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豊中だより No.2 H27.5.22発行
長野市立豊野中学校 豊中だより No.2 H27.5.22発行 校長講話 『人は本来、美しく豊かに生きることを愛している。~泥カブラ』 昨年度も触れましたが、豊野中学校の校章について考えてみたいと思います。 この校章は生徒から募集し、選ばれたものです。三枚の葉が外に向かって伸びて います。その葉は、 「真・・何が正しいかをしっかりと知る」「善・・相手に対して善いことをする」 「美・・善いことを一生懸命にやっている人は美しい」を指しています。このこ とから、正しいことをしっかりと学び、正しい判断をして、(真)人に喜ばれる 行いをする(善)そんなカッコイイ豊中生になる(美)を目指して欲しいと思います。 今日は、「人は本来、美しく豊かに生きることを愛している。そしてまた、それを主張する権利 がある、ということで『泥カブラ』というお話を紹介します。~以下お話の内容 昔、ある村にとても貧しくて、醜い女の子がいました。女 の子は、家もなく、いつも汚い姿でいるので、『泥かぶら』と 呼ばれていました。村人にイジメられ、石を投げられたり、 唾を吐かれていました。 そんな泥かぶらが、村の子たちにいじめられていると、そ こに一人のお爺さんが通ります。お爺さんは、可哀想な泥か ぶらに、どうしたらきれいになって、みんなと仲良くなれる かという方法を教えてあげます。 【きれいになって、人と仲良くできる方法】 1 自分の醜い部分を隠さないこと 2 いつも笑顔でニコニコしていること 3 相手の立場に立ってものを考え、人の喜ぶことをすること これを聴いて、泥かぶらは実際に行動にうつります。 しかし、やってもやってもきれいになんてなりません。いつも、池にうつる自分の顔をみて は、落胆していました。 ある時、村のお金持ちの娘が「助けて」といって泥かぶらのところに来ました。理由は、お 父さんの大切なものを壊してしまったからです。けれど、その娘はお父さんに怒られるのが怖 くて、泥かぶらのせいにしてしまいます。それを聞いたお父さんは、泥かぶらを痛めつけます。 【人の立場になって、人の喜ぶこと】をしようと思っていた泥かぶらは、娘の「助けて」とい う言葉を信じて本当のことを言わずに、我慢します。泥かぶらが、痛みと悲しみに暮れている と、先ほどの娘がやってきて、「泥かぶら…、ごめんね。これ使って…」そういって、大切な 櫛をくれます。泥かぶらの中に、何か今までにない、感情が沸き起こります。 しばらくすると、今度は病気の家族の為に薬草を取りに来た男が来ました。男は、薬草がど うしても必要なのに、崖岩の上の危険な場所に薬草があるため、悲嘆にくれていました。する と、泥かぶらが、「おじさん、とってきてあげる!」と言って、危険な崖岩をよじ登り、薬草 を取ってきてあげます。おじさんは、それはもう大喜びです。 【いつも笑顔でニコニコ】して、【人の立場になって、人の喜ぶこと】を続けていた泥かぶら に、だんだんと人が寄りついてきました。 さらに、泥かぶらは何を頼んでも、ニコニコしてやってくれるので、村中の人が、泥かぶら に色々とものを頼むようになりました。泥かぶらは、嬉しくて嬉しくてたまりません。 今まで、人に必要とされず、けなされ、邪魔にされ、石まで投げられていたのに、今では、 みんなに色々なことを頼まれるのです。だから、【自分の醜い部分を隠さない】ようにもなっ ていきました。 泥かぶらは、どんなに辛いことでも、人に頼まれたことをニコニコ笑いながら、やりました。 ニコニコ笑っているうちに、彼女の険しかった顔は柔和になり、だんだんと醜い顔がきれいに なっていきました。 しかしそんなある日、村に恐ろしい「人買い」がやってきます。 人買いは、借金の返せない家の子どもを借金のかわりに連れて行こうとします。それを見た泥 かぶらは、「私をかわりに連れて行って!」そういって身代りになって、「人買い」に連れて行 かれます。 泥かぶらは、「人買い」といる間も、いつもニコニコ笑って、「人買い」の立場になって、彼の 喜ぶことを何でもやってあげています。「人買い」をまるで、自分の父親のように慕って…。 そして、見るもの全てを喜び、笑っているのです。そんな泥かぶらに、「人買い」の心は大 きく揺さぶられます。 月の美しい夜、「人買い」は、泥かぶらにお金とともに、置き手紙を残して姿を消してしま います。 その手紙には、こんなことが書いてありました。 「俺は、お前の寝顔を見ていて 恥ずかしくなった。お前と一緒にいるうちに 俺の心の中の醜いものがなくなった。 俺は、今日から人買いをやめる。 良い仕事をしよう。 お前も幸福にお暮らし…。 俺は今、踊りだしたい気分だよ。 それは、お前のお陰だよ。お前の笑い声を 俺は一生忘れない。 本当にありがとう。 仏のように美しい子よ」 泥かぶらは、その時はじめて、お爺さんがいった、 【きれいになって、人と仲良くできる方法】 の教えの意味に気づいたのでした。 (新制作座「泥かぶら」より) 泥かぶらが知った「本当の美しさは」は、何だったのでしょうか?全校の皆さん、考えてみましょう。 【生徒の感想】 人って、あんなに変わるんだと思いました。 ~中略~ 友達が笑顔だと、こっちもうれしくなるので、常 に笑顔でいたいです。そして、みんなに頼りにされる人になりたいです。私は、人の生き方、美しさとは顔 の成り立ちではなく心が美しければ顔に出ると思います。だから、心をまず美しくしていきたいです。 本当の美しいとは、私が思うには顔などが美しいというんじゃなくて心が美しいことを言っているんじゃな いかなと思う。泥カブラもいつもニッコリ笑って、働いていたりしていたから自然と美しい人になっていった し、仲間も増えていっていた。やっぱ美しい人(心が)には、自然と仲間ができるんだなと思う。学校の校章 にもある「真」「善」「美」をしっかりできたらみんなから好かれるいい人になれると思った。しっかり心をみが いていきたい。 本年度1回目の校長講話がありました。今回は豊野中学校の校章にある3つの葉に込められた思 いから、人間にとって「美しく、豊かに生きていく」とはどういうことなのか、というお話をしてい ただきました。1学期が軌道に乗り動き出した今、この「泥かぶら」のお話からもう一度自分を見直 し、このことを大切に考えていきたいですね。