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Page 1 丸坊主にされる話 「大山詣り」を取り上げた前稿の結びで

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Page 1 丸坊主にされる話 「大山詣り」を取り上げた前稿の結びで
i落語 ﹁大山詣り﹂
岡田
こうした強戯で笑いを呼ぶ噺は、他にはおそらく﹁坊
の遊び﹂が唯一のものであろう。講談社 D V Dブック
雪 山 ん 生 護 活 ! 落 語 大 全 集 第 十 一 巻 ﹄ ︵ 二O O五年︶
の矢野誠一解説、保田武広﹃志ん生全席落語事典。。
& り ぐ り 6 9 1﹄︵大和書房、二O O八年︶を参考に紹介
すると、次のようなあらすじである。
おいらん
禿頭の隠居が、入れを頼んでおいた剃万を床屋
の親方から受け取り、成り行きで親方と吉原に出か
けることになる。ところがこの親方、至って港癖が
悪く、花魁に﹁花魁と一言ゃあいい気になって、胴乱
みてえな面して、客の訴に出る面じゃあねえ。廊下
-1-
充
博
丸坊主にされる話
しまう搭語から。
先ずは、﹁大山詣り﹂ と開様、 丸坊主に剃り上げられて
としては興味を惹かれる資料もあるので、今国は付と
して短文を綴らせていただくことにする。
れる類話について触れておいたが、脱稿後、もう少し詳
しく紹介しておきたくなった。その後自にとまった、私
﹁大山詣り﹂を取り上げた前稿の結びで、丸坊主にさ
付
記
へ出て尻でもふれ﹂と悪態をつき、 そこらのものを
みせ
こわして妓楼を出てしまう。
あいかたさせがき
残された揺居の敵娼離沼一は、ひどく酔ったあげく
揺居を助平坊主よばわりして、尻を向けて眠ってし
まう始末。腹を立てた隠岩は、持っていた剃刀で女
を丸坊主にし、事が起きては面倒と、女の寝込んで
いるうちに勘定を払って帰ってしまう。若い衆から
ペてばばあ
知らせを酷いた遣り手婆は、﹁坊さんの客、帰っち
ゃったじゃないか﹂と擁垣安起こす。
Lよゃっじ
護ぽけまなこの擁垣は、廊下で転び障子に頭をぶ
つける。﹁ああ痛いツ﹂と襟足からスゥ!と頭をなで、
﹁あら、いやなおばさん、坊さん帰っちゃったなん
て、坊さんここにいるじゃないか﹂。
﹁坊さんはちゃんとここにいる。じゃあ私はどこにい
兵卒が、罪を犯した坊主を流刑地へ護送して行く
ことになったが、悪賢い坊主は、途中で酒を買って
その兵卒を盛りつぶした上、兵卒の頭の髪を剃り落
とし、島分の縄を解いて兵卒にかけて、逃げうせた。
あくる朝、兵卒、目が覚めて、坊主を捜すが見つか
らぬ。自分の頭をなでてみると、髪がなく、しかも
首に縄がかかっていたので、大声に叫んだ。
﹁坊主はちゃんとここにいる。しかし、 俺はどこ
にいったろう?
間じ話は﹃笑府﹄に先立つ明の劉元卿司応諾録﹄、越酪
うつけ者と禿頭と床屋が旅の道連れになる。人里
離れたところで夜を明かさねばならなくなって、ひ
農﹃笑賛﹄にも見え門 5︺、中国でも受けのよい、広く知
られた小附だったことが分かる。しかし実は、原話はさ
らに時代を遠く遡り、しかも国境を遥かに超える。
中務哲郎訳司ブイロゲロスギリシア笑話集﹄︵国文
るんだろう﹂という落もあったようで︵ム、こうなると、
行き倒れの死体を自分と間違えた﹁粗忽長屋﹂の熊さん
のム口調、﹁死んでるのは確かに俺だけれど、︹死体を︺抱
いているのは誰なんだろう﹂と同工ということになる
︹2︺。矢野氏によると、江戸期の噺本にも類話が多いよ
うである︹ 3
とり四時間ずつ眠らずに荷物の番なすることにした。
最初に見張り役を引き当てた床屋はふざけてやろう
社・叢書アレキサンドリア盟書館、一九九五年︶に、﹁わ
たしは誰﹂の話が見える。
︺
この話の。
原話は、明の謂夢龍﹃笑府﹄券六・殊裏部に
載る﹁解僧卒﹂とされ、次のような内容である。
-2-
4
と思って、甑りこけるうつけ者の頭を剃り、時間が
来ると揺り起こした。うつけ者、目覚めて頭を撫で
てみたが、髪の毛がない。そこで、
﹁床屋の大馬鹿野郎、ぼんやりして、 体ぬではなく
て禿頭を起こしゃがったな﹂った。
︶
四O頁
︵
円フイロゲロス﹄は﹁笑いを愛する人﹂の意味で、そ
の成立は一二世紀から五世紀の間とされる。右の話に付さ
れた中務誌の詳細な注によれば、ヘロドトス﹃歴史﹄巻
二の二二﹁ランプシニトスの宝蔵﹂の物語では、泥棒
が見張りを辞いつぶし右類を剃っており︹丘、眠り惚け
る間に畿を剃られるのは恥辱とされた。
また碍注は、開想の話として司笑白川﹄の前述の話をあ
げ、さらに昔話として稲関浩二﹃昔話タイプ・インデッ
クス﹄の﹁揮は誰か﹂︵ 7︺、握仁鶴﹁韓国昔話のタイプイ
ンデックス﹂の﹁健忘症の人﹂︹ 8︺、アアルネ Hトムソン
﹃民話の話型﹄の﹁艶摘を剃られ髪を切られた男、自分が
分からない﹂︹ 9︺などの類話資料を挙げている。
こうしてみると、﹁坊主の遊び﹂﹁粗忽長屋﹂系列の粗
忽者の話も、意外な広がりを持っていて興味深い︹ぬ︺。
さらに時簡をかけて調査した上で、改めて論じ直したい
と考えている。
次に、狐に化かされ頭を剃られる ﹁髪掛り狐 の昔話
について。
この昔話は、狐退治をしようとする村人が逆に賭され
て人を殺したと思い込み、菰が化けた旅舘に死者供養の
ためと窃主にされる話で、﹃日本昔話通観﹄のタイプ・イ
ンデックスでは、九九七番としてまとめられている。岩
手・宮城から佐賀・熊本まで三十数県にわたり、百以上
の話が採録されているが、左には、比較的短くまとめて
紹介されている、群馬県利捜郡新治村の話合致り上げて
おこう︹日︺。
ある村の人が日暮れに道をとぼとぼ歩いていたら、
きつねがいて﹁占めれ、体をふるわせたな﹂と思った
ら、きれいな女の人になっちゃった。こんどは石を
ゆすったら赤ん坊になっちゃった。そしてきれいな
子持ち女になって、どんどん山の奥に行くんだって。
﹁どこに行くがな。一つ後をつけてみよう﹂って行
ったら、一軒の百姓家に入って行ったんだって。百
姓家じゃあ﹁娘が帰って来た、お客に来た﹂つうで、
喜んで家中で大さわぎしてたんだって。そこへ村の
人が来て﹁ゃああ、実はあれは娘ではない。私がこ
-3-
の自で確かに見たんだから﹂﹁そんなことはない。確
かに嫁にくれた大事な家の娘だ﹂﹁そいじゃ、うそだ
と思うなら、しっぽを出すがな火あぶりにしてみよ
に挙げた話辻、狐が化けるのを偶然闘にして後をつ
けるという展開であるが、人を踊す性悪犯を退治しよう
と出かけてゆく若者︵あるいは在塵︶という設定であっ
たり、動物も狐ではなく躍であったりと、種々ヴアリエ
i シヨンがあり、﹁嫁の剃髪﹂﹁大山詣り﹂と一体化した
内容のものも見られる門口︺。
稲 泊 浩 二 司 日 本 昔 話 通 観 研 究 篇 2 日本昔話と古
とにして創られており、誤って子狐を礁で殺してしまっ
た米屋の門兵衛が、弧の仕返しで内犠共々坊主にされ、
う﹂って、火あぶりにしたけれど、しつぼは出なか
ったって。そいで、娘は死んでしまったって。
﹁確かにきつねだと思ったんだけど、私は人殺し
をしてしまった。生きておわび出来ないから﹂って
死のうとしたら、和尚さまが来て﹁死んだと思って
坊主になって、なくなった人の供養をしてやれ。私
が頭の毛をそってやる﹂って一一一一口うので﹁そいじゃ、
坊主になる﹂つうことで、頭の毛をそってもらうこ
とになったけど、それが、どんなにか痛いんだって。
一本一本ぬかれるほど痛いんだって。毎日一棋をこぼ
さらに披の息子の妻や親までが嘱されて坊主にされると
いう話である。
典﹄は、対応話として﹃西鶴諸国ぱなし﹄の﹁狐酉天
王﹂を挙げるのみで、日本の話と見なしているようであ
る。井原西鶴の﹁弧副天王﹂は、こうした民間説話をも
しながら、剃ってもらっていたら、村の人が来て、
﹁おめえ、そこでいったい何してるんだ﹂﹁じつは、
府﹄﹁解僧卒﹂の類話は、湾北・山西・河南・湖北・険
商・斯江の諸省に、民話として広汎な分布を見せている。
一方、﹁髪剃り狐﹂に対志する話は全く見あたらず、当初
は日本で創られたものかと考えていた。しかし、実はこ
の昔話も、中富と無縁ではなかったようである。仕返し
のために臨して丸坊主にするという話ではないものの、
ところで前稿にも記したが、祁連休﹃中富古代民間故
事類型研究﹄の﹁我今何在型故事﹂の項によれば、円笑
こういうわけで、人殺しをしてしまった。おわびの
かわりに、これから坊主になって、死んだ人を供養
しようと思って、頭をすってもらっているのだい﹁馬
鹿言うな。おめえの後ろにいるのはきつねじゃねえ
か。きつねがお前の頭の毛をくわえちゃあひっぱっ
ている﹂っていったと。
ちょうど、そこはきつねの家で、そこの家の人も
和尚も、みんなきつねだったって。
-4-
次のような記事が北親末の揚街之司格陽伽藍記﹄巻四に
見える。
挽歌うたいの孫巌というものがいた。妻を要って
三年になったが、いつも妻は衣を脱がないで護るの
で、彼はおかしいと患って、その寝ついたのを伺っ
て、ひそかに衣を剥ぐと、長さが三尺もある毛、が生
えており、︹身全体が]まるで狐の尾そっくりであっ
た。巌はこわくなって離縁してしまった。妻は出て
ゆくときに、刀で巌の髪の毛を切り敢って逃げた。
隣人が追いかけると、狐に変わってしまい、追いつ
くことができなかった。
その後、都で髪の毛を切られるものが否三十余人
に及んだ。そいつは初めは女に化け、美しく盛装し
て道を歩いていく。それを見て、にやけて近寄って
ゆく男は、みんな髪の毛を切り取られた。それで当
時、派手な着物をきた女がいると、人はみな指さし
て菰のお化けだと一言ったものである。これは照平二
の盟月のことで、秋になって止んだ0 3︺
この他に、円親書﹄﹃北斉骨一一こなどの正史にも、 人の挺瓦
を切る孤の次のような記事が見える。
高知慌の太和元年︵四七七︶五月半亥、弧魅があら
われて人の髪を切った。時に文明太后が朝廷に臨み、
行いに不正が多かった徴である。
議宗の卸小平二年︵五一七︶、春から都に狐魅があら
われて人の髪を切ったので、人々は驚き恐れた。六
月壬辰、霊太活は髪を切られた者逮を召喚して、崇
訓街尉の劉騰に千秋田川外で鞭打たせた。は太和年
間と同じである。
︵﹃親書﹄巻一
霊徴志・毛晶之撃︶︵同︺
︹武平︺閏年︵五七一一一︶の泰正月・・:この月、
鄭都や井川では狐婦があらわれ、人の髪を切ること
が多かった。︵﹃北斉幸一一回﹄巻八・後、玉紀︶︷行︸
霊徴忘によれば、こうした異変が起こるのは、
朝政が乱れたことによるのであるが、それにしても照平
二年の事件では、被害者は髪を失った上に鞭打ちの飛で、
これでは堪らない。しかし、事の発端は政治の乱れにあ
るにせよ、狐は何故人の髪を切るのであろうか。これに
ついて藍接説明してくれる資料は、今のところ見当たら
ない。ただ、明太平御覧﹄巻二五一ニ・職官部五一・督郵に
載る﹃列異依﹄の記事は、参考になるように思われる。
﹃列異伝﹄は、説の曹不一あるいは晋の張薬の作と伝えら
-5-
代の郡の役人で、管轄の県・郷の督察などをつかさど
れる志怪小説集で、ここに引かれているのは、督郵︵漠
文は﹁究千人﹂となっている。一方、狐魅に関する記事
しまっている。しかし、もとをたどれば彼等の御先担も、
やはり中国に住んでいたのである。
か。日本の﹁髪剃り狐﹂は、単に仕返しの為に人の頭髪
を剃り落とすだけで、可惜その驚くべき利用法を忘れて
を持ち去ることには変わりなく、人の頭髪を剃る狐の話
の起源は、この辺りに求められてよいのではないだろう
の﹁髪を切る﹂は、原文いずれもが﹁戟髪﹂﹁故人髪﹂な
どとしており、髪な新ち切ったのであって、出刷り上げた
訳ではなさそうである︷打︺。しかし、いずれにしても髪
る︶の劉伯夷が狸︵ヤマネコ︶の妖怪を退治する話であ
る。劉は巡察の際、泊まるなと忠告された旅館に敢えて
宿をとる。そして剣そ抜き帯を解いて身構えていると、
半部を拙訳でしておこう。
怪しい物が忍び込んでくるのであるが、左には、その後
:夜になって具様な物が現れ、そろそろと近づく
以上、﹁大山詣り﹂をめぐる考察の補足として、 丸坊主
にされる話を取り上げてみた。
ところで、筆を摘くに当たって、小首を傾げる事柄が
ある。それは中国における﹁髪剃り弧﹂のその後である。
狐が人を臨す話は、中国には古今にわたって数多く残さ
れている。しかし先に挙げた北朝期の資料の後、人の髪
を切る弧の話は文献上では全く途絶えた感があり、管見
では階窟以蜂の例を探し出すことができない︵♂。これ
は、一体何故であろうか?気にかかる謎として掲げ、
識者の教示を待ちたい。
-6-
と、不意に佑夷に覆い被さった。佑夷は、いきなり
立ち上がるとそれに挟をかぶせ、常で妖怪を縛り上
げた。声をあげて明かりをたのんで照らしてみると、
一匹の赤患で毛のない年経たヤマネコだったので、
火で焼き殺した。明くる日、楼屋のなかを間開けて見
ると、その妖怪が殺した人の髪の東が数百もあった。
こうしてその寵は平穏になった。古くからの言い伝
えによると、ヤマネコは千人の髪を剃り落とすと神
となることができるという。︷泌︺
このヤマネコの妖慢は、﹁神﹂となるために人を殺して
髪を奪っている。とすれば孤も元々は、おそらく同じ目
的で人の髪を切ると考えられていたのである。
なお右の狸の記事では、﹁千人の髪を剃り落とす﹂の原
四
九九四年増檎改訂版︶によると、﹁坊、支の遊び﹂は上方落語
東大溶諾会編苫唱補溶諸事典﹄︵青蛙一房、一九六九年初版、
では﹁坊主茶屋﹂または﹁散髪茶屋﹂といい、﹁ゅうべの客は
あわて者や、頭をまちがえて帰りやはった﹂とサゲる。
なお、この噺は別名が多く、同世一闘は﹁隠れ遊び﹂﹁剃刀﹂
﹁坊さんの遊び﹂﹁坊、五の女郎買い﹂などを挙げる。
﹁粗忽長屋﹂のあらすじは、次の通り。
出 版 、 九 七 五1 一九七九年︶に収められている︵第七、十
﹃笑府恥は内閣文庫所蔵の明刊本による。﹁解僧ホヤいの原文
二、十五巻︶。
は次の週一り。
一卒営解罪僧赴成。僧故結、中道醇之以酒、取刀則前九其首、
脱己索反継而逸。次おナ卒籍、求僧不得、自磨其首、活然発
也。市索又在攻、乃大詫臼、僧故在比、我在那畑出去了。
日本語訳は、松校茂夫編訳﹃歴代笑話選﹄︵平凡社・中関古
刷出一苅郷﹃応諾録﹄、総南彦一司駒大賛﹄は、いずれも玉利器司歴
典文学大系、一九七O年︶によった︵一一二七頁︶。
訊ねてみると行き倒れだという。人瓶一をかき分けて死骸を
間話は、一六三頁および二七九真に見える。前稿では、祁連
代笑話選﹄︵上海古籍出版社、一九八一年︶に選録されている。
休﹃中国古代民間故事類型研究﹄の﹁我今何在型故事﹂︵下僚
八七二1 八七六頁︶所掲の資料をもとに、﹃応諾録﹄の﹁僧
在﹂のみを挙げたが、これに明笑賛﹄を追加する。
松平千秋訳明一段史﹄︵岩波書店・文庫、一九七二きでは、
増えてしまった﹂と図怒する係の者にお構いなしに、時限五
。
気
一
八
一
一
上冊二三五1 一
一
一
クス﹄︵問朋舎、一九八八年︶の八九回﹁俺は誰か﹂︵五六八
②家に帰った男は、女一房一に、どこの坊さんか、と一吉田われ、
た男は頭に手をやり、自分が誰か分からなくなる。
⑦若者が友だちを酔いつぶし、髪を剃っておくと、尽覚め
頁︶。話の内容は次の通り。
て﹂と死体を抱き上げたものの、﹁死んでるのは線かに俺だ
作地﹄の﹁女郎﹂。いずれも武藤禎夫編冨刷本大系﹄︵東京堂
九五︶﹃わらふ鰻﹄の﹁寝坊へ文政七年︵一八一一四︶刊﹃新
刊司軽口機嫌嚢﹄巻二の﹁水にうつる面影い、寛政七年︵一七
矢野氏が挙げる嚇本所収の類話は、事保十三年︵一七八二︶
けれど、抱いてるのは一体どこの誰だろう?九
一術関浩二﹃日本昔話通観第二八巻昔話タイプ・インデッ
郎は死体と対面。﹁ゃい、俺!情けない姿になりやがっ
郊にむりやり納得させられ、現場にやってくる。﹁変な人が
いた熊五郎、﹁死んだ心持ちがしないいというのだが、八五
に飛んで帰り、隣の熊五郊の一戸を叩く。寝惚け娘で話を開
て確かめさせるからいと、周りが止めるのも関かずに長還
覗いた八五郎、﹁これは熊の野郎だ!いま当人を連れてき
粗忽者の八五部が浅草を通りかかると、何やら人だかり。
4
5
6
7
-7-
;
1主
2
3
窪仁鶴﹁韓国昔話のタイプインデックス﹂︵﹃韓宿昔話の研
やはりおれではなかった、と出てゆく。
分ではないと思う話。トムソン﹃民話の話型﹄の 1 3 8 3に
の問にスカiトを短く切られた婆さんが、目覚めてこれは自
年︶も、嘗てドイツで開いたとして次のような笑話を取り上
よれば、この殺の話はヨ!ロツパに広く分布しているようで
①健忘症の人と僧が同じ旅館に治まった。
げている。﹁ある悶力が満員の旅館で、黒人と相部屋で治まるこ
究﹄弘文堂、一九七六年︶所載の五四一一﹁健忘症の人﹂︵一一一五
②僧は相手が健忘症が激しいことを知り、 限っている間に
とになった。ところが黒人は夜中に、熟睡している男の顔を
ある︵四一二頁︶。季羨林ご個流伝欧渡的笑話﹂︵﹃季羨林文
禿一頭にし、自分の笠と般を着せてから、 朝早く発ってしま
翠で真っ黒にしたよ、その荷物を混んで逃げてしまう。抑制に
回真︶。これは次のような内容で、﹁解抽出卒﹂の翻案であるこ
った。
なって目覚めた男、﹃黒人はここにいる。だが俺は一体どこに
集第八巻比絞文学与民間文学﹄江藤出版社、一九九六
。彼は震が覚め自分の様子をみて、僧はここにいるのだが
行っちまったんだろうワ﹄﹂
とがよく分かる。
自分はどこへ行ったのか、と探し回っていた。
ロたとえば、山形の話などは次のような内容である。
日 明 日 本 昔 話 通 観 第 8巻栃木・群馬﹄四一一=一一1四三回頁
アアルネ Hトムソン﹃民謡の話型﹄の 1531A ﹁毅を剃ら
れ髪を切られた男、自分が分からない﹂︵四三八頁︶は、スペ
ただ、話のあらずじは紹介されていない。また卜ムソン司民
はその名を覚え、船頭に化けてそれぞれの協守宅に行き、
金華山参りに出て道中で話していると、その話を隣いた狐
狐寝に人を坊主にする床震狐がいた。猶下の人が五人で
間文学のそ一ナイーブ・インデックス﹄によれば、インドにも
なれ﹄との透ぎだったいと伝え、五人の姿を尼にする。参
イン、セルボクロアチアにこの話が伝わることを指摘する。
この話は伝わっているようである。︵第殴巻二ハ八亥 J 2 0 1
2、 J 2 0 1 Z I− −3を参照。︶
った人が帰ってくると、途中に村人が待っていて、﹁猶下が
ぷ加がかえってお宅の主一人が死に、﹃他へ行かぬように尽に
話の内容を剃髪以外にまで広げれば、中務注が示す資料の他
ω
るので、五人はよ山の髪床で髪をおろして村へ帰る。五組
大火で、大勢亡くなり、残った人は坊主になった﹂と告げ
ジエイコブス著、木村俊夫・中島直子訳﹃ヤラリi ・ブラウ
の夫婦は顔を合わせて、はじめて狐に化かされたと知った。
−
ン﹄︵悶朋金?没界民話童話翻訳シリーズ④イギリス民話集日、
︵当日本昔話通観第 6巻 山 形 ﹄ 五 四 七1五回八頁︶
にも、類話はまだまだ探し出せそうである。たとえば、 J
一九八一年︶の﹁日大変だ!﹂︵八0 1八一貰︶は、居眠り
-8-
8
9
吋洛m
m伽藍記﹄の原文は次の通り。周視護﹃次回陽伽弦記校
之。明日後視機屋院、得舷所殺人髪結数百枚。 於日定芦 T
遂消
当然のことながら、報して観念させるか眠らせるか、あるい
静。答説鐙党千人得一筋神山山。
η
⋮︵中華書局、一九六三年︶による。
有綾歌孫綴、婆妻三年、安不脱衣市臥。巌悶怪之、伺其
同その他の資料としては、﹃北史﹄巻八・斉本紀下や円通志﹄
はヤマネコの場合のように殺害してしまわない限り、絡手を
巻一六・北J
d紀、明文献通考﹄巻一ニ一一・物呉考一七・毛滋之
降、陰解其衣、存毛長一ニ尺、似野狐足、緩慢市出之。妻続
後京口巴被裁髪者、一百三十絵入。初鑓成局婦人、衣服説敗、
呉、﹃山西通志﹄巻二ハ一了祥異などに狐魅︵狐問問︶の記事が
丸坊主にできよう答がない。
行於道路、人見而悦近之、皆被談髪。意時有線人着綜衣者、
見えるものの、いずれも﹃貌会﹄﹃北斉書﹄の一得録である。ま
去、終刀裁綴髪市走、燐人逐之、愛成一狐、追之不得。其
人訪日指震狐魅。照平二年四月有比、五秋乃止。
すまし、強盗を働いた老女の話であるが、これも北斉の武一半
は庭・護維議明広古今五行記﹄︶は、剃刀を持って狐般になり
た、﹃太平広記﹄巻ニ八八・妖妄部一所載の﹁郭城人﹂︵出典
なお邦訳は、入矢義高訳吋洛陽伽藍記﹄︵平凡社・中国古典
文学大系、一九七四年︶によった。
は原文は次の返り。中筆書局点校本による。
世間祖太和元年五月辛亥、有狐絞故人髪。時文明太后路朝、
なお、人髪を切る狐の記事については、主青﹃西域文化影響
年間の出来事と記されている。
粛宗照平二年、自春、京師有狐魅殺人髪。人組驚恐。六
下的中古小説﹄︵中国社会科学出版社・唐研究基金会叢書、二
行多不正之徴也。
月壬夜、翠太后召諸裁髪者、使崇一訓徹印刷劉勝機之於ヂ秋門
で紹介した範闘を出ない。ただ、主氏が民間伝敢にも見られ
がある︵一一七四頁︶。しかし、挙げられている文献資料は拙稿
O O六年︶の第五寧第一一一節﹁中古狐径故事﹂に、すでに論及
c中華窪田局点校本による。
外、事部太和也。
一口原文は次の返り
︹武平︺凶年春正月:::是月、郭都、井州並存狐娘、
ると記しているのが気にかかる点であるが、ア乃通﹃中国民
間故事類型索引﹄、文伯薬︵ぎにEggGHats
ユ︶﹃中国民開放
多数人髪。
ば山中薬害局刊行︵一九六O、一九八五年︶の宗本﹃太平御覧﹄
一等類裂﹄、祁連休﹃中患古代民間故事類型研究﹄のいずれにも、
こうした話は見えない。
影印本に拠り、句読を施して、該当箇所の原文を示しておく。
:・夜昨吋有異物、品矧精斡近、忽来覆伯夷。伯夷屈起以扶掩
之、以地市繋魅、呼火照之、視得一老狸色赤無毛、悼付火焼殺
-9-
1
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