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フッサール現象学による幼少期の自我体験の解明から

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フッサール現象学による幼少期の自我体験の解明から
比較思想学会第 43 回大会(2016 年 6 月 19 日 関西大学)予稿集
パネルディスカッション「思想としての生命第3回:死をめぐる生命」提題要約
フッサール現象学による幼少期の自我体験の解明から輪廻転生観へ
渡辺 恒夫(東邦大学)
<発表要旨>
自我体験をフッサール現象学によって解明すると輪廻転生観が帰結する、というのが本発表の論旨である。
自我体験 Ich-Erlebnis とは突然に自己の自明性が揺らぐ体験で、驚き「私は私だ!」
、訝り「私は本当に
X.Y なのか?」
、問いかけ「私はなぜここに居る X.Y であって他の誰かではないのか?」
、おののき(独
我論的体験)
「世界中で私であるのは X.Y ひとりなので私は唯一で、だから特別だ!?」
、という四要素のい
ずれかを備える。日本とオランダでのみ細々と調査研究がなされているが、年齢分布は3歳~15歳、初発
のピークは8歳~10 歳、大学生の回想報告率は 20~30%、年齢と共に記憶が衰微する等、ほぼ全貌が明ら
かになりつつある。
【事例 24 歳女性】9歳か 10 歳の頃のことでした。夜で、真っ暗闇でした。私はベッドに入っていました
が、眠れません‥‥。 突然、どこからともなくある認識が私に訪れました。私は私。私は私であるこの世で
たった一人の人間。私は、この認識が不意にやって来て、私をやや不安にさせたと思います。私は自分のか
らだに閉じ込められたように、またかなり孤独に感じました。私はその夜考え続け、誰もがみな自分自身な
のだと気づきましたが、それでもこの感覚は長く残りました。
(コーンスタム『子どもの自我体験』金子書房
2016)
自我体験研究では回想データしか使えず、少数派の経験である等の理由で、主流心理学では無視されてき
た。私はこの研究には現象学こそふさわしいと思い、その現代心理学的な技法化を図って「フッサール心理
学」を唱えているが、単に技法に留まらず、フッサール現象学は自我体験そのものの解明に役立つことが分
かった(拙著『フッサール心理学宣言』講談社 2013)
。
上記の事例でも、自己の唯一性(私は私であるこの世でたった一人の人間)と自他の等根源性(誰もがみ
な自分自身)の間にパラドクスが出現している。誰もが自分のように唯一では、
「唯一」が多数あることにな
って唯一ではなくなるからだ。これはフッサール『危機書』後半にある「パラドクス」と照応する。人間的
世界経験の根源的パラドクス構造が、ここにはある。
パラドクスからの出口もフッサールが示唆を与えている。
『デカルト的省察』の他者論には批判が多いが、
ヘルト(
『現象学の展望』所収.国文社,1986)の内在的批判によると、フッサールは、虚構的意識「あたか
も私がそこにいるかのように als ob ich dort wäre」と、時間的想定「別の時間に私がそこにいるならば wenn
ich dort bin」という異質の2種類の志向意識の協働によって他者への志向的意識が成立するとしている。私
はこれを批判的再構成として肯定的に受容し、他者とは「時間を異にした私」であることになると、フッサ
ール他者論の時間差解釈を唱え、併せてパラドクスの克服を図る。
他者とは時間を異にした私だとは「輪廻転生観」そのものではないか。西洋人フッサールの想像の埒外だ
った死生観的展開も、東洋でなら可能となろう。1200
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