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M NEXT 多次元接点の構築 I.戦略の再構築 1.戦略不在の現在 新しい戦略論を提案したいのだがその前に、戦略のようなものが日本企業にあるのか、 ということと、これまでの戦略論は有効か、ということが整理されねばならない。この前 口上と新しい戦略論の手がかりを探すことがここでのねらいである。 日本企業に戦略があるとは思えない。戦略を作る現場の仕事を支援してきた感想である。 教科書的な中長期計画、前年度と無関係な年頭方針、とりあえずつくった事業計画書のこ とではない。現場で有効性を発揮し、すべての活動のバックボーンとなっている計画=戦 略のことである。言い過ぎかもしれないが、「日本企業には戦略がない」と思う。 一方で、日本企業にはアメリカ流の分析的戦略家ではないきわめて独創的な戦略家がい る。とおり一ぺんの分析ではとても追いつけない、戦略思考をもった実務家が売上 1,000 億円に対して1人という割合で現実の戦略を支えているようにみえる、いわゆる、「人物」 がいる。トップの個性の強くない、コツコツタイプの日本企業ではこうした人たちがいろ んな手段を使って企業の戦略をリードしている。 戦略の不在と独創的戦略家たちの存在、これが戦略がなくても世界で強くなった日本企 業の現実ではないだろうか。 最近、この戦略の不在という傾向に、拍車がかかってきた。独創的な戦略家たちも企業 の戦略をリードすることが難しくなってきたようである。これには事情がある。ひとつは、 戦略の不在に根拠を与える新しい戦略観、企業観が主流になってきたことである。もうひ とつは、現実の市場が要請する戦略構築の難しさからである。 『ビジネス・ウィーク』誌の造語に「マネジメント・バイ・ベストセラー」という皮肉 たっぷりの言葉がある。 「ベストセラーによる経営」ということである。書店には無数の戦 略書が品揃えしてある。この戦略書ブームを作り出したのは、戦略よりも行動を重視する という戦略観を提示したピーターズとウォータマンの著書「エクセレントカンパニー」で ある。1983 年(昭和 58 年)である。戦略否定の書が、戦略書ブームのトリガーになったので ある。 20 年間の業績と業界の通の評判によって選ばれた、 「周囲のあらゆる変化に器用に対応し ていく能力にとくに秀でた」超優良企業をフィールドした結果の散文的報告である。彼ら copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 1 M NEXT は、これらの企業には八つの共通条件があるとしている。[1]行動の重視、[2]顧客に密着す る、[3]自主性と企業家精神、[4]ひとを通じての生産性向上、[5]価値観に基づく実践、[6] 基軸から離れない、[7]単純な組織・小さな本社、[8]厳しさと穏やかさ、である。選ばれた 43 社から抽出された、長期にわたり高実績と革新を続けるエクセレンズの本質である。 提案のひとつの焦点は、戦略よりも実践を、構築内容よりも構築プロセスを重視するこ とにあった。この提案は、行動よりも分析的戦略とスタッフを重視するアメリカ企業には 新鮮で異質な価値をもっていた。分析を重視するマッキンゼー社のプロジェクトの中から 生まれた自己批判でもあった。しかし、戦略よりも行動とラインを重視する日本企業には 戦略軽視の正統な根拠を与えることになってしまった。 こうした戦略観は、戦略構築をしっかりやらないで、ただ、ひたすら忙しくしているこ とを許すことになった。現場という名の現象へ、発想という名のコピーへと日本の戦略論 は動きはじめた。 これは戦略論のコペルニクス的転回でもあった。 「組織構造は戦略に従う」(チャンドラー) という命題による「はじめに戦略ありき」の戦略観が「はじめに組織ありき」(野中郁次郎) へと転回したのである。戦略もないのにアメリカ企業に勝る日本企業の説明に好都合であ った。こうした戦略観が「戦略の進化論的アプローチ」へと流れていく。 もうひとつ、戦略構築がカットされてしまう本質的な事情は現実の市場の難しさである。 企業を支える顧客が多様化し、異質化し、高速変化している。ピーターズは、近著のなか で述べている。「もはや、エクセレントカンパニーはない」「どの企業も安全ではない。I BMは、1979 年に死を宣言し、1982 年には絶頂を迎え、1986 年に再び死んだ」(「混沌の なかの繁栄」)、という企業の死生観を披瀝している。こうした戦略の有効性についての無 常観の背景には、多様化し、異質化し、高速変化する市場をただ、「わからないことが多発 する環境」(野中)として捉えようとする環境観が横たわっている。この環境へのあきらめが 新しい戦略論の根拠であり、戦略構築よりも内部で処理できる組織改革へと多くの企業を 走らせている背景でもある。 市場の理解から戦略構築に時間をかけるよりも、人身一新で、人を変えればなんとかな るの心情で、独創的な戦略家たちも現場へ、ラインヘと移動しているのが、現場に起こっ ていることである。 結局、戦略不在の現在は、市場理解を「混沌」で済ます無力感と、市場の多様性、異質 性、可変性という多変数を処理可能にする戦略構築の難しさがもたらしているのである。 今、日本企業に必要になってきているのは、市場の多様性に対応できるだけの市場分析 力とそれを許容できるだけの幅のある新しい戦略論である。それが日本の実情である。こ の戦略の再構築がこれまでのマーケティングの幅ですむはずがないことはいうまでもない。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 2 M NEXT 2.戦略は有効か 戦略論は再構築されなければならない。それには、もう一度、これまでの戦略論の有効 性が検討される必要がある。これまでの戦略論の中心的な考え方は、収益を決定する変数 を探すことであった。 発見された変数からいろんな手法が開発された。累積経験曲線、PPM(プロダクト・ポ ートフォリオ・マネジメント)、PIMS*プログラムなどである。PIMSプログラムでは 28 の変数が発見されているが、ここでは、そのなかでもっともポピュラーなふたつの変数 をとりあげてその有効性を検討してみたい。 第一は、業種の成長率である。 成長している業種と成熟している業種では、どちらが収益がよいか。成長しているほう である。ただし、このときの尺度は利益率ではなく売上高成長率である。この今では当り 前の発見が、戦略に反映されると、成長市場にシフトせよということになる。この戦略は 今でも多くの企業の製品多角化と事業多角化の根拠となっている。ゼネラルエレクトロリ ック社は6年間に 325 の事業を 12 億ドルで買収し、225 の事業を8億ドルで売却している。 その結果、ゼネラルエレクトロリック社のサービス部門の構成比は収入で 18%、利益で 25% へと急速にその比率を高めている。 この戦略は有効だろうか。疑問がある。なぜなら、業種というくくりが存在しなくなっ てきているということである。顧客は時計を欲しがっていない。計時機能を欲しがってい るのではなく、時計でファッションや新しい技術を楽しみたいのである。ビデオの開発者 はICが欲しいのではなく、ビデオに新しい付加価値をつけるための共同開発者が欲しい のである。企業からみると、食品業界がもっとも多くの研究開発費を投下しているのは、 食品産業ではなく医薬品である。これは業界固有の技術が拡散し技術融合がすすんでいる ことの一端である。 つまり、製品の品種や業種というものが顧 図表1-1.マーケットシェアと投資収益率(ROI) (シェアが高いほど、投資収益率は上がる) 客の選択の手がかりにならなくなった分だ け、成長領域の選択は業種や業界で済まない (%) 40 税引前の平均ROI のである。 第二は、シェアである。 30 23.5 PIMSは投資収益率とシェアの関係を 初めて統計で示してみせた(図表1-1)。シ 24.4 18.0 20 13.2 ェアが高い程、投資収益率は高い。10%まで のシェアで 13%、40%以上のシェアで 32% 32.3 10 となっている。なぜこの差が生まれるのか。 それはコストの差、累積経験量の差である。 たくさん生産したり、販売したりすると反復 マーケット 10% 10~20 20~30 30~40 40% シェア 未満 %未満 %未満 %未満 以上 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 3 M NEXT が学習を生み効率がよくなるという経験則である。この発見は早期にシェアを獲得せよ、 という戦略になった。半導体業界で日本企業の採った設備投資競争、カシオとシャープの 電卓、TI社の時計への参入など低価格でシェアをねらう戦略は激しい競争をもたらして いる。 このシェアを目標とする戦略は有効だろうか。疑問である。ひとつは、シェアを測定す る市場の定義が難しいことである。市場の本質である人間とその願望が、いつも進化して いるのだから、企業にとって頼りにできる指標は、通産省とこれまでの調査機関の調査手 法にまかせることはできないのである。ウィスキーでサントリー、ビールでキリン、パソ コンでNEC、シェアの高い企業ほど、悩みは大きくなっている。シェアは顧客別にも製 品別にも機能別にもいろいろな次元でみることができるからである。もうひとつは、この シェアを目標とする、低価格を武器にした戦略論が普及してしまっていることである。た とえば、家電業界でみられるように、生産コストの低コスト追求はどの企業でも徹底され、 たとえ、コスト競争になってもその打つ手は検討されているのである。マークする競合相 手を固有名詞で研究しているのだから当然である。つまり、戦略論が通過体験されている のである。打つ手がわかっている競争ほど無効なものはない。 収益をめぐる変数としてふたつを検討した。外部要因としての成長率と内部要因として のシェアである。PPM手法はこれを見事に組み立てたものである。M・E・ポーターは、 収益は「業種業界の魅力度」と「業界内の競争上の地位」によると再整理している。クリ フォード・キャバナーは「競争の場」と「競争の武器」としている。 ふたつの変数を中心としたこれまでの戦略論に 図表1-2.業界水準から見たSBUの業績 は、共通の市場観が暗黙のうちに前提とされている。 ひとつは、品種や業種のライフサイクル論である、 業界水準以上の実績を上げている (%) SBUは34%ある 100 製品や市場を生物の個体の成長過程と同一視し、静 的な時間がその寿命を決定するということである。 もうひとつは、市場を顧客との関連でみないことで ある。市場の本質を顧客理解で到達させないことで 61.0 50 ある。つまり、これまでの戦略論の発見してきた収 34.0 益をめぐる変数には、いくつかの「かくされた変数」 があるのである。 ポーターはそれを「業界の進化」と呼んでいる。 アバナシーは、導入-成長-成熟-衰退というサイ 5.0 0 水準以上 水準並 水準以下 クルに「脱成熟」という次元のあることをアメリカの自動車産業の研究から導き出してい る。これまでの戦略論の非有効性は、これらの変数を排除していることにある。それは、 現場の戦略家たちが十分承知していることである。このことは、業界水準以上の業績をあ げている 34%の事業の存在(図表1-2)とその責任者たちの認めている「強さ」が、シェ アや製造原価の安さでないことを証明してくれる(図表1-3)。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 4 M NEXT 図表1-3.競争優位 活動項目 ( ) 営業利益伸び率が世界水準以上の“エクセレントSBU”の強さはどこにあるか。 シェアを目標とする戦略はすでに通過されている。 比較 上:業界以上 下:業界並み 競争優位(現状) 技術的な リーダーシップ 47.1 商品・サービス の知名度 50.0 商品・サービス の品質 67.4 トップの リーダーシップ 44.1 営業力の強さ -10 0 +10 +20 37.7 57.4 34.4 50.0 42.6 26.5 商品の差別化、 ユニークさ 38.2 新製品投入 スピード 11.8 マーケットに おけるシェア -20 21.3 実行力のある 企業風土 製造原価の安さ 差の大きさ 19.7 36.1 13.8 5.9 8.2 35.3 46.0 出所:「日本のSBU調査」 日本マーケティング研究所 (「日本のマーケティング戦略1987」) 3.再構築の手がかり これからの戦略論は何を再構築の手がかりとすべきなのか。われわれが手がかりにした いのは、「戦略思考アプローチ」と「進化論的アプローチ」である。 大前研一は戦略思考を次のように説明している。「“戦略的”と私が考えている思考の根 底にあるのは、一見混然一体となっていたり、常識というパッケージに包まれてしまった りする事象を分析し、ものの本質にもとづいてバラバラにしたうえで、それぞれの意味あ いを自分にとってもっとも有利となるように組み立てたうえで、攻勢に転じるやり方であ る。個々の要素の特質をよく理解したうえで、今度はもう一度人間の頭の極限を使って組 み立てていく思考方法である」。 前半は科学的思考を、後半は創造的思考を語っているにすぎない。そして、当の企業= 自社、顧客、競合相手という三角関係のなかで、 「戦略立案者の仕事は、成功のカギ(KFS) copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 5 M NEXT という点で競合相手を上回る手を考え出す、という以外にない」。 つまり、成功の尺度(たとえば、営業利益率)は三角関係をめぐる変数のなかにあり、その なかから重点となる変数を抽出することである。 何が再構築の手がかりとなるだろうか。ここで説明されている手順が手がかりとなるべ きなのか。本当は戦略思考の主体を特定の個人の頭脳=トップ、あるいは参謀と考えてい るところにある。KFSの抽出など、ある個人の思い入れがない限り、科学的に選び出せ るものではない。逆に、その分だけ、独創的な戦略構築が可能だといっているのである。 そう読まれるべきである。 「進化論的アプローチ」(野中郁次郎)は、戦略と組織を不可分のものと見なすところから はじまる。独創的戦略は、「カオスの創造」、「カオスの増幅」、「超越シナジー」、 「ソフトコ ントロール」によって生み出される、と説明される。 一言でいえば、多様な環境に対するには多様な組織しかない、ということである。この モデルは実務家ピーターズからさらに発展させ、フィールドワークの少ない学者の分だけ、 ニューサイエンスの理論が先行している。 何が再構築の手がかりとなるだろうか。ひとつは、戦略を客観的組織がカオスを編集す る仕事と考えることである。もうひとつは、ニューサイエンスの戦略論への取り込みの可 能性を示したことである。カンや直観で戦略構築する限界と同時に、科学の限界を示した 意義は大きい。 戦略思考の主観性と進化戦略の客観性はどこで、統合され戦略意志へと高次化されるべ きだろうか。それは両者の限界を示すと同時に、新しい戦略論の基礎となることでもある。 第一に、環境を「カオス」で済ませるのではなく、明確な市場分析にもとづく、環境認 識が背景となるべきである。無常観は許されない。 第二に、収益をめぐる変数は、「三角形」といった単純なものではなく「n角形」にまで 拡大され、処理されねばならない。 第三に、 「かくされた変数」すなわち、動的時間=進化の変数が組み込まれねばならない。 第四に、戦略思考の基盤として、土台として、ニューサイエンスが組み込まれねばなら ない。市場の多様性はふところの深い戦略の幅を要求しているのである。 第五に、独創的戦略構築の主体は多層であるべきである。個人でも、組織でも、上でも 下でもありうる。ただ、こうした多層な主体が企業の戦略的意志として統合されていく必 要がある。 この五つの地点が、われわれの提案したい「多次元接点戦略」の地平である。 【附 注】 * PIMS(=プロフィット・インパクト・オブ・マーケット・ストラテジー) :市場戦略が企業の収益にどのような影響を及ぼすのかを統計的に分析したもの。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 6 M NEXT II.産業進化の可能性 1.成熟と寿命 「成熟」という市場認識は誤りではないか。同じ意味で「成長」という見方もおかしい。 国立競技場でラグビーの試合を観ながらそう思った。 千代田区に本社のある人たちから戦略のことをお伺いすると、話の筋は経済企画庁のGN P成長率予測とほぼ同じ売上の目標の数字が伏線になっている。ちなみに、今年度は3~ 4%の経済成長率の予測である。3~4%の売上目標という数字は、もともとパイの大き い産業では、工場のひとつやふたつに匹敵する大きさである。成熟というのは、社会調査 では誤差と見なされる小さな数字を語ることである。 問題は数字の大きさではなく、戦略の基礎となる市場認識 図表2-1.本業分野の成熟度 として、成熟という見方がその数字の背後にあることである。 有効な資源を配分するときの客観的な手がかりは市場の成 長率にあることは間違いない。低い成長率はそれ以上の意味 を与えてしまう。市場の客観的現場を成熟というコンセプト 単位:(%) 全産業 成熟して いない 26.7 で合理化してしまうことである。しかも、その市場認識が戦 略の中心を構成してしまっている。成熟-定型的戦略の図式 73.3 が千代田区周辺の企業では完成したパラダイムとなってい 成熟 している る。戦略的意思決定の比重は日本では千代田区が一番高い、 だから、日本のパラダイムかもしれない(図表2-1)。 製造業 成熟という市場認識のモデルは、商品やサービスは生物の 個体と同じように寿命をもっているという「プロダクト・ラ 21.7 イフサイクル(PLC)論」にある。商品の寿命には「導入期」 「成長期」 「成熟期」 「衰退期」という四つの段階があり、縦 78.3 軸に売上数量(または額)、横軸に年次(時間)をとると商品は S曲線を描くというモデルである。この商品の生死観を提示 したのは、科学への自信と個の自由を謳歌する 1950 年代の 非製造業 アメリカに生活したJ・ディーンとJ・フォレスターだとさ れている。いずれにしても、聖書のように何人かのマーケタ ーに書き継がれていった理論である。聖書の言葉が個人に訴 えるように、生物の種より個の生死を大切にした理論である。 35.4 64.6 成熟は成長のつぎにくる段階である。成長と成熟の節目は、 商品が飽和状態にあるかどうか(普及率)、市場の成長率、輸 入品の浸透、海外との競争力が指標となる。総合的評価とし てのこの節目の判断が戦略の内容を決める。その中心は、競 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 7 出所:『62年度版経済白書』 M NEXT 争目標、製品差別化、投資である。アメリカでは、成熟-衰退の節目が重視される。事業 の売却の指標となるからである。千代田区では成長-成熟の節目が重視される。目標未達 の理由と新しい努力をしないですます根拠ができるからである。言い訳上の差は、さてお き、この成長と成熟という寿命のステージの差は、どんな戦略的転換を生むのか、コトラ ーの整理で比較してみる(図表2-2)。明確な差は投資の大小だけである。結局、成長と成 熟というあいまいなステージの差が戦略の自由度を奪ってしまうのである。この成熟観が つくってしまう戦略の自己束縛性こそ千代田区の売上機会を減少させている背景である。 PLCにはきわめて優れた戦略発想と分析的弱点が混在している。分析的弱点は集計単 位、予測手法などがよく指摘される点だが、根本的には、売上などの経営上のパフォーマ ンスを、寝転がって空の雲を自然の時の流れとともに眺めるような、自然の時間の関数と みなすことである。この市場観から生まれた「成熟」という市場認識では千代田区の高い ビルから皇居を鳥敵することぐらいしか助言できない。 PLCから継承すべき優れた点はふたつある。これらが多次元接点戦略の基礎となるべ きものである。 ひとつは、「時間」という変数を「収益をめぐる変数」に導入したことである。つまり、 優れた戦略の根拠は優れた市場認識力にあり、その市場認識力の鍵は時間、長い期間でみ れば「進化」にあるということである。PLCは商品には寿命があるという。戦略的に言 い換えれば、商品には進化がある、ということを示唆した点である。 もうひとつは、成長には限界がある、ということを明示したことである。永井陽之助は 政治と戦争の研究を通じて、次のように述べている。「戦略の本質とはなにか、と聴かれた ら、私は躊躇なく、“自己のもつ手段の限界にみあった次元に、政策目標の水準をさげる英 知である”と答えたい」 。PLCは、顧客をめぐる競争の研究を通じて、現在のベストの商 品の限界を教えている。 成熟観の否定と継承、新しい戦略論の基礎となる市場認識は「進化としての脱成熟」と いう視座である。ラグビーの勝敗は試合の流れを読んで動いているプレイヤーの数で決ま るものだ。戦略も、結局、流れ=進化ではないか。ラグビーの試合の流れには、ゲームの 節目はあるが、成熟や成長といった固定的な局面はない。攻撃や防御といった局面はあっ てもいつも時間に対して可逆的であり、反転する。こうした市場認識が大切である。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 8 M NEXT 図表2-2.プロダクトライフサイクルと企業戦略 成熟観が戦略の自由度を低減させる 売上高 わが社 業界全体 成長期 成熟期 売上高 急速上昇 緩慢な上昇 利益 最高水準 下降 緩和 高水準 顧客 マスマーケット マスマーケット 競争 増加 競争企業多数 市場での浸透 シェアの防衛 高水準(割合は低下) 低下 ブランド選好 ブランドロイヤリティ 流 通 集中・強化 集中・強化 価 格 低下 最低水準 製 品 改良 差別化 - 戦略の自由度 + 市場成果 キャッシュ・フロー 変化なし 戦略 戦略の焦点 マーケティング支出 戦略の強調点 競争目標の修正 ブランド戦略の 修正 変化なし 成熟期の 焦点 フィリップ・コトラー「マーケティングマネジメント」より加工 2.脱成熟と進化 商品や産業に寿命がある、と考えるより、商品や産業は進化する、と考えたほうがよい。 そうした市場観をもつほうがより独創的な戦略の構築に繋がる。 新たなチャンスの手がかりを「進化としての脱成熟」にもとめてみる。経済のレベルで は、これまで何が成長の源泉となってきたか、経済白書の名物分析、コブダグラス型生産 関数を使ってみる(図表2-3)。成長の源泉を、「労働」、「技術」、「資本」の三つで仮定す copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 9 M NEXT る。1966 年(昭和 41 年)から5年毎 に整理すると、1971 年(昭和 46 年) 図表2-3.製造業の成長(脱成熟)の源泉 製造業の成長の源泉は資本依存から技術・その他へ ~1975 年(昭和 56 年)のオイルショッ 0.17858 クの時期を除くと日本の製造業の付 付加価値生産増加率(%) 加価値生産増加率、つまり成長は、 グラフ内の数字は成長への 寄与率を示す 資本から技術へとそのウエイトを移 0.09112 行してきている。日本経済というレ ベルで考えたときの新しい成長の源 0.07260 0.05310 泉は、技術へ、その他へと変動して きている。この場で、産業が成熟で 3.7 はなく進化しているのである。新た 41.2 な産業の進化=脱成熟を、アバナシ その他→ 26.7 資本→ 39.9 技術→ 労働→ 22.7 ーはつぎのように説明している。 「市 場の需要サイドからは新しい種類の ニーズと嗜好が現れ、供給サイドは、 性能や価値の新機軸を試してゆくこ 34.7 106.5 10.8 40.9 30.9 15.8 32.1 37.6 2.3 0.0 51年~ 55年 56年~ 58年 -51.4 とになるであろう。この両サイドか らのアプローチの結果、テクノロジ 昭和41年 ~45年 46年~ 50年 ーはより明確なものとなり、そして 昭和60年版経済白書より作成 より多様化したものとなろう。しかし、テクノロジーが明確化し、その価値と多様性がい かに増大しても、それだけでは「脱成熟化」にならない。既存の生産能力を破壊し、新し いものに換えることも、「脱成熟化」には不可欠なのである」。顧客進化と技術進化のふた つの条件と生産能力の変革が結合したとき、脱成熟というドラマが生まれる。産業進化の アバナシーモデルである。これを基本型にして産業進化のモデルをふたつ紹介してみる。 ひとつは、今井賢一モデルである。図表2-4のとおり、進化の源泉を「技術の性格」 と「組織・競争」にもとめている。もっとも力点が置かれているのはイノベーションであ る。 もうひとつは、佐久間昭光モデルである。今井モデルよりも、より進化の源泉が整理さ れている。アメリカのパソコン産業のケースでは四つの源泉、すなわち、「供給者間の垂直 的構造」「供給者間の水平的構造」「供給者-買い手の構造」 「買い手間の構造」に整理され ている(図表2-5)。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 10 M NEXT 図表2-4.産業発展のフェイズと技術の性格 技術の性格 関連する 組織・ 競争 フェイズ1 フェイズ2 フェイズ3 技術 イノベーション イノベーションの源泉 流動的 プロダクト・ イノベーション 多様な源泉 定型的 プロセス・ イノベーション 製造過程での競争 再流動化 システム・ イノベーション 複合化 組織関連 内部組織 組織知識 競争 弱い連結 有機的 探索による収集 多数者間競争 強い連結 官僚的 学習による蓄積 少数者間競争 浸透 マトリックス型 組み替え 代替システムとの競争 出所:今井賢一「技術革新からみた最近の産業政策」 日本の産業政策・東大出版会 図表2-5.米国パーソナル・コンピュータ産業の構造進化 第I期 第 II 期 組み立てキット オール・イン・ワン の時代 の時代 第 III 期 IBM PC の時代 第 IV 期 IBM互換機 の時代 1.供給者間の垂直的構造 未分化 文化 分化 一部統合 2.供給者間の水平的構造 独占→競争 3社寡占 IBM vs. 非互換機 IBM vs. 非互換機 3.供給者―買い手の構造 双方的 情報提供 説得的 4.買い手間の構造 ホビイスト ホビイストの文化 ビジネス・ホビー・教育 ビジネス・ホビー・教育 説得的 出所:佐久間昭光「構造進化とイノベーション」 ビジネスレビューVol.35 No.2 これらのモデルを手がかりに、われわれもいくつかの商品、業種を分析してみた。結果 を三つに集約してみる。 第一に、どの商品、業界にも節目と呼べる転換点のタイミングがある。そして、その時 期は、必ずしも、売上量や金額とは一致しないものである。この節目を通じた商品や業界 の「連続性」と「飛躍」は寿命と呼ぶより進化とみなすべきものであること。 第二に、進化の源泉は大きく三つに整理できる。すなわち、[1]顧客進化要因(顧客構成、 選択の手がかり等)、[2]提供技術要因(製品技術、工程技術、流通等)、[3]超業界要因(グロー バル化、他業界、政府介入等)である。このモデルで時計を簡単に整理してみると図表2- 6のとおりである。 図表2-6.産業進化の源泉(ウォッチのケース) 節目 大進化 メカ式 小進化 クォーツ式 アナログデジタル アナログ 顧客進化 提供技術 顧客 戦中・団塊 団塊・断層 断層・新人類 選択の 手がかり 精度・信頼・一生モノ 価格・機能 デザイン 生産 熟練工・人件費労働集約型 流通 路面専門店修理技術 業界外グローバル 非競争 スイス 工場設備・減価償却費資本集約型 量販店 多数の業態店 電子部品産業・海外市場 香港・台湾 「JMR 第2期多次元倶楽部 資料」 基礎研究事業部作成 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 11 M NEXT 第三に、進化のパターンには、提供技術側が高い固定費や法律で保護されている業界で 起こる顧客主導型、逆に顧客よりも技術的な進化が主導する提供技術型、ふたつの組み合 せとしての相互型、そして超業界型などがあること(図表2-7)。 結局、これらが集約されるところは、産業は脱成熟に向かって進化するということであ る。 経済レベル、産業のレベルで脱成熟の源泉を整理してみた結論だが、社会、文化、パラ ダイムレベルにもあることはいうまでもない。進化の源泉は多層である。 図表2-7.進化のパターン 進化の タイプ 提供技術 主導型 * は金額、他は数量 現在の深化要因 市場成長率 75~ 80~ 84~ 85 85 85 1 2 3 % 127 % 106 花王 36 ライオン 36 P&G 11 (81-) 711 107 日本電気 37 富士通 9 ソニー 7 商品 顧客の 進化 提供技術 の進化 洗剤 △ ○ 業界外 インパクト % 159 ○ パソコン 電卓 △ ○ * 103 82 97 カシオ 45 シャープ 38 キャノン 9 テレビ ○ ○ * 154 125 117 松下 26 ソニー 20 東芝 14 冷蔵庫 ○ ○ 114 99 102 松下 26 東芝 19 日立 15 時計 ○ ○ 586 202 101 セイコー 43 シチズン 17 カシオ 12 シャンプー ○ ○ * 260 134 109 花王 25 資生堂 17 ライオン 11 レギュラー コーヒー ○ ○ (77-) 178 154 103 ビール ○ 121 105 102 キリン 59 サッポロ 20 アサヒ 10 週刊誌 ○ 138 121 109 フォーカス 11 女性自身 10.5 週刊新潮 6 マーガリン △ ○ 153 108 95 雪印 38 マリーナ 15 ラーマ 12 マヨネーズ △ ○ 168 118 102 QP 65 味の素 18 ケンコー 6 相互 関与型 顧客 主導型 上位企業シェア 超業界型 「JMR 第2期多次元倶楽部 資料」 基礎研究事業部作成 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 12 M NEXT 3.脱成熟の方向 戦略には大胆な綾があるようにみえる。本当はそんなものはない。綾のようにみえるの は市場認識力である。優れた戦略は優れた市場理解に基礎を置いている、独創的な戦略は 自由度の高い市場理解に基礎があるといえる。 市場を静的で固定的なものとみなす市場理解からは、静的な戦略しか生まれない。成熟 という市場理解からは「成熟した」戦略しか生まれない。 今の戦略の中心はなにか。千代田区の動きを整理してみる。ひとつは「多様性」という 市場理解がある。それをカバーするためには、一方で、多品種少量生産を武器に新製品比 率を高め、他方で、販社・流通などの資源集中をはかる。その上で部課長を中心にした組 織の人身一新で運営に「ゆらぎ」を創り出す。 千代田区丸ノ内ではこんな戦略が主流を占めているようである。一部の多様性には内部 に最小多様性を創り出すことだ、というアシュビーの「自己組織化パラダイム」が戦略な き組織改革ブームとして丸ノ内に定着し始めている。 「多様性-新製品中心-資源集中-ゆらぎ」という現在の丸ノ内を支配する戦略はどう 超克すべきか。われわれは、市場を多様性としてではなく、進化するもの、脱成熟に向か うものとして理解したい。この上に新しい戦略論が構築される必要がある。その理論志向 性を「脱成熟の戦略」と呼びたい。骨子を五つに分けて整理してみる。 第一に、市場を分解して多様化していくものとしてではなく、進化していくものとして 再理解される必要がある。 第二に、新製品比重をあげるのではなく、「究極の商品像」に向けて商品を進化させる必 要がある。商品進化戦略の構築である。 第三に、顧客と企業が接するすべての関係と場を再構築する。すなわち接点進化をすす めることである。 第四に、事業戦略としてではなく商品と接点進化を統合させる多次元接点戦略の構築が 必要である。 第五に、これらをすすめるための企業進化がすすめられていなければならない。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 13 M NEXT III.顧客進化 1.多様化と統合 顧客、商品、需要は自然の流れに従って無限に多様化していくのだろうか。ひとりひと りの顧客にぴったりの1億 2,000 万種類の品揃えが究極の姿なのだろうか。この時、初め てすべての顧客の願望を充たすことが可能になるのだろうか。 違うと思う。 ひとつは、工場の作り出すスペックの組み合せによる多様化などは、ただ、その種類が 多くなるだけで、その分、顧客もチャネルも選ぶのが面倒になるだけだからである。 ひとつは、自分にぴったりの商品が言えるのは少数であって、残りの人は「気持ちがモ ヤモヤ」しているだけで、そんなものは「実際に見てみないと」言えない。つまり願望は いつも潜在形であるということである。 もうひとつは、個人の「わがまま」(主観的願望)と客観的願望とは違うということである。 「わがまま」は、情報を得て、街に出て、人に会って、はじめて本当の願望になる。「社会 的接触の所産」(マルクス)である。だから、集約できるのである。 つまり、工場の作る多様性などたかがしれている。欲しいものは潜在形で「わがまま」 は願望ではないという理由である。これは半分の理由である。半分というのは、多品種少 量生産では十分に多様性に対応できるだけの力はない。たとえできたとしてもスペック(製 品属性)の指示を受けるという受身システムでは願望を充たすことはできない。また、願望 とはそもそも社会的に集約できるものだ、という提供技術側の可能性と効率に理由がある からである。 もう半分の理由は顧客側にある。八つの商品について、どれ程多様性が期待されている かみてみた。多様性を測るスケールは、「商品の数」(多数化)、「違う商品の数」(多質化)、 「商品改良のスピード」(高速化)である。この三つを同時に期待する人を「多様化」と定義 し、逆に、商品に、「少数化」「少質化」「低速化」を求める人を「統合」とした。結果は図 表3-1のとおりである。 商品によって多様化と統合への期待が違うことが確認できる。3~15%の純粋の多様化 を望んでいる層がいる。逆に多様化を望まない層は 60~84%になる。純粋の非多様化=統 合を望んでいる層は3~17%である。 結局、近年、 「少衆」 「分衆」と喧噪してきた人は3~15%の層に注目した論議をし、 「大 衆の存在」で逆襲した人は 60~84%の層に注目した主張であったということである。そし て、第三の3~17%は誰も注目しなかった。 顧客は多様化など望んでいない。これは言い過ぎだが、多様化だけを望んでいるのでは ない、それとはまったく逆の方向を望む層もある。 多様化が一方的に進むのではない。顧客側のもう半分の理由を示す材料である。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 14 M NEXT 顧客、商品、市場は無限に多様化するというテーゼに似た顧客理解はオイルショック以 降の暗黙の了解事項だったように思う。マス生産、マス広告、マス販売への反省だった。 この反省の根本は顧客の多様性を認めるということであった。このことはひとつの事実を 忘れている。多様化とは反対の方向で、しかも、マスでもない統合の層がいることを、で ある。この事実を認めるとき、多様化に代わる新しい顧客理解が必要になる。 図表3-1.商品別進化度 統合 分解 非多様化 多数化(SQ3A) 多質化(SQ3B) 高速化(SQ3C) 33.4 31.3 23.5 59.6 22.2 63.0 A 3.2 14.9 B 3.7 13.6 29.0 27.8 C 3.3 12.6 29.1 26.4 D 2.7 8.0 29.8 E 6.9 7.0 F 3.5 G 29.6 19.4 16.7 64.2 58.5 17.5 18.6 13.0 74.3 4.3 15.7 16.4 11.0 75.2 4.9 3.5 13.2 18.2 10.5 73.5 H 17.3 2.5 6.4 9.6 9.0 「JMR 第二期多次元倶楽部資料」 日本マーケティング研究所 基礎研究事業部作成 84.5 (単位:%) 日常生活をしているとどうしても太陽が地球を回っているとしか思えない。しかし、本 当は地球が太陽を回っている。この転回には夜空の星の膨大な軌跡(事実)と天動説に代わる 地動説という新しい宇宙理解が必要であった。同じように顧客の新しい事実には新しい顧 客理解がいる。 矛盾する多様化と統合が同時に共存するという事実はこう理解してはどうだろうか。ひ とつは、「多様性」ではなく「多次元」と捉えることである。いろんな顧客がたくさんいる というのではなく、レベルと方向が違う顧客が異在するというようにである。100 年~200 年と読み続けられる古典、赤版『岩波文庫』と 10 分で電車の網棚行きの『少年ジャンプ』 が共存するのと同じことである。 もうひとつは、多様化と統合を現在という静的な時間軸ではなく動的な時間軸として捉 えなおすことである。現在、地球に存在する生物は 120 万の種に分類されている。静的な 分類体系である。こうした生物観は言わば静的な自然観である。これに対して動的な自然 観がある。120 万の種を過去から現在までの系図に翻訳し樹系図を作る「進化論的な見方」 である。 「ある歴史的な時刻でこの世界を裁断したときに、切り口に現れる秩序を、この世 界の長い時間の経過のなかでの変化の秩序と読み換えるという操作において、まさしくそ れは進化思想の原点であると同時に、この世界が、つねに、ある方向に向かって動き続け copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 15 M NEXT ている、というきわめて動的な宇宙観の表白でもある。」(村上陽一郎)この見方を定めると 多様化と統合は対立したものとしてではなく、多様化-統合、統合-多様化の流れとして 読むことができる。 結局、現在の需要は無限に多様化が進むということではなくて、分解(多様化)-統合の運 動を繰り返しながらひとつずつ違う次元の需要を重ねていくということである。その結果 として、需要に生きる商品は「棲み分けの密度」(今西錦司)を高度化していくのである。 2.進化の主体と願望 商品は進化する。なぜ進化するか。顧客願望と技術が進化するからである。どちらがウ エイトをもっているかは商品と時期によって違う。われわれの調査の結論である。われわ れの調査から八つの商品フィルターを通して進化の現在の局面を整理してみる。分解は誰 が進めているか、統合の主役は誰かの追跡である。 図表3-2をみてみる。分解を望んでいる層をどんな切り□からみれば、最大に見るこ とができるかを差の大きさで示したものである。いわば、分解を説明する顧客の切り軸で ある。分解は、世代、ステージ、年代がほぼ同等の説明力をもっている。統合は、収入が 説明力をもっている。 図表3-2.商品進化の主体(有効性) 分 解 統 合 女 男 5.0 % 4.7 1.2 12.0 飢餓 新人 8.7 2.7 6.0 14.9 3.9 11.0 子無 中高 8.2 2.5 5.7 14.9 2.9 12.0 50-54 15-19 8.7 2.7 6.0 収 入 800-900 10.0 700-800 3.8 6.2 900-1000 13.9 200-300 4.2 9.7 資 産 1000500- 9.0 4.9 4.1 500300- 8.7 4.1 4.6 14.3 2.0 15.7 3.7 12.3 女飢 男Jr. 8.8 1.1 7.1 12.0 男子無 男学生 10.7 1.2 9.5 性 別 男 女 世 代 団Jr. 戦中 15.4 3.4 ステージ 中高 子供 年 代 15-19 40-44 男Jr. 女団 性別・ステージ 女中 女子独 性別 ・ 世代 8.9 % 2.1 6.8 田村正紀(神戸大学)は同様の手法を用いて大阪府豊中市の主婦の調査をしている。そのひと つの結論として、多様化の主役は「リッチ層」であり、多様化とは「リッチ現象」であると している。 この結論と比較しながら、われわれの解釈をしてみる。首都圏と豊中市、単極尺度と両極 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 16 M NEXT 尺度という調査手法上の違いは考慮済みとする。 分解は「リッチ現象」ではない。逆に統合が「リッチ現象」である。年収の多い層ほど統 合を望んでいる。では誰が分解の主役か。図表3-3をみるとよく説明できる。ステージと 世代で分解を望む層の大きさ順に並べたものである。これをみると、ステージでは「女子中 高生」 「男子学生」 「男子中高生」の順で高く、世代では「団塊ジュニア」 「新人類」と続く。 つまり、分解とは「若いステージ現象」あるいは「新世代現象」ということになる。なぜ、 この差が生まれるかは顧客理解の根本に由来する。すなわち、進化という視点をもつかどう かということである。 平面的な解釈に、進化的な見方を導入してみる。断面に現れた地層に年代をつけて進化の 跡を追うのである。すると「交代」という現象が見えてくる。ひとつは分解の主役の交代、 もうひとつは統合の主役の交代である。 「差異化」は新人類の特性だった。次の主役は団塊ジ ュニアである。分解スコアの大きさがそれを示している。したがって分解の中身が変わって くる。一言でいえば、 「横並びの差異化」から「縦並びの差異化」へと進化するのである。 統合の主役は成熟したステージからより若いステージヘ、そして「元気な中年」へと交代 する。図表3-3の「銘柄固定率」(「2~3年内銘柄変更期待なし」)を統合のひとつの指標 としてみると、成熟したステージとともに、 「男性既婚子供無」や「断層」や「新人類」とい った世代のスコアが 30%を越えている。このことは、統合の主役が交代していくとみること ができる。 図表3-3.商品進化の主体(性別ステージと世代) 統合 銘柄固定率 分解 女 中 高 生 3.6% 15.7% 19.1% 男 ・ 学 生 1.2% 14.3% 26.5% 男 中 高 生 1.4% 14.1% 28.0% 男 未 婚 社 4.7% 13.0% 33.7% 女 ・ 学 生 4.9% 12.5% 33.0% 女 未 婚 社 4.2% 10.8% 32.3% 男 既 子 無 10.7% 6.5% 33.8% 男 子 育 て 4.9% 5.9% 28.8% 女 既 子 無 6.4% 4.7% 29.4% 女 子 育 て 7.7% 4.2% 32.3% 男 子 独 立 6.4% 4.2% 30.0% 女 子 独 立 5.4% 3.7% 29.4% 団塊ジュニア 2.8% 15.4% 23.2% 新 人 類 2.7% 12.8% 32.2% 断 層 5.9% 6.6% 31.8% 飢 餓 8.7% 5.1% 32.3% 団 塊 7.5% 4.7% 28.5% 戦 中 5.5% 3.4% 30.1% copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 17 M NEXT 顧客の進化は商品というフィルターを通じて層=主体からみるとこのように捉えること ができる。顧客進化のもうひとつの側面、その願望はどのように捉えることができるだろ うか。分解と統合の主役たちの願望からの分析が必要である。 願望は不満の塊ではない。商品に対する不満をひとつひとつ丁寧になくしていけば願望 は満たされるのではない。その意味で不満の裏返しとして、あるいは「弁証法的」裏返し としてニーズを捉えるのはアメリカ人に饅頭を食わせるようなものだ。願望は商品特徴(属 性)の塊ではない。商品は特徴の塊である。この錯覚が飽くなき機能競争につながる。ハイ テク商品の分野では高速な製品開発と顧客の進化にさらされている。にもかかわらず、両 方の事情を理解できる人はほとんどいない。その果てが飽くなき機能競争と低価格競争で ある。マーケターは世界行脚の調整係になる。 このふたつの願望観に共通しているのは、願望の主体性を認めないことである。商品の 不満や機能があって、願望と商品、どちらも主体性をもって独立し、その間を「価値スケ ール」が媒介していると考えたい。別の機会に説明したい。願望は感性ではない。感性を 統合したものである。50 代に 10 代の感性がわかるか。わかる。それが仕事であり、もうひ とつは感性とは体験の堆積として捉えられるからである。感性を体験から捉えると「発達 心理」的な体験、「時代体験」そして、その「深さ」(鶴見俊輔)で考えることができる。人 生のどの段階にあり、どんな時代体験を、人生のどの時点で体験したか、この三つの体験 の重ねで感性は解剖できる。発達体験は誰でも推し測ることができる。問題は今の時代体 験が何であり、どれだけの深さをもっているかである。「岡田由希子」の死がなぜ共通体験 になり、なぜ、「死」という深さで受けとめられたのか、の問題である。要は体験の特定と その深さの測定である。どの商品にもそうした「通過体験」がある。10 代には 10 代の感受 性があり 50 代には 50 代の感受性がある。願望進化のなかではただそれだけの差の大きさ である。 これまでのニーズや感性の捉え方を三つ批判した。願望は不満や機能の塊ではない。願 望は感性を含むものであってそれを捉える方法論はあるんだということである。 批判のねらいはひとつのことを提案したいからである。それは、願望は自立している、 ということである。不満という商品の従属物や機能という技術の従属物ではない。その意 味で「願望は人間の本質」(スピノザ)そのものであり、他のものに左右されるものではない。 この根本的な願望認識の転回のうえで、願望は自立的に進化する、と提案したいのである。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 18 M NEXT 3.願望進化の源泉と現在 願望は何を源泉として進化するのか。生物進化のように遺伝子の突然変異で確率的に起 こるのだろうか。それとも「変わるべくして変わる」(今西錦司)のだろうか。 見田宗介の研究は価値意識の変容条件として 28 を挙げている。主なものを挙げれば「要 求水準の向上」「不満」「幻滅、絶望」「情報」「自覚」などである。社会意識からの説明で ある。 アメリカを席巻している価値ライフスタイル(VALS)アプローチのアーノルド・ミッチ ェルは条件として「不満、精神力、洞察力」の三つを挙げている。 コーホート分析によれば、変化は「世代効果」「加齢効果」「時代効果」の総和として説 明される。世代交代が進むことによって、年を重ねることによって、時代環境が変わるこ とによって変化は生まれるというものである。 われわれは仮に三つと分析している。進化の条件は考える必要がない。人間の本質だか らである。 ひとつは、ステージである。就学、就職、結婚、子供の成長といった生活の節目が大き な源泉となっている。節目を大切にする、あるいは、豹変の得意な日本人特有の源泉であ る。 つぎは、世代である。「戦争という大規模な世代連続の破壊ののちに、ある共通の世代現 象が生ずる」(橋川文三)。団塊ジュニア(13~17 才)、新人類(18~26 才)、断層(27~36 才)、 団塊(37~41 才)、戦中(42~49 才)などの世代である。約 60 の時代体験をあげて、「自分に なんらかの影響のあったもの」を選択してもらった。その結果、16 の共通体験を抽出する ことができた(図表3-4)。現在の世代の核となる共通体験があることが確認できた。この 共通体験を持つ世代交代が源泉と考えることができる。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 19 M NEXT 図表3-4.体験タイプ 性別 体験 グループ 象徴的 体験 団塊Jr 体験 光GENJI ルービック キューブ 団塊Jr ・ 新人類 体験 新人類 ・ 断層 体験 世代 団 新 断 団 戦 飢 男 女 塊 人 層 塊 中 餓 Jr 類 昭和 20 25 30 35 40 45 50 55 60 年 聖子 少年隊 たのきん 光GENJI ルービック キューブ ○ ○ 43 ○ ○ ○ 55 共通一次 ・ファミコン ○ ○ ○ 113 おニャン子 ○ ○ ○ 50 おニャン子 明菜 南野 ○ ○ 70 Tシャツ Gパン ディスコ DCブランド ファーストフード ファミリーレストラン ○ ○ 49 ○ ○ 53 リカちゃん 人形 ディスコ ○ ビートルズ ○ ・DJ 断層体験 山口百恵 断層 ・ 団塊 体験 浅間山荘 ○ ○ ○ 78 フラフープ ○ ○ ○ 64 団塊 体験 ケネディ暗 殺・アポロ ○ ○ 78 ○ ○ ○ 32 ○ 43 団塊・ 3C 戦中体験 戦中体験 ダッコちゃん ○ 皇太子 御成婚 終戦 ○ ○ リカちゃん人形 共通一次 ビデオ FF 21面相 ラジカセ インベーダー ファミコン ボーリング ビートルズ DJ サザン パソコン アイビー 拓郎 キャンディーズ かぐや姫 百恵 新御三家 3億円事件 浅間山荘 フラフープ ツイスト ゴーゴー 加山雄三 ケネディ暗殺 アポロ 万国博 ロッキード 70年安保 オイルショック 3C ダッコちゃん ○ ○ 48 美空ひばり 鶴田浩二 石原裕次郎 東京五輪 マリリン・モンロー 60年安保 吉永小百合 東京五輪 ○ 戦中 ・ 飢餓 体験 通過体験 人 45 ○ ○ ○ B A S E 真知子巻き ミニスカート 皇太子御成婚 終戦 街頭TV 三種の神話 インスタントコーヒー ○ ○ 79 インスタントラーメン うたごえ運動 ○ ○ 89 残りのひとつは体験である。図表3-4をみると、世代には共通体験があると同時に、 世代を越えた時代体験がある。団塊ジュニアと新人類、新人類と断層というように、世代 をオーバーラップした体験である。これが三つめの源泉である(図表3-5)。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 20 M NEXT 図表3-5.商品進化の背景となる体験 体験世代 統合 分解 新人類 団塊ジュニア 断層 団塊 飢餓 戦中 光GENJI 2.0 25.2 ルービックキューブ 1.5 24.4 リカちゃん人形 1.1 14.5 共通一次・ファミコン 1.6 19.4 おニャン子 3.9 29.6 ディスコ 2.9 18.4 ビートルズ・DJ 1.1 25.7 山口百恵 1.0 18.0 浅間山荘 9.8 11.1 フラフープ 4.1 4.1 ケネディ暗殺・アポロ 4.6 14.2 3C 3.8 5.7 ダッコちゃん 4.0 12.1 東京五輪 5.5 6.3 皇太子御成婚 5.1 10.6 終戦 4.4 11.4 願望の進化はこの三つの変動をエネルギーにしている。 自立的に進化する願望という視座から、磨き抜いた 26 の項目を因子分析で圧縮してみた 「自分充実」 「プレステージ」 「ノ (図表3-6)。その結果、願望の現在は五つに集約できる。 ンストレス」「平凡家族」「アップグレード」である。材料だけをまず提示する。論点先取 りしたいことがあるからである。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 21 M NEXT 図表3-6.五つの因子 因子/願望 変数項目 (QI) (固有値/寄与率) (因子負荷量) F1. 自分充実 (4.33 42.5) F2. プレステージ 変動要因と反応ユーザー 世代 ステージ 体験 位 位 位 ・やりたいぞ (.63) ・理想や夢を (.53) 1 2 ・時間を充実 (.53) 3 ・いつも新鮮 (.52) ・関係を拡大 (.47) 14.6) ・上級クラブ (.62) ・行動が広い (.55) 2 ・新を追求す (.52) ・リーダーだ (.52) 3 1 F3. ノンストレス ・せかされて (.54) ・変化は大変 (.47) 3 ・わからない (.43) ・考えないで (.42) 2 1 (1.49 (1.27 12.4) F4. 平凡家族 (1.27 12.4) F5. アップグレード (0.66 6.4) ・常識がよい (.63) ・家族が中心 (.47) 1 ・平凡な生活 (.45) ・幸せな方だ (.34) 1 3 ・ハイクラス (.54) 1 ・地位や名声 (.51) 2 3 時点比較 (昨年度) 強反応 ユーザー ・新人類 ・団塊ジュニア ・男学生 ・男性 ・団塊ジュニア ・新人類 ・男中高生 ・男未婚 ・奥の手 予想サイクル ・ 「心理想人因子」 ・ 中波 (36.0)に対応 ・ 7~8年サイクル ・ 上昇傾向 ・ 上昇傾向 ・ 対応因子なし ・ 「新理想人因子」 ・ 混在波 の文化と推定 ・男中高生 ・ 「スピード不安因 ・ 混在波 子」に対応(9.0) ・ 上昇傾向 ・ 上昇傾向 ・飢餓世代 ・戦中世代 ・男子独立 ・水の手 ・ 大波 ・ 「変化充実因子」 ・ 12~15年 に対応(12.0) サイクル ・ 下降傾向 ・ 下降傾向 ・新人類 ・男学生 ・男未婚 ・ 対応因子なし ・ 大波 ・ 「心理想人因子」 ・ 12~15年 サイクル の文化と推定 ここで先程の三つの源泉と願望の自立的質化という見方を導入してみる。一才刻みの年 齢は、ステージにも世代にも時代体験にもくくり直すことのできる、進化の素、 「進化量子」 である。図表3-7である。「ノンストレス」という願望の動きは約6年のサイクルで年齢 を動いているのが見てとれる。この願望は山から谷まで約3年で振幅しているのである、 とまでは言い切らない。サルから人間は進化したと同程度に、願望はサイクル性をもって いると言えそうである。そのスパンは進化の三つの源泉によって1~30 年の幅があるよう だ。ファッションのモードはサイクル性をもっていると言われる。その典型はスカートの 丈である。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 22 M NEXT 図表3-7.願望進化のサイクル 54 53 52 51 50 49 48 47 46 45 44 43 42 41 40 39 38 37 36 35 34 33 32 31 30 29 28 27 26 25 24 23 22 21 20 19 18 17 16 15 -- - - - - + + + + - - - + - + - - - - + + + + + - - + + + - - + + + - + 山 (?) 谷 山 10 谷 山 6 7 山 谷 9 8 谷 山 5 6 山 (?) 谷 7 5 誰からも見られてゐない確信と やがて悔いへの誘ひと― その時真昼が 匂ふやうであった もみぢ葉の散らふ山辺ゆ榜ぐ船の にほひに愛でて出でて来にけり 前者は、立原道造、後者は「万葉集」である。初期歌謡の本を読んで納得したので恐れ を知らず引用する。「匂う」という感覚が視覚と同じように捉えられている。万葉の時代、 「もみぢの葉」の紅は「匂い」として捉える感性があった。その感性が 20 世紀のロマン派 に甦っているのである。その間、12 世紀、万葉から『古今和歌集』 『新古今和歌集』では失 われていった感性である。俵万智にもない感性である。 感性や願望は歴史的な堆積性をもったサイクルとして進化するものだ、といいたいので ある。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 23 M NEXT 最後に、これからの方向として読めることをまとめたい。 第一は、分解から統合へである。進化の主要局面は分解に違いない。しかし、統合のエ ネルギーは断層、新人類の一部で高まっている。新製品比率、開発スピードを再考するタ イミングである。 第二は、「格」願望へのシフトである。逆にいえば、「にせものの終焉」である。「自分充 実」「プレステージ」「アップグレード」はそのことを示している。 第三は、横の分解から縦への分解である。新人類は横並びの差異化であった、分解の主 役が新人類から団塊ジュニアに移行した現在、クラスの差異化に移っている。 第四に、ロングセラー商品作りのチャンスである。これまでの新製品はあまりに短サイ クルの願望に乗りすぎていた。10 年、20 年のサイクルに乗るチャンスである。 われわれの提案したい多次元で自立的に進化する顧客願望の戦略空間の一部である。 IV.接点進化 1.市場と接点 市場をイチバと読まなくなって久しい。イチバと読むことに違和感を感じるようになっ てしまった。 マーケティングはその横文字の意味どおり和訳すれば「市場化」「市場創造」(林周二)と なる。その市場や市場メカニズムの再考が進んでいる。今井賢一は次のように整理してい る。 「かつてのように大規模にモノをつくることがなによりも肝心で、つくれば自然にモノ は売れた時代には生産者が産業社会の主役だった。いまは、新しい連結をつくりうるもの が主役である。媒介によって新機軸をつくりだすことを強調していえば、それは媒介的ア ントレプレナーである。彼らが人と人、組織と組織との間にどのような連結をつくりだす か、そこにどのような情報の流れをつくるか、さらには異質な人と組織との間にどのよう に接点(インターフェース)を設けるか、そしてそれらを通じてどのようなネットワークを形 成するかということが、現代の経済においては本質的に重要な問題になってきている。」 市場については一言も触れられていない。ただ、「媒介」 「連結」「接点」「ネットワーク」 という市場の関与者間の関係に着目した言葉が目に飛び込んでくる。これまでの経済学(一 般均衡分析)ではあるひとつの仮定を置いてきた。 「市場にはいたるところに“オークショナー”とよばれる競売人が存在するという仮定 である。株式市場や魚市場のように売り手と買い手が一カ所に集まって実際にセリをおこ なう場合には、そこには現実に競売人がいるわけで、この仮定はおかしくはない。しかし、 一般の市場取引ではそのような取引の場を設定した取引ではない。市場とは需要と供給と copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 24 M NEXT が出合う抽象的な場を指すのであって、そこでの取引は電話や会社の応接室で個々ばらば らにおこなわれている。それが魚市場の一カ所での実際のセリ取引のようにある価格に収 れんしていくと考えられるのは、個々の取引の間にあって売り値と買い値を仲立ちするオ ークショナーがコストをかけずに市場取引をおこなうために必要なあらゆる情報を提供し ているという仮定があるからである。 現実の場で、オークショナー的な役割を担ってきたものとしては、まず商人の役割があ げられる。商人は取引を媒介する専門家であり、商業は売り手と買い手をつなぐ機能であ る。 商業という機能は、本来きわめて広い。それは、日本語で商人という時のイメージ、つ まりもみ手をしてお客の顔色をうかがって巧みに売りこむというようなイメージとは本質 的に異なるものである。商業は本来、技術と人とを媒介し、人と人、組織と組織、さらに は文化と文化とを連結させる技術なのである。 市場機構の基本は人々の相互依存関係にある」 。 マーケティングが経済を無視している分、マーケティングが無視されている。市場は売 り手(企業)と買い手(顧客)が出会う現実的な場として捉えなおされている。そしてそれを媒 介する商業機能と情報が強調されている。なぜ、こうした転換が必要なのだろうか。経済 には、レーガノミックス以来の産業政策の転換と霞ヶ関官庁街の事情がある。しかし、根 本的には買い手と売り手の出会う場とその出会い方が、本当に進化してしまっているので ある。 経済学は、市場という抽象的な言葉を捨て始めている。マーケティングをやっている人 間も他人事ではすまない。マーケティングを固有名詞で語るべきである。 われわれは、買い手と売り手の出会う場とその出会い方を「接点」と呼んでいる。もっ と製造業よりに「商品と顧客の出会い方」といってもよい。現在の困難と解決方向のため のキーコンセプトを「接点」とする。 2.接点爆発と拡散 接点は現在どうなっているのだろうか。三つのことが言える。現在の戦略的課題の空間 である。 ひとつは、接点数が爆発しているということである。 時計(ウォッチ)のチャネルを中心に考えてみる。昔、時計は片目にグラスをつけた職人さ んがいる時計屋さんで人生の節目に買った。そういう接点だった。今、時計は時計屋さん 以外で買うものになっている。店数を推計すると、1970 年(昭和 45 年)から 1985 年(昭和 60 年)の 15 年で約5倍になっているとみることができる(図表4-1)。今度は売場のレベル までおりてみる。百貨店には、時計の売場はふたつや三つではない。DCブランドの売場 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 25 M NEXT の数だけある。丸井の扱っているDCブランドは 20~30 は軽くある。情報を考えてみる。 時計が紹介される雑誌はいくつあるか。『ポパイ』『ホットドック』『アンアン』『ノンノ』、 いくらでもある。もっと具体的に時計の掲載される記事は何頁あるか。『ポパイ』2月 17 日号で 16 頁あった。 言いたいことはいうまでもない。接点は幾何級数的に爆発しているのである。 図表4-1.時計の接点数の推移 108,449店 通販 8,300店 百貨店 360店 量販店 11,380店 ブティック・ 高級雑貨 37,0735店 35,133店 24,044店 百貨店 310店 百貨店 260店 量販店 9,310店 路面専門店 23,784店 路面専門店 25,133店 昭和45年 昭和54年 ホビー・ギフト 14,775店 スポーツ 20,277店 路面専門店 22,622店 昭和60年 ふたつめは、接点の多様化である。 八つの家庭用の商品について、マクロにその接点数を求めてみた。この際の接点は、利 用商品ブランド数、利用チャネル数、利用情報ソース数の総和、いわばマクロな接点総量 である。ひとつの商品の接点は平均的には 6.9 個ある。世代別にみると、新人類と飢餓世代 の間で 2.5 個の差がある。約 1.5 倍の差である。ステージでみると、より差が開く(図表4 -2)。接点総量が多い程、多様化しているとみてよい。接点の爆発は多様化をともなって いるのである。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 26 M NEXT 図表4-2.ユーザー接点の多様化 商品 関心(%) 全 体 40.3 団塊Jr. 41.3 新人類 断 層 46.4 41.4 自由選択度(%) 50.0 43.1 58.3 52.1 チャネル 情報 接点総量 利用数 2.20 2.05 2.32 2.82 2.29 2.76 6.84 7.63 7.69 2.56 2.66 2.47 2.31 2.37 2.20 6.88 団 塊 38.3 51.0 2.15 2.13 2.03 6.31 戦 中 38.1 47.4 1.89 2.21 2.31 6.41 飢 餓 34.4 47.1 1.47 男 中学生 36.5 学 生 47.3 未婚者 43.4 既子無 子育て 子独立 女 中学生 29.6 44.1 34.1 42.7 39.9 2.10 1.13 2.99 1.89 2.69 2.72 5.19 7.78 2.66 2.67 2.32 2.47 2.03 6.82 2.20 2.24 1.94 5.83 2.12 2.08 6.44 45.2 1.61 1.85 1.77 44.2 1.97 2.70 5.23 7.25 2.26 7.17 2.67 7.27 63.4 57.8 39.8 54.2 1.69 8.05 学 生 49.1 54.5 2.20 2.58 2.71 未婚者 44.6 53.6 2.12 2.48 2.31 2.35 2.11 6.47 2.48 7.06 2.09 2.14 5.96 既子無 36.8 47.9 2.05 子育て 40.4 49.9 2.23 36.1 49.3 子独立 2.73 商品と顧客の出会う場と出会い方は巨大に多様化している。つまり接点空間の密度は濃 くなっているのに、ひとつひとつの接点はその完結性を低下させている。それが三つめの 状況である。 これまでのマーケティングの接点づくりは、商品の認知、理解、選好利用、継続購入と いう段階的に売りの完結にアプローチするというものであった。営業のスタイルも広告販 促の企画もこうしたアプローチをとっている。この方法でつくられる接点が効率を低下さ せている。「ジャンピング現象」である。内容も知らずに買ってしまう(理解ジャンプ)、好 きでもないのに買ってしまう(選好ジャンプ)、思わず買ってしまう(思わずジャンプ)という 現象である(図表4-3)。商品によってブランドによって違っている。しかし、ジャンプす る人の比率は、平均して 20%前後だと推定できる。この比率を段階的なアプローチではす まない新接点の比重だと考えてもよい。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 27 M NEXT 図表4-3.これまでの接点ジャンプ 85.4 73.4 70.8 65.4 58.4 新接点 15% 54.3 旧接点 85% 購入前 認知 認知 理解 選好 利用 断続 商品、チャネル、段階的購買行動を前提にした営業スタイルと広告宣伝というこれまで のマーケティングは、接点というフィルターをとおしてみると水を笊で掬うような効率に なってしまっているのである。 接点爆発と多様化、これまでマーケティングの接点効率の低下=拡散、これらが、かつ てのエクセレントカンパニーを苦悶する企業に変身させた根因である。 接点が進化していく要因は、ふたつある。ひとつは顧客であり、もうひとつは企業の技 術である。進化のエネルギーである。結論からいうと提供技術と接点願望である。このふ たつがこれまでのマーケティングで忘れられてきた領域である。 3.提供技術と接点願望 チャネルが複層して多様化していくにはいくつかの理由がある。田村正紀は他の先進国 と比較して次のような整理をしている。 「高度経済成長が開始される時点において、大型店の発展水準が他の高度経済発展国と 比較してきわめて低い水準にあった。この初期条件のために、その後の高い成長率にもか かわらず、大型店発展度の絶対水準は他の高度経済発展国にくらべてかなり低い水準で推 移しただけでなく、その発展の地域不均等性を生み出した。これによって生業店や零細店 舗への大型店発展の影響がヨリ小さくとどまったのである。 ところが一方、経済成長率はかなりの長期にわたって異常な高さを保ってきた。これに よって市場スラックが発生し、相対的生産性の低い個人商店にも存続の機会を与えること になった。市場スラックは過多性、零細性、生業性を再生産するメカニズムとして作用し てきたのである。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 28 M NEXT しかし、石油ショック以降、日本経済はますます低成長経済として定着した。これは日 本型小売業を支えてきた支柱のひとつとしての市場スラック効果が消滅しつつあることを 意味する。これをきっかけに相対的生産性を基礎とする市場での競争関係がヨリ厳しくな ってきている。しかし、日本型小売業は大型店発展水準の低さや市場久ラック効果だけで 維持されているのではない。これらの要因とならんで重要なのは、非効率な零細小売商を 含めた中小小売商を広範に存続させるための制度的装置が高度経済成長の開始時点から存 在し、しかもそれらがその後ますます制度的発展をみせていることである。」 市場のスラックとは、市場成長率の高さによる競争条件などの甘さ、ゆるみのことであ る。制度的装置とは政府や行政の保護のことである。 本当だと思う。しかし、顧客のことが無視されている。この後に分析されるべきことは顧 客が接点に期待していること、接点願望である。いま接点が爆発し多様化していく背景に はこのことがある。店舗とチャネルヘの期待を 26 項目あげて整理すると六つに集約できた (図表4-4)。 図表4-4.六つの因子 因 子 F1. 充実物販 F2. サービス F3. コンビニ F4. コーディネート 物 販 変数項目(因子負荷量) 寄与率(固有値) ・品質がしっかり ・アフターサービス ・信頼メーカーが支援 ・欲しい時いつでも ・選びやすい (.74) (.70) (.64) (.55) (.50) ・カードが使える ・クーポンが使える ・分割払い ・会員制 (.89) (.78) (.75) (.53) ・品揃えが豊富 ・値引き ・選びやすい ・近所にある ・つねに新しい商品 (.72) (.68) (.61) (.59) (.47) ・新しい楽しさ ・これまでにないコーディネート ・新生活提案 ・行くだけで楽しい ・人に知られてない (.81) (.75) (.62) (.40) (.32) ・名のとおっている ・「格」がある (.75) (.72) ・電話で注文 ・家まで届けて (.81) (.55) F5. 「格」 F6. 無店舗 非物販 53% (8.26) 17% (2.66) 8% (1.30) 6% (0.90) 5% (0.78) 4% (0.61) copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 29 M NEXT 充実物販 53% 図表4-5.新接点への期待因子 サービス 17% サービス コンビニ8% 新願望 コーディネート物販6% 17% 8% 40% 「格」5% コンビニ コーディネート 物 販 17% 「格」 5% 無店舗非物販4% 無店舗 非物販 4% 結局、この六つの顧客の接点 願望が接点進化のエネルギー となっているのである。大胆に 整理してみると新業態開発や 旧願望 53% 充実 物販 53% 無店舗非物販チャネルの開発 の顧客基盤は 40%である。逆 に、既存物販でカバーできる比 重は 53%である(図表4-5)。 現在のチャネルの売上比重からみるとまだまだ接点は爆発し続けるし多様化する背景が ここにある。 接点進化のもうひとつのエネルギーは技術である。 「技術には、いくつかの種類がある。ある場合には、特定の製品をつくる特定のプロセ ス、たとえば、ある化学的プロセスといったものを指す。この場合は、技術と製品は 切り離せない。もっと広い意味では、技術とは製造プロセスを指すこともある。たと えば、鉄鋼連続鋳造法と平炉法を対比するようなときである。この場合、技術と製品 とは別物である。また、単一の口座でカードによる買い物、借入、小切手振出、証券 売買、残高運用などができる複合金融商品、キャッシュ・マネージメント・アカウン ト(CMA)の場合も、プロセスと商品の区別ははっきりしている。新しい情報処理技術 がCMAを可能にしたのである。 さらに、技術というものをもっと広く考え、企業の業務活動一般やスポーツ技術、た とえば原材料から製品にいたる生産系列方式とオフラインによる情報一括処理の対比、 あるいは斜め跳びハイジャンプと背面跳び、といった捉え方もできよう。」 「技術をシステムとして捉える接近である。たとえば、火力発電という技術は、多様な 要素技術がシステムとして用いられたものであり、そのパフォーマンスは熱効率とい う指標で捉えられる。同様に、半導体の技術も素子、デバイス、微細加工技術などの 要素技術がシステムとして組み合わされて構成されており、そのひとつのパフォーマ ンスは 64K、256Kというような容量のレベルであらわされる。」 「どんな会社も、おびただしい数の技術を持っている。確かに、製品や製造工程には、 ひとつまたはそれ以上の技術が支配的な働きをしていることは事実であるが、会社の 行なうすべての活動にはなんらかの柱術が必ず用いられている。」 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 30 M NEXT リチャード・フォスター、今井賢一、M・E・ポーターの技術についてのエッセンスを 拾ってみた。 われわれも、彼らのように、製品技術、工程技術だけでなく、企業活動すべてに含まれ るものとして、システムとして、イノベーションとして技術を捉えたい。と同時に、顧客 の信用やブランドイメージ、流通チャネル支配力、あるいは従業員のモラルの高さなどの 「見えざる資産」も含めて買い手と売り手を結ぶものすべてを「提供技術」と総称するこ とにする。技術は価値として顧客に出会って初めて自然を人間の非有機的肉体とすること ができる、という技術の本質的役割があるからである。 この提供技術が進化している。各社の開発のリードタイムはほぼ一線に並び、基礎研究 への投資が業界という壁をとっくに越えて、食品業界がその総投資額の 31%、274 億円を 医薬品に投ずる技術拡散と技術融合の時代である。 業界内技術から業界外技術へ 製品工程技術から周辺技術へ ハード技術から情報技術へ 見える資産から見えざる資産へ 次々と、顧客の進化と並行して進化していく、自然史の過程である。 接点はこのふたつの巨大なエネルギーを受けて進化しているのである。 4.接点再構築の力 接点願望と提供技術によって、新しい接点が次々生まれ、これまでのマーケティングに よってつくられた接点が完結性を失って接点効率を低下させていく。これが現在の見取り 図である。 この新しい戦略空間のなかで、エクセレントカンパニーが続々と脱落している。どんな 新鮮な解決力がいるのだろうか。 マヨネーズで常にトップを維持している企業にキユーピーがある。食品業界で再び注目 されている企業である。キユーピーが注目される理由はふたつある。ひとつは温度帯別物 流が進行するなかでキユーピーはチルド流通で他社をリードしていることである。もうひ とつは、キユーピー倉庫、デリア食品という物流会社と卸を持っている強みである。 食品のなかで、消費支出が増えている費目は外食だけである。この限られた費目のなか で、手づくり-内食-調味料という接点は、弁当、調理品などに拡散してしまった。顧客 の選択の手がかりが調味料でなく、メニューや効率になったからである。マヨネーズがマ ヨネーズでなくなったのである。スーパーにとってみれば新鮮な野菜とセットして顧客に 提供できるのである。キユーピーの3社はこのことを可能にしている。製造業キユーピー の自社製品比率は 60%、卸デリア食品になると 50%、物流業者キユーピーになると 40% copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 31 M NEXT になる。内販比率が徐々に低下していく。このことはキユーピーの脱専業化がすすんでい ないことの証左でもあるが、キユーピーグループとしてみれば顧客に対して自由に商品を 編集してチルド流通を使って買い手に提供できる仕組みを作りあげたことになる。川下へ の分社による垂直統合が生んだ強さの妙である(図表4-6)。 図表4-6.価値創造のための編集力アップ キューピー デリア食品 キユーピー倉庫 ユーザー 60% 40% (輸入マヨネー ズ・缶詰・冷凍、 冷蔵食品) 60% 50% (他社缶詰・冷 凍食品・チルド・ 生鮮食品) 50% (他社チルド・冷 凍食品・缶詰・ 生鮮食品・漬物) 40% 花王は現在誰もが認めるエクセレントカンパニーである。戦後、幾度も経営危機を経験 しながら現在の強さを築いた企業である。1965 年(昭和 40 年)頃からスタートする販社化、 販社への商品供給を拡大するための製品多角化、ノルマのない営業、極限の商品を追求し つづけるプロダクトマネジャー制、物流システム構築後の情報システム化への巨大投資、 中間管理職の大幅削減、花王の強さとその歴史をあげればきりがない。しかし、花王の本 当の強さは自分の体で計り知ること以外は信じない、身の丈以上のこと、以下のことはし ないというデカルト体質の徹底だと思う。新しいシーズを製品化しその機能をマス広告で 徹底し、配荷率、店頭化率、店頭回転率を情報を統合して最大にしていくという接点は新 しいものではない。しかし、その効率低下への敏感な反応の原因を究明する力とその解決 への集中は 100 年の重みがある。 ここにあげた2社の接点構築の特徴は三つある。再構築への三つの手がかりである。 第一は、編集力ということである。商品は単体ではその魅力を失っている。マヨネーズ がいい例である。マヨネーズと顧客の出会い方は無数にある。サラダとして、弁当として、 おかきとして、数えたら無数にある。しかし、自分で調理するマヨネーズという接点は減 少している。買い手に価値としてもらえるだけの編集力が必要である。 別の言い方をすれば、買い手にどんな選択の手がかりを提供するか、でもある。ビール 業界は、ビンと缶を、キリンビールとそれ以外を、長い間提示してきた。顧客がそれ以外 の手がかりを拒否してきたからでもある。続いて、生とラガーになった。昨年、ドライが 新しいビールカテゴリーとして提示された。ビール業界は史上最高の広告宣伝費を投下す copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 32 M NEXT る。その本質的な競争は、カジノマーケティングの様相のある広告宣伝ではなく、カテゴ リー争いにある。編集力とは、顧客にカテゴリーとして商品を提供できる力である。 第二は、統合力ということである。 円高という環境が続いている。NIESとの水平分業関係を拡大しなければならない。 「地球的視野で考え、地球的次元で行動する」(西川潤)ことをせまられる世界経済の変動期 である。接点として対応していくためには、地球的規模の垂直、水平を含む機能統合が必 要になっている。なぜなら、顧客の接点願望はもともと統合的なものだからである。キユ ーピーの統合の鍵は物流にある。花王の統合力は情報システムと情報共有から生まれてい る。どちらも、これまでのマーケティングの枠を越えた解決領域である。顧客の接点願望 もそうなっている。 第三は、完結力ということである。今西錦司はよく「種社会」の「完結性」という。ひ とつひとつの種は種社会の不可欠な要素としてシステムとして組み込まれている、という ような意味である。 接点も種と同じである。 いくらユニークな新製品を出しても、いくら業態開発をすすめても、いくら接点を構成 する要素を革新してもなかなか成果があがらない。この原因の多くはビジネスシステムと しての完結性をもっていないことによる。その結果は、流通在庫、顧客対応力の低下とい った形で現れてくる。パイオニアは製品事業部に営業事業部制を導入して完結したビジネ スシステムを構築している。松下電器は工場を中心にした製品別事業部制に顧客別営業組 織を導入し、新しい顧客対応力の実験に入っている。 キユーピー、花王はビジネスシステムとしての完結性を極限まで追求する凄さ、言いか えればそれしかしない不器用さをもっている。 接点再構築に必要なひとつの力、編集力、統合力、完結力は戦略問題であると同時に組 織運営問題である。 最後にひとつつけ加えたい。 西田幾多郎が見直されている。岩波の全集刊行が契機である。今はビジネス界を問わず、 どんなプロもその領域で苦しんでいる。それが正解だ。では、なぜあの社会性の欠如した 哲学が注目されるのだろうか。ふたつある。ひとつは中村雄二郎のように感性の空間的な 構造、すなわち、「場」というものに手がかりを求めるということかもしれない。もうひと つは、「自覚的直感」ということのような気がする。 「接点」というコンセプトは水口健次の手になるものである。 なぜ、接点なのか、と聞かれると水口の自覚的直感というのが一番正直な返事である。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 33 M NEXT V.企業進化 1.古い会社と別れる理由 CIやそれにともなう意識改革が盛んに行われている。もう一方で、組織改革も頻繁に 実施されている。 このふたつは同じようで違う。 一方は、会社を変えるのに心から始めようとしている。もう一方は物質的なものから始 めようとしている。会社の変革の唯心論的アプローチと唯物論的アプローチである。前者 は、「意識が変わらないと何も始まらない」と言う。後者は、「心で会社が変わるなら世の 中平和でいい」と揶揄する。 心情的には、軟派な心を変えるアプローチよりも男らしく「組織だ!組織を変えろ!」 と言いたいが、よくよく考えてみるとそう感情でことがすむ様子でもない。筋道がいるよ うである。 もともと会社を変えろというのは物騒な話で、窓際でゆっくり趣味の生活をしたい人に とっては迷惑な話である。国家の政権が社会主義になろうが、資本主義になろうが、日常 の生活に何の差し障りもない。中国も日本もアジア的な生活のリズムというものはそうだ った。日本の会社もそんなリズムで運営してきた。だから、天皇制が 2000 年もの長い歴史 に耐えてきたのであり、アメリカ人やヨーロッパ人には真似できない奇妙な企業組織がで きたのである。田畑が工場にかわり、稲の代わりに商品を耕し、村長の代わりに工場長、 事業部長がいて、神か仏かと崇め奉られる社長がいる。 世界を代表する松下電器も、花王もそうだ。 それを変えようというのだから一筋縄ではいかない。 なぜ、そんなたいそうなことを変えなければならないのか、から始めてみる。 日本の企業が恐竜になってしまったからである。生物進化のなかで恐竜時代があったこ とはよく知られている。しかし、なぜ恐竜が絶滅したかはいまだ謎である。氷河期がきて、 その環境に適応できなかった、というのが一般的な説明である。自然淘汰である。隕石が 落ちて、という説もある。本当のことはわからない。 恐竜は適応戦略をもたなかったんじゃないか。唐突だが、そう思ったのである。生物学 では、今戦略という言葉を多用する。その影響もあるがそう思うのである。恐竜は激変し た環境に適応する戦略を構築できるだけの体質と能力をもちあわせていなかったのではな いか。 体重が重くなりすぎたり、あまり頭を使わなくてすんだり、生物の王者になったものだ から、あれよ、あれよ、と子孫を残す暇もなく生物世界から姿を消したのではないか。分 子レベルから遺伝子の中立説や適応速度で説明されるより、現実の実感に近寄ってそう思 っているのである。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 34 M NEXT 同じではないか。日本企業は、戦略もないのにでかくなった。ところが、世の中が大き く変わりはじめた。市場も、技術も、ほとんどすべてのものが、領域が変わりはじめた。 オイルショック以後だと言う人もいる。それより前だという人もいる。資本取引がカジノ になり、日本酒を日本の米でつくるのが難しくなったという認識を誰もが話題にする時代 になった。芸能番組とテレビドラマが衰退し、ニュース全盛のいまならどこかの局でたど たどしい日本語を喋る女性キャスターが時代の変化を伝えているに違いない。 日本企業は世界の恐竜になった。 恐竜になって、今、変わらないと化石になってしまう。そこで変わろうとしているのが 今である。ところが、図体が大きくて頭でわかっていても体がいうことをきかない。体で 感じていても頭が動かない。アメリカの名医を呼んで、めっぽう高い治療費をはらっても いっこうに変わらない。治療費が嵩むだけだ。 さて、ここが焦点である。どこにメスをいれるかである。 2.優れた経営へのメス 優れた経営にはいろんな要素がある 図表5-1.七つの要素 と言われている。 パスカル=エイソスは七つの要素を 戦略 (Strategy) ある一定の目標を達成するために立て られる、企業の限られた財的・人的資 源の配分を目的とした一定期間の計画 ないし行動方針。 機構 (Structure) 組織のしくみの特徴(機能的である、 分権化している、など)。 システム (System) 一定の報告パターンおよび会議形式の ようなルーティンな方法。 スタッフ (Staff) 企業内の人員を重要な職種・特質別に 分類・配分すること(たとえばエンジ ニア、企業家型、管理のプロなど)。 ライン対スタッフといった意味あいで はない。 あげている。戦略、組織構造、システム、 スタッフ、経営スタイル、経営スキル、 企業理念である(図表5-1)。 経営というのは、さまざまな要素をも っている。特に、業績の良い企業はその さまざまな要素のどれかひとつが優れ ているというのではなく、それがうまく 統合されているのだ、ということである。 経営スタイル アメリカ人のみた松下電器評でもある。 (Style) そして、それらは世界共通だという。 世界共通だ、といわれると日本人は弱 い。何か、言うことを聞かないと、浦賀 の黒船から大砲を打たれるような気が 経営スキル (Skills) 経営幹部が組織の目標をどのように達 成するかという特徴、およびその組織 の文化的特質。 経営の中心人物ないし企業全体のもつ 顕著な能力。 上位目標 組織がその構成員に植えつける理念あ (Superordinate るいは指標となるような概念。 Goals) する。 恐竜という企業を変えようとする時、この七つの要素のどれからメスをいれるのがいい のだろうか。 ここ2~3年の議論の主流はこの七つのうちのスキル、スタッフ、スタイル、企業理念 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 35 M NEXT といういわば優れた経営のソフトの部分に力を入れようという議論だった。花王の「清潔 な国民は栄える」、NECの「C&C」、西武セゾングループの「市民文化産業」等が、ド メインの議論とともによくあげられた。抽象的で多義的、何のことを言っているのかわか らない、のがよい。社員が難題にぶつかった時に、聖書の言葉のように啓示をあたえるの だ、といわれた。ニューアカデミズムの尻馬に乗ったひとは、社員をダブルバインド(二重 拘束)の状況において、合理的には解決できない課題を解決させるのだ、とも指摘した。 まあ、とにかく、経営のソフトブームだった。その議論はメスを企業の精神面にいれる ことを推奨した。企業文化である。日本という国を考えても、文化の程度が問題にされる のに、企業に文化があるというのは驚きだった。日本の古典文化だと思われていた短歌が、 フランス帰りの桑原武夫に「第二芸術」だとののしられたのを知って議論しているのか、 と思うほど大胆だった。印刷屋が企業文化とCIを売りものにしはじめた。 その点、本場アメリカの「戦略コンサルタント」は、 「一流」だから「顔が大きい分だけ」 そんなやわなことは言わない。一貫して、日本人のコンプレックスをついてくる。ヨット、 別荘、プール、もってるかと、「日本人貧乏人」説で世間を脅しながら組織変えなきゃ変わ らない、戦略つくらなくちゃどうしようもない、と主張しつづけた。経営のハードからの 変革である。 日本企業の組織というのは、東京の 図表5-2.経営のソフトとハード 街と同じで計画があって整備された ものではない。いわば、木や森、山や 川と同じように自然の生態系に委ね スタッフ 上位目標 スキル スタイル られてつくられているし、そのように 受け入れられている。だから、人事は あっても組織開発の専門家は日本に 機構 システム は少ない。しかも、戦略の上でとなる とたいへん心もとない。花王の二代目 戦略 長瀬富郎のように、エレベーターで会 って社長の気にくわなかった点があったので配置転換になったという逸話が示すように、 社長の庭いじり的な要素が強い、のが実際である。もちろん、立派なところもある。だか らいざとなると、たいへん苦労する。 さてどちらが本当だろう(図表5-2)。 その前に、少しだけ理論的な準備をしてみる。付き合ってほしい。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 36 M NEXT 3.恐竜企業への進化 近代の企業とそれ以前の企業とを分かつものはふたつあると、A・D・チャンドラーは 指摘している。ひとつは、多数の現業事業単位と複数の職能をもっていること。もうひと つは、経営の階層組織をもっていることである。 そのことによって、大量生産と大量流通を統合でき、これほどまでの巨大企業が生まれ たのである。その前提条件が 1850~1880 年頃に完成した鉄道と通信網の整備であり、その 組織編成の原理が職能別組織と事業部制組織である。近代、アメリカが生んだ最大の超技 術は、科学技術の分野ではなく、このふたつの組織編成の技術である、とまで言い切って いるようである。 もうひとつ、デュポン、GM、スタンダード石油、シアーズロバックの4社の組織発展 の経緯から、 「組織構造は戦略に従う」という有名な宿命を導きだしている。 原材料、生産、卸売、小売という機能 図表5-3.取引の内部化と垂直統合 が、市場のなかで別々に活躍している現 現代企業以前 現代企業 代企業以前の時代がある。その市場では 多数の無数の取引が行われている。その うち、1回ごとの取引の累積では非効率 になり、生産が原材料を、卸売を、企業 の内部に取り込みはじめる。垂直統合の 戦略である。その結果、企業の内部には 小 売 卸 売 生 産 原材料 小 売 卸 売 が必要になる。それが職能別組織である。 生 産 職能を、企業の内部に取り込む組織編成 原材料 生産と卸売というようにそれぞれ違う 1900~1950 年頃と言われている(図表 5-3)。 さらなる成長を維持するために既存の事業から新たな事業への多角化が必要になってく る。多角化戦略の組織である。それを受け入れるには、これまでの職能別の組織では同じ 工場で違う製品をつくるという状態が生まれてくる。1922 年頃のデュポンとGMである。 松下では、電池を違う工場で作り始めたころである。その時、事業部制組織が生まれた。 アメリカ、ヨーロッパでは急速にこの制度が導入されはじめた。1950 年以降その流れは続 いている(図表5-4)。その結果、現在、われわれはふたつの組織編成の原理を手にするこ とになっている(図表5-5)。 図表5-4-1.組織形態の分布 組織形態 (1963) (1968) (1973) 昭和38年 昭和43年 昭和48年 職 能 別 (F) 66社 (55.9%) 54社 (45.8%) 48社 (40.7%) 一部事業部制 (F+D) 18社 (15.3%) 24社 (20.3%) 21社 (17.8%) 事 業 部 制 (D) 34社 (28.8%) 40社 (33.9%) 49社 (41.5%) copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 37 M NEXT 図表5-4-2.欧米企業における組織形態の推移 A. 米国 (1959~1969年) F 職能別組織 (F) 一部事業部制 (F+D) 27.3(%) 3.9 製品別事業部制 (Dp) 地域別事業部制 (Dg) 持株会社制 (H) 1.2 0.0 0.0 11.2 1969年(%) F+D Dp Dg H 8.9 48.7 62.1 43.6 1.8 3.9 0.0 0.0 36.3 12.6 0.0 0.0 0.0 9.4 98.8 61.7 100.0 75.5 0.0 38.3 0.0 1.5 0.0 0.0 0.0 2.4 47.6 2.1 1.4 1959年(%) 100.0 B. イギリス (1960~1970年) 職能別組織 (F) 持株会社制 (H) 事業部制 (D) 1970年合計 F H D 1960年合計 6(社) 2 0 8 8 12 0 20 9 27 32 68 23 41 32 96 C. 西ドイツ (1960~1970年) 職能別組織 (F) 職能別+持株会社制 (F+H) 持株会社制 (H) 事業部制 (D) 1970年合計 F F+H H D 1960年合計 15(社) 4 0 0 19 3 14 1 0 18 1 3 8 0 12 4 28 3 15 50 23 49 12 15 99 F F+H H D 1960年合計 9 9 2 0 1 2 9 0 8 18 7 21 32 29 18 21 20 12 54 100 D. フランス (1960~1970年) 職能別組織 (F) 職能別+持株会社制 (F+H) 持株会社制 (H) 事業部制 (D) 1970年合計 14(社) 0 0 0 14 E. イタリア (1960~1970年) 職能別組織 (F) 持株会社制 (H) 事業部制 (D) 1970年合計 F H D 1960年合計 35(社) 1 0 36 2 14 0 16 21 10 17 48 58 25 17 100 その延長線上にマトリックス組織や戦略事業単位(Strategic Business Unit)が開発導入 された。基本の原理はふたつである。 日本企業が恐竜にまで進化するには、こんな背景が原理的にはあったと考えてもよい、 と思う。 企業は自己の成長という目的のために、新しい環境に適応しながら、新しい戦略を採る。 その戦略が企業を革新していく。その中心が組織原理である。いわば、生物の骨格である。 現在、直面しているのは、このふたつの骨格では新しい環境とその食欲(成長)に対応でき ない、ということである。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 38 M NEXT 環境がある。その環境の認識から戦略が生まれる。戦略が組織をつくる。この図式が本 筋のパラダイムである。環境-戦略-組織-収益図式である。このパラダイムにたてば、 当然、戦略の構築が第一義的な意味をもつ。 この図式をひっくり返した議論がある。いい組織がいい戦略をつくるのだ、という。そ の組織の背後には、いい企業文化があるのだという説明である。企業文化-組織-戦略- 収益図式である。このパラダイムにたてば、当然、企業文化の変革が第一義的な意味をも つ。 最初の課題に決着をつけるのに必要なツールが全部揃った。 図表5-5.ふたつの近代組織 職能別部門組織 社長 研究開発 資材 経理 工場 営業部 人事 企画 人事 企画 製品別事業部制組織 社長 研究開発 資材 経理 A事業部 研究 B事業部 資材 経理 工場 営業部 企画 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 39 M NEXT 4.忘れられていること マーケティングを実務にしている人なら、これらの議論で忘れられていることがあるの にすぐ気づくだろう。この議論には、マーケティングの議論が、顧客の議論がないのであ る。図式から抜けおちている。環境の中に埋没している。エクセレントカンパニーの基準 は次々に変わっている。分析対象によっても、分析主体によっても変わる。もし、これら の基準の中から共通の原理を導き出す分析をしたら、おそらくその第1に挙がってくるの は、顧客志向ということだろう。農産物の自由化で農協と農家までが「マーケティングを!」 という時代に、顧客が忘れられている。 結局、環境-戦略-組織-収益図式にも、企業文化-組織-戦略-収益図式にも顧客が 抜けている。 恐竜のようになった企業を、心から、組織からという前に、顧客理解をやり直す必要が あるのではないだろうか。経営のソフトとハードの接点は再顧客理解である。 そういえるようになったのは、マーケティングが企業戦略にまで到達できる幅をもつよ うになったからである。もうマーケティングは、製品、流通チャネル、価格、宣伝コミュ ニケーションを決めるだけの仕事ではない。物流、情報システム、技術、生産が組み込ま れていないようなマーケティングではなんの成果も生まれない。実際の現場ではこの四つ の機能さえも仕事上は分化されている。しかし、顧客からみるとしっかり価値として統合 されているのである。 もうひとつの理由は、企業戦略の公式的手法や、モデルがまったく通用しなくなったこ とである。 ポートフォリオ分析、累積経験曲線、PIMS、プロダクト・ライフサイクル論、どれ もこれも舶来ブランドのような有難みはなくなった。 独創的な戦略は手法に頼る訳にはいかないということがはっきりしてきたのである。そ の分、戦略発想が自由にしかもダイナミックにできるのは顧客理解である。 伊丹敬之は、優れた戦略には論理があるという。もっと言えば、そこには、独創的な顧 客理解が、冷静な冷たい分析をこえて美しく存在するように思う。 その顧客理解が行き詰まっているのが、現在であり、行き詰まっているから手が打てな いのである。そのことを捨てて、企業の心を変えろ、組織を変えろ、というのは恐竜絶滅 への道である。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 40 M NEXT 5.企業革新への道 企業を変えるのに、心からか、組織からか、という「哲学的アポリア」を二元論で、ど ちらも大切だが、もっと大切なものがあるよと指摘してみた。じゃあ、このふたつをどう 接着するかを考えてみる。材料は、失敗例である。 A社は日本を代表する家電メーカーとする。そこそこのブランドもあるし、系列店もあ る。技術もあるし、海外進出もすすんでいる。しかし、長期的にみたら、物流費ばかりか さむ家電だけを売っているわけにはいかない。公社体質のNECさえ企業革新を遂げてい るのだからCIを導入する。新しい企業の心が欲しかったのである。 導入1年、相変わらず現場では同じ間違い、同じミスがくりかえされる。マークや会社 が綺麗になった分だけ虚しい。人間は目新しさだけでは長持ちしない。思い切って、若手 だけで作らせた新製品は在庫の山。押し込み販売が続く。チャネルのことも、顧客のこと も、予算の前では何の意味もない。花王の佐川副社長(現会長)の「商品はその力どおり売れ ればいい。それ以上、セールスが売ったら嘘になる」という言葉がつらい。皆、よく働く が、展望がなくなってきた。期待した新人類もただの人だった。 もう内部だけではだめだ。どこかが間違っている。だれもがわかっている。戦略構築か らやり直そう。外資系のABCにお願いにいく。社長にしか会ってくれない。社長を説得 してやっとプロジェクトが始まる。名医は高い。 頭の切れそうなコンサルタントがやってきて社内に陣取る。やることは、ポートフォリ オばかりでおもしろくない。やっぱり、人間のやることはしれている。しかし、プレゼン テーションはうまい。誰もが願っていたことを、たいそうに助言してくれた。 さて、戦略もできた。実施の段階だ。現場に行くと、あの単純で分かり易い戦略はなに も答えをくれない。顧客が見えない。 自分たちでマーケティング戦略をつくることにした。いざすすめてみると、CIで作っ たパッケージが邪魔になる。ブランド戦略のことなど印刷屋にわかるはずがなかった。 新製品の投入。失敗。多様化した新製品が流通在庫として営業利益を圧迫しはじめた。 社内が深刻になりはじめた。 よし組織を変えよう。人身一新だ。 架空のそして本当の怖い話である。 なにが間違いだったのだろうか。 企業の心の部分、戦略、顧客理解、組織変更、どれも何の連結もされないまま努力して いることに問題があるのではないだろうか。 どう連結されるべきなのか。なんのために企業を変えるのか。モデルを作ってみる。 企業を変えるのはひとりひとりの企業の社員の活動を変えるためである。社員の活動の 総和が企業が作りだす成果である。それ以上でも、それ以下でもない。 その活動とは、M・E・ポーターによれば、九つある。サービス、販売・マーケティン copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 41 M NEXT グ、出荷物流、製造、購買物流、調達活 図表5-6.九つの企業活動 動、技術開発、人事労務、全般管理のそ この活動を担っているひとりひとり の活動が変わらねばならない。 全般管理(インフラストラクチュア) 支援活動 れぞれである(図表5-6)。 人事・労務管理 企業活動に影響を与えるのが、ドメイ 調達活動 織構造であり経営システムという優れ サービス をもっている。それが、戦略であり、組 出荷物流 しかし、ドメインはもっと具体的な側面 製 造 購買物流 抽象的な側面ばかりが強調されてきた。 販売・マーケティング ン(自己規定)である。従来、ドメインは マ ー ジ ン 技術開発 た経営のハードな要素である。 NECのC&Cは現在の顧客理解と 技術進化のうえで、抽象的なシンボルと 主活動 図表5-7.企業活動のプロセスモデル して提示されたものである。しかし、そ ドメイン定義(DD) れが、具体化されるためには、戦略とし て、組織構造として反映されなければ言 業領域運営(Domain Navigation, 略D N)」と呼んで整理している。これが、 企業の心と組織、そして顧客理解を結ぶ 企業の成果 定(Domain Definition, 略DD)」と「事 個人の活動 J・ブルジュがこのことを「事業領域規 企業活動 推進の側面をもっているのである。L・ 顧客理解 葉のままで終わってしまう。ドメインは 企業理念 経営スタイル 経営スタッフ 経営スキル 戦略 組織構造 経営システム ドメイン推進(DN) 接点である。このつながりのうえで、業界内で新たな競争優位を創造するための活動が連 動され、はじめて成果に結びつく(図表5-7)。 3年の仕事である。 企業革新の数多くの失敗は、このモデルからみると、これらの要素の連結を無視してい るようにみえる。吟味していただきたい点である。 6.未来の恐竜 将来、どんな恐竜になればいいのだろうか。いま、いろいろな文献をあたってみると四 つぐらいのイメージが提示されているようだ。恐竜のおのが姿である。事業部制、職能制 に代わる第3のイメージである。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 42 M NEXT ひとつは、分社制である。日本の事業部制は非常に自立性が低い。自立するためには、 ビジネスシステムが完結するよう、R&D、製造、販売が一体となっていなければならな い。 HOYAはこの意味でもっとも自立性の高い事業部制である。 ふたつめのイメージは、ネットワーク組織である。一企業という枠に囚われず、買い手 と売り手の間を、いろんな組織を編集しながら、イノベーションを生みだしていく組織で ある。 三つめは、グローバル組織である。 地球規模で、垂直統合と多角化、現地化(ローカル化)を進める企業である。 工場を現地化しても採算がとれないことがわかっていても進めざるをえない企業の未来 の姿だ。 四つめは自己組織化企業である。 市場の多様化には、組織の多様性を増すしかない。という、アシュビーの理屈からスタ ートした研究は、市場の多様化には「現場」が自律的に革新を生み出していくような連続 運動が必要だと説いている。3Mである。毛沢東の継続革命である。 話としては分かる。しかし、毛沢東の実践論・矛盾論がどれだけミィーチン流の擬弁証 法で満ちているか、本当にこの人たちはわかっているのだろうか。日本の経営学の「四人 組」にならないよう祈るだけである。 さてこの四つのイメージ、あなたはどのイメージをもって恐竜絶滅を乗り越えますか。 VI.戦略事例と論理(1) 1.戦略空間と進化 これまで、いろんな事を議論してきた。大きくは、四つの領域と空間について、われわ れの見方を提示した。進化する顧客、顧客と商品の出会い方(接点)、技術を越えた提供技術 の進化、そして企業の進化である。 この上で議論すべきは、多次元接点戦略とは、一体どういう内容の論理構造をもつかと いうことである。 ここで、われわれの議論を歴史的な実践のもとで整理してみようと思う。 事例は、花王である。選択の理由はいうまでもない。今、だれもが認めるエクセレント カンパニーであるからである。 事例は、昭和 40 年、高度成長の真只中からはじまる。事実に耳を傾けてみる。解説はし ない。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 43 M NEXT 2.ゆるぎなき実績 昭和 40 年、花王石鹸は売上高 328 億円、経常利益 13 億 5,000 万円という実績をあげた。 昭和 41 年の洗剤のシェアは、花王石鹸 36%、ライオン油脂 24%という地位であった。 戦後、経済民主化が叫ばれ、財閥解体が始まると二代目長瀬富郎社長は自らの手で花王 を三つの会社に分割・独立させた。販売を扱う花王、石鹸製造を中心とする大日本油脂、 そして和歌山工場、酒田工場を擁する日本有機の3社であった。日本有機の社長は、初代 富郎の弟・祐三郎の女婿である伊藤英三であった。伊藤は長瀬一族ではあるが、いつも貧 乏くじをひかされる一族であった。今回もそうであった。和歌山工場は本業の石鹸を製造 するのではなく、戦中は、軍の管理する潤滑油工場であり、富郎の反対を伊藤が丸田芳郎 等の若手研究者の熱意に負けて、説得し完成したものであった。戦後の見通しが最もつき にくい工場であった。 こうして、戦後がスタートした。しかし、経営はうまくいかなかった。原料から製品、 流通まで、すべて統制にあり、給料の遅配、欠配が続き、組合運動が盛んになったのであ る。幾度も経営危機がつづき、日本有機との合併もうまくいかず、富郎は、外部に再建を まかせることになる。このころ、伊藤の大日本油脂は、花王油脂へと社名変更し、合成洗 剤への参入によって、ようやく立ち直りつつあった。本体は、元旭電化の社長、磯部愉一 郎にゆだねられたが、120 日に及ぶ大争議の上、昭和 29 年8月、花王石鹸と花王油脂は合 併して花王石鹸となった。社長となったのは、再び外部から福島正雄(経団連事務局長)が迎 えられ、伊藤は副社長、丸田は平取締役営業支配人にとどまった。この福島体制のもとで、 花王は、戦後の基盤を形成することになる。福島の口癖は、「伊藤副社長はどう思うか」で あった。専門的なこと、社内のことは伊藤を信じてまかせていた。 新体制から約 10 年、花王石鹸は着実にしかも急速に成長していった。花王は、ゆるぎな きトップの座を確立し、成長への新たな出発に立っていた。 3.実績を支えた背景 花王石鹸は、その名のとおり、石鹸、とりわけ、化粧石鹸の製造が本業である。とりわ け、「花王石鹸」「花王シャンプー」は、石鹸あるいはシャンプーの代名詞となっていた。 これは、明治 23 年発表、桐箱3個入 35 銭の「花王石鹸」以来の大量広告の成果であった。 この間、一貫して花王は「品質本位」「清浄衛生」を訴求し、当時の世相にあわせながら、 花王のブランドを浸透させていた。戦後、この遺産は、石鹸の統制による配給と消費者の 変化によって予想以上に目減りしていた。統制が解除された昭和 25 年以降も、以前の顧客 はもどってこなかった。花王本社は甘く見ていた。本業からの脱皮が必要となっていた。 とくに、事業領域の拡大が必要だったのは、伊藤と丸田の大日本油脂であった。手っ取り copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 44 M NEXT 早いところでは、冷凍機を動かして、アイスキャンディをつくり、自転車に付けて売り歩 いた。廃油から簡易ローソクを作り、材木の残りで建具を作った。海水をひいて塩を作る。 資材の残りをかき集め、クリーム、白髪染めから殺虫剤まで作った。土地を耕して、イモ やカボチャを作り、そのカボチャにズルチンをまぜ、カボチャジャムなるものを売り出し た。新製品としては、ようやく低単位ながらペニシリンをつくれるようになり、大いに希 望をつないだが、生産を開始して間もなく火事に遭い、ペニシリン工場は全焼してしまっ た。東京の本社でも、統制品でないクリーム、ポマードなども作り始めたが、本社を通じ ての売れ行きは、はかばかしくなかった。石鹸では、ミツワ石鹸、資生堂石鹸、牛乳石鹸 などに追いつかれ、守勢に立たされていた。 昭和 25 年、伊藤は丸田に言った。 「アメリカに行って来なさい」。丸田は行きたかったが、 会社が危機のときに、そんな余裕がない。「折角ですが、いまは会社が潰れるかどうかのと きですから」 。伊藤は、うなずいて「帰って来たら会社がなくなってるかも知れんな。しか し、それでもいいから行ってくるんだ」。こうしてハワイで、丸田はサンプリング中の合成 洗剤「TIDE」を見つけた。丸田はハワイからサンプルを送り、分析させた。昭和 26 年 3月帰国早々、熱海で緊急幹部会が開かれた。メンバーは伊藤社長以下の幹部達であった。 議題は合成洗剤に参入できるかどうか、すべきかどうかの意思決定だった。技術的には、 丸田のすすめてきた、脂肪酸の高圧水素反応によって動植物性油脂から石油系オレフィン を合成するという技術の蓄積によって、合成洗剤の製造工程に不可欠な高圧技術をもって いた。戦時中、軍の管理下にあったときの、工場爆発の経験から花王は多くのことを学ん でいた。 この技術の存在によって、花王は、石鹸と合成洗剤という不連続な技術進化を達成でき る基盤をもっていた。 洗剤事業の競争相手であるライオン油脂が、合成洗剤の調査を始めるのが、昭和 28 年で あった。 問題は需要と業界だった。当時、日本では、洗濯とは粗製の洗濯石鹸で手でごしごしと 洗う時代であった。日本で、電気洗濯機の普及率が 30%を越えるのが、昭和 34 年、約 10 年後である。家事の合理化という点では、戦後性ということからも相当遅れていた。 当時の洗濯石鹸業界は、石鹸が粗製ですむことから、多数の業者が乱入し、問屋がチャ ネルリーダーシップをもち、業者の価格競争が行われていた。 花王は、こうしたなかで、昭和9年、舞い立って目や鼻を痛めず、水にとけやすい「ビ ーズ」を発売し、ある程度の顧客はもっていた。 幹部会の結論は決行であった。「花王紛せんたく」「Soapless Soap」として、昭和 26 年 9月、花王の合成洗剤は、わずか、10 ヶ月の間に開発された。一袋 50 円の赤い「花王粉せ んたく」が 50 万個サンプリングされた。また粉石鹸と「粉せんたく」の比較実物教育がな された。東芝、松下、三菱などの洗濯機メーカーも、販促として大量に購入した。 合成洗剤は、品質面では石鹸に対して次のような特徴をもっていた。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 45 M NEXT 硬水でも洗浄力を発揮し石鹸カスを生じない いわゆる石鹸ヤケをおこすことが少なく、異臭を残さない 低温でも洗浄力が残り衰えない 簡単にすすぎができる 実物教育でも、これらの特徴が訴求された。しかし、売上げは、伸びなかった。昭和 28 年、マスコミによる大量宣伝を意思決定した。宣伝費は、住友銀行から融資をうけた。「合 成洗剤は必ず売れる」という確信があった。執拗な宣伝は、初代長瀬富郎の信念でもあっ た。「良い物は、その良さが知られねばならない、知られて広く買われてこそ、良い物が良 い物として生きる」。 輸入原料を加えて、洗浄力をあげ、これを機にネーミングを、新聞広告で公募した。 ネーミングは「ワンダフル」となった。「花王粉せんたく」という石鹸との近さを協調せ ず、「ワンダフル」にした。ラジオメディアが使われ、番組を提供することになった。五九 童・蝶子主演、長沖一作「ワンダフルばあちゃん」である。これが、合成洗剤の導入に最 も遅れていた関西でうけた。聴取率が第1位になった。 昭和 27 年の洗濯機生産台数は、15,117 台、それがワンダフルに改名したときの生産台数 は約7倍の 104,679 台になった。合成洗剤がもっともうまく作用する噴流式洗濯機が急速 に売れ、各家庭に入りはじめた。 戦後、三分割された企業のうち、もっとも貧乏くじをひかされた伊藤と丸田の大日本油 脂が軌道に乗りはじめた。 翌年、花王石鹸と大日本油脂は合併された。伊藤、丸田は、これには反対だった。東京 の経営は軌道に乗っていなかったし、借金をかかえていたからである。三分割のとき反対 した丸田には感情的なしこりもあった。東京側の借金は7億、内訳は 85%が問屋の融資手 形、残りが銀行であった。住友銀行は、合併には反対し、日銀は賛成であった。 福島体制は、起死回生の借金からスタートした。2億 2,000 万円の借金をした。売上げ は、半期 15 億円を目標にした。日銀はせいぜい 12 億とみていた。社内は、真剣そのもの という空気がただよっていた。2億 2,000 万円の投資は、合成洗剤の和歌山工場に向けら れた。現実には、15 億 9,000 万円が達成された。 福島は、3年後に売上倍増の目標を出した。この目標のもとで、社内は動き始めた。す べてのシーズと関連商品が点検され、昭和7年の発売以来、髪洗いの代名詞となっていた 石鹸質シャンプーがあった。石鹸質は弱いアルカリであり、毛はアルカリに弱く、縮む性 質がある、そのため、毛糸洗いには中性洗剤が用いられる。アメリカでは、シャンプーに、 すでに中性洗剤が用いられていた。花王はここを狙った。合成洗剤と同様、高級アルコー ル技術から中性シャンプーを作った。ここでも、花王の基礎技術の戦前からの蓄積が生か され、昭和 30 年、アルミホイル袋入りで発売された。「花王フェザーシャンプー」の登場 であった。キャッチフレーズは、「ムチャです、大切な髪を石鹸や洗剤で洗うのは……」で copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 46 M NEXT あった。売上はぐんぐん伸び、シェアは 80%を占めるにいたった、次に、ターゲットは男 性に向けられた。昭和 38 年、東京工場のフェザー工場が完成した。3年間で倍増という売 上目標は達成された。負債も2年半で返却され、設備投資は利益積みたて金によってまか なわれるようになった。昭和 43 年5月、福島は会長に退き、伊藤が社長となったこの約 10 年間の間に花王は、洗剤と香粧品の分野で事業を拡大し、石鹸から衣食住の暮らしの洗剤 ラインを完成していった。 図表6-1.合成洗剤の製造と工程 硫酸ニッケル 〔仕込槽〕 〔粉砕機〕 カセイソーダ 原油 〔貯槽〕 〔圧縮機〕 (水素タンク) 活性白土 〔精製槽〕 硫酸 (オートクレープ) 触媒 〔漂白槽〕 〔硬化槽〕 水素 硬 化 油 活性白土 〔分解槽〕 〔洗浄槽〕 〔漂白槽〕 〔蒸留機〕 脂肪酸 蒸留脂肪酸 活性炭素 工 業塩 カセイソーダ リスリン水 〔真空蒸発かん〕 〔真空乾燥機〕 (連続冷却押出機) 〔塩析機〕 〔精製槽〕 化粧石鹸 〔型打機〕 洗濯石鹸 〔粉砕機〕 粉末石鹸 〔混和槽〕 〔自動充填機〕 液状石鹸 〔噴霧乾燥塔〕 〔自動包装機〕 合成洗剤 〔切断機〕 〔攪拌機〕 〔調整機〕 〔冷却ロール〕 〔連続反応装置〕 カセイソーダ 〔型打機〕 〔押出機〕 高級アルコール アルキルベンゼン グリセリン 香料・色素 リスリン水 〔鹸化がま〕 〔漂白槽〕 〔蒸留機〕 食用硬化油 活性白土 〔中和槽〕 〔洗浄槽〕 〔漂白槽〕 〔連続脱臭槽〕 ショートニング ラ ー ド 家庭用・業務用 マーガリン 4.浮上した問題点 昭和 40 年、花王は戦後の危機から完全に脱出した。しかし、花王の基礎をゆるがすいく つかの変化が起こっていた。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 47 M NEXT 流通構造の変化 昭和 33 年 12 月、 「主婦の店ダイエー」が開店した。チェーンオペレーションとバイイン グパワーを武器に、スーパーマーケットが流通のなかで大きなウエイトを占めてきた。 外貨の自由化 日米貿易交渉によって、資本の自由化がスケジュール化され始め、石鹸・洗剤、カラーフ ィルム、タイヤが目玉業種とされていた。これによって、石鹸・洗剤業界のビッグスリー といわれたP&G、コルゲート・パーモリーフ、ユニリーバの参入が現実の問題となって いた。 物流コストの圧力 自動車が普及しはじめていた。そのスピードは道路整備を上回り道路混雑は深刻化してい た。この間、輸送も、国鉄輸送からトラック輸送へ切り替っていた。このことから、花王 の物流効率は、時間でも、費用でも、深刻な問題となっていた。 結局、これらの問題は、花王の販売の 図表6-2.洗剤の流通経路 問題に根本的な変革をせまっていた。こ れまで、花王の流通は、一次卸を通じて、 約 30 万店という小売店に商品を販売し A社 (A店) (B店) (C店) 代理店 特約店 特定 卸店 (約700) ていた。卸の業態は、日本特有の日用品 (約1,500) (約1,800) 雑貨卸売業をメインにしていた。小売店 図表6-3.仕切価格制度 の数は、当時約 30 万店であった。 こうした複雑な流通構造になったの 生産者 使用するという商品特性にあった。つま り、できるだけ広く、消費者との接触を もつことが戦略上の重要な鍵になった。 このことから、業態を問わず無差別的に 配荷率をあげていく必要があった。もう 1次卸 (82) は、石鹸、洗剤は日用品であり、誰もが 小売店 小売 業者 2次卸 (82) (82) (消費者) (100) 注: ( )内の数値は小売り価格を100とした場合の 各流通段階での販売価格を指す。 図表6-4.リベートの種類と仕組み リベートの 種類 仕組み 基本リベート 仕入れ金額×α% 営業 平均 8~9% ひとつの理由は、石鹸が統制品となり、 現金リベート (仕入れ金額-即時リベート)×α% 2.5~3% クーポンが配布されていたことによる。 数量リベート 仕入れ金額×α% よって、消費者は小売店になることがで 期間仕入れ金額×α% 感謝金 大口取引 奨励リベート 仕入れ金額×α% き、小売店のクーポンを集めることによ 帳合料 つまり、クーポンを何枚か集めることに 2店メーカー直送分×α% 1~5% 0~2% 3~5% 2.5~3% って、卸になることができた。戦後、様々な物資不足が続くなかで、薄利を求めて、多数 の生業的小売店が生まれた。価格体系は、仕切価格制度がとられ、洗剤では、卸で8~9%、 小売業者で 15~18%のマージンという状況だった。卸のマージンは、仕切価格をとってい る以上、ゼロであるが、これに対して、様々なリベートがあった。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 48 M NEXT 卸に問題は集中していた。 「流通近代 図表6-5.営業品目分類の取扱い率状況 化」「流通革命」「問屋無用論」が叫ば れているなかで、卸の経営は苦しくな 営業品目 化粧品 比率 っていた。物流コスト、高度成長によ る人手不足も経営にひびいていた。 しかし、もっとも深刻だったのは、 歯磨・石鹸・ 洗剤 その他 0 4 % 2.78 4 % 2.78 6 % 4.17 1~9% 8 5.56 4 2.78 20 13.89 10 ~ 19% 12 8.33 7 4.86 43 29.86 スーパーの乱売とスーパーへの卸間の 20 ~ 29% 28 19.44 13 9.03 35 24.31 乱売競争だった。スーパーはナショナ 30 ~ 39% 28 19.44 26 18.06 18 12.50 ルブランドを他店より少しでも安く売 40 ~ 49% 25 17.26 38 26.39 11 7.64 50 ~ 59% 16 11.11 28 19.44 8 5.56 60 ~ 69% 13 9.03 12 8.33 1 0.69 70%以上 10 6.94 12 8.33 2 1.39 ることで競争していた。スーパーのバ イイングパワーは、弱小な卸に向けら れていた。 「このままでは、つぶれてし まう」。そんな危機感が強くなった。そ 図表6-6.地区別問屋の平均販売先比率 んな中で、九州石鹸から花王にひとつ提 販売先 小売店 スーパー 団 体 仲間卸 北海道 % 58.0 % 10.8 % 19.0 % 12.2 を一本化したらどうだろう」。花王は、 東 北 57.5 15.1 9.3 18.1 提案をうけた。 「社長を誰にするか」 「こ 関 東 69.8 8.7 5.7 15.8 れまでの商圏はどうなる」といったさま 中 部 57.9 14.1 8.0 20.0 近 畿 65.0 16.9 8.3 9.8 中 国 58.1 15.5 10.0 16.4 年9月、福岡県下の卸店・代理店 12 軒 四 国 60.4 13.1 9.8 16.7 が、それぞれ 20 万円、花王が 60 万円 九 州 45.0 21.7 15.4 17.9 全 国 59.0 14.5 10.7 15.8 案が持ち込まれた。「花王製品だけのス ーパー向け共同販売会社をつくり、 窓口 ざまな難問にぶつかりながら、昭和 38 を出資して、資本金 300 万円の「福岡 花王商事」が誕生した。このときから花 王首脳にひとつの雄大な構想が生まれ 地区 (注)(1)本表は昭和42年5月週刊粧業の手で全国主要都市の化粧品、 日用品、雑貨問屋の実態調査を行ったものの一部である。 (2)東京、大阪地区は本表に含まれていない。 た。 完全販社化構想であった。昭和 39 年、花王は再販価格維持制度をとった。スーパーへの 納品競争-利益縮小-経営危機の悪循環を断つためである。当時、薬品、化粧品、石鹸、 洗剤などは独禁法の適用除外規制によって、メーカーの管理価格が認められていた。 実施のために約半年間、販売部を中心に全国の卸、小売店の実態を綿密に調べ上げた。 花王製品の扱い高、販売エリア、経営内容……こうした項目が、米粒を拾うように調べら れた。 この再販側の導入によって、市場価格は一時安定したが、昭和 40 年不況によって、再び 価格は乱れはじめた。再販制の導入についても、政府、メーカー、消費者団体の間で賛否 両論の議論が繰り広げられていた。意思決定がなされた。 昭和 41 年5月、社運をかけた「販社整備5ヵ年計画」がスタートした。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 49 M NEXT 5.販社化の草創期と界面活性剤の拡大 昭和 41 年5月から、昭和 44 年までは、花王にとっては、販売では販社化の草創期と位 置づけられる。 販社化は、「代理店、特約店が、それぞれ取引していた小売店を提供、その扱い高に応じ て出資、新たな販売会社を創設する」というものであった。当初は、卸のほうからの提案 であったが、スムーズにはすすまなかった。主な理由は三つあった。ひとつは、 「商圏を奪 われはしないか」という不安と、「花王にとっては販社のほうがいいにきまっていますが、 古くから付き合いのある問屋を排除して自社製品専門販社をつくるというのは人情として はなかなかできない」という感情的な側面であった。もうひとつは、花王の品揃えだけで、 経営ができるのか、という疑問であった。花王の品揃えは、多角化をすすめてきたとはい え、日用品雑貨卸の品揃えよりも狭く、全生活用品を扱うスーパーにしてみればほんの少 し間口を広げた程度でしかなかった。 そのなかで、まず、九州地区が動きだした。宮崎、佐賀、大分で相次いで販社が設立さ れ、ついで、大阪、昭和 42 年には、関西と九州を中心に 24 社となった。しかし、 「ノレン 意識」の強い東京では販社化への動きに対し、昭和 43 年「花王対策協議会」ができて、反 販社運動が展開された。この動きは、京都にも拡大していった。 工業用 その他 3 - - 2 - - - - 製品ライン 追加 3 14 2 4 1 3 1 - - 5 1 1 1 3 いった。手形取引も廃止した。昭和 44 3 ら、アメリカで学んだ販売を実行して 製品 改良 新ブランド 投入 5 「素人で知りませんから」といいなが - 指揮をしたのは、丸田副社長だった。 3 きつがれながらすすんでいった。 3 すんだ。花王の担当者は篤倒され、泣 歯磨 びしくなるにしたがって、販社化はす 香粧品 ヘアケア 石鹸 住居用 自由化といったことによって、よりき 洗剤 衣類用 台 所用 人件費増、流通コスト増、目前に迫る その他 しかし、卸の経営が、乱売、人手不足、 図表6-7.昭和 41 年から昭和 44 年までの新製品 年、全国 128 社とピークに達した。反 対運動もそれにともない沈静し、全国販 図表6-8.商品開発5原則 社化は一応完了した。 販社化がすすんだ背景には、化学品 に限定されていた界面活性剤が、この 間に、家庭品として導入されて成功を 収めたということがあった。昭和 41 年 のハミング(柔軟仕上剤)がその典型で ある。新製品の導入製品変更は図表6 ① 真に会社にとって今後とも有用であるかどうか ② 自社の創造的技術が盛り込まれているかどうか ③ パフォーマンス・バイ・コストで、他社のそれに勝ってい るかどうか ④ 商品化される前に、徹底的な消費者テストがあるゆる 局面で行われ、そのスクリーニングに耐えたかどうか ⑤ 流通のあらゆる段階で、商品にかかわる情報をうまく伝 達する能力があるかどうか copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 50 M NEXT -7のとおりである。こうした表面的な 図表6-9.ブランドマネージャーの使命 成功の背後で、昭和 39 年、「産業科学 技術研究所」 、昭和 41 年「東京地区研 究所」を設立、新装化している。前者は 基礎研究、後者は、消費者密着型の応用 研究という体制をととのえながら、界面 活性剤の産業分業での技術導入をすす めていた。昭和 38 年の「花王アトラス 社」が、その代表例である。花王は、界 面活性剤の技術だけでなく産業用の化 ① ブランドの商品力の維持。対抗商品とのリアルディファ レンスが、パフォーマンス・バイ・コストで消費者に認知 されているかどうかを確認し、R&D、開発グループ、広 告クリエーターを動機づけること。 ② マーケティング費用の効率化。そのブランドの特性、ター ゲットに応じて、さらに競合他社の動きを予知、予測して 広告投入、販売促進、エリア施策の効果的な遂行を推 進すること。 ③ ブランドについての情報交換のキーマンになること。市 場競争に勝つために、消費者、市場、販売、生産、R& D、製品開発など、あらゆる情報を結合できる自己充足 的情報センターの役割を遂行できるよう自らのネットワー クを構築すること。 学品マーケティングを学んでいた。 販社化をすすめていく過程で、昭和 42 年4月、マーケティング部が新設され、ブランド マネージャー制が導入されている。商品開発の五原則、三つのブランドマネージャーの使 命のもと、花王の「リアルディファレンス」の「科学的」マーケティングがスタートした。 このことによって、多ブランドをコントロールしながら、つぎつぎ新製品を産み出せる母 胎が生まれた。 直接的理由として、販社化した卸の経営が順調にすすんでいったという実績があった。 VI.戦略事例と論理(2) 昭和 45 年から 48 年のオイルショックまでは、販社の統合と「物流近代化5ヵ年計画」 のスタート、システム開発部の創設、研究所の再編成、トップの交代、洗剤パニック、国 会喚問、オイルショック、ライオンの追い上げと激動の期間である。 1.販社の統合と物流の近代化5ヵ年計画 全国完全販社化が完了した昭和 44 年には、128 の販社があった。この数は、花王にとっ ては、物流コストを下げることにはならなかった。当時売上の約5%だった物流コストは 徐々に2ケタヘ向かっていった。128 という販社の数できたのは卸とのなりゆきであった。 統合は再び九州からはじまった。これに歩調を合わせて「販社体制5ヵ年計画」と「物流 近代化5ヵ年計画」が策定される。 販社の近代化は、きわめて体系的にすすめられた。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 51 M NEXT 計画「花王ファミリー簿記」 厚生「花王健康保険組合」 理念「販社会」 教育「販社経営管理者講座」「販社セールスマン研修会」 営業「花王セールス・システム」マニュアル この結果、配荷率競争では圧倒的な 図表6-10.花王と販社の役割 強さをもつようになり、後のパニック の時に、公平な分配を達成することで 証明された。 また、この過程で、花王と販社の役 割がきわめて明確にされていった(図 表6-10)。 もう一方で、物流近代化が進められ ていた。 昭和 45 年2月に常務会で決定され た「物流近代化5ヵ年計画」が「花王 花王の役割 ① 創造的技術を駆使して優れた商品を開発する ② 消費者に対し、商品を告知する宣伝活動を充実させる ③ 販社に対し、経営ノウハウを提供する 販社の役割 ① 自社の営業地域で、他メーカーより優位な配荷、陳列 に努める ② 市場の情報を収集し、本社に対し末端情報を提供する ③ 代行店、小売店に対し、友好親善関係を維持する 共通の役割 エリアマーケティングを推進、本社販売部員とともに小 売店を巡回、地域会議によって、よりよいマーケティン グの展開をはかる ロジスティックス・システム」の始まりであった。 第一期は「物流近代化5ヵ年計画」実行期で、 「ユニット・ロード・システム」の確立を 目指したハード面でのシステム化をはかっていった。 2.物流近代化5ヵ年計画 この計画では、次の五つの目標、[1]花王と販社間の問題の予測に基づく花王グループの システム化の実行および営業活動の基盤固め、[2]パフォーマンス、省力化、コストダウン の実現による企業の経営効率化、[3]物流作業者の労務環境の改善及び荷役、時間外労働の 日常化等の修正、[4]物流面での公害発生防止、交通規制の拡大への対処、[5]省資源、省エ ネルギー等国家的要請への対応にそって、四つの実行方針を目指した。それが、 1. ユニット・ロード・システムへの挑戦 2. 商取引の標準化・輸送の計画化 3. 販社物流近代化支援による、メーカーと販社の同時トータルの近代化 4. 物流関連企業の協力の動員 であった。 昭和 50 年、ユニット・ロード・システムの構築・流通の近代化を達成。具体的には、花 王の工場から販社までの物流をすべてパレット単位で行う「一貫パレチゼーション・シス copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 52 M NEXT テム」が完成した。 このシステムは各工場の立体自動倉庫のコンピュータと本社の大型コンピュータを連結、 入庫・出庫すべてを本社で管理、生産ラインからパレット積みされた製品を自動的に格納 して、出荷もトラック積みまで自動化した「自動倉庫」や、計量型の 14.5 トン、19 トン積 みトレーラー、さらに小売店配送用の「特殊車両」の導入を使用したシステムである。 さらに発展して、混雑の時間帯を避け、「ダイヤグラム輸送表」に基づいて道路の最も空 いている時間帯にトラックを走らせ、正確に早く商品を届ける「ダイヤグラム輸送」、原材 料メーカー、第三者の荷主と販社間の往復実車輸送である「結合輸送」に移していった。 図表6-11.花王ロジスティックス・システムの推進 昭 45 46 47 48 49 50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60 物流近代化5ヵ年計画 (第1期) (1) ユニットロードシステムへの挑戦 1) 商流・物流拠点の整備 2) 輸送容器の選択 3) JIS-T-11パレットへの変換と一貫パレチゼーション 4) 包装モジュール化 5) 特殊車両の開発 6) 結合輸送システムの開発 7) 輸送包装材料の簡略化 (2) 商取引の標準化・計画化 ロジスティックス・ 新開発システム インフォメーション (第3期) システム(第2期) (1) (2) (3) (4) (5) (6) 販社のミニコン導入 販社物流近代化(ハード・ソフト) 販売計画システム オンラインサプライシステム 売上代金処理システム 生産数量管理システム (1) (2) (3) (4) (5) 量販店チェーンとのオンライン (注文) 自動回転ラックシステム 新物流拠点の開発 フルトレーラー車の導入 海上輸送システムの開発 (出所) 湯浅和夫「ドキュメント物流先進企業に学ぶ」 (注) 線の太さは、重点の置き方を示し、太いほどその時に重点を置いていることを表している。 3.ライオンの合成洗剤への追撃 この花王の販社化に対して、ライオンも沈黙していたわけではなかった。主な競争領域 である洗剤でライオンは追撃をはじめた。 わが国で初めての木綿用合成洗剤は、花王が 26 年に発売した「花王紛せんたく」であっ た。花王はその後 28 年に「ワンダフル」を発表し、大々的な宣伝と販売員による地道な販 売努力とによって、徐々にその地位を固め、これにより花王は洗剤のリーディングメーカ copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 53 M NEXT ーとしての地位を確立するようになった。 しかし、洗浄力やコストの面でまだ十分なものといえず、改良が加えられ、35 年から 40 年にかけての石鹸から合成洗剤への転換期を迎えることになった。 その先陣を切ったのは、35 年に発表された花王の「ザブ」である。 「ザブは3回勝負する。 がんこな汚れにザブ」というキャッチフレーズでマス媒体を使い強力な宣伝を行った。そ してその洗浄力の強さが消費者に受け入れられ、超強力ブランドとなった。 37 年に発表されたライオンの「ハイトップ」は、すすぎの簡便性に焦点をあわせたもの である。当時ライオンではいくらか改善努力をしても洗浄力の面では「ザブ」を上回るこ とができなかった。そして、「ザブ」の欠点を徹底的に追求しようとした。その結果、すす ぎが面倒だという主婦の不満点に目をつけ、「洗濯している間はよく泡立ち、すすぎの段階 になるとさっと泡が消えてしまう」という制泡型洗剤を発表したのである。そして、翌年 3~5月にかけて、各社が制泡型洗剤の発売に乗り出すほどであった。ここからライオン の反撃が始まるのである。 これを受けて花王は、38 年に新しい制泡型の洗剤として、白さと香りをキャッチフレー ズにした「ニュービーズ」を発売した。この商品は、白さという洗浄力を象徴する色彩的 なものと、洗い上がった後まで良い香りが衣類に残るという香りの感覚的価値の両方を狙 ったものである。「ニュービーズ」は消費者の願望が機能的なものから感覚的なものへと変 化しつつあった消費環境にうまく適合し、着実にシェアを伸ばし、長い間トップブランド の地位を保った。 これに対しライオンは、40 年に「ブルーダイヤ」を発表した。真白な洗剤のなかに増白 効果をもったブルーのカラー粒子を混ぜそれによってより一層白く洗い上がることを感覚 的に訴えた商品である。発売後一年たらずで1万トンの大台を突破し、ライオンのトップ 商品へと成長した。また、発表以来一貫してプレミアムキャンペーン(金銀・パールプレゼ ント)を実施したことは、プロダクト・ライフサイクルを長くした。 「ブルーダイヤ」の成功 は、洗剤のカラー化を促進し、41 年には花王の「ニューワンダフル」が発表されることに なった。この商品は「虹の洗剤」としてマルチカラー粒子を感覚的に訴求したり、低温で も洗浄力を発揮することを訴求したりして、またたく間にトップブランドになった。 しかし、あまりにも感覚的に訴求しすぎたため、短命であった。「ブルーダイヤ」が好調 であった半面、「ハイトップ」の販売量が低下していたライオンは、42 年、「ダッシュ」を 発表した。従来使用不可能とされていたアルファオレイン酸を配合することに成功し、画 期的なコストダウンを実現した高性能洗剤である。そして、コストダウンの分だけ膨大な 宣伝費をかけた。業界初の予告広告キャンペーンである。これは流通段階を効果的に刺激 し、発売5ヵ月目にしてトップブランドになったと言われている。また、訴求点を原点に 帰って洗浄力にし、感覚志向の「ブルーダイヤ」との差別化を行ない洗剤全体のシェアを 拡大しようとした。 43 年は、より強力な洗浄力を訴える花王「スーパーザブ」と、すすぎの簡便性を訴える copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 54 M NEXT ライオンの「ニューハイトップ」が発表された。どちらとも改良製品であり、二番煎じの 商品であるにすぎなかったが、洗浄力という最も基本的な訴求をした「スーパーザブ」の ほうがはるかに大きなシェアを獲得した。 44 年には、ライオンが、洗濯液に溶けるとマイクロカプセルが破れて、洗濯液がパッと ブルーに変わる「スパーク」を発表した。 「スパーク」はまたたく間に 10%を超えるトップ クラスのブランドになった。しかし、洗浄力の強さに対して感覚的に巧みに訴求したため、 先行する強力洗剤「ダッシュ」のライフサイクルを短くしたというデメリットもあった。 同じ 44 年に、花王からは「アタック」「スーパーザブコーン」が発表された。 「アタック」は、パッケージカラーが黄ばみを連想させる黄色であったこと、広告投下 量が少なかったことなどで失敗に終わった。一方「スーパーザブコーン」は高単位酵素配 合の強力な洗剤力をもつ商品であるが、その後すぐ酵素人体有害説による発売規制により、 撤退せざるをえなかった。なお花王は、このため活性酵素配合にきりかえ「スーパーザブ XO」として発表し、40 年代の花王の主力製品となった。 かつてトップブランドであった「ニ 図表6-12.衣料用洗剤価格体系 ューワンダフル」は低迷していた。花王 一級品 ホワイトワンダフル ブルーチャイム は栄光の「ワンダフル」のてこ入れのた 500g 100円 120円 600g 150円 め、TCバイオレット、TCブルー配合 1,050g 200円 240円 1,300g 300円 2,650g 500円 600円 2,650g 600円 のホワイトアップ洗剤、 「ホワイトワン ダフル」を発表した。ホワイトアップとは、同じ量でも洗浄効果が強力であることを意味 している。つまり、従来の洗剤より価格は 20%高くなっているが使用量は 20%少なくてす むから実質には同じということである。しかし、消費者にとっては割高であると感じられ、 シェアは小さかった。そこでこの割高感を減少させるために発売されたのが 46 年「ブルー チャイム」である。この商品は、洗う力が目でわかるカラーチェンジの洗剤であることに 加え、サイズや容量・価格体系を図表6-12 のように変更した。 また、600 円サイズについてはパッケ 図表6-13.サイズ競争 ージの型も薄く、広く、高くして前面か らみた場合に大きくみえるようになっ た。こういった細かい工夫と製品そのも ののユニークさとが相まって、発売一年 Ⅰ 一般の500円 のものや最初 のホワイトワン ダフル Ⅲ Ⅱ ブルーチャイム 改良されたホ ワイトワンダフ 600円 ル600円およ び改良された 一般の500円 後にはトップブランドとなった。このサ イズ改良は、サイズ競争の引き金となり、 図表6-13 のような争いを演じた。 「ブルーチャイム」によって、トータ ル シェアで花王を抜いたライオンの次 の目標は、花王のトップブランドである 「ニュービーズ」のシェアを奪うことで copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 55 Ⅳ 改良されたブ ルーチャイム (ピンキー) M NEXT あった。そこで 47 年に「ピンキー」を発売した。30 種以上の香りの力や仕上がりの面でも 十分配慮されたものであった。だが、「ニュービーズ」を叩くまでにはならなかった。 翌 48 年、花王は「ポピンズ」を発売 した。この商品の特徴は色柄ものに使 図表6-14.花王の販社化(昭和 50 年頃) える新漂白剤を配合していることであ ったが漂白剤による色あせを感じさせ 取引 物流 A 社 D ・ C ることから、小さなシェアを得ただけ であった。 A 社 工 場 流通でも、ライオンは、対花王戦略 A社専門 販売会社 <91社> (60%) 小 売 店 をとった。当時、それは「三強政策」 全小売店 数の30% 40% と呼ばれた。 「強い問屋、強い商品、強 い結びつき」の三強であった。具体的 A社代行店 <1830店> には、 契約販売制度 ライオン油脂製品部の設置 ライオン油脂製品部経営セミナー 小 売 店 全小売店 数の70% 注: ( )内は取引額の比率 図表6-15.ライオンの流通体制(昭和 50 年頃) などの対応がとられた。この政策は、 取引 物流 卸の花王への反発もあり、昭和 45 年、 (40%) ライオン油脂製品部をもつ代理店は 200 店できた。 この間、ライオンは花王に急速に追 メーカー 一次卸 (工場) いついていった。 それに対して花王は、昭和 46 年 10 月、東京地区では家庭品研究所と香粧 小売店 (60%) メーカー のS・P 二次卸 小売店 品研究所が統合して、家庭品研究所に なった。翌 47 年、和歌山では従来、各 注: ( )内は取引額の比率 パートが独立して力をつけていくやり方だったのを、三研究部、六研究室制に組織替えし た。研究分野をフィールド別、機能別に分け、マトリックス組織に替え、家庭品研究所も 同様にマトリックス組織にした。昭和 48 年、家庭品事業本部が誕生し、家庭品研究所から 販売部までを包含、統合する組織とした。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 56 M NEXT 図表6-16.花王石鹸およびライオン油脂の 売上高推移 億円 図表6-17.花王石鹸およびライオン油脂の 経常利益推移 億円 20 700 660 600 花王 577 400 300 200 当 期 経 常 利 益 年 間 売 上 高 437 454 392 15 440 380 331 328 273 223 17.2 552 501 500 18.1 180 13.5 10.2 10.4 100 7.1 7.0 0 7.5 40 41 42 43 44 45 46年 5 41 10.1 9.6 ライオン 7.1 6.9 6.0 5.4 42 14.5 13.9 11.7 10.9 11.5 10 ライオン 15.2 14.6 14.1 13.2 13.6 花王 43 44 45 46 47年 4.トップの交代と洗剤パニック 昭和 46 年 10 月8日、 「英三さん」と戦前呼ばれていた伊藤英三社長がなくなった。突然 だった。丸田副社長が社長となった。丸田社長は、つぎのような弔辞を読んでいる。 私はこの5ヵ月間、人知れず悩みに悩み、苦しみに苦しみ、さんざん泣き明かしま した。しかし、どうしようもありません。悲嘆に暮れているわけにはまいりません。 (略)私はご霊前でお誓いいたします。花王の永遠の発展を期して、若い人たちの 成長のために働きます。 「いつも貧乏くじをひいている」といわれた社長さん、茨の 道の多かった社長さん、どうか安らかにお休みください。 伊藤社長は人間を大切にした。切るのをいやがった。「人間は、どこか見どころがあるは ず。それを見て使うのが上役の役目だ」 「少なくとも、3回はチャンスを与えてやるべきだ」 というのが信念だった。丸田社長も二度、減給されていた。百年で人事を考える、という 花王は伊藤そのものだった。 丸田社長を待っていたのは、これだけではなかった。昭和 48 年の洗剤パニック、オイル ショック、追い打ちをかけるように、合成洗剤の公害問題とつぎつぎと問題が発生した。 国会では、「洗剤の売りおしみ」を追求され、花王は悪者になっていった。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 57 M NEXT 5.新技術による成長 石鹸 その他 工業用 新ブランド 投入 4 15 4 1 13 2 10 6 1 製品 改良 6 15 9 2 8 2 2 - - 製品ライン 追加 3 11 3 4 8 7 4 7 - 53 年 生理用品への参入「ロリエ」 57 年 化粧品への参入「ソフィーナ」 58 年 紙おむつへの参入「メリーズ」 入浴剤への参入「バブ」 59年 歯磨 化を進めていく時期である。 香粧品 ヘアケア 花王が、販社の整備を終え、商品の多角 洗剤 衣類用 台所用 な意味で転機であった。 続く 50 年代は、 その他 住居用 昭和 45 年から、昭和 48 年までは様々 図表6-18.昭和 50 年代の花王の新製品 身体洗浄料への参入 「ビオレU」 と次々に新分野へ参入していった。 この間の動きは、図表6-18 のとおりであった。 VI.戦略事例と論理(3) 見方によっては「無謀」とも思える販社化、それを支える物流近代化、競合メーカーの 追撃、オイルショックにともなう洗剤パニック、トップの交代と次々つづく課題と難題に、 花王は小器用に対応せずに、着実に対応していく。それが、花王の昭和 40 年代であった。 昭和 50 年代に入り、花王は商品の多角化を積極的に進める。そして、ひとつの花王のマ ーケティング戦略の「型」を創造していく。 1.生理用品市場への参入-「ロリエ」の戦略 花王が生理用ナプキン市場に参入した昭和 53 年当時、その市場規模は 380 億円、前年対 比成長率も5%以下と低迷状態が続いていた。タンポンとナプキンの利用比率はナプキン が 80%~90%と圧倒的であり、昭和 50 年以来、 「チャーム・ナップ」のユニ・チャームが 40%近いシェアで独走しており、第2位のアンネ(ライオン)以下の追従を許さなかった。 当時、ナプキンの吸収部分にはパルプを素材としたものが主体であり、分厚く、ごわご わで吸収力においても、かなり問題があった。また、“アンネの日”という言葉の一般化、 また、ユニ・チャームのCMの成功にも見られるように、生理用品が明るいイメージで人々 に愛用されるようになっていった。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 58 M NEXT 花王は、自らのマーケティング・テー 図表6-19.生理用品出荷高の推移 マである「リアルディファレンス」をモ 年度 出荷高(百万円) 前年比(%) ットーに、機能性のある商品の開発を進 53 38.079 103.1 め、後発で参入した。その機能性の土台 54 34.486 90.5 となる技術は、花王の界面科学の延長線 55 36.904 103.8 にある高分子科学の技術であった。この 56 38.778 105.1 ことから、高分子吸収体「ワンダージェ 57 44.109 113.7 ル」を採用した「ロリエ」が生まれた。 58 45.167 102.4 59 42.408 93.9 60 45.863 108.1 61 47.110 102.7 花王が、この分野に参入したのは、販 社との関連もあった。 花王は、販社ルートヘの「シリーズ商 品」として、歯磨き「ハロー」、スキン ケア・クリーム「ニベア」、制汗剤「エイト・フォー」を昭和 53 年以前に送り出していた が、もっと幅の広い品揃えが必要だった。高分子化学の分野では、ウレタン、セメント材 等の工業用品のみであった。また、生理用品市場においては、ライバル会社であるライオ ンがユニ・チャームの猛威に完全にシェアを奪われていた。販社体制がもつ販売力を生か した新製品の登場が待ち望まれていた。 また、花王は、この生理用品「ロリエ」の次に、次の商品の開発を考えていた。昭和 58 年発売の紙おむつ「メリーズ」である。生理用品市場に比べ、紙おむつ市場は比較的新し い市場であった。昭和 52 年、P&Gが発売した「パンパース」以来である。「ロリエ」の 成功いかんが、紙おむつ市場参入に影響を与えるのは、間違いなかった。 「ロリエ」の製品の特性としては、ポリアクリル酸系高吸水性ポリマー「ワンダージェ ル」を開発・採用、自重の 1,000 倍の吸収を確保した。この吸収力の向上によって、製品 を薄型化することにも成功した。また、不織布ソフチックスで横漏れ防止、ソフトな肌ざ わりが実現した。フィット感を出すために、ズレないテープが採用された。吸水性・薄型 化・ソフト感の実現が、従来品との徹底的な差別化につながった。 また、高分子吸収体を多重に使用した「ロリエセフティロング」(55 年 11 月)、防臭効果 の「デオドラントロリエ」(57 年3月)、 「デオドラントロリエセフティロング」(59 年3月)、 長時間吸収で夜間も安心の「ロリエオーバーナイト」(60 年3月)を次々と発売し、商品ラ インを広げていった。 「ロリエ」参入時、市場は、ナプキンのミニ型「チャームナップ・ミニ」で成功したユ ニ・チャームが、39.5%とかつてのトップ「アンネ・ナプキン」のアンネ(20%)に圧倒的な シェアの差で勝っていた。その勝因は、ナプキンのミニ化によって装着感を軽くしたこと にあった。この他、十条キンバリーの「ニーナ」、白十字の衛生ナプキンなどが競合してい たが、ユニ・チャームの商品力とその宣伝力に勝てずにいた。そのユニ・チャームの「チ ャームナップ・ミニ」は、昭和 51 年発売、価格は 28 コ入りで 400 円であった。 特徴はサイズのミニ化、横モレ防止のサイド・ストッパーであった。吸収力に関しては、 小さいわりには良いという程度であった。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 59 M NEXT その後、「ロリエ」の発売によって高分子吸収体が注目され、ユニ・チャームが「チャー ムナップ・ミニ」、 「チャームナップナイト」等に高分子吸収体を採用、さらに 60 年には新 製品「ソフィ」、 「ソフィ・ナイトアンドディ」を発売、立体裁断のフィット感で対抗した。 ライオンもアンネ・ブランドで「キャティ」を発売したが、高分子吸収体をとりいれたの は 60 年発売の「エルディ」からであった(28 コ入り 370 円)。また 61 年には資生堂が「ミ ュウ」を発売、バイオリン型のシェイプと感性型ブランドイメージで参入してきた。 53 年9月発売時、ロリエ・レギュラーパック(28 コ入)は 330 円であった。高分子吸収体 をまだ採用していない「チャームナップA」が 28 コ入で同価格であった。従来品より高機 能な商品を同価格で販売する事によって差別化がはかられた。 流通政策では、まず、53 年9月に静岡地区でロリエ・レギュラーパックとホーム・パッ クをテスト販売した。54 年9月には関東地区で発売、その間、テレビCM、サンプル配布 等の販促を行い、新商品の機能性を説得する努力をした。流通ルートは販社を通じて、薬 粧店、スーパー、コンビニエンスストアに「シリーズ商品」として売り込んでいった。 広告・コミュニケーションは、テレビ、雑誌等の媒体を通じて、商品の機能を訴求する 説得型の広告を展開した。「ロリエの販促はファッショナブルではなかった。高分子吸収シ ートにブルーの液体が吸収される映像で訴求する説得型であった。」(国際商業:1985 年 12 月号)。キャッチフレーズは「多い日も安心」 「もどらない片道吸収でさらっとした肌ざわり」 であった。また、「サンプル配布が徹底的に行われた。これはP&Gなどが新しいマーケッ トへ進出する時に採用しているマーケティング手法であり、多額の費用と根気を必要とす る。ロリエが手堅く浸透したのは、花王の資金力と流通チャネルがものをいった。」(前掲書) といったように、機能訴求を徹底的に行った。 生産にあっては、昭和 53 年2月、愛 図表6-20.生理用品メーカー別マーケット・シェア 55 媛県の中堅生理用品会社であるララ社 と共同出資で、愛媛サニタリー・プロダ ユニ・チャーム 45.7 56 57 58 59 60 61 46.5 47.5 50.8 39.5 39.7 39.8 クツ(株)を設立、生理用品製造のノウ 花王 - 10.0 10.5 10.8 34.9 36.2 37.6 ハウを学ぶ体制が出来た。高分子吸収体 アンネ 19.6 19.0 17.1 17.2 10.1 10.2 10.4 については、化学会社から原料である高 その他 34.9 24.5 24.9 21.2 15.5 13.9 12.2 吸水性樹脂を購入、自社工場で中間加工をして、製造工場へ供給するしくみである。昭和 61 年には、鹿児島工場に加え、北九州工場でも中間加工を開始した。 成果は図表6-20 のとおりである。 なお、G&Gファルマ(株)のデータによれば、62 年1月時点での花王シェアは 46.8% であり、業界第一位の日も近い。しかし、ユニ・チャーム、ライオンの商品ラインを充実 してきた今、値崩れの起こりそうな気配もある。 昭和 57 年、花王は「ソフィーナ」を発売、高級化粧品に参入した。戦後、花王は化粧品 を発売していた。しかし、事業としては成り立つほどの売上がなく、撤退していた。それ なのに、またあえて挑戦してきたのはなぜだろうか。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 60 M NEXT 2.化粧品市場での地位確立-「ソフィーナ」の戦略 花王の化粧品業界の参入の、もっとも大きなねらいは、従来の化粧品体系のくくり直し にあった。日本の化粧品の消費構造は、基礎化粧品のウエイトが欧米のそれと比較すると 非常に高い。佐川幸三郎副社長は、化粧品事業に対する基本的な考えとして、この消費者 構造に目をつけ、次のように述べている。「日本で基礎化粧品のウエイトが高いのはなぜか といえば、スキンケアと、いわゆる化粧品との混合が起こっているんです。(中略)日本で はスキンケアが化粧品に入っていますが、欧米ではスキンケアとフェーシャルケアはコモ ディティであり、デコラティブ、つまりメイクアップとフレグランスが本来の意味の化粧 品なんです。私はファンデーションまではフェーシャルケアの部類だと思うんです。そこ のところに3ステップ、4ステップ、5ステップと不必要な何段階もの製品をつくるのは どうもおかしい。」(国際商業:60 年2月号)つまり、化粧の世界とスキンケアの世界を明 確に分けて、スキンケアの世界で勝負に出たのであった。そのような考え方のもとに、参 入したのは、 「二ベア」「リベーヌ」「アトリックス」による 技術・販売の基礎があること 洗浄基剤MAPや新保湿剤PSの開発があり、 それを化粧品に生かす必要性があったこと 化粧品は、石鹸や洗剤と違って利益が大きいこと といった要因があったからである。 花王は後発参入であり、しかも資生堂という強い メーカーがいる。花王のとった基礎的な戦略は、徹 底した商品性の違いを訴求するというものであっ た。57 年に発売された基礎化粧品「ソフィーナ」 は、皮膚生理の解明に基づく天然保湿因子(NMF) と皮脂バランスの研究による洗浄基剤MAPや新湿剤PSLを配合した、洗顔料、乳液、 クリーム、化粧水など 14 品目で、スキンケア商品である。 そして、その皮膚科学に基づいて作られている「ソフィーナ」がいかに他の商品と違う かを認識させるために、徹底した製品訴求の広告をした。そこにはタレントもイメージソ ングもなく、商品の品質・性質を述べているだけである。その時の広告投入は 20 億円とい われている。 もちろん、知名度向上だけでなく、デモ&サンプルというかたちで、とにかく使わせる ことを追求した。使ってもらえばわかるという自信があるからである。 また、流通面では、販社に化粧品担当をおき、スーパー、薬局を中心に百貨店などにも 商品をおいた。店頭では、問診でわかるようにコンピュータを設置し、科学的に顧客との 接触をはかり、顧客の肌の状態にあった商品を選んでもらう、肌診断システムを実施した。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 61 M NEXT しかし、売上は思うように伸びず、従来の路線を変更せざるを得なかった。主要なもの は以下のようなものである。 花王友の会会員カードの発行 (60 年) 全国九地域に、化粧品専門の販社を設立 (61 年) 一率リベートをやめ、小売店をランク付けしたリベート体系への変更 (61 年) 花王独自の施策もあった。「消費支払制度」というもので、6ヵ月連続して 10 万円以上 の取引のある店には次の6ヵ月間、実際に売れた分だけ支払ってもらうので、過剰在庫に 悩む小売店の負担を軽減するものである。61 年9月から実施している。 一方、商品のほうは、59 年にファンデーションを、60 年にメイクアップを発表し、フル ライン化が進んだ。 このように、発表当初は大苦戦した「ソフィーナ」だが、59 年に発売したファンデーシ ョンがヒットし、その後、次のように好調に売上を伸ばしている。 60 年3月期 59 億円 61 年3月期 146 億円 62 年3月期 200 億円 しかし、メイクアップのほうは、市場の反応が鈍く、「ソフィーナ」の正念場はこれから 始まるといえる。 3.紙おむつ市場への参入-「メリーズ」の戦略 日本において、ベビー用紙おむつ市場 図表6-21.紙おむつの市場規模 が誕生したのは、昭和 52 年 10 月、P &Gが九州でテスト販売を開始して以 来のことである。当時の市場規模は 30 億円程度(昭和 53 年)であったが、P& Gの得意とするテスト・マーケティング、 サンプルの大量配布、広告・宣伝の徹底 メーカー出荷額 (億円) 600 600 メリーズ/マミーポコ 全国発売 (新ムーニー、 ニューシエステ登場) 500 400 300 270 新パンパース登場 によって急成長し、54 年には 100 億円 200 た。 100 ームの「ムー二ー」の発売で事態は急変 した。「パンパース」の弱点を徹底的に 30 170 ムーニー本格化 53年パンパース発売 ~ ~ しかし、昭和 56 年7月、ユニ・チャ 150 ~ ~ の売上でシェア 90%の土台を築き上げ 420 0 昭和53年 57年 58年 59年 60年 出所:「チェーンストア・エイジ」 昭和60年8月号 分析、「ムレない、モレない、カブレな copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 62 M NEXT い」紙おむつの商品化に成功した。また、高分子吸収体パンツタイプを初めて採用、その 商品力に、生理用品のCMで実績のある宣伝力、流通対策の三拍子で、昭和 57 年末には 40% シェア(P&G 51%)、58 年4月に 47%対 44%とついに逆転、58 年末には 60%(P&G 10%)といった急成長で、首位の座を確固たるものにした。この間、市場規模も順調に推移 し、昭和 58 年には 270 億円と前半比 60%近い伸びを見せた。 花王は、この期間、時機の到来を待ちながら研究 開発を続けていた。昭和 53 年発売の「ロリエ」の実 績を布石として、紙おむつ市場への参入を狙ってい た。高分子吸収体の技術を持っていたのにもかかわ らず、発売の時期が遅れたのは、価格の問題と、紙 おむつの製造技術がなかったためであった。高分子 吸収体を使うことは、紙に吸収させるよりもパルプ の節約にはなるが、コスト高になる。なんとか「パンパース」と同価格へもっていきたい と苦慮していたところ、56 年に「ムー二ー」が発売され、割高ながら成功した。 高分子吸収体の採用では先を越され 図表6-22.紙おむつ市場規模の推移 てしまったが、自社開発の高吸水性樹 脂を多量使用することによって、吸水 56 性能の高い「メリーズ」を商品化する。 57 58 年 11 月のことである。 58 「絶対によそより優れたものをつく ってくれ、後発である以上、それしか 59 60 61 勝つ道はない。」という丸田社長の言葉 62 (61 年7月7日、東京新聞)をそのまま 63 実践したのである。 64 紙おむつという比較的新しい市場の 65 将来性は高い。61 年には 1,000 億を突 66 破、70 年には、3,000 億円市場にまで 年 500 1,000 1,500 2,000 成長するといわれている。花王は、先 (国際商業 61年8月号) の生理用品「ロリエ」の成功を布石と して、この大型市場への参入を開始し 図表6-23.紙おむつメーカー別シェア たのである。 製品特性は、「モレない、ムレない、 もどらない」 。両端のまたを包む部分に、 ぬれてから縮む材料を採用、外側に湿 気だけを通す通気性のよい防水(透湿) 2,500 億円 (%) 57 58 59 60 61 62 ユニ・チャーム 40.0 52.7 52.6 49.6 43.1 32.0 花王 - 4.0 24.9 28.0 31.2 35.3 P&G 51.0 32.9 8.1 7.0 11.7 16.9 その他 9.0 10.4 15.0 15.4 14.0 15.8 シート、内部に3回分のおしっこを吸 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 63 M NEXT い込み、押しても逆にもどらない吸水性ポリマー(高分子吸収体)を採用(他社1g に対し、5 g を使用)した。 従来、紙おむつは使い捨てで扱いも楽なため、外出時に利用されることが多かったが、 高吸収力と長時間使用出来ることから夜間に使われることも多くなった(外出時に加え、夜 間にも利用する人-使用者全体の 50%)。また、 「生活エンジョイ優先の“新人類”ママ」(東 洋経済 61 年 8 月)の急増も目立つ。 「メリーズ」は、この夜間使用型の母親層、生活エンジョイ型、さらに就労女性に対し て、低価格をもって提供することを考えた。 右の価格表(図表6-24)を見ると、価 図表6-24.主要メーカー紙おむつ価格表 格面では、ユニ・チャームの「マミーポ メーカー コ」が花王の「メリーズE」と競合して いる。事実、 「マミーポコ」は、 「メリー 花王 ズ」の発売された直後、58 年に発売さ れた対抗商品であり、これに対し、61 年7月に今度は花王が「メリーズE」を 発売、価格で対抗したのであった。 「ムー二ー」は、「ムレない・モレな 商品名 サイズ 入枚数 価格 1枚あたり 単価 メリーズ M 24枚 1,640円 68円 メリーズE M 24枚 1,350円 56円 ユニ・ チャーム ムーニー M 16枚 1,140円 71円 マミーポコ M 24枚 1,350円 56円 P&G パンパース M 17枚 52円 890円 (ただし、ムーニーは60年ニュームーニーとして24枚入、1,640円となり、 P&Gも同年、新パンパースを24枚入、1650円で発売した。) い・カブレない」の3ナイ主義を打ち立て、股ぐりとウエスト部分にウレタン・ギャザー をつけてモレを防ぎ、肌に接する内側はポリエステル系不織布でさわやかさを保った。さ らに高分子吸収体を採用。吸収力をアップした。更に従来品のエラスティック型より進ん だパンツ型を採用。他社との差別化をはかった。 「マミーポコ」は、「メリーズ」の対抗商品として、「ムー二ー」の品質機能を変えず、 価格を下げた。何度もつけ直せる接着ダブルテープ、横モレを防ぐ新ギャザーの工夫で普 及品の地位を築き上げようとした。 「パンパース」は、従来品は、いわゆるパルプ材使用の紙おむつで、56 年「ムー二ー」 の出現により、一気に売上が落ちた。機能面の遅れを反省して、60 年3月に「新パンパー ス」として、高分子吸収体を採用し花王はユニ・チャームに再度挑戦を開始した。 このほか、61 年には、資生堂が、そのブランド力と感性を武器に「ピンポンパンツ」を 発売。ベビーの発育段階に合わせた商品展開で参入してきた。 紙おむつ市場の今後の可能性を考えて、各トイレタリー関連企業が続々と参入してくる のが現状であるようだ。 流通政策では、まず昭和 58 年 11 月に、大阪、北陸地区、徳島の一部で販売に踏み切っ た。59 年にはシェア 40%を確保、同年の3月に首都圏(一都六県)にも販売を開始したが、 半年で 23%のシェアとなり、ついで九州、北海道、東北地方への販売を開始した。販路は、 販社を通じて7割が薬局・薬店、3割がスーパー(昭和 59 年)だったが、他社メーカーの価 格下げ競争もあり、スーパーでの扱い比率を増やしていく方向である。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 64 M NEXT 61 年以降、1枚あたり単価が 30 円台に突入、低価格競争が小売店での安売り競争に拍車 をかけそうである。 テレビ、雑誌、新聞等では、 “メリーズなら安心”というキャッチフレーズで「モレない・ ムレない・もどらない」の特徴を訴求する広告・宣伝を大量投入した。 花王が、他社のメーカーと決定的に違う点は、その生産背景にある。60 年春に、栃木工 場の紙おむつ生産設備に加え、四国に新工場を建設、また、61 年2月には、子会社である 愛媛県サニタリー・プロダクツ(株)の生産設備を増強するなどの量産体制への土台固め、 さらには 61 年 10 月の紙加工メーカー、ニコー製紙の買収によって、吸収紙の生産を開始、 そして、高分子吸収体の原料であるポリアクリル酸塩系高吸水性樹脂の生産までを行なっ た。59 年1月には、紙おむつ包装紙の自社印刷も手がけている。つまり、原料から資材・ 製品までを一貫生産できる体制ができあがったのである。吸収剤からの紙おむつ一貫メー カーは、もちろん花王だけであり、そのメリットとしては、消費者のニーズに機能的に対 応できること、また最新の流通システムとの連携によって正確な生産計画のもとに製造で きるなどである。 業績としては、年々50%程度の2ケタ成長であり、 「メリーズ」による紙おむつ市場への 参入は成功したといえよう。 しかしながら、高分子吸収体がもはや差別化の意味をもたなくなった今、新たなる研究 開発、流通政策の練り直しが必要となっている。 4.浴用製品での新市場開拓-全身洗浄料「ビオレU」 59 年に「石鹸に変わる石鹸」として発売した全身洗浄料「ビオレU」は、業界でも注目 された商品だった。 浴用石鹸は、出荷ベースでみると 55 図表6-25.浴用石鹸の出荷推移 年以降3年連続して 3.4%のマイナス 成長。58 年になって上向きに転じたが、 規模としては 10 万トン代にとどまり、 54 年の 11 万トンに達せず、出荷金額も 673 億円でほぼ横バイ状態にあった。 出荷額 (万t) 11 10 9 そのようななかで、8月に花王が「ビ 8 オレU」を発売した。同社が開発した 7 中性の洗浄基剤MAPを配合したもの で、ベースがアルカリ性の石鹸ではな い。それだけに花王は「石鹸にかわる もの」として位置づけ、単にボディシ 6 ~ ~ 昭和50 51 52 53 54 55 56 57 58 59 60年 出所:「化学工業統計年報」 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 65 M NEXT ャンプー用のみでなく、石鹸を含めた全身洗浄用としてのトータル市場を対象としている。 発売時には、洗浄用具「花王ボディースポンジ」も併売した。これには1回分の適量を 入れる穴があり、泡立ち、洗浄効果を高めている。洗いながら健康マッサージ、入浴がで きるとし、「ただ洗うだけの入浴から、全身の健康と美容のための入浴へ」と新しい入浴習 慣を提案した。 当初は、ファミリー向けをねらって売れていなかったが、11 月からコマーシャルを若者 向けに手直ししてから一気に売上が伸び出した。そして、翌年6月にはシトラスミントと フレッシュフルーツの2種を 10 代の女性向けに発売した。 「ビオレU」よりも先に、ライオンが6月にボディ液体石鹸「マリンフレッシュ・シャ ワーソープ」 、7月には「トップボーイスポーツソープ」を発売しているが、花王と違って ベースは石鹸である。しかし、身体の洗浄を目的としている点は共通である。 その後、資生堂「バブルポップ」、牛乳石鹸「ラブジュボディシャワー」、カネボウ「ボ ディコロンソープ」等の参入があいついだ。 その結果、59 年当時十数億円とみられていた市場の規模は、60 年度6億円、61 年度 85 億円、62 年度には 95 億円が見込まれており、急速に拡大した。 「ビオレU」のシェアはトップで、55 年発売の「ビオレ洗顔フォーム」、58 年発売の洗 顔ローション「セフレシュ」と合わせた「ビオレ」シリーズで、61 年3月期には 100 億円 の売上がある。 VI.戦略事例と論理(4) 1.多角化の条件 花王は、昭和 50 年代の多角化にともなって、組織、物流、マーケティングでもいくつか の変革が行なわれていた。 (1)組織 昭和 51 年、研究開発本部が発足、本部長に丸田社長が就任、各研究所をひとつにまとめ た。このもっとも大きな狙いは、化学品と家庭品のカベをとり払うことであった。化学品 の分野では、家庭品の材料として使われると、研究開発も予算上しやすくなった。家庭品 の分野では、材料を内製化することによって、ダイレクトに情報が交換され、よりユニー クなものがつくれるというメリットがあった。花王をシーズからみると、化学品では約 2,000~3,000、家庭品では、300 前後と一ケタの違いがある。しかし、その売上は、化学品 が 10%程度を占めるにすぎない。化学品は、花王にとっては、シーズの宝庫である。複写 機、パルプ、紙工業、繊維工業、鉄鋼・金属工業、ウレタン、プラスチック、FRP、色 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 66 M NEXT 材、医療品、食品工業、工木建材、鋳物産業、農薬、ゴム工業、潤滑油、燃料油、新材料 とありとあらゆる産業と約 200 人の営業マンが接点をもっていた。 あらゆる産業と接点をもつ化学品と消費者との接点をもつ家庭品を結びつけることによ って、花王は、川下から川上まで統合することが狙いだった。この発想は、世界第二位の 生産実績をもつ、アミンの経験からきていた。 アミンは、 繊維……柔軟仕上剤・染色助剤・帯電防止剤 塗料……顔料分散剤 土建……アスファルト乳化剤・アスファルト剥離防止剤 肥料……固結防止剤 医薬……殺菌消毒剤 香粧品…ヘアリンス という広い用途が、家庭品と化学品、各産業間、日本と海外、それぞれ違った条件のなか を往来することによって生まれてきていた。 異質なものと異質なものの落差が、新しいエネルギーを生む……という界面科学が花王 の組織づくりの考え方にはっきりあらわれた。 「異部門同士のせめぎあいによるユニークな 製品の誕生」(丸田社長)を狙っていた。 昭和 53 年、基礎研究のための栃木研究所が生まれた。昭和 40 年代の基礎研究海外輸入 時代から、自前化への意思決定であった。 (2)物流の情報システム化 昭和 40 年代の物流システムは、この時期、情報システム化され、 「ロジティックス・イ ンフォメーションシステム」へと統合された。 このシステムは、「オンライン・サプライ・システム」を中心に、「販売計画システム」、 「生産数量管理システム」の三つで成り立っていた。その狙いとしては、[1]トータル在庫 の適正化、[2]輸送の効率化、[3]受発注、売掛部門の省力化、[4]生産調整業務の円滑化、[5] 販売活動の効率化、[6]管理レベルの向上、[7]流通情報システムの確立にあった。 まず、 「オンライン・サプライ・システム」が昭和 50 年から 53 年にかけて手がけられた。 このシステムは、販社への物流が販社からの注文に従って行われる方式ではなく、花王の コンピュータの判断により、商品を販社に自動的に供給するシステムである。この「オン ライン・サプライ・システム」に必要な販売予測、日々の販社の在庫状況の情報を電話回 線によるオンライン網を使って本部に伝えるのが、「販売計画システム」である(昭和 50 年 ~54 年)。また、「販売計画システム」と連動して、工場の生産計画や原材料等の調達計画 を策定するのが、「生産数量管理システム」である(昭和 53 年~56 年)。 このほか、サブ・システムとして、販売計画をもとにつくられた輸送計画どおりに製品 を自動積送する「自動積送システム」、販社からの毎日の売上情報、入荷情報をもとに、全 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 67 M NEXT 販社の在庫を一括管理する「販社在庫管理システム」、各販社への出荷に対する売掛金の計 上、仕切書、請求書の発行をする「売上自動計上システム」(昭和 51 年~52 年)、販売・マ ーケティング等、本社と販社間の情報交換をコンピュータで処理する「販社オンライン・ システム」が次々と導入された。このような各システムの結合によって、当初のねらいに 対して、図表6-26 のような成果が得られた。 図表6-26.ロジスティックス・インフォメーション・システムのねらいと実績 ねらい 実績 1.花王グループのトータル在庫の適正化 1.花王グループ在庫の減少(1.4ヶ月→0.9ヶ月)と在庫金利の減少 1.在庫の適正配置と販社倉庫の有効活用 1.品薄・品切れ防止 2.輸送の効率化 1.積載効率の向上(10%アップ) 1.輸送計画のシステム化 3.受発注、売掛部門の省力化 1.花王グループで73%減員(49→13人) 4.生産調整業務の円滑化 1.アラーム・システム導入による緊急生産調整の回避 5.販売活動の効率化 1.販売計画の精度向上 1.製品別、販社出荷売上速報のタイムリーな活用 6.管理レベルの向上 1.販売計画の精度向上(ブランド、サイズ別)-15% 1.棚卸管理の向上 1.物流専業者の経営近代化と業務安定に寄与 1.前近代的労務環境の改善 7.流通情報システムの確立 1.花王・販社間のオンライン・システムの完成 (3)マーケティング組織 昭和 42 年のブランドマネージャー制の導入から、約 10 年、花王は、商品の多角化をす すめるために、さらに努力をすすめた。 昭和 51 年、組織図のなかに、 「第1~第5プロジェクト」が明記された。これがのちに、 第3プロジェクトが「ロリエ」に、第1プロジェクトが「ソフィーナ」に、第2プロジェ クトが「モントン」(ケーキミックス)へと発展していった。 それとともに、管理本部、家庭品本部、化学品本部、生産技術本部、研究開発本部が設 けられた。 昭和 55 年、家庭品本部は、企画本部と販売本部に二分し、販売本部にはエリアマーケテ ィングを遂行するための販売部を設けた。同時に、 販売企画部 店頭技術部 フィールドコンパニオン 流通強化部 販社をエリア最強にしていく支援 流通政策部 販社セールスと販社マネジメントの育成 情報組織部 流通開発部 新しいチャネル開拓 というスタッフ部門も設けられた。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 68 M NEXT 企画本部には、七つのプロダクトグループがおかれ、プロダクトグループは、製品改良 と新製品開発が同時に行えるブランドマネジメントグループと、開発グループがおかれた。 昭和 58 年、家庭品企画本部は、プロダクトグループ・マネジャー制をとった。商品の多 角化は、これまで以上の競争相手をつくっていた。 香粧品-資生堂、カネボウ 衣料用洗剤・柔軟仕上剤-ライオン リビング洗剤-ライオン、ジョンソン 生理用品・紙おむつ-ユニ・チャーム これに、P&Gが加わっていった。そのために、中長期の展望をもった戦略が必要とな っていった。 図表6-27.組織図(昭和 51 年) 総 務 部 事 総 業場 務 勤 部 労 門 仕入 部 広 報部 秘書室 法規部 部 商標 特許 所 究 研 山 歌 所 和 究 研 京 東 発 開 究 部 絡 連 生 産 品 商品開発部 調査部 媒体 作成部 課・M K 生活 システム 室 科学 研究 社 所 第 会 1~ 事業 関連部 第 開発 5プ 部 営 ロジ 業 ェ ク 推 ト 進 部 部 発 部 開 品 策本 成 対 化 流 物 部 本 販売 業部 3事 ~第 第1 発部 油脂 開 油脂事業部 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 69 部 企画本部 マー ケ ティ ング 営業 油脂海外 開 発部 貿易 部 国際 事業 本 部 庭 部 部 財務 事業 関連 事業場 経理部門 系 海外 海 外 開 発 部 家 経理 化 門 理部 管 生産 工場 部 画 企 産 生 理 管 文 系 部門 理 管 画 管理 花王の組織 ・企 生産 工場技術部門 ・総 務 技 術 技術開発 包装技術部 人 事 財務 研 装置 技術 部 品質 工場 法律 部 発 開 テム ス シ 花王 所 基礎 科学 研究 所 部 事 人 栃 木 研 究 M NEXT 図表6-28.組織図(昭和 61 年) (4)営業 花王の営業は、オイルショック以降、配荷率では自信をもっていた。約 2,000 人の販社 セールスは、配荷率から、インストアシェアのアップヘと目標を転換していった。そして、 これを実施するための体制がとられた。店頭技術室である。そして、その成果は、「フィー ルドマーケティング研究所」に結びついていった。 花王のセールスマンの行動理念は、「情報による販売を通じて、販売店の繁栄につながる 販売活動の展開」である。 そのために、販売ノルマよりも、基本的な配荷率の向上、品薄品切れの防止、賃陳列指 導、創造的な店頭販促、サンプル配布、そして、生きた店頭観察が重視された。 とくに、媒体広告が全国に一律に行われているのに、なぜ、シェアに変動を生じるのか を追求し、シェアの向上をめざすエリアマーケティングと量販店での店頭陳列技術である。 個別のセールス活動では、店頭陳列技術、売場活性化が課題となっていった。そして、 その大きな柱に、パソコンによって最適陳列方法を見出す「スキマテック」が準備された。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 70 M NEXT 2.昭和 60 年代の花王の戦略と運営 昭和 60 年、花王は、6年連続の増収増益、売上は 4,057 億、総合生活化学企業になった。 昭和 40 年の販社化構想から、20 年、花王は再び、いくつかの構造的な変化に直面しよう としている。 (1)一元的販社化の意味 花王だけで販社を維持しようとすれば、品揃えをどうしても拡大しなければならなかっ た。商品の多角化、事業の多角化は、そういう面ももっていた。しかし、ソフィーナは、 結局、昭和 57 年、直販体制をとらざるをえなくなった。現在、花王は販社体制と直販体制 をもつことになった。 このことを、花王は「販社体制と直販体制の相乗効果で薬粧チャネルでの優位を勝ち取 ろうという野心的な実験に入った」と、とられていた。 しかし、顧客の変化によって、業種チャネルは、そのままでは、すまなくなってきた。 コンビニエンスストアの出現、メーカーの業態開発、異業種チャネルの開拓が進んでいた。 もう一方で、花王が積極的に進めてきた、情報システム化は、受発注のオンライン化に よって、セールス活動の受注活動の意味、VANによる小売店の情報提供によって、訪店 活動の意味を問うことになってきた。 物流の情報システム化の完了によって、花王は積極的な情報戦略をとりはじめた。 「ユニット・ロード・システム」 、「ロジスティックス・インフォメーション・システム」 の構築の次は、販社以降小売店までの物流に焦点をあて、在庫を持てない時代に対応する 「新開発システム」の構築は、現在進行中である(昭和 56 年以降)。具体的には、48 時間 配送から 24 時間配送へのシフト。そのための「広域物流センター構想」 (物流拠点の集約、 販社と物流センターの分離)が、昭和 61 年稼働の「東京物流センター」以来、首都圏で推 進され、17 ヵ所あった拠点が3ヵ所に集約される。 このほか、量販店とのオンライン化(昭和 59 年)、最寄りの公衆電話から直接販社のコ ンピュータに入力できる「携帯用端末機」の導入(昭和 58 年)といった、小売店からの受 注処理のオンライン化で 24 時間配送を支援するシステムも登場してきている。 また、今後、[1]複数販社の情報処理システムの開発導入 [2]スーパーへの配送合理化 [3] 日曜、祝日配送への対応 [4]配送車の共同利用 [5]時間外荷受と時差勤務体制の拡大 [6]計 画配送による車両数の減少 [7]女子作業員の導入など、末端物流の合理化を推進していく計 画である。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 71 M NEXT 図表6-29.ロジスティックス・インフォメーション・システム 花王 販社 発注 セールス ポータブル コンピュータ60% 40% ・スーパー チェーン ・コンビニ エンスス トア ・一般小売 店 ほか 28万店 購買 消費者 原材料メーカー 運賃 明細 ★販社経営情報シス テム ★販売計画システム 売上報告 ★自動倉庫システム 入荷報告 ★ピッキング・システ 販売計画 ム 自動回転ラック・ 入金通知 代金振込 システム 完全リストレス・ 銀行 ピッキング・システム 卸店 ★オンライン・サプラ イ・システム 積送展開 販社在庫管理 売上自動計上 ★販売計画システム ★売上代金処理シス テム ★物流費業務システ ム ★オンライン・ネットワ ーク・システム ★マーケティング情 報システム 小売業 110ヵ所 出荷案内 仕切書・請求書 3,700店 消費者情報 生産 日程 消費者市場 ユニット・ロード・システム (一貫パレチゼーション) ダイヤグラム輸送 生 産 工 場 発注 ・自動倉庫システム ・生産管理システム 運賃計算 明細 原材料メーカー工場 結合輸送 システム 運賃請求 コンピュータ情報の流れ 第3者荷主 物の流れ 荷受人 物流専業 会社 (出所:湯浅和夫「ドキュメント物流先進企業に学ぶ」) (2)技術の多元化 技術開発の多元化は急速にすすんでいった。1,500 人の研究員体制であり、2,000 人体制 へとさらに拡大をすすめている。5,832 人の従業員の約 26%を占めるにいたった。研究所 は、生産技術研究所、知識情報科学研究所が新たに追加され、9研究所になった。 東京研究所-化粧品、香粧品、香料、フレーバー、色彩科学の研究 和歌山研究所-油脂化学、高分子科学、化学品、製造プロセスの研究 栃木第一研究所-家庭用品、生物科学、応用物理、有機化学の研究 栃木第二研究所-衛生用品、素材組立加工技術の研究 鹿島研究所-脂肪化学、食油、食品、発酵、酵素の研究 豊橋研究所-鋳物用薬品の研究 生産技術研究所-プロセス開発、生産技術システムの研究 基礎科学研究所-生物科学、応用物理、有機化学などの領域で国内・海外の大学や研 究所と共同で基礎・探索研究をすすめている 知識・情報科学研究-コンピュータ-科学、情報科学の研究 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 72 M NEXT 図表6-30.技術の多元化 清潔なくらし のために ハウス ホールド 製品 ヘアケア 製品 化粧品 酸誘 導体 構造決定 分子設計 脂 肪 アル 栄養代謝 バイオ 化 学 術 テクノロジー 技 界面科学 工 洗浄 工 学 加 バイオ 油脂化学 リアクター 界面透性 高分子化学 人 生物科学 組織培養 学 間 分離・精製 工 応用物理 科 生理薬理活性 学 動 行 微粒子物性 皮膚生理 ズ カル 材料物性 エレクトロニクス ミ スペ ィケ シャ ルテ ルテ ャ ィ シ ポリマー ズ スペ 衛生用品 新素材 触媒 リン 油脂 ・グリセ スキンケア 用品 油脂化学 製品 脂肪アミン誘導体 誘導体 ール コ 脂肪 産業の発展 のために 界面 活性剤 食品 ファイン ケミカルズ 機能性 高分子 医薬品 健康と美 のために 人類の進歩 のために 研究開発費は、昭和 50 年の 15 億円か 図表6-31.営業利益/研究開発費 ら 120 億円へと、10 年で8倍に増えて いる。 万円 200 51 54 研究開発の投資額の累積は、10 年で 万円の研究開発投資で、188 万円の営業 営業利益 約 800 億円である。その成果は、100 57 52 56 53 55 プラス 61 59 58 60 100 利益をもたらすという形で着実に結び ついている。しかし、徐々にではあるが、 マイナス 低下の傾向にある。このことは、出願特 許件数が、昭和 50 年の 239 件から 550 件へと増えているものの1億円当りの 0 100 200 300 400 500 600 700 800億円 累積研究開発費 特許件数で換算すると、1件当り 630 万円だったものが、2,181 万円へとコストが上昇して いる。この背景には、基礎研究への投資、個人研究からシステム的な研究へ、開発リード タイムのロング化といった問題があった。 一方で、設備投資も年間 600 億と巨大であった。売上の 15%の額に相当していた。この 投資を支えるために、花王は、粗利益の高い商品へと多角化をすすめてきたともいえる。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 73 M NEXT このことによって、キャッシュフロー(減価償却費と内部留保)は、確実に増えている。 しかし、事業ポートフォリオは、昭和 48 年と比べ、改善されたとはいえない。 図表6-32.事業ポートフォリオ 昭和60年 昭和48年 薬用 クリーム 38 シャンプー 67 薬用石鹸 9 浴用石鹸 76 歯磨 13 成長性 5% 成長性 5% 住居用洗剤 44 リンス 30 家庭用洗剤 538 洗顔 フォーム 100 住居用 洗剤 55 浴用石鹸 198 家庭用合成洗剤 (粉末) 525 4 制汗剤2 家庭用 合成洗剤 203 生理用品 148 救急絆創膏 13 リンス 145 シャンプー 193 家庭用洗剤 薬用 (液体) クリーム 386 61 1.0% 相対シェア 台所用 洗剤 198 化粧品 146 歯磨 58 1.0% 相対シェア 注: 円内数字は出荷金額(単位:億円) (3)運営と文化 花王には、独特の運営の工夫がある。 人事では、成績の優秀な人間を採用しないという仕組みがあった。丸田社長自身、成績 がトップで不採用になった経験をもっていた。 給与も、経営者側と組合側の交渉ではなく、第三者的立場の人事部が毎年1月1日に一 発回答する。 また、花王は、情報の社員間落差をなくすためのさまざまな工夫をしている。花王MI S(マーケティング・インフォメーションシステム)もそのひとつである。 丸田芳郎社長は、情報共有による全従業員の叡智の結果を強調して次のように言ってい る。 「私ども経営者の重要な仕事のひとつは企業に働くすべての人々が喜んで協力し、努力精 進するように仕向けることです。この目標実現のために各自に平等にあらゆる情報 (Intelligence)を提供することが、前提条件です。このため私たちは次のようなことを行 っております。 第一の例はコンピュータの端末の使用を自由とし、すべての経営情報を入手可能にして おります。こういう点では、日本では従業員がほとんど同一会社で勤務生活を終えるのが 普通だと申し添えておいたほうがよいかもしれません。これゆえに外部に対する秘密保持 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 74 M NEXT 上の問題はほとんどありません。あったとしましても、こうしたことを行うことから生ず るメリットのほうが大きいと考えております。このことはすなわち上級の職員が下級の職 員に対し、情報上の格差を持ってはならないという考え方であります。 第二の例は、われわれが早朝ミーティングといっているものであります。私どもの会社 には五つの部門があります。これらの五つの部門は相互に関連しています。私どもはピラ ミッド的な権威構造の組織をとっておりません。社内で私は社長の権威を主張はいたしま せん。私どもは社外との関係においてのみ社長が必要と考えております。社外に責任をと る人物を会社は持たねばなりません。それ以外には社内の各自が平等であり、全員が貢献 し得る平等の機会があると考えております……。 第三番目の例は、食堂であります。食堂を利用して従業員の情報レベルの均一化を図っ ております。昼食時には私をはじめ、他の幹部たちも従業員とテーブルで同じ料理を食べ ます。 第四番目の例は、私ども幹部の部屋は扉はいつも開放されており、誰もが約束なしに訪 れて、話をすることが出来ます。現在議論している事柄に関係ない人も部屋に入り、議論 を聞くことを奨励しております。 第五番目の例は、私どもが小集団活動と呼ぶものであります。包装ライン、ボイラー室、 混合作業員、分析グループなど、5人ないし 10 人をひとつのグループとして、彼らの仕事 の生産性をあげるために集まります。もし必要ならば専門家の援助も借ります。生産性を 向上するため、しばしば、どうしたら彼等自身を不要にすることが出来るかを話し合いま す」(『続わが人生観わが経営観』花王石鹸広報部、1981) デシジョンルーム、役員の大部屋制などの工夫がなされている。 しかし、技術の進化は情報共有をより困難にしている。研究員確保のためには、もっと も優秀な人材を確保しなければならない。研究分野も、旧来の科学分野だけでなく、情報 技術が大きなウエイトを占めてきた。また、「マクロの世界で驚天動地の出来事があった場 合、皆が同じ方向に顔を向けて応じるのはよいが、その方向が間違っていたら……」とい う心配もあった。 (4)新たな実験 昭和 61 年、花王は、分社化の路線をとりはじめた。「縦糸に事業部ごとの命令系統、こ れに横糸としての従来の全社的な情報共有化を組み合わせた経営構造」というものである。 化粧品事業部、パーソナルケア事業部、ハウスホールド事業部、サニタリー事業部の4 事業部を事業本部に昇格させた。 そして、9月、常盤文克、渡辺正太郎両専務を責任者に、TCRプロジェクトチームが 発足した。検討事項は次の 12 項目だった。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 75 M NEXT <花王のTCRプロジェクトの内訳> 1. 製品保証システム 2. 建設・設備管理システム 3. 製造再配 4. 委託・外注システム 5. 支店・工場直結シテスム 6. 物流包装合理化 7. 化学品商流・物流シテスム 8. 化粧品業務新システム 9. 事務統合化 10. 販促物業務システム 11. 福利厚生管理システム 12. 「会議のあり方」「ペーパーレス」 VII.優れた戦略と論理 1.花王の強さの分析 戦後の苦難からの花王の歴史を、淡々とつれづれなるままに、整理してみた。さて、総 括してみよう。 花王は、どの戦略のどこが優れていたのだろうか。前評判は高いに決まっている。この 前評判にとらわれずに、我々なりの分析をしてみたい。 第一の強さは、研究開発-原料製造-マーケティングという統合力の強さである。花王 は、研究開発に優れている、ということがよく言われる。 しかし、特許件数、業界人の技術評価を総合してみると、必ずしも、そう簡単には言え ない。 花王の強さは、研究開発の単独の強さよりも、むしろ、[1]研究者の原料製造への夢をう まく活用し、[2]それを消費者のニーズと結びつけて、[3]原料製造の強みを最大限に生かす という強さにある。 研究者というのは、どうしても新しい原料を製造したい、という夢をもっている。花王 には、それができる条件がある。それを前提にして、商品の多角化はすすむ。その上で、 原料レベルの差別化を可能にできる。 花王のこの後方統合の強みである、これも、競争相手が真似しようとしてもそう簡単に は真似ができない。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 76 M NEXT 花王のひとがよくいう「リアルディファレンス」とはこのことだ。このことが、スムー スにできるようになるために、花王は、組織上の実験を何度も何度も繰り返している。そ の成果が、今の研究所の体制である。 本来、研究者というのは、非常に長期にものを考え、科学論文に関心や眼が向いている。 一方、マーケティングや営業は、短期的にものを考え、直接の顧客に眼が向いている。こ れを、組織上、統合して連動させる。異質だからこそ、その組合せで新しいものが生まれ るんだ、という発想があったようだ。この連動の強さがある。昭和 50 年代の商品多角化の 背景には、このことを忘れてはならない。 第二の強さは、販社-物流-情報-マーケティングという、後方に対して、言わば前方 への情報統合の強さである。花王は、販社の統合化と同時に、物流の近代化、そしてそれ に続く情報化に着手している。 販社制-物流投資-情報統合という連鎖の中で、固定費として埋もれてしまっている部 分である。 このふたつの強さは、マーケティングの4P(商品、流通、価格、宣伝、広告)で作ら れた強さではない。 その背後にある、製造、物流、研究開発、情報システムによって、言わば、その背後に あって支援する活動として作られたものである。これらは費用からみると、固定費として 存在するものであり、構造的強みとして、宣伝や広告のように一回一発で終わりというの ではない、競争相手が真似しようとしてもそう簡単には真似のできないものが完成し、固 定費の差になって現れてくるということである。(図表7-1、7-2) 図表7-1.前方統合と後方統合 マーケティングの4P 研究開発 購買 製造 物流 価格 (Price) 原料への後方統合 宣伝・広告 (Promotion) 情報システムによる前方統合 図表7-2.花王の構造的強み 花王 競合他社 連結と統合 (固定度) 流通 (Place) 真似のできない部分 (追いつくには、時間と投資が大) copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 77 商品 (Product) M NEXT 第三の強さは、今、という瞬間の花王のマーケティングの強さである。 堅苦しい時代の雰囲気にあったマーケティングを展開していることだ。 感性とかイメージとか、といった一時代前のマーケティングに対して、科学、論理、実 物接触というマーケティングで意義申し立てを行ったことである。それがマーケティング 関連業界と一部の消費者に確実に届いている。 花王の戦略からは、当然、導きだされるマーケティングが、時代と消費者が望むものと して受容されている。 このことは、花王にとっては、むしろ、「ギミック」なことなのかもしれない。時代の追 い風である。 2.優れた戦略と政治 花王は、何故、こうした構造的な強 図表7-3.構造的強さの背景 さを作り出すことができたのであろう 昭和40年代 か。現在の戦略構築の特徴とその要領 合成洗剤での 基盤 が隠されているように思われる。 前方統合によって生み出されたもの 外貨の自由化 流通革命の 伸展 危機意識 と、後方統合によって生み出された強 さに共通するのは販社制である(図表 販社制の導入 7-3)。 昭和 40 年代、流通革命と外資の自由 後方統合 前方統合 マーケティング 体制 化という状況のなかで、 「販社制」を導 物流体制の 整備 入した。この時代の雰囲気を今に例え るなら、農産物の自由化によく似てい る。アメリカが日本政府に圧力をかけ 昭和50年代 研究開発 体制の整備 情報統合化 て、農産物の自由化をせまる。それに、 日本政府が抗しきれず、譲歩する。日 本国内は、アメリカの農業には、とて 商品多角化 も対抗できないと、反対運動を起こす。 というような状況である。日本の農民=卸、アメリカ農業=P&Gを想定すればいい。そ して、新しい流通変革の旗手としてのスーパーという図式を思い描いても間違いはない。 当時のマーケティングの環境を心理的に再現してみると、こんなところだといっても、 遠く離れていないと思う。 こんな状況で、販社制を導入するということができるだろうか。戦後の花王の危機の状 況で助けてもらった「恩」への返事である。そんな状況で、販社制を導入した。もちろん copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 78 M NEXT 販社を維持するだけの、商品の品揃えの幅もない。この決断は、花王の戦後のもっとも大 きなマーケティングイノベーションであった。 これが、現在の強さを生み出した根本にある。しかも、それは、一貫した花王の戦略に なっている。我々は、そこに戦略の流れをみることができる。 昭和 30 年代の企業としての基盤づくり、昭和 40 年代の販社制、販社制を引金とした、 商品多角化のための後方統合、物流整備にともなう前方への情報統合というように、構造 的強さを作り出すための一貫した流れを観ることができる。 伊丹敬之は、優れた戦略の特徴を七つあげている。[1]差別化 [2]集中 [3]タイミング [4] 波及効果 [5]組織の勢い [6]アンバランス [7]組合せの妙である。こんな風に整理されると、 花王の戦略もこの七つが、それぞれに生かされている、ようにみえる。 この七つに付け加える、あるいは重点を置くとすれば、つぎの点である。 つまり、戦略を構築する立場からみれば、過去と未来をどう現在に繋ぐことができるか、 その上で、現在の流れをどちらに向けるか、「どんな道をつけるか」ということである。 このことがもっとも肝要である。エイベルは、そんな節目を「戦略の窓」と呼んでいる。 花王にとって、その戦略の窓にあたる時期、タイミングは、販社制の導入の時期であっ た。 日本の流通業はその後、流通変革の政治問題化と高度成長というなまぬるい状況のなか で、冗長な流通構造をそのまま温存することになった。花王のこの時点での意思決定は、 半分ははずれた、と今になって言える。 しかし、それを逆手にとって、一貫した戦略を追求し続けたのが、今の構造的な強みを 作り出しているといえる。そのスパンは、すくなくとも 10 年である。それには、ひとつの 歴史観というものが、3~5年の中長期の戦略構築の背景には、いるように思う。でない と、一貫した戦略もなにも、本当は作りようがない。 昭和の時代が終焉しようとしている、今、時代が大きく変貌し、産業が構造的に進化し ようとしている。そのモデルは、どの産業でも起こっていることを、顧客から、提供技術 から、企業の条件から、提示してきた。 そこで構築されるべき戦略は、新しい歴史観、新しい顧客理解を基礎にする必要がある。 その上で、10 年の戦略は、構築されるべきである。それを、いま、独創的に、どの産業 でも、どの企業でも作る機会がうまれている。全産業、 「戦略の窓」を迎えているのである。 ただし、難関がある。社内政治である。戦略の構築はできる。自分でできなければ、外 部に手伝ってもらえばいい。問題は、社内の政治だ。 花王の戦略は、どうみてもひとりの人間がつくったものではない。それぞれの担当者が、 社内と外部のうごきを観ながら、何人もの人が織りなす縦糸と横糸で織り込んだものだ。 ただ、一般的な企業では、真っ直ぐ針をいれようとすると、どうしても、「善意の邪魔」 が入る。この善意の邪魔が、組織化されると、余程の丈夫な針でないと、折られてしまう。 戦略に一貫性がなくなったり、中途半端になって、結局、もとの木阿彌になる。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 79 M NEXT 加護野忠男氏は、企業の革新のプロ 図表7-4.企業革新のプロセス セスを四つにわけている。[1]ゆさぶり、 フェーズⅡ フェーズⅣ 変化の正統 化と促進 新しい戦略 ビジョンの形成 [2]戦略的突出、[3]連鎖、[4]定着であ る。社内の政治に勝って、10 年願望し トップ レベル た戦略を構築するには、このプロセス 戦略的な ゆさぶり がもっとも優れたモデルだと思う(図 表7-4)。 フェーズⅠ 社内政治に巻き込まれた戦略家はも っとも悲惨だ。社内の政治によって作 られた動きと、戦略的に作られた動き ミドル レベル 戦略的 突出 とは、本質的に区別できないからだ。 政治は戦略の名のもとに語られ、戦略 変化の増幅と 制度化 フェーズⅢ 出所:加護野他 「企業革新」 が政治を利用する。この関係がある。クラウゼビッツのように、政治の延長に戦争があり、 政治的目標を、戦争という手段を使って達成する。戦略は、その目標をすべての手段を使 って達成する、ものだというようには、いかない。 花王は、販社制という危機的対応を、ゆさぶりに使いながら、前方へ後方へと機能的な 戦略的突出をやりながら、商品の多角化をひとつひとつ連鎖させながら、新しい花王への 革新を遂げた。このプロセスモデルで考えるなら、こんな風にも整理できる。 このプロセスを経ながら、花王が一貫したことができたのは、戦略に政治を従属させる ことができたからだ、ということができる。それを可能にしたのは、伊東英三-丸太芳郎 というトップの価値観を社内の文化と一致させたことにある、ように思える。 優れた戦略とは、政治をその内に包摂できる大きさとその工夫がなされている必要がある。 3.フローとストックの戦略 花王の事例から、優れた戦略とはどんな特徴をもっているのかを、現代の実際的な戦略 構築に答えられるように整理してみた。 10 年以上の流れを作り出せ、政治を超える仕込みを作れ、このふたつが現代の戦略構築の 本質的課題だ、ということが、強調したかったことである。このことが解けないと、構造的 な強さはつくれない。遺産を食い潰すか、グローバル化の進展の中で埋没し、企業に 30 年と いう寿命があることを立証する手助けになるだけだ。これからの花王も例外ではない。 じゃあ、今は、どんな戦略を構築すべきなのか、その答えは、根本的に三つある。 ひとつは、優れた戦略とは個別にしかない、という個別アプローチという答えである。 つまり、どの企業にも通用する戦略というものはないのだから、という返事である。 もうひとつは、戦略の構築に期待をかけないで、その戦略を生み出す組織的文化的条件 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 80 M NEXT を作り出せ、という返事である。 図表7-5.PIMSプロジェクトの新しい発見 最後の返事は、どの業種、どの企業にも通 用するものは、あるんだ、という返事である。 最近、日本でも、アメリカでも、戦略の分 析的アプローチが徹底的に批判された。その 逆襲が始まっている。分析的アプローチの最 先端とみられていた、PIMS研究者達の返 事が先頃、日本語になった。顧客からみた「相 対品質」が長期の収益性に有効だというファ インディングを第一に挙げている。本気の反 論だ(図表7-5、7-6) 。 PIMSプロジェクトの新しい発見 1. 結局長期的には、事業単位の業績に影響を与える もっとも重要な唯一の要因は、競争相手に対する 製品及びサービスの相対的品質である。 2. 市場シェアと収益性は強く結びついている。 3. 高水準の投資集約化は収益に強力な障害として作 用する。 4. いわゆる「負け犬」または「問題児」の事業の多 くは、キャッシュフローを生む事業となっている し、「金のなる木」がキャッシュを生まない場合 もある。 5. 垂直統合は、ある種の事業には収益性のある戦略 だが、そうとは言えない場合がある。(注. 垂直 統合の戦略をある条件のもとで有効だと検証した のは、この種の研究で初めてである(図7~9)。) 6. ROIを上げる戦略要素のほとんどは、長期的な事 業価値の向上にも貢献する。 出所.:R.D.バゼル他「新PIMSの戦略原則」 図表7-6.垂直統合戦略の有効性 (1)垂直統合、収益率、投資集約度 ①平均売上高利益率 ③平均売上高投資率 ②平均投資収益率(ROI) % % 10 10 % 60 50 40 30 5 5 20 10 0 0 40 50 60 70 0 40 50 60 70 40 50 60 70 修正売上高付加価値率(%) 垂直統合の比率が上がれば ①平均売上高利益率は上がる ②平均投資収益率は、中位でもっとも低くなる ③平均売上高投資率は高くなる 結局、投資集約度(平均売上高投資率)が低くてすむ。 垂直統合の高度化は高い投資収益率をもたらす。 (2)垂直統合度、投資集約度、投資収益率(ROI) 43 投資収益率(ROI)% 33 19 10 10 高 競合者と比較した 統合の程度 29 13 高 19 65% 50% 55% 投資集約度 40% (3)相対的垂直統合度と収益率 垂直統合度 後方統合 小さい 同じ 大きい 前方統合 小さい 同 じ 大きい 低低 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 81 平均ROI 消費財 生産財 18 22 25 20 23 26 22 22 19 23 22 23 M NEXT PIMS研究者達の返事の仕方は第三番目である。我々も、 「多次元接点戦略」という「も のの見方」と「構築方法」を提案している、のだから第三番目である。 さて、PIMSのように、戦略の一般原則を提案するつもりはないがいくつかの戦略上 の「焦点」を考えて見たい。 優れた戦略のひとつの類型(型)は、ここで取り上げた花王である。アメリカの「リミ テッド」、イタリアの「ベネトン」でもいい。 コトラー流に言うならば、「ジャスト・イン・流通」、「ジャスト・イン・生産」によって 機能統合された「ターボマーケティング」ということになる(図表7-7)。すべてを、鮮 度品にしてしまう「無在庫」(フロー)の鮮度マーケティングである。 マーケティングの4Pよりも、その背後の固定費での格差で、構造的な強さをつくりだ す戦略である。 言わば、マーケティングの「資産」をつくりこむ戦略である。自前の飛行機という「フ ェデラルエクスプレス」もその例に含まれるかもしれない。 図表7-7.ターボマーケティング(P.コトラー) CUSTOMER Retail Order Distributor Just in Time Distribution Production Schedule Just in Time Production Factory Investment Finance Supplier 出所:「流通情報」 1988年8月号 もうひとつは、ストックに対して、フローで、固定費をゼロに近似させ徹底して変動費 だけで、競争優位を作りだすものがある。 半導体産業を、その工程からみると、営業、設計、前工程、後工程というように大きく 四つに分割できる。その産業が、最終利用製品の多様化、日米両政府の介入による価格競 争から新たな付加価値競争への転換、設計支援装置の高度化によって、需要が大きく変わ ろうとしている。 その中で、工程上、もっとも重要になるのは、ユーザーのニーズをいかに設計できるか、 という点である。 当然、付加価値の存在も、営業と設計の連結点に移行してきている。 その結果、アメリカでは、製造設備をもたない半導体メーカーや、製造設備をリースで すませる企業が出現している。言わば、ニーズの理解力と設計によって、もっとも、最適 な前工程と後工程を利用する、のである。 巨大な設備投資(ストック)がないと参入できないように思われる産業ですら、フロー だけで、逆に、フローであるが故に、もっとも、ユーザーのニーズに接近できる可能性を copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 82 M NEXT もっているのである。 家電産業など、誰も、もうこれ以上参入できないと思われていた。今は、どうだろう。 シャープとカシオ以外は生き残れなかったはずの、電卓市場に松下の電卓が現れ、大手の 独占のはずの市場に、船井電機が、カメラ業界が、アジアのメーカーが相次いで参入して いる。 世界というネットワークを利用したフローの戦略は、もうひとつの戦略の類型である。 自分の身の回りをよく見渡して欲しい。固定費だと思っていたものが、変動費になり、 変動費が固定費になり、強みが弱みに、弱みが強みになっているはずだ。 それを、焦点に、顧客との新しい接 点が築けるのが、今の時代ではないだ ろうか。 フローとストックの戦略は、いまの時 代の両極である。図7-8の両極を、も たざるを得なくなってきているのが、ど 図7-8.ストックとフローの戦略 ストック 固定費 自力 技術力 自己完結 一元チャネル 戦略 費用 活用力 商品 組織 チャネル フロー 変動費 他力 編集力 ネットワーク 多元チャネル の産業のどの企業にも共通した状況だ。 VIII.構築と完結のために 前略 長文のお手紙、有り難うございました。会社の事業と会社の将来を憂うお気持ちがよく 理解できました。 ご依頼どおり、私のアドバイスをお役に立つかどうかは分かりませんが精一杯してみま す。 問題を三つに整理します。ひとつは、あなたがご担当されている事業についてです。ふ たつめは、その事業のマーケティング戦略についてです。残りのひとつは、あなたの会社 全体についてです。 率直に意見を申し上げます。そのほうが、「外部にいる内部」という私の原則的立場の堅 持とあなたの真の期待にこたえることができると思うからです。 あなたは、今、現在の事業をどう再構築できるかということで悩んでいるというように 書いておられました。来期の事業計画書も見せて頂きました。 御社の事業は、戦後常にトップシェアを守りマーケティングの革新でもいつも先端を走 って来られました。世間の認めるところです。事業計画を見せて頂いて驚いたのはその自 信のなさです。商品開発、チャネル政策、営業政策、宣伝広告、何をとってもその展開に copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 83 M NEXT 自信と気迫が欠如しています。革新性も稀薄だと言わざるをえません。 その根本は、どうも市場の見方と顧客の捉え方にあるように思います。「成熟」という促 え方です。どうも、あなたの根本的な考え方には成長商品、成長市場に出れば何とかなる が、市場が成熟してしまえばどうしようもない、という考え方が根強くあるようです。 あなたは、これまでマーケティングの教科書を熱心に読んで来られました。頭がさがりま す。しかし、それは大きな間違いではないでしょうか。成熟というものの見方は、発想の制 約と戦略の自由度を奪われるだけで、何の役にも立ちません。市場の見方を変えていかない と駄目なように思います。その見方を変えていくことの本質は、顧客をどう捉えていくか、 どんな見方をしていくか、です。あなたの計画書では、年代、使用頻度によって正確に市場 が分析されています。それが切り口になって、問題が提示されています。そこが間違いだと 思います。新しい解決策を導き出すためには、新しい切りロが必要なのです。世間で起こっ ているマーケティングの革新は常に新しい顧客の見方、切り方を伴っています。 そこに革新がなくて成熟で問題を片づけてしまっては困ります。 もし参考になるなら、ものの見方の変革のポイントを示してみます。一般論ですから、 あなたのような業界のプロには当然分かっていることかもしれません。 ひとつは、 「多次元」というものの見方です。顧客やそのニーズは多様化しています。当 たり前です。まず、第一のポイントはこの多様性という現実を承認することです。ウチは マスでないと思っているところに弱みが現れるのです。しかも、その多様性が進行する一 方で、市場の集約化も進行しているのです。多様化という方向と集約化という方向が同じ 市場で進むのです。 これを多次元というのです。ビールの市場を考えてみます。処理工程でみると、ラガー というものがありました。続いて、生というものが出てきました。次に、容器の多様化が 進行しました。そして、ドライが登場しました。こうしてみると、市場は常に多様化の方 向へ分散していくようにみえますが、もう一方で生へ、ドライヘと集約されています。市 場というのはこんな風に運動を繰り返しているのです。 第二のポイントはこうした市場の運動の現局面を、どう捉えるか、という歴史的なもの の見方が必要なのです。 あなたはよく勉強されているから、ポパーを引用して、歴史的認識の非科学性を指摘さ れるかもしれません。もちろん、私もこの問題を考えてみました。よくよく考えてみると、 私は「ものの見方」を変えようと言っていますが、哲学や自然科学の面でも同じことが言 われています。「近代の超克」「パラダイムシフト」というものです。最近の動きでは、浅 田彰達の「ニューアカ」を思い出されたらすぐ分かるかもしれません。この運動は、世紀 末に向かってますます強まるはずです。そのひとつの焦点は、科学的認識によって分断さ れた知識というものをどう総合できるか、という点に掛かっているように思います。その 焦点が歴史的なものの見方だと思うのです。 ポール・ケネディという人の「大国の興亡」という本がいま流行っていますが、歴史嫌 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 84 M NEXT いのアメリカであんな本が読まれるのはその兆候だろうとみています。司馬遼太郎やNH Kの歴史大河ドラマの好きなあなたなら感情的にはわかってもらえると思います。 もうひとつの現実的な理由は、現在の事業を革新するのには歴史的な認識なしで、その 方向を見出せないからです。 もう一度繰り返します。あなたの事業を再構築していくには、ものの見方を変えていく 必要があります。顧客の捉え方、見方を変えていく必要があります。これまでと同じ見方 で事業を再構築するのは困難です。事業の変革は、主体の変革を通じて可能になるのです。 1.接点とマーケティング戦略 もうひとつ、あなたはマーケティング戦略をどう組み立てたらいいのか、ということを 尋ねておられました。 正直にいって、あなたはこれまでのマーケティングにとらわれ過ぎていると思います。 商品、流通、価格プロモーションという四つにとらわれ過ぎています。素直に、考えてみ ましょう。顧客から考えてみればわかります。顧客に満足してもらうのに四つのPですむ でしょうか。もっと技術との連動がいるし、もっと物流との協力が必要だし、もっと外部 の力がいるはずです。当然、現在のマーケティングというのは、そうならざるを得ないの です。マーケティングで考えることは、常に、顧客の生活の幅より狭いものです。旧来の マーケティングの幅で考える必要は全くないんです。 教科書のレベルで言われているマーケティングで現在通用するのは、顧客主義という理 念の部分だけです。後は、解体してしまっています。それに代わる概念として「接点」と いう組立てが有効だと思います。 あなたの会社は製造業ですから、「顧客と商品の出会い方」を準備すると考えたらよい、 のです。どの業界でも通用する接点というのは難しいのですが、原理的には私達が発見し ている接点は五つあります。本当は未完成を含めるともっとでしょう。 ひとつは、 「物販」という接点です。旧来のブランド、固定費の高い物販チャネル、マス 宣伝広告というマーケティングで作られている接点です。この比率はどの業界でも年々低 くなっています。しかし、売上の中心となるものです。これまでの強みが弱みになってし まってどうにも脱出できないという状況に追い込まれています。この接点の革新の方向は、 根本的には「無在庫」化をすすめることだと思います。ジャスト・イン・配送、ジャスト・ イン・生産、ジャスト・イン・投資です。そのシステムの上で、新しい営業の体系が再構 築される必要があります。 ふたつめは、「コーディネート物販」という接点です。たくさんのブランド、パブリシテ ィ、新業態というマーケティングで作られている接点です。物販から分離された接点です が、投資が多くて回収ができず採算のよくない接点です。あなたの会社も3年前から取り copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 85 M NEXT 組まれています。 この接点は、製造業の中に「商人」を作りだしていく仕事です。多くの製造業が犯して いる過ちは、作る人と商人、難しく言うと、「商業資本」と「産業資本」の矛盾を理解しな いで、この新しい接点構築を進めていることです。製造業は、その内に商人をもつことは できないし、商人はその内に製造業をもつことはできません。何故なら、根本的に利益の 源泉が違うからです。 この接点は、製造業ですべてが準備されるものではなく、「第三セクター」、つまり、製 造業と流通業以外の第三者によって準備される必要があります。その意味で、どの産業に もひとつずつ第三セクターがいるように思います。 三つめは、 「ソフト・サービス・周辺」という接点です。今、本当に必要となっているの は商品それ自体ではなく、そのソフト、サービス、周辺のものです。ビデオを考えれば一 番よくわかります。ソフトがなければ「唯の箱」です。箱が欲しいと思うのは、機械マニ アだけです。ソフト・サービス・周辺に膨大な需要が拡がっています。この接点が製造業 が構築すべき新しい接点です。ところが、この領域というのは人中心のビジネスで、しか も、いわゆる水もので、リスクが高くて、単価の低いランニングコストを頂くというビジ ネスです。すべてが、フローで進んでいくビジネスです。形のあるものではなく、形のな いものを売るビジネスには特有の接点が必要です。 四つめは、 「異業種」という接点です。顧客が進化していくとその業界から届けるよりも 他の業界からアプローチした方が話が早いという接点です。業界の枠にとらわれていると、 他業界からの浸食にあっているということさえ見えなくなっている場合があります。時計 とファッション、電子ツールと文房具、化粧品と薬というように、いつの間にか業界の内 と外の境界で新しいネットワークが結ばれているケースがあります。 他業界異業種をターゲットとしたマーケティングで作られる接点です。リデルハートに「戦 略の間接的アプローチ」という言葉がありますが、言わば、間接的マーケティングです。 五つめは、 「非連続技術」という接点です。技術には、連続的なこれまでの延長線で考えら れるものと、これまでとは違う新しいパラダイムをもったものがあるのはご存じのとおりで す。レコードに対するコンパクトディスクなどが好例です。歴史的にみると非連続な技術革 新によって生み出された製品革新がこれまでの接点を変えていきます。一桁違う製造品質の 革新や高速の新製品開発は、アフターサービスや修理という参入障壁をなくしてしまいます。 レンタルという販売技術の革新は、価格というものを根底から突き崩してしまいます。内作 外注関係を越えたネットワークの構築はコストの在り方を変えてしまいます。 結局、生産-技術が前面に出るマーケティングでしか築けない接点です。 提案です。私達の見つけている五つの接点のように、もっと自由にマーケティングを考 えてみてはどうでしょう。あなたは好き嫌いが激しい人だから、できるだけ他部門には関 わりたくないと思っていて、無意識に考えないですましているところがきっとあるんです。 だから、それが壁になって新しい革新が生み出せないのではないでしょうか。人と人と copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 86 M NEXT の間に生まれる好き嫌いが組織の中に政治を生み、素直な解決策を見えなくしているよう に思います。 2.企業革新の方法 三つめのご質問、いくら正しい戦略を構築しても会社全体が変わらなければ難しい、と いう悩みです。 この問題はたいへん複雑です。私にあなたにピッタリしたお返事ができる資格があるの かどうかも疑問ですが、私の考えを提示してみます。 接点という考え方でマーケティングを組み立てていくと、必ず全社の機能を統合した答 えになります。機能の統合は、既存の組織の中での新しい連結と調整を要求します。その 連結と調整が成功の鍵を大きく握っています。そのとき既存の組織と運営のルールという 枠では解決がつかなくなります。 新しい接点は新しい運営を要求します。また、新しい運営は既存の運営とは馴染みませ ん。要求される人材も、これまでの企業で育ててきた人とは違う人が必要になってきます。 つまり、既存の精神上の制度上の枠組みでは収まりません。あなたけそのことを指して、 直観的に会社全体が変わらないと難しい、と考えられているようです。全くそのとおりで す。だからといって、諦めていてはどうしようもありません。 事業に要求される組織編成と制度を貫き通せばいいのです。しかし、現在の組織にはこ ういう素直な問題提起を受け入れてくれる運営制度も組織部門もなく、どうしようもない 事態に陥ることは間違いありません。 もし、こうした課題を素直に議論し実行できる組織があればその組織は健康体です。私 もあなたの会社の内情を噂程度にしか知りませんが、例の会議と例の組織が動くとは思い ませんし、あの人がそんなことをするとも思えません。戦略の実行はその提示方法と組織 編成と予算編成で決まります。このことは頭でわかっていても、誰もそんなことを素直に 信じてはいません。惰性と社内の政治調整で決まっているようです。 結局、あなたはこれらの事態を乗り越えていくしかないのです。企業革新です。企業の 革命です。 あなたは、これまで良寛さんを勉強されてこられた自然体の人だから、もうとっくにサ ラリーマン根性を超越されているだろうから、その前提で話をします。 ものの見方を変えて需要の本質にせまればせまる程、マーケティングも変わってきます。 私達はそれを接点と呼んでいます。それを既存の組織の中に落し込むには無理があります。 企業の革新をすすめなければなりません。あなたもよく読んでおられる加護野さんや野中 さん達はこのことをよくご存知です。あの人達の議論はたいへん参考になります。しかし、 難をいうなら、彼らは飽くまで企業の革新を外部から微細な顕微鏡を使って記述している copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 87 M NEXT ようにしか見えないことです。革新のプログラムを提示することには、興味も関心もない ように思えます。私やあなたが悩んでいるような、どうしたら会社を変えることができる か、という主体的な問題は等閑視されているようです。 でも、加護野さん達は革新のプロセスを提示してくれました。彼らは、革新は、その必 要性を認識する過程(ゆらぎ)、その実践による模範例をつくる過程(戦略的突出)、模範 例を拡大する過程(連鎖)、模範例を定着させる過程(制度化)があることを提示してくれ ました。畢竟すれば、革新は運動を伴うということ、運動は生成発展するということ、革 新の主体はミドルであるということ、の三つだと思います。トップというのはこの過程を、 危機意識、影の支援、ミドル間の新しい社内ネットワーク、新しい組織的器を準備するこ とによって促進する役割をもつものとして考えられています。 吉原さんという先生がいます。この人は、こうした革新の考え方に異議申し立てをして います。吉原さんは、こんなことで起こる革新は言わば小さいもので、本当の革命と呼べ るような大きな意思決定のいる大きな革新はトップがやるもんだ、と反論しています。ト ップが大きなビジョンを提示して計画的に革新を進めるのだと主張されています。 このふたつの革新の考え方が出てく 図表8-1.企業革新の方法 るのは、その組織観、人間観に根本的 な違いがあるからだと吉原さんは分析 しています。 前者を自然発生的ミドルリード型、 後者を計画的トップリード型と仮に名 付けてみます。違いと共通点がよく分 かると思います(図表8-1)。 経営のスタイル イノベーションの タイプ 革新の中心主体 蓄積型経営 (革新) 大きな革新 (多角化) 経営者 進化論的経営 (革新) 中程度の報新 (新製品) 中間管理者と 技術者 戦略的経営 (革新) 小さな革新 (製品改良) 第一線監督者と 作業者 参考:吉原英樹「戦略的企業革新」 3.ユートピアと啓蒙 このふたつの革新理論に通底しているものがあります。わたしがどうしても納得できな い、したくないことです。「進んだグループ(あるいは人)」と「遅れたグループ(あるい は人)」がいるという考え方です。そして、前者が後者をリードする、という考え方です。 こういう考え方は好き嫌いでいうと「大嫌い」です。こういう考えが「大衆をリードしよ う」とか、「大衆を啓蒙しよう」という進歩主義的な発想に繋がっています。模範例を作っ てそれに、右へ倣え、と号令をかけるというのは、どうにもこうにも虫酸が走ります。 何故かというと、現代に生きている人間というものを無視しています。こんな言い方はあ まりにも紋切り型で嫌いなのですが、自己実現や自己表現だ、と言われる時代に「啓蒙的な 発想」が間に合う訳がありません。組織構成員の多様性というものを承認していません。 もうひとつの共通点は、ひとつのビジョンやグランドデザインで、ユートピアを振りま copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 88 M NEXT いて組織をリードしようという発想です。ユートピアの発想は、未来の天国と現在の地獄、 彼岸と此岸というように二分化し、今の苦しさを未来の天国と彼岸の美しさを見つめて忘 れようというものです。こんな発想はとっくに中世の親鸞によって乗り越えられています。 彌陀の本願は、中途半端な宗教者よりも、仏のことなどひとつも考えたことのない人の方 にあるんだ、という絶対他力の思想です。浄土という中途半端なユートピアを振りまいて 組織をリードできる訳がありません。NECのC&Cがいいならそこへ行けばいい。ひと つのユートピアでリードできる組織なら、そんな組織はない方がいい。組織構成員の多様 性と絶対他力性を承認していません。 批判はしましたが、今度はそれに代わるものを提示しなければなりません。感想になり ますが、こんな風に考えてみます。進んだものが遅れたものをリードするという考え方に 対して、「中心と周縁のダイナミズム」と考えられないでしょうか。周縁が中心になり、中 心が周縁になる、中心と周縁は人を通じて媒介されるということです。媒介の手段は啓蒙 ではなく、情報と人の移転にあるように思います。 ひとつのユートピアに対して、多次元なユートピアという考え方はできないでしょうか。 ユートピアを実現された場、組織として表現するということです。しかも、複数の表現形 で。問題は、未来と現実にはタイムラグがあるということです。10 年我慢して、10 年後に ユートピアが実現しても 10 年の我慢はもどりません。組織的現実はいつも現在という時間 を先取りしていてこそ、ユートピアはユートピアとして組織体が享受できるのだ、と思い ます。 こんな風に変更して、ふたつの企業革新の方法の現実的適応に話を進めてみます。 4.対抗力を越えて あなたはどう思いますか。あなたの会社は、エジプトのピラミッドより大きなピラミッ ドをもっている会社だから、後者よりも前者だ、と思われるかもしれません、中小企業な ら後者ができるのにとお感じになられるかもしれません。しかし、問題は会社の大小では なく、社内の政治権力の在り方ではないでしょうか。私は長い間たくさんの企業を外部の 目でみて、内部の人間としていろんな支援をしてきました。その時に感じるのは、目にみ えない力です。権力です。職務と職制を越えたものを経験します。 ほとんどすべての重要な事項はミドルが決定し、トップは組織的根回しと稟機のうえで 承認するだけという「神興型」のものがあります。 また、反対にトップの意向ですべてが変わる、すべてがトップの意思決定を持つという「独 裁型」のものもあります。通常の経営学ではもちろんこんな分析をやっているわけではあり ませんが、一応仮に、このふたつの政治権力の在り方を類型として取り出してみます。 企業革新をこのふたつの類型と照らし合わせてみると、独裁型-計画的トップリード型 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 89 M NEXT 革新と神興型-自然発生的ミドルリード型では、その革新の方法に矛盾はないように見え ますが、独裁型のもとで自然発生的、ミドルリード型を、神興型で計画的トップリード型 革新を実行しようとすると、社内の現行の政治権力と正面衝突することになります。 あなたは、当社は民主的だから政治 権力というような物騒なものはないと 図表8-2.企業革新と政治権力 主張されるかもしれません。そんなこ 政治権力 企業革新の難易 神興型 とはありません。あなたは自分の利益 と会社組織の利益を同一視できるでし ょうか、社内の政治権力は個人の利益 と共同の利益を調整するためにあるの 企 業 革 新 独裁型 自然発生的ミドルリード型 やや易しい 計画的トップリード型 やや難しい 難しい 易しい です。あなたの地位と報酬が客観的に決められる訳がありません。もし、民主的ルールで 決められるのであれば、それこそ正に「量」という力が決めているのです。戦略とか、方 針が決めるのではなく、数というものが力をもってくるのです。現在の売上げかもしれま せん。あなたに助言するとすると、戦略を推進し企業革新を進めていくには、この政治権 力の問題を抜きに進めることはできない、ということです。これは、組織構造とも、企業 文化とも、分離して考えるべきです(図表8-2)。 企業革新は好き嫌いにかかわりなく政治的過程となります。政治的なものの本質は、「敵 と味方」を作ることです。私の最後の助言はこの問題です。企業革新のリードは耐えずこ の問題にぶつかります。企業革新の過程で敵と味方をつくることはもっとも危険なことで す。敵と味方の峻別は、革新のエネルギーを放散させてしまうからです。本当の敵は外に あるのに、内の敵へ対抗するのに力を使っていたのではいけません。要点は敵と味方の峻 別を敵より素早く行うことです。一番最悪の状態は、こちらが味方だと思っていたら、相 手がこちらを敵だと思っていた、という事態です。この場合、何の手も打てません。次に、 回避すべきはこちらも敵だと思い、相手も敵だと思っている事態です。この場合は、両者 の立場を変更しなければなりません。「豹変」という政治的マヌーバー(術策)です。 要は、できるだけこのふたつの事態を 回避して、こちらが敵と思い、相手が味 図表8-3.政治的術策 相手の見方 方だと思っている事態を作り出し、相手 が味方だと思っているうちに味方に引 き入れる手を打っておくことが重要な のです。企業革新の過程では力の分析を 常に行っておく必要があるのです(図表 8-3)。 味方 革 新 主 体 の 見 方 敵 敵 ・ 相手の役割を 変える ・ 豹 変 ・ 挫 折 味 方 ・ ネットワークを 結ぶ ・ 挫 折 政治的術策を操るものは政治的術策に陥って崩壊し、政治的術策を無視するものは政治 的に抹殺される、ということを忘れないで下さい。 さて、ものの見方から始まって、遂に企業革新と政治の話にまでやってきました。 copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 90 M NEXT 私達はこれらのことを、今、ひとつの戦略論にまとめようとしています。ものの見方を どうしたら変えていけるか、今のマーケティング戦略はどんな風に組み立てられるべきか、 戦略はどのようにしたら完結力をもつか、企業革新のプログラムはどのように描けるか、 実践のダイナミズムと戦略はどのように同期できるか、企業革新の主体はどうあるべきか、 企業の政治をどうしたら乗り越えられるか、現代人にとっての理想的な組織はどんなもの か、外部機関の役割はどんなところにあるか、模範例を作っていって組織全体がついてく るか、企業革新の最終目標は何か、ということです。あなたへの助言という形で、体系的 にではなく、散文的に提言しました。本当は、多次元接点戦略の認識論、戦略論、組織論、 革新論というように展開する必要があったのかもしれません。戦略と企業の理論はもうこ こまで解体され再編集されているのです。どうか、お体を大切にして、企業の革新を進め て下さい。私達の考える多次元接点戦略の主役はあなたなのですから。 敬具 (追伸) どうも長い間ありがとうございました。一部熱心に読んでいらっしゃる方がおられると 聞いてこんな文にしてみました。ご批判下さい。ありがとうございました。 [初出 1988.12 「営業力開発」 日本マーケティング研究所] copyright (C)2005 Hisakazu Matsuda. All rights reserved. 91