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何のための勉強か分からなくても継続すると答えが見えてくる。

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何のための勉強か分からなくても継続すると答えが見えてくる。
【研究者インタビュー No.110】
何のための勉強か分からなくても継続すると答えが見えてくる。
立命館アジア太平洋 大学アジア太平洋学部 准教授 MEIRMANOV Serik (メイルマノフ・セリック)
専門: Public Health Management。
に立つ!(笑い)。そう考えて迷わずに目の前のことを
やり続けることが大事。二つめは「これは大事だ!」と
感じたことは,中途半端にせず納得するまで徹底的
に追求すること。間違っていたら,別のことをやれば
良い。最初から何もしないのが良くないのです。三つ
めは目標を立てること。もし目標が立てられない場
合は,最初に述べたように目の前のことに力を入れ
ること。すると次第に見えてきます。そのためにはや
り続けることが大事。続けていればチャンスが出てき
ます。たくさん出てきます。(写真と文/安部博文)
▲研究室にて。太陽は希望,鷲(写真では翼だけ見えてい
る)は自由を表すカザフスタンの国旗と共に。
●Public Health Management はどういう内容の学
問でしょう?
一言でいえば医療分野におけるマネジメントの研究
です。例えば,病院のマネジメント。あるいは地域や
国の医療マネジメントですね。この学問の目的は,
患者へ質の高い医療を提供することや国民の健康
を守るシステムのあり方を検証・提案することです。
病院を例にマネジメントを考えてみましょう。病院に
は,患者・医師・看護師・技師・事務など多くの人が
係わっていますね。そこでは医療活動が行われ,医
療保険というお金や事務の流れがあり,薬・検査・カ
ルテの記録など情報の流れもあります。要するに,
病院はとても複雑なシステムとして動いているので
す。患者にとってより良い医療を提供するため,どの
ような病院のマネジメントが望ましいのか。そういう
観点から,多くの事例や歴史的・文化的な背景も視
野に入れて調べ,理想の姿を模索していきます。
医療マネジメントには 3 つのポイントがあります。第
1 はコスト:少ない費用で効果を上げること。第 2 はア
クセス:患者が医療を受けやすいこと。第 3 はクオリ
ティ:患者への措置や手術の質が良いこと。
日本の医療はこの 3 つのポイントをバランス良くカ
バーしています。また,日本の医師や看護師など医
療従事者は患者のためにベストを尽くし,自分たち
で仕事の内容を改善するという文化があります。トヨ
タの KAIZEN(改善)活動は有名ですね。KAIZEN
活動が世界で使えるマネジメント手法であるように,
医療の分野でもマネジメント手法には国境はありま
せん。より良い医療マネジメントが実現し,多くの人
が共有できれば素晴らしいと思います。
●教育のポリシーは?
私のこれまでの経験から学生に伝えたいことという
話になります(笑い)。三つ挙げます。
まず,自分が今行っていることを頑張ること。何かを
ある程度やっていると「これはこの先,何かの役に立
つのだろうか?」などと考えて迷いが出ます。必ず役
【MEIRMANOV Serik (メイルマノフ・セリック)プロフィー
ル】
▼1974 年,カザフスタン共和国のセミパ
ラティンスク生まれ。街の中を中国に源
流を発するイルティシ川が横断しロシア
へ流れる,郊外はステップと呼ばれる草
原地帯が広がる自然環境。夏は気温 30
度,春と秋は短く,長い冬は零下 30 度ま
で下がる。4 歳から父親にチェスを習い
始める。母国語はカザフ語とロシア語。
小学校では国語と算数が得意科目。学校図書館で本に親し
む。チェス部に所属。中学で好きな科目は国語,数学,物理,
美術。体を鍛えるため柔道やカザフの相撲,テニスを始める。
▼第 3 高校(カザフの高校は名前ではなく番号)に進学し,数
学を鍛える理数クラスに入る。ハードな勉強の毎日を過ごす。
ギターを始め,友人らと歌と演奏を楽しむ。読書が大好きで
祖母の家の書棚からロシア語のトルストイの「戦争と平和」,
ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」など分厚いものを選
んで読む(厚い本だと頻繁に往復しなくて済む)。体を鍛える
ため空手部に所属。進学先としてソ連の大学を考えていたが,
ソ連が崩壊。地元の医科大学へ目標を変更する。▼1991 年
7 月の高校を卒業。卒業式で成績優秀に贈られる銀メダルを
受賞。同年 9 月,セミパラチンスク医科大学に入学。自分が
納得するまで時間をかける勉強法を貫く。英語力の向上に力
を入れる。専門課程に進み,現場で医師が活躍する姿を見て
感動。専門として外科及び外科医のマネジメントを選ぶ。外
科医は手が大事なので空手は「卒業」。▼1997 年,同大学を
卒業。大学附属病院の外科でフェローシップ(特別研究員)と
して勤務。セミパラティンスクで開かれた国際学会でロシア語
=英語の同時通訳を担当。これが縁となり長崎大医学部の医
師から日本留学を勧められる。▼1999 年,来日し長崎大学
大学院医歯薬学総合研究科,原爆後障害医療研究施設,腫
瘍・診断病理学研究分野(原研病理)の博士前期課程に入学。
初めて生活環境の中に海がある生活を経験。最初の年は日
本語や文化の習得に集中。研究テーマとして「セミパラチンス
ク核実験場周辺の放射線汚染被害者の甲状腺がん,および
乳腺がんに対する放射線の影響解明」に取り組む。並行して
医療マネジメント分野の研究を進める。継続して博士後期課
程に進学。▼2004年 3月,博士後期課程を修了。長崎大学よ
り学位取得。博士(医学)。同年 4 月から 2006 年 3 月まで,長
崎大学医学部のポスドク(博士研究員)として在籍。▼2006
年 4 月から,同大学医学部で助教を勤める。医療マネジメント
の研究に主軸を置く。▼2009 年 4 月,立命館アジア太平洋大
学に着任。
平成 22 年度大学等産学官連携自立化促進プログラム / 地域連携研究コンソーシアム大分 / 取材時期 平成 23 年 1 月
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