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勝浦鉱山跡発掘調査説明会資料 - 兵庫県まちづくり技術センター
勝浦鉱山跡発掘調査説明会資料 2016 年 2 月 14 日(日) 兵庫県教育委員会・(公財)兵庫県まちづくり技術センター 調査区の状況 ひな壇のように多くの石垣が築かれており、それぞ れの段に製錬施設がおかれていたようです。 石組みをもつ炉跡 畳 1 枚ほどの範囲に粘土を敷き、そこに石組を造 って炉にしています。炉床は、高い熱を受けて非常 に硬くなっていました。 調査地の状況(北東から) 【はじめに】 勝浦鉱山跡は、多可町加美区棚釜の集落南東にあたる、山地の斜面にあります。調査地の標高は 242 ~246mですが、東側はさらに高い山塊へと続く急斜面になっています。加美区では、勝浦鉱山跡の他 にも、多数の鉱山跡が存在することが知られています。これらの鉱山跡は、江戸時代中頃の享保年間(18 世紀前半)に開かれたとされていますが、これまでほとんど発掘調査がおこなわれておらず、歴史的な 推移に不明な点が多く残っています。 今回の発掘調査は、加東農林振興事務所がおこなう砂防工事に先立つもので、昨年 12 月 16 日に着手 しました。 【調査のあらまし】 調査対象範囲は約 400 ㎡です。この範囲内には、石垣によって区画された平坦面 5 か所がありました が、調査の結果、それぞれの平坦面から、礎石建物跡、炉、焼土面などの遺構がみつかりました。 礎石建物跡は 3 棟分がみつかっています。一辺が 30 ㎝ほどの平坦な石材を等間隔に配置しています。 残念ながら、石垣の崩壊や撹乱のため、建物の全体規模がわかるものがありません。炉には方形の石組 をもつものと、石組をもたない円形のものとが見られます。いずれも金属物質を含む非常に硬化した焼 土が認められ、精錬に用いられたものと思われます。また調査区中央付近には、広範囲に焼土が広がる 部分が認められ、鉱石の製錬をおこなっていたと思われます。 出土遺物は多くありませんが、江戸時代後期(18 世紀後半)以降の陶磁器類が出土しているほか、 調査地内で宝暦二年(1752 年)の銘がある墓石もみつかりました。こうしたことから、勝浦鉱山は、 江戸時代中頃に採鉱が始まり、明治期に至るまで製錬・精錬がおこなわれていたことが明らかとなりま した。 今後は、自然科学的な分析も含めて、調査地内の炉でどのような作業がおこなわれ、どんな種類の金 属が精錬されていたのかを明らかにしたいと考えています。 石臼を埋めて造られた遺構 円形の炉跡 内部には炭が厚く溜まっていたので、竈(かまど) 円形に掘り込まれた炉跡です。炉床には、炭が または炉と思われます。 溜まっています。 石組で造られた炭窯(?) 円形の炉跡 羽子板形に近い平面形をもつ、小型の窯跡です。 炉床に炭が溜まり、その上には強く焼けた粘土 形態から、炭窯か鉱石を素焼きするための焼き が厚く溜まっています。 窯と考えられます。