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巻頭 特集(PDF:1243KB)

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巻頭 特集(PDF:1243KB)
巻 頭
びわ湖の日30周年記念シンポジウム
特 集
びわ湖一周着ぐるみキャラ行脚
巻頭 特集
びわ湖の日30周年記念シンポジウム 鼎談
平成23年7月10日㈰
ピアザ淡海ピアザホール
写 真 家
今森 光彦さん 「子どもたちに豊かな環境を残すことが大切」
市民活動家
細谷 卓爾さん 「主人公は住民 自分たちの手で立ち上がること」
滋賀県知事
嘉田由紀子
「近い水、近い食、近いエネルギーが必要」
「 び わ 湖 の 日30周 年 記
念シンポジウム」では、
『里山 未来におくる風
景』をテーマに写真家・
今森光彦さんによる基
調講演がありました。
命のつながりのある風景
写真で表現
今森さんの基調講演後、今森さんと嘉田由紀子滋賀
県知事は対談を行いました。
たんです」と話す今森さん。一人旅をしたイン
地域の魅力をつなぎ
未来に発信
ドネシアの風景と変わらないアジア的風景に大
基調講演で今森さんが琵琶湖総合開発におけ
津市の棚田で出会ったことが、その後の写真ス
るほ場整備についてお話されたことにふれ、嘉
タイルに影響を与えたそうです。講演で今森さ
田知事は、「総合開発という大きな動きがひそ
んは、「琵琶湖も撮影していますけど、琵琶湖
やかな環境との関わりをかき消してしまった。
水系として見たいという思いがすごくありま
そこのところをかろうじて生き延びているの
す。琵琶湖、田んぼと分かれていますけど、命
が、例えば、仰木の一部の棚田だし、針江のカ
としてみた場合に、琵琶湖が循環していて、森
バタや洗い場。そういう懐かしいところを今森
とも深い関わりを持っている。そういうことを
さんが見事に迫力のある写真にしてくださって
伝えたいなという気がしますね。私が今撮らせ
いる」と話しました。針江のカバタも撮影され
ていただいている風景というのは、おそらく未
てきた今森さんは、本来その地域が持っている
来の風景、もう一度帰ってくる風景だと思いま
力をつなぎ合わせて、ストーリーにし、未来に
すね」と話され、命のつながりのある風景、私
発信している工夫を教えてくださいました。
琵琶湖の周辺で撮影を続けてこられたことに
ついて、「大津市の仰木で初めて棚田に出会っ
たちが大切にすべき未来の風景を写真で表現さ
れていることが伝わってきました。
そして嘉田知事は、「やっぱり孫が遊べる水
辺がほしいという、ひそやかな女性の声をエン
パワーしてくれたことが石けん運動の意味かな
と思っている」と話しました。
話題が石けん運動にうつり、当時、女性たちをたば
ねた細谷卓爾さんにゲスト参加していただき、鼎談
を行いました。以下はその抜粋です。
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んをつくって、また、できた石けんをそれぞれの
ところに配るという、そのつながりを作られた。
細谷:(活動を始めて)3年目くらいの時に統
計 を と っ た ん で す け ど も、 6 万 所 帯 で す ね。
6万所帯だから、1軒で4人の人がいるとすれ
ば、24万人、そこが石けん運動の、しかもマル
ダイ石けんを利用するということができて、ず
いぶん広がりを持ったわけです。
嘉田:あのころ、なぜあれだけ石けん運動が盛
嘉田:今日お持ちいただいたんですね。ちょっ
り上がってきたのか、そして、それが今の私た
とお見せいただけますでしょうか。大津市の栗
ちにとっても大きなメッセージがあると思うん
林町にあるマルダイ石けんの工場。「粉石けん
ですが、当時の広がり、盛り上がりの背景、そ
琵琶湖」、ちゃんと今も作っていただいている。
して細谷さんが工夫をした、苦労をされたとい
うことがありましたら、ご紹介をいただけると
細谷:そうです。これは炊き込み法というやり
ありがたいんですが。
方でやっているんで、その原料も、植物性の油
石けん運動を
つながりあるものに
細谷:富栄養化防止条例ができたのは1977年の
脂でやるから。普通の石けんの場合に動物性の
油脂で作りますから、植物性の油脂で作ってい
るというのも、非常に水に溶けやすい粉石けん
を作っているということで。そういうことが、
僕らのやった意味だと思います。
5月に琵琶湖で赤潮が発生したということが非
常に大きな動機だったと思います。それまでは、
今森:1970年代に細谷さんがそういうことをや
石けん運動は、いろんな立場でやられていたん
られていることは、驚きですね。あの頃に、ど
ですけれども、やっぱり、これは一つのものに
こからもそういうものはなかったんじゃないで
なっていかないとだめじゃないかということで
すかね、考え方というか。
石けん運動をやろうと決心いたしました。石け
ん運動をやるときに、滋賀県では石けん工場が
嘉田:日本で最初ですね。細谷さんのお言葉の
なかった、そういう中で、まずは滋賀県の中に
中に「組織があって運動するんじゃない、運動
石けん工場を作ろうじゃないかと思って、しか
するために組織をつくるんだ」ということがあ
もその石けんの原料は廃食油を原料にするとい
るんですけど、当時、長浜に高原宇乃さんとい
うことで、家庭から出る廃食油をみんなで集め
う大変なリーダーがおられたんです。高原宇乃
て回ろうということですから、集める手間も大
さんの日記を、今日、お持ちしました。昭和30
変なことでした。だから、石けん運動をやるた
年代に婦人会に呼びかける文を書いているんで
めに、石けん工場をつくる、原料を集める、石
す。「婦人は今まではみんなに外から言われて
けんをつくる、という一連のことを滋賀県の人
やってきたけど、いよいよ自分の持ち分の大き
間でやる、ということが一番大事なことじゃな
いことを自覚して、新しい時代の婦人として力
いかなと思ったわけです。
をつけていかなければいけない」ということを
綿々と書いていらっしゃるんです。それから当
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嘉田:自分たちで運動をつなげていくというこ
時、(滋賀県の)県民生活課で消費者行政を推
とですね。原料も自分たちで集めて、それで石け
進していただいた阿部美智子さんが業務日誌を
巻頭 特集
書いていらっしゃいまして、たとえば、ちょう
が終わったらすぐ終わりではないです。代々住
ど(昭和)55年の時ですね、「55年の9月25日、
まないといけない。子どもを育てて自分たちの
県庁会議室で、神奈川から消費者の会の方がこ
文化を伝える責任があります。長い目でものを
られた。次の日には、滋賀会館で、生活展をやっ
見られる人たちが立ち上がらないかぎり、今の
た。それから、その次の日には、日吉台で粉石
滋賀県、琵琶湖の環境はよくならないだろうな
けんの普及の会合をやった。」毎日こうやって、
と痛感します。
住民の活動と行政の活動が、かなり歯車がかみ
合っていたのかな、と。その辺はどうですか、
嘉田:まさに今回の大震災を経て、改めて、日
住民の方から見ても、県の方の立ち位置という
本人の生き方とか、暮らしぶりを見直さなけれ
か。
ばいけない、そういう転換点にいるのかなと思
うんですけども、そのあたり、細谷さん、どう
でしょう、過去30年を見ながら、これからを見
通したとき。
震災を経て、
これからを考える
細谷:これからの見通しで一番大事なところ
は、やはり、今森さんがいっておられるように、
日本人自らが立ち上がってやらないとどうしよ
うもないことだなぁと、思っています。今、国
主人公は住民
のことがいろいろ取りざたされていますけど、
細谷:僕らは住民の立場でやっているわけです
ないとどうしょうもないというところに来てい
けれども、やっぱり県が、県の行政の主人公は
るんじゃないかなと思っています。
それよりも何よりも自分たちの手で立ち上がら
県民であるということを意識したのが一番大事
なことじゃないかなと思います。やっぱり、行
嘉田:具体的にヒントか何かはございますか?
政は行政だけども、主人公は県民であるとい
うところが非常に重要なところだと思うんです
細谷:たとえば、復興するにしても、どんどん
ね。今行政は一人歩きしすぎているんじゃない
日本の材木を使ってやるとかね。それから、材
かなと痛感をいたしております。
木をいかしていくようなやり方とか、これから
はすごく重要じゃないかなと思います。
嘉田:ちょっと耳が痛いところがありますが、
そういう意味では、住民の皆さんの目線で、と
嘉田:どうでしょう、今森さんも、これからを
いうことですよね。今森さんは、今のお話を聞
考えるとき。
かれて、どうでしょうか?
今森:細谷さんがおっしゃったことと同感で、
今森:まさに私も今、住民が意識をもっていた
ふるさとづくりだと思うんですね。ふるさとに
だかないと、風土は守れないなと思います。外
対して希薄であると、災害に対して弱くなると
から来ている人の声ではなくて、地権者、その
思います。森づくりもふるさとづくりにつなが
土地を本当に愛せる人ですね。地権者はものを
るわけですよね。地元の人たちの意識が希薄な
長く考えますから、極端な言い方をして、任期
まま、ここ50年、60年、いや100年、200年きた
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かもしれない。今はそういう状態だと思います。
係のない観点、たとえば、生物多様性として取
これからは相当長いスケールでものを見ていか
り上げることもできるし、労働としても取り上
ないとだめだなと思います。
げられる。そういう世代ですよね。そういう世
代がこれからは農家の旗手になっていくと思い
嘉田:そうですね。本当に、木材でも、海外か
ます。そのときに大事なのは、彼らが舞台とな
ら持ってきたら安いとか、それこそ食料でも外
る土地を残しておかないといけない。土地がつ
から持ってくる。電気でも、遠い若狭から、西
ぶれていてはだめなんです。自然とともに生き
側は若狭に近いんですけども、そうやって一極
てきた豊かな環境を残してゆくことが僕たちの
集中で、遠隔供給システムというのが、今回の
使命だという気がします。
災害ではすごく脆弱だと。逆に、電力供給でも
不安定化してしまったわけですよね。そういう
嘉田:その次に活躍する若い人たちがせめて活
意味では、近い水とか、近い食とか、近いエネ
躍できる舞台としてまず環境を残す。若者に対
ルギー、地産地消というのが、いよいよこれか
しても、生き物に対しても、そういうことでしょ
ら必要になってくるのかなと思うんですが、お
うかね。
二人はいかがですか。具体的にどうしたらいい
という何かヒントがありますでしょうか? 会
今森:そう思っていますね、私自身は。一番大
場の皆さんも一緒に考えてくださいね。
事だと。その中から、芸術であるとか文化であ
るとか、いろんなものが誕生するわけですから、
源ですよね。一番大切な土台を残さないといけ
ないように思いますね。
嘉田:細谷さん、具体的にどうでしょう、次の
30年に対して。
みんなで琵琶湖
に思いをはせる
豊かな環境(土台)を残す
細谷:僕は今、琵琶湖を抱えている滋賀県に
と っ て は ね、140万 人 の 琵 琶 湖 じ ゃ な く て、
1400万人の琵琶湖に人が生きているということ
今森:次の世代というか、今の子どもたちへの
を、みんながどのように実感できるかなという
課題の託し方というのが結構大きいかなと思い
ことじゃないかと思います。近畿1400万人のた
ますね。それを直すには、われわれの時代で急
めにどういうふうに僕たちが時代を切り開いて
に直るものではないと思うんですね。すでに農
いくのかということではないかなと思っていま
業の知識は途絶えていると私は思っているんで
すけど。
すよ。つまり、60、70、80歳の方がいらっしゃっ
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ても、農家の人にお会いするかぎり、昔のいわ
嘉田:実は、今日も展示の方に、住民団体の方
ゆる本当に健全な時代の百姓の頃の伝承は途絶
が、下流の方からも来ていただいていて、まさ
えていると、私個人的に思っているんですね。
に近畿圏全体で、まずは蛇口をひねったら琵琶
一回途切れたんです。そこから再出発してます
湖に思いを寄せてもらおうと、ここ数年強化を
んで、一番弱いのがおじいちゃんなんです。皮
してきていますので、細谷さんが言ってくだ
肉なことに、次の若い世代、まったく農業と関
さったように、滋賀だけではない、関西全体だ
巻頭 特集
という、それを発信しながら、また、下流から
も発信をしていただくということですよね。過
今森:里山というのは、参加型の自然だと思う
去30年を見させていただいて、まさに里山のよ
んですね。われわれが生活をしている中で、自
うに、500年、1000年の歴史が、ここ一世代で、
然を内側から見てほしい、といつも要望します。
急速に変わろうとしている、それはかなり人が
内側から見るということがどういうことかとい
求めてきたところでもあるんですけれども、そ
うと、文化や生活に関わりながら、琵琶湖の水
このところで、小さな配慮が足りなかったとい
と関わることも一つだと思うんですね。雑木林
うのが今反省しないといけないところだと思い
の中に入るのもそうだし、田んぼで、時には田
ます。そういう中で、最後に、子どもたちに呼
植えを手伝うこともあるでしょう。全部するの
びかけるとか、次の世代に呼びかける、このこ
は難しいんでしょうけども、できるだけですね、
とをぜひ伝えていきたいということがありまし
自然は勝手にあるものではなく、人が作ってい
たら、一言ずつお願いをしたいのですけど、ど
るものだということも自然を実感するために、
うでしょうか。
自分も参加するということですね。そういうこ
とに子どもたちが気軽に関われるチャンスが増
えるような時代になってほしいなと思います。
内側から眺める風景にはこだわってほしいと思
います。
琵琶湖の3つの問題
嘉田:ありがとうございました。細谷さんから
は、「大胆に、子どもたち、若い人が自由に羽
ばたけるような環境づくりを」と、そして今森
子どもたちに伝えたいこと
さんからは、
「自然なり、仕組みの中で参加型で、
細谷:僕たちは今、60歳代の人たち中心にして、
琶湖の問題というのは、拡散して、焦点を結び
守山を中心に「これから行動隊」というものを
にくいところがあります。でも今、一番、危機
作っていまして、行動隊が、日本の財政(借金)
感を感じているのは3つあります。一つは、水
900兆円をどういうふうにするのかと議論して
質や生態系も含めて、本当に富栄養化はまだ止
きたんですけど、5年間かけて。その矢先に、
まっていないんですね。古典的な問題ですけれ
この大震災が起きてしまって。だから財政の赤
ども、ある意味、目に見えないところで、難分
字と大震災と二つの大きなものを背負い込まし
解性有機物であるとか、問題はかなり深刻なま
てしまったなと思っています。私たちはどうい
ま残っております。そこに外来魚の問題が出て
うふうにして次の人たちに伝えていったらいい
きております。二つ目は、温暖化です。もうい
のかと、非常に大事なことだと思っていまして、
やおうなく、この夏も暑いですけど、問題は冬
私は次の世代の人たちには、私たちがなしえな
なんですね。冬寒くならないと、琵琶湖は湖底
かったこと、大胆なことをぜひやっていってい
まで酸素がしっかり供給できなくて、湖底から
ただきたいなと思っています。
悪化していきます。すでにその兆候は琵琶湖に
内側から見る」とご提案をいただきました。琵
現れていますので、この4月1日から低炭素社
嘉田:大胆なこと、そのためには、かなり自由
会づくり条例を施行しております。三つ目は原
に、規制とか禁止ではなく、自由に羽ばたかせ
子力発電所の問題です。いくら、(琵琶湖の環
るということでしょうか。
境保全を)20年、30年がんばってやってきても、
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若狭の原子力発電所に万一のことがあったら、
今日は、細谷さんからあの時代のことを聞か
あっというまです。あっというまに汚染されて
せていただいて、そして今森さん含めて、過去
しまうということで、ここはもう、私は勇気を
30年、これから30年ということで大きなヒント
もって、できるだけ一歩一歩、原子力発電所か
をいただきました、あらためて皆さんの日々の
ら卒業しようと、「卒原発」ということを言わ
活動、地域活動、そして、それぞれの団体など
せていただいております。武村元知事が言って
での、これからのご活躍をますますお願いをい
らっしゃった、語感としては、「脱」より「卒」
たしまして、この対談・鼎談を閉じさせていた
の方が、段階的に、卒業するためには単位も必
だきます。本日は皆さんありがとうございまし
要だし、カリキュラムも必要です。どういうふ
た。
うに代替エネルギーを活用していったらいいの
か、そして、どういうふうに、地産地消のエネ
ルギーを作り出していったらよいのか、太陽光
もそうです、水もそうです、バイオマスもそう
です、それこそ私たちが住民として、地域とし
て、これからやれることだろうと思っておりま
す。借金も多くて難しい時代ですが、だからこ
そ、一人ひとりが力を合わせてやっていくべき
時代になったなというふうに思っております。
パネル
展示会場
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巻頭 特集
野洲のおっさんカイツブリが「びわ湖の日」30周年アピール
〜びわ湖一周着ぐるみキャラ行脚〜
びわ湖の日30周年のアピールのため、人気
平成23年5月20日、多くの方に見送られ、県
キャラクター「野洲のおっさんカイツブリ」が
庁を出発した野洲のおっさん。行脚の途中、車
びわ湖の日30周年のタスキを肩にかけ、琵琶湖
や通行人に30周年をアピールするだけでなく、
一周から、大阪淀川、さらに鈴鹿山脈から琵琶
近江八幡市の小学校に立ち寄るなど、およそ数
湖大橋までの計260kmを行脚しました。
万人の方々と触れあいました。
琵琶湖の周り約190kmを歩ききり、6月20日
に県庁に到着した野洲のおっさん。「滋賀県は
みんなの琵琶湖を大切にしていることを伝えた
い」と、琵琶湖疏水や宇治川、淀川沿いなどを
歩き、アピールした後、鈴鹿山脈から琵琶湖に
注ぐ野洲川沿いを歩き、滋賀県に戻ってきまし
た。
びわ湖の日の7月1日には、嘉田知事からの
メッセージを携え、大阪府庁を訪れ、橋下大阪
府知事(当時)へびわ湖の日の思いを伝えまし
た。
びわ湖一周
着ぐるみキャラ
行脚の行程
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