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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅

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Page 1 京都大学 京都大学学術情報リポジトリ 紅
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美術史学における新古典主義彫刻の位置 - アントニオ・
カノーヴァをめぐって( Abstract_要旨 )
金井, 直
Kyoto University (京都大学)
1999-07-23
https://doi.org/10.11501/3156106
Right
Type
Textversion
Thesis or Dissertation
author
Kyoto University
金
井
量 ∵
㍉
名
文
′
し
氏
博
士
学 位 記 番 号
文
博
学位授与 の 日付
平 成 1
1年 7 月 2
3日
学位授与 の要件
学 位 規 則 第 4 条 第 1項 該 当
研 究 科 ・専 攻
文 学 研 究 科 美 学 美 術 史 学 専 攻
学位論文題 目
美術史学 における新古典主義彫刻 の位置
-
(
主
論文調査委員
n
U
一
4
1
学位 (
専攻分野)
第
ア ン トニオ ・カノーヴァをめ ぐって-
査)
助教授 中 村 俊 春
論
教 授 岩 城 見一
文
内
容
の
要
教 授 吉 田
城
旨
本論文 は,新古典主義を代表す るイタ リアの彫刻家 カノーヴァ (
Ant
o
ni
oCa
nova
,
1
7
5
7-1
8
2
2
)を研究対象 としている。
とは言え,彫刻家の生涯 と作品を包括的に扱 った, いわゆる作家研究が意図されているのではない。パ トロンとコレクシ≡
ン,美術館 の展示,複製版画を用 いた作品批評 など,美術をとりま く諸 々の環境 とカノーヴァが どのように関係 し,そ して
また,美術史 においてそれが どのよ うに論 じられて きたのか, カノーヴァという名前が動 く 「
場」を問題 とすることで, ひ
いては学 と しての 「
美術史」のあ り方 を も浮かび上が らせよ うとす る試みなのである。論文 は,以下のように 3部構成 になっ
ている。
「ヴェネツィアか らロ-マへ」と題 した第 1部では,カノーヴァの ロ-マ進出という実際の 「
場」の移動 と,彼の様式展開
を結 びっける一般的な見解 に対 して,再検討 を試 みる。 第 1章 においてはヴェネツィア時代の特殊な依頼作 について,第 2
章 において は新古典主義宣言 とも見倣 され る墓碑彫刻 について,それぞれ,作品の機能 ・受容の側面,および ジェンダー論
的観点 を視野 に入れて論 じる。
第 1章
ふ た りの大使
本章ではカノーヴァの初期の活動 と, それを支えたヴェネツィア共和国内の芸術保護を概観す る。 ジローラモ ・ズ リア ン
はカノーヴ ァを ローマに迎え入れた共和国大使であ り,カノーヴァが新古典主義 に向か うきっかけを用意 した人物 として知
られているO カノーヴァに対す る彼の支援 は,今 日まで主 にローマの芸術状況,すなわち初期新古典主義 と絡めて語 られて
きた。 しか し,本章 においてはズ リア ンの側か ら,つまりヴェネツィア 1
8世紀の芸術保護の文脈で捉え直す。 その うえで,
カノーヴァ研究か ら完全 に排除 されているもうひとりの在 ローマ ・ヴェネツィア大使, ア ン ドレア ・メンモの活動 について
も取 り上げる。彼 はパ ドグァの商業活動の拠点 となる公共空間を構想 し,実現 させたが, この広場を飾 る複数の彫像のなか
に, カノーヴァによる作品 と, さらにカノーヴァを表 した像を含み込んだのである。今 日,言及 され ることのほとんどない
この三体の公共彫刻を通 して, ズ リア ンとは異 なるメンモの機能主義的な芸術観,彫刻観を確認する。
カノ-ヴ ァ周辺 のふた りの大便の活動 をあとづ ける本章 においては,最終的に,ヴェネツィア共和国の芸術保護の多様性,
新古典主義 の発現の多面性 を指摘す ることになるO これは, カノ-ヴァの様式転換をヴェネツィアか らローマへの移動 と結
びっ けることで,都市 ヴェネツィア内部 の文化的 コソテクス トを単純化 していた先行研究 に対 して異義 を唱えるものであ
る。
第2
葦
≪クレメ ンス 1
4世碑≫をめ ぐって
本章 は実質的にカノーヴァの ローマ ・デ ビューとなった教皇墓碑 に関す る作品論である。 周知の通 り, ア レゴ リー像の表
現において, カノーヴァはバ ロ ックの伝統か ら断絶する。つまり誇張 された姿態ではな く, 自然な追悼の所作を入物 に与え
たのであ った。 これは一般的には 1
9世紀の新 しいシンボ リズムの端緒 と見徹 されるだろう。 だが, ここで無視で きないの
は, カノ-ヴァの墓碑作品 には相変わ らず女性像ばか りが登場す るという点である。抽象的な観念を専 ら女性像 に付与す る
- 5-
ア レゴリーの規則を捨てたのであれば,墓碑をとりまく人物 は男性で もよいのだが, カノ-ヴ丁は女性像に拘泥するのであ
る。 ア レゴ リーとい う高度 に人工的な記号操作の率では一種 の虚構 として了解す ることの出来 た女性像の利用 は,カノー
不 自然 さ」を露呈 して しまうのではなかろうか。
グァによってその姿態のみ 「自然化 」されると,む しろ男性の不在 という 「
第 2部 「
彫刻の場 ・記述 ・複製」においては,2
0世紀 に至 る批評言語の問題 (
第 1葦)
,作品記述 と複製版画,展示環境の
問題 (
第 2葦)
,石膏 モデルと複数の所謂 「オ リジナル」の問題 (
第 3章)へ と,段階的に論点を広げ,彫刻を見るというこ
との条件 (あるいは困難)を明 らかにす る。
第 1章 柔 らかい彫像
歴史的 にみると, カノーヴァ批半胴ま主 に 2つの立場か ら行われた。ひとつはカノーヴァと同時代の新古典主義者の観点.
もう一方 は 2
0世紀前半のモダニス ト的観点であるO 前者 は大理石表面 に官能性 を認め,これを指弾す るのに対 し,後者 は逆
にその冷 たさを否定的に扱 う。 カノーヴァ作品に疑問を呈す る点では共通であるにもかかわ らず, 1
8世紀末 と 20世紀前半
の批評 はまった く反対 の温度感覚を示すのである。 しか しなが ら,私 はこの二種の温度感覚の共通点を指摘 したい。つまり
新古典主義者 に して もモダニス トに して も,作品を見る際,基本的に一定の距離を保っのであるO これに対 し,「
柔 らかさ」
とい う語 を用 いなが らカノ-ヴァ作品を評価す るカ トルメール ・ド・カ ンシーは,大理石作品の表面 に眼差 しを注いでい
く。 彼 はさらに 「
柔 らかさ」 という語 自体の意味の幅を利用 しなが ら,エルギ ン ・マ-ブルズとカノーヴァを結 びっけ,両
者の芸術的特性を相乗的に称揚 してい くのである。 カ トルメールが作品に対 して取 る距離は極めて自由である。時に表面の
抑揚をみつめる彼の眼差 しは彫刻理解の可能性を広げて くれるものだろう。
第 2章
複製版画 と鑑賞の場
芸術作品の記述 に複製図版が添え られることは一般的であるが, この種の図版の歴史に注 目す ると,1
8世紀末,造形芸術
の複製手段 として,纏密な陰影付 き版画にかわ って極端 に単純 な輪郭線版画が登場 したことに気づ くだろう。 重要なのは,
こうした図版が彫刻の記述 にも影響を与えてい く点, さらに記述が図版を想定す るという逆転が生 じる点である。 チコこヤ
ラを筆頭 に幾人かの作品記述を例示 し,大理石の彫像よりもむ しろ複製版画 と呼応する彼 らの言説 を確認する.
もちろん こうした輪郭線版画の優位 とは相容れぬ作品記述 も存在する。 例 えばパルゾ-ニは輪郭線の揺れについて記述 し
ているが, これは彼が燈火の下で微細な彫像表面の抑揚に目を凝 らしているか らである。 このよ うな具体的な例か ら明 らか
となるのは,彫 刻 を見る我々の構えは,図版 ・記述 ・展示環境 といった場の力学のなかでは じめて規定 されるということで
ある。「
作品に即す」ということの国難,あるいは不可能性が自ず と感得 されよう。
第 3葦
彫像の内 ・外
大理石の彫像を制作する際,その自重をいかに支えるか という極 めて物理的な問題が生 じる。 また,指先のような破損 し
やすい細部をいかにまとめるかば,彫刻家の技量を示すポイン トともなる。バ ロック期の彫刻家 は,支えを可能なかぎり用
いないようにする。あるいはそれを隠そうとす る。 つまりは支えは彫像の内にその場を占めるのである。 カノーヴァも当初
はこのような立場で制作 していたが,彼の後期作品においては支えが顕在化す る。 すなわち,彫像の足 もとに寄 り添 う木の
幹 と,指先をつな ぐピン状の切片である。前者 は幹を再現 してはいるものの,主題 との連関は希薄であり, この意味で彫像
の内 ・外を揺れる支え と言えるだろう。 転 じて,彫像を古典的に見せるエ ンブレムとして機能す ることになる0-万,後者
は非再現的で即物的な どンであ り,彫像の外 にある支えである。 注 目すべ きは, この ピンの挿入を可能 に した彫像の生産 ・
消費の現場である。すなわち,オ リジナルの石膏像 と複製版画の連鎖のなかか ら生 じる彫像の複合的イメージが,指先にピ
ンを持つ大理石の 「
完成作」以上 に有力な作品イメージとして流通するという事態であるo
以上,第 2部 においては社会的文脈か らは一定の距離をとり,考察の対象を 「
作品」の傍 らに常 にある作品記述 ・複製 ・
展示 といった領域 に絞 り込んだ。作品に即すのではな く,作品に寄 り添 うこと。 ここか ら明 らか となるのは 「
作品」を名指
す ことの困難であろう。 複数の作品イメー ジが流通す るなか,法的にオ リジナルな,作品 とい う財 を名指す ことは可能で
あって も, そのような 「オ リジナル作品」が優勢な作品イメージとなるとは限 らないのである。 また合法的オ リジナル作品
であって も展示環境 に応 じて複数のイメ-ジを立 ち上げて しまう。 要するに,物理的な 「オ リジナル作品」自体,複数のイ
メージを抱え,連鎖する複数の場の一つ と化 して しまうのであるO 記述や複製や展示空間 といった 「
場」を頼 りにする作品
に (
即すのではな く)接近 してみるとき,「
作品」その ものの
「揺
れ」が明 らか となるはずであるO
第 3部 「カノーヴァと 『
古代』」は作品の 「
場」をめ ぐる異体的な議論 となる0第 1章においては芸術作品の固有の 「
場」
- 6-
を求めて争 う渚言説 に目を向ける。ひとことで この章の結論を先取 りす るな らば,固有の 「
場」 という問題設定の限界であ
る。「
揚」は多数多様であ り,作品 もまたひとっの 「
場」として機能 し得 る以上,固有性やオ リジナル性の強調 は懇意的な も
場」であることを拒否 した象徴的な事件 と
のに留 まって しまう。 同様の問題意識 は第 2章 にも引 き継がれる。作品 自体が 「
0世紀の彫刻修復を取 り上 げる。
して,2
第 1章
カノ-ヴァ, カ トルメール, エルギ ン ・マーブルズ
フランス革命か らナポ レオ ン体制期 にかけて, イタリアの美術品の多 くが フランスに持ち去 られた。 これに対 してカ トル
メール ・ド・カンシ-やカノーヴァは作品のコンテクス ト依存性を主張 し, ナポ レオ ン主導の美術館形成 に反対 した。作品
は本来の位置においてその美点を明 らかにするのであ って,他都市の美術館 に送 り込 まれるべ きではないというのである。,
ところでナポ レオ ン体制の崩壊後,彼 らはまた別の態度選択を行 っている。すなわちアテネか らロン ドンに運 び込 まれたエ
ルギ ン ・マーブルズの称揚である。 カノーヴァもカ トルメール もその芸術的特性 に注 目するばか りで,作品が本来の場か ら
引きはがされた事実には目を向けないのであるO コンテクス ト重視の反美術館論者か ら美術館内の作品鑑賞者 に転 じて しま
う彼 らの振 る舞 いは,変節,政治的妥協 としてまずは捉え られるだろう。 が,見方を変えれば,矛盾を抱え込んでいるのは
「
固有の場」という発想その もののように思われる。芸術作品にとって理想的な場が (
美術館の外であれ内であれ)ただひと
つあるという前提 こそ問われるべ きなのであるO
第 2章 戦後の彫刻修復
1
6世紀に創設 されたヴェネツィア考古学博物館 には,その当時修復 された古代彫亥略言多数収蔵 されていた。1
6世紀人 は古
再
壬
代遺品の断片に四肢や頭部を付加 し,完全な人物像を作 り上 げていたのであるO ところが第一次大戦後,これ らの彫像 は 「
修復」され,あ らゆる後補箇所を失 って しまった。2
0世紀の修復担当者 は自らの行為を科学的な純化 として正当化するが,
ここに垣間見えるのは断片を愛好す る時代の傾向である (
断片化 されたカノーヴァ作品の写真などもこの時期 に流通す る)
0
また,
「
科学的純化」 は,作品自体が 「
場」 と化 し,観者 にイメージの重層を呈示す る可能性を も切 り捨てて しまった。「
純
,
化」 は 「
古代」に 1
6世紀の趣味が重なることを不可能 に し 「オ リジナルな」 作品のみを残 したのである。 作品が近代的な
美術館 という場 に固定 されるや,そのイメージも特権的で排他的な 「
古代」に切 り詰め られたわけである。
第 3部で問題 とす るのは,作品の固有の場 という発想 自体の限界 と,オ リジナルな 「
定点」 としての作品 とい う発想の限
界である。 これは第 2部の観点 とも通底す るものである。作品が固定 されない以上,場が固定 されないのは自明である。
論 文 審 査 の 結 果 の 要 旨
本論文 は, イタ リアの新古典主義の彫刻家 ア ン トニオ ・カノーヴァを扱 っている。 これまで我が国における新古典主義の
美術の紹介 ならびに研究 は, ダヴィッ ドを中心 としたフランス絵画が主で, イタ リアの新古典主義の彫刻 に関す る詳細な論
考 はほとんどなか ったと言える。このことはある程度,戦後の欧米 における研究傾向を反映 していると考え られ る。確かに,
1
9
6
9年 には G.
C.
アルガ ンが, 1
9
8
3年 には F,T
)ク トが カノーヴァに関す るモノグラフイ-を発表 している し, 1
9
9
4年か ら
はカノーヴァの著作集の刊行 も始 まった。 しか し,新古典主義の時代の美術 について論 じるとき,研究者 たちの関心 は,紘
じて,彫刻 よりも絵画に向けられることが多か ったのであるOだが, これは,当時の彫刻に対する強い関心か らすると,莱
に奇妙な逆転現象であると言わねばな らないだろう。
本論文 は, この点で非常 に貴重な ものであるが, カノーヴァの彫刻の展開 と変遷を年代順 に追 うという通常のモノグラ
フイ-的な研究方法か らは距離を取 っているOむ しろ, カノーヴァの彫刻作品 とカノーヴァの時代 に高 く評価 されていた古
代彫刻,両者をめ ぐるコレクタ-やパ トロンの活動,美術史的な批評言説,彫刻作品の展示の問題 などを取 り上 げることに
より,様式史や図像学 という方法にもとづいて発展 して きた近代以降の美術史的な見方が見落 とさざるを得 なか った,ある
いは意図的に無視 してきた,彫刻作品に付着するさまざまな特質を明 るみに出す ことが試み られているのである。
第 1部では,ヴェネツィアか らローマへ と移住 し名声を確立 した時期のカノーヴァの様式展開が論 じられる。第 1章では,
パ ドグァのプラ- 卜・デ ッラ ・ヴァッレに立っ 《ボ レーニ像≫を取 り上 げて,従来,単 に,新古典主義の様式を確立す る以
前の過渡期の作品 とされて きたこの像が,実 は,注文主 メ ンモの,公共空間を飾 るための彫刻 という機能主義的な芸術観の
反映であることを明 らかに して,作品の様式が注文主の好みを強 く反映 していることを指摘す る。 第 2章 は, カノーヴァが
4世砕≫について論 じる。この墓碑の女性のア レゴ リ-像 は,寓意性
ロ-マで受 けた最初の重要な注文である ≪タレメンス 1
- 7-
が弱 まり, 自然主義的に表現 されている点 に特質があるとされて きた。 しか し, ダブィッ ドの絵画の中の女性たちとの比較
を通 じて;実 は, カノーヴァは男性のア レゴリー像のみを放棄 したのであ り,女性像 には,依然 として概念装置 としての機
能が与え られていることが論 じられる。 この解釈 には, フェ ミニズムの方法論が援用 された。 こうして第 1部では,従来の
様式論的な枠組みを越えたところに,様式の変化の原因が探 られ,様式 には,その特徴 に応 じた意味が付随することが明 ら
かにされたのである。 これ らの点 に高 い独創性が認 め られる。
第 2部では,彫刻作品を言葉で記述す ることの再難 さ,そ してその困難 さ故 に彫刻 をめ ぐる批評言語が どのように単純化
され,それが彫刻の見方 に如何なる影響を与えたのかが論 じられ る。第 1章では, カノ-ヴァと同時代の新古典主義者たち
と2
0世紀前半のモダニス トたちが,カノーヴァの彫刻 に対 してまった く異なった判断を下 していたことに着 目して,彫刻の
見方が論 じられる。前者 は, カノーヴァの彫刻の官能性 を批判 し,後者 は, カノ-ヴァの彫刻が冷たす ぎると指摘するので
ある。 しか し,その見解の相違 にもかかわ らず,両者 は,彫刻 は一定の距離 を保 って眺めるべ きだと言 う点で共通 している。
一方, カノーヴァのよき理解者であ ったカ トルメール ・ド・カンシーにとって,彫刻 は,接近 したり,離 れたり,距離を自
由にとって眺め られるものであ り, その ことが彼の彫刻理解を豊かなものに しているのである。第 2章では,彫刻の輪郭線
だけを単純化 して描出 した複製版画の普及が,彫刻の見方を規定 し,後の美術史における彫刻の記述方法 にきわめて大 きな
影響を与えたことが指摘 されるO彫刻の表面 は捨象 され,輪郭線だけが注 目されるのである。 しか し, カノーヴァの時代,
夜間 にろうそ くの明か りの もとで彫刻 を鑑賞す ることが流行 した ことに明 らかなように,彫刻 は,その表面 の効果にこだ
わ って鑑賞 されることもあったのである。第 3章では,大理石像 《
へべ≫の第 1作 と第 4作を,特 にその支えの表現の相違
ど,第 4作の指先 にみ られるピン状の切片に著 冒して論 じている。 一見,彫刻にとっては取 るに足 らないような些細な点を
問題 に しているように思われるか もしれないo Lか し,石膏モデルにもとづいて工房の助手 によって彫 られ, カノーヴァは
仕上 げの聖をふ るうのみ という大理石の彫刻の制作方法 において, ひとつのオ リジナル作品 と呼ぶべ きものなどありうるの
か,という問題へ と論考が進め られ,この章で も,美術史における作品記述の困難 さが端的に示 されるのである。第 2部紘,
作品をめ ぐる批評言語の限界 というものを指摘 しなが ら, カノーヴァの作品の特徴 とその実 り豊かな鑑業法を具体的に示 し
えたという点で,本論文中最 も優れた部分で,彫刻研究 にひとつの新 しい方向性を呈示 したと言えるだろう。
第 3部では,美術館 における彫刻の展示 という問題が論 じられるo もともと神殿,教会,宮殿などの定 まった場所に設置
されていた美術作品を,美術館 に移送 して展示することは作品に付随 していたコンテクス トを消 し去 ることであり,それは
作品の
「
死」を も意味 しかねないという見解が,今 日盛んに唱え られている
。
第 1章では, こういった考え方が,既に新古
典主義の時代にカノ-ヴァやカ トルメール ・ド・カンシーによって主張 されていたことが指摘 されるO しか し,彼 らは,そ
の一方で,エルギ ン ・マーブルズの ロン ドンへの移送を批判 しないのである。 第 2葦では,1
6世紀に創立 されたヴェネツィ
6世紀の後補部分が
アの考古学博物館所蔵の古代彫刻が,第一次大戦後 に修復 され,古代のオ リジナル部分だけを残 して,1
取 り去 られて しまったことが論 じられる。その結果,
「
断片化 した」作品は,博物館の建物,あるいはヴェネツィアという都
市 と奇妙な厳酷をきた して しまっている。 こうして近代の美術史のオ リジナル主義の弊害が指摘 されたのである。 美術館 と
展示をめ ぐる研究 は, まだ比較的新 しい,歴史の浅 い分野であり,第 3部 は,その意味で貴重な論考 と言えるだろう。
このように本論文 は, カノーヴァの彫刻,あるいはそれを取 り巻 く状況をめ ぐって,多彩な方向か らのアプローチを試み
た ものである。全体を通 じて,彫刻 について記述す ることの困難 さが考察 され,同時に,彫刻作品が見せ る豊かな表情を鮮
やかに浮かび上が らせ ることに成功 している。 しか し, もちろん, い くつかの問題 も残 している。 新古典主義の芸術理解 に
とっては, きわめて重要な問題である 「
古代彫刻」 と 「自然」 との関係 について, ほとん ど考察が行われていない。彫刻の
「自然」に対する考察が必要であったと思われる。また,カノーヴァをめ ぐる批
表面効果の ことが頻繁 に論 じられるだけに,
評言語をよりどころにカノ-ヴァの彫刻に接近 しようとする姿勢 は理解で きるが,その視点が,時に,あまりに細分化 して
お り,ひとつのまとまりとしての彫刻作品に関する記述が不十分になっている。 しか し, このような欠点 は, この論文の価
値をおとしめるものではない0本論文 は,広義 における受容美学的な視点を カ
ノ
ーヴァ研究 に導入 した,注 目すべき研究成
果である.
以上,審査 したところにより,本論文 は博士 (
文学)の学位論文 として価
値
日に調査委員 3名が論文内容 とそれに関連 した事柄 につ いて口頭試問を行 っ
- 8-
あ
るものと認め られるOなお,1
9
9
9年 5月 1
1
た 結 果
,合格 と認めた。
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