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日本記者クラブ会報州

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日本記者クラブ会報州
日 本 記 者 ク ラブ 会 報
本 年 度 の ク ラブ 賞
の真 相 解 明 に 努 め てき ま し た 、
.
.
.
.
口を 得 る と い う r 法 で 、 11 米 関 係
春名氏 (
共同)に 決 定
作 名 幹 男 会 員 が 、こ と し の ” 本
記 者 ク ラ ブ 賞 の受 賞 暫 に 決 ま り ま
そ の成 果 は κ﹁国 に 及 ぶ 連 載 企
画
発 行
希.. \
口占 .. .
東 京 都 丁﹁代 田 .区 内 -皆 町 ..ノ ..ノ
日 本 記 者
.
ク ラ ブ
ー1 本 プ レ ス セ ン ダ ー ビ ル
↑社 団 法 人
企 画 委 員 か ら の受 賞 は 初 め て で
5月10日
発 表 と なり ま し た ,
今 回 は 放 送 か ら 一.人 、 新 聞 ・通
信 か ら 四 人 の 候 補 が 推 薦 幹・
、れ た わ
け で す が 、 .人 を 除 い て あ と は み
な 候 補 が 所 属 す る 社 の 報 道 局 、長 、
それ
を 行 い 、 同 11 夕 刻 開 催 の 会 員 懇 親
で 、 ど の候 補 が 受 賞 し て も お か し
賞 に ふ さ わ し い方 が 推 さ れ た わ け
脚
てれ の 祉 で 、 現 ハ
仕 も っと も ク ラ ブ
編 集 局 長 によ る 推 薦 で し た
会 で い つも の よ う に受 賞 ス ピ ー チ
く な か った と い う の が 、 率 直 な 感
放 送 の現場 だ け で なく 、新 聞 の
想 です 、
の締 め 切 り ま でに、全 部 で六 人 の
取}
材 ・報 道 も 組 織 的 な も の に な っ
て き て いま す . が 、 ジ ャ ー ナ リ ズ
に入 念 に 目 を 通し て いた だ き ま し
デオ テー プ 、著 作 など の参 考 資 料
国 の報 道各 礼 の性 格 を 考 え ると 、
ー ナ リ ズ ムと も 形 容 で き る 、 わ が
終身.
雁用 に支 え ら れた 紐織 ジ ヤ
藤冊
ク ラ ブ 賞 推 薦 委 員 へ漏 ︹委 昌ハ.長
た.
、 そ の 後 .一
月 ..卜 六 目 に 推 薦 委
チ ー ム プ レ ー の 中 で 核 に な って ・
E
[個 人 ﹂ な
ム の 力 の根 源 は や は り
員会 が 開 か れ 、六 候補 に つ いて の
導 し て いる
受 賞 者 と し て 理 事 会 へ答 申 す る こ
を 行 った 結 果 、 春 名 氏 を 本 年 度 の
(
委 貝長
門 田衛 ﹂ ︺ で最 終 選 考
参 考 にし て、 クラブ賞 選考 委 員 会
四 月 六 H、推 薦委 員会 の評 価 を
と が 報 道 ・論 評 の 活 性 化 と 成 熟 に
を 各 社 が さ ら に 大 事 に し て いく こ
し ょ う か . ま た 、そ う し た -個 人 一
う 形 が .番 望 ま し い の で は な い で
う に 編 集 ・報 道 責 任 者 が 推 す と い
岩 崎玄道 ︺
も 資 す るはず です .
︹専 務 理 事
と が 決 ま り ま した 、
、 こ の答 申 を 受
﹁個 人 ﹂ を 、 今 回 の よ
評 価 が 整 理 さ れま し た ,
のでは な いでし ょう か
原.
房.
r ︺ の 方 々 に 、 ﹁推 薦 理 由
.
と と も に 添 付 さ れた新 聞 記 事 、ビ
候 補 の推 薦 があ り ま し た . ま ず 、
こ と し の ク ラ ブ 賞 に は .月 末 目
を し て いた だ き ま す
す.
、 瓦 Uり..レ 、日 の 総 会 で 贈 賞 式
第411号
2004年
いド成16年:1
け 、 四 月 十 五 B の理事 会 で決 定 、
1:1上
した 春名 さ ん ︹
圧 し 歳 ︺は 、共 同 通
信 社論 説 副委 員長 ・
.
編 集 委 員 で 、ク
の 裏 面 史 `と し て 加 盟 社 に 配 信 さ
﹁秘 密 の フ ァ イ ル ー1 日米 関 係
ラ ブ の企 画 委 員 で も あ り ま す .
(κ ヒ
年 ∼ 九 八 年 ﹀、 そ の 後 も い わ ば ラ
れ 、各 紙 に掲 載 さ れま し た
報 道 にあ り ます 、米 特派 員 時 代 か
イ フワ ー クと し て この問 題 に 取 り
そ の仕 事 の特 徴 は 息 の長 い調 査
ら、情 報 公 開制 度 を 利 旧 し て国 凱
組 み 、 二〇 〇 〇年 には
︹〇 一
一.
年 に加筆 し て文
C I A の対 日 工 作 ﹄ を 田
行 しま した
”情 報 活 動
を 当 てた と し て評 価 され ま し た .
た も の で 、 口 米 関 係 の裏 而 史 に 光
”と い う 側 面 か ら と ら え
H ま で の ..国 間 関 係 を 、 未 開 拓 の
.連 の 仕 事 は 真 珠 湾 攻 撃 か ら 今
庫 化 と、
﹃秘 密 の フ
公 文書 館 の資料 から .
新 事 実 ”を 発
ァイ ル
春名 幹男会 員
掘 し 、当 時 の関係 者 を 探 し出 し 証
第411{
2004年5月10日
国 立 感 染 症 研 究 所 ウ イ ルス 第 三部 長
レ ジ ェ ッ プ ・タ イ ップ ・ エ ル ド ア ン
ト ル コ首 相
考 え なけ れば なら な い、と 田 代 さ
よ う な 可能性 は、 今 後常 にあ ると
恐 ろ し い事 態 が 予 想 さ れ る 。 そ の
せ 持 つこ と に な り 、 人 類 に と っ て
い毒 性 と 、 人 に 感 染 す る 性 質 を 併
が 出 現し た場 合 、 病 気を 起 こす 強
こか ら 同僚 家 族 が船 で脱出 し た 先
進 撃 で ベイ ル ー ト が包 囲 さ れ、 そ
いた 。 イ ス ラ エ ル 在 勤 時 、 同 軍 の
が 、 な ぜ か そ の島 国 が 気 にな って
地 は キ プ ロ ス の パ フ ォ スと さ れ る
海 の泡 か ら 生 ま れ た 女 神 の誕 生 の
美 と愛 の象 徴 ア フロデ ィー テ。
表 舞 台 登 場 だ った 。 会 見 で も 、 対
高 い エル ド ア ン 氏 の 満 を 持 し て の
的 な政 界実 力 者 で、国 民 の人 気 も
首 相就 任 は 昨 年 .
一
.
月。 カ リ ス マ
象 を受け た 。
m す こ と への 期 待 を 込 め て いた 印
民 が賛成 多 数 で 和平 案支 持 を 打 ち
そ の熱 っぽ い 口 調 に 、 ト ル コ系 住
眞人
ん は警 告 した 。
が ラ ル ナ カ だ った こ と も あ る が 、
日 関 係 の 一層 の強 化 、イ ラ ク 問 題 、
田代
こ の危 機 に 対 応 す る た め に は 、
そ の島 に 一九 六 〇 年 代 か ら 国 連 平
パ レ ス チ ナ 問 題 、 日系 企 業 の 進 出
った 、 負 け た の 問 題 で は な い ﹂。
め た アジ ア各 国 で 集 団 発 生 し 、 さ
ま ず事 前 準備 が重 要 で、 国際 的 な
和 維 持 軍 が 駐 留 し て いた か ら だ 。
▼ カ リ ス マ的 な 案 力 者
ら に鳥 イ ン フル エンザ ウイ ルス
監 視体 制 を強 化し 、 ワク チ ンと 抗
そ の上 で、 新 型 イ ン フル エンザ
が 、 人 か ら 人 へと 感 染 す る 新 型 イ
な ど さ ま ざ ま な 質 問 に明 快 な 言 葉
可 能 性 が心 配 さ れ て い る 。 こ の時
ン フ ル エ ンザ ウ イ ル ス に 変 異 す る
な け れ ば な ら な い。
鳥 イ ン フル エ ンザ が 、日本 を含
▼新 型 ウ イ ル ス の 脅 威 を 警 告
司会
れ は ウ イ ル ス の表 面 の H A (
赤血
ど の よ う な 仕 組 み に よ る のか 、 そ
が 感 染 し 、 病 気 を 引 き 起 こす の は
ま ず 、 イ ン フ ル エンザ ウイ ル ス
田代 眞 人 さん の研 究 会 は、多 く の
期 に 開 催 し た 、感 染 症 学 の専 門 家 、
ておく こと が 、健 康 被害 を 最 小 限
悪 の ケ ー スを 想 定 し て 対 応 を 考 え
いう 優 先 順 位 も 大 き な 問 題 だ 。﹁最
チ ンと 治 療 薬 を 、 誰 か ら 使 う か と
あ る 。 供 給 量 が 限 ら れ て いる ワ ク
な ど 行 動 計 画 も た て てお く 必 要 が
起 き たと き 、医 療 サー ビ ス の確 保
さ ら に実際 に世 界 的 な大 流 行 が
(
ど ち ら に も 有 利 な 案 )。 一方 が 勝
は ウ ィ ン ・ウ ィ ン ・プ ロポ ー ザ ル
は 極 め て 明 快 だ った 。 ﹁ア ナ ン 案
案 の評 価 を き き た か った が 、 答 え
ン国 連事 務 総 長 が示 した最 終 和 平
日 し た エル ド ア ン 首 相 に は 、 ア ナ
すう )を決 す る住 民 投 票を 前 に 来
チ ュア選 手 だ った 経 験 を 持 つ偉 丈
ブ ラ ジ ル戦 観 戦 だ った 。 臼 ら ア マ
昨 年 六 月 、サ ッ カ ー W杯 のト ル コ ・
し て いる が 、 そ の う ち の .回 が 一
降 は初 め て.
.そ の前 に 、 二 回 来 日
来 日 は 、 昨 年 三 月 の首 相 就 任 以
会 員 の、 深 い関 心 を 集 め た 。
球 凝 集 素 )と 、感 染 を 受 け る宿主
に 抑 え る こ と に つな が る ﹂。 田 代
共 同通 信 編 集 委 員
夫 ら し い 一面 だ 。
側 の細 胞 の、 双 方 の 条 件 に か か っ
さ ん の 意 見 は 明 解 だ った 。
昂
て い る と いう 。 こ の 重 .
要なポ イ ン
日本 放 送協 会 解 説 主幹
ル ・バ ハド ゥ ル ・ポ ガ ッチ
薫 森 岡幹 董 出席 麟入
池出
4 ・B ︹
火 曽記欝会見 司 会
宇
治敏彦 企 画 委員 長 通訳
ウリ ケ
小 笠 原
ト は 、 田代 さ ん を 含 め た 、 日 本 人
直樹
南
の 一端 を う か が わ せ た 。
ト ル コ系 、 ギ リ シ ャ系 に 分 断 し
宮 田一 雄委 員
ウ イ ル ス剤 を 確 保 で き る よ う に し
出 席81人
で答 え 、 な ぜ 国 民 的 人 気 が 高 い か
危 機に備 える」
た 国 家 の 再 統 合 が な る か 。帰 趨 (
き
「新 型 イ ン フ ル エ ン ザ
の 研 究 グ ルー プ が 解 明 し た も の
一
で、 わ かり やす く 紹 介 された 。
(2)
究会
4.7(水)研
第411号
2004年5月10日
通訳
西村好 美
エ リ .エ リ ア フ .コ ー ヘ ン
村 松 泰雄 委 員
駐 日 イ スラ エ ル 大 使
枝野 幸男
民主党 政調 会 長
ビ ジ ネ ス マン か ら 駐 英 大 使 への 転
ぐ る 衆 院 で の審 議 が 大 詰 め を 迎 え
..
○ 〇四年 の公 的 年金 改革 を め
終 的 に は 一八 ・.
.
.
%に引 き L げ る
料 率 を 現 行 の ..
.
丁 兀 八 %か ら最
い﹂ と 強 調 し た 。
身 を イ ス ラ エル 外 相 か ら 打 診 さ れ
る 中 、民 k 党 の 枝 野 政 調 会 長 は ﹁数
とし て いる が 、 民t 党案 は 保 険 料
▼不 明確 な 点 も 残 る 民 主 党 案
た 際 、﹁
赴 任先 が 日 本 でなければ 、
字 の つじ つま 合 わ せ に過 ぎ な い政
を 現 行 の ま ま 据 え 概 く .方 、 年 金
空 手 五段 の腕 前 を 持 つ親 日 家 。
大 使 に は な ら な い﹂ と 答 え た と の
府 案 で は 、 年 金 制 度 は も た な い﹂
財源と し て 〇 七年 度 に税 率 .
二% の
で 、 コ ー ヘン大 使 は ﹁イ ス ラ エ ル
が解 放 された 盟 日 に 行 わ れた会 見
イ ラ ク で人 質 と な った 邦 人 =.
人
人 も 強 く す る ﹂と 魅 力 を 語 る 。 ﹁イ
合 う 。 自 分 が 強 く な る こと で 、 他
白 ら の審 判 と な っ て 、 内 面 と 向 き
に つ い て、 ﹁修 行 の 中 で、 白 ら が
し て いる 状 態 を 改 め 、 あ ら ゆ る 職
務 員 は 共 済 年 金 と いう よ う に 分 立
国 民年 金、会 社 員 は厚 生年 金 、 公
民セ 党案 の特 徴 は 、自営 業 者 は
に は 見 ら れ な か った 状 況 と い え
み込んだ 発 言 を す る こと は 、 過 去
を 買 いか ね な い消 費 税 増 税 に も 踏
て政府案 に 対 抗 し 、有 権 者 の反 発
野党 が 年 金 改 革 の具体 案 を 示 し
さら に、 政 府 案 は厚生 年 金 保 険
秘 話 を披露 した 。
と し て 、 民 主 党 が 国 会 に提 出 し た
年 金目的消 費 税 を創設す ると し た.
が 長 い経 験 か ら 知 った の は 、 い っ
ス ラ エ ル人 も パ レ ス チ ナ 人 も み な
業 の人 が 同 じ 年 金 制 度 に 加 入 す る
﹁生 活 の 一部 ﹂ と ま で いう 空 手
対 案 への支 持 を 訴 え た 。
た ん テ ロ リ スト に 譲 歩 す れ ば 次 か
空 手 を 学 べば 、 世 界 は 平 和 に な る
た 際 、 非 難 し た 日 本 政 府 に対 し 、
ラ エ ル 軍 の攻 撃 に よ っ て殺 害 さ れ
織 ハ マ ス の指 導 者 ヤ シ ン 師 が イ ス
今 年 =.
月 、イ ス ラ ム原 理屯 義組
ー ジ ツ ア ー の 増 加 な ど の効 果 を 期
外 務 省 に 働 き か け て お り 、 パ ッケ
外 危 険 情 報 の段 階 引 き 下 げ な ど を
った 形 でも あ ら わ れ て いる 。 ﹁海
は 、 日 本 か ら の観 光 客 の低 迷 と い
パ レ スチ ナ 問 題 を め ぐ る 緊 張
方 に中 立 的 な 制 度 に す る し か な
入 で 大 き な 穴 が あ い て いる 。 働 き
同 民 年 金 に は 保 険 料 の未 納 ・未 加
の不公平感 が 拡 大 し ており 、特 に
枝 野 氏 は ﹁現 行 制 度 で は 、 制 度 間
い った 点 が あ い ま いな こ と だ 。 会
所得捕 捉 がど こま で可能 な のか と
か 、 一元 化 に 不 可 欠 な 自 営 業 者 の
低 保 障 水 準 を ど の程 度 に 設 定 す る
問 題は 、 民 室 党案 では給 付 の最
る。 この姿 勢 は 評価 し た い。
た だ ち に反論 し た 。 パ レ スチナ和
待 し た い﹂ と し た 上 で 、 ﹁
イ スラ
﹁.元 化 ﹂ を 打 ち 出 し た こ と だ 。
平 で 日 本が果 たす べき 役 割 に つい
エ ル の 美 し い顔 を 知 って ほ し い﹂
件 へ の対 応 を 評 価 し た 。
て 聞 か れ る と 、 ﹁フ ェ ア で あ る こ
と 期 待 を 述 べた 。
あ る ことを 実 感 し た
読 売新 聞 社 会 保 障部
石崎
浩
政府 ・与 党 だ け で な く 民 主 党 に も
た 。国 会 ・
審 議 が 深 ま ら な い責 任 が 、
が、枝 野 氏 の 回答 は 明確 さ を 欠 い
場 か ら の質 問 も こ の 点 に 集 中 し た
と が .番 。 ﹂方 を 非 難 し た 後 、 バ
理也
産経 新聞外 信 部
松尾
飯野 奈津子 委員
司会
す る と い った 態 度 で は 、 結 局 は 影
ラ ン ス を 取 る た め も う 一方 も 非 難
の だ が ﹂ と 笑 った 、
、
ら 次 に 要 求 を 突 き つ け ら れ ると い
▼空 手 五 段 ・親 日 家 の 新 大 使
司会
響 力 を 持 ち 得 な い﹂ と 述 べた 。
4.19(月)シ
リ ー ズ研 究 会
「年 金 改 革 」 ③
出 席82人
(3)
人
出 席5δ
己者 会 見
4161金)轟
う こ と だ ﹂ と 、 日 本 政 府 の人 質 事
一
第411号
2004年5月10日
治雄
日本医師会 会長
熊岡
路矢
に じ ま せ た の が ﹁国 民 と と も に 歩
の政 治 を 動 か す 力 と な る ﹂ と 強 く
﹁国 民 の 信 頼 を 得 る こ と が 、 国
は 関 係 者 な ら ず と も 関 心 が 高 い。
小 泉 改 革 と ど う 対 峙 し て いく の か
﹁口 医 の 新 し い顔 ﹂ は 何 を 考 え 、
の委 員 を 加 え る べき だ と の 意 見 に
き ﹂ と 指 摘 。 そ の上 で 、 患 者 代 表
は 診 療 行 為 ご と の配 分 に 徹 す る べ
る の は 政 治 レ ベ ル の話 で 、 中 医 協
つ い て は 、 ﹁診 療 報 酬 の 枠 を 決 め
療協議会
ん で 浮 ヒ し て いる 中 央 社 会 保 健 医
ン テ ィ ア と し て イ ン ド ネ シ ア難 民
ん は 、 一九 七 〇 年 代 後 半 か ら ボ ラ
出 る か と 思 って いた 。 だ が 熊 岡 さ
け に 、 最 初 か ら核 心 を つ い た 話 が
き 、 ﹁自 己 責 任 ﹂ 論 が 盛 ん な 折 だ
イ ラ ク で日本人人質 事 件 が起
り 、 自 民 党 を 最 大 のタ ー ゲ ット に
﹁予 算 の 決 定 権 は 与 党 が 握 っ て お
で噴 き 出 し た 政 党 支 持 問 題 で も
配 布 活 動 が 最 初 。 二〇 〇 二 年 九 月
備 や 乳 幼 児 ら へ の粉 ミ ル ク な ど の
岸 戦 争 後 の九 一年 、 浄 化 施 設 の整
J V C の イ ラ ク で の活 動 は 、 湾
個人会 員 (
共 同通 信 出 身 )
西内
正彦
る ﹂ と 明確 な立 場を 表 明 し た .
、
自 己 判 断 、 自 己責 任 で 活 動 し て い
G O の 中 に は な い。 ぎ り ぎ り ま で
も の も あ る 。 ﹁そ う し た 議 論 は N
って い る よ う に受 け 取 ら れ て いる
し て い る から助 けら れ て 当 然 と言
テ ィ ア や N G O は ﹁い い こ と ﹂ を
批 判 的 な意 見 の中 には 、 ボ ラ ン
い る 部 分 も あ る﹂ と 語 った 。
と いう 違 いを 認 め た ヒ で 評 価 し て
ら な い 情 報 収 集 や 活 動 を し て いる
スト 、 N GOは、 政 府 で は手 に入
え て紛 争 地 で活動 す る ジ ャー ナリ
旅 行 客 ら であ る こと を 挙 げ 、 ﹁
あ
置き し て 、英 国政府 の勧 告 対象 は
いな い か ら か も し れ な い が ﹂ と 前
は 政 府 と N G O の関 係 が 成 熟 し て
退 避 勧 告 に 関 連 し て 、 ﹁日 本 で
合 的 に 判 断 し た結果 だ と 述 べた。
のド ラ イ バ ー な ど か ら の 情 報 を 総
務省 、地.
兀医 療 関 係 者 、 運 輸 会 社
ク N G O 調 整 委 員 会 ﹂、 日 本 の 外
現 地 N G O のネ ット ワ ー ク ﹁イ ラ
ダ ン へ待 避 さ せ た 。 そ の 決 定 は 、
日 本 国 際 ボ ラ ン テ ィ ア セ ン タ ー代 表
む 医 師 会 像 ﹂。 そ の 原 型 と し て 、
は 、 ﹁議 論 は 専 門 的 で 、 役 割 を 果
問 題 に 取 り 組 み始め た動 機 や 、 J
し て運 動 す る のは当然 ﹂ と 言 い切
に活 動 を 再 開 、 子 ど も 病 院 支 援 な
ま た 、 診 療 報 酬 の マイ ナ ス 改 訂
る 。 原 則 を 維 持 し つ つ新 基 軸 を 打
ど を 続 け て いた 、
の 四 月 、 バ グ ダ ツド 駐 在 員 を ヨ ル
が 重 要 で あ る こと を 指 摘 し た 。 こ
NG O には、情 報収 集 と 分 析力
ち 出 し て 組 織 の立 て直 し を 図 る
彰
﹁植 松 戦 略 ﹂の輪 郭 が 垣 間 見 え た .
.
日本 経 済 新 聞 社会部 次 長
木村
出 席78人
植松
で安 心 で き る 質 の良 い医 療 を 提 供
す る こと が 最も 大 切﹂と 述 べ た う
▼逆 風 下 で の “植 松 戦 略 κ
大 阪 府 医 師 会 長 か ら 日本医 師 会
を 処分 す る 制 度を 設け る考 え を 明
え で 、 今 年 度 内 に リピ ー タ i 医 師
制 度 改 革 へ の批 判 票 を 集 め て 大 差
らか に し た 。
の会 長 選 に 立 ち 、 小 泉 政 権 の 医 療
で当選 した 。 組 織 力低 下 や医 療 不
三年 前 、 医 療 費 の自 己負 担 引き L
た せ る か ど う か疑問﹂ と 消 極 的 な
夫 委貝
影 山H出
(
中 医協 ) の見 直 し 論 に
げ に 反対 す る集 会 を 企画 し 、市 民
出 席78人
口調 で 語 り 始 めた。
V C発 足 の経 過など を淡 々と した
日 本 歯 科 医 師 会 の汚 職 事 件 に 絡
テ ィア 活 動 」
姿勢 を .
小し た 。
信 の高 ま り な ど 逆 風 ド で 登 板 す る
「イ ラ ク にお け る ボ ラ ン
▼自 己 判 断 、 自 己 責 任 で 行 動
伊 藤芳明委 員
司会
究会
4.z3(金)研
団体 など と 大 阪 城 ホ ー ルに 二万 人
を 集 め た “実 績 ”を 披 露 し た 。
﹁自 浄 作 用 ﹂ の 真 価 が 問 わ れ る
医 療 事 故 対 策 で は 、 ﹁国 民 に 安 全
村 田 止敏理 事
司会
食会
4,21(水}経
(4)
ド ズWド
ブ 」ゲ
ボ ク 纈ラ
第411号
2004年5月10日
ロ
第411号
2004年5月10日
一な ぜ 、 も っ と 早 く 企 画 し な
いき ま す .
圏
日本 と イ ス ラ エルの科 学 技 術 交 流
四 月 .一ト .
..日 か ら .一卜
八日 の 日程 で、 目本 と の科 学技 術
を訴える
図帳
、
血 で の 協 力 促 進 のた め に 来 日 し た
メ コ ン川 流 域 開 発 のた め の 環 境 地
済 開 発 が 進 め ら れ て いる メ コ ン 川
イ ス ラ エ ル の エ リ エ ゼ ル ・ザ ン ド
そ れ だ け に研究会 で の
め で は な い でし ょう か
と いう イ メ ー ジ が あ る た
難 し い 改 革 を し て いる 、
分 た ち と は 別 の世界 で 、
な ぜ そ う な っ て い る のか . 白
て カ ラ フ ル な 参 考 書 と な って いる .
、
加 す る 企 業 や N GO関係 者 に と っ
介 し てお り 、 この地域 の開 発 に参
表 を 使 っ て こ の地 域 を ヴ 体 的 に 紹
制 作 し た も の で 、豊 富 な 写 真 や 図
国連 環 境 計 画
が発団 さ れ た
一U N E P ) が 共 同
アジ ア開発 銀 行 と
な ど の分 野 を 挙げ る. 特 に ナ ノ テ
オ プ テ ィ ク ス、 ナ ノ テ ク ノ ロ ジ ー
バ イ オ テ ク ノ ロジ ー 、 エレ ク ト ロ
技 術 の 強 み と し て 、民 生 宇 宙 開 発 、
いる . 同 大 臣 は イ ス ラ エ ル の科 学
学 者 同 L の交 流 が 盛 ん に 行 わ れ て
技 術 協 力 協 定 に調 印 し て お り 、 科
口 ・イ 両 国 は .九 几 四 年 に 科 学
豊 か な臼 然 環境 を背 景 に経
関 心 は 今 ひ と つ .裁 判 員 制 度 の
流域 の経 済 協 力 計 画を 、環 境 面 に
バー グ 科 学 技 術大 臣 が 記 者会 見 し
司法制 度改 革 に 対す る国 民 の
ら お し か り を 受 け そ う です が 、
導 入 で負 担 が 増 え る 、 と いう .
合
考 慮 し な が ら 推 進 す る こと を 国 的
会 員 の皆 さ ん か
﹁す み ま せ ん ﹂ と つ ぶ や き な が
定 的 なと ら え 方 を す る人も多 い
た
か った の か ﹂
ら 、 司 法 制 度 改 革 を テ ー マに し
に 本 格 的 な 環 境 地 図 帳 ヘア ト ラ ス )
ゲ ス ト の 人 選 や進 行 方
メ コ ン川 流 域 に は中 国 (
雲 南 省 )、
へ大 使 館 ド 催 }、
よ う です
理 念 、全 体 像 か ら
た 研 究 会 を 11 月 か ら 始 め る こ と
にな りまし た
司法 制度改 革 の中 身 は
広 範 で 、 な お か つ深 く 、
そ れ だけ
[本社 会 の大改 造 計 画 に
な って いま す
に研究 会を どう 運 営 し て
法 、 テ ー マ設 定 で は .
分か
か.
、腰 を 据 え て 取 り 紐 ん で いき
日 本 社 会 は ど う 変 わ って いく の
司 法 制 度 改 革 に よ って
す.
一
視 し た い と 思 って いま
国 民 へ の ア ピ ー ル度 を 重
り やす さ 、 おもし ろ さ、
う ﹁.長 続 き す る 開 発 ﹂が キ ー ワ ー ド
慮 しな が ら 貧 困 を克 服 し よう と い
ると推 定 さ れ て いる.環 境 面 に考
が ..
億 九 〇 〇 〇 万 人 にま で 増 加 す
〇 〇 〇 万 人 、 二 〇 一五 年 に は こ れ
し てお り 、 現 在 の人 口 は 約 二 億 五
ボジ ア、 ベト ナ ムの六 力国 が 位 置
ミ ャ ン マー 、 ラオ ス、 タ イ 、 カ ン
れ て い る こと だ と 語 り 、 こ れ を 活
て い な いが
は 石 油 な ど の天然 資 源 には恵 ま れ
同 大 臣 は さ ら に 、 両 国 の共 通 点
を 強調した 。
小 型 化 に貢 献 す るも の であ る こと
功 例 を 挙 げ て 、 コ ンピ ュー タ ー の
いう 極 小 ト ラ ン ジ ス タ の 開 発 の 成
ク ノ ロジ ー で は ト 億 分 の 一ミ リ と
る充実 を 訴 えた .
︹4 ・26
大会議室 }
﹁人 的 資 源 ﹂ に は 忠 ま
ます.
.運 営 方 法 に つ いて 、 会 員
と な って お り 、 こ の 地 図 帳 も そ の
アジ ア開発 銀行 駐 H 代 表
宴会場 )
事 務 所 賢 3 5 0 4 .3 1 6 0
照会先
の皆 さん の知 恵 を 是 非、 お貸 し
堅吾
川 し て いく た め に 教 育 面 の さ ら な
菅沼
あ た り を 意 識 し て作 ら れ て い る 。
各論 まで
く だ さ い。
企画委 員
(
東 京 新 聞社会 部 長 )
(4 ・19
〔5)
いく か 、 悩 ま し い限 り で
す.
.
そ こ でスタ ー ト は 司 法
制 度 改 革 の ﹁設 計 者 ﹂ で
あ る 佐 藤 ↑ 治 ・司 法 制 度
改革 推進 本部 顧 問 会 議 座
長を お呼 び し、 改 革 の理
山 積 し て いる 各 論 に 取 り 組 ん で
人材 育成 而 の改 革 な ど 、課 題が
制度 の問題 や、 法 科 大 学院 など
方 にも大 きな 変 革 を 迫 る裁 判員
そ れ を 受 け 、 事 件 報 道 のあ り
こと に し ま し た (五 月 卜 .口 M
念 、全体 像 に つ い てお 聞き す る
笏新 シ リーズ 「司 法制 度 改革 」珍
書 いた 話
書 か な か った 話
﹁景 色 の よ う な 絵 ﹂の
現 場 で 困 った
宮智
宗七
りも本 社 に は ﹁
美術 百
景 が そ の ま ま に 現 存 し て いる
ブ ル の 書 い た ﹁八 .一〇 年 と 同 じ 風
いる 。 も ち ろ ん 、 こ の
寺 次郎 社 長
そ れが 本当 な ら 当 時開 発 が急ピ ッ
当 て 込 み の 動 機 に な った .
.も し 、
し い )と い う の が 唯 .に し て 最 強 、
戸ら
般﹂ のプ ロ であ る円城
展覧 会 の 企 画者 であ
チ で 進 ん で いた 東 海 道 メ ガ ロポ リ
(
故 人 }が
る。 そ れ が 最 大 にひ つ
ス の真 ん 中 に 広 重 描 く
十 ..
一次 ﹂ (一八 =..一
.年 ) の 景 色 が
﹁東 海 道 五
か か った 点 だ .
、
出 展 絵 画 を 選 ぶため
あ る こと に通 じ る 話だ 。 シ ロウト
ルと 交 渉す る場 に同 席 し て同氏 の
そ れ と いう の も 、 ロ ン ド ン の 自
に英 国 側 主 宰者 のブリ
を や る 羽 11 に な った の か .
、 こ の時
要 求 水 準 の厳 し さ を 見 て いた こと
宅 の 周 り の 風 鍛 そ っく り の 絵 を 美
は シ ロウ ト な り に 、 わ か り や す い
﹁
絵 の よ う な 景 色 ﹂ と いう 表 現
期 に 、 日 経が ﹁
英 国風 景 画 展 ﹂を
も あ って、恐怖 感 が 私 を 襲う 。円
テ ィ ッ シ ュ ・カ ウ ン シ
が あ る が 、 そ の逆 の ﹁景 色 の よ う
東 京 で 開 催 し て いた か ら 、 協 賛 ・
記
回 だ け 、 ロ ン ド ン駐 在 時 代 、 こ と
者だ け を 続 け てきた 、 そ の 巾 で 一
を 退 任 す る ま で 、 ほと ん ど 経 済 記
(! )
﹁こ の 展 覧 会 に 絡 め て 、 伝 統 あ る
界 が 違 う .東 京 本 社 か ら の 指 示 は 、
に は 本 当 に 弱 った 。 美 術 だ け は 世
の モ ット ー に は 違 いな い が 、 こ れ
[何 で も 書 い て や ろ う ﹂ は 白 分
ウ ン シ ルに助け を 求 め た 末 、標的
仕 方 な く 、 ブ リ テ ィ ッ シ ュ ・カ
題 材 だ ろ う に、 と グ チ が 出 た ,
.
が サ ッと 飛 ん で き て 書 い てく れ る
う 。 本 来 なら本 社 の 絵 画 担当 記者
狽 ぶ り が わ か って も ら え る だ ろ
た こ と を 考 え て も ら え ば 、 私 の狼
て は 稀 有 の ﹁芸 術 選 奨 ﹂ を 受 賞 し
城 寺 氏 が後 年、 新 聞 社 の社長 とし
ト ラ フ ァ ル ガ ー 広 場 の近 く の 古 本
し 、曲 もな さ す ぎ る。 仕方 な く 、
二 百行 近 い ス ペ ー スは埋 まら な い
く り の 絵 で し た ﹂ と いう だ け で は
っ た の は 事 実 だ が 、 ﹁本 当 に そ っ
そ の こ と が 思 い つき の素 地 に な
し て いる の に お ど ろ いた も の だ 。
の 風 景 を 書 いた 絵 が 展 示 さ れ た り
た 。美 術館 に行 く と、 白宅 の周 り
術 館 で み て いた と いう ド 地 が あ っ
理 由 を 考 え つ いた も のだ .
な 絵 ﹂の記 事 を 書 いた こと が あ る 。
もあ ろう に、 西 洋絵 画 の読 み 物 を
英 国 風 景 画 に つ い てな に か
を 英 国 風 景画 の.
巨 匠 の .人 で あ る
屋 街 で コン ス タ ブ ル の U記 を 発
グ ル ープ の テレ ビ東京 解 説 委 員 長
.九 七 〇 年 十 .月 七 日 付 日 経 の
事 を 書 いた だ け の こと で あ る 、
.
書 いた。
書 け ﹂ と いう も の だ った よ う な 記
コ ン ス タ プ ル の ﹁デ ダ ム の水 卓 場 ﹂
見 。 記 事 に バ ク を つけ る た め 、 こ
私 は 一九 五 五 年 に [ 本 経 済 新 聞
文 化 面 中 央 に 掲 載 さ れ た ﹁英 国 風
憶 がある.
一頼 ん で く る 方 も 、 ず い
な る 作 品 に定 めた 。
社 に人 社 し てか ら、九 κ年 に 口 経
景 画 の ふ る さ と ﹂ と いう の が そ れ
ぶ ん 向 こ う 見 ず だ な あ と いう の が
畑 ち が いの絵画 に困 惑
だ.
、基 礎 知 識 も カ ン も な い の に 書
の巨 匠 の片 言 隻 句 を 借 り た り し
第 一印 象 だ った 。 し か し 、 そ れ よ
理 由 は き わ め て 簡 単 。 コン ス タ
いた. な ぜ 、 そ んな 大 そ れ た こと
(6)
第411号
2004年5月10日
第411号
2004年5月10日
て、な ん と か ま とめ た のが 冒頭 に
命 に 探 す こ と 数 時 間 。 だ が 、 .巨 匠
指 と 人 差 し 指 で額 縁 に 見 立 て て懸
よ う な 写 真 が あ った 、あ な た は も
も っと も 、 妻 は ﹁た し か に似 た
変 わ ら な いが 、 芸 術 を 大 切 に し た
ら し い。 美 術 へ の 無 知 は そ の後 も
の後遺 症 は 、意 外 に 尾を 引 くも の
絵 の ”現 場 ”で 写 真 を 撮 っ て き て 、
東 北 東 、 約 一〇 〇 キ ロ に あ る こ の
だ が、 実 を 言 うと 、 ロ ンド ン の
有 の コ テ ー ジ にも た ど り 着 き 、 ま
水 車 場 と そ の隣 に あ る ロ ット 氏 所
ン ス タ ブ ル の 父 親 が 経 営 し て いた
た ﹁そ っく り 一 の場 所 を 発 見 。 コ
ら 見 た 水 車 場 ﹂ な ど の舞 台 に な つ
ま た 名 作 の ﹁ス タ ウ ア 川 の水 門 か
スタ ウ ア川 を 探索 した結 果 、 これ
結 局 は 、 絵 の中 央 を 流 れ て い る
を 通 じ て、 絵 の題 材 に な った 自 然
と いう だ け の話 だ が 、 こ の 取 材
な か った の だ 。
日 本 で の展 覧 会 に は 出 展 さ れ て い
実 は こ の ﹁そ っく り ﹂ の 絵 の方 は
見 で き な か った 。そ れ も そ の は ず 、
版 を 調 べ て も そ れ ら し い記 事 は 発
った の よ ﹂と いう が 、 当 時 の 縮 刷
日 経 の紙 面 に こ れ ま た 協 賛 の た め
な って募 金 の 趣 意 蕩 を 書 いた り 、
を 創 設 す る た め の 発 起 人 の ﹁人 に
設展.
小場 ︹
ジ ャ パ ン ・ギ ャ ラ リ ー )
タ ン美 術 館 に 日 本 の 占 美 術 品 の常
務 し て いた と き に は 、 メ ト ロ ポ リ
カ 総 局 長 と し て ニ ュ ー ヨー ク に 勤
た . 一九 八 一- 八 三 年 に 、 ア メ リ
い と いう 気 持 ち だ け は 根 強 く 残 っ
﹁異 種 体 験 ﹂
あ げ た 記 事 で あ る 。 恐 怖 の源 で あ
が 電 った で あ ろう 場 所 さ え 見 当 た
う .本 、 そ の写 真 つき で 記 事 を 送
﹁ほ ら 、 こ の 通 り 。 そ
を そ のま ま に 保 存 し よ う と す る 英
の 記 事 を 書 く こ と も や った .
.いわ
そ し て 、 こう し た
った 円 城 寺 祉 長 か ら は 何 も 、
.
口って
ら な か った .
絵と並 べ て
さ に ﹁そ っく り ﹂ と いう こ と に は
国 の ナ シ ョナ ル ・ト ラ ス ト の真 剣
ば、芸 術 への関心 を 発 生さ せ る触
いな い :覧
㌧
こ な か っ た 。 大 過 な か った の か 、
っく り で し ょ う ﹂ と 占 く つ も り だ
な った 、 ち な み に ロ ッ ト ﹁氏 ﹂ と
で 粘 り 強 い活 動 や 、 そ の 背 後 にあ
読 ん で く れ な か った か 、 ど ち ら か
っ た の だ が 、 ﹁そ っく り ﹂ で は な
い っても 十 七 世紀 の人、 水 車 場 は
年後﹂ な ら 、 当 たり前 の話 な のだ
って 当 然 に
﹁絵 ﹂ と 違 う 。 ﹁二 百
れ に、 樹 の 伸 び 方 、 葉 の 茂 り 方 だ
会 の姿 も 隠 れ て し ま って い る 。 そ
おかげ で 、 絵 の中 の遠景 にあ る教
り に背 の高 い 工 場 が 建 って い る .
、
き の原 稿 にし た のか、本 社 が ボ ツ
ー ス の関 係 で私 のほう か ら 写 真抜
の写 真 も 絵 も つ い て いな い。 ス ペ
は せ っか く 苦 労 し た ﹁そ っく り ﹂
う と こ ろだ が 、か んじ ん の記事 に
って く れ た こ と に ﹁
感 謝 !﹂ と い
コ ン ス タ ブ ル の父 親 が 窮 地 を 救
ン が ナ チ ド イ ツ空 軍 の 大 爆 撃 を 受
だ と 聞 いた .
、こ の時 期 は 、 ロンド
〇 〇 万 円弱 )を 投 じ て再 建 し た の
ポ ンド (
取 材 当 時 の 円 換 算 で .五
︼九 四 三 年 に 買 い L げ て 一万 七 千
った のを ナ シ ョナ ル ・ト ラ ス ト が
た こ の水 車 場 だ っ て 、 荒 れ 放 題 だ
ほ ど 知 ら さ れ た 。 私 を 救 って く れ
る ﹁英 国 人 か た ぎ ﹂ を い や と いう
し か し 、 ち ゃ ん と 写 って い る .
.
ラ ックタイ 姿 の私 が端 のほう に 、
た.
、テープ カ ット の写 真 には 、 ブ
き 招 か れ て、 H本 か ら 飛 ん で い っ
う 。 このギ ャラ リー が 完成 し た と
媒が
そ っく り の 現 場 を 探 し た が ⋮
だ ろう .
、
か った の だ 。 絵 の 中 に あ る 水 車 場
が、そ れ でも未 練が ま しく 、ど の
に し た の か 記 憶 に な い。 い ま 手 元
け て いた ころな のだ か ら 、 恐 れ 人
一九 .
.
= 年生
北 米 総 局 長 な ど を経 て
論説
八九 年 テ レ ビ 東 京 取締 役 解 説 委
九 五年 退 任
書 か な か った 話
貝長
副 r幹
産 業部長
ま れ 五五年 日本 経済 新聞社 人社
ロン
ド ン 特 派 員 経 済 部 次 長 経済 解 説 部 長
み や ち ・そ う し ち 会 員
﹁あ の と き ﹂ に あ った の だ ろ
地 点 に 立 つと 巨 匠 と 同 じ 構 図 が 発
に 残 って い る 十 数 枚 の写 真 を 見 て
る話 で はあ る、
.
十 八 世 紀 の も の で あ った .
、
見 でき る の か 。 あ ち ら こ ち ら と 首
も 、[
﹁
そ っく り ﹂ の も の は 残 っ て
は、既 に 取 り 壊 され て いて 、代 わ
を ぐ る ぐ る 回 し な が ら 、 両 手 の親
書 いた 話
〔71
陸ヒ 自衛 隊と 町 の取 材を し
間 、イ ラク南 部 のサ マワで
三 11 卜 .一.日 か ら 約 一
.
.週
身 や 部 隊 の人 員 ・車 両 数 、 翌 U の
た 、た だ 、 運 搬 し た コ ン テ ナ の 中
近 くか かること も 珍 しく なか っ
話 に 応 じ てく れ 、 解 散 ま で ..
時間
な か った 。
し た いと 申 し 入 れ た が 、 認 め ら れ
を中 心 に数 社 が素 材 送 りだ け でも
の安 全 を 確 保 し た いと いう 。 民 放
報道 陣と 外 部 を 遮 断 し て、 移 動 中
陸 幕 長 が ク ウ ェー ト に 戻 る ま で 、
か ら 出 ら れ ま せ ん ﹂と 告 げ ら れ た .
道を解 禁 し ま す 、そ れ ま で宿 営 地
ゴ.
時 半 (日 本 時 間 卜 八 時 半 ) に 報
た ﹁ そ し て ﹁安 全 確 保 のた め 、 十
陸 幕 長 が 宿 営 地 に いる と 知 ら さ れ
私 た ち は 現 場 に 着 いて 初 め て 、
性 は 理 解 で き る . だ が 、 現 行 の申
ら な い、
.だ か ら 、 安 全 確 保 の 重 要
い つ情 勢 が 流 動 化 し な いと は 限
き を 見 守 った .
の電気 を 消 し 、息を 潜 め て成 り 行
た 、 私 は 最 悪 の事 態 も 考 え 、 部 屋
銃 を抱 え て表 に飛び出 し て い っ
のイ ラ ク 人 が 血相を 変 え 、 自 動 小
声 が響 き 渡 り 、 フロント で当 直 中
発 砲 騒 ぎ が あ った 。 ホ テ ル 中 に 銃
る晩 、 宿 泊 先 のホ テ ル の 日 の 前 で
晩 、 町 の ど こ か で銃 声 が す る 。 あ
取 材 規 制 に 戸 惑う 日 々
た . 帰 国 後 、 ﹁大 変 だ っ た
口 程 な ど 、 活 動 の詳 細 に か か わ る
周 囲 に 何 も な い宿 営 地 と 対 照 的
い
か れ た。
取 材 に な ら な い﹂ と いう 不 満 も 聞
実 は 出 て こ な い の だ . ﹁こ れ で は
信川 のパ ラボ ラ ア ンテ ナが林 立 し
壊 後 に急 増 し た と いう 衛 星 放 送 受
家 々 の屋 L に は 、 フ セ イ ン 政 権 崩
いる.
.店 に は 商 品 が 雅 富 に 並 ぶ .
.
尻を ムチ でた た き 荷 屯を 引 か せ て
比 べ、宿 営 地 を 囲む ヒ 盛 り は は る
フィ ング に出 かけた
イ ラ ク川 国前 目、 最後 のブ リー
で は な い か 一と の 見 方 さ え あ る 、
.
戦 時 報 道 統 制 の シ ミ ュレ ー シ ョ ン
次 第 だ か ら だ 。 [今 回 の ケ ー ス は 、
安 令 確 保 の名 のも と に 、 ど ん
﹁大 変 ﹂ な の は 、 陸 自 取 材
先 崎 .陸 上 幕 僚 長 の 宿 営 地 訪 問
て いる 、 他 地 域 に 比 べ て 安 定 し て
か に 高 く な っ て いた . サ マ ワ 市 民
︹
毎 日新 聞社 )
一成
だ ろう ﹂と 、 同 僚 か ら声 を
こ とを 尋ね ても 、返 答 は聞 け な か
に 、サ マワ の市 内 はに ぎ やか だ .
.
な 情 報 を 出 す のか は 、 陸 白 の 判 断
▼安 達
か け られる .
.
あ り が た いが 、
った 。 ﹁
安 全 確 保 等 に 影 響 し得 る
中占躯 が走 り 回り 、少年 が ロ バ の
し合 わ せ のま ま で い いと は 思 え な
実 は む し ろ 、 面 は ゆ い.
情 報 ﹂と判断 さ れ た ら、細 か な事
の 方 だ った と 感 じ る か ら だ 。
︹
四 月 .一
日 ) は 、取 材規 制 を め
い る の は 明 ら か だ った , 陸 自 取 材
と の垣 根 も 徐 々 に高 く な っ て い る
ブ リー フ ィ ン グ では 、広
復 興 支 援 活 動 の現 場 がL だ .
、
わ れ るブリ ー フ ィ ング と、
の駐 車 場 で ほ ぼ 毎 日 夕 方 行
陸 自 の取材 は 、 宿 営 地前
材 規 制 と は 思 わ な か った .
.
'って 、 こ れ ほ ど の 取
ぐ る 混 乱 の典 型 だ った と 思 う 、
時
そ の前 夜 、 報 道 各 社 に ﹁明 口 は
が型 ど おり にし かな らな い以 上 、
のだ ろ う か 、 宿 営 地 は 相 変 わ ら ず
1
1暉
朝 八 時 卜 五分 ま で に お 越 し く だ さ
住 民 の取 材 が 重 要 に な る .
、私 た ち
肚 煙 に 包 ま れ 、 そ の中 は 何 も 見 え
く と も ..
ー の 銃 が あ る と いう . 毎
あ だち ・
か ず なり .九 八κ 年入杜
会 部 同夕 田 .
梱染 部を へて 現 在
部報道部
堪京 社
福⋮
岡木
一.
.週 間 前 に
い ﹂ と い った メ ー ル が 届 いた .
は 、 でき る だ け 町 に 出 て 取 材 す る
さ れ て い る か 全 く 分 か ら な い文
報担 当者 が活 動内 容 を 説明
し た 後 、報 道 陣 が 質 問 す る .
面 . か と い って 市 中 の 取 材 を 優 先
い つも の通 り 、 ど こ で何 が 予 定
な か った .
.
そ の 後 、 ﹁ぶ ら ド が り ﹂ が
す る わ け にも いか な い .
そ ん な サ マ ワ で も 、 一家 に 少 な
よう 心 がけ た
イ ラクを 覆 う 危 険 より
プ レス
始 ま る .陸 白 は い ろ いろ な
(8)
ワー キ ング
笏 サ マ ワ最 前 線
第411号
2004年5月10日
第411号
2004年5月10日
う れ し い女 性 作 家 の 活 躍
歳 だ った
そ れ か らな んと 第 百 四
時 中 に受 賞 し た 芝 木 好 .
r の ..ト ビ
実 は 女 性 の 最 年 少 は これ ま で 戦
取材 す る マス コミ側も 、 女 性 認 者
弱 ま った は ず だ 、
.そ し て 、 文 芸 を
つあ る 種 の 皮 膚 感 覚 へ の .反 発 は 、
う わ け で は な い が 、 若 い 女 性 のも
現 在 は 、河野 、高 樹 の ぶ
回 の ..卜 八 歳 の 小 川 洋 r ま で 豹 五
がめだ って ふえ た。
であ る
レ 年 間 、 ..1
.代 の 女 性 の 受 賞 は な
今 回 の 若 い ふ た り の受 賞 作 は 、
イ 属慎 太
芥 川 賞 が 、 社 会 的 な 事 件 に な った
か った の だ 、 そ の 後 も 、 柳 美 里 の
大江健.
一
.郎 、、
平 野 啓 .劇
﹁マ ジ 、マ ジ 、本 当 だ っ て
の は 、 こ こ に始 ま る と いわ れ る .
いず れ も 、 広 が り が な く 、 閉 塞 的
r 、山 川 詠 美 の.
一
.人 に な っ た . 女
芥 川 賞 が 決 ま った
..卜 八 歳 だ け だ っ た .若 い女 性 に 、
だ と も い わ れ る . し か し 、 ﹁蹴 り
郎 と 、こ れ ま で 一.
卜 .二歳 で受 賞 し た
ば : ﹂.
年 .長 者 に 、 若 者 の 心 理 が わ か り に
い い 作 品 が な か っ た と いう こ と で
た い 背 中 一 ﹁蛇 に ビ ア ス 一 の ど ち
性 だか ら 女 性 作 家を 支 持 す ると い
知 ら せ を 受 け た と き 、出 版
く い の は い つの 時 代 も 同 じ .だ か
は 説 明 で き な い. 津 島 佑 f の よ う
ら に も 、 現 代 社 会 が く っき り 投 影
四 人 、いず れ も 男 性 作 家 で あ る .
.
社 で 待 って い た 金 原 ひ と み
ら 、 芥 川 賞受 賞 作 と い う 窓 を 通 し
に 、 候 補 に な った こと は あ る が 、
され て いる .
.
幸 子
は ケ ータイ で友 人 にそう 笑
て 、 世 間 は 時 代 の 先 端 を のぞ こ う
そ の 後 、女 流 文 学 賞 を 受 賞 し て 、
▼由 里
顔 で 叫 ん だ 凸現 場 に 行 っ た
と す る.
、一九 七 六 年 の 村 ヒ 龍 の ﹁限
では な い だ ろ う が 、 昨 年 のも っと
ピ ア ス ﹂は 、 今 年 前 半 、 文
中 ﹂ と金原 ひと み の
﹁蛇 に
﹁蹴 り た い背
加 わ って 、 ﹁り さ 派 ﹂ ﹁ひ と み 派 ﹂
歴 も 対 照 的 で 、 そ れ ぞ れ の容 姿 も
ほ ど の 過 熱 気 味 、作 品 も 作 家 の経
そ し て今 回は 、 これ ま でにな い
は 全 員 男 性 。文 芸 春 秋 の 芥 川 賞 担 当
八 〇 年 代 初 め ,そ の こ ろ 、選 考 委 員
を 、私 が 取 材 す る よ う に な った の は
一.回 の 芥 川 賞 ・直 木 賞 の 選 考 発 表
﹁文 壇 の お 祭 り ﹂と も い わ れ る 年
た. 女性 作 家 の活躍 は 、芥 川 賞 だ
野夏 生 の
賞 に 日 本 の作 家 と し て初 め て 、 桐
の伝 統 あ る ミ ス テリ ー の エ ド ガ ー
が選 ば れ た .
.海 の向 こう で は 米 国
(
朝 H新 間社 }
記 者 か ら そ の情 景 を 聞 いた
補 に な ら な く な った 例 も あ る 。 総
も優 れた 矩 編 小 説 に贈 られ る 川 端
..
.
レ 七年 ぶり に 芥 川賞受
学 業 界 の最 大 の 話 題 と な っ
な ど と タ レ ント な み のも て か た だ .
者 に 女 性 の 選 考 委 員 を いれ る べ き
け で な い し 、そ の 広 が り と 厚 み は 、
この芥 川 賞効 果を意 識 し た わ け
り な く 透 明 に近 いブ ル ー
. のと き
も そ う だ った 。 最 近 で は .九 九 九
じ て 、 女 性 作 家 に 対 す る偏 見 、 無
康 成文 学 賞 に 、昨 年 デビ ュー し た
た 。 芥川賞 が こん な に注 目
湧又賞 作 掲 載 の ﹁文 止至春 秋 ﹂ =.
月n
ゲ
で は な いか と 話 し 、記 事 も 井 いた 、
、
賞 者 の最 年 少 記 録 を 更 新 し
さ れ る のも 久 し ぶ り であ る ,
は 何 度 も増刷 し、 発 行 部 数 は過去
よ う や く 、 女 匪 と し て初 め て 、
ば か り の 練 山 秋 f の 一袋 小 路 の 男 ﹂
一九 五 六 年 に 二 十 一
一.
歳.
.
一
最 多 の百 卜 八 万 五 → 部 に 及 ん だ 。
河 野 多.
恵r 、 大 庭 みな fが 選 考 会
た 綿矢 りさ の
カ 月 の 石 原 慎 太 郎 の ﹁太 陽
こ れ ま で の最 年 少 記 録 は 丸 山 健
に 加 わ った の は 一九 八 L 年 の こ と
ゆり・さら こ .九 じ○年 ・
八社 文 芸 担 申
家庭.面デスクな ど経 て 現在 編集 委員
個 入 的 に も う れ し い.
、 (敬 称 略 )
﹁O U T ﹂ が 候 補 に な っ
の季 節 ﹂ が 、 若 者 の風 俗 を
次 の 二 卜 三歳 .カ 月 だ った 。そ れ に
[も う 芥 川 賞 で も あ る ま い ﹂ と 候
と き 、本 当 に 若 い .
rが 受 賞
年 に 擬 占 文 で話 題 に な った ﹁H 蝕 ﹂
理 解 が あ った の で は な い か 、
.
し た ん だ 、と 実 感 が わ いた 。
の 平 野 啓 .郎 の と き が あ る 。
プ レス
大 胆 に 描 い て 話 題 に な った
〔91
ワ ー キ ング
笏 芥川賞旋風
九 州 新 幹 線 開 業 ニカ月
波 及効 果 はまだ見えず
▼岩 下
勉
(
熊 本 日 H新聞 八代 支 社 )
な いと の 旅 行 者 ら の不 満 の 声 を 受
客 の 不 満 の声 も 消 え な い。
駅 奔 内 の市 観光 物産 案内 所 で物 産
一
、
一
.万 人 、 平 均 乗 車 率 は 四 〇 %だ
数 を 前 年 同 期 の特 急 の .一二 .
⋮
倍の
J R 九 州 は 、 開 業 一カ 月 の乗 客
販 売 を す れ ば 、 JRと の賃 貸 料 が
った と 発 表 .
、 ﹁予 想 を ﹂ 回 る ﹂ と
け 、市 が .
.
一
月 ド 句 に臨 時 開 設 し た 。
八倍 も 高 く な るた め の ”
苦 肉 の策”
沿 線 の 雰 囲 気 と の違 和 感 も 残 る.
、
好 調 さを 強調し た。 た だ 新 八代駅
東 京 、 博 多 と つな が っ て いな い
博 多 ま で の全 線 開 業 は 、 二年 前
だ.
.
・駅 周 辺 も 開 発 の メ ド は 蹉 た ず 、
九 州 新 幹 線 は 、新 八代 駅 で博 多-
倒 し の ..
(
). .年 と す る 検 討 も 始
の乗 降 客 数 など は公 表 せ ず 、県内
新 八 代 間 を 走 る ﹁リ レ ー 特 急 ﹂ と
ま った . た だ 熊 本 駅 周 辺 整 備 も 遅
農 地 のま ま の状況だ .
十 四 分 。 在 来 線 よ り 一時 間 半 速 く
の 乗 り 換 え が 必 要 だ .J R 九 州 は 、
れ気 味 で 、全線開 業 時 は福 岡 への
初 の新 幹 線 で も あ る .
線 開 業 か ら .カ 月 を 目 前 に し た 日
な った 、
、八 代 - 鹿 児 島 の 定 期 通 学
同 .ホ ー ム 対 .
面 で三 分 間 で ス ム ー
スト ロー化 現象も 懸 念 さ れ る。沿
﹁鹿 児 島 中 央 駅 に 比 べ て 、 こ っ
曜口 .
.新 八 代 駅 で 降 り た 鹿 児 島 市
生 も現 れ 、 従 来 は考えら れ な か っ
ズ に 乗 り 換 え が でき る よ う に 工夫
し た .た だ終 着 始発 駅効 果 を 期待
線 に ﹁何 と か し な いと ﹂ と の気 運
八代 市 か ら鹿 児 島市ま で最 短 .
、
.
の 女 性 旅 行 客 は 、 そ ん な 第 .印 象
た生活 圏 の変 化 も 生まれ た .
ち は 案 外 静 か で す ね ﹂.
.九 州 新 幹
を 口にし た 。新 八 代 駅 のあ る八 代
ただ 、 こ の女 性 旅行客 が .
.
、
ロう よ
れ た 八 代 - 川 内 間 の第 一
.
セクター
世 帯38552戸r・
ユ1も 特 魔 だ ・製 紙 や ア ル ミ 製 品 な ど を 産 ・:
す る 工 業 都 市 の 顔 も 。球 磨 川 河 口13キ
予 定 坦Ll球 ∬
撰 郡 柑 良 手士bも 渉⊃り,ダ ム1論 争 ピ
〔10}
市 は 人 H 卜 万 人 の 熊 本 県 第 ..市 .
は ま だ 乏 し い巾 、 総 事 業 費 .兆 四
は 芽 生 え た .新 幹 線 効 果 は 県 内 で
降 り る 人 は 少 な く、 早 く も ”
通過
千億 円 の .
費 用 対 効 果 〃に 注 視 し た
し て いた 同 市 に と って は 、 同 駅 で
島 中 央 駅 と 比 べ 、新 八 代 駅 前 の に
駅 ”へ の .爪安をあおる。商 店街 や
い.
う に 、 既 存 駅 ビ ル を新 装 し た 鹿 児
九 州 新 幹 線 は ..一
月 卜 ...
H 、新 八
ぎ わ い感 は 乏 し い、
.新 幹 線 駅 五 駅
温 泉 街 の 客 足 に変 化 は な い . 八 代
熊 本 市 の南 約 四 .
.
。に 位 置 す る ,
.
代 - 鹿 児 島 中 央 問 百 ..卜 七 註 で 開
のう ち 、 鹿 児 島 県 側 一
一
.
駅が既存駅
市 の南 約 κ ﹁ キ。の新 水 俣 ・
駅
新 八 代 駅 は 、 休 日 に は 干 数 .白 人 の
﹁肥 薩 お れ ん じ 鉄 道 ﹂ は 、 運 賃 を
が 広 が り、イ'1〔と ト マ トの 生 産 量 が 臼 本 、
︹いわ し た ・つと む
業 した 、今 年 四 丁年 を 迎 え る 東 海
に併 設 。 熊 本 県 は市 街 地 郊 外 に 新
(
水俣
九
市 ) でも 同様 だ .
道 新 幹 線 か ら数 え 、 八路線 目
設 され た と の事 情も ある ,
新幹線 見物 客 が 訪 れる, 駅前 広 場
約 一 ・三 倍 増 に し た が 、 十 年 目 に
新 幹 線 開業 で、J Rか ら 分 離 さ
に は物 産 販 売 の 臨 時 テ ン ト が あ
は 赤 字 の 見 込 み 、 一の ん び り ﹂ を
ロ ヒ流 で は 建 設 ご
ム 〔氏 代 郡 坂 本 村)、86キ
ロ ㌦
,
の 県 営 荒 瀬 ダ,'
卜流 に は 初 の ダ ム 撤 去f定
ピ
集め る
も 全 国 の 注11を
の.支 流 のlll辺 川 ダ ム ピ
の 是 非 で 揺 れ るiロ川
雪ヤ国 有 数 の 「拓 地,
注 ぐ河 口 に 位 置 す る
八 代 市 中 心 部 か ら約 ..
皐。離 れ た
り 、市 内 の料 理 店 が特 産 の ア ユ や
が 、在 来 特 急 が な く な った こ と や、
売り に し た 観 光面を アピ ー ルす る
気 を呼 ぶ.
. こ の テ ント は 、 新 八 代
乗 り 換 え の不便 さ から 、 通 勤 通 学
ハモ を 使 った 新 作 弁 当 を 販 売 、 人
駅と 周 辺部 に 飲食 店 や土産 品 店 が
ロ に も な る 柑 橘 類 「バ ン ペ イ.、
喧 さ3キ
方キロ
虞汗責116.80平
境 在.:.
人 目105.527人104霊1二3月31目
州 で は 、 山 陽 新 幹 線 の博 多 延 伸 以
発
に
㍉急 演Lび)・ 〆2、」
求 麿 川 力:八fU毎
日本
メ モ1
八 代 市
来 二 十 九 年 ぶ り , ”南 半 分 ”の 開 業
囚 囮國
で 、 ﹁東 京 ﹂ と つ な が っ て い な い
熊本
第411号
2004年5月10日
第411号
2004年5月10日
電 話 で 話 す ヴ ェ ロ ニ カ ー 1 .こ の シ
第 矧回 企 画 委 員 会
鎌 会 議 報 告 灘
一- .n
1
1
門
妥 生﹁
易,
'
上
﹁党
一や 今 後
一- ・B
尺会 議 宍土
高 野 、 田中 、 辻 塚 の各 監事
.
り ..
.
隼 度 の 会 討 監 査 を 行 りた
第 31 回 監 事 会
出 席
小会蔽、
†
.11 付 の 会 員 入 退 会 を 審 議 し
ー ・目
第 謝 回 会 員 資格委 員 会
κ 1ー
理嘱 会 に 答 申 した
一記 膏 研 修 会
のケ ス ト 選 考 に ついて意 見 を 交 換 し
出 席
第 86 回 総 務 委 員 会
田 、 r 藤 の各委 員
ー ・15
(ノ、
詞議 室 一
右 片 、瀬 .
11 、 佐 藤 、 円 中 、 船
た
へ月 末 に '
口う
首 討 諭 会 ﹂の 幹 事 団 を 決 定 し た ほ か 、
参 院 選 の 公 .
小日 萌 に 開 催 す る
ー ン か ら ス ト ー リ ー は ..年 前 に さ
カメラ
取り
六発 の銃 声
信ロ
ゲ侍 ち の 肛 に .
か の ぼ り 、ハ イ テ ン ポ で 展 開 す る
そ し て終 幕
台 の パイ ク が近 づ く
動 か な い屯
叫 び声もな い
と .瞬 の 悲 鳴
囲む 人 々
は黙 々と息 絶 え た ヴ ェロ ニカを 見
︹
直 一、 宮 田 、 矢 島 、 菅 沼 、
宇 治 委 員 長 、村 松 、 百 嬉 、 惜
本 、岡 川
出席
つめ 、 現 場 を 傭 陳 す る
沈黙 のカ
メラ ワー ク は悲 痛 な叫 びだ
◎ ..
、
年 度 事婁 報 告 案 、 同収 芝 決 簾
を 決 定 し , 理事 会 にヒ 程 し た
案 な ら び に次期 繰 越 収 起 差 額 処 分 案
門 川 委 員長 、 島 川 、 関根 、 岡
第 脇回 理 事 会
- 'ー
5
.、
ミ
養﹂
ぐ
“馳
.
メ
ノ
・
,
,
凶
長 、君 和 田 副 理 胚 長 、岩 崎 蜥 務 理 賢
.
兀、 大 .
μ、 村 L の各 理 郭 、 北 村 理 事
出席
二〇 〇 四 年 度 日本 記者 ク ラブ 賞 選 考
大会 議室
ク ラ ブ賞 推 据
鴨 委 員 瓜ムの 藤 原 .
房.
r委
マ: 6
委 員会
原 、 烏 居 、 村 澤 、 長 沢 の各 委 貝
、rI 亀 !
!
ノi 、 4 .
・
.
、 1.
1、 ロ ー 髄 レ
クーー
旺い巨
Jq
月 ,
FT口
玉
展 開 の ハイ テ ンポ が アイ リ ッシ
オ ー スト ラ
リ ア の 女 優 、 ヶ イ ト ・プ ラ ン シ ェ
ュ気 質 に ふ さ わ し い
デ ー ・イ ン デ f ペ ン デ ン ト の 女 性
ット が か っ達 な ア イ ル ラ ン ド 女 性
.九 九 六 年 六 月 .,卜 六 日 、 サ ン
記 者、 ヴ .
一ロ ニ カ ・ゲ リ ン が ダ プ
を み ご と に 演 じ て いる
︹
兵 同 通信 社 論 説 副 委 員
員 長 の 服 告 を 受 け た 後 、選 考 に 入 り 、
春 名幹 男 氏
長 兼編 集 委 員 ︾を授 賞 若 と し て 理 肇
会 に答 申 す る ことを 決 め た .
、
せ て総 務 委 員会 案 通 り 承 認 し 、第 六
案 を 次 期 繰 越収 支 差 額 処 分案 と あ わ
目本 新 聞 協 会 審 査 委 員
・.
兀H 本 経 済 新 聞 } 花 田
久徳
の各 委 員 、 北 村 即 事 長 、 君 和 田 、 小
ゴt ルド ルー ム ㌔
林 の 両 副 理 駐F長 、 ⋮“崎 専 務 理 事
第 圏回 会 報 委 員 会
﹁1 ・9
左 月 号 の 編 集 と 九月 ロ
ゲか ら の 紙 面
刷 新 に つ い て協 議 し た .
(共 同 通 信 社 } に
︹門 田 委 員 長 v の 答 申 ど
.. 畠)四 距
ヰ度 日 本 記 者 ク ラ ブ 賞 を 、
四 回 総 会 にヒ 程す る こと に し た
選 考 委 員 会
お り 、 春 名 幹 男氏
北 村 理 夢 長 、君 和 田 副 理 事 長 、
贈 る こ と を 決定 し た
出 席
岩 崎 専 務 理 喉 、島 川 、 門 田 、 尺野 、
村L 、
又 江 原 、 関 根 、岡 元 、 大 .
尺
辻 塚 監 雰
出 席
佐 藤 の各 理 質
沢 、 .
圧 m 、 仙 石 の 各 委 11 .
.
住 川 委 員 長 、永 序 、 中 園 、 福
・同 収 父 決 算
出席
.. ○ .
..
年 度劇 業 報 告
に 入 った
治 、 関根 、 岡 .
兀、 尺 .
μ、 村 L 、 玉 川
新陛 代 ギ ャン グ が 台頭 した
、、
、
T
門 田委 員 長 、島 川 、 住 田 、 宇
ン グ は .掃 さ れ た が . 数 年 に し て
事 件 を 契 機 に麻 薬 ギ 瀞
、
年 の ア イ ル ラ ン ド のト 大 ニ ュ ー ス
事件 は国 中 に 衝撃 を 与え 、 こ の
リ ン で射 殺 さ れ た 、 こ の実 際 の事
什 にも と づ き 、 エ ン タ ー テ イ ン メ
ント陸 を加 味 し た作 品
幸 せ な 家 庭 生 活 を 送 る ヴ ェロ ニ
カ は 麻 薬 犯 罪 の 実 態 を 追 って 記 事
を井き続ける
歳 の ヘ ロ イ ン 経 験 音 は ..
%、 EU
レ六
警 告 にお びえ な が ら も 取材 を 続 け
ギ 均 の ..倍 、 と 現 地 の 新 聞 は 報 じ
銃 撃 に よ る ..度 の
た.
.信 念 の ・記 渚 だ っ た . つ い に マ
て い る .経 済 成 長 を ひ た 走 る ケ ル
テ ィ ッ ク ・タ イ ガ ー 、 ア イ ル ラ ン
フ ィア のボ ス、 ギ リ ガ ンに迫 る
だ が 、娘を 誇 り に し 静 か に見 守 っ
ド の悲 し い ひ ず み を 痛 感 す る .
会
争 、 映画 化 の 意義 は大き い .
て き た 母 親 の危 ぐ が 現 実 に な る
写
ハン ド ルを 片 ヂ に 朗 ら か に 携 帯
試
〔ll♪
ヴ ェ ロ ニ カ ・ゲ リ ン
﹃一人 に よ っ て 興 る ﹄
ロ シ ア は ユー ラ シ ア の 覇 者 と な る
を カ ー ドと し て使 いこな し た か。
わ れ た 。
廉 直 に つと め る こ と に 尽 き る と 思
う な気 がす る.
.これ は残念 な こと
人 間 的 な ) 記 述 が 少 な く な った よ
人 の新 聞 に 対 す る 姿 勢 、考 え 方 、
伊波新之助
た め に 小 さ な カ フカ ス 民 族 を 相 f
﹃カ ル ロ ス ・ゴ ー ン が 語 る 5 つ
日 常 の仕 事 な ど か ら 教 え ら れ る こ
朝日新聞出身
﹁地 名 の 勝 f な 変 更 、 で た ら め
に 四百 年も 死 闘を 繰り 返 し てき
の革 命 ﹄
仏 ル ノーか ら H産 白 動車 に派遣
日本経済新聞編集委員
逸 話 を 中 心 に 、 当 時 の新 聞 の 様 子
か ら、伝 記 で は な く先 覚新 聞 人 の
と が 多 い。 本 書 は そ のよ う な 観 点
であ る。各 社 の歴 史 を見 ると 、先
な 発 音 で、 ﹃
公 ﹂ は地 .
兀の文 化 を
た 。 そ し て 、 チ ェチ ェ ン人 だ け が
.八e・
じ円∀
破 壊す るな ﹂﹁
プ ロ野 球 は 永 久 欠
ス タ ー リ ン の鉄 の 支 配 に も 屈 せ ず
︹
N Cセ ン タ ー
番 制 度 を 活 用 し て も っと 選 手 の 名
抵 抗 を 続 け てき た 、
. 第 .一
章 は
さ れ た カ ル ロ ス ・ゴ ー ン は こ の 五
長 谷川 洋 三
誉 を語 り伝 え よう 、呼 称 は永 久 欠
く も 長 き 戦 い の カ フ カ ス﹂ で す .
﹁か
番 で は な く 永 久 在 籍 が い い ﹂ ﹁日
..
κ、
口.
∩一円 暫
を 見たも の であ る 、
一
H 本新 聞 協会
年 間 に何を し た のか 、 何を ロ本 の
産 業史 に残 し た のか を リ アルに検
︹
H新報道社 .ぺ﹁
.
一◎円 一
﹃改 革 は な ぜ 進 ま な い か I小泉
露 戦 争 勝 利 の蹉 役 者 は 幕 末 撲 夷 戦
争 の敗 北 経 験 者 ば か り だ . .時 の
﹃
道 路 公 団 民 営 化 の 内 幕1 な ぜ
証 し た 迫 真 の 海 . ﹁口 席 の 危 機 は
改 革 は 失 敗 し た の かー ﹄
政 権 批 判論 ﹄
経 営 が 招 いた 危 機 だ った の で す ﹂
敗 北 で く よ く よ す る こ と は な い﹂
猛
共同通信出身
栗原
な ど 時 事 問 題 や 11 常 生 活 に 触 発 さ
やめ る。そ の財 投 を 利用 し て肥 大
太郎
小 泉 首 相 の 構 造 改 革 の核 心 は 郵
圧年 間 にわ た る密 着 取 材 は 、ゴー
化 した特 殊 法 人 、 認 可法 人を 廃 止
屋山
いま や 三 人 集 ま る と 年 金 が 話 題
は 、 日 本 の産 業 界 に 大 き な 共 感 を
貯 をL体 と す る 財 政投 融資 制 度 を
僚 が いる はずな のに な ぜ破 た ん状
ン の ハシ の 上 げ ド げ か ら 、 ク ル マ
な いし 民 営 化 す る -
時肇 通信出身
れ て提 起 した ジ ャー ナリ ス ト の エ
に な る 。 間 も な く 国 の 借 金 は 、干
呼 び 、大 き な革 命 を も た ら した 。
態 に な った の か 、 政 と 官 の接 点 に
の 乗 り 方 ま で細 部 に わ た る . 目 産
で あ る.
.そ の 特 殊 法 人 の親 k が 道
. ゴ ー ンが 発 し た この ひと言
ッセ イ 集 , 北 朝 鮮 拉 致 報 道 に も .
百
兆 円 に達 す る。 優 秀 な 政治 家 や官
いる官 .
房長 官 や 副 長 官 経 験 者 に
や 取 引 先 の 従 業 員 の行 動 が ど う 変
こ れ を 国鉄 のよう に
と いう も の
﹁いま だ か ら ﹂ と いう 話 を イ ン タ
路 四公 団 であ り 、 借金 総額 は 四卜
兆 円 に及 ぶ
わ った か も 克 明 だ 、 日 本 企 業 の 変
(
官.
房長
ビ ューし病 理 と処方 せ んを 探 っ
ー
及 し 、 当 ク ラ ブ の記 者 会 見 も 随 所
樹
イ
に 取 り あ げ て今 の時 代 の文 と し た .
︹
TKC出版 .四Lだ.
円一
﹃チ エ チ ェ ン 大 戦 争 の 真 実
植田
ス ラ ム のタ ーバ ンと 剣﹄
NuK出身
た 。 後 藤 出正晴 元 副 総 理
官 ∀ に はイ ラク問 題 か ら憲 法 、外
﹁テ ロ と の戦 い ﹂ と い う 世 界 潮
流 の深 層 を 描 いた 、 イ ス ラ ム 原 理
交 ・安 保 問 題 な ど も 聞 いた , 氏 は
ヒ智尺学名誉教授 春 原
近 .頃 、各 社 の 社 史 を 見 て いる と 、
分 割 ・民 営 化 す れ ば J R各 社 の よ
L 義 や オ サ マ ・ビ
﹁歴 史 観 が 大 事 だ ﹂ と よ く 曇
.
口っ て
でも な いイ カ サ マは 許 せ な いと 暴
.六.
炉こ円)
ン ・ラ デ ィ ン は い
いた 。 結 局 、 政 権 交 代 呵 能 な 政 治
社 の記録 、 とく に縄 営 関係 のデー
いた のが 本 書 で あ る 。
化 が凝 縮 さ れ て いる、
︹
講談社
か に 阯 界 に ネ ット
状 況 が生 ま れ る こと 、 国民 がr 算
タ など は格 段 に増 え た が 、以前 に
一
PHP新轟 ヒ.
.
.
.九円}
は ﹁や った ﹂ と い う . こ ん な と ん
た.
.小 泉 首 相 や 作 家 の 猪 瀬 直 樹 氏
う に蘇生 す る と いう触 れ込 みだ っ
ワー ク を 広 げ た
や 税 金 に 関 心 を 持 つ こと 、 そ し て
比 べ 、人 事 や人 に関 す る ︹
とく に
﹃新 聞 経 営 の 先 人 ﹄
か. 政 治 家 た ち は
⋮平 凡 だ が 、 政 治 家 や 官 僚 は 公 正 で
昭彦
いか にチ ェチ ェン
享職
1:12)
第411号
2004年5月10日
2004年5月10日
第411号
(13)
◇ 将 棋 の 会 ◇ 四 月 ..卜 四 日
(土 )
行 楽 B 和 の お 天気 だ った た め
か 、 参 加 者 が L 人 と .、回 日 の 将 棋
大 会 は 少 し 寂 し い集 ま り と な り ま
が守り の
︹
会 友 ・フ 雪 ー
した .決 勝 は 四 間飛車 、 穴 熊 に組
んだ池 ヒ 雅 己 さ ん
リ ン ・ブ レ ス セ ン タ ー
強 い戦 型 を い か し 、 安 原 幸 雄 さ ん
一、
.位 は 敗
︹読 売 川 身 ) を .白 卜 九 手 で 破 り 、
..連 覇 を 果 た し ま し た
者復 活 戦 で全 勝 し た柴 田 鉄 治 さ ん
︹
朝 日出 身 ︺ でし た
期銀 河 戦
﹁お 好 み 対 局 ﹂ に 同 好 会
(囲 碁 ・将 棋 チ ャ ン ネ ル
安 原 さ ん に は 四 月 中 旬 、 第 卜 ..
L催 } の
の代 表 と し て 参 加 し て い た だ き ま
○ 囲 碁 の 会 ●
﹁ヒ ) の 例 会 に は
..
1
.κ 人 が 参 加 、 総 対 局 数 は 四 卜
四 1ー ..卜 四 U
f合 いは プ ロの香落 ち
. ︹.
.
.
..
局 で し た
優 秀 賞 は 塚 本
は ア マ κ 卜 分 、 プ ロ ..
﹁五 分 . 解
、 栗 木
欽
︹四 連 勝
棋 連 盟 で の本 格 的 な 対 局
塚 本 さ ん は 完 月 に続 い て の 優 秀 賞
.敗 一 の .
、.
氏 で し た
流 行 の ﹁ご き げ ん 中 飛 車 一戦 法 の
獲 得 で す 、 ま た 、 四方 洋 、 編 称 博
︹.
.、勝
栗 田 格 会 貝撮 影
午 後
(河 野
ふ る っ
.時 か ら 開 催 し ま す
て ご 参 加 く だ さ い
次 回 の 例 会 は κ 1ー ..レ .,日 ハ
﹂ ︺
が 初 参 加 さ れ ま し た
(と も に 毎 11 新 聞 出 身 ︺ の 両 氏
.
百高 プ ロの速 攻 に屈 し、安 原 さ ん
結 果は
連 勝 暫、 田 川 κ 郎
柑 r は 石 高 澄 恵 女 流 、.段
会 兄1.27卜
説κ や記 録 係 も 疏ち会 う 、 日 本 将
した
1賄
孝
持ち 時間
者発 表
ヨ ー.ロ ツ ハ で の 襲 名
「
「
∫r[i家の12代ll團1`貞1;とIJ代
が 九 .f で 投 ゴ と な った そ う で す 。
.
独特 な 雰 囲気 も あ るが 、 敗 因 は
最 近 の 戦 法 へ の対 応 を 研 究 し て い
︹.右 川 )
な か った こ と に つ き る . と 安 凍 さ
ん の反 省 の 弁 で し た 、
:レD
襲 名 披 露 パ リ 公 演(10月)記
披 露 は 歌 舞 伎 界 初 の1武 み
と 蔵 を 襲 名 す る 父fが
第411号
2004年5月10日
第411号
2004年5月10日
五 月 二 十 一日 に 記 念 講 演 と 会 員 懇 親 会
寄 贈書
3503-2728
諸 岡 達 .会 貝
3503-2ア25
阯 界 の 放 送 、.∩・
昌)四
クラ ブそ」'1レ
\の1μし」ム、
な
3503-2ア21
冨 11現在
・経 理
ベ ー ス ボ ー ロジ i 5
デ ー タ ブ ック
N H K放送 文 化 研 究所
日本 テ レビ 放 送 網
3503-2766
・r受何 、宴 会 打 ち 合 わ せ
35G3-2724
︹民 ド ︺
議 員 (自 民 ︺、上 田 勇 議 員 ﹁公 明 ﹀、
小宮山洋子議員
︹水 ︺午 後 3 時 ∼ 4 時 15 分
研 究 会
﹁外 国 人 受 け 入 れ 問 題 ﹂ 立 花 宏 ・
日本 経 団連 常 務 理事
食会
.
兀川
成
橋 場 義 之
仙 石伸 也
〇 一
..L .
一
瓦 ρ
↑
).
..1 二 し κ ..)
本 庄 瓦月
O二..-
- L ..ヒ . へ
(
電
一
'C
{F A X
話
中 園 龍 ..
○ .、﹁ .、
一
五C一
..
1 ..ピ 六 四 )
正 午 ー竿 後 2 時
ス テ ィ ーブ
ン ・ゴ マ ソ ー ル 駐 日 英 国 大 使 昼
(財 ) 日 本 総 合 研 究 所 理 事 長
(水 }午 後 2 時 ∼ 3 時 30 分
研 究 会
﹁米 外 交 の 行 方 ﹂ ⑤
寺島実郎 ・
へ金
会 報 委 員 会
一
一一
一一 .
絡 11 長 谷 川 和 r
福 沢 亜 夫
員 11永 井 多 恵 子
委 員 長 睦住 田 良 能
委
貸 室1㌻ 約
五 月の行 事 予定
3503-2723
・1γ食 レ ス トラ ンqO階1
(月 ︺午 後 3 時 ∼ 1 時 30 分
研 究 会
﹁司 法 制 度 改 革 ﹂ 2
保 岡 興治
・手ll食レ ス トラ ンlgl著 〕
︹
行 事 案 内電話
28 日
26 日
19 日
17 日
ク ラ ブ の 電 話
連
3503-2722
通 常 総会終 .
ー後 の 午 後 四時 半 か ら 、 松 埠 孝
テ ー マ は ﹁地 球 ︹
生物 ・
文 明)
夢 50 年
U 本新 聞 協会
カ 、コ内旧代表 、敬 称略
︹.
..
重 野敏彦 )
飯 塚 幸 宏 会 員 (中 ロ ・東 京 新 聞
(す い ) が ん の た め 死 去 さ れ
65 歳 )
(マ イ ロ ン ・ヴ ェ ル カ イ ン ド ﹀ ▼ 大 分 放 送
卦 報
が 四月 十 八日膵
法人 ・
基本会員
.、 六 九 〇 人
特別賛助
、 ..入
.一、 ヒ 八 一人
..〇 四 人
.,.一八 社
名 誉 ・功 労 会 員
八〇社
一四 八 社
ま した.
一謹 ん で ご 冥 福 を お 析 り い た し ま す ,
六 五入
計
・会u.】 二務
典 東 大 大学 院教授 を 迎 え 、総会 記念 講 演 会 が
開 催 さ れます
テ レビ
放 送 で 気 に な る.
、
d葉
は 、普 遍 か?﹂
米 航 空 宇 宙 局 (N A S A } の火 星 探 査 で 海
智 Om
5.
第 !﹃ 羨 ζ 貧 ﹂
▼A P通信 社
神 保哲 生 会 員
三 寄 贈 いたた きま した 、
防 衛 斤 長 1 } 房 広報 課
フ ォ ー リ ンプ レ ス セ ン タ ー
敬 語編
の 存 在 が 確 認 さ れ た り 、 太 陽 系 で新 た な 天 体
﹂三)舳
≡ ﹀ ℃︻
︺
︹
.
写 ︻︹}
⊆乙 ¢
会 員 の 著書
防 衛 ハ ンド ブ ック
が 発 見 さ れ た り と 、 宇 宙 関 連 の大 ニ ュ ー ス が
宇 宙 生 物 学 ︹ア ス ト ロ ・
が専 門 の松 片教授 か ら は 、 宇
最 近 続 い て いま す
バ イ オ ロジ⊥
え て い る 様 々な 問 題 が み え て く る と いう よ う
粉飾戦争
宙 か ら 傭 鰍 的 に地 球 を 見 る こと で 、 人 類 が 抱
な ス ケ ー ル の大 き な お 話 を う か が え る も の と
思 いま す 。
人
︿ 法 人 会員代 表変 更 V
ま す .席 上 、 本 年 度 日 本 記 者 ク ラ ブ 賞 受 賞 者
引 き 続 き κ 時 半 か ら 、 会 員懇 親 会 が 行 わ れ
の春 名 幹男 氏 ︹
共 岡 通 信 論 説副委 員 長 兼 編 集
高 木 正 春 ・東 京 支 社 .長
我 孫.
r 和 夫 ・東 京 支 局 総 支 配
委 員 ) が紹介 され ま す 。
講 演 会 、懇 親 会 いず れ も ビ ジ タ ー お 一人 を
多 数 の参 加 を お
今 月 は コ ン チ ェル ト で す . 五
伴 って い た だ い て 結 構 で す
待 ち し ます .
吉富カ クテル
法人会 員
八 一〇 人
会員現 況
を 信 じ る 佐、 ド ラ イ ジ ン を ベ ー ス に デ ュ ボ ネ 、
個 人 賛 助会 員
月 の 花 、 カ ーネ ー シ ョ ン の メ ッ セ ー ジ は ”愛
オ レ ン ジ ジ ユー ス な ど を 協 奏 曲 を 奏 で る よ う
会員
個人会 員
に シ ェイ ク し ま す 一 母 の 包 み 込 む 愛 の よ う な
味 を ぜ ひ カ ウ ン タ ー で お た のし み く だ さ い。
〔15〕
〔ダ でへ7,レ で ン レ
撮影
青 山 芳久
(朝
写H
真新セ
聞ク
社映
シ像ョ
本部
ン)
一枚 の 色 紙
︻九 七 二年 九 月 の こと 。 ク ー デ タ ー で 国 家 元
首 の座 を 追 わ れ 中 国 に亡 命 し て い た カ ン ボ ジ ア
の シ ア ヌー ク 殿 下 を 、 北 京 の寓 尉 に 訪 ね て イ ン
タ ビ ュー し た 。 そ の 頃 日 本 の新 聞 記 著 は 中 国 へ
の 入 国 を 許 さ れ な か った の で 、 口 中 国 交 正 常 化
のため 訪中 す る 田 中角 栄 総理 の同 行 記 者 にな っ
て 北 京 に 人 った 。
会 見 を 終 わ っ て 、 お 土産 に 、 鯉 が 滝 登 り を し
て いる 墨 絵 の 色 紙 を 贈 った 。 中 国 に 、 鯉 が 黄 河
の竜 門 と い う 急 流 の滝 を 登 り お お せ て 竜 に な っ
た と いう 伝 説 が あ り 、そ れ に ち な ん で 日 本 で は 、
男 の子 が た く ま し く 育 つよ う こ い の ぼ り を 立 て
る 風 習 が 生 ま れ た 。 そ う 説 明 し て ﹁殿 ド も こ の
鯉 のよ う に 、 困 難 を 乗 り 切 っ て く だ さ い﹂ と 付
け加 え た。
一九 九 }年 、 カ ン ボ ジ ア 和 平 が 成 って シ ア ヌ
ー ク殿 ドは故 国 にもど り 、 二年 後 に王 位 に就 い
た 。 私 は 東 京 か ら 祝 電 を 送 った .
.数 H後 シ ア ヌ
ー ク 新 国 王 か ら 返 電 が 届 いた 。
電 報 へ の 謝 意 の あ と に 、 ﹁不 遇 の 時 に 生 ま れ
た 友 情 は 決 し て 消 え な いで し ょ う ﹂ と 書 き 添 え
て あ った 。 二 十 ↓年 前 、 北 京 で 鯉 の 滝 登 り に 事
寄 せ て 励 ま さ れ た こ と を お ぼ え て いた の だ ろ
錫)
う 。 いら い 、 こ い の ぼ り を 見 る た び に 、 あ の 北
京 で の 一こま を 想 い出 す 。
(
友田
(16)
第411号
2004年5月10日
満 開 の 桜 を背 に こ い の ぼ りが 泳 ぐ
=群 馬 県 館 林 市 の 鶴 生 田 川
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