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スティグマ∼たんぽぽの子供たち

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スティグマ∼たんぽぽの子供たち
スティグマ∼たんぽぽの子供たち∼
朏 天仁
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
http://pdfnovels.net/
注意事項
このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ
テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。
この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また
は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ
ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範
囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し
ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。
︻小説タイトル︼
スティグマ∼たんぽぽの子供たち∼
︻Nコード︼
N3596BI
︻作者名︼
朏 天仁
︻あらすじ︼
しるし
スティグマ︵Stigma︶:語源的にはギリシア語で肉体上の
徴を意味する。
﹁穢れたもの・避けられるべきものである﹂ということを、第三者
に知らせるのを目的として、奴隷・犯罪者等の身体上に押された烙
印のことを指す。
精神医学用語においては個人が持っていて、それがその人の社会的
受容に深刻な否定的影響を与える、いわゆる汚点・欠点・ハンディ
1
キャップ・制限・制約などのこと。具体的には、様々な肉体的・精
神的障害・精神病歴・犯罪歴などがある。
西暦2024年に終結した第二次水戦争。それから数年後、日本
は47の国家が集まった独立国家共同体﹃日本連邦﹄として建国を
あみん
果たした。日本連邦内では市民より下に社会不適合者︵亜民︶がい
る。亜民として生活している月宮 亮は、冷たい差別を受けながら
も同じ亜民達と一緒に共同生活施設﹃たんぽぽ﹄で生活を送ってい
た。
皆は二重人格、パニック障害、PTSD、知的障害といった、社
会生活に制限を持ってるが、暖かい時間がそこには流れていた。あ
あおい
る日、亮達の暮らす﹃たんぽぽ﹄に新しい仲間が入ってきた。銀髪
の少女の名は葵と言う。失語症を患い、筆談をしながら皆と打ち解
ける葵だったが彼女には秘密があった。そんな葵が来た事で亮は再
び自分の過去と向き合うことになる。亜民に堕ちる前まで準バウン
ティハンターに従事していた亮は、ある事件で心に深い闇を抱えて
いた、人ではない彼は、人間として生きることを望むが、過去は残
酷にも亮を苦しめる。
2
裏切り者
日本連邦の東京霞ヶ関は連邦政府を統治する中心地であり、それ
を象徴するかのように無数のビル群がそびえ建っている。
真夜中を過ぎてもビルの明かりは星の数ほど灯っていた。無数に
あるビル群の中に周りとは少し違ったビルが一棟建っている。6階
建て全てのガラスにスモークが貼られ、3、4階の﹃賃貸オフィス
あり﹄と貼られた階には何故か明かりが灯っている。しかもベラン
ダには中華鍋くらいのパラボラアンテナも設置されていて、人がい
スパイ
ないはずの階におかしいくらい人の生活感が感じ取れた。
一般人が見れば少し違和感のあるビルだが、プロの諜報員が舌を
巻くほど中の情報が一切漏れない徹底振りが施された要塞ビルだ。
全ての窓ガラスに特殊な電磁盗聴波防護シートが貼られ、内部の
通信網は独自のネットワークサーバーを地下に構築し、規格外のフ
ァイヤーウォールで守られている。
しかもこのビルの電力は静止衛星上にある送電衛星から送られて
くるマイクロ波によって電力を確保している。ベランダに設置され
ていたパラボラアンテナは実はマイクロ波の受信機になっていて、
そこからマイクロ波を電力変換しているのだ。
これは宇宙太陽光発電システムの技術が応用されていて、太陽が
存在する限り半永久的に電力を確保できる構造になっている。外界
からの電力供給が独立しているため、万が一送電線や発電所がテロ
や災害で損傷を受けてもこのビルだけは電力の影響を全く受けない
のだ。 そのビルの中では、外の静寂と打って変わって騒然としている。
30人ほどが入る一般的なオフィスの中を分厚い書類の束を抱えた
男たちが右往左往と走りまわり、鳴り響く電話、罵声、怒号が飛び
交っている。
3
その渦中の中で、唯一軍服を着た男が中央の机に座っている。男
は真っ赤な顔で怒鳴り声を上げている。
むらおか けんぞう
机を叩き、受話器に向かって罵声をあびせているこの男の名前は
村岡賢三。
日本連邦東京本部対外戦略局の局員で階級は三尉。40代前半の
中肉中背、角刈り頭で眉間に深いシワを寄せていた。
生粋の軍人一家の出でもあり目立つ特徴として、左頬から首の付
け根まで伸びる裂傷痕だ。
﹁バカヤローッ!! 市ヶ谷の連中は何しってやがったんだ。演習
じゃあねんだぞ。何のためにテメェらが今まで訓練して来たと思っ
てやがるんだ。今この時のためだろう、ああ。ふじゃけんじゃねぇ
ぞテメェは﹂
﹃ハッ! 申し訳ありません。ですが三尉、我々の元に降りてくる
情報があまりにも、その、不確定要素が多く、精査するに時間がか
かり過ぎるのであります。それに、この失態は市ヶ谷の人事部のミ
スです。我々にその責任を︱﹄
﹁言い訳はするな! 聞きたくないし、聞いたって何とも思わんぞ
!!﹂
﹃ですが三尉、こちらの人員にも限りがあります。一条の奴は、ず
っと前からこの計画の準備をしていたに違いありません。演習期間
中の我々の盲点を付くとは、半年やそこらでは無理なことです﹄
バディ
アンダーカバー
﹁そんな事は言わずともわかっとるわ! 2年近くあいつと一緒の
バディ
相棒を組んでいたのに、今まで潜入捜査官だと疑いもしなかったお
前が言うな!﹂
﹃お言葉ですが、相棒を疑わないのは当然であります﹂
﹁貴様、上官の俺の意見に文句があるのか?﹂
﹃いいえ、そのようなことは決して⋮ですが⋮⋮部隊内でのことで
もあり、そのことは︱﹄
電話の相手は言葉を濁したが、言っている事はもっともだと村岡
も理解していた。
4
しかし、この想定外の状況化の中ではどうしようも出来なかった。
﹁まあいい、不問にしておく。奴はまだこの東京からは出ていない
はずだ。全ての公共交通機関をはじめ、ヘリまで出動しているんだ。
見つかりませんでした。では通らんぞ﹂
﹃ハッ! 理解しております。ですが、衛星さえ使えれば30分足
らずで発見できたはずなのに、一条の奴、まさか衛星コードまで入
手していたとは、敵ながら見事です﹄
﹁関心している場合か!! 貴様らに残された時間はあと3時間も
無いんだぞ、もし奴が国境を越えて隣国に逃げ込んだりしたら、今
後の我々の追跡がさらに困難になってしまうだろう。そうなる前に
奴を見つけて、<あれ>を回収しろ。わかったな!﹂
相手の返事を聞かず、勢いよく受話器を戻した。
﹁クソ、クソ、クソッタレが! どうしてこうも状況が最悪の方向
に向かうんだ。クソが﹂
苛立ち、無意識に貧乏ゆすりが始まる。
少し落ち着こうと一度深呼吸をしてみる。だが回りを見渡せば、
みな誰も彼も同じ状態だった。電話越しに頭を下げる者や、早口の
英語で怒鳴っている者、ここにいる全員が電話や情報確認に追われ、
誰一人冷静に周りをみてる者はいなかった。
﹁まったく、とんでもない事をしてくれもんだぜぇ﹂
ため息を一緒に漏らすと、机の電話が再び鳴り出した。
静かに受話器を取った村岡は、相手の声を聞いた瞬間表情が強張
った。それは今一番聞きたくない相手からの電話だったからだ。
﹃ワシだ。話がある、すぐに上がって来い﹄
それだけ言うと、向こうから電話を切ってしまった。
こうべ
﹁はあ∼、とうとう死刑判決かよ⋮﹂ ガックリと頭を垂らし、受話器を戻した村岡はポツリと呟いた。
そしてそのまま騒然とする部屋を後にすると、一人エレベータホー
ルへと向かって行った。
局長室とプレートが掛かったドアの前まで来ると、村岡は一度大
5
きく深呼吸をした。
﹁さて、いくか﹂
意を決し、ノックも無くドアを開けて中に入る。
部屋の中は暗く、部屋の広さもわからない。
一つだけ灯っているライトが、奥の人物を頭上から照らし、人型
のシルエットを作り出している。
その背後にはズタズタに裂けた、連邦国家前の旧日の丸国旗が掲
げられている。
奥の人物は口元で組んだ手に顔を乗せているが、ライトの影で表
情がうかがい知れない。
薄く見える顔の輪郭にシワの凹凸が分かるくらいで、後はこの人
物は男という事だ。
男はノックも無く入ってきた村岡に注意することなく。ただ一言、
﹁とんだ失態だな﹂
はりま
低音でかすれた声に、村岡は深く頭を下げた。
﹁⋮⋮申し訳ありません。播磨局長今回、このような事態を招いた
責任は全て私にあります。連邦軍事法廷でいかなる処分が降りよう
と、あまんじて受け入れる所存であります﹂
﹁顔を上げろ。まずは、貴官の報告を! 簡潔にな﹂
コスモスター・アイズ
﹁ハッ、今回の状況を招いた一条軍曹は秘密裏に全衛星コードを入
手し、広域多目的情報収集衛星群の目を潰し、総合演習中で人員が
減った第5研究所に進入。偽造パスと研究員一人を使い、収監中の
L−211を連れ出すことに成功。現在は所在不明であります﹂
﹁ほう﹂
﹁なお、奴に加担した研究員はゲート付近で遺体を確認。そこから
逃走ルート割り出し、第2警務隊に追跡を行っております。ただ、
奴はまだこの東京近郊にいることは間違いありません﹂
﹁そうか⋮あの状況から、発生後たったの3時間でここまで部隊展
開できるとは、貴官が優秀なのは理解できた﹂
﹁ハッ、ありがとうございます﹂
6
ろう
局長の言葉に、最悪な方向は回避できたと村岡は軽く安堵した。
もっか
﹁それで、入手したとされる衛星コードの漏えい元は?﹂
﹁目下捜査中であります﹂
﹁協力者の関係は?﹂
﹁捜査中であります﹂
﹁特秘級のL−211の情報を、一条軍曹は何故知っていた?﹂
彼
﹁それも、捜査中であります﹂
﹁では、ここ3ヶ月間の一条軍曹の通信履歴の確認は?﹂
﹁それも、捜査⋮あっ⋮﹂
村岡は、一番重要な情報を見落としていた事に気がついた。もう
言い逃れはできない。すでに播磨局長は村岡のミスに気付いている。
下手に言い訳をすれば、さらに立場が悪くなる。長年の経験から
村岡はそう判断した。
﹁申し訳ありません。見落としてしまいました。すぐに通話履歴の
確認と、サーバーに保存されている音声ファイルの捜索を行います。
朝までには結果をご報告できるかと﹂
ナイトウルフ
﹁いいや、それはもういい。こっちで調べがついている。それに、
もう彼を追う必要はないのだよ﹂
﹁そっ、それは⋮どういう意味でしょうか?﹂
村岡の心拍数が一段と速くなる。
ちょくめい
﹁言葉通りだよ。今回の件に関して、発生直後に亡霊犬を放った。
ワシの勅命でだ。そして40分ほど前報告を受けた。先に結果を言
えば一条軍曹を射殺した。あと数分もすれば貴官の部下が彼の遺体
を発見するだろう﹂
﹁⋮いいえ、もう来ております﹂
ポケットから出した村岡の携帯が、ブルブルと鳴り続けている。
﹁ほっほう、貴官の部下も優秀だな﹂
表情は見えなくても、播磨の言葉からは軽い皮肉が込められてい
る。村岡は表情に表れない程度に奥歯を噛み締めた。
﹁さて、本題に入ろうか。貴官をここに呼んだのは、何も今回の失
7
態について責任を追及するためでわない。貴官の班だけで、ある極
秘任務を受けてもらいたい﹂
﹁ハッ、喜んで。どういった任務でありますか?﹂
ナイトウルフ
播磨局長は机の引き出しからICレコーダを取り出すと、スイッ
チを押した。
﹁これは彼が亡霊犬の追跡を交わし、再び発見されるまでの携帯の
通話記録だ﹂
スピーカからは軽い雑音が混ざった声が響きだす。
﹃はぁっ⋮はぁっ、はぁっ、うぅぅ⋮⋮こちらタジカラオ、作戦は
成功した。アマテラスは無事⋮だ﹄
スピーカから聞こえる声は、間違いなく一条軍曹の声だ。どこか
負傷していのか、今にも消えそうな声を必死に出しているようにも
聞こえる。
﹃ご苦労。では予定通りアマテラスを回収ポイントへ、そこで落ち
合おう﹄
﹃それは、⋮無理だ。もう⋮無理だ、俺はもう・・・・・・﹄
﹃では現在地を言え、我々が回収に向かう﹄
﹃それも⋮無理だ。ア⋮アマテラスは⋮野に、もう⋮⋮野に放った。
へっへっへっ、がはぁ、ゴホォ、ゴホォ﹄
﹃何? どういう意味だ、ダジカラオ?﹄
いわと
﹃あいつらも、あんたらも⋮目的は同じだろ。アマテラスを⋮また
岩戸に閉じ込める⋮あいつは⋮あいつは、ゲホッ。ゲホッ⋮・・・
北欧神話のおとぎ話を信じて⋮おまえ達のエゴの為に⋮これかも閉
じ込める事は⋮知ってる。ケホッ。おっ、俺は許された、俺の魂は
⋮はぁ、はぁ、アマテラスに⋮許されたんだ。だから、だから⋮・・
・はぁっ、はぁっ、渡した、あいつに未来を、はぁ、はぁ、自由に
した。アマテラスはもう自由になった﹄
﹃愚かなことをしたな、我々はすぐにアマテラスを見つけ回収する。
我々の力を侮ったな。お前の行動は、結局は無駄な努力だったな﹄
﹃そうはどうかな⋮はっはっはっ、アマテラスの向かったさきに、
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強力な番犬がいるぜ。あんたらの組織が束になっても勝てないぜ、
気を付けることだ。あれは、あいつは⋮﹄
﹃⋮⋮そうか、もういい﹄
﹃はっ、はっ、はぁ⋮⋮っ﹄
彼
一条軍曹の声がだんだん小さくなると、突然一発の銃声が鳴り、
音声が終了した。
﹁以上だ。警視庁への根回しは既に完了した。一条軍曹の問題は解
決、だが︱﹂
﹁わかっております。直に電話の相手、及びアマテラスの捜索続行
を開始します﹂
﹁ふむ、意気込みは結構だが。事態は悪い方へと向かっているのだ
よ﹂
﹁それは、どういう意味でありますか?﹂
﹁先ほど、外務省経由で来た情報によると。どうやらアマテラスの
情報が漏れたようだ。ルーマニア王国の﹃東方シオネス十字教会﹄
黒鐘の赤い十字架
から、神父と登録不明のシスター2名が日本連邦に向けて飛び立っ
たそうだ﹂
﹁なっ、⋮⋮なんですって。あの東方シオネス十字教会が、わが国
に﹂
その名を聞いた瞬間、村岡の頬の古傷が軽くうずき出した。
﹁そうだ、早ければ明日の夜には到着するだろう﹂
﹁奴らが、来る﹂
村岡は、無意識に頬に手を当てていた事に気づいた。指でゆっく
りと傷跡をなで始めると、かつて彼らと対峙した時の記憶がフラッ
ほくべいどうごうげんまどうしだん
シュバックのように蘇ってくる。
第一次極東戦争中に、北米統合幻導師団の中でも特に残酷な部隊
の一つであった東方シオネス十字教会。自らの魂を聖獣と同化させ
る事によって、無尽蔵に術式を発動させる黒装束の神父と、異端者
を慈悲無く皆殺しにする武装シスター。彼らの力を世に知らしめた
のが、開戦後日本海進行に伴い、前哨戦の対馬に14人の神父と2
9
3人のシスターが投入され、わずか2日で対馬を制圧したことだっ
た。
くろがね
捕虜になった8割の島民を皆殺しにした事は、終戦まで公にされ
ることはなかったが、同盟軍の中からは、その残忍性から﹃黒鐘の
赤い十字架﹄と呼ばれるようになった。
村岡は大戦中、二度彼らと戦いその圧倒的な強さの前に多くの仲
間を失い、成すすべなく領土を蹂躙され続けた悔しさを、未だに忘
れてはいなかった。
また、連中の強さを一番よく知っているだけに、今回の任務継続
が困難になることが予想された。
﹁我々の作戦に、想定外の問題が発生しました。今後の作戦事態に
も、大まかな変更も余儀なくされるでしょう﹂
﹁貴官の心配はもっともだ。実戦経験から過小評価はしてないだろ
うが、今回は問題ない。連中には陰陽師を相対させる。リスクは最
小限になるので安心しろ﹂
﹁陰陽師を⋮馬鹿な! っあ、失礼しました。ですが、陰陽師は︱﹂
驚きを隠せない村岡に対して、播磨は微笑を浮かべている。顔に
影がかかっていてもハッキリわかる程に。
ごぎょうほういんきょく
﹁無理です。確かに奴らにとっても陰陽師は天敵といえるでしょう。
しかし、彼らは軍人ではありませんし、第一﹃五行法院局﹄の役人
どもが黙っていませんよ﹂
﹁問題ない。今回、五行法院局は一切関与しない。安心したかね。
後で後方支援要員として、一人来ることになっている﹂
連邦内の陰陽師を総括する機関﹃五行法院局﹄は、世界でも屈指
の力を持つ陰陽師達を政治、軍事、外交に利用されないよう監視監
督する目的で設置された独立機関だ。
大戦の当初は軍事的不干渉を理由に中立を保っていたが、幻獣達
の圧倒的な力の前に、自分達の聖域に危機を感じ始めると、一部の
陰陽師一派が軍部と協力し武装陰陽師として前線に投入され始めた。
終戦後、武装陰陽師は禁忌を犯したとして、一族末端にいたるま
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で粛清されてしまった。その為、五行法院局の許可が無い限り、陰
陽師を今回の任務に使用することは不可能に近い。
﹁どういう事ですか? 我々に黙って協力する陰陽師がいるのです
か?﹂
﹁詳しくは教えられんが、全ての陰陽師が連中のいいなりになるの
を望んでいるわけではない、っとだけ言っておこう﹂
﹁しかし、それでも万が一今回の作戦が表に出たら我々全員が国家
反逆罪で銃殺ですよ﹂
﹁くどいぞ! そうならない為に優秀な貴官を指揮官にしているの
だよ。詳細については後ほど連絡するとして、早急に部隊編成を行
いL−211を回収せよ! もし失敗すれば、日本の真の独立は遥
か先に遠のくだろうな﹂
﹁ハッ! 了解しました。では局長、失礼します﹂
敬礼を済ませると、足早に部屋を出る。ドアを閉めたところでど
っと重たいものが体に伸し掛かってくるのを感じると、村岡は大き
な溜め息を漏らした。
﹁とりあえずは、無事でなりよりだった﹂
自分に言い聞かせると、腕時計で時間を確認する。時刻は午前3
時を変えようとしていた。
﹁もうすぐ夜明けだって言うのに、おれの夜明けはまだ先のようだ
な﹂
下のオフィスに戻りながら、村岡は携帯を取り出した。
﹁俺だ。一条軍曹の捜索は終了だ。指揮本部は解散だ。それと藤本
と柴崎の班に本部に戻るように連絡しとけ、⋮ああそうだ。別の任
務だ﹂
部下と連絡を取りながら、村岡は当分先逢えないであろう娘の事
を考えていた。
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独立国家共同体﹁日本連邦﹂誕生
ワケ
それほど遠くない昔に、日本は世界を相手に戦争をした。別に日
本が戦争をしたかった理由ではない。戦争を起こす者は、戦争には
大義名分があるなどとよく言ったものだ。人権、人種、国家、宗教、
思想、平和といった具合に理由なんて幾つもあった。
ただし、その根幹には必ずといっていいくらい﹃利権﹄の思想が
あった。いつの世も、自分達の益なる事のを相手に従わせる最終手
段が﹃戦争﹄だ。
2019年に日本を巻き込んだ戦争もその一つだった。始まりは
2018年、地球規模で真水が不足し始めた事に端を発する。
地球の約7割は海であるが、その中で人間が飲み水として使える
のはわずか1%にも満たない。64億人の人間にとって、飲み水が
無くなるという事は死を意味していた。
その結果、真水は石油以上に価値のある資源として取引される事
になる。それまで資源のない日本が、豊富な水資源を利用した資源
大国になるのに、そう時間は掛からなかった。
しかし、日本や他の水資源保有国が水市場を独占する事を好ましく
思わない国があった。石油利権の恩恵を受けてきた中東や米国、そ
れに発展途上国の国々にとっても水が牛耳られる事の危機感を抱い
ていた。
最初のうちは、各国も大人なしくしていた。外資系ファンドが水
しれつ
資源国の排水権や貯水権を買ったりして上手く均衡を保ってきた。
しかし、真水の枯渇が一層深刻化してくると、国家間で熾烈な水争
奪戦を繰り広げる事になった。そしてついに2019年12月24
日欧州随一の水保有国であるフィンランド・スウェーデンの水資源
ロスト・デッセンバーイヴ
を狙って、欧州とアラブ諸国との間で戦争が勃発した。
欧州・アラブ戦争を皮切りに、2ヶ月後の2月11日ついに戦争
12
の波が大陸を飛び越え、日本に襲来した。
水戦争
日本の水資源を狙らって、ロシア、中国、東南アジアの軍隊が日
本の領海を侵犯。第一次極東戦争が勃発した。当初日本側が劣勢に
立たされていたが、在日米軍の協力を受けて徐々に優勢に持ち越し、
1年後にロシア・中国の休戦協定によって不可侵条約を結び戦争は
終結した。しかし、3ヶ月後米国が一方的に日米同盟の集団的自衛
権行使の変更を決定。その気に乗じてロシア・中国が不可侵条約を
破棄、2021年5月2日第二次極東戦争が勃発。米軍の援軍なく、
日本はそのまま3年半戦闘を続けるが遂に2024年12月14日
無条件降伏を受理する。
この戦争の裏に、科学を超越した聖術、魔術、陰陽道、異端呪術
による呪術戦争があった事を知る者はごく一部だけだった。
その後、日本の水資源は極東・東南アジアの3年10ヶ月に及ぶ
実行支配を受けることになる。国民には他国の支配を受ける事より
も、自分たちの飲む水が制限される方が深刻だった。
いくら耐え忍ぶ日本国民でも、生きるための水を奪われる事は死
活問題であり、弱い者たちから順に命を搾取されるに等しかった。
故に、日本国内では毎日のようにデモや暴動の嵐が吹き荒れた。
中には暴動鎮圧の名で殺された者も少なくなかった。
転機が訪れたのは2028年10月、欧州資源機構とユーロ中央
エネルギー省が共同開発した次世代型プラントの稼動により、世界
各国への真水の安定供給が可能になった。国連はこのプラントの権
利を世界各国に譲渡し、十年近くに及んだ水戦争はようやく沈静化
へと向かうことになった。
水資源の安定供給と、真水価値の下落によって日本を実行支配を
していた国々は、翌年の7月に条件付きで日本の独立を認める事に
なる。その条件とは、日本の47都道府県全てを一つの国として独
立させる事だった。つまり日本は47の国にバラバラにされるとう
いう事だ。
当時の日本政府に拒否権はなく、無条件で受け入れるしかなかっ
13
た。こうして日本はバラバラになりながらも実行支配から解放され
た。
そして、翌月の8月に行われた列島総選挙において、当選した各
国の代表者たちが一同に集まり協議した結果。日本を47の共同国
家が集まった一つの国にすると宣言。
無論、隣国や諸外国は反対したが、国連での米・英の後押しもあ
り主権国家として認める決定がくだされた。
そして遂に、2029年8月15日に日本を47の小国が集まっ
た独立国家共同体、﹃日本連邦﹄として建国を果たすことになる。
戦後の日本連邦では、2つの新しい法律ができた。一つは国同士
あみん
を超えて犯罪者の追跡捜査が行えるバウンティハンター制度︵通称:
BH法︶もう一つは、亜民と呼ばれる一般市民の中からこぼれ落ち
かも
た社会生活不適合者の強制自立支援を目的とした、社会不適合者自
立支援法が施行された。
後に、この二つの法律によって日本連邦内で様々な物議を醸し出
す事になるとは、この時だれも想像はしていなかった。
14
独立国家共同体﹁日本連邦﹂誕生︵後書き︶
世界設定でここまできてしまいました。主人公の月宮亮やその家
族の話は次の章で始ると思います。多分・・・︵´Д`;︶
ともあれ、ここまで読んでくださって本当にありがとうございま
す。
なるべく早く次の話を出したいと思ってます。どうどよろしくお願
います。
15
フルート
かみさと
西暦2043年7月2日、埼玉県北部地区にある上郷町は、第一・
第二次水戦争の戦火を免れた数少ない町の一つだ。四方を山で囲ま
れていて、町への通路は主に国道を通る車かバスしかない。
うたいもんく
自然豊かなこの町は、埼玉県内有数の別荘地と観光地でもある。
町長もこの豊かな自然を謳文句にした土地の誘致を行い、町の財源
のおよそ4割を不動産業と観光業が担っている。
かくり
静かで自然豊をアピールする事は、聞こえはいいかもしれないが、
しぜんかんきょうそくしんこういきじゅさんしせつ
裏を返せば誰かを隔離させておくにはうってつけの場所と言える。
現に上郷町は、連邦政府公認の自然環境促進広域授産都市10ヵ
あみん
年計画︵別名:新エメラルドプラン21︶のモデル地区に認定され
ている。簡単に言えば、社会生活を営む事が難しい亜民を、人里離
れた山奥に押し込み知らぬ存ぜんを押し通せる制度だ。
町中のいたるところに、職業訓練施設やリハビリ施設、居住施設
じんみんやま
みやこしま
に就学施設が整っている。様々な施設がある中で、上郷町を囲む山
の一つ﹃神民山﹄の中腹に﹃都島リハビリセンター﹄があった。
廃校になった木造校舎を町が買取り、中身を一新させて技能能力
開発施設として利用されている。主に音楽や芸術分野の能力開発に
重点を置いている。一つのクラスには一人の担当講師と、数人の亜
民生徒が講習を受けている。
かみやともこ
その施設の2階の奥に古い音楽室があり、そこから綺麗な音色が
廊下の方へと響き渡っていた。
部屋の中では、ここのセンター講師である神矢朋子がフルートを
奏でている。
亜麻色のウエーブのかかった長い髪に、薄桜色のノースリーブの
ワンピースから伸びる色白の細い腕と、日本人離れした細い長身に
整った顔立ちは、誰もが一瞬その容姿に足を止めるほどだ。しかも、
16
フルートを美しく奏でる事で彼女の魅力を一段と引き立たせている。
﹁今のが﹃アルルの女﹄よ、この夏が終わるぐらいまでには吹ける
ように目指すのよ。坊や﹂
つきみやりょう
﹁あの∼、その坊やって言うの⋮いいかげんやめてくれませんか。
俺、これでも19なんですけど﹂
神矢講師の演奏を隣で聞いていた月宮亮は、苦笑いしながらポリ
すそ
ポリと指で頭を掻いている。目元を覆い隠すほどの前髪と、細く華
奢な身体に、Tシャツの裾が何箇所か擦り切れた姿は、いかにも草
食系男子と言えるだろう。
﹁何いってんのよ! あんたは私より年下で子供みたいなもんのな
んだから、坊やに変わりないでしょう。実際子供なんだし﹂
﹁俺が言いたいのは、せめてその坊やって言うのを、名前に変えて
もらいたいってことですよ﹂
﹁あぁ、無理! ダメ! ボツ! 却下! はい終了! 私より上
デュオ
手く吹けるようになったら呼んであげるわ。はい、それじゃー今度
は一緒に二重奏にしてみましょう﹂
﹁はあ、ホンット一方的だよな⋮﹂
﹁何か言った! つべこべ言わない、はい始め!﹂
﹁⋮はいっ﹂
神矢講師の合図で亮は譜面台を直し、息を吸い込みフルートを口
デュオ
にあてた。タイマーセットされた電子メトロノームがカチカチとリ
ズムを刻み始めると、タイミングを合わせて二人の二重奏が始まっ
た。
曲はさっき彼女が美しく奏でた曲﹃アルルの女﹄だ。最初の出だ
しの音が重なると、低音からいっきに音が高くなる。と、すぐに演
奏が止まった。
﹁違う違う! そんな強く吹いてどうするの、もっと優しく吹くの
よ﹂
﹁えっ? 吹いてますよ﹂
﹁違う! 坊やのは音を出してるだけ、楽譜を見て次の音に合わせ
17
てないの。はい、最初からやり直し!﹂
﹁ええ、あの、もっと分かりやすく説明してください﹂
﹁さっきあたしが吹いた曲を、ちゃんと耳で聞いてれば分かるはず
よ! 楽譜を見てリズムを掴むの。はい始め!﹂
﹁はいはい﹂
﹁返事は1回!﹂
﹁はいっ!﹂
納得がいかない顔で、再びメトロノームのリズムに合わせて演奏
を始めてみるが、またしても結果は散々だった。
﹁ダメダメ、ただ吹けばいいってもんじゃないのよ坊や! 複式呼
吸からだされる息を、唇の微妙なさじ加減で調整しながら音をコン
トロールするの、そして楽譜の中で音を切る所と、繋げる所をよく
見るの、ちゃんと音符読んでるの?﹂
﹁あの∼、俺音符読めないから上に書いてもいいですか?﹂
﹁なっ何てことを、ダメに決まってるでしょう。そんなのは小学生
かド素人がするものよ、私の生徒にそれは認めません! ちゃんと
音符は覚えないとダメよ﹂
﹁はぁ∼、面倒くせぇな﹂
つい、ため息と一緒に本音がこぼれてしまった。この神矢講師は
普段は上品で物静かな人ではあるが、こと音楽に関して180度性
格が変わって、スパルタ式に変貌してしまう。
亮がここでフルートを習い始めて3ヶ月、最初は亮の他にあと2
人亜民の生徒がいたが、一週間もしないうちに一人はクラスを変わ
り、もう一人はここに来なくなってしまった。それから現在まで、
このクラスは実質亮一人だけとなっている。
﹁それじゃーっもう一度吹くから、よく聴いとくのよ。わかった!﹂
﹁⋮はい﹂
わけ
あおざきれいこ
亮がここでフルートを習い始めたのは、別にフルートをやってみ
たかった理由ではなかった。
亮が生活している施設﹃たんぽぽ﹄の管理人兼主任の蒼崎玲子が、
18
神矢講師の親友である事から始まる。
とっぴょうし
3ヶ月前﹃亮くんって、意外とフルートが似合うかもしれないか
も﹄と突拍子もない事を蒼崎玲子が言い出し、その日の内にここに
ゼロ
連れて来られ、半ば無理やり入門されてしまったのだ。
後に、それは受け持ちクラス生徒数0で、失業寸前の親友を助け
る為だったったと、あとから知らされた。
それまでクラシック音楽など一切興味がなかった亮だったが、神
矢講師が奏でるフルートの音色に一瞬で虜になってしまった。こう
して慣れないフルートに悪戦苦闘しながら、神矢講師からの毒舌も
受けてはいるが、亮はその美しい音色を奏でる彼女に対して尊敬と
敬意を持っていた。
﹁やっぱり違うな﹂
神矢講師の奏でる﹃アルルの女﹄の音色は、音自体が耳から聞こ
えるだけでなく、胸の奥に直接響くそんな音色だった。その音色を
聞くたびに、いつも亮は自信を無くしそうになる。
﹁あの∼先生、どうすればそんな風な音が出るようになるんですか
?﹂
﹁ただひたすら練習すればいいのよ﹂
即答だ。
﹁真面目に聞いてるんですけど﹂
﹁真面目に答えてるわよ﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
に
﹁冗談よ。そうね、一番いいのはだれにこの音を送るかってことね。
実際、坊やは誰にこの音を送りたいと思うの?﹂
﹁誰に⋮﹂
に
神矢講師の質問に、亮の頭に今頃﹃たんぽぽ﹄で﹃亮兄ぃがいな
い、亮兄ぃいない﹄と泣いている星村マナの顔がよぎったが、すぐ
に頭を左右に振った。
﹁いません﹂
﹁へぇ∼、いるんだ!﹂
19
﹁だからいませんって!﹂
﹁まぁっ多分マナちゃんでしょう。あの子って坊やに一途だから﹂
﹁ぅっ⋮﹂
﹁図星ね、まったくそんなんだから坊やって呼ばれるのよ。それじ
ゃーっ今度はその愛しのマナちゃんを思って吹いてみましょう﹂
﹁だからぁ、そんなじゃぁないですから!!﹂
亮の話を聞かずに、神矢講師がメトロノームのスイッチを押すと、
再び演奏が始まる。先ほどと同じように神矢講師の音色に亮の音が
重なってはいるが、まだまだ亮の出す音は彼女の音に程遠い。だが、
マナの事を考えてるのか、その前と比べるとやや音色が生きている。
デュオ
コー
神矢講師もそれを知ってか知らずか、演奏を途中で止める事なく
ダ
後編へと続けていく。そして二人の二重奏はなんとか無事に最終楽
章を迎え終了した。
20
フルート︵後書き︶
今回ようやく主人公の月宮亮が登場です。早く出せよって感じで
すね︵^︳^;︶
さてさて、やっと本題ストーリが展開されていきますが、次回の投
稿は仕事の都合で多分1週間程度空いてしまうかもしれません。Σ
︵゜д゜lll︶
なるべく早く投稿を予定していますので、どうかご了承下さいm
︵︳︳︶m
ここまで読んで下さってあなた様に、本当に感謝します。ありが
とうございます。
21
いじめ
﹁それじゃお疲れ様です﹂
﹁はい、お疲れ様! 気を付けて帰るのよ﹂
形式的な挨拶を済ませると、亮は足早に教室をあとにした。本当
ならもうとっくに帰路に着いているはずなのに、いらぬ足止めを食
らってしまったからだ。講習時間が終わってから、神矢講師のマナ
についての追求︵下世な好奇心︶に捕まり、昼近くになってやっと
解放された。
一時間以上も話相手になったおかげで、普段乗る時間帯のバスに
乗り遅れてしまった。急いで下駄箱に貼ってある時刻表を確認しよ
うと、亮の足がだんだん早足になる。
﹁何とか午前のバスに乗れますように﹂
亮が木造の廊下に足を踏み込む度、ミシミシと廊下が鳴いている。
最初の頃は、その内この廊下の底が抜けるんじゃないかと心配し
ていたが、慣れてくればそんなに気にならなくなるもんだなと、内
心思いながら亮は階段へと差し掛かった。
と、その時。
﹁あっあの、月宮さん・・・﹂
﹁えっ?﹂
おぎのみか
後ろから名前を呼ばれて亮は振り返った。そこにいたのは﹃さく
ぜんもう
ら苑﹄に入所している荻野美花だった。
生まれながら全盲である彼女は、グレーの帽子を深くかぶり、白
はくじょう
の半袖シャツに黒のハーフパンツの格好をしていた。右手には盲人
の特徴でもある白杖を持っている。
彼女は盲人ではあるが、それ以外は普通の生活を送れるため亜民
ではあるけれど、一般社会にでて普通の中学校に通う事ができる亜
民だ。一般中学校の3年生で、学校に行く時は亜民ではなく、特例
22
市民扱いになる。
﹁おおっ、みっちゃんか! どうした?﹂
﹁実は、あの・・・また・・・やられちゃったの、だから、その︱﹂
﹁またか、今度はどうしたんだ?﹂
﹁ロッカーの・・・鍵なの﹂
﹁わかったよ、案内してくれ﹂
そう言って降りようとしていた階段に背を向け、亮は美花と一緒
に廊下に並べてあるロッカーへと向かって行った。
この﹃都島リハビリセンター﹄には町内すべてに居住している亜
もんこ
民が利用可能となっているだけでなく、一般市民に対しても格安で
門戸を開いている。
あみん
理由はこの施設は一応町の所有物であるため、納税者である市民
にも利用する権利があるからだ。しかし、無料で利用できる亜民に
対して、安いながらも料金を払う市民にとっては面白くない。その
為、今回のような問題がたまに起こされる。
どんな社会にもある、イタズラと言う﹃いじめ﹄だ。
この施設は盗難防止のため、全てのロッカーは廊下に出されて鍵
をかけられている。その為利用者が多いい日は、一時的な通行障害
が起きる。
盗難防止には有効かもしれないが、それ以外の目的に対しては不
向きだと言える。
﹁ここ、このロッカーなの﹂
美花は一番角のロッカーの前で足を止めた。全盲の彼女にとって、
角にあるロッカーが一番わかり易いからだ。
﹁これか・・・・・・随分と陰湿だな。接着剤を入れるなんて、前
はガムとか粘土とかを入れるぐらいだったの、これはちょっと無理
かもしれないぞ﹂
美花が利用しているロッカーの鍵は南京錠になっていて、その鍵
穴に接着剤が注入されて固まっている。なんとか取り出せないか爪
で引っ掻いてみるが、完全に中で固まっているため出てこない。
23
﹁その、月宮さん・・・なんとか壊さないで済ませないかしら? 前やってもらったみたいに﹂
﹁前のは粘土だったから上手く掻き出せたけど、これは無理だよ﹂
﹁そう、そうよね・・・わざわざありがとう、アタシこれから管理
の人の所に行ってくるわね。わざわざありがとう、月宮さん﹂
﹁・・・なあ、コレ壊してもいいなら開けられるぞ﹂
﹁えっ、南京錠なんて壊せるの?﹂
﹁ああ、コツさえ掴めば簡単だぜ﹂
﹁じゃあ、お願います。管理の人にはアタシから適当に伝えときま
すから﹂
﹁わかった﹂
亮は南京錠を右手で掴むと、いっきに下へ引いた。
一瞬、ガチンっ!! っと大きな音が廊下に響く。それと一緒に
美花の肩が弾んだ。
﹁ほら、開いたよ﹂
亮が開閉確認でロッカーの扉をギコギコと動かしてみる。
﹁すごい! ありがとうございます。月宮さん﹂
美花は笑顔で頭を下げた。
﹁いいよ、それより無事開いた事だし、俺もう帰るね、じゃっ!﹂
﹁はい、ありがとうございます﹂
再び頭を下げる美花に目もくれず、亮はさっきの階段へと走り出
す。目的は一つ、午前のバスに乗り遅れないためだ。
午後一のバスが何と13時50分発であるのを知っているため、
乗り遅れたら遅い昼食が確定になる。
それに今回の事は特別でも何でもない、こういった亜民に対する
陰湿ないじめが起きるたびに、皆亮を頼る。理由は簡単だ、何とか
してくれるからだ。
前にも靴を隠された亜民がいて、その子の靴をものの10分で見
つけだしたり、トイレに行ったきり戻ってこない自閉症の亜民を、
裏山の仮説トイレに閉じ込められていたのを発見したりもした。
24
亜民同士の中から、何か困った事が起こったら﹃月宮亮に頼め!﹄
と、言った口コミがセンター内で広がり出してしまい、亮自身もホ
トホト困り果てていた。
早足で階段を駆け下り、下駄箱へと辿り着く。ポケットから下駄
箱の鍵を取り出し、鍵穴に入れた瞬間亮の動きが止まった。
﹁・・・おいおい、俺もかよ・・・﹂
ちょうつがい
今日のいじめは美花だけでなく、亮もターゲットに加えられてい
たようだ。亮の場合は鍵穴ではなく、下駄箱の蝶番部分にタップリ
と接着剤が付着している。
﹁ったく!﹂
本来なら気にせず、隣の職員室を改築した管理人室で事情を話す
べきだが、今の亮は虫のいどころが悪かった。
自分の下駄箱の扉に右手をつけた瞬間、ガッガッガッとスチール
ちょうつがい
製の扉が曲がり出す。否、亮の右手が紙を丸めるようにして扉を曲
げているのだ。
恐ろしい程の握力で曲げられた扉が、そのまま蝶番部分から引き
ちぎられ床に落る。 廊下中に乾いた金属音を響かせると、亮がは
っ、と我にかえった。
﹁あっ、しまった・・・ヤベェーぞ!! どうしようコレ﹂
れいこ
無残に破壊された下駄箱を見ながら、左手で目元を押さえる。
﹁玲子さんに、確実に怒られるなコレは・・・しょうがない、取り
敢えずもう帰ろう﹂
破壊した下駄箱から靴を取り出して履くと、亮はその場を逃げる
ようにして外へと出て行った。
センターの外は一般的な夏らしく暑い太陽がギンギンと照らし、
たった数十メートル先の景色がゆらゆらと歪んで見える。
周りからは耳障りのセミ達が遠慮なしの大合唱で鳴いている。
﹁暑い、暑い。なんでバス停を近くにつくらなかったんだよ﹂
愚痴をこぼし、カバンを肩に掛け、歩きながら亮は楽譜をうちわ
代わりにして仰いでいる。﹃都島リハビリセンター﹄は山の中腹に
25
建てられてはいるが、バス停はその下約1キロ程下った場所にあっ
た。
しかも、日陰になるような木は脇になく、予算の都合上整理されて
いない足場は、木の根が入り組みながら凸凹道を作り出してしいた。
悪路としかいえない道を、亮は慣れた足取りで歩いている。もち
ろん誰もがこの道を通るわけでなない、この道は亜民専用山道で一
般市民はセンター反対側にある綺麗に整備された道を通って下山す
る。おまけにそこは定期バスも通行するため、ほとんどの市民は歩
かずにそのバスを利用している。
以前は亜民も市民も同じ道を利用していたが、帰り道で亜民達が
いじめにあう被害が多発し、センター側が苦肉の策で、この亜民専
用山道を作ったのだ。
﹁ふーぅ、やっと着いたか﹂
ようやくバス停に辿り着いた亮は、肩に掛けてた荷物をベンチに
降ろして、さっそくバスの時刻表を確認する。下駄箱ではゆっくり
確認することができずに出てきてしまい、あとは直接バス停で確認
するしかなかった。
﹁おい、ちょっとまてよ、何だよこれは!﹂
ここでもいじめの延長が行われていた。バス停に貼ってある時刻
表が黒いペンキで全部塗りつぶされている。しかも空いているスペ
ースには赤インクで﹃亜民死スベシ!﹄﹃全テノ亜民ハ去勢セヨ!﹄
等と書かれている。
﹁はあ∼、今日はツイテないな。厄日だぜ、まったく﹂
ため息を吐きながら亮は腰をベンチに下ろした。こうなったらバ
スが来るま待つしかない、と覚悟した。
しばらく目を閉じ、呼吸を整え瞑想の世界へと精神を切り替える。
﹃たんぽぽ﹄の蒼崎玲子主任に教えてもらった呼吸療法の一種だ。
普段なら落ち着けたのに、今だけは違った。高い湿気に温度、うる
さいセミの声で亮の精神は直ぐにかき乱されてしまった。
再びため息をもらした時、センター側からエンジン音が聞こえて
26
きた。亮は目を開けてみるとそれはバスだった。
﹁ほっ助かー﹂
ホッとしたのもつかのまで、そのバスはセンター定期便の一般者
専用だった。亜民である亮はそのバスには乗れない。乗れなくはな
いが、もし乗ろうとしても誰かしらに乗車を止められてしまう。亜
民は亜民専用バスに乗らなくてはならない、何も悪ことではないが、
暗黙のルールが存在してる。
バスが亮のいるバス停前で停車すると、ドアを開けた運転手がマ
ニュアルにそった質問を聞いていくる。
﹁乗るか?﹂
無言のまま首を横に振る。運転手がドアを閉めようとしたとき、
とっさに亮が口を開いた。
﹁次のバスはいつ来ますか?﹂
﹁もう午前は終わったよ。次は午後だから・・・あと1時間後だ﹂
﹁そうですか、わかりました﹂
このバスに乗れたらと座席の方へ目を向けると、乗客数人が亮を
見ながらニヤニヤしている。乗っているのはセンターを利用してい
た市民の子供たちだ。
﹁あの、それじゃー運転手さん。それまで何か時間潰しなるような
のって、何か持ってないですかね?﹂
運転手が側にあった新聞紙を手に取り、無言のまま亮に投げつけ
てバスは発信した。
﹁はい、どうもアリガトウね﹂
バスの後ろを目で追いながら、棒読みでお礼を言う。新聞紙を投
げてくれるなら今日はいい運転手だ。普段はそのまま無言で行って
しまう運転手が殆どだから。
早速亮は新聞紙を広げて時間潰しを始めた。週間天気予報、本日
の占いから始まり、ごく一般的な政治記事やテレビ欄を見る。が、
直ぐに亮の視線がある記事に釘付けになった。
そこには、﹃本日未明、首都圏と埼玉県の県境を走る国道17号
27
いちじょうけんじ
線で、連邦技術研究勤務の一条賢治︵26︶軍曹の乗った車が、カ
ーブを曲がりきれずにガードレールに衝突、全身を強く打ってまも
なく死亡した。一条氏と事故を起こした車内からは大量のアルコー
ルが検出され、警察では飲酒運転による事故とみて捜査している﹄
とても小さな記事ではあるが、記事と一緒に載せられている顔写
真が亮の記憶をよび起こす。
﹁・・・いっ、一ノ瀬・・・・・・﹂
その名前を呟くと、今まで思い出さずにしまっていた記憶が蘇る。
彼と話した最後の言葉。
﹃月宮、オレは・・・オレ達は・・・もう許されたない。どんなに
綺麗な言葉でいいわけしても、きっと神様はオレ達のしたことを許
さないな。なぁ月宮、オレは・・・眠っていても、どんなに強い薬
を飲んでも・・・あの子達の声が・・・聞こえちまうんだよ。これ
は呪いだ。俺たちは呪われたんだよ﹄
亮が彼の言葉を思い出した瞬間、頭の右側から軽い頭痛が生じ始
める。次第にそれは強く脈打つように痛み出す。
﹁また・・・始まった・・・﹂
たまらず手で頭を押さえると、そのまま天を仰ぎながら、亮は拳
を強く握り締めた。
そして、あの事件を思い出す。自分の人生が狂ったあの日のこと
を。
28
いじめ︵後書き︶
どうも朏天仁です。思ってたより早く投稿ができました。さてさ
て一条氏と亮の怪しい関係が最後できました。この展開がどうなっ
ていくのか︵^︳^;︶実際・・・どうなるんでしょうか。
さて次回はようやく﹃たんぽぽ﹄の家族達が登場するかもしれま
せん。そうあって欲しいと思っています。
早く投稿した為、誤字脱字があったかもしれません。実際あった
と思います。ですが、ここまで読んでくれましたあなた様に最高の
感謝を贈りたいと思います。ありがとうございました!!m︵︳︳︶
m
29
東方の使者
かいじょう
一機の旅客機が、極東ロシア上空の高度12000メートルを飛
スカイゾン
じゅうたん
行している。下方にいつくもの小さな塊状の雲片に、ひつじ雲の群
れが空平線の遥向こうまで続いている。それはまるで雲の絨毯とい
えるだろう。
その上をジェットエンジン音を轟かせながら飛行し、照りつける
太陽光に機体を光られる中型機は、ルーマニア王国所属の政府専用
機だ。尾翼部分に国旗が刻まれ、その下には﹃北米幻魔導師団﹄の
シンボルマークである﹃生命の樹﹄も一緒にあった。
中型機の客席には2人の乗客しかいない。一人は黒装束の神服を
着た神父と、もう一人は群青色のローブに同色のフードを頭からス
ッポリと被ったシスターが座っている。
﹁ロメロ神父。あと、どれくらいなのでしょうか?﹂
しんちゅう
シスターが深く被ったフードから唯一見える口元を動かし、隣に
座っている神父に話しかけた。
﹁そうですね、あと約1時間半程です。心中心配なのはわかります
が、どうか気を落ち着かせて下さい。日本の大使館には、すでに先
遣隊が動いております。我々が到着する頃には﹃クルージュの奇跡﹄
は無事回収できているでしょう﹂
落ち着いた様子で語りかけるこの神父の名は、フレデリック・J・
ロメリオロ神父だ。信者の間ではロメロ神父と呼ばれている。オー
history
in
the
world
ルバックの長い白髪を綺麗に後ろで留め、革手袋をした手には英文
で﹃Torture
︽世界の拷問史︾﹄と書かれた本を読んでいる。細く長い脚を綺
麗に組んで座る姿は、気品を重ねた英国紳士のようにも見える。
﹁わかっております。ですが、王室を守るためとはいえ、わたくし
はただ・・・身の安全を思ってしたことが、あの子をさらに危険な
30
場所に置いてしまいました。わたくしは・・・﹂
﹁何をおっしゃいますか、あなたは多くの時間を悩み苦しみぬいた
のですよ。その結果を誰が責めされるでしょうか。あたは正しい事
をしました。神もあなたの決断を正しかったとおっしゃるはずです﹂
﹁ですが・・・﹂
とが
読んでいた本を閉じ、ロメロ神父はシスターの肩に手を乗せた。
﹁もう一度言います。あなたに咎はありあません。むしろ、咎を受
けるべきは厚かましくも我らの神聖領域を勝手に犯した極東のサル
しつけ
どもです。奴らこそ本来咎を受けるべきなのです。我らの聖域を汚
した野蛮なサルどもにすこし躾が必要なのです。この世界の主人が
すうききょう
誰なのかをしっかり教えてやらなければ。そのために今回は、ジャ
ロック枢機卿から聖痕解除の特例を受けたのです﹂
ロメロ神父の口元が僅かに動き笑を見せる。
﹁ロメロ神父。念のため訪ねますが、わたくしが王室を出る前に言
ったことをお忘れでわありませんでしょうね?﹂
﹁勿論ですとも。聖痕解除はあくまでもあなた様の安全を守る為、
おお
想定外の事態に対処するためです。ジャロック枢機卿からも再三に
わたり仰せつかっております。ご安心ください﹂
﹁それなら良いのです。﹃北米幻魔導師団﹄出身のあなたは、王室
内でも黒い噂は絶えませんでしたから、でもその言葉遣いは?﹂
﹁わたしの言葉使いに少しご不満がお有りでしょうが、ご心配なく。
わたしも十分気お付けておりますが、なにぶん、この国とは昔いろ
いろ有りまして、その名残と思って下さい﹂
﹁わかりました。わたくしもあなたの事を少し疑ってしまいました。
今後は少しあなたの見方を変えましょう﹂
そう言うと、シスターは胸元で十字をきる。と、同時に機内アナ
ウンスが流れ始めた。
﹃本日は当機をご利用頂きありがとうございます。現在目的地であ
る日本の天候が悪化してるため、当機はこのまま待機飛行にはいり
ます。尚、天候改善の知らせが管制塔から入り次第日本連邦へ入国
31
いたします。御手数ですがもうしばらくお待ち下さい﹄
天候悪化の機内アナウンスを聴き終えると、シスターは組んだ手
を胸元に押しあてた。
﹁主よ、どうかわたくし達を無事に目的地へと辿りつかせて下さい﹂
﹁ちょうどいい機会です。向こうにつく前に、この聖痕の力を試し
てみましょう﹂
きずあと
そう言ってロメロ神父は革手袋を外すと、両手の手背部にできた
丸い痕が姿を見せる。
それはちょうどキリストが十字架に貼り付けにされた位置でもあ
る。
ルーマニア宮殿聖十字近衛師団に所属する、ごく限らえた司祭ク
ラスにしか許されない聖痕解除術式。キリストが受けた5つの受難
を自らの体に代理受難させる事で、あらゆる奇跡を起こすことがで
きる最上級術式である。近衛師団の師団長でさせ3つまでの受難し
か受けておらず、5つ全ての受難を受けたものはキリストの再来と
言われている。
ロメロ神父の受けた受難は、その中で一番低い受難を受けていた。
とどこお
﹁ロメロ神父、勝手に聖痕を使用することは︱﹂
﹁勝手ではありませ、我々の任務が滞りなく進むために使うのです
よ。問題はありません。ここで時間を無駄にするわけにはいかない
のですよ﹂
いばら
ロメロ神父の言葉に、シスターは返事を返さずに顔を伏せる。
﹁でわ。主よ、われらの子供の達の前に生い茂る茨の森に風を、そ
して水が集まり我らの船に光道を示し下さい。私は私の血と肉を持
って、主の祭壇へとその身を捧げ賜ります﹂
ロメロ神父の祈りが終わると、両手の手背部の痕が赤く光り、血
の雫が一線を引きなが床に落ちる。
﹁うぐぅ﹂
くちびる
軽いうめき声が漏れると、ロメロ神父の額に無数の汗がにじみ出
て、口唇を一文字に引きながら顔をひきつらせている。
32
﹁・・・ロメロ神父?﹂
心配したシスターが声を掛けると、直ぐに返事が返ってきた。
﹁大丈夫です。はぁ、はぁ、代理受難がこれほどとはさすがに思っ
ていませんでした。ですが、耐えらぬ程の苦痛でわありません。す
ぐに慣れるでしょう﹂
﹁そうですか。それで、何をしたのですか?﹂
﹁すぐにわかりますよ﹂
それだけ言うと、ロメロ神父は大きく深呼吸を行い窓の外へと目
を向けた。
﹃えー、ご搭乗されているお客様にご連絡します﹄
すぐにまた機内アナウンスが流れ始めた。
﹃成田空港管制室から天候改善の連絡が入りました。つきましては
当機は予定通り日本連邦へと向かいます。もうしばらくお待ち下さ
いますよう、よろしくお願い致します。繰り返し連絡いたし︱﹄
ささや
天候改善のアナウンスが流れるなか、一人外を眺めているロメロ
イエローモンキー
神父は、誰にも聞こえぬ程度の声で囁いた。
﹁・・・戻ってきたぞ! 日本人共め!﹂
33
東方の使者︵後書き︶
前回の投稿からかなり時間を掛けてしまってすみません。
それと、前話のあとがきを読まれた方は気づいたかもしませんが、
︳︶m
ゴメンなさい。都合により﹃たんぽぽ﹄の家族の話は次回に移させ
てもらいました。m︵︳
予定が狂いすぎだろ!!︵#゜Д゜︶ Σ︵゜д゜lll︶うぅっ・
・・
今後もなんとか時間を見つけて投稿を続けていきたいと思います。
多分最低でも月一投稿にはなると思います。
最後にここまで読んでくれました読者のあたに感謝を送りたいと思
います。
今後も宜しくお願い致します。[^ェ^]
34
重い送迎
﹁いや∼、ホントっ助かりました。あの炎天下の中次のバス待った
ら、ほんっと干からびていたとこでした﹂
そう言って、亮は運転席のご婦人にお礼を言った。
﹁別にかまわないわ。娘がいつもお世話になってるんだし、それに
﹃たんぽぽ﹄まではちょうど帰り道ですし、そんなに遠慮なさらな
いで。それに亮君がすこし具合悪そうだったから﹂
おぎのさとこ
柔らかい言葉で話すと、チラリっと、バックミラーごしに亮と目
が合う。この運転しているご婦人の名は荻野里子と言って、荻野美
花の母親だ。
何故こんな状況になってしまったかと言うと、バス停で午後のバ
スを待っていた亮の所に、偶然美花を乗せた車が通りかかったのだ。
事情を説明すると、荻野里子は亮を﹃たんぽぽま﹄で送ってくれ
ると言ってくれた。さすがに炎天下の中を1時間近く待つのは酷で、
亮は荻野里子の心遣いに甘える事にした。
﹁ええ、ちょっと偏頭痛がして、でも、別にもう大丈夫です。暑さ
に少しまいっただけだと思います﹂
﹁そう、ここ最近急に気温が上がってるし、ニュースでも熱中症で
倒れる人が報道され始めてきたから、亮君も気を付けないと﹂
﹁はい、ありがとうございます﹂
言葉と一緒に運転席から流れるエアコンの風が、里子がつけてい
なご
る香水の香りを漂わせてくる。名前まではわからないが、その甘い
香りに亮の気持ちがほんわりと和みだす。
だがその和みをブチ壊すかのように、少女が助手席から身を乗り
みく
出し大きな瞳を亮に向ける。
﹁そうそう、美久の学校でも昨日部活の先輩が熱中症で倒れたんだ
よ。最近じゃ室内熱中症ってのもあるらしいのよ、亮さんの所は大
35
丈夫ですか?﹂
家
﹁うっうん、今のところは﹃たんぽぽ﹄の方は大丈夫だよ、元女医
の玲子さんがしっかりしてるから・・・うんうん﹂
みく
﹁へぇー、そうなんだ。あっ、ちなみに私の事お姉ちゃんから聞い
てます? 私妹の美久って言います。はじめまして! それで何か
聞いてます?﹂
﹁いっいや・・・聞いてないな。そもそもみっちゃんに姉妹がいた
んなんて今知った所だし﹂
﹁えー聞いてないんだ。お姉ちゃん何にも話してないんだ。それじ
ゃ美久がいろいろ教えてあげる。あっその前にお姉ちゃんの事さっ
き﹃みっちゃん﹄って言ってたから、美久の事は﹃くみちゃん﹄っ
て呼んでいいよ!﹂
﹁美久っ! はしたないわよ、ちゃんと席に座りなさい﹂
﹁えーいいじゃんお母さん。ちょっとくらい﹂
﹁ダメよ。危ないからちゃんと座りなさい﹂
﹁ちぇっ、はいはいわかりましたよ﹂
里子のおかげで亮の尋問はひとまず区切りが着いた。
かみやま あやね
元気一杯の声量と興味津々の態度を向けてくる美久の気迫に、亮
は押される一方だ。こう言う性格は﹃たんぽぽ﹄にいる神山彩音に
そっくりでも、彼女の相手は苦手だ。
美久は美花の妹であるが、亜民ではなくごく普通の市民で町内の
学校に通っている。顔も声もそっくりだが、例え一卵性の双子でも、
性格までもが一緒という訳ではない。そして問題の姉は後部座席で
亮の隣に座っている。そう、この車内は運転席に母親の里子、助手
席に妹の美久、そして後部座席に亮と美花がいる。
亮はセンター内の美花しか知らないが、彼女は控えめで大人しい
性格だ。言うべき事は言うしやるべき事はちゃんと実行する性格だ。
だから車内で黙ってうつ向いている美花は、ひと目で様子が変だと
気づく。
﹁なあ、みっちゃん。さっきからどうしたんだ? 何っかずっと黙
36
ってるけど﹂
﹁・・・うんうん、別に、きっ気にしないで・・・﹂
シャツの裾を握っている手がさらに白くなり、頬が深紅に染まり
だした。
﹁おい、本当に大丈夫か? 顔が真っ赤じゃないか、熱中症じゃな
いか?﹂
﹁だだっ大丈夫よ。気にしないでって、ちょっと暑いだけ。えっ・・
・エアコンの効きが悪いみたい﹂
肩が上がり、美花の顔がさらに下へと落ちる。
そこにシートベルトを閉め、顔を後ろに向けながら、二人の会話
にまた美久が割って入ってきた。しかも今度は亮ではなく、姉の美
花に対して意味深な口調で話してくる。
﹁あれ∼、お姉ちゃん! さっきとテンション全然ちがくない? 美久とさっきまで亮さんの話してた時なんて、結構ノリが良かった
かのに。どうしちゃったのかなぁ﹂
﹁美久!黙って!﹂
﹁わー怖いわ∼お姉ちゃん。怖い、怖い﹂
﹁何だ、俺の事を話してたのか?﹂
﹁えっ!? あっ、あの・・・そのね、その・・・あの、あの・・・
﹂
﹁どうした? 声が変だぞ?﹂
﹁そっ、そうそう、今日の事を・・・ね!﹂
﹁今日の? ああぁあれか。そうだな、一応家族には話しといた方
がいいしな﹂
﹁・・・・・・亮さんって意外と鈍感なんですね﹂
﹁えっ?﹂
美久が呆れた顔のまま亮に視線を向けている。
﹁もー亮さん、お姉ちゃんのこと少しは察して上げて﹂
﹁・・・? 何を︱﹂
亮が訪ねようとしたその時、突然車が十字路の交差点をカーアク
37
ションさながらのドリフトをかけ、車体が大きく右に振れた。
﹁うわぁわぁわぁぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁ﹂
﹁きゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ﹂
タイヤの擦れる音と凄まじい遠心力に亮の体が横に飛ばされ、隣
の美花の身体をシートに押し倒した。と言うより、強制的に押した
をさせられたに近い。馬乗りに覆いかぶさった状態から、二人の鼻
先が微かに触れると、慌てて亮が体を起こした。
﹁ごっごめん、だっ大丈夫か? みっちゃん﹂
﹁うっぅぅ・・・・・・・・ぅぅ・・・・・・・・﹂
美花は何が起こったのかわからず、軽いパニックを起していた。
それゆえ亮の声がまったく聞こえていない。
﹁ごめんなさい亮くん。ちょっと道を間違えそうだったから思いっ
きりハンドルをきってしまったの。ケガはないかしら﹂
うず
明らかにワザとドリフトをやったに違いない里子が、バックミラ
ーで後ろの状態を確認す。
﹁俺は大丈夫です。それよりも安全運転でお願いします﹂
﹁ふふっわかってるわ、安全運転よっ・・・ねぇ!﹂
﹁ふぐぁ﹂
再び車体が右に大きく振れ、今度は最悪にも美花の胸元に顔が埋
まる。
﹁ふが・・・ぷはぁ・・・﹂
柔らかい。などと考える余裕はなく、慌てて体を起こす。
﹁ちょっと里子さん! いい加減にしてくだい! 危ないでしょう
!﹂
軽く怒りを声に混ぜながら亮が訴えると、今度は里子でなく美久
が口を開いた。
﹁あー!! 亮さんだいた∼ん。お姉ちゃんの胸どさくさまぎれに
揉んでる。やぁらしい∼!!﹂
﹁えっ?﹂
その指摘を確認した亮は青くなった。亮の左手がそれほど大きく
38
わしづか
はないが、発育途中の美花の胸をおもいっきり鷲掴みにしている。 さすがの美花も美久の説明で自分が今何をされているのか理解し
た。顔全体が深紅に染まり唇がワナワナと震えだす。
﹁がっ・・・ごっご、ゴメンみっちゃん。決して・・・ワザとやっ
たわけじゃないんだ・・・こ、ここれは・・・里子さんの運転でこ
うなってしまってっであってだ・・・その、なんと言うか、その・・
・﹂
必死に説明より言い訳に近い状況説明をしてくる亮にたいして、
いまだ胸を掴まれている美花が口を開いた。
﹁いっ、いい加減はなして下さい・・・﹂
﹁へぇっ、あぁ、ごめん﹂
手を離すと、美花は起き上がり両手を胸元を押さえると、ゆっく
り亮から離れる。明らかに警戒している。
さすがに言葉がでない亮は、美花と顔を合わせないように視線を
外に向ける。手にはまだ美花の胸の感触が残っている。もし美花に
視力があったら間違いなく、変態を見るような冷たい視線を向けて
来るはずだ。美花は何も言わず、荒い息遣いに肩が大きく揺れてい
る。
互いに距離を開いたまま数十秒の沈黙が車内にながれる。
﹁大丈夫よお姉ちゃん。服の上からだったんだから、そんな感触な
んてわからないから﹂
﹁うっ、うるさぁいぃ!﹂
﹁まぁ、美花ったら。別に胸のひとつやふたつ揉まれたぐらいいい
じゃないの、揉まれて嫌な人じゃないでしょう。いつもあんなに嬉
しそう話してる亮くんなんだから﹂
﹁うるさぁいぃ! うるさぁいぃ! うるさぁいぃ! 二人とも黙
って! もう黙ってたらぁ!﹂
真っ赤な顔に、震える声。こんな動揺した美花は見たことがない、
と内心思いながら亮は3人の会話を黙って聞いている。
﹁取り敢えず・・・早く帰りたい・・・﹂
39
小さく呟くと、グンっと車のスピードが上がり出す。
﹁ちょっ、ちょっと、お母さん。なんでスピード上げるの?﹂
心配した美花が訪ねる。
﹁前の信号が変わりそうなのよ。美花以外はしっかり捕まって!﹂
﹁ちょっと! なんであたしだけ?﹂
答えが帰る前に車は信号機のある交差点に猛スピードで侵入する
と、今までで一番大きなスリップ音を出しながら、左へと車体が曲
がる。
﹁きやゃゃゃゃゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ、ふがぁ
!﹂
白煙を出しながらドリフトする車を、交差点で待っていた数人の
通行人が、口を開け目を点にしながら、顔だけで追っている。そし
てタイヤの焦げた匂いだけを残し、車ははるか向こうへと消えてい
く。
一方の車内では新たな問題が勃発しようとしていた。
﹁ねぇ、ねぇ、さっきのスゴかったよね。お姉ちゃ・・・ん? お
うず
っおおおおおおおおおぉ! これはスゴい事になってるわ!!﹂
後ろを向いた美久が見たものは、亮の股間に美花の顔が埋まって
いる光景だった。
﹁スゴイ、スゴイわ! お姉ちゃんやるわね。スゴ過ぎるわ!﹂
予想外の展開に美久のテンションがいっきに上がり出す。
﹁そんな大胆な事ができるなんて、美花も大人になったわね﹂
里子も笑を浮かべて楽しんでいる様子だったが、後ろの席では重
い空気が漂ってた。
未だ固まった状態のまま、自分の股間に顔を乗せている美花に対
し、亮はどうしていいのか分からず困惑していた。
﹁お、おい・・・﹂
声を掛けると、美花はゆっくりと身を起こして何事もなかったよ
うに席に戻った。しかし、直ぐに口元を押さえると、こみ上げる嗚
咽に震えだした。
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﹁美花?﹂
﹁お姉ちゃん? 大丈夫?﹂
面白半分で見ていた里子も美久も、姉の予想外の展開に我にかえ
った。
﹁みっちゃん、これは事故だ。気にすんなよな﹂
その言葉を聞いた直後、糸が切れたように美花が泣き出してしま
った。
﹁ふぇえええええん、もう嫌ぁ!! 嫌ぁ!! ふぇぇぇええええ
ええん、えっぐ、えっぐ、ふえぇぇぇぇぇん﹂
見えない両目から大粒の涙が溢れ出し、鳴き声が車内に響きわた
ると、一気に車内が気まずい雰囲気へと変わってしまった。
さすがの二人も悪いと思ったのか前を向いたまま何も話そうとし
ない。亮も何か声を掛けようとするが、どう掛けていいのかわから
ず言葉が出てこない。
その後は、美花の鳴き声と険悪な雰囲気のまま車は進み。﹃たん
ぽぽ﹄へと到着した。
﹁あ、ありがとうございました﹂
車から降りお礼を済ませると、亮は気まずそうにドアを閉めた。
運転席の里子は窓越しに手を振っている。美花の方に目をむけると、
泣き止んではいるが顔を下に向けて何の反応も示さない。むしろ亮
にとってはその方がよかった。変に気を使われたら亮の方も気疲れ
してしまう。ここは早く家に帰って落ち着いてもらった方がいいと
思っていた。
里子に手を振り返すと、車がゆっくりと発進する。さすがにもう
あんな運転はしないだろうと、思いながら車が向かいの角を曲がる
と、亮は深くため息を漏らした。
﹁何だこれは、俺・・・なんにも悪いことしてないのこの罪悪感は・
・・・・・後でちゃんと謝っとかないとかな、はぁ、次からはちゃ
んとバスに乗り遅れないようにしと・・・﹂
フルートのカバンを持ち直し、気持ちを切り替えた亮は﹃たんぽ
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ぽ﹄の方に向き直した。
軽度対応型施設﹃たんぽぽ﹄は法人施設ではなく、民間経営で行
っている個人施設になっている。施設自体は、青崎施設長の叔父さ
んが経営していた病院の保養所を貰い受けている為、わざわざ新し
く建てずにすんでいる。
外見は二階建ての洋館風の建物で、裏庭に新しくテラスを増設し
ている。残りの庭を家庭菜園として使っている。
職員は施設長と管理人兼主任の2人だけで、後は亮を含めた亜民
ほどこ
の寮生4人の計6人が一緒に暮らしている。
﹁ただいま﹂
綺麗なステンドガラスの装飾が施された玄関を開けると、長い木
の廊下が奥へと続いている。靴を脱ぎながら荷物を床に置くと、廊
下の向こうからドタドタと黒い物体がこっちに向かってくる。
﹁ヤバっ!?﹂
その足音に亮が気づいた頃は時すでに遅し、長い黒髪に緑の和服
を着た少女が亮の腹めがけ勢いよく飛び込んだ。
﹁ぐへぇー・・・・マ・・マナ・・・・﹂
モロに頭突きをくらい、背後のドアに背中が張り付く。昼飯をま
だ食べていなくても、今朝食べた物までも吐かせるくらいこの頭突
きは強力だった。
﹁亮兄ぃーお・か・え・り・!!﹂
しっかりと亮にしがみつき、顔を上げてニッコリと笑を向けたの
は﹃星村マナ﹄だった。
42
重い送迎︵後書き︶
こんにちは読者の皆様。本投稿に大分時間を掛けてしまって申し訳
ありません。
今回は最後の方にようやく星村マナがでてきました。︵本当はも
っと早く出す予定でした︶f︵^−^;
今回はちょっと重く苦しい話から、ちょっと息抜き感覚で冒頭を
書いてみら、思ってたほど長くなってしましました。
まだまだ話は続きますので、読者の皆様今後もどうかよろしくお
願いします。m︵︳︳︶m
43
たんぽぽの子供たち
亜民の共同生活施設の一つである﹃たんぽぽ﹄は、町内の中では
少人数制をとっている。理由としては入所している亜民の子供達ひ
とりひとりに対して、質の良いケアプランを実施する為だ。と言え
ばそうなのだが、主な理由は﹃たんぽぽ﹄が施設認定される直前、
全国各地のグループホームに対して連邦政府から設置不許可の通知
が下ったためだ。
悪質な経営者が全国で増えたため、連邦議会が新しい法整備を創
るまで一時的に認可がストップしたのだ。しかし、同時に入所予定
きゅうきょ
だった全国約300万人の亜民達が自宅待機になってしまう問題が
発生したため、急遽一定の基準と条件をクリアすれば仮認定が許可
された。
基準の一つに、建築基準法で住居認定された住宅があること、医
療・介護系の国家資格を持った責任者を亜民10人に対して一人置
くこと。
そして、残りの条件とは本認定されるまで、埼玉県︵国︶からの
助成金・補助金が4分の1で支給される事を納得すること。
﹃たんぽぽ﹄はその全ての条件をクリアし、現在こうして設置が
認可されている。元女医で主任兼管理人の蒼崎玲子が、叔父の保養
所を貰って施設にしている。部屋数の関係でどうしても入所人数に
限りがでてくる。もっと問題なのが、入居人数が増えるとそれを維
持管理する経費が必然的に増えてしまう。要するに金がかかるのだ。
最初の頃は財政難で苦しんでいたが、﹃たんぽぽ﹄は運良く連邦
政府公認の自然環境促進広域授産都市10ヵ年計画︵新エメラルド
プラン21︶のモデル地区に認定された為、埼玉県︵国︶からの助
成金・補助金の他に、連邦政府から特別会計が下りている為、何と
か最低限な生活は維持できている。
44
一年前、月宮亮がこの﹃たんぽぽ﹄に入所してからは誰も入所し
ていない。これは台所事情が厳しいく、同じグループホーム内では
珍し事ではない。
それにデメリットだけではない。メリットとしては大人数と比べ
て少人数ではホーム内で強い繋がりが備わってくる。その繋がりの
中で亜民同士、必然的に恋愛感情も含まれる。
今こうして﹃たんぽぽ﹄の玄関先で行われている亮とマナの馴れ
に
合いも、必然的な日常茶飯事の出来事の一つと言える。
に
﹁亮兄ぃ、おかえり。マナねぇ、ちゃんと大人しく待ってたよ。亮
兄ぃが帰ってくるまで待ってたんだよ﹂
﹁そうかマナ。エラいぞ。取り敢えず俺から離れてくれないか、苦
しいから﹂
に
﹁マナねぇ、ちゃんと待ってたんだよ。偉いでしょう、偉いよね亮
∼兄ぃ!!﹂
亮の訴えを無視するように、さらにマナの細い両腕が脇腹を締め
付けてくる。
に
﹁だから、マナ・・・腕を離してくれ、つうか離して下さい、いっ
息が︱﹂
さらに締めつけが強くなる。
﹁えっへっへぇ、マナね﹃いい子﹄で待ってたんだよ。亮兄ぃ! ﹃いい子﹄でね、﹃いい子﹄でいたんだよマナは﹂
ぬればいろ
この時、ようやくマナの言っている意味が理解できた。軽くムセ
込みながら亮は右手でマナの濡羽色の黒髪を優しく撫で始める。
﹁わかったマナ。お前はいい子だよ。エライ、エライ﹂
頭を撫でなれながら、マナは満面の笑を浮かべた。幼さが出てい
る顔立ちだが、その笑顔と容姿は純粋な大和撫子の言葉がピッタリ
合う程だ。
﹁むっふふ、おかえり。亮兄ぃ﹂
ゆっくりと手を離すと一歩下がり、乱れた和服の裾を直し始める。
14歳とは思えないくらいしっかりと和服を着こなしている。
45
かいりせいじ
この星村マナは、ここ﹃たんぽぽ﹄のスタートと同時に入所して
んかくしょうがい
あおざきれいこ
いる子で、﹃たんぽぽ﹄の中では一番の古株だ。6年前から解離性
人格障害を患っていて、管理人兼主任の蒼崎玲子の元患者でもある。
亮はあまり聞いていないが、マナの実家は旧華族でかなり厳格と
規律が強い家だったらしい。らしいと言うのはマナが﹃たんぽぽ﹄
に入所が決まった時、実家の星村家から絶縁状を突きつけられたそ
うだ。それ以降家の事に関してマナは話そうとしない。
身内に亜民︵社会不適合者︶が出たことで、世間体を気にして戸
籍から籍を外そうとする家族は珍しくない。マナも例外ではなかっ
たようだ。だが幸いな事に、子供のマナは絶縁のその意味がまだ理
解できていないらしい。
﹁ただいま、マナ﹂
亮はある事を確認するために右手をマナの頬へとのばした。いつ
も帰ってくると両頬に涙の跡が残ってる筈だが、今日はその跡がな
い。
﹁おっ、ホントにちゃんと待っていたんだな。関心、関心﹂
﹁へっへっ、今日はちゃんと留守番できたもん、マナも成長するも
ん﹂
﹁うっ・・・そ、そうだな﹂
マナの温かく柔らかい頬の感触に、つい先美花の胸を揉んだ感触
を思い出すと、直ぐに手を離す。
﹁あれ∼亮兄ぃ、さっきから亮兄ぃの体からいい香りがする﹂
﹁えっ!﹂
うかつ
一瞬ドキリとして、一歩下がる。おそらく里子のつけていた香水
の匂いだろう。迂闊にも亮は犬のように鼻がきくマナに、匂いを嗅
がれてしまった。先までのマナの笑顔が消え、だんだんと顔色が険
しくなっていく。
﹁そうかな、そんなこと無いと思うけどな。マナの勘違いだよ、何
かと勘違いしてるんだよきっと﹂
﹁うんうん、ちゃんと匂いするよ。マナが今まで嗅いだことない匂
46
いだよ﹂
﹁あっバスだよ。多分バスの中でいた人の匂いが着いただけだと思
うよ、きっと・・・﹂
﹁・・・亮兄ぃがいつも乗っているバスにこんないい匂いの人いな
いよ。それに今バスの時間じゃないよねぇ、それに亮兄ぃさっきか
ら変に汗が出てきてる。何でなの? どうしてなの? マナにちゃ
んと説明して!﹂
マナの座った目が亮に近づく。
﹁えっと、だっだからそれは、その、えっと﹂
かみや
﹁むぐぐぐぐぐ、亮兄ぃ。まさか外でマナ以外の子と、でっ、デー
トなんてしてないよねぇ!﹂
﹁してない。してない。絶対してないから﹂
﹁ほ∼ん∼と∼お!!﹂
﹁・・・嘘やな、それ﹂
まあやね
にら
突然、マナの背後で声がすると、背後霊のように立っている神山
彩音がいた。しかも殺気立てた目で亮を睨みつけている。
﹁なっ、彩音。いつからそこにいる?﹂
﹁あんたがうちのマナにセクハラしとる時からや!﹂
﹁あれはセクハラじゃない、マナもそんなこと思ってないし﹂
﹁はぁん! どうだか﹂
亮を睨みつけたまま、彩音はマナを守るように抱きしめる。和服
のマナと違い、ショートの茶髪に白のタンクトップに黒のショート
パンツを履いて現れた神山彩音は、亮が入所する1年前に﹃たんぽ
ぽ﹄に入所した亜民だ。
マナの頭二つ分大きい身長で、年齢は17歳。関西方面の出身と
パニック障害と言う以外亮は知らされていない。いや、もう一つ知
ね
らされてなくてもわかっている事がある。
﹁彩姉ぇ、苦しいよ﹂
﹁マナ油断したらアカンで、男はみんなオオカミや、女を獲物とし
か見てへんから、気ぃ抜いたらパクっと食われてもうで﹂
47
﹁オイ、マナに変な事吹き込むなよ。それに彩音オレが帰ってきた
かいしょう
のに何もなしか。何か言うことがあるだろう﹂
﹁あぁ、そやなぁ。おかえりこの甲斐性なし﹂
ね
﹁オイ! 甲斐性なしって言うな﹂
ごくつぶ
ね
﹁かいしょうなし? ってなに彩姉ぇ﹂
﹁なら、穀潰しや!﹂
﹁ちゃんと呼べ!﹂
﹁ごくつぶし? ってなに彩姉ぇ﹂
﹁わかった、わかった。なら、間をとってゴキブリや、それでええ
やろう﹂
﹁全然違げーよ! 何で人間以下なんだよ。だいたいどこの間をと
ったらゴキブリになるんだよ﹂
﹁うちは年が下でもあんたの先輩やで、先輩が後輩をどう呼ぼうと
関係あらへんやろ。文句があるんやったら、うちより早くここに入
るんやったな﹂
ね
に
﹁お前なぁ・・・﹂
﹁彩姉ぇ、亮兄ぃをあんまりイジメちゃダメ﹂
﹁マナ、うちはイジメとるんやない、遊んでるんや﹂
﹁それならいいよ。マナも遊ぶ﹂
﹁よくないよ。取り敢えず玄関から上がらせてくれ﹂
含み笑いを見せる彩音にこれ以上かまっていられない亮は、早く
おうへい
荷物を部屋に置いて遅い昼食を済ませたかった。
神山彩音が亮に対して横柄な態度を向けるのは特別な意味はない。
単に彩音は亮が嫌いなだけだ。正確には彩音は男が嫌いなのだ。そ
れは彩音のパニック障害の原因が極度の男性恐怖症から始まった為
アイデンティティ
で、ここでの治療で彩音は男に対して横柄な態度をする事で、無意
識に自分の自我同一性を保っているからだ。
﹁それよりも、玲子先生はいないのか?﹂
靴を脱ぎながら亮が二人に訪ねた。
﹁うん、先生今日はしゃちょうの所に行くってくるってマナ聞いた
48
よ﹂
﹁えっ社長?﹂
しゃきょう
﹁ちゃうちゃう、マナ。社長やない、社協や。社会福祉協議会の略
したやつや﹂
﹁そうそう、そうだったね﹂
かえで
﹁なんでも、向こうから急な呼び出しやったみたやで、先生ぇ慌て
て出て行ったからな﹂
﹁ふ∼ん、そうなんだ。って、あれ?﹂
靴を脱ぎおわった亮があるものを見つけてた。
﹁何か綺麗な靴が一足あるぞ。誰か来てるのか? 楓のじゃないよ
なコレ﹂
﹁おおぉそや、亮にお客さんが来とんやった。それ教えたろうと思
ってうち降りてきたんやった﹂
﹁客? 俺に? 誰?﹂
﹁うちが知るわけないやろう。この女たらしめ!﹂
﹁事実と違うことを言うな。マナが誤解するだうが﹂
﹁嘘じゃなか、現に来てるお客は大人の女やで、しかもこれまた美
人やで! ついさっき来て奥の応接間に案内したとこや﹂
﹁・・・美人!﹂
彩音の﹃美人﹄と言う言葉にマナが反応して、再び鋭い視線が亮
に向けられる。険悪なムードになると感じた亮は急いでその場を離
に
れようと、応接間へと足を向けた。
﹁待って亮兄ぃ、マナも一緒に︱﹂
亮の後ろを付いて行こうとしたマナを彩音が抱き寄せる。
﹁うぅん、マナぁお客さんはなー亮だけに会いに来たんやで、邪魔
しちゃあかんで。それにこんな浮気性な男なんて忘れて、今日はう
ちが飽きないくらいマナと遊んでやるでぇーえへへへ﹂
ね
マナの顔に無理やり頬ずりをする彩音。それを必死に嫌がるマナ。
﹁えぇぇ、彩姉ぇーいつもマナのおしりや胸を触ってくるから、い
やー﹂
49
﹁あれは偶然や、偶然。今日はうちの学校でボーカロイドのコスプ
レを作ったんやで。サイズが丁度マナにピッタリやと思うで、だか
に
ら早よー早よー着せ替え・・じゃなかった。うぅん、着替えをせん
とな﹂
﹁うぅー亮兄ぃーたす・・・・﹂
助けを求めるようとするマナの口を彩音の左手が塞いだ。
﹁なあっマナもボーカロイドの衣装着てみたいやろ。なぁ!﹂
マナの口を左手で塞ぎながら、今度は右手をマナの後頭部に回し、
強制的に﹃コクリッ﹄と一回頷きさせる。何て無理やりな女だ。
﹁ほう、そうかそうか。ほなら善は急げや!﹂
彩音がマナを抱きかかえると、口を押さえたまま一目散に自分の
たたず
部屋へと階段を駆け上がる。その姿はまるで、肉食動物が捕らえた
獲物を巣に持ち帰るに近い。
かざまかえで
後には呆気にとられて1人佇む亮だけが残された。これがいつも
の3人の日常だ。あともう一人風間楓と言う亜民がいる。自閉症と
知的障害を患っていて殆ど自分の部屋から出てこない。
﹁マナ、ちょっとの間我慢しててくれ、後でちゃんと助けに行くか
ら﹂
ミシミシと音が響く廊下で一人呟くと、応接室をプレートが貼ら
れたドア前まで来た。木製の扉にドアノブには少しサビが目立つ。
ドアノブに手を掛けようとした時、ドアの隙間から微かに香りが漂
ってきた。
その香りが鼻腔を刺激すると、亮の脳裏に人物の顔を浮かび上が
ってきた。彩音の言った大人の女で、亮がここにいる事を知ってい
る人物は一人しかいない。
﹁まさか、あいつかよ・・・﹂
コンッコンッと一応ノックをしてからドアノブを回し、ゆっくり
とドアを開けた。
﹁あっ、久しぶり。お邪魔してるわね、月宮亮﹂
思っていた通りの人物がそこにいた。六畳間の和室に正座でお茶
50
をすすりながら亮に笑を向ける人物。今の亮の人生を狂わし、この
きりしま
﹃たんぽぽ﹄に入所するきっかけを作った張本人がそこにいた。
﹁・・・・・・お久しぶりです。霧島補佐官﹂
51
たんぽぽの子供たち︵後書き︶
読者の皆さんこんにちは、朏天仁です。最低でも月一投稿を目指
しておりますが、今回投稿が遅れてしまいすいませんでした。・゜・
︵ノД`︶・゜・
今回の話しついにたんぽぽの子供たち登場です。さてさてこの先
の展開はどうなるのでしょう!!
次回は今月の下旬か、遅くとも12月の上旬には載せたいと思いま
す。
ここまで読んでくれました皆さんに感謝を込めて、ありがとうご
ざいますと申します。m︵︳︳︶m
52
国家バウンティーハンター
からか
その女性はドアの前で立っている亮に冷ややかな視線を送ると、
揶揄うような口調で話してきた。
﹁午前中には帰ってるかなと思っていたけど、案外時間がかかった
わね。もしかしてデートでもしてたの? いいわね若いってい﹂
﹁バスに乗り遅れただけですよ﹂
﹁あら、相変わらず愛想無いわね。ねぇーいつまでも突っ立ってな
いで、こっちに座りなさいよ。私だって遊びに来たんじゃないし﹂
部屋に一歩踏み込むと、亮の顔色が険しくなり始める。鼻腔を刺
激するLARKの独特の香りが漂っていた。これと同じ銘柄を吸う
のは亮の叔父一人だけしかいない。亮はこの香りが好きになれなか
った。なぜならこの香りで叔父と一緒に過去を思い出してしまうか
らだ。
﹁じゃあ何しに来たんですか? 仕事で来たって? 冗談よしてく
れよ、もうあんたと俺は何の関係もないはずだけど、正直俺にとっ
むげ
てあんたは会いたくない人なんだよ﹂
﹁まあ、そんな無下に扱わないで、取り敢えず座って座って﹂
きりしまちさと
返事をすることなく荷物を下ろすと、亮はテーブルを挟んで相向
かいに座った。高級スーツを着こなしたこの女性の名は﹃霧島千聖﹄
34歳。すこし切れ長の瞳の他に、一般女性より少し肩幅が広いの
が特徴だ。体型は細いスタイルをキープしているが、見る人が見れ
きりしまちさと
ば何かしらの格闘技に精通した体型だとすぐにわかるだろう。
霧島千聖は埼玉BHアカデミーの技術指導副教官を勤めているが、
本当は連邦政府直下の部署、公安別室第17課の諜報監査室の補佐
官だ。簡単に言えばバウンティーハンター組織を監視する政府の犬
であり、付け加えると亮のハンター訓練生時代の上官でもある。
﹁お茶おかわり﹂
53
﹁ねぇーよ﹂
﹁えぇー、さっきの子はいつでもおかわりしていいって言ってたけ
ど﹂
﹁暇じゃないんだろ、それにお前に飲ませるお茶はねぇーよ。とっ
とと要件すませて、早く帰ってくれ﹂
﹁あらあら、随分としゃべるようになったわね、最後に話したのは
確か・・・2年前の精神病棟だったわね。君は薬漬けにされて殆ど
ちさと
しゃべれる状態じゃなかったけど、覚えてるかしら?﹂
千聖の軽い猫なで声にうんざりしながら、亮は浅く頷いた。
﹁あら、やっぱり覚えてたんだ。成人の6倍も安定剤を打たれて視
線が定まってなかったけど、そうやっぱり覚えてるのねぇ、ちゃん
と聞こえてたか心配してた︱﹂
﹁なあ! 早く要件を言えよ。昔話をしにきのか、だったもう帰れ
よ!﹂
最後の語尾を強めると、亮は人差し指をドアに向けた。
一時の沈黙が訪れると、霧島千聖の切れ目が鋭く変わる。
﹁相変わらずせっかちな奴だな君は、少し良くなったと思ったら何
も変わっちゃいねぇな﹂
今までの態度と打って変わり、声も低く好戦的な口調に変わった。
﹁俺に何を期待した。余計なお世話なんだよ﹂
﹁人が心配してるのに、君はそう言う態度をとるのね﹂
﹁下手な嘘はやめろ、俺の知ってるあんたは、絶対他人に同情する
ような奴じゃない、さっさと要件を言えよ。でないと力ずくで追い
出してもいいんだぞ﹂
亮の高圧的な態度に、霧島は眉一つ動かさずにいる。切れ長の瞳
から発せされる殺気に似た感覚は、二人の居る部屋に重い空気を作
り出していた。
﹁はぁ∼、わかったわよ。君の牙がちゃんと付いてるか確認しよう
としたけど、また今度にするわ。今日の新聞は読んだ?﹂
﹁ああ﹂
54
﹁なら知ってるわね、一ノ瀬が死んだわ﹂
﹁ああ﹂
﹁あらら、薄情ね。一応、あの事件の時の仲間だったでしょう﹂
﹁・・・仲間じゃない、ただ組まされただけ。俺はいつも一人だっ
た。わざわざそれを言いに来ただけか?﹂
﹁あら、そう思うかしら。実はこれは前置き、本題はこれよ﹂
そう言って霧島はシルバーのアタッシュケースをテーブルに置い
た。
カチリとロックを外すと、中からA4サイズの紙を取り出し読み
上げ始めた。
発・日本連邦バ
﹁国家バウンティハンター認定通知書 宛・準バウンティハンター
月宮亮 登録番号JFS−0038211879
ウンティハンター協会付属国家資格認定委員会 貴殿は準バウティ
ハンターとして本事件の解決に尽力し又、国家の安全に多大なる貢
献を示したことを認め、当協会の国家資格認定審査会の審査の結果、
貴殿を連邦国家認定の国家バウンティハンターに任命することに決
定した。なお、貴殿に新しいIDと国家BH認定バッチを後日認定
審査委員から渡され受け取った時点で、この資格は効力を発揮する
かつあい
ものとする。なお、・・・・・・まな細かい話が続いてるからここ
は割愛と、エトセトラと言いう事で﹂
一方的に読み上げ終わると、二つ折りにしてケースに戻し、今度
はB5サイズの黒い木箱を取り出した。
﹁おめでとう、国家バウンティハンター最年少記録達成ね﹂
﹁なんのつもりだ一体?﹂
理由がわからず霧島に訊ねる。
﹁まあ、驚くのはわかるわ。理由はいろいろあるけど、簡単に言え
ば﹃感謝と報酬﹄のつもりかしら。君達が﹃あの人﹄を捕まえてく
れた事に感謝するのと、それに伴って発生した犠牲への報酬よ﹂
亮が木箱のフタを開けてみると、ケースの中には亮の顔写真入の
身分証明書が一枚と、国家バウンティーハンターを表すスターバッ
55
Recove
Agent︵逃亡犯人逮捕連行捜査官︶の文字が彫られてい
チが一つ入っている。バッチにはFugitive
ry
る。
﹁いりません。これを貰っても、死んだ人間が帰ってくるわけじゃ
ない﹂
亮は即答で答えると、ケースの蓋を閉めて霧島に返そうとする。
﹁あら、君が殺された人達に同情するなんて・・・・いいから受け
ハローワーク
取りなさいよ。使う使わないは君に任せるから・・・・それに君は
いつも仕事探しに本庄の公共職業安定所に通ってるの知ってるのよ﹂
一般業務
﹁ここに来る前に監視もしてるんだ。ご苦労なこったな﹂
法執行機関
﹁ねぇ、ハンターだった人間が今更企業で﹃正社員﹄ができると思
ってるの? ハンターに戻るにしても準BHは派遣登録事務所で登
法執行機関
録しないと活動できないしい、ましてや君の経歴を知って雇ってく
れる所なんてないわよ﹂
確かに国家BHになれば派遣登録事務所を通さずに仕事も出来る
わずら
し、自分で事務所も建てられる。それに依頼人とフリーで契約もで
ワケ
き煩わしい役所の書類にも手間が掛からないが、今の亮にとっては
もうどうでもいい事だ。その時、亮は霧島がここに来た理由がわか
った。
﹁そうか、あんたの狙いは俺を政府公認の殺し屋にするつもりだな﹂
﹁違うわ、殺し屋にするんじゃない。その逆よ﹂
﹁どういう意味だ?﹂
﹁さっき君はわたしの事を補佐官といったけど、あれは正確じゃな
いわ。もうわたしは公安の人間じゃない、さっき言った通り国家資
格認定審査会の認定審査委員になったのよ。もう裏の顔なんてない
の﹂
﹁どういう心境の変化だ﹂
けんしょう
﹁腐った政府に嫌気がさしたのよ、その理由がバウンティーハンタ
ーよ! ねぇハンター憲章の第三条と第九条を知ってる?﹂
霧島は悔しそうに奥歯を噛み、細い手を強く握り閉めた。
56
こうそくけん
﹁もちろうん知ってる。第三条は﹃拘束権の解除﹄だ。バウンティ
ーハンターになった者は、全ての国家、政治、宗教、法律、外交特
きょうせいはくだつ
権及びあらゆる規制に拘束されることなくその任務を遂行する事が
できる﹂
﹁そうよ﹂
さい
﹁第九条は﹃権利の強制剥奪﹄だ。別名死の宣告とも言うけど、バ
りょう
ウンティーハンターは対象者の生存権を含む全ての権利を自身の裁
量で強制的に剥奪する事ができる﹂
﹁その通りよ。この2つのおかげで、連邦政府が合法的に犯罪者を
殺し回ってるのよ﹂
﹁いい事だ﹂
﹁良くないわよ。どんな犯罪者にだって裁判を受ける権利があるわ、
一方的に殺すのは虐殺以外なにものでもないわ、それにその犯罪者
でっ
の中に政府にとって都合の悪い政治犯だっているのよ。検察が証拠
を捏ち上げてハンターが殺しまくってるわ。わたしはそれを変える
ためにこの役職についたのよ﹂
﹁ご苦労な事だ、それと俺と何の関係がある?﹂
霧島の瞳に強い決意の感情が現る。
﹁今年中にハンター憲章の一部改正が行われるわ、その前の検討会
に私がこの第三条と第九条の規制強化案を提出するの、でもそれだ
けじゃあ弱いわ。そこで凶悪犯罪者を殺さずに捕まえるハンターの
実績をデータとして提出する。バウンティーハンターの模範となる
べき姿勢を示すのよ。殺さなくても捕まえる事ができるのを証明す
るの﹂
﹁その模範生が俺か﹂
﹁そうよ、アカデミーでのあなたは異質な存在だったわ。特例入学
が許されたと思ったら、入学初日に主任教官3人を病院送りにして、
挙句には上級訓練生を7人も血祭り、どこで覚えたかしらいないけ
ど、常人離れした戦闘能力はわたし達でも脅威を感じてたわ、だか
らあの事件でもあなたの力が必要だった。だからわたしが選抜した
57
のよ﹂
﹁黙れ! あの事件の事は言うな。思い出したくない。それに俺は
もうハンターには戻らない、これも返す持って帰ってくれ﹂
亮は木箱のフタを閉めると、そのまま霧島へと返した。
霧島の説得に亮の気持ちは変わらなかった。
﹁そう、急で混乱してるだろうし、でもそれは貰ってくれないと・・
・・それと私の名刺を置いていくから、困ったことがあったら連絡
して、出来るだけ協力はするわ。それじゃまた今度﹂
そう言って名刺をテーブルに置くと、霧島は荷物をしまって立ち
上がり部屋から出て行った。亮もすぐに後を追って玄関まで行くと
元教官
何かを思い出したように、霧島がクルリと亮の方に向く。
﹁あーそうそう、﹃あの人﹄で思い出したわ。あの人の裁判だけど
おととい判決が出たわよ、検察の求刑どおりに死刑が言い渡された
わ﹂
﹁そうですか。・・・・47人も子供を殺せば当然だ﹂
目線を逸らし俯く、それを見た霧島が亮の顔を覗き込みながら笑
いかける。
﹁へぇー君ってそんな顔もするんだ。まさか、今頃彼を殺さなかっ
たのを後悔しているの?﹂
殺さなかった。亮はその言葉に一瞬ドキリと動揺する。だがすぐ
に顔を上げると、霧島をにらみつける。
﹁早く帰ってください!﹂
﹁はいはい、もう帰りますよ。あっ、それともう一つ。これはわた
しが個人的に聞きたい事があったの﹂
靴を履きながら、質問をしてきた。
﹁何ですか? 手短に話して下さい。こっちはもう腹が減ってるん
だから﹂
﹁君って・・・本当に人間なの?﹂
馬鹿げた質問でも霧島の視線はじっと亮を捉えている。
﹁・・・何言ってんだよ﹂
58
﹁実はね。二年前のあの事件の最中、わたし蛇を見たのよ。それも
車一台軽く飲み込む程の巨大な蛇、しかも半透明な蛇だったわ﹂
﹁ふっ、見間違いだな。そんな蛇いるわけないだろう﹂
うおずみしんじ
﹁そうね、わたしも最初そう思ったわ。でもね今日ここに来る前に、
わたし病院に寄ってある人に会ってきたわ。魚住真司って人知って
るわよね﹂
その名を聞いて、亮の表情がまた険しくなった。
﹁知ってる、残りの二人の名前もわかる﹂
﹁一年前の被害者の一人よ、君に引きちぎられた両耳の再生手術は
無事に終わったし、砕けた膝も完治して順調にリハビリしてたわ﹂
﹁そうかい、それが﹂
﹁彼がこんな事を言ってたわ、意識を失う前に﹃恐ろしい二頭蛇を
見た﹄って﹂
﹁だから何だ。俺がその蛇だって言うのか、冗談よしてくれ。って
言うか被害者ってなんだよ! 一番の被害者はマナだ。俺はマナを
守っただけだ﹂
靴を履き終えると、背中を向けたま、
﹁そうね、裁判記録にもそう書いてあったわ。こんな話馬鹿げてる
と思われるだうけど、でもねそれでも疑ってしまうのよ、君が人間
かどうかを﹂
﹁どこまで失礼なんだよ、あんたは﹂
﹁そうね、ごめんなさい。・・・それじゃまた﹂
亮の言葉を背中で受け止めると、霧島は玄関を開けて出て行った。
扉が閉まり玄関先で大きく深呼吸すると、亮は荷物を取りに応接
めまい
室へ戻ろうとした。が、またしても偏頭痛に襲われ、その場に膝を
着いた。
だんだんと鼓動が早まり、今度は軽い眩暈もする。過呼吸になら
ないよう気持ちを落ち着けようと、蒼崎先生から教わった呼吸療法
を行い始めた。ヨガの呼吸法をモデルに蒼崎先生が考案したオリジ
ナルだが、2分ほど行うと嘘のように眩暈が消え、偏頭痛が軽くな
59
った。
﹁大丈夫。大丈夫だ。もう・・・大丈夫だから、俺は大丈夫だ。は
あ、はあ・・﹂
口腔内が乾くまで、亮は同じ言葉を何度も自分に言い聞かせ続け
た。
60
国家バウンティーハンター︵後書き︶
読者の皆さん!! こんにちは。少し早い投稿になりましたがい
かがでしたか。ようやく話が面白くなってくる所まできました。こ
のまま順調に進めば良いのですが。︵^︳^;︶
さてさて、何やら亮の過去が徐々に分かってきましたが、そろそ
ろ葵の登場を考えないとですね。
︳︶m
次回投稿も今月中にできればと考えてます。ここまで読んでださ
った読者のあなたに感謝を送りたいと思います。m︵︳
後、もし良ければ読み終わったら、下の﹃勝手にランキング﹄に
1クリックして頂ければ嬉しいです。でわ!
61
指紋の裏側
﹁︱以上だ。髪と皮膚はDNA検査にまわしたし、指紋は今朝採取
したからもうすぐ上がってくるだろう﹂
腐敗防止用に24時間空調管理されている死体安置室で、村岡を
含め5人の男達に対して、ピンッと白衣を着た初老の検死官が説明
を終えた。
ここは連邦検察局内にある第2検死解剖室だ。25メートル四方
の検死解剖室では、奥の壁に海外ドラマで見る遺体保管庫が縦3列、
横10列に並べられている。そのフタを開けて中の台を引っ張り出
せば、男女の新鮮な死体とご対面できる。
部屋の中央には、3つある解剖台の一つを検死官を含めた全員が
丸く囲み、その台の上に今朝収容されたばかりの一条軍曹の遺体が
裸で横たわっている。
胸部と腹部に10円玉程の穴が5つ空き、頭部は右半分が完全に
吹き飛ばされ、残った脳が乾いた血で割れたザクロのような姿に変
わっている。その遺体の損傷に全員が険しい顔を向ける。その内の
一人はまだ新人らしく、目の前で横たわっている一条の遺体と血が
混ざった腐敗臭の匂いを嗅いだせいか、顔が真っ青になりはじめた。
おそらく死体を見たのは始めてだろう。
その様子に気づいた村岡は彼にそっと耳打ちした。
﹁おい、絶対に吐くなよ﹂
﹁・・・はい、三尉。今更ながら昼飯を食べた事を後悔してきまし
た﹂
﹁お前を呼んだのは身元確認の為だ。それが終わるまで吐くんじゃ
ないぞ! 終わればすぐそこのドアの前に便所があるから出してこ
い。だが今はまだ吐くな。ハンカチでも何でもいいから口に突っ込
んで我慢しとけ﹂
62
﹁りょ・・・了解しました。うっぷ・・・﹂
﹁おい、我慢しろ!﹂
おのやすのり
喉元まで込み上げてくるモノを、必死に両手で押さえて耐える男
の名は﹃小野安則﹄と言う。この中の誰よりも細くモヤシ体型の彼
かれ
は、軍人でも検視官でもない。彼は第三研究所勤務の科学者で、昨
晩の事件で一条軍曹が﹃L−211﹄を奪取した時に最後に一条と
接触を持った人物である。
極秘任務である事から、おおっぴらに軍属関係者から情報収集が
行えずにいた村岡にとって、小野のような科学者は実にありがたり
存在だ。だが、本人にしてみれば迷惑以外の何もでもなかった。
確認のため村岡が小野の襟首を掴み上げ、顔を遺体の前まで持っ
てこさせた。
クソ
﹁おい、早く顔を確認しろ。ただし、遺体にぶちまけたらお前の頭
を便器に突っ込んで、糞と一緒に流してやるからな﹂
更に濃密な腐敗臭が彼の鼻腔を刺激すると、胃酸が食道を上り始
める。
﹁ぐぅ、うぅぶぶぅ。まっ・・・間違いありません。彼です。うっ
ぷ、うぅ・・・﹂
小野の顔がチアノーゼを起こしたように真っ青になり、涙目を浮
かべている。普段死体よりも試験管を振っているのが日常な彼にと
って、間近で見るリアルな射殺体は一種の拷問だ。
﹁よし、じゃあ他に何か気になった所はないか? どんな事でもい
いから言ってみろ﹂
平然と追求してくる村岡と違い、小野はもう言葉を発する事がで
きず、顔を横に振ってみせるだけで精一杯だった。
﹁ちっ、ならもういい。早く帰れ!﹂
﹁・・・しっ、失礼します﹂
やっと解放された小野は、いくつかの解剖器具にぶつかりながら
足早に部屋を後にした。全員がその姿を目で追い、行き着く先はト
イレの便器で間違いなく、未消化の昼食をリバースするだろと思っ
63
た。
も
小野が出て行ったあとで、初老の検死官がため息を漏らした。
インターン
﹁しばらくは、トラウマになるだろうな。三尉、あまり学者をいび
るのは止めていただきたい。研修生の間で変な噂になったら困るん
だ。ただでさえ最近は監察医の研修希望者が減ってきてるんだから
な﹂
この第2検死解剖室は去年増設されたばかりで、他にも第3、第
4検死解剖室も今年中に開設予定になっている。理由はたった一つ、
バウンティーハンター法のせいで、監察医の扱う検死体があまりに
も多くなりすぎたからだ。扱う死体が多くなれば必然的にそれを保
管しておく保管室も必要になる。しかし、弊害もおきる。検死体の
数とそれを観る監察医の数に大きな開きが出てしまっている。
一日中死体とにらめっこ、おまけに防腐剤とホルマリン液の匂い
かんこどり
が体に染み付く現場は、若い研修医にとってたまらない状況だろう。
その結果、連邦各国に設置されている監察室はいつも閑古鳥が鳴
いている状況だ。
﹁あいつはゆとり教育最後の世代か? 自分だっていつかは死ぬん
だぞ。死体のひとつやふたつ、俺は戦時中戦友たちの死体が浮かぶ
川の水で炊飯してたぜ、せめて男なら死体のひとつぐらいでビビる
な﹂
村岡の言葉に残りの部下全員がほくそ笑みながら頷く。
﹁まったく、これだら軍人は・・・いいですか、あんたら軍人は戦
争続きで人殺しに慣れて正常な感覚がマヒしてるのに、いい加減気
づいたらどうかね﹂
﹁何が言いたいんだ、博士﹂
﹁戦争は科学者の倫理観までも平気で狂わせるって事だよ、三尉。
私は軍に協力し、平然と捕虜を生体解剖しながら殺していく同僚を
オレたち
何人も見てきた。だから本来科学者は死体に臆病なくらいがちょう
どいいんだ﹂
﹁・・・ふんっ! まるで軍人だけが悪いみたいな言い方だが、事
64
オレたち
第二次極東戦争
あ
実は事実だ致し方ない。軍人は戦争で戦う事が仕事だからな。今更
んたら
人殺しを正当化する気はない。ただ、あの戦争があったおかげで博
士達の研究が飛躍的に進歩したのも事実なんだぞ、戦前まで医療倫
あんたら
理や道徳感で禁止されていた様々な研究が、国家非常事態を理由に
解禁を迫ったのは博士達なんだからな﹂
﹁だが、あんな戦争はもう懲り懲りだ・・・﹂
博士はバツが悪い感じに目をそらすと、ゆっくりメガネを押し上
げる。
こいつ
﹁同感だよ博士。ここで戦争論の押し問答を繰り返しても意味がな
い。それで、一条軍曹の検死報告書はいつ上がってくるんだ?﹂
﹁一通りの検視はすんだからな、あとは検察に連絡してお決まりの
手順で進めば、今週までには出来あるだろう﹂
﹁結構だ﹂
﹁だた・・・﹂
一瞬、チラリと村岡に目を向ける。
﹁ただ、一つ気になる事がある﹂
﹁何だ?﹂
﹁三尉。この男は本当に軍人なのか? いや、と言うようりもちゃ
んと定期検査を受けていたのか?﹂
﹁どう言う意味だ?﹂
博士が横の棚から透明なビニール袋に入った薬品袋を見せてきた。
中の白い薬品袋は点々と赤黒なった血で覆われている。間違いなく
一条軍曹の保持品だろう。
﹁それがなんだ。ただの薬だろ、何がおかしいんだ?﹂
﹁中身を確認したが、入っていたのは鎮静薬のクロルプロマジン、
抗幻覚薬のハロペリドール、抗不安薬のデパスが入っていた。どれ
いぶか
も診療所で処方される薬品だが、使用している量が尋常じゃないん
だ﹂
博士の説明に、村岡が訝しげる。
﹁問題がある程なのか?﹂
65
﹁とくにこの鎮静薬のクロルプロマジンは適量を遥かに超えた15
00mgになっている。到底医者が処方したなんて考えられんし、
第一に向精神薬を処方される場合は一緒に亜民検査を受けなければ
ならいはずだが、受けた記録がない。それにこの男には軍の半年に
一度の定期検査で身心共に正常判定を受けている。明らかにデータ
の改ざんが考えられるな﹂
﹁それは、つまり︱﹂
村岡が言いかけた時、壁に掛けて合う内線電話が勢いよくなりだ
した。
﹁失礼﹂
博士がその場から離れ、内線電話に手を掛けた。
﹁第二検死解剖室だ。・・・ん、私だ。うん、うん、・・・・・・
それで結果は? ・・・うん、わかった。他には︱﹂
どうやら電話の相手は検査室からのようだ。検査の結果が出たの
だろう。
博士の応対が終わるの待っていた村岡は、腕を組みながら考えを
巡らせはじめた。データ︱の改ざん、過剰投了の精神薬に、一条の
背後にいた組織の影。何より村岡の頭に引っかかっていたのは、一
条の最後の言葉﹃俺は許された﹄が何を意味しているのか、考えれ
ナイトウルフ
ば考える程謎が深まる。
せめて亡霊犬が射殺ではなく、生け捕りにしてくれればど今更な
がら村岡は後悔した。
﹁何ぃ! どう言う事だ。そっちはちゃんと調べたんだろう!﹂
突然、怒号が響いた。村岡は目を向けると博士がさっきまでと違
い、こめかみに青スジをたてながら怒鳴っている。
﹁もういい! わかった!﹂
勢いよく受話器を戻すと、今度は博士が村岡に詰め寄ってきた。
﹁おい三尉! 一体どういう事だ!﹂
﹁・・・何がだ?﹂
突然の状況に村岡は困惑した。
66
?
が立った。
﹁DNA検査の結果、この男のデータ︱は登録されていなかった。
それどころか、この男は生きてるぞ!﹂
﹁はぁ、何言ってんだ?﹂
博士の言葉に、その場にいた全員の頭に
﹁・・・博士、ついにボケたのか?﹂
﹁ボケとらんわ! この男の指10本の指紋が一致したが、そいつ
いちじょうけんじ
は連邦刑務所の囚人でまだ生きてるぞ。加えて言うなら、そいつの
名前も一条賢治だそうだ﹂
﹁なっ、何ぃ!!﹂
﹁まあ、もっとも向こうの一条の方はDNAマップが一致して本人
で間違いないそうだ﹂
一瞬の静寂が訪れた後。部屋にいる全員が一斉に、一条軍曹と思
われる死体に視線を向けた。
﹁・・・それじゃ・・・こいつは一体誰なんだ?﹂
67
指紋の裏側︵後書き︶
さてさて、随分と謎が深まってきました。今後どうなっていくの
でしょうか? って、自分で言ってどうすんの:︵;゛゜'ω゜'︶
:
久しぶの村岡三尉登場ですが、次回はまた﹃たんぽぽ﹄へ戻ると
思います。多分・・・
ここで最後まで拝読して下さったあなたに感謝を述べさせて下さ
い。本当にありがとうございます。m︵︳︳︶m
68
アニー・ローニー
両手を合わせてご馳走様を終えると、亮はカチャカチャと皿を片
付け始めた。あの後、呼吸法のおかげで何とか気持ちを落ち着かせ
る事ができると、忘れていた腹の虫が悲鳴をあげ始めた。
仕方なく、簡単なインスタントでも作ろうとキッチンを覗き込む
と、テーブルの上にラップを掛けられたお皿を発見した。皿の上に
たい
はおにぎりが2つと、今朝のおかずの残りがあった。ご丁寧に﹃亮
へ﹄とメモ書きまで置いてあり、遠慮なくおにぎりを平らげた。
﹁はぁっ、食った食った﹂
腹も一杯になり、亮はやっと部屋で休もうと荷物を持って階段を
上り始めた。この﹃たんぽぽ﹄の二階は亜民入居者の部屋になって
かざまかえで
いる。それほど広くはないが、一人で過ごすには十分なスペースを
保っている。階段を上って手前の201号室が風間楓の部屋、その
奥の202号室が彩音の部屋、その次203号室が空き部屋で、そ
の隣の205号室がマナの部屋となっている。亮の部屋は一番奥の
207号室で他の部屋と比べてそれほど広くはない。この部屋番号
を見た入居者は、必ず一つ質問をする。それは﹃どうして部屋の番
号に4と6がないの?﹄っと、その答えはここ﹃たんぽぽ﹄は元は
病院の保養所として建てられていから、4と6といった人の﹃死﹄
を連想させる縁起が悪いという理由から作られなかったのだ。
﹁アレ? 何か忘れてるような気が・・・﹂
2階に上がり終えた亮が、うわ言のように呟いたその瞬間。前方
の部屋のドアが勢いよく開いた。
﹁いやああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!﹂
中から飛び出したのは初代ボーカロイドの﹃初音ミク﹄が・・・、
に
いや。正確には﹃初音ミク﹄のコスプレをしたマナだった。
﹁うううぅ・・・亮兄ぃー助けて﹂
69
﹁マっ、マナ!? どうしたんだその格好は?﹂
亮の後ろに隠れるマナを見ながら、忘れていた事を思い出した。
それは玄関で彩音に連れて行かれたマナを助ける事だった。
たんぽぽ内の恋愛事情は2つ、彩音はマナが好き、マナは亮が好
き。ここに見事なまでに恋の一方通行が完成している。特に彩音は
スキあらばマナを自室に連れ込み児○ポ○ノ規制法ギリギリの事を
しでかそうとするので、いつも皆で注意しながらマナを助けている。
に
ね
ね
今回は亮が助け出すより先に、自力で脱出できたようだ。
﹁亮兄ぃ、彩姉ぇが、彩姉ぇが・・・怖いの﹂
﹁えっ!? それは、いつもよりもか?﹂
﹁うん、特に目がいっ、イっちゃってるの﹂
に
﹁イっちゃってるって。マナ、それはちょっとオーバーだぞ﹂
﹁じゃーぁ亮兄ぃ! アレ見てよ﹂
うつむ
震えるマナの指が示したその先に、ゆっくりと部屋から出てきた
さだこ
彩音が立っていた。俯く顔に大きな笑だけが見える。その姿はまる
で、髪が短いリングの貞子のようだ。
しかも、右手にはブルーのシマパンを持ち、左手には何故か長ネ
ギを持っている。その彩音の異様な雰囲気を感じた亮は、一瞬背筋
に悪寒が走った。
﹁あ・・・彩音。言っても無駄かと思うが言うぞ・・・落ち着け﹂
﹁ふっ・・・ふふふふふふふふふっふ・・・はあっはあっはぁあ︱﹂
亮の問いかけに、彩音は肩を震わせながら笑って応えた。
﹁ほら、亮兄ぃ怖いよ!﹂
﹁頼むから落ち着け、ほらマナも怯えてるだろう。取り敢えず持っ
ているその・・・パンツとネギを床に降ろそうな、それから一度深
呼吸をしてだな−﹂
﹁うちわまともやで、亮。今日はマナとここまで深い仲になったん
やから、ならもう全部OKや。ほら、マナ早うこっちにきんしゃい。
ふっふっふっふっふ﹂
ゆっくりと彩音がマナに手招きを始める。
70
﹁いや! いや! 絶対いやぁぁぁ!!﹂
﹁ヤベェ、完全に彩音にスイッチが入っちまった﹂
マナの安全を考え、この場から離れようと亮がチラッと後ろに目
を向けた。が、それを見た彩音がゆっくりと歩始めてしまった。人
一人通るのがやっとの廊下を、亮とマナが後ずさる。
﹁いやぁ、彩姉ぇー来ないでよ。来ないで!﹂
声を震わせ、涙を浮かべるマナが必死に訴える。
﹁怖がらんでもええでマナ、大丈夫やから、このパンツを履いてネ
ギを持ってミクらしいポーズをしてくれればええんやから。うちは
なぁーただそのキメポーズの写真をおかずにっ・・・じゃなかった、
撮りたいだけやから。なあっマナ、早う着替えような﹂
﹁・・・その後、マナのヌードも撮るんだろ﹂
﹁もちろんやぁ! んっ・・・あっちゃうちゃう、そんないなこと
せん、せんわ!﹂
亮の問いに一度は肯定するも、すぐに慌てて修正した。
﹁本音が出たな彩音﹂
﹁やかましいぃ亮ぉ! 邪魔すんな。うちのマナをどうしようと、
うちの勝手やろうが!﹂
﹁いやいや、マナはお前のじゃないぞ﹂
﹁そうだよ。マナは彩姉ぇのモノじゃないもん、マナは亮兄ぃのモ
ノだもん﹂
﹁なっ・・・!?﹂
余計な一言とはこのことだろう、迫ってくる驚異にマナの一言が
火に油以上の爆発物を入れてしまった。みるみる彩音の表情が険し
くなり、鋭い視線が亮に向けられた。
てご
てご
﹁亮ぉぉ!! どういうことやぁ︱ああぁん!! まさかうちのマ
ナを手篭めにして、傷モンにしたんかぁ!!﹂
﹁ごっ、誤解だ。そんなことしてないから。それに﹃手篭め﹄とか
って、そんな言葉どこで覚えたんだよ?﹂
﹁じゃかましぃ! 亮ぉ! マナァァ、男を簡単に信用したらアカ
71
ンで、男なんて女心をこれっぽっちも考えてないクズや! 信用し
たらアカンで、女心をわかるのは同じ女しかわからんのやから、そ
んな男のそばにいたら汚されるで。早うこっちに来な!﹂
毛を逆撫でながら自論を述べる彩音だったが、それは逆にマナを
一層怯えさせてしまった。
﹁ううぅ、マナの気持ち・・・一番わかってくれないの、彩姉ぇの
ほうだよ﹂
﹁なっ・・・﹂
それは彩音にとって強烈な一言だった。歩を止るのと同時に思考
回路も停止した。一番思っている相手にこうも明確に拒否されてま
ったのだから、そのショックは計り知れない。
﹁マナ・・・そんな・・・そこまで・・・そこまで洗脳されてしも
なぐさ
うたかぁ・・・何てことや、うちは悲しいわ、マナが、うちのマナ
なぐさ
が・・・こんな男の慰みものにされとるとは・・・知らんかった・・
・﹂
ここ
﹁いや、いや、いや。慰みものって違うから、彩音・・・取り敢え
ず落ち着こうな﹂
亮
うち
﹁ゆっ許さんで、亮。あんたは年上でも﹃たんぽぽ﹄ではうちの後
輩や、後輩のもんは当然先輩のもんや、だからマナはうちのもんや
! うちのもんなんや、あんたなんかに渡すもんかぁ﹂
﹁とんでもねぇ屁理屈を堂々と言い切っぞ、マナ・・・こりゃたし
に
に
かにイっちまってるな﹂
﹁亮兄ぃー・・・亮兄ぃー・・・﹂
初音ミク
亮の後ろで隠れるマナは、服の裾を掴みながらブルブルと震えだ
す。せっかくの﹃電子の歌姫﹄の姿が見る影もない。さすがの亮も
この状況下はマズイと判断し、最終手段を試みることにした。
﹁彩音、お前がいくら自分の主張を言った所でマナの気持ちは変わ
らないぞ。さっき聞いた通りマナは俺は選んだんだ。それをいくら
お前が否定しようと、しょせん負け犬のなんとやらだ﹂
﹁な、なんやとぉ!! もっぺん言ってみんかいワレぇ!!﹂
72
真っ赤な顔のまま、まくし立てるような去勢を張り出す彩音に対
して、亮はさらに言葉を続けた。
﹁大体だな、マナの気持ちを考えてるって言っても、それはお前の
かも
妄想だろが、いい加減マナがどれだけ迷惑をかけられているか考え
てみろよな﹂
﹁なーんーやーてー!!﹂
彩音の背後からドクドクしい黒い影が醸し出させれると、亮は後
ろのマナに手で合図を出した。万が一の為に存在するマナの安全地
帯、そこへ行けと指で合図を送る。
﹁言い残すことは・・・・・・・・・それだけかぁぁぁぁぁぁぁぁ
ぎょうそう
ぁぁ!!﹂
鬼の形相で大声を上げ、伸ばした彩音の手が亮の襟首を掴み上げ
からだ
る。だが亮はまったく動じず、むしろそれを待っていた。
﹁彩音、ゴメン!!﹂
それを合図に亮は彩音の身体に抱きつき拘束した。
﹁何すんやぁ! 離せぇ!﹂
﹁今だマナ! 行け!﹂
拘束する亮の背後から、真横へ勢いよく飛び出したマナは一目散
に201号室のドアを開け、中へと消えていった。
そこは彩音の天敵、風間楓の部屋でもある。
﹁あああああああああーそんなぁ! マナ!! マナ!!﹂
彩音が手を伸ばそうにも亮に拘束されている為、声だけしかマナ
に向ける事かできない。拘束を続ける亮の耳に、彩音の絶叫がまる
で恋人の元を去っていく、ヒロインの悲痛な叫びのように思えてき
た。
﹁まるで映画のワンシーンのようだな、がぁっ・・・痛てぇ﹂
小声でつぶやいた亮の後頭部に鋭い痛みが走った。彩音の肘鉄が
繰り返し亮の後頭部を打ち始めたのだ。
﹁触るな、離せ! 離せ! 亮、離さんか! この、この、この﹂
﹁痛て、痛て、痛タタタタ、わかった離す、離すからヤメろってば﹂
73
慌てて解放すると、彩音は両手でおもいっきり突き飛ばした。反
動で彩音も2、3歩後ろに下がると、鋭い目つきで亮を睨みつける。
﹁彩音、お前なぁもう少し手加減してくれよな、肘は結構痛いんだ
ぞ﹂
﹁・・・・・・汚された。うち、汚されてしもうた・・・・・・﹂
要約我にかえった彩音は、胸元を手で覆い恥じらう仕草を見せる。
この状況を第三者がみれば即、亮は通報されるだろう。
赤面に涙を浮かべる彩音に対し、普段それを見慣れた亮は軽くた
め息をついた。
﹁汚したって、お前オーバーだぞ。俺が何か悪いことしたみたいじ
ゃないか﹂
﹁もうええ、この・・・死ねぇ。そしてそこどかんかぁ!﹂
﹁どけって、どこ行くんだよ﹂
さっそう
﹁やかましい、うちがどこ行くこうと関係ないやろう。早うこの汚
れを落とすんや﹂
﹁答えてるぞ・・・﹂
﹁とにかくそこどけぇ!! じゃまやー!!﹂
狭い廊下の端に身を寄せ通路を作ると、その脇を彩音が颯爽と駆
たたず
け抜けていく。角を曲がって姿が消えても、階段を下る音だけはこ
だましている。
しばらくその場で佇んでいたが、嵐が過ぎ去ったような静寂が訪
れると、いつまでもその場にいる気もなく、亮は荷物を拾い上げる
と自分の部屋へと入っていった。
亮の部屋は8畳程の1人部屋になっていて、中にはベッドと机が
あり、部屋のスミにはほとんど何も入っていない本棚が置いてある。
時計以外壁に貼っている物はなく、カーテンは薄青系の無地でとて
も殺風景な部屋だ。
机上に荷物を置くと、不自然に盛り上がったベットに向かって話
掛けた。
﹁もういいぞ、マナ。﹂
74
ポッコリと小さな山が、モジモジと動いている。
﹁マナ、いつまでそこに隠れているんだ﹂
﹁へっへー亮兄ぃーの布団、布団﹂
布団から顔だけを出すと、今度は枕に顔を埋める。マナにとって
はこの瞬間は至福のひとときだろう。
201号室に避難したマナは、そこから彩音の部屋以外に設置さ
れた非常階段を利用して天井裏から各部屋に移動する事ができる。
もちろん彩音はこの存在は知らされていない。これが﹃たんぽぽ﹄
に作られた対彩音用緊急避難通路だ。
﹁マナ、あまり布団をグシャグシャにしないでくれよ。それにその
格好は、う∼ん斬新というか新鮮というか﹂
﹁ねぇー亮兄ぃーマナ、もうしばらくここに居てもいい?﹂
﹁あぁぁ、別にいいぞ。彩音が落ち着くまでもうしばらく掛かると
思うし、落ち着くまでこのまま俺の部屋で隠れてな﹂
﹁えへへへーマナそうするね。・・・・・・あっ、そうだ。亮兄ぃ
ーさっきの女の人って誰だったの?﹂
マナが少しムッとした顔を作りながら亮に問いかける。初音ミク
のコスプレのせいか、普段見られないマナの格好に少し動じながら
も、
﹁別に・・・・あの人は前の学校の副担任だった人だよ。たまたま
近くまで来る用事があったみたいで、俺がどうしてるのかちょっと
様子を見に来ただけさ﹂
﹁なぁーんだ。マナ、てっきり亮兄ぃーの彼女か何かが来たのかと
思っちゃったー﹂
どこかホッとした様子でマナの表情が和らいだ。両手で布団を口
元まで引っ張る。
﹁彼女? あはははー・・なぁーマナ、俺に彼女はいないよ。なん
だマナそんなこと心配してたのか﹂
大げさに亮が笑いだすと、マナの顔が赤くなる。
﹁べっ・・・・別にマナ・・・・・は亮兄ぃーのことなんて︱心配
75
なんてしてない・・・・から、そ、それに・・・・もし彼女がいっ・
つぶや
・いないなら、来月の・・・えっと・・・マナと︱﹂
マナは赤面しながらモジモジと呟いているが、その言葉は亮には
聞こえていない。
﹁ところで、マナ﹂
何も聞こえていない亮はマナに話し掛けてきた。
﹁ハッ・・ハイ! なに亮兄ぃー﹂
﹁これから俺、まだちょっとフルートの練習するから、少しうるさ
くなるぞ﹂
﹁別にいいよ、マナ亮兄ぃーのフルート大好きだから﹂
﹁そうか、なら大丈夫だな﹂
早速亮はフルートを鞄から出すと、3つに別れた﹃頭部管﹄﹃主
部管﹄﹃足部管﹄をはめ込み一本のフルートを完成させた。次に折
り畳み式の譜面台を広げると、練習楽譜を開いて載せて準備は完了
した。
音合わせに吹き込み口に口を付けると、左手の小指以外を押さえ
て﹃ソ﹄の音を出す。次にロングトーンで4拍分伸ばしてみる。感
覚を取り戻すと、﹃ドレミファソラシド﹄の音階を4泊分伸ばして
吹き終わると、今度は同じ音階を4拍分タンキングして吹く。
ここまでで指練習を終わりにすると、次に神矢先生からの課題曲
に
﹁アルルの女﹂の練習に入ろうとすると、マナが話掛けてきた。
﹁ねえ亮兄ぃー﹂
﹁んっ、どうしたマナ?﹂
﹁マナ、リクエストしたーい﹂
﹁・・・リクエスト?﹂
﹁うん、、マナねぇーいつも亮兄ぃーが吹いてる、あの曲がまた聴
きたーい﹂
﹁あぁーあの曲か・・・﹂
あの曲とは、この前まで亮が練習していた課題曲の﹃アニー・ロ
ーニー﹄だ。なぜわかるかと言うと、現在亮がまともに吹ける曲は
76
その1曲しかないため、すぐにマナの言っている曲が理解できた。
﹁あんな簡単な曲でいいのか?﹂
﹁うん、マナあの曲がいい!﹂
﹁そうか、わかったよ﹂
﹁やったー﹂
﹃アニー・ローニー﹄はスコットランドの民謡でアニー・ローニー
という女性とダグラスという男性との恋物語なのだが、結局最後は
二人の恋は実らず終わり別の男性と結婚しまう物語であるため、亮
はあまり吹きたい曲ではないのだ。
しかし、マナのリクエストに亮は頷き﹃アニー・ローニー﹄を吹
き始める。
最初はゆっくりな低音で始まり、後半は中低音でリズミカルにテン
ポよく吹き進めると、最後はまた低音で終わる。
﹁こんなんでどうだ? マナ?﹂
吹き終わってマナの方を向くと、マナは気持ち良さそうに布団の
中で眠っている。
スヤスヤと眠るかわいいマナの横顔を見ていると、亮は今日神矢
講師に言われた一言を思い出した﹃この人にだけに聞いてもらいた
い﹄は、ひょっとして今この時なのかもしれないと。
﹁まさかな︱﹂
亮はもう一度﹃アニー・ローニー﹄を吹くと、寝ているマナを起
きないようにメゾピアノ︵少し弱く︶で吹きながら自分の課題曲の
練習に入っていった。
慌ただしい日常が繰り広げられている﹃たんぽぽ﹄でわあるが、
亮が来た当初は今と全然違っていた。 特にマナは亮がここに来た
当初は、先に入所していた3人の中で一番亮を避けていた子だった。
いつも施設長の後ろに隠れたり、ご飯の時も1人離れて食べてい
て近づこうともしない子だった。
転機が訪れたのは入所して2週間が経ったころ、1人で外に買い
物に出たマナが運悪く3人の不良グループに絡まれ、乱暴されそう
77
うおずみしんじ
になった所を目撃した亮は、その場で3人を病院送りにする障害事
件を起こしてしまった。
あみん
その3人の内の一人が魚住真司だ。略式裁判が開廷し、3人の不
良グループが日頃から亜民に対し暴行・恐喝事件を起こしている事
や、折りたたみナイフ等の凶器を隠し持っていた事、今回の暴行未
遂は亮がマナを守るために手を出した事が認められ、裁判長の裁量
で90時間の社会奉仕活動︵強制ボランティア︶を行うことを命じ
られた。
判決後、亮の行動には若干の正当性が認められたが﹃たんぽぽ﹄
の管理人兼主任の蒼崎玲子だけは亮のやった行為を酷く責めたてた。
その日以降マナに変化が現れた。亮が奉仕活動を行っている所々
にマナが来るようになったのだ。
道路清掃やゴミ収集車の掃除をしているときも、ずっと近くで亮
を見ていた。さらに最後の奉仕活動のときに、夕方に川の清掃をし
がん
ていた亮が遅くなると危ないことをマナにと言うと﹁やだ。マナは
亮兄ぃーと一緒にかえるの、終わるまで待ってるの﹂と言って頑と
して譲らなかった。
結局亮が根負けして﹁わかったよ。もうすぐ終わるから、そした
ら一緒に帰ろうな﹂と亮が言うとマナは頬を赤め﹁うん﹂と言って、
初めて笑顔を亮にむけたのだ。
90時間の社会奉仕活動が終了しても、マナは亮の行こうとする
所に付いて行こうとした。黙って1人で出かけて帰ってくると﹁亮
兄ぃーマナを置いていくな!﹂と泣き出す始末だ。
見かねた蒼崎玲子が﹁マナちゃん、亮君にも亮君の時間があるん
だから、邪魔しちゃいけないわ、マナちゃんが良い子なら、せめて
玄関で見送るぐらいにしてあげてね﹂と諭してあげると、﹁うぅー
わかった。マナ良い子だから、亮兄ぃーを玄関でちゃんとお見送り
する﹂と納得はしてくれた。
だがそのあと、亮がいない間はずっと泣いていたと蒼崎玲子から
聞かされた。
78
フルートを吹き終え、横目でマナの寝顔を見る亮はあの日の事を
思い出していた。
たんぽぽで亮がフルートを吹いているちょうどその頃、蒼崎玲子
は緊急で呼び出された社会福祉協議会の田所課長と一緒に協議を行
っていた。
やっとエアコンが効き始めた相談室の中に、無言のままソファー
に座る2人がいる。
小太りで油顔の田所課長は、シワだらけのシャツに汗を滲ませな
がら腕を組んでいる。一方でグレーのスーツに身をつつみ、首から
IDタブを下げている蒼崎玲子は、長い黒髪を後ろでまとめ険しい
表情のまま渡された資料に目を通している。
﹁ふぅー、おおよそ大体は理解しまいた。こちらとしましてもでき
れい
るだけ亜民を受け入れたいとは思っておりますが、現状としてはい
ささか難しい話です﹂
﹁そりゃーこっちもわかってるよ玲ちゃん。本来ならお上の審査会
で判断する事なんだけど、ただ今回はちょっと複雑というか、特殊
でね。﹃あの子﹄も何らかの事情があるんだろう﹂
うち
﹁問題はそこでしょう。亜民認定を受けてるなら入所施設は問題な
いはずでしょう。なんでわざわざ﹃たんぽぽ﹄に入所させる必要が
あるのよ?﹂
﹁だから、それは特殊な事情って言ってるじゃん。そこは察してく
れよ玲ちゃん﹂
﹁無理です﹂
即答で答えた。だが、田所課長はなおも食い下がってくる。
﹁そこを何とか、ねっ、ほら星村マナって言ったっけ? あの子の
入所の時にいろいろこっちも骨折ったじゃんかい、あの時の借りを
返すと思ってさぁ、頼むよーこの通りねぇ﹂
最後は神頼みと言わんばかりに両手を合わせて頼んできた。
﹁もう、すぐそうやる! それならその子がうちに来る理由だけで
79
も教えてよ。それが条件よ! どうせ守秘義務がどうとか言うんで
しょう。言えるとこまででいいから﹂
﹁ありがとう!! 俺も詳しい事は言えなが、ってか今朝あの子を
保護してその資料以外なにもわかってないんだよ﹂
﹁はぁー!? 何それ? ならどうしてあの子は﹃たんぽぽ﹄に入
所希望してるのよ?﹂
呆れる蒼崎を田所課長が当たり障りなくなだめようとする。
﹁まあまあー玲ちゃん落ち着いて、ただ・・・﹂
そう言うと田所課長はソファーの脇に置いてある茶封筒の中から
一枚の紙を蒼崎に差し出した。その書類は連邦政府発行の亜民認定
書だ。
﹁・・・ちょっと、これって・・・﹂
蒼崎が驚いてる理由は、その内容だった。亜人認定書は第三者が
取り寄せる場合、連邦最高裁判事全員の許可が必要なくらい厳重に
扱われる個人情報だ。
﹁今朝あの子を保護したとき、これだけを握りしめていたんだ。だ
から玲ちゃんも無関係じゃいって思って連絡したんだよ﹂
つきみやりょう
田所課長の言葉が聞こえない程に書類を見る蒼崎の瞳には﹃亜民
認定書:月宮亮﹄の文字が写りこんでいた。
80
アニー・ローニー︵後書き︶
どうも、朏天仁です。前回の投稿から間があいてしまいすみませ
ん。
今回ついに新しいキャラの葵の存在が出てきました。次回とうとう
葵が登場か? 次投稿は12月下旬を予定します。もう中旬なのに・
・・︵´;ω;`︶
ここまで読んで下った読者の皆さんに感謝を送りたいと思います。
今後もよろしくお願いします。m︵︳︳︶m
81
冴鬼法眼
自分のオフェイスに戻った村岡は、メールで送られてきた報告書
を開いていた。昨晩の騒々しかった部屋とは思えないくらいオフィ
ス内は静まり返っている。臨時の捜査本部解散後、事後処理で数名
残ってはいたが、午後にはある程度終了し残りは市ヶ谷の本部へと
引き継がれた。
あの検死後の一件から村岡の頭に引っかかるモノがあった。一条
賢治の身分になりすました者は、連邦内で最も高いセキュリティを
誇るサーバーへの情報操作が行えたのか。想像するだけでもかなり
大きな権力︽力︾を持った組織で間違いない。それを考えると、そ
の組織を裏切り身命を賭してまで彼が何をしたかったのか、その目
的を考えると最後はそこで行き詰ってしまう。
﹁はあー・・・まったく。やっかいな問題が次から次へと・・・﹂
目頭を押さえながら村岡は呟いた。徹夜続きの疲れが顔に色濃く
現れ、顎の無精ヒゲがその疲労バロメータのように伸びている。
こくし
入隊時代は、2∼3日の徹夜行軍後でも平気で銃剣道大会に出場
できた身体も、24時間酷使すれば関節が悲鳴を上げるありさまだ。
キーボード脇に置いてあるカップには、突然襲い来る眠気と戦う
為に用意したブラックコーヒーが用意してあったが、早くも底を尽
きかけている。
大きく背筋を伸ばし背もたれにもたれ掛け、村岡はチカチカする
蛍光灯を見上げた。
﹁少し顔でも洗ってくるか﹂
ゆっくりと席を立ち、部屋を出て廊下の突き当たりにある洗面所
に向かいだした。長時間イスに座っていたいせいか、首肩腰が凝り
固まって痛み出した。
洗面所にある鏡に自分の顔が映り込むと、もう誰もいないと思っ
82
て油断しのか、吐き捨てるような言葉を出してみた。
﹁糞っ!! やっぱり事務仕事は体がなまってしょうがねぇな﹂
﹁その通りですね。すこし休まれた方がいい﹂
﹁へぇっ!?﹂
突然声をかけられ、驚いた村岡は横を向いた。その男がいつから
そこにいるのか分からないが、村岡が洗面所に入る時はたしかにい
なかった。
りくじんきょくばん
スラリとした長身の体格に、色白細目のキツネ顔の男がそこに立
っている。
﹁誰だ・・・貴様?﹂
体が頭より先に反応して構える。
どうし
﹁おっと、驚かせる気はございません。六壬式盤の流れで、ここに
村岡殿が来ると出ましたのでお待ちしておりました。道士です。は
じめまして﹂
警戒する村岡に、道士と名乗る男は手を伸ばして拍手を求めてき
た。
どうし
﹁・・・ひょとして播磨局長が行っていた支援要員の陰陽師か?﹂
﹁いいえ、わたくしは道士です。一応は式神ですが、陰陽師を補佐
する式神であり、式神を操る式神です。わたくしの主様はそちらで
す﹂
向けられた声の方へ振り向くと、今度は色白で腕を組んだ子供が
壁にもたれかけていた。どう若く見ても14∼15歳だ。その証拠
げんしゅううらおんみょうどうじゅうさんけ
に学章の付いたYシャツを来ている。
さえきほうげん
﹁その方がわたくしの主様です。﹃源洲裏陰陽道十三家﹄の御三家
じゅうちん
あべのそうめい
ほうげん
の一つである、冴鬼家第39代当主冴鬼法眼様です。先月に﹃京都
特区上宮院陰陽道﹄の重鎮であられる、安倍聡明氏から法眼の名を
継承いたしました﹂
﹁道士、しゃべりすぎ﹂
﹁失礼したいました。主様、このお方が村岡殿であります・・・主
様?﹂ 83
法眼は無愛想な表情のまま、退屈そうに爪をいじりだす。目の前
にいる村岡に全く興味を示していない。
﹁ちゃんと聞いてるし知ってるよ。僕の事はさぁ∼道士がだいたい
説明したみたいだらさぁ、さっさと本題に入ろうよ。おじさん﹂
﹁おじさん?﹂
村岡は頭に何か、カチンっと当たったように気がした。今も昔も
この位の子供は目上の人に対する礼儀がまるで出来てないと、部下
たちが話していた事があった。村岡にも若い頃に似たような経験が
あるため、だんだん年を重ねれば自然と直っていくものだと思い、
それほど深く考えなかった。だが、法眼の無礼な態度はまだ我慢で
きるとして、目上の人間に対し堂々と﹃おじさん﹄呼ばわりされる
事は聞き捨てならなかった。
﹁そうだよ、おじさん。僕の貴重な時間を割いているんだからさぁ、
分かりやすく要点だけまとめてくんない。僕の時間が勿体からさぁ﹂
﹁・・・・・・﹂
村岡の顔が険しくなる。
﹁おい貴様! それが目上の人間に対する話し方か、人と話をする
時はちゃんと相手の方を向け﹂
﹁ふっ!﹂
少しは反省するかと強い口調で注意しても、法眼は全く動じずさ
らに村岡を挑発するように軽く息を吹いた。
﹁貴様、その態度は俺を挑発してるのか? そうなんだな﹂
少し痛みを覚えさせれば態度が変わるだろうと思った村岡は、法
まさ
眼の胸元を掴み上げてた。教官時代に生意気な新人隊員を何人も片
手で締め上げたその右手は、村岡にとってはどんな勲章にも勝る誇
りでもあった。
﹁おい、貴様! があ、あああああああ﹂
掴み上げた瞬間、右腕全体に電流のような激痛が走り慌てて手を
離した。一瞬何が起こったのかわからなかった村岡だったが、正面
にいる法眼は子供であっても陰陽師である事に変わりはないのだ。
84
﹁おじさん、僕はこの世で一番嫌いな人間はねぇ、僕を子供扱いし
て勝手に身体に触れてくるなれなれしい大人が大嫌いなんだよ﹂
シワになったYシャツの胸元を直しながら、法眼の声に軽く怒気
が混ざる。
まったん
﹁僕に無礼なことをしたんだから当然罰が必要だよね。おじさん知
ってる? 人間の身体の末端って感覚器官がとてもよく発達してる
んだって、それなら当然﹃痛覚﹄もよく感じるはずだよね﹂
うっすらと笑みを浮かべ、空中で人差し指を軽く動かし文字らし
きものをなぞりだすと、﹃ゴキッ﹄と鈍い音が響いた。
﹁がぁっ!! うがああぁぁぁぁぁぁぁ﹂
悲鳴を上げた村岡の右手人差し指が根元から反対側へ反り返って
ディストキネシス
いる。何か見えない力によって、人差し指が脱臼させられた。
﹁うぐうぅぅ。このガキぃ、﹃破壊念術﹄が使えるのか﹂
膝を折り、苦痛に顔を歪ませる村岡の額に脂汗が滲み出す。
たいがい
﹁そうか、おじさんはあの﹃根室防衛線﹄の生き残りなんだよねぇ。
大概はみんな驚くんだけど、おじさんにとってはそんなに意外じゃ
はりま
してきせいさい
なかったかな? ぷぅ、それにしてもおじさんって、お腹を潰れさ
たわむ
れたカエルのような泣き声で鳴くんだね﹂
﹁法眼様、お戯れが過ぎますよ。播磨様からの私的制裁は禁止され
ていることをお忘れなく﹂
しつけ
見かねた道士が法眼をいさめようとするが、法眼はまるで新しい
おもちゃで遊ぶ子供ような表情で返事を返してくる。
﹁わかってるよ道士。ただ、おいたが過ぎる大人にもう少し﹃躾﹄
を教えておかないとさぁ、話はそれからだろ﹂
﹁主様、再度申し上げます。私的制裁は︱﹂
﹁大丈夫、大丈夫。殺さないからさぁ、多分﹂
﹁まっ・・・待て、﹂
村岡を上から見下ろし、再度人差し指が空を舞った。直後、今度
は中指が鈍い音と一緒に反り返り村岡の悲鳴が廊下に響き渡る。
床上をのたうち回る村岡の姿を見ながら、法眼はパチパチと手を
85
叩く。
﹁あ∼れ? おじさんって、結構∼カラダ頑丈なんだね∼!! ア
ハハハハ﹂
法眼はまるで昆虫をバラバラにする子供のように、楽しげに笑い
出した。
86
冴鬼法眼︵後書き︶
こんばんは、朏 天仁です。今年も残すところあと1日となりま
した。
今年最後の投稿となりましたが、ここでドSキャラの登場となり
ました。
▽
`
︶やっと重要キャラの登場ですね。てかっ遅すぎだ
新年早々、次回の内容はついに葵の登場を予定しております。︵
´
ろまったく︵`・ω・´︶
それでは皆さん良いお年を!!︵≧∇≦︶b
87
家族︵前︶
蒼崎玲子の乗った車が﹃たんぽぽ﹄に戻ってき時、あたりはすっ
かり薄暗くなっていた。すぐ前の外灯が付き始め、その下を高校生
数人が乗った自転車が通り過ぎていく。
車を降りると昼間の猛暑の影響なのか、日が沈み気温が少し和ら
いでも湿気だけは変わらず肌にまとわりついてくる。
後部座席からスーパーの袋を引っ張り出すと、助手席から降りた
銀髪の少女に呼びかけた。Tシャツにハーフパンツを履いているが、
サイズが合わずブカブカの格好が彼女の細身を強調している。
あおい
﹁すっかり遅くなっちゃたわね。ごめんなさいね、ちょうど今日が
買い出し日だったのよ。時間がなかったから葵ちゃんの日常生活品
は明日一緒に買いに行きましょう。寝巻きとかは誰かのを借りると
して、1日ぐらいどってことないでしょう。さあ、これ降ろすから
手伝って﹂
葵と言われた少女は無言のまま両手で袋を持つが、見た目以上の
ここ
重さにグラッとよろめいてしまった。
﹁あっ、気をつけてね。﹃たんぽぽ﹄だと食べ物は水の次に貴重な
ものなのよ、だから運ぶときは十分気をつけてね葵ちゃん﹂
葵は一度頷いた。それが彼女の﹃わかりました﹄の返事だろう。
二人が砂利をただ敷き詰めただけの駐車場を抜けると、すぐに﹃
たんぽぽ﹄の玄関前に出た。
きょうだい
﹁さあ、今日からここがあなたの新しい家になるわ。ちょっと個性
が強い仲間達がいるけど、大丈夫だから、みんな優しい子ばかりだ
から心配しないで﹂
蒼崎の言葉に葵は頷いてみるが、それでも不安の表情が消える事
はなかった。
﹁そんなに不安にならなくても大丈夫よ、さっき言った通りその買
88
ったスケッチブックを使えば大丈夫よ。ああそれと、早いうちに言
葉の勉強とかしないと。しばらくは忙しくなると思うから、それじ
ゃー我が家へようこそ!!﹂
玄関の扉が開くと、中の明かりが葵の顔を照らし始める。一瞬眩
しさに眼を細めるが直に葵の瞳が大きく見開いた。
病院の保養所を改築した際に壁やドアに彫られた彫刻や、いくつ
かも
かの装飾品はそのまま残していたため、モダン風な空間に木製の落
ち着いた雰囲気を醸し出している。
葵は一瞬でここを気に入った。
﹁まあ、それほど綺麗ってほどじゃないんだけど、さあさあ早いと
こ荷物を置いてきて、みんなに自己紹介しないとだから、上がって
上がって﹂
かさぶた
きれいに靴をそろえて上がった葵の素足は、乾いた泥と砂が残っ
つまさき
ていてさらに、親指の爪を何かで切ったのか血の瘡蓋ができている。
元医者の蒼崎は、すぐに葵のその爪先に目が留まった。
﹁みんなの紹介が終わったら足の処置をしましょう。ちゃんと処置
しないと化膿したら後がたいへんだしね﹂
頷く葵を確認すると、蒼崎は廊下の向こうから聞こえてくる声に
耳を傾けた。この時間帯は食堂にみんな集まっている時間だ。早速
葵を紹介しようと食堂のドアを開けてみる。
﹁ただいま∼みんな遅くなってゴメンねぇ﹂
蒼崎が中に入ろうとすると、彩音が勢いよく飛びついてきた。
﹁せんせぇ∼、うち汚されてもうたわぁ!! あそこにおるクズ男
にやぁ、あいつ早う山に捨ててこないと、マナ達もその毒牙の犠牲
になってしまうで﹂
﹁ああ、はいはい。それじゃ犠牲になった彩音はさっそくカウンセ
リングを受けてもらう為、周防先生のクリニックに入院してもらお
うかしらね﹂
﹁なぁっ!? そらアカンで、そんなん無しや無し﹂
﹁その前に彩音、さっき担任の先生から連絡があったんだけど、あ
89
なた学校で作った作品を勝手に持ち出したみたいね。前に約束した
のを忘れちゃったのかしら? 約束破りはどうするんだっけかな﹂
﹁・・・えっ、あの・・・うち、ちょっと用事思い出しらからちょ
いと失礼しますわ・・・﹂
苦笑いを浮かべ、その場を逃れようとする彩音の襟首に、蒼崎の
手が伸びた。
﹁待ちなさい! まったくあんたって子は、その場で正座!﹂
﹁ひぇぇ、堪忍や、堪忍してや先生ぇ! ほんの出来心なんやぁ﹂
﹁おだまり! ほら早く正座しなさい﹂
﹁ひぇぇ﹂
頭を抑えられたまま床に正座をさせられた彩音に、葵が物珍しそ
うな目を向けていた。
﹁あれ? 先生その人誰ですか?﹂
葵に気づいたマナが尋ねると、食堂にいた亮と楓、彩音も葵の方
を向きだした。
まきむらあおい
﹁みんな、新しい家族を紹介するわね。今日からここで一緒に暮ら
すことになった﹃槙村葵﹄ちゃんよ。みんなー仲良くしてあげてね
!﹂
﹁なんやて?﹂
﹁新しい家族?﹂
﹁新人さん?﹂
﹁・・・・・・﹂
毎月財政難なここ﹃たんぽぽ﹄の施設に、突然家族1人が増えた
ことは驚く事だが、それ以上にみんなが驚いているのは、この槙村
葵と言う少女の容姿だ。
いくら日本人名であっても銀髪の長髪に透き通るような碧い瞳、
顔立ちはどう見ても東洋人ではなく外国人にしか見えない。
﹁おおー先生ぇ新しい子ですか、葵ちゃん! うち神山彩音やよろ
しゅうな!﹂
早速葵に彩音が興味津々に手を伸ばして握手を求めてきた。葵が
90
恐る恐る手を伸ばそうとすると、彩音は素早く葵の手を握りながら
力一杯自分に引き寄せ抱きしめる。
﹁うーん、かわいい子やな。ついに﹃たんぽぽ﹄も、ぐろーばる化
っちゅうもんになってきたっつうことやなぁーうんうん。まだ日本
の生活には慣れなくてたんへんやろ﹂
ほほす
さっきまでと打って変わった彩音の行動に葵はただ目を丸くして
いる。しかも彩音は今日マナにしようとして拒否された頬擦りをこ
れでもかというくらい擦りつける。
﹁うちがいろいろ教えたるでぇーなっなっそれがええやろ、ならさ
っそくうちの部屋にあるメイド服に着替えて︱﹂
何を思ったのか、彩音はその場で葵の服を脱がせようと手を掛け
ようとする。だが、素早く蒼崎の平手打ちがいい音と一緒に彩音の
頭に落ちた。
﹁いいかげんにしなさい。彩音﹂
﹁・・・・・・はい﹂
うずくまって悶絶に耐えている彩音をほっといて、食堂に集まっ
た皆が順番に自己紹介を始めた。
﹁はじめまして、星村マナです。よろしくね、葵ちゃん﹂
﹁わたし・・・風間楓・・・・・・よろしく﹂
﹁俺は月宮亮だ。よろしくな﹂
亮の名を聞いた瞬間、葵の顔色が変わった。真っ直ぐに亮の顔を
直視しながら、何かを話そうと口を動かしている。
その様子を蒼崎が注視しながら眺めている。
﹁どないしたんや? 葵ちゃん。そっちの番やで? 早よう自分で
自己紹介せんと﹂
彩音が不思議そうな顔をして話すと、蒼崎が口を開いた。
﹁あっ! ごめんね皆。言い忘れてたんだけど、葵ちゃんは失語症
で自分では言葉が話せないのよ。でも皆の言ってる言葉は理解でき
ているから大丈夫よ、少しコミュニケーションに問題がある子だけ
ど仲良くしてね﹂
91
﹁なぁーんや、そうだったんかいな。うちてっきり恥ずかしがり屋
かと思って心配してもうたやないか、でも、まぁー言葉が話せんち
ゅうことは、さぞ不便やろうなぁ・・・・うちが一番の友達になっ
てやるさかい、安心しいやぁ・・・ムッフフフフフ﹂
彩音の恐ろしい視線を感じたのか、葵は蒼崎の後ろへと避難した。
﹁彩音・・・くれぐれも変なことは考えないようにね﹂
蒼崎が手前でゲンコツを作り彩音に向けると、その気迫に身の危
険を感じてか、観念した様子で手を上げた。
﹁じょ・・・・・・冗談や・・・・・・先生ぇー冗談やで・・なぁ﹂
﹁一応、葵ちゃんは言葉を話す事は無理でも、文字を書くことはで
きるから皆もこれからは葵ちゃんとよく筆談してあげてね・・・・・
・それと、くれぐれも彩音は変な気を起こさないようね﹂
﹁ちゅうことは、悲鳴は上げられんっちゅうことやな、ムフフ﹂
蒼崎の再三注意に彩音は全然納得してない様子に見えるが、それ
でも皆は新しく入ってきた葵に対して、悪い印象は持ていないよう
だ。
亮が来たときは3人とも挨拶を済ませると、クモの子を散らせた
ように逃げて行ったのに、やはり同姓とういうだけでこうも態度が
違ってしまうのかと亮は思った。だが、態度が変わらない人もいた。
﹁それじゃ・・・私・・・部屋に戻ります﹂
指でメガネを押し上げ、肩まで伸びるバサバサ髪の楓が部屋に戻
ろうとする。もともと楓は食事や風呂以外で部屋から出ることはめ
ったに無いし、軽度の知的障害と対人恐怖症を患っていて、人が多
いこの空間は彼女にとって﹃苦痛﹄以外の何者でもないのだ。
年齢は16歳だが、精神年齢は10歳程度だ。たんぽぽにはマナ
の次に来た少女で、楓は他の亜民と違って才能に恵まれた子でもあ
る。
﹁あらそうね。じゃあ楓、夕食の準備ができたら呼びにいくから、
それまで部屋で自由にしてていいから。といってもまた絵を描いて
るんでしょう、また腱鞘炎にならないようね﹂
92
楓が頷いて居間から去ると、後に残ったのは亮を含めて4人だけ
になった。
﹁それじゃさっそく夕飯の準備に取り掛かるとしますか・・・彩音
は、私と一緒に夕飯の準備手伝ってちょうだい。今夜は葵ちゃんの
歓迎会よ﹂
﹁えー先生ぇ、うちこれから葵ちゃんと親睦を深めようと思ったの
に・・・・・・亮、あんた今日うちの身体をもてあそんだんやから、
あんたが手伝いや﹂
彩音の言葉に亮は一瞬ギクリとしたが、すぐに反論した。
﹁ちょっ、ちょっとまてよ。それは彩音が勝手に勘違いしてるだけ
だろ、自分だけ被害者になるなよ﹂
﹁なんやてぇー亮あんた、うちが知らん間に自分の部屋にうちのマ
ナ連れ込んで傷もんにしておきながら、そう言うんかぁ﹂
彩音の一方的な思い込みの訴えに、今度はマナが赤面しながら反
論する。
﹁ちょ・・・・・・ちょっと彩姉ぇーマ・・・マナ・・・マナは何
もされて・・・・・・ないし、それにマナは彩姉ぇーの物になった
覚えなんてないもん。そっそれに亮兄ぃーは彩姉ぇーと違って優し
くて・・・ちゃんとマナのリクエストに応じてくれたり、気持ちよ
く布団で寝かせてくれただけだもん﹂
何だか誤解を招きそうな発言が飛び出すと、案の定その言葉に彩
音はその場で凍りついた。
﹁や・・・﹃優しく﹄・・・リ・・・﹃リクエストに応じる﹄・・・
・・・﹃布団の中でチョメチョメしてくれた﹄・・・だぁとぉ!!﹂
﹁おいちょっと待て! チョメチョメってなんだよ、チョメチョメ
って! そんなの一言も言ってないだろが﹂
﹁・・・マナ、あんたいつからそんな子になったんや・・・・・・
うちのマナがあんたみたいなクズ男に調教されてしもうた・・・コ
ラぁーどう落とし前つけるきやぁー﹂
大声で吠えながら彩音が亮に向かって迫る。
93
﹁ちょっと待て、誤解だぞ。そもそも彩音が今想像しているような
ことは、間違っても起こってないからな﹂
﹁えぇぇー亮兄ぃ、﹃間違っても﹄って何? 何なの?﹂
彩音の次はマナが亮に迫る。
﹁えっ・・・だからマナ﹃間違っても﹄って言うのは、だな・・・
そのー何だ・・・﹂
﹁マナと亮兄ぃーは、そういう間違いが起こってくれないの?﹂
﹁ちょっと待て、マナ・・・・・・マナは一体おれに何を期待して
るんだ?﹂
その時、居間いる3人は重苦しい空気と指すような強い視線を感
じた。彩音や亮達を黙られせる殺気にも似た強烈な気配の主は蒼崎
だった。
﹁ふがぁっ﹂
﹁彩音ちゃん・・・手伝うの、手伝わないの・・・どっちなの? ねぇー彩音ぇぇ﹂
彩音のこめかみにアイアンクローをする蒼崎の瞳の奥が、一瞬ギ
ラリと光る。
﹁ててて、手伝いますー・・・いややわぁー先生ぇーそんなに怒ら
んといてな﹂
﹁これ以上、私を楽しませないでね彩音ちゃん﹂
﹁は・・・はいな、すぐ準備しますわ﹂
﹁それと亮くん、悪いけどちょっとドレッシングが終わっちゃった
から、近くのコンビに行って買ってきてくれないかしら﹂
﹁は、はい、別にいいですよ﹂
﹁あっ、じゃーマナも、マナも行く﹂
﹁駄目よ! マナちゃんは葵ちゃんの足の手当てしてちょうだい、
救急箱が奥の引き出しにあるから﹂
﹁・・・はい、マナわかった﹂
﹁あの、先生ぇ、そろそろ手を離してや、いっ痛いで﹂
﹁ダーメ、あんたはこのまま台所まで一緒に行くのよ。そしたら離
94
してあげるから﹂
﹁ひぇえええええ﹂
彩音の顔を掴んだまま2人は奥の台所へと入っていった。
﹁それじゃー俺も行ってくるかな﹂
﹁亮兄ぃ、行ってらっしゃい﹂
葵が玄関に向かおうとする亮の後を追おうとするが、すぐに腕を
マナに掴まれる。
﹁どこ行くの? 葵ちゃん足の手当てしないと﹂
葵は少し困惑した顔を見せるが、亮が玄関から出て行ってしまう
と、渋々頷いた。
﹁よっと﹂
玄関の扉を開けると、生暖かい湿った風が身体にまとわりつく。
外はもう真っ暗でLEDの街灯が通りを照らしている。昼間うるさ
かったセミの声の代わりに、鈴虫の静かな鳴き声が通りに響いてい
る。
その通りを歩きながら亮は虫たちの音に耳を済ませる。ほんの数
年前、亮の耳に聞こえていたのは鼓膜を破らんばかりの砲声に、や
まない銃声と悲鳴だった。
ふと昔の頃の記憶が頭をよぎった亮は、下を向き大きく深呼吸を
ついた。
﹁忘れろ、もう終わったんだ・・・んっ?﹂
ふと、誰かの気配を感じて顔を上げると、前方の電柱に高校生ら
しき面影が見える。さらに近づいてみると近所の高校の制服を着た
女子高生が立っている。長い黒髪をツインテールに結び、細い腕に
似つかわしくない大きなボストンバックを肩に担いでいる。
あまりにもアンバランスな格好が目に留まった亮が、その女子高
生の顔を見た瞬間驚いた。
﹁かっ・・・薫? お前、薫か?﹂
﹁はい、お久しぶりですね、兄上﹂
95
つきみやかおる
そこに立っているのは、亮と同じ﹃月宮﹄の名を持つ﹃月宮薫﹄
がいた。
96
家族︵前︶︵後書き︶
新年明けましておめでとうございます。朏 天仁です。
今年初登校が遅れてしまって申し訳ありません。
さてさて、今回ついに葵登場です。そして亮の兄弟︵?︶ともしく
人物登場ですね。これからどうなっていくのか今後の展開が気にな
っていく所ですね。︵^︳^;︶
次回は1月の下旬頃を予定してます。最低でも月一投稿はしていき
ますので・・・
それでは、ここまで拝読してくださいました読者のあなたに感謝を
︳︶>
送りたいと思います。今回も読んでくれましたありごうございます。
<︵︳
でわ、次回お会いしましょう。
97
家族︵後︶
﹁本当に、薫なのか?﹂
﹁そうですよ。どうかしましたか兄上?﹂
﹁お前・・・一体どうしたんだ? その格好は?﹂
﹁どうしたのって、見ての通り私の私服ですよ。どうですが兄上!
結構似合ってますか? この制服似せるのに結構大変だったんで
すよ﹂
薫はボストンバックを肩から下ろし、驚く亮の目の前でくるりと
回ってスカートの裾を摘み上げて見せた。エレガントな女性を演出
して見せているが、薫は正真正銘立派な男だ。だが、その容姿は女
性の中でも美人の分類に入る程だ。道で男とすれ違えば間違いなく
10人中10人は振り返るだろう。
﹁似合ってる、似合ってないの問題じゃねぇだろうが。何で女装な
んてしてるんだよ? しかも声まで変わってるし!﹂
﹁そうですね、兄上と最後にあったのは5年前のインドシナ半島紛
パルチザン
争以来でしたから、それ以降のことは知らなくて当然すね。あの時、
政府軍にいた私はまだ11歳の少年兵で、兄上は革命軍のゲリラで
したね、あの﹃共食い﹄の後に私がどうなったから知らないのも無
理ないですもんね﹂
﹁ああ、ビルマ解放軍と一緒にタイのケシ畑を占領した後、叔父さ
んから連絡もらってすぐに日本に戻されたからな、その後の事は知
らされてない﹂
﹁あの後、私はティン指揮官の命令で工作兵としてゲリラ支配地域
に進入する任を任せられたのですよ、それも女性を装ってね﹂
薫はボストンバックを地面に降ろすと、楽しそうに語り始めた。
﹁あああ、あれは最高に楽しく充実した日々でした。ゲリラ兵共は
私を女と見るや、自分から人気の無いところへと誘ってくれたんだ
98
は
下ごしらえ
調理材料
から、手間が省けてなりよりだったわ。後は私が好きなように獲物
デコレーション
の皮を剝ぎ、喉を切って血抜きを済ましたら、切り取った四肢関節
を組み替えて死体芸術を完成させるのよ。それはもう最高に楽しか
ったわ﹂
﹁つまり、お前が女装してるのは任務中だからか。とう言うことは
お前がここにいるのは任務という事だな﹂
亮は相手と距離をとると、真っ直ぐに薫を見た。任務で兄弟同士
が出会った場合ほぼ9割りは殺しが目的だからだ。それを亮達はお
互いに﹃共食い﹄と呼んでいる。
にちれん
﹁まあ、その後も任務を遂行していたのですが、父上から帰国命令
を受けて1年前から日連︵日本連邦︶に戻って来ました。それから
私って女装だけじゃなくて、﹃美﹄について興味がわいてその追求
をしています。だからそんな目くじら立てないでくださいよ兄上。
私がここに来たのは任務じゃないですから、父上からコレを兄上に
渡すように頼まれただけです﹂
一方的に話し終えた薫は、下ろしたボストンバックを亮の足元へ
投げ飛ばした。
﹁叔父さんから?﹂
見覚えのない使い古したボストンバックを手に取って開けてみる
と、中からバウンティーハンター時代に愛用していた45口径のコ
ルトガバメントが一丁入ている。亮が自分の手に合うようにコンパ
クトカスタムを施した愛銃で、それがオーバーホールを済ませ黒光
りの光沢を放ちながらご主人様の帰りを待っている状態だ。
ピッキング
他にも、訓練学校で支給されたノートパソコンや高振動ナイフに
集音マイク、電子盗聴器、住宅進入キット等など、亮がハンター時
代に使用していた道具類一式がそろっていた。
﹁・・・これって﹂
かぞく
﹁聞きましたよ兄上! 国家バウンティーハンターに昇格したって。
おまけに史上最年少だって聞きましたよ。組織の中でも国家資格を
持っているのは父上と兄上を除いて4人だけですし、兄弟の中で持
99
ってるのは兄上だけ、私はその弟として誇りに感じてます﹂
﹁・・・そうか﹂
うらや
﹁そうですとも、これで世界中で合法的に殺しができますね。羨ま
しいです兄上﹂
﹁そうか・・・﹂
﹁私も早く国家資格を取って、兄上と一緒に屍の山を競いあいたい
です!﹂
﹁それは無理だな﹂
﹁・・・!? 兄上?﹂
﹁資格は貰ったが、使う予定も使う気もないよ。俺はこのまま人と
して生きるんだからな﹂
﹁兄上?﹂
﹁資格が欲しけりゃお前にくれてやるよ。俺には必要ないもんだか
ら﹂
﹁・・・・・・・・・ふ∼ん、そう・・・﹂
ボストンバックをそのまま返そうと口を閉じた瞬間。一瞬、つむ
じ風が吹くと亮の顔に衝撃が走った。薫のローキックが直撃した。
そのまま地面に体を擦り付けながら飛ばされ、激しく電柱に体をぶ
つけ停止した。
﹁ガハァっ﹂
﹁父上の言った通りでした。﹃あの事件﹄以降、兄上がおかしくな
ったって・・・最初は何かの冗談かと思いましたけど、今確信しま
したわ﹂
静かな口調に怒りを込めながら、ゆっくりと薫が近づいていく。
その言葉の中には失望の感情も込められていた。
未だ立てずにうずくまっている亮の前でくると、まるで汚い虫で
も見るかのように上から無表情のまま見下ろしている。
むなぐら
﹁はっ、寝ぼけんじゃねぇーよ、兄上﹂
亮の胸倉を掴んで持ち上げると、そんまま電柱に押し当てた。そ
の細い腕の一体どこにこんな怪力が生まれているのかわからないく
100
らい、軽々と亮を持ち上げている。
﹁薫よせ・・・言っただろう、俺は・・・もう戻らない・・・俺は
もう亜民なんだよ﹂
﹁あっははははははー、兄上ぇーあっはははは。何を言うのかと思
えば、はっははははーとても兄上の言葉とは思えません、くっくっ
くっ・・・私たち﹃桜の獅子の子供達﹄の中で、一番親獅子に近い
と言われた若獅子様が﹃亜民﹄ですって、ひっひっひっひっひっ・・
・・・・・・・はぁー・・・・・・いい加減目ぇ覚ませやぁ!﹂
大笑いした薫の瞳が血のように真っ赤に変わると、硬く握り締め
た拳を亮の腹に食らわせた。
﹁がぁ﹂
ひゃっきしゅう
﹁兄上、﹃月宮﹄の名を持つ自分が何者か忘れた訳じゃありません
よねぇ。私達は人間ではないのですよ、かと言って百鬼衆のような
あんな出来損ないでもありませんよ。私達は純粋なバケモノなの。
戦争と言う怪物が産み落としたバケモノなんですよ。・・・・・・
やれやれ、兄上はあの人間達と一緒に暮らしておかしくなったんで
すか? 人とバケモノが一緒に暮らせるわけないじゃないですか﹂
﹁いや・・・はぁっ、がはっ、お・・・俺はちゃんと暮らしていく
さ。これからもー﹂
﹁今はね。でも、いつの時代もバケモノは最悪を呼ぶのよ、そう決
まってるの! そして一緒にいる人間に必ず不幸をもたらすの。あ
そあくみん
っ・・・でも、そういえば兄上と一緒に暮らしてる人間達って、確
か粗悪民ですよね。なら殺っしゃっても問題ないか﹂
薫が言った﹃粗悪民﹄は社会不適合者を蔑む最低な差別言葉の一
つだ。ただでさえ社会不適合者は市民より下の﹃亜民﹄と位置付け
られ差別されている。
その言葉を聞いた瞬間、何故か亮の腹から例えようのない感情が
こみ上げてきた。
﹁おい!﹂
腹に食い込まれている拳を掴むと、ゆっくりと引き離した。無論、
101
薫も全力で抵抗はしているが力を入れれば入れほど、亮の力がそれ
を上回った。
﹁ぐッぁ、あっ兄上・・・﹂
薫の顔が苦痛に歪みはじめ、汗がにじみ出る。
﹁気にくわねぇ、今の言葉・・・気にくわねぇな!﹂
﹁なっ、何が気に入らないのよ? ええ、人間社会から弾かれた連
中に何アツクなってるのよ、兄上﹂
掴まれている拳がミシミシと悲鳴を上げ、さっきまでとは状況が
一変した。薫の顔から余裕が消え、彼の本能がその場にからすぐ離
れる事を警告してくる。
﹁何よ・・・亜民で生きるとか言っても、やっぱり兄上は兄上じゃ
ないのよ。私と同じじゃない﹂
﹁黙れ!﹂
今度は薫の首を掴もうと亮の腕が伸びた。だが、何の抵抗も無く
スルリと体を通り抜けてしまった。
﹁!?、お前・・・影渡りか?﹂
そう言ったた亮の前で、薫の体が薄く消える始める。
や
﹁残念でした兄上、私って勝てない戦はしない主義なのよ。それに
今の兄上と殺り合ったら本気で食われそうだし、もうあの時みたい
な事はゴメンだわ。だから今日はコレで退散するわね﹂
﹁なら、叔父さんに伝えろ! 俺はもう戻らない。ここが俺の帰る
家だとな。もし俺の家族に危害を加えるなら容赦しないとな﹂
﹁そんなにニセモノの家族がいいの?﹂
﹁もう一度だけ言うぞ、手を出したら容赦しない!﹂
﹁・・・・・・ガキね、兄上は﹂
呆れ顔に笑みを浮かべながら、薫の姿が完全に消えると亮はその
場で膝をついた。今日一日で一之瀬・霧島・薫・叔父と自分の過去
にまつわる事が合わさり。その副作用なのか亮の頭の中を過去の記
憶が早回しで再生され、それをいくら本人が振り払おうとしても繰
り返し繰り返し頭の中を駆け巡っていく。
102
﹁クソ、クソ、クソ。クソッタレが!!﹂
苛立つ感情と湧き上がる苦しみを地面に向けて何度も叩きまくる。
﹁チキショウ・・・何でだよ・・・チキショウ・・・もうぉ・・・
ほっといてくれよ!・・・・・・チキショウ・・・﹂
斜めに曲がった電柱の下、街頭が照らすその場所を、亮は何度も
叩き続けた。
廃ビルの屋上と囲む錆びた策に肘を乗せると、薫はある人物に電
話をかけた。
﹁あっ、薫です。例の物は兄上にはちゃんと渡しておきました。え
え、はい。あともう少しです。こっちが終わり次第そっちのアマテ
ラスの件も再開します。・・・心配いりません、兄上の渇きはもう
限界まできています。ですから、あとはキッカケさえあればいいん
ですよ。どんな小さいくてもキッカケさえあれば兄上は元に戻りま
すよ、ねぇ父上﹂
電話越しに話ながら、薫は掴まれていた右手を前に出した。亮の
手の跡がくっり残って2倍に膨れあがっている。紫色に変色した5
本の指全てが違う方向に曲がり、あきらかに強い握力によって骨折
している。
常人なら痛みで悲鳴を上げる筈だが、薫はさも気にしない様子で
話を続けている。
﹁・・・でも凄かったわ、うまい具合に﹃ランゲの書﹄が発動して
かいもん
難を逃れたけど、もう少しで腕がちぎれる所だったわ。まさかね﹃
鬼門の開門﹄さえしてないのにあれだけ力の差があったなんてね、
以後気をつけるわ。じゃあねぇ父上﹂
通話を終えニッコリと微笑む薫の視線の先には、暗い街の中で1
円玉ほどの大きさになった亮の姿を捕らえていた。
103
家族︵後︶︵後書き︶
こんにちは、朏 天仁です。
今回亮の家族についての話でしたが、次回はあのキャラが久しぶり
に登場する予定です。
今回も拝読してくれた皆さん方に感謝を述べたいと思います。あり
がとうございます。m︵︳︳︶m
でわ、次回は2月中旬の予定です。
104
聖痕消失
日本連邦の空の玄関口である成田国際空港は、一日に約2万人の
外国人が入国する。しかし入国にトラブルが起きない事はありえな
い。
成田空港内にある入国審査別室に、ロメロ神父とシスターの2人
が座っている。四方を白一色に装飾された部屋の広さは、10人程
が会議をできる広さがある。中央のテーブルに腕を乗せて、2人は
瞑想をしているように目を閉じて微動だにしない。
﹁やーどうもお待たせしてすみません﹂
突然ノックもなしに太った男が入ってきた。
40代後半で見た目にもメタボリック症候群だとわかる程に出た
腹をゆらゆら揺らしながら入ってくると、悪びれる素振りも見せず
に椅子に腰掛けた。
持っていたファイルを机上に開くと、指で文字をなぞりながら話
始めた。
﹁えーと、一応外務省から本国の方に確認を取っているみたのです
が、どうもヨーロッパ圏の通信回線に不具合が生じてしまったよう
です。パスポートの確認にもうしばらく掛かってしまうようですね。
お二人共向こうの教会に所属しているようですね。この・・・﹃東
方マリア教会﹄でしたっけ、申し訳ないのですがもう一度入国目的
を確認させてください﹂
水戦争
﹃東方マリア教会﹄はロメロ神父達が海外で布教活動をするときに
使用するダミー教会である。﹃第二次極東戦争﹄終結後、国際紛争
調停特別調査団︵AlternativeDisputeReso
lution︶によって﹃東方シオネス十字協会﹄の非道行為は一
部の国際社会から強く非難された。多国のマスコミからも報道され、
今後の教会運営に支障が発生する恐れから海外活動の場合は﹃東方
105
マリア教会﹄の名を用いて活動を行っている。
﹁布教活動です﹂
ロメロ神父がしっかりとした発音で話す。
﹁日本語がお上手ですね、以前何度か日本に来られているのですか
?﹂
﹁いいえ﹂
ヨーロッパ
﹁にしてもお上手だ。覚えるのが大変だったでしょう、私なんて未
だに日本語と英語以外全然ダメですから。特に北欧なんかはお手上
げですよ。ハッハッハッ﹂
その場の空気を少しでも和ませようと笑ってみせても、2人の表
おお
情に変化は見られなかった。逆に男の臭い口臭を飛ばされ、隣に座
っているシスターが手で鼻を覆った。
しばし間をおいてから、ニヤリとしたロメロ神父が口元から白い
歯を覗かる。
﹁以前、日本人の知り合いがいまして。彼らから日本語を教えても
らいました﹂
神父の口元は笑っているがあきらかに目は笑っていない、むしろ
見下したように目の前にいる男を眺めいる。
当然だろう、6時間異常も部屋に拘束され連絡もとれないでいる。
罵声を上げたい衝動に駆られたがあえて我慢している。
﹁それで、いつになったら私たちは入国できるのですか? もう6
時間も待たされています。大使館にも連絡を入れてもらえないなん
て、どういうことですか?﹂
﹁ええ、ですから、その・・・通信に不具合があるので、回線が回
復したらすぐにでも﹂
男が額に吹き出た汗をハンカチで拭きながら、のらりくらりと言
葉をつなげるて説明を始めると、神父が両手の人差し指を自分の口
元に当てた。
﹁あなたの誠意はわかっていますから、大丈夫ですよ・・・・・・
ただ、ちょっと見てもらいたい物がありまして﹂
106
そう言うと神父が男の前に一枚の紙を広げた。紙には幾何学な記
号や模様が描かれていて、それを見ている男は首を傾げながら神父
に訊ねた瞬間、男の動きが停まった。
男の表情が固まり、口がダランと下がると虚ろな目のまま一点を
向いている。動かなくなった男に対し今度は神父が話し始める。
﹁本当に本国と連絡が取れないのか?﹂
﹁いいえ﹂
男が何の感情もなくゆっくりと答え始める、まるで何かの催眠術
にでも掛かったかのようにロメロ神父の質問に淡々と答え始めた。
﹁何故私たちをここに留めた?﹂
﹁頼まれたから﹂
﹁誰に?﹂
﹁国土交通省の先輩に﹂
﹁理由は?﹂
﹁聞くなと言われた﹂
﹁正直に言いなさい﹂
﹁本当に知らない﹂
﹁では、迎えの大使館職員はどこにいる?﹂
﹁隣の別室に待たせてます﹂
﹁公用車は?﹂
﹁地下のVIP専用の駐車場があり、そこに今駐車しています﹂
﹁よろしい。・・・・では、たった今本国と連絡は取れた。お前は
入国審査官に私達の手続きを完了しろ。誰になんと言われてもだ﹂
﹁はい、わかりました﹂
﹁他に問題は?﹂
﹁はい。ありません﹂
﹁なら入国を許可してもらおう﹂
﹁はい﹂
﹁今すぐにだ!﹂
﹁はい、今すぐに﹂
107
﹁それが済んだら隣の別室に待たせている職員を呼んできたまえ。
すうようざい
ああそうだ。それともう一つ、お前は罪を犯した﹂
﹁・・・罪を?﹂
﹁そうだ、お前はシオネス教の正典にある八つの枢要罪の一つ﹃暴
食﹄の大罪を犯している。お前は今後質素な生活に悔い改め、得ら
れた賃金はその生活だけに使え。そして残りの財産は全て我ら﹃東
方マリア教会﹄に預けるのだ﹂
﹁えっ・・・あっあっ・・・﹂
ゆ
﹁何を躊躇している、これはお前の大罪に対する免責のお布施だ。
それで神がお前の罪をお赦しになるのだ、欲を捨てよ!﹂
﹁わか・・・り・・・ました﹂
﹁でわ、さっそく動いてもらおう。早く行け!﹂
そう言うと男はゆっくりと立ち上がるり、そのまま部屋を出て行
ってしまった。
ドアがゆっくり閉まると、フードを被ったシスターがロメロ神父
に話し始めた。
﹁神父、さっき日本語で彼になんと話しましたか?﹂
﹁入国審査に時間が掛かっているようなので、わたしは親切丁寧に
お願いしたのです。神父らしく﹂
﹁しかし、あの日本人は途中なにか困ってませんでしたか? ﹃マ
めっそ
しんと
リア﹄と単語がでましたが、ひょっとしてお布施の強要などは︱﹂
﹁滅相もございません。わたしは神に使えているのです。神の信徒
さと
として辺境の地で布教活動をするのは当然のことです。あの男は欲
に執着しておりましたので、わたしが神父らしく諭してさしあげた
のですよ。神の使途として﹂
ロメロ神父は人差し指を立てながら、ニンマリとした微笑をシス
ターに向けた。
﹁・・・それならいいのです。貴方がどこで神の教えを広めようと
わたくし達には関係の無いことですから、ただ貴方達を保護してい
る王室にまで変な悪評が広まるようなら・・・わかっておりますね﹂
108
せんえつ
あなた
﹁僭越にすぎるかとぞんじますが、承知いたしております。貴女様
の所に迷惑をかける気は毛頭ありません。王室の代表として気が張
ってしまうのはわかりますが、だからこそ平常心をお保ちください﹂
﹁それなら良いのです・・・わたくしはただ、早くあの子を見つけ
たのです。ただそれだけですから﹂
シスターは前を向き、その歯がゆい感情をローブを握り締める事
で抑えている。
﹁ご安心下さいませ、空港を出れば1日で万事上手くいきます。そ
の為の聖痕さのですから、明後日の今頃には貴方様はとなりには﹃
ルクージュの奇跡﹄と一緒に寄り添っておりましょう﹂
ロメロ神父の言葉に、シスターは無言のまま頷いた。
数分後。先ほどの出て行った男が出て行ったドアから入ってきの
は、丸刈りで背が高く、スーツを着てはいるが鍛え上げただろう広
い胸板と太い腕で、生地がパンパンに張っている。目で見てわかる
程の筋肉質な体格は、先ほどの男とはまったく正反対な体格だ。
﹁お待たせしました。本国より今回の任務を仰せつかった駐留武官
のポーンです。こちらがお2人の入国許可書とパスポートになりま
す﹂
男が机上にパスポートを置いた。神父とシスターはそれを黙って
兵隊
受け取ると、静かに立ち上がった。
﹁ポーン? ﹃Pawn﹄か、文字どうりの駒と言うわけだな。で
わ、我々を先にキングの元へ案内しておくれ﹂
﹁こちらです﹂
ポーンは扉を開け廊下へと誘導する。ロメロ神父とシスターはそ
のまま部屋をあとにした。
白く長い廊下を歩続けると、手前に指紋認証式ロックが付いた扉
が現れた。ポーンが指紋確認のタッチポイントに指を置いて扉が開
くと、薄暗い間接照明に照らされた成田空港の中央ロビーに出た。
ロビーにあるデジタル時計がAM2:11を刻んでいる。フロア
ー内は登乗窓口には誰一人としておらず、奥の待合室にある長椅子
109
に横になって寝ている人が数人いるくらいだ。
﹁あちらになります﹂
ポーンの手が外の中央ロータリーへ示すと、外交官ナンバーと前
後の角2箇所にルーマニア国旗を掲げた黒のベンツが光沢を放ちな
がら停まっている。
ロメロ神父が車に近づくと、ゆっくり後部座席のドアが自動に開
いた。2人が乗車するとドアが閉まり発進する。
居心地のいいイスに深々と座りながら、ロメロ神父は身体を伸ば
して見せる。皮手袋をしたまま手を組むと長旅で疲れたのか目を閉
じたまま瞑想に入った。
この時、ロメロ神父が手袋を外していたら自身の異常事態に早く
気がついたかもしれなかった。ロメロ神父の手から聖痕が消失して
いる事に。
しかし、その事に気づく事なく車は走り続けた。
はりま
播磨局長にその連絡が届いたのは、ロメロ神父達が乗った公用車
が空港を出発した直後だった。
破れた日本国旗を背にして連絡を受けた播磨局長は、連絡員にそ
のまま監視を続けるよう命令を下すと受話器を戻した。
﹁予定通りレッドクロスが入国した。もうすぐ奴らは知ることにな
るだろう、今の日本がどうなっているのかをたっぷり思い知らせて
やる・・・だがL−211の強奪はこちらの側にとって予定外だっ
たぞ。それは貴様が描いた青写真の一部なのか?﹂
部屋には播磨局長一人しかにない。独り言のように話し始めると、
プラン
部屋の奥から声が発せられた。
﹁どのような作戦においても想定外の自体は起こりえる。だが、今
しんらみょうじん
の所そのリスクは軽微ですんでいる。計画に支障はない。予定通り
列島方陣の一つ﹃森羅明神経位﹄が発動された。播磨よ、これで世
界は知る事になる。日本は唯一神秘術に防衛力を持った強国である
ことをな﹂
110
﹁2度の敗戦、2度の植民地化。ワシらの国を土足で踏み荒らし・・
・あの悔しさは今でも忘れん! 今までとは違う、日本は過去から
学び力をつけてきた。もう日本は大国を恐れたりはしない、恐るの
は奴らのほうだ﹂
播磨局長の瞳に怒りが宿り、大きく息を吸い込む。怒りが全身に
周りワナワナと震えだすのを抑えるためだ。
﹁その歳で決起盛んとは羨ましいぞ、播磨。だが戦争の前に日本が
本当の独立を果たすのが先だというのを忘れるなよ。若いお前の部
下が勢い余ってつい・・・などないようにな﹂
﹁わかっている。その辺りは心配ない。むしろ問題があるとすれば
きんこじ
あの﹃陰陽師﹄だ。早速ワシの部下を可愛がってくれたそうじゃな
しつけ
いか、緊箍児がないのはいささか問題があるぞ﹂
かいらい
﹁ちゃんと躾てあるが心配いらん、もう手は出させんよ。所詮は姉
がき
がき
の傀儡よ、大目に見ておけ﹂
﹁餓鬼は餓鬼らしくか﹂
﹁他になければこれで失礼する。連絡はまた同じ時刻に﹂
声が消えると、播磨は机上の置いた写真立てに目を向けた。まだ
幼さが残る青年が陸自の91式制服を着て敬礼している。その隣に
は少しはにかんだ笑を作ってみせる播磨局長が写っている。
第二次極
写真立てを手にとって近づけると、震える指でゆっくり写真を撫
東戦争
でる。写真の日付は2021年5月1日を記している。日本の水戦
争が始まる前日だった。
111
聖痕消失︵後書き︶
こんにちは、朏 天仁です。今回は久しぶりにロメロ神父達が登
場です。何やら亮の知らない所で話が進んできてますね。渡して彼
らの目的と、陰謀渦巻く播磨達の計画、今後の展開が気になります。
次回の投稿は2月下旬頃を予定してまいます。今月から他が忙し
くなるってきましたが、なんとか投稿を続けていきたいと思います。
ここまで読んでくれました、読者の皆さんには本当に感謝します。
でわm︵︳︳︶m
112
獅子の逆鱗
7月3日、連日の猛暑で朝からエアコン全開で運営を始めた﹃都
島リハビリセンター﹄では、今日も元気よく午前の部の生徒達が登
校していた。
普段と変わらない光景、いつのも日常、いつもと同じ生徒の顔。
うしじまゆうじ
登校して、授業を受けて、帰宅する。そんな当たり前の時間が今日
も流れ始めていた。
ただ、このセンターの管理人をしている牛島雄二には、普段の日
常とは別の問題に頭を悩ませていた。
昨日報告を受けたロッカーと下駄箱の破損について、どう記載し
たらいいのか考えを巡らせていた。イライラから始まった貧乏揺す
りから、自然とタバコの本数が増えていき気が付けば既に3箱目を
開けようとしていた。
なぜ、そうなったのか
なぜ彼がここまで頭を悩ませなければならないのかというと、修
理依頼書に必ず記入しなかればいけない﹃状況説明﹄と言う欄があ
るからだ。普通に生徒同士の悪ふざけで壊れたくらいなら幾らでも
理由をでっち上げれば済む事だが、問題はこれが非常に説明しにく
スチール
い壊れ方をしている為、どう書類に書いたらいいのかわからないの
だ。
﹁どうやれば、こんな硬い鋼がこんの風になるんだよ。これで申請
がおりなかったら俺の自腹かよ、まったく・・・﹂
サラリーマン
ゆうゆうじてき
ここの管理人を勤めて丸二年になる牛島は、元上郷町役場の事務
員を定年退職した普通の窓際公務員だった。定年後に悠々自適な年
金生活を送ろうと計画を立てたいたが、定年後に彼を待っていたの
は最愛と思っていた妻の離婚届だった。
こころ
いわゆる熟年離婚と言われる問題が彼に襲い掛かった。最初は彼
も拒否して何とか妻の説得を試みたが彼女の意思は固く、最後は裁
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判所で協議離婚が成立した。
彼の年金と退職金の半分は別れた妻の生活費に渡ったため、予想
以上に困窮した生活苦が定年後に始まった。
仕方なく元の職場に再雇用願いを出してみたが、あっさり拒否さ
れてしまった。ハローワークで相談しても自分と同じ境遇な人達が
多くて再就職は難しいと言われる始末だ。
やがて退職金が底をつき掛けて本当に困り果てたその時、偶然立
ち寄ったコンビにで元上司と再開し、事情を説明するとシルバー人
材派遣を通じてこの仕事を紹介してもらったのだ。その為、彼にと
ってここは最後の砦とも言える。
もし下手な報告でもして監査に引っ掛かったりでもしたら最悪だ。
虚偽報告をしたとして即解雇がまっている。彼の代わりはいくらで
もいるため、絶対に解雇は避けたかった。
﹁うぅぅぅぅん・・・どうしたもんかなぁ、こりゃ・・・﹂
それから数分間、ない頭を使ってどうにか知恵を絞って出した答
えは﹃原因不明﹄の4文字だった。下手な言い訳を考えるより、正
直に書いた方がまだ納得がいいくと、牛島は開き直るしかなかった。
その後、何とか書類を書き上げひと息いれようと席を立つと、管
理人室の受付窓をコンッコンッと叩く音がしだした。
お
牛島が窓を開けてみると、そこにはきれいなブルーグリーンの生
ぎのみか
地にビーズ刺繍をふんだんに施し、ロング丈のワンピースを着た荻
野美花が立っていた。
﹁ああ、荻野さんか。新しい鍵だね、待ってくれ今持ってくるから﹂
そう言って隅の備品棚の引き出しを開け、中から新しい南京錠を
取り出したて渡した。
﹁はい、新しい鍵だよ﹂
﹁ありがとうございます﹂
美花は南京錠を受け取るとペコリと頭を下げた。牛島にしてみれ
ば、注意の一言ぐらい言ってやりたい心境だが、壊れた南京錠を見
たときにまたイジメの被害にあったと理解できた。その為、ここで
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注意するのはしのびなかった。
﹁今度は気を付けるんだぞ、それと何かあったら壊す前に私に言っ
てくれよな﹂
﹁えっ、気づいていたんですか?﹂
﹁当然だ。君より何年長生きしてると思ってるんだ﹂
﹁そうですよね、すみませんでした。今後はちゃんと言いに行きま
すから﹂
﹁うん、そうしてくれ﹂
美花
牛島が本当に注意しなければならないのは美花ではなく、悪質な
イタズラをした人間だ。いってみれば彼女は被害者でもある。
窓を閉めると、また美花が軽く会釈をして去っていく。今回の件
の犯人は大体検討が付いていた。
﹁まったく・・・﹂
毎度の同じセリフを溜め息と一緒に吐き出してみる。
ここには亜民と市民が一緒に利用するが、市民の子供達が亜民に
向ける行為が決して好ましくないのを牛島は知っているからだ。
そもそも差別階級を設けた時点でこうなイジメが発生する事ぐら
い、大人なら誰しもわかりきっていた筈なのに、よりにもよってこ
こで一緒にしてしまうなんて役所の人間は何を考えているんだと、
そう思う事が今まで何度となくあった事を思い出していた。
牛島から貰った新しい鍵を自分のロッカーに取り付けた美花は、
階段を降りる途中で足を止めた。さっき鍵を貰うついでに、送迎バ
スの時刻表を貰ってくるのを忘れてた事に気が付いた。昨日の一件
で当分の間送迎は遠慮することにして、しばらくはバス通学に切り
替える為だ。
また取りに行こうと階段を降りて下駄箱隣の管理人室前まで来る
と、再び美花の足が止まった。向こうの管理人室から牛島の怒鳴り
声が響いてきた。
なにやら﹃バカヤロウー!!﹄とか﹃少しは考えろバカ!!﹄等
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ばりぞうごん
の罵詈雑言が飛び交っている。目が見えない美花は視力以外の感覚
が常人より優れている為、すぐに怒られている相手が亮である事に
気づいた。
昨日の今日でもあり、気まずい感じから美花は時刻表を諦め帰る
事にした。亮に気付かれないように静かに下駄箱から靴を取り出し、
そのまま外へ出ようとした瞬間。
﹁おっ、気をつけて帰えんなよ。荻野さん!﹂
運悪く牛島に見つかり、美花の体が一瞬止まる。
﹁あっ、みっちゃん! ちょっと待って﹂
気付いた亮が声を掛けると同時に、美花は軽く会釈を済ませ早足
で玄関を飛びだした。が、外に出た所で段差につまずき、派手に転
んでしまった。
﹁大丈夫か? みっちゃん?﹂
亮が駆け寄ってみると、美花が慌てた様子で白棒を探していた。
探している手のすぐ近くに白杖が落ちているが美花にはそれがわか
らなかった。直に白棒を拾って渡すとヨロヨロと立ち上がる。
﹁大丈夫?﹂
﹁・・・うっ、うん。平気﹂
﹁そう・・・あっ、あのさあー﹂
﹁待って! 言わないで、言わなくていいから﹂
﹁えっ?﹂
﹁昨日のことはいいから、お母さんにもよく言っといたし。そっ、
それにアタシも気にしてないから、大丈夫だから﹂
﹁あぁ、そうか・・・﹂
何とかして話をそらそうと、美花は自分で体の状態確認が出来な
いため、亮にお願いすることにした。
﹁本当に気にしてないから、それより月宮さん・・・アタシどこか
ケガとかしてないかな? 見てもらえる?﹂
﹁あっ、えぅ? ああいいよ﹂
亮が美花の体を確認する。転んだ場所が運よく柔らかい土の地面
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だったため、擦り傷は無かったものの膝箇所が土で汚れてしまって
いる。
﹁そう、買ったばかりだけどしょうがないわよね。ケガしなかった
だけマシって思えば﹂
﹁帰る所だったの?﹂
﹁うん、バス停まで。昨日のお母さんの運転で・・・ちょっと乗り
たくなくて﹂
﹁・・・そうだよな﹂
家
﹁月宮さんはどうしたの? 今日確か神矢先生の講習は休みのはず
だけど、昨日何か忘れ物でもしたの?﹂
﹁いや、今日は先生の使いできたんだよ。昨日﹃たんぽぽ﹄に新し
い家族が増えたんだ。葵って言う子なんだけど、先生がさっそく﹃
眠っている才能を見つけてみよう!﹄って言って、施設見学届けを
俺が持っていくように言われたんだよ﹂
﹁その葵って言う新しい人って、女の人?﹂
﹁ああ、そうだよ﹂
﹁いくつぐらいの人?﹂
﹁さあ、歳は聞いてないから知らないけど、見た感じ16、7かな
ぁ・・・こっちの生活が落ち着いたら特別学級に編入届けをするっ
て言ってたし﹂
﹁美人さん?﹂
﹁まあ∼どっちかっていうえば美人に入るな! さっく彩音の奴が
手を出そうとしてるけど﹂
﹁・・・ふ∼ん・・・﹂
美花はそっぽを向いたまま頬を膨らませる。
﹁もしかしらみっちゃんと同じ学校になったりして﹂
﹁へぇー﹂
﹁人見知りはしない子だから、今度みっちゃんにも紹介するよ﹂
﹁ほ∼お∼﹂
﹁あのさーみっちゃん・・・なんでそんなムッとした顔してるんだ
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よ?﹂
﹁別にムッとなんてしてないわよ!﹂
語尾を強めると、握っている白杖がギシギシと音を立てる。無意
識で行ってるならすごい力だ。
﹁おっおい・・・みっちゃん・・・﹂
恐る恐るたずねた亮に対して、美花は眉間にシワを寄せ白棒の先
を亮の爪先に突き刺した。
﹁おわ、あっあぶねぇー!!﹂
﹁もういい、帰るから。それ以上来ないで下さい!﹂
ハッキリそれだけ言うと、美花は会釈もしないで下のバス停の方
へ行ってしまう。慌てて亮が引き止めようと声を出そうとした瞬間、
その背中にからヒシヒシと怒りの感情が伝わると、声を出せなかっ
た。
ヤジ
﹁ありゃりゃ、お前はホントに女心がわかってねぇー奴だな﹂
観客のように一部始終を見ていた牛島が、野次のように言葉を飛
ばしてきた。B級映画のベターなシーンを見せられたみたいに、ど
こなく呆れた様子が伺えた。
﹁何ですか? それどういう意味です?﹂
﹁どうもこうもねぇーよ。普通あんな事言うかよまったく。お前な
ぁ、あんな正直に話しちゃー向こうは怒るにきまってんだろう。も
っと相手の気持ちを考えてやれよ﹂
﹁だからどういう意味ですか?﹂
﹁たくっ、これだから近頃の若いやつは鈍感で困るぜ。まったくよ
ぉ﹂
﹁ちょっと! 答えもなしに行く気ですか? ちゃんと説明して下
さいよ、ちょっと!﹂
牛島は頭をポリポリと掻くと、肩をすくめ顔を左右にふって見せ
る。ジェスチャーで﹃わかってねぇーな﹄と示しているのだ。
﹁いいからこっち来い! ほら早く!﹂
﹁何でだよ?﹂
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﹁まだ説教が終わってねぇだろうが、ほら続きするぞ! まだ腹の
虫がおさまらねぇーんだらかな!﹂
﹁ええぇっ、ちょっと勘弁してくださいよ。もう十分聞いたじゃな
いですか﹂
﹁バカヤロウ。ぶん殴られないぶん、しっかり言わねぇーと気がす
まねぇんだよ。ほら早く来い!﹂
﹁ひぃぃぃ・・・俺は今日中に帰れるかな・・・﹂
小さく呟きガックリと肩を落とすと、牛島が待っている管理人室
へ向かって行く。昨日亮が壊した下駄箱の扉について、ちゃんと事
情を説明すれば牛島もそれほど怒らないで帰してくれるかと期待し
てみるが、言ったところで﹃じゃーなんで直ぐに俺を呼ばなかった
んだ? 壊していいかはお前が決めることじゃねぇーだろ。何のた
めに俺がいるんだ﹄と言われてしまうのがオチだ。
結局、黙って説教を聞くことを選択した。何度か﹃はい・・・は
い・・・﹄と反省してる風に頷き、有り難い説教を右から左の耳へ
と流しておけば大丈夫だと考えてみる。
木の根が幾重にも盛り上がった足場の悪い道を下っていく美花は、
ひとり自己嫌悪に陥っていた。感情的だったにしろ、あんなあから
あの人
さまな態度とってしまい、ますます亮と気まずい関係になってしま
ったと気落ちしていた。
﹁そりゃ、子供じみた事をしたと思ってるけど、月宮は鈍感すぎる
のよ。アタシの前で気にしてない風にベラベラ喋っちゃうし、いつ
もと違う服に気付かないし、それに・・・それに・・・﹂
一人不満を口にしながら、ふいに昨日の出来事を思い出した。あ
の車内での事故は多分一生記憶から消せる事ができない体験だろう。
母の里子のせいにしろ、あの光景を妹にも見られてしまった事はマ
コク
やゆ
ズかった。家に帰ってからしつこく亮について聞かれ、終いには﹃
キスしたの? いつ告白るの?﹄などと揶揄される。
考えれば考えるほど疲れが増してくる。木々の陰で何とか日陰道
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になっているとはいえ、猛暑の気温はドンドン上がり、風が熱を帯
びてきた。
つまずき
早く下のバス停に行こうと歩みを速めてみるが、足場が悪く凸凹
した道は美花の平行感覚を鈍らせる。白杖をついても何度も根に躓
き転びそうになる。
思っていた以上に体力を消耗し息切れを起こし始める。これは少
し失敗したかもと思った瞬間、突然足元の感触が変わった事に気付
いた。
ようやく美花はバス停前の整備された道へとたどり着く事ができ
た。安堵の溜め息をつくと、白杖を前に出し障害者誘導ブロックを
見つけだした。サンダルから伝わるブロックの感触を確認しながら
美花がバス停へ進みだすと、前方から数人の声が聞こえてくる。
﹁オイ! 誰だアレ! 見られてるぞ!﹂
﹁マジヤベーぞ、オイ!﹂
﹁心配ないっスよ。あいつ目が見えねぇはずだから﹂
﹁だけどヤベーだろう。何とかしねぇーと﹂
﹁大丈夫だって、見えてねぇだからよ﹂
バス停にたむろしている3人の男達に向かって、美花が近づいて
いく。運が悪い事に美花は亜民差別をしている不良グループに鉢合
ひぼうちゅうしょう
わせてしまった。バス停の脇には黒のワンボックスカーが1台停車
している。
彼らは、昨日時刻表に行った誹謗中傷の続きに来ていたのだ。そ
うとは知らず美花は不良グループの前まで来ると足を止めた。
﹁あの、次のバスは何時頃来ますか?﹂
美花が質問すると、3人の中でリーダー格の人物が口を開いた。
﹁コイツ、本当に見えてねぇーみたいだな﹂
﹁へぇ、なんだよ。心配して損したじゃねぇかよ﹂
﹁だから言ったっしょ。見えてねぇーからって﹂
リーダ格の男は20代前半くらいで、茶髪に紺色の作業服を着て
いる。もう1人は同じくらいの年齢で3人の中で一番太っている。
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見た目的にも90キロはあるだろう。角刈り頭に白のとび職のよう
な格好をして、膝箇所に何色ものペンキが塗り重なっている。この
2人はおそらく土建関係の職人だろう。しかし最後の下っ端だけは
違っていて、10代後半くらいで服装も流行の格好をしている。
そして下っ端の男の声を聞いた美花が思わず口にしてしまった。
﹁あれ? あなた良平くんだよね。なんでここにいるの? ここは
亜民専用のバス停だよ﹂
他の2人が良平の方を向く。視覚障害の美花は他の感覚が通常よ
り発達していて、声以外にも第六感に似た感覚で人物を判別する事
にしのりょうへい
ができる。当然その声が同じ﹃都島リハビリセンター﹄を利用して、
同じ学校のクラスメイトである西野良平である事に気付いた。
﹁オイ、お前の知り合いじゃねぇーか﹂
﹁オイ、バレちまったぞ! どうすんだよ!﹂
﹁えっ・・・あの、ああ、その・・・﹂
﹁チッ、しょうげねぇな。オイ車乗せっぞ!﹂
﹁えっ? どう言う意味っすか?﹂
﹁拉致るんだよ。決まってんだろ﹂
ただならぬ雰囲気を感じた美花は、急いでその場から逃げ出そう
とした。しかし、髪を掴まれ強引に引き戻されてしまう。
リーダ格の腕が美花の首を絞め上げる。
﹁イタ、イタタタ、痛い。放して、放してよ! 痛い!﹂
﹁待てよ。逃げんじゃねぇーよ。ちょっと話がしてぇーだけだから
よ。なぁ オイ良平! エンジン掛けろや!﹂
かじ
必死に抵抗する美花の姿を見て、良平は身動きが取れず佇んでい
た。
﹁オイ、聞えなかったのか! 早くエンジン掛けろ! オイ、加持
! ドア開けろ﹂
﹁おう﹂
ワンボックスカーのスライドドアを加持が開けるのと同時に、車
のエンジンが掛かる。
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﹁痛い放して! 誰かぁ! 誰か助けてぇ! 助けて下さいぃ! 助けてぇぇ!﹂
﹁へぇっ、いくら叫んだって無駄だよ。この時間帯はだれもここは
通らねぇーて知ってんだからよ。ほら、おとなしくしろやぁ!!﹂
﹁嫌あァァァァ! 誰かぁぁぁ! 誰か助けてぇぇぇ!!﹂
美花の悲鳴が虚しく辺りに響き渡る。誰も来る気配はないが、そ
れでも美花は体をバタつかせ何とかその腕から逃れようとする。し
かし男と女では力の差が歴然としていた。
﹁ほら、おとなしくしろって! 加持! 足持て入れるぞ!﹂
﹁ヤダ! ヤダ! ヤダ!! 良平くん助けてよ! いやぁぁぁぁ
ぁ!!!!!!!﹂
﹁おう。ほらジタバタすんじゃねぇーよ!﹂
まわす
バタつかせる美花の両足を脇に抱えると、軽々と持ち上げた。
﹁おっ、こいついい脚してるぜ、なあコイツもいつもみたいに犯す
んだろう。今回は一番は俺にしてくれよ。なぁ﹂
﹁好きにしろこのロリコンが、早くしろ!﹂
抵抗出来ないまま美花は車内に押し込められ、口をガムテープで
塞がれしまった。2人が美花を車内に入れ終わると、リーダ格の男
が外にいる加持にドアを閉めるよう合図した瞬間、横から黒い影が
見えたと思ったら、一瞬で加持が視界から消えたしまった。
﹁オっ・・・オイ、加持? 加持!﹂
名を呼んでも返事は無く、代わりに横から現れた見知らぬ男が顔
を覗かせた。
つ、・・・月宮さん
﹁だっ、誰だテメーは?﹂
﹁ふっふくみやしゃん?﹂
美花の感覚が亮がいる事を知らせてくれたが、そこに居るのは普
段の月宮亮ではなかった。全身から何か得体の知れない危険な気配
を発していて、美花が未だかつて感じた事のない冷たい感覚がヒシ
ヒシと伝わってくる。
﹁お前ら、ここで何してる﹂
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殺意が混ざった声の後に、亮の瞳が黄色く変わりだした。その光
景に車内にいた誰もが言葉を失った。 明らかに人間の目ではなく、
強いて言えば爬虫類の目に近いだろう、それが今明確な殺意を持っ
て相手に向けられている。
リーダ格の男は身震いした、何度か他のチーム抗争の中で強い相
手とやり合った事があったが、それとは次元が違っている。そこい
らのケンカとは訳がちがう、凶暴な猛獣が一方的に獲物を狩ろうと
するに近かった。
﹁応えろ! このカス野郎!﹂
身を乗り出して車内に入ろうとした時、リーダ格の男がポケット
にしのばせていた護身用のダブルデリンジャーを取り出し、発砲し
た。
発射された銃弾は亮の右額に命中し、後ろに仰け反った。続いて
2発目が右目下に命中すると、そのまま亮は大の字に倒れた。
車内に硝煙が立ち込め、2∼3秒間その場が静まり返る。
﹁だっ、・・・出せ! 今すく車を出せ!﹂
その言葉に運転席にいた良平は我に返り、慌ててアクセルを踏み
込んだ。タイヤを空回りさせ美花を乗せたまま急発進する。
バス停に横たわる亮の頭の周りには、血だまりが広がっていく。
2つ空いた銃傷からは鮮血が止まらず流れ出る。頭部を打たれほぼ
即死に近い状態の亮はピクリともしなかったが、やがて銃傷から血
が止まり赤い鮮血がドス黒く変わると、全ての血液が元に戻りはじ
める。まるで映像を巻戻しているかのような光景だ。
たる
血も銃傷も全てが元に戻ると、亮は体を起こして立ち上がった。
そして5メートル程先に蹴り飛ばした加持の元へ向かい、その樽
のような腹に蹴りを入れた。
﹁ぐふぅ、ゲハッ! ゲホェ!﹂
加持が汚い嘔吐物を地面に吐き出し意識を取り戻すと、亮はその
首を掴み片手で軽々と持ち上げた。90キロは優に超える加持の体
123
がビクビクと痙攣する。
﹁こっ・・・こ、ころ・・・殺さないで﹂
涙と汚い鼻水をたれ流し、精一杯の力を使って出した命乞いに、
と
亮は一言で応えた。
﹁翔べ!﹂
124
獅子の逆鱗︵後書き︶
こんにちは、朏 天仁です。今回からようやく物語の分岐点になり
ます。
連れ去られてしまった美花はどうなるのか、亮の力が少しずつ開放
されていきます。今後の活躍をどうぞよろしくお願いすます。
︳︶m
今作まで読んでくれた読者のあなたに感謝を送りたと思います。m
︵︳
125
その瞳
にしのりょうへい
﹁うぅっ・・・うぐぅ・・・はっ、はあぁ・・・はあぁ・・・﹂
全身を刺すほどの痛みで西野良平は意識を取り戻した。彼の目に
飛び込んできたのは、大木に衝突し大きくUの字に曲がったワンボ
ックスカーだった。窓ガラスが全部割れ、タイヤの1本がカラカラ
と虚しい音を立てながら回っている。
ぼうぜん
﹁一体・・・何が・・・どうして?﹂
ゆっくりと立ち上がり呆然とその光景を見ている西野の鼻に、嗅
ぎ慣れたキツイ臭いが漂ってきた。大破した車のエンジンから漏れ
出たガソリンが車体周辺に溜まり始めている。
少しでも離れないと危険だと判断して辺りを見渡してみると、自
けいしゃ
えぐ
分のいる状況が理解できた。西野が立っている位置は、山道の脇か
ら少し入った雑木林だ。そこは傾斜のゆるい斜面で所々に地面が抉
れ、草木が折れ曲がりった跡が続くその先に大破した車がある。
おそらく道をそれた車が回転を繰り返しながら車体を地面に擦り
つけ、その拍子に割れた窓から飛び出たのだ。あのまま車内にいた
らと思うと、それを考えただけでも西野はゾッとした。
だんだん意識がハッキリしだすと、同時に痛覚もハッキリ感じ始
める。
﹁痛っ!﹂
急いでその場から離れようとした時、右足に激痛が走った。確認
すると右足が膝の所でくの字に曲がっている。膝が抜けてしまった
ているのだ。
﹁ひいいいいいぃ、何だよコレ! コレぇ!!﹂
自分の足の状態に驚き、悲鳴を上げながら尻餅をついた。
﹁あぐぅ!﹂
今度は左肩に激痛が走った。診ると肩が脱臼して下に垂れ下がっ
126
ている。また悲鳴を上げそうになり、奥歯をグッと噛んで飲み込ん
まんしんそうい
だ。叫ぶのは後して取り合えず上の道路までたどり着くことだけを
考えた。
泥だらけな全身を襲う痛みをこらえ、満身創痍な体を引きずり何
とか道路へとたどり着いた。道路上には砕けた車の残骸が辺り一面
に散らばって、キラキラと輝いている。
その先で大きな塊が2つ横たわってるのが見えた。霞む目を凝ら
しながら見ると、それは先程まで一緒にいた田嶋と加持の2人だっ
た。
道路に横たわる2人を見て、西野はようやく何が起こったのかを
思い出し始めた。
数分前、バス停に着いた3人は昨日の続きをしていた時、偶然に
も知り合いの荻野美花に見つかってしまった。その後、田嶋が嫌が
る美花を車に詰め込んだ時、突然現れた男に加持を吹っ飛ばされた
と思ったら、田嶋がその男に発砲。慌てて車を発進させた所まで思
い出した。そして記憶はあの車内へと変わっていく。
じんみんやま
神民山の入り組んだ道を颯爽と走り続けている車内では、2人
の焦り声が飛び交ってる。
﹁なっ、何で銃なんて持ってるんですか!﹂
﹁うるせぇ! 黙って運転しろ!!﹂
﹁このままじゃ、俺達みんな人殺しですよ! 先輩戻りましょうよ、
すぐに救急車呼んで・・・加持先輩も残したままですよ﹂
﹁黙ってろ! いいから走らせとけ!!﹂
﹁でも・・・でも・・・﹂
﹁いいから運転しろ!!﹂
2人とも予想外の出来事に動揺し、正常な判断を出せずにいた。
田嶋にいたっては、弾が相手の顔面に命中したのをハッキリ見てし
まいパニックを起こしていた。
﹁くそ、何なんだよアイツは・・・一体・・・俺は悪くない、あん
127
なのがいるからだ。俺は悪くない。悪くないんだ。クソッ! クソ
ッ!﹂
おろして!
おろしてよ!
田嶋がブツブツと呟いていると、美花が突然暴れだした。
﹁おほふぇて おほふぇてほぉ﹂
手足を縛れた状態でも必死に体をバタつかせ、抵抗を見てる。だ
がその行為は田嶋のパニックを余計に助長させるだけだった。
﹁うるせぇ!!﹂
﹁ふぐぅ﹂
美花の頬に田嶋の拳が落とされた。さらに2発、3発と続く。
﹁だいたいテメェーが、テメェーさえ現れなかったら、こんな事に
なんなかったんだよ! オメェーのせいで俺は人殺しになっちまっ
たじゃねぇかよ! どうしてくれんだよこの粗悪民が!!﹂
美花の顔を容赦なく殴り続ける。既に美花は抵抗するのをやめた
だ打たれ続けている。
﹁先輩やめてください! そいつ死んじまいますよ!﹂
﹁うるせぇ!! テメェーは黙って運転しとけぇ!﹂
西野の制止に大声を張り上げる田嶋はすでに理性が欠けていた。
彼
殺人という大罪を犯した事で、彼の思考回路は麻痺してしまったの
だ。
その証拠に美花を殴るのを止められずにいる。だがその時、田嶋
の携帯が鳴り出した事で彼は殴るのを止めた。
動かなくなった美花は鼻血を流し、顔半分が腫れ上がった状態で
気を失っている。
我に帰ると、おもぐろにポケットから携帯を取り出した。液晶画
面に﹃非通知﹄の文字が現れている。
﹁誰だ?﹂
﹃あ∼もしもし、オマヌケ三馬鹿トリオのボスさんですか? 大変
な事になりましたねぇ∼、なっちゃいましたねぇ∼﹄
﹁テメェー誰だ? 何で俺の携帯を知ってやがるんだよ?﹂
﹃何でって? そりゃ∼君たちがマヌケだから知ってるんだよ﹄
128
電話の相手は軽い口調で話し始め、それが田嶋を苛立たせる。
﹁ふざけるなぁ!! こっちはテメェーとおしゃべりしてる暇なん
てねぇんだよ。じゃな﹂
﹃待って待って、助けてあげようとしてるだけだよ。これから私の
言う事を聞いて実行してくれさえすれば、君達は無事に帰れるわ。
ああそうそう、君が撃った彼ねぇ死んでないから安心しなさい﹄
﹁何だと? どういう意味だそれ?﹂
さら
﹃いいから、私の言通りにしなさいわかったわね。まず最初に君達
が拉致ったその子をそのまま外に捨てなさい。いいわね﹄
﹁ちょっと待て! いきなり掛けてきやがって、どうもオメェーは
サツ
信用できなねぇな。一度も会ったことねぇのに俺達のことを知って
るふうじゃねぇかよ。テメェーひょっとして警察かなにかか?﹂
﹃それジョークのつもり? 笑えないわよ。まあいいわ、時間がな
いけど一つ教えてあげるわ。一度もあった事ないっていうのは君の
勘違いよ。一度あったてるわよ。ほら、今回の件を依頼したとき君
に前金と一緒に銃を渡してあげたじゃないのよ﹄
﹁おっ、お前!? あの時のか!﹂
﹃思い出してくれたかしら﹄
﹁だったら話が早えな。今回の仕事は途中だけど俺は降りるぜ。簡
単なはずだったのにリスクが高くなりすぎた。聞いたな!! 俺は
降りるからな!! わかったか!!﹂
田嶋は声を震わしながら怒鳴り声を上げる。一刻も早くその場か
ら逃れたい一身で携帯を握り締めていた。その表情は崩れ額からは
汗が流れ落ちる。
﹃・・・ああ、別に構わないよ。 こっちとしては依頼はすでに達
成されてるし、君が予想以上の結果を残してくれたから私としては
大いに満足してるわ﹄
﹁・・・はぁ!? そりゃーどういう意味だよ﹂
﹃それは・・・あっ・・・もう無理、時間切れね。あとは祈りなさ
い﹄
129
電話がきれた瞬間、ガタンッ!! と何かにぶつかったようなデ
カイ音と共に車体が揺れた。次の瞬間、運転していた西野の悲鳴が
田嶋の耳に飛び込んできた。
﹁ううおおおおおはははははぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!
!﹂
悲鳴を上げた西野が急ブレーキを踏むと、タイヤが音を立てて停
止する。すかさず田嶋が前を覗き込んだ。
﹁何やってんだよ! 早く車を・・・だっ・・・・・・﹂
目の前の光景に、続く言葉を出せなかった。
﹁かっ加持っ・・・﹂
そこにいたのは、ヒビが入ったフロントガラスに逆さまにへばり
は
付いた加持の姿だった。目は虚のまま口を小さくパクパクと動かし
血を垂らしている。一瞬車で跳ねてしまったのかと思ったが、加持
はあのバス停に置いてきたはずだった。天井が大きくへこんでいる
事から、信じられない事に上から落ちてきたのだ。
田嶋も西野も同じ事を考えたが、それを信じていいものか迷って
いた。人間一人をどうやって空から降らすことが出来るだろうか。
ゴリラ並みの腕力があっても不可能だ。
﹁何だよこれ? 一体・・・何の冗談だよ? なあ?﹂
﹁わっ・・・わかりません。わかりませんよ・・・何で・・・こん
な・・・﹂
2人が困惑している間に、また天井でガタンっと音が響いた。
﹁ひひぃぃぃぃっ﹂
悲鳴を上げた西野が力一杯アクセルを踏み込むと、エンジンが唸
り声を上げてタイヤが高速回転する。が、車はその場から1㎝も進
まず、擦り続けるタイヤの白煙が上げるだけだった。
﹁何やってんだよ! もっと力入れろよ!﹂
﹁やってますよ。アクセル全開にしてますって!﹂
﹁何! もっとよく踏め! 早く出せぇ!!﹂
いくらアクセルを踏んでも車が進む事はなく、モクモクと白煙が
130
登るだけだった。
﹁くそっ! 何なんだよ一体!﹂
2人の口論が続いていると、車の振動でフロントガラスにへばり
付いていた加持の体が、ゆっくりと地面にズレ落ちた。軌跡のよう
な血の跡ができあがり、それを見た田嶋は西野をおいて車から出よ
うとする。
ドアに手を掛けた瞬間、バキッと頭上で音がした。見ると天井を
はが
人間の腕が貫いていた。腕が戻ると今度は開いた穴に指をかて、天
井を剥がし始める。
﹁なっ、何だよコレ? はははっ・・・こりゃ一体・・・なんの冗
談だよ・・・﹂
あまりの恐怖に田嶋は泣きながら笑う事しか出来なかった。車の
天井が薄いアルミホイルのように乱暴に引き裂いていく。やがて一
人が通れるほどの穴が出来上がり、そこから伸びた手が田嶋の顔面
を掴むと一気に外へと持っていかれた。
﹁うぎやややゃゃゃ!!!! バケモノォぉぉぉ!!﹂
・・
外に連れて行かれた田嶋の断末魔のような悲鳴が響くと、バキッ
ゴキッと何か硬いモノを砕く音が車内に聞こえてきた。
﹁もう嫌だ! 助けてくれぇ! うぅっ・・・﹂
こがね
それを聞いた西野が逃げようと運転席のドアを開けようとしたと
いろ
き、バックミラー全体に巨大な球体が映り込んでいた。それは黄金
色に輝く爬虫類の様な目だった。
それを見た瞬間、西野の身体は硬直し指一本動かす事が出来なく
なった。車の外に得体の知れない何かがいる。その恐ろしい何かは
わからないが、ドアを開ければ間違いなく殺されると西野は悟った
のだ。
全身から汗を噴出し、服の上からもら鼓動を感じる事ができる。
死の恐怖が西野の身体を包み込んでいた。
恐怖で身体がビクビクと震えだすと、自分の真後ろで音がした。
何かが車内に侵入した気配を感じ、さらに鼓動が速くなる。振り返
131
る事が出来ずにいると、目先のルームミラーに人影が写った。
そこにはさっき田嶋に頭を打たれた男、月宮亮が写っていた。亮
はゆっくりと開けた天井から車内に入ってくると、後部座席で気を
失っている美花の首元に指をあてて、心拍と呼吸を確認しているよ
うだ。それが終わると美花の身体を両手ですくい上げる。
まぶた
そして再び入ってきた場所から外に出ようとした時、ミラー越し
に西野と目が合った。
西野はたまらず目をギュっと閉じたが、瞼を閉じても亮の赤い不
気味な瞳が焼きついてしまった。この時西野は自分の死を覚悟した。
だが亮はそんな西野を無視するかのように、美花を抱いたまま天
井から外に出ると、そのままセンターの方へと消えていってしまっ
た。
人の気配を感じなくなった頃、車内に一人残っていた西野がゆっ
くりと目を開けた。身体が動き、急いで後ろを確認して誰もいない
事を確信した。
ようやく緊張の糸がほどけ、安堵の気持ちになると自分が失禁し
ていることに始めて気がついた。
﹁ははっははは・・・ふははっふははははぁ・・・あはっはっはっ
はっはっはっはっはっはっ﹂
自分が生きている喜びと、不甲斐なさの感情が押し寄せ引きつっ
こがねいろ
たように笑い出した。しばらく笑い続けてようやく落ち着きを取り
戻すと、ふとっ何気なく外のバックミラーに目を向けた。
﹁ひいっ!﹂ 西野の顔に戦慄が走った。そこにはさっきよりも大きな黄金色の
瞳が西野を捕らえていた。この怪物は最初から西野を獲物として選
や
んでいたのだ。おそらく亮は自分が手を下すまでもなく、この怪物
に殺らせるためあえて手を出さなかったのだろう。
﹁あっ・・・ぅっ・・・あっ・・・あっ・・・﹂
声が出せず西野の口がカチカチと震えだす。再び襲った恐怖に目
から涙を流しながら後悔した。学校の不良友達の先輩からいい小遣
132
あみんはいせきうんどう
い稼ぎがあると紹介され、ついて来たてみらら亜民排斥運動のバイ
トだった。最初は気が進まなかったが、だんだん学校や家での憂さ
晴らしにやるようになってきていた。だけど自分がこんな災難にあ
ってしまうとは、できることならあの時に戻りたいと西野は強く思
った。そして脳裏に母の顔がよぎった。
﹁おっ、おっ・・・お母さん・・・﹂
西野が一言呟くと、バックミラーに写っていた瞳が消える。瞬間、
車全体に強大な衝撃が走り車が奥の山林へと飛ばされる。
﹁うわわわわわわわぁ!!!!!!!!!﹂
激しい衝撃と音が山に轟き、身体をバラバラにされそうなくらい
上下左右に引っ張れながら車は回転を繰り返しながら、山林へと消
えていった。
ここでやっと全部思い出した西野は、自分が生きてる事に驚いた。
あれ程の事故や脳裏に焼きついたあの瞳の恐怖がフラッシュバック
のように蘇ると、その場で再び失禁しながら笑い出した。
﹁ははっははは、ふははっふははははぁ、あはっはっはっはっはっ
はっはっはっはっ﹂
か
笑い続ける西野の耳に、遠く響くサイレンの音が幾重にも重なり
聞こえてくる。やがてサイレンの音に西野の笑い声は掻き消されて
いった。
133
その瞳︵後書き︶
こんにちは、朏 天仁です。
前回の続きですが、最初できた下書きは思う所がなく、最初から書
き直しました。そしてら本日掲載が間に合うか冷や汗ものでした。
︵゜д゜lll︶
さてさて、ようやく、亮の力が徐々に開放されてきました。今後の
展開に注目していきたいと思います。
今回もここまで拝読してくれましたあなた様には本当に感謝を送り
たいと思います。これからもどうぞよろしくお願い致します。m︵
︳︳︶m
134
はぐれ者
午前中の快晴がうそのように、急に天候が悪くなり、黒がかった
雲から雷鳴が轟き始めた。おそらくあと1時間もしないうちに夕立
が降り始めるだろう。
7月の湿気を帯びた風が強く吹きだし、赤色灯を付けた覆面車両
から降りてきたのは埼玉連警に所属する平松警部補だった。シワが
よわい
目立つYシャツに、背広を肩にかけている。
この男、齢50を過ぎているが、しっかりとした姿勢を保ってい
る。顔に刻まれたシワの数だけ修羅場を経験してきたかのような雰
囲気を、厚い黒縁メガネの奥にある強い目力がそれを物語っていた。
﹁おい、おい、こりゃハデにやってくれたもんだな。よりにもよっ
てココで事故かよ﹂
立ち入り禁止
事故現場はすでに複数のパトカーや消防車の他に、救急車が到着
しいて、﹃KEEP OUT﹄の規制線が道路に掛かっていた。
ドアを閉めた平松の鼻腔にゴムや不燃物が燃えた時にでる異臭が
漂ってきた。そのまま奥へと進み、規制線の手前に立っている制服
警官に手帳を見せて中に入ると、ちょうど山道の脇から防火服を着
込んだ数人の消防隊員が現れた。
﹁ちょっとすまない。状況を教えてくれ﹂
﹁誰です? あんたは?﹂
平松が警察手帳を見せると、消防隊員は奥の状況を説明してくれ
た。
﹁火はもう鎮火しました。車体はメチャクチャで殆ど真っ黒焦げに
なってます。すごい事故でしたけど、幸い中に人がいなかったのが
なりよいでした﹂
﹁車内は無人ってことか? なら運転手はどこにいった?﹂
﹁乗っていた人間は運転手を含め全員外に投げ出されたみたいです
135
よ。道路のタイヤ痕からしてもかなりのスピードが出て横転した感
じですね。まったく・・・中学生に運転させるなんて・・・﹂
﹁中学生が運転してたのか?﹂
﹁ええ、向こうにいる刑事さんたちが話してましたから、運転して
いたのはどうやら中学生で、乗っていた同乗者はさっき救急車で運
ばれましたよ﹂
﹁みんな生きてるんだな? どこの病院に運ばれたかわかるか?﹂
﹁そこまでは聞いてませんよ、自分が知ってるのはあと、そうだな・
・・同乗者2名とも重体で、運転してた中学生は重症って事だけで
げんじょう
す。詳しく知りたいならあそこにまだ残っている刑事さん達に聞い
てみてください、自分達が現場に着く前にいましたから、それじゃ
自分達はこれで﹂
消防士が指した先に、スーツを着た男が2人話し合っている。
平松は消防士に礼を済ませると、ズボンのポケットからデジカメ
を取り出し辺りを取り始めた。雲息が怪しくなってきたため、現場
が雨で変わる前にできるだけ状況を記録しておこうとシャッターを
押しまくる。
路面に残るタイヤ痕と血痕がまだ新しかった。ある程度取り終わ
った所で平松は車体の写真も撮ろうと、奥の林へと進みまじめた。
何本もの消防ホースが道しるべのように奥へと伸びていて、平松は
それを辿りながら進んで行く。
枝を掻き分けながら進むと黒い塊が姿を表し、熱気とガソリン臭
に身体を包まれた。
﹁ほおっ、コイツは派手にやったもんだな﹂
それはおよそ車の原型を留めていなかった。唯一タイヤホイルが
ついているだけで車と認識できるが、それがなければ唯の鉄クズの
塊にしか見えなかった。
さすがにまだ熱が残っていて、下手に触れば火傷しそうだ。平松
は消火のさいにできた水たまりをよけながら黒い塊を撮り始めた。
数枚取り終わった時、平松はあることに気付いた。ただの事故に
136
しては損傷が不自然過ぎる。車体の天井部の損傷が他とは明らかに
ボディ
違っている。普通の事故なら外圧が車体に加えられ、中に向かって
水戦争
車体は損傷していくのが普通だ。なのにこの車は内圧が外に向かっ
て加えれた壊れ方をしている。
平松の脳裏に嫌な記憶が蘇ってくる。第二次極東戦争終結後、日
本各地で巻き起こった暴動の中で、一部過激派が占領軍駐留所で自
爆テロを行った時だ。
車に仕掛けられた爆弾が爆発し、占領軍側に多くの死傷者がでた。
当時、民間警備会社の中間管理職から警察官特別中途採用に合格し、
地域課に配属されていた平松は39歳だった。巡査長として治安維
持を取り締まっていたさなか、その現場近くで爆発音を聞いた為す
M
ぐに状況確認に向かった。そこで目撃した光景は兵士達の声になら
P
メディック
ない悲鳴が飛び交い、血と肉の焦げた異臭が漂っていた。まだ軍警
察や衛生兵達は到着してなく、軽症者が重症者を担いで運んでいる
状況だった。
現場に近づくにつれ惨状は酷くなっていった。上半身のない兵士
や腕や頭だけしか残せなかった兵士もいた。無論、占領軍だけしか
・・・
被害を受けた分けではない、たまたま近くを歩いていた日本人の通
行人も巻き添えを食らい、あたりに遺物を散乱させていた。
まだ幼い10歳ぐらいの子の頭部だけを見つけると、偶然目が合
ってしまった。光を失ったその瞳から突き刺すような視線を平松は
感じた。﹃お前のせいだ!!﹄っと、この子がいっているような気
がしたからだ。
口元を押さえ嗚咽を堪えながら進み、ようやく爆発した車まで辿
りつく事ができた。
黒い爆心地は地面が大きくクボミ、中心に鉄の花が開いていた。
ひ
おそらく軽のワンボックスに爆弾を積み込み使用したのだろう。3
つ残ったタイヤのホイルが受け皿のような形を作り、その鉄花を惹
きたてていた。
それはまるで、爆発という化学反応が周りにいた人間の命を奪っ
137
副産物
て出来た芸術作品のように感じられた。そしてそれと似た感じのモ
ノが目の前にある。
﹁ちっ、嫌な事を思い出しちまったな﹂
平松は苦いものを噛み砕いたような表情を作ると、その場を後に
した。
先程の消防隊員と話した場所まで戻ってきたとき、ポツポツを雨
粒が降り始めた。夕立が思っていた程早く到来したようだ。
本降りになる前に所轄の刑事から話しを聞こうとして視線を向け
ると、今まさに所轄の刑事が車に乗り込む瞬間だった。
﹁おーい!! ちょっと待ってくれぇ!!﹂
慣れない地面に足を取られそうになりながらも、走りながら必死
に大声を絞り出すと1人の刑事がそれに気付いた。だが、平松の顔
を見るとそれを無視して車に乗り込む。そしてエンジンを掛け車を
発進させた。
﹁おっおい! ちょっと待て、待てってば!! おい!!﹂
平松の制止も聞かず、車はゆっくりと進み続けると約20メート
ル程走って停止した。わき腹を押さえ、荒い息づかいのまま平松は
やっと車にたどり着いた。
﹁はあ、はあ、はあ。ちょっ、ちょっと待てって・・・はあ、はあ、
はあ、言っただろうが・・・はあ、はあ、何で行っちまうんだよ・・
・はあ、はあ﹂
運転席の隣で腰を曲げ、両膝に手を掛けながら呼吸を整える。い
くら気持ちだけ若いと思っても肉体的衰えはどうする事もできない
と悟った。
運転席側のウインカーがゆっくり下りると、含み笑いを浮かべた
男が話しかけてきた。
﹁おやおや、これはこれは、誰かと思えば平松のとっつぁんじゃー
ねぇか。連警の警部補様はよほどお暇とみられるな、わざわざこん
な田舎まで足を運んで仕事を見つけてこなくちゃならないんだから
な﹂
138
連警
﹁はあ、はあ、一応ここも俺達の管轄なんでな。悪いが当事者の中
学生には話が聞けたのか?ちょっと内容だけでも教えてくれねぇか
な、頼むよ﹂
平松が片手でお願いのポーズをして中の男の顔を覗き込んだ。一
瞬、﹁あっ﹂と声を上げた相手は平松のよく知る人物だった。
﹁おいおい今の聞いたかよ! 連警の刑事が所轄の俺達に情報を教
えてくれってさぁ。お前どう思うよ﹂
﹁へっ、恐ぇー恐ぇー下手に情報を教えちまったらまた仲間をしょ
っぴかれちまうし、それにまだ聴取も済んでないから知らねえーな、
まっ知ってても教えねえーけどな﹂
﹁そうだよな散々所轄を引っかき舞わした挙句、課長から署長まで
の首を全部すり替えちまうんだからな。あの後、残っされた俺達が
監察官にどんな扱いを受けたか知ってんのかな﹂
﹁俺達は首の皮一枚でつながったとはいえ、中には本庁から虫けら
扱いされた奴もいたんだしなあ﹂
あずま
いけしゃあしゃあと平松に悪態を向ける刑事達は、上郷町警察の
す
保安捜査課に所属している中野巡査と東巡査部長だった。
﹁いい大人がいつまでもガキみてぇーに拗ねてんじゃねぇーよ! 毎年捜査協力費を自分の財布に入れてなければあんな事にならかっ
たんだ。それを言えば、あの程度ですんでよかったと感謝してもら
いたいね﹂
半分ウザったい感じを言葉に混ぜ言い返すと、二人の表情が険し
くなった。
﹁なんだどぉ! よくそんな口が聞けたもんだな。大体お前ら上の
連中が検挙率維持のために、しなくてもいい捜査や調書をやらしと
いて、ヤバくなったら全部下に押し付けてきたんじゃねぇかよ!﹂
﹁そうだ。飛ばされた課長の子供はまだ生まれたばかりなんだ。そ
れを依願退職とぬかしてたが、ほとんど脅した懲戒免職だったじゃ
ねぇーかよ! しかも未だに退職金は未払のままだしな﹂
青スジをたてながら捲くし立てる口調で吐き出してくる。このま
139
まいけば唾のひとつでも飛ばされてきそうな勢いだ。なぜこの二人
能力
がこんなにも平松を毛嫌いにしているのか、それは平松には普段秘
密にしているある特技があった。
連警内でもごく一部の人間しか知られていないその能力を、上層
部の幹部連中が10ヶ月前に行われた捜査機密費横領事件の捜査に
活用したのだ。それは同じ身内を捜査するという目的であったため
極秘で行われた。
普通なら早くて数ヶ月、遅くても数年かかる内偵捜査だったが平
松の特技のおかげで、たったの3週間程で捜査はほぼ終了してしま
った。
結果は上層部の予想した通りだった。機密費の内訳で情報提供者
に支払われる捜査協力費は架空経費として計上され、すべて所轄の
ぶん屋
管理職連中の懐えと入れられていた。
幸いマスコミや週刊誌の記者連中に感づかれる事はなかった、そ
しゅくせい
の為表向きには所轄の人員整理、組織編成、捜査の効率化の名目で
横領に関わった者達の粛清が始まった。
はなばな
何も知らないマスコミ各社はこぞって﹃警察組織の大改革﹄﹃治
安維持に新たな風を﹄と華々しい見出しを載せていたが、実際はノ
ンキャリアの大規模リストラだった。
だが、事件はそこで終わりではなかった。運悪く内偵捜査官リス
トを入れたパソコンがファイル共有ソフトを通じで外部に流出して
しまったのだ。
その結果、ノンキャリア警察官すべての憎悪の対象のなった平松
は、全ての捜査から外され飼い殺しの日々を送らされていた。
はぐれ者
﹁ここにはお前にくれてやるような情報はねぇよ。とっとと帰りな
よ、この監査のイヌが!!﹂
﹁やれやれ、どうしてもダメかな?﹂
﹁くどいぞ、二度は言はねぇーぞ。早く家に帰って奥さんでも相手
してやんなよ、ひょっとして喜ぶんじゃねぇか﹂
﹁そうかい・・・それなら︱﹂
140
あずま
平松はポケットから10センチ程の銀のてい針を取り出し、素早
く運転席にいる東巡査部長の首に押し当てた。
あずま
一瞬ビクリと震えると、東は目を向けたまま硬直した。
﹁おい、何やってんだ! おい!﹂
その様子に助手席に座っている平野巡査長が、東の体に手をかけ
ようとした時、平松が差し出した八角形の手鏡に自分の顔が写ると、
かたしろ
そのまま意識を失った。
﹁さあ、形代よ。この者の口を借り主の問いに答えよ﹂
﹁・・・・・・はい﹂
東は口元だけを動かしているが、目は虚ろのままで能面のような
表情のままだった。
﹁では答えよ、ここで何があったんだ?﹂
﹁はい、西野という中学生が運転する車がカーブを曲がりきれずに
センターラインを外れ、そのまま林の奥へと突っ込んでいった﹂
﹁その西野という中学生から話を聞いたんだろ、なんて言ってた?﹂
﹁はい、西野はヤクでもやっている様子で、オレ達が現着した時に
はすでに半狂乱状態だった。支離滅裂は事を言って完全にイッちま
った感じだった。話が聞ける状態じゃなかった﹂
﹁なんと言っていたんだ?﹂
﹁はい、﹃目が﹄﹃化物が﹄とだけ言ってた。他は何も言ってなか
った。だからこれはここで終了だ﹂
恐らく、この二人は西野をヤク中で起こした事故として処理した
いらしい。だが平松にはどうしたも気になる事があった。
﹁わかった。あと他に聞き込みをして何か変わった事はなかったか
?﹂
﹁変わっこと?﹂
﹁そうだ。何か捜査とはまったく関係ない事でも、常識的にみてお
かしな話を聞いてないか?﹂
﹁上の施設の数人から﹃巨大な大蛇を見た﹄といった証言があった﹂
﹁大蛇だと!?、本当かそれは?﹂
141
東は黙った頷いた。
﹁まさか・・・﹂
首に当てていた針を外すと、東は頭を垂らして気を失った。てい
針をポケットに戻すと、代わりに一枚の札を取り出し念を込めた。
そると札が突然青い炎を出して燃え出した。
﹁マズイな﹂
平松は急いで車に戻り乗り込むと、携帯を出し数字以外の記号を
いくつか入れて番号を打ち込んだ。番号をデータに残さないための
特殊な操作で、その後に覚えた8桁の番号を入力する仕組みだ。
面倒臭ささを感じながらも、数回コールのあと回線が繋がった。
﹃はい、こちら法局第1課﹄
﹁連警の平松だ。至急法印局長に繋げてくれ﹂
﹃はっ!? 何を寝ぼけた事を言ってる﹄
﹁寝ぼけちゃいねぇよ。大至急っいや、緊急事態なんだ早く繋げて
くれ﹂
﹃おい、自分の立場をわきまえろよ平松。お前が局長と話せるわけ
ないだろうが、用件を言え伝えとく﹄
﹁それじゃ時間がないだろう、急ぐんだ!!﹂
﹃だから用件を言え、早く!﹄
﹁だから−﹂
﹃だから用件を言え!!﹄
苛立たしさを感じながらも電話の相手に折れる気配はなく、これ
以上押し問答を続けても時間の無駄と判断した。
﹁太上秘法鎮宅の霊符が青く燃えた﹂
﹃・・・・・・しばし待て﹄
保留中平松はどう説明しようか考えていた。おそらく次に電話に
しわが
出る相手は平松のよく知ってる人物だろう。そいつにどう説明する
のかでわなく、どのように話していいか分からなった。
考えがまとまらないうちに保留が解除されると、低い嗄れた声が
耳に入ってきた。
142
﹃局長の藤原だ。どうしたんだ平松﹄
・・・・
きもん
﹁太上秘法鎮宅の霊符が青く燃えたんだよ・・・誰かが鬼門を開い
たんだよ、兄さん﹂
平松は戸惑いながらもこれまでの経緯を説明しだした。
143
はぐれ者︵後書き︶
こんばんは、朏 天仁です。
第17話を読んでくれました読者の皆様、ありがとうございます!
今回は登場した平松警部補は、何やら五行法印局の息がかかった自
分だと思います。このキャラが今後どうなるのか、それは・・・ま
だ言えません。って、おいおい:︵;゛゜'ω゜'︶:
最後にここまで読んでくれました貴方様に感謝を送られせ下さい。
本当にありがとうございますm︵︳︳︶m
144
友達の友達は
上郷町は山に囲まれた自然と、亜民の自立支援モデル地区の二つ
の柱が有名だ。だが悪い意味でもう一つ有名な事がある。
それは、緊急時の救急医療体制がきちんと整備されず、未完のま
まだと言うことだ。その理由は、自然環境促進広域授産都市10ヵ
年計画︵別名:エメラルドプラン21︶がスタートする前に、埼玉
県の中で一番過疎化が進んでいた地区であった為、町の保健医療は
主に個人医院が主体となっていた。急患や救急患者がでた場合は隣
の本庄市まで行かなくてはならなかった。
本庄市内中心にある本庄市立病院は、上郷町の新エメラルドプラ
ン21が実施される前から上郷町長と埼玉地区連邦議会とが協議を
かさね、上郷町の医療不足解消を目的とした受け入れ態勢を提唱し
てきた。その結果、連邦政府と上郷町から多額の補助金を設備投資
に回すことができ、病床数550床に10の診療科目と高度な研修
体制を備えた特定地域医療病院として厚労省から認定を受ける事が
できた。
埼玉県内の中で一・二を争うくらいの医療設備を完備した病院で、
外来診察を受けるときは亜民も市民も平等に受ける事ができる。し
かし入院ともなると話は別で、亜民は必ず医師の紹介状がなければ
入院する事は難しいのだ。
それは市民と同じ扱いを受けれる﹃特例市民﹄でさえ例外ではな
かった。
夜の21時を過ぎた頃、本庄市民病院の一階奥に設置された地域
連携室から、少し疲れた顔の蒼崎が出てきた。後から出てきた白衣
を着た若いドクターに深く一礼を済ませると、ロビーへと向かった。
広い待合室の隅にある長イスに座っている亮を見つけると、そのま
ま隣に腰を降ろした。
145
﹁なんとか入院手続きは済ませたわよ﹂
﹁ありがとうございます﹂
﹁取り敢えず私の名前で紹介状は書いといたから。最初は無理かと
思ったけど、対応してくたのがたまたま私の知り合いだったから、
何とか無理を聞いてもらったわ。それで、ちゃんと説明してくれる
?﹂
﹁・・・・・・﹂
﹁無理にとは言わないわ、亮くんが話せる所まででいいから﹂
気を使っている蒼崎の問いに、亮はなおも押し黙る事で応えた。
﹁そう、亮くんが応えたくないなら、先生無理にとは言わないし聞
かないけども﹂
﹁けども?﹂
﹁私たちと美花ちゃんとは浅い関係じゃないわよねぇ亮くん、マナ
ちゃんの始めての友達1号だったし、彩音の学校の後輩でもあるわ
けだし、二人に美花ちゃんの状況を話さないわけにはいけないわよ
ねぇ﹂
勿体ぶった言い方をしながら、蒼崎の頬が緩みだす。
﹁それって、つまり︱﹂
﹁つ・ま・り、亮くんは美花ちゃんが何であんな酷い怪我をしたの
か、私に理由を話してくれないから、私はマナちゃん達に私の推測
かわ
でしか説明の仕様がないわけだから。このまま家に帰ってから亮く
んはあの二人に追求をうまく躱す自身があるって事なんでしょう﹂
﹁うぅっ・・・﹂
亮の額に汗がにじみ出る。蒼崎は大人であるためある程度話を歪
曲させれば何とか納得させられるだろうが、あの二人はそうもいか
ない。特にマナは女のカンと言うのがもの凄くいいから、亮の嘘は
全部バレてしまう。これまで何度もバレて酷い目にあった事を思い
DV
出し、軽い頭痛がしてきた。
﹁取り合えず二人には夫婦間暴力って説明しとくわね﹂
﹁勘弁してくださいよ先生、そんなの言ったらとんでもない事にな
146
りますよ。いや、間違いなくなりますから﹂
﹁うん、そうね。間違いなくとんでもない事になるでしょうねぇ。
ゴジラ
たんぽぽで台風が発生するんじゃないかしらねぇ﹂
﹁台風なんてもんじゃないですよ、破壊神の降臨ですよ! 確実に
オレ死にますよ!﹂
ゴジラ
﹁うまい例えね、このまま何も話さなかったら、たんぽぽで2体の
破壊神が亮くんをズタズタにしちゃうでしょうねぇ、マナちゃんっ
て意外とコワイからねぇ﹂
﹁その冗談・・・笑えないですよ﹂
﹁本気よ!﹂
ひんこきゅう
おうと
なんて説明したらいいのだろうか、あの後美花を救出した亮はす
ぐに彼女の異変に気づいた。浅い瀕呼吸を繰り返し、嘔吐が見られ
たため直ぐに脳にダメージを負ったと判断した。
緊急にCTかMRIで頭部の状況確認を行える病院へ運ぶ必要が
あったため。早速、ここ本庄市民病院の救急外来に運ぶと、予想通
り頭蓋内出血を起こしていた。直ぐに美花の両親が呼ばれ緊急手術
となったが、ここで別の問題が発生した。手術中、別の医師から美
花が特例市民の亜民であり、手術後の経過観察が無理なため別の病
院へ搬送すると医師から話が出た。
母親の里子は何とかこのまま入院させて欲しいと言ったが、医師
の﹃紹介状﹄が無ければ無理であると説得されたしまった。それを
聞いた亮はダメもとで蒼崎に連絡した。蒼崎は今も医師免許を持っ
ている元女医だ。だが、医師とて開業しているわけではないから色
々と制限を受けると思ったが、そんな事を言っていられる状況では
なかった。
こんがん
連絡をもらって病院に到着した蒼崎は、亮から説明を受けるより
先に取り乱したように泣いてくる里子に懇願され、その場で﹃紹介
状﹄を書いて提出した。
﹁さあ、話してくれるわよねぇ亮くん﹂
蒼崎が勝ち誇ったような顔で亮に近づけてくる。
147
﹁わっ、わかりました。話せる所まで話しますけど、マナ達には俺
が話した所だけを説明して下さいね﹂
﹁約束するわ、と言っても皆もう寝てる時間だし、話は明日の朝に
なるからそれまで私が話しをまとめといてあげるわよ﹂
﹁わかりました・・・みっちゃんのケガの原因は事故です﹂
﹁事故? 交通事故かなにかなの?﹂
﹁まあ、⋮そんな所ですね。なんの事故かは言えませんが、その事
故の当事者の中にみっちゃんの知り合いがいたみたいで、公になる
とみっちゃんが、その、何ていうのか⋮﹂
﹁美花ちゃんにとってマイナスになるってこと?﹂
﹁まあ、はい。そうですね﹂
﹁でもね亮くん。いくらなんでも美花ちゃんがあんなケガをして、
両親は真相を知りたいはずよ。これがもしマナちゃん達だったら私、
絶対に何があったのか知りたいわ。美花ちゃんの知り合いがいたか
らって、そんなの勝手すぎるわよ亮くん!﹂
蒼崎の言ってる事は正しい。普通の親ならわが子に何が起こった
のか知りたいはずだ。それを知ってて話さないのは自分勝手と言わ
れも仕方がないだろう
﹁もし⋮いえ⋮真相は俺じゃなく、みっちゃんが自分で話すと思い
ます。もし話したくないってみっちゃんが言ったら、それ以上は聞
かないで上げてください﹂
﹁⋮ふぅん﹂
蒼崎は大きく溜め息を漏らした。それは納得したのか呆れたのか
亮には分からなかったが、それ以降蒼崎からの追求は無くなった。
美花の手術が終わったのは日付がかわる数分前だった。手術室の
けっ
扉が開きベットごと運ばれてきた。美花の頭に包帯が巻かれ、その
しゅ
間からドレーンといわれる管が挿入されていて、頭部内に残った血
腫を外へと排出している。
ドクターか看護師かわからないが、繰り返し殴られ腫れ上がった
美花の顔半分にガーゼを被せて、見せないようにしている。
148
気を使ってくれたのは有難いことだが、それが逆に里子を動揺さ
せた。
﹁美花ちゃん! 美花ちゃん! ママよ。目を開けて、お願い! 美花ちゃん!﹂
娘の身体に触れようとする里子の行為を、看護師二人があわてて
止めに入った。
﹁お母さん、娘さんは今手術が終わったばかりなので、そっとして
あげて下さい。娘さんは頑張りましたから、これから先生からお話
がありますので、ナースステーションまで来てください﹂
﹁里子、美花は頑張ったんだから今はちゃんと休ませて上げてなさ
い﹂
みく
夫の洋二が里子の肩に手を置いて落ち着かせようとする。美花の
父親は少し白髪が混じった40代位の細身で、目元が妹の美久に似
ている。おそらく美花も目を開ければ同じ風に似ているのだろう。
﹁蒼崎さん。入院手続きどうもありがとうございました。今はこん
な状況ですから、いずれまた﹂
洋二はお礼を済ませると、里子の肩を抱きかかえながら看護師達
の後を付いて行った。
その後ろ姿は職場から直接来た様子で、Yシャツに乾いた汗が染
み付いていた。
蒼崎が夕方見た時と比べ、頬がややこけ、身体が一回り小さくな
ったように感じられた。もしかしたら母親以上に疲労困憊してるの
ではと彼女は心配した。
﹁あれが普通な親の反応よ。亮くん、あたなアレを見てもまだ話さ
ない方がいいと思ってるの? 亮くんは友達して守ってるつもりで
も、最終的に美花ちゃんの大切な人を傷つけているのよ﹂
﹁⋮誰にだって知られてほしくない、隠しておきたい事の一つや二
つあってもおかしくないでしょ、大切な人ほど知られたくない事だ
ってあるんですよ﹂
﹁それは⋮そうね。それを否定する気はないわ。でもね亮くん、私
149
あの二人の前で黙ってるなんてとても出来ないわ﹂
家
﹁それは、蒼崎先生が俺達の親だからです。おれも先生の意見を否
定する気はありませんから﹂
﹁おっ!! 言うようになったね、亮くん。﹃たんぽぽ﹄に来た時
は、私の言葉に反論なんてしなくて無視ばかりしてたのにねぇ。少
し成長したのかなぁ﹂
﹁茶化さないで下さい。せめて心が開けてきたって言ってもらいた
いですね、先生!﹂
少し茶化された事にムッとした態度をとりながら、ポリポリと頭
を掻いてみせた。
﹁ゴメン、ゴメン。亮くんが普段見せたことがないくらい暗い顔を
してるから、つい笑わせたくなっちゃって、先生反省するわぁ﹂
﹁とてもそんな風には見えませんけどね。それよりもそろそろ帰り
ませんか? まさかこのまま病院に泊まる気ですか?﹂
﹁それもそうね。先生、美花ちゃんのご両親に挨拶してくるから、
亮くん先に車でまってて、話が終わるまで少し時間が掛かると思う
けど、正面出てすぐ右の奥に留めてあるから。はい、コレ鍵よ﹂
受け取った鍵をポケットに仕舞うと、亮はその場を離れた。美花
ほどこ
の様子が気にならないわけじゃないが、手術室から出来た美花を見
た時、一瞬で彼女の施された処置は無事終わり大丈夫だと確信でき
えんぺい
たからだ。それはただの希望的観測ではなく、亮自身の経験から推
ごう
測した結果だった。医療設備の整ってない野戦病院や、地下の掩蔽
壕の中で、負傷兵の開腹手術や外様々外科手術の現場を見てきた亮
にとって、間違いなく美花は高度な医療技術で一命を取り留めたと
確信できた。
﹁あっ、間違えた﹂
一階ロビーまで来たときに、亮は場所を間違えた事に気が付いた。
既に受付時間はとっくに過ぎ、照明がおちた一階は全て真っ暗だっ
た。唯一ロビーを照らすのは壁に設置されている真っ赤な非常灯だ
けだった。
150
一応、受けの奥に誰か居ないか声を掛けてみるが無駄だった。諦
めて夜間外来の方へ向かおうとした時、受けの電話が突然なりだし
た。
亮はじばらく辺りを見渡すがだれも出てくる気配はない、急患か
もしれなと思ったが自分がでるわけにはいかないと思い、その場か
ら離れた。それと同時に電話もやんだ。
そして今度は夜間外来へ向かう亮のすぐ隣にある緑の公衆電話が
鳴り出した。一瞬、亮はその場で止まりその公衆電話に視線を向け
た。
﹁えっ!? なんだよ?﹂
それは偶然なのか、必然なのかわからなかったが、亮はその電話
に出る事は裂けるべきと直感がささやいた。
案の定、亮が前を通り過ぎると鳴り止んだ。これはマズイと感じ
た亮の足は自然と早くなり、気がつくと走っていた。関節照明が照
らす廊下の角をまがり、夜間外来のドアが視界に入るとスピードを
落とした。夜間受付で待機している守衛に頼みドアを開けてもらう
と、すぐに蒼崎が駐車した車を見つけ中に乗り込んだ。
大きく深呼吸してやっと安堵の気持ちになったとき、自分のスマ
フォがブルブルと震えている事に気がついた。
ずっと病院だったためマナーモードに設定していた事をすっかり
忘れていた。まさかと思って液晶画面を見ると﹃たんぽぽ﹄の名前
が出ていた。おそらく帰りが遅い蒼崎と亮と心配してマナか彩音の
どちらかが電話をしてきているのだろう。
﹁なんだよ⋮まったく﹂
亮は溜め息をつくと、通話ボタンを押した。
﹁もしもし、マナ? 彩音か?﹂
だが、想像してた返事はなく。かわりに聞き覚えのない声が返っ
てきた。
﹃今言った二人はここには居ないぞ﹄
﹁誰だお前は?﹂
151
ボイスチャンジャー
﹃君の友達の友達さ﹄
電話の相手は音声変換機でも使ってるのか、中性的な声で話し始
める。
﹁はぁ? 言ってる意味がわかんねぇんだけど。俺に友達はいない
し、そんな友達は知らねえな!﹂
﹃それはショックだな、これでも結構ナイーブな方でね。君とだっ
たら友達になれると思ったてんだけどな﹄
じゃけん
﹁残念だけど間に合ってる。じゃあな﹂
ともな
﹃まあ待ちたまえ。そんなに邪険に扱わなくてもいいじゃなか。こ
ちらも今こうして君とはなしてるのはかなりのリスクを伴ってるん
だよ。君が電話に出てくれないから、確実にでる回線を使う事にし
たんだよ﹄
﹁やっぱりあの電話はお前か⋮いや、ちょっと待て! テメーまさ
か!!﹂
﹃おっと、気づくのが遅いんじゃないのか。この電話が今どこから
君にかけているのか、もっと早く気づくとおもったんだけどな﹄
亮の感情が﹃怒り﹄に集まり始めると、背筋に稲妻が翔け抜け心
臓の鼓動が激しく脈打ちする。そして手に持ったスマフォがミシッ
と音を立てる。
﹁おい⋮テメーェ!! マナ達に何をした!!﹂
﹃誤解があるようだ。ここいる妹たちには何もしてないよ、まだね﹄
﹁テメーェ、一体何が目的だ?﹂
﹃おっ、行き成り本題に入るか。いいだろう。こっちの目的は一つ、
君に前任者の仕事を引き継いでらもいたい。ただそれだけだよ﹄
﹁はあ? 何だよそれ? 前任者って?﹂
﹃一ノ瀬君だ。君も知ってるだろう。残念なことに彼は志半ばで殺
されてしまってね﹄
﹁あいつは事故で死んだはずだけど﹂
﹃事故? おいおい、マスコミの報道がいかに嘘まみれなのか知ら
ない訳じゃないだろう。彼は殺されたんだよ。君たちの縁の深い者
152
達によってね﹄
﹁知ってるよ。だが断る。俺はもうそういう世界と関わる気はない、
それに家族もいる。ハッキリ言って迷惑なんだよ﹂
﹃家族? ハッハッハッハッハ、面白冗談だな。あの﹃桜の獅子の
子供達﹄がここの人間達の事を家族と言い切っるなんて、君は本当
に面白い子だな。一体君の身に何があればそんな風に変われるのか
興味が湧いて来たよ﹄
﹁ああ、そうかい。俺はハッキリ断ったからな。じゅあな﹂
﹃まあ、ちょっと待て待て。一つテストしておこう﹄
﹁はっ? テスト?﹂
﹃そう、単純なテストだよ。私がこれから二階にいる君の家族を1
人1人切り刻む。君はそこから全力でここに戻ってくる。君が早け
れば早いほど妹達の生存率は高くなるが、遅ければ低くなるそれだ
けさ﹄
﹁てっ、テメー!!!﹂
亮は荒々しい声で怒鳴った。眉間から顔全体にスジが浮き上がり
それはまさに鬼の形相と言える。病院の駐車場から﹃たんぽぽ﹄ま
でどんなに車を飛ばしても30分は掛かってしまう。
﹃さあ、君の実力を見せてくれ。月宮亮くん、いや⋮白蛇の夜叉蛇
よ﹄
亮は通話を切るのも忘れ外に飛びだすと、一目散に前方の電柱に
駆け寄り上へとよじ登った。そして電柱の頂上から膝を曲げ一気に
天高く跳躍した。常人なら1メートルも飛ばす、そのまま落ちて大
怪我をするが亮は違っていた。
亮の身体は落ちることなく孤を描くように飛行しながら、100
メートル程先にあるコンビの駐車場へと着地した。ドスッ!!っと
大きな音と一緒に足元のアスファルトが5センチ程沈む。そしてま
た跳躍、今度は200メートルほど先にある紅白に塗装された高圧
鉄塔の頂上に着地した。
風は意外と強くなく、亮は﹃たんぽぽ﹄の方向を確認すると、そ
153
の方向へと続く高圧鉄塔ごしに跳躍していく、400メートル間隔
の鉄塔を飛び移っている間も、亮は息ひとつ乱さずに眼前に見える
﹃たんぽぽ︽我が家︾﹄へに向かっていく。
3分半ほどで亮は﹃たんぽぽ﹄に到着した。すでに電気はなく、
建物自体は静まり返っていた。間に合わなかったかと思いつつ、亮
は鍵がかかってない玄関を開け中へと入る。
廊下を﹃膝抜き﹄と呼ばれる音を消す歩き方で進み、マナ達の安
否確認のため2階へとたどり着いた。
ゆっくりとマナの部屋ノブを回し中を覗き見ると、人がいる気配
はしなかった。同じように彩音、楓、葵の部屋も確認したが、誰も
いなかった。
﹁遅かったか⋮﹂
亮は奥歯を噛み締め、込み上げる無力さを振り払おうと拳を床に
叩きつけようとしたその時、1階の台所付近で物音が聞こえた。
亮は電話の相手がまが残っていると確信し、1階へと降りて行く。
居間に入ると案の定、電気の消えた奥の台所付近から人の気配がす
る。
真っ暗で完全にはわからないが、亮の目には確実に一人動く陰を
ごうもん
捉えていた。おそらくアイツが電話の相手だろうと思い、ゆっくり
と近づきながら亮はコイツをどう尋問してやろうかと考えていた。
完全に間合いをつめ、息を止めた瞬間。亮はその影に向かって飛
びかかった。
﹁ふぐぅ⋮っ﹂
突然虚を疲れた相手は反撃する間もなく押し倒される。そして両
腕を後ろに回され外れないよう亮の右腕が関節をキメる。そして残
った左腕を首に回し頚動脈を締め上げた。
頚動脈を絞められた人間は約30秒もあれば失神するが、この相
手はバタバタと体を動かし無駄に酸素を消費しだした。これは一種
のパニック状態に陥っているのだ。
亮は力を緩める事なく、完全に相手が失神した事を確認すると静
154
ボディーチェック
かに床に寝かせた。そして手探りで武器がないかどうか身体検査を
始める。
以外にも骨格は細く筋肉は少ない。しかも腰周りを探っても装備
あたりいちめん
品を携帯している様子は見られなかった。
すると、突然照明がつき辺一面が眩い光に包まれた。
﹁しまった。コイツは囮か﹂
亮は目を細目ながら身構えた。
に
﹁何が囮やぁ、ゴラァ!﹂
﹁りょ⋮亮兄ぃ⋮﹂
﹁⋮⋮変態﹂
そこには驚きと蔑んだ瞳でたたずむ彩音、マナ、楓の3人が立っ
ていた。
﹁えっ!? 皆⋮無事だったのか?﹂
﹁何が無事や! おのれのした事よう見てみぃーや!﹂
﹁へっ⋮!?﹂
彩音の指差す方向に目を向けると、そこには失神した槇村葵が横
たわっている。しかも借りているマナの浴衣の裾を亮が持ち、胸元
が大きく開きブラと下着があらわになっているではないか。
どう見ても亮が葵の服を脱がせている状態にしか見えない。
﹁あの⋮その⋮ごっ誤解なんだよ⋮これは⋮その⋮﹂
顔中から冷や汗を垂らしながら、亮は周りの状況を確認しだした。
床に転がるアイスクリームとジュース類、袋が空いたスナック菓子
の数々を見て、亮は恐る恐る尋ねた。
﹁もしかして⋮ひょっとしてと思うが⋮アフターナイトの最中だっ
たのか?﹂
3人が同時に頷いた。アフターナイトとは、月に一度﹃たんぽぽ﹄
内の女子メンバーで行われる女子会だ。今回は新人の葵を含めた親
睦会を兼ねた闇ナベならぬ、闇アイス会を開催していたようだ。そ
こに運悪く亮が乱入し葵を羽交い絞めにしてしまったのだ。
﹁でっ、どんな言い訳があるんや亮! 聞いたるでぇ、うちらが納
155
得する理由があるんやったらな﹂
﹁うん、マナも聞きたいな亮兄ぃ! せっかく葵ちゃんと仲良く楽
しんでる最中に、どうして亮兄ぃが葵ちゃんの服を脱がせているの
か、マナ聞きたいなーぁ﹂
二人とも顔に不気味な笑みを浮かべながら、彩音は指の関節をポ
ゴジラ
キポキ鳴らし、マナはフライパンを強く握り締めながら亮に近づい
ていく。
﹁はっ⋮あはっはっはっ⋮先生ぇ、破壊神が覚醒しちゃったよ⋮﹂
その場で覚悟を決めた亮の頭上で、マナの振り上げたフライパン
が勢いよく振り落とされた。
うめ
その夜、﹃たんぽぽ﹄付近の住民達はどこからともなく聞こえて
くる、悲鳴とも呻き声とも言えない叫び声を朝方まで耳にする事に
なった。
156
友達の友達は︵後書き︶
こんにちは、朏 天仁です。今回の18話はどうだったでしょうか
?楽しんでもらえたら幸いです。
次回は、久しぶりのキャラが登場する予定です。あくまでも予定な
のでどうなるかわかりませんが・・・︵−︳−;︶
そんなわけで、今回18話までを読んでくれました貴方様に感謝の
言葉を送りたいと思います。
ここまで読んでくれまして本当にありがとうございます。m︵︳
︳︶m
157
22時間前、過去からの・・・
時計の針が7月2日午前1時14分を指した頃、ルーマニア大使
館内では職員や武官達が慌ただしく動き回っていた。
この数時間、皆一様に疲労困憊した顔のまま事態の収拾に奔走し
ていた。何故こうなっているのか、この事態の発端は、ロメロ神父
達を乗せた外交車内で、一緒に搭乗していたシスターがある事に気
づいた事から始まった。
突然シスターがロメロ神父の腕を掴むと慌てた様子で口を開いた。
﹁大変ですロメロ神父! ﹃聖アントニウスの加護﹄が消えました
!﹂
﹁何ですと!?﹂
最初は何かの間違いかと思ったロメロ神父だったが、手袋を外し
それが嘘ではない事を確信した。ロメロ神父の手背に刻まれた﹃聖
痕﹄が跡形もなく消失していたからだ。
おそらく東京圏内にかなり強力な結界が掛けられていて、連邦国
内での術が発動できなったくなっているに違いない。
ためしにその場でロメロ神父が術を発動させてみるが、何一つ変
化が見られなかった。大使館に到着した神父達は、早急に事態打開
のため東方シオネス十字教会に連絡を取りつつ、東京に掛けられて
サンク・チェリジェンス
いる結界の分析を要請した。自分達が結界内にいるため、どうして
も術の解析を行う事ができず、後位索術法陣を敷き術情報を集約す
る必要があるからだ。
本国からの通信命令書を持ちながら、ポーンは足早にロメロ神父
が待つ円卓会議室へ向かっていた。
扉の前で一度呼吸を整えてから扉を開けると、部屋の一番奥にあ
る書斎机の椅子に1人腰掛ける神父がいた。円卓会議室は大使や他
の書記官が会議するときに巨大な円卓を用いて会議を行う場である
158
が、普段はその円卓はしまわれていて、変わりに大使専用の書斎机
が一つ置かれている。
﹁お待たせしました。先程本国の東方シオネス十字教会極東方面担
当のジャージエル霊術士から返信が届きました。読み上げてもよろ
しいでしょうか?﹂
﹁前置きはいい、早くしろ!﹂
﹁ハッ! ﹃現在我が国の北米幻魔道師団内でも、フレデリック・
J・ロメリオロ神父から報告を受けた正体不明の結界術式について
は確認がとれている。﹃法霊術式課﹄と﹃ラ・パヌゥス教団﹄の協
力の元で解析を行っている最中である。だが、現在の所、数多の文
献や古文書を探っても﹃聖アントニウスの加護﹄を無力化する術式
は存在していない。一番考えられる可能性としてこの結界は近年に
なり何者かによって意図的に創られた可能性が高い。我々には貴殿
らの行動に干渉する権限はないが、詳細が判明するまでは今後の活
動は慎みむ事を推奨する。以上﹄っであります﹂
﹁ふんっ! はっきり現在調査中とだけ送ればいいだけだろう。長
うっせき
たらしい文章を送りおってからに﹂
ロメロ神父は鬱積した感情を晴らすかのように、その文章に悪態
をついた。本来なら3日程で終わるはずだった任務が、想定外の事
態でいつ終わるとしれない状況へと変わりつつある苛立たしさに加
えて、7月の日本の気候が彼のイライラ感を余計に助長させた。エ
アコンを付けていても日本特有のジメジメトとした湿気が身体にま
とわりつき、不快気分が一向に下がる気配がない。
ついに堪えきれずに、力強く机に拳を叩きつけた。
わきま
﹁ええい!! 忌々しいサル共めぇ! 下手に知恵をつけをってか
中国
らに、本当にこの国のサル共どもはここまで分を弁えることができ
ん劣等種だったとは! 赤ザルの方がまだ扱いやすかった﹂
﹁少し落ち着いてください神父。まだそうと決まった分けではあり
ませし、それにまだ本国かも何かしらの有益情報がくるかもしれま
せん﹂
159
気を落ち着かせようとしたポーンに向けて、言葉より先に机上の
ティーカップが顔に飛ばされた。とっさに避けると、カップは後ろ
の壁にぶつかって砕けた。
カーディナル・プライスト
﹁黙れ! 言われんでもわかっとるわ! 問題はそんな事ではない
のだ。一番問題なのは司祭枢機卿団だ。よりにもよってこんな時に・
・・﹂
ロメロ神父は思案顔のまま俯くと何かブツブツと呟き始めた。
その様子を見ているポーンには何を言ってるのか聞き取れないし、
聞きたくもなかった。報告を済ませるとポケットからハンカチを取
り出し、砕けたカップを広い集めだした。そのまま捨てに行こうと
ドアに手をかけようとした瞬間、誰かがドアをノックしてきた。
﹁入れ!﹂
ポーンがドアを開けると、そこには一等書記官のミハイ・イオネ
スコが立っていた。整った顔立ちと長い金髪を後ろで縛り、ストラ
イプ柄のグレーのスーツが彼女の細い身体のラインを強調していた。
本人は知らないが、男性大使館職員の間では﹃ヴィーナス﹄とあだ
名が付けられている。
﹁失礼します。先程ロメリオロ神父宛てに本国から書簡転送があり、
お持ち致しました﹂
﹁来たか。受け取ろう﹂
・・・・・・
すぐに腰を上げ右手を差し出すと、ミハイが持ってきた一枚の白
紙を受け取った。
﹁確かに受け取った。下がっていいぞミランダ﹂
﹁ハッ!﹂
いぶか
ミハイは何故か神父に十字ではなく、敬礼をして会議室を出て行
った。それに名前に違和感を感じたポーンは訝しげな顔で尋ねた。
﹁お知り合いですか? ミハイとは?﹂
﹁ああ、昔な・・・﹂
ロメロ神父は白紙を見ながら軽く応えた。
どうでもいい質問と思って軽くあしらわれた事に少しムッとした
160
感じを覚えたポーンは、無言のまま一礼を済ますと部屋を出て行っ
た。
再び一人になると、ロメロ神父は右指で白紙を軽くなぞり出し始
めた。すると青白い光が浮かび上がりやがてそれが文字へと変化し
だした。これは北米幻魔道師団内で使われている伝心術の一つだ。
原理は簡単だ。FAXの通信信号の変わりに、電気信号に変換した
魔術を入れて送るシンプルな方法だ。
こうする事で外部からの情報流失は不可能になる。だが、以外に
も魔法と電化製品は愛称が悪く、特に高等魔法は確実に電化製品を
FAX
破壊してしまう。機械が精密であればあるほど下等魔法しか受け付
けないのである。その為、いくつかある下等魔法の中でこの通信機
と愛称がいいのが、この伝心術なのだ。
﹁やはりこうなったか、忌々しい極東のサル共が﹂
書簡はジェネック枢機卿からだった。想定外の事態により今回の
あしかせ
任務は一時休止を決定したとの内容だった。加えて今後の日本連邦
内での諜報活動の足枷になる可能性が高いと考えられる、結界の調
査と可能であればその破壊が記されていた。
﹁おのれぇ、あと一歩だったんだ。あと少しで王室に大きなカリを
つくる事がでたのに、もっと深く根に食い込むことができたのに、
クソがっ! 今回の任務・・・ただで終われると思うなよ。イエロ
ーモンキーどもがぁ﹂
ロメロ神父は肘を立て組んだ手に額を乗せてうな垂れる。日本に
あんたん
来る前まではこの任務を楽しむ余裕を見せていたが、今は事態打開
の思考を巡らせ暗澹とした表情になっていた。
答えが出ないまま二時間ほど過ぎた頃、突然机上の電話が鳴り出
した。
﹁ロメリオロだ。何のようだ﹂
﹃ロメリオロ? それが今のお前の名前か、フローレスク・ロメリ
ごうもんきょう
オ中佐。ルーマニア王室内でなにやらきな臭い事をしてると耳にし
たが、噂通り・・・まさかあの拷問狂が本当に神父になっていたと
161
は笑止﹄
電話の向こうの人物は間違いなく自分の素性を知っている事から
教会関係者ではないと判断した。そんな事よりもロメロ神父は動揺
していた。まさか今頃になって自分の本名を聞かされる事になると
は、この動揺を向こうに悟られまいと、一度間を空けてから口を開
いた。
や
﹁その名を知っていると言うことは、貴様聖騎軍関係の者か?﹂
﹃こっちが誰なのか詮索は止めようじゃないか、君をよく知る古き
ものとだけ教えておこう﹄
﹁ぬかせぇ! わたしの本名をしている時点でだいたい想像がつく、
それよりもこんな時間にここに連絡をよこしてる事に興味が湧いた。
一体何ようかな?﹂
﹃おやおや、少し動揺すると思ったがさすが元軍人で今は神父だな
! それとも実は案外動揺してたりして。まあいいや、お前・・・
﹃聖痕﹄が使えなくなってるだう﹄
﹁なぜそれを? 貴様一体・・・﹂
﹃おっと動揺したかな? 心配すんなって、こっちはビジネスの話
をしたいだけさ﹄
﹁ビジネスだと?﹂
﹃そうさ、日本に入る前にいいものを見せて貰ったから、知ってる
か今お前達を囲っている結界は、一都市レベルのようなそんな可愛
いものじゃないだよ。お前はもう気が付いていると思うが、今の日
本は前大戦の教訓から外来勢力、つまりお前達みたいな術士や幻獣
使いに対して、いかにして国を守るかを最重要課題にしてきた﹄
﹁それで﹂
﹃それで軍は陰陽師と手を結んだ。いや、結んだというより協定を
交わしたと言うべきか、もともと陰陽師達は国の祭祀を行うために
残された機関だ。呪術や獣術で敵と戦う為の兵士じゃない、陰陽師
と軍は決して交じり合わない水と油だ。だから軍はあくまでも防衛
手段と言う名目で陰陽師達に要請したのさ﹄
162
﹁くどい説明はいい。本題を早く言え﹂
﹃陰陽師が作った陣、つまり結界は連邦内全ての国にある。それは
連邦内を超えて、領空領海の全てを収めている。その全てを破壊す
るのは不可能に近い、だが1つのブロックだけなら確実に数時間だ
けだが機能不全にできる﹄
﹁やはりこの結界は陰陽師が創った結界だったか﹂
﹃お前が依頼主になってくれるなら一時的ではあるが、この国で術
しと
を使えるようにしてやってもいい。付け加えるなら、今お前達が探
している﹃アレ﹄の居所も教えてやってもいいぞ﹄
﹁アレ? アレとは一体何のことかな?﹂
﹃とぼけるなよ! ﹃クルージュの奇跡﹄のことだよ。別名﹃使徒
の導き手﹄ともいわれているけど、お前たちの様な欲にまみれた面
の皮が厚い信者たちによって作り出された悲しいおとぎ話だな。そ
の子に同情するよ、ただ利用するだけにしか存在が許されないんだ
からな﹄
﹁我々の国の問題は、我々の問題だ。関係ない者にとやかく言われ
る筋合いはない!﹂
﹃おいおい、お前は自分の立場がまだ理解できてないようだな。今
のお前はただの人なんだよ。何の力もない、弱い一般人となんら変
わりないことを理解してもらいたいな﹄
せい
﹁貴様ぁ・・・ふっん、まあいいさ。それで術を使えるようにして
もらえる変わりに、そっちは何が望みなんだ﹂
てい
キャッシュ
﹃金と物さ、まず術を使えるようにするのに﹃ロンバルディアの聖
釘﹄を渡してもらおう、﹃アレ﹄の居場所は日本円で五千万を現金
で用意してもらえれば教えてやるよ﹄
せいてい
その要求を聞いたロメロ神父は、こみ上げる怒りを抑え平静を何
とか立ちながら応えてみせた。
﹁それくらいの金は用意できる。だが﹃ロンバルディアの聖釘﹄は
無理だな。聖遺物はバチカン本国でも最重要機密で保管されている。
一介の神父が簡単取り出せるモノではない、残念だが別のモノにし
163
ろ﹂
﹃クックックッ、あっははははははは﹄
﹁何がおかしい?﹂
せいてい
﹃そんな事百も承知だよ。こっちが言ってるのはお前たちが今持っ
ている﹃ロンバルディアの聖釘﹄の事だよ﹂
﹁どういう意味だ?﹂
﹃とぼけるなよ! 第二次極東戦争末期、第四次京都攻防戦の際に
せいてい
お前の上官だった北米幻魔道師団のアンティオキア騎士団総長が本
ひゃっき
国から強引に持ち出した﹃第三のロンバルディアの聖釘﹄があった
だろう、それだよ﹄
しゅう
﹁言ってる意味がわからんな、確かにそれはあったが日本の﹃百鬼
衆﹄の戦闘で紛失したままだ。あれは唯一我々が膝をつかされた屈
せいてい
辱の日だった。欲しければ過去に戻るしかないな﹂
﹃ふっ、ロンバルディアの聖釘を持った軍団が負けるはずないだろ
う。あの戦闘は最初から負けることが前提だったんだろ﹄
﹁・・・何だと?﹂
ロメロ神父の顔が険しくなり、無意識に呼吸が荒くなってきた。
﹃はっはっは、ならこう聞こうか。当時のお前は頭の回転が速く策
せいてい
略と野心を巡らせていた。そこに舞い降りたチャンスがあの﹃ロン
せいてい
バルディアの聖釘﹄だ。お前は戦闘中まんまと﹃ロンバルディアの
聖釘﹄を奪う事に成功、そのまま日本のどこかに隠したんだ﹄
﹁ふっ何を根拠に、証拠でもあるのか? 無いなら貴様の推論をこ
れ以上聞く気はないぞ!﹂
せいてい
﹃勿論、お前が盗んだ証拠はない、だがアンティオキア騎士団総長
がお前に﹃ロンバルディアの聖釘﹄を奪う事を記した命令書がある。
嘘だと思ってるよな、それなら教えてやる。ロウ封の刻印は﹃梟︽
ふくろう﹄︾で文章は全て古代ペトログラフを使用し、そのインク
せいれいしょ
は﹃聖ヤヌアリウスの血﹄を使用している。これだけでも特一級の
聖令書だ。もしこの現物をある所に渡せばお前はちょっとマズイ事
になるだろうな。いいや、それだけじゃない、北米幻魔導師団の行
164
く末に関わる問題だ。当然上は全てを否定するし、実行犯のお前は・
・・言うまでもないか﹄
﹁・・・それは・・・脅しか﹂
﹃そう取ったのなら、そうだよ﹄
かん
受話器を握り締めるロメロ神父の手が震えだす。完全にこちら側
の不利な状況に加え、相手の口調が妙に癇に障りだす。当時の記録
は全て抹消したはずなのに何故この者が知っているのか、下手に相
せいてい
手の情報収集能力を侮ると手痛い結果を招くと考えた。
﹁わかった。たが﹃ロンバルディアの聖釘﹄は渡す事はできない、
すでにアレはもう我々でも手が出せない場所に保管してある、その
場所を教える事でどうだろうか﹂
﹃ふ∼ん、そうくるか。いいよ。あっ、でも本当に手が出さない場
所なのか確かめる必要があるね﹄
﹁わかった。では残りの金五千万は︱﹂
﹃八千万だ!﹄
せいてい
﹁なっ!? 何だと! 貴様さっき五千万と言っただろう﹂
せいてい
﹃それは、あくまでも﹃ロンバルディアの聖釘﹄を渡してもらった
らの条件だ。﹃ロンバルディアの聖釘﹄を渡せないのなら、足りな
い所を補う必要があるから当然金額も上がるに決まってるだろう﹄
﹁貴様ぁ!! 図に乗りをってからに!﹂
﹃嫌ならいいんだよ、そこで﹃クルージュの奇跡﹄が連中に連れ戻
さかな
されるのを指を加えながら見てることだ。こっちはお前達の悔しが
キャッシュ
る顔を肴に、美酒を飲む事にしよう。さぞ酒が進む事だろうな﹄
﹁ぐぅっ・・・わっ、わかった。八千万だな。だが現金で用意する
には時間が掛かる。一日待ってくれないか、いや、明日の午後まで
だ﹂
﹃賢い判断をしたね、いいよ。明日また連絡する。じゃあねぇ﹄
相手が電話を切ると、ロメロ神父は力一杯乱暴に受話器を戻した。
﹁クソッタレめぇ!!﹂
吐き捨てるように汚い言葉を出すと同時に、軽いノックが轟いた。
165
﹁失礼します。神父先程なにか大きな音がしたのですが、大丈夫で
すか?﹂
ドアを開けて入って来たのはロメロ神父と一緒に入国したシスタ
ーだった。直に穏やかに表情に戻ったロメロ神父は立ち上がり、シ
スターの元に歩み寄った。
﹁驚かせてしまいましたか、別にたいしたことではございません。
書斎の本を落としてしまったら思いのほか大きな音が出てしまいま
して、ご心配おかけして申し訳ございません﹂
﹁そうでしたか。それならよいのです﹂
﹁さあ、もう時間も時間ですしお休みなられてください。数時間後
には調査が始まりますので、どうぞお部屋でゆっくりなさってくだ
さい﹂
シスターの肩にそっと手をかけるて、そのまま外へと一緒に出て
いった。廊下の奥にいた職員と目が合うと、指でシスターを部屋ま
で送れと、合図を出した。
﹁では、わたくしはまだ調べる事がございますので、これで失礼致
します﹂
職員に連れられていくシスターを見送ると、部屋に戻りゆっくり
とドアを閉めた。そしてさっきと同じ険しい表情になると、囁く様
に独り言を呟き始めた。
﹁やっとここまで来たんだ。あと少し・・・あともう少しなんだ。
誰にも渡さん・・・邪魔はさせん・・・誰にも・・・誰にもだ﹂
ロメロ神父が囁いている間、部屋にある時計の長針がちょうど午
前4時を指していた。あと30分ほどで日が昇りだす。
ロメロ神父は、今から始まる数時間がおそらく自分にとってもと
も長い時間になるろうとは、この時はまだ考えもしなかった。
166
22時間前、過去からの・・・︵後書き︶
こんにちは、朏 天仁です。
一日早い投稿です。フライング投稿! さて時間軸は戻りますが、
久しぶりにロメロ神父登場です。なにやら陰謀のニオイがプンプン
しますね。︵p︳−︶亮達の知らないうちに別のストーリが展開さ
れていくのか、どうなのかって、作者何言ってんだよマッタク・・・
<`ヘ´>
第19話を読んでくれまして本当にありがとうございます。これま
での貴方様の応援を糧にこの先もストーリを進めて行きたいと思い
ます。でわ感謝を込めてm︵︳︳︶mです。
167
忍び寄るモノ
照りつける太陽の日差しがだんだんと強くなり始めた頃、都島リ
ハビリセンター行きのバス停にあるベンチで、大きく股を開いて座
る亮がいた。
マナと彩音に殺されかけた亮の顔にはその爪あとが痛々しく残っ
ている。大きく欠伸を伸ばすと、口腔内に痛みが走り、血の味が口
一杯に広がった。
すま
﹁まったく、散々な目にあっちまった﹂
昨晩、半殺し状態のまま簀巻きにされている所に運よく蒼崎主任
が帰宅。何とかその場を収めてはもらったものの、﹃たんぽぽ﹄内
で亮の立場がますます悪くなった。
朝食堂に下りて皆に挨拶しても、誰一人返事を返してくれない。
マナでさえ目を合わそうとしないばかりか、完全にスルーする始末
だ。葵にいたっては距離を保ち、怯えて亮に近づこうともしなかっ
た。
不可抗力でなったとはいえ、半分しかたがないと思いながら早々
と朝食を済ませると、すぐに部屋に戻ってフルートと楽譜を入れた
鞄を持つと﹃たんぽぽ﹄から出てきた。
バス停は﹃たんぽぽ﹄の前の通りを200メートル程進んだ、コ
ンビにの駐車場を間借りした形で設置されていた。そのおかげでい
つも通学時間帯のバス停には、学生達がたむろしていた。
亮がバス停に到着したときは既に通学時間を過ぎていて、だれも
いないベンチに座る事ができた。一般的な公共施設に設置されてい
る休憩所や、ベンチを亜民が利用する事が出来ないわけではないが、
この前のバスと同じで一般の市民と一緒にベンチに座るものなら、
すぐにベンチから追いやられてしまう。そも強制的に、まるで服に
とまった虫を叩くかのようにして。
168
市民も亜民も法の下で等しく平等と決めれていても、大多数の市
民の中に﹃対等﹄という考えは浅いらしい。
大抵の亜民は、市民と一緒にならないよう時間帯をズラして交通
機関を利用してる。しかし、運悪く市民の中に入ってしまった場合
シグナル
は目立たないようにしてやり過ごそうとする。最初は気にしない亜
民も、自分に向けられる周りからの行動で最後は一緒になってしま
う。
亮が再び欠伸を伸ばすと、今度は軽い眠気を感じ始めた。ほとん
おととい
きりしまちさと
ど睡眠らしい睡眠をとれずに出てきてしまい、ベンチに座っている
うちに身体が休息モードに入っていった。
﹁おはよう! となり座るわね﹂ 突然声を掛けられ横を向くと、そこには一昨日合った霧島千聖が
いた。今回はスーツ姿ではなく、白いシャツに茶系の九分丈スキニ
ーストレッチパンツを履いた格好をしている。
﹁私服・・・はじめて見た﹂
﹁そう、感想は﹂
﹁歳を考えろ。それにその広い肩幅がすごく不自然だっ、ぐぅふぁ﹂
ちゅうちょ
ついストレートな感想を言ってしまったため、霧島が護身用に携
帯している特殊警防で躊躇なく顔を叩かれた。しかも怒っているは
ずなのに、何故か顔の筋肉を器用に使って笑顔を作っている。
﹁今度またそんな面白い冗談いったら、顔にビンタしちゃ∼うぞ﹂
﹁いっ今・・・ビンタよりスゴイの・・・もらったんだけど・・・﹂
﹁君も知ってるでしょう。私の指導は最初厳しく、次は優しくよ。
アメとムチの最初をムチにして調教してあげれば、アメをあげた時
に効果は倍増間違いなしよ﹂
﹁それって、アメを与えるまでに相手が生きていればって事が前提
でよね﹂
﹁そうよ。当たり前じゃない﹂
﹁おかしくないですか?﹂
﹁ぜーんぜん、おかしくないわよ﹂
169
と
霧島は細い指をクシ代わりにして髪を梳かしてみせる。
﹁・・・ところで、何かようですか?﹂
﹁ようがあるからわざわざココまで来てあげたのよ。ねえ、20万
欲しい?﹂
﹁くれるのか?﹂
﹁もちろんよ。ただしー﹂
﹁断る!!﹂
﹁あら、まだ何も言ってないわよ﹂
﹁言わなくたってわかる。この前の話だろ、ハンターの仕事をしろ
って言うに決まってる。俺はそんな仕事はやらないよ﹂
﹁なにも殺しを依頼してるわけじゃないのよ﹂
す
﹁いやだ。殺しじゃなくてもハンターの仕事はやらないよ!﹂
﹁あらあら、子供みたいに拗ねちゃってまったく。よっぽど2年前
のあの事件が尾を引いてるみたいね﹂
﹁ガキだよ、まだね﹂
﹁でも君、結構かわったわね。すごく人間らしくなったわ﹂
﹁はぁっ!? 何言うんだよ急に?﹂
﹁前の君は鋭いカミソリみないな感じだったわ。機械のように一切
の迷いなく淡々と相手を切り刻む。迷いがない、そう一貫性よ。無
関心なままに相手に痛みや苦しみを与えるけど、それを楽しむとは
違って、それが当たり前のように思っていたわ。でも、今の君は・・
・う∼ん、そうねぇー簡単に言えば素直になってる。自分の感情に
正直に反応してる。君を受け持ったとき正直この子は感情なんてモ
ノを持ってないんじゃないかって思ってたけど、今は違う。君って
意外と人間らしいんだなって思った﹂
﹁なっ、なに言ってんだよ。分けわかんねぇよ﹂
霧島の意外な言葉に、亮は照れたように頬を赤らめる。
﹁ところで仕事の話なんだけど﹂
﹁おい・・・まだ言うか﹂
﹁当然よ。話はまだ終わってないんだし。それに内容を知れば君に
170
とって悪い話じゃないと思うから私がこうして来てるのよ﹂
﹁どういう意味だよ?﹂
﹁使いよ。とても簡単な使いだから﹂
そう言って霧島が胸ポケットから一枚のメモ紙を取り出して見せ
た。紙には何処かの住所とアパート名らしい名前に続けて、部屋番
号が記されていた。
﹁ここに書いてある場所に行って、荷物を持ってきて依頼主に渡せ
ばいいのよ。ねぇっ、簡単でしょう﹂
﹁ああ、スゲー簡単な仕事だと思うし。スゲー怪しい匂いがプンプ
ンしてくるよ。なんか怪しすぎるからやらない。それだったらあん
たが行って来ればいい事だろう﹂
﹁それが一番なんだろうけど、実はそう簡単じゃないよ。依頼主の
条件が細かすぎて合うのが君ぐらいなのよ。ハンター資格を有して、
未成年の男性亜民である事って言われちゃってるから、私の中で君
しかいないのよ。だからお願い﹂
﹁随分と細かい条件だな。よっぽど神経質な奴なんだな﹂
﹁正直これはもう君しか適任がいないのよ、だからお願い引き受け
て頂戴。ねぇ﹂
可愛らしく拝んで見せるが、亮の気持ちに変化はなかった。
﹁アラサー女がそんな可愛こぶってもて意味ないって。逆に痛々し
いからヤメた方が、がっがっがっががががぁがぁがぁがぁあ!?﹂
﹁ねぇ君・・・ロシアンルーレットって知ってる?﹂
冷たい殺気を瞳に宿らせた霧島が、リボルバーの銃口を亮の口に
ち
ち
待って
待ってくれ
押し込んで引き金を引いた。立ち昇る殺気、この女は本気で引き金
ち
を引く気だ。
冗談だって
頼むから
やめてくれ
﹁ひょっ、ひょっ、ひょっと・・・ひゃって! ひゃぅってくぅれ、
ひょううだんだって、ひゃのむから、ひゃめてくひゃえ﹂
霧島の指が軽く引き金を引いた瞬間。どこからともなく携帯の着
信音が流れ出し、霧島は我に返った。
そしてゆっくりと亮の口から銃口を抜き出すと、彼のシャツの裾
171
で絡みついた唾液を拭き取り始める。
﹁携帯なってるわよ、早く出たほうがいいわ﹂
﹁おっ、俺の携帯じゃないよ。あんたの方だろう。それに、俺のシ
ャツで拭くんじゃねぇよ﹂
﹁んっ、私じゃないわ。君の方から鳴ってるじゃない、そのズボン
のポケットからよ﹂
言われれた通りズボンに手を当てると確かに携帯らしい硬い物の
感触がある。しかし、亮の携帯は楽譜と一緒に鞄に入れてあるはず
だ。
ポケットから出すと確かに携帯があったが、見覚えがない携帯だ。
しかも画面上には﹃非通知﹄の文字が出ている。
嫌な予感を感じながら試しに電話に出てみると、案の定昨夜聞い
た声が聞こえてきた。
﹃やあ、おはよう。ちゃんと生きてるようだね、昨夜は大変だった
ようだね、心配しちゃったよ﹄
﹁おい、元凶はテメーだろう。あんなふざけたまねして、お前どう
いうつもりだ﹂
﹃あれー、言ったはずだけどな。君に前任者の引き継ぎをしてもら
いたいって、その為にこっちはいろいろなアプローチを掛けて親切
としま
にお願いしてるって言うのに、当の君は朝から女とラブラブチュッ
チュか、しかもそんな年増女なんかと﹄
﹁ああ!! ふざけんな! 誰がこんな年増女とラブラブっ、ごぶ
みぞうち
はぁがっ!?﹂
亮の溝内に霧島のカウンターパンチがおもいッきりめり込んだ。
さすがは元副教官、人間の急所を迷わず突いてくる。さっき食べた
朝食が喉元までこみ上がると、なんとかそれを飲み込んだ。
﹁君・・・今、絶対私の事言ったでしょ。ねえ、言ったでしょう﹂
﹁はい・・・す、スミマセン・・・口が滑りました﹂
﹃話を続けていいかなマザコン君、仕事の前に君に資料を渡したい
んだけど、今この状況で君と真正面から向かい合って話しなんて出
172
来る状況じゃないよね。だからこっちは間接的に君に接する事にす
るよ。取り合えずそうだなー当面はこの携帯で連絡を取る事にする
から、だから無くさないでくれよ﹄
﹁何一方的に勝手な事言ってんだよ。こんな電話じゃなく、人に頼
みごとをする時は直接あって頼むのが社会の常識だぜ。俺の・・・
直接目の前にきやがれ!﹂
﹃それじゃ、こっちの仕事を受ける気になったって事でいいんだな﹄
﹁受けるかどうかは俺が決める! でも俺今ちょっと別の仕事を受
けようと思ってるんだよね。今ちょうどその話をしていた所だった
んだよ。だから内容次第によっちゃ断るかもよ﹂
自分の方が主導権を握っていると思っている相手に、亮は自分の
立ち位置を出来るだけ優位に立つ為、あえて霧島に聞こえるように
声のトーンを上げて応えてみる。
内容は知らなくても、亮の返事に霧島は頬をゆるめた。
﹃それなら問題ない。隣にいる霧島千聖の仕事を受けなさい﹄
﹁どういう意味だ?﹂
﹃ワタシが彼女の依頼主だからだ﹄
﹁なっ!?﹂
﹃先刻言っただろ。いろいろとアプローチをしているって。聞いて
なかったのか。まあいいや、それなら早速その女から依頼を聞いて
仕事に取り掛かってくれたまえ、マザコン君﹄
﹁おい、俺はマザコンじゃね! それに俺はあんたの事が気にくわ
ヒッキー
ねぇ。コソコソ隠れてないで堂々と出て来いよ。まさか亜民の俺が
コワイわけじゃないだろう﹃引きこもり﹄くん﹂
少し茶化したつもりだったが、相手からの反応が返って来なかっ
た。
﹁・・・おい? 聞いてるか? もしもーし﹂
﹃怖い? 君を? 笑えん冗談だな。ワタシが陰陽師に呪われ、生
き恥をさらし続ける夜叉蛇を怖がる理由がどこにある?﹄
﹁おい、今度その名で俺を呼んでみろ・・・ブチ殺すぞッ!!﹂
173
亮の顔色が冷淡に変わり、声が硬くなり怒りが含んできた。駐車
場で羽を休めていた鳥達が、突然現れた殺気に驚き一斉に空へと飛
び去っていった。
隣にいた霧島も思わず息を呑む。
﹁正直、あんたの仕事受ける気なくしたぞ。残念だけど他をあたん
な﹂
﹃そうか、では別のアプローチをするとしようかな、今君が座って
いるベンチに下に手を入れて探ってみろ。封筒があるはずだ中身を
見て、まだ君がワタシの依頼を受ける気がないのなら諦めよう﹄
言われたとおりベンチ下を探ってみると、貼り付けられた封筒が
あった。手に持った感触で中に何か入っているとわかった。
テープを剥がし封を開けると、中から3枚の写真が出てきた。
﹁なっ、テメーェ!!﹂
﹃どうかな、綺麗に撮れてるだろう。数時間前のだが、はたして君
は守り通す事ができるかな?﹄
写真に写っていたのはマナ、彩音、楓の寝顔の写真だった。しか
もフレームいっぱいの至近距離からフラッシュをたいて撮影されて
いる。普通なら気づくはずだし、亮自身侵入者の気配を察知できた
はずだ。
この相手は間違いなく亮の急所をわかっている。もし仮にこれを
断れば、亮が気づかないうちに3人を始末する自信があると言う事
だ。実際、部屋に侵入を許し堂々と写真まで撮られてしまっている。
﹃もう一度だけ聞くぞ。こちらの仕事を受けるか? どうなんだ!﹄
亮は沸き起こる怒りの衝動を必死に堪え、噛み締めた口元から一
筋の血が滴る。悔しそうに眉をよせる亮に選択肢はなかった。
﹃さあ、返事を聞かせてくれ。﹃白蛇の夜叉蛇﹄よ﹄
174
忍び寄るモノ︵後書き︶
こんにちは、朏 天仁です。さて、最初に皆さんにお知らせがあり
ます。
今回投稿した20話ですが、こちらの諸事情で内容を変更させてい
ただきました。︵話が短くてすみません︶
本来載せるべき20話多分次回の21話に以降になる予定です。今
回の話は自分の中では19,5話だと思っています。
次回までにちゃんと投稿したいと思います。楽しみにしてくれた
読者の皆さん、すみません。
毎回更新時10人ほどの方が拝読してくれているみたいです。平
日も1∼2人読んでくれる人がいて、とても嬉しく励みになります。
1人でも読んでくれる読者のあたなの為に今後も連載を続けてい
きたいと思っていますので、今後も宜しくお願いします。
あと、最近誤字脱字が多く目立ってます。気をつけていますが、
その辺はどうぞご了承くださいませ。
最後に、第20話まで応援してくださいました方々に、感謝の言
葉をのべたいと思います。
ありがとうございます。m︵︳︳︶m
175
状況開始
﹁これは由々しき問題やで、先生ぇ!!﹂
台所で皆の食器を洗いながら、彩音が隣にいる蒼崎に言い放った。
﹁何が由々しき問題なのよ。結局彩音達の勘違いだったんでしょう。
それなのに話も聞かずにマナと一緒にあんな一方的にやっちゃって、
先生はそっちの方が由々しき問題だと思うけどな﹂
﹁あっ、あれはどう見たってあいつの言い訳にしか聞こえんかった
し。あと少しで葵ちゃんがあいつの毒牙の餌食になっとったんや﹂
﹁亮くんの話も聞いたけど、たまたま引っ掛かった帯が緩んで解け
ただけだと思うけどな。先生も浴衣の帯した事あるけど、結構絞め
たつもりで、解けたりするからね﹂
﹁先生ぇ、なんであいつの肩もつようなマネするんやぁ。ひとつ屋
ゆ
根の下で男女が暮らせば絶対何かおきるもんやろう﹂
﹁何かが起きる前提で話進めてない、彩音﹂
﹁うちだって、あいつを追い出してっとまで言うつもりはないで。
ただ、少しは警戒した方がいいとおもったんや、例えば部屋は2人
共同にしてや、もちろん安全を考えればお風呂もみんな一緒って事
じょうぜつ
はどうかや? もちろん女子同士やで﹂
饒舌にしゃべりながら、彩音の口元が緩みだす。いくらそれらし
い建前を述べても、本音が顔に出てしまっている彩音を、蒼崎は本
気で相手にする気はなかった。
ゆ
﹁先生はどっちかって言うと、あたなの方に由々しき問題があるき
がするわよ﹂
﹁なんでぇ! 先生ぇ。うちのどこに問題があるって言うんやぁ﹂
﹁ほら! 彩音手が止まってるわよ。ちゃんと手を動かして水が勿
体ないでしょう。大体あなたいつからここの経営者になったつもり
なの、私たちのやり方が気に入らないっていうなら、直にでも周防
176
先生の所で診てもらって、入所変更届けを書いてもらって出て行っ
てもらおうかしらね﹂
﹁そんなぁ・・・そらぁーあんまりやで先生ぇ﹂
﹁だったら黙って手を動かしなさい﹂
叱責された彩音は唇を尖らせながら黙々と食器は洗い始めた。や
っと大人しくなった彩音からカウンターごしに居間に目を向けると、
マナと楓の姿がなく、葵が1人テーブルで日本語の勉強をしていた。
早く言葉を覚えようとする姿勢に関心を覚えるたが、蒼崎は葵の
雰囲気にどことなしか近づきがたい薄い膜のよくなものを感じてい
た。
﹁葵ちゃん。もう少ししたら先生と一緒に買い物に行きましょう。
葵ちゃんの服を買いに行かないとね、あと市役所に行って保険証の
手続きもしないとだし﹂
すると葵は首を勢いよく左右に振り出した。
﹁どうしたの? 少し買い物行くだけよ?﹂
﹃そと いや みつかる いや りお まつ﹄
今度は昨日渡されたスケッチブックにひらがなを書いて見せた。
それらしい返事を書いたつもりでも、文法がまだ甘い。だけど、ひ
とつひとつの単語から葵が言いたい意味は何となく理解できた。
﹁ううん、亮くんは今センターに行ったから帰ってくるのは多分昼
過ぎぐらいになるかな。ねえ葵ちゃん、その見つかるってどういう
意味なの? 誰かに見つかっちゃうとダメなの?﹂
﹃りお あいたい まつ もういや﹄
スケッチブックに書く葵の顔に、すこし陰が浮かぶ。やや俯き、
碧く潤んだ瞳に寂しさを宿しながらペンを置いた。
その様子を見た蒼崎は葵に近づいて隣に座ると、置いたペンを手
に持ち、ゆっくりと漢字を一文字書いて見せる。
﹁葵ちゃん、これが﹃亮﹄よ。亮くんの名前よ。それと﹃りお﹄じ
ゃなくて﹃りょう﹄よ、今日は少し先生と言葉の勉強をしましょう、
亮くんが帰って来るまでね﹂
177
蒼崎の言葉に葵は頷くと、﹃はい おねがいします よろしく﹄
と書き足した。それを見た蒼崎は思わず苦笑いをみせる。
﹁正しい文法も教えないとだね﹂
一体この子は亮とどんな繋がりあるのか、蒼崎にとって葵は気に
はなる存在でわあるが、早くこの環境に馴染ませる必要あると感じ
ていた。
その為には心を許しあえる人間が必要だ。
﹁あの∼、おたくら二人してうちの事忘れてるんとちゃいますか?﹂
振り返るとカウンター越しから恨めしそう彩音が眺めている。す
っかり自分を忘れられ二人だけの世界に入り込んでしまっているこ
の状況に、腹立たしさを感じていた。
﹁忘れてるっていえば、彩音あなた何か大事なコト忘れてないかし
ら﹂
﹁んっ? 一体なんのことや?﹂
﹁忘れちゃってるんだ。もうすぐよ﹂
﹁なにがや?﹂
ひざたけ
首を傾げる彩音の様子に、タイミングよく食堂のドアが開くと、
マナが顔を覗かせた。
﹁それじゃーせんせーぇ、行ってきまーす!﹂
支援学校に行くマナの格好は、涼しげな青色の着物で膝丈をスカ
ートのように膝下の所に調整している。清潔感があり、非常に動き
やすい格好になっている。
﹁はい、いってらっしゃい。ほら彩音、もう学校の時間じゃないの
? 早く支度しないと遅刻するわよ﹂
﹁くううう、今の今まで忘れてとったんのに、先生ぇ、葵ちゃんに
先ツバつけたらあかんからな﹂
﹁・・・彩音、それ以上しゃべったら・・・どうなると思う﹂
目を据わらせ、蒼崎の指がコキコキ鳴りだすと、彩音の顔色が青
くなる。
﹁い、いややわぁー先生ぇ。冗談キツー、まっ、マナっ!! 待っ
178
てやぁ、うちも支度していくから、ちょいまちぃ!﹂
蒼崎に目を合わせず早足で食堂を出ると、玄関先に用意してある
鞄を持ち靴に足を通す。すでに玄関にはマナの姿はなく、恐らく亮
がいるバス停に向かっているのだろう。
葵の事も気になるが、彩音にとって今はマナが一番気になったい
た。昨晩の出来事があったお陰で、千載一遇のチャンスが到来した
からだ。マナと亮の間に亀裂が生じ、上手くいけば自分の入り込む
余地が大いにあると考えた。
靴を履き終わると、彩音の亮に対する反抗心がメラメラと沸き立
ち、追いかけるように玄関を開けた。
﹁ほな、いってきまーす! ぶぅっ﹂
ドアを出た彩音は突然現れた黒い壁に、顔から衝突した。
﹁いったぁ! 何や一体?﹂
﹁おおっ、元気のいいお譲ちゃんだね。ここの子かい? だれか大
人の人いるかな?﹂
現れたのは汗臭い白のシャツに深いシワ顔の男だった。自分の胸
に飛び込んできた彩音に対して、やさしい表情で話しかけるが、次
の瞬間、彩音の両手で突き飛ばされた。
﹁おっとっとっと、あっ、危ないじゃないか!﹂
後ろによろめきながらバランスを保つと、彩音に向かった注意を
放った。いくら身体を鍛えてるとはいえ、急に倒されたら腰を痛め
ていた。
そうはく
だが、言い終わってから彩音の様子がおかしい事に男は気づいた。
顔色から血の気が引き蒼白になり、呼吸が乱れはじめる。
﹁おい、どうしたんだ。どこか悪いのか? おい、大丈夫か?﹂
﹁かっ、はぁっ、はっかはぁ、あぐっ・・・かっあっ、﹂
呼吸を乱し首元を押さえながら、彩音がゆっくりその場にうずく
まる。地面には額から落ちた汗が跡を増やしていく。
﹁おい!! だれかいないかぁ!! だれか来てくれぇ!! 大変
なんだ、誰かぁ!!﹂
179
助けを求める男の大声がたんぽぽ内に轟くと、奥の方から蒼崎が
様子を伺うみたいに顔を除かせた。そこで玄関の状況を確認すると、
すぐに彩音に駆け寄って来た。
﹁彩音! 大丈夫? しっかりして。 また発作が起こったのね、
大丈夫よ、大丈夫だからゆっくり息を吸うのよ、ねぇっ大丈夫から﹂
彩音を起こし、壁に寄りかからせると脈を取りだした。パニック
発作の過呼吸で頻脈を起こしていた。
﹁なあ、大丈夫か? 何か手伝う事はあるか?﹂
心配した男が声を掛けながら蒼崎のそばまで近づこうとした瞬間、
蒼崎の伸ばした手に静止させられた。
﹁こっちに来ないでください! 離れて! あなたが来るともっと
酷くなるから、もう少し離れて下さい﹂
﹁そんな言い方はないだろう、こっちだって心配してやってるんだ
し。もう少しだな︱﹂
﹁いいから離れてぇ!!﹂
蒼崎の一渇に男の声が止まった。そして男は納得したのか後ずさ
りながら二人から離れてみる。
不思議な事に男がその場から離れると、あれ程苦しそうにしてい
た彩音の顔色に生気が戻り、呼吸が落ち着き始めた。
やがて蒼崎が男の方に顔を向けてその場で少し待ってくれと言う
ぶさた
と、蒼崎に肩を抱かれながら彩音が家の中へと入っていた。足取り
はまだ悪く、歩くのがやっとな状態だ。
男は仕方なく、その場で待つ事にした。手持ち無沙汰に周りに目
を向けると、隣の近所の住人達がこちらの様子を伺っていた。
向かいの男と目があうと、そのまま何事もなかったかのように戻
っていた。
﹁やれやれ、コレだから野次馬どもは嫌いなんだよ﹂
男が不満を呟くと同時に蒼崎が玄関先から姿を見せた。
﹁先ほどはすいませんでした。どうぞこちらまで﹂
﹁ああっ、失礼するよ﹂
180
男が玄関先まで来ると、蒼崎の顔に警戒心が表れた。男がバツが
悪そうに頭を掻いてみせる。突然現れた男の側で少女が倒れていた
のだから、警戒して当然と思っているみたいだ。
だが、男の予想に反して、蒼崎が深々と頭を下げてきた。
﹁さっきは、その・・・強い口調で言ってしまってすみませんでし
た。事情が事情だっため、あんな態度をとってしまって・・・本当
に申し訳ございませんでした﹂
﹁えっああ、こちらこそ。何か事情があったのでしょうから、その、
そんなに気にしないで下さい﹂
﹁そうですね、私はここの施設管理人兼生活指導主任をしています
蒼崎玲子と申します。それで改めてお聞きしますが。何か御用でし
ょうか?﹂
﹁ええ、実はこちらに入所している亜民についてお聞きしたい事が
ありまして、できれば本人と直接話しを聞きたいと思いまして、こ
うして早い時間から伺したしだいです﹂
低姿勢で丁寧な言葉使いを使ってはいるが、蒼崎には単調な決ま
り言葉を言っているだけにしか聞こえなかった。
蒼崎にはこの男の態度や口調で市役所の認定調査員ではないかと
感じていた。
﹁それは、それは。わざわざお越しいただいてすみません。ですが、
あいにく﹃たんぽぽ︽うち︾﹄の子供たちは、もうほとんど学校に
行ってしまってさっきの彩音ぐらいしか残ってません﹂
あえて葵の存在は言わなかった。ことの成り行きで預かったにせ
よ、規則や条例・決まり事にうるさい役所に人間に知られたら、後
々面倒な事になると思ったからだ。
これ以上、この男を中に入れないように蒼崎は玄関先で腕を組ん
で見せる。
﹁それで、どの子に御用でしょうか?﹂
﹁ここに入所している、月宮亮という子に用があるんですけどね、
ご在宅でしょうか?﹂
181
﹁亮くんに? なんでまた? あの子が何かしたんでしょうか?﹂
﹁はい、昨日発生した事故につてなんですが、何でも彼が通ってい
るリハビリセンターの友達が事故にあったみたいでなんですよ、な
んでもその子を彼が病院まで運んできたそうですよ。﹂
荻野美花の事だと直感した。緊張しながらも、蒼崎は相手に悟ら
れないように平静のふりをしてみせる。
﹁ええ、知ってますよ。亜民の子供たちは横の繋がりが強いですか
ら、あの子たちが通う施設だと皆大小様々な集団に入ってます。そ
れ以外にもお互いに助け合ったりしますから、たまたま事故現場に
遭遇して助けたんじゃないんですか﹂
﹁そうなんでしょうけど。気になる事がありましてね。いやね∼こ
れはまた別の話になるんですが、昨日の事故を起こした不良達に話
を聞いた際に、ある男に殺されかけたって言うんですよ。念のため
に似顔を描いてもらって、それをあのセンターにいる何人かの亜民
に見せたら、全員が﹃月宮亮だ﹄って言ったもんですから、それで
少し話しを聞きたいなと思いまして﹂
﹁ちょっと待って、事故を起こした不良達ってどういう意味ですか
?﹂
﹁ご存知ありませんか? 昨日、彼の通う﹃都島リハビリセンター﹄
の付近で車の単独事故があったんですよ、幸い死者はでませんでし
があれはもう普通の事故とは言いがたい状況でしてね。何かご存知
ですか?﹂
﹁いっ、いえ・・・初耳です﹂
﹁そう言えば、確か月宮亮って子は一年前に傷害事件を起こしまし
たよね。裁判になるくらい派手にやったみたいで、彼には暴力的な
傾向があるんですか?﹂
﹁そんな昔の話、今は関係ないでしょう!! それに今亮くんは居
ません。お引き取りを﹂
﹁ダメですか? どうしても?﹂
﹁いい加減にしないと警察呼びますよ!﹂
182
蒼崎が強い口調で言い放つと、男はズボンのポケットから黒いパ
ひらまつなるみ
スケースを取り出して見せた。そこには顔写真と一緒に﹃埼玉連邦
警察 警部補 平松鳴海﹄とある。
﹁私が警察ですよ﹂
にんい
手帳を見せられ一瞬声を詰まされた蒼崎は、組んでいた手を解い
た。
デカ
﹁彼の事を詳しく聞かせて下さい。これはあくまでも任意ですが、
なんなら令状を持ってきてもいいですよ﹂
先ほどまでの低姿勢だった男は、すでに刑事の顔になっていた。
閑静な住宅街を真夏のセミが耳やかましく鳴き始めだし、道路上
いちじょうけんじ
から蜃気楼が出現しだした光景を車内で眺めながら、ポーンはある
人物が来るのを待っていた。
この場所は東京郊外にある一条賢治という名の男が使っていたア
パートの駐車上だ。2階建て築30年は軽く越えているいだろう外
壁に、建物の半分を緑のツタで覆い隠された状態はとても中に人が
踏んでいる雰囲気ではなかった。
数時間前この場所を確認したポーンは何かの間違いと思って二度
確認したくらいだ。だたツタの絡まったベランダを開けて2∼3人
の住人が洗濯物を干す光景を目にした瞬間、これがまだ居住可能な
のだと納得した。
ロメロ神父に言われた情報は正しく、ポーンはすぐにアパートの
表紙を確認、﹃一条賢治﹄の名を見つけるとピッキングで手際よく
ドアを解除した。サングラスを外し部屋の中に入ると、台所から強
烈な生ゴミの異臭が漂ってきた。
﹁ノォッ!? クセェ!﹂
一瞬窓を開けようとしたが、痕跡は最小限にしたほうがいいため
止めた。鼻を摘んだまま探索を開始する。溜まった郵便物に洗濯カ
ゴに積まれた衣類、ここの住人はしばらく帰宅したない事が分かっ
た。
183
奥の4畳半の居間には目袋一つと本が数冊しかないかった。テレ
ビも音響機器類が一切なく、唯一あるのはモバイルパソコンが一台
だけだった。
﹁コイツは一体どんな生活をしてやがったんだ?﹂
ゴミ箱を確認するとコンビに弁当に混ざって開け終わった錠剤の
ケースが大量に出てきた。
ジャンキー
﹁セレネース、トリオミン、メレリル、ネオペリドール、デパス・・
・ケッ薬物中毒かよ。よくもまあこんなにわけの分からん薬を飲ん
だもんだな﹂
一応部屋の写真と一緒に薬のケースもデジカメで撮影しておいた。
一通り見て回っると台所で何かを蹴っ飛ばした。見るとそこには
文庫本が一冊落ちていた。拾い上げてみると何度も読み返したみた
いで、表紙が色あせ、ページの所々に折り目がついていた。
本のタイトルは﹃死に至る病 著:キェルケゴール﹄と書かれて
いた。ページをめくると手書きで﹃死は終わりではなく、全体の極
一部である﹄と書かれている。
﹁そうとうな変わり者だな、こんな本を愛読書として読むヤツがま
だいたんだ。まあいいや、さてとそろそろ始めるとするか﹂
拾った本を部屋の隅に投げ飛ばし、ポケットから長方形の小さい
名詞サイズの箱は取り出した。その場に箱を置くと、ポーンはポケ
ットナイフで自分の親指を刺し血判を押すように箱に指を押し付け
た。
いちじょうけんじ
箱にポーンの血判が写されると、その場でポーンの指紋がバラバ
ラに広がって魔法陣が作り出された。
ポーンがここに来た理由は、この部屋の住人である一条賢治なる
人物を生け捕りにすることだった。これは捕縛で使われる魔法陣で、
部屋に入った人間は身体の自由を奪われ強制催眠に陥る。後はポー
ンの言葉に従って怪しまれる事なく車に運ぶだけだ。
魔法陣は仕掛け終り1人車内で待機中のポーンは、腕時計に目を
184
向けた。部屋を出て既に3時間が過ぎようとしていた。
退屈を感じ始めた頃、目の前を色白の若い男が横切った。その後
を目で追うと案の定一条賢治の部屋に入っていった。
﹁よし﹂
車から降り、男の後を追うようにしてポーンが部屋に入った瞬間。
全身に強い衝撃を受けると今度は引き寄せられるように前方へと倒
される。
﹁ガハッ!?﹂
すぐに起き上がろうとするが、身体に力が入らず。身動き一つ取
れない状態になった。首元に力を感じると仰向けに返された。
きょむ
部屋の中にいたのは、法眼の道士と右腕に包帯を巻いた村岡が立
っていた。
﹁ご苦労だ道士。後は任せろ﹂
﹁では、後はお任せします。村岡殿すでに虚無の結界を張っており
ますので、この部屋の音は絶対に外には出ません﹂
村岡は道士に下がれと手で指示を出す。
﹁さて、マヌケ野朗。気づかなかったのか、お前達は空港から出て
ワケ
から24時間体制でずっと監視されてたんだよ。それにこの部屋は
その前から監視体制に入ってたんだ。どういう理由だかお前らが来
るって事は、ここの住人の事もある程度知ってるって事だなよ。そ
れにこんな子供だましな術がコイツに通じるわけないだろうが﹂
﹁おっ、俺は外交官だ。お前達は外国の要人を不当に扱っている。
今すぐ外交特権に基づきこの状況からの開放を要求する﹂
ポーンは動揺しながら外交権利を述べだすと、自身の解放を要求
しだした。国際法上外交官には外交特権があり、当事国は外交官に
対して不当な行為を行ったならない決まりになっている。
だが、返って来た回答は言葉ではなく、厚い皮靴での蹴りだった。
顔を蹴りとばされ奥歯が抜け落ちる。
﹁貴様っ、何をする・・・わっ、わかってるのか! お前は今重大
な国際法違反を犯したんだぞ!﹂
185
﹁馬鹿が、わかってねぇーのはオメェーの方だよ。ここじゃもう誰
もオメェーの声は聞こえねーんだよ。お前が死んでも誰にもわから
ねぇーしな﹂
﹁そんな事をしたら国際問題になるぞ! 今なら軽い抗議だけにし
ておいてやる。だから︱﹂
﹁まだ分かってねぇーのか? 国際法違反やこの国の刑事罰は証拠
がなければ立件できねぇーんだよ。ましてや死体がなけりゃ抗議す
らできねだろうが﹂
村岡が冷ややかな笑みを浮かべると、ポーンの背中に戦慄が走っ
た。
動けないポーンの手を硬い靴底で踏むと、ポーンが震えた声を出
す。
﹁やっ、ヤメロっ・・・﹂
﹁この国で人が消える事はよくある事なんだよ。特に外国人はな﹂
それだけ言うと、踏んでいた足に全体重を乗せだした。何かが折
れる鈍い音が数回鳴ると、ポーンの悲鳴が部屋全体に響きだす。
かかと
﹁さてと、尋問を始めるとするか。痛みのレッスン1だ。まずは鳴
け﹂
今度は踵で捻りながら更なる痛みを加えると、されるがままにポ
ーンの悲鳴は大きくなり、すでに悲鳴なのか叫びなのか分からなく
なっていた。
その光景を冷めた目で見ている道士は、法眼を一緒につれてこな
くて正解だったと確信した。
186
状況開始︵後書き︶
こんばんは、朏天仁です。今回久しぶりに道士と村岡氏の登場です。
それぞれの線が亮を含め﹁たんぽぽ﹂に迫りだそうとしています。
次回おたのしみに!
今回で21話まで連載できました。これも読んでくださる皆様のお
かげです。本当に有り難うございます。そしてこれからも応援よろ
しくおねがいします。m︵︳︳︶m
187
格の違い
赤色のハイブリット高級車﹃SR−700﹄が関越道を東京に向
かって颯爽と飛ばしてしている。メーターは既に200キロを越え
ていて、巧みなハンドルさばきで前方の車を追い抜いていく様は神
業の域だ。ハンドルを握る霧島は、車内でシートを倒しふて腐れた
ような表情の亮を横目で見ると、更にアクセルを踏み込んだ。
さらにスピードが上がる﹃SR−700﹄の景色からは、時速1
00キロ前後で走る車がまるで止まっているような錯覚に陥ってし
まう。この霧島には渋滞以外でブレーキを踏むという概念が無いの
か、それとも死の恐怖そのものが欠落しているのかのように、涼し
げな表情のまま車体を操作していた。
しかし、この状況下でさらに驚かされるのは亮の態度だった。普
通なら自殺行為に近い運転のさなか寝る事なんて出来るはずもない
が、亮は高速に入った直後に眠りに入り、まったく起きる気配を見
せずにいた。
亮は眠りの中で夢を見ていた。自分が薄く霧がかった公園のベン
チに座っている夢だ。
周りの遊具に人の姿はなく、亮と合い向かいあって座る女性が1
人居るだけだ。
その女性は巫女の服を着てベンチに座り、じっと亮を真正面で見
据えている。子供と思えばまだあどけなさが残る顔立ちだが、大人
と思えば凛とした雰囲気を醸しだしている。
﹁今度な、俺たちの家に新しい家族が増えたんだ。葵っていう子な
んだ﹂
﹁・・・・・・﹂
﹁最初は皆と馴染めるか心配だったけど、大丈夫だったよ。何だか
俺の時とは大違いさ、マナや彩音達が良くしてくれているし、少し
188
だけ・・・ちょっとコミュニケーションに問題があるけど大丈夫、
すぐに慣れるさ。昨日はちょっとした誤解があってその、ちょっと
嫌われちゃってるけどな﹂
いくら話しても巫女は黙ったまま亮を見据え続ける。いつも夢に
現れては、黙って話だけ聞いて何も語ろうとしない。
やがて亮は自分の気持ちを愚つける。
﹁なあぁ、何か言ってくれよ。ノゾミ! 久しぶりにこうして会っ
たんだ、なんで何も話してくれない? 何も話さないんだったら、
あいつ
だったら早く・・・・連れて行ってくれよ、頼むよ。俺・・・疲れ
たよ。俺はもう・・・もう疲れたよ・・・疲れちまったよ、一ノ瀬
はいいな・・・・もうそっちに行っちまったんだ。ズルイよ、あい
つだけ・・・先に・・・・楽になりやがって﹂
奥歯をかみ締めながら声を震わせる。そして膝の上で両手を握り
締めるとノゾミに向かって深く頭を下げた。
﹁頼む、お願いだ・・・俺も連れて行ってくれ。頼むよ﹂
その光景を見ながら、ノゾミはゆっくりと口を開く。
﹁あなたは、ダメ﹂
﹁どうして?﹂
﹁︱ッて﹂
希の言葉が何かにかき消されるように一瞬聞こえなくなった。
﹁え? 何、なんて言った?﹂
﹁助けてあげて。あの子を、あなたが﹂
﹁何を? 誰を助けるんだ? マナか? 彩音? 楓? それとも
葵か? ﹂
亮が聞き返すと周りに漂っている霧が急に濃くなり始め、ノゾミ
が残念そうに顔を横に振り、物言いたそうな瞳を亮に向けながらだ
んだんと姿が薄く消えていく。
﹁おい! 待ってくれノゾミ! 助けるって・・・誰を助けるんだ
? 待ってくれよ!﹂
追いかけようとベンチから立ち上がろうとするが、足を動かすこ
189
とができなかった。力一杯足を動かそうとしても石のように微動に
しなかった。
やがてノゾミの姿が完全に見えなくなると、亮は声を荒げながら
名を叫んだ。
﹁ノゾミィっ!!﹂
電気ショックをくらったような勢いで上体を起こすと、視界に見
知らぬ光景が入ってきた。
車は既に高速を下りて、住宅街の一角で停車していた。
﹁あらら、今起こそうと思ったのに。タイミング良すぎるわよ﹂
﹁その手に持っているモノは何ですか?﹂
亮を覗き込む霧島の手に一本の油性マジックが握られている。
﹁いやあ、君の寝顔を見てたらこういう時のお決まりって言うの、
ちょっと君の額に﹃肉﹄って書こうと思ってさ﹂
﹁・・・本気で言って乗るのか?﹂
﹁おっ、マジ怒りだ。そうか﹃肉﹄よりも﹃バカ﹄の方がよかった
か、でもそっちだと定番過ぎて面白くないと思うんだけどな﹂
﹁いつの時代のボケかましてんだよ。てか、今どきそんなの本当に
やるバカはいないだろう普通﹂
﹁いいじゃないの別に、たまには童心にかえって遊ぶのもいいもの
よ。それに家に帰れば話しのネタにもなるしね﹂
﹁・・・取りあえず離れてくれよ。そして今の状況を説明してくれ﹂
くわ
霧島は座席に腰を戻すと、﹁LARK﹂のタバコをポケットから
取り出して銜えるとライターで火を着けた。
﹁ふぅー・・・、目の前に半分緑に埋もれた建物があるでしょう、
ミッション
あれが依頼人から言われた目的地よ。あそこの部屋で一ノ瀬の私物
を回収すれば今回の依頼は終了よ﹂
﹁そんな簡単は依頼で20万かよ、それで何を回収すればいいんだ﹂
﹁知らないわよ。部屋に入ったら連絡してって言われてるから﹂
﹁それで、ここどこ?﹂
﹁東京の八王子よ﹂
190
﹁っ!? スゴイね、あそこからここまで一時間掛かってないの・・
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
・相当飛ばしたんじゃないの?﹂
﹁そうでもないわよ、たまたま道が空いていただけよ﹂
﹁ふ∼ん、そう﹂
半ば半信半疑で聞き流すと、亮はドアを開け外に降りた。夏の湿
気が一気に身体にまとわつき、眩しい日差しに目を細めた。
本当なら今の頃は神矢講師の教室でフルートを吹いている時間だ。
全然練習出来なかった﹃アルルの女﹄を下手に吹きながら、嫌味の
一言でも言われていただろう。
始めての無断欠席に気落ちしながらも、亮は目的の部屋へと向か
った。人が住んでいそうもない廃墟に近い建物だが、部屋はすぐに
見つかった。
一応インターホンを押してみたが鳴らず、ノックをしても返事は
なかった。それもその筈だ、すでにここに住人は3日目に死亡して
いるからだ。
﹁律儀ね、行儀がいいこと。でも時間の無駄だから早く入って片付
けちゃいましょう。あっそうそう、無事依頼達成できたら今日のガ
ソリン代は紹介料とて頂くからね﹂
﹁セコイな﹂
﹁当然でしょう。もう助教時代の時みないに湯水の如く経費で落と
せないのよ、これでも一応公務員なんだから、経費だと監査がうる
さいのよ﹂
﹁サラリーマンも縛りがキツイご時勢だね﹂
﹁あら∼空耳かしら今なにか命知らずな発言が耳に入ってきたよ。
サラリーマンだなんて、普通はOLって聞こえるはずよねぇ∼っ﹂
﹁うぅっ、カギは掛かってないから早く済ませるとしよう、ここに
いても時間の無駄からな﹂
﹁あっれ∼それ、さっきの私のセリフよ。なんでそんなに動揺して
るのかしらね﹂
目を合わせないようにして、亮はドアノブを回すした。カギはか
191
かってなく、そのままドアを開けると亮の顔色が一変した。
﹁どうしたの?﹂
﹁どうやら、先客がいたようだな﹂
異臭と一緒に部屋の奥で血だらけの男が1人、裸のまま椅子に縛
り付けられた状態の姿が亮の視界に入っていた。後ろ手に細いワイ
ヤーで体を絞められて肉に食い込んでいる。
確認のため手で顔を持ち上げると、ドス黒く乾いた血の跡が目と
鼻にできていた。そして奇妙なことにこの男は2本の線を食わえて
いる。
その線をたどって行くと、タイマースイッチに接続されていた。
間違いなくコンセント回路を使用した電気ショックの拷問だ。
すでに拷問は終わっているらしく、タイマーの電源は抜かれてい
た。部屋に漂う肉の焦げたような匂いは、電気ショックで焼けた皮
膚の匂いだった。
﹁お粗末なやり方ね、コードはむき出しだし、こんな細いワイヤー
なんて使ったら痙攣で肉が切れて痛みでシック状態になっちゃうの
に、こんな雑に作るなんてよほどのド素人ね﹂
﹁いいや、あえてそう言う風に見せて作ったんだよ。ほら、よく見
ろよ。ワイヤーは全部主要な動脈を避けてるし、足をゴム紐で駆血
してるから血圧を上げてショックを起こさないようにしてる。それ
にこのタイマースイッチの設定、0.05秒でブレーカが遮断され
るからその対策をちゃんと考えて設定されてる。間違いなくプロの
仕事だよ、それもかなり熟知している﹂
﹁それは有り難い評価ですね﹂
背後から発せられた声に振り返ると、そこに道士が1人立ってい
た。
霧島がバックに手を入れて身構えた。おそらくバックの中には小
口径の銃が入っているのだろう。
﹁あなた何者?﹂
﹁おっと、驚かせてしまって申し訳ありません。ですがあえて名乗
192
る必要はないと思いますので、さっそく仕事に取り掛からせていた
だきます﹂
道士の眼から殺気を感じた霧島は反射的に銃を抜き銃口を向けた。
だが次の瞬間、銃が霧島の手を離れ磁石のように道士の吸い取られ
てしまった。
﹁なっ、へぇ!?﹂
﹁いけませんね、いきなり銃なんて使ってしまったら正当防衛で殺
されても文句は言えませんよ﹂
道士は小さくほくそ笑むと、パチッンと指を鳴らす。
次の瞬間、霧島がゆっくり膝をつきそのまま前のめりに倒れてし
まった。
﹁組織とは楽なものですね、1人を捕まえれば後は芋づる式に捕ま
えられる。おや? これは珍しいわたくしの術が効かない人がいた
とは﹂
少し驚いた顔を見せる道士に対して、亮は黙ったまま相手を見つ
めていた。
どうもう
興味深そうにしていた道士が一枚の札を出すと、それに念を込め
て床に落とした。
札が落ちるとそこに大型犬くらいの獰猛な獣が姿を現した。大き
く裂けた口に鋭い牙列。山伏色に体毛に覆われた体から伸びる筋肉
さんぺき
質の四肢は神社の狛犬にも見える。
﹁九星式神の一つ﹃三碧﹄だ。そなたに術が効かない以上、骨の1.
2本は覚悟してもらいますよ﹂
﹁待て、あんた誤解をしているぞ。俺たちは多分あんた達が捕まえ
ようとしている者達とは無関係だ。俺たちはここに仕事にきたんだ
よ、まずは話を聞いてくれ。本当はここに住んでいた住人の荷物を
取りに来ただけなんだ﹂
ここにきて亮が説明しだした。
﹁ほう、まさかそんな言い訳が通じると思っているのですか? そ
れならその荷物とやらは?﹂
193
亮は倒れている霧島に向かって指を指した。この部屋に入ったら
依頼主に連絡をするっと言っていたので、亮自身にはまだ何を回収
するのかを知らされていなかったのだ。
﹁あんたが眠らせちゃったから、その荷物がどれなのか確認が出来
ないんだよ﹂
﹁時間稼ぎは止めといたほうがいいですよ、その分手加減はしませ
んから。少しでも痛い思いをしたくないなら、もう覚悟を決めなさ
いね﹂
道士が指先を亮に向けると、それを合図に三碧が口を開け飛び掛
ってきた。瞬時に身体を反転させて受け流したが、胸元のシャツが
大きく裂ける。
あとコンマ何秒か遅れていたらカミソリの様な爪が、亮の胸を大
きく切り裂いていただろう。
﹁あっぶねぇーな、おまえコレ、本気で殺す気かよ﹂
﹁ほう、三碧の攻撃をかわすとはなかなかの身体能力ですね。それ
とも単にマグレなのかな、どっちにしろ次で終わりますから、あぁ
ぁ、それと安心して下さい。心臓さえ動いていれば後はこちらで何
とかなりますので。さあ、次が来ますよ﹂
今度は道士が合図を送るまでもなく三碧が動き出した。さっきと
違い、部屋の四方にランダムに移動しながら亮の追尾を鈍らせる。
じゅうおうむじん
その俊敏な動き事態、常人では認識することはほぼ不可能だ。薄い
影が部屋の中を縦横無尽に飛び回っているとしかわからない。
亮は既に目で追うのを止め、ただ一点だけに視線を向けていた。
余裕の笑みを浮かべる道士のその顔に対して。
﹁陰陽師が人間相手に式神を使っちまっていいのかよ?﹂
﹁ご安心ください。わたくしは陰陽師ではありません。だた式神を
扱えるだけの存在ですから、それにわたくしの術が効かない時点で
あなた、人間ではないでしょう。すごく興味深いですね、いろいろ
と調べてみたいです﹂
﹁男に調べられるのは好きじゃないな、それに︱﹂
194
亮はとっさに右腕を振り上げると、一気に手前に打ち下ろした。
さんぺき
﹁しつけの悪いペットは嫌いだ﹂
さんぺき
低い悲鳴と一緒に三碧が床に転げ落ち微動だにしない。隙を突い
てきた三碧の首元に亮の手刀打ちが決まり、首の骨が折れたのだ。
その瞬間、道士の笑みが消えた。
﹁素手で式神を殺すとは、いやそもそも殺せたとはな﹂
﹁今のは不可抗力だ。なあ、ここは退いてはくれないか? ここで
の戦闘は俺の本意ではないんだ。あんたとは戦う気もないし、理由
もない。俺たちの仕事の邪魔さえしなればそれでいいから﹂
﹁式神を素手て殺す相手とは想定外だしたが、ここは退くのが妥当
なんでしょう。ですが、オメオメと逃げたとあっては主様に顔向け
できません。それに兄弟を殺されて黙って入れるほどわたくしは出
来てはおりませんよ﹂
﹁なら殺し合いでもするのかよ、おれはそんなのしたくないし、出
来ればあんたを傷つけたくない﹂
﹁随分余裕なんですね、ですがそのがいつまで続きますかね。今度
は手加減は致しませんよ﹂
道士は服の袖を挙げ腕に彫られた梵字の刺青に指を乗せた。そし
おおがまきつね
あらきつね
て念を込め離すと乗せてた指の先に墨汁のような液体がつき、それ
で式神を召喚する陣を書こうとした。
道士が召喚しようとしている式神は﹃大釜狐﹄と呼ばれる荒狐だ。
半透明な身体で大きさは狐程だ。体の倍近くある2本の釜のような
まばた
尻尾が特徴てきで、性格は獰猛でなにより自分の間合いに入った獲
物は瞬き一つで細切れにされてしまう。
リッパース
第二次極東戦争中に合金の戦車でさえ切り刻んだとして、連合軍
トーム
を一番苦しめた召喚獣として知られていた。兵士からは﹃切り裂く
大嵐﹄と恐れられていた。
それを道士は召喚しようとしていた。
﹁死んでも悪く思わないでくれ、いくぞ!﹂
﹁仕方がない、それなら退かざるえなくするだけだ﹂
195
道士が陣を書き終える前に亮が懐へ入り込むと、道士の手を掴み
捻り上げた。
﹁ダメだよ。そんなに時間を掛けてやっちゃ相手に先を読まれちま
うだろう、術は発動してからその力を発揮する、それなら発動前に
術を封じ込んじまえばもう終わりだろ﹂
﹁ぐっぅ、はっ、離せ!﹂
苦し紛れに放った言葉だったが、以外にも亮はすぐにその手を離
した。道士はよろめきその場で尻餅を付く。
﹁どういうつもりだ?﹂
﹁それで言い訳がつくだろう。あんたの主様とやらに﹂
﹁何?﹂
﹁その手だよ﹂
﹁んっ、なっぁ﹂
道士が手を見て驚いた。掴まれていた手にいくら力を入れても動
かす事が出来なかった。
﹁安心しろ、半日ほどすればちゃんと動くようになる。それでその
主とやらも納得してくれるだろうよ﹂
﹁敵に情けをかけられるとは、だが残りの左手でも術は書けるぞ!﹂
こ
﹁やめておけ、死ぬぞ﹂
﹁何?﹂
﹁よく眼を凝らしてよく見てみろ、俺の周りに何がいるのかを﹂
亮の言葉に道士は目を凝らしてみると、足共に何かいるのに気が
ついた。まさかと思いさらによく見ると、間違いなく﹃大釜狐﹄が
そこにいた。
﹁なぜだ?﹂
﹁お前の式神を操る梵字を食っちまったからな、鎖から開放された
この式神はどうやら俺になついたみたいた。これでもまだ俺と殺り
合うつもりなのか?﹂
半透明に透ける﹃大釜狐﹄の体がいつでも攻撃できる態勢に入る。
大きな2本の釜尻尾が鈍く輝き、今か今かと合図を待っているよう
196
に見える。
道士は降参を示すように手を上げた。流石にこの状況下では分が
悪い、ここは大人しく退散したほうがいいと判断したようだ。
﹁さすがにかなわぬな。いいだろう、ここは大人しく退くとしよう。
だが、次出会った時は覚悟しておくことだな﹂
道士は立ち上がると動く左手で使って転移術を発動させた。道士
の後ろで空間が縦一文字に裂けると、中から無数の黒い手が伸びて
きて道士を中へと引き込んだ。
引き込まれると同時に裂けていた空間も元に戻っていった。
﹁ふぅ、面倒事が増えなくて良かった。それにしても・・・﹂
亮は床に倒れている霧島と縛り付けられている男を交互に見ると、
大きくため息を漏らした。
男の首筋に指を当てると、かすかにだが拍動を感じた。聞きたい
ことがあったがまずは助ける事を優先して、体に巻きついているワ
イヤ︱を一本一本慎重に切っていく。
男を床に寝かすと、今度は霧島を仰向けに起こした。
顔にマジックで落書きしてやろうと考えたが、自分もコイツと同
じになると思ってヤメた。
﹁おい、起きろ!﹂
2、3発軽く頬を叩くと直ぐに目を覚ました。おそらく霧島にと
って術士と合間見えるのははじめての経験だろう。
無理やり眠らされたためか、まだ意識がハッキリしないらしく目
元を指で押さえている。
﹁ううん、一体なにがあったの? 頭痛い、亮くん目覚めのキスち
ょうだい﹂
﹁冗談言えてる時点でもう大丈夫だよ。それよりも仕事の前にコイ
ツどうするんだ? この外人まだ生きてるけど救急車でも呼ぶか﹂
﹁任せるは、私ちょっと外出て電話してくるから﹂
それだけ言うと、少しおぼつかない足取りのまま霧島は外に出て
行った。
197
部屋に2人だけ残ると、亮はこれまでの経緯の不自然さに気がつ
いた。さっきの術士は亮たちが何かの組織の一味だと思って待ち伏
せていた。しかもこの場所で、偶然にしては出来すぎている事に亮
は一ノ瀬が何か大きな陰謀に関わっていたのではと考えだす。
いちまつ
そう考えると、下手をすれば自分だけではなく﹃たんぽぽ﹄の家
族にまで影響を及ぼす恐れがあるのではないか、亮の心中に一抹の
不安が過ぎった。
198
格の違い︵後書き︶
こんにちは、朏天仁です。今回の話はいかがでしたでしょうか? 少々話を詰め込み過ぎて展開が早くなってませんでしたか︵;´Д
`A
次回は少し話の視点を変えて送りたいと思います。
今回もここまで読んでくれました貴方に感謝を送りたいと思います。
m︵︳︳︶mありがとうございます。
199
マナの対話
亜民の自立支援を行っている上郷町には、就労支援を送る授産施
設や能力開発を行う能力支援施設の他に、教育を行う学習支援施設
がある。
町内では3つの学習支援施設があり、その一つである﹃彩の国学
園﹄では正午のチャイムが鳴り出すと、亜民の生徒達が一斉にそれ
ぞれの場所で昼食の準備を始めた。
階段で座ったり、好きな教室に行ったり、校庭の遊具で食べたり
と皆好きな場所でお弁当を広げ始めた。
この学園は校庭や体育館の他に、勉学の場所として身体障害者、
知的障害、精神及び心身障害者が通う3つの棟が別々に建っていて、
それぞれの棟には﹃ぼたん﹄﹃ゆり﹄﹃ひまわり﹄と名称が付けら
れている。それらの3つの棟は中央の渡り廊下で繋がっているのが
特長だ。
ここは一般の学校と違って年齢による学年分けはなく、個人個人
の能力とレベルによってクラス分けがなされている。
この学園の生徒に、星村マナがいた。解離性人格障害を患いなが
らもマナは精神及び心身障害者が勉強する﹃ひまわり﹄の棟で勉強
を教わっている。
今日も夏らしい日差しが照りつける校庭の端っこで、ちょうど木
陰ができたベンチにマナがやってきた。
和服の袖をなびかせながら、マナがいつも昼食を食べる場所はこ
のベンチか、誰もいない図書準備室のどっちかと決まっていた。
﹁よいしょっと﹂
ベンチに腰を下ろすと、いつもなら残り物を詰め込んだ弁当を広
げるところだが、今日のマナは袋から売店で買ったサンドイッチと
ティースティを出した。
200
い
﹁まったく、亮兄ぃのバカっ!!﹂
機嫌悪く小声で悪態をつくと、マナはムシャムシャと半分ヤケ食
いに近い状態で、サンドイッチを口に詰め込んでいく。
せっかくの食事を味わう事なくサンドイッチを食べ終わると、最
い
後に500mlのティーステイをカブカブとラッパ飲みする。
﹁ぷはぁ∼、ゲホッ! ぅぅ亮兄ぃのバカっ!!﹂
どうしてマナの機嫌がこんなに悪いのか、その理由は昨晩に起こ
った出来事が原因だった。自分の目の前で葵を襲い服を脱ごがした
亮の姿は、それだけのインパクトを持っていた。
込み上げてくる感情を抑えきれずに亮を袋他叩きにしてしまった
しょうそうかん
事については、多少罪悪感を感じてはいたが、それでも胸の奥を燻
らせる焦燥感に似た咸じがマナを苛立たせた。
﹁はあっ!? もう知らないんから﹂
脱がれた葵の身体は、絹のような艶やのいい肌にくびれた腰、無
駄な脂肪がない体幹に反して、ふっくらとした形のいい胸をしてい
た。思わず自分の胸に手を当てて確認すると、いい知れぬ敗北感な
い
気持ちに陥った。
﹁亮兄ぃのバァカっ!!﹂
早く昼食を済ませてしまったマナは、30分近くある昼休みをど
う過ごそうかと考えはじめる。教室に戻っても何もする事はなく、
たもと
図書室に行って本を読むにしては中途半端な時間だ。
仕方なく、和服の袂に入れてあるA6サイズの手帳を取り出して
れんじ
開いてみる。それは2つの異なる書体で書かれたマナの対話帳だ。
これはマナともう一人の人格である﹃蓮二﹄と言う男の人格と一
緒に行っている、認知行動療法の一種である。
マナが﹃たんぽぽ﹄に入所してからこの認知行動療法が行われて、
その結果マナと蓮二の人格交換している時間がだんだんと狭まって
きた。この事から蒼崎主任はこのまま人格統合が行われると考え、
対話帳を使用した認知行動療法の継続を決めた。
治療開始直後は慣れないせいもあり2∼3行程の文字しか書けな
201
かったが、今となっては1ベージを軽く超える程蓮二の人格と対話
が出来るまでになった。
今では仲のいい友達とマナは思っているが、皮肉なことにこの蓮
二と言う名は、マナを虐待してきた父親と同じ名前なのだ。
今日は登校前のバス亭から2時間目の授業の間まで蓮二の人格に
入れ替わっていたらしく、対話帳には昨晩の事に対してのコメント
が書いてあった。
﹃まあ、マナよ。男のおれが言うのもなんなんだが、アイツだって
年頃の男なんだからさ、他の女に目移りしたってしょうがねぇと思
ってよれよ。男の浮気は通過儀礼みたいなもんなんだよ。いろんな
女を知って始めていい女に気づくもんだらさ、もし仮にアイツが最
後他の女を選んだ時は、そん時は俺がマナに変わって殴っている、
ガンガン殴ってやるから安心しろよな﹄
蓮二の性格がにじみ出てる乱筆の文章を読みながら、彼の気遣い
に頬を緩めた。
さらに文章は続く。
﹃それとさ、この前計画してた例の件はもうアイツに伝えたのか?
早く伝えねぇと間に合わなくなるぜ。もし言いづらかったらさ、
俺の方から言っとくけどどうだい?﹄
文章を読み終わり、マナははっと大事な事に気がついた。この前
から亮に伝えようと思っていたことをまだ言ってなかった。
慌てて襟元から携帯を取り出し亮に電話を掛けようとした時、通
話ボタンを押そうとする指が止まった。
昨晩の出来事が浮かび、マナの気持ちにブレーキが掛かる。こん
な時こそ蓮二が掛けてくれたらと思ったが、それはマナのプライド
が許さなかった。
頭を抱え悩んだ末結局出した答えは、帰ったら直接亮に伝えよう
だった。多分その頃には話しやすい状況になっているだろと、安易
に
な希望的観測に期待していた。
﹁亮兄ぃ、どうしてるかな?﹂
202
急に亮の事が気になりだした。今頃は都島リハビリセンターでフ
ルートの練習が終わった所だろうか、それとももう家に帰ってきて
るのだろう、今まで胸の奥にあったモヤモヤした気持ちは消え、変
わりに人恋しいような寂しさが訪れた。
﹁はぁっ、亮兄ぃのフルート・・・聞きたいな﹂
快晴の空の向こうを眺めながら、マナは一人呟いた。
203
マナの対話︵後書き︶
こんばんは、朏天仁です。今回の話は小休憩のつもりで書きました。
この話は本来考えたプロトには存在しませんでしが、最近マナの存
在が薄くなっていると思い急きょ作成しました。
あまり時間がない中で作ったので皆さんに満足していただけなかっ
たと思いますが、今回は2話連続掲載ですので、次の24話に進ん
で下さい。m︵︳︳︶m
204
白い鴉
電話を終えて部屋に戻ってきた霧島は結果を亮に伝えた。
﹁一体どう言う事だよ。荷物を回収するはずじゃなかったのかよ!
普通荷物って言ったら日用雑貨とそういう物だろう、それが・・・
コレって一体どういう意味だよ。﹂
﹁私に言ったって仕方がないでしょう。だいたいここに来るまで荷
物が何なのかなんて、私だって知らなかったんだら。それにこれも
一応荷物でしょう。正確には﹃お荷物﹄だけどね﹂
﹁くだらねぇ事言ってんじゃねーよ。多少のリスクは覚悟してたけ
ど、下手したら国際問題になるぞ﹂
﹁心配し過ぎよ、そのへんは依頼人だってちゃんとわかってて私た
あいつ
ちに依頼してきたはずだから・・・・・・多分ね﹂
﹁その依頼主は何が目的なんだよ。大体コレって一ノ瀬の持ちもん
なのかよ? 誰だなんだよコイツは?﹂
亮の疑問をぶつけてる相手は、床に転がされたまま体にタオルを
掛けられている。今だ意識を取り戻しせずに気絶したままで微かに
まんしんそうい
息はしていた。依頼人が霧島が伝えた荷物の回収は、この男を連れ
てくる事だそうだ。
﹁これって明らかに誘拐だろ?﹂
﹁人聞きの悪いこと言わないで、彼を見なさいよ。こんな満身創痍
で虫の息なのよ、これは誘拐じゃなくて私たちが保護するのよ﹂
﹁なに無理やり正当化してんだよ。百歩譲って目的は保護でも手段
は拉致だろが、それにどう見ても危ない匂いがプンプンする状況だ
ろう、こんな危ない仕事が20万!? 割に合わねぇよ﹂
﹁ここまで来て後には引けないでしょう、それに断れる理由がある
の?﹂
﹁うっ、﹂
205
霧島に痛いところを突かれてしまった。普通ならこんなおかしな
仕事は簡単に断ればいいだけの話だが、依頼人が亮に見せたマナ達
の写真を思いだし、下手に断ったあとマナ達に降りかかるリスクを
考えれば引き受けるしかなかったのだ。
﹁無いようね。それじゃこの人を早く運ぶわよ。幸い今の時間帯通
りに人はいないみたいだし、車を持ってくるから早く運びましょう﹂
﹁どこに運ぶんだよ? それよりもコイツどうするつもりなんだ?﹂
﹁はっ!?﹂
ごはっと
霧島の目が一瞬鋭くなる。亮はマズイ事を聞いてしまったと気づ
いた。この手の仕事について深く追求する事は御法度なのだ。亮が
受けた依頼はこの男の搬送であって、その後どう処理するのかでわ
ない。こっちの世界では好奇心と言う感情は、いかに危険な考え方
であるのかを亮は思い出した。
﹁探索屋は嫌われるわよ、今のは聞かなかった事にしてあげるわ。
平和ボケが抜け切れてないみたいだがら、次は気をつけることね﹂
霧島の忠告を黙ったまま受け止めた。
連警
地警
﹁それともう一つ、今度はちゃんとハンターバッチを持ってきてね。
今回は急だったから仕方ないとして、これから連邦警察や地方警察
と関わってくるかもしれないから、色々面倒な事は避けておきたい
のよ﹂
﹁おい、ちょっと待て。次ってなんだよ。もしかしてこの次がある
のか? 聞いてないぞ!﹂
﹁あら。何言ってんのよ、今聞いたじゃないの。心配しなくても大
ウォーミングアップ
丈夫よ、今回のは特別よ次はこの前言ったハンター本来の仕事を私
が直に依頼するから。今日のは準備体操って思えばいいから﹂
﹁涼しい顔でよくそんな事が言えたもんだな。副教らしいと言えば
と言えなくもないけど、前に言ったとをり俺はハンターに戻る気な
んて︱﹂
﹁はいストップ!!﹂
突然霧島の人差し指が亮の口を塞いだ。
206
﹁いいか、ここで次の仕事をするしないの押し問答をしていてもし
ょうがないでしょう。取り敢えず私が車を持ってくるから、話の続
きは車の中でゆっくりしまう。ねぇ!﹂
半ば強引に話を止められてしまったが、亮もいつまでもここにい
てはマズイを考えていた。さっきの術士がまた次の襲撃に現れるか
もしれないし、彼らの目的だった別の人物に鉢合わせしてしまって
ここ
はまた面倒なことになるかもしれない。
ここは霧島に従って、一刻も早く現場から離れる必要があった。
﹁わかったよ、それなら早いとこコイツを回収してここから離れよ
う。話はそれからだ﹂
﹁話をわかってくれて助かるわ。今車持ってくるからそいつ直ぐに
出せるようにしといて、じゃあ来ら1回クラクション鳴らすからね﹂
霧島が部屋を出て行くと、亮は倒れている男を慣れた手つきで担
ぎ上げた。さすがに全裸はマズイと思い、掛けてあたバスタオルも
一緒に羽織る。
準備が出来上がり、部屋を出る前に何か忘れ物がないかと思い部
屋を一つずつ回って確認する。一体どんな生活をしていたのか気に
なるくらい生活感がないこの部屋では、それほど時間を掛けずに確
認する事ができた。
﹁よし、大丈夫そうだな﹂
からす
確認をすませ外に出ようとしたその時、亮は背後で冷たい視線を
感じた。
振り返ると先程まで何もなかった床上で白い鴉が亮を見つめてい
る。一瞬置物かと思ったくらい綺麗な羽をした鴉は、よく見ると足
やたがらす
が三本ある。
﹁八咫烏!?﹂
亮が呟くと、今まで微動だにしなかったその3本足の鴉が大きく
翼を広げた。そしてそのまま勢いよく亮目掛け弾丸のように一直線
のまま飛び込んでくる。
﹁うぅっ!!﹂
207
つむ
男を背負い両手が塞がったままの亮は目を瞑ったが、何故か顔に
衝撃は来なかった。目を開けてみると白い3本足の鴉の姿は何処に
も見当たらず、亮は呆気にとられててしまった。
やがて外から響いた合図のクラクションで我に返った亮は、直ぐ
にその場を後にした。
﹁早く乗って乗って!!﹂
背負っていた男を後部座席に押し込め終わると、助手席へと乗り
込んだ。無事に車が発進すると、亮はバックミラーから一ノ瀬のア
パートを見つめながら昔聞いた叔父の言葉を思い出した。
﹃白い八咫烏が見えたとき、大門が開き鬼達が来る。その時、鬼を
食い殺せたものだけが﹃桜の獅子﹄になれる。ようは通過儀礼だ。
亮、お前はさぞ大きな鬼をその身に喰らうだろうな﹄
今までただの冗談と思って忘れていた事を思いだし、亮はあの白
い八咫烏を見た時から感じていた言い知れぬ不安の波に襲われてい
く。
208
白い鴉︵後書き︶
今回はいかがでしょうか、今回は2話連続掲載で文字数がだいぶ少
なくなってしまって申し訳ありません。
次回からまた1話づつ掲載に戻りますのでご了承下さい。
今回も最後まで読んでれました事を心から感謝しております。今後
もどうぞよろしくお願いますm︵︳︳︶m
209
主従関係
ビルの間に夕日が沈み、街の外灯が灯り始めた頃。黒塗りのセダ
ンが一台六本木ヒルズの地下駐車場に入ってきた。
華やかにライトアップされ、人々の賑わう声にあふれてる場所と
打って変わって。地下駐車場は蛍光灯の明かりと、静寂に包まれた
いた。
コンクリートの壁にエンジンを反響させながら、決められた駐車
スペースにゆっくりと車を駐車させ終わると、中から40代位で胸
板の厚い男と、派手なピンクのドレスを来た20代の女が降りてき
た。
どう見てもキャバ嬢が出勤前にお客と一緒に買い物に来てるとし
か見えない光景だ。男の方は高級スーツに身を包み、さわやかで清
潔感のある香水を漂わせている。
女は何も言わずに男の腕に抱きつくと、そのまま大きく開いた胸
の谷間に押し付けながら、人気のない地下駐車場を歩き始める。
﹁おい、気が早いぞ。お楽しみはまだまだ先なんだからよ﹂
﹁あら、そっちこそ気が早いわよ。私はまだ誘ってもないんだから、
竹中さん。今夜他の子に浮気したらマキ承知しないからね﹂
﹁安心しろよ、みんなお前ほどいい女じゃねえし、それにお前ほど
のいい女もいねえからよ﹂
﹁あら嬉しい。それならマキ、今日はうんっと竹ちゃんにご奉仕し
てあげちゃうからね﹂
ふく
黄色い声を上げながらマキはさらに強く腕を抱きしめた。それに
釣られて、男がの視線がその膨よかな谷間に視線を移す。
竹中は後ろを軽く確認すると、女の腰に手を回し自分に引き寄せ
る。
﹁もう、気が早いわよ。まだこれからなんだからもう﹂
210
しょうぶん
﹁仕方ねぇだろう。こればっかりは男の性分なんだからよ。お前今
日はちゃんと開けてあるんだろうな? この前みたいな事は無しだ
ぞ﹂
﹁わかってるわよ。マキだって今日は竹ちゃんの為に今夜はオフに
してるんだから。そう心配しないで﹂
﹁よしよし、いい子だ﹂
﹁キャッ!!﹂
二人が甘い世界を満喫してる途中で、突然マキが悲鳴を上げた。
﹁どうした?﹂
﹁へっへっへっ、ようようお二人さん。こんな場所でおアツイこっ
べべ
たな。これからおな楽しみかい、いいね。これだから金持ってる奴
は羨ましいね。いい着物着て、尻軽女を連れてんだからな﹂
突如、後ろから現れたのは顔を赤らめた中年の酔っ払いだった。
シワだらけのシャツに、緩んだネクタイ。怪我でもしたのか指に包
帯を巻きながら、少し笑った口からは安いビールの匂いが漂ってき
た。
﹁おい、オッサン! 俺のツレに何してんだよ。酔っ払いはとっと
と帰りな﹂
﹁へっへっへっ、こっちは帰って女房子供はいねぇんだし、淋しい
夜を一人過ごさなくっちゃならねんだよ、それよりも俺にも少しお
すそ分けしてくれてもいいだおう、なあ﹂
そう言うと、男は女のバックを掴みだした。
﹁ちょっ、ちょっと何すんのよ。話しなさいよ﹂
﹁おいテメー、いい加減にしろよな!! その手を離しやがれ!!﹂
竹中が男の腕を掴み上げ、そのまま後ろに追いやる。
﹁おっとっと、あぶねぇーじゃねかよ。怪我したらどうすんだよコ
ラ!!﹂
﹁たくっ、この酔っぱらいが。おいマキ、お前ちょっと先行ってろ。
俺はこのオッサンにちょっと話があるからよ。直ぐに行く﹂
﹁う、うん。わかったわ﹂
211
その場の空気を感じとったマキは、足早に去っていった。
マキが居なくなると地下駐車場に残った2人は、お互いを真っ直
ぐ見据えた。そして竹中が手の届く位置までゆっくり近づくと右腕
を大きく振り上げ敬礼をした。
﹁お久しぶりであります。村岡一佐﹂
﹁敬礼はよせ竹中二尉。それに俺は元一佐で今は三尉だ。お前より
下だぞ﹂
﹁いいえ、例え階級が下がっても、自分の中では一佐は一佐であり
ます。そして自分の上官であることも変わりません﹂
その言葉に村岡は嬉しそうに頬を緩めると、敬礼を返した。
チカラ
﹁その生真面目さは変わってないな、終戦から上手いこと防衛省か
ら検察庁にくら替え出来たみたいだな﹂
﹁それは、一佐のお陰であります。自分を含め一佐が最後の権力を
ざんちちょうじゃ
使ってくれたおかげで、自分らの部隊は路頭に迷う事はありません
でした。あの時の嬉しさは今でも忘れません﹂
﹁買いかぶり過ぎだ。俺はただ上の連中がお前たちを残置諜者とし
て戦地で切り捨てようとした事がムカついただけだっただ﹂
﹁それでも、自分達は一佐に助けられました。自分は、今でも一佐
の部下であることを誇りに思っております﹂
竹中は胸を更に反り上げ目を見開いた。
﹁おい、いい加減敬礼を降ろせよ。誰もいないかもしれないが恥ず
かしいだろう﹂
﹁あっ、これは失礼しました。所で一佐その手はどうされたのです
か?﹂
﹁これか、ちょっと飼い犬に噛まれてな﹂
﹁飼い犬・・・でありますか?﹂
竹中は首をかしげた。
﹁それで一佐。今日はどのような用件でいらしたのでしょうか? こんな手の込んだ事をすると言うことは、何か事情がお有りなので
しょう﹂
212
﹁くさい三文芝居だったかな、実はなお前に調べてもたいたい人物
がいる。もしかした想定外の状況が出てくるかもしれないが、頼め
るのはお前だけなんだ﹂
﹁一佐の為であるなら、自分はどんな事があってもそれを最優先に
致します。それで一体何をお調べになりたいと?﹂
村岡はズボンのポケットから一枚の画像写真を取り出して見せた。
そこにはあの一ノ瀬アパートで椅子に縛れたポーンの他に亮と霧島
の3人が写っていた。
﹁この二人を調べてもらいたい。名前、住所、生年月日はもちろん、
運転免許、保険番号に納税証明書。勤務地、そこでの役職。とにか
く徹底的に調べてもらいたい﹂
めかけ
写真を受け取りその二人の顔を脳裏刻み付ける竹中は、まさかと
思って訪ねてみた。
﹁まさか、一佐の愛人と妾の子ですか?﹂
村岡は呆れた顔を向けると、竹中は慌てて修正しだした。
﹁失礼しました。一佐はそんな人ではありませんよね。分かりまし
た、24時間以内に一佐がお知りになり情報を揃えてみせます。ま
ずはこの女の方からあったてみます。それと報告はいつものアレで
ほうぜんじ
よろしいですか?﹂
﹁ああ、奉善寺で待っている。頼んだぞ﹂
﹁了解しました﹂
マルサ
力強い口調で再び敬礼をする竹中の瞳には、情熱のような感情が
宿りだした。
﹁とこでさっきの女は国税局か?﹂
﹁はい、内偵捜査中です﹂
﹁何!? そうか悪いところを引き止めてしまったな﹂
﹁いいえ、かまいません。先程も言った通り自分の上司はデスクワ
ークで腐った上司ではなく、一佐であります。お気になさらずに﹂
﹁そうか、それを聞いて気が楽になったよ。ではあとは頼んだぞ﹂
﹁ハッ!! ありがとうございます。お気を付けて﹂
213
お互いに敬礼を済ませると、村岡はその場を離れ奥の影に消えて
いった。その後ろ姿が消えるまで竹中は視線をそらせずに注視して
いた。
﹁どうして寺んだ?﹂
柱の影から法眼が現れた。今日は学生服でなく、白シャツにスト
レートなジーパンをはいている。一見純粋そうな好青年に見える雰
囲気だが、その性格は冷血漢の言葉がピッタリと当てはまる。
﹁車で待ってろって言っただろ。人のプライベートを覗くなんてお
前にはデリカシーも無いんだな﹂
﹁また鳴かせてあげようか、オジさん﹂
﹁やってみろよ。今度はお前が鳴く番だぞ。坊や﹂
前回指の骨を折られたはずの村岡だったが、何故か今回は妙に余
裕を見せている。それは負けじ根性から見せる虚勢ではなく、本当
ぞうい
にかかってこいと相手に自分の力を誇示してるように見えた。
﹁ふんっ、たかが贈位を頂いたからといって、いい気になるなよ。
それに一時的な贈位だって事を忘れるなよ。時期が過ぎればタダの
人なんだからな。その時僕に命乞いをしたってもう遅いからな﹂
﹁たとえ一時的だろうと、俺はお前より上の位の人間なんだ。お前
だってバカじゃないだろう、上が命令を下し、下は黙ってそれに従
う。陰陽師も軍隊も位や階級が絶対なんだってことをよ﹂
村岡の言葉に法眼は眉間にシワを寄せ、奥歯を噛み締める。色白
の顔に不服の暗い影がおちる。だが、村岡はその反応をみて、やは
りこの子は年相応な子供だと確信した。自分の自尊心をちょっとで
も傷つけられりでもした、まるで親の敵のようにすぐ感情が表に出
る。
︵こいつも・・・ただのガキだったか︶
そう思いながら、村岡は内心笑ってみせる。
﹁それよりもだ、お前たちの力は本当に信頼できるのか?﹂
﹁どういう意味だよ﹂
214
﹁手ひどくやられたみたいじゃないか、あの道士とかいう奴だ。強
い術が使えるから残りを任せたが、たったの2人に返り討ちにあう
とは、この調子じゃ先が思いやられるな。いくら後方支援要員だと
言っても、オレ達の足を引っ張るような事は勘弁してもらいたいな。
くれぐれくもな、坊や﹂
けう
最後は皮肉を込めたつもりで言ったつもりだったが、法眼は以外
にも静かに聞いていた。
水戦争
﹁ああ、わかっているよ。まさか式神を素手で殺せる稀有な者がい
たとは、僕が知る限りそんな話聞いた事がない。先の戦争でもそん
な奴はいなかったはずだ﹂
﹁だが実際にいた。何者なんだろうな、そいつは・・・﹂
﹁わからない。だが、強き者だ﹂
この時、村岡はある事に気づいた。竹中に渡した画像写真に写っ
ていた青年の腕に、黒いマークがあったことに、最初は画像がそれ
ほど鮮明でなかったから何かのノイズかと思っていた。
だがここにきて、村岡の頭にある疑念が生まれた。
﹁まさか・・・亜民じゃねぇだろうな?﹂
﹁なにか言った?﹂
﹁いや、何でもない。ただの独り言だ﹂
﹁中年オヤジの独り言は、ボケの始まりなんだぜ﹂
何故か法眼が笑ってみせる。
﹁お前なー﹂
村岡が口を開くのと当時に携帯が鳴り出した。画面を見ると部下
の一人である柴木からだ。
﹁私だ。何か進展があったのか?﹂
﹃ビンコですよ隊長。例の車の所有者が分かりました。いいですか
落ち着いて聞いてくださいよ。持ち主は霧島千聖と言う名前の女で
す。しかもコイツ元公安別室第17課諜報監査室の補佐官でした。
これは間違いなく、陰謀の匂いがプンプンしてきましたよ隊長﹄
電話の向こうで子供のように声を弾ませてしゃべる柴木に、村岡
215
はやれやれといった感じで応えた。
﹁そうか、元公安の女か。引っかかるな、どうしてあの場所にいた
んだ﹂
﹃そんなの決まってますよ、スパイですよスパイ。どうせこの女は
売国奴で、外国にこっちの情報を流してたんですよ。そうに決まっ
てますって隊長﹄
﹁わかった、わかった。お前はそのまま青山の班と合流して、この
調査を継続しろ。それと今度俺の事を隊長と言ったら一生口が開か
ねぇようにしてやるからな!!﹂
﹃りょっ了解しました・・・・・・柴木二士これより青山一曹の元
に向かいます﹄
それだけ聞くと村岡は電話をきった。今更ながら奴を班に加えた
事を後悔しだした。
予備自衛官補から研修目的で配属された柴木だったが、民間人感
覚が抜け切れてなく班内でも浮いた存在だった。他の班の足を引っ
張る恐れがあったため、単独行動で簡単な任務を与えていたが、そ
ろそろ軍人精神を叩き込む頃だと考えた。
﹁何やらそっちの部下も問題があるみたいだね。くれぐれも僕たち
の足を引っ張らないでくださいね。・・・てっ、おいちょっと待て
よ。僕を無視するのか、オイ!!﹂
法眼が皮肉を返してきたが、反論する気もなくそのまま無視して
停車してある自分の車に乗り込んだ。
黒鐘の赤い十字架
運転席で一息つくと、何やら不穏な空気が漂い始めてきたと感じ、
少し情報を整理してみる。東方シオネス十字教会の元に現れた元公
安、それに素手で式神を殺す者。今まで考えていた体外勢力との戦
いに、想定外の敵が張り込んできた。今後起こりうるであろう複雑
な展開に加え何か大事なピースを見落としている気がして、それが
更に苛立ちを大きくさせていった。
水戦争中、圧倒的な物量と聖獣を背景に進軍して来る敵勢力に対
して、村岡は後方からゲリラ兵を投入しかく乱させる作戦を受けた。
216
ちょうど対馬奪還を果たした武装陰陽師達の百鬼衆が増援に来ると
報告を受けたためだ。
主力部隊が到着するまでの間、敵勢力をできるだけ自分達の場所
におびき出す為、とにかく派手にかく乱させる必要があったのだ。
しかし、作戦を開始した際に情報部の戦況報告で敵の戦力を過小
評価してしまった結果、予想を超えた火力によって根室防衛線を突
こ
破させてしまうと言う失態を起こしてしまった。尊敬する上官、友
人、部下に守るべき国民が慈悲を請うことなく命を奪われ、敵の軍
わず
靴に領土を蹂躙され続けた屈辱感が込み上げてくる。あの時の同じ
過ちを繰り返さない為に、僅かな懸念材料も潰しておくと心に誓っ
たのだ。
﹁おいオジさん。僕を無視するとはいい度胸だな。いい気になるよ、
調子に乗ってると今ここでー﹂
文句を付きながら助手席に座り込んだ法眼は突然口を塞がれた。
固く冷たい村岡の手が顔半分を覆い隠し、そのよく回る舌を強制停
止させた。
﹁お前、少し黙れよ﹂
﹁・・・・・・・・・っ﹂
静かに、囁くように出したその言葉には、今まで感じたことがな
い殺気が込められていた。たとえ陰陽師や魔術師のような力がなく
ても、村岡には戦場で培われた軍人として気迫があった。
ほんの一瞬見せただけだったが、子供一人黙らせるには十分過ぎ
た。この瞬間、二人の主従関係が完成した。
217
主従関係︵後書き︶
こんにちは、朏天仁です。今回は村岡三尉の話になりましが、いか
がだったでしょうか。
話は変わりますが、最近暑かったり寒かったりと気温差が激しいで
すが、読者の皆さん体にはお気を付け下さい。
最後にここまで読んでくれました読者の皆さんに感謝を送らせて
下さい。応援ありがとうございます。m︵︳︳︶m
218
強者︽つわもの︾
予定通りに依頼が終わり、帰りの車内で亮は暗く沈んだ顔で外を
眺めていた。
﹁さっきからずっとそんな顔して、一体どうしたっていうのよ。そ
んなに今回の仕事嫌だったの?﹂
﹁こんな仕事自体が嫌だったさ、それに俺は元からこんな顔だよ﹂
アパートを出た後、指定された場所で男の引渡しを行った際に、
てっきり依頼主が来ると思っていた亮だったが、その考えはあっさ
り裏切られた。
引渡し場所に現れたのは亮たちと同じ、雇われたもつ一つの運び
屋だった。
結局その運び屋に男を渡し、お札の入った封筒を貰って依頼達成
となった。亮にしてみれば幾分腑に落ちなかった。
﹁あらあらウソついちゃってまあ。でもまあ今の君の方が人間らし
くなってるからいけどね。それで、何が一体気になってっるって言
うのよ。あと1時間で﹃たんぽぽ﹄に着くから、その前に話なさい
よ。これでも元教官なのんだからさ﹂
﹁別に俺個人の問題だから、人に話すことじゃないし。特にあんた
に話してもな﹂
﹁ほらやっぱり気になってる事があったんじゃない。引っかかった
わね﹂
﹁くっ・・・この・・・俺はただ、あんたがあまりにも安全運転を
しているからそれが怖いだけだよ﹂
﹁えっと、銃はどこにしまったからしら?﹂
﹁ウソウソ、探さなくっていいから冗談だって。前見ろ前、少しは
空気読めよ﹂
﹁あら!? 君って空気読める人だったかしら。一番空気読めない
219
奴だった気がすけど﹂
﹁いい加減人を茶化すのはやめてくれ、何が目的なんだよ。ひょっ
としてさっきからずっとツケられてる事に関係してるのか?﹂
意外な一言だった。亮の言葉に霧島は表示を変えずにため息を漏
らすと、バックミラーを操作して亮が後方を見えるようにした。
﹁3台後ろの黒いセダン。だいぶ前からこっちをつけて来てるわよ。
目的は私か君か、それとも両方共かしらね。いずれにしろもう少し
たったら教えておこうと思ったんだけどね﹂
﹁俺の危機管理センサーはまだナマっちゃいねぇよ。連中の仲間か
どうかわからねぇけど、家につく前に片付けようか。どこかのコン
ビニに停めてくれ﹂
﹁コンビニ!? 何でコンビニなの?﹂
亮は答えず黙ったままでいる。ちょうど目の前にコンビニが見え
たので霧島はその駐車場に入り停車した。
バックミラーで後ろを確認すると、尾行していた黒いセダンは駐
車場の路肩に停車した。
﹁助教、運転手は任せました。それじゃ﹂
それだけ言うと、亮は外に出て黒いセダンの方へ真っ直ぐ進んで
いく。
﹁はあ。ちょっと!? もう!!﹂
きびす
慌てて亮の後ろ姿を確認すると、黒いセダンの前で立ち止まった。
そしてそのまま踵を返して反対方向へ猛ダッシュした。
それに合わせて車からスーツ姿の男が二人亮の後を追いかけ、暗
がりの中を走り去っていく。
﹁あらら、あの子ったらホント無茶するんだから。あんなに乗り気
じゃなかったのに、今は生き生きしてるじゃないの。まあいいわ、
こっちはこっちの仕事に入るとしますか﹂
バックから拳銃を取り出すと、装てん数を確認し背中のベルトに
押し込んだ。
﹁これは最後の手段でっと、まったく。この車まだローンが残って
220
るのよ。まっ、後で諸経費で落とすからいいか﹂
車のギアをバックに入れると、アクセルを勢いよく踏み込み黒の
セダン目掛けてバックした。白煙と摩擦音を上げながら猛スピード
のまま車がセダンに突っ込むと、勢い余って車体を乗り上げ反対側
に着地した。
霧島の車は後ろのバックドアが大きく凹んだだけだったが、セダ
とっさ
ンの方は天井が潰れ運転席側の窓が半分押しつぶされている。
咄嗟の出来事に運転手はどうする事も出来なっかっただろう、ま
さかあの状況下で車がバックで突っ込んで来るとは誰も想像出来な
かった。
車から降りた霧島は銃を構えたまま近づく。コンビニの客数人が
野次馬根性丸出しで外に出てくるとスマフォで撮り始める。中には
善良な市民らしく警察か消防に通報をしている客がいた。
騒ぎを大きくしてしまったため、後々面倒な事にならないための
秘訣に霧島がハンターバッチを振りかざし一言放った。
﹁国家バウンティーハンターよ! 現時点をもって私から半径10
メートル内を強制捜査範囲とします。無許可の撮影は今後禁止。捜
査妨害とする。以上﹂
霧島の強権発動を聞いた野次馬連中はすぐに撮影を中止した。以
外にあっさりしてると思えたが、昔﹃殺しのライセンス﹄をもつハ
ンターの命令を無視した一般人が射殺される事件が後を経たないた
めだ。国民はハンターの恐ろしさを知っているからこそ直ぐに撮影
を止めたのだ。
やまとなでしこ
運転席から中を確認すると、天井とイスに挟まれて頭から血を流
している男に銃口を向けた。
﹁この・・・イカレ女が・・・﹂
﹁何だ、外国人だったの? ならいいわ、日本の大和撫子を舐めん
サノバビッチ
じゃないわよ!! 特にバウンティーガールはね﹂
﹁くっ、クソッタレが﹂
悔し紛れに言った一言に、霧島は無言のまま銃底を食らわせて気
221
絶させた。
﹁さてと、あとは亮くん頑張ってね﹂
亮を追跡していた男たちは、路地裏に入った所で見失っていた。
二手に分かれてあたりを探索し始めると、一人が丁度町工場同士の
細道に入る亮を発見した。
もう一人に指で合図を送り、その細道の入口付近で立ち止まった。
建物同士の道は細く人一人通るのがやっとに状況だ。一人が先行し
て中に入り、時間を開けてもう人が後に続いた。足の踏み場がない
くらいゴミが散乱し、異臭が漂っていた。
また見失ってはと思いながら、進み続ける男たちに対して、彼ら
の頭上にはその様子を伺っている亮がいた。
両壁に手足を伸ばして留まっている状態のままで、自分の真下を
最後の男が通り過ぎた瞬間。一気に落下した。
﹁ガッハッ!!﹂
落下のスピードと体重を載せた肘鉄を男の脳天に食らわせて倒す
と、今度は振り向いた男の鼻先目掛けて飛び膝をおみまいした。グ
シャリっと鼻の軟骨が折れる感触が伝わり、男は鼻を押さえ尻餅を
付いた。
﹁何故俺をツケ回す? 何が目的だ?﹂
亮の問に、男は昏倒しそうな痛みをこえながら脇腹をまさぐった。
﹁ひょとして探し物はこれかい? 案外いい趣味してるよね﹂
亮が指先で何かを器用に回してる。男の視線がそこに注がれる。
回っているのはドイツのワルサー社が開発したワルサーP99だ。
男は亮を睨みつけていたが、やがて銃口が男に向けられると一発
発射した。9mm弾の乾いた音が壁に反響する。
﹁早く答えてくれよ。でないと次は容赦なく体に当てるから﹂
銃弾は男のこめかみを掠りながら数本の髪を奪っていった。
灯りはなく暗い路地裏で、相手の顔などただの黒い輪郭にしか見
えない状況下で、まるでハッキリ相手が見えているように正確に狙
222
い撃ってきた。
﹁ワっ、ワっ・・・ワタカッタ。ワカッタカラ撃ツナ。撃タナイデ
クレ・・・クレ﹂
ソード
戦意喪失したまま男が片手を上げた次の瞬間。一瞬鈍く光る線が
男の顔面に突き刺さった。絶命した男の顔を長細い剣が串刺しにし
ている。
﹁!?﹂
亮は何が起こったのか理解しないまま、条件反射でその場を離脱
すると少し広い路地裏に出た。壁に背を向けあたりを確認する。上
空に向けたP99を左右に降りながら一度深呼吸する。
周りに人の気配はなかったが、どこからともなく自分に向けられ
ている殺気をヒシヒシと感じていた。大抵の人間は緊張と恐怖で冷
静でいられないはずだが、亮はいつの間にか自分が笑っている事に
気がつかないでいた。
つわもの
生と死が交差するこの状況で楽しんでいる自分がいる。しかも相
手はそれなりの強者だ。全身を巡る血が沸き立ち肉が踊ると、高ま
る高揚感に亮は久しぶりの高揚感に気持ちが湧き上がってきた。
﹁さあ、来いよ。早く来いよ﹂
向けられてる殺気の方向に目を向けた時、黒い人影がゆっくとこ
っちに歩いてくる姿が見えた。銃を構えると、ベターなセリフが口
こら漏れた。
﹁そこで止まれ! 両手を頭の腕で組んでから、ゆっくりと腹ばい
になれ!﹂
警告が聞こえてないのかそれとも無視しているのか、相手の歩み
は止まらなかった。
﹁バカが﹂
亮は相手の足に向かって一発撃った。右足のスネに当たるとよう
やく止まった。そこで始めて相手が女であることに気がついた。
黒のローブで身を包み、腰に中世のコングソードを携帯し両手に
銀手甲を装備してた。
223
﹁なんてこった。ちゃんと警告はしたんだぞ﹂
﹁気にすな。むしろ感謝しているわ、これで正当防衛が成り立つか
らね﹂
フードを剥ぐとそこにはルーマニア大使館の一等書記官ミハイ・
イオネスコがいた。暗闇の中でも彼女の金髪とみなぎる殺気はハッ
キリわかった。
﹁さっき殺したのはお前の仲間だろ、躊躇せずに仲間を殺せるとは﹂
﹁勘違いするなよ、仲間なら組織を売る事はしない。組織を売るや
つは仲間じゃない。ただ組織を守っただけ。それにあの程度の痛み
に耐えられないやつも仲間じゃない﹂
淡々と語るミハイの言葉には、なんの罪悪感も含まれていなかっ
た。ゆっくりと鞘からロングソードを抜くと、剣先を亮に向けた。
﹁まずはポーンはどこ? それと﹃クルージュの奇跡﹄について知
ってる事を全部話してもらうわ﹂
﹁待て、何の事だ? 聞いたことないぞ。一体何の事だ?﹂
﹁いいわよ。その方が責めがいあるから。ゆっくり聞き出すから﹂
剣先を向けたままミハイは、銃弾を受けた足は引きづらずに向か
ってくる。亮は再び銃口を足に向けて発泡した。今度は反対側の足
に命中し、ミハイはその場で倒れた。
銃を構えたまま、うつ伏せに倒れているミハイの傍まで近づく。
﹁バカが、銃に剣じゃあ勝負は見えてるだろうが。急所は外したけ
ど、しばらくは車椅子を覚悟しろ﹂
一応生きてくるか確認するため、首元に指を当てて脈拍を確認し
た。しかし脈拍どころか体の抵抗さえ感じない。まるで硬い石を触
っているみたいだ。
何か変だと感じたその瞬間。左脇腹に激痛が走り、赤く滴る刀身
が亮の体を貫いた。
﹁グアァ!?﹂
前に倒れているはずのミハイがいつの間にか背後に回っていた。
﹁もう一度聞くわ、ポーンと﹃クルージュの奇跡﹄につてい話しな
224
さい。口が動かせるうちに早く答えろ﹂
背後から耳元に囁くミハイの冷淡な口調に、亮の体を貫いた刀身
の先から滴る血液が地面を赤く染めていた。
225
強者︽つわもの︾︵後書き︶
こんにちは、朏天仁です。さて、猛暑が続いていますが皆さん体調
は大丈夫でしようか?
今回新しいキャラが登場しました。亮が苦戦してま︵>︳<︶この
続きは次回投稿予定です。
あと、もしよろしければ下記の﹁小説家勝手にランキング﹂を1ク
リックしていただけると嬉しいです。
最後まで読んでいただいてありがとうございます。m︵︳︳︶m
226
死亡フラグ
﹁ぐっ、クソッタレが・・・﹂
て
地面にうずくまったままの亮は、傷口から流れる血の暖かさが広
っか
がっていくのを感じていた。脇腹を貫く刃は最初冷たく、次第に鉄
火のような熱を持ち出した。
﹁こっ、こいつは・・・驚いたな・・・やるじゃないか・・・グゥ
っ・・・﹂
﹁答えが違うわよ﹂
﹁ぐぅぅ﹂
痛みで苦悶する亮に、ミハイは更に刀身を深くねじ込めた。ゆっ
くりと傷口を広げ、さらに唸り声が混ざった悲鳴が上げる。
そ
﹁早く答えてよ。こっちもそろそろ限界なんだからさ﹂
﹁なっ・・・何だと・・・?﹂
﹁背中がゾクゾクしてきたわ、ワタシねぇ皮を削ぎだしたら止まら
なくなるのよ。だからそうなる前に早く答えてくれない﹂
ミハイは笑っていた。何の躊躇も緊張の類もなく声を弾ませなが
ら耳元で囁くと、亮の髪を掴み上げた。
﹁まだ喉は切ってないわ、喉は最後。さあ早く答えて、まずはポー
ンはどこなの? ひょっとして殺したの? それならそれで構わな
いわ、一応戦死扱いになる。兵士として本望。問題は﹃クルージュ
の奇跡﹄はどこ?﹂
ツケ
おそらくこの女の言っているポーンとは、あのアパートで保護し
た男の事だと亮は思った。それなら尾行てきた理由も、コイツがあ
の術士が待ち伏せていた相手に違いない。それでも﹃クルージュの
奇跡﹄については何も思い当たらなかった。
﹁何言ってんだよ・・・訳分かんねぇな・・・・・・一体何の事だ
?﹂
227
﹁頑張るわね。でも、そんなに頑張っても何の得にならないわよ。
イエローモンキー
東洋のサムライってたしかハラキリって言う習慣があるのよね、ち
ょっと試してみたいわね。日本人の腹から何が出て来るのかしら。
おっと簡単に死なないでよ、もし死んだりしたらあんたの家族で遊
んじゃうから、そうそう家族っているの? どうなの?﹂
ロングソード
一瞬、マナ達の顔が頭を過ぎった。
﹁・・・・・・オイッ!!﹂
薄笑いを浮かべたまま、ミハイは大剣を抜こうと力を込める。だ
が、いくら引いても剣は数ミリも動かない。否、動かせなかった。
﹁なっ、チョット・・・なによコレ?﹂
﹁お前、さっきから耳元で好き放題喋りがって、ウザイんだよ!!
一つ教えてやる。戦場で一番先に死ぬ奴は、お前みたいなおしゃ
うずくま
べりな奴って相場が決まってんだ!!﹂
ミハイの手首を掴むと、蹲った足をバネにしてそのまま地面へと
背負い投げた。
勢いよくアスファルトに身体を叩きつけると、ひと呼吸おかずに
腕を持ち上げ横に建っている電柱に向かって投げ飛ばした。
重たい音の後、逆さまの状態で電柱に叩きつけられたミハイは、
うつ伏せのまま微動だにしなかった。
生身の人間なら間違いなく肋骨の3∼4本は折れているだろう、
下手したら折れた肋骨が肺に刺さってそのまま死んでしまってもお
かしくなかった。
﹁ハア、ハア、ハア、少し手加減しようと思ったけど、お前・・・・
・・加減出来なかった。待ってろ今救急車呼ぶから。ハアっ、ハア
っ、﹂
息を荒らげ、脇腹に剣が刺さったまま取り出した携帯で119を
押そうとして、指が止まった。
ゆっくりと視線を前に向けると、視界一杯にミハイの顔が映り込
む。普通なら立ち上がる事も出来ないくらいなのに、この女はダメ
ージをまるで受けてないかのよに涼しい顔で立っている。
228
﹁・・・!?﹂
﹁なるほど。生まれ持った特異体質かは知らないけど、かなりの怪
力だな。それに高いレベルの軍事訓練は受けているようね、技の掛
け方、体動の殺し方、平均的な兵士よりも上だわ。でもそれだけじ
ゃあ脅威にはならないわよ。特に自分を殺そうとする相手を心配す
みぞうち
るその甘さは、ただのバカとしか言えないわ﹂
﹁おっ、お前︱﹂
亮が口を開らくと同時に鼻、喉、溝内の順に衝撃が走り、今度は
それが激痛に変わった。
人間の生命維持に必要な呼吸器官の中で、急所の三箇所をほぼ同
時に突かれた。
﹁ガハッ、ゴホッ、ゲホっゲホっ﹂
亮はムセ込み再び膝を着いた。この女は強い。それは躊躇なく人
を殺せる事でも、効率的な殺し方を知っている事でもない。このム
チャクチャ打たれ強い防御力だと言える。
現状の力で殺せない相手と対峙した時ほど、やっかいな事はない。
もし少しでもダメージを受けているなら何かしらの策を講じる事は
出来るが、ダメージを与えられない相手だとどう対処すればいいの
か難しくなる。それに時間が経てば経つほど体力は消耗し不利にな
ってしまう。
イエローモンキー
再度ミハイが亮の髪を掴み上げる。
﹁ぐぅぅっ﹂
﹁ほらしっかり立ちなさいよ日本人。まだ話は終わってないのよ、
早く質問に答えなさい。サルはサルでも人間の言葉が話せるサルな
しか
んでしょう、ちゃんと人間の言葉で話すのよ﹂
薄笑を浮かべながらミハイは、顔を顰める亮を眺めている。
﹁それとも威勢がいいのは最初だけ? ガッカリだは。ワタシはね、
アトミック・サンシャイン
期待を裏切られるのが一番腹が立つの。せめてもっと往生際の悪さ
を見せてちょうだい。大戦前のお前たちの先祖は﹃核の光﹄が落ち
るまで往生際悪く戦ってきたでしょう。少しは負け犬の意地を見せ
229
ないよ﹂
その言葉に、亮は血混ざりのツバをミハイの顔に飛ばした。白色
の頬に紅いシミが掛かり、そのまま垂れながら一筋の線が出来上が
る。
ミハイは怒るのではなく、更に笑を深めた。
﹁やるじゃない。そうでなくちゃね﹂
間髪入れずミハイの膝が亮の顔面に打ち込まれた。
﹁ガハっ﹂
続けて2発、3発、4発と打ち込まれていく。
﹁あはははははははっ、あなたいいわ。スゴくいいわ。あなたの頭
が丁度蹴れる位置にある以上に、その反抗的な態度がスゴくいいわ。
あはははははははっ、背中がゾクゾクしてきちゃった。もっと楽し
みましょう﹂
USA
歓喜に奇声を混ぜながら5発、6発、7発、8発と続く。そして
9発目を入れた時ミハイの足が止まった。
﹁所詮は小さな島国。どんなに足掻こうが、大国の傘の下でしか生
水戦争
きられなかった民族でしょう。この国の未来は侵略と陵辱の繰り返
しって決まってるのよ、あの戦争で誰がこの国のボスなのかいい加
減わかったでしょう。オスは縄張りを明け渡し、メスは外国産の新
しい男に股を開いていた頃がお似合いだったのよ。自分の身の丈を
忘れ、無い知恵を絞って独立してみても中身は同じ、今のうちに踏
まれる喜びを覚えて生きなさい﹂
﹁だがら・・・知らねぇって言ってんだろうが・・・﹂
﹁もうこの際どうでもいいから、この余韻を満足させて。まずは人
間の言葉を喋らすその舌を落とすとしましょう﹂
ミハイは嬉しそうにローブの裾から理容師が髭剃りに使う西洋剃
刀を取り出した。剃刀の刃に月明かりが反射し鈍く不気味に輝く。
﹁・・・このっ、・・・人種差別主義者が!!﹂
﹁安心して。これでもワタシは元シスターなのよ。残されたあなた
の家族はちゃんと最後まで面倒みてあげるから、ワタシが楽しむだ
230
け楽しんだあとに、使える臓器を全部出したら代わりにゴミを一緒
に混ぜて捨てて上げるから﹂
﹁・・・・・・お前・・・・・・少し黙れよ﹂
ロングソード
その言葉を聞いた直後、ミハイは腹部に軽い衝撃を感じ目を下ろ
した。そこには亮に突き刺した自分の大剣が溝内に突き刺さってい
る。
﹁あっ・・・!?﹂
﹁返すぞソレ!! それと、いつまでも人の髪の毛を掴んでんじゃ
せいぜつ
ねぇよ!!﹂
ミハイに凄絶な眼光を向けながら亮はゆっくりと立ちがる。その
瞳がやがて闇夜でも光る琥珀色に代わり、ミハイの驚く顔を写して
いた。
﹁その目、アンタ・・・人じゃないわね・・・﹂
亮は無言のまま銃口を向けると、ミハイの心臓に残りの全弾を撃
ち込んだ。
衝撃を受けて前のめりに身体を曲げるが、すぐに姿勢を戻した。
そしてゆっくと腹部に刺さった剣を抜くとそのまま刃を自分の肩に
乗せた。
﹁残念・・・そんな道具じゃあワタシは倒せないわ、今度はこっち
の︱﹂
一瞬、二人の間に風が吹く。
﹁ならコレならどうだ﹂
﹁!?﹂
この時、ミハイは自分の身体に起きた事を理解した。剣を持って
いた自分の右腕の肘から下が消えていた。
﹁ああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!
!!! 何よぉこれぁ!!! ワタシの腕がああぁぁぁ!! 腕が
ああぁぁぁぁぁぁ!!﹂
﹁へえーやっぱりコレは効くんだな。よくやったぞお前。後で名前
をくれてやるから﹂
231
おおかまきつね
亮の足元に落ちたミハイの手と一緒に、黒くよろめく影が一つ見
える。それは例の﹃大釜狐﹄だった。
亮の言葉が理解できるのか、大釜狐は嬉しそうに釜の尻尾を振っ
ている。その横に落ちているミハイの手を拾い上げると興味深そう
に確かめていた。
﹁へぇーどうしてこの国で西洋魔法が使えるのか不思議だったが、
シャーマン
こういう事だったのか。お前の身体にこういうカラクリがあったと
はな。昔イスラエルの呪術者から一度聞いた事があったが、なるほ
ど、どうりで銃が聞かなかったわけだ。でもな・・・仕掛けがわか
ればどってことねぇ!!﹂
亮が一歩前に出ると、ミハイが一歩下がる。ミハイの表情がみる
みる真っ青になっていく様子を冷淡な目で眺めている。
﹁チッ!﹂
一気に状況が不利になると、ミハイは一目散に撤退した。自分の
体の秘密を知られてしまい、これ以上の戦闘は無意味と悟ったのだ。
だが10メートルも進まないうちに、自分の身体の異変に気がつ
いた。視界がだんだんと狭まり、足に力が入らない。おまけに脈が
早く呼吸が思うように出来ない。やがてバランス感覚を失うとその
場に倒れた。
ゆっくりと亮が近づいていく。脇腹の傷も顔の傷もすでに治って
いた。
﹁アンタ・・・いつワタシに・・・毒を入れいたの・・・﹂
身動きがとれないまま、今度は亮がミハイの髪を掴み上げた。
﹁生きたホムンクルスに会ったのは初めてだよ。こっちはお前が人
間だと思ってたから手加減したけど、もう手加減する必要は無くな
ったな。心配するな直ぐには殺さねぇーよ。ただお前がさっき言っ
てた﹃クルージュの奇跡﹄について教えてもらうか。殺すのはその
後だ﹂
﹁?・・・アナタ・・・本当に知らなったの?﹂
﹁さあ、聞かせてもうらうぞ。俺の話ちゃんとそっちで聞こえてる
232
くぐつし
だろう、傀儡師よ﹂
﹁アナタ・・・何者なの・・・?﹂
﹁ただの亜民だよ﹂
ミハイはこの時、自分たちが間違った相手と接触してしまった事
にようやく気がついた。
233
死亡フラグ︵後書き︶
こんばんは、朏天仁です。今回最後まで読んでいただいた方は、﹁
?﹂が出てきたと思います。このミハいの秘密は次回判明すると思
います。︵多分?︶
最近、ここ最近夏バテ気味で体調がかんばしくありませんでした。
それでもこうして作品を無事載せることはできたのは、間違いなく
応援してくださった。読者の貴方様のおかげです。
今回も、ここまで読んで頂き本当にありがとうございます。今後も
応援よろしくお願います。m︵︳︳︶m
あと、下記の﹁勝手にランキング﹂を一回クリックしていただけ
ら嬉しいです。
でわ︵´ー`︶/
234
傀儡師
西洋魔術には、使う術士の法位によって使用できる魔法が限れて
いる。国や協会によって力の程度は違うが、大まかに分類すると3
せいしょくいかいせい
つの魔法がある。下級術士が使える近代魔法。協会所属の中級術士
や神父が扱える中世魔法。聖職位階制上位者が扱える古代魔法があ
る。
近代魔法は、カードや杖を使用して五大元素いわゆる﹁地﹂﹁水﹂
﹁火﹂﹁風﹂﹁空﹂の五つを操る事ができる。一般的に庶民がテレ
ビやマンガで見慣れている魔法だ。
中世魔法は精霊や霊獣と言った召喚獣を生み出し、それを自在に
操る事ができる。また一部の神父には白魔法の中で自然治癒力を高
める魔法も使える者がいる。
そして、西洋魔法の中で最高で限られた聖人にしか使えない古代
魔法は、その威力からしても他の魔法を大きく凌駕している。
分かりやすく例えるなら近代魔法は1∼3人を相手に使う魔法で、
中世魔法は有事の際に敵国の軍を相手にする魔法だ。それだけも大
量破壊兵器レベルだが、更に古代魔法は国そのものを破壊する魔法
で、もし古代魔法同士の戦いが始まれば一つの大陸が消滅するとも
言われている。
しかし、古代魔法の凄さはその強大な破壊魔法ではなく別の力だ
った。その魔法には名前は存在しない。何故かはその魔法自体が人
間の禁忌を犯すからだ。聖人でありがならそれを使用することは、
自分達の信仰に対し重大な背徳行為にあたる。それ故にその魔法に
ふとうかこうかん
名は無く、存在しない魔法として扱われている。
﹁あいつは確か・・・不等価交換と呼んていたっけかな? もう一
人の方は何って言ってたかなぁーもう忘れちゃったな。まあいいや、
名前なんてどうでもいいし﹂
235
﹁うぐっ、あぁ・・・うっぅっあ・・・がぁは・・・﹂
地面に横たわり小刻みに身体を震わせ苦しんでいるミハイに対し
て、亮はポケットに手を入れたまま見下したようにその光景を眺め
ていた。
﹁さっきも言ったけど、早く出てきてくれよ。そっちと話がしたい
んだけど、それとももう少しのたうち回るって見るか﹂
﹁ぐががががっあああああああああ!!!!! あ゛あ゛あ゛あ゛
ぁ゛ぁ゛ぁ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ぁぁぁぁぁぁぁぁ
ぁぁぁぁぁっ!!!!! ゛ 突然ミハイが叫び声を上げてバタバタと苦しみ出した。両目から
涙が溢れ、噛み締めた口の元から泡を吹き出しながら地面を跳ね回
る姿は、まさに阿鼻叫喚的な光景だ。
こいつ
﹁いくら身体がホムンクルスで頑丈でも、魂が人間のままだとそり
ゃー苦しいだろうな。ホムンクルスの身体を借りて魔法を使をうと
あだ
考えた所は関心したけど、ちょっと爪が甘かったな。人間に近づき
過ぎた事が仇になったんだよ﹂
ホムンクルスは、古代魔法の中で存在自体が認めれていない禁忌
魔法によって生み出された人造人間だ。
人間と似て非なるもであるが、一番の特徴は対魔術防壁陣の結界
内でも魔法を発動させる事ができる。その為、ミハイは結界が張り
巡らされた連邦国家内で活動できる数少ない魔術師の一人なのであ
る。
お前
﹁おそらくお前はどこか大きな協会組織の下に付いているんだろう。
神を信じてる者たちがホムンクルスを造っちまってるんだから、笑
っちまうよなお前らの信仰心とやらわ﹂
﹁ぎっ貴様・・・神を愚弄するきか・・・﹂
﹁それはお前だろうがぁよ。お前の存在自体が神を愚弄してる結果
だろうが。よく考えろよな﹂
﹁ぐう゛っ!?﹂
様々な宗教世界の教えでは、神が自分達に似せて人間を作ったと
236
ダブー
されている。人間にしてみれば神は創造主であり、その神に対し人
間が同じ人間を生み出す行為は、宗教的にはも倫理的にも禁忌とさ
れてきている。
﹁それにしても、お前の身体ってホント良く出来てるよな。筋肉や
骨格に至るまで人間のまんまだし。人間と同じように血まで通って
るんだからさ﹂
﹁くぅっがっがぁうう・・・こっ・・・・ゴロズ・・・ゴォロジテ
ェヤルゥゥ・・・﹂
声を捻り出しながら顔を苦痛に歪ませたミハイは血走った目で亮
を睨みつけた。これが今のミハイとって唯一できる抵抗だった。
﹁すごいな、まだそんな元気があるなんて。その精神力はたいした
もんだよ。根性だけは認めるよ。ただし相手が悪かかったな、お前
の身体はいくら頑丈でも内部から壊されるのは防ぎようがないしな﹂
﹁ぐぎきぎぎぎぎぎぃ﹂
﹁なあ知ってるか、この地球上でいったいいくつの毒が存在してる
と思う。俺はそんな暇人でもないしハッキリとは知らないんだけど
な、自然界だけでも細かく別けたら軽く数万はいくらしい﹂
﹁なっ・・・ぎぎぎ・・・何がいいだいん゛だぁ・・・?﹂
﹁毒の種類が多くあるってことは、当然珍しい毒もあるって事だよ
な。毒で有名な生物って言えば蛇を思い浮かべると思うけど、あれ
はあれで結構いろいろな毒を思ってる。呼吸器官や神経伝達を阻害
する神経毒や、血管系の細胞を破壊し腎機能障害や多臓器不全を引
き起こす出血毒、細胞組織そのものを壊死させる筋肉毒もある﹂
あり
﹁わっワタシに・・・何を・・・した・・・何・・・を・・・ガッ
ガッ﹂
﹁ディノポネラだよ﹂
﹁なに・・・?﹂
﹁知ってるか南米アマゾンの森の中に生息してる蟻にディノポネラ
って言う蟻がいるんだけど、そいつは珍しい毒を持っていてね。中
毒性はないし、炎症反応もさして強くないし致死率も高くないんだ。
237
だけど﹃痛み﹄にたいしては飛び抜けた性質を持ってるんだ。この
蟻に刺された人間はこの世にある全ての痛みを24時間味わえるっ
て言われていんだ。どうだい味わってるかい?﹂
﹁ぎっぎざまぁ!!﹂
﹁そうだよ、今お前の身体を巡っているのはディノポネラの毒さ、
それも高濃度のな﹂
﹁ぐぅっぐぎぎぎ・・・ぶっぶざげぇるなあ゛ぁ・・・ごのグゾザ
ルがぁ﹂
すでにミハイの身体は激しい痙攣から筋硬直をおこしていた。
地面で大の字に手足を広げ、背中を剃り返しブリッジの格好をし
ながら僅かに振戦しているだけだった。
﹁ゴロ゛ゼ・・・ひと思いに・・・ゴロ゛ゼよ﹂
﹁それはまだダメだ。さっきも言ったはずだけど、まずは﹃クルー
ジュの奇跡﹄について聞かせもらうかな。さあ、話せ!﹂
﹁誰が・・・ザルに言うか・・・﹂
﹁そうか、せっかく話せるまでに毒の濃度を落としてやったのに、
もう少し濃くしてみるかな﹂
﹁ぎぎぎや゛や゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああああああああああああああ
ぁぁぁぁぁぁぁぁぁ﹂
更に大きな悲鳴が路地裏にこだました。いくら暗く人通りが少な
いとはいえ誰一人として様子を見に来るものはなく。ミハイの悲鳴
が虚しく響くだけだった。
叫び続けるミハイの身体から、ポキッポキッと鈍い音が鳴り出し
た。
﹁おっ!! 始まったか﹂
﹁ぎっぎっぎっぎぎぎぎぎぎ﹂
筋肉の強い硬直により負荷がかかった骨関節が折れだした。ゆっ
くり体中の骨が砕き始め、その痛みがさらミハイを苦しめた。
﹁早く答えろ。今はまだ小さな骨が折れ出しただけだが、そのうち
大きな方も折れるぞ。背骨が折れたら一気に死ぬぞ。さあ、早くし
238
ゃべるんだ。楽になるぞ痛みから開放してやる﹂
亮はしゃがみ込んで指を鳴らす姿をミハイにわかるように見せる。
この指をならればお前を痛みから開放できる、その為に早く落ちろ
とミハイに迫っている。
実際、ミハイは身体も精神も限界だった。体中から悲鳴を上げ、
思考回路が殆ど機能していない。自分が何者なのかさえ理解できな
くなっていた。
何を優先するのか判断できない状況下で、亮の言葉は実にわかり
やすかった。この苦しみから解放する。単純すぎる言葉だが、それ
ゆえに考える必要がなかった。誰もが痛みから開放されることを望
むだろう。
だが、ミハイがとった行動は予想に反していた。ゆっくりと中指
を立て拒絶の意思を示したのだ。
敵ながら見事な奴だと関心すると、ミハイが一瞬だけ笑ったよう
に見えた。
﹁そうか上等だ!! よし!!﹂
﹁それくらいにしてあげて﹂
突然前方から声をかけられ顔を向けると、何故かもう一人のミハ
ロングソード
イが立っていた。間違いなく同じ顔で、しかも同じ服装だ。唯一違
うところは大剣を持っていない事だ。
﹁やっと現れたか、あんたが傀儡師か?﹂
﹁そうよ﹂
﹁あんたに聞きたい事がある。さっきコイツに聞いた﹃クルージュ
の奇跡﹄とは何だ。それと、何で俺達をツケ回す?﹂
﹁前者の質問については答えられない。後者については答える気も
ない。ただソレを回収させてもらう﹂
もう一人の自分に向かって細い指先を向ける。
﹁そうか、なら答えさせるまでだな。あんたはホムンクロスじゃな
いただの人間だろう。なら俺は手加減するが、コレはそうもう行か
ないかな。いけ!﹂
239
亮が合図をすると、足元にいた大釜狐が動いた。弾丸のようなス
ピードでミハイに直進する。大きく尻尾の釜を振り上げるが、それ
を振り下ろす前に身体が弾かれた。
﹁んっ?﹂
弾かれ地面を転がりながら起き上がると、再び尻尾を上げ飛びか
かろうとした。だが直ぐに亮が止めた。
﹁なるほど、これは厄介だな﹂
ミハイの体を注視して見ると、体の前に薄青い魔法陣が盾のよう
あやかし
に立っていた。この魔法陣に大釜狐は弾けれたようだ。
﹁聖アントニウスの加護よ、如何なる攻撃も妖でさえこの加護より
先には踏み込めたないわ。あなたの質問には答えられないけど、代
わりに残念な事を教えてあげる。もう我々にこの国の結界は通じな
いから、これから思う存分動かせてもらうわね﹂
﹁それが無けりゃ外も出歩けないなんて、どんだけ肝っ玉が小せぇ
ーんだよ﹂
深く被ったフードから鋭い視線が一瞬垣間見えた。
﹁下品な言葉ね、これだから豚にも劣る二級人種は嫌いなのよ。で
もその実力は認めて上げる、だから︱﹂
立ててあった魔法陣が消えると、亮の周りを同じ魔法陣が取り囲
んだ。咄嗟に魔法陣を殴りつけがまったくビクともしない。
﹁くそ!﹂
﹁少しそのままでいてね。すぐ終わるから﹂
ミハイは痛みに悶絶するもう一人の自分の元に歩み寄ると、小声
で何かを唱えじめた。聖アントニウスの加護の魔法陣に囲まれた亮
にとって、もうどうしようもできなかった。
下手に力を使えば体力の消費は膨大だ。それに相手の目的がわか
らないうちは、大人しくしていることが得策だと判断した。
﹁別に構わねぇさ。お前たちがどこで何をしようと俺には関係ない
し興味もない。だた、俺の周りをうっとうしく嗅ぎ回るなら容赦し
いぜ。これは警告だ。今度俺の前に姿を見せたら、警告なしに叩き
240
潰す、わかったな﹂
亮の言葉を聞き流し、ミハイは苦しみ横たわる自分の胸元に手を
置いた。その手が白く輝くとスッと中へと入り込み琥珀のように輝
く球体をとしだした。とっ同時にそれまで苦しんでいたもう一人の
ミハイの体が土人形のように粉末状に崩れ落ちた。
﹁それが魂の器か? でもいいのか貴重なホムクロスの肉体を壊し
ちまって﹂
﹁まったく問題ないわよ、壊れたならまた作り直せばいいのよ。銅
100g、亜鉛200gで生成できるし、むしろこっちが壊れてし
まう方が問題だったわ﹂
噂では、創りだす時に使用する術式は、古代錬金術士達が考案し
たまったく新しい術式で、どんな物質からでも人間の体を錬成でき
てしまうと言われていた。
﹁さてと、そろそろ戻るとするかしら。ポーンの事についてはもう
いいわ、別の班が見つけたみたいだから﹂
﹁おい、さっきの俺の言葉聞いていただろ﹂
﹁聞くだけは聞いていたわ、でもね﹃クルージュの奇跡﹄を知らな
いんだから、ワタシとはもう関係ないでしょう。それよりワタシが
気になるのは貴方見たところ人間じゃないわよね、でも貴方の体か
ら人間の匂いはプンプン漂ってくるわ。おそらく人間と一緒に生活
してるわね、深淵の住人が何故人間に興味をもっているのか? そ
こは気になるところだわ﹂
亮は黙ったままミハイを見つめていた。
﹁まあいいわ。それじゃ後片付けお願いね。すぐそこまでパトカー
が来てるから﹂
そう言い残すと、ミハイは路地裏の暗闇に消えていった。
周りを囲っていた魔法陣が消える、そこでようやく遠くのほうか
らサイレンの音が響いてきた。これだけ銃声や叫び声がすれば、誰
かしらに通報だってされるだろう。
亮は持っていた銃から指紋を拭き取ると、青いポリタンクのゴミ
241
箱へ放り込んだ。そして急いで霧島の元へと戻りだした。
﹁あっ! やっと来た。遅いわよ、もう警察が来ちゃうじゃないの
よ﹂
亮が再びコンビニに戻ってくると、大破した車の側で後ろ手に縛
れた男が座っていた。その横で愛用のLARKを吸っている霧島が
いる。車の周りには10人くらいの集団がたむろしていて、物珍し
そうに二人を眺めながらヒソヒソ話を始めている。
﹁相変わらず派手にやりましたね。大丈夫なのか?﹂
﹁うっうん。多分・・・﹂
﹁・・・そう﹂
二台の状況から大体の予想はついた。昔からこの霧島の行動は意
表をつく事がおおく、今回の結果も当然と言えば当然だったと亮は
納得した。
﹁それよりも今後の事はわかってるわよね。すぐに警察が来るから
貴方はすぐここを離れて、ハンターバッチ持ってないんだから、捕
まったらいろいろと面倒な事になるし。あとは私に任せて早く帰り
なさい﹂
﹁わかってるさ。そっちが無事かどうか知りたかったんだよ﹂
﹁あらら、心配してくれたの? 嬉しいわ﹂
﹁あんたじゃなくて、相手の方な﹂
﹁失礼ね。死なない程度にしてあげたわよ。実際死んだようにぐっ
たりしてるけど大丈夫よ。そっちはどうなの?﹂
﹁一人死んだ。もう一人は気絶してるから、警察に任せる﹂
﹁死んだ!? あなたまさかー﹂
﹁おいおい、俺じゃねぇよ。仲間が一人増えてそいつが殺したんだ
よ。俺は殺してない﹂
﹁それならいいわ。でも死体が出たなら厄介ね。それなら尚更早く
行きなさい﹂
﹁わかってる。じゃあな﹂
242
霧島をその場に残し、亮はサイレントとは反対方向へと走り出し
た。
すぐに国道まで出ると、標識で場所を確認する。すでに埼玉には
入国してるようで﹃たんぽぽ﹄まで約20∼30キロ程だろう。
このまま順調に行けば朝には到着するし、一応神矢先生の練習を
サボった事の言い訳を説明しよう。その後に朝飯を食べて少し休も
うかなと考えたとき、亮は大事な事を思い出した。
たんぽぽに今の今ままで連絡を入れてなかった。歩を止めポケッ
トから携帯を取り出すと、案の定着信履歴が﹃たんぽぽ﹄と﹃蒼崎
玲子﹄﹃マナ﹄で埋まっていた。しかも後半はほぼ全て﹃マナ﹄の
着信になっている。
﹁やべぇーな。こりゃー﹂
昨日の事でマナとギクシャクした関係になっていた所に、もう一
つ心配ごとを増やしてしまった事で余計亮の気が重くなった。
取り敢えず急いで帰った方が無難だろと思って携帯を戻すと、す
ぐ横を一台の車がつけてきて停車した。どこのメーカーか分からな
いが、形からスポーツカーだとわかった。
運転席のドアが開くと中から亮のよく知る人物が現れた。
﹁なんだ。お前か﹂
﹁ねぇ兄上。乗っていかない! 新車よ新車!! スゴイでしょう﹂
つら
声を弾ませながら月宮薫が近づいてくる。
﹁お前、よく俺の前に面だせたな。まあいいこの前の続きをしたい
のか﹂
﹁もうそんな昔のこと忘れましょうよ。私が送っていってあるげか
ためら
ら。乗って乗って。それと・・・兄上と少し話がしたいし﹂
﹁・・・・・・﹂
薫からは敵意は感じられず。亮は一瞬躊躇ったが、送ってもらう
ことにした。
﹁さあ兄上シートベルトして﹂
﹁なあ、一つ聞いていいか﹂
243
﹁なに兄上﹂
﹁お前・・・免許持ってるのか?﹂
﹁無いよ﹂
薫はあっさりと答えた。
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
﹁警察に捕まったらどうするきだ﹂
﹁うんっ、警察が捕まえられたら捕まってあげる﹂
﹁だよな・・・・・・取り敢えず安全運転で頼む﹂
﹁リョーカーイィ!!﹂
その返事と一緒に薫はアクセルをおもいっきり踏み込んだ。甲高
い音と白煙を巻き上げながら一気にスタートダッシュで加速する。
もしかすると、このスピードが薫にとっての﹃安全運転﹄の範囲な
のかもしれない。
その夜、国道はこれまでにないくらい嵐のようにクラクションが
鳴り響き続けのは言うまでもないだろう。 244
傀儡師︵後書き︶
こんにちは、朏天仁です。投稿が遅くなってしまって申し訳ありま
せん。今回の話はどうでしたでようか? 少し誤字脱字があると思
いますが、物語の感想などを送ってもらえると嬉しいです。
あと、できれば下記の﹁勝手にランキング﹂をクリックして貰え
ると助かります。ここまで来るのに正直辛かった事もありましたが、
そでも続けこれたのは応援してくださった皆さんがいたからだと思
ってます。本当にありがとうございます。m︵︳︳︶m
では次回29話をお楽しみください!!
245
遅く帰った、そのあとは・・・
﹁じゃあーねぇ兄上。バイバイ﹂
たんぽぽに到着して、薫の車を見送り終えるとすでに時刻は夜9
時を回っていた。今の時間帯はちょうど夕飯を食べ終わり、10時
の就寝時間まで各自が自由時間を過ごしている頃だ。
﹁ふぁあ∼、そろそろ新しいシャツ買うかな﹂
玄関の外灯の下、穴の開いたシャツを掴みながら大きくため息を
漏らした。大剣で開けられた跡は切れたとういうよりは無理やり破
いたに近かった。縫った所で縫合部はいびつに歪みみっとないくら
い目立つだろう。
家のみんなは気を遣ってないも言わないだろうけど、たった一人
だけ彩音だけは笑いなながら貶してくる筈だと確信していた。
﹁やっぱり一着ぐらい買うかな、臨時収入も入ったことだし﹂
ポケットの膨らみを確認し明日にでも買いに行こうと思った瞬間、
家の中なら悲鳴が聞こえてきた。しかも一人じゃない、複数の悲鳴
だ。
慌ててドアを開けると、靴も脱がずに廊下を駆けて電気がついて
いる居間のドアを開けた。開けた瞬間、亮の目に飛び込んできたの
は、中央のテーブルを軸にマナ、葵、彩音、楓の4人が部屋の隅へ
と広がっている光景だった。
4人全員の顔が恐怖と驚愕に引き連れたいた。葵に至っては今に
も泣き出しそうな顔をしている。
﹁ああ、亮兄ぃい! おっ、おかえりなさい﹂
﹁ああぁ。ただいま・・・どうしたんだ? 一体?﹂
﹁ああ、あのねぇ・・・あのねぇ・・・えっとねぇ・・・﹂
﹁うわぁ、葵の方へ行ったで!!﹂
彩音が床を指差しながら大声を上げた。それを聞いた葵はきょッ
246
とした顔のまま亮の元へと飛び込んだ。
﹁いてぇ!!﹂
亮の腰に手を回し、腰が抜けたように右足に絡みつきながらその
場にしゃがみこんだ。葵の服装はショートパンツに意味のわからな
い英語がプリントされたブルーのシャツを着ている。
おそらくこれは彩音の服だろう。露出度の高い服ではあるが、そ
れが逆に密着した肌から葵の震えが伝わってくる。
この様子から見てよほど怖かったようだが、亮にはまだその原因
がなんなのか分からなかった。
﹁ムゥ!?﹂
その光景を見ていたマナも、同じように亮に飛びかかり反対側の
足に絡みついた。そしてムッと頬を膨らませ、ジッと葵を見つめて
いる。まるで葵に対抗するかのようにマナは力強く亮の腰ベルトを
掴む。
﹁おっ、おい。何なんだよ二人も、イダダダダダ、肉挟んでる、肉
挟んでるってマナ!? 離せってマナ!!﹂
﹁やぁ! マナ絶対離さないもん! 絶対離さないんだから!!﹂
﹁おい・・・﹂
﹁なんいやっとんや!! 二人共!! てかっ何やらせとんやぁ亮
こじ
ぉ!! そないな不潔な場所に二人の顔を押し付けをって!! こ
の変態がぁ!!﹂
﹁テメー彩音!! この状況を見ておきながら、さらに拗れること
抜かしてんじゃねぇーぞ!! 大体何があったんだよ!! 俺は今
それを聞いてんだろうがぁ!!﹂
﹁なぁっ、逆ギレすんなやぁ!! 大体なんでそんな羨ましいっじ
ゃなかった・・・おかしな状況になるやぁ!! 後から来て、一人
美味しい思いしやがってホンマ腹つわ!!﹂
﹁なに意味わかんねぇ事言ってんだよ﹂
﹁じゃかましぃわ!! ただでさえハーレム状態やと勘違いしとる
中で、そんなおいしいハプニングなんてうちは認めんでぇ、このタ
247
コ!!﹂
﹁だれかわかるように説明してくれ。だれか、頼むよ・・・﹂
﹁・・・・・・ねぇ、二人共ケンカの前に忘れてる・・・大事な事・
・・それ、それ﹂
一番奥のテレビ台に股がっている風見楓が、たどたどしい声に震
えが混じりながらも指をある方向へと向ける。バサバサな髪にフチ
なしメガネを掛けているが、彼女も皆と同じに青白い顔をしていた。
﹁来た! 来た! 来た!﹂
楓が示した方向に目を向けると、亮はやっとこの騒動の原因がハ
ッキリわかった。それは全女性の敵であり、そのグロテスクな姿だ
けでも憎悪の対象になる生物だ。神出鬼没でどこからともなく現れ、
ゴキブリ
家で一匹見つければ、見えない所に50匹はいると言われる、黒茶
色の高速移動物体﹁G﹂だった。
しかも、5cm級のデカイのが一匹。2本の触手を上下に揺らし
ながら真っ直ぐ亮達に迫ってきていた。
﹁ヒィィィィィ!! 亮兄ぃ来た来たよ!、コワイ!﹂
﹁ちょっとまて、どいて。二人ともどいてくれ、動けないだろう﹂
﹁嫌ぁ、ヤダぁヤダぁ 亮兄ぃ、早く何とかしてよ!﹂
﹁だからちょっと待てってててぇっ危ねぇって! おおぉっ﹂
亮はバランスを崩し、そのまま後ろに倒れてしまった。
﹁いてて。ほら、危ないっていっただろう。マナ、葵。大丈夫か?﹂
マナは黙ったまま頷くが、反対側の葵は違っていた。先程よりも
強く腕に力を込めると、今にも泣き出しそうな瞳を向けながら、小
刻みに震えだした。
﹁う゛う゛ぅっう゛﹂
上手く発声できない葵が、精一杯な唸り声を上げて何かを訴えて
いる。
﹁う゛おう゛ぅっおっう゛﹂
﹁?・・・どうした?﹂
﹁バカ亮ぉ! 足や、足!! 葵ちゃんの足みてみぃや!!早う!
248
!﹂
言われた通り葵の足を確認すると、巨大ゴキブリが葵の白く滑ら
かな足の肌をゆっくり登り始めていた。柔らかそうなふくらはぎを
進んでは止まり、進んでは止まりを繰り返しながらゆっくと登って
くる。その感覚を肌で感じ取っている葵は、恐怖で口をカチカチと
鳴らし亮に助けを求めだした。
﹁亮ぉ!! あんたの親戚やろ!! 早く何とかしぃ!!﹂ ﹁誰が親戚だ!! 誰が!!﹂
﹁仲間やろうが!! 同じ嫌われもんの同士やろう!!﹂
めめ
﹁仲間じゃねぇーし、ってか、あきらかにそれってお前の︱﹂
﹁やっかましぃわ!! 女々しい奴やなお前は。女みたいにグチャ
グチャゆっとらんで、早う助けてやらんか!!﹂
﹁ったく、しょうがねぇーな。ほれ!﹂
亮は登ってくるゴキブリに対して溜めたデコピンで弾き撃退した。
﹁ぬああああああ、どこ飛ばしとんやぁこのアホンダラぁ!!﹂
飛ばされたゴキブリは大きく弧を描きながら彩音の足元近くに落
下し、その場でひっくり返った。そして6本の足をバタバタと動か
してながらもがく姿は、その場にいる者達の気持ち悪さをさらに引
き立たせた。
決してワザと彩音の場所に狙った訳ではないが、日頃から彩音に
されている事を思えば少しいい気味だと亮は思った。
﹁亮ぅ!! あんた狙いおったな!!﹂
﹁チャンスだ彩音! そのままデッカイコオロギだと思って踏みつ
ぶせぇ!!﹂
﹁できるかぁ!! ド阿呆ぉぉ!! あんたがやれやぁ亮!!﹂
﹁彩姉ぇーちゃんならできるから、早くやって!!﹂
﹁なっ!? マナまで何つぅーこと言うんや!!﹂
﹁彩、お前が・・・そいつに近い、やれ・・・﹂
﹁楓までうちにおぞましい事させるきかいな・・・酷すぎるわ﹂
﹁いいから早く潰せよ﹂
249
﹁なっ!?
あんたにだけは言われたかないぃ﹂
元凶はお前のはずだろうと言わんばかりに、彩音の怒りの血が頭
に登っていく。その怒りが恐怖を飲み込むと、さっきのお返しとば
わず
かりにゴキブリを蹴り返した。踏み潰すよりかはマシだったと思っ
ても、それでも背筋に不快な電流が走った。
だが、彩音のひと蹴りはゴキブリの身体を僅かにかすめる程度で、
半分も飛ばずにテーブルの上に着地した。着地の弾みで逆さまだっ
た体勢が元に戻ってしまった。再び息を吹き返したゴキブリはお返
しとばかりにそのまま亮達を目指して前進した。
﹁彩バカ。どこ蹴ってるのよ﹂
﹁いやあぁぁ、こっち来ないでよ。彩姉ぇーのバカぁ!!﹂
﹁う゛おっう゛ぐぅっおっう゛﹂
﹁亮兄ぃ! 亮兄ぃ! もう一回デコピンして!!﹂
﹁はいはい。わかったわかった。わかったから落ち着けってマナ﹂
この中で唯一落ち着いていた亮は、もう一度デコピンを食らわせ
て彩音の方に飛ばしてやろと考えた。
しかし、大きく腕を伸ばした瞬間。黒い影が右上から伸びると、
そのまま乾いた音と一緒にゴキブリは進行を停止した。
突然どこからともなく現れたのは蒼崎玲子の腕だった。だてに年
かさを重ねただけの事はある程の精神の持ち主だ。
たかがゴキブリ一匹程度では動じる事はなかった。しかも、手に
持ったフォークをゴキブリの頭部と体部のツナギ目部分に、ちょう
ど上手い具合にブッ刺している。
﹁あなた達うるさいわよ。たかがゴキブリ一匹にそんな大声上げて、
いっとき
近所迷惑になるでしょうが。もっと考えなさい!!﹂ みんな蒼崎の一括に口を閉じ、一時の静寂が生まれた。そして次
に誰もが同じことを考えた。みんな一番聞きたい言葉が出かかって
いたが、それを言い出す勇気が出てこなった。意を決して楓が口を
開いた。
﹁あの・・・玲子先生・・・そのフォークは誰のですか?﹂
250
﹁・・・・・・・・・・・・ぅん゛、とにかくこれで問題はなくな
ったわね。みんな早く周りを片付けたら順番にお風呂に入るのよ、
あとが突っかえると遅くなるから﹂
﹁だから蒼崎先生。そのフォーク誰のかって聞いてるんですけど?
まさかと思うかけど・・・ひょっとして︱﹂
質問をぶつけてくる亮の肩をポンっと叩くと、蒼崎はこれまでに
見せてことのない温かい笑顔を亮に向けてきた。
﹁亮君!! 男この子なんだから小さい事をいちいち気にしちゃダ
メよ﹂
﹁やっぱり俺のでしょう!! 俺のなんでしょう!! 俺のフォー
クなんでしょう!!﹂
﹁・・・ねぇ、玲子先生ぇ・・・﹂
﹁私はね、気にしちゃダメって言っただけよ﹂
﹁・・・玲子先生ってば・・・﹂
﹁先生ぇ・・・それ認めてるって言ってるもんですよ﹂
﹁・・・・・・ごっ、ごめんなさい・・・つい無難なのを選んじゃ
ったの・・・﹂
﹁やっぽり俺のじゃねーか!! 俺のフォークに何の恨みがあるん
ですか!! ヒドイですよ﹂
﹁だからちゃんと誤ってるでしょう。男の子なんだから、いつまで
もそんな昔の事を引きずってないで前を見なさい、前を﹂
﹁いかにも前向きな発言で誤魔化さないで下さいよ。それに、まだ
二分も経ってねぇよ﹂
﹁玲子ぉ先生ぇってばぁ!!﹂
楓の大声に蒼崎は振り返って見る。
﹁先生あっ・・・アレってヤバくないですか?﹂
楓が指差す方向には串刺しのゴキブリがいる。みんな普通ならも
う死んでいると思っていたに違いなかったが、ゴキブリの生命力は
それほど甘くはなかった。
足を勢いよくバタつかせながら体を振っていると、その振りが大
251
きくなりそのまま・・・
﹁イヤヤアアアァァァァァァァァ!!!! モゲた!! モゲた!
! 首がもモゲた!! オエェェ気持ち悪い!!﹂
﹁わあぁぁ、亮兄ぃ首が!! 首が!!﹂
﹁悪魔や、悪魔やコイツは﹂
おぞ
頭部をなくしたゴキブリは白い液体を垂らしながら、テーブル上
を不規則かつ縦横無尽に走り周る。その悍ましい光景に流石の蒼崎
も悲鳴を上げた。
﹁きっきっきっ気持ちわるい!! だれか早く何とかして!!﹂
張本人はお前だろうとツッコミを入れようかと思った亮は、履い
ていた靴を片方脱ぎそれをハエたたきのように振り下ろした。
放射状に白い液体が広がると、完全にゴキブリの息の根が止まっ
た。
﹁よし!! これでもう大丈夫だぞ﹂
これでやっと静かになると思いきや、振り返って見たとき靴下の
足が何かを踏みつけた。
﹁あっ!?﹂
全員の顔色が青くなると、みんな亮から一歩ずつ離れて行く。亮
もまさかと思って恐る恐る踏みつけた方の足を上げ、そのモノを確
認した。
﹁踏んだ?﹂
﹁うん、踏んじゃった・・・蒼崎先生。コレどうしようか?﹂
亮は踏んだのは残されたゴキブリの頭部だった。
﹁とりあえず動くな。そのまま靴下を脱いで片足ケンケンで外に出
たら、表の蛇口で洗い落としてきなさい。おっとまだ、まだよ。ま
だ脱がないでね。ちゃんと私たちが出て行ったら亮君動いていいか
ら。それまでは絶対動かないでね。いいわね﹂
説明中にマナと葵、楓に彩音は足早にその場を出て行ってしまっ
た。
﹁それと、ちゃんと洗い終わったら。私の部屋に来てね、ちょっと
252
話があるから﹂
そう言い残し最後に残った蒼崎がゆっくり居間から姿を消すと、
ただ一人その場に残った亮は切なそうに呟いた。
﹁理不尽だ。あまりにも理不尽だよこれ﹂
一人外の蛇口で汚れた靴下を洗い流し終えると、洗濯機に入れな
いまま庭の物干しに引っ掛けた。暗い夜でも夏の熱帯夜に干しせば
朝には乾いている。
﹁何か、最近ツイてないよな﹂
洗濯物を干し終え念入りに石鹸で手を洗うと、言われた通り蒼崎
主任の部屋に向かった。
ドアの前で軽くノックをすると、主任がドアを開けてくれた。
﹁入って﹂
﹁はい﹂
主任の部屋は私部屋と違って閑散としていた。ある程度は綺麗に
されているが、机上にはファイルやら書類の束が積まれ。壁の棚に
はファイルが隙間なく揃えられている典型的な事務所部屋だ。
蒼崎が自分の椅子に腰掛けると、あらかじめ用意したのか丸いパ
イプ椅子に座るよう合図する。
面と向かい合ってすわる二人に、いつしか重たい雰囲気が漂って
きた。
﹁ねぇ亮君、私はいつもみんなにこう言ってるわよね。﹃この家の
住人に他人はいない、生い立ちがどんなであっても私たちはみんな
家族よ﹄って﹂
﹁はい、もう何度も聞いてますよ。耳にタコができるくらいに﹂
﹁それなら、家族同士秘密をいつまでも隠しておくわけにはいかな
いわよね﹂
・ ・ ・ ・ ・
いきなり確信をつくような発言に、亮は首をかしげた。
﹁それは・・・どういう意味ですか?﹂
﹁そろそろ教えてくれないかしら、亮君・・・あなたの戸籍がない
253
理由を﹂
亮は驚くというよりは、虚を突からたような感じで言葉が詰まっ
た。
﹁・・・どうしたんですか? なんで急に・・・今まで聞きもしな
かったじゃないですか。なぜ急にそんな事を﹂
﹁今日、朝ね・・・警察が来のよ。ただの聞き込みって言ってたけ
ど、途中から亮くんの事を細かく聞いてきたのよ。あれは絶対目的
は亮君よ。役所の交渉とは訳が違うは、今度万が一でも﹃家宅捜査
令状﹄なんてもの持ってこれたらあなたの事をどう説明すればいい
の? あなただけじゃなく、マナや他のみんなに影響が起こるかも
しれないのよ﹂
﹁先生のおっしゃる事はわかります。今まで海のものとも山のもの
ともわからない俺を守ってもらっているのに、何も聞いてこないあ
なたの優しさに甘えきっていました﹂
﹁それじゃ早速何か身分を証明するものを︱﹂
﹁先生﹂
亮は哀しい目を向けたまま言葉を続けた。
﹁先生。俺はここに来て変わりました。変わるというよりは別の生
き方を選べたんです。それは最初怖かった。でもあなたや、施設長。
それにマナ達に支えられて今こうして別の生き方を歩んでいます。
俺はあんたを母親のような姉だと思っています。マナ達は妹のよう
に・・・決して本当の家族ではなくてもあなたのあの言葉で、あの
意味のある言葉でおれは無くしてしまった家族をもう一度得る事が
出来たんです。俺は・・・この家族を守りたい。今度こそ守りたい﹂
亮は椅子から降りると床に膝をついて頭を下げた。
﹁亮君?﹂
﹁俺は昔・・・恐ろしい過ちを犯しました。償いきれません。でも・
・・時間を下さい。必ず話ますから、今は時間を下さい。お願いし
ます!! お願いします!! どうかお願いします!!﹂
﹁・・・亮君﹂
254
亮のこれまでにない必死な態度を見せられた蒼崎は、それ以上追
求することが出来なかった。
255
遅く帰った、そのあとは・・・︵後書き︶
朏天仁です。今回の29話はいかがでしたでしょうか。今回の話は
少し息抜き感覚で書きました。まだまだ誤字脱字あって読み苦しい
と思いますが、そこはご了承下さい。
次回は少し話を進めようと思ってます。あと勝手にランキングをク
リックして頂きありがとうございます。
最後にここまで私の作品に付き合って下さってありがとうございま
す。今後共よろしくお願いします。m︵︳︳︶m
256
葵の手
むき出しの鉄筋コンクリートの柱に﹃B2﹄とペイントれた地下
駐車場。広いフロアー全体に一台の黒い車しか止まっていない。こ
こは元日本連邦埼玉支部のバウンティーハンター委員会本部だ。一
年ほど前から解体工事が進み、すでに5階建ての建物は取り壊され、
残っているのは僅かな人しか知らない臨時地下作戦本部と駐車場だ
けだった。
主を失った建物は時間という流れの中でゆっくりとその姿をすり
減らしていき、水道管から漏れ出た水滴がコンクリートの壁に水模
様を絵描きながら、着々とカビとコケを増やしている。
そのせいでもあり、静かに終わりを迎える駐車場に車が止まって
いる状態は、周りから見れば異質な存在でもある。
しかも、運転席にはちゃんと人の姿が見える。フロントガラスか
ら黒いシルエットの影が見えると、ボッっ小さな灯りがついて消え
た。中の人物がタバコを付けたようだ。
少し開けた窓の隙間から紫煙が漏れ、駐車場にタバコの匂いが漂
ってきた。運転手がハンドルを指でトントン叩いていると、一台の
白い車が入口から降りてきた。後ろのバックドアの角が大きく凹ん
でいる。
ゆっくりと隣に停車すると中から現れたのは霧島千聖だった。ド
アを閉めるとそのまま隣の車へ乗り込んだ。
助手席に座ると、お互い顔を向き合わせないまま話し始めた。
﹁思っていたより早かったな。ひょっとして一日ぐらいは拘留され
ると思ったんだが、随分と派手にやったようだが、結局はそのバッ
チのお陰か?﹂
﹁あらあら、ホンっト相変わらず耳はいいんだから。そんなに耳が
いいならワザワザこんなテストしなくてもよかったんじゃない。報
257
告書に目を通しておけばあいつの能力の高さはわかってもらえると
思ったけど。おかげで余計な出費になったわ﹂
﹁ふんっ、相変わらずのジャジャ馬だな・・・それに、いくらお前
の推薦といっても、例外を認めるわけにはいかんな。このプログラ
ムに失敗は許されん。そいつの実力がどうなのか見極める必要があ
る。まあ今回は予定外の試験で想定外の事態も加わったが、まずま
ずの結果だったな﹂
﹁それじゃー﹂
霧島が一瞬だけ視線を向けるが、ちょうど男の顔全体に影が掛か
り確認する事が出来ない。唯一確認できたのはタバコを持った手だ
けだった。
かみばいたい
声と体格からして年輩の男であるには間違いない、それにお互い
知り合いのようだ。
﹁待て! まずまずの結果だったと言っただろう。紙媒体の資料を
いくら読んでも本質まではわからない。まだまだ知る必要がある。
ぎんみ
それに候補者はコイツ一人だけではないんだぞ・・・あと8人もい
るだ。その中からさらに吟味して5人に絞るんだから、まだまだ根
気がいる作業に違いない﹂
﹁ちょっと待ってよ。8人ってどういうこと? 候補者は全部で1
0人のはずよ。何があったの?﹂
﹁なんだ知らんのか? 山口の候補者はガンが再発して辞退した。
神奈川の候補者は死んだ。以前捕まえた賞金首がムショを出所して
そのお礼参りでな。ハンターの個人情報強化が今後の課題になるだ
ろう﹂
﹁そう。それで候補者の補充は・・・しないわよね﹂
﹁当然だ。あまり表沙汰にできないからな、ここでもし気づかれて
もしたら2年越しの計画が水泡に帰す。残りの8人に期待するしか
あるまい﹂
前髪をかき揚げながら霧島は大きくため息をもらした。
﹁あいつらが一番嫌がるのは権力と地位を奪われる事。だから一筋
258
縄じゃいかないことぐらい覚悟してたけど、まさかここまで根が深
いとはね・・・それで、今のところ一番の候補は誰?﹂
ほばくりつ
﹁一番の優良候補は京都だ。コイツに期待しよう。過去に正当防衛
で賞金首を2人殺してしまっているが、捕縛率90%以上を叩きだ
ゼロ
している、加えていうのなら来年には国家バウンティーハンターに
昇格が決まっている﹂
﹁私の報告書ちゃんと目を通したの!! まだ殺し0で国家資格を
持ったハンターがいるでしょう。なんで第一候補に上げてないのよ
!!﹂
不快感を表すような強い口調を吐きながら、霧島もタバコを取り
出した。
﹁もちろんだとも。お前は随分とあのガキに固執してるんだな。何
かあったのか? ああそうそう、そう言えばお前達はあの﹃大宮事
件﹄の関係者だったな。同情はせんぞ。それにこの﹃月宮亮﹄だと
か言うこのガキはどうもきな臭い、そもそも戸籍が無く、5歳以前
の存在した記録がないのに、どうしてハンター訓練所に入学できた。
過去がない人間ほど危ない奴はない。だからこそ慎重に調べてるん
だろう、何が問題なんだ﹂
﹁確かに入学当時はいろいろと変な噂はあったし、人を傷つける事
を微塵も躊躇しない冷酷な奴でもあったわ。でも・・・それでもあ
いつは︱﹂
﹁それにコイツは候補者の中で一番若い、若いっていうのは道を間
違えるリスクが高い。本来ならプログラムから外れているはずだ、
それなのにコイツは選んだ根拠はなんなんだ﹂
車内にしばしの間があいて、タバコの煙をワザとらしく大げさに
帯刀
吹き出した霧島は、思案顔のまま小さく呟いた。
﹁・・・あいつを・・・元教官を殺さなかった・・・﹂
﹁なんだって?﹂
﹁別に、カンよ﹂
﹁カン!?﹂
259
﹁そうよ、女のカンよ。あいつなら絶対やる。間違いないって﹂
その言葉を聞いた男の方は、大声で失笑した。
﹁ハッハッハ・・・まさかお前の口から﹃カン﹄なんて言葉が出る
とはな。ようはお前の自己満足か、いいだろう。お前のそのカンと
やらが本物かどうか確かめてみたくなった。ただし、使えないと判
明した時点で即プログラムは終了だぞ。いいんだな?﹂
﹁そんなのわかってるわよ。でもあいつは大丈夫よ。ちゃんと﹃未
来﹄をもらえたんだから﹂
﹁・・・そうはそうと、ようやく改正の草案が運営委員会に提出さ
れたぞ。順調にいけば9月に成案が通って、今年度中に連邦議会で
正式に審議される。それも集中審議だ。前回の反省を生かし今回は
族議委員達に上手く根回しができたからな﹂
﹁本当!? これでやっとスタートラインに立てるわね。このまま
バウンティーハンターを政府の犬で終わらせてたまるもんですか。
私たちはこの日本連邦の治安を守る﹃第5勢力﹄にならなければ、
これまで犠牲になった仲間たちに顔向けできないわ﹂
﹁そうだな、私やお前達が対立せずに団結できているのは死んでい
った仲間の執念によってだ。ちゃんと恩を返さんといかんな﹂
男の言葉に霧島は無言のまま頷いた。そして膝の上には力強く拳
が握られていた。
ほとんどの現代人は熱帯夜の夜にエアコンを使用して安眠な夜を
過ごしているだろう。たとえ夏場一ヶ月の電気代が平均月の二ヶ月
分に相当しても、それは仕方がないと割り切って生活している。中
にはエアコンを使わない人もいるが、電気代を押さえる一方で室内
熱中症の危険性が一層高まってしまう。
ここ﹃たんぽぽ﹄では生活困窮の為、エアコンの使用は極力控え
ている。しかし、ここ最近の殺人的とも言える熱帯夜のせいで夜間
エアコンの使用が許可されることになった。しかし、いくら室内熱
中症を予防する目的でも好きなだけ使えるわけではない。
260
そこで必然的な男女差別が生まれた。比較的体力がある亮の部屋
は風通しが良いが、これは偶然そうなったわけではなく、風通しが
良い事はその分エアコンの使用は必要ないという意味だった。窓を
開けていれば滞りなく風が吹き抜けていく。これで室内熱中症は予
防できるが、それでもエアコンの冷気には程遠かった。
外の生暖かい風がカーテンを揺らし、殺風景な亮の部屋で溜まっ
た空気を入れ替えていく。薄い掛け布団を一枚だけ掛けて寝ている
亮の顔に、大粒の汗がいくつも出来上がっては流れ落ちている。
呼吸が荒くうなされながら亮は寝返りをうつと、突然目を覚まし
た。
乱暴に布団を剥いで起き上がると、顔面蒼白のまま大量の汗が下
へと滴り落ちる。さらに呼吸が荒くなると、腹の奥から熱く不快な
モノが重力に逆らいながら登ってくるのを感じ両手で口を押さえた。
そのまま勢いよく部屋を飛び立つと、真っ暗な廊下を慣れた足取
りで駆け抜けながらトイレのドアを乱暴に開けた。
顔を半分便器突っ込みながらリバースを繰り返す。口の中が酸っ
Disorde略してPTSD︵心的外
Traum
ぱくなり胃の中が空っぽになっても気分不快はさらに強まり、それ
が更に亮を苦しめた。
Stress
これが亮の亜民認定を決定づけた診断名、Post
atic
傷後ストレス障害︶だ。
﹁うぅっう・・・なんで・・・なんで、ちゃんと死なせて・・・く
れなかったんだ・・・﹂
うおずみしんじ
どうしてこうなったのかちゃんと理由があった。亮が﹃たんぽぽ﹄
に来て二週間後、マナが魚住真司達に襲われそうになった時、助け
ようとしてこの力を使ってしまった事があった。当時は力の制御が
効かず無意識に使用してしまったため、危うく魚住達を殺してしま
うところだったが、その夜に今回と同じ事が起こった。
あ
今回は、昨日の荻野美花を助けた時と今日の襲撃を合わせて2日
の事件
連続で力を使用してしてしまった。フラッシュバックのように﹃大
261
宮事件﹄の光景が繰り返され、感覚までもが当時に戻るだす。そし
て幾重に襲ってくる感情の波に亮の精神は過剰反応を示すと、今回
のような身体症状となって現れてくる。
﹁・・・ごめん・・・なさい・・・ごめん、なさい・・・﹂
誰に語るでもなく、ただ一人便器に呟く亮の背中にそっと誰かの
手が添えられる。おそらくマナだろうと思って振り返った先には、
マナではなく葵の姿があった。心配そうな顔で亮を見つめている。
﹁ごめんね、葵ちゃん。心配しちゃったかな・・・でも大丈夫だか
ら、すぐよくなるから・・・もう大丈夫だから﹂
気丈に振舞う亮に、葵は一枚のメモを見せる。そこには﹃りお たすける﹄と書かれていた。
﹁えっ!? どう言う意味だ﹂
疑問を投げ方た亮の胸元に、葵はそっと右手を当てると宝石のよ
うに潤んだ瞳で直視する。その瞳に気圧される亮だったが、次の瞬
間。葵の唇が動き何か言葉を話そうとする。声は出ないが、何かを
亮に伝えている。
胸元に当てられた手が熱を帯び、やがてその熱が全身へと広がっ
ていくのを感じると、今まで苦しかった体の異変が嘘のように消え
ていった。そして何故か身体が軽くなり重たかった気持ちまでもが
楽になってしまった。
﹁何をしたんだ? 葵ちゃん?﹂
呆気にとられた顔をしている亮に、葵はもう一枚紙を出して渡し
た。そこには﹃たすけて おねがい わるいおおかみがくる﹄とだ
け書かれていた。
262
葵の手︵後書き︶
こんばんは、朏天仁です。第30話いかがだったでしょうか? 亮の病気と葵のミステリアスな印象が最後残ったと思います。
そして最後の葵の言葉に亮はどう答えるるのか? 今後の展開が
気になるところですね。
今回で30話を無事に掲載する事ができました。これも読んでく
れている読者の皆様方のおかげです。今後も掲載が続いて行けるよ
うに頑張っていきますので、よろしくお願いします。
最後に今回も最後まで読んでいただきまして、誠にありがとうご
ざいます。m︵︳︳︶m
263
暗雲
ヂュオ
7月5日、宮古島リハビリセンターの音楽室では神矢講師のレッ
スンが始まっていた。前回と違って二重奏ではなく、亮のソロ演奏
を神矢講師が聞いている状況だ。
﹁う∼ん、もう少し出す息を太くして。お腹からしっかり出すのよ﹂
亮が吹くフルートの音を聞きながら講師の神矢指摘が飛ぶと、今
度は唇の形を広く変えて中音域の﹃シ﹄の音を出す。
﹁ダメダメ、今度は息が入ってないわ﹂
﹁先生、やっぱりまだ中音域は無理なんじゃないですか﹂
ね
いくら練習しても﹃ド﹄から上の﹃シ﹄の中音域が出せない亮は、
ついに音をあげ始めた。
﹁何言ってるの! こんなことで弱音を吐いてどうするの、フルー
トは中音域が出せて初めてフルート本来の良い音色を奏でることが
できるのよ﹂
﹁いや、あの・・・・俺が言ってのは、この前低音域を始めたばか
りなのに、もう中音域を練習するのは早いってことですよ﹂
﹁うんうん、そんなことないわよ。だって坊やはさぞ隠れて練習し
てきてるんでしょう。なんたってアタシの授業を無断欠勤をする余
裕があるんだから。さーぞかし実力を身につけてるんでしょう?﹂
顔を嬉しそうにニヤニヤさせて、嫌味ったらしい言葉で突っつい
てくる。昨日の霧島の一件で講習を始めてサボってしまった事を十
分反省しているとはいえ、神矢の言葉はどことなく痛い所に突き刺
さる。
﹁うっ・・・それは・・・﹂
﹁それに前回上手くなるとっておきの方法も教えてあげたんだし、
上手くなってなくっちゃおかしいわよねぇ!! ねぇ!! ねぇ!
!﹂
264
﹁確か・・・・好きな人を見つけろ。とか、何とかでしたっけ?﹂
﹁まぁー、そうね。そうは言ったけど・・・アレは何なの?﹂
神矢の興味は教室の後ろで座っている葵の向けれられた。一人静
かに待っている葵と目が合うと、不思議そうに首を傾けてみせる。
亮と一緒に教室に入ってきたときはてっきり新しい亜民の子かと思
ったが、新しく﹃たんぽぽ﹄に入所した新人と聞いて、神矢は関係
を知りたくてしょうがなかった。
﹁ねぇねぇ後ろの子、あの子誰なの? ひょっとして坊やの彼女?
彼女ができたのぉ? そうね、そうなのね! だからこの前休ん
だんだのね。二股なんて若いっていいわねぇ﹂
途中から声を落とし、ヒソヒソと亮に話しかけながら肘で脇を軽
く突いてくる。
﹁先生ぇ、葵に聞こえますよ。それに二股ってなんですか﹂
すでに神矢先生の興味は、亮の後ろで椅子に座ってこっちを見て
いる葵だった。
﹁そう葵って言うのね、どう見ても外人にしか見えないけど日本人
なの? あの可愛らしさなんてもうーマナちゃんがいるのに坊やに
は勿体ねいわね。火遊びはほどほどにしなさい﹂
﹁ちょっと先生!! 完全に誤解してます。葵は見学に来ただけで、
マナは俺の妹ですよ。そんな昼ドラみたいな設定を勝手に作らない
で下さい﹂
﹁アタシってね、しつこい男は嫌いだけど、ドロドロしたのは好き
なのよ。特に修羅場なんて大好きよ。その時はリアルタイムで見せ
てね﹂
﹁その時って何ですかぁ、その時って!! それに先生の好みなん
て知らないですよ!!﹂
盛り上がる二人の会話のを遮るように袖をツンツンと引っ張られ
る感じがして亮が振り返ると、そこにスケッチブックに文字を書い
た葵が立っていた。
スケッチブックには黒いマジックペンで﹃なにを はなしている
265
の?﹄と書かれている。
﹁あら! ごめんなさいね。坊やがいつまで経っても男としてはっ
きりしない所があるから、先生ちょっと注意してたの﹂
葵はどういう意味なのかわからないらしく、また首を右に傾けて
みる。
﹁ちょっ・・・・・先生なに言ってるんですか! 明らかにそんな
話してないでしょう。妄想をふくらませないで下さい﹂
﹁あっ! そうだわ、ちょうどいい機会だから本人に直接聞いてみ
ましょうか。葵ちゃん、蒼崎玲子っていう人知ってる?﹂
葵はコクリと頷く。
﹁アタシねぇ、その蒼崎玲子って人のお友達なんだけど、葵ちゃん
にいくつか質問していいかしら?﹂
少し間を置いて考えたあと、一回だけ頷いた。
﹁そう、それじゃあ葵ちゃんにとって、ここにいる坊やはどんな存
在なのかな?﹂
﹁ちょっと!? 何聞いてんですか?﹂
慌てて亮が割って入ろうとすると、葵はスケッチブックに﹃とく
べつ やさしいひと﹄と書いて見せた。
﹁う∼んとね、もう少し具体的に﹂
期待してた結果を得られなかったのか、直ぐに神矢は聞き直した。
﹁先生もういいですから、早くレッスンの続きしましょう﹂
亮がなんとかしてこの状況を変えようとするが、その甲斐無く葵
は神矢の質問に答えてスケッチブックに﹃みんな すきなひと﹄と
書いて見せる。
﹁う∼ん、そうじゃないんだよね。どう説明したらいいのかなぁ・・
・・もうちょっとわかりやすく、う∼ん・・・・﹂
﹁先生。葵はまだそんなに多く言葉を覚えてないんだから、無理強
いはよくないですよ。さぁっ練習しましょう﹂
﹁じゃっじゃっ、みんなは坊やの事どう思ってるの?﹂
神矢先生の質問に葵が深く考え始めると、葵は頭の中に昨日彩音
266
が言っていた言葉を思い出し、それをそのままスケッチブックに書
き出した。
葵が自信たっぷりの顔でスケッチブックを神矢先生に見せるが、
それを見た神矢は一瞬硬直した。そしてゆっくり亮へ軽蔑混じりの
視線を向けてきた。
﹁亮君・・・あなた・・・いくら若いって言っても、この子はま
だ子供なんだからさァ・・・・ホドホドにして上げないとね﹂
﹁はぁ!?﹂
意味が分からず、亮が葵の書いたスケッチブックを見ると、そこ
には﹃まいにち へやで やさしく からだで ちょうきょうにす
る おにいちゃん﹄と書かれていた。
その瞬間、いっきに亮の顔から血の気が引く。
﹁先生ぇ! 誤解です! 誤解です! 完全な誤解ですから!﹂
慌てて誤解を解こうとするが、すでに神矢先生はハンカチを目に
当て、シクシクと小さく肩を震わせて泣いている。
﹁亮君は・・・亮君はまだ、奥手な感じがして・・・まだ子供だと
思っていたのに・・・こんなに早く大人になっちゃうなんて・・・・
・・しかも、こんないたいけで無垢な女なの子に・・・そういう・・
・プレイを・・・先生悲しいわ・・・ああぁちょっと頭が痛くなっ
てきたわ﹂
葵が書いた変な説明によって、神矢は完全に変な勘違いをしてい
る。しかもまた勝手に脚色まで加えられて。
﹁先生ぇ、本当に誤解なんですってば!﹂
﹁いいのよ坊や、そんなに否定したら・・・たんぽぽのあの子達が
可哀想じゃないの。それに・・・男の子だもんね、先生・・・万が
一の時は・・・あなたたちの将来・・・ちゃんと応援するからね。
だからちゃんと責任とりなさいね﹂
﹁ちょっと待って!! 先生落ち着いて、ねぇ・・・ねぇ・・・・・
・ほら少し落ち着いて俺の話を聞いてくださいよ﹂
﹁いいのよ、いいの・・・・気を使わなくても、先生・・・大丈夫
267
だから、これでも先生は自分でも少しは理解ある人間だって思って
るから﹂
﹁いいえ・・・あきらかに大丈夫じゃないから。とりあえず話しを・
・・・・・話を聞いてくださいって・・・先生ぇ!﹂
葵の誤解に嘆いている神矢と、その誤解を必死に説こうと右往左
往している亮の姿、そしてこの元凶の張本人である葵が何も分から
ない様子で2人のやり取りを眺めている光景は、これはこれで奇妙
な光景でもある。
しかし、そんな奇妙な光景をまぬかれざる者達も眺めていた。
亮たちがいる都島リハビリセンターから直線にして約11キロ地
スナイパー
点にある﹃葉山﹄の中腹に、三脚に超光学望遠レンズをセットして
全身を狙撃手が使用するようなギリースーツに身を包ん男がいた。
望遠レンズがなければ完全に周りの自然に同化して、一般人には
まず見つけれる事は不可能だろう。
男が僅かに指先を動かすと、レンズに映り込んだ亮達を一枚一枚
インカム
撮り始める。ある程度撮り終わると今度はファインダー上に﹃転送
中﹄と表示が現れ、咽喉マイクがついた無線機の通信スイッチが入
る。
﹁こちらフクロウ。L−211と思われる対象2の目標を確認。画
像の自動転送開始。送れ﹂
﹃こちら巣箱。現時点での対象2の判断は精査中。現状観察を継続
せよ。送れ﹄
﹁こちらフクロウ。了解!! ・・・・・・追伸報告、対象1、2
が帰り支度を始めた模様。指示を待つ。送れ﹂
﹃こちら巣箱。了解した。そのまま監視継続せよ。現在建物周囲に
回収班のクマタカが待機中。対象が建物を立た時点で回収作業開始。
フクロウはそのまま後方支援に移れ。送れ﹄
﹁こちらフクロウ。了解した﹂
フクロウと呼ばれた男は、部屋を出ていこうとする亮にもう一度
ピントを合わせると小さく呟いた。
268
﹁悪く思うなよ。こっちも仕事なんでな﹂
お昼の鐘音が上郷町に響き始めた頃、﹃たんぽぽ﹄では蒼崎玲子
が一人難しい顔のまま、亮の入所ファイルに目を通していた。
昨日の亮の様子が気になりファイル棚から引っ張り出して調べて
見れば見るほど、気になる事が増えていった。まず第一に戸籍がな
いのに、書類上では﹃中野中央病院産婦人科﹄で生まれた事になっ
ていた。早速電話を掛けてみると病院は存在していたが、産婦人科
は昔も今もないとの事だった。
更に、記載されている小中高の学校全てに在籍した記録が全くな
いのだ。次第に蒼崎の頭に疑惑の念が生まれはじめた。
﹁亮君・・・あなた一体誰なの?﹂
作成された書類は町役場で作成された公文書であるため、亜民認
定審査会に報告の連絡をしてもそれっきり音沙汰がなかった。
こうなったら亮の部屋を調べに行こうと立ち上がった瞬間、机上
の電話が勢いよく鳴り出した。直ぐに受話器を取ると、それは待ち
に待っていた亜民認定審査会からだった。
﹁お待ちしてました。それで・・・どうなんでしょうか?﹂
﹃・・・・・・結論から申しますと・・・今回ご連絡で指摘されて
いた亜民の書類についてですが・・・﹄
﹁はい﹂
﹃その・・・まったく問題なし、との事でした。これで今回の件に
関してのこちら側に︱﹄
﹁えっ、えっ、ちょっと待って下さい!? ちゃんと確認してもら
えたんでしょう。それならー﹂
﹃申し訳ありませんが、これで失礼させていただきます。でわ﹄
﹁えっ、ちょちょっちょっと待ってよ!!﹂
一方的に電話を切られてしまい、蒼崎はため息を漏らした。
﹁どうなってるのよ一体!?﹂
電話の相手は明らかに様子がおかしかった。だがおかしいと思っ
269
た所でこれ以上蒼崎にはどうする事も出来なかった。
もう一度受話器を取り、ダメもとである番号に電話した。それは
亮の身元引受人である母方の叔父﹃月宮 誠﹄の連絡先だった。
何度もコールが鳴るが一向に出る気配がない、これもダメだった
かと思って受話器を戻そうとした瞬間、コール音が切り替わり別に
所に転送された。
もしかしたら繋がるかもしれないと思って待ってみると、やがて
コール音が止まり若い女性の声が受話器から聞こえたきた。
﹁はい、どちら様でしょうか?﹂
﹁えっと、あの、そちらは月宮誠さんの携帯電話でよろしいでしょ
うか?﹂
﹃そうですが、どちら様ですか?﹄
﹁私は軽度対応型施設のグループホーム﹃たんぽぽ﹄で月宮亮くん
の支援担当をしてます蒼崎と申します。実は本日ご連絡差し上げた
のは亮くんの事で、身元引受人である叔父の月宮誠さんに早急に確
認してもらいたい事があって電話しました。月宮誠さんはご在宅で
しょうか?﹂
﹃申し訳ございませんが、この電話の持ち主である誠は今現在電話
に出ることができません。折り返しこちらでご連絡致しますのでご
用件を申して下さい﹄
落ち着いた物言いの声に混じって、乾いた連続音が一緒に受話器
から伝わってきた。どこかで聞いた音だと蒼崎は思った。
﹁いえ、これは亮くんの個人情報にあたる事ですので、失礼ですが
第三者にお話するわけにはいかないのです。折り返しかけていただ
いた際にご本人に直接お話致しますので﹂
﹃そうしますと、早くても夕方以降になると思いますが宜しいです
か?﹄
﹁構いませんよ、あっそうだ。できれば私の携帯にかけてもらえる
と助かります。番号を言いますね﹂
﹃ご心配には及びませんよ。こちらで把握ておりますから、大丈夫
270
・ ・
ですよ玲子さん。誠が戻りましたらご連絡致します。では失礼しま
す﹂
蒼崎が受話器を戻すと、ふとある疑問が浮かんだ。
﹁あれ? 私・・・名前言ったかしら?﹂
深く考え込むのはやめようと頭から振り払うと、今度は別の事に
気がついた。さっき受話器の向こうから聞こえてきた乾いた連続音。
カラニシコフ
忘れもしないアレは銃声だ。それもあの特徴ある音は第二次極東戦
争中に、まだ子供だった蒼崎が嫌というほど聞いたAK−47の音
で間違いなかった。
フラッシュバックのように忘れていた戦争の記憶が蘇り、蒼崎の
心に重く暗い影がのしかかってきた。それと同時に亮に対して疑念
の思いが一層深くなっていった。
今まで一緒に暮らしてきた大人しく気弱な月宮亮と言う人間が、
まるで自分の知らない別人のように思えてならないのだ。
﹁亮君・・・本当のあなたは、なんなの・・・﹂
書類の右端にある亮の顔写真を見つめながら蒼崎は訪ねてみた。
271
暗雲︵後書き︶
こんばんは、朏天仁です。今回タイトルで﹃暗雲﹄を付けさてもら
いました。これはこの次からいよいよ物語の確信へと進んでいきま
す。過去がない亮に、謎の一団が待ち構えている今後の展開はどう
なっていくのか? 次回をお楽しみください。
さて、今回も最後まで読んでいただきありがとうございます。本当
に感謝感謝の連続です。これからも本作をよろしくお願いします。
m︵︳︳︶m
272
狩場
都島リハビリセンターから200メートル程下った山道の脇に、
8tトラックが一台停車している。ダークグリーン色の車体に、白
銀色のバンボデーには﹃牧野運送﹄とだけ印刷されていた。
車体の近くでは帽子をかぶった作業着姿の男が立ち小便をしてい
る。傍から見れば運転手がトラックを脇に寄せて小休憩に入ってい
る光景だが、用を済ました運転手が後ろのリヤドアを開けて中に入
るとまたドアがあった。
二重ドア構造になっていて、中に入ると全体が薄暗い群青色に染
まっている。左側の壁に8個の重なったモニター画面を監視してい
る人が一人、右側の壁机には並べられた無線機とパソコンキーボー
ドを叩いている技師が一名座っている。帽子の男が中央の人一人が
やっと通れる程のスペースを進み、一番奥にある新聞紙一枚を広げ
た大きさの机上から投射されてる、ホログラフ映像の前で歩を止め
た。手前には50代の角刈り白髪の男が一人、その隣に同じ角刈り
で顔のほりが深い40代くらいの男が立っている。全員がどこにで
かかと
もあるような同じ作業着を着ていた。
しばさきのりお せんにんでんかん
カチッと靴の踵を鳴らし敬礼をすると、ホログラフ映像を鋭い眼
光で見つめながら腕組をしている白髪の柴崎規夫先任電官が口を開
いた。
きびす
﹁敬礼はいい、報告もいらん。早く持ち場に戻れ!!﹂
帽子の男は無言のまま踵を返すと、入っきたドアへと向かい外に
出て行った。
MCIC
このトラックのバンボデー内は旧陸上自衛隊の82式指揮通信車
IR
内部を改造した移動式戦闘指揮所になっている。型は旧式だが、装
備されいる機材一式は全て最新式を整備されている。
ST
高感度集音マイクに、全方向全ての状況確認ができる赤外線捜査
273
追跡システムに加え、次世代行動予測装置が設置され、これにより
部隊展開が30%以上迅速に行われるようになった。
最新式装備の中でなによりも隊員を驚かせたのは、この指揮所内
を人体の最適環境に設定できる空調設備に、立って歩ける空間スペ
ふじもとゆたせ
かんにんほさでん
ースだろう。皆言葉に出さなくともこの居心地の良さは十分理解し
ている。
かん
その最適環境下の中で柴崎先任電官と隣にいる藤本隆先任補佐電
官が見つめている映像には、都島リハビリセンターを中心に各人配
置されている隊員達の位置情報が赤い点となって写っていた。
﹁まったく緊張感のない奴め!! 一体村岡隊長は何を考えいらっ
しゃるのか﹂
﹁ふっ、そう言うな藤本。俺たちが疑問を持つのは禁忌だぞ。一つ
の疑問が迷いなり、迷いが疑心を生み疑心は空気を伝わって周りに
伝染していく。そして最後は死神に魅入られ隊は全滅。根室防衛戦
の時に隊長から口酸っぱく言われただろう﹂
藤本は口元をグッと引き締めた。
﹁ですが、あいつは無駄なモノです。使えない・・・いえ。我々の
班の能力を120%引き出すには全員が一定の基準に達していなけ
れば意味がありません。無駄にいても死ぬだけです﹂
﹁確か柴木二士だったかな、青山一曹﹂
﹁はい、そうです﹂
監視モニターを見つめる青山一曹は振り返らずに返事を返してき
た。
﹁もう時代は変わりつつある、戦争を知らない子供がそろそろいい
連邦軍地方教育隊
年になる頃だろう。平和という感覚を持ったものが一人くらいいて
もいい頃合だ。﹂
﹁先任、いくら平時とはいえそれは連地教での事です。この班に実
戦経験のないものが入るのは今後の士気に影響が出てきます。現に
ー﹂
﹁藤本、もうそのへんでいいだろう。今は任務に集中することが先
274
あいつ
決だ。柴木二士のことはこの任務が終わったらじっくりやればいい。
IRST
青山一曹! 対象1、2の状況は?﹂
﹁はい、赤外線捜査追跡システムで確認した所、現在対象は中央階
ブリーフィリング
段を降りて1階正面玄関脇にある管理人室に立ち寄っています﹂
﹁よし。事情説明通りにクマタカ7∼12を所定の位置に展開、そ
の他も順次位置につくよう伝達﹂
﹁了解。こちら巣箱。クマタカ7、8、9は対象を目視で確認でき
しだい接触。クマタカ10、11は捕獲。クマタカ12は周辺確認。
送れ﹂
指示を送って直ぐに返事が来るかと思いきや、奇妙な間が生まれ
た。
﹁・・・・・・こちら巣箱、クマタカ応答しろ。送れ﹂
再度指示を送っても返信は返ってこない。さすがに柴崎達も不信
に思った様子で、藤本が青山の無線を取り上げて指示を送った。
しかし、結果は同じだった。
﹁なんだ? 無線の故障か?﹂
﹁いえ、無線は問題ありません。ちゃんと電波も生きてます。間違
いなく向こうに継っています﹂
﹁おいっ!! 遊びじゃねんだぞ!! 返信しろクマタカ!! 誰
でもかまわん。返信しろ!!﹂
藤本の怒鳴り声が指揮所に響くと、青山が無線チャンネルを全て
開けた。と、同時に僅かに雑音ノイズに混ざり誰かの声が入ってき
た。
﹃ガガッ・・・・・・・・・ッガ・・・・・・・・・ザザザザ・・・
誰かッ・・・・・・のむ・・・ザザザ・・・・・・は不能・・・・・
・ザッ・・・求む・・・・・・誰でもいい・・・・・・に遭遇・・・
ガッガッガッ・・・・・・・・・﹄
最後はブチッとデカイ音と一緒に無線が切れた。
﹁今のは?﹂
﹁周波数から特定して・・・おそらくクマタカ2です。分隊の一番
275
後方にいるはずですが﹂
﹁他のクマタカ達は? 回線が生きてるのだけでいいから呼び出せ﹂
﹁全チャンネルは開いてますが、応答はありません﹂
﹁もう一度呼びせ﹂
﹁藤本!!﹂
呼びかけに振り向くと、柴崎がアゴでホログラフ映像を見るよう
に合図を送った。黙ったまま映像を見ると、藤本は一瞬我が目を疑
った。
先程まで映し出されていた隊員達の個人GPSマークが全て消滅
している。
レッドクロス
﹁さっきの音と同時にクマタカ2のGPSが消滅した﹂
﹁そっそんなー﹂
﹁ぼさっとするな!! 黒鉄の赤い十字架の襲撃かもしれん。各自、
甲種防衛体制に移れ!! 通常弾は使うな、魔弾と属性弾の使用を
許可。おい藤本!! 早くこっちに戻れ!!﹂
柴崎の言葉に、その場にいた全員の思考回路が戦闘準備に切り替
そうてん
わった。各自が近くの引き出しやロッカーから拳銃とショットガン
を取り出し慣れた手つきで弾薬を装填し始めた。
﹁おそらく敵は聖獣だろう、絶対に間合いを詰められるな。聖獣よ
やっきょう
りも術士を探して属性弾で始末しろ!! わかってると思うが、魔
弾を打ったら最後薬莢は回収しろよ。痕跡を残すは、我々今ここに
存在しないことになってるからな﹂
﹁了解っ!!﹂
﹁おい黒田っ!! すぐに本部に連絡しろ。モタモタすんな!!﹂
ホワイトアウト
﹁やってます。ですが補佐官、回線が通じません﹂
﹁こっちも・・・映像が完全消滅しました﹂
﹁もういい!! 車を早く出せ。ここじゃ地の利を生かせねぇ﹂
無線技士の黒田が拳で壁を強く3度叩いた。それを合図にトラッ
クのエンジンが掛かりだす。
﹁よし!! 移動だ。こっちの安全が確保されたらクマタカの回収
276
を行うぞ!! ほら急げ!!﹂
﹁待って下さい!! フクロウより連絡入りました﹂
慌てた声の青山が無線機の音量を上げた。
﹃ザ・・・ザ・・・こちらフクロウ!! 巣箱応答して下さい!!
すぐに退避して下さい!! デカイ影がそっちに・・・あっ!!﹄
フクロウの叫ぶと当時にトラック内にデカイ轟音と強い衝撃波が
発生し、柴崎達の空間が90度回転した。ペンや書類の小物類が宙
を舞、機材からパチパチとショートの火花が飛び始めた。
﹁・・・クソッ・・・﹂
首筋を押さえながら青山が上体を起こすと、自分が無線機の机に
挟まり身動きがとれないことに気がついた。
﹁大丈夫か青山一曹? 待ってろ・・・今助け出してやる﹂
声を掛けて来のは藤本だった。自身も額を切り出血していた。助
けようと藤本が机に手をかけた瞬間。先ほどよりも強い衝撃波に襲
われ90度回転した。電力系統がイカれ照明が消失する。
少し経つと、柴崎の声が響いた。
﹁・・・・・・全員無事か? 全員その場で点呼するぞ!! 藤本
っ!!﹂
﹁はい﹂
﹁黒田!!﹂
﹁はい、無事です﹂
﹁青山!!﹂
﹁・・・無事です﹂
全員の点呼が終わると、タイミングよく非常灯が点いた。 赤色の非常灯が辺りを照らし、天上と床が逆さかになった指揮所
の中で見えたのは、機材が青山の身体に覆いかぶさっている光景だ
った。
﹁黒田手伝え!! これを早くどかすんだ!!﹂
﹁了解!!﹂
二人で青山の救助に取り掛かっていると、奥の入口付近で猛獣
277
のような雄叫びが上がった。
鼓膜を揺らす強い振動に、その場にいた全員の動きが停止した。
敵は壁一枚隔てたすぐそばにいる。
﹁全員銃を取れ!! 来るぞ!!﹂
柴崎がショットガンの引き金を引くと、それを青山に差し出した。
﹁敵が来るぞ!! 自分の身は自分で守れ!!﹂
﹁・・・りょっ、了解しました﹂
青山はショットガンを受け取ると、それを力強く握り締める。
再び外で雄叫びが上がると、何かが中に入ろうとドアを叩き始め
た。断続的に響く打撃音が次第に強くなり、やがて大きな音と一緒
にドアが引き剥がされた。
柴崎、藤本、黒田が銃口を向ける。
﹁何だ!?﹂
ドアが剥がされ、外の様子が見えると黒田が驚いた。時間的には
まばた
外は昼間のハズなのに、そこには黒一色に統一された深い闇になっ
ている。
﹁クソっ!! 結界か!!﹂
銃口を向ける闇の中から赤く光る2つの点が、瞬きをしながら空
をさまよっている。その目が身動きがとれない青山を見つけると、
赤黒のまだら模様をした腕が飛び込み、鍵爪のような5本指の手が
青山の頭を鷲掴みにした。
﹁うぎゃや゛あ゛あ゛あ゛あああぁぁぁぁぁぁぁ﹂
断末魔のような悲鳴と、頭蓋骨が砕ける音が鳴り響く。
﹁野郎!! 撃て!! 撃て!!﹂
全員の銃口が火を吹き、放たれた魔弾が青山を締め付けている腕
に幾つもの穴を開ける。青山も薄れゆく意識の中で、手にしたショ
ットガンの銃口を締め付ける腕に当てて引き金を引いた。
抵抗むなしく手首の辺りから鮮血が吹き出すが、すぐに塞がって
しまった。
﹁ガガガルルルルル!!!﹂
278
唸り声が響き、さらに締めつけが強まると青山はショットガンを
持つ事も出来ずに事切れた。
﹁この野郎!! 青山を離しやがれ!!﹂
P220を連射しながら藤本が叫ぶと、それに続けて黒田も応戦
した。だが手応えが無いまま青山の頭を掴んだ手は一瞬内側にひね
ると、ゴキリっと鈍音と一緒に頭部をねじ切り持ち去ってしまった。
残った胴体からは噴水のように鮮血が飛び出す。
リロード
﹁チキショウォ!! この野郎!! オラっ!! まちやがれぇ!
!﹂
﹁待て黒田!! 先に弾を補充しろ!!﹂
﹁ぐっ・・・了解!!﹂
目の前で仲間を殺された怒りを何とか押さえ込み、再装填を終え
ると入口に銃口を向ける。不思議なことに全員の準備が完了するま
で敵の襲撃はなかった。まるで準備が終わるまで待っているかのよ
うだ。
サラマンダー
﹁チキショウ、レッドクロスめぇ!! あれは一体何だってんでし
ょうか?﹂
﹁わからん。火トカゲか・・・いや、バジリスクに似ていたが、あ
んな聖獣見たことないぞ。先任は?﹂
﹁いや、あんなのは初めてだ。とにかく術士を見つけないと、この
ままここにいたら皆殺しだ。﹂
柴崎が指で合図を送ると、黒田を先頭にゆっくりと入口へ歩始め
た。黒田の銃を構える手がガチガチと震えだす。足元には青山の血
だまりが出来、足元からその温かみが伝わってくる。
﹁おい黒田落ち着け。間違っても仲間に当てるなよ﹂
﹁わっ・・・わかってます﹂
左手で顔の汗を拭い、やっと入口までたどり着くいた時。再び唸
り声が聞こえ赤い瞼と目が合った。
﹁うっ・・・うはあああぁぁぁぁ!!!!﹂
悲鳴と同時に銃弾が発射されるが、それよりも先に相手の長い爪
279
が黒田の心臓を抜いていた。
﹁ぐっふぅ・・・﹂
血を吐きながらも黒田は銃を撃ち続けるが、そのまま闇の中へと
吸い込まれて行った。
﹁黒田ぁぁ!!﹂
怒りを込めた叫び声が虚しく響き、藤本のショットガンが闇に向
かって発射された。荒い息使いだけが指揮所にこだまする。もう残
っているのは藤本と柴崎の二人しかいない。
﹁藤本。戻れ﹂ 呼吸を整えるながらゆっくりと藤本が後ずさりを始めると、闇の
中からあの腕が飛び出してくるとその鋭い爪が藤本の左太ももを貫
いた。
﹁ぐぎぃぃ!!﹂
﹁藤本ぉ!!﹂
闇の中へ引きずり込まれそうになる藤本の腕を柴崎がとっさに掴
み止めた。
﹁はっ、離してください先任!! 手を︱﹂
﹁バカ言うな!! 簡単に諦めんるじゃねぇ!!﹂
﹁その通りですよ。藤本補佐電官﹂
その声が聞こえると、藤本の足を貫いている敵の腕に無数の御札
が張り付いた。御札の文字が赤く光り出すと、張り付いている腕の
箇所が砂になって消滅した。
二人は一瞬何が起こったのか理解できなかった。だが直ぐに正気
に戻ると、柴崎が藤本の体を奥へと運び込んだ。
﹁遅れて申し訳ありません。この結界を破るのに少々時間が掛かっ
てしまいまして﹂
﹁陰陽師か?﹂
﹁いいえ、私は道士です﹂
レッドクロス
柴崎の横に立っているのは道士だった。
﹁すまん、こんな時に黒鉄の赤い十字架の襲撃を受けてしまった。
280
レッドクロス
隊長に連絡してくれ本作戦は遂行不能と﹂
﹁一つ間違いがあります。アレは黒鉄の赤い十字架の聖獣ではあり
ません。少なくとも西洋の幻獣ではないですね﹂
じゃこ
﹁では何なんだ?﹂
﹁邪虎です。八大地獄階層の鬼を喰らう虎です﹂
﹁じゃこ? 式神なのか?﹂
﹁我々と!? まさか。似て非なるな物、まったく違いますよ﹂
道士が話の途中で一枚の札を出すと、それを藤本の出血している
足の部位に貼り付けた。すでに大量に出血していて、藤本の顔は蒼
白していた。
﹁取りあえずはこれで大丈夫です、あとはこの結界が敗れるまで時
間を稼ぐだけです﹂
﹁かせぐ? 他に誰かいるのか?﹂
﹁ええ、おりますとも。ただその前にうるさいドラ猫を大人しくさ
せないと﹂
入口を向く道士につられて柴崎も向くと、そこは入口一杯に五芒
星ができていた。その五芒星を破ろうと唸り声を上げながら邪虎の
爪が切りつけている。
﹁吠えるなよドラ猫、今遊んでやるから﹂
道士の左手が五芒星に向けるられると、青白く五芒星が輝き始め
た。
281
狩場︵後書き︶
こんにちは、朏天仁です。今回の﹁狩場﹂はいかがだったでしょう
か?
今後の展開にご期待ください。とは大きな声で言えませんね︵^︳
^;︶
誤字脱字が内容にチェックはしているつもりですが、読みにくかっ
たらすみません。
最後にここまで読んでらって本当にありがとうございます。m︵︳
︳︶m
282
虎と狗
青白く輝きだした五芒星から幾つもの梵字が鎖のように広がりな
がら溢れ出ると、それが指揮所の壁全体を包み込んだ。
﹁何だ? これは? 結界か?﹂
みおなだ
﹁さすがは柴崎殿。武装陰陽師と共に戦っただけの事はありますね。
しきじん
ですが、コレはそんな単純なモノではございませんよ。これは澪灘
と呼ばれる位置を知らせる式陣です。柴崎殿達の言葉で申すと、G
PSと説明すればわかり易いでしょう﹂
﹁そうか、それで・・・大丈夫なのかこの結界は?﹂
その質問に、道士は人差し指を先に向けた。指先の向こうでは何
度も五芒星に触れた邪虎の爪が弾かれている。
﹁あの邪虎を見れば言うまでもない。ですがいつまでも持つわけで
はありせんので、直ぐカタをつけないといけません﹂
それだけ告げると、道士は入口の五芒星に近づきながら何かを唱
え始めた。そして、手を前に差だすとそこから野球ボウル程の白い
発光体が生まれた。
﹁もののけは闇に巣食うべきもの、退くがいいこの光の届かぬとこ
ろへ﹂
道士が白い発光体に軽く息を吹きかけると、それは五芒星を抜け
つむ
出しフラッシュのような閃光を輝かせた。目がくらむ程の光量に柴
崎達は目を瞑る。
﹁おい、道士!!﹂
心配した柴崎が声を掛けると、道士はすでに式陣から外に出てい
た。しかも、服装も変わっていた。
スーツ姿から、陰陽師が着用する式服と呼ばれる服装に変わって
いて、背中には星の代わりに式神を表す梵字が書かれていた。
そして道士が出した発光体は頭上約10メートル程上空で停止し
283
ている。光量は弱まったが、それでも閃光弾のように辺りを照らし
続けていた。
照らされた周囲を見渡すと案の定、ここは敵の結界内であること
ちみもうりょう
を確信した。トラックの指揮所は白い砂利が一面に広がった場所で、
いみび
風も音さえも全く感じられなかった。
﹁心配には及びません。これは忌火と申して、魑魅魍魎達が嫌う神
聖な炎です。この炎の照らすとろこは嫌って入ってこれません﹂
﹁そっ、そうか。なら俺もそっちに行く。状況確認をしたい﹂
﹁いけません。その式陣から出てはなりませんよ﹂
﹁何だと!? どう言う事だ?﹂
﹁この忌火は魍魎達が嫌いますが、結界のように絶対に入ってこれ
ないわけではないのですよ。いくつか例外がおります、例えばああ
いうふうな﹂
道士が指で示した方向に目を向けると、あの赤い二つの目が柴崎
達に向けられている。そしてゆっくりと闇中からその姿を現した。
まずは黒田の心臓を貫いた釜のような爪が現れると、次に青木の
頭部をねじ切った長い両腕が見えた。その腕は幾つもの荒縄のよう
な筋肉が螺旋のように重なって太くなり、無駄なぜい肉などは一切
なかった。
忌火に照らせれた邪虎の両腕から白い蒸気が音をたてながら吹き
出している。おそらく忌火の光に拒絶反応を起こしているのだろう。
やがて、ゆっくりとその姿が道士達の前に現れ、その姿を見た一
同は言葉を失った。
﹁おい・・・なんだありゃ・・・本当にあれは虎ななのか?﹂
﹁元は虎の姿でしたのでしょう。1000年生きた邪虎は、食べた
鬼達の・・・その姿を似せると言われてきましたが、ここまで変わ
り果てた姿は私もはじめて見ます﹂
邪虎の体長は約2m、大人のヒグマ程の大きさで、太い腕に相反
するかのように細い胴体をしている。その表面を魚の鱗のような鋼
に覆われていて、足は襟巻きトカゲのように細く長い足に腕と同じ
284
赤黒のまだら模様をしている。さらに尻尾だと思っていたのは黄色
オブジェ
い蛇で、よく見ると頭蓋骨と背骨が身についている。恐らく殺した
鬼の骨を飾りのように身にまとっているのだろう。
そして一番皆を不気味がらせたのはそのグロティスな身体から想
像する事ができない頭部だった。何故か頭部は真っ白い女能面の顔
をしている。表情を全く変えずに、細い切り目の中から赤い紅一点
の瞳が道士達に向けられる。
﹁・・・ぅぅっ・・・﹂
流石の柴崎もその姿に身の毛が与奪のを感じた。もし誰かに説明
しと言われたら、これを言葉にして説明することは困難を極めるだ
ろう。ただ、この時感じた恐ろしまでの戦慄だけは思い出せる。
﹁一体・・・どれ程の鬼を食ったんだ。まあいい、できれば相対し
たくはないが・・・少し調教してあげましょう﹂
道士が裾から3枚の札と、翡翠の数珠をとし出すと一枚を空へ、
かがい
そわか
尸棄仏、蘇婆訶﹂
しきぶつ
残り2枚を地面に落とした。両手で数珠を編み合わせると人差し指
そうせつ
を立て呪を囁いた。
ちん
﹁鴆、霜雪、華蓋、
唱え終わると地上にある2枚札の内1枚が燃えて消失し、そこか
ら水柱が吹き出し瞬く間に白い砂丘が泉に変わってしまった。広が
る泉の水が邪虎の身体に触れ出すと、女能面が苦悶顔になり怒号の
ような雄叫を上げた。
﹁フウ゛ガガガガガァァァァァァ!!!!!﹂
さらに大きな雄叫びを上げると、バチバチと青い火花が身体を駆
け巡り、邪虎の表情が苦悶から激高にかわった。そして勢いよく水
しぶきを上げながら真っ直ぐ道士に向かって突進していく。
﹁道士ぃ!!﹂
心配する柴崎の声が響くが、道士はまったく動じることなく笑を
浮かべている。
おん
﹁人も虎も皆同じ、怒りに我を忘れれば行動は単純明快。脅威にあ
たらず。唵﹂
285
猛スピードで向かってくる邪虎に、中指を立てて唱えると空の札
が同じように燃えて消失した。そして、白い小さな燕が4羽現れる
と、それぞれが邪虎の足に着くと﹃封﹄の文字に変わり消滅した。
﹁ガガル゛ル゛ア゛ア゛ア゛アアァァァァァァ!!!!﹂
甲高い叫びを上げながら邪虎は前のめりに倒れ込んだ。道士まで
じこくてんほうふうじん
1mも無いほどの距離だが、邪虎はもう足を動かす事が出来ず、恨
とうほうしゅごてんおう
めしそうな目で道士を睨んでいる。
﹁いくら邪虎でも、東方守護天王の持国天法封陣は破れまい。大人
しくしていろ、まずはお前が食した鬼達を成仏させて無駄な力を削
ぎ落とすとするかな﹂
道士は動けなくなった邪虎に、無数の人紙の束を舞散らせた。振
りかかった人紙が一枚一枚燃えながら消滅していくと、邪虎の体が
だんだんと小さくなっていく。
﹁さあ、お前の仲間がどんどん昇っていくぞ﹂ すでに勝敗は決したかに見えた状況だが、ここに来て道士の様子
が変な事に柴崎が気づいた。
息づいが荒く、顔色も悪く見える。術の使い過ぎかと思っている
と、道士が苦しそうに胸元を掴み出した。
﹁おい道士!! 大丈夫か? どうしたんだ?﹂
﹁・・・平気です。この結界内の環境が私に合わないのです。ご心
配にはおよびません。それより早く柴崎殿達を戻さないと、もう時
間が持たない﹂
﹁何を言ってるんだ? もう邪虎は倒したんだろ、そんなに急がな
くても大丈夫だろ。﹂
﹁倒した? 何を申しているのですか・・・そもそも私が邪虎を倒
せる筈ないでしょう。私にできるのはせいぜい時間稼ぎだけです。﹂
﹁何を言っているんだ? もうすでにー﹂
﹁甘いですよ柴崎殿、あの邪虎がこの程度で死ぬわけないでしょう。
まだもう少し動きを止めておかないと、我が主に負担をお掛けして
しまいますから。私が受けた任は柴崎殿達を連れ帰る事です。邪虎
286
を倒す事ではありません﹂
手から解いた数珠を使ってその場で九字を切り始めた時、すぐ後
ろに冷たい気配を感じた。
﹁道士ぃ!!﹂
柴崎の声より早く、道士は自分の身体に重たい衝撃を受けるのを
感じると、右側によろめき膝を着いた。すぐに自分の身体に何が起
こったのかを理解したが、それよりも道士が驚いたのはその相手だ
った。
同じ邪虎がもう一体出現していた。しかも女能面の口に道士の左
腕を咥えて。
﹁くっ、うかつだったか・・・まさかもう一体邪虎がいたとは・・・
﹂
あえて平静を保っているがさすがの道士もこれには困惑していた
い。元々結界の内は術をかけた術士だけが召喚獣や聖獣を扱えるが、
その数は一人一体しか召喚できない。それは西洋術式でも同じなず
だが、今目の前の現実は同じ結界内に2体の地獄の召喚獣が存在し
ている。その事実を素直に受け入れる事が出ないなかった。
考えを巡らせてるさなか、道士は弱っていたもう一体の邪虎の様
じこくてんほうふうじん
子がおかしい事に全く気づいていなかった。
いつの間には持国天法封陣で動かなくなっていた脚に力が戻り、
人紙が消滅することなく、体から剥がれていく。
女能面の口元がゆっくり横に裂けると、唾液を含んだ鋭い牙が光
った。赤い瞳が道士を捉えると、真っ先にその喉笛に食らいついた。
﹁うぐぅぅ﹂
道士の右手が術を切ろうとするが、今度は右手首から上を持って
行かれた。2体の邪虎にとって道士はもう敵ではなく、ただの捉え
られた獲物に過ぎなかった。
﹁道士!! 野郎!!﹂
すかさず柴崎のショットガンが火を吹くと、魔弾が邪虎の脇腹に
命中した。しかし硬い鱗の邪魔され魔弾が弾き返される。
287
﹁くそっ!! ダメだ硬すぎる﹂
仲間の援護無なくしく、そらに牙が深く喉に食い込むと道士の腕
が力尽き下に落ちた。その光景を見ていた柴崎は奥歯を噛み締めな
がら溢れ出る怒りを必死抑えていた。ここで我を忘れて結界を出れ
ば自分も餌食なる。残った藤本を誰が守るのか、結界が生きている
うちに無事に帰還す方法を考えるべきではないか、などの自問自答
を繰り返す。
﹁クソッソタレが!!﹂
考えるよりも先に体が動き、再び銃口を邪虎に向けた。
﹁やめなさい。魔弾の無駄ですよ﹂
標準を定めたとき横から伸びた手に銃口を下げられた。柴崎が相
手を確認すると、そこに何故か道士がいた。今まさに食べたれてい
る道士と柴崎の隣に現れた道士。柴崎は理由がわからなかった。
﹁えっ、道士? なんで・・・おまえ、あそこに? えっ!?﹂
﹁まあ見てなさい﹂
その場で道士が軽く手を叩くと、邪虎に食われている道士が一瞬
で無数の黄金色の蝶達に変化して散っていく。
﹁やはり人紙を建てていて正解でしたね。さすがに邪虎2体とは難
儀でしす、敵の力も未知数。こちらがまだ不利ですね﹂
﹁おい・・・道士、大丈夫なのか?﹂
﹁ええ、ご心配にはいりませんよ。さてこれからが本番です﹂
袖をまくりあげた道士の腕に、様々な梵字の刺青がありそのうち
の一つに指を重ねてから五芒星を切りだした。
空間に白い五芒星が描けれると、いつの間にか足元の泉が消えも
との砂に戻っている。
﹁そこにいるのでしょう。もう隠れるより出てきたらどうですか?
それともそんなに私が怖いのですか﹂
道士の言葉に、前の邪虎2体が横にズレると、奥の闇から人が現
れた。
﹁怖い? この私が。それは何の冗談かしら、この私がたかが陰陽
288
いぬ
師の狗ごときに臆するのなど笑止千万だわ﹂
そこに現れたのはセーラー服を着た月宮薫だった。
﹁あなたがこの邪虎の術士ですね。2体同時の召喚術式、さぞ名だ
たる名家のご出身でしょう。それだけの力を持ってこれだけの惨事
を起こしたとなると、さすがに五行法印局が黙っておりませんよ。
ここはどうか引いてもらえませんか﹂
﹁アハハハハハハハハっ!! 私をどこぞの陰陽師と思ったか、バ
ァーカ!! 私が邪虎で邪虎が私そのもの、ここは結界じゃなくて
私の世界にお前たちをゲスト招待してあげただけよ。目障りだった
から少し遊ぼうと思っただけだったけど、随分と余興も過ぎちゃっ
たわね。﹂
薫がパチリと指を鳴らすと、さらに奥から5対の邪虎が現れた。
﹁おい、嘘だろう・・・﹂
しょくじ
思わず後ろの柴崎が息を飲む。
﹁さあ、そろそろ餌の時間ね。式神の肉はどんな味なのかしらね﹂
薫の冷たく刺すような瞳に、道士の凍りついた顔が映り込む。
管理人室の牛島から連絡を受けた亮は葵にお願いを出した。
﹁葵、ちょっとここで待っててくれ。すぐ済むと思うから。そのあ
とでちゃんと話しを聞くから﹂
葵が頷くと亮は管理人室から出て下駄箱に向かった。上書きを履
き替えないまま外に出ると、ロータリーの向こうのベンチに座る人
物を見つけ近づいた。
ベンチに座っているのは白髪に細身に、手に茶封筒を持った男性
だった。年齢は50代で堀の深い顔に、眉間のシワと切れ長の目が
どことなく亮に似ている。
亮と目を合わすと、隣に座るように合図を出す。そのまま亮は隣
に座ると、お互い顔を見ぬまま話し始める。
﹁久しぶりだな亮。元気にしてたか?﹂
﹁ええ、元気でしたし、普通でしたよ﹂
289
﹁昨日、薫から話しは聞いてるな?﹂
﹁・・・はい﹂
﹁なんて聞いた?﹂
﹁薫からは﹃戻らない気なら、力ずくでも戻らせる﹄って聞きまし
あいつ
た。だけど俺を舐めるなよ、そっちが来るなら俺は容赦しねぇぞ﹂
﹁ふふっ、そう熱くなるのは巴そっくりだな。﹃力ずく﹄とはそう
ちから
言う意味じゃねぇよ。酒呑童子の血が﹃渇き﹄を欲するように、運
命という﹃宿命﹄によってお前が戻ってくるとういう意味だ﹂
﹁どういう意味だよ。それ﹂
﹁お前、白い八咫烏を見たただろう﹂
﹁・・・・・・﹂
いびつ
﹁見たんだな。ならそう言う意味だよ。あと・・・そうそう、これ
を渡しておきたくてな。お前もそろそろ入用だろう、せいぜい歪な
人間生活を送ってみろよ﹂
よしひろ
差し出された茶封筒を開けると、中に一枚の紙が入っている。
﹁まさか﹂
ともえ
出してみると、それは亮の戸籍謄本だった。戸籍には父・義弘、
母・巴と記載されている。
﹁叔父さん・・・﹂
﹁正真正銘お前の戸籍だよ。お前が別の生き方を選ぶんなら、存分
に運命に抗ってみろ。俺が伝えたかったのはそれだけだよ﹂
290
虎と狗︵後書き︶
こんにちは、朏天仁です。今回の﹁虎と狗﹂はどうだったでしょう
か? よみにかったらゴメンなさい。m︵︳︳︶m
今回で33話と迎える事ができました。これも読んでくれている読
者の皆様方のおかげです。今後もよろしくお願いします。
291
スティグマ∼たんぽぽの子供たち∼ 番外編その①月下美人
おくちちぶさんかい
しまよしひろ
西暦2019年12月23日、奥秩父山塊某所。あと二時間もす
れば日付がかわる午後22時09分。島義弘は荒い息遣いのまま、
真っ暗な山中の道なき道を死に物狂いで走っていた。
正確には走っているのではなく、追われて逃げているのが正しか
った。 12月の秩父の気温は零度を下回り、急速に体力を奪って
いった。
﹁はあっ、はぁっ はあっ、はぁっ、ちきしょう!! 何ンなんだ
よあいつはぁ!! ちきしょう!!﹂
軽い酸欠で鈍くなった思考経路に、どうして自分がこうなってし
まったのかを必死に思い出していた。事の始まりは、毎年陸自で行
われている夏の関東射撃大会にハンドガンクラス部で参加した島義
弘三曹が、部隊初参加で見事準優勝の成績を収めるという偉業を成
し遂げ、鬼教官でもある石神一尉からその功績を称えられた結果、
特別休暇を貰うことができた。
最初は浮かれた気分の島だったが、待てど暮らせど休暇申請の許
可が一向に降りてこないまま時間だけが過ぎていった。やがて休暇
のことなど忘れかけていた12月上旬、突然石神一尉から﹃特別休
シゴキ
暇訓練﹄の書類を渡された。
それは休暇という名目の訓練の一環だった。日本全国の秘境の中
おくちちぶさんかい
から無作為に選ばれた場所で、着の身着のまま三日間の個人演習を
行うというものだ。
口頭説明では夜間、奥秩父山塊にパラシュート降下したのち、三
日間のサバイバル訓練を実施しその後は自力で下山すること。これ
が島にいい渡された休暇内容だった。
当然理由を問うたが全く聞いれてもらえなった。しかし、出発の
前日に同期の何人かから本当の理由を教えてもらい愕然とした。
292
夏に行われた射撃大会で、島は教官たちが賭けていた対戦相手を
負かしてしまった事がこの原因だったのだ。要は大損した教官たち
の逆恨みと八つ当たりだ。
﹁チキショウ!! 絶対戻ったら辞めてやれるから、今度こそ絶対
ッ辞めてかるかなら!!﹂
無事着地した島は戻っていくC−130輸送機に中指を突きたて
ながら怒鳴り散らした。島の装備は迷彩服に空の水筒と腕時計、あ
とは一回だけ使用できる緊急無線だけだった。
最初こそ腹を立ていた島だったが、時間が経つにつれ自分の置か
れた状況が想像以上に厳しい事に気づきはじめた。
最初に襲ったのは山の寒さだった。12月の奥秩父の気候は、白
い吐息を吐くたびに気管が凍りつくほどだ。気温が確実に零度以下
だと確信すると、大急ぎで真っ暗の中を手探りで落ち葉を集め始め
た。ある程度集まった所で小山にすると、身体をその中に入れて横
になった。集めた落ち葉の山で即席の保温毛布の代わりにした。こ
ういう場合は無駄に動かず朝まで体力を温存する事にした。
朝を迎えた島は空腹を我慢しながら探索を始めると、運良くすぐ
に沢を見つけた。さっそく空っぽの水筒に水を補充すると、自分も
手にすくって飲み始めた。
喉の渇きと飲み水を確保した所でようやく本題の道具作りを始め
た。沢で見つけた黒曜石を石叩きながら形を整え小ナイフを作ると、
それで近くの竹やツルを器用に刈り編みながら籠や魚をとる仕掛け
罠を作っていく。
出来上がった籠や仕掛け罠を持って沢を下ると、予想通り大きな
川に出た。川岸で石をどかし仕掛け罠を仕掛けると、また山の方へ
と戻りはじめた。
今後は大木の下に生えているキノコや食べられる山菜を見つける
と次ぎ次ぎ摘み取り籠を一杯にした。
﹁よし、これだけあればもう十分だろう。ヘビがいれば言うことな
いんだけど季節的に無理だろう。あとは戻るとするかな﹂
293
ここに来て、島は入隊時に教育隊で受けた生存自活訓練を思いだ
して複雑な気持ちになっていた。一般教養や体力修練よりも一番嫌
で苦手だったのが生存自活訓練だったからだ。入隊前まで自炊はお
ろか一人暮らしもしたことない学生だった島は、親のスネをかじり
ながら駄作なキャンパスライフを送る普通より下の学生だった。
そんな夢も希望もない大学生がなぜ自衛隊に入隊したのかと言え
ば、同じ年代なら誰もが一度は思う動機﹁自分を変えたい!!﹂そ
れが理由だった。
折しも時代は就職氷河期真っ只の中だったが以外に入隊はすんな
りできた。しかし、問題はその後の教育訓練だった。それまで都会
の温室育ちだった大学生が規律と階級社会に入ればどうなるかは、
結果は火を見るより明らかだ。
自衛隊独自の呼称や決まり事からはじまり、教官と先輩隊員への
絶対服従や、馴染みのない戦術講義や体力訓練は島を始め多くの同
期入隊生の価値観を粉々に粉砕していった。
地獄の一ヶ月が過ぎる頃には40人いた同期は27人にまで減っ
ていた。以外にも島は残った27人の入っていたが、それには理由
があった。入隊して2週間が過ぎた頃、島の元に親戚から連絡が入
り両親が経営する会社が長引く不況の影響で大量の小切手が不渡り
になり、その結果多額の借金で遂に会社が倒産したと言う知らせだ
った。しかも、両親は島を残して蒸発し現在も連絡も取れない状況
だと言われた。
帰る家も場所もなくなった島にとって、自衛隊にいる事が自分の
生活を唯一安全に送れる場所だと受け入れるのにさほど時間は掛か
らなかった。
わだち
﹁あれ? 何だこれ?﹂
途中で轍のような跡を発見した。好奇心からその跡をたどって行
くと、膝まで生茂る雑草の中に赤い鳥居が一つ建ってるのを見つけ
た。
﹁おおっ!! まさか神社かよ、しかもこんな場所でか!?﹂
294
人跡未踏の地と思っていた島にとって、突然目の前に人工物が現
れた事に驚いた。少なくともここは人が訪れる場所だということだ。
恐らくこの轍も人とが通ってできた跡だろう。
﹁ってことは、近くに人がいるってことか。まいったな﹂
頭を掻きながら島は苦笑いをつくった。島達が演習訓練している
幾つかの場所は地主がいて、本来はそこを借りて訓練を行っている。
しかし今回は100%正当な手続きを無視している為、下手をした
ら私有地に無断で入り込んだ不法侵入者になる。
もし発見された場合、この迷彩服では言い逃れはできないだろう。
﹁誰かに見つかる前に、場所移動するかな﹂
来た道を戻ろうと鳥居を出てすぐに島は異変に気づいた。突然方
向感覚を失ってしまったのだ。一応訓練を受けてそれなりの知識と
経験を備えてきたつもりだったが、完全に方向感覚を失ってしまっ
た。
﹁うそだろう。何で・・・﹂
取り敢えず下に降りていけば川に出ると考え、斜面を滑りながら
降りていった。しかし、いくら降りても一向に川に出ず、むしろ余
計に迷い込んでしまった。
さすがの島もこの異変に困惑した。腕時計で時間を確認すると斜
面を降り始めて既に3時間が経過している。本来ならとっくに川に
着いていてもおかしくないハズなのに、降りれば降りるほど森が深
くなるだけだった。
﹁おかしいぞ・・・絶対おかしい。﹂
時刻は既に11時24分を刻んでいる。いくら体力に自信がある
にしろ12時間以上水しか口にしていないのも身体にこたえる為、
ここで休憩をとることにした。
丁度いい大木を見つけると、それを背もたれにして腰を降ろした。
早速撮ってきた山菜を食べようと籠の中を確認する。
﹁あっ!! オイっ、ふざけんなよ!!﹂
籠角に穴が空いていて一杯になるまで摘んだ山菜が全部抜け落ち
295
ていた。気落ちと空腹に悪態をつくと、目をつむりがっくりと頭を
落としながら溜め息をつく。
最悪の場合は今日一日食事は摂れないことを覚悟しなくてはなら
ず、おまけに道に迷い疲労と空腹のダブルパンチで精神的負担が重
くのしかかる。
﹁はぁ、もう一度探索するかぁ・・・﹂
このままではいけないと、顔を上げた瞬間。島は我が目を疑った。
時間にしたらものの10秒位しか経過してないはずなのに、既にあ
たりは黒一色の夜になっていた。
慌てて時間を確認するが、腕時計の時刻は午後21時32分だっ
た。
﹁おい嘘だろう。何だよこれ? 一体何がどうなってんだよ? え
っ、どうなってんだよ!?﹂
ほんの一息ついただけで、10時間程の記憶が抜け落ちてしまっ
ていた。今までにこんな経験はしたことがない島は、自分の置かれ
ている状況を飲み込む事が出来なかった。否、どう説明されてもこ
の状況を理解することは無理だろう。
方向感覚の欠如、状況失認、時間消失、全てはあの鳥居を出た時
から始まった。
﹁何なんだよ一体全体よぉ!!﹂
深く考えれば考える程、余計頭が混乱してくる島にまた新たな問
題が発生した。身体に寒気を感じガタガタと震えだす。筋肉が強張
り思うように動かすことが難しくなってきた。
﹁マズイぞ・・・何か・・・暖まめないと・・・なにか・・・マズ
イぞ・・・﹂
辺りを見渡そうと首を横に向けた瞬間、空気を切り裂くような音
が聞こえたと思ったら、すぐ耳の後ろで乾いた音が響いた。
﹁えっ!?﹂
振り向くとそこには長さ80cmはある矢が突き刺さっていた。
考えるまでもなく、島の身体は外的脅威からの対処行動に動いてい
296
た。素早く身をかがめると、すぐ頭上を2本目の矢が飛んでいった。
僅かに掠り背中と腹に嫌な汗をかく。
ほんの一瞬動作が遅れていたら、あの矢は間違いなく額に突き刺
さっていただろう。
一般的な映画だとここで悲鳴を上げて逃げてい行くのがベターだ
が、実際は恐怖と困惑で声を出すことなどできず、ただ黙って原始
的な行動を起こすことしか出来なかった。それはただただ全力でそ
の場から逃げる事だ。
﹁はあっ、はぁっ はあっ、はぁっ、﹂
島は真っ暗な山道を無我夢中で逃げ回っていた。途中何度も転び、
木々にぶつかったがそれでも止まらず目の前の闇に向かって上へ下
へ、そして右へ左にとにかくただ遠くに行く事だけを考えて走って
いた。
幸いな事に、普段鍛えている肺活量と山岳行軍で山道にはなれて
いた。それでも夜間山中を動き回るのは自殺行為に近かった。
﹁うがっあ!!﹂
木の根に足を取れ派手に転んだ所で島は我に返った。走るのを止
め、木に肩を寄せ身を隠し荒い息遣いを整えながら周辺に目を向け
た。
風で僅かに擦れる木々の音が聞こえるだけで、虫の音のさえ聞こ
えない。やがて呼吸が落ち着くと島はゆっくりと立ち上がり木から
身を出してみた。
次の瞬間。左足に激痛が走り島は後ろに倒れ込んだ。
﹁ひぃやあ!! 痛ってぇ!!﹂
左足のスネの箇所に矢が刺さり貫通している。再び危機回避のス
イッチが入って起き上がると、その場から離れだした。だが、今度
は思うように走れず、ペースが悪い。
地面にある石を拾い上げると、矢が飛んで来たと思う方向目掛け
て投げ飛ばしたが、それと同時にもう一本の矢が右肩を貫いた。
﹁うがっあっ・・・あっあああああああああああああああああああ
297
あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ﹂
バランスを崩して倒れた先が急な傾斜になっていて、島は真っ暗
な闇の中を下へ下へと転げ落ちていった。
何度もむき出しの岩肌に身体をぶつけながら落ちて止まると、運
良く川岸に出ることができた。
﹁ぐはっ、いっ痛ってぇ、痛ってぇよぐぅっ・・・はあぁ、はあぁ、
はあぁ、チキショウ痛えぇ﹂
身体を引きずるようにして川岸を進み続ける。足と肩から血をに
じみ出ながら地面に赤い線を幾つも描いていく。
まずい事に月明かりに照らせれた川岸には身を隠せる場所はなく、
このままでは格好の的になってしまう。
川岸に打ち上げらた丸太を見つけ辿り着くと、そこに寄りかかっ
た。
﹁クソっ!! 痛え・・・ぐあぁっ﹂
すぐに傷口を確認し刺さった矢を抜こうと掴んだ瞬間、手に電流
のような痛みが走った。もう一度掴んで見たが同じだった。
﹁何だこれ? どうなってんだ? っん!?﹂
困惑している島がふと前を向くと、向こうの森から月光に照らせ
ぎょうし
れた人影が見えた。ハッキリとは見えないが、こちらにゆっくりと
近づいてくる。
島は息を飲むと近づく人物を凝視しながら、足元にある手頃な石
を広い上げた。やがて月光に照らせれたその顔がハッキリとわかっ
た。
それは黒い弓道着を着た、長い白髪の少女だった。手には自身の
2倍はある弓を持っている。15、6歳位に見えるが、大人びた輪
げんしゅううらおんみょうどうじゅうさんけ
郭に目を瞑ったまま妖艶な雰囲気を醸し出していた。
つきみやけちんしゅ
つきみやともえ
この彼女こそ、はぐれ陰陽道と呼ばれた﹃源洲裏陰陽道十三家﹄
の一つに属する﹃月ノ宮家﹄暗部の末端分家。月宮家鎮守、月宮巴
だった。
彼女はゆっくりと矢を弓に駆け引くと小さく囁いた。
298
ふびん
﹁何も知らずに逝くのは不憫でしょう。だけど里に入ってしまった
以上、見過ごすわけにはいきません。せめて・・・わたしを恨みな
さい﹂
﹁やっ・・・やてくれ・・・死にたくない、まだ死にたくないんだ・
・・お願いだ、助けてくれ、助けて下さい。死にたくない、死にた
くないんです﹂
必死に命乞いをしてみるが、彼女はただ首を横に振るだけだった。
現実から目を背けるように、彼女は目を瞑っている。だが、その
矢先は迷うことなく島の向けられる。そして矢が放たれた。
﹁っはあ・・・﹂
放たれた矢は真っ直ぐ島の左胸に突き刺さった。
﹁・・・ァ・・・ァ・・・ァ・・・・・・ァ・・・﹂﹂
小刻みに震え浅く早い呼吸のまま島義弘は、悲しそうに自分を見
12月
つめる巴を見ていた。二人の頭上には綺麗な満月が静かに二人を照
らしている。
これは第一次極東戦争開戦、2ヶ月前の師走のある晩の出来事だ
った。
299
スティグマ∼たんぽぽの子供たち∼ 番外編その①月下美人︵後
書き︶
こんにちは、朏天仁です。予定では昨日掲載予定でしたが、私の勘
違いで本日掲載いたしました。お待たせして申し訳ございません。
さて、今回始めて番外編を載せさせて見ましたが、いかがでした
でしょうか?賛否はあると思いますが、不定期で番外編は続けて行
きたいと思います。
最後にここまで読んでくれた読者の皆様に感謝の言葉を述べていと
思います。本当にありがとうございますm︵︳︳︶m
300
発覚
﹁母さんの名前・・・巴って言うんだね、思い出したよ﹂
あいつ
﹁おいおい、まさか今の今まで忘れてたって言うんじゃねぇだろう
な、それじゃ巴が可哀想じゃねぇかよ。腹を痛めて生んだ息子に自
分の名前を忘れられたんじゃな﹂
﹁叔父さん、母さんが死んだとき俺はまだ5歳だったんだよ。それ
に俺は母さんってしか呼べなかったんだし、覚えてたとしても時間
と一緒に記憶は深く深く埋もれていくものなんだよ。それよりも本
当に俺に戸籍があった事に驚いたよ﹂
自身の戸籍標本を見つめ続ける亮に、叔父はさらに言葉を続けた。
﹁必要ないものだったからな、お前が﹃桜の獅子の子供達﹄でいる
以上はな。だが、お前は選択した。自分の意思で、自分の足で自ら
からか
の道を進もうと。だが・・・未だに意思を持っても信念はカラッポ
のまま、2年前と何も変わっとらん﹂
﹁それは・・・これから・・・﹂
あとに続く言葉が出てこなかった。
そんな亮を見た叔父は笑を浮かべると、揶揄うような口調で話し
だした。
﹁これから何だ? おお、言ってみろ!! これからどうしたいん
だ。言えないなら俺が代わりに言ってやるよ!! 俺は人間ですっ
まじ
て言いながら、あの施設に残って楽しく暮らすんだろ。知恵遅れの
亜民達と毎日戯れて、一番なついた女と交わってガキを作って円満
な一生を送るんだよってな﹂
叔父のその言葉に、亮は握りしめた拳に体重を掛けて打ち込んだ。
その口から溢れだす卑猥な言葉をすぐに塞ぎたかった。
たが、その拳を叔父は片手だけで止めてしまった。拳がぶつかっ
た衝撃波が空気を揺らし近くに留まっていた小鳥達が一斉に飛び立
301
つ。
﹁おいおい、腑抜けにも程があるぞ。平和ボケした人間みたいだな、
家
散々人を殺めておいてこれかよ、拳が泣いてるぞ﹂
﹁うるせぇよ!!﹂
ガキ
﹁何を熱くなっているんだ? あの﹃たんぽぽ﹄がお前の急所だっ
たのか? それとも一緒に生活している亜民達か?﹂
﹁・・・叔父さん、そろそろ教えてくれないかな。父さんも母さん
も人間だったのに、どうして︱﹂
﹁自分は化物なのか・・・か?﹂
亮は小さく頷いた。
﹁それと、何で俺の両親が殺されなきゃならなかったのか? 叔父
さん達が前言ってた全ての元凶﹃天ノ鬼人計画﹄って何? 何なん
だよ?﹂
亮は今まで疑問に思っていた事を訪ねだした。それまで、だた衝
あの事件
動的に沸き起こる殺戮衝動に従って行動し、それが当たり前と思っ
て生きてきた人生だったが、2年前の大宮事件から生まれた感情が
それまでの亮の考え方を180度変えてしまった。何故自分が生ま
れたのか、自分がどう生きればいいのか、少なくともそれを知るた
めには自分のルーツを知る必要があると思っていた。
しょうそうかん
﹁答えてくれよ・・・いや、答えろ!!﹂
自分の胸の奥で大きくなっていく焦燥感に、握っている拳を更に
握り締める。
﹁亮・・・取り敢えず座れ。まずはそれからだ。そう、話はそれか
らだ﹂
叔父は掴んでいる亮の拳をゆっくり放すと表情がこわばった。そ
の瞳には一つの決意がにじみ出ていた。
再び腰を下ろすと、亮はさっきと違って真っ直ぐに叔父の方を向
いた。その口からでる言葉を一言一句聞き漏らしたくないように。
あいつら
﹁さて、どっから話そうかな。俺たちの影の一族についてかな、い
や最初はやはり巴達の事だな。お前はさっき二人は人間だといった
302
が、正確には少し違う。お前の父親の方は間違いなく人間だったが、
巴・・・いや、俺達はそうじゃない﹂
﹁どういうこと?﹂
りくじんしんやこうひゃっき
﹁お前には始めて話す事だ。800年だ・・・800年間。俺達の
一族が800年掛けて犯し続けた禁忌の太極外法﹃六壬神夜行百鬼﹄
あいつ
がようやく完成した時から始まった。問題はそれが本家ではなく、
やさ
分家で生まれちまったってことだ。それが巴だったんだよ﹂
やどりぎ
あいつ
お前達
﹁? ・・・もっと易しく言ってくれよ叔父さん。内容が抽象的過
あいつ
ぎるよ﹂
やどりぎ
﹁巴は、俺達のように後天的に﹃宿鬼﹄を持たなかった。巴は亮達
あいつ
と同じ生まれながらにして﹃宿鬼﹄を持っていたんだよ。言うなら
大宮事件
よみか
ば巴こそ最初の﹃桜の獅子﹄の申し子だったんだよ。付け加えると、
んき
あいつ
きゅうてんげんにょ
お前が2年前の時に食い殺した本家の﹃冴鬼希﹄は巴と同じ黄泉還
鬼だ。もっとも向こうは巴とは正反対の﹃九天玄女﹄だったからな、
だから帯刀は冴鬼を鬼門のカギに使おうとしたんだよ﹂
﹁なっ!? ・・・ノゾミが・・・叔父さん、そんなの一言も言っ
てなかっただろう!!﹂
﹁当時のお前だったら理由を聞いたか?﹂
亮は反論出来なかった。
水戦争
﹁とっ、話が複雑になってきちまったから最初から話すか、あの第
軍属
一次極東戦争末期、一部の京都上宮院の陰陽師達が戦争介入を行な
をうとして防衛省と接触した。進行してくるロシア・中国に加え大
ななよ
陸からの傭兵術士や死霊黒魔術士に対抗するための組織が必要だっ
つきかま
た。その生け簀に選ばれたのが俺たちの里﹃七夜の里﹄ともう一つ
研究開発
俺達
﹃月鎌の里﹄だ。長い何月の間、陰陽道の影として隠れ潜み、修練
と人体実験によって太極陰陽術式を進化させてきた一族は﹃武装陰
陽師﹄として始めて歴史の表舞台で光を浴びる事になった﹂
叔父の口から語られる言葉は、どれも始めて聞くことばかりだっ
た。今まで自分に備わっていた力とそれまで自分の両親の事など深
く考えもしなかったが、ここに来て亮はもっと知りたいと思い始め
303
ていた。
﹁武装陰陽師が終戦後どうなんな運命をたどったかは、言わずとも
わかるな・・・亮?﹂
亮は一度頷いた。
さだめ
﹁・・・それが、あの日だったのさ。戦争の為に生み出された物は、
あいつら
戦争が終わると同時に消える運命なんだよ。往生際悪く残ればそれ
運命
は当事者達にとって最大の負の遺産になっちまう、巴達は・・・い
や、俺達は戦争に翻弄されただけ、ただそれだけの事さ﹂
黙って聞いていた亮だったが、ここで始めて口を開いた。
﹁誰が殺したの? 発案したのは? 実行部隊は? 黒幕は? 誰
が得をして、何人がそれに関わったの?﹂
亮の口調が次第に強ってくる。自分でも抑えられない感情が言葉
かたき
として出てしまう。叔父の言葉を聞けば聞くほど気持ちが掻き乱さ
れていく。
﹁聞いてどうする? もう終わった事だろう。仇でもとりたいのか
?﹂
﹁そいつらは今も叔父さん達を探しての? だから俺たちはしばら
く外国にいたの? どうして戦わない? 逃げてばかりでこれから
も逃げ続けるの? 叔父さんはいつからそんな負け犬根性がついち
まったんだよ﹂
﹁ふっ!! 戦う? 逃げる? 何言ってんだ亮。ハッハッハ。お
前はまだ知らないだろうが、里を失った俺たちはただの敗走兵だっ
たわけじゃないぞ、むしろその逆だ。﹂
軍属
﹁逆? まさか利用したの?﹂
﹁ああ、そうだ。防衛省と陰陽師が癒着していたということは、そ
の中で一番表と裏の情報に精通したのが誰だったか、当然最前線に
同胞達
あ
投入された武装陰陽師だったのさ。仲介役の参謀、作戦立案の戦略
いつら
士に実行部隊の戦術士、消耗品扱いのその他大勢の百鬼衆だよ。防
衛省は道具として上手く飼い慣らそうと考えていたようだが、俺た
ちを思い通りになると安く考えたのがそもそもの大間違いだったの
304
ゆす
ネタ
さ。当然非合法な作戦や、国益を損なう事を数多く実行してきたか
らな、強請る情報はたっぷりあった﹂
軍属
真剣な眼差しのままだが、語っている口元は緩んでいた。
﹁日本が独立国家共同体として建国された後に、防衛省出身の連邦
議員達や、当時の防衛産業連盟に上手く食い込むことができたよ。
おかげで今じゃあ根を更に深く深く張り巡らすことができた﹂
﹁まるで寄生虫だね﹂
亮は冷めた目を向けて冷ややかに笑った。
﹁だからなんだ。俺たちが今までそんな事を誰からも言われずに来
たと思ったか? 忘れるなよ亮。お前の身体には俺達と同じ血が流
れていることを、一族末端に至るまで呪われた咎人としての血が流
れている事をな!!﹂
何度も聞かされた叔父の言葉を聞きながしながらも、亮は鋭い視
線を向ける。今更自分のして来た事を正当化する事はできないし、
する気もなかった。それでも自分自信の力にようやく真正面から向
き合う決心がついてきた所なのだ。今ハッキリ分かることは、ここ
で逃げてしまってはまた2年前の二の舞なる。それだけは絶対に嫌
だと思っていた。過去の自分に戻るのではなく、過去を知って今の
自分を認め未来の自分を造り上げる。今はその大事な時期なのだ。
﹁叔父さん・・・もし母さんが生きていたら、今の俺に何って言っ
たと思う?﹂
﹁さあなぁ。死んだ者の事など早く忘れろ、ただ運がなかっただけ
の事だ。感傷に浸っても糞に役にもたたねぇよ﹂
﹁そうだね、叔父さんに聞いた俺がバカだったよ﹂
やどりぎ
﹁そうだ。人間としての感情を失った俺に聞くのが間違いだ。そう
でなければとっくに﹃宿鬼﹄に食われてるところだ。そうそう、中
途半端に食われた哀れな甥っ子がいたな﹂
明らかにからかう様な口調で、亮に言葉を飛ばしてきた。
﹁・・・そんな皮肉をいても無駄だよ。さあ早く話しの続きを聞か
せて﹂
305
﹁ふんっ腑抜けめ・・・﹂
亮に聞こえないくらいに、叔父は溜め息と一緒に小さく呟いた。
﹁まあいいだろう。あと何が残っていたっけかな? あっそうそう
例の﹃天ノ鬼人計画﹄についてだったな。あれは休戦協定締結前に
︱﹂
亮に向けていた視線が少し右にズレたと思ったら、話し出してい
た叔父の言葉が突然止まった。それに気づいた亮が後ろを振り向く
とそこに葵が立っていた。気配も無いままいつからそこにいたのか
は分からなかった。
﹁あっ葵・・・どうした? 向こうで待っててくれって言っただろ
う﹂
葵が手にしたスケッチブックを亮に向ける。そこには﹃きもちわ
る﹄と書かれていた。よく見ると葵の顔色が悪く息も荒い。恐らく
熱中症にでもかかったのだろう。
﹁おい大丈夫か? 無理するな﹂
心配した亮が立ち上がると、肩を抱きかかえた。すると亮に支え
られた葵の身体から力が抜け、そのまま寄りかかってくる。
﹁葵ちょっと向こうに戻るぞ、救護室があるから取り敢えずそこに
行くぞ﹂
﹁おい亮・・・その子は・・・何でそこいる?﹂
始めて叔父が驚いた表情を見せた。
﹁えっ!? ああ、心配しなくてもいいよ。この子は問題ない大丈
夫だから﹂
家
﹁いや、そうじゃなくてだ・・・・・・・・・いや、その子は誰だ
?﹂
﹁今度﹃たんぽぽ﹄に新しく入った槇村葵だよ。心配しなくても大
丈夫だよ。叔父さんオレちょっと葵を向こうに連れて行くから、続
きはちょっと待ってくれ﹂
﹁・・・やもういい。用事を思い出した。そんなに長いはできない
から、話はまた後日にでもしてやる。これで失礼するぞ。じゃあな﹂
306
それだけ言い残すと叔父は足早に去って行った。
﹁なんだよそれ、ちょと待てって!! おい!!﹂
だがこの時、去っていく叔父の後ろ姿から何かドス黒い霧のよう
な影が一瞬見えた気がした。
この時は、ただの気のせいか見間違えかと思うしかできなかった。
今はただ葵を早く救護室に連れて行く事が先決だと思っていた。
亮の言葉を背中で受けながら、叔父は頬笑みながら小さく囁いた。
﹁そうか、今は葵と言うのか・・・ハッハッハ見つけぞ﹃アマテラ
ス﹄、見つけぞ!!﹂
やがて叔父の笑が次第に大きくなっていく。
お互いの距離がだんだんと離れていくが、運命の糸だけは二人を
更に強く引きつけようとしていた。
307
発覚︵後書き︶
こんばんは、朏天仁です。今回の話は作成する段階で必要になる話
しだと思い、急きょ作成しました。間に合うか正直不安でした。︵
^−^;校生修正なしで一発掲載でしたので、読みにくいと思いま
すが、そこは改めて修正さえていただきます。
さて、今回の話はいかがだったでしょうか? ご感想は多々ある
と思いますが、次回はやっと道士達の話しの続きに入りたいと思い
ます。
最後にここまで読んでもらった読者の貴方様に感謝の気持ちを送
らせて下さい。ありがとうございますm︵︳︳︶m
では、また36話でお会いしましょう!!︵´ー`︶/
308
死ニ方用意!!
薄青白く指揮所内を照らす梵字の中、博打のような乾いた連続音
が響いていた。
﹁クソっ!! こいつらに急所はねぇのかよぉ!! 道士無事か!
! 返事をしろ!!﹂
道士からの返事はなく、柴崎の怒号が虚しくこだまする。柴崎自
身も今は他人の心配をしている場合ではなかった。眼前から迫りく
る2匹の邪虎が指揮所内に侵入するのを必死に防いでいた。
闇の中から少女が現れたと思ったら、その後をゾロゾロと邪虎達
が姿を現してきた。すぐさま応戦しようとしたが、道士から外に出
るなと指示されそのまま指揮所内で篭城戦に陥ってしまった。
幸いにも結界はまだ生きていて邪虎の侵入を不正ではいるが、2
匹の邪虎の力は思っていた以上に強力で、入口に張り巡らせていた
結界をゆっくりと押し進め始めた。
不気味な女能面の顔を五芒星に押し付けながら結界が内側へと湾
曲しだす。結界が無事でもこのままいけば最後は板金プレスのよう
に圧殺されてしまう。
長い両爪を車体の壁に食い込ませると、さらに奥へと入ろうと力
を込める。
﹁クソッタレがぁ!! 飲み屋の女よりも強引だぞお前らぁ!!﹂
魔弾を込めたショットガンを邪虎の右目に命中させた。一瞬、顔
を仰け反らしたがすぐに向き直すと、何事のもなかったように顔を
押し付けた。
﹁・・・その諦めの悪っさらはポン引き以上だな。クソっ切れた。
藤本援護しろ!!﹂
ショットガンの弾を再装填している間、応急処置を施したままの
藤本が震える手でP220で応戦する。すでに半分生気を失った顔
309
モルフィネ
色のまま、痛み止めの鎮痛剤を打って何とか意識を保っていた。
﹁藤本ぉ、ちゃんと狙え。弾をむだにするな﹂
﹁わっ、わかってます先任。こんなの・・・あの津軽攻防に比べた
ら屁でもありませんよ。どんな状況下でも我々はちゃんと、きっ、
帰還してきたではありせんか。どんな時でも悪運だけは強いですか
ら﹂
無理に笑って見せてはいるが、藤本の顔にも絶望感が漂っている。
いくら撃っても邪虎の硬い表皮に魔弾が虚しく跳ね返るだけで、進
行を止める事が出来なかった。
もっと火力が強い武器が欲しい、口惜しそうに奥歯を噛み締める。
﹁そうだな、そうだったな。俺達は悪運だけは強かったな・・・だ
決死隊
が、まだ運にすがるには早ぇぞ!! 最後の最後まで往生際悪く抵
抗してやろうじゃねぇかよ。﹃第一混成守備隊﹄の意地を見せてや
るぜぇ!!﹂
最後の弾を装填し終えた柴崎のショットガンが、最後の銃声を吠
え始めた。
﹁ええ、そうです。先任、お供しますよ﹂
決意を固めた戦士2人が、迫り来る邪虎2匹に臆することなく引
き金を引いてみせた。
﹁あの人間達って結構粘ってるようね、さてさてこっちの式神くん
はどうなのかしら? 死ぬのは確実だけど、せめて私を楽しませる
くらいは粘ってもらわないとね﹂
相対する道士を前に、薫は期待感を含ませた笑を浮かべていた。
既に7体の邪虎が道士を囲みながら薫の合図を今か今かと待ってい
る。
大きく裂けた口から鋭い牙を覗かせ、その間からは粘調度の高い
唾液が滴り落ちている。皆目的は一つ、エサを食するただそれだけ
だった。
囲まれた道士は左右を確認し終えると、薫に向かって口を開いた。
310
﹁やれやれ、よもやこれほどの邪虎と対峙するとは・・・私の経験
上未だかつて皆無でしてが、思っていたほどではありませんね。む
しろ拍子抜けだな﹂
﹁ちょっと最後に言い残す言葉がそれなの、もっとカッコイイ決め
台詞ってもんがあるでしょうほあら、言って見なさいよ。言ってく
れなきゃつまんないじゃないのよ!! こっちだって一応気を使っ
て上げてるんだから、せっかく私なりに勇ましい最後にしてあげよ
うとそれっぽい演出してるんだし、それ相応に答えてもらいたいも
のね﹂
﹁・・・・・・残念ですがいくら考えても貴方のご希望に添える事
は無理でしょう。私の率直な意見を言ったまでですから。ここの邪
虎たちはまるで曲芸を仕込まれた猿のようだと﹂
﹁そうそう、それそれ、それよ。その言葉を待っていたのよ。なー
んんだ、ちゃんと言えるんじゃないのよ。なら、これでもういいわ
よね。﹂
相手を称賛するように軽くパチパチと手を叩いた。
﹁さて、それじゃーおしゃべりはここまで、あとはディナーの前に
踊りましょう。ショウタイムの始まり始まりよ。 ﹂
薫がパチりっと指を鳴らすと、それを合図に道士の右後ろにいた
かっくう
邪虎が飛びかかる。同時に道士もその邪虎目掛けて跳躍する。地面
すれすれを滑空し飛んでる邪虎の真下から九字を切ると腹に同じ印
が刻まれた。
かしわで
最初の第一波を上手く交わし着地した道士に、休むことなく邪虎
たちの二波、三波が襲ってきた。咄嗟に柏手を一回打つと、足元の
砂利から鋭い槍が数本突き出し手前の邪虎の右前足を貫いた。
低い唸り声が上がり他の邪虎の動きが止まった。
かしわで
﹁そう簡単にメシにありつけると思わぬことだ。私は食べにくぞ。﹂
もう一度柏手を打つと、今度は槍の柄をつたりながら茨が生え進
み、突き刺さっている邪虎にものすごい速さで絡まり始めた。
311
苦声を上げてもがいていた邪虎だが、幾重にも茨が巻き付き最後
は巨大な繭が形成されると動かなくなった。
﹁そこで大人しくしていろよ、すぐ終わる﹂
再び三度目の柏手を打つと、繭の間から大量の赤い液体が流れだ
した。流れ出たのは邪虎の血液でそれが地面に貯まると、意思を持
ったように道士の足元へと集まりだした。道士の力も限界なのか、
左手で胸を押さえ息が上がっている。
﹁貴方の名は存じませんが、とても残念です。私はもうそんなにゆ
っくりできませんので、ここで終わりにさせていただきます﹂
右手の人差し指に気を込め、一気に血だまりに突き刺した。する
やいん
きこく
おん
そわか
と、血だまり黒く変色しながら小さく波打ち始めた。それは幾万も
の蟻だった。
﹁ここで終わらせる。夜陰、鬼哭、御、蘇婆訶﹂
唱え終えると、黒い蟻たちが一斉に残りの邪虎と薫の身体に襲い
かかる。邪虎はまと張り付く蟻を身体を振って振い落そうとしてい
るが、薫は逃げるどころか何もせずただ不気味に笑っていた。
﹁これだから近代陰陽道の術は好きなのよ。さあ、次は何をしてく
れるのかしら﹂
しばりあり
﹁残念ですが次はございませんよ。それは私の前主﹃冴鬼希﹄様が
ふうちゅうじん
独自に考案した護封陣の一つ﹃縛蟻﹄です。近代より生み出された
術式故、この封蟲神の﹃返し﹄は存在しない。術が切れるまでそこ
で止まっていろ﹂
既に自身の力を殆ど使い果たしてしまった道士は、邪虎の血を使
って力の補填を行ったのだ。これだけなら気を込めて唱えるだけで、
あとは邪虎自身の力で封蟲神の術式を発動するだけだった。
道士にとってもイチかバチかの賭けだったが、勝敗の流れは道士
についたようだ。縛蟻は波のように薫と邪虎達を飲み込み岩のよう
になっている。
﹁・・・ハアっハア、ハアっ・・・つぅっ、余計な時間をとられた、
あと2体を何とかしなくては﹂
312
重い足取りのまま、道士は奥の指揮所に群がる2匹の邪虎へと進
みだした。銃声が聞こえる事からまだ二人は生きているに違いない。
﹁・・・先任、これで・・・最後です﹂
﹁藤本。どうやらここまでのようだな、お前と一緒に戦えてよかっ
リロード
たよ。退職して駄作な毎日を送るよりやっぱり戦友たちと一緒に死
にたかった﹂
渡されたP220のマガジンを受け取って再装填すると、最後を
悟った柴崎が呟いた。藤本は何も答えず黙ったまま笑い、そして目
を閉じた。
すでに邪虎は指揮所の半分まで侵入して来ていて、柴崎達は背後
の壁に背を付けている。恐らくあと数分もしないうちに二人は邪虎
の餌食になる。その時どう対象するか、二人はもう決めていた。
それはただ食われるのではない。答えは藤本が持ってる起爆スイ
ッチだ。この指揮所は万が一敵の手に渡るのを阻止するため、証拠
隠滅用に自爆装置が取り付けられてる。
特殊C4火薬200キロ、威力にして商業ビル一棟を確実に倒壊
させられる威力だ。
﹁藤本、この弾が切れたら頼むぞ!!﹂
﹁はい!! 先任、任せて下さい!!﹂
こみ上げる武者震いを抑え、起爆スイッチを力強く握り締める。
だがここに来て藤本の目に涙がにじみ出て、小さく囁いた。
﹁せめて・・・あと、3日生きていたかった・・・﹂
藤本には男でひとつで育てた一人娘がいる。3年前に大喧嘩をし
たまま家を飛び出し音信不通だった娘だったが、ほんの半年前に突
然帰ってきたと思ったら、妊娠している事を打ち明けられた。
しかもお腹の子の父親は誰かも知らずに、このまま生みたい事を
告げたれた。さすがの藤本も最初は困惑し激昂した。一人で子供を
中絶
育てるのがいかに大変で責任が重いのかを知っていたからだ。
長い口論が続き、最後に子供を堕ろすように話すと、今まで泣い
313
たことがなかった娘が始めて泣き崩れた。そして大泣きしながら言
った一言が胸に刺さった。
﹃自分の娘の中で、自分の初孫がバラバラに切り刻まれるのよ。そ
んなのを望む親なんて、親じゃない!!﹄
その一言に、藤本は自分が言ってしまった言葉に戦慄を覚えた。
今まで人を殺す職業に就き、命を軽く扱ってきた結果がこれだった。
言ってしまった結果に何も弁解出来なった。自分の娘に、まだ生
まれぬ孫に、自分が守るべき家族に何て事を言ってしまったのだと。
結局時間だけが過ぎ、妊娠22週を過ぎた頃に藤本は生むことを認
めた。だが内心どこかホットしていた。
それからの毎日は藤本にとっては新鮮な毎日だった。日に日に大
きくなる娘のお腹を見ながら生まれ出る孫が娘に似てるのか、自分
にも似ているのか。名前は何に決めようか、考えるだけで楽しかっ
た。時間を見つけては古いアルバムを開き、娘が赤ん坊だった頃の
写真を眺め当時を振り返ったりもした。
その娘の出産予定日があと3日後なのだ。藤本の中にせめて孫を
この両手で抱きたかった、せめてひと目でもいいから孫の顔を見た
かったと親心に揺れていた。
﹁・・・藤本・・・・・・・・・・・・・・・頼む・・・﹂
全弾撃ち尽くした柴崎はゆっくりと銃を手前に下ろした。迫り続
ける邪虎は大きく口を開け食べる準備を始めている。それを確認す
るとゆっくり銃を捨て、ポケットから一枚の写真を取り出して眺め
た。
横で見てる藤本にはそれが誰なのか知っていた。去年ガンで亡く
なった柴崎先任の奥さんだった。やっぱり先任も最後は一人の男と
あいつら
して家族を思って死ぬのだと思うと、何故か安心してきた。
﹁先任。靖国で仲間達と再会したら・・・そのあとは・・・・・・
家族に会いに行きましょう﹂
﹁・・・・・・おう・・・・・・そうするか・・・﹂
起爆スイッチに指をかけ、藤本も財布にしまった娘の写真を取り
314
出した。家のソファーに座る娘と、その大きく膨らんだお腹にいる
孫を見ると、もう思い残すことはなかった。
﹁結衣・・・お父さん、これらずっと・・・お前達の側にいるから
な﹂
大きく息を吸い込み、娘の写真を胸に抱きしめる。
そして、起爆スイッチが押された。
315
死ニ方用意!!︵後書き︶
こんにちは、朏天仁です。今回の話はいかがでしたでしょうか。死
に方用意はそれぞれの思い思いの死に方があると思いますが、自分
がもし死ななければならない時に、最後は誉な漢として死ぬか、そ
れとも一人の男として死ぬかを考えて書きました。
さて、皆さんにお知らせがあります。今月ついにアクセス数が2
000件を突破しました。ここまで来れたのは間違いなく作品を読
んでくれた読者の皆様のおかげです。今後も精進していきたいと思
いますので、どうか今後も変わらずのご支援宜しくお願いします。
m︵︳︳︶m
では、次回お会いしましょう︵´ー`︶/
316
薫の戯れ
まばゆ
それは一瞬の出来事だった。突然、眩い閃光が辺りを照らすと、
強烈な爆風に鼓膜を突き破る程の爆音が轟いた。道士の身体が爆風
で飛ばされ、そのすぐ後に幾つもの火の玉が四方に飛び散っていく。
轟音が収まると、先程まであった移動指揮車両の所に大きく凹ん
だクレーターが出来ていた。爆発のエネルギーは移動指揮車を跡形
もなく吹き飛ばし、落下して燃えている炎が余った力を故事するか
のように燃焼し続けている。
﹁がはぁ、ゲホッ、ゲホッ・・・なんだ・・・一体・・・?﹂ 30メートル以上飛ばされた道士は頭を押さえながら顔を上げた。
吹き飛ばされた衝撃波で軽い脳震盪を起こし、両耳から甲高い耳鳴
りが鳴り響いてる。
しばらくの間一体何が起こったのか理解出来ずに呆然と眺めてい
たが、だんだんと思考回路が繋がり始めると、最悪な事態を想像し
た。。
﹁そんな、まさか・・・﹂
ようやく何が起こったのか理解できた。急いで立ち上がろうとす
ると、両足に激痛が走る。爆風で飛び散った破片が両足を貫通し、
ほふくぜんしん
右肩右脇腹も貫通していた。
それでも匍匐前進しなが身体を進め、爆心地の炎が頬を熱くする
所までたどり着く。
眼の前に飛び込んできた光景にはクレーターと幾つもの小さな炎
が燻っているだけで、移動指揮車両が生存者の有無も絶望的なくら
い跡形もなく吹っ飛んでいた。
﹁あと・・・少しだったの、これだから軍人は嫌なんだ。 愛国心
だ、自己犠牲だと言って結局最後は自決して・・・﹂
がっくりと頭を下げ、地面の砂を握りしめる。
317
﹁そんなに・・・自決が美徳だと思う前に、死ぬものぐるいで生き
どうこく
る事を考えて見ろよ!! 死んだら終わりなんだぞ!!﹂
道士の慟哭がこだまする中で、クレーターの奥から二つの炎の塊
がゆっくりと近づいていくる。
それは特殊C4火薬で吹き飛ばされ身体を炎に焼かれている二匹
の邪虎だった。さすがの邪虎も至近距離から受けた衝撃で、一匹は
下半身が吹き飛ばされ、もう一匹は顔半分と右胸半分が無くなって
いた。
もし仮にこの二匹が生物なら間違いなく死んでいるだろう。だが、
その生命力は凄まじく身体が燃えている事にまったく動じてる素振
りさえ見せずに近づいて来る。
﹁バケモノめ・・・待ってろ今・・・相手をしてやるかな﹂
足に力を込めてヨロめきならがも立ち上がると、また柏手を打と
うと手を出した。
﹁ちょっと、こっちを無視するんじゃないわよ﹂
突如すぐ後ろで薫の声が聞こえると、力が抜けるように道士の体
が倒れこむ。
仰向けになって星のない空と一緒に薫の顔が視界に張り込んだ。
﹁少しは退屈しのぎになるかと思って期待してみたけど、でもあの
蟻だけでいくら待っても次が来ないからシラケちゃったじゃないの
よ。ちょっとでも期待した私の落胆どう責任とってくれるのかしら
?﹂
やや不満そうな口調に笑を浮かべたまま、その手には日本刀が光
っていた。刃先から赤い液体が道士の顔に滴り落ちる。
身体に違和感を感じ、すぐに道士が起き上がろうとするが自分の
両足が無いことに気がついた。みるみるうちに短くなった袴の裾が
真っ赤に滲んでくる。
﹁なっ!? ない。あっ足が、無い・・・なっなっあああああああ
ああああああああ﹂
﹁うるさいわよ。たかが足二本切り落としただけじゃないのよ。そ
318
ふうちゅうじん
しばりあり
んなに叫んだらあとが続かないわよ!! 式神のくせに少し大げさ
なのよ﹂
﹁そんな、封蟲神の﹃縛蟻﹄はどうした? 確かに封じたはずなの
に、どうして動ける?﹂
かかし
﹁あら!? そんなに意外だったかしら? まあ﹁蟻﹂を使った護
封術は珍しかったけど、それだけよ。あんな案山子の術なんて似た
ようなのが世界中いくらでもあったわよ。井の中のカワズは世界を
知らずっか・・・ホント興ざめだわ、本流である日本の術式は甘す
ぎるわね、もっと﹃攻﹄の術を進化させられれば、あんな戦争に負
けなかったのに﹂
﹁・・・そっそんな・・・﹂
道士の顔に絶望感が漂いはじめる、この女は一体何者なのか? その疑問だけが頭の中を巡り始め自然と声が出る。
﹁貴方は一体・・・何者なんだ・・・﹂
﹁そんなの最初から決まってるでしょう。私達はだたのバケモノよ、
戦争という怪物が産み落としたバケモノなのよ。お前みたいに人間
に作られた鬼風情がハナっから私に勝てると思っていたの? でも
まあ、私はちょっと遊んであげようと思ったけど、昨日生まれた子
供の邪虎相手によく頑張ったほうよ。一応褒めてあげるわね﹃ゴク
ロウサマ﹄ってね﹂
﹁私・・・たち・・・だと?・・・﹂
﹁そう私達よ!! 私達﹃桜の獅子の子供達﹄よ!! この地球上
の食物連鎖の頂点に君臨する者達よ。あんたはそんな私達に光栄に
も相対する事ができたのよ、それだけでもありがたいと思いないな
さいな﹂
﹁バカな・・・そんなこと・・・﹂
くわ
そこまで言った所で、道士の視界に2匹の邪虎の顔が入ってきた。
口が避けた女能面の顔と目が合うと道士は腕を咥えられ空高く放り
投げられた。身体が空で廻りながら落下し始めると今度は別の邪虎
が後ろ足で蹴り飛ばした。何本か骨の砕ける音が響いた。そしてま
319
くわ
もてあそ
た別の邪虎が腕を咥えて放り投げる。
邪虎たちはまるで道士の身を弄ぶように投げ飛ばし続け、ボロ雑
巾のように道士の身体がボロボロになった所でまた薫の前に落とさ
れた。
﹁この子達も喜んでるわよ、そこそこ強い相手と戦えていい勉強に
なったみたいね。もう同じ術は効かないわよ、こんな見てくれでも
この子達って以外と頭がいいのよ。知らなかった?﹂
﹁ガハッ・・・早く殺せ・・・﹂
すでに満身創痍な状態だったが、それでも吐血しながら薫に鋭い
視線を向ける。
﹁まだよ、私がまだ楽しんでないでしょう﹂
薫が足を使って道士を仰向けにすると、刀を逆手に持ち替えた。
﹁さあ、まずは鳴いてごらんなさいな﹂
刀なの切先を躊躇いもなく左胸に突き刺さした。
﹁ぐはあぁ!!﹂
僅かに心臓を避けたが、貫かれた肋骨の痛みが全身を駆け巡った。
﹁ちょっと・・・本当にそれだけなの?﹂
薫は道士の叫びに満足しなかった。むしろ不満顔のまま、さらに
刀で刺し続けた。
﹁ほら、ほら、ほら!! もっと鳴きなさいよ、あんたの断末魔っ
てやつを大きな声でさぁ!! ほら!! ほら!! ほら!!﹂
﹁グハァ、ゲハっ、あヴぁ、ぐぅ、あぁ・・・、ぅ・・・、・・・
ッ、・・・、・・・ヴぅ﹂
意図的に心臓を避けてはいるが、いくら急所は外れても肺に血が
溜まった道士はもう声を出すことが出来なかった。最後に右胸を貫
けれた時一瞬ビクッと体が震えると、口から鮮血を吹き出した。
﹁アハハハハっ、どう? 悔しいぃ? 守るべきものが守れず、あ
の人間たちを助けられなかった自分の不甲斐なさに悔しい思いを感
じてる? アハハハハっ式神なのにそんな感情持ってるの? ねえ
教えてよ式神は死んだらどこに行くの? 天国? それとも地獄か
320
しら? まあっどっちでもいいわよね、あんたはこれからこの子達
に食われるんだから、それが終わったらあんたの今使えてる主を食
べに行くから、そんな所で死んでる場合じゃないわよ。アハハハハ
ハ﹂
﹁さあな、そんなの死んだら分かることだろ!!﹂
薫の近くにいた邪虎が突然言葉を発した。
﹁ようやく見つけたぞ。僕の式神に随分な事をしてくれたな、それ
にこの僕を食うだと? この身土ほど知らずが、高くつくぞ!!﹂
﹁法・・・眼・・・・・・さま・・・﹂
ゆっくりと視線を向けると、邪虎の額から一直線に亀裂が走ると
中から白く輝い虎が姿を見せた。純白の体毛が炎のように靡いてい
て、全身から熱風を漂わせていた。
﹁チッ・・・四獣の白虎か、やかっかいな相手が来たもんね﹂
最初に道士に襲いかかった邪虎に刻んだ九字によって、法眼は結
界内で迷うこなく道士たちの場所を見つけることができた。そして、
その九字と邪虎の体を触媒にして﹃式神飛ばし﹄を行うことができ
た。
﹁虎には同じ虎が相応だろう、お前の相手をするつもりはなかった
が気が変わった。引き上げる前に格の違いを見せてやる﹂
﹁面白いわね、そっちに比べるほどの格なんてあるのかしら?﹂
余裕を向ける薫だったが、白虎の体が一瞬だけ薄くなると軽い衝
撃を受けて後ろにたじろいだ。
﹁まずはお前のプライドを砕く前に、道士が世話になった礼にその
容姿を俺好みに変えてやったぜ﹂
頬に手を当てるると、手の平いっぱいに血が広がっている。先ほ
ど身体が薄く見えたのは残像の一種で、その隙に白虎の爪が薫の両
頬を切り裂いていた。
﹁ほおぉ、私の目を騙すなんて結構やるじゃないの。こりゃ少し楽
しめそうね、期待してもいいかしら﹂
手の平の血を舐めながら、沸き起こる衝動に思わず笑を浮かべて
321
いる。そして刃の切先を白虎に向けると、高まる高揚感と一緒に始
まりの言葉を言い放った。
﹁さあ!! 遊びましょう!! かかっておいでぇ!!﹂
322
薫の戯れ︵後書き︶
こんにちは、朏天仁です。こんかい番外編のプロトに思っていた程
時間を取られてしまって右往左往してました。
今回の話は多分次回で終了すると思います。
323
神罰烙印
﹁やる気十分になったとろこで悪いけど、僕はヒステリィー女に構
っている暇はないんだよ﹂
﹁ちょっとそれは無いんじゃないの。仮にもあんたは私の領域に無
断で入っておきながら、私の顔に血に化粧までしてくれちゃんって
のに、相手にしないなんてのが通ると思ってるの? いい度胸ね!
!﹂
﹁そうかい、なら少し遊んであげるよ﹂
そう言って白虎の法眼が尻尾を下げると同時に、何かが薫の顔面
で弾け後ろによろめいた。
﹁ぐぅっ!!﹂
﹁ほら、もっと遊んでやるよ﹂
白虎と薫の距離はおよそ10メール、その間を初期動作も見せず
攻撃が入った。薫が油断していたのかと思いきや、さらに数発が同
じように顔面で弾けると薫が膝を着いた。間違いなく薫に効いてい
る。
周りにいる邪虎達は何が起こっているのかわからず困惑したよう
な声を上げている。
﹁どうだいお嬢ちゃん。楽しめたかい? 僕の貴重な時間を割いて
遊んで上げてるんだから、楽しんでもらえないと残念だよ﹂
﹁ペッっ、やってくれるじゃなの。いいわね、これくらいじゃない
と楽しめないわ。お前たちは下がっておいで、コイツは私の獲物だ
からね﹂
垂れる鼻血を舌なめずりしながら、薫は笑っている。まるでこれ
からアトラクションに乗り込む子供のように期待感を持った顔で笑
ってる。
﹁私だけもらってたらつまらないから、こっちも行くわね﹂
324
﹁いや、遠慮するよ。僕は与えるのは好きだけど、もらうのはお金
けんそん
と名声以外興味ないから﹂
﹁そんな謙遜しなくてもいいわよ、正直な所はどうでもいいけど﹂
薫は右足を引き体を右斜めに向けると、刀を右脇へと降ろして剣
先を後ろに下げた。脇構えと言われる構え方だ。更に体を低く落と
すと前方へと重心を下げた。
﹁いくぞ!!﹂
勢いよく左足を蹴り弾丸のようなスピードで突進すると、白虎の
首元目掛け横一文字に切りつけた。だが、手応えがなかった。
すぐに振り返ると、視界に平然と白虎が尻を置いて薫を眺めてい
た。
﹁遅い、遅い。スピードでこの白虎に挑もうなんて百万年早ぇよ、
嬢ちゃん。ちなみに今のセリフは僕が一度言ってみたかっただけ、
とくに意味はないから﹂
﹁ハッ・・・ハッ・・・ハハハハハ、ハァハァハァ!! ここまで
たぎ
私がおちょくられるなんて・・・ぷっ、そうね。そうでなくっちゃ
つまらないわ。やっと私の血が激ってきたわ、おもしろ!! じつ
こじり
におもしろいわ、あんたには特別に私の技を見せてあげるわ﹂
薫の左手に持っていた鞘の鐺と言われる先端部分が20cm程外
れ落ちた。そのまま刀を鞘に収めると抜刀術の構えを白虎に向けた。
﹁次は切るわ﹂
再び弾丸のように飛び、切りつけた。
﹁バカの一つ覚えか、いくら鞘を小さくして勢いを早めても僕には
お前の動きが全部見えるんだよ﹂
全行程がスローモーションのように動く世界で、余裕を持て薫の
一撃を交わす。だが、横を抜けようとした瞬間、白虎の目には交わ
したはずの刃が飛び込んできた。
つきかまりゅういあいたいじゅつ へいいっしき
砂煙を上げ薫が着地すると、薫が笑っていた。今度はちゃんと手
応えがあったからだ。
﹁どう、気に入ってもらえたかしら? 月鎌流居合体術、丙一式﹃
325
さざなみ
漣﹄よ。ドラ猫ちゃん﹂
﹁くっ、何で!? 僕はちゃんと交わしたはずなのに・・・なんで・
・・﹂
白虎の白色体毛に、真紅の線が首筋から左肩まで出来ている。そ
の線がジワリジワリと太くなりながら広がっていく。幸い傷はそれ
ほど深くはなかった。だが、肉体的よりも心理的影響は大きかった。
確かに白虎は薫の攻撃を交わしたはず。それは間違いない事なの
だが、交わしたはずの刃が再び目の前にあらわれた。とても理屈で
説明する事ができなかった。
﹁幻でも見たんじゃないの、ここの存在自体が夢みたいなもんなん
だし。でも夢はここまでよ。次はちゃんと首を飛ばすから﹂
﹁そうかい、それなら僕の方も手を打つ番だね﹂
白虎が右前脚で地面を叩くと、地面が脈打ち動き出した。お互い
を囲い込む巨大な円陣が浮かび上がる。
薫の使う術がわからない以上は下手に詮索するよりは、いっその
りゅうげんじゅむどうふうじん
こと術自体を封じてしまう他なかった。むしろその方が効果が高い。
﹁﹃竜華樹無動封陣﹄どんな幻術を使っているか知らないけど、こ
れでお前の術は封じてもらったよ。ちなみにこの封陣は結界でもあ
るから、そう簡単には出られないよ﹂
薫を結界内に閉じ込めた事で少なくとも術と動きの両方を封じる
事ができた。あとはタイミングを見計らって倒れている道士を回収
すればいい。法眼はもう自分が白虎を使っているのに限界がきてい
る事はわかっていた。時間が経てば経つほど分が悪くなる、だから
早急にこの状況を収束させる必要があった。
﹁さて、そろそろ終わりにしようか。僕も忙しいんだよ﹂
﹁ふっ、見ているところが違うんじゃないかしら。陰陽師ってこう
も頭が硬いのかしら、そんなんじゃどんな結界を使っても私の技を
封じる事なんてできないわよ。正直・・・がっかりだわ。それなら
最後にそのガチガチの頭叩き割って上げるわ﹂
﹁そうか最後ね、面白い。ならせめて名を聞いておこう。最後まで
326
ヒステリィー女じゃ僕としては何とも後味が悪い﹂
つきみやかおる
﹁ぷっ、ねぇちょっとこの状況でまだ自分が勝てると思っているの
? まあいいわ、その自信に免じて教えてあげる。﹃月宮薫﹄よ。
それにあんたさっき私の事女って言ったけど、私・・・男よ﹂
﹁へぇ!? 誰が?﹂
﹁私よ!!﹂
﹁・・・嘘?﹂
﹁本当よ!!﹂
﹁マジで?﹂
﹁そうよ!! 失礼しちゃうわね。正真正銘日本男児よ!!﹂
ひろう
﹁・・・お前のどこが日本男児だ!! 僕は今全身に悪寒と鳥肌が
立っちまったよ!! この究極にして最悪なまでに気持ち悪い卑陋
の極みめ!! 恥を知れ恥を!!﹂
﹁そこまで拒絶されるなんて始めてよ、あの兄上もそこまで言わな
かったわ。でも、まあそこまで言ってくれると生かす理由が消える
わ。父上には何か手土産が必要だと思ったんだけ気が変わったわ﹂
﹁悪夢だ・・・悪夢以外の何者でもないな・・・﹂
薫の言葉を上の空で聞きながら、一人ブツブツを呟いている。
そんな事などお構いなしの様子で再び抜刀術の構えを向けると、
薫の瞳が琥珀色に変化した。
﹁さぁ、行くわよ!!﹂
りゅうげんじゅむどうふうじん
構えを崩さす一直線に突進すると、白虎が前ではなく後方へ飛び
方陣から出て行った。
﹁なっ!?﹂
虚を突かれた薫は、そのまま法眼が造った﹃竜華樹無動封陣﹄の
陣壁に衝突し、青白い火花を散らしながら跳ね返った。
﹁いたた・・・ちょっとあんたどう言うつもりよ。勝負はどうした
の逃げる気!!﹂
﹁勘違いするなよ。僕がいつお前と勝負するなんて言った。少し遊
んでやるって言っただけだろう﹂
327
﹁何よそれ。こんな中途半端が許されと思ってんの。私の体傷モノ
にしておきなならタダで帰れると思ってんの、ちゃんと最後までや
りなさいよ!!﹂
﹁・・・変だな、何故か不快感が出てくる言い方だな。そうか、お
前の存在自体が不快感の塊そのものだからな。大人しくそこにいろ、
僕は僕でやる事があるんだから﹂
取り残された薫が陣壁を切りつけると、青白い閃光と火花が散る。
﹁へえーひょっとしてあんた、こんなチンケな結界で私を拘束でき
るているって、本気で思ってんの﹂
りゅうげんじゅむどうふうじん
今後は切先を地面に突き刺した。軽い衝撃音と一緒に土煙が上が
ると竜華樹無動封陣の方陣が消失した。
﹁ほらね、言ったでしょう。こんな貧弱な結界で私を縛りつけてお
くなんて無理だよって。さて、続きをしましょうか﹂
﹁あ∼あ、やっちゃった﹂
﹁・・・・・・んっ!? 何よ、これ?﹂
方陣の消失と同時に、薫の前で幾つもの青白い小さな球体が出現
セントクロス
し上へとゆっくり昇っていく。それを追いながら上空を見上げた薫
はそこで言葉を失った。
そこには大小様々な円魔法陣とそれをつなぐ鎖聖言で形成された
スティグドミニオンズ
巨大な多重聖域魔法陣が出来上がっていたからだ。
﹁・・・・・・まさか、﹃天界の神罰烙印﹄・・・なんで陰陽師が
バチカン禁書術式が扱えるの・・・﹂
スティグドミニオンズ
﹁ふっ、知りたいか。でも教えて上げないよ。とりあず潰れろよ﹂
その言葉を合図に上空の﹃天界の神罰烙印﹄が輝き、勢いよく光
の粒子が放出された。粒子の濁流が薫の体を飲み込むと轟音と一緒
に地響きが発生した。
全てが一瞬の事で、時間にして一秒もなかっただろう。
薫が立っていた所はポッカリと大きな穴が出来上がっていた。い
や、穴と言うよりは底が見えない巨大な井戸のようだと言ったほう
がわかりやすい。
328
ミニオンズ
エクソシスト
スティグド
バチカン禁書術式の中で特一級禁秘術に扱われている﹃天界の神
罰烙印﹄、中世ヨーロッパで高位悪魔祓いの神父達が考案した邪神
殺しの秘術だ。特殊な円魔法陣を組み替える事で破壊力を無限に増
幅させることができる。事実、近代戦において2つの都市を消滅さ
スティグドミニオンズ
せた事があり、その未知数なまでの破壊力が危険視され法王みずか
りゅうげんじゅむどうふうじん
らが禁書庫に封印させた秘術だ。
フェイク
法眼が最初に作成した竜華樹無動封陣の方陣は、天界の神罰烙印
を隠すための偽装だったのだ。必ず結界が破られると考え、薫の注
意を引くために目立つように地面に方陣を敷いたのだ。
﹁僕とした事が、少し本気出しすぎちゃったかな。まあ∼終わりよ
ければいいかな﹂
さすがにあの攻撃を交わしとは思えず、チリとして消滅したと確
信した法眼はすぐに虫の息の道士の元へと駆け寄った。
﹁おい、道士大丈夫か?﹂
﹁もっ、申し訳・・・ございません・・・ゲホッ・・・村上殿の部
下を助ける事が・・・﹂
しばりあり
とても話ができる状態ではないが、血を吐きながらも道士は言葉
を続けた。
﹁奴は、何者でしょうか・・・希様の﹃縛蟻﹄を・・・あんな、ゲ
ホッ・・・短時間で・・・ゴホッ・・・﹂
﹁道士もういいから、説明は無事戻ってから聞く。このまま戻るぞ﹂
くう
ぜん
てん
しょう
かん
そわか
道士の襟元を食え上げると、向こうの奥から邪虎たちが向かって
くるのが見えた。
﹁チッ、遊んでる時間はねぇんだよ。空・禅・天・昇・間・蘇婆訶﹂
唱え終わると、法眼のすぐ横の空間が歪み大きな渦が生まれた。
それが一人分程の大きさまで広がると、その中へと道士を食えたた
まま引きずり込んだ。
邪虎たちが着いた時にはすで白虎も空間の渦も無くなっていた。
静寂が訪れた空間で残骸に燻った炎がパチパチと音だけが響いてい
ると、巨大な底なし穴の中から黒い塊が飛び出し邪虎たちの隣に着
329
地した。
少しよろめいて片膝を付く。制服は破れていたが全身に緑に光る
幾何学模様が浮かび上がっていて、顔や身体に付いた傷がみるみる
うちに治癒していく。
﹁やってくれんじゃん。まさか陰陽師が西洋術を使うなんて思いも
しなかったわ。ふっふっふっ、あいつ楽しめそうね﹂
﹁随分と楽しそだな薫。いいおもちゃでも見つけた﹂
﹁父上!!﹂ 振り返るとそこには月宮誠が立っていた。
﹁父上、申し訳ございません。思わぬ邪魔が入り込みまして、少し
時間が掛かってしまいました﹂
レッド・クロス
﹁別に構わん、亮の周りにいた捜査員達を始末できたんだからな。
それよりもこの威力は陰陽道の技ではないな、北米幻魔道師団か?﹂
﹁いいえ。術式自体は西洋術です、ただ問題なのは発動させたのは
間違いなく陰陽師です﹂
﹁ほう。何者だ﹂
薫が膝についた砂を叩きながら立ち上がる。
きょうはちりゅう
﹁強き者です。名は・・・確か法眼だったと﹂
スティグ
﹁法眼・・・ひょっとして京八流の法眼か、それならお前が手こず
ったのもわかるな。奴は陰陽師の中でも強者だから﹂
ドミニオンズ
﹁その陰陽師が西洋術を使うとは、しかもバチカン禁書の﹃天界の
神罰烙印﹄を発動させるなんて・・・今こうして﹃ランゲの書﹄が
発動してくれたおかげで何とか窮地を脱したけど、下手したらやら
れていたわ。今後私達の脅威になるから、今のうちに殺しておいて
もいいかしら父上﹂
﹁ほっておけ﹂
﹁えっ、でも・・・﹂
ごぎょうほういんきょく
﹁お前が手を出さずとも。ここでこれだけの事をしたんだ。向こう
側でも影響が出ないはずないだろう。間違いなく五行法印局が嗅ぎ
つける。そうなればアイツらが上手く足止めしてくれる。それにも
330
うアマテラスの場所はわかってる。まあゆっくりやるさ、ゆっくり
とな﹂
﹁さすが父上、もうアマテラスを見つけたのですね!! それでど
あいつ
こですが?﹂
﹁亮の家だ﹂
﹁ふ∼ん、・・・兄上の所なんだ・・・﹂
薫の笑が一気に冷淡に変わった。
331
神罰烙印︵後書き︶
こんにちは、朏天仁です。今年も残すことろあとわずかになりまし
た。今年最後の作品更新になります。
され、今回の話しいかがだったでしょうか? ここ何話でシリア
スっぽい話しが続いてしまいましが、次回は少し小休憩てきな話に
していこうと思ってます。︵^︳^;︶︵あと番外編の続き書かな
いと・・・︶
それではここまで読んでくれた読者のみなさん。今年も一年お世
話になりました。来年もどうぞ﹃スティたん﹄をよろしくお願いし
ますm︵︳︳︶m
最後に、来年も続きを読みたいと思う方は、下の﹃勝手にランキ
ング﹄に1クリックお願いします。
それでは皆さん、良いお年を!!\︵^o^︶/
332
ボイス
本庄市民病院の1Fフロアーは、連日の猛暑によって大量発生し
た熱中症患者で埋め尽くされていた。
﹁スゴイな、この人数は・・・﹂
もはや夏の猛暑は当たり前と思って甘く見ている現代人は、熱中
症は子供やお年寄りと言った体力的に低下してる人にしか縁のない
病気だと考えいないだろうか。
特に10代∼30代は熱中症をただの脱水症状だと勘違いしてい
る場合がある。水分を取れば大丈夫と油断していると、すぐにナト
リウム不足に陥り熱中症の怖さを痛感する。
特に若者は自分はまだ大丈夫だと過大評価してしまい、気づかな
いうちに熱中症が進行し危ない状況に陥っている場合が多い。
﹁すみません、お隣失礼します﹂
﹁はい、どうぞ﹂
バーコードリング
母親に付き添われて、首と額にアイスノンを付けた中学生くらい
の男子が亮の隣に座った。母親が亮の腕に巻かれた亜民認識タグを
見て顔を曇らせたが、亮は気づかない素振りをしてやり過ごした。
もはや見慣れた光景だ。入院以外に関しては亜民も市民も関係な
いが、それでも亜民が隣で一緒にいて良い顔をする市民は少ない。
これぐらいの亜民差別は亮をはじめ多くの亜民達も経験し気にし
てないが、それでも中には大声で理不尽な事を行ってくる連中はい
た。それこそ手は出さないが、激しく罵られ罵倒された経験は一つ
二つではなかった。
亮は腕を組みながら葵が入っていった診察室に目を向けた。診察
が始まってもう20分は経過している。
都島リハビリセンターで気分を悪くした葵は、センターから出る
市民専用巡回バスに乗ってこの病院まで搬送させてもらった。セン
333
ター長が運転手に事情を説明して特別に乗せてもらったが、途中何
度も吐きそうになって紙袋を広げると、その度に周りの市民が眉を
ひそめたり、﹁きたねぇ!!﹂﹁くせぇーなぁ!!﹂とワザと聞こ
える風に言ってきた。
思わず立ち上がろうとしたが、葵の看病でそれどころではなかっ
た。それを思い出すたびに亮の中から黒い感情が沸き起こってくる。
知らず知らずのうちに顔が険しくなり、ハッと気づくと隣に座って
いた母親が少し離れて怯えた顔で亮を見ていた。
思わず殺気立ててしまい、気まずそうに立ち上がると、受付で事
務員に話しかけた。
﹁すみません、槇村葵の付き添いの者なんですが、葵はまだかかり
ますか? もう診察が始まって大分経つんですが﹂
﹁すみません、もう少々お待ち頂けますか﹂
﹁ええ、待つには待ちますけど、遅すぎませんか? 診察ですよね、
普通の診察だけでこんなに時間かかるものなんでしょうか?﹂
﹁すみません。ですから、もう少々お待ち頂けませんか﹂
何度聞いても若い事務員は、同じような返答しかしなかった。そ
の態度から亮の中に、まさか診察中に何かあったのかと不安を感じ
始めた時、後ろから看護師が声を掛けてきた。
﹁あのすみません。槇村葵さんの付き添いの方ですか?﹂
﹁はい、そうです﹂
﹁ご家族の方ですが?﹂
﹁・・・一応、兄です・・・﹂
一応と言う言葉が余計だったか、看護師が少し顔を傾げる。葵の
日本人離れした容姿を見れば、亮が兄妹ではないと誰しもが考えて
しまう。
﹁・・・ご家族の方ですよね。保護者の方はまだ見えられてません
か?﹂
﹁一応連絡はしました、もうすぐ来ると思います。それで葵の状態
はどうなんですか? 大丈夫なんですか?﹂
334
亮は少し慌てた様子で話しながら、看護師に余計な事を考える隙
を与えないようにした。
﹁まあまあ、落ち着いて下さいお兄さん。妹さんは大丈夫です、先
程ドクターの診察を終えて軽い熱中症と疲労との事でしたから、ま
ずは処置室に案内します﹂
﹁お願いします﹂
看護師の後を付いて行きながら﹃外来処置室﹄とネームが出てい
る部屋に通された。部屋の左右はカーテンで区切られた処置台があ
り、その上に老若男女約20人弱程が横になって腕に点滴が入って
いた。
葵はその部屋の一番奥にいた。
﹁大丈夫か葵? 先生には連絡したからもうすぐ来るって言ってた
よ﹂
疲れた顔色で乾いた唇の葵が頷いた。
﹁軽い熱中症っだって、今日は暑かったからな。それに家に来て・・
・環境が変わったせいもあるだろうし、体に疲れが溜まってたんだ
よ。ゆっくり休むんだぞ﹂
また葵が頷く。失語症で声が出せない葵は、いつもコミュニケー
ションツールに4サイズのスケッチブックで筆談をする。
そのスケッチブックは青い診察台の下に落ちていて、亮が拾い上
げ葵に持たせた。すぐに何か書こうとするが、手が震えスケッチブ
ックを開く事も、ペンを持つ事もままならない状態だ。
どく
﹁葵、いいからいいから。今は休むことだけを考えてな、何も心配
しなくていいから﹂
しんじゅつ
心配する亮を見つめながら、葵の乾いた唇が僅かに動きだす。読
唇術は持ってないが、亮にはそれが﹃ごめんなさい﹄と動いている
とわかった。
﹁大丈夫だよ。だれだって体調を悪くするときだってあるんだから
さ、その時はもうお互い様だよ。だらそんなに気にすんなって﹂
葵の頭を撫でながら亮は笑って言った。
335
頭を撫でなられると、葵の目に涙がにじみ溢れ出す。
﹁おいおい、そんなに泣いたらせっかく点滴してるのに、また脱水
になっちゃうぞ。いいから、そんなに気を使わなくていいからさ﹂
亮の言葉を聞くと、葵は顔を左右に振る。そしてまた唇を動かし
同じように﹃ごめんなさい﹄を繰り返す。
亮には葵の﹃ごめんなさい﹄の意味がちゃんと伝わっていなかっ
た。無論体調を崩して迷惑を掛けてしまった事もそうだが、葵はバ
スの中で看病してくれた亮が、周りから投げ飛ばされる言葉に耐え、
自分を守ろうとしてくれたのを知っていた。その気になれば怒って
ひわい
注意する事も出来たが、もしケンカにでもなればいらぬ波風がたっ
てしまうかもしれない。怒りを抑えながら卑猥な言葉に対し、懸命
に隣で励ましてくれた亮の優しさが嬉しかった。そしてその半面、
自分のせいで亮にまで迷惑を掛けてしまった自信の情けなさと、申
し訳なさに涙が溢れ出してしまったのだ。
﹁う゛っぐ・・・うっ・・・ひっく・・・﹂
﹁なあ、葵。葵ってば。もう泣かなくていいよ。先生がもうすぐ来
るかもしれないから、俺外で待ってるから。先生が来らまた戻って
くるよ。だからちょっと待てるか?﹂
葵は手で目を隠しながら小さく頷いた。これ以上亮がそばにいた
らもっと涙が出てしまうだろう。
﹁じゃあ、外にいるから。もう泣くなよ﹂
それだけ言うと、外来処置室を後にした。
1Fフロアーに戻って辺りを見渡してみるが、まだ蒼崎先生は来
ていなかった。仕方なくフロアーの長イスに座って待っていようと
考えたが、もうすでに座る場所がないくらい混雑していた。
﹁さっきよりも増えてるな、今日はスゴイな・・・﹂
壁際に座れなかった数名の患者が床に腰を下ろして項垂れている。
バーコードリング
紙コップの水を飲んだり、飲みきってぐったり壁に寄りかかったり
している者もいるが、よく見るよ全員腕に亮と同じ亜民認識タグが
付けていた。
336
恐らく別施設の亜民達だろう。この市内だけでも数十の支援施設
があるし、それ以外に上郷町の支援施設だけでも本庄市の倍は軽く
超えてる。
その亜民患者達の後ろに目を向けた時、亮の目が止まった。そこ
には前の亜民達と同じ数人の亜民達が床に座っているが、その亜民
達には見覚えがあった。亮が葵を連れて来た時にフロアーの長イス
で先に待っていた亜民達だ。
亮はすぐに理解した。ここに到着する前にセンター長が先に連絡
して優先的に見るように指示したんだろうと。その証拠に、到着時
の受付事務員の対応が妙に良かったのを思い出した。
﹁クソッ。何だよ、そういうことか﹂
平等に治療が受けれても、順番は平等とは限らない。同じ亜民で
もコネが有るのと無いのとではこうも対応が違ってしまう。しかも、
先に座ってい場所も後からきた市民に奪われるなんてあんまりだ。
それどころか亜民患者の身体に鞭打つような対応をしても、誰ひと
り気にする者はいなった。
皆心のどこかで可哀想と思っていても、﹃亜民だからしょうない
よね﹄と納得して目を背けている。一般市民の思いやりの心は亜民
に向けられる事はなかった。
﹁あの、月宮亮さんでよろしいですか?﹂
やるせない気分と一緒に溜め息を吐きだずと、すぐ後ろから声を
かけられた。振り返るとそこにはさっき受付で対応した事務員が立
っていた。
﹁はい、そうですけど。何か?﹂
﹁あの、蒼崎様とおっしゃる方から電話はきてますが﹂
﹁えっ!? あっはい・・・?﹂
すぐに受け付けで電話をもらい応答した。
﹁もしもし、亮です。先生どうしたんですか? 俺の携帯にかけて
くれればいいのに、わざわざ病院にかけなくてもいいんですよ。も
う少し時間が掛かりますから﹂
337
﹃前回、言った言葉を覚えているかい?﹄
その瞬間、亮の顔が変わり全身から沸き立つ殺気で、思わず受話
器を握り潰してしまうところだった。電話の相手はこの前霧島に仕
事を頼んだ奴だ。何故か亮の過去を知っていて、至近距離から撮っ
たマナ達の写真を使って脅迫して来た奴だ。
﹁テメェーか、この前の変な仕事は一体なんだったんだ? あの後
大変だったんだぞ。あれは一体何だったんだよ。変な連中に尾行さ
れ挙句におかしな術士も登場してきて。しかも向こうとは何か勘違
いしてるみたいだったが、一体全体どうなってるんだよ!!﹂
﹃質問してるのはこっちのはずだけど。もう一度聞く、前回言った
言葉を覚えているのか? どうなんだ?﹄
相変わらず声は変成器かなにかで変えてわからなくしていて、話
し口調も淡々として男なのか女なのか今ひとつわからなかった。
﹁・・・お前はいい加減に︱﹂
﹃ツートンガバメントか、いい趣味してるな﹄
﹁何?﹂
アンティーク
﹃これお前の愛銃だろ。このタイプはマニアのあいだでも希少価値
ガンスミス
の高い骨董品だ。ましてや惜しげもなくカスタムチューンしている。
この銃職人は名工に近いかっただろう。いい銃だな﹄
﹁お前まさか!?﹂
﹃そうだ。今お前の部屋にいる。セキュリティが甘すぎる。簡単に
入れて逆にビックリしている。それにしても銃にはこだわりを感じ
させているが、この殺風景の部屋はいかがなものか、少し模様替え
をした方がいいぞ﹄
﹁・・・どうして・・・貴様ぁぁ!!﹂
電話越しに怒鳴ると、奥歯を噛み締めた。
﹃もしも、あくまでももしもの話だ。この施設に今風間楓という少
女が部屋にいるが、この銃を使って頭部を打ち抜かれた楓が発見さ
れたら、どうなると思う﹄
﹁・・・やめろ・・・楓に手を出すな・・・何がのぞみだ?﹂
338
﹃さっきも言ったが、前回言ったことを覚えてるか? 返答しだい
では死体袋が必要になるぞ﹄
﹁待て、・・・覚えてる。確か仕事を頼みたいだったよな﹂
﹃他には?﹄
﹁連絡は携帯を使う・・・あっ﹂
亮は思い出した。
﹃その通り正解だ。その連絡とる大事な携帯は今どこにあるのかな
?﹄
﹁俺の・・・机の上だ。わざとじゃない、わざとじゃないんだ。た
またま忘れただけだ。ホントにたまたまなんだ﹂
ふもり
﹃次はないぞ。絶対に忘れるなよ。早速仕事の話をしたいところだ
ったんだが、この電話はマズイからこの施設の近くに﹃二杜神社﹄
があるだろ。そこに来てもうろうかな、そこで連絡をするので今度
は携帯を忘れるなよ。時間は18時きっかりだ。遅れるなよ﹄
﹁待て、ちょっと待て・・・・・・あんたの事をなんて呼べばいい、
声
名無しのゴンベイか? それとも盗撮魔か?﹂
﹃・・・・・・ボイスだ。それで以外、間違ってもそれ以外で言う
な﹄
﹁ボイスか、わかった。今後は忘れない、だから・・・・・・早く
だけん
そこから出て行け!!﹂
﹃吠えるな、駄犬が﹄
電話が切れると亮は込み上げる怒りで鬼のような形相で受話器を
戻した。
﹁あの野郎ぉぉ﹂
唸り出すような声を出し、拳を強く握った。怒りで方が震えだし
た所で、後ろから肩を叩かれた。
黙ったまま振り返ると、そこに見覚えのない黒ぶちメガネを掛け
たシワの深い中年男が立っていた。
﹁月宮亮くんだね﹂
亮は黙ったまま頷いた。
339
男はズボンの後ろポケットからパスケースを取り出し、それを開
いて亮に見せた。
﹁埼玉連警の平松警部補だ。やっと見つけたよ、ちょっと話をした
いんだ。知ってると思うけど亜民に任意同行は無いよ。全て強制だ。
この意味わかるよね﹂
当たり障りのない口調で語りかける平松だが、ポケットに入れた
左手には銀のてい針がいつでも使用できるように握られていた。
340
ボイス︵後書き︶
みなさん、新年明けましてオメデトウ︵^▽^︶ゴザイマース。今
年最初の作品いかがでしたでしょうか?
ついに平松警部補と亮が接触してしました。この後どうなるので
しょうか。それと今だ謎多きボイスと名乗る人物の存在。この期の
展開が気になる所ですが、今回はここまでです。次回をお楽しみ下
さい。
それでは、今回も最後まで読んで下さった読者の皆さま方に熱く
御礼申し上げます。今年も一年宜くお願いします。m︵︳︳︶m
341
スティグマ∼たんぽぽの子供たち∼ 番外編その②開戦前夜
西暦2019年12月23日午後23時、東京の防衛省付近にあ
るビルの一室では、薄明かりの下で軍服や背広を来た集団が集まり
会議を開いていた。
﹁やはり議長のおっしゃった通り、韓国海軍の一部が現在尖閣諸島
やつら
周辺に艦隊を集結しているとう言う情報正しかったです。先程外務
省から海上演習を行なっていると通達がありました﹂
デコイ・マリンソナー
﹁今更か、既に6時間前に官邸に報告はしたほずだ。予想通り韓国
例の法律
の狙いは例の日中中間線に設置した偽装海中音波探知機の展開状況
か、海自のマヌケめ、いくら特定機密法で固めても、ダダ漏れじゃ
ねぇかよ!﹂
張り詰めた緊張感に支配された室内は、今にも紛糾しそうな言葉
が飛び交っている。天井から照らされる必要最低限の光量は、彼ら
の服までしか照らせなかった。否、そうではなく部屋に20人弱集
まっている全員が黒いフェイスマスクを被り顔がわからないように
しているのだ。唯一確認できるのは2つの瞳だけだ。
シナ
﹁まったく・・・たいへん耳が痛いよ。だが裏で韓国を焚きつけて
ASEAN
りょ
いるのは恐らく支那だ。連中の耳を甘く見ていた結果がこれだ。夏
の東南アジア諸国連合開催中に、支那の梠外務大臣が山岸中日大使
に再三抗議していた時からもっと警戒するべきだったんだ。これで
は例の計画までもが︱﹂
﹁よせ! もう済んだことだ。あとは政治が解決する。幸か不幸か
連中の目はいま尖閣周辺に向いている。例の計画までは露見してい
ないだろう。これまで以上に口を閉じて行う必要がある﹂
I
﹁それはそうと、韓国は本当にグローバルリズムの優等生だな。外
MF
資に蹂躙される結末がこれだから。あの国は経済破綻してから国際
通貨基金に自国への介入を許した時点でこうなるとわかっていたが、
342
これでアメリカの狙いに確信が持てた。今度は日本の真水の利権を
TPP
狙ってやがる。こちらもこれ以上黙っているわけにはいかんな﹂
ユーロ
﹁ああ、やはり環太平洋パートナーシップの加盟に慎重なっていて
よかった。グローバルリズムの成れの果てが欧州で、関税撤廃の成
れの果てが韓国だからな。良いお手本がいて助かるよ、まったく。
アメリカも選挙が終わたから、今後はTPPの失敗を取り返そうと
躍起になってやがるのさ﹂
背広を来た二人の男が声を弾ませながら指先を大げさに動かした。
マスクで表情はかわらないが、誰が見てもマスクの裏側でニヤつい
ている事が想像できた。
無能な
﹁二人共話が脱線しているぞ。今日こうして集まったの単に経済討
バカ共
論をしたかった訳ではなかろう。そんなのは財務省の新古典派経済
学主義者を相手にしてればいい。今回集まったのは、例の計画に関
して議長から話があるため集まったのだ。皆、静粛に!﹂
その言葉で、一斉に奥の人物に目を向けた。全員がマスクで顔を
かも
隠しいる中で、唯一奥に座り腕組をしている人物だけがグリーンの
ベレー帽を被っている。そして身体からは近寄りがたいオーラが醸
し出されていた。間違いなくこの人物が議長だろう。
﹁各々言いたいことがあるだろうが、しばし私の話を聞いてもらい
たい﹂
低く、野太い声で議長が話はじめた。さっきまでの張り詰めてい
た空気が一変し、全員が議長のこ言葉を聞き漏らさない様に聞き耳
を立てている。
﹁諸君たちも気づいているだろうが、昨今、資源国家となったな日
本に対して外資系企業を隠れ蓑とした一部の国が、我が領土を侵食
し始めている。だが、そんなものは予想どうりだ。問題は支那にい
る協力者からの情報で、向こうの軍部が日本進行に本腰を入れてき
ということだ﹂
﹁とういうことは議長、ついに﹂
﹁そうだ。早々に小規模な軍事衝突が起こるだろう。もう避けられ
343
ん﹂
ODA
﹁クソ!! あいつら、日本の政府開発援助の援助で経済成長の恩
くわだ
賞を貰ってをきながら、自分達が犯した経済破綻と環境汚染のツケ
を日本で清算しようと企てやがって。豚のように貪欲な大陸マフィ
アめ!!﹂
若い軍人が声を荒らげるが、誰も止めようとせず頷くだけだった。
﹁おい、若造。議長の話を止めるなよ﹂
議長の隣にいる参謀らしき男が一言釘をさすと、いわれた軍人は
静かに頭を下げる。
﹁皆、散々支那に煮え湯を飲まされてきのは知っている。だがその
感情は開戦後に存分に発散してくれ。そう遠くはないはずだ。だが、
それまでに何としても例の計画を実行しなくてはならなくなった。
皆をここに読んだのはその為だ﹂
議長の強い口調に一瞬間が生まれると、皆唾を飲んだ。
おしの
﹁この計画に、はぐれ陰陽道の一派を取り込んだ。既に向こう側に
忍野一尉を派遣し調整中だ﹂
﹁議長⋮それは⋮﹂
彼ら
﹁わかっている。だがもう時間がない、文科省には話を通した。少
々強引だったが、陰陽師なら我々よりも﹃あの死骸﹄の扱いには詳
しいだろう。京都の陰陽師達の参戦が期待できない以上、対外魔術
に対抗できる兵力は必須なのだ。ましてや大陸ではもう一緒即発の
状態だ。いつ戦争が始まってもおかしくない状況下で、戦力確保は
急務。それに、これ以上国のために志願した隊員たちをあんな粗末
な実験で無駄死にさせるわけにはいかんのだ。我々の科学力に限度
がある以上それを補う別の力が必要なのだ﹂
﹁しかし、議長。なのもあの⋮いえ⋮問題が一つあります。﹃あの
死骸﹄を扱わせるのに、京都の陰陽師たちに話を通さずにして大丈
夫でしょうか?﹂
﹁だからこそ、極秘でおこなうのだよ。それに300年闇に隠れた
あの陰陽集団だからこそ、自分たちの力が誇示できる場所を欲して
344
いる。彼らならアレについて何か策を持っているだろう、今はそれ
に期待するしかない﹂
フェイスマスクから見える議長の瞳には、確固たる信念が宿って
いた。全員がそれを感じとりそれ以上言葉を発する者はいなかった。
︱西暦2019年12月24日、埼玉県奥秩父某山中にて︱
月明かりに照らされた川岸で、一人横たわる男がいる。足と肩に
しまよしひろ
矢が刺さり、左胸には致命傷と言える白矢が刺さっていた。この男、
島義弘は先輩自衛官のシゴキによってここ奥秩父の某所にて、たた
一人で3日間のサバイバル訓練を強制されていた。
訓練開始後すぐに、轍と鳥居を発見し。その時から島の周りで異
変が起こりはじめた。突然の方向感覚の消失、時間感覚の失認に加
え謎の襲撃、理由も分からず山中を逃げ惑い満身創痍の状態で川岸
までたどり着くと、そこで弓を持った少女に左胸を射抜かれた。
射抜いた少女の名は月宮巴と言う。長い白髪に黒い弓道着に身を
包んだ巴は、島の呼吸が止まるのを確認すると島の方へ近づいてい
った。
そばまで来ると一度手を合わせ黙とうした。そして胸に刺さった
矢を抜こうと、島の身体に足を置いた瞬間。
﹁死ぬのは嫌だぁぁぁぁっ!!﹂
島が奇声を上げながら巴の足首を掴み上げる。
﹁へっ!? あっ、ちょっ﹂
突然の出来事に驚く巴は、バランスを保てつずに尻餅をついた。
すぐに起き上ろうとするが、片足を持たれ地に伏せられ状態から立
ち上がるのは困難を極める。
身動きが取れずにいると、島の腕が巴の両手を掴みながら押し倒
す。
無我夢中に覆いかぶさった島だったが、予想以上に巴の腕力が強
く必死に押さえつけるだけで精一杯だった。
﹁このガキぃ!! アブネェーだろうがぁ!! 何すんだまったく、
345
もう少しで死ぬところだったぞ、まったく。殺人未遂だぞこの野郎
ぉ!!﹂
﹁ぐっ、離せ。この無礼者が!! そんな汚れた手で私の体に触れ
るとはこの恥知らずめが!!﹂
ことあまつかみ
﹁うるせぇー!! なんで俺を殺そうとするんだよ!!﹂
﹁当然よ、お前は別天津神の鳥居を犯し、里の外門を開いたんだ。
里の掟で殺されるのは当然だ﹂
﹁うるせぇー!! この野郎ぉ!! 俺を殺そうとしたやがって。
いくら子供でもやっていい事と悪い事があるぞ﹂
﹁だまれ!! お前、いつまで私の上に乗ってるつもり。いい加減
おりなさいよ!!﹂
﹁おい!! 大人しくしろ。悪いがこのまま警察につき出すからな。
ほら、一緒に来い!!﹂
﹁だから、私に触るなぁ!!﹂
巴の膝が島の股間を打ち上げる。
﹁ぐぅぎぃ!?﹂
唸り声を上げ掴んでいた手を放すと、その隙に巴が島の左胸に刺
さっている矢を更に深く押し込もうとした。
﹁んぅ?﹂
げっこうしん
何故か矢が深く入らない。何か硬いものにでも当たっているのか、
いくら押しても矢尻が進んでいかなかった。
﹁このガキぃいい加減にしろ!!﹂
一番痛い急所を蹴られ、悶絶を耐えながら沸き立つ激高心に理性
したた
が止まる。そして島がついに巴の顔を掴むと、渾身の力を込めた頭
突きを額に食らわせた。
鈍い音が川岸に響くと、島の額が裂け血が顔を滴る。襲われる激
痛にその場で絶叫を上げ膝を着く。
﹁ぐおおおおおおぉぉぉ!! なんつー石頭だぁテメーぇ!!﹂
驚いたことに巴の額は無傷だった。
﹁阿呆ね、護符で守られてるのに、そんなことするからよ﹂
346
両手で額を押さえている島を見下すように眺めると、巴は左胸に
刺さった白矢を無造作に引き抜いた。
先ほどと違って簡単に抜けると、今度は右肩を貫通している矢を
掴むと左右に大きく動かしてみせる。貫通していた事で運良く止血
していたが、動かされたことで傷口が開き血が滲みだす。
ぐぎょう
﹁うぎぎぎぎぃぃ、いっ痛てぃ、ヤメロこの野郎!!﹂
﹁私の体に触ったバツよ、その愚業をその身に刻みなさい﹂
﹁じっ自衛官にこんな事して、タダで済むと思うなよ﹂
﹁あなたこそ、最初は可哀想と思ったけどだんだん頭にきたわ。そ
れに水月矢を心臓に受けて生きてるなんて、あなたの方こそ何者な
のよ﹂
﹁こっこのアマぁ、いい加減にしろ!!﹂
島が手を伸ばし襟元を掴みかかった時、足場の悪さに大きく身を
崩した。偶然にも横えりに掛けてた指を滑らせると、巴の襟元が大
きく開き、白く形のよい2つの乳房が眼前に表れる。
﹁あっ⋮⋮﹂
あらわ
﹁へぇ!? ひっ、ひゃああああああああああああああぁぁぁぁぁ
ぁぁっ!!!!!!!!!!!!!!!﹂
耳を塞ぎたくなるような甲高い悲鳴がこだますると、巴は表にな
った自分の胸を手で隠しその場でしゃがみこんだ。今までの豪気な
態度が、一変して恥じらう乙女に変わってしまった。
そして、完全に戦意消失したまま赤面の顔に鋭い視線で島を睨み
つける。
﹁このケダモノめぇ!!﹂
目に涙を浮かべた巴を見て、島の心中は激しく動揺していた。
﹁ああっ、ゴメン。ほんとゴメン⋮ワザとじゃないんだ、決してワ
しゅ
ザとやったワケじゃないんだ。ほんっとごめんなさい⋮んっ? ち
おお
ょっと待て、何で謝らななくっちゃいけんだ俺?﹂
うふ
﹁鎮守を仰せつかった私に、このな辱めを受けさせるとは⋮この醜
夫め!!﹂
347
﹁ちょ、ちょっと待ってくれ、不可抗力だ。それに、それにだ。そ
しょうてい
もそもお前が俺を殺そうとするからだろうが、違うか?﹂
﹁弁解無用!!﹂
怒り心頭のまま、巴の掌底が島の顎に打ち込まれると、後ろに倒
れ後頭部を石にぶつけた。
﹁がはっ!!﹂
倒れた島に対して側にあったボーリング球程の岩を持ち上げると、
赤面に青スジを立てながら言い放った。
﹁コロスっ!! そして記憶を失え!!﹂
﹁わあぁ、よせっ!!﹂
投げ落とされた岩を間一髪のところで交わす。今までで一番身の
危険を感じた島は残った力を振り絞ってそこから逃げ出した。しか
こづか
し、射抜かれた右肩と左脚に加え足場の悪い川岸という悪循環の場
所ではすぐにバランスを崩して転倒してしまった。
急いで起き上がり後ろを振り返ると、巴が隠し持っていた小柄の
刃が再び亮の左胸を突き刺す。たが、勢い余って二人一緒に倒れこ
む。島の体に馬乗りになったまま巴の手が震えていた。
﹁何で、何で刺さらないのよ!?﹂
﹁やっやめろ⋮﹂
すでに満身創痍で精根尽き果てた島には、巴の手を掴むだけで精
一杯だった。上に乗った巴を振り払う体力は無く、このまま殺さる
のは時間の問題だ。
﹁心臓が無理なら、首を落とす!!﹂
島の手を振り払い刃を喉元に押し付けた。
つむ
さすがの島も今度こそはおしまいだと確信すると、ギュッと目を
瞑った。これまで自分が生まれてから過ごしてきた出来事が走馬灯
のように頭の中を巡りながら、自分がやり残した事や、やってみた
かった事も一緒に浮かび上がってくる。
最後にもう一度両親に会いたかったと思った時、様子が変な事に
気がついた。恐る恐る目を開けると、誰かが巴の手首を持ち、動き
348
を止めていた。
﹁落ち着け巴。落ち着いてそれをしまうんだ﹂
﹁兄さん、放してよ。この者は生かしておけないわ﹂
﹁兄として言ってるんじゃない、当主として命令してる。巴、放す
んだ。今すぐ﹂
そこに現れたのは、巴と同じ黒い道着を着た月宮誠だった。短髪
に堀が深い顔立ちのに流れるような細い切れ目、そして骨格のよい
体型をしていた。
﹁どう言うつもりですか? 掟を破るおつもりですか?﹂
納得しない様子のまま小柄をしまった巴が訪ねる。
﹁聞くな、妹なら兄の意見に従え﹂
﹁なら、月宮家鎮守である月宮巴として当主である月宮誠氏にお尋
ねします。護士法度の一つ﹃私的な歪曲を許さず、常に誠意を持っ
て説明するべし﹄ですよ﹂
﹁⋮巴、落ち着いて聞くんだ。現時点でこの里は外界との交流が一
部解禁された。その一部とはその男だ﹂
誠の指先が横たわる島に向ける。
﹁なっ!? そんな⋮﹂
おしの
驚く巴を尻目に誠はさらに言葉を続けた。
﹁これでよろしんでしょう。忍野一尉殿﹂
﹁ええ、感謝します。月宮誠当主様。本当に助かりました。我々と
しても身内が殺されたとあっては話がまとまるものも、まとまらな
くなりますからね。議長に変わって感謝します﹂
誠の後ろから島と同じ迷彩服を着て表れた忍野一尉と言うこの男
は、島より身体が細くメガネを掛けて笑っているが、その笑には冷
気しか漂っていなかった。
水戦
忍野はメガネを指でお仕上げながら呆然とこちらを見つめる島を
眺めてた。そして小さく囁いた。
﹁さて、どう報告したものか⋮﹂
争
西暦2019年12月24日、あと数分後に日本の﹃第一次極東
349
ロスト・ディッセンバーイヴ
戦争﹄開戦のきっかけとなる﹃欧州・アラブ戦争﹄が開戦するとは、
この時だれも考えていなかった。
350
スティグマ∼たんぽぽの子供たち∼ 番外編その②開戦前夜︵後
書き︶
みなさん、こんにちは。朏天仁です。今回の話いかがでしたでし
ょうか? 今回は番外編を載せてみました。本当はこの話はもう少
樢替
てへぺろ
し経ってから載せようと考えていのですが、作者の都合上今回載せ
ていただきました。︵
さて、前回は亮の両親が出会った話でしたが、何やらお互い険悪
なムードで終わりましたね、この先この二人は一体どうなるのか?
乞うご期待ください。
最後にここまで読んでれました皆さんに感謝を述べさていただき
ます。本当にありがとうございますm︵︳︳︶m
351
その男、謎深きこと
﹁さてと、早速なんだけど。この前の君が利用している﹃都島リハ
ビリセンター﹄近くの通学路で事故があったのを知ってるかな? 普段あんな所で事故なんで滅多に起きるもんじゃないんだけど、事
故は起きちゃんったんだよ﹂
﹁はい、知ってますよ。センターでもそんな話がありましたから﹂
亮は落ち着いた口調で淡々と答えた。対して刑事の平松は外堀を
埋めるかのように、大雑把な質問内容から聴き始めている。
何故なら、相手の言葉に嘘や矛盾がないかどうか確認していくか
らだ。まずは亮が関係ない第三者として質問し、次第に確信をつい
た質問切り替える。大抵の場合は最初の質問から少し矛盾がある回
答が出て来て、結局相手は最初に言った矛盾する答えを追求されて
ホシ
いく。徐々に追い込まれいき最後は自白する事になる。取り調べの
上手い捜査官は1時間もしない内に相手の嘘を見破り、犯人を特定
することができる。あとはどう墓穴を掘らせるのかが腕の見せどこ
ろだ。
ホシ
しかし平松にとってそんな手間のかかることをしなくても、相手
を犯人と確信した時点でポケットに忍ばせた銀のてい針を使って自
白させるだけだった。
﹁これは誰にでも聞いてることなんだけど、君は当時センターにい
たんだよね﹂
﹁はい、いましたよ。その日はフルートの講習がありましたから﹂
﹁そう、フルートねぇ﹂
早速嘘が現れた。平松の裏取りではその日フルート講師である神
矢は公休になっていた。思っていたより早く墓穴を掘ってくれた事
で平松の刑事のカンが確信に変わった。それ以前にこの月宮亮の素
性を調べた時にあるはずのモノが無い事に強い不信感を抱いていた。
352
ポケットに忍ばせたてい針を強く握り、亮の首筋のツボに狙いを
定めた。
﹁あっ違った。すいません、間違えました。その日はフルートの講
習じゃなくて、書類を出しに行ってたんです﹂
﹁はぁ、書類? 一体何の書類だい?﹂
﹁同じ施設にいる葵って子の﹃施設見学届け﹄の書類ですよ。蒼崎
先生に頼まれたから俺が届けに行ったんです﹂
﹁そうか、それじゃ君はフルートの授業じゃなくて、書類を届けに
行ったんだね﹂
﹁そうです﹂
念を入れるような口調で確認する平松だったが、亮は落ち着いて
答えた。
﹁あの、刑事さん。3つほど聞きたい事があるんでけど﹂
﹁なんだい?﹂
﹁さっきから俺の話を聞いてるけど、全然メモしてないけど大丈夫
なの? 普通は何かメモするんじゃないの﹂
﹁これでも私は記憶力が良いんだよ。心配しなくても大丈夫ちゃん
と記憶してるから﹂
﹁それと、刑事さんて普通2人で捜査するもんでしょう。なんで一
人なの?﹂
それは迂闊だった。と、平松は思った。普通刑事は2人1組で捜
査する決まりだ。単独捜査は普通ならありえない。ここで怪しまれ
たら相手は警戒して口を閉じてしまう恐れがある、いくら取り調べ
に強制権を使える亜民でも黙秘権はある。ここで相手を警戒させな
い返答を何とか出さなくてはならない。
﹁⋮今、私の相棒は他の所に行ってる、ここでもう一人話を聞かな
くてはならない人がいるからね﹂
﹁ここで?﹂
亮の顔に陰がさす。
﹁刑事さん、それは誰のことですか?﹂
353
﹁それは言えないな﹂
顔色が変わった亮の変化に、平松は何かを隠してると確信した。
亮から向けられる強い視線を受けながら、危機感に似た寒い悪寒を
背中に感じた平松は、てい針を使おうと半歩足を出し間合いを詰め
る。
﹁あと、最後に一つ。刑事さん、さっきから気になってたんだけど、
そのポケットに何隠してんの?﹂
﹁⋮それはな︱﹂
平松が動いたその時、すぐ横から聞きなれた声が聞こえて来た。
﹁あっ、いたいた。亮君探したわよ﹂
﹁蒼崎⋮先生?﹂
二人の間に割って入ってきたのは蒼崎だった。いつものグレーの
パンツに白シャツに汗をにじませ、髪が顔の頬や首筋に張り付いて
いた。
﹁てっきり受付にいると思ったて探したけど何処にもいなかったか
ら、受け付けて葵ちゃんの事を聞こうとしたら丁度亮君を見つけち
ゃったわ﹂
﹁すいません、ちょっとこの刑事さんにいろいろ話を聴かれてたん
です。葵はそっちの外来処置室の一番奥のベットにいます﹂
﹁そう。連絡をもらったときはビックリしたけど、葵ちゃんの容態
はどうなの? どんな様子なの?﹂
﹁軽い熱中症です。本人も意識はしっかりしてます。あと点滴して
ます﹂
﹁そうなの、それなら大丈夫そうね。それよりも﹂
蒼崎が平松に視線を向けると、軽く会釈をする。
﹁こんにちは、刑事さん。確か・・・平松さんでしたよね。今日は
一体どうしたんでしょうか? うちの亮君が何か?﹂
﹁いえ、この前お話した事故の件ですよ。ここで偶然彼を見つけて
ね、この前話を聞こうとして聞けなかったから話だけでもと思った
次第です﹂
354
﹁そうだったんですか、それならこの前話した通りですよ。話は私
と同伴で行ってくださいって約束しましたよね。この子の現在の保
護者である私を無視して勝手なことはしないで下さい﹂
蒼崎の言葉に、平松はバツ悪そうに指で頭を掻き始めた。
﹁そうしたかったんですけど。待てど暮らせどあなたから全然連絡
が来ないからね。自分たちも早く報告書をまとめなくてはならない
んですよ。だからその辺は理解して下さいな﹂
﹁そのことですけど、私がうっかりして貰った名刺を無くしてしま
いまして、言われた携帯に連絡することが出来なったんですよ。そ
れで直接署の方に連絡したら、もう事故報告は済んでいるみたいで
したよ。これって一体どう言う事なんでしょうか? 平松さん、あ
なた本当は何を捜査してるんですか?﹂
﹁そりゃー、私達刑事はどんな小さな事も疑って見ますし、それに
確認の確認を徹底することを先輩刑事に叩き込まれてきましたから。
例え書類上終わったしまったことでも、常に再確認はするものなん
ですよ﹂
何とか平静を装いながら言葉を返した平松だったが、内心では早
くこの女性をこの場から退かせた方がいいと考えた。
ここしばらく事故の当事者少年達の聞き取りに時間をとられ、あ
まり署に戻っていなかった事が仇となった。既に事故調書作成が終
わっているということは、今頃はただの自動車事故として加害者の
書類送検で検事がカタをついてしまっているだろう。そうなったら、
今後の単独捜査がしにくくなってしまう。
あの時、事故現場で太上秘法鎮宅の霊符が青く燃えたことで、こ
わけ
の事件はには怪異が関わっていると確信しいる平松にとって、この
事件をただの事故として流してしまう理由にいかなった。
・・・・
ホシ
それに、目の前にいるこの月宮亮と言う青年を前にして、平松の
刑事のカンがこの男をあの事件の犯人だと囁いている。
﹁申し訳ないですが、すこしこちらの月宮君と話をさせてもらえま
せんかね。ほら、さっき言ってた子の様子も心配でしょうに、別に
355
変な事は聞きませんよ。あと2、3質問するくらいですから﹂
﹁いいえ、そういうわけにはいきませんから。ちゃんと話を聞きた
いのならこう言う場所ではなく、ちゃんとした場所があるでしょう。
ここで済まそうなんて失礼だとは思わないんですか?﹂
少し困った顔になった平松だったが、ここで護符を使って蒼崎を
大人しくさせてから、亮にてい針を打とうと考えた。
若干の人間に見られると思うが、そこは仕方ないと自分を納得さ
せ護符を出そうとした時、タイミング悪く携帯電話が鳴り出した。
﹁おっと、署の方から電話ですね。すいません、ちょっと失礼しま
す﹂
﹁構いませんけど、話はまた今度にしてもらえますか?﹂
きびす
﹁しかたないですね、それじゃ⋮話はまた今度そちらの施設に伺い
ますので﹂
それだけ言うと平松は踵を返してロビーの方へ戻っていった。
熱中症の患者で溢れかえるロビーの隅まで来ると、鳴り続ける携
ふんがい
帯画面を一度見てから電話に出る。
﹃どうして早くでない﹄
﹁すまん、立て込んでた﹂
電話の相手は、言葉に少し憤慨な感情が混ざっていた。
きゅうちゅうかしどころ
やたのががみ
えいは
﹁それでどうしたんだい。珍しいな兄さんから連絡をよこすなんて﹂
こんきゅう
﹃一時間前に、京都上宮院から宮中賢所の八咫鏡に影派が出現した
と一報が入った。場所は艮宮と寅の方向、お前が以前に太上秘法鎮
宅の霊符が青く燃えたと言った近くだ﹄
﹁それで俺にどうしろと?﹂
﹃すぐに調べろ。今その近くにいるのはお前しかいないからな、何
かしらの痕跡がまだ残っているはずだ﹄
﹁俺に調べろって言うのか、兄さん⋮それは随分と都合がよくない
か。この前の時、いくら言っても聞きてくれなかったのに、俺じゃ
なくお上から言われてから動くらいじゃ話にならねぇぞ。それにこ
れでも俺は一応刑事なんだよ。五行法印局にはかかわれないよ﹂
356
﹃あの時お前が正しかったことは皆知ってる。仕方ないだろう俺に
だって立場があるんだ、そう腹を立てるなよ。お前だって先に連絡
してきたくらいだ。この事が気になってるんだろ、なら協力しろ﹄
確かに気になってるから今もこうして捜査している。だが、ここ
で兄の言いなりで尻尾を降っていては向こうの思惑通りになってし
まう。それだけは絶対に嫌だったと平松は考え、ある提案を思いつ
いた。
﹁別にいいよ。その代わりそっちで調べもらいたい事がある﹂
﹃何!? 随分と偉くなったな﹄
﹁ギブ&テイクだよ。それくらい当然だろ。恐山のイタコを使って
﹃月宮亮﹄という男を調べてほしい、歳は19歳で亜民だ﹂
﹃何⋮亜民だと? お前ふざけているのか?﹄
﹁いや、大マジメだよ。その男の全ての情報が欲しいんだよ。生ま
れてから現在に至るまでのね﹂
﹃そんなの刑事のお前なら直ぐに調べられるだろうが、何でわざわ
えっけんこうい
ざイタコを使って調べるんだ。五行法印局をなんだと思ってるんだ、
これは完全な越権行為に当たるぞ﹄
﹁おいおい。自分のことは棚に上げといて、一体どの口が言ってん
だよ。それにもし役所とかが文句を言ってきてもそっちの方が上だ
ろう。なに遠慮してんだよ﹂
デカ
﹃⋮その男を調べてどうするつもりだ? 今回の事と何か関係があ
るのか?﹄
﹁別に、ただ気になるだけだよ。俺の刑事のカンが﹂
﹃そんな事にイタコを使うなんて承服できんぞ。キーボードを叩け
ば出てくる情報だろうが﹄
﹁無いんだよ﹂
・ ・ ・ ・ ・
﹃何がだ?﹄
﹁その男、名前以外はこの世に生まれた記録が無いんだよ﹂
村岡三尉は机上に肘をかけながら頭を抱えていた。ここ数時間の
357
しょうすい
内で酷く憔悴しきり、頬がこけている。
それもそのはず、自分達の偵察にだした部下を全員死亡させてし
まったのだから。戦時中、指揮官として部下を死地に送り出すこと
は嫌というほど経験してきたが、戦争なのだから仕方がないと思っ
ていた。だが平時になってから部下を失う事は思っていた以上にこ
たえた。
皆が一時の平和を手にしてから、突然最愛な人が亡くなる悲しみ
は大きい。ましてや極秘任務であった為、死亡届はだせずただの行
方不明者扱いにしなくてならない事に村岡の胸が痛み出した。残さ
れた家族は既に死亡している隊員達が、生きていると信じながら帰
りを待つ事に言葉が出なかった。
﹁一佐、大丈夫ですか?﹂
顔を上げると、そこのは心配した様子の竹中二尉が立っていた。
﹁お前か、何だ﹂
﹁状況は大体聞きました。心中お察しします。死んだ柴崎さんは根
室防衛線の時一緒に戦った間からでした。まさかこんな事になるな
んて﹂
﹁よせ、どう後悔しても後の祭りだ。それより何か用か? 俺はも
うすぐ播磨局長に状況報告をしなくてはならない、その後は査問委
員会で責任追及と、軍法会議が待っているんだ。何かあれば手短に
頼む﹂
﹁わかりました。では、L−211の居場所を特定しました﹂
﹁何ぃ!? 本当か!!﹂
﹁はい、死んだフクロウの隊員が持っていたカメラから断片的でし
たがデーターを解析した結果、復元に成功しました。早速中に入っ
ている人物の顔を顔認識ソフトを使用して照合した結果、L−21
1を特定しました﹂
竹中二尉が脇に挟んでいた茶色い書類封筒を差し出すと、村岡が
中の写真を確認する。
そこには亮と一緒に写っているL−211が写っていた。
358
﹁確かに、L−211に間違いない﹂
﹁やはりあの電話の相手が言っていた通りでしたね一佐。早速この
写真に写っている施設を特定してサーバーにハッキングを掛けた結
果、L−211は槇村葵と名乗っているそうです。それと今現在住
あいつ
んでいる住所も特定しました。そこに書いてあります﹂
﹁槇村だと!? 一ノ瀬の母方の旧姓だ。ありがとう竹中二尉。こ
れだけあれば何とか播磨局長を説得させて任務を継続させる事がで
きるだろう、さっそく伝えてくる﹂
﹁ちょっとお待ちください!!﹂
立ち上がろろとする村岡三尉を竹中二尉の手が止めた。
﹁一佐、データーを解析して一つ気になることありましたので一緒
に報告します。この男です﹂
そう言って竹中二尉が写真に指差したのは月宮亮だった。
﹁この男も一応顔認識ソフトで調べたのですが、旧防衛省のアクセ
ス権に引っかかり検索不能になりました。それと外務省の入国記録
にこんな写真がありましたが、一佐はどう思いますか? 一応顔認
識ソフトでは同一人物で間違いないと判定されましたが﹂
﹁これは⋮﹂
もう一枚渡された写真には、空港の入管所で撮られた思われるま
あいつら
だ若い月宮亮の顔写真だった。写真に刻印された日付から5年前の
写真で間違いない。
写っている亮の顔を見た村岡は思わず呟いた。
﹁これは⋮戦場を知った兵士の眼だ。間違いない、それも侵略軍以
上のな﹂
﹁やはりそうですか﹂
﹁竹中二尉、この男を徹底的に調べろ。我々の脅威になるようなら
排除する﹂
しんえん
村岡三尉が手にしている写真には、地獄を経験した者が独特に醸
し出す、深淵のように暗く冷徹な瞳をした亮が写っていた。
359
360
その男、謎深きこと︵後書き︶
こんにちは、朏天仁です。今回でもう41回を数えました。正直こ
こまで話が長くなるとは思っておりませんでした。
さてさて、今回の話いかがだったでしょうか。亮の元に忍びよる集
団、果たして亮は葵を守りきる事はできるのでしょうか? O︵≧
▽≦︶O今後の展開が気になってきますね!!
それと、今回も最後まで読んで下さってありがとうございます。
この作品が続くのも皆様とう読者あっての事です。今後もこの作品
をよろしくお願いしますm︵︳︳︶m
361
交渉決裂
よい
みょうじょう
西陽を照らす太陽が山間に沈み、夏の夜空に宵の明星が輝き始め
た頃、たんぽぽの駐車場に蒼崎が運転する車が戻ってきた。
先に降りた蒼崎が背筋を伸ばして葵が座る側のドアを開けた。
﹁さあ、着いたはよお二人さん。もうマナちゃん達は戻ってきてる
はずだけど、二人とも大人く待っててくれてるかしらね、少し遅く
なったちゃったみたいだけど。彩音が変な事してなければいいんだ
けどね﹂
﹁楓がいるから大丈夫だと思いますよ﹂
﹁あれ、楓ちゃんが残ってること何で亮君が知ってるの? 私言っ
たかしら?﹂
うっかり口が滑ってしまった。本当なら楓は支援学校に行ってる
家
はずだったが、ボイスと電話の中で理由はハッキリしてなかったが、
楓がたんぽぽに戻っていると教えられていた。
﹁えっ、あっ・・・おっーって、ほら先生が駐車場に入る時、楓の
部屋の電気が点いてのが見えたらから・・・﹂
﹁えっ、何だ。そうだったんだ、そうだよね。それよりも先生葵ち
ゃんを連れて行くから、亮君先に行って玄関を開けて来て﹂
後部座席に座ったままの葵はまだ顔色が悪かった。一応点滴が終
わってから再び医師に診てもらい帰宅指示が出された。本当は一晩
様子見で入院させたいと蒼崎が言ったが、結局葵が亜民ということ
で入院許可が出ないまま自宅療養になった。
隣で話を聞いていた亮は、分かってい事だが普通の市民なら何の
問題も無いまま入院できるのに、この扱いの差は何なんだとやるせ
ない気持ちになった。当然、あの病院ロビーに大勢いた亜民達も誰
ひとり入院されないまま帰されたに違いない。
﹁はいはい、了解しましたよ﹂
362
生返事を返しながら亮は玄関へと向かって行った。鍵を開けドア
を開いておいてから、亮はしゃがみこむとポケットからタバコケー
ス程の紫外線ライトを取り出して玄関を照らし始めた。
亮が玄関に仕掛けた蛍光物質に紫色灯が照らされ、幾つもの靴の
跡が浮かび上がっている。この蛍光物質の防犯装置は特殊な作りを
していて、まず特殊塗料を薄く塗って伸ばし乾かしてからその上に
粉末状の別の蛍光物質を散布しておく。こうしておく事で万が一侵
入者が玄関で靴を脱いでも、裾や靴下に付着した蛍光物質が床に足
跡を残してくれる。
﹁ここからじゃないのか﹂
電話のボイスが玄関から侵入した形跡は無かった。もっとも堂々
と入ってくる可能性は低いと思っていた。
浮き上がった足跡は3人分、どれも見慣れた大きさの足跡だった。
朝最後に亮が出たのでそれから帰ってきたのは楓にマナ、そして彩
音しかいない。しかも3人の跡のうちひとつは裸足だった。家で裸
足は彩音しかいない、歩幅の間隔も、大きさ形を見ても彩音で間違
いないし、他の2人についても同様だった。
﹁何してるの亮君? そこに立っていると邪魔なんだけど。早くど
いてくれないかしら﹂
﹁あっ、すいません﹂
﹁とりあえず葵ちゃん休ませるから、亮君リビングのソファーに寝
かせとりて、その間に私が部屋の準備しとくから﹂
亮は頷き、葵の腕を持って引き寄せた。少しふらつくが、葵は亮
が支えなしでも歩ける程回復していた。だが、油断はできないため
亮がしっかりと支えている。
蒼崎が早足で階段を昇っていくと、亮は葵を奥のリビングへと連
れて行った。ドアの隙間から光量と彩音達の声が聞こえてきた。
そのまま亮がドアを開けた瞬間。
﹁ビぃーンゴォォォォォォー!!﹂
黒い塊が亮の股間めがけて飛び込んで来た。突然の不意打ち、し
363
かも男の急所の中で一番痛い場所。亮は叫び声さえ上げられず悶絶
のままその場に崩れ落ちた。
﹁うげぇ・・・なんかぁー・・・・・・グシャーって・・・グシャ
っていった、気持ちワリぃ!!﹂
気持ち悪そうに自分の額を両手で押さえているマナが、奥にいる
彩音に伝えている。
﹁グッチョ!! グッチョやーレンジさん めっちゃグッチョや!
!﹂
亮の状況を見た彩音が、満面の笑で親指を立てている。
彩音の言うレンジとはマナのもう1つの別人格だ。マナは9歳の
時に解離性同一性障害︽DID︾を発症し亜民になった。マナの病
気は先天性ではなく、様々な発症因子で引き起こされた後天性であ
る。そして蓮二と言う名は、マナを虐待していた父親と同じ名だ。
ここ最近、主治医でもある蒼崎先生の心理療法効果によってあま
はかま
り表に出てこなくなっていたマナの別人格は、勝気の男勝りで、口
調が﹁オレ﹂に変わるのが特徴だ。他にも格好が袴を履いて髪を後
ろにまとめている。
﹁おう彩音!! 潰してやったぜぇ、多分な﹂
﹁最高やレンジさん!! メチャええでぇ!! 久々さに見たでぇ
レンジさんの﹃玉潰し﹄スカッとしたわ﹂
﹁ごっごっ・・・なっ・・・なに、・・・何すんだよ・・・ぐぅっ・
・・﹂
﹁何って!? そりゃーオメェーの胸によく聞いてみろ。マナを悲
しめやがってコノヤローめ!! 最近新しく入った葵っちゅう女と
ウハウハなんだと、だからちょっとお灸の代わりに繁殖不能にして
やろうと思ってな。イエーイ!!﹂
最後の掛け声と一緒に蓮二と彩音がハイタッチを交わす。 男性人格の蓮二は、気が強く彩音に対しても兄貴分的な態度をと
っているため彩音も手を出すことはない。それ以上に何故かレンジ
と彩音は仲が良い。
364
﹁ぐっぐっぐう゛う゛ぅ゛ぅ゛オオオオォォォォォォ﹂
膝を崩したまま未だに起き上がる事ができずにいる亮は、段々と
波のように押し寄せる言葉にできない痛みに襲われ身動きがとれな
いままだった。
さすがに心配になった葵が亮の背中に手を伸ばした顔色を覗き込
んだ。苦悶の顔で額に大量の脂汗を浮かべていた。
﹃りお だいじょうぶ?﹄
葵がスケッチブックに書いて見せるが、亮にはそれを見る余裕は
無かった。
ちょうどその時、2階から蒼崎が降りてきた。
﹁ちょっと、何やってるのあんた達は!? ちょっと亮君大丈夫?
どうしたのよ?﹂
﹁・・・レっ、レンジに・・・やられました・・・・・・﹂
﹁レンジ、あんた一体何したのよ?﹂
﹁別に、ただ繁殖不能にしてやろうと思っただけだよ。俺の必殺技
﹃玉潰し﹄をモロに喰らわせてやったんだ﹂
﹁大丈夫、大丈夫や先生ぇ。潰れてはおらんから大丈夫やとは思う
けど、それにしても少しオーバーやないの亮。男がそないなことで
倒れてどないすんや﹂
﹁何言ってんの二人共!! ちょっとこっち来なさい!!﹂
来るよりも先に蒼崎のアイアンクローが二人のこめかみを捕えた。
﹁ゴメンナサイは? 二人とも!!﹂
﹁痛い、痛いで先生ぇ!! 堪忍してやぁ!!﹂
﹁クソババぁ、いてぇだろう離せぇ!! この、イタタタタタ﹂
この時まで二人は大切な事を忘れていた。この﹃たんぽぽ﹄で一
番怒らせてはいけいの存在が蒼崎先生だった事を。普段は温厚な蒼
崎先生は怒るときは容赦なく怒るのだ。
﹁さあ、二人共。ごめんなさいは? それとももっとキツク絞めて
あげようかしら﹂
﹁イタタタタタ、テメェー本当にオンナかぁババア!! イダダダ
365
ダダダダ﹂
﹁あっアカン、アカン・・・先生ぇ、中身が出てまう、出てまうぅ
って。ホントに出るぅ!!﹂
徐々に蒼崎の手に力が入り、万力のように蓮二と彩音の頭が絞め
上がっていく。
ボス
二人の悲痛な悲鳴が連呼する中、その恐ろしい光景を亮の隣で眺
めてる葵は震えていた。こうして葵も﹃たんぽぽ﹄での支配者が誰
なのかを認識できただろう。これがトラウマにならない事を亮は願
っていた。
蓮二と彩音はしぶとく抵抗していたが、この技を2分以上耐えら
れた者はいないし、あまりの苦痛に根を上げる前に失神した者もい
た。
結局蒼崎のアイアンクローの前では時間の問題だった。どんなに
抵抗しても二人は49秒で根を上げた。そして亮に一言づつ謝り終
わり、ようやく解放された時には半分放心状態のままにソファーに
横たわった。
葵を横にしようとしたソファーを二人に占領された為、蒼崎が葵
を部屋まで連れて行くことになった。その間、亮はようやく悶絶が
落ち着きはじめると、自分の荷物を自室へと運び始めた。
部屋に入るなり真っ先に机の一番下の引き出しを外し、中からボ
ストンバックを引っ張りだした。中身を確認すると、思った通りホ
ルスターにしまったガバメントが抜かれた形跡があった。
ボイスがこの部屋に来たのは間違いない、あの時この銃を楓に使
っていたらと思うと亮は銃をギュッと握り締めた。
他に何かいじられていないか中身をベッドに広げて確認するが、
特にこれといっていじられた形跡は見られなかった。
内心ちょっと安心したその時、すぐ後ろでアラーム音がなり響い
た。
咄嗟に体をひるがえし銃口を向けた。見るとそこにはボイスから
渡された携帯を鳴っている。手に持って確認するとタイマーが17:
366
時間に遅れるなよ
40分でセットされていた。
﹁ふざけやがって﹂
恐らくボイスから
のメッセージだろう。約
束の時間まであと20分、指定場所の二柱神社まではここから直線
で約500メートルの距離だ。
相手から接触を試みている事から、今度は本人と逢う可能性が高
い。一応銃を背中のズボンに忍ばせる。
弾が入ってないにしろ、脅す事はできるだろう。今まで後手後手に
回ってきた為、ここに来て少しでも優位に立つチャンスなのだ。
向こうが何者なのかだけでもわかれば、こちらが優位に立つこと
も可能だ。これ以上後手にまわるわけにはいかない。亮は携帯をポ
ケットしまうと、階段を降りリビングを確認する。レンジと彩音は
まだソファーで横になっていた。
静かに玄関から出ると、道路で周囲を見渡した。特に監視されて
いる気配はなく、周囲を警戒したまま二柱神社を目指して進んでい
った。
日が沈み防犯灯に照らされる道を進みながら、目的地の神社に到
着した。二柱神社はそれほど大きくはない広さで、学校の25メー
トルプールくらいに少し余裕がでる程だ。
時間を確認するとちょうど18:00時だ。予定通り到着した亮
ごしんぼく
は、辺りを見渡した。真っ暗な神社内は灯はなく、拝殿と鳥居の間
にしめ縄を巻いた御神木が見えるくらいだ。
﹁おいおい何だよ。人を呼び出しといて向こうは遅刻かよ、たくっ
!!﹂
一応渡された携帯を確認してみるが着信は来てなかった。その場
で10分ほど待っていると、背後で人の気配を感じた。
多分近所の人かと亮は思ったが、足音がまっすぐ自分の方へと向
かってくると、それに合わせて鼓動が早まった。そして足音がすぐ
背後で止まると亮はゆっくりと振り返った。
﹁待たせたな﹂
367
﹁・・・・・・てっ、テメェー・・・それは・・・どういうつもり
だ﹂
﹁本当は少し前に来ていたけど、さっきそこでこの子を見つけてね。
丁度いいからこの子を使うことにした﹂
﹁お前は俺を怒わせたいのか? 一体何の真似だ?﹂
﹁それはこっちのセリフだよ。そっちこそ方こそ何のつもりだ﹂
﹁どう言う意味だ? 俺はお前が話がしたいから来いと言われたか
ら来ただけだぞ﹂
﹁腰に拳銃を隠してか。確かに来るよう言ったが、武器を持った相
ツケ
手と話をするなんてそんなハイリスクな事するわけないだろう。ひ
ょとして後ろから尾行られていたのに気づいてなかったのか。そん
なんじゃこれからの先行きが心配だな﹂
﹁やってくれたな!!﹂
亮は今にもその首を掴み絞め殺したい衝動に駆られたが、何とか
理性で踏みとどめていた。何故ならそこには、赤い梵字で書かれた
かりそめ
傀儡の御札を首に巻き、目を閉じた星村マナが立っているからだ。
﹁さてと。仮初の身体とはいえ、そんなに長くは保たないだろうか
ら要件を手短に済ませたいが、まず最初はコレだな。一度やってみ
たかったんだ﹂
マナは和服の裾を軽く掴み上げて広げると、少し膝を落として優
雅に一礼する。
﹁はじめまして、月宮亮様。ボイスと申します。以後お見知りおき
を﹂
普通にマナがドレスを着ていたなら美しい光景に写っただろう。
もてあそ
だが、今の状況では最悪としか言えなかった。ボイスの傀儡として
弄ばれるマナの姿は、亮をさらに逆上させるだけだった。
﹁予定変更だぁ、コノヤロウー!! まずはマナを玩具にしやがっ
たことを後悔させてやる。話はその後だ、その後で口が聞けるなら
な聞いてやる﹂
その言葉に殺意を乗せて、亮の瞳が暗い闇の中で琥珀色に輝きだ
368
した。だが、ボイスは臆するどころかそれを楽しむかのように笑っ
ている。
369
交渉決裂︵後書き︶
こんにちは、朏天仁です。今回の話どうだったでしょうか? 展開
を早く回すため、少し話を詰め込み過ぎたと感じたのは私だけでし
ょうか︵ーー;︶
さて、今回ボイスが登場しましたがこれは酷いよね︵;´Д`︶
マナちゃん大丈夫かな、亮もこれはマジで起こるよね。この後の続
きが気になると思いますが、最後にいつものこれを言わせて下さい。
今回も最後まで読んでいただきましてありがとうございます。今
回で無事42話まで進めることができました。それもこれも読者の
皆様のおかげです。本当にありがとうございますm︵︳︳︶m
370
守るべきもの
﹁それで、どうするつもりだ?﹂
亮は殺気立たせながら、瞳に映り込むボイスを睨みつけていた。
﹁どうした? いつまでそこに突っ立てる。そんなに睨みつけてな
いで早くこっちに来いよ﹂
プ
マナの身体を借りて話すボイスは、挑発するように指を動かした。
ラン
亮は今にも飛びかかって行きたい衝動を一瞬だけ抑え、瞬時に計
画を構成していく。マナの身体を操っている以上は、物理攻撃は無
理だ。下手したらマナを殺してしてしまう、それなら作戦は2つ。
まず一つは、マナの身体からボイスの術を切り離せばいい。だが
無理に引き離せばマナの精神に影響が出てしまう危険がある。
もう一つは、ボイス本人を見つける事だ。術は術士から離れれば
離れるほど力が弱まる。だからこの近くにいる事は間違いない。ど
こにいるのかさえ分かればあとは簡単だ。問題はそれをそこを特定
するだけの時間が無いことだ。
どっちにしろマナの身体を人質にされいる以上、手が出せない事
をボイスは知っている。イチかバチか亮は動いた。かなりリスキー
だが、マナの首に巻きついてる御札を剥がす事を選択した。
亮の指先がマナの首元に触れる瞬間、脳天から電流のような激痛
が駆け抜けると、悲鳴さえ上げられず横に倒れた。
﹁それがお前の弱点だよ﹂
﹁・・・何っ!? どっ、どう言う・・・意味だ?﹂
﹁やっぱりまだ弱いな。少し考えればわかったはずだ、自分が既に
結界内に囚われている事にな。激情にかられて自分を見失ったただ
のバカめ。お前それでも﹃桜の獅子の子供たち﹄の生き残りか?
そのみっともなさに、お前の﹃夜叉蛇﹄が泣いてるぞ。 恥をしれ
!!﹂
371
﹁うるせぇ!! 面と向かって話もできねぇ奴が、偉そうに説教た
れてんじゃねぇ!!﹂
虚勢を張り上げなおも立ち上がろうとするが、さっきより強力な
痛みが全身を駆け巡った。
﹁ぐぎいぃぃぃ!!﹂
﹁吠えるな、餓鬼めぇ!! それと大人しく鬼門を閉じないとバラ
バラになるぞ。下を見てみろ﹂
ボイスの指先が地面を指す。そこには薄く小さな鱗のようなもの
が地面を波打っていた。凝らして見れば神社内の地面を巨大な一匹
の大蛇が泳いでいる。
みずち
おろ
くく
もり
さんえいくくり
﹁この二柱神社は鬼門を相殺する二つの気脈が集まる場所だ。そこ
に水蛇を卸し括りの杜にした﹃三衛括の陣﹄だ。そういえば2年前
も括られたそうだな、どうだ苦しいか? 同じ括りの術に苦しめら
れるのは﹂
﹁テメェー、一体・・・﹂
体をわずかに動かしただけでも、内側から何枚ものカミソリでジ
さんえいくくり
ワジワ切り裂かれる感覚に体が襲れる。苦悶に顔を歪める亮にとっ
て、精一杯の虚勢を出すのがやっとだった。
むしば
なんとか歯を食いしばり耐えているが、この﹃三衛括の陣﹄は着
実に亮の体を蝕み始めていた。
﹁鬼門を閉じろ。死にたいのか?﹂
﹁ハアッ、ハアッ、そうかよ。俺にそんな脅しが通じると思ってん
のか? おめでたい奴だな﹂
﹁ほう、死にたいようだな。そうか、そうか。なら早く死ね!! ただし、お前が死んだらこの娘も一緒に死ぬぞ。それでいいのか?﹂
亮が血走った目で睨みつける。
﹁マナを殺すきか・・・テメー・・・﹂
﹁誰が殺すと言った、死ぬと言ったんだ。身体を間借りしていると
は言え、若干の意識混濁はあるんだよ。この娘はお前が死んだらこ
こで死ぬ気だ。それでもいいのか?﹂
372
﹁ぐぅっ﹂
﹁いいかげに頭を冷やよ。話が終わったらすぐに返してやる。それ
にもう時間が残り少ないぞ、このまま時間が掛かればどんどんこの
娘に負担が掛かっていくぞ。それでもいいか?﹂
﹁ぐっ﹂
亮は地面の土を握り締めた。それは己に弱さと悔しさの表れでも
あった。そして自分の命の他にマナの命が一緒になっている。マナ
を助けたい気持ちと失いたくない気持ちが相成って、亮の琥珀色の
瞳が徐々に黒色に戻っていった。同時にさっきまで襲われていた激
痛も和らいでいく。
﹁それでいい、懸命な判断だ。この娘も安心してるぞ、それに今お
前を亡くす訳にはいかないからな﹂
﹁いつか、お前を、お前にこの代償を払ってもらう﹂
﹁早速だけど前にも話したと思うが、お前に前任者の変わりをして
もらいた﹂
﹁・・・人の話聞けよ﹂
﹁時間がないんだ。続けるぞ、前任者の任務はある施設に幽閉され
ている対象者を拉致し、こちら側に引き渡すという事だった。だが
前任者は対象者を拉致した所までは成功したが、何を思ったかこち
ら側に引き渡す途中で裏切り敵の手に落ちた。予想外だったよ、だ
が運がいいことに対象者はまだ敵の手に落ちていない。むしろある
意味では安全な場所で保護されている﹂
﹁なら、それでいいじゃねぇかよ。何でわざわざ俺に頼むんだ? 俺には関係ない話だろうが﹂
いくらか体が動くようなってきた亮はゆっくりと立ちがり、膝を
パタパタと叩いた。
﹁こっちの意思ではない。前任者がお前を選んだんだ﹂
﹁・・・どういう・・・意味だ?﹂
﹁残念なことに、対象者を保護してる人間達は何も知らされていな
い、むしろ保護してる事さえ気づいていないんだよ。前任者の計画
373
には時間がなかった、拉致して万が一不測の事態が起こった場合に
と、対象者を亜民に偽装して信頼のおける人物の元に預ける。彼は
そう言っていた﹂
嫌な予感と一緒に、亮の脳裏にあの子の顔が浮かんだ。まさかと
思って振り払っても浮かんできてしまう。
﹁嘘だ・・・そんなはずない・・・﹂
﹁亜民に偽装したのはいい手だった。おかげで他の外敵からは目を
そらせる事ができたし、テストの時間もできた﹂
﹁テスト? だと﹂
﹁そうだよ。最初は不良グループを使って間接的に始めさせてもら
った。おまけの銃を渡したおかげで、あの時お前がまだ鬼門を開け
ることができると確認した﹂
﹁おい、ちょっと待て。それってー﹂
﹁そうだよ。今話してんるのはこの前起こったバス亭の襲撃だ。ひ
とり余計な亜民が間に入ってきて失敗したと思ったが、予想以上に
上手くいってくれた﹂
﹁テメェー!!﹂
亮はボイスの首に掴みかかろうと手を伸ばしたが、すぐ手前で停
めた。どんなに殺意も持ったとしても、今ボイスの身体はマナの身
体なのだから。
﹁テメェーのせいで、みっちゃんが!!﹂
﹁名前などどうでもいいだろう。こっちには崇高な任務があったん
だ﹂
﹁何が任務だ!! そんなもんクソ食らえだ!! テメェーのせい
でみっちゃんはまだベットの上だ。みっちゃんの妹や、その家族が
どうな思いをしたと思ってやがる。みっちゃんは俺やマナ、それに
人身御供で産み落され
た桜の獅子の子供たち
たんぽぽ皆の友達だったんだぞ、それをテメェーは!!﹂
﹁それが何だ。﹃生まれながらの大量殺戮鬼兵団﹄が今更善人ツラ
してんじゃねぇよ。お前自身はどうなんだ、自分自身の過去から目
を背けといてこっちを人でなしのように罵しる事ができるなんて、
374
たいしたご身分だな。お前が殺してきた人間の中に子供はいなかっ
たなんて言うなよな。自分が何者だったかを思い出してみろよ、散
々戦場で血と屍の山を求めた殺人鬼が今頃になって愛だの平和だの
と口にするのか? 笑わせんじゃねぇよ、お前が今更改心したから
と言って過去からは逃げられないんだよ﹂
﹁テメェーは・・・一体何者なんだ?﹂
﹁どうだ。違うなら違うと言ってみろ。ほら、さっきの威勢はどう
したんだ。反論はどうした? 正論を言われて何も言い返せないか﹂
正直、亮は何も言い返せなかった。自分がこれまで生きてきた過
去は、ボイスの言う通りただの殺人鬼だった。声を上げて、それは
違うと言う事もできないまま、亮は黙って奥歯を噛み締める事しか
出来なかった。
﹁そして次のテストはお前がちゃんと戦えるかどうかを見させても
らった。前任者のあのアパートにいた男を餌にした結果は申し分無
かった。ただ噛ませ犬だった道士との力の差があり過ぎたのが反省
点だったな﹂
﹁あれはその為のものだったのか、じゃあその後の変な集団や、ホ
ムンクロスの襲撃もテストだったんだな﹂
﹁あれは違う。あれはお前の叔父である月宮誠が仕組んだ事だ。こ
っちはそれを利用しただけさ﹂
﹁叔父さんが? 何で?﹂
﹁さあな、お前を戻すためだろう。獅子は獅子の世界に帰る。今の
お前の存在は歪そのものなんだろう﹂
﹁ふざけるな!! 人を駒みたいに使いやがって、何だと思ってや
がるんだ!!﹂
﹁何度も言わせるなよ。実際ヒトはただの駒で、お前はただの兵隊
蟻で間違いないだろうが﹂
﹁この・・・ッ﹂
﹁おい、いい加減にしとけよな。ここでああだ、こうだと、遊んで
る時間はないんだよ。前任者の任務を引き継いでもうらう。対象者
375
の存在はお前も薄々気付いているだろう﹂
﹁まさかとは思うが、ひょうとしてー﹂
﹁そうだよ。お前の所にいる﹃槇村葵﹄だよ﹂
﹁どうして・・・何で葵なんだ・・・葵が何をしたんだ﹂
薄々は感づいていたが、実際に言われてみても困惑を隠せなかっ
た。
﹁何をしたではない、これからするんだよ。ちなみに本名ではない
ぞ。どんなに探してもあの子の名前は存在しなかった、唯一識別番
号として施設内では﹃L−211﹄と登録されていたそうだ。そし
て作戦中のコードネームーは﹃アマテラス﹄だ。おまけに教えてや
るが前任者のコードネームは﹃タジカラオ﹄だ﹂
﹁ハッハッ、﹃アマテラス﹄と﹃タジカラオ﹄か、洒落のつもりな
らよくできたもんだな﹂
﹁んっ、どう言う意味だ?﹂
たか
ボイスは首を傾げながら訪ねてきた。以外にもボイスはこの意味
を知らないようだ。
あまはら
﹁お前古事記を知らないのか? アマテラスは古事記に登場する高
いわやと
天原の主神で、日の神様なんだよ。弟のスサノオウにイジメられた
アマテラスが天の岩屋戸に籠ってしまったのを、アメノタジカラオ
ノカミが岩屋戸を開けてアマテラスを外に出したんだ﹂
﹁そういう意味だったのか? 変な名前だと思っていたけど、意味
がわかるといいもんだな﹂
ボイスは関心したように頷いた。
﹁そうれで、さっきの続きだけど葵が何をしたんだ。どうして狙わ
れる? 目的は一体何だ?﹂
﹁それは関係ないだろうっと言えば済む話なのだが、本当はお前に
前任者の変わりではなく槇村葵を保護しながらこちら側に引き渡さ
ないでもらいたい﹂
﹁はあぁ!? どういう意味だよそれ。守っといてそっちに渡すな
って、一体どう言う事だよ!?﹂
376
﹁こっち側も一枚岩じゃないんだよ。特に武闘派連中のケツに火が
付き始めてしまって火消しが大変なんだ。槇村葵が予想外過ぎて計
画自体が狂い始めている、ここいらで軌道修正する必要があるから
少し時間が掛かるんだよ。その為お前の所で保護してもらいたい。
それだけだよ﹂
﹁その軌道修正が終わったら、葵をどうする?﹂
﹁大人しく引き渡せって言ったらどうする? 大人しく引き渡すか
?﹂
﹁それは葵次第だ。葵が行くのを嫌がったら、俺は葵を守る﹂
﹁他の同居人達がどうなってもか?﹂
﹁マナ達も守る!!﹂
亮の決意した言葉を聞いて、ボイスが笑い出した。予想外の返答
にしばらく失笑が止まらなかった。
﹁ハハハっ、なあー。ひとつ聞いていいか? どうしてお前はそん
なにあの亜民達を守ろうとするんだ? お前にしてみたら赤の他人
だろう、そうだ。お前がその理由を正直に教えたら葵の処遇を考え
てやる。お前が亜民達︽この娘ら︾をどうして守ろうとするのか、
どうしてそんな頑なに自分を否定するのか知りたいな﹂
亮は右手の拳で自分の心臓を叩くと惜しげもなく言い放った。
﹁俺の魂がこう言ってからだ。マナ達と一緒に見れる明日が、俺の
夢なんだ。それを奪う奴は例外なくブチ殺す!! ってな。それが
答えだよ﹂
﹁・・・そうか、それが答えか﹂
ボイスは少し思案顔のまま俯いた。よく見ると、マナに額に無数
セリフ
の汗が流れ落ち息遣いも荒くなってきている。そろそろ限界なんだ
ろう。
﹁随分と懐かしい言葉を聞かせてもらったよ。だがそろそろこの娘
の身体が限界だ。一旦終わりにする。また近い内にこちらから連絡
するから、あの携帯は常に持っておけよ﹂
﹁わかってる。だが今度マナの身体を利用したなら、こっちも手を
377
考えて対応させてもうからな﹂
﹁心配するな、そっちがちゃんと電話にでれば問題ない事だ﹂
ボイスが首に巻いている御札を剥がすと、緑に燃え落ちた。
﹁・・・一緒に・・・見える明日か・・・やっぱりそっくりだな・・
・島分隊長・・・の忘れ形見・・・か・・・﹂
マナの体から力が抜け落ちながら倒れ始めると、咄嗟に出した亮
の手に救われそのまま亮の体に寄りかかった。
﹁マナっ!! マナっ!! しっかりしろ!! 大丈夫かオイっ!
! マナ、マナ!!﹂
に
亮の問いかけにゆっくりと目を開き、意識を取り戻した。
﹁・・・りょっ、亮・・・兄ぃ﹂
に
マナの瞳に涙がにじみ始めた。
﹁亮兄ぃ、うっぐぅ、マナ・・・ひっぐぅ、亮兄ぃに、何か言わな
きゃいけないかったのに・・・ひっぐぅ、ひっっぐぅ、どうして・・
・なんで・・・ひっぐぅ、こんなに悲しいの? 亮兄ぃ、亮兄ぃ、
うっぐぅ・・・﹂
溢れ出す涙を何度も袖で拭い続けるマナの姿に、亮はマナの頭を
に
に
優しく撫で続ける。
﹁亮兄ぃ、亮兄ぃ!! ひっぐっ、うっぐぅ、はあああぁあぁあぁ
あぁ、あ゛あ゛あ゛ぁぁぁ﹂
マナの中で感情が一気に溢れ出だす。亮が今まで見たことがない
程の泣き声を上げた。マナ自身でも押し寄せる感情にどうしていい
いたいけ
かの分からず、ただ泣き続ける事しかできなかった。
マナの幼気な姿が、亮の胸の奥をギョッと締め付ける。たまらず
亮は自分の胸にマナの顔を抱き寄せると、胸の奥で苦しくて辛い感
に
に
情と一緒に、とても愛おしい感情が生まれた。
﹁亮兄ぃぃぃ!! 亮兄ぃぃぃ!!﹂
うず
さらに声が上がる。
自分の胸に顔を埋めて泣き続けるマナの気持ちを察しても、かけ
て上げる言葉が見つからない。歯がゆい思いのまま、亮はずっと抱
378
きしめて上げることしたできなかった。
379
守るべきもの︵後書き︶
こんにちは、朏天仁です。120年に一度の大雪に襲われ、家に缶
詰状態で書き続けてましたが、いかんせん執筆が遅いのが悩みの種
です︵ーー;︶
投稿も土曜日に更新してたのに、連続して日曜にずれ込んでしまい
した。反省すべき所です。
さて、次回は22日投稿を目指して行きたいと思います。
最後まで読んで下さった読者の皆様、本当にありがとうございます
m︵︳︳︶m
380
風が吹く
しょうえん
夏の夜空を照らす月明かりの下を、湿気を含んだ初夏の風がそよ
風のように吹き抜けていく。その風に乗って立ちこめる硝煙の香り
と、死体の焼ける匂いが鼻腔を刺激すると、ローブを着たミランダ
はハンカチを口元に当てて露骨に嫌そうな顔をしていた。
うっとう
﹁臭い、臭い。ほんっと臭いわ。二級人種の存在が許せないのは、
何をしてもこっちを不快にさせる事よ。特にこの燃えカス程鬱陶し
いものはないわね。今度はちゃんとマスクを用意しないと、私の肺
がこのカス共に犯されてしまうと思うと、ゾッとします。コイツら
が存在すること事態不快極まりないのに、神はどうして人間に似せ
てコイツ等をお創りになられたのでしょうか﹂
悪態を付きながらミランダは足元に転がっている成人男性の頭部
を蹴り飛ばした。焼けただれた頭部が地面の砂を立てながら転がっ
ていいく。
それをみたロメロ神父がやれやれといった顔を見せる。
﹁仕方なかろうミランダ。この国の劣等種に規律と忠誠を教え込む
のは我ら優良種の勤めでもあるんだ。これも神のご意思なのだから
従わなくてはならいのだよ。それに神の信徒として教えを疎かにす
ることはもってのほかだ﹂
﹁大佐は・・・失礼、神父様は平気なのですか? いくら聖痕の力
が戻ったとはいえ、まだ完全ではないのでしょう。何もそんな状態
で力を使わなくでも﹂
イエローモンキー
﹁ふっ、私をだれたと思ってる。心配しなくても大丈夫だ。これは
ただのリハビリなのだから問題ない。それに日本人を狩ることは今
の私にとって実に心地いいハビリでもあるのだよ﹂
笑を浮かべるロメロ神父の瞳が一瞬だけ光ったのを、ミランダは
見逃さなかった。
381
ウ
﹁それにしても、ポーンをさらった連中がどれほどの手練かと期待
ィザード
中国
韓国
しましたけど、期待はずれもいいとこだわ。東洋の狼といわれた陰
うた
陽師の力がどれほのものかと思ったけど、隣の赤サル白サルと変わ
んないわね。東洋一と謳われてれも所詮は二級人種世界での話、そ
もそも私達と比べる方が愚かなことでしたね﹂
辺りを見渡すミランダの視界には、爆心地のような光景が広がっ
てたいた。人間の形をしたケシ炭が幾体も横たわり、大量のガレキ
魔術士
と所々で燃えている残り火の状況はまさに地獄絵図だった。
﹁聖アントニウスの加護が戻ったにしろ、日本の陰陽師も堕ちたも
んだな。幻獣もまともに相手することができんとは、かつて我々を
かがりび
苦しめた日本のサムライ集団の面影すらない。そう思うと寂しいも
のだな﹂
倒れた篝火から風で火の粉が巻き上がる。それはまるで足元に倒
れる人間たちの魂が天に昇っていくような光景だった。ここは奥多
摩の某所にある山寺﹃陰徳寺﹄だ。五行法印局が管理する密教寺の
一つで関東連合全域に展開した結界柱のひとつでもあった。
ちから
この結界がある為にロメロ神父と部下のミランダ達は日本連邦内
で魔術を発動させる事が出来なった。だが協力者の助力によって一
時的に力を使う事ができるようなったことで、手始めに自分たちの
ちから
力を封印している都市結界の一つを潰してしまうことで、局地的で
ちから
はあるが魔術を発動させる事ができるようなった。
魔術を開放する事ができた北米幻魔道士団︽黒鉄の赤い十字架︾
によって、500年の歴史を保つ寺は焼け落ち僧兵たちの死体の山
が築かれていた。
せいてい
﹁それにしてもよろしかったのですが、勝手に﹃ロンバルディアの
聖釘﹄の場所を教えたりして。本国にしれたりでもした大変な事に
なりますよ﹂
﹁心配するな。教えた所で誰も手出しはできんよ。それに本国に知
られたとしても決定的な証拠がない限りは何もできんよ。疑わしき
は罰せずだ﹂
382
﹁責任者であるロメロ神父がそうおっしゃるなら、私はそれに従い
ます。ですが、本当にこんな所に﹃クルージュの奇跡﹄はいるので
しょうか? 私にはとても信じられません﹂
フィニカス
﹁やれやれ、それを確かめるたまにワザワザこうして来たんだろう。
それをいきなり幻獣神の﹃羽鳳凰﹄を召喚するからこんな結果にな
ってしまったんだろう。もう少し自重しろ、これじゃ痛め付ける楽
しみがないではないか、自らの巡業に少しの楽しみを持たなくては、
人生にメリハリを保てなくなるぞ﹂
﹁そうですね。今後は少し時間を掛けながら命を刻んでいきます。
私もこのサル共に楽しみを持って接していきます﹂
﹁よろしい。それでこそ神の子だ。エイメン!!﹂
ロメロ神父とミランダは同時に胸で十字をきった。
﹁それはそうと神父様。これはどうしましょうか?﹂
﹁ううん﹂
ミランダの足元に男が一人倒れていた。うつ伏せた男は目立った
外傷はなくただ気を失っているようだ。
﹁仰向けにしろ、ミランダ﹂
男を右足でひっくり返えした。見るからに中年オヤジだったが、
スーツを着ているため僧兵でないのは確かなようだ。
﹁何者でしょうか? コイツ等の仲間でしょうか、だとしら早速楽
しみながら殺しすとしましょう﹂
﹁待て、待て﹂
ロメロ神父が軽く指を弾くと光の球体が出現し男の顔を明るく照
らした。そこにいたのは平松警部補だった。次にロメロ神父が手を
マジック
伸ばすと、平松の全てのポケットから所持品が飛び出してロメロ神
イエローモンキー
父の手中に収まった。
ペーパー
﹁この日本人、連邦警察手帳をもってるくせに陰陽師が使う針や護
ナイト
ウィザード
パラディン
符まで持っていやがる。コウモリ見たいなやつだな﹂
ペンタグラム
﹁武士で陰陽師と言うことは、聖騎士ではないでしょうか? だと
するなら我々の相手は五行法印局の他に、治安当局も相手になるわ
383
けですね。ふっふふふ、これはちょっとした戦争になるでしょうね﹂
含み笑いを見せるミランダの頭の中で、戦術シュミレートが行わ
れていく。都市殲滅用の戦獣を市街地で投入した場合における戦死
たか
者の数は大まかに計算しても軽く200万は超える。それによって
殺処分できる民間人の数はその倍になるだろう。
そう考えただけでミランダの胸は高鳴り、感情が昂ぶる。
﹁落ち着けミランダ。そう結論を急ぐな。頭の回転が速いのはいい
事だが、先入観を持って考えると結果が偏ってしまうぞ。まずは多
角的視点で物事を見ることが重要だ﹂
﹁多角的視点よりも、今私達の目の前にある証拠が結果を示してい
ます。ここは先手を打っておくべきではないでしょうか? 早速本
国に連絡して﹃ヴォルフリューゲル聖獣旅団﹄の派兵を︱﹂
のろし
﹁ミランダ!! 忘れたのか、我々の目的は﹃クルージュの奇跡﹄
を回収する事だ。開戦の狼煙を上げることではないぞ。無用な戦闘
は避けるようジャネック枢機卿からキツく言われている﹂
﹁⋮申し訳ありません。少し度が過ぎました、以後気をつけます﹂
﹁少し火照ってるんじゃないのか、例のホムンクルスを倒した男が
気になってるんじゃないのか?﹂
﹁ホーンの話では﹃リョウ﹄とか言う名前でした。まだ子供のよう
でしたが、ミハイが倒されるとは予想外でした。あの強さ気になる
ところです﹂
﹁⋮⋮りょう、⋮りょうだと⋮⋮﹂
それまで気を失っていた平松が突然口を開いた。
﹁おっ、お前らは⋮あいつの⋮仲間か⋮過去の無い男⋮イタコから、
クルージュを⋮守るもの⋮、お前らも、その仲間か⋮﹂
まくし
平松の言葉を聞いた二人が顔を見合わせている間、平松は再び意
識を失った。
ミランダが襟元を掴み上げると、長い金髪を振り乱し捲し立てる
ように追求し始めるが、平松の意識は戻らなかった。
しばらくの間ミランダの様子を眺めていたロメロ神父だったが、
384
平松の手帳をペラペラめくり始めていた。だが、すぐにあるページ
で手が止まった。
﹁よせミランダ!! 落ち着け!!﹂
﹁しかし、やっと手掛かりに繋がりそうな状況だというのに、落ち
着いてなどいられません﹂
﹁そうじゃない、見つけたぞ﹂
﹁何をですか?﹂
ロメロ神父が見つけた手帳の内容には、﹃月宮亮︵亜民︶被疑者
濃厚重要参考人 出生不明。本日17時頃よりデータ検索できなく
なる。住居施設は﹃たんぽぽ﹄家族周囲、設楽ルミ施設長、蒼崎玲
子主任兼管理者、星村マナ︵亜民︶風間楓︵亜民︶神山彩音︵亜民︶
槇村葵︵亜民?︶﹄と書かれていた。
﹁あの電話の主が言ってた名前だ。見つけたぞ!! これが﹃クル
ージュの奇跡﹄だ。見つけたぞ、やっと見つけぞ。兵を集めろ、集
められるだけでいい。これより我らは﹃奇跡﹄の奪還に入るぞ!!﹂
真夜中を過ぎたたんぽぽで寝ていた亮は、ハッと目を覚ました。
網戸から吹き込む風と一緒に差し込まれる月明かりが部屋を薄く照
らしていた。
亮の視界に入ってきたのは見慣れた自分の天井ではなく、木目模
様の天井だった。一瞬自分がどこにいるのだろうと思ったが、直ぐ
に理解した。
神社で落ち着いたマナと一緒に帰った後、みんなで一緒に夕食を
すませてから蒼崎先生と少し話をした。その後でゆっくり風呂に入
って床につこうとした時に、自分のベットをマナと葵の二人に占領
されていたのを思い出した。自分の寝床を占領された亮は、仕方な
く1階の和室で寝ることにしたのだった。
﹁そうだった⋮ふっ、まったくあいつらはホントにどうしようもな
いんだら﹂
再び眠りにつこうと目を閉じるが、しばらくするとまた目を開け
385
た。決して涼しいとまではいかないが、夏の湿気を帯びた風が部屋
を循環してくれるおかげで寝苦しい夜とまではいかない筈なのだが、
何故か亮は寝付けなかった。
やがて、言いようのない圧迫感と不安が亮の胸の内から込み上げ
てくると、額に汗を浮かべ息が荒くなってきた。
﹁どいうしたんだよ。クソッ、ハアッ、ハアッ、一体どうしたって
言うんだよ﹂
亮が言い知れる不安に襲われているさなか、部屋の窓辺の向こう
から見える1本杉の大木に人影が一つ見えた。苦しそうに胸を押さ
え込む亮の姿を見つめる影に月光が差込むと、そこに月宮薫の姿が
現れた。傍らには薄くぼんやりと見える邪虎の姿もある。
薫は何をするわけでもなく、ただ亮を眺めていた。無表情のまま
赤く光る2つの瞳で真っ直ぐ亮の姿を捉えていた。
386
風が吹く︵後書き︶
皆さんこんにちは、朏天仁です。昨日更新予定でしたが、遅れてし
まい申し訳ございません。本当なら今回番外編を載せる予定でした
が、急遽変更致しました。今回の話から展開が急変し、このまま最
後まで駆け抜けようと思います。少し休憩はいれると思います︵^
︳^;︶
それで次回でお会いしましょう。ここまで読んで下さってありがと
うございますm︵︳︳︶m
387
招かねざる者
翌朝、東空からの朝日がたんぽぽの食堂を明るく照らし始めてた
頃。台所から蒼崎玲子の規則正しく立てる包丁の音が一日の始まり
を告げていた。大きな生欠伸を出しながら、顔を洗いに起きて来た
亮は洗面所の鏡に写った自分の顔を眺めてみる。
﹁⋮はぁん、ひでぇ顔⋮﹂
再び欠伸を伸ばしたとき、寝不足で頭の重い亮の鼓膜を激しく揺
らす怒鳴り声が響いてきた。ただでさえ寝不足で調子が悪い状態な
のに、一体どうしたんだと声のする方向に自然と足が向いた。この
頭にガンガンと突き刺つような独特な声の主はどうやら彩音のよう
だ。
まなこ
彩音の怒鳴り声ならいつも亮は聞いていたが、声はどうやらリビ
ングの方からだった。頭を掻きながら重たい眼をこすり様子を伺っ
てみる。
多方蒼崎先生と彩音が朝から口論でもしているんだろうと思って
みたが、今回はちょっと様子が変だった。いや、むしろ目の前に異
様な光景が広がっていた。
﹁こらぁー2人とも正座せぇいー正座!﹂
そこにいたのは寝巻きを着たままのマナと葵が申し訳なさそうに
正座をして、その前には般若のような形相をした彩音が仁王立ちし
て怒っていた。
普段の光景とはまったくかけ離れた状況がそこにあり、亮は一瞬
自分はまだ夢の中にいるのかと思った程だった。
﹁まったくマナ! あんたいったいいくつやぁー、もう14にもな
って何やっとんのじゃ!! こんなデッカイ世界地図を、よぉ描い
たなぁええぇ!! 未だにオネショすなんてぇええ恥ずかしいと思
わんのかいな﹂
388
ね
﹁⋮⋮うぅ、ごめんなさい。彩姉ぇー﹂
﹁葵!! あんたもあんたや、よりにもよってクズ男のベッドで寝
るなんて、しかもマナを抱いて寝るなんて、何て羨ましい⋮じゃな
くて、なんてはしたないんや!! 少しは良識と分別を持たんとア
カンでぇ!!﹂
それはお前だろう。と亮はツッコミたくなったが、状況がいま一
つ飲み込めていないため黙って聞き入ることにした。
﹃あやねさん ごめんなさい﹄と葵はスケッチブックに書いて見
せる。一番言われてくないそのセリフを、一番言われてたくない人
に言われてる葵だったが、今は反論せずに受け止めている。
﹁あの⋮先生。これは一体どうしたんですか? 彩音のやつ、一体
どうしたんですか﹂
亮は台所で焼きあがった卵焼きを皿に移している蒼崎に訪ねた。
どうやら彩音の起こっている原因は3つあるようだ。
一つ目はマナが亮の部屋のベットで寝ていて一夜を過ごしたこと。
二つ目はそこでマナがオネショをしてしまったこと。三つ目は今日
の洗濯当番が彩音であり、よりもよって亮のシーツを洗うという余
計な仕事増やしてしまったことが彩音の逆鱗を更に激情させたのだ。
葵に対しては、マナと一緒に寝ていたことを怒っているようだ。
﹁そういうことだったのか﹂
﹁そうよ、だから今は彩音には近づかないようにね。いらぬとばっ
ちりを貰うハメになるから、ご飯ができるまでほっとくのよ﹂
﹁はいはい、わかりましたよ﹂
﹁それよりも亮君、一つ聞いてもいいかしら?﹂
﹁何ですか?﹂
﹁昨日マナちゃん達が亮君のベッドで寝てたけど、亮君も一緒に寝
たの?﹂
﹁寝てません!!﹂
きっぱり否定すると、喉元に冷たいモノが押し当てられた。それ
が包丁と気づいたとき亮は唾を飲み込んだ。
389
﹁本当に!? 正直に話した方が身のためよ。後になって白状して
も許さないからね。どうなの?﹂
﹁⋮あの、センセェ!? ⋮どうしたんですか? 何かいつもと雰
囲気が違うみたいですけど⋮﹂
ともちゃん
包丁を向けたまま、目を据わらせ蒼崎の顔が近づいていくる。耳
元まで近づけると小さく囁いた。
﹁昨日、病院から帰ったあとにセンターの神矢朋子から連絡あって
ね。なんでも亮君が葵ちゃんを食べちゃったっていうのよ﹂
﹁えっ!?﹂
恐らく昨日葵が見せたがあのスケッチブックの内容だろ。あの瞬
間いらぬ誤解を生んでしまったと思ったが、そもそも神山講師と蒼
崎先生は元々親友だったのだかたら遅かれ早かれ話は届くと思って
いた。しかし、よりもよってこんなにも早く蒼崎先生の所に話が来
てしまっていたとは、亮にとっても予想外だった。
﹁⋮思いのほか⋮早かったんでね⋮﹂
﹁それじゃ﹂
蒼崎の瞳孔が広がると同時に、包丁の刃が喉に食い込み始める。
まずい、このままでは朝食を迎える前に、三途の川を渡るはめにな
ると確信した。
﹁誤解です!! 誤解ですってばぁ!! 俺は葵に何もしてません
から、あれは葵がまだ日本語に慣れてないまま書いたのを神矢先生
がそのまま本気にしただけですから。ホントに何もないですってば
!!﹂
﹁⋮⋮⋮よかろう。ただ、マナちゃんの事はどうなの? どう考え
てるのよ﹂
﹁どおって、別に⋮﹂
更に刃が食い込んできた。
﹁やぁ、ゴメンナサイ!! ゴメンナサイ!! マナは、マナは大
切に思ってますって、妹のように大事に思ってますって﹂
﹁は∼ぁ、ホント鈍感ね亮君は⋮﹂
390
﹁どう言う意味ですか?﹂
﹁なんで昨日マナちゃんが亮君の部屋に行ったと思うの、今までそ
んな事あった? あれはマナちゃんの防衛本能の現れじゃないの﹂
﹁防衛⋮本能って!?﹂
﹁亮君がどこかに行かないように、側にいたいっていう気持ちの表
れなんじゃないかしら、それな昨日の行動もガッテンがいくと思う
んだけどなーって、先生は考えてるんだけど。そんな事も⋮って、
亮君にはまだ乙女心はわかんないか﹂
﹁俺、男ですから﹂
﹁はいはい、それりよりも楓ちゃん起こしてしてくれるかしら。ま
だ部屋から出てきてないのよ、亮君お願い﹂
ついつい存在感の無さで忘れがちにされるが、このたんぽぽには
彩音、マナ、葵の他にもう一人風間楓がいるのだ。
彼女はちょっと特殊な亜民であり、ここに来た経緯も少し複雑だ
った。亮はあえて蒼崎に訪ねる事はしなかったが、楓の噂はセンタ
ーにいても何度か聞いた事があった。
あくまでも噂話だったが、亜民認定後に両親を殺害して医療少年
院に強制入所したらしい。唯一の肉親である兄はその後精神を病ん
で自殺したらしいとも聞いた。
こういう噂話には尾ひれがついて大げさになるは事は亮もわかっ
ていたし、第一楓本人とひとつ屋根の下で暮らしている中で、楓が
人を殺せるような人間じゃないのは確かっただった。それは、数多
の人を殺めてきた亮にはわかりきった事だった。
﹁はい、起こしてきますよ﹂
押し当てられた包丁を戻され、やっと解放された亮が台所を抜け
てリビングを通り抜け用途したとき、まだ彩音の説教が続いていた。
ふいにマナに目を向けると、薄蒼の浴衣を着ていた。たしか昨日
はその浴衣と薄桃色の浴衣を着た葵と二人で亮のベットに寝ていた
のを思い出した。
お互いの身体を抱き寄せ、少しだけ襟元がはだけ隙間から僅かに
391
覗かせる胸の谷間と、細く艶のある足をお互いに絡めあわせて眠る
姿が脳裏の駆け巡った。
あの二人の間に挟まって寝ていたら間違いなく一睡も眠れなかっ
ただろう、と思いながら亮は二人を横目でやり過ごした。
一瞬、マナのすがるような目と合ったが今回はマナが悪いため、
そのまま受け流しす。
︵そんな目で見てもダメだよ。今回は彩音の方が正しいから、あと
少しの辛抱だから我慢しろ!!︶
そう目で言葉を伝えると、亮は2階の楓の部屋へと向かった。
今にも底が抜けそうなきしみ音を立てる階段を上り終えると、楓
の部屋で軽く2回ノックをする。
﹁⋮⋮⋮﹂
返事がないためもう一度ノックをするが、これも応答がない。2
のっと
回ノックをしても返事がなかった場合はたんぽぽ内規則部屋に入る
ことが許可されている。亮もその規則に則ってドアを開けた。カー
テンを開けた窓から射す光が、明るく中を照らしながら部屋の奥に
楓の姿がった。
﹁ああ、またいつものアレか﹂
返事がなかった理由はいつものように楓が自分の世界に浸りきっ
ていたためだった。この風間楓は他の亜民とは少し違った能力があ
った。
しつけ
楓は生まれつき知的障害を持っていた。だが両親がそれを認めな
かったため、普通の子供と同じように躾ようとした為に、厳しい家
庭環境で自閉症を発症してしまったのだ。年齢は16歳で彩音の一
つ下だが、精神年齢は小学校低学年態度しかない。どこにでもいる
普通の亜民だがったが、蒼崎玲子が楓を受け持った時に気まぐれで
絵を描かせた事で楓の隠された才能が開花された。
楓は絵を描くことに没頭してしまうのだ。それも尋常じゃないく
らいずっと描き続けてしまう。
以前、丸2日描き続けたときは流石の蒼崎玲子も筆を取り上げた
392
程だった。しかも楓の観察力は凄まじく、ほんの数秒対象物を見た
だけでその細部まで記憶する事ができ、それをそのままスケッチブ
ックに忠実に写実する事ができる。
この能力が見つかった事で、楓の作品は日連埼玉美術協会写実部
の特待作品に選出され続けている。表向きの評価は亜民という事で
低く評価されているのだが、写実ファンの間では一般写実画の数倍
の金額で取引されていると以前蒼崎が話していた。この万年金欠状
態の﹃たんぽぽ﹄運営に、楓の絵が主な収入源になっているため、
皆楓の作業の邪魔だけはしない事が暗黙のルールになっていた。
﹁楓、先生がご飯になるから降りてきなってさ﹂
﹁⋮⋮﹂
﹁なあー、楓ってば!!﹂
﹁⋮⋮﹂
やはり楓は自分の世界に張り込んでしまっているため亮の声が聞
こえてない。以前は声掛けで気がついていたが、最近はそれだけで
はダメになっている。ここまでくると、強行手段として楓の視界を
シャットアウトするしか方法がない。
後ろからそっと近づき両手で両目を覆った。
﹁おい、楓。朝ごは︱﹂
﹁うはあああああああああああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!
!!!!!!!﹂
︱パシーンっ!!︱
はい
だいじょうぶです
﹁あら、さっきスゴイ声が聞こえたみたいだけど、大丈夫?﹂
﹁はひ、らいひょうぷてす﹂
楓と連れて1階に戻ってきた亮の頬が晴れ上がっていた。突然視
界を塞がれパニックになった楓のビンタを食らったのがハッキリと
わかった。
﹁そう、その様子だと亮君が行ってくれて正解だったみたいね﹂
393
さては
ハメましたね
まったく
﹁ひゃては、ひゃめまひたね、まっひゃく﹂
何
してるんですか
﹁いいじゃないのよ。先生だって朝ご飯で手がはなさせなかったん
そのわりには
だから﹂
﹁そのはりにゅは、なひしゅてるんてしゅか?﹂
亮の視界には、さっきまでマナと葵を説教していた彩音の上に蒼
崎先生が馬乗りになってアイアンクローを食い込ませている状況が
そこにあった。
しかも、マナと葵の浴衣が開けかけていて手で胸元を隠している。
二人共怯えた状態でお互い抱き合っている。
﹁ああ、これねぇー彩音が突然発情しちゃって今落ち着かせている
所なのよ。ふっふふふ﹂
﹁あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛アカン、アカン、先生ぇアカ
ン!! 出てまう、出てまうってアカン、アカン!!﹂
ミシミシと頭蓋骨を締めつけらながら、失神寸前な彩音が悲痛な
断末魔の叫びを上げていた。これは亮でもすぐに状況が理解できた。
彩音の性格上マナと葵の浴衣姿に欲情し、そのまま押し倒した所を
蒼崎先生に捕まったんだと。
この光景こそ普段からある﹃たんぽぽ﹄の日常だと亮は一人頷い
た。
﹁ほらほらみんな、いつまでも立ってないで朝ごはん食べる準備し
なさいね。亮君は顔洗って着替える、マナちゃんと葵ちゃんそれに
楓ちゃんは着替えてくる。さあ、みんな動いた動いた﹂
蒼崎の合図で皆が一斉に動きだ出した。
﹁おっと、彩音はこのままね。みんなが着替えてきたら手を放して
あげるから、それまで先生と一緒だから。ねぇ!!﹂
﹁あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛﹂
更に蒼崎のアイアンクローが締め上げた。
全員がそろってテーブルに着いたのはそれから10分もかからな
かった。彩音は蒼崎のお灸が聞いたのか、黙ったまま箸を手に持つ
と﹃いただきます﹄と言って食べ始めた。
394
朝食のおかずは卵焼きに、昨晩の残りのサラダに二品だった。
食べ始めてすぐ、いつもなら談笑混じりの朝食なのだが、今日は
皆静かに食べていた。
たまにこういう静かな日もあるのだが、結局皆その静けさに耐え
かねていつも先人を切ってしゃべりだす奴を待っているに過ぎなか
った。
﹁大体や、うちがマナや葵ちゃんの寝巻きを洗うんのはいいとして
もや、なんであの臭いベッドまでうちが洗わなぁいかんのや!﹂
﹁・・・・悪かったな。臭いベッドで!!﹂
確かに臭いといわれてみれば、ここ3日間布団を干した記憶はな
く、毎晩自分の寝汗が染み込んだベッドはさぞ臭かっただろうなと、
そのへんの所は彩音に悪いことをしたと思った。
﹁うぅ⋮別に亮兄ぃーのベッド、マナ臭いと思わなかったよ⋮ね!﹂
﹃うん まなちゃん いいにおい してた﹄
どうやら一緒に一晩を過ごせて、2人は親睦を深めたようだ。
しかし、その会話が彩音の逆鱗に触れることになった。
﹁おおおおぉぉぉぉぉ︱︱︱︱のれわはぁぁぁぁ、ほんまにぃぃ︱
︱反省しとんのかぁぁぁ!!﹂
彩音の罵声がマナと葵の鼓膜を揺らすと、さらに強烈なゲンコツ
が2人の頭に仲良く落ちた。
ゲンコツをもらった2人は両手で頭を押えると、涙目でもう一度
彩音に謝った。
その光景を朝食を食べてながら見ていた青崎は、そろそろ頃合だ
と思い助け舟を出すことにした。
﹁ちょっと彩音、もうその辺でいいでしょう。ほら3人とも早くご
飯食べてくれないと片付けられないでしょ﹂
﹁先生は2人を甘やかし過ぎや、亮だってズルイや、今までだって
マナと一緒に寝たことあるやろうが、うちだって一緒に寝たいのに
⋮﹂
﹁あのねぇ、彩音と一緒に寝たらみんな危ない道に入っちゃうでし
395
ょう。一緒に寝るのが亮君だからいいのよ﹂
﹁何でやぁ!! 不公平やぁ!!﹂
﹁ごちそうさま﹂
会話を打ち切るように一番最初に食べ終わった楓は、てきぱきと
食器を片付けると部屋に戻っていた。楓はいつも一番に食べ終わる。
よっぽど仕上げたい絵があるんだろう。
﹁ほら、みんなも楓でみたいに早く食べちゃってちょうだい、片付
ちくさく
けるのは私なんだから、それと亮君今日の予定は? もし手が空く
んだったら庭の野菜に竹酢をまいといてほしいんだけど、最近虫が
多いいみたいだから﹂
竹酢とは竹酢液のことで、竹炭を製造するときに出た煙を冷やし
て集めた液体のことだ。害虫が嫌いな匂いを発しているため、無農
ハローワーク
薬野菜をしている﹃たんぽぽ﹄の家庭菜園にはなくてはならない必
需品なのだ。
﹁はい、別にいいですけど今日はこれから本庄の職安に行ってこよ
うと思ってます。午後には帰って来れると思うから、竹酢は帰って
来てからでもいいですか?﹂
﹁そうねぇ、⋮まあ午後でもいいわよ。それじゃあー頼んだからね、
亮君﹂
﹁はい﹂
その会話を聞いていたマナは﹃マナも一緒に行く!﹄と言おうと
したが、もしここで言うようものなら、また彩音に何か言われる気
がして、そのまま飲み込んだ。
﹁ご馳走様でした。それじゃーこれ片付けたら行ってきます﹂
食べ終わった亮は食器を台所まで運ぶと、部屋に戻りバックを手
に持ってそのまま玄関まで降りていった。靴を履いて玄関から出る
と、いつもみたいに特殊蛍光塗料が巻かれていることを確認してド
アを閉めた。
玄関を出た亮は、昨夜から感じている視線のようなモノを感じて
いた。
396
2・3回辺りを見渡しても、とくに変わった様子は見られなかっ
たが、亮の胸の奥を得体の知れない何かが警告を発していた。
背中に悪寒が走り、妙な胸騒ぎに襲われる。昨日のボイスの言っ
ていた言葉がよぎったが、戻ってくるまでは葵は家にいるだろうし、
こんな真昼間から襲ってくる可能性は低いと思っていた。ただの取
り越し苦労だと亮は自分に言い聞かせた。
数十分後に、亮の胸騒ぎが現実になるとは誰も予想していなかっ
た。
﹁さあ、後はあなた達だけだから、早く食べちゃって﹂
食堂に残った4人の中で、1人マナだけは残念そうな顔で最後の
一口を食べおえた。
﹁はら2人とも、食べ終わったら片付け手伝って。マナちゃんは最
後だから葵ちゃんと一緒にお皿洗いを洗って、彩音はテーブルを拭
いてちょうだい﹂
青崎先生がテキパキと指示をだすと、みんなキビキビと動きなが
ら後片付けを行いはじめた。
食べ終わったマナは葵は仲良く皿洗い、彩音はテーブル吹きと椅
子やクロスの片付けを行っている。蒼崎は残ったおかずを小さいお
皿にまとめてから、サランラップを掛けて冷蔵庫にしまい始めた。
みんなが朝食の後片付けをしていると突然、
︱ピンポーンっ!︱ 玄関のチャイムの来訪者を知らせた。その音に気づいた彩音が玄
関に向かおうとすると、青崎がそれを止めた。
﹁いいわよ、私が行くから。彩音はそのまま片付けやっといて﹂
蒼崎が廊下に出て玄関に向かっていると、もう一度チャイムが鳴
り出した。
﹁はーい、今あけますから﹂
随分と急いでいるお客さんのようだと蒼崎は思いスリッパを履き
替える。
﹁はいはい、今あけますから⋮⋮どちら様ですか?﹂
397
玄関の鍵を解除した瞬間。勢いよくドアが開いき蒼崎は後ろに飛
ばれた。
﹁キャッ!?﹂
入ってきた侵入者は、黒い覆面を被り紺の作業服を着た人物だっ
た。体格からして男だとわかるその人物は、慣れた手つきで蒼崎の
口を手で塞ぐと、もう一方の手で持っていたペン型麻酔銃を首に突
き刺した。
﹁むぐっ⋮!?﹂
全てが一瞬の出来事だった。何が起こったのかわからないままの
蒼崎は、首に軽い痛みを感じると体中から力抜けていくのを感じた。
︵たっ⋮大変⋮みんなに、みんなに⋮知らせな⋮きゃ⋮︶
声を発せずに唇を虚しく動かしながら、蒼崎はそこで意識を失っ
た。
ハローワーク
職安の外は今日も暑い真夏日を更新中で、駐車場のアスファルト
から熱気が立ち上っていた。職業安定所の入口前は様々な年齢層の
人達で混雑していて、入口周囲ではオッサン連中が数人たまってタ
バコを吸っている。
簡単に言うと、職業安定所とは文字通り仕事を探している人の他
に現在求人募集をしている会社の情報を教えて、自分にあった仕事
を教えてもらう場所でもある。
﹁はぁ∼、やっぱりダメかなぁ・・・﹂
駐輪場内で大きくため息を吐きながら顔を下に向ける。ため息の
原因はこの不況の中、一般の市民でさえ一般就職が難しく、ほとん
ど契約社員が限界なこのご時世に、市民よりさらに下の亜民が勤め
られる仕事があるわけがない。
入る前から諦めムードが漂ってくる。しかし、亮にしてみても引
くに引けない事情がある。
それは﹃たんぽぽ﹄の経営がギリギリなのだ。ただ飯を食べさせ
てもらっている身の亮は、いつも肩身の狭い思いを感じていて、何
398
とかして台所事情だけでも楽にしてあげたいと思っていた。
以前来た時は﹃どんなキツイ仕事もやります﹄と交渉しても、仕
事自体がないとすればこれ以上交渉の仕様ができなったかのを思い
出した。
今日こそは仕事を見つけなと。気を引き締めてから、カバンに入
れた書類を確認している時、突然後ろから声を掛けられた。
﹁あらら大変ね、やっぱりこっちに来なさいって!﹂
聞き覚えのある声に亮は後ろを振り返ると、そこには霧島副教官
が立っていた。
この前と違って、LRAKの代わりに香水の臭いを漂わせていた。
しかもスーツを着ている。
﹁何の用ですか? 失業でもしたんですか? 失業保険の説明会な
ら今月もう終わりましたよ﹂
無愛想のまま話しかけると、再び鍵を探し始めた。
﹁違うわよ!! 仕事の話があってきたのよ。君がハンターの仕事
をやりたがらないのはわかってるわ。でもそれで﹃はいそうですか﹄
って引き下がるわけにはいないわ。あなたも知ってるでしょう、こ
の前話した通り最近ハンターが犯罪者を殺しまくってることを﹂
﹁さあね!! 俺には関係ないことだ﹂
普通の生活を望む亮にとってみれば、犯罪者がハンターや犯罪者
が増えようが減ようが関係ない話だ。
﹁どうせ仕事なんて無いでしょう? だったら話を聞くだけでもい
いじゃないの﹂
亮は手を止めると、霧島の方を向く。
﹁残念だけど仕事ならちゃんとありますよ。これから帰って畑に竹
酢を撒く仕事があるんだよ﹂
亮は皮肉を込めてキッパリと言い切った。
﹁⋮⋮あのねぇ、そう言うのを屁理屈っていうのよ!! とにかく
聞いて、この秋にハンター法の大規模改正が始まるに当たって、ハ
ンターの行動に制限を設けよっていう議論が出始めてるの。でも司
399
法省が頑として拒否の姿勢を貫いてるのよ﹂
﹁だから何? 生死を問わず捕まえる特権が最高裁で認めてあるん
だから、しかたがないことでしょう﹂
亮は呆れた風な顔を桐原に向ける。
私
﹁確かにそうだけど、でも殺人を起こしてない犯罪者も一緒に殺さ
たち
れたんじゃあ、犯罪者だって堪ったもんじゃないわよ。バウンティ
ーハンターはあくまでも犯罪者を捕まえる捜査官なのよ。このまま
いったらただの殺し屋集団に成り下がるわ﹂
﹁ますます俺には関係ない話になってきたな。さあ、もうどういて
ください﹂
霧島の問いを素っ気なく返した亮は、カバンの中から自転車の鍵
を見つけると鍵を外した。
﹁全員が殺されたんじゃ、検察官も失業しちゃうわよ!! それに
君だったらハンターとして、いい手本になると思うから!﹂
﹁何で⋮﹂
自転車と駐輪場から出そうとした亮は、動きを止めた。
﹁何で俺が⋮⋮いい手本になるんだよ?﹂
ゆっくりと霧島へと振り返る。その顔に怒りを含ませながら。確
かにハンターとして活動していた時期はあったが、素行の悪い犯罪
者に必要以上の暴行を加えたこともあった。決して霧島の言ういい
手本になるわけがなかった。
しかも今は亜民として生活している。亜民のバウンティハンター
なんてBH法が施行されてから一度も聞いたことがない。
﹁あらら、そんなに気になるの? だって国家資格持ってるでしょ
!!﹂
亮の内心を知ってか知らずか、霧島はふてぶてしい笑みを向ける。
﹁茶化さないで下さい!! あれはあんたが勝手に持ってきたんだ
ろ!﹂
あの人
﹁あなたは犯罪者を半殺しにしても、これまで一度も殺しは行って
いないじゃない、それに⋮⋮あなたは﹃刀帯教官﹄を生きて捕まえ
400
てくれた。私がその場にいたら、私は間違いなく﹃あの人﹄を殺し
ていたわよ!! だららそれが理由よ﹂
刀帯教官の名を聞かされると、頭の中にあの﹃連続児童誘拐殺人
事件﹄の記憶が断片的に蘇ってきた。
思い出したくない記憶。忘却の彼方に忘れようとした記憶を思い
だし、急に亮の胸が締め付けられ心臓に針が刺さったような痛みを
感じた。
﹁それは誤解です⋮⋮⋮殺さなかったんじゃない、ただ殺すチャン
スを逃しただけです﹂
亮は今の心境を悟られないように、できるだけ平静を装いながら
答えた。
﹁でもあなたは殺さなかった、それはすごい事なのよ。私の知って
いるハンターでまだ人を殺してないのは君をいれて数人だけだがら。
だから今の模範となるハンターが必要なのよ﹂
都合の良い理由を出してくる霧島だったが、その表情は真剣その
ものだった。
﹁今の若いハンターの考え方を変えるのは、俺じゃなくてあんたの
仕事だろ。自分の仕事を他人に任せようとして、なに甘ったれたこ
と言ってんだよ!﹂
いくら頼まれても、今の亮はハンターに戻る気持ちは無かった。
﹁⋮⋮⋮そうね、その通りよ。でも言ったでしょう、私はもう教官
じゃないのよ。私は今﹃連邦国家バウンティハンター認定審査会﹄
の役員をやってて、もう第一線にはいないのよ﹂
﹁なら戻ればいいだけの話だろ!﹂
﹁そうともいかないのよ。私も上に昇ってやらなくちゃならないこ
とが沢山あるのよ、こんなところで遠回りをするわけにはいかない
わ﹂
﹁へーぇ、要するに自分の理想を満足させる為に、俺を駒として使
うわけだ﹂
冷めた視線を霧島に向ける。
401
﹁まあ∼平たく言うとそうね!﹂
﹁帰る。じゃあな!!﹂
話に嫌気が差した亮は、自転車にまたがるとペダルをこぎ始めた。
﹁ちょっとまって!﹂
咄嗟に自転車の前に出て亮の進路を妨害する。第一線を退いたと
いっても、このしつこさだけは未だに現役だろう。
﹁まだ何かあるんですか? いい加減にして下さいよ﹂
﹁ハンターに戻るのが嫌なら、また私の助手ってことで協力してく
れないかな?﹂
﹁またあの時みたいな事はしません、おれはハンターに戻るのが嫌
なんじゃなくて、普通に暮らしたいんだよ。これ以上俺の日常を乱
さないでくれ﹂
今の亮には﹃たんぽぽ﹄での暮らしがある。そしてこのまま穏や
かに人生を送りたいと願っている。過去の自分に戻って今の生活を
維持していく気はサラサラないし、それは亮の本心でもない。
今の亮は﹃サクラの獅子の子供たち﹄の月宮亮に戻ることではな
く、﹃たんぽぽ﹄の月宮亮でいることを望んでいた。
﹁いいかげん︱︱︱﹂
言葉を言い出した途中で、亮の携帯が鳴り出した。
﹁あらら、携帯鳴ってるわよ﹂
﹁わかってますよ!!﹂
亮はポケットから携帯を取り出してディスプレイを見ると、そこ
には﹃たんぽぽ﹄にいるはずの楓から着信が着ている。
﹁もしもし、楓? どうしたんだ?﹂
返事をしても携帯から返事が返ってこない。代わりに聞き取りに
くい音の他に、誰かのすすり泣くような音が聞こえてくる。
﹁もしもし楓!! どうしたんだよ? もしもし、もしもし。どう
した!!﹂
﹁あららーどうしたの?﹂
亮の様子から不穏な空気を感じた霧島が話しかけてくる。
402
﹃⋮⋮⋮うぐ⋮⋮⋮⋮⋮⋮亮⋮兄ちゃん⋮⋮⋮うぅ⋮⋮⋮ひっく⋮
⋮⋮﹄
やっと楓の声が聞き取れたが、その声は震えて泣いているように
も聞こえる、いや間違いなく楓の泣き声だ。
異様な楓の様子に、今朝玄関を出た時の嫌な予感が亮の中に広が
ってきた。
﹃どうしよう⋮⋮⋮⋮亮兄ちゃん⋮どうしよう⋮⋮マナが⋮ナマお
姉ちゃんが⋮⋮⋮⋮ひっく⋮﹄
﹁落ち着け楓、まずは落ち着くんだ。マナがどうした? どうした
んだ一体!? そこに蒼崎先生はいないのか? 今どこにいるんだ
? そっちで何かあったのか?﹂
亮はまず楓を落ち着かせようとするが、楓の次の言葉に亮は言葉
を失った。
﹁ひっく⋮⋮⋮⋮マナが⋮⋮⋮⋮マナお姉ちゃんが死んじゃうよ⋮
血が⋮⋮うぅ⋮⋮⋮⋮血が止まらないよ⋮血が止まらないんだよ⋮
ひっく、たすけて⋮お願い⋮⋮⋮⋮うぅっ⋮たすけてよ⋮⋮⋮⋮亮
兄ちゃん、うぐぅ⋮⋮⋮⋮マナお姉ちゃんをたすけてよ⋮ひっく﹂
403
招かねざる者︵後書き︶
こんばんは、朏天仁です。今回は少し文章が長くなってしまいまし
た。さあ、このままラストに向かって突っ走って行こうと思いまし
たが、番外編の方も仕上げて行かないとなので少しペース配分を考
えていかないと、と思います。
さて、今回の話はいかがだったでしょうか? 次回が気になると
ろこですが、次回は2週間後を予定しますのでよろしくお願いしま
す。
今回も、最後まで読んでいただきましたて本当にありがとうござ
いますm︵︳︳︶m
でわ、次回お会いしましょう︵´ー`︶/
404
人間の証明
先程までの晴天から急に雲行きが怪しくなり始めると、雲の間か
ら轟く雷鳴とスコールのよいな夕立が町を襲った。
走行中の車のワイパーを全開に動かしていても、フロントガラス
に叩きつける豪雨に対処する事ができない状況だ。
そんな豪雨降りしきる市民病院の駐車場に、一台の車が水しぶき
を上げながら颯爽と進入してきた。赤い高級スポーツカーで後ろの
バックドア部分が大きく凹んだSR車だ。運転するのはもちろん霧
島だ。地面に溜まった水たまりにタイヤが取られてスリップを繰り
返すが、そこを高度な運転テクニックで操作しながら車を病院入口
に付け終えた。
車の停車と当時に助手席ドアが勢いよく開くと、亮が飛び出し病
院内に駆け込んでいった。
﹁すみません!! マナはっ!! 星村マナはどこですかぁ!! ここに運ばれたって聞いたんですが!!﹂
周りの目など一切気にせず、受付事務員の女性に大声で訪ねた。
少しでも冷静に話そうとするが、高まった感情が声に混ざり無意識
に強調されてしまう。
﹁あの、落ちていて下さい・・・えっと・・・どちら様でしょうか
? もう一度話してもらえませんか?﹂
﹁星村マナがここに運ばれったて聞いたんだ!! 今どんな状況な
んだ? 無事なのか? どうなんだ? どこにいるんだ?﹂
﹁ちょっ、ちょっと待ってください。少し⋮落ち着いて下さい。あ
なたは⋮どなたですか?﹂
﹁俺は月宮亮!! たんぽぽに入所してる亜民です。ここに⋮あの、
ここに星村マナと他に彩音や楓も運ばれてるはずなんだ。どこにい
るんですか?﹂
405
﹁はぁ? 亜民!? ⋮ちょっと待ちなさいッ!! 今調べるから
ッ!!﹂
おうへい
少し怯えた表情の事務員だったが、亮が亜民とわかると急に態度
が横柄に変わった。面倒臭そうに搬送記録の氏名欄を指でなぞりな
がら探し始める。
﹁星村⋮⋮星村⋮⋮星村⋮⋮、見当たないわねぇー、ホントにこっ
ちに搬送されてるの?﹂
﹁⋮はい。間違いないはずです﹂
﹁でもねぇー、名前が見当たんないのよ。そもそもここは市民病院
よ。紹介状もないのに亜民が来れるわけないでしょう。ひょっとし
て緊急搬送されたけどすぐに別の病院に搬送されたんじゃないの?
そもそもここには亜民の患者なんて入ってないからさ、きっとそ
うなのよ﹂
そんな筈はなかった。この病院の亜民患者は少ないがちゃんとい
るし、亮の知っている荻野もここに入院している。明らかにこの事
務員は適当なことを言って亮をあしらをうとしているのが見て取れ
た。
苛立つ気持ちを抑えながら、もう一度尋ねる。
﹁いいえ、ここにちゃんといるはずなんです。もっとちゃんと見て
下さい!!﹂
﹁でもねー⋮⋮⋮うん、やっぱりいないわぁ。後で確認しておくか
ら、少しそこのイスにでも掛けて待ってなさいよ。それともまた来
る?﹂
﹁オ゛イっ!!﹂
亮が一括すると、一瞬で場の空気か静まった。周りの視線が一斉
に亮の方へ向けられる。
﹁あの⋮⋮あっ、あの⋮⋮⋮﹂
鋭い視線で睨まれてる事務員は驚いた顔のまま硬直していた。震
えながら声を発するが上手く言葉が出てこない。
その様子を見ていた他の事務員達も亮から感じられる、暗く冷た
406
い空気を感じて近づことができずに、ただ見ている事しかできなか
った。
﹁あ⋮⋮⋮あっうあ⋮⋮⋮あぅああ⋮⋮﹂
つむ
恐怖に飲み込まれたまま完全に自分を見失った事務員に向かって、
亮がゆっくりと腕を伸ばす。
﹁ひぃっ﹂
引きつった顔で目をギュッと瞑ると、小さく悲鳴を上げた。殺さ
れる、恐らく彼女はそう思っただろう。自分に伸ばされた腕が細い
首を掴み締め上げる。数秒後には自分は床に倒れたまま冷たくなっ
ていく死体になる。
走馬灯に似た思考が瞬時に頭を駆け巡ったが、亮の手は彼女の首
ではなく、さらにその下になる記録台帳に届くと、掴み上げた。
無言のままページをめくり、記録台帳の記録を確認しだした。こ
こ数日間の搬送患者記録や入院患者記録等の多くの個人情報が記載
されているのため、普通ならすぐに注意をして返却を促すか、警備
員を呼んで対象しなければならない。だが、今の亮に何かいうもの
なら間違いなく無事ではすまいだろう。その場にいる皆もそう察し
た。
﹁確かに、いないな。オイっ、これはどう言う事だ!! なぜいな
いんだ?﹂
﹁しっ、知りませんよ⋮だから⋮ホントにいないって言いましたよ
⋮わたし⋮﹂
﹁黙れ!! ここに運ばれたのは間違いねぇんだよ。何故ここに無
い。もう一度言うぞ、星村マナだ。ほ・し・む・ら・ま・な・っだ
ぁ!! 本当に知らねぇなら、知ってる奴を連れてこい!! 今す
ぐぅ!!﹂
念を押すように亮の視線がさらに鋭く変わると、瞳の奥から殺意
のようなドス黒く光るとそこに蒼白に怯える事務員が映り込む。
﹁わたし、わっ⋮わたし⋮﹂
もう話ができる状態ではなかった。パニック寸前な彼女は今にも
407
泣き出しそうな顔のまま周りの同僚に視線を送る。
だが向けらた同僚たちも触らぬ神に祟りなしといった感じでに皆
視線をそらしていく。
それを見た亮が乱暴に台帳を閉じると、一番奥でメガネを掛けた
男性に、クイっクイっと指で来るように合図を送った。
間違いになく彼がこの事務の責任者だろう。手っ取り早く彼に聞
いたほうが早いと考えた亮だったが、先程までの状況を見ていた彼
は、気づかないフリをして目を泳がせている。
さすがにその様子に怒りを覚え、呼びつけようと口を開けた瞬間。
後ろから肩を叩かれた。
振り返るとそこには白衣を着た医者が立っていた。どこかで見覚
えがある顔その医者は口元に人差し指を立て告げた。
﹁静かにしたまえ、ここは病院だ。周りよく見なさい、普通に患者
さんだっているんだよ。これ以上騒ぐと出て行ってもらうよ﹂
﹁こっちだって騒ぎたくないよ。だけど、そっちにも問題がないわ
けじゃないだろう。妹達が確かにここに運ばれたのに、どうして記
録が無いんだよ。ここに運ばれたのは間違いなはずなんだ!! 絶
対ここいるはずなんだよ!!﹂
﹁わかってる。わかってるから﹂
﹁何がわかってるんだよ。あんたも調子のいいこと言ってんじゃね
ぇぞ!!﹂
﹁たんぽぽの子達だろう。蒼崎のっ!! ちゃんとわかってるから
落ち着け。君が亮くんか? 今3人の処置が終わった所だ﹂
﹁えっ⋮あっ、はい⋮!?﹂
この時、亮は思い出した。この医師はこの前蒼崎先生が荻野美花
の紹介状を書きに来た時にいた医師だ。あの時は遠目だった為若い
研修医ぽく見えていたが、実際近くで見ると蒼崎先生よりも年がい
った感じだ。
白衣に付けたネームプレートには﹃第二外科部長 佐々木修平﹄
と書かれていた。
408
﹁話しながら事情を説明するから、付いてきなさい﹂
佐々木は奥に指を向けると、そのまま歩き始めた。その後を亮も
追う。
長い廊下のサイドには様々な診察室の入口があるが、丁度午前の
診察が終了していて入口付近にある長椅子に座っている人は見られ
なかった。
その静かな中を歩いている内に佐々木が聞いてきた。
﹁どうして搬送記録に名前がないのか聞いてきたけども、それには
じゅうそう
ちゃんと理由があってね。事件性が高いと判断して載せなかっただ
よ。なんせ銃創患者なんてあの戦争以来だったからね。警察からも
状況がわかるまでは伏せるようにと要請があったしね﹂
﹁銃創!?﹂
﹁そうだ。それだけじゃなくて、他にも問題があってね。正直こっ
ちでも手が出せない状況なんだよ。アレは一体何なのか皆目見当が
つかないしね﹂
﹁どういうことですが? 一体何があったんですか?﹂
銃創と言う単語の他に、アレと含みがある事を聞いた亮はこれは
ただの事件では無いと直感した。否、これまでの事を考れば説明が
つかない事があってもおかしくはないはずだ。
それよりもまず皆の容態を知りたかった。
﹁先生。みんなの状態はどうなんでしょうか?﹂
亮が尋ねると、佐々木は歩みを止めた。そして隣の処置室のドア
を親指でさした。
﹁自分の目で確かめてみろ。ほら、中にいるから﹂
亮がドアの取っ手に手を掛けて引くと、だれかのすすり泣く声が
耳に入ってきた。診察のカーテンが壁になっていて、それを避けな
らが中を進んでいく。
奥の診察用のベットの上で腰掛ける3人を見つけた。蒼崎先生を
真ん中にして、その両脇に彩音と楓がいた。首に包帯を巻いた蒼崎
が二人の肩を抱きかかえている。聞こえていた泣き声の正体は楓だ
409
った。楓が蒼崎の肩に頭をつけて泣いていた。
かさぶた
彩音にいたっては何故か毛布を被った状態で、出ている顔の目元
が殴られたように腫れ上がり、口元が切れて瘡蓋になっていた。
﹁⋮先生﹂
﹁⋮亮くん﹂
しょうすい
振り向いた蒼崎の顔は今朝見たときよりも一気に10歳くらい老
けた感じに傷悴しきっていた。 ﹁何があったんですか?﹂
﹁亮君⋮わたし⋮⋮わたしねっ⋮⋮﹂
何とかして亮に説明しようとしても、言葉が出てこない。いつも
明るく元気一杯でみんなと接している蒼崎が、普段見せたことが無
い哀しい顔でガタガタと肩を震わせていた。
﹁わたし、何も⋮何も覚えてないの⋮⋮ドアを開けて、気づいたら
救急車の中だったの﹂
﹁覚えてないってどういう意味ですか?﹂
﹁亮お兄ちゃん、先生⋮ほんとに何も知らないの⋮⋮あいつが入っ
いきさつ
てきたとき⋮先生は⋮玄関で倒れてたの、だから本当に知らないの
⋮⋮﹂
対人恐怖症の楓が、精一杯の声で亮にこれまでの経緯を説明しだ
した。
楓の説明では、今朝の朝食を食べ終わった楓が部屋に戻って絵の
続きを描いていると、玄関のチャイムが鳴り出したという。
そのすぐ後に大きな音と一緒に蒼崎の声が聞こえると、誰かが家
に上がってくる足音が聞こえたとういう。少ししてからマナか彩音
の悲鳴が聞こえてきて、恐怖を感じた楓は部屋から出ることが出来
ずにいた。
下の方からさらに皿が割れる音や物が激しく落ちる音が続き、勇
気を出し恐る恐る下の様子を見に行った楓は、階段のところで紺の
服とフェイスマスクをした男が嫌がる葵を連れ去って行くのを見た
いう。
410
慌てて居間に行くと、そこには﹃マナ! マナ!﹄と叫ぶ彩音と、
壁に寄りかかり自分の胸を押さえているマナがいた。
顔面蒼白のまま押さえている手の下から、着物に血の染みが広が
りながらも、マナは﹃大丈夫⋮だよ、マナ⋮撃たれてないよ⋮さむ
いだけ⋮すこし⋮﹄と言って意識を無くしたという。
その後は、楓がマナの傷口を押さえつけいる間、彩音が救急車を
呼んで、今の状況になったというわけだ。
楓の話を聞いた亮はすぐに彩音に詰め寄る。
﹁彩音!! 何があった? だれが葵をさらっていった? 入って
きた人数は? 男の特徴は? どうしてマナが撃たれたんだ? 男
は何か言ってたか? どうなんだぁ、教えろ彩音!!﹂
亮が彩音の両肩を掴むと同時に、彩音が物凄い力で暴れその腕を
振りほどいた。
まるで亮を敵と思うかのように、力一杯に腕を振り回して嫌がる。
﹁亮くん、落ち着いて。彩音が怖がっているから、ねっ⋮少し落ち
着こうよ﹂
その言葉に亮は2・3歩後ろに下がって大きく深呼吸をして気持
ちを静めると、もう一度彩音に尋ねた。今度は彩音を怖がらせない
ように、ゆっくりとした言葉で尋ねる。
﹁彩音、居間で何があったんだ? 覚えているだけでいい⋮話して
くれないか?﹂
にじん
しかし、彩音はうつむいたまま何も話そうとしなかった。その目
にはショックからか涙が滲でいた。
亮はこれ以上に聞いても、彩音が落ち着くまでは無駄だと思い聞
くのを諦めた。それよりも一番知りたい事があった。
﹁あの、マナは? マナはどこですか?﹂
﹁亮君⋮落ち着いて聞いてね。マナちゃん⋮ダメかも⋮しれないの
⋮撃たれた銃弾が左の肺を貫通して、心臓の大動脈の血管に埋まる
ICU
形で止まっていたらしくて⋮それよりも手術ができないのよ。その
弾に問題があるみたいで、今は集中治療室にいるわ﹂
411
それを聞いたとたん、亮は一瞬呼吸が停まった。まるで誰かに自
分の心臓をおもいっきり握られた感じで、呼吸だけでなく思考も感
覚さえも止まり、自分が何者でなぜここにいるのかも考えられず、
部屋を漂う微風や温度さえも感じる感覚さえ失くなった。体内時計
が止まったままその場で立ち尽くすしか出来なかった。
﹁⋮ぅ⋮嘘ですよね? そんなバカなこと⋮あるわけないじゃない
ですか? ははっ⋮やだな先生、少しオーバーですよ。マナがダメ
なわけ⋮なっなっ⋮なぅ、ないじゃないですか⋮信じませんよ俺⋮
俺は、こっ⋮この目で見るまでは、絶対に信じませんから。マナが
いるICUはどこですか? ちゃんと見えてきますから﹂
これは何かの冗談か、それとも悪い夢なのか。そうあって欲しい
と願ってもコレは現実だった。残酷なくらい酷い現実だった。
佐々木先生に案内されて着いたICUで亮はさらなる現実と直面
した。
ICUの壁ガラスから佐々木先生が指し示した方に目を向けると。
亮の目に写ってきたのは、白いベット上で鼻からチューブが入り、
口から挿管された管を呼吸器につながれた顔。病衣の脇には排液用
の胸腔ドレーンが、体内から排出した血液や体液をベッドの柵にあ
RCC−RL
る排液パックに溜めている。細い腕から何本もの点滴の針が刺さり、
お
点滴ラインの他に輸血パックのラインが確保され、点滴筒の中を早
い速度で輸血が垂ちている。
ベッド脇にある生命維持装置と心拍モニターからは、マナの心電
図と機械的な電子音が規則的に響いている。体中に管を入れられた
状態で、何とか命をつなぎとめているマナの姿を見た亮は、さらに
ショックを受けた。
﹁マナ⋮⋮マナ⋮⋮﹂
ガラスに手を当てマナの名を呼ぶ亮の心は、なぜあの時﹃たんぽ
ぽ﹄に残らなかったのか、残っていればマナや葵や皆を守れたはず
なのに、なぜもっと注意しなかった。なぜもっとあの警告を真剣に
412
聞かなかった。なぜ一緒にいてやれなかった。後悔と自責の念で今
にも気が狂いそうだった。
ほんの数時間前まで一緒に朝食を食べていたマナが今、生死の境
をさ迷っている状況で以前薫が言った言葉が蘇る。
﹃兄上、私達は人間ではないのですよ﹄
﹃私達は純粋なバケモノなの。戦争と言う怪物が産み落としたバケ
モノなんですよ﹄
﹃やれやれ、兄上はあの人間達と一緒に暮らしておかしくなったん
ですか? 人とバケモノが一緒に暮らせるわけないじゃないですか﹄
﹃いつの時代もバケモノは最悪を呼ぶのよ、そう決まってるの!﹄
﹃そして一緒にいる人間に必ず不幸をもたらすの﹄
﹃そんなにニセモノの家族がいいの?﹄
﹃私たち﹃桜の獅子の子供達﹄の中で、一番親獅子に近いと言われ
た若獅子様が﹃亜民﹄ですって、いい加減目ぇ覚ませやぁ!﹄
﹁うっ⋮ぅ⋮マナ⋮⋮ごめんっ⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮ごめんな⋮⋮⋮⋮う
っ⋮⋮⋮⋮⋮⋮マナ⋮っごめん⋮﹂
亮はこみ上げてくる感情に耐え切れなくなり、力なくその場に膝
をついた。
張り裂けそうな感情に胸元のシャツを掴み歯を食いしばると、自
分がいかに愚かだったかを知った。人間になりたいと思っても運命
からは逃れられない。、改めて自分はバケモノだったと認めると、
初めて亮の瞳から熱い雫が頬を伝ってポタポタと床に落ちる。
﹁また⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮守れなかったよ⋮⋮母さん、マナ
⋮ごめん、うぐぅ・・うっうっうあぁぁぁぁあ゛あ゛あ゛あ゛ぁぁ
ぁあぁあ゛あ゛あぁぁぁぁあ゛ぁぁぁ﹂
亮は泣いた。バケモノである自分を呪いながら大声で泣き崩れた。
はぐく
込み上げてくる感情に今は泣くことしか出来なかった。それはマナ
どうこく
達との共同生活の中で育まれて生まれた人間の証だった。
静かな廊下に亮の慟哭から流れ続ける人間の証が止まることはな
かった。
413
人間の証明︵後書き︶
皆さんこんにちは、今日でスティグマ∼たんぽぽの子供たち∼は4
6話を達成しました。正直ここまで続くとは思ってもみませんでし
た︵^︳^;︶
番外編もスタートして正直どなるかと思いますたが、今のとろこは
順調に進んできてます。
さて、今回の話はいかがでしたでしょうか? 早く続きが気になる
と思いますが、次回は番外編を予定します。
読者の皆さん、ここまで本当にありがとうございますm︵︳︳︶
︶
´
mあと、読み終わったら最後下のある﹃小説家になろう勝手にラン
`
キング﹄のバナーをクリックしていただけると嬉しいです︵
▽
それでは皆さん次回またお会いしましょう。︵´ー`︶/
414
スティグマ∼たんぽぽの子供たち∼ 番外編その③新しき日常
しゃじょう
朝霜が晴れようやく朝日が眩しく里を照らし始めた頃、里の外れ
にある弓道場の射場で月宮巴が一人矢を放っていた。射場から遠的
場︵約60m︶の矢道の先に、一円玉よりも小さく見える的目掛け
一矢が飛ぶと、的の中心に見事命中した。
続けて2本目、3本目とも見事中心に命中した。
﹁ふーぅ﹂
やや不機嫌そうな溜め息を出すと、さらに4本目の矢を弓に掛け
る。目を瞑ったままゆっくりと狙いを定めると、独り言のように呟
いた。
﹁椿姉さん、遊ばないでください﹂
くがつばき
﹁あら、気づいてたの? 相変わらず目を閉じてる割にはよく見え
てること﹂
巴のすぐ横まで忍び寄っていた彼女の名は久家椿、巴の白の弓道
着とは対照的に黒の弓道着を着ている。年齢は20歳ぐらいでまだ
幼さが残る温厚な顔立ちだ。目立つ特徴としてはショートヘアーの
茶髪と爪にマニュキュアをしている。どう見ても都会の雰囲気が漂
っていた。
そんな彼女がこっそり巴を脅かそうと思ったようだが、最初から
バレていたようだ。
﹁椿姉さん? いつ帰って来れられてのですか?﹂
﹁昨晩よ、丁度入れ違いだった見たいね﹂
﹁そうですか⋮﹂
﹁なーに、その態度は!? 久しぶりに会ったわりには不機嫌そう
じゃないの? 大学の追試でちょっと遅れるって言ってたけど、ち
ゃんと正月前には帰るって言ったでしょう。そんなにふくれないで
よ、ちゃんと約束は守ってるから﹂
415
﹁別に怒ってなんていません﹂
﹁怒ってんだ?﹂
﹁なっ、椿姉さんがそう聞くから﹂
やゆ
﹁私は不機嫌そうって言ったのよ。怒ってるなんて一言も言ってな
いわ﹂
マジ
﹁うっ、⋮そうやって私を揶揄する所が嫌いなんです﹂
﹁あはははっ、ゴメン、ゴメン。そんなに本気で怒らないでよ謝る
から、それでその不機嫌な原因は何なの? あんたがそこで気を乱
すなんて珍しいからね﹂
あずち
椿は会話を続けなら矢を弓に掛け引くと、呼吸を止め放った。風
切音を立てながら矢は大きく的を外れ的場の土盛りされた垜に突き
刺さった。
やまがら
﹁あっちゃーぁ、やっぱり腕が落ちちゃってるね。こりゃー戻るの
に時間がかかるわね﹂
しずな
あや
やまがら
﹁椿姉さんならすぐですよ。それに﹃山雀﹄を使わずによく当てて
るほうです。菘や綾達なんて、すぐに﹃山雀﹄を使いたがるのよ。
式神に頼りすぎたら修行にならないわ﹂
﹁あの子達はまだ子供じゃない。始めて自分の式神が持てたから嬉
しいのよ。私も最初そうだったし、巴ちゃんも⋮は違ったっけ。そ
の身体だから知らないものね﹂
﹁⋮ええっ﹂
寂しそうに一言返すと、巴は四本目の矢を再び弓に掛け放った。
今度も的の中心付近に命中した。
﹁そうだ。椿姉さんにお願いがあったの。例の体術﹃月鎌流居合体
術﹄の続き、教えてもらいたいんです。いいかしら?﹂
﹁別に構わないわよ。﹃里流れ﹄の私はちょうど最近体も鈍ってい
た所だったから、午後の稽古の時でいいかしら﹂
﹁ええ、お願いします﹂
巴は軽くお辞儀をする。
﹁それにしてもおかしな事よね、七夜の里の鎮守様が月鎌の里の技
416
を教わってるなんて﹂
椿の言葉で巴は昨晩の出来事を思い出した。
ちみもうり
﹁私たちの技は主に式神や霊力を陰陽道に組み入れて術式を進化さ
ょう
せてきました。でもそれだけはダメなんです。私たちの術は魑魅魍
はくへいきせん
魎達に効いても、対人に対しては脆弱だったんです。だから人体破
あや
壊の忍術と白兵鬼戦を目的に編み出された﹃月鎌流居合体術﹄がど
うしても必要なんです﹂
﹁それって、昨日巴ちゃんが殺めそこねた外の人間の事? お館様
や鎮守頭達が言っていたわよ﹂
巴はバツが悪そうに表情を曇らせた。
﹁⋮ええ、確かに心臓を射たし手応えもあった。でも無傷だった。
そして小柄で2度刺したけど殺せなかった⋮﹂
﹁単に防刃ベストか何かを着てただけでしょう。最近のはよく出来
てるって言うし﹂
可能性としては一番高い筈だが、巴は首を横に振る。
﹁あとで服を確認したら、ただの布切れで出来た服だったの、他に
それらしいのは見当たらなかったわ。あの人間普通じゃないわ﹂
﹁それで、月鎌流ってわけね。私ちょっとその外から来たって言う
ふらち
人間に興味がでてきな、この後で会ってみようかしら﹂
﹁いけませんっ!! 椿姉さんがあっ、あんな不埒者⋮など、あっ、
会って⋮会ったりして何されるかわかりませんから﹂
巴の慌てた様子に椿は驚いた。こんなに耳まで真っ赤にして動揺
している巴の姿を今まで見たことがなかったからだ。
一体昨晩に何があったんだろうと考えたが、巴の赤面を見ている
内に逆に興味が湧いてきた。
﹁はっはあーん、さては今朝から機嫌がよろしくないのはそれが理
由だったのね。わかった!! その人に何かされたんだ。それで−﹂
話の途中で椿の言葉が止まった。背中に戦慄が走ると、ちょっと
悪ふざけが過ぎたと椿は唾を飲み込んだ。理由は普段巴の閉じてい
る目が半分開き椿を凝視しているからだ。
417
﹁もしかして、怒ってるの?﹂
﹁はい﹂
﹁あんた⋮一体何されたのよ⋮?﹂
﹁⋮ぅ⋮⋮っ﹂
さら
巴はさらに頬を赤め下唇を噛んだまま俯いた。何をされたか? それは不可抗力とはいえ服を剥がされ、自分の胸を相手に晒し出し
てしまった事だ。思い出しただけでも顔から火が出そうなくらい恥
ずかし出来事だ。
それを説明する事など、ましてや他の人に知られる事など恥ずか
しさの極み。絶対に口が裂けても言えなかった。
﹁私、これで失礼します!!﹂
﹁えっ!? ちょっと巴ちゃん!!﹂
巴は弓を掴むと、足早にその場から立ち去って行った。
﹁まったく。ウブなんだから⋮ほんと﹂
一人残った椿は次矢を弓に掛け引くと、温厚な顔が一気につり上
がった。
﹁全部自分で抱え込むと、後で誰も助けてくれなくなるんだらな。
あずち
あんたのそういう所が嫌いなのよ!!﹂
放たれた矢は今まで垜に刺さっていた場所とは違って、的の中心
に綺麗に命中した。続けて二矢、三矢も中心の円に命中する。先ほ
どの腕前とはまたっく別人のように変わっている。
﹁もっと里の仲間を信用しないと、痛い目みるわよ﹂
椿は冷たい微笑みを浮かべると、四矢目も的の中心に命中される。
一矢目の矢の端﹃矢筈﹄と呼ばれる所に四矢目の矢尻が当たり、割
るように進みながら命中したのだ。
ふすま
恐ろしいまでの細密射撃を椿は簡単にやって見せた。
まぶた
襖の隙間から差し込まれる明かりが顔にかかっると、島はゆっく
寮
と瞼を開いた。見慣れぬ天井、部屋に漂う木と畳の香り、以前暮ら
していた実家の部屋とも、駐屯地の営内舎とも違う情景にまだ夢の
418
中なのではないかと思ってしまう。
山中を逃げ回り、白髪の少女に殺されかけ、満身創痍でもうダメ
にわ
かと諦めかけた時に同じ自衛官に助けられる。どこをどう考えても
現実にはありえない事だらけだった。アレが現実だったと俄かには
受けれ入れなれなかった。
しかし、島の思いとは逆に右肩と左足から伝わる痺れるような痛
みが、昨晩のアレが夢ではなかったと証明していた。
﹁痛⋮ッ﹂
起きる上がると当時に右肩に痛みが走る。手で確認してみると何
やら御札らしきモノが傷口に貼られていた。ゆっくりと身体を起こ
すと軽く背伸びをしてみる。
﹁おおっ、大丈夫そうだな﹂
先ほどの痛みが嘘のように消えて、右肩と左足が動かせる。かな
りの深手を追ったと思ったが以外にもそうではなかったのかと、考
えながらも布団を畳もうと体が勝手に動き出す。
身体に隊での生活習慣が染み付いてしまっていて、どんな状況下
に置かれても自然と身体は動いてしまうものだ。
シワもなく綺麗に三等分にたたみ終えると部屋の周囲を見渡した。
差し込まれた光量が強くなり部屋の中が薄明るくなってくると、
しっくい
だんだん周りが見えてきた。十畳程の畳部屋に布団がたたまれたい
る。壁は白の漆喰で天井には照明器具は一切なく、コンセント類も
見当たらなかった。まるで一昔前に出てきそうな日本家屋そのまま
だった。
ここでようやく島は自分が着ている服が戦闘服ではなく、紺のサ
ムイを着ている事に気づいた。
﹁えっ!? いつ着替えたんだ?﹂
辺りを見渡しても自分の衣類も所持品も見たらたない変わりに、
布団一式が置いてある状況だった。
困惑する島に、腹から今一番最優先にしなければならないお知ら
せが鳴いてきた。
419
﹁はっ、腹⋮減った﹂
考えみれば丸二日何も口にしていない状態だ。そう思った瞬間肩
に重い疲労感を感じ、頭痛も感じ始めた。おそらく低血糖で間違い
ないだろう。空腹は今しばらく我慢するとして、喉の渇きだけは何
とかしたかった。
それは何故か喉の渇きが尋常ではなかったからだ。軽い脱水症状
びっこ
にでも陥ったのいる可能性があり、水分補給が急務だった。
跛をひきながら襖を開けると、冷たい外気が一気に部屋へ入り込
み身震いを起こす。考えてみれば今は真冬の12月だ。息をすれば
喉が凍りつく程につめたい空気が肺に入ってくる。
指先に白い吐息を吹きかけながら外の景色に目を向けると、そこ
には地面が白石の砂利に覆われ切り開けた庭が広がっていた。辺り
には何本もの巨大な杉の大木がそびえ、その神々しさに思わず息を
飲んだ。
不思議と身体が軽くなり、自分の感性が研ぎ澄まされていくよう
な感覚に陥った。
﹁ゴホンっ、﹂
その雄大な神秘さを目にしながら止まっている島の横で誰かの咳
払いがした。見るとそこには10歳ぐらいの女の子が、白生地に薄
い桜色の線で模様され着物を着ている。整えられた艶のある綺麗な
黒髪と黒い大きな瞳がじっと島の顔を下から見据えている。
﹁えっと⋮あの、おっおはようございます﹂
ぎこちなく挨拶をしてみるが、少女は反応を見せずにずっと島を
見ている。その視線から目をそらしながら言葉を続けた。
﹁あっ、あの⋮ちょっと、喉が渇いたんですけど。水ありませんか
? 飲みたいんだけど﹂
﹁⋮⋮﹂
少女は、なおも見つめている。
﹁⋮あの⋮飲み物、なんかないの?﹂
今度はコップで飲むジェスチャーをしてみると、始めて少女の顔
420
色が変わった。細く小さな指で島の服の袖をつまむと軽く引っ張り
ながら歩き始める。
﹁良かった。やっと伝わったか。良かった、良かった﹂
ミシミシと音が響く狭い廊下を少女に連れられながら進むうちに、
自分の肩と足が普通に歩けている事にまだ気づいていなかった。
ふすま
弓道場から走りながら家に着いた巴は玄関を上がり、奥の居間の
襖を乱暴に開けた。そして、荒い息のまま袴の帯を解いて脱ぎ、上
着の紐を解くとその場に脱ぎ捨てた。
色白の細く無駄なぜい肉などない身体が現れ、細い腕が髪をまと
め上げる。下着らしいものといえば胸に白いサラシが巻いてあるだ
けだ。
﹁よっと﹂
髪をまとめ上げ終わると、今後はそのサラシを解き始めている。
だがその最中に背後で人の気配を感じて振り超えると、そこに着物
を着た一人の少女が立っていた。
﹁何だ、道士か⋮びっくりさせないでよ。何か用?﹂
道士と呼ばれるその少女は無言のまま人差指を巴の斜め後ろ側に
向けた。その方向に巴がゆっくり顔を向けるとそこにいたのは、部
屋の隅でおにぎりを口に入れたまま固まっている島義弘だった。
﹁⋮ぁ⋮ぁ⋮﹂
驚きと戸惑いに体が動かない状態で巴の裸体を注視している。巴
にしても虚を突かれた状態で固まっていたが、すぐに恥じらうよう
にしゃがみ込むと、割れんばかりの悲鳴が部屋中に響いた。
﹁キャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア
くわ
アアアァァァァッァァァ!!!!!!!!!!﹂
悲鳴に驚いた島は銜えていたおにぎりを吹きだし、慌てて巴から
視線を逸らしなが喋りだした。
﹁ごっごっごめん、あの、その、えっと、えっと、喉が乾いてっじ
ゃなかった、その、あの、誤解だ。俺がここにいたのは、えっと、
421
その﹂
﹁いやあああっ!! 来るなぁ!! 寄るなぁ!! 近づくなぁ!
!﹂
﹁おおおっ落ち着いてくれ、なあ。頼むから、えっと、本当に落ち
着いて話を聞いていくよ﹂
﹁あああぁぁぁもうぉ!! こっち見るなぁ!! 向こう向けぇ!
! 向こうをっ!! こっちを見るなよぉ!!﹂
パニック状態の二人の間に先ほどの少女が入り込むと、両手で島
の目を塞ぎだした。
﹁えっ、ちょっと﹂
たんす
いきなり視界を塞がれたが、島はその手を払いのける事はせずに
その状態を受け入れた。その隙に巴は箪笥から着物を取り出すと、
素早く着替えを済ませる。
巴が着替え終わると当時に奥の廊下から足音が近づいてきた。
﹁どうした? 何だ今の悲鳴は誰だ?﹂
足音の主は月宮誠だった。部屋の状態を見た誠は何が起こったの
か理解でずにいる。
﹁にっ、兄様⋮こっ、コレは一体どういうことですか?﹂
﹁コレとは何だ?﹂
ざしきろう
﹁この人間の事です。なぜこの人間が私の家にいるのですか? 侵
むげ
入者は座敷牢に入れるのが普通でしょう。なぜここにいるのですか
?﹂
﹁落ち着け巴、彼は元侵入者であって今は客人だ。客人を無下に扱
うわけにはいかんだろうが﹂
﹁でも⋮しかし、何故私の家にいるのですか?﹂
﹁何故と言われてもな。彼は巴⋮お前の教育係りだからだ﹂
﹁へっ!? 今⋮何と⋮?﹂
﹁近々我々はこの里を出てしばらく外界で暮らす事になった。お前
も一緒に来るからそれまでに彼から外界の状況を教えてもらい、知
識として蓄えておくんだ﹂
422
今後は巴が驚きのあまり固まってしまった。
﹁道士、その手を下ろすんだ﹂
誠に言われ道士は言われた通りに手を下ろすと、ゆっくりと後ろ
に下がった。
﹁島義弘殿だったな﹂
﹁えっ、はい。そうですが﹂
誠は島の前でゆっくり頭を下げた。
﹁妹をよろしくお頼み申す﹂
﹁えっ、あの、どう意味でしょうか⋮﹂
島もまた巴と同じように困惑したまま固まってしまった。
二人の様子を見ていた道士の少女は部屋の入口付近で固まってい
る巴に近づいた。顔を覗き込むと真っ青な顔色の巴がブツブツと何
かを呟いていた。
﹁ありえないわ⋮どうして⋮何で鎮守の私が里を⋮外界に⋮何で⋮
どうしてよ⋮しかもあの男が⋮一緒に⋮何で⋮こんなのって⋮何で
⋮何で⋮どうして⋮﹂
その様子に道士は無言のまま巴の背中にそっと手を当てた。まる
で﹃ご愁傷様です﹄と言わんばかりに。
423
スティグマ∼たんぽぽの子供たち∼ 番外編その③新しき日常︵
後書き︶
こんばんは、朏天仁です。久しぶりの番外編いかがでしょうか? 最近小説を執筆していて本編と番外編がこんがらがってしまい、大
変でした︵´д`︶
さて、次回は気になっていた本編へと移ります。
GW真っ只中ですが、私にGWは無縁です。このまま小説を書き上
げていきたいと思います。
´
▽
`
︶
最後まで読み終わりましたら、小説家になろう勝手にランキングを
1クリックしていただくと助かります︵
では、読者の皆様。ここまで読んでいただいて本当にありがとうご
ざいます。次回またお会いしましょう︵´ー`︶/
424
境界線上
駐車場に止めた車内で、ハンドルに指を規則正しく叩きながら霧
島は一人物思いにふけていた。亮は何も言わなかったが、あの驚き
と行動からして何か良くない事が起こったに違いなかった。
亮の説得に来たはずだったが、予想外な事態に巻き込まれたしま
ったと霧島が危惧するのは理由があった。今回の件で亮の心情に変
化起こって今後のプロジェクト影響にならないかどうか、または後
々足かせにならないかどうかが気がかりだった。
﹁ふぅー⋮、らしくないって顔ね。それよりも⋮まったく、何で病
院は全館禁煙なのよ!! これじゃーますます喫煙者が肩身の狭い
思いをしないといけないじゃないのよ!!﹂
バックミラーに写った自分の顔に向かって怒鳴ると、4本目のタ
バコに火を付けた。あれから軽く1時間は過ぎただろう。
紫煙を吹き付けたフロントガラスに、今だ強さの衰えない夕立が
激しく車を鳴らしていた。
﹁それにしても、一向にやむ気配ないわね。せっかく昨日洗車した
ばかりなのに、あ∼あぁ∼﹂
今吸っているタバコが終わったら中の様子だけでも見に行こうか
と考えていたとき、後部座席にドアが開いて誰かが入った来た。
﹁へぇっ!?﹂
驚いて振り返るとそこには、雨で濡れた髪と洋服からポタポタと
雫を垂らしながら彩音と楓が座席に座っていた。無言のまま座って
いる2人は霧島と目があうと、彩音が前に会った事がある霧島を思
いだし軽く会釈するが、楓はすぐに視線を窓へと移した。
﹁ちょっと!! あなた達何勝手に乗り込んできてるのよ。ちょっ
とシートが濡れちゃってるじゃないのよ。えぇぇー!! ちょっと
勘弁してよもう、何かタオルか何かを下に敷いてよもう!!﹂
425
ハン
半分悲鳴が混ざった言葉を飛ばしても、2人は黙ったまま動こう
ター
としなかった。2人の表情は暗く沈み込んでいて、霧島もよく現役
時代に似たような感じの被害者達を見て来たのを思い出した。
﹁ねぇ⋮亮君はどうしたの?﹂
霧島の問いに彩音が顔を上げたのと同時に、助手席側のドアが開
いて亮が入ってきた。
﹁おっ!! やっと戻ってきた。ねぇ、ちょっとこの子達がさー﹂
そこまで出た所で霧島は声を止めた。正確に言えば止めざるを得
なかった。
隣に座っている亮は明らかに様子が変わっていた。埼玉のBH訓
練学校で最初に彼と出会った頃に似ていたからだ。全身から発せら
れる殺気を帯びた冷たい雰囲気とは逆に、内側から沸る怒りの熱で
濡れた身体から蒸気が昇っている。
まるで今にも臨界点を突破しそうな原子炉のようだ。
その様子を見ていた霧島は腕から鳥肌がたち、手から脂汗が出て
いる事に気がついた。全身に悪寒を感じながら亮の顔を見ると、長
い前髪から見える真っ赤に充血した瞳と頬がやつれた感じに見えた。
﹁泣いてるの?﹂
うつむ
﹁⋮⋮雨だよ⋮⋮雨⋮﹂
亮は俯いたまま静かに返した。
﹁悪いけど、このまま家まで送ってもらいたいんだけど、頼めるか
な?﹂
﹁別にいいわよ。この状況なんだし、理由は聞かないわ﹂
﹁助かる﹂
エンジンを掛けて車が走り出す。後ろの彩音達に気を使ってか今
までの乱暴な運転ではなく、ゆっくりと車は駐車場を後にした。
道中の車内はまるでお通夜のように静まり、重たい空気が漂って
いた。
運転中何度も亮や後ろに目を向けるが、とても話掛ける雰囲気で
はなかった。せめて何があったのかだけでも知りたいと思っていた
426
が、聞いたとしてもまともな答えは返って来ないと思った。
車が﹃たんぽぽ﹄の前に到着すると、亮は車を降りて玄関へと向
かって行った。中に入ると、廊下にくっきりと侵入者の靴跡が残っ
ていた。
グッと奥歯を噛み締め靴を脱いだ。
玄関を上がって居間に向かう途中で、奥のほうから人が歩いてく
るのがわかった。
﹁おかえりなさい。警察の人達が今帰った所よ﹂
声を掛けてきたのは施設責任者で理事長の設楽ルイだった。
年は40代半ばくらいの女性で、ぽっちゃりとしている体格はど
こにでもいる日本のお母さんといった感じの人物だった。
﹁⋮戻りました。彩音と楓は連れて来ました。病院には先生が残っ
ていますので、何かあったら連絡するって言ってました﹂
﹁そう、それにしてもビックリしたのよ。研修中にマナちゃんが撃
たれたって聞いて、主任の玲ちゃんから連絡もらって飛んで帰って
きたところなの﹂
設楽の言葉を聞いても、亮は返事を返さずに無言のまま横を通り
抜ける。そしてマナが撃たれたリビングに入った。
﹁ねえっ、ちょっと。亮くん待ってッ!! マナちゃんはどうだっ
たのよ?﹂
﹁⋮⋮⋮﹂
居間はまるで嵐が過ぎ去ったような惨劇だった。すべてが滅茶苦
茶に荒らされていて、割れた皿やコップの残骸が散らばっている。
リビングと台所の間では小さな水溜りのような血の跡と、それを拭
き取ろうとして設楽が用意したバケツと雑巾が置いてあった。
亮の後ろから設楽が声を掛けてくる。
﹁ごめんなさい⋮⋮みんなが戻ってくる前に、綺麗にしておこうと
思ってたんだけど﹂
亮はその場でしゃがみ込むと、血が染み込んだ床を指でそっと触
427
れた。
﹁マナ⋮⋮痛かっただろう⋮﹂
一言呟くと、亮は拳を握り締めて立ち上がり設楽に尋ねる。
﹁あの、マナの両親には連絡はいってますか?﹂
﹁えぇ、さっき連絡をしたところよ。⋮でもね﹂
設楽はため息と一緒に言葉を続けた。
﹁マナちゃんのお母様からは﹃死んだんなら引き取りに行きますが、
まだ生きているならそちらにお任せします﹄って言われたわ。あの
家は昔ながら格式を尊ぶ家だから世間体を気にするのよ、だから︱﹂
﹁そうですか⋮﹂
マナが亜民認定された瞬間、絶縁状を突きつけて追い出したくら
いの家だから期待はしていなかった。それでも施設での入居費は毎
月払っていた為もしやと思ったが、亮はこみ上げてきた怒りとやる
せない気持ちを言葉に混ぜて吐き出した。自分の娘の命よりも世間
体を気にする時点でなんて親だろうと思って。
リビングから出た亮は部屋に向かった。
机の引き出しから薫に渡されたボストンバックを引っ張り出し、
ハンター訓練所に入ったときに支給されたノートパソコンのスイッ
チを入れて起動させた。
OSが起動して次にバウンティハンターのロゴマークと一緒にI
Dとパスワードの入力画面が出てくる。
自分のIDとパスワードを入力して入ると、ハンター専門のネッ
トワーク回線を使用してバウンティハンター協会のサーバーにアク
セスした。目的はもちろんマナを撃った犯人と、葵を連れ戻すため
だ。
亮は国家バウンティハンターの資格を有している為、協会のサー
バーを経由する事で全国の空港、港湾、警察、連邦軍、行政、消防、
救急等、全ての行政機関に制限なくアクセルする事ができる。
その頃1階の玄関では桐原と設楽が話をしていた。
﹁それじゃ、この子たちをお願いしますね﹂
428
車から連れてきた彩音と楓を連れてきた霧島は、設楽に2人を預
けると亮の部屋に向かおうとしていた。
﹁はい、わざわざ送ってくれてありがとうございます。あの、それ
で⋮⋮お宅はどちら様ですか?﹂
﹁まあ∼簡単に言いますと、彼の先生です。元ですけど﹂
﹁この人、この前もウチにきたで﹂
今まで黙っていた彩音がやっと口を開いた。
﹁まあ、それで⋮そうだったんですね!﹂
﹁ええっ、まだちょっと彼に用がありますので、ちょっと失礼しま
すね﹂
霧島はそう言って設楽から離れると、亮の部屋に向かって階段を
上がっていった。
2階まで来るとすぐに亮の部屋を見つける事ができた。
部屋の中に入ると、奥の机でパソコンを操作している亮を見つけ
た。
﹁何か見つかったの?﹂
﹁入るときにはノックぐらいして下さい﹂
﹁あらあら、何言っちゃってるのよ。ここまで送ってあげたんだか
ら、それくらい大目にみなさいよ。聞いたわよ誘拐事件なんでしょ
う。特殊な分野だから警察や連警に任せた方がいいわよ﹂
﹁ほっといてくれ﹂
はたから見れば誘拐事件かもしれないが、ボイスの話を聞かされ
た亮にはこれがただの誘拐事件ではないとわかっていた。問題は霧
島にそれを教えるわけにはいかなかった。
﹁これは私の意見なんだけど、犯人はその子、葵って子だっけ。そ
の子だけを誘拐するのが目的だったんじゃないのかしら。その証拠
に身代金要求や他の子が誘拐されずに残されている。そもそも、亜
民の子供を誘拐したって何の得にもならないし、それにペン型麻酔
銃を使用していることから、最初から人殺しが目的じゃなかったん
だ。使用している道具や侵入から逃走までの手際のいい動きからし
429
て、犯人は軍関係に近い人物かもしれないわ﹂
持論を展開する霧島に対して亮は目も向けず、キーボードを叩い
て検索をしている。
﹁ねぇ、聞いてるの?﹂
﹁黙っててくれ﹂
﹁犯人捕まえるんでしょう。でもまだ誰かも特定されていないのに
被害者
動けないわよ。まずは捜査機関が容疑者を特定して告知するのを待
ホシ
つしかないわ﹂
ホシ
﹁犯人が特定できれば警察じゃなくても、依頼主から契約する事が
できる。問題は警察よりも先に犯人を特定することだ﹂
亮の鋭い眼光を見て、霧島はほくそ笑む。
﹁あらあら、熱くなりすぎてるわよ少しクールダウンしないと。そ
れに、初仕事にしては多少リスクがあるけど⋮まあいいわ﹂
﹁⋮生け捕りにする気はねぇ﹂
﹁んっ!? 何か言った?﹂
﹁いや、何も﹂
その時、亮のもう一つの携帯が鳴り出した。液晶画面を見ると例
のごとく﹃非通知﹄と出ているが、誰なのか分かってたい。
﹁副官、ちょっとプライベートな話をしないとなんで、部屋の外に
出て下さい﹂
﹁ええ、いいわよ。そとで待ってるわ﹂
霧島が部屋をでると、亮は携帯に出た。
﹃やあ、今はさぞかしはらわたが煮えくり返っている事だろう。あ
えて聞いてあげるよ、どうだいそっちの様子は?﹄
案の定ボイスだった。
﹁今忙しいんだけど、要件を手短に言ってくれ﹂
﹃じゃあ手短に言うよ⋮馬鹿の極みめぇ!! マヌケにも程がある
ぞぉ!!﹄
アレ
始めてボイスの荒げた声が伝わってきた。
﹃危機管理もないのかお前は!! 葵がどれだけ重要な存在かわか
430
アレ
っていないようだな。あれだけ守ると豪語しておきながら前回と備
えも変えてない。おまけに平気で葵を残して自分は職探し!? 一
体何を考えてるんだ!!﹄
﹁そこは反省している﹂
﹃反省だけはするんだな⋮お前は迂闊すぎる!! 考え方も甘すぎ
る!! 何でもかんでも自分の都合のいいように解釈するからこん
な結果になるんだよ!! だいだい、頭の中がお花畑になってるお
前程度の奴に務まるはずがない、この結果は起こるべきして起こっ
たんだ﹄
まくし立てて話すボイスの言葉を聞きながら、亮は自分の不甲斐
なさを感じていた。
﹃それで、こっちに何か言う事があるんじゃないか﹄
さら
﹁助けて欲しい、襲撃者見つけたいが、手がかりが少な過ぎる。あ
んたなら葵を拉致った連中が誰なのかわかってるんだろう﹂
﹃つまり、お前のこの大失態の尻拭いをしろと。そう言いたいわけ
だな﹄
﹁⋮そうだ﹂
﹃これ以上厄介事に首を突っ込むのはゴメンだ﹄
﹁いいのか、あんたも困ってるんだろう﹂
﹃どういう意味だ?﹄
﹁この電話を掛けて来たきとき、ピンっときた。本当に俺に呆れた
んなら、何もしないで連絡を絶てばいいだけの話。だけどあんたは
連絡をよこした。それはまだ俺に動いて欲しいってことだろう﹂
﹃ほう、たいした考えだな﹄
﹁それにこの前話した時、お前は﹃こっちも一枚岩じゃない﹄と言
った。それは組織内部で統率が上手く機能しなくなっているってこ
とだ。違っていてもあんた自身が葵の保護を頼んできたってことは、
あんた自身
組織内で葵の価値がなくなったってことだ。そう考えれば、葵はあ
んたの組織にとってなんの価値もなくなった事が、ボイスにとって
非常に不味い事に変わった、そういう事だろ﹂
431
アレ
﹃非常に不味いと言う訳ではないが⋮⋮葵の力が今後我々の驚異に
なる。その事実に誰も気がついていないだけだ。本当は外交カード
の一つになるはずだった⋮いいだろう、協力してやる。ただし、今
度またヘマしたらお前はもう一度家族を無くす事になるぞ、肝に銘
じておけ﹄
電話を切った亮は早速準備に取り掛かった。薫から渡されたショ
ルダーバックの中から、バウンティハンターのジャッケットを着る
と、次に使い慣れたコルトガバメントの銃が入ったホルスターをベ
ルトに通す。
動作確認のためホルスターから銃を抜くと、弾倉を取り出し弾が
入ってない事を確認した。ホルダーに銃を戻してから、鞄の中を探
し弾が無いことに気づいた時、PCからメールの着信音が鳴り出し
た。
メールを開くとそこには、埼玉バウンティハンター協会から掲示
されている見慣れた賞金首リストのページが開いてあり、目立つよ
うに赤丸で30代くらいの男の写真と罪状詳細が書かれてた場所が
囲ってあった。
罪状詳細には﹃埼玉県内の社会不適合者自立支援地区で、亜民に
かしまたつみ
対する殺人未遂並び誘拐を行った容疑者 賞金ランクA﹄と掲載さ
れていた。
﹁こいつか! 加嶋辰巳﹂
鋭い視線で画面に映っている加島辰巳の顔写真を睨みつけていた。
それはまるで自分の脳細胞の一つ一つにその顔を刻み込むように。
その頃、ICUのベットに横たわるマナの隣では、蒼崎玲子が神
妙な顔で輸血パックを変えていた。それもそのはず、マナの心臓で
止まっている弾丸に対して亮が﹃俺の血を使ってくれ!!﹄と言っ
た時はさすがに驚いた。
だけど、それ以上に。輸血を行っているのに原因がわからないま
ま、マナの身体が極度の貧血状態に陥っている事を何故亮が知って
432
いたのかが不思議だった。
その原因は撃ち込まれた弾丸にあると言っていたが、それを止め
るにどうして亮の血が有効なのだと、蒼崎は首を傾げながら考えた。
考えれば考える程理解できないなってくるが、亮の血を輸血してか
ら何故かバイタルが落ち着き、小康状態を維持していた。
﹁亮くん⋮、これは一体どういう事なの?﹂
自身の常識では理解しがたい状況を目の当たりして、蒼崎は説明
を求めた。今おきている現実はどう説明してもらえれば納得できの
だろうと。
深い霧の中をマナは叫びながら歩いていた。自分がどうしてここ
にいるのかもわからまま、暗く誰もいない場所をさまよっていた。
まぎ
﹁亮兄︱ぃ! 彩ねぇー 楓! 先生! みんなどこぉぉぉ!﹂
まるで寂しさを紛らわすように大声で何度も叫び続けていた。何
度も何度も皆の名を叫び続けるが、やがて声も枯れ叫ぶのをやめた。
﹁うううぅっぐ⋮⋮みんなどこぉ⋮マナを⋮置いていかないで⋮ひ
っく、ひっく⋮置いてかないで⋮マナ一人はやだよぉ⋮ひっく⋮﹂
静寂と深い霧の世界に一人佇むマナは、不安と寂しさでとうとう
泣き出してしまった。マナのすすり泣く声が辺りに響くと。
﹁マナちゃ︱︱︱︱ん!﹂
一瞬気のせいかと思ったが、向こうの方から再び声が響いてきた。
何処からかマナを呼ぶ声が聞こえ、マナが顔を上げる。
﹁マナちゃ︱︱︱︱ん!﹂
霧の向こうに誰かがいると確信したマナは、声のするほうに向か
って大声で叫びながら走り出した。
﹁ここよ! マナ、ここにいるよぉ!!﹂
深い霧の向こうから、黒い人影が見えてくるとやがてその影は姿
を現した。
﹁やっと見つけた。あなたがマナちゃんね﹂
マナの前に現れたのは巫女の服を着た女性だった。彼女はそのま
433
まマナの前まで来るとしゃがみ込み、ニッコリと笑顔を見せた。
あった事もない女性が突然目の前に現れたが、不思議とマナに警
戒心が出てこなかった。
マナ自身にもわからなかったが、何故だかこの女性の前だと心が
安心してしまうのだ。
﹁へぇっ!? お姉さん⋮⋮だれ? 神社の人?﹂
のぞみ
﹁始めましてマナちゃん、貴方の事はいつも彼から聞いてるわ。わ
たしの名は望って言うのよ。よろしくね﹂
望は自己紹介をすると、マナをそっとやさしく抱きしめてから囁
いた。
﹁お願い、彼を助けてほしいの。もう彼は⋮⋮私の声も、みんなの
声も聞こえないのよ。悪い人達がまた彼を引き戻そうとしているの。
今彼は境界線にいるの、その境界線を超えたらもう帰って来れなく
なるわ。だから助けて欲しいのよ﹂
﹁えっ⋮⋮⋮どう言う意味?﹂
﹁お願い、もうゆっくり説明している時間がないのよ。このままだ
とマナちゃんの知ってる亮は、もう二度と帰ってこなくなるわ﹂
その言葉に、マナの心は動いた。
﹁いや、いや。亮兄ぃー⋮いなくなったらマナいやぁー!!﹂
﹁だからお願い、マナちゃんの助けがいるの。協力して!﹂
﹁うん、協力する。するよ。けど⋮でも⋮マナで大丈夫なの?﹂
亮を救いたい気持ちがあるが、本当に自分で大丈夫なのか少し不
安になった。
そんなマナの心配をよそに、望は心配ないわと微笑む。
﹁大丈夫よ。貴方達は⋮とくにマナちゃんは彼に、あんなにも人を
悲しむ感情を与えてくれたわ。もう一度彼にそれを与えてほしいの。
私にはできなかったけど、マナちゃんになら出来るわ﹂
﹁わかった。でも⋮⋮⋮マナ、何をすればいいの?﹂
覚悟を決めたマナの耳元へ、望はそっと囁いた。
﹁それはね︱︱︱﹂
434
﹁えっ!?﹂
435
境界線上︵後書き︶
こんばんは、朏天仁です。前回番外編はいかがだったでしょうか?
本作にもどりましたけど、今回意外な人物の登場に読者の皆さん
も驚いたと思います。
さて、次回もこのまま話を進めていきたいと思います。今回も最
後まで読んでいただきまいて、本当に感謝、感謝です。
この作品を読み終わった方は下の﹃小説家になろう勝手にランキ
ング﹄を1クリックしてもらえると嬉しいです。
それでは皆さん次回お会いしましょう︵´ー`︶/
436
コード:407
﹁それで報告は以上か? よし、それならそのまま監視を続けてお
け。追って指示を出す﹂
霞ヶ関のオフィス内で、村岡はL−211の無事確保の連絡を受
けた。あと数時間もすればL−211を収容した車がここに到着す
る。到着したらしばらくは別の場所に収監してから、第3研究所よ
りも警備が厳重な場所に移さなくてはならない。
これでようやく厄介事が片付いたと思えるほど甘くはなかった。
今回の事後処理と並行して収容施設の職員に対する身辺調査徹底の
命令を受けた為、ここ数週間は激務に追われる。
ただ村岡にとっては、L−211を確保してもその後の事後処理
に追われ事それ以前に、今回の任務中に殉職した部下たちの事後整
理をまず考えなければならなかった。
たったの数日間で多くの戦友や優秀な部下を失った事は自身の責
任にほかならないと考えて、せめて残された家族に苦労がかからな
い様にできる限りの保証をしなくてはと、一人頭を抱えながら優先
順位を立てて考えていた。
﹁失礼します。竹中氏が村岡三尉にお会いしたいと来ていますが、
どういたしましょうか?﹂
﹁んっ、ああぁ。通せ﹂
﹁ハッ!!﹂
スーツを着た若い部下が敬礼をして部屋を出ると、入れ替わりに
厚い書類封筒を脇に挟んだ竹中が敬礼をして入ってきた。
﹁失礼します。竹中二尉入ります﹂
﹁おい、竹中。敬礼はいい、むしろ先に敬礼をするのは俺の方だろ。
上官が先に敬礼をしたら部下に示しがつかんぞ﹂
﹁あっ、失礼しました三尉。以後気を付けます﹂
437
竹中二尉はワザとらしくもう一度敬礼をした。例え階級が変わろ
うと自分の上官は貴方である、そう伝えているかのように。
マルサ
村岡三尉もその気持ちをくんでか、それ以上言及したなかった。
﹁今日はどうしたんだ? 国税局の方は大丈夫なのか? 心配しな
くても、こっちの任務はもうすぐ終わる。お前は自分の仕事に戻ら
ないと俺みたいに出世街道からこぼれ落っこちまうぞ﹂
﹁ご心配およびません。ちゃんと休暇申請を出してきましたのし、
ちゃんと連邦本部に話を付けてきましたので、自分がココに来ても
問題はありません﹂
﹁そうか、それならそれで結構。それで、今日は一体どうした? 何かあったのか?﹂
﹁一佐っ、失礼。三尉、お忘れですか。以前自分に例の少年の素性
調査を命じたではありませんか。今日はその報告にきました﹂
﹁おう、そうか。そうだったな﹂
L−211が無事確保できたことで、その事をすっかり忘れてい
た。確か月宮亮と言われる少年の調査を竹中二尉に頼んでいたのを
思い出した。普通なら管轄が違う彼は村岡の部下ではなく、むしろ
上官である。部下が上官に命令するわけには行かず、協力要請とい
う形でいったつもりだったが、竹中二尉はそれを直命と思ってやっ
てくれたようだ。
﹁まず、報告の前にお伝えする事があります﹂
﹁何だあらたまって? 何かわかったのか? おおかた敗戦後の戦
争孤児を町ヤクザが私兵として訓練していたのだろう、戦後のよく
ある話だ﹂
竹中は脇に挟んでいた書類封筒から一枚の書類を机に置いた。
﹁いいえ、この少年を調べていたらこんな結果がでてきました。自
分の最初はそうだろうと思ってよりましたが、よく見てください三
尉﹂
置かれた書類は、旧防衛省の機密書類を示す朱印が打たれていた。
文字の9割近くが真っ黒い塗りつぶれていたが、こんな機密レベル
438
が高い情報まで竹中は調べていたのかと思った村岡の目に止まった
のは、黒塗りの書類を上から斜めに打たれた文字だった。
﹃国家機密法ニ該当スル為、開示不可 処理コード:407﹄と赤
文字で打たれていた。
﹁これは、⋮まさか﹂
﹁自分も最初は何かの間違いかと思いましたが、同じでした。この
少年⋮存在自体が我国の国家機密に該当しているんです。しかも現
在進行形で﹂
﹁どういうことだ? この少年は一体?﹂
先の大戦
﹁それともう一つ。この処理コードを調べてみたところ、この40
7と言うのは第二次極東戦争中使用されたいた、対魔兵器の試作兵
器を示すコードでして、人間に割当てられるコードではありません
でした﹂
﹁何っ!? 本当か!?﹂
﹁はい、連邦中央情報局にいる同期から裏を取りました。間違いあ
りません﹂
﹁なんてこった⋮﹂
村岡はまさかっと思いながらため息をもらした。
﹁ひょっとして⋮陰陽師なのか⋮?﹂
﹁いいえ、少なくとも陰陽師では無いと思います。それ以上にわか
らないのです﹂
﹁何がわからないんだ?﹂
﹁この男は存在していません﹂
﹁はあ!? どう言う事だ、説明してくれ﹂
突然の言葉に、村岡は困惑の表情を浮かべたまま竹中に問い返し
た。すると竹中は書類封筒から数枚の書類束を広げ、指を指し示し
ながら説明を始めた。
﹁いいですか三尉。正確に申しますと、まず最初に⋮この月宮亮と
言われる少年について、戸籍を始めとする全ての公的書類が一切あ
りません。この月宮亮なる人物が我国の記録に載ったのは、彼が5
439
歳の時です。しかも最初の記録が国土交通省の入国管理局の出国者
リストの中です﹂
﹁おいちょっと待て。戸籍もない人間が簡単に国外に出れるわけな
いだろう。しかも時期的に日本がまだ占領地時代だろう、政府要人
でさせ出国には厳しい審査があったんぞ。ありえんことだ﹂
国治保
﹁ですが本当です。しかも彼の出国に対して身元保証人がいました
が、誰だと思いますか?﹂
J.S.I.C
﹁⋮誰だ?﹂
﹁現在の日本連邦軍戦略情報局の前身である国土治安維持保安部で
す。国治保が特例処置として発行していた事と、他にも特例処置で
彼と同じ歳の39人の子供が国外に出国していました。さらに次の
年は42人の子供が出国しています。これは異常ですよ三尉。国籍
不明の少年少女が目的不明のまま国外に出国しているんです﹂
﹁何てこった⋮81人か⋮﹂
EU
予想外の情報に村岡は困惑し、動揺を隠しきれなかった。
﹁話を戻します。出国した月宮亮は一度ヨーロッパを経由して、イ
スラエルに入国してます。2年間イスラエルで暮らした後は、記録
は抜けてしまったている箇所もありましたが、判明しているだけで
も彼は、その後パレスチナのガザ地区、コソボ、アフガニスタンか
らソマリアに、そして南アフリカへと渡っています。当時の紛争地
帯⋮それも最悪といえる危険地帯を点々と移動していて、15歳で
帰国する前は、1年半紛争真っ只中のミャンマーにいました⋮⋮三
尉に以前見せた写真は帰国した時の写真です﹂
﹁あれか⋮どうりで﹂
村岡は以前見た写真を思い出した。眼光鋭い瞳に、独特の雰囲気
を身にまとった感じは、彼がだた者ではないと思っていたが、まさ
かこれほどだったとは思いもよらなかった。
﹁⋮本人に関する情報を続けろ﹂
﹁帰国後次に記録に残っていたのは、埼玉県バウンティハンター訓
練施設の入学記録でした。ただ、あそこはネットワークが独立して
440
いて詳しい情報は得られませんでした。何人かの同期生から話を聞
けたのですが、みな彼のことを﹃従順ならざる狂犬﹄と言っていま
した﹂
﹁いわゆる﹃一匹狼﹄か⋮⋮続けろ﹂
たてわき
言われるままに最後のファイルを取り出し、広げてみせるがその
ほとんどが写真画像だった。
﹁次の記録は警視庁にありました。三尉、2年前の﹃刀帯事件﹄を
覚えたらっしゃいますか?﹂
﹁あの﹃大宮連続児童誘拐殺人事件﹄か、そもそもあの事件はわか
らない事が多すぎたな、身元不明のハンターや、警察の裏で五行法
印局が動いたりして⋮⋮まさか!! コイツはバウンティハンター
として捜査に関わっていたという事か?﹂ 村上の質問に竹中二尉は首を左右に振る。
﹁いいえ、ハンターではなく、彼はその事件の容疑者でした﹂
﹁容疑者だと?﹂
﹁はい、警視庁捜査一課のファイルに、彼は事件の最重要容疑者だ
ったのですが、刀帯死刑囚が捕まると直ぐに公安部の方から、警視
庁の容疑者リストから削除するよう圧力が掛かったそうです﹂
アンダーカバー
村上の中で複数の線の仮説が繋がった。この﹃月宮 亮﹄はバウ
ンティーハンターでありながら、なぜか潜入捜査官を行っていたの
だと。
そうなると、彼に捜査を指示させた人間が確実に1人いることに
なり、彼より上の人間か、もしくはパートナーが確実にいただろう。
村上は机の上で手を組むと、小さくため息を吐く。
竹中二尉が次の説明に入ろうと書類をめくると、ファイルから一
枚の紙が落ちてきた。
﹁これは何だ?﹂
﹁あっ⋮それは事件後に作成された、﹃死亡者及び行方不明者リス
ト﹄です﹂
手に持ったリストに目を通すと、そこには全員の名前や年齢・性
441
別等が書かれている。捜査関係者に至っては所属名まで細かく書か
れていた。
﹁リストの中には死亡した警察関係者4名、バウンティーハンター
2名、陰陽師6名の詳細が書かれているな﹂
﹁はい。死亡者の多くは、ほとんどが被害者の児童ですが⋮リスト
さえき
のぞみ
中に、1人だけ行方不明者がいまして、五行法印局から派遣させた
上級陰陽師の﹃冴鬼 希﹄だけが、未だに行方不明のままです﹂
村上の頭の中で﹃冴鬼 希﹄という名前が引っかかった。
﹁その名前、どこかで聞いたことがあるぞ﹂
あべのせいめい
﹁ご存知でしたか? あれです。たしか⋮⋮10年くらい前に陰陽
師達の間で神童と騒がれた子供です。当時10歳にして安倍晴明の
再来といわれた、天才陰陽師です﹂
﹁いや、そうじゃない。そうじゃないんだ﹂
﹁はっ?﹂
村岡の頭に引っ掛ったのは、冴鬼と言う名前だった。その名を聞
いて同じ名前の冴鬼法眼の顔が浮かんだからだ。
﹁まさかな⋮続けてくれ﹂
﹁はい。2年前の事件のあと彼は精神を病み、旧県立精神病院に処
置入院しています。入院目的は心的外傷後ストレス障害︵PTSD︶
の治療となっていました。そこで薬漬けの毎日を送っていましたが、
半年後に同病院を脱走しています。2週間後に戻って来た時に叔父
と名乗る﹃月宮 誠﹄なる人物が彼の身元引受人として現れ、現在
の今いる軽度対応型施設﹃たんぽぽ﹄に入所させています。しかし、
ここでも入所後2週間で傷害事件を起こしています。略式裁判で強
制的社会奉仕活動の判決を受けています。⋮⋮⋮彼に関する事は以
上です。三尉﹂
﹁ご苦労だった。ありがとう﹂
﹁それと、これは余談と思って聞いてください﹂
﹁何だ?﹂
﹁大宮事件の時に、巨大な白蛇が現れたと現場にいた数人の捜査官
442
が証言しています。あと事件後の生存者ハンターの中にあの一之瀬
彼
がいました。しかもその後、この彼と同じ施設に入院しています。
偶然の一致でしょうか、一之瀬と同じハンターだった者が一緒に病
院に入院して、その後一之瀬の事件が発生、L−211が仲間の月
宮亮の元に送られる。自分には別の何かによって︱﹂
﹁竹中二尉!!﹂
竹中二尉の話を急きょ止めた。そして人差し指を口元に置いて﹃
盗聴されいる﹄と合図を送った。いくらなんでもここで国家機密に
関わる事を話すのは危険と判断したのだ。
腰を上げ、机上の書類をまとめると引き出しの中へとしまった。
﹁ご苦労だった。竹中二尉。報告が以上なら下までお送りしよう﹂
﹁あっ、はい﹂
これ以上の会話は危険と判断した2人は、そのまま部屋を出てエ
レベーターに乗り込んだ。
﹁ここは監視カメラだけだ、音声は入らない。竹中二尉、今後は身
辺に注意しろ﹂
﹁はい、ですが⋮三尉、この彼は一体何者ですか?﹂
﹁⋮わからん。だた一つ言えるのは、間違いなく俺達以上の修羅場
を数多く渡り歩いている事だけだ﹂
﹁コード:407、実際には存在しないコード番号のハズなのに、
どうして人間に当てはめられていたのでしょうか?﹂
﹁わからん⋮人ではないのかものな⋮﹂
エレベーター内の空気が重たく息苦しくなり、シャツの襟元を指
で緩めた。L−211を無事に回収できると思った矢先に、想定外
ふくまでん
の情報に困惑する村岡は、これまでにないくらいの胸騒ぎを感じて
いてた。
﹁竹中、もうお前はこの件に関わるな。もしかしたら伏魔殿の扉を
開けてしまうかもしれんからな。俺は⋮どうか、このまま無事に終
わってくれる事だけを願っている。もうこれ以上部下を失うのは御
免だからな﹂
443
﹁⋮自分も同じです。三尉﹂
エレベーターの扉が開くと、前の目に播磨局長の秘書官が立って
いた。いつも見ている彼女とは思えないくらい嫌悪感を漂わせてい
る。村岡はこの彼女の独特な目の視線が慣れず、いつも視線を少し
ずらしていたが、それでもただならぬ雰囲気なのだとハッキリわか
った。
﹁村岡三尉。播磨局長がお呼びです﹂
﹁⋮わかった﹂
竹中二尉だけがエレベーターを出ると同時に、彼女が中に入り込
む。そしてお互い相向かいのまま2人を乗せたエレベーターの扉が
静かに閉ると上昇を始めた。
444
コード:407︵後書き︶
こんばんは、朏天仁です。今回の話いかがだったでしょうか?今ま
で隠されていた亮の過去が次々と明かされていて、その上何やら身
内同士できな臭い動きがありますね。
さて、次回は月宮亮の話に戻ると思いますので、楽しみにお待ち
ください︵^︳−︶−☆あの続きも気になると思います。
最後にここまで読んで下さった読者の皆さんに感謝を送りたいと思
います。本当にありがとうございますヾ︵@͡ー͡@︶ノ
では、次回お会いしましょう。後、下にある小説家になろう勝手に
ランキングを1クリックしてもらえたら嬉しいですo︵^▽^︶o
445
それぞれの決断
亮の部屋を出た霧島は、携帯を取り出し誰かと話をしていた。穏
やかな雰囲気など微塵も感じられず、むしろ険しかった。
﹁ええ、誘拐事件である事は間違いないわ。被害者は亜民の少女よ。
ええ、そう。だから報道はされないでしょうから、こっちの行動に
支障は出ないと思う。むしろ問題は彼の方よ、昔の彼に戻ってるは
ね。おそらく。ええ、一応暴走はしないように監視は続けるけど、
万が一の場合は腕か脚は覚悟した方がいいわ。場合によってはプロ
ジェクトの大幅な変更も検討しといて。じゃあね﹂
携帯をバックに入れ終えると、彼女の視線がそのすぐ横に向けら
れた。見るとそこの廊下で一人座る少女の後ろ姿が目に入ってきた
からだ。
病院から一緒に乗せてきた少女だと気づくと、何をしているのか
気になった霧島はゆっくり近づいて背中越しから覗き込んだ。メガ
ネを掛けた少女は鉛筆を持ってスケッチブックに物凄い速さで絵を
描いていた。手の動きに一切の無駄がなく、その手早さはまるで決
められた通りに印刷をするロボットみたいな精確だった。
﹁確か⋮楓ちゃんだっけ? それ、誰を描いてるの?﹂
興味本位に話掛けてみたが、楓は霧島の声が聞こえないほどに絵
の世界に入り込んでいた。その集中力は常人以上だろう。
楓のスケッチブックに描かれていく描写は、ファイスマスクをし
た男が肩に子供を担ぎながら去る後ろ姿と、その先の玄関らしい所
さら
で立っているもう一人の男がいる絵だった。
おそらく、楓が見た葵が拐われる光景をそのまま描いているのだ。
一枚を仕上げると切り離し、新しい紙に今後は似顔絵を描き始め
マーク
る。絵を拾い上げた霧島はその絵のある一部に目が止まった。
そこには子供を肩に載せて担ぐ男の腕に、見覚えの刺青を見つけ
446
たからだ。
P.M.C
﹁これって民間軍事会社じゃないの!?﹂
民間軍事会社の人間が亜民の誘拐をしたとは考えにくかった。何
故なら割に合わないからだ。彼らはわかりやすく言えば傭兵だ。傭
兵に個人のプライドも、信念もなく。国家の忠誠心も、忠義心もな
いからだ。彼らの中にあるのはただ一つ、﹃報酬︽現金︾﹄だけだ
からだ。
日本連邦法では、誘拐は重罪で協力しただけでも軽く2桁の懲役
は喰らう程だ。誘拐しても二束三文の価値もない亜民にそんなリス
キーな事をするだろうかと霧島は思った。
考え込んでいると、さっきまで一心不乱に絵を描いていた楓が手
を止め、じっと霧島を見つめている。
﹁あらら、えっと⋮何かしら?﹂
楓が何か言おうと口を開くと同時に、亮が部屋から出てきた。ハ
パ
ンタージャケットとこの前霧島が持ってきた﹃国家バウンティーハ
ンターバッチ﹄をチェーンを付けて首からぶら下げている。
﹁副教!! 45口径の弾がない、持ってる﹂
ラべラム
﹁あるわけないでしょう。あんな反動が凄まじい弾なんて、今は9
mm弾が主流よ﹂
﹁それならちょっと﹃ポブの店﹄に寄って行ってよ。狩りはそれか
らだ﹂
ポブの店と聞いて霧島は一瞬嫌な顔をしたが、何とか頷いた。ポ
とうごうげんぱちろう
ごよう
ブの店とは元埼玉バウンティーハンター名誉指導教官を勤めていた
たし
東郷源三郎が運営する銃砲店だ。それもバウンティーハンター御用
達なため、そこいらの店では取り扱ってい銃火器類や特殊弾丸等を
豊富に取り扱っている。
何故﹃ポブ﹄と言うのかというと、訓練教官時代に自分の事を﹃
東洋のポパイ﹄と自負していた事と、ハードパンチャーでもあり﹃
ポパイをぶっ飛ばす男﹄と言う異名から、いつしか皆から﹃ポブ﹄
と言われれ定着しただけだった。
447
ただし、その可愛らしいあだ名と打って変わってその実力は半端
なかった。
CQC
徒手格闘で右に出るものはなく、亮でさえ訓練学校時代何度も近
接格闘で挑んだが、一度も勝てた記憶はなく、接近戦では無敗を誇
っている。
正確な年齢は誰も知らないが、見た目的には確実に60歳は軽く
超えている。
﹁⋮オッ、オーケー亮くん。それなら早く行きましょうか﹂
﹁その前に﹂
顔色の悪い霧嶋の足元で座っている楓に近づくと、スケッチプッ
さら
クを手に取って訪ねた。
﹁楓、コイツ等が葵を拐っていった奴らか?﹂
楓は一度だけ頷いた。
﹁マナを撃ったクソ野郎はいる?﹂
また頷ずくと、楓はゆっくりと指を差した。それはさっき亮が見
たあの男だった。
﹁そうか、わかったよ。ありがとう楓。俺これから⋮マナを撃った
奴を捕まえて、葵を連れ戻しに行ってくるから、留守番をしててく
れるか?﹂
また頷く。
うれい
﹁⋮⋮⋮かえって、くるよね?﹂
メガネの奥にある瞳に愁さをにじませながら楓は訪ねた。しかし、
亮はそれに答える事はなく、黙ったまま立ち上がるとそのまま階段
を降りていった。
﹁亮兄ちゃん!!﹂
今まで聞いたことが無いくらいの楓の声を背中に受けながら、階
段を降りていった。その寂しい背中の後に霧島が続いた。
階段を降りた亮は玄関先で佇む彩音を見つけた。冷やしタオルで
押さえる顔は腫れ上がり、紫色の内出血の後ができ始めていた。破
かれた服を隠すように薄いバスタオルを身体にまといながら亮を睨
448
みつけている。
﹁どこ行くんや? この甲斐性なしが。それに何やそれぇ、そない
なキラキラしたもん首からぶら下げて、一体どこ行く気なんや。今
⋮こないな状況なんに⋮皆置いてドコ行く気なんやぁ、このアホン
ダラァ!!﹂
﹁朝、蒼崎先生に言われた害虫駆除をしてくんだ。留守番たのむぞ﹂
﹁っなこと聞いとんやなぃ!! 葵やマナの事は警察に任さればえ
えんや。それが仕事なんやから。今あんたがやらなぁアカンのは、
マナの側にいてやることやないんかい!!﹂
﹁マナは、⋮強い子だ。俺がいなくても大丈夫だ﹂
その言葉を聞くや否や、亮のシャツを勢いよく掴み上げた。
﹁もっぺん言ってみぃ!! アンタぁーマナの気持ちに気ぃついて
んやろうがぁ!! そないな薄情なセリフよう言えたなぁ、ああぁ
!! マナは⋮救急車が来るまで⋮意識なくすまで⋮アンタの名前
うなだ
言ってたんやで!! それを⋮そないなこと⋮うぅ⋮ううぅ⋮﹂
ワケ
込み上げてくる感情に肩を震わせる彩音は亮の胸に項垂れた。そ
れは決して亮に慰めて欲しい理由ではなく、溢れてくる涙を亮にだ
けは見せたくない彼女の強だりだったからだ。今自分の泣き顔を見
せたら自分の中の何かが負けてしまうから、だから今だけはこの泣
き顔を見せたくなかった。
﹁彩音⋮﹂
亮は彩音の髪にそっと手を置くと、彼女の身体を優しく抱きしめ
た。
﹁お前は、この﹃たんぽぽ﹄の中で皆のお姉さんだったな。もし俺
に兄弟がいたら、お前のような姉さんも悪くないと思ってた。ここ
に来て俺は新しい家族を持つことができた﹂
﹁⋮亮?﹂
お前
﹁母親のように支えてくれる蒼崎先生、いつも口が悪いけどケンカ
ができる彩音、世話の焼ける楓に、いつまでも俺の後をついてくる
マナ。俺はな⋮このありふれた日常がな、今⋮すごく好きになるこ
449
とができた。そして、この日常が続いてくれるんならどんなに良い
だろうってな。この感情をくれたのお前たちなんだ。でもな、そん
な日常よりも、そこにいるお前たちがいないんじゃ意味がないんだ
よ。あの温かい日々に大切なお前たちの存在がある事が⋮俺は何よ
りも愛おしいんだ。﹂
﹁亮⋮なに言ってんや?﹂
﹁彩音、聞いてくれ。俺には特別な力がある。お前が不可能と思え
るような事を可能にしてしまうような強い力がある。今、お前が思
っている願いを叶えられるとしたら、お前は何を願う?﹂
﹁そりゃー⋮⋮ぐすぅん⋮マナの⋮⋮そばにいてやってくれやぁ⋮﹂
彩音は振り絞るように願いを告げた。
﹁本当にそれでいいのか? 本当にそれがお前の願いなのか? 彩
音? それが本当にお前の本心だというのなら、俺はマナの側にい
る。だけどマナを気遣って言ったのなら俺は聞けない。彩音、お前
の本心を言ってくれ!!﹂
亮の言った通りそれは彩音の本心ではなかった。マナを思い自分
の気持ちを押し殺していた。突然訪れた卑劣極まる状況。理不尽な
暴力に襲われ目の前で家族が傷つき誘拐されていく中で味わった自
分の無力さに、歯を食いしばって耐えていた彩音は、腹のそこから
湧き上がってくる本音をついに口にした。
﹁うちは、アイツ等が憎い。たまらなく憎いわ、うちらが何したっ
てゆんや!! 頼む⋮葵ちゃんを取り戻してやぁ。そして、マナを
撃った奴を歯が抜けるくらいブン殴って⋮そして死ぬほど後悔させ
てやってやぁ!!﹂
﹁わかった。それは俺の専門分野だ。任せておけ!! お前の依頼
を受理した﹂
そこでようやく彩音は一歩後ろにさがると、顔を上げた。
﹁約束やで、破ったらタダじゃこんからな﹂
始めて亮に笑顔を向けた。白い八重歯を見せながら、彩音もこん
な顔ができるんだなと亮も内心驚いていた。
450
﹁留守番頼んだぞ﹂
﹁おう、任せとき!!﹂
彩音の応援を貰い、亮は靴を履いて玄関の扉に手を掛けた。ここ
を出ればハンターの自分の戻る。戻る必要などないと思っていたが、
まさかまた戻るとは思ってもいなかった。
いや、そもそもバケモノである自分にとって、今までの生活がお
かしかった。このドアの向こうの世界こそ本来自分がいるべき世界
なのだと、そう自分に言い聞かせると静かに扉を開けた。
外の雨はさらに勢いをまして降り続けている。
﹁あらら、さっきよりも強くなってきちゃったわね。車まで走るわ
よ﹂
背後から霧島が駆け出す。
亮も後に続き、全身から雨を受けながら走っていく。強く打ち付
けられている亮の身体は、まるで雨で洗礼を受けているようだった。
霧島の車が﹃たんぽぽ﹄を出た時、20m程離れた場所で一台の
黒いベンツが停車している。
車内の後部座席ではセーラー服を着た月宮薫が話しをしている。
﹁でね、最初にこの話を聞いたときは正直自分の耳を疑ったわ、ま
あいつ
さかそっちから直接話がしたいだなんてね。そりゃー罠かと思った
等
けど、よくよく考えればあんたらのスポンサーを﹃黒鉄の赤い十字
架﹄から私たちの組織に変更したいだけって事だよね﹂
薫は手にした缶ジュースに口をつた。
﹁結論から言えば、可能よ。ただし、今私たちがとてもシビアな状
況に直面しちゃっていてね。まずはそれがちゃんと片付いてからに
なるでしょうね﹂
チラッと横目で相手の顔色を確認する。
チカラ
﹁不満そうな顔ね。でもねあんた達にも責任の一旦があるのよ。周
りに敵ばかりを作るから。よく知りもしない相手に権力を与える時
は、しっかり手綱を握って抑え込まないとすぐ手を噛まれちゃうの
451
よ﹂
淡々と長話を続けているが、薫は早く本題に入りたいと相手の様
子を伺っている。そしてやっとそれが言えるタイミングが来たと直
感した。
﹁今の問題が片付いたら、﹃クルージュの奇跡﹄の管理全権を移譲
さてもらう。これが今回の作戦参加の絶対条件よ。別にとって食っ
連中
たりなんてしないから安心して、﹃魔女の遺産﹄なんて旨くもない
しね。心配しなくても大丈夫よ、管理するといっても﹃連邦軍﹄み
たいに穴蔵に閉じ込める気もないから、こっちの脅威にならなけれ
ば基本自由にさせるつもりよ。ただし、これは国内の話よ。出国は
認めないわ、もし国外に出た場合は遠慮なく始末するから。了承し
てもらえたかしら?﹂
薫はしばらく相手の顔を注視していたが、相手から了承の合図を
もらうと手を伸ばし握手を求めてきた。
﹁交渉成立。でわ﹂
お互いに握手を交わし成立した。薫の手を握る相手はロメロ神父
セント・キングダム
と一緒に入国したあのシスターだった。
﹁納得はしていない。でも﹃至福の千年王国﹄に抗える国が少ない
私た
のも事実。それに、あの子にはバチカンの影響が及ばないこの国が
安全なのかもしれないから﹂
ちの
﹁賢い選択をしたわね。それじゃー、さっそくだけど﹃桜の獅子の
子供たち﹄の実戦を見せてあげるわ﹂
つ
薫は前の運転手に指で合図を送ると、車がゆっくり発進しだした。
行き先は説明するまでもなく、亮のあとを尾けること。
452
それぞれの決断︵後書き︶
皆さんこんにちは、朏天仁です。今回で連載50回を迎えました。
正直ここまで話が続くとは自分自身想像もしていませんでした。
これも、皆様のお陰です。ありがとうございます。
さて、今回の話いかがだったでしょうか? 次回も亮話になる予定
です。多分・・・︵ーー;︶
では、皆さん。最後まで読んでいただき、本当にありがとうござい
ます。次回お会いしましょう︵^o^︶/
´
▽
`
︶
最後に、下記の小説家になろう勝手にランキングの項目を1クリッ
クしていただけると、嬉しいです︵
453
第三の枢軸
播磨局長の執務室に通された村岡は、すぐに部屋の空気が違うこ
とに気づいた。理由はある程度想像がつくが、それよりも気になる
のが奥にいる播磨局長だった。
普通出世する者は自身の感情を表に出すことは滅多にない。それ
は感情を出した時点で相手に自分の弱点を与える事になるからだ。
弱みを握られた者は相手の弱みを握らなければ、待っているのは傀
儡か破滅の二者択一しかない。
播磨局長も当然それはわかっているハズなのに、何故か感情を隠
さず表に出していた。彼は村岡をギッと睨みつけると、唸るような
声で訪ねてきた。
﹁一体どういうつもりだ?﹂
とぼ
﹁はっ!? 一体何の事でしょうか? 何かありましたか?﹂
村岡はワザと惚けた態度を見せた。相手が要点を言ってないのに
あえてこちらが言う必要はない。もしかしたら別の事を聞いている
のかも知れない、それともあえてこちらがボロを出すのを狙ってい
るのかもしれない。だとしらた相当な役者だなと思った。
﹁とぼけれるな。ワシは貴官にL−211の回収を命じただけだぞ。
えっけんこうい
ワシは記憶喪失か? それ以上の行動を貴官に命じた覚えはないぞ。
貴官に与えた権限においては、これは越権行為に値する重罪だぞ﹂
﹁ですから、一体なんのことでしょうか? 私は局長に命じられた
ままL−211の回収任務についていただけですが、その過程にお
いて何か局長の経歴に傷をつけるようなことでもしたのでしょうか
?﹂
﹁ほお、あくまで正当な任務だと言い張るか。もしそうだとしたら
相当なものだな、このタヌキめぇ!!﹂
﹁局長、私は何故局長がそれほどまで気分を害されているのか理解
454
できません。一体何があったのでしょうか? 局長が何に対してそ
れほど激怒しているのか理由を教えてください﹂
淡々とこたえる村岡に、播磨の口元が幾分緩みだした。 ﹁ふんっ、部下を失ってワキが甘くなってると思ったが、むしろ鈍
っとらんな。感情を上手くコントロールできているのか、それとも
やっと部下の死に無関心になれたのか﹂
﹁⋮局長、そうやって私の気持ちを掻き乱そうとしても無駄です。
本題に移りましょう。それともこんな茶番をするために、私を呼び
つけたのですか?﹂
キツく罵声を浴びせる事が無駄と判断した播磨は、次に村岡の心
情を揺さぶる作戦に出てきた。これには村岡も平静でいられなかっ
た。もし相手が上官でなければ、その首根っこを締め上げ総入れ歯
になるほど殴り続けていた。
﹁局長、何故私を呼んだのですか?﹂
村岡は挑むような視線を播磨に向けた。
播磨はその視線をしばらく見つめると、引き出しから書類関係の
束を机に広げた。
﹁貴官は何をコソコソ嗅ぎ回っている? 組織内で身内を調べる探
索屋は嫌われるぞ。ましてや相手が気難しいなら尚更だ﹂
レッド・クロス
広げられた書類には村岡が調べた月宮亮の写真や記録関係があり、
そのうちの二枚は一之瀬のアパートで捕まえた黒鉄の赤い十字架の
写真と、その彼と亮そして霧島と言う元公安捜査員が写っている写
真だった。
さらにあとから出された写真には、防犯カメラで撮った思われる
自分と竹仲の姿も映っていた。写真の日付はあのビルで月宮亮を調
べるように依頼した日だった。
﹁貴官が何を調べていたかはあらかた検討がついている。あれだけ
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
大っぴらに調べれば墓場で眠る死者の耳にも届くもんだ。それで⋮
どこまで知った?﹂
やはりバレていた。しかも播磨の最後にいった言葉は捉え方によ
455
死の選択
セリフ
っては、機密保持も辞さない言葉だった。
状況は最悪だった。ここで下手に誤魔化せばさらに自分を窮地に
陥れる事になる。だが、全部話した所で命の保証がある訳が無い。
言葉を間違えれば待っているのは死だ。今村岡は難しい舵取りを
迫られている。
﹁局長⋮、私はあなたの命令でL−211を回収するように命令を
受けました。その捜査過程においてl−211を奪取した一条軍曹
の検死の最中に、彼が連邦刑務所の囚人の名を借り別人になりすま
していた事が判明しました。彼の本当の名前は一之瀬でした。元準
バウンティーハンターであり、ハンター協会のデーターも調べてみ
たのですが、独立サーバーのためデーターは閲覧できませんでした
レッド・クロス
が、何とか別ルートで彼の住所を見つけ出し監視カメラを使って張
り込みをしている最中に現れた人物が﹃黒鉄の赤い十字架﹄とこい
つ等です﹂
村岡は亮の写真を手に取ってから播磨に見せたが、彼は無表情の
まま変化を見せなかった。
﹁それで貴官はそいつを調べたというのか﹂
﹁はい、一之瀬の背後関係を調べるは当然ですから﹂
﹁何故⋮っ、まあ、そうだな。だがその前に何故ワシに報告をしな
かった﹂
﹁局長からは報告に関して何も決めてませんでしたので、ある程度
・ ・ ・ ・ ・ ・
裏取りが終わった後で報告しようと考えてました。それとも、彼を
調べられると何か不味い事でもあったのでしょうか?﹂
﹁⋮調べる事は不味くはない﹂
播磨の眉が一瞬動いたのを見逃さなかった。
﹁だが、調べ方に問題があったな。せめて先に報告さえしていれば
相手を怒らせずに済んだものを﹂
﹁それは私の責任ではありません。私は命じられた捜査を行い、私
のあずかり知らぬ所で起こった問題はむしろ局長自身の問題でしょ
う﹂
456
ここで変に言い訳をするよりも、自分の正当性を相手に思わせて
おくことで、向こうにも落ち度があった事を認めさせる。
このまま上手く流れに乗せられれば、ある程度まで傷を浅くする
事ができるだろうと考えた。村岡にとって自分を追求するればそっ
ちもタダでは済まないことを思わせた。
﹁それはそうだな。だが起こってしまった問題を解決させるために
は誰かが責任を取らなければならん。このままいけば組織全体が崩
壊しかねぬ状況だ﹂
﹁局長、大げさすぎますよ。どうして自分たちの組織が亜民一人に
よって崩壊するんですか? あなたは一体何にそんなに怯えている
のです﹂
﹁村岡三尉⋮貴官は数多の戦場を駆け巡り、修羅場の数は伊達では
ないだろう。それでも恐怖するものはあるだろう﹂
﹁?⋮はい、それりゃー私も人間ですから、恐いもの一つや二つあ
ります。ですが、それがどうだって言うんですか?﹂
﹁ワシはこの世に、無知ほど恐ろしいモノはないと考えている。特
に未知の者たち相手ではなおさらだ。わざわざ叩き起こす必要はな
かったのだよ﹂
﹁何を言っているのですか?﹂
﹁貴官もわかっているだろうが、軍規には連帯責任がある。例え個
人が犯した罪だろうと、上官にもその責が問われる﹂
﹁それなら⋮局長、あなたにも責任が︱﹂
﹁いいや、ワシが言ってるのは貴官の事ではない、貴官の部下が犯
した責任だよ。元部下であるから本来は個人に取らせるのが一番な
のだが⋮⋮それは貴官も十分承知していることだろう﹂
﹁⋮それは⋮﹂
﹁それにだ。14名もの部下を死なせてしまった責任もある﹂
ナイトウルフ
﹁ですが、それは⋮ちゃんとL−211を確保したことでー﹂
﹁L−211を確保したのは亡霊犬だ。貴官の部下ではないぞ。も
っと詳細に言えば、ワシは貴官の尻拭いをしただけだ。貴官の無能
457
さには目に余る。今回の件に対して軍法会議に値する負うべき責任
があるの間違いない﹂
﹁組織を守るために私一人を吊るし上げるおつもりですか? 私は
これまで国のために自分の青春を捧げ、血を流し国土を守ってきま
した。こんな言いがかりに似た事で私の軍人としての気質までも否
定するおつもりですか﹂
じゅうたん
播磨は彼の言葉にまったく聞く耳を持たないまま、黙って引き出
しを開けると中から拳銃を取り出した。
﹁では、軍人らしくワシが死に場所を与えてやろう﹂
﹁局長、あなたは⋮そこまでしてー﹂
彼の言葉を遮るように乾いた銃声が1発響くと、グリーンの絨毯
に村岡が倒れた。額に空いた穴からトクトクと鮮血が溢れ出しなが
ら、絨毯が真っ赤に染まっていく。
倒れた彼の亡骸に対して形式的な敬礼を済ませると、播磨は一言
だけ呟いた。
﹁ご苦労、貴官の名誉は保ってやる。眠れ﹂
その言葉に罪悪感など微塵も感じられなかった。
丁度その頃、同じビルの屋上では五芒星の中心に桶が置いてあり、
りくじんきょくすいばん
その中の溜水に室内の映像が映り込み播磨が村岡を射殺した光景を
一部始終を見ている者たちがいた。
﹁簡易的とはいえ思ってた以上によく見えるんだなこの六壬式水盤
は、それにしても飼い主に捨てられたね、どうだい野良犬になった
ほうげん
気分は?﹂
﹁法眼様、いくらなんでもそのような言い方は失礼かと思います。
どうし
特に村岡殿にたいして犬呼ばわりなど﹂
﹁失礼だって!? 道士僕はありのままを言ってるだけだぞ﹂
げんしゅううらおんみょうどうじゅうさんけ
そこにいたのは、今回のL−211回収にあたって播磨局長から
さえきほうげん
後方支援要員として呼ばれた陰陽師、源洲裏陰陽道十三家の一つ、
冴鬼家第39代当主冴鬼法眼とのその道士だった。法眼と道士は相
458
変わらずいつもの制服とスーツを着ている。そしてもう一人隣で桶
の映像を眺めているのは、
﹁そうだろうオジさん﹂
﹁ああ⋮その通りだ。俺達が国家の犬であることは確かだ。それは
否定する気はない。だが、自分でも不思議と落ち着いているのに驚
いているよ。数多の戦場で仲間達を見捨ててきた事もあったし、自
分がまともな死に方なんてしないと思っていたさ、それを思えばト
カゲの尻尾切りにされても致し方ない事だ﹂
﹁何それ、いいように生贄にされて納得しちゃっんだよ。自己犠牲
に美徳なんて持っちゃってるから、そんな面倒臭ぇ生き方してんだ
よ。自分の命を他人に利用されてそれを良しとしちゃんだから、僕
には一生わからない考え片だな﹂
﹁守るものがあれば、人は誰でも命を捨てることができる﹂
﹁それじゃーさ、守りたい人を奪われた人はどうなるの? 自分の
命をどう使えばいいと思う﹂
﹁それは俺に聞いてるのか? 次に守るものを見つければいいだけ
だ﹂
﹁それで納得できるんだ。理不尽に奪われたのに、それで自分を納
得できるんだね。へぇーすごいね軍人さんは。僕はそんなのできな
いねぇ、奪った奴を見つけて、そいつ自身に同じ思いをさせながら
生き地獄を味わせてやらないと気がすまないね﹂
﹁法眼様、少し落ち着いて下さい。村岡殿もそうムキにならず少し
落ち着いて。まずは我々に何か言うべきことがあるのではないでし
ょうか﹂
道士の僅かに見開いた目が村岡を注視する。
なぜ3人がここにいるのかと言うと、ほんの10分ほど前に逆上
る。秘書と一緒にエレベーターに乗っていると、突然停車し扉が開
いた。
開くと同時に道士が飛ばした御札が秘書の額に張り付きその場に
座り込んだ。一瞬驚いた村岡だったが、さらに驚く光景が目に飛び
459
込んで来た。道士の後ろから自分が現れたのだ。
﹁村岡殿詳しい話は抜きに、こちら側に来ていただきたい。変わり
にこれを村岡殿の変わりとしていかせますので﹂
そこで、村岡は入れ替わり偽の自分は播磨の部屋へと向かってい
ったのだ。
つちびと
﹁そうだな、助かったのは事実だ。感謝する。それよりもあれ一体
なんだ﹂
﹁法眼様が即席でお創りになられた土人です。事が急だったので説
明できませんでしたが﹂
﹁土人? 馬鹿を言え、あれがか!? 俺が以前見たのは完全な土
人形だったぞ﹂
ぞうさ
﹁それはただの陰陽師が造った土人だよ。僕ほどの陰陽師になれば
人の目を誤魔化すくらいの精巧な土人くらい雑作もないよ﹂
法眼が勝ち誇ったようなドヤ顔を村岡に向けた。
﹁言葉にはならんよ。あれ程精巧とはな﹂
﹁でも、即席だったからね。形を保てるのに30分弱が限界だった。
あのまま長引けば危なかったし、僕としてはおじさんがこのまま死
んだ事になってくれるほうが都合がいいしね﹂
﹁取り敢えず助かったよ﹂
﹁⋮勘違いするなよオッサン!!﹂
さっきと違って法眼の口調が鋭く変化した。
﹁僕はね、例えおじさんが官位をもらっていたとしても助けなかっ
たよ。おじさんを助けたのは僕にとって有益になるからだよ。わか
る?﹂
法眼の言葉に村岡は首を傾げて見せた。
さえきのぞみ
﹁どう言う意味だ?﹂
﹁冴鬼希﹂
その言葉で村岡は理解した。
﹁ひょっとしてお前の身内の者だったのか?﹂
﹁そうだよ。冴鬼希は僕の姉だ。このビルも含めて僕が出向くとこ
460
ろは﹃聴伝心﹄の式神を無数散りばめているから、姉の名前が出た
時点で直に僕の耳に入るのさ。もちろんおじさん達のいた部屋にも
いたけどね。やっと掴んだ姉さんの手がかりの糸をここで断つわけ
にはいかなかったのさ、だからおじさんを助けたんだよ﹂
法眼が村岡を助けた理由はそれだけだった。自分の務めよりも姉
を探し出す事を優先する。家族ならそれは当然だが、村岡には法眼
の性格上それだけではないのではと疑念を感じていた。
﹁そうか、どんな形であれ助けられたのは違い。それで今後どうす
るつもりだ?﹂
﹁それは村岡殿次第ですよ﹂
﹁何!?﹂
﹁当然だろう、情報はそっちが持ってるんだ。僕たちはおじさんに
付いていくだけだよ。おじさんはこれからどうするのさ? まさか
このまま雲隠れでもする気なの?﹂
考えもしていなかった。もう自分が組織から離れ単身でいること
から自分がこれからどうすのか、その選択に迫われていたことに。
村岡は腕を組んでしばらく頭を整理し始めた。そしてこれまでの
事を考えるなかで、この事件の中心にあるL−211に行き着いた
とき結論が出た。
﹁播磨の手に渡る前に﹃L−211﹄を回収する。お前の姉とどう
言う関係があるかまだハッキリしていないが、あれを使ってお前の
ふうおう
姉について何か知っている人物かもしくはその組織の人間と交渉す
る材料になるだろうしな﹂
﹁いいね、じゃあ早速行くとしようか。道士﹃風鳳﹄の式神を出し
てくよ﹂
﹁かしこまりました﹂
かいちょう
法眼が腰を上げて、道士が空字を切るとそこに風の渦が発生した。
渦はやがて像ほどの大きささの怪鳥へと変わり3人を乗せようと身
をかがめた。
﹁よし行くよ!!﹂
461
﹁おっおい⋮ちょっと待て﹂
﹁何?﹂
﹁このまま3人だけで行くつもりか? L−211を護衛している
連中はそこいらの兵士じゃねんだぞ。対魔術の高いレベルを受けて
る特殊部隊だ。強力な術殺用の武装を持ってるんだぞ、まずは装備
を揃えるのが先だ﹂
その村岡の力説を聞いて法眼と道士は思わず吹き出した。
﹁アッハハハハハハッ!! ねえ、それ本気で言ってんのか? だ
としたら相当おめでたいね﹂
﹁そうですとも村岡殿。いやしくもこちらにおられるのは﹃法眼﹄
の名を継承した陰陽師ですよ。その名が伊達じゃないのをしかとそ
の目でご覧下さい﹂
﹁バカみたいな事いってないで、早く乗りなよ﹂
2人に促されるまま、村岡は慣れない足取りで渦の鳥の背に股が
った。3人が乗るとすぐに急上昇を始めると、今後は狙いを定めよ
うに一直線に前方に飛び始めた。
この瞬間まで村岡はこの2人の力を過小評価していた事にまだ気
づいていなかった。上宮院で継承される﹃法眼﹄と言う名の意味と、
それを持つ陰陽師の能力がいかに人外を超えた存在なのかを、この
時はまだ知りもしなかった。
462
第三の枢軸︵後書き︶
こんにちは、朏天仁です。まず最初に前回あとがきに次回も亮の話
になるとお伝えしましたが、訂正します。
今回の話いかがだったでしょうか、直ぐに話の展開が早くなると自
分でも思っていましたが、予想以上にマンネリ化が進行していまい
軌道修正に四苦八苦してをります。
´
▽
`
︶ノ
読者の皆様には何卒ご理解のほど変わらぬ応援をお願いしたしま
す。m︵︳︳︶m
それでは皆様次回お会いしましょう!!︵
463
ポブじいの店
銃大国アメリカでは、町の至る所に必ず銃砲店が存在する。それ
もコンビニ感覚のように堂々と店先に幾つもの銃が陳列され、誰で
も手に取ることができる状態だろう。しかし、いくら日本連邦でB
H法が施行さたとは言え、ハンターでない第三者の目に付くところ
に銃砲店は存在していなかった。
理由として、銃火器類の取り扱いには規制緩和が行われても、取
り扱う店側に幾つもの法律をクリアーする必要があり、ハッキリ言
って手続きが面倒くさい。それに、店に堂々と銃を並べたらよから
ぬ連中から犯罪に巻き込まれてしまう危険もある。
そもそも、大抵の日本人にとって銃とは人殺しの道具であり、軍
事アレルギーと一緒で銃アレルギーを持つ国民性なのだ。
だから日本連邦での銃火器の販売場所は一般の人には知る事がな
い場所、多くは地下の﹃会員制クラブ﹄と銘打った場所となってい
る。こうすることで一般人になかなか気づかれない状況になってい
た。
人一人が通れる地下階段に、コツコツと足音が響く。コンクリー
トのかび臭い壁に様々さな落書きが描かれ、チカチカする蛍光灯に
一人の影が映る。
階段を降りた亮は、ドアノブが無く見るからに頑丈そうなドアを
強く叩いた。するとドアの一部が四角く開き、中からカメラのレン
いちげん
ズが現れた。
﹃ここは一見客はお断りだ。ましてやガキはもっとお断りだ﹄
おそらくカメラの近くにマイクがあるのだろう。その聞き覚えの
ある声に亮の口元が緩む。
﹁客を選ぶのはいいが、ちゃんとこれを見てからいえよ。この糞ジ
ジイが﹂
464
カメラの前に国家バウンティーハンターバッチを突きつける。
ひと呼吸間を明けてから電子ロックの解除音が響くと、ゆっくり
ドアが動いた。手で押してみると、驚くほど軽い。
中に一歩入ると、すぐにドアが閉まり再び電子音が響いた。中は
外とさほど変わらず薄暗く、壁にある間接照明がオレンジ色に部屋
を照らしていた。一瞬写真現像に使う暗室のようだと勘違いしてし
まいそうな店内の奥に、一箇所だけモニターライトに照らされて見
える人物がいた。
奥にいる人物が指をクイクイと動かして笑っている。
﹁冗談言うなよ。コレぶっ壊してもいいならそっちに行くぜ﹂
亮がいる入口には囲むようにして丈夫そうな金網が貼られていて、
中に入れないようになっている。それを知ってて奥の人物は辛かっ
ているのだ。
﹁あんたが来いよ。それとも、もう足腰が立たなくなったのか? それじゃートイレにも行けなぇだろう、やっとオシメが必要になっ
たか﹂
﹁ふんっ、抜かせぇコラぁ こちとら退職して優雅なリタイヤ生活
をエンジョイする為に税金対策で仕方なくこんな商売してるんだよ。
お前
滅多に客なんて来ねぇし、来たとしても政府の犬の相手ぐれぇーだ
と思っていたのによ、よりにもよって犬は犬でも狂犬が来るとはな﹂
悪態を付きながら歩寄ってきたのは、この店の店主ポブじいこと
﹃東郷源八郎﹄だった。フェンス越しから見た容姿はスキンヘッド
に口ひげを生やした彫りの深い顔に、Tシャツから出る引き締まっ
た細い腕に幾つもの裂傷痕がある。
亮が訓練生時代の時、彼は既に70代後半だったはずだ。もしか
したらもう80歳になっているのかもしれないが、常人離れした身
体だけでなくそこから醸し出される雰囲気までもがとても老人とは
思えない程だった。
﹁風の噂でオメェー確か野良犬になったって聞いたぜ、なのに何で
また政府の犬になってんだあ!?﹂
465
﹁ついにボケたか、風に言葉は乗らねーよ﹂
﹁ふっ、相変わらずユーモアがねぇーなまったくよ。その無愛想は
誰譲りなんだ﹂
亮の知っている限りではこのポブじいは訓練生と必要最低限以上
の事は話さないはずだった。いつも徒手捕縛格闘術の訓練でも、﹃
はじめろ﹄﹃前へ出ろ﹄﹃次!!﹄﹃終わりだ﹄の4つ以外は殆ど
話した記憶がない。
訓練所の中でも無類の女好き以外は一番謎の多い教官だった。噂
では戦前陸上自衛隊の元空挺レンジャー部隊の教官だったとか、フ
ランス外人部隊かクルド兵の兵長を担っていて、戦時中に傭兵とし
て戻って戦ったレジスタンスのリーダーだったのではないかと言っ
た根も葉もない噂が流れた事もあった。
亮はそんな噂を信じてはいなかったが、ただ一つ確かだったのは
クラヴマガ
CQC
この東郷源八郎と言う男は、デタラメに強いという事だ。
亮のイスラエル軍接近格闘術を基本とした、接近戦で挑んでも1
度も勝てなかった相手がこの男なのだ。
﹁こんな暗い穴ぐらに一日中いるのか? 独居老人は寂しさのあま
りお喋りになるって言う都市伝説は本当だったようだ﹂
﹁抜かせ、オメェー本当にあの狂犬なのか確かめてたんだよ。最近
じゃ銃欲しさに他人を装う輩が多くてな、まあーオメェーのその仏
頂面は誰にもマネできねぇーけどなっ!!﹂
笑ったポブじいの口から白い歯が見えた。
﹁それで、何が欲しいんだ? ここに来たからにはちゃんと用があ
ったんだろう?﹂
﹁45口径の弾が欲しい、できるだけ多くな﹂
一般の弾
﹁おいおい、そんくらいのことなら他の店にでも行けよ。ここじゃ
はくりん
ー﹃流通弾﹄は割り高なのは知ってんだろう。なんでわざわざ来た
んだよ﹂
﹁正確には言えば、45口径に加工した﹃白燐弾﹄と﹃劣化ダムダ
ム弾﹄が欲しい﹂
466
ブラックマーケット
﹁おいおいおい、穏やかじゃねぇーなまったく。殺傷力が一番高い
弾が欲しいなんてよ﹂
﹁置いてあるだろう、まだ闇市には流通してるだろう。前にどこぞ
の武器商人から法外に安く手に入れたった聞いたぞ﹂
﹁バカ言え!! あの二つは国際法で軍及び政府機関での製造・使
用が禁止されて、ハーグ陸戦条約でも対人使用は全面禁止になった
んだ。そもそも、あれはもはや銃弾じゃねぇ大量殺戮兵器と化学兵
器に登録されてるんだ。そんな危ねぇーもん取り扱ってるワケねぇ
ーだろうが。第一個人が買える金額じゃねーよ﹂
ポブじいは否定したが、亮にはそれが全て嘘だと気づいていた。
﹁誰が買いに来たって言ったよ。俺は欲しいって言ったんだぜ。勿
論タダとは言わねぇよ﹂
ポケットから一枚のメモ紙を取り出し、パタパタと振って見せた。
﹁何だそりゃ!?﹂
﹁霧島副教の個人携帯番号とメールアドレスだよ、あんたが訓練教
官時代彼女に好意を持っていたのを知ってんだよ﹂
ポブの顔色が急変した。
﹁むっ、⋮⋮⋮ほっ、本当にキリちゃんの何だな? だが⋮証拠が
無い以上は取引でっ⋮できんな﹂
﹁証拠ねぇ⋮﹂
そう言うと携帯を取り出してメモの番号を押してみる。スピーカ
機能をオンにして響くコール音が繋がると、霧島の声が出た。
﹃何?﹄
﹁あっ副教、実は弾は買えただけど、もう少し装備品が欲しいだよ。
でも持ち金が少し足りなくてね、少し貸してくれないかな﹂
﹃あらあら、言えば経費で何でも落ちると勘違いしるのかしら。馬
鹿言わないよ!! 弾だけあれば十分でしょう。人にこんな雑用押
し付けといてよく言うわね、とっとと用済まして早く戻ってきなさ
いよ!!﹄
一方的に電話を切られてしまったが、亮は再びメモ紙を振って見
467
せた。今度はポブじいの目の色が変わり、その紙を食い入るように
注視している。
﹁さあ、どうするよ﹂
﹁うぬぬぅ⋮いくつ欲しいんだ?﹂
﹁1ケース50発入りをそれぞれ2ケースづつ頼む﹂
﹁合計200発かよ⋮軍隊じゃねぇんだぞ。そんなにあるわけねぇ
ーだろうが。馬鹿かお前は!!﹂
﹁俺はあんたがいかにセコイか知ってる。根拠もなく聞いたりしな
いよ。間違いなく持ってるだろう﹂
﹁寝ボケた事抜かしてんじゃねぇぞ。俺をどこかの武器商人か何か
だと勘違いしてんのか? 武器商人だって20発持ってるか怪しい
トコなんだぞ。その10倍の数を町の銃砲店が取り扱ってるわけね
ぇーだろうが、3発づつしか出せねぇーよ﹂
﹁どうしてもか?﹂
﹁どうしてもだ﹂
﹁本当か?﹂﹂
﹁いくら言ってもねぇもんは出せねぇよ!!﹂
﹁本当に、本当か?﹂
﹁くどいぞ!!﹂
﹁本当に、本当の、本当か?﹂
﹁お前いい加減にしろよ。第一人を殺すのに200発も必要ねぇだ
ろうが。戦争でもする気か?﹂
﹁そうか⋮⋮⋮副教の住所もおまけしたのにな﹂
﹁待ってろ、すぐ持ってくる!!﹂
即答だった。
足早に奥へと消えていくと、すぐにケースを持ってきた。
﹁やっぱりあるじゃん﹂
﹁客を見て判断してんだよ。商売の常識だろう﹂
ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべるている。約束通り弾丸と情報
を交換して帰ろうとした時、またポブが話掛けてきて。
468
じょうぜつ
﹁なあ、お前さ。死神を見た事あるか?﹂
﹁何だよ突然。それに今日はやけに饒舌じゃねーか、人恋しいなら
他をあたってくれ﹂
﹁別に冗談で言ってるわけじゃねんだよ。ただ、俺は昔2人の死神
を見た事がある。ありゃ恐ろしかった﹂
﹁!? 今その話が何の関係があるんだ?﹂
﹁その目だよ。お前のその目が、昔俺が見た死神達と同じ目をして
やがるのさ。人間じゃなく、冷たく爬虫類のような目だ。訓練生だ
ったお前はまだどこか人間らしい目が残ってたが、今のお前の目は
あいつ等と同じよ、一体何があったんだ?﹂
﹁別に、ただ⋮人生の残酷さを知っただけさ﹂
それだけ言うと、亮は店を後にした。
背後で扉の締まる音が響くと、亮は頭を押さえてうずくまる。た
んぽぽを出た辺りから続いていた軽い偏頭痛が急に強まりだした。
鈍い痛みが頭全体に広がり、耳の奥から高音域の耳鳴りがはじま
った。
﹁はぁ、はぁ、⋮頼むから、少し大人しくしてくれ、はあっ、はあ
っ﹂
何かの気配を感じて顔を上げると、そこにいたのはあの白い八咫
烏だった。階段から亮を眺めている。
﹁またお前か⋮﹂ しばらくお互いに目を合わせていると、八咫烏は飛び立っていっ
た。不思議な事に、それと同時に亮の頭痛も収まった。
先程までの頭痛が嘘のように消えると、亮は階段をあがり霧島が
待つ車へと乗り込んだ。
﹁あら、お帰り。ちゃんと買えた?﹂
﹁ああ、買えた﹂
﹁そう、お金はちゃんと足りたようね﹂
﹁思っていたほど、安くすんだから助かったよ。霧嶋副教﹂
﹁どう言う意味?﹂
469
﹁別に、とくに意味はないよ。それよりも見つかった?﹂
﹁ええ、見つけたわよ。あいつ自分のクレジットカード使ったみた
い、もう居場所は特定してあるわよ﹂
かしまたつみ
亮が弾を購入しに行っている間、霧島は車内でパソコンと格闘し
ていた。問題の加嶋辰巳なる人物をハンターの追跡ソフトを使って
検索をかけていた。膨大の情報量の中から特定の情報を検出するに
は専門のサーバーが必要になるが、そんなものがある訳がない。そ
こでノートパソコンの端末から遠隔操作で公共機関のサーバーを間
借りし、バックグランドから特定の情報をピックアップするという、
なんとも骨の折れる作業をする羽目になった。
﹁結構時間がかかると思ったんだけど、このバカ自分が指名手配さ
れてるの知らないらしいわね。本人名義のクレジットカードを地下
フェイク
射撃場のレンタルレーンの支払いで使ってるわね﹂
﹁簡単過ぎないか? もしかしたら囮かもしれないぞ﹂
﹁その店、今時珍しくセキュリティ会社と契約していて、そこのシ
ステムを裏からちょっと覗き見させてもらたっわよ﹂
キーボート素早く打つと、画面が防犯カメラの映像に切り替わっ
た。店の入口らしい映像から、見覚えのある顔の男が入ってくる映
像が流れる。
﹁コイツだぁ!!﹂
一気に感情が湧き上がり、瞳孔が拡散する。彩音に暴行し葵を拐
い、さらにはマナを撃った男だ。
﹁まだ、いるんですよね﹂
﹁いるわよ﹂
﹁どのくらいかかる?﹂
﹁そうね、ここからだとう⋮まあ20分くらいかしら﹂
﹁10分でお願いします﹂
﹁あらあら、熱くなっちゃって。いいわよ、ただしシートベルトを
付けなさない。マジでよ。これから走る所は車道とは限らないから﹂
﹁最短ルートで頼む、その為の天下御免のハンターバッジなんだか
470
らな。最大限に使ってこそだ﹂
﹁その通りよ。さあ、しっかり掴まってなさい!!﹂
持っていたパソコンを亮に渡すと、エンジンを掛け勢いよく車
を発進させた。
東京近郊の某所にある、廃ビル地下に一台のワゴン車が停車して
いた。その車の周りを囲むようにして4人の屈強は男たちが警備を
している。全員黒のスーツにサングラスをかけ、片耳から無線イン
カムのコードが見える。
男たちが警備する中、車内には目隠しをされ手錠で身動きがとれ
ない葵の姿がった。顔には乾いた涙の後があり、泣き疲れぐったり
と横になっていた。
外では男達が退屈しのぎにヒソヒソと話をしだしていた。
﹁なあっ、一体いつまで待機してるつもり何だ﹂
﹁命令が来るまでだ、仕事をしてるフリをしとけ。車内の主任に気
づかれたら殺されるぞ﹂
﹁わかってるって、そんなヘマしねぇよ。それにしてもよ、こんな
亜民のガキ一人拐うのに随分と大掛かりなこったな﹂
﹁上には上の考えがあるんだろう、無駄口叩いてないでちゃんと警
戒しとけよ﹂
﹁わかってるって、こんな所だれも来やしねぇってさ。来ても﹃人
よけ﹄の陣を貼ってんだ、俺たちを認識できるわけねぇよ﹂
男たちが話して中、目の前に一匹の白い蝶がどこからともなく飛
んできて男の腰に停った。
﹁どうやらムシにはお前が見えてるみたいだな﹂
﹁ははっ、ちげーねぇな﹂
硬い表情の男たちの顔に、少しだけ緩みが出来た。しかし、次の
瞬間。蝶が白く光ると男の体が炎に包まれた。
﹁ぎぎゃややややややややややややぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!﹂
叫び声に勢いつくように炎の火柱が昇る。
471
﹁おい、誰か水の護符を出せ!!﹂
誰かが叫び、仲間の男が護符を出して火柱に投げ入れた。火力は
弱まり中で焼かれている男の姿が見えてくると、今度は轟音と一緒
に爆発した。
爆風と衝撃波に男たちは吹き飛ばされ、コンクリートの壁に体を
叩き付けられた。
﹁ぐっはぁ⋮﹂
﹁うむ、上々だ﹂
かちょうふ
辺りに広がる爆煙の中から姿を現したのは、冴鬼法眼だった。
﹁やっぱり﹃火蝶符﹄はよく燃えるな。少し歯ごたえがあると思っ
たけど、こんなんならもう少し加減してやればよかった。これじゃ
ーいたぶる時間もねぇーじゃん﹂
﹁おい、遊びじゃねんだぞ。救出作戦は時間との勝負だ。時間がか
かればそれだけリスクが増えるんだ。自分の都合で物事を図るんじ
ゃね﹂
あたりに立ち込める人が焼けた時に出る独特な臭いを嗅がない為
に、口元をハンカチで押さえながら、村岡が注意した。
﹁気分が悪いんだったらさ、外で待ってればいいのに。おじさん頑
張るね﹂
﹁これでも一応現場主義なんだよ。それよりも早く車のドアを開け
ろ、結界でこれ以上進めねぇ﹂
指を差しながら法眼に指示を出す。
﹁おじさん結構人使いが荒いんだな、まあいいけど﹂
爆風で埃をかぶった車に近づくと、何も書いてない御札を貼り付
け念を唱えると御札が青白く輝き、梵字が浮かび上がった。
﹁ふん、こんな子供だましの結界なんてチョロすぎなんだよ﹂
札を手で破くと、法眼はスライドドアを開けた。
﹁さてと、ご開帳。こんに︱﹂
ドアを開けると同時に光る数珠を握った拳が法眼の顔面に打ち込
まれ、そのまま後方に吹っ飛んだ。
472
運良く後ろにいた村岡が彼の体を受け止めたが、思わぬ反撃に法
眼は口元を手で押さえている。
﹁どうだクソ餓鬼、自分の血の味は。よくも俺の部下をやってくれ
た﹂
中から現れたのは、長身で色白長髪の男が出てきた。怒りを浮か
さんこしょ
べた表情で右手に数珠を握り、左手にはヴァジュラと呼ばれる法具
の一つ三鈷杵が握られている。
﹁この際何者かは問わぬ。だがこれ程のことをしておいてタダで済
むと思ったら大間違いだぞ。身の程知らずの餓鬼共め、このまま黄
泉へと送ってやろう﹂
相手から発せされる異様な空気感を肌で感じ、村岡は嫌な汗を額
ににじませていた。
﹁こりゃー⋮相手を少し甘く見すぎていたな⋮﹂
﹁問題ねぇーよ。おっさん﹂
村岡の前に、法眼が立ち上がった。まだ鼻血がポタポタと垂れい
るが、目は男の方を凝視していた。
﹁身の程しらず? それれはテメェーだよ﹂
滅
流れる鼻血を舌で飲めると、法眼が空字で九字を切ると空間が割
れ中から白い虎﹃白虎﹄が飛び出してきた。
﹁お前も知ってると思うが、陰陽師の死闘は完全な死だ。格の違い
を見せてやるぜ!!﹂
この前現れた白虎より一回り大きく、身体からパチパチと青い放
電現象が見える。その白虎に向かって指で向かうべき相手を指し一
きざ
言放った。
﹁刻め!!﹂
473
ポブじいの店︵後書き︶
みなさん、こんばんは。朏天仁です。さて、今回の話はいかがでし
たでしょうか。自分的にはもう少し書き足したかったのですが、今
後の展開に追われてここまでにしておきました。
今後クライマックスに向けて一気に加速していきたいと思います。
´
▽
`
︶ノ
では、最後まで読んでくれた読者のみなさん、ありがとうございま
すm︵︳︳︶m
次回もお会いしましょう︵
474
リミッター
勝負は一瞬で決まるはずだった。法眼の放った白虎が空を駆け、
鋭い鍵爪が男の左肩から右脇腹に掛けて切り裂いた。だが、服が裂
けただけでその後起こるハズだった鮮血の雨は起こらなかった。
﹁!?﹂
﹁どうした? お前の術は服を破くだけか? 先程豪語した﹃刻め﹄
とはこの事なのか、こんなのはそこいらの痴漢と変わらんぞ﹂
﹁まさか、まだまだだよ﹂
次に法眼は、ポケットから数枚護符を取り出して息を吹き付ける
と、護符が飛び立ちやがて光る蝶へと変化した。
﹁愚かな、同じ技で挑むとは。それとも試しているのか?﹂
男がヴァジュラを左右に降ると、先から赤色に光るムチが現れ空
を舞った。空中をしなるムチが飛び全ての蝶を叩き落すと、地面で
さんこしょ
青白い炎が小さく上がる。
ぐれんさっか
こんごう
﹁へぇー面白い三鈷杵持ってるね。それ僕も欲しいな、お前が死ん
だら僕がもらってやるからね﹂
しゅ
﹁何関心してんだよ。あれは対陰陽術式の一つ﹃紅蓮石花﹄の金剛
杵だ。触れた者の命の火が燃え尽きるまで焼き続ける禁止法具だ。
まさかあんな危ない代物をもってるなんて想定外もいい所だぜまっ
たく﹂
﹁へぇー!? よく知ってるね。おっさん以外にも博識なんだね﹂
﹁くそっ!! 分が悪すぎる。やっぱりここは一旦引いた方がいい
ぞ﹂
﹁おっさん、冗談言うなよ。逃げたきゃ逃げればいい、でも僕は⋮
僕に血の味を思い出させたこの身土ほど知らずのバカをこのままに
する気はないんだよね﹂
﹁おい、俺の話聞いてんのか。お前の攻撃がまったく効いちゃいね
475
ぇんだぞ。どうするってんだよ? どう考えてもこっちが不利だ。
ここは一旦引いて体制を立て直してから反撃すしかないだう﹂
法眼の後ろにいる村岡はたまらず声を掛けた。明らかに法眼は頭
に血が上り、冷静さを失っている。戦場で冷静な判断力を失くせば
待っていのは死だ。このまま行けばますます村岡達が不利になる。
この男を倒せる可能性があるのならば何とか出来るかもしれない
が、どんな理屈かは解らないがあれ程の攻撃を受けているのに身に
傷一つ付かないのはおかしかった。
男の後ろには後部座で横たわるL−211の姿見える。あとほん
の数メートル進めば手が届く距離だが、今はその距離を進むのさえ
難しいかった。
﹁おい、聞いてるのか?﹂
お
横から法眼の顔を覗き込むと、今までにないくらい険しい表情を
浮かべている。余裕あるセリフを言っていても彼自身も圧されてい
るのは確かなようだ。
﹁どうしたクソ餓鬼、次だ。次。それとも今ので終わりか? これ
で終わりと言うならこっちの番だな﹂
男は手にしていた光る数珠を地面に押し当てると、円形の結界方
陣が村岡たちの足元まで広がった。危機感を感じた村岡がすぐに結
つちぐもほうふうじん
界から出ようとするが、膝から下が全く動かせなくなっている。
﹁クソっ、しまった。﹃土蜘蛛法封陣﹄かよ﹂
﹁ほう、お主よく知ってるな。これは五行結界の一つでもある﹃土﹄
の中でも強力な結界の一つだ。もうお主達の脚は死んでいる。囚わ
れのモノ達よ、大人しく黄泉へ旅立つがいい﹂
男が手にしているヴァジュラの先から白色の刃が伸びると、大き
く振り上げた。動けなくなった二人にたいして、これからお前たち
は死ぬの事を分からせるかのように、ゆっくりと振り上げた。
﹁おい、ナルシスト野郎!! 冥土の土産にテメェーの名を教えろ
よ﹂
こんな状況下の中で、法眼の言葉を聞いた男の手が止まる。そし
476
うしがわらゆうじ
て、面白いと言わんばかりの笑を浮かべると、一言だけ告げる。
﹁牛瓦勇二だ﹂
﹁そうか、覚えておこう。この僕に手を出した愚か者の名を﹂
殺気が宿る瞳で法眼が軽く指を鳴らすと、牛瓦の両足から鈍い音
と同時に膝が弾けた。方陣の上に血と弾けた膝の肉塊が飛び散ると、
豚のような悲鳴を上げながら崩れ落ちた。
﹁ぐぎぎぎぎや゛あ゛あ゛あ゛ぁぁぁっぁぁぁっぁっぁぁぁ!!﹂
﹁アハハハ、弾けた弾けた。そっちの脚も完全に死んだよ。アハハ
ハハ﹂
悲鳴を上げながら地面を転げまわる牛瓦の姿を見ながら、法眼が
両手を叩き大笑いしている。
﹁おい⋮一体どうなってるんだ⋮お前の術が効かなかった⋮はずだ
よな⋮﹂
ごそうじゅつ
いつのまにか掛けられていた結界が解かれ、脚が動かせることに
気づいた村岡が疑問を投げ掛けた。
﹁こんなの子供だましだよ。こんなの単純な﹃欺操術﹄だよ。タネ
が分かればもうおしまいなんだよ。僕の顔を殴って先入観を植え付
けたまでは良かったけど、その代償は高く着いたようだね。このマ
ヌケ野郎ぉがぁ﹂
﹁? ⋮どう言う意味だ﹂
ごそうじゅつ
法眼の説明に今一つ理解できない村岡は首を傾げた。
﹁このバカは最初から﹃欺操術﹄という、人の深層心理を操作する
結界を張っていたんだよ。だから最初に顔を殴れた僕は、無意識に
相手を強いと認識しちゃったのさ、後は簡単だよ。深層心理の中で
仮想恐怖を植えつけたれた僕は無意識に力をセーブさせられたのさ、
通りでいくらやっても白虎の攻撃が通じない理由だよ﹂
﹁でも⋮じゃ、どうして分かったんだ﹂
﹁そうなの簡単だよ。アイツが本当の事を言っちゃたからバレたの
さ﹂
﹁んっ!? 本当の事?﹂
477
﹁要するに、おっさんが﹃土蜘蛛法封陣﹄と言って、アイツがそれ
を認めただろう。普通な奴ならそれでも良かったけど、僕にはこれ
が﹃土蜘蛛法封陣﹄じゃない事を知っていたからわかったんだよ﹂
﹁なるど、それで解けた⋮んっ、と言うことはこれは暗示の術とい
うことだな﹂
﹁まー⋮、そう言ったほうがわかり易いかな。ためしに陰陽術式じ
ゃない破壊念術でやったら案の定このザマさ。破壊念術に深層心理
は関係ねぇからな﹂
﹁うぐぅ⋮ぎぃう゛⋮ああぁ⋮う゛ぅ⋮﹂
ようやく納得した村岡の前では、両膝をえぐられ身体を引きずり
ながら逃げうとする牛瓦がいた。もうすでに勝敗は決し、戦意も消
失した状態は戦闘不能だった。今回は相手が悪かった。あんな短時
間で相手の術の真意を理解し倒してしまうとは、法眼の名は伊達じ
ゃなかった。
村岡はこれ以上時間を掛ける必要はないと判断し、急いで車内い
るL−211のもとえ駆け寄った。確認の為首筋に指を当てて脈を
確認する。
鼓動がある。次に身体を摩ってみるが反応がない。
目隠しを外し顔を確認する。確かにL−211だ。
さんこしょ
﹁よし、間違いない。﹃L−211﹄だ。対象確保!! 急いで撤
収するぞ!!﹂
L−211を抱きかかえて振り返ると、法眼が興味津々で三鈷杵
を眺めている。足元には道士が牛瓦の頭を掴み上げていた。
﹁おい、法眼何してる? 急げ時間がないぞ﹂
﹁わかってるよ。でも、もう少し待ってよ。この法具面白いんだよ。
持ち主の意思で刃やムチのように自在に変化させる事ができる。面
さんこしょ
白いよ、ありがたくもらっておくよ﹂
三鈷杵をポケットに入れると、人差し指を牛瓦に眼前に突きつけ
た。
﹁こ⋮小僧、お主は⋮一体⋮﹂
478
苦悶の表情のまま牛瓦が訊ねると、さらに道士の指に力が入り頭
が反り上がった。
﹁面白いモンもらったから、特別に殺さないであげるよ。でも、こ
の冴鬼法眼の顔に傷を負わせてた償いはしてもらわないとね。取り
な
敢えずそうだな、お仲間が助けに来るまで赤い涙でも流して後悔し
ときな。さあ、鳴きなよ。フフフっ﹂
不敵な笑のまま指を弾くと、牛瓦の両目の眼球が不気味な音を上
げて弾け、赤黒い血が顔に2本の線を描きながら絶叫がこだました。
あまりの痛みに叫び声が割れ、両目を覆った手の指先から血が漏
れ出している。
﹁アハハハっ、見ろよ道士、身体を切ったミミズみたいに派手に転
げ回ってるぜ。こいつオモシレー!! サイコーだぜぇ!! ハハ
ハハハっ﹂
﹁おいっ!! 遊ぶのはその辺にしておけ。時間がねぇんだよ。撤
収だ、撤収。早くしろ!!﹂
法眼の残酷にもう驚く事もなくなっていた村岡は急かすように言
う。このままいったら多分応援が到着するまで拷問遊びをしている
に違いない。
さつばつ
人を痛めつける事に微塵の躊躇も見せない彼は一体どんな育ち方
をしてきのかわからなかったが、間違いなく殺伐とした幼少期を経
てこの歪んだ人格が形成されていったに違いなかった。
関東某所の民間射撃場
戦前の日本連邦は世界でも類をみないほどの銃規制が強い国であ
った。それはBH法が施行されても変わりなく、連邦内で銃を所持
できるのはごく一部の人間に限られている。
民間射撃場を利用するにしても、一般人は先ず立ち入ることは出
来ない。利用者は警察関係者、軍関係、警備や傭兵︽海外派遣︾を
専門に行う民間軍事会社や、亮達のようなバウンティハンターに限
479
国
ちょうだん
られているが、ごく一部の県では猟銃会のメンバーも利用できるよ
うになっている。
だだし、全ての民間射撃場は弾の跳弾や周りの建物に配慮して、
銃砲店と同じように地下に設置する所が多かった。
昼間﹃たんぽぽ﹄を襲撃した加嶋辰巳は、民間射撃場の5つある
射撃レーンの一番奥にいた。
9ミリのベレッタを5メートル離れた人型の標的に向かって、バ
ンバン銃弾を浴びせていた。
マガジンに8発装填してある弾を、全て標的の頭部と胸部にきれ
いにヒットさせている。高得点を獲得しても彼は不機嫌な表情を浮
かべていた。
﹁くそ、くそ、あの亜民のガキめぇ! あとちょっとだったのによ﹂
悪態を口から吐きながら、さらに銃を打ち続ける。
最後のマガジンが空になると、台に置いてある弾のケースからマ
ガジンに弾を込み始める。発射の熱でマガジン熱くなっていてもお
構いなしに弾を込めていると、突然横から声を掛けられた。
﹁加嶋辰巳だな﹂
﹁ああん!? 何だテメェーは?﹂
加嶋が振り返るとそこには亮が立っていた。
﹁まったくおめでたい奴だ。手配されてるのを知らずに自分のID
を使ってくれてるんだからな、おかげで手間を掛けずにすんだよ。・
・・・早速だが、お前を捕まえにきた。罪状はお前が一番わかって
ると思うが、今朝の亜民に対する暴行・誘拐と殺人未遂だ﹂
暴走しそうな感情を必死に抑えながら亮が説明をすると、辰巳は
亮に向かって不適な笑みを向けてきた。
・ ・ ・
﹁ああ、刑事さんか。⋮⋮でぇ、今回はいくらだ?﹂
﹁はぁ?﹂
﹁決まってんだろ! 示談金だよ。今回もちゃんと払うから勘弁し
てくれよ﹂
ニタニタと笑みを向けてくる辰巳を見て亮は理解した。この男は
480
前にも亜民を襲って示談金を積んで片をつけていたのだと。
﹁言っとくけど今回は未遂だぜ、前回みたいな強姦はしてないから
な、それにあれは正当防衛だったんだよ。あそこに入ったら、ちょ
ー俺好みのショートヘアーな女の子がいてさぁ、思わず楽しいこと
しようとしてたら、和服を着たガキがフライパン持って向ってきた
んだよ、それで思わず撃っちまっただけなんだよ。なぁ∼正当防衛
なんだよ、わかる? わかってくれよね? 刑事さん、お願いだか
らわかってくれよ﹂
あの時﹃たんぽぽ﹄でなにがあったのか、それは彩音が襲われそ
うになっていたのをマナが助けようとして撃たれたんだと、加嶋は
亮の前で淡々と語ってくる。
この期に及んで辰巳は自分を被害者なんだとふざけた弁解をして
くる。しかも亮を刑事だと勘違いしているようで、当時の様子を軽
い口調で語りだした。
恐らく事前にもこの辰巳は亜民に対して、強姦や暴行を繰り返し
ていたに違いない。そして警察沙汰になると、施設の責任者に示談
金を包んで告訴を取り消していた、もし訴えて裁判にもなれば施設
のイメージダウンになるし、市民より下の亜民に対して裁判を行っ
て勝っても、執行猶予もつかずに罰金刑で終わるぐらいだ。そうや
って被害者の亜民達は泣き寝入りをするしかなかったのだ。
それを知っているから、辰巳は亮の前でもこの余裕を出している
のだ。
﹁︱ってなんだよ。何だったその子に聞いてくれよ﹂
﹁お前は⋮たったそれだけの理由で⋮マナに魔弾を使いやがったの
か﹂
﹁はぁっ? 何? 刑事さん聞こえないんだけど、何だって?﹂
﹁お前がさら;拉致った子はどこにいる?﹂
握り拳に力を加えながら必死に感情を押し殺している亮は、精一
杯の努力で何とか言葉を出した。
﹁はぁぁあ? 知らねぇよ! 誘拐ってなにそれ? それよりさぁ
481
示談金はいくらなんだよ﹂
脳からアドレナリンを一気に噴出させる口調に、亮の体は小刻み
に震えだすとジャケットのポケットからバッチを見せる。
﹁残念だな⋮⋮俺は刑事じゃない。バウンティハンターだ! 加嶋
辰巳お前を捕まえに来た﹂
バウンティハンターのバッチを見ても、辰巳の余裕は消えなかった。
﹁そうかぁハンターか! あははは。なら話は早え、俺の懸賞金の
倍払うから今回は見逃してくれないか﹂
加島の変わらない態度に、亮の人としての思考が段々と薄れてい
く。
﹁どうせ大した金額でもないんだろ。最近羽振りがよくってさ。お
たくも安い懸賞金よりも、多く金がもらえる方がいいだろぉ⋮ほれ
ッ1⋮2⋮3⋮4⋮﹂
辰巳はポケットからピンで留めてある札束を取り出すと、その場
で札を数え始めた。そして、万札20枚をまとめると、亮の胸ポケ
ットに押し込んだ。
﹁まっ、帰りに楽しんできなって﹂
﹁⋮もういい、もう十分だブタ野郎ッ!!﹂
ついに亮の理性あるリミッターがブチギレた。
亮の瞳が見る見るうちに黄色い琥珀色に輝き、爬虫類のような瞳
で辰巳に視線を送る。
﹁おいブタ野郎! テメェーの汚ねぇ金をいくら積まれようとも無
駄だ。せめて人間らしく扱ってよろうと思ったが、間違っていた。
だいたいブタを人間らしく扱うこと事体間違っているんだからな﹂
﹁ああ、っんだとこのガキ﹂
亮の態度に頭にきた辰巳は、置いてあったベレッタを掴むと銃口
を亮の腹に押し当てた。
﹁このガキ! 変なカラコンでガンとばすじゃねぇ! 撃ったろか
ぁオイっ!!﹂
強気のままの態度で亮をまくし立ててくる。しかし亮はまったく
482
動じず、さらに言葉を付け加えた。
﹁うるさいブタだな、人間の言葉を吐きやがる。こっちの言葉がわ
かるならそれ以上臭い息を吐くのはヤメロ﹂
﹁ほざけバカが!﹂
その瞬間、辰巳のベレッタの引き金が引かれ、9ミリの乾いた音
が射撃場内に響いた。射撃場内は2人の他でれもいない。もしいて
ら誰かが止めに入っていただろう。
銃弾が亮の腹に命中すると、辰巳は勝ち誇った顔を亮にむける。
しかし、その顔がだんだ強張ってくるのにそう時間は掛からなかっ
た。
﹁まったく⋮⋮たかが9ミリで殺せると思ったか? 俺も舐められ
たもんだな﹂
銃で撃たれた箇所の服に穴が開いているが、一向に血が滲み出る
気配がない。
﹁テメェー防弾チョッキを着てやがるな!﹂
今度は銃口を亮の額に向けた瞬間、グシャリ! と鈍い音と一緒
に辰巳の腕があり得ない角度で外側に曲がる。銃を手にした腕ごと
躊躇なく折り曲げたのだ。
﹁ぐううううううぁぁあああぁあああああ・・・・・・テっ・・・
テメー﹂
腕の痛みで顔を歪ませる辰巳を、亮は涼しい顔で見ている。やが
て口をモゴモゴと動かすと、唾と一緒になにか硬いものを辰巳の顔
に飛ばしてきた。
落ちたそれは9ミリの弾頭だった。
﹁テ⋮テメーは⋮⋮バケモノか?﹂
﹁そうだよ!﹂
そう言うと間髪入れず右手で辰巳の口元を掴んで持ち上げると、
後ろのコンクリートの壁にそのまま後頭部を叩きつけた。
﹁グァ・・﹂
叩きつけたコンクリートの壁にクモの巣状のヒビが入ると、今度
483
は隣の壁に向かって体ごと投げ飛ばした。
人形のように壁に叩きつけられた辰巳は既に意識を失い、そのま
ま硬い床に落ちる。
﹁今のは先生の分だ!﹂
瞳が元に戻り、今度は足を辰巳の腹に打ち込み仰向けにすると、
襟首を片手で掴み引きずりながら射撃場を後にした。
まるでゴミ袋を扱うように引きずりながら、出口へと階段を上っ
て外の出ると霧島の車が停まっていた。
後部座席を空けて辰巳を無造作に放り込むと、そのまま助手席に
乗り込んだ。
﹁あら、おかえり。それでそいつどうする? このまま裁判所の尋
問室で話聞くのかしら?﹂
﹁いいや、まだだ。葵の場所を聞き出してから。このまま元第三倉
庫に向かってくれ﹂
﹁元第三倉庫? あなた⋮あそこでなにする気? まさか殺す気な
の﹂
モサド
﹁家畜に尋問は必要ない。葵の場所を聞き出すまで鳴かせるだけだ。
久しぶりのイスラエル軍仕込みのやり方でやる!﹂
亮の言葉を聞いた霧島は、背中に冷たいものと感じた。訓練生時
戦場
代に感じたことのない強い殺意を漂わせていたからだ。
数多くの実戦経験者達と会ってきた霧島ではあったが、亮の放つ
得体の知れない何か巨大な猛獣のよな雰囲気を感じとっていた。
484
リミッター︵後書き︶
こんにちは、朏天仁です。最近土曜日に更新を目標にしていました
が、最近自分自身がたるんでいるせいで更新が遅れてしまった事反
省しております。
不定期更新ではありますが、なるべく土曜日に更新を目標に続けて
いきたいと思います。
どうか皆様の変わらないご声援、よろしくお願いします。m︵︳
︳︶m
485
スティグマ∼たんぽぽの子供たち∼ 番外編その④3.5曹と九
十九鬼
土の匂いと、刺すほどの冷たい外気を顔に受け男が目を開けた。
ぼんやりとした景色の向こうに揺らめく明かりが何なのか最初はわ
からなかったが、やがてピントが合ってくると焚き火だと気づいた。
焚き火から目をそらして辺りを見渡すと、焚き火の横に座ってい
る人間がいる事に気づいた。思わず口を動かして声を出そうとする
が、おかしな事に声が出せなかった。逆に、喉の辺りから乾いた音
が聞こえてくる。
ようやく男は自分の喉から息が漏れている事に気づいた。
次第に呼吸が荒くなるのと同時に喉から響く乾音も強くなってい
く。
﹁おっ、ねぇ。生きてる。コイツまだ生きてるよ!!﹂
焚き火の側に座っている一人が振り返ると、隣に座っているもう
人の人間に声を掛けた。
﹁驚いた。アラサルシに襲われて、てっきり死んだもんだと思った
が⋮凄い強運だな﹂
エカシ
﹁ねぇ見て、﹃ここはどこなんだ?﹄って顔してる。喉を食われた
うけたまわ
から声が出ないんだよ長老どうせ助からないよ。楽してしてあげよ
う﹂
﹁待てアラサルシに襲われ助かったのなら、宿命を承ったはず。ワ
シらが勝手に決めてはならん、コイツが決める事だ﹂
2人の会話を耳にしている間、男は自分の身体を確認していた。
少しでも頭を動かせは背中に痛みが走り、手を顔に近づけようとす
ると手首から上が無かった。
この時、自分の体が左腕を僅かに残して四肢が引きちぎられてい
る事に気づいた。
﹁ヒゥ⋮グゥ⋮ウゥ⋮ヒグゥ⋮ゴホッ、ゴポッ﹂
486
精一杯悲鳴も喉からわずかにしか出ず、それも次第に血痰と混じ
り激しくむせ込んだ。
何で、どうして、何があった。その疑問が頭を巡り、目の前にい
る2人に助けを求めるように視線を投げ掛けるが、2人はまだ議論
エカシ
をしている。
﹁長老⋮やっぱり楽にしてあげよう。例え助かってもアラサルシの
食われた身体⋮もう殆ど残ってないし、このまま生かしても可愛そ
うだよ。アタシが見つけなかったらこのまま死んでたんだし﹂
﹁ならんっ!! 勝手にカムイ・モシリ送るなどあってはならんこ
とだ。それに、こうなったのはワシらしにも責任がある。エシャラ
エカシ
をアラサルシにしてしまった責任がな。これはその罪滅ぼしでもあ
るのだぞ﹂
﹁じゃあ、どうするのさ長老。このままこの人を向こうに返したら、
エペタム
アタシ達の事がバレちゃうよ、隠しておくなんて出来ないよ﹂
エカシ
カイセイ
﹁ワシに考えがある。チェカム、人食刀を使う﹂
﹁長老⋮まさか、この人を死骸に堕とすの?﹂
エカシ
﹁ああ、せめて失くなった所だけでも戻してやらねば﹂
﹁でも、でも⋮長老﹂
﹁せめて、選択はさせてやる﹂
男には2人の会話が耳に届いているが、目がかすれ視界は殆ど見
えいない。それでも黒い影が自分の方に寄ってくるのが見えて、そ
れが隣まで来るとゆっくりと話始めた。
﹁本来なら死んでいた。だが生きていても死ぬほどの苦しみが待っ
ている。それでもお前は生きたいか?﹂
男には何の事なのかわからなかった。一体何を話しているのか、
エカシ
自分がどうしてここにいるのかさえ考えられないくらい思考は停止
していた。
ただ、この長老が言う﹃生きたい﹄と言う言葉にだけは反応でき
た。
﹁死ぬより辛い人生が待っている、それでもお前は生きたいのか?
487
まぶた
生きたいなら瞼を2回閉じろ。1回ならこのままカムイ・モシリ
に送ってやろう﹂
この理解できない状況が続いている中で、死にたくない。その思
まばた
イネウサルカ
いだけは強く抱いていた。男は残る力を精一杯出してゆっくりと2
回瞬きをした。
﹁よし、では生きろ。伝承を唄う者よ﹂
次の瞬間。強烈な痛みと共に胸に熱い何かが突き刺さるのを感じ
ると、男の意識はそこで途切れた。
﹁おいっ!! 起きろ!! 起きろって、38号!! 起きろよ!
!﹂
﹁うぅっ、うるせぇな!! わかった、わかったよ﹂
ねむけまなこ
睡眠中だった38号は、乱暴に肩を叩かれ少し不機嫌そうに目を
いか
覚ました。目をこすりながら眠気眼の視界に入ってきのは浅黒い肌
に厳つい顔をした47号の顔だった。
西暦2020年1月14日、長野・群馬県山岳の県境付近某所に
ある陸自の極秘訓練施設に、38号達を乗せたバスは到着した。訓
練所内にある未整備の駐車場に停車すると、開いた入口からフェイ
スマスクを被った体格のいい男たち数名が勢いよく乗車してくると、
機密保持のためバス全体を覆っていた暗幕を乱暴に取り外した。
場所の特定をわからなくする為とはいえ、ここがどこなのか大体
の検討はついているしバスの乗客は彼らが全員陸自の隊員であるこ
スパイ
とも知っていた。今まで何度も繰り返してきた光景に誰ひとり驚く
こともなく次にくる人物を待っていた。
﹁ったく、毎度毎度ご苦労なこった。ここにS何ていねぇってんだ
よ。こっちはただでさえ丸1日地球を半周して、その足でココまで
来たんだぜ。茶の一杯ぐらい飲ませろってんだよ﹂
﹁⋮うるさいぞ。移動中に休息できただろう、2時間近く休めれば
上々だ。愚痴をこぼすのは弛んでる証拠だ。﹂
488
﹁おいおい⋮38号よ。立派な言葉痛みにしみるよけど、よだれを
垂らしながら言われてもな。キタねぇーから拭けよ﹂
﹁よだれ?﹂
38号は服の袖で口元を拭った。
﹁気持ちよく寝てたじゃねぇかよ。いい女の夢でも見てたのか? あっわかった!! 向こうでいい女とヤったのを忘れられなかった
んだろう。アラブの女は皆腰が抜けるほどパワフルだからな﹂
47号の揶揄いを半分聞き流しながら窓ガラスに映った自分の顔
を見る。酷い顔がそこにあった。中東の砂漠で焼かれ黒くなった肌
に、深いシワが創傷のように顔に刻まれ、角刈りにした髪の3分の
2は白髪になっている。目下の消えないクマを見た所で自分がもう
57歳になった事を思い出した。自分だけでなく、周りの顔なじみ
の者たちも随分歳を食ったていた。
﹁いや、⋮悪夢だったよ﹂
﹁バカ言うなよ。悪夢はこれから始まるんだよ﹂
﹁ハッ、そうだな。そうだったよ﹂
38号がため息と一緒に軽い笑みを見せる。悪夢はこれから始ま
る。だが実際に38号の悪夢はもっと昔、40数年前から始まって
いた。
あの12月の北海道から始まった悪夢は決して覚めることなく3
8号にとり憑いて離れなかった。それはまるで呪いのように。
﹁⋮まったく、こんな時に昔の夢を見るなんて。最悪だぜ⋮まった
く﹂
﹁あんっ!? 何か言ったか、38号?﹂
﹁ああ、言ったさ。これが最後であってほしいってな﹂
﹁それは、ここにいる誰もが同じだよ﹂
﹁オイっ!! そこの2人、口を閉じておけ。お前たちだけだぞし
ゃべっているのは!! 遠足じゃねんだぞ、黙って座ってろ!! 後で喋れないくらいシゴいてやるからな!!﹂
バスの中央付近にたっていた隊員が注意を飛ばした。周りを見渡
489
してみると皆腕を組んで静かに座っている。
軽く頷いてから2人とも皆と一緒に腕を組んで静かに待つことに
した。
﹁ふんっ、若造め﹂
﹁声からしてまだ若いな、多分20代後半の陸曹辺りだろう。教育
隊のシゴキ口調そのままだし、今回が初なんだろう。ここは大人し
く慕ってやろうじゃないか﹂
﹁いっちょう遊んでやるか﹂
﹁やめておけ、余計面倒になる。それに︱﹂
突然、場の空気が一変した。極度の緊張が辺りを包み込むとバス
の入口から使い古した戦闘服をきた男が姿を見せた。
﹁来たぞ﹂
﹁わかってる﹂
全員がその男に注目した。
﹁これがいつもの指令事案なら今更説明する気はない。だが今回諸
君ら海外組を召集したのは国家の安全保障に危機が迫っているから
だ。諸君らには特別任務が与えられる﹂
その言葉に全員がザワめきたった。
﹁注目ッ!!﹂
先ほどの注意した若い隊員が大声を上げた。それだけ皆動揺して
いたのだ。
﹁諸君らに下った命令はたった一つ。完璧な戦闘兵を仕上げること、
ただそれだけだ。諸君らの新しい身分証はこれより配布される資料
と一緒にある。各自、自分のプロフィールを5分以内覚えること。
5分後に回収員にファイルを渡した後は、新しい自分になること。
以上だ﹂
挨拶もなしに説明だけ終わると質問は一切受け付けないまま、男
はすぐにバスから降りて行ってしまった。
﹁完璧な戦闘兵を仕上げる? 言葉は違うがいつもの事だろうが。
38号、どう言う意味だと思う?﹂
490
﹁さあな、それよも俺が気なったのは﹃安全保障に危機が迫ってる﹄
の言葉だ。やっぱり日本で戦争が始まるっていうあの噂は本当だっ
たんだ﹂
﹁まあ、要するに俺達はハッパを掛けられたってわけだ﹂
﹁相変わらず単純だなお前は﹂
話の途中で、白いA4サイズ程の封筒を渡れた。中を確認すると
カード型顔写真入りの身分証明が一枚と、またっく知らない名前と
生い立ちが記載されたプロフィールシートが入っていた。38号は
一度だけ文章に目を通すと、それを封筒に戻した。すでに38号に
は文章が頭に入っているからだ。
とうごうげんぱちろう
﹁お前って⋮いつも早いよな﹂
﹁ああ、今回の俺の名前﹃東郷源八郎﹄だって。歳が同じだけで後
とくしまこうぞう
は全部違ってる。そっちはどうだ﹂
﹁俺は﹃徳島耕三﹄だよ。もっとマシな名前にしてほしかったんだ
が、今回は何一つ合ってなかった。暗記するのが大変だ﹂
この時全員の身元が番号から名前に切り替わった。38号は東郷
源八郎、47号は徳島耕三という名に変わった。
5分後、時間ぴったりに回収員が黒い服を広げ一つ一つ渡された
資料を回収し始める。全員の回収が終了すると、今後は一人ずつ名
前を呼ばれてバスを降りて行った。
キリングマシーン
多方、その先に自分たちが受け持つであろう訓練隊員がいるに違
いない。これから42日間を掛けて訓練隊員達を一つの殺人機械に
育て上げなくてならない。それが東郷達﹃黒い旭日旗﹄の任務なの
だ。
やっと、自分の名をよばれた東郷はバスを降りた。降りてすぐ頭
に袋を被らされ、案内役の隊員の肩に手を置いて進んでいく。
いつもの事だ。訓練所以内はいつも袋を被る事が決まっている。
東郷は何度も来ている場所であっても、訓所以内はどこに何がある
のか把握しきれていない。知る必要はないし、むしろ知りたくもな
かった。
491
﹁いいぞ﹂
やっと顔から袋を外されると、吸い込んだ外気から血生臭い匂い
が鼻につく。周りを見渡すと小さな部屋に東郷と一緒に来た隊員の
WAC
他に、迷彩服を着た白髪の少女が立っていた。
﹁⋮女性自衛官!?﹂
﹁彼女が今回の任務対象者だ。後はまかせる。15分後にまたここ
に来るからそれまで挨拶をしておくように﹂
それだけ言うと、隊員は部屋を出て外から鍵を掛けた。東郷がい
る部屋は宿舎で2人1組で生活する部屋だった。ここで42日間こ
の少女と生活を共にするというのか、しかも宿舎の部屋は全部外か
ら鍵がかけられる構造になっていて、皆﹃牢獄﹄と読んでいる。
2人っきりになってから微妙な空気が漂う。この状況は東郷にも
予想外の展開だ。普段なら習志野の空挺団や、松本の山岳レンジャ
ー隊員の猛者達がここにいるはずなのに、よりもよってこんな華奢
な身体をした少女が今回の訓練対象者だったとは。
ここがどんな所なのか知っている者として、とてもじゃないが未
だに信じられずにいた。目の前にいる少女はどう見てもまだ子供に
しか見えない、こんな少女を殺人機械にしろという命令が何かの間
違いであって欲しいと思っている。
﹁今日から42日間お前を訓練する事になった﹃東郷源八郎﹄だが
⋮ここがどういう所なのか知ってるのか?﹂
少女は黙って頷いた。少女の白髪が目立ってそっちに目が向いて
しまったが、変な事に少女は目をつぶっていた。
﹁お前? WACだよな?﹂
﹁はい、そのようになっている筈です﹂
半ゴー
﹁階級は?﹂
﹁3.5曹です﹂
﹁なるほど﹂
3.5曹とは実際には存在しない階級、すなわち存在しない隊員
という意味だった。別の意味として非正規隊員と言う意味もある。
492
自衛隊を動かす事ができない場合い投入される秘密部隊、今回はそ
の隊員の訓練なのだと東郷は理解した。
﹁それじゃー何で目をつぶっている。つぶったままだとこっちの顔
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
がわからないだろう。ちゃんと目を見てこっちを見ろ﹂
﹁目を閉じているのは、良く見えすぎてしまうからです。本来見な
くていいモノまでもよく見えてしまうので、目を閉じているくらい
が丁度いいのです﹂
早速上官への反抗が現れた。
﹁指導1だッ!!﹂
東郷の拳が少女の右頬に打ち込まれた。衝撃で半歩後ろに下がる
と唇と鼻から流血した。まだ幼気な少女に手を挙げて若干の心が痛
んだが、これも訓練と思いすぐに割り切ることにした。
﹁オレは、目を開けろと言ったんだぞ。開けろ﹂
﹁⋮はい。ですが、驚かないで下さい﹂
口元を袖で抜ると、少女はゆっくりと目を開いた。
﹁その目⋮﹂
開いた目が上官に向けられる。そこには赤い瞳孔をした2つの眼
球がしっかりと東郷を捉えたていた。
﹁あれッ!? 意外と驚かないですね。里のアイツに見せたときは
結構驚いたのに、それとも始めてではなかったですか?﹂
・ ・ ・
その瞳を見れば誰もが驚くだろう。それが普通だ。だが、東郷は
別だった。何故なら︱
﹁3人目だ﹂
﹁えっ﹂
﹁お前で3人目だよ。あの時と同じ死神の目をした奴を見たのはお
前が3人目だ﹂
﹁そうでしたか⋮⋮﹂
・ ・ ・ ・
少女は始めて苦笑したような顔を見せた。思っていたより違った
反応をされて困ったような顔にも見える。
・
﹁⋮でも、最後に見たのは大分昔ですね。ああ、なるほど一度死ん
493
だ。そうですね﹂
﹁何でそれを知ってる? お前⋮誰だ?﹂
38号
つくもおに
﹁私の名は月宮巴です。以後お見知りおきを、九十九鬼さん﹂
﹁!?﹂
それは、だれも知らないはずの東郷の本名だった。
494
スティグマ∼たんぽぽの子供たち∼ 番外編その④3.5曹と九
十九鬼︵後書き︶
皆さんこんにちは、朏天仁です。今回は番外編を載せさせて頂きま
した!
︳︶
いかがだったですか? 多分、誤字脱字があって読みにくいと思い
ますが、見つけ次第修正していきますのでご了承下さいm︵︳
m
でわ、次回またよろしくお願い致しますヽ︵´ー`︶ノ
495
次の一手
静寂と闇が広がる空間に、突如強烈な閃光が灯された。敷かれた
冷たい木板の上に、鎖で身体を拘束されたままの男の頭を余すこと
なく照らしている。
﹁起きろッ!!!!﹂
ドスの聞いた声が耳に響くと同時に、顔面に勢いよく冷水を叩き
付けられて加嶋辰巳は意識を取り戻した。
﹁ガハッ⋮ゴホっ⋮ゲホ、ゲホ⋮、何だ⋮ここは︱﹂
状況を把握するより先に重たい拳が顎を刈った。口腔内に鉄の味
と一緒に血が広がると、それと同じ衝撃が二度、三度と続く。
衝撃が続くたびに頭が勢いよく左右に触れる。声が出せず、息も
できない。考える暇もなかった。
助けを懇願する間もなく繰り返される拳の応酬に、加嶋辰巳は身
を任さるしかできなかった。
やがて、口腔内に溜まった血塊を噴水の用に吹き出し時ようやく
拳が止まった。
﹁⋮⋮たっ、⋮⋮助けて︱﹂
溢れ出る吐血と一緒に出た言葉をそこまで言いかけて時、上顎の
前歯に何か違和感を辰巳は感じた。そして。
バキッ!!
﹁あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ
゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛︱︱︱︱︱︱︱︱ッ!!
!!﹂
小さく乾いた音と一緒に辰巳の前歯が折られと悲鳴が上がる。強
烈な痛みが脳天に昇り、顎が外れるくらい大きく開いた口から、赤
歯
歯
い糸のような細い鮮血が功を描いて吹き出ている。
﹁やぁ、ひゃめろ⋮あ゛っあ゛が、あ゛がぁ︱﹂
496
バキッ!!
﹁あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ
ちゅうちょ
゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛︱︱︱︱︱︱︱︱ッ!!
!!﹂
今度は抜かれた前歯の隣が躊躇する事なく抜かれた。
﹁静かにしろ。こっちは依頼主の仕事してんだから、質問も命乞い
も今はなしだ。今は叫ぶだけでいい、それにここじゃーどんなに叫
んでも誰にも聞こえないぞ。悪党の叫び声ならなおさらだ﹂
叫声を続ける辰巳の口にまた何かが押し込まれ、流れ続ける流血
と唾を喉奥で感じると、反射で激しくムセ込み始めた。
殺される! そう思ったとき、すぐ横から女の声が聞こえてきた。
ちへど
﹁そこまでよ。はい、そこまで。少し落ち着いて。ちょっとストッ
プ、ストップだって。あらあら⋮まったく。このまま血反吐の海で
うっと
溺死させるき、そしたら尋問ができなくなるでしょう。少し頭を冷
やしなさいよ﹂
横から割り込んできた霧島に対して、鬱陶しい視線を向けたのは
月宮亮だった。亮は素手で歯を折っていた。
エピ
﹁俺は冷静だよ副教。そう簡単に痛みでショック死しないように、
興奮剤も打ったし。歯を抜いたぐらいじゃー人間は死なないから安
心してください。それに歯が無くても会話はできるし、喉を切った
わけでも、舌を抜いたわけでもないから。ちゃんと尋問ができるく
らいに調整してますから安心しなよ。それに、人間の身体は思って
いるほど案外頑丈にできているんだ。知ってるでしょう?﹂
辰巳の身体に馬乗りになって答えた亮は、怪しげな笑を浮かべ無
言のまま3本目の歯を折った。
さっきよりも大きな悲鳴が辺りに轟く。泣きながら言葉にならな
い声を発しながら辰巳が懇願するも、亮は無慈悲なくらい顔色を変
いんさん
えずに4本目を折った。
その陰惨な光景を見ていた霧島は亮の静かな怒りを感じてた。自
分と暮らしている同居人、それも親しい間からの関係を築いている。
497
それが、突然襲われ、凶弾に倒れたのだ。怒らないでいる方が無理
に決まっていた。
昔
拷問を続けている亮の横顔を見て、明らかに訓練学校の頃と違っ
ている事に気づいた。訓練学校の亮は相手と戦う時、感情なんてモ
ノを微塵も感じさなかった。冷静に相手の動きをよみ、効率の良い
体動で最小の攻撃を最大に生かして戦っていた。そして戦っている
場数
間も何か物足りなさを漂わせていた。それは相手が弱いのではなく、
状況が経験値以下と掛け離れているからでもない。
ただ単に相手にするでさえ面倒臭い。その一言が顔に出た無関心
な表情だった。
だけど、今の亮は。霧島でさハッキリとわかるくらい感情を表し
ていた。不謹慎かも知れないが、それが人間らしいとさえ感じてい
た。
﹁もういいでしょう!!﹂
9本目を折った所で霧島が亮の腕を止めた。さすがにこれ以上続
けさせるには無理だった。霧島にとっても。
﹁そうだな⋮彩音の分はこれくらいにしとくかな﹂
﹁さあっ、尋問を始めるとするか﹂
ベー
L−211を回収した村岡達は今後の行動について検討していた。
スキャンプ
彼らは建設途中でストップしたビルの最上部を占拠し、臨時の作戦
指揮所を設置していた。辺りはすっかり陽が落ち闇ができたことも
幸いした。
自分のミスとはいえ、元職場を敵に回してしまったことで遅から
早かれ部下達の身辺調査と取り調べが行われるだろう。下手に接触
して迷惑を掛けるわけにはいかず、道士の式神達が探索して見つけ
たこの場所で身を隠すことなった。
雨風をしのぎ人があまり近寄らない場所を探していたのもあり、
この場所は村岡にとって好都合だった。念の為法眼が﹃人払い﹄の
結界の中で一番強力な﹃人外﹄という結界を敷いたと言っていたが、
498
村岡には始めて効く術で、それがどれほどの効果があるのかわから
なかった。
ここにきて、村岡は今の自分の戦力を冷静に分析しだした。
﹁お前は一体いくつの式神を持っている? どれくらいの数を操れ
る?﹂
ぜんき
ごき
﹁五行法印局が保管している﹃六坊式神集﹄に記載される式神は全
部備えてある。後は﹃法眼﹄の名で受け継がれる﹃前鬼﹄と﹃後鬼﹄
が200体に、僕自身が編み出した﹃式獣﹄が70体ぐらいかな。
うしがわら
ぐれんさっか
こんごうしゅ
僕はちゃんと数えた事はなかったけど。道士の方が詳しいかもしれ
ないよ﹂
法眼が牛瓦から奪い取った対陰陽術式の﹃紅蓮石花﹄の金剛杵を
手元で眺めながら説明するが、法眼には式神の説明よりも金剛杵に
注意が向いていて興味深そうに眺めている。
﹁お前の方はこれで良かったのか?﹂
﹁何が?﹂
タヌキオヤジ
﹁播磨局長を裏切り、逃亡者の側についたりして。これでお前の将
来は無くなったも同然だぞ﹂
﹁別にどうでもいいよ。僕は姉さんの情報を集める為にあの播磨の
言うことを聞いてただけだからさ。あそこにいたって、今まで手が
かりすらなかったんだし、これ以上手を貸す義理もないしね﹂
﹁タヌキ親父か⋮ふんっ、違げぇーねぇな﹂
思はず村岡の口元が緩む。
﹁それにしても、面白いモノ作ったんだね。戦争は発明の母ってど
こかの学者か誰かが言ってたけど、僕達の術力をこんな形に変幻具
現化させる道具を作れるなんて、戦争って面白いな﹂
﹁⋮おい、結果だけを見るなよ。戦争は面白くも何とない。ただ苦
しく重たいだけだ。戦争を知らないガキがいっちょ前に語ってんじ
ゃねぇよ﹂
あや
﹁経験者は語るってやつでしょう。別に僕だって戦争を肯定してる
わけじゃないんだよ。言葉の綾だよ。そう熱くなるなってオッサン﹂
499
﹁間違っても面白いなんて言うなよ。これかもだ﹂
カー
ジョー
﹁オッケー、オッケー。それで、今後はするのかな? 一応、切り
札は僕たちが持ってるから今のところ優位に立ってはいるけど、向
こうだってバカじゃないし、必死になってココを突き止めようとす
るよ。元軍人さんの意見を僕は聞きたいな﹂
﹁俺を誰だと思ってる。舐めてんじゃねぇぞ﹂
年の功を見せようと虚勢を張ったのはいいが、実際正面から対峙
してどれほどの勝算があるのか皆目見当がつかなかった。
法眼と道士の2人が術を使ったとして、1人の力には限度がある。
襲撃の一件で法眼が敵に回ったことはすでに播磨局長の耳に届いて
いる頃だろうし、別の陰陽師が支援要員として補充されているに違
いない。そうなれば自分を入れた3人の戦力では到底勝ち目はなか
った。時間の経過で向こうが準備を整えればその分こっちが不利に
なっていく。
ここは何か別の力が必要だと村岡は考えていた。中央政府の圧力
になるくらいな影響力を持ち、陰陽師達からも独立した機関又は人
物の力が必要になる。
解決の糸口が見られず、1人だけ頭を抱え思案顔で悩む込む村岡
の耳に、法眼の陽気な鼻歌が聞こえてくる。
この状況を楽しんでいるのか、それとも理解していないのか、ど
ちららにしてもそれは村岡のストレス発生要因の一つには違いなか
った。
ふく
﹁おいッ!! 呑気に歌ってねぇで、少しは︱﹂
﹁法眼様、面白い﹃符鳩﹄が届きました﹂
下の階でL−211を監視していた道士が上がってきた。
﹁お前、監視はどうした。持ち場を離れるなッ!!﹂
らんざん
﹁ご安心ください村岡殿。ちゃんと監視と戦闘用の式神を配置して
ますから。それよりも法眼様、嵐山の密教衆が襲撃され関東7大結
界の一つが破れたそうです﹂
﹁ヘェーそりゃーすごいな。誰が破ったかは興味ないけど、今頃上
500
宮院の連中は大慌てだろうな。いい気味だぜ﹂
﹁ちょっと待て、何の結界が破られたんだ。その結界が無いと不味
いのか?﹂
2人は物珍しそうな顔を村岡に向けてみた。
﹁⋮なんだよ。そんな顔をするな﹂
﹁そうでしたね。村岡殿は私達とは違って何もご存知なかったでし
水戦争
たね。いいでしょう。簡単にご説明致します。オホンっ、日本が﹃
第二次極東﹄後から日本連邦として独立した時に、陰陽道の陰陽師
衆たちが二度と戦火を持ち込ませない目的で、極秘の巨大防護術式
を構築させました。主に西日本・東日本の2つに別け、さらにそこ
から20∼30の都市結界を連結させ強大な結界を構築させました。
この結界の役目は日本連邦内で発動される外来術式を瞬時に判別し、
無力化する事ができるのです。つまり日本連邦内では西洋術式は使
用不可になるのです﹂
﹁そんなモノがあったのか? 対外とはいえ情報部の俺の耳に入っ
てないぞ。全然知らされていなかったぞ﹂
﹁勿論ですとも、これは防衛上重要な事柄なため上宮院の上位と政
府要人のごく一部にしか知らされていない最高クラスの国家機密で
すから﹂
﹁ちょっと待て!! その結界が破れたって事は、非常に不味くな
いか。この連邦内で術式が使えるってことだよな﹂
﹁だから僕がさっきそう言ったでしょう。今頃、上が大騒ぎだって
⋮やっとオッサンでも理解できたか﹂
﹁不味いぞ!! すぐに関係各所に通達して、危機管理センターを
立ち上げるように要請しないと。それに緊急出動班を都内重要施設
に配備し︱﹂
﹁おいおい、オッサン落ち着きなよ。オッサンはもう軍人じゃない
んだし頭を切り替えなって。それに国内が混乱してくれた方が、僕
たちにとって都合が良いはずだろう。まずはこのチャンスを最大限
生かさないと﹂
501
言われて村岡はハッとした。自分はもう軍人ではないのだ。しか
し、長い間国家の主権と国民の生命及び財産を守ることを生業とし
ていた村岡にとっては、骨身に染み込んだ軍人精神を簡単に抜けき
る事は出来なかった。
だが、法眼の言葉も一理ある。この状況をどう自分達の優位に持
ってこさせるか、一番の正念場を迎えていた。
﹁その襲撃の内容を詳しく教えてくれないか﹂
﹁詳しくと言われても、襲撃を受けて結界が消失。あと一人、五行
法印局の身内の生存者が拉致された事ぐらいです﹂
﹁おそらく身代金でも要求するつもりだろうけど、見誤ったね。僕
の知ってる五行法印局は絶対に交渉なんてしないから。結局利用価
値が無いと判断されれば人質は処刑されてるだろうね。ひょっとし
てもう処刑されちゃってたりして。ああ、かわいそう∼に∼ぃ﹂
どくまんじゅう
次の瞬間、村岡にあるアイディアが浮かんだ。
アイツ等
﹁それだッ!! それッ!!﹂
﹁へぇ!?﹂
﹁いい事を思いついだぞ。播磨局長に毒饅頭を食わせてやるのに、
いい奴がいたじゃねぇかよ。そうだ、そうだよ。一番いい相手がい
るじゃねぇかよ。どうして今まで気がつかなかった。あれが相手な
ら、これで何とかなるかもしれない。フフフフフ﹂
﹁!?⋮一体どうしたんだ?﹂
﹁さあ、私にはわかりかねません﹂
勝機を見言い出した顔で笑っている村岡を、2人は不思議そうに
首を傾げながら眺めていた。
502
次の一手︵後書き︶
こんにちは、朏天仁です。今回の話いかがだってでしょうか? 最
近亮や村岡たちの話だけが進んでしまって、ロメロ神父や薫の話が
一向に出てきていないのではと思った方がいると思います。
次回から少しづつそちらの話も進めていく予定になってますので、
今後とも変わらいご支援とご声援をお願い致します。
でわ、また次回お会いしましょう︵´ー`︶/
503
アンチ・サイコパス
亮たちがいる室内では辰巳の嗚咽と残った歯をガチガチと鳴す音
が響いていた。尋問と拷問用に使っている第三格納庫は、霧島副教
おぞ
が﹃大宮事件﹄の時に尋問室と使っていた場所だった。
亮たちが前来たときは水責め用の桶や、見るからに悍ましい形を
した拷問具の数々が所狭と壁に掛けられていたのに、今では跡形も
なく綺麗に無くなっている。
ある物といったら辰巳の所持品を広げてあるステンレス製のテー
ブルだけが、当時のまま残っているだけだった。
一応、辰巳が気を失っている間に保持品検査は行った。財布にク
ズゴミ、銃に予備弾。それにケースに入ったペン型麻酔銃と、予備
弾とは別に赤い弾頭の9mm弾が4発あった。霧島にはそれが何な
のかわからなかったが亮にはそれが何なのかわかっていた。マナの
胸に撃ち込まれた﹃魔弾﹄だ。その魔弾の1発を手に取るとスっと、
ポケットに仕舞い込んだ。
今現在この部屋にあるのは机の他に、ベルトコンベアーの上に辰
巳の体を固定した板がる。コンベアーの先が木材粉砕機の口に続い
ている。この状況を見た辰巳の顔から血の気が引いていく。
﹁こっ、殺さないで⋮﹂
﹁さあ、それはあなた次第よ。あなたが嘘をつかずに私たちが知り
たい情報を全て教えてくれたら、助けて上げなくもないわ﹂
﹁副教。まどろっこすぎる。あと2本折れば全部吐くに決まってる﹂
﹁⋮こんな事が、こんな事が⋮ゆっ⋮許されと思ってるのか⋮﹂
﹁許されるのよ。私たちはバウンティーハンターなのよ。法を超え
た執行官でもある。さあ、それじゃー早速尋問をはじめましょうか﹂
﹁待てっ、待ってくれ!! その前に俺の命の保障をすると約束し
ろ!! それが無いなら俺は答えんぞ!!﹂
504
﹁あらあら﹂
﹁ぐぎややややぁぁぁぁぁぁぁぁぁっっ!!!!﹂
霧島が咥えていたタバコを辰巳の右耳の中に押し込んだ。800
度を超すタバコの先端が外耳道を焦がし、鼓膜が焼かれる音を聞き
ながら悲鳴を上げた。
﹁君は自分の立場がわかってないようね。お互いの立場を明確にす
るためハッキリさせとかないと。尋問するのは私、そしてされるの
は貴方よ。この場の主導権はこっちにあって、貴方にはない。加え
て貴方には現法律で保証されている基本的人権や黙秘権はあるけど、
私達には関係ないのよ。わかる。そうねぇ、もっとわかり易く言え
ば貴方の今後の生き死の決定権は私達が握っているの、それを理解
したうえでさっきの発言がまだ出せるなら出してもいいわよ﹂
霧島の冷淡な口調と切り目から覗かせる瞳が、怯えた辰巳を睨み
つける。
忘れてるわけではなかったが、彼女も一応国家バウンティーハン
ターの資格を有していて、BH学校の副教官を務めていた人物だ。
加えて元公安の捜査員でもあった。当然尋問には長けているし、あ
の﹃大宮事件﹄の時でも、捕まえた重要参考人、共犯者、容疑者云
々を言葉だけで相手の精神を崩壊させながら攻める尋問を亮はここ
で何度も見てきた。
﹁ちょっと話を脱線しようかしら﹂
そう言って霧島が手にした書類の束を出して読み上げる
﹁加嶋辰巳33歳、元連邦陸軍第一予備隊に所属していて、階級は
2等兵。入隊1ヵ月で亜民に対する暴行障害と素行の悪さで上官か
ら強制除隊処分になると、除隊後は職を転々と変えて結局最後は民
間軍事会社の下請業を行う。加えて上官に対する恨みを晴らすかの
ように、今回のような亜民に対する暴行や強姦を繰り返えしている。
か、あんた⋮⋮⋮筋金入りのクズね!﹂
霧島は軽蔑の眼差しを向ける。だが加嶋はそんか事を気にしない
態度で睨みかえす。
505
﹁今回、お前は埼玉県国で発生した亜民誘拐と殺人未遂容疑の実行
犯として指名手配されたのよ。まあ、もっとも亜民案件の事件なん
て警察は動かないだろうし、ましてや報奨金がスズメの涙程度なら
普通のハンターだって捕まえたりしないでしょうけど。普通のハン
ターならね﹂
や
最後の言葉を強調しながら冷たい視線を送る。
﹁ああ、そうだ。その通りだよ。俺があそこを襲った。やったがど
うした、ざまぁみろだ。へっへっへっ、なあ。それがどうしたって
んだよ。社会の役に立たねぇ、俺たちの税金を無駄食いしてる亜民
どもが、個人のお楽しみの役に立つならOKだろ﹂
﹁黙れよお前!! 誰が話していいっていったのかしら。亮くん﹂
呼ばれた亮は無言のまま辰巳の右耳を掴むとゆっくり引きちぎり
始める。
﹁ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛やめでぇ
ーー!! やめでぇくれぇー!!﹂
﹁どうせもう使えない耳でしょう。男が使えないモノに、いつもま
でも固執してんじないわよ﹂
霧島も若干ではあるが辰巳に対する態度が乱暴になっていた。口
調が﹃貴方﹄から﹃お前﹄の変わっていたのを亮は見逃さなかった。
霧島は元公安ではあったが社会正義は持っているし、犯罪者の悪事
を許せぬ感情も人一倍ある方だ。特に亜民の子供を卑劣にも襲い、
それを開き直るような輩に対して嫌悪感を抱かない方がおかしかっ
た。
さら
﹁さて、もうひとつの耳が残っているうちに話を戻すとしましょう
か。最初の質問よ。お前が今日拉致った子は何処に連れて行き、誰
に渡したの?﹂
﹁あっ、⋮⋮ああああ⋮⋮ああ⋮﹂
﹁何? それが答えなわけ? それとも答える気がまだないのかし
ら、それならこのまま木材粉砕機で足を細切れにしてあげてもいい
のよ﹂
506
髪をわし掴みし、霧島が木材粉砕機の電源をONにする。年季の
入ったエンジン音が上がり、本体が小刻みに振動し始める。その振
動がベルトコンベアーから板を伝わってくると辰巳の顔に恐怖の色
が現れだし下半身から黄色いシミが広がい出した。
﹁ひぃっ、やめて⋮⋮やめて下さい。言うっ⋮言いますから、それ
を停めて下さいぃぃぃぃぃ﹂
この時点で、辰巳の反骨精神は粉々になり彼女の手中に落ちた。
﹁さてと、それじゃー最初の質問に答えてくれるわよね﹂
﹁⋮⋮はっ、はいっその子は⋮受け渡し場所で⋮⋮⋮まってた奴に
⋮わっ⋮渡した。渡したんだ、です﹂
﹁それで﹂
﹁それでって、それだけだよ。他に何もありゃしねって﹂
﹁あの場所を襲撃した時に、お前以外にも襲撃者が少なくとも1人
はいたはずだよ。お前重要な所をはぶいてんじゃないわよ。全部答
えるのよ、いい。全部よ。ほらその男の事もちゃんと答えなさい﹂
掴んだ髪を乱暴に動かし、霧島はさらに詰め寄った。
﹁いててて。いっ、一緒にいた奴のことは知らねんだよ。嘘じゃね
ぇ、ホントに今日始めてあった奴なんだ。俺たちはいつも仕事はメ
ールで一方的に来るだけなんだよ。時間と場所だけ、あとはその時
になって詳しい内容をメールでもらう。今回も指定された場所に行
って、そいつと一緒に仕事しただけなんだよ﹂
﹁そいつの名前は?﹂
﹁⋮しっ、知らねぇーよ﹂
﹁亮くーん。今後はこの潰れた鼻の穴を三つにしてあげて﹂
﹁やめろっ!! やめろっ!! 嘘じゃねぇ、本当だよ。本当に知
らねぇーんだよ。今回の事にしたって俺たちは本来自分の名前を明
かしたりしねぇーんだよ。俺たちはいつもアルファベットと数字を
合わせて呼び合っていたんだよ。だから本名なんて知らねぇんだよ。
それが俺たちの中じゃ暗黙のルールなんだよ。嘘じゃねぇんだよ!
! 本当なんだよ!! 信じてくれよぉ!!﹂
507
涙ながらに早口で説明する。この状況下でもう嘘をつく気などな
いだろう。
﹁あらあら、そんなに泣かなくてもいいのよ。死ねば痛みなんて感
じなくなるから。わかったは⋮それじゃその相手をなんて呼んでた
のよ﹂
﹁N2だ。確かあいつは自分からN2って呼んでた。始めて見る顔
で最初は新顔かと思ったよ﹂
プ
﹁それで、そのN2とはどうやって連絡をとればいいの? まさか
それも相手から連絡待ちなんて言うわけじゃないでしょうね﹂
リペイド
﹁携帯に⋮俺の携帯の中に、あいつの番号が入っている。だけど使
い捨てだからまだ生きているかどうか知らない。﹂
﹁まあ、使ってた記録が存在するなら他に辿る道はいくらでもある
わ。それで、他に知っている事を全部吐きなさい。人、物、場所、
単語、なんでもいいから思い出すのよ。さあ!!﹂
ペーパーカンパニー
﹁ああ⋮そうだ。始める前にN2が前にいた会社を調べたけど、全
部架空会社だった。それでこの仕事はかなりヤバそうな感じだった
んで、それ以上は詮索しなかった⋮⋮⋮あっ、待て。そうだ、確か
そうだ。受け渡し場所であのガキを渡したとき、向こうの連中の1
人がたしかアマテラスって言ってた。そうだ、他にも電話で話した
言葉に、男のひっ⋮一人がクルージュの奇跡がどうとか⋮バチカン
の奇跡何とかがどうとかって言ってたぞ﹂
﹁アマテラス? くるーじゅ? 本当にそんな事言ってたの?﹂
耳慣れない単語を聞いて霧島は首を掲げた。恐らく何かのコード
さら
ネームか暗号だろうと考えられるが、少なくとも敵を特定するには
情報が少なすぎる。
しかし、亮は葵を誘拐った連中は間違いなく一ノ瀬を殺した連中
にだと確信した。ボイスの言葉が真実なら、一ノ瀬のアパートにい
たあの外人は葵を追っている別組織の可能性が高い。
相手の目的が何なのかハッキリしない以上、葵の身がいつまでも
安全とは言えない。早急に葵を見つけてださないとマズイ事なる。
508
亮が頭で思考を巡らせている間、霧島がさらに尋問を続けている。
セオリー
らち
しかし、辰巳は末端の実行役に過ぎず、有力な情報は乏しかった。
今後は時間との勝負、いつまでも教科書通りにしていたら埒があか
ない。
二人のやり取りを見ている間に亮の心中では辰巳に対する激昂心
が高まりだす。そして衝動を抑えきれずに辰巳が持っていたペン型
麻酔銃を手に取った。
そっと霧島の背後へと近づき、ペン型麻酔銃を霧島の首に突き刺
した。
﹁うっ⋮!?﹂
不意を突かれた霧島はそのまま意識を失い床に崩れた。その瞬間、
辰巳の命の決定権は亮に移された。彼の行動を止める人間は誰もい
ない。
突然の状況に困惑していた辰巳だったが、次第に状況を理解しだ
すと恐怖で顔が引きつった。
﹁やっ、やめろ⋮何でも話しただろう⋮⋮だから⋮だから、殺さな
いでくれ⋮たっ頼む⋮﹂
今の辰巳にとってはこれは絶望的だろう。なぜなら、既に欲しい
情報がなく、聞くべき内容は全部聞いた。あとは事後処理をどうす
かの問題だ。
﹁それは、ひょっとして命乞いか?﹂
﹁殺さないで⋮お願いします。殺さないで下さいぃ﹂
﹁怖いか?﹂
﹁お願いです、殺さないで。死にたくない。死にたくない、殺さな
い下さい⋮﹂
辰巳の必死の命乞いする姿を顔色一つ変えずに眺めると、亮の指
が﹃低速﹄﹃荒削り﹄の操作ボタンを選択した。
﹁お前が今日何をしたのか振り返ってみろ。先生に何をした? 葵
に何をした? 彩音に、そして⋮マナに⋮何をしたか言ってみろ!
!﹂
509
﹁本当にごめんなさい、悪かった。本当に悪かったよ、だから頼む、
殺さないで︱﹂
かかと
﹁俺が聞きたいのはお前の謝罪じゃない。お前の断末魔だよ!! まずは踵までだ﹂
﹃開始﹄のスイッチが押されると、ゆっくりとベルトコンベアー
が動きだし、辰巳の乗った板が投入ホッパーと呼ばれる入り口へと
運ばれる。そして板の先端が2輪で噛みあわせた粉砕ローターに食
われ始める。
粉砕音を耳にした辰巳はバタバタと身体を動かし、さらに悲鳴の
混じった命乞いを始めた。
﹁やめろっ!! やめろっ!! やめてくれぇっ!! 何でもする
鳴け
ぅ!! 何でもするからぁ!!ひっひひひひぃぃぃぃぃ⋮⋮⋮⋮﹂
﹁それじゃー取りあえず叫べよ﹂
ゴキッボキッバキッ、バキッバキッベチッ、ポキッバキッゴキッ
ボキッ、バキッバキッバキッベチッ、ポキッバキッ!!
﹁ぐぃううううぎぎぎぎぎゃゃゃゃゃゃゃゃぁや︱︱︱あああああ
あああああ!!!!!!!!!!!!!!!!﹂
割れんばかりの悲鳴が倉庫の壁に反響して響きわたる。悲鳴が途
中で止まると、顔中の血管が浮き上がり白目を向いた状態で気絶し
た。
飛び散った肉片と鮮血で染まった粉砕口の中を亮が覗き込むと、
﹃停止﹄ボタンを押して粉砕機を停止させた。ベルトコンペアーを
後退させると、踵まで粉砕機に食われ見るも無残な状態になってい
た。両足首の裂けた皮膚から吹き出る鮮血が綺麗な曲線を描いてい
る。
あまりの痛みで気絶した辰巳に、亮はバケツに入った冷水を浴び
せて意識を戻そうとしたがダメだった。仕方なく、今度は工業用の
エタノール液が入ったボトルを取り出して蓋を外すと、筋肉や骨が
むき出しになってる箇所に、乱暴にぶっかけた。
﹁はあっ!! うぎゃぎゃゃゃゃゃゃゃゃゃ!!!!﹂
510
またも悲鳴が倉庫内にこだまする。傷口から凍みこんだエタノー
ル液によって例えようのない激痛が全身を駆け巡る。
既に辰巳の体は痛みによる疼痛性ショックの痙攣が始まっている。
エピ
本来なら血圧降下や意識消失が起ってもおかしくない状態だが、尋
問を始める前に亮に打たれた興奮剤の影響によって意識は保たれて
いた。
﹁ここここここここっ殺さない⋮で⋮﹂
﹁お前は俺たち亜民を随分と見下してきたな。社会に役立たない害
悪だと。だけどな、お前は俺とは違って人間なんだろう。人間は他
者を哀れむ感情があるだろう。彩音を襲った時マナを撃った時⋮貴
様、心が痛まなかったのか?
込み上げる感情を言葉と一緒に吐き出しながら亮が尋ねた。
﹁⋮おっおっ、お願いです⋮殺さないで⋮﹂
﹁お前にとっては亜民を虐げるのは普通な事だったんだろう、なら
俺も普通な事するだけさ。人間は泣きながら生まれてくる。なら、
泣きながらあの世に逝くのが普通だろう﹂
﹁いやだぁ⋮死にたくない⋮﹂
﹁怖いか? 安心しろ。お前だって最後は豚のエサになるっていう
役目がある﹂
﹁⋮いやだ⋮いやだ⋮﹂
怯える辰巳に向かって亮は最後通知を出した。
﹁俺はお前に第9条を行使する!!﹂
そして再びスイッチが押された。停止していた粉砕機が再び轟音
と一緒に動き出し、ベルトコンベアーに運ばれ辰巳の足を食い始め
た。
また倉庫内に不気味な音と、割れんばかりの悲鳴が響き渡る。
ゴキッボキッバキッ、バキッバキッベチッ、ポキッバキッゴキッ
ボキッ、バキッバキッバキッベチッ、ポキッバキッ!!
﹁うぎゃゃゃゃあ︱︱︱︱︱︱あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ
ぁぁ、かぁぁぁぁぁぁみぃぃぃぃぃぃぃさぁぁぁぁぁぁぁまぁぁぁ
511
ぁぁぁぁぁ︱︱︱︱︱︱ぎゃゃゃゃあ﹂
粉砕機の2輪が辰巳に足をゆっくり食い進めると、絶叫と悲鳴が
より一層強くなった。
﹁ふっ、フフフっ、ハハハハハハっ、﹂ その悲鳴を聞ながら亮は肩を震わせて笑っている。
久しぶりに聞いた人間の悲鳴、久しぶりに見た鮮血と血の匂い。
全身を巡る恍惚感、自分の体が身震いするのを感じ、忘れていた快
楽を思い出す。
亮は心の底から湧き上がってくる歓喜の喜びを感じていた。
︵そうだ! これこそが、バケモノである俺が本来いるべき世界で
あり、当たり前の日常なのだ。そう、これが︱︱︶
今まさに、亮の全てが完全に過去の自分を受け入れようとした時、
突然聞こえるはずのない人の声が頭の中に響いてきた。
﹁亮兄ぃ︱︱!!﹂
﹁なっ!?﹂
その瞬間、亮は無意識に粉砕機の﹃停止﹄ボタンを押してしまっ
ていた。
目の前に現れたそれは、幽霊のように白く透けていた。
﹁⋮マナ!? ⋮⋮⋮マナ? なのか?﹂
夢か幻か、驚く亮の前に現れたのは病院にいるはずの星村マナだ
った。
﹁マナ⋮俺、俺は⋮お前を⋮﹂
﹁亮兄ぃー!! 亮兄ぃー!! やめて。もうぉやめてよ亮兄ぃー。
マナ⋮やだよう。やだよう亮兄ぃー﹂
亮の頬にそっと手をかざしたマナの瞳から、大粒の涙があふれ出
る。
﹁マナ、この男は⋮お前を撃っんだぞ⋮お前⋮を⋮撃っんだぞ⋮そ
れでも︱﹂
﹁亮兄ぃー⋮コワイ顔してる。 マナそんな亮兄ぃーやだよ。だか
らやめてよ、優しいフルートを吹く亮兄ぃーに戻ってよ。亮兄ぃー﹂
512
かざされたマナの手から伝わってくるのは温もりだけではなく、
マナの気持も一緒に伝わってくる。マナの悲しみ、哀しさ。そして
マナの願い。
次第に重くドス黒かった感情や激昂心が消えていき、変わりに暖
かい優しさが胸の中へと溜まっていく。
﹁亮兄ぃー!! マナ、亮兄ぃーが大好きだよ!! みんなの中で
一番大っ大っ大っ好きなんだよ。だからマナの知ってる亮兄ぃーに
戻ってよ!! そんなコワイ顔の亮兄ぃーマナ嫌いになっちゃうか
ら。亮兄ぃー⋮戻ってきてよ。もう一度、亮兄ぃ⋮あいたいよ﹂
﹁マナ⋮﹂ 手を伸ばしてマネの顔に触れようとした時、マナの体はゆっくり
と消えていく。完全に視界から消えて残ったのは、頬に触れたマナ
の温もりだけが残っている。
天井を見上げながら、亮はマナの必死な問いかけに答えた。
﹁あの子は⋮殺しをのぞんでない。だから⋮亜民に感謝しろ﹂
粉砕機に足を膝下約10㎝の所まで食われた辰巳は、自分が助か
ったのが信じられない感じで、未だに理解できていなかった。
﹁あっあああああっ、ありがとう⋮ござい⋮ます⋮﹂
ガチャン!
突然、亮のすぐ後ろで物音が鳴ると、反射的に腰ベルトの銃を取
り構えながら振り返った。
﹁おい⋮お前⋮﹂ しかしすぐに銃をおろして呆気にとられた。そこにいたのはセー
ラー服姿で股間を押さえ、恍惚の笑みを浮けべて座っている月宮薫
だった。
﹁薫⋮お前そこで何してる?﹂
﹁あっ兄上。やばい⋮そいつの悲鳴聞いてたら、その⋮イッ⋮ちゃ
った! エッヘッヘッヘッー﹂
513
薫は頬を赤く染めながら股を押さえていた。
やがて衝動が収まって立ち上がると、ニコニコした笑顔で辰巳の
顔を覗き込んできた。
﹁ねぇ兄上、久しぶりにいいおもちゃを見つけたみたいだからさぁ、
このまま少し遊ぼうよ!! いい悲鳴だっよ。エッヘッヘッヘッ、
なんだったら後片付けは私がしとくから。ねぇ、お願い﹂
それはまるで新しいおもちゃを見つけて遊ぶ子供のような感じで、
薫は自分をイかせた辰巳に興味津々だった。
辰巳は新しく現れた薫に気づくと、ここで痛みと出血で意識を失
った。
﹁何の用だ。まさかこの前の続きでもしに来たのか?﹂
﹁もう、兄上ったら。私は何度も言ってるでしょう、負け戦はしな
いって!﹂
﹁じゃあ何しにきた?﹂
おもちゃ
亮の問いに薫は人差し指を辰巳に向ける。
﹁話す前に、早く止血しないとこの玩具死ぬわよ﹂
辰巳の足からは、動脈を切ったようで血が流れ続けている。恐ら
くもってあと5分もないだろう。仕方ないと思いながら、亮は辰巳
の足の止血処置を行うことにした。
止血処置をしている間、薫は亮の後ろで怪しげな笑みを浮かべな
がら様子を眺めていた。
514
アンチ・サイコパス︵後書き︶
皆さんこんばんは、朏 天仁です。今回の話は結構残酷な描写が多
々ありましたが、いかがだったでしょうか? 気分を害した方がお
りましたら、すみませんm︵︳︳︶m
今回もここまで読んでいただいた読者の皆さんに厚く御礼申し上げ
ます。本当にありがとうございます!!
では、次回もよろしく応援よろしくお願いします︵^^︶/
515
答えを求めて
第三倉庫の前で赤色灯を回しながら救急車と数台のパトカーが停
車している。
降りしきる雨のなか倉庫の入口周辺には、レインコートに身を包
んだ警察官たちがざわつくいていた。
皆入口付近で固まって以降に中に入ろうとしない。
数分前に、若い刑事が中に入っていったが、すぐに戻ってくると
倉庫壁の脇で嘔吐した。それだけ中の状況が凄惨を極めて誰も入ろ
うとしないのだ。
最初は先に到着した救急隊員の後に、刑事や制服警官と一緒に鑑
識隊員が入って現場検証を始めていたが、皆しばらくして外へと出
て行ってしまった。
鑑識の若い隊員も何かと理由を付けては何度も外に出ていく。そ
んな中で辰巳に処置を施している救急隊員だけは淡々と仕事をこな
していた。
結局時間の経過とともに倉庫内にいるのは救急隊員の他に、数名
の鑑識隊員だけ残して後は皆外に出たのはいいが、青白い顔で表情
が引きつったように強張っている。
タバコをふかす年配の刑事の指が小刻みに震えながら、横目で亮
達がいる方向に視線を向けていた。
亮と薫は規制線から少し離れて停車しているベンツの所にいた。
雨の中傘もささずに亮は腕を組み、少しイライラした様子で指を叩
いている。
﹁あはっ。みんな兄上の方を見てますよ。スゴイ!! スゴイ!!
兄上人気者になれましたね﹂
﹁冗談言うな。あいつらはお前のその格好が気になっているだけだ
ろう。場違いにも程あるだろう﹂
516
﹁そうかな、ワタシは兄上のハンターバッチが本当に本物なのかど
うか気になってると思うんだけど。だってさ3回も確認照合を受け
たんだよ。絶対まだ疑っているよきっと﹂
亮の言う場違いの意味も間違いではなかった。こんな惨劇の事件
現場にセーラー服美少女を模した青年が、しかもその手に日本刀を
携えていたらこれが目立たない理由がなかった。
事実何人かの刑事が薫に近寄ろうとすると、薫が出した準バウン
ティハンターバッチを見て驚くと﹃男かよっ!!﹄と言って戻って
いった。
﹁それにしてもホントっ、失礼しちゃうわよね。結構この服気に入
ってるのよ。それを冷やかすような目を向けて来るなんて﹂
﹁多分違うぞ。あいつはもっと別の所を見て言ってるんだと思うぞ﹂
﹁それりも兄上、本当にあの玩具向こうに渡しちゃうの?﹂
﹁ああ、そうだよ﹂
﹁ちぇっ残念ね。でもいいわ、これからもっと楽しい時間が始まろ
うとするんだから。楽しみは最後に取っとかなくっちゃね﹂
﹁俺とっては楽しくない﹂
﹁またまた、少しは楽しまないと。仕事は楽しんだもん勝ちよ﹂
﹁仕事じゃない。家族を取り返しに行くだけだ﹂
﹁どっちにしたってアイツの連絡待ちでしょう。連絡を受けたらそ
の後はこっちの人物にも会ってもらうわよ﹂
﹁会うだけだぞ。それに︱﹂
会話の途中で亮の携帯が鳴り出した。
﹁もしもし、⋮⋮⋮ああ、わかった。そこに居るんだな。住所をも
う一度教えてくれ。ああ、⋮⋮わかった﹂
電話を切った後で、亮は薫の方へと顔を向けた。
﹁どうしたの? わかったの?﹂
﹁ああ、早速行くからその人物とやらに会わせろ。その車の中にい
るんだろう﹂
﹁OK! それじゃー早速ご対面と行きましょうか﹂
517
薫が車のドアを開けてると、奥に後部座席に居たのは白いフード
をかぶった一人のシスターが座っている。
そのまま亮が隣に座ると、シスターに向かい軽い会釈をした。濡
れた服で座席を汚れてもまったく気にしていない。
顔は確認出来ないが、華奢な体格でまっすぐ背筋を伸ばして座っ
ている。
﹁初めまして、月宮亮といいます﹂
棒読みに近い言葉で自己紹介を済ませると、シスターの透きとお
るような声が響いてきた。
﹁はじめまして、まず最初に私のご無礼をお許し下さい﹂
わけ
﹁!? どう言う意味ですか?﹂
﹁理由あって名を教える事は出来ませんが、私を見ていただけたら、
私の真意を分かってもらえると存じます﹂
首を傾げる亮に、シスターがフードをめぐり上げると、隠れてい
た顔が表になった。
﹁あっ⋮あなたは?﹂
﹁ねっ、兄上。会ってみるだけの価値はあったでしょう﹂
驚く亮の様子を見て、期待通りの反応が見れたと薫が笑っている。
辰巳の応急処置を終えて救急車が来るまでの間、亮と薫は殆ど無
言のまま過ごしていた。
無論、辰巳に関しては応急処置をしただけで、それ以上の事は一
切していない。
ベルトコンベア上に拘束された状態で救急車の到着を待っていた
が、最初に到着した隊員が倉庫内の惨状を目の当たりするとすぐに
警察に通報すると言ってきた。
一応、亮は救急隊員に状況の説明と国家バウンティハンターバッ
チを示してみたが、事件性が高いと見て通報されてしまった。
薫が少し憤慨な態度を見せて隊員に抗議しようとするが、すぐに
亮に止められ半ば強引に外に連れ出した。
嬉しいことにさっきまで降っていた雨は止んでいた。
518
倉庫脇の外灯近くに停めてあるベンツの場所まで薫が案内すると、
そのままボンネットに腰を下ろし細い足を組んだ。
﹁さて、兄上。公僕が来るまでまだ少し時間があるから少しお話で
もしない。こんな暗い場所で若い男女が二人きりっていうのも良い
シチュエーションだと思わないかしら﹂
﹁男同士た。じゃっかん一名はオカマだけど﹂
﹁もう、つれないわね。はいはい、それじゃーこれからどうするの
? 次探す相手はいるのかしら?﹂
﹁それよりも、何でお前がココにいるんだ。俺はそっちが気になっ
てる。お前は俺に何のようだ﹂
﹁およよっ!! 質問を質問で返すとは中々だね兄上。うまく主導
権を奪うなんてさすがは我が兄上だ﹂
﹁茶化してんじゃねぇよ。早く質問に答えろよ。それよりも、いつ
ぞやの続きをしたいならそれでもいいぞ﹂
先日、中途半端で終わってしまった続きを求めるかのように、亮
がポキポキと指を鳴らす。
慌てて薫が手を上げて見せた。
﹁ちょっ、ちょっ、ちょっ、ちょっと待って待って、兄上少し落ち
着いて。この前の事は悪かったわ、謝る謝るから。ねぇっ、少し落
ち着いてよ。わたしは話をしたいんだけど、兄上はどうするの? 話聞く気ある?﹂
﹁なら話せ。薫お前は一体何の目的で来たんだ?﹂
﹁そうね、一言で説明するにはちょっと難しいから順を追って説明
するわね﹂
そう言って薫は人差し指を一本立てた。
﹁まず最初は兄上と一緒にいた槙村葵につて話すわね。アレは元々
ヨーロッパ地方の生まれよ、ある取引によって日本連邦に移譲され
たのよ﹂
﹁取引?﹂
﹁そっ!! 取引よ。でも取引と言っても向こう側に問題があって、
519
半ばこっちに泣きつく感じで要請があったのよ。内容は省くとして、
この連邦内で保護されている間連中はアレの能力に注目したの﹂
﹁おい、ちょっと待て。﹃連中﹄って何だ? だれの事を言ってる
んだ﹂
﹁もちろん敵の事よ。この前父上に会ったとき教えて貰わはなかっ
たの? 第二次水戦争終結後に組織された非合法組織よ。正直こっ
ちに情報が一切でないのよ、でもね連中がアレの能力の研究をして
るって情報を得たから、協力者を使って連中をあぶり出そうとした
のよ﹂
﹁協力者? 俺の前任者か?﹂
﹁そうそう、その通りよ兄上。でもね前任者の一ノ瀬が途中で裏切
ったのよ。それで父上が急遽一番近くにいた兄上に白羽の矢を立て
たのよ﹂
突如亮の右手が薫の喉を掴んだ。
﹁う゛ふぅ、あ⋮兄上⋮!?﹂
﹁そうか、そういう事か。俺の前任者の一ノ瀬は葵をその連中の手
から連れ出し、そこでお前たちの目的も知ったんだな。それで一ノ
瀬はもしもの時の安全策として葵が俺の所に来るように仕向けたん
だな。人をコマのように使って叔父は何を考えている。それならボ
イスはお前達の仲間だな﹂
﹁ボっボイス⋮何のことよ⋮それより⋮兄上、くっ苦しいって⋮ギ
ブ、ギブだって⋮こんな状況じゃ⋮話が、でっできない﹂
はっと我に返えって亮は手を放した。解放された薫は軽く咳払い
をした後、何事もなかったように話を続けた。
﹁とにかく、私たちにとっては本当に偶然だったのよ。まさか一ノ
瀬が兄上の所にアレを託していたなんて、正直父上も驚いていたわ。
でもそこで父上は考えたのよ、兄上を再教育する方法を﹂
﹁ちょっと待て、それってまさか⋮﹂
﹁そうよ、それがその2よ。敵にアレの情報をリークして回収させ
ようとうしたの。その頃には敵の正体は大体把握できたから、まあ
520
別の問題も片付けたかったし。後は私か他の子たちに回収させれば
済むことだからね。監視は退屈だったけど、アレはいい退屈しのぎ
なったよ﹂
亮の顔から殺意が現れ、向けられた視線は﹃殺してやるっ!!﹄
と語っていた。 体中を駆け巡る激昂心に今にも薫を殺さんばかり
の勢いだ。
﹁つまり、お前は⋮マナ達が襲われるのを知っていたばかりではな
く、それを⋮さも面白おかしく見ていたんだな﹂
﹁あっ、地雷踏んじゃった? ゴメンゴメン。でもそれは兄上にだ
って責任があるんだよ﹂
﹁何だと?﹂
﹁2年前のあの事件、兄上の夜叉蛇が食い殺したあの女の呪縛まだ
縛られてる。あの女さえ来なければ兄上は変わらずに済んだはずな
のに、そうすればあんな亜民共を知り合う事もなかった﹂
﹁お前︱ッ﹂
ボンネットから腰を上げ、今度は薫の手が亮の口を塞いだ。
﹁前に言いましたよね。私達は戦争という怪物が産み落としたバケ
どうこく
モノなんだと。家族ゴッコのぬるいおママゴトじゃなく、私達が求
めるものは殺戮と拷問、血と硝煙、慟哭と砲声そして征服と死のみ。
血の山河を渡り死地へと歩みを進める髑髏の戦士、ただ殺す事でし
かその存在が許されない戦場の申し子達なのですよ﹂
そこまで言ったところで、亮が薫の手を振り払った。
﹁たとえ俺が人の皮をかぶった鬼だとしても!! 俺の中にはアイ
ツ等と過ごして芽生えたこの温ったけえモノがあるんだよ!! こ
れは⋮アイツ等がくれたこれが、今は何よりも愛おしくさえ思えて
ならねぇんだよ!! だからこれを否定することは出来ねえんだ!
! お前には一生わかるまい﹂
﹁ええ、わかりたくないわそんなモノ。第一そんなものがあっても
戦場じゃクソの役にも立ちはしないわよ。敵は殺す。ただそれでい
い、物事はシンプルが一番よ。今の兄上の姿は鎖で縛られた暴れ牛
521
みたいよ、身動きができなくて苦しんでいる。その姿は哀れにしか
見えないわ、だから私たちがその鎖を断ち切って上げようとしたん
じゃないの﹂
﹁誰もそんな事頼んでないだろう。誰だって勝手に人の家を土足で
踏み荒らして、大切な物を壊されたら怒るに決まってるだろう﹂
﹁私は、ただ昔の兄上に戻ってきて欲しかっただけよ。昔の兄上は
私の憧れだったわ!! 怖いくらい残酷で残忍、冷血に暴威を振る
いながら冷静に世界を見て、そして孤高のようで自由な存在だった
わ。そんな兄上が今じゃ虫一匹も殺すことが出来ないなんて。ねぇ
⋮これは一体何の冗談なの?﹂
﹁昔の俺に憧れるのは勝手だが、俺はもう過去に生きるつもりはな
い。俺に未来は無いがそれでも現在を生きるつもりだ。そしてアイ
ツ等の明日を一緒に見る、それが俺の生き方だ。それを邪魔するな
らお前でも容赦しないぞ。俺の生き方に口を挟むな!!﹂
﹁過去に生きるつもりはないですって。その過去に囚われて辛い今
を生きてるのは何処の誰よ。さっきだって殺人衝動で歓喜なまでに
震えてたでしょう、あの時の兄上の笑った顔すごく新鮮だったわよ﹂
﹁やめろっ!!﹂
亮が一括と同時に拳をコンクリート璧に叩きつけた。鈍い音と一
緒に壁が凹みヒビが広がる。
つば
そこからしばしの沈黙が続いた後、薫が黙ったままゆっくりと日
本刀の鍔を押し上げる。さすがにこれはまずい状況になったと表情
が曇っている様子だ。
この状況下ではいつ亮が襲いかかってきもおかしくないと判断し
ているのだろう。勝つ見込みがなくても、万が一に備えていつでも
抜刀できる状態にしている。
首筋から冷や汗が流れると、薫はもう一方の手で指を3つ立てて
見せた。
つけ
﹁3つめよ。これが私の目的でもあるの。兄上に是非紹介したい人
物がいるから、その人物に会ってほしくて兄上の後を尾行ていたの
522
よ。﹂
﹁誰だ? その人物ってのは﹂
呼吸を整えてから亮は訪ねた。
﹁私たちの新しいスポンサーよ。今この車中にいるわ﹂
薫がベンツに顔を向けた時、視界の向こうから甲高いサイレンと
赤色灯を回すパトカーが近づいてきた。
﹁ちぇっ、邪魔が入っちゃった。兄上、すこし騒がしくなるから少
し落ち着いたら紹介するわ﹂
もうすぐ警察がここに着て、事情聴取が行われるだろう。下手を
したら長時間拘束されるおそれがある、とてもじゃないがそんな悠
長な時間を大人しく待っている気はなかった。
倉庫の中には麻酔で眠っている霧島がいるはずだ。ここは彼女に
任せて亮は退散しようと考えた。
﹁おい、そんな悠長な事言ってられねぇだろうが。お前の話を聞い
て時間を無駄にする所だった。こっちは葵を探す方が先決だ﹂
﹁えっ、ちょっと待ってよ兄上。一度会っておいた方がいいわよ。
それに私だって︱﹂
薫が慌てて亮の前に出て行く手を塞ぐ。だが、それだけで亮の歩
が止まるはずもなかった。
もはや力では止める事が出来ないと思った時、亮のポケットから
携帯電話の着信音が鳴り響いた。この携帯に掛けてくるのは一人し
かいない。
﹁もしもし﹂
﹃例の賞金首で随分と遊んだそうだな﹄
﹁何でも知ってるんだな。それだけ優秀な耳を持ってるなら葵の居
場所だってもう知ってるんじゃないのか﹂
﹃たまたま消防無線を傍受しただけだ。隊員が興奮しながら報告し
ていたよ。でもまあ殺さなかったみたいだな、何かあったのか?﹄
﹁お前は俺が奴を殺す事を予想していたのか? それなら期待にそ
えなくて残念だったな。丁度いい、あんたに頼みがある﹂
523
亮は皮肉を込めてボイスに言った。
﹃ほう、偉くなったもんだな。主導権がどっちにあるのか知らない
ようだな﹄
﹁実は捜査に行き詰った。ある人物を探すのに協力してくれ。あん
たなら出来るだろう﹂
﹃おい、話をきてるのか? これ以上巻き込むつもりか?﹄
﹁PMCの隊員でU2と呼ばれている人間を探してくれ。多分コー
ドネームか何かの略語だと思う。何か意味があってついてるはずだ﹂
﹃⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮そこにいる﹃紅甲の邪虎﹄に替われ﹄
ボイスが薫に替わる事を要求してきたでの、そのまま携帯を薫に
手渡した。
﹁もしもし、どちら様でしょうか? えっ? 誰? はあっ? ⋮
⋮⋮うん、そう言う事ならわかったわ。でもそれ以上は私の判断で
は無理よ。上の判断を仰がないと無理だから﹂
最初は電話の相手に戸惑った様子を見せていた。ボイスは﹃桜の
獅子の子供たち﹄について詳しく知っていたので、亮はてっきり組
織の人間だと思っていた。
だが薫はボイスの事を知らない様子だった。
﹁はい、兄上返すわ﹂
薫が携帯を返してきた。
﹁アレは一体誰だ?﹂
﹁誰って知らない人よ﹂
﹁⋮おい、その割には随分と親しげに話していたようだけど。それ
にお前の本当の名前も知っていたぞ﹂
﹁? 何言ってんのよ兄上は。向こうは兄上の仲間って言ってたわ
よ。兄上が危ないから見張っていてくれって頼まれたのよ。あっそ
うそう、後その場で少し待てとも言ってたよ。すぐに連絡するから
って﹂
上手くはぐらかされたように気になっている所に、警察官が4人
亮たちの所にやってきた。案の定職質と身分証明の提示を求めてき
524
たので二人揃ってバウンティハンターバッチを見せた。
最初は疑って見ていた警察官だったが、バッチの確認が取れると
それまで横柄な態度が変わり軟化し始めた。
やれやれといった感じで亮はこれまでの経緯説明を始めると、間
の悪いことにまた雨が降り始めてきた。
コンクリートを激しく叩く音で葵は目を覚ました。薄暗い光景と
鼻腔を突くカビ臭さでここは、あの暗い穴蔵だと直感した。
風と一緒に体を撫でるように吹き込んでくる冷気に、一瞬身体が
身震いする。自分はここに戻されてしまった、もう二度と外に出る
ことは出来ない。
そんな考えが頭を過ると、今朝知らない男達に連れ去られ時に見
た光景を思い出した。リビングで男が彩音に馬乗りになり顔を殴っ
ていた事。フライパンを持ったマナちゃんが撃たれた事。玄関で仰
向けに倒れている蒼崎先生。
一連の事を思い出していくうちに、葵の心の中で彼女たちに対す
る罪悪感が大きくなっていった。
心の中で何度も﹃ごめんなさい。ごめんなさい﹄と繰り返し唱え
ながら、体を震わせて泣いた。自分のせいで巻き込んでしまった。
自分のせいで傷つけてしまった。せっかく仲良くなれた友達にあん
な酷いめに合わせてしまった。その後悔に胸が苦しくなる。
何度も嗚咽を繰り返した後、葵は涙をぬぐってから周りを見渡し
た。
よく見ると何かが違っている。監視カメラも重そうなドアも見当
たない。それどころか窓の代わりにビニールが貼られ、壁には手が
出るくらいの隙間がいくつもある。
おまけにドアが設置されていなかった。しかも自分が横になって
いるのはボロボロのソファーの上だ。
よく見えれば見るほどおかしな光景に、葵はまだ自分は戻されい
ないのではと思い始めた。まだアソコに戻されていないのなら何と
525
か脱出しなければと立ち上がった。
ドア枠から顔を出して様子と伺ってみると、すぐ横に鎧武者が一
体立っている。見た目ですぐに人間ではないとわかった葵は、その
まま廊下に出ると鎧武者が気づく前に隣に近づいた。
鎧武者がそれに気づいた時、葵の口が開かれた瞬間だった。
526
答えを求めて︵後書き︶
皆さんお久しぶりです。朏 天仁です。先月はこちらの都合で一
度しか更新する事ができませんでした。本来なら月2回更新してい
るはずなのに、読者の皆様にご迷惑をお掛けした事大変申し訳あり
ませんでした。
今度は、できるだけ月の更新を増やしていけたらと考え、執筆活
動を行っていきたいと思います。
どうぞこれからも変わらずご支援の方をよろしくお願い致します。
m︵︳︳︶m
527
赤い悪魔
水戦争前まで東京は日本の首都として、立法・行政・司法・を取
り仕切ってきた。最盛期には日本人口の十分の一の人間が集まり、
世界中希にみる人口過密都市にまで発展した。
2025年から始まった第一次極東戦争では大きな損害は無かっ
たものの、続く第二次極東戦争では最終防衛線として激戦地になっ
た。
それは本土地上戦で甚大な被害が出た、九州攻防戦の一つ開門海
峡海戦︵別名:下関攻防戦︶を遥かに超える被害だった。死者3万
8千人、行方不明者5千人余りを出し。
その中で、犠牲者の約6割が軍関係以外の民間人であった事は戦
後悲劇の一つに数えられた。
終戦後、極東進駐軍の植民地支配からガレキと化した故郷を建て
直そうと懸命に働いた日本国民は、数年後に独立国家共同体﹃日本
連邦﹄として独立を果した。
そこからさらに10数年、三権分立は47の国に別れた都道府県
に移譲されているが、それらを総括する中央政府としての確固たる
地位を保持しているのがここ﹃新都東京﹄である。
新都東京の中心部から外れた旧八王子地区では、戦後の反映の象
徴のようにそびえ立つ高層ビル群の下に、中堅クラスのビル群が周
りを固めながらさらにその脇をテナントビルや一般住宅といった建
物が並んでいる。
戦後の区画整備に伴い建てられた都市の情景は、まるでどこかの
漫画にでもできそうな都市国家そのもののようだ。
旧八王子地区の中心部から少し外れたビルの路地裏に、一台の黒
いベンツが侵入してきた。
ゆっくりと進みながら照らされるライトが、周囲に散乱するゴミ
528
の他に数人の浮浪者や客引きをする女達の姿を照らした。
治安が良いとは言えない環境の中を進むにつれて、車はあるビル
の前で停車した。
﹁はあ、やっと着いたわ。もう腰が痛くなっちゃったじゃないのよ。
もうちょっとわかりやすい地図よこしなさいよね﹂
ドアが開いて出てきたのはセーラー服姿で長刀を持った薫と、薄
い紺ジャケットを着てバウンティハンターバッチを付けた亮だった。
二人はボイスがメールでよこした地図画像を頼りに、ようやく目
的地に到着した。何故か手書き画像でわかりにくかった事で薫が愚
痴をボヤきながら背伸びをしてみせる。
﹁相変わらずここいらはの匂いは臭いわね。独特の臭いだわ、タイ
のスラムを思い出しちゃう。特にこの汚物の臭いがもうたまらない
わ﹂
鼻をつまんで、しかめっ面の薫が話しているのを隣で聞き流しな
がら、亮は腰のホルスターから銃を取り出した。
マガジンを半分引き出し弾数を確認すると、スライドを引いて弾
丸を装填した。
二人の眼前に建っているビルは、8回建ての一般商業ビルで入口
横の案内板には各階事に入っている会社名が記載されていた。その
中で6、7,8階の3フロアーを﹃ガーディアン・セキュリティ.
LTD﹄の社名があった。
﹁おうおう、まさかこんな堂々と看板を掲げているなんて、相変わ
らず日連の国民って危機意識が薄いというか何ていうのか。二度も
あんな戦争をしたっていうのに⋮まったく﹂
﹁おしゃべりはその辺にしておけよ。仕事は仕事なんだ。気が乗ら
ないなら車で待っていても良かったんだぞ。元々これは俺の仕事な
んだから﹂
﹁そんな、兄上つれないこと言わないでよ。こんな楽しそうな事独
り占めなんてズルいわよ!! 合法的に人を殺せるんだからそれに
乗らない手はないでしょう﹂
529
﹁違う! 賞金首を捕まえに来ただけだ。お前はただ人を殺したい
だけだろ。薫、お前のやり方に俺は口を出す気はないが目的はU2
の確保だからな。それを忘れるなよ﹂
サツ
﹁わかってるわよ。私も兄上の行動に口を挟む気はないわ。それに
そのU2って言うのを捕まえて吐かせて用済みになったらまた警察
につき出すの?﹂
﹁当然だ、相手は賞金首だぞ。それに正直少し金が入用になる。だ
から死体で賞金が半額になるくらいなら、虫の息で全額貰いたい。
だたそれだけだ﹂
﹁そんな面倒臭い事しないで、金が欲しいならこっちに戻ってくれ
ばいいのに。それこそ湯水のように使わせて貰えるわよ﹂
薫の言葉に亮は一瞬視線を送ってみて、無言のまま玄関のインタ
ーホンの部屋番号を押してみた。
﹁こんな時間で本当にいるのかしら? もうとっくに帰ってるんじ
ゃないの夜更しはお肌の大敵なのよね﹂
﹁少し黙ってろ。ボイスは嫌いだがアイツの情報はいつも正しかっ
たんだ﹂
再度インターホンを押してみるが応答がない。やはり誰も残って
いないと思ったとき、応答があった。
﹃はい、どちら様でしょうか?﹄
若い男の低い声が出ると、亮が顔を近づける。
﹁国家バウンティハンターの月宮亮だ﹂
﹁同じく準バウンティハンターの月宮薫よ﹂
亮の脇から勢いよく薫が顔を出してきたので、すぐに手で押し戻
す。
﹁現在捜査している賞金首がそちらの会社の従業員でいることが判
明した為、BH法の捜査権の行使により、これらそちらの会社を強
制捜査に入ります。速やかに全セキュリティの解除と情報資料を準
備してください。尚、万が一我々の捜査妨害をする場合はあらゆる
実力手段を行使する事が許されています。大人しく協力する事を勧
530
めます﹂
﹃⋮⋮わかりました。ではロックを解除しますのでお入りください﹄
応答が切れると同時にドアロックが解除される。
﹁なんだ、案外素直ね。もっと抵抗してくれると思ったんだけど。
むしろライフルを持った武装集団が出てきて銃弾の砲火を弾くくら
いの抵抗見せなさいよ﹂
﹁お前な⋮ここは法治国家の日本連邦だぞ。いつまでも第三世界の
考え方してんじゃね﹂
ドアの開け中に入ると目の前にエレベーターの扉が入ってきた。
運良く1階にエレベーターが来ていた。受付場所は恐らく6階のは
ずだから亮は迷わずボタンを押す。
﹁兄上ったら、楽しちゃって﹂
﹁違う、時間が勿体無いだけだ﹂
少し鬱陶し顔のまま亮はエレベーター内に入ると、6階ボタンを
押す。扉が締まり上昇し始めると薫が口を引いた。
﹁兄上、これから︱﹂
﹁いいか薫。殺しは交渉が上手くいかなくなった場合だぞ。敵意も
ない相手を殺すんじゃないぞ﹂
﹁ちぇっ先に言われちゃった。あ∼あ∼、こういう場合は相手に私
たちがどれほど怖いか思い知らさのが普通よ。戦意喪失した相手ほ
ど楽な交渉はないは﹂
﹁だからここは日本連邦だっていっただろう。その野蛮な考えを捨
てて少しは文明人らしく振る舞ってみろ。少なくともここでは話し
合いにわざわざ死体袋を持参する馬鹿はお前くらいなもんだ﹂
﹁む∼ぅ!!﹂ 亮の皮肉に薫が頬を含ませる。その不貞腐れた表情からは可愛ら
しい愛くるしさが感じられ、薫が男だとは微塵も思えなかった。何
がどう間違ってしなったのか、もしかしたら本当に神様のイタズラ
だというのだろうか。
﹁はぁ∼っ﹂
531
未だになれない薫の女装に、亮はため息を漏らした。
そうこうしている内に6階に到着した。
﹁着いたわよ、兄上﹂
﹁わかって︱﹂ 到着を知らせるベルより先に銃声の嵐が鳴り響いた。ドアに一円
玉程の穴が無数に現れ、幾つもの閃光が突き抜けてきた。たちまち
エレベーター内が硝煙の煙と舞い散る埃、破壊される鏡や付属品に
よって灰煙に包まれた。
時間にして僅か数秒間の間に500発以上の銃弾が飛び交った。
﹁クリアっ!!﹂
ドアの向こうではSWAT仕様なタクティカルベストに身を包ん
だ隊員達が銃を構えていた。
ドアの正面に2人の隊員が立ち、両方が共に重量感あるM60を
首からぶら下げていた。その足元には薬莢<やっきょう>が散乱し
銃口からはまだ硝煙が立ち上っている。
その2人を中心とした左右には2列横隊に3人ずつに隊員が並び、
前者が中腰姿勢で暴動鎮圧用の透明な縦と拳銃を構え。後者はM4
を構えていた。
﹁クソっ!! いくら何でもやりすぎだ。オーバーキルもいいとこ
ろだぜ。まったく﹂
﹁しょうがねえだろうが。徹底的にやれと言われている。念には念
をだ﹂
﹁フゥーっ、それにしてもこれじゃ中はミンチだ。誰が掃除すると
思ってんだよ。こんなとこ誰も掃除に来やしねぇ﹂
﹁それよりも、修理代がちゃんと出るのか俺はそっちが心配だ。上
に何て説明する気だ﹂
﹁知るかよ。俺たちを殺しに来た連中だぜ、正当防衛で通せば保険
が降りるだろう。きっと﹂
﹁おめでたいね。まずは警察にどう説明するかを考えろよ﹂
﹁それにしても⋮まったく不運な奴だぜ。悪く思うなよな、こっち
532
も仕事だったんだ。﹂
﹁それよりも早く誰か確認しろよ﹂
緊張の糸が溶けたのか、隊員達の会話が出てくるが、次第に銃弾
の雨で変形し開かないままの扉に一人の隊員が口を挟む。
﹁おいおい勘弁しろよ。さっき食った夕食をブチまけたくねぇよ﹂
﹁右に同じです﹂
﹁俺も嫌ですよ。そんな貧乏クジ﹂
﹁バカヤロー、皆死体に慣れてるだろう。子供みてぇーにダダこね
てんじゃねーぞ﹂
﹁そう言うなら副隊長が行ってくれよ。中はオートミールの血の海
だ。それに腸が敗れると直ぐに腹ん中の汚物の臭いが辺りに充満す
るから、あんな密閉空間の中でどうなってるか想像するだけでも吐
き気がしてきましたよ﹂
﹁⋮ここは新米が行くのが相場だろう。なぁ!!﹂
﹁意義なしっ!!﹂
全員の声が一致した。
﹁よしっ、お前が行けっ!!﹂
﹁はっ、ハイ⋮﹂
運悪く指名された一人の隊員が恐る恐る近づいていった。M4を
背中に移し手にはバールを握りしめている。バールの先端を扉中央
に差込むと、てこの原理で一気に引いてみた。
僅かに開いた隙間からゆっくりと灰煙が流れ出る。
生存は絶望的だ。誰しもが思っていたことだが、実際に目で見よ
うとすると改めて思ってしまう。
更に力を込めてドアを開けると、次の瞬間。青白い閃光と共に長
刀が飛び出し、M60を構えた隊員の咽に突き刺さった。
﹁うっ、がぁは⋮﹂
突き刺さった咽から鮮血と嗚咽を漏らし、ゆっくりと膝が折れる。
誰もがその光景に目を奪われた。あり得ない事が起こっているか
らだ。絶対にあり得ない事。逃げ場のない密封状態の中に銃弾の雨
533
を浴びせられた状態のまま無事で済むはずがない。
普通では信じられず、考えられない状況だった。そう、普通の状
態では。
しかしそれは普通の人間であるならばの話。
振り向いた隊員達の目に映ったのは。灰煙の中に光る真紅と琥珀
色に光る2つの光だった。
﹁悪くないわね。決して悪くない判断よ。逃げれない状況下で敵に
一斉砲火を浴びせ制圧する。市街地戦では効果的な戦術よね。私も
昔よく使ったわ。でも、私達だったのが想定外だったわね﹂
灰煙の向こうから現れたのは銃弾で破れボロボロになったセーラ
ー服姿で、不敵な笑みを浮かべている薫だった。その後を亮が続く。
﹁ねぇ、兄上。もうこんなわかりやすい抵抗を見せてくれたんだか
らさ、殺しちゃってもいいでしょう﹂
﹁ああ、好きにしろ。相手に銃を向けたんだ。殺される事は納得し
てるはずだ。ただし俺の獲物には手を出すなよ﹂
﹁はーい!! じゃー私は左側ね。兄上は右側よろしくね﹂
7,62ミ
そう言うと、薫は前でM60を構えている隊員に向かって飛び出
した。
﹁うわああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!﹂
リ
悲鳴を上げながら隊員がM60を連発する。フルメタルジャケッ
ト弾の発砲音がこだます中を、薫は人間の動体視力では認知が難し
いほどの速さで銃弾の中を進むと、右手の手刀を相手の咽元に打ち
込んだ。
何かが潰れるような鈍い音がなると、隊員の咽元がパックリ切り
裂き噴水のような鮮血が吹き出した。
首の皮一枚で繋がり垂れたままの頭部を掴み上げると、それを左
隣にいる隊員の顔に投げつけた。
﹁ぐぅっ﹂ ヘルメットに当たった反動で後ろにのけぞった。
﹁あ、⋮⋮悪魔だ⋮ッ﹂
534
隊員の一人が震える声で呟いた先に、顔に付いた返り血を舌舐め
ずりしながら、次の獲物を見定めている悪魔の姿があった。その姿
を見た隊員達の背筋に戦慄が走り、構えている銃がカチカチと音を
立てながら震えていた。
絶命している隊員から乱暴に長刀を抜きとると、一度大きく空を
つきかまりゅういあいたいじゅつ
つむじ
切って血を飛ばした。そして鞘に戻すと右足を前に出し上半身を前
に突き出した。
﹁さてと、それじゃー行くわよ。月鎌流居合体術、乙三式﹃旋風﹄
その身で味わいなさい﹂
薫が翔ると当時に3人の隊員達が一斉に引き金を引いた。三方向
からの銃弾の間を縫うように進みながら手前の隊員の盾に横一文字
に切りつける。腕と一緒にライフル弾をも防ぐ防弾シールドの盾が
まるで紙のように切り裂かれた。
そのまま下から刃が打ち上げられ、両足を切断されたまま上に体
を飛ばされる。四肢が切れ身軽になった体はよく回る。そのまま目
にもとまらぬ刀の乱斬が空ではしると天井と壁にバラバラになった
肉塊が飛び散った。
床に残っているのは切断された四肢のみ、後の体と頭部は細切れ
にされ肉壁へとかわった。
﹁あっ、あっああああぁぁぁぁぁ!!!!﹂
その光景を見た残り2人の隊員は逃げ出した。完全に戦意喪失す
るには十分だった。火力が違う、分が悪い、そんな類のものではな
かった。根本から違っていた。明らかに自分達の手に負える相手で
はないのだ。
人間が持つ本能までもが、この場から逃げる事を告げたのだ。
﹁あらあらどこいくの? まだ終わってないわよ﹂
後ろで薫の声が聞こえると、逃げる隊員の足が切断される。
﹁あああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!!﹂
﹁ひっ、ひぃぃぃぃ﹂
わき目も振らずに床に倒れた隊員の横をもう一人が走り去る。
535
﹁菊池ぃぃ待てぇぇ!! 待ってくれぇぇ!! おいていくなぁぁ
!!﹂
両手で耳を塞ぎ、仲間の悲鳴を耳に入れないように菊池は走り続
けた。奥の非常階段の扉の前まで来てドアを開けようとした瞬間に、
断末魔のような悲鳴が耳に入ってきた。
﹁ごめんなさい。ごめんなさい。許してくれ。すまん寺井、許して
くれ﹂
ビルの非常口は非常ベルが鳴った場合に自動で開くようにセット
されている。しかし今は非常ベルは鳴っていない為、代わりに暗証
番号を入力しないと開かないようになっていた。
﹁くそ、くそ、何で開かねんだよ。くそ、くそ。早く早く。落ち着
け落ち着け、ゆっくりだよ。そう、ゆっくりだ﹂
口でいくら言っても震える指先は入力を間違い続ける。
﹁クソぉぉ!!﹂
いらついた勢いでドアを激しく叩いた。
﹁どうしたの? あかないのか?﹂
その冷たい声に菊池は恐る恐る振り返った。見ると血の滴る長刀
と寺井の首を持った薫が立っている。
﹁悪く思わないでね。こっちも仕事なのよ。ウフフフフフっ﹂
薫が浅くほくそ笑みながら近づいていく。
﹁頼む殺さないでくれ。おっ、俺まだここに入って半年そこらなし
か経ってないんだ。家族がいる、まだ小さい娘だ。おっ、俺が死ん
だら家族を食わしていけなくなる。頼むぅ!! 見逃してくれたら
もうこんな仕事はしない、まっとうに仕事するから。だから助けて
くれ。助けて下さい。お、お願いしますぅ!!﹂
菊池の必死な命乞いにも関わらず薫の歩みは変わらなかった。や
がて菊池の前で止まると長刀を大きく振り上げた。
そして打ち降ろす同時に菊池は目を摘むった。死を覚悟した瞬間
だ。
しかし、痛みよりもすぐ後ろでデカイ音が響いた。振り返ると非
536
常ドアが斬り落ちていた。
﹁いいわよ。その銃を置いて行けば、アンタは特別に見逃してあげ
るわ﹂
﹁ほっ、本当か? 嘘じゃないんだな?﹂
﹁何っ信用してないの? それとも死にたいの? いくら私でも丸
腰の相手を後ろから刺すなんてしないわよ。ほら、さっさと行きな
さいよ﹂
﹁ああ、ありがとう。ありがとう﹂
信じられないといった顔に笑みを浮かべ、その場に銃を捨てると
そのまま菊池は非常口から外に出て行った。
ヘルメットを脱ぎすて生温かい夏風が首筋に感じると、生きてい
る喜びを感じる。
これで帰れる。また家族に会える。そう思って階段に一歩足を降
ろした瞬間。胸に軽い衝撃を受けた。
﹁へぇ⋮!?⋮﹂
顔を下ろすと、そこには左胸から突き出ている剣先が見える。そ
れが胸の中に戻って消えると今度は右胸からも同じように剣先が突
き出てきた。
﹁ガハッ⋮ガハッ⋮﹂
力なくその場に倒れ込む。左右の胸からはヒュー、ヒューと乾い
た音が漏れる。どうやら両肺を突き破られたようだ。肺が萎み呼吸
が出来ない。
﹁ガハッ⋮ガハッ⋮ガハッ⋮ガハッ⋮﹂
むし
必死に息を吸おうにも吸う事も出来ない。
﹁ガハッ⋮ガハッ⋮ガハッ⋮﹂
やがて息苦しさに咽元を掻き毟りながら体を痙攣させる。やっと
生きて帰れると思ったていた菊池の目には涙が溜まり溢れ出る。
﹁ガハッ⋮﹂
そして、もがき苦しんでいる菊池の顔を薫が覗き込む。 ﹁バーーーカァ。悪魔の言葉を信じる奴がいるかよ。アンタ達を生
537
きて帰す気なんてなかったのよ。最初からね。さあーもっと苦しむ
顔を私に見て、私を感じさせて。ほらもっとよく見せないよ。アン
タのその絶望してる顔を﹂
菊池の顔を無理やり向けると、その瞳には鮮血に染まった姿で高
揚感に喜ぶ薫の姿が映っていた。
538
赤い悪魔︵後書き︶
みなさん、お久しぶりです。朏天仁です。今回の話いかがでしたで
しょうか? 月2回の更新を目指しておりましたが、私の事情で遅
れてしまった事申し訳ございません。今後も出来るだけ更新は早く
行っていきたいと思いますので、変わらず応援よろしくお願い致し
ます<m︵︳︳︶m>
では、また次回お会いしましょう︵@^^︶/
539
囁き
琥珀色に光る眼光がこれから狩るべく相手の姿を捉えていた。不
機嫌そうに穴だらけになったBHジャケットの裾を亮はつまみ上げ
る。
﹁はあっ⋮やってくれるぜ。誰がこれを直すと思ってるんだ。ジャ
ケットは支給されるとして、シャツとズボンは無職の身では痛い出
費なんだぞ﹂
銃口を向けたままの状態で微動だにしない隊員達は、畏怖の目を
亮に向けていた。
﹁お前は⋮人間か⋮?﹂
セーフティーレバー
隊員の人が尋ねてきたが、亮は視線を合わせないまま腰からコル
トガバメントと取り出すと安全装置を解除した。
金属の乾いた音と同時に亮が顔を向ける。
﹁ふぅっ、200発以上弾を食らって生きている俺が人間に見える
のか? どう見てもバケモノだろうが。お前たち人間の敵だぞ。バ
ケモノなら退治するのは戦士の仕事だろう。さあ、どうした。撃た
ないのか? ならこっちから行くぞ﹂
銃口を眼前にいる盾を持った隊員に向けると、一発発射した。
﹁うぅ⋮!?﹂
盾を構えていた隊員が一瞬後ろにたじろいだと思ったら、そのま
ま横に倒れた。腹を押さえて痙攣を始める隊員の姿を見て、後ろの
隊員が手を掛けようとした時、右足に激痛が走り同じく身体を崩し
た。
﹁クソっ!! 何だコレは!? 痛ってぇえぞぉ!! チキショウ
ッ!! どうなってんだ一体ぃ!?﹂
撃ち抜かれた足を押さえながら絶叫する隊員。
その様子に残った隊員がM4を構えたままゆっくり後退を始める。
540
ゴーグルの向こうには恐怖に怯えた瞳が映っている。
銃口を向けたまま後退続ける隊員は、完全に戦意喪失した状態で
まったく驚異は感じない。
亮は硝煙が登る銃口をゆっくりと奥の隊員に向けた。そして、
﹁逃げるなよ。聞きたいことがあるんだから﹂
再び銃声が鳴ると、隊員の左膝のプロテクターを撃ち抜き倒れた。
すかさずもう一発撃つと銃弾はM4本体を貫通し、右脇腹の防弾チ
ョッキを貫通した。
たったの3発の銃弾だけて、現状は制圧された。
床上で悶え苦しむ隊員たちはこの状況の理解に苦しんでいた。そ
れはハンドガンの弾では説明がつかない貫通力だったからだ。
30cmからの距離でもライフル弾を防ぐ防弾シールドと、特殊
防弾チョッキが貫通することなど本来起こりえない事だった。
彼ら
よっぽどの偽物で騙されれもしないかぎり説明の使用がない、と
誰しもが考える事だろう。しかし、隊員達は一つ重大な事を見落と
してした。それは亮が正真正銘のバウンティハンターだという事だ。
バウンティハンターは自らの捜査遂行の為に、あらゆる法律や規
制に囚われることがない。従って彼らは目的達成の為には﹃どんな
兵器の使用も許される﹄のだ。例えそれが核兵器であっても同じ事
だ。
亮が使用した銃弾はただの45口径の銃弾ではない、その高い殺
傷能力から非人道的と言われ国際法で対人使用が全面禁止された﹃
劣化ダムダム弾﹄だった。
対戦車砲である劣化ウラン弾を主原料にして製造され、高い貫通
力を持った銃弾だ。この銃弾の恐ろしい所はその高い貫通力ではな
く、万が一弾頭が体内で留まった場合弾頭の持つ運動エネルギーが
熱エネルギーへと変換され、急速に体内燃焼が発生する。
すると、損傷箇所周辺の細胞が焼かれ放射性物質のウランにより
内部被爆が発生する。おまけに弾頭内には特殊加工した水銀液が備
わっていて、もし体内で弾頭が割れたした場合は水銀が漏れ出す仕
541
組みだ。そうなった場合たちまち水銀が血管に乗って全身を回り最
終的に死にいたる。
この銃弾が国際法で使用が禁止されているのは死亡率の高さだ。
その非人道的な性質で一部の兵器開発業者の間では、これを﹃処刑
弾﹄とも呼ばれている。
殆ど手に入らない違法品たが、バウンティハンターはいかなる法
や制限、制約に縛れないため遠慮なく購入し使用する事ができる。
﹁運がいいな。劣化ダムダム弾は全部貫通したぞ。少しでも弾丸が
体内に残っていたら、内部被爆か重金属中毒で脳がやられていたぞ。
﹂
﹁おっ、オイ⋮﹂
﹁!?﹂ 足を撃たれた隊員が上半身を起こしてみせる。
﹁⋮てっ、テメー⋮⋮人にそんな危ねぇーモン使いやがって⋮一体
何考えて⋮やっ、やがるんだ⋮﹂
﹁おいおい、人を蜂の巣にして殺そうとした奴がよく言うぜまった
く﹂
﹁こっ、⋮こんなことして⋮ただで、すっ⋮すむと思うなよ。今に
⋮﹂
﹁今に何だ? 仲間の応援が来るって言いたいの?﹂
亮の質問に隊員は黙って頷いた。
﹁そうか、それは残念だったな﹂
リロード
そう言うと、亮は上を向き天井に向かって銃を乱発した。全弾撃
ち尽くすと、予備マガジンを再装填させてさらに乱発する。
マガジン2本を空け終わると亮は残念そうな顔を向けてきた。
﹁上の階で待機していたお前のお仲間11人は、残念だが助けに来
れなくなったぞ。足が動かなければ降りて来られないからな。ご愁
傷様﹂
﹁うっ⋮嘘だろう﹂
天井に空いた銃痕からポタポタと赤い液体が滴り落ちてくると、
542
亮は軽く笑を見せた。
﹁お前は⋮バケモノだ⋮﹂
﹁だからさっきからそう言ってるだろう。何回同じこと言わせる気
だよ、バケモノ意外になんだって言うんだよ!! 正真正銘のバケ
モノなんだよ!!﹂
﹁くっ⋮、さっさと⋮殺せ⋮﹂
﹁そうしてやりたいのはやまやまなんだが、お前、U2について知
っていることを話せ。素直に情報を出すなら命は助けてやってもい
い﹂
﹁⋮⋮そ、⋮そんなヤツの事なんて知らねぇ⋮﹂
﹁そんなヤツ? ここで答える場合は﹃そんな名前﹄というべきだ
ったな。それじゃ相手を知ってるってバラしてるもんだぞ﹂
﹁うぅ⋮﹂
﹁はあ∼、もともとここまで事を荒立てる気はなかったのに、出来
れば穏便にすませようと思っていたのにな﹂
肩をすくめながら溜め息を漏らすと、もう一度銃口を向けた。
﹁もう一度だけ、聞くぞ!! ﹂
﹁ひひぃぃ、わかった。わかったって。言うよ。あいつは︱﹂
瞬間、背後に冷たい殺気を感じとっさに横へ避けた。同時に前に
オートアサルトショットガン
いた隊員の頭部半分が粉々にハジケ飛び、後方に赤い霧状になった
脳髄を撒き散らした。
素早く体勢を直し振り向くとそこにはAA−12を持った新たな
隊員が立っていた。
えぐり
亮が撃つよりも一瞬早くAA−12が発射され、散粒の塊が右わ
き腹辺りの肉塊と臓器の一部を抉取っていった。
衝撃で亮の体が後方へと飛ばされ、頭を半分吹き飛ばされ絶命し
た隊員の上に背中を着ける。
﹁ガハッ、⋮ゲホォ、ガハァ⋮﹂
咳き込むと同時にノド奥から込み上げてきた喀血を吐き出した。
散弾で撃たれた程度で死ぬ事は無くても、ちゃんと人間本来の痛
543
覚は持っている。普通の銃弾程度なら我慢するのは簡単だが、広範
囲に体の一部を塊ごと持っていかれては流石に平気とは言えなかっ
た。
﹁クソ。後ろをとられるとは、やれやれ⋮やっぱまだブランクがあ
るな、調子がでねぇぜ﹂
わき腹を押さえてはいるが、すでに血は止まり急速に損傷箇所の
細胞再生が始まっていた。
だが、このまま敵が大人しく待ってくれるハズも無く銃口を向け
たまま引き金を引いた。
ショットガン独特な乾いた高音が鳴り、命中した箇所の肉片が吹
き飛ぶ。
﹁!?﹂
だが、吹き飛んだのは亮の肉片ではない。命中したのは盾にした
隊員の死体だった。プロテクトアーマーに、防弾ベスト着用してい
るため散弾を見事に防いでくれた。
一見すると人間の盾なんて非道で残酷な事だと思われるだろうが、
実際死体となってしまっている以上後は個人が持つ価値観の問題だ。
ぞうもつ
生と死が常に隣り合わせの世界では死体も立派な武器になる事を
忘れてはならない。仲間の死体の下に手榴弾を仕掛けたり、臓物を
取り出して麻薬の運搬や、死体爆弾にだってなる。
そういう世界の住人から見れば、自分の防衛手段の一つに人間の
盾が使われる事になんら不思議な事ではないはずだ。
死体は死体なのだ。しかも、防弾チョッキを着けているため盾に
するには申し分ない。亮はなんの躊躇も見せずに盾にすることが出
来た。
﹁悪いね、恨むんならお前の仲間を恨んでくれよ。ショットガンは
やっぱキツイでね⋮﹂
無論相手も躊躇無く発砲を続ける。銃弾が発射されるたびに死体
の体が小さく削られていく。いくら何でもあと数発受ければ防ぎよ
うがない。
544
﹁しかたない。もう少し待ちたかったが、ほらよ!!﹂
上半身だけとなった盾を相手に投げつけると、とっさに隊員が身
をかわす。その隙に亮が反撃を開始する。カバメントが連射される
が、相手の身のこなしがよく全弾体のすぐ湧きをかすり抜けると、
壁の奥へと消えていった。
リ
代わりに外れた弾が壁や観葉植物の鉢に命中し廊下に破片を撒き
散らす。
ロード
リロード
相手は距離をとって壁伝いに接近を試みる気だ。亮はマガジンを再
装填すると、奥の壁をじっと凝視した。
亮の目には壁の向こうでAA−12のマガジンを再装填している敵
ひとがた
の姿がハッキリと見て取れた。
人形の白黒に、銃口の先からはうっすらと硝煙の形さえわかった。
﹁それで隠れたつもりか。丸見えなんだよバカがぁ!!﹂
いくら壁越しに隠れていてもその位置が分かってしまっては致命的
だ。亮はゆっくりと狙いと定めると敵の両足目掛けて2発発射した。
コンクリートの壁だろうと﹃劣化ダムダム弾﹄の前ではただのベ
ニヤ板と変わりない。命中と同時に相手の動きが止まった。
﹁そこで大人しくしてろ﹂
それだけ言うと、他に敵はいないか辺りを見渡し始める。今の亮
の視界は高性能サーモグラフィーのように熱を識別することで、周
りに動いている熱源はない事を確かめている。
動いているとすれば上の階で足を撃たれた数名が這って動いてい
るくらいだ。
すぐに生きている敵を確保し情報収集に移ろうとすると、壁越し
に銃口が見えた。
﹁くふぅ!!﹂
すぐに身を起こして交わす。
銃声と一緒に亮がいた壁に野球ボールくらいの穴が幾つもあいた。
﹁おい⋮まさか、外れたわけじゃないだろう。ちゃんと当たってる
はずなのに﹂
545
すかさず亮が応戦する。たった3メートルもない距離の中、銃撃
戦が始まった。
敵は闇雲にショットガンを乱射している為、何発かは明後日の方
向に当たっているが、それでも接近戦では最強火気を誇るオートア
サルトジョットガンを前に容易には近づけない。下手に近づいてま
た肉塊ごと持っていかれては厄介だ。
新しいマガジンに装填しなおすと、亮は敵の頭部に向かって狙い
を定めた。今まで急所を外し致命傷を避けてきたが、それも限界だ
った。
﹁じゃな、悪く思うなよ﹂
﹃亮兄ぃ﹄
引き金を引く瞬間、再びマナの声が聞こえたような気がして躊躇
した。だがそれは一瞬の迷いで、亮は銃弾を発射した。
壁越しに見える敵のシルエットがゆっくり崩れ落ちていくのが分
かった。
ヘッドショット
銃を構えながら確認しに行くと、俯けに倒れたまま首筋から血が
広がっていた。
信じられない事に頭部命中をしたつもりだったが、軌道下にズレ
て首に命中していた。あの距離で的を外すはずはないと思っていた
亮だったが、無意識に急所を外してしまった。
一瞬聞こえた気がしたマナの声の影響なのか、それともたまたま
ブランクの影響なのかは分からなかった。
一応まだ生きているかも知れないため、足を使って敵を仰向けに
起こした。銃弾はやはり首に命中し心臓の鼓動に合わせてドクドク
と血液が銃傷から排出されていた。
一つ気になったのはそれまでに撃った弾が全て命中していた事だ。
腕や足致命傷にならなくても神経痛覚が密集して敏感な場所に命中
しているのに、平然と動いていたことだ。
まともに動けないほどの痛みが全身を襲っていたはずなのに、こ
の男はそれをまったく気にしていなかった。
546
﹁ただのやせ我慢のつもりだったのか。それとも興奮し過ぎて痛み
を感じなかったのか﹂
フェイスマスクとゴーグルで表情までは分からない。ゆっくり近
づき手からAA−12を蹴り飛ばした。
念のため右腕を踏んで動けなくすると、フェイスマスクに手をか
けた。
﹁オッ⋮⋮オレニ⋮ゴホッ⋮オレニ⋮何ノ⋮⋮ゴホッ⋮⋮用ダッ⋮
ゴホッ⋮⋮ッ⋮﹂
かすれるほどの声で上手く聞き取るには難しかったが、亮はコイ
ツがU2だと理解した。
﹁お前か。お前がU2か?﹂
亮の問いに相手は僅かに頷いてみせる。
﹁お前⋮が⋮﹂
銃口を向けたまま銃を持つ手に力が入る。たんぽぽを襲撃し葵を
誘い、マナに瀕死に重症を加えた当事者を前に再び怒りが込み上げ
てくる。
亮は一度、大きく深呼吸をした。それから、この目の前にいる男
の顔を粉々に砕きたい衝動を何とか抑えながら亮はゆっくり尋ねた。
﹁今朝お前達が亜民の施設を襲撃した際に誘拐した少女をどこにや
った。彼女は無事か? 居場所を教えろ。もし依頼主に引き渡した
のならその依頼主の名前を教えるんだ。正直に教えれば直に救急車
を読んでやる。その傷じゃ助かるかどうかは五分五分だろうけど、
死ぬのは嫌だろう。少しでも長く生きたいなら素直に話したほうが
良いぞ﹂
口調はゆっくり丁寧に言ってるつもりでも、みなぎる殺気だけは
隠す事が出来なった。それはそれで別に構わなかった。
亮の中でも正直に話したとしても助けるかどうかは決めていなか
ったから。
﹁オッ⋮教エテヤル⋮﹂
左手人差し指をクイクイと動かし顔を近づけるように合図を送る。
547
亮がゆっくりと顔を近づけると、男の手が亮の襟首を掴みグッと
口元に近づけた。
﹁アノ⋮女ハ⋮ハリマ⋮二⋮渡シタ⋮﹂
﹁ハリマ? 誰だそつは? オイッ!!﹂
既に大量に血を失い過ぎたのか、男はそれ以上答えようとしない。
失神しかけている様子で意識がハッキリしていないようだ。
﹁オイ!! 寝るなァ!! 起きろォ!! ハリマは誰だ? 誰な
んだ。起きろォ!!﹂
亮の怒声に男がもう一度口を近づけた。そして、
﹁Boom!!﹂
その言葉と同時に男の左手から現れたのは小さな起爆装置スイッ
チだった。
亮は早く気づくべきだった。防弾ベストに不自然に多くある手榴
弾と、ベスト下にあったC4の存在に。この男は最初から死ぬ気だ
ったことに。
全てを理解した後、亮は起爆スイッチを停止させる最善の手段を
とろうと、銃口を男の鼻部に押し当てた。鼻先からやや下辺りに当
てれば生命維持を司る脳幹と運動中枢を司る小脳を一緒に破壊する
ことができる。そうすれば、運動反射を起こすことなく爆破を止め
られる。僅かでも狙いがズレたら、反射的に起爆スイッチが押され
てしまう。
亮に迷いは無かった。瞬時に狙いを定めトリガーを引こうとした。
﹃亮兄ぃ﹄
だが再び聞こえたマナの声に指が止まる。そして、男が起爆スイ
ッチに押そうとした瞬間、亮の脳裏を過ぎったのはマナの顔だった。
548
囁き︵後書き︶
こんばんは、朏
天仁です。早くも12月を迎えてしまいました。
気温も寒くなり皆様体調は崩されていませんでしょうか。今回で5
9話を更新しましたて。気になる終わり方でしたが、次回はたぶん
番外編になると思います。ならないかもしれませんがf︵・︳・;︶
それでは次回またお会いしましょう。最後まで読んでもらい有り
難うございますm︵︳︳︶m
549
スティグマ∼たんぽぽの子供たち∼ 番外編その⑤ 最凶の根源
西暦2020年2月3日東京都内某所、冬の寒さが一番キツイ午前
2時を過ぎた頃に、3台に並んだ車があるビルの地下駐車場へと入
ってきた。
車が入り終え、自動的に入り口のシャッターが閉じると同時に8
9式小銃を携帯した隊員がゾロゾロと暗い影から現れ始めた。
さらにその後から全身白の防護服に身を包んだ人物が現れると、
中央の車の横で立ち止まった。
妙に薄暗い地下駐車場にその防護服は一際目立ってみえる。
運転席から降りた体格の良い男が後部座席のドアを開けると、中か
ら和服を着て眼光鋭い老人が降りてきた。顔に深いシワが彫られ年
けんりゅう
かさの割りに、しっかりとした脚で立っている。
﹁お待ちしておりました憲龍様。わざわざご足労お掛けして申し訳
ございません﹂
丁重な言葉で白い防護服を着た男が深々と頭を下げる。背中に背
負った酸素ボンベが重いのか幾分身体を戻すのが辛そうに見えた。
﹁羽柴、前置きはいらん。状況がどうなっているのか簡潔に申せ﹂
﹁はっ、ですが⋮簡潔に申しますよりも、実際に憲龍様ご自身で確
認されたほうが早いと思います﹂
﹁憑かれたものがでたと聞いているぞ﹂
﹁犠牲者の事ですか? はい、申し訳ありません。あれ程接触には
気をつける様に説明はしたのですが、何せ下界の人間にアレの扱い
は正直申しまして疎いのが現状でして。いくら説明しても護符を見
につけないのです。実際今回も護符を貼らずに中に入ったのが命取
りになりました﹂
﹁何人だ?﹂
﹁はぁっ⋮情けない事に今月で2人目です。ここ2カ月を合わせま
550
すと犠牲者は6人になります﹂
﹁そうか⋮﹂
憲龍は軽く溜め息をもらす。
げんしゅう
﹁みな事後処理に疲労困憊です。逆にあの源洲の者達は喜んでおり
ます。それに連中の行いには目を覆いたくなるほどです。人をまる
でモノか何かのように扱っていて、なんとも⋮﹂
﹁仕方なかろう。あやつらにとってノドから手が出る程の素材なの
だからな。我らにとっても悲願でもある。何にせよ400年ぶりに
禁忌を犯しているのだ。向こうは向こうで既に腹を決めておる﹂
そこまで言うと羽柴との話しにあきたのか、早く案内しろとばか
りに憲龍が顎を動かす。
﹁では私がご案内致しますので後についてお越しください。まず先
に議長がお会いしたいとの事ですので、どうぞこちらへ﹂
防護服から羽柴の顔をうかがい知る事は出来ないが、砕けた口調
に低姿勢な態度から大体の想像はついた。
羽柴の後に憲龍が歩き始めると、その脇に屈強な4人の男達が姿
を現した。いつ現れたのか周りにいる隊員達は誰一人気が付かなか
った。
サングラスを掛け音も無く気配を完全に殺しながら、4人は憲龍の
周りを守り奥へと進んでいく。
﹁はあっ、やっと行ったわね。正直もう退屈だったわ。もう夜中の
2時過ぎよ、こんな時間につき合わせて冗談じゃないわよ。夜更か
しがお肌にどんだけ悪いか知っているのかしら? 憲龍様はもう少
くがつばき
し時間を考えてくださったらよろしいのに﹂
なかば欠伸をかみ殺しながら久家椿が車から姿を現した。茶髪の
ショートヘアから黒髪に戻し、付け爪の無いか細い指が髪をすいて
いる。
薄い紺の着物と山吹色の帯をまとった姿に、どこか落ち着いた雰
囲気を醸し出していた。しかし、残念なのはその雰囲気を壊すよう
な不機嫌な顔をしている事だ。
551
椿が憲龍の後を追うとすると、着物の裾を運転手が掴んで止めた。
﹁お待ちください椿様。憲龍様が居なくなった途端態度を崩される
のはお止めください。補佐役の自分がどれだけ肝を冷やしているか
ばしょう
分かっているでしょう﹂
﹁何よ、馬上。補佐役のあんたがいつから私の御目付け役に昇格し
たのよ。私に指図するなんて10年早いわよ。虚勢を張るより少し
はその小さい肝っ玉に気合入れないさいよ﹂
椿よりは若く童顔の馬上と呼ばれた男は、掴んだ裾を微かに震わ
せているが目はしっかりと椿を見据えていた。言うべき事はきちん
と言わなければ、そんな気概を発しているのかと見て取れた。
だた、それくらいの事では止まる椿ではなかった。
強引に馬上が掴んだ裾を引っ張って取ると。逆に人差し指を立て
て詰め寄ってきた。
﹁それに!! 今回あんたが私の補佐役ってことになってるようだ
けど、それは御館様が決めた事で、私はそんなの認めてないんだか
らね。いくら幼馴染だからだって、久家御用人のあんたが本来私の
補佐なんて勤まるわけないんだから。少しは身の程をわきまえなさ
いよね!!﹂
﹁⋮ですが、御館様から−﹂
﹁うっさいわねぇ!! あんた二言目には御館様、御館様ってそれ
しか言えないのぉ!! こんな細かい事にまで御館様の名前を出し
て恥ずかしくないの? 私の補佐役になってるんだったら私を納得
させるくらいの言葉を考えて言ってみなさいよ!!﹂
﹁椿様が御館様から申し付けられた事は、憲龍様がここに来るまで
の間の護衛です。ここから先は四獣様達のお役目です。軽率な行動
は慎みください、越権行為と見られいらぬ疑義の眼で見られますよ。
七夜と月鎌の里が開放されたとはいえ、久家一族をはじめ﹃里なが
れ﹄に対する風当たりは未だ厳しいものです。もしもの事があれば
御館様からお叱りを受けるのは自分ですが、罰を受けるのは椿様な
のですよ﹂
552
﹁はいはいはい、相変わらずの模範解答ね。でも足りないわ、私を
納得させるにはまだ全然足りない。不十分よ!!﹂
椿はさらに馬上に詰め寄る。お互いの鼻息が掛かるくらい顔を近
づけられると、馬上の顔が赤面する。
人形のように整った顔立で迫り、射抜くような視線を送られた馬上
は思わず眼だけが泳いでいる。
その意味を察してか、椿は人差し指の先を馬上の胸に突き当てた。
﹁ほら、あんたは御館様がどうとか家がどうとか言ってるけど、あ
んた自身はどう思ってんのよ。少しはその鈍い頭を使って考えて物
申してみなさいよね﹂
﹁椿様っ!!﹂ 椿の勢いに負けじと馬上が声を張り上げる。
一瞬、椿が止まり馬上を見る。
﹁好きだ。だから行くなッ!!﹂
﹁!?﹂
次の瞬間、椿の強烈なビンタが飛び出し馬上を張り倒した。
﹁たわけっ!!﹂
赤面した椿の身体がわなわなと震えている。それは怒りよりも羞恥
心に近いだろう。予想外の発言に咄嗟に手が出てしまった事に気付
いたが、すでに馬上は冷たい地面に尻餅を付いている。
すぐに頭を切り替えると、振るえる声でまくし立てた。
﹁あっあっあんたねぇ!! 時と場所を考えなさいよぉ!! 今コ
コで言うべき言葉ぁ? 本っ当!! デリカシーのない男ねぇまっ
たくっ!! 煩悩丸出しでよくそんな恥ずかしい事言えたものねぇ。
恥を知りなさいよ、恥を!! 小学生だってもっとマシな事言うわ
よ!!﹂
﹁いやっ⋮だって、椿様が自分で考えて話せって言ったから。いっ
てほしくない理由を正直に言ったんですよ﹂
﹁⋮だからってアンタねぇ﹂
﹁あっ⋮あの、椿様⋮﹂
553
﹁何よっ!!﹂
﹁その⋮周りを⋮﹂
馬上の指摘に椿が辺り目をむけると、自分に向けられる視線に気
付いた。椿の怒声が周りに響いている間、周囲にいる他の護衛官や
隊員達の注目の的になっていた。
皆やれやれといった感じの視線で二人を眺めている。
﹁ほら、周りの方たちに迷惑になりますし、私も恥ずかしいですか
ら⋮﹂
ぞうり
﹁あんたが、恥ずかしいを口にするかぁ!!﹂
さらに大声で椿の草履が何度も馬上の顔を踏みつける。容赦なく
踏みつけられている馬上が微妙に嬉しそうな顔をしているのは気の
せいだろうか。
目的地へと続く廊下を羽柴達は進んでいた。荒い息づかいが防護服
を着た上でも見て取れる。
白く清潔な廊下の先に、目的地の場所が見えてきた。冷たい白銀一
色に染められた扉には凹凸が一切無く、右隣に取り付けてある認証
パネル機が無ければ唯の壁と間違えてしまうほどだ。
認証パネルの前で防護服の右ポケットからIDパスを取り出してセ
キュリティーを解除する。ここのIDパスはドアのセキュリティー
のみの解除で、ドア開閉の解除は別の認証が必要になっている。
羽柴は防護マスクと右手袋を外した。本人確認の角膜色素チェック
ひい
と静脈認証が終わると、最後に声音認証のみとなる。
﹁声門認証チェックオン、﹃日出づる国の民﹄確認どうぞ﹂
声音チェックが終わると、無音のまま扉が開き始めた。まるで巨
大金庫の扉のような分厚で重さは軽く1tはあるだろう。
﹁どうぞこちらです﹂
促されるまま憲龍が中に入ると、いつの間にか護衛の4人が消え
ていた。だが憲龍はきにする様子も無く奥に進んでいく。
中には羽柴と同じ防護服を着た職員が数名居て、机上に置かれた
554
計測機器やモニター類の対応に追われている。部屋の広さは25メ
ートル四方の広さはあるが、様々な機材や器具類、コード類に埋め
尽くされ窮屈にも感じられる。
羽柴が一番おくにある電子ドアに向かいながら話始めた。
﹁感染したのは今から4時間ほど前です。感染後たったの数分で人
体の30%を侵食し始めてしまい、これまでにないくらいの猛スピ
ードでした。我々も⋮どう止めたらいいのかわからず、とりあえず
室内を氷点下に下げて何とか侵食を食い止めましたが、1時間ほど
前から再び侵食の活動が活発化しはじめまして。正直我々では対処
が困難だった為、源州院の者達が結界を造り中で収まってはいます
が、いつまで持つか分かりません﹂
疲労感を混ぜた羽柴の説明の後、電子ドアの前で立ち止まった。
﹁正直⋮あんなものは見たことがありません⋮﹂
﹁原因はなんだ?﹂
﹁おそらくは⋮突然変異でしょう。オリジナルに施した様々な実験
わけ
の中で、細胞内で抵抗力もしくは適応力を身につけた可能性が高い
です﹂
﹁まさか⋮あれが生命体な理由なかろう。⋮否、実際確認するまで
は信じられん、早く見せろ!!﹂
﹁⋮はい﹂
羽柴が電子ドアを開けると、二人が中に入っていく。
﹁こっ⋮これは?⋮⋮一体⋮⋮﹂
ひのき
流石の憲龍もその光景には驚きを隠せなかった。
しで
部屋の中で檜柱が四隅に建ちしめ縄の囲いで括られて、その間に
白い紙垂を付けられた結界内にそれはあった。
﹁ガッ⋮ふぅっ⋮⋮ゴォッ⋮⋮はぁっ⋮ふぅっ⋮⋮ゴォッ⋮⋮はぁ
っ⋮ガッ⋮ふぅっ⋮⋮ゴォッ⋮⋮﹂
結界内から僅かに聞こえてくるのは、犠牲になった職員の囁くよ
うな呼吸だった。
﹁あの人間は⋮まだ生きているのか?⋮﹂
555
﹁はい、一応⋮生物学的には⋮⋮ですがもう死んでいるのと同じで
す。もう回復しません⋮﹂
﹁これは⋮どうなっている?﹂
﹁感染したオリジナルの細胞が宿主であるこの職員の骨や臓器を食
い荒らして、その生命力を糧に身体を構築していっています。時間
の経過と共にどんどん成長していて。その速度は⋮もう抑えるのは
困難でしょう⋮⋮遅らせる方法がありません﹂
﹁なんと言う事だ⋮﹂
目の前で起っている事実に、憲龍は肩を落とす。
﹁そう悲観するにはまだ早いぞ﹂
突然部屋のすみから響いた声に、羽柴が慌てて横を向いた。
﹁議長っ、こちらにおられたのですか? ここは危険です。すぐに
外に出て下さい。もし議長に万が一の事が起れば大変です﹂
﹁羽柴二佐、構わんよ。ここでいい﹂
憲龍の隣へとやってきた議長は軍服に多彩な勲章や腕章を着けて
存在を表してはいるが、頭部に影がかかり上手い具合に表情が隠れ
ている。
﹁憲龍殿。今回の事故は幸いにして好機に転じてくれたようだ﹂
﹁どういう意味だ?﹂
﹁我々に新しい選択肢が増えたと言う事だよ。これはこれで利用価
値がある。80年前に凍結された﹃天ノ鬼人﹄計画に組み入れる﹂
やから
﹁馬鹿なっ!! これを人間が制御できると本気で思っておるのか。
400年前もお主のように馬鹿なことを考えた輩がおったが、それ
がどうなったか教えたハズじゃぞ!!﹂
うつわ
﹁勿論。だが、コントロールできなかったわけじゃないだろう。実
うつわ
際、憲龍殿たちは300年かけて人柱を利用して上手く飼い馴らす
ことができた。要は人柱の内か外かの違いだ。首輪と鎖をつければ
問題ない﹂
﹁ならぬぅ!! そんな事をすれば1000年前の厄災が再び起る
ぞ。最初は上手くいってもいずれ人間に牙を向けるのは目に見えて
556
おる﹂
﹁それは困った。たが⋮牙を向けるのが我々でなければ問題ないで
しょう﹂
﹁んぅ!?﹂
議長の言葉に憲龍がやや首を傾げた。
﹁ヨーロッパの水戦争がもうすぐ我が国まで飛び火する。日本の豊
富な水資源を大陸連中が狙ってきている。今は外務省の有志たちが
﹃採掘権﹄と﹃排水権﹄を分割して、市場開放をうたい文句に交渉
を続けているが、どっちみちもう戦争は避けられん。自分達が壊し
た環境のツケをこっちに押し付けて、根こそぎ奪っていくつもりだ。
かきゅうてき
一国ならまだしも、他国で攻め来られた場合は難しい。前大戦もそ
しな
うだった。だから可及的速やかに戦力を備える必要があんだ﹂
﹁その為に米軍がおるだろう。前の戦争とは違う﹂
﹁はあんっ!! 何も知らない者は皆そう言うのですよ。支那の連
中は最初に尖閣諸島かその周辺地域で問題を起こすでしょう。そう
なった場合アメリカが僻地の無人島を守るために本気で自分達の兵
隊を差し出すと? 日本のために血を流すと本気で思っているので
すか。多くの国民は日米安保があるから大丈夫と思っているようだ
が、そうなった場合。アメリカは間違いなく安保条約の第五条を持
ち出して不参加を決めるだろう。直接的な本土攻撃が無い限り向こ
連中
うは動かないし、動いたとしてもそれまでの時間経過は致命的にな
る。支那はそんなに生易しくはない。その時になって日本国民が安
保条約という幻想保険にすがっていたと気づいても遅い。知ってい
るものがそれに気づき備えなければならない。憲龍殿、我々にはも
う時間がないのだよ﹂
議長の言葉に憲龍は言葉を詰まらせた。確かに利己主義の強いア
メリカが誰も住んでいない島の為に戦ってくれるとは思わない。そ
うなった場合、自分達のみで戦わざるをえなくなる。100年近く
実戦経験なく、専守防衛に努めてきた自衛隊だけで戦う事に一抹の
不安が過ぎる。
557
﹁お主の考えには同調しよう。しかし、これをこのままにするわけ
にはいかんぞ﹂
﹁わかっている。サンプルとデーターを出来るだけ多く集めたあと、
源州院の式神﹃火車﹄で滅っせさせる。それでもダメなら鎮守娘達
﹃宿鬼の巫女﹄に分け与えればいい。意外と外で騒いでいる鎮守の
女と相性がいいかもしれんぞ﹂
憲龍の目が鋭く議長を睨んだ。
﹁器がもたんよ。それにあ奴らは里でも貴重な巫女達じゃ。無駄に
死なせるわけにはいかん。何としても﹃火車﹄で焼き殺すまでだ。
どんな事をしてもコレは殺さんといかん﹂
﹁勿論、我々もそこまでのリスクを被るつもりはない。これはあく
までも﹃天ノ鬼人﹄計画に組み込めればの話だ。使えないなら当然
殺処分するまでだよ﹂ 結界の向こうで今まさに生まれようとしている、最凶なる厄災を眺
める二人は、これら起きるであろう戦争の風を感じ取っているに違
いない。
あと8日後には、日本の戦後が終わり、約1世紀ぶりに始まる戦火
水戦争
に日本中が飲み込まれようとしている。
これから4年半続く﹃第一・第二次極東戦争﹄の影がすぐそこまで
迫ってきていた。
558
スティグマ∼たんぽぽの子供たち∼ 番外編その⑤ 最凶の根源
︵後書き︶
皆さんこんばんは、遅れましたが新年明けましておめでとうござ
います。本日久しぶりの番外編ですが、いかがだってでしょうか?
少し読みにくい所があったと思いますが、今後も番外編を続けて
いけたらと思います。
さて、次回はいよいよ本編の続きとなります。はたして亮の運命
は? 葵の近況はどうなっていくのか? お待ち下さい!!
最後まで読んでもらった読者の皆に今一度感謝の言葉を贈らせて
いただきます。今後もスティグマをよろしくお願い致しますm︵︳
︳︶m
559
あなたが涙を拭うとき
亮は引き金を引けなかった。
自分が助かるために他者を殺す。そんな単純明快でわかりきった
ことに何の疑問があるだろう、自分が助かるために許される殺人を
誰が止められると言うだろうか。 同時に、戦場においてその戸惑いや躊躇が原因で命を落とす事もあ
る。だから亮は今この状況下で自分が最善の選択を実行する事に何
の罪悪感も持たなかった。
だが、自分でもそれはおかしいと気づいていても、引き金を引く事
が出来なかった。
﹁チッ﹂
不適な笑みを浮かべるU2の顔を見ながら、亮の横顔を何かが飛ん
で行った。
それを確認した亮の瞳に、起爆スイッチを押したU2の腕が空を舞
っていた。
﹁まったく、らしくないわよ兄上。自殺したいならほっとくけど、
栄えある﹃桜の獅子の子供たち﹄の若獅子様が爆死なんてしたら、
笑い話にもならないわよ﹂
すぐ後ろから薫の声が響いた。服にべっとりと乾いた返り血を浴
びたまま握る日本刀を肩に当てて立っている。
ゆず
U2が起爆スイッチ押す瞬間、導線と一緒に薫の抜刀で切り飛ば
したようだ。
﹁第一兄上を殺すのは私のハズなんだから、誰にも譲る気なんてな
いからね。特にそんな雑魚にやられるなんて我慢ならないわ﹂
﹁大きなお世話だ。それに俺がこんなヤツと一緒に心中する気なん
てサラサラねえよ﹂
﹁あらそう、結構ヤバそうに見えてたけど余計なお世話だったみた
560
いね。そうよねぇー兄上に限ってそれはないわよねぇ﹂
若干不服そうに睨みつけてくる。
﹁まさかとは思うけど、ひょっとして兄上まだ殺しをためらってる
んじゃないわよね。自分を殺そうとした相手を見て、ありもしない
良心が痛んだのかしら?﹂
﹁随分と言ってくれるじゃねぇかよ。俺はコイツが起爆スイッチな
ちゅうちょ
んて押す気はねぇと思ったから引かなかっただけさ。自爆する確信
があったら躊躇なく撃ち殺してたさ﹂
あえて言い返してみたが、内心撃てなかったことに動揺している。
薫は気づいていないように感じられるが、見下すような視線は変わ
らなかった。
﹁へぇーそう、なら兄上のカンはまだ戻ってないみたいね。私はて
っきり知っててやってるもんだと思ってたわ﹂
﹁どういう意味だ?﹂
﹁それよ、それ。その腕見てみなさいよ﹂
薫が指差す先には、先ほど切り飛ばされたU2の腕があった。よ
じゅおんへい
く見ると切り口からなにやら黒い霧のようなモノが昇っている。
﹁もう気づいたと思うけど、そいつ﹃呪怨兵﹄よ。どこぞの戦場で
中途半端に死んで、中途半端な術で黄泉返りさせられたからこんな
歪な形になってるけど、もう人間じゃないわよ。最初に気づかなか
ったの兄上?﹂
薫の言うとおり最初におかしいと気づくべきだった。
普通の人間が﹃劣化ダムダム弾﹄に撃たれて平気なはずが無い。
麻薬中毒者で痛覚が麻痺していても、骨が砕かれれば姿勢を維持す
る事は出来なくなり床に倒れ込む。
この男は﹃劣化ダムダム弾﹄で撃たれても、足の急所に命中して
も動じることなく反撃してきた。
昔ならここでU2が人ならざるものだと気づいたかもしれないが、
亮は無意識に相手を人間だと思い込んでいた。
﹁まさか﹃呪怨兵﹄を人間だなんて言わないでよね。兄上。こんな
561
歩く腐乱死体を本来の死体に戻す事をためらう理由なんてないはず
や
よ。いい加減その鬱陶しい道徳心を捨てたらどうなのさ。そんなに
殺すのが無理なら私が変わりに殺ってもいいのよ﹂
﹁薫。俺は最初に言ったよな。お互い自分の獲物には手を出すなっ
て、仮に俺が撃たずに爆発に巻き込まれたとして。お前っ、俺がこ
んなチンケな爆弾で死ぬと本気で思ったのか?﹂
琥珀色に光る眼が薫を射抜くように凝視する。首筋に冷たい殺気
を感じて薫の肩が一瞬ビクリと反応した。
﹁⋮兄上、私だって兄上が爆弾で死ぬなんて思っちゃいないわよ。
ただ私はそんな雑魚にそんな陳腐なやり方に巻き込まれる兄上が情
けないと思っただけよ﹂
もっともらしいく去勢を張ってはいるが、ゆっくりと視線を横に
ズラしていく。
﹁心配するな。久しぶりの狩りに少し慣らしてるだけだよ。次俺の
獲物に手を出したらその二枚舌を引き抜くからな﹂
薫に忠告を済ませると、亮は床で倒れたままのU2の襟首を締め
上げた。
﹁オイッ!! さっきの続きだぁ!! ハリマとは何だ!! 答え
ろぉ!!﹂
大抵の場合ここで足の一本でも撃ち抜いたり、爪を一枚づつ剥が
していけば大抵の人間は自白する。しかし、既に死体となっている
アンデッド
呪怨兵にそんな脅しは通用しない。人が持つ5感すべてが麻痺して
いるため、拷問による脅しは通用しない。
加えて死の恐怖すらない。ただ主の命令に忠実に従う化物なのだ。
﹁無理よ兄上。そいつは絶対に口を割らないわ。時間の無駄よ。始
末するなら早くしましょう。上の生き残り連中に聞いた方がわかる
かも。あっもちろん上の獲物はまだ決まってないわよ。早い者っ勝
ちでいいかしら!! 私さっきの顔を見てたら気分が高揚してきち
ゃって体が火照ってきてるのよ。だからお願い兄上、上の獲物私に
譲って頂戴ぃ!!﹂
562
﹁ダメだ﹂
﹁え∼、何でよぉ!?﹂
﹁理由は3つある。1つ目はお前が尋問したら聞き出す前に殺す可
能性が高い。2つ目はもう俺が足を撃って動けなくしてるから俺の
獲物だ。3つ目はさっき俺の獲物に手を出した罰だ﹂
﹁そんな∼アレは兄上を助けようと思って︱﹂
﹁関係ないな﹂
﹁それじゃー私のこの火照った体はどうすればいいのよ。兄上が相
手してくれるの?﹂
﹁おい⋮そんな気持ち悪いこと言ってんじゃねぇよ。欲求不満なら
トイレにでも言って済まして来い。邪魔なんだよ﹂
お前は俺に何を求めているんだ。とっ言う顔を向けていた。
薫の様子からそうとう楽しい事があったんだろうと思ってみたが、
どうせ誰か殺したん事に変わりないはずなので考えるのをやめた。
﹁さて、こっちは余り時間がねぇから手荒なマネは覚悟してもらう
からな﹂
﹁⋮オ前、無理⋮アキラメロ⋮⋮無駄ダ、無駄⋮ハッハッハ⋮﹂
片言のような発音だが、これでも捻り出す様に発している。既に
受けたダメージが大きすぎて常人では死んでいてもおかしくない。
﹁ずいぶんと舐めた口きくじゃなねぇか。お前が人でないならこっ
ちがどんなに楽か教えてやるよ。こっちも歩く死体なんて珍しくも
ねえよ﹂
U2の下肢の銃創から登る黒い霧に亮が左手を置くと、琥珀色の
瞳がさらに輝き始めた。
載せている亮の手の皮膚が白い鱗のように変化したと思ったら、
突然U2が悲鳴交じりの雄たけびを上げた。
﹁ヒギギャヤヤヤヤアアアアァァァァァァァァァッ!!!!﹂
﹁ほらっ!? さっきの余裕はどうしたよ。肉体に対する物理攻撃
は無駄でも、お前の魂が直接食われる攻撃は有効なんだろう﹂
﹁ヒィィヒッイイアアアア!!! あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛
563
あ゛ぁぁぁぁっぁぁ!!﹂
﹁さてと、こっちは時間がねんだよ。さっさとしゃべってもらうぞ
ぉ!! まずはハリマについて知ってる事をとっとと吐きやがれぇ
!!﹂
左手の指をさらに食い込ませた。
﹁ア゛ア゛ギギャヤヤヤヤアアアアァァァァァァァァァッ!!!!﹂
あいつ
﹁楽になりたいなら早く吐いたほうがいいぞ。お前のマズイ魂食っ
ても意味がねえが、お前を苦しめるのは意味がある。彩音と約束し
ちまったからな。それにマナはもっと苦しかったはずだっ!! ほ
らっ、早く吐けよ。俺の夜叉蛇がお前を食いたくて暴れ始めてるぞ。
お前の味を覚えたみたいだからな﹂
尋問を続ける亮の首筋から、白く透明な蛇の頭がゆっくりと伸び
てきた。
床でもだえ苦しんでいるU2を視界に捕らえると、赤く伸びる舌を
素早く出し入れしながら様子を伺い始める。
﹁何よまったく。兄上だって十分楽しんでるじゃない。昔みたいに
楽しくなってきたじゃないのよ﹂
その様子を楽しそうに眺めながら薫は呟いた。自分が手を出せな
い事が口惜しそうな表情を浮かべながら、これから始まるであろう
展開に心震わせている。
﹁はあっ、はあっ、兄上っ、はあっ、兄上っ、私っ、その悲鳴を聞
いてたら⋮アソコがゾクゾクしてきちゃったわ。はあっ、はあっ、
やっぱりいいわ⋮いいわ⋮兄上っ、その悲鳴最高よぉ!! はあう
ぅっ!!﹂
薫は壁に背もたれながら、全身を駆け巡る快感に1人興奮して身
悶えていた。
深夜の路地裏を彷徨っている葵はホトホト疲れきっていた。監禁
されていた部屋を上手く出たまでは良かったが、自分の後ろを鎧武
者が付かず離れずといった距離でついてくる。
564
この鎧武者の式神に自分の事は見逃せすように頼んでみたが、付
いて来ないでとは頼まなかった事を少し後悔していた。
さすがにこれだけ目立ってしまっては、大通りに出て行くわけには
いかない。変に目立ってしまっては直ぐに見つかってしまうし、運
良く警察に保護されても﹃たんぽぽ﹄の一件から面倒事になるのは
間違いない。
外に出てみてから自分にはもう帰る場所がないことに気づいた時、
急に寂しさと虚無感で泣きそうになった。
それでもせめて﹃たんぽぽ﹄がどうなったのかだけも知りたくなり、
自然と重たい足が進んでいく。
﹁う゛っ⋮﹂
踏み込んだ足に鈍い痛みが走った。靴を脱いで確認すると右足の
親指近くにできていたマメが破れてしまった。
履き慣れない靴と一緒に慣れない道を歩き続けた葵の足は限界を
迎えていた。
それでも右足を庇いながら葵は再び歩き始めた。
満足な灯りもなく、異臭立ちこめる路地裏を進んでいると、ふと
っ葵の前に鎧武者が入り込んできた。
﹁!?﹂
どうしたかのかと思って歩みを止めると、前から人の気配と一緒
に乾いた靴音が聞こえてきた。
まずいと思いどこかに隠れようと辺りを見渡してみても、こんな
薄暗い中では見つけられるわけがない。
やがて、足音はすぐ近くまでくると止んだ。
﹁こんな人目につかない場所にわざわざ入ってくれてるなんて、随
分と簡単に見つかってくれたわね。おかげで手間が省けたは﹂
鎧武者の脇から様子を伺った葵が見たのは、白いローブを着た修
道女だった。
瞬間、心臓の鼓動が一気に早くなり、呼吸が荒くなり顔色がみる
みるうちに青ざめていく。
565
そこにいるのは葵がよく知る人物だ。暗い穴蔵に監禁されたいた時
に何度か会った事があるミランダと言う女性だった。
彼女に捕まったら最後、自分は間違いなくあの暗い穴蔵へと戻さ
れる。そう考えると自然と足が後ずさり始める。
﹁忌々しいサル共が作った結界だったけど、意外とモロイ箇所があ
ったもんね。おかげでこっちも要約魔術が使えるようになったわ。
旧関東地区周辺にいる事は間違いと分で空に放った﹃コルムバ・デ
ィギトゥス﹄の数は一万三千羽、上空から網の目で監視されている
状況化で逃げるなんて至難の業なのよ﹂
言葉を続けながらミランダが腕を伸ばす。
﹁でも、まあ。こんなに近くにいたねんてねぇ、灯台下暗しって言
うのかしら。さあ、大人しくこちらに来なさい。今ならまだ手荒な
マネはしないでおいてあげるわ﹂
ミランダのグリーンの瞳に写った葵は怯えた表情のまま離れよう
とする。戻る意志がないと判断すると、ミランダは腕を下ろし腰に
付けた長剣を抜刀した。
﹁それが答えと了承したわ。どっちみち連れて帰るつもりだったけ
ど、生きていれば別に問題ないのよ、必要なら手足の一本ぐらい無
くてもいいと言われているのだから﹂
顔に殺意を現して歩み始めるミランダ。しかしその行く手を鎧武
者が動かないはずがない。
鎧武者も同じく抜刀すると、刃の先端をミランダに向けてから構
えた。
﹁チッ、二級人種の使い魔が私の邪魔するんじゃないわよ!!﹂
お互い間合いに入った所で鎧武者の刀がミランダの首目掛けて突
き出された。素早い体重移動で首スレスレで交わすと、腹部目掛け
てミランダの膝が打ち込まれた。
胴丸と呼ばれる部分にヒビが入り、鎧武者の動きが一瞬止まった
のをミランダは見逃さなかった。
﹁遅いっ!! ドン亀がぁ!!﹂
566
脇から腕を掴まれると、そのまま側の壁に向かって背負投げで叩
きつけた。
ミランダは敵の装備から瞬時に死角や弱点を見抜き、一番不向き
である接近戦での応戦を試みた。案の定ミランダの読みは正しかっ
た。
いくら頑丈な鎧で身を守っていても、デカイ鎧を身につけた分だけ
機動力は殺され、動きが限定的になってしまう。
戦場での勝敗を決定するには装備はもちろんの事、相手の力量を把
握しながら、戦術を組立てる冷静な判断力が勝敗を分ける。
加えて相手も悪かった。簡易式神であるため、対人に対しては強い
がミランダのような魔術を使う準騎士相手では差がありすぎた。
﹁さてと、これで邪魔者はいなくなったわね﹂
手をパタパタと叩きながら、ミランダは葵の方へ足先を向ける。
葵はその場で動けずにいた。この状況を見て、もう逃げられない
と悟ったのだ。
﹁そうそう、それでいいのよ。賢い選択ね、余計な手間をかければ
私も加減をする余裕はなくなるから⋮んぅ?﹂
足に鈍い痛みを感じたミランダが下を向くと、短刀が右足を串刺し
にしていた。
﹁ぐぎぃい!!﹂
倒したハズと思っていた鎧武者がしぶとくまだ生きていた。
﹁この⋮死にぞこないがぁ!!﹂
長剣を振り上げると、鎧武者の背部に突き刺した。
一瞬、葵は顔を背けた。
簡易式神であるため言葉を発する事は出来ないが、葵には鎧武者
の悲鳴が聞こえた気がした。
﹁油断したとはいえ、この私に一矢報いた事は褒めて上げるわ。で
もこれ以上のふざけたマネは看過できないわね﹂
事切れた鎧武者にミランダは何度もその剣先を突き刺した。その
剣先が突き刺さる度に葵の表情が歪んでいく。
567
﹁そういえばさ、極東のサムライって戦闘で死んだら首を切り落さ
れるのよね。確か﹃ウチクビ﹄って言ったかしら﹂
声が出せない葵が何度も﹃ヤメテ!!﹄と口だけ動かしてる中、
ミランダはゆっくりと長剣を引き抜いき、そして鎧武者の首目掛け
て一気に打ち下ろした。
剣先が地面をかすり火花を散らすと、葵の足元にゴロゴロと鎧武
者の頭部が転がって行く。
惨劇の光景に放心状態のまま葵は膝を落とした。
やがて膝元近くまで転がってきた頭部に葵が手を伸ばそうとした時、
ミランダの足が頭部を踏みつけた。
見上げる葵の瞳には不敵な笑を浮かべるミランダが映っていた。
﹁さてと、もう邪魔者はいなくなったわよ﹂
ミランダの手が葵の銀髪を掴み上げ、自分の顔よりも高く上げる。
﹁うふっふっふっふっ、﹂
ミランダの鼻歌混じりの声を耳で聞きながら、葵は髪を掴んでいる
手を掴み両足をバタつかせながら抗っている。
次第に抗うのを止めると、歯を食いしばりこみ上げる嗚咽と一緒に
葵の頬を涙が伝う
﹁うふふふ、か︱くぅ︱ほ︱ぉ!!﹂
本庄市民病院のICU室を覗ける外の廊下では、廊下に設置され
た長椅子に横になる蒼崎先生の姿があった。
一時は危篤寸前と言われたマネの様態も、亮の輸血を行なった時
から小康状態を保っていた。やっと落ち着きを取り戻した蒼崎は少
し横になって休むはずが、いつの間にか寝入っていた。
ふと、身体が揺らされた蒼崎はすぐに目を覚ました。
﹁⋮あっアレ、あなた?﹂
﹁すみません。あの起こすつもりはなかったの、マナちゃんがここ
に運ばれたって看護婦さんから聞いて⋮その、いてもたってもいら
れなくて来ちゃいました﹂
568
おぎのみか
そこに居たのはこの病院に入院している荻野美花だった。頭には
まだ包帯が巻かれているが、病衣姿で白杖を持っている。
﹁ごめんなさいね美花ちゃん、全然気が付かなくて。でも、もう歩
いて大丈夫なの?﹂
﹁はい、一昨日辺りからもう普通に出歩いています。あの、それで
⋮マナちゃんの様子は? 今日夕方お母さんがきました、そこで﹃
たんぽぽ﹄で何か事故があって、マナちゃんがここに運ばれたって
聞きました﹂
心配する様子で訪ねてきた美花に蒼崎は隣に座るように招いた。
隣に座る盲目の彼女に今のマナの姿を見せずにいられるのは、不幸
中の幸いだろうと内心思った。
﹁心配せさてごめんなさいね。マナちゃんね⋮今は落ち着いてるみ
たいなの、だらかそんなに心配しなくて大丈夫よ。安心して﹂
疲れきった顔で優しく諭すように話す。
﹁あの、⋮⋮⋮月見さんは⋮どうしてますか?﹂
﹁亮くん? 亮くんがどうかしたの?﹂
﹁いえ、その、別に何でもないけど⋮マナちゃんの事大事に思って
いたみたいだから⋮﹂
﹁そうね⋮⋮﹂
一瞬、亮の事を話そう考えたが彼女にいらぬ心配を掛けさせまい
と飲み込んだ。設楽施設長から亮が出て行って事を聞いて、今は行
方不明になってるなんてとても言えなかった。
﹁あの、ワタシ⋮こんな時に言うことじゃないと思いますけど、ワ
タシ⋮月宮さんのこと⋮好きです﹂
﹁えっ!? うっうん⋮﹂
﹁ワタシ⋮いつも月宮さんといつ時感じていました⋮とても悲しい
って事が伝わるんです⋮上手く説明出来ないんですけど、でも、何
ていうかその⋮氷のような冷たい世界を感じるんです﹂
﹁⋮うぅうんっ﹂
突然の発言に蒼崎もどう対応していいのか分からなかった。
569
﹁この前ワタシが襲われた時、ワタシは見えませんでしたが確かに
ワタシを助けてくれたのは月宮さんでした。でも同時にアソコに居
たのは月宮さんじゃあなかったの。もっと別に何かだった気がした
の⋮あの時、ワタシには月宮さんの⋮胸が締め付けられる苦しさや
悲しさを感じました⋮⋮ともて悲しかったの⋮とても⋮﹂
美花は自分の胸元を強く握り締めると、閉じている瞼から涙が溢
れ出した。
﹁あの⋮あの⋮月宮さんは一体⋮何者なの? ひっぐ、どうして⋮
あんなに悲しい人なの? うっぐ、教えて下さい⋮お願いします。
ひっぐ⋮﹂
顔を両手で覆い肩を震わせる美花の姿に、蒼崎は言葉よりも先に
美花の震える身体を抱きしめる。
﹁ごめんめ、美花ちゃん。ごめんなさいね﹂
蒼崎の胸の中ですすり泣く美花に、これだけの言葉しか返して上
げる事が出来なかった。
﹁でもね、美花ちゃん。何だかんだ言ったって亮くんはちゃんと帰
ってくるわよ。大丈夫よ。明日にでもなればまたいつもの亮くんが
来るから、美花ちゃんは何も心配しなくていいわ。ごめんね、余計
な心配させちゃって。ホント⋮ごめんなさいね﹂
心配する美花の気持ちに正面から答える事は出来なった。ただ優
こだま
しく頭を撫でる事ぐらいにしか、今の蒼崎には出来なった。
誰もいない廊下に美花のすすり泣く声が谺するなか、ICU室で
横たわるマナの目元には、溜まった涙が溢れ流れていた。
その涙を拭ってほしい人は、まだ現れてはいない。
570
あなたが涙を拭うとき︵後書き︶
みなさんお久しぶりです。朏 天仁です。更新がだいぶ遅れてしま
った事まずお詫び致します。今回でだいぶクライマックスへと近づ
いてきました。次回からは月2回ペースで更新を目指していきたい
と思います。
最後まで読んでいただいた読者の皆さん。本当にありがとうござい
ます。
では、また次回お会い致しましょう!!
571
バッド・タイミング
外の熱帯夜と違い地下の気温は低いままだ。蛍光灯の灯りに身体
を照らされる村岡は、冷たい空気でかじかむ手に息を掛けながらあ
る人物を待っていた。
約束の時間はまだ迎えてなくても、手持ち無沙汰に腕時計をチラチ
ラ確認している。
﹃あーあー、時間が勿体ないねぇ。時間に正確なのは関心するけど、
どうせ待つならもっと暖かい場所で待てばいいんじゃないの。外の
方が暖かいんだし。それに、こんな無駄な時間を費やすなんて聞い
てないぞ。これで向こうが遅刻なんてしたら僕の時間を返してくれ
よな﹄
村岡の襟元から見える伝心札から法眼の言葉が直接頭に伝わって
くる。ここに到着した時から法眼と道士の姿が見えず、代わりにこ
の札が貼られていた。いつのまに貼ったのか関心するしたが、これ
を貼る意味が分からなかった。
﹁お前は少し﹃辛抱﹄という意味をもっと経験した方がいいぞ。こ
れくらいの事でダダを捏ねるなよ﹂
二人共術を使って姿を隠してはいても、恐らく村岡の近くにいる
ことは間違いないと思った。
﹃僕はダダなんてこねてないよ。愚痴をこぼしてるだけさ﹄
﹁同じだろう﹂
﹃何言ってんだよ、全然違うじゃん﹄
﹁どう違うんだ?﹂
﹃ふっ、言葉が違うでしょう﹄
﹁そう言うのを屁理屈って言うんだよ。クソガキ﹂
最後だけ小言と一緒にため息で吐き出した。
﹃そうそう、この札の説明まだ言ってなかったけど。僕達に話時は
572
声に出さなくても頭の中で話くれればわかるから、こっちに遠慮し
てわざわざ囁かなくても大丈夫だからね。捨て犬さん﹄
全部聞かれていたのか。そう思った村岡の右眉がピクリッと動く
と、バツが悪そうに頬の古傷に指を掛ける。
﹁なあ、一つ聞いていいか?﹂
﹃だから声に出さなくてもいいってば。人の話聞いてないのおじさ
んは?﹄
﹁いいんだよ。声に出したほうが俺にとっては一番いいんだよ。そ
れよりもだ。どしてお前達は姿を隠してる? まさかこれから来る
相手を知って臆病風にでも吹かれた﹂
半分冗談混じりに言ってみる。法眼達が携わっている陰陽道の事
は詳しくないが、これから来る相手の事は村岡にも知識があった。
だが、彼らと法眼たちの間柄については詳しくなかった。せっか
くだから向こうとの関係について知れたらばなと、軽い気持ちで尋
ねてしまった。
﹃村岡殿﹄
今後は道士が加わってきた。
﹃村岡殿は我々陰陽師について少なからず知ってはおりますが、そ
れでも我々の社会につてはまだ認識が浅いと思います。また、我々
の事を軍部の人間が深く知ろうとするのは私の立場上あまりおすす
めは致せません﹄
道士の口調に緊張が混ざる。
﹁周りくどい言い方しなくてもいいぜ、道士。ようはそれ以上聞く
なって事だろう﹂
﹃なんだ、わかってんじゃんか。だったら話が早いよね﹄
﹃法眼様。何もそんな言い方をおっしゃらなくても、村岡殿は知ら
なかったのですか﹄
﹁そうそう、俺は何も知らなかったんだよ。だからこんな俺にもお
前たちが話せる範囲で俺に説明してくれたら有難いんだけどな。ど
うだい道士﹂
573
﹃軍部内でも決して混じり合わないモノもある。とっ、言えばわか
りますね﹄
その言葉で村岡は納得した。五行法印局は終戦後、戦争に関わっ
た陰陽師一派に対する粛清を率先して行なった。当然、納得がいか
なかったと考える陰陽師たちがいてもおかしくない。昔から日陰者
扱いされてきた冴鬼家や他の陰陽師たちの中には、不満を募らせて
いる輩も多いはずだ。
﹁なるほど、表面上は忠実でも腹には不満を溜めてるってわけか。
どこの組織も似たり寄ったりだな﹂
﹃そんな単純な事じゃない﹄
﹁なんだ。やけに喰ってかかるな。ひょっとしてそれ以外にも何か
あったのか﹂
﹃⋮おっさん。五行法印局についてどの程度知ってるの?﹄
﹁おいおい、これでも俺は諜報局の人間だぞ。戦後アイツ等がどん
な事をしたのか他の連中よりかは詳しいと思っているぜ﹂
やけに突っかかってくる法眼に、村岡は相手にしない風な口調で
続けた。
こくほうけんとうちせっしゅうほう
﹁簡単に言えば戦後すぐに行われた国家解体の際、占領国側から迫
られた﹃国法建統治接収法﹄をかわす代わりに、国政に陰陽道の力
を持ち込ませない為に管理監督執行権を任せられた独立行政機関の
一つだ﹂
ここまでは、諸官庁に入局している人間ながら誰でも知っている
事だ。戦前に陰陽道の力を軽視していた占領国軍は、陰陽師達の猛
攻に日に日に苦戦を強いられていた。それまで三日で終わるような
作戦が、陰陽師がいた事で半年以上も進軍が停止ししたり、なによ
り地の利を生かされた戦術や多種多様な式神や戦神の出現に何度も
膝をついた。それでも何とか戦争には勝利を収めることができても、
被害の甚大さから占領国のお偉方の間では素直に喜ぶ事はできずに
いた。
そんな強大な力を見せられたら、当然その力を封じようとするのは
574
目に見えていた。建前上は占領国の息がかかった者たちによって今
も陰陽師達は縛りを受けている事になっている。
だが問題はこの後に続く関係者の間でも、ごく限られた者にしか知
られていない極秘事項が存在する。
﹁戦後、突然五行法印局はかなり大掛かりな陰陽師達の粛清を始め
みっさつ
た。軍部に関わった陰陽師の一派を何の前触れもなく捕まえると裁
判もなしに密殺した。表向きは病死や事故死なんて都合のいいよう
に処理してるが、それでも関わった当事者以外の親子兄弟、まして
や身内までも粛清の対象にした。まだ生まれがばかりの赤ん坊にま
でも手に掛けたほどだ。いくら占領軍に見せるための格好が必要だ
としても、やりすぎなんだよ﹂
村岡の表情が少し険しさを見せる。
ネタ
﹁しかも、根絶やしにした陰陽師家の禁書法や術式書までもを没収
していった。噂だと、その密書を条件に占領国と有利な取引材料に
したって話だ。今でも奴らが強権を維持できるのは、その時の事が
あったからだと言われている。俺が知ってるのは大体このくらいだ
な﹂
ここまで簡単に説明したつもりの村岡は、口さみしさにタバコを
探してみるが見つからず残念そうにため息をもらした。
﹃ふっ、その程度かよ。おっさんもいいようにマインドコントロー
ルされてんだね﹄
﹁どういう意味だ﹂
﹃村岡殿。対外とはいえ情報が命と言える局の人間なら知っている
と思いますが、情報とは自分で調べた情報と、他人が調べた情報と
では差異が生まれます。その差異を細部にわたって裏をとり調べ尽
くした情報こそがより真実に近いはずです﹄
﹁何が言いたいんだ。これでも俺は実際に粛清の現場に立ち会った
事が何度もあって、この目であの凄惨な光景を目に焼き付けたんだ。
自分で見た情報ほど確かなものはない﹂
﹃まあっ、実際に見たのは事実だろけど、見た情報が強すぎて他の
575
情報を都合のいいように歪めて肉付けしてるみたいだ。ねえ、道士﹄
法眼が少し呆れた口調で話す。道士のほくそ笑む声が村岡の耳に
入ってきた。
﹃はい、そうですね。まだ少し時間があるようなので、お話しても
よろしいしょうか?﹄
﹃別にいいんじゃないの。このおっさんもう組織に捨てられちゃっ
てんだからさ。ここいらで、その曇った目を晴らして上げなよ﹄
完全に小馬鹿にされる村岡だが、ここはあえて何も言わずにいた。
それはこの二人は自分の知らない情報を持っている確信していたか
らだ。実際、村岡は自分が見てきた現場の以外は調査報告書の資料
以外なかった。関係者からの聞こうとしても徹底した秘密主義に守
られ思うように行かず。それ以上に下手に嗅ぎまわって上司から再
々にわたり釘を刺された事も何度のあった。
村岡にとって陰陽師から情報が聞けるまたとないチャンスである
ことに間違いない。ここは大人しく彼らの情報に聞き耳を立てる事
に徹しようと決めた。
﹃村岡殿は確か先の大戦でレッドクロスをはじめ、対幻獣戦や対魔
術戦を経験されてきているはずです。経験してわったでしょうけど、
自衛隊の近代兵器が全く聞かない敵を相手にして、その力の差を痛
いほど痛感したことでしょう﹄
﹁ああ、知ってるとも。始めてレッドクロスを相手にした時は地獄
だったよ﹂
当時の記憶と一緒に村岡の顎にある古傷がうずき始める。それま
で自分が考えていた戦闘という常識が覆り、訓練で練り上げ進化さ
せてきた戦術が意味をなさない現実を前に、多くの部下や上官たち
が倒れていった。
﹃その中でも、北海道最後の激戦区だった根室防衛線であなたは始
めて武装陰陽師を見たはずです。あれは表向きには残された部隊の
救助と撤退援護でしたが、実際はただの実戦訓練でしたから﹄
﹁⋮やはりそうだったか⋮﹂
576
村岡の目が少し遠くを見つめる。
﹁戦闘中、旅団司令部から連隊長宛に送られた緊急暗号文を見た保
坂補佐官が、怒りと困惑の入り混じった顔で電文を見ていた。これ
は何かあると思っていたし、実際彼らが俺たちを救助しに来たわり
には、ほとんど手をかそうともせず何かを待っている感じだった。
実際残された部下達は撤退できたが、いろいろと腑に落ちない点が
あったよ﹂
﹃それはそれで難儀でしたね。結果として北海道での防衛戦は敗退
と言う結果でしたが。後の対馬奪還作戦では、彼らはその能力を存
分に発揮して勝利を収めました﹄
﹁なあ、道士よ。そんな昔話くらい俺も知ってる。問題はさっき言
った差異の部分についてだろう﹂
﹃その通りだ。道士の話はまどろっこしいよ。僕の貴重な時間がも
ったいないだろう。要するに粛清の本当の目的は陰陽師じゃないっ
て事だよ﹄
﹁っ!? 本当かそれは?﹂
それは、あまりに突拍子もない事だった。
今まであの粛清に関していくつかの噂程度の話はあった。武装陰陽
師の一派が戦後の混乱期に乗じて新たな国家統治を画策している。
ブラフ
や、武装陰陽師は戦中に占領国と手を結んだ二重スパイ組織だった
等という話をいくつか聞いた事はあったが、粛清自体が虚偽だった
とは事に村岡は驚いた。
﹃へえー、その様子だと本当に知らなかったんだね。それじゃーあ
の播磨のタヌキオヤジはおっさんの事、信用してなかったって事か﹄
﹁まさか⋮そんな⋮﹂
﹃村岡殿、気を確かに﹄
﹃そうそう、そんなに動揺しないでよ。さっき言い忘れたけど、そ
の札は念を通じてこっちに知らせてくるけど、感情も一緒に伝わっ
てくるから、そんなに心臓を動かして気持ち悪くないの﹄
﹁いや。正直信じられない。あれだけの所業を行なって⋮⋮驚いた
577
といった方が正確かもしれん﹂
向こうに全て伝わっているならここは隠す必要はないだろう。最
初は驚いた村岡だったが、すぐに頭を切り替えた。
にとっても
﹁⋮それじゅ⋮何を一体隠したかったんだ﹂
﹃そうそう、そこなんだよ問題は。アイツ等が隠したかったもの、
それは﹃歩く災悪﹄だよ。それも組織化された無敵の集団さ。いや
⋮無敵と言うにはあの当時ではまだ無理があるな。でも十分役目は
果たしていた﹄
﹁だからそれは何なんだっ!! それを聞きたいんだよっ!!﹂
直ぐに確信が知りたい村岡はつい焦ってしまった。情報収集にお
いて焦りは禁物。それは自分が欲しい情報だと相手に教えているよ
うなものだ。
しかし、村岡の心配をよそに法眼は気にする素振りも見せずに続
けた。
﹃事の発端は、戦前に京都総鎮守上宮院奥ノ院に封印されていたあ
る生物の﹃死骸﹄が盗まれた事だ。それが一体どんなルートをたど
ったかは知らないけど、最後に自衛隊幕僚内部にあった﹃楯の会﹄
の手に渡っていたのさ。最初は自分達の手で調査・研究をしてたど、
深刻な問題が発生すると、我が﹃源洲裏陰陽道十三家﹄の一派と共
同研究を持ちかけた。その過程で生まれたのが、﹃戻り鬼﹄と呼ば
れる獣。でもそれは余りにも不完全過ぎていてコントロールするの
が難しかった。でも直ぐに戦争が始まり敵の物量の前に実戦投入が
開始した。その最初がおっさんがいた根室防衛戦だよ﹄
﹁ちょっと待て、あれは⋮俺が見たのは間違いなく人間だったぞ﹂
﹁おっさんが見たのは僕が言った獣じゃないよ。たぶん見たのはお
っさん達と守ろうとしていた源洲裏陰陽道の巫女達さ、本来のゴミ
掃除は獣に任せて自分たちはデータを集めに勤しんでたってことさ。
不完全な獣だったけど、兵器としは十分効果があったようだよ﹂
法眼の話に、村岡はゴクリと唾を飲んだ。自分が今まで知りたか
578
った情報が次々発せられる。
﹃法眼様、先ほど︱﹄
﹃次に誕生したのが、より完全体に近い人型の兵器さ。材料は人間
を使って生成される。楯の会の連中はそれを﹃桜の獅子﹄と読んで
いたよ﹄
﹁それは聞いたことがある。たしか⋮武装陰陽師の部隊名だ﹂
﹃そうなのか、僕は月ノ宮家の誰かが最初に言ったと聞いたけど。
まあっそんな事はどうでいいか。話が長くなりすぎて時間が勿体無
いから、まとめるよ。五行法印局が設立された本当の目的は、戦後
生き残った﹃桜の獅子﹄達の抹殺と、その子供達の捕獲が目的だっ
たのさ﹄
﹁子供!? 子供がいたのか?﹂
﹃殺されたのは武装陰陽師じゃなく、おっさんが見てきたのは﹃桜
の獅子﹄と楯の会と一緒に﹃桜の獅子﹄を匿っていた陰陽師の一派
だよ。しかもその粛清をした張本人は同じ陰陽師の一派で、五行法
印局の幹部連中全員は同族殺しの末今の地位に付いたのさ。一派が
違えども僕たちにとっては裏切り者に変わりはない。これで僕達が
姿を見せない理由がわかっただろう。素であったらそれこそ命の取
り合いになっちゃうから。今はまだそんな事に貴重な時間を取られ
たくないしね﹄
法眼の説明が終わった所で村岡が口を開いた。
﹁お前たちが向こうを嫌っている理由がわかった。だが、なぜ桜の
獅子は殺されなければならなかったんだ。彼らを殺す動機は一体何
だったんだ﹂
村岡が一番知りたいのはそこだ。過程と結果までは知ることがで
きたが、最初の動機がわからなかった。
﹃⋮⋮⋮それは話す必要ないだろう。おっさんが知りたかったのは
何故僕達と向こうが犬猿なのかが知りたかったんだろう﹄
﹁身内殺しで爪弾きにしてるって事か﹂
肝心な所は話さずに質問を交わされた。それよりもさっきから道
579
士が静かにしていることが気になった。
﹃それでおっさん。僕からも質問だよ。おっさんはこれからどうす
るつもりなのさ?これから来る相手がどんな奴なのか知ってるんだ
ろう。上手く立ち回れる自身はあるの? そもそも何で五行法印局
なのさ﹄
﹁それは俺たちじゃ播磨局長とやりあっても勝算が無いからだ。い
くらお前の力が一騎当千に値しても、人海戦術と物量の前には簡単
に敗れる。だったら戦う相手をチェンジさせてやればいい。それも
相当厄介な相手をな﹂
﹃どういう段取りでやる﹄
﹁道士が言ってた、この関東周辺の結界が破れた話。あれはレッド
クロスじゃない。おそらくこの国の結界術式に精通してる別の組織
の仕業だ。それも五行法印局が知らない裏の密教術式だろう。関東
周辺の結界が破れた事はまだ公になってない。いや、それ以前そん
な醜態向こうは必死に隠したがっているはずだ。相手を特定し.よ
うと大きく動けば目立ってしまう。そこで俺たちがその調査をして、
変わりに関東支部の五行法印局に播磨局長達の相手をしてもらう﹂
村岡の頭の中には今後の展開が広がっているようだ。
﹃だけど向こうがおさっさんの話、簡単に信じると思う。鼻で笑わ
れるに決まってるだろう﹄
﹁心配するな。そのためにL−211がある。俺の証言と生きた証
拠を見せれば向こうだって納得せざる得ないだろう。俺はもう組織
に捨てられたんだ。今更義理を建てる道理はない﹂
﹃そんなに自身あるならまかせるよ。だけど、それで姉さんの情報
にプラスにならなかったら、その時は⋮分かってるよね?﹄
﹁心配するな。今回の事は多分お前の姉に繋がっているはずだ﹂
﹃その根拠はなに?﹄
﹁勘だ。俺の勘がそういってる﹂
﹃⋮⋮⋮まっ、もう相手が来たようだからここから先は任せるよ。
交渉が上手くいくことを期待する﹄
580
﹁着たか。任せとけ。向こうも時間通りだな。時間に正確なのは良
い事だ﹂
深く息を吸い込み気合を入れる。一筋縄じゃいかない相手に村岡
の身体に熱が篭る。
奥の扉が開き、和服を羽織った老人が見える。五行法印局関東支
部を担当している藤原一二三統括局長が姿を見せた。
一瞬でここの空気が変わり、村岡の腕に鳥肌が立つ。だが、臆す
れば全て水泡に帰す。動じる素振りを見せることなく村岡も近づい
ていく。
﹃そうそう。さっきおっさんが言ってたL−211とか言う少女の
事だけど、道士が脱走した挙句に敵に捕まった。って、言ってるよ﹄
﹁なっ⋮何ぃっ!!!!﹂
思わずそう叫んでしまった。最高のタイミングに最悪のニュース
が重なった瞬間、村岡の容易ならざる交渉が幕を上げた。
581
バッド・タイミング︵後書き︶
こんにちは、朏 天仁です。先月が更新無しという結果をしてしま
し。誠に申し訳ありがません。今後は最低でも月一更新は行いと思
いますので、どうか変わらずご支援の事よろしくお願いし致します。
m︵︳︳︶m
582
繋がる点と線
冷たく重い空気を大きく吸い込み、ゆっくりと吐き出してから村
岡は気持ちを切り替えた。
今目の前に藤原一二三本人がいる。この男、五行法印局関東支部
で統括局長の肩書きを持っているが、肩書き以上に黒い噂の方が有
名だ。
それはこの身体から発せされる異様な雰囲気からも感じ取れてい
た。全身の毛が逆立つ感覚を覚えながら、村岡は口を開いた。
﹁これは、これは。藤原総括局長。こちらの無理な申し出を受けて
いただき感謝します。わざわざご足労いただいたからには︱﹂
L−211を取引材料に考えていた村岡は、それがダメとわかる
と何とか他の交渉材料を模索する為、あえて時間稼ぎを考えた。
姑息だが、今は少しでも考える時間が欲しかった。
﹁私は役立たずが嫌いだ﹂
﹁はっ!?﹂
﹁考えろ。この関東支部の五行法印局の中で、トップ2の人間をこ
んな真夜中に呼び出し。しかも指定場所は寺の地下に設置された戦
時中の秘匿施設。どんな話かと来てみれば、昼間死亡したハズの男
が迎えている。それだけでもきな臭く厄介事の臭いが強烈に匂って
きてるのに、呼び出した相手は私の顔を見るなり奇声を上げた後、
ご丁寧な挨拶を始めた﹂
﹁それは⋮﹂
﹁まあ、何が起こったかは大体察しがつく。だがワシをここまで運
ばせておいて、何も無いなどとほざくなよ﹂
村岡の身体を射抜くような鋭い視線が送られる。口に出さなくて
も下手な言い訳をしたら即命が無い事ぐらい簡単に想像できた。
﹁ふぅー。やめやめ。こんな型式的な事ヤメましょうやぁ、藤原さ
583
ん。俺の事を知ってるようだから、ここはお互い肩書き抜きで腹を
割って話をしましょう﹂
﹁ふんっ、ワシを前にして面白い男だな。いいだろう。腹を割るほ
どの信頼はまだないが肩書きは抜きだ。その方が後々面倒でなくな
る﹂
もうこうなってしまってはどうする事も出来ない。村岡はネクタ
イを少し緩めるとフル回転している思考回路に口を任せる事にした。
﹁藤原さん。正直に話すと、あなたが後ろの扉を開ける前と後では
もう状況が一変した。まずはそれを言っておく﹂
﹁ほう。つまりコケにされたワシに殺される準備ができたというわ
けだな。いいだろう。望み通り殺してやろう﹂
藤原の足元から伸びる影が長く伸びると、大きな虎の様な形に変
化した。そして影だけが動き出し村岡へとゆっくり伸びていく。
﹁待った。待った。そう結論を急がないでくれ。一歩下がって広い
視野で考えてみようぜ﹂
﹁いいだろう。命乞いぐらいなら聞いてやらんでもないぞ。申せ﹂
﹁ここにあんたを読んだのは、お互いに抱えている問題を解決する
提案を伝えたかったのさ。それを俺が言っても構わないが、先にそ
っちが言うのが筋じゃないのか﹂
﹁どう言う意味だ? ここまできてまだくだらん時間稼ぎをしたい
のか? おい貴様っ、これ以上ワシを愚弄する気か?﹂
﹁そんなつもりは無い。簡潔に言うと、あんたの捕らわれれた部下
さら
救助の代行を俺たちが引き受けてもいいと言ってるだぜ、栄えある
五行法印局の施設が襲撃され、部下が虜とし晒されたら他のいい笑
いものになってしまうぞ﹂
これはもうイチかバチかの賭けだった。前に法眼たちが言ってい
た五行法印局の襲撃の話を思い出し、何とか話を創作してみたまで
は良かったが、ここで藤原が知らぬ存ぜぬを通せば全てが終わる。
数秒後にはこの床に無残な死体が横たわっている。
藤原の返事を待つ時間がとても長く感じられる。ほんの一秒が一
584
時間に感じられる程の感覚だ。
藤原のわずかな表情の変化を見逃すまいと注視する一方で、ポーカ
ーフェイスを装っている顔とは逆に、腹と背中は不快な油汗で濡れ
ている。
﹁⋮⋮⋮ほう、さすがは対外諜報部の人間だな。国内の情勢に目を
向けるのはいかがなものかと思うが、まあいいだろう。まだ局の一
部しか知らん情報をよくぞそこまで集めたな。どやら貴様は資料以
上の男のようだな。ワシは人を褒める事は滅多にないが、それがハ
ッタリでなければ褒めてやろう﹂
僅かだが藤原の表情が緩んだように見えた。だだ、結果はまだ吉
と出たとは限らない。
﹁だが、それは余計なお世話をいうものだ。貴様らに心配される言
われはない。まさかそれを言うためだけに呼び出したのか? なら
結果は変わらん、このまま黄泉へと送ってやろう﹂
状況は変わらなかった。やはり、交渉材料が少なすぎる事に奥歯
を噛み締める。
藤原が軽く指で空をきると、村岡の身体が勢いよく後方へと吹き
飛び壁に激突した。
﹁がはっ!?﹂
強く身体を打ち付け、一瞬息が止まった。
ディストキネシス
抵抗できないまま更に全身にいくつもの衝撃派が襲ってきた。
おそらく法眼が使っていた破壊念動術と同じ念動術の一種だろう。
全身のタコ殴りに何度も頭部を壁に打ち付けられ、耳介の裏で甲高
い音が響くのを聞いた。
昔、戦闘中に謝って10式戦車の主砲前に出たしまったとき、発
射時に受けた衝撃波で軽い脳震盪を起こした時の響に似ている。
﹁がぅっ、ゲホゥ、う゛がぁ、ゴホッ﹂
息つく暇のないくらい衝撃派に襲われ、このまま撲殺される。や
はり甘かった。
先に官位を持っている事を伝えていれば幾分違ったかもしれない。
585
だが、もう遅い。仮に先に伝えたとしても、この男の前では意味を
なさなかっただろう。
薄れゆく意識の中もうダメか、そう思った瞬間脳裏にある言葉が浮
かんだ。
どうせ捨てた命だ。イチかバチか、村岡はそれに掛けて見ること
にした。
﹁⋮冴鬼望⋮﹂
その瞬間、全身に受けていた衝撃派はやみ、藤原から殺意が消え
た。
﹁貴様ッ、どこでその名を知った? いや、それよりも何故今その
名を言った。答えよ﹂
震える膝に手を乗せ、口腔内に溜まった血痰を吐き出しながら、
村岡は口を開いた。
﹁⋮今回の事件⋮にっ、2年前の﹃大宮事件﹄が関係しているだろ
う⋮当時、あっ、あんたらも⋮コソコソ動いていただろう。ペッ、
⋮はあっ、はあっ、⋮その様子だと⋮未だ真相まではわかってない
ようだな⋮﹂
﹁抜かせ、今更そのような事を調べて誰が何の得があるというのだ。
今更故人の話をしてなんになるというのか?﹂
﹁へっ、⋮動揺してるじゃねぇかよ⋮彼女は⋮死んでない⋮死んで
なんかいない﹂
﹁何だと!? 詳しく申してみよッ!!﹂
藤原の目の奥に困惑を感じた村岡はここで攻勢に出た。
﹁それは話せないな。はぁ、はぁ、まだ⋮アンタとは交渉が成立し
てない。交渉が始まってもないうちに⋮情報を全部話すバカがいる
かよ? ⋮この話の続きを知りたいなら⋮まず最初にこちらの条件
を聞いてもらうのが先だ⋮﹂
﹁ふん、若造が。それでワシの急所を掴んだつもりか? 思い上が
るなよ﹂
﹁あんたが協力してくれたら、彼女について俺が知ってる限りの彼
586
女の情報を教えてやるよ。ただし︱﹂
﹁もうよいっ!! それで、貴様の望みは一体なんだ?﹂
﹁新しい権限が欲しくないか?﹂
﹁どういう意味だ。周りくどい言い方はやめよ。率直に申してみよ﹂
﹁対外情報局に五行法印局から強制捜査に入って欲しい﹂
﹁ほう、如何様な理由で? いくら何でも理由もなく他局に強制捜
査などできんよ、越権行為と逆にこちらが責められる。貴様の中で
青写真はすでに出来ているのだろうなぁ!﹂
ナイトウルフ
﹁局長の播磨は私用で陰陽師を使っている。五行法印局はその事を
まだ掴んでいないだろう。それに、亡霊犬と呼ばれる、局長直下の
アンデッド
実行部隊が存在している。この部隊の半分は戦時中に戦死した死者
の魂を幾つも入交えて作られた屍鬼達だ。残りは特殊法力を扱う対
陰陽師要因員だ﹂
﹁馬鹿な。そのような世迷いごとをワシが信じるとでも思ったか。
バカも休み休み言え。五行法印局を騙せても、このワシの目を欺く
事など不可能な事だ。第一それが本当だとしても、この国で少しで
も術を使えば使った時点で結界に相殺され、直ぐに各支社の上級陰
陽師や奥之院の九字水明鏡にあらわれる。今までもそうやって不穏
分子達を粛清してきのだ﹂
藤原が優越な口調で話しているが、彼自身にも少し気になる事が
ない訳ではなかった。先日弟が言っていた太上秘宝鎮宅の霊符が燃
えた事が気になっていた。
詳しく調べさせた結果、不覚にも今回の襲撃に巻き込まれ今は行
方不明ままだ。どんなに疎ましい弟でも兄である藤原にしてみても、
直ぐに状況確認に動きたい気持ちを持っていた。
だが、今の村岡の話を全て信じる事は出来なかった。話しを裏付
ける決定的な証拠がない以上は、このまま交渉に乗るわけには行か
ない。
沈黙が続くお互いの間に、微妙な空気が流れる。このままいけば
時間だけが無駄に過ぎてしまう。
587
﹁ああ、もうやってらんねぇーよ。まったく。こんな大人の都合で
僕の貴重な時間がどんどん削らされるなんて我慢できないね﹂
わっぱ
重い雰囲気を一気に払拭したのは、横から姿を現した冴鬼法眼だ
った。続けて道士が後に続いた。
﹁遅いぞ。出るならもっと早く出てこい﹂
﹁なんだ貴様らは? んぅっ!? ほう、よく見れば冴鬼の童と、
その小鬼ではないか。何用だ?﹂
﹁五行のオッサンよ、ここに動かぬ証拠があるだろう。僕と言う証
拠がさ﹂
﹁確かにそうだな。藤原さん。今回俺たちが受けた任務に播磨局長
から極秘でわあったけど、陰陽師を使っていたんだよ。それがコイ
ツだ﹂
村岡のコイツ発言に法眼が不満な視線を向ける。道士もただ苦笑
いするしかなかった。
﹁コイツのように生きた証拠があるなら連中も言い逃れできない。
強制捜査するには十分過ぎる証拠だぞ。どうだ乗ってくれるか?﹂
藤原は腕を組、妙に思案顔になる。そして暫くして、右手を差し
出してきた。その手を村岡が握ろうした時。
﹁ただし、ワシの弟を先に見つけろ。強制捜査はそれからだ﹂
藤原の提案に一瞬だけ躊躇したが、直ぐに握手を交わした。絶望
的な状況下で何とか交渉がまとまった事に村岡は安堵した。
一つでも掛け違いがあれば死んでいたに違いないだろう。村岡の
人生の中でこんな経験は滅多にないことだ。
藤原が去った後、残った法眼に対して村岡が訪ねた。
﹁俺が吹き飛ばされてタコ殴りにされていた時、なんでもっと早く
助けに来なかったんだ?おかげでこんな状態じゃねぇかよ。見ろコ
レをっ!!﹂
﹁何言ってんだよ。オッサンの自業自得だろう﹂
﹁何だと。お前なぁ︱﹂
﹁だって、自分で言ったんじゃないか。﹃お互い肩書きなしで腹を
588
割って﹄なんて言うからだよ。自分の官位を放棄したんだから、僕
が助ける義理はないね﹂
﹁お前な、大人の世界でアレは建前上そう言っただけであってだ。
普通、あの状況だったら直ぐに助けるモンなんだよ。仲間内の間じ
ゃな﹂
﹁仲間じゃないよ。おじさんとは利害が一致したビジネスパートナ
ーさ。だから相手の行動を尊重して任せただけだよ。それと、そん
な大人の事情だなんて言ったってさ、そんなこと僕には知ったこっ
ちゃないんだよ。僕にとっては過程が上手くいかなくてもそれは自
己責任だよう。まあ、結果は上手く言ったわけだし。OK、OK﹂
﹁チッ、このガキが﹂
﹁お二人共そのくらいで、それよりも早くしないと不味いですよ!
!﹂
手を叩きながら道士が、ヤレヤレとっいった顔で二人の間に入っ
たきた。
﹁残念ながら、法眼様それに村岡殿。ここで無駄話しをしている程
の時間はございませんよ。現に、我々は首の皮一枚でつながってい
る状況なのですから、藤原殿が言っていた弟様の捜索にアテがある
のですか? 正直言って時間の浪費になりかねませんよ﹂
﹁そうだ。その通りだよ。一から人探しなんてそんな時間の浪費は
考えたくないくよ。どうしてくれんだよ、オッサン!!﹂
法眼の大袈裟に慌てる様子を眺めながら、村岡は懐から一枚の写
真を出して見せた。
﹁誰? コイツ?﹂
﹁どなたですか?﹂
二人は始めてみる人物だった。
﹁コイツを先に探す。俺のカンだと全ての元凶がこの男から始まっ
てる。そう言っているんだよ﹂
﹁そんな、カン信じられるかよ。もっとはっきりした根拠を言えよ。
そんな事に無駄な時間を費やす気なの?﹂
589
﹁加えるなら、その弟が消える数時間前に、この男にあっている。
レッドクロスの来日、そして結界の襲撃に、L−211の奪取、時
系列で見ても俺たちの周りで起こった事が偶然にしては出来すぎて
いる。だからこの男を探す。それに、この男を調べていった過程で、
お前の姉の名前が出てきんだぞ。それでも捜査拒否するか?﹂
それを聞いた途端、法眼の顔色が変わった。
﹁馬鹿言うなよ。やるに決まってんだろうが!!﹂
﹁よし、では捜索開始だ。式神を使った人物捜索はどの位かかる?﹂
﹁その写真で顔がわかっているなら、韋駄天を使えばすぐにでもわ
かるよ。見つけたらどうする? 殺しはダメだから動けないように
両手両足を折っても構わないの、頭さえ無事なら他は用済みだよね﹂
冗談っぽく笑って言ってみせたが、村岡は厳しい表情を崩さなか
った。
﹁冗談はそのくらいにしておけよ。この男の周りには正体不明な術
師がいる。俺の部下が犠牲になってるし、相当な手馴れなのはたし
かだ。道士お前も相当手酷くヤられたそうだったな﹂
﹁ああ、あのオカマ剣士か。僕も実際対峙しているけど、腕はまあ
まあだけどムカつく程サドで僕が一番嫌いなタイプだったよ。でも
ちゃんと倒したから問題ないよ﹂
﹁他に仲間がいるかもしれないだろう﹂
﹁いないかもしれないよ。まっ、いたとしても問題ないよ。また殺
すだけだからね﹂
﹁物事を自分の都合のいいように解釈するのは間違ってるぞ。常に
最悪を想定し最善に努めなければ、いつか足元をすくわれるぞ。お
前はまだ強敵に出会ったことがないからそう言えるんだ。自分が適
わない程の敵と相対した時に、いかに自分を見失わずにいられるか。
結局戦の勝敗は運命の女神なんかじゃなく、冷静な分析と判断力だ。
運なんてもんはクソの役にも立ちはしねぇよ。お前はまだ自分を超
える敵に出会ってない、だから出会うのを求めて自ら危険は場所へ
と自分を追い込もうとしている。だがな、お前みたいな若造を幾人
590
も見てき俺がそれでも何かが違ってると思ったよ。お前はどこか死
に場所を求めている自殺者に思えてならん。そういうタイプな人間
は周りを道連れにして死んでいくのが相場だが、こっちは大いに迷
惑だ﹂
村岡の説教じみた口調がどこか重く感じ始めた法眼だったが、珍
しく反論も反応も見せずに黙って聞いていた。本来なら挑発的な返
事で相手の気を逆なでするはずだが、法眼は村岡の言葉をただ黙っ
て聞いている。
その様子を不思議そうに眺めていた道士が、代わりに口を開いた。
﹁お話はそのくらいで、結局の所私達はこの男を急いで見つけなけ
ればならないのでしょう。村岡殿、この人物の詳細をお聞かせ下さ
い﹂
﹁名は月宮亮。亜民で﹃たんぽぽ﹄と呼ばれる共同生活施設に入所
している。年齢は19歳だが、最年少の国家バウンティハンター保
持者だ。そして出生と経歴に不正確な情報が多い謎深き者だ﹂
話を聞いて法眼と道士が妙に思案顔になる。
﹁どうした?﹂
﹁いや⋮月宮? ⋮!?⋮どこかで聞いた様な名だな﹂
﹁ええ、⋮確かに、以前どこかで⋮⋮⋮私も聞いた気がしますが、
どこだったか思い出せません⋮﹂
さらに法眼が一言ポツリと呟いた。
﹁!?⋮まさかな⋮⋮まさか⋮﹂
法眼の中で何かが繋がった。何か答えが出たのかもしれないが、
それを村岡に悟られまいと平静を装いながら法眼は考えてるフリを
続けていた。
591
繋がる点と線︵後書き︶
皆さんお久しぶりです。朏 天仁です。前回から大分時間が経過し
てしまったとこは申し訳ございません。
今後ともどうかこの作品をよろしくお願い致しますm︵︳︳︶m
では、次回お会いしましょう︵^^︶/
592
モヤシの忠誠心
軽く額を打ち付ける何かに平松は意識を取り戻した。ゆっくりと
瞼を開き霞む視界に入ってきたのは闇だけだった。その闇の中で唯
一認識できたのが、自分の額を軽く叩いて落ちてくる水滴だった。
他に見えるものは何もない。耳に入ってくる音といえば自分の荒
い息ぐらいだ。
一瞬、自分はもう死んでしまったのかと思ったが、身体を動かす
と駆け巡る強烈な痛みでまだ死んでいないと確証できた。
しっそ死んでいたらどんなに楽だったか。っと、思って見てみる
がすぐに頭から切り捨てた。
﹁はあ、はあ、⋮誰か⋮﹂
他に誰かいないのかと、ひどく痛むノドの奥からかすれる声をひ
ねり出す。しかし、どこからも反応が来ない。
悲しい事に平松は自分がいる場所には、彼以外誰もいない事をま
だわかっていない。
﹁⋮誰か⋮誰か⋮っ⋮﹂
再度声を出しても反応がない。
ようやく暗めに眼が慣れて辺りの様子がわかってきた時、ここで始
めて誰もいない事に気づいた。
誰もいないことがわかれば無駄に体力を消耗する必要はない。嘆く
のは後、まずはこの状況を一人で打開する方法へと思考を巡らせる。
指先から体幹に向けて身体を動かしてみる。上半身は右人差し指と
左肩に痛みが走る。下半身は左大腿部に鈍痛が響く。
恐らく足の骨は折れてないだろう。しかし、左肩は脱臼していて、
右人差し指は折れている。
﹁くそっ⋮たれめ⋮﹂
さらに呼吸の度に両脇に痛みが生まれる。間違いなくアバラ数本
593
にヒビが入っている。
上手くこの場所を脱出できたとしても、この体で逃げるのは非常
に困難だ。下手をしたら再び捕まってしまう。
恐らく次捕まれば生きられない事は容易に想像がつく。
一人で脱出を成功させる確率は非常に小さくても、このまま黙っ
て死を待つつもりも無かった。
平松は拘束されている手錠を何とかするために、動かせる指を使
って右親指の関節を器用に外した。民間警備会社にいたとき従軍し
た同僚から教わった方法だ。
教わった当初は実際に同僚から親指を外されあまりの痛みに怒鳴
ってしまったが、何度が試していくと、痛みなく簡単に外れるよう
になっていた。
手錠から抜いた右手を確認すると、折れていると思っていた指は
脱臼していた。多分爆風の衝撃時に外れたのかもしれない。
だがこれは不幸中の幸いだった。折れているよりも外れているな
ら戻せばいい。早速指を掴みいっきに入れ直す。
ゴキッ!!
﹁う゛ぐぅ!!﹂
人差し指を戻すのは始めてだったのを忘れていた。想像していた
よりもずっと痛く、しばくの間、平松は戻した指をさすっていた。
﹁クソッタレめぇっ﹂
指は元に戻したが、まだ左肩が戻っていない。ゆっくりと上半身
を起こすと、左手にハメられている手錠に左膝を乗せると一気に上
半身を持ち上げた。
﹁ぐう゛ぅぅぅぐぅぎぃぃ﹂
膝を手錠に乗せ、固定された左腕が上半身を上げた事で肩骨と上
腕骨が離れた。そのタイミングに合わせて上半身を後ろにズラしな
がら手首の位置を肩よりも高くして、一気に上半身を降ろす。
上手いくらい綺麗に骨が入り脱臼を直した。
これも昔その同僚から聞いた﹃手首を引っ張りながら肩よりも高
594
くすれば、あとは自然と骨が入る﹄を思い出したからだ。
だが、本当に一回で入るとは思っていなかった。平松は始めてあ
の同僚に感謝した。今度あったら上手い酒でも奢ってやろうと。
ここまでくれば後は楽だ。左手の手錠を外し足かせも外すと壁に
手をかけゆっくりと立ち上がった。
﹁よし、これで何とかいける﹂
身体拘束が解けたとはいえ、アバラが治った訳ではない。この体
では走る事は無理だ。呼吸をする度に痛みがくるし、こんな状態で
は10mも走れないだろう。
痛む脇を押さえながら平松は部屋の探索を開始した。何か武器に
なるようなモノか、明かりになりそうなモノがないか手探りで探し
始める。
﹁んっ!?﹂
しばらくしてから部屋のおかしなことに気づいた。いくら辺りを
探しても部屋の入口が見つかない。6畳程の部屋だから入口はすぐ
に見つかるだろうと思っていたが、再度念入りに探して見てもやは
り見つからない。
手の平を擦り切れるようにして探しても突起物らしきものや、壁
の継ぎ目すら見つけれない。
一応、床も探して見たが無駄だった。
﹁何でなにもないんだよ。おかしいだろうが、これは﹂
次第に平松の中で言いようのない不安感が生まれ始めた。闇の中
一人この空間に残されていくうちに、ノドに違和感を感じると妙に
息苦しさを感じた。
﹁まずいぞ。何か灯りを、とにかく灯りを作らないと﹂
自分のポケットに手を突っ込み、持ち物を探してみるが何も入っ
ていない。全て没収されたようで、護符や銀のてい針もない。
何とか気持ちを鎮めようとその場に膝をつくと、目を閉じ呼吸を
整え瞑想に入った。
時間にして3分程経つと、ノドの息苦しさは消え不安感も無くな
595
った。
﹁ふっー、取り敢えずこれでいいだろう﹂
自分を落ち着かせると、頭の中で状況の整理を始める。場所は不
明、時間も不明、ここの脱出ルートも入り口さえも不明ときた。情
報があまりにも不足している中でどうやってここから脱出するのか、
又は外部と連絡を取ればいいのか、頭を悩ませるところだ。
﹁どうなってんだ一体? ここに入ったんだから入口はあるだろう。
まさか|瞬間移動<テレポーテーション>でもしたってのかよ。バ
カバカしい﹂
﹃迷える羊飼いよ、救済を望むか?﹄
﹁ッ!?﹂
突然耳元から聞こえた声に平松は驚いて顔を上げた。そして両手
を大きく振って辺りを探してみるも何も無い。一瞬の幻聴かもしれ
ない。だが、確かに聞こえた。
﹁⋮幻聴か?﹂
高鳴る鼓動を抑えながら、返事がくるのをまった。
﹃戸惑いの羊飼いよ。救済を望むか?﹄
﹁どこだ? どこにいる?﹂
姿は確認できないが、間違いなく誰かいるのは確かだ。
﹁俺を助けてくれるのか? 誰なんだ一体? 俺をハメる気か?﹂
﹃救済を疑うものに神の手は届かない。答えよ﹄
﹁あんたは敵なのか? 何が目的だ!!﹂
﹃⋮求めよ、さすれば与えられん。これが最後だ﹄
平松にとっては大きな賭けだった。相手からの情報は一つ、救いを
受けるかどうかだけだ。おそらくそれ以外は答えないだろう。
敵かもしれない相手に助けを求める事は大きな代償を支払う事にな
る。しかし、自力でここから脱出するのは非常に厳しい。
﹁⋮わかった。⋮救済を望む﹂
ここに閉じ込められているよりかは、少しでも相手の情報を収集
して反撃のタイミングを狙う方を考えた。
596
﹁えっ?﹂
上から何かが掛かった感じがして、思わず顔を天井に向けた。
何か重たい石か何かを持ち上げる音が響くと、正方形の光の線が
現れる。ちょどそれを確認して時、光の線の箇所が消え目を射抜く
程の強い光が入ってきた。
眩い程の光量に手で顔を隠すと僅かに見える天井から人の影が一
つ見える。
﹁誰なんだそこにいつのは? あんた⋮一体?﹂
天井から平松を見下ろしている影は黙ったままその場にしゃがむ
と、手を差し伸べてきた。
﹁神よ。異端の羊飼いに守護天使の加護が与えられんことを、さあ、
この手をつかめ。﹂
恐る恐る掴んだその手は、とても小さく柔らかい。そして異常に
冷たかった。
旧国会議事堂のすぐ脇に﹃中央連邦赤十字病院﹄があった。この
赤十字病院は終戦後に戦災傷病者や戦災孤児達を治療、保護、自立
支援を行う﹃東京総合医療センター﹄が母体だった。
しかし、5年ほど前に別れて独立し赤十字病院として運営されてい
る。ここでは連邦内でも珍しく亜民を積極的に受け入れている数少
ない病院だ。
元々この病院の運営陣の奉仕精神が高いと言われているが、堂々と
亜民受け入れを宣言して周りから騒がれないのには、ある程度の権
力者と相互協力関係を築いている事は間違いないだろる。
真夜中のこの時間、照明が灯いた病院1Fの処置室前には、一人だ
けパイプ椅子に腰を掛けて座っている男がいる。
長身で整った顔立ちにブランドスーツと上品なネクタイを着こな
し、飲みかけのコーヒー缶を手持ちぶさそう弄りながら、チラチラ
とアルマーニの腕時計に目を移しては頻回に貧乏揺すりを繰り返し
ていた。
597
﹁ふー⋮⋮始めてがこんなのかよ。ったくよ﹂
そうボヤくと、わずかに残った最後の一口に口を付けた。飲み終
わり缶を足元に置くと更に貧乏揺すりを激しくした。
この男の様子を見る限り、見張りを任せられた新米刑事が不満を
態度で表している風に見える。
実際その通りだ。
飯野トオルは今年4月の人事異動で刑事課に配属された新米刑事
だ。連警官僚の家庭で育ちエリート大学を卒業し、連邦国家公務員
試験を合格して連邦警察官になった純粋なキャリア組だ。
2年間の交番勤務を経た後、ようやく一般巡査から警部補に昇進
して刑事課に配属がかなったと思ったら、突然先輩刑事から呼び出
しを受けた。
訳も分からず言われた通り病院に来て見れば、こんな制服巡査がや
るような仕事を任せられて不満を口にしないわけがなかった。
﹁ったく。何が﹃お前に全幅の信頼をよせてるから、後は任せたぞ﹄
だ。これでもあと5年後にはお前らの上司になる男だぞ。もう少し
僕を敬えってんだよ﹂
悪態をつくトオルのすぐ後ろでは、数人の看護師らしい女性たち
の声が飛び交っている。
女性が落ち着いて下さい。まだ検査が。動いちゃダメですよ。と
か言っている事から奥の患者がダダをこねているに間違いない。
この処置室の中には重要参考の女性が一人いるだけだから、暴れ
ても警備員が2人いればすむ問題だ。大方酔っ払いのケンカに巻き
込まれた被害者か何かだろう。
そんなに危険性はないし、むしろそれだからこうして任せられたん
だと勝手に思ってさえいた。
だが、次第に女性の声に悲鳴が混ざり始め、金物が落ちる金属音
が響いてきた。
﹁へぇ!? おいおい、マジかよ。ちょっと待てよな﹂
いささか奥の方が非常に不味い状況になってきたと感じると、こ
598
のまま処置室に入るかどうか迷っていた。
もし万が一患者が暴れてメスや注射針を持って襲ってくる事を想定
し、ここはまず上司に報告し指示を仰いだほうが賢明だろうと判断
した。
上着のポケットからスマフォを出した瞬間、勢いよく目の前のド
アが引いた。そこに居たのは手にしたアイスノンを額に当て、血走
った目をトオルに向ける霧島だった。
細い首に包帯を巻いて、荒い息使いに肩を揺らしている。
その鬼気迫る様子に気圧されトオルは後ずさる。
﹁⋮おっおい。何やってんだ君は⋮、すぐに戻りなさい!!﹂
﹁ふん﹂
トオルの言葉を無視すると、霧島は後ろで腕を掴む看護師の手を
振り払って行った。
﹁おっおい、ちょっと待て!!﹂
本当に不味い状況になった。このまま重要参考人を逃がしたら自
分の経歴に傷がつく。キャリア官僚思考のトオルは直ぐに霧島の前
に立ちはだかる。
それでも相手にしないかのように横を抜けようとすると、今後は肩
を押さえて警告した。
﹁警察だ!! あんたは重要参考人なんだから勝手なマネは許され
ないぞ。逮捕されたくなければ大人しく向こうに戻るんだ!!﹂
﹁逮捕? この私を逮捕するって、面白いわね出来るもんならやっ
てもらうかしら﹂
﹁何だと? いいだろう。そんなに逮捕して欲しいなら望み通り逮
捕してやろう。緊急逮捕だ。ほら腕を出せ!!﹂
腰ベルトから手錠をだして掛けようとした瞬間、逆に手首を掴ま
れあっけなく床に倒されてしまった。
﹁弱っ、あんた本当に警察官なの?﹂
﹁きっ貴様ぁ⋮公務執行妨害だ⋮覚悟しろ⋮﹂
﹁口だけは達者ね、悪いけど私はあんたと遊んでる時間はないのよ。
599
んんっ、あんた警官なのよね? なら丁度いいわ、あなたも一緒に
来てもらうから﹂
﹁何だと、ふざけるな!! 僕にこんな事してタダで済むと思うな
よ。俺と一緒に行くのは警察署だ。逮捕だぁコノ野郎。逮捕、逮捕﹂
﹁うるさい男ね、ならこれでいいでしょう﹂
トオルの持っていた手錠の片方を自分に、もう片方をトオル自身
に掛けた。そのまま起き上がらせるとネクタイを掴み引き寄せる。
﹁ほら、逮捕させてあげたわよ。ただし行き先の決定権は私にある
わ。さあ、早くあなたの車まで案内しなさい﹂
﹁ふざけるなよ。お前いつまでも調子にのるんじゃねぇぞ。ここま
でしてタダで済むと思う︱﹂
そこまで言いかけた時、顔に強烈なビンタを受けた。
﹁よく喋る口ね。弱い犬ほどよく吠えるのを知らないのかしら? あなた警察官なら口よりも目で語りなさい。それにもう少し口数を
減らすように口元をキツク締めた方がいいわよ。特別に私が手伝っ
てあげるわ﹂
言葉に不機嫌な感情を乗せると、更に霧島の往復ビンタが続く。
最初は軽く、次第に強く腰を入れて打ち続ける。
﹁ぶっ、⋮⋮⋮ぶべぇ⋮⋮やっ⋮ヤメテっ⋮ぶぅ⋮うべぇ⋮﹂
薄暗い廊下に乾いた連続音が響く中、後ろの看護師達は止める事が
できずにそのまま呆然としている。
﹁あっ⋮あの⋮﹂
みかねた一人の看護師が霧島に声を掛ける。
﹁ふー、よし。これで少しは静かになったかしら。それじゃーほら、
えーと⋮⋮モヤシ君、早く君の車の所まで案内しなさいよ﹂
霧島の往復ビンタを受けたトオルの頬は晴れ上がり、鼻血と涙目
を浮かべたブサイクな表情からはすでに戦意が喪失していた。
﹁こっ、こっち⋮です﹂
ふらつきながらも廊下を進み、夜の駐車場に停めてある公用車のハ
イブリットカープリウスに乗り込んだ。
600
もちろん運転席には霧島が座る。トオルから鍵を受けとってエンジ
ンをスタートさせると、トオルのスマフォが鳴り出した。
﹁上司からです⋮あの、出てもいいですか?﹂
﹁貸して﹂
﹁はい⋮﹂
霧島にスマフォを渡すと、そのまま窓の外に放り投げた。
﹁あっ、何するんですか!!﹂
さすがに抗議するトオルの前に、霧島が手にしたバッチが突きつ
けられる。
﹁国家バウンティーハンターよ。あなたは私の捜査協力者になって
るのよ。捜査協力中はいかなる組織、権力からの影響を受けないし、
行動を抑制する事もBH法で認められているのよ﹂
﹁あんた⋮ハンターだったのかよ﹂
﹁あら、言ってなかったかした。バウンティーハンターの霧島千聖
よ、よろしくモヤシ君﹂
﹁あなた一応刑事なんでしょう。そこのデジタル無線機に自分のI
D入力してくれるかしら、多分もう起こってると思うから﹂
﹁起こるってなにが? 事件でも起こす気か?﹂
﹁あらビンタが足りなかったかしら? いいから黙って無線をつけ
なさいッ﹂
﹁ひぃぃぃ、わかりました。つけます。つけますからヤメテ下さい﹂
怯えた声を出し大人しく無線機をつけると、直ぐに司令室からの
無線が入ってきた。
﹃司令室より各車へ、旧東京の○○区○○○付近のビル内で銃声を
聞いたと通報がったが、現着した機捜より、死傷者多数。至急応援
と救急車の要請あり。付近を走行中の車両は至急現場に向かって下
さい。繰り返します、旧東京の︱﹄
﹁遅かったわね﹂
﹁へぇ、まさか、ここに向かうの⋮ですか?﹂
﹁もう行っても無駄よ。それより、この車は警察車両なのよね? 601
iイルミネーター
だったら統合情報処理端末があるはず、それを利用するから出しな
さい﹂
﹁でっ、でもアレは僕のIDじゃあ操作できません。主任クラスの
IDがないと﹂
﹁いいから出しなさい!!﹂
一括されると、情けない程従順にiイルミネーターを差し出した。
すでにこの場の上下関係が出来上がっている。
﹁よろしい。それとその鼻血何とかしさないよ。そんな鼻血垂れし
ている男ってみっともないし、隣で歩いて欲しくないから﹂
この鼻血はあんたのせいだろうと、恨めしげに視線を送りながら
トオルはダッシュボードから取り出したテッシュを1枚掴むと鼻血
を吹き始める。
こんなハズじゃなかったと思いながら丸めたテッシュを鼻腔の奥
に詰めると、軽い痛みに顔を引きつらせる。
すぐ横にいる霧島は黙ったままiイルミネーターのタッチパネル
を操作している。ここにきてトオルはこの女一体何者なのかと思い
始めた。
遅すぎる事だが、考えないよりはマシだろう。
先ほど国家バウンティーハンターと言った事以外は全く知らない。
誰かを探しているのは間違いないようだ。 ﹁あの、誰を探しているんですか?﹂
恐る恐る訊ねてみると、霧島の指先が一瞬だけ止まりまた動き出す。
﹁出来の悪い元生徒よ。人殺しをする前にあのバカを早く見つけな
いと。もっともすでに殺しちゃぅた後かもしれないわね﹂
﹁⋮⋮あの、それで僕に一体何をさせる気なんですか?﹂
﹁あんた一応刑事なんでしょう。連邦警察や公安当局に正式に協力
申請すると時間が掛かるから、簡単に非公式協力してもうから。そ
れにアイツがもし人を殺した場合、実況見分の時にこっちが有利に
なるように証言してもうのもあるし﹂
﹁僕に偽証しろと言うのか? 僕はこれでもエリート官僚の息子な
602
んだぞ。将来の連邦警視正候補なんだぞ。こんなことに将来を棒に
振るようなマネ出来るわけないだろう﹂
﹁へえぇー、確かに君は官僚一家の出のようね﹂
操作になれたiイルミネーターでトオルの個人情報データベース
にアクセスして閲覧している。
内容を熟読しながらだんだん霧島の口元が緩みだした。何か面白
い情報でも見つけたようだ。
﹁ほうほう。あらあら。まあまあ。﹂
わたる
﹁ちょっと、僕の個人情報を勝手に覗かないでくれ﹂
﹁へえ、あなた飯野渉検事正の甥っ子なのね。それに、何が将来の
警視正候補よ、君の経歴は最初から真っ黒だったんじゃない﹂
﹁どう言う意味だ? 僕は警察官になって自分に恥じる事は一切し
てないぞ﹂
﹁警察官になる前はね。身辺調査の欄に書いてあるわよ。あなた、
大学入学試験の時コネ使ったでしょう﹂
﹁なっ、何の事だ?﹂
トオルの顔から一気に血の気が引いて聞く。あれは大学入試後、
ふとした気の緩みから新しく出来た彼女と遊び放けた挙句、勉強不
足のまま苦肉の策ではったヤマを半分以上外した時だ。
さすがにエリート家族の中で一人だけ一浪何て認めてもらえる家
庭でないことから、もし一浪なんて事になったらどんな目にあうか
想像するのも恐ろしかった。
家族の誰とも相談する事ができず、そこで唯一温厚な叔父に泣きつ
くことにした。
最初は自業自得だと怒られたが、家の事情も知ってか最後はトオ
ルを助けることに了承した。
トオルの資料を数分読んだだけで、相手の弱みを見つけるこの手
腕は並大抵な事ではない。
﹁そのせいで、当時検事補だった飯野渉が内部監査部から任意の調
査を受けたようね。結局検事総長に鶴の一声で収束されたみだけど、
603
監査部からはしばらく遺恨を残したようね﹂
﹁デタラメだ。僕は⋮そんな事﹂
﹁何故わかるかは、同級生の一人が君の大学入試問題のコピーをサ
ーバーに保存していたようね。今も、そして叔父が検事正になった
とき彼は大阪国検特捜部に栄転になってるわよ。コレをネタに取引
したのは間違いないわね。協力しないなら今すぐコレを各部署に一
斉送信するわよ﹂
﹁⋮もう時効だ﹂
﹁じゃあ、認めるのね。それに、いくら時効だからっといっても警
察にもメンツがあるしね、不正入学したエリート官僚を仲間が庇っ
てくるなんて思わない方がいいわよ﹂
﹁う゛ぐぅ﹂
トオルには返す言葉も見つからない。
﹁何が望みなんだ﹂
ここで始めて霧島がトオルの方に顔を向けた。
細い切り目から向けられる鋭い視線に、心臓を射抜かれたような
錯覚を感じた。
﹁私にとって常に誠実で、疑いのない忠誠心を誓ってもうかしら﹂
﹁⋮⋮わった。できるだけ努力する﹂
﹁緊張感が足りないようだな。もし、私の意にそぐわない事をして
みろ、君のエリート人生が消滅するだけでないく、君そのものの人
生も消滅するんだよ。わかったかしら?﹂
まるで軽い冗談のようなセリフだが、冗談ではない。
トオルはゴクリッと生唾を飲み込むと、震える息に言葉を乗せた。
﹁わわ、わかりました。でででも、⋮いえ、ぜぜぜ、全力で、がが
がっ頑張ります⋮﹂
﹁よろしい。結構よ﹂
霧島が満足そうな表情になると、iイルミネーターの画面にメー
セージ音と一緒にメッセージ欄が開いた。
﹁見つけた。ほら最初の仕事よ。連邦交通局に連絡してこれから言
604
う車両の常時監視を要請しなさい﹂
﹁あっ、はい。わかりました﹂
緊張したまま無線機を強く握ると、マイクに向かって一方的にし
ゃべる。
﹁結構、結構。その調子よ、モヤシ君﹂
霧島はエンジンを掛けると、甲高いタイヤ音を周辺に響かせなが
ら車を走らせる。勢いよく駐車場を出ると、一般道を颯爽と駆け抜
ける。
﹁待ってなさいよ。亮!! このカリは高くつくからねぇ!!﹂
605
モヤシの忠誠心︵後書き︶
皆さんお久しぶりです。朏 天仁です。
先月は更新できず誠に申し訳ございませんでした。
長らくお待たせしましたが、本日更新できました。
スティグマ∼たんぽぽの子供たち∼を、今後ともよろしくお願いし
ます。
606
熱狂
夜の繁華街を一台のベンツが無謀ともいえる運転で走り抜けてい
く。
轟音響かすエンジン音が、歩道に立つカップルや壁に持たれかけて
る浮浪者たちの視線を一同に集めながら目の前を疾走していく。
﹁あっ、ねっねぇ兄上ぇ!! 落ち着いて。そんな熱くならないで
よぅっ!!﹂
青白い顔で助手席に座る薫が甲高い悲鳴のような声を上げる。
﹁俺の一体どこが熱くなってるよぉ!!﹂
正面をギッと見つめたまま、亮はアクセルを深く踏み込んだ。強
烈なG。
﹁兄上ぇ 前ぇ前ぇ!! 信号!! 信号!!﹂
手前の信号が丁度青から黄色へと切り替わった瞬間、車体を横滑り
させながら交差点に侵入する。道路を擦るスリップ音と孤を描く車
体の後にタイヤ痕が刻まれた。
﹁ちょっとストップ!! ストップ!! このままじゃ着く前に死
んじゃうから。私が運転替わる。チェンジ。チェンジ﹂
﹁うるさい。黙ってろ!! 人と車にブツけなけりゃいいだろう。
大丈夫だ。心配するな。これでもちゃんと免許は持ってるし、道交
法も頭に入ってるよ。むしろ横から茶々入れるな薫。気が散るだろ
う﹂
﹁⋮いっ一応伝えるけど、ここ一般道だからね。せめて国道か高速
に出てよ。ほら前、前。信号赤だよ。止まって止まって!!﹂
前方に赤信号で停止している車列が見える。
﹁スットォップぅぅっっっ!!!!﹂
普通ならここでブレーキを掛ける所だが、亮は踏み込んだアクセル
を一向に緩める素振りさえ見せない。むしろこのまま突っ込む事を
607
想定している。
間違いない。亮はこのまま突っ込む気だ。
﹁兄上ぇ!! 赤だよぉ!! 見えないのぉ、止まって止まって!
!﹂
﹁黙れ。女みたいにピーピー騒ぐな!! 問題ない。見てろ﹂
﹁兄上。私⋮車は運転するよりもされてる方が怖いのよ!! だか
ら⋮ああああああぁぁぁぁっ!!!!﹂
反対車線に車体を移し停車している車列の横をすり抜けながら交
差点を突っ切た。タイミングよく左右から来た車体と車体の間数セ
ンチを無事に通過する事ができた。が、予想した通り後方から複数
のブレーキ音とクラクションが、けたたましく鳴り響いた。
﹁⋮⋮あっ兄上、少しスピードを落として。このまま行き着く前に
事故ったら⋮⋮それこそ間に合わなくなります⋮﹂
﹁何言ってんだ。後ろのシスターを見ろよ。あんなに落ち着いてる
じゃねーかよ。お前の方こそ、少しはその口を落ち着かせろ﹂
﹁え!?﹂
直ぐに後部座席のシスターを確認する。
﹁ちょっと兄上。あれ完全に失神してるわよ。しかも手を組んだま
ま失神してるわよ。神様に祈ったままよ。こんなんじゃ神の加護も
ないわよ﹂
﹁うるせぇーな。お前が神の加護なんて口にするな!! だったら
薫。お前が代わりに祈ってろ。地獄の神が守ってくれるかもしれな
いぞ。気休めに丁度いい﹂
﹁嫌よ!! 兄上がスピードを落とせば解決するわよ﹂
﹁それは無理だ。スピードを落としたら間に合わなくなる。時間が
ねぇんだ。しかもチャンスは一度きり。連中が俺たちに気づく前に
一気にカタをつけるぞ﹂
﹁もう嫌ぁ、降ろしてぇ!!﹂
﹁降りたければ降りろ。出口はそこだぞ﹂
亮が罵声混じりの声を上げると、電子速度計が180キロを超え
608
た警告音発してきた。
猛烈な加速音と振動が車内に響く。
ベンツのエンジンがさらに吠えた。コンビニが、外灯が、信号が、
あらゆる景色が一瞬の内に目の前を流れ去っていく。
どうしてこんな状況になったんだと。薫は少しでも現実から目を
そらそうと思考を巡らせた。
事態が動いたのはほんの30分前だった。シスターのもとに領事
館にいる参事官から連絡が入った。
内容は彼らの目的である﹃クルージュの奇跡﹄を無事に回収した
連絡だった。そして至急﹃新日本連邦国際空港﹄に待機させた外交
官専用機で出国する内容だった。
もう空港に向かっているため、至急空港まで来て欲しいと参事官
が丁寧に付け加えた。
早朝の空港は混雑するため、比較的滑走路が空いている深夜帯が一
番ベストな状況だ。
空港には既にルーマニアの衛兵を始め魔導兵が待機している状況
を知った亮は、移動中に急襲して葵を奪還する作戦を提案した。
タイミングよくボイスから連絡があり、葵の乗った外交官車両の
追跡を要請すると、快く了解した。
そして、ベンツに搭載しているカーナビにリアルタイムで対象者
の位置情報が表示されると、誰よりも早く亮が運転席に滑り込み急
発進させた。
その後の展開は言わずともわかるだろう。
薫はまさか亮がこれ程まで我を忘れるとは夢にも思わなかった。
止める事が出来なった事を後悔してももう遅い。
このまま無事に高速に乗ってくれることを祈るしかなかった。
バァーンッ!!
﹁あっ⋮﹂
609
爆走疾走を続けるベンツが高速料金所のレバーを吹き飛ばし侵入
した。派手に回転するレバーが道路を2、3度跳ね上がる。それを
薫が確認する前にルームミラーからフレームアウトした。
﹁まっ、⋮いっか⋮﹂
亮は絶対止まらないのはわかっていた。それよりも高速に入ったこ
とで、薫はやっと安堵のため息を漏らした。
﹁兄上、無事⋮とはいきませんが高速入りましたから今後の事につ
いて幾つか確認させて下さい﹂
﹁何だ?﹂
﹁今回の件が無事に片付いた後、兄上はあの槇村葵とか言う亜民を
どうするつもりなの?﹂
﹁それは葵が決める。葵が﹃たんぽぽ﹄に戻りたいと言えば俺はそ
うするつもりだ﹂
﹁その亜民に帰らなければならない場所があったとしても?﹂
亮の視線が一瞬だけ薫に向いた。
﹁そうだ﹂
私達
﹁兄上。その結果、大国の軍隊を相手にするかもしれないのよ。兄
上がたった一人で挑んでも、いくら﹃桜の獅子の子供たち﹄でもた
った一人で戦うには無謀というほかないわ﹂
﹁だからどうした? どんな化物にも急所はある。たった一本の裁
縫針でも心臓に突き刺せば致命傷になる﹂
﹁本気で言ってるの?﹂
﹁当然だ﹂
﹁ふふっ⋮、バカよ兄上は﹂
﹁時々バカをやってみたくなるんだよ!!﹂
薫の目には亮が飢えているように思えた。凶暴なサメが血を求め
るかのように、常に戦場を求めこれから始まる戦いを欲しているか
のように。
そう、この感じがまさに薫が憧れた亮本来の感じだ。たとえどん
なに自分を偽っても、本能には逆らえない。
610
本来の亮を戻す糸口はまだ残されている事に、薫は次第に興奮し
てきた。早くこの兄を戻したい。そして昔みたいに血の山河の中で
謳歌を楽しみたい。
薫の歪んだ妄想が頭を駆け巡る中、後方から赤色灯とサイレンを
鳴らしながら高速機動隊のパトカーが追いかけて来た。
﹁予定通りゲストの登場ね﹂
﹁チッ、こんな時に﹂
﹁あ∼あ、あそこでレバーを壊すからよ。普通に入ればよかったの
に。どうすの? このままギャラリー引き連れて行くつもり、相当
目立つわよ﹂
﹁⋮⋮薫、手が離せねぇ。お前が相手しろ﹂
﹁えっ!? いいの?﹂
﹁構わん。ただし殺すなよ﹂
最後の言葉にやや不満げな顔を向けるが、直ぐに脇に立てかけた
おいた刀を掴んだ。
﹁それじゃー相手してあげるわ。殺しが御法度なのはしゃくにさわ
るけどね﹂
﹁それともう一つ﹂
﹁何?﹂
薫のスカートを指した。
﹁お前のワイセツ物は見せるなよ﹂
﹁しっ失礼ね。ちゃんとこの下にインナー履いてます﹂
﹁インナー? スパッツじゃないのか?﹂
﹁うるさい。ほら、窓開けるわよ﹂
車が時速200キロ超で走る中、降ろした窓から強風圧を体に受
けながら車体の上によじ登る。
先ほどの青白い顔が嘘のように生き生きとした顔に戻っている。
車体のルーフにバランスよく立ち上がり、刀を腰に当てる。そし
てまっすぐ向かってくる獲物を、ほくそ笑みながら眺めて待つ。
サイレンが近づき、激しくなびくセーラー服と黒髪がパトカーのラ
611
イトに照らされ光る。
﹁オイ⋮何だありゃ!?﹂
対象車両に近づいた高速機動隊の隊員は我が目を疑った。
無理もないだろう。時速200キロを超える車体の上でセーラー
服を着た少女が刀を持って仁王立ちしているのだから。
常識ではありえない光景を見て動じない方がおかしい。
﹁たっ、隊長どうしますか? アレは外交官ナンバーですよ﹂
﹁知るか。ここは俺たちのシマだ。たとえ外交官だろうと、大統領
ひ
だろうと見逃す訳にはいかねんだよ。オイ。車体を対象車の後ろに
つけるな。もし落ちたら轢いちまう。左右から挟み込む形で何とか
停止さるぞ﹂
﹁了解!!﹂
車両を対角線上から外させ、左右両側から挟み込む形で迫り始め
る。
﹁マジかよ⋮﹂
パトカーが近づくほどベンツに乗った少女の容量がハッキリと確
認できる。夢でも幻でもない、本当に少女が立っているのだ。
直ぐに隊員がスピカーマイクに手をかけ警告を発した。
﹃前方のベンツ!! 直ぐに停止しなさい!! 繰り返す直ぐに停
止しなさい!! 上に少女がいるぞ。危険だからただちに停止しな
さい!!﹄
薫の安全を考えたのか、声に焦りが混じっていた。
﹁少女じゃねぇよ。ただのオカマだ﹂
﹁むぅ、別にいいじゃない。少なくとも見た目で私が少女だって見
えてるんだから﹂
嬉しそうに微笑むと、薫の瞳が紅色に変わる。
刀を腰に当て構えの姿勢をとると、横一文字に抜刀した。
刃先から出た白く透明な刃形が右前のパトカーに当たると、突然
ボンネットが開きフロントガラスを覆い隠した。
絶叫とブレーキ音にバランスを失ったパトカーは車体を振り後続
612
車のパトカーを巻き込みながら小さくなっていく。
﹁右は片付いたわ。多分アレくらいじゃ死なないと思うけど、悪く
ても大怪我ぐらいでしょうね﹂
やや不満げな口調のまま今度は上段に構える。
﹁次はあんたらよ﹂
左前にパトカーに向かって振り下ろした。
パトカーのフロントガラスの中央に白い線が走ると、次の瞬間フ
ロントガラスが粉々に粉砕した。
時速200キロの風圧とガラス片が隊員を襲う。車内に吹き込ん
できた強風とガラスに、とても目を開けられる状況ではない。
咄嗟にブレーキを踏むと、後は先ほどの同じ状況でパトカーは消
えて行った。
﹁終わったわよ兄上。全然物足りなかったわ﹂
﹁まだだ。まだ終わっちゃいないぞ薫﹂
﹁え!?﹂
右脇に見えたのは白バイだった。
﹁まだ残ってたのね。どうしようかしら。う∼∼∼んっと、そうだ
バイクはしょうがないからエンジン回路を切って自然に止めさせる
わ﹂
考えがまとまった所に、白バイがベンツのすぐ後ろに付いた。ヘ
ルメットから見える顔の一部でまだ若い隊員のように見える。
﹁はい、そのまま動かないでっ⋮がっ⋮!?﹂
頭部に軽い衝撃を受け、薫の動きが止まった。すかさず衝撃を受
けた場所に手を当てると温かい液体を感じる。
﹁えっ!? ちょっと、痛いわねぇ。警告なしに顔を撃つなんて、
ヤってくれるじゃないの!!﹂
白バイ隊員は薫の頭部を正確に狙撃した。もちろんそれだけ薫を
倒すのは無理だか、怒らすには十分だった。
あと数秒後には彼の身体はミキサーにかけられたように細切れに
なる運命だろう。
613
﹁兄上。コイツ殺すわ!!﹂
﹁オイ、熱くなるよ﹂
﹁ふふふっ熱くなんてなってないわ。ただ楽しいのよ﹂
薫の顔に何本もの筋が立つ。完全に殺害対象と認めたようだ。
こうなってはもう仕方がない。相手には悪いが頭部を撃ったのだ
から殺害意思はあったのは間違いない。それなら殺されてしょうが
ないはず。
﹁お前に任せる﹂
﹁ありがとう兄上。感謝します。ふふふふっ﹂
刀を横一文字に振り払うと、刃先から出た刃形が白バイに向かっ
ていく。当たる寸前車体を倒し上手く交わす。
続けて二波、三波と薫の攻撃を紙一重の差で交わして見せる。
﹁ふふふっ、そうこなくっちゃ面白くないわよね。じゃあコレなら
どうかしら? 月鎌流居合体術﹃乱風﹄﹂
今度は振り出た刃形から幾つもの小さい刃形に変わり網の目のよ
うに向かっていく。
﹁避けられるものなら、避けてみさないよ﹂
流石にこれは避けきれず、数枚の刃形をバイクと身体に受ける。
ヘッドライトが消え、赤色灯が破壊された。身体には腕と足から血
が滲みではいるが、頭部はヘルメットがあるため無事だった。バイ
クも人も走行には支障がない。
﹁薫!! 早く終わりにしろ!! もうすぐ着くぞ!!﹂
﹁残念だわ。もう少し遊んでいたかったけど、時間が来ちゃったみ
たいだから次で終わりにすわ。そのかわり綺麗に細切れにしてあげ
るからねってガハっ﹂
またも頭部に銃弾を受ける。今度は右目だ。
﹁ガッ⋮ちょっ⋮待っ⋮ダァ⋮﹂
銃弾が正確に頭部にヒットする。背中で強風を受ける薫の身体が
その度後ろにのけ反る。
﹁おい、なに遊んでんだ薫!!﹂
614
苛立つ亮の声が下から響く。
﹁うるさっ⋮ガハ、ちょっと待っ⋮ガァ⋮﹂
いくら正確に命中させても、運転中の再装填は困難を極める。7
発全て撃ち終わると、それを待っていたかのように薫の反撃が始ま
った。
﹁コノォー!! 人の顔をバカスカ打ってんじゃないわよ!!﹂
発狂寸前のような大声をあげ、完全に頭に血が上った薫は邪虎を
出す。不気味な女能面の裂けた口元から牙が現れる。斑模様の体躯
から伸びる長い前足と鋭い鉤爪がベンツの天井を食い込ませた。
﹁行け!﹂
それを白バイ隊員目掛けて飛び掛らせた。
唸り声を上げなら邪虎の鋭い鉤爪が隊員の首元を掻っ切ろうとした
瞬間、体勢をズラらされカギ爪が空を切る。
すぐに体勢を戻し、今度は四本足をチーターのような動きで高速道
路を滑走する。
白バイ隊員も一度後ろを振り向いた。行き成り目の前にバケモノが
姿を現し襲ってきたのだから。しかも相手は諦めず追いかけてくる。
もはや追うものと追われる者の立場が逆転した。
﹁ふふふっほら、早く逃げないと捕って食われちゃうわよ﹂
﹁薫!! 車が目視できたぞ。一度中に戻れ!! 目だってしょう
がねぇ﹂
見ると約1キロ前方に外交官ナンバーの車が確認できた。普通な
らまだボタンほどの大きさにしか見えないが、亮や薫にはその車の
ナンバーまでハッキリ見ることが出来る。
﹁わかったわ。次のショータイムに移る前にお色直しといきましょ
う﹂
後ろを確認すると、邪虎が白バイと平行して走っている。餌食に
なるのは時間の問題だろう。あの白バイは邪虎に任せて薫は車内に
戻る事にした。
次の瞬間。
615
空気を裂くような衝撃波に襲われ、薫の身体が横に吹き飛ばされ
た。身体が空を舞い、そのまま対向車線に飛び出すと勢いよくトラ
ックと衝突して連れて行かれた。
﹁なっ!?﹂
一瞬何が起ったのかわかなかった亮だったが、すぐに敵襲だと気
づき亮の瞳が琥珀色に変わる。
﹁くそ!! こんな時にかよぉ!!﹂
葵が乗った車まであともう少しという所で邪魔が入り、奥歯を強
く噛む。ベルトに挟んだコルトを取り出そうと手にかけたと同時に、
車体が大きくバウンドしたと思ったら何か強い力で下から押されて
いる感じになった。
速度計が一気に3桁から1桁に落ちる。
しだいに白煙とタイヤの摩擦音が虚しく響くだけだとなり、やがて
完全に停止すると今度はフロントガラスの上から細い足が2本降り
てきた。
﹁よっと。今回は時間を気にする必要なんてなかったな。これだけ
派手に目立って、しかも鬼門も開いてくれたら、自分から見つけて
くれって言ってるようなものなんだしね﹂
降りてきたのは法眼だった。ベンツの上には一本足の巨大な巨鳥
の式神が載っている。この巨鳥の足にベンツが掴まれている。
フロントガラスに片足を掛け膝に肘をついて中を覗き込む。
﹁お前が月宮亮か? 姉さんの事とか他にもいろいろと聞きたい事
があるんだけど。とりあえず一緒に来てもうよ。むろん強制だけど
ね﹂
車内を覗き込む法眼が2つの琥珀色の瞳と目を合わせた瞬間、フ
ロントガラスが吹き飛び、法眼は寸前で横に飛んで上手く避けた。
﹁危ないな。もう少し上品に出て来れないの? これだから亜民っ
て奴は嫌いなんだよ﹂
肩に付着したホコリをパタパタと軽く叩く。相手の事のなどまる
で気にしない様子だ。
616
空いたフロントガラスの窓から亮が出てくる。顔に幾つものスジ
を走らせ光る瞳を法眼に向ける。
まさに怒りの顔そのものだ。身体からは蒸気を立ち昇らせている。
﹁あと、もうぉ少しだぁったのにぃ⋮なにぃ邪魔してくれてんだぁ
よぉ!!﹂
﹁そんなに吼えるなよ餓鬼が。いいよ、僕は少しだけなら遊んでや
るから。全身を刺身にされても口が聞ければ問題ないんだから。掛
かってきな赤鬼さんよ﹂
法眼が挑発するかのように手招きする。
617
熱狂︵後書き︶
どうも朏 天仁です。
今回のお話はどうでしたか?
夏バテ気味で執筆が遅れてしまい申し訳ありません。
読者の皆様方には今後も変わらず応援よろしくお願い致しますm︵
︳︳︶m
では、また次回お会いしましょう︵^^︶/
618
スティグマ∼たんぽぽの子供たち∼ 番外編その⑥鬼ヶ島
2020年2月1日、去年から始まった極東戦争は北海道と九州
北部の一部を戦火に巻き込んでいた。
日本の安全保障の観点から自衛隊に採用される最新装備は、仮想敵
国を想定して富士演習所から北海道と九州南西諸島に優先的に配備
されていた。
加えて最新式装備と日々鍛錬してきた自衛隊員達の戦闘力の高さは、
とても一世紀近く戦争経験をしてこなかった軍隊とは思えないほど
の奮闘ぶりだ。
それ以外にも世界最強の軍隊でもある米軍の協力も合わさって、進
行してくる中国・ロシア軍の大部隊に損害を与えながら状況を優位
に勧めていた。
しかし、犠牲がない訳でもない。
連日のニュースやワイドショーでは事細かに戦況が報道され、最近
では最前線で戦っている北部方面隊第2師団や、西部方面隊第4師
団の状況を中心に報道された。
東京のテレビ局では今日までに殉職した自衛隊員が陸海空合わせて
150人を超えた事や、中には殉職した隊員の生前の活動を追った
ドキュメンタリー番組まで制作され、どの局も視聴率の奪い合いに
躍起になっているありさまだ。
戦火が続く北海道とは違い、津軽海峡を渡った東北地方ではまだ戦
争の影響があまり出てきていないように思えた。
秋田県北部にある繁華街を、荒い息を吐きながら一人の男が足早に
急いでいた。分厚い革のカバンを持ち、レインコートの肩には僅か
に粉雪が掛かっている。
繁華街の路地を一本曲がって路地裏に入ると、そこはもう繁栄とい
う光を失った別世界になっている。
619
蒸せっかえる程よどんだ空気の下、地面には何人ものホームレスが
横たわっていた。皆20代前半くらいの若者達だ。
おそらく北海道から戦火を逃れるために海峡を渡ってここまで辿り
着いたのはいいが、このご時勢まともな仕事なんて見つかるはずも
なく、自然に着く所に辿り着いたようだ。
座り込むホームレスの間を抜けていくと、奥の角から30代位の細
身の男が1人出て道を塞いだ。
﹁すみません。お兄さん、仕事ないですか? 俺、何でもやります
よ。こう見えても旭川の下町育ちで、金属加工が上手いです。建築
現場でも仕事した事ありますから力仕事もできます。仕事ないです
か?﹂
腰が低い弱々しい声と物欲しそうな目で訴えてくる。無視して脇
をすり抜けるとなおも追ってきた。
﹁しつこいぞ、無いよ﹂
﹁ホントに何でもやりますから。俺職人気質なところがあるから、
どんなにシバレル︵寒し︶現場の仕事も愚痴こぼさずやりますよ﹂
﹁悪いが無いものは無い。仕事が欲しければハロワークに行け。俺
はブローカーじゃない﹂
﹁ああ、まって⋮下さい﹂
懇願する男はなおも食らいつこうと男のレインコートの袖を掴ん
できた。
﹁しつこいぞ!! 無いものはないんだよ!! 邪魔だぁっ!!﹂
袖を掴む手を強引に払うと、早足にその場を駆け出した。
少々強引だったとはいえ悪事をしたと思ってはいるが、ここで足
を止めたら最後甘い蜜に群がるアリのようにまとわり付き、最後は
身ぐるみ剥がされ殺されるに決まっている。
この前もこの近くの路地裏で足を止めた男性が、武装集団に襲わ
れ命を落としたばかりだった。
優雅な繁華街ではまだ見られないが、戦争が続くにつれ日本の治
安は間違いなく悪くなっていた。
620
路地裏を店舗の通風孔から出る強烈な油の臭いと混ざった寒気が
顔に襲ってくると、思わずハンカチで口元を押さえた。一瞬ふらつ
くと側に置いてあるゴミバケツにつまずき、倒してしまった。
﹁まったく。こんなところにゴミなんて出して、通行人の迷惑ぐら
い考えろよな﹂
この男の名は蒼崎真一、現在の職業は戦場カメラマン兼ジャーナ
リストだ。この路地裏を通っているのは別に取材ではなく、ただ単
にこの道が真一にとって一番の近道だっただけだ。
路地裏を出るとまた違う繁華街に出た。地獄から天国に上りつい
たように、繁華街のネオンがキラキラと輝く。一瞬めまいに似た感
じに目の奥が痛むと、真一は視界の右端に見える﹃ヤナセ出版﹄の
ビルに向かって行き中へと入っていった。
﹁や∼真ちゃん。わざわざご苦労だったね。帰ってきてそうそうす
ぐに寄ってくれるなんて申し訳なかったね﹂
待たされている編集部の応接室で真一を出迎えたのは、ここの編
集長の﹃田辺﹄という男だ。見事なまでに太ったハゲ頭な外見は一
度見たら忘れないだろう。
﹁いえ、気にしないで下さい。それよりも自分の原稿どうでした?
飛行機の中で推敲は何度もしたつもりだけど、もう校正チェック
はまだ入らないのか?﹂
﹁まあまあ、そう焦っちゃダメだよ。ダブルチェックが大事なのは
真ちゃんもわかってるだろう。それにどうだった? 北海道の様子
は? テレビで2時間前に旭川空港が閉鎖されたって聞いたけど本
当か?﹂
﹁正確に言えば違います。まだ完全に閉鎖されていません。だたし
もう報道関係者も北海道には一切入れないようになっちまってる。
空港は滑走路の一つを避難民用に使う目的で残ってはいたけど、俺
もそれを使って帰って来れたんだ。残りの滑走路は全て自衛隊と米
軍が使ってるよ。空港で待機されていた避難民の一部が﹃このまま
じゃ空港がアメ公に接収されちまう!!﹄なんて叫んでいた奴もい
621
たくらいさ。半年前のイラクのバクダット空港そのまんまだったよ﹂
﹁そうか、まさか⋮この日本でな⋮﹂
田辺の顔色が沈む込む。
﹁それで、俺が向こうに行ってる間何があったんだ。まさかまだ次
回開催予定の冬季東京オリンピックを開催しようなんて話し出てき
てないような﹂
﹁真ちゃん、いくらなんでもそれは無いよ。ほらここの新聞記事に
も書いてあるだろう。霞ヶ関のお上連中も連日マスコ連中に叩かれ
てまくって、頭ん中がお花畑の共産党連中もようやくそこにある危
機を認識してようだよ。一昨日の臨時国会の来年度予算案でオリン
ピック予算を全部防衛費に回す事が決定したんだ。今更って感じだ
けどしないよりはマシだろう﹂
田辺がYシャツの胸ポケットからおもむろにタバコをくわえると、
自社新聞を真一に手渡した。それから何度も火のついたタバコを深
く吸い込みゆっくりと紫煙を吐き出す。
その間も真一は食いる様に新聞に目を通していく。
﹁⋮むしろ遅すぎだ﹂
﹁まあそう憤るなよ真ちゃん。ほら、今回の取材費に特別ボーナス
も入れて少しイロを付けといたからさ﹂
﹁それは随分と気前がいいな。何か裏がありそうな感じなんだが﹂
﹁おいおい、よしてくれよ。友人の気持ちをそんな疑うなんて野暮
だぜ﹂
﹁そうか、それならありがたく頂戴するよ﹂
蒼崎が封筒を受けとりカバンにしまうと、別の封筒を取り出し田
辺に差し出した。
﹁まさかそれって⋮﹂
﹁今回の取材に掛かった経費諸々の領収書だよ﹂
﹁アイタ∼、そりゃーねぇーよ真ちゃんよ。うちは大手と違ってそ
こまで−﹂
﹁面倒は見切れないだろう。それならその分自衛隊の情報<ネタ>
622
を流してくれよ。また特ダネをものにしてみせるからさ﹂
真剣な表情で視線を送る蒼崎に、苦笑いを浮かべる田辺は根負け
したかのように言葉を切り出した。
﹁真ちゃん。一応聞くけどもさ。次の取材地はどこを考えているん
だい?﹂
﹁対馬だ﹂
﹁対馬? おいおい、止めとけ止めとけよ。あそこはもう地獄の入
り口になっちまってる。中国連中共が上陸して激戦地になってから
何の情報も入ってこないんだぜ。おまけに島に行ったジャーナリス
ト達も皆行方不明になっちまってる。中国本土のジャーナリストも
だぞ。悪い事は言わねぇ対馬は止めとけ﹂
﹁それを聞いちゃなおさら行かなきゃならねぇな。早速九州にいる
記者仲間に連絡を取って上陸手段を検討しないと﹂
心配する田辺をよそに、蒼崎はすでに躍起になっている。この男
の中には﹃中止﹄という選択肢は存在しないのだろう。
困難な状況下であればあるほど、モチベーションが高まっていく
性格のようだ。
﹁そこまで言うんだったら、俺は別にかまわねぇさ。死んでも骨は
拾わんぞ。死に水も汲んでやらんからな。ただし、対馬に行くなら
先にこっちに取材に行ってからも遅くねぇよな﹂
田辺がズボンのポケットから丸めたメモ用紙を出すとテーブルに
置いた。
﹁これは?﹂
﹁一昨日、佐渡島にいるフリージャーナリストから変なFAXが届
いてな。このご時勢メールが主流なのに、そいつはFAXで原稿を
送ってきたんだ。いつもメールで寄こすのにだ。しかもよほど慌て
た様子だったのか、原稿が手書きの殴り書きのように乱筆だったん
だ﹂
﹁それがどうしたんだよ。そんな事戦場じゃ日常茶飯事だよ。目の
前で見慣れないものを見れて興奮すれば皆そうなる。その記者もど
623
うぜ何か戦場の変なものでも見て興奮したんだろう﹂
﹁そいつが送ってきたFAXの紙がそれだよ。内容を読んで正直気
でも狂ったんじゃないかと思ったけど、見てみろよ﹂
そこまで言うならと、蒼崎が丸まったメモ用紙を広げてみるとそ
こに書かれた内容に目が止まった。
﹁何だコレ?﹂
そこには乱筆で﹃鬼が入ってきた﹄と書かれていた。
﹁とてもまともじゃないのは確かだな。しかしどおってことないだ
ろう。俺は戦場ジャーナリストだ。オカルトは畑違いだよ﹂
﹁問題はそこなんだよ。この紙切れ一枚だったら俺もすぐにゴミ箱
に捨てちまうんだがな。妙に引っ掛かっちまって、オカルト出版の
知り合いに話したらその編集部に奇妙な噂が入ってきてるそうだ﹂
﹁奇妙な噂!?﹂
眉ツバもの話だが、蒼崎は半分冗談のつもりで田辺の話しを聞く
リアル
ことにした。本来、蒼崎は幽霊や妖怪の類は一切信じていなかった。
それは長年戦場という現実の地獄を見てきてわかった事は、この世
で一番恐ろしいのは人間だと悟っているからだ。
﹁実はな、新潟県の港の漁師が佐渡島に鬼を運んだって話なんだよ﹂
思わず吹き出しそうになってしまった。何を言うのかと思えば2
1世紀のご時勢に鬼などと言う妖怪の話が出たと思ったら、それを
漁師が船で運んだなんてとても信じられない話だ。
それでも、真剣な顔で話す田辺に配慮して笑いを堪えるのに必死
になった。
﹁ほお∼っ、鬼ね。そいつはちゃんと鬼のパンツを履いてたのかい
? それとも巨大なこん棒は持ってたのか?﹂
﹁まあまあ、詳しく話すとだな。ついひと月ほど前新潟港に長野だ
か群馬の自衛隊駐屯地所属の部隊が来て朝早く佐渡島に渡ったんだ。
でもな、その日の夜に夜漁に出ようとした漁師の船に迷彩服を着た
自衛隊員が2人近づいて、﹃佐渡島に行きたいから船を出してもら
えるか?﹄と尋ねてきたそうだ﹂
624
﹁⋮それで﹂
自衛隊という単語が出た所で蒼崎の表情が変わった。
﹁まあ、当然このご時勢だ。漁師は漁に行く合間でかまわないなら
といって承諾したんだとよ。だがな⋮問題はここからなんだ、その
2人の自衛官以外に頭のてっぺんから爪先までポンチョ︵雨合羽︶
みたいのですっぽり覆った10人前後の集団も一緒に乗ってきたそ
うだ﹂
﹁ポンチョ? 雨が降ってないのにか?﹂
﹁ああ、どう見ても大人には見えなかったそうだ。でもおそらく中
学生ぐらいの子供だろうって言ったな。それで船が3隻に別れて佐
渡島の港へ出港したんだけど、その日はたまたま海が時化て激しく
船が揺らされちまってな、情けない事に自衛隊員の1人が海のど真
ん中で船酔いして吐いちまったそうだ。見かねた船員が近寄ったと
き、隊員の隣にいたそのポンチョの子供の顔がチッラと見えたそう
だ。そしたよ⋮﹂
﹁そしたら?﹂
﹁額から角が生えていたんだぁ!!﹂
田辺が大げさなリアクションで指を角に見立てた所で暫し沈黙が
生まれた。
﹁⋮⋮噂にしては随分と詳しいじゃないか。まだ調べてないってい
ってたよな﹂
﹁いやいやいや。調べてないとは言ってないよ。向こうの編集長か
ら聞いた話だ。うんうん﹂
どこなく田辺の目が泳ぐのを蒼崎は見逃さなかった。
﹁それを俺に調べろと、悪いがそんなオカルト話なんてどこにでも
ある与太話だろう。興味ないね。話が終わったんならこれで失礼す
るよ﹂
ジッと田辺に視線を向ける。
﹁じっ⋮実はな、もう前金貰っちまってな﹂
﹁そらみろ。そんな事だと思ったよ。どうせこのFAXを送った記
625
者に取材させてたんだろう。連絡が取れなくなったその記者を心配
して探しに行きたいけど、自分とここの社員にもし何か起ったらマ
ズイ、そこでもし何か起っても問題ないフリーの俺に探しに行って
もらえたらなと考えた。おおかたこんな感じだろう。行方不明にな
ったんなら警察に頼めよ﹂
腹の中を読まれてバツが悪そうな表情に変わっていく。
﹁まっまあ。真ちゃん。これから対馬に行くんならさ、俺に少しカ
リを作っといた方が後々いいと思うぞ。俺こう見えても市ヶ谷に太
いパイプがあるのを知ってるだろう。今回の取材だって向こうのお
偉いさんに根回ししてやったんだからさ、ここは少し俺に恩を売っ
とくのも得策だと思うんだよね﹂
﹁ちっ、相変わらず食えねぇタヌキだなぁ。しょうがねぇな。行く
よ。ただし、このカリはデカイぞ!!﹂
快くはないが、蒼崎は承諾した。
﹁あと、この話には続きがあってな。その送迎した船なんだが3隻
とも一週間ほど前に漁に出たっきり戻って来てないそうだ。真ちゃ
んくれぐれも気を付けてなよ﹂
すでに他人事の様な感じで話す田辺に、呆れ顔の蒼崎が溜め息を
漏らす。この顔だけはどうしても好きになれない。単純に生理的に
受け付けないのだ。
取材途中で追加経費を多めに取ってよろうと考えながら会社を後
にした。
すっかり陽が落ちた繁華街は夜の顔に変わっていた。ひと通りが
よりも路地裏からコチラ側を伺うホームレスの数が増えていた。
酒や居酒屋の空腹を刺激する香りと一緒に、危険な匂いも漂って
いた。
さすがに帰りは安全に帰るべきだと思い、蒼崎は繁華街を進んで
いくとポケットから着信音が鳴り出した。
相手は今年6歳になる娘からだ。
﹁もしもし。玲子か? パパだぞ﹂
626
﹃あっパパだ!! やっとつながった。どこにいるの? 今日帰っ
てくるの?﹄
﹁ゴメンな玲子。パパなまだ仕事なんだ。多分あと2,3日かかる
と思う。今度はちゃんと帰るからさ﹂
﹃え∼パパいつもそればっか。信用ないよ﹄
﹁今度は本当さ、今度のパパは約束を守るパパになったんだぞ﹂
﹃ふ∼ん、あっそうだ。パパ、玲子ね今日学校で−﹄
﹁悪い玲子、そこにママが居るだろうから先に変わってくれないか﹂
﹃もうっ!!﹄
残念そうな返事を出し、母親の綾子に変わった。
﹁やあママ、愛してるよ﹂
﹃ちょっと。今日帰ってくる約束でしょう﹄
やや不機嫌な口調は、その原因の相手にぶつけられた。
﹁すまん、まだ取材が終わってなくて、予想以上に時間が掛かるん
だ。玲子にはママから謝っておいてくれ。頼むよ﹂
﹃安心してください。今日帰ってくる約束の事は玲子には言ってま
せんから﹄
﹁さすがお前、愛してるよ﹂
﹃まったく。それよりも、あの子今日大事な話があったのよ﹄
﹁なんだ? まさか⋮⋮⋮彼氏に娘はやらんぞと伝えときなさい!
!﹂
﹃ちょっと何いってるよ。安心してそんなんじゃないわよ。玲子ね
将来なりたい夢が決まったって言ったのよ。何だと思う?﹄
﹁!?﹂
﹃あの子ね、将来﹃女医﹄になるんですって。しかも外科医になり
たいそうよ。どうしてだかわかる?﹄ ﹁さあ、何だろうな? 検討もつかないな﹂
﹃あの子ね﹃パパがケガしても私がちゃんと治してあげるだもん﹄
って言って、それが理由らしいのよ。あの子はもうパパがどんな仕
事をしてるのか薄々気づいてるようだから﹄
627
言葉が出なかった。自分でも知らないうちに娘に心配されていた
事に。そして急に娘が愛おしくなり、声が聞きたくなって変わるよ
う頼む。
﹃何パパ?﹄
﹁⋮玲子、お父さんな。この仕事が終わったら少し休みを貰うつも
りだ。だからしばらくお前の側にいて一緒に学校の送り迎えに行っ
てあげるからな﹂
﹃えっ!? ホントっ!! でも、学校休みがおおくなってきたし、
パパ本当に大丈夫なの?﹄
﹁ああ、大丈夫だ。少しでも玲子の側にいたいんだ﹂
﹃ほんと!! 絶対だよパパ。わーい!! わーい!!﹄
久しぶりにこんなにも娘の喜ぶ声を聞いた。こんな仕事をしてい
る自分があとどれだけ生きられるか分からないが、ほんの少し家族
と過ごしてもいいだろう。対馬行きは少し延期して、しばしの間娘
の顔や温もりを感じて過ごすのも悪くないだろう。
今は少しだけ優しさに身を置いておきたい。自分の胸の奥が少し
だけ温かくなるのを確かに感じていた。
2月3日、佐渡島外海府海岸付近。真夜中の県道45号線の路面
に血筋を描きながら進む影が1つ見える。おぼつかない足取りの中、
星も月明かりも無く夜間灯火規制の為なのか防犯等さて付いていな
い。
ただ見えるのは左側面の山間から見える夜空を赤かと照らしてい
る光景だけだった。
それが、住宅街の火事であるのは容易に想像できた。まるで空爆
でも受けたかのように町全体が広範囲に焼かれている。
﹁はぁ、はぁ。クソっ、クソっ!!﹂
脇腹を押さえる手の隙間から生暖かい血液が止まることなく溢れ
てくる。歩けば歩くほど傷口が開き体力を消耗させる。
少し休憩したい衝動にかられるが、背後から迫る獣のような気配
628
を感じ休む気にはなれなかった。
勢いよくアスファルトを蹴る足音が耳に届いた時、握りしめてい
たスマフォから着信音が鳴り出した。
﹃おい真ちゃん。真ちゃんか!? そっち一体どうしたんだよ。ど
うなってんだ一体?﹄
﹁⋮悪り⋮田辺⋮今⋮はぁ、はぁ、電話できる状況じゃ⋮ないんだ
よ﹂
﹃無事なのか? おい!! 海岸線一帯が空爆されたって本当か?
無事なのか?﹄
﹁悪い⋮、今回だけはマジでヤバイ⋮はぁ、はぁ、本気で⋮ヤバイ
んだ⋮﹂
下半身の感覚が無くなり膝から崩れ落ちた。真っ暗な中すでに平
衡感覚も失い。自分がどこを歩いているのか、本当に歩いていたの
かさえ分からずにいた。
一つだけ確かなことは、もう歩く事ができない。
振り返った蒼崎は、背後から迫り来る不気味な何かがいる闇の向
こうを凝視した。
間違いなくそこにいるのがわかる。だが、姿が見えない。
長年戦場で体験し、研ぎ澄ましてきた第六感がその先にいる得体
の知れない存在に警告を発していた。
だが、逃げようにも足を動かす事ができない。冬の海風に指先の
感覚さえ感じなく始めた。
﹁クソォ。⋮まだ⋮死にたくねえよ⋮﹂
﹃どうしたんだよぉ!!おい!! おい!! 真ちゃん。おい!!
おいってば!!﹄
グルルルルルル
荒い鼻息が蒼崎の顔をなでる。キツイ血の匂いが混ざり生暖かい。
﹁けっさっきの⋮俺の⋮腹の肉には⋮美味かったかよぉ!!﹂
グルルルルルル、グルルルルルル、グルルルルルル。
一匹だけじゃない。周りに何匹も気配を感じる。
629
暗い闇の中、肉食獣のような獣が群れで蒼崎を取り囲んでいるのが
わかる。それでも、こんなにも近くで鼻息を感じるのに姿が見えな
い。
﹃おい、真ちゃん。返事をしろよぉ!!﹄
﹁玲子⋮ごめんな。パパ⋮また⋮約束破っちゃたよ⋮﹂
今回ばかりはもう駄目だと諦め全身の力が抜ける。そして蒼崎は
ゆっくりと目を閉じた。
だが、次の瞬間。辺り一面が昼間のように明るくなった。
同時に、先ほどまで感じていた獣たちの気配も消え、道路に細長
く伸びる自身の影だけが見える。
一瞬何が起こったのか理解できずにいた。
助けが来たのかと思い蒼崎は後ろを振り返った。
そこには散々と照ら二つの閃光弾の下、道路の中央に小さな黒い
シルエットが1つだけ見える。
目を細め、そのシルエットを注視すると蒼崎の顔から血の気が引
いていくのがわかった。
﹁⋮やばい⋮﹂
﹃何がやべぇんだよ。真ちゃん!!﹄
﹁俺も⋮もう、お終いだ⋮あの鬼だ⋮⋮⋮鬼に見つかった⋮﹂
630
スティグマ∼たんぽぽの子供たち∼ 番外編その⑥鬼ヶ島︵後書
き︶
皆さん、お久しぶりです。朏 天仁です。
2ヶ月以上更新が遅れていしまい本当にすみませんでした。
今回は番外編です。
この番外編は気になる所で終わってますが、ご安心ん下さい次回の
番外編まで続きますので︵´∀`︶
次回の更新もなるべく早く更新したいと思います。
ここまで読んでいただいた読者の皆さんに感謝を送らせて下さい。
ありがとうございますm︵︳︶m
では、また次回よろしくお願いします!!︵^o^︶/
631
想定外の男
先に動いたのは亮だった。
踏み込んだ一歩で一気に間合いを詰める。そしてほくそ笑む法眼
の顔面に掌底を打ち込んだ。
ボキッ!! と、鈍い音が鳴る。
聞きなれた者ならば、骨が折れる音だとすぐにわかる。相手の頬
骨でも砕けかと思いきや、亮の掌底が寸前の所で止まっている。
﹁ぐぅっ﹂
﹁あっれ? どうしたの? それがお前の本気なのかな? もっと
力を入れないと全然届かないし、半端な攻撃は自分に返ってきちゃ
うからね﹂
打ち込んだ掌底の手首から先が法眼の鼻先で2回転して骨が突き
出ている。
﹁コノッ⋮テメェ⋮﹂
﹁一つ忠告してやるよ。本気出さないと死んじゃうよ。ほら﹂
苦悶に顔をゆがめる亮の顔を楽しげに覗き見ながら、ねじれた手
を掴みさらに捻りこんだ。
﹁う゛う゛ぎぃぃ!!﹂
唸り声と悲鳴が混ざった声が上がる。すぐにその場を離れようと
するが、脚が何かに抑え込まれているように微動だにしない。
﹁はははははははっ!! 羽を落とされて飛べなくなったガチョウ
みたいな声だな。これがお前の断末魔のかい? もってといい声で
鳴いてくれないかな聞いてて気持ちいいよ。でも、まだまだだろう。
コレ
もっといい悲鳴<こえ>がでるはずだからもっと僕に聞かせておく
れよ﹂
﹁コノっ⋮ガキィ⋮だったら銃声を聞かせてやるよ!!﹂
腰に挟んだコルトを抜き、法眼の腹に向けて発射した。
632
だが、発射と同時に銃が暴発し亮の右手5本の指全てが吹っ飛ん
だ。
﹁なっ⋮!?﹂
﹁チッチッチッチッチッ。ダメだよ道具なんか使っちゃったら。ケ
ンカは昔から殴り合いって決まってるだろう。あっ!! そっか、
もうお前には殴る手がないよね。しょうがないから足で許してやる
よ!!﹂
腹部に法眼の前蹴りを受け、亮の身体が後ろの中央分離帯まで飛
ばされた。
﹁ゲホっ﹂
﹁はっぁ? たあいないな。式神を使うまでもなかった。おっさん
から十分気をつけろっなんて言われたけど全然余裕だし。むしろ拍
子抜けだよコレ⋮⋮⋮さてと﹂
法眼がベンツに近づき中を覗きこむと、後部座先にシスターが1
人いるのを発見した。気を失っているのか顔を俯いたまま動こうと
しない。
﹁おやおや。何で﹃赤い十字架<レッド・クロス>﹄がここに居る
んだ。何だかややこしくなってる気がするな﹂
顔を確認しようとフードに手を掛けた瞬間。背後で強い殺気を感
じ振り返った。
そこには立ってるいのがやっとな状態の亮がいた。
﹁その人に⋮触るなぁ!!﹂
﹁呆れた。そのまま大人しく寝ていればよかったのに。しょうがな
い。今度こそ終わりにしてやるよ﹂
法眼が指を鳴らすより先に亮の膝蹴りが飛んできた。寸前で交わし
たが、右頬を軽く切る。
間合いを確保するため距離を取ったが、いつの間にか法眼の顔から
余裕の笑みが消えていた。
﹁お前。僕の顔に傷をつけるなんて⋮タダじゃおかない。体中の皮
を剥いで四肢を五分刻みにしてるよ﹂
633
﹁能書きたれてねぇでさっさとかかって来いよ。俺はまだ十分戦え
るぜぇ!!﹂
﹁それは上々だな。相手してやるよ。ただし僕に触れることなくな﹂
法眼の眼が本気の色に変わった。指で九字を書き結界を構築する
ごぼうぐうげ
と白色の網目から梵字が出現した。
﹁神仏融合術式﹃五芒藕花﹄柏十三結界の中でも特に特殊な結界の
一つなんだ。念には念を入れてやらないとね。後は豚のような悲鳴
を聞くだけだよ﹂
﹁小賢しいマネしやがって。能書きたれてねぇでかかってこいよ!
! 俺から両手を奪って勝った気になってんじゃねぇぞ!! 俺の
心臓はまだ動いてるぞ。この心臓が動く限り勝った気でいると痛い
目みるぜ﹂
いつの間にか法眼によって潰された左手は元に戻り、右手からは
黒く変色した血塊が次第に剣先へと変わっていく。
﹁行くぞ!!﹂
ちから
再び亮が突進すると、梵字の結界に黒い剣先を突き刺した。青白
い火花が幾つも飛び散る。
﹁ほらね、無駄だよ。どんな能力を使ってもこの結界を破る事は出
パイロキネ
来ないよ。僕はこの絶対安全圏で悠々とお前を料理できるんだから
な。ホラ、こんな風に﹂
シス
法眼がまた指を鳴らすと、亮の右膝が弾け飛んだ。法眼の破壊念
術の前に亮の体は紙くずのように引き裂かれる。
﹁だから、それがどうした? たかが足一本とったぐらいで倒した
つもりか? 舐めるなよガキが!! 戦場じゃこんなの⋮まだまだ
こんなもんなじゃねぇぞ﹂
右足の切断面から黒い半透明な液体が流れ固まり新しい脚が生ま
れた。この時始めて、法眼は破壊念術が効かないことに気づいた。
おもちゃ
﹁なるほど、これだけじゃ殺しきれないか﹂
﹁今更か!!そうだって言ってんだろが。破壊念術を使った所で相
手に効かなくちゃ意味がねんだよ。さあ、遊びは終わりだ﹂
634
蒼白い火花を散らしながら剣先がゆっくりと沈み込む。否、結界
が破れていくのではなく結果内へと侵食を始めたのだ。
梵字の結界にいくつもの黒筋が広がり覆いつくす。
﹁んっ!? まさか⋮お前﹂
﹁やっと気付いたか。俺は最初から破る気なんてねんだよ。この結
界を使えなくすればそれで良かったんだ。この結界俺がもらうぜ﹂
モノ
始めて亮が笑った。前に道士が使った荒狐の式神﹃大鎌狐﹄を喰
った時と同じように、この結界を自分の所有物にするつもりだ。
敵が使う術式を奪い解析し再利用して使う。敵にしてみれば自分
の術や技を奪われるだけでなく、それが自分に返ってくるのだから
たまったもんじゃない。
だが、ここで上手く形成逆転を狙っていたつもりだったが、亮は
まだ敷かれている五芒星の存在に気づいたいなかった。
亮の足元に五芒星の印が浮かび上がると、直上に無数の光槍が放
たれ亮の身体を貫いた。そして亮の動きが止まり、侵食も停止した。
﹁灯台下暗しだな。まるで猪だね、それとも何か気になって僕を過
小評価してるのかな。それなら頭にくるね。それに僕が出しだ結界
は一つじゃないんだぜ。目の前の事に集中しすぎるから肝心な足元
をすくわれるんだよ。そこでおとなしくしてろよなよ、今から︱﹂
﹁お逃げください法眼様!!﹂
突然、道士の急迫した声が響いた。考えるよりも先に身体が動き
上体を横にズラすと、首筋に冷風を受け浅く皮膚が裂けた。
﹁なっ⋮!?﹂
幸い傷は浅かったとは言え、あと刹那遅ければ間違いなく首が飛
んでいた。
首筋を伝う自身の血を感じ、法眼は始めて全身から不快な汗が滲
み出てくるのを感じた。
﹁チッ!! 邪魔が入りやがった﹂
全身を串刺しにされたままでも、亮はそれをまったく気にする様
子を見せない。むしろ二人の殺し合いに余計な助太刀に入ってきた
635
白バイ警官を睨み付けている。
カーチェイスの時、薫の顔を何発もヘッドショットしていた白バ
イ警官をよく見ると、一之瀬のアパートで出会ったあの男だった。
﹁お前、確か⋮あの時の﹂
﹁よくもやってくれましたね。私の式神で⋮よくも法眼様を傷つけ
ましたね。許さずっ!! 確実に滅する!!﹂
語尾を強めるが表情に変化は見られない。ヘルメットを外しバイ
クから降りると全身から異様な殺気を放ち、青い制服が黒い修行僧
のような服へと変わった。
﹁貴殿を後悔の海に沈めさせる!!﹂
目的は告げ後は実行あるのみ。しかし道士は亮に近づこうとはし
なかった。その理由は目の前にかつての主人を威嚇する大釜狐いる
からだ。
下手に動けば微塵切りにされる。
式神の中でもこの荒狐は別格だ。捕獲術式の類は一切通じない。
術士の手を離れたら、自分の意思を持ち考え行動する特殊な式神
でもある。
不気味に光る尻尾の大鎌の間合いに入ったら最後、瞬時に身体を
八つ裂きにされる。
主人の邪魔をするなと言わんばかりに、尻尾の鎌が高温熱を帯び
たように紅潮している。
﹁戯け、この主の顔を忘れたか。それとも誰が主なのか思い出ささ
て欲しいのか。括りが切れ浅い自我に目覚めおって。まあいいさ、
また括りて鎮めてやる。今度は時間をかけてゆっくり調教してやら
ないとな﹂
道士が袖から出した御札で空を描くと、白狼が現れた。
﹁道士そっちは任せたよ。僕はもう少し遊んであげないと﹂
﹁法鬼様十分お気をつけ下さい。まだその者の力は未知数ですので﹂
﹁誰に言ってんだよ。たとえそうだとしても問題ない。どっちみち
僕が勝つさ﹂
636
何を根拠に勝利を確信しているのか分からないが、法鬼の自信は
決してただの虚勢ではない事は確かだ。亮もそうだが、それ以上こ
の男の能力も未知数であるのだから。
﹁能書きたれてないで来いよ。時間が無いんだろう、だったらかか
って来い。今度はお前の番だぞ﹂
﹁言われないてもそうするさ﹂
みぞおち
乱れた前髪をかき上げる。今度は法鬼が先に動いた。
﹁遊びは終わりだ。行くぞ﹂
指を鳴らし法鬼の身体が一瞬で消えた。
﹁ぐぶぅ﹂
鈍い衝撃を亮の顔面に受ける。続けて喉、鳩尾、脇へと続く。
衝撃を受けるたびに身体に突き刺さっている光槍が傷口を広げ、
余計な痛覚が身体を巡っていく。
﹁僕はね、いつも能力を使って相手を痛めつけてるけど本当はあま
り好きじゃないんだよ。僕が本当に好きな事はね、素手による人体
破壊が一番好きなんだ。お前の身体はとても頑丈そうだから、簡単
に死ぬ心配はなさそうみたいだから安心したよ。好きなだけ弄れる
からね﹂
さらに強い衝撃を腹部に受ける。
﹁ごぼぅ﹂
こみ上げてきた胃酸と一緒に吐いた血が足元に広がった。さらに
2発、3発と連続して衝撃が襲う。
折れたアバラが外に飛び出し、腹部に幾つものコブのような血塊
ができ始めた。
衝撃が収まると、法鬼の姿がゆっくりと現れる。そして強引に亮
の髪をつかみ上げた。
﹁ありゃー? ちょっと壊しすぎちゃったかな? ごめんごめん。
でも大丈夫、すぐ治せるだろ。でもさ、もしお前の能力が無くなっ
たりしたら、このケガどうなるのかな?﹂
﹁ど⋮どういう⋮意味だ⋮﹂
637
﹁そのままの意味だよ﹂
亮の額に人差し指を当てた。
﹁汝は影、我は光。現し世へと続く鬼門の道よ、法鬼の名の下に道
を絶たれよ﹂
唱え言葉を終えると、亮が今まで出した事が無いほどの悲鳴を上
げた。
﹁どうだい痛みが戻った感想は。気が狂わんばかりのその悲鳴、さ
ぞ痛いだろう。人としての治癒能力はたかが知れてしもう動く事も
できないだろ。お前はもう詰んだ。言っただろ僕が勝つってさ﹂
法鬼の言葉など聞く余裕すらない。
亮は全身を激痛に襲われていた。呼吸するたびに胸を鋭い針で刺
されている感じになり、呼吸させうまくする事が困難な状況におか
れていた。
﹁月宮亮。謎多き男だが僕にはどうでもいい事だ。村岡のおっさん
に引き渡した後は僕自身が直々に尋問するから。姉さんの事を知っ
てる限り吐いてもうらうから、頭さえ無事なら他をミンチすれば死
者でも口を開くから﹂
突然、法鬼は自分の顔に生温かい何かがぶつかった。
手で顔を拭ってみると、それは血痰だった。
動けない亮のささやかな反抗だった。
﹁ふ∼ん。随分と諦めがわるいんだね﹂
﹁⋮フッ﹂
ハンカチで顔を拭く法鬼に、亮は挑発するかのようにニヤケ顔を
向ける。
﹁僕ね、往生際のわるい奴は嫌いじゃないんだよ。その方が痛め甲
斐があるからね。それに安心したよ。もうちょっと痛めつけて死に
ゃしねぇよな﹂
法鬼は笑いながら右手の甲に術式を描く。右手が白く輝くと今度
はそれを勢いよく亮の胸に突き込んだ。
﹁ゴォッ、ブゥ﹂
638
亮の口から噴水のように鮮血が噴出した。
法鬼の右手が亮の胸中をまさぐる様に描き回していく。あまりの
激痛に何度も意識を失いかける。
そして骨の砕ける音と一緒に外へ引き出された右手には、黒い血
に覆われ鼓動を続ける心臓が収まっていた。
﹁あはぁはぁはぁははははは!! ほらほらほら。早く本気出さな
いと本当に死んじゃうよ﹂
639
想定外の男︵後書き︶
みなさん、朏 天仁です。書けなくなって3が月あまり。読者の皆
さんをここまでお待たせしてしまって本当に申し訳ございます。
文章力も落ちてしましましたが、一生懸命考えての掲載です。
少しずつではございますが、また書き始めております。
更新ペースは遅れ気味ではありますが、今後ともどうがよろしくお
願い致しますm︵︳︳︶m
640
極楽鳥
﹁亮兄ぃ!! 早くー!!﹂
甲高いマナの声で亮は振り返った。そこには土手の上から青々と
生い茂って揺れる草花と一緒に、勢いよく腕を振るうマナの姿があ
った。
マナの細い身体とその背後に広がる群青の空のコントラストが、
薄紫の生地に淡い桜模様を施した着物を一層引き立たせて見せる。
﹁たくっ、おいマナっ!! そんな風に腕振ったら﹃はしたない﹄
ってまた先生に怒られるぞ!!﹂
﹁大丈夫だよ亮兄ぃ。ここにはマナと亮兄ぃしかいないんだし、早
く。早く!!﹂
土手に着くとマナが亮の腕に手を回し、愛くるしい顔で頬をすり
寄せてきた。
﹁どうしたんだ? 今日はやけに機嫌がいいな﹂
﹁うん。だってあれ見てよ亮兄ぃ﹂
﹁アレ?﹂
マナが向けた指先に、亮は一瞬我が目を疑った。そこには遥か昔
に無くなった故郷の千本桜が並んでいた。まだ幼かった頃、母に手
を引かれて歩いた桜並木、優しい鼻歌の混ざる風と舞散る桜の花び
らを見つめる母の面影が一瞬頭をよぎった。
﹁⋮なんで? ここに⋮﹂
﹁ほら亮兄ぃ、行こうよ。早く﹂
﹁あっ、ああ⋮﹂
マナに促されるがままに、土手を下り桜並木の道を歩き始める。
こみ上げる土の匂い、頬を撫でる温かい風、そして見覚えのある桜
木たち、間違いなくここは故郷の千本桜だ。
懐かしさに浸りながらも、二人はその中を手をつなぎ進んでいく。
641
舞い散る桜吹雪が先の終わりを分からなくさせているように、こ
の時間がこのままずっと続いてくれたらと思ってしまう。
﹁亮兄ぃ、マナこんな綺麗な桜初めてみたよ。こんな綺麗なトコし
ってたらならマナ、もっと早く教えて欲しかったな。彩姉ーぇたち
には絶対秘密にして、毎年亮兄ぃと二人だけで来ようね﹂
﹁⋮そうだな﹂
そう言えば今年の花見は近くの公園で亮が場所取りを任せられて
いたけど、公園の管理組合から亜民の場所取りはお断りと言われた
んだ。結局宴会している人たちを横目に、皆で公園内を散歩して終
わっただけだった。
彩音は不機嫌そうな顔で悪態をついていたけど、それでもマナや
楓は楽しそうに落ちる桜を手に取ってはしゃぎ、その姿を見る亮も
十分満足できていた。
ただ、いつかもっと綺麗な桜を見せてあげたいとも思ってもいた。
﹁いつか、マナに見せたいと思っていたんだ。ここの桜は桜海と言
って、舞い上がる桜の花びらが大海原の波模様に見える事からそう
いう名が付いたんだよ﹂
﹁うん。マナ知ってるよ﹂
﹁えっ!? ちょっと待てマナ。どうして知ってるんだ?﹂
﹁う∼んっとね⋮どうしてって言われても、あの人が教えてくれた
から﹂
マナが一本の桜の方に指先を向けると、そこに木陰から人影が見
えた。
誰だろう? と亮が思ったの同じくらいにマナが続けた。
﹁あの人ね、マナにいろいろな事教えてくれたの。桜の事や花の名
前、虫や動物に天気の事なんかも、マナの知らない事をいっぱい、
いっぱい教えてくれたんだよ。でね、あとね。何でかしらないけど、
亮兄ぃに会いたいっていってんだよ﹂
﹁俺に? どんな人?﹂
﹁うんとね。マナ初めて見る人だけど、ちょっと綺麗な人だけど少
642
し悲しい目をしてた。先生みないな感じかな。あと亮兄ぃと同じ匂
いがするの、何でかな?﹂
亮が近づくにつれ、聞きなれた鼻歌が耳に届いてきた。一歩ずつ
近づくにつれ亮の心が騒ぎ出す。
まさかそんな筈はない。っと思っても、自然と進む足に力が入る。
﹁それにマナね⋮亮兄ぃと一緒にこんな綺麗な桜が見られてマナと
ってもうれしいんだよ﹂
﹁そうか﹂
﹁でもね。マナ⋮ここから先には行けないの⋮﹂
急にマナの声が下がった。
﹁えっ!?﹂
﹁約束したの、あの人が亮兄ぃをココまで連れてきてくれたら⋮亮
兄ぃを助けてあげるからって。だからマナ⋮約束⋮ココから先には
行けないの⋮﹂
﹁おいマナ⋮それどういう意味だ⋮助けるって一体?﹂
困惑する亮の背中をマナが押し出した。
﹁おっとっと﹂
よろめきながら亮は彼女の前で足を止め恐る恐る顔を上げる。だ
がそこにいたのは在りし日の母の顔では無かった。
﹁⋮あんただったのかよ⋮酷いよな。そんな鼻歌唄って⋮本当に母
さんかと思ったじゃないかよ﹂
その彼女はゆっくりと笑みを浮かべると囁くように口を開いた。
﹁君の記憶に残っていたモノだ。それに私もこんな形でまた逢うな
んて予想外だわ。こうして話をするのは2年ぶりかしら。もっとも
私には時間と言う概念は無くなってしまったけどね﹂
﹁あれ? この前、夢で会っただろう。覚えてないのかよ?﹂
﹁それは私じゃないわよ、君の良心が作り上げた私の幻影よ。煉獄
の狭間に漂う私が君の潜在意識に一度も入った事なんてないわ。で
も君の中で私の欠片が贖罪の形としていい方に導いてくれてるよう
だから結果としては上々ね﹂
643
﹁どうしてマナに頼んだ?﹂
亮の鋭い視線が彼女を捉える。
﹁君が素直に私にあってもらいたかったから。鬼門を開き酒呑童子
に落ちる寸前の所を救うことができたあの子なら、君は大人しく心
を開いてくれると思ったからね﹂
﹁⋮望⋮お前⋮マナに、俺の正体を話したのか?﹂
その問いに望はゆっくり首を横に振ってみせた。
﹁いいえ。ただ。あの子を救うために与えた君の血が、あの子の魂
と融合したのは事実よ。おそらくあの子は何らかの形で感じ取って
るはずよ。本人がそれを理解してるかはわからないわ。でもそれを
わかった上で君の側にいたいと思ってるのかもしれないわね﹂
﹁そうか⋮﹂
﹁健気ね。世間ではこれを﹃リア充﹄って呼ぶようね、お互い相思
相愛なら付き合えばいいのにあの子の気持ちにちゃんと答えるべき
よ﹂
﹁うるせぇ!! 大きなお世話だ!! お前いつから俺の恋愛相談
員になったんだよ!! っていうか早く本題に入れ﹂
赤面する亮の動揺ぶりに、思わず口元を手で覆いほくそ笑む。
﹁ふふっ、弟に苦戦してるようね。もっとも宿鬼の状態で上宮院の
陰陽師に勝てるはずもないし、私が手をかすわ﹂
﹁断る。本気で殺そうと思えば、今すぐにでもアイツを殺せる﹂
﹁ダメよ。それじゃ2年前の繰り返しよ。それに君が人を殺す事を
あの子が望んでいるとでも思ってるの﹂
﹁じゃあどうすんだよ﹂
﹁だから私がいるのよ。それにこれは私達家族の問題よ。私の影を
追い求めるあまりにバカ狸達にいいように利用されてる愚弟を、こ
れ以上見てるわけにはいかないわ。姉として一度引っ叩いてやらな
いと。姉としての勤めを果たすだけよ﹂
力の入った瞳に気圧され、亮は唾を飲み込んだ。
﹁そっちこそ殺す気じゃないだろうな?﹂
644
﹁それ冗談のつもり?﹂
そらに視線が鋭くなる。
﹁⋮そうか、それじゃ姉弟喧嘩はそっちに任せるよ。一つ貸しだ﹂
﹁喧嘩じゃないけど⋮でも任せなさい。ちゃんと躾けてあげるわ。
それと、貸しじゃないわよ。君あっての私でもあるのだから﹂
心臓を抜き取られたまま膝を付く亮は、壁に背中を預け天を仰い
ていた。その瞳には生気はなく血の気の引いた顔に唇が微かに動い
ていた。
鼓動が停まった心臓を上下に投げながら遊ぶ法鬼は、一人甲高い
声を上げていた。
﹁あっはっはっはっはっはっはっ︱えっ? 何っ? 金魚みたいに
口をパクパクさせて何が言いたいのかい。こんなハズじゃなかった
って言いたいのかな。それとも僕が最強だって言いたいの? あっ、
そうかそうか分もわきまえずに刃向かってゴメンナサイって。そん
な事わかってるよ。一ついい事を教えてあげるよ。お前の敗因は弱
いくせに僕に反抗したことだよ。大人しく従順な犬のように尻尾振
って従ってればよかったのに、僕に噛み付こうとしたのが運のつき
だったのさ。でも安心しなよ。お前には聞きたいことがあるから、
それまで殺さないであげる。ただし価値がなくなったらゆっくり八
つ裂きにしてあげるからね。それまで楽しみにまってなよ﹂
自分の力に酔いしれる法鬼。
強敵を倒した者だけが味わう事ができる勝利の味が、彼の自尊心
を興奮させ身ぶるするほどの快感を与えてた。
しかし、笑い続ける彼の足下から小さな生き物達が湧き出ている
のも知らずに。
﹁法鬼様!!﹂
道士の声と同時に無数の黒い蟻達が法鬼の膝下に群がり覆いつく
していく。
今までとは違う何かを法鬼も感じ取っていた。
645
﹁へっ、まだ僕と遊びたいようだね﹂
﹁あの男⋮なぜ﹃縛蟻﹄を? 陰陽師でもないのになぜ式神を出せ
る⋮しかもあれは喰蟻の式神、あんな式神⋮蟲の式神⋮まさか⋮?﹂
﹁あっはっはっはっ、そうだよ。そうこなくっちゃね。楽勝過ぎて
つまんなかった所だよ。式神が使えるなんて驚きだけど、そっちが
式神を使いたいなら僕は手加減しないから。本気で相手してあげる
からね﹂
指の間に黄色い符数枚を挟み唱える。
﹁我、すめらぎのみぎの鎮座にて、八紘照らす光とならん、鎮魂唱
える、そのモノたちを示せ﹂
符が指を離れ空を舞うと、球体となり眩く発光しはじめ、その光
に照らされた蟻の軍勢は黒い霧となって消えていく。
﹁さあ、次は何かな。出し惜しみはナシだぜ﹂
蟻達が全て消滅すると、亮のポッカリ開いた胸からコバルトブル
ーのような液体が流れ出してきた。それはゆっくりと流れ落ちなが
ら、白い蒸気が上っている。まるで水を掛けられた溶岩流のようだ。
やがて意思を持った生き物のように一箇所に集まると、そこに羽
かりょうびんが
を広げ上半身が女性の巨鳥が現れた
﹁かっ⋮迦陵頻伽⋮まさか⋮どうして⋮あの男の中から⋮﹂
﹁あははっ面白い、まさか極楽鳥を殺れる時がくるなんて思っても
みなかったよ。今日は僕にとってサイコーな日だね﹂
眼を見開き驚く道士とは対照的に法鬼は余裕の表情を崩していな
かった。
再び護符を出し印を切ろうする法鬼に向かって、迦陵頻伽が羽を
ひと扇ぎすると無数の真紅の光矢が両手両足に突き刺さった。
﹁ぐう゛ぅぅっ﹂
唸りの混ざった叫び声を上げ、初めて苦痛に顔を歪ませた。無数
に刺さった光矢を抜く間もなく法鬼は反撃に移ろうとする。
﹁イってぇーな。お返しだぁ!!﹂
地面に護符を落とすとそこから甲冑姿の青鬼が姿を現した。大鬼
646
とはまではいかないが、法鬼の頭一つ分ほどの背丈に太刀をこしら
ぎげん
えた姿からは異様な殺気を醸し出していた。
﹁義玄、その人面鳥を焼き鳥にしろ。羽一枚残すんじゃねぇーぞ﹂
義玄は黙ったまま頷くと太刀を抜き、黒色の刃に血管のような紅
い筋が広がる刀剣を構えた。
瞬きよりも早く太刀を振り上げ踏み込んだ。
そして迦陵頻伽を完全に太刀の間合いに捕らえると、袈裟懸けに
振り下ろした。
−殺った−
そう確信した法鬼だったが、次の瞬間我が目を疑う光景を目撃す
る。
刃が切り裂く風切り音が響くと同時に義玄の身体が黒い霧のよう
に消滅した。
﹁なっ!?﹂
何が起こったのか理解出来なかった。自分の半身ともいえる式神
が消滅したのだ。これをどう理解し納得できようか。
まったくの予想外の展開になった。今まで式神を倒した強者はい
たが、義玄を倒した者は今だかつて存在しなった。それはこの義玄
ぎかく
ぎげん
が強いだけではなく、800年以上継承される法鬼の式神だからだ。
義覚・義玄この2対の式神を失ったとき、法鬼の名も消える。
法鬼はこの時初めて背筋に悪寒を感じた。
この隙を迦陵頻伽は見逃すはずがなかった。動かぬ法鬼の身体を
足爪で掴むと、そのまま壁に叩きつけた。
脳震盪で気を失いかけた法鬼の身体に今度は爪を食い込ませた。
大人の親指ほどの爪先がゆっくりと皮膚を破り骨が軋みだした所で
悲鳴を上げた。
﹁うぐぎゃや゛や゛や゛や゛ゃ゛ゃ゛ゃ゛!!!!!!﹂
全身に走る激痛。
止まぬ悲鳴。
戦うべき相手ではなかったと悟った所で、既に遅かった。
647
勝てぬ相手に挑み、その実力の差を骨身に染みた所で待っている
のは敗北以外のなにものでもない。
それは即ち死を意味する。
﹁おっ⋮お前は⋮なん⋮なんだ⋮?﹂
振り絞りながらの問いに迦陵頻伽は表情一つ変えず、ただ眺めて
いた。楽しむわけでも意味ありげに思っているわけでもなく、ただ
眺めているだけだ。
まるで捕まえたアリを指で摘んだまま、ゆっくりと圧殺していく
様子を何の感情もなく眺めている子供のように。
﹁法鬼様!!﹂
道士が手首に巻いていた数珠をちぎると、無数の弾丸のように向
かっていく。
これで倒せない事はわかっている。それでも一瞬でも気をそらし
てくれたその隙に法鬼を救い出す事はできる。
上手く撤退できれば後はどうとでもやり直せる。道士にとって法
鬼の命を救うことがなによりも最優先すべきこと。
そんな期待はすぐに消えた。数珠の弾丸は迦陵頻伽の手前で消失
した。
迦陵頻伽がゆっくりと道士の方へ顔を向けると、その深淵のよう
に黒く深い瞳に見つめられた。
その瞳は﹃邪魔をするな!!﹄と訴えているかのように、道士は
身動き一つ出来なくなった。
﹁おっ、俺を⋮ここまでおっ⋮おいつめて⋮勝った気でいやがるの
か⋮まってろよ⋮⋮すぐに⋮焼き鳥にしやるぜ⋮﹂
道士の方に気をとられている内に法鬼は指を鳴らし破壊念術を発
動させた。
鈍い音と一緒に身体に食い込んでいた爪先が折れ、片腕が自由に
なった。
ここぞとばかりに法鬼は迦陵頻伽の首めがけて破壊念術を発動さ
せた。
648
ゴキッと音が鳴り迦陵頻伽の顔が180度回転した。 殺ったと思った法鬼だったが、すぐに迦陵頻伽の顔を元にもどる
と破壊念術は無駄だったと気づいた。
﹁くそっ、なら⋮祓い給い、清めた︱ゴホッ⋮﹂
唱え言葉の途中で、再生した爪先が法鬼のノド仏に突き刺さった。
突き刺さったノド仏からゴボゴボと血の泡が沸き、下顎を痙攣さ
せながら必死にパニックになるのを抑えている。
みるみる顔から血の気が引き、唇が紫に変色していく。気管を突
き破った爪先が気道を塞いでるのだ。
ノドを潰れて声を失くしては術は発動されない、ましてや呼吸す
ることも出来なければ最早戦闘不能である。
気道を塞がれても心臓は激しさを増し脳は酸素を大量に消費し始
める。供給されるべき酸素が切れ、酸欠状態に陥った法鬼は次第に
意識を失っていく。
ココに来て初めて迦陵頻伽が顔を近づけてきた。
﹁浅い傷を負わせただけでは仕返しされる恐れがあるわ。だから戦
ともさだ
うときは残酷で非情な行為を繰り返し、復讐される心配がなくなる
まで徹底的に攻めるべき。とっ教えたはずよ朋定﹂
薄れゆく意識の中で鼓膜を揺らすその声だけは、ハッキリとわか
った。
それは約2年ぶりに聞いた法鬼の姉、冴鬼望の声だった。
649
極楽鳥︵後書き︶
みなさん、お久しぶりです朏 天仁です。更新が遅れに遅れ本当に
申し訳ございません。大変長らくお待たせしまいました事反省して
おります。
そして、ここまで読んでいただき読者の皆さまには本当に感謝感激
で一杯です。
今後も投稿を続けていきまたいと思ってますので、ぞうぞ変わらず
のご支援賜りますことよろしくお願い致します。
650
もう一つの現実
﹁あっ、アレは一体? 何が起こってるんだ?﹂
﹁ほら、無駄口叩かない。黙ってアソコに向かいなさい!!﹂
走行中の車内からフロントガラスの先に見える鬼火のような箇所
に人差し指を向ける霧島。
iイルミネーター
病院から捜査員を強引に連れ出しパトカーを拝借してから1時間
以上が経過していた。ここ数分のうちに霧島の持つ統合情報端末の
タブレット画面には、警察情報を始め消防・救急・公共交通機関か
らの緊急連絡情報がリアルタイムに入ってきている。
霧島はその情報を一つ一つを精査し、分析・統合をしながら必要
な情報のみ抽出していた。莫大な情報処理に常人なら鼻血を出して
卒倒してしまう程だが、彼女にとっては何ら苦にならない作業だっ
た。
ここ数日の月宮亮が住む周辺地域の監視カメラと、星村マナが入
院している病院サーバーへの不自然なログ改ざん。たんぽぽ襲撃後
の繁華街での銃撃戦通報、高速道路での交通機動隊の無線通信、そ
して必ずその前後に出現する非特定回線からの各省庁管理サーバー
への大規模アクセス。
これら全ての情報が月宮亮に繋がっていると判明するのに、そう
時間は掛からなかった。
﹁ちょっと、ここは高速なんだからスピードを100キロより落と
すんじゃないわよ。いい絶対落とすんじゃないわよ﹂
﹁無理言わないでくれよ。これでも僕は高速はまだ2回しか乗って
ないんだよ。それにナビに映ってるとおり、この先は渋滞なんだか
ら落とすに決まってるだろう﹂
﹁これ警察車両でしょう。なら赤色灯なりサイレンなり使いなさい
よ﹂
651
﹁理由も無しに緊急走行できるわけないだろう、それにここはもう
高速機動隊の管轄なんだ。高機方面部に連絡しないで緊急走行して
みろ、僕の今後のキャリア人生に傷がつくだろうが﹂
﹁モヤシのキャリアなんて私には関係ないわ、モヤシ官僚が減るな
らむしろ日本の為になるわ﹂
﹁おい、ふざけるなぁ!! 人の人生なんだと思ってるんだ。それ
に僕の名は飯野だ﹂
﹁いいから早く赤色灯出しなさい!!﹂
﹁嫌だ。絶対嫌だぁ!!﹂
これだけは譲れないといった感じの声で飯野はハンドルに力を込
める。
﹁⋮しょうがないわね﹂
これ以上は時間の無駄だと判断し、無線機を手に取った。
﹁モヤシ。あんたの上司の名前は?﹂
﹁えっ、稲葉本部長です﹂
流れで思わず言ってしまった。
﹁こちら公安別室第17課諜報監査室の霧島補佐官よ。IDナンバ
ー:29885147JCF。至急この回線を稲葉本部長に繋げて﹂
﹁えっ!? 公安? 公安だったのかアンタ!?﹂
飯野が驚き振り向いた。
﹃すまないが本部長は帰宅されました。現在は荒島主任が課にいま
すがそちらでも構いませんか?﹄
男性オペレータの遠慮する口調が返ってくる。
﹁ちょっと。これがタダの通報だと思ってんの。緊急回線使ってる
こっちの事情を考えてごらんなさい﹂
﹃ですが、こんな夜中に繋げることは、ちょっと・・・﹄
﹁いいことよく聞きなさいよ。本件は公安との合同極秘捜査中なの
よ、それは稲葉本部長も了承してるわ。緊急事態には即連絡をする
ように言われてるのよ。だからここで貴方と押し問答をしてる暇は
ないの。すぐに本部長に繋げて、もし別の誰かに繋げてごらんなさ
652
い。私の上司から直接捜査妨害の抗議がくるわよ。わかったなら早
く繋げなさい。今すぐっ!!﹂
嘘とはいえ霧島の気迫と操作妨害の脅迫に押されたようで、オペ
レーターは了解しましたっと一言だけ言って回線が切り替わる。何
度かのコール音が鳴った後、もの凄く不機嫌そうな声が混ざった稲
葉本部長の声が無線機から響いてきた。
﹁だれだぁ、こんな時間に緊急回線を使ってる奴は?﹂
﹁稲葉本部長ですね。夜分に申し訳ないけど。貴方の部下の飯野っ
ていう将来キャリア官僚予定の指揮権を一時的に全て私に譲渡して
もらうわ。書面による正式命令書は後日発送させてもらうから、口
頭で勘弁して下さい。それでは許可をお願いするわ﹂
﹃君は誰だ? 所属と姓名を名乗れ﹄
﹁おっと、これは失礼しました。公安別室第17課所属、霧島補佐
官です﹂
﹃公安? ⋮17課⋮!? 諜報監査室か!? どういう意味だ?﹄
﹁本部長時間がないのです。一言﹃許可する﹄と仰っていただけれ
ば結構です﹂
﹃ふざるなぁ!! こんな時間に非常識だろうがぁ!! 公安風情
が一体何様のつもりだ﹄
仰る通りです。といった感じに苦い表情を浮かべる飯野だったが、
その横で俊敏な速さでタブレットを操作する霧島は動じることなく
話を続けた。
﹁稲葉本部長。どうやら貴方は少々骨のあるお人のようですね。私
も嫌いじゃありません。でした少々強い刺激が必要なようですね。
それに突然の連絡にまだ頭の整理が付いていらっしゃらないようで
すね。それでしたここで完全に目を覚ましていただきましょうか﹂
﹃何だとぉ!!﹄
﹁キャリア組みとしては随分と輝かしい経歴ですね。戦時中よりも
戦後の占領時代の方が功績が多いですね。それに地方の治安維持部
隊を指揮した経歴もあるようで、まさに現場叩き上げの制服組とは
653
珍しいですね。度が付くほど堅実な人でも欠点がないわけでもない﹂
﹃どういう意味だ?﹄
﹁ずいぶん前から捜査費の一部を私的流用してるようね。これは立
派な横領ですね﹂
﹃⋮⋮﹄
わいろ
﹁あっ、しかも。署内の会計責任者の口座に毎月決まった額を入金
してますね。賄賂ですかこれ? だどしたらこれは立派な贈収賄ね。
貴方は口が堅そうだから先にこの会計責任者の課長さんの入金記録
を内部調査課と検事局に送ったらどうなるかしら﹂
﹃⋮何のことだ。もしそれが事実だとしても、そんな入金記録何と
でも言い訳ができる。疑惑だけでは動かんぞ﹄
﹁ええ、そうでしょうね。でも疑惑だけでも貴方の人生計画が大き
く狂う事になるわよ。下手したら一生本部長止まりでしようから。
おっとっと、これは⋮⋮面白いモノを見つけてしまったわ。3年前
から同じ課の大澤明美巡査と不倫関係にあるようですね。禁じられ
た大人の遊びね。捜査費の流用はこの交際費でしたか﹂
﹃違うっ!!﹄
隣で聞いていた飯野が手で耳を覆う。恐らく無線の向こうでは本
部長が歯を食いしばっている様子まで想像できる。
﹁大声はご遠慮下さい。奥様が起きてしまいますよ。私は別に脅し
ているわけではないのですか。本部長のでかい器を持って部下と権
限を一時的に貸して欲しいといってるだけですから。もちろん拒否
する権利はありますから、どうするのかは本部長次第ですよ。アン
タの器を見せるか、部下一人の為に人生設計をやり直すのか、天秤
にかけるまでもないと思いますけどね﹂
数秒ほど沈黙が続いた後で、本部長から承諾したと返事が返って
きた。諦めが混じったその声を聞いた飯野は少しだけ同情の気持ち
を持った。
﹁さあ。これで君はたった今から私の部下よ。まず最初に赤色灯と
サイレンを鳴らしなさい。そして黙って運転しなさい﹂
654
飯野は大人しく赤色灯とサイレンを入れた。だが、口は黙っては
いられなかった。
﹁なんて奴だ。本部長を脅すなんて。あれは立派な犯罪だぞ。公安
だからって法に触れないとでも思ってるのか。お前のツラと名前、
それにIDも全部覚えたからな。これが終わったら脅迫の現行犯で
僕が必ず逮捕してやるかな﹂
﹁呆れた。それ本気で言ってるの? だとしたら相当温室で育った
モヤシね。それに公安といっても﹃元﹄が付く公安よ﹂
﹁なっなんだと!? お前、公安じゃねぇのかよ。ならこのまま現
行犯逮捕だ﹂
力
﹁そう、出来るものならやってごらんなさいな。公安じゃないにし
ろ、今の組織でも君の上司を黙らせる権力ぐらい持ってるわよ。そ
れよりも自分の心配をしたほうがいいんじゃないかしら﹂
﹁僕の? どうして?﹂
﹁わからないの? あんたさぁ、エリートなんだからもっと頭を使
いなさいよ。今回の本部長の件はアンタが原因なのよ。あの本部長
が元凶のアンタをタダで済ますわけないでしょう。向こうに戻った
ら報復人事ぐらいあるでしょうね﹂
その言葉を聞いて飯野の顔からみるみる血の気が引いていく。や
っと自体を飲み込んだようだ。
ハンドルを握る手がガチガチ震え、あの時大人しく言う事を聞い
ておけば良かったと心底後悔した。
﹁ぁ⋮うっ⋮あぅ⋮﹂
﹁安心しなさい。君が私の言うと通りに動いてくれたら、本部長に
は私の方から口ぞえしてあげるから﹂
﹁ほっ、本当ですか!?﹂
﹁ええっ、ただし。それはあくまでも君がちゃんという事をきいた
らの話だけど﹂
霧島の光る眼がまっすぐ飯野に向けられる。
その視線を感じゴクリっとツバを飲み込む飯野。
655
﹁⋮わかりました。それで⋮お願いします﹂
﹁よろしい。じゃアクセル踏んで飛ばしなさい﹂
﹁⋮了解です﹂
大人しくアクセルを踏み込む飯野の姿に、霧島は少しだけほくそ
笑んだ。
﹁いいこと⋮権力者を従わせるには、自分達の地位と権力を脅かせ
ばいいのよ。連中、地位と権力がなくなる事が何よりも恐れている
事だから。アンタも出世したいなら上司の弱みの一つや二つ握って
なさいよ。誰よりも一番に出世するわよ。いくら理想と正論を語っ
たところでクソの役にも立ちゃぁしないのよ﹂
﹁一つだけ聞かせてくれ。アソコに一体何があるってんだ?﹂
一番の要はそこだ。自分達が向かうさきに一体何があるのか。当
事者になるならそれが一番知りたい事だ。
﹁軽率に口を開けば身を滅ぼすわよ。もう一つの現実よ﹂
答えにならない解答をもらい。車は遠方で赤黒い火柱が昇る場所
へと向かっていった。
656
もう一つの現実︵後書き︶
どうも朏 天仁です。永らく更新が遅れてしまいました。仕上がっ
た分を急遽載せました。
いろいろと変更があり、今後少し投稿が遅れがちになるかと思いま
すが、出来るだけ早く載せて行きたいと思ってます。最後まで拝読
してくださった読者の皆さん。ありがとうごうざいます。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n3596bi/
スティグマ∼たんぽぽの子供たち∼
2016年10月16日13時11分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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