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氏 名 森 吉 京 子 学 位 の 種 類 博 士 (音 楽) 学 位 記 番 号 博 音 第
ヨシ キョウ コ 森 モリ 吉 京 子 学 位 の 種 類 博 士 (音 学 位 記 番 号 博 音 氏 名 楽) 第 151 号 学位授与年月日 平 成 21年 3 月 25日 学位論文等題目 〈論文〉パッサッジの奏法から発展したリコーダーのアーティキュレーシ ョン ~旋律を生き生きと蘇らせるアーティキュレーションの試み~ 論文等審査委員 (総合主査) 東京芸術大学 教 授 (音楽学部) 鈴 木 雅 明 木 雅 明 (演奏審査主査) 〃 〃 ( 〃 ) 鈴 (演奏審査副査) 〃 〃 ( 〃 ) 畑 ( 〃 ) 〃 准教授 ( 〃 ) 大 角 欣 矢 ( 〃 ) 〃 非常勤講師 ( 〃 ) 平 尾 重 治 (論文審査主査) 〃 教 ( 〃 ) 鈴 木 雅 明 (論文審査副査) 〃 ( 〃 ) 畑 ( 〃 ) 〃 准教授 ( 〃 ) 大 角 欣 矢 ( 〃 ) 〃 非常勤講師 ( 〃 ) 平 尾 重 治 授 〃 瞬一郎 瞬一郎 (論文内容の要旨) こ の 論 文 は 、 16、 17世 紀 の イ タ リ ア の 、 パ ッ サ ッ ジ の 奏 法 に 端 を 発 す る リ コ ー ダ ー の ア ー テ ィ キ ュ レ ーションについての研究である。 筆者が、自身の演奏実践において、2つの様式に分けて用いているリコーダーのアーティキュレーシ ョン、すなわちイタリア様式のタンギングとフランス様式のタンギングの特徴を、文献に残る記述を手 がかりとして明らかにするとともに、一般に、リコーダー奏者が伝統的なタンギングの技法を実践に移 し変えるときの問題点、つまり、前もって認識していなくてはならないそれぞれの様式観を導き出した いと考えた。文献に残されたタンギングの技法に関する記述を読み、多くが2つの音節表記によって示 される種々のタンギング・シラブルを収集することによって、バロック時代の管楽器全般のアーティキ ュレーションを考察するとともに、演奏者として、現代のリコーダーに生かすべき伝統的な技法につい ての理解を深めることを目的としている。第1章では、器楽のアーティキュレーションとは何かを定義 する。アーティキュレーションのテクニックにおいて、バロック時代の管楽器奏者は、タンギングをフ レーズの中でどのように使い分けるかということに注意を払った。ひとつひとつの音のつながりと切り 方にかかわるアーティキュレーションは、その効果が音楽表出の本質にかかわるフレージングにまで及 ぶ。従って、バロック時代の器楽奏者にとってそれぞれの楽器にふさわしいアーティキュレーションを 熟知していることは極めて重要であった。リコーダーのアーティキュレーションであるタンギングを、 2つの様式に分けて考えるという現在の演奏実践は、楽器のデザインの変移からも影響を受けている。 ルネサンス、および初期バロック時代にはほぼ円筒形の内径を持つ1本の木から造られていたリコーダ ーが、バロック時代には円錐状の内径を持つ3分割のリコーダーに改変され、現在に至っている。その 実践において、異なるタンギングが求められることは、筆者の経験から知るところである。ここでは楽 器 の 歴 史 的 変 遷 に も 触 れ る 。 第 2 章 で は 、 16世 紀 か ら 17世 紀 の 半 ば に か け て 、 イ タ リ ア の 音 楽 家 た ち が 残した文献を手がかりとして、そこで実践されていたタンギング、すなわちイタリアのリングヮの特徴 を 整 理 し た 。文 献 の 選 択 と 考 察 の た め に 参 考 に し た の は 、カ ス テ ッ ラ ー ニ の『 管 楽 器 の リ ン グ ヮ 』 (フィ レ ン ツ ェ 、 1987) で あ る 。 イ タ リ ア の パ ッ サ ッ ジ を 演 奏 す る こ と か ら 管 楽 器 奏 者 が 認 識 を 深 め た リ ン グ ヮ の 重 要 性 を 改 め て 明 ら か に す る 。第 3 章 で は 、フ ラ ン ス の 音 楽 家 た ち が 残 し た 文 献 を 手 が か り と し て 、 当時のフランスで行われていた管楽器のタンギング、クープ・ドゥ・ラングの特徴を整理した。これま で、フランス様式のクープ・ドゥ・ラングは、長短の音節からなるイネガル奏法と結びつけられ、2音 節の反復によって行なわれる単純なものとして理解されてきた。これに、レイナムが異論を唱え、フラ ン ス 様 式 の 管 楽 器 の ク ー プ ・ ド ゥ ・ ラ ン グ と 、 18世 紀 フ ラ ン ス の 朗 誦 法 に お け る フ ラ ン ス 語 の 抑 揚 と の 関係が少しずつ明らかにされている。 “ 趣 味 が 決 め る ”と 、オ ト テ ー ル も 、ル リ エ も 、フ レ イ ヨ ン = ポ ン サ ン も 、口 を 揃 え て 持 論 を 締 め く く っ た 。当 時 の 著 述 家 た ち が 、あ ら か じ め 予 測 可 能 な フ レ ー ジ ン グ を 、 その極めて簡略化されたクープ・ドゥ・ラングによって示していたとしたら、という仮説に基づくレイ ナムの研究は、私たちがこの“趣味が決める”言葉を目にするときに感じるフランス音楽との大きな隔 たりを軽減するのに非常に有効であるかのように見える。筆者は、レイナムの説を確かめるために、オ トテールの作品にクープ・ドゥ・ラングの配置を試みた。第4章では、イタリアのリングヮとフランス のクープ・ドゥ・ラングの特徴を踏まえて、後の時代にどのように継承されたかを、ヨーロッパ各地で 出版された文献に残された記述から考察し、その変遷を整理する。第4章までに、文献を読むことによ って導き出されてきた数多くの相違点とともに、このふたつの様式をつなぐ、重要な共通項も明らかに な っ た 。 パ ッ サ ッ ジ を 演 奏 す る た め の イ タ リ ア の リ ン グ ヮ も 、 18世 紀 フ ラ ン ス の 詩 の 朗 誦 法 が 基 盤 に あ るクープ・ドゥ・ラングも、器楽奏者のアーティキュレーションの意識の出発点は常に言葉にあったと いうことである。 (博士論文審査結果の要旨) 本 学 位 申 請 論 文 は 、 16世 紀 半 ば か ら 18世 紀 末 に い た る 、 リ コ ー ダ ー を 中 心 と す る 管 楽 器 の タ ン ギ ン グ とアーティキュレーションについて記述された文献を網羅的に調査し、特にそのタンギング・シラブル の指示を収集・整理することで、イタリアからフランスやドイツに受け継がれた音楽様式の変遷の課程 で、リコーダーにおいてどのような技法の変化がおこり、楽器独自の自律的表現様式が確立したか、を 浮き彫りにした。管楽器のアーティキュレーションについては、個々の事例に即した研究はなされては いるものの、これほど広範な一次資料を読み解いて分類整理したこと、また、楽器の構造や音楽様式の 変遷など広いパースペクティヴの中での研究が行われたことなどに、あきらかな独創性・新規性が認め られるので、その点は高く評価できる。 一 方 で 、 先 行 研 究 に つ い て の 系 統 的 な 論 述 が な い こ と 、 ま た la lingua dritta と la lingua riversa の概念についての記述が曖昧なままに終始したこと、などは残念であり、またイタリアからフランスへ のタンギングの変遷課程で、tとrの拍節における機能が逆転したことについて、楽器の構造や弦楽器 のボウイングとの比較などを通じて、掘り下げた記述が欲しかった。また、オトテールにおける装飾と タンギングの関係についても、興味深い示唆であるだけに、もう少し深い考察が望まれた。さらに、演 奏家の論文としては、これら膨大な一次資料が指示するタンギングを、現代のリコーダー奏者がその演 奏現場でどのように適用するべきか、という演奏論への発展も期待されたほどにはなされなかった。し かし、このような今後の課題を残しつつも、本論文は全体として、今後の古楽演奏に資する学術的成果 を挙げており、合格と判断した。 (演奏審査結果の要旨) 森 吉 さ ん の 演 奏 審 査 プ ロ グ ラ ム は 、 16世 紀 か ら 18世 紀 に い た る 網 羅 的 な も の で 、 ま ず フ ァ ン ・ エ イ ク の 無 伴 奏 曲 で 開 始 し 、 G.B.フ ォ ン タ ナ で イ タ リ ア の パ ッ サ ッ ジ 技 法 を 示 し 、 オ ト テ ー ル と テ レ マ ン に お い て 、 18世 紀 の フ ラ ン ス と ド イ ツ に お け る リ コ ー ダ ー 技 法 を 余 す と こ ろ な く 披 露 し た 。 そ の 途 中 に 、 G. マウテの擬バロック的現代作品を挿入して、いわば古典的なアーティキュレーション技法を、音楽様式 の歴史的発展から別個に抽出した例を示したのは興味深かったが、プログラムの音楽的流れのなかにあ っては、その必要性に若干の疑問がなかったとは言えない。 G.B.フ ォ ン タ ナ に お い て は 、 通 常 ソ プ ラ ノ や G 管 ア ル ト を 用 い る と こ ろ 、 あ え て 不 利 な テ ナ ー ・ リ コ ーダーを用いたのは、奏楽堂の広い空間における低い音域でのアーティキュレーション技法への挑戦、 とも受け取れた。が、それは思わぬ新鮮な響きを生み、大きな説得力があった。また、オトテールにお いては、D管リコーダーによって、トラヴェルソにも引けを取らない深く、陰影豊かな表現を成し遂げ た。最後のテレマンの組曲では、弦楽器の共演者の高いレベルにも助けられ、後期バロックの演奏技巧 が遺憾なく発揮されて、溌剌とした表現が印象的であった。 森吉さんはこの演奏において、安定した技術をもって、入念に準備された音楽作りを示し、また、特 に学位申請論文において追及したアーティキュレーション技法を十分に生かすことができる適切な、変 化に富んだプログラムによって、演奏と学術研究との相応しい融合を示しえた点は、高く評価できる。 以上のことから、本学位審査演奏は、合格とするにふさわしいと判断した。