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上 田 瑠 偉 の 失 敗 、 そ し て 手 に 入 れ た 宝
ウルトラ・トレイル・デュ・モンブラン報告 上田瑠偉の失敗、 そして 手に入れた宝。 コースの過酷さ、山の大きさ、美し さ、などから世界一の大会と呼ばれ るのが﹃ウルトラ・トレイル・デュ ・モンブラン/UTMB﹄だ。 含めた6つのレースを開催運営する 大会名でもある。競技種目としての UTMBは、シャモニを起点終点に モンブラン山塊170㎞をフランス トレイルラニングの大会はたくさ ﹁UTMB﹂は170㎞の超長距離 んあるが、その規模、運営の見事さ、 山岳レースの種目名であり、それを 2 0 1 5 ●うえだ・るい 1993年長野県生まれ。佐 久長聖高校陸上部から早大陸上競技同好会へ 進む。2013年9月三原白竜湖トレイルレー ス優勝、10月日本山岳耐久レース6位、12 月武田の杜優勝。14年4月ハセツネ30優勝、 10月日本山岳耐久レース優勝。 上田瑠偉 ふたつ目の山、UTMBでは最高峰2525mの グラン・コル・フェレ。脱水にもがく瑠偉。 110 ・イタリア・スイスの3か国を反時 計回りに巡るもの。そしてその後半 区間を走り抜く世界一の100㎞級 レースが﹁CCC﹂である。 CCCのスタートは8月最終金曜 日の朝9時。シャモニの反対側、モ ンブランのおなかを貫く ㎞のトン ネルの先にあるイタリア・クールマ イユールの目抜き通りがその会場。 101㎞のCCCをなめてはいけ ない、出だしでやられる。スタート 直後わずか ㎞のうちにコース最高 峰︵UTMBの最高地点より高い︶ テト・デ・ラ・トロンシェ2571 mに上がる、標高差は1400m。 スタートを見送ったサポーターが 次に選手に会えるのは ㎞先のエイ ドステーション、ラ・フーリー。そ こに至るには選手はもうひとつの山、 UTMBでの最高峰グラン・コル・ フェレ2525mを越えねばならな い。サポーターにとってもラ・フー リーに行くには大変だ、再びトンネ ルを通ってシャモニに戻り、CCC のエイドを ってゆく、その距離お よそ100㎞。 この大会はエイドも含めすべての チェックポイントの通過データは即 時に本部に送られ、ウェブサイトに その選手の通過時刻・順位・トップ との差・次のエイドの到着予定時刻 などがアップロードされる。3カ国 を駆け、選手に先回りし、彼らを支 え護るサポーターはうれしい。イン ターネット環境さえあれば、携帯端 末がその国の電波を拾うことができ さえすれば、それらの情報からいま 現在の選手の体調までも見通せる。 この春﹃ターザン﹄は上田瑠偉が CCC START ラク・コンバル クールマイユール コル・シェクロー クールマイユール 3000m カトーニュ 1500m 2127m 2034m 1884m 2525m 2571m 2000m コル・デ・モンテ バローシンヌ トリアン ラ・ジエット シャンペ・ラク ラ・フーリー グラン・コル・フェレ アルヌーバ ボナッティ小屋 ベルトーネ小屋 テト・デ・ラ・トロンシェ レ・シャピュー 15km 7km 5km 14km レースになるが、足が速ければ明る いうちに帰ってこられる、外気温差 も大きくならない。筋肉量、体脂肪 量、また高所急峻な山岳経験の少な い日本人選手にも戦える余地がある。 距離が短いので、トラブルが起きた ら 回する時間が足りないかも。だ が優れた走力があれば、そして上手 にその足を活かせれば表彰台は夢じ ゃない、と以前から考えていた。 そこに颯爽と登場したサラブレッ ド、日本トレラン向かうところ敵な し、進撃の上田瑠偉。これ以上なに を望めというのか、千載一遇のチャ ンスとはまさにこれ。 ﹃ターザン﹄ はCCCを2回走っている、そのう ちの1回は土砂降りと吹雪だった、 この山のいいときも最悪のときも知 っている。それらにプラス、過去の 上位選手の区間タイムを分析しタイ ムチャートを作り、上田瑠偉・表彰 台作戦を練り上げた。 車酔い覚悟で携帯端末を操作して いると、フーリーへの道半ばで、画 面に最初にして最高峰の山、テト・ デ・ラ・トロンシェの山頂通過デー タが出た。 ︿Ruy UEDA 3位。トップと 4秒差、2位と2秒差、4位と2秒 差﹀ 。 ラ・フーリー グラン・コル・フェレ シャモニ 2500m ラ・テト・オゥ・バーン ラ・フレジェール シャモニ 取材・文/内坂庸夫 撮影/柏倉陽介、藤巻 翔、衛藤 智 111 シャンペ・ラク バローシンヌ START 101km FINISH コル・デ・モンテ ラ・テト・オゥ・バーン テト・デ・ラ・ トロンシェ ベルトーネ ▲ 小屋 モンブラン レ・コンタミーヌ 14km 17km 11km 11km 8km CCCに出場すると聞いて、内心ほ トリアン ラ・フレジェール アルヌーバ 1000m 12 42 くそ笑んだ。CCCはスタート時刻 が早く距離も短い。もちろん超高速 まだ谷間に光は届かない、 寒いくらいのクールマイユール。 ボナッティ小屋 CCC FINISH UTMB START/FINISH レ・ズッシュ サン・ジェルベ 10 最初の山、テト・デ・ラ・トロンシェの下り。瑠偉は余 裕で前のふたりを遊ばせていた。 そして最後の山、ラ・テト・オゥ・バーンを越えた。も う上る山はない、あとはシャモニへ下るだけ。 体 液を失っていた、 まったく気 づかなかった。 うわあ、瑠偉よ、速すぎる。それ ぞれの2秒の差はシングルトラック を並んで走っているからにすぎない、 4人ともトップと言っていい。 ㎞地点シャンペ・ラクまでは走 力の %のはず、そこからが本当の レース、そこからが全開だ。最初の ㎞、この山は 位、どんなに速く ても 位で来てほしかった。それが、 くそう、トップだ。先頭についてい ってしまったのか? 続く﹁ベルトーネ小屋﹂で3位、 トップと4秒差。次の﹁ボナッティ 小屋﹂で2位、 秒差。そしてふた つ目の山﹁グラン・コル・フェレ﹂ 山頂で4位、8分 秒差。 ラ・フーリーで待つ。コル・フェ レの上り1、2位はどちらも無名の アメリカ人選手、上りが強いとは思 えない。しかもふたつ目の2500 m級だ、そうとう無理をしているは ず。山頂からの ㎞もの長い長い下 りはそうとう辛い。このコル・フェ レの上りでペースを抑え、体力を温 存した瑠偉は、へたばった彼らを下 りで軽々とぶち抜き、1位か2位で ここフーリーにあらわれるだろうと。 違った。1、2位はばりばりに元 10 気なアメリカ人選手。瑠偉が来ない。 4位でも来ない。 位でも来ない。 くそう、ケガでもしたか? トップ から遅れること 分、ふらふらの瑠 偉が姿をあらわした、 位。 思いもしない事件が起きていた。 上田瑠偉の名誉のために言えば、彼 はレースプランを違えたわけではな い、決して飛ばしていなかった。 ﹁あの3人が特別速いとは思いませ ん。上りは遅いし、下りはまあまあ。 山岳耐久レース7時間 分くらいの ペースでした﹂と。 ﹁追い抜いてト ップに立って引き離すこともできた けど、泳がせていたんです﹂と。そ う、オーバーペースでつぶれたわけ ではなかった。 ではなぜ? 暑かった。知らず知 らずのうちに体液を失ってしまった。 脱水による消化器系にもおよぶ疲労、 そして電解質不足による腓腹筋のつ り。この日は2500mの山で 度 にもなった、直射日光による炎熱疲 労に加えて、乾燥した気候のため、 汗をかいてもすぐに蒸発して肌もシ ャツも濡れない、さらさらのまま。 汗をかいていること、体液を減らし ていることを意識できなかった。水 25 12 30 10 35 脱水に起因するすべての苦しみに 耐え抜いた上田瑠偉。最後に自分 の走りができたが、トレイルラニ ングは奥深く、世界は広いことを 学ぶ。総合で52位、年代別では 1位、表彰台に上がって栄誉ある カウベルをいただいた。 20 21 52 10 80 56 10 112 の補給が間に合っていなかった。 ㎞地点アルヌーバでスタート時 に背負った1ℓの水は300㏄も残 っていたし、そのためか補給せずそ の300㏄だけでフーリーまでの ㎞を踏み出してしまった、誰もが恐 れる2525mグラン・コル・フェ レを越えるというのに。 そのコル・フェレを上り始めたと き、突然それが来た。足が前に出な い、え、なにこれ? 意味がわから ない。余裕でペースを合わせていた アメリカの選手たちにどんどん引き 離される。彼らが足を早めたとは思 えない、こっちが遅いんだ。何が起 きた? コル・フェレを上がり切る ところで軽い吐き気。そして下り始 めたとたん左の腓腹筋がうねうねと 引きつる、こんなの見たことない。 瑠偉は脱水だと気がついた、貴重な 300㏄はコル・フェレの山頂で飲 み切ってしまっている。 %で軽快 27 80 15 UTMBはシャモニの中心、サンミッシェル教会前の広 場からスタートする。街中まるごと興奮のとき。 が食べられない、これではエネルギ ーを失う一方だ、低血糖が心配だ。 それでも瑠偉は次のエイドをめざ して走り出していった。 最後のエイド、バローシンヌ。夜 になって気温が下がったこともある のか、瑠偉は回復してきた、目に輝 きが戻ってきた。最後の山、ラ・テ ト・オゥ・バーンを元気よく駆け上 がる、そしてフレジェールからシャ モニへの下りは事前に試走してわか っている、これまでのうっぷんを晴 らすかのように、真っ暗闇を全力で 駆け下りた、この区間は総合 位。 瑠偉は帰ってきた。 ﹁速いだけでは 勝てないこと﹂ ﹁苦しみ痛みの中を 走り切れた自分﹂という宝物を手に して。総合 位、年代別1位。 ● さて、前述した通り、UTMBは 6つの競技を開催する大会名でもあ る。170㎞のUTMB、101㎞ のCCC、119㎞の TDS、 ㎞のOCC、 そして2∼3人のチー ムレースであるPTL 300㎞がそれだ。6 種目の選手を合計する と最大6300人。こ れら選手の応援、家族、 そしてチームスタッフ、 スポンサー、トレラン ビジネスの人たち、合 計1万人近くがシャモ ニとその近隣に最低で も1週間は滞在する。 53 UTMBでは200 手が増えて、全種目合 わせて300人以上。 今年はさらに日本人選 52 4年に日本人として初 めて出場した︵ 位!︶ ベテランの石川弘樹、奥宮俊介など のトップ選手に加え、若手選手も多 数出場した。多くがシャモニの歴史 に残るほどの﹁暑さ﹂に体調を崩し たが、そんな中で大阪の土井陵︵た かし︶が 位という快挙、うれしい。 トレイルラニングを山奥のキワモ ノイベントからメジャースポーツに 育て上げてきたこのUTMB、 回 目となる今回は大きな変革があった。 まず、冠スポンサーが︿コロンビア ・マウンテンハードウエア﹀になっ たこと。欧州で安定期に入ったトレ イルラニング・ビジネスは北米企業 にとって参画しがいがある、という ことだろう。 まったく同じことを考えているの はロードラニングのシューズメーカ ー。CCCの1、2位は瑠偉が泳が せていた︿ナイキ﹀の選手だし、U TMBの1位∼3位は︿アシック ス﹀ ︿ナイキ﹀ ︿アディダス﹀である。 そしてもうひとつ。米国の逆襲が 始まった。古くからウルトラの本場、 米国の選手がこの大会に挑戦してき たが、ただの一度も頂点を極めたこ とはなかった。それがCCCでワン ツー、UTMBで2位。野球帽を前 後逆にかぶって101㎞を走り、優 勝した選手はこれまでにいない。 13 今年から〈マウンテン ハードウエア〉が冠ス ポンサー、キッズレー スもある。 19 12 にぶっ飛ばすつもりだった ㎞の下 りをほとんど歩く、走ると揺れて胃 が痛くなるからでもあった。ずたぼ ろで瑠偉はフーリーに到着した。 長距離トレイルレースでは必ず、 必ずだ、何かが起こる。足の痛み、 つり、ものが食べられない、嘔吐、 幻聴、ねんざ、低体温、全身けいれ ん、心が折れる、などは当たり前。 それらをいかに克服するか、そんな カラダをどうやってフィニッシュま で運ぶのか、それが求められる。 瑠偉は最後まで一言も弱音を吐か なかった。最初のエイドではいきな りベンチにうつぶせに倒れた。頭に タオルを巻きつけてじゃぶじゃぶ水 をかけ、背中と脚もタオルで覆い、 そこも水びたしにした。太 とふく らはぎが異常に熱いままだ、まった く冷えない。 ふたつ目のエイドでは倒れなかっ たが、疲弊は胃にも来ていた。もの 10 左から、日本トップの 奥宮俊介、石川弘樹そ して上田瑠偉。CCC 優勝のザック・野球帽 ・ミラー。大瀬和文も 苦しんだが完走。やっ た あ、 総 合12位、 大 阪の土井陵。 トレイルラニングは ますますメジャーになる。 12