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Page 1 現代ドイツ小説研究 ーラファエル・ゼーリヒマン論ー Studie über

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Page 1 現代ドイツ小説研究 ーラファエル・ゼーリヒマン論ー Studie über
個 人 砥 究
89
で文壇にデビュー,文体の新しさ,題材の特異性によっ
て俄然注目を浴びることになった。この小説は第二次大
戦後の西ドイツでのユダヤ人の生活ぶりを描いたものと
しては初めてのものであり,社会学的視点からみても興
味深いものがある。今年度はこの小説の解釈を通して新
しい現代ドイツ文学の傾向を探るとともに,その評価位
置づけを行った。
『ルービンシュタインのオークション』:冒頭の章は
次のような教室場面から始まる。
「こんにちは。タオハーと申します。何人かの人と
は顔見知りですね。当分の間私がファー一一デン先生の
ドイツ語の授業の代わりをいたします。」顔見知り
なんてもんじゃない,俺はあんたのことをよく知っ
てるよ!
「みなさん,この教室はあまりにも軍隊調できちん
としすぎって感じね。だけど私たちはここで教練を
するんじゃなくて,討論してお互いから学びあうつ
もりなんです。」
彼女はまっすぐ我々を見つめる一私の顔も。
「だから皆さん,半円を作るようお願いします。」
誰も躊躇して先生の横に座らない。そこで主人公のヨナ
ターン・ルービンシュタインが手を挙げて先生の横へ行
く。すると彼の手を握って高く掲げる女教師。空然起こ
る歓声。ここは男子高校なのである。ヨナターンは恥ず
かしさもあって,みんながそんなにも彼女の横に座りた
現代ドイツ小説研究
いなら「どうぞ」といって,その席を競りにかける。そ
一ラファエル・ゼーリヒマン論一
遠山 義孝
Studie ifber die deutsche Gegenwartsliteratur
−Uber Rafael Seligmann一
Yoshitaka TOYAMA
の結果彼は100マルクを手に入れるのであるが,ユダヤ
の金稼ぎと言われ,いたたまれなくなって教室を飛び出
す。これが物語の導入部分であり,書名『ルービンシュ
タインのオークション』のいわれとなっている。
上述のようにこの小説は1945年以降ドイツ系ユダヤ人
作家の手になる最初の小説であり,それはユダヤ人社会
の支配的なコンセンサス:<特別に目だたぬようにせよ
! そうでないと反ユダヤ主義者達を喜ばすことになろ
1
う!〉を眼中においていない。自己をさらけだすことに
ラファエル・ゼーリヒマン(1947∼ )はドイツ系ユ
対するユダヤ人の不安にも,また反ユダヤ主義者達の免
ダヤ人の移民の子として,イスラエルに生まれ10歳の時
罪を望む欲望にも考慮をはらわない。それゆえ,このテ
に両親に連れられ,ドイソに帰還した。その後ドイツで
ーマに対して書かれた多くの善意の記録物より,ドイツ
成人し,政治学の学位を取得,ジャーナリスト活動の
におけるユダヤ人の生活の現実の姿にはるかに近づいて
後,1985年以来ミュンヘン大学のGeschwister−Scholl−
いるのである。ゼーリヒマンは34の短い話(34章)の中
Institutで教職についている。1989年自伝的小説rルー
で,全くありふれたユダヤ人家庭のごくふつうの日常生
ビンシュタインのオークション』(Rafael Seligmann:
活,つまりそれは取りも直さず先鋭化された条件のもと
Rubinsteins Versteigerung. Roman:Eichhorn−Ver−
での家族生活の恐怖なのであるが,を見事に描いてい
lag, Frankfurt a. M.1989;220 S.)
るQ
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人文科学研究所年報No.32
ヨナターンの言動がまたすさまじい。実の母親に
まだ意識下だけではなく表面的にも反ユダヤ的風潮のあ
“Esel”「とんま」“dumme NuB”「からっぽ頭」“alte
るドイツという国で強く自己主張をしなければならない
Intrigantin”「すれっからしの女寝技師」“Giftmi−
ことになる。
scherin”「毒盛り女」等々の悪口を浴びせる。父親のこ
とを“Zwerg und Schlappschwanz ”「小人の意気地
なし」と呼んだりもする。両親は二人とも“Versager,
2
ヨナターン・ルービンシュタインは,言ってみれぽ生
Feiglinge, Duckmtiuser”「落ちこぼれ,臆病者,猫か
まれつき他の者達と違っていたと言えよう。作者ゼーリ
ぶり」であり,子供に生活の原則を教える代わりに,つ
ヒマンは過去を20年遡って,この小説の中でアビトゥー
まりどうしたら生きていけるかを教え込むかわりにノィ
ア受験生の数ヵ月にわたる生活を描いた。かつて彼自身
P一ゼをうえつけたという。ヨナターソは経営学を学ん
がそうであったように,同級生達との陰にこもった戦
で,それから税理士になってものすごく金を稼ぎたいと
い,偏狭な両親との戦い,そして所々他の全ての問題と
思っている。だが彼の行動は「一日中,一物(Schmock)
重なり合う性的欲求不満との葛藤がテーマになってい
以外のことは頭にない」。(vgl. TALMUD:Mit 18
る。彼は21歳もになってまだ性的体験が無く,「女に話
unter den Traubaldachin, denn wer mit 18 noch
しかける」勇気さえないのである。ユダヤ人の女の子達
unverheiratet ist, wird den ganzen Tag nur an
は「スカートの下に計算機をつけて」走り回り,婚前は
Slinde denken.)それなのにデリケートな胃の持ち主で
処女のままでというユダヤの幟を高く掲げている。ユダ
食事は規則的にしなければならない。母親は彼に煮付け
ヤ人でない娘たち,つまりドイツ娘たちはセックスのう
鶏肉がいいか,テラーフライシュがいいかを尋ねる。息
えでもっとオープソなのであるが,そのかわり他のハン
子がテラーフライシュに決めると,彼女は「鶏肉の方が
ディキャップを負っている。つまり彼女たちの「父親か
胃にはいいんだよ」という。すべてこの調子である。
おじがSS隊員であった」かどうかを事前に知ることが
母親はかかあ天下で,父親は時々泣いており,息子は
できないからである。その他ユダヤ人の両親たちは,子
怒りをこらえて,時折ドアにやつあたりする。全体がま
供たちが異教徒と結娘することにものすごい恐れをいだ
さにユダヤ的家族小説である。当然のことながら,この
いており,「シクセ=非ユダヤ娘たち」“Schiksen”と
小説はミュンヘンのユダヤ人社会に波紋をまきおこし
交際することを好まない。
た。誰もが顔見知りの小さな社会で小説のモデルさがし
そういうわけでヨナターン少年は「我々の両親の偏見
が始まっただけではなく,このような書が一体全体書か
というゲットーの中」で成長するのである。作者のルー
れねばならなかったのか,特にドイツで出版されること
ビンシュタインは,「これらの偏見は客観的にみれば実
が当を得ていたかどうかに議論が集中した。この国の反
際ばかげたことだが,彼らが数千年にわたって余りにも
ユダヤ主義者達に待ってましたとばかりに格好の攻撃材
多くのことに耐えてきた結果生じてきたのだから,いま
料を提供したのではないかということであった。作者が
さら変えるわけにはいかないだろう」と推量する。それ
ユダヤ人であるということが,事柄を一層複雑にした。
ならなぜ彼らはドイツに戻ってきたのか。父親は「以前
内輪の恥を曝したというのである。自伝的要素を含んだ
の故郷」が彼を引きもどしたから帰ってきたというが,
この小説は,しかしゼーリヒマンにとっては,自己のそ
ヨナターンはそう思わない。「あんたは何処をさがして
れまで育ってきた生活,つまり自己の歴史にけりをつけ
も見つからないような最大の挫折者だよ」「あんたはイ
るための試みでもあった。両親がイスラエルからドイツ
スラエルで食いはぐれたんだ」と実の父に向かってい
に戻ったとき,彼は10歳であった。イスラエルの公文書
う。
においては彼の名はヨナターン・イザークであった。そ
父フリードリヒ・ルービンシュタインは毎日10時間も
の後イザークという名前は幽霊の手によるかのように消
身に粉にして「ジルバーファーデソ・ウソト・エールリ
えてしまい,、ドイツのどんな記録文書にも現れてこな
ヒマン」社の倉庫で働いている。ヨナターソによれぽ,
い。母親は,わが子がドイツでそんな名前をしていたら
それは自分自身で金もうけをするかわりにユダヤ人仲間
かわいそうだと考えたのであるが,しかし息子がそれに
の富の形成の手助けをしているのである。母クラーラ・
よってどっちつかずの生活に陥ることにまでは考えが及
ルービンシュタインからすれば,「彼があくせく働いて
ぼなかった。なるほどユダヤ人としては目だたないよう
いるのは,おまえが食べて,着て,寝ることができるた
にするのがよいのだろう。かといって彼はドイツ人とし
めなんだよ」ということになる。「そんなこともう聞き
てはドイツ社会に受け入れられなかった。だから彼は,
あきたよ」とヨナターンは受け応え,「あんたたちが俺
個 人 研 究
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をイスラエルからこのナチの国に連れてぎたことにまで
験生(ヨナターン・ルービソシュタイソ)の告白さえ歴
感謝せよというのかい?」と悪態をつくのである。クラ
史の重荷から免れることができない。小説の中で彼に対
ーラとフリードリヒのルービンシュタイン夫婦は,息子
してなされる非難はものすごいものである。たとえば歴
のこのような怒りの爆発にただオロオロするばかり,な
史の授業で“dle End16sung ”(「最終解決」)が取り扱
すすべを知らない。なぜなら彼らユダヤ人がドイツに定
われる。すると思いもかけないような質問が飛び出す。
住することの是非は実に重い問いであり,だから彼らは
ユダヤ人間題に対するありぎたりの啓蒙は,かえって事
自分たちが「自分自身や家族をどんな状況下にもたらし
の重大さを相対化させてしまう恐れのある事を物語る一
たか」を理解しようとしないし,理解することもできな
節である。その危険性をヨナターソの強烈な内的独白の
い。むしろ理解するという行為に必死になって逆らう,
中に読み取ることができよう。
なぜならそれをすれば彼らの終わりを意味するからであ
る。つまりそれはナチの殺人装置を生きのびたドイツ・
Aber was soll ich antworten, wenn ich zum
ユダヤ系のわずかな生き残りの者達の自発的かつ道徳的
zwanzigsten Mal gefragt werde, ob es nicht
な否定(自殺)の告白となる恐れがあるからである。
doch>nur vier Millionen〈waren, die>daran
現にドイツに住む彼らにとって大切なことは,「シナ
glauben rnuBten〈?
ゴーグにきちんとでかけ,コッシャー料理を食べ,そし
Oder ob >die ganze Vergasung nicht ein j廿di−
て遊びでユダヤ人の娘たちとはセックスをしてはいけな
scher Schwindel ist, um Geld aus Deutschland
い」ということだけであった。その他の点では彼らは他
zu holenく?
のすべてのドイツ人の両親と変わりなかった。すなわち
Werden uns die Deutschen je ihr schlechtes
彼らもいつどんな場合でも子供にとっての最善を望んで
Gewissen verzeihen?
いた。
(しかし俺は何と答えたらいいのか,20回も「殺さ
3
れた」のは「たったの400万人」だけだったのでは
一般にユダヤ人の行動はどんな些細な行動でも反ユダ
ないか,とか
ヤ主義者達の態度に影響を与えずにはおかないと言われ
あるいは「ガス室の皆殺しの話はドイツから金を取
る。だがこの事を当のユダヤ人に伝えるのは難しい。ア
るためのユダヤ人のでっちあげじゃないのか」と尋
メリカでは反ユダヤ主義というものは,全てのユダヤ人
ねられたとしたら?
がアインシュタインのように賢く,エリー・ヴィーゼル
のように勇敢で,ウディー・アレンのように滑稽であろ
ドイツ人たちは我々が彼らに良心の呵責を負わせた
三止一匹対して,いつか我杢髪詮すだろうか?)
うともなくならないであろうと指摘されている。だから
アメリカではユダヤ人は平気でごく当り前に自己を批判
この下線部の文は,一見したところ不条理な逆説的表現
的かつ皮肉に描き出すことをためらわない。だがドイツ
であるが,その内包する事実は重大である。だが現実の
ではこのやり方はなじみでない。
問題として,免罪を求めている,つまりナチ時代の行為
そのためドイツ在住ユダヤ人は不安,順応そして偽善
に対して今になっての申し開ぎを求めている根っからの
的態度をもってドイツ社会に接することになる。だから
反ユダヤ主義者達はこの文を利己的に解釈し,ゼーリヒ
ゼーリヒマンの小説も,いわゆる=ダヤ人の公式的立場
マンによってはからずも支援を受けることになるのであ
を表明するところの“Allgemeine jtidische Wochen−
る。まさにこれは不条理劇といえよう。
zeitung”(「一般ユダヤ週間新聞」)紙上で,文学的視点
からではなく戦術的視点から論評されることになった。
4
つまりゼーリヒマソが「この種の『内輪の恥曝し』をす
「ユダヤ人は自分の思いのままにはどこにも住むこと
ることによって,ナチの時代(1933年から1945年)の行
がでぎないのか一いつも極端に正常であれ,ふつうであ
為の申し開きができるものならいかなる形の免罪であろ
れと要求されることなしに一?」。これがヨナターン・
うと進んで受け入れるつもりの非ユダヤ系読者層,つま
ルinビンシュタインの疑問である。ヨナターソにとって
りドイツ人達に取り入ろうとしている」のではないかと
「この世にはユダヤの母親と反ユダヤ主義の他にもまだ
疑うのである。
他の諸々の問題がある」ことを理解するのには暫く時間
おそらく現在の諸条件のもとでは,一人のユダヤ人受
がかかるのであるが,しかしこの二つの事柄が何と言っ
92
人文科学研究所年報No.32
ても彼の生活を支配しているのである。たしかにアメリ
ツに定住することを決めたユダヤ人は,このドイツとい
カの作家フィリップ・ロスのrポートノイの不満』以
う国と同化しなければならないということである。
来,今ではジューイシュ・マザーが息子達のリビドーに
振り返ればナチス以前には,ユダヤ系ドイツ人作家が
ものすごい影響を与えることが知られている。いわゆる
ドイツ・オーストリアの文壇の主流を占めていた。彼ら
マザー・コソプレックスである。ヨナターン・ルービン
が亡命した後,いくつかの亡命文学は生まれたものの,
シュタインもこの点では例外でない。彼は「意気地無し
戦後は往時の隆盛は戻らなかった。しかしこの小説は
のユダヤの息子としての「テスト」に見事に合格したの
deutsch−jtidische Symbioseの可能性が消えてしまった
であるが,それは同時に「恐妻家のユダヤの夫としての
のではないことを雄弁に物語っている。
資質を有している証であった」。彼は自分が自分の父親
付記 ユダヤ人問題も根底においては教育の問題とい
のようになることを早くも知っているのである。それに
うことである。そのためこの研究に関連して教育
しても父親の「絶望への勇気」は大したものだ,「何と
哲学の視点から次の論文を同時に発表した次第で
言っても彼は“Esel”(エーゼル)とベットに行くこと
ある。
をなしとげたんだから」とヨナターンはこの点だけは感
〔教育の論理と可能性(H)一教育と社会一〕 明治大学
心している。またヨナターンは,母親がそのテロ的とも
教養論集239号(1991年3月発行)p.281−p.300
言えるほどの世話をこの先もやき続け,あまつさえ彼の
結婚初夜の晩に側にいて「俺の妻にクレープと紅茶を差
し出す」としても驚かないだろうと思っている。
そのような思いが,厄介なことを引き起こすのであ
る。たとえば,口うるさい全能の母のつかの間の留守を
狙って女友達を自分の家にやっとのことで連れ込むこと
に成功したのに,細心に計画されたセックスの初演は破
局に終わるのである:“Nun., da es endlich so weit
ist,1δBt einen der eigene Schmock im Stich……”
(「ようやくやるところまできたのに,今度は息子が立
たないなんて……」)。ヨナターンはいたたまれなくなっ
て愛読書のカフカの一節を彼女に読ませる。「ひとがイ
ンポテントだからこそ,文化というものは生じるのだろ
うか? ひとは交尾することができないから,読んだ
り,書いたりするのだろうか?」。とにかくその因果関
係がどうであろうと,ラファエル・ゼーリヒマンがピリ
ッとさびのきいた処女作を世に送り出したことは確かで
ある。特に超然として皮肉を放つ叙述方法はこの作品に
爽快感を与えている。作者の分身であるヨナターン・ル
ービンシュタインは英雄でもなければ,模範的人物でも
ない。彼はあのすごく賞賛されるところのドイツとユダ
ヤの共生(Symbiose)の新しい人物像といえよう。そ
れは正確な観察力と賢明な考えをもった好感のもてる弱
気な男であり,「遺憾ながらたとえユダヤ教の宗派であ
ろうとも一人の良きドイツ人」なのである。それがこの
小説の最後尾の“Ich bin ein deutscher Jude!”(「俺
はドイツのユダヤ人だ!」)という叫びとなって爆発す
る。この一文はその上外面上もイタリック体で強調され
ている。それはとりもなおさず,ヨナターン・ルービン
シュタインの「すべてドイツ的なものに対するルサンチ
マン」克服への試みの結論でもある。換言すれば,ドイ
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