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米国統合参謀本部文書
図書館特別資料紹介 米国統合参謀本部文書 Recordso ft h eJ o i n tC h i e f so fS t a f f Par t 1.1942 ・1 9 4 5 , P a r t 2 .1 9 4 6 1 9 5 3 (マイクロフィ J vム) 鈴木健人* f 1 9 5 7年某月某日、ワルシャワ条約機構軍が突知西ドイツに侵攻、 NATO 軍は直ちに反撃に移り、ヨーロッパ中心部で戦争が発生した。アメリカ戦 略空軍は、米本土や英国の基地などから、原爆を搭載した長距離爆撃機に よってソ連本土の心臓部に航空攻撃を敢行、ここに第三次世界大戦が発生 し、第二次世界大戦を上回る人的物的被害がもたらされた。」 幸いなことに、このような歴史をわれわれ人類は書くこともなく 2 1世 紀の今日まで生存している。だが、米ソ冷戦がもし熱戦に代わっていたら、 人類がもし生き残れたとしても、現在よりはるかに悲惨な状況におかれて いたことであろう。冷戦は核戦争をもたらすこと無く終意を迎えたが、米 ソは常にお互いを敵視した戦争計画を立案し、それに基づいた軍備を整え ていたのである。ここに紹介する、アメリカ合衆国の統合参謀本部文書は、 まさに第三次世界大戦が、どのように構想されていたかを余すことなく伝 *すずき・たけと/明治大学情報コミュニケーション学部准教授 5 1 えている 貴重 な史料である O 図 lは 、 1 9 4 9年から 1 9 5 0年に かけて岡本部 内で検討されていた対ソ作戦計画、「ドロップショット 」作戦の計画書 の表 紙である 。 もしこの作戦が笑施されていたら、われわれは 冒頭で示したよ うな仮想的歴史を現実の 歴史として描くことになっていたであろう 。 図 2 の│ 立界地図に 示 されているように、アメリカはユ ー ラシア大陸全域にわたっ てソ連を「封じ込め」るための防衛線を設定していたのである 。 T O PS E C R f T ' i 'O !'s, :q民三 CO I'~' :-< l~. . !!'.l.'.:. , !:. , ..):"!::.f!/~_ _{泡ι-'.l ," t : "川じ.rh l,!.HWi.'JU 恥i'~'lC別) .13. ι !:.~'~!;':~~T_.],9.~虫 / ' : , r : ,吋:; ' 2 ,: 2 . _~}<)', 1 n < :. 1 . . ーー…, 一一 一← , . i !E 9 tL う ょ' L. . 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(,; ~]C) .:.>:::.、.~ ム r つ一 日 、 “ ? l ~;o;:;芯ユ" {:ょニ} s c s . ,~SS::: JSi 'C :LFC ' ; I C 内 号 、~ 、 司 < : v ; , 区1 1 TheS o v i e tUn io n( P a r t . 2 :1 9 4 6 1 9 5 3 )Reel6_0299 52 -_. 岱 ユデおな". . . - ‘ 1 ) ' ( 1 2 TheS o v i e tUnion( P a r . t2 :1 9 4 6・1 9 5 3 )Ree16 _0343 米国の統合参謀本部は第二次世界大戦の時に設置されたが、それは同開 国イギリスの参謀本部と緊密な連絡を取り、共同の作戦計画を立案してい た合同参謀本部の構成部分でもあった 。統合参謀本部が正規の政府機関と なったのは、 1 9 4 7年に成立 した国家安全保障法によってであり、同法によっ て国家安全保障会議や中央情報局が設置されたのと並んで、陸軍航空部隊 が空軍として陸軍から独立 し、陸海空三軍の聞で軍事政策 を調整する必要 から統合参謀本部が正規の機関として設置されたのである。同時に 三軍全 体を統括する国防省も設置 され、文民の国防長官のもとに制服組の統合参 謀本部議長が置かれたのである。 統合参謀本部は、米軍の軍事政策を事実上決定する最高機関であり、対 ソ作戦計画はもとより、西ヨーロッパや日本などについての軍事政策を立 案していた 。 また当時の最新兵器である原爆につ いても、その実験結果や 軍事的意義な どを検討した文書が含まれてい る。 第二次世界大戦後、アメリカは全世界的な影響力を持つ覇権国家となっ たが、米国の軍事戦略はもちろんのこと、それに関連する外交政策を解明 するために、この史料は不可欠である 。 この史料と、すでに所蔵されている国家安全保障会議文書やアメリカ合 衆国外交文書集を活用すれば、冷戦初期のアメリカの外交戦略を明らかに することができるのである 。 もとより膨大な分量の史料なので、それを読 5 3 破するだけでも大変な作業量 であるが、 直接ア メリカの国立公文書館な ど に行かなくても、相 当 な所まで-次史料に 基づ いた分析が可能になるので あり、そのことの意義をいくら強調してもし過ぎることはないと思われる 。 さて、上で統合参謀本部が第二次世界大戦の時に設置されたと書いたが、 9 4 2年から同 4 5年までのものも含ま れており、歴史的に 第 この史料には 1 二次世界大戦を 研究しようとする教 員や大学 院生にも必要不可欠である 。 第二次世界大戦時、ア メリカはヨーロッパ第一主義の方 針のもとドイツの 唱えの比重 も極めて大きかった。広大な 打倒を倣先したが、 軍事 的には対日 i 太平洋を舞台に「飛び石作戦」を展開 し 、 空母機動部隊による日本海軍 と の死 I~~ と海兵隊の 上 陸作戦を巧妙にかみ合わせて西太平洋を席巻し、やが てマリアナ諸島、フィリピン、沖縄と激戦を展開しながら日本本土に迫っ たのだった 。米軍 は 、 1 9 4 5年 I I月 l日に南九州│ に 上陸する「オ リンピッ ク作戦」と翌 46年 3月 1日に関東平野に上陸する「コ ロネット作戦」を準 備していた。これら 二つの大作戦によって日本を降伏させる「ダウンフォ ー ル作戦」が構想されていたのだ。今回 の統合参謀本部 の史料を見れば、こ 般の詳細1を知ることができるのである。 れらの作 l 喝、 . . 色 巴 主 5 4 vt 一 玄 RBn ・HeFE宮内(司町三-唱ムIN-- -U)moo-a10m F a 図品叶}耳目︾ 、 u 凶 PH ASEI Ple ljtn inc~.' 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TheP a c i f i cTh e a te r( P a r t . l:1 9 4 2 1 9 4 5 )R e e l6_0468 • • J i l I6 TheP a c i f i cT h e a t e r( P a r t . l:1 9 4 2 1 9 4 5 )Ree16_0371 56 甲山九 1 図 3は「オリンピック作戦」の関係史料であり、米軍による上陸作戦の令. 5、6は「コロネット作戦」に関する史料である。もし、 端がうかがえる。図 4、 この計画通りに米軍が関東地方に上陸していたら、一体どうなっていたで、あ ろうか。いま考えても戦傑を覚えざるを得ない。これらの史料からわかるよ うに、「コロネット作戦」は相模湾(茅ヶ崎から平塚近辺)と九卜九里浜に 上陸して関東平野を制圧する作戦であったが、予定された戦力は 2 5個師団 にもおよび、ヨーロッパで実施したノルマンディー上陸作戦の 1 2個師団を 上回る史上最大の上陸作戦となるはずで、あった。原爆の開発は秘密裏に進 められていたため、この統合参謀本部の史料には原爆攻撃の計画は入って いない。 「ダウンフォール作戦」が実施されるより前に、日本は広島長崎への原爆 攻撃とソ連参戦によってポツダム宣言を受諾し、無条件降伏した。広島と 長崎の被害は極めて大きかったが、もし「ダウンフォール作戦」が実施さ れていれば、さらに大きな被害を受け人命の損失も計り知れない規模になっ ていたであろう。日本側も「決号作戦」を立案し本土決戦の準備を進めて いたことは良く知られている。ちなみにこの稿の筆者は、もし本土決戦が 現実のものになっていたら、この世に生を享けることは無かったであろう。 父親は三重県鈴鹿で陸軍航空隊の偵察員として訓練を受けていたし、母親 は空襲で家を失いながらも親兄弟とともに東京で暮らしていた。本土決戦 が起こっていたら、将来私の両親となった若者のどちらかは死んでいたで あろうし、あるいは二人とも戦火の中でその生涯を閉じていたことであろ う。こう考えてくるとこの史料は単に国家レベルの史料であるだけでなく、 筆者の家族の歴史にも直接影響を与える史料であるともいえる。また同じ ような家族の数は相当多いに違いない。第二次世界大戦は日本の歴史に決 定的な影響を与えたが、その歴史を知るためにも意義深い史料であること を強調しておきたい。広く活用されることを望んでいる。 57