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第2回 - 芹沢光治良文学愛好会

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第2回 - 芹沢光治良文学愛好会
ヘンリー・グロスさんのこと
N・Yの思い出
1988年・秋
ニューヨークへ来て一ヶ月、サンクスギビングデイを含めて四日間の大型連休の続く十
一月二十六日は素晴らしい秋日和で、ニューヨーカーになったつもりで街の探索に出かけ
ることにしました。
日本で読んだ防犯ガイドブックを忠実に守り、体から絶対離さないように肩から掛けるバ
ックに地図、お弁当、水筒を入れ、29丁目のマーサワシントンホテルをあとにしました。
オペラハウスでアイーダの切符を買う予定もあり、62丁目まで碁盤の目のようになって
いる解りやすい街路を店を覗いたり、旧い建物に感動して立ち止まったり、ニューヨーク
を楽しみながらリンカーンセンターに到着。チケット売場には十二三人並んでいました。
第一希望の日のは駄目でしたがドミンゴのアイーダを手にしてほっとしました。日本では
考えられないほど簡単にそして安く手に入るのは嬉しい驚きでした。私はこのことだけで
もニューヨークに住めたらなぁ・・・と、本心願ったものでした。
大切な切符をバックに納めオペラハウスを出ると人工池のような30メートル四方はあ
りそうな浅いプールの中央に、黒石で作られた近代抽象造形の彫刻があって、池のまわり
にはベンチがいくつもしつらえてありました。ベンチをみるといつも思うのですが、ニュ
ーヨークで感じる暖かさのひとつに、ホッと一息つける憩いの場所の沢山あることです。
栗鼠が自由に遊びまわっているスクエァーと呼ばれる公園をはじめ、ビルとビルとの谷間
や、表通りに置かれたベンチや植込、そして立派なビルの一階を解放して木々や草花と共
にテーブルや椅子に置いて、誰でもが憩える楽しい場所をいくつも発見しました。ここへ
来て初めて知った暖かいニューヨークの一面でした。
ベンチに腰を下ろしてお弁当をひろげると、待ってましたとばかり鳩が寄ってきました。
パンの端を千切ってやったりしながら、東京では見ることのできない澄み切った空の下で
食事を楽しんでいました。ニューヨークの空のあの美しい蒼さは今も私の脳裏に焼き付い
ています。
食べるといへばニューヨークの人達は、歩いていてもちょっと腰を下ろしても、食べた
り飲んだりしている人の多いこと多いこと、に驚きながらも、私はすぐ右え習えをするこ
とにしました。
小柄なあまり風采のあがらない七十にはまだ間がありそうな白人の男性がなにか言いな
がら私のベンチに腰を下ろしました。人懐っこい笑顔を向けて話し掛けてきました。
「私はハトが好きで、ハトの赤ちゃんを見たいと長いこと思っているんですが、見たこと
が無いんですよ」
「・・・・・」
「ハトは成長が早いからウン週間で(数が聞き取れませんでした)親とあまりかわらなく
なるらしいのです。あそこにいる小さめのまだ若いハトですよ」
「・・・あぁそうですか、私もまだハトの赤ちゃんは見たことがありません」
「私はここが好きでね、よく来るんですよ。この彫刻が好きなんです。貴方は好きですか?」
と、池の中央の彫刻を指さしました。
「いいえ。こういうモダンアートは理解するのが難しくて・・・」
「この彫刻はヘンリー・ムーアーの作品です。私は彼のものが大好きなのです。二年前に
なくなってしまいましたが・・・」
「ヘンリー・ムーアーという名前は聞いたことがありますが・・・こういう抽象的なもの
はよく解らなくて・・・あまり好きとはいえません」
「近代美術館へ行きましたか?」
「はい。カデンスキー、ピカソ、ミロ、マチス等々作品が沢山展示されてるのには本当に
吃驚しました。モネの睡蓮が、大きな部屋いっぱいの広がりを見せてるなかに自分が立っ
たときは、夢のなかにいるような気がしました。ピカソの絵は理解するのが難しいですが、
グッゲンハイム美術館で見た初期の作品にはとても心を惹かれました」
「私はドガ展を観にいきましたが、踊り子を沢山書いている画家なのに、あの人の描いた
肖像画には不思議と一つも笑顔がなかったですよ。みんなこんな顔をしていました。
」
といって、むっつりした顔をしてみせました。
「私もドガ展は観ました。メトロポリタン美術館はまだ二回だけなので、これから何度も
行って、展示物のすべてを観たいです。素晴らしい美術館ですね」
「ワシントンへ行くといいですよ。あそこには素晴らしい美術館やその他観るべきものが
沢山あります。ここから汽車で三時間で行けます」
「是非行ってみたいと思います・・・ところで小説はお好きですか?」
「えぇ、好きですよ。シエクスピァが好きでこうして持ってきて読んでいるのです」
と、新聞がのぞいてる紙袋の底の方から、小さい赤い本を出してみせてくれました。
「だから、演劇も興味があります。バレーも好きで今日はこれからマチネー観ます」
「日本の小説は読んだことありますか?」
「えぇと、何だったかなー、作者が思い出せないですが・・・なんとか(私が理解できず)
ウーマンというのといくつか読みましたよ。アキラ・クロサワの・RAN・という映画は
よかったです。知ってますか?」
「私は見ていませんが日本でも評判の作品です。私は日本の作家では芹沢光治良が好きで
尊敬しています」
「え?何という名前ですか?」
と言いながら小父さんの出した新聞紙に、私は・コゥジロゥ・セリザワ・と書きました。
彼は本屋で探してみると言っていましたが、翻訳されてないのを知っていながら私は黙っ
ていました。
私は、英語の語彙の乏しさをいやというほど痛感させられました。心には伝えたいこと
が溢れているのに、芹沢文学について話すことか出来ませんでした。
「アメリカ文学は読んだことありますか?」
ずっと前に読んだだけなので自身はないけれど、記憶を一生懸命たどりながら
「えぇ、女学校の頃、風と共に去りぬ・を読みました。もぅ四十年以上前のことです。
(註・昭和十七八年頃は戦争のさなかでしたが、クラスメートが持っていて、三冊になっ
ているのを何人かで回し読みしたものでした。この時代はアメリカのものはすべてご法度
でしたけれど・・・)それから、スタインベック、モーム、ヘミングウェイなど、大分以
前にですが読んだことがあります。月と六ペンスは、ゴーギャンがモデルだそうですね」
彼はとても嬉しそうな笑顔を向けながら、オー・ヘンリー、ユージン・オニール、とか
名前をあげて短編にいいのがある、スタインベックは昔は評判がよかったけれど今はそう
でもないとか、話してくれました。
いろいろなことをよく知っている人で、東京は大変に物価が高い、ゴッホの・ひまわり・
を凄く高い値段で買った等日本のことや、ニューヨークは危険だ危険だといわれているけ
れどそんなことはない、夜の外出とか危険区域に行かなければ大丈夫。自分は船乗りの仕
事をしていたので世界各国へ行ったけれど日本は行ったことが無くて残念だETC話して
くれました。
オペラハウスの前にある噴水の横の劇場で上演の・胡桃割り人形・マチネーの時間がち
かずいて小父さんと別ることになりました。お互いに電話番号を書いて再開を約しました。
その時の私は、それから四ヶ月滞在したニューヨークで、小父さんの家族と温かいお付
き合いをするとは考えもせず、インディアンサマー色の空の下、心地よいサンビームを浴
びながら、小父さんの去ったベンチで、これからどこを散策しようか・・と地図を広げて
いました。
(2001年
秋)
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