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陽電子砲でシトを攻撃できるか、を物理的に計算する
Un Petit Puits 記事 No.2 (2007 年 12 月) 陽電子砲でシトを攻撃できるか、を物理的に計算する 榎戸 輝揚 (えのと てるあき) 1 決戦、第三新東京市 おたくの文化史に燦然と輝く足跡を残した「新世紀エヴァンゲリオン」 (監督 庵野秀明)が初め てテレビ放映されたのは 1995 年のことだから、今から 12 年も前のことになる。当時は中学生だっ た私も、今までとはクオリティが違うアニメがあるらしいという噂を耳にして、第一話の放送を 見た記憶がある。その後、いわゆる秋葉系のイメージとエヴァというアニメが不可分の扱いを受 ける風潮がはびこり、私個人としてはこのアニメから距離を置いてしまった2 。つい最近になって、 学科の同期からエヴァが再び映画でリメイクされたらしいから見に行かないかと誘われ、大学院 をさぼって池袋まで足を伸ばした次第である。ちなみに、この友人は一見普通の大学院生の風貌 だが、アニメや漫画の知識にかけては超一流で、おそらく物理を辞めてもソノ筋で食って行ける ような希有な男であるし、そういった分野を文化的な語り口で解説できる教養も身につけている。 彼が誘うのだから間違いはないのだろうと思っていたら、案の定、質の高い作品になっていた。 機動戦士ガンダムや新世紀エヴァンゲリオ ンは、ある世代にとっては基礎教養だという ことで説明を省くが3 、要するに迫りくる謎の 巨大な敵、シト(使徒)と人造人型決戦兵器 エヴァンゲリオンに乗って戦う少年少女の物 語である。アニメ版のおよそ三分の一ほどの リメイクされて映画となっている。本編の山 場であるヤシマ作戦では、多面体形状で空中 を浮遊し、ネルフ本部のあるジオフロントへ 図 1: 使徒ラミエル (C)GAINAX の掘削攻撃を試みる第六使徒ラミエルに対し、 エヴァ初号機と零号機が出撃し、二子山から陽電子砲(ポジトロンライフル)での超長距離狙撃 を行うというものだ。そのために、日本全土の電力が結集され、全国が停電になる。1 射目は命中 するも撃破するにはいたらず、なんとか 2 射目によって倒すことができるのである。 物理をかじった者の性分というか、映画の途中からこのポジトロンライフルというのが気になっ てしょうがなかった。おそらく設定としては、陽電子は通常の物質と反応して対消滅し、相手の物 質を光に変えてしまうので、これをぶつければシトを撃退できるというつもりであろう 問題は、陽電子は通常の物質とすぐに反応してしまうので、ポジトロンライフルで射出される 陽電子が、そんなに大気中を飛んで攻撃に使えるだろうか、ということである。今回の記事は、こ れを少し真面目に計算してみようというものだ。はっきり言ってお遊びだが、使っている物理は実 際のものである(笑)。 1 東京大学大学院 理学系研究科 物理学専攻 博士課程 1 年 [email protected] 一応全て見た。ようするにハマらなかった、ということを言っている。 3 ちなみに、私は物理学科に進学するまで「機動戦士ガンダム」の基礎知識がなかった。友人達と学科の控え室で ガンダムのダイジェスト版を勉強したものだ。エヴァのあらすじを知りたい人は近くの人に聞いてください。 2 1 電子-陽電子の対消滅 以下の計算では、エネルギーの単位 eV や 微細構造定数 α といった物理用語を使う。これらは 過去の Un Petit Puit の記事(第一回の記事)を参考にしてほしい。 http://ceres.phys.s.u-tokyo.ac.jp/˜enoto/editorial/pdf/ からダウンロードできるようになっている。 まず初めに陽電子が物質中で対消滅するという話だが、これは高エネルギー物理学ではよく目 にする現象である。質量が me+ c2 = 511 keV の陽電子が通常の物質中に含まれる、同じく質量 me− c2 = 511 keV の電子と衝突すると、511 keV の光子(ガンマ線)を二つ放出し、運動量の保存 から 2 つのガンマ線は反対方向に飛び去る。 e+ + e− → γ + γ (1) 過去の宇宙観測でも、銀河中心からの 511 keV のガンマ線が実際に検出されており、銀河の中 心に陽電子が存在すると考えられている。図 2 には地球から銀河面を見たときの 511 keV 光子の マップを示している。ちょうど真ん中を横に伸びる線が円盤状をした銀河面であり、中心が銀河の 中心にあたる。どうやら、銀河の中心では陽電子が存在して 511 keV がやってきているらしい4 。 図 2: 地球から銀河面の 511 keV の放射を見た図 (J.Knodlseder, et al., A&A, 2006)。 実は、この陽電子は宇宙の彼方の話、結構身近な存在なのである。我々の身の回りにも数多く の天然の放射性物質が存在している。これらの放射性物質は原子核の壊変に伴って電子や陽電子、 あるいはガンマ線を放出する。陽電子はすぐに周囲の物質と対消滅してしまうため、511 keV のガ ンマ線は環境放射線の中に観測することができるし、実際に私も観測した事がある。 陽電子の別の例として、最近の核医学がある。近頃、有名になってきたポジトロン断層法(Positron emission tomography)、つまり PET では、生体内部に微量な放射物質をトレーサーとして投与す る。この放射性物質にはサイクロトロンといった加速器で製造された自然界には存在しない半減 期の短い核種(F、O、N、C など)を用いる。原子核の崩壊の際に陽電子を放出して対消滅を引き 起こし、511 keV のガンマ線が反対方向へ放出される。PET 装置では、人体の周囲にガンマ線の 検出器が並べられており、この 2 個のガンマ線を検出することで対消滅が生じた位置、すなわち トレーサーの存在する位置を調べることができるのだ。電子と陽電子の対消滅というのは自然界 にも医学でも使われている。 4 もちろん他の仮説もある。 2 対消滅で必要な陽電子の個数 さて、第六使徒ラミエルを破壊するには、どのくらいの量の陽電子を用意すればよいのだろう か。劇場版の様子では、ラミエルの球状コア部分を陽電子ビームで貫通して破壊すれば十分なよ うであった。記憶を掘り起こしてみると、この球状コアの半径は l = 10 m 程度だったようなので、 陽電子ビームの大きさが半径 d = 10 cm であると仮定すると、 V = πd2 × l = 3.14 × (10 cm)2 × 10 m = 3.14 × 105 cm3 (2) の体積内に含まれる物質を対消滅させればよい。シトを構成する元素はわからないが、たとえば 人類と近いらしいという設定を踏まえ、人類と同じように水分が多く水素原子 H が最も多いと考 えてみる。密度も人体と同じく n = 1 g/cm3 と仮定すると、nV g の水素を対消滅で消失させれば よい。水素原子には電子がひとつづつ含まれているので、必要な陽電子の個数がこれと等量とす ると、アボガドロ数 NA をかけて N(e+ ) = nV NA = 1.89 × 1029 (3) である。したがって、ラキエルを撃破するためには、少なくとも N(e+ ) = 1.89 × 1029 個の陽電子を ラキエルまで到達させなくてはいけないと言える。 陽電子の大気中での減衰と必要なエネルギー 次に考えなくてはいけないのは、二子山からラキエルまで陽電子ビームを飛ばすとき、どれだけ のエネルギーが必要かということである。そのためには、大気原子との相互作用による陽電子の減 衰を考える必要がある。まず、陽電子や、よりありふれた電子の大気中での反応を調べてみよう。 陽電子(あるいは電子)の物質中での代表的な相互作用としては、「(1) 電離損失」「(2) 制動放 射」「(3) 対消滅」があげられる。 1. 電離損失 (Ionization) という物理過程では、運動する電子が物質中の原子から電子をたたきだ す電離の反作用としてエネルギーを失っていく。 2. 制動放射 (Bremssttrahlung) では、周囲の物質中の原子核の近傍を通過するときに、電子の運 動方向が少しだけ曲げられ、その際にガンマ線を放射してエネルギーを失う過程である。 3. 対消滅 (Pair Creation) は先ほど述べた過程で、陽電子の場合に効いてくる。 大気中を運動する電子のエネルギーによって、どの相互作用が最も強く影響するかが変わって くる。図 3 左には、(陽)電子のエネルギーごとの鉛の中で主に効いてくるエネルギー損失の物理 過程を示してある。一方で、このような制動放射と電離損失を考えたときに、(陽)電子が最初に 持っているエネルギーに対して、大気中をどれだけの距離を飛ぶ事ができるかを計算したものが 図 3 右である。 図 3 左からわかるように、エネルギーが低い(陽)電子のときには主に周囲の原子から電子を電 離するなかでエネルギーを失う効果が効いているのに対し、エネルギーが高くなると制動放射と いうガンマ線を発する機構が支配的になってくることがわかる。 二子山からラキエルまでの距離を簡単のため、およそ 1 km と仮定しよう。陽電子 (電子) が大気 中を 1 km 飛ぶためには、図 3 右から 1 GeV (=109 eV) の初期エネルギーがあればよい。 3 図 3: (左)電子/陽電子を鉛に通したときのエネルギー損失 (Particle Data Group より)。(右)電子、ガンマ 線、陽子の大気中での平均的に飛ぶ事のできる距離 (NIST より)。 陽電子自身も生成するにはその静止質量エネルギーが必要で、その大きさは 0.511MeV = 5.1×10−4 GeV であるが、これは初期エネルギーの 1 GeV に比べて十分に小さいので今回は無視することに しよう。その場合、前の節で求めた陽電子の数にこの陽電子一個あたりに必要なエネルギーをか けたものが、ラキエルを倒すために必要な全エネルギーであると推定できる。その量は式 (3) を用 いて、 Needed Energy = N(e+ ) × Ee+ = 1.89 × 1029 × 1 GeV = 1.89 × 1038 eV (4) である。 では供給できるエネルギーは? エヴァンゲリオンの舞台となる近未来は 2015 年の設定であり、この時期の年間の日本の電力は 10000 億 kWh 程度であると推定できるそうだ。この場合、1 kWh = 2.25 × 1025 eV という換算から 年間の電力量を eV で表現すると 2.25 × 1037 eV であり、一時間当たりに日本全国で供給できるエ ネルギーは、365 日 ×24 時間 = 8740 で割って、 Provided Energy = 2.57 × 1033 eV (5) となる。 つまり式 (4) と (5) を比較すると、一時間の全国停電ではラキエルを倒すには 5 桁ほど足りない ことになる。 まあ、この当たりはアニメ設定なので、いろいろ仮定をいじってみよう。たとえば、式 (2) に戻っ て、ラキエルを倒すために必要なビームの幅が 1 cm 程度で、長さが 1 m 程度であるとするなら ば、3 桁必要なエネルギーが落ちる。一方で、エヴァンゲリオンの頃には石炭燃料による発電では なくて原子力発電や核融合発電によって供給量が 2 桁大きくなっていると仮定するならば、エネ ルギー的には倒すことが可能である。また、陽電子砲の陽電子ビームがラキエルに衝突したとき に強いガンマ線が対消滅によって生じれば、これ自身もラキエルに致命傷を与えられるので、必 要な陽電子数がそれほど大きくないと仮定すれば無理ではないかもしれないのである5 。まあ、仮 5 ちなみに、この陽電子砲の攻撃は周囲に強力なガンマ線や電子陽電子の放射線をばらまいて汚染するかもしれな い。 4 定を外しすぎると計算する面白みが薄れるし、そもそもお遊びで計算しているのだから、あまり 真面目にやりすぎても健康に良くない。もちろん物理を学んだ方で、途中の物理過程などで言い たいことは多々あるだろうし、補正を多く入れなくてはいけないだろう。そういうご意見はぜひ伺 いたいが、重要なことは基本的な計算の方向性を見つけてみる事である。それがたとえ間違って いたとしても、それを土台にして先に進むことができるのである。 ちなみに、私が一番思うのは、ポジトロンライフルではなくガンマ線ライフルで強力なガンマ 線を照射して、使徒の中で対生成で e+ e− を生じてしまうのでも十分良いような気がするのだが。。。 ちょっとだけ、シミュレーションしてみよう ここに使徒がいるつもり。 ここに使徒がいるつもり。 陽電子が右下から左上 へと向かっている。 ガンマ線 も合わせて生じている。 図 4: (左)Geant4 でのシミュレーションの様子。(右)中心部分の拡大図。 さて、紙面が若干余ったのと新潟へ出張中の電車のかかのつれづれに、試みに Geant4 と呼ばれる 素粒子実験で使われるシミュレーションを用いて、大気中に陽電子を飛ばしてみよう。この Geant4 と呼ばれるモンテカルロシミュレーションのツールは、実際の素粒子物理学や宇宙物理学、医療 物理などでバリバリ使われているものだらか、あまり遊びで使うようなものではないのだけれど。 図 4(左) では、一辺 1 km ほどの空間内に大気をつめ、中心に水素でできた使徒に見立てた 10 m 四方の立方体の標的を置いている。図の右下側から左上に向かって、1 GeV のエネルギーをもつ 陽電子を一発ぶちこみ、図 4(右) はその中心標的部分の拡大図である。確かに標的にビームがぶつ かっている!途中では、制動放射や電離損失によって二次的なガンマ線や電子が生成されるため に、ビームから外れた方向へも線が伸びている事がわかるだろう。 終わりに ここまで読んできて、何を真面目に無駄な計算を、と思ったかもしれ ない。が、実は今回の計算には後々への布石があるのである。最近になっ て、雷雲や雷に伴って電子が加速されているのではないか、という議論が 地球惑星科学を中心に起こっている。その場合、大気中での電子の飛程が 重要になるのだが、おフザケの今回の計算とほぼ同じような議論が成り立 つはずだと考えている。そういう話はぜひ、またの機会に。最後に断って おく。これらの計算はあくまでも「遊び」だ。 5