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行政訴訟における違法判断の基準時

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行政訴訟における違法判断の基準時
行政訴訟における違法判断の基準時
二四六
順
次
が権刹保護の為めの訴訟であると、法規維持の為めの訴訟であるとを問はす、決して繋争の行政行為が其の行為の為された当時に於い
﹁此の問題に付いては、法律には別段の定めは無く、﹁に行政訴訟の目的に依って判断しなければならぬ。行政訴訟の目的は、それ
士は次の如く説かれた。
明治憲法時代の行政訴訟理論において、右の判決時説を強硬に、かつ徹底的に主張されたのは美濃部博士であった。博
おける法令および事実を基準として違法か否かを判断すべきであるとする。
る。これに対して他の一は、いわゆる判決時説であり、これによれば判決時一より一層正確に言えば口頭弁論終結時に
れば、当該行政処分のなされた時の法令および事実を基準として、その行政処分が違法か、否かを判断すべきであるとす
右の問題に対しては、明治憲法時代に既に二つの学説が対立していた。その一は、いわゆる処分時評であり、これによ
一 明治憲法時代の学説
難問の一であり、明治憲法時代から今日に至るまで争われている。本稿はこの問題について、老察するものである。
この種の訴訟において、当該行政処分の違法判断の基準となるのは如何なる時点であるか、の問題は、行政訴訟理論上の
行政訴訟の中心をなすのは、言うまでもなく、一定の行政処分を違法としてその取消変更を求める抗告訴訟であるが、
森
て違法であったや否やを確認して、以って行政庁の責任を正すことに在るのではなく、現在に於いて何が正しい法であるかを判断し、
宣告することに在るのであるから、法律に反対の定めが有るか又は特に反対の理由の有る場合の外は、常に判決当時の法令及び事実を
拠として、繋争の行政行為が違法なるや否やを決すべく、若し繋争の行政行為が訴訟繋属中に更正せられたならば、其の更正せられた
根拠として下さるべきものでなければならぬ。若し行政行為の行はれた後に法令の改正の有った場合には、判決当時に有効な法令を根
行為が代はって争の目的となるもので、其の新なる行為に付き其の違法なるや否やを決せねばならぬ。法令や行政行為に変化は無くと
の認定に対する訴に於いて、其の認定の当時に於いて、其の認定が適法であったとしても、其の後河川流域の自然の変化に基づき、現
も、法令を適用すべき事実に変化の有った場合には、等しく判決当時の事情に基づいて判断が与えられねばならぬ。例えば、河川区域
在に於いては其の認定が違法となったと認むべきに至った場合には、其の認定を違法として判断すべく︵垂泣昭和二・一・八︶、 営業
と認むべき場合であっても、其の後さういう事情は除かれて、現在に於いては公益上有害の事なきに至ったものであれば、其の拒否処
免許の拒否に対する訴に於いて、其の処分の当時に於いては、其の営業が公益上有害である虞が有り、随って其の拒否が適法であった
分を違法として判決せられねばならぬ﹂。
尤も美濃部博士は、行政訴訟における争の目的が、その性質上過去の行政行為の当否に在る場合には、右の判決時説は
適用しうべきではないと説かれ、その例として、当選者が被選挙権の無いものであることを理由とする当選訴訟において
は、争となるのは当然に選挙当時においてその者が被選挙権を有していたか否かであるから、その後に被選挙権を得たと
しても、そのために当選決定の違法性は除かれるものではなく、従ってこの場合には判決当時を基準となし得ないとされ
る。
②
以上によれば、美濃部博士は、争の目的が明確に過去の行政行為の当否にある行政訴訟の場合だけは例外であるが、そ
の他の場合には、違法判断の基準は常に判決時の事実および法令でなければならないとされること明らかである℃これに
対し、佐々木博士は、事実は処分時を基準として確定すべきであるが、法令は判決時のそれに拠るべきであると主張され
た。佐々木博士は次のように説かれる。
行政訴訟における違法判断の基準時︵森︶ 二四七
二四八
否やヲ審査スヘキモノトス。是レ当然ナリ。
﹁行政裁判車力事実ヲ明ニスルニ当テハ固ヨリ係争行政処分アリタル当時ヲ標準トスルヲ要ス。即チ其ノ当時二軍ノ事実アリタルや
ハ権利ノ侵害ヲ含ムや否やヲ定ムルニ当テハ、何レノ時期ヲ標準トスヘキカ。之二八テハ規定ナシ。故二性質上判決ヲ下スノ時期ヲ標
行政裁判所力事実二対シテ法ヲ適用シテ行政訴訟ノ提起力正当二三サルルや否や及ヒ係争行政処分力正当ナルや否や換言セ驚異法又
準トスヘキモノトス。即チ判決ヲ下ス時期二於ケル現行法二様シテ之ヲ決スルコトヲ要ス。蓋シ行政裁判所ハ別段ノ定ナキ限ハ其ノ判
モノタルナリ。故二行政処分ノアリタル時又ハ行政訴訟ノ提起アリタル時以後二塁テ之二関スル法ノ変更アルトキハ判決当時ノ法二依
決ヲ下スノ時期二於テノミ正当ナルモノヲ決定シ得ルモノニシテ、之ヲ法ヨリ云ヘハ其ノ時期二於テ現二行ハルル法ノミヲ適用シ得ル
ルヘキナリ。﹂
明治憲法時代において、以上にみた如く郎いわゆる判決時説が広く行われたのは、ドイツ・フランスなどのいわゆる大
陸法の影響の下に、行政訴訟が司法の範躊に属せしめられず、行政部内の行政裁判所によって審理・判決せられた事と関
連すると言えるであろう。行政裁判所は、司法裁判所に倣った独立性を認められた機関であるとは言え、あくまでも行政
部内の機関であり、その判決は、行政権内部の自主的・自律的判断である。従って、行政訴訟の判決において、例えば甲
という行政処分が取消されることは、訴願において上級監瞥行政庁が甲行政処分を取消すのと本質的には同様であり、行
政裁判所の意思表示たる判決が、それ自身一つの行政処分として、係争甲行政処分の取消という効果を発生せしめるもの
である。このような考え方は、三権分立における司法権と行政権との分離を根底として成立するものであり、行政権の分
野への司法権の介入を厳格に拒否し、司法権に対する行政権の独立を確保しようとする意図に基づく。
これに対し、行政訴訟も亦司法権の範囲に属する、と老えるならば、結論は異なるであろう。司法権の本質は、抽象的
な法規を具体的な事件にあてはめて、適法・違法または権利関係を確定する判断作用であり、司法権はかかる判断の結論
として法を宣言し、以て法秩序を維持するのである。司法権の作用が、このように本来、消極的・受動的なものであると
すれば、行政訴訟を司法権の枠内にあると老える限り、行政訴訟の判決も亦、消極的・受動的なものに止まるべきであり、
一定の意思表示を内容とする行政処分的なものではあり得ない。そこで例えば、行政訴訟の判決によって一定の行政処分
が取消された場合、その判決は意思表示的なものではなく、判決によって当該行政処分が処分の当時において違法のもの
であることが確定する結果、その行政処分の適法性の推定が覆えされ、自力執行性が失われるのである。これを上級監督
行政庁による行政処分の取消と比較すれぱ、上級監督行政庁による取消は、販消の意思表示によってはじめて行政処分の
効力が失わしめられるのに対し、司法判決による取消は、裁判所がその行政処分の本来違法であったことを判断し、その
結果として処分時において既に効力がないものであったということを確認するものと言えるのである。
この間の相違を最も明確に指摘されたのは兼子教授である。同教授によれば、旧憲法下の行政裁判所は行政官庁の監督
庁である地位によって、その監督権に基き行政処分を取消すことができたのであって、その取消は、行政権に基く取消の
意思表示であり、反対の行政処分であり、取消権のある監督庁の権限行為であったのに対し、行政訴訟が司法権の範囲に
入れられた現行憲法の下においては、裁判所が意思表示的な意味の取消を行う,ごとは行政権に介入するものとして認めら
れず、単に行政処分の違法性を確認してそれを取消すだけに止まるべきものである。
明治憲法時代の行政裁判所は、明らかに行政権の範囲に属するものであった。そしてこのことが、前に示した美濃部・
佐々木両博士によって主張されだ、いわゆる判決時説の妥当性を根拠づけると言えるであろう。いわゆる判決時説には、
法の不遡及の原則を無視しているという法理論上の重大な難点がある。それは例えば市村博士によって鋭く非難された。
市村博士は
﹁行政訴訟ノ提起後法令二改正アリタル場合二二テハ処分又ハ裁決ノ当時二行ハレタル法規二部キテ判決ヲナスヘキモノカ、又ハ判
決ノ当時二行ハレツツアル新法二面キテ判決スヘキカニ付テハ疑アリ。清水氏︵行政篇上巻ノ下一五六〇頁︶ハ此場合二例外ナク判決
行政訴訟における違法判断の基準時︵森︶ 二四九
. 二五〇
当時ノ法令ヲ標準トシテ判決スヘシト主張スルモ魂棚之二左祖スル能ハス。抑モ法規ハ其有効二行ハレツツアル間二心リタル事件ヲ司
配スルコトハ羅馬法以来上達ラルル大原則ニシテ枝葉ノ点二叉テコソ多少ノ議論アレ何人モ此原則ヲ疑フモノナシ。固ヨリ従来此原則
ヲ論究セルハ殆ント皆私法学者二限リシヲ以テ其議論ヲ移シテ直チニ之ヲ公法ノ上二応用スル能ハスト云フ疑念アランモ法ノ適用問題
メニハ必ス明示的二之ヲ言明スルカ又ハ法規其モノノ性質上遡及力ヲ有シ得ヘキ場合︵例ヘハ旧法ヲ解釈スル新法ノ如シ︶ナラサルヘ
トシテハ公法ノ上ニモ私法ノ上ニモ同様曲論スルコトヲ得ヘシ。此ノ如ク法ノ不遡及ハ原則ナルヲ以テ若シ新法力遡及力ヲ有スルカ為
カラス。然うサレハ一般ノ原則二依ルノ外ナキナリ。L
とされた。これは、法が原則として遡及効を有しないことを論拠とする有力な反対論であり、いわゆる処分時説の立場
であるが、それにも拘らず、前示美濃部・佐々木両博士などの所説が支配的な理論となり得たのは、行政裁判所の任務が
行政における現存の違法状態を排除することにあり、また本来行政権内部の監督的作用と考えられる一面をもっていたの
に基くと思われるのである。
二 現行憲法下の学説
以上にみた所によれば、行政裁判所が廃止され、行政訴訟も司法裁判所によって行われるたて前になっている現行憲法
下においては、問題なく処分時説が採られて然るべきであるように考えられるが、事実はそうではなく、なお判決時短が
かなり広く行われている。特に田中二郎教授は、現行憲法下においても、美濃部博士の上述の立場を正しいとされる。教
授は次のように説かれる。
だというふうに考えるべきものではなくて、その処分が現在維持されるべきものであるかどうか、現在の法令に照らし、現在の状態に
﹁︵行政事件訴訟は︶過去になされた行政処分の効力をそのときにおいて、違法であったかどうかということの判断を求めるための訴
おいて維持されるべきものであるかということの判断をするのが行政訴訟のほんとうの趣旨じゃないか。⋮⋮一般的にいえば、行政事
件訴訟というのは、過去のあるときになされた行為が違法であったということについて、行政庁の責任を問うというのが目的ではなく
て、現在まで存続している行政行為について、その効力を維持すべき理由があるかどうかということの判断をするのが本来の目的だと
いう見地に立てば、判決をするに当ってそのときの法令及びそのときの状態に照して判断をしていいのじゃないかということがいえる
と思います。L
そしてこれに反論して田中真次氏が、普通の民事訴訟で、ある法律行為の効力について、そのような行為をする能力が
完全であったかどうかは行為時を標準として考えるのは当然のことであり、行政処分の適否について処分時を標準として
考えるのも同じことだ、と主張されるのに対し、田中二郎教授は、それは民事法的な考え方であって、行政訴訟はあくま
でも現在の段階において行政処分が維持されるかどうかの判断をすべきだとされ、結局
﹁私は司法裁判所が、行政事件の裁判をするようになった現在でも、司法裁判所の任務というのは、違法の状態そのものを排除する
ということがねらいでなくてはならないと思う。それが行政事件訴訟特例法のような、特別の規定を必要とするゆえんなのであって、
その裁判は、司法権の作用ではあるけれども、裁判所が行政事件について持っている任務は、現在有効だとされている行為についてそ
の効力を維持すべきかどうかという判断をすることにある。従って民事事件の場合とは違った考え方がされなくてはならない。﹂
とされる。そしてこういう老え方に賛成する見解もみられる。
しかしこの考え方は、行政訴訟を司法権の範囲に属せしめた現行憲法の下においてはおそらく適当ではないであろう。
尤も現行憲法における司法権も、明治憲法における場合と同様に、民事および刑事の裁判を意味し、 ﹁行政裁判は行政行
為の適法性を争の目的とするもので、性質上本来行政権の作用に属﹂するという美濃部博士の如き立場もある。柳瀬教授
も同様の見解である。このような立場に立つならば、行政裁判は本来行政作用であり、司法裁判所がこれを行うのは、単
に実定法たる裁判所法その他の法律がこれを司法裁判所の権限に属せしめているからに過ぎないから、行政訴訟の本質は
司法の本質論からではなく、行政の本質論から究明せらるべきことになる。従ってこの立場からすれば、行政訴訟におけ
行政訴訟における違法判断の基準時︵森︶ 二五一
二五二
る違法判断の基準時を判決時とすることも、あながち不可能ではないとさるべきであろう。しかし現行憲法における司法
権の概念を民事・刑事の裁判と解することは通説の認めるところではない。通説によれば、現行憲法は司法権の範囲に関
して、独仏などの大陸法系に拠ることをやめて、英米法系に拠るに至ったと考えられるのであり、従って司法権の概念は
明治憲法の場合と比較して根本的に変革され、民事・刑事のみならず、行政事をも含む一切の法律上の争訟についての裁
判を意味するに至ったとされる。このような通説の立場は、おそらく正しいとさるべきであろう。それ故に現行憲法下に
おいては、判決時説の成立する余地はないと考えられる。
なお、行政訴訟における違法判断の基準時について処分評説をとるか、判決時説をとるか、という問題と密接に関連し
ながら、しかし本質的に異る問題に訴の利益の有無の問題がある。もともと、裁判は原被両腰の争訟に対して、そのいず
れの主張が正しいかを判断する作用であるから、争訟をする利益が既になくなった場合には、訴の請求は理由がないこと
になる。行政訴訟においても同様であって、例えば一定の行政処分の取消を求める訴の提起があったのち、法令や事実関
係の変更があって、そのために、あらゆる点からみて争訟をする利益が無くなった場合には、原告の請求はしりぞけられ
る。この場合、訴の利益の有無は判決時一正確に言えば口頭弁論終結時を標準として決められる。そこでこの過程を全
体として眺めると、一見したところ、行政処分の取消を求める訴について、判決時説に従って処理がなされたかの如くに
誤解されるが、決してそうではない。行政処分の取消を求める訴において、訴の利益がないとして原告の請求をしりぞけ
る判決は、係争行政処分の適法か違法かを判断しているわけではなく、寧ろかかる判断をするまでもない、という立場に
立つものであり、従って違法判断の基準時を判決時に求めたとは言えない。この点では、豊水道祐氏が
﹁結局訴の利益の有無というのは判決に接着する口頭弁論の終結当時の状態において判断すべき訴訟要件の問題であって、違法判断
の基準時とは全然違う問題と思います。﹂
と言い、また田中真次氏が
﹁簡単な例をいえば、行政庁が営業出願に対し不許可処分をした。それに対して訴訟を起している闇に法律の改正によって自由営業
になったとする。そのような場合は不許可処分の取消を求める利益がないといえるけれども、しかし、その場合は処分の適否について
判決時を標準として判断しているのではなく、頭から処分の適否について判断をしないのです。﹂
と述べておられるのは、正しいと言わねばならない。ただ訴の利益の有無についての判定は、後にも触れる如く種々の点
で困難な問題を含んでいる。
三 現行法の下における判例の動向
最高裁判所の判例は、大体において、いわゆる処分時説を採っていると言える。二・三の例を挙げると、自作農創設特
別措置法附則第二項によって農地買牧計画が樹立され、これに対してその取消を求める行政訴訟が提起された後に、右第
二項が削除されてその代りに新規定が設けられたという事情の下で、原告側は処分良説に拠り右第二項違反を主張したの
に対し、被告たる行政庁は判決時説に拠り右新規定上合法と主張した。最高裁判所はこの事案に対し、
﹁自作農創設特別措置法附則第二項によって買牧計画が定められ、その後脚附則第二項が削除され、同法第六条の二ないし五が加え
られた場合において、裁判所が買牧計画の当否を判断するについては、附則第二項によらなければならない。﹂
と判旨し、その﹁理由﹂において、・﹁行政処分の取消又は変更を求める訴において、裁判所の判断すべきことは係争の行
政処分が違法に行われたかどうかの点である。行政処分の行われた後、法律が改正されたからと言って、行政庁は改正法
と述べている。
律によって行政処分をしたのではないから、裁判所が改正後の法律によって行政処分の当否を判断することはでぎない。﹂
行政訴訟における違法判断の基準時︵森︶ 二五三
二五四
右と同趣旨の判決はその後にも行われているが、これは、行政処分を行った後法令の改廃があった場合、その行政処分
の当否は処分時の法令によって決すべしという立場である。
また行政処分後に客観的状態の変更が生じた場合についても、行政処分の当否は処分時の状態によるべぎだとする判例
がある。即ちある未墾地について自・作農創設特別措置法に基き買牧処分をなした後に、その未墾地が開墾され始めたとい
う事案に対して、最高裁判所は﹁未墾地買牧計画公告後多少開墾が為されたとしても、未墾地買牧計画は不適法にならな
い﹂と判示し、その理由において、 ﹁原審は福島県農地委員会が本件土地買牧計画の公告をした当時においては、未だ見
るべき手入もなく、客観的に見て開墾をして居るものと認められない状態にあったと認定して居るのである。しかる以上
公告後において開墾が多少為されたとしても、それは薬量計画の適否を判断する理由とならない。﹂と述べている。
また、右のような行政処分の対象となった土地の状態の変更だけではなく、その他の事情の変更があった場合にも、同
様の立場がとられている。即ち未墾地を農地化するためにその買牧処分をなした後、該土地を売渡する前に政府において
これを警察予備隊の演習地として使用することに決定し、その後駐留軍の演習地として利用されているという事案に対し
旧土地所有者から﹁本件土地は農地化される見込は全くないにも拘らず数年前に買牧処分がなされた故のみをもって、そ
の買牧を適法とするのは、全くナンセンスである﹂とし、買牧計画の適否は口頭弁論終結時を標準として決すべきである
という主張に基き、買牧計画の取消が訴求された。これに対し最高裁判所は
﹁自作農創設特別措置法に基く未墾地鶴牧計画の取消訴訟において、愛馬処分完了後売渡前に政府において買牧目的地を農地の開発
以外の目的に使用することに決定したという事実をしんしゃくして、右計画を違法とすることは許ざれない﹂
と判旨し、その﹁理由﹂において、旧土地所有者の上記の主張に反論して
﹁論旨は、要するに行政処分の違法判断の基準時の問題について、原・審がいわゆる処分誉田をとったことを非難するに帰するもので
ある。しかし、行政処分の取消または変更を求める訴において、裁判所が行政処分を取り消すのは、行政処分が違法であることを確認
してその効力を失わせるのであって、弁論終結時において、裁判所が行政庁の立場に立って、いかなる処分が正当であるかを判断する
ものではない。L
と述べ、曽って昭和二八年になされた同趣旨の判例を引用している。ただ昭和二八年目判例の場合は﹁弁論終結時におい
て裁判所が行政庁の立場に立って処分後の事情をしんしゃくして当該処分の当否を判断すべきものではない。﹂ と言って
いるのに対し、三四年の判決は前に記した如く、﹁いかなる処分が正当であるかを判断するものではない﹂というような、
裁判所の真意を誤解せしめるような表現になっている。裁判所の真意は、判決時を基準として行政処分の当否を判断すべ
きものではない、ということにあろう。なおこの三四年の判決については、前に述べた如く、行政訴訟における違法判断
の基準時について判決鼠壁を採られる田中教授の判例批評があるが、同教授は其処で、本件の如き場合は例外的に処分時
説に拠るべきであるとして、判旨を是認されてい㍉
以上にみた如く、最高裁判所の判例は、 一貫して処分時説に拠っていると言える。しかし学説上有力な反対論があるせ
いか、下級審の判例は必らずしも一致していないようである。ことに行政処分後に事情の変り易い労働事件につ﹂いて、こ
の問題が起る可能性が多いわけであるが、二、三の例を挙げると、判決時説を採ったものに香川運送事件がある。
この事件においては、地労委が解雇を不当労働行為と認定して救済命令を出したのに対し、会社がその取消請求の訴を
提起している間に会社と被解雇者との間に和解が成立して本人が解雇を承認したという事案について、高松地裁は﹁本件
救済命令は既にその基礎を失うに至った違法の処分として取消すべきものである。﹂とした。 これに反し駐留軍沢の町事
件については処分時説が採られている。即ちこの事案では、解雇を不当労働行為とした地労委の救済命令に対し国が中労
委に再審査を申立て、それを棄却されたので、更に取消請求の訴を提起している閲に、駐留軍の当該事業場が閉鎖されて
行政訴訟における違法判断の基準時︵森︶ 二五五
二五六
全員解雇されるに至ったのであるが、 東京地裁は﹁本訴においては大阪地労委の救済命令に対する原告︵国側︶の再審査
申立を棄却した被告︵中労委︶の判断に取り消さるべぎ違法の点があったかどうかが問題となっているのである。 従って
被告の判断した当時において原告の再審査申立を棄却したことの適否のみが問題となる。﹂ とし、その後の事情の変化は
ゆ
被告の判断の適否には関係がないと説示している。こうした相反する判例に対し、労働法学者の間では、東京地裁の採っ
た処分時説に賛意を表する者が多いと言えるようである。
なお、行政訴訟における違法判断の基準時と密接な関係のある﹁訴の利益の有無﹂についての判例を一瞥すると、最高
裁判所は、判決時において訴の利益が存しなければ、本案の審理をまつまでもなく棄却または却下さるべきものとしてい
る。例えば
﹁職権をもって調査するに、被上告人らは公職選挙法二一〇条︵昭和二九年法律二〇七号による削除前︶により本訴を提起し、上告
人の町長当選無効の判決を求めるのであるが、上告入は町長退職の申出をし、正規の手続を経て昭和三〇年一〇月一日附で退職したの
判決は結局失当に帰する。﹂
で、被上告人らの本訴請求はその法律上の利益を失うに至ったものというべく、棄却を免れない。それゆえ、本案につき判断をした原
ゆ
とした判決の如きこれである。この判決では、上告入の町長当選無効を主張した被上告人の請求は棄却されたが﹁訴訟の
総費用は上告入の負担とする﹂とされている。また村議会議員の除名議決に対し、その取消を求める行政訴訟が提起され
一・二審とも村議会側の敗訴となって村議会が上告している問に議員の任期が満了したという事案についても、 ﹁村議会
議員の任期の満了したときは、議員除名議決の取消を求める訴の利益は失われる。﹂ として、一・二審の判決を破棄し被
上告人の請求を棄却したが、しかし訴訟費用の点については、 ﹁本件除名議決を取消すべきものとした一・二審の判旨は
⑳
正当であるから﹂﹁訴訟費用は、一・二・三審とも上告人の負担とする。﹂と判決している。この判決では、処分時におけ
る除名議決を違法とし乍ら、判決時における訴の利益の消滅を理由として被上告人の請求を棄却し、形式上の勝訴者たる
上告人に訴訟費用の負担を命じているのである。 更にまた、﹁村長解職投票の効力に関する訴訟係属中、村長の任期満了
⑳
したときは、訴の利益は失われる。﹂として請求を却下した判決もある。
事情の変化により訴の利益がなくなれば、行政処分の取消の請求が棄却または却下さるべきであるということは、疑も
なく正しい。しかし訴の利益の有無の判定は、噛かなり難しい問題を含んでいる。例えば右にあげた除名議決の取消請求の
事件では、議員の任期満了後でも、判決で除名議決が取消されれば、除名議決後任期満了までの間の議員としての報酬請求
権が回復されることになるから、訴の利益があるという老え方もありうるわけで、仙台高裁や東京地裁ではそういう趣旨
の判決もなされている。これに対しては e任期満了後は訴の利益がなくなったということで、除名議決の取消請求の訴
は斥けるべきであり、若し被除名者が報酬請求を主張するならば、別の訴訟で行うべきではないか、とか、口かりに除名処
分が違法だとしても、除名処分について執行停止がなくて議員としての活動が停止されている以上、報酬請求権は無く、
損害賠償の請求ができるだけである、とか、更に⇔除名議決の取消の訴における訴の利益の本体は、本来公法上の議員の
地位を回復することにあるのであって報酬請求権は議員の地位に附随する反射的なものに過ぎないから、報酬請求権自身
を除名議決取消訴訟の訴の利益にするわけには行かぬ︵最高裁判所の判例の考え方の基礎は⇔にあると思われる︶・かいう・うな学者の議論があ働.
これらの所論はいずれも充分の根拠があり、従って訴の利益の有無を判定することは極めて困難であると言わざるを得
ないが、それは兎に角として、訴の利益の有無の問題と、行政訴訟における違法判断の基準時の問題とは別個の問題であ
るとして、後者について処分時論をとる正しい判例が下級審に現われていることは注目される。前に示した駐留軍沢の町
事件についての東京地裁の判決もこれに属するが、その他に兵庫駐留軍事件、および鳥取駐留軍事件についての東京高裁
の昭和三四年十月二四日の二つの判決もそうである。この二判決の判決そのものは手許にないので詳細は不・明であるが、
行政訴訟における違法判断の基準時︵森︶ 二五七
二五八
﹁処分時説を一応認めながら、行政処分が適法かどうかの問題と行政処分がなされた後の事実状態の変更によって処分の取消しを求
める利益が失われるに至ったかどうかの問題とは、全く別個のものであって、訴の利益については、口頭弁論終結の時を基準として判
断ずべき訴訟要件に当たるといわなければならないとし、訴の利益の有無について、基地閉鎖による予備的解雇により雇用関係は消滅
し、原職復帰︵原職復帰の可能なことを前提とする給与の支払いについても︶が客観的に実現不可能となった現在においては命令違反
の問題は起らないし、この限りでは、その内容に即した拘東平を失った本件救済命令の取消しを求める利益も必要もない等の理由から
訴の利益なしとして、原審棄却判決を取り消して、訴を却下している。﹂
と報ぜられている。なお右の兵庫駐留軍事件の場合は、この判決が確定したけれども、解雇から閉鎖までの期間のバック
.ペイが未だ為されていなかったので、これをどう販扱うかが困難な問題として残っているということである。
ゆ
更に、地労委の発した救済命令に対して会社側がその取消を求める行政訴訟を提起している間に、労働組合の解消その
他の事情の変化が起り、命令が執行力を失ったという事案について、大津地裁が
﹁命令は⋮⋮原告がそれを遵守しようにも遵守するに由なく、又違背すべき可能性も生じ得ないところとなり、たとえ右命令が存続
つたものといわねばならない。⋮⋮かような排除すべき執行力をも有しない命令は、その存在の取消変更を為すべき実益すら存しない
するものとしても、原告にとって何等の義務或は負担を伴うものではなく、全く覇賞すべき内容を失い形骸を残すに過ぎない状態とな
と見るべきであろうし、もとより執行力を失うに至ったが故に、該命令の存在自体が命令を違法ならしめるに至るとは云い得ない。そ
うだとすれば、執行力を有しない本件命令が存在することには何等違法とすべきところはないのであって、却ってかような命令の取消
を欠くものとして失当であること明らかであるから原告の請求はこれを棄却する。﹂
を求める法律上の必要ないし利益が存在しないものといわなければならない。よって右命令の取消を求める原告の本訴請求は訴の利益
と判決したのが注目される。この判決では行政訴訟における違法判断の基準時をいつに求めるかの見解は明らかには示さ
ゆ
れていない。 しかし﹁執行力を有しない本件命令が存在することには何等違法とすべぎところはない。﹂と述べているこ
とからみて、判決時の事情をもって違法判断をなすことを拒否する立場−1判決論説の否定一iを潜在的に採っていると
ノ
⑭
みることができるであろう。なお本件判決が﹁訴の利益﹂がないとしているのに対しては、
れば必らずしもそうとは言えない、という趣旨の詳細な反論を提起されている。
① 美濃部達吉・日本行政法上巻︵昭和十一年版︶一〇〇三頁。 ② 上掲、一〇〇五頁。
③佐々木惣一・日本行政法論総論︵大正一〇年版︶七八三頁。
玉置教授は、より深く考察す
④三権分立主義が歴史的に行政権強化の役割を演じたことは明らかである。拙著憲法原論一五六頁以下参照。
わが国においても行政裁判所の制度が採られた理由について、撰藤博交の憲法義解は﹁地方官吏を訟ふるの文書法廷に蝟集し、俄
に司法官行政を牽制するの出端を見るに至れり﹂ ﹁掴々訴訟を判定するは司法裁判所の職任とす。而して別に行政裁判所あるは何ぞ
を醸せさるなの。.何となれば、司法権の独立を要するか如く行政権も亦司法権に対し轟く其の独立を要すればなり﹂ ﹁行政の事宜は
や。司法裁判所は民法上の争訟を判定するを以て当然の職とし、而して憲法及法律を以て委任されたる行政官の処分を取消すの権力
司法官の通常慣熟せさる所にして之を其の判決に任するは危道たることを免れす、故に行政の訴訟は必行政の事務に藩論練達なるの
⑤兼子一・行政事件の特質・法律タイムズニ巻七号一八頁。
人を得て以て之を聴理せさることを得す﹂などと述べてこの間の事情を明らかにしている。
⑦雄川・小沢・兼子・田中︵二︶・田申︵真︶豊水・三ケ月・行政事件訴訟特例法逐条研究、六四頁。
⑥市村光恵・増訂改版行政法原理︵大正四年版︶二六八頁。
⑧同上、六六頁。
⑨ 同上、九〇頁。なお田中二郎・行政争訟の法理=七頁以下。
⑩例えば柳川真佐夫外重氏共著・追補判例労働法の研究、七八九頁。そこではこの考え方が通説であるとされている。また雄川教授
も同説で﹁抗告訴訟においては一般に具体的法行為としての行政行為の、抽象的法規範としての法規に対する適合の有無が訴訟にお
基準とすべきではないと考えられる。﹂とされる。雄二一郎・行政争訟法︸二九頁以下。
二五九
いて判断の対象となるのであるから、その場合の法規は判決時の法規であることが原則である筈であって、過去の法規や事実関係を
⑫柳瀬良幹・行政法、同・行政権と司法権との関係、公法研究八号=;一頁以下。
⑪美濃部達吉著、宮沢俊義補訂日本国憲法原論、四〇一頁。
行政訴訟における違法判断の基準時︵森︶
⑮昭和二七年一月二五日第二小法廷判決、最高裁民事判例千丁六巻第一号﹁=一頁以下。
⑬上掲行政事件訴訟特例法逐条研究、六六頁。 ⑭同上、六七頁。
⑰昭和二五年三月二八日第三小法廷判決、最高裁民事判例集第四巻第三号一一七頁以下。
⑯ 昭和二八年二月二四日第三小法廷判決、最高裁民事判例集 第七巻第二号 一八七頁以下。
⑯昭和三四年七月一五日第二小法廷判決、最高裁民事判例集第コニ巻第七号一〇六二頁以下。
⑲昭和二八年一〇月三〇日当二黒法廷判決、行政事件裁判例集第四巻第一〇号二三一六頁以下。
二六〇
この事案は、自作農創設特別措置法第一五条第二項第一号のいわゆる兼業農家に該当するか否かの判定に当り、農業による所得と
農業以外の職業による所得との比較衡量を、処分時と判決時のうちいずれの時点を標準として行うべきか、の問題である。
⑳ 民商法雑誌 第四一巻第六号 一三三頁以下。
⑫ 甫全尽㎡地裁昭一二一 ︵行︶第一二〇号、 昭和一二三年五日月二六日判決。
⑳高松地裁昭二四︵行︶第一〇号、昭和二五年九月二六日および昭和二六年一〇月一二日判決。
⑳ 例えば柳川真佐夫・高島良一共著・労働争訟 三一九頁。 玉置保・不当労働行為命令に対する司法審査の基準時期、︵名城法学第
八巻第三号︶、中央労働時報第三二七号︵昭和三三年六月︶巻頭言。
⑳ 昭和二七年二月一五日第二小法廷判決、最高裁民事判例集 第六巻第二号 八八頁以下。
⑳昭和三〇年=一月一日第一小法廷判決、最高裁民事判例集 第九巻第コニ号 一九一八頁以下。
⑳ 昭和二六年一〇月二三日第三小法廷判決、最高裁民事判例集 第五巻第一一号 六二七頁以下。
第四巻第九号 二一四六頁以下。
⑳昭和二七年二月一五日仙台高裁判決、高裁民集 第五巻第二号 三七頁以下。昭和二八年九月号〇日東京地裁判決、聖裁例集
⑳ 東京高裁、昭三二︵ネ︶五一五号、昭三四・一〇・二四判決。
⑱ 上掲・行政事件訴訟特例法逐条研究 一〇四頁以下に詳レいが eは田中二郎氏、口は雄川一郎氏、国は豊水道肪氏の所論。
⑳ 東京高裁、昭三二︵ネ︶ =二〇五号、昭三四・﹂○・二四判決。
⑳ 中央労働時報 第三四九号、 ︵昭和三五年二月号︶五二頁。
⑫ 同上・五三頁。 ⑯ 大津地裁、昭三一︵行︶二号、昭和三三・一〇・二一判決。 ⑭ 玉置保、上掲里謡。
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