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日本記者クラブ会報2001年8月号
堀 川( 総務 ) 、君 和 田 ( 企 画) 委 員 長 就任 な ご 八・カ を い た だ き ま し た . カ 月 間 、総務委 員 . 長 と し て、 多 大 高 視 聴 率 を 記 録 、七 党 首 討 論 会 朝 H 新 聞 社 の理事 が 、中 馬 清⋮ 福編 集 顧 問 か ら君和田 正夫 専 務 編集 担 務 編集 新 聞専 ( 読売 総 務 委 最 長 に堀 川 上[則 企 画 委 員 長 す か ら 、 国 民 有 権 者 は 大 いに参 考 っ て 七 党 淫 が論 戦 を 展 開 し た の で 一二時 間 五 十 分 間 、 政 策 令 般 に わ た 去 の党 首討論会 に 比 べて、最 長 の は 、 予 想を上 回 る 反 響 でした。 過 さ て 、 参 院 選 ﹁七 党 党 首 討 論 会 ﹂ 主 幹 )、 に な った は ず で す 。 生 中 継 し た N 当 に 交 代 さ れ ま し た 。こ れ に伴 い、 企画委 11 K に よ る と 、 一- 二 部 を 通 し て 理事 が 君和田 社 も 協 力 してく れ ま し た。 回 四 。几 % )。 民 放 、 B S . C S 各 五 ∴ . - 六 ・九 % の 高 視 聴 率 ( 前 就任し 員長に 第378号 2001年 中馬さ 報 、 社 会 面 の雑 観㎝ な ど 。 情報発 信 総 合 面 のほ か 特 集 面 を 組 ん で の詳 新 聞 も 破 格 の 扱 い で し た 。 一面 、 ん には、 基 地 と し て の、 ク ラ ブ の 評 価 が まし た。 二年 四 発 行 暦 .( ︾○. -n QO 一一 日本 ア レ ス セ ンク ー ビ ル 東 京 都 F 代 田 .区 内 幸 町 ⋮.ノ 、.ノ 一 問題 な ど 、 具 体 的な 実行 策 を 、 じ っく り 聞 い て み た い と こ ろ で す 。 続 く 研 究 会 は ﹁記 者 ク ラ ブ 改 革 の方 向 性 ﹂。筑 波 大 の 青 木 彰 名 誉 教 ﹁二 部 の 代 表 質 問 に 中 だ る み が さ ら に高 ま った と 感 謝 し て いま す 。 一.日 目 は 、 午 前 に ﹁食 の 安 令 と 問 題 だ け に 成 果 が期 待 さ れ ま す . 理 しま す 。 報 道 の根幹 に か か わ る 日 本 記 者 ク ラ ブ 見 ら れ た ﹂ ﹁時 闘 が 長 す ぎ た ﹂と い 報 道 ﹂ 研 究 会 。 所 沢 のダ イ オ キ シ c社 団 法 入 っ た ご 批 判 も あ り ま し た 。 企 .画 委 ン汚 染 や 雪 印 乳 業 事 件 を め ぐ る 報 授 (産 経 O B )を 囲 ん で 問 題 点 を 整 員 会 で反 省 点 を ま と め 、 次 回 で 生 (朝 H O 道 が問 わ れ て、 まだ 記憶 に新 し い r 栄 養 大 の 村 L 紀 r教 授 か し て いく こ と を 確 認 し ま し た 。 (ト 一.目 ) 北 川 正 B )と 、 報 道 さ れ る 側 の 塑 場 か ら 、 (十 =一H ) の 昼 食 会 。 恭. .一 屯県 知事 リ ス ク 管 理 に 詳 し い電 通 ハプ リ ッ ク リ レ ー シ ョ ンズ の高 梨 修 ソ リ ュ (時 事 通 信 常 司 会 の天野 ⋮ 石出刀理 事 続 い て 、 中・ 国 の 武 大 偉 ・新 駐 口 ー シ ョ ン 室 長 が 話 し 合 いま す . ﹁小 泉 は き ち っ と 守 る 。 私 大 使 の昼 食 会 を 行 い、 午 後 は ﹁旧 も 八 十 歳 。 欲 得 は な い よ ﹂と 、 ”塩 石 器 ね つ 造 事 件 を 考 え る ﹂研 究 会 。 ご存 じ 、 毎 H新 聞 の大 ス ク ー プ で し た 。 取 材 班 キ ャ ップ の 朝 比 奈 豊 三 卜 、一一. 十 一の . 両 日 、開 催 し ま す 。 象 にした 記者 研 修 を 、午年 も 八 月 証 し ま す 。 関 心 のあ る 在 京 会 員 社 を 著 し た 評 論 家 の立 花 隆 さ ん が検 し ﹃旧 石 器 発 掘 ね つ造 事 件 を 追 う ﹄ 編 集 局 次 長 と 、 そ の後 、 追 跡 取 材 膚日 目 は 石 原 伸 晃 行 革 担 当 相 を 招 那部 吉 正 V も、ど う ぞ ご参 加を 。 (専 務 理 事 いて の昼 食 会 か ら ス タ ー ト で す 。 主 に地 方 会 員 社 の中 堅 記 者 を 対 記 者 研 修 (四 回 )に ご 参 加 を 爺 ”の 本 領 発 揮 。 な か な か で し た 。 がらも 務 11 写 真 ) と 脱 線 談 義 を 交 わ し な 中 でも塩 川 さ ん 、 色 紙を 紹介 し た 川 直卜郎財 務 相 と ころ . 、食 情 報 科 学 が 専 門 の 、 女 (、iZ}』 文13苧卜) ヒ 月 は 党 勝目討 ム剛ヘムに 続 い て 、 塩 8月10日 地方 交付 税 のあ り方 や税源 移 譲 の (1) 日 本 記 者 ク ラ ブ会 報 第378号 2001年8月10日 七 党 党 首 討 論 会(7.肇 目o階 ホール〉 参 院 選 七 月 十 一日 (水 ) 午 後 一時 ∼ 四 時 (予 定 よ り 五 分 延 長 ) ◇ 開催 日 時 五〇 分 衆 院 選 で の討 論 会 (過 去 四 回 九 治 人 、 春 名 幹 男 , 足 立 久 男 、 迫 田 朋 子 の各 企 画 委 員。 ◇ 出席 者 な ど 〇 年 二月、 九 三 年 七月 、九 六 年 十 月 、 二〇 〇 σ 二 部終 了 後 卜 分 間 の休 憩 } 年 六 月 V と 同 様 、 現 役 優 先 で 、 プ レ ス会 員 社 に 第 一部 と 第 二 部 の 二 部 構 成 第 一部 (一二 〇 分 ∀ 二 )党 首 の 主 張 ”今 回 の 総 五 人 、 四 人 、 二 人 、 ︻人 と 人 数 を 割 り 当 て た 。 ◇ 構成 選挙 で 有 権 者 に 一番 に 訴 え た い こ と を 、 各 党 首 個人 D会 員 用 と し て五 〇人枠 を 確 保 し た が、 一 人 割 り 当 て 社 で 辞 退 し た と こ ろ が あ った た め 、 が 持 ち 時 間 二 分 で 発 言 。 (二 )党 首 同 L の 討 論 ﹂ ﹁日 本 の 進 路 ・将 来 ビ ジ 最 終 的 に 六 四 入 が 参 加 。ペ ン 取 材 総 計 一七 八 人 。 ﹁改 革 の 柱 と 優 先 順 位 ョ ン﹂ の ニ テ ー マで 党 首 に よ る 討 論 。 方 式 は ① 人 記 者 ク ラ ブ 代 表 ﹁社 のプ ー ル 。 E N G は ニ ュ スチ ルは東 京 写 真 記 者協 会 八 社 、 外 通 三 社、 外 ( 持 ち 時 間 一分 }。 司会 者 に 指 名 さ れ た党首 が、 答 え を求 め る党 首 を 指 名 し て 、 質 問 ・問 題 提 起 ー ス映 画 協 会 、 外 人 記 者 ク ラ ブ 各 代 表 一社 の プ ︹ 持ち時 ②指 名 さ れ た 党 首 がそ れ に対 し て答 弁 放送 は N H K が 地ヒ 波、 衛 星 第 二、 ラ ジオ で で大き く報 道 し た 。 新 聞 各 紙 は 一面 、 総 合 画 の ほ か 特 集 面 を 組 ん ー ル。ラ ジ オ は 国 会 放 送 記 者 会 が 代 表 取 材 し た 。 分 以 内 で反 論 な い し 感 想 。 こ れ を 繰 り 間 二 分 )。③ 問 .題 提 起 し た 党 首 が 答 え を 聞 いた う え で、 返 し た 。 (三 )最 後 に 各 党 首 が 締 め く く り の発 言 (持 ち 時 間 ]分 )。 会 場 の 串 席 者 から集 め た 生 中 継 。 関 東 地 方 の 視 聴 率 は 第 一部 が 五 ・二 % 、 (一〇 〇 分 ) 第 二部 第 二 部 が 六 ・六 % 。 関 西 地 方 は そ れ ぞ れ 六 ・ 一 関 東 で そ れ ぞ れ 四 ・九 % 、 四 ・二 % 、 関 西 で 三 ・ 質問 を も と に 、 企画委 員 会 の代 表 が各党首 に質 ◇ 文書 に よ る 回答 書 ︻% 、 二 ・四 % だ った の で、 い ず れ も 今 回 の方 % 、 六 ・九 % 。 昨 年 六 月 の衆 院 選 で の 討 論 会 は るた め 、 各 党 の主 張 や政策 の相 違 な どをわ か り が高 く、 視 聴 者 の関 心の高さ を 示 し た 。 民 放は 問 、 第 一部 の 論 議 を 深 め る よ う 努 め た 。 やすく 有 権 者 に伝 え るた め、 文 書 による質 問 書 T B S が 代 表 取 材 し 、 N T V が 地 上 波 の ワイ ド 討論 会 の時 問 に制限 があ (5 ペ ー ジ 参 照 ) を 各 党 首 に 提 出 、 事 前 に 回 答 視 聴 率 六 ・四 % ) シ ョー 内 (二 時 - 三 時 三 〇 分 を も ら い 、 当 H の党 首 の発 言 を 補 足 す る も の と 継 、 ま た T B S が C S ﹁ニ ュー ス バ ー ド ﹂ で第 と ケ ー プ ル テ レ ビ ﹁N N N 24 ﹂ で 第 一部 を 生 中 ◇ 司会 、 代 表 質 問者 一部 を 生 中 継 し た ほ か 、 他 局 も 通 常 の ニ ュー ス し て出 席 者 全 員 に配布さ れ た 。 一部 司 会 11 神 志 名 泰 裕 、 第 二 部 の 代 表 質 問 者 11 番 組な ど で 長 時 間 こ れを使 用 し た 。 総 合 司 会 11 川 戸 恵 子 、 第 岡部 仁 、 橋 本 五 郎、花 岡 信 昭 、 永 野健 二、住 川 (2} 第378号 2001年8月10日 第378号 2001年8月10日 参 院 選 で初 め て開 催 岡 信 1 小 泉 人 気 、異 質 の 重 み を 背 景 にー 花 昭 あ と 、 反 論 す る と いう 応 酬 型 式 と 手を 指 名 し て質 問し 、 回答 を 得 た と 、 本 番 に 入 った 。 一入 が 質 問 相 間 で 冒 頭 の 主 張 を し て も ら った あ 党 首 討 論 は 、ま ず各 党 首 に 二分 れ た ヒ ット と い え る の で は な い か 。 た よ う にも 慰え る。 し て いる と いう 印 象 を か な り 薄 め 結 果 的 には 、小泉 首 相 ば か り発言 にも た れ か か って し ま う 。こ れ が、 核 心 部 分 を さ っと 述 べ る と 、 後 ろ つ に も 増 し て セ ンテ ン ス が 短 く 、 .分 巡 目 と 三 巡 目 には 七分 のr 備時 間 企画委員 問者 に回 す 。 こうし た手 法 で を あ ら か じ め 組 み 込 ん で お いた の 実 は 時 間 がず れ 込 む こ と を 想 定 な か った 。 と は いう も の の テ レ ビ 本 の 改 革 に ど う 取 り 組 む か ﹂﹁改 革 だ が 、 テ ンポ よ く 展 開 し て い った し た 。 ﹁質 問 .分 、 回 答 .一分 、 反 論 参 院 選 を 前 に し た ﹁七 党 党 首 討 視 聴 者 の こ と を 考 え れ ば 、 一時 間 の 優 先 順 位 は ﹂﹁日 本 の 進 路 と 将 来 た め 、 前 半 の討 論 会 は 予 定 よ り 十 ( 産 経 新 側 社 論 説 副委 員 長 ) 論 会 ﹂ は、 公 示 前 日 の 七 月 十 一日 ほ ど 短 く て も よ か った か も し れ な ビ ジ ョ ン﹂ を テ ー マ に、 一 .. 巡す る 各党首 に は事 前 に、 獲得議 席 目 こ の た め 、 後 半 の代 表 質 問 の時 間 ﹁[ し た の は、 初 め て で あ る 。 異 常 な 標 、 小 泉 内 閣 が 進 め る構 造 改 革 へ 事 前 の企 画 委 員会 で の打 ち 合 わ 配 分 に 戸 惑 い、 全 員 に 聞 か な く て し て 、 最 初 の 一巡 に は 十 二 分 、 二 に 行 わ れ た 。 日 水・ 記 者 クラブ が参 い。 こ れ は 今 後 の検 討 課 題 だ 。 ﹂ で ひ と 区 切 り と し 、 次 の質 院 選 で党 首 勢 ぞ ろ い の 企 画 を 実 施 ま で の ﹁小泉 人 気 ﹂ を 背 景 に、 そ の 評 価 な ど 十 一項 目 の 質 問 書 を 送 せ で は 、﹁小 泉 首 相 に 質 問 が 集 中 し 会 場 で配布 し 、 討 論会 で の発 言 と と い った 懸 念 も 出 た が 、 案 ず る よ 守 ら な い党 首 が 続 出 す る の で は ﹂ す ぎ る の で は な い か ﹂﹁制 限 時 間 を 終 了 後 の反 省 会 で は 、 討 論 が 終 と い った ”苦 心 ” も 迫 ら れ た 。 も す む質 問 をあ え てす べ て に聞く 五 分 ほ ど 早 く 終 了 し て し ま った。 う い って は 語 弊 が あ る か も し れ な り 、 文 書 回 答 を 得 て いた 。 こ れ を 同 様 に 扱 って い いと いう こ と に し と いう も の だ 。 い が 、 通 常 の参 院 選 と は 異 質 の重 代 表 質 問 団 の 一員 と し て 、 こ の た 。 新 聞 各 紙 は こ れ を 使 って 大 き み を も つと いう 判 断 に よ る 。 党 首 討 論 会 に 参 加 し た 。いわ ば ”身 し 、 討 論 の 不 足部 分 を 集 中 的 に 聞 く と い った 工夫 を す べ き だ と いう わ った 段 階 で質 問 団 が 別 室 で協 議 ゃ べ る と い う ケ ー ス も あ った が 、 意 見 も 出 た。 それ に は 八人 の質問 り は ス ム ー ズ に 進 ん だ 。 所貝問 ー 回 壇 上 の各 党 首 の 座 リ 方 は 、 向 か 全 体 の進 行 を 妨 げ る と いう よ り も 団 は 多 す ぎ る と いう 声 も あ り 、 こ な 対 比 表 を つく る な ど 、 各 メ デ ィ って 左 側 に 与 党 、右 側 に 野 党 と し 、 論 議 の活 性 化 を も た ら す 効 果 を あ れ は 今 後 の検 討 に ゆ だ ね た い。 内 ”の立 場 で 評 価 す る のも 何 だ が 、 中 央 から議 席 数 の順 とし た。 勢 力 げ たよ う だ 。 答 - 反 論 のあ と 、 さ ら に 反 論 を し 前 半 は 七 党 首 の 討 論 、 後 半 で質 順 に並 ぶ と 与 野 党 が 入 り 乱 れ て し 確 か に 小泉 首相 には質 問 が 集 中 と も “役 者 ” ぞ ろ い で 、 こ れ に助 ア と も 大 々的 に 報 じ た 。 疑 応 答 と いう 二 部 構 成 と し た 。 全 ま い、 討 論 の 雰 囲 気 が 出 て こ な い し た が 、こ れ は 首 相 と い う 立 場 上 、 け ら れ た 面 は 否 定 で き な い。 改 め 実 施 後 の評 判 は な か な か で 、 ま ず 体 で 三時間五 十 分 。 N HK が完 全 と いう 判 断 に よ る も のだ 。 こう し や む を 得 な い. 面 も あ った 。 小 泉 首 て 各 党 首 に 敬 意 を 表 し た い。 は 成 功 し た と い って い い の で は な 中 継 し た 。小 泉 首 相 は 終 ∼ 後 、﹁長 た並 び方 が効 果 を あ げた 要 因 に な 相 は 体 調 を 崩 し て いた た め か 、 い いか。 す ぎ る よ ﹂ と 漏 ら し た が 、 や って った と も 思 え 、 事 務 局 の 設 定 は 隠 いず れ に し ろ 、 さ す が に 七 党 首 いる 側 か ら す れ ば 、 冗 漫 さ は 感 じ (3) 2001年8月10日 第378号 主 催 者 と して杉 田理 事 長 が あ い さつ 総 合 司会 の川 戸企 画委 員 各 党 首 が 順 次揮 ご う、 意 外 にみ な さん 和 気 あ い あ いだ った よ うだ(宴 会場) 第一 部 司 会 の 神志名企画委員 「小 泉 改 革 に 協 力 す る と言 っ て い た の に 選 挙 間 近 に な る と 反 対 、本 心 は ど っ ち2」 「そ れ は あ な た が 変 心 討論 終 了、 事 前 に党 首 自身 が選 ん だ ク した か ら 」 「変 人 と 言 わ れ る が 変 心 は し て な い 」一 ラブ の 記 念 品 が 理 事 長 か ら贈 られ た 小 泉 首相 と鳩 山 代 表 の こ ん な や りと り も (4) 2001年8月10日 第3フ8号 (質 問 書) ① 参 院選 での獲 得議 席 数 の具体 的 な 目 標 。与 党 党 首 は 、与・ 党 全 体 で の 目標 も。 ② 経 済 財 政 諮 問 会 議 の 「骨 太 の 方 針 」 へ の 評 価 と 、 構 造 改 革 を どの よ う な 優 先 順 位 で 進 め るべ きか 。 ③ 地 方 交 付 税 の 見 直 し も含 め た 中 央 か ら 地 方 へ の 税 源 移 譲 に つ い て 、 ど うす べ きか。 ④ そ れ ぞ れ の 党 が 考 え て い る 「構 造 改 早:」 の 柱 と 、 そ れ に 伴 う 「痛 み 」 に つ い て .どう 考 え る か 。 ま た 、 セ ー フ テ ィー ネ ッ トに つ い て の 呉 体 策 。 ⑤ 憲 法 九 粂 の 改 正 は 必 要 か 。 ま た、 集 団 的 自衛権 の 行 使 を認 め る ため に、 改 憲 あ る い は 解 釈 の 変 更 を 行 う べ きか 。 ⑥ 首相 の 靖 国 神 社 参 拝 に つ い て ど う考 え るか。 また 、 国立 墓 苑構 想 に つ いて は ど の よ う に.考え る か 。 ⑦ 不 良債 権 の 最終 処 理 で 出 る 失 業 者の 雇 用 の 受 け 皿 を ど う考 え る か 。 ⑧ 景 気 対 策 の 具体 的 な柱 と、 財政 再建 の 具 体 的 な ス ケ ジ ュー ル 。 ⑨ ア メ リカ の ミサ イ ル 防 衛 構 想 に 日 本 は ど う対 応 す べ き か 。 ⑩ 「京 都 議 定 書 」 の 扱 い に つ い て 、 離 脱 方 針 を 表 明 し た ア メ リカ や}1」 一 期批准 を 求 め るEU諸 国 に 対 して 、 目 本 は どの よ う に 対 応 す べ きか 。 ⑪ 医 療 制 度 改 革 を どの よ う に す す め るの か 。 負 担 が 増 え て もや む を え な い と す 「兼'愛 無∈裡 〕 る の か 、 そ れ と も総 額 を抑 制 して 医 療 で も 【自立 ・自助 ” の 精 神 を 重 視 す る の か。 七 党首の揮 ご う 「 回答 全 文 をご希 望 の方 は 03一 了271で ド レ ス ま た はFAX番 選 挙戦 へ の 決 意 も ヒ 入 ヒ様 、FAX35 、 送 り先(メ 号)を ール ア 明記 の う 写 真手是f共[}「;:糸 聖辛斤1珊拳ヒ/ 栗 出格 会 員 え 事 務 局 へ ご連 絡 くだ さ い 。 八 入 の代 長 質 問 団 左 か ら 足 疏 、迫 田、 花 岡、 岡部 、橋 本 . 永 野 . 住 川 、 春 名 の各 企 画 委 員 (5) ァ ル ス ト レ ムEU環 境 担 当 委 垂亀 大 事 だ ﹂ と 付け 加え た が、 今 後 、拘 は フ レキ シビ リテ ィー があ る こと も あ る ﹄ と 伝 え た 。 日本 も 米 国 抜 き で 束 性 な ど に つ いて 、 ど う 合 意 を 形 成 ﹃E U は 米 国 抜 き で批 准 す る 用 意 が 批 准 し て ほ し い﹂﹁ボ ン で 各 国 が 批 准 罵人 西村 好美 司会 宇 奉 憲 一 し て いく の か が注目 さ れ る 。 読 売 新 聞 編 集委 員 通訳 尾・ 只理 ' r 出席 名 幹男委員 7 ・9 へ月} 記 缶 会 見 鶴岡 を 決 断 し て も 、 各 国 の議 会 で の 手 続 き が 必 要 で、 実 際 の批准 ま で に は何 カ 月 も 、何 年 も か か る か も し れ な い。 だ か ら こ そ 批 准 プ ロセ スを 早 め な け れば な ら な い﹂ と強調 し た . 川 口 環 境 相 は ﹁日 標 達 成 の た め に イ と ﹂ . . nい よ ど ん だ り 、 . 雇 用 の セー フ 財務 相 参院 選 七党 党 首 討論会 の翌 日 だ っ テ ィ、 不 ット を セ! フガ ード と 鴨 . 目い 間 塩 川 正÷ 郎 げ る 小 泉 政 権 で ビ タ ッと 止 ま った 。 ﹁そ う な ん で す よ ﹂ 株 価 急 落 は 市 場 に猜 疑 心 が 生 ま れ た せ い﹂ と 聞 く と で 、 満旧 場 爆 笑 。 こ の ト 月 に 八〇歳 にな る 老 練 政 治 家 だ け に サ ミ ソト 事 前 財 務 相 会 合 で ﹁E U は イ エ ー テ ポ リ の た の で 入 り は ど う か な と 思 った が 、 違 え る 場 面 も あ った 、 思 わ ず 金 丸 信 ﹁バ イ ラ テ ラ ル 会 談 ﹂ を バ イ . バ 閣僚会 合 で議 定 書 批 准を 表 明 し た、 さ す が ﹁塩 爺 ﹂ の ニ ック ネ ー ム ま で 自 民 党 副 総 裁 がか つて環 境 ア セ ス メ の ボ ンのC O P 6再 開会 合 では 、 でき 奉 ら れ て いる だ け に、 関 心 は ヒ 々。 ー環 境相 も るだけ 多 く の国 々が ︹ 批 准 に向 け て) ント 法 案 を は弱 くな る の で復 帰し て ほ し い。 だ 委 員 は ﹁米 国 が 参 加 し な い と 議 定 君 れ、 不良 債 権 処 理 が加速 さ れ る か と て ヒ 場 企 業 五 社 、 生 保 .祉 が 整 理 さ ﹁森 政 権 の 末 期 の . 一 . 月 期末 に かけ ﹁マイ ナ ス 破 長 に な っ ても 新 規 国 債 発 行額 . .、 卜 兆 円 以 下 は 会 場 か ら は こ ろ が ﹁塩 爺 ﹂と . . . Uわ れ る ゆ え ん か 。 が 、 だ れ も そ んな弘 は気 に し な いと し て いた こ と を 思 い山 し て し ま った ﹁環 境 セ メ ン ト ﹂ と 発 、n 質 疑 応 答 で は す っか り 食 わ れ て し ま が、船 は沈 没 さ せず 、浮 かば せ て い 思 いき や 、 構 造 改 革 の骨 太 方 針 を 掲 った 。 か な け れ ば な ら な い ﹂ ﹁日 本 側 に は また ヴ ァ ル スト レムE U 環 境 担 当 進 め る よ う 期 待 し て いる ﹂と 語 った 。 ド ゥ ル ー ズ ・ベ ルギ ー ・エ ネ ル ギ る ﹂と 発 言 ゆ セ スを よ リ 目 ﹁く 進 め た いと 考 え て い 任 で あ り 、 E 1ー ヒ し て は 批 准 の プ ロ 続 さ せ 実 施 し て いく こと が 双 方 の 責 事 だ .議 定 書 を 生き た文 書 と し て存 り 、 だ か ら こ そ 批 准 のプ ロセ ス が 大 的 拘 束 力 を 持 って いる 点 が 重 要 で あ は単 に精 神 だ け の問題 では な く 、 法 ン ・ス ウ ェー デ ン副 首 相 が ﹁議 定 書 他方 、 E U側 はイ ェルム ヴ ァ レー 思 って い る ﹂ な ど と 述 べ た . の協 議 で 米 国 が 変 わ る こ と は な いと く こ と か ら ス タ ー ト す る 。 一回 だ け と で、 米 国 が 何 を考 え て いる か を 聞 ド 、 共 通 の 行 動 を 探 求 す る と いう こ 川 臼順 乎 環 境 相 . 年 の京 都 議 εU環 境 担 当 代 表 団 日 本 と E U は .一 ()Q 定 書 兇 効 を 目 指 し な が ら も 、 議 {疋童回 離 脱 を 表 明 し た プ ッシ ュ米 政 権 へ の 対応 と批 准 へ の姿 勢 が異 な る 面 が 、 午 回 の会 見 で も 示 さ れ た . 川 口 環 境 相 は ﹁目 本 と し て は . 議 定 書 の精 神 を 維 持 し つつ、米 国 の合 意 取 り 付 け を 粘 リ 強 く 追 求 し て いき た い、と E U 側 に .説 明 し た ﹂﹁日 本 は 米国 に向け た修 正 案 を検 討 し て いる わ け で は な い。 日 米 共 通 の グ ラ ウ ン (6) 川li環 境 相 イ ェ ル ム ヴ ァ レ ー ン ・又 ウ ェ ー ド ゥ ル ー ズ ・ベ ル ギ ー ・エ ネ ル ギ ー 環 境 相 ヴ 写 真看か ら デ ン副 角相 ト ス ゲ ブ ラ ク 第378号 2001年8月10日 第378号 2001年8月10日 は ﹂と や ら れ て 笑 い の 渦 で お 開 き に 。 く れ ても自 民 党 が ほ じく り 返す の で 算 定 し、 点 数 を 付 けた 。 利益 導 入 を 三 千 .、 . . 而 の事 業 全 離 の費 川対 効 果 を の 鵬 版 記 今心会 が 七 ロ 月卜 一 二日 、 十 階 ホ で紹 介 し た 崖 経新 聞 政 治 部 秘 史﹂ ﹁産 経 新 聞 政 治 部 秘 史 ﹄ 前 の日 の 小 泉 さ ん の色 紙 に は ﹁自 ー ル で 開 か れ ま し た 11 写 真 11 産 経 新 し て, 公 費 負 担 に改 め た。 ﹁そ れ が 崩 れ た ら 後 は だ れ が や っ て 変 えな いか﹂ と 繰 り 返 し 質さ れ る と 民 党 か い いね と 君 が . 菖 った か ら 、 二 図 る 県 議 に は 、﹁評 価 シ ス テ ム は 全 部 聞 社 提 供 。 か つ て 特 ダ ネ を 競 った 各 マイ P R ﹂ お 祝 いに。 森臨 削怯 自相 、 堀 川 財 務 相 、 前 号 の ﹁マイ ー3 り o k 出 版 記 念会 も ダ メ 。 小 泉 だ っ て 立 場 がな い。 だ 卜 几 11 は 投 票 に 〃 ” こう ﹂ と 。 財 務 相 公開 され ま す か ら 、横 卓 を押 す と 恥 ﹁カ ラ 出 張 と 官 官 接 待 問 .題 ﹂。﹁あ な 産 経 の. 兀政 治 部 記 者 た ち が つ づ っ 輻田官. 腸 長 官 ら も 顔 を み せ 、 約 .一 百 た 吉 川 ・鳩 山 時 代 か ら ”=. 角 大 福中 ” た 方 が つく った 文 化 だ か ら 、 あ な た 従 来 の習 慣 を 議 論 さ せた。 そ こ で 自 杜 十 人 が 集 ま り ま した 。 己 否 定 で き た こ と が そ の後 の 改 革 に 方 が や って /\れ ﹂ と 職 目 貝に 徹 底 的 に ﹁事 粕 扮事 業 ⋮評 加 仙 シ ス テ ム の 道ゾ人 ﹂。 真紀 7 r外 相 評 を 食 事 中 聞 い た ら と 外 相 が 小 泉 政 権 の両 脇 の 爆 弾 と 芸、 n を か き ま す よ ﹂ と いな し た 。 こ れ 説 . ﹂ か ら 私 がき ち っと 守 ら な いと ﹂. ﹁真 紀 r に 文 句 を 言 う の は俺 と 福 田 わ れた が. 案 外 な スク ラム かも 。 敏夫 社 の 政 治 部 O B のク ラブ 会 員 も 多 数 テ レビ胆 果﹂ 駄 解 ﹁説 委 口 艮 配入 7 ・ 12 ハ木 ︺ 昼. 食会 司会 κ 野 岩 男 理嘱 内 山敏夫委員 出 席 内山 議 会 が す っ か り 変 わ った . (官 房 長 官 ) し か いな い. 小 泉 に も そう・ 菖 って る ん だ け ど 、 な ぜ か 真 紀 子 に は も の 夕碁. [・ えな いん だ よ カ5﹂。 恒 例 の色 紙 は ﹁雲 を 覗 み 風 を 窺 う 者 は 種 子 播 く 能 は ず ﹂︹ 様 rだ け み て いた ら何も で き な い) と流麗 だ った が コ小 駐 さ ん が 蒔 い て 塩 川 さ ん が 水 を ”ジ 画 、 ま で の戦 後 政 治 の裏 而 史 は 、 ひと つ の ム秘 史 ” 出 席64氏 ﹁細 部 に こ そ 神 宿 る ﹂と いう . ﹁ . 口葉 も 書 棚 に置 ウ ンジ の の で、 ラ (7) つな が った 。 あ る 女 性 職 員 に は ﹁夜 の接 待 が な く な った の で 、 私 も 次 長 ﹁財 政 課 を 予 算 調 整 課 に 名 称 変 と も いえ 三童 県知 事 ぱ、 役人 は そ れ な り に対応 す る。 し ます 。 一 正慕 行 政 改 革 で 国 よ り .歩 先 を 行 く .一 か し 、 発 想 を 変 え 、 ご みを ゼ ロ に し 更 ﹂。職 員 が 予 算 を 分 け て や る と いう 冊 寄 贈し 北翔 重 県 。行 革 と い う と 堅 苦 し そ う だ が 、 よ う と 提 唱 し た 。 一.千 個 あ った ご み 官僚的 な 体 質 になる のを 防 ぐ た め ーナ リズ 北 川 知事 の行 革 体 験 談 は実 にわ か り 箱 を 全 部 取 り 払 い、 代 わ り に 分 別 収 だ 。 ﹁査 定 と いう . . n菓 を 使 え る の は 、 て いた だ にな れ ま し た ﹂ と 感 謝 さ れ た 。 や す い。 いく つ か を 紹 介 し よ う 。 集 用 の箱 を 用 意 し た 。 そ の結 果 、 ご 選 挙 で 選 ば れ た 私 だ け ” 職 員 は .調 整 き ま し た ﹁ゼ ロ ベー ス で 考 え る こと ﹂。 県 庁 役 ﹂ と 内 部 を 戒 め て いる 。 引用 さ れ た が 、 細 部 に こだ わ って発 いて あ り 省 の指 導 に よ り , 県 庁 職 員 の 名 刺 印 刷 は 私 費 負 担 だ った 。 そ う な る と 、 想 の転 換 を 促 す こと こ そ行 革 だ と 印 ま す。 相 手 か ら 名 刺 を 受 け 取 って も 、 自 ら 日本 経 済 新 聞 論 説 委員 克夫 象 づ けら れ た 。 で き あ が る 。﹁宣 伝 す る のは 損 と いう 文 化 を認 め て いる よ う なも のだ ﹂ と 松本 は 名 刺 を 渡 さ な い 官 尊 民 卑 の習 慣 が ﹁名 刺 印 刷 の 公 費 負 担 化 ﹂。 旧 自 治 み の 八 割 は ご み で は な く な った 。 内 の ご み を 一〇 % 減 ら そ う と ↓. qえ 7,13〔 金}昼1虻 会 司会 宇治敏 滲理 事 和 田圭委 員 書 いた 議 書 か な か った 詣 ナ セ ル の死 で再 び 脱 出 行 いる よ う だ ﹂ と 言 て、 実 弾 も 飛ん で 空 砲 を 撃 って い ゲリラが悲しみの る だ け だ 。 予 約 し て あ った J A L 道 は 見 つか った 。 あ と は 日本 へ帰 と も あ れ 当 面 何 と か 食 い つな ぐ の ∼ ﹂。 部 長 は 冷 た く 言 い放 っ た 。 を せ き 立 てた。ク ラブ のボ ーイ た 悟 っ た 彼 は ﹁早 く で よ う ﹂ と 我 々 事 は 重 大 だ 、 そう リ ラ に 与 え る か、 の よ う な 影 響 をゲ ナ セ ル の死 が、ど 戦 の調 停 者 である 翌 朝 三 人 で タ ク シ ー を 雇 って P を エ ンド ー スす る 必 要 が あ った 。 れ に は P A N A M へ行 って航 空 券 て ほ し い と の こ と だ った 。 た だ そ 航 し て いる の で 、 そ れ に 切 り 換 え め た と ヨ. [う 。 唯 一P A N A M が 運 ト を フラ イ オ ー バ ー す る こ と を 決 判 断 で 、 す で に J A L は ベイ ルー へ電 話 を し た 。 と こ ろ が 危 険 と の 部 長 は 大 きな スチー ル のト ラ ン ﹁き ょ う は お し ま い で す 。 お った 。 ヨ ル ダ ン 内 ︼九 七 〇 年 九 月 、 ヨ ルダ ン内 戦 ク ニ つに 缶 詰を 詰め 込 ん で タ ラ ッ ちも A N A M の 事 務 所 へ 向 か った 。 道 ア ン マ ン籠 城 そ の 後 ( 黒 い九 月 ) に 巻 き 込 ま れ 、 H本 プ を 降 り て き た 。 これ で ヨ ルダ ン 代 は い り ま せ ん ﹂ と 与. 口う 。 世 界 に 路 の 各 所 で古 タ イ ヤ の 山 に 火 が つ 雄 人 取材 班 不 明 と報 道さ れ たま ま 十 の 砂 漠 ま で 我 々を 探 し に 行 く つも 冠 た る 当 地 の商 売 人 も 、 こ の夜 は け ら れ、 通行 も ま ま な ら ぬ状況 だ 茂 日 間 、 ア ン マ ンで の籠 城 を 余 儀 な り だ った と の こ と だ った 。 我 々 は さ す が に 狼 狽 し た ら し い。 ア ラ ブ 矢 く さ れ た 一件 は 、 当 時 書 か れ も し と ん だ 茶 番 だ と ば か り 、 部 長 の部 細 自 ら 書 き も し た 。 す で に 我 々 の死 (取 材 時 現 地 で は パ レ ス チ ナ ・ゲ っ た が 、 と に か く 下 町 へと 車 を 走 そ の夕方 、大 使館 の担 当 官 と 四 ホ テ ル へ戻 った も の の 、 従 業 員 リ ラ を こう 呼 ん で い た ) ら し き 男 の 希 望 の星 だ った ナ セ ル の 死 の衝 入 連 れ で 、 生 還 の祝 杯 を あ げ る べ は あ の ア ン マ ン の時 と 同 様 、 皆 逃 に車 を停 め られ 、 窓 を 開け るよ う 屋 で ス チ ー ル のト ラ ンク を 軽 く け ント ラ ブ ル で 香 港 に 一晩 足 止 め を く 市 内 の ナ イ ト ク ラ プ へ出 か け げ て し ま っ て 、食 事 を ま か な う ス タ を 覚 悟 し た 外 報 部 長 は 現 地 へと 向 く って いる 間 に 、 我 々は 救 出 さ れ た 。サ ー ビ ス が 始 ま っ て 間 も な く 、 ッ フも 見 つか ら な い。 あ げ く 我 々 フ ル が 両 側 か ら 胸 元 へ突 き つけ ら ら せ た 。 ド り 坂 に さ し か か った と て 赤 十 字 機 で ベイ ルー ト ま で た ど 突 如 銃 声 が と ど ろ き 、 あ た り にた の ] は 缶 詰 の 入 った あ の ト ラ ン ク れ た 。 こ こ か ら 先 へ行 く な ら 撃 つ 撃 を 、 あら ぬと ころ で か いま見 た り 着 いて いた 。 が そ こ で 、 ア ン マ だ な ら ぬ 空 気 が 漂 った 。 担 当 官 氏 に 注 が れ た 。﹁お 前 ら さ っ き こ れ け と 言 う。確 か に青 ざ め た と思う 。 と ば し て 憂 さを 晴 らし た 。 ンと 同 じ よ う な 体 験 を す る こ と に は 表 へ飛 び 出 し た が 、 す ぐ に 戻 っ と ば し た よ な. そ れ で も 食 え る か った が 、 そ の フ ライ ト が エ ン ジ な ろ う と は ⋮ ⋮ これ は これ ま で書 ﹁ナ セ ル が 死 ん だ ら し い 。 に合 図 され た。途 端 、 二丁 のライ こ ろ で、. 不 意 に ア ラ ブ ・コ マ ンド く 機 会 の な か った も う 一つ の 脱 出 てき て 格 好 に な った . 記 であ る 。 (81 第378号 2001年8月10日 第378号 2001年8月10日 の事 務 所 は ホ テ ルか ら 数 百 メ ー ト た が け る と、 男 はし ば ら く 思 案 して い 差 し 出 し て握 手 を す る と 帰 って い H の 朝 こ こ で 荷 物 と 一緒 に 待 って の時 、荷物 が到 着 し た。 め に 似 た 感 情 が ち ら と よ ぎ った そ った 。 だ が荷 物 は 来 な い。 あ き ら も は や タ ク シーも 人 影 も 全く な い て く れ ﹂。そ う 言 う と ウ イ ン ク を ﹁O K 、 俺 が 運 ん で や る 。 明 ル の 位 置 に あ った 。再 び 表 へ 出 た 。 く 、 ビ ル と いう ビ ル に は す さ ま じ し て 去 って い った 。 た ど リ 着 い た 。 待 つ こ と 一時 聞 、 は う よ う に し てJ A L へよ う や く れ る か も し れ な い、 背 を か が め 、 明 か し 玄 関 へ降 り る と 、 昨 日 の 男 決 し た 。 ま ん じ り と も せ ず 一夜 を か に 手 段 は な い。 衆 議 は 簡 単 に 一 信 用 し て い いも の か 、 し か し ほ か 。機 ヒ の 人 と な っ て も し ば ら く 、 日 本 人 に は 好 意 的 だ った で は な い も 、 ア ラブ ・コ マ ンド は 常 に 我 々 場 と な った 検 問 所 を 突 破 す る 際 に テ ル に 閉 じ 込 め ら れ た 際 にも 、 戦 疑 って 悪 か った 。 ア ン マ ンで ホ い弾 痕 だ け が 残 さ れ て い た 。 撃 た 現 地 社 員 の協 力 で エ ン ド ー ス は 成 が 届 け る か ら 、こ れ に 乗 っ て く れ ﹂ 乗 れ な い。 荷 物 は あ と で俺 の 兄 弟 ト ルを ぶ ち 下 げ た 中 年 の 男 が 声 を いう 危 惧 が わ いた 。 ア ン マ ンの フ 心 中 に は 取 ら れ る の で は な いか と え な か った 。 ほ そや ・し げ お会 員 外 報部 長 サイ ゴ ン ソ ⋮ ロ ンド ン初 代 支 尉 ア メリ カ 総局 艮な ど を 九瓦 年 退任 N T V映 像 セ ンタ ー常務 取締 役 書 か な か った 謡 を 務める 経 て 長 ウ ル両 初 代 特 派 員 五 七年 日本 テ レ ビ人 社 一九 三 一 二年 生 ま れ 一 中 し 訳 な か った と い う 気 持 ち が 消 が 立 つて いた 。 功 し た 。し か し 困 難 は ま だ 続 い た 。 す る 最 後 の 便 にな る か も し れ な い と 、 ル ノ ー のよ う な 小 型 車 を 指 さ ﹁俺 の 車 は 小 さ い の で 人 間 し か と い う の に 、 空 港 へ行 く す べ が な 明 日 の こ の 便 が ベイ ル ー ト へ寄 港 ベト ナ ム で も 、 ま た つ い 数 日 前 の した。 か った の で あ る 。 か け て き た 。 ﹁ヤ バ ニ (日 本 人 )P ﹂ ィ ラ デ ル フ ィ ア ・ホ テ ル を 脱 出 す ﹁荷 物 が あ と で は 困 る ﹂。 我 々 の ﹁イ エ ス ﹂ ﹁オ ー ジ ャ パ ン 、 ヒ ロ シ ち 出 し た器材 だけ に 、 ど う しても る 際 、 私 物をす べて 捨 ててま で持 ﹁コ マ ン ド か ﹂と 尋 ね る と そ う だ マ ﹂。 男 は 好 意 的 だ っ た 。 ん や り し て いる と 、 突 然 腰 に ピ ス ホ テ ル のド ア に よ り か か って ぼ ヨ ルダ ン で も 、 銃 弾 の 下 を か い く ぐ った 経 験 は あ った が 、 撃 た ん か な の構 え で 銃 を 擬 せ ら れ た こ と は な く 、 初 め て の 体 験 だ った 。 や む な く ホ テ ル へ引 き 返 し 、 J AL に再 び 相 談 した。 事 情 を 察 知 し た 係 員 は 、 そ の航 空 券 を レ バ ノ ン入 社 員 を 使 っ て P A N A M ま で 手 放 し た く な か った 。 が ほ か に道 は な い。 路 上 で 燃 え さ か る タ イ ヤ と 言 う 。﹁何 か 困 った こ と で も あ る の か ﹂と 男 は 聞 い て き た 。 ﹁空 港 へ の山 を 避 けな がら 、 と も かくも空 届ける こと が でき るかも し れ な い、 と 三聞っ て く れ た 。 た だ 撃 ち 合 行 き た い ん だ ﹂と 言 う と 、 ﹁デ ン ジ 港 に 着 いた 。 ﹁荷 物 は す ぐ 来 る さ ﹂。 男 は 手 を ャ ラ ス ﹂と ひ と こ と 、 ﹁何 と か 空 港 へ行 く 方 法 は な い か ﹂ と た た み か いが激 し く な って いる の で 、 こ ち ら か ら は う か が え な い、 持 参 し て く れ と の こ と だ った。 幸 いJ A L 藩 いた 漏 (9) リ ラ を取 材 す る ・箪 者 ヨル ダ ン内 戦 直 前.ゲ ﹁今 回 こ の よ う な こ と が 起 こ り 非 常 に 残 念 です 。 今 回 の件 が は っ き り と 判 明 す る ま で 、 フ ァ ン の皆 さ ま に は申 し訳あ り ま せ んが、 日 本 の マ ス コミ の皆 さ ま と の お 話 は 一切 按 え さ せ て い た だ き ま す ﹂ 米 大 リ ー グ ・マ リ ナ ー ズ の本 拠 地 セ ー フ コ ・7 イー ル ド で 、 シー ズ ン後 半 戦 の最 初 の 公 式 戦 と な っ た 七 月 十 二 日 (日 本 時 間 同 十 三 目 ) の こ と 。 試 合 中 に マリ ナ ー ズ の広 報 部 長 か ら 、 記 者 席 の 日 本 の報 道 陣 に 佐 々 木 主 浩 投 手 と イ チ ロー 外 騰ツ{ 蛮 ンク ” と 話す 。 た だ 、 米 国 で は ﹁球 場 内 こと も 遠 因 のよ う だ 。 手 の 意 向 に 沿 う だ け に な っ て いる 報道 陣 は 米 国 の記者 も 同 様 、 チ に い った ん 足 を 踏 み 入 れ れ ば 、 取 材 に応 じ る の も 選 手 の仕 事 の う よ う に 努 め て いる 。 そ れ で も 飛 行 ャー タ ー 機 で 移動 す る 選 手 と 違 だが、 今 回 の問 題 では米 国 の記 機 が遅 れ て予 定 通り に乗 り 継 げ な ち ﹂と さ れ、 後 は、 与え ら れ た 機 者 も 、 日本 の 全 メ デ ィ ア を 対 象 に か った り 、 試 合 開 始 に 間 に 合 わ な い、 各 社 で 工夫 し て 移 動 、 宿 泊 の 取材拒 否を 持 ち 出 した こと に は 首 か った り す る こ と は 避 け ら れ な 会 で自 由 に 取 材 の腕 を 競 い合 う と を か し げ た 。﹁記 者 の入 れ 替 わ り が い。 先 客 の 滞 在 延 長 で 他 の ホ テ ル 手段 を 手 配し 、取材 に支 障 がな い 激 し く 、 ま じ め に や って いる 人 と に振 り 替 え を 余 儀 な く さ れ 、 球 場 いう わ け だ 。 そ う で な い人 と の区 別 が で き な は、本 格的 な大 リーグ 取材 に 慣 れ だ が 、 納 得 の いく 取 材 が で き れ ず 、準 備 が ム ダ に な る こ と も あ る 。 ま で の ア ク セ スが r 定 通 り に いか て いな いメ デ ィ ア 側 の実 情 も う か ば、 こう し た 苦労も し が いがあ る い﹂ と いう イ チ ロー 選 手 の 主 張 に がえる が、 そ れ でも 納得 でき な い 野 手 の合 同 の コメ ン ト を 記 載 し た 後 の取材 は自由 だ。 記 者 が取材 し と いう も の だ 。 し か し 、 イ チ ロー 報 道 だ った 。 四 日 後 の 十 六 日 選 手 の自宅 でも 取材 す る のが慣 習 可 能 な 限 り 設 定 し て く れ る。半 面 、 て お り 、 こ れ に は 米 国 の記 者 か ら 取 材 は 、 代 表 取 材 の形 式 が 定 着 し に端 を 発 し た 論 議 は 、 米 国 の 記 者 選手 を 取 り巻 く 取材環 境 は ま だ 、 ”米 国 の 常 識 ”が 通 用 す る ま で に は 至 って いな い。 ”取 材 拒 否 騒 動 ” H 本 語 の文 書 が配 布 さ れ た 。 原 因 は 、 日本 の 写 真 週 刊 誌 に よ の は 米 国 の 記 者 も 同 じ だ った 。 十 七 日 )、二 選 予 と 日 本 の 報 道 陣 と に な って いる 日本 と 違 い、 米 国 で も ﹁ も っと 日 本 の メ デ ィ ア と う ま が 出 て いる 。 そ う な った の に は 、 そ も そ も イ チ ロー 選 手 の 通 常 の の 話 し 合 い で 、 ”取 材 拒 否 ”は 取 り は 所 定 の時 間 、 場 所 以 外 で の 取 材 ﹁と に か く プ ラ イ バ シ ー は 守 っ イ チ ロー 選 手 の 意 向 な ど 、 そ れ な や め に な った が 、 こ の 問 題 は 、 米 に は 、 日 本 の報 道 陣 だ け が 自 分 た て ほ し い﹂ と 、 佐 々木 投 手 が 強 調 り の経 緯 が あ っ て の こ と だ が 、 過 か げ や ま ・み のる 今年 から運鮎 劉部 一九 九 〇 年 入 社 を 一層 奇 妙 に 思 わ せ た 。 外 信部 な ど を 経. て 社 会部 ち と 違 う ル ー ル に従 って い る こ と く つき あ った 方 が い い﹂ と いう 声 す る のも も っと も で 、 米 国 の記 者 去 に例 の な い 多 く の報 道 陣 が 日 本 を 避 け るのが ルー ルだ。 大 リ ー グ で は 、 日 本 の プ ロ野 球 も ﹁プ ラ イ ベ ー ト な こと ま で報 じ か ら つめ か け 、 球 団 広 報 部 も 手 に で の 取 材 のあ り 方 の 違 いを 改 め て と 違 い 、 ロ ッカ ー ル ー ム で の 取 材 る の は お か し い。 そ う いう 報 道 を 認 識 さ せ る 結 果 と な った 。 が 認 め ら れ て いる 。 球 団 広 報 部 長 負 えず 、 取材 対応 ではイ チ ロー 選 し た 記 者 は徹 底 的 に 糾 弾 さ れ る ﹂ 国 の メ デ ィア の 関 心 を 呼 ぴ 、 日米 ( 同 た い選 千 名 を 言 え ば 、 取 材 機 会 も イチローの取 材環境 る 二 選 手 のプ ラ イ ベ ー ト な 場 面 の 米国流 とはいかない が 入 室 許 可 の指 示 を 出 せ ば 、 そ の (10) 山 実 (産経新聞社) レ 蔭 “騒動 一 “取 材 拒 否 一 第378号 2001年8月10日 噛 深 層 水 に沸 く海 の 町 室 戸 の浪 に 山 崎 一 城 甜鱒 ) す る こと ができ る市 民 は 、 舌 でも ﹁泣 き に 来 て み つか れ ﹂。本 紙 文 芸 選 者 も 務 め た 鯨 へ の い敬 を 感 じ 続 け て いる 。 を伝承する﹁ 鯨 館 ﹂。 年 中 鯨 肉 を 食 川 柳 作 家 、 故 奴 田 原 紅 .雨 さ ん の句 ら い の は 海 であ る 。 高 知 県 東 端 、 け 、 町 の主 役 だ った 漁 師 た ち にも 人 や国 際協 調減 船 のあ お りを受 た 当 地 だ が 、 安 価 な 外 国 産 魚 の流 数 の基 地 と し て も 栄 華 を お う 歌 し 成 。 沖 合約. 二〇 〇 〇 メ ー ト ル、 水 海 洋 深 層水 ア ク ア フ ァー ム﹂ が完 初 の商 業 用 給 水 施 設 と し て ﹁室 戸 室 戸 岬東岸 には 昨 年 四月、 国 内 は 綿 々と 受 け 継 が れ て い る 。 国 際 ま ず プ レイ ク し た の が 食 品 。 飲 料 水 産 業 へ の利 活 用 を さ し お いて 、 国囲 灘 高知 同 市 にも 第 二 集 団 の足 音 が 近 づ い て き た 。 鯨 漁 で も マグ ロ漁 で も 、 常 に 日本 を リ ー ド し た 室 . P入 に と って、 深 層 水 で も 負 け る わ け に は いか な い期 待 の 産 業 だ 。 某 誌 の 住 み 良 さ ラ ンキ ング で は 最 下層 に位 置 し 、 近代 行政 の枠 組 み で は停 滞 の ら く 印 を 押 さ れ る 町 。 だ が 、 指 数 で 測 り き れ な い潜⋮ 在 的 な 魅 力 は ど ん な 町 にも 負 け な いのではな いか 、 と独 り合点 し て いる 。 書 き き れ な い ﹁室 戸 ﹂ は 現 地 で 体 験 し て も ら いた い, 読 者 や デ ス ク か ら の叱 咤 は 茶 飯 事 な が ら 、 塞 戸 の海 に叱 ら れ た こ き ょう も 支 局 長 ﹂ と いう 開 放 的 な と は ま だ な い。﹁海 光 り 半ド ン 気 分 にも な る 。 室 戸 の海 は そ ん な 顔 も 持 って い る 。 (11) ま た 、 遠 洋 マグ ロ漁 船 の 国 内 有 逆 三 角 形 を し た室 戸 市 は 表 情 豊 か . 兀気 が な い。 そ ん な 折 、 ま た も や 深 三 七 四 メ ー ト ル か ら 日量 四 〇 〇 ﹁ 室 戸 海 洋 深 層 水 ﹂。 要 す る に 、 水 を 筆 頭 に 、 ア ク ア フ ァー ムか ら しま れ て い る。 碑 が 室 戸 岬 にあ る 。 当 地 で 一番 え な海 に叱 咤激励 さ れ る 町 だ 。 室 戸 に恵 みをも た ら そう と し て い 占 式 捕 鯨 以来︼ . 一 百余 年 、 鯨 文化 舞台 で物 議を 醸す 、 頭 数 減 少論 や 太 陽 の 光 の 届 かな い 深 海 の 水 で あ 給 水 を 受 け て いる 約 百 社 の ほと ん の 礼 所 が あ り 「室 戸 三 山 」 と し て 親 〇 立 方 メー ト ルを 取 水 し て いる 。 る。 が、 これ が実 に恵 み 多 き 水 で ど が、 酒、 豆腐 、 菓 子 な どを生 産 i八 カ 所 の う ち 、 ㌃・ 十.四番 最 御 崎 寺. }二1・ 五 番 津 照 寺 、 「 十 六 番 金 剛 頂 寺 る の も 海 だ った 。 あ る こ と が分 か ってき た 。 表 層水 コ ほ乳 同 情 論 が 、 いか に 文 化 に 根 ざ か、 当 地 に 住 め ば よ く 分 か る 。 国 に 比 べ無機 栄 養分 が豊 富 、 大 腸菌 す る 企 業だ。 i高 知 空 港 か ら車 で 約 一 時 間 半・一室i l戸 阿 南 海 岸 国 定 公 園 に 属 す る室 岬 1に は 亜 熱 帯 植 物 が 群 生 し、 黒 潮 の 影 し た 生 活 を 度 外 視 し た も の であ る 内 随 一の 豊 富 な 資 料 展 示 で 鯨 文 化 な ど の 雑 菌 に 犯 さ れ て い な い清 浄 エネ ルギ ー な ど 多 様 な 活 用 が 見 込 今 後 、 一次 産 業 を は じ め 、医 療 、 る ⋮ ⋮ 。 正 体 は 解 明 途 L な が ら、 ま れ る 。 全 国 的 に 深 層 水 取 水 の動 性 、 水 温 が 常 に九 度 に 保 た れ て い 無 尽 蔵 の ”資 源 ” と し て 活 用 で き ・室 戸 市 メ モ 中で 「室 戸海 洋 深 層 水 」関 通 商 苗 は 多 種 多様 き が 広 が って お り 、 独 走 し て いた を 受 け温 暖 で あ る。 突 端 に 解維 新 志 士.中 岡 慣 太 郎 像 が そ び え 観 光 で に ぎわ う.弘 法 大 師 空 海 の 修 験 地 とLて も知 られ 、 四 国 霊 場 八f畠 i響 iの 1客 1の ヒ も飲 料 水 は 売 れ 筋 商 品 の 筆 頭 だ る 可 能 性 が高 ま って い る 。 ド ノノキ ロl ;世 帯8、 剖5{ ;面 積248.19平 く く .574入 ヒ ・ 人 口20 第378号 2001年8月10日 普 及 と進化 の原動 力1 双 方 向 、 デ ー タ 放 送 への挑 戦 1 小野寺 廉 ﹁T IM E レ ギ ュラ ー でも 双 方 向 番 組 末 は 億 万 長 者 にな る 子 ど も か も デ ミ ー ﹂ と い った 番 組 は 高 い 評 価 い孝 行 息 子 な のか 、 も し か す る と ⋮。 子 ど も は 生 む だ け じ ゃ ダ メ 。 と 根 強 い フ ァ ンを 獲 得 し て いま O V E R ﹂﹁N E W S ア カ 育 て て こ そ 楽 し い。 S -i は 、オ リ ジ ナ ル ド ラ マ の 3 本 デ ー タ 放 送 を 付 け て 、 ピ ッチ ャー ョ ン生 中 継 に ﹄ 球 予 測 す 。 さ ら に 、 プ ロ 野 球 の ハイ ビ ジ をた て続 き に放送 しま し た 。 一つ が 次 に ど の コー ス に ど ん な 球 種 の 昨 年 十 二 月 一日 の 開 局 日 に 、 B ﹁B S デ ジ タ ル 放 送 の 特 徴 で あ と 近 く に住 む 義 父 が 来 て い て 、 日 B S -i は ト ップ だ と 思 っ て い ま 開 局 八 カ 月 た ち ま し て、 確 か に ea C e る ﹂ と いう テ ー マで作 ら れ た く 、 ド ラ マや ド キ ュメ ン タ リ ー 、 送 が ら み の チ ャ レ ン ジ だ け でな ﹂ と いう は 投 球を す る のかを予 測 し な が ら中 経 新 聞 の記 事 の 切 り 抜 き を 妻. に見 す 。 こ ん な に オ リ ジ ナ ル番 組 を 作 フ ィ ン青 春 ド ラ マです 。 二 つ 目 は (B $ Ii 広 報 宣 伝 部 . 長∀ る ハイ ビ ジ ョ ン の 美 し さ と 5 ・ー 継 を 楽 し む こと を 可 能 に し ま し せ て い る 。 ﹁ム コ 殿 の 会 社 は ほ れ 、 り 続 け て いて 大 丈 夫 ・ !と 社 員 が 心 ﹁デ ジ タ ル 化 さ れ た 映 像 の 可 能 性 ム コ知 ら ず 。 サ ラ ウ ンド 音 声 を と こ と ん 追 求 す た。 も ち ろ ん、 こう し た デ ! タ放 ト ップ ら し い そ 。 ﹃B S -i が ト ッ 配 す る ほ ど 。 ハ ンパ じ ゃな い金 額 で冒 険 せ よ ﹂ と いう 命 題 で 作 った 五 月 .頃 だ っ た ろ う か 、 帰 宅 す る ﹁P プ ﹄と 出 と る . . す ご い も ん だ ﹂。 デ を 制 作 費 に も 広 報 費 にも 開 発 費 に ﹁地 球 大 爆 破 も いた だ く こ と が で き ま し た 。 と 読 みこむまなざ ﹁エ フ・ ⋮ ﹂。 じ つ い メ デ ィ ア に ふ さ わ し い新 し い コ し い酒 は新 し い袋 に 入 れ ろ 。 新 し れ も な く 新 し い メ デ ィア で す 。 新 の で す 。 B S デ ジ タ ル放 送 は ま ぎ B S -i は パ イ オ ニ ア で い た い そ こま で ツ ッ バ ッて 生 き て く の P は と れ て い る は ず が な い。 な ん で シ ョ ッピ ン グ 番 組 で も 、 開 局 時 のでし た。 立 て 自 体 が 変 わ って い く と い う も の リ モ コ ン操 作 に よ り ド ラ マ の筋 方 向 ド ラ マ ・ト レ ジ ャ ー ﹂。 視 聴 者 る 2 ﹂ と いう 挑 戦 で作 ら れ た ビ ス を ド ラ マ で 使 った ら ど う な タ ル最 大 の 特 徴 で あ る 双 方 向 サ ー ド ラ マ で す 。 .二 つ 目 は ﹁双 ん、 義 父 も それ を望 ん で いる こと 7た ち の喜 び で も あ り ま す 。 た ぶ て い ま す し 、B S -i で 働 く ス タ ッ 普 及 と 進 化 の原 動 力 で あ る と 信 じ そ れ だ け が 、 B S デ ジ タ ル放 送 の い メ デ ィ ア の 価 値 を 高 め て いく 。 コ ン テ ン ツ を 制 作 ・放 送 し 、 新 し いま す 。 B S デ ジ タ ル な ら で は の と こと ん 追 求 して いこう と考 え て 今 ま でも 、 そし て今 後 も 、 B S し。 し ば し 沈 黙 の ン テ ン ツ の闇 発 を 楽 し み た い の で ﹁リ モ コ ン 操 ﹂ と いう オ ム ニ バ ス “ド a v e﹂ と い う サ ー キ の 悪 い ム コ殿 の こ と を フ ォ ロー も か け て いま す 。 収 支 の バ ラ ン ス 後、記事 を クシ ャ す 。 こ の メ デ ィ ア、 ま だ 生 ま れ て から事 前 P R通 り に でし よ う 。 !- は 新 し い メ デ ィ ア の 可 能 性 を ク シ ャと 丸 め て ポ 問も な いの でど んな 子ど も に 育 っ 作 だ け で料 金 引 き落 とし ま で でき (12) 斉楽 番 組 も 多 数制作 し 、 多 く の賞 し て く れ て いる よ う だ 。 時代 ﹁B S デ ジ ケ ット に し ま い 、 て い く の か は っき り し な い 。 デ キ る ﹂ シ ス テ ムを始 め て いま す 。 ﹁義 父 さ ん 、よ く 読 ん で く だ さ い 義 父 は 帰 って いき の 悪 い与 太 郎 な の か 、 と ん で も な よ 。ホ ラ 、﹃営 業 収 人 も ト ップ だ が 、 ま し た 。義 父 の ひ 累 積 赤 字 も ト ップ ﹄ っ て 書 い て あ る で し ょ﹂ デ ジ タル敏送 第378号 2001年8月10日 第378号 2001年8月10日 は ゼ ロ﹂ と 説 明 者 は 自 慢 そ う 口会議 報 告 口 五 兆とも+ 兆と も うわさされ る ル ー ム V 出席 堀 川委 員 長、 岡 部 、 橋 本 、永 コリ ス 、神 志 名 、 迫 田 、 川 戸 、 野 、 小 池 、花 岡 、 春 名 、 幅 沢 、 羽 生 、 足立 、和 田 、 中 村 、 川 シ ル パ ー (書 面 ) 内 の各委 員 。 第細回理事会 八 月 の 貸 室 料 金 の 一律 .五 % 引 き (八 月 十 三 日 ∼ 十 七 一、 朝 日 新 聞 、 西 日 本 新 聞 、 毎 日 掲 ) を 了 承 した. . 一、 総 務 委 員 長 を 朝 日 の 中 馬 清 福 放 送 、﹄ 尽都 新 聞 か ら の 役 員 交 代 ( 別 氏 か ら 読 売 の堀 川 吉 則 理 事 に 、 堀 の肘 掛 イ ス 九 脚 の買 い替 え と 、 開 け 閉 めに支 障 が あ る ラウ ンジ の電 話 プ 朝 日 の 君 和 田 正 夫 ・新 理 事 に委 嘱 川 理事 が 務 め て いた 企 画 委 員 長 を 田村 委 員 長 、広 L、 宮 崎 、 今 ー ス ド ァ の 補 強 ・修 繕 ⊥ 事 を 行 う こ 出席 ︿理事交 代﹀ す る こと を 決定 し た 。 第 拠回 会報 委 員 会 シルバー ルー ム) ( 新 ) 君 和 田 正夫 朝 日新 聞 社 (旧 ) 中 馬 清福 浩 西 目本 新 聞 社 ( 新 )椛 員待遇 ( 旧 ) 山 崎隆 治 毎 日放 送 ︹ 新 V 池 口和 雄 ( 旧 ) 樺 沢 啓之 ︿監事 交代﹀ 京都新 聞社 洋 ( 新 ) 高 野 信之 ( 旧) 岸野 東京 支社長 報道 局長 東京 支 社 長 ・役 集 ・電 予電波 メ デ ィ ア担 当 専 務 取 締役 編 田 、田 村 、榊 原 、中 凍 の 各 委 員 。 とを 承 認 し た 。 三 十年 以 上 使 用 してき た ラ ウ ンジ 日 一午 後 六 時 で 閉 室 ) を 了 承 し た . 開室時 間 の変 更 (九 九 年 か ら 実 施 ﹀ と 、 お 盆 期 間 の ・5 第⋮ ⋮回 施 殴 運 営 委 員 会 走り出す とす ぐ、 車体は 金 を 投 じ て実 用 に 踏 み出 す か ど (7 に話 した。 これま で の最 高 スピード は 時 速 五 百 五 十 ニ キ ロ。 ギ ネ ス プ ック に 載 っ た 。 互 い に 五 百 キ ロで す れ 違 う 走 行 テ ス ト も 終 え た 。﹁実 用 化 に 向 け た 技 術 ヒ のめ ど は 立 った ﹂ と 昨 年 三 月 、 技 術 評 価 委 員 会 のお 墨 付 き も 得 た 。 あ と 一.一 年 半 で走 行 浮 いて 宙 を 走 った 。 気分は う か だ が 、J R 東 海 は ソ ロバ ン に テ スト も 終 わ る 。 そ のあ と は い い。こ の 日 の 最 高 時速 四 (弓 '・6 七月 号 に つ いて意 見交換 し た 後 、 合 う と 踏 ん で い る ら し い。 リ ニア モー タ : カ ー の車 体 の 第 捌回会 員 資 格 委 員 会 ︹7 ・16 宴 会 場V 山 内 委 員 長、 菊池 、 太 田 、 塚 越 、 工 藤 の各委員 。 (7 ・19 討 論会 ﹂ に つ いて意 見を交 換 し た 。 七 月 十 一日 に 開 催 し た ﹁七 党 党 首 第 訓回 企 画 委 員 会 出席 し、 理事 会 に答 中 した。 八 月 一日 付 の 会 員 入 退 会 を 審 議 大会議室} 橋 、 中 山 、 平 野 の各 委 員 。 住 田委 員 長 、 小川、 尾 崎 、 高 八、九 月 号 の 編 集 方針 を協 議 し た 。 ち ら は そ の四 分 の 三 の速度 で浮 出席 外 見 は 新 幹 線 に 似 て いる が、ひ と リ ニア モー タ ー カ ー の 研究 開 く 。磁 石 の 反 発 力 で 地 上 か ら 十 セ 回 り 小 さ い。車 内 の シー ト は 旅 客 発 は 一九 六 二 年 に始 ま って 、今 年 ン チ 浮 いた ま ま 走 る 。新 幹 線 よ り J R 中 央 線 大 月 駅 の 近 く にあ 四 十 年 目 を 迎 え て い る 。走 行 テ ス 振 動 は 大 き い が 、実 用 時 に は 改 善 機 の機 内 そ っく り 。 ジ ャ ンボ の 離 ト の 総 計 は 十 五 万 キ ロを 超 え た 。 さ れ るだ ろ う 。 窓 か ら 外 を 見 る る ﹁山 梨 リ ニア 実 験 線 ﹂ を 七 月 十 試 乗 会 の参 加 者 は 二 万 人 以 上 。ニ と 、確 か に 新 幹 線 よ り 速 か った 。 陸 時 の速 度 は 約 二 百 四 ト キ ロ。こ カ 月 に 一回 の 一般 見 学 会 に は 三 政雄 企画 委員 ( 読 売 新 聞 OB) 中村 十 倍 か ら 五 卜 倍 の応 募 者 があ る ”超 人 気 商 品 ” 。﹁試 乗 会 で の運 休 (13) 江敬 陸 会員 写 真=堀 三 日 に 見学 した。 機 に 近 いと 感 じ た 。 ー カ ー に試 乗 し て 、列 車 よ り 飛 行 百 丑 十 キ ロ。超 電 導 リ ニア モ ー タ 山 梨 リニア モーター カー 見 学 会1 ﹁ 記 者 ク ラ ブ ﹂ の 発 生 と 歩 み (上 ) 誕 生 は 明 治 の帝 国 議 院 内 春原 昭彦 ︹ 個入 D会 員 ∀ 現 れ 、 日 露 戦争 が始 ま る と 陸 軍 省 に ほ か 日 銀 、 大審 院 な ど にも ク ラブ が 楽 部 設 立 の必要 性 が高 ま り各 省 庁 の の 変 化 か ら 取 材 の範 囲 も 広 が リ 、 倶 二 十 世 紀 に入 る ころ か ら 社会 情 勢 際 は ほ と ん ど が そ の 三 つ の活 動 を し ほ か ) の三種 類 に 分 け ら れ るが、 実 ド 倶 楽 部 、文 部 記 者 会 、財 政 倶楽 部 北 辰 倶 楽 部 な ど )、三 、親 睦 ・社 交 (坂 ど }、 二 、 報 道 ( 兜 倶 楽 部、 内 務省 の た と 見 ら れるp こ の記者 ク ラ ブ の性 格 が変化 し た ( 後 の黒潮 会 ∀ が で き る. また 当 時 、 兵 員輸 送 の が戦 時統制 で、 昭 和 十 七 年、 日 本 北 斗 会 、 海 軍省 に潮 沫 会 の 玄 関 口 で あ った 広 島 に は 、 全 国 か 新 聞会 ﹁記 者 会 規 約 ﹂ を 定 め 、 各省 庁 の 記 (法 A-・に 基 づ く 統 制 団 体 V は ら 記 者 が 集 ま って き た が 、 軍 の新 聞 記 者 に 対 す る 理 解 は 乏 し く ﹁軍 当 局 の新聞 記 者 七名 が開院 式を 拝 観 し のも あ る 。 ﹁在 広 新 聞 記 者 倶 楽 部 者 会 は 日本 新 聞 会 及 び 当 該 官 庁 の 承 月 の帝 国 議 会 開 会 の時 に お く のが 妥 た。 こ のと き 入場 した 社 員 は 式 が終 宮 内 省 の 坂 下 倶 楽 部 は 明 治 天皇 崩 の 厳 し い圧 迫 を 排 除 し 、 取 材 の自 山 当 であ ろ う 。 記 者 の溜 ま リ場 は 、 そ わ る と 議 院 構 内 の新 聞 社 員 寄 合 所 で は各 記 者会を 通 じ て報 道 を規制した 。 に よ り 在 京 の新 聞 ・雑 誌 社 か ら 十 名 、 上智大 学名誉教授 戦 時 統 制 で 性 格 が変 化 記 者 ク ラ ブ の発生 を 定 め る の は難 (明 治 十 五 御 の前 後 、宮 廷 記事 が に わ か に重要 一例 を 挙 げ て お こ う 。 昭 和 卜 九 年 認 を 得 た 社 で構 成 さ れ 、 会員 は新 聞 れ ま で に も あ った よ う だ 式 の模 様 を 起 草 し て 各 社 に 配 布 、 各 視さ れ て各 社 担 任記 者 の 出 入 リが激 十 一月 七 日、 司 法 省 は ﹁本 日 尾 崎 秀 を 獲 得 す る のが目 的﹂ で結 成 され た 年 三 月 、 太 政 官 に新 聞社 員 溜 所 が 設 社員 は そ の手 続 き が終わ る ま で は 退 し く な った た め 、 相 互 の 親 睦 を 図 る 実 及 ゾ ルゲ の 死 刑 を 執 行 し た る 件 地方 の新 聞 社 か ら十名 、 そ れ に外 国 け ら れ た と いう 記 録 があ る ) が、 記 散 しな い こと を 約束 し て いた 。 これ ( 兜倶 し い が 、 一般 に は 明 治 二 十 三 年 十 ﹁ ( 探 訪 ) が直 接 役 所 から 取 材 す る 必 要 か ら 成 立 した も の。 兜 会 は 、 ソ 関 係 を 考 慮 し 新 聞 報 道 は 一切 会 に登 録 した 記 者 に 限 ら れる こと に 者 が同 盟記 者 倶 楽部 楽 部 ) は 明治 四十 三 年 東 京 株 式取引 な さ ざ る方 針 を 決 定 し 記 者倶楽 部 員 ﹂ の よ うなも こと は な か な か 難 し く 、 各 紙 の 公 報 会 ) の始 ま り で、 帝国 議 会 開 会 中 、 所 が改 築 さ れ たと き に 記 者 用 とし て を 指 導 し おき た る に 付 き貴 課 にお い 設 に 当 た っ て ﹁議 会 報 道 は 官 報 に よ 務 省 に出 入 りす る 記者 によ り . 外 交 日清 戦 争 、 北 清事 変 の こ ろ か ら外 以 後 、 明治 末 か ら大 正 に かけ て、 連 絡 し て いる 。 戦 時 下 に お け る 記 者 し お き たリ﹂ と内 務 省 検 閲 課長 宛 に 対 す る 唯 一の接 触 機 関 と な り 、 政 府 な った 、 以 後 、 記 者 会 は 当 該 官 庁 に など は、 太 政官 記 事 御 用達 全 国 の 新 聞 通 信 社 の記 者 が 集 ま っ て 一室 を 提 供 さ れ た のを 機 会 に 創 立 さ ら ず 新 聞 社 の雑 報 で⋮ ⋮﹂ と いう 記 研究 の記 者 団 体 が組織さ れ た 。 これ 各 所 に 種 々のク ラブ が複 数 結 成 され ク ラ ブ の効用 がう か がえ る。 (現 在 の 国 会 記 者 県 御 用 ) の 新 聞 、 後 に は ﹃官 報 ﹄ か いた 。 事 が 時 事 新 報 に 出 て い る )。 が 霞 ク ラ ブ の 元 で、 そ の 後 、 海 外 広 る 。 そ の 掲 げ る 日 的 を 見 る と 、 一、 (ま た は ら の 引 用 が 多 い (こ の た め か 議 会 開 帝 国議 会 開 設 に 際 し て議 院 は 、 初 報 発 表 は こ のク ラブ を通 じ て 発 表 さ 調査研 究 (霞 倶 楽 部 、 鉄 道 研 究 会 な り の (次 号 へ続 く ) 実 を 登載 す るも 転 戟 せ ざ るよう 指 導 て も 協 力相 煩度 、 尚 官報 にはそ の事 め か ら 新 聞 社 の代 表 の 傍 聴 を 認 め る れ る よ う に な った 。 れ た も の と いう 。 こ と に し (こ れ は 英 断 で あ る V、 抽 選 (1の 第378号 2001年8月10日 ﹁豆 つ ぶ ほ ど の島 に 生 き の び 終戦 日﹂- そ の む かし私 が 詠 ん だ句 だ。 私も南 の小 さ な 島 で 終 戦 を 迎 え た。 食 糧 は 乏 し た。 し かし 、 こ の映. 画 の戦 友 た ち は 、 壕 で 米 軍 の火 焔 放 射 機 で 焼 き 殺 さ れ る と いう な か で几 死 に 一生 を 得 た だ け に 、 そ の絆 は 深 いも の に 、 同 時 代 の 私 た ち の共 感 を よ ん だ。 遺 品 の ハー モ ニカ か ら 戦 死 し ( 真田 ◇将 棋 の 会◇ ヒ月 二f 八 日 (ヒ ) ヒ 月 の 例 会 に は .伊 藤 喜 久 蔵 、内 海 裕 L 肚 、柴 田 鉄 治 、中 野 正 彦 、深 谷 憲 寄 贈書 N E WS カ レ ンダ ー THE 共同通信社 2 0 01 PR E 日本 新 闘協 会 J A P A N E SE 一.丸 本 聡 明 、森 田 昌 芳 、和 田 正 光 の S S 20 0 1 電通 放 送文 化 基 金 放 送 番 組向 L協 議 会 参加.クラブ側も 二卜五入と期せず ま し た が、 紅 友 会 か ら は ニ レ 四 人 が と あ って 、 参 加 者 の 八 数 が 心 配 さ れ 研究 ﹁家 庭 に お け る メ デ ィ ア 教 育 ﹂ の 情 報革 命 の光 と 影 電 通 1 0 0年 史 各 氏 が 参 加 し ま し た 。中 野 、森 出 、深 谷 さ ん の 三 入 が 五 勝 一敗 で 、 そ れ ぞ れ 持 ♪り占⋮ 浄工ハ○一 占⋮、r皿几 占崩 、一噌九 占{卜ト あ げ る 好 成績 を お さ め ま し た。 次 回 は 九 月 一日 (t ∀ 午 後 一時 か ら 、 小 会 議 室 で行 いま す 。 ○ 囲 碁 の会 ● 紅 友会 と対抗戦 二 八 、三 段 八 人 、二 段 二 入 、初 段 二 人 . 紅b 反Aムは ﹂ハ段 二 人 、五 段 . 八入 、四目段 し て 息 のあ った と こ ろ を 見 せ ま し た 。 抗 戦 が、 七 月 二十 .日 に行 わ れ ま し 夏 の風 物 詩 と な った 紅 友 会 と の対 ⋮ ⋮。 戦 友 自 ら殺 し殺さ れ る 無 残 し ま す。 九 月 二 十 九 日 (上 )午 後 一時 か ら 開 催 八 月 の 例 会 は お 休 み です 。 次 回 は 百 四卜 勝 二 百 敗 と な りま した 。 し た 。 こ れ で 通 算 成 績 は ク ラ ブ の 一. 四卜勝 三 ﹁二 敗 ヒ 辛 く も 勝 ち 越 し ま 三 局 を 終 わ った と こ ろ で 、 ク ラ ブ が 開 。そ の後 徐 々 に 男 性 軍 が押 し 戻 し 、 し は女 性 軍 が 自 星 先行 で優 位 に 展 直 し て対 局 に のぞ みま した 。 滑 り出 ク ラ ブ側 は普 段 の点 数 制 を段 級 位 に た 。 逮 日 の猛 暑 に加 え て連 休 の谷 問 手 段 が い く ら も あ った だ ろ う に ク チ ャ に し た の か。 他 に 制 裁 す る な ぜ 、 こ れ が戦 友 た ち を メ チ ャ かし ⋮ ⋮ 。 の場 は 真 に 迫 る も の があ った , し 認 め ら れ 、 そ のオ ド オ ド し た 脅 迫 し た。 世 相 の断 面と し て の登 場 は チ キ 企 業 だ った の で 、 情 勢 は 一変 オ ウ ム教 の よ う な 霊 感 商 法 の イ ン に な った が 、 そ の 恋 入 の 勤 め が 麻 垂 美 ) が戦 友た ち の アイ ド ル た 孫 娘 の 看 護 婦 の百 合 子 試写会 な 設定 に は 疑 問 である。 せ っか く 戦 場 で 生 き の びた戦友 た ち に最 後 ま で生 き て ほ し か っ た 。 孤 児 に ハー モ ニカ を 託 しただ け で は 救 わ れ な い。 私 た ち 戦 前 派 博夫 は い つま で も 生 き の び た い。 朝 [新 聞 O B 太田 (15) があ った 。 戦 争 は 遠 く な った が 、 そ の傷 を 背 負 って 生 き て いる 人 は 多 い。 試 写会 で は戦 争 を経 験 した年 配 の人 が 多 く 、 そ れ ぞ れ ”忘 れ ら れ ぬ 八 々” を 思 い出 し 、 感 既 無 量 だ った 。 ( 三 哀 し み を 背 負 いな が ら 生き て いる木 島 橋 達 也 )、す ぐ に惚 れ や ( 青 木 富 夫 V、 ( 内 海 桂 子 )を す い民 夫 病む妻 いた わ る 居 酒 屋 の平 八 ( 大 木 実 ) を演 ず る平 均 年 齢 七 十 八 歳 の個 性 あ る ベ テ ラ ン俳 優 だ け 盤 ヒで も “あ つ い 、 戦 い が 続 い た 忘れ られ ぬ 人々 く空 襲 にさ ら さ れ た洞窟 生活 だ っ 第378号 2001年8月10日 ﹁米 百 俵 ﹂ 上 映 会 ヒ 月 一.卜 丘 日 、﹁米 百 俵 小林 虎 ..一 郎 の 天 △叩﹂ のト 映 ムムが 行 わ れ ま し た 。 監 督 ・脚 本 の島 宏 さ ん も ﹁八 年 前 に つく った の が 、 小泉 さ ん の お かげ でよ み がえ っ て い る ﹂と あ いさ つ。 終 ゴ 後 も 、 旧 知 の ムム員 と ラ ウ ン ジ で に ぎ や か に歓 談 し ま し た. (16) 第378号 2001年8月10日 第378号 2001年8月10日 〔京 。 仔 恥 障「で ヘ リ コ フ『ク ー か ら 撮 影 一7 ,12叫 写 真 か ら 聴 衆 の 熱 気 が 伝 わ って く る 。 ご 存 じ 、 ”純 ち ゃ ん ”を .日 見 よ う と 集 ま っ た 入 々 だ 。 有 権 者 と 思 え な い女 の予 た ち が 純 ち ゃ ん の ,、 一 . 口= 昌に キ ャ i 、 キ ャ ー と 叫 び 声 を ヒ げ る 。 ま る で ア イ ド ルを 包 む 熱 狂 で あ る 。 ど こ か 異 常な 風 景だ 、 興 奮 や 熱 に 浮 か さ れ た 光 景 を 見 る と 、 いに ﹁と る に 足 り ぬ こ と も 新 し え の 賢 人 の. . . 日葉 が 心 に 浮 か ぶ 。 ギ リ シ ャ の 詩 人 エウ リ ピ デ ス は し く ば 、 烏 合 の衆 を 薄 ば す ﹂ と い った . .あ る い は ロ ー マ の 文 人 キ ケ ロ は ﹁民 衆 ほ ど さ だ ま ら な いも のは な く 、 そ の意 兄 の あ いま いな る も の は な く 、 選 挙 八 の総 意 兄 ほ ど 偽 リ な る も の な し ﹂ と 書 い た 。 こ れ ま で の 11 本 の 政 治 が あ ま り に利益 誘 導 的 、 党 派 的、 利 己 的、 秘 密 ・ 王 義 的 で あ った た め に 、 閉 塞 感 に さ いな ま れ て い た わ れ わ れ が 、 ﹁改 革 ﹂の 絶 叫 を 聞 い た 途 端 、 ヨ レ ヨ レ に な っ て し ま った 。 .夜 に し て ﹁烏 合 の 衆 ﹂ に 、 キ ケ ロ ﹁民 衆 ﹂ に な っ て し ま った の で は な い エウ リ ビ デ ス の いう の いう か 。 マキ ャ ベ リ も 警 告 し た . .﹁民 衆 は 安 易 に 髭 八 を 変 え よ う と す る 。 よ り よ い主 人 が 見 つ か る と 思 って ﹂。 だ が当 面は 、 改 革 に 期待す るし か手 がな い か も し れ ぬ 。 ﹁変 革 の 手 段 を 持 た な い 国 家 は 、 徹) 自 己 保 存 の乎 段 も も た な い﹂ と 英 政 治 家 エド モ ン ド ・バ ー ク も い っ て い る の だ か ら 。 (黒 岩 (17) 〔 境饗{1羅饗袴 葺部) 和則 笠原 写真 参旨 完」 讐 公 オ=日 に1寅 言 見会ナ 易:こ巣 ま っ た イ汁 荏 片 ら を 賢 人 た ちの 民衆 論 八月十 三 日 ∼ 十 八日 は午 後 六 時 で終 了 ・洋 食 レ ス ト ラ ン(10階) 3503-2766 ・貸 室 摂約 個人会 員 七 八社 3503-2724 3503-2721 一五 〇 祉 ・受 付 、 宴 会 打 ち 舎 わ せ 二二八社 八二 六四人 原 田 明夫 検事 総 田中 療 夫 長野県 ( 水 ) 正 午 ー午 後 2 時 長 昼 食会 石 原 伸 晃 行革 担 当 相 昼食 会 昼食会 高 橋茂 男 堀 内敏 宏 O 三1 . .一 五 〇 三 ー 七 二七 = 〇 三 ﹂ .五 〇 =. 1 二 七 五 .. ) 本庄 五月 平野恭 子 尾崎美 千 生 3 1 日 (金 ) 正 午 ー午 後 2 時 話 絡 11 長 谷 川 和 子 中 山 司朗 員 11 小 川 津 根 f 委 員 長 ﹁住 田良 能 金報 委 員会 委 連 ︹ 電 武 大 偉 中国 大 使 30 日 (木 ) 正 午 ー午 後 2 時 知 事 昼食 会 二、 九〇 五 人 特 別 賛助会員 法 人 ・個 人 賛 助 基本会員 ・ク ラ ブ 行 事 へ の 申 し込 み 八 月 の 行 事 {6 H現在 ) 計 一四 人 ﹁二 八 人 一、 七 八 八 人 法人会員 3503-2ア23 (F A X 3503-2728 ”払 い の 生 ビ ー ル を ど う ぞ ! .人 会 員 現況 (ダ イ ヤ ル イ ン) 名 誉 ・功 労 会 員 会員 ・和 食 レ ス ト ラ ン(9階) 20 日 (月 ) 正 午 ー 午 後 2 時 3503-2725 ・経 理 担 当 “熱 暑 八四〇円) 義 雄会 員 一八 〇 〇 円 ) 牟 出 口義 郎 A吾具 内田 ﹁花 の様 式 ナ ン シ ﹁ア ー ク ラ ブ の 電 話 29 日 3503-2722 例 年 通 り 、 こ の 一週 間 ク ラ ブ の 開 室 時 間 を 午 後 六 時 ま で に さ せ て いた だ き ま す 。 九 階 の 和 食 レ ス ト ラ ンは 夜 の 営 業 を 休 みま す 。 た だ し 、 十 階 の ア ラ スカ は 金 曜 ま で 夜 も 営 業 い た し ま す 。 ( 中 公新 書 (ご恵贈 いただき ま し た) 中 東 の歴 史 会 員の著 書 物語 朝 日新聞 社 か ら 聖 地 ソ ロ フ キ の 悲 劇 (N H K 出 版 國 ﹂、 大 丸 ミ ュ ー ジ ア ム か ら - 派 展 ﹂ ﹁山 下 清 展 ﹂ ﹁ポ ン ペ イ 展 ﹂ ﹁京 都 清 水 寺 展 ル ・ヌ ー ヴ ォ ー ガ ラ ス 名 品 展 ﹂ の 招 待 券 を ご 恵 贈 代 表 取 締 役 専 務 取締役 東京 支 社 長 代表取締役 社長 いただき ま し た 。 お 礼申 しあ げ ま す 。 譲 一. 俊夫 薪 )植 田 久司 ・会 員 事 務 担 当 年 ご と に 東 京 の 炎 暑 は 猛 烈 を き わ め て いま す 。 仕 事 を 終 え て 夜 風 を 待 つ間 、 ア ラ ス カ (十 階 ) で 生 ビ ー ル を お た の し み く だ さ い 。八 月 末 ま で 、﹁ビ ア ホ ー ル セ ット ﹂ を 用 意 し て い ま す 。 生 ビ ー ル ニ 杯 に シ ェ フ特 製 の お つま み 三 品 が つ いて 、 会 員 は 特 別 に同 伴 者 も 含 め 二、 二 五 〇 円 と お 得 です 。 電 話 三 五 〇 三 - 二 七 六 六 で 、 ﹁会 員 の つ ○ ﹂と お っし ゃ って ご 予 約 く だ さ い。 ロ ッカ ー の 荷 物 と 傘 を お 引 き 取 り く だ さ い 八 月 末 に ロ ッカ ー の点 検 と 傘 立 て の整 理 を し ま ﹂ に つ いて す 。 長 期 間 使 用 さ れ て いる方 は 、 至 急 お 荷物 と 傘 を お 引 き 取 り 願 いま す 。 ﹁第 二 回 ア ジ ア 視 察 団 昨 年 、大 き な 成 果を 上 げ た 、主 に 地方 の新 聞 ・ 文吾 ︿法 人会 員 代 衰 変 更 ﹀ 宏彦 放 送 各 社 の中 堅 記者 を 対 象 と す る ア ジア視 察を ( 新 )自 井 中 日新 聞 社 ( 旧)大島 今 年 も 行 いま す 。 今 回 は 十 一月中 旬 を メ ド に 約 卜 口問 で フ ィリ 毎 日放 送 ( 新) 門前 ( 旧)佐 野 ( 旧) 山内 朝 日放送 満孝 “湾 を 回 る 予 定 で す 。 ア ロ ヨ比 大 統 領 、 ピ ン⊥ 陳 水 扁 台 湾 総 統 は じ め 政府 高 官 と の会 見 、 現地 進 出 日本 企 業 の 取 材 な ど を 実 現 で き る よ う 、 現 在 、事 務 局 で 詰 め の 作 業 を 行 っ て いま す 。近 々、 実 施 要 領 が 固 ま り し だ い、 ご 案 内 いた し ま す の で 、 ご 参 加 い た だ く よ う ご 検 討 願 いま す 。 (181 第378号 2001年8月10日