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予備校からみた大学入試 - 名古屋大学 高等教育研究センター

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予備校からみた大学入試 - 名古屋大学 高等教育研究センター
山崎恭一
関西文理学院 進学教育センター所長
擬テストの実施や入試情報の収集・分析、雑誌や資料集の
の入試情報への需要が高まり、その対応として全国の独立
一九七九年の共通一次試験の実施を契機として全国規模
下の拙論はそうした予備校業務のなかで見聞きした事をも
予備校と高校の接触や交流の機会は飛躍的に増加した。以
していたために、その情報や分析を通じて予備校と大学、
一34一
予備校からみた大学入試
□ はじめに
くなり、一方で共通テストという国公立大学を網羅する指
八○年代を通じて大学入試をめぐる競争はますます激し
いる。
発行などを行う予備校の共同事業体のようなものとなって
る。全国チェーン型の巨大予備校の進出で激しい競争を強
系の有力予備校十五校と提携して﹁大学進学研究会﹂とい
とにしている。
そうした豊富な情報は全国的な情報網をもつ予備校に集中
標の存在もあって、入試関連の統計数値や分析が発達した。
う組織を作った。研究会とはいうものの実態は全国的な模
して発展したいと悪戦苦闘している。
いられながら、なんとかこれらとはひとあじ違う予備校と
私の勤めているのは生徒数約二千人の京都の予備校であ
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1993年までは「学校基本調査」による。94年以降は関西文理学院の推計
一35一
は三〇%台だった大学志願率が子の時代には五〇%を突破
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ロ 志願者急増期の大学入試
︵図1︶は大学志願者数の推移と推計である。一九八○
入学者で不合格者︵どこの大学短大にも入学できなかった
年代の中頃までは八十万人余の志願者に対して六十万人の
者︶は二十万人余だった。それがわずか数年後の九〇年初
頭には百二十万人前後の志願者と八十万人の入学者、不合
格者は実に四十万人に達した。大学受験競争は第一次ベビ
ーブーマー達が受験年令に達した一九六〇年代の後半から
本格的に激化したといわれているが、その子ども達が受験
を迎えた八○年代の後半以降にはさらに一段と激しくなり、
社会的な広がりや影響もずっと大きくなった。親の時代に
必要なのではないか。
やまさき・きょういち●一九五一年大阪府生まれ●この数年、新聞社の
取材や大学・高校からの懇談や講演の依頼、行政や商工会議所・生協な
どからの問い合わせや原稿の依頼など予備校の意見を聞きたいというこ
とが非常に増えている。なんだか予備校の社会的地位が﹁向上﹂してい
るように感じる。教育問題・社会問題としての大学入試に関心が高まっ
ている反映でもあると思うが、予備校以外に系統的に研究しているとこ
ろがほとんどないということなのではないか。大学入試センターなどは
立派なスタッフもいてそれなりの予算もついているはずなのに、選抜の
技術的研究にかたより過ぎているのではないだろうか。巨大な影響力を
持つ入学者選抜というものに系統的、科学的に取り組む本格的な機関が
(図1)大学短大志願者数と入学者数
(万人)
︵図2︶はほぼ同時期の国公立大学志願者数の推移であ
る。共通一次試験が大学入試センター試験にかわって志願
者が増加しだしたが、センター試験になってからは私立大
学だけを志願する者も加わっている。これとくらべると二
次試験志願者数はほぼ純粋に国公立大学志願者とみること
ができる︵国公立大が第一志望とは限らないが︶。八七年か
ら志願者数が倍加しているが、これはそれまで一校しか出
願できない制度だったのが二校出願する制度に変わったた
めであり、志願者数の実数は約半数とみることができる。
そうしてみると国公立大学志願者数はこの十五年間を通じ
てほぼ三十万人余でほとんど変化しなかったということに
なる。この問に入学定員は九万人から十一万人超にまで増
加しているから、数字の上では国公立大学はかえって入り
ができる。試験科目が多く負担感の重い国公立大にくらべ
やすくなったともいえる。少なくともどれかの国公立大学
が、国公立大は受けずに私大だけを受験する、いわゆる私
て、二∼三科目で受験できる私大が少しでも﹁楽に﹂合格
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大系受験生だったということになる。増加分が一方的に私
したいという受験生に歓迎された。いくつかの不況期をは
さみながらも全体として成長を続けた経済が大学卒への求
に入れるというレベルは確実に下がっている。
大に集中した原因はいくつもあげられる。一次二次と入試
制度が複雑な上に一∼二校しか受験できない国公立大に対
人を増やし、国立大卒でなくても大企業に就職できるとい
結局この問の受験生の増加分四十万人はほとんどすべて
して、私大入試は一日で終わるし、いくつも併願すること
(図2)センター試験と2次試験の志願者数
(万人)
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−36一
京の私大という風潮を増大させたといえるだろう。つい最
活の華やかな情報が満載されており、地元の国立大より東
在している。電波や出版などの巨大なメディアには東京生
にまんべんなく分布している国立大の大半は地方都市に所
ている。有名で巨大な私大は大都市に集中しており、全国
う構造をつくっていったことなどである。そしてこれらと
ならんで青年人口の大都市集中という大きな流れも係わっ
あり、どこでもいいと割り切れば現役で入れる大学はあっ
多少なりとも難しい大学にはいるために浪人しているので
という状況があった。だからこの時期までの予備校生は、
いいというのなら少しまじめに勉強すればだれでも入れる
ったところもある。激増期になるまでは、どこの大学でも
率が二倍未満だったり、ほとんど一倍に近いという状況だ
こうした大学のなかには八○年代の半ばまでは入試の倍
均は高校生のそれよりはかなり高かったのだが、九〇年頃
たという受験生がほとんどだった。だから浪人の学力の平
たのだ。
近になって不況が長期化するとともに国立大の復調が起こ
ってきたが、その直接の契機は費用のかかる地方から大都
には﹁やさしそうな大学を片っ端から受けたのだが全部不
差は縮まった。予備校は難関大学に合格するノウハウだけ
市への流入が減つたということにある。
ではなしに、かなり学力の低い生徒への指導方法やそうい
︵図3︶と︵図4︶は私大の志願者数の推移を表してい
してすでに減少が始まっているが、それまでは八五年以降
う受験生の受ける大学の入試対策を研究・開発することに
合格だった﹂というような浪人が増えて現役と浪人の学力
ほぼ一本調子で増加している。それぞれ早慶などのトップ
る。首都圏は九一年を頂点に、関西地区は九二年を頂点と
グループ校、二番手校、三番手校から数校ずつを選んでい
なった。
大学ごとの過去の入試問題を載せている通称﹁赤本﹂と
□ 受験技術の発展
る。首都圏でも関西地区でもトップグループは一万二万と
いう大きな増加を示しているが、増加の割合は一∼二割程
度だ。三番手のグループでは増加幅はそれほどでもないよ
園大学や京都橘女子大学などはわずかのあいだに十倍以上
呼ばれる問題集も国立大学と大手私大など二百校程度につ
うにみえるが、志願者数は二倍三倍になっている。京都学
に増えている。数百人規模だった入試が数千人規模になっ
一37一
(図3)(首都自)私立大学志願者数の推移
(万人)
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−38一
93(年)
(図4)(関西地区)私立大学志願者数の推移
(万人)
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一39一
ら、日本中のすべての大学の入試データを完備することが
と東京の有名大学の入試情報さえあればこと足りた時代か
がつけて販売されている。予備校も地元の中堅以上の大学
どを含めると大部分の大学の過去の入試問題に解答と解説
いて販売されており、小規模大学を対象とした﹁黄本﹂な
いて出版されていただけだったが、今では三百校以上につ
得点は必ず増やせる﹂などといった純技術的でたいへん
十点前後の配点だし、内容把握問題だから時間をかければ
えを選んで、問五問六に充分に時間をかけよ。こちらは七
くうが配点は十二点程度しかない。迷ったときは適当な答
は﹁問三の整序問題は意外に手間取る。迷い出すと時間を
腕をふるうのに最適だといえる。その結果たとえば英語で
のためのものだった入試傾向の分析や出題予想・答案作成
こうしておもに東大・京大や早稲田など超難関大学合格
も標準的でバランスのとれた出題がされるようになった。
めに難問奇問は激減し、教科の専門家の少ない単科大学で
どの大学の入試問題が公開され研究されるようになったた
共通一次試験が入試問題の標準となったことや、ほとん
﹁役に立つ﹂対策が伝授されることになる。
術などの技術的な研究と訓練は、ほとんどすべての大学を
必要な時代になった。
対象とするものに拡大した。やさしい大学や推薦入学なら
できるという時代から、本格的な受験勉強を一定期間やら
を逸脱したような電磁気の難問が出題された﹂某大学に合
アで電磁気だけは異常に詳しい﹂という受験生が﹁教科書
その反面で﹁力学や波動はさっぱりだけどオーディオマニ
ないとどこの大学にも合格できないという時代になってし
題のもとではだいたい﹁偏差値のあらわす力﹂どおりに合
格したといった逸話は生まれなくなった。標準化された問
高校の教科書をそこそこまじめにやっていたら充分に合格
まった。受験技術の訓練は一部の受験生のものから、全受
全体として志願者の大幅な増加が続いたが、当然のこと
ロ 選考方法の多様化
否が決まるという傾向がいよいよ顕著になっていった。
験生の必要品になった。そしてその受験生は高校生の過半
数を超えていた。
共通一次・センター試験の存在は傾向対策にさらに拍車
をかけた。三十万∼五十万人が受ける巨大な試験、時間の
れているなどの特徴は、傾向対策に人材と資金を投入して
わりに問題数が多く全問が選択式、出題形式がほぼ固定さ
一40一
気な対応をすすめる。︶なども実施された。
を営業マンとする視点。受験生に対して﹁ノリ﹂のいい元
ィの最大限追求。高校・予備校をクライアント、大学職員
つ流れに乗り切れなかった大学もあった。
スコミの話題となる取り組みを生み出し続けるパブリシテ
︵図4︶を見直していただきたい。トップグループの大
この大学の取り組みには全国の大学がこの間に実施した
ながらすべての大学が一様に増加した訳ではなかった。飛
学は志願者を増やしても一∼二割程度というなかで、立命
だけ全部実施した大学は他に例をみないが、立命館に刺激
様々な受験者増加策のほとんど全てが含まれている。これ
躍的に志願者を増やした大学があるかと思えば、もうひと
れは偶発的なものではなく、大学側の意図的系統的な志願
館大学の場合は四年間で倍に増やした希有な例である。こ
という名の志願者増加作戦に取り組んだ。毎年のようにい
されてか関西地区の私立大学は極めて活発に﹁入試改革﹂
くつもの大学が入試の方法を変更し、新しい方式の入試を
にうった作戦は①地方試験会場の大幅な拡充︵地方会場を
十一会場に増やすとともに地方会場でも本学と同じ日程で
どういうメリットがあるかはっきりしないとしぶる教授た
導入した。ある大学の教授会で、提案された新方式入試に
者増加策によるものである。この大学が志願者増加のため
入試をおこなう。︶、②従来型の三教科入試以外に概ね二教
ちに、 ﹁ともかく新しいことをして話題をつくらないと受
科の複線入試を設置︵論文重視のB方式、数学重視のC方
入試など︶、③入試科目の削減︵理工学部で理科二科目を一
式、英語重視のE方式、センター試験利用方式、女子優遇
験者は減りますよ﹂と言って押し切ったという話も聞いた。
この結果関西の私大入試は大きく変化した。①推薦入試
でも人文系学部は約半数が二科目になった。また漢文はほ
科目に、英数だけのM方式や二科目のPS方式など︶、④各
とんどの大学で出題されなくなり、理工系では理科を二科
︵ほとんどすべての女子大が二科目入試になり、共学大学
や編入学定員の設定と続き、ほとんど考えられるすべての
目出題する大学はなくなった、極端な例では英語を選択に
の劇的な増加︵実施大学も志願者数も︶、②入試科目の減少
方法を数年のあいだに一挙に実施した。これと並行して①
ツ推薦の復活、文化芸術入試の新設︶、⑤帰国子女特別入試
新設学部の設置︵国際関係学部や政策科学部︶、学科の改組
したり一科目入試にする例もでている。︶、③多くの大学で
種推薦入試制度の拡充と新設︵指定校推薦の増加、スポー
・新設︵理工学部︶、②大学広報の抜本的な改革︵絶えずマ
一41一
が実態は二科目入試である場合が多い︶。受験生急増期には
複数の入試方式を実施︵﹁ユニーク入試﹂などとも呼ばれる
は、推薦入試と科目削減の影響だ。一部のトップクラスの
こうした入試の変化に対する受験生側の対応で顕著なの
がはじまり、十月には公募制推薦入試の出願がはじまり十
進学高校を除くと、三年生の二学期開始早々に指定校推薦
一月には推薦入試が行われる。これらの高校では正常な授
これらの作戦は志願者増に大きな効果をもっていた。推薦
に定員の減った一般入試の難易度も大きく上昇した。入試
入試の発表が済むと、高校には大学入学が決まって勉強が
業は三年の一学期で終了してしまう。十二月になって推薦
入試を新設すると十倍近い倍率となり、また推薦枠のため
科目の削減はさらに劇的で、三科目を二科目にすると志願
手につかない生徒と不合格が続いて脱け殻のようになった
者は五割程度増えた。さらに英語を選択にした武庫川女子
大や佛教大は志願者が前年の三倍になった。入試科目の削
はこれよりさらに深刻なものといえるかもしれない。入試
生徒が教室にいるということになる。入試科目削減の影響
科目が二科目になるということは、英語と国語︵しばしば
前には抗することができずに阿片のように広がっていった。
現代文だけ︶が入試科目で、数学や理科はもとより漢文や
減には大学内でも危惧の声があったが、この明白な効果の
いわく﹁多様な個性に門戸を開く﹂ ︵複線入試にあたっ
社会科も入試科目からはずれるということになる。 ﹁入試
大学は入試を変更するにあたって様々な理由を挙げた。
て︶、﹁型にはまった優等生よりも一芸に秀でた才能を﹂
を持つ生徒は増えている。過酷な競争である入試勉強は苦
しい。最小限の苦労で最大限の効果をあげたいというのが
科目でもない科目の勉強をするのは無駄だ﹂という価値観
多くの受験生の心情である。この状況がすすめば、文系の
︵ユニーク入試︶、﹁本学への入学を第一とする者に便宜を
な説明をした。そのすべてが嘘だとはいわないが、 ﹁志願
はかりたい﹂ ︵推薦入試などで︶等々となにがしか教育的
者を増やし、優秀な学生を確保し、大学の格を上げたい﹂
場合、数学も物理も化学も日本史も世界史も身をいれて勉
う者がどんどん増えていくだろう。彼らは論理よりは感性
強することのないまま高校を卒業して大学生になってしま
という意図が最重点だったことは隠しようもない。
□ 受験生側の変化
にたより、人類の歴史も知らず、念力で物体が動いたり占
一42一
しまうのではないだろうか。
いで未来が見えたりするという話にうかうかとのせられて
も進み、すこし前までは予備校でしかしなかったような授
こうした風土のもとで、受験技術の高校の授業への導入
得ないということが各地でおきている。
業が多くの高校で取り入れられ、予備校はさらに新しい研
大学が生き残りのために様々な取り組みをするのと同じ
いと痛切に願っている。そのための取り組みで最近めだっ
ような事情で高校側も有名大学への合格実績を向上させた
れていくというように、高校の﹁予備校化﹂は不断に進行
究と工夫をする。しばらくするとそれも高校に取り入れら
の制約からくる様々な特徴がある。英語や現代文では文芸
していくというようになっている。入試問題には入試方法
ているのは、長時間にわたる生徒の管理である。具体的に
︵宿題︶と点検、しばしば行われる学習合宿、長期休暇期
作品が出題されることは稀だが、これは文芸作品だと誰に
は、七∼八時間目まである授業、毎日提起される学習課題
の補習授業、校外の模擬テストを含む多数のテスト、難関
でも納得のいく論理的な解答を確定しにくいとか、省略し
に限りがあるので、年とともに少しずつ﹁ひねり﹂が多く
て短くすることが困難なのでどうしても長く引用すること
な進学校にも変化が起きている。ひとむかし前までの伝統
なっていくという傾向がある。ある程度まで﹁ひねり﹂を
大学合格を至上価値とする価値観の確立などである。この
的な公立進学校は、地域のエリート高校生を集めてあくせ
くわえると、今度は他の分野と複合させて問題を作るとい
十年余りのあいだにこうした取り組みを徹底して行う私立
くしない悠々とした授業を行っていた。その学校のもつ知
になるなどの事情がある。また数学では出題するパターン
的雰囲気とそれにみあった授業、それに生徒たちの誇りと
うことも行われる。要するにだんだん難しくなっていくの
だ。社会では定説が覆されたり、論争の活発な分野は出題
高校が入試の実績をあげつつある。それにかわって伝統的
があわさってかなり自覚的に勉強する気風が難関大学への
うことになる。こういう﹁歪み﹂を持つ入試問題にぴった
のまま生徒に植えつけることになる。
りと対応した授業をするということは、その﹁歪み﹂をそ
しにくい。これも一番面白そうな分野が入試にでないとい
合格を支えていた。こうしたスタイルを変えない高校は、
管理主義的な傾向の私立の進学高校や中高一貫の私立高校
に押されてしまう。対抗上伝統校もおっとりとはしておら
れず、管理主義的な進学指導・学習指導をとりいれざるを
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生徒を巻き込み、教育内容にもより深く影響を与えている。
大学入試は高校以下の教育に対し、年ごとにより多くの
ら受ける?﹂
母﹁そしたら人格も能力も全部がはかれる試験があった
息子﹁うん、もちろん﹂
母﹁でもそれに落ちたらどうするの?﹂
返してもそれだけではとめられないだろうと思う。大学入
ける高校・受験生の動きは、どんなに教育的な指摘を繰り
志願者確保で生き残りにかける大学と効率的な合格にか
な問題ではないのではないだろうか。
ければ、選抜制度そのものの矛盾というのはそれほど大き
ねよくできていると思う。入試科目さえむやみに減らさな
うか。今の選抜方法にも問題は色々あるが、私はおおむね
回復できないほどの不愉快な気分にさせるのではないだろ
□ よりましな選抜方法
試をめぐる各段階の学校と生徒の動きは、現在の社会の枠
一方受験生側にとっても、特権的地位を強める巨大企業
﹁精緻この上ない選抜方法﹂というものは大半の人々を
長﹂でしかないのではないだろうか。大学への公的な資金
組みのなかでの受験制度の﹁自然な発展﹂または﹁自己成
の幹部職員や高級官僚になるためには特定の大学の卒業と
いう経歴が断然優位にはたらくことは自明のことである。
保障は国立大学も含め極めて心細いものでしかない。その
大企業に圧迫される中小企業に勤める親が、長時間労働の
勤めるのが一番いいよ﹂というのをどうして責められるだ
ない。他大学に比べて優位に立とうとあまり教育的と思え
ろうか。
なかで大学が経営を重視する姿勢に立つことは避けようが
またなにがしか精密で公平な選抜方法が矛盾を解決する
この構造に変革を加えなければ、部分的な改革で入試制
その子どもたちに﹁やっぱり一流大学をでて、巨大企業に
かといえば、これもたいへん疑わしく思われる。先日ある
苦労を知る自営業者が、政府に見捨てられつつある農家が、
雑誌の漫画でこういうのをみかけた。
てしまうように思えてならない。事実、何度か改訂された
度や教育内容を改善しても、必ずより深刻な矛盾を堆積し
ないことを含む方針をたてて実行することを責めるのはや
息子︵テストの成績を見ながら︶ ﹁こんな学力の一部だ
さしいが、.やめさせることは困難だろう。
けみて振り分けられるなんて﹂
一44一
わざるを得ない。入試制度の改善については本当に多くの
が深刻であり、どちらかというと事態は悪化しているとい
の入試改革とどれをとっても、改善点よりも問題点のほう
じまる一連の国立大学の入試制度の変更、上記の私立大学
学習指導要領とそれにもとづく入試の変更、共通一次には
もしれないが、受験競争を緩和させてその矛盾を減少させ
競争も緩和されるだろう。経済的な効率はかなりおちるか
ような構造ではなく、もう少し穏やかな構造にすれば入試
けが巨大な権限をもって、それ以外の人々の上に君臨する
るのではないだろうか。一流企業の幹部社員や高級官僚だ
援助を増やしてやれば、本当の個性的な発展の路が開かれ
が歪んでしまうくらいに忙しく働きつづけることを求めて
機能は、ある意味ではとても効率的にできているように思
われる。それは日本経済がたいへんに効率重視で少々人問
ようというのなら本質的にはこういう方向しかないと思う。
今の入試制度とそれに対応する大学と高校などの機構と
人が様々な提案を行っているが、受験産業に身を置く立場
からみて﹁そうなればこういうビジネスチャンスが生まれ
るな﹂と思うことはあっても、なるほどこれでかなり改善
されそうだという計画にはほとんどおめにかからない。そ
れは﹁入試の制度を改めて受験競争の弊害を解決する﹂と
時流に流されない、安易な﹁現実主義﹂にのせられない、
いるのにきちんと対応した制度なのではないだろうか。
なのであり、矛盾の発生源が社会機構の側にあるのに入試
十年や二十年のあいだ冷飯をくらうことになっても将来を
いう幻想にとらわれているからではないだろうか。大学入
試は現在の日本の社会機構と完全に一体となったその一部
をいじっても効果はないのではないだろうか。入試制度な
る。なんだかとてつもなく時代錯誤のようだが、もともと
見据えてじっくりと取り組む、人間を愛しその本質を信じ
教育というのはそういうものだったのではないか。一方で
くるのではないだろうか。
小学校から高校の教育にもっと資金と人材を豊富に投入
に改善していく愚鈍な努力を積み重ねながら、もう一方で
社会自体をもうすこし合理的で人間的なゆとりのあるもの
どいじらない方がかえって本当の問題点がしっかり見えて
して、大部分の生徒が一定の学力を身につけられるように
いう古典的な倫理観が求められているのではないだろうか。
は長期的な視野に立つあたりまえの教育に力を注ぐ、そう
すれば、大学側もこうまで焦って﹁優秀な学生﹂を確保し
の導入などというせわしないことをいわずにどーんと公的
ようとしなくてもすむのではないか。大学経営も民間活力
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