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空襲と空腹の日々 平間愛子(PDF形式:1823KB)
空襲と空腹の日々 日14 これでは集団焼死になるような勢いでした 。傍 ら の オ リ エ ン タ 戸: l 戦争とは 一口に 一 吾 いわゆるコ二K﹂とい、うつよ、うつなものだと思います。月日 ルでは、フィルムがパシパシ燃え上がり、何十メートルもの火 中 で も 一 番 印 象 深 い の は 、 昭 和 二O年 五 月 末 の 大 空 襲 の 焼 夷 っていました 。 何 し ろ 今 現 在 此 処 に い る 自 分 達 の 生 死 も わ か ら 配はしていましたが、胸騒ぎがしないから、生きているとは思 そこには多数の避難民がいて、後からは炎の滝が襲いかかり、 のたつのは早いもので、もう五O年 近 く も た つ て し ま い ま し た 柱が吹き出ていました 。 主人は中野駅北口に近いアパートに残 えば が、未だに悪夢のようなサイレンの音が耳にこぴりついている り、様子を見るとのことで、防空壕も無い所で大丈夫かなと心 弾が、シュ l シュ l花 火 の よ う な 無 気 味 な 音 を た て て 雨 あ ら れ 動こうともしない年寄りを、﹁冗談じゃないわ 。こんな所にぐず の碑のような下にしゃがみ込んで、﹁此処へおれば大丈夫だ﹂と 七 時 頃 、 空 襲警 報 と 共 に 逃 げ 出 し て 、 帰 り 始 め た の は 昼 過 ぎ で 明けてきましたが、 眠 さ も 空 腹 も 感 じ ま せ ん で し た 。 昨 日 の 夜 暫くいる中に、 ど う に か 炎 の 勢 い も 衰 え て き た よ う で 、 夜 も 一巻の終わりか:・﹂とも思えてきて、 ぬ極限状態では、人の事など心配する心の余裕などありません 7 ああ、これで我が人生は の如く降りしきる中を、防空頭巾をかぶり、米を五升住入れた 袋を背負い、年寄り(義父)を連れて群衆と共に降りかかる火 ぐずしてたら殺されてしまう﹂と励ましながら、背中を押し押 した 。一 面 に 焼 け 野 が 原 と 化 し た 所 が く す ぶ り続けて道もわか 空しい心地でした 。 しどこをどう逃げたかわからず、途中あちこちで火災が起きて ら ぬ中を、かろうじて早稲田通りへ辿り着いた時、あら不思議、 の粉をたたき落としながら、夢中で逃げたことです 。 新井薬師 いる申'を、 ﹁火を消していかないのか非国民/﹂との罵声を浴び 向こう側には家々があるではありませんか 。 0 E子 ょうです。 実愛 な が ら 夢 中 で 行 き 着 い た 所 は 哲 学 堂でした 。 -184- 平 うに﹂と、 心 の 底 か ら 願 い 続 け ま し た 。 だ か ら 終 戦 に な っ た 時 一刻も早く無くなるよ かな希望を覚えたことでした。敵機は中野駅を目指して攻撃し は、﹁ああ助かった。生きていたんだ﹂と心から歓声をあげたこ く無くなったらどんなに助かるだろう。 たが、風向きのせいか、方向がずれたせいか、新井、上高田方 とでした。 ﹁ああ、この分では我が住むアパートは大丈夫かも・:﹂と僅 面に焼夷弾が流れてゆき、中野駅近辺はどうやら燃えるのを逃 いつも空腹の日が続き、少量の 米に人参を細かく切ったにんじん飯や、近郊へ買い出しに行き、 又、食の方も配給が少なく せめてもの不幸中の幸いでもあったわけです。もうとっくにア 衣類と物々交換してきた貴重なじゃがいもを細かく切り、 れる事ができたようです。燃えた所の人々は気の毒でしたが、 パートへ帰り着いたらしい人達は、 私 達 の こ と は 、 年 寄 り も い めしにしたりして、主人が取り締まりの厳しい中を満員の列車 ひょっとしたらもう駄 ることだし、 いつ迄たっても帰らぬし に乗り、福島方面へ買い出しに行き、ようやく子にした何がし 小 麦 粉 が 配 給 に な った時は、慣れぬ手つきで手 打ちうどんを 目かも知れぬと思っていたらしく、午後二時過ぎに重い足を引 又或る夜、空襲警報と共にドッスンドッスンともの凄い地響 作り、野菜もろくに入らない、塩と少量のしようゆ等で味付け かの米を節約して少しずつ食べつないだりして、糊口をしのい きがして、ヒユツヒユツヒュウとうす気味悪い音で外へ出てみ したつゆでも、良いご馳走でした。又、とうもろこし粉が配給 きずりながら疲れきって顔を出した途端、﹁あら、死んじゃった ると、すぐ近くに、どでかい爆弾が盛んに落ちている様子。﹁お になった時は、 こ ね て 丸 め て フ ラ イ パ ン で 焼 い て 食 べ た り も し できました。たまにさつまいもが配給になった時は、義父はう お恐ろしい﹂と思わずすくんでしまいました。すぐ身近なドッ ました。少量の米に配給のフスマを多くまぜて炊き食べた時は、 かと思ってた﹂と驚きと安心したらしい気持ちで迎えてくれた スンドッスンと、 スルッスルッスル l の 、 ひ っ き り な し の 無 気 ろくに消化しないで出てきたのにはびっくりもしました。大豆 れしくでしょうがないようで、良いご馳走のようでした。 味さに、今にもわが身がすっとんで粉々に砕け散るような錯覚 粕も多量を少量の米に混ぜて炊き食べたが、すき腹にもあまり ょうでした。 に陥りました。気が狂いそうでした。何しろ防空壕という避難 何しろ口に入るものなら何でも良いのです。餓死したくはない 美味しくないけれど、そんなぜいたくは言っていられません。 が続くと、気の小さい私などは本 こ の よ う な 恐 ろ し い 夜 や 径一 からです。中野駅北口広場のヤミ市で、屋台のサツマイモに何 所が無いから、運を天にまかせるしかありません。 当 に 空 襲 ノ イ ローゼになり、﹁何でも良いか ら、この空襲さえ早 -185- も 粒かの小豆が入 った お 汁 粉 を 立 ち 食 い し た こ と も あ り ま し た 。 終 戦 直 後 の 或 る 目 、 省 線 電 車 ( 今 はE電) に乗る べく中野駅 のホ l ムでベンチに腰掛けたら、 駅員に﹁あ っ、 そこは駄目 。 進駐軍の席だから﹂と注意された事もありました 。 又、終戦直後の或る目、あわただしい足音がして、 アパート のせまい階段をかけ昇 ってきて、トントンドアをノ ックしたの で開けてみると、 そこには板巻きの 真っ 白 い キ ャ ラ コ 地 を 左 手 思わず聞き返した 言葉が ノ ﹁ツウエン?﹂ 。 ﹁ に抱えた進駐 軍の 兵士がっ つ立 っていて、﹁ヤール、ツウテンエ 言 、 つので ン﹂と 一 ーノlL と 言 いながら、行 ってしま った の で す。 のどから手が 出る程欲しか った純綿 の白 く 輝 い た キ ャ ラ コ 地 が 、 す う っと現 れたかと思 った途端、ア ッと い う 間 に 消 え て し ま った のです 。 ﹁ああ、何という不覚﹂ 。 いまだに思い出します。 -186-