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についての講義 1~ (翻訳第七回)

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についての講義 1~ (翻訳第七回)
広島工業大学研究紀要第2
4巻 (
9
9
0
)
ヤーコフ ・ヴァッカーナーゲ、ル著『統語論
0
についての講義 1~
(翻訳第七回)
酒 見 紀 成 *
(平成元年 9月 2
5日受理)
あるので,これを最初に置く。
XIX.
この問題にもう少し詳しく触れよう。我々は動詞を
動詞の人称形について語る時,古代の用語法が話の
形態的特徴によって定義する時,先ず「ある語が人称
糸口になる O ディオニューシオス・トラークスの小冊
語尾を持ってし、る時,それは動詞と呼ばれる」と言わ
o
σ
ω
πo
v とL、う表現が使われており,これ
子では πp
ねばならない。しかし本来の人称語尾を持たない動詞
はラテン語では t
e
r
s
o
仰と訳された。我々はその言葉
形も存在する。これは厳密に言えば単数の命令形に当
によって動詞の「人称」のことを言っているのだが,
てはまる。それらは時制の語幹だけでできており,例
必ずしもその術語にそれが本来持っていた意味を与え
e
y
e
r
e (pl
.Jの語幹の部分と同一であ
えば Uye は λ
ているわけではない。我々が「人称」と呼んでいるも
る。従ってそれらは形態から判断すれば,人称に関し
のは,ギリシア人がその文法用語を作った時代にはま
て中立である。これと関係があると思われるのは,特
po
σ
ω
πo
v によって表わされていなかった。この
だ π
にギリシアの劇作家の作品に現われ,
語は元来「かんばせ,おもて」を意味する。当時の舞
れてきた現象である。そこでは命令法二人称単数が不
v
n
O
K
p
r
r
,rc (俳優〕が
特定の第三者に対する命令にも用いられ得る。特に主
台用語の慣用では役者の仮面
しばしば観察さ
まとう人工の顔の名称であり,そこから役者が演じな
語のより詳しい特徴づけとして π
匂のような単数が
ければならない役をも表わす。これがアッティカ人の
存在する時にそれが起こる。例えば喜劇作者クラテ
語法であり,彼らはその用法を逸脱することはない。
1 の『オデユツセウス』断片 1
4
4 (コック 21
ィーノス 1
そこからようやく徐々に人が人生におレて演じる役割
編『喜劇作者Jl 1,5
8
) にu/y
的 v
v
v&
π
日 ch
euty&v
pou
ω
πo
v で表わす用法
を,つまり個人的な地位を π
「さあ誰でも沈黙を守りなさい」とあり
~Xe が
pou
ω
πo
v
が発達したのである。ラテン人は確かに π
i
;
xe
r
ω
,(3. s
g.Jの代わりに使われている。多数の類
を「顔」の意味ではなく,より新しいすべての意味に
例がアリストパネースに見出される。エウリーピデー
e
r
s
o
n
aと翻訳した。この語は元来「仮面 J を
おいて p
7
3の τ
I
C を持つ例 fτωτIC
スの『パツコスの信女Jl 1
意味し,恐らくエトルリア語に由来すると思われるが,
d
σ仰向λ
λe
31I
誰 か 行 っ て 申 し 上 げ て く れ Jも同様で
そのことは演劇がエトルリアからローマにもたらされ
ある O アイスキュロスにはこの命令形が空に向かつて
たので,一層理解できる。その後この「仮面Jという
言われているのが見出されるが,話し手は特定の人間
語に,これに対応するギリシア語が後の時代に持つこ
を意図しているわけではな L、。プラス,
とになる意味が与えられたのである。「演劇における
2,2
7
5を参照せよ。
学博物館Jl 6
e
r
s
o
仰は意味
役」と「人生における役割」を表わす t
r
ライン文献
またすべての動詞とすべての動詞語幹に三つの人称
e
r
上の借用語である。同じことは文法用語としての ρ
s
o
n
a についても言える。文法家が三つの πpou
ω
π
α,
e
r
s
o
担a
e について語る時,彼らが考えている
三つの t
形がすべて現われるとは限らない。一人称単数の命令
のは,ある人が語る時にとり得る三つの役である O
ろう
我々は一人称,二人称,三人称と言い,この順序に
形が欠けているのは当然のことであり,一人称複数の
命令形がどの程度使われ得るかは後で問題にされるだ
O
逆に例えばラテン語の「願わくは,我々は願う」
u
a
e
s
o
,q
仰e
s
u
m
u
sは一人称に限られ
を表わす挿入語 q
動詞形を並べるのが常である。この配列は分かりやす
ている。「願う」を表わす語が一人称に限られている
いが,自明のことではない。逆の順序がインド人の場
のは理解できょう。また時々〔活用形の〕欠如が全く
合に認められ,彼らは三人称が概念的に最も一般的て、
形態上の理由による場合がある O 例えばラテン人が
*広島工業大学外国文学語学教室
- 4
7ー
j
註t
u
rC
彼は言う〕の一人称単数形を作らなかったの
だ」に注意された L、。アッティカのギリシア語法にも類
は,一体にー音節の動詞形に対するある種の嫌悪感が
例がある。またある人が別の人に τ
i
c1
5
'oOrocfpxeal
支配的であったことと関係があり ,*
f
o
y
41I
私は言う J
I
そこにいる汝はどなたかな」という K 8
2 のような
には類似物がほとんどなかっただろう O
箇所にも注意されたし、。プラウトウスの『メナェクム
すると三つの人称はどこで区別され,その用法はど
ス兄弟.1 7
7
9u
t
e
rm
e
r
u
i
s
t
i
sc
u
l
p
a
m
?I
お前たち二人の
うなっているだろうか。(我々は差し当たり古典語だ
うちどっちが悪い事をしたんだいつ」を参照せよ。本
けに話を限定する。)先ず第一に,主語は動詞形にお
e
r
u
i
t と言うべきところであるが,呼びかけ
来なら m
いて人称語尾それ自体の中に与えられているが,同じ
であるので,二人称が使われており,またその呼びか
文中で動詞はなおどの程度まで特別な主語表現をとり
けが二人に向けられているので,複数になっている(こ
得るだろうか。これはいわゆる第三人称では難なく明
0
3頁で論じた複数のケースに属す
れは広義には先に 1
らかとなる。ここでは主語が文脈から明らかにならな
8
5n
e
u
t
e
radmei
r
e
t
i
sI
二人ともわしの所
る)。同書 7
L、時,動詞の概念が付与されている三人称のさらに詳
に来ないように」を参照。
しい表示として,主格の名詞か代名詞が動詞のそばに
我々が扱わなければならないもう一つの問題は,一
現われる現象が確かに存在する O その際アッティカ方
人称と二人称の動詞に,いわゆる人称代名詞がどの程
言は間接再帰代名詞の主格をも用いたという事に注意
度まで添えられるかである O 人称の概念が特に強調さ
を促そう。これは単数(t一女性形!)では稀にしか
れる場合,すぐにそれは別に人称代名詞を置くことに
σ
φe
i
c
) ではもっと多く現われる
現われないが,複数 (
よって表現されるということは自明のことである。 例
(同じ意味で必TOC の諸形態やラテン語の争犯の諸
えばリューシアース 126o
V
K仰の Ueo
t
πOKTeV
ゐ,叫λ
'
O T布gπ0λEωcVO
μ
,Oc I
お前を殺すのは私ではなく,
)
o
形態も〔使われる J
二つの一人称については二つの事を言わねばならな
この都市の法である」。これと多少似ているのは,話
い。先ず,三人称で主語が現われるように,その性質
しかける相手に,その話が彼に関係することを気づか
によっては一人称でも主語が比較的古いギリシア語で
せようとする時,命令法にとかく σ6が,特にラテン
認められないわけではないということである。一人称
語で仰が添えられることである。
の動詞に主語が,実詞的表現であれ,代名詞的表現で
しかし古代ギリシア語及びラテン語における代名詞
あれ,付加されることがある。最初のケースについて
の主格の使用はこれだけではない。先ずごく稀なもの
二重〔主語〕の例を挙げよう。トゥーキュデイデース
を〔挙げよう〕。イオーニア方言の散文では,へーロ
1, 1
3
7, 4にはテミストクレースが大王〔アルタク
ドトスの散文を読めば分かるが,条件を表わす前置文
ε
μ
t
σ
τOKλ骨g
セルクセース〕に宛てた手紙の冒頭に θ
の帰結文にはよく必が与えられ,そしてこの必に
恥ωπψ&σH私,テミストクレース,陛下に参す」
とかく代名詞の支えが与えられる。動詞が三人称で現
とある。同じくタキトウスは『年代記.1 X
II, 1
8でミ
われる時は,例えば b必と書かれており,それに応
i
t
h
r
i
d
a
t
e
ss
p
o
n
t
eadsumI
私,ミ
トリダーテースに M
じて一人称の時は e
y
ゐd
e と,二人称の時は σbδtと
トリダーテースが自ら参った」と言わせている。また
d
t
.I
I
I,68,1
7e
iμカ 必 均 Z
μかめv
なる。例えば H
特に,すでにホメーロス以来見出されるが,性を持つ
Y
I
VC
:
O
σKec,σbぬ π白帥 'ATOσσmπ oOevIもしそなた
代名詞の主格も同様に一人称と二人称の主語として現
自身スメルディスを見識っておらぬのなら,アトッサ
われる。例えば関係代名詞が一人称で表現された主語
から聞くがよ L、
J。その他ギリシア語とラテン語では
を受け,この関係代名詞が〔関係節の〕主語となる時,
自然、な話し方において代名詞が非常によく冗語的に付
動詞もまた一人称か二人称で現われるだろう。例えば
けられ,また半ば後僑辞として添えられる。後者は根
1466φO1VI1
μ
,ε
v,o
f
φ oyoμevOav日 TOVI
死を遁れた私達
底においては全く奇妙であるが,インド語に類例があ
l
'
707=753 dpvv
σ0
',o
i KCii
は … … と 思 わ れ た J, '
るので,恐らく祖語から受け継がれたものであろう O
TOOTOV必 OA
.OV7
C
s
l
pJ
f
σ
E
σOOV(
πelP時σ
E
σ
O
e
)
5
1Iさあ出て
帝政時代初期のローマの民衆語がこの点でどういう状
くれ,二人だけ,この競技をやってみようと L、う武士
態にあったかをぺトローニウスを引きながらマイヤー
は
」
- 48ー
早く主語の人称を知らせる必要を感じたのである O こ
b
r
i
σ
r
a
σ
,日1,M暗δ
1
3
1
日「メディアよ,あらん限りの知恵
g
oをもっ E
g
o
.
.
.
v
o
l
u
i
のような文頭の弱く発音される e
をしぼるのだ」。この点及びギリシア人とローマ人に
〔私は……を欲した〕から,例えばフランス語の,代
おけるその後の発達についてはレーオの「独自 J (
!
r
ゲ
ev
o
u
l
u
s が発達し
名詞が動詞に前僑辞的に接続した j
)9
4頁以下が大変
ッテインゲン学術協会論集Jl X, 5
f
こO
優れており,
J
.グリムの今しがた挙げた論文を引き
その点で近代の用法はどうなっているだろうか。現
8
1頁以下ですべての〔人
合いに出している。そこでは 2
代ギリシア語ではまだ人称代名詞の主格の,動詞のそ
称の〕表現法がゲルマン諸語全体にわたって追究され
ばでの使用は,実際標準的な古代ギリシア語で通例で
9
3頁以下で,ある時は一人称を用
ている。グリムは 2
あった所でしか起こらなし、。ここではそれ以上の発達
い,ある時は二人称を用いることを「私の独自」と「汝
は起きていないが,ロマンス諸諸では様々の段階の発
の独白」と呼び, Iこれらは第一段階の独自と第二段
達が起きている c イタリア語とルーマニア語はローマ
階の独自として区別することもできょう」と言う。ま
の民衆語と同じ状態にある。スペイン語とボルトガ、ル
d
uは i
c
h よりも強いので,第二段階の独自の方
た I
語はもっと進んでおり,現代フランス語は代名詞を置
が強いて、あろう」と。
くことしか知らない。近代高地ドイツ語も事情は本質
二人称に関しては,本当なら不特定の誰かによって
的に同じであるが,ここでは特定の場合に省略が可能
述べられるべき行為が周知のようにギリシア語やラテ
である。
ン語ではとかく話しかけられる人に帰せられ,それに
23e
v
O
'
応じて動詞も二人称で置かれる。例えば.12
次に人称形の本来の機能に移ろう。我々はそれを実
O
V
K包v s
p
i
(
o
v
r
臼 l
'
d
O
/
c'
A
y
吋l
e
μv
ov
臼 δ
i
o
vI
この折に
1
情に即して常に正確に考察するだろう。その際先に 4
2頁でグリムの『小論集Jl I
I
I,2
3
6頁以下に関連し
.
.
.
尊いアガメムノーンがねぼけ眼をしている所を見た者
て談話における人称の交替について詳述した事を思い
はなかったろう」。話しかけられているのは観念上の
出して頂きたい。そこで論じた二人称単数の代わりに
詩人の聴衆である君がその場に居合わせ
人であり, I
使われる尊敬を表わす一人称複数と関係があるのは,
たとしても,彼がねぼけ限をしている所を見なかった
人間の一般的活動についての一人称複数の使用であ
V
Ka
v
ろう」くらいの意味である。ホメーロスには O
φa
i
l
/c I
誰も言わないだろう」のような表現にもその
1
0
7頁参照)やオウィディウス『恋
る。例えば η307 (
のうた』皿
4, 17 nitimur i
nv
e
t
i
t
u
m semper
ような言い回しが時折見られる。彼はこのように希求
&
vと共に用いてい
c
u
p
i
m
u
s
q
u
en
e
g
a
t
aI
我々は L、つも禁じられたものを
法の二人称や未来時制の二人称を
3
5行も同様)。
得 ょ う と し 拒 ま れ た も の を 欲 し が る J(
る。後代の作者たちも同様であるが,彼らはただし非
Zubaty は『クーン雑誌Jl 4
0,4
8
3においてこれとリ
現実の過去をも用いる。一方ギリシア語の慣用に従え
人は見る J (
m
a
t
y
t
iI
見る」の
トアニア語の matem I
ば,そのような機能を直説法現在と直説法完了は持ち
一人称複数)を比較している。カェサルは『内乱記』
えない。話しかけられる者は実際動詞の概念の実行者
I
I,2
7,2で quaevolumus
,e
ac
r
e
d
i
m
u
sl
i
b
e
n
t
u,
<
olI
我
ではなく,単に仮定として生み出されるだけなので,
r
ガ
々は自分が欲するものを喜んで信じる j と言い, !
仮定を表わす動詞の形態が使われたのである。これに
I
I, 1
8, 6に f
e
r
el
i
b
e
n
t
e
rh
o
m
i
n
e
si
d
ノレリア戦記Jl I
対応する箇所でラテン語では接続法が,例えば
quodv
o
l
u
n
tc
r
e
d
u
n
tI
およそ人は自分の望みを勝手に
c
r
e
d
e
r
e
s
,d
i
c
e
r
e
sI
人は…・・と考えたて‘あろう, と言っ
信じてしまう」と書いている。一一ーまた独白にも注意
たであろう Jが認められる。この用法を『崇高につい
を喚起しておかねばならない。これはホメーロス以来
6章で見事に評価して
て
J
l7l の才気あふれる著者が第 2
文献に見られる。独白はすぐに一人称に移行し,ホメー
いる。それと並んで特に感覚の鋭敏な古代ギリシア精
8reu臼(J!拘
ロスでは v1
K
P
臼δ句「我慢しろ,心よ」
神の精通者,オランダ人コベットの観察にも注意を促
1 (メイディアー
そう。そこではデーモステネースの 2
以外は常にそうである。 後者の方法,つまり二人称の
ピデースが最初の使用者である。この人は(恐らくサ
l に反対する演説), 3
3か ら ゆ V &
P
XOVT
<
X 品 v同 v
ス8
n
a
r
a
c
n
c持K酬のce
l
n
n
cIもし人が当局の人を殴った
り,非難したりすればJが引き合いに出されている c
9を除いて)同じく二人称の動詞での荘
ツポーの断片 5
最良の写本にはこのように書かれているが,他の写本
重な自分への呼びかけを用いた最初の人でもある。例
)は π日racnτIC を持っ
(及び第二の書き手による L
動詞でする心や魂への呼びかけを用いるのはアルキロ
コス,1{歌,叙情詩であり,悲劇作者の中ではエウリー
え ば 『 メ デ ィ ア J l 401~ 2φεJδOV μ
ηd;
i
vi
n
v
ている O そしてコベット(!r本文批評論集Jl 5
0
5
)が
,
4
9
アツティカ人の流儀は恥ずべき行為をこのように二人
品
》φελOVncμe
r
.
ふ mur
f
/ce
K
O
I
μ
,時(
)
f
/
{1
今日私は美しし、
称で表わしそうすることでその行為を仮定的に話し
少年か美しい女性を見たが,誰か(=私)が彼女と一
かけられた者のせいにするのをとても嫌うと述べてい
)。全
緒に眠ることができたらなあとは思わなかった J
それ放コ
く同じように我々が実際には二人称を意図している
ベットはここではより劣った写本の異文の方が勝って
時,特におどしゃ警告を含む文において ncに出合う o
いると考える O ちなみにこの表現形式は多くの言語で
E.ブルーンの『ソポクレース』の補遺5
4頁を参照。
るのは尤もである。それは無作法であろう
O
独立して発生しており,バルト諸語及び特にロシア語
主語が文脈や付属する名詞か代名詞の主格から明ら
で頻出するその用法については Zubatyが『ケーン雑
かになるのは三人称の形態にとって普通のことである
誌~
4
0,4
8
0ー 1頁で論じている。
(或は少なくともそのように見える)。しかしまた特
ここでは知らない人を行為者と考える呼びかけの形
式が使われるが,逆に特定の人称表示の代わりに不特
定の主語やよく知られた主語が存在しないこともあ
る。我々は三つの場合を区別することができる。
1
. 任意の多数の人々によって行われる行為が述べ
定の人称表示を用いる現象も生じる O 近代の諸言語で
・・・・..
1
人々は」の意味で使用される三人称複
はフランス語ほどそれがよく起こる言語はなく,ある
られる時に,
人が自分について語る時も,他の誰かに話しかける時
数。ギリシア人とラテン人には実際この用法は「言う J
e
,t
u
,v
o
u
sの代わりに o
n をよく使う
もj
を意味する動詞でしか知られていなし、。すなわち「人
O
それにつ
・
・
・ ・
・
) がその有名な『フランス語大辞典』にお
いてリトレ 9
々は言う Jを表わす λe
y
o
v
σ1,d
z
c
u
n
tがそうで,不特
いて大変見事に論じてレる。この現象の出発点は人々
定多数の話し手が主語として考えられている。このよ
が自分を引っ込めようとすること,そして他の人に対
うな場合この表現形式は特に分かりやすい。現代ギリ
してもそれをするのは,やはりある種の遠慮に基づい
シア語でもこれは優勢であるように思われる(トウン
1頁参照 ο
) ところ
ているという事である O これはフランス諸に非常によ
フ\『近代ギリシア語便覧 ~2170-
く起こるが,フランス語だけではない。ヴンダリヒは
が新約聖書のギリシア語では全く異なる動詞のもとで
ゴットフリート
この意味の三人称複数が度々認められる。例えば『ル
(W 著作集~
ケラーの『寓意詩』から面白い箇所
7, 1
5頁)を挙げている O すなわち「彼
にはがまんできないからだ」一一「おや,なぜ人は彼
カ伝~ V
I,4
4(
σ
υ.
l
.
.
l
.e
y
o
v
U
IσV
K
α.
.
r
p
v
y
ゐσ1u
r
r
x
.
柳川v
1
1.、ちじくを取る……ぶどうを摘む J
) 等々。理由は明
にがまんできないのかね」。明らかに「なぜ、あなたは
らかである。不特定多数の行為を表わすための三人称
彼にがまんできないのかね」と言うべき所である。し
複数能動態の使用はセム語,殊にへブライ語とアラム
かし話し手はこの反感が一般的で,すべての人に共通
語の言語タイフ。に特有のものである。従ってここでも
であるかのように好意からそうするのである。ただし
我々は新約聖書の言,語のセム語的語法を見ることがで
グリムは『ドイツ語文法 JI
V, 2
2
1 (=2562) でこの
きるほ頁参照)。特徴的なのは,このような三人称
用法をやや違った風に理解している O 一一全く同様に
複数がウルフィラによるゴート語訳では常に三人称複
ギリシア語も三人称の動詞をもっ ncによる文を知っ
数能動態で訳されるとは限らず,例えば今挙げた箇所
ており,そこではある時は自分自身が,ある時は話し
では『ルカ伝~ V
I,44 l
i
s
仰向 s
m
a
k
k
a
n
s
t
r
u
d
a
n
d
a
ザa のように,彼は時折受動態で言い換える
w
e
i
n
a
b
a
かけられる者が意図される。前者は悲劇や喜劇によく
見られる。例えばソポクレースの『アイアース~
4
0
3
π01τ
I
C OVV φ
何台「さればいずこに逃れんか J
,そして
0
1
μo
.
A
.
a
Jν
μe
v
ω 「われはいずこに行き
そのすぐ後に π
ことがあるということである。ルターはこのような場
Iえ
合 man と三人称単数〔の動詞〕を当てており,仔J
>
m
a
n lieset~ と訳してい
は上述の箇所では二っとも }
て留まるべきか」。この箇所に注釈者たちは他の例証
る。これは何がある言語で生き続け,何があまり使わ
を多数挙げている O まさにこのような困惑と絶望の間
れていないかを示す特にはっきりした証言が翻訳から
L、かけにおいて人は自分の運命と行為についてはっき
1人々」の意味の三人称複数に関
得られる例である。 (
りと語ることを厭い,あたかも人間に総じて当てはま
するもっと一般的な事については Zubaty の論文,
『クーン雑誌~
る何かが問題になっているかのような態度をとるので
4
0,4
9
7頁以下を参照。)
ある O またこのような表現形式には他の動機も考えら
x
x
.
れる。例えばエピクテートス1I, 1
8, 1
5には恥ずべき
σ仰 ε
'
p
o
v
願望がそのような形式で述べられている (
Ka
.
A
.OV
ω
I
d
持
Ka
.
A
.キ
V
o
i
J
Ki
:
1
πov 必 r
o
ce
μ
,
ωτゐ
2
. 二番目の重要な用法は三人称単数の不定の意味
での使用であり,
- 5
0ー
しかもより古いラテン語やギリシア
語の法律用語の言い回しを先ず第ーに挙げねばならな
て能動態として「もしある人が何か立派なことを成し
L、。十二銅表の法律は我々にとって最古のラテン語の
遂げたならば」と解する方が良いだろう。さらにへ一
言語遺産の一つである。言語学こそ個々の古物研究者
ロドトスにも例がある。
の疑念に対して彼らのテクストが真に古代のものであ
この用法は古代の言語以外でも二つの条件の下で見
ることを証明できるのであり,この法律は我々が紀元
出される。先ず,定動詞が分詞によって支えられてい
前 5世紀のものと仮定しなければならないラテン語を
る時で,例えば偽のクセノポーン著『アテーナイ人の
ii
ni
u
sv
o
c
a
t
,n
ii
t
,
示している。ところでここに s
政体Jl 1, 10πoλλ a
Kl
c av αi
l
'
/
(
J
e
i
cT
O
V 'A(
J
l
'
/v
O
I
I
o
v
a
n
t
e
s
t
a
m
i
n
⑮10) I
もしある者が他のある者を裁判所に
δo
v
λo
ve
π&
r
a
c
e
vl
X
VI
アテーナイ人を奴隷だと思って
召喚し,その者が行かなければ,証人の召喚が行われ
なぐることがよく起こる」がそれである。また分詞と
るものとする」や s
in
o
x 古くなった属格!)βl
r
t
u
m
同様の働きをラテン語のゲ、ルンディウム〔動名詞〕が
f
a
x
i
tIもしある者が夜に盗みを働いたならば」のよう
することがある。例えばカェキリウス 13) の第 1
7
5行(リ
な文が見られる。最初の文では主語も目的語も,二番
i
露 v
i
v
e
n
d
o
ベック編『ローマの喜劇Jl375頁 ) に d
目の文では少なくとも主語が不特定のままにされてお
m
u
l
t
oq
u
a
en
o
nv
o
l
tv
i
d
e
tI
長く生きていると,見たく
り,従って任意のものがそれに当てはまると考えられ
な い も の を 沢 山 見 る 」 と あ り , こ れ を 7 ヌティウ
る。これは非常に奇異であるが,ラテン人自身はこの
i
uくq
u
i
s
>v
i
v
e
n
d
o と読もうとした。
ス14) は d
用法を承知していたし,その後の法律においてもこれ
次いで非常によく起こり,ギリシア人やラテン人の
を模倣している。ところが全く同じものが古いギリシ
散文全体に特有であるのは,不特定の主語をもっ不定
アの法律用語に現われ,言語使用地域の様々の所から
詞句に定動詞をもっ副文を,それも代名詞による主語
τIC 或は
(
a
l
i
)
q
u
i
sが添えられていない
例証される。私は有名なゴルテュンの法律の中の多数
の表示として
の例を指摘することで満足しよう O 例えばコリツツ一
定動詞をもっ副文を従属させる現象である o i
7
U
えばソ
991 V
I, 1) (
Jv
Y
O
I
T
p
i
プラス編『クレータ島の碑文Jl 4
ポクレースの『コローノスのオイディプースJl 1
2
2
5行
か みδ
ゐ「もしある者が自分の娘に(持参金を)与え
以下 T
Oグ,旬。 φ
αv
l
l
.向 V
O
I
IK
e
i(
J
e
vo
(
J
e
vπe
pr
i
K
ε
1
,
たならば」では,与える者の名前はどこにもな L、。か
π
o
λ vd
e
u
r
e
p
o
vゐc T
&
X
I
σTOI I
生まれたからには,来
って明敏な F
.スクッチュは十二銅表の文体と古代ギ
たところ,そこへ速かに赴くのが,次にいちばんよい
リシアの法律の文体との問の類似には,ローマ人の立
ことだ」がそれで,ここでは φ
αv
i
lと r
i
K
e
lにはっき
法のギリシア人のそれへの依存がはっきり表われてい
母v
ω
りした主語がないが,この不特定の主語は動詞 s
ると考えた。しかしそのような統語法上の表現形式は
から補うことができる。同じものはラテン人にも度々
恐らく借用不可能であろう。従ってその一致は継承に
.F.W.ミュラーがキケロー
見出され,それについて C
基づいており,ここには非常に古風なものがあるに違
6,5
9に付けた注て、最もうまく論じ
の『ラェリウスJl 1
いない。このことは古いギリシアの詩の文体に正にそ
3
8
6ー 7頁)。例えばタキトウスの『弁論家に
ている (
のようなものがあるという事によって見事に確認され
ついての対話Jl 5に q
U
t
・
de
s
tt
u
t
i
u
sq
ωm eam e
x
-
る。例えばホメーロス N 2870&
δeK
e
ve
v(
J
O
Ir
e
o
vy
e
)
ie
v
o
cK
O
I
iXe
l
p
O
l
cd
VOlτ
01こうした際に,君の勇気や
e
r
c
e
r
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r
t
eJ
坦,
q
仰
.
.
t
1
1
似 s
i
d
i
u
ma
m
i
c
i
s
,ゆema
l
i
e
n
i
s
..
.
jセ
r
a
tI
友人には保護を,疎遠である人には援助を与え
脅力をあなどる者は,けしてなかろう Jがそれである。
ることのできる技術を練習することほど安全なことが
これに注釈者は事実に即して正しく λ
ε
1
πe
lτ
O nc
あろうか」とあり,この f
e
r
a
tはしばしば修正された
I
TIC を抜かしている」と注記している O しかし我々
が1
5
)
,その正しさは何十もの例で証明されている。
o それ自体が任意の主語の行為
は 三 人 称 単 数 の ゐ01τ
を表わし得ると言わねばならない。 X 199 も同様 11)0
我々が我々の話し方の習慣を基準としようと思わな
ければ,この用法から,三人称単数は名前を挙げられ
へーシオドスにも同じものが見られ,例えば『労働と
た特定の人を指示しない,或は必ずしも指示するわけ
J291白押νδ,e
i
cおpovi
i
cl
'
/T
O/l I
(人が)頂上に
日々 I
ではなく,最も非個人的な表現形式であると L、
一 5
1ー
上に述べたことと関連して思い出して頂きたい。全く
「明るくなる」と言い,これに対応して例えばポリユ
同様に相手の意見を引き合いに出す際にキケローでは
ビオスは d
l
日〈向。σK
e
l を 持 っ て お り ,v
e
s
p
e
r
a
s
c
i
t
,
a
d
v
e
s
p
e
n
ぉc
i
tに当たるのが σuσK
1
O
l
l
;
e
lI
夕方になる,
e
tr
暑 L、
J(ペト
暗くなる j である。さらに例えば ωl
i
n
q
u
i
tが,割と後のギリシア人では φησJが使われた
ことも〔想起されたしつ。(シュヴァイクホイザーによ
るエピクテートス 1, 4, 9の注,ベントリによるホ
ローニウス)も同様であるが,プラウトウスは
ラーティウスの『随想詩Jl 1, 4,7
9の注,キーケル
ランド語の s
e
g
i
rI
ある者は言う」等々についてはグ
c
a
l
e
t
u
r を用いている。さらに古典期以後の g
e
l
a
tr
凍
る」や r
o
r
a
tI
露が降りる J
,或はギリシア語では(例
えばトゥーキュデイデース N ,5
2, 1)~.σεzσεv r
地
リムの『ドイツ語文法Jl N , 2
65 (=2311) 参照。
震が起こった」がある O
1, 184-5頁参照。)古アイス
スの論文『グロッタJl 1
0,1
4
1及
一一この型全体をペデ、ルセンが「クーン雑誌Jl4
従って繰り返し起こる自然現象が単に動詞的表現だ
び1
72-3でスラヴ語,フィンランド語等の証拠をも
けで表わされる多数の表現が存在するのである。とこ
ubaty は『クーン雑誌Jl4
0,4
7
8以
使って論じており, Z
ろが専ら特定の自然現象の表示だけに限られるこれら
下でもっと適切かつ豊富に論じている。
の動詞の表現においでさえも,主語との結合も至る所
3
. 次に我々は有名な問題,非人称動詞すなわち三
で現われることが知られている。殊に天候の動詞の場
人称単数の非個人的用法の問題に逢着する。「非人称」
合は例えば神も主導者として挙げられたということ
(
1
m
ρ
,e
r
s
o
仰l
e
) とL、う表現はラテン語の文法家達に由
m
p
e
r
s
o
仰t
i
v
u
sで
,
っている。これと類似した表現は 1
が大きな関心をかきたてた。特にギリシア人は非人称
:
r
p伺 τ
e
lI
稲光りがする J
,
s
p
o
v
τar雷が鳴る」と言
で合σ
これは確かに二三の人によって不定請にも適用され
っただけて、なく,すでにホメーロスが ZI
'
/V
O
cspov
:
r
時
た。非人称動詞をもっ文は近代の学問〔言語学〕にお
「ゼウスのいかずち Jや L
11
O
Cμe
yO
l
λ0/0 K
e
p
C
i
l
i
v
o
cI
ゼ
いて非常に沢山扱われてきた。我々の言語とその同系
evc
ウ ス 大 神 の い か ず ち 」 に つ い て 語 る よ う に ,Z
の諸言語に関しては,特にグリムの『ドイツ語文法』
e
s
p
o
v
τ
n
σe
,a
σ:
r
pO
l
πT
:
e
l
, d
er
ゼウスがし、かずちをとど
N ,2
2
7(
=
2
2
6
2
) 頁以下及びデールブリュクの『比
ろかせた,稲光を出す,雨を降らせ続けた」とも言っ
I
I,2
3頁以下を参照されたし、。最も優れた
較統語論Jl I
ており,雷や稲妻を最高の神の所有物とみなしている o
専攻論文と言えるのは,前に 2頁で言及したスラヴ語
I
i1
03行以下を参照せよ。そこでは女中が聞いたばか
学 者 ミ ク ロ ー ズ ィ ヒ の 本 『 無 主 語 文 J l (ヴィーン
りの雷にゼウスの表れを見,それによってゼウスへの
1
1
8
6
52
1
8
8
3
) と,もう一つは数年前に出たゲ、ルマン
u
p
i
t
e
r
祈りへと誘発される。同じくローマ人も ]
3,2
5
3頁以
語学者ジィープスの論文『クーン雑誌Jl 4
忽u
r
a
tI
ユーピテルが稲妻を放っJ
,]
o
v
ef
u
l
g
e
n
t
e
fu
下である。
「ユーピテルが光を放っと」と言うことがある。アゥ
まず非人称動詞と L、う特別な部類について論じ,そ
u
p
i
t
e
rt
o
仰n
sI
雷の神ユーピ
グストウス帝時代には ]
れを手がかりとして提出されている説を検討するのが
テル」の崇拝があった。そしてエトルリア人の風習に
最も適当だと思われる。まず自然現象の表示に使われ
従ってローマ人の間て、行われていた稲妻による埋葬で
るものを選ぼう。この種の主語のない文はほとんど全
u
l
g
u
rd
i
v
u
刑「神の雷光」と呼ばれる。
は,稲妻は f
地球上に広がっており,とにかく全く異なる,互いに
それどころかこの話にはまだ先があり,ヴィッソー
関係のない諸言語に現われる。従って例えばラテン人
6)の『ローマ人の宗教Jl2
ヴ7 1
1
2
2頁は雷光を放つユー
がρ
l
u
i
tI
雨が降る」と言うように,ギリシア人もおt
ピテルの崇拝に言及しているが,そこではユーピテル
(後には s
p
e
x
e
l
) と言う。同じく「雨が降る」を表わ
が稲妻と完全に同一視されている。同様に 5世紀の 7
V, 2,2
8
8
)
す語はインド語やドイツ語でも三人称単数で生じる
ンテイネイアの碑文(~ギリシアの碑文Jl
i
n
g
(
u
)
i
t
:
が,セム諸語でも同様である。さらに n
には L
11
O
CK
e
p
α仰の「ゼウスの稲妻」とある。ウーゼ
v
e
i
c
t
e
l
:e
ss
c
h
n
e
i
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雪が降る J
, 或 は ル1
9
u
r
a
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,ル 1
g
e
t
,
f
u
l
m
i
n
a
t
:e
sb
l
i
t
z
tr
稲光がする J
,t
o
仰t
:ßpovr:~' e
s
雷がなる」。またワノレローはある時 s
i
d
o
n
n
e
r
tr
担u
b
i
l
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r
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o
e
p
e
r
i
tIもし曇り始めたら」と書いたが,
それに反してカトーは受動態の n
u
b
i
勿b
i
t
u
r を用いて
いる。これに対応するのがアリストパネースの断片 4
6
とl
i
v
v
e
v
o
φeI
曇った」である。ラテン人はまた l
詑c
e
s
c
i
t
0, 1頁 以 下 ( =
ナー 17) は『ライン文献学博物館Jl 6
- 5
2
「小論集Jl
4,4
7
1以下)でそこから宗教史的な結論
を導き出している O また最高の神の降らす雨が直接表
現されるのが見られる。マールクス・アウレーリウ
5ovduovi
nゅI
A
e
ス18) はその著『自省録Jl V, 7で σ
ZeuI
雨を降らせて下さい,雨を降らせて下さい,ゼ
ウス様」という古くからアテーナイで行われていた祈
t
o
加 t
d
eJ
o
v
es
o
l
oi
n
t
e
l
l
e
g
i
m
u
sI
稲光がする」や「雷が
りに言及している。へーロドトスにもこの語法がある O
また見事な類例をアリストパネースが『鳥.1 1
5
0
1に持
なる」を我々はユーピテルによってのみ理解する」と
っており, I
ゼウスは何をやっているかね」という聞
説明している。しかしこれは証明できなし、。我々が省
π日l
f
J
p
l
O
l
(
e
l'
l
"
a
cv
e
φ
t
λ官官持
いに対して,そこでは &
略を考えることができるのは,より完全な表現がそれ
c
v
v
v
e
φe
lI
むら雲を払い去っているか,それとも雲を
寄 せ て い る か 」 と 言 わ れ て い る 。 最 後 に o(
}
e
o
c
!
i
a
e
l
σe
vI
神が地震を起こした」とも言われ得たこと
称の用法は正しく神の名前を主語にもつ用法と同じく
がよく知られているが,そこでは恐らくポセイドーン
spovτ
&
v,hzv においては後者〔の形成〕だけを提供
が動作主として考えられている。特に恰好の例をアリ
するが,彼はまさに詩人としてそうしているのであり,
ストパネースが『アカルナイ人.1510及び「女の平和』
彼があけぼのを人として把えるのと軌をーにしてい
以前に証明されている場合だけである。ところが非人
σ
,
τP
O
l
π'
l
"
EI
V,
らい古いものである。ホメーロスは a
1
1
4
2において見せる 19)0
る。我々にはこのような,動作主を問わないで出来事
しかしそれだけが天候の動詞に主語を添える形式で
それ自体を述べることで満足する把握に対して,宗教
はない。 例えば〔自然〕現象が結びついている自然、或
的な把握の方が古いと仮定する権利はない。こう言っ
は時間の一部が主語の役をすることがある。 例 え ば
たからと言って,二・三の事例で,例えば『創世記』
ル信仰 t
ec
a
e
あ「空が稲光を発すると j,v
e
s
p
e
r
a
s
α担 t
e
1
9,2
4K
I
J
P
I
O
C!
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同 K
v
p
I
o
v
e
K
空が暗くなると j,ωe
l
u
mρl
u
i
tI
天が雨を降ら
c
a
e
l
oI
せる j,
d
i
e
si
l
l
u
c
e
s
c
i
tI
昼が明るくなり出す」。或はまた
τo
vo
o
p
a
v
o
vI
主は硫黄と火とを主の所すなわち天か
物質的な内容や出来事自体が名詞形で動詞に添えられ
7,2
9!
i
s
p
e
c
e
v(
}
e
i
o
vK
a
iπv
p(
対格)1天
る『ルカ伝.11
ら降らせた j (へブライ語からの逐語訳)の模写であ
derWindw
e
h
t
,d
e
rR
e
g
e
nr
e
g
n
e
t
。
,アリストノξネー
る一-
から火と硫黄とが降ってきた」のように,非人称表現
スは『雲.1 580で 見 事 に 雲 に 持 Y
O
I
p hnce
c
o
d
o
c,
が神の名前と結びついた表現の代わりになったという
τ
0
τ
'持 s
pOV'
l
"
Wμ
,
εv持 I
f
/
e
K
O
I
(
o
μ
,e
v IとL、うのは,外国
事を否定するものではない。一ーさらに我々がドイツ
へ軍隊を出すような場合,雷を鳴らすとか,雨を降ら
語やフランス語で確かにこの種の主語のない文を使わ
すとか L、うことを我々はするのです」と言わせている O
sr
e
g
n
e
t
,i
lP
l
e
u
tと言うと L、う事が時折証拠とし
ず ,e
これらの動詞の多くが p
o
c
u
l
ar
o
r
a
n
tI
杯が露にぬ
て出された。(この支柱としての代名詞についてはブ
れる」等のように比再発的な意味て、現われるのは別問題
ルークマンの『ザクセン学術協会紀要・文献ー歴史学
である。
9, V, 1頁以下が優れている。)しかしこの
部門.1 6
中性の代名詞が二次的なものであることは確実であ
従ってこれらのすべての動詞には一方では主語のな
い用法が,他方では実際の主語との様々な結合が存在
り,ゴート語や古ノルド語はラテン語ほどそれを用い
する。そして論理的な判断は主語と述語がなければ不
ない。
可能であるから,論理学者たちはこのような主語のな
ボップ及びその他の人々は Eσn の
い文は根本において考えられないものだと思った。哲
はこれから音韻的に発生したもので,ラテン語とドイ
第三に比較文法の形態分析が利用された。
n一φ
1
/a
Iの σ
t
tはこれと関係があるーが三人称単数の始原
学者達に続いてパウルもその『言語史原理」において,
ツ語の
これらのすべての文には主語を補って考えなければな
的な語尾であり,これは冠詞ゆと密接な関係がある,
らないと要求した。しかし言語現象の判定にはそれ〔論
従って三人称単数の形態はそれ自身の中に主語の表現
理〕と共に異質の要因が持ち込まれる。〔従って〕我
を含んでいると主張する。しかしこれもまた根拠がな
々は言語に存在するものに頼らなければならない。そ
いことが明らかになる。先ず語尾
こで次のことが問題となる。我々が動詞形だけしか持
っている三人称単数の諸形態の一部にしか見出きれな
っていない所でも,言語上の表現において主語に関し
e
lや v
E
I
<
ゆe
lが -n を含んでいたという
い。だから o
τ
1,tは問題にな
σ
τ
Jの
ことは全くあり得ない。さらに t
て指摘できるものがあるか否かである。この点で三種
n が代名詞
間或は材料の表示を落とすにせよ,一種の省略に基づ
τ
0 と関係があるというのは勝手な仮定である。それ
a
τIC I
信頼 j,φO
I
'
l
"
I
CI
言説j,s
i
t
i
sI
喉の渇き j,
が πI
f
a
t
i
sI
疲れj (~仰 tim I
十分に」は本来「疲れるまで」
U
えば E
σe
l
a
e
vは !
i
a
e
l
a
e
vo(
}
e
o
cの
くと言われた。i7
の意)のような動詞派生抽象名詞に存在する
短縮されたものと思われるかも知れな L、。すでにプリ
関係があるというのは大いにあり得ることであり,ず
スキアーヌス XVII,60 (
p
.144,11) は ルl
m
i
n
a
te
t
っと可能性が大きい。一一先入観を捨てて問題に向か
類の発言がなされている O 先ず,主語のない用法は,
動作主たる神の表示を抜かすにせよ,天候の現象の空
5
3
τIC
と
同様にずっと後世の著者ウェナンティウス・フォルト
うと,主語のことを考えずに出来事が無造作にこの形
式で表わされ得たことを認める所へ戻される。そして
o
r
r
ω
, と並んで非人称の h
o
r
r
e
t
ウーナートウス 22) は h
1
3頁で三人称単数の用法について確認さ
これは先に 1
を用いている。また d
o
l
e
r
eI
苦しむ」にはプラウトウ
ゐμω 「思う」
ス以来両方の用法が並存している。動詞 o
れたこととぴったり一致する O
は『オデュツセウス』でー箇所非人称として構成され
天候の表現だけが唯一の非人称動詞ではない。殊に
i
g
e
tI
不快にする J
.p
u
d
e
tI
恥ずかし
ラテン語では P
i
ε
,
τ
ω 「私には予感がする J
)。近
ている (τ312μ00o
L、
J
.p
a
e
n
i
t
e
tI
不快にする J
.m
i
s
e
r
e
tI
同情する」の
代になるとむしろ人称的になる傾向が部分的に存在
ような,小学生が習う表現やその外,感情を表わした
h
i
n
k
し,それは英語について確認された。例えば 1t
り我々の心に抑えがたく浮かぶ考えを表わす表現に使
はドイツ語の e
sd
u
n
k
tmich に • i
fy
o
up
l
e
a
s
eはラテ
われる動詞がそれに加えられる。その際ここでもやは
ン語の p
l
a
αt に対応する。
り,異なる仕方ではあるが,非人称表現と並んで人称
ol
o
n
gが属するゲ、ルマン語派においてこのよ
英語の t
ドイツ語の v
e
r
l
a
n
g
e
nや
表現も見出されると L、う事を先ず言わねばならな L
。
、
うな観察が特に広範囲になされ得る。しかし二つの用
すでに古代ラテン語の ρ
u
d
e
t
,p
a
e
n
i
t
e
t
,m
i
s
e
r
e
tでは感
法のいずれにも絶対的な優位を主張することはでき
i
b
e
tI
気に入
情を抱く者が主語として表現される。 l
ず,むしろ優位の交替が永久に続くことだろう O 民族
るJ
.t
a
e
d
e
tI
嫌になる」には l
i
b
e
n
sI
喜ばし L、
J(
こ
心理学にとって啓発的であるのは,ロシア語はドイツ
れは独立奪格の構文にその分詞的な性質の実を示す)
語よりもこのような非人称動詞を多く持っており,
e
r
t
a
e
s
u
sI
あきあきしている」が想起されねばな
とp
イツ語はフランス語よりも多く,英語はもはや全く持
らないが,これらは動詞の人称的用法を前提とする表
っていないというパイイの確認である
現である。またそれと並んでこれらの動詞は喜びゃ嫌
念論文集~. 1
1頁)。
ド
(
Wブヴィエ記
悪の念を起こさせるものが主語として置かれるように
我々が一般に個人的な行為として把えるものを,む
も使うことができる。しかしここでも非人称の用法を
しろ人格を持たない出来事として表わす現象が,原始
より新しいものと解する理由はな L、。むしろある種の
的とみなされる諸言語に特有であるという事に注目し
感情や思考を表わす動詞には,すべての言語で二重の
て頂きた L、。例えばグリーンランド人は我々が「私は
表現がよく用いられると言わねばならない。我々が人
私に聞こえて来る」と L、う表現
聞く J と言う所で. r
3
5
f
.1
4
)。彼らが
称的用法を持つか非人称的用法を持つかは,どちらの
を使用する(フインク『主要な型~
把え方が優位を占めるかによって決まる。後者は意志
そう言うのはそもそも正しいのである。
の関与なしに,すなわち我々自身が感情や思考の主唱
XX
I
.
者かつ創作者ではないのに,感情が我々を襲ったり,
.
.
.
思考が流れ込んだりすると L、う意識に由来する O 最も
非人称動詞の第三の範時は概して必然性,義務,能
外面的な感情だけを挙げれば,我々はドイツ語でたh
力,出来事や存在を表わす動詞から成り,その際例え
f
r
i
e
r
e
:e
sf
r
i
e
r
t mich
,m
ichf
r
i
e
r
tI
私 は 寒 L、J;
i
c
h
;
t
eU7
:
l I
可能である J
.o
p
u
se
s
tI
当然である J
.
ば E
du
γ'
St
e
: mich d
u
r
s
t
e
tI
私 は 喉 が 渇 い て い る J;
i
c
h
n
e
c
e
s
s
ee
s
tr
必然的である」といった存在の動詞と組
s
c
h
a
u
d
e
r
e
: mich s
c
h
a
u
d
e
r
tI
私は身ぶるいがする J;
み合わされた表現も考慮の対象になる。そのような必
i
c
hv
e
r
l
a
n
g
e
:e
sv
e
r
l
a
n
g
tmich I
私は が欲しし、 J;
e
s
然性,義務及び必要の表現として例えばギリシア語で
け i
c
hahne I
私は予感がす
a
h
n
tmir(
e
ss
c
h
w
a
n
tmi
は XP時と δdの二つの動詞を挙げることができるが,
るJ;
i
c
hd仰
,k
e
:e
sd
u
n
k
tmichI
私には と思われる」
これらこそそのような非人称表現が如何に様々な源か
(=esd
e
n
k
ti
nm
i
r
:ニーチェ)と言う。ところでラ
ら生じているかを示してくれる o XP
暗は元来名詞で
テン諮ではこの種の動詞概念の場合,人称的用法と非
あり,名詞としては一つの形態でしか保持されていな
人称的用法とが相並んで生じるのを最も広範囲に観察
1頁)0 しかし δd に関しては,その非人称
い(上記 7
することができる。例えば v
e
r
e
r
zI
恐れる」は普通は
動詞への転化が我々の目の前で起こる。ホメーロス全
人称動詞であるが,キケローの『至善至悪論~ I
I
.3
9
.
e
i は 一 回 し か (1
.3
37)現われない(ちなみ
体で d
同じくアッキウス 20) やパークウィウス 211 もそれを非
にピンダロスにも一回のみ一一『オリュムピア頚歌』
u
o
s 担o
ne
s
t
人称的に用いている。キケローには q
V
I
.2
8
)。そして例の少なさが理由もなく修正の試み
ρt
a
t
esummumbonump
o
n
e
r
eI
楽しみ
v
e
r
i
t
u
mi
nv
o
l
u
を引き起こした。しかし 5世紀以来それはますますよ
を最高の善だと思うことを恐れなかった人々」とある O
く起こるようになり,ついに x
ρ唱をほとんど定全に
5
4
排除する。この δεI は動詞必ω I"~を欠く」の,ア
三日目である」が出てくる。
イオリス方言では δE Íiω の三人称単数で,本来I"~
後期のラテン語から,ロマンス諸語へ与えた影響の
から遠く離れている,ある事で劣っている」を意味す
故に我々の関心を集める例を挙げることができる。「皇
る。アッティカ方言ではまだ非人称的用法と並んで人
V
I
I
I, 1) に
帝史j]27) の 中 の タ キ ト ウ ス 帝 の 伝 記 (
称的用法が見られ, 1
7
1
]えば人称的に πoλλou必ω 「
私
h
a
b
e
ti
nb
i
b
l
i
o
t
h
e
c
aU
l
p
i
al
i
b
r
u
me
l
e
p
h
a
n
t
i
n
u
m と書
はこれこれの事でずっと劣っている」とも,非人称的
いてあるのを読むが,これは逐語的に「ウルピウス帝
に π0).λouμEδei とも言うことができる。それと並
の図書館には象牙の本を持っている(=本がある)J
ん で 必oμω 「望む,必要とする,頼む」が現われ,
と訳すことができる o h
a
b
e
tはフランス語の i
lya と
これもまた稀に非人称的に使われることに注目すべき
全く同じく非人称で使われている。同様に例えば『エ
である O 先ず第一にソポクレースの『コローノスのオ
3, 2の,一群の新しいラテン語法を含
テリア巡礼j] 2
イデ、イフ。ースj] 570とプラトーンの『メノーンj] 79C
n
d
eads
a
n
c
t
a
m Teclam h
a
b
e
b
a
td
ec
i
v
i
t
a
t
e
む文に i
D) がそうであり 23) それ以外にも近代になって
f
o
r
s
i
t
a
nm
i
l
l
eq
u
i
n
g
e
n
t
o
sp
a
s
s
u
s1"その町から神聖なテ
へーローンダースの短長格の詩 VI,41から例が出てき
クラの教会までまだ約 1マイル半あった」とある。グ
(
と
e
d
町均時の用法の類似した二重性
た24)0 ドイツ語の b
2
0(
=
2
2
6
6
) 及びペデ
リムの『ドイツ語文法j] N,2
を参照されたい。
0,1
3
7を参照せよ c
ルセンの論文『クーン雑誌j] 4
最後に確認されたこと,すなわち人称的用法が容易
ギリシア語とラテン語の動詞の人称語尾によって,
に非人称に急、変することと見事に並行する例をラテン
/
(}WIC と呼
人称と数の外に,ギリシアの文法家がみo
語が提供する。 o
p
o
r
t
e
t
,d
e
c
e
t
,d
e
d
e
c
e
tのような義務を
び,ラテン人が態 (
g
e
n
u
sv
e
r
b
i
) と呼んだものも表わ
表わす古い表現に対して,以前は専ら人称的に「義務
される。これは近代の諸言語も,人称語尾以外の手段
e
b
e
r
e が後に現
がある」の意味で使われていた動詞 d
によってではあるが,表現しようと骨折っているもの
e
b
e
t 1"それが義務である」の
われ,今や非人称的に d
である O
意味で使われる(レーヴステットの『エテリア巡礼』
4
5
)。中期英語の非人称の must と ought を参照され
f
こL、
2
5
)
0
先ず私は我々の言語のすべてにおいて児出される区
別,すなわち能動態と受動態の区別について語らねば
ならなし、。我々の言語慣用とそれによって条件づけら
次は可能性の表現である O ラテン語の l
i
c
e
t1"自由で
れた語感にとっては,能動態と受動態だけしか態とし
ある,できる」はその語源を確定することはできない
て考慮の対象にならず,しかも能動態は動詞の正規の,
が,すでにオスク語に例がある。それからここでも後
単一の表現形式と見なされるが,受動態は対応する能
の発展形態として元来人材、動詞であったものの非人称
動的表現の言わば二次的な裏返し,せいぜい能動態の
的用法に出合う。本来「ある物を制している J を意味
表現を補うものとして歓迎される付属品と見なされる
する p
o
s
s
e について,すでに古代ラテン語は p
o
t
i
s
とL、う意味で問題にされる。大ていの近代語はそうい
e
s
t
,p
o
t
e
s
t1"可能である」を持っている。 似たtI可能性
う状態にある O ただし受動態の表現を形成するため,
がある」はもっと後の作家達の例証をもっ。
ある言語ではこの手段が,別の言語ではあの手段が使
〔古典期〕以後のギリシア語とラテン語からま
われるという事はある。大てい助動詞,特に「ある J
だ二・三の例を挙げねばならな L、。ギリシア語の動
や「なる」のような動詞,デンマーク語では例えば「留
詞 &
πeXEIV はなかでも「離れている,取り除いてい
まる JとL、う動詞による迂言法に出合う。しかしもっ
る」を意味し,そこからI"~について了解済みである」
と自由な展望を持ってさらに遡れば,事情は幾らか違
とLづ意味が生じる。福音書の r
o
v
μ IU(}OV白
ってくる。北欧諸語では受動態の意味が特別な動詞形
eXEl "
1
彼
はその報いを受けてしまっている」という有名な言い
の代わりに,能動態に s
i
k 1"自分」から生じた
πeXEI も『マ
回しもここに入る O ところで非人称の &
は
ルコ伝j] 14,41に「その件は話がついている Jの意味
からはすでに遠く離れている。しかしゲルマン語の最
で現われることは注目すべきである爪一一新約聖書
古の文化遺産であるゴート語まで遡れば,過去時制で
からもう少し挙げよう。アッティカ人は
&YEIV
均v
eop
τ
q
v1"祭を祝う」とかみEIV r
力v加epav 1"これこれ
或
は再び我々の方法と同様の迂言的表現に出合うが,そ
れ以外は固有の動詞語尾を持つ特別な受動態の形態に
r
ルカ伝j] 2
4, 2
1には非人
7
1]ぇば aYIO
/
(
E
r
臼 1 1"崇められる」は
出くわす。 1
rpIT
I
'
/V m I
ir
l
'
/v 和初αV&YEI 1"今日が
gaweihadaによって訳される。これに対応する形態は
の日を過ごす」と言うが,
称 の みEI を持つ
S
z を付ける事によって得られるので,我々の方法
5
5-
希求法現在にもある。従ってここでは受動態において,
ち,現在時制の π時y
ν
u
μ
t に対応する
能動態形の付属品のようなものではなく,能動態と並
ので,アレクサンドレイア時代の学者達によって本来
行する語尾が見出されるのである。
の能動態から締め出されたのであろう
ラテン語でも同様である O しかしここではさらに特
を作っていた
O
しかしディオ
ニューシオスによって中動態に引き入れられたもう一
異なものが加わり,能動態形と受動態形と並んで,受
つの完了形について言えば,アッティカ人は
動態の語尾を持つてはいるが,意味は受動態ではない
δl
e
φ(
J
o
ρ臼を他動詞として用いるが,イオーニア人や
動詞が多数存在ししかも受動態の意味に割と近いも
古典期以後の時代のギリシア人は自動詞として用いて
死ぬ」や orior 1
立ち上がる」の
の,例えば morior 1
いる O 他動詞の完了形としては 5世紀にはやり出した
ような自動詞だけでなく,明白な他動詞も四つの活用
o
l
e
φ(
J
apK
α が彼らの役に立ったからである。他の動詞
すべてに存在する。この範鴎はすて、に古代の学者達を
についても同様のことが起きた。
手こずらせている。それが型にきちんと納まらなかっ
この記述に従うならば,確かにアオリスト時制には
f
I
O
!
T
o,eyp&
仰が存在す
三種類の形態 eyp叫 fev,eYP&I
たからである O 彼らはそれらの動詞を deponentia と
,
J
(
ε
TIK& 1
受動態の
呼び,後にこれをギリシア人はおro
るが(未来時制も同様),残りの時制では中動態と受
意味を捨てた動詞」と翻訳した。しかしこれはナンセ
動態を表わす一種類の形態だけがこれらの時制〔アオ
ンスだと思われる。ではそれは如何に説明すべきであ
リストと未来〕の中間的で受動的な形態に相当すると
ろうか。
いう事が今や明白である。
再び一歩遡り,ギリシア語を見れば,表現形式が一
では我々はこの三幅対に対してどう L、う態度をとれ
層多様になるが,我々はますます問題の根源に近づく。
ばよいだろうか。もっと過去に遡って,印欧諸語の最
だからこれまで以上にギリシア語を根拠に用い,そこ
古の段階を調べれば,本当は大事なのは中動態と能動
から出発しなければならないだろう
そうすればギリ
態の区別であり,受動態は少し遅れて現われ,形成さ
シア語以外の態の意味も一層明瞭になるだろう。今し
れたものに過ぎないという事が明らかとなる。ギリシ
J
ε
σI
C という表現を引用したギリシア人の理
がた δI&(
ア語が根本においては固有の受動態の形態を全く持っ
O
論自体が話の糸口になる。ディオニューシオス
ラークスの文法の 1
3
章で「三つの
ト
ておらず,受動態の機能のために一部は中動態と同じ
o
l
C
x
(
J
e
σ
εI
C が存在す
形態が,一部は能動態の,最初は現在と完了の,最後
.evepyel
日「行動 j,
2
.
π&(
J
oc 1
被ること j,
るO すなわち 1
はアオリストの,特別な能動態の形態がつかわれたと
3
.
μ
ε
σ
O
T
1
/C
j と教えられる O そして μ
E
σ
d
τ1
/c の特徴
いう点で,ギリシア語についてはまだこのことが確認
として,ある時は活動を,ある時は受ける事を表わす
できる。次に我々が能動態と中動態を最初に存在した
(
n
r
T
ω 「打つ」
と述べられる。 evepye胞 の 例 と し て は τ
ものとして基礎づけるや否や,ラテン語だけでなくギ
(
J
oc の例には τ
6
π
τ
o
μ
ω 「打たれる」が挙げら
が
, π&
リシア語にも多数認められるいわゆる能動形欠如動詞
れる。 μ
ε
σ
0
τ1
/c 1
中動態」の例としては一方では
の存在も明らかになる。我々は次のような動詞が存在
π
t
π1
/ya ["突き刺さっている」と δ
l
e
φ(
J
opa ["正気を失
すると言うだろう。
っ て い る 」 が , 他 方 で は 白Ol1/U伊 p と eyp臼V仰 ηv
1
. 能動態と中動態の屈折を持ち,ひょっとすると
が挙げてある。先ず第ーに,ここで発言している語学
中動態の形が受動態の意味を持つことがある,例えば
者達が態に関してすでに我々と同じ立場を取っている
φepωφtρoμ回t
2
. 能動態でだけ現われる動詞,例えば K
λ
6
ω,
ことは明らかである O 彼らにとっても主な区別は能動
σTeixω,σTIAβ
ω,φeuyω
態と受動態の対立にある O この型に入らないものは怠
3
. 中 動 態 だ け の 動 詞 , 例 え ば 仰α1, Ke初日1,
惰に起因する μ
E
σ
6
τ1
/c["中間にあるもの」と Lづ 用 語
で片付けられる O その際彼らが中動態のアオリストだ
veo
μ日t
/y
臼「私
けでなく,すでにホメーロスに見られる dπ1
そして中動態だけの動詞の数は能動態だけの動詞の
はぐらつかな L、」のような,動詞自体は他動詞である
数より多 L、。従って能動形欠如動詞とは能動態の屈折
が,第二完了と我々が呼ぶ自動詞的な完了をも
に助けてもらえない中動態に他ならな L、。そこで我々
μ
E
σOT1
/C に引き寄せているという点で,我々と古代
の課題は能動形欠如動詞の中に中動態の意味の契機を
の文法家達の用語法に多少のずれが生じるという事に
発見することになろう。
この π
t
π1
/y
α はヘレニズム時代のギ
真に科学的な観察の基礎を置いた後は,先ずギリシ
リシア語が新しい完了形 nen1
/
XOt"ー他動詞の意味を持
ア語から出発して能動態の形態と中動態の形態の用法
注意を促そう
O
5
6
に境界を定め,そして態を表わすために使われる語尾
態の分詞の代りに用いられている C プロペルティウス
の意味をより正確に規定することが重要である。その
I
V, 2, 1
0行以下の箇所 Vertumnusv
e
r
s
od
z
c
o
ra
b
、
前に二・三の事を予め言っておかねばならな L。
amne d
e
ω,s
e
uq
u
i
av
e
r
t
e
n
t
i
sf
r
u
c
t
u
mp
r
a
e
c
e
p
i
m
u
s
人称語尾で主語の人称が数を含めて示されるだけで
a
n
n
zV
e
r
t
u
m
n
zv
u
,l抑 sc
r
e
d
i
d
i
te
s
s
es
a
c
r
u
m301 1
私は)11
なく,態も人称語尾を変えることによって表わされる
の流れを変えることからウェルトゥムヌス神と呼ばれ
とL、う事が注目に値する O そこから,本当の人称語尾
ている。或はめくる季節の最初の産物を私が受け取っ
を持たない動詞形は態の区別をも持ち得ないという事
たので,人々はウェルトゥムヌスのものは神に捧げら
8
5頁や 1
0
6頁の
が分かると思われる。そこで三たび (
e
r
s
u
sと v
e
r
t
e
n
s
れたものだと思った」に出てくる v
ように)現在語幹だけから成り,大体単数と二人称に
は神の名前に保持されているように見える分詞形の,
(
s
e
q
u
o
r には
向けられてはいるが,数と人称に対して比較的中立的
後期ラテン語に可能な代替形である
に使われた
s
e
c
u
n
d
u
s と並んで受動的な n
d
u
s もあり
E
で終わる命令法について語らねばなら
m
o
r
i
o
rに
ないだろう。それに応じてこの命令法には,大体は能
o
r
i
b
u
n
d
u
s 等もあることを参照せよ。)
は m
動態で使われるのであるが,態に対しでも中立の名残
詞について言えば,有史以前は態に対して中立的であ
e1
止めよ J(
ア
りが見られる O その確実な例は先ず π臼 V
ったが,すでに最古のギリシア語とラテン語は態の区
ツティカの喜劇では π日 b も)であり,この動詞の能
別を不定詞に採り入れている。
1止めさせる J)
動態の形態はいつもは他動的ー使役的 (
不定
我々がギリシア語を観察の基礎にする時,強調しな
1
止める」の意味は中動態にのみふさわ
l
P
e 1目覚めよ J C
E
u
r
i
p
. ~アウリスの
し い 。 ま た かe
イーピゲネイアJl 6
2
4,フォン・デア・ミュールによ
4
0の最初
ればアイスキュロスの『慈みの女神たちJl 1
事である。例えばイオーニア方言は,アッティカ方言
であるが,
ければならないのは,方言が互いに著しく違っており,
さらに数世紀のうちに大きな改変が生じたので,態の
用法は他の現象ほど十分なまとまりを示さないという
の かe
l
p
' も)も同様に解され28) 後に「立ち上がれjの
が能動的な表現を用いる所で,多くの場合中動態を持
意味でも〔使われた J(~新約聖書」のギリシア語につ
っている(ベヒテル, ~ギリシアの方言Jl 1
1
1,2
4
6頁以
いてはブラスーデブルンナー 1
0
1頁やライシェンシュダ
下)。イオーニア方言の慣用はその後時々いわゆるコ
9
2
1,1
6
7頁参照)0 一一一このことはさ
イン 291 GGA. 1
I
えば「占める」と L、う概念
イネーに受け継がれた。仔J
らに命令法の形態の第二のグループ,すなわち後でも
はアツテイカ方言では KαTαA呼Ls&VeIV によって,イ
T
ω ,t
o に終わる命令
aA叫 s&V
εu
(
)
ω によって表わさ
オーニア方言では KaT
形についても認められ,これらはギリシアとラテン語
れるのであるが,ポリュビオスも中動態を持っている。
に共通で,もともと数と態に関して全く中立的であっ
一体に古典期以降のギリシア語はしばしば能動態と中
た。これはギリシア語では消滅したが,ラテン語では
動態の境界線を跳び越えており,古い言語からの甚し
っと詳しく論じることになる
t
o
r によっ
上代語℃能動形欠如動詞がその命令法を -
L、逸脱が見られる。どちらかと言えば言語共同体の中
t
o によっても形成し得るという事が
てだけでなく ,-
間及び下の階層においてではあるが,アッティカ・ギ
注目される。
リシア語の表現の優雅さと精密さがしばしば失われて
他方,態の区別は人称語尾の形態を越えるという事
I
えばアッティカ人は能動態の μO
I
X
e
V
e
l
V と中
レる。仔J
を思い出さねばならない。普から分詞がこれに関与し
動 態 の μOIXeVe
σ伽
ており,ギリシア語では忠実に保持されている。ラテ
Y呼 L
e
l
V と Y何L
e
l
σ0αI の区別にかなり正確に対応する o
t
を厳密に区別するが,これは
ン語では中動態の分詞は一般に滅んて、いる。それでも
T
a
.
μe
i
v は「妻をめとる」を意味し,男性の結婚につ
石化して残ってレる中・受動態の分詞に注意を促そ
呼 Le
I
σ8
臼I
レて用いられるが,これに応じて中動態の y
φ
δ
μeVOCが Tpeφe
l
V1
養う」に属するように,
う
。 TPe
は女性の結婚について用いられる。同様に μO
I
X
e
V
e
l
V
alumnus1
養子,子息,弟子」は a
l
e
r
eに属し, 1
養育
は男性の姦通を, μOIXeVe
σ0ω は女性のそれを表わす。
ertum
舟u
s という神の名前
される」者の意である。 V
聖書に表われたギリシア語法において確かに『レビ記』
変えられる」者の名称
を人々は(恐らく誤って, ) 1
2
0,1
0ではこの動詞の能動態と中動態が正確に対比さ
と解釈するだろう。いつもは能動態の分詞がしばしば
せられているが,それ以外は旧約聖書でも新約聖書で
t
u
s に終
もこの動詞の能動態形と中動態形が雑然と入り乱れて
わる動詞派生形容詞が,ギリシア語でこれに対応する
いる。同じくドーリア人は彼らの能動態 μOIXav を男
-TOC に終わる語が持っている価値の故に,中・受動
σO
臼t
性 に 関 し て 用 い て い る が , 新 約 聖 書 で は μOIXa
中動態の代わりに用いられる。それ以外に
- 5
7
'
s
h
i
n
e
',b
h
a
s
h'
s
p
e
a
k
'に対応し, G
r
.では φ臼i
v
ω
が二つの性のいずれにも任意に使われている。
make t
oa
p
p
e
a
r
',φ
η
μ
t‘
s
a
y
' に対応するが,
‘
これは恐らく非ギリシア人が態を区別できなかった
事と多少関係があろう。我々はこの無能力をギリシア
の詩人達が,外国人の語り口を紹介した箇所から指摘
9
0
3年にフォン
することができる O 新たに発見され. 1
ヴィラモーヴィツによって出版されたティーモテオ
ス311 のノモスに登場するフリジア人は詩人自身の証
ゆ仰1は欠如動詞ではない.
5
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l
'
10
7の n
e
l
時σ
E
σ(
)
o
v は二人称双数形, 753の
πe
l
p
持田σ
8
ε は二人称複数形.
6) Loeb版では e
aが e
t と直されている.
7)
言によれば半ば外国語風のギリシア語を話し(15
8行
W
崇高について』は 1
9世紀の初めまでカツシオス
ロンギノスの著書だと信じられていたが,全く
'
E
A
λdδ'E
;
μ
π
λe
K
ωv'A
σIO
l
d
lφ
ωv
a1"アジア的なアクセ
別の無名の人の著
. ヴィラモーヴィツ 42-3
ントのあるギリシア語で J
紀元後 5
0年頃書かれたらしい.修辞学の伝統にと
頁参照).そして 1
6
7
/
6
8行では KOI()ω 「私は座るだろ
らわれず,文章を崇高なものにする思考と文体に
.l
p
x
ω 「私は行くだろう」と語り,接続法現在に
うJ
年)
ついて論じたもので,ボアローの翻訳 0674
約三分の二が伝存しており,
未来の意味を与えたり,能動形欠如動詞に能動態の語
以来文芸批評及び古典の理解に 1
9世紀まで影響を
尾を与えたりしている。その逆の例がアリストパネー
及ぼした.
スの『平和J/ 2
9
1にある一一ゐg 和o
μ白q K
c
i
iX
α'
i
p
.
o
μa
l
K
a
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c
t
p
a
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v
o
μ
,ωIl、や気持がよい,楽しくあるね,愉
ox
日i
p
ω の代わりのこの x
αi
p
o
μ
,
ω は全くギ
快だね J
8) 影響力を持っていた裕福なアテーナイ人で,デー
モステネースの古くからの政敵.
9) M
a
x
i
m
i
l
i
e
nP
.E
.L
i
t
t
r
e 0801-81年)
フラン
リシア語的でない。それは「ダティス 32) 特有の語法」
スの医者,言語学者,哲学者.言語学者としては
と見なされ,ダティスの歌から引用されている。この
D
i
c
t
i
o
n
n
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i
r
ed
el
al
a
n
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ef
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a
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e 4巻の編集の
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o
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el
al
a
n
g
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ef
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a
n
c
a
i
s
e を書いてい
ほか H
X臼i
p
o
μ
,叫が含まれた外国人の或る小さな歌曲が存在
したに違いな L、。(ヴィラモーヴィツによる『ティー
モテオスJ/ 4
3の注参照。彼は喜劇j
に登場する小アジア
る.
1
0
) Loeb 版 で は S
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ni
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sv
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a
t
, く的). Ni i
t
,
a
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t
e
s均m
i
n
o
. 1"もし原告が被告を法廷に召喚した
) そこで私は二つの興味深い点を
人を想起している 0
指摘しよう。一つは,アリストパネースの場合,中動
ら,彼は行くべしもし彼が行かなければ,原告
a
i
p
O
I
l
C
J
.1 をも
態の動詞との共起が明らかに中動態の X
は証人を立てるべし」としており ,A La
t
i
nD
i
c
-
p
o
μ
,叫 が 今 日 近
たらしたという事,第二は,この X臼 i
抑 制η, p
.131 は
代ギリシア語で優勢になっている事である O ある種の
9
頁以下で詳説した。態に関してそのような
ついては 4
m
i
n
o の形態は珍しいが,これは受動態の命令
m
i
n
i が基になって,
法現在二人称複数の語尾 t
o の母音
これに命令法未来二・三人称の語尾 -
0
5
7でも見られる。
ことがアリストパネースの『騎士J/1
が付いてできたものらしい.印欧祖語にはー均
形態の近隣関係が如何に容易にずれを引き起こすかに
a
n
t
e
s
t
a
伽に直している.
α!
X
e
σωTOI
l、くさをすれば」を持つ脚韻の
そこでは μ
に終わる命令形しか存在せず,これが単数複数の
ために Xe
σe
aではなく XeσωTO1"くそをしてしまう」
.
別なく,二人称でも三人称でも使われた(L.R
Palmer,T
heLat
i
nLa
n
g
z
ω!
g
e
,p
p
.
2
7
6
7
)
.
が作られたのて、あるおも
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vδVVO!Tω φevyovτ
α
訳 註
d
l
φK
e
l
v
・「ちょうど夢の中で,逃げてゆく者を追
1)クラティーノス(前 4
9
0頃 -422年)
エウポリス,
アリストパネースと共にアッティカ古喜劇の三大
詩人の一人. W嵐の中の人々J/, Wサテュロス達J/.
『
酒
瓶
J
/
,
L、かけても,
W
ディオニューサレクサンドロス』等が
伝わっている.
2) TheodorKock 0820-91年)
(けして捕えは)できないように」
δv
v
ぽ叫 (
3
.s
g
.
)の主語は明示されていない.
1
2
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a
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)
白
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pO
l
V r
もし神
々しい行為へ至る確実な道に入ったならば(詩人
ドイツの古典学
はその苦労にふさわしい報酬を歌の中に混ぜるこ
者. Wアツティカ喜劇作者伝存断片集』の編者.
とを惜しんではならない)Jでヴァッカーナーゲ
3) 1
'
1
ω は 尋u 1"行く」の命令法三人称単数形,
ルは T
e
τ
p
臼 町 四t の主語を「誰かある人」と解し
d
σ&yy
e
λλE は命令法二人称単数形.
4) 欠 如 動 詞 ザo
rは S
k
t
.の b
h
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p
e
a
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',b
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一 5
8-
ているが, Loeb版の訳者 (
S
i
r]
.E
.Sandys)は
s
h
e としているので,アイギーナ島を主語と解す
アンテ
としても有名であったー『武具の裁判Jl. r
るのであろう.
1
3
) カェキリウス
スターテイウス(前 2
19-166年頃)
ィオベーJl. Wアタランテ-Jl. W洗い水Jl. Wへルミ
奴隷としてローマへ来たケルト人.ギリシアの喜
オネー』及び『パウルス』というプラェテクスタ
劇を手本にした p
a
l
l
i
a
t
a
e を書いたが,現存する
2の題名が知られている.
劇を含む 1
0
0行ほどの断片と約 4
0の題名のみ.そのう
のは 3
2
2
) ウェナンティウス・フオノレトゥーナートゥス
ち1
7の 題 名 は メ ナ ン ド ロ ス の も の と 同 じ プ ラ ウ
(
5
3
0頃 -610年)
1
4
) Manutius (
14
5
0頃ー 1
5
1
5年)
イタリアの印刷
司教でもあった.
2
3
)O
e
d
.Ko
l
. 569~70
業者で古典学者.今日のイタリック体活字を初め
て使用したり,ヘレニズム研究のためく新アカデ
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ミア〉を創立したりした
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(
}
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lゆp初 日.
1
1
5
) Loeb版も f
e
r
a
sに修正している,
1
6
) Geo
r
gWissowa0859-1931年)
(テセウス,あなたの気高 L、心は,その短い言葉
ドイツの古典
によくあらわれている
文献学者.ローマ宗教史の権威.
1
7
) HermannUsener 0834-1905年)
はわずかですむ
それゆえおれの言うこと
一一高津訳)しかし. O
x
f
o
r
d
版では sp
臼X
白 μ力o
i
d
e
Ia{)w とL、う読みが採用さ
ドイツの古
典学者.特にエピクロスとギリシアの宗教の研究
れている.
で有名.
Menon79c
日
,tωνσ01n&Al
ve
ce
x
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x
,rc,ゐtμoiδOKe
I
, r
,rc
δ
e
i
r
1
8
) "7ールクス・アウレーリウス(12
1ー 180年)
1
9
)
イタリアの中世ラテン詩人
で,最後のローマ詩人と呼ばれた.ポアティエの
トウスとテレンテイウスの中間に位置する
ローマ皇帝 (
161-180年). W自省録』は陣中の寸
o
o
r
,rcepω
τ時σ
E
ωc,ωφIAeMeν
ωv
,
暇に記したもので,ローマ帝政期のストア哲学の
(そこで君にはもう一度改めて同じ質問が必要な
代表的文献のーっとされる.
ようにわしには思われるよ,メノーン君.一一岡
Wアカルナイ人Jl 5
10-11
田正三訳)
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) Herodas V
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i
τ日
/
. (私は舌を切り取らねばならん)
(されば,タイナロスにいます神ポセイドンがー
2
5
) OE mot の ME における普通の意味は「私に許
揺りゆすってきやつらの頭上に家をぶつつぶされ
6世紀前半までその用法が
されている」であり. 1
ますよう.
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e
r
em
o
t
e1dηn
k
ewyn o
r
あった.例えば Ase
村川堅太郎訳)
a
l
eI
¥
'、つもぶどう酒やビールが飲めるように」
142-43
『女の平和Jl 1
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2
)
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0,
XW(
}
e
o
ca
e
i
ωv品目
て「しなければならな L、」という必然性の意味は
(そのときメッセネはあなた方に襲いかかり,同
最初は仮定的な主張としての過去の非人称的使用
(本来は接続法)で発達したようである
時に大地は打ち震いました.一一高津春繁訳)
2
0
) ルーキウス・アッキウス(前 140-85年頃)
期のロー 7 の悲劇詩人
例えば
u
sm
o
s
t
ep似た o
u
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egoodi
na
v
仰 t
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我々は財産
初
C
a
n
t
.T
a
l
e
s
.
を 運 命 に 委 ね な け れ ば な ら な い J(
題名が知られているのは
約4
5篇であるが,作品自体は断片のみ,仔J
Iえば『ア
C
a
n
o
n
'
s Yeoman'sT
a
l
e,9
4
6
)
. この用法は 1
5世紀
ンドロメダJl. WアトレウスJl. WメレアゲルJl. Wピ
末頃まで見られるが,その後人称構文に取って代
武器の審判Jl. Wデキウス」及
ロクテーテースJl. r
u
g
h
t
わられた.また「義務がある」の意味の o
び『ブルートゥス』という二つのプラェテクスタ
(
t
o
) も初めは接続法ですでに後期 OEから用いら
悲劇,ギリシア
れ た 例 え ば 片'
swea
h
t
e
nωb
e
o
問 t
ee
dmoddre
ローマの詩に関する『劇詩史Jl.
農業上のことに関する詩など
キケローはアッキ
「それ故我々は一層つつましくすべきである
(Lam
beth Homili
九 p
.5,28~9 , 1
2
0
0年 頃 の 写
ウスを大いに尊敬していた.また彼の崇高な文体
ゲo
r
eu
so
g
h
t
e
.
本). 非 人 称 の 例 と し て は Whe
はウェルギリウスによって模倣された.
21)マルクス
パ ー ク ウ イ ウ ス ( 前2
2
0頃
1
3
0年)
a
sw
e
l
百
t
h
ed
e
e
t
ho
fo
u
r
ec
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si
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h
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エンニウスの甥で弟子.アッキウスにとっては先
l
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輩にあたるローマの偉大な悲劇詩人の一人
c
i
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ですから,人は子供をなくしたり,財産
画家
ハ
ヨ
を失った場合でも,辛抱してその悲しみに耐えな
C
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け れ ば な り ま せ ん J(
M
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0
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)
.
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7
6
7
8及び宮
(
K
.Brunner,W英語発達史~, p
部菊男編『中英語テキスト~, p
.
2
3
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XGl"
λ
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(
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V
カゐp臼,… l(イエスは)三度目にきて言
われた, 1
まだ眠っているのか,休んでいるのか
もうそれでよかろう
J この訳
時がきた.…・・ J
2
9
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s
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n 0861-1931年)
ドイツ
の古典学者.殊にギリシアの神話や古代宗教の研
究家
GGA. とL、う略号については不詳.
3
0
) Loeb版では v
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g
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と 二 人 称 単 数 に 直 さ れ , “ Or e
l
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obeV
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r
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u
m
n
u
s
' due" と訳され
ている.
31)ティーモテオス(前 450-360年頃)
小アジアの
は非人称として「領収済である」→「十分である」
ミーレートスの人で,ディーテュランボス詩人.
と解釈したもの.人称的に解すれば「彼(ユダ)は
1
9
0
2年に前 4世紀のパピルスから発見された『ベ
πe
X
e
l
〔金を〕受けとっている」となり,また &
τo r
e
λoc
・「もうおしまいだ」と書いである写本
.
もある. (岩隈直著『新約ギリシア語辞典~, p
5
1
)
ルシア人』は竪琴に合わせて歌う叙事詩(ノモイ)
であり,彼は音楽を改革したと言った
3
2
) マラトンの野でアテナイ人に前 4
9
0年に破られた
ペルシアの将軍で,彼はギリシア語の知識を誇っ
27)ハードリアーヌス帝から 3世紀末のヌメリアーヌ
ていたが,本当は間違いだらけだったという.一
0名の皇帝の伝記. 6名の著作家が少
ス帝までの 3
方,彼は品行のよろしくないリュディア生れの奴
しずつ寄稿したものを集めたもので,スウェー
2
8
)E
u
r
i
p
.1
.A
. 624 e
y
e
l
p
'a
δ
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eAφ
骨c e
φ,I
J
μe
v
臼10V
e
I
Jr
v
xゐg・「お姉さまのお嫁入だから,仕合せにお
起きなさい
J
A
e
s
c
h
. Eum. 1
4
0e
Y
e
l
p
',~yelpe
隷だったという説もある(高津春繁).
3
3
)R
i
t
t
e
r 1057ωλ
トーニウスの『皇帝列伝』を模範としている.
OVK
a
v 仰がσw
r
o
" xeuwro
yap,f
Iμ臼'
X
e
σ臼lTO. 1
ただ女子には戦さはできぬ,
いくさをすれば,
くそをしてしまうぞ J
千秋訳.
Kωσu r
呼v
d
',
y
wぬ σe
.1
起きるんだ!私がお前を起こすよう
I
;
に,お前も彼女を起こすのだ」
(今回も同僚の松川弘氏に訳文を読んで頂いた
に記して謝意を表します.)
- 6
0
松平
Fly UP