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尾根に囲まれる平坦地に平安時代(9 世紀後半~10 世紀前半)と中世
遺 跡 名 番場 ばんば №32 事 業 名 国道 116 号出雲崎バイパス 所 在 地 出雲崎町 調 査 年 昭和 60 年(1985) 調査面積 4,400 ㎡ 概 要 時代 平安時代~室町時代 文 献 『新潟県埋蔵文化財調査報告書第 48 集』「国道 116 号埋蔵文化財調査報告書 三島郡出雲崎町 番場遺跡」1987 年 新潟県教育委員会 尾根に囲まれる平坦地に平安時代(9 世紀後半~10 世紀前半)と中世(12 世紀後半~15 世紀前半)の集落 跡が見つかった。両者の間には大きな空白時期があり集落の時間的な連続性はない。鎌倉時代初期から室町 時代前期までが盛期。 平安時代 1 間×3 間の掘立柱建物や井戸がある。平安時代の土器と共に製鉄に関連した鉄滓が集中してお り鍛冶関係の遺構があったと思われる。 中 世 掘立柱建物数棟、井戸、溝、横井戸などで構成される。大きな掘立柱建物は長さ 5 間(14.1m)前後に 庇を持ち、幅は 4 間(6.7m)あり、束柱を持つ総床張り建物である。中世の絵図(「奥山荘波月条絵図」中条町所 蔵)には、床張りとみられる高床建物が描かれている。このような建物は庶民にまで広く普及していたものでは なく、一定の階層、すなわち在地領主の住宅を意味するとみられる。 この遺跡から出土した高級な輸入食器などのレベルと建物を共に考えると、居住者として在地領主層が想定 される。(その後、調査例の蓄積と研究から、富裕な農民層の屋敷との見方がある) 小木氏との関係 この周辺の中世の在地領主として知られるのは、南北朝期の文献に見える小木(荻)氏だけ である。鎌倉時代からこの地にいたとみられ、現在の大字小木は近世の小木村をほぼ継承しているものと考え られ、そこから小木氏の領地を推し測ることができる。 尾根に囲まれるように遺跡がある。左に JR 越後線が通る 5 間(14.1m)×4 間(6.7m)の掘立柱建物跡 東・西面に庇を持つ 柱穴の底には、礎盤(板)と呼ばれる柱沈下防止の横板が埋められている。総床張り建物 3 間(7.8m)×3 間(4.9m)の建物と 6 間(13.7m)×2 間(3.7m)の建物が重なっている。 柱穴の断面 柱の沈下を防ぐため、礎盤(そばん)と呼ばれる横板を入れている。 柱より大きい穴を掘り、板を敷き柱を据える。柱通りの修正後に土を突き固めながら戻す。 掘っていくと埋め戻した土は周囲と色が違うため、柱穴を識別できる。 瀬戸・美濃焼(平碗・天目茶碗) フイゴ羽口(左奥)、土師器椀 中国製磁器(青白磁蓋・合子、青磁・蓮弁文碗) 珠洲焼擂鉢 筒型土製品 木製品 漆器皿 箸 曲物底板(柄杓か) 木札・木簡 左 呪符(まじないの札)墨書「急々如律令」 下駄と下駄差刃 長さ 11.4 ㎝、幅 2.5 ㎝ 中□□、三斗□□、すへさ□□などがあるが、通しては判読できない