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コミュニティ教育のネットワーク開発としての 学校インターンシップ・2

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コミュニティ教育のネットワーク開発としての 学校インターンシップ・2
関西大学人間活動理論研究センター
Technical Reports No.8
コミュニティ教育のネットワーク開発としての学校インターンシップ・2
関西大学人間活動理論研究センター
Center for Human Activity Theory, Kansai University
山本 冬彦
Fuyuhiko Yamamoto
昨年度の本テクニカルレポート(第 7 号)では学校インターンシップの概要を筆者
の本務校である関西大学の事例に即して述べた。そしてそこでは、その意義、特にポ
スト工業社会における大学改革、大学教育の改革およびコミュニティ教育のための
ネットワーク開発と関連させて今後の研究課題を素描した。本稿ではそれを受け、昨
年度同じく関西大学の事例に即しながら、学校インターンシップの概要と特色、そこ
で生み出される教育効果、キャリア形成と教養教育との関係、教育実習などとの異同
などについて論じながら、学校間、学校と学校外の連携やコラボレーションによる可
能性を述べた。
キーワード:学校インターンシップ、コミュニティ教育、キャリア形成、教養教育、
ランジュヴァン・ワロン改革案
はじめに
昨年度のレポートで指摘したように、学校インターンシップは、社会の変化のなかで
学生のレディネスの変貌や、社会からの新しいニーズに応えるべくして行われている、
大学改革、大学教育改革の一環である。ここでは 2003 年度から学校インターンシップ
を実施し、大規模大学での特色を生かし、近隣の多数の教育委員会との連携協定を締結
しながら全学的な規模で取り組んでいる関西大学の事例に即しながら、そのコミュニ
ティ教育の開発として研究課題の側面を、昨年に引き続いて素描していきたい。
1 関西大学の学校インターンシップ
関西大学の学校インターンシップ・プログラムの取組の概要、創設の経緯などは前回
論じたのでここでは繰り返さないが、その特徴については本稿での論述と深く関わるの
で、少し重複する部分もあるが、まず、改めて整理しておきたい。
① 非教員養成系大学での展開
関西大学は、現在、10 学部、学生数約二万八千人を擁する、マンモス大学であ
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る。しかし、教員養成に特化した学部や学科はこれまで開設されてこなかった(な
お、2007 年 4 月から文学部総合人文学科に定員 50 名の初等教育学専修が設置され、
文科省の小学校教員養成のための課程認定を受けている)
。教員養成についてはい
わゆる開放系の教育課程をもっており、各学部の専門教育の領域に対応した中学
校、高等学校の各教科の免許の課程をおいている。そして、全学で毎年 400 人から
500 人の学生が教員免許を取得している。関西大学ではこのような状況のなかで学
校インターンシップを展開している。
こうした大規模な大学において、学校インターンシップは一学部、一セクション
といった限られた部署で限定的に行われているのではなく、全学的な体制のもとで
実施さされている。すなわち、全学的な組織としての社会連携部(各学部の副学部
長が参加する委員会によって運営される、2008 年 10 月より設立)のなかに位置づ
けられる高大連携センターと高大連携委員会が学校インターンシップの取組を所管
し、高大連携事務室が事務的な運営を担っている。
② 教職希望者および教職非希望者への開放
次に、学校インターンシップは全学の教育課程として、全学共通科目(かつての
一般教育科目に当たるもの)のカリキュラムの中に位置づけられ、「学校インター
ンシップ・Ⅰ」
、「同・Ⅱ」、「同・Ⅲ」として開講され、各学部の自由科目として単
位認定されている(卒業単位として認めている学部もある)
。また、Ⅰ∼Ⅲとして
の開講は、複数年度にわたる履修を可能とするもので、在学中に最大で 3 回の履修
が単位として認められている。同じく全学的に開講されている教職課程の科目とし
て位置づけられているのではない。したがって、学校インターンシップは、教職希
望者に限定せず、広く全学生を対象として実施されている。
③ 参加学生、受入申し込み学校数など
インターンシップの概要を示すために、関西大学で集計した派遣学生、学生の受
入可能校、受入可能学生のそれぞれの数値、学生が行った研修の内容、学生数の比
率を以下に示した。
表 1 は、派遣学生の経年変化を追ったものである。2003 年度は高校のみの派遣
でスタートしたが、それ以後は、後で述べるように各地の教育委員会との連携によ
り、小学校、中学校、幼稚園でも学生の受入が可能となった。数値についてここで
は特にコメントを加えないが、合計数は 2004 年度をピークに下降ぎみだったのが
2008 年度は 200 人弱までに戻った。二万八千人の学生を擁する大学としては少し
少ないという指摘もある。なお、学校インターシップへ参加した学生の 7 割が教員
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関西大学人間活動理論研究センター
Technical Reports No.8
免許を取得している。(注 1)
それに対して受入可能校、可能学生数を表 2 で示した。2003 年度は別として、
2004 年度から、受入可能学生の総数が 1000 人以上となっている。また受入可能校
数も小、中、高などをあわせて 200 校∼ 300 校台を推移している。
表 1 派遣学生の数
年 度
小学校(名) 中学校(名)
高校(名)
2003 年度
その他(名)
合計(名)
87
87
2004 年度
105
48
140
8
301
2005 年度
93
47
139
17
296
2006 年度
42
21
73
9
145
2007 年度
50
22
51
6
129
82
17
198
58
41
2008 年度
注(1)2003 年度は高校への派遣のみ
(2)その他は幼稚園、養護学校、特別支援学校など
表 2 受入可能校、学生数
年 度
小学校
中学校
2005 年度
2006 年度
2007 年度
2008 年度
その他
43 校
200 人
2003 年度
2004 年度
高校
合計
43 校
200 人
98 校
62 校
60 校
2校
222 校
1050 人
135 校
83 校
67 校
8校
293 校
1608 人
139 校
59 校
60 校
21 校
279 校
1457 人
151 校
59 校
65 校
8校
283 校
1229 人
159 校
79 校
63 校
23 校
324 校
1294 人
注(1)2003 年度は高校の受入のみ
(2)受入可能学生数の校種別内訳数は省略
表 3 は学生の研修内容の内訳を百分率で示したものである。経年変化の提示は略
したが、各年ごとにそれほどの変化はない。授業補助、行事補助、部活動指導が多
くの割合を占めているといえる。なお、この数値は学生が実際に行った研修内容に
ついてであり、学校が用意した研修内容の割合を示すものではない。教育実習と違
い、学生が行う研修の内容は、受け入れ校と希望学生とのマッチングにより決めら
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コミュニティ教育のネットワーク開発としての学校インターンシップ・2
れるので、結果として学生が望む研修が行われることになり、この数値は学生が希
望する研修の割合をある程度示しているともいえるだろう。
表 3 学生の研修内容
幼稚園
授業補助
50.0
小学校
中学校
高校
その他
44.7
18.5
14.0
33.3
補習・勉強会
0.0
8.5
25.9
10.5
0.0
行事補助
50.0
36.2
22.2
21.1
0.0
部活動指導
0.0
2.0
25.9
8.8
0.0
介護ケア
0.0
0.0
0.0
5.3
33.3
校務補助
0.0
4.3
0.0
12.3
0.0
進路相談
0.0
0.0
0.0
10.5
0.0
生徒会補助
0.0
0.0
8.7
5.3
0. 0
図書館業務
0.0
0.0
0.0
1. 8
0. 0
帰国生徒指導
0.0
0.0
0. 0
5. 3
0.0
4.3
8. 7
5.3
0.0
注(1)2007 年度の学生が対象で、2008 年 1 月 10 日現在の数値
(2)一人で複数の業務の研修を行った場合があるので、合計は 100%を超えている校種もある。
その他
0.0
④ 教育委員会との連携など
関西大学の学校インターンシップの取組は、大学が近隣の各教育委員会や高校
(公立、私立を含めて)に直接働きかけて、連携協定の締結(各教育委員会)や学
生の受入の依頼、募集を行って実施しているものであり、教育行政や教育現場との
密接な協力や信頼関係の上で成り立っている。ちなみに、連携協定を結んでいる教
育委員会は次の 20 の委員会である(予定も含む)。
大阪府、神戸市、大阪市、長岡京市(2003 年度に連携協定を締結)、高槻市、吹
田市、東大阪市、茨木市、箕面市、豊中市、摂津市、京都市(同、2004 年度)
、伊
丹市、寝屋川市、河内長野市(同、2005 年度)
、宝塚市、八尾市(同、2006 年度)、
藤井寺市、京都府(同、2007 年度)、守口市(同、2008 年度―予定)。高校とは個
別に学生の受入を依頼し、幼、小、中については各教育委員会ごとに受入の取りま
とめが行われている。
2 学校インターンシップの意義、教育的効果など
以上で、昨年度のレポートを補足する意味で、関西大学の学校インターンシップの概
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要を改めて素描した。次に学校インターンシップの意義や教育効果について述べてみた
い。関西大学では「取組のコンセプト」として、ア、キャリア形成を促す、イ、学生の
人間的成長を促す、ウ、ジェネレーションギャップの解消、エ、若い世代を介した小中
高大連携などをあげているが、本稿ではそれらも踏まえつつ、筆者独自の観点から少し
整理してみたい。
そこで、学校インターンシップをどのように定義したらいいのだろうか。この点につ
いては学生の受け入れる教育現場や送り出す大学の側で受け止め方が微妙に異なること
もあり、すっきりとした枠取りができにくいところもある。それは、今後の取組の展開
のなかで変化しうる、よくいえば多彩な可能性もった、あるいはあいまいな部分を抱え
たものであるが、前年度のレポートでは次のように述べておいた。
「
(学校インターンシップは)学生が学校現場で行ういわば業務の補助活動に対して大
学が単位を認定するという形で始められた。学生がそこで行う活動の内容は「ボラン
ティア」活動と違わないことの方が多いと考えられる(大学によれば教科指導以外の学
校での教育活動全般についてそれが網羅するような内容を少人数の学生に実施している
ところもあるが)
。この点を関西大学の例に即していうと、…(中略)…インターンシッ
プとして単位認定を行う限り、学生に対して一定の事前、事後指導を行い、なおかつ学
生の行った活動に対して学校現場からのコメントや評価などのフィードバックを掛けて
いるという点である。
さらに学校現場での学生の活動は、学生個人と学校側のまったく自主的で任意な合意
だけにもとづくものではなく、そのような学生と学校とのインターンシップをその学校
で行うことの基本的な合意をむろん前提としつつも、明示された一定の年間スケジュー
ルに枠組みのなかで行われているということも特徴としてあげられる。」(注 2)
この定義に基本的に変更を加える必要はないが、関西大学の学校インターンシップを
成立させている要因としては、次の 6 点が挙げられる。
ア 学生の研修に参加する明確な意思があること。受入学校にも受入の意思があるこ
と。
イ 研修に参加するために、大学が学生に対して一定の要件を課し、その獲得のため
の指導を行うこと。
ウ 学生の学校での活動は研修であり、大学教育の一環であること。
エ 学生が自分自身に対して目標を設定し、業務日報などの記録を行い、事後評価を
行うこと。
(一定の教育課程であること)
オ 受入学校の教員からの評価を受けること。
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カ 大学が学生に対して評価を行い、単位を認定すること。
この要因がひとつでも欠けるともはや学校インターンシップとはいえず、したがっ
て、学校インターンシップがボランティア活動などと一応区別されるゆえんである。な
お、蛇足ながらボランティア活動にはボランティア活動の深い意義があることはいうま
でもないし、それが学校インターンシップと通低する部分もあるといえるが、ここでは
それには触れない。(注 3)
以上の 6 点は学校インターンシップの外枠で、いわば制度的な側面、システムや手続
きに関する側面をといえるが、学校インターンシップがもたらす、教育効果という側面
からいうと、次に述べるような、また別の側面が見えてくる。
(ア) 大学教育のなかでの教職課程としての効果(教職としてのキャリア形成と呼ば
れる部分)
プレ教育実習あるいは教育実習を補完するような効果。教職課程の学習への動機付
け、教職の志望意思の確認、教職課程への適合性の判断。特に学校インターンシップ
は、キャリア形成を行おうとする学生自身の能力や資質の形成といった側面、特に児
童・生徒との直接的な対話の実現がこの効果を高めているといえる。
(イ) 学生の自己教育、人間形成、社会人としての自己形成などの効果
一般教養といわれる部分の教育効果で、教職へのキャリア教育という以外に、学生
個々人が学校現場を中心に自らの歩みを遂げてきたことを、大学生の立場で再び学校現
場に赴いて、振り返り、自らの成長の確認と今後への展望を切り開くことや(いわば自
らの歩みの自己確認、自己再認)と、年少者に対する人生の先輩としての年長者の立場
からの働きかけを行うことにより、自らの社会での役割を再認識すること、つまり、学
校現場で研修を受けることで「大学生が大学生になる」、「学生が大人になる」プロセス
を学生自らが獲得することができる。
前者については、自らの学びや育ちのプロセス、特に幼少期のそれは、リアルタイム
で生きている間は、そのライフスタイル全体の中での意義を確認できないし、大人に
なってからの子ども時代の確認は、大人の目として理解できるが、子ども時代の生をリ
アルタイムに再現することができないという、一種のアポリアに一つの橋渡しをする活
動である。(注 4)
また、後者については、そもそも「大学生が大学生になる」というプロセスそのものを
自然発生的にではなく、人為的に、いわば一定の制度的に枠取りされたプログラムのなか
で行わなければならないという事態を、学校教育や子どもの育ちのプロセス全体のなかに
どのようにフィード・バックしなければならないのかという問題も孕むものである。
(ウ)
教育を担う次代の市民としての教育の効果
三番目に、一人の市民として学校現場の課題を理解し、学校や教育者の役割、意義を
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改めて理解することにより、将来、次世代の子ども達を育てるという役割を担うための
一つのステップとなる。
(この点は特に、学校インターンシップに参加して教育現場へ
の否定的な印象や、自分の教員としての資質に疑問を感じることになった学生に対する
ケアやその後のキャリア形成の指導をどのように行うかという点とも関わって、好むと
好まざるとにかかわらず、否、は学校インターンシップにどのような意義や目標を認め
るかにかかわらず、踏まえねばならない問題であると私は考える。
)これは学校側から
みれば、「開かれた学校」の創造ということになるが、1996 年に出された中央教育審議
会の答申「21 世紀を展望した我が国の教育のあり方についてー子どもに『生きる力』
とゆとりを」の中で、その必要性が説かれている。以下はその一節である。
「…子供の育成は学校・家庭・地域社会との連携・協力なしにはなしえないとす
れば、これからの学校が、社会に対して『開かれた学校』となり、家庭や地域社会
とともに子供たちを育てていくという視点に立った学校運営を心がけることは極め
て重要なことと言わなければならない。
そこで、まず、学校は、自らをできるだけ開かれたものとし、かつ地域コミュニ
ティーにおけるその役割を適切に果たすために、保護者や地域の人々に、自らの考
えや教育活動の現状について率直に語るとともに、保護者や地域の人々、関係機関
の意見を十分に聞くなどの努力を払う必要があると考える。…学校は、家庭や地域
社会との連携・協力に積極的であってほしい。
また、学校がその教育活動を展開するに当たっては、もっと地域の教育力を生か
したり、家庭や地域社会の支援を受けることに積極的であってほしいと考える。
…」
よく引用される答申であり、
「開かれた学校」はこの間の教育改革のひとつのキー
ワードともなっている。しかし、いうまでもないことだが「連携」は「課題の共有」の
ないところでは行えないし、そもそもありえない。もしそれにも拘わらず学校と地域と
が何事かをいっしょに行っているとすれば、それは共同作業であっても、連携とはとて
もいえないものである。そしてこの課題の共有のためには学校と学校外の市民との「相
互の理解と信頼」が必要である。さらにそれは、
「保護者とのコミュニケーションがと
りにくい」といわれるようになった現在の状況のなかでは、決して一朝一夕に生み出さ
れるものではないのである。(注 5)
議論を戻すと、学校インターンシップで学生は、いわば子ども時代の目線とは違った
見方を持って学校へ入ってくる。そして自分達の見方や立場を 180 度転換することを強
いられ、それを達成することを求められるのである(これは、かつては徐々に行われて
きたことかもしれない)
。このタイミングで学生達が、昨年度のレポートでも指摘した
51
山本 冬彦
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ように、学校の教員の一員としてでもない、児童や生徒でもない立場で、学校現場をど
のように受け止め、どのように理解し、教育に対する信頼感を感じ、その役割を自らの
役割や責任としてどのように感じることができるのか、これが学校インターンシップの
基底に流れる教育効果ないしは教育的な意義の重要なポイントではないだろうか。
3 教養教育としての学校インターンシップ
次に教養教育としての学校インターンシップについて、少し別な角度から考えてみる
ことにする。先ほどから述べてきたように、学校インターンシップは一般教育あるいは
教養教育の側面と教職というキャリアに関わる専門教育という側面を持っている。この
点が実際にこのプログラムを教育現場との連携で進めていくときの、ある意味での「悩
ましい問題」となっているつまり、教員志望ではないのだけれどインターンシップ生と
しての研修を希望する学生を、学校現場でどのように受け入れてもらえるのかという問
題である。
(現実には、教員志望者に受入生を限定するのかしないのかは個々の受入先
の学校にゆだねている)。しかし、この両者はそう簡単に裁断してしまえるのだろうか。
教養教育をめぐって、私達が参照できる基準としては、戦後のフランスでまとめられ
た有名なランジュヴァン・ワロン改革案がある。同プラン第 5 原則のなかに次の文言が
ある。
「
(第五原則─勤労者育成の教育が人間教育を損なわないこと)…『勤労者の育成』は、
いかなる場合でも『人間の育成』を害してはならない。『勤労者の育成』というのは、
広い『人間発達』の補完的専門化として現われなければならない。ポール・ランジュ
ヴァンはいう『われわれが考えるのに、一般教養は、いろいろな形の人間的活動への手
ほどきであって、それはたんにある特定の個人の適格性を決定し、その個人が一つの職
業につく前に、その職業についてよく知って選ぶことができるようにするためばかりで
なく、なお彼に、他の人間との結合関係を保ち、他人の利害を理解し、自分自身のもの
と異なる他の人々の諸活動の結果を正当に評価し、自己の活動を全体と調和させること
ができるようにするためのものである』と。
『一般教養』がそれぞれの人間を近づけまた結びつける契機となるのに対して、
『職
業』はそれを分離する契機となることが多い。したがって、しっかりとした一般教養
は、常に職業的専門化の基礎として用いられ、また職業見習の期間中続けられるべきで
ある。そしてまた人間育成が、技術者養成の教育によって制限を受けたり、束縛された
りすることがないようにしなければならない。すべての勤労者が同時に市民である民主
主義国家においては、専門化がより広汎な諸問題の理解に対する障害とならないこと、
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また広いしっかりした教育が、
『人間』を技術者という狭い枠から解放することこそ、
とりわけ肝要なことである。」(注 6)
この改革案は、人間が近代的な科学を発展させ、生産技術を飛躍的に向上させてきた
時期の、つまり工業化社会が大衆化、高度化を迎えようとする第二次大戦直後の状況を
見据えた文章であることはいうまでもない。それを現在のポスト工業化社会の進展の
真っ只中で引き合いに出すのは時代錯誤のそしりを免れないかもしれない。また、ここ
でいわれている「勤労者」は物質的な生産労働に従事する人達を主に念頭において書か
れているといえるだろう。しかし、ポスト産業化社会のなかでは、教養教育は職業教育
としての側面をもつという指摘は、却って、切実な現実感をもつようになっている。さ
らに「教養はそれぞれの人間を結びつけ、職業はそれを分離する契機となる」という批
判は、今日のために書かれたかのようだ。
近代社会は分業とその裏返しの協業をグローバルに発展させると共に、普遍的な社会
を資本主義経済の浸透というかたちでこの世にもたらした。そこでまず実現されたの
は、市場原理や商品をアトムとした市民社会であり、人や物が使用価値と交換価値(価
値)とに二分される社会的評価のあり方であり、私的な利益や利害がその私的さ故に、
社会的に媒介されうる、つまり、普遍性を獲得するしくみであった。このような体制の
なかで、人間の労働や実践的活動が社会的に意味をもつためには、この社会的、経済的
原理の文脈に参入することであり、それ以外の活動は、社会の表舞台から覆い隠される
ことになったのである。
人間の人間的な諸活動はこうした様相で展開されるとき、人間的諸活動の全体性は一
人ひとりの人々のなかに実現するのではなく、社会的に有用とされる個々の仕事は専門
化されるとともに孤立化されてしまう。
教養教育とは、まさにこのような歴史的、社会的状況のなかで提唱されてきていると
いえる。そしてそこで現在、改めて注目されるべきは、この改革案でいわれる「
『一般
教養』が、それぞれの人間を近づけまた結びつける契機となる」という指摘である。さ
らにそれに対応して、ポスト工業化社会のなかで行われている、そして有用で多彩な仕
事が、相互に結びつけられ、新たな社会的な意義や役割を獲得するという、コラボレー
ション的な活動が進められなければならないと考えられる。
学問分野をはじめ人間の活動全般の専門化や細分化については、近代化のなかでこれ
までもさまざまな形で議論されてきたところである。ところが今日では、それが単に思
想や理念のレベルで起きていることだけではなく、現実のレベルで生じているといえ
る。同時に私達の生活が限られた狭いエリア(例えば地域社会)においてさえ、かつて
のような(いい意味でも悪い意味でも)均質性や価値の同一性を維持が困難となり、多
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コミュニティ教育のネットワーク開発としての学校インターンシップ・2
様な価値観や生き方が展開され、コミュニティ(この場合は地域社会)の変質、変貌に
対してどのような対処をすればよいかが、大きな課題となっている。また、そこに住む
人たちが抱える生活課題も多彩で多岐に亘るようになっている。しかし、同時にそれら
の多岐に亘る課題の背後に潜む関連性や繋がりを把握し、社会としての共通の課題を洗
い出し、それに対応することのできるシステムやネットワークの構築が求められている
のである。
例えば、本稿のテーマである学校インターンシップが関西大学で始められた経緯に
は、大学改革、大学教育改革という文脈がある。それは昨年度の筆者のレポートでも述
べたように、大学の地域連携、大学の社会的役割の再考や、再定立という目的のなかで
実施されているのである。それは大学の研究と社会との関係、大学教育(学生への教
育)と社会との関係、大学教職員と学生との関係、大学教職員及び学生と小、中、高校
などの学校の教員や児童・生徒との関係、総じて大学関係者と市民との関係の変化やそ
のなかで新たに求められているニーズへの対応という具体的な文脈のなかで生まれてい
るのである。
そしてこれは、大学に限らず、社会のなかのでそれぞれ固有の使命と役割を担う仕事
を行っているさまざまなセクション(学校、行政、医療機関、福祉機関、企業、NPO
…など)にとって、その社会的な役割や意味の再定義、再創造という課題の一部であ
り、そのような社会の各セクションがお互いにどのように新たな交流や連携を模索して
いけばいいかという課題とつながっているのである。(注 7)
もちろん、ランジュヴァン・ワロン改革案でいわれる「教養はそれぞれの人間を結び
つけ、職業はそれを分離する契機となる」というテーゼは、両者を分離し、固定しよう
とするものではない。教養教育と専門教育とは往々にしてそのように分離的にとらえら
れがちであるが、この統合の活動は、今述べたように、今日的な理解が許されるとされ
るなら、近代社会が生み出した分業の体制のなかで、その背後にある協業の体制をどの
ように再定立させるのかという課題であり、社会の各セクションでの仕事が社会的な役
割や意味の再定義、再創造が求められていて、同時にそれを実現するためのコラボレー
ションをどのように行っていったらいいのかという課題なのである。
なお、上記の課題を小、中、高校の学校教育に即していうなら、知育と徳育の結合な
いし教科指導と生活指導との関連性をめぐる問題という、きわめてオーソドックスな議
論になるだろう。非行、いじめ、不登校などの頻発や家庭の状況の変化、
「子どもの社
会力」の低下(注 8)のなかで、学校教育における児童・生徒の生活指導、生徒指導、そ
して道徳教育の占める位置が大きくなってきている。しかし、学校での教育である限
り、あるいは現代社会での教育である限り、教科の教育や指導と全く分離された生活指
導や道徳教育はありえないだろう。これは科学者が自らの専門的研究が社会との関連や
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倫理の問題を抜きにありえないのという問題とも響き合うものであるし、逆に子どもた
ちが自分達の生活の意味を問うためには、教科の教育が不可欠なのである。(注 9)
4 学生の活動と学校インターンシップ
最後に関西大学の学校インターンシップの具体的な活動についての議論に戻りたい。
本年度の関西大学の取組のなかで、新たに、学生による学校インターンシップ懇談会が
結成された。学校インターンシップは大学教育の一環であり、その運営については大学
教職員が行っているが、その主役は研修に参加する学生である。したがって、学生が学
校インターンシップの運営に何らかの形で参画したり、その意見を表明し、運営に
フィードバックすることのできるしくみの創設は、2003 年度の取組開始時以来の懸案
事項であった。関西大学の学校インターンシップの取組が本年度 6 年目を迎え、取組の
全体の流れも落ち着き、協力していただいている教育現場へのインターンシップの理解
もほぼ浸透したこともあって、複数の年度に亘って研修に参加してきた学生に対して、
6 月に学生懇談会の結成を呼びかけた。その結果、5 名の学生が応答し、同会が設立さ
れた。この懇談会は、はじめて研修に参加する後輩の学生へのアドバイス、受入学校の
担当者が集まり、大学側から説明を行う「受入担当者会議」へ出席し、学生の立場から
の説明の実施、研修終了後に行われる事後報告会や 09 年 1 月 10 日の開催された「学校
インターンシップ」シンポジウムへの報告とパネリストとしての参加などを行った。さ
らに 12 月 19 日に行われた事後報告会で、その場に参加した 79 人の学生へアンケート
調査を実施し、学生のインターンシップへの満足度、不満であればその理由などを調べ
た。その調査結果の一部は先ほどふれた 1 月 10 日のシンポジウムの場で発表され、当
日パネリストやフロアとして参加した学生を受け入れる立場の教育現場の教員や関西大
学の教員とのあいだでの議論となった。このシンポジウムでの懇談会の報告内容、シン
ポジウムでの討論の詳細は別稿に譲るが(注 10)、懇談会からの報告は、
「参加した学生の
なかには少数ではあるが、その派遣された学校で、必ずしも自分の希望するような研修
ができなかった場合があり、それに対して受け入れ側の教育現場ではどのような見解や
理解をお持ちだろうか」という内容のものであった。
懇談会のこの発言は、シンポジウムの会場では、率直な学生の意見として、参加した
人達から大変好意的に受け止められた。このような学生の意見が生まれたのは多くの場
合、学校インターンシップという制度のしくみや目的などが教育現場や学生個々人につ
いて、まだ充分理解されていないことによる、いわば手続き的な錯誤からくるものだと
概ね推測される。ただ、教育実習とは違って、学校インターンシップがその学生のエン
トリーの際に、それぞれの学校が提供する研修の具体的な内容に対して、学生が選択を
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山本 冬彦
コミュニティ教育のネットワーク開発としての学校インターンシップ・2
した上で、学生と受け入れ先の学校との双方の合意の上で、研修が行われることになっ
ている。このいわゆる「マッチング」の存在が、学校インターンシップの特色であり、
他の教育実習や教員養成のための類似の制度と異なっているところである。教育実習で
は、そこで行われる実習内容について、基本的に学生に選択の余地はない。また関西大
学文学部初等教育学専修で実施している学校参加とフィールドワークでも、受け入れる
学校でどのような研修が行われるか、事前に学生に提示されるが、事実上、学生に研修
内容についての選択権はない。
このマッチングの存在は、学校インターンシップを従来の教育実習ともまた、ボラン
ティアとも一線を画するものとしているといえる。それは、昨年度のレポートでも少し
述べたように、異なる組織に属する人達が、それに関わるさまざまな人達のニーズの一
致や課題の共有のなかで行っていく新たなコラボレーションの萌芽を示しているのでは
ないだろうか。もしそうだとすれば、コミュニティ教育の開発としての学校インターン
シップの取組とは、学校間の、あるいは学校と学校外との間に、相互の教育活動の進化
のための連携や教育のためのコミュニティを生み出す営みといえる。
むすび
以上、学校インターンシップについて、今年度も現在進行中の関西大学の事例に即し
て、その研究課題を整理してきた。学生の研修状況、教育現場での状況などのデータは
現在収集中であり、今後、研究成果としてまとめていきたい。
注▶
1 関西大学高大連携事務室・山本冬彦編『人間性とキャリア形成を促す学校 Internship 小中高大連携が支える実践型学外教育の
大規模展開・2007 年度報告書』254 頁
2 拙著「コミュニティ教育開発としての学校インターンシップ」(『関西大学人間活動理論研究センター、テクニカルレポート』
(2008 年 3 月)112 ページ
3 山本・渥美・諏訪 『人間の実践的な活動としてのボランティア : コミュニティ教育に向けて』(国際ボランティア学会『ボラン
ティア学研究』vol.8. 2007)
4 例えばクロンは「子どもは自分の児童期を生きることしかできない。児童期を認識するのは大人のすることである」と述べて
いる。アンリ・ワロン・竹内良知訳、『子どもの精神的発達』(人文書院、1982 年)13 頁
5 アメリカでも学校、家庭、コミュニティの連携については課題化されているし、親の高学歴化や親の教育に対する理解の欠如
のなかで、教員と保護者、市民との連携が真剣に模索されていることは昨年のレポートで示したとおりである。
6 宮原誠一他編『資料 現代日本教育史 1』(三省堂、1979 年)110 ∼ 116 頁
7 一昨年度の筆者のレポートで、地域での放課後教育の活動のなかで、大阪市交通局のメンバーとの連携のなかでの教育活動
(「地下鉄教室」
)を取り上げたが、この活動も、鉄道という近代のさまざまな科学・技術の成果がどのように人間生活に対して
意味を持つか、公共交通の役割とは何かを、改めてその仕事をになう当事者と、それを生活のなかで利用する地域社会の人た
ちや子どもたちとが出会い、交流する中で再度深めようという意図のもとで行われたものであった。これは、鉄道を管理・運
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関西大学人間活動理論研究センター
Technical Reports No.8
営するための科学的な専門的知見に基づいた技術の原理としくみを学びながら、その知識や技術がどのような社会的意味を持
つのかを、つまり人々のどのように結び合わせるものなのかを考える場であった。
8 門脇厚司『子どもの社会力』岩波新書、2003 年参照)
9 少し蛇足になるが、ランジュヴァン・ワロン改革案では改革のための一般原則として 6 つの原則を掲げているが、その第 2 原則
では「社会的なあらゆる種類の仕事の価値の平等」を掲げ、「社会的なあらゆる仕事の平等さが認められなければならないし、
仕事や実務的知識、技術などの物質的・精神的価値が認められなければならない。この現実的価値の再分類こそは、近代民主
、第 4 原則
主義社会において欠くことのできないものであり」と述べ、第 3 原則では「完全の教育を受けるうける万人の権利」
では「能力の正しい発達と利用のための指導の原則」が示され、
「現在の選抜制度は、ある職業について最も才能がある者を、
彼がそこですぐれて貢献することができるであろうと思われる職場からそらす結果になっている。それゆえ、個人の才能と同
時に社会の需要に基礎をおいた勤労者の割り振りが、こういう選抜制度に取って代わらなければならない」と指摘されている。
この指摘は、子どもがどのような職業につくのかにいての選択や指導は、社会で子どもたちの将来のために用意されたそれぞ
れの仕事が同じ価値をもつことが認められるなかではじめて意味を持つものであり、その子どものもつさまざまな能力が発揮
され、その開発への教育や指導が、その子どもにとっても、そして社会にとっても意義があるということを示している。つま
り、子どもの職業選択の指導と仕事の現実的価値の再分類とは分けて論じることができないものであり、現在の言葉で言えば、
キャリア形成と子ども達が選択しようとするそれぞれ仕事の社会的な再評価とは絶えず車の両輪のように関連しているのであ
る。もしこの関連が切断されるなら、キャリア形成はきわめて不十分、不適切なものとなるのである。学校インターンシップ
の研修に参加した学生は必ずしも、教師という仕事に自らの希望や適切性を見出して大学へ帰ってくるとは限らない。却って
自らの教員への志望を断念したり、教育現場に対して否定的なイメージを抱いて研修を終了する場合もある。こうした学生に
対するその後の指導どのように行っていいのかは今後の重要な課題であるが、その際に、この改革案の指摘は重要なヒントに
なるだろう。
10 関西大学高大連携事務室・山本冬彦編『人間性とキャリア形成を促す学校 Internship 小中高大連携が支える実践型学外教育の大
規模展開・最終報告書』(2009 年 3 月)参照
文献▶
(関西大学文学部、2004 年 3 月)
• 関西大学文学部編『2003 年度 学校インターンシップ報告書』
• 山本冬彦他編著『2004 年度 学校インターンシップ報告書』
(関西大学重点領域研究報告書、2005 年 3 月)
• 関西大学高大連携推進事務室編『2005 年度文部科学省「特色ある大学教育支援プログラム」人間性とキャリア形成を促す学校
Internshilp 小中高大連携が支える実践型学校外教育の大規模展開 2005 年度報告書』(関西大学 2006 年 3 月)
• 関西大学高大連携推進事務室・山本冬彦編『2005 年度文部科学省「特色ある大学教育支援プログラム」人間性とキャリア形成を
促す学校 Internshilp 小中高大連携が支える実践型学校外教育の大規模展開 2006 年度報告書』
(関西大学 2007 年 3 月)
• 関西大学高大連携事務室・山本冬彦編『2005 年度文部科学省「特色ある大学教育支援プログラム」人間性とキャリア形成を促す
学校 Internship 小中高大連携が支える実践型学外教育の大規模展開・最終報告書』(2009 年 3 月)
• 宮原誠一他編『資料 現代日本教育史 1』(三省堂、1979 年)
• 山本冬彦「コミュニティとコミュニティ教育展開のためのフィールド」(山本冬彦編『コミュニティ教育の展開のためのネット
ワークの創造と人材開発』(関西大学人間活動理論研究センター『テクニカルレポート』、2006 年 3 月、所収)
(なお、本研究の一部は平成 18 年度関西大学研修員研修費によって行った。
)
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