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鈴 木 義

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鈴 木 義
「詩錨 」 時期 の朱 湘 の詩 とそ の詩論
一
「采 蓮 曲」 を 中 心 と し て 一
鈴
は
木
義
昭
じ め に
中 国 現 代 詩 人 朱 湘 は,1920年
代 前 半 か ら30年
た 詩 人 で あ る 。r清 華 の 四 子 」,r聞
"奇 矯"な
人 物 と し て も 知 ら れ る9
い て は,聞
一 多 の 言 う よ う なr朱
代 前 半 に か け て活 躍 し
一 多 の 四 子 」 の 両 方 に 名 前 を 留 め,
。 し か し,そ
の 文 章 や 詩 を読 む 限 り に お
湘 は精 神 病 的 な 人 物 で あ っ た 」 と い う評
価Z)に 首 肯 で き な い 部 分 も あ る 。 朱 湘 の 詩 は 健 康 優 良 児 的 で は な か っ た に
し ろ,過
度 に 病 的 で は な か っ た よ う に 思 わ れ る 。 本 稿 で は,徐
多 た ち が 発 刊 し た 「農 報 副 刊 ・詩 錆 」(1926年4月1目)の
年4月15日)に
掲 載 さ れ た 「采 蓮 曲 」(1925年10月2斗
志 摩 ・聞 一
第 三 号(1926
日作)と
「詩 鏑 」
の 同 人 た ち の 民 歌 風 の 作 品 が こ の 時 期 に 何 赦 多 く生 ま れ た か を 主 と し て 眺
め な が ら,「 詩 鑑 」 発 行 当 時 の 朱 湘 の 詩 歌 理 論 と 聞 一 多 の そ れ と を 比 較 し
て み た い 。 「采 採 蓮 曲 」 が 早 世 し た 詩 人 朱 湘 の 生 涯 に お け る 一 種 の 記 念 碑
的 作 品 で もあ るか らで あ る。
1)「
清 華 の 四 子 」 と は,饒
学 校 の 卒 業 生,在
孟 侃,朱
湘,孫
大 雨,楊
校 生 。 「聞 一 多 の 四 子 」 と は,饒
子 恵 の四 人 。 い ずれ も清 華
孟 侃,朱
湘,揚
子 恵,劉
夢
葦 の 四 人 を 指 す 。 「詩 鍋 」 発 行 中 に 聞 一 多 の も と に 集 ま っ た 四 人 の 若 者 た ち 。
こ の う ち,楊
2)聞
子 恵,劉
夢 葦 が1926年
一 多 は1926年4月27日
這 位 先 生 的 確 有 精 神 病,我
と呼 ん で い る 。(5)参
に相 次 い で 死 ぬ,
付 け の 梁 實 秋 へ の 手 紙 に,
個 都 視 為 同 癌 狗,.
照。
一227一
(1〉
「采 蓮 曲 」 は 全 四 聯
,各
聯10行
か ら な っ て お り,そ
の 第 一 聯 は次 の よ
う に 詠 ま れ る31。
小船 啄軽 風,
楊 柳 啄 風 里 顛 揺1
荷 葉 啄 翠 蓋,
荷花冴人様嬌発饒
日落,
微 波,
金 綜 閃動 過 小 河 。
左 行,
右 弾,
蓮舟上揚起歌声 。
と。 各 聯,二
文 字 ・五 文 字 ・七 文 宇 と い っ た 一 定 の 字 数 を持 っ て い る が,
聞 一 多 「死 水 」 に 代 表 さ れ る 新 月 派 詩 人 た ち の 書 く,全
行 全 聯 が 同 一字 数
に よ っ て 作 られ る 厳 密 な 意 味 で の 「方 塊 詩 」 で は な い こ と に 注 意 を払 い た
い 。 題 名 の 中 に 見 ら れ る 『曲 」 の 文 字 か ら し て も,直
ち に伝 統 的 な詞 曲
(民 歌)を 意 識 し た 新 詩 で あ る こ と が 推 察 さ れ る 、 自身 も後 に,趙
景深 への
手 紙 の 中 で,「 熱 情 」 詩 に 『楚 辞 ヨ の 音 調 が あ る こ と を 言 っ た 後 で,
・く(栗
蓮 曲 》中"左 行,右 撹""拍
緊,拍 輕"等 慮 便 是想 以 先 重 後 輕
的駒 表 現 出采 蓮 舟 過 路 時 隠 波 上 下 的一 種 感 畳 。
と述 ぺ て,伝
統 的 な 民 歌 系 の 作 品 か ら の影 響 を 暗 示 し て い る専)。沈 從 文 は
3)『 中国 新 詩 庫 』(四集)p、172∼174(周 良柿 編 序
長 江 文 芸 出 版社1993年12月,
武 漢)に よ る。朱 湘 の 全集 は まだ 出版 され て い な い 。詩 歌 のテ キス トと して は,
本 書 が最 も信 頼 し得 る 。
4)書 信 集 と して は,『 朱 湘 書 信 集 』(羅念 生 編 人 生 與 文 学 社1936年3月,天
津)
及 ぴ 中 国現 代 文 学 参 考 資料 の 一 冊 と して,1983年12月
出版 の 同名 の影 印 本 が
あ るが,今 は,止 む無 くF朱 湘 散 文 』 上(蒲 花 埼 ・曉 非 編r二 十 世 紀 中国 文 化
名 人 文庫 』 所 収 中 国広 播 電 視 出版 社1994年4月,北
-208 。
一228一
京)を 用 い る。 同書p.207
二論 朱 湘 的 詩 」 の 中 で
,
以 一 個 東 方 民 族 的 感 情,封
合,成 爲 一 首 詩,這
自然 所 感 到 的音 樂 興 圖書 意 味,由
文 字結
文 字,也 採 取 自己一 個 民族 文 學 中所 遺 留 的 文 字,
用 東 方 的 聲 音,唱 東 方 的 歌 曲,使 詩 歌 從 歌 曲意 義 中顯 出完 美,《 采 蓮
曲》在 中國 新 詩 嚢 展 上,也 是 非常 有 意 義 的 。作 者 是 主 張 詩 可 以 論 讃 的
人,正 如 同 時 代 作 者,聞
一 多,徐
志 摩,劉
夢 葦,饒
孟 侃 一 標,在
時,便 是 預 備 把 く(採
蓮 曲》在 一 個集 會 中,由 作 者 護 唱,倣
當
一個勇敢 的
試 験 的 。在 聞一 多的(く死 水 》里,有 可 讃 的 詩 歌,在 徐 志 摩 的 《志 摩 的
詩 》集 里,也 有 可 讃 的 詩 歌
爾 人 的詩 是完 全 與朱 湘 作 品 不 同 的 。音 樂
方 面 成 就,在 保 留 中 國詩 與詞 値 得 保 留 的 純 粋,而 加 以 新 的 排 比,使 新
詩 與 蕾 詩 在某 一 意 義 上,成 爲 一"漸 墜"的 聯 績,而 這 形 式 却 附 失 其 爲
新 世 紀 詩 歌 的典 型,朱 湘 的詩 可以 説 是 一 本 附會 使 時 代 遺 忘 的 詩 。
と述 べ5),朱 湘 詩 の 位 置 づ け を 行 い,ま
た,
若 郭 沫 若 某 一 部分 的 詩 歌,保 留 的是 中 國蕾 詩 空 乏 的 誇 張 與 豪 放,則
朱
湘 的詩,保 留 的 是"中 國奮 詞 駒 律 節 奏 的 霧 魂 協,
と も書 く%
蘇雪 林 は,朱 湘 の詩集P草
葬集 』 を評 し て,
《草 葬集 》難 没 有徐 志 摩 那 檬横 恣 的 天 才,也
没有聞一 多那様深沈 的風
格,但 技 巧 之 熟 練,表 現 之細 試,豊 神 之 秀 麗,気 韻之 娚 雅,也 曾 使 官
成 爲一 本 不 平 常 的 詩 集 。
と 位 置 づ け る7)が,そ
て,朱
れ は 詩 人 た ち の 個 性 の 違 い を も言 い 得 て い る 。 そ し
湘 の 詩 の 特 色 を 三 点 挙 げ る 。 一 つ が,「 善 干 融 化 奮 詩 詞 」 で あ り,
「音 節 的 調 協 」 で あ り
,今
5)「
新 月 派 評 論 資 料 ■ 〔方 仁 念 選 編
東 師 範 大 学 出 版 社,上
6)注5,前
7)『
一 つ が 「長 詩 創 作 的 試 験 」 で あ る 。 こ こ で 問 題
「中 国 新 文 学 社 団,流
派 叢 書 」1993年6月
海)p.195∼196。
掲 書p・192、
蘇 雪 林 文 集 』VoL3(左
克誠 編
安 徽 文 芸 出 版 社1996年4月
一229一
安 徽 省)pユ43、
華
と な っ て い る の は,第
一 番 目 の項 目 で あ る 。 そ れ に つ い て,
大概 朱 氏 新 詩第 一個 特馳 便 是 善能 融 化 奮 詩 詞 的 詞 句,格 調,意 鏡,使
爲 我用 。
と述 べ,第
ま た,周
二 に 音 楽 的 な 面,第
三 に長 詩 の制 作 を彼 の 特 色 と して い るの。
良 沐 は 「"新 月"乎
∼非"新
月"乎
∼」 の 中 で,
迭(采 蓮 曲;筆 者 〉完 全是 伺 曲式 的格 律,是 古 涛 洞 在 形 式上 的延 伸 与
変格.
と書 き,沈
從 文 の 言 い 方 を 踏 襲 し て ・ 彼 の 新 詩 が 「詞 曲 の 格 律Jを
持 ち,
古 詩 詞 の 拡 大 と 変 革 で あ る と の指 摘 を行 っ て い る9〕
。
朱 湘 は こ う し た 伝 統 的 な詞 曲 に倣 っ た命 名 に よ る作 品 を数 多 く作 っ て い
る10)。ち な み に,詩
年 月 日不 詳(19餌
年5月30日
題 に 民 歌 を意 識 し た と思 わ れ る作 品 を 挙 げ て お く。 作
年2月
初 め ∼1D)の 「霧 雪 春 陽 頬 」,同
作 の 「雌 夜 ロ
帝J,同
日 の 「少 年 歌 」,同 年9月26日
曲 」,同12月4目
9日 作 の
昨 年 月 目不 詳 のr鳳
表 の
「大 樹 辞 」,同 年9月11
作 の 「情 歌 」,同 年9月28目
の 「揺 藍 歌 」,1926年1月7日
「婚 歌 」,同 年3月27目
「残 詩 」,1926年9月
年7月12発
「籠 鳥 歌 」,1925
作の
作 の 「催 肱
「曉 朝 曲 」,同1月
作 の 「昭 君 出 塞 」,同 年5月31日
発 表 の 「樟 歌 」」927年8月17日
作 の
「招 魂 辮 」・
求 風 」 な ど・ い ず れ も 楽 府 歌 辞 を想 起 さ せ る も の1z)で
8〉 『文 壇 話 薔 一 〔
蘇 雪 林 著 文 史新 刊 之84伝
記 文 学 出版 社1969年12月
p.82∼83。
9)『 涛就 是涛 』(周 良沸 著 百家 文論 新 著 叢 書 人 民 文学 出版 社1980年1月・
P.273。
10)『 朱 湘 詩全 編』(呉 方,越 寧 編 漸 江 文 学 出版 社1994年10月
選 択 す る。
11)注10,前
掲 書p.28の
12)郭
作 の
台北)
北 京)
杭 州)に よ っ て
脚 注 に よる 葺
蔑 清 『楽 府 詩 集 』(本稿 で は,中 津 浜 渉 『楽 府 詩 集 の研 究 』 汲 古 書 院 に よ
る 〉に は,例 え ば,「 順 」,「一
歌」 が 「
郊 廟 歌 辞 」 等 に散 見 し,「 帰 」 が 「烏
夜 嗜 」 等 を想 起 させ る(「清 商 曲辞 」),「辞 」 に つ い て ほ,「 舞 曲 歌 辞」 等 に散 見
す る。 「曲」 に つ い て は,各 歌 辞 に散 見 す る 、王 昭 君 につ い て は,「 相 和 歌 辞 」
に 見 え,r出 塞 」 もr横 吹 曲辞 」 に見 える,と い う具 合 で あ る 。
一230一
あ るQ
朱 湘 に は,1925年3月8日
1934年10月
刊)と
に 書 か れ た 「古 代 的 民 歌 」(『中 書 集 』 所 収,
い う 一 文 が あ る 。 こ の 中 で,『 詩 経 』 か ら 『楽 府 詩
集 』 ・ア古 詩 源 』 な ど に 収 め られ る 民 歌 に つ い て,イ
較 を し な が ら,そ
ギ リス文 学 の例 と も比
の 特 色 を論 じて い る 。 す な わ ち,民
歌 に は,
(前略)這 便 是民 歌 的 五種 特 采,題 材 不 限,拝 爲 眞實,比 喩 自由,句 法
錯 落,字 眼遊 戯 。
と い っ た 五 つ の 特 色 が あ り15),そ れ を 現 代 詩 に 応 用 す べ き で あ る と結 論 づ
け る。
這 五種 古 代 民 歌 的 特 采,除 揮 字 眼遊 戯 一 種 之 外,別 的 四 種特 栗,都 値
得我 椚 從 事 干 新 詩 的 人 的 充分 注 意 的;我 不 敢 講 這 四種 特 采在 古 代 民 歌
中 巳経 殺 展 到 了 最 高 的 地位,但 官 椚 都 是 有 望 的 花種,我
偶如能將手撒
在 膏膜 的土 地 上,宮 椚 一 定能 稜 出極 美 麗 的 花 來 。
ど%こ
の 頃 の 詩 人 ・文 学 者 た ち は 自国 の 古典 文 学 に堪 能 な人 々 が多 く,
医 専 出身 の魯 迅 が一 時期 古 書 の中 に埋 没 し,同 じ く医学 部 出 身 の郭 沫 若 が
甲骨文 字 に没頭 した例 を挙 げ るま で もな く,絵 画 出身 の聞 一 多 は後 に古 典
学 者 に な っ た し,朱
る1%朱
湘 の 友 人・ 孫 大 雨 に も古 典 詩 歌 を扱 っ た論 文 が あ
湘 自身 も唐 詩 か ら始 まっ て元 曲 ・南 曲,明 代 の 詩 文 に至 る幅 広 い
古 典 文学 の造詣 を持 ち,古 典 に題 材 を取 った 作 品 を数 多 く書 い て い る1%
13)『
朱 湘 散 文 』 上,p.10餐
14)P朱
15〉
湘 散 文 』 上,p,113。
「論 音 組 」,「 詩 歌 的 格 律 」 等 の論 文 は,唐
引 きつつ 論
12月
16)例
石 家 荘)。 前 者 はp,65∼91,後
え ば,r詩
女 子 」,r王
詩 を始 め とす る 中国 の古 典 詩 歌 を
を 進 め て い る(『孫 大 雨 詩 文 集 』(孫 近 仁 編
者 はp.92-189に
経 』 を 扱 っ た 「三 百 編 中 的 私 情 詩 」,唐
維 的 詩 」,宋 詞 を 扱 っ たr周
詩 を扱 っ た
邦 彦 的 〈(大甫}〉」,元
尖 」,清 の 雍 正 年 聞 の 文 人 蕗 士 鎗 に つ い て 書 い た
劇 作 家楊 笠 湖 を扱 った
河 北 教 育 出 版 社19%年
掲 載。
「蒋 士 錐 伝 」,清
「吟 風 閣 」,「 笠 翁 十 種 曲 」 等 が あ る 。
_23i_
「五 絶 中 的
曲 を 扱 っ たr救
風
の乾 隆 年 間 の
(21
こ の7采
蓮 曲 」 の 書 か れ た25年10月
に 舞 い 戻 っ て 来 て い た17〕
。1923年
暮 れ,学
清 華 学 校 を放 校 に な っ た 朱 湘 は,南
24年3月,南
当 時,朱
湘 は 上 海 か ら再 び 北 京
則 を 守 ら な い と い う こ と で,
京 ・上 海 で の放 浪 生 活 を 送 っ て い た 。
京 で 双 方 の 親 同 士 が 決 め た 許 婚 者,劉
結 婚 し(と も に 満 十 九 歳),上
海 で 恵 ま れ た と は言 え な い 新 婚 生 活 を 始 め て
い る 。 あ る 伝 記 作 者 に よ れ ば,朱
っ た が,彼
寛 君(本 名 は 采 雲)と
湘 は 初 め,寛
君 と の結 婚 を望 ん で い な か
女 の 彼 を 思 う気 持 ち に ほ だ され れ て結 婚 を 決 意 し た と 言 う18)。
彼 女 と結 婚 し た 前 後 に 書 か れ た も の がr揖
雪 春 陽 頒 」 で あ る ・ 「春 雪 後 的
早、
曼」,「北 地 早 春 雨 霧 」,「籠 鳥 歌 』,「南 締 」 も 同 じ 時 期 に 詠 ま れ た も の で
あ る(い ず れ も処 女 詩 集 『夏 天 』 所 収)。
朱 湘 に は す で に 「死 」(1922年7月,「
小 説 月 報 」Vol,13,No・7所
収)と い う作 品 が あ る 。 ち な み に 聞 一 多 の 同 名 の 詩(r紅
r清 華 週 刊 ・双 四 節 特 刊 」1922年4月4目
燭 』所収 ・原載
〉を右 側 に 載 せ て お く19)。ほ ぼ
同 時期 に書 かれ てい る点 に注 目 してお きた い。
隠 約 高 堂,
匹
阿
滲淡 霊 床;
我 的 生命 底 生 命,
燈 火 一 暗冒 亮,
我 一 生 底 失 敗,一 生 底衡 映,
想 着 輝 煙 的 巳往 。
如 今 要 都 在 侭 身 上 補 足 追償,
但 是 我 有什 歴
油 没 了,
17)年
譜 に っ い て は,現
秋 ・蘇 雪 林 等 編
宏志
1魯)例
在 浩 密 な も の は な く,本
「新 潮 文 庫 」13志
稿 で は,『 朱 湘 懐 念 集 』(梁 実
文 出 版 社1990年6月
台 北)に 収 め ら れ る 王
「朱 湘 年 表 』 に よ っ た 。p.211。
え ば,90年
朱 湘 』(丁 瑞 根 著
荘)r朱
代 以 降 陸 続 と 出 版 さ れ る 詩 人 等 の 伝 記 の 中 に,ア 非 情 詩 人 一
「中 国 現 代 作 家 伝 記 叢 書 」 花 山 文 芸 出 版 社1992年7月
湘 寛 君 』(王 偉 周 紅 著r名
が あ り,こ
19)朱
我 的 霊 魂 底 霊 魂!
湘
VoL1(孫
石家
人 情 結 叢 書 」 中 国 青 年 出 版 社1994年S月)・
こ で の エ ピ ソ ー ドは 後 者 に よ っ た 。
「死 」 は,『 朱 湘 詩 全 編 』p・6所
党 伯 ・哀 篶 正 主 編
収 ・聞一 多
「死 」 は
湖 北 自 民 出 版 社1993年12月)所
∼54。
一232一
収
『聞 一 多 全 集 』
『紅 燭 』p・53
灯 一 閃,熔
.可 以求 干 侮 的 曙 ∼
了。
碗 蛭 一 線 白姻
從 黒 暗 中騰 上 。
と詠 ま れ る 。 聞 一 多 の も の が 多 少 観 念 的 過 ぎ る の に 比 べ て,イ
は,朱
湘 の 方 が 豊 富 の よ う に 思 わ れ る 。 そ れ に し て も,朱
メージ的に
湘 の 将 来 の 自殺
を 暗 示 し て い る か の よ う で あ る 。 こ の 時 期 以 降 の 詩 に も ど こ か 「死 臭 」 と
「カ タ ル シ ス 」 と が 漂 っ て い る よ うに 感 じ られ る 。 例 え ば,1922年
園 」 の 第 二 聯 に は ・r野 花 情 情 的 機 了,!野
什 塵 」 と あ り20),「獲 」 は
で あ る 。1924年
「芽 吹 く=生
花 情 恰 的 謝 了=1恰
林 里 百 鳥 歓 唱,/
的 児 布 将 過 去 掩 藏,/現
在天東昇 上
が そ う で あ りZじ,ほ ぽ 同 時 期 に 書 か れ た と 思 わ れ る
春)に
」
春 の 「霧 雪 春 陽 頒 」 で は ・ 「雪 的 月 布 將 過 去 掩 藏 ・!現 在
嘉 螂!万 里 内 迎 神 的 鞭 爆 齊 揚!」 のr雪
(1924年
恰外 園里 更
」,「 謝 」 は 「花 が し ぼ む=死
天 東 昇 上 了 朝 陽 。1看 那!黄 金 染 遍 了 千 家 臼 屋 頂 上1/瑠
了 朝 陽,」
の 「塵
「跳 上 高 雲!驚
り,「 落 下 斤 骨,1羽
人 的 一 鳴;1落
下 斤 骨,1羽
「爆 竹 」
化 了 蜜魂 」 と あ
化 了 璽 魂 。」 の 表 現 が 見 え る22〕
。 「死 臭 」 は 絶 望 と近 似
す る語 で あ る 。 絶 望 の 中 に あ る種 の 救 い を 見 い だ し た こ と を歌 っ て い る こ
とに な る 。 「鳥 」=「羽 」=希 望 とい う語 も こ の 時 期 の 朱 湘 を言 う キ ー フ ー ド
の 一 っ で あ る 。 例 え ぱ,「 籠 鳥 歌 」 に は,「 我 久 慶 的 羽 翼 復 感 到 農 麗,1五
彩 的 朝 雲 在 我 身 邊 後 馳1/萬
里 長 空 都 是 供 我 飛 的,/崇
心 池 」 と あ り23},「我 久 慶 的 羽 翼 復 感 到 農 麗,1五
高 的 惰緒 涯溢 了 我 的
彩 的 朝 雲在 我 身 邊 後 馳 」
の 「羽 翼 」 で あ る し,「 南 婦 」 の 第 一 聯 で は,「 我 是 一 只 孤 濁 雁 雛1朔
雪 中 我 凍 的 垂 死;!忽
然 一 農 亮 起 友 情 的 春 陽,!將
我 巳冷的赤心又復 暖起」
と あ り2の,自 ら を 「孤 雁 」 に 準 え て 「我 是 一 只 孤 猫 的 雁 雛 」 と言 い,第
20)F朱
湘 詩 全 編 』p,3,『 中 国新詩 庫 』p.156。
21)F朱
湘 詩 全 編 ■p.28,P中
22)r朱
湘 詩 全 編 』p・29,F中 国新 詩 庫 』p・157・
23)F朱
湘 詩全 編 」P.33,『 中 国新 詩 庫 』収 め ず 。
国新 詩 庫 』 収 め ず 。
24)ア 朱 湘 詩 全 編 』p,34,『 中 国新 詩 庫 』 収 め ず 。
一 233一
方泳
二
聯 で は,「 我 的 隻 翼 同 温 而 有 力,、'髪 髭 雪 中 人 入 了 炭 盆 的 室 中1〆 巳 艶 的 印
象 復 活 干 眼 前,〆 有 如 走 馬 燈 上 的 人 物 憧 憧 」 と歌 っ て25),r我 的 隻 翼 回 温 而
有 力 」 と し て 再 ぴ カ を 得 た こ と を詠 む 。 聞 一 多 に 「孤 雁 」 と い う詩(「 紅
燭 』 所 収1922年
作)が
あ る が,こ
れ は母 国 を,友
一 人 異 国 に 赴 く心 情 を述 べ た も の で
人 た ち の も と を離 れ て
,朱 湘 の よ う に,「 清 華 放 校 」 と い う
事 件 を詠 ん だ も の で は な い 。 そ の創 作 意 欲 の 源 泉 は 「清 華 放 校 」,「同 級 生
の 友 情 」,「気 に 染 ま な い 結 婚 」 と 「
妻 寛君 へ の 愛」 とい っ た二 つ の相 反 す
る事 柄 で あ っ た こ と は 想 像 に 難 くな い 。
25年
の 夏,清
華 の 旧 友 饒 孟 侃 の 招 き を 受 け て 北 京 に 戻 り,9月
か らは
北 京 外 国 語 専 門学 校 で教 鞭 を執 る こ とに な っ た 。 そ れ ま で は私 立 上 海 大 学
で,英
文 ・文 学 概 論 の 代 講 を務 め て い た(陳 望 道 の 推 薦 に よ る 動 。 こ の 時
期 か ら,次 第 に 「死 臭 」 が 薄 ま っ て ゆ く 。 饒 孟 侃,孫
の 共 同 生 活 が 始 ま り,将
大 雨,楊
世恩た ちと
来 に 対 す る希 望 が ほ の か に 見 え 始 め て い た か ら で
あ ろ う。 世 に 「清 華 の 四 子 」 と 言 わ れ る が,.彼
ら は 比 較 的 早 熟 で,特
に朱
湘 は す で に 文 学 研 究 会 の 会 員 で あ っ て,「 小 説 月 報 」 な ど に 詩 を 発 衰 し て
い た し,訳
詩 集(『 路 曼 尼 亜 民 歌 よ19餌
(『夏 天 』1925年1月,商
年3月,商
務 印 書 館),詩
集一冊
務 印 書 館)を 著 し た ひ と か ど の 詩 人 と し て 認 め ら
れ て い た 。 そ れ は,聞
一 多 と 比 ぺ て も,ほ
う 。 年 齢 的 な も の か ら見 れ ぱ,朱
湘 は,二
ぼ 同 時 期 と言 っ て も よ い で あ ろ
十 そ こ そ こ で 詩 集 を持 っ た の で
あ る 。 ま た,「 清 華 の 四 子 」 の一 人 孫 大 雨 は,1920年5月15日
の 『少 年
中 国 』 誌 上 に 「海 船 」 を 発 表 し て い た27)し,「 聞 一 多 の 四 子 」 の 一 人,劉.
夢 葦 は,す
で に 「吻 之 三 部 曲 」 を 書 き,1922年
葉 紹 鉤 た ち と詩 誌
25)注24σ
26)王
に は,朱
自清,劉
延 陵,
「詩 刊 」 を 発 行 し て い た 。 彼 ら が 世 に 「四 子 」 と 喧 伝 さ
こ同 じ 。
宏志
「朱 湘 年 表 」p.213に,
二 月,繧
陳 望 道 推 薦 ・ 到 私 立 上 海 大 學 代 課,講
授 英 文 及 文 學 概 論,
...。
とあ る。
27〉
『孫 大 雨 詩 文 集 ■(孫 近 仁 編
子善
「碩 果 僅 存 的"新
月"詩
河 北 教 育 出 版 社1996年12月
入 孫 大 雨 」 に よ る 。p沸44
-234一
石 家 荘)所
収 の陳
れ る 資 格 は 充 分 に 備 え て い た と言 え よ う。 た だ,饒
発 は 少 し遅 く,1925年12月31日
孟侃 の詩 人 と して の 出
の 「農 報 副 刊 」 に 発 表 さ れ た 詩
歌 」 に お い て で あ っ た2S♪
。 な お,後
年 の 両 者 の感 情 的 齪 臨 は,詩
後 に 求 め る 見 方 も 有 り得 る 。 夏 以 来,饒
「酔
制作 の前
孟 侃 た ち と適 存 中 学 の創 建 に係 わ
り,開 校 後 は 「二 十 二 歳 の 青 年 な の に,物
静 か な 物 腰 は,中
わ せ た29)」 と見 られ な が ら教 学 を 行 う 。9月11目
作 のr少
年 の教 師 を思
年 歌 」 の第 一
聯 で は,
我 椚 是 小 羊,
跳 躍 過 山披 同 草 場,
提 起 喚子 笑,
撒 開腿 来 鉋=
活澱是我潤的主張。
と あ っ て301,中 学 生 の た め の 校 歌 と し て 作 ら れ た も の で は あ っ た が,そ
こ
に流 れ て い る も の は 北 京 で の再 出 発 を心 掛 け る朱 湘 の 感 情 そ の も の で あ
り,そ
れ が 少 年 た ち の 将 来 へ の 出 発 と オ ー バ`ラ
ップす る も の と考 え て も
よ い で あ ろ う。
(3)
か く し て,「 采 蓮 曲 」 が 書 か れ る わ け で あ る 。 実 は 聞 一 多 は す で に,そ
れ よ り一 歩 先 ん じ て,1925年7月4日
に 「七 子 之 歌 」 を,7月11日
31),9月19日
「納 履 歌 」 を
の
,発
「七 子 之 歌 」 は
28)「
の
「現 代 評 論 」Vo1.2,No.30
に 「洗 衣 曲 」(「現 代 評 論 」Vo1.2,No.
「農 報 ・副 刊 」 に
表 し て い る 。 以 下,そ
「叫 費 歌 」 を,10月5日
れ ぞ れ の第 一 聯 を挙 げ て お く。
,
饒 孟 侃 詩 文 集 』 〔王 錦 厚
・陳 麗 莉 編
四 川 大 学 出 版 社1997年1月
目409∼450。
29)徐
30)『
霞村
の同誌 に
「我 所 認 識 的 朱 湘 」(『詩 人 朱 湘 懐 念 集 』p.94)
朱 湘 詩 全 編 』p.72,『
中国新 詩 庫 』 収 めず 。
一235一
成 都)p.
漢門
弥 可 知"婿 港"不 是 我 的 真 名 姓 ⊇..
我 離 開*的 纏 裸 太 久 了,母 親1
但 是 他 椚 虜 去 的 是 我 的 肉髄,
佃 依 然 保 管 着我 内心 的 璽 魂 。
三 百 年 來 夢 媒 不忘 的 生 母 嘱1
請 叫 見 的 乳 名,叫 我 一 聲`[襖 門"!
母 親1我
と詠 まれ る極
港,台
要 回來,母 親!
こ こ の 「七 子 」 と は,列
強 の 植 民 地 と な っ て い る 漢 門,香
湾 な ど を指 す 。 「洗 衣 曲 」 は,
(一件,両 件,三 件 〉
洗衣 要洗 干浄!
(四件,五 件,六 件)
璽衣 婁得 平
銅 是那 機臭,血 是 這 檬 脛 一
臓 了 的 東西 休 不 能 不 洗,
洗 了 的 東西 又 不 能 不 臓 。
有 耐性 的人 儒 埋 他 不 理 ∼
替 他 椚 洗!替
と して,ア
他個 洗!
メ リ カ の 華 僑 に 多 い ク リ ー ニ ン グ 屋 の こ と を 詠 み,
当 地 で の人
種 差 別 を告 発 し て い る3三}。
「叫 費 歌 」 は,
朦 朧 的 曲巷 群 鴉 喚 不 醒,
東 方 天 上 只 是 一 塊 黄 来 一塊 青 。
這 是誰 催 着 少 婦 上 杭 牧 ∼一
【`白
蘭 花1白 蘭 花!"
聲聲落入披璃窩。
3玉)F聞
32)『
一 多 全 集 εVol.1,p.222。
聞 一 多 全 集 』VDL1,p.164。
後 に
歌」 に改 め る。
一236一
ア死 水 』 所 収 の 時,「 洗 衣 曲 」 を 「洗 衣
と詠 み 笹 各 聯 の最 後 に物 売 りの声 を巧 み に挿 入 して い る 。「納 履 歌 」 は,
橋 下 的 菖 蒲 拝 折 了腰 。
半 目没 有 鶴 鵯 見 叫 。
秋 天 的 河 流 分 外 的細,一
一 線 銀 綜 在 沙 上洗 。
と し て ・ 張 良 の 事 績 を詠 ん で い る34)。彼 の こ う し た 民 歌 的 な 情 調 を 持 っ た
新 詩 は,こ
れ ま で に 見 て き た よ う に,愛
国主 義 的 な心 情 の発 露 で あ る こ と
が 多 い 。 い ず れ も 楽 府 題 辞 的 な詩 題 を 持 っ て い る の で あ る 。
あ た か も そ れ ら と競 争 す る よ う に し て,饒
孟 侃 が 「福 衣 曲 」(12月12
日作)を 書 く。
月 光軟 抱 住 白蓮 庵,・
柳塘 上響 着 寒砧 一 片:
有個 有 個 老 的寡 婦,
泪 花 見洒 在 浪 花 里 邊 。
嚇 僕 嚇 嘆;
地 濁 自掲 着 衣 服,
呵 噛 旺 瞠,
鐵馬見響在飛簿。
と35>。随 巷 の 砧 を 打 つ 老 女 と風 鈴 を 配 す る こ と に よ っ て,時
告 発 す る 。 朱 湘 「采 蓮 曲 」 と饒 孟 侃
の 「農 報 ・副 刊 」 「詩 鋸 」VoL3に
「掲 衣 曲 」 と は,奇
代 を遠 回 しに
競 作 の よ う に し て,同
し く も4月15日
時 に掲 載 され る
こ と に な る 。 こ の 時 の掲 載 の 順 を 巡 っ て 両 者 の 間 に 確 執 が 生 じ た とす る 説
33)
『聞 一 多 全 集 』VoL1
34)
『聞 一 多 全 集 』Vo1
35)
東 京 大 学 図書 館 蔵
,p.240。
.1,p.2q。
「浸 報 副 刊 ・詩 鏑 」 コ ピ ー 版 に よ る 。
一237一
も あ る3%少
な く と も詩 作 に お い て は 一 目 の長 を 自 認 す る朱 湘 が 饒 孟 侃 に
含 む と こ ろ を持 っ た 可 能 性 も 否 定 で き な い 。 朱 湘
1926年3月27日
「昭 君 出 塞 」 の 方 は,
に書 かれ る。
琵琶 啄伴 我 的 琵 琶:
趨 着 如 今 人 馬 不 喧 唯,
只 嘉 蹄 聲答 答,
我 想 屍 着 切 膚 的指 甲
揮 出 心 里 的嵯 啄 。
ど ㌔ 朱 湘 は こ れ に つ い て,
《暗君 出塞 》是 想 用 同 駒 的 平 灰 表 現 出 琵琶 的掬 揚 節 奏 。
と 述 べ る39)。 「采 蓮 曲 」 と は 逆 に,「 詩 鏑 」VoL2巻
「詩 與 歴 史 」 の 後 ろ に
頭 の鄙 以 蟄 の評 論
・ 詩 と し て は 第 二 席 と し て掲 載 され て い る 。
以 下,「 詩 錨 」 同 人 た ち の 民 歌 的 な 作 品 の 第 一 聯 を 挙 げ て お く39)。劉 夢
葦 に は 「鐵 道 行 」(同 ナVoL2)が
あ る。
我 椚 是 鐡 道 上 面 的 行 人,
我 椚 的 愛惜 如 爾 條 鐵 軌 。
36)商
金 林 『同 一 多 研 究述 坪 』(「学 木 研 究 指 南 叢 蔦」天 津 教 育 出版 社1990年10
月)p.73に
は,
在新 月 派 同 人 中,開 一 多与 箆 孟 侃,朱 湘,衝 世,恩,刻 夢 茉 的美 系 最 力 素
密 ・團 一多 和 朱 湘 一 起 研 究 這 新 涛 的"形 式"和"音
市1『.他称 貸 《采 蓮
曲》 的 軽 盈 流 暢,但 更 喜 玖 廃 孟 侃 的朴 実,所 以 把他 自 己 的 《死 水 》 和
箆 孟 侃 的 《掲 衣 曲 》 編 排 在 《采 蓮 曲》的 前 面.《 詩 携》 第3期 由 同 一 多
負責 編 輯,但 稿 件 的逸 拝 和 編 排 是 蛭 辻 《涛 篶 》 同 人村 槍 的 。 在 迭 之 前,
朱 湘 只 是 対徐 志 摩 一 ↑ 人 有 意 児 。他 現 徐 志 摩``油 滑",『`覇 道",井 炭 誓
" 一 定 要 愁 慰一・
多 与徐 志 摩 脱 寓 美 系"
,rr一直反 対 徐 志 摩 到 底 が。《詩携 》第
3期 出版 後,朱 湘感 情 沖突,不 仮 変 本 加 厨 地 反 対 徐 志摩,而 且 声 称 要 打
倒 同 一多 。
とあ る。
37)注35に
38)趙
岡 じ。
景 深 へ の手 紙(「寄 趙 景 深 」 五 口 『朱 湘 散 文 』 下p .2081に よ る。
39)注35に
同 じ,
一238一
許 多 的枕 木 將 我椚 索連,
却又好像在將我個離間。
と軌
見 た と ころ将 来 の一 点 で結 ば れ て い る が,実 は ど こ まで行 ウ て も平
行 な鉄 路 を人 生 に讐 え る 。朱 大丹 に は 「黄 河 哀 歌 」(同,VoL4)
漫長 的鐵 橋 横 跨 過 我 的腹,
夜夜 暴響 灘
是兵 車 上 路 。
從 來 車船 只 管載 別 恨 旅 愁,
這 年 目頭,車 箱満 載 的 恐 怖.
が あ り41),黄 河 とそ こ に住 む 人 々 の 悲 哀 を詠 ん で い る 。 寒 先 支 に はr老
椀
吟 」(同,VoL5)42》,
淡 淡 的 雲 窮 在 我 頭 上瓢 掠,
我 身 労 有 蒼 鷹 曄 睨路 過1
耳 邊 有 時 震 顛風 絃撰 弄 的凄響,
有 時 火 炬 型 出 天 庭 的 車聲 蘭 曉 。
が あ り,朱
大 稠 に は,「 大 風 歌 」(同,VoL6)
風 神 攣 轄 地 球 一 片 車 輪,
看 黒 夜 影 一 匹駿 馬 奔騰 。
我 偶 由伽 襲 狂 也 由伽 起,
三 百多 天 的 路 一 夜 走 完 。
が あ り繊
前 者 は老 い た椀 の木 を擬 人 化 し,後 者 は風 神 を擬 人 化 して現 代
に生 き る詩 人 と対 話 させ る 。 朱 大 栂 に は,さ
10)翰
楡 看 祢 扶 着 井欄 出神,
我,幸 得榔 顧 騎 的明 鏡 。
40)41)42)43)44)
い ず れ も注35に
一239一
同 じ。
らに 「井 水 吟 」(同,VoL
我 療 心 想伴 侮 硫 洗;
嗜 嗜 像 口脂 的沽 漬,
懸 着 侭 眉 目的美 麗 。
及 び 「落 日頒 」(同Vol.11)
在 大 暑天 不労 祢 魯 陽擢 肉,
還 望 后葬 的神 箭 再 射 目落1
但 喝退 了狂 吐 凶焔 的 金 鳥,
這 青 草池 塘 裏 的 鼓 吹 一 部 。(後略)
が あ る4鬼 前 者 は 井 戸 の 水 を恋 人 に 準 え,後
者 は 太 陽 を強 い 存 在 と し て 詠
ん でい る。
こ の 時 期,聞
一 多 と そ の 詩 友 た ち と の 間 で,民
歌 的 な 詩 題 を持 っ た 詩 を
作 る こ と に 対 す る 討 論 が な さ れ て い た こ と を 窺 わ せ る 。 そ う で な け れ ば,
こ れ ほ ど大 量 に 作 られ る と は 考 え られ な い 。 そ の 背 景 に は,ア
メ リカ か ら
帰 っ た ぱ か り の 聞 一 多 の 愛 国 的 思 想 の影 響 も 与 か っ て 余 り あ る で あ ろ う 。
そ う した 折 り も折 り,1926年3月18目,「
三 ・一 八 」 事 件 が 勃 発 し た の
で あ る 。 我 々 は,「 農 報 ・副 刊 」 「詩 鋸 」 創 刊 の 理 由 を 徐 志 摩 が
「詩 刊 弁
言 」 に お い て,・
這第 一 期 是 三 月 十 八 血 案 的 専 號,参 看 聞一 多 的 下 文 。
と断 り書 き し て い る よ う に,愛
国 主 義 精 神 の 発 露 の 一 つ で あ っ た こ と を思
い 出 し て お く必 要 が あ る ⑥ 。 徐 志 摩 の 言 う聞 一 多 の 文 章 と は,聞
r文 藝 與 愛 國 一
記 念 三 月 十 八 」 を指 し てい る こ とは言 うま で も ない
治 」 な る人 物 に よ る 評 論
者)愛 國 詩 」 に は,次
45)46)注359こ
47)聞
275に
。r民
「三 首(「 醒 曙!」,「 七 子 之 歌 」,「洗 衣 曲 」一
筆
の よ う に 述 べ ら れ て い る吻。
同 じ0
黎 明 ・侯 菊 坤 編r開
引 く,"民
一多 の
治"な
一 多 年 潜 長 編 』(湖 北 人 民 出 版 社1994年7月
る人 物 の 論 文 に よ る 。
一240一
武 漢)p,
文 學 作 品所 表 現 的 是 時 代 精神 ・ 而 時 代 也 就 是 文 學 作 品的 背 景g聞 一 多
君 這 三 首詩 表 現 了 中華 民 族 孚 自由求 濁 立 的 迫 切 呼 號 的 精神,但 是 也 要
有 帝 國 主義 者 高 厘 之 下 的 中國,才 會 産 生 這 檬 的 作 品 。
と。 こ う した 要 素 も一 つ で あ り,朱 湘 の 新 詩 に 対 す る試 み も 楽 府 題 辞 的 作
品 を 多 く生 み 出 さ せ る 一 つ の 要 因 に な っ た で あ ろ う 。 自身 も 「新 月 派 」 の
同 人 で あ っ た 沈 從 文 は,当
時,同
人 た ち が集 会 の 中 で討 論 して い た内 容 を
次 の よ う に 証 言 し て い る(前 出)。
在 當 時,便 是 豫 備 把 《採 蓮 曲》在 一 個 集 會 中,由 作 者讃 唱,倣 一 個 勇
敢的試験的。
ど8)。 同 人 た ち は 恐 ら くそ れ に 沿 っ た 形 で,詩
を 作 っ た も の で あ ろ う。 先
に 引 い た 朱 湘 「古 代 的 民 歌 」 に 見 ら れ る 構 想,す
な わ ち,新
詩 が持 っ べ き
も の は,「 題 材 の 非 限 定 性 」,「真 実 の 表 現 ・描 写 」,「比 喩 の 自 由 」,「各 句
の 不 揃 い さ」 とい っ た 四 点 の 指 摘 も こ う し た 集 会 の 中 で 先 ず 披 渥 され た の
で あ ろ う。 こ れ は,聞
一 多 が1922年8月27日
の 後 輩 た ち に 宛 て て 書 い た 手 紙 の 中 で,イ
こ と と も 関 係 が あ る か も知 れ な い 飢
い が,「 題 材 の 非 限 定 性 」 は,題
付 け の,清
マ ジ ス ト ・ク リ ー ドを 紹 介 し た
朱 湘 は そ の こ とに は触 れ た こ と は な
材 選 択 め 自 由 と い う意 味 で は,そ
条 に 該 当 す る し,「 真 実 の 表 現 ・描 写 」 は,自
で あ っ て,他
ドの 第 二 条 に 当 た る で あ ろ う。 「比 喩 の 自 由 」 も,同
句 の 字 数 が 自 由 で あ る=自
の第三
分 の 目 で 見 た も の を詠 む の
人 の も の を模 倣 しな い と い う意 味 で は,イ
不 揃 い さ 」 と は,各
華 学校 文 学 社
マ ジ ス ト ・ク リ ー
様 で あ ろ う。 「各 句 の
由 詩 と の 意 味 に 解 す れ ぱ,
や は り第 二 条 に 当 た る と 言 っ て よ い 。 彼 が 民 歌 の 中 に そ う し た も の を 発 見
し た こ と に 意 味 が あ る の で あ っ て,民
48)沈
歌 風 の 詩 作 の ス タ イ ル と そ の構 想 が
從文 「
論 朱 湘 的 詩 」(ア新 月社 評論 資料 選`p・196)に
49〉 拙 論r聞 一 多 と胡 適 【`八
不 主 義"一
よ る。
イ マ ジ ズ ム を媒 介 に して一
」(早 稲
田 大 学 目本 語 教 育 セ ン タ ー 「溝 座 日本 語 教 育 」VoL32),「
中国の文体 改革
一 胡 適``八 不 主 義"と そ の展 開 一 」(早 稲 田 大 学 日本 語 研 究 セ ン ター 「紀
要 」VoL10)参
照。
一241一
与 え た影 響 は少 な くな か っ た と思 わ れ る。 そ うで な けれ ぱ,「 詩 鏑 」 紙 上
に あれ ほ ど多 くの楽 府 題 辞 的,民 歌 的 な新 詩 が登 場 す る可 能 性 は薄 か った
で あ ろ う。25年3月
に書 か れ た朱 湘 の評 論 「古 代 的 民 歌 」 は同 人 た ち が
新 詩 を書 く上 で の あ る種 の ガイ ドライ ンで あ っ た と言 うこ ともで きよ う。
(4)
朱 湘 は 早 く か ら文 学 評 論 に手 を 染 め て い た 。1924年10月6日
事 新 報 」 「文 学 週 刊Jに
掲 載 さ れ た 「卓 話Table-ta11k」
の 「時
所 収 の 「藍 黙
的 『博 圖 夫 人 關 干 唖 牌 的 見 解 』 」,「統 一 局 」,「吹 求 的 與 法 官 式 的 文 藝 批
評 」,同 年10月20日
27目
の 同 紙 に 掲 載 され た 「紅 燭 」,「 小 漢 」,同 年10月
の 同 紙 に掲 載 され た
「繭 賊 」,同 年12月1目
の 同 紙 に掲 載 さ れ た
「流 雲 」 な ど は 一 種 の 詩 論 で あ る50》
。 こ の 中 で ・ 「吹 求 的 興 法 官 式 的 文 藝 批
評 」 は 周 作 人 の 「自 己 的 園 地 」 を論 じ な が ら,詩
び 「小 漢 」 で は,聞
に も 言 及 し,r紅
一 多 の 詩 を論 じ て い る 。 「吹 求 一
我 的 心 目中 的 詩 的 真 理 即 是 美,我
"緑"等 字 眼
,
の詩
」 で は,
所 説 的 美 井 非 限 定 文 中要 用"紅",
と述 べ て5【),詩 に お け る真 理 は 美 で あ る と指 摘 す る.こ
多 の 考 え と も 一 致 す る も の で,彼
燭 」及
れ は,
当 時 の 聞一
「藝 芸 術 底 忠 臣 」 に,
「美 即 是 眞 ,
眞 理 即 美 」 の 句 が あ る 鋤 と お りで あ る 。 さ ら に,
我 所 説 的"詩 的 眞 理 ン'中"詩 的"雨 個 字 井 不 是 説 一 篇 文 藝 中 要 充 満 了
"阿"
・"啄 ・'一・等 等 近 來 新 詩 中 盛 行 的 行 號,或
者 充 満 了"阿",
"瞬"等
等 感 度 的 字 眼5我 所 謂"詩 的"
,也 井 不 是``愛 情",``月
亮",
``心弦"
,"霊 魂"等 等 時 毫 的 名 詞;有 了 這 些,或 者 有 了 音 駒,井 不 見
得 就 是"詩
50)前
掲
的"。
『朱 湘 散 文 』 下 に 所 収 の 「卓 話 」(一 〉一(七)に
51)r朱
湘 散 文 』 下,p.315。
52)『
聞 一 多 全 集 』VoL1,P.71。
一242一
よ る。
と して,「 阿 」 と か 「研 」 と か い っ た 流 行 の 詩 句 を 述 べ た て た も の だ け が
r詩 的 」 な も の で は な い と い う 自 ら の 詩 に 対 す る 理 想 を 言 う53〕
。 ま た,論
文 「紅 燭 」 で は,
〈(紅
燭 》最 惹 人 注 目的 地 方 是 官 的 色 彩 慮 用 。 作 者 想 將 他 美 術 上 的 成 功
移 來 詩 上,絶 饗 的 講來,我 如 今 還 不 能賀 他 詩 上 的 完 整 的 成 功 ・
と して,聞
一 多 の処 女 詩 集
「紅 燭 」 に お け る 「色 彩 の 慮 用 」 を 評 伍 し つ つ
も,完 全 に は 慶 賀 で き な い 事 情 を 語 る5`)。す な わ ち,
聞君 嘗 説,盤 力 髪 展 祢 的 想 像,想 像 豊 富 了,音 樂 自然 會 眼 着 來 的,.這
句話 是 一 個 錯 誤,《 紅 燭 》的 自身 映 乏音 駒,便 是 確 証 。 他 井 不是 不 憧
音樂 的 ・ 可 惜 他 將 詩 的 這 一 方面 太忽 略 了 。
「想 像 力 が 豊 富 で あ れ ば ,音
韻 も 自然 に つ い て 来 る 」 と言 い な が ら,『 紅
燭 』 に は 「音 駒 が 欠 乏 し て い る 」 と 言 い,必
ず し も満 足 し て い な い 。 後 の
「評 聞 君 一 多 的 詩 」 に 繋 が る 部 分 を 持 っ て い る
。 「小 漢 」 で は,「 用 駒 」 に
っ い て の 指 摘 を行 い,
我 椚 中 國 的奮 詩 除 了離 別,歎 樂,賞 景 幾種 有 限 的 情 緒 的 表 現 外,根 少
將 眼 光 伸 張 到別 的情 緒 上 面 去 的,近 來 談新 詩 解 放 的 人 只 是 斤 斤 干 名 詞
上 的 討 論 以及 關 干懸 當任 賃 自 由的 用 駒 問題 的孚 辮 而 將 拝 情 詩 的 題 材 問
題略去了不談一
或 者 説 眼晴 近 視 没 有看 見一
心 的 情 緒 從 前 的 詩 中 向來 没有 看 見爲 過,聞
這 未 免 太 不 聰 明了 。灰
一 多 的"小 漢"還 是 第 一
遭 。 就 題材 方 面看 來,我 深 信"小 漢"是 新 詩 解 放 以 來 的 代 表 著 作 。
と 書 く5㌦
し か し,最
後 の 部 分 で は,「"小
漢"是
新 詩 解 放 以 來 的代 表 著
作 」 と聞 一 多 に 対 す る 多 大 な 信 頼 を 表 明 し て い る 。
聞 一 多 は,そ
う し た も の が 書 か れ る 以 前 か ら,朱
53)『
朱 湘 散 文 』 下,p.316。
54)『
朱 湘 散 文 』 下,P・317。
55)『
朱 湘 散 文 』 下,P.319。
一243一
湘 に は注 目 して い た 。
1923年2月15日
付 け の 梁 実 秋 宛 の 手 紙 に 次 の よ うに 認 め て レ・る 。
昨 致 文 學 社 一 團 由朱 湘 君 轄 交 。 致 朱 湘 團 中有 些 新 聞,侮 許 願 意 知 道,
不 妨借 閲 。 嵩 此 籍候 文安!
ど鳴
志 を 同 じ く す る も の と早 く連 絡 を と.りた い と す る 気 持 ち が 伺 わ れ
る 。 ま た,同3月22日
付 け の 梁 実 秋 へ の 手 紙 に は,
・我 爲 信 底原 意,是 要 請 侭 將 《文 藝 増 刊 》里 毅 表 過 文藝 者 底 眞姓 名
都 告訴 我,譲
我 好 同他 椚 通通 。請 伽 立 刻 就 辮,可 否 ∼
と も 書 く57〉
。 「清 華 週 刊 ・文 藝 増 刊 」 へ の 執 筆 者 を 楊 世 恩,胡
考 え た ふ し が あ っ て,彼
と死
毅,朱
こ の よ う に,両
湘 と
らの最近 の進 歩 状 混 を聞 きた が って い る。
還 請 告 訴 我 下 列 幾 人 底 最 近 的development,若
世 恩,胡
毅,朱
果 像 知 道 。他 潤 是 楊
湘 。
者 の 関 係 は 第 三 者 を 介 在 し た も の で あ っ た が,後
日
見 られ る よ う な 激 し い も の で は な か っ た(次 項 参 照59))。
一方
,朱
湘 の 方 で も,先
の 「白 朗 寧 的
の 一 連 の 評 論 の 外 に,1925年3月11日
『異 域 郷 思 』 與 英 詩 」(「京 報 副 刊 」No.85,作
付 け
は2月2日)
に は,
・幾 個 少 薮 的 眞 詩 人,聞
君 一 多,孫
君 銘 傳 等,眞
誠 的將 我 看 成 文
友 。
と あ960〕,1925年4月2目
「爲 聞 一 多 詩7泪
付 けの
雨 』 附識 」 で は
56)『
聞 一 多 全 集 』VoL12,p.14呂
57)『
聞 一 多 全 集 』V・1.12,p.160、
58)『
「京 報 副 刊 」No.107に
,
。
聞 一 多 全 集 』VoL12,p.160。
59〉
本 稿(5)のP・247参
60〉
『朱 湘 散 文 』 下,P.328。
照
。
一244一
掲 載 され た
一 多 是 英 詩 的 嫡 系,英 詩 是詩 神 的嫡 系;.
と も言 う6ユ}。
徐 霞 村(字 は 元 度)へ の 手 紙(1925年
夏 以 降 か})に
も,
聞一 多 劉 夢 葦 最 好,江 静 之郭 沫 若 次 之,徐 志 摩 又 次 之 。
と 認 め て い る63)ほど で あ る 。
か く し て,朱
日)に
湘 は
「小 説 月 報 」VoL17,No.1紙
上(1926年1月10
「評 徐 君 《志 摩 的 詩 》」 を 発 表 す る 。 ま た,「 詩 鑑 」No.1紙
(1926年4月1日)で
「新 詩 評 」 と題 し て,胡
適
上
ア嘗 試 集 』,同No.3で
康 白 惜 『草 見 』 の 批 評 を 行 う。
7評 徐 君 《志 摩 的 詩)〉Jで は ,そ
と,以
の欠 点 を列 挙 す る 。 そ の項 目 を挙 げ る
下 の よ う に な る 鋤。
1)徐
君 藝 術 上 的 第 一 個踊
要 算 土 音 入韻 。
2)徐
君 藝 術 上 的 第 二 個 訣鮎,要
算 駐 句 韻(rhymedcouplet)不
講
究。
3)徐
君藝 術 上 的 第 三 個 繍
要算用韻有時不妥。
4)徐
君藝 術 上 的第 四個 繍
要算用宇有時敏當。
5)徐
君 藝術 上 的第 五 個 敏鮎 要 算 詩 行 有 時 姑 不 住 。
と 。 し か し,一
方 で は 次 の よ う に,
・在 這 許 多 駒 髄 裏 面,那
一種徐 君嘗試成 功了・ 那一種 没有嘗試 成
功,是 男外 一個 問題,並 且毎 種 豹膣 嘗 試 的 次 敷 不 多,我 椚 還 無 從 完 全
判 定 官 是 否 在 新 詩裏 有登 展的 可 能,徐 君 是 否 適 宜 於 用 官;但 是 這 種 大
謄 的 態 度,這 種 冒全 國 的 大不 謹 而來 試 用 大 衆 所 鄙 夷 躁 踊 的 駒 的 精 神 ・
已経 能 移 引 起 大家 的 熱 烈 的敬 意 了 。
徐 志 摩 は 詩 韻 に お け る 試 み が 成 功 し た と言 っ て い る 殊
61)『
朱 湘 散 文 』 下,P.345。
62)『
朱 湘 散 文 』 下,P・202。
63)ア
新 月 派 評 論 資 料 選 』p.107一
64)同
。 ア朱 湘 散 文 』 下,p、149一
上,
一245一
や は り,こ
。
こ で も
詩 に お け る韻律 の問題 を材 料 に して論 じて い る の で あ る 。 た だ,朱 湘 は徐
志 摩 を あ ま り高 く評 価 して い な か った こ とは,後 年 の何 篇 か の評 論 に詳 し
い が,こ こ では詳 述 しな い65)。
胡適 の 『嘗試 集 ■ を次 の よ うに評 す る。
他 椚 不 但 没 有 什 歴 出色 的 地 方,可
論
以與西方文 學 中有創造性 的課詩相提並
並 且 「老 洛 伯 」 一 首 當 中 還 有雨 虞 大 的 謬 誤 。
と し て,ま
ず 訳 の違 い を指 摘 す る66)。ま た,胡
あ っ て,詩
に お け る 経 験 主 義 を標 榜 し て い る と し て,
本 來 在 詩 裏 面 談 主 義,就
是 一 個 大 笑 話,只
適 の詩 が思 想 的 に は浅 薄 で
有外 行 的 人 才作 得 出來 。
とか の,
・・ 但 全 詩 的 意 境 平 庸,平
庸一
不 錯,胡
君 的詩 没有一首不是 平
庸 。
とか言 う。 そ して,彼 が常 に気 にな って い る詩 韻 に つ い て述 べ た 後 で,
「内 容 粗 羅
藝 術 幼稚:
J這 是 我 試 加 在 「嘗 試集 」 上 的 八個 字 。
と結論 付 け るの で あ る 。 これ で は,新 詩 発 展 上 で胡 適 の果 た した役 割 は全
く評価 され な い こ とに な る。 胡適 の評 価 も徐 志 摩 と同 じ く低 い が,こ れ も
こ こで は触 れ な い。
康 白情 の 『草 見 』 の批 評 にお い て も朱 湘 の舌 鋒 は鋭 い 。 まず彼 は,そ れ
を郭沫 若r女 神 』 と比較 す る。反 抗 の精 神 と単調 な 詩 旬 には共 通 点 が あ る
もの の,
65〉P朱
湘散文』上所収
66)P朱
湘 散 文 』 上,p.183。
67)ア
『嘗 試 集 』,p・181。
朱 湘 散 文 』 上,p.183。
一246一
郭 君 的 努 力 是 部 分 的 成 功 了,至 於 康 君 的努 力 員IJ是
完全失敗 了。
と し て 康 白情 の 試 み は 全 く失 敗 し た とす る 軌
こ こ で は,
得意 の詩韻 の吟
味 す ら出 て こ な い 。
(5)
聞 一 多 は,朱
湘 と の不 仲 の 起 こ り に っ い て,1926年4月27日
付 けの
梁 実 秋 宛 の 手 紙 に 次 の よ う に 書 い て い る ㈹。 す な わ ち,
朱 湘 目下和 我 個 大醗 瞼 ・ 説 購志 摩 那 張 尖 噺・ 就 不 想 是 作 詩 的 入 ・説 聞
一 多妬 嫉 他
,作 了 七 千 言 的 大 文 章 痛 撃 我,聲 言 偏 要 打 倒 饒 揚 等 人 的 上
帝 。 這 位 先 生 的 確 有 神 純 病,我
ser(因
爲Shakespeare是
椚 都 視 爲 同 癒 狗 一 般,就
他 不 屑 干 倣 的,他
所 服 唐 的 是 斯 賓 塞)社
上 也 不 慮 容 留 他 ・ 他 的 詩 ・ 在 他 未 和 我 宣 戦 的 時 候,我
上 是sweetsentimentality,在
不 過 倣 到Tennyson甚
算 他 是Spen-
就 講 了,在
技 術 上 是du11acrobatics充
至Longfdlow一
這 類 的 作 品 只 有housewives才
其量也
流 的kitchenpoet,因
監 賞 。 這 個 人 只 有 狙 狂 的 獣 性,没
熱 烈 的 感 情 。 至 干 他 的 爲 人,一
會
本質
爲
有
言 難 番!
と ・ そ れ に 先 だ つ こ と三 カ月 前 の, 1月23日
に梁 実 秋 宛 に 出 し た手 紙 に
は,
時相 過 從 的 朋 友 以"四 子"爲 最 密,次 之 則 鄙 以 蟄,趙 太 侯,楊 振 聲 等 。
と書 き ゆ,4月15日
の 梁 実 秋,熊
仏 西 へ の 便 り に は,
K詩 刊 》 重 要 分 子 當 数 朱,饒,楊,
劉(夢 葦)。 四子 中 三 人 属 清 華,亦
又怪事 。
と 書 い て い る7%こ
れ ほ ど ま で に 親 し く思 っ て い た 人 物 を 聞 一 多 は 何 故
68)『
朱 湘 散 文 ■ 上,p.193。
69)『
聞 一 多 全 集 』VoL12,P.23キ
70)『
聞 一 多 全 集 』V・1.12,p,230、
71)『
聞 一 多 全 集 』Vo1.12,P・233。
一2斗7一
「詩 鋸 」 発 刊 中 に ,友 人 相 手 に で あ れ,疑
さな くて は な らな くな っ たの か 。
こ の 点 に つ い て は 触 れ て お か な くて は な ら な い で あ ろ う 。 梁 実 秋 へ の 手 紙
で,「 七 千 言 的 大 文 章 」 とい うの は,言
(VoLI7,No。5,1926年5月10日)紙
う ま で も な く,朱
上 に書 い た
湘 が 「小 説 月 報 」
「評 聞 君 一 多 的 詩 」
の こ と で あ る 。 朱 湘 は も と も とそ れ を 「詩 錨 」 に 掲 載 す る つ も り で あ っ た
と言 わ れ る72〕(同No.4,「
朱 湘 啓 事 」 に は,他
冊 と し て 出 版 予 定 と あ る勘
に 投 稿 し て,採
朱 湘 は,聞
が,何
日,「 新 詩 評 」 前 編 後 編 二
ら か の 事 情 で 掲 載 で き ず ・ 「小 説 月 報 」
用 され た もの で あ る。
一 多が
「清 華 に お け る 兄 貴 分 で は あ る が ・ 詩 は 詩 で あ る」741
と の 建 前 を述 べ た 上 で,
先 爲 自己 立 下 一 個 標 準,就 是;寧 可失 之 酷,不 可 失 之 過 碁 ・ 我 相信 作
新 詩 的 人如 其 大 家都 能這 穣,越 熟 的人 越 在 學 問 上 彼 此 激 働,越 有 交 情
的 人 越 想避 去 標 榜 ・ 那 時候 我 國 駒新 詩 或 者 有 瓢 希 望 ・ 不 然 ・ 自驕與 淺
薄 與 停 滞便 會 眼 着 嚢 生,目使 新 詩 不 特 無進 並 且要 退 而 蹄 於 無 的 。
と の但 し 書 き を 付 け75〕
て,論
評 を始 め る の で あ る 。 先 ず,短
か ら短 所 の 部 分 を 書 く。 と は 言 い な が ら,実
所 と長 所 の 中
は 長 所 の 部 分 は ほ とん ど な
く,全 編 こ れ 短 所 の 羅 列 と い う も の で あ っ た 。
作 者 的 第 一 種 短 庭 是 用 駒 不 講 究 、 這 又 分 爲 三 層:(一)不
妥,(三)不
と し て,「
封,(二)不
順 。
72)商
用 駒 」 か ら 始 め る と こ ろ が い か に も 朱 湘 ら し い 態 度 で あ る 。 「不
金林
『同 一 多 研 究 述 坪 』p,74に,
朱湘耳的
儲七 干 吉 的 大 文 章",原
式 炭 表 吋,杁
来 的 題 目 朗 倣 《面 一 多 所 作 待 的 攻 留 》,正
題 目 到 内 容 都 作 了 修 改,迭
就是我佃現在看到的
的 博 》。
とあ る。
73)注35に
74)r朱
75)『
ょ る0
湘 散 文 』 上,p.164。r聞
君 是 被 視 爲 老 大 好 的 。」 等 と あ る 。
朱 湘 散 文 』 上,P.164。
一248一
《坪 国 君 一 多
封 」 と は,用
韻 の 誤 用 で あ り,「 不 妥 」 と は,用
順 」 と は,牽
強 付 会 を言 う。 ま た,
作 者 用 字 的 時 候 也 有 四 個 毛 病:(一)太
韻 の 貧 弱 さ で あ り,「 不
文,(二)太
累,(三)太
晦,(四)
太 怪 。這 是 他 的 第二 種 短 庭 。
と し て,「 用 字 」 に お け る 四 つ の 欠 点 を 挙 げ る 。 そ の コ メ ン トの 中 で 注 目
さ れ る の は,
新 詩 的 工具,我 潤都 知 道 的是 白話 。但 是 我 椚 要 知 道,新 詩 的 白話決 不
是 新 文 的 白話
の よ う に,新
更 不 是一 班 人,如 我 如 侮,平 常 日用 的 白話 。
詩 に お け る 言 語 が 白 話 で な く て は な ら な い と い う観 点 で あ
る 。 こ の 出 発 点 は,当
時 の 白話 詩 人 た ち に 共 通 す る も の で あ る 。 日 常 の こ
と ば の 中 に 残 る 文 言 の短 所 を如 何 に 取 捨 選 択 を す る か,そ
力 に よ る と す る 。 た だ,聞
れ は詩人 の判 断
一 多 は そ の 判 断 力 が な い と 言 う76}。そ の た め
に ・ 上 の(一 〉∼(四)の 欠 点 が 生 ず る。 朱 湘 は こ れ ら を そ の 順 に従 っ て 説 明
し て い な い が,「 太 文 」 と は,修
飾 過 剰,「 太 累 」 とは,同
様 な 意 味 を持 つ
語 の重 複 使 用 の意 味 で あ る。 「
太 晦 」 と は,「 臨 渋 」 の 意 味 で あ り,こ
れは
詩 語 と し て の イ ン パ ク トの な さ の 代 名 詞 と な っ て い る 。 「太 怪 」 と は,情
理 に 合 わ な い も の を 言 う 。 す な わ ち,「 幻 想 」 で あ っ て,「 想 像 」 で は な
い 。 そ こ で,
聞 君 並 不 是 毫 無 想 像,但 是 弛 在 許 多 的 時候,因
爲 鉄 乏 判 断力 的原 故,
総 是 將 幻 想 誤 認 爲想 像,放 縦 宮 去 滋 蔓 。
と 言 う の で あ る 刀)。朱 湘 は さ ら に そ れ を,r不
近 理 的 宇 眼 」,「 丑 起 來 的 詩
行 」,「感 資 的 素 乱 」,「浮 誇 的 緊 張 」 の 四 つ に 分 け て い る 。 そ して,結
論 と
して次 の よ うに言 うの で あ る。
76)『 朱湘 散 文`上,p.168。[聞
君,我 柄 可以 説,一 鮎 判 断 力 也 洩 有 」 と あ る。
77)『 朱 湘 散 文`上,p.17鬼
一249一
聞 君 的 詩,我 椚 看完 了 的 時候,一 定會 獲 見一 種 奇 異 的 現 象,便 是音 樂
性 的 敏 乏 。無 音 樂 性 的 詩!這
決 不 是 我 潤 所 以 能 想 像 得 出來 的 。詩 而
無 音 樂,那 簡 直 是與 花無 香 氣,美 人 無 眼珠 相 等 了,那 時 候 如何 能成 其
爲 詩 鳴 ≡・一 因 爲 音 節 是 指 着 詩 歌 中那 種 内 在 的 與 意 境 融 合 而 分 不 開 的
節 奏 而 言 的 。 正 因爲 他 映 乏 音 樂 性的原 故,我 個 才會 一 直 只 膿見他 吃力
的 窟,再 也 没有 聴 得 他 自在 的 唱過 的 。 這是 聞君 的致 命 傷,這 比 上面 所
説 的 那 種好 怪 的傾 向嚴 重 得 多 了 。
と7㌦ 初 め に短 所 と長 所 と を 言 う と断 り な が ら,短
長 所 に つ い て は,わ
所 ば か り を列 挙 し て,
ず か に 「玄 思 」,「小 漢 」,「也 許 」,「伯 夷 」 の 四 篇 の 詩
が 独 創 的 だ と す る だ け で あ る79〕
。 「音 楽 性 の 欠 如 」 が 「想 像 力 の 欠 如 」 を
助 長 し て い る と い う こ と に な る と,聞
一 多 の 主 張 す るr格
律 詩 」 にお け
る,
・我 個 才 畳 悟 了 詩 的 實 力 不 濁 包 括 音 樂 的 美(音 節), 給董 的美(詞
藻),井 且 還 有 建 築 的 美(節 的句 稔和 句 的 均 齊)。
と 言 う8①時 の 「音 楽 的 美 」,「絵 画 的 美 」,「建 築 的 美 」 の 三 本 柱 の うち の 一
本 が 欠 け る こ と に な9,「
で あ る 。 し か も,時
詩 的 格 律 」 は 成 立 し な い こ と に な っ て し ま うの
期 的 に は,聞
一 多 の 「詩 的 格 律 」 発 表 の 三 目前 と い う
こ と に な り,敢
え て 先 回 り を して 聞 一 多 の 論 を否 定 し て 見 せ た こ と に な
る 。 し か し,朱
湘 の 主 張 に は 一 理 あ る と思 わ れ る 。 聞 一 多 の 詩 に 音 楽 性 が
欠 如 し て い る こ と に つ い て,フ
一 多 の 『紅 燭 』 所 収 の 詩
レ ッ チ ャ ー の 「ブ ル ー シ ン フ ォ ニ ー 」 と 聞
,目「色 彩 」 と を 比 べ た こ と が あ る鋤 が,確
湘 の指 摘 は 当 を 得 て い る 。 聞 一 多 は,そ
ず,「 詩 錨 」No.9(1926年5月27目)に
78)『
朱 湘 散 文 」 上,p.178。
79)『
朱 湘 散 文 』 上,p.178-180。
80)注35に
81)早
れ に対 す る論 理 的 な反 論 を行 わ
多分 に街 学 的 な 意 味合 い を持 っ
よ る 。
稲 田 大 学
日 本 語 セ ン タ ーrセ
か に朱
ン タ ー 報 」No・15,1996・3・p・11
-25D一
評 論 「詩 人 的横 蛮 」 を掲 載 す る こ とで,反 論 と した が,内 部 に在 る者 以
外,論
旨 が分 か りに目
くい の が難 点 で あ る。
一 方 ,朱 湘 は 後 に,「 劉 夢 葦與 新 詩 形 式 運 動 」 と題 す る論 文 の 中 で,
我 還 記 得 當 時夢 葦 在 報 紙 上毅 表 的 《寳 創 之 悲 歌 》,立 刻 告訴 聞 一 多1
引起 他 封 此 詩 形 式 上 的 注 意.後 來 我 又 向 聞 一 多 極 力 稻 賛 夢 葦 く(孤
雁
集 》 中"序 詩"的 形 式 音 節 。 以 後 聞 一 多 同我 祖 在 一 方 面 下 了鮎 工 夫 。
《詩 刊 》辮 了 以 後,大 家 都 這 穣 作 了 。
と し て,「 詩 鑑 」 同 人 が 新 詩 の音 節 の 研 究 に 入 っ て 行 く事 情 を語 る 鋤 。 ま
た,彼
が 「詩 錨 」 と挟 を 分 か つ原 因 を話 す 。
我 終 子 與 《詩刊 》決 裂 了 。關 干 此 事,我 曾 煙 同夢 葦用 飽件 往 返 討 論 過
多 次 。他 有一 封 信 爲 得 極 其誠 懇,裏 面 説 他 知 道 徐 志 摩 油 滑,不 過 逼 干
情勢
不得不縄績 下去一
可 憐 的 夢 葦,他
那 想 得 到 那 班 知 道 《詩 刊 〉>
内 情 的 人 不 軍 不 肯 在 池 死 後把(〈詩 刊 》眞 相 公 布 出來 井 且 還 有 人 要 否 認
他 作 詩人 曙?
と93}。朱 湘 の 徐 志 摩 に対 す る 評 価 は総 じて 低 く,
我當時巳脛看透了那副刊的主筆徐志摩是一個假詩人,不 過覚借學閥的
積勢以及讃衆的淺随在那裏招揺 。
と か 囲,
徐 君 没有 注 静 之 的 璽 感,没 有 郭 沫 若 的 奔 放,没 有 聞 一 多 的 幽 玄,没 有
劉夢 葦 的清 秀,徐 君 只 有 一
借用徐君朋友批評徐君的話一
浮淺。
とい う こ と に な る 辟)。詩 人 の 発 言 に も 耳 を貸 し て も よ い か も しれ な い ・
82)P朱
湘 散 文 』 上,p.199。
S3)ア
朱 湘 散 文4上,p.200。
84)『
朱 湘 散 文 』 上,p.200,
85)「
蕩 冷 翠 的 一 夜 」,『 朱 湘 散 文 』p.203。
一 251一
お わ り に
以 上 眺 め て き た よ う に,「 栗 蓮 曲 」 は,「 昭 君 出 塞 」 と並 ぶ,朱
湘 の民 歌
を 換 骨 奪 胎 し た 嘗 試 的 作 品 の 集 大 成 で あ っ た 。 先 に 聞 一 多 に よ る類 似 し た
詩 題 は あ っ た が,「 詩 鏑 」 同 人 た ち に と っ て も,朱
う一 種 の メ ル ク マ ー ル を 得 て,同
湘
「古 代 的 民 歌 」 と い
系 統 の詩 を大量 に生 み 出す 契 機 に な っ た
と言 う こ と が で き よ う。 こ の 作 品 の 発 表 と ほ ぽ 時 を 同 じ く して,聞
一 多,
徐 志 摩 と の 間 に 亀 裂 が 入 っ た 。 そ の 出 発 点 は,彼
ら の 間 に 生 じた,詩
お け る 根 本 的 な 矛 盾 の 露 呈 と い う の で は な く,一
種 の人 間関 係 にお け るそ
れ で あ っ た 点 に特 徴 が あ る 。 胡 適 と は す で に 疎 遠 に な っ て目
い た が,彼
論 に
は徐
志 摩 ・聞 一 多 と の 関 係 に も ヒ ビ を い れ る こ と に な っ た 。 これ が 朱 湘 の 将 来
に 暗 雲 を も た ら す こ と に な ろ う と は,彼
し か し,聞
は知 る よ し も な か っ た で あ ろ う。
一 多 は あ る 時期 が 経 過 す る と・ 饒 孟 侃 ほ どで は な か っ た に せ
よ ・ 朱 湘 と の 付 き合 い を復 活 し,.そ れ は 朱 湘 が 投 身 自殺 をす る ま で続 い た
の で あ った 。
な お,本
稿 では 主 と して朱 湘 の民 歌 系 の作 品
「採 蓮 曲 」 を取 り上 げ,他
の 長 詩 や ソ ネ ッ ト等 に は 触 れ 得 な か っ た 。 む ろ ん,彼
書 い て い る 。 こ れ に つ い て は,機
本 稿 は,1998年
人 と 日本 一
は所 謂
「方 塊 詩 」 も
会 を改 め て論 じ る こ と に した い 。
度 早 稲 田 大 学 特 定 課 題 研 究98A-687号,「
『新 月 派 』 同
胡 適 ・徐 志 摩 ・聞 一 多 を 中 心 と し て 」 の 一 環 と し て 執 筆 し た
もので あ る 。
一252一
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