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文明時評
二十一世紀への日本の生き残り戦略−武人文化の再生
文明時評は、現代、文明、文化、国家、経済、社会を対象に、個人の意見を表明するも
のです。私どものサイトは、経営やマーケティングなどの実務に使って頂けるコンテンツ
を目指しています。しかし、没主観的に、客観的に、経営やマーケティングの議論や提案
ができるかというとそうではありません。やはり、コンテンツを発信する立場の国籍、思
想、哲学などの利害が反映されます。薄ぺらいマーケティング提案にはやはり浅い物の見
方しかない事は確かです。文明時評は、現代の課題を自由な立場から論じ、コンテンツ作
成の背景となっている物の見方を、時評を通じて個人記名で表明するものです。
書評の要素も入れてできるだけ平易に文明時評を展開していきたいと存じます。少々、
風変わりなコンテンツですが、ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。
はじめに−二十一世紀の商人国家ビジョン
経済企画庁長官である堺屋太一が面白い提案をしています。(中央公論4月号、「徹底し
た商人国家でいけ」)曰く、日本は大国にはなれない。現在、世界で大国である条件を持つ
のはアメリカだけであり、中国と新しいECが可能性をもっているだけだ。大国の条件と
は経済力と軍事力であるが、日本には軍事力がない。軍事力を持つには日本には決定的に
欠けているものがある。それは武人文化である。その文化を取り戻すには中国の例にみる
なら、武人文化を軽視した宋時代がそうであったように二百年の歴史を要する。核武装し
て軍事力を持つにしても兵隊を供給する若年人口数が少なく、国土防衛のための縦深が薄
すぎる。従って、小国主義の選択と商人国家の道をここ百年は目指すべきである。
誠に、歴史的洞察にもとづく卓見です。武人文化という概念に啓蒙、啓発されました。
指導者の最大の役割は、不確かな状況を定義することです。堺屋はこの役割を見事に果た
しています。批判的に摂取したいことがあります。日本が無政府状態の世界システムのな
かで生き残る戦略のひとつは確かに小国主義の商人国家です。また、大国に必要な軍事力
を持つには決定的に武人文化が欠如していることも首肯できます。しかしながら、批判点
も幾つかあります。武人文化とは一体何でしょう。暗黙のうちに戦前にはあったとされて
いる武人文化は本当にあったのでしょうか。それは本当に現在も将来の日本にも必要ない
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のでしょうか。これらを明らかにすることによって、逆説的な提案、すなわち、商人国家
として生き残るためには武人文化の創造と大国としての戦略が必要であるという事を説き
たいと思います。
要点はこうです。グローバル競争で日本企業が生き残るためには、武人文化の本質とで
も言える独自の戦略思考をもつ事が不可欠です。商人道だけでは生き残れません。しかし、
堺屋の指摘どおり、日本には独自の戦略思考を生み出す武人文化が決定的に欠けています。
また、武人文化は戦前にはあったという通俗的理解とは異なり戦前からもなかったのです。
江戸時代にその萌芽がみえるだけです。ビジネスにおける新たな商人の武人文化を創造す
ることこそが二十一世紀の日本の課題です。
1.グローバル再編に揺れる日本企業
金融、保険、証券はもとより、日本が強さを誇る自動車などの製造業でも、規制緩和、
グローバル市場のなかで、欧米企業との競争に敗退し、グローバルな再編の波に洗われて
いるようです。さらに、急速に進むネット経済化のなかで、千載一遇の事業機会が到来す
る一方で、世界の下請け工場化の危機にも見舞われています。グローバル市場でなぜ日本
企業は敗走しているのか、企業や産業の個別条件に還元されない共通の要因を探ってみま
す。それが武人文化の欠如と深く関わっているように思えるからです。
国内市場と多くの他国市場が直結することがグローバル化の特徴です。顧客も、競争も
グローバルレベルで考え、実行するということです。こんな認識は新聞情報に眼を通さず
とも、世界でもっとも賢明な商品選択をしようとする自らの購買行動を考えれば明らかで
す。グローバル化を捉える鍵は顧客と競争がグローバル化するということです。日本企業
だけの土俵だったものが、外人力士も登場する土俵になるということです。同じ土俵に立
った欧米企業は独自の戦略とその実行力で日本企業と競争します。この同じ土俵に立つと
いうことがグローバル化であり、グローバルスタンダードということです。外資系企業と
同じ経営スタイルをとることがグローバルスタンダードではありません。日本企業が生き
残るためには、土俵が同じになることをできるだけ避け、同じになったら競争に勝つとい
うことでしかありません。同じ土俵に立てば、競争でもっとも重要なことは組織間競争に
勝つための戦略と競争企業との差別的行動をとることです。
日本企業にはこの欧米企業と同じ土俵で勝つための決定的な要素が欠けています。それ
は戦略的思考です。業界協調とコツコツまじめ競争では勝てません。戦略的思考を補う手
段は、今のところ、残念ながら外資系コンサルティング企業の採用になっています。
「リストラクチュアリング」、「ビジネスプロセスリエンジニアリング(BPR)
」、「サプ
ライチェインシステム(SCS)」
、
「キャッシュフローマネジメント」などの新しい経営手
法が続々と導入されています。独創性と決断力、何よりも戦略思考に欠ける経営者が、ア
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リバイ的に外資系コンサルティング会社を採用し、新しい
経営手法を導入し、組織改革を行っています。しかし、そ
れで成功したという事例はめったにありません。高額なコ
ンサルティングビジネスの誕生国であるアメリカでさえ
成功事例は少数のようです(J.オシーア&C.M.マジ
ガン「ザ・コンサルティング・ファーム」)。
グローバル競争で連敗を続ける日本企業にはひとつの
繰り返しパターンがあります。それは同じ土俵で、アメリ
カ企業がすでに経験した同じ手法で戦うという愚かさで
す。少々、ビジネスジャーナリズムに囚われず冷静に考え
J.オシーア&C.M.マジガン
ザ・コンサルティング・ファーム
日経BP社
てみればわかります。同じ体力で同じ場所で同じ武器で戦えば錬度で優っている方が勝つ
に決まっています。これを繰り返しているのが日本企業です。スポーツでも同じようなこ
とが起こっています。
平尾監督率いる日本のラグビー界は、国際競争で勝つために組織力より個人の価値とス
キルを重視したトレーニングと戦法をとってきました。また、大学選手権、社会人選手権
ではこのやり方で勝ってきました。他のラグビーチームは、伝統的な型にはまり、有望人
材の流れも固定化していました。欧米の価値観と個人主義のチームプレーを取り入れて実
際国内では勝利の実績をあげました。この結果は周知のとおり、ワールドカップで世界の
トップチームとの画然とした相違が明確になっただけです。競争相手を明確にし、自己の
冷徹な能力分析のうえで戦略を構築し、戦法として錬度を高め、スポーツの本質である闘
争に勝つということよりも、心地よい抽象的な理念と思い上がった目標設定が敗北を招い
ただけです。未だに、大西鉄之助の実績を上回る結果を出せません。グローバル競争への
果敢な挑戦が逆に日本の敗北の美学に結びつくという結果に終わりました。明確な戦略の
不在と戦法の錬度の低さが敗北に繋がりました。
2.最新経営手法を追う戦略なき経営者
身に付けるべき戦略思考を養わずに、経営手法を追いかけているのが日本のビジネス状
況です。日本人はふだんの生活に四季をうまく先取りして暮らしています。例え人工的な
移ろいでも流行には弱いものなのかもしれません。
経営手法が流行性を持っているのはそれがビジネスだからです。売り手はビジネスジャ
ーナリズムと外資系コンサルティング企業です。典型的な流行のメカニズムはこうです。
大学やコンサルティンク企業の研究者が業績の優れた企業を研究します。そこからいく
つかの特徴を帰納し、発見することができます。せいぜい十事例もあれば十分です。ここ
から新しい経営手法を考案します。高業績がいくつかの特徴と結びつくことが発見できれ
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ば、その特徴を取り入れれば同じ高業績が得られると推論できるか
らです。それに洒落たネーミングをすればよい訳です。これを商品
化したコンサルティング企業が経営トップの耳に囁くように営業し
ます。数社が採用すれば雪崩的な他社の採用が起こります。
これを、
例えば、ビジネス専門誌として権威のある「ハーバードビジネスレ
ビュー」等にOBコネクションを活用して発表します。これは新し
い発見情報ですから一般ビジネス誌が追いかけます。新手法を他社
が採用し、シェアをあげれば自社の機会損失になり、少なくとも同
じ手法を同じ時期に採用すれば機会損失を避けることができます。
M.Eポーター
競争優位の戦略
ダイヤモンド社
コンサルティング企業は経験を積んだサービスを他社に応用して高
効率で収益をあげることができます。そのことによって収入格差の大きいアメリカのトッ
プを誇る年収一億円を越える個人報酬が可能となります。特定業界から他業界へと新手法
が感染していきます。さらに、次の新手法が発表されます。旧手法は陳腐化され、新手法
の新しい感染が起こります。こうして、アメリカでは新しい経営手法の流行が生まれてい
ます。そして、その流行を日本企業が一年遅れで採用しているのです。経営手法は、高業
績をめざして独創されたものですが、コンサルティング企業のビジネス手法と深く結びつ
いています。これまでの流行の経営手法を科学的に分析したら、そこには矛盾に満ちたガ
ラクタの集積しかないことがわかります。
それでもアメリカ企業が優れているのはアメリカが武人文化をもっているからです。武人
文化とは、戦争などで培われた組織間競争の知識、ノウハウとそれを体現する人的資源が
豊富にあるということです。因みに、世界最大のインターネット書店のアマゾンコムで「戦
略」をキーワードにして検索してみるとその数の多さと種類から、その奥深さがわかりま
す。戦争体験をもつ人々が実際の経営に携わっていることも忘れてはなりません。経営手
法の流行発生源であるビジネススクールそのものが軍事教育の士官学校を模倣しています。
経営において最初に「戦略」という概念が使われたチャンドラーの「経営戦略と組織」は
海軍大学の要請によって生まれた組織研究の成果です。つまり、武人文化と深く関わって
いるのがアメリカのビジネスの戦略思考です。戦略思考の標準的なテキストとも言えるハ
ーバードビジネススクールのM.E.ポーターの「競争優位の
戦略」の基本構成は、クラウゼヴィッツの「戦争論」と構造上
は同型なのも偶然ではありません。
武人文化から生まれた経営手法をそのまま武人文化のない日
本企業が採用したらどうなるでしょう。消化不良になるだけで
なく、競争に負けるために高いコンサルティング料を支払うこ
とになるだけです。うまく活用できないのは、武人文化から生
まれる戦略思考に日本企業が弱いからです。コンサルタントは
指揮官と外部参謀という関係で活用されるべきです。参謀が戦
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クラウゼヴィッツ
戦争論
岩波文庫
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略を立案し指揮官がそれを最終決定し柔軟に実行する、というのが理想的な関係ですが、
日本では、外国語を得意とする参謀を日本の指揮官が理解できず、組織を知らない著名参
謀がベストセラーで指揮官の役割を果たすことになってしまうのです。参謀は無名でなけ
れば本当の仕事はできません。モルトケは名参謀でしたが、それは戦略立案の能力と成果
を生んでからでした。著名であれば、競争相手に研究され、戦略的に不利だからです。マ
ーケティング関連業界、コンサルティング業界の一部の会社には一業種一社の原則や守秘
義務の高度な倫理が残っています。それはこれらの提供するサービスが企業にとっての参
謀機能を果たすという業界草創者達の信念があったからです。
武人文化のない日本企業がグローバル市場で戦略的行動をとるためには日本の武人文化
のうえで自らの思考で戦略を構築しなければならないのです。
3.歴史思考による戦後日本企業の成功
どうして日本企業に戦略思考が欠けているのでしょうか。戦略思考は武人文化によって
生まれ、その文化がなかったことからです。戦後は、武人文化を堺屋が指摘するように一
貫して否定し、武人文化を等閑視してきたからです。軍出身者を優遇するようなこともあ
りませんでした。多くの反論が予想されますが、戦前にも戦略思考ができるような経験科
学の伝統も参謀教育などの健全な武人文化もなかったのです。従って、優れた戦略によっ
て戦後日本企業が強くなったのでありません。恐らく、戦争理論がビジネスとの共通基盤
を持つことなど夢想だにしなかったのでしょう。商人の論理と武人の戦略が共通項を持つ
など考えもしなかったのです。士農工商という江戸身分制度からみれば、軍人は士であり、
商は商人です。最上層と最下層の共通項など日本の知的資産では考えられないのです。
戦後の日本企業の成功は、戦略思考ではなく経営者の複眼的な歴史的思考がその代替機
能を果たしました。戦略思考と歴史的思考は表裏一体のものです。遠望のまなざしで今日
を決断するのが戦略思考の側面です。アメリカの生活を見て、日本の生活を展望し、そこ
に目標を定め、資源を集中するということをやったからです。時代の方向を見抜き、持て
る資源を集中し、よい物を安く提供するという見事な戦略です。松下幸之助の「水道哲学」
などはその典型です。戦後に大成功した企業は多かれ少なかれこうした長期の経営理念や
行動規範はもっていましたが、明確な経営戦略はもっていませんでした。
伝統的な財閥系企業には、戦後の高度成長を引っ張り、強気の設備投資を続けた経営者
に石坂泰三(東芝社長、第二代経団連会長)や日向方斎(住友金属工業社長)がいました。
オイルショック以後には、労務や調整に長けた土光敏夫(石川島播磨重工業社長、東芝社
長、第四代経団連会長)や稲山嘉寛(新日鉄社長、第五代経団連会長)が登場しました。
戦後の専門経営者達は、資本主義とは異質な展望を持ちながら、投資の集中や日本的な労
務管理を行い成功しました。日本の著名な経営者の世代交代を見れば、戦略なき経営によ
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って成功した事は明らかです。戦略思考よりも歴史的思考をもった教養ある経営者が結果
として戦略的な行動を引き出すことに成功したのです。
日本の大学教育の経済学はマルクス経済学と近代経済学という世界に類をみない体系を
もっていました。東西冷戦構造、五十五年体制と同じ構造をもっていたのです。このメリ
ットも十二分に発揮されていたのです。大学で宇野弘蔵のマルクスの経済原論を学び、就
職して計量経済学を学び、経済予測を行うことに何の矛盾もなかったのです。唯物史観で
歴史を展望し、実務で体系の完全に異なる計量手法や労務管理を行いました。それは、複
眼的思考を可能にし、教養に幅を持たせ、寧ろ、メリットをもっていたとさえ言えます。
同じ不況下でも、現在のアメリカ経済学一辺倒のエコノミストと昭和初期の高橋亀吉など
の業績を比べればその「薄ぺらさ」は明らかです。
ハーバードビジネススクールのグル(指導者)と言われるポーターが「日本企業には戦
略がない」と指摘するのはある側面で正しいことです。
もはや現在の経営者が歴史的思考を持てないのは言うまでもありません。歴史的思考は
史観と深く結びついています。東西のイデオロギー対立が終焉し、社会主義が資本主義に
敗れ、新たな歴史観を持てる状況には現代知のパラダイムでもないからです。知識、教養
の世界秩序も根本的に変わってしまいました。歴史的思考に代わるものはもはや戦略的思
考以外になにもないのです。
4.武人文化欠如の歴史的背景
戦略思考が欠如しているのは戦後だけの特徴ではありません。戦前もありませんでした。
日本に武人文化が欠如しているのは、戦前にはあまりに偏頗な発展を遂げ、戦後にはその
偏頗性と戦争忌避文化の興隆故に否定されてしまったからです。
戦前には、立派な軍隊があって、参謀教育もあったではないか、という反論が当然予想さ
れます。確かに、明治時代に日本の軍隊の近代化が行われ、参謀教育も始まりました。参
謀本部制度も創設されました。その起源は、当時、世界最強であったプロシアの強い影響
のもとで発展します。司馬遼太郎の「坂の上の雲」
で描かれているとおりです。
日本の士官教育は、山形有朋に人材派遣を要請
されたプロシアのモルトケの指示によって派遣さ
れたメッケルの指導によって行われます。モルト
ケは、鉄血宰相と呼ばれたビスマルクとともに、
普墺戦争、普仏戦争に勝利し、ドイツ統一への道
を開いた名参謀です。パリコミューンの弾圧者で
もありました。クラウゼヴィッツの戦争理論を基
司馬遼太郎
坂の上の雲
野村実
日本海海戦の真実
文藝春秋
講談社現代新書
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に、新しい科学技術の発展である鉄道を利用して
素早い機動による包囲戦法を開発した偉大な戦略
家です。日露戦争を指導した児玉源太郎がモルト
ケの影響下にあったメッケルの代表的な教え子で
す。また、海軍では、クラウゼヴィッツ時代のジ
ョミニ理論に影響を受け、
「海上権力」を重視した
アメリカのT.マハンに学んだ秋山真之が著名な
参謀です。
日本にも優れた戦略家がいそうですが、戦争理
論の発展及び最近の研究からみれば児玉の戦略は、
四手井綱正
戦争史概観
岩波書店
レイモンアロン
CLAUSEWITZ
(クラウゼヴィッツ)
Simon&Schuster
残念ながら、日露戦争での決戦であった遼陽会戦、
奉天会戦においてあまりにモルトケの包囲作戦に
拘りすぎたかたむきがあります。しかし、戦争は
「政治におけるとは異なる手段をもってする政治
の継続である」という理解が透徹していました。
世論の動向に関せず和平交渉の決断を見事にしま
した。これは戦略思考というよりも明治維新の戦
いのなかから学んだ体験的なものだと思われます。
秋山の戦略体系は見事に幾何学的な整理がなさ
永井陽之助
現代と戦略
文藝春秋
れています。しかし、クラウゼヴィッツほどの視野の広さや柔軟性には欠けます。日本海
海戦の「丁字戦法」も神秘的で独創的な印象を受けますが、最近の研究では山屋他人の独
創であり、東郷平八郎が錬度をあげていた戦法であったことが明らかにされています(野
村実、「日本海海戦の真実」)。
戦前に発展した戦略思考はあまりにも教条的で神秘的だったのです。クラゼヴィッツの
戦争論の精神的側面へ傾いた解釈と戦略の神秘化が特徴であったようです。神秘化とは、
戦略は秀才や天才が考えるものだという神話のことです。司馬遼太郎の秋山真之の描写方
法にも多分にそのような要素がみられます。対外的危機からなんとか日清、日露戦争で国
家独立の政治目的を達成しましたが、そこで採用された戦略や戦闘教義は優れたものとは
決して言えませんでした。
その後の戦略論の発展は、陸軍では石原莞爾、海軍では山本五十六、井上成美などに継
承されます。公式には「統帥綱領」として纏められます。しかし、残念ながら石原の「最
終戦争」という観念的な戦争史観という独創を除いて、戦史を批判し、批判的歴史から原
則を導き出し、その原則の応用によって、新しい戦法(戦闘教義)を生み出すような経験
科学の伝統は生まれませんでした。特に、戦史研究がまったく進まなかったことには驚き
ます。戦史研究の戦前の最高峰とされる四手井綱正「戦争史概観」は、その地図の不正確
さ、資料の客観性、解釈において、まったく低水準にとどまっていました。
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欧米でなされた戦史研究に比べ日本のそれはあまりにも粗雑なものです。自分の経験か
らも他者経験にも学ぶ姿勢がまったく欠如していたと言わざるを得ません。その結果、戦
略なき戦争を遂行したと言っても過言ではありません。市井感覚で言うなら参謀とはえら
ぶる人であり、兵隊からみれば天才であり、秀才だったのです。ミッドウェー海戦の主任
参謀であった黒島亀人は、奇策に傾き、戦力の優位にも関わらず兵力を蛸足に分散して、
敗退し、後に、突撃特攻戦法という限りなく無謀で精神主義的な手法に落ち込んでいって
しまいました。これが戦前の戦略思考の水準でした。
戦後はもはや言うまでもありません。戦略思考を生み出す武人文化はどこにもありませ
んでした。憲法で戦争を否定していることに象徴される平和主義が理念とされたからです。
自衛隊を除いて、わずかに、戦後のビジネスの領域で武人文化は生き延びたと言えます。
まず注目される戦略思考は、ランチェスター戦略です。この戦略が一部に大衆的に受け入
れられていました。ランチェスターの法則とは、シェア競争、シェア獲得には法則があり、
その法則に従って戦力の差によって採るべき戦術が違うというものです。戦史から積み上
げられた戦略の原則の一側面を「法則」として取り上げたノウハウが営業分野などで活用
されていました。経験科学の原則と自然科学の法則を混同させたものでしたが、擬似的な
戦略思考を大衆的水準で養いました。
戦後の戦略思考の発展において、注目されるのは、七十年代に、ビジネスでの戦略思考
をアメリカの新しい経営手法として紹介した大前研一や軍事リアリストをこきおろした政
治学者の永井陽之助でした。
大前(「企業参謀」)は、ビジネスに参謀という概念を紹介しました。指揮官と参謀の関
係は、経営者=指揮官、コンサルタント=参謀になぞらえるものでした。それは言うまで
もなく、武人文化から生まれたアメリカ経営学の常識に属するものでした。日本の経営者
にとってはこの武人文化は衝撃であり、外資系コンサルタント企業の日本上陸の契機を作
りました。しかし、大前の戦略論は、経験科学から生まれる戦略の原則を否定し、戦略を
問題解決のレベルに一元化し、戦略の計画レベルの偏重、PPM(ポートフォリオマネジ
メント)などの手法主義が特徴でした。
永井はクラウゼヴィッツの戦争論の復活を提唱しました。フランスでは、レイモンアロ
ンの名著「クラウゼヴィッツ」が発刊され、ヨーロッパのクラウゼヴィッツの見直し気運
が生まれました。これを援用して紹介し(永井陽之助「現代と戦略」)、当時の軍事リアリ
スト(岡崎久彦「戦略的思考とは何か」)を徹底批判しました。戦略とは、その目標水準を
下げることである、という歴史教訓は優れたものでした。同時に、クラウゼヴィッツをビ
ジネス戦略に応用することを説きましたが、その具体化の方向は提示できませんでした。
1980年代になり、ビジネスでM.E.ポーターが「競争の戦略」を発刊し、翻訳出版
されて始めてビジネスフィールドで戦略思考の萌芽が生まれ始めたと言っても過言ではあ
りません。その後の歴史は、ベストセラーに振り回され、戦略よりも、組織、文化、知識
などの問題に拡散していきました。
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5.戦略なき突撃白兵戦法の伝統
戦略思考の伝統のない日本ですが、伝統的な戦法があります。
突撃白兵戦法とも呼べるものです。その淵源は江戸時代にありま
す。江戸時代には孫子の解釈を通じて兵学が開花しました。野口
武彦は、林羅山、山鹿素行、新井白石、荻生徂徠、頼山陽、林子
平、蒲生君平、吉田松陰を取り上げ、対外危機と表裏一体となっ
て発展してきた兵学思想の発展を跡付けています(野口武彦「江
戸の兵学思想」)。野口に啓蒙されて日本の伝統的な戦法について
触れてみます。孫子は、現代戦略のひとつの原則である「機動」
と戦いの「精神的側面」を考えるうえで不可欠な文献です。
野口武彦
江戸の兵学思想
中公文庫
戦略思考は、自他の区別をし、対外(敵)を明確にして、自己
の行方を決定することです。開国は、対外危機意識を生み、敵に
対して、国体の認識を生みました。吉田松陰は国体を「草莽」と
みました。松陰は、孫子の教えに言わば、極めて素直に従いまし
た。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」。全国を歩いて国内の
ことはおよそ理解しました。しかし、対外、敵については知らな
い。孫子と知行合一の思想と結び国禁である出奔未遂を起こしま
した。藩ではなく国体を発見し、その日本が独立の危機であるこ
とを知った限り、行動するのが陽明学だからです。
「かくすればか
丸山眞男講義録第五冊
東京大学出版会
くなるものと知りながら已むに已まれぬ大和魂」とは松陰個人の
とれる戦略でした。出奔は松陰個人が選択できる唯一の戦略的行
動だったのです。強い危機意識が陽明学のもとでは一途な行動に
結びつく精神主義の萌芽がみられます。
この当時、孫子兵法によっていかに夷と戦うかが議論されてい
ます。そのなかで、日本の伝統的戦法とも言えるものが見え隠れ
します。兵法家達は、限られた情報のなかで西洋の戦略を研究し
ました。
火力においては敵が数段に優っている。特に、砲火において敵
山本常朝
葉隠
岩波文庫
は優れている。では、敵はなぜ砲火に頼るのか。それは歩兵によ
る近接戦が苦手であることを意味する。なぜなのか、歩兵に白兵戦を行うだけの覚悟がな
いからである。その弱点をつくべし。もし、敵が上陸し、砲撃によって、兵を進めてくる
なら、なんとか、砲撃をくぐり白兵戦に持ち込めば死を覚悟した日本が勝利できる。実際
に砲を避けながら前進歩行する武器も開発されています。
この戦法は、実際には実行されませんでした。しかし、白兵戦法は戦史に登場しました。
まずは日清戦争、そして、日露戦争の乃木将軍が指揮する二百三高地攻略であり、第二次
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世界大戦でも繰り返し繰り返し見られた突撃白兵戦法です。
「統帥綱領」には戦争は自由意志によって行われるものである、と冒頭に記されていま
す。自由意志だから負けるとは戦う意志を失うことである。すなわち、戦う意志を失わな
ければ負けることはない。日本の伝統的な戦略とは、戦力の物理的な諸側面を精神的な側
面によって補い突撃による死を恐れぬ勇猛果敢さによって、敵の戦闘精神を挫き、勝利す
るという戦法主義のものです。なぜ、このような精神主義に陥ってしまうのでしょうか。
戦略思考とは為政者、指導者の観点から自己を超越することによって組織の存続の立場
から創造されるものです。日本の歴史のなかで為政の観点が政策思想として生まれたのは、
丸山眞男の研究によれば朱子学を「自然から作為へ転換」させた荻生徂徠です。さらに、
こうした転換の淵源には、鎌倉期の武士支配を確立した御成敗式目の成立にあったと見て
います。(「丸山眞男講義録第五冊」)為政観点を持った武士が、「武士道といふは、死ぬ事
と見付けたり」(山本常朝「葉隠」)と結びついて、精神主義の突撃戦法になってしまいま
した。死を恐れぬ突撃こそは戦前の戦略思考から生み出された戦闘教義(戦法)だったの
です。
戦闘力には精神諸力と物的諸力があります。クラウゼヴィッツは、物的諸力を精神諸力
によって補えるとは言っていませんが、精神諸力の重要性を「戦争論」の随所で述べてい
ます。戦前では、精神諸力の側面を重視する解釈に傾斜した理解がされていました。その
意味で戦前の戦略思考はメッケル−モルトケを通じたクラウゼヴィッツの哲学に忠実であ
ったとも言えます。
この伝統をもった精神主義戦法は、現代の企業の営業スタイルやスポーツ精神にまで受
け継がれているように思えます。その結果、戦略なき精神主義的な戦法主義に陥ってしま
います。
伝統的戦法とはこういったものであったと言っても過言ではありません。西田幾多郎な
どの知識人は、「大東亜共栄圏」に哲学的根拠を与えましたが、戦略思考は皆無でした。そ
の結果、戦略なき思考を批判することはできませんでした。突撃戦法が、かくも広範に受
け入れられるのは、死を覚悟した戦法が、日本の美学でもあるからです。戦前の多くの学
生や知識人が保田輿重郎にみられる「敗北の美学」に囚われました。三島由紀夫が囚われ
た桜のように散る美学でもあります。戦争という人間行動の極致において、儚い美しさに
囚われて戦略思考の停止を招く文化性が武士文化にはあるように思われます。
鎖国から開国へ、敗戦による軍事開国、そして、三度目の経済開国、市場のグローバル
化、ネット経済化が進むなかで、日本は、科学技術でもなく、資本でもなく、寧ろ、物的
側面では優位をもちながら、戦略という精神的側面、文化的側面において無為に敗北しよ
うとしているように思えます。やはり、日本人は、春の陽光のなかで狂い咲き瞬く間に風
に散る桜の美しさから逃れられないのでしょうか。
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6.武人文化の現代的条件と再生
武人文化とは人間の闘争の歴史から教訓を得ようとする知的営みの蓄積です。そして、
その営みに対して、社会の名誉や資産が適正に配分される制度です。戦争と平和に考えを
巡らす伝統と言い換えてもよいかもしれません。この知的伝統のなかから目的達成のため
の論理として戦略思考は生み出されます。
戦略とは、国家を含むあらゆる社会組織がその目的を達成するための競争の賢明な運用
をすること、と定義します。クラウゼヴィッツの戦略の定義である「戦略とは戦争目的を
達成するための戦闘の運用である」に近い概念を採用しておきます。
企業では、経営目的を達成するために市場競争にいかに勝利するか、を考えることです。
国家なら政治目的を達成するために戦争をどのように遂行するか、を考えることです。戦
争では暴力を使用しますが、その点を除き、合法的に許される限りの組織間競争を繰り広
げる、競争の無際限性では同じです。企業には顧客がいる。戦争は二者関係であるが、企
業は競争者と顧客の三者関係であり、違いがあるという観点もありますが、戦争にも世論
がありますし、企業も競争を通じてしか顧客に受け入れられないことを考えれば同じです。
本質が同じだからこそ武人文化がビジネスの戦略思考に深く結びついています。個人にお
いては、戦略思考とは戦略を独創することです。実際の組織では、戦略を共同的組織的に
立案することです。自他の客観的分析、経験科学によって裏付けられた原則などのパラダ
イムの活用、そして構想によって行います。個人と組織、科学と創造の共同共犯関係によ
って形成されるものです。
つまり、戦略とは、個人の創造力と組織の合意形成とが一体となったものです。個人の
独創性と組織の両方に依存したものです。戦略思考とは、戦略を立案するための個人の創
造側面に焦点をあてたものです。個人の戦略思考が磨かれれば磨かれるほどより賢明な戦
略が立案され実行性をもつ可能性が高くなります。その個人の戦略思考の多様性と豊饒性
には武人文化の土壌が必要なのです。
日本の経営者、政治家、知識人には、この武人文化が決定的に欠如しているために、戦
略思考が養われていません。何も、政府の要職、学者、勲章授与者に自衛隊出身者が多く
なり、防衛庁が「省」に格上げされることが武人文化ではありませ
ん。どれだけ戦略思考ができる人材を輩出できるかとその独創性が
問題です。
日本に武人文化が欠如している証拠を幾つか挙げておきます。
カルタゴとローマの長い戦いで、カンネの戦いがあります。日本
の経営者にファンの多い塩野七生の「ハンニバル戦記ローマ人の物
語 II」にも登場します。
「戦略の父」と呼ばれるハンニバルが約半
数強の兵力でローマ軍を包囲殲滅した戦いです。カンネの戦いは、
武人文化をもつ国では常識に属する大事な戦史のひとつです。第一
塩野七生
ハンニバル戦記
ローマ人の物語 II
新潮社
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次世界大戦前のドイツ参謀本部のシュリーフェンは「カンネに学べ」と説いています。塩
野は、アメリカの放送記者が湾岸戦争の際にカンネの戦いを意識したレポートをした事に
驚くとともに、日本ではあり得ないだろうことを推測として挿入しています。この推測は
正しいと思われます。
もうひとつ驚くことがあります。戦史研究には布陣図が必要です。地形が重要な役割を
もっているからです。関連書籍を調べてみると、塩野の布陣図を含めすべてが異なるので
す。十冊の資料では十冊分の異なる布陣図があるのです。川、海との位置関係がまったく
異なります。特に、戦前の陸軍公刊資料にはひどいものがあります。勝利の原因について
も、地形が異なるので、解釈も異なります。ある書物曰く、海を背にした兵力劣位にある
ハンニバル軍は逃げ場を失い、火事場の馬鹿力、窮鼠猫を噛むの心境に追い込まれて勝利
したのだ、という解釈まであります。他の布陣図によれば海など背にしていません。塩野
説も異なる立場をとっています。
膨大なアメリカのソフトや知識が輸入される日本で、欧米の武人
文化はまったく紹介、翻訳もされません。紹介されたとしても「オ
タク系」に分類され広範に流通しません。イギリスにはリデルハー
トと言う著名な戦史家がいます。そのリデルハートには「卿(サー)」
の称号が国王から与えられています。リデルハートのよき理解者で
あったマイケルハワード(「ヨーロッパ史と戦争」)はケンブリッジ
大学の著名教授です。アメリカには、リデルハートの弟子とも言え
るポールケネディ(「大国の興亡」)がいます。
「文明の衝突」で著名
になったサミュエルハンチントンの専門は軍事であり「軍人と国家」
ポールケネディ
大国の興亡
という著書もあります。
両者ともハーバード大学で職を得ています。
草思社
欧米では武人文化が知識人にも明確な基盤を形成しています。
武人文化の伝統のない日本においては戦争や軍事、その本質である戦略を科学的に研究
しようとする基盤そのものが欠如しています。戦略は、科学的分析を元に合理的に形成さ
れる計画ではありません。客観的分析、歴史から導き出された経験原則、それを利用した
指導者の立場から判断によって独創され、その構想を基盤にして、計画、予算、組織に対
象化されるものです。なかでも、歴史から導き出された経験原則の蓄積と知的基盤が重要
なのです。歴史研究、戦史研究の積み上げが利用されなければなりません。
第二次世界大戦、日本は通説のようにアメリカの科学技術と物量において負けたのでは
ありません。寧ろ、精神的側面でのあらゆる戦略レベルにおいて負けたと総括できます。
ガムを噛みながら戦うアメリカ兵と死を覚悟した日本兵では例え個人の精神性において優
れていても兵の戦略的運用のレベルで劣っていたのです。個人がいくら死を覚悟してもそ
の精神諸力を生かすだけの戦略を独創できなかったからだと思います。繰り返しになりま
すが、当時の太平洋における海軍戦力比較では十分に制海権をもち、個々の初期戦闘にお
いても、戦力優位をもちながら、ミッドウェー海戦のように黒島亀人参謀の戦力集中の原
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則を無視した戦略と日本海軍の戦略思考のくせを読んだアメリカ軍の予想によって完全に
敗北しています。
二十一世紀のグローバルネット時代に日本は再び敗北する訳にはいきません。生き残り
の条件があり、その可能性があるにも関わらず勝利を目指さなければ後顧の憂いを未来の
世代に残すことになります。
日本において武人文化を再生させ、新しい現代的条件をもった武人文化の創造を行う必
要があります。武人文化の現代的条件はふたつあるように思います。ひとつは、人間の愚
かな所産であり、人間行動の極致である戦争の体験を知識化し、平和に応用できる文化で
あることです。もうひとつは、指導者の戦略である武人文化を検証する仕組みを持つこと
です。
モルトケは戦争について次のようなことを言っています。
「永遠の平和は夢であり、また、
楽しいものでもない。戦争は神が創造した世界秩序の一部である。戦争は、それがなけれ
ば廃れ、死に絶えてしまうであろう人間にとって大切な徳、勇気、自己否定、義務への献
身、自ら進む自己犠牲を創造する」
(DANIEL J.HUGHES 編「モルトケ戦争芸術論」)
。
この見解は芸術に造詣が深く、多くのヨーロッパ人の尊敬を集めたモルトケならでは説
得力を持つものです。戦前の日本の武人文化はこうした側面ばかりを強調していました。
戦前は戦後教育のなかでは暗い印象を持ちますが、逆に、現代社会とは異なる妙に明るい
健全な表層をもつ社会のようでした。太宰治の「明るさは滅びへの道」に通ずるところが
あったようです。武人文化とはこのような精神的価値を称揚するものですが、戦前のよう
な偏頗した武人文化の再生は必要ありません。また、戦略なき戦争を行って敗北した戦争
指導層に尊敬は必要ありません。寧ろ、戦争、戦略や極致における人間行動を他者他国の
経験や歴史的経験から学び教訓として生かしていく態度が武人文化の現代化であるように
思われます。ちょうど、レイモンアロンが「クラウゼヴィッツ」を現代ヨーロッパに蘇ら
せたような平和のための知の縦深ができる文化が望ましいものです。それは軍人ではなく
商人です。
武人文化の現代的再生のもうひとつの条件はその弱みと強みに
関連します。武人文化は二重性をもっています。武人文化の強み
であり弱みでもあるのは、為政者、指導者の闘争、競争の知識で
あるということです。権力をもつ側の支配論理であるということ
です。日本には指導者教育がまったくありません。あるとしても
佐藤信淵系の陽明学のようなものです。戦略思考は支配―被支配
の関係のなかで、支配の論理が優先されます。戦略は目的−手段
関係を明確にすることですが、目的は常に外部的に与えられるこ
する思考方法です。指導者が目的を決定し、参謀がその達成可能
DANIEL J.HUGHES 編
MOLTKE ON THE ART OF WAR
(モルトケ戦争芸術論)
性と手段を明らかにするのです。結果として、政治の対象である
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とになっています。ただ、それをもっとも合理的且つ賢明に遂行
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生活を意識的に組み込まねば独善に陥る可能性をもっているということです。民衆のため
に独裁に陥る政治と同じ構造をもっています。フランス革命後の独裁を生み出した理念が
正しければ民主性は問わないと解釈されるルソーの一般意志論のもっている弱さでもあり
ます。
この弱さは、指導者の提示する競争の戦略、組織の生き残りの戦略が検証されないとい
うことによって起こります。特に、政治と軍との関係では、政治が民主主義によって正統
性を保証されることによって戦争目的が検証されるという危うい民主主義システムに依存
しています。しかし、ビジネスでは検証できます。経営実績によって、企業の所有者であ
る株主が株主総会や株価を通じて検証することができます。それは、商人の論理、すなわ
ち売り手―買い手の関係性のなかで、買い手の意識を常に汲み取ることが高業績の条件と
なります。ビジネスには、不十分ながらも、武人文化が独善に陥らないシステムが内蔵さ
れているのです。支配―被支配の関係を売り手―買い手関係のなかで検証できるのです。
裸の王様にならない買い手という鏡が存在しているのです。
武人文化の現代的条件はこの検証の論理を組み込むことです。検証システムを組み込ん
だビジネスでの戦略思考が新しい応用基盤となる必要があるのです。商人の生み出す武人
文化こそが日本で武人文化を再生すべき方向です。軍事の情報化、経済の情報化は、その
根底においてますます通底し、相互依存性を深めているのです。
7.弱みを強みに転化する戦略
日本独自の現代化された武人文化の再生には中国の歴史経験から学べば二百年が必要で
す。しかし、日本にはその時間は残されていません。この十年で日本の進路は決まってし
まいます。では、どんな再生戦略をとればよいのでしょうか。日本の武人文化の弱みを強
みに転化させることです。つまり、逆説的なパラドックスを現実化することです。
日本が成功した戦略の多くはいわば「ない」弱みを強みに変えてきたことにあります。
資源がない弱みを技術立国にしてきましたし、戦後は、「廃墟」、すなわち「ない」強みか
ら高度成長を遂げ、狭い国土、すなわち「ない」強みから軽薄短小の物作りを生み出しま
した。武人文化の再生にも、やはり、「ない」弱みを強みにしていかねばなりません。幸い
文化の本質である日本語には他国言語にはない最大の強みがあります。日本語の表記構造
という恐るべき文化装置があります。
日本語の特徴はその表記法が少なくとも三つあるということです。漢字、漢字の補助と
して生まれたカタカナ、そしてひらがなです。この三つの表記法が、日本人の思考に影響
を与えています。漢字は本来外来語です。つまり、英語と同じです。日本語は言葉として
外国語を受け入れ、土着語である仮名漢字交じり文を発明しました。外国語をカタカナで
補助することによって日本語化してしまいました。さらに、漢字の訓読みによって土着語
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の漢字表現も可能にしました。その結果、外国語をそのまま残しながら日本化することに
成功しました。この言語装置は、日本人の思考能力に決定的な影響を与えてきました。外
来思想は決して日本人の内面化されないということです。外来語は抽象化され日本人の腑
には決して落ちません。世界のあらゆる思想が輸入されるけれども決して内面化され同一
座標軸で位置付けられ、原理的対決や発展させることはありません。これらの文化的特徴
は戦後一貫して弱点と捉えられてきました。しかし、視点の転換を行うならば貪欲な文化
の抱擁性と考えることができます。
日本は歴史上において少なくとも一度は外国に占領されました。連合軍支配統治下にあ
った「メイド・イン・オキュパイド・ジャパン(Made in occupied Japan)」の時代です。
しかし、日本語は決して外来語に侵略されない構造をもっているのです。カタカナは氾
濫していますが、カタカナとして常に思考の外部に取り残されています。漢字と欧米語に
侵略されなかった言語は世界中のどこにも存在しないかもしれません。漢字は訓読みと音
読みの区別によって、英語はカタカナ化によって、日本人の内面には届かない表記システ
ムをとっているのです。言語抑圧が自我を形成するというラカン−フロイト系の理論によ
れば、外国語に侵略され抑圧された言語体験を持たないので、日本人には自我がないとい
う鋭い分析を柄谷行人(「日本精神分析」)はしています。韓国語と日本語の比較では呉善
花が同様の比較検討を行い、日本語の訓読みがもたらした思考に与える強みを分析してい
ます(「『反日』を捨てる韓国」)。漢字の訓読みが土着語との連結を生み出し、音読みが外
来語を受け入れる構造、そのことが外来語理解の抽象水準を多層化していることに成功し
ていると指摘しています。
これが日本文化の最大の強みです。自我の強い文化からみれ
ば、無定形に、貪欲に、無節操に、すべてを受け入れてしまう
抱擁性こそが日本文化の強みです。このことは、未だに、もは
やどこにも存在しない優しい母性を求めて彷徨する日本人の性
格と深く結びつき、日本語の表記構造が父母関係から形成され
る自我に反映されているのかもしれません。
武人文化がないこと、日本文化の本質である日本語の抱擁性
を生かして、最大限に他国の武人文化を吸収して、それを台木
に、新しい現代的な情報化時代に相応しい武人文化の木を接木
F.N.シューベルト&
T.L.クラウス編
湾岸戦争砂漠の嵐作戦
し、二十一世紀に花を咲かせる、というのが武人文化再生の逆
東洋書林
転の戦略です。
新しい変化が、幸いにも生まれています。IT 技術の発展によって、世界の武人文化が大
衆レベルで活用できる条件が生まれ、戦争忌避文化を知らない世代が誕生しているという
ことです。
弱みを反転させる戦略の第一の布石は、日本の文化を欧米の武人文化に接木し、素直に
学ぶことです。日本の知的伝統の強みは、抱擁性、接木の強さです。
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アメリカの戦争理論、戦略理論は目覚しい発展を遂げています。アメリカの奥深さ、凄
さは、欧米の武人文化を継承し、さらに発展させている恐ろしさです。この日本にはまっ
たく輸入されていない武人文化から吸収し、学ばねばなりません。
ベトナム戦争での苦い敗退を期に、アメリカ軍は見事な自己革新を遂げています。恐ら
く世界最大組織の自己革新の成功例です。GE の比ではありません。その成果が示されたの
は湾岸戦争でした。(F.N.シューベルト&T.L.クラウス編、「湾岸戦争砂漠の嵐作
戦」)同時に、戦略理論の発展にも画期的なものがあります。少し調べてみれば、サプライ
チェーン・マネジメントシステム(SCM)も、インターネットも、軍事目的のために開
発されたものだとわかります。こうした手段の革新を生み出しているのは、技術革新だけ
ではなく、戦略的思考の革新なのです。これらは謙虚に輸入して模倣すべきです。「愚者は
己の体験から学ぶ。賢者は他人の経験から学ぶ」というビスマルクの箴言を生かすべきで
す。戦争体験を持つことが賢明なことではない、他者の戦争経験から学ぶことがもっとも
賢明な事です。
アメリカの戦略研究は、情報ネットワーク化の時代にひとつ
の画期的な水準に達しようとしています。例えば、ロバート・
レオンハードは、世界の軍隊が採用している J.C.フラーが纏め
上げたアメリカ軍でも採用されていた幾つかの戦略原則は情報
ネットワーク化が進む時代に条件付き有効あるいは無効になっ
たとし、新しい原則を提案しています(ロバート・レオンハー
ド「The principles of war for the Information age」
)。その
なかに、ナポレオン戦争以後決定的に重要な原則とされていた
「集中の原則」があります。
「二兎を追うものは一兎も得ず」の諺に代表される原則です。
景気対策による政府支出の拡大か、財政均衡か。今は、景気対
ロバート・レオンハード
The principles of war for
the Information age
Presidio★Press
策が重要だから財政再建は延期し、政府投資を増大させる、というような論理です。集中
の原則、それが政策立案者の政策が矛盾に陥った際の経験原則でした。
レオンハードはこの集中の原則は部分的にしか通用しないと指摘しています。集中の原
則は、武器の命中精度が低く、戦略目標を大量兵器によって確率的に破壊しなければなら
ない際のものだからです。火力の量的優位をつくり、それを集中的に利用し、攻撃目標を
破壊するということです。今はその必要はありません。GPS等の情報技術によってピン
ポイントで攻撃目標を破壊することができるからです。湾岸戦争においてアメリカ軍を主
力とする多国籍軍の空爆を持ち出すまでもありません。IT 技術によって攻撃目標が明確に
把握され、それをピンポイントで攻撃できれば大量に兵器をもつことに経済性はないので
す。集中とは、情報が把握できない状況下での量による確率的手段の利用の原則なのです。
つまり、財政再建と景気拡大という政策目標は、目標の明確性と情報の精確性が保証され
れば十分可能な政策ミックスを立案できるということになります。逆に言うなら、現在の
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赤字国債による政府支出の拡大は、極めて網掛け的な、無駄遣いも含んだ政策にすぎない
ということになります。
日本では実しやかに語られる原則ですが、その原則がどこから生まれ、どう解釈されて
発展されてきたのかがまったく理解されていません。情けない話ですが、こうした議論は
アメリカの経営や経済だけを垣間見て、その背景にある武人文化を見てこなかったコンサ
ルタント、エコノミストや評論家に多い議論です。
戦略についての新しい研究や解釈が広範なレベルで進んでいます。これらの成果は、あ
らゆる組織間競争の戦略思考に応用できます。現に、インターネット技術、そのものが軍
事技術です。また、湾岸戦争でのロジスティクスシステムのノウハウがサプライチェイン
システムです。五十万人の兵力とそれを支える天文学的な物資を供給する物流システムで
す。欧米の武人文化からまずは学び、世界で花咲いた武人文化に接木し、独自の武人文化
を再生していくべきです。
8.日本の武人文化の新しい担い手
幸いにも、日本にはない世界の歴史戦史研究と戦争戦略理論が広範に利用できる環境が
整い始めています。IT 技術であり、インターネットです。技術と人々の世代交代が新しい
武人文化の再生への可能性を開いています。
ひとつの世代寿命を三十年とすると百年には三度の世代交代があります。仮に、50−
60代が組織における指導層であり、ビジネス文化のメインプレヤーと考えると、21世
紀の初期30年は、団塊の世代と断層の世代、中期は新人類世代と団塊ジュニア世代にな
ります。武人文化の創造できる可能性を持つ世代は恐らく戦争忌避文化の影響を持たない
団塊以後の世代にあるように思われます。その理由はひとつにゲーム経験にあります。「フ
ァイナルファンタジー」シリーズを始めとするゲームには戦略要素が多分に含まれていま
す。日本には奇妙にもコンピューターゲームを通じた武人文化の誕生があるのです。ここ
で培われた武人文化、戦略思考は一面的な側面をもっていますが、土壌としての役割も十
分持っています。目標を設定し、敵と自分の能力を分析し、攻撃の手段を選択して、目標
を実現していく。敵に負ければリセットと言うように戦略の基本条件が備わっています。
この土壌のうえに、歴史感覚と科学的思考が加味されれば、アメリカの武人文化に対抗で
きるだけの戦略思考の担い手として期待できます。ゲーム経験の差が戦略思考の差に繋が
るはずです。
さらに、女性の武人文化への参入があります。武人文化は男性文化のように思われがち
ですが、そんなことはありません。現に、湾岸戦争では多国籍軍で女性が大活躍しました。
女性が戦略思考の新しい担い手となることは言うまでもありません。
「利己的遺伝子」説の
教えを乞うまでもなく遺伝子の生き残り戦略を体現しているのは体験的に男性よりも寧ろ
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女性のように思えます。より戦略的な生き方が求められています。その意味で戦略思考は
女性の方が優れている可能性をもっています。
また、グローバルな競争力を有する日本の製造業の活力があります。製造業がネット経
済への対応をすすめれば、情報とソフトしかないアメリカ企業に完全な競争優位をもちま
す。日本には、情報とソフト、そして物があることになるからです。この日本の強みであ
る製造業に最大のチャンスと危機が生まれています。世界の下請け産業にならないような
ネット経済化戦略をとっていく必要があります。物だけの提供、情報だけの提供でネット
経済を制することはできません。物と情報のうまい組み合わせが高収益をあげるのです。
日本の武人文化の創造は、団塊の世代以後の世代と女性に担われ、製造産業のネット経
済化を布石に、二十一世紀に生まれ育つ次世代に引き継がれて発展させていけるように思
います。江戸の兵学思想から二十一世紀の武人文化への繋ぎが重要なのです。
最後に−大国日本の条件とパラドックス
大国の条件は経済力と軍事力にあります。しかし、それらが独立した世界の産物である
というのは二十世紀の状況を前提にしています。日本の地形の薄さ、兵力基盤である若年
人口の少なさ、武人文化の欠如が大国になるための軍事力条件を欠き、「数発の核兵器で廃
墟になってしまう」という堺屋の指摘は二十世紀思考の枠組みではまさにその通りです。
しかし、現代の軍事力は、IT技術、湾岸戦争の経験、世界秩序のシステムの変化によ
って大きく変わっています。経済力と軍事力はもはや別の物ではなく、経済も、軍事も、
物量ではなく情報と情報技術優位の時代になっているのです。
軍事力とは、大量破壊兵器である核兵器、兵数を供給する若年人口、地形などが重要性
をもっていました。
大量破壊とは敵の軍事力を弱体化させる軍事目標を達成することにあります。その目標
が確率的にしか破壊することができないから大量破壊兵器が利用されます。電子機器によ
って命中精度が飛躍的に向上すれば軍事目標だけが攻撃できる兵器が目的合理性をもって
いるのに決まっています。核兵器はもはや戦争の経済効率化の要求によって最終兵器では
なくなっています。使えないのに維持コストが高いからです。戦争の目的は政治目的の達
成にあります。相手国の国土と人々を完全に破壊することが政治目的になることはおよそ
合理性を持ちません。憎悪は人間の本質ですが、政治目的を全面支配することはありませ
ん。従って、核兵器は脅威としての政治的影響力をもちますが、高度なピンポイント兵器
によって、軍事目標だけを叩き相手の軍事力を弱体化させ健全な経済力を温存した方が、
戦争後を考えてもより優れているのです。寧ろ、核兵器は最終兵器で、数発で廃墟になる
という非現実的な認識こそ武人文化を持たない弱みになります。この意味でもはや核兵器
は心理的意味しか持ちえません。
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さらに、こうした電子精密兵器を使いこなすには教育、訓練などの錬度が要求されます。
錬度のない若者は役に立たないのです。現代の戦争では、空軍の支援を受け、空軍と一体
となった「空地戦闘(エアランドバトル)」がアメリカ軍の現代の戦闘教義です。この戦闘
教義は若者では戦えません。体力より、高度な知識や技術、何よりも錬度が必要です。従
って、若年人口の多さが兵力の決め手でもありません。
現代の軍事力は、情報と情報技術にあるのです。それは夜間に暗視装置をもって攻撃で
きる戦車と撃ちまくるしかない戦車との機甲戦を想定すれば明らかです。暗視装置のない
戦車を幾ら投入しても勝てません。寧ろ、日本の民生用の四輪駆動車に暗視装置と GPS(グ
ローバルポジショニングシステム)を付けた方が情報と機動性において優位性があるので
す。このことの意味はリアルに考えねばなりません。
二十一世紀の軍事力では、国土の広さ、人口の多さ、核兵器の保有、兵器などの量的指
標では測定できないのです。こうした物質的諸力よりも、情報と情技術を含む精神諸力が
重要なのです。さらに、それは戦略思考を生み出す武人文化を含んでいることは言うまで
もありません。
ここで逆説が生まれます。日本は、現在の情報技術力を生かして、二十一世紀の経済大
国、すなわち商人国家になる、あり続けるということは軍事力を同時にもつということに
なるのです。情報技術の先進性、普及、それを使いこなす人口数などが新しい軍事力なの
です。誤解を恐れずに言えば、ファイナルファンタジー等の戦闘ゲームはまさに電子兵器
の錬度を高めるのと同じだと言うことです。
もはや、二十一世紀、中国は軍事大国ではあり得ない、と言うことができます。情報ネ
ットワークを組むには国土が広すぎます、錬度を高めるには若人口が多すぎます、核兵器
の維持に費用がかかりすぎて精密兵器の開発ができません。日本には北朝鮮のミサイルの
脅威があると言われます。湾岸戦争で有名になったスカッドミサイルです。湾岸戦争では
ミサイルが九十三発射されました。しかし、その死者数は十一名です。つまり、スカッド
による一発当たりの死者数はひとりの殺傷能力水準です。日本の年間自殺者数約二万四千
人、交通事故死者数が約一万人です。余程、こちらの方が脅威なのです。それにも関わら
ず、スカッドミサイルが戦略兵器としての意味をもつのは、武人文化をもたず、情報によ
って右往左往する世論動向があり政治的影響力をもつからです。中国が中華思想から抜け
きれず大国意識で振る舞い、日本が被害意識の小国主義で行動することほどリアリティを
欠いた世界認識はありません。
二十一世紀の日本の生き残りは、現在の IT 技術での優位性を、経済での優位性に結びつ
けることにあります。その鍵は戦略思考を生み出す武人文化の再生にあります。生き残り
の糸口は見えています。この成功は同時に日本が大国への道を歩むことを意味しています。
武人文化をもたない日本が世界をリードしたらどうなるでしょうか。武人文化を捨て、小
国主義を選択し、商人国家としてだけ生き残るという道はありません。また、二十一世紀
への生き残り戦略として現実的且つ賢明ではありません。時給一ドル以下で暮らす世界の
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大半の人々、近隣諸国にとって極めて迷惑な事です。また、衰退するアメリカを補完でき
る唯一の道です。武人文化なき商人国家では生き残れません。グローバル競争で生き残れ
る戦略を構想し、実行できる武人文化が必要なのです。
武人文化を持った商人の育成こそが二十一世紀日本の生き残り戦略の鍵です。それはア
メリカの覇権システムが終焉し、二十一世紀の新しい世界秩序の形成に繋がるものでもあ
ります。潔く負けて散る美学ではなく、まして欧米的な驕りの勝利の美学でもなく、敗北
の痛みを知悉した商人の武人文化を創造することが肝要です。(文中敬称略)
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