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私の語学取り組み体験 - ドン・キホーテの広場

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私の語学取り組み体験 - ドン・キホーテの広場
私の語学取り組み体験
(『「定年留学」してみませんか?』からの抜粋です)
これから留学をされようとしている方、また、これから語学に本格的に取り組もうとして
いる若い方も含めて、少しでも参考になり、お役に立つことが出来るならばと、いまだ未熟
な自分の語学力を承知の上で、私の語学修得に関する体験をご紹介したい。
現在、私はマラガ大学でスペイン語の勉強をしているが、大学(早稲田商学部)時代の第二
外国語はドイツ語だった。スペイン語については、大学を卒業してNHK学園高校の教諭(商
業科)を務め、その後、聖教新聞に入ってしばらくたった頃、必要性を感じて独力で勉強を
始めた。中南米関係の記事が増え始めていたのに、スペイン語のわかる人が社に誰もいなか
ったからである。
一時は、スペイン語が出来る人を探しては翻訳をしてもらったりしていたが、相手も都合
のあることだし、時間も費用もかかる。 なんとか、ある程度のものは自分で出来るように
なりたい
との思いから、決心し始めたことであった。
34 歳で初めてスペイン語に取り組む
当時 34 歳。大学卒業後すでに十年近く経過、記憶力も下り坂になっている時である。全
くゼロからのスタート。特にスペイン語は動詞の変化が難しい。そこで、週 2 回、2 時間、
スペイン語教室に通って文法を勉強、後はNHKのラジオ・テレビ講座、参考書による独習
をしていた。
ところが、10 ヶ月した頃、急きょ、パナマに特派員が必要との状況が生じてきて、たま
たまスペイン語をやっていたことから(むろん、他の要素からも検討されたと思うが)、私が
派遣されることになったのである。
パナマに着いてから約 2 年間、仕事の合間をぬって現地のスペイン語教室に通った。ク
ラスの仲間は、アメリカ、カナダ、フランス、インド、中国とそれぞれパナマに駐在してい
るビジネスマンやその夫人たちだった。教材のテキストはすべて英語で解説されていた。担
当教師の説明も当初は英語、やがてスペイン語のみになった。当たり前のことだが、ここで
は日本語は全く通用しなかった。だが、結果的にはそれが良かった。思えば、まがりなりに
も英語が出来たのは、大きな救いだったといえる。
その後、現地の機関紙の編集の応援をする必要から、支局のすぐ近くにあったパナマ大学
1
の新聞学科に聴講生として、週 1 回 2 時間、1年間学んだ。これは、編集のほかにも社会
事情やさまざまな表現の仕方を知る上で役に立った。
語学は「やる気」と「根気」以外にない
さて、英語については、自分なりに言えば高校時代からかなり勉強してきたほうだと思う。
一般に英語の読解力については日本人はレベルが高い。だが問題は会話力である。現在、ラ
ジオ、テレビの語学放送、テープ、語学学校、各種参考書と、巷には語学教材が氾濫。更に
は「××週間で話せる英会話」といったハウ・ツウものも街にあふれている。だが、私個人
の体験から言えることは、そんなに安易にことが運ぶことは決してありえない。語学は「や
る気」と「根気」以外の何物でもない、ということである。ちなみに、NHKの語学番組テ
キストの販売部数は、毎年 4 月を頂点にして、急下降のカーブを描いているという。
学問的なアドバイスはその道の専門家にお願いするとして、私は聴解力のアップのために、
電車・バスの中をはじめ、歩行中も英語のカセットテープを手放すことはなかった。誰も通
らない路上では、耳から入った文を大きな声を出して再唱した。長時間のイヤホーンで時に
は耳が痛くなった。同じことの繰り返しに飽きて、吐き気をもようすようなことさえあった。
でもともかくやりぬいた。一方、英語のテレビ番組、映画等、時間の許す限りそれらに触れ
た。そしてつかんだ結論は「語学に王道はない。ただ やる気 と 根気 のみ」というこ
とだった。一生のうちのある期間、 これほどまでに集中したことはない
と思えるほどの
努力が必要だと思う。
英語圏の国に住んでいるからといって、決して自然に英語が上達するわけではない。本人
に意欲と実践がない限り向上はありえない。逆に日本の田舎にいても、本人に やる気 さ
えあれば、語学上達の道はいくらでもあると思う。
外国語の大切さについては、今更ここで触れることもないと思うが、インターネットをは
じめ、世界がますます一つになりつつあるなかで、その重要性は飛躍的に高まっていくのは
間違いない。国として国際舞台で発言力を高めていくためにも、企業として海外に発展して
いくためにも、外国語に堪能な人材の育成は不可欠の条件となってきている。
ちなみに――太平洋戦争の開戦後まもなく、米海軍は全米の大学から知能指数の高い青年
を集めて日本語の特訓をした。猛烈な集中講義のおかげで、彼らはごく短期間で日本語の新
聞を読み、草書も映画も理解できるようになった。二千人の卒業生の中には、ドナルド・キ
ーンなど多くの知日派や、日本との友好交流に深いつながりを持つようになった人がいた。
戦時中、「敵性語」として英語を排斥した日本がアメリカに勝てるわけはなかった。
50 歳を過ぎて再び英語に挑戦
パナマから帰国して本社の外信部で仕事をしていた時、住む地元では、米軍横田基地のS
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GI(創価学会インタナショナル)メンバーの応援をしていく立場になった。昭島市が基地の
ある福生市とすぐ隣りであることと、なんとか英語が出来るから、との事情からだった。
とはいえ、アメリカ人メンバーからの相談に乗り、満足のいく激励やアドバイスが出来る
ためには、それまで以上の語学力が必要なことが痛感された。「自分の英語力がアップした
分だけ、皆に役立ち貢献していくことが出来る」が実感だった。そこで、再び、今度は英語
の勉強を始めた。刺激になるからとTOEICや英検も受験した。50 歳を超え、髪もかな
り薄くなった自分のような受験者は、なかなか見当たらなかった。でも、若者との切磋琢磨
は、文字通りこころよい刺激となったものだった。
一昨年 3 月、定年となり時間が自由になると、私は基地の中にある「セントラル・テキ
サス・カレッジ」に入った。週 2 回、各 3 時間ほどの授業だったが、せっかく縁のあると
ころで、英語と共にアメリカ文化についても理解を深めることが、メンバーの考え方をより
理解するのにも有用だと思ったからだった。
ここに入るのに、今度はTOEFLの成績が要求された。そこで再び、その試験に挑んだ。
この結果、これまでに受けた三種類の試験の到達点は、TOEIC
ンピュータ・テスト)210 点、英検
準1級
835 点、TOEFL(コ
となった。
目標のあるところに挑戦の意欲がわき、若者から受ける刺激は、自分への大いなる励まし
ともなった。それは、マラガ大学でスペイン語を学ぶ今、より強く実感しているところであ
る。
定年からスペイン語の完成を目指す
定年になってなぜ今更スペイン語を?
まえがきでも触れたが、時間的に自由になった今、
これまでの体験、積み重ねを最も効果的に生かし、自分の更なる成長を図りながら、所期の
目的に貢献したい、との思いからである。また、「ドン・キホーテ」について本格的に取り
組んでいくのに、スペイン語をもっと深めておく必要もあった。もちろん、原書は、現代ス
ペイン語とは異なり難しいが、ドン・キホーテが訪れた舞台を訪ね、地元の人々と交流、い
ろいろな話を聞きだすのに、言葉と共にスペインの文化事情や歴史を勉強しておくことも求
められるからだった。
それに、横田基地のアメリカ人メンバーに対してそうだったように、こちらのスペインの
メンバーに少しでも役立っていけるためにも、言葉の研鑚は欠かせない。
かつて、青年の育成に心血を注ぐ世界的な教育者から、語学の修得に関して、次のような
励ましの言葉を聞いたことがあった。
「使命を自覚したとき、才能の芽は急速に伸びることが出来る」。これは、未来を担う中・
高校生に贈られたものだが、語学に限らず、また中高年の人にとっても当てはまると思って
いる。また「『学ばずは卑し』との言葉がある。学ぶ人は成長の人であり、謙虚の人だ。学
ぼうとしない人は停滞の人であり、慢心の人だ」との言葉も胸に留めている。
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今度は、機会があれば、日本での「スペイン語検定試験」にも挑んでみようと思っている。
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<追記
語学習得のために>
語学習得のプラス面は計り知れない
人生の舞台は広く、楽しくなり、
仕事では時間も経費も半減する
外国語は、人生の舞台を大きく広げてくれる。たとえば国内に住む外国人とのお付き合
い。異なった生き方や文化に触れる楽しさと共にお互いの理解をも深めてもいく。いわゆ
る民間次元の交流である。それらは長い目で両国の友好そして世界の平和にもつながって
いる。
海外に出たとき最初に直面するのも言葉の壁である。まず通訳を探さなければならない。
訪問国の言語ができれば直接、現地の人と語り合い、ストレートに人々の感情に触れるこ
とができる。観光地訪問もより広く深く楽しむことができるだろう。
外国人とビジネスの交渉あるいはインタビュー。通訳を通して進めた場合
には、仕事の成果の相当部分は通訳に負う。練達の通訳であればこちらの
意思も相手の話もよく伝わる。だが、技術的に未熟だったり、相手国の文
化や伝統についての理解が薄い場合、向こうの意思が 100%伝わらなかっ
たり、はては部分的な誤訳もありうる。
こちらが相手国の言葉を操る場合でもそれは起こり得るが、仮に少々発音が悪かったと
しても「直接話し合う」効用は計り知れないだろう。
まず、交渉(インタビュー)時間が半分以下になり、しかも表情などから相手の真意をより
深く捉えることができる。次に通訳料が不要となる。料金はレベルが上になるほど高額に
なる。しかも、遠隔地での仕事の場合、通訳の交通費や宿泊費も負担しなくてはならない。
企業としては2人分の出張費を負担することになるわけだ。
一方、相手側にとっても、交渉相手が自分の国の言語を使ってくれることは、少なくと
も通訳を通しての間接的な対話よりもより親密感が深くなろう。日本語を話している間、
それが通訳されるまで待っているのは結構忍耐が要るものだ。その待ち時間があまりに長
いと、人によってはイライラしてきかねない。仮にブロークンであっても、当事者が相手
国の言語を話すということが、どれほどプラスになるか計り知れない。
英語ができればそれを土台に
別言語にも橋をかけられる
ある統計によれば、この地球上で約 15 億人が英語を理解できるという。これから計算し
ていくと、世界で 4 人に 1 人が英語で通ずることになる。インターネット上で使われる言
語の 7 割は英語で、多国籍企業のビジネス言語の 9 割は英語であるとも言われている。と
いうことは、英語さえできればすべてのことが相当のところまで可能になる、ということ
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である。
自分のことをひけらかすようでまことに恐縮だが、
「英語ができればこんなことまででき
る」というご参考に、私の現役時代の体験を紹介してみたい。
聖教新聞で、教育問題について来日中のSGI(創価学会インタナショナル)メンバーの座
談会を企画したことがあった。出席者は 3 人。フランスSGIの教育部長で中学の校長先
生、インドの大学教授、それにメキシコの中学の女性副校長だった。インドでは知識階級
のほとんどが英語を話せる。フランスのメンバーは英語が少々できるだけ。メキシコの副
校長はスペイン語のみ。こんな状況下、それぞれの発言を日本語に訳し、それをさらに3
カ国語に通訳などしていたらなかなか進まない。そこで進行ほかすべてを英語で進めるこ
とにしたのである。
フランスの校長にはフランス語と英語がわかる通訳、メキシコの副校長にはスペイン語
と英語がわかる通訳に、それぞれメンバーのすぐ隣りに座ってもらった。フランス語やス
ペイン語の日本人通訳を探すのは極めて難しいが、フランスやメキシコに英語ができる人
はいくらでもいる。
こうして座談会は、ほぼ同時通訳付きのような形で進めたので、日本語通訳を入れたら
4時間以上かかったかもしれない企画をほぼ1時間半で終えることができたのだった。
もう一つ。ずいぶん前のことになるが、イギリスとアルゼンチンの間のフォークランド
戦争(アルゼンチンでは「マルビーナス戦争」と呼んだ)が終わった翌年のSGI研修会の際
だった。
戦争終結後、約1年が経過していたとはいえ、また同じSGIメンバーとはいえ、両国
メンバーの間にはまだしっくりしないものが漂っていた。とはいっても、同じ日蓮大聖人
の仏教をたもち、同じ人生の師匠を抱き、同じ世界平和を目指している同志である。紙面
でもそうした方向性を後押しし、貢献したいとの思いから、両国メンバー4人による座談
会を企画した。
イギリスからはSGIの愛唱歌「21世紀のマーチ」を作曲した音楽家とジャーナリスト、
アルゼンチンからは医師とピアノ教師、それぞれ男女1人ずつだった。
このときは、筆者が司会をしながら通訳も兼ね進行した。英語からスペイン語、スペイ
ン語から英語への通訳である。紙面のタイトルは「肩組み歌えば心は一つ」――。日本語は
まったく使わなかったので、このときも大きな時間の節約となった。英語のほかにもう一
言語ができると、こんなことも可能になる、との例である。
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“語学負け組み”からの脱皮
→それは粘りと執念と集中力!
語学学校が繁盛している。語学留学も増えている。テレビ・ラジオの語学番組も多彩を
極め充実している。今、幼稚園からシニア世代まで、語学の勉強に取り組んでいる人は莫
大な数に上る。
概して日本人は中学校から(あるいは幼稚園・小学校から)高校、大学、社会人まで 10
年以上も英語を勉強していながら話すこともできない、といわれている。日本の英語教育
のあり方がいろんな角度から論じられてきてもいる。
これほどの人が英語に取り組みながら、実際に仕事や生活で使いものになるのは 1 割に
満たない、との見方もある。過去に英会話の本を 1 冊でも買った人の中で、本当に話せる
のは 100 人に 1 人、と言う人もいる。一生「英語ワールド」に憧れて終わりという人も多い。
途中であきらめてしまった人に、語学漂流または語学難民などという言葉も生まれている。
では、語学の“負け組み”から“勝ち組み”に脱皮する秘訣は何か!?
(本来、私はこうした“負け組み”とか“勝ち組み”といった言葉に
は反対で使いたくない。でも、経済とか生活水準とかいった分野の「勝
ち負け」と違い、語学は本人の努力次第でなんとかなる、との意味も
あるので刺激となり、発奮を促す意味で敢えて使わせていただいた)
先のレポートでも触れているが、NHKの語学番組のテキストの販売部数は 4 月を頂点
として急速な下降線を描いているという。
長く海外に住んでいても話せない人はいっぱいいる。ある海外留学アドバイザーも「行
けば自然に英語が覚えられると錯覚している」とその自覚と挑戦の決意の薄さを嘆いてい
る。
誤解を招かないようにしておきたいが、英語ができるから偉いということはまったくな
い。英語は一つの技術に過ぎない。でも、職場では少なくとも英語のできない人より道が
開かれ、役に立つ機会も多い。個人的にも行動の舞台が広がり、人生も面白く豊かになる
ので「やったもん勝ち」である。
語学に近道はない。「ラクをして覚えよう」がそもそも間違い。私は、長い自分の体験か
ら語学上達の秘訣は、粘りと執念そして集中力以外にないと思っている。
「××ヵ月で話せる英会話」「聞き流すだけで・・・」などというのは、売らんがための
キャッチフレーズであって、そんなに上手くことが運ぶことは絶対にあり得ない。
ある期間「これほどまでに勉強したことはない」と言えるほどの集中が必要であると思う。
これをやらないから、永遠に“入門”あるいは“初級”のままで終わってしまう。少しで
きるようになったら話してみる勇気。恥をかくことを恐れないことである。そして自らに
刺激を与えるために英検やTOEICなどにも挑戦してみることである。
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そういう私もまだまだ未熟で勉学の途上。英語やスペイン語を仕事やボランティア活動
で生かしながら、64 歳の今も、NHKラジオ講座「シニアのためのものしり英語塾」と「ス
ペイン語初級講座」(たまたま朝の放送時間が連続している)などで、より深い知識の吸収や
基礎の復習に取り組んでいる。
語学の翼で世界に夢を
かつて、青年の育成に心血を注ぐ世界的な教育者から、語学の習得に関して、次のよう
な励ましの言葉を聞いたことがあった。
「使命を自覚したとき、才能の芽は急速に伸びることができる」。これは、未来を担う中・
高校生に贈られたものだが、語学に限らず、また中高年の人にとっても当てはまると思っ
ている。
夢が、志が人を創る。大きな夢と大きな志は大きな人生を創る。自分を高
めていくのも、自分を貧しくさせていくのもこの心次第だと思う。
世界には経済的なものだけでなく、もっとエキサイティングで大事なこと
がいっぱいある。そんな異質な文化や生き方に感動し、啓発され、自らの世界
が広がるのが、外国人との言葉を介した交流とも言えるだろう。日本や日本人の生き方を、
外側から見つめなおし、国際理解を深めていくこともできる。
そして外国語の習得は、その世界につながるパスポートとなっている。さあ、語学の翼
であなたも世界に夢を広げていこう。
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