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同年8月号 - 日本記者クラブ
﹁九 党 党 首 に 聞 く ﹂ と い が 、 お 変 わ ーー あ り ま せ ん か 、 . よ う な 蒸 し 暑 さ が 続 い て いま す 山崎隊長 ( 文察 警 民)初 の 公 式 会 見 顎 f) 蓄 あ け し如 く極 丼 の来 た り け り ︹ 星 野 七月 は う ク ラ ブ の総 力 を 挙 げ た 行 事 を こ 長 い 梅 雨 が あ け る と 、 U﹁く も 瀧 秋 。 短一い W 星と は い いな が ら 、 冷 夏 な し た だ け に 、 そ の 後 の催 し が陰 た。 し か し、 士 で 、 互 いに 相 互 依 存 を し て いる ﹂ ﹁日 米 共 に グ ロ : バ ル 経 済 の .員 コ ス ト さ ん は 、 お 別 れ 会 見 で、 ミ ス タ ー ・外 圧 と . 召わ れ た ア マ 濃 いも の にな りま し た 。 ま し た が 、 いず れ も 極 め て 中 身 の れ 、 昼 食 会、 会 兄、 囲 む 会 を 行 い ボ ジ ア 派 遣 文 民 警 察 隊 .長 と そ れ ぞ ア マ ン 、 ニ レ 八 日 11 山 崎 裕 人 カ ン 十 瓦 日 11 川 淵 一 .一 郎 ・J リ ー グ チ ェ 大 使 、 卜 四 Hー孔魯 明 韓 国 た 使、 .日 1 ー ア マ コ スト 米 に か く れ たよ うな 印 象 を 与 えまし にな ま った 身 体 に は 、 耐 え ら れ ぬ 〔7.12旨 コ ス ト 牧'くf吏 の 才∫辱1∫ オしニセ兄 叫1身 び》`農力、・ノ式:アr詔 発 行 ⑭ ㎜ 東 京 都 ﹁ 代 田 区 内 幸 町 ニ ノニ ノ 一 日 本 記 者 ク ラブ 日本 プ レ ス セ ン タ ー ビ ル 鳴杜団 法 人 電 話 .九 〇 三 1 .一 七 ..二 ( 代 ∼ ー ルなど 各室 の貸 し 出 しを し てお ります 。 あ く ま で、 会員 の皆 さ ん の便 宜 を 図 っ て の た め で す か ら 、 貸 室料 も最 低 に抑 え てあ り ま す 。 ﹁ク ラ ブ 利 用 に 関 す る お 願、い ﹂ を ず から 制 限 が あ ります 。 詳 し く は し た が って 、 貸 し 室 利 川 に は お の ヒ いう こ と を 強 く 訴 え ま し た し 、 以 ﹂ 過 去 にと ら わ れ ず 真 の未 来 指 が 、 次 の場 合 に は 貸 室 を 禁 止 し て お 読 み い た だ き た いと 思 い ま す ① 会u 貝で な い方 の み に よ り 利 用 向 の 関 係を 築 き あ げ る と き が 来 見 の 詳 報 は 、 六 H 付 の記 録 版 で お し よ う と す る 場 合 、 ② ク ラ ブ の会 いま す 、 手. 兀に 届 け さ せ て い た だ き ま し た 事 業 を 達 成 ・遂 行 す る た め に 利 用 員 で な い 特 定 団 体 ・法 入 の 目 的 ・ ま た 、 川 淵 チ ェ ア マ ンも ス ポ ー 動 ま た はそ れ に類 す る 活動 を 行 う し ようと す る 場 合 、 ③営 利 的 な 活 え る 問 題点 や、 今 後 の抱負 を 語 っ た め のも の で あ る 場 合 . 、 な が な が と 、 こ ん な こ と を 壮口い わ れ か ね な いと 警 察 庁 が 慎 重 に な ど 、 話 を す れ ば 、 政 略 の道 具 に 使 一人 に 費 い犠 牲 者 を 出 し て い る な 帰 国 が 選 挙 戦 の 真 っ最 中 。 隊 員 の P K O の山 崎 文 民 警 官 隊 長 は 、 メ ン バ ー ズ ・テ ー プ ル に 会 ” 貝以 外 れ る た め で す 。 昼 の レ スト ラ ン で し て部 屋 を 使 う 例 が ち ら ほ ら 見 ら が行わ れ た り 、 会 員外 に又貸 し を い、 営 利 目 的 と し か 疹 え ら れ ぬ 会 って、 セ ミ ナ ー 、 講 演 会 な ど を 行 た の は 、 最 近 、 高 額 の参 加 費 を ヒ り 、 初 め て詳 し い話 を クラ ブ でし ご 注 意 く だ さ い。 の方 を 同 伴 す る こ と も 違 反 で す 。 さ て、会員 の皆 さ ん には、 ク ラ (専 務 理 事 自木東洋 ) て も ら う こ と に な った も の で す 。 し ま す。 ま し た。 会報 の今 、 来 月号 に掲載 て く れ 、 慨 め て 面 白 い内 容 にな り ツ マ ンら し く 率 直 に J リ ー グ の抱 の で 、 お 読 み く だ さ い、 た L レ一 力説 しま し た 。 . 両大使 の会 新 任 の孔 大 使 は ﹁韓 日 . 両国 が こ れ 8月10日 号 第2麗 つ 1993年 1:'ド7」 史5舞 ブ・ 王催 ” 仔事 に 支 障 が な い 限 り 、 ホ (1) 日本 記 者 クラ ブ 会 報 第282号 1993年8月10昌 書 いた 話 南 極大 陸1 書 か な か った 話 三 度 行 く 奴 は ﹁愚 か 者 ﹂ 巳 は ﹁結 果 が 悪 け り 考 え込 んだ 。 結 論 て、揺 れる 船 室 で ヤ ン スを 与 え ら れ の模 様 を 追 った 。 ッチ ャ ー ボ ー ト に 乗 り 移 り 、 捕 鯨 な 魅 力 を 知 った 。 合 間 を み て キ ャ 臼 い大 陸 を 望 み 、 南 の 果 て の 壮 大 てか ら は い。 当 た って 砕 け 時 に は 、 海 や 極 地 に向 く 男 に な っ 翌年 初 夏 、 神 戸港 に 帰 って きた ﹁ 宗 谷 ﹂ の 二 人 に 付 いて ゃ選 ん だ 方 が 悪 ろ ! ﹂ と いう こ と に は 白 瀬 知 和 と いう 入 が乗 り 組 ん そ の後 第 一 、一 次 の隊員 と な り 、 昭 和 [水 本 社 は 役 員 会 を 開 いて 、 急 で いる こ と を 知 った。 北 大 水 産 学 和 基 地 へ 行 った 。 身 分 は 文 部 技 瀬 て いた ら し い。 社 会 部 長 は 、 社 内 昭 和 三 十 年 十 二 月 六 B 、火 曜 日 。 な 申 し 入 れ を 了 承 し てく れ た 。 結 部 の実 醤 生 で 、 二 卜 四 歳 。 南 極 の 官 、 報 道 以 外 の主 な 仕 事 は 、 力 作 深 にし た。 入 社 二 年 生 の私 は 泊 ま り 明 け だ っ 果 を報 告 し た あ と は、映 画 でも 兄 先 駆 者 白 瀬 轟 中 尉 の弟 の 孫 と い う 業 の “足 軽 人 足 ” だ った 。 の南 極 隊 員 候 補 の 一人 に 、 私 を 加 た。 社会 部 長 の斎 藤 正 躬 さ んが、 て 帰 ろ う か と 、 独 り者 の の ん き さ 人 であ る 。 白 瀬 中 尉 は 、 明 治 四 十 さ ら に 二 代 目 砕 氷 船 ﹁ふ じ ﹂ の 間も なく こ の船 先 輩 の長 谷 川 広 栄 .記 者 と 私 を 呼 ん で 社 に戻 った 。 と こ ろ が 社 会 部 長 乱 年 ﹁開 南 丸 ﹂ で ロス海 か ら 大 陸 き た ころであ る。 宮 島 丸 は 日本 水 南 極 へ の関 心 が 急 速 に 高 ま って で 帰 って 、 驚 く 父 に ﹁半 年 は 帰 っ 穀 通 帳 が 必 要 だ った 。 う ち に 飛 ん あ のころ は 、 な にをす る にも 米 り始 め る 。 知 和 さ ん と の巡 り 合 い な れ ば 、 仕 事 は よ い方 向 へと 転 が と、奇 縁 に 心 か ら感謝 した 。 こ う こ い つは 最 初 か ら 縁 起 が い いそ 初 め て 来 る も のは 冒 険 家 つに 分 か れ る 。 こ ん な と こ ろ は ま っぴ ら だ 、 の 二 行 った ら 病 み 付 き と な る か 、 も う 体 験 さ せ て も ら った 。 南 極 は .度 えた。 で、 こう ・ 暫 . 口った 。 ﹁君 が 行 く ん だ ﹂ と 言 った 。 処女 航 海 であ る第 七次 隊 に 、 今 度 は に入 り 、 南 緯 八 〇 度 五 分 に 立 っ て は同 行 記 者 と し て三度 目 の南 極 を ﹁あ さ って 大 阪 を 出 る 図 南 丸 船 ﹁装 備 な ど は 夕 方 ま で に 整 え て ﹁大 和 雪 原 ﹂ と 命 名 し て い る 。 団 の宮 島 丸 に 、 う ち の記 者 が 乗 れ 産 の 冷 凍 船 で 、几 、四 〇 〇 ト ン。 翌 て来ま せん か ら﹂ と告げ た。 夜 行 が、 今 日 に 至 る ま で の 長 い南 極 と 二度 目 の 奴は探 検家 お く。と にか く 、 急 げ﹂ 年 始 ま る南 極 観 測 の 砕 氷 船 ﹁宗 谷 ﹂ で 大 阪 に 行 き 、 翌 日 ﹁船 員 手 帳 ﹂ の付 き 合 い の 始 ま り だ った 。 る よ う に交 渉 し て き て く れ ﹂ の重 松機 関長 、 山 本 航 海 長 が、 捕 調 査 に 出 か け る こ と は 知 って い き 抜 ける中 、 船 は動 き出 し た。 さ 八 日朝 、 六 甲 お ろ し の寒 風 が 吹 さ ん の話を 聞 いた。南 極海 に 入 っ 風圏 を 突 き 切 った 。 こ の間 、 知 和 海 のふく ら みを 南 に下 が り、 暴 か者 の資 格 を 得 た こと にな る。 れ て い る 。 私 は救 いよ う の な い愚 と いわ を 手 にした 。 た 。 こ の二 人 に 記 者 を 同 行 さ せ た て ど う な る こ と か 。 一本 立 ち の チ 三度 目 か ら は愚か者ー 鯨 船 団 に便 乗 し て 南 極 周 辺 の事 前 いと いう 指 示 だ った 、 (2) 第282号 1993年8月10日 第282号 1993年8月10日 る 。 幼 少 の名 は 知 教 と い った. 卜 郡 金 浦 町 の浄 土 真 宗 浮 蓮 寺 であ 臼 瀬 中 尉 の実 家 は 、 秋 田 県 由 利 知 行 の. r、 第 十 六 世 住 職 知 燈 が 伯一 く 、 次 男 の知 行 が 作⋮ 職 と な った 。 し 長男 とし て寺 を 継 ぐ意思 は な め 、 南極探検 を 成 功 させ た。 し か こ の教 え を 守 り 、名 を 蔽 と 改 を 知 り 、 大 い に 驚 いた も の だ 。 前 に、 ガ ン に よ る 急 逝 と いう 計 報 た 。 と こ ろ が そ の竣 丁 式 の 一週 間 念 館 の初 代 館 長 に な る と 聞 い て い 世 に出 した 。 そ し て兄 が建 て る 記 フト 犬 は 糞 を 好 ん で 食 べ る . 糞 を 天 し た ア ザ ラ シ が脱 糞 す る 。 カ ラ いる と こ ろ を 犬 が ほ え か か る 。 仰 の糞 で あ る 。 ア ザ ラ シ が 休 息 し て そ の 結 論 と いう の は 、 ア ザ ラ シ ◇ 歳 の こ ろ か ら 師 の 教 え で ﹁互 物 断 大 阜 業 後 、貨 物 船 の 航 海 L と な り 、 ロ、 ジ ロの ビ ッグ ニ ⊥ー ス に 恵 ま の生 存 を し て いた カ ラ フ ト 犬 タ 真 冬 は 沖 の方 に いて 基 地 周 辺 に は げ ら れ た 魚崩類 。 ベ ン ギ ン は 南 極 の あ と は タ イ ド クラ ック に打 ち L が高 か った . 調 べる と 魚 の小骨を 含 ん で栄 養価 父 の蔽 を 尊 敬 し て 境 内 に 銅 像 を 建 ◇ ち ﹂ を した。 .一、 煙 草 を 喫 う べ か ら ず そ の後 郷 甲 の教 育 委 員 会 に 入 り 、 れた. 東京 か ら は ﹁ ど う や って 生 . 小在 、 と い う こと に な った 。 コ. 次 隊 の 時 、 鉦⋮ 入 の基 地 で 奇 跡 一.. 、 茶 を飲 む べか らず 昭 和 圧 レ 几 年 に L-七 世 を 継 い だ 。 き 抜 いた か を 書 け 、 匿 界 中 が 注 目 て た。知燈 の. rが知 和さ ん で、 北 四 、 湯 を飲 む べか ら ず 平 成 .[ 年 に は 金 浦 町 に ﹁白 瀬 南 極 し て いる ﹂ と の 訓 電 が く る の だ 上野 の国 立 科 学博物 館 内 に、 はく .、 酒 を 飲 む べ か ら ず 丑 、 寒 中 火 に 当 た る べ か らず 探検 記 念 館 ﹂ を 完 成 さ せ て が 、 会 誘 が で き な い犬 の前 で 途 片︾ 製 と な って いる 。 組 ん で 西 岡 り 世 界 一周 計 画 る 京 子 さ ん は 、 男 性 ..入 と 明 、 ﹁ 頭 が 生 存 し て いた こ と に な 鎖から放 れ、う ち 六頭 が行 方 不 衰 弱 死 、 八 頭 が な ん ら か の方 法 で 京 都支 局 五四 .九 二 九 年 大 分 社会部 長 現 編集 局長 常 務 理事 な ど を 歴 任 整 理本 部 長 サ ン写真 新 聞 を 経 て か ず み会 鼓 タ ロは 北 大 植 物 園 内 に 、 ジ ロは いる . . に暮 れ た 。 をた て て いた 。白 鴎 号 は 丑 る 。 共 食 い の事 実 はな か った 。 基 ふか せ 市生ま れ 編集 委 員 年共同 通 信 入社 長 左阪支 社 長 在 ( 株 ) 共 同通信会館 専務 取締 役 書 か な か った 話 (3) これ よ り 先 昭 和 閃 卜 四 年 昭和 基地 に 残 さ れ た のは十 五 頭 月 に江 の島 を臨 てイ ンド 地 で成 長 し た タ ロ、 ジ ロ の 兄 弟 は の雄 。 ヒ 頭 が 鎖 に つな が れ た ま ま 洋、大 西 洋 を 経由 、 難関 マ 基 地 を 離 れ な か った のだ ろ う 。 基 地 が い わ ば ふ る さ と で、 だ か ら 年 八 月 の 帰 国 だ った。 三 次 の越 冬 隊 員 と 丘 次 越 冬 の 生 物担当 松 田達 郎 隊 員 ( 前 国立 極 地 京 チ さ ん は 、 そ の後 原 へゆ く 1 私 の 自 瀬 蔽 ﹂ タ一 研 所 長 ) ら が 生 存 の 謎 を 追 った 。 讐 いた 謡 出 版 、 多 く の新 し い資 料 を ﹁雪 ゼ ラ ン海 峡 を 突 破 し た . 翌 さ ん と 会 っ た G ヨ ット を 操 正 月 に 、 知 和 さ ん の妹 京 r 箏'耗`櫨 セ壁多) σ1'{和34∫F2月 」 舟合長 「可こ 防∼f乏{ノ1つ と 舷}本 曜{和 【.基土也 て・の7kF刊 ワー キ ングブ レ ス 野 党 ・自民 党 総 裁 官 番 記 者 に と って も 激 動 の期 間 は 、 河 野 氏自 身 は当 然 、 官房 長 総 選 挙 開 票 日 か ら の 一週 間 余 り 一転 、 新 総 裁 へ. 七 月 十 八 ロ の 内 閣 の ”幕 引 き ” 官 房 長 官 か ら に 指 名 さ れ ま し た﹂ 。宮 沢 ﹁河 野 洋 平 君 が 自 民 党 新 総 裁 か ﹂ と せ っ つく の に 対 し . そ の で は 、 我 々 が ﹁い つ 表 明 す る の 出 る こ と があ る 。 首 相 辞 任 問 題 く 質 問 に は、 態 度 に あ る ク セ が は 決 し て つか な いが 、 核 心 を つ ば 、 河 野氏 は取材 に対 し 、 ウ ソ 少 の 取 材 テ ク ニ ック を 明 か せ 意 向 は 固 く、疲 労 の色 も 濃 か っ 説 得 を 開始 した が、 後 藤 川氏 の 裁 選 出 馬を 固辞す る 後 藤 旧氏 の 淡 々。 首 相 の意 向 も あ って 、 総 こ の こ ろ の河 野 氏 の 口 調 は で 、 そ の可能性 を 明 確 に否 定。 任 を 共 にす る 官 房 長 官 と の理 由 所 へ。 番 記者 も 河 野 氏 の車 と カ ス ト ラ ンか ら 永 田 町 の個 八暫 務 と 集 ま り相 談 。 さ ら に 飯 倉 の レ ヒ の 事 務 所 に 仲 間 の議 員 十 数 八 た 。 東 京 ・赤 坂 の 堀 内 光 雄 代 議 の 周 辺 が慌 た だ し い動 き を 見 せ 十 八 日未 明 にかけ 、 河 野 氏や そ 姿 を 現 し た 河 野 氏 は 口を 真 一 河 野 氏 の姿 を 待 った 。 人 事 務 所前 で午前 二 時 過ぎ ま で ー チ ェイ スを 演 じ 、 永 田 町 の個 そ の 河 野氏 に ﹁オ ヤ ッ﹂ と 思 た。 端 々 か ら 、 懸 命 に辞 任 を 回 避 し わ せ る 変 化 が見 ら れ 始 め た の は、 ク セ が 全 く 幽 ず、 そ の 一 ず 雨艇 の ﹁総 選 挙 公 示 前 の 二 、 白 二卜二 よ う と し て いた こ と を う か が わ 一. 十 六 日 . 物 言 い が ﹁( 自 分 から と な った 。 議 席 を 確保 す れぱ 、 と りあ え ず せ た。 文 字 に 結 び、 浅 黒 い顔 を 厳 し く 引 き 締 め た ま ま 。 ﹁決 意 し た ﹂ と 感 じ さ せる の に十 分な 表情 だ 氏 ら の 必 死 の続 投 工 作 に も か か 党 内 実 力者 まわ り な ど 、河 野 そ の背 景 には、後 藤 田 氏 か ら河 ん L か ら ﹁分 か り ま せ ん ﹂ に . 手 を 挙 げ る こと は V あ り ま せ 験 を 生 かし、 自 民党 を 政 権党 と ・ 田ク ラブ代表 と いう 野 党 党首 経 こ と が 確 実 な 中 、 か つ て の新 自 党 と な り、 政 冶 が 混 迷 を 深 め る 後 藤 田 氏 の逆 説 得 った 。 渡 辺 氏 と の戦 い の 末 、 誕 生 し ら 、 官 房 長官番 記者 の取 材 の焦 わ ら ず 、 首 相 は 一. 十 二 日 の党 両 野 氏 へ出 馬 の 逆 説 得 が あ り 、 宮 し て 再 生さ せら れ る か、 河 野氏 典 占⋮ も 、 首 相 の正式な 辞 任 表 明 の 院 議 員 総 会 で辞 任 を 明 確 に表 沢 派 以 外 に 三 塚 、 河 太﹁両 派 の 一 の前 途 は多難 だ。 康 時 期 に 集 ま った 。 明 . 後 藤 川副 総理 か、 渡 辺前外 部 か ら 、 後藤 田氏 不 出 馬 な ら河 野 し か し、 河 野氏 は 退 陳 そ のも 相 か 、 はたま た橋本 元 蔵 相 か1 野 支 持 の出 馬 を 要 請 す る 動 き が 松 安 泰 ﹂ と さ れ て いた 宮 沢 首 相 . . だ が、 自 民党内 では 最 終 結 果 が 確 定 す る 前 か ら 、 .宮 沢 お ろ し ” の 嵐 が吹 き荒 れ 始 め 、 これ を受 け て、 翌 1 .兀 目 の 各 マ ス コ ミ は ﹁宮 沢 首 相 、 退 陣 ﹂ の オ ン のを 否定。 ﹁ 自 民 党 に 厳 し い選 の焦 点は後継 総 裁 選 び に移 た 河 野 総裁。 だ が 、 自 民党 が野 挙 で、 公示前 議席 以 ﹂ の結 果を 茨 バ レ ー ド に。当 然 の こ と な が 出 し た 首 相 がな ぜ辞 め ね ば な ら ・ へ. 八年 か ら 政 治 一丸 八 四 年 産 経 新 あ った 。 河 野 氏 は 盾 間 に 深 いし やす の り氏 肖柑官邸 ク ラブ担 当 祉会部を経 て 現^ ま つの 部 聞 入社 った。 そ し て、 二十七 口 深 夜 から 二 す る 様 子 が あ り あ り だ った 。 わ を よ せ 、 口数 も 少 な く 、 苦 慮 な い﹂ と. 、 口い続 け た 。 河 野氏 が・ E宰 す る 勉 強 会 ﹁大 勇 会 ﹂ で 出 馬 を 示 唆 し た と の情 ( 宮 沢 派 )担 当 記 者 と な った 約 一.年 半 前 か 報 も 流 れ たが、本 人 は 首 相 と貞 河 野 氏 は宏 池 会 ら、 重 . 要 な 取 材 対 象 の 一人 。 多 (4) 第282号 1993年8月10日 ワー キング プ レス 金丸 事件 初 公判 金 丸 被 告 側 に配慮す る こと で落 テ レビ の加 盟 十五 社 に は か り、 守 る よ う 責 任 を 持 つ、 ヘリ な ど が 代 表 者 を 現場 に 派 遣 、 粂 件 を 話 し 合 いを 亟 ね 、 当 日 は 各 団 体 外 国一 報 道 協 会 と ク ラ ブ の六 者 が、 ぶ り に 姿 を 兄 せ た か つ て の政 界 出 し た 車 を 追 い、 照 準 は 、 丘 力 11 そ し て ⋮ . . 再 び カ メ ラ は 動 き が い った ん 消 え た 。 レ ビ カ メ ラ の視 界 か ら 車 の映 像 そ ろ そ ろ と 進 む 、 何 か を 悟 話 を 持 ち 帰り、新 聞、 通 信 、 ヒ 月 二 十 、.日 に 闇 か れ た 自 民 ち 芸胴い た 。 と こ ろ が 、 こ れ が ま も 扱 いは 同 じ 、 と 決 め た . 撮 影 の ド ン に 合 わ さ れ た . 車 椅 チ は 撮 影 を 、 途 中 で スト ッ フす る 党 前 副 総 裁 、 金 丸 信 被 告 の初 公 と ま った あ と で 、 逆 に 次 々と 閏 は 、 金 丸 被 告 の 乗 っ た 市﹁が 停 止 し た 時 点 で中 断、動 き 出 し たら よ う な 表 情 の 金 丸 被 告 , 市rの 到 . 判 。本 入 の 出 廷 を め ぐ り 、水 面 ド .題 が 浮 ト し た リ ク ラ ブ 加萌 ㎜社 以 外 の メ デ ィ ア 、 再 ⋮囲レ﹂ い ・ 、ー .紳 卜 協 古止ρ 亭一 自L 着 か ら 建 物 に 入 る ま で 、 こ の 問 こと が 、 妥 当 かど う か では 、 司 法 記者 ク ラ ブ で も 初 め は 条 件 を 守 れ る のか、 雑 誌 な ど 的 に 守 って も ら う こ と に な ”た 。 った , った 発端 は こう だ。 に 乗 り 換 え シ ー ンが 載 って も ク て の微 妙 去 ぼ話γ レ八ロい が 、砂概 い た 。 東京 地 裁 、高 裁 、最 高 裁 を 抱 当 日 、地 裁 駐 唯 場 に は 、テ レ ビ 例 を 作 った こ と が は た し て ビ う を 重 ん じ て 、 ”中 断 ” ヒ い う 前 こ の H の最 大 の ヤ マ場 の撮 影 .. 卜 .一. 秒 だ ラ ブ は 責 任 を 負 え な い 、 ヘリ か 各 社 の中継 用一 アン ト 村 が で き 、 .分 え る こ の ク ラ ブ で は 、 大 キ、な 裁 ら の空 撮 な ど 裁判 所 の許 、 吋が い わ ず か 判 の 初 公 判 や 判 決 の際 、 幹 事 社 が, 刑 事 裁 判 では 被告 弁 護 団 、 民 事 では 当賢 者 双方 と 入 廷時 間 だ った の か 。 課 題 を 残 し た の か 九 十 三秒 が 残 し た も の の 調 整. を す る。 一今 回 、 た ま た ま ∼Uー)オ し航 ホ﹂ 亀㍉ ﹂ ' 則 幹 嘱 と し て 交 渉 の矢 面 に壷 た さ 和 弁 護 団 によ ると 当初 、 金 丸 酸 す る の か 、 ス ト ップ の 合 図 は だ ら な い エ リ ア か ら の撮 影 ほ ど う 十 .︼分 , .} 百 を超す 報 道 入 が待 ヒ 空 力㌧ヘ リ が 舞 う 、 午 山 朋八 畔 四 田 ﹁も は や 臥 間 に 姿 を さ つ中 、 . r定 ・0り 八 分 ロTく 神 告 自身 は れ が 出 す の か、囮会 の証 人 喚 問 金 丸 被 告 ら の乗 った 申 二 は . 難 し い注 文 が つ い た 。 ら し た く な い﹂ と 、 入 廷 場 面 の 時 の 衛 視 の よ う に 報 道 人 が ×を 台 が 、東 玄 関 に 到 着 し た 。 撮 影 を 固 辞 し て いた ヒ いう 。 し つく る の も いた だ け な い⋮ 、 さ テ レ ビ 各局 のオ ン エ ア画 ﹁公 の ㍍. 場 にあ っ ら に昨 年 、 狙撃 さ れ た金 丸 被 告 面 が 、 地 裁 か ら の中 継 に かし 周 辺 か ら た 身 と し て そ う も いく ま い﹂ と へ の警 備 L の 対 応 も か ら み 、 複 カ メ ラ 、空 撮 ⋮。車 が 止 説 得 さ れ た。 た だ 保釈 後 、体 調 裁 判 所 当 局も 交 じえ 、 東京 写 ま った 、 そ の瞬 間 、 フ ラ 切 り 替 わ る, 地L か ら の かか え ら れ て卓椅 子 に乗 り移 る 真 記 者 協 会 、 テ レ ビ ニ ュー ス ・ ッ シ ュ の洪 水 が 止 み 、 テ 雑 を 極 めた 。 瞬 間 は 撮 影 を 止 め て ほ し い、 と 映 画 協 会 、 目本 雑 誌 協 会 、 在 口 を崩 し て お り、乗 用車 か ら抱 き 条 件 が 示 さ れた。 入阪日会 部な ど を経 て かず 力り氏 瓦 .年 司 法 ク ラ プキ 旧 .,7 かん た 現在 聞・ へ村 TB S へ 金 真L カ メ ラ の 放 列 ノ)中 を 入 廷r5る れ た の だ が、金 丸 弁 護 団 か ら ♪ .圧 八 .一 年 纏 日新 (」 旦 誕1【,∼ ・1}ト 〔7.22}'lj『 弄 皮1㌧ 第282号 1993年8月10日 ワーキングプレス 奥尻震災取材 崩 れ 落 ち て き た 膨 大 な 土 砂 の下 に H に 増 え て い った 。 裏 山 か ら で 、 L 空 を 舞 う カ ラ ス の数 が 日 黙 々と ス コ ッ プ を 振 る う 現 場 重 機 がう な り、 消 防 団員ら が た の を 、 顔 見 知 り に な った 島 民 た 。 世 話 に な った 一家 が 全 滅 し 借 リ た商 店 ー み ん な 消 え て い 門晶 剛払 い を 食 った 民 家 、 、電 話 を 前 回 の取材 で 道を 尋 ねた食 堂 、 に 入 った 。 炊 き 出 し の 悪 評 は いく ら で も 耳 れた. さ ﹂ と 声 を 投 げ つけ ら に な ら ん き ゃ いか ん の ラ マ ン。 復 活 し た 町 営 握 り飯を 催 促 し た カメ 選 挙 の 話 だ と あ ん な に 口 の固 浴 場 に 最 初 に 入 った 記 か ら聞 かき れ た。 も れ て いる . .集 落 が ま る ご と 消 か った 島 民 が 、 津 波 の 模 様 を に 、 ホ テ ル ンニニ十 入 近 い 客 が 埋 え た廃 嘘 の端 っ こ で 、 津 波 を 生 狭 い島 に マ ス コ ミ と 自 者 。避 難 所 の 電 話 占 拠 。 語 る。肉 親 が流 さ れ た、家 が消 衛 官 があ ふ れ た 。 交 通規 制 で、 誰 の た め 、何 の た め の 思 い も (デ}苗 地1ズ:7.141 い て 、 だ れ の た め 、 何 の た め り・ と いう 思 い が 頭 を よ ぎ る の は 、 な ぜだ ろう 。 本米な ら 、 被災 者 と救 援隊 し か いな いな ず の 現 場 に 、 ご っそ り と た む ろ し 、 ヘリを 飛 ば し 、 は、何な ん だ ろう 。存 在す る 不 本 住 民と報 道 機 関 と 救 助隊 を例 外 存 在ー 。 山 リ ぽ つり と 語 ら れ る 内 容 の重 さ に し た ら 全 員 が 通 り抜 け た 、 と 牧 え た 、 目 の前 で 火 が 出 た 。 ぽ つ ﹁ぜ ひ 聞 い て く れ ﹂ と ば か り に き の び た r ウ サ ギ が 一匹 、 ク ロ ー バ ー キ﹂ 食 ノん弟㌦い た 。 北 海 道 南 西 沖 地 震 の つ い 一.週 間 前 、 総選挙 の連 載 企 画取材 で 奥 尻 島 を た ま た ま 訪 れ て いた 。 ﹁あ そ こ は 海 沿 い 、 地 震 発 生直 後 の 騒 然 と し た 編 集 局 内 から、 こ こ は高 台 ﹂ と 集 落 や 公 共 施 設 う や っ て も つ な が ら な い集 落 が に 、 メ モ を 取 る 手 が 止 ま った 。 メ シを 食 う マ ス コミ と いう も の あ る。 そ こが津 波 で消 えた村 だ だ 男 性 が いた 。 て ね え ﹂ と 避 難 先 の 竃 話 で叫 ん り 固 いも の に 変 わ って い た 。 た 。 し か し 、 島 民 の表 情 は か な 気 ・水 道 が 復 旧 し 、 食 事 も と れ 興 も 、 深 く 重 い中 身 を も って い る 。 個 々人 の 体 験 も 、集 落 の 復 も な い出 来 事 捜 し に熱 中 し て い い い話 、 面 白 いネ タ 、 と ん で 信 じ る し か な い。 が で き る の か も し れ な い。 そ う と き 、 こ の空 虚 感 を 埋 め る こ と の立 場 を 超 え て 会 話 が 成 り 立 つ 島 の八 た ち と 、 単 な る 伝 達 者 翌 日 昼 、 ヘ リ 一番 機 で ヒ 陸 し ﹁知 ら ん 。 他 で 聞 い て く れ ﹂ と いう の は 本 当 だ 。 十 [後 、 再 び 訪 れ た 島 は 、 電 た 。 よう やく 借 り た 車 にガ ソリ る 。 素 材 は い く ら でも あ る 。 時 本祉幣 理部 な ど を 一瓦八 一年北 海 道 新 ﹁マ ス コ ミ 旭川 報 道 部 現在社 会部 遊軍 聞入社 経て まき氏 繰 り返す 漁協 職 員 。 点 に いる の だ と 感 じ る 。 そ れ で やまもと ン が な い。 三 十 回 ダ イ ヤ ル し ﹁何 で あ ん た ら の メ シ の 種 いを す る 。 実 に 素 朴 な 取 材 の 原 折 、 他 紙 に 先 を 越 さ れ 悔 し い思 は、 か﹂ と ぼやく 町職 員 . 避難 所 で に は 本 立ロを 言 っ た ら い か ん の った 。 ﹁俺 ん 家 さ ﹂ 台 し か 残 っ を 選 んで電 話を か け 続 けた。 ど ヴ レ キ の 中 に 航 つ 宮 沢 首 相.と 記 者'団 て 、 や っと つな が る 電 話 。 宿 は 休 業中 の民循 に頼 み 込 んだ。 白 い 飯 は 、四 目 目 の 昼 に 実 現 し た 。 (6) 第282号 1993年8月10日 弘 行 田 岩 氏 が 新 内 閣 の抱 負 を 柚 間単 に 述 べた テ レピ カ メ ラが遠 巻 き に囲 む。同 疏 った キ ャ ン ベ ル氏 を 、 記 者 団 と 下 、 ガ バ ン メ ン ト ・ ハ ウ ス の前 に 初 の 記 者 会 見 が あ った 。晴 天 の 宵 誓 就任 式終 了後 、 首 相 とし て 答 え る スポ ッ ト と 時 聞 が 設 け ら れ 僚 や 、 有 力 議 員 が 記 者 団 の .質 問 に 事 が 終 わ った あ と 、 首 相 以 外 の 開 の が慣例 にな って いる。ま た、 議 団 が 待 って い る と 、 質 問 に 応 じ る リ 、 議会 に出 入 リ す る首相 を 記 者 ー ビ ス に 流 す か 、 ニ ュー ス リ リ ー と き は 、 ニ ュー ス ・ワ イ ヤ ! ・サ 行 わ れ な い。 発 表 し た い 件 が あ る 大 ニ ュー ス を 除 け ば 記 者 会 見 は は 欠 か せ な い都 市 だ 。 って、 ト ロ ン ト も 取 材 場 所 と し て など国 際会 議 も 時 折開 か れ る と あ スを 緊 急 配 達 業 者 や フ ァ ック ス を て いる 。 目 本 の 記者 ク ラ ブ の よ う な シ ス あ と は、 自 由 に質 疑 応 答 が 展開さ れた。 使 って 特 定 の 報 道 機 関 に 送 る 企 業 ワ には 筆 者 は ト ロ ン ト の支 局 勤 務 。 オ テ ムはあ ま りな いよ う だ が、 オ タ は 、 英 語 と フ ラ ン ス 語 が 人 り交 じ いう 組 織 が あ る 。 常 駐 の会 員 は 三 タ ワ で の 政 治 取 材 は H常 的 に は で カ ナ ダ で の会 見 の 最 人 の 特 徴 一 .て 登 場 す る こ と . 記 者 が 英 語 で 百 六 十五 人 程度 。 オ タ ワにオ フ ィ き な い が 、 政 治 の ﹁ビ ッ グ イ ベ ン 機 関 も 入 会 で き る と いう 。プ レ 長 宜 会 見 の よ う に 内 閣 の スポ ー ク 経 済 機 能 は 最 大 の都 市 、 が中 ひだ が、 カ ナ ダ の 政治部 ゆき ひろ 氏 しば し ば だ。 いわた ⋮ . 年. . . 月か らト ロント気局 記名 経 済解 説部 を 経 て 新 聞・ 八村 耗 .托 八 一 . . 年 日本 経 済 一時 間 の オ タ ワ に 足 を 運 ぶ こ と も ト﹂ があ る と き は 、航空 便 で 片 道 が多 い よ う だ 。 質 問 す れ ば 英 語 で 、 フ ラ ン ス語 で ス を 持 ち 、 メ ン バ i 礼 の惟 薦 な ど ﹁プ レ ス ・ギ ャ ラ リ ー ﹂ と コ碍 ね れ ば フ ラ ン ス 語 で 稜nえ る の 職 に就 く よ うな 人 物 は 、. 両国 語を ス ・ギ ャ ラ リ ー の 掲 示 板 を み る .定 の 条 件 を み た せ ば 、 外 国 報 道 .巧 み に 使 い こ な せ る こ と が 条 件 に と 、 そ の 口 の 政 府 の発 表 がわ か が 、 通 例 に な って い る . 、 政 府 の要 な る わ けだ . り 、 記 者 会 見 の前 に は 放 送 に よ る ど 多 く は な い。 H 本 の 総 理 番 記 者 こ のよ う に 政 治 、 政 た だ 、 首相 の記 者 会 見 は それほ 後 、 正 式 に首 相 の座 に つく た め 、 の よ う に ︼日 中 、 首 相 の 動 静 を 追 策 の取材 は首 都 オ タ ワ ス マ ン が毎 日会 見 す る こと も な ト ロ ント に集 中 し て い 案 内 もあ る。 宣 誓 就 任 式 は オ タ ワ の ガ バ ンメ ン う 仕 組 みは もち ろ ん な いし、官 . 房 式 の 始 ま る 午 前 十 一時 前 に キ ャ い。 政 治 家 の生 の声 を 聞 く う え る。 カナ ダ最 大 の証券 る。 ンベ ル氏 のほか、 新 内 閣 の閣僚 も で 、 重 要 な 取材場 所 は 連 邦 議事堂 行 も 活 動 の中 心 拠 点 を 続 々 と 到 着 。 多 く の 閣 僚 が妻 . rを ﹁オ ン ・ザ ・ス テ ア 取引 所 を持 ち 、 大 手 銀 同 伴 。 し か も 手 を つな い で 玄 関 か 議 事堂内に 内 だ。 ト ・ ハウ ス (総 督 官 邸 ) で 行 わ れ カ ナ ダ では総督 の前 で宣 誓 した 就 任 し た。 女 性 首 相 に キ ム ・キ ャ ン ベ ル 氏 が 今 年 六 月 .一レ 丘 H 、 カ ナ ダ 初 の 特 徴 は英仏 語 の 混在 ﹁家 族 ﹂ を 大 事 に 構 え る。 四極 通 商 会 議 17) カナ ダ 1魏. ら 入 って 来 る 。 : ズ ﹂ と いわ れ る 特 定 の場 所 が あ カ ナ ダ初 の 女性 首相 と して 宣 誓 す る (29) す る こ の国 ら し い光 景 だ 。 等Vp 〔 氏25}砥 キ ヤンペル氏 第282号 1993年8月10日 マイ ケ ル ・ア マ コ スト 大使 駐日米国 離 Hを 一週 間 後 に ひ か え て の お 別 れ 会 見 , 四 年 間 の 在 任 中 、 毎 年 .回 ﹁赴 任 ク ラ ブ で の会 見 に 応 じ た 。 こ の 日 の 記 念署 名 に添 え た 唱 . ”葉 は 、 後 、 初 の ,公 式 発 一 菖 の機会 をヶ え て く れ 、 そ の後 も 友 情 と と も に 、 U 本 国 民 に語 り か け る 場 を 与 え て く れ た こ と に 感 謝 す る ﹂。 ﹁八 月 短 いあ い さ つ の 後 、 卜 四 八 の 目 米 両 国 の記者 の質 問 に答 え た。 十 二 日ま で は 国 務 省 の入 間 な の で ﹂ と 言 葉 は 慎 重 だ った が 、 包 括 経 済 協 11 本 報 道 も 、 ★ 日米 の 報 道 いず れも 質 的 に 向 上 ﹁米 マ ス メ デ ィ ア の 目 本 側 の 米 国 報 道 も 、 量 、 暫ハ とも に 向 上 し て き て いる。 前 向 き な 報 道 が 多 く な った 。 両 国 政 府 と も 相 手 側 の ﹁経 常 黒 字 が G D P 比 で 二 議 に つ い て ”成 果 重 視 ” で あ る こ と を 強 調、 % 程度 に縮 小 す る ことを 期 待 す る﹂ と. また 、 年 二 回行 わ れ る こ と にな った 首 脳 Aム談 は ﹁そ う し た 成 果 を レ ビ よー で き る 場 にな る ﹂。 ア ジ ア 地 域 の安全 保 障 閾 題 で は、 .部 で 軍 備 増 強 が 進 ん で い る こ と を ﹁新 外 委 員 会 委 員 長 を 歴 任 、 今 年 .丘 月 に 駐 11 k 使 に .正 式 着 任 し た 、 金 泳 一.支 民 大 統 領 の進 め る 教 べ ん を と る 。 後 任 の モ ン デ ー ル氏 帰国 後 は 、 スタ ン フォ ー ド 大 学 で て 受 け と め た う え で の統 一、 ③ 一層 外 交 の展 開 、 ② 北朝 鮮を 同 伴 者 と し k主瞭 我、 人 権 な ど に基 づ い た 積 極 的 交 ﹂ 路 線 に つ い て、 日 、 米 両 国 と の に つ い て は ﹁経 験 豊 か で 思 慮 深 く 、 の経 済 の 開 放 と 国 際 化 の 促 進 、 の . 一. 南 ア ジ ア 諸 国 な ど 関 係 国 で 対 話 の場 ユー モ ア も あ る .絶 対 に い い 人 で す 。 点 を 強 調 し た. 孔月 の着 任 時、 孔魯 ★孔 子 の 末 え い の韓 国 大 使 ﹁交 渉 を や ら せ て は 韓 国 外 務 省 一 のやり 手﹂i 明大 使 は各 紙 でこう紹介 さ れ た。生 ま れ は 、 いま は 北 朝 鮮 の成 鏡 北 道 明 こ ろ 、 孔 f の ヒ ト 几 代肖 日 の占 木え いと 川 。 六 卜 .歳 。 応 接 室 で 確 認 し た 、 二 い う 。 正 十 四 代 11 の 光 阻 が 中 国 か ら 高 麗 に 渡 っ た の だ そ う だ 。 H 水・ 語 に た。 昼 食会 ) J リ ー グ ・チ ェア マン (7 ・14 堪能 .会 見 はす べてU本 語 で行 わ れ 三郎 築 を 訴 え 、 そ のた め に は 、 過 去 の 固 辛 口 の マ スメ デ ィア 批 判 か ら スビ 川淵 初 代 の 駐 ソ 連 、 ロシ ア 大 使 を 務 め 定 観 念 を 捨 て、 政府 レ ベ ルだ け でな ー チ に 入 っ た が 、 ユ ー モ ア た っぷ ま た 、 未 来 指 向 型 の韓 H 関 係 の 構 た後、 外 交 安 保 研究 院 長 と し て南 北 く 国 民 レ ベ ル で の交 流 促 進 が 重 要 だ り。 大 き な 声 に身 振 り 手 振 り で.発 駐 日韓国 大使 高 級者 会 談 の代 表、 南 北 共 同 核 統 制 と 二. 口う 。 た び た び表 面 化 す る 過 去 の 足 時 の 苦 労 や 将 来 の夢 を 語 った . レ スに 開 放 さ れ た こヒ は、 日 本 のプ 日 本 の ﹁記 者 ク ラ ブ ﹂ が 外 国 プ 国 の 識 者 が 下 田 会 議 のよ う な も の を 対す る 認 識 に問 題 があ る﹂ と し 、 両 ス の 例 を あ げ 、 ﹁日本 国 民 の 歴 史 に ント ラ ー ズ が 初 代 チ ャ ン ピ オ ン に。 の 中 、 第 一ス テ ー ジ を 終 え 、 鹿 島 ア 当 初 の 心 配 を よ そ に 大 フ ィ ー バー レ スに と って も ブ ラ スを も た ら す も ﹁最 後 ま で プ ロ化 を 迷 った チ ー ム が 、 セプ ト を 達 成 し てく れ た 。 感 謝 し た 設凱 す る こ とも 、問 . 題解 決 に つな が のだ 。海 外 に お け る H本 の メ デ ィア 中 であ る こ とを 明 か し た。 地 域 に 根 差 す と いう J リ ー グ の コ ン れば いいのだが⋮。 清 算 問 題 に つ いては、 ドイ ツと ナ チ 孔魯 明 妻 と 同 じ ミ ネ ソ タ 出 身 で す か ら ﹂と 。 協 力 関 係 を 基 礎 にし た上 で の 、① 民 ﹁米 国 、 ロシ ア 、 中 国 、 東 昌㍉F口 暫134八. を 持 つこ と が必 要 だ﹂ と 語 った。 懸 念 し、 8・1≦}【 「i木 厚 務 珂 い聾 ると 述 べ た 。 現在、 そ の作 業 が 進 行 ア マ コ スト 大 使 ) のア ク セ スを 担 保 す る はず ﹂ (7 ・12 (8) 芋 也 田.薫 'ド尾 真fI巨ゴ. 世 論 に、 よ リ 積 極 的 に は た ら き か け '}1犀 辟F56人 石 川 彊」偵隻・委鼓 通訳 て いく ぺき だ。 政 治 問 . 題化 す る 前 懇1}炎 三 含 司会 糞こ≦セ ノ}q{毛 7.14〔 食会 ∫1}{ら 7.12〔 に、 市 民 レ ベ ル で の 理解 が 深 め ら れ 蓄1∼ 詮…し 委 員 pi会7鯨 】》 7.19け ト ス ゲ ブ ラ ク 第282号 1993年8月10日 出1,暫ll7入 第282号 1993年8月10日 終え 、 七 月 八 [ に帰国 、 初 の公 式 会 口 会議 報 告 口 第 胴 回 企 画委 員会 兄 に臨 ん だ 、 ﹁い ろ いろ な こ と が あ い﹂ と 。 こ の 先 卜 年 間 で . チ ー ム数 を ト 六 り す ぎ て 、 ま だ 総 括 で き て い な い﹂ ︹7 ・9 (N T V の新 委 員 の紹介 斎 藤 委 員 長. 村 ヒ 、 ド 村 、 岸 雨 ) 徳田修造 代表取締 役社 長 取 締役 社 長 長 ︹ 新 ) 佐 久 間 婦 .. 代 表 取 締 役 社 H本 衛 星 放 送 (旧 ) 桑 田 弘 一郎 の各 委 眞 。 田 、 ヒ ル シ わ,1 、 村 野 、 友 川 、 斬 ル 宮 山 、 黒 川 、 横 山 、広 渕 、 宮 智 、 岩 根岸 、 千 野 、 秋 山 . 藤原 、 前 田 、 小 井、 北 原 、 . .. 森 、 田勢 、 . 石 川 (荘 ). 出席 こと にし た 。 の後 、 今 後 の 企 画 に つ い て 協 議 。 政 横 山 井浩 川 勢 康 弘 (11 経 ︺、根 岸 昭 正 ( 産 経 V、 宴会 場一 一部 八 月 U ヴ、 九 月 号 の 編 静 果に つ いて 協 深 川 委 員 長 。松 井 . 村 ヒ 、 梅 大会議室V 加 藤 委 員 長 。豊 岡 、 田 所 の 各 (法 人 会 員 代 表 変 更 ﹀ 理 事 ・社 長 代表取締 役 社 長 デー リ ー 東 北 新 聞社 ( 新) 新 山博昭 (旧 ) 佐 藤 信 . 、. 谷 口利 雄 名 古 屋 タ イ ム ズ社 (新 ) 札 幌 テ レ ビ放 送 m ) 山本達雄 ︹旧 ) 上口⋮ 川昭 夫 惇 務 理 事 ・事 務 薪 ) 伊坂重孝 修 四国 放 送 日本 新 聞 協 会 ( 新) 浅 野 局. 長 ( 新 ) 三 谷 昭夫 山川年栄 (旧 ) ︹ 旧) 石川良彦 代表 取締役 社 長 全国 朝 日 放 送 ( 新V 伊 藤邦男 ︹7 ・即 に 増 や し た い と コ[う 。 ヒ 前 羅 き し て 、 カ ンボ ジ ア で の 活 議 し た。 局関 連 で は 、 状 況 に応 じ た タ イ ムリ 第 幽 回会 報 委 員 会 リー グ のド に 、 卜 六 チー ムで 二 部 を 動 、 犠 牲 と な った 高 川 隊 貝 の 事 故 を 出席 ー な 企 画 が 実 現 でき る よ う 準 描 す る C ホ ー ル} つく る 。 成 績 の 悪 い チ ー ム は ド に ビ 振 り 返 り 、 へ-後 の P K O 活 動 に つ い 川 の各委 員 , コこ れ ら ん ど ん 降 ろ す ﹂ と 厳 し い, 外 人 枠 の ても . . . . 目及 し た ワ 第 酬 回 会 員 資 格委 員 会 ﹁ム上/ \考 ・ え て いな い。 外 人 選 ﹁文 民 警 臨小 ﹂ が P K O活 動 を 行 う (7 ・田 拡・ 人は の は 世 界 で も 二 度 H . ﹁危 険 か 安 全 一徴侃 の選 手 と の 試 合 を 通 し 、 自 信 を つ け かを 中 心 に 報 道 さ れ て いた よ う だ し 、 理 夢 会 へ答 巾 し た 。 〒 γ の 役⋮ 割 は U 本 選 手 の 育U 成 . 超 て い って ほ し い ﹂。 が、 そ れ は . 市 巳 な 議論 、 危 険 で 当 た 出席 田 友 緒 刻 、日 錫 ー 水 28 会 席 ρ 乱 . 口 祠汀 ・ 八 月 . 目 付 の Aムロ 只 入 退 ムム浄 }由 番⋮へ目 ︹ス ピ ー チ 蔀 . 分を 今 号 と次号 に . 分載 ) り前 と い う の が 国 際 社 会 の 常 識 だ ろ カ ン ボ ジ ア 派 遣 文 民 委員 。 裕 人 話 が 高 田 警 視 の 事 件 に な る と 、 11 ル な ど の 訓 練 を や る べき だ ﹂ と 、 後 は最 悪 の状 態 を 想定 し て サ バイ バ 定 の責 任 を 果 た す ニ ヒ は 必 要 だ . 今 う 。 国 際 社 会 の π 只で あ る 以 ﹂ 、 一 山 崎 警 察 隊 長 昨 年 ﹁月 . 警 察 官 ﹂ 卜 κ 人 と と も に カ ンボ ジ ア へ 、 初 の P K O 活 動 を ★ 足 で稼 い で 記 事 に し てく れ/ 調 が .層 静 か に な る . ﹁自 分 の 、 . 日葉 が .入 歩 き し て 諜 解 を 与 え た り 、 特 ﹁日 本 の メ デ f ア の 報 道 の 仕 方 の 特 徴 は・ 不 ガ テ f プ ・ク リ テ で シ ズ 思 う ﹂。 に遺族 を傷 つけ る のが恐 い。 メ モ な ) 瀧 ム. 、そ れ で も 、 徹 底 的 に 取 材 し た 記 氏 会 し で生 の言 葉 で話 す のは避 け よ う と 川 淵 ⋮.. 郎 八 肝 唱 に は. 耳 を 傾 け る が、 そ う で な い ヴパ カ冨ヤ ロ ー め 仔 レ い・ り﹂ よ・ '-な も の は 相手 に し な い。 だ か ら、 現 場 の 記 昔 には 足 で稼 い で 、 記事 にし て く れ 、 ヒ、 肖 って い る 、 最 近 の 若 い 記 者 は 、 記 事 を く れ る の が 当 た リ前 と 思 ・ .て ・ 19 いる よ う だ 。 皆 さ ん 方 の教 育 が 悪 い の 渥尾レ リ 旧心・り (繁入 )﹂ (7 (9) ト ス ゲ ブ ラ ク 各党党 肖 大 内{民 挫,の 皮 〔jlξ 産}、 ◇ 開 催 日時 牛・ 後 臼 民、 社 七 月 .一 日 ( 金 ) 0 時 ⑳ 分 ∼ 3 時 20 分 第 一日 目 午 後 ◇ 第 二部 ど に、 出席 者 は、 現 役 . 優 先 でプ レス各 ◇ 出席 者な ど 集 委 員 、根 岸 昭 正 産 経 政 治 部 長 。 の結果 、第 社 に人 数 が 割 り 当 て ら れ た 。 そ 企 画 委 員 会 や Aム場 描 席 者 か ら 集 め ら れ た 質 問 亭噛 も と に、 ク ラブ 一日 目 出 席 暫 .四 八 側 代表 質 問 者 と 、 各 党首 と の質 人 、第 ..“ 目 一二 四 人 。ス チ ル は L ) 写 直バ記 苦目 協 ムム幹 事 社 八 社 と 外 [ 趨 ヒ 月 三 旦 会 、 公 明、 共 産 、 民社。 疑 応答 。 第 一. H 目 ◇ 司会 、 代 表 質 問 者 新生、 さき が ー 時 ∼ 3 時 30 分 両 日 とも生 中 継 。 民 放 各 社 は通 関 係 四杜、 ラ ジ オ は国 会 民放 ク 常 ニ ュー ス 番 組 に 、こ れ を 使 用 。 一部 、二 部 を 通 し て の 司 会 は 、い け. 社 民連 、 日 本 新。 ( 開 始時 刻 の相 違 は総 理 目 程 の (T B S 報 道 セ ン タ ー 副 部 長 )。 ラ ブ の代表 取 材 , テ レビは N H 二 部 の代 表 質 問 者 は 次 の 五 氏 。 一% 、 二 部 丘 N H K の 視 聴 率 は 二 日 一部 七 ・ K が代表 で一 .︼ 台 の カ メ ラを いれ 、 伊 藤 三 郎 朝 日 編 集 委 員 、岸 井 成 格 HK解 説 委 員 ) と 川 一 -■恵 r さ ん に 分 け て 使 い 、 第 .回 発 . . 口は 選 各 党首 卜 分 の 持 ち 時闇 を、 二 回 毎 日政 治 部 編 集 委 員 、 老川 祥 一 ず れ も 企 画 委 員 の前 田 一郎 氏 (N ﹁ 一部 関係 ) 挙 に の ぞ ん で の 各 党 の・ E張 。 ◎第 巡 後 . 残 り 時 間 を 第 .一 回発 . 丁 員に 読 売 政 治 部 長 、 田 勢 康 弘 日経 編 八 ・四 % 、 二 部 七 ・五 % 。 ・ .% 、 三 日 一部 当 て、批 判 、 反 論 、追 加発 誌 な (10) 第282号 1993年8月10日 1993年8月10日 2rl目=羽 川 噺 第282号 生1、 武 村 〔さ き が け)、 論 戦 の 前 に 並 ん で揮 ご う一 大内氏 宮 沢氏 「今 年 こ そ 政 治 を 変 え る 」.羽 江 田(社 民 連) .細 「威 武 イ`能 屈 」.山 旧氏 川 田 佗氏 「温 故 創 新 」,試 本 新 〉の 各 党 党 首 ・代 責 「曜 呼 西 懸 」,fl川 村 氏 「志 」,細 川 氏 氏 「.一新!、 「い ま」,江 1日 伺波氏 川氏 目=宮 沢 些臼 鱒 』 山 花[社 会)1石 旧 〔 「歴 史 は 入 間 が つ.く る 」、 「民Lk義 ク.♪ フ'.ノ 〕マ..ク 」 を か た ピ ー}ノこ 文 鎮 を 角交 孟毎FP「鉢!.ζカ ・ド唄 曽 る 代 表 のカメ一 ゐー ン 司 会 者 、 質 問.昔 ら ヒ1踊ilの 打 ち で}わ せ (7階 新 聞 協 会 役 員 室} (1D 川 淵 三 郎 Jリ ー グ チ ェ ア マ ン を 囲 む会 か ら (上) こ と を 言 わ れ て き た か と いう こ と を 取 リ L げ て み そ う い う 練 翌 や っぱ り や っ て み る か ﹂ と い う 気 に いか﹂ た 後 、 も う ち ょ っと こ う い う ふ う に 練 習 し て み な っと シ ュ ー ト の 確 率 が 高 く な る よ 。 だ か ら 終 わ っ た い。 多. 少 批 判 め いた と いう か 、 そ う いう 話 に な な る 。 ス ラ イ デ ィ ング ・タ ック ル し て 、 相 手 に 見 あ る い は そ の 前 段 か ら こ こ ま で 、 ど う いう ふ う な る か も わ か りま せ んけ れ ど も 、 そ の辺 は 分 か り や 事 に抜 か れ て し ま って も 、 ボ ンと 手 を 叩 い て 、 ﹁そ う だ な ア 。 す く し た た め と い う こ と で ご 理 解 いた だ き た い。 ﹁い や 、 い ま の タ ッ ク ル は 凄 く 良 か っ た 。 し か し って 言 わ れ る 。 そ う な る と ・ク リ ﹁シ ュー ト を 枠 に 入 れ ん ﹁パ カ ヤ ロ ー ソ、 お 前 、 何 度 言 っ た ら 分 か る ん と 思 う け れ ど も、 ち ょ っと そ れ を 練 習 し て み よ 込 ん で 、 こ う や っ た ら 、 タ ッ ク ル は 一発 で 決 ま る 間 合 い で 、 慌 て て 行 か ず に 、 こう いう ふ う に 追 い ・ア シ ス タ ン ス の 二 種 類 普 通 、 コー チ ング の 法 に は 、 ネ ガ テ ィ ブ テ ィ シズ ムとポ ジテ ィブ ﹁し っ か ね え 、 こ う いう 状 況 の と き に 、 も う 少 し こ う い う か ア 、 枠 に 。 こ の バ カ ヤ ロ ー ッ﹂ と か 、 う ﹂ と . 言 う 。 そ う ⊃. 同わ れ る と 、 自 然 に があ り ま す . リ ボ ー ル を 止 め ろ ッ. 何 だ ッ 、 そ の タ ッ ク ル は 。 そ う だ な ア。 よ し. ぜ ひ や ってみ よう ﹂ と な る 。 だ 。 い い加 減 に し ろ ッ﹂ あ ん な タ ック ル し た ら 敵 の ポ ー ルを 捕 れ る わ け な こ れ が ポ ジ テ ィ ブ ・ア シ ス タ ン ス で す ね . ﹁ウ ー ン 、 い じ ゃ な い か ッ﹂。 こ う い う の が ネ ガ テ ィ ブ ・ク リ テ ィ シ ズ ム で す ね 。 皆 さ ん な ら 、 部 .ト に 向 か っ と いう こ と で 、 う か が わ せ て い た だ き ま し た 。 で と 秘 書 に 朝 言 った ん で す が 、 ど う も そ う ヒ や な い ら 、 今 日 の 私 の 会 合 は 中 止 に な る ん じ ゃな い か 、 う 。 こ う いう こ と は . 簡 単 に 粗 末 に 詐 い た 字 か ど か る ん だ ﹂ と いう よ う な こ と に な る わ け で し ょ れ い に 鼓Hか ん か 、 バ カ ヤ ロ ー 。 何 べ ん .. 目っ た ら 分 て 、 日 本 人 が そ う な ん です ね 。 大 体 批 判 的 な こ と が 好 は な ぜ か と い う と 、 皆 さ ん が 悪 いん じ ゃ な く て 、 と ん ど ネ ガ テ ィ ブ ・ク リ テ ィ シ ズ ム で す よ 。 そ れ 日本 の マ ス コミは、 皆 さ ん ご . 承知 のよ う に 、 ほ マ ス コ ミ は ネ ガ テ ィ ブ ・ク リ テ ィ シズ ム も 、 あ ん ま り .記 者 の 方 、 来 ら れ な いん じ ゃ な い か う か 分 か るわ け です か ら 、 だ れ でも、 ヒ 司 の 方 は き な ん で す よ 。 一線 の 記 者 が ポ ジ テ ィ ブ ・ア シ ス ﹁何 だ ッ、 お 前 、 こ の 字 は 。 も う ち ょ っ と き な 、 と 思 った ん です け ど も 、 た く さ ん の 皆 さ ん に そ う いう ふう に窩 わ れ ま す で し ょう。 口 本 の 監 ﹁こ ご川 席 いただ き ま し て 、 J リ! グ の話 をす る 機 会 タ ン ス の 原 稿 を 書 いた っ て 、 上 の デ ス ク が 、 督 、 コ ー チ の 多 く は 、 こ れ で き た ん です ね 。 ん な の あ か ん ﹂ と 。 ﹁こ ん な お た め ご か し な 、 ひ わ れ わ れ が ジ ェ ット マ ル ・ク ラ マ ー と い う 人 の 指 導 を 受 け たと き に、 初 め てポ ジテ ィブ と を 褒 め た よ う な 記 事 を 書 い た って 誰 も 喜 ば ん ﹂ ・ア シ ス も 悪 く も 皆さ ん の知 識 の中 に かな り入 って る ん だ タ ン ス と いう こ と を 知 っ た ん で す 。 パ チ パ チ ヒ 拍 って 、 取 り L げ ず に ボ ツ に な る 。 そ れ で 下 は 取 り です ね 。 そ れ が大体 マス メ デ ィア の世界 だ と 、 私 L げ て ほ し いば っか り に 余 計 ネ ガ テ ィ ブ に な る ん 手 を し な が ら 、﹁ヤ ァ ヤ ァ ヤ ァ ー 、 凄 い 凄 い 、 凄 い 凄 い . いま のき み の シ ュー ト は 凄 い。 で も 、 も う ろ う と 思 いま す 。 し か し 、 今 日 は 出 来 る だ け 知 ら え ー 、 今 日 は ち ょ っと 切 リ ロ を 変 え ま す 。 マ ス ち ょ っと こ ・ '2 い う ふ う な 角 度 で こ う 打 っ た ら 、 も な い 人 に 的 を 絞 っ て 話 し て み た いと 思 いま す 。 大 体 J リ ー グ に つ い て は 、 いろ ん な 意 味 で 良 く を 与 え ら れ ま し た こ と を 光 栄 に存 じ て お り ま す 。 選 挙 戦 が 終 わ った ば か り で お 忙 し い だ ろ う か 1993年7月19日(月) メ デ ィ ア が わ れ わ れ に 対 し て 、プ ロ化 発 足 の 時 点 . (12) 第282号 1993年8月10日 そ う い う も の が 、 ど う い う わ け か今 ど ち ら か と 八 試 合 全 部 通 し て 拙 た 選 手 は 何 人 し か いな い と い て ど う な の か 。 あ る いは 一 つ の チ ー ム で 、 こ の 十 の 試 合 の 長 年 の実 績 を 踏 ま え て み て 、 い ま と 比 べ ます 。 記事 を くれ る の が 当 た り前 だ と思 って る 記 い 記 者 に は 、 し 、塩っ ち ゅ う そ う い う こ と を 言 っ て じ です 。 常 に足 でか せ い で 記 事 にし てく れ と 、 若 め ﹂ って いう 類 の は 、 初 め か ら 無 視 す る と いう 感 は認 識 し てる ん です よ 。 い う と ポ ジ テ ィ ブ ・ア シ ス タ ン ス に 変 わ っ て 、 J う ん な ら ば 、 じ ゃ、 過 去 は ど う だ った の か 。 ィ ブ な 郎 分 が 皆 さ ん 方 か ら 出 さ れ て く る と 思 いま い ず れ . そ う いう こ と で 、 ま た と ん ビ ん ネ ガ テ つ け な い か ん な 、 と 私 は 思 って ま す 。 と た た き 落 と す 癖 が あ る レ一 聞 い て いる の で 、 気 を L げ て 、 あ る 一定 の と こ ろ へ い ”た ら . ド シ ャ ン 過 程 に あ る も の は 、 ど ん ど ん そ う いう こ と で 褒 め よ る と 、 目 本 の マ ス ・ メ デ f ア と いう の は 、 成 . 長 い 凄 い ﹂ って 言 わ れ て ま す 。 ま あ 、 聞 く と こ ろ に った も の が 、 いま だ か つ て 定 撤 的 な のも と し て 紙 試 合 に 対 し て 、 大 体 何 点 人 っ て いる のか 。 そ う い ど う いう 割 合 で 引 き 分 け が 行 わ れ て いる の か . 一 す よ 。 世 界 で サ ド ン デ ス 方 式 は ど う な の か 。 一体 ら え な い か ら 、 サ ド ン デ ス 方 式 を や って い る ん で け り を つ け な い限 り は お 客 さ ん に な か な か 来 て も ら , あ る い は 日 本 に サ ッカ ー が 根 づ く た め に は 、 れ わ れ は 採 用 し た。 11 本 人 は 引 き 分 け が 嫌 い だ か 引 き 分 け 試 合 が 多 いか ら 、 サ ド ンデ ス 方 式 を わ い じ ゃ な い か ﹂。 こ う い う の が 、 フ ロ 化 の 一番 初 大 体 プ ロ に 僖 す る 選 手 な ぞ 、 日 本 に は あ ま り いな の 変 化 が 起 こ る と 思 っ て い る の か , 考 え が 甘 い. で 日 本 の サ ッカ ー が 変 わ る わ け が な い。 選 手 に 何 せ て いた だ き た いん で す , こん な 苫 . . . 日、 い い ッ す よ ね 、 別 に が す ご く 悪 いん だ ろ う と 思 い ま す け ど 。 ﹁凄 す が 、 私 自 身 は 、 も う 根 当 長 い間 サ ッカ ー に 携 わ 面 に 翫 て き て な いん で す ね . 批 判 す る ん な ら ば 、 め に言 わ れ た こと です よ 。 私 臼 身 も確 た る 自 信 は リ ー グ は 、 いろ ん な 意 味 で 排 ち L げ ら れ て 、 って お り ま し て 、 ネ ガ テ ィ ブ に 慣 れ て ま す か ら 、 そ う い う 定 鼠 的 な も の の ﹂. 日い 方 で 批 判 し て ほ し う ぞ ど う ぞ ﹂)。 ﹁ど (笑 ) (司 会 氏 八r日 は そ う い う ネ ガ テ ィ ブ の こ と か ら 、 お 話 さ い。 定 性 的 な も の の 痔 い方 の 批 判 な ん て だ れ に で ロと 言 え る 選 F は . 白 人 は い な いだ ろ う け ど も 、 ま な か った . そ れ は 、 ま あ そ ・ 11だ な 、 と 。 11 本 に プ コ7 ロ に な っ た ぐ ら い て 、 そ う い った も の に 対 処 し て いき た い と 思 い ま も で き ま す か ら 、 ブ ロ のす る こ と じ ゃな い ん じ ゃ あ、 そ の へんは プ ロにな そ う いう 意 味 で . い つも い つ も ネ ガ テ ィ ブ ・ク の も の が 面 自 く な る に 違 い な い。 そ う い う こ ヒ 行 わ れ る か ら . サ ッカ ー も 当 然 変 わ って 、 試 合 そ 対 し て 多 い の か。 サ ッカ ー って の は ケ ガ す る の は う ふう な 閲題 があ りま す ね 。 ー ・)やあ 、 ケ ガ は 何 に しかし、 ﹁何 詩 . 口って や が ん だ い。 こ の バ カ ヤ ロ ー を 持 っ た 記 者 の記 皐 に は 、 真 剣 に 耳 を 傾 け ま す 。 徹 底 的 に 取 材 し て 、 支 援 し て や ろ う と いう 理 解 ー と 今 と は ま った く 違 い ま す ね . そ れ は ボ ー ナ ス .一 年 前 、 こ の﹂ リ ー グ が で き る 前 の 日 本 の サ ッ カ で も 、 現 在 、 ど う で す か 。 サ ッカ ー の 試 合 は 2 〔13) 者 が 最 近 と ても多 く て 、 そ れ は 、皆 さん 方 の教 育 ち ょ っ と の こ と で は や っ つ け ら れ な い。 常 に 心 し す か ら 、 皆 さ ん も ひ と つ 覚 悟 し て 、 そ う い った 批 な いです か. リ テ ィ シ ズ ム ヒ やな く て 、 時 に は 、 ポ ジ テ ・ 、プ ・ った ら 、 当 然 意 識 改 革 が 判 を﹁ )て い た だ け れ ば あ り が た いと 思 い ま す , 定 量 的 な 言 い方 で 批 判 し て ほ し い を 、 そ の と き は 、記 者 の 皆 さ ん に 話 し た ん です 当 た り 前 な ん です . た と え ば 、 過 去 の 日 本 リ ー グ 気 持 ち の持 ち 方 一つ で こ ん な に変 わ る ね 。 で も 、 自 信 は な か った ん で す . ア シ ス タ ン ス も ぜ ひ 入 れ て く だ さ いよ 、 と 言 い た 分 か り ま せ ん ね , た だ 初 め に こ れ だ け ち ょ っと 二肖 (頭 を か き な が ら ) 今 日 は 何 を 話 し に 来 た か れ の側 にも 受 け人 れ る 土 壌 は あ ります 。 そ の と き い た か った ん で、 ぜ ひ そ う い う こ と で 今 後 と も よ い。 に ぜ ひ お 願 いし た い の は 、 定 量 的 な 方 法 で 批 判 し ろ し く お 願 い し た いと 思 い ま す 。 も ち ろ ん 、 皆さ ん の批 判 は 批判 とし て、 わ れ わ て ほ し い ん で す ね 。 た と え ば いま ケガ が 多 い と い 第282号 1993年8月10日 た り と いう よ う に 、 ル ー ル そ の も の が 変 わ った と ス、 勝 ち 点 を あ げた リ、 あ る いは サ ド ンデ ス にし 制 度 、 得 点 を 入 れ る こ と に よ って そ う いう ボ ー ナ び た い ん で す ね 。 そ う い った こ と が 、 い ま ﹄ リ ー る か ら、も う 一べ ん 、 も う 一べ ん と そ の 拍 手 を 浴 ん が柏 手を さ れ る 。 そ う する と、 選 手 は 拍 手さ れ に 一 つ は ポ ー ル が 捕 れ る と . 八,度 は フ ァ ン の 皆 さ 懸 命 やれ ﹂な ん て . 冨 わ な く て よ く な っ た 。 だ って ガ テ ィ ブ な こ と を 言 わ な く て よ く な った 。 ア ブ レ ン テ ィ ス と 同 じ 状 況 に な った ん で す ね . ネ いま 、各 ク ラ ブ で プ ロのチー ム が 、 イ ギ リ ス の 表 チ ー ムですよ 、 これ が . いう こ と も あ り ま す け れ ど も 、 選 手 そ の も の が 変 グ の 選 手 の 気 持 ち を 高 め て 、 そ れ が ま た い い試 合 ク ピ にな るん だ か ら 。 も ・ 11試 合 に 畠 し て も ら え な 生 わ った ん で す 。 も う こ の プ ロ で 自 分 が 活 躍 で き な に 繋 が って いる ん で す ね 。 . つ . つの 練 ﹂ い限 り は . 後 の 生 活 が な い。 試 合 に 出 ら れ な い限 いん だ から。 そ う いう こと だ から 、 J リー グを 成 功 さ せ るた め には 、 自 分 たち が 頑張 ト す る も の じ ゃ あ り ま せ ん。 向 上 す る た め に は 、 る と 、 技 術 や 戦 術 や 体 力 は 、 今 日 あ し た で 急 に向 ポ ン ポ ン 、 ボ ン ボ ン 打 った っ て 、 そ う は う ま く な は ゴ ル フ 場 へ行 っ て 打 た れ る と き に 、 い い 加 減 に 皆 さ ん だ って 、 素 振 り の 練 習 を し た り 、 あ る い スポ ー ツ は 、 ま った く そ う な ん で す が 、 技 術 、 ら な い と ダ メ な ん だ 、 と いう 強 い気 持 ち そ の も の あ る 期 間 一生 懸 命 取 り 組 ま な い と 結 果 は 出 な い ん ら な い。 .球 ず つ プ 習 に 取 り 組 む 姿 勢 が ま った く 違 う わ け で す ね 。 が、 試 合 の中 で の選 予 の アグ レ ッシ ブな プ レー に で す よ 。 時 間 が か か る ん です 。 と こ ろ が 精 神 力 、 と 、 た だ 自 分 の 思 い だ け で 打 って る r 発 で は 、 ヒ り は、 経 済 的 に そ う いう 大 き な 余 裕 を 得 ら れ な な った ん で す ね 。 これ は精 神力 と いう こと よりも 、気 持 ち の持ち方 達 の 度 合 いが 違 う の は 当 然 で す ね 。 いま J リ ー グ 戦 術 、 体 力 、 精 神 力 と いう 四 つ の. 要 素 が あ るとす U 本 サ ッカ ー リ ー グ 時 代 な ら 、 た と え ば ボ ー ル 一つ で、 こ ん な に も 人 間 が 変 わ る の か と い う こ と い。 頑 張 ら な い と 、 日 本 の サ ッ カ ー は も た な い。 が タ ッチ ラ イ ン を 出 そ う だ と いう と き に 、 も う ほ で す ね 。 こ れ が 今 度 の J リ ー グ で 一番 、 私 自 身 が は 、 そ う いう 状 況 に な って き た ん で す 。 ロ が 付 い て 真 剣 に 打 つ千 発 と ん ど 九 割 が た 出 そ う な ら 、 追 いま せ ん よ . と こ 夢 を追 って る ん です ね 。 で追 い続 け ンを出 るま んとにライ の選手 はほ な ん だから 。 そ の同 ー ・)場 所 で 、 日 本 代 表 選 手 が 五 落 と さ れ る だ け な ん だ か ら 。 プ ロ に な れ な いだ け か 絶 対 な いで す ね 。 な ぜ か と いう と 、 手 を 抜 く と そ れ を 見 て いる と 、 も う 凌 い、 手 を 抜 く こ と な ん す る と き に 、 .五 十 メ ー ト ル ダ ッ シ ュ を ト 本 や る 骨 ィ ス と いう プ ロ に な る 前 の、 契 約 前 の 選 手 が 練 習 た と え ば イ ギ リ ス の 、 卜 六 、 七 歳 の ア ブ レ ンテ に し ろ ﹂と い う 批 判 も あ り ま し た 。 こ れ は 、 ま あ 、 当 時 は ﹁カ ネ も 稼 げ な く て 何 が プ ロ か 。い い 加 減 ざ㌧れ た 、 と い ・ つふ ・ り に 田心いま 山 9。 状 か ら . そ う いう こ と じ ゃな いと いう こ と が 証 明 大 間 違 いだ ﹂ と い う こ と を 言 わ れ た 。 し か し 、 現 を 変 え る す べ て か . そ ん な こ と を 思 って い る の は け な いじ ゃな い か 。 プ ロ化 だ け が 日 本 の サ ッ カ ; ら 、 何 で 日 本 の サ ッカ ー は 変 わ る ん だ 。 変 わ る わ ﹁プ ロ に な っ た る のと同 じ 十 メ ー ト ル ダ ッ シ ュを や る と 、 監 督 や コー チ は 何 僕 も そ う 思 い ま す よ 。だ っ て .あ の こ ろ は く も、 よ う に。 だ と 言 った か 。 ﹁し っ か リ 走 ら ん か ッ 、 お 前 。 何 だ 均 三 下 入 ぐ ら い の 観 客 動 員 、 し か も お カ ネ 払 って .暦 初 め は 記 者 の 方 の 多 から 十 に 一 ッ、 さ ぽ る な ッ。 こ の 五 ﹁メ ー ト ル 、 こ こ ま で 走 見 に 来 て く れ た 人 は 、そ の う ち 千 八 と か 千 五 百 入 、 び っく り し た こ と で す 。 つは ボ ー ル れ ッ。 途 中 で 息 抜 く な ッ﹂。こ れ ば っ か り で す よ 。 平 均 し て大 体 収 入 が . 白 万 円 ぐら いです ね 。 百万 円 う が . いま が捕 れ る ん 僕 も . 監 督 の と き に そ う でし た け ど 。 し か し 、 代 一試 合 平 です よ 、十 〔M) 第282号 1993年8月10日 か と いう [つ のポ イ ン ト を 、 ど う いう ふ う に み ら だ いて いるん です ね 。 ﹄ リ ーグ が成 功 す る か どう 試 合 平 均 約 [万 六 千 八 . 自 人 以 ヒ の 人 が 入 って いた ん で す け ど も 。 前 期 を 終 了 し て 百 五 卜 ︻. 乃人 、 一 な い と いう こ と で ま ず い こ と にな っち ゃ って いる いま は 、 ま あ 、 逆 の 意 味 で 、 入 場 券 が 手 に 入 ら そ れ も .年 に 一回 ぐ ら い と いう 程 度 だ った ん です 。 は テ レ ビ で 放 映 し て も ら って も 一試 合 三 十 万 円 、 で プ ロか 、と いう こ と で す よ ね 。 当 時 、日 本 リ ー グ 夢 に も 思 って いま せ ん か ら 、 一生 懸 命 フ ァ ンを 集 や ろ う と いう こ と で 、み ん な 、ま さ か こ う な る と は う い う フ ァ ンク ラ ブ を つく る こと を 念 頭 に 置 い て 的 に 基 盤 が確 立 で き な いよ と 、や った わ け で す 。そ に、 そ の ことをす ご く 積 極 的 にやら な いと 、 経 済 いう こ と が 勝 負 だ と 考 え た ん で す よ 。 各 ク ラ ブ 客 、 い わ ゆ る シ ー ズ ン チ ケ ッド を い か に 売 る か と き に , お 客 さ ん を い っば い に す る た め に は 、 固 定 す 。 一万 五 f 人 収 容 の 競 技 場 を つく れ と い った と か 買 え な いと か 。 こ れ は 、実 は 事 情 が あ る ん で ケ ット ぴ あ に朝 早 く か ら 並 ん だ の に 、 前 の .一人 し を し て る の だ 。 枚 数 を は っき り 明 、 那す べ き だ ” チ 日 の よ う に 電 話 や 手 紙 が 来 ま す 。 ど う いう 売 り 方 り あ え ず や って 、 次 年 度 か ら 出 来 る だ け 公 . 平感 の ん か ら 、 そ れ ぞ れ の ク ラ ブ の 一番 い い や り 方 を と が や って いて、J リ ー グ そ のも の は関 係 あ りま せ ろ う と いう ク ラ ブ も あ る 。 チ ケ ット は 全 部 ク ラ ブ れ で も って 、 開 幕 戦 の よ う な 形 で と り あ え ず は や こ の前 出 た結論 で は 、 往 復 はがき を 出 し て 、 そ 番 い ま 頭 の痛 い問 題 で す 。 わ れ わ れ と して どう す べ きな のか と いう のは 、 . た と いう ことも 起 き る ん です ね。 こ れ に 対 し て、 そ の 後 ろ に並 ん で る 一.百 入 が 、 一人 も 買 え な か っ に 、 ほ か で は 売 れ て 行 く わ け です か ら 、 結 局 は 、 いや こ の試合 は何 日 の 何 時 と か 言 って る あ いだ す 。 ト ップ の入 が 、 あ あ で も な い こ う で も な い、 L﹁分 経 て ば ト ニ .乃 枚 売 れ ち ゃ う と い う こ と な ん で 一試 合 平 均 一万 六 千 八 百 人 入 る れ ま す か と 、皆 さ ん に き か れ た と き 、 ﹁一試 合 平 均 め 、 あ る い は年 間 通 し の 券 を 売 った ん で す よ 。 て た ん で す よ 。 そ れ が い ま 一万 六 千 八 . 白人 です 。 る お客 さ んが五 予 人 も いれ ば大 成功 だ な 、 と 思 っ う か 、 そ う いう 状 況 を つ く れ と い う こ と で 、 初 め ス な ん か も 、 三 千 枚 し か 売 れ な い。 売 れ な い と い も う 三 千 枚し か売 れ な い。 あ る いは清 水 エ スパ ル せ ん 、 あ る いは 三 百 枚 し か 売 れ ま せ ん と い う こ と て 、 売 リ 場 を 絞 って 、 こ こ で は 五 . 白枚し か売れま と、 尾ば 全 国 一斉 の 切 符 の 売 場 で 売 る ん で は な く り 方 を や って い こ う と い う こ と に な り ま し た 。 た か つ 一万 七 τ 人 近 く の お 客 さ ん に 来 て い た だ いた 者 を 損 し た と いう 勘 定 に な り ま す 。 そ れ で も な お 競 技 場 は使え ま せ ん で し た から、 約 二卜 万 人 入場 こ ろ が あ りま す。 仮 に三 千 カ所 と し て 、 ﹁ヨ ー イ だ け で千 カ所 、全 国 で 三 千 数 カ所 、 切 符 を 売 る と 発 券 す る と こ は 、 全 国 一斉 に 売 る ん で す ね 。 関 東 少 な く と も チ ケ ット ぴ あ 、 そ う いう 全 国 規 模 で こ れ は ほ ん と に 申 し わ け な いと し か 言 い よ う が な け し か ら ん ッ﹂ と 。 う か つ に物 は 言 え な い ん で 、 た す ぐ 投 書 が く る ん で す よ 。﹁何 が う れ し い の か 。 ね 。 こ う いう のを ﹁う れ し い悲 鳴 ﹂ と 曲. [う と 、 ま (次 号 へ続 く ) (15) 一万 人 人 れ ば 成 功 と 思 いま す ﹂と 答 え た ん で す ね 。 し か も国 立競 技 場 のよ う な大 きな 競 技 場 を 、第 み ん な 一生 懸 命 や った ん で す よ ね 。 そ れ が い ま 、 を 言 って 、 並 ん だ 八 か ら 抽 選 を す る と か 、 いろ い あ る よ う な 、皆 さ ん に 承 知 し ても ら え る よ う な や 一ス テ ー ジ の後 半 の 九 試 A[で は 使 え な か った ん で こ う いう こ と に な って き ち ゃ った 。 じ ゃ 、 今 わ れ ろ 考 え て いま す 。 そ の 結 果、 たと え ば ヴ ェルデ ィ川 崎 な ん か は 、 す か ら ね 。 前 期 六 試 合 、 国 血 競 技 場 を 使 って 、 こ わ れ や る べ き こと は 何 な の か と いう こ と で 、こ の前 実 際 は . お カ ネ を 払 って グ ラ ンド へ見 に き て く れ こ に 人 った お 客 さ ん が 三 十 数 万 人 、 一試 A口平 均 五 緊 急 の会 議を 持 ち ま し た 。 ん です ね。 ド ン ﹂ で 全 国 一斉 に 売 り ま す と 、 一人 最 高 四 枚 と いん で す が⋮⋮ 。 チ ケ ット が手 に 入 ら な い と 苫 情 が 殺 到 す る な ど 万 二 千 入 入 った ん で す 。 後 半 は 、 一試 合 し か 国 立 現 在 、 一番 問 題 に な って いる の は 、 チ ケ ット が い う と 、 あ ッと いう 間 に 一万 二 千 枚 売 れ ち ゃ う 。 と い う こ と は 、 一年 前 は 夢 に も 思 わ な か った で す 手 に 入 ら な い と いう こ と で 、 も う 私 の と こ ろ に 毎 第282号 1993年8月10日 1993年8月10日 (1臼) 第282号 第282号 1993年8月10日 ﹁ψ 溝 の シ ル ク ロー ド ﹂ レ層い ・ り、 . . ” 気 が し ま し てな ﹂ とも . 話う 。 時 褐 載 の つづ き も の に 仕 ヒ げ た 。 た ビ る ほ ど ﹁海 の シ ル ク ロ ー ド ﹂ 磁 の道 ﹂ を 、 肖う 学 折 も あ っ て 、 こ ﹁海 の シ ル ク ﹁チ ャ イ ナ ﹂ に 関 す る あ う のであ る 。 に ﹁海 の シ ル ク ロ ー ド ﹂ と い う こ 木 を た く さ ん つ く っ た が 、 そ の 山- 一一 . 杉 君 は ﹁陶 私 は 心 の中 で、 海 の シ ル ク ロー た ず ね て ﹂” こ れ が れ は シ ルク ロー ド と も ほ ぼ重 ・ なり ﹁チ あ 、イ ナ ﹂ の 道 で も あ った . の 全 容 は 明 ら か に な る . 実、は 葉 は 、 昭 和 三 レ ヒ 年 に 私 が つく っ ド か . な かな か面 ・ 口 いな 、 と 恐 い ロ ー ド ﹂ の起 源 で あ る 。 ﹁海 の シ ル ク ロ ー ド を て、 は じ め て活 { 、 r化 し た 。 当 時 朝 つ つ 、 海 の シ ル ク ロ ー ド と いう . 口 に て シ ル ク ロー ド 。 絹 の 道 は 、 同 時 . {ト ラ ー セ ン ( 絹 の 道 )が 英 訳 さ れ リ ヒト ホ ー フ ェン の ザ イ デ ンシ タ イ ト ルは 日新 聞 神 . ”支 局 に 勤 務 し て い て 親 葉 の 入 った 新 聞 の 見 拙 し を 考 え て い お も ろ い 話 や な ﹂ レ﹂わ 筈、ン一 中 途 ﹁う ー ん 、 そ う や な あ 、 中 ぐ ら いた 。 コチ し く な っ た 、中 国 陶 磁 器 (以 . ト ﹁こ ん ど 、 海 訪 、イ ナ ﹂ と 詐 く ) 大 好 き 青 年 で あ っ た ..[ 杉 隆 敏 君 が、 路 イ ンド 洋 経由 でイ スタ ンブ ー ル を 訪 ね る , あ そ こ の、プ カ プ サ ラ 井 ) と いう 本 も 編 集 し た こ と が あ ロ ー ド 喉 典 緊 昭 和 六 一二年 . 新 潮 選 靴ロい た 。 妓 と 私 と で ﹁チ ャイ 馬海 の シ ル ク い。 大 量輸 送 に 重 /\ 刃チ ャ イ と ば を ふ く む タ イ ト ル の本 を 数 冊 は や は り海 路 であ る。 る 。 N H K の 大 型 ルポ ﹁チ ャ イ ナ ﹂ は 半 端 な 返 事 を し た 。 ﹁ま 、 と に か ナ ﹄ は高 温 で焼成 さ れ る から 化 拳 ク ロ ー ド ﹂ と い う の も あ った 。 新 割 れ やす す る ん や。 わ ざ わ ざ船 で 行 く のん く 、 港 み な と か ら 航 牝葎便 で 予 紙 を 的 に は安 定 し て いる . 破 片 と な っ 聞 、 雑 誌, 単 行本 で ︿の ジつ ャく ーナ った リ言 ス葉 ト﹀ ﹃チ 淘 、イ ナ ﹄ の コ く だ さ いー . い い写 良 が あ った ら 、 て も 、 い つご ろ 、 ど こ の 窯 で 焼 か 海 のシルク ロー ド は、 港 みな と で ﹃チ ャ イ ナ ﹄ の 破 って 。 ス ケ ッ チ も い い ロ ー ド ﹂ は つ ぎ つ ぎ 登 場 し た 。 =. ・ . チ ャイ ナ 3 の 大 コ レ ク レ ク シ ョ ンや 、 そ れ も 送 れ た か は わ か る。 イ宮 殿 の 片 の 山 を よ う 見 てく る ん や ﹂ と 元 ね 。 場 合 によ った ら 、 手 紙 を ア レ ﹁お 金 は な い け シ ョ ンを 徹 底 的 に撮 影 し て 、 研 究 気 な こ と を 言う 。 ン ジ し て 記 事 に し た げ る さ か い 西 洋 岸 の各 地 を 歩 い て 、 個 人 D 会 員 榊 原 昭 二 く定 着 し た よ う であ る . 十 年 にし て、 こ の こと ば はよ う や ﹁海 の シ ル ク ﹁海 の シ ル ど 、 時 間 は た っぷ り あ る さ か い 、 な﹂1 ナ ﹂ の軌 跡 を た ど った 。 た ど れ ば 三 杉 君 は太 平 洋 、 イ ン ド 洋 、 大 や っ て き ま っさ あ 。 ど う も 海 に も た 手 紙 や ス ケ ッチ を 記 事 化 し て随 と いう 次 第 で 、 受 け 取 っ シ ル ク ロー ド み た い ん が あ る よ な (17) 見学会 ﹁東 京 デ ィ ズ ニ ー ラ ン ド ﹂ ヒ 月 十 五 日 (木 )、 去 る 四 月 に f 周 年 を 迎 え た ﹁東 京 デ ィ ズ ニ ー ラ ン 年 間 百が 人 の外 国 人 入 場者 を 含 め 、 ゼ ネ コン いま 新 聞 紙 ヒ を に ぎ 8肖 回・ 不 況 の 影 響 は ご く わ ず か 。 へ,後 は 直 硲2 0﹁巴 コント ラ ク ター わ し て いる こ の言葉。 ゼ ネ ラ ル 総 合 請負 業 者) が . 兀 で、 建 設 業 界 用語 とし てず い分 嘗舛∩ε ﹁ 営 の ホ テ ルや 新 バ ー ク の 建 設 も 検 討 し て いく と い・ つ。 昔 か ら 使 わ れ て いた よ う で す . 、 れ て いる た の で し ょう か、 日経 テ レ コム 新 聞 紙 ヒ で は い つ頃 か ら 使 わ れ 園 内 では、 卜 周 年 を 記念し て行 わ ー ・オ ン ・バ レ ー ド ﹂ で 、 シ ン デ レ ﹁デ ィ ズ ニ ー ・7 ア ン タ ジ ラ や ヒ ー タ ー ハ ンな ど 、 デ ィ ズ ニ ー ド ﹂ の 見 学 会 を 行 った 。 梅 雨 の真 っ 最 中 で空 模 様 が 心 配 さ れ た が、前 日 映 画 で な じ み の 深 い キ ャ.ラ ク タ ー . .一 キ ヒ 思 わ れ た と こ ろ が コウ 争 い に も たか、 冷 静 に 対 処 。 終局直 前 に は セ だ さ い。 会 員 の著 宿 中 東 の謀略 戦 佐藤 紀 久 夫 訳 宗ヒ 四. 八 C O 円 ) 宮智 一、 し ︹ ﹂○ 円 (新 潮 選 箸 . 八五 ︹)円 ) った 。 ① 楓 二 段 ② 船 山 四 段 ⑧ 山 路 憲 ﹁近 藤 悠 三 ・潤 ・高 弘 三 代 展 ﹂ 朝 口新 聞 社 か ら ﹁ヘ レ ン ド 陶 磁 名 品 展 ﹂ 、 テ レ ビ 神 ⊥︿r 皿晒怯④ 山 細似雄州七心﹂ハ肌棋︹ 一 回臥仏本 四⋮旧〃L し 榊 原 昭 .一 共著 海 の シ ル ク ・ ロー ド 事 典 (N T T 出 版 断 裂 の構 造 ︹時 事 通 信 社 アサ ド ( ご恵贈 いただき ま ﹂ へ し は事 務 局 の会 報 係ま でご 連 絡 く す が 、 詳 し いこヒを ご 存 知 の方 で に 記 事 に 登 場 し て いる よ う で で 調 べ て み る ヒ、 し几 年 には 寸 か ら の雨 も上 が り、時 折 ロ差 しさ ﹁イ ! ツ ・ ア ・ ス .児 学 11 和 ” と な っ た . す, . 白 人 の行 進 を 見 、 モ ー ル ワ ー ル ド ﹂ , 隣 接 す る ﹁オ リ エ ン タ ル ラ ンド ﹂ 本 社 で、 中村 勝 彦 広 報 室 長 と のプリ 賊 ﹂ のアト ラ ク シ ョ ンではし ば し 童 ﹁カ リ ブ の 海 ー フ で ング 、 質 疑 応 答 の後 、 ガ イ ド 心 に 帰 っ た 一時 で し た 、 恒 例 の. 夏 季 大 会 が 七 月 二 卜 四 [ 四 卜 七人 ) (ヒ )、 三 卜 八 人 が 参 加 し て に ぎ や か つれ 込 む 、 と いう 大 荻⋮ 戦 の末 、 口 兄事 ( 参 加 に行 わ れ. スイ ス方 式 によ り全 順 位 全勝、 優 勝 を 果 た した 。 び、 ポ イ ント の差 で以 ド のよ う にな .. . 位 か ら レ 位 ま で は 三 勝 一敗 が 並 を 決 定 し た自 .優 隣 昭し た の は 、 四 戦 全 勝 の 楓 一 兀夫 一. 段 ( 中 日 O B ). 同 じ く 全 勝 の 船 山 .四 段 は 一ポ イ ン ト 差 で .一 位 と な 段 ⑥ 清 水 秀 昭 初 段 ⑦ 長 尾 潤 一二段 ⑧ 大 った 。 庄 圏 楓凹 二 段 は 、 西[山 , 竹一 尾 の叩 圃 .一 段 、 ﹁バ ロ ッ ク ・ ロ コ コ の 絵 画 空博 一 ﹁ . 段 ⑨ 西 崎 哲 郎 正段 ⑩大 久 保 啓 礼 申 し あ げ ま す 。 展 ﹂ の 招 待 券 を いた だ き ま し た . .お 奈 川 か ら 田 川 . ' . 段 を 破 り =.勝 を あ げ た , お 互 一. 一 四段 。 日 (土 )午 後 一時 か ら 。 次 回 は 、 通 常 の例会 。 . 八月 二 卜 八 い に 全 勝 を か け た 清 水 初 段 と の戦 い で は 、 序 盤 で 黒 .石 が 臼 の 大 石 を 執 よ う に 攻 め 、 あ わ や と いう 場 面 も あ っ (18) と 共 に 約 一時 間 半 園 内 を 兄 学 し た 二段 が 優 勝 夏季大会 ○ (写 真 )、す で に 一億 ・.一 千 万 入 が 入場、 元夫 ●囲碁 の会 楓 祝 編 を 受 け る楓 会 員(右) 第282号 1993年8月10日 第282号 1993年8月10日 写 真 剣 持 常 幸 収泉 ・西 u﹁縮 旧 ︺ 撮 影 者 の 剣 持 さ ん に聞 いた わ け で は な いが 、 こ の 写 真 で は ク リ ント ン大 統 ︹U夕 の笹 飾 リ を 贈 る 東 京 領 夫妻 は 脇 役 であ る、ま し て、 前 景 の こど も た ち の小 学 生 ) は 、 ほ ん の添 え 物 . そ う で な か った ら 、 一人 く ら い、 こ ど も の 表 情 が 写 って い て よ いは ず だ か ら な . ヒ な れ ば 、 写 真 の 焦 点 は 、 そ の後 ろ のう さ ん 臭 げ な 男 た ち だ 。 ボ 一 . ア ,,ガ ー ド か S P か 、 .止 体 は 知 ら な い が 、 11 米 混成 で九 人 ま で数 えら れる. .九 人 九 様 そ の目 付 き の 方 角 を 兄 よ ! ﹁大 統 領 を 守 る 几 入 の 男 た ♪ “ 7﹂ が 写 真 説 明 レ一 し て .虚 解 と いう こ ヒ に な る り 注 意 す べ き は 、 守 ら れ る大 統 領 は 誰 で も い いと い う こ と だ . 政 冶 の行 郭 を 四 年 単 位 で こ な す 機 関 にす ぎ な い か ら . こ の写 良 で は 、 た ま た ま 大 統 領 が ク リ ン ト ン 氏 だ っ た だ け だ . 彼 の 時 代 に 弥. りて か ら 、 大 統 領 は ま す ま す 脇 役 と L k 役 が 判 然 ヒ し な いか ら 、 . 止真 正 銘 て の性 格 を 濃 く し て いる の だ が ⋮ . の脇 役 で あ る は ず の 大 統 領 夫 人 が 、 何 か に つけ 出 し ゃ ば る 、 二 ⊥ ー ス の タ ネ に な る , ﹁ひ ら り ー ﹂ と か 、、 日っ た っ け 光彦 ) が 、 朝 の 連 ド ラ 程 度 で片 付 け る わ け に ま いら な い か 。 ︹ 伊藤 (19) ﹁.起 瓦 .一年 日 本 経 済 新 聞 写 良 部 入 社 ︼ ︻L 月 L 11 脇 役 の大 統 領 八 月 十 四日 ま で バ ー 、 ラ ウ ン ジ を 早 閉 ま い し て いま す 夏休 み の臨 時 措 置 とし て 八 月 九 日 か ら ト 四 U の 聞 、 バ ー 、 ラ ウ ン ジ は 六 時 で 、 会 議 室 の貸 し 出 し は 五 時 半 で 終 了 に さ せ て いた だ い て いま す 。 こ の 間 、 夜 の レ スト ラ ンは休 ま せ て いた だ いて おり ま す 。 た だ し 、 昼 の レ スト ラ ンは 、 通 常 通 り 営 業 し て いま す 。 ご寄 稿 く だ さ い 八 月 の紙 面 ﹁ジ ャ ー ナ リ ス ト の つ く っ た 言 葉 ﹂ ﹁熱 帯 夜 ﹂ ﹁帰 省 ラ ッ シ ュ﹂1 に登 場 す る こ う し た言 葉 はど こ で生 ま れ た の で し ょう か 。 ジ ャ ー ナ リ ス ト が つく った 言 葉 記 録 版 の バ ッ ク ナ ンバ ー が あ り ま す ア マ コ ス ト 米 大 使 と 孔 韓 国 大 使 の 昼 食 会 の内 容 を 収 録 した 記 録 版 を 、 八 月 六 日 に 発 行 しま し た。 お 手 元 に 届 い て い る と 思 いま す 。 こ の よ う な 記 録 版 を 年 六 回 発 行 し て いま す 。 地 方 会 員 や 当 日 出 席 で き な か った 会 員 の み な さ ん に 、 資 料 と し て 活 用 し て いた だ い て ま す 。 (小 倉 和 夫 外 務 省 経 済 局 長 ・滝 井 光 夫 11本 貿 丘 月 に 発 行 し た 、 研 究 会 ﹁地 域 経 済 統 An﹂ の 記 録版 易 振興会海外 調 査 部 米州 課長) に余 部 がありま す 、 ご 希 望 の 方 は 、 九 階 の 受 付 へお 申 し 出 く だ さ い 。 置き傘 は ご遠 慮 く ださ い 会 報 委 員 会 で は 、 ﹁ジ ャ ー ナ リ ス ト の つく 引 き 取 り 願 い ま す 。 八 月 .一 ト ロを 過 ぎ ても放 置さ 傘 で し ょう か 、 雨 傘 が 放 置 さ れ て い ま す . 至 急 お カ ギ 付 き の ク ラ ブ の傘 ¢ て に 、 会 員 の方 の 胃 き った 言 葉 ﹂ 欄 で 、 記 者 に よ っ て 発 案 さ れ た れ て いる も の は 、 事 務 局 で 処 分 さ せ て いた だ き ま の ひ と つな の で し ょう か 。 り、 工夫 さ れ た 造 語 や新 語 の 誕 生 の経 緯を 記 八二 二 、 八四 二人 五九 人 法 入 。個 入 替ハ 助 基 本 会員 す の で . ご r 承 く だ さ い。 会員現況 二 一九 社 特別賛 助会 員 一、 ﹂ し .﹂ ハ人 [四 八 社 録 に と ど め た い と 思 って いま す 。 個 入 く台只 発 案 者 ご 自 身 な いし 関 係 の 方 に 、 そ の言 葉 がど こ で、 ど う いう状 況 で生 ま れ た か を ご寄 一 二八 法人 会員 稿 い た だ き た い と 思 いま す 。 計 .=一.一人 = 二人 七 一社 名 誉 会員 会員 関 連 情 報 を お 持 ち の方 は、 ぜ ひ事 務 局 の会 報 係 ま で ご 連 絡 願 いま す 。 卦報 藤崎 健 会 員 ︹ 個 人 D) が 七 月 二 十 七 H、 肝 の 行 事 {4 11 現 在 ∀ 研 究会 ミ ャ ン マー 田中 秀 範 電通 マル ﹁マ 不 全 のた め逝 去 さ れ ま した 。 謹 ん で ご 冥福 を お 祈 月 会 見 ( 水 ) 午 後 2 時 ∼ 3 時 30 分 研 究会 ﹁ク 経 済 開 放政策 キ ャ ン ペ ー ン団記 者 ( 水 } 午 後 2 時 ∼ 3 時 30 分 チ メ デ ィ ア部 長 ル チ メ デ ィア ﹂ ( 金 ) 午 後 2 時 ∼ 3 時 30 分 八 り いたしま す 。 13 日 18 日 25 日 グ レ ン ・S ・ 日本 A T & T 総 合政策 リ ン ト ン 政 権 ﹂ (5 ) 誠 栗田 格 委員 ー松井 梅 田光 男 章 ・ . .. . .. 乱 . .一. . ... ヒ 六 四 V フク シ マ 本 部 長 (行 事 案 内 、電 話 会 報 委員 長 ー 深 川 村L紀子 河野 〇 三- 三 五 〇 三 - ニ ヒ ..二 ) 事 務 局 達 絡 11 長 谷 川 (電 話 (20) 第282号 1993年8月10日