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2009年 4月 1日 第 113号発行 【 毎偶数月 1□ 1日発行 1998年 5月 22日 第3種郵便物認可】 発行 :市民の意見30の会 ・東京 NO日 113 2009/4/1 、 。 軍 事 郵 便 ﹂ は き び し い検 間 を う け た 戦 地 から の ﹁ 新 り の絵﹂第 回集﹄ 講 談 社刊より︶ ﹁ す 氏 の意 見 113号 目 次 ● 善 頭 障 ガ ザ いま 石 川逸 子 ■ 特 素 1 ガ ザ の 占 領 ガ ザ の占領 を 考 え る 細 井 明美 2月 5 日緊 急 学 習 会 ﹁ガ ザ 侵 攻︱ ︱ イ ス ラ エルはな ぜ ガ ザ を 攻 撃 し た のか ﹂ 早 尾貴 紀 ● 米 ・ブ ツシ ュ政 権 の 8 年 悪 夢 の8年 間 を ふ り か え る︱ ︱ ブ ッシ ュ政 権 と 日本 のポ チ たち 高 橋 武 智 ■ 特 集 2 ■ 日 化 す る 現 在 労 働 者 の生存 権 を 守 る京 品 ホ テ ル闘争 渡 辺秀 雄 増 え る母子 家 庭 見 え な い自 立 への道 長 谷 川伸 子 ﹁ 年 越 し派 遣 村 ﹂ の意 義 と そ の後 の課 題 遠 藤 一郎 ● 憲 法 9祭 は常 に新 し い 平 和 への理 念 海 の彼 方 に生 き る 9 条 ︱ ︱ カ ナ リ ア諸 島 ヒ ロシ マ ・ナ ガ サ キ広 場 を 訪 ね て 宇 野 淑 子 ● 運 動 の現■ か ら 東 海 地方 へのP A C 3 配 備 竹内 康 人 ﹁ 殺 す な !﹂ が 原 点 の死 刑 廃 止 を 求 め る小 さ な 試 み 加 賀 谷 いそ み 0 ﹁ 海 賊 対 策 ﹂ と いう 名 の海 外 派兵 一 ︲ 海 賊 派 兵 と 海 賊 対 策 新 法 に反 対 し よう 1 2 世 紀 の ﹁ 義 和 団事 件 ﹂ 愚 か な ﹁海 軍 オ リ ンピ ック﹂ 井 上 澄 夫 ● な 兄広 告 運 動 車 騎 局 か ら 5月 3 日意 見 広 告 賛 同 締 め切 り 間 近 ︱ 葛 西 則義 ●文 化 ︽連 載 エ ッセイ ︾ 言 葉 の国 産 化 ① 鈴 木 一誌 タ ク シ ー ・ト ウ ・ザ ・ダ ー ク サ イ ド﹄ ︽映 画 の紹介 ︾ ﹃ 本 野義 雄 ︽本 の紹 介 ︾宮 本 な お み著 ﹃ 革 新 無 所 属﹄ 福 富 節 男 ︽マンガ︾ ﹁ふし ぎ の国 のあ り か﹂⑮ ま つだ た え こ ● そ の他 、 事 務 局 だ より 横 田 か ら ベト ナ ム ヘ な ど と口川勇 一 5 ー ョン オ 4月 の読者 懇 談 会 のお 知 ら せ 2 ン シ イ メ フ 3 編 集 後 記 /会 計 読 者 のおた よ り 3 報告 ◆ 本 号 のす べ て のカ ット 士口岡 セイ ◆ 題 字 安 西賢 誠 ☆ 4月 の瞬者8醸 会のこ案内☆ ・ 米国のテロ容疑者拷間を描 く映画 「 タクシー ト ゥ ザ ダ ー クサイ ド」上映会と高橋武智さん (本号執筆者)の お話 (P29参 照) 4月 ]3日 (月)午 後 6時 半 参 加費 500円 /場 所 :た んぽぽ含 (」R水 道橋駅 5分 ダ イナミックビル 5F) 国時 12009年 電話 i03-3238-9035 地 図ウェブ :http://www tanpoposya net/info/map htm (地 図は P25参 照) 当時 いた が ﹁天皇 陛 下 万歳 ﹂ ﹁日 本 男 児 こ ヽにあ り ﹂ と い った 文 は と ゞ 愛 し い人 と会 いた い﹂ ﹁ ﹁ 故 郷 へ帰 り た い﹂ と いう 文 は と ゞ 。 か な か った 、 そ う し た 検 閲 の張 を く ゞ って 工喜 は 妻 ・芳 子 へ何 通 も 便 。 りを出 す そ こ には妻 の身 体 を いた わ る言 葉 のほ か に 、 美 校 時 代 木 皮 デ ッサ ン のた め にパ ン の み みを 焼 いて く れ 、 た姉 自 分 た ち の早 す ぎ る 結 婚 を 許 し て く れ た 規 兄 弟 への感 謝 。 が つゞら れ て あ った 。 コ 等 水 兵 にな った ら 休 みが とれ る のが た のし み ど う か 子 作 者 の経 歴 は 3 ペ ー ジ ︶ 塗 昌 窪島 試 一部 ﹃ ︵ 無言館 の黄 戦没画学 生 墾扇 1614 12 31 3029 3631 32 供 た ち を 大 切 に﹂ 。 そ ん な 言 葉 で む す ば れ た 便 りが 最 後 にな った 河 田 正 喜 発行者の住所 :〒 151-0051東 京都渋谷区千駄ケ谷42912-305 TELi03 3423 0185 FAXi03 3402 3218 ームページ i http:〃 郵便振替 i00120-9359506 eメ ール :iken30@mwb bi3 0be neip ホ www lⅢCa apc or3/iken30 *隔 月刊続 読料 送 料とも年2500円 、一部400円 、65歳以上および身障者の方は年2000円 グ リーン会員の方は年1000円 ガザ ガザ ヽヽ ま ま ま 重学途 上 の子どもたらは 瓦楳 の下荻き に いま ガザ ヤヽ ガザ ガザ 時` ま ガザ そ のひとたちはな にをした 石川 逸 子 出 口 ・入 口をふさがれ 袋 9呑ズミにされて いるだけ︶ ︵ ガザ そ のひとたちはなにをした 入植芳 に四〇%の土地も季われ ひしめき基らして いるだけ︶ ︵ ガザ そ のひとたちはなにをした 先租法来 の土地を重われ 逃れてきただけ︶ ︵ ガザ そ のひとたちはなにをした 故魚 車も 炎 上 し 野来市 場 は安瀑され 消 防暑が 国連事 務所が 難 氏 キ ャンプ の讐泰 暑が 瀑撃 さ れ イ スラーム大 学 の夜谷 は崩 れ落ち 病 院も ねら われ 送ガ ラ スを 攻 ら れた略 いアパートで ひとび とは浜 え ガザ ヽ` ま 主路もおりおり封鎖され 仕事 にも学校にも行けな いだけ︶ ︵ 市民の意見 N0113 2009/4/1 時` ガザ いま その地で ガザ いよ その地で 両腕 をも がれた 子どもたち も が きながら息 絶 えた ひとび と 友 も ひとび とは逃 げ まど い 表 紙 絵 の作者 つこ ヽヽしかわ ・ヽヽ 河 田 正 喜 かわぐち 。まさき︶ ︵ 1933年東京生 まれ。「 狼、私 たち」でH 氏賞。戦争を否定す る数多 くの詩作で知 ら れる。「ガザ い ま」は、08年 12月末から のイスラエルによる一方的な攻撃をきっか けにつ くられたもので、ネット上で静かに 広まっている。詩集 ・著作 に 『 千鳥 ヶ淵ヘ 行 きましたか 石 川逸子詩集』(花神社)、 「日 Fヒロシマ ・死者たちの声』 (径書房)、「 「 従軍 本の戦争」 と詩人たち』 (影書房)、『 ニア ジュ 慰安婦」にされた少女 たち』 (岩波 新書)、『 オサ ヒ ト覚え書 き』 (一葉社)な ど 、 0月 3 1 9 12 ︵ 大王 じ 年 1 1 日 福 岡 県 山 門 郡 三橋 村 に 4男 1女 の次 男 と し て生 ま れ る。 ニ ツ河 尋 常 小 学 校 を 経 、 、 、 昭和6︶年 4月 て 県 立 中 学 伝 習館 を 卒 業 後 1 9 3 1 ︵ 。 昭 東京芸術大学︶ 現。 東京 美 術 学校 ︵ 油 画科 に入 学 1 9 3 6 ︵ 、 。 1 和1︶年 3月 卒 業 学 生 時 代 に同棲 し て いた 芳 子 と 結 婚 、 、 す る が そ の直 後 に 召 集 令 状 が 届 き 妻 子 を の こし て出 。 0︶年 1月 8 日、 南 方 へ向 かう 途 昭和2 征 す る 19 45 ︵ 。 2歳 。 中 で輸 送 船 が爆 撃 さ れ戦 死 ︵ 行方不明︶ 享 年 3 多数。 市民の意見 N0113 2009/4/1 ガザ いよ その地に イ スラエル棋は無差別瀑挙をおこな い ガザ いま その地に イ スラエル戦艦はたえまなく砲撃をくわえ ガザ いま その地に イ スラエル戦車はわがも の顔に整撃し ガザ いま その地で 葬 列 はたえまなく ガザ いま アメリカ議会は そのイスラエルを支持し ガザ いよ その地で ガザ ガザ ガザ ・・ ガザ そ の地は いま 水も 電 気も絶えかけ 奈 糧も危うく ガザ そ の地で いま な が れ ながれ つづ け る 無キ の血 ▼ 持 の作者について ▲ 細井 明美 投 獄 の のち 強 制 労 働 収 容 所 へ送 り こま 。 か つて ナ チ スによ って行 な わ れ た 果 民 族 の排 除 を ユダ ヤ人 指導 者 は国 際 社 会 の 。 見 て いる前 で平 然 と 行 な った そ し て誰 も 。 が そ れ を 見 つ つも 沈 黙 し て いた 何 が 起 こ って いる のか を 報 告 し たも のは プ ロパ ガ 、 ンダと し て扱 わ れ 反 ユダ ヤ の レ ッテ ルを 。 貼 ら れ た ホ ロ コー スト は イ ス ラ エル の罪 を 隠 蔽 す る大 き な 役 割 を 果 た し た のだ ろう 。 か 19 4 8年 は パ レ スチ ナ にと っては ナ 、 ク バ であ る が イ ス ラ エルにと って は イ ス 。 ラ エル帝 国 建 設 の第 1歩 だ ﹁帝 国 ﹂ は 領 。 パ レ ス チ ナ を 追 わ れ た 人 び と の 一部 は が住 み ガザ は小 豆 島 ほど の土 地 に 1 5 0 万 人 、 、 人 口密 度 は 世 界 1と いわ れ ジ ャ 当 時 エジ プ ト 領 で あ る ガ ザ に た ど り つ い 。 た ◆生 存 不 可 能 な 場 所 ︱︱ ガ ザ 上 を 拡 大 す る こと を 国 是 と し て いる れた 。 な った 追 放 を 拒 絶 し た パ レ スチ ナ 人 に対 、 、 、 し ては虐 殺 レイ プ 略 奪 投 獄 が行 な わ 、 れ 。 こ で ガ ザ 侵 攻 に対 す る 緊 急 特 集 を 組 み ま し た パ レ 本 誌 前 号 → 120 、 ス チ ナ に お け る占 領 問 題 は ガ ザ だ け で 語 り 得 る も の で はな く む し ろ 西 岸 地 区 の ほ う が 表 面 に 出 て こな い分 大 き な 問 題 を 含 ん で いる かも し れ ま 、 。 せ ん そ こで今 号 は 前 号 に ひ き 続 き ガ ザ に焦 点 を あ て つ つパ レ スチ ナ 。 占 領 ﹂ に つ いて考 察 し て み ま す 全 体 を含 め て ﹁ ガ ザ の占 領 を 考 え る 大 災 厄︶ ◆ナクパ ︵ ガ ザ の問 題 を 考 え る前 に私 た ち はイ ス ラ 。 エル建 国 の歴 史 を た ど る 必 要 があ るだ ろう 1 9 4 8年 2月 イ スラ エル建 国 を 前 にし て ユダ ヤ 人 指 導 者 は パ レ スチ ナ 人 の追 放 を 計 、 画 手 始 め に 地 中 海 沿 岸 の5 つの村 を 排 除 し た 。 イ ギ リ スは治安 維 持 の責 任 があ った 、 にも 関 わ ら ず パ レ スチ ナ 人 た ち がト ラ ッ ク に乗 せ ら れ て国境 の外 に追 放 さ れ る のを 、 。 2 黙 認 し た そ の後 彼 ら は全 体 を 1 の地 域 、 に分 割 し て 軍 隊 を 配備 各 地 域 の町 や村 の 、 リ スト を 持 た せ 効 率 よ く パ レ スチ ナ人 を 。 排 除 し て い った こう し てイ ス ラ エル建 国 5 人 のパ レ スチ ナ人 が故 の前 にす で に 3 万 郷 、 。 か ら 追 放 さ れ た そ し て 残 り の人 び と を 。 追 放 す る た め に彼 ら は戦 争 を 利 用 し た す な わ ち 戦 争 は パ レ スチ ナ 人 を 民 族 浄 化 す る 。 た め の手 段 だ った 、 1 建 国 後 5 0 0 の村 と 1 の 町 が 破 壊 さ 、1 0 0 万 人 のパ レ ス チ ナ 人 が 難 民 と れ バ ル ヤ 難 民 キ ャ ンプ だ け で 1 平 方 キ ロあ た り 7万 4 0 0 0人 ︵ 東京都区内 の人口密度 。 は1万3000人︶が住 ん で いる 出 生 率 も 、 高 く 1人 の女 性 か ら 5 ∼ 6 人 の子 ど も が 。 生 ま れ る し た が って毎 年 人 口が 3 ∼ 5 % ③ 0 5 増 加 す る 人 口 の5 % は 1歳 以 下 の子 ど も 、8 。 たちだ また 0 年 の国 連 の食 糧 支 援 は 8万 2 4 0 0家 族 に及 び 、 0 % の住 民 が 国 ︲ 8 。 連 の援 助 な し では生 活 出 来 な い ガ ザ は住 民 が生 存 不 可能 な 地 域 の初 め て のケ ー スと 。 いわ れ て いる だ この 的 な貧 困 は イ ス ラ エル の占 が 望 絶 。5 6 、 0年 月 ガ 領 政 策 と 大 き な関係 があ る ザ で唯 一の発 電 所 が イ ス ラ エル の攻 撃 によ り 破 壊 さ れ た 。 こ の発 電 所 は ガ ザ 地 区 の 。 5 4 % の電 力 を 担 って いた こ の攻 撃 は生 活 、 そ のも のを 破 壊 す る要 因 と な った ので イ ス ラ エル の人 権 擁 護 団体 ベ ツセ レ ムは これ 。 を 国 際 法 違 反 だ と し て告 発 し て いる 同 じ 、 年 イ ス ラ エル ・シ ャ ロ ン首 相 に よ る ガ ザ 、 か ら の ﹁一方 的 撤 退 ﹂ が行 な わ れ 国 際 社 、 会 は非 常 に評 価 し た が さ ら な る貧 困 に人 。 び と を 追 いや った ガ ザ 北 部 にイ ス ラ エル 7 が 6年 の占 領 開始 後 す ぐ に つく った 工業 団 。 地 があ る そ こ で大 量 のパ レ スチ ナ人労 働 、 者 を 低 賃 金 で 履 い入 れ 経 済 的 にガ ザ 地 区 、5 を コント ロー ルし てき た が 0 年 のガ ザ撤 、 退 と 同 時 に同 工業 団 地 を 放 棄 大 量 の失 業 、 。 者 を だ し た そ の上 で 国 境 を 封 鎖 し て物 。し も か 国際社 会 は ガザ から イ 流を 止 め た 市民の意見 N0113 2009/4/1 ,(ィ フ■ , ナザレ 。 さ れ たも のと し か 言 いよう が な い 同年 2 1 7日 、陸 ・海 ・空 か ら の総 攻 撃 で、 3 の 月2 2 、 、 0 病 院 6 の学 校 が破 壊 さ れ 4 0 0 0家 族 、 ︲ が散 り ぢ り にな り 被 害 は 2億 ド ルと いわ . れ て いる 米 ハー バ ード 大 学 中東 研 究 所 の サ ラ ・ロイ氏 は ﹁ハ マスを 叩く こと が攻 撃 。 の目 的 ではな い パ レ スチ ナ の抵 抗 精 神 ヘ 、 占 領 を 終 え る こと がも っ の攻 撃 だ ﹂ と し ﹁ と も 重 要 。 も し こ のま ま占 領 を 続 け るな ら 。 さ ら な る暴 力 に向 か う だ ろう ﹂ と 言 う ◆西岸では土地 の細分化が進む . ァィモナ ヨルダン ェジプト 、 ス ラ エルが 撤 退 し た のだ か ら パ レ スチ ナ 国 家 の建 設 は パ レ スチ ナ自 身 の責 任 であ る 、 と し た。 し か し シ ャ ロ ンが 中 心 と な っ ュ 一 て策 定 し た ﹁ガ ザ 撤 退 案 ﹂ 0 石 長 ヽ 培 ョ命 、 こ で は 制 空 権 ・制 海 権 は イ ス ラ エル コゆ 、 が掌 握 し 国 境 は イ ス ラ エル の管 轄 と な っ 。し も か ガ ザ の人 び と が支 払 う 税 金 ハ ナ リ ヤ 偽 、 一方 フ アタ ハが 実 権 を 握 る 西 岸 地 区 に 、 日 を 転 じ る と パ レ スチ ナ 人 の土 地 は 細 分 、 化 さ れ 国 家 と し て の経 済 活 動 を 維 持 でき 。 な いほ ど 切 れ ぎ れ に さ れ て し ま った ユダ ・ がエル シェバ て いる 〕 ‐ ′ ′ 0“ ー′ (レス打 イス,こ,レ は パ レ ス チ ナ 当 局 が徴 収 し イ ス ラ エルに渡 。 白 治 ﹂ だ ろう か 。 る これ が ﹁ 、 8 1 0年 1月 4 日 イ ス ラ エルは ハ マスと の 、 停 戦 協 定 を 破 り これま で にな いほど の攻 、 。 撃 を し か け てき た 翌 H月 5 日 か ら イ ス ラ エルは ガ ザ 地 区 に入 るす べ て の検 問 所 を 、 封 鎖 し 食 糧 ・医 療 品 ・燃 料 ・調 理 ガ ス ・ 水 道 お よ び 衛 生 設 備 の部 品 な ど の供 給 を 大 、 。 幅 に カ ット し た す べ て あ ら か じ め計 画 す ′ (ノ ン レ 1巧 耐 鞘 ヤ人 の入 植 地 は オ ス ロ合 意 後 さ ら に増 え 続 、 、 け 通 り の名 前 も ユダ ヤ風 に改 め ら れ パ レ スチ ナ人 が存 在 し て いた こと さえ 消 し去 、 。 ろう と し て いる 前 述 のガ ザ 撤 退 案 で は 、 ﹁ O 西 岸 に高 さ 9 メ ー ト ル 長 さ 6 2 0 キ 。 0 ロメー ト ル の壁 を 建 設 0 4 万 人 の ユダ ヤ 人 入植 者 のた め に 4 0 0 キ ロ の高 速 道 路 を 、 。 建 設 0 東 エルサ レ ムを 孤 立 さ せ 西岸 地 、 区 と ガ ザ 地 区 を 分 離 ﹂と あ り ① の壁 の建 2 設 によ り 隔 離 さ れ た パ レ スチ ナ人 は 1 % か 。 ら4 5 % に増 え る つま リ ガ ザ 紋 退 案 は西 岸 、 地 区 と エルサ レ ムを イ ス ラ エル に統 合 し ガ ザ を 監 獄 にす るた め の足 が か り だ った の 、 。3 9年 のオ ス ロ合 意 以 降 イ ス ラ エルは だ も ち ろ ん ア ッバ ス議 長 ラ ァタ 全 も ﹁ 占領 ﹂ 自 治 政 府 ﹂にな っ と いう 言 葉 を 使 わ な い。 ﹁ 、 た か ら と いう のが 理 由 だ が イ ス ラ エ ル 、 自治 ﹂ の ﹁ 管 理 ﹂ は より 強 化 さ れ 実 態 は ﹁ 。 か ら か け 離 れ たも のにな って いる イ ス ラ エルが自 ら の野 望 のた め にパ レ ス チ ナ の人 び と に強 いる植 民 地 政 策 と 民族 浄 。 化 に私 た ち は加 担 し ては な ら な い 前 述 の 、 サ ラ ・ロイ 氏 は パ レ スチ ナ にお け るイ ス ラ エル の ﹁ 管 理 ﹂ が 明 ら か にな る方 向 で の 。 国際援 助 が必要 だと言う 日本 政府 はす 195億円︶ で に ガ ザ 復 果 支 援 で 2億 ド ル ︵ 、 の拠 出 を 表 明 し て いる が そ の援 助 のあ り 。 方 が 問 わ れ て いる 、 ほそ い 。あけみ 本誌編集委員︶ ︵ 市民の意見 N0113 2009/4/1 ガ ザ侵攻 イ スラ エルはなぜガザを攻撃 したのか︱ 2 月 5 日 緊 急 学 習 会 の報 告 ガ は レス ザ 緊 ナ 習 会 パ チ 急 学 映 画 ﹁レイ ンボ ー ﹂ 上 映 の後 、 早 尾 貴 紀 ︵ はやお 。た かのり︶さ ん に ガ ザ 侵 攻 の背 景 に つ いて話 し て いた だ き ま し た 。 ● してイスラエルで働く 7 7 6年 か ら 8年 ま でイ ス ラ エルは西 岸 地 区 と ガ ザ 地 区 を 自 分 た ち の属 地 と みな し て い ま し た。 も ち ろ ん住 民 には市 民権 は与 え ま 。 せ ん イ スラ エル によ るさま ざ ま な 規 制 が 、 パレ 働 いて いるた め地 場 産 業 が つく れず スチ ナ人労 働 者 は し か た なく テ ル アビ ブ や 、 そ の近 郊 の工業 団 地 ・建 築 現場 へ 肉 体 労 、 、 、 、 働 者 清 掃 業 運 転 手 サ ービ ス業 皿洗 。 いな ど の職 を 得 て働 き に出 て いま し た す 賃 金 労 働 者 と し てイ スラ エル側 で働 く し か 。 な いのです イ ス ラ エルにと っても パ レ ス 、 チ ナ人 は従 順 で ヘブ ライ語 を よく 話 し し かも 得 た賃 金 でイ ス ラ エル製 品 を 買 ってく 。 れ ると いう 非 常 にあ り が た い存 在 でし た 7 、 これま で の そ んな な か で 8 年 不 満 の蓄 積 が爆 発 す る か た ち で最 初 のイ ンテ フ アー ダ が ガザ 地 区 か ら起 こり ま し た。 こ のイ ン 7 テ フ ァー ダ は組 織 的 な 抵 抗 運動 と し て 8 年 。3 ︲ か ら 9年 く ら いま で続 き ま し た 9 年 のオ ス ロ和 平 合 意 と いう のは イ ンテ フ アー ダ の ひと つの清 算 の形 でし た。 イ ン テ フ アー ダ 、 で崩 れ た 関 係 を ど う や って再 編 す る のか これ が オ ス ロ合 意 だ った わ け です 。 、 と ころ で 世 界 中 が オ ス ロ和 平 合 意 を ひ と つの基 準 点 と し て考 え て いま す 。 ハマス な わ ち パ レ スチ ナ内 では資 材 や技 術 な ど の 、 持 ち 込 みは厳 し く 制 限 さ れ 経 済 発 展 の可 、 能 性 が な いた め 現 金 収 入 を 得 るた め に低 の両 親 や祖 父 母 を 持 つ2世 以 下 の世 代 と い う 状 況 に な り ま し た。 つま リ ガ ザ 地 区全 体 。 が難 民 キ ャ ンプ だ と 考 え て い いと 思 いま す 9 7 4年 か ら 6年 の間 は エジ プ ト が管 轄 し て い 、 7 に第 3 中 ま し た。 6 年 次 東 戦 争 が始 ま り イ ス ラ エル は ガ ザ 地 区 も 含 め た シ ナイ半 島 、 、 全 体 西 岸 地 区 シ リ ア のゴ ラ ン高 原を 占 。 領 下 に 入 れ ま す そ の後 エジ プ ト と イ ス ラ 、 エルは 和 平 合 意 を 結 び イ ス ラ エルは シ ナ 、 イ 半 島 を エジ プ ト に返 還 し ま す が ガザ 地 政 権 を ボ イ コ ット す る理 由 に ハマスは オ ス ロ合 意 を 承 認 し な いか ら だ と いう のが あ り ガ ザ 地 区 と いう と こ ろは非 常 に狭 いと こ 。 ろ です 英 語 で ﹁ガ ザ ・スト リ ップ ﹂。 ス ト リ ップ は 切 れ端 と いう 意 味 です が 、長 方 0 m×9 皿=3 6 0 ぐ ら い 形 の形 を し て 4 k k 面 、 のと こ ろ に 1 9 4 8年 前 後 に パ レ スチ ナ 。 人 が 難 民 と し て大 量 に逃 げ 込 みま し た 結 果 と し て人 日 の7割 が難 民 お よ び そ の難 民 区 は そ のま ま 現 在 に いた るま でイ スラ エル 。 の占 領 下 に あ り ま す ま す 。 で は オ ス ロ合 意 と は 何 か ? ハマス は な ぜ オ ス ロ合 意 を 遵 守 し な いのか ? そ れ が今 回 のガ ザ 攻 撃 を 考 え る ヒ ント にな る と思 いま す 。 0 オ ス 回和 平合 意 が も た ら し た も の オ ス ロ合 意 と いう のは ア ラ フ ァトを 代 表 と す る フ ァタ ハを 中 心 に つく ら れ た P L 0 宋 レスチナ解放機構︶を 今 後 の交 渉 の代 表ら ま り ﹁パ レ スチ ナ自 治 政 府 ﹂ と し てイ ス ラ 、 エルが 承 認 す る代 わ り に P L Oも イ ス ラ エルを 国 家 と し て承 認 し ま し ょう と いう も 、 。 の です し か し す で に西 岸 地 区 にたく さ 、 ん でき て いた ユダ ヤ人 入 植 地 の問 題 そ れ か ら イ ス ラ エルが管 理 し て いる 西岸 地 区 の 、 水を西岸地区から収奪して そ の多 水 の問 題 ︵ くを ユダヤ人 の入植地とイ スラ エルに送 ってい 、 、 る︶ 難 民 の帰 還 権 併 合 さ れ た エルサ レ 、 、 ム の問 題 ほ か にも 色 いろあ り ま す が オ 。 スロ は 部棚 上げ にさ れま した し で 意 合 全 3 から かも 9 年 現在 に いた るま で西岸 地 区 の 中 の入 植 地 建 設 と いう のは 止 ま った た め し 、3 がなく 9 年 時 点 か ら 2 0 0 0年 ま で に入 0 0 人 植 者 の数 は 2 万 人規模 か ら 4 万 規 模 へと 、 5 人 を え て いま 。 倍 増 現 在 では 4 万 す 越 、 ま たガザ地 区 が 北側 の境 界線 も全 部 フ エ 3年 から です 。 8 の ンスで封 鎖 された のは 9 9年 オ スロ合 意 により監 獄化 が始 まり ま した。監 獄化 のう え労 働 許 可が減 って いき 西岸 でも ガ 。 ザ地 区 でも 失 業 率 が高 ま って いきます イ ス 、 ラ エルが境 界線 を管 理 し つづけ 物 資 や技 術 市民の意見 N0113 2009/4/1 の持 ち 込 み も 規 制 し て産 業 は あ いか わ らず 。 発 展 しな い これ で不満 が爆 発 しな いわけ が 。 あ り ま せ ん 2000年 のイ ンテ フアーダは オ スロ合 意 の7年 間 で何 も よく な らなか った こと への落 胆 ・不満 の爆 発 だと いう こと にな 3 年 か ら 2000 ま で の7 間、 り ま す。 9 年 年 、 入 植 者 は 増 え 続 け 土 地 が ど んど ん収 奪 さ 、 れ 西岸 地 区 のなかはます ま す 寸 断 され てい く 一方 で、 イ スラ エル側 への出 稼 ぎ 労 働 が出 。 来 な く な り ま し た し かも 7年 間 国 際 社 会 当時はフアタ全 が資 金 援 助 した結 果 ゴ 治 政府 ︵ 、 の周 辺 にし か資 金 がま わ らず フアタ ハがど 。 んど ん利 権 団体 にな って いき ま した 地場 産 業 が な く 自 立 し た 経 済 が な いわ け です か ら 国際 社 会 か ら入 ってき た資 金 を 分 配す るしか 。 な い イ スラ エル ヘの出 稼 ぎ が でき な く な つ た か わ り に 自 治 政 府 を 通 し て給 与 と し て配 。 分 されま し た そ のお金 のスポ ンサ ーは日本 3年 が も 含 め た 国 際 社 会 。 オ ス ロ合 意 か ら 1 、 占 領 政策を 経 過 し ても 入 植 地 は増 え 続 け 中 の ユダ ヤ人 を 1人 残 らず 脱 出 さ せ自 国 民 に被 害 が お よ ぶ恐 れ を な く し た のです 。 ● ハ マス は 何 を 要 求 し て いる の か 、 硫年 1月 に ハマスが選 挙 で勝 つと食 糧 医 、 薬 品 日常生活 物資 の搬 入がさらに厳 しく制 。8 0年 の初 めにはほぼ全 面 的 限 され始 めます な締 め つけが行 なわれ国連 の配給 さえ滞 り ま した。 1年 前 、そう いう 兵糧攻 めに耐え かね た ガザ地 区 の住 人 が ラ ファの国境 の壁 を いっ 、 き に取 り払 い 過半 数 の人が よ ンプ ト側 に飛 び出 し て食 糧 や日常 品 の買出 し に出 て いった 。 事 件 がありま した 1年前 にす でにガザ地区 。 は極 限状態 に達 し て いたと い つこと です ハ マス政権 は与 党 にな った直 後 か ら 現在 、 に いた るま で ﹁西 岸 地 区 の入 植 地 を 東 エ ルサ レ ム の入 植 地 も 含 め てひと つ残 らず す 、 べ て撤 去 し 西岸 地 区 に食 い込 む よう に作 ら れ て いる分 離 壁 を 全 部 撤 去 し 、 領 空 権 と て いる こと 領 海 権 を全 部 パ レ スチ ナ に与 え 国 境 の出 入 り を 自 由 にし た ら 、 我 わ れ は喜 ん でイ ス ラ 。 エルを 承 認 し よう 独 立 国家 と し て対 等 に イ ス ラ エルと 交 渉 し よう ﹂ と 言 って いま す 。 。 、 非 常 にま っと う な こと だ と 思 いま す が 何 ひと つや め さ せ る こと が でき な か った ファ タ ハに対 す る人 びと の不満 、落 胆 が当 然 硫年 の選 挙 にお け る ハマス支 持 に つな が って いき ま した。 5 、 0年 当 時 のシ ャ ロン首 相 が ガ ザ 地 区 に あ る 8 0 0 0 人 の ユダ ヤ人 入 植 地 と イ ス ラ 、 エル軍 の基 地 を 全 部 撤 去 し イ ス ラ エルは ガ ザ か ら ﹁撤 退 ﹂ し ま し た 。 こ の状 態 を 幾 入 植 地 だ ら け の現 在 の状 態 と いう わ け です そう ではな く て我 わ れ に完 全 な ひと ま と ま だ か ら こそ イ ス ラ エルは ハ マスを 絶 対 に認 。 め ら れ な い ハ マスと 交 渉 でき な い理 由 は 、 。 そ こな ん です ね 宗 教 と は 関係 な く 本 当 に問 題 な のは オ ス ロ合 意 を 破 美 し ろと 言 っ 。 オ ス ロ合 意 に基 づ いた結 果 が 。 人 か の研 究 者 ら は今 回 の空 爆 が でき る下地 を つく った と 指 摘 し て いま す 。 ガ ザ 地 区 の り の土 地 を 、 陸 海 空 の出 入 り の管 理 が自 分 た ち に ま か せ ら れ て いる 土 地 を よ こ せ と 、 一 言 って いるわ け です が そ れ が イ スラ エル 。 には耐 え ら れ な いこと な の です 、 、 3 に 話を 9 年 戻 す と オ ス ロ合 意 以降 イ 、 ス ラ エル は 外 国 人 労 働 者 政 策 を 転 換 し て 、 ガ ザ 地 区 ・西 岸 地 区 の労 働 者 の代 わ り に 、 、 、 イ ンド ネ シ ア フィリピ ン 中 スリ ラ 、 ンカ タ イ な ど の東 南 アジ ア、 そ れ か ら エ 、 ジ プ ト ヨ ルダ ンな ど の ア ラブ 諸 国 な ど か ら労 働 者 を 入 れま し た 。 そ の結 果 不法 移 民 0万 人 に達 し て、 そ れと 同 労 働 者 だ け でも 3 、 規 模 の合 法 の外 国 人 労 働 者 も 含 め て 人 口 、 の1割 にも 達 す る ﹁ 非 ユダ ヤ 人 ﹂ の存 在 は 現在 イ ス ラ エルにと って非 常 に大 き な 問 題 。 にな って いま す 1 0 0年 と いう 長 いスパ ン で みた と き シ オ ニスト に は 西岸 地 区 も 含 め た パ レ スチ ナ 全 土 を 支 配 す ると いう 強 い意 志 と 政策 が あ り ま す 。 ガ ザ攻 撃 と いう のは 別 にガザ 地 区 。 が欲 し いわ け ではな い ガ ザ 地 区 を 再占 領 し た いわ け でも な いん です ね 。 政 策 の 一環 と し て オ ス ロ合 意 に基 づ か な い交 渉 を パ レ スチ ナと し たく な いた め に攻 撃 にう って出 、 。 。 て いく 欲 し いのは 西岸 地 区 肥決 な農 地 、 水 源 地 帯 東 エルサ レ ム周 辺 を 事 実 上永 続 。 的 な イ ス ラ エル領 にし た いわ け です そ れ 、 が 目 的 で ガ ザ 攻 撃 があ る の であ って ガ ザ 。 の再占 領 が 目 的 では な いと いう こと です ・︵ まとめ ・本誌編集委員 細井明美︶ 市民の意見 N0113 2009/4/1 そ し て リ ー マ ン ・シ ョ ツクを 契 機 と す る世 界 的 な 経 済 危 機 ま こと に悪 夢 のよう な年 月 だ った 。 し か し背 後 に は 長 い前 史 が 、 。 あ り ま た こ れ に つづ く 現 在 未 来 も あ る 、 、 以 下 筆 者 な り の見 解 を 展 開 し つ つ 煩 雑 、 、 さ を 避 け る た め 例 外 を のぞ き 個 々の人 名 や記 述 の出 典 な ど は明 示 し な いこと と す 。 フ 0 、 早 速 そ の例 外 だ が スーザ ン ・ジ ョージ 、 著 ﹃ア メ リ カ は キ リ スト 教 原 理主 義 ・新 、 保 守 主 義 に いか に乗 っ取 ら れ た のか ?﹄ 、 タイト ︵ 作品社 ︶は 一つ のイ デ オ ロギ ー ︵ 、 、 ルには二 つの ﹁ 主義﹂が並ぶが 後述 のとおり 、 単 一の星雲状態ととらえられる︶が生 ま れ 社 、 ヘゲ モ ニー を と る ま 会 各 層 に 食 い込 み G8反対 で の過 程 を 精 密 に記 述 し て いる ︵ 、 で来 日したとき の著者 に ついては 本誌 109 。 号を参 昭じ ジ ョー ジ は 策 動 開 始 の時 期 を 19 4 0 ∼ 0 5年 代 にま でさ か のぼ ら せ て い 、 。 る ハイ エク の思 想 を 出 発 点 と し 財 団 や 、 学 者 研 究 者 へ の潤 沢 な 資 金 援 助 マ ス メ 、 デ ィ ア や 司 法 への浸 食 を 着 実 に進 め つ い 。 に政 権 を ハイ ジ ャ ツクし た のだ 、 こ のう ち 日本 人 に馴染 み の薄 い ﹁キ リ 0◇◇◇0◇◇ 艘 ◇ 、 スト 教 原 理 主 義 ﹂ か ら 解 説 す る と 福 音 、 、 派 と く に リボ ー ン派 を 指 し そ の信 徒 数 。 は 7 0 0 0 万 人 に 上 る と いう ﹁リ ボ ー ン 、 派 ﹂ には適 切 な 訳 語 が な いよう だ が 直 訳 、 す れ ば ﹁再 び 生 ま れ た 者 ﹂ つま り 信 仰 に 、 よ る 回心 を 遂 げ た 人 間 を 指 し ブ ッシ ユも 。 そ の1人 だ 彼 ら は キ リ スト再 臨 と いう 此 、 岸 で の ﹁天 国 ﹂ を 切 に求 め てお り そ の性 、 急 さ か ら より多 く の権 力 者 を 信 徒 に獲 得 ヽ し よ う と す る点 で、 ﹁ 不オ 新 保守主義 者 ﹂ ︵ コン︶と オ ー バ ー ラ ップ す る。 そ の 一派 と し て、 ユダ ヤ人 に よ る国家 形 成 を 促 す シ オ ニズ ムと 合 体 し た ﹁キ リ スト教 シオ ニズ ム﹂ 、 、 ま で登場 し た のに は た ま げ た が こ こ でも ネ オ コンが重 視 す る中 東 地 域 支 配 を 裏 打 ち 。 す る役 割 を 呆 た し て いる 、 、 他 方 世 俗 派 のネ オ コンだ が ジ ョー ジ 、 、 の注 釈 によ れ ば 米 国 では ﹁ 新保守主義 ﹂ ヽ と ﹁ 不オリど の2語 を ほ と 新 自 由 主義 ﹂ ︵ 。 んど 同義 に使 う そう だ 大 ざ っぱ と いう ほ 、 、 か な いが 米 国 生 ま れ で ヨー ロ ッパ で活 。 躍 す る彼 女 な ら では の指 摘 だ った 、 、 ヨー ロ ッパと 同 様 日本 でも 両 語 は異 な る意 味 内 容 を も つ。 そも そも 活 動 分 野 が 、 。 ネ オ コンは主 に国 際 政 治 の面 で 米 違う 自 由 の帝 国 ﹂ か ら ﹁デ モク 国 の古 き 自 称 ﹁ ラ シ ー の帝 国 ﹂ ︵ 表現は藤原帰 一のもの︶ への 。 変 貌 を 追 求 す るイ デオ ロギ ーだ 冷 戦 終 結 、 後 の ﹁1人 勝 ち ﹂ 状 況 のな か で 権 力 の表 。 層 へ躍 り 出 たも の であ る 、 、 そ れ に対 し ネ オ リ ベ の方 は 国内 政 策 、 にか ん し て使 わ れ る のが普 通 で 自 由 な 企 、 業 活 動 と 市 場 万能 主義 のも と 規 制 緩 和 や 、 、 民 営 化 を 促 進 し 結 果 と し て 中 間 層 の分 解 ← 格 差 の拡 大 ← 貧 困 の全 般 化 ← 社 会 的 弱 。 者 の切 り 捨 てを も た ら し つ つあ る 、 先 ほ ど ハイ エク の名 を 挙 げ た が ネ オ リ 。 ベ の元 祖 と いう に ふさ わ し い人 物 こ の政 、 策 は ﹁サ ッチ ャー主 義 ﹂ と も 呼 ば れ ﹁年 越 し派 遣 村 ﹂ が悲 惨 な 帰 結 を 象 徴 し た ﹁ 小 。 泉 改 革 ﹂ も 同 じ方 向 を 目 指 し て いた つま リ ネ オ コ ンは 米 国 にし か存 在 し な いが 、 ネ 、 オ リ ベは今 や破 産 寸 前 な が ら これ ま で各 。 国 で の支 配 的 イ デオ ロギ ー だ つた 9 ・H夕の衝撃下に やみ 1 、 2 0 0 1年 9月 1 日 米 国 の中 枢 部 に向 。 け て同 時 テ ロ攻 撃 が お こな わ れ た 想 像 を 、 絶 す る規 模 だ った が これ自 体 は戦争 行 為 、 と 呼 べ ず 捜 査 や処 罰 な ど 司 法 的手 段 で の 、 。 み 対抗 ・ 抑 止 しう るも のであ る ブ ッシ ュ 、 は 習﹂れ は 戦 争 だ ﹂と 叫 び ﹁ 生 死 を 問 わず ﹂ 匿う と 見 な す ア フガ ニスタ ン のタ リ バ ン政 。 権 への攻 撃 を命 令 し た 市民の意見 N0113 2009/4/1 米 国 民 が は じ め て体 験 し た ﹁ 本 土攻 撃 ﹂ 日本軍による ﹁ 風船爆弾﹂をおそらく例外とし ︵ 、 。 て︶だ つた こう し て ブ ッシ ュ ヽ 不オ コ 、 ンを 受 け 入 れ た と も ネ オ コンが ブ ツシ ュ 、 を 受 け 入 れ た と も 言 え る状 況 が 現 出 し 両 。 者 が ほと ん ど 重 な り あ った瞬 間 だ った 米 、 ﹂の ﹁ 国 民 への共 感 も 手 伝 い > 対 テ ロ戦争 ﹂ が 国 際 的 に 一定 の支 持 を受 け た こと も事 実 。 だ 6 日 目 に カ ブ ー ルを 空 爆 、 そ の 事件 から 2 1 カ月 後 に は カ ンダ ハルを 陥 落 さ せ た。 親 米 派 の カ ルザ イ が大 統 領 にな った のは 2 1月 、 、 2 2 日 の こと あ ま り にも 短 期 の戦争 であ り これ を 詳 論 し た 本 は な いよう だ 。 大 事 な の 。 は 次 の1占小 だ ろう 対 ア フガ ン報 復 戦争 に 、 よ る 民 間 人 犠 牲 者 は 同時 テ ロ の犠 牲 者 を 、 。 上 回 った と いう 事 実 だ 。 。 二 つ の問 題 が 残 る 一つは 用 語 であ る ブ ッシ ュは 誤 解 の余 地 な く ﹁対 テ ロ戦 争 ﹂ 、 、 、 を 宣 言 し た の に そ し て 日本 政 府 は 多 、 く の国 同 様 、 そ れを 無 条 件 に支 持 し た のに 、 自 国 の行 動 に つ い て は ﹁テ ロと の戦 い﹂ と 和 ら げ た 表 現 で通 し て いる こと だ 。 ﹁戦 争 ﹂ を 放 棄 し た 国 の自 制 な のか ? いやむ 、 し ろ 現 実 の行 為 ・政策 を 言 葉 の スリ カ エ 。 でご ま か す 手 法 に注 意 を 喚 起 し た い 、 0 2世 紀 以 降 のす べ て の戦 争 と 同 じく こ 、 れも 全 面 戦 争 と し て展 開 さ れ た わ け で 後 。 方 や銃 後 にま で戦線 は拡 大 す る そ の重 大 、 な 側 面 と し て 米 国 では ﹁テ ロリ スト ﹂と 。 疑 わ れ た 人 間 の権 利 侵 害 が 頻 発 し た ﹁敵 、 性 戦 闘 員 ﹂ と し て拘 束 C I Aが外 国 にも 、 つ秘 密 収 容 所 と く に グ ア ンタ ナ モ収 容 所 、 への告 訴 な し の無 期 限 の拘留 と 数 かず の 。 問⋮⋮ 、 呼 応 し て日本 も 外 国 人管 理 と 入 国 管 理 、 を 徹 底 さ せ す べ て の入 国者 か ら指 紋 を と 。 ク日 る に いた った 米 に共 通 す る価 値 観 と 、 、 は ま ず 人 権 抑 圧 の こと 生 か く て ま さ し く 日本 は対 テ ロ戦 争 の 一翼 を 担 った のだ 。 や イ ラク戦 争 の犯 罪 を強く 必 要 ク ダ ・フ イ ン は 大 量 破 壊 兵 器 の製 セ サ ム 、 造 に着 手 し タ リ バ ンと つな が り も あ る ク 、 と いう 2大 ウ ソが 世 界 中 にま き 散 ら さ れ 。 イ ラ ク戦争 の準 備 が 始 ま った 、 ネ オ コン筋 に よ れ ば 父 ブ ッシ ュ政 権 が 1991年春︶の際 、 イ ラ ク 軍 を 湾 岸 戦争 ︵ 、 そ の侵略 地 ク ウ ェー ト か ら追 い出 し な が ら バ グ ダ ッド ヘの進 撃 を 断 念 し た あ の 、 ﹁や り 残 し た 戦 争 ﹂ の完 遂 こそ 今 度 の戦 。 争 の真 の目 的 だ った はな か ら 目 の上 のタ 、 ン コブ フセ イ ンを 倒 す た め の大 ウ ソだ っ 、 湾岸 戦争 のさな か 我 われは ﹁ニ ュー ヨー ク ・ た ︵ 、 タイ ムズ﹂ に反戦 の意 見広告を出 した。寒 い時 期 。 本誌 の発行 主 事 務所 での熱心 な討 論を 思 い出す 0 ・ 会 の 京 体 であ る ﹁ 市 民 の意 見 3 東 ﹂が生 ま れた 、 、 。 のは そ の活動 を通 じ てだ った だ が 湾 岸 戦争 、 、 後 日本 は掃 海艇 を 送 り ﹁ 派 兵 国家 ﹂ への道 を 。 歩 み始 める︶ 、 国 連 の議 場 で フラ ン ス代 表 が イ ラク侵 、 傍 聴 者 を ふく 攻 に激 し い反 対 演 説 を ぶち め割 れ る よう な拍 手 が起 こ った シー ンは今 、 も 忘 れ ら れ な い。 も ち ろ ん 日本 を 含 め 世 界 中 で史 上 空 前 の反 戦 デ モが 展 開 さ れた こ 。 ・ ︰・ ・ レC立 じ・ 4 同年 6月︶の ﹁イ ラ ク 情 勢 特 集 ﹂ 本誌 8 号 ︵ 、 ぼ く は ﹁即 時 無 条 件 撤 退 あ る の み 、 3 あ ら ゆ る努 力 にも か か わ ら ず 0 年 3月 。 0 、 2 日 米 英 軍 に よ る イ ラ ク攻 撃 開 始 4 月 、 9 日 に は バ グ ダ ッド 陥 落 フセ イ ン像 が 倒 さ れ る 。 5 月 1 日 に ブ ッシ ュ の主 要 戦 聞 終 。 結 宣 言 が 出 た ア フガ ン戦 争 と 同 じ く 短 い 、 戦 闘 だ った が 先 制 攻 撃 の 口 実 は 今 に いた 。 るも 実 証 さ れ て いな い に イ ラ ク 戦 争 か ら の出 日 と 戦 後 裁 判 の構 想 ﹂ 、 . 。 を 寄 稿 し た 今 読 み返 し ︵ 主 な内 容 は 1 。 原状復帰﹂しかな い 2 正当性なき戦争だから ﹁ 、 旧 ユーゴ の場合 になら い ブ ッシ ュはじめ米政権 要人と小泉 ら有志連合 国 の指導 者 を戦後裁判 に 。 かける フセイ ンは湾岸戦争時 のクルド人 への毒 、 ガ ス使 用 のかど で 主要戦争 犯罪 人と対審 させ . る。 3 ﹁ 戦争 犯罪 ・人道 にた いす る罪 への時効 不適 用 にか んす る鶴年 国連 総会 決議 ﹂がそ の根 、 。 拠︶ 趣 旨 に 変 更 の必 要 は な いと 思 う 、 む し ろ 昨 年 の本 誌 1 1 0 号 に 和 田 春 樹 、 ク が ア メ リ カ の戦 争 が 終 わ った あ と に ア 、 メ リ カ を 裁 き 謝 罪 さ せ る こと が 実 現 でき 。 な か った ⋮ ⋮ と いう こと は ベ ト ナ ム戦 争 反 対 の 運 動 に参 加 し た 私 た ち す べ て の失 敗 市民の意見 N0113 2009/4/1 。 であ る ⋮ ⋮ ベト ナ ム で し た こと を忘 、 れ た 結 果 ア メ リ カ は イ ラ ク で の悲 惨 な戦 争 を 起 こ し た こと は いう ま でも な いク と 書 、 。 いてく れ た こと で 一段 と 意 を 強 く し た 、 ッ 、 ブ シ ユは こ の勝 利 を 開 戦 にあ た り ﹁中 東 全 体 の民 主 化 への第 1歩 ﹂ と 位 置 づ 。 け た ほ か な ら ぬ民 主 化 のた め 実 現 し た パ 、 レ スチ ナ 選 挙 が ブ ッシ ュが テ ロ組 織 と呼 随年 1月︶こ ぶ ハ マ ス の 勝 利 に終 わ った ︵ と は皮 肉 の極 みだ 。 先 制 攻 撃 の根 拠 が な か った こ と を ブ ッ シ ュは いや いや認 めざ るを え な か った。 結 、 、 果 は イ ラ ク 民 間 人 の死 者 数 は も と よ り 。 過剰報復戦争︶ 米 軍 の死 者 数 の急 増 だ った ︵ 、 好 意 的 に 解 釈 し ても フ セ イ ン打 倒 と い 、 う ﹁レジ ー ム ・チ ェンジ ﹂ に は成 功 し た が ヽ 不︱ ンョイ ビルディング︶ 主 的 な 国 づ くり ︵ 。 に は失 敗 し た のだ 、 こ の戦 争 ・ で ネ オ コン の政 策 と ネ オ リ ベ の政 策 が いか に相 互補 完 関 係 にあ るかを 見 。 ルポ ・ てお こう フリ ー ラ ン ス の堤 未 呆 の ﹃ 、 岩波新書︶は 大 メ デ ィ 貧 困 大 国 ア メ リ カ﹄ ︵ 、 ア に属 す る ジ ャー ナ リ ストと 異 な り 急 上 、 、 崩 壊 す る医 療 移 民 と いう 昇 す る貧 困 率 戦 ﹁ 名 の経 済 難 民 な ど 社 会 的 弱 者 に日 線 を あ わ 。 せ て いる 、 著 者 の最 も 鋭 い指 摘 は 弱 者 を 食 い物 に 、 ク ヌ貝困 ビ ジ ネ ス﹂ そ の国 家 レ ベ ル の 。 する も のが ﹁ 戦 争 ﹂だ クと いう 箇 所 であ ろう 本誌前号参昭じ の流 れ のな か 争 の民 営 化 ﹂ ︵ 、 で 戦争 請 負 会 社 が 下請 け ・孫 請 け ⋮ ⋮ の 、 ﹁オ レ オ 錯 綜 し た 関 係 を 巧 み に使 い分 け レ詐 欺 ﹂ より も 易 やす と 貧 困 者 を 軍隊 に釣 り あ げ て いく 仕 組 みを 暴 いて いく 。 、︲ 衝 撃 的 だ った のは 2世 紀 の清 水 徹 雄 君 。 を 詳 しく 取 材 し た こと だ 清 水 君 と は ベト 1968︶に、 ベ ト ナ ム か ら ナ ム戦 争 期 ︵ 、 脱 走 し た 日本 人 米 兵 の名 前 で 徴 兵 制 のか ら く り で前 線 ま で送 ら れ た。 当 時 は な か っ 、 自 己責 任 ﹂ と いう 批 判 た語 だ が 彼 には ﹁ 、 、 も 寄 せ ら れ た が べ平 連 が ﹁ 殺す な 殺 さ れ るな ﹂ の原 理 か ら彼 を 守 り抜 いた こと は 。 選抜徴 兵制 ﹂ はな く 正 し か った 今 では ﹁ 、 、 な って いる のに 現 代 の ﹁ 清水 君 ﹂ は 永 住 権 を も って いると いう だ け の理 由 で州 兵 、 、 に リ ク ルー ト さ れ 過 酪 な 訓 練 の のち イ ラ ク に派 遣 さ れ た の であ る。 や 用 置を め ぐ る 者 干 の考 察 1 ︶ 冷 戦 終 結 後 の 戦 争 の性 格 ︵ 、 米 国 1人 勝 ち の形 で冷 戦 が終 わ ってか ら 。 戦 争 の性 格 に大 き な 変 化 が起 き て いる た と え ば 1 9 9 9年 の ﹁コソボ ﹂爆 撃 だ 、 、 が 人道 的 な危 機 と いう 口実 で N A T 0 。 軍 が セ ルビ アな ど に空 爆 を 加 え た ﹁人 道 、 的 介 入 ﹂ の美 名 で呼 ば れ た が 大 国 に よ る 、 。 ﹁懲 罰 戦 争 ﹂ と いう のが 実 態 だ 結 果 米 。 軍 は コソボ に広 大 な 基 地 を 獲 得 し た 、 、 ア フガ ン戦争 イ ラ ク戦争 は す で に見 、 。 露骨 な ﹁ 報 復 戦争 ﹂ だ た と おり 、 、 両 者 あ わ せ て 大 国 と り わ け 米 国 の利 制 裁 戦 争 ﹂ の時 代 と 言 え そ う 益を はか る ﹁ 。 だ 1人 勝 ち ← ﹁ 単 独 行 動 主 義 ﹂ の矛 盾 が こ こ に は し なく も 現 れ て いる。 、 、 劣 化 ウ ラ ン弾 な ど ま す ま 軍事 的 に は す 残 酷 な 兵 器 を 使 う 精 密 爆 撃 と いう 特 徴 を も つ。 2︶ ﹁1 0 0年 に 一度 ﹂ の 経 済 危 機 は 何 ︵ を 語 るか 10 0年 に 一度と は、敗 戦直 後 の惨状を 、 。 思う とき 日本 には当 てはま ら ぬ話だ 、 経済 にからき し弱 いので 言葉 の面 から 、 、 迫 って いく しかな いが 最初 の段 階 で 金 、 融危機 が ﹁ 実体経済﹂を危 う くす る と言 。 ・リ アル ・ コ とは わ れた 済 ザ エ 実 経 体 ﹁ 、 ノミー﹂の訳語だ。な らば 金 融経済を ﹁ 仮 デリ 想 経 済 ﹂ と呼 ぶ のが適 切 では な いか ︵ 、 バ テイブ =金 融派生商品 ほど 仮 想性 を鮮 やか に 。 派 生 ﹂ と いう 訳 語自 体 は正確 だ 示す 語 は な い ﹁ 、 、 が 語 源 的 には ﹁ 岸 辺 からあ ふれ る﹂意味 であ り つまり ﹁ 実体 経済 ﹂ から の逸脱 ・偏向 の意味 に近 。 い︶ 自 己増 殖 した仮想世界 が実体経済を おお 、 い尽く し支 配す る姿 は 資 本主義 シ ステム 。 の崩壊 状態 でなく て何 であ ろう そう いう 、 議論 がど こからも出 てこな いだ け に 危 機 。 は 一段 と 深刻 と言 わねばな るま い や ブ ツシ ュ政 権 と 日 本 ブ ッシ ュの任 期 に対 応 し た 日本 の首 相 10 市民の意見 N0113 2009/4/1 、 、 、 、 、 5人 だ は 田 の 森 小 泉 安 倍 生 福 麻 、 1 6年9 が 最 長 の在 任 者 は小 泉 ︵ 0年 4月∼0 、 月︶であ り 彼 に話 を 限 ろう 。 、 最 初 の訪 米 で小 泉 は テキ サ スは キ ャ ン 、 プ ・デ ー ヴ イ ッド の山 荘 に招 か れ ブ ッシ ュ と キ ャ ッチ ボ ー ルを し た。 最 後 の訪 米 では 、 ブ ッシ ュに エルヴ ィ ス ・プ レ スリ ー の旧宅 、 に連 れ て行 っても ら い プ レ スリ ー の歌 を ひんし ゅく︶を 買 った 。 歌 いま く って 饗 建 ︵ 、 これ ら の エピ ソード が 示 す よう に 小泉 は 、 日本 の首 相 のな か で 米 大 統 領 と 最 も 親 密 。 な 関 係 を 築 いた 人 間 だ 2人とも世襲政治家︶ 個 人 的 な つき あ い ︵ 、 と と も に 小 泉 は ブ ッシ ュの政 策 の最 も 忠 。 実 な ポ チ でも あ った 2 つの報 復 戦争 を い ち は やく 支 持 し ︵ サ マーワ ヘの陸自とインド 、 、 洋 への海自 の派遣︶ ネ オ リ ベ政 策 の面 でも 、 各 種 の規 制 を 緩 和 し と り わ け 郵 政 の民 営 、 。 化 を 強行 し た ﹁ 改 革 の本 丸 ﹂ と 位 置 づ け 、 郵 政 解 散 を お こな い 反 対 派 に は刺 客 を 差 、 し向 け て 衆 議 院 の3分 の2 の議 席 を 獲 得 し た こと は 記 憶 に新 し い。 、 二者 択 一を 迫 る こ の手 法 自 体 対 テ ロ戦 争 への支 持 を か ち と った 際 のブ ッシ ュの手 。 法 に通 じ る も のが あ る 、 、 戦 後 日 本 で は 左 翼 にも 右 翼 にも 強 硬 、 な 反 米 派 が いた が 近 年 日本 人 のナ シ ョナ リズ ム は も っぱ ら 中 国 や北 朝 鮮 に向 け ら れ 、 。 る よう に な って いる 関連 し て 小泉 の靖 、 ネ オ コン的 な 要 素 を も 国神 社 参 拝 強 行 は 。 感 じさせる 手 今 後 の展望 に か え て 新 大 統 領 オ バ マの政 治 力 には未 知 数 が多 、 り と あ え ず 2点 を 指 摘 し てお く 。 いが 1 つは経 済 危 機 克 服 のた め思 い切 った 支 、 。 出 を し て いる ﹁ 銀 行 国 有 化 ﹂の声 さえ あ り 共 和 党 が伝 統 的 に追 求 し てき た ﹁ 小 さな政 府 ﹂ から ﹁ 大 き な 政 府 ﹂ への転 換 を し つ つ 。 あ る 少 な く と も 従 来 のネ オ リ ベ路 線 と は 、 ネ オ コ ン的 な 単 独 行 動 一線 を 画 さざ るを え な く な って いると 見 え 。 フ つ 外 交 政 策 では 主 義 か ら 国 際 協 調 路 線 へ舵 を 切 ろ う と し 、 。 て いる よう であ る と く にイ ラ ク か ら は 2 0 1 1年 ま で の軍 の完 全 紋 退 を 決 め た 。 主 要 に民主 党 の戦 争 だ った ベト ナ ム戦 争 と 、 同 じく 米 兵 を イ ラ ク人 に置 き 換 え る段 階 、 を 経 て 終 結 の過 程 に入 った と 言 え そ う だ 。 、 、 他 方 ア フガ ン戦 争 に ついては す で に 1万 7 0 0 0人 の増 派 を 決 めた 。 客 観 的 に 、 は対 テ ロ戦争 の主 戦 場 と し て 本 格 的 な ﹁ベ ト ナ ム戦争 化 ﹂ の道 を た ど り つ つあ る のだ 。 ﹁諸 帝 国 の墓 場 ﹂ と 呼 ば れ る ア フガ ニ ス タ 、 ン では アレ クサ ンダ ー大 王 ま でさ か のぼ 、 、 ら な く と も 大 英 帝 国 も 旧 ソ連 も 敗 退 を 。 米 軍 が 同 じ 運命 を た ど 喫 し た歴 史 が あ る 。 る公 算 は大 き い 対 す る麻 生 は ど う か ? 安 倍 内 閣 で外 務 、 大 臣 にな った と き ブ ッシ ュの中 東 民 主 化 、 、 路 線 の尻 馬 に乗 って 東 北 アジ アか ら 中 、 、 央 アジ ア ・コー カ サ スを 経 て 中 ・東 欧 自 由 と 繁 栄 の弧 ﹂ バ ルト 海 にま で延 び る ﹁ の形 成 に協 力 す ると いう 壮 大 な ヴ ィジ ョン を ぶち あ げ た こと が あ る。 首 相 にな った今 、 、 こそ これ を 語 る絶 好 のタ イ ミ ングな のに 。 一言 も 触 れ な いのは奇 妙 だ お そ らく 外 務 官 僚 の作 文 を オ ウ ム返 し に し ゃべ っただ け 。 な のであ ろう 。 4 日 、 日米 首 会 談 が 2月 2 脳 急 還 開 か れた 冒 頭 オ バ マは ﹁日米 同 盟 の強 化 は米 国 の ア ジ ア に お け る 安 全 保 障 の礎 石 G Iナー ス トーンこ と 述 べた が 、 これ が自 明 のよう に 、 語 ら れ る こと 自 体 ブ ッシ ュ ,小 泉 関 係 の 。 負 の遺 産 と 思 わ ず に いら れ な い 外 交 が 得 意 ﹂ と いう 麻 生 の影 は薄 か っ ﹁ 。 く 追 った が 、会 談 を た テ レビ 報 道 注 意 深 、 の前 日 と 当 日 N H Kは ﹁ 対 テ ロ作 戦 ﹂ と 。 いう 語 を 用 いた 日英 両 語 で新 聞 を チ ェ ッ 、 クし た が ど こ にも そう で つ単 語 は発 見 で き な か った 。 N H Kが確 か な 情 報 源 な し に、 こんな 微 妙 な 単 語 を 使 う はず が な い。 往 路 、 の機 内 で 外 務 省 官 僚 が ブ リ ー フイ ング中 。 に洩 ら し た 用 語 ではあ るま いか これま で 、 幾 多 の外 交 交 渉 で 翻 訳 の詐 術 を 操 ってき 、 。 た外 務 省 の勇 み足 ま こと に恐 る べし 、 たかはし 。たけとも 本誌編集委員︶ ︵ 市民の意見 N0113 2009/4/1 労 働 者 の生 存 権 を 守 る 京 品 ホ テ ル聞 争 。 一の債 権 者 だ サ ンライズ は昨 秋 破 た んした米 。 国 リー マン ・ブ ラザ ーズ の中心的企業 であ る 2 0 08年 5月 1 日、ヨ昼爪ユニオ ン 上爪品 、 。 口 員∞名 最大時で0 組△ 7名こ 結 成 を 通 知 支部 ︵ 5月 8日に第 1回団体交 渉を開催 。 この交 渉 で な アルの経営主体︶の小 林 誠 京 品実業株式会 社 ︵ 社 長 が ﹁関 係 者 で協 議 し て土 地 ・建 物 を 売 却 。 0 0 日 に会 社 を 廃 業 し 月2 す る こと を 決 めた 1 。 従 業 員 を 全 員 解 雇 す る と 冒 頭 に発 言 理 由 ﹂ 0 円 以 上 の債 務 が あ り、 土 地 ・建 を 売 は6 億 物 、 、 却 し て清算 をす る 退職 金も払 え る と い つも 0%の退 130名分の退職金原資は、4 のであ った ︵ 。 職付加金を含め2000万円強︶ 古屏桜会 員 ホ テ ル やリゾ ート地 でのホ テル経 営 の失 敗 など は従 業 、 員 に周知 の事実 だが 本 業 の京 品 ホテルや飲 食 、 1 店 は直 近 2年 で売 り 上 げ 1億 円 1億 円 前 後 、 。 の営 業 利益 が出 て いた 当 然 組合 は廃 業 ・解 雇 の撤 回と 経 営 資 料 等 の提 示 によ る債 務 の詳 、 。 細 説 明を求 め 団体 交 渉 を繰り 返 した 0 日ま で連 日、交 渉 を 持 った。 0月 2 展日 の1 解一 しかし ﹁ 売 買契 約 が成 立 し て いる ので廃 業 ・解 一 尾の決 定 は変 え ら れ な い﹂﹁ 売 買 契 約 は守 秘 義 ● 第 1 回 団 体 交 渉 で 廃 業 ・全 員 解 雇 の 通 務 があ る ので説 明 でき な い﹂と い つ小林 社 長 の 告 ! ﹁京 品 間 争 ﹂ が 開 始 さ れ る 、 0 J R品 川 駅 ・高 輪 日の京 品 ホ テルは 1871 く 日 の 団 1月 2 発 言 は変 わ らず 0 遅 体 交 渉 夜 、 、 。 ︵ 明治4浮士創業十現在一 昭和5︶ は打 ち切 られ 廃業 と全 員解 一 のホテルは 1930 ︵ 展は強行 された 。 年 に建 設 さ れた港 区 の ﹁ 歴史 的 建 造 物 ﹂ であ る ● 社 会 的 共 感 が 京 品 ホ テ ル の問 いを 支 え 。 自 主 営 業 ﹂ に突 入 約 130名 の従 業 員 の多 く は有 期 雇用労 働者だ た ﹁ 京 品 実 業 は唯 一の債 権 者 であ る サ ン ライズ ﹁リ ー マング ループ に営 業 譲 渡 さ れ る﹂と い 、 う 噂 か ら 組 合 づく り が は じ ま る。 登 記 簿 等 の意 向 を 無 視 し て労 使 紛争 を 解 決 でき な いの 、 によると サ ンライズ ファイ ナ ンス株 式 会 社 が唯 で 組 合 では サ ン ライ ズ を 使 用者 と す る 不 当 、 労 働 行 為 救 済 申 立 を し 従 業 員 の解 雇無 効 の 。 仮 処 分 を 求 め る訴 訟 を 起 こし た 0億 円 前 後 です べて の債 権 の サ ンライ ズ は 2 、 。 唯 一の債 権 者 と な った そ のと 譲 渡 を受 け た ん に不 良 債 権 の山 であ った 小 林 社 長 の借 金 、 は 品 川 駅 前 にあ る 一等 地 3 0 0坪 弱 の土 地 。 を売 却 し て大 も う け が でき る話 に大 変身 し た 、 や る気 のな い無 責 任 な 小 林 社 長 は 巨 額 の借 、 金 を 清 算 でき る し 一族 に は 6億 円 弱 が 入 る 、 と いう 構 図 だ か ら リ ー マング ルー プ の売 却 。 話 に の った 買 い手 は今 年 2月 に設 立 さ れ た 。 資 本 金 1 0 0 万 円 のLC ホ テ ルズ だ サ ン ラ 、 イ ズ が 融 資 を し てL C ホ テ ルズ が 買 え ば 僅 。 かな資 金 で路 線 価 側億 円 の土 地 を 取 得 でき る サ ンライズ が転 売 し てシ ョッピ ング モー ルなど 。 を つく れ ば 100億 円を超 え る売 り 物 とな る 、 歴 史 的 建 造 物 であ る京 品 ホ テ ルを 守 り 廃 業 や解 雇 を 認 めず 店 舗 や ホ テ ル の営 業 再 開 を 、 0月 ︲ 日 か ら 合 員 が 合 活 動 求 め て 昨年 1 組 組 2 団体行動権 の行使︶と し て飲 食 店 3店 舗 と ホ ︵ 。 テ ル の自 主 営 業 を 始 め た ホ テ ル前 で の ﹁ 京 、 品 ホ テ ル の存 続 を 求 め る﹂ 街 頭 署 名 活 動 に は 近 所 の方 は も ち ろ ん ﹁お 母 さ ん に言 わ れ た ﹂ 、 、 と いう 小 学 生 外 国 の商 社 マン 上 京 し た ビ 、 ジ ネ ス マン ホ テ ル出 入 り の業 者 な ど が応 じ 。 0日 2 る 3 1月末 で 間 で 2万筆 を 越 え る 署 名 ︵ 5万筆︶が 寄 せ ら れ た。 職 場 存 続 を 求 め る聞 、 いは ﹁明 日 は わ が身 ﹂ と 受 け 止 め る多 く の 、 人 の共 感 を 得 て 労 働 組 合 の枠 組 みを 超 え た 。 闘 いに変 容 し た ワ ″ 市民の意見 N0113 2009/4/1 2月 27日 の 「 京品ホテル包囲 ・高輪デモ」(提供 ・渡辺秀雄) ● 自 主 営 業 は ﹁派 遣 村 ﹂ に つ な が る 生 存 権 を 守 る 聞 いだ 、 小 林 社 長 が 団 体 交 渉 を 一方 的 に打 ち 切 り 、 営 業 を 放 棄 し た た め 組 合 員 は やむ に やま れ 、 ず 自 主 営 業 と いう 間 争 手 段 で 廃 業 ・全 員 解 一 展 の撤 回 を 京 品 実 業 と 債 権 者 のサ ン ライズ に 。 要 求 し続 け た 自 主 営 業 は手 探 り で始 め たも 、 取 引 先 業 者 は自 主 営 業 に協 力 し てく 、 、 連 日 お 客 様 が たく さ ん来 店 し ﹁リ ー のだ が 。 れた マンに負 け る な !﹂ と 蟹 尾さ れ た 組 合 員 を激 、 。 励 し てく れ た 自 主 営 業 は 対 面 で接 客 でき 、 、 ると いう こと で 職 場 が交 流 の場 と な り 組 、 合 員 が 日 々勇 気 づ け ら れ ﹁ 京 品 闘 争 ﹂を 継 。 続 さ せ る エネ ルギ ーを 生 み出 し た 廃 業 し た ホ テ ルや飲 食 店 で の自 主 営 業 は違 、 法 で は な いか と いう 質 問 を 受 け る こと が 、 。 あ った ニオ ンは 団 交 渉 が拒 否 さ 東 京 ユ 体 第1回目の交渉から ﹁ 売買契約 の締結﹂ れ た ので ︵ 、 が解雇理由 としか説明しな い不誠実交渉でもあ っ 、 た︶ 組 合 活 動 ︵ 団体行動権 の行使︶と し て自 主 営 業 を 行 な い廃 業 ・解 雇 の撤 回 を 求 め たも の 。 であ る 建 物 を 占 有 す る こと は 正 当 な 組 合 活 。 動 であ ると 裁 判 所 に対 し ても 主 張 し た 京 品支 部 は ﹁ 年 越 し 派 遣 村 ﹂ の活 動 にも 参 、 加 し 健 康 上 の問 題があ る入村 者 を ホテルに受 、 け 入 れ 炊 き 出 し 用 の大 鍋 な ど の貸 し出 し を 。 行 な った ﹁派 遣 村 ﹂ の会 場 と な った 日比 谷 公 園 の使 用 に ついて違 法 性 があ っても 誰 も そ のこ 、 と を 指 摘 でき な いし 厚 生 労 働 省 が 講 堂 を 開 放 し た 金遅法性が解消された︶のは労 働 者 の生存 。 権 を否 定 でき な か ったた め であ る 京 品 ホ テル 。 でも 同 じ ことが言え る 自 主営業 は組合 員 の生 。 一 展用確保︶の保 障 を求 める聞 いでも あ る 存権 ︵ 立 退 き ﹂ の決 定 と 強 制 執 行 に よ ● 不当 な ﹁ る 暴力 的な 排 除 、 1月 5日に 品 1 京 実業 は 組合 の自主営業 によ っ てホテルを売却 でき な いことを理由 に ﹁ 立退き ﹂ 。 しんじん、 の仮 処 分を申 し立 てた 仮 処分 の審 尋 ︵ 裁判所が民事訴訟の当事者や証人などに書面または田 2月 1 7日に打 ち 切 ら 頭で詳しく問いただすこと︶が 1 、 5日に出された。 れ ﹁ 立退き﹂の決定 が1月 1 、 と ころで 審 尋 の過 程 で買 い手 のLC ホ テル 、 。 ズ が売 買 契 約 を解 除 し た 理由 は 二 つあ り 一 つは京 品 ホテルの存 続 を求 める署 名 が 5万筆 を 、 越え 社会 問題化 した京 品 ホテルの従 業 員 を解 つこと。 一 展して購入す ること で批判を受 け てしまヽ 5 円 一ろ 日 は不動産 価 格 の下落 で実勢価 格 は 2 億 、 0 程 度 となり 売 買 契 約 で定 められている 5 数 億 。 円 では大損 になると い つ現実的な問題 があ った 売 買 契 約 が事 実 上 破 た んし保 全 の緊 急 性 が 、 薄 ら いだ にも かかわ らず 十 昼泉地裁 は ﹁ 立退 き﹂ 。 の決 危 を出 した しかも この決定 では ﹁ 事業 の 、 、 決 定 は 事 業 者 が自 由 に行 い得 るも のであ り 従 業 員 にお いて争 う こと が でき な い﹂ ﹁ 仮 に解 一 展が解 雇権を濫 用 したも のとし て無効 であ ると 、 、 され ても 使 用者 が事 業 を廃止 した場合 に こ れ を 再 開す るよう 請 求 す る権 限 は従 業 員 にな 。 い﹂と述 べて いる 大 不況 で会 社 整 理 やリ スト 、 ラの増大 経営 者 の利益確 保 のため の偽 装 倒 産 、 が横 行 す る時 代 に 労 働 者 は何 の異 議 申 し 立 。 。 ても でき な い 極 めて理不尽 な決 定 であ る 、 5日 1月 2 早 朝 1 0 0 0名 を 越 え る警 視 庁 、 。 機 動 隊 ら に よ って 強 制 執 行 が 行 な わ れ た 前 夜 か ら 集 結 し た支 援 者 ら 3 0 0名 が スク ラ 、 ムを 組 みピ ケを 張 って呆 敢 に抵 抗 し た が 1 。 時 間余 の闘 いでホ テ ルか ら 排 除 さ れ た 自 主 。 7 営 業 も 9 日 目 で断 ち 切 ら れ た ● 聞 い の 次 の ス テ ー ジ は ユ ニオ ンが つく る 、 組 合 員 は 聞 いの旗 を 降 ろ さず 闘 い続 け れ し て いる。 ば の は 開 け ると 勝 利 道 信 確 8 日、 総 評 会 で 闘 争 1 0 0 日 突 1月 2 館 ﹁ 破 ︱ 京 品 ホ テ ル闘争 勝 利 ︱ 連 帯 集 会 ﹂ が 開 、 、 。 催 さ れ 2 5 0名 が 参 加 し た ま た ﹁解 雇 7日 には 京 品 ホ テ 1 3 0 日 ﹂ にあ た る 2月 2 ﹁ 、 ル包 囲 ・高 輪 デ モ﹂を 設 定 し み ぞ れま じ り 、 の悪 天 候 の中 で 2 3 0名 が参 加 し て 地 域 デ 。 タイトル写真︶ モを 行 な う こと が でき た ︵ 強 制 執 行 は労 使 紛 争 の解 決 に何 の役 にも 立 。 たな い 一 債権の回収をす 示品 ホ テルを売 却 す る ︵ る︶た め には労 使 紛争 の解 決 が 不 可欠 だ。債 権 者 のサ ンライズ が動 かなけ れば全 面 的な労使 紛 、 争 の解 決 が でき な いし サ ンライズ には労 使 紛 。 9日にはサ ンラ 争 を解 決 す る責 任 があ る 3月 1 リーマン ・ど フザーズ︶の拠 点 であ る ﹁ イズ ︵ 六本 、 木 ヒルズ ﹂を 1000人 のデ モ隊 で包 囲 し サ ンライズ に対 し て労 使 紛争 の全 面 的解 決を追 る 。 集 会 と デ モを 行 な う 争 議 を 勝 ち に導 く 第 2 0日記︶ 3月1 ステージ は ユニオ ンが つく る。 ︵ 、 わたなべ ・ひでお 労働組合東京 ユニオン執行委 ︵ 員長︶ 市民の意見 N0113 2009/4/1 13 1266 22‐ 18オフィスKビルlF 東 京ユニオン京品支部 TEL:0 ●支援先 :〒 100023 新 宿区西新宿 7‐ 増 え る 母 子家 庭 見 え な い 自 立 への道 福 岡 県 では パー ト の多 く は時 給 7 0 0 円 で 、 。 あ る この時 給 で9時 から 4時 ま で 休 憩 1時 、 0 日間働 いたと した 間を 引 いての6時 間 月 に2 、 ら いく らにな るか。 月 に8万 4000円 年 収 。 で100万 8000円 であ る 1日 7時 間 働 い 。 たと し ても 117万 6000円 に過 ぎ な い こ 、 の金 額 では児 童 扶 養 手 当 が満 額 支 給 さ れ るが 、 そ の年 額 ︵ 錨年︶は子 ども 1人 で側万 640円 6万 640円 ︵ 2人目分ではなくて、2人合 2人 で5 、 わせてである︶で パート収 入と合 わ せ ても それ 。 ぞ れ 160万 円足 らず にしかな らな い 多 く の 、 パート の求 人 では交 通費 の支 給 も な いので い き お い自転車 通勤 圏内 で探 す こと にな る。 子 ど も が 小 さ いう ち は い いか も し れ な い 、 が 手 がかからな く な る のに つれ てお金 がか か 、 ごく 一部 の例を 紹 介 し た い。なお 例 に挙 げ た 、 ケー スは これま での相 談 経験 を 元 に典 型 的 な 。 例を創 作 したも のであ ることを お断 り し ておく ま た 母 子家 庭 の実 態 や母 子家 庭 む け 政 策 等 に 、 、 ついて関心 のあ る方 は 厚 生労 働省 のHP の他 当 事 者 団 体 であ る N PO法 人 し んぐ るま ざ あ 、 。 国 に よ る 母 子 家 庭 対 策 は 現 在 ① 子 育 て , ず ・ふお︱らむ のHPを ぜひのぞ いてほし い 、 、 、 生 活 支 援 ② 就 業 支 援 ③ 養 育 費 の確 保 ④ ③ ひ と り 親 の 子 ど も への 思 い 、 、 0 Aさんは3 代前半 で 小学校低学年 と未 就学 経 済 的 支 援 の4本 柱 とな って いるが 母子家 庭 、 、 。 の子どもが いる 離 婚 ほ夫 のDVが 原 因 で 最 が 増 加 す る 中 そ の重 点 は児 童 扶 養 手 当 の支 、 、 近 以前に暮 らした こと のある福 岡に越 し てき 給 等 の④ か ら② の就業 支援 策 へ つまり ﹁ 福祉 。 。 。 た と い っても知 り合 いはほと んど いな い 子 から一 展用 へ﹂と 大 きく 移 され て いる 、 ど もを学校 に送 り出 し てから帰 ってく るま での 母 子 家 庭 が 福 祉 に頼 らず 母 の稼 ぎ で人 並 み 、 す なわち9時 から 4時 ぐら いま での間 に 自宅 の生 活 を 送 れ る よう にな る⋮ ⋮ そ れ は 目指 す 、 。 。 の近 く でパート で働 きた いと思 っている べき 方 向 と し ては望 ま し いことだ ろう しかし 以前 の福 祉 レベルで母 子家 庭 が安 心 した生活 を 、 送 れ て いた かと いう と 決 し てそう ではな か っ 、 たし 現 在 の就 業 支 援 策 が有 効 に働 いて いるか 、 と い つと そ れも ま たかなり 疑 間 であ る。 、 私 はキ ャリ ア ・カウ ンセラーと し て 福 岡 県 で母 子家 庭 の母 親 の就業 相 談 に週 に1回乗 って 、 。 いる そ こで毎 回実感 す る のは 女 性 自 身 の就 、 業 意 欲 が いか に高 く ても 現実 には食 べていけ るだ け の就 業 を 阻 む 壁 が何 重 にも 取 り 巻 いて 。 いると いう こと であ る つま り多 く の母子家 庭 、 は 就 業 支 援 が実 質 的 に機 能 し て いな いまま に 、 福 祉 が削 減 さ れ ると い つ 非 常 に厳 し い現実 の ま っただ 中 に置 かれ ている のであ る。 、 こ こ では 母 子 家 庭 の母 が 再 就 職 ・転 職 を 、 目指 す 時 にど んな問 題 に直 面 す る のか に ついて 。 る こう う で い 条 件 仕 事 を 探 す 女 性 に対 し て 、 まとも に働 く 気 があ る のか﹂ は ﹁ 考 え が甘 い﹂﹁ と いう ふう に思う 人も いるかも しれな い。 、 離婚 女 性 がす べて不幸 なわけ ではな いし 子 ども のた め にも 離婚 が ベストな 選 択 だ った場 合 、 も あ る。 し かし それ でも 親 の離 婚 ・転 居 ・転 校 など が子 ども にと つて負 担 であ ること は事 実 、 であ り 適 応 す るま でに 一時 期 不 安 定 にな って も 不 思議 はな い。そう で つ時 期 には就業 を セー ブし てでも 不安 な子 ども に 一時 期 きち んと つき 、 と が 後 のち のために非 常 に重要 な場 合 ﹂ 合う ︼ 、 。 があ る しかし 数年 このよう な就業 を続 け て 、 いく と 収 入 増 が図 れる ステ ップ ア ップを す る 。 ことが難 しく な るのを想像 す る のに難 く な い 、 ま た 児 童 扶 養 手 当 の支 給 に は所 得 制 限 が 、 父からの養育費の8割 あ り 控 除 後 の年 間所 得 ︵ 、 7万 円 、 相当額も加算︶が 扶 養 親 族等 が 1人 で 5 5万 円を超 え ると全 額 支 給 から 一 2人 で9 部支給 、0 。 に切 り 替 え られ 1 なされる 円 の 単 減 額 が 位 、 5万円 から つまり 子 ども が2人 の場合 所 得 が 9 、 26 8 万 円 に増 加 す る間 は 児 童 扶 養 手 当 も 、 ど んど ん減 らされ て 給 与 が増 え ても総収 入 の 、 伸 びは抑 え られ そ の後 は完 全 に支給 停 止とな 。 る仕組 み にな って いる のであ る ③職業訓線を受ける余裕がな い 。 0 Bさん は3 代後半 で3歳 の子ど もが いる 出 。 産前 は派 遣 で働 いていた 今 はパ ートと実家 か 、 ら の援助 で何 とかや っているが 将来 のことを 、 、 資 格 をと って 一生 続 け られる仕事 に 。 思うと 就 きた いと思う 14 市民の意見 N0113 2009/4/1 0 Dさんは4 代後半 で高校生と中学生が 1人 ひ 。 つ 小規模 な会 社 の正社 員とし て事務 ・総務 ・ 。 5 簡単 な経理など何 でも や ってきた 税 込 み2 万 、 っ や と の 思 い で買 った 中 古 マ 円 の月収 か ら 0 ー ンも払 っている。と ころが 最近 、 ョ 3 0 0 0 ン シ ン ロ の ﹁ 額 も 市 町村 税 非 課 税 世 帯 で月 額 1 特 別 な 技 能 も 資 格 も な い﹂ と自 認 す る女 性 万 、 、 。 。 は多 い 五 日工 刊な ら ﹁ だか ら事 務 でも ﹂と言 っ 円 同 課税 世 帯 で5万 1500円 でし か な い 経営者が 変 わり 来月 で辞 め て欲 し いと いわれ 、 、 。 たも のだ が 現 在 の 一般事 務 の求 人 は パソコン ・ つま り 奨学 金 や学 費 ロー ンを利 用す る にし て ている 、 、 も 2∼ 4年 の生活 費 を貯 め て持 って いる人 で ソフト のワー ド と エクセルの技 能 が ほぼ必須条 離 婚 前 から正社 員 で働 いてき た女 性 は 勤 め 、 、 。 な け ればと ても 利 用 でき な い制 度 な のであ る 件 であ り 誰 に でも でき る仕 事 ではなく な って 続 け られ る のなら余 裕 はなく ても何 と かな るが 、0 0 、 、 。 。 いる 意 外 に思 われるかも しれな いが 2 実 家 で生活 し て いる場 合 は いいかと いう と 今 代3 離婚 に伴 い転 居を強 いられ る場 合 も多 い ま た 、 代 の女 性 でも 職 場 にパソコンが本 格 的 に導 入 度 は親 の収 入 が合 算 さ れ て支 援 対 象 か ら外 れ 最 近 は リ スト ラやパワ 合 フで辞 めざ るを得 なく 、 。 。 され る以前 に結 婚 ・出産 など で退職 した者 そ な ったと いう 相 談 も 増 え て いる Dさ ん のよう てしまう こと があ る 生活費 援 助 のな い職 業 教 、 、 し て学 校 でも パ ソコン教育 を受 け な か った者 が に経 験 があ っても 中途 採 用 の 一般 事 務 の相 場 育 制 度 は そ れが本 当 に必要 な人 にと っては画 、 。 。 5 に描 いた餅 でしかな いのだ は正社 員 でも 1 少 なく な い 一般 事 務 の求 人倍 率 が非 常 に高 い 万 円 が いいと ころであり そ れ 、 。 でも応募 者 が殺 到 し ている 現 在 基 礎 講 座 を受 講 し た 程 度 では就 職 は お ③ 資 格 や 経 験 が あ って も 活 か せ な い 、 Cさんは0代 前半 。何とか正規 の職 に就 き た ぼ つかな いのだ が それさえ も時 間 的経 済 的余 Dさ ん は前 年 の収 入 が多 いた め に児 童 扶 養 4 、 。 。 いと 思 い 自費 で医療事務講座を受講 し資格 を 裕 がな いた め受 け られな い人も多 い 手 当 は支 給 対 象 外 雇 用 保 険 が 切 れ る前 に再 、 。 と った しかし 求 職 し てみると ﹁ 児 童 扶 養 手 当 支 給 水 準 世 帯 の母 親 向 け に 要経験 ﹂が 就 職 を決 めな いとたちま ち行 き 詰 ま ること にな 、 、 、 、 。 ー は 高 にな っている ことが 多 く る 費 と いう 国 の あ 能 訓 進 度 が 条 件 結 局 別 の パ そ の見 通 しは厳 し い 等 促 制 が 技 練 、 。 ト職 に就 いた。 る これ は 2年 以上 の修 業 が必 要 な資 格を取得 この他 にも 短 時 間 の上 に不 規 則 な シフト制 、 、 8 カ月︶に 上限1 す る場 合 修 学期 間 の2分 の1 ︵ そ れほど高 度 でな い資 格 を 自費 あ る いは無 のパート が増 え てダブ ル就 業 を し よう にも でき 、 、 。 な い 家 族 の誰 かが心身 を壊 したとたんに生活 ついて経 済 的 な 支 援 をす るも の 対 象 とな る の 料 の講 座 で学 んで取 る人 は多 いが ここにも 問 、 、 。 は看 護 師 ・介 護 福 祉 士 ・保 育 士 ・理 学療 法 士 ・ 題 は多 い 業 務 独 占 資 格 でな い場 合 同 じ 年 のす べてが崩 れ る 子 ども が いると いう だけ で 。 作 業 療 法 士 ・教 師 な ど の専 門 資 格 返 済 の必 齢 で資 格を取 り た ての人と資 格 はな いけ れど経 、 、 、 。 しかし これらは母 子家 庭 特 有 の問題 であ ろ 要 がな いので 非 常 に良 い制 度 のよう に見 え る 験 5年 の人 が いた場 合 どち らが採 用 さ れ るか 、 、 。 う が 利 用 でき る条 件 にあ る人 が ほと んど いな い 言 う ま でも な く 後 者 であ る 資 格 な し で採 用 か ? 実 は 母 子 家 庭 の母 の悩 み の大 部 分 、 、 。 0 と い つ不 思 議 な 制 度 でもあ る。 され るのは 新卒 か 2 は 代 ま でだ ろう 子 ども を 抱え る女 性 の従 来 から の悩 みと共 、 、 。 資 格 取 得 に は 大 学 や 専 門 学 校 な ど で学 ぶ 経 験 がな いから採 用 されな い だ から経 験 を 通す るも のであ るし 低 賃金 能 力 ・資 格 や経 、 、 、 こと にな る が 専 門 学 校 では 毎 年 の納 入 金 が 積 みた いのに そ の場 所 がな いと いう のが 現状 験 の問題 非 正規 雇用 から正規 雇 用 に移 る困難 、 。 100 円 を に え ることも らしく な い。 さ る め で あ 万 超 ず 等 に悩 む 人 は 労 働 の規制 緩 和 と不況 の波 の 優 、 、 、 。 ど れも かな り の勉 強を要す るも のな ので 育 児 中 で 男 性 の中 でも ど んど ん増 え て いる ただ 母 子 家 庭 には そ れ ら の問 題 が最 も 端 的 に現 わ 、 。 れ 出 日が ほと んど見 え な い状 態 だと いえ よう 、 もう 1 つ母 子家 庭 の深刻 さを挙 げ れば そ の困 に加 え て就 業 と も 両立と い つわけ には いかな い 、 、 。 た めに 生 活 費 も 必要 であ る そ れな のに 支 、 援 が出 る のは後 半 の2分 の1 の期 間 であり 月 市民の意見 N0113 2009/4/1 15 難 さ が 間 髪 を お かず に次 の世 代 に受 け継 が れ 。 てし ま う と いう こと であ る 失 業 の深刻 さ は 、 ど の家 庭 でも 同 じ だ ろう が 働 き手 になり 得 る お と な が 1人 か 2人 か と いう のは や はり大 き な いと 言 え よう 。 違 、 はせがわ ・のぶこ キャリア ・カウンセラー︶ ︵ ﹁年 越 し 派 遣 村 ﹂ の意 義 と そ の 後 の課 題 、 9 0年 の年 始 め 東 京 ・日 比 谷 公 園 に開 村 し た ﹁ 王 ︱ スが多 く の関心を 年 越 し派 遣 村 ﹂ の一 、2 ︲ 、 。 月 3日から 1月 5日ま で 実 集 めた 私 は 1 。 行 委 員 の1人 と し て参 加 した 、 開 村前 か ら待 って いた人を含 め 開村式 には 、 、 入村 者 ボ ラ ンテイ ア 報 道 陣 が 5∼6000 、 。 人 集 ま り 大 混 雑 の中 始 ま った 入 村 宿 泊 者 、 は 1月 1日 には 300人を超 え 屋根 が足り な く な り 、交 渉 の末 2日 に厚 生 労 働 省 の講 堂 を 、 。 開 け させた 3 日 ・4日と正 月 休 みを返 上させ 、 厚 生 労 働 省 に追 り 5 日以 降 の屋 根 と 食 の確 、 、 保 総 合 労 働 相 談 窓 日 の開 設 生 活 保 護 申 請 、 。 の迅速受 理 支 給 対応 など多 く の成 果を上げ た 5 日 間 で 入 村 者 5 0 5 名 、 ボ ラ ン テイ ア ー674人 、集 ま った物 資 カ ンパは大 量 で、米 、 、 、 リ ンゴな ど の果 物 タオ ル ホ ツカイ や野 菜 、 、 口 マスクな どが大 量 にあまり 関連 団体 に引 き 取 っても らう 状 況 だ った。 カ ンパも 村 のカ ン パ箱 に入れられた 2500万円超 と銀 行 振 り込 。 みを合 わせ5000万円近く にな った 。 あ っと いう 間 の6日間 だ った そ こで感 じ た 、 問 題 そ の後 引き継 がなけ ればならな い問 題点 、 を 以下 報告 す る。 1.﹁ 非 正規 雇 用 問 題 は 貧 因問 題 で あ る ﹂ こ 、 。 と を 頭在 化 さ せ 社 会 化 さ せ た 、 、 日本 でも 急 速 な 非 正 規 化 が進 行 し 格 差 、 が進 み 年 収 200∼ 300万円 の労 働 者 の問 、 。 題 が指 摘 された 我 わ れも ハイ ウ ェイ の料 金 、 収 集 労 働 者 の年 収 が 民 営 化 非 正 規 化 の中 で 、 、 急 速 に引き 下げ られる中 むしろ旗 を掲 げ 貧 、 、 春 間 に取 り 組 んだ り 語 者 の行 進 を 提 起 し 学 学 校 の有 期 雇 用 契 約 外 国 人 講 師 の ﹁公 正 な 労 働 =ジ ョブ セキ ユリ テイを求 め る マー チ ・イ ン ・マーチ﹂ に取 り 組 む な ど の活 動 を 始 めた。 、 しかし このよう な取 り組 み の全社会 的 波 及 は 、 。 そ う 簡 単 には進 ま な か った 提 起 の当 初 ﹁ 世 界 第 2位 の経 済 大 国 で貧 困 が問 題 にな る のか﹂ と の疑 間が出 された ほどだ った。 、 今 回 の年 越 し 派 遣 村 の取 り 組 み は 派 遣 労 、 働 を はじ めと す る非 正 規 雇 用 制 度 が 労 働 者 、 を 人 間とし て扱 わず 商 品 =物 扱 いし て いる こ 、 、 、 、 と そ の中 で 職 を奪 わ れることが 即 食 を 、 奪 わ れ 屋 根 を 失 う こと に直 結 し てし ま う こ 、 と それほどま でに日本 のセー フティネ ット が 、 底 割 れし ていること 貧 困問題 が日本 社 会 の中 、 に深 く根 ざ し この克 服 のため の闘 いが待 った な し の問 題 であ る こと を 。 た 、 満 天 下 に明 ら か にし 0年 間 、 造 改 革 の名 の下 に、 争 と ここ 2 競 構 、 無 権 利 状 態 に追 い込 ま れ 労 働 者 同 士が分 断 ・ 、 。 対 立 させら れ てき た そ の中 で蓄 積 され てき た 、 、 人びと の怒 り 鬱積 した思 いが噴 出 し 年 越 し 派 遣 村 に巨 大 な 手不ルギ ーを 集 め る こと にな っ 。 た . 2 5 0 5 の 入 村 者 と 1 6 7 4人 のポ ラ 人 、 、 、 ン テイ ア ︵ 市民運動 反貧困運動 個人 労働者︶ の結 合 体 と そ れ を 支 援 す る 全 国 運 動 の エ 、 、 、 ネ ルギ ー が 目 を 政 治 を 自 治 体 を 動 。 かした 、 派 遣 村 は 正 月 3 日 生 活 保 護 の速 やか な 受 、 、 け 入 れ 派 遣 法 の抜 本 改 正 公 営 住 宅 の開 放 。 な ど 具 体 策 を 厚 生 労 働 省 に要 求 し た 厚 労 省 、 、 は翌 4日 各 課 題担当 局 長 ク ラスの会 議 を開き 、 、 法 的 規 制 法 改 正 の要 求 を 除 き 派 遣 村 実 行 。 委 員 会 の要 求 の多 く を 受 け 入 れ た 期 間 限 定 、 、 であ った が 緊 急 シ ェルターが確 保 さ れ 各 入 、 所 場所 で の総合相 談窓 口が設 け られ 多 く の生 。 活 保 護 申 請 者 の受 け 入 れ が迅 速 に行 なわ れた 、 もち ろん多 く の不十 分な点 が指 摘 され るが 人 、 びと の集 ま った 手不ルギ ーが ほ ん の数 日 の内 、 、 、 に 国を 動 かす ま でに いた る 久 方 ぶり の 大 。 衆 運動 のダイ ナ ミズ ムを実感 した 、 。 ︲ そし て そ れは当 然 にも 全 国 波 及 し て いっ た 、 、 山 谷 寿 笹 島 な ど を は じ め と す る先 進 的 な 、 野 宿 者 支 援 越 冬 闘 争 にも 多 く の人 びと の支 。 各 関連自 治 体 援 と 連 帯 が寄 せ ら れ たと 聞 く 16 市民の意見 N0113 2009/4/1 。 の対 応 の変 化 も 報 告 され て いる . 3 反貧 因 運 動を 中心とす る市 民運動と労 、 働 運 動 の 結 合 が 派 遣 村 の 間 いを ダ イ ナ 。 ミ ツク な も の に し た 労 働 運 動 が 反 貧 困 運動 生 活 保 護 申 請 支 、 、 、 援 多 重 債 務 者 救 済 屋根 のな い人 の支援 路 上 生 活 者 支 援 ︱ ︱ と 出 会 った のは ほ ん の最 近 、 o8 3 、 だ 0 1月 の 年 月 反貧 困 フェスタ の開催 0 、 反貧 困 キ ャラバ ン 反貧 困 一挨 大 集 会 で貴 重 な 、 、 。 出 会 いが 始 ま った そ れ が契 機 にな り 今 回 名 誉 村 長 を 多 重 債 務 者 救 援 運 動 の重 鎮 ・宇 都 、 宮 健 児 弁 護 士 に ま た村 長 を 自 立 生 活 サ ポ ー ト セ ンタ ー ・も や いの湯 浅 誠 さ ん に担 って いた 、 、 。 だけ た 多 く の個 人 市 民 そし て労 働組合 が 所 属 を 越 え て結 集 でき た枠 組 みが こう し てでき 、 、 、 。 た 生活 保 護 申 請 生活 相 談 医療 相談 労 働 相 談 のスタ ッフが派 遣 村 で連 帯 でき た のも そ は中 国 人 実 習 生 ,研 修 生 を 含 む 外 国 人 労 働 者 、 。 だ 年 越 し派 遣 村 では この問 題 は突 き出 しき 。 れな か った このことを き ち っと 位 置 づけ な が 、 、 、 ら 派 遣切り 一 履い止 め 解 雇 問 題 に対す る闘 。 いを強 化 し て いかなけ ればな らな い 、 えんどう 。いちろう 全国 一般労働組合全国協議 ︵ 会書記長︶ 労 働 者 であ り ⑤ 非 正 規 雇 用 労 働 者 の圧 倒 的 多 数 は女 性 の 、 真 っ先 にリ スト ラされ て いる の 。 り組 む ことだ。 こに基 があ った 礎 、 、 こ のよう な 結 合 によ る運 動 労 働 運 動 の側 か ② それ でも 解 雇 された仲 間を支 え る闘 い 寮 、 ら らど ら よ こ を ば え 会 れ か の の 緊 的 か 退 言 労 運 動 去 規 制 避 難 所 fンェルター の全 ﹁ 社 働 ﹂ 急 、 うに さ て いけ る 国 窓 口開 を 国 的 に ら わ れ に問 わ れ て の か が 的 設 発 展 設 置 総 合 相 談 全 作 せ 我 、 。 損 いる せると同時 に 中途 解約 に対 す る派 遣先責 任 ︵ B 、 4 ナ シ ョナ ル セ ン タ ー を 超 え た 労 働 運 動 害賠償︶ 有 期 雇 用一 雇い止 めに対 す る一 展用基金 の 。 。 創 出 など の取 り組 みが求 められる の 合 流 の き っか け に で き る か 、 2 月 ︲ 日、 開 の 本改 正 の問 いを し っかり進 める セ ンタ ー で ︲ 式 連 合 非 正 規 派 遣 法 抜 村 3 ③ 、 こと が重 要 だ。﹁ 全労 の龍 井 葉 二所 長 全 国 労 働 組 合 総 連 合 ︵ 製 造 業 派 遣 は行 き す ぎ だ﹂ と JM 連︶からは全 日本 金 属 情 報 機 器労 働 組 合 ︵ いう 発 言 が いく つか のと こ ろ か ら 出 てき て い 、 。 IU る ︶ 国 の 員 茂 委 長 全 合 連 絡 派 遣 労 働 者 38 4万 人 のう ち 製 造 業 派 遣 生 熊 実 労 働 組 協 。 6万 人 で7分 の1以下だ。製 造業 だけ規制 す 全労め の藤 崎 良 三議 長 が並 んで挨 拶 した は4 議会 ︵ 、 、 、 、 。 ればす む 問 題 ではな い そ んな ごま かし ではな 連 合 全 労 連 全 労 協 独 立系 を 問 わず 実 、 、 、 。 く に多 く の労 働 組 合 員 が駆 け つけ た 何 より も 派 遣 法 の廃止 を目指 し つつ 当 面 釣年 以前 、 、 、 の業 種 規 制 登 録 型 派 遣 の禁 止 を 中 心 と す る 派 遣 切り への怒 り 職 と食 屋根 を失 った人 た 、 ち がそ こにおり そ の仲 間を放 置 し てお いて い 原 則 的 要 求 を 貫 く 抜 本 改 正 を 目 指 し て いかな 。 ければな らな い 、 ④ 派 遣 労 働 者 を始 め 非 正 規 雇 用労 働 者 を 、 労 働 組 合 に組 織 し 労 働 運 動 の力 で企 業 ・資 、 本 を規 制 す る そ の問 いに正規 労 働者 の組 合も 。 合 流 させ て いく ことが求 められ て いる いのかと い つ現実 の突 き つけ が組 織 の壁 を 壊 し 。 。 始 め ていた 少 なく とも私 にはそう 感 じ られた 今 後 の具体 的課 題 にな ると違 いが出 てく るかも 、 しれな い。しかし そ れを越え労 働 運動 の合 流 、 を作 り出す のは 現 場 の怒りとそれ に運帯 す る ⑥ 運動 の力 であ ること はは っきり した . 。 、 5 今 後 の 課 題 も いく つか 残 った 、 ① 金 融 危 機 か ら 恐 慌 へと 言 わ れ る中 年 度 、 、 、 末 に向 け て 派 遣 切 り 期 間工切り 中 小 の倒 。 産 がさらに大 量 に発 生 す ると言 われ て いる 厚 8 万 70 0 0人 、民 間 調 生 労 働 省 の集 計 でも 1 0万人 以上 にな ると言 われ て いる。我 わ 査 では 4 、 、 、 れ の課題 は第 1に 派 遣 切り 一 展 展い止 め 解 一 9春 間 の 大 の課 と し て を さ せな い聞 いを 0 最 題 取 市民の意見 N0113 2009/4/1 17 年赳 し派遣村 (提供 ・繁山達郎) 海 の彼 方 に生 き る憲 法 9 条 カ ナ リ ア諸 島 と は ど んな島 な のだ ろう か。 、 。 ス ペイ ン のど こ にあ る のか 一体 誰 が な ぜ 日本 か ら遠 く 離 れ た そ の地 に、 日本 の憲 法 。 。 を ﹁ 奉 った ﹂ のだ ろう か 興味 が募 った 。 0時 間 、 成 田 空 港 を 発 って 2 後 ☆ スペ イ ン 語 で 刻 ま れ た 憲 法 9 条 今 年 1月 私 は暗 間 に包 ま れ た ラ スパ ル マス空 港 に降 り 立 った。 日本 を 午 前 中 に出 て、 そ の日 の 、 う ち に 西 ア フリ カ沖 の大 西 洋 に浮 か が カ ナ リ ア諸 島 グ ラ ン カ ナ リ ア島 に 着 いた の 。 だ った も ち ろ ん 9時 間 と いう 時 差 あ って 、 の こ と だ が 案 外 近 いと いう 実 感 。 だ った 、 ラ スパ ル マスは カ ナ リ ア諸 島 最 、 大 の都 市 で 日本 と の関係 が特 に深 く 、 遠 洋 漁 業 最 盛 期 には多 く の日本 、 漁 船 が港 を 出 入 り し 町 には 日本 人 、 漁 船 員 のた め の福 利 厚 生 施 設 や 日 。 本 人 学 校 も あ った そう だ 、 テ ルデ市 は ラ スパ ル マスか ら 南 。 5分 ほど の に車 で 1 距 離 だ と いう 何 、 はと も あ れ 9条 の碑 を 確 か め な け 、 。 れ ば な ら な い 翌朝 早 速 テ ル デ市 。 の中 心 街 に向 か った 0キ ロの グ ラ ンカ ナ リ ア鳥 は直 径 わ ず か 6 。 円 鉢 形 の火 山島 であ る 山 と 海 の間 に町 が 、 広 が り 起 伏 に富 んだ ハイ ウ エイ が南 北 を 。 繋 いで いる 快 晴 の青 い海 に は客 船 か商 船 、 。 か 大 き な 船 が ゆ つた り と 漂 って いる 、 車 が ひ っき り な し に行 き 交 い 噴 水 が勢 、 いよく 上 が る ロー タ リ ー で タ ク シー は止 、 ま った 。 辺 り に人 の姿 は少 な く オ フイ ス 。 街 の よ う だ った す ぐ 傍 に 小 さ な 公 園 が 、 。 あ った フ ェ ニ ック ス の樹 が 1本 す っく 、 と 立 って いる。 そ の奥 に 見 慣 れ た 景色 が 。 あ った 写真 や映 像 で何 度 も 見 入 った 9条 、 。 の碑 だ カ ラ フルな 額 縁 に納 ま った ま る 、 で建 物 の壁 の 一部 のよう な 畳 1畳 分 の平 。 和 の モ ニ ュメ ント 白 い陶 板 に濃 紺 色 で刻 、 ま れ た ス ペイ ン に よ る 日本 国 憲 第 9 語 法 。 プ 条 の全 文 であ る 私 に読 み取 れ る のは ﹁ 18 市民の意見 N0113 2009/4/1 カナリ ア譜島 ヒロシマ ・ナガサキ広場を訪ね て 宇野 欄子 、 ス ベイ ン のカ ナ リ ア諸 島 に 日本 の憲 法 9条 の碑 が あ る。 初 め て そ う 聞 いた のは、 0 2 0 0 7 年 の秋 だ った 。 ﹁シ ロタ 家 の2 世 藤原智子監督︶と いう ド キ ュメ ンタ リ ー 紀 ﹂︵ 、 映 画 の 2 回 目 の ナ レ ー シ ョ ン録 り の日 、 。 り だ った は 日 と そ の 関 わ 映 画 の い 本 深 、 0世 シ ロタと いう ユダ ヤ人 家 族 が 激 動 の2 、 紀 に辿 った 過 酷 な 運命 を 縦 軸 に 平 和 と は 、 何 か 日 本 国 憲 法 9条 の理念 と は何 かを 考 、 。 え さ せ るも のだ った シ ロタ家 と は 憲 法 、 に男 女 平 等 を 盛 り 込 む こと に尽 力 し た ベ 。 ア テ ・シ ロタ ・ゴ ード ンさ ん の 一族 であ る 。 私 は そ の映 画 のナ レー タ ーだ った 。 V 藤 原 監 督 が 1 冊 の本 を 見 せ てく れ た ﹃ I V A I カ ナ リ ア﹄ ︵ 船越博著︶と いう 題 、 。 名 だ った 黄 色 の派 手 な 装 丁 で て っき り 観 光 案 内 の類 か と 不審 に思 いな が ら 目次 を 、 追 う と ﹁日 本 国 憲 法 第 9 条 を 奉 る 町 ﹂ と 。 いう 小 見 出 し が 日 に飛 び 込 ん で来 た そ こ は ﹁カ ナ リ ア諸 鳥 ﹂ の ﹁グ ラ ン カ ナ リ ア﹂ 、 と いう 島 で そ の町 は ﹁テ ル デ市 ﹂ と いう 。 1 9 9 6 年 1 月 に碑 の除 幕 式 を 行 な った 、 0年 以 上 も 前 か ら 、 そ こ では と あ る。 何 と 1 9条 が密 や か に息 づ いて いた のだ 。 グランカナ リア島の憲法 9条 の碑 (提 供 ・宇野淑子 ) ラザ ﹂ ﹁ヒ ロ シ マ ・ナ ガ サ キ ﹂ だ け だ 。 そ う だ った 。 こ こは ﹁ヒ ロシ マ ・ナ ガ サ キ広 。 場 ﹂ と 名 付 け ら れ た のだ った そ の誕生 の 、 。 秘 話 は 明 日 のお楽 し み であ る 広 場 の生 、 み の マリ ア ・デ ル ・カ ル メ ン ・ソーサ ・ 、 サ ンタ ナ さ ん が 翌朝 ホ テ ル に訪 ね て来 て く れ る約 束 な のだ った 。 ☆ N A T O 残 留 反対 闘 争 の中 で カ ル メ ンさ ん の名 前 を 知 っ マリ ア ・デ ル ・ 、 。 た のは 2 0 0 8年 3月 だ った 藤 原監 督 、 が テ ル デ市 で 9条 の を 影 市 長 にも イ 撮 碑 0世 紀 ﹂改 訂 ンタビ ュー し て ﹁シ ロタ家 の2 、 。 版 が 製 作 さ れ た そ の中 で 市 長 の 日か ら 、 飛 び出 し た ﹁ 推 進 者 ﹂ の名 前 そ れ が マリ ア ・デ ル ・カ ル メ ン ・ソー サ ・サ ンタ ナさ 。 んだ った そ れ ま で に調 べた ど の記 録 にも 、 。 出 て いな い 初 め て の名 前 だ った そ れからおよ 0 カ 月 、 いく そ1 つか の ル ー ト と く 多 の 人 の協 、 よう 力 を得 て やく 消 息 を 尋 ね 、 イ ンタ あ て ビ ュー に ぎ 着 漕 。 彼女 け た のだ は テ ル デ市 を 離 0数 れ てす で に 1 、 同 じ 島 のサ 年 ンタ ・ルシ ア市 で要 職 に就 いて いると いう 。 マリ ア ・デ ル ・カ ル メ ンさ ん は時 間 通 り 。 に現 れ た 青 いスー ツに身 を 包 んだ 小 柄 な 。 女 性 であ る 日本 人 によく 似 た抑 制 さ れ た し ゃべり 方 に知 性 が 渉 み、 好 感 が 持 てた 。 ﹁ま ず 1 9 8 6年 前 後 の状 況 を 説 明 し な け 。 れ ば なり ま せ ん﹂ と 静 か に話 し 始 め た 、 そ の当 時 の ス ペイ ンは N A T O残 留 の 是 非 と 米 軍基 地 を 巡 って大揺 れ に揺 れ て い 、 。 た 4年 前 の正 式 加 盟 は も と も と 国 民 の 。 支 持 で決 ま った こと では な か った そ の証 、 、 拠 に 直 後 の総 選 挙 では N A T O か ら の 、 脱 退 を 公約 し た 社 会 労 働 党 が 圧勝 ゴ ンサ レ ス政権 が 誕 生 し て いた 。 、 し と ン レ ゴ こ ろ ス そ の が サ が 一 政 権 転 。 欧 て N A T O残 留 に軸 足 を 移 し た E C ︵ 、 州共同体︶ への加 盟 のた め に N A T O 残 。 留 は前 提 だ と 言 い出 し た のだ フラ ン コ没 、 後 民主主義 を 取 り 戻 し 経済 発 展を 目指 し 、 て いた ス ペイ ンにと つて E C加 盟 は悲 願 、 。 だ った そ し て 1 9 8 6年 残 留 の賛 否 を 。 問 う 国 民 投 票 が行 な わ れ る こと にな った ﹁ス ベイ ン中 で大 規 模 な 反 対 デ モが 起 き 、 ま し た し カ ナ リ ア諸 島 でも 県 や市 が率 先 し て反 対 運動 に立 ち 上 がり ま し た 。 我 わ れ は ス ペイ ンが 中 立 政 策 を と る こと を 願 って 。 いた のです 特 に カ ナ リ アは戦 略 上 重 要 な 、 地 点 です か ら 軍事 基 地 にさ れ か ね ま せ ん﹂ 。 結 果 は僅 差 で残 留 賛 成 が上 回 った 国 民 、 。 は 国 家 の理念 よ り も 経 済 に敏 感 だ った 、 0 ﹁ス ベイ ン に は 5 の県 が あ り ま す が 県 を あ げ て N A T O に反 対 票 を 投 じ た のは 4 。 私 た ち が暮 ら す こ こ ラ スパ 県 だ け でし た ル マス県 が そ の 一つです ﹂ マリ ア ・デ ル ・カ ル メ ンさ ん は当 時 テ ル 。 デ市 の市 議 会 議 員 だ った N A T O残留 は 、 阻止 でき な か つた が カ ナ リ ア住 民 が示 し 、 た平 和 を 希 求 す る熱 い思 いは 何 か の形 に し て永 久 に歴 史 に留 め る べき だ と考 え た 。 、 ﹁テ ル デ 市 が イ ニシ ア テ ィ ブ を と って 、 ス ペイ ン の4 0 0 の市 と と も に 非 核 宣 言 都 市 の運 動 を 始 め た のです ﹂ 、 テ ル デ市 のサ ンチ アゴ市 長 は 核 廃 絶 や 、 。 平 和 に関 心 の高 い市 長 だ った 運 動 は実 り 1 9 8 7年 2月 、 テ ル デ市 を は じ め多 く の 。 都 市 が 非 核 平 和 都 市 を 宣 言 し た 米 軍基 地 。 の撤 廃 を 求 め る運 動 も 盛 り 上 が った 、 ち ょう ど そ の頃 テ ル デ市 で は空 港 と 結 。 ぶ 幹 線 道 路 を 整 備 中 だ った そ し て ロー タ リ ー の脇 に 小 さ な 空 き 地 が で き る は ず 、 。 だ った そ こは フラ ン コ時 代 に弾 圧 さ れ 、 た あ る芸 術 家 の名 を 冠 し た高 等 学 校 の隣 り だ った 。 そ の空 間 の活 用 を 任 さ れ た のが 、 テ ル デ市 議 と し て文 化 活 動 の責 任 者 を し て 。 いた マリ アさ んだ った ﹁反 戦 と 平 和 を 象 徴 す る 場 所 に し た いと 、 。 提 案 し た ら 全 員 が 賛 成 し てく れ ま し た 、 そ こ で 戦争 の恐 怖 や悲 惨 を 象 徴 す る ヒ ロ シ マと ナ ガ サ キ の名 前 を 付 け た の です ﹂ 、 ﹁日 本 の憲 法 9条 の こと は 平 和 運 動 を 市民の意見 N0113 2009/4/1 19 マ リア ・デル ・カルメンさんと筆者 し て いた 学 生 時 代 に知 り ま し た 。 素 晴 ら し 。 いと 思 いま し た は っき り 戦 争 を 否 定 し て 。 いま す 武 力 で物事 を 解 決 し な いと誓 って 。 いま す ま さ に平 和 のメ ッセ ー ジ です ﹂ 、 。 ﹁人 類 は 過 ち を 犯 し ま す だ か ら こ そ 、 戦争 を 放 菜 す ると いう こと を 常 に自 他 に 、9 条 の全 文 を 入 れ る こと こそ 示す た め に が重 要 だ と 思 った の です ﹂ 、 こ の提 案 は 全 会 一致 で採 択 さ れ 道 路 整 、 。 備 の完 了 を 待 つば かり と な った と こ ろが 。 思 わ ぬ障 害 に ぶ つか った 直 後 の選 挙 で市 、 議 会 の勢 力 図 が変 わり 推 進 力 と な つた市 。 。 長 が交 代 し た のだ こ の条 件 は宙 に浮 いた 、 サ ンチ アゴ 市 長 が返 り 咲 き 再 び 日 の目 。 を 見 た のは 4年 後 市 長 は直 ち に議 会 の承 、 認 を 取 り 付 け 今 度 こそ 実 現 の運 び と な っ 。 。 提 案 か ら 完 成 ま で9年 が費 やさ れ た た ☆ 内 戦 の 記 憶 と 平 和 へ の メ ッセ ー ジ 。 6日、除 ー 9 9 6年 1月 2 幕式 。 ﹁あ の夜 の こ と は 忘 れ ま せ ん 私 は市 議 、 を 辞 め 1 人 の テ ル デ市 民 と し て列 席 しま し た 。 ヒ ロシ マと ナ ガ サ キ の市 長 か ら メ ッ 、 セ ー ジ が 届 き 日本 人 学 校 の生 徒 が読 みま し た 。 サ ンチ アゴ市 長 と 日本 の総 領 事 が 除 、 幕 し て 最 後 に ベート ー ヴ ェン の第 9が演 、 奏 さ れ み ん な で声 を 合 わ せ て歌 いま し た ﹂ マリ ア ・デ ル ・カ ル メ ンさ ん は当 時 を 思 、 。 い出 し た の か か す か に頬 を 緩 め た 、 サ ンチ アゴ 市 長 にも 面 会 私 は こ の午 後 。 。 す る こと が でき た 市 長 は言 った ﹁日 本 の憲 法 9 条 は貴 重 な メ ッセ ー ジ を 。 世 界 に送 り ま し た そ の理念 はま だ 達 成 さ 、 、 れ て いま せ んが そ れ でも 平 和 への道 を 、 、 築 く た め に 戦 争 への道 を破 壊 す る た め に 、 。 最 も 有 益 で 常 に新 し い理念 な の です 日 本 人 は大 事 にし な け れ ば な り ま せ ん﹂ 、 と こ ろ で テ ル デ市 には 9条 の碑 の他 に 、 、 も いく つも の平 和 の モ ニ ュメ ント が 街 。 角 や公 園 に設 置 さ れ て いる 等 身 大 のジ ョ ン ・レ ノ ンが ゆ つた り と 広 い歩 道 か ら 人 び 、 と を 眺 め やり 行 き 倒 れ た病 人 を 抱 え た マ 、 ザ ー ・テ レサ が 石積 み の台 上 で凛 と 背 筋 を 伸 ば し て いる。 非 暴 力 の象 徴 と も いえ る 、 ガ ンジ ー が 赤 い花 壇 の上 か ら憂 わ し げ に 、 。 世 情 を 見 つめ て いる いず れ の像 も 再 び 、 ︲ き な 臭 く な った 2 世 紀 にな って 改 め て テ 。 ル デ市 が発 し た メ ッセ ージ な のだ 、 、 な ぜ 人 口わず か 9 万 のこ の小 さ な 街 が 。 か く も 大 き な 平 和 の砦 と な った のだ ろう か 。 マリ ア ・デ ル ・カ ル メ ンさ ん は明 か す 、 ﹁フ ラ ン コ時 代 に 政 治 家 や社 会 運 動 の 、 リ ー ダ ー が逮 捕 さ れ た り 虐殺 さ れ た り し ま し た。 テ ル デ でも 家 族 が行 方 不 明 にな っ 、 た 人 が たく さ ん いて 戦争 や独 裁 者 に対 す る 感 がと ても 強 いの です ﹂ 反 、 そ れ は ス ペ イ ン内 戦 と そ れ に 続 いた フ ラ ン コ独 裁 時 代 の記 憶 だ った 。 内 戦 は 1 9 3 6年 、 共 和 国 政 府 に対 す る 軍 部 の ク ー デタ ー で始 ま った 。 当 時 カ ナ リ ア守 備 、 軍 の司令 官 だ った フラ ン コは ラ スパ ル マ 。 ス の駐 屯 地 で全 国 民 に 蜂 起 を 呼 び 掛 け た 共 和 国 政 府 軍 と フラ ン コ率 いる 反 乱 軍と の 、 戦 いは お よ そ 3年 続 いた が 国 民 同 士 が敵 、 と 味 方 に 分 か れ て殺 し 合 う 悲 惨 な 戦 争 。 だ った こ の内 戦 は 世 界 に 衝 撃 を 与 え た 。 義 勇 兵 と し て 共 和 国 軍 側 に身 を 投 じ た ジ ョー 、 ジ ・オ ー ウ ェルや 特 派 員 と し て馳 せ参 じ 、 た ヘミ ング ウ エイ は そ れ ぞ れ ﹁カ タ ロ ニ ア讃 歌 ﹂ ﹁誰 が た め に鐘 は 鳴 る ﹂ な ど の名 、 。ピ カ ソも フ ラ ン コの要 請 で 作 を残 し た 出 撃 し た ナ チ スド イ ツ軍 の無 差 別爆 撃 に抗 、 。 議 大 作 ﹁ゲ ル ニカ﹂ を 描 いた ロバー ト ・ キ ャパ は ﹁ 斃 れ る瞬 間 の民 兵 ﹂ な ど の写 真 、 。 で 戦 争 の非 道 を 訴 え た そ し て これ ら の 、 作 品 を 通 し て 私 は ス ペイ ン内 戦 を 学 んだ 。 のだ った 彼 ら テ ル デ市 民 の平 和 への熱 意 、 の裏 に は そう し た自 国 の辛 い歴 史 の体 験 。 が横 た わ って いた のだ マリ ア ・デ ル ・カ ル メ ンさ んも サ ンチ ア 、 ゴ市 長 も 憲 法 を 巡 る 日本 の動 き を 驚 く ほ 、 ど よく 知 って いた 。 だ か ら こそ 口を 極 め 。 て言 う のだ 、 う の ・よ し こ フリ ー ・アナウ ンサ ー︶ ︵ ﹁9条 を 提 案 し た 人 に深 く 感 謝 し ま す ﹂ ﹁日本 か ら の素 敵 な プ レ ゼ ント でし た ﹂ 、 、 日本 国 憲 法 第 9条 は 人 類 にと って 歴 史 が く れ た 叡 智 →えいち︶だ と 2 人 は考 え 。 て いる 20 市民の意見 N0113 2009/4/1 備反対デモ (パ 2月 の名古屋 での PAC3配 2009年 卜│ のら 9年 にか け て 1 9 9 8年 か ら 9 航 空自 衛 隊 AwAcs 浜 松 基 地 へと 空 中 警 戒 管 制 機 ︵ 0 =エーワ ックス︶が 配 備 さ れ た 。 そ れ か ら 1 、 年 を 経 た 2 0 0 8年 5月 今 度 は浜 松 基 地 へと パ ト リ オ ット ミサ イ ル の改 良 型 のP A C3 ︵ さ れ た。 パ ックスリー︶ が 配 備 、9 こ の0 1年 の動 き を み ると 9 年 に は AW A C S の配 備 と と も に航 空 自 衛 隊 の広 報 館 、1 9 8 2年 の墜 落 事 故 以後 中 が建 設 さ れ 断 さ れ て いた ブ ルーイ ンパ ル ス の曲 技 飛 行 も 再 開 さ れ た 。 2 0 0 0年 に 入 ると A W A 、 C S は 日 米 共 同 訓 練 に投 入 さ れ さ ら にグ アムや ア ラ スカ で の共 同 訓 練 に派 兵 された。 、 ま た 朝 鮮 半 島 への監視 行 動 や ワー ルド カ ツ プ やサ ミ ット ヘの治 安 出 動 にも 使 われた。 2 0 0 3年 にイ ラ ク戦争 が 始 ま ると 、自 衛 隊 の海 外 派 兵 が お こな わ れ る よう にな つ 。 た 小 牧 基 地 のC l 3 0 は 浜 松 基 地 で空 色 に塗 、 装 さ れ 浜 松 基 地 か らも 3 3派 にわ た り 1 2 2人 。 が イ ラ ク に派 兵 さ れ た 浜 松 か ら 派 兵 さ れ て帰 、 国 し た自 衛 官 が 隊内 で の パ ワ ハ ラ に よ つて 自 、 竹内 康 人 新 た な 人 権 回復 の間 いも 起 き て いる 実 際 に派 兵 が お こな わ れ た わ け であ る 。 、 8年 殺 し 遣 族 が損 害 賠 償 を 求 め る裁 判 も 0 。 に始 ま った 0年 の間 に、 こ の1 浜 松 は派 兵 の拠 点 と さ 、 れ が 現 実 の軍拡 と 派 兵 への抗 議 行 動 と と も に 、 過 去 の侵略 戦争 に お いて浜 松 の陸 軍爆 撃 隊 、 が アジ ア各 地 でお こな った爆 撃 の歴 史 浜 、 松 で の毒 ガ ス訓 練 や戦 争 史 跡 の調査 米 軍 の空 爆 によ る死 亡 者 名 簿 の作 成 な ど を 進 め 、 てき た が 日本 軍 の アジ ア各 地 で の爆 撃 に 。 つ いては新 た な 発 見 があ った 、 たとえば 浜松 の陸 軍飛行学 校 はチチ ハル 方 面 でも毒 ガ スの投 下研究 を お こな って いた 、 が そ の研究 や訓練 は実 戦 に直 結 す るも ので 、 あ り チチ ハルで今 も 被 害 をも たら し て いる 。 遺 棄 毒 ガス弾 に関 す るも のもあ った 、 さ て 近 年 ア メリ カ は宇宙 支 配 を テ コに 、 グ ロー バ ルな 戦 争 を す す め てき た が そ の ﹁予 防 先 制 攻 撃 ﹂ を 支 え るも のが ﹁ミ サ イ 、 ミサ ル防 あり た で そ の め の 衛 ﹂ 地 上 迎 撃 イ ルが P A C 3 であ る。ア メリ カ 軍 で の﹁ 地 グ ローバルストライク コ 球 規 模 攻 撃 司令 部 ︵ マンドこ の設 立 は こ のグ ロー バ ル戦 争 を 象 。 徴 す るも のであ ると 思う 8 5月 に浜 PAC3は 0 年 松 基 地 へと 秘 密 。 裡 に 配 備 さ れ た 市 民 へ の広 報 は 配 備 後 。 だ った 浜 松 基 地 には高 射 教 導 隊 と 術 科 学 、 校 が あ り 配 備 さ れ た P A C 3 は教 育 と 整 、 。 備 用 であ る 配備 さ れ た直 後 の9月 に ア メリ カ の ニ ュー メキ シ コ州 ホ ワイ ト サ ンズ 射 場 で浜 松 基 地 のP A C 3を 使 って の発 射 。 実 験 も お こな わ れ た ミサ イ ル防 衛 と P A C 3 配 備 に反 対 す る 、9 2 動 き のな か で 0 年 月 に名 古 屋 ・岐 阜 ・ 三重 ・浜 松 な ど の市 民 団体 が ﹁パ ト リオ ッ ト ミサ イ ル配 備 に反 対 す る東 海 交 流会 ﹂ を 、 、 。 結 成 し 集 会 を 持 った 2月 末 には P A C 3 の ライ セ ン ス生 産 を お こな って いる 三 、 菱 重 工 の小 牧 工場 か ら岐 阜 基 地 へと 警 官 、 、 を 3 0 0人も 動 員 し て 深夜 秘密裡 に P 、 。 A C 3 が 配 備 さ れ た これ に対 し 東 海 交 。 流 会 は 翌 日 に抗 議 の申 し 入 れを お こな った P A C 3 は実 戦 では ア メリ カ の字 宙 支 配 の下 で の米 日 の共 同指 揮 に よ って使 用 さ れ 。 る こ のよう な P A C 3 の使 用 は集 団 的 自 、 。 衛 権 の行 使 であ り 交 戦 権 の行 使 であ る こ の使 用 は 日本 国 憲 法 第 9条 を 破 壊 す る。 ま さ に ﹁P A C 3 の標 的 は第 9条 ﹂ であ る。 、 そ のよう な 動 き に抗 し グ ロー バ ルな 戦争 の時 代 を グ ロー バ ルな 平 和 の時 代 に変 え て 、 、 いく た め に 過去 の歴 史 に学 び 浜 松 を 再 び 派 兵 の拠 点 と し な い取 り 組 みを 地 域 か ら 。 進 め て いき た いと 思う 、 たけうち ・やすと 人権平和 ・浜松︶ ︵ 9々 市民の意見 N0113 2009/4/1 加 賀 谷 いそ み 私 たち の ﹁ 共 同 声 明 ﹂ に異 論 があ る人 に 、 そ の人 個 人 で政 府 に アピ ー ルす る こと ﹁ベ ルト コ ン ベ ア ー式 の自 動 的 執 行 ﹂ を を お勧 めす る ︵ 首 相 官 邸 のホ ー ム ペー ジ に 、 ﹁ご 意 見 募 集 ﹂ の コー ナ ー が あ り そ こ か ら法 務 省 に意 見 を 送 る こと が でき る ︶。や っ 、 、 てみ れ ば簡 単 な こと な のだ が ふ つう そ 。 の 一歩 がな か な か 踏 み出 せな いも のな のだ は 死 刑 に反 対 す る 理由 は個 個 人 そ れ ぞ れ に 、 いろ いろあ る か ら 賛 同を呼 び か け る ﹁ 市 民 の共 同声 明 ﹂ の文 言 には非 常 に気 を つか 、 、 う 。 考 え てみ れ ば 今 さ ら な が ら 神 経 を す り 減 らす 煩 わ し い企 画 に参 加 し てし ま っ 、 た も のだ と 思う が やり が いのあ る取 り 組 。 み であ る こと を 強 く 実 感 す る 潜 在 す る死 刑 反 対 の思 いを 世 論 と し て顕 在 。 化 した い 賛 同者 の信 頼 を 裏 切 ら な いた め にま ず 大 、 。 切 な のは 個 人 の人 権 を 尊 重 す る こと イ ンタ ーネ ット で呼 び か け る のだ か ら 、 個 人 。 情 報 の管 理 を 徹 底 し な け れ ば な ら な い だ 、 から ﹁ 市 民 の声 ﹂ は 賛 同 者 のリ スト を 絶 。 対 に公表 し な い 家 と 個 人 ︵一市民︾ と の関係 で考 え る こと 、 を 原点 にし た いか ら であ る。 そ こ に立 って ﹁ 殺 す な!﹂が 原点 の 死刑 廃 止 を 求 め る小 さ な試 み ﹁死 刑 執 行 の停 止 と 死 刑 制 度 の廃 止 を 政 府 に持 続 的 に要 求 す る﹂ 目 的 で ﹁死 刑 廃 止 8年 2 を 求 め る市 民 の声 ﹂ を 結 成 し た のが 0 1 、 。 山田県下関市︶ 奥 田恭 子 ︵ 月 廣崎隆 一 ︵ 愛 、 、 媛県松山市 ︶ 井 上 澄 夫 ︵ 埼玉県新座市︶ そ し て私 ︵ 秋 田県男鹿市︶の4人 が 共 同 代 表 と 、 な り 臨 機 応 変 に アピ ー ルを 発 し て イ ン タ ーネ ツト で賛 同 を呼 び か け る。 あ る程 度 ﹁ 市 民 の共 同 声 明 ﹂ への賛 同 者 数 が ま と ま り次第、 内閣官一 母 に 法 務 省 や首 相 官 邸 ︵ 。 く も い つ の死 刑 廃 送 る持 続 的 な 取 り 組 み 止 運 動 が す で に粘 り 強 い努 力 を 重 ね て いる 、 、 中 で あ え て行 動 を 起 こし た背 景 には 死 、 刑 判 決 が 急 増 し 死 刑 の隔 月 執 行 が定 着 し 。 つ つあ る こと への強 い危 機 感 が あ る 麻 生 、 内 閣 の森 英 介 法 務 大 臣 は 就 任 後 わず か 1 、 カ月 で 2人 の執 行 を 強 行 し 続 け て 4人 を 。 処 刑 した 死 刑 制 度 を 容 認 す る世 論 が 8割 と いう 中 。 で の実 に さ さ やか な 取 り 組 み であ る 当 初 は共 同 代 表 ら の持 つ個 人 的 な ネ ット ワー ク 、 を 通 し て呼 び か け た が 予想 を 超 え る迅速 、 な 反 応 に手 応 え を 感 じ オ ー プ ンなネ ット ワー ク に び け る こと と な つ 。 は か た 同 呼 賛 。 す べ て個 人 に し て いる 死 刑 廃 止 問 題 を ︿ 国 、 当時︶は 朝 日 新 主 張 し た 鳩 山邦夫 法 相 ︵ 聞 で ﹁永 世 死 刑 執 行 人 死 に神 ﹂ と 耶 、 死刑執 行 は ﹁ 社 会 正義 ﹂だ と 国 家 に よ る殺 人 を 正 当 化 す る彼 縮 された際 。 反論 し た のそ の姿 勢 を 支 持 す る世 論 が多 か った事 実 、 は こ の国 の人 権 意 識 の未 熟 さを 反映 し て 、 、 。 いる そ う いう 中 で マス メ デ ィ アは最 近 死 刑 執 行 の事 実 を 伝 え るだ け で論 評 を し な く な った 。 人 の生 命 ︵いのち︶を 何 よ り も 、 死刑執 行 を停 止 し た り 死刑制 度 を 尊重 し 廃 止 す る 国 が 7割 を 超 え る世 界 の大 勢 を 横 、 日 で にら みな が ら マス メ デ ィ アは国内 の 。 世 論 の反 発 を 恐 れ て沈 黙 を 決 め込 ん で いる ジ ャー ナ リズ ム の使 命 を 自 ら 放 棄 し て恥 ず 。 か しく な いのか 死 刑 制 度 を 続 け る こと は ﹁国 家 反 逆 罪 ﹂ 。 に 死 刑 を 適 用 す る こと に行 き 着 く と 思 う 、 戦争 法 体 系 が整 備 さ れ 自 衛 隊 が 反 戦 運 動 を 日常 的 に監 視 し て いる。 国 は 戦争 国家 化 を 進 め な が ら 反 戦 運 動 への弾 圧 を 強 化 す る 、 。 だ ろう し か し 死 刑 廃 止 の取 り 組 み は ﹁ 殺 、 す な ︱﹂ を 掲 げ ﹁戦 争 協 力 拒 否 宣 言 ﹂ を 、 表 明 し て いる私 にと って 避 け て通 れ な い 。 課 題 な のだ 、 かがや 。いそみ 男鹿 の自然に学ぶ会︶ ︵ *現在、森法相に3度目の死刑執行をしないよう 。 求める共同声明 への賛同を募 って います お問 い合わせは ﹁ 死刑廃止を求める市民の声﹂のメー さ い。 ルアドレスにご 連 絡 下 否↓ 鋒0 死刑廃 止を求める市 民 の声 済 J︼ ∼ D一 いJ00・ 00﹂ く 0 市民の意見 N0113 2009/4/1 海 賊 派 兵 と 海 賊 対 処 新 法 に 反対 し よう ! 愚 かな ﹁ 海 軍 オリ ンピ ック﹂ 井上 澄夫 加盟国︶に 軍事 力 を 行 使 す る ﹁海 際社会 ︵ 、 賊 対 策 ﹂を 強 く 要 請 し て いる マラ ッカ海 、 峡 ペ ルシ ャ湾 と と も に 日本 の生 命 線 であ る 海 の出 入 り 口 ・ソ マリ ア沖 ア デ ン湾 で 紅 、 資 源 の大 部 分 を 船 に ﹁ 駆 海 上警 備 行 動 ﹂ を 発 令 し て護 術 艦 ︵ 逐濫︶2隻 ﹁さ み だ れ ﹂ と ﹁さ ざ な み ﹂ の と に かく 急 いで派 遣 す る﹀ こと を 艦隊を ︿ 。 4 日、 海 自 隊 決 め た 海自 呉 基 地 か ら 3月 1 員 4 0 0名 と 司 法 警 察 権 を 持 つ海 上 保 安 官 麻生首相 は れ た ら やり 返 さ な いと し ょう が な い﹂ と ま 、 で のべ て報 復 感 情 を 煽 って いる が 最 近 の 、 諸 世 論 調査 では 内 閣支 持 率 の劇 的 な急 低 、 落 にか か わ り な く 世 論 の過 半 数 が 海 賊 派 。 内 で行 き 詰 ま れ ば 外 兵 を 支 持 し て いる ﹁ に目 を向 け さ せ る﹂ と いう 首 相 の古 典 的 な 、 政 治 手 法 は 深 ま るば かり の生 活 不 安 を ガ 。 ス抜 き す る効 果 を 持 って いるよう だ 、 、 以下 海自 ︶ 海 上自 衛 隊 ︵ ゆ︶け れ征 ︵ 国益 ﹂ 舶 によ る輸 入 に依 存 し て いる 日本 の﹁ 、 にか なう 中 国 も 艦 隊 を 派 遣 し て いる では 、 、 、 な いか バ スに乗 り 遅 れ るな 海 自 よ そ 、 と いう わ け だ 。 彼 は ﹁や ら 海 賊 に対 処 す る こと は ゑわ口書体﹂ 拠せ化の ﹁ ﹁ア フ リ カ の角 ﹂ と 呼 ば れ る ソ マリ ア北 、 部 に面 す る ア デ ン湾 紅 海 の南 の出 入 り 口 、 に NATO ︹ 北大 西 洋 条 約 機 構 ︺加 盟 の 、 、 欧 米 諸 国 と ロシ ア 中 国 イ ンド な ど の軍 、 。 艦 が 集 結 し て いる これ に今 後 日本 や韓 、 、 国 シ ンガ ポ ー ルな ど 8 カ国 が加 わ り 艦 5 カ国 にな る ︵ 米海軍第5艦隊 隊派 遣 国 は 約 2 。 。 司令官︶ 派 兵 の大義 は ﹁ 海 賊 対 策 ﹂だ こ 列 れ ほど 多 国 籍 の海 軍 が 同 じ 海 域 に集 結 す る 、 。 例 が 第 2 次 世 界 戦 争 後 あ った だ ろう か 。 まるで ︿ 海 軍 のオ リ ンピ ツク﹀ であ る 扶清減洋 ﹂を掲げ ﹁ 1900年︶で いわ ゆ る ﹁ 義 和 団事 件 ﹂ ︵ 。 は 日本 を 含 め 8 カ国 が出 兵 し た そ のと き 、 、 討 伐 す べき 敵 は 強 の中 国 植 民 地 化 に抗 す る貧 し い農 民 た ち 。 けんびこ だ った 今 回 の が主 力 の ﹁ 拳匪 ︵ 、 制 圧 の対 象 は ア デ ン湾 で武 装 し て外 国船 、 舶 を 乗 っ取 り 乗 員 を 人 質 にし て身 代金 を 。 要 求 す る ﹁ソ マリ ア の海 賊 ﹂ であ る ●麻生首相 の ﹁ 購 余 の 一策 ﹂ =海 賊 派 兵 、 海賊対策 ﹂を 麻 生首 相 は昨年末 突然 ﹁ 。 ぶち 上げ た 3度も の国連安 保 理決議 が国 、 8名 ︵ 各艦 に 各艦 4名︶ 特 別 機 動 船 4 隻 ︵ 2隻︶武 装 哨 戒 ヘリ 4機 ︵ 各艦に2機︶と 海 。 自 を て出 航 す る し か 別 隊 乗 警 備 ﹂ せ ﹁ 特 、 し自 衛 隊 法 2 海 上警 備行 動 ﹂ は 8条 にあ る ﹁ 河村 官 房 長 官 でさえ ﹁原 則 と し て日本 の領 海 内 を 想 定 し て いる﹂ と 明 言 し て いる よう 、 に そ も そ も 外 国 で の活 動 ︵ 作戦︶を 想 定 し て いな い。 麻 生 首 相 に よ る ﹁ 海 上警 備 行 動 ﹂ 発 令 は 強 引 で恣 意 的 な 自 衛 隊 法 の拡 大 。 解 釈 であ り 明 白 な 脱 法 行 為 であ る ●危 険 な 海 賊 対 処新 法 の制 定 。 麻 生 首 相 は 先 の発 言 で こう 述 べ て いる 。 海 に は お 巡 り さ ん は いな いんだ か ら ﹂ こ ﹁ 。 れ は意 図 し て ついた ウ ソであ る 日本 では 、 以下 海保︶で ﹁海 の警 察 ﹂ は海 上 保 安 庁 ︵ 。 あ る 海 保 は マラ ッカ海 峡 に面 す る国 ぐ に に浴浮騒扇仰の ノ ウ ハウ ︵ 必要な知識 ・秘訣︶ を 提 供 し 同海 峡 で の海 賊 被 害 を 激 減 さ せ た 。 実 績 を も つ だ か ら ソ マリ ア の海 賊 に つ い ても ア デ ン湾 沿岸 諸 国 に ノ ウ ハウを 提 供 す 。 る こと で被 害 を 減 らす こと が でき る そ れ でも 麻 生 首 相 が ひ た す ら 海自 艦 隊 の 、 海 軍オ 派 遣 に こだ わ る のは 海 賊 対 策 の ﹁ リ ンピ ツク﹂ で世 界 の注 目 を 浴 び た いか ら 、 。 だ 米 海 軍 によ れば 諸 国 艦 隊 は 3月 初 旬 、 、 8隻 を拿 だほ︶ 海 賊 約 ま でに 海 賊 船 2 捕 ︵ 2 5 0 人 を 拘 束 し た 。 首 相 は そ こ に参 加 し 。 て目覚 ま し い戦 呆 を あ げ た いの であ る 、 海 賊 派 兵 によ って海 麻 生 首 相 は 同時 に 市民の意見 N0113 2009/4/1 発 生海 域 。 にす る のだ 法 案 は海 自 が保 護 す る船 舶 に 、 。 外 国 船 ま で含 め る そう な れ ば 海 自 の活 。 動 は 際 限 な く 拡 大 す る 旧海 軍 の旭 日旗 が ひるが こ る こ と に 世 界 のど こ に でも 翻 ︵ 。 な る のだ そ れ だ け では な い。 法 案 は武 器 。 使 用 基 準 を 根 本 的 に変 え る 同 時 に諸 国 艦 隊 と 協 働 す る こと で ﹁ 集 団的自 衛 権 行 使 ﹂ 。 の事 実 上 の先 例 を 作 ろう と し て いる し か アデン湾 。 も 海 賊 対 策 で海 自 を 派 遣 す る こと に国会 の 。 承 認 は必 要 な い 国 会 に ﹁ 報 告 ﹂ す るだ け で い い のだ ●先制攻撃できる ﹁ ﹂の書 盟 自 衛 隊 の武 器 使 用 は これま で正当 防 衛 と 緊急 避難 の場 合 に のみ 。 許 さ れ てき た 個 々 の 、 る以 上 憲 法 9条 2項 で厳 禁 さ れ て いる交 戦闘︶に発 展す る事 態 を自 ら招 く ことを 戦 ︵ 。 避 け ね ば な らな いから であ る 、 だ が 海 賊 対 処 新 法 は 日本 領 海 内 に限 つ て海 保 のみ に許 さ れ て いる ﹁ 危 害射 撃 ﹂を 、 。 海 自 に認 め る ﹁ 危 害 射 撃 ﹂ で は 不審 船 、 を 停 船 さ せ るた め に船 体 射 撃 を 行 な い そ の結 果 乗 員 が 死傷 し ても 違 法 性 は問 わ れ な 、 。 い 新 法 は 海 賊 船 が警 告 射 撃 し ても な お 、 民 間 船 舶 に接 近 し てく る 場 合 ︿ 海 賊船 が 襲 撃 し て こな く ても ﹀ ﹁ 危 害 射 撃 ﹂す る こ と を 海 自 に容 認 す る。 こ の先 制 攻 撃 が た ち ま ち交 戦 ︵ 戦闘︶に転 じ る だ ろう こと は 容 。 易 に想 像 でき る こう し て ﹁ 国 の交 戦 権 を 否 認 す る ﹂ 9条 2項 を 突 破 し よう と いう の 、 。 だ これ こそ 自 衛 隊 を ﹁ 交 戦 でき る軍 隊 ﹂ にす る こと を 切 望 し てき た 改 憲 派 の悲 願 の 。 自 海 に ﹁ 危 害 射 撃 ﹂ が許 さ れ 実 現 であ る るな ら 陸 上 自 衛 隊 と 航 空 自 衛 隊 が 同等 の権 。 限 を 要 求 す る に 違 いな い こ れ を 憲 法 9 。 条 の危 機 と 言 わず 何 と 言 う か ﹁ 危 害射 撃 ﹂ を 認 め る新 法 案 の条 文 は こう だ 。 、 海 賊 行 為 の制 止 に当 た り 海 賊 行 為 を ︿ 、 、 行 って いる者 が 他 の制 止 の措 置 に従 わ ず な お船 舶 を 航 行 さ せ て海 賊 行 為 を 継 続 し よ 、 う と す る場 合 にお いて 当 該 船 舶 ︵ 海賊船 のこと ︶ の進 行 を 停 止 さ せ る た め に他 に手 隊 員 によ る防 衛 の対 象 自 己 ま た は自 己 と は ﹁ 使 用基 準 は緩 和 さ れず 段 が な いと 信 ず る に足 り る相 当 な 理由 のあ 、 ると き に は そ の事 態 に応 じ合 理 的 に必 要 、 と さ れ る 限 度 にお いて 武 器 を 使 用す る こ 法︶か ら ﹁職 務 に 伴 い 自 己 の管 理 の下 に入 っ イ ラク特 措 法 ︶ た 者 ﹂︵ 、 に拡 大 さ れ た が 武 器 市民の意見 N0113 2009/4/1 と も に現 場 に所 在 す る PKO協力 他 の隊 員 ﹂ ︵ ﹁駆 け 付 け 警 護 ﹂ も 禁 じ ら れ て き た。 ﹁専 守 防 衛 ﹂ が タ テ マ エであ 作図 ・西岡由香 外 派 兵 を 新 た な 段 階 に引 き 上 げ る こと を た く ら ん で いる。 艦 隊 派 遣 の強 行 と 並 行 し て、 海 賊 対 処 新 法 案 を 国会 に提 出 し 早 期 成 立 を は か ろう と し て いる こと でそ れ は明 ら かだ 。 、 ま ず 艦 隊 を 派 遣 し そ のあ と で派 遣 の根 拠 、 法 を 変 え 艦 隊 を 新 た な 任 務 に つか せ ると 、 。 いう ま さ に ド ク ま ぎ る サ サ れ の で あ 手 法 、 時 注 意 し た い のは 新 法 案 が特 別 措 置 法 ︵ 限立法︶ で は な く 恒 久 法 ︵一般法︶であ る こ 、 と だ 。 こ れ か ら 随 時 艦 隊 派 遣 でき る よう 竹 付 内 ル ︻ 貧 XX xガ 敬 と が でき る 。﹀ 実 は こ の文 言 は 、2 0 0 6 年 9 月 に自 民党 国防 部 会 が策定 した海外 派 兵 恒久法 。 案 ︵いわゆる石破試案︶のも のと 同 じ であ る つま り 海 賊 対 処 新 法 は 海 外 派 兵 恒 久 法 ︵一 。 般法︶に至 る踏 み台 な のだ 3 現 在 ア デ ン湾 で作 戦 中 の2隻 も の諸 国 艦 隊 は米 軍 主 導 の多 国 籍 軍 と N A T O加 盟 国 、 中国とイ ンドは別︶ 諸 軍 に大 別 で き る が ︵ 艦 隊 間 の 海 賊 情 報 の共 有 化 は 進 み つ つあ 。 る 日本 の海 自 が 現 場 海 域 で作 戦 を 開始 す 、 る場 合 諸 国 の先 遣 艦 隊 と の情 報 交 換 は 不 。 可 欠 であ る 日本 政 府 は海 賊 対 策 でも ﹁ 集 団 的 自 衛 権 ﹂ を 行 使 でき な いと いう 見 解 だ 、 が 日中 間 で現 場 で の連 携 を 追 求 す る方 針 。 だ 他 国 と 情 報 を 共 有 し つ つ作 戦 を 進 め る 。 こと は ﹁ 集 団 的 自 衛 権 の行 使 ﹂では な いのか 0 ﹁ 海 賊 ﹂の 正 体 と ア メリ カ の 対 テ 回戦 争 ソ リ の海 賊 は そ のほと ん ど が 元漁 民 ア マ 。 ソ マリ ア近 海 の漁 業 資 源 は 日本 を であ る 含 む 外 国 の大 型 ト ロー ル船 の乱 獲 で根 こそ 0年 代 に欧 米 の企 業 が ぎ 奪 わ れ た 。 し かも 9 放 射 性 物 質 を 含 む 産 業 廃 菜 物 を 同 海 域 に投 、 。 海を殺 され 陸 で 棄 し漁 場 が破 壊 され た かんば 2 と 内 戦 に 苦 し め ら れ た 元 早魁 ︵ 。 漁 民 が 海 賊 に な った のであ る だ か ら こ の 問 題 は 外 科 手 術 的 な 軍事 的 対 応 では解 決 し 。 な い ソ マリ ア の社 会 と 経 済 を 立 ち 直 ら せ 。 る国 際 的 な 支 援 が今 こそ 必 要 な のだ 米 海 軍 が アデ ン湾 に いる のは ﹁ 海賊 対 策 ﹂ 自 体 が 目 的 では な い。 米 軍 の ア デ ン湾 展 開 は ア フリ カ北 部 の ア ル ・カイ ー ダ職 減 が 日 。 UN 的 であ る か つて国 連 ソ マリ ア活 動 ︵ OSO I とし リ に上 陸 ソ ア M ︶ の て マ 主 軸 し ガ ィシ ュ ︵ モガディ は デ た 米 海 隊 モ 兵 ﹁ 0 8人 を 無 1993年1 シオ︶の戦 間 ﹂ ︵ 月 で ︶ 1 、 。 惨 に殺 害 さ れ 米 軍 は全 面 撤 退 し た し か 、 し そ の後 地 上 侵 攻 には踏 み切 ら な いも の 、 の 人 口 の9割 が イ ス ラ ム教 徒 であ る 同 国 、 を ア ル ・カ イ ー ダ の温 床 と決 め つけ イ ス ラ ム武 装勢 力 への ミサ イ ル攻 撃 を 繰 り 返 し 。 てき た だ か ら米 軍 は アデ ン湾 への諸 国 艦 、 隊 結 集 を 中 東 か ら ア フリ カ ヘの テ ロリ ス ト 拡 散 防 止 の観 点 か ら 歓 迎 し て いる のだ 。 、 オ バ マ政 権 は ア フガ ニスタ ン ヘの米 軍 増 派 で同 国を 主 戦 場 に し パキ スタ ンにま で戦 。 火 を 拡 大 し よう と し て いる オ バ マ政 権 の 、 ﹁海 賊 対 策 ﹂ は そ の実 対 テ ロ戦 争 の 一環 、 、 であ り 麻 生 政 権 は そ れ に便 乗 し て ジ ブ 、 、 チ のジ ブ チ港 イ エメ ン の アデ ン港 オ マー ン のサ ラー ラ港 を 海 自 の拠 点 にし よう と し 4Pの地図参昭じ。 自 隊 は て いる のだ ︵ 2 外 衛 基 へ外 へと 展 開 す る た め海 外 に軍事 拠 点 ︵ 。 地︶を 確 保 し よう と し て いる 海 賊 派 兵 と 海 賊 対 処 法 案 の成 立 を 阻 止 し よう では な い o 1 9 3 日 月 年 記︶ 1 ︵ 0 、 いのうえ 。すみお 本誌編集委員︶ ︵ か ◎ 4 月 の読 者 懇 談 会 のお 知 ら せ タ ク シー ・ト ゥ ・ザ ・ダ ー ク サ イド ﹂ ︵ 米 ◇ ﹁ 国 ア レ ック ス ・ギブ 二十 監 督 ・脚 本 ・制作 ︶ 上 映 十高 橋 武 智 さ ん の コメ ント +会 場 の皆 さ んと の討論 、 ◎ ア フガ ニスタ ン のタ ク シー 運転 手 が ﹁テ ロ 、 容 疑 ﹂ のか ど で拘 束 さ れ 米 軍 に拷 問 さ れ 。 て死 亡 す る 米 国 の ﹁対 テ ロ戦 争 ﹂ の実 相 を え ぐ る追真 のドキ ュメ ンタ リ1 1 9P ﹁ 映 画紹介 ﹂ ︵ 本 野義 ◎ 映 画 の内 容 は本 誌 2 雄 ︶を ご覧 くだ さ い 、 ◎ 本 誌 8 P 高 橋 武 智 ﹁悪 夢 の8年 間 を ふり かえ る︱ ︱ ブ ッシ ユ政権 と 日本 のポ チたち ﹂ も ご参 照くだ さ い 3 0 4月 1 日 ︵ 月︶ 年後 6時 半 より J R水 道 橋 駅 下 車 5分 日大 ○ た ん ぽ ぽ舎 ︵ 法 学 部 本館 裏 ダイ ナ ミ ックビ ル5 F︶ T E L 0 3 ︲3 2 3 8 ,9 0 3 5 市民の意見 N0113 2009/4/1 25 ■ ︱ ︱ 日 日 ︱ ︱ 日 日 ︱ ︱ ︱ 日 d 口定 見広 告 延団事務局か ら の報告 一 田同籍め切り間近︰ 日 日 日 B ロ ロ ロ ロ ー ー 日 I L 葛 西 則義 ロ 一 F 5月 3 日 の新 聞 紙 上 に、﹁9条 実 現 ﹂、﹁ 非 武 装 ・不 戦 の憲 法 を 変 え さ せ な い﹂ の意 見 。 広 告 を 掲 載 す べく 活 動 し てき ま し た そ し て 2月 6 1 日 か ら東 京 お よび 東 京 近 郊 の皆 さ 。 ま へ﹁ 最 後 のお 願 い﹂と 3月 7 日 の集 会 ﹁ 映 画 ﹃ア メ リ カ ば んざ い﹄ の上 映 と 藤 本幸 久 、 吉 岡 一 ・朝 日新 聞 記 者 のト ー ク﹂ の 監督 宣伝 チ ラシを 発送 しま した 6日 に そ し て 2月 2 全 国 の 皆 さ ま へ ﹁最 後 の 。 お 願 い﹂を 発 送 し ま し た 今 回 は 3 月 7 日 の集 会 の模 様 お よ び 市 民 意 見 広告 運 動 事 務 局 から のお 願 い に つ いて報 告 しま す 。 * * * * * * * * 米 * * * * * * * 、 集会 は 3月 7日 ︵ 土 ︶ 午 後 1時 半 か ら 東 京 ウ ィ メ ンズ プ ラザ ホ ー ル で 開 催 さ れ ま し た 。 映 画 と ト ー ク お よ び 広 河 隆 一さ ん の 、 、 イ ラ ク ア フガ ニスタ ン パレ スチナ の ︵ 。 写真︶が 展 示 さ れ ま し た 吉川勇 こ ▼主 催 者 の 様 拶 ︵ 、 海賊 策を 目 に 対 名 麻 生 首 が 相 手 から 相 、 か つ日本 の自 攻 撃 を受 け る前 に発 砲 でき 衛 隊 が恒 常 的 に外 国 人 を 攻 撃 でき る ﹁ 海賊 。 対 処 新 法 ﹂ を 国 会 で通 そう と し て いま す 、 解 散 ・総 選 挙 は 早 け れば 5月 と 言 わ れ て 。 いま す 5月 3 日 の全 国紙 に全 面 広 告 で上 記 法 案 に対 す る私 た ち の意 見 を 伝 え る こと 。 は 大 き な チ ャ ン ス です 今 日 の集 会 が 5月 3 日 の意 見 広 告 運 動 を 成 功 さ せ る た め の推 ドライブ︶にな る こと を期 待 し ま す 。 進力 ︵ ▼映 画 ﹃ ア メ リ カ ば ん さ い﹄ 上 映 0 8年 代 のレー ガ ン大 統 領 時 代 か ら 始 ま っ 、 た 弱 肉 強食 の新 自 由 主 義 が 一部 の人 び と に富 が集 中 す る貧 困 ・格 差 社 会 を 発 生 さ せ ま し た。 そ の 一部 の金 持 ち が私 利 私 欲 のた 、 め に行 なう 戦争 に 若 い貧 し い人 び と が生 、 活 のた め 生 き る た め に戦争 に参 加 さ せ ら 。 れ る そ し て戦 場 か ら帰 ってき て P T S D . 吉 田 ↓氏 の ト ー ク ︵ 心的外傷後 ストレス障生こ で苦 悩 す る様 子 が 。 生 な ま しく 描 か れ て いま す こ の状 態 は 極 め て近 い将 来 の日本 な のかも し れ な いと い う 気 が しま し た 。 ▼藤 本 率 久 監 督 作の動機は 、 藤 本 沖 縄 の米 軍基 地 に入 り 若 いと いう 、 よ り 幼 い素 顔 を み て これ が米 兵 な のか と 。 驚 き ま し た 貧 し い若 者 が リ ク ルー タ ー か 、 ら 聞 か さ れ た 大 学 へ行 け る、 奨 学金 がも 、 らえ る等 の話 は 訓 練 が終 わ って 1年 を 経 、 。 過 し た 頃 には ウ ソだ と わ か つてく る 更 、 に 4年 の任 務 を 終 え 無豊す ア メリ カ に帰 っ 、 、 ても 就 け る仕事 は銃 を 持 った警 官 警 備 、 、 員 軍事 会 社 し か な く 夢 は無 残 に潰 え て しま いま す 。 日本 の権 力 者 が 、 ア フガ ンを は じ め と す る次 の戦争 は ア メリ カと 一緒 に 。 や ろ う と し て いる 日 本 の若 者 が 戦 争 に な った ら ど う で つこと を 体 験 す る こと にな る のか を 知 ら な け れ ば な ら な い。 そ のた め に ア メ リ カ の現 状 を 見 る必 要 が あ ると 思 い ま し た。 、 ll さ を を ん て 映 岡 の 吉 画 見 感 想 、 、 吉 岡 自 分 は 半 年 以 上 イ ラ ク に いて 、 知 って いる 人 最 近 会 った 人 が 次 つぎ に殺 、 ま た 取 材 先 で何 百 人 も の死 体 を 数 される 。 え てき ま し た そう いう 体 験 の中 か ら私 自 、 身 P T S D状 態 で爆 音 に脅 え た り と 他 人 ひと︶ご と は 思え ま せ ん。 ︵ ll今回の映画では、戦場および洗脳の現 場をあえて落としているように思うのです 、 が なぜですか 向校 を 卒 業 し た ば か り の若 者 が 3 藤 本 一 、 カ月 の訓 練 で 海 兵 隊 の命 令 が あ れ ば 人 を 、 殺 し ま す と 答 え る状 態 にな る こと を 短 い 。 時 間 で は わ か っても らえ ま せ ん そ のこと は続 編 の映 画 で準 備 し て いま す 。 劣 化 ウ ラ ン弾 の被 害 を 受 け た イ ラ ク人 を 市民の意見 N0113 2009/4/1 、 治 療 し て いる 札 幌 で ア メ リ カ の若 い兵 士 、 、 が 人 生 を 切 り 開 く た め あ る いは大 学 に 、 行 き た いと いう こと で兵 士 にな り イ ラク 。 で戦 争 を し て いると いう 話 を し ま し た そ 、 れ に対 し イ ラ ク の人 か ら そう いう 動 機 で 、 イ ラ ク で人 を 殺 し て い いの です か と 問 わ 。 れ た こと は 忘 れ ら れ ま せ ん ︱︱吉岡さんはどう思われますか 、 吉 岡 最 初 イ ラ ク人 は フセ イ ン の圧 政 か し ら ま し 。し を に え た 的 た 米 軍 意 好 迎 解 放 理 か し 1 ∼ 2 カ 月 す ると 米 兵 の本 当 の姿 ︵ 由もなく イ ラク人を拉致したり現金を盗んでい く︶を 知 り ま す 。 そ れ に対 し て イ ラ ク人 が 、 、 報 復 す る と 米 軍 は 1人 殺 さ れ るた び に 0 、0 、 懲 罰 的 報 復 と し て 1人 3人 1 0 0人 の 。 イ ラ ク人 を 殺 し ま す 何 の罪 も な いイ ラク 市 民 の血 が 流 さ れ て いる こと を 忘 れ てはな り ま せ ん。 軍基地再編について 、 藤 本 ア メ リ カ は 次 の戦 争 の た め 世 界 。 中 の ア メ リ カ基 地 の再 編 を 考 え て いる そ 、 の 一つが 日 本 の金 を 使 い グ ア ム移 転 で 、 6 0 0 0 億 円 辺 野古 基 地 の整 備 に 1兆 円 。 の金 を 出 さ せ よう と し て いま す か つ基 地 、 再 編 の協 定 を 結 び 政 府 が 変 わ つて も 金 を 出 さ せ る よ う に 、 し よ う と し て い る。 一方 日 本 の 一部 の権 力 者 が 日 米 の軍 事 的 一体 化 を 進 め よ う と し て いま す 日本のメデ ィアに 一言 吉 岡 イ ラ ク 戦 争 の本 当 の理 由 を 見 極 め 。 て ア メリ カと つき 合 わ な いと いけ な い そ 、 し て日本 の今 後 を 考 え 軍事 の日米 一体 化 、 のみ が語 ら れ る状 態 にな って いる現在 国 、 民 が 政府 を 変 え さ せ 絶 対 に戦争 し な いよ う にす る必 要 が あ り ま す 。 ︱︱監督、最後にメッセージを 藤 本 ア メ リ カ の若 者 も 好 き で 軍 隊 に 。 行 って いるわ け で はあ り ま せ ん 他 に道 が 、 。 な いか ら 軍隊 に入 って いる 若 者 に夢 の あ る社会 を 作 ら な いと 戦 争 は止 め ら れ な い 。 のだ と 思 いま す ▼広 河 臣 ↓さん の写真 展 ア メリ カ の攻 撃 を 受 け てガ レキ と な った 、 、 イ ラ ク ア フガ ニスタ ン そ し てイ ス ラ エ ルに より破 壊 さ れ た パ レ スチ ナ の写 真 が 展 。 示 さ れま し た 、 映 画 では 戦 争 を 仕 掛 け た ア メリ カ の社 、 会 の苦 悩 写真 展 では攻 撃 を受 け た 側 の悲 。 惨 さ が映 し出 さ れ て いま す 、 映 画 と 写真 展 が相 ま って 戦争 の悲 惨 さ 。 が 一層 リ ア ルに表 現 さ れ ま し た ▼結 び 、 、 集会 は 多 く の方 がた の参加を いただき 。 盛 況裡 に終 了 しま した 、 藤本監督 吉 岡記者 が指摘 し て いるよう 、 に 軍事 の日米 一体化 が進 められ て いる現 、 、 在 これ を 阻止 す るた め にも 皆 さ んと 力 、 を 合 わ せ 5月 3 日 の意 見 広 告 を 成 功 さ せ 。 。 た いと 思 いま す ご支 援 を お 願 いしま す * * * * * * * * * * * * * * * * 市 民意 見広 生 局 か ら のお願 い 、 6 日 に最 後 のお 願 いを 全 国 の 2月 6 1日 2 、 。 賛 同者 の方 が た に発 送 し ま し た そ の結 果 、 、 賛 同金 広 告 チ ラ シ グ ッズ ・書 籍 の要 求 。 が多 く 寄 せ ら れ る よう にな り ま し た 3 日 在 、 集 ま った 賛 同金 は 、新 聞 3月 2 現 への意 見 広 告 掲 載 のた め の 日 標 額 であ る 、 2 5 0 0 万 円 に対 し よう やく 2 0 0 0万 。 円を超 しま した 、 5月 3 日 の意 見 広 告 を 成 功 さ せ る た め 定 額 給 付 金 の 一部 を 意 見 広 告 の賛 同金 と し 、 、 て 支 給 に先 立 ち 前 倒 し で振 り 込 み頂 く 。 よう お 願 い いた しま す ︵ 募 金 の目標 額︶ 2 5 0 0万 円 ︵ 掲 載 時 期 ︶ 2 0 0 9年 5 月 3 日 ︵ 掲 載 紙 ︶全 国紙 と 地方 紙 2 賀 同 金 の送 り方 ︶ 2 0 0 9年 4月 1 日 ︵ 。 必 者 で郵 便 局 か ら お振 込 み 下 さ い 個 人 ・1 日 2 0 0 0 円 団体 ・1 日 4 0 0 0円 賛 同 金 の振 り 込 み先 ︶ ︵ り︲ 遇毬基 郵 便 振 替 口座 番 号 oP S , 加 入 者 名 市 民意 見 広 告 運 動 、 かさ い 。のりよし 意見広告運動事務局︶ ︵ 7′ ワ0 市民の意見 N0113 2009/4/1 、 デザ イ ン こと に雑 誌 や書 籍 のデザ イ ン 、 を 自 嘲 を 込 め て ﹁切 った 貼 った の世 界 ﹂ と 呼 ぶ こ と が あ る。 任 侠 映 画 で見 知 った 、 ﹁斬 った 張 った の世 界 ﹂ のも じ り で た し 、 か に エデ ィ ト リ ア ル やブ ツク デザ イ ンでは ひ ん ぱ ん に ゲ ラ や 図 版 を 切 って 貼 る。 昨 、 今 は デジ タ ル化 の浸 透 で ﹁ 切 った貼 った ﹂ 、 も 減 り つ つあ る い っぽう モ ニタ ー のな か 、 で あ いか わ ら ず ︿ 切 る =カ ット ﹀ と ︿ 貼 る =ペー スト ﹀ を 繰 り 返 し て いる。 、 切 る に は 鉄 が 貼 る にはピ ンセ ツト が必 、 。 須 だ デザ イ ンに は 鉄 とピ ンセ ツト が重 要 な 道 具 だ と いう 。 わ け だ 出 番 が減 っ 、 た と は いえ 鋏 とピ 、 ンセ ツト は デザ イ ナ ー に と っ て の精 神的な拠 り所 だと 。 感 じ る 長 いあ いだ勤 め てく れ た スタ ッフ 、 が 独 立 す る 際 は 使 い慣 れ た 鉄 と ピ ンセ ツ ト を プ レ ゼ ント す る。 2 0 0 8年 には、 9 、 年 間 い っし ょ に し ご と を し た 女 性 3 人 が 。 鉄 と ピ ン セ ツト を 持 って羽 ば た いて い つた 、 鉄 と ピ ン セ ツト に つ いて 日 ご ろ不 思議 、 。 に思 う こと が あ る エンピ ツを は じ め 周 辺 に は高 品 質 な 国産 品 が溢 れ て いる にも か 、 、 か わ ら ず こと 鉄 とピ ンセ ツト に限 っては これ ぞ と いう 製 品 に出 会 った た め し が な い。 鉄 は ﹁ド ボ ﹂ や ﹁アド ラー ﹂ と い った ブ ラ 、 ンド のド イ ツ製 だ し ピ ンセ ットも スイ ス 、 。 製 の ﹁エレ ム﹂ だ ど ち らも デザ イ ン の 。 手 本 と 仰 ぐ 国 の製 品 であ る のが象徴 的 だ 、 理 由 は いろ いろあ る のだ ろう し 和 鉄 や 、 毛 抜 き には上質 のも のがあ るはず だ が こ 、 こ では 飛 躍気 味 に こう 言 ってみた い。 国 産 品 で優秀 な 鋏 と ピ ンセ ツト が見 つか ら な 、 い のは ﹁デザ イ ン﹂ と いう 言 葉 を 日 本 語 、 。 に翻 訳 でき な か つた か らだ と 明 治 期 以 、 、 、 、 降 デザ イ ンを 意 匠 図案 設 計 商 業 美 、 術 な ど さ まざ ま に言 い換 え よう と し てき 、 。 た が いず れも 消 え て い った ﹁デザ イ ン﹂ な る概 念 を つ いに国 産 化 でき な か った ゆえ 、 言 葉 の国 産 化 に 作 業 の要 であ る鉄 とピ ンセ ツト を 作 り 、 と いう 仮 説 だ 。 優 秀 な 鉄 と ピ 得 な か った ンセ ツトを つく ろう と の意 欲 に駆 り 立 てら 。 れ な か った と 言 う べき かも し れ な い 、 友 人 に スポ ー ツ ・ジ ャー ナ リズ ム に詳 し い編 集 者 が いる。 彼 によ れ ば 、 た と え ば 、 野 球 の記事 に し ても ア メリ カ の新 聞 と 日 、 。 本 の新 聞 で は 書 き ぶり が 大 き く ち が う 、0 ア メ リ カ の新 聞 では 1 年 後 に記事 を 読 ん 、 でも ゲ ー ム の流 れ と ポ イ ント が わ か る よ う に書 か れ て いる。 対 し て日本 の新 聞 で は 、 、 。 0 1年 後 に読 む に耐 え な い な ぜ な ら ば ﹁ 亡 き 母 へ捧 げ た逆 転 ホ ー ム ラ ン﹂ と い つた ぐ 、 あ いに ど ち ら かと いう と 人 間 ド ラ マに関 。 。 心 が寄 って いる か ら だ 彼 は言 う わ が 国 への スポ ー ツ ・ジ ャー ナ リズ ム の定 着 を め 、 ざ し て 自 分 は ア メリ カ の新 聞 でゲ ー ム の 。 記 事 を 読 む 訓 練 を し てお く 、 テ レビ で大 リ ー グ の実 況 を 見 ると 日本 。 のと は 印 象 が ち がう 個 人 の思 い入 れを 振 り 払 う か のよう に、淡 々と ゲ ー ムが進 行 し 、 。 て いく 選 手 た ち と と も に グ ラ ウ ンド と 、 。 いう 場 も ま た 主 役 のよう だ ゲ ー ムと は プ レイ ヤ ーと 場 と の遭 遇 に よ つて起 き る 予 。 想 の つか な いド ラ マだ 、 美 技 は も ち ろ ん選手 個 、 人 の功 績 な のだ が 同 時 にゲ ー ム に属 し て いる感 。 があ る 場 が主役 だ か ら 、 こそ 市 民 は 大 挙 し て球 。 場 に駆 け つけ る の では な いか 良 い悪 いで 、 、 は な く わ が 国 民 は ︿ベ ー スボ ー ル﹀ を 、 ゲ ー ム﹀ を ︿ 野球 ﹀ に ︿ 試 合 ﹀ へと 国 産 ︿ 。 化 し た のだ 、 ﹁デ ザ イ ン﹂ は な ぜ 日 本 語 に変 換 でき 、 。 な か つた のか 同 じ よう に 身 近 な 言 葉 の 国 産 化 の度 合 いを 考 え てみ る のも よ いだ ろ 、 う 。 略 語 化 さ れ た ﹁デ モ﹂ は は た し て国 、 産 化 し た のか か た や ﹁テ ロ﹂ は国 産 化 し 。 てほ し く な い⋮ ⋮ 、 、 すずき 。ひとし グラフィックデザイナー 題 ︵ 字デザインも筆者︶ 28 市民の意見 N0113 2009/4/1 監 督 ・脚 本 ”ア レ ック ス ・ギ ブ ニ1/製 作 ” 、 、 、 ア レ ック ス ・ギ フ エー E ・オ ー ナ ー S ・ シ ップ マ ン /米 国 2 0 0 7 年 ︵1 0 6 0 分 ︶ / 第 8 回 米 ア カ デ ミ ー 長 穂 ド キ ュメ ン タ リ ー賞 受 賞 作 品 ● 自 主 上 映 用 D V D貸 出 申 し 込 み 先 一ア ム ネ ス テ ィ ・イ ン タ ー ナ シ ョナ ル 日 本 ・ 00いヽ東 京 都 千 代 田 区 東 京 事 務 所 / 〒 さ ユ, 神 田 錦 町 2︲2 共 同 ビ ル 4 F / ﹁mF 8 ︰ ωリュ∞3 0、NN ﹁>X ”Oω, ωいユω︲ 0ミN∞ mユゴい〓¨ 芥 0う0天o⑥いヨヨ秘 F q・ ﹄ 只 担 当 ・川 上 ︶ 蟹 工 船 ﹂ の作 者 小 林 多 喜 二は 1 9 3 3 ◆ ﹁ 、 、 年 築 地 警 察 署 で拷 問 さ れ 無 残 に殺 害 さ 、 、 れ た が 犯 人 は特 定 さ れず 誰 も 罰 せ ら れ 。 る こ と は な か った 1 9 4 2 ∼ 5年 の言 目 、 、 論 弾 圧事 件 ︵いわゆる横浜事件︶で は 戦 後 5∼ ︲ 年 の実 拷 間 を 実行 し た警 察 官 3名 が 1・ 、 刑 判 決 を受 け た が 講 和 条 約 によ る恩 赦 で 、 。 釈 放 一方 で っち あ げ 裁 判 で有 罪 と さ れ 、 た被 告 た ち の名 誉 回復 は 裁 判資 料 が残 っ 。 て いな いと の理由 で却 下 さ れ て いる 、 ◆ 権 力 犯 罪 の中 でも 最 も お ぞ ま し い拷 問 は 。 不幸 にし て過 去 の悪 夢 ではな い そ れ でも 1 9 4 9年 、 紛争 下 の民 間 人 や捕 虜 への人 道 的 扱 いを 定 め た ジ ュネ ーブ条 約 の加 盟 国 、 の間 では 公 然 と は行 な わ れ な く な つて い 。 1 た 9 ,1後 の米 ブ ッシ ュ政 権 が テ ロ容 疑 、 者 に対 す る拷 問 を 半 ば 公 然 化 し た のは 国 。 際 的 人 道 水 準 への挑 戦 だ った 、 ◆ こ の映 画 では ア フガ ニスタ ン の僻 村 出 、 身 のタ ク シ ー運 転 手 が テ ロ容 疑 で逮 捕 さ れ 5 日後 に拷 問 さ れ た 死 体 と な って返 さ れ た 、 事 件 を 軸 に 2 0 0 2年 以降 ア フガ ニスタ 、 、 ン イ ラ ク グ ア ンタ ナ モ ︵ キ ューバ︶ で 行 な わ れ た数 かず のグ ロテ スクな拷 問 ・虐 、 。 待 の実 態 が 当 事 者 の日か ら語 ら れ る 水 、 、 、 責 め 無 理 な 姿 勢 の強 要 裸 にし て辱 め る 、 、 。 睡 眠妨 害 大 によ る脅 迫 等 々 2 0 0 6 、 年 イ ラク ・アブ グ レイ ブ刑 務 所 で の虐 待 、 が 明 る み に出 て米 議 会 でも 問 題 にな った が 上官 裁 判 に かけ ら れ有 罪 と な った のは最 下 級 の 。 兵 士 ば かり 水 責 めを 推 奨 し た 当 時 のチ ェ イ ニー副 大 統 領 や刑 務 所 の兵 士 を 激 励 し た 、 ラ ムズ フ ェルド 国 防 長 官 はも ち ろ ん 。 は残 らず 訴 追 を免 れ た 。 ◆ 拷 間 は時 に皮 肉 な 結 果 を 生 む 2 0 0 3 、 、 当 時 のパ ウ エル国 務 長 官 は国 連 で 年 2月 ﹁イ ラ ク が ア ル カ イ ダ に 軍 事 訓 練 を 施 し て いた と の テ ロ の証 言 が得 ら れ た ﹂ と 者 容 疑 、1 年 後 こ の証 言 が拷 問 得 々と 報 告 し た が によ り む り やり 得 ら れ た ウ ソ の自 白 だ つた 、 こと が 判 明 パ ウ エル長 官 は 大 恥 を か いた と いう 挿 話 も 興味 ふか い。 、 ◆ 2 0 0 6年 ま で に ア フガ ニスタ ン と イ ラ ク で身 柄 を 拘 束 さ れ た 人 は実 に 、 8万 3 0 0 0人 に のぼり そ の誰 ひと り と 、 し て裁 判 を受 け て いな いと いう のも 驚 く 。 べき 話 だ 前 述 のタ ク シ ー 運 転 手 の家 族 に 、 も ﹁本 人 の死 因 は 他 殺 ﹂ と し か 書 か れ て 、 いな い通 知 書 が 1枚 届 け ら れ た だ け そ れ も 英 語 な の で家 族 は読 めな か った と いう 。 ◆ オ バ マ新 大 統 領 は グ ア ン タ ナ モ収 容 所 、 の閉 鎖 を 宣 言 ﹁ア メリ カ は拷 間 は し な い﹂ と 述 べた 。 そ の言 葉 が信 用 でき る か どう か 、 、 は 彼 が 非 米 国 民 への秘 密 拘 禁 の中 止 こ 、 ﹁テ ロと の戦 い﹂ れま で の被 拘 禁 者 の釈 放 の名 のも と に行 な わ れ た 数 か ず の人権 侵 害 への責 任 追 及 と 被 害 者 への補 償 を 実 行 す る 。 か否 か に か か って いるだ ろう 、 もとの 。よしお 本誌編集委員︶ 本 野一 霧雄 ︵ タクシー ・トゥ ・ザ ・ダークサイド﹂特別上 ☆ ﹁ 5 P2 映会を開きます ︵ 参 照 ︶ 3日 ︵ J 4月1 たんぽぽ舎 ︵ 月︶午後6時半 /会場 ¨ R水道橋駅下車5分︶ 0の会 ・東京 参加費 ¨500円/主催 ”市民の意見3 市民の意見 N0113 2009/4/1 29 犯罪のおぞまし ステール写真提供 :ア ムネステ ィ ・インターナショナル日本 福富 節 男 。 け ら れ て いる 議 員 バ ッジ を ズ ボ ン の裾 に 、 、 着 け ず に本 会 議 に出 席 し た り つけ た り ト 自 ラ 由ア 去 30 島義 昼 召o 宮 本 な お み著 ﹃ 革 新 無 所 属﹄ T ロ こ の ス ト レ ー ト す ぎ る タ イ ト ルを 見 て、 手 に取 ろう と す る人 がど れ だ け いるだ ろう 、 。 か と 心 配 し た し か し 読 み進 め るう ち に 、 無 所 属 と は ど う いう こと か 革 新 と は何 を す る こと に よ って革 新 と 言 え る かを これ ほ 面白 い話 を 入 れ な が ら議 員 の特 権 意 識 を 耶 。 輪 し つ つ的 を はず し ては いな い 、 こ の本 にあ る宮 本 の区 議 会 報 告 か ら ま 、 。 ず 項 目を列 挙 し よう 議 員 バ ス ン装 着 反 対 日照権 問題と高 層 マンシ ョン建 設 反対 、議 員 、 報 酬 引 き 上 げ 反 対 保 育 園 の障 害 児 入 園 差 、 別 住 民基 本台 帳 の コンピ ュータ記 録 化 の問 、 題 臨 時 職 員 な ど 不 安 定 労 働 力 の待 遇 引 き 、 ュ ニティ構 想 の問 題、コンピ ュー 上げ 区 ので ヽ タ配置 に ついての債 務負 担 行為 に対 す る監 査 、 、 請 求 訴 訟 日黒清 掃 工場建 設計 画 ︵ 外国人︶指 、 。 否 など ここでは行 がたり な い ⋮ ︰ 、 政党 、 、 こう し な い は に た 本 問 出 い 宮 題 会 つ つ 。 そ 常 に新 し い視 点 と 実 践を 見 出 し て ゆく のよう な と こ ろ に本 書 の面 白 さを 読 者 は見 、 。 出 す だ ろう いち いち紹 介 を し ては 本 の 大 部 分 を こ こ に書 く と いう 不 可 能 な こと に 。 手 を 染 め てし ま いそう であ る 清 掃 工場 建 設 計 画 反 対 は リサ イ ク ル条 例 の直 接 請 求 に 。 発 展 す る 宮 本 のこ の請 求 に対 す る党 派 の 対 応 は 読 者 の楽 し み のた め に こ こ には紹 介 し な い。 コンピ ュー タ の問 題 は事 務 処 理 の レ ベ ル向 上 と いう 単 純 な と こ ろ に陥 ら ず 、 、 。 漏 洩 問 題 人 権 問 題 に連 な る 。 さて ﹁ 無 所 属 ﹂と は何 だ ろう か あ る集 団 、 に属す れば 集 団 の上部 を ご主 人様 にし てし ま いかね な い。宮 本 はど こに所 属 した のか? 、 人びとと言おうが 人民と気 F登夢でのも の ︵ 張つ つが勝手である︶の中 にあ る のだ。 そ の上 で ﹁ 革 新 ﹂と は何 か? そ れら の人びとが求 、 、 めるも の 必 要とす るも のを 自 由 と人権 の 、 、 立 場 特 権 と は違 う 立 場 で 素 直 に汲 み取 ること であ ろう 。本書 のタイト ルの意味 す る ことが明瞭 にな る。宮 本 のこの素 直 さを育 ん 。 だ源 はど こか 美 し い第 1章 を み てほし い。 、 こ の紹 介 では 反 P K O法 を 訴 え る内 田 、 弁 護 士 を 擁 し て の参 院 選 挙 な ど 議 員 後 の 、 宮 本 の活 動 に触 れ な か った が ﹁市 民 のひ ろば ﹂ と 私 た ち が名 づ け た 拠 点 は こ の反 P 評 者 が問 題 を あ え て列 挙 し た のは 内 では議 員 た ち が手 分 け 分 担 し負 担 を 軽 減 、 す る のだ ろう が や る気 のあ る無 所 属 議 員 が直 面 し負 担 し な け れ ば な ら な いも のは ど のよう に多 様 か を 知 っても らう た め でも あ 。 る こ の多 様 さ の中 の連 関性 が重 要 な のだ 。 議 員 当 人 にと つて の大 変 な こと が読 者 に さ ま ざ ま な 関 心 を も た ら す のだ 。 た と え ば 、 障 害 児 保 育 に つ いて労 働 組 合 は 劣 悪 な 労 K O運 動 の中 で宮 本 が ﹁ 市 民 の政 治 ﹂ を 標 。 傍 し て獲 得 し た も のであ る 、 ふくとみ ・せつお 本会会員︶ ︵ ど 良 く 伝 え る 本 はざ ら にあ るも の では な い 、 と 確 信 し 広 く 読 ま れ る必 要 が あ ると痛 感 し た 。 日 本 の政 治 状 況 が何 と か な ら な いか 、 そ れ を ど こ か ら始 め た ら よ いだ ろう と いう 、 。 問 いに 自 然 な答 え を 与 え て いる か つて 単 純 に ﹁地 域 か ら ﹂ と 標 語 的 に言 う 傾向 が 。 流 行 し た こ の本 の場 合 は そ の傾向 と は話 、 。 が違 う 地 域 のど のよう な 問 題 が あ り そ れを ﹁ 革 新 ﹂ 的 に実 践 す る こと が書 か れ て 。 いると いう わ け だ メ デ ィ アと し て A 3 表 裏 両 面 の ﹃ 目黒区 判 、0 民新 聞﹄ を 創 刊 し 2 年 間 の区 議 生 活 中 に 2 2 6号 も 発 行 し続 け た 。 そ れ が本 書 のも と に な つた 。 概 し て議 会 報 告 のた ぐ いは多 く は独 り よ が り か 、煩 雑 だ が形 式 的 な話 の 、 。 羅 列 にす ぎ な い 評 者 の知 る限 り では 中 働 条 件 にさ ら に保 母 の負 担 増 加 を 強 いると いう 点 か ら 1歩 も 切 り 開 ︼ ﹂う と いう と こ ろ 。 が な い 従 って障 害 児 保 育 の問 題 は前 進 し 宮 本 は 1 9 7 1年 初 め て目 黒 区 議 会 議 員 。 に当 選 し た 日 黒 区 民 と 宮 本 議 員 を つな ぐ 山 千 夏 の国 会 報 告 は そ れ ら と 類 を 異 にし て 。 いた 宮 本 の区 議 会 と いう 場 で の省 戦 ぶり 、 は 下手 す る と 陳 腐 矮 小 にな ると こ ろが避 市民の意見 N0113 2009/4/1 巳ntl心 ★ 4月 6日 (月)辺 野古新基地建捜反対 防衛省 月偶行 19:00場 動 18:30∼ 所 :防 衛省正 門前 (」 R・ 地下鉄市 ヶ谷駅下車徒歩 7分 )主 催 :辺 野古 へ の 基地建設を許 さない実行委員会 (連絡先 :携 帯 090・ 一坪反戦地主会関東ブ ロック〕) 3910・ 4140〔 沖縄 ・ ◆ この対防衛省月例行動は毎月第 1月 曜 日に行なわれて います。 市民の意見 30の 会 ・東京は 3月 2日 の月例行 動に参加 し、 4月 以降も毎月参加することにな りました。 みなさん、バ、 るつてご参力B下さい。市民の意見 30の 会 ・ 東京事務周 いらない !原 子力空母」 ☆ 4月 12日 (日)「 暮パ レー ド4・ ー プエ ング 14:00出 1213i30オ 発 〔 雨天決行〕 集合場所 !ヴ ェルニ ー公園 (京浜急行汐入駅から 徒歩 5 分/」 R横 須賀駅下車徒歩 1分 )主 催 :「いらない 1原 子 力空母」(連絡先 :電話 045・ 788・ 0838中 森圭子) つ や恐 ナ 土ちっ ユOθユ r.2ど・ ☆ 4月 25日 (土)チ ェル ノブイ リ原発事故から 23年 「4・ 25柏 崎刈羽原発運転再開 NO!」 ∼原発に頼 らな い地 域 づ くりを目指 して ∼ 13!00∼ 16!00講 師 !矢 部忠夫 (柏 崎市議会議員 )場 所 :恵 比寿 区民会館 (」 R・ 地下鉄 日比谷緑恵比寿駅下車徒歩 5分 、 03・ 3461・ 3453)参 主催団体 :原 発 加費 :800円 とめよう 1東 京ネ ッ トワー ク (連絡先 :原 子力資料情報 03・3357・3800〕/た んぽぽ舎 〔 03・3238・9035〕他 ) 室〔 ☆ 4月 25日 (土),こ そ声をあげよう !教 育を子 ども たちのために4・ 25集 会 特別講演 「 教育 と自由」益川 敏英、パネルディスカ ッシ ョン :小 森陽一 /木 附千晶/ 藤日英典/本 田由紀 13i30開 場 14:00開 会 場所 : 九段会館 (地下鉄東西線 ・半蔵門線 ・新宿線九段下駅 A 4出 □よ り徒歩 1分 )資 料代 :800円 (高校生以下は 無料)主 催 :教 育を子 どもたちのために 4・ 25集 会実 6656) 行委員会 (連絡先 i携 帯 090・ 1859・ ☆ 4月 26日 (日)《わだ つみ フォー ラム》キムはなゼ 耕かれたのか 韓 日 ・朝鮮人 BC級 戦犯問題が問 いか けるもの一 講師 :内 海愛子 14:00∼ 場所 :わ だつ こえ記 28。 13本 みの 念館 (支京 区本郷 5・ 郷 ・赤 ・ 門 ア ビタ シオ ン 4階 、電 話 FAXi 0 3・ 3815・ 8571)参 カロ費 :無 料 共催 :日 本戦没学生記念会 (わ だつみ会)/わ だつのこえ記念館 ※ 参考文献 :内海愛子著 『 キムはなぜ裁かれたのか一朝鮮人 B C級 戦犯の軌跡』(朝日選書、 2008年 ) ☆ 5月 2日 (土)《アジアをむすぶ平和の広場》あんにょんハイサイ ・わくわくコンサー ト 14: 30開 場 15!00開 演 19:00終 演 出演 :韓国 ・ 希望の歌 コッタジ/韓 国 ・トヌム (民族楽器チー ム)/寿 〔KOTOBUKI〕 /生 日卍とラヒンカユマンギ/ア エ☆ユエ ット (在日コ リアン)/ 琉球舞踊/朝 鮮舞踊/辺 野古 ・高江の映像とアピール/在 日コ リアンのアピールなど 場所 :上野公 園野外ステージ (水上音楽堂、」R上 野駅 〔しのばず出□〕徒歩 5分 /京 成線上野駅徒歩 2分 )主 催 : あんにょんハイサイ実行委員会 (間い合わせ先 :電話/FAX 03・ 5680,3017)◆ 入場料 : 全席自由/前 売 り1500円 、当日2000円 、小中学生無料 31 市民の意見 N0113 2009/4/1 一 、 4月 後 半 の事 務 局 は 、 横 日か ら ベ ト ナ ム ヘ な ど ■毎 年 、 意 見 広 告 運 動 の締 め 切 り 直 前 、 でご送 金 が殺 到 し スタ ッフ 。 は 処 理 にう れ し い悲 鳴 です 、 ま だ の方 は早 急 に 1 日 でも 。 早 く お送 り く だ さ い 東京版︶の投 ■ ﹃ 朝 日新 聞 ﹄ ︵ 参 加 し よう と れ る抗 議 行 動 に出 来 る だ け 省 前 で行 な わ 毎 月 第 1月 曜 、 日 の夜 防 衛 く な って いる 、 こと を 反 省 し の行 動 が 少 な 。 い︶ 、 、 0 ■ 3 の 会 事 務 局 で も 最 近 街 頭 へ出 て 汗ユ 一 沼一 る・ 君 く ﹁明 日 も 晴 れ ﹂ を ぜ ひ ご 覧 く だ さ スタ ン デ イ ン グ行 動 の メ ンバ ー村 雲 司 さ ん 、 の意 見 が 出 た あ と の3月 7 日 に は そ れを ⑥ 見 てき た と いう 人 も多 数 参 加 し た そう です ミ電電電 会 員 の大 木 晴 子 さ ん のサイ ト J古 ︵ 8¨ 書欄 ﹁ 声 ﹂ に載 った ﹁一人 で 、 も でき る行 動 ﹂ を めぐ る やり 取 り は かな り の反 響 を よ ん で いま す 。 新 宿 西 日 広 場 吉川 勇 いう こ と が 話 し合 わ れ ま し 。 た 3月 2 日 は冷 た い風 の吹 く 寒 い夜 でし 、0 たが 3 の の 会 事 務 局 メ ンバ ー や会 員 が 7 。 名 ほど参 加 しま し た 本 誌 編 集 委 員 会 か ら 、 も 4人 です ︵ 写真は左から編集委員 の天野恵 、 、 、 一さん 私 会計担当 のKさん 撮影は大木晴子 、 。 さん︶ 次 回 は 4月 6 日午 後 6時 半 市 谷 の 。 。 防 衛 省 正 門前 集 合 です ご 一緒 しま せ ん か 、 、 ■ ち ょ っと い い いや か な り い い話 を ご 。 紹 介 会 員 の島 田清 作 さ ん か ら連 絡 が あ り ま し た。 横 田基 地 飛 行 差 止 め訴 訟 の東 京 高 、 裁 判 決 で 差 止 め 要 求 は却 下 さ れ 最 高 裁 上 、 告 中 だ が 騒 音 被 害 に ついては原 告 側 に国 、 。 の賠 償 金 支 払 いが 決 定 し た 原 告 の 1 人 、 田中 広 司 さ ん は 横 田基 地 の米 軍 は ベト ナ 、 ム戦争 に大 き く 関 わ った そ の騒音 被 害 の 、 賠 償 で得 た金 は いま も 被 害 に苦 し ん で い 、 る ベト ナ ム の人 び と の こと を 思う と す ん 、 な り と は受 け 取 れ な い 有 効 に使 いた いと 、 、 と いう 連 絡 です 。 私 は 京 希 望 し て いる ベトナムの子 都 に いる会 員 の関 谷 滋 さ ん ︵ 。 供たちを支援する会会長︶を ご紹 介 し ま し た 、 ト ベ ナ ム南 部 の ベ ンチ ェ省 と 北 こ の会 は 部 のバ クザ ンで障 害 を 持 つ児 童 た ち を 支 援 、 、 す る施 設 を 運 営 し てお り 関 谷 さ んも 毎 年 。 何 度 も ベト ナ ムを 訪 問 し て いま す 田中 さ 5 円 の寄 が送 ら れ てき た ん か ら は会 に 1 万 付 。 そう です 年 間 予算 1 0 0万 円 ほど の会 に 、 と って こ の寄 は た い ん有 難 いこと だ 付 へ 、 0数 年 前 と 関谷 さ んは感 謝 し て いま す 。 4 の心 の痛 みを 持 ち 続 け てお ら れ た 田中 さ ん 。 の行 動 に胸 打 た れま す 。 ■ も う 一つ い い話 事 務 局 スタ ッフ の佐 橋 弥 生 さ ん が エ ス ペ ラ ント 語 で歌 う 憲 法 9 条 の入 った C D が 5 月 3 日 に 発 売 予 定 で 。 。 す 3 月 に録 音 が完 了 し ま し た これ は か って 0年 安 保 聞 争 に関 わ った さ ま ざ ま な 立 6 憲 法 9条 阻止 の 場 の人 た ち が作 って いる ﹁ 会 ﹂ が 中 心 にな って歌 って いる ﹃ 戦争 の放 、 棄 交 響 曲 第 9 条 ﹄ と いう C D で 詞 、 は第 9条 曲 は ベート ー ベ ン の ﹁ 合 唱交 響 、 、 。 出 ﹂ です 日本 語 英 語 エス ペ ラ ント語 、 によ る独 唱 や斉 唱 のほ か カ ラオ ケ版 も つ 。 いて いる そう です 定 価 未 定 です が 5 0 0 、 ご希 望 の方 は事 務 局 の 。 円 く ら いと のこと 佐 橋 ま でお申 し込 みを 4名 ■ 6月 の無 言 館 ツ アー の参 加 希 望 者 は 3 、 。 にな り あ と 数 名 な ら ま だ 加 わ れま す ご 。 希 望 の方 は早 急 に お申 し込 みく だ さ い 、 日本 ﹃ 市 民 の意 見 ﹄ の発 送 は 郵 送 か ら 宅 、 。 急 便 利 用 に変 え ま し た そ のた め 規定 の 、 重 量 ま で は 何 を 入 れ ても い いこと にな り 、 さま ざ ま の友 誼 団体 か ら チ ラ シを 同封 し 。 てく れ と いう 希 望 が多 数 来 て いま す な る 、 べく 便 宜 を 提 供 し てき た の です が あ ま り 、 にそ れ が多 く な ると 何 を 受 け 取 った のか 、 も わ か ら ず わず ら わ し いと いう ご意 見 も 。 寄 せ ら れ て いま す どう し た ら い いも のか 。 。 悩 ん で いま す ご意 見 お 聞 か せく だ さ い OC\ Oω\ユO﹁ 記︶ ︵ 、 よしかわ ・ゆう いち 事務局 ・編集委員︶ ︵ 市民の意見 N0113 2009/4/1 事蒜8だ よt, 246,000 131,500 12.000 680,500 カ ンパ 145,152 銀 行利息 支 出計 9,471.121 次期へ の繰越 4.残 高の 内訳 9,507,145 前期 か らの繰越 1921500 1,208,717 128,395 立替金 ('8) 預 り金清算 ('9) 127,588 預 り金 ( ' 1 ) 19,CЮ 0 158.115 立替金清算 {・ 2) 収入計 1,172.693 集会入場料 雑費 60,960 。 少 しず つ暖 かく な り春 はも う す ぐ 学 校 、 へ社 会 へと 巣 立 って ゆく 若 者 た ち の 緊 張 と 突 顔 が ま ぶ し い季 節 です 。 、 、 さ て 今 期 会 計 は ホ ン のわ ず か です が 。 赤 字 と な ってしま いま し た 176,715 F/1基 金 預 り金 2.715.820 1,190,816 計 9.471.121 36 市民の意見 N0113 2009/4/1 通 信 費 の支 出 が い つも よ り多 く な って い 、 ま す が これ は 3月 7 日 上 映 の ﹁アメリ カ ば んざ い﹂ を 少 し でも 多 く の方 に観 て いた 、 だ き た いと お知 ら せ のは が き を お送 り し 、 。 た た め です お かげ さま で当 日 は 多 く の 。 方 に来 場 し て いた だ く こ と が でき ま し た 、 講 演 会 の収 支 に つ いては ま た 次 期 会 計 で 。 報 告 いた し た いと 思 いま す 、 、 尚 前 号 の会 計 報 告 の中 で 1 カ所 印 刷 。 に誤 り が あ り ま し た 残 高 の内 訳 欄 の預 り 、 、 金 の金 額 が 1 2 2 5 2 0 1 1と な って い 、 、 ま し た が 正 し く は 1 2 2 5 2 0 1 です 。 。 K︶ ︵ 条約基金 訂 正 し お 詫 び申 し 上 げ ま す 1 ) 意 見広告賛同金、グ ッズ等 注 (ネ 売 上の預 り金 。 ( * 2 ) 意 見 広 告事 務所費、光熱費立替 1 1 ∼ 1 2 月分清 算。 (*3)ニ ュー ス111号 の印刷 (*4)講 演会 の お知 らせ は が き代 ¥48.560及 び切手、電話代。 (*5) 30の 会A4封 筒作成料 ¥85,437、 イ ン ク トナ ー 代 ¥1?,513。 (*6) ニ ユー ス 原 稿 、 緊 急学 習会 映 画 上 映機 器 使 用 料 、講 師調 礼 金 な ど。 (*7)ス タ ッフ交通費補助 12∼ 1月 分 ¥92,300他 。 (*8)意 見広告事務 所費2∼3月分 ¥110,000、 その他光 9)意 見広告 熱費等 ¥18,395。 (ネ 賞同金預 り分清算。今期の会計には ニ ュー ス112号 の印刷費が含 まれて お りませんので次期の会計に繰 り越 します。 、 。 府 跡 魯 迅 の墓 な ど も 見 てき ま し た 。 ◆ 帰 ってき て か ら 半 年 ぶ り に 広 島 へ 連 。 休 中 の平 和 公 園 は 桜 が ち ら ほ ら 昨 年 は 6 00tl 96380 110,Oal 編集 籟社 24.710 会場 費 交通費 ('7) 事務所費 光熱費 手数料 、 ◆ 無 能 な 麻 生 首 相 解 散 ・総 選 挙 の ゆ く 、 、 え 小 沢 民 主 党 党 首 の金 権 疑 惑 オ バ マ 、 を 選 ん だ 米 国 の混 迷 朝 鮮 民 主 主 義 人 民 北朝 鮮 ︶ の ミ サ イ ル 迎 撃 を め ぐ 共和国 ︵ 、 る き な 臭 い動 き 変 わ ら ぬ 生 活 不 安 と 貧 、 、 困 ﹁海 賊 対 策 ﹂ と 称 す る 派 兵 ど こ を 。 取 って も よ い ニ ュー ス が な い で す ね た 、 だ 都 立 七 生 養 護 学 校 の性 教 育 関 連 裁 判 編集費 f6) 都 教 育 委 員 会 が 教 員 を 処 分 し た のは 78,070 102,970 、 (単位 :円 ) ア ウ シ ユビ ツ ツと ビ ル ケ ナ ウ の収 容 所 ヘ 、 、 行 った の です が 原 爆 資 料 館 沖 縄 の平 、 和 祈 念 資 料 館 ひ め ゆり 平 和 祈 念 資 料 館 、 な ど と や や 違 う コ ン セ プ ト だ つた よ う 。 に 思 いま す 韓 国 の独 立 記 念 館 も 人 形 や ジ オ ラ マな ど を 使 って迫 力 が あ る の です 、 が ア ウ シ ュビ ッ ツは そ う いう ジ オ ラ マ 、 、 が ほ と ん ど な く 髪 の毛 や 没 収 物 建 物 跡 や 書 類 に 語 ら せ る の が 中 心 だ った も の 。 で 記 録 し 記 憶 す る こ と の難 し さ を 思 い ます。 ︵ 諸橋泰樹︶ 。 ● 会 員 のご 逝 去 の報 を いた だ き ま し た しろうず︶滋 さ ん ︵ 神奈川県逗子市︶ ◎白 水 ︵ 。 謹 ん でご 冥 福 を お 祈 り 申 し 上 げ ま す 、 次号 ▼編 集 委 員 天 野 恵 一 有 馬 保 彦 ︵ 、 、 、 、 担当 ︶ 井 上 澄 夫 佐 橋 弥 生 杉 内 蘭 子 、 、 、 、 高 橋 武 智 西 田和 子 古 澤 宣 慶 細 井 明 美 、 、 、 本号担当︶ 道 場 親 信 本 野義 雄 諸 橋 泰 樹 ︵ 、 吉 川 勇 一 吉 田和 雄 154,725 で 241.326 印刷費 ('3) 発送費 4) 通信費 (・ 5) 消耗品費 (・ 裁 量 権 の乱 用 にあ た り 違 法 だ と し た 東 京 、 。 地 裁 判 決 が 明 る い ニ ュー ス です 、 5 ◆ 0年 に 出 か け て 以 来 久 し ぶ り に 上 海 、 。 に行 き ま し た 列 強 に よ る 侵 略 と 抵 抗 と バ ンド︶な ど に み る コ ロ エ ア ルな 文 外灘 ︵ 、 、 化 の足 跡 そ し て急 速 に 進 む 開 発 に 人 間 や歴 史 は 複 雑 だ な あ と 思 う こと しき り 。 16.320 中 国 共 産 党 の第 1 回 大 会 が 開 か 、 大 韓 民 国 の臨 時 政 (会費小計 ) 障害者 会費 5.387.770 会基 本会計 291,000 1 . 収 入 一般会費 協力会費 敬老会費 36.024 ▲ 支 3.収 出 2.支 21,697 ース販売 ニュ ` S等 ハッ シ 販売 でし た 2009年 1月 ∼ 2月 会廿 れ た ﹁一大 会 址 ﹂ や 市民の意見 30の 会 ・東京