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書評 末冨芳 『教育費の政治経済学』 勁草書房 (2010)
Kobe University Repository : Kernel Title 書評 末冨芳『教育費の政治経済学』勁草書 房(2010)(2010) Author(s) 荻原, 克男 Citation 研究論叢,17:21-24 Issue date 2010-12 Resource Type Departmental Bulletin Paper / 紀要論文 Resource Version publisher DOI URL http://www.lib.kobe-u.ac.jp/handle_kernel/81008660 Create Date: 2017-03-30 [書評】 【書評】末富芳『教育費の政治経済学』勤草書房 (2010) 荻原克男(北海学園大学) 7 )。ここでの「制度J概念 意味する」とされる(p.1 本書の構成 本書の目的は、「公私混合型」とし、う特徴をもっ日 は、新制度論の議論を踏まえたものと思われるが、 どのように Jr なぜ」 本の教育費負担構造が、「いつJr この規定が本書の分析内容とし、かなる有機的関連を p . 2 )。 出現したのか、を明らかにすることである ( もつのかは必ずしも判明ではない。一番関連しそう じつに明快な問いの設定で、ある。 なのは第 3章であろうが、本書の中でその位置づけ どのように」の聞いには、第 2章「教育 「 し 、 つJr が評者にはうまく読み取れなかったのも第 3章であ った。 費負担の公私関係:その量的拡大と変動」において、 公費・私費の量的変動を独自の時系列データを作成 1)教育費の規範空間というテーマ(序章2節f教育費 することによって取り組んでいる。 「なぜ」については、第 3章 r w 公私混合型教育費 の理論空間と規範空間Jとし巧心憎い節題) 負担構造』の法、ンステムとその変動j で、法制的要 ここでは、著者の「規範的」なるものへの注目と 因からの説明、続く第 4章「教育費スポンサーとし それを取り扱うスタンスが表明されている。既往研 ての保護者再考:高校生・大学生保護者質問紙の分 究の問題点として著者は 2点を指摘する。 1つは「公 析から」では、家計教育費支出に関する保護者モデ 教育費の増大を声高に唱える左翼的な主張J o2つは、 ルによる分析、そして第 5章「戦後日本における家 r w 効率』と教育機会の均等とが所与の規範的立場と して暗黙裡に設定されて」きた点である(p.1 8 )。 計教育費『過剰感』の展開:教育費の社会的関心と 政策環境Jでは、家計教育費に対する政府の政策認 第 lの点に対しては「現実の教育資源配分を対象 識からの説明がなされている(ただしこれは大まかな対 とする実証社会科学j たる側面を重視するとし、う立 応であって、 3章や 5章にも「し、つJr どのように」を扱う部 場が述べられる(独自の堀尾輝久「評価」をも含め p .1 8 分は含まれている)。 注 l参照。いわば既往研究のあり方へのアンチとしての実証 このように「政府と家計との役割を『公私混合型』 主義。現在の多くの有力若手研究者が採るスタンスでもある)。 たらしめてきた法制や政策の条件を検討することが だが、著者はそこにとどまらず、「規範的な基準Jに 本研究の目的である J 。その作業の中心は事実認識の ついての考察 ( p . 6 )への指向を明示している点が注 ためのデータ構築にあるが、それを通して「教育費 目される。そこで第 2の問題点に関して、従来の(暗 問題の『解法』を様々に検討するための、材料や分 黙里の)規制欄みが「平等効率Jアプローチとし 析視角を提供することを意図するもの J ( p .3 ) とさ てモデル化され、その限界性が指摘されるとともに、 れ、実蹴句関心も伺える。 それを克服するために「規議踊」を「多元化する必 喪性」が語られる。こうして、著者が提示するのが、 0 )教育財政学の自己規定 「自由一平等」軸と「厚生サカ率」軸の 2つで構成さ れる規範枠組みである 「教育財政学は教育費の制度に関する分析によって r c 教育費の規範空間 Jp . 2 1 特徴づけられる学問である J とし、うのが本書の自己 の図序-1)。この整理軸は、本書の議論展開におけ 規定である。ここでいう制度とは、「法や政策などに る要所要所で参照されることになる(p. 2 6図序-2, よって形成されるハードな制度 ( s y s t e m )とともに、 p .1 3 0図 3 8,p .1 8 7図 5 2,p . 2 0 2図6-1)。 それとパラレルに展開してきた家計が教育費を負担 この規範図式を用いることで、次のような解釈が する習慣などのソフトな制度(j郎d ω t i o n ) の双方を 示される。すなわち、日本の教育費負担が「公私混 12ム ワ 臼 [書評]末冨芳『教育費の政治経済学~ (荻原克男) 合型J と指摘される「主要因」は、「効率平等主義 点も残る。第 1に、「家計教育費Jと「私教育費」と の性質を持つ公教育費支出のもとで、厚生一自由主義 いう概念の関係について。引用文からすると、「家計 と鞘敷づけられる家計の私教育費が学校教育費の不 教育費」のうちでも、「私教育費」とそうでない教育 足の補完や、学校外教育費のような学校教育のサー 費(=I 準公教育費」ないし「民間教育費J ) が区別 ビ、スの質量の補完を行ってきたことに見出」される されると読めるが、そうしづ理解でよいの村鶴、し ( p. 2 5 )。 たい。もしそうだとすると第 2に、家計教育費の高 これが本研究における「なぜ」とし、う問いへの総 低がただちに私教育費の高低を意味するとは限らず、 括的な答えにもなっている。このような規範軸の提 両者は区別されねばならないということになる。と 示とそれに基づく説明は、非常に意欲的な試みとい すれば第 3に、いうところの「準公教育費」と「私 ってよいだろう。その上で、ということだが、教育 的な意味を帯び」た家計教育費とを具体的にどのよ 費の「公私関係の暖味性Jを克服し、「家計教育費格 うに識別すればよいか。たとえば、私学への納付金 差とそれに伴う教育機会の格差をどのように認識し、 は「私的な意味を帯びた」家計教育費とみなされる 調整するかJ( p .1 9 9 ) とし、う課題に応えるためには、 のか、それとも「公共性の高い教育費」なのか。あ 厚生4力率」のそれぞれの聞の調整と 「自由一平等 JI るいは、家計支出の局面と学校法人等による集約の 局面で性格が転化すると捉えるのヵ、 いう問題が残る。著者自身もおそらくはそれを意識 J 概念の位置づけについて検 して、「公正(Eq凶ザ) p p . 2 7 31)、その展望は必ずしも明確 討しているが ( 2 b )家計教育費が担う「教育の公共性」という論点 ではない。本書「以後j の課題ということであろう 教育費概念の再考によって著者が焦点をあてよう が、著者の今後の見通し(研究計画)を聞いてみた とするのは、家計によって支えられる教育の「公共 . 2 7注 3には、「実証的な財政学と い。たとえば、 p 性」という論点である。それは私立学校の位置づけ 規範経済学や法哲学を接枕する「試みj との魅力 直しにとどまらない理論的産枠呈を有している。「非政 的な示唆があるが、今後こうした研究を進めるので 府部円である家計と、非政府立教育機関とを等しく 『私』のカテゴリに含めること自体、『公』偏重の発 あろうか。 o I日本の教育サービスの拡大を支えている学校 想 、J 2)教育費概念の再検討 法人以外の準学校法人や民間教育産業の法人の経費 2-a)r 私教育費」概念の独自性 ( r準公教育費」・「民間 も、『民間教育費』や『民費』の概念、を導入すること カテゴリの提起) 教育費J で、概念の成熟や・・理論的検討Jが可能になるとさ 1 0 0注 2 )。 れる(p. 著者はこれについて独自の見解を示している。「私 教育費」を「私立学校への教育費」と捉える用法も 著者が立脚する立場は、「公費の担う教育の公共性 あるが、「本書ではその見角平はとらなし、J oI 私立学校 と私費の担う教育の公共性Jの双方の「重要性」に は、学校法人立であり一定の公共性をもって学校教 注目し、それらについての「冷静な洞察や公的討議」 育サービスの提供にあたる準公共部円である。ゆえ を行う、というもののようである ( p . 4 4注 8、三上 に私学への助成金や私立学校の教育経費は、準公教 和夫 1 9 8 6の所論に言及する文脈で)。保護者が子ど 育費もしくは民間教育費のうち公共性の高い教育費 ) を追求するための教育 もの「利得や幸福(1厚生J とでもいうべき位置づけが与えられるべきであると サービス購入」を行う。その規模が拡大し多様な教 私見する。本書における私教育費とは、ミクロ経済 育サービスが出現することが「既存の学校教育そ教 主体である家計から私的な意味を帯びて拠出される 。そのような「家計教育費が 育制度に影響を及ぼすJ p . 3 9注 3 。なお関連して 家計教育費を意味する。 J( 担ってきた教育の公共性や、それをふまえた公私関 p .1 0 0注 2,p .1 0 8 ) 係の再編のあり方の女引列」として、不登校児向けの qA “ ヮ この「私見」はとても興味深い。しかし、暖昧な フリースクール、八王子市立高尾山学園の事例があ 神戸大学教育学会『研究論叢』第 1 7号 2010年 1 2月 2 8日 げられている(P. 4 5注 8 。この他、同テーマについ ゆる支援国家 ( e n a b l i n gs t a 胞)の評価にも関わる理論 p .1 2 3 1 2 4,p .1 2 6 ,p .1 3 3 )。 ては以下の部分参照。 p 0 0 8 )。 的問題でもある(金津史男 2 著者は「教育費概念J'における「もっとも大きな 私教育費の性質Jをー「公教 理論的課題Jとして、 f 4)r法システムJ 概念について(第 3章関係) 育費の対置概念としてだけでなく」ー「どのように 著者はここで、「法システム」なる概念、に着目して 概念化J し「理論的に位置づけてし、《か」とし、う課 いる。それは「法とともに法の成立の基盤となって 4 6 )。 題をあげている(P. いる社会を含めた体系」と定義される(p. 9 3 )。とく この課題の検討にとって示唆的な学問領域として に「教育費は、社会の法に対する作用が大きく、法 社会保障論や家族社会学が取り上げられている(広 と社会との関係を双方向性に着眼してとらえること 井良典 2 0 0 6、宮本みち子 2 0 0 2など)。これらの議論 が妥当」とされる(P. 9 4注 1 ) 。 が注目されるのは、「ライフステージの中でのリスク この指摘にほ領ける。だが、一口に双方向としり 分散やコストの負担問題、家族の変容という視点か ても、取り上げる対象や側面によって、社会→法の ら教育費の機能をとらえ」る点にある。こうしたア 規定性が強し、場合もあるだろうし、逆の場合もあろ プローチは、「急速に延長した若者の教育期間、公教 う。要するに対象に応じた具体的分析を行うことが 育の機能不全とその背景にある財政問題とし、った課 肝心で、むしろそれが研究上の課題で、はないか。 題を多元的に補足(i捕捉J?)し、問題解決的に検 討しやすいというメリット」を有している ( p . 4 9 )。 著者によれば、従来の「教育費の概念整理は、公 私二元論にとど、まっており、その相互関係への着眼 u 公私二元論モ これに対して、従来の教育財政学ではもっぱら公教 は不足していたJ ( p. 9 6 ) とされる 育費中心かっ既存制度劃見の発想、に偏る傾向がある デルJ )。これに対して著者は、[グ、レーゾーンモデル」 ( P. 9 8図 3 2 )、「公私関係の流動モデ、ルJ( p .1 2 2図 とされる。 3 一7 ) を提起している。 3)教育費の公私関係の計量分析について(第 2章) 本章では、このような理論的整理の上にたって、 まずは素朴な感想、であるが、私学利用者の“二重 具体的なモデ、ル化の作業が行われていて(特に 負担"というクレームを非常にもっともと感じさせ p .1 3 4図 3 -9)、それ自体は非常に斬新な試みだと思 1 1, るデータが並べられている(特に図 2-4から図 2 う。しかし、本章が「法システム」としづ概念を中 pp.68 一7 2 。図 2 2 2,p . 8 4 )。 心として論述されていることの意義がうまく読み取 第 2章の今後の展望について著者は次のように述 ) で規定さ れない。第 1に、「法システム」概念と 0 べている。「今回は学校教育や学校外活動といった教 れた「制度」概念とは、どうし、う関係にあるのであ 育に対する直接費用負担のみを対象としたが、租税 ろうか。第 2に、いうところの「法システム」の分 や児童控除、児童手当といった家計に対する政府の 析に“なるほどそうなのが'とし、う説得力(ないし 間接費用支援等を含んだ総合的な公私教育費の負担 リアリティ)が今ひとつ感じられない。なぜなのか。 関係j の「分析へと発展」させる、と(p. 8 6 )。 以下、当てずっぽうの推測を書く。 ぜひ「発展」・的分析を進めてほしい。税控除や間 2 0条をめぐる「判例法や社会慣習」 一つは、民法 8 接支援はもちろん、さらに民間部門によって供給さ の浸透に関する説明が形柑句なためではないか。二 れる教育サービスの量的分析にも期待したい。それ つ目に、説明が一種のトートロジーのようにみえる 準公 は 、 2 ) で指摘されたような「準公教育部門 Jr . 1 0 3での「受益者負担主義」 点である(たとえば、 p 教育費」の位置づけを確定する作業にほかならず、 に関する法システム的説明)。三つ自に、「受益者負 日本の公教育費水準の国際的低さを単純に指摘する 担主義」と設置者負担主義との聞の「相互作用の不 議論を超える視点と実証データを示すという重要課 p .1 01)昨日互関係の不在J( p .1 1 3 ) という主張 在J( 題に通じるだろう。この点を解明することは、いわ の含意が分かりにもい。なるほど関係「不在Jも「関 -2 3- [書評]末富芳『教育費の政治経済学~ (荻原克男) 係」の一様態である。だが、「不在」を問題とみなす 育財政学とはどうし、う学問なのかという聞いをめぐ 視点とはどんな理論的地平からのものであるのか。 る思考だ、ったりする。一つの対象をじっと凝視して [公私j を切り開栓すとし、う形で関係づけるのは、ま L 4 : 見 と いると、その周辺が気になりだす。いわば中 J さに近代法的な問題処理方式である。本章の「法シ 周辺視だ。そして周辺視のほうが動くものに敏感に ステム」概念あるいは「流動モデ、/レj はそれにとっ 反応できるらしい。もちろん、すっきりと統一のと て代わるポテンシャルをもつだろうかο れた像を描くには中心呼見野に絞り込むのが得策であ 5)教育費スポンサーとしての保護者モデル分析につ のほうが適しているのかもしれない。 る。だが、新しい研究領野をとらえるには周辺視野 最後に、本書を読みながら考えた教育費研究の方 いて 第 4章はもっとも「政治経済学」的といってよさ 向性を記して結びにかえたい。 そうな分析であり(手法は社会学的なのかもしれな 第 1に、現実の教育費負担構造を解明しながら、 いが)、私の知らなかった領域なせいもあってか新鮮 それに関する正統化の論理を追求する方向である な興味をそそられた。提出されたデ}タでいえば、 「生ける財布」タイプと「子ども思いの利己主義者j (規範経済学や公共哲学との接合)。 第 2に、教育費負担構造の現実を規定するのは正 タイプの、学歴、経済的属性の特徴は興味深かった 統化論理ではなく、権力資源動員論等を含めた現実 ( p .1 5 9 )。こうした行為者モデルの構成と実証は今 政治であるとし、う判断に沿った追求の方向で、ある (教育政治学)。 後の開拓が期待される分野と思う。 第 3に、教育費負担構造の現実を決めるのは、長 ついでながら、本書の表題にある「政治経済学」 とは何か特別な意味があるのだろう仇むしろ、英 期的な人々の意識明子動の動態であるとし、う方向で t r u c t u r a lA n a l y s i so fEd u c a t i o n a l 文タイトルである S の研究である(教育動態学?あるいは、 0 ) で宣言 E x p e n s ei nJ a p a nが内容に忠実であろうカ可。 された「制度」分析とし、うことにこだわるなら、む 制度」論を前面に押し立てる方 しろ盛山和夫流の I 6 )戦後日本の公私関係の時系列分析 向か)。 第 5章に関して、読み手の無責任な嘱望をいえば、 さらに付け加えれば、「教育費の政治経済学」とい 戦後の展開過程について、各章との聞に有磯的な関 うタイトルの実質をどうしづ方向で展開するか、と 連性が付けられるともっと良かったと思う。たとえ いう課題も挙げられる。 ば、第 2章の量的変動の時代的変化と、第 5章の政 策認識や社会環境に関する時代的変化とが関連づけ られるとヨリ厚みのある変動像が描けると思われる のだが。 というわけで、(?)計量分析と言説分析とを連携さ せた研究をしませんかにれが門外漢にもかかわら ず本書の合評会に出てきた私の意図(下心)で、あっ た ) 。 7 )教育費研究の今後の方向性 本書には、各章で、の主たる探求テーマと直接には 関連しないものの、興味をひく指摘が臨庁に散りば められている。しばしば、注の中に面白いことが書 いてある。それは著者の研究アイデアだったり、教 -2 4-