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日本記者クラブ会報

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日本記者クラブ会報
穏 健 な 知 性 派 アブ ド ラ 副 首 相
ー
.月 ク ラ ブ の ア W
ンア 取 材 団
(7 ・11 ︺
団 長 だ った 中 ヰ さ ん は 、 企 .
画
会 見 し た .κ人は そ の時 の メンバ
は マ レ ー シ アを 訪 問 、 副 首 相 と も
昨 年レ
8 月 28 、29日 に 記 者 研 修 会
ゲ ス ト ル ー ム で 、 ア ブ ド ラ 副 首
、
(中
った
﹁
朝 日 }、.
戸谷
っ て い た の は 、中 井 へ読 売
ハ日 経 )、小 倉
相 を 待
脇
日 )、藤 成墜 道 新 ︺の .
瓦・
記 臥臼だ
委 11 と し て 、 こ の 会 見
一や あ 、 .再 会 で き ま し
の d へ石首 だ った
副首 相は
た ね ﹂ と 顔を ほ ころ ば せ て 、各人
と 握 夢 を か わ し た . こ の 小 部 屋.
か
こ ん な に も 明 る く リ ラ ッ ク スし た
会 見直 前 は ど ん な大物
雰 囲 気 に み た さ れ た こ と が あ った
だ ろう か
リ ー ダ ー も し ゃれ た 外 交 辞 令 を 口
に し な が らも 、 内 心 は 身 構 え て い
る も の.
と こ ろ が 、こ の H は ムEく 述 った
記 八,
心署 名 の 時 も 、 κ 人 の 記 階 た ち
発 行
幣
.
W
-.
'
、
.
.
東 京 都 ﹁ 代 川 .区 内 幸 町
.ノ ..
ノ .
11 本 フ レ ス セ ン ダ ー ヒ ル
日 本 記 者 ク ラブ
11 11 は 北 川 .
止恭 前 .
..亜 県 知
.
事、堂本 暁 .
rr 葉 県知 事 、 増 川
-地 々 か ら 日 本 を
砲 也 岩 手 11爪知 豊 を パ ネ リ ス ト に む
か え ての.
研究 会
変える
地 方 分 権 の進 め 方
[ 続
い て 汐 殉川の 臣ハ同 通 信 本 利 の 目㌍了 へA
・社 団 法 人
と 冗談を.
.
uい 合 い な が ら で 、終 始 、
の 党 大 会 で、 マ ハ テ で ー ル首 相 が
教 訓 一、.石 原 慎 太 郎 都 知 事 昼、
食 会 、
常 勤 顧問 の
.11 目 は 中 馬 清 福 ・朝 H 新 聞
引 退 を 表 明 し 、 ア プ ド ラ副 首 相 は
G ・ヒ ー ル シ ヤ i ・前 南 ド イ ツ 新
会
直後 の同 党
﹁四 ・
、
.
,
.
年 記 暫 の失 ⋮
敗と
そ の 後 任 に推 さ れ た
間 特派員 の
﹁外 国 肪 派 員 の 見 た 目
最 高﹁
評議会な ら び に 与 党連合 の会
本 の ブ レ ス 一 の 順,
中 馬 さ ん は 政 策 ・政 治 記 者 の 先
相 就任.
r定 を 前 に し て の訪 日 だ つ
最 近
検 討 小 委 員 会 の委 員 .
長も 務 め た .
駆 . 編 集 担 当 と し ザ、新 聞 倫 理 綱 領
た 口外 相など の閣 僚 .
κ人 のほか 副
波 新 hU
体 験 .的 取 材 論 の
知的情報離
へ の 対 処 に つ いて も 参 加 拷 と
を岡行
﹁新 聞 は 生 き 残 れ る か .
. 藏百
大 臣 、矧 事 、議 員 な ど 堕 員 .
..
..人 .
な か で 、 危 惧 す べき
れ
.緒 に ξ え て も ら う .
よ .
止
ヒ ー ル シ ャ ー さ ん は 滞 目 ...⊂ 年
余 、 党 首 討 論 会 の質 問 者 と し て も
.時 間 の 英 語 で
の会 見 終 .
﹂後 、 玄 関 ま で 送 り お 札
活 躍 、 外 人 記 者 ク ラ ブ の 会 .長 経 験
後会場 へ
を の.
ぺ て ﹁次 は 首 矧 と し て の 会 見
者 でも あ る
︹專 務 理 事
⋮.白崎 玄 道 智
各 社 か ら の 多 数 の参 加 を
地 方 会 員 社 の .要 望 で
'
.
﹂す ね ﹂ ヒ .
.
.
.
目う と 、 副 首 相 か ら は
11
始 ま った 記 κ 研 修 も こ と し で 六 同
憂 、 恒 例 の 記 皆 .研 修 会 は .
へ 月 ..
温 和 な い い笑 顔 が 返 っ て き た .
︹
写真
た 副 首 矧 は 、 前 ・記 .在 人 と 記 念 撮 影
政 治 家 と し て の 頂 点 を 11 前 に し
同 行 記 者 も ...
.入 .
レ 月 の イ ス ラ ム 諸 国 へ.(議 後 の 首
で ♂U こ れ が .
再 確駒 随さ れ て い る
議 で も ∼ 承 さ れ 、 こ と し の党 大 会
昨 年 六 月 一統 . マ レ ー 国 民 組 織 ﹂
と プ レ ス セ ン タ ー に.
展 って の 懇 談
8月10日
屈 託 な い芙 い が た え な か っ た 、
第402号
2003年
〔圏1勺
∫
比15年1
八 、 ..尾 H に 行 う こ と に な っ た
(1
日 本 記 者 クラ ブ会 報
第402号
τ0日
2003年8月
冨山
和彦
産 業 再 生 機 構 C OO
マ レーシ ア 副 首 相
﹁市 場 原 理 に ま か せ て お け ば 済
マ ハ テ ィ ー ルと 反 り が 合 わ ず 、
失
アブ ド ラ ・バ ダ ウ ィ
四十 三 歳 の企 業 人 にし て は 珍 し
む も の で は な いし 、 と う に そ の時
脚 さ せ ら れ た アン ワル 元 副 首 相 を
で 、 国 民 を ま と め て進 む こ と は 容
く ﹁骨 太 ﹂ の 人 で あ る 。 ﹁
次世代 の
期 は 過 ぎ て いる﹂ ﹁
新 し い戦 略 、
支 持 す る 勢 力 は い ま な お 根 強 い。
ル の出 口 は 見 え な い。
た め に 我 が 身 を 捨 て る覚 悟 で ﹂ ﹁事
人 材 、 金 が 必 要 に な る ﹂。 多 く の
雇 用 や 進 学 で マレ ー 人 を 優 遇 す る
▼骨 太 の 新 人 類
業 再 生 を 国 民 運 動 に でき れ ば ⋮ ﹂。
日 本 人 も そ う 思 い始 め て い る 。
易 で は な い。
聞 き よ う に よ って は ダ サ イ こ ん な
業 派 遣 で 卒 業 後 の 就 職 の心 配 も な
スタ ン フ ォー ド大 留学 時 代 は 企
い。 経 済 産 業 省 や 金 融 庁 な ど 、 役
な か大 型 案 件 を持ち 込も う と し な
の粉 が 降 り か か る のを 恐 れ 、 な か
にわ た って実 施 してき た こ と だ ﹂
を 大 事 に し 、 一貰 し た 政 策 を 長 期
﹁マ レ ー シ ア の成 功 は 国 の 団 結
▼次 期 首 相 と し て の か じ 取 り は ?
よ って違 う 。独立 国な の だ から 、
﹁国 益 や 政 策 は そ れ ぞ れ の 国 に
は 、 次 の 目 標をど こに 置 く のか。
にr 業 化 を 成功 させた マレ ー シ ア
﹁ル ッ ク ・イ ー ス ト ﹂ を 合 言 葉
政 策 へ の 反 発 も 広 が っ て いる 。
いの に、 米 国 人女 子学生 に誘 わ れ
所 の縄 張 り 争 いも 垣 間 見 え る 。 皿
十 月 か ら マレーシ ア の首 相 にな
だ が 、 現 実 は 生 臭 い。 銀 行 は 火
学 生 の就 職 活 動 の手 伝 いを し た り
号案 件 を ま と める作業 は 遅 れ て い
﹁二 十 年 近 い自 分 の キ ャ リ ア の
ル 路 線 の 継 承 ﹂ と ﹁国 の 団 結 ﹂ を
れ て 日 本 を 訪 れ た 。 ﹁マ ハ テ ィ ー
国 は 小 さ く ても 、 誇 り と 独 立 心
は 小 気 味 よ か った が 、 そ の 脇 で内
う 描 く か 。か じ 取 り は 容 易 で な い。
を掲 げ な が ら マハテ ィー ル後 を ど
鵬
通訳
山田
出
中
厚史
司会
長井鞠f
7 ・11 ︹
金 }記 者 会 見
川 序 凝朗委口
川 席
76人
(2)
言 葉 が 不 思 議 に 説 得 力 を 持 つ。
と 、 世 話 好 き と 行 動 力 は 根 っか ら
一億 円 近 い年 収 を ふ って 、 官 製
う ち 十 六 、 七 年 が リ セ ッ シ ョ ンだ
強 調 し た 。 一.
十 一年 問 統 治 し た 現
は 旺 盛 だ 。 だ が民族意 識 を 鼓 舞 す
意見 を 言 う 権利を 持 って いる﹂
る と聞 く G
の企 業 再 生 ビ ジ ネ ス であ る 産 業 再
った 。 (い つ か 良 く な る と い う )
首 相 の 存 在 は あ ま り に も 大 き い。
れ ば 原 理 主 義 に火 が つ き 、 妥 協 に
る。 お 披 露 目 を兼 ね主 要 閣 僚 を 連
の資 質 の よ う だ 。
生 機 構 の ト ップ の 一角 に就 い た 。
春 待 ち 症 候 群 でな く 、 問 題 に 正 而
相 手 が 米 国 だ ろう と 、 言 う べ き こ
米 国 の イ ラ ク侵 攻 に 反 対 し た 理
銀 行 の不良 債 権 問 題と表 裏 の 関 係
か ら 向 き 合 う 動 き が (日 本 で も ︺
政 に 目 配 り し た のが ﹁
誠 実 で地 味 ﹂
由 を 問 わ れ 、 き っぱ り 答 え た 。
にあ る過 剰 債 務 企 業問 題を 解 決 し
得 た 合 理 的 思 考 と 浪 花 節 が ハー モ
体 だ が 、 中 国 人 、イ ンド 人 な ど が
入り 交 じ る入 種複合 国 家 。 イ ス ラ
ム原 理 主 義 者 も少 なく な い回 教 国
朝 目新 聞 経済部 兼 ア エラ編 集 部
な ア ブ ド ラ 氏 だ った 。
修 一
人 日 二 千 百 万 人、 マレ ー 人 が 主
ニー を 奏 で ら れ る か 。 日 本 経 済 再
応 援 し た い。
共同 通 信 経 済部長
伊藤
生 の第 一線 に 立 つ新 世 代 の 活 躍 を
M B A 取 得 と民間 企業 の経 験 で
回 れ ば 求 心 力 は弱 ま る 。 路 線 継 承
羽 生 健 一二委 員
と は 遠 慮 な く ビ シ ビ シ 発 言 す る姿
出 席81人
出 てき た ﹂
一
な け れ ば 、 日 本 経 済 の長 い ト ン ネ
矢 島誠 司委 員
司会
食会
7.1(火)昼
第402号
2003年8月10日
和夫
共産党委 員 長
のフ ロに つか り な がら想を 練 る と
令 ﹂ で あ る 。 代 表 質 問 を 仰 せ つか
改 定案 ﹂と
いた .
、結 果 と し て ﹁セ ク ハラ 幕 引
らしき書 き 込 み で埋め尽 く さ れ て
スピ ー チ 草 稿 の 欄 外 は 、 覚 え 書 き
柳井
憲 法 九 条 の も と で ﹁侵 略 を 繰 り 返
な 行 動 が あ った か ら こ そ で あ る 。
の後 方 支 援 派 遣 な ど 、 日 本 の 機 敏
在 日 米 軍 基 地 の警 備 実 施 、 自 衛 隊
﹁テ ロと の 戦 い﹂への 支 持 表 明 、
返 っ て み て のn 身 の採 点 で あ る 。
応 は よ か った ﹂ と いう の が 、 振 り
俊 二 中央 大学 法学部教授
▼前 駐 米 大 使 の ﹁日 米 同 盟 ﹂論
ク ハラ と 飲 酒 を 短 絡 さ せ た の は 筋
志 位 発 言 の 矛 盾 を 突 いた が 、 ﹁セ
で ﹁党 内 禁 酒 令 ﹂ の 存 否 に 関 す る
質 無回 答 で 押 し 切 られた。 第 二間
志 位 氏 は 笑 顔 と 冗 舌 でか わ し 、 実
た のか ﹂。 ス ト レ ー ト で攻 め た が 、
員 を辞 め た V 筆 坂 秀 世氏 は何 を し
第 .問 は ﹁(セ ク ハラ で 参 院 議
ント ン ポ ス ト 紙 ) を 紹 介 し た 。 傾
ト フ氏 、 昨 年 一月 ..
十 日付 米 ワ シ
いて いる﹂ と いう 警句 (
D ・ロ ス
世 界 の ど こ か で 次 の マル ク ス が 歩
て い る と 指 摘 し た う え で 、 ﹁こ の
の貧 富 の 格 弟 が か つ てな く 広 が っ
頭発言 で国 連 統 計 を引き 、 国 際 間
発 と は 言 い 難 か った 。 志 位 氏 は 冒
綱領改 定 案 を めぐる質疑 は 、 活
サ ン フ ラ ン シ ス コで の式 典 に 集 っ
条 約 の調 印 五十 周年 を記 念 し て、
識 者 が 、 対 H講 和条 約と 口 米 安 保
二 〇 〇 .年 九 月 八 日 、 日 米 の有
た 、説 得 力 あ ふ れ るも のと な った 。
盟 ﹂論 は 、豊 か な 経 験 に裏 打 ち さ れ
そ れ だ け に 、柳 井 教 授 の ﹁日 米 同
本 質 を じ っく り と 見 つ め て き た 。
使 と し て 体 感 し つ つ、日 米 関 係 の
な ..つ の 米 政 権 の変 化 を 、駐 米 大
て お く 必 要 性 が あ る 、と 展 望 し た 。
し 、平 素 か ら日米 関係 を 強 固 にし
る 。 米 国 世 論 の力 の大 き さ を 指 摘
価 が問 わ れ る局面 が な お 続 いて い
北 朝 鮮 への 対 応 な ど 、 同 盟 の 真
の奔 走 を 支 え て い た に 違 い な い。
き だ 、 と いう 信 念 が 、 大 使 と し て
を 進 め る ﹂ 方 向 で論 議 を 深 め る べ
と 顔 の見 え る ﹁
積極 的 平 和 主 義﹄
は 世 界 の 平 和 は保 て な い、 ﹁
も っ
と いう
さ な い ﹂ ﹁軍 事 大 国 に な ら な い ﹂
違 いだ った ﹂ と いう 既 報 の釈 明 を
聴 に値 す る 。 共 産 主 義 思 想 を 守 り
た 。 ﹁い ろ い ろ な 脅 威 に さ ら さ れ
日米 首 脳 会 談 での ﹁
真 昼 の決闘 ﹂
山田孝 男 委員
出 席ll3人
﹁消 極 的 平 和 主 義 ﹂ だ け で
引 き 出 し た だ け で 終 わ った 。
抜 いて 人 類 の 平 等 を 追 求 す る と い
て いる 現 実 に 対 応 す る た め 、 日 米
談 議 の 内 幕 や ﹁ハタ 迷 惑 な 話 ﹂ の
国会 質 問 の前 日、 志位氏 は 自 宅
う 理屈 は わ か る 。綱領改 定案 の 理
同 盟 を 強 化 し て いく べ し ﹂ と の結
”な ど 、 ﹁
現場な ら では﹂ の
研 究 会 だ った 。
読売 新 聞 論説委 員
山岡
邦彦
エピ ソ ー ド も 満 載 で 、 密 度 の濃 い
”
真相
想 と と も に 、 醜 聞 を 完 壁 に封 印 す
危 機 管 理 に あ た って 同 盟 が 実 際
岸 戦 争 の 時 と は 違 って 、 日 本 の 対
たとも 、
己え よ う か 。
孝男
に機 能 す る の か 、が 問 わ れ た .
. ﹁湾
山田
毎 u新 聞 政 治 部 長
論 で 一致 し て 、 そ の三 日 後 に 、 あ
ク リ ン ト ン と ブ ッシ ュ。対 照 的
出 席loo入
志位
▼理 想 主 義 と 秘 密 主 義
った 筆 者 と し て は そ れ な り に 攻 め
き会見 ﹂ に手 を 貸 した寝覚 め の悪
いう 。記 者 会 見 対 策 も 同 じ と み え 、
方 を 考 え て 臨 ん だ つも り だ が 、 当
さが残 るが 、 共 産 党が ダ メー ジ を
テ ー マ は 絞 ら れ て いた 。 ﹁
綱領
然 の こと な が ら 、 ゲ スト も し の ぎ
ぬ ぐ い去 っ た わ け で も な い.
.
1米 外 交 の 行 方 」 葦
る共産 党 の宿 命 的 な秘密 k義 を 、
﹁セ ク ハラ﹂ と ﹁禁 酒
方 を 考 え 抜 い て いた 。
春 名幹 男委 員
司会
究会
Zl5(火1研
の同 時 テ ロ が 発 生 し た 。
食 会
囲
瞬
麺 彫』
謹.・iヲ
(3>
隅
こも ご も 引 き 出 し た 記 者 会 見 だ っ
理 事
村 田IE敏
Ii】
会
月,昼
7,14〔
第402号
2003年8月10日
チ ャ ー ルズ ・カ プ チ ャ ン
▼ 米 欧 の 分 離 ・分 断
米外 交 評議会上級研 究員
イ ラ ク 戦 争 を め ぐ っ て は 、﹁占
い欧 州 ﹂の独 仏 と 、米 国 を 支 持 す る
英 ・中 東 欧 諸 国 が 対 立 し 、欧 州 は
唯 一の超 大 国 と な っ た 米 国 が 、
国 際 世 論 の 反 対 を 押 し 切 って イ ラ
内 部 分 裂を さ らけ 出 し た よ・
・2に み
える.
.し か し カ プ チ ャ ン 氏 は 、欧 州
ク 戦 争 に ま い進 す る の を 目 の当 た
り に し て ,内 外 で ﹁ア メ リ カ 帝 国
勝俣
恒久
東京 電力社長
﹁せ つな 的 ﹂ と
基 が 運転 を再 開 し て電 力危機 は去
った と す る 論 調 を
.蹴 し 、 残 る 停 止 原 発 の 早期 運 転
再 開 に 強 い意 欲 を .
小し た
今 回 の問 題 で は 、 運 転 再 開 に 慎
で き た と 強調 .
、在 欧 米 軍 削 減 によ
重 な 佐 藤 栄 佐 久 福 島 県 矧 事 と 東 .電
そ う し た 中 で 、 いず れ 米 国 が 衰 退
る 北 大 西 洋 条 約 機 構 戸N A T O >の
節.
電 を アピ ー ル し て 上 着 も ネ ク
地 元 は、 ステ ー ジ の違う 原 発 の
が統 合 に向 け て着 実 に 実 績 を積 ん
し て 欧 州 が 米 国 に並 ぶ 存 在 と し て
機 能 不 全 が ﹁強 いE U ﹂へ の 指 向 を
タ イ も な い いで た ち で 現 れ た 勝 俣
安 全 ・安 心 問 題 と 首 都 圏 電 力 需 給
論 ﹂が .種 の ブ ー ム に な って いる 。
台 頭 す る と の カ プ チ ャ ンL 級 研 究
強 め 、 現 在 の亀 裂 は 逆 に 統 合 に拍
社 長 は 、 .連 の 不 祥 事 と 前 都 圏 を
問 題 と を 、 同 .に 論 じ て わ い小 化
と 分 析 し た . そ の .方 、 最 近 の力
動 k 義 ・孤 暖 躯 義 に 回 帰 し て いる
ま で 続 い た 米 国 の伝 統 的 な 単 独 行
国 を .層 引 き 離 し つ つあ る 中 で、
(R M A ) で 先 行 し 、 軍 事 力 で 他
ハイ テ ク 技 術 を 駆 使 し た 軍 事 革 命
た だ . つ惜 し い の は 、 米 国 が
根 拠 の薄 い批 判 は 毅 然 と し て退 け
経 営 責 任 者 らしく 、 自 信 に満ち 、
が 、 こ の後 の 説 明 は ト ップ 企 業 の
域 を お わび行 脚 し た 展 開 と同じだ
こ こま で は 福 島 や 新 潟 の 立 地 地
に 、新 た に消 費 者 の視 点を 加 え て
、
再 検 討 し て いく 方 針 を .
小唆 し た 、
皆 、地 元 の問 に根 深 く 広 がる問 題
った 課 題 を 列 挙 し 、 国 、 電 気 事 業
で、 勝 俣社 長 は 今 回 浮 き彫 り にな
は 当 然 のよ う に 否 定 し た 。
の 行 使 の仕 方 は 米 国 の 財 産 で あ る
将 来 な ぜ影 響 力を 弱 め る のか、そ
る 気 概 を 感 じさ せ た .
れ な い ・発 .電 所 の .人 ひ と り が 自
この点
こ の 点 の質 開 も で た が 、 勝 俣 社 長
と の 関 係 に注 目 が 集 ま り が ち で 、
員 の L 張 は 挑 戦 的 で あ り 、我 々 の
車 を か け ると の見 方 を 提 示 した.
停 電 の .不 安 に 陥 れ た 白 社 の罪 を 陳
さ れ た くな い思 いがあ る
国 際 的 な 正 当 性 を 傷 つ け て いる と
の プ ロセ ス が 必 ず し も 明 確 にさ れ
英 国 .国 を ヒ 回 る 首 都 圏 の電 力
分 の発 電 所 と 思 え る よ う 条 件 整 備
▼ノ ーネクタ イ で決 意 表明
認 識 に 修 正 を 迫 る も の で あ った 、
最 近 の ユ ー ロ高 も 、カ プ チ ャ ン氏
謝 し 、 節 .竃 協 力 に 感 謝 し た .
.
警 告 し 、 リ ベ ラ ル派 ら し く 米 国 の
な か った 点 だ , も っと も 、近 著 ﹃ア
.需 要 .
.そ れ が 昼 ド が り に集 中 す る
す る.
。時 間 は か か る が 進 め な け れ
∫
唾`訳1也lil.薫
福 島 民友新 聞 東 京 芝 祉
小野
広司
﹁若 レ ふ ん.反 り 返 って いた か も し
慢 心 を戒 めた。
メ リ カ 時 代 の 終 焉 = が 今 秋 に 11本
特異 さ
で 起 き る か 分 か ら な い ﹂、 原 発 四
す る のは年 間八 H 程 度 だ が、ど こ
﹁原 発 .基 百 .
.
一
卜 五 万 キ。
でも 出 版 さ れると の こと で、そう
ば な ら な い﹂.
.地 .
兀は 、 勝 俣 祉 長 の
勇人
固,を .度 の気 温 上 昇 が 飲 み 込 む ﹂
日 本 経済 新 聞国 際 部
横田
し た 点 を 含 め た 同 氏 の ユ ニー クな
つ い て 、 建 国 か ら 第 ..
次 大 戦 参戦
カ プ チ ャ ン氏 は ブ ッ シ ュ政 権 に
は 欧 州 台頭 の兆し と み る .
出 席Il9人
決 意 を 信 じ る し か な い症 場 にあ る 、
'h牌 「1[)5メ
乃'二$
「准 ケト交 び)行
〔4}
長沢 光男 委員
司会
者 会見
7.23」 水1記
﹁六 千 万 ネ旨 を 超 え る 需 要 が 発 生
、
視 座 が 示 さ れ る のを 期 待 し た い .
春と名 卓㍗ 男 委 員
司 会
究 会
7.16.;水1研
摺
國
ラi圃
嗣
踊
第402号
2003年8月10日
第402号
2003年8月10日
繋会 議 報 告 鎌
第 脳回会 報 委 員 会
.7 ・m
ゴ ー ルト 山 - 脚
台
L 月 ロ
ゲに つ い て 意 見 交 換 し た
第 ㎜回 施 設 運 営 委員 会
﹂7 .﹃
シ ル 昌i 4ー ム
ラ ウ ン ジ の分 騨 に つ いてh
恵見 交 換
し ,簡 易 吸 煙 装 置 の設置 を 決 め た
岡 .
垢委 員 長 、 冷 水 , 阿 部 、 占
野 の 各 委 員
謝 回 企 画 委 員 会
出 席
第
= 昌 .2
、
駐卜'
、1
門塑
.一 パ
、
團 謄 一
◎ 西部 開発 の拠 点
就 任 間も な
一煙 害 ﹂ の 町 に 占 空 が も ど り ま
い地 .
ル出 身 の E 鴻 挙 重 慶 市 .
長は 、
霧
し た 、 と 11 本 の O D A と 技 術 芝 援
新 禿ハh︹の 谷 口 育 生 時 事 涌︺
6⋮解 説
委 員 長
四 月 、 在 月 、 六 月 の貸 室 稿 用 状 況 と
アラ ス カ売 り Lけ を賢 務 局 が ⋮
粗告 し
︹旧 ・金 重 紘 氏 一 か 紹 介 ン
、-
住 田 委 員 長 、仙 石 、 中 園 、 矯
後 、八 、花 月 ロ
ゲの編 集 方 針 を 協 議 し た
出席
.
内 部 開 発 の中 心 と し て イ
に感 謝
ン フ ラ整 備 を 進 め て い る 状 況 を 説
明 、 11 本 か ら の 投 資 に 期 待 を .
小し
.一レ 八 、..卜 尾
候 補 の討 論 会 に ついて 担 当 委 員 か ら
し て モ ノ レ ー ル に 注 目 し て いる と
坂 と 山が 多 い ので交 通 ア段 と
た
宇 治委 員長 、 山 田 、 中 呼 、 永
し 、具 体 的 な計 画 を
﹁(
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.
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常 務 取 締 役 報道
kj
h 訊日醍 ⊥
された
︹11写 真
カ ル デナ
会場 ではベ
7 ・脇 ・
ル ー の 民 族 楽 器 と 鼓 の 臣へ演 も 披 露
祭 行事 の内容 を 発表
ス副領 事 が痕 京 の新 木場 で行 う 祝
○ ペ ルー独 立 記念 行事
﹁7 ・器
野 、小 池 、矢 島 、春 名 、谷 口 、
レ
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ノ
ノー 、 ﹂ .
・
.
、 1 .
1、 日
㌔
ー,ー 駐甲1
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工-
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シ ル ∵ ール ー ム 一
田 、 中村 、長 沢 の各 委 員
=-・23
.日 付 の ムA”
員・
人 退 ヘムを 審 融
餓
滝 鼻 委 員 長 、瀬 .
11 、佐 藤 、岡 崎 、
垂 日面 ︺
塚 越 、船 川 、 L藤 の各 委 員
第 謝 回 理 事 会
出 席
し 、 理嘱 会 に答申 し た ,
八 月
第 訓回 会 員資 格委 員 会
出 席
実 施 要 領 な レ一の 提 案 が あ っ た
11 一 と 、 ・
11 民 党 総 裁
れ た 後 、 ﹁第 六 回 記 昔 研 修 会 ﹂ ︹尺 月
渡 辺兜 信代 表 取 締 役
︹凹▽潮満⋮
泌占
▼朝 日 放 送
︹領 川 議 ..)
前川磐 代表
富 澤 秀機 代 表 取 締
︹
鞍 川逞 一
▼テレ ビ 大 阪
曽 務取 締 役
角 田 焚 明 東 京 支 社 .長
た
↓ 内 旧 代 表 ・敬 称 略
▼毎 目 放 送
場﹁
、 福 沢 、 .
兀田 の 各 委 口
貝
︹
安 原道 夫 代 表 ・
取締
︿法 人会 員 代 表 変 更 V
▼撮 知 新 聞 社
︹小
伏目
兄勝 .
役社長
︻北 川 信 }
▼ テ レ ビ 新⋮
潟 放 送.
網
取 締役 社 長
文 屋 好 司 東 京 支 社 .長
止襲
靖 治
左 記 の 理質交 代 を .
ー.
承し た
全 国朝 目放 送
(新 ) 中 片
(旧 ) 宮 地
lP,'
役社 長
r野 俊 猛 代 表
[菅 野 泰 .辛 一
▼H 団 .L 業 新 聞 社
取締 役 社 長
菅 原哲 朗 代 表 取
志 村 官川レ 夫 代
︹
藤 捧道 雄 ﹀
▼東 海 ラ ジ オ 放 送
表 取 締 役 社 .長
佐藤 富 男 代 表 取 締
.︹島 川 L .郎 一
▼目 本 農 裳 新 聞
締役 社 長
伊 佐 口﹁鮎 男 代
▼テ レビ 愛 知
1一
後藤文 生代 表
権 藤 満 代 表 ・取 締
{
藤 川魏也 ・
▼九 州 朝 日 放 送
取 締 役 社 .長
▼広 島 テ レ ビ 放 送
一、
り目1
▼山 陽 放 送
帆
侮社 ド
R ︹梶 川 准=
一
︹
焦 埼粁
▼福 島 民 反 新 聞 社
表 取締 役 社 .
長
野 11 英 .取 締
斉藤 光 雄 理
ρ
小林茂い
▼山 梨 目 H 新 聞 社
役 会 長 巌 社 .長
︹
加 藤⋮
延 ン畠︺
▼名 占 屋 ダ で ム ズ 社
事社長
伊.
︾.
英 .代 表
(
永 野光 哉 ㎡
▼熊 本 H H 新 聞 社
取 締 役 社 .長
︹細 川 健 彦 一
役社 .
長
﹂ 田克 己常 務 取 締
▼テ レ ビ 東 京
板
谷 駿 .代 衣 取 締 役 社 .長 二酒 井 治 盛 }
▼ N.
H K エ ン タ ー プ ラ イ ズ 21
︹旧 村 哲 丸 一
役 経 営 戦 略 局 ・メ デ f ア 開 発 局 ・
関係 会 社 担 当
し て し・る
1葦ノくプコ}易と しrぐ 施 口鳶 を1是{些
と ㌧1∼
務 理 」`の
薦
会 員 び瑠
シ ラ プ で は,IL4・
月.」呂
111・III醒C・.ニヤ員1ソ 、シトσ,卜封f看こ亀 尉L稀麦1=も
閏 い脇 調
“日 本 列 島 改 造
閏 闘 麗 闘 國胴 調
”の こ ろ
二階 堂 長 官 の ポ ツ リ
清水
幹夫
し た 後 では、 こ の 2 D
(当 時 ) の 地 価 鑑 定 委 貝
いた か ら だ 。
建設 省
会 によ る 公 .
小価 格 に よ れ ば 、 こ の
K ほ ど の マンシ ョン が
一、階 堂 長 官 の 住 ま い と
当 たり 約 四 百 五十 万 円。 実 に そ の
こ ろ の ビ ジ ネ ス 一等 地 と さ れ た N
だ が 、 ﹁せ っ か く 来
.
..
倍 に近 く 、 し かも 、売 り 手 が N
は ど う し ても結 び 着 か
て く れ ても な ア 、 上 が
H Kと いう 公 共 機 関 、 落 札 し た の
H K本 館 の 敷 地 は 、 一
.
一・.
一.平 方 層
っても らう 所も な いん
が業 界 を リ ー ド す る .
.
一菱 グ ル ー プ
な い.
.
じ ゃ ﹂と い い な が ら も 、
の有 力 企 業 。 異 常 な 反 響 を 呼 ん だ
打 ち 砕 く よ う な 超 高 額 契 約 に 、 ..
新 参 の ﹁番 ﹂ ・
記者 を玄 関先 に招 き
聞 き 出し た り した が、 このこ ろ 政
階堂 長 官 が 不 快感を 持 た ぬ は ず が
当 時 、 ..
階 堂 氏 は 東 京 ・飯 田 橋
大 隅半 島 のほぼ 中 央 、 鹿 児島 県高
局 の 課 題 は 、 な ん と い っても 田 中
な か った .
. こ れ は何 か手 を 打 と う
﹁N H K が な ア ⋮ ﹂。 愛 用 の葉 巻
山 町 の自 宅 に も 、 こ の 年 十 二 月 初
政 権 が 目本 列 島 改 造論を 掲げ て登
と し て い る な 、 と いう に お い が 、
の も 無 理 は な い。
め に行 われた ば か り の衆 院総 選挙
場 し て以 来 、 全 国 各 地 で 拍 車 が か
ポ ツリ と も ら し た ひと こ と に 感 じ
入 れ て話 に 応 じ て く れ た も の だ 。
く暮 れ よ う と し て いる 十 二月 のこ
で の 現 地取材 な ど で何 回 か出 向 い
か った 地 価 高 騰 問 題 だ った .
.
に ほ ど 近 い新 宿 区 揚 場 町 の小 ぶ り
佐藤内 閣での ”
番 記 者 ”を 卒 業
た の だ が、先 祖 が 鎌倉 か ら薩 摩 に
N H K ⋮ と 聞 い て ピ ンと く る も
た だ 、 す ぐ に は 書 け な か った .
、
を く わ え なが ら、 ふと 、 口 からも
し 、 ニカ 所 ほど官 庁 の取 材 に当 た
人 った 地 頭 と いう こ の 生 家 、 眼 下
のが あ った 。 当 時 、 予 代 田 区 内 幸
列 島 改 造 論 で ブ ー ム を つく った
った 後 、 田 中 内 閣 発 足 と と も に官
に 川 が 開け、裏 山 を背 にする自 然
第 ⋮、 何 か 手 を 打 と う に も 、 い く
朝 駆 けを 重 ね るう ち に、米 国 に渡
邸 ク ラブ に戻り 、命 じ ら れ た のが
と だ った .
﹁
番 ﹂。 長 官
町 に あ った N H K の 本 館 跡 地 を 、
ら常 識 を 超 え た売買と て現 行 法 規
の マ ン シ ョン を 東 京 で の 住 ま い に
二 階 堂 進 ∴ 目房 長 官
の 要 塞 さ な が ら の 重 .要 文 化 財 。 当
三 ・三 平 方 層 当 た り 千 百 万 円 、 総
で は 政 府 が 介 人 す る手 段 は 見 当 た
れ た こ ん な.
.
肖葉 が 妙 に 気 に な った
の私 邸 に 通 い詰 め て い た 、あ る 朝 、
主 が 帰 郷する と裏 山 に張 りめぐ
額﹂
.
青[五 十 四 億 六 千 余 万 円 と い・
つ
ら な い. 何 を ど う す る の か 、 そ の
田巾内 閣 のk 地政策 を 、 正 .
面から
世 間 話 か ら 始 ま って い ろ い ろ な 話
ら さ れた ぽ んほり に灯 が とも さ れ
超 高額 で三菱 地 所 が落札 、さ ら な
後 、 朝 駆 け の た び に、 ひ と こ と だ
った 青 年 時 代 の 壮 絶 な 体 験 な ど を
題 に 及 ん だ 後 、 帰 り 際 の 玄 関 で ..
る 、 と い う 。 ﹁ウ ン 、 鹿 児 島 の こ
る 地 価 ハネ 上 が り を 予 感 さ せ る も
け 聞 い た 。 ﹁N H K は ど う な ん で
し て いた 、
..一
階 堂 氏 の生 家が あ る
階 堂 長 官 が タ メ息 を つ く よ う に つ
の 家 に 帰 る と 一番 安 心 す る ね ﹂ と
の と し て 、 庶 民 の 話 題 を さ ら って
の は 、 激 動 の .九 七 .一
年 も 間も な
ぶ や いた のが、 冒頭 のひ と こと で
常 々 語 って いた 生 家 の 壮 大 さ に 接
ら れた の であ る。
あ る。
〔6}
第402号
2003年8月10日
階論 を 背 景 に、 NH K と 一
.
.
菱 地所
はど う や ら、 地価高 騰 に 反 発 する
すかね﹂と、
.そ し て 、 二 階 堂 .長 官
刊 一.
面 ト ップ 記 事 で あ る 、
が 七 コ.
年 .月 七 H 付 、 日 曜 目 の朝
で いた メ モ を 一気 に は き だ し た の
者 も そ ろ った 。 そ れ ま で た め 込 ん
に な った こ と が 、 そ れ を 物 語 っ て
が公 式 の記者 会 見 で 繰り返 す よ う
介 人 の権 限 は な い﹂ と .一
階 堂長 官
は 無 理 だ った の で あ る 、
.﹁
政府 に
堂 氏 の 知 ら れ ざ る .面 が 、 自 紙 還
同 時 に 、 意 外 に ?庶 民 的 な ..
階
な ぞ 出 来 るも のだ ろう か 、匿論向
力 ” を か け た と し て も 、白 紙 還 元
躊 躇 し た 。いく ら 政 府 首 脳 が ”圧
そ れ でも 、まだ記 事 にす る のに
の 評 価 も 入 って い る . 建 物 は こ の
と いう が 、 ﹂ 地 だ け で な く 、 建 物
よ う に 思 った 。 ﹁世 間 は 高 い高 い
長 官 の 狙 いが 分 か る 記 事 に な った
に ﹂ ⋮ 見 出 し だ け で も ト 分 に官 房
官 ら が 説 得 ﹂ ﹁ヒ 地 政 策 の試 金 石
は 、あ らぬ方 向 に急 カー ブし て い
と・
・2め い た 二 階 堂 氏 の パ ラ の 中
状 に 至 る の だ が 、 ﹁N H K が ⋮ ﹂
前 にヒ地 高騰 が 全 国 に波及す る 惨
結 局 、列 島改 造 は 条 件整 備 が整 う
価 、物 価 抑 制 が 最 大 の課 題 に な り 、
や にな った 、
.
一.
年 目 に 近 づ い た 田中 内 閣 は 地
いた。話 は い つの ま に か、う や む
とも あ れ 、 列 島改 造 は 、 現 今 の
あ った 、 と も 、 いま 考 え る 。
を モ ット ー と し た 愚 直 さ が 原 点 に
尋 ぬ べ し ﹂ と いう 西 郷 隆 盛 の 遺 訓
し て 、 ﹁我 が 誠 の 至 ら ざ る を 常 に
る雰囲 気 も 感 じ ら れた から だ 、
一そ
心 の住 ま いを 、 ど こか 楽 し ん で い
のも の の 、 狭 いな が ら も 利 便 な 都
囲 ま れ る 当 主 も 11 常 的 に は 庶 民 そ
郷里 に帰 れ ば 広 壮 な屋 敷 と 自 然 に
た の で は な い か 、と の 思 いも あ る .
.
兀でき な い か と の 発 想 の底 に あ っ
の 双 方 に 働 き か け て 、 こ の超 高 額
け の ポ ー ズ が 狙 い で 、 出 来 な いと
ま ま 五 年 間 は つぶ さ ず 、 丸 ビ ル の
く 列島改 造論 の現 実を 前 に、 な ん
え て い る こと が 分 か っ て き た 、
両 当 事 者 の ト ップ の .
言 い分 も 書 い
よ う に 思 え て な ら な い。 単 に 、 ポ
け な け れ ば 、 と い う 執 念 で あ った
だ が、 そ の渦 中 にあ って、 思 わ ぬ
狂 想 曲 の 悲 喜 劇 ま ん延 に 終 わ る の
”白 紙 還 元 ” め ざ す ﹂ ﹁官 .
房長
政
知 り つ つ、 丼 か せ る た め に 漏 ら し
建 て 替 え 用 に 使 う ﹂ ﹁売 却 し た 金
地価 下落 な ど 想 像 も 及ぱ な い土 地
﹁N H K 跡 地 の 超 高 額 契 約
た の で は な いか 、 な ど と 勘 繰 った
と か し て 地 価 抑 制 ヘブ レ ー キ を か
売 買 を ”白 紙 還 、
兀” さ せ た いと 考
りした、
、
結 局 、こ の ﹁ひ と こ と ﹂を 懐
は 別 の形 で視 聴 者 に 還 .
兀す る ﹂ と
た。
乱 流 を ふ さ ぎ 止 め よう と 側 近 が
と い わ れ た 人 た ち に も 白 紙 化 への
﹁
趣 味 は 田 中 角 栄 ﹂ と いう 俗 説
日 に も 久 野 郵政相 が N H K幹 部か
け な か った 一
、政 府 の 要 請 に も か か
と こ ろが 、 こ の 記 事 は 続 報 が書
我 慢 が な ら な か った の に ち が い な
へ、 み る み る 変 身 し て いく 姿 に 、
バ ラ 色 の未 来 な ら ぬ 十 地 高 騰 列 島
し み ず ・み き お 会 目
一九 .
.一
九 年 生ま れ
・
O・.年・
から 同 専務
[
社 )ア
論 説委 員 長な
論説委貝
東京 本 社 社 会 部 を
論 説副 委胤長
政治 部副部茂
六﹁年毎 H 新 聞入 社
経 て政 治 部
政治部長
ジ ア調 査 八ム瀞
吊務 理 劇
ど を 歴 に陪 蟻醐説 室 顧 問 を 経 て
理事 ・事 務 門
局、長
(71
府
に し ま い込 んだ ま ま 年 は 暮 れ た Q
七 三 年 が明 ける と 、 こ れ は、と
いう 動 き が 相 次 いだ 。 N H K の小
ー ズ を と った だ け の ﹁ひ と こ と ﹂
支 援 論 や 政 府 の介 入 容 認 論 が 出 た
反 応 は 大 き か った 。 財 界 首 脳
京 ・平 河 町 の砂 防 会 館 に 訪 ね た の
を も つ 二 階 堂 氏 だ が 、 ﹁忠 臣 二 .
一
(
当時 ) が 田 中 首 相を東
が .月 六 U 。 ,一
階 覚 長 官 か ら金丸
り 、 ゴ.
菱グ ルー プ 内 で も さまざ ま
階 堂 ﹂と し て は 、 列 島改 造論 が 、
野副会長
舞 台 裏 で 苦 闘 し た .つ の 断 面 と し
建 設 相 、 久 野 郵 政 相 に 打 つ べき 手
な 対 応 が語ら れ た 。
ら 実 情 を 聴 取す る 、と の情 報 ⋮。
わ ら ず 、売買 の当 事 者 が 応じ な い
て 、 そ の 取 材 メ モ が 残 って い る .
.
で は な か った と 信 じ て いる 。
を 検 討 す るよう指 示 が 働 さ れ 、八
こ れ は 本 物 だ . ち ょ う ど 関 係 の閣
い 。
以 ヒ.
、 やはり、 最 初 か ら白 紙 還.
兀
閣 園脇 調 、
・閏 闘 臨 闘 嗣鵬 嗣
僚 ポ ス ト を 占 め て い た 田 中 派 の役
口
2003年
浩 孝
ゼ イ タ ク な 悩 み い つま で
▼岡 本
ス タ ン ス だ 。 11 の前 の 1 球 に た だ
山 以 来 の⋮ ﹂ と い った 味 付 け を し
﹁よ く 調
て 、 選 千 に ぶ つけ る 、
.
そ れ でも今 岡な ど に は
集 中 す る ことを首 脳 陣 は 説 き、
それ を 選 手 が実 践し てき た か ら こ
が 戒 め て い る 部 分 が あ る , ﹁俺 が
ま し て チ ー ムを 率 い る 暴 野 監 督
な り た く な い.
、だ が 、 抑 え よ う が
集 中 し て いる 選 手 た ち の 邪 魔 に は
こ ち ら も .つ ひ と つ の ゲ ー ム に
べ て き ま す ね 。 で も そ う いう の は
こ
そ 、 数 多 く の逆 転 勝 ち 、 打 線 が 見
だ が これ は あく ま で取材 す る側
し つ こ く .
.
肖 っと る か ら な ﹂ 1
な い ほ ど 盛 り 上 が る フ ァ ンと 、 .
い い です よ﹂と 、 あ し ら わ れ てし
の 誼 い分 .
.実 際 に 日 々 を 追 い か け
れ は 束 ね る者 とし て当 然 の ス タ ン
歩 、 .歩 を 大 事 に す る 現 場 と の は
事 に つ な が った ビ ッグ イ ニ ン グ の
優 勝 に向 け た カ ウ ン ト ダ
て いく 中 で は 、選 手 た ち と の 問 に 、
ス .指 揮 官 が 決し て手 綱 を 緩 めず
ざ ま に い る 我 々 と し て は 、 ど こか
ま う 始 末 であ る .
ウ ン が 始 ま った . 星 野 阪 神
か なり の温 度 差 も 感じ て いる .
、
に プ レ ッ シ ャー を 与 え 続 け る のだ
で バ ラ ン スを 取 り た く な る .
.景 気
形成 が.
司 能 に な った .
が 思 い描 いてき た夢 に 、間
一つ の 例 を 出 し て み る 。 点 灯 し
か ら 、 選 予 た ちが軽 々 に優 勝 を 口
の い い コ メ ント が な く て も 連 H 、
(デ イ リ ー スポ ー ツ 社 )
虎 の快 進 撃 は へ'や関 西 に
た マジ ック を 順 調 に 減 ら し て い る
にし な い のも 、ある 意味 、 う なず
﹁目 付 け ﹂ が 人 る .
.
止ま ら ず 、 全 国 的な関 心 事
にも か か わ ら ず 、 ナイ ン の 口 か ら
華 や か な 紙 而を 作 っ て い る のだ
もな く
と な って い る ,
ける .
鼠 野 監 督 か ら は ﹁み ん な 、
ち らも Vを 確 定事 項 と し て
を 月 の当 た り にす れば 、 こ
勝 さ え 見 込 め る ハイ ペ ー ス
い勝 ち っ ぷ り 、 年 間 1 0 0
団 に付 け 入 るす き を与 え な
刺 さ れ た り もす るが、 他 球
日 同 音 に コ 戦 、 一戦 、 大 事 に 戦
る甲子 閲 球 場 のお立ち 台 で も 、異
選 手 た ち は フ ァ ン の大 喝 采 を 浴 び
い ても お か し く な いは ず 、
.だ が 、
の 独 走 状 態 な ら ば 、白 然 と 日 を 突
ほ し い訳 じ ゃな い、 だ が こ れ だ け
ど う し て も 、 そ の這 葉 を 発 し て
ま で 首 位 打 者 を キ ー プ し て いる 今
を う か が う 伊良 部 、そ し て 、 ここ
力 候 補 で あ る井 川、最 優 秀 防 御率
つの常 と う 手 段だ .
、最 多 勝 の 最 有
と彦 え を 巡 ら せる、
ほし い時 も あ る.だ か ら いろ いろ
た ま に は イ ン パ ク ト のあ る .
.
昌葉 が
と は いえ こちらも 仕事 .
一や は り
ち 遠 し い,
て 、 ぴ っ た り と 一致 す る 瞬 間 が 待
プ レ ー ヤ ーたち の
い つ の日 か
聞 き た い.
こ こ に 至 って は 、 そ ろ そ ろ 本 音 が
が 、 ゴ ー ル が いよ い よ 見 え てき た
あ お り 過 ぎ だ よ ﹂と ク ギ を
H 々 の 原 稿 を 書 い て いか ざ
って いく だ け で す ﹂ と 繰 り 返 す 、
岡⋮
お かも と ・ひ ろた か .尾 九 六 年 入祉 遊
軍 近 鉄 阪神 オリ ,ク スを 担当 し 昨
年 か ら阪 神担当 に復帰
﹁熱 度 ﹂ が 初 め
.
沸 き ヒ が る周 開と
手な 、
肖葉 が 選 予 の 口 を 突 く の は 、
こ ち ら が振 らず と も 、自 然と 派
る を 得 な い。 今 後 、 大 き く
ど こま で も 慎 重 .
.景 気 の い い コ メ
も う 一つ 、 ﹁バ ー ス以 来 の ⋮ ﹂ ﹁村
る 質 問 を す る の では な く 、 そ こ に
そ れ も た だ単 にタイ ト ル に 関す
個 人 成 績 に目を向 け る のは 、 一
落 ち込 ん で ゆく 要素 が 、ど
確 か に 一戦 必 勝 が 、 星 野 阪 神 の
状 であ る 。
ントは な か な か出 てこな い のが 現
いの だ か ら 、 致 し 方 な いだ
う 客 観 的 に み ても 存 在 し な
いのだ,
﹁優 勝 ﹂ の .一
文 字が全く聞 か れな
プ レス
ろう
〔8}
ワ ーキ ング
虎 担 当
番記者 の夏
第402号
2003年8月10日
第402号
2003年8月10日
・リ ー グ
半戦を終え た
首 位を 走 る
勝 41 敗 1 .
分 け の借 金 1 で 前
勝 率 が 7割 を 超 え る 阪 神 の 快 進 撃
勝 の育 写 真 を 描 い て いた 原 監 督 も
ず い ぶ ん 状 況 は 変 わ った 、 逆 転 優
そ の 時 か ら 、わ ず か ー か ーー 余 り .
淡 い期 待 を 抱 い た の を 覚 え て い る .
そ の 追 力 に 、 ﹁ひ ょ っと し た ら ﹂ と
スクー プ で振 り 向 かせ る か ー と い
いう G 党 は 少 な いだ ろう . な ら ば
って 、 再 び ス ト レ ス を た め よ う と
う が 、 敗 戦 の 翌 朝 に報 知 新 聞 を 買
スト ー リ ー を 読 み た く も な る だ ろ
勝 て ば 、 そ の 裏 にあ る イ ン サ イ ド
る ほ ど 熱 狂 的 な のが 、
巨人 フ ァン
か 、良 く も 悪くも イ メー ジ を重 視
強 を 、 原 監 督 に は し て ほ し い.
いや 、 あ き れる ほど 欲 .
張 り な大補
そ の た め に へ'オ フ は 積 極 的 な 、
した い
の 戦 国 ベ ナ ン ト レ ー ス に .喜 一.憂
な っ て 巨 人 に襲 いか か る 、 1 対 5
し た い.酷 き た い
雨 天 中 止 と な り、 巨人 は 菊
そ し て、東 に
阪 神 に 18 ゲ ー ム 差 を つ け ら
に 11 を 見 張 り 、 ﹁こ の ま ま 走 っ た
き た いと こ ろだ が 、そ う簡 単 に特
.止 直 、 参 っ て い る . 7 月
れ 、 4位 で折 り返 し 地点 を
ら 、 こ こ ま で 高 い勝 率 を 誇 る チ ー
ダ ネ が 転 が って いる は ず も な く 、
す る . し かし、他 球 団 か ら 獲得 し
︹甲 r 園 一 が
タ ー ン し た 、 こ れ ほ ど の苫
ム は 最 近 、 ち ょ っと 見 た こ と が な
チ ー ム 同 様 、我 が.
巨人 担 当 も 苦 戦
た 選 f を 集 め た って い いじ ゃな い
13 H の 阪 神 戦
戦 を 、 い った い だ れ が f 想
い ね 一と 事 実 ヒ 、 カ の 違 い を 認 め
を 強 いら れ て いる
し か し 、 今 こそ テ ン シ ョ ン を 高
成 功 し た 星野監督 と今 年 の阪神 を
出 し 、 他 球団 から 戦力 を 補 強 し て
か . 勝 て ば官軍 、大 旺 の解 雇者 を
.
巨 人 は 報 道 さ れ る 機 会 が 多 いせ い
した だ ろう .
る ほど .
.
阪 神 の優 勝 は担 当 記者 の、
そ し て匿 間 の
め て 報 道 し て いか な け れ ば な ら な
広 島 で 食 事 に誘 っても ら
い、 ア ル コ ー ル で 頬 を 赤 ら
紙 の.
巨 人 報 道 は 縮 小 の 一途 を た ど
い。 原 監 督 に と って 本 電
1の 勝 負 は
﹁常 識 ﹂ と な り 、 各
め た 原 監 督 が ﹁見 て い ろ よ .
つて い る 一
.
的 な見 方 を す れ ば、 それ だ け の こ
が 頭 一つ以 ヒ 、抜 け出 し た 、
. 一方
け が 人 が ほ と ん ど 出 な か った 阪 神
り 返 し て 強 く な っ て い った 。
落 合 、 清 原 .巨 入 だ って 補 強 を 繰
う . 古 く は金 川、.
張本。最近では
..
.
茜が 忘 れ ら れ な い
﹁矢 部 君 、
〔9〕
阪 神 に 5 ゲ ー ム差 以 内 で 8
新 聞 は .巨 人 報 道 が 大 き な 看 板 に な
と
.舎 定 す る 阪 神 フ ァ ン は 少 な い だ ろ
って い る 一
.チ ー ムが弱 いか らと い
のチ ー ムも 戦力 が整う .
.優 勝 へ の
人 は 分 不 相 応 な 舞 台 に 凱 った と
後半 戦 だ と 思う からだ . 前 半 戦 は
し て や る か ら 一と 何 度 も う
って 、 そ の 質 と 量 を 落 と す わ け に
モ チ ベ ー シ ョ ン こ そ 薄 れ て は いる
き 、 成 長 す る ん だ よ ﹂。 つ ら い こ
今さら.
.
肖う ま で も な いが 、 報 知
なず い て いた のは、 6月 初
も の の 、 地 力 の違 いが 勝 敗 に 表 れ
と が あ る と 、 い つも こ の呂 葉 を 思
月 に 人 った ら 、 絶 対 に 逆 転
旬 だ った と ・
記 憶 し て いる .
、
は いか な い 、 し か し 、 ひと 昔 前 は
る .加 え て 、 新 戦 力 も 台 頭 し て く
い出 す .
.読 者 の た め に 強 い新 聞 を
新 米 キ ャ ップ の 私 は 、 原 監 督 の
こ の と き は 、 ま だ 10 ゲ ー ム
、.
巨 人 が 負 け た ら 、 怒 って 窓 か ら
る .原 監 督 は前 半 戦 以 ヒ に 過 酷 な
作 り た い, 原 監 督 に は フ ァ ン の た
が ら 思 った ﹀ 巨 人 が 見 た い。 取 材
と こ ろ が 、後 半戦 は 巨 人 以 外
以 内 で 2 位 に つけ て いた 。
テ レビを 投 げ てし まう ﹂と .
葺わ れ
戦 いを 強 いら れ る だ ろ う . 大 相 撲
め 強 い .巨 人 を 作 っ て ほ し い .
、絶 対 ﹂ を 3 度 も 繰 り 返 す
の名 横 綱 だ った 北 の湖 の よ う な 、
大 補強 を し てほし い
▼矢 部
裕己
︹
報 知 新 聞社 )
憎 ら し いほ ど 強 い (
と、子供心な
や べ ・ひろき 、κ尾 .
.
.
年 入杜 .
.
.
年半 の
文化 部 芸 能担当をは さみ 横浜 担当を 経て
.
一
.
度 目 の巨入押当 争年 からキ ャ ップ
プ レス
セ
当
G担
ワー キ ング
世 論 の 支 持 は 18 対 54
▼長 谷 川 健 司
(共 同 通 信 社 }
こ れ に 対 し キ ャ ン ベ ル 氏 は 、疑 惑
い る か ら で は 断 じ て な い﹂ と 批 判
リ ガ ン 記 者 の 情 報 源 だ った こ と を
量 破 壊兵 器 專 門 家 ケ リ !博 士が ギ
を 激 し く 批 判 、国 防 省 は 、同 省 の 大
つ の報 道 に 、 こ こ ま で 固執 す る 価
の 情 報 源 に 基 づ く .人 の 記 者 の 一
一般 に 歓 迎 さ れ て い る が 、 ﹁ . つ
政 府 と 対 決 す る B B C の姿 勢 は
した 。
明 ら か に し 、博 上 は 外 交 委 で 質 問
値 が あ る の か ﹂ (英 紙 ) と 、 仮 に
を 調 べる ド院 外 交 委 員 会 でBB C
攻 め に遭 った 数 日 後 に自 殺 し た 。
報 道 に落 ち 度 が 判 明 した場 合 の 反
容 赦 な い批 判 で 知 ら れ る .
.日 本 で
英国 メ デ ィ ア は 、 政権 に対 す る
B B Cは イ ラ ク 戦 争 で米英 に 批
感 じ て いた こ と も 対 立 激 化 の 背 景
の 圧 力 に よ り 紅 要 な 脅 威 と し て報
これ を 五月 末 に報 じ た B B Cの
セ 流派 の政 治 家 の.
∵
.
口葉 を 現 象 と し
イ ラ ク戦 争 を 正 当 化 す る
プ レ ア政権 と B B C放 送 の
ギ リ ガ ン 記 者 は 数 日 後 、 英 紙 への
にあ ると み られ て いる.
.B B C は
、貫 し て ギ リ ガ ン記 者 の報 道 を 全
て 伝 え る こ と が 多 いが 、 英 国 で は
動 を懸 念 す る声 も あ る .
対 決 が激化 し て い る . 政府
寄 稿 で ﹁圧 力 を か け た の は キ ャ ン
面 的 に支持 .
.ヶ リ ー 博 1
1が 別 の B
メ デ ィ ア自 身 が 座 標 軸 を 持 ち 、 記
判 的 な視点 を 交 え た 冷 静 な報道 を
の情 報 操作を 報 じ た B BC
ベ ル首 相 府報道 局.
長 だ ﹂と 名 指 し .
.
B C 記 者 に首 相 府 の 情 報 操 作 を 示
事 に 明 記 す る 筆 者 の責 任 で 政 府
告 書 前 文 な ど に盛 り 込 ま れ た と い
の 取 材 源 だ った 大 M
蟹破 壊 兵
ブ レ ア 首 相 側 近 と し て メ デ ィ ア戦
唆 し た 会 話 テ ー プ を 持 って いる と
内 の 声 や 傍 証 を 集 め る f 法 が 並目通
た め英 政府 が イ ラ ク の脅威
器 の 専 門 家 の国 防 省 職 員 が
略 を 担 当 す る キ ャ ン ベ ル 氏 は ﹁誤
さ れ 、 調 査 委 員 会 に 証 拠 で提 出 さ
だ .政 府 と B B C の対 決帳道 でも
し て おり 、 ブ レ ア政 権 が 疎ま し く
肖 殺 し た 後 も 、 両 者 は .歩
報 だ ﹂ と 全面.
否 定 し 、 B B Cと の
れ る見 通 しだ 、
う も のだ .
.
も 引 か ず 、k 張 は .平 行 線 ,
対 疏 が 決 定 的 と な った .
﹁イ ラ ク 軍 は 生 物 ・化 学 兵
情 報 機 関 が 疑 問 視 し て いた
兵 器 に関す る報 告 書 で 、英
公 表 し たイ ラ ク の大 鼠 破 壊
道 は 、 英政府 が 昨 年 九 月 に
問 題 と な った B B C 報
題 に発 展し そう だ 、
僚 や B B C首 脳 部 の 責 任 問
委 員 会 の結 果 次 第 で は 、 閣
﹁キ ャ ン ベ ル 犯 人 説 ﹂ に 他 の 英 メ
く 低 下 し ており 、 ギ リ ガ ン記者 の
が た た って 記 者 か ら の信 頼 は 大 き
デ ィ ア 工 作 で水 増 し 宣 伝 す る 手 法
刀﹂ だ.
.し か し 、 政 権 の 功 績 を メ
政 権 奪 取 に 導 いた ブ レ ア 氏 の ﹁懐
し い 労 働 党 ﹂ と し て 一九 九 七 年 の
イ メ ー ジ を 一新 し 、中 道 左 派 の ﹁新
出 身 , 長 期低迷 し て いた 労 働党 の
キ ャ ン ベ ル 氏 は ジ ャ ー ナ リ スト
て い る のは 、 国 家 の 意 見 を 流 し て
い る 、視 聴 者 か ら 長 年 の信 頼 を 得
持 つが ゆ え に懲 罰 さ れ よ う と し て
﹁わ れ わ れ は 政 府 と 異 な る 視 点 を
の デ ー ビ ス会 長 は 英 紙 へ の寄 稿 で
こう した動 き に 対 し、 BB C
と のけ ん捌 肇 .
肖も 出 て い る .
年 の B B C の資 格 更 新 に 影 響 す る
内 か らは 、今 回 の対 応 が 二〇 〇 六
視 聴 膏 の負 担 が 主 要 財 源 だ 。 政 府
B B C は 日 本 の N H Kと 同 様 に
はせ がわ ・け ん じ
.尾 ・
へ百年入杜 テ ヘ
ラン芝 同長 .経済 部 な どを 経 て ..h
、
.
◎﹁.
年卜 ..
りから ロンド ン淀 局員
ヒ 回 って い る .
.
の に 対 し 、 B B C は 54 % と 大 き く
質 問 に 、 政 府 が わ ず か 18 % だ っ た
B B C のど ち ら を 信 頼 す る か と の
受 し て いる よ う に みえ る、
.
に 政 界 中 心 で な い多 様 な 視 点 を 享
こ の原 則 は 変 わ ら ず 、 読 昔 は 政 界
調査 では 、情 報 操 作 疑 惑 で政府 と
ピ ー1 下 旬 に 英 紙 が 発 表 し た 匿 論
器 を 四卜 瓦 分 以 内 に 配 備 で
デ ィ アも .斉 に 飛 び 付 い た 、
の政権 批 判 報 道 は 、 野党 や党 内 非
白 殺 原 因を 調 べ る独 疏 調査
を 誇 張 し た疑 惑 を め ぐ り 、
プ レス
き る ﹂ と の情 報 が 、 首 相 府
(10}
ワ ーキ ング
笏 ブ レア政 権vsBBC
第402号
2003年8月10日
原発十基
国 への根 強 い不 信 感
▼五十 嵐
稔
皿
機 は 地 方 経 済 にも 影 響 す る ﹂ と し
新 た な 、..つ の プ ラ ン ト は ひ び 割 れ
県 幹 部 の .人 は そ ん な 見 方 を .
小す .
﹁今 度 の 再 開 論 議 は .長 く な る ﹂﹁
い﹂ と の 思 いを 強 く し て い る 、
.
て、地.
兀経 済 界 か ら も 早 期 匪 稼 働
な ど の ト ラ ブ ル を 抱 え て いた た め 、
﹁原 発 停 止 に 伴 う 首 都 圏 の 電 力 危
を 求 め る 声 が ヒ が った が 、 そ れ で
福 島 第 .6 号 機 以 ヒ に 安 全 性 に 対
.連 の ト ラ ブ ル 隠 し を 教 訓 に 、
.6 ロ
ゲ機 の 場 合 、 県 議 会 な ど か ら
も か た く な に ﹁運 転 .
再 開 一に 一
.
肖及
県 に早 期 の運転 再 開受 け 人 れ を要
県 を は じめ原 発が 航 地 す る全 国 の
の.
要請 も あ って
し な か った 知 涯 の 胸 の う ち に は 国
蹴
唄、県 は 知 事 を 中 心 に 、 続 く .
.
.
基
肖 治 体 から は原.
r力 政 策 を 推 進 す
す る 精 査 が 必 .要 に な る か ら だ
の プ ラ ン ト に つ い て 、 再 稼 働 の是
決 着 、 と い う 感 も あ った が 、 今 回
へ の 根 強 い不 信 感 が あ る .そ の 思
.連 の ト ラ ブ ル隠 し に よ っ て 全
非 を め ぐ る論議 を 始 め た が 、 これ
る凱 場 の経済 産業 省 と 規 制 機 関 で
は保 安院 分 離 間 .
題 や エネ ルギ ー 基
ハ
福由
局民 報 社 報 道 部 )
基 停 止 に 追 い込 ま れ た 痕 京 電 力 の
ま で 同 様 、運転 再 開 の見 通 しは 測
あ る 原 r 力 安 全 ・保 安 院 を 分 離 す
本 計 画 案 な ど を め ぐ る 一国 の 体 質 、
号機 の再 稼 働 受 け 人 れを表 明 した
が、 こ の間 、 関係者 は知事 の腹 を
輻島第
﹁時 間 切 れ ﹂ で の
そ れ だけ にと ど ま らな い
再稼 働 の是 非 を 判 断す る材 料 は
原 r 力 発 .電 所 の 運 転 再 開 問 題 で 、
り に く い状況 にあ る
べ き 、 と の意 見 が 出 て い る , にも
体 制 ﹂ (県 原 f 力 安 全 グ ル ー プ 一
当 、時 問を か け た 議論 が積 み 重 ね
い は 今 も 変 わ って い な い.
、
福島 県 の佐 藤 栄 佐久 知 事 は し 月 卜
本 県 で は 太 .半 洋 岸 の 双 葉 郡 に 東
か か わ ら ず 、 同 省 は ﹁療 r 力 政 策
ら れ る見 通 し だ 、
梁 に 福 島 第2原
発 が ・:〔
地 し、 広 野 に 〔
・は 碍(}}(電 ノJの 火 力 発 電F折 か あ り,匡 い
1内 イr数 の 電 源 地 帯 と な っ て い るl
浴場 も 馴
能 で き る.
「
〔ll)
11 に 県 内 最 初 と な る 福 島 第 .面
.
電 の原 発 十基 が疏 地 し 、 関 連 、 ド
を 推 進 す る に は 安 全 面 の掌 握 も 必
.
要 ﹂ ﹁保 安 院 の 独 立 性 を 高 め る 法
が より屯 .
要な ポ イ ント になり 、 相
て いる、 原発 停止 によ る地 元経 済
改.
止 で理解 が得 ら れ る ﹂ な どと し
読 み き れ な い状 況 が 続 いた .
と す る答 え を 川 し てから 八 口後 、
への影 響 は小 さ くな く 、 福 島 第 .
て 、.向 に動 こう と は し て いな い。
さ ら に、本県 は 原 子 力 発 電と 核
浪 江 、 双 築 、 大 熊,富
岡 、 檎 築 、 広 野,
の ぞi町,内 陸 都 に 葛 尾 、川 内 の2村
が1
請 け を 含 め ると九 千 人 余 り が働 い
経 済 姥 業 省 原 f 力 安 全 ・保 安 院 は
6号 機 に 対す る 国 の安 全 確 認を 受
し 月 に同省 が打 ち 出 し た 国 の モ 不
再開 を受 け 入れ る意 見 集 約 を し た
燃 料 サ イ ク ルを 切 り 離 し て 検 討 す
双 葉 郡;よ 呂田」'村
』 証}'摯嵩5昇二.1ヒ
カ・ら.
知 事 が よ う や く 運 転 再 開 を ﹁ゴ ﹂
さ ら に 福 島 第 .3、 5号 機 、 福 島
け、 立 地 地 域は 県 、県 議 会 に 早期
が 、 知 事 は そ の後 、 .カ 月 間 も 結
る よ う求 め てきた が 、 基 本 計 画案
ーニ ング、
があ る
}サ ソカ ー 砲 ナ シ'1+ル
ト.レ
セ ン ケ ーlJヴ
で レ ワ ジ」
;郡 内 は 温1暖 な 気 候 で
、海水
;い
海
.Ih、IIIの
幹をたん
}の も 魅 力
、
杖 葉,大
(い が ら し ・み の る ︺
第 ..1号 機 に つ い て も ﹁
安 全 官二.
∬
ル ギ ー基本 計画 案 にも 分 離 問題 は
論 を 出 さ な か った .
.こ の間 、 県議
は
触 れ ら れ て いな い.
,
会 と し て の方 針 を 伝 え て も な お 判
県 は ﹁
地.
兀自 治 体 の 声 に 耳 を 傾
け な い姿 勢 は 何 一 つ変 わ って いな
﹁共 に 推 進 す る ﹂ と の 万 針 で 、
断 を 示 さ な い知 事 に 対 し 、 議 会 内
か ら ﹁議 会 軽 視 ﹂ の 批 判 も 出 た .
.
躯 、 広 野 に ま た が る 用 地 に は,,
I楢
県 議 会 は これに こた え て運転
の運 転 再 開 受 け 人 れ を 要 請 し た 、
双葉郡
を した、 これ を受 け 、立 地地 域 は
圃囲 発
岡,桝
発.富
あ り,人 口 は 約7万6.f鴎0人
F熊
に 東 京 電 力 福 島 第1原
モ
〔ふ た ば ぐ ん1メ
双 葉 郡
第402号
2003年8月10日
故 国 の伝 統 、 言 語 な ど を か
た く な に 維 持 し よ う と いう .匿
と 、 主 流 派 に 溶 け 込 ん で ゆ こう
と す る .一世 以 降 の 世 代 と の 葛 藤
は 、移民 社会 の米 国 では おなじ
み の テ ー マ。 こ の 映 画 で は 全 米
に 約 一.
.
百 万 いる ギ リ シ ャ系 が t
役 だ.
.﹁ギ リ シ ャ 人 と 結 婚 し て
そ の r 孫 を 残 し 、 死 ぬ ま で家 族
の食 事 を 作 り 続 け る ﹂ のが ギ リ
シ ャ 系 女 性 の変 わ ら ぬ 責 任 だ と
固 く 信じ る父親 は 、 婚 期 遅 れ の
娘 ト ゥ ー ラが 恋 人 に 、 菓 食 † 義
の 英 国 系 新 教 徒 を 選 ん だ こと か
ら.
小彰 のど ん 底 に .
.何 し ろ ﹁英
国人 など、 ギ リ シ ャ人 が哲 学 を
語 っ て い た 頃 、 ま だ 猿 だ った ﹂
﹁高 貴 な ギ リ シ ャ 人 か 、 そ れ
と 豪 語 す る 父 親 に と って 、 人 間
は
ッ グ ・フ ァ ッ ト
(大 仰 な ) ウ
の同 意 を 得 、 ギ リ シ ャ式 の ビ
賛 助会 貝 が 任 期 を終 え、 七 月 末 に
ンド 、 ロ シ ア 大 使 館 の 四 人 の 特 別
英 国 、 エジ プ ト 、 ニ ュー ジ ー ラ
1
進 課 の 担 当 に な り ま す . 経 済 の規
帰 国 後 は 、外 務貿 易省 の投 資 促
し ま いま し た 。
時 の 半 数 の 年 間 四万 入 ま で 減 って
お世 話 に なり まし た 1
エ デ ィ ン グ に こ ぎ つけ る 、
.ハ
帰 国 しま し た .
. 思 い出 や お 別 れ の
模 は 違 いま す が 、 両 国 は 補 完 で き
(ニ ュー ジ ー ラ ン ド )
チ ャメチ ャな 結 婚 式 風 景 に 戸
弁 を 聞き ま し た ,
懸ケ ルさ ん
惑 い続 け る 謹 厳 な イ ア ン の 両
家 の名 前 の 語 源 は リ ン ゴ と
﹁両
さ れ 、 強 いギ リ シ ャ の 酒 ウ ゾ に
店 で チ ラ シ を 配 った り し ま し た .
.
開 催 地 で 説 明 会 を 開 いた り 、 飲 食
国 人 フ ァ ン へ の誤 解 を と く た め 、
.番 の 思 い 出 は 昨 年 の W 杯 。 英
ド し て い る 中 小 を 含 む ハイ テ ク 企
種 多 様 な 取 り 組 み で、 業 界 を リ ー
こ の よ う な 時 期 だ か ら こ そ と 、多
経済 の指 標 は良く あり ま せ ん が、
に 貢 献 で き れ ば と 思 いま す .
一目 本
る 分 野 が あ る の で、 .層 の 緊 密 化
オ レ ンジ 。 種 類 は 違 う が 果 物
フ ー リ ガ ン の 来 日 を 水 際 で 食 い止
業 が多 く あ り ます .小泉 さ ん みた
(英 国 )
と し ては 同 じ ﹂ と あ い さ つす
めた ことも あ り 、 大過 なく す ぎ ホ
いで す が 、 悲 観 論 に 陥 ら ず 、 も っ
鍮キ ノシ タ さ ん
る 。 こ の部 分 は 、 多 様 性 を 尊
ッと し ま し た .
、 H本 のマス メ デ ィ
と 自 信 を も っ て、 と .
ぼ いた い.
親 も 、 やが て そ の雰 囲 気 に感 化
重 し つつ 一つの国 民 にな ると
アには ク エ スチ ョンタイ ム か ら ガ
酔 っ払 う 。 ト ゥ ー ラ の 父 は
いう 、 移 民 社 会 米 国 の 理 想 の
あ ふれう れ し いのです が、 地 味 な
に魅 ∼ さ れ ま し た .
.モ ス ク ワ で は
九 谷 焼 の 色 使 いと 精 巧 な つく り
継 ヤ ー セ ネ フ さ ん (ロシ ア )
欧 米 で 既 に 大 ヒ ット し て い
教 育 改 革 や 福 祉 分 野 でも 報 道 が 増
U 本 の ホ ン モ ノ の磁 器 、 陶 器 は 口
ー デ ニング ま で 英 国関連 の話 題 が
る と いう が 、エ ス ニ ック 問 題 に
え れ ば と .願 っ て い ま す 。
象 徴的 表現 だ ,
興 味 が あ る 私 に は 、ハリ ウ ッド
にす る 機 会 が 少 な く 、 い つか 展 示
齢 オ サ マさ ん
︹エ ジ プ ト )
・コメ デ ィ的 誇 張 も 適 度 に あ っ
本 課 に も ど る ア定 な の で 、 H 本 と
会 が で き れ ば と 思 って いま す 。 日
ジ プ ト 年 ﹂の 成 功 が お み や げ で す .
の関 係 は こ れ ま で 通 り で す . モ ス
﹁日 本 に お け る エ
吠前 、ギ リ シ ャ 大 使 館 の書 記 官
考 占学 分 野 だ け でな く映 画 、 舞 踊
ク ワ の 日 本 大 使 館 で は ﹁日 本 料
一.○ O O 年 の
の 一.種 類 し か な い . だ か ら 、 世
が背 景 を 説 明 し た の は ク ラ ブ 初
な ど 今 の エジ プ ト を 伝 え る 催 し が
理﹂ の教 室 が開 かれ て いる そ う で
て、実 に 楽 し い映 画 だ った 。L
界 の.
.
爵語 も す べ て ギ リ シ ャ 語 に
り試 み と いう が 、日 本 人 に は 比 較
好 評 で し た 。 心 配 な のは 、 日 本 人
す、
、そ こ で 勉 強 し て 、 収 集 し た 九
以 外 の 野 蛮 な 外 国 人 ︹ク セ ノ こ
語 源 があると 公 言 す る .
悶な じ み の薄 い今 回 の よ う な テ
観 光客 の数 一
.九 七年 のルク ソー ル
教 に 改 宗 し 、 ト ゥ ー ラ の母 親 の
恋 人 のイ ア ン は 、 ギ リ シ ャ正
ーマでは 、
参 考 にな ると思う 。
谷 焼 で お も て な し でき れ ば い い で
倫好 (
産経 新 聞 出身 )
事件 以 降 、 少 し 持 ち直 した と 思 っ
協 力 も 取 り 付 け て 、 や っと 父 親
宮本
す ね.
、
マイ ・ビ 亨〃 。ツ,噌 卜 ・ウ=畢 インケ
た ら、今 度 は イ ラク戦争 、
.ピ ー ク
〔12)
試写会
」
第402号
2003年8月10日
張 りL げ る、 氷 点 ド .
..
凸.
一
度 近 い寒
プ で 掘 り 出 し 雪 L 車 に掛 け 、 引 っ
り に付 け ら れ た ワイ ヤーを ス コ ッ
●囲 碁 の 会 ○
雪 ヒ 巾 の中 は エ ン ジ ンを か け て
さ で堅 く 締 ま った 雪 か ら 、 そ り は
目 ︹L ︺に 開 催 さ れ ま し た
ヘッド ラ ン プ の 明 か り を 頼 り に そ
い れ ば 暖 房 が 効 い て い る が 、 ..
酸
お いそ れ と は 出 て く れ な い
六段を 筆 頭 に したレ 九 人 の女 性 に
の回 復を待 ? .
化 炭 素 中 毒 の 恐 れ も あ る た め寝 る
嘩 のオ ペレ ー タ ー と 無 線 で や り と
短し て 、 ク ラブか らは .
..
卜 人 が参
皿東
.、○ キ ロ ほ ど 離 れ
オ ング ル島 )から
と き に は エ ンジ ン を 切 り 寝 袋 に も
りを しな が ら 、 雪 L唯 を バ ック さ
加 、和 や か に 手 談 を 楽 し み ま し た
昭 和 基 地
た と こ ろ に 、 ﹁S
ぐ り 込 む .鉄 製 の 雪 L 屯 は 外 の 寒
せ て勢 いを つけ て 前 に 出 る と い う
﹁S 16 ﹂は 汚 段 、
く そ り を 引 き ヒ げ る こと が で き る 、
中 で
幸 の ...
氏 の 活 躍 が ーー ﹂
v日ち ま し た
も占 沢 .
止也 、 安原 和雄 、 H 比 野 和
越 し の雪 辱 を 果た しま し た
の.
.
.卜 勝 、一レ ヒ 敗 と 、 昨 年 の 負 け
.
..
局 を 終 わ りて の 成 績 は 、 ク ラ ブ
今 年は、
度 の紅 友 会 と の 対 抗 戦 が し 月 卜 九
ヒタ で は あ りま せ ん が 、 年 に .
紅 友 会 と 対 抗 戦
陸 の 玄 関 目と な る
は 霜 が付き 、吐 く 息 は ツララと な
さ を 車 内 に伝 え て く る
車体 そ のも
ブ リ ザ ー ド は 丸 ..日 吹 き 続 け 、
また吹 き つけ る 雪 でHを 開 け て
観測 のた め の拠点と
へ'回 は こ の ﹁S 怖﹂
よ う や く 収 ま った . 尺 候 の回 復 と
雪 L
観測拠点 がある
って天ル に張り 付 く
作業を ﹁度 ほ ど 繰 り 返 し て よ う や
16 ﹂ と い う 南 極 大
人 が いな い
のも 風 で﹂
首を ﹂
琉て て 揺 れ る
前 の隊
い ら れ な い の で 、 ゴ ー グ ルを し て
車 の柱 に
し て彗 L車 や燃料 、 そ り な どが置
に総 勢 卜人 でや ってき た
と も に雪 に埋 ま った そ り を 引 き 出
か れ て いる
が 残 し た そりを 雪 の中 か ら掘り 出
作 業 にあた る
は 九 月 ,.卜 L 日
次 回
曇 り 見 え な く な る 、 はず す と 今 度
ら い つ も の よ う に 宴 会 場 で 行 いま
八月 の例 会 は お休 み です
は ま つげ が 凍 っ て 見 え な く な る .
.
す
︹ヒ ︺ 午 後 .時 か
寒 さと 闘 いな が ら の作 業 が 続 く .
,
顔 から でる 水 蒸 気 ですぐ に凍 って
し か しゴ ー グ ルも
す 作 業 に取 り か か る .
過 ぎ 、作 業 を 始 め る 朝 は ま だ 暗 く 、
こ の時 期 、 日 の 出 は 宰 前 1
. 、時
す た め である
到着 し た翌 目、南 極 の雪嵐 、ブ
リ ザ ー ド が 襲 って き た 。 い つ終 わ
る と も 知 れ な い雪 と 風 .時 に
は風速 一
.
.ト ロ 近 い 強 風 が 吹 き
雪 と 氷
罫を休 め て見 ヒ げ ると 、夜 明 け
で空 が赤 く 染 ま り 始 め た
の.
平 原 が 空 ま で 競 く . こ の.
平.
原を
数 r キ ロも 進 み 、 南 極 点 を 目 指 し
藤田浩 之
た ア ム ン ゼ ン や ス コ ッ ト に 田心い を
は せた .
N HK 社 会 部
N 11 K 越 冬 取 材 班 の藤 川 記 昔 た ち の
活 動 や最 新 の 昭 秘 基 地 の 様 r が=三)
∵
'
ニニ考﹄チξ}
ユ℃、
=僧
三5δr一
; 乙一
乙 三ご︻
で.
分か
臼ます
レ
つけ る .
、風 が 雪 を 舞 い ヒ げ 、
卜 冒 先 が見え なく な る . ブ リ
ザ ード が始ま ると 、肖 ,
分 の位
概 を 見 宍 い遭 難 の 恐 れ も あ る
た め 、外 で の 作 業 は で き な い 、
﹁S 16 一 の 櫟 高 は 六 百 齎 以
ヒ あ り 、気 温 は昭 和 基 地 より
も 五 度 以 ヒ低 い、ブ リ ザ ー ド
のた め ,
ア定 の 作 業 は 遅 れ 、 雪
南 極 大 陸 の 玄 関11Sl61
雪 の 」1「
原が 空 ま で 続 く
〔13〕
昭 和基地
便り ④
上 車 の 中 で仲 問 と と も に 友 候
し た
勝 で
れ1は=連
芝[司「1=ま
、Bウ
ム づー ノ=ボ愛1ノ ピカ・ら.ノ
】 も 参 加1rプ
を:こi』
占 崎L∫でξまIf言
久
ホテルは雪 上 車
出張
第402号
2003年8月10日
◇ 関 東 大 震 災 80周年企 画
A P 通信東 京支 局 が 移 転 しま した
今 年 は会 員 社 の 新 社 屋 ラ ッシ ュ
で す 。 汐留 に完成 し た 共 同通信 の
新 本 社 ・汐 留 メ デ ィ ア タ ワ ー に 、
A P 通信東京 支 局 が 移 転しま し
た 。 新 住 所 は 左 記 の 通 り です 。
〒 1 0 5i 7 2 0 7
0 31 6 2 1 5 1 8 9 6 0
汐 留 メ デ ィ ア タ ワ ー 7階
東 京 都 港 区 東 新 橋 1 1 71 1
電話
共 同 通信も メ デ ィ ア局 や管 理部
門 はす でに移転 、 編 集 局 は九月 中
旬 以 降 移 る予定 で 、 今 年末 に 本社
移 転 を 完 了しま す 。
日 本 テレビ と テ レ ビ 朝 日も そ
れ ぞ れ 汐留 、六本 木 に 新社 屋 が完
成 。 目 下、大 引 っ越 し の 最 中 です 。
報 道 局 の移 転 は テ レ ビ 朝 日 は 九 月
末 、 日 本 テレビ は十 月 初 旬 の予定
だ そ う です 。
き 役 割 を考え る企 画 展 です。
面 、号 外 、報 道 写 真 、テ レ ビ 映 像 な
こ れ ま で の震 災 報 道 を 新 聞 紙
と 報 道 の役 割 ﹂ も 開 催 さ れ ま す 。
員 ら に よ る シ ン ポ ジ ウ ム ﹁大 震 災
ら は 、 新 聞 ・放 送 の 記 者 、 解 説 委
九 月 二十 日 (
土 ) 午 後 一時 半 か
ど で 紹 介 し 、今 後 予 想 さ れ る 大 地
1 新 聞 博 物 館 で 10 月 19日 ま で
﹁大 震 災 と 報 道 展 ﹂
震 発 盤 時 に新 聞や放 送 が 果 たす べ
(14)
第402号
2003年8月10日
第402号
2003年8月10日
な 一....㌔
レ
殿〔叱川
月lll肖iし;よ
を ・ノブき ・'な.柑1網1:隔
「
巴:瞬1[1Lノ)まiテ
B
A
一反 省 で は 足 り な い
﹁確 か に よ く な い
-あ れ は ひ ど い よ
反省 す べき だ ね 一
困 った もんだ ﹂
ル ー ルを 踏 み にじ
A
黒 星 7・ み ん な 国 に 帰 れ 帰 れ と 総 ス カ
ン.
・も 、 ヘ ナ ル テ ィ は 黒 星 だ った ﹂
って 、 素 矧 ら ぬ 顔 だ 一
B
A
L
気 に く わ な い州 f を な ら ず
異 文 化を 認め な
早 く 引 き 揚 げ れば いいん だ﹂
.そ れ は 排 外 思 想 だ よ
ンだ
H
一異 文 化 ・
ゴ
い態 度 は よ く な い﹂
A
昔 呼 は わ り し て ぶ っ飛 ば す そ ヒ す ご む
修 業 を 続 け る う ち に お のず か
﹁品 格 に 問 題 が あ る か も し れ な い が 、 ま
に 逼 つも の の 晶 格 の 完 全 欠 如 だ ね 一
B
だ 若 いん だ
ら入 格も 陶 冶 さ れ てくる だ ろ う 一
A ﹁ま だ 若 い つ・ 何 よ ー
1問題 は 、 証拠 も な
9 ・ 1ー テ ロ と の 関
いの に 大 量 破 壊 .
共 器 が あ る と ..
口い 疏 て ,
r
・
、む
り やり 開戦 し た こと だ
匿界 の
.体 何 の 話 だ ﹂
係 も 、 へ'に 至 る ま で 出 て こ な い ﹂
B ヨち ょ っと 待 て よ
A ﹁も ち ろ ん イ ラ ク 戦 争 の 話 だ よ
保 安宮 面 を し て 、 勝f な﹂張 を 押 し 通 そう
﹁朝 苛 龍 ?
﹁何 だ . 朝 ドー-龍 の 話 か と 患 った よ ﹂
と す る 、だ か ら 嫌 わ れ る ん だ ﹂
13
そ れ は 全 く 別 問 題 だ 、未 完
八
のκ 器 は 温 か い目 で見 守 って や り た いね
人間 、多 少 の欠 点 は付 き物 な んだ から ﹂
戸森 協 逸 男 一
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誠(:1::謳:1騎 璃1;il{謀
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浅野
写真
{・遊}』:…ノFlr什・.r£断.:7,1臼
反則 負 け
3503-2725
3503-2728
寄 贈書
1ダ イ ヤ ル イ ン ち
ク ラ ブ の 電 話
洋 食 レ ス トラ ンqO階2
3503-2723
貸 室矛 約
3503-2766
3503-2724
3503-2721
クラブ 行 事 へ の 申 し込 み
連
委
大学 教 授
(
木 )午後 1時 3
0 分 ∼ 3時 30分 研 究
会 ﹁
地 方 か ら H 本を 変 え る1 地
方 分権 の進 め 方 一 北 川 正 恭 ・
堂本暁
石原
増 田 寛 也 ・岩
早稲 田 大学 大 学 院教 授
子 ・千 葉 県 知 事
手 県 知事
(
金 ) 止 午 ∼午 後 2 時
昼食会
慎 太 郎 ・東 京 都 知 事
元 出
成
中 園 龍 ..
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話
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絡 肺長 谷川 和 f
僑 場義 之
員 11 仙 石 伸 也
委 員 長 目住 田良 能
会 報 委 員 会
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行事 案 内 電話
29 日
28 日
13 日 ︹
水 )午 後 3 時 ∼ 4 時 30 分 研 究 会
﹁北 朝 鮮 ﹂
.
酬 下 斗 米 伸 夫 ・法 政
・経 理
記 者 研 修 会 の申 し 込 み は 15 日 ま で
和 食 レ ス トラ ン 〔9階}
八 月 の 行 事 予 定 ; 日現窪
3503-2ア22
﹁
政 治 記 者 の日と 耳 ﹂第 5集
法 人 ・
特別賛助
..一人
二 、八 一.一.人
会員事 務
毎 年 、 地 方 紙 、地方 局 の人 た ち の参 加 が 多
今 井 久夫 会 員
海 野和雄 会 員
政 治 記者 O B会
H 本 マ ー ケ ット シ ェ ア事 典
楓
(
税 別 ),
.}
(全 国 朝 日 放 送 出 身 、 83
.四 九 社
〇入
..一一
.0 社
会 打 ち合 わせ
受 付,宴
いク ラ ブ の 記 者 研 修 会 も 、 今 年 で六 回 H に な
り ま し た 。 プ ロ グ ラ ム は 一ペ ー ジ で ご 案 内 し
旅塵
ロバ ー ト ・マク ナ マ ラ 編 著
一
兀夫 八互員
たと お り です .
、所 定 の巾 込 用 紙 は す で に 各 社
果 てしな き 論 争
晃会員
﹃月 光 浴 ・20
(
訳 )仲
朝 日新 聞 杜 か ら
年 の 旅 展 ﹄ ﹃ガ ラ ス の 酒 器 ・ ヨ
﹃T H E 地 震 展 ﹄ ﹃ア レ ク サ ン
お 礼申 し あ げま す 、
富 重 静 雄会 員
法 入会 員
ご 冥 福 を お 祈 り いた し ま す ,
会員 現 況
一二
一、七 二 五 入
基本 会 員
歳 } が 七 月 十 九 日に 死去 さ れ ま した 、謹 ん で
卦報
約 は 3 5 0 3 i 2 7 6 6 へ . 8 月 29 日 ま で ,
つ ま み 三 品 が つ い て 一.、一五 〇 円
セ ッ ト を 提 供 し て い ま す 、 生 ビ ー ル ..
杯 にお
夏 本番 .
.卜 階 レ ス ト ラ ン で は 恒 例 の 生 ビ ー ル ・
生 ビ ー ル で 乾 杯 1・ 東 京 も や っと 梅 雨 が 明 け
いた だ き ま し た
ド ロ ス 大 下 と 東 西 文 明 の 交 流 展 ﹄ の招 待 券 を
売 新聞祉 か ら
ー ロ ッ パ 展 ﹄ ﹃ク マ の プ ー さ ん の 世 界 展 ﹄、 壮
眈
圏
の編 集 局 長 、 報 道 局 長 宛 て に お 送 り し て いま
す が 、 出 席 ご 希 望 の方 は 事 務 局 ま で お 申 し 出
く だ さ い 一 も ち ろ ん 、 在 京 会 貝 社 か ら の参 加
も 大 歓迎 です.
.申 し 込 み 締 め 切 り は 十 五 日
へ
金 )で す 。 多 数 の参 加 を お 待 ち し て いま す 、
共著
﹃ケ ー ス に 学 ぶ 企 業 の 文 化 ﹄
夏 目大介
﹁
W O WO W出 身 )
敬 愛 大 学 で 、 いろ い ろ な 業
種 、 企 業 の 仲 間 と 組 ん で ﹁企
業 文 化 論 一を 講 義 し た も の を 、 共 著 と し て
ま と め た も の であ る 、
私 は 臼 分 の 経 歴 か ら 、 ﹁新 日 本 製 鐵 と W
O W O W の 企 業 文 化 ﹂の 章 を 担 当 し て い る 、
学 究 的 な 企 業 文 化 論 の著 作 は これ ま で多
数 あ る が 、こ こ では 経 済 実 業 人 の 立 場 か ら 、
企 業 文 化 を 規定 す る根 幹 に事業 の性格 が あ
計
々賀洋口・功 琳カム耳筒
貝
八 一社
鯛 人会員
八 〇九 人
届ハ﹂ハ入
る と 考 え 、 鉄 鋼 業 や 放 送 業 の業 界 の感 覚 か
ムAM
貝
個人 賛 助 会 興
三 、四〇 〇 円 )
ら説 き起 こし て いる .
(
白桃 書 房
[16}
第402号
2003年8月10日
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