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衰枚「闘蟠蝉三十韻」通釈

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衰枚「闘蟠蝉三十韻」通釈
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23
衰枚「闘蟠蝉三十韻」通釈
ぢざ
日原
傳
い記録としては「説郛」に収める宋の顧文薦「負喧雑録」に「闘蚤も
読と語釈を施し、加えて口語による通釈を試みたものである。本文は、
本稿は清の哀枚二七一六~九七)の「闘蛇蜂三十韻」に対し、訓
われていたことがわかる。詩に詠みこんだ例としては南宋の葉紹翁の
によると唐の天宝年間(七四二~七五六)には既に「闘蝿蝉」が行な
万金の資を以て之に一啄を付す。其の来たること遠し」とある。これ
亦天宝の間に始まる。長安の富人、象牙を鍵みて髄と為して之を畜ひ、
周本淳標校の「小倉山房詩文集(上苣(上海古籍出版社、一九八八年)
七絶「夜書所見」が早いものとして挙げられる。転結句「知る児童の
はじめに
に拠り、王英志校点の「衰枚全集壱』(江蘇古籍出版社、一九九三
の字について小川環樹「宋詩選」(筑摩書房)は「けんかをさせること
促織を挑する有ることを/夜深うして藤落に一灯明らかなり」の「挑」
「蛇蜂」はコオロギのこと。コオロギを詠んだ古い詩としては、まず
であろう」と注する。「偲文斎詠物詩選』の「促織類」には全部で十八
年)を参照した。
「詩経」唐風の「蝿蜂」や溺風の「七月」が挙げられよう。「蝿蜂堂に
「古詩十九首」には「明月皎として夜に光き/促織東の壁に鳴く」
虫」として登場させている。また、「文選」に収める漢代の作とされる
変化に応じて居所を変える性質を捉え、「季節の移り変わりを知らせる
月戸に在り/十月蟠蜂我が淋下に入る」(七月)と、コオロギの気候の
在り/歳聿に其れ莫れん」(蟠蜂)、「七月野に在り/八月字に在り/九
大榊纂輯の「蟠蜂譜」十一巻(一九三一年)には、闘蟠蜂を詠み込ん
によると朱之蕃は万暦二十三年二五九五)の進士であるという。李
成第十八輯」〈汲古書院)にその影印が備わる。長澤規矩也氏の解題
者の詩を収める朱之蕃の「詠物詩」には和刻本があり、「和刻本漢詩集
と明の張維の七律「戯題闘促織」が闘蝿蜂を詠みこんでいる。なお前
首の作品が集められているが、そのなかでは明の朱之蕃の七律「促織」
く
とコオロギが詠みこまれている。「促織」というその名は、秋も深まる
だ作品として、先に挙げた朱之蕃と張維の作品のほかに作者不明の「題
午》}』
につれて冬に備える手仕事が急がれるが、それを「せかすように鳴く
蟠蜂詩」「題蝿蝉詞」や宋の済願和尚の「庵促織詞」を収録している。
か”や
虫」という意味の命名であるらしい。「季節の移り変わりを知らせる
衰枚の作はこれらの系譜を襲うものである。
る。以下、便宜的に十四章に区切って通釈を試みる。
「闘蟠蜂三十韻」は上平声の一束と一一冬の通韻で最後まで押してい
虫」「鳴く虫」としてのコオロギは以後も連綿と詩に詠まれてゆく。有
名な杜甫の五律「促織」もこの系譜に連なる作品と言えよう。
一方、コオロギを詠んだ詩のもう一つの系譜として「闘う虫」とし
て捉えた作品がある。コオロギを闘わせて勝敗を競う「闘蟠蜂」すな
わち「こおろぎ合わせ」を詠みこんだ詩である。「闘蟠蝉」に関する古
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【試訳】
雅に好む秋蚕を闘はす》(》を
児時弄るを好ま》声」れど
仲間を集めて試合をする。
年をとっても興味は尽きず、
コオロギを闘わすことは好きだった。
子どものころ遊び好きではなかったが、
児時不好弄
老至りて興浅からず
コオロギを戦いの場に出しては、闘盆のへりから覗き込み、
企は⑰
雅好闘秋蚕
衆を率ゐて時に相攻む
つれ
老至興不浅
節を打ちつつ言葉を飲み込んで応援する。
率衆時相攻
執に葱りて壁上より観
しよくよ
騒斌観壁上
節を撃ちて胡噛を鼓す
選材必ず大いに閲し
ころう
撃節鼓胡噛
山を焚きて轍ち捜窮す
|’
選材必大閲
一巨撃を得れば
【語釈】
焚山諏捜窮
文寛以て宮と為す
○弄たわむる。あそぶ。「春秋左氏伝」僧公九年の伝に「夷吾弱不し
得一巨撃焉
き上はく
文登以為宮
好し弄、能闘不し過」。杜預の注に「弄、戯也」。
○雅つねに。もとより。
○大閲軍備の大検閲をする。「春秋左氏伝」桓公六年に「八月、壬
○選材闘蝿に適するコオロギを選ぶこと。
【語釈】
○秋蚤コオロギ。
二七五八)に作られている。時に衰枚四十三歳。
○老至「小倉山房詩文集」の配列によれば、この詩は乾隆二十三年
○懸鰔車の前の横木にもたれる。戦いを見物するさま。「凋執」に同
じ。城澱の戦(紀元前六三二年)において楚の子玉が晋の文公に戦
○焚山山を焼いて狩をする。
午、大関」。伝に「秋、大関、簡一一車馬一也」。
○巨撃仲間のなかで一番優れたもの。「孟子」滕文公下篇に「吾必以一一
いを申し込んだ時の言葉を踏まえるか。「春秋左氏伝」僧公二十八年
の伝に「請与二君之士一戯。君潟し執而観し之。得臣与寓し目焉」と見
には甑や梅花などの文様をもつ養盆の図を十葉収めている。
器。「蝿蜂盆」「養繊」とも言う。ちなみに民国の李大榊「蝿蜂譜」
○文莞飾りのある養盆。「養盆」はコオロギの住まいとなる陶製の容
仲子一為一一巨筆-篤」。
える。○観壁上壁上から観戦する。自分の身を外に置いて勝負を
傍観する。「史記」項羽本紀に「当一一是時一、楚兵冠二諸侯一。諸侯軍
救二鋲鹿下一者十余壁、莫一一敢縦万兵。及二楚撃右秦、諸将皆従一一壁上一
観」。
○撃節節を打つ。
公言せず言葉を飲み込む。 「噸胡」は、
○鼓胡噛「鼓噛胡」に同じ。公言せず言葉を飲み込・
のど。「後漢書』五行志に「請為一一諸君一鼓二噸胡二・
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【試訳】
その道具の茜草を手にして金色の虫髄の戸を開くのである。
コオロギを闘わせるのは争いをそそのかすのであって、
おさ
うなじ
怒りを鋤へ初めて戎を興す
まざ
徐徐に脛は低昴し
霜刃将に鋒を交へんとす
【語釈]
○短「うなじ。くぴ。
曽試一」。
戦いの始めは体を低く伏せていて、
○交鋒ほこを交えて戦う。
知られる「築台募士」に基づく表現か。「戦国策」燕策一に「於レ是
昭王為し陳築レ宮而師し之。楽毅自レ魏往、都術自レ斉往、劇辛自レ趙
怒りを抑えて戦いはじめる。
○唆訟争うようにそそのかす。
徐々に首を上げ下げし、
せんそう
牙摩疑鎮繍
五
いまにも鋭い刃の切っ先を交えようとする。
【試訳】
闘蝿の場に軍旗を立て、
礼を尽してコオロギの勇者を招く。
牙の摩すれば涙繍かと疑ひ
あつゆ
○草茜草。穂先でコオロギを挑発し、戦闘意欲を高める道具。
【試訳]
往、士争漬し燕」。
○築壇招群雄礼を尽して群雄を招く。「陳より始めよ」という成語で
君登突。鄭師畢登」。
「春秋左氏伝」隠公十一年の伝に「暇叔盈又以二蜜孤一登。周魔呼曰、
○蜜孤春秋時代の諸侯である鄭伯の旗の名。のち借りて軍旗を指す。
○興戎戦いを起こす。「戎」は、いぐさ。
○勧怒怒りをおさえる。「勘」は、おさえる。
【語釈】
其の始め体は卑伏し
良いコオロギを手に入れるには、大検閲が必要だ。
焼き狩りをしてまで捜し求めるのである。
ひとたび優れたものが手に入ったならば、
美しい養盆をその住居とする。
之に樹つる蟄孤の旗
ぽうご
樹之蟄孤旗
壇を築きて群雄を招く
た
築壇招群雄
戦はしむるは訟を唆すが如く
襄篶簔湊
四
霜徐勧其
刃徐怒始
将腫初体
○霜刃鋭く光るやいば。貿島「剣客」に、「十年暦一一一剣一、霜刃未一一
誰か
教戦如唆訟
’■■■■
草を持ちて金寵を開く
■■■■■
持草開金髄
 ̄
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頭触愁共工
彌明足を挙げて酸し
頭の触るれば共工かと愁へしむ
一ハ
けんみち
険に道Iして一と一
己を伏せて其の脳坐伊一盛り
えんちゅう
道険一与一
癖を博学っ鋏胸に交はる
す寸
伏己監其脳
つ
そん
禰明挙足峻
叔孫喉に当てて捲く
両将今一中に闘ふ
博腐鍍交胸
ぴめい
叔孫当喉椿
両将闘笄中
【語釈】
【語釈】
○道険険しい道をとる。「春秋左氏伝」哀公二年の伝に「三月、呉伐し
むれうひ
○摩する。こする。
名曰一一窒鼠二。「爾雅」釈獣に「鎮輪、類し躯、虎爪、食し人、迅走」。
李白「梁甫吟」に嚢繍磨レ牙競一一人肉一、蕊虞不レ折生草茎」。
○鎮諭獣の名。「山海経』北山経に「其状如レ牛而赤身、人面馬足、
○共工人面蛇身の神。纈項と争い、天柱を折り地維を絶ったために
○伏己藍其脳城膜の戦(紀元前六三一一年)における故事。晋の文公
中一、将レ合」。
我。子泄率、故道し険従一一武城二。
○算中小道。袋小路。「春秋左氏伝」襄公二十五年の伝に「行及二奔
天地が傾いたという舍列子」湯問篇)。
○彌明祁彌明。春秋、晋の重卿である趙盾の家来。強力で知られる。
晋の霊公がけしかけた犬を蹴り上げてその顎を砕き、趙盾を守った
○峻蹴り上げる。
終わった。その結果、晋の文公は周王から覇者と認められた。「春秋
る夢を見た。子犯はそれを吉夢と解いたが、果して晋軍の大勝利に
は楚の成王と戦う前夜に成王が自分を押し伏せて脳みそを吸ってい
○叔孫叔孫得臣。春秋、魯の大夫。文公の命を受けて出陣し、狄を
左氏伝」僧公二十八年の伝に「晋侯夢下与一一楚子一博、楚子伏し己而監中
という。「春秋公羊伝」宣公六年の伝に「祁彌明逆而践し之」。
破り、長狄僑如を討ち取った。その際、同乗の富父終甥が矛で喉を
其脳と。「藍」は、すする。
大きな体の幽鬼が、地に届く長髪を振り乱し、胸を打ち、畷り上が
○博腐むねを打つ。晋の景公がその死の直前に見た夢を踏まえる。
突き刺して殺したことが、「春秋左氏伝』文公十一年の伝に「富父終
甥、椿一一其喉一以レ戈殺し之」と見える。
めた。「病、脅育に入る」はその際の医緩の診断を典故とする成語。
○椿つく。
【試訳】
「春秋左氏伝」成公十年の伝に「晋侯夢大属被レ髪及レ地、博し腐而
って景公に迫った。のち景公の病は重くなり、秦に医師の派遣を求
コオロギの牙はこすれあうと鎮燕かと思うほど鋭く、
踊曰、殺一一余孫一、不義、蒜鴨し諸二於帝一笑」。
せんせつしよ
○鍍交胸呉の公子である闘閣が王位を得るために呉王の僚を殺した
事件を踏まえる。呉王をもてなす宴席で閏閻の家来の鱒設諸は魚の
頭がぶつかると共工のように天柱を折るのではと心配になる。
祁彌明のように足で蹴り上げる力も強く、
叔孫得臣の故事のように敵の喉を突いて倒すのである。
中に隠した剣を抜いて呉王を刺した。その時、王の謹衛が左右から
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刺した剣は設諸の胸で交わったが、痛みに屈せず呉王を試殺した。
翅を震わせて風が吹いているような音をたてる時もある。
【試訳】
ともかいそく
ほこ
股に傷つけども強ひて縦を鴫戸ワす
もも
肩を射られて猶ほ能く軍し
愈い卜{増す羅鉗の兇
らか人
微かに党ゆ昆に畷息する会と
かす
軽く吹く風に長い髭が突き出ている。
ひっそりとしたなかでコオロギが噛み合う音が聞こえ、
口に枚をくわえたように静かな時もあれば、
「春秋左氏伝」昭公二十七年の伝に「鱒設諸寅二剣於魚中一以進。柚し
剣刺し王。鍍交二於胸一、遂試し王」。「鋏」は剣の一種。
【試訳】
険しい道をとって一対一となり、
梢として声無く
○昆ともに。周本淳は固有名詞に解釈しているが、採らない。
【語釈】
歯撃響き
○曝息苦しそうに息をする。「喘息」に同じ。「文選」巻十七所収の
て、くわえて首の後ろで結ぶ。兵士や馬にくわえさせて声をたてる
のを防いだ。「街」は、はむ。くわえる。
○梢物音がせず、静かなさま。
○運翼翅を振り動かす。
○琶護ひっそりとしたさま。
○歯撃コオロギの噛み合うさまを言うか。
○払払風の軽く吹くさま。
のほとりで楚と戦った時、臣下の諌めを聞かず、敵が川を渡り終え、
る「春秋左氏伝」僧公二十二年の記事を踏まえる。宋の襄公は泓水
おうすい
○傷股股を負傷する。股は、もも。この句は「宋褒の仁」で知られ
うまく戦って退却した。
伝」桓公五年の記事を踏まえる。鄭の祝明は王の肩を射たが、王は
○能軍うまく戦う。「軍」は、軍を動かすこと。この句は「春秋左氏
○兇むごい}」とをする。王英志は「凶」に作る。
与一一希爽一相勗以レ虐、号二羅鉗吉網二。
代の吉温とともに「羅鉗吉網」と評された。「新唐書」酷吏伝に「温
○羅鉗羅希宛のくぴかせ。羅希爽は唐の人。残虐な役人として同時
らさせ色
王子淵「洞箭賦」に「是以蟠蜂蛎蝋、岐行喘息」。
長蹟衝く
風有るが如し
八
傷射愈微
股肩増覚
強猶羅昆
鳴能鉗曝
縦軍兇息
二匹のコオロギは狭い場所で闘う。
倒されて脳みそを畷られるような状況にもなったり、
払毒運街X
払琶翼枚ビ
○街枚枚をはむ。「枚」は箸のような形の木片。両端に紐がついてい
【語釈】
しよう
踊りかかり、胸で剣が交差するような場面もある。
七
払遼運街
払議翼枚
長歯如梢
鬚撃有無
衝響風声
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に矢傷を負い、側近の者はみな討ち死にしたが、喪公はなおその考
陣形が整うのを待ってから攻撃を仕掛け、大敗を喫した。自身は股
た。その結果、楚の人々は子重を非難するようになり、子重はそれ
かし、その三日後に呉の追撃を受け、賀という重要な町を占領され
勝利ののち楚に帰り、その後の大敗を知らずに祝賀会を催した。し
を苔にして心疾になって死んだという。記事は「春秋左氏伝」褒公
えを変えなかった。
○縦ほこ。
羅希宛のくぴかせのように締め付けがますますひどくなる。
二匹が苦しそうにしていると思っていると、
樗蒲のよい饗の目が出た場合のように、それで勝負が決まってしまう。
掛り投げて盆の外に出すと、
【試訳】
三年に見える。
鄭の祝脂に肩を射られた王のように、うまく戦って窮地を逃れるもの
再戦の期日を改めないのは、
【試訳】
もいれば、
楚の子重の失敗を学んだかのようだ。
一櫛盆外に出すは
塁を摩し更に旋舎と摩かせ
とな
逐北飛蓬の如し
■れ
⑥かん
断を帯びて軍に恂ふ
勇な差已哉気務の隆なる
致し師者、御摩し雄摩し塁而還」。
○騨旋旗をなびかせる。
○逐北逃げる兵を追う。北は、にぐる。
○飛蓬風に翻って飛ぶよもぎ。
談を踏まえる。福陽の城を攻める菫父に対し、城方から長い布が降
ふくよう
○帯断恂干軍「春秋左氏伝」喪公一一年の記事にみえる秦菫◇の武勇
しん色んぽ
○摩塁敵陣近くに迫る。「春秋左氏伝」宣公十二年に「許伯曰、吾間
【語釈]
はたなぴ
末の襲公のように傷を負ってもなお考えを変えず、正面から戦おうと
一榔出盆外
巣虚の紅を喝するが如し
+
勇帯逐摩
哉断北塁
気恂如更
務子飛騨
隆軍蓬旋
するものもいる。
如喝巣虚紅
再戦期を改めざるは
且つろ
再戦不改期
楚の子重に学ぶが如し
ちよぽ
○子重楚の嬰斉。特別に選抜した軍を用いて呉を討った際、緒戦の
陵博塞呼一一五白一、担跣不一一一育成一一巣慮一」。
が出るとほぼ勝負は決するよい目とされる。杜甫「今夕行」に、「潟
○巣盧ともに樗蒲(ぱくちの一種)のさいころの出目の名。これら
さまを言うか。
○喝どなる。ここではさいころの望みの目が出るように大声で叫ぶ
【語釈】
如学楚子重
九
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がそれで止めると、茎父はその布切れを帯にして軍中を三日間巡行
父は息を吹きかえしてまた登る。これが三度繰り返された。守り手
で守り手は布を切り落とし、重父は転落。するとまた布を垂らす。菫
ろされた。菫父がこれにすがって登ると、姫塙に手が届いたところ
代を撃ったことが、「漢書」高恵高后文功臣表に見える。
のち曲成侯に封ぜられる。都尉として項籍を破り、将軍として燕、
○虫将軍曲成園侯の虫達を指すか。漢の高祖に従って陽より起り、
○鼓翅翅を振い動かす。
○銭歌かねを打ち鳴らしてうたう歌。軍楽。
戦勝の凱歌を奏すべく、
【試訳】
○同宗同じ血統の者。
○母乃…ではないだろうか。推測を表す。
した。原文の「帯二其断一以恂一一於軍一三日」を一句に仕立てた。「断」
は、切断された布切れ。「恂」は、触れ知らせる。
○勇哉気滞隆「戦国策」韓策この誘政の故事を踏まえる。鏑政は厳
顔の皮をはぎ、目をえぐって死んだ。政の姉は弟の名を揚げるため
翅を振わせて鳴くその音色は鐘を打ち鳴らしたかのようだ。
遂に懇願されて韓の相である韓塊を刺殺した。事を終えたあと自ら
にその遺体の身元を明らかにした上で自殺した。その姉の言葉の一
おまえの同族ではないだろうか。
漢代には「虫将軍」がいたが、
節「勇哉気務之隆」を用いた。「気務」は、気勢。意気込み。
【試訳】
汝の瀞にして争ふを敬ふ
えつおう
敬汝務而争
比党蝿蝋に非ず
汝の勇にして仁なるを愛す
蟄人笄蜂に非ず
廿白じんへいばう
○比党徒党を組むこと。
曰、君子務而不し争、群而不し党」を踏まえる。
○瀞ほこる。自信をもつ。一句目、二句目は「論語」衛霊公の「子
【語釈】
蟹人非弄蜂
愛汝勇而仁
比党非蝿蝿
 ̄
敵陣近くで旗を願かせるように力を誇示し、
逃げる敵を迫うさまは飛蓬のように敏速である。
布切れをまとって軍中を巡行した秦菫父のように勝ち誇り、
葹政かと思わせるように勇ましく、気勢盛んである。
どうか
奏凱鏡歌を唱へ
こし
鼓翅金鐘の如し
漢に虫将軍有り
な
 ̄
○蝿蝋ジガバチ。腰細蜂。
乃ち汝の同宗た亥己母からんか
+
【語釈】
同将金銭一
宗軍鐘歌
○仁他者を思いやる気持ち。孔子のとなえた最高の徳目。三句目は
窪童謡篭+
○奏凱戦勝の凱歌を奏する。
母漢鼓奏
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「論語」慰問の「仁者必有し勇、勇者不二必有で仁」を踏まえる。
時相与争レ地而戦、伏戸数万、逐レ北旬有五日而後反」。狭い闘盆で
○弄蜂虫名か。語の用例としては「詩経』周頌・小遥の「莫二予笄
蜂一/自求一一辛整二が挙げられる。毛伝は「弄蜂、摩曳也」と注し、
○新牡若い牡。「春秋繁露」循天之道に「新牡十日而一遊一一於房一」。
○戸饗煮炊きをする。「詩経」小雅・祈父に「有二母之戸ワ饗」。毛
の戦いを「蝸牛角上の争い」に職えたものか。
「引きまわす」の意にとっている。朱烹「詩集伝」は「笄、使也。蜂、
○字微交尾する。「史記」五帝本紀に「鳥獣字微」。
○蟄人人を刺す。「蟹」は、毒虫がさす。
小物而有し毒」と注する。しかし、同じ形をとる二句目から考えて、
○雍雍鈴の音のやわらいださま。「礼記」少儀に「鴬和之美、粛粛雍
伝に「熟食曰し饗」。
「鰯鰯」と対応する虫の名としてここでは用いているように思われ
おまえが自信をもって相手と戦うのを私は敬う。
【試訳】
闘いを終えたあとの食事の用意をする。
おまえに勇士に与える酒杯で酒を飲ませ、
【試訳】
雍」。孔穎達の疏に「雍雍是和貌」。
ジガバチのように徒党を組むことはない。
る。
また、おまえが勇敢で仁の徳もあわせもっていることを愛する。
その交尾の際はやわらいだ鈴の音が聞こえてくる。
汝に飲ましむるに勇爵を以てし
獺婦驚残夢
十月入床下
葬叩を寄す哲籏氏に
獺婦残夢を鷲かす
十月床下に入り
十四
蝸触漸く饗をFる
寄語哲籏氏
牡鞠黒供することを休めよ
てきぞくし
汝に偶するに新牡を以てし
牡鞠休黛供
我は続ぐ蟆飯伝
在し戸、十月蝿蜂入二我淋下二・
○十月入床下「詩経」画風・七月に「七月在し野、八月在し字、九月
つ
字微声雍雍たり
我続蟆鈑伝
自ら笑ふ本より雛虫なるを
○勇爵勇士に与える酒杯。また、勇士に命ずる爵位。ここでは前者
の意か。「春秋左氏伝」襄公二十一年の伝に「荘公為一一勇爵二。
○蝸触蝸牛の左の角に国を構える触氏を指すか。「荘子」則陽に「有下
国二於蝸之左角一者上曰一一触氏一、有下国一一於蝸之右角一者上曰一一蛮氏一、
【語釈一
自笑本雛虫
よう暴きご
おまえを連れ合わせるのは「新牡」の待遇でするが、
雍牡饗爵
「弄蝉」のように人を刺すこともない。
=
【語釈一
 ̄
雍新Fi勇
+
字偶蝸飲
微汝触汝
声以漸以
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○獺婦なまけ女。また蟠蜂の異名でもある。陸機「毛詩草木鳥獣虫
う、「春秋左氏伝」の故事を踏まえた表現が目につくことが指摘でき
「闘い」をテーマにした作品であるという性格に由来するためであろ
王士頑(一六三四-一七一一)のことを「修飾を主として性情を主と
る。性霊説を主張した衰枚は「随園詩話」のなかで神韻説を主張した
○残夢明け方に見る夢。きれぎれの夢。
していない。どこかに行けば必ず詩を作り、その詩の中には必ず典故
里語云、趨織鳴獺婦驚。是也」。
○哲蕨氏周官の名。「天鳥」を除くことを挙る。ここには本来あとに
を用いているのを見ると、その喜怒哀楽の感情は真のものではない(巻
魚疏』の「蟠鉾」の項目に「楚人調一一之王孫一。幽州人謂一一之趨織一。
見える「牡鞠」を焚いて「竃躯」を除くことを掌る周官の「掴氏」
る批判であって典故の使用そのものを批判している訳ではない。「随園
三、二十九)」と批判しているが、それは性情を重視しないことに対す
○牡鞠牡輔に同じ。花の咲かない菊。焼いて灰にして撒くと、竃胆
詩話」の別の箇所では、典故を用いる時はあからさまな痕跡が残らな
の名が来るべきか。
を除くことが出来るという。「電題」は、カエルの類。「周礼」秋
いようにするのが大事であり、そのためには孜々として勉強すること
界を詠んだ作品である。三十韻という長編のため様々な角度から細か
くその世界を歌い上げている点に特色がある。典故の面から言えば、
の一つの実践と言えようか。
が必要なことを説いている(巻六、二十二)。典故を多用した本詩はそ
官・掴氏に「去二鼈胆一、焚一一牡繍一、以レ灰酒レ之則死」。
○蟆鈑伝宋の柳宗元の作品。「鎖鈑」は虫の名。物を背負うことを
好み、苦しんでもやめないという。
○雛虫詩文の字句を飾る。
【試訳一
十月になると床の下に入ってきて、
コオロギに暁の夢を驚かされる。
哲籏氏にことづてをする。
牡鞠を焼くことはやめよと。
私は柳宗元の「蛸飯伝」のあとを継ぎ、
コオロギを詠んだ詩を細工したまでのこと。
ロ
衰枚の「闘蟠蜂三十韻」は、詠物詩として正面から「闘蟠蜂」の世
付
Fly UP