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についての講義 1~ (翻訳第七回)
広島工業大学研究紀要第2 4巻 ( 9 9 0 ) ヤーコフ ・ヴァッカーナーゲ、ル著『統語論 0 についての講義 1~ (翻訳第七回) 酒 見 紀 成 * (平成元年 9月 2 5日受理) あるので,これを最初に置く。 XIX. この問題にもう少し詳しく触れよう。我々は動詞を 動詞の人称形について語る時,古代の用語法が話の 形態的特徴によって定義する時,先ず「ある語が人称 糸口になる O ディオニューシオス・トラークスの小冊 語尾を持ってし、る時,それは動詞と呼ばれる」と言わ o σ ω πo v とL、う表現が使われており,これ 子では πp ねばならない。しかし本来の人称語尾を持たない動詞 はラテン語では t e r s o 仰と訳された。我々はその言葉 形も存在する。これは厳密に言えば単数の命令形に当 によって動詞の「人称」のことを言っているのだが, てはまる。それらは時制の語幹だけでできており,例 必ずしもその術語にそれが本来持っていた意味を与え e y e r e (pl .Jの語幹の部分と同一であ えば Uye は λ ているわけではない。我々が「人称」と呼んでいるも る。従ってそれらは形態から判断すれば,人称に関し のは,ギリシア人がその文法用語を作った時代にはま て中立である。これと関係があると思われるのは,特 po σ ω πo v によって表わされていなかった。この だ π にギリシアの劇作家の作品に現われ, 語は元来「かんばせ,おもて」を意味する。当時の舞 れてきた現象である。そこでは命令法二人称単数が不 v n O K p r r ,rc (俳優〕が 特定の第三者に対する命令にも用いられ得る。特に主 台用語の慣用では役者の仮面 しばしば観察さ まとう人工の顔の名称であり,そこから役者が演じな 語のより詳しい特徴づけとして π 匂のような単数が ければならない役をも表わす。これがアッティカ人の 存在する時にそれが起こる。例えば喜劇作者クラテ 語法であり,彼らはその用法を逸脱することはない。 1 の『オデユツセウス』断片 1 4 4 (コック 21 ィーノス 1 そこからようやく徐々に人が人生におレて演じる役割 編『喜劇作者Jl 1,5 8 ) にu/y 的 v v v& π 日 ch euty&v pou ω πo v で表わす用法 を,つまり個人的な地位を π 「さあ誰でも沈黙を守りなさい」とあり ~Xe が pou ω πo v が発達したのである。ラテン人は確かに π i ; xe r ω ,(3. s g.Jの代わりに使われている。多数の類 を「顔」の意味ではなく,より新しいすべての意味に 例がアリストパネースに見出される。エウリーピデー e r s o n aと翻訳した。この語は元来「仮面 J を おいて p 7 3の τ I C を持つ例 fτωτIC スの『パツコスの信女Jl 1 意味し,恐らくエトルリア語に由来すると思われるが, d σ仰向λ λe 31I 誰 か 行 っ て 申 し 上 げ て く れ Jも同様で そのことは演劇がエトルリアからローマにもたらされ ある O アイスキュロスにはこの命令形が空に向かつて たので,一層理解できる。その後この「仮面Jという 言われているのが見出されるが,話し手は特定の人間 語に,これに対応するギリシア語が後の時代に持つこ を意図しているわけではな L、。プラス, とになる意味が与えられたのである。「演劇における 2,2 7 5を参照せよ。 学博物館Jl 6 e r s o 仰は意味 役」と「人生における役割」を表わす t r ライン文献 またすべての動詞とすべての動詞語幹に三つの人称 e r 上の借用語である。同じことは文法用語としての ρ s o n a についても言える。文法家が三つの πpou ω π α, e r s o 担a e について語る時,彼らが考えている 三つの t 形がすべて現われるとは限らない。一人称単数の命令 のは,ある人が語る時にとり得る三つの役である O ろう 我々は一人称,二人称,三人称と言い,この順序に 形が欠けているのは当然のことであり,一人称複数の 命令形がどの程度使われ得るかは後で問題にされるだ O 逆に例えばラテン語の「願わくは,我々は願う」 u a e s o ,q 仰e s u m u sは一人称に限られ を表わす挿入語 q 動詞形を並べるのが常である。この配列は分かりやす ている。「願う」を表わす語が一人称に限られている いが,自明のことではない。逆の順序がインド人の場 のは理解できょう。また時々〔活用形の〕欠如が全く 合に認められ,彼らは三人称が概念的に最も一般的て、 形態上の理由による場合がある O 例えばラテン人が *広島工業大学外国文学語学教室 - 4 7ー j 註t u rC 彼は言う〕の一人称単数形を作らなかったの だ」に注意された L、。アッティカのギリシア語法にも類 は,一体にー音節の動詞形に対するある種の嫌悪感が 例がある。またある人が別の人に τ i c1 5 'oOrocfpxeal 支配的であったことと関係があり ,* f o y 41I 私は言う J I そこにいる汝はどなたかな」という K 8 2 のような には類似物がほとんどなかっただろう O 箇所にも注意されたし、。プラウトウスの『メナェクム すると三つの人称はどこで区別され,その用法はど ス兄弟.1 7 7 9u t e rm e r u i s t i sc u l p a m ?I お前たち二人の うなっているだろうか。(我々は差し当たり古典語だ うちどっちが悪い事をしたんだいつ」を参照せよ。本 けに話を限定する。)先ず第一に,主語は動詞形にお e r u i t と言うべきところであるが,呼びかけ 来なら m いて人称語尾それ自体の中に与えられているが,同じ であるので,二人称が使われており,またその呼びか 文中で動詞はなおどの程度まで特別な主語表現をとり けが二人に向けられているので,複数になっている(こ 得るだろうか。これはいわゆる第三人称では難なく明 0 3頁で論じた複数のケースに属す れは広義には先に 1 らかとなる。ここでは主語が文脈から明らかにならな 8 5n e u t e radmei r e t i sI 二人ともわしの所 る)。同書 7 L、時,動詞の概念が付与されている三人称のさらに詳 に来ないように」を参照。 しい表示として,主格の名詞か代名詞が動詞のそばに 我々が扱わなければならないもう一つの問題は,一 現われる現象が確かに存在する O その際アッティカ方 人称と二人称の動詞に,いわゆる人称代名詞がどの程 言は間接再帰代名詞の主格をも用いたという事に注意 度まで添えられるかである O 人称の概念が特に強調さ を促そう。これは単数(t一女性形!)では稀にしか れる場合,すぐにそれは別に人称代名詞を置くことに σ φe i c ) ではもっと多く現われる 現われないが,複数 ( よって表現されるということは自明のことである。 例 (同じ意味で必TOC の諸形態やラテン語の争犯の諸 えばリューシアース 126o V K仰の Ueo t πOKTeV ゐ,叫λ ' O T布gπ0λEωcVO μ ,Oc I お前を殺すのは私ではなく, ) o 形態も〔使われる J 二つの一人称については二つの事を言わねばならな この都市の法である」。これと多少似ているのは,話 い。先ず,三人称で主語が現われるように,その性質 しかける相手に,その話が彼に関係することを気づか によっては一人称でも主語が比較的古いギリシア語で せようとする時,命令法にとかく σ6が,特にラテン 認められないわけではないということである。一人称 語で仰が添えられることである。 の動詞に主語が,実詞的表現であれ,代名詞的表現で しかし古代ギリシア語及びラテン語における代名詞 あれ,付加されることがある。最初のケースについて の主格の使用はこれだけではない。先ずごく稀なもの 二重〔主語〕の例を挙げよう。トゥーキュデイデース を〔挙げよう〕。イオーニア方言の散文では,へーロ 1, 1 3 7, 4にはテミストクレースが大王〔アルタク ドトスの散文を読めば分かるが,条件を表わす前置文 ε μ t σ τOKλ骨g セルクセース〕に宛てた手紙の冒頭に θ の帰結文にはよく必が与えられ,そしてこの必に 恥ωπψ&σH私,テミストクレース,陛下に参す」 とかく代名詞の支えが与えられる。動詞が三人称で現 とある。同じくタキトウスは『年代記.1 X II, 1 8でミ われる時は,例えば b必と書かれており,それに応 i t h r i d a t e ss p o n t eadsumI 私,ミ トリダーテースに M じて一人称の時は e y ゐd e と,二人称の時は σbδtと トリダーテースが自ら参った」と言わせている。また d t .I I I,68,1 7e iμカ 必 均 Z μかめv なる。例えば H 特に,すでにホメーロス以来見出されるが,性を持つ Y I VC : O σKec,σbぬ π白帥 'ATOσσmπ oOevIもしそなた 代名詞の主格も同様に一人称と二人称の主語として現 自身スメルディスを見識っておらぬのなら,アトッサ われる。例えば関係代名詞が一人称で表現された主語 から聞くがよ L、 J。その他ギリシア語とラテン語では を受け,この関係代名詞が〔関係節の〕主語となる時, 自然、な話し方において代名詞が非常によく冗語的に付 動詞もまた一人称か二人称で現われるだろう。例えば けられ,また半ば後僑辞として添えられる。後者は根 1466φO1VI1 μ ,ε v,o f φ oyoμevOav日 TOVI 死を遁れた私達 底においては全く奇妙であるが,インド語に類例があ l ' 707=753 dpvv σ0 ',o i KCii は … … と 思 わ れ た J, ' るので,恐らく祖語から受け継がれたものであろう O TOOTOV必 OA .OV7 C s l pJ f σ E σOOV( πelP時σ E σ O e ) 5 1Iさあ出て 帝政時代初期のローマの民衆語がこの点でどういう状 くれ,二人だけ,この競技をやってみようと L、う武士 態にあったかをぺトローニウスを引きながらマイヤー は 」 - 48ー 早く主語の人称を知らせる必要を感じたのである O こ b r i σ r a σ ,日1,M暗δ 1 3 1 日「メディアよ,あらん限りの知恵 g oをもっ E g o . . . v o l u i のような文頭の弱く発音される e をしぼるのだ」。この点及びギリシア人とローマ人に 〔私は……を欲した〕から,例えばフランス語の,代 おけるその後の発達についてはレーオの「独自 J ( ! r ゲ ev o u l u s が発達し 名詞が動詞に前僑辞的に接続した j )9 4頁以下が大変 ッテインゲン学術協会論集Jl X, 5 f こO 優れており, J .グリムの今しがた挙げた論文を引き その点で近代の用法はどうなっているだろうか。現 8 1頁以下ですべての〔人 合いに出している。そこでは 2 代ギリシア語ではまだ人称代名詞の主格の,動詞のそ 称の〕表現法がゲルマン諸語全体にわたって追究され ばでの使用は,実際標準的な古代ギリシア語で通例で 9 3頁以下で,ある時は一人称を用 ている。グリムは 2 あった所でしか起こらなし、。ここではそれ以上の発達 い,ある時は二人称を用いることを「私の独自」と「汝 は起きていないが,ロマンス諸諸では様々の段階の発 の独白」と呼び, Iこれらは第一段階の独自と第二段 達が起きている c イタリア語とルーマニア語はローマ 階の独自として区別することもできょう」と言う。ま の民衆語と同じ状態にある。スペイン語とボルトガ、ル d uは i c h よりも強いので,第二段階の独自の方 た I 語はもっと進んでおり,現代フランス語は代名詞を置 が強いて、あろう」と。 くことしか知らない。近代高地ドイツ語も事情は本質 二人称に関しては,本当なら不特定の誰かによって 的に同じであるが,ここでは特定の場合に省略が可能 述べられるべき行為が周知のようにギリシア語やラテ である。 ン語ではとかく話しかけられる人に帰せられ,それに 23e v O ' 応じて動詞も二人称で置かれる。例えば.12 次に人称形の本来の機能に移ろう。我々はそれを実 O V K包v s p i ( o v r 臼 l ' d O / c' A y 吋l e μv ov 臼 δ i o vI この折に 1 情に即して常に正確に考察するだろう。その際先に 4 2頁でグリムの『小論集Jl I I I,2 3 6頁以下に関連し . . . 尊いアガメムノーンがねぼけ眼をしている所を見た者 て談話における人称の交替について詳述した事を思い はなかったろう」。話しかけられているのは観念上の 出して頂きたい。そこで論じた二人称単数の代わりに 詩人の聴衆である君がその場に居合わせ 人であり, I 使われる尊敬を表わす一人称複数と関係があるのは, たとしても,彼がねぼけ限をしている所を見なかった 人間の一般的活動についての一人称複数の使用であ V Ka v ろう」くらいの意味である。ホメーロスには O φa i l /c I 誰も言わないだろう」のような表現にもその 1 0 7頁参照)やオウィディウス『恋 る。例えば η307 ( のうた』皿 4, 17 nitimur i nv e t i t u m semper ような言い回しが時折見られる。彼はこのように希求 & vと共に用いてい c u p i m u s q u en e g a t aI 我々は L、つも禁じられたものを 法の二人称や未来時制の二人称を 3 5行も同様)。 得 ょ う と し 拒 ま れ た も の を 欲 し が る J( る。後代の作者たちも同様であるが,彼らはただし非 Zubaty は『クーン雑誌Jl 4 0,4 8 3においてこれとリ 現実の過去をも用いる。一方ギリシア語の慣用に従え 人は見る J ( m a t y t iI 見る」の トアニア語の matem I ば,そのような機能を直説法現在と直説法完了は持ち 一人称複数)を比較している。カェサルは『内乱記』 えない。話しかけられる者は実際動詞の概念の実行者 I I,2 7,2で quaevolumus ,e ac r e d i m u sl i b e n t u, < olI 我 ではなく,単に仮定として生み出されるだけなので, r ガ 々は自分が欲するものを喜んで信じる j と言い, ! 仮定を表わす動詞の形態が使われたのである。これに I I, 1 8, 6に f e r el i b e n t e rh o m i n e si d ノレリア戦記Jl I 対応する箇所でラテン語では接続法が,例えば quodv o l u n tc r e d u n tI およそ人は自分の望みを勝手に c r e d e r e s ,d i c e r e sI 人は…・・と考えたて‘あろう, と言っ 信じてしまう」と書いている。一一ーまた独白にも注意 たであろう Jが認められる。この用法を『崇高につい を喚起しておかねばならない。これはホメーロス以来 6章で見事に評価して て J l7l の才気あふれる著者が第 2 文献に見られる。独白はすぐに一人称に移行し,ホメー いる。それと並んで特に感覚の鋭敏な古代ギリシア精 8reu臼(J!拘 ロスでは v1 K P 臼δ句「我慢しろ,心よ」 神の精通者,オランダ人コベットの観察にも注意を促 1 (メイディアー そう。そこではデーモステネースの 2 以外は常にそうである。 後者の方法,つまり二人称の ピデースが最初の使用者である。この人は(恐らくサ l に反対する演説), 3 3か ら ゆ V & P XOVT < X 品 v同 v ス8 n a r a c n c持K酬のce l n n cIもし人が当局の人を殴った り,非難したりすればJが引き合いに出されている c 9を除いて)同じく二人称の動詞での荘 ツポーの断片 5 最良の写本にはこのように書かれているが,他の写本 重な自分への呼びかけを用いた最初の人でもある。例 )は π日racnτIC を持っ (及び第二の書き手による L 動詞でする心や魂への呼びかけを用いるのはアルキロ コス,1{歌,叙情詩であり,悲劇作者の中ではエウリー え ば 『 メ デ ィ ア J l 401~ 2φεJδOV μ ηd; i vi n v ている O そしてコベット(!r本文批評論集Jl 5 0 5 )が , 4 9 アツティカ人の流儀は恥ずべき行為をこのように二人 品 》φελOVncμe r . ふ mur f /ce K O I μ ,時( ) f / {1 今日私は美しし、 称で表わしそうすることでその行為を仮定的に話し 少年か美しい女性を見たが,誰か(=私)が彼女と一 かけられた者のせいにするのをとても嫌うと述べてい )。全 緒に眠ることができたらなあとは思わなかった J それ放コ く同じように我々が実際には二人称を意図している ベットはここではより劣った写本の異文の方が勝って 時,特におどしゃ警告を含む文において ncに出合う o いると考える O ちなみにこの表現形式は多くの言語で E.ブルーンの『ソポクレース』の補遺5 4頁を参照。 るのは尤もである。それは無作法であろう O 独立して発生しており,バルト諸語及び特にロシア語 主語が文脈や付属する名詞か代名詞の主格から明ら で頻出するその用法については Zubatyが『ケーン雑 かになるのは三人称の形態にとって普通のことである 誌~ 4 0,4 8 0ー 1頁で論じている。 (或は少なくともそのように見える)。しかしまた特 ここでは知らない人を行為者と考える呼びかけの形 式が使われるが,逆に特定の人称表示の代わりに不特 定の主語やよく知られた主語が存在しないこともあ る。我々は三つの場合を区別することができる。 1 . 任意の多数の人々によって行われる行為が述べ 定の人称表示を用いる現象も生じる O 近代の諸言語で ・・・・.. 1 人々は」の意味で使用される三人称複 はフランス語ほどそれがよく起こる言語はなく,ある られる時に, 人が自分について語る時も,他の誰かに話しかける時 数。ギリシア人とラテン人には実際この用法は「言う J e ,t u ,v o u sの代わりに o n をよく使う もj を意味する動詞でしか知られていなし、。すなわち「人 O それにつ ・ ・ ・ ・ ・ ) がその有名な『フランス語大辞典』にお いてリトレ 9 々は言う Jを表わす λe y o v σ1,d z c u n tがそうで,不特 いて大変見事に論じてレる。この現象の出発点は人々 定多数の話し手が主語として考えられている。このよ が自分を引っ込めようとすること,そして他の人に対 うな場合この表現形式は特に分かりやすい。現代ギリ してもそれをするのは,やはりある種の遠慮に基づい シア語でもこれは優勢であるように思われる(トウン 1頁参照 ο ) ところ ているという事である O これはフランス諸に非常によ フ\『近代ギリシア語便覧 ~2170- く起こるが,フランス語だけではない。ヴンダリヒは が新約聖書のギリシア語では全く異なる動詞のもとで ゴットフリート この意味の三人称複数が度々認められる。例えば『ル (W 著作集~ ケラーの『寓意詩』から面白い箇所 7, 1 5頁)を挙げている O すなわち「彼 にはがまんできないからだ」一一「おや,なぜ人は彼 カ伝~ V I,4 4( σ υ. l . . l .e y o v U IσV K α. . r p v y ゐσ1u r r x . 柳川v 1 1.、ちじくを取る……ぶどうを摘む J ) 等々。理由は明 にがまんできないのかね」。明らかに「なぜ、あなたは らかである。不特定多数の行為を表わすための三人称 彼にがまんできないのかね」と言うべき所である。し 複数能動態の使用はセム語,殊にへブライ語とアラム かし話し手はこの反感が一般的で,すべての人に共通 語の言語タイフ。に特有のものである。従ってここでも であるかのように好意からそうするのである。ただし 我々は新約聖書の言,語のセム語的語法を見ることがで グリムは『ドイツ語文法 JI V, 2 2 1 (=2562) でこの きるほ頁参照)。特徴的なのは,このような三人称 用法をやや違った風に理解している O 一一全く同様に 複数がウルフィラによるゴート語訳では常に三人称複 ギリシア語も三人称の動詞をもっ ncによる文を知っ 数能動態で訳されるとは限らず,例えば今挙げた箇所 ており,そこではある時は自分自身が,ある時は話し では『ルカ伝~ V I,44 l i s 仰向 s m a k k a n s t r u d a n d a ザa のように,彼は時折受動態で言い換える w e i n a b a かけられる者が意図される。前者は悲劇や喜劇によく 見られる。例えばソポクレースの『アイアース~ 4 0 3 π01τ I C OVV φ 何台「さればいずこに逃れんか J ,そして 0 1 μo . A . a Jν μe v ω 「われはいずこに行き そのすぐ後に π ことがあるということである。ルターはこのような場 Iえ 合 man と三人称単数〔の動詞〕を当てており,仔J > m a n lieset~ と訳してい は上述の箇所では二っとも } て留まるべきか」。この箇所に注釈者たちは他の例証 る。これは何がある言語で生き続け,何があまり使わ を多数挙げている O まさにこのような困惑と絶望の間 れていないかを示す特にはっきりした証言が翻訳から L、かけにおいて人は自分の運命と行為についてはっき 1人々」の意味の三人称複数に関 得られる例である。 ( りと語ることを厭い,あたかも人間に総じて当てはま するもっと一般的な事については Zubaty の論文, 『クーン雑誌~ る何かが問題になっているかのような態度をとるので 4 0,4 9 7頁以下を参照。) ある O またこのような表現形式には他の動機も考えら x x . れる。例えばエピクテートス1I, 1 8, 1 5には恥ずべき σ仰 ε ' p o v 願望がそのような形式で述べられている ( Ka . A .OV ω I d 持 Ka . A .キ V o i J Ki : 1 πov 必 r o ce μ , ωτゐ 2 . 二番目の重要な用法は三人称単数の不定の意味 での使用であり, - 5 0ー しかもより古いラテン語やギリシア 語の法律用語の言い回しを先ず第ーに挙げねばならな て能動態として「もしある人が何か立派なことを成し L、。十二銅表の法律は我々にとって最古のラテン語の 遂げたならば」と解する方が良いだろう。さらにへ一 言語遺産の一つである。言語学こそ個々の古物研究者 ロドトスにも例がある。 の疑念に対して彼らのテクストが真に古代のものであ この用法は古代の言語以外でも二つの条件の下で見 ることを証明できるのであり,この法律は我々が紀元 出される。先ず,定動詞が分詞によって支えられてい 前 5世紀のものと仮定しなければならないラテン語を る時で,例えば偽のクセノポーン著『アテーナイ人の ii ni u sv o c a t ,n ii t , 示している。ところでここに s 政体Jl 1, 10πoλλ a Kl c av αi l ' / ( J e i cT O V 'A( J l ' /v O I I o v a n t e s t a m i n ⑮10) I もしある者が他のある者を裁判所に δo v λo ve π& r a c e vl X VI アテーナイ人を奴隷だと思って 召喚し,その者が行かなければ,証人の召喚が行われ なぐることがよく起こる」がそれである。また分詞と るものとする」や s in o x 古くなった属格!)βl r t u m 同様の働きをラテン語のゲ、ルンディウム〔動名詞〕が f a x i tIもしある者が夜に盗みを働いたならば」のよう することがある。例えばカェキリウス 13) の第 1 7 5行(リ な文が見られる。最初の文では主語も目的語も,二番 i 露 v i v e n d o ベック編『ローマの喜劇Jl375頁 ) に d 目の文では少なくとも主語が不特定のままにされてお m u l t oq u a en o nv o l tv i d e tI 長く生きていると,見たく り,従って任意のものがそれに当てはまると考えられ な い も の を 沢 山 見 る 」 と あ り , こ れ を 7 ヌティウ る。これは非常に奇異であるが,ラテン人自身はこの i uくq u i s >v i v e n d o と読もうとした。 ス14) は d 用法を承知していたし,その後の法律においてもこれ 次いで非常によく起こり,ギリシア人やラテン人の を模倣している。ところが全く同じものが古いギリシ 散文全体に特有であるのは,不特定の主語をもっ不定 アの法律用語に現われ,言語使用地域の様々の所から 詞句に定動詞をもっ副文を,それも代名詞による主語 τIC 或は ( a l i ) q u i sが添えられていない 例証される。私は有名なゴルテュンの法律の中の多数 の表示として の例を指摘することで満足しよう O 例えばコリツツ一 定動詞をもっ副文を従属させる現象である o i 7 U えばソ 991 V I, 1) ( Jv Y O I T p i プラス編『クレータ島の碑文Jl 4 ポクレースの『コローノスのオイディプースJl 1 2 2 5行 か みδ ゐ「もしある者が自分の娘に(持参金を)与え 以下 T Oグ,旬。 φ αv l l .向 V O I IK e i( J e vo ( J e vπe pr i K ε 1 , たならば」では,与える者の名前はどこにもな L、。か π o λ vd e u r e p o vゐc T & X I σTOI I 生まれたからには,来 って明敏な F .スクッチュは十二銅表の文体と古代ギ たところ,そこへ速かに赴くのが,次にいちばんよい リシアの法律の文体との問の類似には,ローマ人の立 ことだ」がそれで,ここでは φ αv i lと r i K e lにはっき 法のギリシア人のそれへの依存がはっきり表われてい 母v ω りした主語がないが,この不特定の主語は動詞 s ると考えた。しかしそのような統語法上の表現形式は から補うことができる。同じものはラテン人にも度々 恐らく借用不可能であろう。従ってその一致は継承に .F.W.ミュラーがキケロー 見出され,それについて C 基づいており,ここには非常に古風なものがあるに違 6,5 9に付けた注て、最もうまく論じ の『ラェリウスJl 1 いない。このことは古いギリシアの詩の文体に正にそ 3 8 6ー 7頁)。例えばタキトウスの『弁論家に ている ( のようなものがあるという事によって見事に確認され ついての対話Jl 5に q U t ・ de s tt u t i u sq ωm eam e x - る。例えばホメーロス N 2870& δeK e ve v( J O Ir e o vy e ) ie v o cK O I iXe l p O l cd VOlτ 01こうした際に,君の勇気や e r c e r ea r t eJ 坦, q 仰 . . t 1 1 似 s i d i u ma m i c i s ,ゆema l i e n i s .. . jセ r a tI 友人には保護を,疎遠である人には援助を与え 脅力をあなどる者は,けしてなかろう Jがそれである。 ることのできる技術を練習することほど安全なことが これに注釈者は事実に即して正しく λ ε 1 πe lτ O nc あろうか」とあり,この f e r a tはしばしば修正された I TIC を抜かしている」と注記している O しかし我々 が1 5 ) ,その正しさは何十もの例で証明されている。 o それ自体が任意の主語の行為 は 三 人 称 単 数 の ゐ01τ を表わし得ると言わねばならない。 X 199 も同様 11)0 我々が我々の話し方の習慣を基準としようと思わな ければ,この用法から,三人称単数は名前を挙げられ へーシオドスにも同じものが見られ,例えば『労働と た特定の人を指示しない,或は必ずしも指示するわけ J291白押νδ,e i cおpovi i cl ' /T O/l I (人が)頂上に 日々 I ではなく,最も非個人的な表現形式であると L、 一 5 1ー 上に述べたことと関連して思い出して頂きたい。全く 「明るくなる」と言い,これに対応して例えばポリユ 同様に相手の意見を引き合いに出す際にキケローでは ビオスは d l 日〈向。σK e l を 持 っ て お り ,v e s p e r a s c i t , a d v e s p e n ぉc i tに当たるのが σuσK 1 O l l ; e lI 夕方になる, e tr 暑 L、 J(ペト 暗くなる j である。さらに例えば ωl i n q u i tが,割と後のギリシア人では φησJが使われた ことも〔想起されたしつ。(シュヴァイクホイザーによ るエピクテートス 1, 4, 9の注,ベントリによるホ ローニウス)も同様であるが,プラウトウスは ラーティウスの『随想詩Jl 1, 4,7 9の注,キーケル ランド語の s e g i rI ある者は言う」等々についてはグ c a l e t u r を用いている。さらに古典期以後の g e l a tr 凍 る」や r o r a tI 露が降りる J ,或はギリシア語では(例 えばトゥーキュデイデース N ,5 2, 1)~.σεzσεv r 地 リムの『ドイツ語文法Jl N , 2 65 (=2311) 参照。 震が起こった」がある O 1, 184-5頁参照。)古アイス スの論文『グロッタJl 1 0,1 4 1及 一一この型全体をペデ、ルセンが「クーン雑誌Jl4 従って繰り返し起こる自然現象が単に動詞的表現だ び1 72-3でスラヴ語,フィンランド語等の証拠をも けで表わされる多数の表現が存在するのである。とこ ubaty は『クーン雑誌Jl4 0,4 7 8以 使って論じており, Z ろが専ら特定の自然現象の表示だけに限られるこれら 下でもっと適切かつ豊富に論じている。 の動詞の表現においでさえも,主語との結合も至る所 3 . 次に我々は有名な問題,非人称動詞すなわち三 で現われることが知られている。殊に天候の動詞の場 人称単数の非個人的用法の問題に逢着する。「非人称」 合は例えば神も主導者として挙げられたということ ( 1 m ρ ,e r s o 仰l e ) とL、う表現はラテン語の文法家達に由 m p e r s o 仰t i v u sで , っている。これと類似した表現は 1 が大きな関心をかきたてた。特にギリシア人は非人称 : r p伺 τ e lI 稲光りがする J , s p o v τar雷が鳴る」と言 で合σ これは確かに二三の人によって不定請にも適用され っただけて、なく,すでにホメーロスが ZI ' /V O cspov : r 時 た。非人称動詞をもっ文は近代の学問〔言語学〕にお 「ゼウスのいかずち Jや L 11 O Cμe yO l λ0/0 K e p C i l i v o cI ゼ いて非常に沢山扱われてきた。我々の言語とその同系 evc ウ ス 大 神 の い か ず ち 」 に つ い て 語 る よ う に ,Z の諸言語に関しては,特にグリムの『ドイツ語文法』 e s p o v τ n σe ,a σ: r pO l πT : e l , d er ゼウスがし、かずちをとど N ,2 2 7( = 2 2 6 2 ) 頁以下及びデールブリュクの『比 ろかせた,稲光を出す,雨を降らせ続けた」とも言っ I I,2 3頁以下を参照されたし、。最も優れた 較統語論Jl I ており,雷や稲妻を最高の神の所有物とみなしている o 専攻論文と言えるのは,前に 2頁で言及したスラヴ語 I i1 03行以下を参照せよ。そこでは女中が聞いたばか 学 者 ミ ク ロ ー ズ ィ ヒ の 本 『 無 主 語 文 J l (ヴィーン りの雷にゼウスの表れを見,それによってゼウスへの 1 1 8 6 52 1 8 8 3 ) と,もう一つは数年前に出たゲ、ルマン u p i t e r 祈りへと誘発される。同じくローマ人も ] 3,2 5 3頁以 語学者ジィープスの論文『クーン雑誌Jl 4 忽u r a tI ユーピテルが稲妻を放っJ ,] o v ef u l g e n t e fu 下である。 「ユーピテルが光を放っと」と言うことがある。アゥ まず非人称動詞と L、う特別な部類について論じ,そ u p i t e rt o 仰n sI 雷の神ユーピ グストウス帝時代には ] れを手がかりとして提出されている説を検討するのが テル」の崇拝があった。そしてエトルリア人の風習に 最も適当だと思われる。まず自然現象の表示に使われ 従ってローマ人の間て、行われていた稲妻による埋葬で るものを選ぼう。この種の主語のない文はほとんど全 u l g u rd i v u 刑「神の雷光」と呼ばれる。 は,稲妻は f 地球上に広がっており,とにかく全く異なる,互いに それどころかこの話にはまだ先があり,ヴィッソー 関係のない諸言語に現われる。従って例えばラテン人 6)の『ローマ人の宗教Jl2 ヴ7 1 1 2 2頁は雷光を放つユー がρ l u i tI 雨が降る」と言うように,ギリシア人もおt ピテルの崇拝に言及しているが,そこではユーピテル (後には s p e x e l ) と言う。同じく「雨が降る」を表わ が稲妻と完全に同一視されている。同様に 5世紀の 7 V, 2,2 8 8 ) す語はインド語やドイツ語でも三人称単数で生じる ンテイネイアの碑文(~ギリシアの碑文Jl i n g ( u ) i t : が,セム諸語でも同様である。さらに n には L 11 O CK e p α仰の「ゼウスの稲妻」とある。ウーゼ v e i c t e l :e ss c h n e i tr 雪が降る J , 或 は ル1 9 u r a t ,ル 1 g e t , f u l m i n a t :e sb l i t z tr 稲光がする J ,t o 仰t :ßpovr:~' e s 雷がなる」。またワノレローはある時 s i d o n n e r tr 担u b i l a r ec o e p e r i tIもし曇り始めたら」と書いたが, それに反してカトーは受動態の n u b i 勿b i t u r を用いて いる。これに対応するのがアリストパネースの断片 4 6 とl i v v e v o φeI 曇った」である。ラテン人はまた l 詑c e s c i t 0, 1頁 以 下 ( = ナー 17) は『ライン文献学博物館Jl 6 - 5 2 「小論集Jl 4,4 7 1以下)でそこから宗教史的な結論 を導き出している O また最高の神の降らす雨が直接表 現されるのが見られる。マールクス・アウレーリウ 5ovduovi nゅI A e ス18) はその著『自省録Jl V, 7で σ ZeuI 雨を降らせて下さい,雨を降らせて下さい,ゼ ウス様」という古くからアテーナイで行われていた祈 t o 加 t d eJ o v es o l oi n t e l l e g i m u sI 稲光がする」や「雷が りに言及している。へーロドトスにもこの語法がある O また見事な類例をアリストパネースが『鳥.1 1 5 0 1に持 なる」を我々はユーピテルによってのみ理解する」と っており, I ゼウスは何をやっているかね」という聞 説明している。しかしこれは証明できなし、。我々が省 π日l f J p l O l ( e l' l " a cv e φ t λ官官持 いに対して,そこでは & 略を考えることができるのは,より完全な表現がそれ c v v v e φe lI むら雲を払い去っているか,それとも雲を 寄 せ て い る か 」 と 言 わ れ て い る 。 最 後 に o( } e o c ! i a e l σe vI 神が地震を起こした」とも言われ得たこと 称の用法は正しく神の名前を主語にもつ用法と同じく がよく知られているが,そこでは恐らくポセイドーン spovτ & v,hzv においては後者〔の形成〕だけを提供 が動作主として考えられている。特に恰好の例をアリ するが,彼はまさに詩人としてそうしているのであり, ストパネースが『アカルナイ人.1510及び「女の平和』 彼があけぼのを人として把えるのと軌をーにしてい 以前に証明されている場合だけである。ところが非人 σ , τP O l π' l " EI V, らい古いものである。ホメーロスは a 1 1 4 2において見せる 19)0 る。我々にはこのような,動作主を問わないで出来事 しかしそれだけが天候の動詞に主語を添える形式で それ自体を述べることで満足する把握に対して,宗教 はない。 例えば〔自然〕現象が結びついている自然、或 的な把握の方が古いと仮定する権利はない。こう言っ は時間の一部が主語の役をすることがある。 例 え ば たからと言って,二・三の事例で,例えば『創世記』 ル信仰 t ec a e あ「空が稲光を発すると j,v e s p e r a s α担 t e 1 9,2 4K I J P I O C! i s p e c e v( } e i o vK a iπv pπa 同 K v p I o v e K 空が暗くなると j,ωe l u mρl u i tI 天が雨を降ら c a e l oI せる j, d i e si l l u c e s c i tI 昼が明るくなり出す」。或はまた τo vo o p a v o vI 主は硫黄と火とを主の所すなわち天か 物質的な内容や出来事自体が名詞形で動詞に添えられ 7,2 9! i s p e c e v( } e i o vK a iπv p( 対格)1天 る『ルカ伝.11 ら降らせた j (へブライ語からの逐語訳)の模写であ derWindw e h t ,d e rR e g e nr e g n e t 。 ,アリストノξネー る一- から火と硫黄とが降ってきた」のように,非人称表現 スは『雲.1 580で 見 事 に 雲 に 持 Y O I p hnce c o d o c, が神の名前と結びついた表現の代わりになったという τ 0 τ '持 s pOV' l " Wμ , εv持 I f / e K O I ( o μ ,e v IとL、うのは,外国 事を否定するものではない。一ーさらに我々がドイツ へ軍隊を出すような場合,雷を鳴らすとか,雨を降ら 語やフランス語で確かにこの種の主語のない文を使わ すとか L、うことを我々はするのです」と言わせている O sr e g n e t ,i lP l e u tと言うと L、う事が時折証拠とし ず ,e これらの動詞の多くが p o c u l ar o r a n tI 杯が露にぬ て出された。(この支柱としての代名詞についてはブ れる」等のように比再発的な意味て、現われるのは別問題 ルークマンの『ザクセン学術協会紀要・文献ー歴史学 である。 9, V, 1頁以下が優れている。)しかしこの 部門.1 6 中性の代名詞が二次的なものであることは確実であ 従ってこれらのすべての動詞には一方では主語のな い用法が,他方では実際の主語との様々な結合が存在 り,ゴート語や古ノルド語はラテン語ほどそれを用い する。そして論理的な判断は主語と述語がなければ不 ない。 可能であるから,論理学者たちはこのような主語のな ボップ及びその他の人々は Eσn の い文は根本において考えられないものだと思った。哲 はこれから音韻的に発生したもので,ラテン語とドイ 第三に比較文法の形態分析が利用された。 n一φ 1 /a Iの σ t tはこれと関係があるーが三人称単数の始原 学者達に続いてパウルもその『言語史原理」において, ツ語の これらのすべての文には主語を補って考えなければな 的な語尾であり,これは冠詞ゆと密接な関係がある, らないと要求した。しかし言語現象の判定にはそれ〔論 従って三人称単数の形態はそれ自身の中に主語の表現 理〕と共に異質の要因が持ち込まれる。〔従って〕我 を含んでいると主張する。しかしこれもまた根拠がな 々は言語に存在するものに頼らなければならない。そ いことが明らかになる。先ず語尾 こで次のことが問題となる。我々が動詞形だけしか持 っている三人称単数の諸形態の一部にしか見出きれな っていない所でも,言語上の表現において主語に関し e lや v E I < ゆe lが -n を含んでいたという い。だから o τ 1,tは問題にな σ τ Jの ことは全くあり得ない。さらに t て指摘できるものがあるか否かである。この点で三種 n が代名詞 間或は材料の表示を落とすにせよ,一種の省略に基づ τ 0 と関係があるというのは勝手な仮定である。それ a τIC I 信頼 j,φO I ' l " I CI 言説j,s i t i sI 喉の渇き j, が πI f a t i sI 疲れj (~仰 tim I 十分に」は本来「疲れるまで」 U えば E σe l a e vは ! i a e l a e vo( } e o cの くと言われた。i7 の意)のような動詞派生抽象名詞に存在する 短縮されたものと思われるかも知れな L、。すでにプリ 関係があるというのは大いにあり得ることであり,ず スキアーヌス XVII,60 ( p .144,11) は ルl m i n a te t っと可能性が大きい。一一先入観を捨てて問題に向か 類の発言がなされている O 先ず,主語のない用法は, 動作主たる神の表示を抜かすにせよ,天候の現象の空 5 3 τIC と 同様にずっと後世の著者ウェナンティウス・フォルト うと,主語のことを考えずに出来事が無造作にこの形 式で表わされ得たことを認める所へ戻される。そして o r r ω , と並んで非人称の h o r r e t ウーナートウス 22) は h 1 3頁で三人称単数の用法について確認さ これは先に 1 を用いている。また d o l e r eI 苦しむ」にはプラウトウ ゐμω 「思う」 ス以来両方の用法が並存している。動詞 o れたこととぴったり一致する O は『オデュツセウス』でー箇所非人称として構成され 天候の表現だけが唯一の非人称動詞ではない。殊に i g e tI 不快にする J .p u d e tI 恥ずかし ラテン語では P i ε , τ ω 「私には予感がする J )。近 ている (τ312μ00o L、 J .p a e n i t e tI 不快にする J .m i s e r e tI 同情する」の 代になるとむしろ人称的になる傾向が部分的に存在 ような,小学生が習う表現やその外,感情を表わした h i n k し,それは英語について確認された。例えば 1t り我々の心に抑えがたく浮かぶ考えを表わす表現に使 はドイツ語の e sd u n k tmich に • i fy o up l e a s eはラテ われる動詞がそれに加えられる。その際ここでもやは ン語の p l a αt に対応する。 り,異なる仕方ではあるが,非人称表現と並んで人称 ol o n gが属するゲ、ルマン語派においてこのよ 英語の t ドイツ語の v e r l a n g e nや 表現も見出されると L、う事を先ず言わねばならな L 。 、 うな観察が特に広範囲になされ得る。しかし二つの用 すでに古代ラテン語の ρ u d e t ,p a e n i t e t ,m i s e r e tでは感 法のいずれにも絶対的な優位を主張することはでき i b e tI 気に入 情を抱く者が主語として表現される。 l ず,むしろ優位の交替が永久に続くことだろう O 民族 るJ .t a e d e tI 嫌になる」には l i b e n sI 喜ばし L、 J( こ 心理学にとって啓発的であるのは,ロシア語はドイツ れは独立奪格の構文にその分詞的な性質の実を示す) 語よりもこのような非人称動詞を多く持っており, e r t a e s u sI あきあきしている」が想起されねばな とp イツ語はフランス語よりも多く,英語はもはや全く持 らないが,これらは動詞の人称的用法を前提とする表 っていないというパイイの確認である 現である。またそれと並んでこれらの動詞は喜びゃ嫌 念論文集~. 1 1頁)。 ド ( Wブヴィエ記 悪の念を起こさせるものが主語として置かれるように 我々が一般に個人的な行為として把えるものを,む も使うことができる。しかしここでも非人称の用法を しろ人格を持たない出来事として表わす現象が,原始 より新しいものと解する理由はな L、。むしろある種の 的とみなされる諸言語に特有であるという事に注目し 感情や思考を表わす動詞には,すべての言語で二重の て頂きた L、。例えばグリーンランド人は我々が「私は 表現がよく用いられると言わねばならない。我々が人 私に聞こえて来る」と L、う表現 聞く J と言う所で. r 3 5 f .1 4 )。彼らが 称的用法を持つか非人称的用法を持つかは,どちらの を使用する(フインク『主要な型~ 把え方が優位を占めるかによって決まる。後者は意志 そう言うのはそもそも正しいのである。 の関与なしに,すなわち我々自身が感情や思考の主唱 XX I . 者かつ創作者ではないのに,感情が我々を襲ったり, . . . 思考が流れ込んだりすると L、う意識に由来する O 最も 非人称動詞の第三の範時は概して必然性,義務,能 外面的な感情だけを挙げれば,我々はドイツ語でたh 力,出来事や存在を表わす動詞から成り,その際例え f r i e r e :e sf r i e r t mich ,m ichf r i e r tI 私 は 寒 L、J; i c h ; t eU7 : l I 可能である J .o p u se s tI 当然である J . ば E du γ' St e : mich d u r s t e tI 私 は 喉 が 渇 い て い る J; i c h n e c e s s ee s tr 必然的である」といった存在の動詞と組 s c h a u d e r e : mich s c h a u d e r tI 私は身ぶるいがする J; み合わされた表現も考慮の対象になる。そのような必 i c hv e r l a n g e :e sv e r l a n g tmich I 私は が欲しし、 J; e s 然性,義務及び必要の表現として例えばギリシア語で け i c hahne I 私は予感がす a h n tmir( e ss c h w a n tmi は XP時と δdの二つの動詞を挙げることができるが, るJ; i c hd仰 ,k e :e sd u n k tmichI 私には と思われる」 これらこそそのような非人称表現が如何に様々な源か (=esd e n k ti nm i r :ニーチェ)と言う。ところでラ ら生じているかを示してくれる o XP 暗は元来名詞で テン諮ではこの種の動詞概念の場合,人称的用法と非 あり,名詞としては一つの形態でしか保持されていな 人称的用法とが相並んで生じるのを最も広範囲に観察 1頁)0 しかし δd に関しては,その非人称 い(上記 7 することができる。例えば v e r e r zI 恐れる」は普通は 動詞への転化が我々の目の前で起こる。ホメーロス全 人称動詞であるが,キケローの『至善至悪論~ I I .3 9 . e i は 一 回 し か (1 .3 37)現われない(ちなみ 体で d 同じくアッキウス 20) やパークウィウス 211 もそれを非 にピンダロスにも一回のみ一一『オリュムピア頚歌』 u o s 担o ne s t 人称的に用いている。キケローには q V I .2 8 )。そして例の少なさが理由もなく修正の試み ρt a t esummumbonump o n e r eI 楽しみ v e r i t u mi nv o l u を引き起こした。しかし 5世紀以来それはますますよ を最高の善だと思うことを恐れなかった人々」とある O く起こるようになり,ついに x ρ唱をほとんど定全に 5 4 排除する。この δεI は動詞必ω I"~を欠く」の,ア 三日目である」が出てくる。 イオリス方言では δE Íiω の三人称単数で,本来I"~ 後期のラテン語から,ロマンス諸語へ与えた影響の から遠く離れている,ある事で劣っている」を意味す 故に我々の関心を集める例を挙げることができる。「皇 る。アッティカ方言ではまだ非人称的用法と並んで人 V I I I, 1) に 帝史j]27) の 中 の タ キ ト ウ ス 帝 の 伝 記 ( 称的用法が見られ, 1 7 1 ]えば人称的に πoλλou必ω 「 私 h a b e ti nb i b l i o t h e c aU l p i al i b r u me l e p h a n t i n u m と書 はこれこれの事でずっと劣っている」とも,非人称的 いてあるのを読むが,これは逐語的に「ウルピウス帝 に π0).λouμEδei とも言うことができる。それと並 の図書館には象牙の本を持っている(=本がある)J ん で 必oμω 「望む,必要とする,頼む」が現われ, と訳すことができる o h a b e tはフランス語の i lya と これもまた稀に非人称的に使われることに注目すべき 全く同じく非人称で使われている。同様に例えば『エ である O 先ず第一にソポクレースの『コローノスのオ 3, 2の,一群の新しいラテン語法を含 テリア巡礼j] 2 イデ、イフ。ースj] 570とプラトーンの『メノーンj] 79C n d eads a n c t a m Teclam h a b e b a td ec i v i t a t e む文に i D) がそうであり 23) それ以外にも近代になって f o r s i t a nm i l l eq u i n g e n t o sp a s s u s1"その町から神聖なテ へーローンダースの短長格の詩 VI,41から例が出てき クラの教会までまだ約 1マイル半あった」とある。グ ( と e d 町均時の用法の類似した二重性 た24)0 ドイツ語の b 2 0( = 2 2 6 6 ) 及びペデ リムの『ドイツ語文法j] N,2 を参照されたい。 0,1 3 7を参照せよ c ルセンの論文『クーン雑誌j] 4 最後に確認されたこと,すなわち人称的用法が容易 ギリシア語とラテン語の動詞の人称語尾によって, に非人称に急、変することと見事に並行する例をラテン / (}WIC と呼 人称と数の外に,ギリシアの文法家がみo 語が提供する。 o p o r t e t ,d e c e t ,d e d e c e tのような義務を び,ラテン人が態 ( g e n u sv e r b i ) と呼んだものも表わ 表わす古い表現に対して,以前は専ら人称的に「義務 される。これは近代の諸言語も,人称語尾以外の手段 e b e r e が後に現 がある」の意味で使われていた動詞 d によってではあるが,表現しようと骨折っているもの e b e t 1"それが義務である」の われ,今や非人称的に d である O 意味で使われる(レーヴステットの『エテリア巡礼』 4 5 )。中期英語の非人称の must と ought を参照され f こL、 2 5 ) 0 先ず私は我々の言語のすべてにおいて児出される区 別,すなわち能動態と受動態の区別について語らねば ならなし、。我々の言語慣用とそれによって条件づけら 次は可能性の表現である O ラテン語の l i c e t1"自由で れた語感にとっては,能動態と受動態だけしか態とし ある,できる」はその語源を確定することはできない て考慮の対象にならず,しかも能動態は動詞の正規の, が,すでにオスク語に例がある。それからここでも後 単一の表現形式と見なされるが,受動態は対応する能 の発展形態として元来人材、動詞であったものの非人称 動的表現の言わば二次的な裏返し,せいぜい能動態の 的用法に出合う。本来「ある物を制している J を意味 表現を補うものとして歓迎される付属品と見なされる する p o s s e について,すでに古代ラテン語は p o t i s とL、う意味で問題にされる。大ていの近代語はそうい e s t ,p o t e s t1"可能である」を持っている。 似たtI可能性 う状態にある O ただし受動態の表現を形成するため, がある」はもっと後の作家達の例証をもっ。 ある言語ではこの手段が,別の言語ではあの手段が使 〔古典期〕以後のギリシア語とラテン語からま われるという事はある。大てい助動詞,特に「ある J だ二・三の例を挙げねばならな L、。ギリシア語の動 や「なる」のような動詞,デンマーク語では例えば「留 詞 & πeXEIV はなかでも「離れている,取り除いてい まる JとL、う動詞による迂言法に出合う。しかしもっ る」を意味し,そこからI"~について了解済みである」 と自由な展望を持ってさらに遡れば,事情は幾らか違 とLづ意味が生じる。福音書の r o v μ IU(}OV白 ってくる。北欧諸語では受動態の意味が特別な動詞形 eXEl " 1 彼 はその報いを受けてしまっている」という有名な言い の代わりに,能動態に s i k 1"自分」から生じた πeXEI も『マ 回しもここに入る O ところで非人称の & は ルコ伝j] 14,41に「その件は話がついている Jの意味 からはすでに遠く離れている。しかしゲルマン語の最 で現われることは注目すべきである爪一一新約聖書 古の文化遺産であるゴート語まで遡れば,過去時制で からもう少し挙げよう。アッティカ人は &YEIV 均v eop τ q v1"祭を祝う」とかみEIV r 力v加epav 1"これこれ 或 は再び我々の方法と同様の迂言的表現に出合うが,そ れ以外は固有の動詞語尾を持つ特別な受動態の形態に r ルカ伝j] 2 4, 2 1には非人 7 1]ぇば aYIO / ( E r 臼 1 1"崇められる」は 出くわす。 1 rpIT I ' /V m I ir l ' /v 和初αV&YEI 1"今日が gaweihadaによって訳される。これに対応する形態は の日を過ごす」と言うが, 称 の みEI を持つ S z を付ける事によって得られるので,我々の方法 5 5- 希求法現在にもある。従ってここでは受動態において, ち,現在時制の π時y ν u μ t に対応する 能動態形の付属品のようなものではなく,能動態と並 ので,アレクサンドレイア時代の学者達によって本来 行する語尾が見出されるのである。 の能動態から締め出されたのであろう ラテン語でも同様である O しかしここではさらに特 を作っていた O しかしディオ ニューシオスによって中動態に引き入れられたもう一 異なものが加わり,能動態形と受動態形と並んで,受 つの完了形について言えば,アッティカ人は 動態の語尾を持つてはいるが,意味は受動態ではない δl e φ( J o ρ臼を他動詞として用いるが,イオーニア人や 動詞が多数存在ししかも受動態の意味に割と近いも 古典期以後の時代のギリシア人は自動詞として用いて 死ぬ」や orior 1 立ち上がる」の の,例えば morior 1 いる O 他動詞の完了形としては 5世紀にはやり出した ような自動詞だけでなく,明白な他動詞も四つの活用 o l e φ( J apK α が彼らの役に立ったからである。他の動詞 すべてに存在する。この範鴎はすて、に古代の学者達を についても同様のことが起きた。 手こずらせている。それが型にきちんと納まらなかっ この記述に従うならば,確かにアオリスト時制には f I O ! T o,eyp& 仰が存在す 三種類の形態 eyp叫 fev,eYP&I たからである O 彼らはそれらの動詞を deponentia と , J ( ε TIK& 1 受動態の 呼び,後にこれをギリシア人はおro るが(未来時制も同様),残りの時制では中動態と受 意味を捨てた動詞」と翻訳した。しかしこれはナンセ 動態を表わす一種類の形態だけがこれらの時制〔アオ ンスだと思われる。ではそれは如何に説明すべきであ リストと未来〕の中間的で受動的な形態に相当すると ろうか。 いう事が今や明白である。 再び一歩遡り,ギリシア語を見れば,表現形式が一 では我々はこの三幅対に対してどう L、う態度をとれ 層多様になるが,我々はますます問題の根源に近づく。 ばよいだろうか。もっと過去に遡って,印欧諸語の最 だからこれまで以上にギリシア語を根拠に用い,そこ 古の段階を調べれば,本当は大事なのは中動態と能動 から出発しなければならないだろう そうすればギリ 態の区別であり,受動態は少し遅れて現われ,形成さ シア語以外の態の意味も一層明瞭になるだろう。今し れたものに過ぎないという事が明らかとなる。ギリシ J ε σI C という表現を引用したギリシア人の理 がた δI&( ア語が根本においては固有の受動態の形態を全く持っ O 論自体が話の糸口になる。ディオニューシオス ラークスの文法の 1 3 章で「三つの ト ておらず,受動態の機能のために一部は中動態と同じ o l C x ( J e σ εI C が存在す 形態が,一部は能動態の,最初は現在と完了の,最後 .evepyel 日「行動 j, 2 . π&( J oc 1 被ること j, るO すなわち 1 はアオリストの,特別な能動態の形態がつかわれたと 3 . μ ε σ O T 1 /C j と教えられる O そして μ E σ d τ1 /c の特徴 いう点で,ギリシア語についてはまだこのことが確認 として,ある時は活動を,ある時は受ける事を表わす できる。次に我々が能動態と中動態を最初に存在した ( n r T ω 「打つ」 と述べられる。 evepye胞 の 例 と し て は τ ものとして基礎づけるや否や,ラテン語だけでなくギ ( J oc の例には τ 6 π τ o μ ω 「打たれる」が挙げら が , π& リシア語にも多数認められるいわゆる能動形欠如動詞 れる。 μ ε σ 0 τ1 /c 1 中動態」の例としては一方では の存在も明らかになる。我々は次のような動詞が存在 π t π1 /ya ["突き刺さっている」と δ l e φ( J opa ["正気を失 すると言うだろう。 っ て い る 」 が , 他 方 で は 白Ol1/U伊 p と eyp臼V仰 ηv 1 . 能動態と中動態の屈折を持ち,ひょっとすると が挙げてある。先ず第ーに,ここで発言している語学 中動態の形が受動態の意味を持つことがある,例えば 者達が態に関してすでに我々と同じ立場を取っている φepωφtρoμ回t 2 . 能動態でだけ現われる動詞,例えば K λ 6 ω, ことは明らかである O 彼らにとっても主な区別は能動 σTeixω,σTIAβ ω,φeuyω 態と受動態の対立にある O この型に入らないものは怠 3 . 中 動 態 だ け の 動 詞 , 例 え ば 仰α1, Ke初日1, 惰に起因する μ E σ 6 τ1 /c["中間にあるもの」と Lづ 用 語 で片付けられる O その際彼らが中動態のアオリストだ veo μ日t /y 臼「私 けでなく,すでにホメーロスに見られる dπ1 そして中動態だけの動詞の数は能動態だけの動詞の はぐらつかな L、」のような,動詞自体は他動詞である 数より多 L、。従って能動形欠如動詞とは能動態の屈折 が,第二完了と我々が呼ぶ自動詞的な完了をも に助けてもらえない中動態に他ならな L、。そこで我々 μ E σOT1 /C に引き寄せているという点で,我々と古代 の課題は能動形欠如動詞の中に中動態の意味の契機を の文法家達の用語法に多少のずれが生じるという事に 発見することになろう。 この π t π1 /y α はヘレニズム時代のギ 真に科学的な観察の基礎を置いた後は,先ずギリシ リシア語が新しい完了形 nen1 / XOt"ー他動詞の意味を持 ア語から出発して能動態の形態と中動態の形態の用法 注意を促そう O 5 6 に境界を定め,そして態を表わすために使われる語尾 態の分詞の代りに用いられている C プロペルティウス の意味をより正確に規定することが重要である。その I V, 2, 1 0行以下の箇所 Vertumnusv e r s od z c o ra b 、 前に二・三の事を予め言っておかねばならな L。 amne d e ω,s e uq u i av e r t e n t i sf r u c t u mp r a e c e p i m u s 人称語尾で主語の人称が数を含めて示されるだけで a n n zV e r t u m n zv u ,l抑 sc r e d i d i te s s es a c r u m301 1 私は)11 なく,態も人称語尾を変えることによって表わされる の流れを変えることからウェルトゥムヌス神と呼ばれ とL、う事が注目に値する O そこから,本当の人称語尾 ている。或はめくる季節の最初の産物を私が受け取っ を持たない動詞形は態の区別をも持ち得ないという事 たので,人々はウェルトゥムヌスのものは神に捧げら 8 5頁や 1 0 6頁の が分かると思われる。そこで三たび ( e r s u sと v e r t e n s れたものだと思った」に出てくる v ように)現在語幹だけから成り,大体単数と二人称に は神の名前に保持されているように見える分詞形の, ( s e q u o r には 向けられてはいるが,数と人称に対して比較的中立的 後期ラテン語に可能な代替形である に使われた s e c u n d u s と並んで受動的な n d u s もあり E で終わる命令法について語らねばなら m o r i o rに ないだろう。それに応じてこの命令法には,大体は能 o r i b u n d u s 等もあることを参照せよ。) は m 動態で使われるのであるが,態に対しでも中立の名残 詞について言えば,有史以前は態に対して中立的であ e1 止めよ J( ア りが見られる O その確実な例は先ず π臼 V ったが,すでに最古のギリシア語とラテン語は態の区 ツティカの喜劇では π日 b も)であり,この動詞の能 別を不定詞に採り入れている。 1止めさせる J) 動態の形態はいつもは他動的ー使役的 ( 不定 我々がギリシア語を観察の基礎にする時,強調しな 1 止める」の意味は中動態にのみふさわ l P e 1目覚めよ J C E u r i p . ~アウリスの し い 。 ま た かe イーピゲネイアJl 6 2 4,フォン・デア・ミュールによ 4 0の最初 ればアイスキュロスの『慈みの女神たちJl 1 事である。例えばイオーニア方言は,アッティカ方言 であるが, ければならないのは,方言が互いに著しく違っており, さらに数世紀のうちに大きな改変が生じたので,態の 用法は他の現象ほど十分なまとまりを示さないという の かe l p ' も)も同様に解され28) 後に「立ち上がれjの が能動的な表現を用いる所で,多くの場合中動態を持 意味でも〔使われた J(~新約聖書」のギリシア語につ っている(ベヒテル, ~ギリシアの方言Jl 1 1 1,2 4 6頁以 いてはブラスーデブルンナー 1 0 1頁やライシェンシュダ 下)。イオーニア方言の慣用はその後時々いわゆるコ 9 2 1,1 6 7頁参照)0 一一一このことはさ イン 291 GGA. 1 I えば「占める」と L、う概念 イネーに受け継がれた。仔J らに命令法の形態の第二のグループ,すなわち後でも はアツテイカ方言では KαTαA呼Ls&VeIV によって,イ T ω ,t o に終わる命令 aA叫 s&V εu ( ) ω によって表わさ オーニア方言では KaT 形についても認められ,これらはギリシアとラテン語 れるのであるが,ポリュビオスも中動態を持っている。 に共通で,もともと数と態に関して全く中立的であっ 一体に古典期以降のギリシア語はしばしば能動態と中 た。これはギリシア語では消滅したが,ラテン語では 動態の境界線を跳び越えており,古い言語からの甚し っと詳しく論じることになる t o r によっ 上代語℃能動形欠如動詞がその命令法を - L、逸脱が見られる。どちらかと言えば言語共同体の中 t o によっても形成し得るという事が てだけでなく ,- 間及び下の階層においてではあるが,アッティカ・ギ 注目される。 リシア語の表現の優雅さと精密さがしばしば失われて 他方,態の区別は人称語尾の形態を越えるという事 I えばアッティカ人は能動態の μO I X e V e l V と中 レる。仔J を思い出さねばならない。普から分詞がこれに関与し 動 態 の μOIXeVe σ伽 ており,ギリシア語では忠実に保持されている。ラテ Y呼 L e l V と Y何L e l σ0αI の区別にかなり正確に対応する o t を厳密に区別するが,これは ン語では中動態の分詞は一般に滅んて、いる。それでも T a . μe i v は「妻をめとる」を意味し,男性の結婚につ 石化して残ってレる中・受動態の分詞に注意を促そ 呼 Le I σ8 臼I レて用いられるが,これに応じて中動態の y φ δ μeVOCが Tpeφe l V1 養う」に属するように, う 。 TPe は女性の結婚について用いられる。同様に μO I X e V e l V alumnus1 養子,子息,弟子」は a l e r eに属し, 1 養育 は男性の姦通を, μOIXeVe σ0ω は女性のそれを表わす。 ertum 舟u s という神の名前 される」者の意である。 V 聖書に表われたギリシア語法において確かに『レビ記』 変えられる」者の名称 を人々は(恐らく誤って, ) 1 2 0,1 0ではこの動詞の能動態と中動態が正確に対比さ と解釈するだろう。いつもは能動態の分詞がしばしば せられているが,それ以外は旧約聖書でも新約聖書で t u s に終 もこの動詞の能動態形と中動態形が雑然と入り乱れて わる動詞派生形容詞が,ギリシア語でこれに対応する いる。同じくドーリア人は彼らの能動態 μOIXav を男 -TOC に終わる語が持っている価値の故に,中・受動 σO 臼t 性 に 関 し て 用 い て い る が , 新 約 聖 書 で は μOIXa 中動態の代わりに用いられる。それ以外に - 5 7 ' s h i n e ',b h a s h' s p e a k 'に対応し, G r .では φ臼i v ω が二つの性のいずれにも任意に使われている。 make t oa p p e a r ',φ η μ t‘ s a y ' に対応するが, ‘ これは恐らく非ギリシア人が態を区別できなかった 事と多少関係があろう。我々はこの無能力をギリシア の詩人達が,外国人の語り口を紹介した箇所から指摘 9 0 3年にフォン することができる O 新たに発見され. 1 ヴィラモーヴィツによって出版されたティーモテオ ス311 のノモスに登場するフリジア人は詩人自身の証 ゆ仰1は欠如動詞ではない. 5 )' l ' 10 7の n e l 時σ E σ( ) o v は二人称双数形, 753の πe l p 持田σ 8 ε は二人称複数形. 6) Loeb版では e aが e t と直されている. 7) 言によれば半ば外国語風のギリシア語を話し(15 8行 W 崇高について』は 1 9世紀の初めまでカツシオス ロンギノスの著書だと信じられていたが,全く ' E A λdδ'E ; μ π λe K ωv'A σIO l d lφ ωv a1"アジア的なアクセ 別の無名の人の著 . ヴィラモーヴィツ 42-3 ントのあるギリシア語で J 紀元後 5 0年頃書かれたらしい.修辞学の伝統にと 頁参照).そして 1 6 7 / 6 8行では KOI()ω 「私は座るだろ らわれず,文章を崇高なものにする思考と文体に .l p x ω 「私は行くだろう」と語り,接続法現在に うJ 年) ついて論じたもので,ボアローの翻訳 0674 約三分の二が伝存しており, 未来の意味を与えたり,能動形欠如動詞に能動態の語 以来文芸批評及び古典の理解に 1 9世紀まで影響を 尾を与えたりしている。その逆の例がアリストパネー 及ぼした. スの『平和J/ 2 9 1にある一一ゐg 和o μ白q K c i iX α' i p . o μa l K a iw c t p a i v o μ ,ωIl、や気持がよい,楽しくあるね,愉 ox 日i p ω の代わりのこの x αi p o μ , ω は全くギ 快だね J 8) 影響力を持っていた裕福なアテーナイ人で,デー モステネースの古くからの政敵. 9) M a x i m i l i e nP .E .L i t t r e 0801-81年) フラン リシア語的でない。それは「ダティス 32) 特有の語法」 スの医者,言語学者,哲学者.言語学者としては と見なされ,ダティスの歌から引用されている。この D i c t i o n n a i r ed el al a n g u ef r a n c a i s e 4巻の編集の i s t o i r ed el al a n g u ef r a n c a i s e を書いてい ほか H X臼i p o μ ,叫が含まれた外国人の或る小さな歌曲が存在 したに違いな L、。(ヴィラモーヴィツによる『ティー モテオスJ/ 4 3の注参照。彼は喜劇j に登場する小アジア る. 1 0 ) Loeb 版 で は S ii ni u sv o c a t , く的). Ni i t , a n t e s均m i n o . 1"もし原告が被告を法廷に召喚した ) そこで私は二つの興味深い点を 人を想起している 0 指摘しよう。一つは,アリストパネースの場合,中動 ら,彼は行くべしもし彼が行かなければ,原告 a i p O I l C J .1 をも 態の動詞との共起が明らかに中動態の X は証人を立てるべし」としており ,A La t i nD i c - p o μ ,叫 が 今 日 近 たらしたという事,第二は,この X臼 i 抑 制η, p .131 は 代ギリシア語で優勢になっている事である O ある種の 9 頁以下で詳説した。態に関してそのような ついては 4 m i n o の形態は珍しいが,これは受動態の命令 m i n i が基になって, 法現在二人称複数の語尾 t o の母音 これに命令法未来二・三人称の語尾 - 0 5 7でも見られる。 ことがアリストパネースの『騎士J/1 が付いてできたものらしい.印欧祖語にはー均 形態の近隣関係が如何に容易にずれを引き起こすかに a n t e s t a 伽に直している. α! X e σωTOI l、くさをすれば」を持つ脚韻の そこでは μ に終わる命令形しか存在せず,これが単数複数の ために Xe σe aではなく XeσωTO1"くそをしてしまう」 . 別なく,二人称でも三人称でも使われた(L.R Palmer,T heLat i nLa n g z ω! g e ,p p . 2 7 6 7 ) . が作られたのて、あるおも 1 1 lXl99 wc δ,e vo v e i po/ o vδVVO!Tω φevyovτ α 訳 註 d l φK e l v ・「ちょうど夢の中で,逃げてゆく者を追 1)クラティーノス(前 4 9 0頃 -422年) エウポリス, アリストパネースと共にアッティカ古喜劇の三大 詩人の一人. W嵐の中の人々J/, Wサテュロス達J/. 『 酒 瓶 J / , L、かけても, W ディオニューサレクサンドロス』等が 伝わっている. 2) TheodorKock 0820-91年) (けして捕えは)できないように」 δv v ぽ叫 ( 3 .s g . )の主語は明示されていない. 1 2 )P i n d a r I s t h m . 5, 2 2 3e iぬ T e T P O ! 7 CT C J . I / では ( ) e o d O T ω ,vl p y ωvK e A e v ( ) o va vK a ( ) 白 , pO l V r もし神 々しい行為へ至る確実な道に入ったならば(詩人 ドイツの古典学 はその苦労にふさわしい報酬を歌の中に混ぜるこ 者. Wアツティカ喜劇作者伝存断片集』の編者. とを惜しんではならない)Jでヴァッカーナーゲ 3) 1 ' 1 ω は 尋u 1"行く」の命令法三人称単数形, ルは T e τ p 臼 町 四t の主語を「誰かある人」と解し d σ&yy e λλE は命令法二人称単数形. 4) 欠 如 動 詞 ザo rは S k t .の b h a m i‘ a p p e a r ',b h a s 一 5 8- ているが, Loeb版の訳者 ( S i r] .E .Sandys)は s h e としているので,アイギーナ島を主語と解す アンテ としても有名であったー『武具の裁判Jl. r るのであろう. 1 3 ) カェキリウス スターテイウス(前 2 19-166年頃) ィオベーJl. Wアタランテ-Jl. W洗い水Jl. Wへルミ 奴隷としてローマへ来たケルト人.ギリシアの喜 オネー』及び『パウルス』というプラェテクスタ 劇を手本にした p a l l i a t a e を書いたが,現存する 2の題名が知られている. 劇を含む 1 0 0行ほどの断片と約 4 0の題名のみ.そのう のは 3 2 2 ) ウェナンティウス・フオノレトゥーナートゥス ち1 7の 題 名 は メ ナ ン ド ロ ス の も の と 同 じ プ ラ ウ ( 5 3 0頃 -610年) 1 4 ) Manutius ( 14 5 0頃ー 1 5 1 5年) イタリアの印刷 司教でもあった. 2 3 )O e d .Ko l . 569~70 業者で古典学者.今日のイタリック体活字を初め て使用したり,ヘレニズム研究のためく新アカデ θ η σe v,r oaovy e v v c u o ve va μ ,I K pC { Jλ oY C { J ミア〉を創立したりした π叩キKev,ゐσ r esp日xeaμ 0 1d e i a ( } a lゆp初 日. 1 1 5 ) Loeb版も f e r a sに修正している, 1 6 ) Geo r gWissowa0859-1931年) (テセウス,あなたの気高 L、心は,その短い言葉 ドイツの古典 によくあらわれている 文献学者.ローマ宗教史の権威. 1 7 ) HermannUsener 0834-1905年) はわずかですむ それゆえおれの言うこと 一一高津訳)しかし. O x f o r d 版では sp 臼X 白 μ力o i d e Ia{)w とL、う読みが採用さ ドイツの古 典学者.特にエピクロスとギリシアの宗教の研究 れている. で有名. Menon79c 日 ,tωνσ01n&Al ve ce x p x ,rc,ゐtμoiδOKe I , r ,rc δ e i r 1 8 ) "7ールクス・アウレーリウス(12 1ー 180年) 1 9 ) イタリアの中世ラテン詩人 で,最後のローマ詩人と呼ばれた.ポアティエの トウスとテレンテイウスの中間に位置する ローマ皇帝 ( 161-180年). W自省録』は陣中の寸 o o r ,rcepω τ時σ E ωc,ωφIAeMeν ωv , 暇に記したもので,ローマ帝政期のストア哲学の (そこで君にはもう一度改めて同じ質問が必要な 代表的文献のーっとされる. ようにわしには思われるよ,メノーン君.一一岡 Wアカルナイ人Jl 5 10-11 田正三訳) r o i c 0I I oσ e l δゐV,ovπ i T臼, I V & P C { J( } e o c, K αv 2 4 ) Herodas V I,4 1 r J fvμEυyλ くO t) a σ αve K r e μ εi v a e i a 臼 cc < n臼 a l ve μ p ω 01 racO i K i α ,c ' δ e i τ日 / . (私は舌を切り取らねばならん) (されば,タイナロスにいます神ポセイドンがー 2 5 ) OE mot の ME における普通の意味は「私に許 揺りゆすってきやつらの頭上に家をぶつつぶされ 6世紀前半までその用法が されている」であり. 1 ますよう. v e r em o t e1dηn k ewyn o r あった.例えば Ase 村川堅太郎訳) a l eI ¥ '、つもぶどう酒やビールが飲めるように」 142-43 『女の平和Jl 1 キδe M ε u σJ fVI ' Jr o r e ( C h a u c e r,C a n t .T a l e s .G e n .P r o l o g u e,8 3 2 ) .そし bμì~ e πe K e lτ 0, XW( } e o ca e i ωv品目 て「しなければならな L、」という必然性の意味は (そのときメッセネはあなた方に襲いかかり,同 最初は仮定的な主張としての過去の非人称的使用 (本来は接続法)で発達したようである 時に大地は打ち震いました.一一高津春繁訳) 2 0 ) ルーキウス・アッキウス(前 140-85年頃) 期のロー 7 の悲劇詩人 例えば u sm o s t ep似た o u r egoodi na v 仰 t u r eI 我々は財産 初 C a n t .T a l e s . を 運 命 に 委 ね な け れ ば な ら な い J( 題名が知られているのは 約4 5篇であるが,作品自体は断片のみ,仔J Iえば『ア C a n o n ' s Yeoman'sT a l e,9 4 6 ) . この用法は 1 5世紀 ンドロメダJl. WアトレウスJl. WメレアゲルJl. Wピ 末頃まで見られるが,その後人称構文に取って代 武器の審判Jl. Wデキウス」及 ロクテーテースJl. r u g h t わられた.また「義務がある」の意味の o び『ブルートゥス』という二つのプラェテクスタ ( t o ) も初めは接続法ですでに後期 OEから用いら 悲劇,ギリシア れ た 例 え ば 片' swea h t e nωb e o 問 t ee dmoddre ローマの詩に関する『劇詩史Jl. 農業上のことに関する詩など キケローはアッキ 「それ故我々は一層つつましくすべきである (Lam beth Homili 九 p .5,28~9 , 1 2 0 0年 頃 の 写 ウスを大いに尊敬していた.また彼の崇高な文体 ゲo r eu so g h t e . 本). 非 人 称 の 例 と し て は Whe はウェルギリウスによって模倣された. 21)マルクス パ ー ク ウ イ ウ ス ( 前2 2 0頃 1 3 0年) a sw e l 百 t h ed e e t ho fo u r ec h i l d r e na si nt h e エンニウスの甥で弟子.アッキウスにとっては先 l o so fo u r eo t h e r eg o o d e st e m j り o r e l s .h a v e pa 輩にあたるローマの偉大な悲劇詩人の一人 c i e n c eI ですから,人は子供をなくしたり,財産 画家 ハ ヨ を失った場合でも,辛抱してその悲しみに耐えな C a n t .T a l e s,The T a l e0 1 け れ ば な り ま せ ん J( M e l i b e e,1 0 0 0 0 3 ) . p .6 7 6 7 8及び宮 ( K .Brunner,W英語発達史~, p 部菊男編『中英語テキスト~, p . 2 3 7 ) 4, 4 1 Kc i JふX e ' l 1 叫 r or p i r o vKc i Jλ e y e d x v r o i c, 2 6 ) Mar∞s1 K α 0 εu d e r er oλ 0 1 π OV Kc i Ja va π αU e σ( } e ;aπi XGl" λ a ( } e V カゐp臼,… l(イエスは)三度目にきて言 われた, 1 まだ眠っているのか,休んでいるのか もうそれでよかろう J この訳 時がきた.…・・ J 2 9 )R i c h a r dR e i t z e n s t e i n 0861-1931年) ドイツ の古典学者.殊にギリシアの神話や古代宗教の研 究家 GGA. とL、う略号については不詳. 3 0 ) Loeb版では v u l g u sc r e d i d i tが r u r s u sc r e d i si d と 二 人 称 単 数 に 直 さ れ , “ Or e l s eb e c a u s e1 r e c e i v et h ef i r s t f r u i t so ft h ey e a ra si tt u r n s i t sr o u n d,f o rt h i sr e a s o na l s ot h o ud e e m e s t t h a to f f e r i n gt obeV e r t u m n u s ' due" と訳され ている. 31)ティーモテオス(前 450-360年頃) 小アジアの は非人称として「領収済である」→「十分である」 ミーレートスの人で,ディーテュランボス詩人. と解釈したもの.人称的に解すれば「彼(ユダ)は 1 9 0 2年に前 4世紀のパピルスから発見された『ベ πe X e l 〔金を〕受けとっている」となり,また & τo r e λoc ・「もうおしまいだ」と書いである写本 . もある. (岩隈直著『新約ギリシア語辞典~, p 5 1 ) ルシア人』は竪琴に合わせて歌う叙事詩(ノモイ) であり,彼は音楽を改革したと言った 3 2 ) マラトンの野でアテナイ人に前 4 9 0年に破られた ペルシアの将軍で,彼はギリシア語の知識を誇っ 27)ハードリアーヌス帝から 3世紀末のヌメリアーヌ ていたが,本当は間違いだらけだったという.一 0名の皇帝の伝記. 6名の著作家が少 ス帝までの 3 方,彼は品行のよろしくないリュディア生れの奴 しずつ寄稿したものを集めたもので,スウェー 2 8 )E u r i p .1 .A . 624 e y e l p 'a δ , eAφ 骨c e φ,I J μe v 臼10V e I Jr v xゐg・「お姉さまのお嫁入だから,仕合せにお 起きなさい J A e s c h . Eum. 1 4 0e Y e l p ',~yelpe 隷だったという説もある(高津春繁). 3 3 )R i t t e r 1057ωλ トーニウスの『皇帝列伝』を模範としている. OVK a v 仰がσw r o " xeuwro yap,f Iμ臼' X e σ臼lTO. 1 ただ女子には戦さはできぬ, いくさをすれば, くそをしてしまうぞ J 千秋訳. Kωσu r 呼v d ', y wぬ σe .1 起きるんだ!私がお前を起こすよう I ; に,お前も彼女を起こすのだ」 (今回も同僚の松川弘氏に訳文を読んで頂いた に記して謝意を表します.) - 6 0 松平