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一般社団法人に移行したP&Iの日本写真学会

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一般社団法人に移行したP&Iの日本写真学会
巻頭言(日本写真学会誌 第 75 巻 第 2 号掲載 2012 年)
一般社団法人に移行したP&Iの日本写真学会
一般社団法人 日本写真学会 会長
高田俊二(富士フイルム株式会社)
Fresh Start of Our Corporation as
“Society of Photography and Imaging of Japan”
President of SPIJ
Shunji TAKADA (FUJIFILM Corporation)
昨年創立 85 周年を迎えた日本写真学会は,内閣府が進める公益法人改革に従い,一般社団法人への
移行を内閣総理大臣に申請し,2012 年 4 月 1 日をもって認可されました.本巻頭言ではこの機会に,
写真学会の創生期より培った,材料とプロセスおよび産業と学術のコラボレーションの歴史を振返る.
そして,現在技術部会を中心に活動中の「写真で培った基盤技術の深耕と新たな領域への展開」により,
次世代の技術と産業を創生し,結果として写真学会の“第二の創生”に繋がることを期待したい.
20 世紀の写真産業の目指す方向はアメリカの二人の偉大な事業家によって導かれた.一人はコダック
を創立したジョージ・イーストマンで「あなたはシャッターを押すだけ,あとは当社にお任せください」
で撮影の簡素化と写真の大衆化の方向付けを行った.もう一人はポラロイドを創立したエドウィン・ラ
ンドで「どうして撮影した写真がその場で見えないの?(幼い娘の疑問)」
で即時性の方向付けを行った.
20 世紀の後半,日本を中心に高感度フィルム・写ルンです・インスタント写真・迅速ミニラボなど目標
を具体化する技術革新が進み,写真は日本の主要産業となった.現在,その目標はデジタルカメラで実
現されているが,ここでも日本の技術貢献が大きく主要産業の地位を守っている.
“国産の乾板とフィルムを作る”を目標とした企業化の波は 1919 年に集中している.第一は写真館を転
じた後,独力で研究した高橋慎二郎技師で,菊池恵次郎氏(元会長の菊池真一氏のご尊父)の支援を得
て東洋乾板を設立した.第二はアメリカにて試行錯誤で技術習得した菊地東陽社長(写真学会賞の東陽
賞の由来)で,オリエンタル写真工業の礎を築いた.第三は大日本セルロイドの森田茂吉社長で,フィ
ルムと感光剤の製造および塗布・加工まで一貫メーカーの創設というチャレンジングな目標を掲げ推進
させた.
日本写真学会の前身である東京写真学会は,1926 年に鎌田弥寿治氏(写真 1,東京高等工芸学校教授)
らが,“写真術を科学する写真会”という構想でスタートさせた.鎌田氏は千葉大学の前身である同校で
教鞭をとられた後,2 代目会長および東京写真短期大学学長を歴任され学会創生期の基礎を作られた.
「日本写真学会 60 年史」の岩掘通夫氏(六桜社から宝塚ゼラチン)の手記では,
「当時の工場では,“乳
剤屋さん”と呼ぶ人が,えらく羽振りを利かせていた.乳剤処方なるノウハウが秘中の秘として宝物扱い
だった」と書かれている.写真乳剤の調製は,混合法・温度履歴・熟成時間,化学増感・分光増感・添
加薬品・ゼラチン銘柄・塗布条件など試行実験で最適化した神秘のレシピであり,科学的な分析が遅れ
1
ていた状況が良く窺える.その中で,“科学する”を掲げた見識に先見性があったと考える.
写真1
日本写真学会第 2 代会長 鎌田弥寿治氏
日本写真学会六十年史より
1934 年,大日本セルロイドの一貫メーカー構想と東洋乾板の感材技術は新設の富士写真フイルムに引
き継がれた.一方,1867 年輸入商として開業した小西六兵衛商店は,六桜社の研究所を設置した後,小
西六写真工業として国産初のカラーフィルムを製品化した.1944 年,富士写真フイルム・小西六写真工
業・オリエンタル写真工業,そして京都写真を引き継いだ三菱製紙による戦後の 4 社体制が確立した.
戦後,学会の 3 代会長は東京帝国大学の亀山直人氏(後に日本化学会会長),4 代目は富士フイルムの藤
沢信氏(後に副社長)
,5 代目は小西六写真の西村龍介氏(後に社長),6 代目は理化学研究所の福島信
之助氏,7 代目は東京大学の菊池真一(後に東京写真大学長)と受け継がれ,産業と学術のコラボレー
ションにより“科学する”の会として歩を進めたことが窺える.
1970 年頃までにカラーフィルムの国産化(キャッチアップ研究開発)は一定の成果を収めた.以降,
グローバル市場でのリーディングカンパニーを目指すには,技術および商品で世界に訴求できる特徴が
必要であった.失敗が少くかつ撮影を容易にする高感度技術開発(試行錯誤で組み立てたノウハウレシ
ピから,感光理論・固体物理に基くハロゲン化銀乳剤設計への移行)
,フィルムの高感度・広ラチチュー
ドを利用した簡易カメラシステム(シャッターを押すだけの写ルンです)
,色鮮やかさと忠実な色再現を
両立させた色再現技術(人間の眼の分光特性をヒントに),高効率発色のカプラーと迅速処理技術(小型
現像処理機によるミニラボ処理と色褪せない百年プリントが可能に)など日本発の多くの技術と商品が
開発された.そして写真は日本の主要な産業の一つになった.
ハロゲン化銀乳剤と感光材料の技術は,他の産業分野への展開もほぼ並行して進んだ.富士フイルム
の創立の目的であった映画産業,X 線写真や内視鏡画像を利用する医用診断産業,製版・刷版の印刷産
業,IC 乾板から始まる半導体産業,TAC フィルムの液晶ディスプレー産業,原子核感材が拓く素粒子・
宇宙計測分野など,産業分野と応用分野はその時代の要請に答えて広げてきた.
今後も,写真で培った基盤技術を深耕し,材料とプロセスおよび産業と学術のコラボレーションの伝
統を生かし,次の時代に要請される技術と産業の創生に展開して行きたい.その一例として,次世代の
情報通信社会に期待されているアンビエント情報技術への展開が考えられます.機能性を付与した有機
半導体材料・導電性材料・絶縁性材料と塗布・プリンティング技術をポリマー支持体の上で融合させ,
フレキシブルデバイスを実現させるなかで基盤技術が磨かれていくことを期待したい.
2
最後になりますが,一般社団法人への移行を機に,学会の英文表記とロゴマークの変更が総会および
理事会で決定され,ロゴマーク(写真 2)のデザインを京都工芸繊維大学の岩崎仁先生にお願いしまし
た.以下,製作者の岩崎先生のコメントを記します.
「一般法人化移行が具体的となって学会名の英語標
記見直しが検討され,“The Society of Photography and Imaging of Japan”と決まりました.それに伴
って学会ロゴマークの新デザイン案作成の依頼をいただきましたが,その際の条件は「英語名の略称と
なる S,P,&,I を入れる」だけでした.いくつかのデザインを提案したところ,
「やはり『六角形(ハ
ロゲン化銀平板結晶)
』が欲しいよね」というご意見があり,もっともオーソドックスなこのデザインが
最終的に選ばれました.また,Web 上などではカラー版が良いとの意見もあり,RGB 三色を使ったバ
ージョンも用意しました.」
写真2
新しい学会ロゴマーク
製作:京都工芸繊維大学 岩崎仁氏(写真学会理事)
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