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釈尊の出家 - 藤田一照 公式サイト
届罫 20/3年?/fL/LJ (王) (第3種郵便物認可) 出家と打坐㊦ 樹下の打坐はそれとはまっ 目指しているからだ。 に到達する「体験の獲得」を に静かに「存在」していた。 の坐りこみだった。ただ純粋 「お手上げ」状態での、素手 かった。いわば、まったくの いうような見込みや予想もな 「仏」とは、人間の思 う。「仏のいへ」、 れ、仏となる」と言 きずして、生死をはな ず、こころをもつひや 慮分別、計らいを超えた大自 たく質を異にする、「存在の そのような打坐では、身心 藤田一照 て理解しなければならない。 然の働きのことである。「存 次元」を受肉化したものとし たエピソードを思い出す。こ のありのままの状態が深く繊 在の次元」は、「南無(仏に き 釈皆は出家したあと、すぐ 一般には聞き慣れない「打 細に感じられているだけで意 なi3 の回想を契機に「これこそが 坐」という言葉が用いられた この打坐において初めて実現 すべてを託す)」の姿である さと 覚りへの道にちがいない」と 識的で人為的なコントロール だ は差し控えられている。感覚 っ のも、それが「○○瞑想法」 ふ だとか「○○宗の坐禅法」と からのフィードバックを受け れる有効なメソッド(方法) 、 さま一人で森に入って樹の下 で打坐し、仏陀(覚書)にな の確信をもち、村娘のささげ いうようなテクニック的な限 近年、日本や海外でも仏教 のシステム」として注目を集 ざ ったのではない。ものの占有 し、そばの河で沐浴して身を た乳粥で体力・気力を回復 て身心は自然に変化しようと が「人生の問題を解決してく ら、それを拘束することなく た をどこまでも追求する水平的 定から離れた「単純素朴な坐 する微細な動きを生み出すか 託していく。打坐とはそうい ちちがゆ な「所有の次元」から、現在 清め、大樹の下に坐った。こ り」であることを強調するた めである。釈蕾が思い出した したのだ。 の深さへと目覚め、鎮まって れが「樹下の打坐」である。 この打坐に至る以前に釈尊 め、打坐もまた瞑想メソッド もくよく いく垂直的な「存在の次元」 への転換は、出家しだからと う無条件の受容 の一つとして理解されてい のは、子供時代に行った自発 の営みなのであ が試みた瞑想や苦行は「わた ない。 「コントロール」から「感じて、許す」へ る。しかし、仏教は、釈尊が メソッドではどうにもならな い人生の現実に直面して「出 家L L、メソッドの限界を知 しが・なんらかの目的を目指 ことだった。 法」などではなかったという 的な坐りが「○○のための方 す」と表現している。 この営みを短く「感じて、許 そのような仏教の原点を改め 始まったのである。今こそ、 「存在の次元」が実現 る。わたしは、 いって、そう簡単には実現し 出家後の釈尊 がまず試みたの は、人が集まる都市へ行って 高名な師を探し、その指導を 受けて伝統的な宗教的探求の して・ある方法を・実行す って「打坐L Lだところから かれは、当時名声をはぜてい る」という枠組みで行われて 「方法」を学ぶことだった。 た二人の瞑想指導者のもとで いた。瞑想の場合は主に 「コントロールL L、ある理 を対象に特定の方法に従って 「心」を、苦行は主に「体」 たし、こうしたらしうなると には指導者も手引書もなかっ としだのではなかった。そば か特定の「方法」を試みよう 樹下に打坐した釈尊は、何 ゆくとき、ちからをもいれ ほれて、これにしたがいもて いれて、仏のかたよりおこな ちわすれて、仏のいへになげ 「ただわが身をも心をもはな そのような在り方を道元は まうのではないだろうか。 問題解決の道具」になってし さもなければ仏教が「凡夫の て見直してみる必要がある。 めいそ」つ めたのだが、それには満足す 修行に励み、教えの究極を極 次に苦行に取り組んだ。こ 想の状態に「変えよう」とす ることができなかった。 こでも、指導者や先輩から る。この営みの主体は「わた げっぎょく釈尊は、瞑想と ロール」という意識的・技術 ような「方法に基づくコント 洞宗国際センター所長) (ふじた・いっしょう=曹 「方法」の手ほどきを受けた じん しん ことだろう。過酷な苦行も身 し」という意識にはかならな \ ○ 心を極度に消耗するのみで根 本的な解決をもたらさないと 苦行という「既成の方法」で 的なアプローチの限界だっ 釈尊が気づいたのば、この ' . . V は、自分が求めていた「人生 た。このアプローチには「所 見極めて、これも放棄した。 の根本的ジレンマへの真正な いている。その証拠に瞑想や 有の次元」の残津がこびりつ し、ある「境地」や「状態」 たし」の所有物として客体視 苦行は「心」や「体」を「わ ざんし 応答(レスポンス)の仕方」 る。 を兄いだせなかったのであ このとき、釈尊は幼いころ すわ 自分が自発的に樹の下に坐っ