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瀬パ竃 蕊羅鷲籔⇔
( 、 テ 「 ア コ 一西 ー〃﹂及﹁エーテル﹂チ之⇒注キテ 燥セシム尿中若シ多量︵大約○、○○ ホ 録︶ 晶■頃●ロヨ■●頃●司■口■■唱頃頃■■口唱■口■■口ロ一ロ■■一■ロロ■喧■“■■■■輪一●■一■■一一■一一■■一冶口一已ロ一 中水銀ノ鑑識 男廿曽巨゜N信゜H⇔OO°ZO°﹂㏄゜︶ ー子ル旨゜口。。巨窪氏ハ尿中⇒於ク 琵︶ノ水銀チ合有スル芹ハ銅板昌銀ノ如キ白 澤チ放ッモ少量ナル片ハ︵大約。、。。一或 斯二封スル治験 ④﹁アスピリンノ﹂關節エ櫻麻 ハ○、○○〇五瓦︶只僅カニ青白色チ呈スト云フ ウ﹂テル﹂ノ尿チ水浴上二蒸散セシメテ四分︷ 銀チ鑑識ス〃⊃次ノ法チ以テセリ其法先ツ ル 乾 次 三 † 一 キ 孤 ( 分 時 ︵醤事新聞第五百七十七號︶ 質 エ … 光 一 ∨一!∨ ノ 一 )∨ 、!、/)〉’一 一、’〔 ’ 抄 ● 尿 ホ 加入タル後此板チ取リ出シ先ッ水⇒テ之チ洗ヒ 歳ノ女ニノ慢性多褒性關節棲廠質斯ト診断 リ氏ノ實験二係ル患者ハニ名⇒シテ一名ハニ タ 十 入 薄膏銅板チ入レニ賠間六十乃至七十度ノ温度チ +度ノ温エ於テ混和シタ違之チ濾過シ褐色ノ ニル治例チ引用シ次テ氏ガ裏§大藁、毒 院内登於曇験芒フレタ〃自巳ノ治験チ葵 濾液中⇒滴砂精及稀硫酸チ塗布シ.タルニ三條ノ 〃 瀬パ竃㌶蕊羅鷲籔⇔ 籠ぽ纏︰鴻弓鰯運認一酬 「 工 〃 轟 水 ← ラレタル者他ノ一名ハニ十六歳ノ女⇒ノ恐ク ︵東京讐事新誌第千百七十九號︶ 性多登性關節優廠質斯ト診断セヲレタル老在萱岐ノ古賀俊英氏ハ本題二就テ實験ゼル所チ リシガ氏ハ甲患者⇒最初﹁サロフェーシ﹂チ用︵報告サレタリシが其症候ハ大略次ノ如クナリシ ひ 疾 セ 癒 ニ日三回・雰服セシメタ〃一己二吾⋮皮膚炎テ起シ他ノ一般閨貝類ノ中毒症ト三 い 井タルモ効ナ‡以テ﹁アスピ・ご三琵ヲ三包∵云ブ即チ本症三急慢二症アリテ共二種ノ ナ 分 チ 藷症ノ大二輕快スルヲ認メ+日ノ後百三豆趣チ警シ腸胃ノ症嬰ハ運動機祠経系等 い ⇒ 肺⋮︵あわびのつのあユκ︶ キ⇒至レハ水泡疹テ生シ其破裂スルヤ摩燗面チ 無クノ偉効チ奏セリト云フ ∼モ日光二照サル・片ハ酷ダシキ灼痛チ登シ甚シ い 著ナ・フサリシモ亦毫モ不快ノ副警チ褒スルコ⋮更炎性纏チ呈シ厘岳テハ疹痛チ起サ×ル 棚セシメタル三奏効二剛璽於グ〃ガ如ク顯ニル農ハ蒲震シ疹憂楡劇甚トナリ其周 げ 者ニハ淋疾ノ局所療法ノ傍ラヲスピリこヲ内言ノ疹痛ト﹃患者堪ヘザル︷呈ル而メ侵サレ チ呈セズノ關節症歌ハ全ク拍散シタリr叉乙患 二始メ療痒歌ノ刺戟チ戚ジ次テ火傷様叉ハ丹毒 へ +二瓦ノ大警用井タリシニ毫モ藁ノ副作用言乃至百ノ中蓋警晃扇ル・所ノ体部 用量義三㌣;五+査ノ闇一殆ンド百∵侵曇樫誉於テハ墨症ナクグ讃議 二 O 中主母症一二就テ 呈シ漿液或ハ稀膿汁ヲ漏シ加之眞ノ潰瘍二陥井 鮎 ︵抄錐︶ 二五 ︵抄鎌︶ 美 寸アレ氾輕症ノ者二在テハ病機ノ増進ハ一二 量シ之レ⇒少クモ三回百立方﹁ゼンチメート〃﹂ 日芒照射セラ〃・所農サレザζ無シ㌻チメー膓﹂チ加姦星ジタ曇繋ノ窯 部、前腱、手背、前脛部ナルモ荷モ外部⇒露出 メ之レユ酷酸銅溶液ノニ十五乃至三十立方﹁セ 襲チ蒙ム〃部位ハ殊二前額部、鼻梁、頬部、耳輪、 テ熱シ其際生シタル少量ノ沈遮チ再ビ溶解セシ 灼痛駄ミ浸潤皮疹モ亦漸次消退ス而ノ此病ノ侵一シ次デ之レチ濾別シ其濾液チ養沸スル⇒至ルマ 日⇒ノ止マリ療養宜シキチ得バ大抵五エハ日⊃グ ノ水チ加ヘテ三十分乃至一聴間飴水浴上⇒温浸 ル 頂 シ テ 候ハ皮慮ノ浸潤肥厚ナレほ褒症常二 以テ充分洗派シ次デ乾燥シ豫メ秤量セル陶製鉗 症 ごフズ且ツ灼痛ハ只強キ光線蓬フ際曇三鍋?於曇熱シ冷後措鍋,.内容物チ硝酸チ以 其 〃 ト叉本症ノ慢性症ハ急控症ノ治期チ誤リタ〃者∼歌謁色ナル沈重チ速カニ濾紙上⇒採取シ熱湯チ テ シ 璽ノ急性彗於夕〃ガ如ク劇甚ご7ズ且ッ テ顯シ誓熾熱シテ後義酸乾燥器三於テ冷 ヂ 著 昌 顯 ーデル国口①吋氏二從くバ茶︷某二瓦チ綿﹂密嵩秤 旦里スルチ得而シテ一琵ノ酸化銅ハ○・七、九八瓦 ●茶葉中繰酸ノ定量法 プ竃銅トナシ後チ水讃涜?於プ冷蓼秤 警ル代り霧警水素華⇒於テ警以 稀菟.所ナリト聲三項Y 抄︶纏賢㌶︰鷲磨 誘 ル 工 囮 頃 唱 已 『 一一 ヨコ一コ一一ロ ヨ ユ 魂 味ハ﹁ニコチン﹂コ因リ其︰芳香ハ﹁ニコチァコゾ﹂ ρ゜・出器岩○︶⇒因ル而シテ其話火燃焼ノ難易ハ 管ヨー−−吸フモノ⇒比スレバ害多シ之レやにノ 轟過宇於テ叢セラル・フ少ナタレハτ 等塞ナ齋シク唱フル所昌シプ其毒性チ逞フスル 銅り﹁⇒コチン﹂油ノ作日ナ〃7ハ亦人ノ知ル ナリ﹁;チブ﹂︵○ε国=O巳︶ハ無色透明魏 ぎ顯ジ鵠鶉魂いジ 三;チンLハ・、一δ乃妻五%ノ間ニ ァリ我國産出ノモノハ孕均一、〇七レ㊤⊥ハニ%ナ 故 竃誘㌶露編㌻者二長 … 9ト云フ而シテ一傍ノ煙草中大凡三百八十氏テ ニ 嗅蓑ハ更⇒芳香性物質チ以テ香チ附シタルモノ ヤ 蓑、嗅蓑、噛蓑./三種アリ其辛苦†ル 常會目ハ藥學ご年木下貢 颪煙ノ身体義害スζハ化學家・植物家・聲家 口 等⇒於テ多ク撰用セラル紙巷煙草及葉巻煙草ハ ノ純銅⇒適雁ぽシ且ツ軽酸ノ一、一二〇エハ一瓦⇒適 テ喫用スルノ煩ハシキーナキ皐力故昌火藥庫舶中 頃 周 「 叉 ︵KK生抄︶ 回 雁ス〃モノナリ ==一=一===二一==一=口= ← 纂 草ノ代用品トシご近來白桐梧桐麗誤大黄 鬼燈葉地錦蛇葡萄櫻等ヨリ製シタル者アリ 他 一 一 一 ■ ≡ 「 ●煙草二就テ 煙 一 〃鉛テ合有スル丁アリ { 〔ヘ…〃 所 草ユ へ 煙 ブ 一 ひ 〃 此 剛 ← 禰 「 一 鴎 一 唱 ロ 蓑ハ往々銅チ含ムコアリ此ノニ種ハ火チ点シ ︵雑墓︶ 七 テ カ 煙 通 ハ 往 〔 ヘ シ ヂ 羅 煙 ( ユ 噛 ︵雑纂︶ 含ムモノ=ノ今其十分ノ一チ以テ犬二與フレハ 間昌シテ之チ麗スーチ得ルナリ故⇒﹁⇒コ ︷ 兇徒ノ人チ毒殺ス〃⇒用升ラル、寸ア一 ー!ー‘“i ∼ り亜非利加南部ノ土人ハ腹蛇チ殺スニ之チ用井∼ ︹ 其一滴チ注加シテ瞬間ニシタ之チ殺スト云フ叉一 早ハ害曇除ク扇柔或失ハ小見ノ頭置 ヲ治癒セシメヅガ爲メ昌之チ頭部⇒塗布シテ死 二八 産 隅産 三、天 三、〇二 O、〇四 〇、二五 三、九四 O、2 一、八九 〇、〇八 き、圭 〇、毛 八、盟 七、六三 獅津産 學新聞二裁ゼタル所ノ日本煙 草分折表ハ左ノ如シ 門産 六、四一 三、七六 O、〇五 痕跡 究 一、八三 七、四二 畿煙ノ墓”ベキ、ハ纏草ハ病蒙一蔭 酸︼、二四五、八四 O、五二 リック﹂酸O、七九 一、三 〇、九二 八 九 〇、 賢紺訟羅運晶㍉⇔⋮ 剃トシテモ用井タリ或ル好商密 質チ企 三 痕 跡 ハ チ起シテ一命危キ⇒至リ初メテ悪計ノ露出シタ 八 二、 六 大 O、 ノ 四 九、 二、 化 五 有害ナ〃ヘキヤ固ヨリ明瞭ナリトス 毒チ鱒染スルノ恐アル寸ナリ剰⇒U﹃及司当馴 等枇會ノ者ニノ其唇舌テ以テ煙草チ嘗メ之テ巻 どア中毒テ起スチ以テ見レハ之チ喫スレバ必ズ ノ如キ㊧煙草製造所⇒於ク〃数多ノ雇婦ハ皆下 キ例アリ夫レ此ノ如ク皮膚ヨフ吸牧セラ ツ 八 ヅ 9 五 行 」 二、 ク 」 九 チ 下 野 敦 コ 酸 ニ マ 一 〇、 獲 最 近 倫 「 酷 灰 分 水 分 長 テ チ 修 酸 ク 吐 關チ通過セゾト欲シテ煙草チ体⇒纒ヒ中毒 之 「 杓 線 酸 「 ペ 分 」 ハ プ 叉 ル ガ …∼ チ 三 テ 税 ガ 如 クカ故二之ヨリ病毒ノ簿染チ媒介ス〃丁アリ叉 て已まんや、彼れが筆には燃ゆるが如き熱涙ピ、 義ハ、實ゐ英國々民を救ふ生命の水渉りき、見 酬川司司シド北米合衆國⇒於テ入歳ノ小見紙赫々たる人道の光明を包めり、彼れか理想ピ主 草チ喫シ中毒チ起シタ〃ーアリシカ其元因 よ英國の耐界は、彼れユよりて幾多の活動ε、眞 へ 奈何、縦令宇宙竃自然の肚嚴なる詩趣の慰籍を ピ欲するも得竜、﹂今の日本の杜界、及び世界之、 奮㌶㌶瓢欝⋮⋮⋮ チ探リタルニ全ク点火チ良クセシカ爲メ製造會 穏 * 祷 * 天 茄 =■一一一=エ===■=一ロ一■=■■=■一一吉=■■口=●=文口=一∋芸====一■頃ロ 録 塵界狂語 漫 運キるあり轟も、葦面複讐る、現實世界 に没゜頭する人類は、到底此の世界的問題を、解 る可からざるな0、世界的問題ピー3何ん 腔の至誠も、熱情を濃て静ユ世相Y観老れば、ひ季日く世界に於ける政治宗致學問道徳を線括す 子十九世紀英國の祉界に、痛憤酷慨の言を放 る活動69現像を云ム、然り、此の活動的現像を透 ざ 骨 ∼({ 稗 せ d ● ∼叩 ノ ひ 〃{ ( 列 巻 煙 満 ︵浸錘︶ 完 3L文星カーライ〃が、再現Y重ふの念無くし 観して、其内の畑々たる生命的眞理を捕捉する、 焉 ︵漫鋒︶ 間たる者、人道ピ進歩Y愛する者の、双 人 三 〇 世文明民族攣遷の跡を、臆宇宙なる形体ユ存す 的眞理は、到底容易に達観し得可き者ゐ非る也、 巴世界の存在よ大意義を與ふる赫÷たる光明 や、此光明を観壱、人間誰れあ懐疑を云 す ものをや、⋮進化論Y以て有名函る科學大斗、ダ 舅、鼓に至りて入生は解鐸せらる可し、胸中の ピして夫れ安んヒて可氾らんか、然ウ理性の進 ん、厭世Y云ハん將た非世界を云はん、卓々 非 、ある、所謂人類ゲ最后の目的ピして、其得 る可しo然宣哲學的思想によりて、歴史的 暫依りて・心裡纂一﹄る此推謬・吾 か 原理Y細観して、其世界的終局の運命 安心は、實に吾人あ、宇宙ピ世界に劉する理想 る勤努の結果にようて、握中するを得べし、生 ξ竃翼限の悉を與ふ、此の霜 ん巴する卒和℃圓満ハ、逐て人類の強堅厨精な 化 を否定する老ぞo世界史を讃んで、吾人は轄た を断言する氏が吉、誰れか其内に含畜する眞理 ノ なるを畳ゆ見よ古代自然民族より、今 〔 ず、登に偉大aして無限みる胸中の快趣津々 なウo吾人は此の高雅にして深遠⑤る理想a生 μひ る者函くして可告らんやo而も天地の秘密Y 活 た つ 物 万∼ 招 をなせう、曰く人類が孜々どして進まん芭勉め 運藷ひ去て清風の如く、宗激的安−6の天地之 び ーウン氏ハ、其著書を通ヒて一種深嚴なる聲言 力 即ち透明直⋮顧ひる科學ピ難奄、哲學巴難も、未 て弦よ至う得可ら宇、況んや漠然室想する ん ∼〃〃 川に ∼へ 〃 〈〔 は 類 肩に懸る一大責務に非壱や、然れビも此の生命 る生命は、萬古消⋮へさる也、此生命や、實ゐ人 是 れ 以 進 此 盲 の 眞 る、仁人義士、何んぞ再び出で、肚界慕す 閨くピ構する詩人は、歌ふて言亡竜や、理想宅 悲痛の戚に耐へさるものなうo歴史の中に葬ら 實亡衝突す、此の理想に向て進まんとする吾 人n、此理想よようて、希望快趣を得たる吾人 く此を去うて現實の世界を観んか、古へ 漸 るもの、渇者の飲の比よ非ず、而して先生は歴 れ だ 史の人な三焉んそ夢麗姻を高壁て先董 を荷て出だう・彼等之實ゐ其主義と其節一 ⑭漫言拾録 井原眠鶴若老 之、幾多の痛苦芭熱心も例ふ可タさる強忍 よう世を致へ、人類を救之ん巴する、所謂志士 手Y握夕んかo 、 〔 現 ハ 仁 人 ︵漫録︶ ≡ ︷れたるや、吾人は今の硫界を観て、眞に深慨 の巫瞥ハ即ち野巫瞥者の義巴す拐和俗野巫を藪 腐敗ハ救亡れたるや、其人道の光冠之曇りY拭 醤芒二竃を此班古今馨統三十悉に見へたう論語 ︹ 幾何か改美巴、眞の進歩を寄與せられだるや、其⋮事久し論語ユ巫聲を亀作へからすの朱註に巫ε ㌶鷺㌶運駿儲茸⋮㌶ジ誘謡蕊籔↑︰ 日ピ光うY争ふ可し、而も斯くの如き大精祠を 詮ありやo 蕊誘籠難誘誉竃⋮篭欝ふ諮霞晶誘 ∼ の 精 祠 ︵浸綾︶ 定たもひ來る諮のなリビいふo 舎人云我在所には讐者Yやまひ直しピいひ て病むさへなほし侍れ之學丈は入ぬ事也ピ語う︹ 〃 き予日邊鄙な芭にてnそれにてもすむへけれ這︹ へ も誠の聲門に在ては然るへあらすをでに歴吏a〃 三二 周禮大馨院中療病之正法有四摩鍼灸藥是也然 官下厩有児禁抑醤官用正法於病者而有不得快 則或以兇禁薦藤補助之百得一験亦救天下 之一蒼生是聖人仁術之飴澤愛而不措也如千金 裁岨几法者周禮之遺法也然漢以來⋮風俗年降 月随自魔魅和街伏魔注師岨几帆巫硯占見圏 見鼠霧白撞勇絡之徒譲 拐 ︸ も聲政ピ見へて天下國家の政事の一つ洛り。 ︹ oo ︹ 附記 鑑 妄之説紛然競起戚世誕民其徒至今日既極 理 類 至 撰 徒 突皆是頑愚凶悪轟戚頑愚駕鈍頑鈍汚下者不幸 扇動且信而不醒稽奇談妙駿〃然 答凡何奇何妙之有倫日有之自古賢哲 陥搦彼機穀之中不知爲知者之笑具量可不痛乎 迷 替 蓼聖人之道化聖人之藷之明明徳明本是心⋮ W 票可拾焉不學道者則不能明明塵埃汚染如不∼ 之髄也故見正理則知正理聞正理則識正理自然︷ ひ 磨鏡故所見聞者喪正理反邪正無以卓見定識見⋮ 地 見 子皆是擬心漢耳蓋王古軍妙書老筆法之熟也 已堅見邪妄小術確乎不戚之人此 萬事日奇日妙皆如是而己蓋如讐士以今論之所 呉道子奇画者書法之熟也易日精義入紳是天下 翼競 淫 田 起 者 外 人 毫 情 相 風 妖 之 則 常 云 斗 自褒後明者也古昔聖人作 見 過 金 霊 之 聖 道 艮 知 君 或 是 學 之 而 端 芳 物 定 石 得一牧似珊瑚進歩樹求叉得一牧似焉瑠燈然漸 畳百里逮日没而心始驚顧乗馬莫所見四 ○ 者人之圭將蘇在脾熟那在賢將寵在肝 紳 り要ピはわかひも巴むる事な今心は一 程子日心要在腔子裏腔子辻n俗のいふからだε 正籍在心ピ性理要録に出たう人の可知要語をう 如 玉 下 馬 巳絶突仰天悲歎不知前途鳴呼世 む む 門之正注用之病家場心霊才猶未奏其 民を救ひ憐み給ふ仁政の除恵渉るあo 彩 功則可辞而去也悪求微々繊々左術卑随爲乎昔 千 里 忽 焉 見 似瑠瑚喜愛旬求之行五十歩許叉 沙 禦 駅 卵 而 轟 朶 輕 霧 順 終 短 憤 籠 反 物の規矩をし・ 磨門下之特何顧細沙乎故古人日爲學大端 る事を免る敬亡心身Y治るの要也敬心を失へn °○°°°○ なし 日文中子み至人に夢なしピ有 夢 の く函う叉風寒暑渥等よ因て見る事多し 入喬て?大凡夢は如蓼る︾にや。日く ぎ子ξひ聖人竃貰名を警するのみ。或 人 あ 動 上古にハ大聲院の下闇に禁厭師有ま ヒなひせし事也故み馨書鴨古書に︷ま巳なひを 聖 氣 功 哉 深 哉 まても行ふものを讐門の下に置給ふは聖人 ︵浸鋒︶ あう叉夢に鬼ピ交るの類は皆病な 三 三 大 あ 入 ゐ 盆 所 う摩針灸藥外療にても治せされ亡まeなひ 近く之雑病指南巴いへる小冊子の㊧尾に載をる 心 立 志 之 れ 〔 ○ } ひ 指 胎愛卑々随々賎物欲喪成業之要含露 在 於 弗悲歎於沙漠闇天者蓋鮮突自執自於 き日々ユ自ら身の守り有て萬事不義非禮に落 身の乳9響住身の璽存在して放心せさ な 漠 心 祠 事 萎 粒 行 不 ふ 大 大 宛 者 至 照 亦 い 謂 聖 制 馨 之 如 在 有 探 進 行 面 ○ だ 除 載 稜 ︵漫 鋒︶ 三四 生のうちに一度有や無やの事なるべし百人⋮瘡の中よ0見を産叉采の武帝の時揚歓う妻は股 ピいへ巴も今にしてれもふに正夢瑞夢εいふ事 氏脇よ冠子を生母子巴もユ無悪李宣か妻か額の う叉周禮に占夢の官あウて夢を考ふ事見へさウ を て生稗迦ハ右の腹を剖て生叉李勢末年に馬 n 百人皆難覆三6妻吉窒ゐら歯巴の中より菱朱の蕾の市人の妻孝塵股脾 一 εいふ所の屈雍婁王氏男子を生右の賂下剖兀ハ+四五夕月な匡久し巴いひかだし。 〃 く此事を疑ふ然るに魏の黄初五年︵文帝年號︶汝一月にして生れ朱景藤口二十四月にて生れたり然 非すやo予答日天地の大なる常道の外攣体有あ 方向に攣韓するならんピ答日決不然o ピ申僅ふ是も怪異の説巴いひて衆人を惑はすよ、の如きなれは現一今構する産道杓人ゐよウ何れの oo ︶ ○異産 或人日鐸迦佛亡母の脇腹を破ゐ・て生る 故に猫繹迦の事のみつたふo或人日果して以上 雛い翼へからす籾夢を載るの書舗詩霞㌶誘雑巳パ が ∼ ∼二脊折て禺を生簡秋ぬ胸を剖て契Y生老融⋮は腹 にtて隻生し給ふ大碓尊之後に日本武尊ピ申奉 て生る藪日の間に創合て母子無悉叉昔人云修巳 ○双生多見 日本記景行記に大碓曾小碓尊同胞 南 月十一生一子、十二生一子、十三生一子、近日 る是参6双生の事n五雑咀にも見へた0此外 多知後生爲兄之不癒文矢、嘉靖初京都民米鑑妻、一.一 見を産るに疋漢土にてハ北魏の延興年中に秀容 婦人一産に四男子Y産う其後岱産毎ゐウく 萢工部勤内子得一女、四閲月尖、叉生一男子、此 郡 { 陽の民一産に男子三人女子一人を産り叉明の 中民の妻一産に五人を産ウ母子無慈叉天 啓年中よ大名ピいふ所の民家に一産に七子を産 餐兄者・昧化馨也・凡産必覇・謂之轟 元碍、則首始下、首下則生案、即以受先後疑則 回輔聴、先巣者先出突、斯造化呈妙之⋮幾、所⋮以 子者也、亦生双子、先生者体大美長云〃o 甲郡物部國吉が女一産一一三男一賜稻二三 國 愛 冠皆無事に成人す但し病る事あれハ七人一同に 母 摸 。コ碧勤賜レ禦城天昊回一年三月辛卯 相 煩ふ叉今の清朝康熈年中廷縣乃民一産に四子Y 川縣の民一産ふ六子を生す一産三男を産 へ∨ 。°°。° 言東三類讃史五+四巻︶ 日、好生者疑於兄弟、或云後生者爲兄、以 くゐ不 絶 ε い ふ 〇 ∼∼ 〃へ ひ {}全 初生蘭[を生 子生れみ﹀からふ歯生虎る之吉兆 かり詩経よ勺既多愛祉黄髪見歯巴有箋に日見歯 巴見ヘカφ茸ハま、よ捨置は初の歯たのつ ら落て後更に生する事常の臭竃同し世人しら 壽 徴 居上也、此西京雑記所載、誰震將軍賠巳有此 祷勝公李黎等皆以前生者符兄、則 三 尖、然擦引段王祀甲、許麓荘公楚大夫唐勒 ︵漫録︶ 五 文 長 長 一∼ 一 〇 漢 姐 賠 亦 か 年 … ろ乙ピく四度産して男子十六人を得たう叉後趙 示古今所未見之竃・禦李竃蛮・讐生以 の 順 年 黎 天 生 叉 事 其 五 雑 日 議 論 鄭 ︵浸鎌︶ 鬼子な巴、悪名Y付て忌嫌ふ事はなはさ僻事 な冠歯の字は年也ピ注しよはひピ訓す叉小見す て遅きに宜し大抵常体の趣は大戴禮韓詩外傳 三六 すれハ必す正氣を乱る是まさしく妖怪の爲ゐ なやまさるこピ畳へた・9何ぞあやしきものも有 地 能〃見て参れピ申付たつねさせけるに怪しむ も一物の有なし下段宅いふ所の戸を開是れハい =㎝ き人は其邪に勝事不レ能故に渉やむ予営て某が 物語を聞に此乙ろ金澤材木町某寺の近邊ゐ久し ピろ幾百年経し古物ピ見へたう此もろ妖Yなす ユ疑ひな亡打割て薪を積て其中へ投して焼み其 妖怪みあらすして奇病ピいふもの有轡 臭屍を焼に異むらす病頓よ癒ゆ。 ○ 奇 病 δ喉の中よう聲出て、自いふ言葉ユ鷹へε爲の あタnし時〃迫脅くるしみ欝々巴して前後を蓼墨乙ろ奮萎響調してしあーの事 、始なに宅渉く雑具部屋の方より冷風吹來る86 に於て聞事なく馨経に於て見る事みし思案すへ しらす此堅者不圓れもひゐたウしは我あそハる を問ふに文仲あ日あくのとくなる病nいにしへ 渠の深苑こそε服藥をれε勺験なく後には異症 病氣付けれ之是ぱ定て久敷明家巴弛よぬれn陰 家の書に多く見へたう唐此洛州の人雁病をやめ く明家の有しを或聲者の借て移0しゐほ定渉く ㎝ . あ釦はし人を悩す¢ピ是陰邪なれは氣力うす O郷劉羅網凡古物陰氣霜響れ羨怪 竃古墓竺り有のみ病人よ曇けれナ是 経日早坐早行早歯早語皆悪性非佳人o なとゐ見へ△り除り早き之却て宜しからす相見 へき物さらになし古き持佛堂の有間開て見れε や す へ Y Y 言 學の竹外山人 を不レ食人人を食て可ならん哉o ︵未完︶ 雑 しピて立蹄り夜ε共ふ液もひて一つの工夫を得 物 さり則本草経を持して彼病人をして請しむにご 侵出て皆是を鷹へ段々讃て具母の條下に至冠此 さらゐ雁る事を得す文仲辻のま、具母を九し 博 む 藥 ● 牛 ピいふもの年十一歳の時父の病急渉り股 を割て縷のとくに切て父にを、む飲て咽を過る 難顯竃籠篭纏治 もふやう國中の人不蹟のもの有εて我親の藥ピ 脊索動物 軟休動物 腕足類 蘇類 節肢動物 種 七一〇種 種 種 種 〇 なるへからキ殊ゐ我生琶てよう不瞳、ゆへに恐辱 皮動物 種 〇 〇 〇 七 ε名つく自藥ピならんぜ肉を割てあだへて治た リピ大報恩経に出たう鳴呼可笑馬馬を不レ食牛 種 二 一 一 三 〇 四 〇 〇 三 齋 戒 ︵漫鋒︶ 〇 五 〇 〇 〇 二 一 三 動 物 三 九 五 五 二 七 苔 嬬 形 棘 二 ピ・して命名したる¢の、歎Y掲けむ○ して股を割て是Yす、む病つひゐ愈だ今叉 ピは甚た難問題にして余亡唯今日迄世人が別種 ∼ ㏄∼ ㌶鷲ふ蓼孝鍾母病り 篭繍報種雛麟設纏螢口ぽ日 病 雷 天 錫 〉 ︵漫録︶ 物 三七七五種 動物 五九〇六種 市上販賢の象牙ゐ四種あう宜二 Z﹁ヤ⇒ー﹂﹁がブ、−シ﹂叉は﹁アシゴラ﹂象牙巴禰 種 類 む 生 八 一は﹁シヱヒールド﹂刃物製造所にて使用を﹁ア ル﹂ゐして此市瘍に年々輸入するもの、三分の 三 て微よ帯黄色詮う茸͡三n印度叉之邊羅象牙と稽 し白色よして淡紅色を帯ぶ稀品なり其四は西伯 利の掘象牙にして古昔の﹁マヅモス﹂獣よ0得る トゥェルプ﹂も亦象牙の大市場なり亜非利加 より葦輸婁ル象牙警李頭の象を要そる 同洲の象い速に滅亡するに至るべし人造 したる木材其他羊骨紙馬鈴薯牛乳等を以て製 套︾野象の㌣減少するは止むを得さる 一 な6此四種の中亜非利加の西部よウ獲るもの 累ゐ之を多く飼養するの利を乎ものあり駝 所 τ 入 ㌃用を李例答﹃の植物象蓋酸石荻き を歴るよ随て白色ピなる其二ぬ喜望峰象牙にし 云牙叉蔭象牙ハ其種類少かからずtて眞牙の に の して少ーく繰色を帯ぶる故に緑牙の構あう年所 シ が 故 ○ {一 膣 膓 動 原 象 牙 も高慣にして其質緻密透明な0象牙ゐ精し 鳥を飼養して利ある如く象の飼養句亦行はるぺ 最 〔 赤道の南北ゐ在るを剣別し得るピ云ふ 象の生地北方にあ◇て高燥なるに從ひ其牙質粗 n 精にして劣等なり象牙の最大市場亡﹁リバプー ●春の歌五首 笹岡芳名 草も木塾生や・しけらん雨露のめくみほピよき萬 } き人之牙の全形Y一見して其産地の亜非利加ず ののならんか・ n 東 西 叉 世の春 日さを松乃栢に和きてけさ吹さかよふ千代涯 へ る風 ⋮ けり君を途る夕 ●露 ︵節録︶ 中西 三緑 閤の静かさ聞くや露の音 ら ヘ きてぱ天の勿衣うら、かゐ霞蓬雲を三保のま台 露一つ落ちて聲ゐる夕か汐 宵 朝 春 は 。 ブ 弓春のものピて見るゆめも胡蝶にかよふ花の⋮ つ ぱ 梓 及 奮 報 ㊧ ⋮ 餅 令 國大阜勝科大學助手 敷波重次郎 叙 任 第二高等學校教授叙高等官七等︵十一月六日︶ 帝 東 京 へ ●暮秋卒業生を送りて 輕部 里水 ︹ てかへる君かな ∼ ふるさピゐかさるにしきの衣手よたからつ、み︹ 錦きてかへるふる匡いま︾御酒Yそ叉⋮ ’ て君をまつらむ く秋をあはれ定みしはもめにしてうれしあう ︵曾 報︶ 第二高等學校敷授 敷波重次郎 級〃俸下賜︵十一月七日︶ 三 九 ・ 任 入 明の月 一 Lらみゆく塞ふ霞の立こめてまた夜をのこす有∼ 口巳﹂ε=民巳は=巳己:三壱匡=巧は旧巳匡﹂は已には己は ひ 下 か せ も ︵愈報︶ 陸軍一等軍欝︵十一月十二日︶ 軍一等軍馨 補野戦砲兵 竺 聯 隊 附 ︵ + 一 月 + 二 旦 醇 陸軍一等軍轡 笠間 太作 第一大隊附︵十一月十二日︶ 陸軍一等軍馨 鶴見金十郎 賜一給俸︵十一月二十二日︶ 四〇 川縣珠洲郡飯田静舗小阜校讐乗正院購鞘小 池田 耕 手轡田A立上ハ回凶給與︵九月二十入日︶ 陸軍二等藥剃官從七位勲六等 淺野駒太郎 劃五等擢竃︵+亘 吉村新六 運操副科柔道穀師㊧生課勤務・囑託ス︵第四 ニ局等學校︶ 剖 倉木鋳太郎 解 陸軍三等軍馨正入位 本多 勝久 學 量課藷昆シ霧馨學諾床嚢室勤務 京 大 同 田上 渉 以 チ命ス︵同上︶ 來 東 任陸軍二等軍讐ハ十一月十二日︶ 本 校 卒 業 輻重兵第一大隊附陸軍二等軍書 石 ●會員動静 氏 田上 捗 田 學 稜 讐 波 重 次 郎 陸︸軍二極守∼車=瞥從レ㊤位動⋮ムハ︰等 ほ村⋮出 醇⋮ 村 同 笠間太作 } へ 一 石 年 ㎝ ∼ め ブ …一〃 …∼ 〔 ▲ 激 陸 兵 川縣珠洲郡東若山村立小學竃霧チ囑託ス 職補東京衛戊病院附︵十一月二十二日︶ 學 任 補 工 免 本 り久しく斯學の研究に從事し合りし同 入 ゐ う だ ユ叙せちれ△りo因に云氏は十一月入 し同氏は今回外科第二部へ轄せらる 川健三氏 同院外科第二部よ勤務せられた る同氏は外科第一部へ韓せられたり 信氏 止善堂病院藥局に勤務せタれ△ 病院附に補せらる 圓山萬三郎氏 墓中衛戌病院附を免せられ鯖 ひ▽ 日出登赴任せられ仙毫市東一番丁五番地加藤な を方に寓居せらるε 田他計作氏 牝海道函舘病院に在勤せられ しも今回越後⊥ハ日町病院ユ輔勤せられたク 川幸庵氏 嚢に永樂病院讐員巴むタれ△る 戌 川藏重氏 ハ今回愛媛縣立松山病院吐聰よ る同氏ハ今回病氣の爲め同院を辞されだウ 辻 村 喜 梶 同氏n今回鱒染病研究所へ研究生ピして入所せ られだう ▲ 北 江 衛 ▲ 雁じ不日赴任せタるへしε ▲ 七 等 は 縁み十全堂腎院を設け開業されたる旨報⋮ ▲・見島亮吉氏 ハ在金澤金城療病院に入らる≧ 望月慶作氏 亡今回静岡縣庵原郡辻村に於て ∼ 〃 ひ” ▲ 〔 ∼ ひ 〃 へへ へ へ ρ Wひ み うたり 巴云ふ ∼へ ︵會報︶ 附だりし同氏は今回札幌歩兵第七聯隊附ピなら 巴 られたo 橋本喜久三氏 三等軍聲εして歩兵第七聯隊 ▲山碕圭事 には客月十五日公用Y帯び上京せ 乙 △ れ 今回第二高等學校馨學部敷授に任せられ高 ▲田中一次郎氏 金澤病院内科第二部書員だ竜 教 室 氏 等 官 太 ▲ 中 ▲ 會 砺 本 知 ▲ ︵會報︶ 櫻井激授 之去る十一月廿六日藥捌師試験委 員ピして大坂へ赴うれたうしが去月六日蹄校せ られたう ロ 高安致受 濁逸國留堅中の同氏は霧に巴里よ あれたる第+三回萬國轡學會よ臨席せられ蹄 西、伊去利等の風光Y探う今は伯林に無事 ミ ゴ ロム く 學ぜらる巴云ふ伺同氏の近現は通信欄内ふ掲 縣の人ユして頗る斯道に練達し営て其道Y 四二 以て長く警覗廉に奉職せられ次で熊本第五高等 に在職せられうれよう久しく海箆省に勤務 られさりしがこの度我校の聰ユ雁eて來任せ られカリピ云ふ 氏 は今回共濟生命保瞼曾耐の馨員に聰 られ﹃ 三太田塑氏n本校病誓無給助壬を命せら 横山鯵氏 n目下英京倫敦大學﹁ミデイカル、 オレーヂ﹂に在學せらる3が先頃在京松原三 るぺしピ云ふ 東京馨科大堅解剖學助手たりし同 氏 ある同氏ようの來信に就て観らるべし 稜 橘 薫 保 武 島佐藏氏 は大坂生命保瞼⋮曾⊃肛の聰に雁し は今回京都麟科大學ね縛任せらる、巴云ふ 氏 佐 賀 顯造氏 ノ∼七尾病院の聰ゐ雁 じ赴任せヅ 枇に入られたリピ云ふ 小 に詳細なる通信を寄せられたう︵通信欄を られよ︶ 氏 は本校衛生學致室に勤務せらる ∼ 〃 へ 〃 へ 〔ひ 一 一 せ 學 せ ▲ 〔〔〔 } 南Y囑託せられたφ聞く所によれば氏は る 吉村新六氏之今回佐藤法賢氏の後任ピして 孝 △ 久 大 西 牧 正 ▲ 瑞 ▲ 〃〃 、 一… ▲ 伺 ▲ ▲ 開 途 研 ■ ▲ コ 看 郎 氏 入 道 指 ▲ 柔 る由 治六氏 杓在金鐸金城療病院に入られた 演口廣海氏 い三重縣度會郡祠就町大字祠祉 に於て静養中。この通知あうたう 熊次郎氏 本校第一回卒業讐學得業士た る同氏之昨年十月出京東京大學皮膚病科撰科へ らる 舎禮誠氏東轟科大學第二覧介璽る 同氏は毎日午後大學病理教室へ逼學し居らるピ 直砿八 ︰趣後漸曇田歩丘ハ第十←ハ͡聯⇔隊よ一 よ付掃籾の上一巴先つ開業他日雄飛の地を爲す εtて入螢されたウL同氏は今般除豚 伏 樹、竹下麗三一郎の雨氏 は陸軍委託生 を以て見習醤官竃して第九師閨へ入螢せら ウ 勇、宮非勇の爾氏 プ㍉近日中金澤病院殴禰 員を奔命し眼科部ゐ勤務せらる\由 田籔太郎氏 も近々金澤病院内科部に勤務 タるべしピ云ふ 川 川… 旨報知あうたう 卒業生誇氏の一年志願兵 讐學得業士關ロ通 郎、田中秀夫の爾氏ハ第一師團へ、小西俊三、 口富治、眞柄佐一郎、村田譲の四氏ば第九師 圏第七聯隊へ、酒井佐太郎氏之鯖江の第三十八 隊へ、高澤辰之助氏は第九師園第三十五聯隊、 四三 へ、中西政太郎氏之第四師團へいつれも入管せ 璃二氏 藥阜得業士たる同氏15不日開業 らる\由な∧ノ 清貞氏 ハ退般東京讐科大學第一監続眼 補Y命ぜられたろ ︵會 報︶ 粟 せ 顧 兵 茂 ▲ 小 ロ 志 A士 一 故 …一入學 ㎝ } W… { } 年 ▲ 太 大 宅 林 野 上 、 安 の だ 田 ∼ 聯 △ ▲ 港 ▲ 小 れ ム 河 ▲ 松 駒 屋 せ △ せ ム 科 介 られたウ 報︶ 山崎彦太郎、鈴木仙次郎の両氏 藥學得業士 得て落る之固よか必然の理なδ若し夫れ時 島擾三氏亦逝案 花時を得て開き賠を 四 四 君實ユ落花す窟からさる時ユ當 に於て亦た然∧・卒業生中島播三一君の如克ハ を得寅して落んか悲是よウ甚しきハ杏し人 入 起の客芒なる鳴呼哀哉君夙ユ有 悲愴落涙渥右裸Y沽すを畳へす鳴呼哀哉君 長野縣の人直蜜温厚勉働怠喬く今秋其の 卒ね二旬ならすして病魔の襲ふ所なう て落るものなう 余輩始め其の赴菅ユ接するや夢耶翼耶驚愕 一 い る雨氏も一年志願兵定して某師園へ入螢せらへ うピ云ふ ∼ 畏震翼覧曾覧﹃同昏r 欺 爲の才を抱き盤根錯節に遇ふて未だ其此利 を見凄室しく秋風一片の煙巴なる鳴呼天 不 頃腸窒扶斯に罹り纐養怠なか宣しも十一 中 の Y 月七芸−3嘉のあ之れみを垂れまの魂⋮ を奪ひ暗黒界違き﹃ξ人に越美兵 ユて快調豪適勉強怠らさるの入な宣き ∼ 竃す先の講曇参︾竃⋮ 聞くξ聾ざる蔦呼悲藪思一 すれば氏の霊誓佛︷響して響墾∼ ▲ 其 ハ ● だ れ を浮ぺて去らん巴す○ た 濫 業 ( −3 焉 永 眠 ぞ無情なるや若し之に假すに歳月を以て 日美花を永遠に残すや必せり臆昨ロ し哀哉 の虫19林今日落葉巴なる人生の榮枯填ゐ夢の ば 他 會 復 盆 せ 何 如 た ▲ 村 先 肥 満 辮 ●馨學部卒業謹書授與式 雀代駒屋禮二辱し答辞を朗讃し式を終佐た り當日の獲賓は米谷貴族院議員横井第九師團軍 竃長響軍覧市立の各學嚢及紳土等五+ 余名なウき ⊆ て卒業生及學生登堂し校長御親影Y掲げ第二 ∨ 幣 學 科 盟 中西政太郎 見島亮吉 濱口廣海 にて職員卒業生保讃人着席第三鈴の響き渡る に ︵曾報︶ 二十九名 後一時本校倫理堂に於て塞行せられ含う第一鈴 薫日讃書Y授與せら莞る諸君は左の如し 第十三回馨學部卒業讃書授與式之十一月入日午 ∼ ∵ 鈴 造 田中 秀夫 川藏重 越野義三郎 岩吉 佐一郎 田謡太郎 顯 郎 ︵會報︶ 孝 勇 茂樹 ロ 富治 義輔 高澤辰之助 西 仙太郎 六 四 て湯本四郎右衛門君は理想の馨師たタん事を 席登起入総代富野佳照君起て開曾の主旨Y述べ ヘ 島 籏三 關口通太郎 俊三 宮井 勇 治六 島佐藏 山崎彦太郎 別會 望し一二年級礁⋮代土田久一二郎君︰13萬腔の赤誠を て嚢生を撃り山璽太郎米澤欧長谷川鼎高の 之喋々燭逸語Y以てし卒業生総代中西政太 君之答禮の辞を述ぺ終て別席に於て茶菓を饗 君 以 三 爾 太 十一月入日午後三時金谷舘に於て開會す定刻に 次 切 ∼一 、 あう し十分間の休憩の後再び着席先づ木村教授登壇 ) 大 藏 松 眞 柄 りて職員卒業生市内開業讐病院堅員學生等着 君等13恰も航海術を本校よ學︷れたるものに 演 説 田 範國 田 譲 秀雄 名 郎 の 太 郎 左 佐 高 松 政 野 林 井 朗 敷男 竹下麗三郎 禮二 池 三 して内海の如き之既ホ教授の手み依0無事参 4し⑱本校を卒藁しては海洋Y航海せん巴壱 るに似た0海13夫れ常に卒坦渉るものに非壱 して蓼呑まん手る怒霧ウ響誓んピ る暴風雨あ冠勉めざれば危く覆れぱ魚を飽 かすのみ肚會は君等Y迎ふるも航して彼岸ゐ ナ 酒 學 〉 村 ● 梶 鈴 木 八 牧 河 小 大 林 高 卒 業 生 途 一 科 中 小 西 安 宅 小 松 王 駒 屋 藥 至 よハ事容易にあタざるなうo且つ大學 タ宇外交には或ハ陸海軍を用ひざるがからざ る事も有る可く電信郵便n遁信省に属し各省 L尤も難曇るは大警にして是 るふ居る宜しく内閤輔動の如き不幸Y排 等髭褒§んa暑等の政治的志想實に に に於てn年右畢士を贈して止惚す故に彼等は なる墜士の名稽を肩ユして垂軍せん し諸君は之を防ぐの道を請せざるぺ うらず而して之に要する最必要なる軍器ハ勉 際 ざ して世笠れん事姦ほ終藷君み希望する 皇等は委る病院を建て多あ讃聖傭 をして本校卒業の得業士にして多 られさるn靴條校長にて氏之徐うに 額の月給を給せられんこ定を云÷ ひ して若し學理に富める城砦を構へさる賠 開 な 其 は一戦の下に君等Y岸田舎よ駆逐して 出てs手足を延ばすの塒喬からし 業 薬 剤 師 て・薗い顔で圓い話を試みんピ。思ふゐ豪 余量校にび、ヒそ四角藷芋れ此霧に ロを開かれ曰く せ めん云々 次で櫻井致授壇に登φ頗る輕快の辮をふるひ次 をなされだ℃ 授拾諸君の前途を㍍誕に例へられたれ 内闇よ例へん君等は今既に内閤聰 を得られたる喬う其名大なるよ ふして其下﹂各省を置あ義るべか 碕 ︵官報︶ 大 ふ ゐ Y 子 n 登 壇 曾 之 の 臣 四七 巴次るヒピ能之ざるなウ康熈字典に依 参る者n皆豪傑なるに非ら竜Lて機無けれ 於 傑 ぽ 都 敷 責 亦 …∼大 一一中 豪 傑 利 に 説 レ 際 彼 等 村 . 銃 生 我 に 強 ひ の 逡 ハ 演 次 せ ん ゐ 其 塒 終 木 理 大 從 ^ 達 共 四入 あるなり其一ハ今回の卒業生之我か赴任 校 事 項 ︵會報︶ 壱百人に優れたるY豪芭云ひ千人み優たる したる當聴の一年級諸君よtて四年間全く學 を共にしたるヒ垂二亡我÷箕常 活 を傑ε云ふεあゐ’之に依れば今の世之既に山雰 績々出でし聴なう今数學的に之を解繹せ 生 れ よう中學ユ入る者岱恰。巴十分の一に減し叉進 て高等學校に入う業を終る者をも叉十分の ひ昨年の卒業生遙別曾の際には掲乙語ユて演 しもの僅ゐ一人に過きざうしが今回に至 既ゐ鼻の先にか、れる乙ピ3て今よ初め て話されたる事其三ハ我も今之老ひて十万億 うて之諸君の内よう四五名邑得意に濁乙語に せ られたる後なりき ぬ先生の頓才拍手喝釆見上ぐれば既ユ壇を下 の 一と仮定せぱ諸君は既ユ萬入よ封する一人に して寓人の中よ諸君の如き位置を占むる之一 な∧’之を豪傑の意義に依ゐ’て解⋮鐸すれば既 説 土 み 人 内ゐ勺訓戒を與へられたう の 子致授登壇述べられて日く 金 我 今 此 次 者 の 望よ依ウ濁乙語を以て演説せんピ 希 く勺樂しくも有れとて辮をふるひて水を決 述べ酒の有害なるを説き酒無れパ乙そ此會の 登 起 斯 誠 會ゐ臨みて思ひ出し泥る三つの嬉しき 責n甚だ大なるものあウ諸君勉めよやピて譜 引績き登壇せられたるハ山碕致授よて氏は に豪傑以上の人なう故み豪傑たる諸君今後の 高等小學に入oし者は其十分乃一巴假定し之 は諸君等も皆既a豪傑÷るなウ蓋し小學よ冠 に必要ピ主張ぜし濁逸語の盆々隆盛の運a向 の に 傑 で 琴雰娩の榮響あ藷糞§り然し分璽 られた藷貫實み初生見ユして讐なく∼ に立れんピす世道常に卒坦なら壱能く意を 注かされば危し巴て屡楡奇語を交へて將來を 回講話會 く會者歎百場に満5て醗地渉し木村 第一席 腸腺腫に就て 賛助曾員 東 良卒君 の﹁クリニック﹂に於て實験せられ÷ しめさりo し説く乙ピ懇切初學者をして能く其意を得せ るものよして氏ハ其實物及び切片標本を供賢 村 第二庸 匙加減 第一年生 猪飼 公臣君 阜 められ△り 致 授 象皆悉く匙加減巴説き欝業の最も惨酷 科 て淺野川病院藁村吉太郎氏は覧業き翌 卒董;連禁警て希胡王墓ぺ大聖寺病亙 長波多野彌五郎氏ハ診圃に就きて用意周到渉ら∼ ∼ さるぺあタさるを述べ、閉曾せし之時既ユ十時な ︵會報︶ 木 口ぱさむ有るY大に國家の爲めに慨し我 なるを憤し後馨藥分業の事ゐ及び當時拙馨の 天 藥 羅 萬 み 男 之 ぜ分娩ピ此如し諸君は四年前本校ゐ雄娠せら ε卒業εY我をして例せしめんみ13雄娠講話部長冒を告贋次左の講話あう穿。 開 する如く吾輩Yして解し易きを勉め能く藪万 十 へ 戒 ∼ りきo ● 第 十 八 に 月廿七日午後六時より講話會を臨床講義場眼 ∼科教 に之小川教授登壇 せ 世 室 言を連ね 夕 れ た 9 ∨ 次 入 學 終 五〇 ︿拍手の中に壇Y下られさりO ︵會報︶ 等ゐ艮讐たらん事を切望せられだりo 諸 験及統計上其歎の少 竃殺ぽ鷺誤㌶霞竃 右数萬言を連ねて聴者の耳をLて飽かしめず 實見せられたるを説かれだり債ほ詳細ハ 内ユ出る筈をうo 第四席濁逸の學校 ︵燭逸語︶ 別會員 湯目 隆績君 に於て研究せられカる明快の辮 以て全閨校璽、雀中學の竃終う 住民の藪等を細説せ られたりLが場内粛εして聲を磯するものな 員 櫻井小雫太君 第五席新藥に就て の ︺ の 賛助曾員 村田 頁仲君 第二席 二室性陰嚢水腫の實駿 ごピ困難なるζピ及び其敷は吾人の豫想 之特意の輕快渉る辮をふるひ新藥の定義を 特 別 會 に出て一般ゐ新藥ピ穂せらる3もの既a二 有燥種よ達し而むて新藥の日aく績出す る之近來専タ有機化塵・杜長足の進歩Y爲せし に依るを説かれカリO 席 學理ピ實地 員 山碕 幹君 て在任せらたる松江病院に於ける實例よウ よう出で實地ハ叉實に阜理たる所以Y明クし ピ實地ピの關係より説起して・。學理は實地 會 理 氏 下 す 大 特 外 實 在 別 の 千 生 年 濁 逸 特 欄 多 第 六 家 其 所 卑 理 して草根木皮灸鮎按摩亦明りゐ排斥す可きも 牲 登 本 病 氏 原 著 は 氏 あ Y 大 學 藪 生 徒 数 及 s表めに排除さる、に至互たる譲摘等ぽ例証芭 して摘逸語を以て述べらる乙ぜ頗る流暢吾人︹ 乃・に非らさるY例讃し生等若輩歯戒めらる、 事切なりき 右藪番の演説n悉く拍手の中に迎へ且つ送られ て木村致授閉會を報e散會せしは時正に十 なウきo ●第十九回講話曾 同曾は十一月二†四日午後六時よ苛臨床講義場 ろ先づ通常曾員大沼明氏演 む む 堪ねさるものあ0きO次に 本 に らざる損害を來す者なリピ起論 して不牽廃絶に蹄せんか耐會の進歩上將た國 歩從つて凪曾の進歩Y計か0得るも若し此要具 髄中の最要具にして乙れふようて智識交通の進 佐々木激授之﹁盲目に就て﹂蓬題し先つ眼目は身 篭タ莞る統計亀比較して在誓目者+ し微州大家の統計竃氏か名古屋讐學校在職の際 壇あ登られご2庄巳・夢怠烏。巳合急㌃c]一窪oc晴駕︸、。 法巨長○。なる演題の下に濁逸語の研鐙は讐學 か に の 開 か れ た るこどを論ヒ古來ようの我國馨學進歩の憂遷に 疹﹁ブレノロェ﹂の稀ピな0たる以來盲者の 痘 撒の大ゐ減するに至6ー事よりして街眼科治療 五一 し所謂漢註なるものグ遙ゐ彼の蘭學●るもの ね カ ︵會 報︶ に る事柄を知らんため是非修めざるへあタざ盲ユよりて之を豫防し得るもの奮爵決L現 しさる欧州の讐學を窺いんため且つ新に曇見さXの中少㌣竃芙人量病の適切なる治療 にピリて最も必要なるものゐして比較的進歩 経 濟 上 勘 室 に 家 冨 つ 科 教 日の集會a於て壁頭此快諭Y聴きて欣喜の惰 継 終 聴 眼 ふ 者 れ 徴 ︵會報︶ 法の研究次第によりて大に盲者の数を減し得べ きものなうピ論ぜられだりo次には 員佐伯亮喜氏之﹁實験﹂に就て氏が経験せ 竜之を知る乙ピ掌中の級線⋮を見るよう街容易な 吾 る岱の渉クピ論し其化合体の原則より他の複雑 なる化合髄を誘導そる規則、方浩等み就て淳々 い 頂の下に先づ反射的魏症の讃Y蟹明かし めたろ氏も亦一個好頁の才人なるかなo夫れよ 種々の鼻病には亦諸種の祠経症を登起する ユ鼻腔の閉塞を來を岱のは常習頭痛、眩最、記 ヵ減亡、氣力減衰、欝憂等種々渉る精紳機能 を問は壱特に學生a取ηて之最も等閑に附 誤醐㌶し鶉舗騨許雛麿 い う で 匡を詳論覧れ警援性の曇竃して殊 次 } ∼ W 學の記號﹂に就て通常會員声劉牢溜即述ぺ 上 極 臆 らる先づ馨學者ゐ化學の必要なる事亡今更言亡 ずもか多然るよ通常の貿學生を見るゐ化學は頗 竃ぽ誤霞㌶罐書︰ めて繁雑汐るが如き化合彊の記耽 よう特に有機化學ユ就て其根原よ電推しア研究 観 すべあタざる弔のなるを説ウれ斯かる紳輕症を 年 者 「 ∼ 爲噸誘霧唖竃竃ぽ 轟籔竃舗竃韓経症﹂藷 εして説明の努を取られだ0 }一 ∼ 常 曾 る種々の面白き事柄ユ就きこれ亦濁乙語にて述 通 化 せ ば 外 を下せり辮説の間自由に譜誠の分子を交へて或 び する患者に之鼻病の有無を検・をるこピの極め 之過褒或之椰楡銃鋒殆ん.芭面を向くぺから走氏 聴 て喫緊なるξを論ぜタれたう。次で登壇され 聖就て覧膓ク弟膓るべき順序 圭とゑて産科學及ひ胎生學上よう其雄孕の地 及 〔 察Y下されたるも惜い哉氏は数日前よう二竪の 弓術部競射暑記 百除名實に近來稀渉る盛會にてありきo 勢た±らざる勢ひ先づ本論に て壇Y下られさるは遺憾なりさ此日來會せる者 社 水 るに先ち日本國の気象地勢ユ就て精密なる親 板 事なうき○斯くて當日本會の掠尾巴して 川敷授壇よ登らるや悠々極めて泰然たるもの ︵倉報︶ て枯葉を彿ひ銀塘露冷淘に是れ雄心落々ピして 身の覇氣抑へ難きの賠而かも斯道熱心家が七 暇の問ゐ鍛セ得たる其腕を養ひ得さる其胸 五三 き起して意義ゐ及び次で種々の方面よう定義 ハ例の弓術場に取ひて開かれだク てあ0き演題は﹁兄弟の説﹂な・り先つ字形よう を撫しつ▲今や遅むピ待ちa待たる弓術競射會 長 ∼ 一 旬 揮 ∨ 惰然ピして壇を退クれたるは實に近頃の一大恨 襲ふ所ピなりて其危辮Y振ふの苦患に堪惚老、 盲維髄治三+三手月二±日金量々とし ⑳ 約 三 ハ 里 立 籠㍉誘パド鋳羅鷲議づ冨蕊灘鷲繍竃蕾ぼ︰︰ 常 會 さるハ 冒難氏†て昏ごd量言窄 ハ 一 } 位 ∼ 呈 通 潟 千 入 小 あ 説 ︵會報︶ 醤 席員凡て六+飴名午前九聴尺的にて通常射的 ●秋季陸上大運動會記事 ま∧・次に職員競射行はれ正午よウ本日の主眼 秋高くして、馬肥わ、天朗らかゐ、氣澄める、 出 も血氣に逸る得意の面÷弓矢片手ゐ悠然ピ練 し、黄木薫草、夜々嚴霜み苦んで叢虫既ユ聲を さる各部撰手競射之始まうぬ那須の宗高なタね一満目の風光、金風朝に微扇して梧桐一葉を瓢へ 始 を掻きつ、退くあ宣あくて本日我醤學部中撰 成算將ユ歴々たらんピするみ臨み、絃に準備の 貫き満面笑を含むもあれn骨折損の効なし巴て 勿撤蓮うに飛んで、委員の分魔部署巳に定ま6’ さ絞力矢聲を切て放て之見事馨々音して黒撒Y て、我校友會秋季陸上大蓮動曾は開かれむ宅▼を、 る乃公の手腕個程の近距離何・つあるピ満月に引 維れ、十一月三日例に倣ひ 天長の嘉辰をトし づ出て1見れハ的之正く十五間年來鍛ひ上けた 潜む、方ゐ是北帝の駕して來らむ巴するの時n 巴 力うしは 日製に就きて端渉くも上下の一致Y欽き、’諸般 頭 なう次は源卒紅白競射ゐして我老我もピ う・あはれ満校の健見か鐵脚を鍛佐て翅首鶴頸、 前田豊作笹田順三 ㌃経蒙だ成されす、竺部の竃の辞響な 手 の 會 畳缶の面々が氣合Y計0秘術を毒し引きて 待ちに待ちπる我陸上大蓮動曾も、一聴︷不成、 氏 后 聴o のあうLが、祠聖なる嘉辰、特に國民の詣⋮に倶、 之放ち張0てn放ち途に紅の勝ぜは渉6ぬo閉立の悲運に遭遇せんかピ、私かに眉を聾むる在 腕 爾 に 午 四 して以て楡快なる︼日を祝そべきの日 り、いあでかさる不吉の翠を爲すべき、巴 熱心なる委員の東奔西走奮厨せしユよA・滋に愈 運之開けたりo 十一月三日、二登の號砲之轟然乾坤を 掘あして寓人の夢を会床の中よ宣奪へう、蒼天 高く清んて鮎塵迷はず、胎蕩ピして陽春三月の 似たう、午前七聴、祠聖なる倫理講堂は開 れ、勅語は捧讃せタれ、 纏纏鷲欝鰭⊇㌶ぽ鵬 遊を試みん巴の旨Y述が終クて、一同辞して出 ぱ翻醗定して朝風に揺き、室を摩するの老榎n 蔦の錦を纒ふて、一段高き會長席を掩ふ、此 庭子桂冠Y賜之る可き論功行賞の所、左右には 賓、職員家族、保讃人、競披者等の憩する所 あ0慢幕緩く垂れて僑子列を成せ宣.一一丁の瑛 柵Yめ・ぐるの間、各學校生徒席⋮順劃せられ、特 下ゐ勤して樂隊席あり、賞品席ゐ相樹 沿ふて梧桐庵あり、寮生の賓客を待つ所、 して衛生部あウ、更に一歩を韓すれぱ時習寮の 城 嵯 の 幸 紅 來 に 維 れ ば、 前九時、委員之各部署よ就き、番組掛の呼聲 う、茶菓を具へて來賓に饗せん定すo 場の西端仙石街ユ封ひて讐學部一年の秋楓亭あ 〉 行 ︵倉報︶ 贋て競技讃れ出でし墓に五名、鐘鈴高 く響き、號砲頓ユ曇るC 五工 ピ化して先づ双眸の間a落つ、数百の旗描 第一回 二丁競走亡、線勢の少き爲めあ、観衆 日までは粛條たうし校庭ハ忽焉ピして一大演 尾 西 端 ゐ に 嬉 喜 遽 13 に れ 午 ふ に 相 方 時 候 か つ 陸 技 場 功Y専らにせしは、 介 敬 ︵官 報︶ ーーシ馳跳走 柏 をして落真の嘆聲Y囁やかさしめ顧o 第一一回 木 一馬 田 剛卒 走 美 氏一人而巳o 伊野宮長民 、鎧ふもの、草鮭背嚢劒等Y抱いて決勝点眞 を穿ち上衣Y着け、草鞍背嚢劒銃、走冠 等 聲一登走る事未だ+歩ならすして球を墜を、へ第五回 ︹ 二 ︹ して倒れ或n一周に垂んεtてスプーシを挺つ一 三等 皇スタートホ還り再び駆け出す、或は年周ゐへ 一等 〃 堀田 圭三 競 へ 者、勃れも戦々競々球を護うて走る、天乎命乎͡第六回 將だ僥倖乎。 第三回 四丁競走 一等 中大跡氏爲 等森岡喜三郎 第四回 戴嚢競走 らぬ之なかりき。 藷ボ蒲蟻⋮離◎ 近く装ひ初むる塾の、各思ひノ∼の兵法に先登 つ 邊 十治 渡 二人三脚競走 回 間一髪を容れ遷戴嚢の技亦難ひ哉、宜なり五 にして落ち十歩にして墜す、一周を完ふして 三 等 第 七 ムソ、∨心Y嚢aのみ注がぱ一脚意み從nざらん、毫 脚 一等藍澤 孝治 二等 士田久三郎 く走らざる可かタす頭上の嚢を忘るSの恐あ シ 一 丁 競 走 一 ] 等 ズ ボ 吉 村 ㏄へ 〃 ひ { 〔 ∼一) 二 等 岡 三 武 装 ズ プ 蒼 砲 疾 の 歩 純一郎 山庄治 小 九山 六郎 二 等 汗せしむo 一等 崎 恒人 戴嚢競走 曾 三郎 走 二 等 両々相擁して二頭三脚、走る事違駄天の如く連 登の功を壇にせし駒井藤原二氏がハンテー 一等 第九回 戻 三等 岱物かnピ疾風の如く勇進せしも越田松村一 歩ハ電光の如く藪十歩を抜て天晴魁の 名ゐ背あざうしハ⋮批快也o 等 ク 物一度に跳ね起うて其飛ぶや蝦棊の如く或 砲一登、唯見る手あく脚なきノ人だる褐色の 回 清 政 競 亘㌶信艦二等︷麟繁三旦鯖麟改 第八回 障凝物競走 んで板塀Y超え、地網にもつれ高架楷段 を撃ち濠Y跳ひ、地卒方眼柵を跨ぎ吊素横木に 紳 江 武 して倒れ再び起つ能ハざるあり、衆人 に 號 く願を解き洪笑の聲怒濤の如し〇 芋 一 怪 は く、鷺の如く、猿猴の如く、幅幅の如く、 鳥の如く、愈出て、愈奇、観衆をして思nす ︵倉報︶ 山他三郎 一等 白石 喜之 二等 毛利 静一 三 等 鷲 毛 の 如 して凡事に非ず、時に猛虎の如く脱兎の如く、璽第+颪 一丁競走 巧ゐ之Y通過して勝を決勝点にトす、㎜労苦亦決 一等 中田 久 二等 横山與太郎 悉 吊り下り、圓筒を潜う肇索ゐ苦しみ、丸木橋Y り途に二重の低橋Y躍り超ゆ、十種の障凝物 藤 ッ ゐ 第 十 池 野 サ 手 三 途 年 先 が 長 脚 大 藁 然 進 亘 馬 飛 だ菱ら苧て脚姦り敷いて我轟を絶叫す頁+六回 ξのあう・大露に小れて左顧右階悠々宅吾喜 o入れしは、 三等 ︼等 鳥山 正彰 二等 長井 蓮男 第十七回 十=一回 田久三郎 後藤 義賢 走 二等劾根田信次 藤田藤右衛門 二等 太田 長作 崎 卒吉 競走 第十入回 擬馬競走 等 中小路氏爲 ーシ地肌走 一佳守 四等 一等 月原 秀範 二等 棘藤純一郎 第十四回 戴嚢スプーシ競走 吉 競 元 吉 一等川口熊夫 加治遠苧 森公卒 第十九回 障確物競走 等 山田伊之助 二等 佐藤軒二 知︼ 第二十回 學術競走 沼 一等細田 榮 二等 司 純吉 四 ︵會 報︶ 秋 伯 二 丁 坂 尾 逢 郎 水 翁 四等 田久太郎 第十五回 武襲競走 山 齋雄 二等 松扉 得悟 佐 携 荷 松 村 一 藏 郎 十二回竹馬競走 一等 〕 土 プ 亮齋 駒の足並勇やへしく乗り後れeピ駈け出す、途未 三等 …… く 三 林 兼 長 川 ス 澤 芳 野 等 等 謹 庄 柳 春 三 三 第 第 五 三 等 等 五 等 ートを去る年丁佳にtて茄窮板よ摺ウ旋る 三等 新 次郎 問題の厚紙板砺り添ふに鉛筆を以てす、裏第廿五回二人三脚競走 タ ス 、筆を響︾、端坐夢傾くる者、機略百出、︸第其回 喜 走 光雄 山田 叉一 回 隼雄 宮崎 稻作 走 山 俊夫 田 榮 巾飛競技 高飛競技 二 ハ 喜 くも撰に入ら竜、遅きも賞を受くる者あ60 一等河合忠次 二等江端吉卒 ーンぱ肌走 岡 芳名 第廿入回 二等 第廿七回 第三十回 一等 義二郎 恭二 畑 一吉 下 加 等土田久三郎 廿一回 一等 武曾 三郎 等 大澤次三郎 高桑勇次郎 久津木勝作 片岡 正 小幡 學雄 原田 正廣 第廿三回 武装競走 一等 中島 喜作 回 戴嚢競走 一等松尾 等 ︵會 報︶ 夫 村 澤 プ 等 米 競 二 等 等 丁 耕 一 二 背 四 三 ∼ ひ 井 上 松 細 辻 村 等 等 笹 等 三 〃〔 / 二 等 二 等 四 二 ズ 三 三 等 四 三 等 尭 進 競 走 〃一 酬 一 第 廿 三 七 等 石 二 井 丁 競 墨§警篭以て纂饗入る・董つ二呈翫鉦謝二等︷魏榊楡三等藪藤讃 緻 學 面 早 第 五 等 第 廿 堀木 眞澤貞一 舘 昇榮 回 網引 第四+回二丁競走 ﹀ 二等 井ロ正察 三野賢吉 米二 一等 駒井 定哉 二等 ︹ ねロニムニ 龍門∵等璽難二等籠竃 林 ブ ∼第四+、二回 一分間競走 喜林豊二等 十三回 武装競走 ∼ 三等逢坂元吉郎 ガ 田信次 藤坂友次郎 一等 土田久三郎 二等 艮吉 頁一 林 O 明︶ 三等 増田貞吉 井原 悟 山田虎一 第冊九回 衛生擦荷競走 ノ ︵會 報︶ ーン地別走 回 一丁競走 一等 松村 魁 三谷彰三郎 回 片脚競走 ︼等 石田 他人 回 部隊競走 一等 鷲山他三郎 八 茄一回 竿飛競技 第止川二回 一等 藤原 敏夫 二等 前野 七郎 回 學術競走 一等 林 政雄 第茄三回戴嚢撰手競走 爲 { ( 富田稔麿 某 藏倍邦繍 顯徳 山崎 内藏 誠 牧 等 藤 土 屋 野 村 ← 三 伊 三 プ 中 大 路 氏 等 三 第 舟 四 四 二 根 等 四 ( 不 { 第 羽 等 等 ス 第 五 等 第 舟 第 舟 五 三 等 第 舟 六 第 舟 七 等 伊野宮 長民 第四十四回 來賓競走 一等 渡邊 二等 牝川 三等北村 第四十五回 四丁撰手競走 第四十六回 二人三脚撰手競走 呈鵠纏 十一回職員競走 留次郎 一等 河島 重卒 二等 十二回 一等宮越常次郎 第五十三回 スプーシ競走 走 田 沼田甚次郎 四等 第五十四回 擢荷競走 一等 佐藤 軒二 二等 ー三等 土田久三郎 第五+五回六丁競走 謹一 定哉 島律 某 三等下村 亮 齊 競 竹 廣場敦貴 等 ご等 松山俊夫 二等 井 武 装 撰 手 等 一等藤原 敏夫 二等 三 義二郎 駒 伯 . 大 瀬 佐 第 五 三 第 五 五 等 第四十七回 障確物競走 隆 一等駒井定哉 第五十回 二丁撰手競走 一等 朝倉 重敏 二等 入山 義信 第四十九回 墨・術競走 一等松村魁 一丁撰羊競走 河 回 野 一等山田 某 二等申島 喜作 三 等 ︵倉報︶ 林 四 十 入 ヘ ≡ 三 第 ︵嘗報︶ ナシ 戴嚢スプーヅ競走 杢 一等笹田 順二 二等 津田直次郎 第山ハ十二回 公立卑校撰手競走 山俊夫︵聲一︶ 喜米澤恭三瞥三︶二等嚢敏夫z馨三︶ 冨蒔嚢㌫學校 い 麓澤孝治 第五十六回 回 等 井上 隼雄 澤長藏 新 次郎 某 柳 競走 高 田 一等藤原 敏夫 等沼田甚次郎 等 松田 研吉 回 竹馬競走 一等庄司 醇吉 第五十九回 一等山 田 第六十回 委員提灯競走 等 等柏木敬介 一哩競走 ご等 柳 榮太郎 二等 沼田甚次郎 秘山 俊夫 四等 仙田伊之助 原敏夫 妙、観衆の拍手喝采は絶へす尾城涯上の古松 =の如くヤ義三去泰愈々出て愈々奇且 藤 等 四 ︼等 尾倉 ︼藁 吉 耕夫 三 三 競 走 四 二 二 第 第⊥ハ十一回 サラク競工鵡 松 四 回 等 等 五 等 轟しつ議姦塞く終oを告げぬ・ 直あ委員を壇下に招き眉宇粕々薄浄宅し 走斡旋の功を努らひ特に本日不幸ゐして不 ぱ 撰 手 物 撰 手 { { { } ブ 障 凝 信 第 六 十 奔 田 辻 村 二 等 叔 十 七 十 八 等 越 等 ∼ う 會 長 て 學 術 等 五 三 第 五 五 五 三 覇勇を墜すなあれo なりきo希くば諸氏釜々自重して長く逼 の 吐 諸 氏 剖潰⋮鴨の法曾 十一月十七日午緩︼日⋮野細 覧 の 損の一致を欽くユ至りしも技に吻かの障滞 を見るなあうし∨、實に蒲足あうt電の意を池べ られ次て會長の督頭艇俘ひて働聲一番衆相和L て國歌﹁君あ代﹂を唱へ毎時あ夕陽漸く西曲ぷ春 宅むて燦然名樫ある健見の胸邊を射て一唇 雲 寺町立像寺に於て施行されたう此日風雨暴Lか りしも解剖遺艘の露を吊ふ事の熱必なる我洞蒜 之ユ挫かる、事無く集る者百歎十、装飾篤般 く藪に我陸上大蓮動會は全く満足∼周倒にして定刻ゐ至り方丈之還麗の牌a向ひ描 を添へ飴⋮光⋮淡く尾城天姫⋮の雲を彩轟’て晩漱⋮ ゐ ● 解 委 ん 清 山俊夫、柳某、沼田甚次郎、林豊丈、土田久三郎 級、藥學科第三年級生一同は纏操激員よ引率母 い 二、松村魁、山田伊之助の四天王及び藤原敏夫、 ●實弾射的 十一月九日快晴留學科第三、四年 竃竃鶉誘蕊懸縫経籠難“羅㌶顯器鷲ぽ噌都 あしめし事汐うきo 穂代の抹香ありて式を閉ちた0塒恰も三縫o等 竃竃舗竃難鰻ぱ⋮誌鷲竃繋甦璽︰い 量り姦芸貝少を璽する繧大學竺坐t軍有天讃難讃筆渡ウ藁枝嚢 實 ぬ 翻 か 晴 景 の 榮 の ︵會 報︶ 六蔦 秘 蚕 曾ハ一月廿五日︵日曜日︶午前 同 臨床講義場眼科激室に開うれだりしが出席 曾 ︵會 報︶ られ上野練兵場に於て實弾射的Y翠行し終て蹄 し亡三時宇ひうきo ● 雑 誌 編 輯 第二學期學科目及時間割表 之今回會員諸君 宅して⋮馨科三、四年及藥學科三年生ユして二年 者ハ部長下卒激授を初め小川敷授其他委員は主 入 時 謀ウて別に一枚刷ピして本誌に挿入をる 校 級よ宣一人も出席奇かウしは遺憾の事共窃0き 髄裁の憂更 本誌從來の髄裁は可なタざ とと、せクo 病院新築案の通過 前號記載の如く金澤 なる蓋力に依ウ金二十五萬圓を以て三年の纏 られたδo 生 決 諸 せ 過 業 議 み若し夫れ筒會員諸君の囑望Y充すを得ざるこ 論一部を寄附せられヵ0滋に深く其厚 をo編者白す。 量得業士琵より紀念の爲め本竺寛曼斯ごあε乞ふ誘轟益の響奮れξむζε 氏の書籍寄附 今回卒業せられだる には非す柳◇亦改善を謀るの微意ゐ出でたるの εして新築するこKに昨年の縣會に於て 輩雑誌部委員等の敢て新奇を好みてしか渉せし 纂、漫録、會報、通信、公文等の敷項ピせり是れ余 るに非らざ宣しも今回磯行せる第十六號ようは 誌 病院ゐて之先頃新築費金二十七萬圓の豫算案を ● 稽〃髄裁を饗更し且つ欄を分つて原著、抄録、雑 澤 筋へ提出せしが山碕主事初め其他諸致授の熱 本 Y り む の ● せ 便 金 O 其 心 通 績 事 業 ● 卒 外 科 各 意を謝す。 氏 中外馨事新報 月報 助産の栞 山馨學曾雑誌 報 報 目 晶號 第四巻;、二號 學雑誌 第三年二、三號 一西一號 會國家警學會雑誌三號 欝學曾々報 天號 報知 二〇號 藥卑雑誌 一三五號 産科婦人科學雑誌第二巻三號 書︵高安右人著︶一部 高安 激綬 義テ 蔀 田霊鐸君 十二指腸鍛患者ノ診断上二於タル必獲的症候ノ 同同同伺同同同同同同同 蓋 見曼斯外科各諭一部 第十三回卒業生諸氏 全 島衛生馨事月報一三、三號 語 眼 日本眼科畢曾雑誌第四巻一〇、二號 三五號 新聞 五 七 七 、 入 號 讐 事 事 報 科 芙號號壽 套 號 ゴ 號 號 藷號曇雪ミ霧融豆 書 ニ こニ ニ ニ ぽ ニ ま こニ り 藝 備 公 衆 讐 育 公 濁 逸 致 東 牝 薬 業 新 慣 値 最 知 生 會 貧報︶ 曾 肚 會 報 時 會 杜 贈 知 ● 報 寄 育 曾 維 誌 命 成 旦 岡 東 京 三 會 枇 衛 馨 本 堅 事 週 京 聲 學 曾 難 誌 京 市 致 讐 海 時 東 廣 二 十 世 記 馨 事 都 馨 學 醤 事 同同同同同同同同同同同同同同 曾會曾枇耐:會曾肚枇曾會 一金七袷五銭 一金七殆五銭 美 自十五號至十九號︶ 自十五號至十九號︶ 克雄君 麗三郎君 君 貞君 會賛助會員にして 本 ︵倉報︶ 費領収 年十月以降會費領牧ノ分 自十二號至十五號︶ 自十三號至十七號︶ 君 俊三君 一金六拾銭 君∼一金七拾五銭 自十三號至二十號︶ 自十四號至十八號︶ 自十四號至二〇號︶ 自十五號至十九號︶ 自十五號至十九號︶ 自十五號至十九號︶ 自十五號至十九號︶ 自十五號至十九號︶ 彗蓮 費未納の諸君杖告ぐ 君 君 み 九憲松︸書圓墓 一金七拾五銭 勇君 一金七拾五銭 島 籏三君 一金壼圓五銭 宮井 勇君一一金萱圓廿銭 關ロ通太郎君 ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( ( (( ▲ ▲ ▲ ▲ ム ▲ ム ム ム ム 佐 君 七袷五銭 錘 錘 轟︶ 自十五號至十九號︶ 自十五號至廿一號︶ 自十五號至十九號︶ 君∼一金七拾五銭 ハ 馨義三郎三一金七豊銭 君 藏 亮 吉 君 崎 富 次 君 秀 雄 計 之 助 君 自十五號至十九號︶ 自十五號至十九號︶ 自十五號至十九號︶ 鐘 郎 作 君 孝 小 達 郎 佐 太 郎 旬 太 茂 樹 義 輔 政 藏 重 君 西 井 渡 邊 酒 藏 壱圓五銭 號 拾五銭 銭 稗錘 稗錘 全全全全全全全全全全全全貫覧 濱ロ 廣海君 全全全全全全全全全全全全全 渡梶入林竹小太關池野木大小 下 屋 川牧 林田 田村下口島 他 林 孚 五 七袷五銭 (( ( 稗( ( ( 葬 (( ( (( ( 葬 稗( 葬 錘 ● 七 一 七捻五銭 會 七 拾 五 銭 拾 五 拍 拾 五 銭 河 野 會 五 銭 七 拾 五 銭 金 七 中 ● 三 ● 一 三 十 金 一 金 七 拾 五 銭 一 金 七 袷 五 銭 一 金 七 拾 一 一 金 金 一 金 一 一 一 金 金 七 七 金 一 一 金 金 費来舶の諸君は至急御携込有之度曾計整理上 主事其他致授諸君へ宛逡られ尤る書信中あ第十 回萬國讐學會の概況を記るされたるものを得 之を掲ぐo 瞥學會概況 九百年八月二日よう全九日ユ至る一週 間佛國巴里府よ於て開催の第十三回萬國讐學 膣−め豫菱幟惜の許要得七月=一二 日濁國伯林府を登し巴里府よ至る但し同日同 陽一、熊谷玄旦、村上安藏、芳原三 五’法を要す尤句各國政府涙遣委員之之を 硲會員n博寛會を初め総て公開の縦覧所 は開場時間中何塒ゐて勺無入膓券にて入膓を るY得叉凡て衛生に關する者之縦覧をるを得 るの権利を有せう漁車賃ぱ佛國内ハ芋減渉め 人の會員も案外多数なりし曾之総曾と分 を問亡壱讐士の資格ある者之入會Y許せ6故 ・し︵尤も同線路を往復・をる者み限る︶國の内外 { 有之候に付此段敢て及請求候 =■==田言=コ==口■=#一=#謬 ■ 鯵 鯵 * ● 鯵 ﹂=2雲口#33=3#●= 一 信 高安敷授の通信 在掲逸伯林の同氏よぎ山碕 ’ ● ● ● ■ ’ の 吉、行徳健男及小生の六人函6し曾員ハ入曾 ︵通信︶ く13九時よウ諸所に開催せ宣尤も會員 曾ユ分ち総曾ア㌔三回あウ分科會ハ毎日午前 婦 ’ 要 金 せ 廿 入 科 ふ 都 佛國巴里府に於ける第十三回萬國 ハ う八月二日午後二時第一回総會︷開けウ は自己の専門にあらざる學科會ピ難ピも無論 に出席する事を得演説の用語之猫佛英の 時 若 方には樂豚あり所々に兵士の警衛するを 員㊧嵩C人其中出席者之三千余ウもあうしが膓 會場ハ當時開設中の萬國博覧會内式場之総曾 ゐ 限 ふ 田 三 随 種 意 合 左 千 列 池 られカリ其他日本人にして参會せしもの£ 井ルヒヨ男日本振遣委員實吉男等も翫鮮を演 賓及曾員等交々帆辞を演へ濁乙委員長ウ る佛國大統領臨席わう本日之開會初日の事 故 見 の 來 一 ]ハ七 へ 遍 曾 の ● 三 た れ 會 行 西 者 暦 惨 交 を摘逃し學問εしては會其者が直接a利益を 氏 グ 金井博士、山根馨學士、野田讐學士︵涙遣委 ロ ︵重信︶ プ 員︶桂侍馨、鶴田三等軍馨正、本堂一等軍瞥︵以 なすピ云ふ事は殆ピない只是が互の刺戟巴な う將來益々研究しロ頭若くは筆頭にて玉説Y シ 留學生にして振遣員の資格にて参會せし 子 巴里馨科大 職nさんピ云ふ原動力機關ゐ過きず入月六日 ラ 者︶淺山敷授、内田致授、村上敷授、筒井教授、W 総 會 長 尾服を着し高帽を戴き二怯を投して馬車を駆 り同所ゐ向ふ離宮敷丁手前より左右の通路n 長︶の案内よてルキサンブルグ離宮に於る 夜會砺リイザ巴里夜會の景況を實験せん巴燕 ( ノ 纏醐鮭鉋詩箒㌶縫軽≡ 本・石原・卒井の諸散璽ハ他學士得業士等旦 費に墨曾せし者+薯都合四+三会りし一 亡各所ゐ別れ眼科部之オテルヂユ∼ ン 如し伯梱の∪ルシユベルグ、ウートレ司刑 矧のパー引iルレ当・翌べ螂判の当凶⋮﹃﹄ 、ブレスラゥのウートホフ、ウ労ーンのべ〃 ーーーーー−ー‖ ー1−11‘ ーー“‘ー川 ー〃 の ⇒当イメ⇒、∋掲ガ㌘のパ司・劃∼ 等なりし巴里のウエックルは見へざ∼ フ ト プ ル 論之吾々ユn馬耳東風猫語演説の うし演題n申々債値ある者澤山あうしも英佛 チ や 討 き酷十二扮ピ制限せられてある故軍ユ要顯 演 説 上 着 駅 來 て満さる階段の雨側には四段毎に一人の近衛 し抜劔にて敬禮を示し叉不時Y戒む楷 るも乙ちらは賓客故却て叱う飛され更に効な く其混雑名状すべうら壱漸く躁よ躁れて門内 に進む曾場ハ階上よあり階下の入ロ亦人を以 先よ進入せんε互み先を争ひ衛兵の制するあ 馬車を降り徒歩門前に至れば人車山を成し吾 車 先 錐の鹸地なく血球の血管内Y猿るが 段 兵 廊 起 下 立 立 中眼科響して吾々の耳畠慣れたる誉下へ 賓の馬車敷百羅列し容易に進む能はず 乏オ巴里府義院莫璽よ誓午覧∼ よう集曾せ6演説者及参會者ユして外國人ひ 者の尻穴Y眺め安閑巴して馬車の徐進 そるY待つハ甚ば馬鹿氣極て居るそこで途中 傷 後 九 時 ハ 科 學 曾 學 午 小 上 雑 分 時 記 ル の 如 の 這思ふた位ケ様な所に長居は害あう定考へ速 に退場せん宅連を探せき右牲左牲.て中か見出 く後者に押ざれ前者を押・しロバ々他働的ゐ階 を昇0廊下を通り漸︿會席ゐ達し僅に一脚の り來る客の前より烈しく一歩進め在一 渉いろヒで村上巴二人で席を出で廊下に至 ス 之績々入り來ウ室は乍ら充満し中央に一∼ ノ 條の通路砺うしが左右の椅子n先客着坐し後〃 ハ 脚 れ せ 入 よう後より入基る芝段々前者Y押し詰め⋮ タ乙i・やら階を降う出ロユ至らんεせしに彼 を作り恰も人体の脊椎の様にて甚だ准かし 引詰めあり涼風襟を洗ひ其爽快ゆふぺか らず段々進みしよ終に室外み出で壱して一の 又 味 即ち來賓の舞踏室であうしそ乙で大あ閉口 したねー舞踏ハ勿論出來ず直よ退室するも氣 し仕方ゲないから小さく成て暫く人の 中央には男女手を組み舞踏する者あク 佳肴あり既み数十の賓客あう飲む者喰 ざ うし小生之早く側方にあ了し故此の苦は受∼ けざうしも、そこ援所誓婦人の椅子を得⋮ 廣間よ入る側方に︷葡萄酒シヤシパン種々 るかピ暫く室内の摸様を窺ふたいや三 麟獄誘訂㌶謬麓旦 す 晶 々椅子Y奪之れ訊よこノ\頭を塞るから一 是 ふ の 大 者 珍 に誰が何をして居るやらさつば。見へ旦 喰ひ佃々にして漸く逃げて來た宿よ蹄たは正 踏るを見一杯のシヤシパンを飲み一片の肉を ﹀ 男子ハまざしもだ︾.の夫人令嬢達が此上なき に に 菟 到々見出さ汐かつた位而も此日n暑氣烈 しく人氣ピ熱氣ピで逆せ上ウ殆ぜ氣絶するか ︵通信︶ 十一時頃で有だいや之や實に驚いさねー特 方よ奏樂の音は聞へたが何所にやつて居 の ン す終ユ小生も一隅ユ起立し主人ハ是を如何に㏄ ピ ずして起立するを見ては其席を譲釦ざるY得一 一 に 杯 至 れ 毒 ノ ば一條の廓下aLて下ゐ之ビ・ド毛を 方ユ牲うれよε指示する故何の氣なしに其方 客 方に避る能はす終にハ中央よ立往生者の一、 押し返さる\εもム按梅で實に因たきーや 〆 椅子を得て始て暫く安息する事を得だう然れ 如 共 か 條 側 待 遇 た い 何 に か 遠 所 追 ︵通信︶ を且榮ピして夕様な混雑のヶ様な究屈な所 に澄しく出掛るピ之所の風俗巴之ゆふもの に呆れだねー僕之文明の野轡會ピでも名 出席せなんだ九日aも同所にて第三回総會一 ち開會式砺り小生蔦渡出席し累此日三 員も最早會ユ飽きた巴見へ出席者之少なか〃 墓鷺して閉曾し辛日午後三壁リニ 管て大統領の茶會砺う是亦殆ぜ前同竺 盛曾なうし竃は園遊曾渉りし故來蔓却︷ ハ 右に倍せしも混雑n前程よあらさりし小生︹ 勝ぱ魑に比類を見穰い實に卓絶だ只薩段⑳鰺 七〇 鹿に高ひには驚ひたが叉其高いのを買者がゐ るあらゑらいよ漆器蒔絡彫刻品等亦日本の特 巴ゆふても可ならん陶磁器はもi駄目ら しー各國よ宣の出品中申々逸品が有たピ患ふ る巴は違ひ誠に引立たぬ然し旨味沿實よ 日本給に限る欧州油維此クリスト歴史画や魚 眺 西 鳥野茱の陳列書n一向有難くない失張う山水 如き者汀一番上品だ某氏の日本裸体婦人砂 賞金牌を得た相だが何だか審査が受取れ 作の格別面白からざる之少々差かしー位所が 給ありしが腹藏なくゆへば其体裁は兎ぜ角 油 の 兎に角格別戚服は出來なかつた十日迄匿は ないよo巴里の學校や病院ば規摸亡中々大ぎ ー然し表面から見た計りで之箕味は分らない 一 昆日桂ε同琶里を辞する積であつ3三 頃ユZ既に蹄宿した 〃 プ 會の通信之金澤新聞に既に委しく記載t竺 ら僕n別に通信せぬが聞く所あ依れ∼ い 日本も今度の博賢會よう厭州他強國の列ゐ∼ る δ物品陳列の如き皆他強國ピ簡資格の位 占坊居る之誠あ論快だよ出品物も第一絹 か め 等 る者辻見聞く者︵聞き尽した加ら厨珪 午後入賠三十分登の漁車よて桂ど二人で夜徹 が し 酬⇒酬み勉⇔亭亀下前六時鋼一鋤蜘ぽ翻砲酬間●國握 庇 見 に 犬 昂 王 ー給画︷長作も澤山見受けたが何分廣漠たる 洋間の一壁ユ掛けてながめるピ日本坐敷で 2Φ含Φ宮・・o巳日器ε云所にて開曾せー¢僕州 日本も是に之余程勉強せんピ他に奪之れδぬ ハ 付たいねー六日の総會・︷Φ日出自戸日喝邑夢Φ曽−砺 誠 産 物 樂 〉 古 て の ゼ つ 曾 即 ハ 置 加 ば て 博 四 在 覧 時 ∨ は 夕所 に至今各所の病院を参観せしが是ハ到麿 し午後六時ぺ凶当司着した同國£知ての り至る所高山大湖ゐ富み日本人此眼には格 血参芸⇔ぜすべムd者更に吻仏Aしさロハマィラプ騨の悉 ト バトロトほれ く蝋石よう成る﹁ドームキルへ﹂ゲヌア﹁⑳墓 らしぐもないが兎に角掲乙や佛蘭西の卒 ∼ ∼∼ 一 等ハ實に珍らしうつ泥同國遣南方 寄る故氣候霜日本ゐ類し稻菱竹西爪鳳佃 景 の 況 な土地ふて而も伯林や巴−巴の無味牢凡雑沓 ら壱だよ、﹁ア〃ペン﹂山豚﹁ユプグブラウ﹂ 市 に 珍 庭より俄然此國に來れば其愉快實ゐむふべ 所、ウエ子ヂヒの﹁カナルール﹂を道路芭する か の 坦 別 通 に く ロ く ノ も實ゐ見上た者だ内部の構⋮造蓮搬点火暖 室⋮清潔注等の装置器械器具の備付等梢々欠く る所なき様渉ピしバーゼルの病院も見たが此 古き建物の由にて成程外見ハ余り よろしからざるも内部は悉く塗宣換へ大へん 竜兄たうがたく弟△℃がだしだが規摸の犬 姦授の爲入圭よ膓に依﹄差あ轟科 てn句らい人は幾等勺あるがライプチヒ式 任致授蜘ツN㎏、憎の爲人芭長い様子稜舎其 他の設備も整頓し患者第多びし主2 は −9該地へ縫可竜る積りだ一云々 安氏ようその留守宅へ途られた 高 分 潔轟して梢々完全なる手術場もあり病院ピ してハ間然する所なき様よ見受けたδ伊太利 搭 主 る¶のにて中よぬ前通信竃重複せる廉なきにあ 信 随 にては司邪ラン,刺、ゲエ子ヂヒ、ゲメァの三 書 は ︵通信︶ の 舎 に … 叉 左 れ く参観した、いや一小共和市府の大學ピして之 て八月舟日漸く伯林み蹄た猫乙に入れば何麟 竜不在なうしが留守居助手蓮の案内にて能 凶グ、バーデソバーデン、ライプチヒ一等Y一見 嵯詩顯設劉鉄籠ジ籠 竃晒竃舗鵬鷲雛設雛 で始てで大ゐ閉ロしさ夫から又バーゼルを経 鰭竃是設.パに露 轟 乙に入リストラよプルグニイ一三 近 中 若 巖謡 殼 れ 何 屋 清 ︵通信︶ タざれぜも仲ζあ面白き節の多けれバ乞む得て を掲ぐる乙ピ、は渉ふしぬ○ 余は去る三十一日族行よう蹄宅後目下旬 暇中故且旗行にて少々疲努の氣味勉あ宣し∼ 七二 日佐賀の池田陽一、繭岡の熊谷元旦、長崎の 安藏、同宿の熊本開業馨行徳健男、他に 馨一人都合六人連にて午後十一時五分伯林 出登し翌三十一日午後六時二十分巴里ゐ着 き豫て約束の通り宿Y心配し且停 して居“が、宮内省の命ゐ依りて余よ宣三日 す、桂ナ七當時瑞画國﹁ベルシ﹂εゆ’ふ所に轄⋮墨㊨ に 暫く保養の爲め病院にも行あ壱、當地に見 上 産話巴して先づ重稜岱あろーが是迄の旋行∼ ユて佛國大統領出席線曾、會員数六千百人其 巴に寸暇もなウつた、讐曾ハ入月二日より九 日迄一週間、二日午後三時よδ博寛會の式場 て巴里に世界蔑博寛會あり其好纏を利⋮ 領を初め曾長其他各國政府振遣委員着席 き卒面には数千の會員着席し、側方の き其美麗荘嚴みる實ゐ筆記し難し、上段よは 床 辞を遠ふ拍手百雷の如し、次で大統領以下順 衛兵不測を警戒キ、定刻ゐ至う會長開會の き所に歎頂の昔樂隊あり所々に近儀の 段 段 統 高 低 護 一 一 大 用して萬國讐會を開く巴もふことは既に去年∼ 萬國馨會列席並に其序に英國倫頓巡遊の願︸ 吾々が本國出褒の頃より薄々知プ、居△、愛に一 め した時は最早確で有た、夫故昨年十一月巴ヘ マ を文部省︻へ出した、本年・︰ハ月末巴里行之許 可に洛り英國行は許されなかつさ、旅費手當 は二百圃批打切りであつカ、そ乙で七月三十 内婦人数百人、式場は丸家よて鐵骨石造、天 は皆硝子、壁aは美麗汐る花鳥馬人物を画 日記を其儘通信し→ ∼ 車場よ出迎へ滞り痴ぐ着し本人の下宿に同宿 した毎日朝かタ晩まて博寛會見物ど馨會出席 行 残したる諸をの博物舘の如き者、衛生に關す る場所名所等殆ぜ日ゲ見物時々は叉友人巴玉 突や小遠足杯致居夫等のためか身体ハ非常み ン 謡㌍舗酔㌶設鍵鞭雛⋮ 軍 村 Y 巴 里 雛 前 該 故 休 前 み 略 之 の 借 書 里 着 員の疏辞あ∧’、其間終始奏樂あう其盛 汐りしζ巴實ゐ名状し難し、日本人にて實 監の告雛あろ、五聴に至るも中々閉 會せざうし故實美氏等巴共ゐ四五入連會場を し博魔曾を昇物す、眼科分科學曾之﹁ホテ ー﹂巴ゆふ市立病院内みあろ會員二百 十人飴毎日纏會日の外前九賠よウ午後五時 て會長の案内なろ宴曾砺う出席者萬人以上あ 6、門内門外立錐の地をく階段階下至る所賓 以て満され階段の南側にr近衛兵抜劔に て不測を衛るも婁混雑恰題み群集なるが上ゐ ㌶議㌶犠螢㌫∼ らんピ知うしなぽ余は出席せぎり・しに是を知 δつ、行く人の氣が實に解し難し、九日にζ アレブイテァテル﹂巴ゆふ宮殿にて閉愈式あ 式ユ等し、十日午後三賠よ力大統領の う是ハ奏樂の問に會員代るく帆融⋮を蓮べ大 「 案内にて﹁ソルボヅ﹂宮殿ふ立食宴曾あり是特 ユ×続領の案丙故出席する者箭者に倍す然し 日は園内に集h・し故前程の混雑ぱ渉かりし 愚製千坪の廣き芝生も殆ざ立脚の地な苑程よ し門前に老無論製千馬車よて一時は全く 通の稚來人を拒絶せ0吾々之居るこ芭一時 間計うにて退場妥然し世界第一流の大都會丈 あう斯く多人数を兎角入れる程の席場あるゐ 實に一驚を喫せり、博、兇曾々場亡Oふ迄も 渉く其廣大美麗なる實に筆記し難し廣さは金 片の肉Y食L瀬く難門を通過し逃げ蹄る、 皿 産物室あり、十日間毎日三時間乃至工土ハ時 中あぱ諸種の器械を据へ付獲動カ所⋮叉O、物置 澤公園の十倍以上、建物ハ皆二階三階床下地 く曾肇適合の多入警招待し門前矢及︹ して別席に至り、一杯のフヤシジL響 開 旬 に 頃迄開曾す、六日には﹁ヱリゼ﹂ピもふ宮殿に ユ 馨 美 大 次 Y 此 普 充 満 n 會 軍 讐 総 ヂ 解 ル 五 客 に 馬車を輻藤せしむる之、但し佛國の大家にし て名響ピするの風留渉うピ聞く、豫て斯くあ ︵通信︶ 七三 間見物せるも殆浄再度見し者みc、13本出品 中最も外人の目を惹き特ユ貴婦人の誕Y流せ 水 斯 一 、︵通信︶ しは絹織物室なう、漆器之よ次ぎ、陶器、彫 刻物は格別の好評なし画は最⑱不評にして吾 δ如何に負貝目より見るも實に碇かしき程な うし、目本酒店茶店n可な冠の繁昌なり、茶∼ 茜 迄一﹁フラゾ﹂、二階三﹁ブラゾ﹂三階登ケ 五﹁フラン﹂なう元よウ階段あれ芭多く之昇降 にて登る、各階に﹁ピー〃﹂屋酩酒屋種々の 費店あウ、千尺の頂上に達ずれば六鰻敷位の あウ、大なる望遠鏡を備ふ、愛よ冠一眼下 なタず、博、覧曾場n勿論巴里市及其近郡Y に集望す、只々日本の見へざうしは實渓 を見下せば輻較する人車恰も蟻の群集をるに 屋 なりL、頂上一室の側に便所あり、此勝 丁度尿意を催し此所に放尿す千尺以上の便所 て放尿するこピ生涯中決して恐く再びする 克nぎらん、市中の賑之叉格別牲來到る庭人 馬を以て織るが如く一瞬晴も油爾する克は逡 の を横切る塒は其危瞼Oふぶうらす、 車、二階付の馬車、繊道馬 馬 店には日本服及袴Y着用せしめたる佛國婦人∼ ブ 給仕あo然し唐諮ろ乙しの束髪に之日本服∼ ン ぱ蓮勺似付か壱、酒店ふは東京美入の給仕あW 〃 う奇Y好む佛國人の事ピて是を見物帝々男女︹ い なく澤山出掛る摸様なうし、笈ユて寺井︽ レ 綿野氏に偶然避遁し久々にて金澤の噂談Y︹ 」 器 部 遺 眼 異 憾 下 ごε實に驚あ堪へ竜、或る日市内†水工事を 見る往來の地面より†るζ芭三階段ゐt地下 車之多く屋上叉は地下に通ず、交通の便なる 車、乗合馬車、電氣鐵道車、自縛車、石浦螢 動車、或る市街よハ蒸氣車もあ6、然t蒸漁 頭 立 なせう・日本藝妓の見芸に書に慨歎ゐ堪へ 尤毒別醜体之顯警轟粋の日本風に て+二讃位の量敷§る呈坐敷内に居⋮ 〃 坐し大屈そーふ酒し居うしn寧ろ可憐の情に︹ ’ ある麿し、麗㊥開曾の當日蹄途實美、野田、其 他四五人あて登る頂上迄登るゐは五﹁ブラシ﹂ 戴圓∀め登上券を要せり、之を言階に匿別し 階 二 路 別 宇 お 」 特 頭 に 立 街 争 の の の へ ( あ0漁車の停車場な﹀、下水のト∨予〃 づ是れ或る宮殿の側渉ウ實に此工事の肚大な 着到底日本人の思想にて想像の及バざる所在 参き、市街家屋の一部は當伯林﹂優れる所ぴ 高さ一丈巾入尺位天井側壁直径三四尺の大鐵 管四本其他歎本の小鐵皿管あう鐵道ンー〃の下 るが概して云へば不行屈の所多く道路狭藤 随分馬糞にて不潔なる所あク伯林よ6劣れる 鰺 るが如し、物償ハ博覧會中の事ピて常さへ 如 巴中尤勺高き所の一府なるに其上常よ6 し居う吾亭の下宿が中の下等鼠 貴 臆 にして乗換場に達す此所に之長さ十五尺一 が 三 鰍 れ 四 羅 費に正に不足を戚ぜう其故一日弔畢 圓入十銭な6し二百圓の手當にてn十幽日間 て十二曇位の粗末な部屋で二入詰一日賄付四 割 方 巾四尺位の川艦あウ・一艘に大凡そ三+人を∨ 舶の両側Y徒⋮渉して是を導く、 管あウ便後管の﹁子ヂ﹂を廻せば一定 る、故只雨水の如く混濁ずるのみゐて糞塊紙 井等を見ず叉少しも臭氣を磯せ宇蓋し各家便 水之皆糞尿氾る竜既よ洗水みて稀稗せら. 人 く切う上げ當地を逃げ出す積¢な0しも大続 めす、市内便所は常に水流れ恰も河中よ放 り豫て切望の瑞西、伊太利を巡遊せんε桂氏 領の宴會よ列するため十日迄滞在せ・9、是よ するゲ如さ仕掛故下水幹管に達する時は充 已相談の上同行する事に決し同日午後の宴曾 を見六時年の漁車ゐて瑞西國ゐ向け出 量の水射出して直ゐ便Y洗流し一粘の汚物を 水 の 艦 頭 二 ゐ は 滞 在 籏 分 し、病院杯随分宏大なれ.芭不整頓の夕所 下 道 な う 、 鐵 管 n 飲 料 水 が を 管 等 な う 、 漁 車 パv 腰掛のみにて蓋の渉き勺の︶aて行くζと十へ 少な加タす學問上に宛之めるε遙か濁乙に劣 にハ溝渠ゐク市内家屋よう流下する糞尿のポ へ 警う、側壁磨に支流あク、雨水下水の璽 室 地 五 ( 此 乗 の せ 所 くなウ叉化學的の作用にて他物に攣すれ なう、舶にて﹁トヅ子〃﹂を下る乙巴債二十 寿計∧’にしてセーヌとゆふ河の或る一部に出 ︵通信︶ 呪 宝 之桂氏一賠留學の地畜う、物償廉なり人氣亦 す翌日夕方同國ベルゾピもふ所ゐ着す此地 登 の 景 ば 分 尿 止 薄 ︵通信︶ 善し、此麗ゐ暫く骨休めεして腰を落付 け其間少々見物す、営國[之到る庭欧洲有名の あう特に湖水に青む風景實あ優雅なり、 ∋当哉豚ラグフロ︵置れば乙女山ご ふ位傾斜の度四分の=通常鐵道匂配の最亘 山鐵道は、よも人工よてハあらざうしピ思∼ め 度n四十分一なう︶にて皆歯車仕掛なう、編 車之前車小ゐして後車大渉るが故卒地よて 之前部地面に突入する様に見ゆるも登山する∼ 時n丁度黍の位置ゐプ、進璽、登る壁三 芙 影を見ず全身汗に浸され星努れ氣息喘々たう 之褒庫時自ユ僅に二十五分を剰す 周章狼狽道の善悪を選ぱす殆音一直線に急下 し麓ゐ至ウ馬車を駆う登車場に至れば無働憐 々たる黒雲を残し後Yも見壱して漁車之 既あ登走ぜ6暫くは桂氏竃顔を見合せ言句を する克nざ0しも幸ゐ引返の旅行なうし故 迂更に多うりし故落膿脱力徒歩にて賑 便を待つ、時至り便上して乙女山 なる所に引返し緩々書飯を喫し十二時二十 る途中ラウテルブルン予シピゆふ所よう 書を登せり着ぜしや否や、乙女山に達せし 渉りし、此所亡絶頂にゐらざる 萬尺な・9、斯く高き所迄一歩も歩行をるこ 毬海面を抜く乙ピ三千二百﹁メートル﹂殆ぜ吾 分 程もないが下る詩は一の谷の倒落でも食nん卿 次 十 ハ 6 々手に洋を握るξ璽渉うし、人運 見 れ の 五 ピかく登る乙εを得る巴ゆふは何ピ驚くもの あらざるや、右の失策ユて遽よ此日亡蹄 泊し黎日午前十時宇べ〃シに蹄着せ0、十八、 日午前十一培十分ベルンを辞し二時宇ルチエ 宅する能之壱到々途中インテルラータシに一 n カも亦實ゐ進んだ者・かウ、常國諸山此山上∼ 山上竃肇の警時開迄に篇竺時間竺 Y 四 ゐ 聴 計 れ 煙 端 ふ 分 か 手 獲 荷 至 経 物 褒 賠 ハ 一 鍵 か の 豫あ6しを以て近所の小山凶ーへ当W⊃、 らん乙ピを企て直ゐ進む、然し行け 於も登れ共頂上に達せ壱問はんε欲そるも人 登 ゐ 大 雅 登 地 摺 グ に の ル し景色亦頗る佳渉り湖水を漁︰船あて渡冠叉前 芭ゆふ所あ着す此地は有名なるフイ﹃ル クルドステッテルゼー竃ゆふ湖水の一方よ接 く、余等迷戚の様子を見君等も漁車ユ乗後れ しや妾等葛同檬ユて大に迷戚せ4加ふる よケ少しく降雨を初めH將ふ暮4ε ず停車場a二人の貴婦人停み居4母子ε見受 なるコリズリーギーク〃轟εゆふ山の山登ゐ’・ に降雨を始む天何昂吾等を憐まざる兎ユ角庇 時 歌ぽ務誌麗齢鍵 警んを察し濃霧の中を欝警警至れば∼ ハ に至う端書を認め酒杯飲み既に終列車の賠刻 を散歩し寒氣甚しかうしY以て一の﹁‡ル= する頃之大陽梢西に入らんピし雲霧濃厚にし一 ハ て処尺を班ぜす更に風景を望むユ由なく失望ひ ジ 腱極うな当も如何ピも詮方万く少しく山上∼ 弱く到抵余等巴同行する能ハざるを知り吾 等は次の鐸にて投宿せん宅依て其意ユ任せ下 山の途あ就く、雨はしよぼくピ霧深く道路 瞼悪尤炮本道Y知ら竜鐵道線内を下る、彼等 る、此日n午後より雨氣を催し頂上に達∵ 所に立明を課に之参タす希く之共ゐ下山し吾 つ、涼⋮舶は定賠其麓よ着し山鉄あて亦是 相 惜 其 ぴ ン 登 企 賜 等徐行して次の停車傷に投宿する故遠慮なく タれんこピを希望すピゆへ宣、余等は 足 や吾答て日く余ぱ知ら壱行て問ふべし噌余沿 迄︵丁度中央︶至る時既よ七時宇頃にて大陽全 宅 して見れゾ翼瞼岨なる之ピ實ユ甚しく、笙二 て上りし故疲亡なし面白宇分勢ユ乗ヒ駆け下 δしに登うし賠は左程ユも思はざうし■徒歩 しが雨n降・9て居る故灘れるZ卒氣、汽車よ く没す、頂上の﹁ホテル﹂ユ投宿してもよか0 に急ぎ居りしを以て能く是を信せす拶挨も そとノ\に停庫蕩ユ至れば果老て信なうし、 ︵重信︶ 以て之Y問之ざクしε、洋人曰く夫ハ氣の毒︹ ∼ なう粛車之既に畿せ℃行くY止めよピ、余ぬ 今より下山芝巴霊看無を知るの萎き三 ピゆひ放ち一さんに駆下・り第三の停車膓一 等の同行を大に迷戚し居れるが故に然らぱ 許 彼 進 行 せ せ ル Y あ 落 罐 鷲 ㍊ 鯖 大 山登うは爾來せぬこピにせり翌日早朝同所を を得ず馨す︵薯墨す︶是が二度の失策故 る能之ぎるに至り辛ふeて第三停車 に近付し頃は膝のヵ全く脱け更に坂 所に集合す、入口は肚大なる岩石職石錬瓦 牲々我産Y投琶て墓碑を建設すε、墓地は一 く臓石にて叉其彫刻の精工なる乙巴實に言 に絶す、三百年前當國の全盛之實に驚くの 他なし、當國13叉墓地墓碑を善する風習あう う函う土毫天床n云ふ迄もなく屋根板床板迄 ︵通信︶ し十一聴三十五分〃,ヂ⇒ー⇒⇒に蹄着す此所 場カルトバードεΦふ所の或る﹁ホテル﹂よ止 は名々の荷物をのみ残し置きし も式圓宛ふんだく夕れ荷物の宿賃二圓巴之随 馬鹿氣た話しなり三聴十五分同所を褒して ッー子ルゼーピゆふ湖水に接し﹁タ〃ザシト トハルドバーソ﹂εもふ世界に有名なる に乗り伊太利に向ふ’名にし賃ふアルペブ 山豚Y突扱し鉄道ピて湖水ユ添ふ無数の山麓 を縫ひ行く故﹁トゾ子ルしε湖水Y交互見物し 景も亦美喬るゲ﹁トン子ル﹂の多藪なるピ間 々其長きピよ驚けう其一の如きは丁度二十三 造りの大本堂あり周園ハ同材を以て建てられ る羅漢堂の如き者砺δ’悉く長さ六尺高さ三 尺位の戸棚形に仕切う死骸Y葬る所 ろ巴キ、其最勺高き棚之十尺計も上にあウ、 皆貧民の者参0財産家亡其分ゐ鷹し園内の 自之を設け大なるは日本の土藏位あ 宣而して先祀代々の墓碑ピみす善霊し美鑑し 萬圓の慣値ある者屹立す特ふ美なる亡 碑な宣或は宵像或ロ女祠中には夫 墓前に生存の寡婦墓参して惨然εして悲む あ9、正に生けるが如き者少なからず、 刻 μ を要せ0夜十時五十分伊太利都府の一なるW 三 」 に ウ三か、ゑもある臓石の多角柱三百二十本よ は﹁カトリツク﹂致の一寺院参℃高さ十五間園 十一聴二十五分同所Y曇し、伊太利第二の都捲 市内も霜美なるも格別の事なし、翌十九日は 日曜日なりtも病院右の墓地寺院杯見物し夜 づラシドピゆふ所に着す、此所に有名なる 行 に ゐ 停 夫 各 デ 語 悉 の の 立 車 止 場 ホ 夕 尺 た 奥 墓 是 地 騰 一 石 碑 の 数 彫 像 上 の 登 の 「 ッ 分 ゴ 鐵 道 其 分 マ ウエ子ヂヒユ向ふ、夜芋立ちしは宿賃倹約の な冠、二十日午前四聴宇同所に着せしも漸 雛醒噛㍊鍵 タつけウ此地は世界無比の奇地aして 舶の如き皆當港に寄港し大に繁華の港あり市 潜の摸様大よ祠戸よ類似を、市街清潔高 よして甚ざ氣持ち頁しウエ子ーヂ‘ヒの比に あら古⋮墓所亦∋句ープ.ンWよりも美かり既ゐ二 宿せず稽,疲螢を戚ぜ亡故今夜は緩々族 に投C安眠をなせり、廿二日午前入時十五 分同所を登し蹄途ゐ就く、概して伊太利之奮 富み羅馬の古代繁昌を残すピ雄巴も以後 歩は停滞し阜問的今日の進歩に封しては 摸の大喬るのみ更に學問上の見るぺき者なーの 日本に慾及ばざる如く病院の如き只々規 襲博物舘工業學校等を参観せう然し舶賃 0き翌二十三日午前六塒宇瑞西國チユーリヒ 宅いふ所よ着し或る下宿屋に投宿す此所にて 都の淺61氏に避遁せう八壁手五分乙・を しイハウゼンピゆふ所に至冠有名なるライ 川の爆布を見る、さすがに西洋参り實に塞 なるめ日本銀行の如き族店数軒あウ濃 近接して見るを得せしむ實に痒きに手の届く て避暑客Y各國よう引き付る者なり、 布の直下迄鉄材にて道路を作冠女子供皓樂に 地 る乙巴数回よして漸く本道み出で停車場に 晶轍場噸謡舗醜檎斑 ドに向け出獲す、十一日午前六賠二十分﹁マ イラン巾を通過し+一塒二+分﹁ゲヌア己に を當地も亦都港ユして日本より來る偶乙 ︵通信︶ 登 京 ン 村 僻 仕 掛 ゐ 克 εするも橋ひき水灘よ出で越ゆる克はず立・ く言語通せを少÷陸小路を徒歩せしに汚物 累々鼻を突き蝿患多く嘔氣を催を正道よ出で 頃﹁ゴンデル﹂よ乗り大水道を下り宮殿寺 之水道よ面し多少陸小路あるも皆裏路なり、 之大水道小路道小水道なう家之水中に立ち表 代ゆるに﹁ゴンデ〃﹂巴ゆふ小舶を以てし大道 なく車類みく町なく町は水道にして車に ぶ 燥 街 港 宿 夜 投 到 の 跡 底 進 ゐ 爲 離 謡 殼 鷲 聾 説 往 此 來 地 高 院 五 凌 時 戻 ん 聾 ㍍ 謬 シ 到 着 ︵蓮信︶ 日恰も例の鼻風にて鼻汁頻りに出で五六枚 の﹁ハシカチ﹂布を用意携帯せしも悉くしぼる 程ユ滲潤加ふるに雨天ゐて寒冒者にハ甚だ妙 なら菖天曇りし書係ら叢て讃し雨⋮ 竃爆布より飛散する雲霧をも事ピもせ壱爆布 八〇 し當日此所に一泊し翌廿六日九時三十 同所を出褒’しバーデンピ一云∼声温泉始場に至冠 て﹁ブリードリヒバード﹂ピ云ふ⋮湯治⋮︷場を参鯛︰ しに家屋の大さは第四高等學校練琵作りの よう三倍位なるも四階建あて其構造の堅固 渉るこピ實ゐ目Y驚かせう浴室千號以上 階に勿論浴場あ6蒸漁浴あo遊泳浴 内亦彩多の﹁ホテル﹂あら遊歩蕩あう費店あ あり器具浴水清潔みして一の欠鮎を見出さす す を一週し即ち上下左右よ・り見物し一時二十分 ーリヒふ蹄る日本に於て子乙ん萩爆布ぱ も渉︿謂之“日光の霧降の瀧の巾廣き者 様な者なるも全体歓洲n山川に乏しき故特 に入の賞賛する所をウ此所にて桂氏に別れ翌 ’ 十五日午前七賠二十五分同所を登し濁身蹄 を急ぐ九時二十三分瑞西ピ濁乙の境なるバ 各 う幾日此所ユ滞在するも倦むとを知らざるが 如し、四賠四十五分同所を曇し六時二十升川 イデルベルグゐ着し東京讐科大學致授呉秀三 氏方よ同宿す此ふ二日滞在亡大學を始め市内 等を見物す、當地稽天然の風景に富み加 るに有名なる古城あり城内の或る一隅に千 にして大學なきも到氏肺病薬の元租 るに足る、二十入日前七時三十分同所囲獲 ラ〆クフルト、アム、マイヅに至る此地︷ 百石入の大葡萄酒樽あ4以て牲賠の盛呪Y 城 く 舗鶯竃竃纂縫⋮ も同氏ハ一汽車先に登他の方面に至りし故十 矢張軍濁にて同所Y登しストラースブ ヒ云所ゐ向ふ言語の通せぎる伊太利よ﹀ に入δし聴ハ實に日本に蹄うし心持せウ 十二時十二分力、田∋川﹁丙,司斜着此地みζ既 日本人三名居4其案内ゐて大學稜を始め諸 分 所 見 物 に 美 分 せ 達 麗 フ εも云ふぺきエール夢ヒ博士杜血精薬院あ■ 商 で ユ 西 グ 八 分 市 知 二 ふ 奮 業 地 此 チ 屍 の 途 二 設 聴 ル 瑞 ふ 園等Y参親し一聴三十五分同所Y磯し九 度候出立の節亡貴君を初め在京同 窓諸氏よウ色■御厚意に預り辱く奉多謝候渚 はザットレルピ云ふ眼科の大家あう事∼ 銑則晶鰐彗肋謡膿障羅四⋮ に蓉ぼ映心せ0、二十九日桂氏も常地に來∼ り︵豫定通0︶翌三十日午後六時十五分同所を一 い し九時桂氏ピ共み伯林當宿に蹄若す、斯の一 初て﹃ξ三+二日間︶至る所目先警珍⋮ 如き長族行は日本よ6當地く航海の外生れてへ らしき故ゐくこともかく又幸に途中格別の身∼ 日香港に着し直ちに上陸して東洋舘てふ さ壱只だ白老の富士ピ論井戸の残花ピに名残 留め終に郷土Y離れて遠く相分れ申候全二 分ライプチヒゐ着す愛あもこ一の友人 下 て過る三月十六日上野墨堤の櫻未だ春色を催 被 日本人の放舘ユ参う久し振にてB本食を味ひ よ宣所々見物ま出掛け申候孟し香港の市街 るや蓉ぼ文明的に構成せられ加ふるゐ眺望 佳風景亦美麗にして其の公園あ之世界各國 仰けば欄慢たる艶花霞の如く傭 英入の生活ハ︼種優美の光景を放ち此等の光 く吾人の眼底Y刺戟し心膓よ於て反射 可あタざる疹痛Y戚せしめ申候 郁たる奇草錦の如く加之其間に慮する Y 並 八一 う必要よは候へ共最も必要冶る勢のは國民自 ユは戦箏,も必要に候ハん叉科學の進歩も固よ はんユ我等同胞が未來の隆盛を期せんピする 胞の諸士に可訴候o 熟々今極東の風雲を古規 生ハ之よウ言を重ねて此疹痛を諸君否吾 一 銃 種 言 も渉く無事に佛國瑞西伊國燭國の西洋∴ べ ふ 國を横行し實に楡快なoし云々 ∼ ー︵ーーくー∼ーーーー⋮ー∼、︾ ︸ ーー ∼ 山鯵氏の通信 目下英國倫動﹁、、、デイカル、 ーヂ﹂に在學の同氏よう東京聲科大學助手︸ 賛助曾員松原三郎氏に寄せられたる書信を∼ 得たれば左に其全文を掲ぐ 啓其後多忙に取紛れ久敷無音に打過き候段 ︵通信︶ Y 十 五 ば 植 頽 物 織 異 饗 せ の 絶 た 夫 同 故 的 景 小 み は 登 ● コ 御 海 宥 う其案内よて大學を始め市内大客を見物・を 此 砺 時 叉 四 公 地 十 ゐ 事 横 大 ゐ レ 奔 本 會 らが進歩しだる生活を執るとユあクビ存候試 ︵通信︶ 君︾。の一度香港よ遊び玉13や梢々文明的光 八二 當の生活Y螢み異郷ながら佳め老都にて中〃 白しピ何れも巾居候長崎の得業士中野某氏 當地に開業し頗る盛大に見受けられ申候序な ら諸君に一吉注意致晋度候英國政府之其本 歌にて聲術開業を許可するとピ相成居候に 國を除くの外線ての殖民地に於て之日本國の るべからざるや自然よ氷解し得らるぺく巴存⋮ より諸君にして若亡遠征の雄志ピ豪宕の企圓 認 聾 離⋮ なる見識を得られ度さ事に不外候 竪 舗 諸 ㌍ 生 る庭諸君の偉慮を歓迎すべく候諸君ハ既 巴だユ有之候走∩何れの宇球だるを問之・を地 免 ユ高等の教育を受け又敏活の壬腕を有せタる く候故猫額大の小天地に互み宰ふが如き愚 國の膨張を企圓せヅる、芭共ゐ各々天凛 に陥る・となく廣く眼光を地球の表面に控ぎ吾 才智を全ふせられんξ切望の至ウに御座候 量界人種の展竃にし妥多の人種互三 纏馴遵繍翫駅凝齢懸一 中に避病院を構成し頗る奇観に候 ほ印度洋を航L四月二十二日コロソボーに 之シンガポールに比すれぱ地位箱々劣 等にして熱氣亦甚だしく候同地にハ一大舶Y 昆較00に清潔を貴び亦上下水道の完備≡ 月の雑蓼叉可藁⋮候編座候然れξ佳へ 直下のと巴故置衣ユて磯洋だら々々ピして正∼ 月四∪ンが㌣ルに到着仕候同碧赤遣 重 要 球 到 可 が 帝 の 袈 ぱ 藷君即ち本邦國民3の袋者㍑。 難覗竃籔砿輌疑㌶罐 景が諸君の眼底を刺戟をるピ共に諸君自ら此 あ 面 が 諸 候 小 謄 舗 四 の 民 し本邦人の居住する者三四百人に及ベピ も其の多くは所謂月眉柳腰的の非正業者にし て其甚tきど驚くの外無之候他の正業者も相 難 ナ ピ ヅ あり港より七十五里斗クの山奥ゐ位し蒼古の 之所謂天竺宅稽し稗迦以來の奮蹟 着 術 海 仕 候 此 地 晶 麟 混 ん 似し頗る温膣に御座候其人民之丈け甚だしく を表示し何ピな 之高から市眼色老日本人ゐ類し其性甚だ愛嬌 く床しく戚ぜられ申候次て紅海及蘇西蓮河を し右に亜羅16亜を眺め左及埃Y望み何れ に富み道を尋ぬるも亦た物を購ふあも頗る丁 刹 代 の 文 物 寧なリピ戚せられ申候全地の農商務省留學生 千 年 前 も古代文明の末路を悲しむが如き晴雲だなび︹ 今 高柳氏を訪ひしも全氏は當時伊太利へ放行中 債 ほ 三 剰刑膓川塁膓、両沿岸の亡國民を見 過 互 通 に及び悲哀胸を塞ぎ申候地中海に入れば忽ち く樂しき戚を起し巾候此等の有檬亡到底東京 にて見得可あらさるとピ石渡君巴共 ユて不在なりし塔宿婦誠ふ親切にして何ピな へ ㌘墾罐陪汽庫交通の硬涜扇け里へ 迄上ハ聴間、巴里迄十四賠闇 、伯林、撞脚保工曇何 へ 鵠ボ離舗鑓諮離顯 下 宿 屋 渉る壮道にたて寺院公會堂にも之を祭ウ に戚心仕候佛國ゐ沿共和の女紳なる宵像Y大 の 居候亦さ諸君も御承知の如く馬力の原⋮位は全 馬に基さし竜のにして肥満せる馬の二三 大 に淋寂を戚L眞に異域流涙の戚を魔佐申候︹ ち声松石陸軍少佐等の一行竃相離れ賠午俄一 ぺ 舶の同港内に碇泊すると三日間に相及び候にx より小生は遁信省参事官石渡君蓬共ふ諸所遊 を蓮繋して合力勢動せしむる有檬13自然 に幾馬力てふ計算Y考慮せしめさるもの欺巴 る薩華麗なるくエ店を築き軒頭の路傍に椅 月五日爵、港を獲し入日当ブプルタルの要塞 うY並べ通.行人を眺めながら杯Y傾けつ、あ る有様何ピなく遊閤に見受けられ申候 到 を遇過し亜弗利加州Y左後方ゐ迭う大西洋を 五 八 三 管︷ゐ出⋮掛け申候⋮佛國の氣候ぬ恰も吾關東ゐ類 ︵蓮信︶ み しだる渡邊、大西、澤田の三量f璽 存ぜられ申候人民n一般に酒類ピ瑚排ピを嗜 ㎜ ㌍ 離 低 十 地 頭 の 黙罐繍糠㌫饗駅 冷氣を讐ζシガ及ジ・・み諸島街墨へ 孔 一 昂 か 分 沈 ︵通信︶ 八四 して全上の石片ゐて造れるものに候三種共 源ハ詳w∂らされ宅も恐らくは紀元︸ 要し乙之最も實用に適する由ま候丙之甚だ堅 ー﹂︵日本の四銭︶を投せざれば開ロせ 子的物質巴にて地下に造られ大便所亡一 こピ萬國比なき由にて其の全部之磁器質ぜ水 に御座候△辻便所ハ肚一麗aして且つ清潔なる ユ建てられだるものにーて降て第四世紀の中∼ 史ユ比Y見ざる大都會ピ相成り候倫動市街∼ ミ ノ 了.ス河にようて南北易讐られ其㌘ ざる装置に候へ共小便所は銭を要せす候小便 の 聞嵩讃之三種券れ甲曇毛メ∴ 片を縦繊維よ並べ其の下地ハ漆泥にて固 め上面はコロタシを塗れるものゐ候丙之石道 よ之或る自働装置によウニ三分時毎ゐ水流 際は高等街にして南部は劣等街に御座候道︹ 構 堅固なる・と到底他都に見得ぺから壱ピのこセ︸ 屋 トゐて固め恰か岱鏡面の如くに候乙は木道に一 ︶ して幅厚三寸長サ七寸許6なる長方形の堅木 に の る事實あウたる由に候其の一側には掃除人 住室あ冠手及顔等を洗ふ可き室も有之全く 箇の佳家の如き有様に御座候本邦の首府た 所 名に付き諸君に御溢意申上べきと有之候元 なる便所のあらんとを相待ち申候此の便所の る東京にも只だ一夕所たうピも斯の如き完全 一 の た 命 誉翻剖の如くに高委らす竺 出して洗謀するを或る田金漢誤ウて之を呑み ⇒ ノ 林の如くゐ新麗氾タざれ魯諮盤石を曇みて∼ ヂ シ 硲 「 ペ 籠鑑㌶竃謄舗罐酷一 固なれ.宝も馬及車Y損するこピ多しピの乙ピ 中 の 頃に至う﹁サクソン﹂人種が侵入混住せしより︷ 三 一 種 動に入o申候 横ぎう五月十二日朝最も肚麗なるテームス河 を逆う午後チレバリドックに着し翌月曜日倫 ゐ ゐ 車道にして人道ぬ其の両側に位し何れも全 く岩石にて構造せられ候爲めユ街上ゐ於ける 滴の水たリピも地下よ窟入する憂無之候右 甲は最も宜敷御座候へ共非常﹂経費Y 起 し轟代よ喜時の種族によ名商業的 前 倫 久 動 府 醐 歴 伯 路 北 n 家 及 切 所かる名稀其の實意を隠蔽せるゲ如く欧 蜘割邊に類し冬期ハ東京に近し寒くして雪少 なし又古來天縫地異少なくして都民の多く之 なるものなる欺を解せず又一生涯 災を話し候εも多くの部民之到底了解す よ一回の火災に遇へ之非常の不幸”芒戚じ東京 何 洲にても便所の入口にn﹁ゼントルメプ﹂或は イース﹂ε認め有之候諸君若し欧洲に 4候は“藁2肇内皇畠れの傷互 るを問之走小生が此の注意の徒努ふあらざへ るこピを悟らる可く候△交藝議器關ξ竃㎝ タ瑳若し今或る市街を横園して其断面を瞼︵ に曇道あう地下には纏之あう上下水道、⋮ 電線、瓦斯管等の地下を穿孕ξ籔ふ可 も人体の如く食管もあらん氣管もあ 殼赫賭晶舗訓㌶顯耀騨舗へ うて實に驚く可き活像湊△人民の警五亘 なれピ竜其寄合人をも合すれは=丁万 の 如 るこど能はざる竜の、如くに侯△倫動部外の 稽右吾牝海道に類し杖を曳きて此邊に ε極画εの差實にごか一千里鈴ゐ及び時 常國ぱ吾日本國ξハ全く地球の反封極に位し 毎ユ自ら故醸の塞を思ひ出され申候孟・し は 間縞吾が祠戸ピハ全く九時間の差有之爲めに 動の正午聴之祠戸の夜の九時に相鴬可仕候 然れピも照らを日月ハ同しくして室ゐか、れ る星ハ攣ら竜只だ奇ε呼び妙∈云ふの外無之 されぱ英語ふハ奇妙コ慶千。・三莞・巴書きて外 國入てふ意味も眞に了解ぜられ申候回顧せバ 芯を猛けき盆武夫が僅かふ越援よ参能登まで 求うて早や家箔の遠征を思ふなぜ女々しく帥 吟せる謙信Yして今此地にあらしめ畜ぱ果し 九、五八分ー五入、四〇分の間に位し倫動n 國之東往一、四五分西往一〇、三〇分牝緯︸ 其の最も東南⋮端あして恰かも吾が千島の占守 て如何の戚をや起すらん若し夫れ鍍世紀の後 ︵通信︶ 八五 鳥宅同位置ゐあるも氣候ハ温暖にして夏期之 て可云候故二十五英里四方の市街が.人ピ馬車 震 火 東 レ ピを以て充填せテれ實に・寸毫の飴地吊無之候 地 の 遊 風 ぶ 景 極 便 エ デ 万 倫、 候 來 た 來 「 せ か ぱ 恰 か 七 十 △ 芙 四 月の世、星の巷に至るとを得ぱ今日小生が了 ︵通信︶ 解したる奇妙の意義が旬ほ奇妙に戚せられ候 ん△英人並に異種人の混血11今日英人ピ構 ξ者呈▲蒙れる更種の混交にー て生したるものに御座候即ち甲n往古種族に∼ して乙は州カー当判種族に候就中軍純をる甲種一 竃竃簸難蕊竃いへ を験査せざるも恐らくは して髪ハ紅く蚕く別種のものに御座候小. に ピ⑤る刊の、如くに候抑も異人種互 甲にもあら選乙にもあらす亦丙にもあら 竜して組織其の結締Y誤う一種の病弱者若く 乙n乙種族に近似し丙は丙種の中間Y形造う に於て多くの子女を翠げ候時ハ自然に に分ある、有様に候即ち甲は甲種族に やY注意する迄に御座候故甚だ遠く相異れる 萎々が圭ピして何れの種族に近似そゑ 端の人種を見難く圭ピして混血致し居候故’ タん欺ピ存居候然れ蓬も當時は此の 血 液 申候巴も体格的現象に就て之を研∵究致し置 に混血するの良否ハ政治上の關係之措て問ひ 会 く︹きと我等同腐の未米に向ては甚だ重要な るとピ被存候故英國及印度に於ける小生の研 を概言致し諸君の注意を起し度候今或る大 國に於て全く異ウだる二種の入種が普く混血 とは一寸相考へ候ぱ∨甚だ困難渉る大事 にして百年二百年を経過する芭も到底行ナ人 き檬に御座候へ共他の方面よう考慮致し “誠に意外の速力にて普く援播するを得 ものに候試みに動物に就孔て諸君の周邊 を見られ候n+相分う可申候彼の近々三十年 前に於て純粋ある帝國種族たりし幾百万の ε犬ハ今日果して如何なる拙況に御座候哉 る土地にて之殆んピ純稗汐る種族を見るζ ピ能はさるに至冠申候人類の混血ハ勿論動物 そべくもあらず候へ共常英國Y初め定し 印度人種の鍵遷ピなり世界各國の事實により 日々意外の速力よて進行しつ、ある乙ピ敢て 言論 Y挨力宇ピも明なる次第に候⋮思ム の 詳 細 不 或 馬 以 に あ だ 究 べ 候 れ 業 せ 龍 15 難 ん 比 小 生 は 誌 只 極 亦 生 繰 差 は に だ 異 未 四 夫 種 婦 族 間 丁 ぱ は 不 具 者 内地難居と共み此の事實も吾種族あ波 キる之麗悟せざる可からざるζとピ存候故 繍演へ 蛙砒鷲盤鷲霊ぽ竃 らず吾が日本國ゐ於ても諸君が御實見せ らる、に至らん欺ピ存候小生は其の好例を翠 けん宅欲ー近頃倫動の或る甚だ異なりたる血 有する夫婦間に生せし一家族を研究し非 興味津÷たるとY相戚e申候 甲父家系サグ ツヅに近 く繰眼紅 遺傳病 なし体格 髪 て其子女も右の如き四種に分る、乙竃顯 著に御座候小生固よム’淺學短才なるのみなら 強身覗先を力何4・ る甲 健長力天錯られ類 就父障性誤すにす 頗稽 くしにく 竃竃靴翼竃灘 ン し尋呈な結た甲乙 て常しる締丙乙圃 a属屠 強乙 遠 常 色 中間質 に力Y怪其亦n分 丙はほ 質母甲 に因るゐあらず亦特種の疾患よ基づくにも砺 ス ら宇蚕く前述の關係に源つくもの、如くに候W 頗て母乙 る身体属 健長にに 康客劣似 智ぼタ体 力父を質 ε体 も格 ち前蓮の甲乙丙の何れξ属芋して丁ピ⋮ 汐う軍純血種族璽於て見るこピ能∼ざる症 三 二 二 長 長 女 女 男 女 男 近類身1仕に丙尋に丙智身職よ碍眼し組もる身 全しす体智劣質常等質力体すりあ膜一織類も体 然るの能るに れ竜構尋然1 と眼造常れて に有之候諸君も御存知の如く今紅彩ピ水晶体∼ ピ蒙冒よりて構肇られ網膜が全毒亙 をると多く其饗化も頗る興味深き もり異種全せ眼n 大智常奇くす膜多 あにあ か に 家系往古 種族に近 し茶眼黒 傅病 しに共釜 も髪客 よりて拷成され候之い自然に一種の眼病を一 等乃關係13眼に於けるようも寧ろ他 ︵通信︶ ものを見受け申候小生の當地に於ける實験も ゐ 此 強 健 ふ Y 髪 遺 即 の 可 ゐ の 鵠 鰭 登 丙 乙 母 及 に 彼 霞馴 諸 賢 鑑 芦 酷 鵠 舗 麹 從 繍 部 起 分 候 信︶ らす腰骨の一部に鴫形 を呈し゜智能敏億砦仏らす 分 力尋常 男丙質よLて頗る健康智 げたう 長女二年前結婚して一子を塞 長女茶眼黒髪へ 獣丙質に皇る竃 サクツヅ 近 う く緑眼紅 ゾ 蕊㌔誘籍騒澱端鰭竪 重理的理論ユ傾ける︾ユして他方よう見∼ る時は決して左程に丁者を生する乙ピ多き鮪 ユ無之却て父及母よ冠亀優置だる子孫を生 八八 度混血種族‖英人の混血之両種共に高等人 申候 よ比すれば却て減少せ冠巴のこ芭に及聞 種が進歩するこ議賓ふして混血の度も年 々顯著ど相成う可申候へ共丁者を駿するこピ 年を追ふて退歩壱る巴云ふa岱拘らす濁り 英 が 人 古 して就職する乙巴能n ・を毫も結核性多らす他 ぱ強健なり ∼ の 甲質にして体格母に優 う智力敏健 部 なし体格 中等にし て強健 四 三 女 昔 種よ了家れる混血の鰹過及成蹟を表示するゐ 有之候ヘピも若し一方が甚ざ劣等なる人種ピ に於ける混血は舗々其趣在を異にし印度に於 ける混血種族によ0て其経過及成蹟を表示致 し居候即ち當時印度人巴して勢力ある種族は く﹁サクソシ﹂人種ピの混血種族にして丙種 を形成・し丁者入κるもの殆んき見さるが如鞄次 第に御座候爲めに劣等種族aありて介体格上 力上非當の利盆Y得たるものε云はさる を得ず候彼の輝迦時代よりの軍純なる種族亡 代を追ひて終に悲境ゐ沈み今全く北海道の アイヌ﹂人種C同一の状態に有之候 國以來三千年の歴史を有’をる眞美 國々民が今此の潮流よ遭遇せば何れの進 開 へ 通 るζ℃多く有之候故現代多⋮歎の人種の体格 れ ゐ ば 族 印 「 の 顧 る締組 もを織 の誤其 れ結 種 髪 全 及 智 帝 み 丁 夫 す の をピるぺさや各々豫め期口をる所渉あるぺか らさるこピ、存候小生は此等に就き宙多く調 し愚見老有之候故他日機を得て更よ御報 路 度候へ共如何せん筆鈍くして意の在る所 を充分よ蓋し乗候故只だ大要を申上ぐるに可 し此倫動氣質n換言せぱ保守的漸進よ 述 致 有之華醒口Y貴ぶにあらず亦新規を好むユあタ 止 候 孟 籔鷲蕊竃竃竃耀∼ 離鷲㌶賢 警致し殊篇人は其の或騒務を執う薯∼ 歩行を爲すユも頗る活濃あ見受けられ申候 ひ 劃警警紳士曇、或る毒の入間が遁 するああらざれば敢て探用不仕候爲め或る一 端にあ6て之他の一端Y見渡して其進路を相 め一度既み進路相定まウ候上ぬ如何なる事 とも頑噌して其所信を醗却せす一歩進 めハ一歩、十歩進めぱ十歩と其収得せる所亡 」 定 有 堅固にして決して後顧の憂無之悠々巴其目的 に向ひて進行する氣質に御座候故∵Φ此の菊 質Y保持して行動する者は即亘倫動の﹁ゼシ トルマヅ﹂ゐして本邦の所謂紳士ピ名けかる ≧者這ハ全く其趣を異よ致店候故に決して38 職業及人種等の如何Y尋候こピ無之 入九 ら・ざるセとを﹃公示し⋮從ふて文︵位置を失はざるべ するによりて紳士ピ名つけらく可く候爲め若 し此品格の一部を相失ひ候聴ハ既に紳士にわ に其人の品格及行動が此の倫動氣質に適合 分 然宅して計曾あ卓立するあは亦優然たる一種∼ 候 身 質を保持し以て行動せさるぺからさるこ∼ 蔦畠援薯江戸に£享風あう京亙 ゾ には京都風あう共淀各特異性を有するが如くヘ ユ常 劉竃所謂鷲氣質な蒙の有之候足 質こそ13英人をして今日優然世界よ卓絶せ しめカる基因に候小生は其の眞状を詳細に説 ︵通信︶ 之 の 氣 粘 蹟 人 し居るものに有之候故誠ゐ複維致居候從ふてW 人n右四種の外丙者の警な墨態を顯≡ キ或一物を適用そるにも其利害の成蹟を明よ 申上考に御座候 英 道 査 可 致 籠 繧 灘 鰭 の 氣 ︵蓮信︶ うらざる獣況に御座候されば街道を歩候よも 両肩線巴地孕線ピは並行し脊柱線之之ユ直角 をなし泥る体位Y執¢前に歩める人の肩或n よう遠く前途を見越して己れの進路を亘 九〇 ピ交らん巴キるふも其の自由せ勢力巴は他 にも巡査公吏よ物を尋ねん巴するも高族貴婦 らるべ克欺ε存候漁車馬車に乗らん巴する も怪ま壱自巳も臆せ古此等の眞相13極東に て到底想像だゐ及ハざる有様に御座候今試 に普通の例を塞げ候亡S一紳士が宿屋に就く に際し﹁ドクトル﹂某ピ云ふを聞礼候のみよて 自己の宿室の外術ほ共同室の出入を許L叉直 ちあ自室ピ家の外戸ピの鍵を貸與し何時外出 蓬するも蚕く自由に御座候叉被服 名ピ佳所ピを記するのみにて毫厘の るものを取タず幾百圓のものゐても安 して其需めゐ鷹する有様に候後ち紳士が之 店に至ウて服装の新調を依頼せんξするにも ん 鵠一 母 於 人 人 及 蹄 宿 せ 弦甚だ丁寧なる言語を用ゐ人ピ會話するにも 其の長を翠げ其の美を説き候よして入の短 ε 卑 隈 巴 を 口 に 致 し 不 申 一 日 の 談話 も 十 年 ゾ 交際ピ殆んε同檬ゐして一顯の疑戚を挾ま一 選薗然に楡快親密なる交際を遽くべく候服装 如何なるものユても唯だ其身に恰當法れバ 且主しく頭上には﹁シー〃クハット﹂を戴鞄鋤⋮∼、 潔に保つを要し髪ハ長く候ピ℃硫れげ宜L 議瀦鞠薦訟褒駐翼竺 ザ る次第あ御座候之にて蓉ぼ紳士の品格相具 ウ候上之此紳士の能力之實に絶大なるもの 権利を知るに及び初めて予が 長だらしく叙述致し候所の冥意も自然ゐ了解 の 巴も一筆の受取書をだに交換する・と無之 だ﹁オールライト﹂の一吉Y日にするのみに を宿屋に途冠届けんとを命して其の代慣を描 附 だ 殿 其 姓 灘 簾 欝 謡 額 麟 君 が 此 心 手 只 を用ゐず只だ一董の﹁ペシ﹂一滴の﹁4マキ﹂ さんピするにも一人の保証を要せす一箇の印 他如何汐る事業を企て如何ある貸借を函 候 只 ひ 其 候 章 織 上頭 舗 設 所 の ハ 清 一 ざ あ n 候 諸 にて乙定足る可く候斯の如き次第よ候故犯罪 易汐るとを憂ふる人有之候はん勺此等の 紳士間にn諸君が疑ふが如くに決して多くの ロペけ ぽほ の 罪老無之是れ實あ倫動紳士の倫動紳士たるW 容 の して彼の長所を學得し以て其の体力ぜ智識 タる、が故に御座候 ピなれば倫動n世界各國ピ親密みる關係 を保ち其出來事13細大漏さ壱到る虞に報道せ 其者之倫動よ於て生涯紳士の品格Y失ふ可く∼ い 候のみなら走街ほ到る薩に其自由を喪ひ恰2 畠肢を固されたるが如き不幸に沈論可仕候⋮ 品格ピ氣質考を保ち如何に悲憤を以て固ま言 ならす亦伯林の如く疎野ならず自ら優美なる るとピ存候壼し倫動の姉入之巴型の如く華麗 助け盆々高街にして卒和なる家庭Y作4自己 可函り諸省の官吏ピ渉りて出身する迅可な獅 も企つ可し快談も試む可し常に男子を 竃に於て改冥進歩を謀る13未來に於ける吾同 胞の爲め甚だ緊要なると巴存申候体質強健み して智識優等且つ志想確實に候は“何事か成 らさるべく候哉科學Y研究して學者巴なる篭 破 劃婦人ε劇女子11予が既に論述致候旦 援今若し或三紳土が罪Y犯し讐、 特 犯 色 ダ く吾國民自らか⋮進歩しπる生活を執るの目的い 芭するゐは最も多く婦女子の力を籍 らさるべからざるとピ存候今や吾帝國の政度 之圭ピして欧米各國に模し從ふて男子の は欧人ピ大差なきに至・り亦一方には混血 る小生の如き者も倫動、の婦入に封して亡↓ より街ほ進歩ふしたる子孫を設けざる可からざ 業 も不卒の申⋮檬無之候彼等の多く之殆んピ男子 ピ同様に勉め候へ共男子を尊敬するの念厚ぐ を歓かず其友人に交を怠タず内み 族 ピゐ心を砕き居候外にあ◇て之能く種々 し何れの官省に於ても多く婦人 ありてハ家庭を修め経財Y勉め自ら理髪し自 ら裁縫し自ら調理に手を下して一家の卒和蓬 愛 從 事 を顯之し來う申候此聴み當りて吾が國 ゐ ゐ 子は樹ほ糸手柳腰的の御姫様を學之ん ピするハ甚た不可なる次第に候吾が悪慣Y打 ︵通信︶ 大 た 其 の 進 せ ん 事 親 職 歩 業 空 如 何 Y 所 文 の の 達 婦 風 業 物 女 潮 ︵通信︶ 九二 εの差別を識得仕6敬愛の情は女性が男性ユ するの通性巴して眞實に之を勉め且つ具實 ユ之を顯はL居候而して其の敬愛汐るもの、 毫も所謂懸愛秀るものを混渚致し不申 め他人の体格、顔貌、色澤等の如何に頓 さしむべく候從ふて此の眞實的敬愛の前ゐ は姻草を喫せ㌻飲酒を愼み野卑渉る言語を謹 暴なる行動を禁じ豪放憤怒の男子勢自然 ければ嫉妬もなく男子Yして自ら喜悦の戚を ず全く同様に交際し均等の待遇をなし決 して之によh’て親切を加減をるとなく譜談な は に優悠ピして歎聲を漏らすに可至候此に於て 婦人の舎監が大に有力参るとを戚じ申候 吾が東洋の婦人邑別ユ相異なるべき鮎ハ有間 敷次第に候へ巴も此の繕敬両種の愛情を眞實 に匿別する・と難く或は之を匠別し得るピも實 し難く純美純梓洛る自然的人性を登輝する 候小生ハ一見仕候上其の齢うの不思議なるあ 交タん℃するに其人を限るゲ如き有之候ぱや ヒ宅なくして終る者多く誠に慨嘆の至リユ御 し人にtて語タん巴するに其友Y限り き許されさるが儘屡々出入して其塞動巴號 態ピを窺ひ申候虚彼の婦人は實ゐ懸愛ぜ敬愛 て優麗娩艶なる爾婦人の舎監砺るを實見仕∼ 封 着 候 中 せ 泥 に 官吏ほ探用致し女聲n肚麗なる病院を設立 して盛に患者を治療し居候爲め若し吾人が之 鴛凡誌纏謬か⋮ 籠購鞍卿滋竃蕊一 ゾ の 起 麟狸離㍊捜鷲巽雛馴㌶ 奥 妙 る何れ圃毅豪放の男子が相集る寄宿舎叉 學 術 み 嘆の外無之加之斯道ゐ於て蒙≧ぞる・亙 轟響離れてハ填三人の婦誉して且ニ ゾ らしき晶格芭優然さる態度巴を自然ゐ保ち〃 ・あるは更に㌣ぺき至﹄嚢吾國よ於 て一ク國叉二夕國ユ就きて其一端を學ぶよ及∼ の を究めさウピなして傲慢措㏄ ざる=軍a比すれば誠ゐ雲泥の差異有之候亦〃 ブ 早 や 粗 行 Y ぽ諸 晶 鐘鵠 縫 輪 融 愛 の つ 於 或 か び 驚 座 候 若 蓮命に就て深く悲まざるを得書 の 者が此の位置を得んピするに之専85學問を 他 煽み塞術を研き自タ貴婦人ピ交際せん乙ピを は 候今日n封建時代ユあらず亦保守時世にても 其 人 放的明治照代ユtて斯の如く挾盤且つ 生 勤めさるぺからざる由ゐ御座候倫動否な英國 婦人は常に男子を補けて丈ε武εの進歩を し艶花を開かしめ美呆を結ぱしめ申候漸 小 偏執なるものにてハ無之候萄も世界の母力ら 定する婦 女子︷亦自ち世界を潤歩するの度 芭之に慮するの勢カピを具へざる可からさ く既往歎百年の中よ彼の掌大の小天地より亜 ピ濠洲とを分ち印度ピ挨及ピに蔓延し 申候は㎏猛夫をも馴れ・しめ弱輩Yも立たしむ 量ユ至りてn英國婦人の大に與て力あるぺ き乙ピs被信申候 世界到る庭に其種族を鑛播せしめたる絶大の 斯の如く申上候へばピて小生は決して歓洲婦 人の外観ピ皮相εみ眩裁するものゐ無之只ぶ 状を憐み且つ吾國民の前途を思 の るのみなら壱吾國の未來あ於て重大 國婦人にして街ほ奮弊に拘束せられ此等め大 を観破して自ら決するゐあらざれ亡其の醗 望の深意も自然に了解せらる可く候若し吾が に陳述仕候次第に御座候されば小生が希 り倫動婦人の最も優︻美なる性状をあう 現 樹動婦人には稽々特異なる風潮可有之候即ち 男子は其人種、階級、職業等の如何Y問は選 陳の紳士たるべさ資格巴人品εY保てノ は上流肚曾ε交際モるゐは毫も差支無之候ヘ も婦人亡之に反し其の身分は非常に重覗せ られ申候爲め紳士の子女ああヶざれば紳士巴 ると綬能ハさる有様忙て有之紳士の子 自ら徳義ピ淑徳ζY保たん乙ぜを勉め一 ︵麺信︶ 見他の渚ピ雇別せらるべき款如くあ存候若し 人 九三 なる障碍を逡をべきこ巴巴信せられ申候柄ほ す だ 技 Y快 前 す の ふ 我 儘 の 國 段 婦 生 勢 薩 く候廣く交は0普く語冠博く學び遠く慮か 0候︷㎏運命てふ勺の、眞粋を悟るξを得ぺ 利 加 之 開 ると定存候既に此の度胸ピ勢力εが相備酒0 促 の が 米 無 胸 ん 可 只 ピ 女 結 は 婚 動には婦人會なるものあうて世界各國の婦 を潤歩して希望を全ふせんこピY勉め 居候思ふに人間が世に虜するの道甚だ彩あしく 候へ共最q優美ユして最勺高街なる生活 有 ︵通信︶ の 達 路 九 四 蚕 之 候へぜ小生ハ未ざ實見の機曾無之何れ其縫旦 ピをるみハ此の﹁ヒューマヅ、イン W ア、コオス﹂を眞性に解鐸し且つ眞性に之れ 暇Y得候へば彼等世界の婦人ゐ就て見聞せん〃 所を御報道可申上候 一 を實行するの外無之候現今本邦に於て多人緻 ン なる競箏場裡に駆逐せられ可憐なる生 英人の﹁ヒユーマプ、イヅタァ、コオズ﹂渉る︹ を参し居候彼等の中には科學の奥漣を究め 乙邦語にて人間の交際ピ課すべき次第ゐ候一 プ る勺のも可有之候叉た眞妙渉る手腕を具ふ 際と∼二全く其意昧Y異に致W ソ し居候思ふに五.國に於ける交馨.。あは叉 るものも可有之候へ共唯だ此の﹁ヒユーマソ、 之に加盟し各自特異の性質ε習慣εを顯︽ し居候日本婦人の二三名吊有之由候に及聞申、 人 倫 の 謂 交 穰を買ひ以て藷三の滑警求むる三 之一人が衆人の中に入うて能く長者ピ劣者ピ〃 ブ 所 無之候へ共英人の﹁ヒユーマン、イヅタア、∼ なるもの之全く之れピ異多り人間が﹀ に謝して進路巴滑路巴を取るの有様を云 ス ものゐ・して甲者の塞動を顧み壱乙者の行爲 を思ヘバ総て他人の乙巴ふ頓着せす男子一度’ 定の智識ピ業務εY修めたる以上之自己の 身体ど智識巴ゐようて各其の進路を決定仕う 世界の一極よう他極までを洞察し優然其 Y タ ふ ん ε被存候此の弊害ハ筒ほ濁佛の或部分ユも られ可申候へ共橿ウ英人之全く正しく イシタァ、コオス﹂の解稗を誤うたるに由るも せ よろ﹁セントポール﹂の大僧正に至るま 噌共に力を蓋して此の方針を鼓舞し此の進路 導致し小學よ∧大學晶至るまて叉た辻立 はし居候されパ當英國にありて之園家ピ國民 ユ日々國民の富貴を増し年々國家の膨張を顯 を解鐸致し其の進路を全ふ致し居候爲め せ 日夜孜々定して之れを説き之れを勤め他方 侶 」 カ 活 が 卑 劣 之 曇 の 共 本 邦 ォ 會 に れ 見 で の に 借 誘 へ 語 ふ 肚 ユ 外 の 一 常 に老公共的慈善的事業Y以て優者之劣者を導 き劣者之叉優者を敬し其の間自然に和氣陽々 る樂園を形成致し居候爲めに迷路に陪る者 なく各國家の進運を扶助し以て今日の英國︸ を形成仕誓昆§五、國の墾目上及宗整 等に於て重要なる關係を有する岱のに御座候一 故吾國家の爲め深く御熟老相成度願上候 の Y諸 ユ招介仕度候例ぽ或青年 君 小生13左ユ英國の﹁ヒユーマン、イゾタァ、コオ﹀ 二 三 例 を仰ざて沿々眞情を吐漏し論を終れ を去り可申候其要13唯だ議曾の記録 ようて國民全体に訴へん芭する高旬なる希 望に候其他途上ユ甲乙爾人が互ゐ相争ふが如 きこ竃有之候巴もそは南人の合意上ふて自由 に争ふも此ゐ有之べく候故傍人之決して野次 的に其の自由Y防害する乙巴汐く紳士は之を 亡て更に顧みる乙ピ無之候彼等そ聴間の なるヒピ\自已の品位芭ユ注意する故に 自由國ピ自由國‖ 総て物の量尺之比較によ る者之自由國を見るに非らざれは決して薗由 をるものζ真粋を隊ふご定難きもの巴存候現 うて初めて起る老のに候故不自由國ゐ齪齪す ー誠醤酒淡蓼ξのよして貰§く三 今吾國ゐ於て日夜人類の自由を口にし朝夕其 檀利Y筆にする政治家、注律家等も眞實に なるものに比し甚だしき差異有之候其他政客∼ 勇烈熱心ゐして其反勤党に向て辮駅可致候 ∨ 節にも決して暴言を放た壱卑語Yロゐせす反 員乃静聴するや否やに拘洗・をる乙ピ無之 ︵通信︶ 家の多く介新に法律を起し更に布告を編 此の自由なるものを消化し了解せる者誠あ僅 少ならんかピ危ぶまれ申候現賠の政治家及ひ の を以て専一の勉め巴なし駈曾も亦た之れに 蓋 む 没 律 之ざる所あれば断念εして更ゐ躊躇そる所畜∼ 席 天 聞之衆しざ云が如き有様にて本邦人巴甚ざ異 るべく候若し一旦墾談候上ぽ吾國民の夫婦︶ 男子巴令嬢定が交際Y結ハんピするや互ゐ を書して其情グ全く互よ相容るζに及び 勅めて姻Y結ぶ可く候へ共若し一方ふ情の合 ス 」 ゐ ば 只 悠 ざ 然 中 御 貴 親 座 重 過 候 勘 た 眞 の 情 は 封 党 ︵通信︶ し日÷の官報及新紙之其の報道に忙殺せら 突 國家の経濟Y破らざる可からさる悲観Y示し くぺきものユ候や憂慮の至ウに堪侵兼申候 めて一人だに若きグラッドストーン るζ状態ユ候實に法律が複雑なるに從ひ亦布 を爲さんピするあも渋律の障碍前後ゐ散︷ 居候其の風ハ下て帝都の下宿屋までユ及 る魔規約吻仏音云へるものを設け片÷たる 三夜泊の馨が響を支ふ可§物よ は あらんこピY熱望しプ、止まさる次第に御座 せ 今身親しく倫動の状況を観察するユ國民は純 なる自由にようて悠然生活を書み決して法 規よよゐ’て其乃自由を束害せタるζが如きこ ン ユ至れば入百入町の下宿屋の玄關に其姓名Y∼ と無之國民各〃自テ品位を重んe自然に其の プ なる自由Y保護致居候今其一例を塞け候 さちすが如き刑罰的規則に至0ては誠に官呈。・脚 は“或一人が或る旗舘に投ぜんピするもそ亡 同断の極ピ云ふの外無之候へ共一人の義侠的 治家あ0て此不倫の猪法を打破せんピ試み口 芭宿主竃の合意ユよウて成立し薗由の穫 さる老あるを聞かさる之奇怪a威せられ申候〃 内ふ属すべきものに候故決して一片の法規に 國政ハ日a月あ複難致し居候故此を運縛する よろて拘束せタるζとピなく族籍を正その必 要多く警察に届出つるの煩勢も無之候叉一家 機關に強力Y要し官省或ハ役所ε名けらるζ を司掌且つ運韓する機關に向て國家之其 に移轄せん宅するもそ之両家主定○ 實力の大宇を消費L徒ふて外に向て逞ムせ まで制随を加へ加之一夕月間の食料ざ皓滞る〃 小 行 生 候 美 と緻婁る布告5て葵ξ鶏蓼れ 居候鳴呼吾か故郷の前途之果して如何に成う 候故國家ゲ外に向て優勢を張らんεする時己 告が緻密なるに從む盆÷人類の生活自由を拘w ノ 束可致候故現時の吾國民の自由は複⋮雑なる法ん 服 書 び 在 何 律 生 到 致 事 規 とする勢力ぱ自然に製束せらるζこ宅明よ 他 美 芭の三者の令意上に成冠其自由の樺内に属し て一の法律も之を拘束壱る乙ξなく塵役所に 町 純 族 客 族 が 政 ん の 法 申候小生暮て内務省の或局を訪ね候節 可 にも廣潤なる一室の中央に唯だ一人の有髭婦 を擁して総ての職を整理しつ、ある 机 議の様よ相見佐可申候へ共英國にありて 者へ一寸紹介致L度きものゐ候兎に角此等の 歌態は法規的籠中あ褒育したる吾人an誠に を出貰見仕候英國の婦人中よn髭を蓄ふる者中 庁勘かタ走見受けられ可申候日本國史馨の著 嚇 履幽つる商倒もなく只だ五ク年或n十ク年毎 よ一圃の戸口調査を行ひ其他生死結婚の届に まう申候男子亡丁年に達すれぱ巴乏兵役ゐ くピ否ピは其の薗由の槽利ゐ委し志願すれ は槍査の上之Y探用する迄あお決しプ、一片だ に嚴制無之候要之遊慰口をるも勢働するも食ふ 君の自由に於て受けだる事柄にあらすや巴 如き有様よ候斯の如く法律が入灌巴薗 由竃を拘束をる之宅もなく亦此の注律を犯す∨ 璽髪く候警奮至る募監獄を見ξ門 ノ 闘εして寂真誠に本邦にあうてハ想像勺及∼ さる次第に御座⑳其他敷百万の人ロピ幾億 萬の財産ξを司掌せる堂々たる官省よても其 内部は寂淋ピして四五の紳士巴二三の婦人ピ を戦う卓噺ピして旬ほ餓硲あるが如く ︵通 信︶ 相 見 人 は古代的國法ピ宗穰巴の大綱にて國民を統轄 う各法律ぱ簡にして治し易く明ユして行ひ 不 も伏するも悉く各自の自由に放任せられ申候 今一人の紳士あうて卑劣かる街道に俳徊し不 して危害を受け爲めゐ之を警官に訴ふる ¶巡査ハ殆んピ之を探用不仕候其意志之蓋し 君ハ自ら行く可からさる場所に歩み爲めに に が 大 思 易く爲めユ國家か國政的機關に費すぺき智力 こ財力ε之誠に僅少に止まク國民の自由⋮擢利 は益々曇達し國家の財産勢力n愈々増殖し爲 めみ外a向ての威勢日よ月に高まう内に之財 うて公共的事業を起し慈善的義侠を顯は し病床ユ帥吟する憐見をく不牢塾飢暴する貧 も稀に候鳴呼此の順理的自由ピ自然的法律 饒 が 仕 貨 も之あ賞賛セ羨望定を禁ぜさるべし巴考へ ピY基礎εせる優美なる國政を思ひ候亡、誰 夫 九七 られ申候我國現今若年政治家等は怯規が國家 人 就 止 幸 云 貴 貴 ふ ぱ 前 が 職 務 九八 を以て枇曾の舞曇を通観すると難く候小生は ︵通信︶ を形成せる聯邦的燭逸の制度を喜び居候へ巴 にせば此の不幸なる同胞Yして優美高街なる 螢ましむるY得んピ思む斯くは巾し上 未 だ 開 化 ツ ラ く論e來う候へは敏健渉る智識を有する眞 國者は多少文明國の具梓を了解し得ら 0て止まざる次第に候 自が旬ほ⋮進渉せる生活の上に注目せんとを グ るピ同時に吾帝國、の之よ達する乙這街ほ 於 吾が短所を除去・をるこ共に彼の短所を排 る巴共ユ彼の長所を拾取するヒ巴も必要ε存 み 斥する乙ピも肝要あ候毫も逡巡躊曙そへき占 ピ無之候 長の職務11小生は當英國に來るまでハ校長 汐る者の職務亡果して如何なる竜のかを具實 了解する広芭能之ざクし者に候是れ恐らく 實の畠國民の曇を窺ふとを得ずξ藁 なるものユ候よしゃ身親しく此の眞﹀ 解し消化し以て誠實に之を實行しつ、あるの 冠小生のみに止まず現今櫃要なる校長の 椅子を占むる其人にして亦其職務を眞性に理 を以て奔欧主義者ピなし酔英狂者ピなさん 開 面 候 亦 稜 ゐ 人 の き乙ピをも悟られ其頭腐に之自然ゐ一種の 的劇痛Y起されたるとピ存候若し夫れ小・ . ては汚粘も可有之候へ共進歩せる文明 げだる次第ゐ候孟し]久明國なればピて或る裏 少 て、英國ゐ蹄化をる者年÷幾万に及び申候小 Y 渉き極東の故郷を念ふの餓う如何 も濁乙人の多く之國民が國家を形成せる英國 薗然療法的制度を慕ふ乙ピ深き老其國体が ︸ して之を許さ“るY嘆き終に墳墓の地を棄 生 活 化の恩澤に預ウ度候之“吾が長所を維持を 之吾帝國の前途を思ふあつけ街ほ一層切に ドストシを望むピ共に吾國民の 決 の 斯 所 各 一 生 は 生 反 遠 れ 性 た の 射 酷 の 愛 中よ正しき尺度を描かれ候は“自然に自己の 解を悟う得べしピ存候昔時の封建的観察を ハ 之或は少⑤きに非る欺て疑ハれ申候兎に角 國の丈明開化を左右するものは國民の致育 燭 にして此の智識教育を司掌する者は校長﹂ 智 一 士 識 酷 て明治塒代を老ふる乙ピ能之宇狭偏旬眼光 以 誤 に御座候総て上の爲す所下自然に之に習ふは 八間の通性よ候故若・し致育肚曾の上流よ立て る校長が其の職務Y誤ま・9其責任を錯ウ其の を過まり候は“唯だに薗巳を罪するのみ ノ なら宇其の配下に委托せられたる吾人の同胞∼ ゾ 乃上に非常なる害悪を流がす可く候偉髭を蓄 プ るも可渉り顔を四角張る窃可なり両肩Y鋒W 〃 敷 官 及 學 生 の 服せんピするに至W Y威 し眼光を鏡くするも夏ク然量之を以て∼ 下 習ま楚に勉置る妄を得るや曇⋮ ﹄嚴的魔制を袈るξ無之如何にせは亘 徳化的裏馨的にあらすして護的塗竺 ξ其の塞動行爲墓く威嚴的にあ茎して 鷲驚霞麟誘讐議灘嘩︸ して斯るものに無之候されば英國に於て稜長∼ δて義竃る過失編座候校長の霧羨⋮ 配 會が自稜の致育方針を如何に了解しつζある εの問題に就て日夜苦慮経螢しつ、有之侯 故に今一人の學生來うて或る大學に入り申候 ︵通信︶ や校長之自ら喜んで學生の手を取う先づ學 るとεを記し之よう學校の方針及授業の 等に就さて種々の注意すべきこεY眞實 的よ談じ恰かも慈父か其の愛子に於けるが如 く威ならをして服せしめ諭さすして化せしむ る有様に御座候若し遠方よう來うて一大學Y 訪問仕候はい其稜の徳風を學ぱんピして來れ る眞情を諒t可及的便宜を與へて研究せしむ く候實ユ彼等は祠聖の紳士よして優美の氣 質宅高街の品格εY具へ一種犯すべからさる 備へ居候上△る校長既ユ其職に忠實に も亦職よ忠實巴なうて團彙だる樂園 Y 長の責任巴職務こが重且つ高きこピ明瞭に了 らる可く芭存候 紳士巴なるを得べく候之に由て之を観るも校 自然に其の優美なる氣風よ戚化せタれ眞實の を造り其園に敷育せられ薫陶せ夕る、學生ハ 致 授 塞 方 生 ハ 法 た 可 候 風 故 采 くゐ比較仕候當賠此の載争に於て幾多の 究 は英國ピ杜國已の戦箏を以て熊ピ猿ピの宰闘 國の職筆ー−小生宙ほ本國にありし時時事翁 英 解 せ の 如 動 其 や ぶ の 生 や 蓮欝︶ 英國軍隊が苦悩に陥うつ、あうしξを聞き小 合O 人だる特質ゐして英人が現今の勢力 を得さる源因ふ候鰯馬の⋮聞ユ駆逐する︷甚だ 勇あ候へ共此の非常なる勢力ピ貴重なる骨 層候ひしが今當國に來うて其状呪を察するゐ、 ] 及ひ初めて其填相を了解仕候英國丑杜國ピ戦⋮ とを以て得たる勝利も利盆少なき終局を結 候ハ“誠に慨嘆の至ウに不堪候抜山蓋世の は恰かも或辰ゲ鹿狩−よ出掛呈窒の 、如くにして國家ユ疹痛を戚するとピ甚だ薄W 勇を振ひて百靱百勝ユ誇れる項羽も彼の結核 的蒲公の前あ降頭卒伏せしにあらすや是れ吾 崖杓英國民も霜々老ひ“るにあタそや巴疑ひ 英 人 の 英 輪鷲誘鷲銃鰭蕊∼ く英國あは徴兵令なるものなく唯だ志願 者を似二て軍隊を編成もする制度に候故素人的軍♂ し義戦術の巧妙奮さる墨⋮理ならざ 霞撚籠鞭誘麟籔錫∼ 万の義勇兵ピなり能く職ひ能く勉め能︿働き て千難を辞せず万覧聾す其終局を曇三 ﹀て爺護硬にして寸毛も躊曙歪竃一 國民の過去ざ現在ピ未來ピに就て大に熟考 ざるべあらざる、と定存候 11倫動﹁オツクズフオルド﹂街の萬國郵便 端書店前に於て商人らしき者互に日本の 端書に就きて立ち話するを聞牝憤慨あ堪 侵さる儘左に其談話の概要Y申上候恐らく二 に引かれつζ鹿爪らしく耐曾の問題 可し世界廣し電錐竃も斯の如く複雑に・して且 端書Y使用しつ≧あるを以て見れぱ大凡 目本杜曾の現歌Y推察するとεを得可し叉内 國用端書が壼銭五厘な冠εハ何事子壼銭にあ ちざれば式銭εか容易く分明なるものY用ゆ をる日本の政治家及官吏が伺ほ此如き ζ竃無之候故古家多敷の英國載史を見るも一 t最後勝算なき時ハ初よう事を起すが如き 宅して此⑳要訣を守らぎる∼﹁無之候是れ即ち ∼ し英國人の載孚ハ國民の深厚なる考慮ユ出で∼ 馬 に び 血 剛 郵 切 郵 せ が 便 手 便 郵 ゐ 頭 便 容 立 啄 の ふ れ の 如 人 至 若 つ 質の悪しぎ岱のを用ゆる所なかる可し英 國の内國端書の萱銭なるみ比し日本の端 國の壼銭は日本の四銭に相當†るピかやされ 紙 にだに及ぱず實あ生活の低度なるに プ くの外なしいでや遠く東洋の日本に航して∼ へ 驚 書 ば 口 英 所 姓 名 するゐ便せしめ且つ月日を記入 Y記 しも漸く近.頃に至うて此禁を解き民間ユ梢々 店ゐ︷世界各國の郵便端書を聚集して各 違千金の利Y得る変楡快にあらすやピ他∼ 葉には大に憤激し且つ戚服仕候實に郵便端の 嵩意氣に語﹄ひ候Y聞念候小生﹄巴 書を式銭巴誉すε勺紙質を改頁して千島の牝∼ 端よウ藁灘の南端まで飛ひ廻らキ巴も毫も差 支渉き様ゐ改良仕う其表面にハ線條Y書して 其の沿革、宛名の書方、切手貼方、郵便局の消 る端書及切手のみを商業εなししかも日に Y知 月に榮佐行く巴n試あ倫勤の倫勤たる所以を するに好適例なウど存候 斯 月間僅かゐ二三回ゐ隈られ居り候故若し〆切 一9 δ欧洲あ來る郵便物を聚集して坂扱ふハ一夕 きハ欧洲郵便物の聚集〆切に御座候日本よ 國に向て郵便物を差出すふ就き最初控意す へ 外 証 明 Y云 ︵通信︶ る乙巴を得べく候繁華なる街道にあうて 印等き精密に記載せられ候ため見童にても某 するのみ全國到る麗金貨本位 商 優 書 國は如何なる端書及切手Y薮行しつ3あるや Y擁 圃喬れピ岱金貨あるを見ず唯だ僅ゐ政府及銀 銀 貨 より曇党せられたる紙幣を運輔するのみ斯ヘ プ く慾悲哀なる國民が世界に向て耐曾の経濟な︹ 々すぺきこピかハ此の薄くして寒き端一 ノ を見ても署ほ推察せらる≧ああタすや巴い〃 少 蓋 曇㌫に彼地に勇飛して彼暴國内の墨∼ 美なる給入端書なぜを見るに至り候由後れ Aリピ之云へ是ヌ一の進歩よ御座候倫動の端 る阻のを購求せざるが如き不自由の状呪なう すべき様に印刷仕候ぱ×婦女重子も間違ふ乙 ピ勿る可しピ存せられ申候其他是迄民間に端 書Y曇質する乙ピ能亡老一〃政府よう曇行せ 佳 者答へて曰く否な楡々機既に晩れだウ我等が∼ 其 ㊤ の したう君試に行きて彼國を踏めよ國民之∼ Y 僅 行 書 ピ 言 ;二 εの⋮關係、倫動大學聲學部、警術ピゴ肛曾、 に下水、倫動プ川、ヘス河及之ユ ァール﹂﹁パ9ス﹂及其庭園に就て異ほ調 属する事業﹁パーク﹂並⊆、ミユヂァムL、﹁クレ 並 ︵通信︶ 後に投函仕候は﹂十目或亡十五日間室しく郵 に止らざるへからざるが如き有様に御 座候爲めに迅速を要する警美集都合逐 認 う‡候多くの間警此の欝みる記魁 に蹄因可致候差出人の姓名︵初回渉れは通例 ノ 自らO﹃°等を記入す︶街町、番地、月日を毎回∼ 端書なれ翼面2贋手撃れば其手紙三 うに認むる例に御座候其他欧洲向けの郵便∠ 莱國を通過すき否5差別有之覆竺 覆 米 の “ 亘 ノ し 講 の 卵 が 國 行 歴 讐 其 端 筒の最上部にく∈曽P目。.一。夢ピ記入するζ︸ 水 候へ土ハ今回の書信も頗る長く相成り申候 て摘筆可仕候随分御自愛の上御健康ゐ て御勉學の程奉所候早々頓首 九百年九月十三日 横 山 彰 學﹁ミデイカルコオレーヂ﹂ユ於て 松 原 兄 伸十全曾を初め同窓諸君へ宜敷御鳳聲下さ 誌Φ は己゜コb戸 吋O岸○る庁目夢 度願上候債小生の宿所之左記の如くゐ御座 者﹃° oQ° bo戸 8烏8° 邑゜ 勺o芭嘗日 己゜ ○ 電緊要あ御座候切手は何れも表面の後上部ゐ す︹きとと主相成居候些少の間違によ冠て き 千 冒 電有之候兎あ角表面に之差出人の姓名等Y記 る様に注意せらるぺく候 生流旬其他厭洲ユ於ける黄色人種並に白色 の 上 暦 ㌶ 倫 人 動 種 ス 故 査 タ 仕 之 み 西 誌 舗 隈 鱗 彊 麟 繍 べ 封 せ ざ 候 れ 二 倫 動 大 便 局 裡 騨 鮭 齢 麟 鍵 醗 鰹 む 物 終 叉 貼 畿 ㍊ 羅 小 入 田 廣氏ようの飛信 去る十月二十五日着 如し ∼ 生 よう﹁ポツダーメ〃、バンホーフ﹂﹂に一参 出登當地﹁ブレーナン﹂、﹁アムスデルダ ブ 十⊥ハ日當地︵伯林︶に安着仕候、目下休暇中に︸ へ ム﹂、﹁ブリユッセル﹂等を経て英國︹最早新患 て圭ゐる人は皆旋行中大に失望仕候、後日近▽ ゐ 者ハ無之候︶に渡う次で萄、西、伊、瑞、填 条ラスプルご及び﹁ミラヘソ﹂を経同二⋮ 啓小生儀ペスト硯察の命を受け候故一昨日 次 伯 啓 小 め 儀去月︵九月︶十九日巴里出褒、途次一 信 十二月三日着 う候︵下蓉︶ 早 朝 林 忠 ユて同氏より小川敢授へ途られたる書歌の概署 ● 野 の 拝 ● 左 「 奔 警け芝も舅一、己臼.。︷。。。を企っる心得ふ よ 等を巡回年末みn一旦伯林に蹄着の豫定ユ御 覇 ー大竃呪璽蓮゜中川養よ0の來拙︵; 院 儀多分來春頃迄は滞在致すべき積ウにつ︹ き、 月の呵Φs﹄Φロ合毒臣の国∨σ9冨5に之 義 病 生 } ∼ の 之候 ∼ ざ三 を得申候故に喜居候︵下署︶ 道 高安君も近傍に寓居致され四五日前族行先よW り蹄着相成候o小金井敷授亦四五日前來伯、 ひ 今年中︷滞在の由に候 盛にて會者二十七名o本日柏村仙憂公着の由、 一昨日當地木曜馨會︵例月の曾︶開會な◇く ︵通信︶ 島田君入所仕る可くε存候生等よεりてハ一端 。Φ多く有之候故・本職最調上便宜ε甦う薯きして薔仕居候響轟座候來蓑 小 生 小 。 。°』 有 ︵公文︶ ぷS頃工=====嗅====頁=芸コ=吉===一昌一一=昌====富=== 川縣令第百五號 紳病者監護怯第九條⇒櫨ル病室ノ構造設備及 合四 一方⇒同施設ノ長四尺五寸巾二尺一寸ノ扉 チ設ク錠前チ附ス〃コト 室ノ三方及天井ハ厚板チ以テ内部ヨリ堅 牢二園ヒ后方上部⇒一個ノ窓踊チ造リ換氣 板ハ一方ハ勾配チ附シ活謀掃除ノ便ユ ノ法チ訓眠クルコト 備フ﹁ 隅二巾五寸長入・寸便所ロチ設ク 内⇒ハ曇若シクハ上敷ノ類ヲ敷設ス〃 床下⇒適宜ノ容器チ備フコト 一 管理⇒關スル規則左ノ通定吟 程度エ鷹シ其幾分チ省蓉ス ノ 七 柱及ビ木柵ノ内部二露出部ハ圓形トシ板 下昌一尺五寸以上ノ室距チ保ッ仁ト 一 監置室ノ鍵ハ監護者室見易勢場所⇒木札 第二條監設義務者ハ左/事項チ遵守ス可シ 固ノ部分茜部⇒竃チ顯ハぎζト 室ノ前面⇒ハ凡ツ方四寸ノ木柵テ施シ其 一 室ノ廣サバ方九尺以上高サ一丈以上トシ 上 十三年九月三日 繕⋮祠病室ノ構造設備及管理規則 三 四 五 床 床 室 第一條 監護注第九條⇒依〃病室ノ構造設備ハ 病者及扶養義務者ノ資産若クハ扶養 コト 號⇒準櫨スペシ但シ私宅監置ノ者二在 石 { 六 三 精 各 祠 ノ ハ ☆ ● 精 明 治 左 テ ノ ニ 床 記 ノ タ シ 〃 札チ掲グ 病室及ビ監護室ノ前面⇒ハ主治腎監護 可シ 名 標 監置ノ者チ一時室外⇒出サントス ハ實況硯察ノ爲メ時々論∼臨ス〃コトア〃ベシ ● 第⊥ハ條 警︷祭官暑ハ讐師チシテ仙仕診セシメ心石ク ノ 附シ掲ナ置ク可シ 物ノ類ハ一切室内昌入レザルコ 監置者ノ飲食器ハ総テ木製ノモノチ用ユ 〃コト ト 常二室内チ⋮清潔ユシ便器ハ毎朝必ズ洗潅 シタ〃モノチ用ヒ夏季ハ聴々防臭剤チ投ズ 氏 ルトキハ塾昌察官署ノ承認チ受クベシ 第入條 監置者行衛不明トナリタルトキハ屈書 附厨命令二依リ知事⇒差出 ⇒人相着衣ノ品質摸様及携零品アルトキハ之 チ附記スベシ 怯 〃1 人 及 全 モノハ科料⇒庭ス ≡五 第二條各號第四條第七條⇒違背シタ〃 スヘキ書類ハ総テ警察官署チ経由スヘシ 監 室ノ近傍己ハ火ノ移リ易キモノ及ビ危険 及 私 宅 護 ノ物ロ叩チ置ク可カラズ 第三條 監護者室ハ病室ノ前方接近ノ場所⇒設 ク可シ 第四條監護義務者二於テ別二看守人チ設クム トス〃トキハ其住所氏名年齢チ届出警察官署 ノ認可テ受ク可シ其攣更セントス〃片亦同シ ︵法賞︶ ク 看 守 第 五 條 義 務 者 火 氣 及 置 七 條 十 條 … 第 第 九 條 第 ニ チ 三 四 双 五 ︵公 文︶ 令第三百四十一號中改正ノ件チ 可シ之チ公布セシ吻 治三十三年十一月二日 陸軍大臣 子欝 桂 太 郎 第三百九十一號 δ六 高等武官補充條例中左ノ通改正ス 第五條⇒左ノ但書チ加フ 但シ高等學校讐學部及特⇒海軍大臣ノ指定シ 業ノ老⇒封シテハ探用試 第二項第三欝曇ノ露﹂ノ三 験チ纂スζトチ得 讐 學 校 卒 年 公布セシ占 名 御璽 山本 臣 治三十三年十一月二日 海 チ 椹兵衛 涙用ノ際席次チ定ムル爲;フ試験ノ 瓢﹂チ加フ 第二十二號 軍高等武官補充條例中改正ノ件チ裁可シ鼓∼本令ハ登布ノ日ヨリ之チ施行ス 附則 治三十年勅令第三百四十一號中﹁衛生部員戴﹂︹ 府 縣 立 條 勅 御 璽 ノ下畠﹁軍⋮豚﹂チ加フ 〃 四 軍 タ + 「 叉 御 令 海 得 三 十 名 明 第三百九十二號 軍 大 ● 則左ノ通定ム 三軍少軍竃補生及海軍少藥捌士候補轟用規 海 軍 省 令 ノ ひひ 海軍大臣 山本 権兵衛 明治三十年十一月五日 ∼ ● へ ͡ 一 ∼ ∼第 W … ン 加一 勅 令 膜 明 治 裁 勅 明 O 明 醗 海 之 = 御 ○ 勅 令 軍少軍馨候補生及少藥剤士候補生 用規則 第一條 海軍高等武官補充條例⇒依り海軍少軍 若クハ少藥剤士候浦⋮生チ募集セソト 時ハ豫テ其出願期日及試験場所テ告示ス スルモノハ高等學稜馨學部圭事若クハ府縣 長ノ讃明書チ添附ス可シ 第四條身艘検誓合格シタζノ;ラザレ 用譲チ行ハズ 條 探用試験ノ科目ハ左ノ如シ 生 國語學 欧文和課 實地 局所解剖 組織學 内科 外科 衛 可シ ハ 一 阜説 藥物學 丙科學 外科學 補 生 學 第二條 海軍高等武官補生條例第五條但書⇒依 り少軍馨候補生昌探用スルモノハ高等學校瞥 主事若クハ府縣立聲學校長畠於ぞ卒業試 ⋮繊成緕⋮優等ナルコトチ証明スルモノニ限ル 第三條 海軍少軍⋮醤候補生若クハ少藥謝士候補 生タラヅトスル者ハ願書二履歴書遊⇒戸籍史 ノ作リタル戸籍膿本チ添へ海軍省人事局長二 校 軍 腎 候 科 學 軍少藥剤士候補生 一 學説 物理學 化學 植物學 生藥學 製藥化學藷化學 き七 實地 符採術 藥品鑑定 飲食物試験 煉調翻術 製 出ス可シ 第二條⇒依り海軍少軍聲候補生タラヅト ︵公 丈︶ 眼 外 藥 物 生 立 採 補 聲 學 少 海 候 〃 一 第 海 三 二 海 五 軍 馨 ス 學 部 但 二 採 差 ︵公丈︶ 國語學 厭文和課 試験合格チ定ム〃方法ハ探用委員ノ議 定スル所⇒依〃 格ノ有効期限ハ一箇年間トス 第七條 不正ノ方法昌依リ試験チ受グシト企テ タ〃者叉ハ試験⇒關ス〃規程⇒違背シタル者 ハ其期ノ試験チ受クル事ヲ得ズ試験合格ノ後 等ノ事實チ駿見シタ〃トキハ其合格ハ無効 合八 第二條⇒依り探用スルモノニ在テハ席 定吻ルカ爲メ第五條ノ科目昌就キ試験テ 行フ但第入號ノ競争試験チ行ヒタ〃トキハ其 績チ本條ノ試験成績ト看倣ス 願書履歴書ノ書式ハ左ノ如シ 其一︵其用紙美濃紙ニッ折一通︶ 少軍留候補生︹海軍少藥謝士候補生︶ 用願 名 何年何月何日生 也 トズ 願 當日開始ノ時刻⇒出席セξハ蓋二 年號月何年何箇月 儀海軍少軍馨候補生︵海軍少藥剖士候補生︶ 候 験チ受ク“・トチ得ス ∼ 願⇒付御試験ノ上採用相成度履歴書澁⇒戸 添 此 段 奉 國語名 外 相 ブ 第入條 第二條二依リ探用スルモノハ穗探用人∼ シ 員ノ宇藪以内トス若シ志願人員此藪=超過ス ルト考ハ第五條ノ科目⇒就キ競箏試験チ行ヒ 條 書 式 海 軍 受 験 外 成績ノ順序⇒依り探用ス 條 チ 九 次 三 第 第 願 十 成 採 氏 私 志 験 合 其 籍 謄 本 第 六 條 試 是 試 験 試 月日 氏 名 印 裏其三羅里︶ ∼ 探用願 長宛 卒民 戸圭叉ハ何某男叉は兄弟伯叔甥附籍 名 月何日生 弟姉妹︵壌呼ぷ蟻順献涯館肋雌鮒古 年號月何年何箇月 何 氏 名 月何日生 年號月何年何箇月 警 何 年 學及・卒業シタル學校名並昌其年月日・卒業 書 術開業免拙叉ハ藥剤師免拙寓 寓内務省欝術開業ヌハ藥謝師試験及第 鳴 少軍讐候補生志願昌付御探用相成度 履歴書、戸籍謄本、及第何高等學校瞥學部圭事 籍 事 局 華 士 族 毒學校長︶・証明篇添此段奉覆也 文︶ 年月日 氏 名印 人 悉 難 一 租 父 母 父 母 何 修 場所名 書 府 縣 式︵用紙同上︶ 海 軍 省 氏 所 讃 住所 履 歴 書 履 何 歴 本 年 長 宛 住 一 軍 兄 籍 ⋮ 本 何 人 少 軍 事 局 馨 候 補 生 現 護 受 海 軍 省 海 軍 海 縣 現 ≡九 一 鴇 験 年 願 儀 私 ( 府 ( 公 =O ︵公丈︶ 治三十三年十一月十九日 内務大臣文學博士 男欝︷末松謙澄 一官廃會肚等ノ職務⇒從事シタル事︵各鮮令 ∼ 一賞罰︵有無共︶︵但賞歌罰文ア〃モノハ其潟〃 〃 讃ス︶ 前書ノ通相違無之候也 ͡ べ 没食子酸︵卜◎巳已巨σ亘邑一箋目︶ 合已S象2巨︶ 蒼鉛︵聾巽昌律巳日・。已ピ・・法否自興ロ︶ 、 サグラダ ︵○陪oたO讐吟曽oD夢∂Q円P烏㏄゜OO﹃‘ 爵崔匡目巳冨臣匡琶夢p目g目忌・。巳ξ・。宮団g ゴ 」 皮 右 一 O°Q°︶ シ ∼ ラ Qo詳Φ×09巳警§険O︶ 古姪乙浬︵Qc合巨巨巨芭 ○㏄菩○誌品日︶ ユ 年月日 氏 名印 一 ラ ヂ 〃 附則 〃 ノ 第+一條明治二+九年三月︶海軍省令第二生 シ コア〃マトール﹂次綬食子酸蒼鉛︵O♀目暮o法貝 「 ヂ 出 品 譲︵o葺⑦古菖・♪目①・宮○邑・§g庄? ウソチシ﹂撒里矢爾酸﹁テオプロミシ﹂那篤 目馨巨日・・警饗巨象目︶ 治二十四年服當省第五號改正日本薬局法別冊 黙竃瞬止・ ∼ 酸 昆 里 失 爾 ( 巨 カ 古 官ノ受験認可書チ添付ス︵シ︶ ∼ 現曇聴暴職スル者三官璽︵驚長 内響令第四+入號別冊 鴬全文︶ 明 次 撒 乳 酸 カ ス コ 燐 酸 「 ノ通逼加明治三十四年三月一日ヨリ施行ス ( 一 一 ノ チ ゜← 榴 明 邑邑͡呂巳︶ 剤︵国蓉旨。書ロ巳合︶ カラ、サグラダ﹂流一勤絨 幾斯︵固図含撃暮已巨、⋮ §芦駕こ・6註飴巳田穿己゜国昌き庄巨∼ 出ぎξ曇︼§Φ穿﹄警︶ ∼ 乗︵恩、穿氏σQ∨巨匿・・巴︷邑§目︶ イヒチオール﹂﹁ス〃フオイヒチオール﹂酸安 設︵智︼Hξ、・巨5°巨ヒ§巳ξ㏄島。﹄。廿− ■ξ○ま已ε 呵曹篤︵国器皇。葺巨昆吾・巳c已目︶ ラノリヅ﹂ 抱水﹁ラノリン﹂︵︹きoば出日昌゜ 匿唱・・ピ巨駕ξ合⋮g︶ トール﹂﹁ベタナフトール﹂密嘗芦亀ξP ン ノ 炭 「 慰書ー暑⇔竜巨・巨に︶ 冒廿O出きo匡ヒ已日︶ 」( 斯知掘密氾硫酸越桶⋮利浬︵包屯。。o・慶, セ ごフンゴ﹂流動竃斯︵国図↑﹃夢。暮.口ヘ 酸 チ ○・巳ξ目σ。.・︷巨合己︶ 〃 里 失 爾 紐 結 麗 フ エ ナ 合.羨書芦︷合邑 商陸越幾斯︵国瞥学。善..嘗慧。一聾・。6・、。︶ ∼ ノ 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山ハ、〇 、五 一、○ ○、Ω二 〇、〇六 d。三 〇、○〇三∼ 四、〇 診 ﹁ヂウレチン﹂ 陸越幾斯 ﹁グアヤコール﹂ 酸﹁ヘロイプ﹂ 撒里失爾酸乗 ﹁フエナセチシ﹂ 硫酸比蘇斯知掘密混 オナー〃﹂ 、五 ● 石 妓 健 康 第二條娼妓轟規則第九條羨〃健康診断ハ 毎週二回稼業地ノ娼妓健康診断所=於テ受夕 可シ 康診断ノ定日時ハ管轄警察署長之チ定︽ 第三條 左=該當スル者ハ臨時槍査チ受ク可シ 休萎誓セ^よζ當晶ノ受診日 リ起算シ三日テ経過シタルトキ 新昌稼業スル者昌シテ登録申請ノ場合昌 一 三 ト・ファシッス﹂丁幾○、五 四、○ 川 縣 令 妓 健 康 トリオナール﹂ 二、O 丈︶ か ○ 娼 ∼ } 〇 一 一 一、 ○ 一 。 、 一 伸 ㏄ 一へ 明 娼 一 フ の } ∼〔 健 ニ ヨ 〃 ( 公 一 ス ス 燐 商 盛 「 「 「 受ノ誘因トナ〃可キ症状アリト診定シタ〃 第七條娼妓検査聲三於テ傳染性ノ疾患及徽毒 携 帯 } 受 特 前各號ノ外必要⇒依り臨時⇒受診チ命シ ラレタ〃トキ 第四條 検査當日事故ノ爲メ娼妓健康診断所⇒ 出頭シ能ハサ〃トキハ其事由チ具シ該所︵届 出ヘシ但疾患⇒係ルモノハ主治書ノ診断書チ 付スヘシ 娼妓ハ健康診断表用紙チ受領シ置キ受 診ノ都度娼妓検査聲ノ証印チ受ク可シ 第←ハ條 娼妓取締規則第三條末項⇒依り健康診 断テ受ク占トスル者ハ稼業チ爲サ吻トス〃土 地ノ娼妓健康診断所⇒娼妓名簿登録申請書チ 則ハ本令施行ノ日ヨリ廃止ス 行ス但明治二十九年拒石川縣令第二十號娼妓 第入條 本令ハ明治三十三年十二月一日ヨリ施 附則 クヘシ 前項以外ノ疾患ハ其任意ノ聲師ユ就キ治療チ 暑ノ指定シタ〃馨師ノ治療チ受クルコトチ得 別ノ事情ア〃トキハ其ノ住所⊃於テ警察官 老ハ指定シダ〃病院二入リ治療チ受ク可シ但 威 川縣令第百三十三號 身 体 治三十二年紅石川縣令第二十號縣立駆鰍院規 石 四 〃トキ 則チ縣立娼妓病院規則ト改稽シ同則第一條及第 明 =茜 出頭シ診廟チ受ク可シ ︵公文︶ 於クル受診日ヨリ起算シ三日チ経過シタ〃 鰹染性ノ疾患⇒罹リタルコトチ自鷲シタ トキ 三 ● 検 査 規 添 第 五 條 條チ左ノ通改メ明治三十三年十二月一日ヨリ O石川縣訓令甲第四十入號 十一月廿∵七日 警 察 署 行ス 警 察 部 三 施 川縣知事 野村政明 警察分 署 明 治 三 十 三 年 第一條 本院ハ明治三十三年壁石川縣令第百三 娼妓健康診断規則施行手績左ノ通定ム但明治二 石 一 十號娼妓健康診断規則第七條第一項ノ疾患チ四十九年扉聴第二三號娼妓身体検査施行規則ハ本 川縣令第百三十三號参照 娼妓健康診噺規則施行手績 ト改︵ 石川縣知事野村 政明 第三條中﹁縣立駆徽院﹂トァ〃チ﹁縣立娼妓病院﹂ 明治三十三年十一月廿七日 治療ス〃所トス 羊績施行ノ日ヨリ廃止ス 篇誓規則第九條ノ竃落療二遣三シ 第一條 本院ハ明治二十九年三月石川縣令第ニ チ指揮監督シ検査當日⇒ハ警部叉ハ巡査チ振 縣立駆撒院規則 第一條 警察署長及警察分署長ハ検査馨及取締 石 妓 部長⇒具申ス︿シ 所トス 第二條 警察署長ハ検査薔及取締ノ進退チ警察 + 號 娼 〃 ︵公丈︶ 一三 ︵公交︶ 一芸 メ叉ハ移縛シタ〃トキハ建造物ノ貸主卜締結 治療讐⇒通報スヘシ ハ シタル契約書ノ篇チ添へ警察部長ユ報告スへ]第七條 娼妓健康診断規則第七條第一項但書ノ 〃 師ハ検査讐チ以テ充ッヘシ 第三條 警察署長⇒於テ健康診噺所ノ位置チ定 管轄警察官署へ第二號様式⇒依り娼妓病院若 察 醤 署長⇒於テ健康診噺!定日聴チ定〃第入條検査馨ハ各娼妓ノ診麟終ル毎エ第三號 ∼ 警 ⋮三婁部曇馨ス;其ノ之チ冨式ノ健康診蟹雇印宍病印チ捺シ交付 第四條 シ 更シタ〃トキ亦同シ スヘシ メ 〃 騰、裂傷、靡燗某ノ他肛門内外ノ靡燗等撒〃第十條検査常日病氣ノ爲メ健康診幽所⇒出頭 〃 督ノ爲メ護三者ハ此限昌アラス 垂サ羨病⇒壁ルモノ±定シタル娼 笙ハ條検査警欝傳曇疾患易論陰部二妓ア隻ハ§警察官署讃スヘシ 第五條 検査室ハ検査讐ノ外入ル可カラ又但監甜第九條 検査馨二於テ娠姫五ク月以上叉ハ稼業 饗 剥 麓項ノ疾患アリタルトキハ第一號様式畠依リ スト認︵ルトキハ此限ロァラス チ受タシムヘシ ⇒就キ健康診断チ行ブ可シ但當日検査ジ要セ 〃トキハ娼妓健康診断規則第七條⇒依リ治療酬 〃後警察官吏ハ検査讐及取締ト共昌其寄寓所 震受ノ誘因トナ竺羨患ア,ト藁シ三髭ハサル者アルトキハ定日ノ検査チ警タ 十一條 前條ノ患者入院スヘキ疾患アルモ重 十二條 紛口査殴自ハ娼ユ双健﹃︷康診臨⋮規則第ムハ∼條⇒ M 院セシムル7チ得 症⇒シテ入院セシメ難キー・キハ輕快チ挨テ入 第 月五日限リ管轄警察署長若ハ警察■署長 翌 チ却婬テ敬冨諏即旦W⇒蜘報民白スヘシ シ 第鷲第⋮鎚鷲騒蕊禦⇒ スヘシ 依リ健康診断ヲナシタルトキハ診断書ヲ交付 一 第 庶務チ虚理ス入シ 第十四條 取締ハ受診老ン取締二從事ズ〃ノ外 院若ハ薗宅治療停業等チ逼別シ明瞭⇒記シ 第十五條取締ハ娼妓ノ名簿チ製シ疾患ノ有無 置ク︵シ 入 ︵公 丈︶ =七 第一、第二、第三及第四號様式略ス︶ ( Gτausaln● ,,Nun, wie geht’s mi七Ihrer Krankheit?,, ,,Danke im Prinzip darf ich je]z七sellon ein(}1as Bier pro Tag kinken !”__,,“アie sall ieh daS vers七ehen?” ,, Nun, der Arz七ha七’s mir erlaubt, aber meille Frau}101t’s mir nich七!,, Ausgleich. ,,Sprechen Sie englisc11?,’ ,,Ja, aber sehr mangellハaf七;nur wenn ich Jemanden七reffe, der’s ebell so schleeh七kanu wie ich−− mi七dem vers愉1dige ich mich vortrefflicl]. 一 = (