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当日配布資料 - 東北学院大学情報処理センター

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当日配布資料 - 東北学院大学情報処理センター
平成21年7月25日 於 東北学院大学(1.0)
中世の地中海世界におけるキリスト教徒とムスリム:ビザンツ帝国史の立場から
∼ビザンツ皇帝テオフィロスとイスラーム世界∼
小林 功(立命館大学文学部)
はじめに
◎アラブ人:7世紀中盤に急速に勢力を拡大、シリア、エジプト、北アフリカなどを征服
☆ウマイア朝(661-750年):かつてローマ∼ビザンツ領だったシリアに政治的中心
…ビザンツ帝国と激しい戦いを繰り広げる
8世紀前半には勢力の均衡状態へ:アッバース朝の成立(750年)後も同様の状況
◎ビザンツ帝国とウマイア朝の(文化的)交流:途絶したわけではない
☆ウマイア・モスクの建設をめぐるカリフと皇帝の交渉
☆ダマスクスのヨハネス
☆巡礼路の存続
1. テオフィロス:「世界の支配者」
《 テオフィロスの時代》
◎テオフィロス(在位829-842年):小アジアのアモリオン出身…父のミカエル2世(在
位820-829年)の死後に帝位を継承
☆家庭教師のヨハネス=グラマティコス(コンスタンティノープル総主教837-843年)
によって、イコノクラストとして教育を受ける
☆公正な皇帝としての評価:自ら裁判を行う
☆積極的な軍事遠征:ただし大きな成果には結びつかず
●アッバース朝のアル・マームーンやアル・厶ターシムとの戦い:アモリオンを攻
撃・破壊される(838)
(参考:資料④)
●クレタ島やシチリア島での守勢:イスラーム勢力の地中海での優位の確立(cf. ピ
レンヌ・テーゼ)
《テオフィロスとイスラーム世界》
◎ビザンツ皇帝(ローマ皇帝):理論上はキリスト教世界のみならず、全世界を支配する
「神の地上における代理人」
テオフィロスはその表象を積極的に追求
☆帝国外出身者を自らの周囲に:コンスタンティノス=マニアケス(アルメニア出
身)、テオフォボス(クルド人?)、エチオピア人の部隊(?) (資料①)
☆帝国外出身者との関係:アラブ人の占い師
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(資料②)
平成21年7月25日 於 東北学院大学(1.0)
《 テオフィロスとアッバース朝:学問をめぐって》
◎テオフィロスの時代:ビザンツ帝国において学問研究が再び盛んになりつつあった時期
☆歴史記述や文学の再出現、古典研究の復活など:小文字もこの時期に発明される
◎ヨハネス=グラマティコス:バグダードに派遣…その際の知識をもとにブリュアス離宮
を建設
(資料③)
☆フォティオス(ヨハネス=グラマティコスの甥、コンスタンティノープル総主教
858-867,877-886年)もアッバース朝に派遣される
当時最高の知識人を使者としてアッバース朝へ派遣
◎数学者レオン:9世紀中盤を代表する学者(ヨハネス=グラマティコスの従兄弟)…彼
の弟子の学識を通じてカリフからバグダードへ招聘要請を受ける
(資料④)
コンスタンティノープルのマグナウラ宮殿で教師として採用される
2. ビザンツ帝国における「学問の復活」とイスラーム
◎ビザンツ帝国とイスラーム世界の人的交流:日常的に行われていたことが示唆される
☆ヨハネス=エキモス
☆パレスティナからやって来た詩人
(資料⑤)
☆アラブ人の占い師:事実とは考えにくいが、アラブ人がビザンツ帝国にやってきて日
常的レベルの知的交流が存在したことを示唆?
◎イスラーム世界との結びつき:8世紀にはあまり活発ではない
☆交易活動の停滞
9世紀に入って、イスラーム勢力が地中海を支配するようになってから交易が活性化:
イスラーム世界の交易ネットワークとビザンツ帝国、西ヨーロッパが有機的に結合される
☆ヴェネツィア:9世紀から地中海東部での活発な交易活動を開始
◎ビザンツ帝国における「学問の復活」:地中海におけるイスラーム支配の開始(=地中
海交易の再活性化)とほぼ同時期に進む
…学問・文芸活動の復活は、イスラーム世界との日常的交流の増大とも密接に関連
☆テオファネス:シリア地域での歴史記述の伝統に大きく依拠せざるを得ない
◎「異教徒」「悪魔の手下」という言説:9世紀中盤の知識人に対してしばしば投げかけ
られる批判(フォティオスも)
(資料⑥⑦⑧)
☆誰が批判を行うのか?:政敵&宗教的に対立する人々(テオフィロス時代にはイコン
崇拝派)
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平成21年7月25日 於 東北学院大学(1.0)
●9世紀のイコノクラスム(815-843年):テオフィロスやヨハネス=グラマティコ
スなど、学問の振興を積極的に進める人々が中心
●9世紀のイコン崇拝派:テオフィロスやヨハネス=グラマティコスと同様の思考を
持つ人々がいた一方、学問の復興を「異教的」と捉える人々も存在
イスラーム世界(や西欧)とも積極的に交流し、学問や文芸振興も積極的に進める潮流
が強まる時代:テオフィロスやヨハネス=グラマティコスはその代表者
☆皇帝一門の「こだわりのなさ」:ミカエル2世も「ユダヤ教徒」「アティンガノイ
(異端の一派)」と批判される
●テオフィロス:イコン崇拝派のメトディオス(コンスタンティノープル総主教
843-847年)の学識を認める
おわりに
◎テオフィロスの死後:イコン崇拝の最終的復活(843年)…学芸の発展はその後も続く
「マケドニア朝ルネサンス」(9世紀後半∼10世紀)へ
☆アッバース朝:9世紀中盤以降衰退過程に入る…ビザンツ帝国とイスラーム世界との
交流はさらに盛んに
●叙事詩『ディゲネス・アクリテス』(12世紀):舞台は9∼10世紀の小アジア
◎「マケドニア朝ルネサンス」:イスラーム世界との文化的な交流が大きな意味を持つ…
9∼10世紀のビザンツ帝国の繁栄もイスラーム世界の繁栄の枠組みの中での繁栄
イスラーム世界との共生の上で花開いた繁栄・学芸の興隆/交流
《参考文献》
*井上浩一「ビザンツ帝国における古典文化の復興—フォティオス『文庫』を中心に—」
藤縄謙三編『ギリシア文化の遺産』南窓社、1993年、137-164頁。
*拙稿「九世紀前半ビザンツにおける皇帝権力—テオフィロス政権を支えた人々—」『史
林』79-5(1996)、115-148頁。
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平成21年7月25日 於 東北学院大学(1.0)
《資料》
①『アモリオンの42人の殉教者伝』から
皇帝(テオフィロス)は自らが信頼するエチオピア人のアルコンたちを召喚した。とい
うのもこの男はこれまでの皇帝たちの誰よりも蛮族好きで、さまざまな言語を話す者たち
を集めて高い地位を与え、彼らを市民の娘たちと結婚させてコンスタンティノープルの近
郊に強制的に住まわせていた。そのためにローマ帝国の幸運は失われ、キリスト教徒たち
に多大なる苦難を味わわせていた。
②『続テオファネス年代記』から
テオフィロスは将来皇帝となる人物について知ろうと非常に熱心になっていたが、戦争
の際にハガルの地(アッバース朝)から得た、ピュトン1 の如き占いの霊力を持っている女
性のことを多くの人々から知った。それでテオフィロスは彼女を自分のところに連れてき
て、帝国を長いあいだ支えていくのはどのような者たちなのかたずねた。彼女は、陛下の
息子と妃が後継者になりますと予言を行い、さらにその後はマルティナキオス家2 が長い
あいだ帝国を手中に収めます、と言った。
③『シュメオン年代記』から
このようにことを処理すると皇帝(テオフィロス)はマヌエル、元老院議員、アガレノ
イ(アラブ人)部隊とともに遠征に赴いた。そしてその頃エミール(カリフ)が領有して
いたザペトラとサモサタに多くの将軍たちと軍とともにたやすく進出し、勝利と戦利品を
誇りつつ凱旋した。そしてブリュアスまで戻ってくると宮殿の構築を命じた。庭園には
樹々を植え、水を引いた。これは現存している。
④『シュメオン年代記』から
⑴エミール(カリフのムターシム)は大軍とともに進軍してアモリオンを包囲した。何度
も戦いが繰り広げられたが、守備軍の勇敢さ頑強さゆえに開城することができなかった。
だがその時城内にいた、哲学者レオンの弟子にあたる男が天文学の知識から、エミールに
屈服することになるだろうと助言し、こう言った。「もしもう2カ月この城塞に固執する
ならば、我々は破滅するだろう。」そしてそのようになった。(中略)一方哲学者レオン
の弟子は善と肉体の恥辱とを交換し、エミールに呼ばれてその知識について尋ねられた。
彼は、自らが哲学者レオンの弟子であると述べた。エミールはレオンがどのような人物で
あるかを知って、彼を自らのものにしたいと考えた。そして捕虜の一人に、哲学者レオン
への書簡を委ねてコンスタンティノープルへ派遣した。(書簡は)彼に届けられた。それ
デルポイの信託所を守る蛇。『新約聖書』(「使徒行伝」)では女奴隷に取りついて占いの能力を発揮さ
せている。
1
ここでは、9世紀後半以降ビザンツ帝国の皇帝位を受け継いでいく、いわゆる「マケドニア王朝」のこと
を指す。
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には、レオン自身が来てくれたら、彼に名誉を授与するとあった。レオンは書簡を受け
取ったもののそれを見るべきかどうか考えあぐね、それをテオフィロス帝に差し出した。
皇帝は彼の知識を知り、これほどの賢者が自らの治世に存在していたことを知って彼を迎
えてマグナウラ宮殿に連れてきた。そして彼に弟子を与え、あわせて彼に必要な全てのも
のを提供した。さらに彼は後にテッサロニケの府主教になった。
⑵それから(869年の)聖ポリュエウクトスの祝日に大地震が起きた。40日と40晩の間大
地が揺れ動いた。それでフォルムにあった星座の球体が落下した。またシグマという名の
いとも気高き聖母の教会では、そこで聖歌を歌っていた人々全てがそこで死んだ。哲学者
レオンはそこにたまたまいたのだが、聖歌を歌っていた人々やそこにいた人々全てに、教
会から出るよう呼びかけた。彼らはその言葉に同意しなかったため、全ての人々が死ぬこ
とになってしまった。一方哲学者自身は柱頭のところに立っていたため、他の二人の仲間
たち、およびステージの下にいたわずか5人の人間と共に救出された。
⑤『シュメオン年代記』から
さてテオフィロスは、詩人のテオファネスとその兄弟のテオドロスが、自分たちは皇帝
の不信心の中で生きていると皮肉を行い、議論を行っている、ということを聞いて激怒
し、彼らを面前に連行してきてこう言った。「おまえたちはどこから来たのだ?」彼らは
こう答えた。「パレスティナからです。」罪深き者(皇帝)はこう言った。「なにゆえ
我々の土地へやってきて、しかもやって来て我々の帝国に従わないのだ?」彼らはそれに
は答えなかった。それで彼らの顔を強烈に殴るように命じた。その後で彼らを牛皮の
で
死ぬほど打ち、怒りに燃えながら大声で首都長官にこう言った。「彼らを役所へ連行し、
彼らの顔に、彼らの詩に『もし良きことが何もないのなら、汝に気をつけるな』と加えて
入れ墨にしろ。」だがそう言ったものの、彼らが詩作についてたくさんの知識を持ってお
り、高貴であることをも知っていたのでこうも付け加えた。「そのような良きイアンボス
(詩の一形式)は、彼らには不釣り合いではないかな?」
⑥『シュメオン年代記』から
総主教のアントニオスが没すると、彼に代わってシュンケロスのヨハネス∼よく言われ
るところでは新しきヤネス、ヤンブレス3 ∼が任命された。彼はマギ4 の神学や皿占い、そ
して他の全ての不信心を叫んでいた。すなわち彼はそれに適した器具を用いて皇帝(テオ
フィロス)の不信心さや志向を知り、破壊的な全てのことを彼とともに協力して行ったの
である。そして皇帝は時には心を苦しめ、時には不信心の毒蛇を引き留め、生みだし、消
滅させ、聖なるイコンをしっくいで塗り固めたり破却する命令を下していた。一方ヨハネ
エジプトのファラオの下で、モーセに対抗して魔術を行った魔術師(『旧約聖書』「出エジプト記」)。
2人の名前は『新約聖書』(「テモテへの手紙」)でのみ言及される。
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ここでは魔術師の意。マゴスも同様。
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平成21年7月25日 於 東北学院大学(1.0)
ス自身は門の前に岩から切りだした石造りの邸宅を建てた。それは現在までトゥルロスと
呼ばれている。そこで(彼は)何か供物によってダイモン(悪魔)と親しく交わり、未来
の皇帝を予知していた。彼はそこを、当時ダイモンたちが何度も訪れていたというそこで
の出来事ゆえに、無人のままにしておいた。
⑦『ゲオルギオス年代記』から
さてそれから、不信心者たちや殺人者たちの詐欺や狂気、狂乱ゆえに、かつてあったマ
ニ教狂いやアレイオス派(=アリウス派)の異端者からの迫害に加担して、皇帝(=テオ
フィロス)は全く同様に教会に対して威嚇を行ない、この第二のネクタナボは異端に心を
同じくし、仲間であった、先述した総大主教のヤネス(ヨハネス・グラマティコスのこ
と)をかかえていたが、彼はひどいことに占い師たちの長、ダイモン(悪魔)たちの長で
あり、新たなるアポロニオス5 、あるいはバラム6 と言ったところであり、我々の時代に折
悪しく現われた皿占い師であり、全ての神に憎まれた行動や不可思議なことに関する知識
の恐ろしき託宣者であった。彼によって学問が教えられ、また乱用されて、この確たる者
のない者、哀れな者、きわめて憎むべき行動の忠実な下僕は、悪魔にふさわしい道具を作
り出したのである。
⑧『偽シュメオン年代記』から
それから彼(フォティオス)には学識が与えられたが、しかし彼は教会に関することよ
りもヘレネスに関する知識を好んでいた。それゆえあるヘブライ人のマゴスに出会って、
彼が「若者よ、私に何か下されば、あなたに口が立ち、知恵の点で万人を凌駕できるよう
な、ヘレネス7 の書の全てを作って差し上げよう。」それでフォティオスはこう言った。
「私の父が財産の半分を、喜んであなたに渡すことでしょう。」それに対して「私は財産
はいりませんし、あなたの父上がそのような行動を取ることを望んでもおりません。しか
し私と一緒にその場所にきて、我々がイエスをはりつけにしたということを否定して下さ
い。そうしたらあなたに思いもよらぬお守りを差し上げましょう。そうすればあなたの生
涯は栄光と富、多くの学識、そして喜びで全て包まれることでしょう。」それを(フォ
ティオスは)熱心に聞いていて、さらにこの魔術師に対してたくさんのお世辞をいった。
そしてそれから占いや天文学についての不可思議な知識に関する禁書を心から遠ざけよう
とはしなかった。
5
テュアナのアポロニオス。後1世紀の新ピュタゴラス主義哲学者。ニコメデイアのヒエロクレスが、彼を
キリストに匹敵する聖人と主張した。
6
『旧約聖書』(「民数記」)に登場する預言者。
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ギリシア人。当時の用法では「異教徒」を意味する。
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