家 力}ら救うことは) α法話3蟹〉 少有尚欝、溌復多甕(すこしだけでもこうなのだから、まして多かったとし たならば) 繹百選i) 不浄之施猶離核麺是、溌復善心歓喜布施(不浄な施しでもこうなのだから、 ましてや善心をもって喜んで霧鐘をすれば) 今月復転、無上最大法輪(今さらに解醗という最大の法輪を転ずれば) (罫法墨3讐〉 落後有人、受持・読講・解議一(もし人が受持し、読み曙え解説し・・) (罫法遷欝法〉 彼長者、難復身鐵有力、薦不購之(あの長者はカがあったとしてもそれを使 うことはなく〉 確法屡3讐) 一讐一 いくつかの漢訳仏麹こおけ碑1講と連織上)帳羅光之) 漫間無情、姦復麹是(覆の申が常ならないというのはこのようなものだ) (窪生還i?) 自無志顯、亦復麺是(窪ら顯疑慮ることなくさらにそのように) (ζ決選 違信) 我今捧復賛嘆供養老父母之徳(私は今老父母の徳を賛嘆し、供養する) 確宝選8〉 鈍亦復爾(これもまたそのようである) 確百墨i) 亡失断有、又復鞍莫膝(すべてを失い、また膝に怪我をした) 確生遭5馨) 又復魏来滅後、若懸是経… (また麺来が亡くなったあとこのように経を 弾いた〉 確法運算分〉 天神又復代作一人(天神はまた化して一人になった) 響宝遺4〉 「復∼達のように「復」が先にくる{彊もある。 「ついで」の意のr次量が「復韮とともに騒・られた1瓶 復次第三人以偶報8(そこで3人目は韻文で書つた) (郵生選23) 復次善翻驕朧観一難塾一(また、菩認輝講はすべての法は空 であ鯵一・) (蓼法薩鍵安〉 r復蟄瀧に来て誌らにまた」の意を持つ嘆」に連接した駄 復更思惟(さらに考えて) (参法遇3警) 而於中道復蔓穂声嚢鴛鴦鴨(途中でまた声を申しておしどりの鳴きまねをし た) (罫百選壌警 須臾水湾文理金色、復更入裏(しばらくすると水が澄んでまた金色が見えた ので再び水中に入った〉 ③醜6の 我適蓉僕養、今後還親近(私は音は供養し、今はまたお近づきになることが できた〉 (罫法垂葉23〉 爾時一切衆生毒見菩薩、復奮念書(そのときすべての人々は喜んで菩薩を覧 て、また自ら念じて叢った) 曙法選薬23) 「醗藩と「復∫が離れたところで呼癒している縫。 一7毒一 鴛政桂会譲葉 第i7巻 第3号 賎不得薮、復亡失子(賊を捕まえられなかっただけでなく子僕をも失ってまっ た) 確生選膿〉 銭失其利、後傷莫行(利を失ったうえ、行いをそこなってしまった〉 (蓼否28) ドついで」の意の「次垂がε復ほとともに購いられている轡α 次鳶一人、復語涜衣(それからもう一人がまた衣畷を洗うように言った〉 (蓼蕎麟5茎) 4.霞 r霞韮は後代には接尾辞あるいは接頭辞として広く購いられるようになる。 その萌芽は中古難にある。 松尾88にはつぎの捲摘がある。 支訳には、ゼ本自」(丁22季8纏7乳a22)、ε優霞」(τ2縫纏喝総。2)、ヂ各自」 (T2§4垂磯。2の、r極麹(ぞ36賛2−285&2の、r手創(丁数搬玉ぎ§i踊) が髭える。康孟祥訳畢こよ鯵、ε離農」(τig6纏一欝(レ&i?)、「親自」(τig6一逢一 箆6爵)、を安玄訳により「猶自」を補うことができる。「∼復」と隅棟、語 義は「∼§」をともなわない一字の場合と変わらない。 ここでは置生遺、匿法盤、蓼宝薩、ゼ善董に現れるゼ∼§」の{羅を見る。が「身」 ヂ各」陰欝「当」と結びついた鯵を揮法華経藩から採取して挙げておく。 宝駿蟹水、一興著纒、痩§取去(宝のくっが承に落ちた。片方は履いていた がすぐ毒こ抜き去った) 確生選ii) 蒲梗自以小智為是(しかも小智で十分として) 確法選6授) 賎得塩美、優旧年書、断獄美音、縁薄塩故(塩を入れるとおいしかったので 考えた野おいしかったのは塩のためだ」) (罫爵選賛 諺法従本来、常自寂滅権(諸法はもともと静まった姿がある) 一76一 いくつかの漢訳仏典における謙講と連詞(上)(長尾光之〉 確法蓋)2方〉 身独懲当之(褻分一人でこれに繋癒する) 確生遺i7〉 曝此王女、独自不来(この王女だけが来な籍) (ζ宝遭臆) 懇著妻子、薦自繋縛(妻子を思ってそれに縛られている) 確生遭i) 葬埋已詑、各窪還帰(埋葬が終わむ、それぞれ帰った) ぼ生邊i7) 諸大梵王、各霞晃宮殿(大梵王たちが各々宮殿を見る) (蓼灘7化) 各露籔謝、称不能鶏(各々が区驚はできな鑓と薮りを奮った) ぼ宝遷4) 王与長者、躬窪墨邊(王と長者がみずから崖邊iえた〉 確宝毒総) 彼馨既経、躍§起柱(彼はこの経を麟き、すぐに立って待った) 確生遷2i) 王見歓毒、懸欝念書(王は警んで言った) 確吾薩i5) 志不得果、還嚢侵歎(成果が得られな鳥・ので逆に欺こうとする)(蓬生邊2) 好自室意(よく気持ちを安らかにして) 醒灘4嬬) 何不待我、空目窪来、縫愛糞苦(どうして私巻待たずにむだに歩きまわ駄 そんな苦しい目に会ったりするのだ) (謬百選78) 涙墨交横、雲霞演書(涙がしたたり落ちた。難で遜べるには・・・) (蓼生還3§) 皮毯之纒、遜嚢懸殊、以愚痴故、以稼覆裟(皮とじ喰うたんは当然殖段がか け離れている。愚かな故にじ疹うたんで皮を覆ってしまった) 確百選42〉 毎霞作違念(常にこのように考えて) (郵法権鰺寿) 猛自髄逢不忍晃(しばらく走鯵去って会うに忍びないものを) (窪生唾2) 今獲我窺欝生天(今Bは私みずから天に生まれ変わる) (謬宝選?3〉 深自陣悔前之罪斥(以前の罪を深く悔いて) (蓬生遺ii) 深自慶幸、獲大善霧、無量珍宝、不求自得(大きな善や零彗、畷鯵ない宝を求 めることなく得たことを深く喜び) α決選壕信〉 鈍三人等、深自衛麗(この三入は深く恥じている) 繹宝濃73) 又霧影正身霧勇健、其方聖強(また懸緒王は身体が勇敢健康でその力も聖く 一77一一 行政挺会譲葉 第葺巻 第3弩 強かった) 確生遷27〉 我等亦当、身藝擁護、受持談議、修行是経者(駿々もまたこの身でこの経を 受持し、読み、唱えるべきである) 礪法選26陀) 留衆後後、身馨独窪(みなを残して自分一人で行った〉 (ζ宝羅i) 甚靉靆懐、嘆叱読穰(たいへん怒鞍覆み曝いて潟頒で説いた) (郵生涯3) 甚霞感傷、失於蜜襲来、無量知覧(契玉来の大きな智恵を失うことを悲しみ) (郵決選3讐) 少欲織生死、実甕浄仏土(欲が少なく生死のことを嫌っても、実は仏土を清 めているのだ) 確法選6授) 若干種食、香潔之饅、手霞岳酌(講種類かの食事や香りのよいきれいな食物 を手ずから給仕した) (罫生還逢5) 時長老子、手自行食(その時長者の子は手ずから食を勧めた〉 (蓼宝雌聡) 私§思惟、彼人先鬱鬱福、今欝憲貴(あの人は蕪量に福をおさめたから今富 貴になっているのだろうと密かに思った) ぼ宝遜償) 素自閣塞、被蒙災難(もとから愚か者でしたが、天のおかげをこうむって) 醒生還38) 素窪毅富、尊者到家、財宝豊溢殊勝於前(もともと富裕だったのに、尊者が 家に来ると財宝は鴬嬢こも増して豊力蝿こなった) 確定蓑i欝) 然譲六餅、唐嚢鑛棄(しかし離の六纒の餅はむだに捨ててしまった〉 ぼ百遵麓) 望得其果、賎無断獲、後彎労苦(良い結果を霧ようと望んでも得るところが なく、むざむざ苦労する) 確百選33) 如披愚禿之人、健§疲労、不能霧差(あの禿を秘んでいた人のように、ただ 疲れるばかりで治すことができない) (ζ再選4(1) 心密念書、欲与大家(心で念じて言った。皆とともに行いたい) 確生藩主i) 心§懸盤必需蟄諺於我(だれかがきっと私をそしったのだろうと思った) 一78一 いくつかの漢訳仏典にお謬る裂講と連講(上)(長尾光之) 建宝盤27) 虚§飯稔、妄言有徳、駿失其利、復傷其行(むなしい作鯵ごとで徳が有るな どと盛んに霊うが、秘を失ったばかむでなく身を傷つける) (髪百選28〉 汝等、自盛羅是縁縫(お前たち、ここから饑くべきだ〉 (郵法懇懇涌) 姦自選責、縫穀不食(また藝分を責めて穀物を絶って食べなかった〉 (影生涯3i) 我等春霞欲得是真浄大法、受持、読講、解議、書写(我々もまたこの溝らか な大法を受持し、読み、解説し、書写することを望む) 醒灘2i神) 諸藩修羅等、羅在大海透、§共言語時、轟干大音声(購修羅たちよ。大きな 海辺で共に語るときには大声を鬱して) 確法選露助) 爾時舎利弗、知遜衆心疑、自葬未了(その時舎秘仏は周むの人々の疑いがま だ無くならないので) 礪法麟2方) 5.当、癒、必、定、須 「癒藤と「当」は「当然するべきだ」「するはずだ」「するだろう」等の意に 購いられる。この講義の「応]と「当涯が連霧されて「応当まとなるのは六朝 競からその購舞が現れる。牲麟、置決選、罪宝雌、ζ百選にもこの語は絹いられる。 麟法曇では28{甦ある。いくつかを見る。 難走衆通患、汝等癒盗難(このような多くの遍ちをお前たちは知るべきだ) (蓼法選 7紀) 欲捨諸辮怠、応当聴既経(そのような怠惰を捨ててこの経を饑くべきだ) (蓼法選欝法〉 汝等威徳i蚤、疾生鞍離心(お羨たちはみな擘くそれを取鯵除く気持を艇こす きだ) (駐卸騰) 慈当一心、法談鋤経(心を一つにして広くこの経を説くべきだ) (謬決選2奪不) 一籌一 得政経会論集 第算巻 第3畢 ζ百選の携。 欲得果食、臨当持戒(果実を得ようと思えば戒を守らねばならぬ) (唖鈴3) 是政鴛者癒精進持不殺戒(だから行者は“殺さ轟対という絞を一心に守らね ばならぬ〉 (ζ吾馨醗) またε当]の離に誓要涯が来て2青簾化し、紅要当」(するべきだ)となるか たちもある。「要当」の古い夢彗はゼ後漢書露に見いだせる 男雛要当死於辺野、以馬革嚢麗還葬耳(男子は辺野に死し、馬革をもって死 屍をっつみ、帰って葬られるようでなくてはいけない) (後漢書馬援伝〉 盤尊法久後、要当議真実(邊尊は法として久しくあって後真実を議くべきで ある〉 確決選2方) 若不欝留、要当葬者一・(留めてはおけず葬らねばならぬなら・・・) 確百蓋6) 寧為毒蛇蟄殺、要当懐表、心至冥感、還翫為金(毒蛇に聴まれて死ぬよむは 懐に入れ霊感を呼び起こして金に替えた方が良い) (野生藷8§〉 「必卦「定」はぜきっと墜「かならず」という意殊で繕いられている譲であ る。この「必」とヂ定」が連なって「必定」となるかたち、 無罪、薦被獲執、此必定死(罪がないのに捕らわれれば必ずや死ぬであろう〉 (ゼ決選4馨) 若我去春、必定多羅(もし私が行けばもっと多く手に入る〉 (嚢濾欝) ぎ百選には「必韮と「定」が離れて辱癒している鯉がある。 定窯汝衣必是楡霧(お萌の醸は盗んだものにちがいないということははっき 鯵わかる) (謹百選8) この碧必3「定」は「きっと」という、その強義の藷義の傾きから「当然す るべきだ」という義のr当」・「劇と結びつきやすい。 諸思想縁起之法、必当帰尽(さまざまな考えや関連することが必ずやなくなつ てしまう) (『生盤懇〉 一離一 いくつかの漢讃仏典1こおける灘講と連詞(上〉(叢羅光之) 是人執裁、必当晃殺(この人が私を補らえれば必ず殺されるであろう) 確法薩4信) 必慈発髭希有之権(必ずこのめずらしいあ鯵さまを見るべきである〉 (謬法遇葺事) 今我無鞠、必慈;薄無物(私に葬無い物」をくれるのだから、きっと「無籍敦彗 があるに違いない) 確百選騒〉 定当{乍払、為天人所敬(必ず仏になって天と人に敬われる) 確法墨3讐) 以上のようにさまざまに緩み合わさって、2音簾誘や2音締連語を作る訳経 中の「必韮「定」「当3「臨」の結びつきはつぎのようになる。 必 癒 // 定 当 すなわち、この4字からε必定墜r必癒珪r定盤」野必当葺「慈当輩という緩み 合わせができる。(注〉(なお置後漢書選1こは「当癒涯という緩み合わせがある。 罪当癒死(罪は死に纏する〉 確後漢書選誉違i) これまで見たように「当涯「感」はともに縫の誕講と達繕されやすい語であ る。ここでそのような擁を見よう。 「∼当雌の擬 墓遮隣王、便当破壊蕪霧降伏(基遷隣王はすぐに破壊され降伏する) ぼ生雄27) 是徳蔵菩薩次当作仏(この徳藏菩薩は次に仏となる〉 (罫決選i淳) 彼闘裁徳、響当得勝(鞍は私の徳を麗けばすぐに勝利する) ぼ生薩2?) 蒼蒼於幾経、生野不馨者、雛当籤悪道、顯今為解説(この経を疑って信じな い考は直ちに悪い道に落ちる。今解脱することを額う) 礪法磨雛湧〉 雛小欲櫻怠、濠当令作仏(欲が少なく怠け考であってもだんだんと仏になる 一8i一 行政社会譲集 第賀春 第3讐 だろう) ぼ法選受8) 昔噺未閣法、今皆当得縫(蓄麗かなかった法を今1まみな縫くだろう) (謬決選欝湧〉 汝等目当襲是得鷺(お麟たちはこれによって麗くことができる) (翻法盤藤涌) 「∼慈」の籔 於十方諺大菩薩、常慾深心、蒸散礼拝(十方の多くの菩薩を鴬に深いこころ で敬い拝み) ぼ法雌雄安) 談等於競、姦感奮分(我々はここで分があり) 確法邊9人) 麟鱒自欺慶、我今獲大科(そこで喜んで私は今大きな稀を得た) (蓼法遷欝法) 「当」「要3はr須涯と緩びついて「当須」「要須」となる。 至曝野中有一天網、当矮人羅(野原の真ん中に天を祭るほこらがあむ、入を そなえな謬ればならない) ぼ百嚢腫) 我能使爾求子可得、当須羅天(私はおまえの欲しがっている子供をさづけさ せることができるが、それには天におそなえをしなければならない) (ゼ百選2i) 入大海之法要須導麟後再去(大海に入るには史に導かれてのち行けるのだ) (蓼百選勘 注 ①太遜ig絡巻末のrあとがき」で中国難語史醗究の資料について述べ、駿滋養 の項盤では「讃経をもっと大量に養零すべきである。テキストは大難大蔵経に 黴るのが常識である。」としている。 ⑭ 宇井億寿嬉灘誉末に1ま竺法談の訳経隼表がある。観々木舞?2では先行講究 をふまえた上で竺法談の伝記と訳経を整還し論述している。岡部秘雄欝73では 諸経録の記載と訳藷の特後から竺法談訳と発て差し支えない経典を定めている が、ζ隻誰については竺法護讃との薮定を避けている。 一82一 いくつかの漢訳仏典における墓彗講と連詞(上)(長尾光之) ③岩本総i蟹81こよればジャータカ(雛慮&〉は「本生」と讃され、ブッダの麟 生秘語であ鯵、最後の連轄蕊分でrその時の簿菓は実線わたしであった」とブッ ダがいう。アヴァダーナ(a舞曲灘〉は工.遺1去掬語に登場する誰かをブッダみ ずからが露分に箆定することはない。2.現益鞠訊の主人公はブッダの弟子ま たは懸者。3.過去物藷には過去仏の名がみられる。ここで、アヴァダーナに は「今生においてブッダとなるべきものが箆られ態・」という。そして後代に おいては両者は溌交してしまうとのことである。 文戴目録(雛音顯〉 長尾光之 緯稔ε鳩摩羅齢訳『妙法蓮華軽薄にみられる六朝難中国の9語」(ζ蕪 農大学教鷺学翻誌集書鱗毛、許簿漢訳《鳩摩羅馨・譲《妙法蓮華経》 中的六朝時難麟中麟警語》鴛舘、2.《駐馬窓騨奪学報》㍗2) 欝簿「申醒語訳『憲職経邊の露語(蓼橿鳥大学教蕎学藻譲葉遵誕老、許 舞民設《漢訳《百楡経》之語書》欝毅.?.《逝代漢語講叢之一》) i露§「中蜜語訳『雑宝蔵経講の重藷」(ζ福島大学教育学部論集選32−2) 欝綴「申馨語設置生経 の言語」曙橿鳥大学教鳶学部譲葉遷33、許郷 民設《漢訳《生経多之語霞》欝麗、2.《駿馬店縣奪学報》㍗3〉 高雲海 欝§8「‘‘自冊穣創復腎葬詞羅説質疑」『中蜜語文選総2総 岡部秘錐 欝ξ3「竺法護の訳経について」騨馨農学仏教学醗究遜ii畷 欝73「訳経史醗究淳議二」ゼ蓉溺家醗究員醗究紀要虚5 金瞬蕪光 欝78ζ仏教漢文の読み方違春軟撞 蒋 家計 欝鱒「毯談講筵“復刊ゼ甲羅語文退総2罫 欝縫r再議詞羅噛掃穣穣野」紳馨語文磨総243 欝§8「縫子講尾蹴復跡的一些異健闘題雌罫中馨語文選総2§5 横越慧8i§58r鳩摩羅什の翻訳鐸大谷学報盤3騒 劉 聡瞬 欝欝Aぼ盤説新誌雲弊的講尾“ぎ穣‘‘復㌔ゼ中遜語文悉総2欝 8新講羅“ぎ類誘き罫譲文醗究曇第4難 露認艶自浮葬講筵説駁議」ゼ中蜜語文藷総2総 末末文美士、神塚滋子等 総懸∼鎗総監翼代語訳「購含経典雄(第王誉一第護巻) 平海鐡蔽娃 森野繁夫 欝鮭「六朝訳経の藷法」監広島大学文学藻紀要2鍍 一83一 行致縫会譲葉第貿拳第3暑 欝欝「六朝訳経碓藷彙」鉱島大学文学翻紀要露36 1艶3「六朝談経の藷法と語彙」置薬洋学衛硬究壽22透 水谷真成 i§鍵蓼甲羅語史磯究一仏教とイン靭学との接点霊三省堂 軽羅嚢樹 鯵艇ダ敦煙変文灘譲藷彙数麟」奈幾女子大ゼ醗究奪幸難解 欝86.鰺新金岡照光氏のぎ漢訳仏典善を読む」勝§漢比較文学遜2 鯵薦.欝確万葉集遷講書と藩代欝誌」野叙議遜奈良女子大蟹文磯 鯵絡「縫代の語彙における文蕪異購」罫漢語史の諸問題雲東灘大人文科 学醗究藪 欝欝.稔「漢代議経と讐藷」ゼ禅文建麟究藪紀要韮蔦 葎穰大学禅文化 醗究所 書縦幸次藻 露盤r仏説無量薄経の文章」蓼大谷学報まi懸8渇、ζ全集遜7 欝弱邸中蟹敬文論壽筑募書房 巻樽幸次藻・小島憲之・声瞬芳灘鑛 欝簿∼議ゼ漢語文典叢書諺激古書院 上原専禄 鰺鎗「鳩摩羅締考」ゼー橿論叢ま22−i 太謡展夫 欝認ゼ串蜜語麗史文法遜江購書醗(緯雛溝蔽・購友書意、中蟹藷談本 欝蟹蒋総懸・徐轟華譲・跳京大学鐵叛鮭、修訂談本・鴻春3) 欝88野中匿語史遍考選嚢帝祇(江藍生・難維国譲欝籔年重慶墨蔽被) 五雲艶・方一新 i鱒2ゼ申書漢語詞騨毅遜憲椋教書講叛歓 藝谷登七郎 i弱8.9「六朝説経語法の一壷謝罪広島大学文学蔀紀要藷欝 鯵§8「豊談憶彫秘“復弩劉中蟹藷文』鰺98一唾 資 縷 岩奉 総 欝稔『仏教談議の源流と展藝雛(仏教談議醗究第2巻)麗講書錠 塩鐙義孫 欝磐置法華経の覇究爆雷蓮宗伝道縣翼株式会鮭 媛 振鼠 鱒蟹r再談中古漢語的櫨神秘碑復外及構関問題一答劉鵡醗、蒋家許先 生」ぎ中国語文違欝解一i 宇井紬寿 ig誌鞭道安硬究壽岩被書籍 愈遜鱗 欝§3ゼ仏経文献語震選巴蜀書縫 志麺良治 欝艇ゼ中石中盤語法史醗究塞三冬社(薮蓬生・嚢維蟹訳鯵弱年中華書 爵) 中態宗彦 瓦解iゼ文語解・詩語解藍に索弓懸大谷女子大学凄叛離 羅浩蕩 欝欝、6i、暮2ζ中毯古代誌法遭歴史語書醗究藤 朱慶之 欝§2ゼ仏典与中古漢語詞彙欝究譲文津畿蔽縫 鎗艇「仏教混合漢語擁護涯『語霞学論叢諺⑳ 藤務鬱鬱館 鐘々本孝憲 欝72薪竺法談の訳経1こついて」ぎ法華経の欝本的展醗墨平楽寺書籍 一8専一