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『儒教の本』(学研)

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『儒教の本』(学研)
儒教と予言
目次
一
占いと予言
二
災異説・讖緯説と予言
三
予言と革命−予言の政治的・思想史的意味
●予言書誕生の背景
古来、中国には書物としての予言書は生まれなかった。占星術や雲気占の書を始め占い
の書は多種多様に編纂されて今日に残っているが、書籍としてまとまった予言書は存在し
ないだけでなく、予言者が特定されることも少なかった。便宜上「予言書」と翻訳されて
いるものは、実際にはそのほとんどが儒教経典の予言的解釈書である。
だが、中国は予言(預言)の宝庫である。中国特有の予言は儒教がイデオロギーとして
定着した後の歴史書に断片的に記録される。もちろん、儒教が国家の中心学問として確立
する前から諸書に散見する。いずれも神秘的・呪術的内容であるが、実は極めて政治的な
産物といわざるをえない。この断片的な予言が実にリアルに、そして雄弁に当時の政治や
社会を物語ってくれる。
占いと予言とをどこで区別するかは難しいが、星占いや雲気占いの書をそのまま予言書
と言い換えることはできないだろう。『易』は占いの書であっても予言書ではないように。
なぜなら占いは一般的・総括的な予測で、将来の可能性や傾向を示唆するに止まる。それ
に対して、予言は個別的・具体的な予見であるだけでなく、その予見が現実となって始め
て承認されるものだからである。もし、占いと予言の戦後を言うなら、占いの後に予言が
あるとも言えようか。
中国の予言はその時々の政治や社会を具体的に反映するため、概して単発的である。そ
のために独立した予言書が編まれなかったのだろう。そこで、まず簡単に予言の生まれる
古代中国の思想的背景を概括し、それから予言を具体的に紹介しながら予言の政治的・社
会的意義を検討し、予言が儒教社会でどのように生まれ機能していたのかを見ていこう。
●儒教の自然観と天文占
儒教の経典のひとつ『書経』に「洪範九疇」という九つの政治の大法が記録されている。
その第八に見える「庶徴」は、天子の政治が自然現象と応徴するというもので、天の有意
性を如実に示している。すなわち、天子の政治が良ければしかるべき時に雨が降り、寒暖
も安定して五穀豊饒となる(休徴)
。反対に政治が悪いと天候不順で凶作となり、民が苦し
む(咎徴)。
古代人は自然の異常現象に対して大いなる脅威を抱いた。天体の運行を観測する者は、
当時は予測できなかった日食や月食、あるいは彗星や流星、惑星の異常運行などを神秘と
して理解するほかなかった。中国では早くも周代に天文観測が発達していたことが知られ
ており、天文学から様々な占術が展開した。古くは漢代に『天文気象雑占』や『五星占』
(共に馬王堆三号漢墓出土)、唐には『大唐開元占経』(瞿曇悉達等奉勅撰)などが生まれ
ている。もっとも、この現象は必ずしも中国に限らない。バビロニアのタブレットを持ち
出すまでもなく、古代ギリシャやインドも同様である。古代人が天体の異変現象に対峙し
た時に生まれる恐怖は普遍的で、天文観測や占いはその恐怖から発生したと見ても大過な
いだろう。
中国では占星術はすでに戦国時代に盛んに行われているが、占星術それ自体は予言とし
て機能していない。
『史記』天文志に名を連ねる甘氏・石氏は、戦国時代に活躍した占星術
士である。かれらの占星は今『大唐開元占経』に引用されてその一部を伺うことができる。
そこでは「歳星(木星)と土星が合すれば内乱が起こるであろう」
(甘氏占)、
「国が礼を失
し、夏の政令を過てば熒惑(火星)が逆行するであろう」
(石氏占)、あるいは「五惑星の
運行に異常がなければ五穀豊饒となろう」
(同)などとあるように、あくまで漠然とした予
測である。しかし、この占星術を活用して予言する者が現れる。その例を挙げよう。
●天人相関思想の出現
『春秋』は孔子が編纂したと言われる魯の国の歴史書であるが、その昭公十八年(前五
二四)の条に、「夏五月壬午、宋・衛・陳・鄭、災あり」とある。『春秋』の解釈書のひと
つである『春秋左氏伝』では、火災発生前に火星が黄昏時に現れて風が吹き、このことか
ら梓慎という人物が宋・衛・陳・鄭の四国の火災発生を予言し、果たしてかれの予言は的
中したと伝えている。
また、
『史記』宋微子世家には宋の国での熒惑(火星)の予言とその後の不可思議な現象
が記録されている。景公の時、宋の国で火星の異常運行が観測された。天文官がこの現象
は宋の領土に災禍の起こる予告にほかならないと言ったために、憂慮した景公は誠意を尽
くして天文官と災禍を防ぐための方法を模索した。しかしこれという決定的な解決法がみ
つからなかった。ところが、火星は景公の誠意−災禍を国民に及ぼさないようにとの善
意とその際の善言に応えるかのように、三日後に正常な軌道に戻ったと言う。
このように、人知の及ばない自然の異変の背後には意志を持つ天が存在すると想定し、
天(自然)と人(社会)との間に深い関係を見る古代中国人の自然観(天人相関思想)は、
自然の異常現象を天の箴言ととらえるものであった。そして、この天人相関思想は後に董
仲舒(前一七九∼一〇四)によって災異説として画期的な展開をみせることになる。
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