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調東野・ ロマンス ・モラル

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調東野・ ロマンス ・モラル
諷 刺 ・ロ マ ン ス ・モ ラ ル
ーマ ツ シ ン ジ ャ ー の 市 民 喜 劇 一
山
田
英
教
(一)
マ ッシ ン ジ ャー(PhilipMassinger)は
、 広 義 の エ リ ザベ ス朝 演 劇 の
最 後 期 を代 表 す る劇 作 家 の 一 人 で あ る。1625年 を境 目 に して 区 分 され る
ジ ェ イ ム ズ王 の 時 代(の 後 期)と
チ ャー ル ズ 王 の 時代 、 この二 つ の 時 代
にわ た っ て 、 悲 劇 、 喜 劇 、 悲 喜 劇 と劇 作 の 各 ジ ャ ンル に多 様 な作 品 を残
した マ ッ シ ン ジ ャ ー は 、 二 つ の 時 代 の移 行 過 程 で 、 時 代 の本 質 を明 晰 に
作 品 に形 象 化 し え な くて も、 時 代 の社 会 的 な風 潮 と観 客 の好 み の 流 行 に
敏 感 で 、1621年 以 降 は 主 と して 私 設 劇 場(privatetheatre)の
観 客 を対
象 に、 劇 の ジ ャ ンル 、 主題 、 素 材 、 技 法 を作 品 ご と に様 ざ ま に変 化 させ
な が ら、 プ ロ ッ ト構 成 の秀 技 さ と詩 的 な 修 辞 に彩 られ た 流 麗 な 台 詞 とで
常 に観 客 を魅 了 す る劇 作 の 技 法 を修 得 して い た。 だ が 、 一 方 で は、 彼 の
作 品 に は保 守 的 な知 識 階級 の 観 点 か らの秩 序 へ の 強 い 希 求 が あ り、 変 遷
す る時 代 を超 越 した モ ラル が 教 訓 と して 提 示 さ れ る こ とが 多 い の も周 知
の 事 実 で あ っ た 。 多 種 多様 な 素 材 を も と に高 度 な職 人 芸 と もい え る技 巧
を こ ら した劇 作 法 で 、 変 化 に富 む劇 を創 造 し観 客 を存 分 に楽 し ませ な が
ら、 マ ッシ ン ジ ャ ー は彼 の 道 徳 観 が反 映 した 或 る種 の 観 念 的 な 劇 的 世 界
を も創 りあ げ る劇 作 家 で もあ っ た。
マ ッシ ン ジ ャ ー とほ ぼ 同 年 代 の、ジ ャ コ ビア ン演 劇 の代 表 的 な劇 作 家 、
ミ ドル トン(ThomasMiddleton)、
モ ン ト(FrancisBeaumont)が
フ レ ッチ ャ ー(JohnFletcher)、
ボー
、 信 奉 す る演 劇 の理 念 と劇 作 の 方 法 論 は
そ れ ぞれ に相 反 す る独 自の もの で あ っ て も、 彼 ら は多 様 で豊 饒 な ジ ャ コ
ビア ン演 劇 の形 成 に参 加 した 劇 作 家 た ち で あ り、彼 らの 作 品 はい ず れ も
ジ ャ コ ビア ン演 劇 とい う背 景 とジ ェ イ ム ズ 朝 とい う時 代(精 神)と
分離
して は考 え られ ぬ もの で あ る。 これ に対 し、 マ ッ シ ン ジ ャー が 約10年 の
フ レ ッチ ャ ー との共 作 時代 をへ て、 単 独 で 劇 作 を開 始 す る の は、1620年
で あ り、 彼 自身 も40才 近 く、 ジ ャ コ ビア ン演 劇 も解体 の 兆 し を示 す 終 末
に向 か う頃 で あ る。 ジ ャ コ ビ ア ン演 劇 の 末 期 とい う外 的 な状 況 と、 ジ ャ
コ ビ ア ン演 劇 の 理 念 ・方 法 論 に客 観 的 に醒 め た意 識 で 対 処 した 劇 作 家 の
1
内 部 の 認 識 と で 、 マ ッ シ ン ジ ャ ー は 確 か に 遅 れ て き た ジ ャ コ ビ ア ン演 劇
の 劇 作 家 で あ っ た が 、こ の こ と は 、前 記3名
の 劇 作 家 と は 対 照 的 に 、マ ッ
シ ン ジ ャ ー を ジ ャ コ ビ ア ン 演 劇 とい う一 つ の 時 代 の 特 殊 性 だ け で は 計 り
え ぬ劇 作 家 に す る こ とに な る 。
ま た 、 マ ッ シ ン ジ ャ ー は 、1625年
以 降 の 作 品 で も、 チ ャ ー ル ズ 王 の 時
代 に 特 有 の 問 題 意 識 、 美 意 識 を 持 っ て 作 品 を 著 し た 、 フ ォ ー ド(John
Ford)や
シ ャ ー リ ィ(JamesShirley)等
の キ ャ ロ ラ イ ン演 劇 の 劇 作 家 た
ち と も本 質 的 に 異 な る 劇 作 家 で あ る こ と を 如 実 に 示 し て い る 。 マ ッ シ ン
ジ ャ ー は 、 或 る 特 定 の 時 代 が 持 つ 特 殊 性 を超 絶 し た 、 一 種 の 脱 時 代 的 と
も考 え ら れ る 劇 作 家 と し て 、 エ リザ ベ ス 朝 演 劇 の 最 後 期 に 独 自 の 地 位 を
占 め 異 彩 を放 つ 劇 作 家 で あ ろ う。
現 在 ま で の マ ッ シ ン ジ ャ ー 作 品 集 の 集 大 成 と も い え る、 『マ ッ シ ン
ジ ャ ー 全 集 』(ThePlaysand.PoemsofPhilipMessinger,1976)の
者 の 一 人 、 コ リ ン ・ギ ブ ス ン(ColinGibson)は
『ミ ラ ノ 公 爵 』(TheDukeofMilan)と
Actor)、
『ロ ー マ の 俳 優 』(TheRoman
喜 劇 を代 表 す る もの と して
NewWayto.PayOldDebts)と
編
、 悲 劇 の 代 表 作 と して
『
古 い 借 金 を 新 し く返 す 方 法 』(A
『町 人 奥 様 』(TheCityMadam)を
挙
げ 、 以 上 西 篇 で 『マ ッ シ ン ジ ャ ー 傑 作 集 』(TheSelectedPlaysofPhilip
Massinger,1987)を
編 ん で い る が 、 こ の 四 作 品 と悲 喜 劇 三 篇
え る 乙 女 』(TheMaidOfHonour)、
者 』(TheRenegado)が
『
奴 隷 』(TheBondman)、
『
神 に仕
『背 教
マ ッ シ ン ジ ャ ー の 代 表 作 とい っ て 良 い で あ
ろ う。
こ こに記 した 悲 劇 、 悲 喜 劇 の作 品 は、 い ず れ もそ の ジ ャ ンル で 、 前 述
の ご と く、 ジ ャ コ ビ ア ン 演 劇 の 範 疇 に は お さ ま り き ら ぬ 内 容 を 持 つ 劇 で
あ る こ と を検 証 し う る もの で あ るが 、 本 稿 で はマ ッシ ン ジ ャー の喜 劇 の
代 表 作 二 篇 を と りあ げ、 ジ ャ コ ビア ン演 劇 の 一 つ の主 流 、 市 民 喜劇 の 概
念 が 彼 の 喜 劇 の 中 で ど の よ う に 生 か さ れ 、あ る い は 変 容 さ せ られ て 、マ ッ
シ ン ジ ャ ー 独 自 の 自立 した 喜 劇 に な っ て い る か を作 品 に則 して 考 察 して
ゆ く こ と に し た い と 思 う(1)。
と こ ろ で 、1590年
代 後 半 か らエ リザ ベ ス朝 演 劇 の喜 劇 に は一 つ の新 し
い 分 野 の 発 展 が 見 ら れ る 。 シ ェ イ ク ス ピ ア(WilliamShakespeare)の
浪 漫 喜 劇(romanticcomedy)に
代 表 され る ロマ ン テ ィ ク な喜 劇 と は対
照 的 に、 現 実 の 都 市 の市 民 た ち を劇 の登 場 人 物 に し、 市 民 た ち の世 態 人
2
情 ・風 俗 生 態 を喜 劇 の世 界 に描 く、 市 民 喜 劇(citycomedy)が
急成長 し
て くる の で あ る。 エ リザ ベ ス 朝 の ロ ン ドン は、 中 世 末 期 よ り大 き な力 を
蓄 えて き た ギ ル ド(guild)と
呼 ば れ る商 工 業 組 合 の支 配 下 に あ る都 市 で
あ り、 経 済 上 の 実 力 者 は これ ら商 工 業 者 を中 核 とす る新 興 の市 民 階 級 で
あ った 。 市 民 喜 劇 は この 新 興 の 市 民 階 級 の市 民 と し て の ア イ デ ン テ ィ
テ ィ確 立 の う え に誕 生 した 劇 で あ り、 そ の小 市 民 的 モ ラル を基 盤 に し、
彼 ら市 民 た ち の現 実 の 行 動 を舞 台 に映 す 一 種 の 風 俗 喜 劇 と して 出 発 す
る。 だ が 、 ジ ェイ ム ズ朝 初 期 の 約10年 間 に、 市 民 喜 劇 は風 俗 喜 劇 の性 格
か ら諷 刺 喜劇 の 内 容 を有 す る喜 劇 へ と、い わ ば質 的 な変 化 を とげ て ゆ く。
また 、 この よ う な市 民 喜 劇 の変 質 ・二 極 分 化 に は、 当 時 の演 劇 界 を二 分
して い た 公衆 劇 場(publictheatre)と
私 設 劇 場 の劇 創 造 の違 い も影 響 を
及 ぼす こ とに な る。 成 人 劇 団 が 市 民 も含 め た あ らゆ る階 級 の 人 た ち を観
客 と して 公 演 す る公 衆 劇 場 で の 市 民 喜 劇 は、 デ ッ カ ー(ThomasDekker)の
『
靴 屋 の祭 日』(TheShomaker'sHoliday)に
典 型 化 され て い る
よ う に、 市 民 社 会 の現 実 の あ り よ うを許 容 し、 そ の モ ラ ル を遵 守 しな が
ら、 肯 定 的 な 市 民 像 を舞 台 に登 場 させ 、 苦 味 の な い健 全 な笑 い で 市 民 生
活 を謳 歌 す る劇 で あ る こ とが 多 か った 。 これ に対 し、 少 年 劇 団 が 上 流 階
級 ・知 識 人 を対 象 と して演 劇 活 動 をす る私 設 劇 場 で は、 上 演 され る 市民
喜 劇 は社 会 批 判 の濃 い諷 刺 喜 劇 に傾 斜 して ゆ くもの で あ っ た 。 市 民 喜劇
の 主 流 とな っ た の み な らず 、 ジ ャ コ ビ ア ン演 劇 全 体 の大 きな 柱 と もな る
こ の諷 刺 的 市 民 喜 劇 は、 私 設 劇 場 か ら産 み だ され た も の で 、 私 設 劇 場 に
作 品 を提 供 した 劇 作 家 た ちが この 喜 劇 の担 い手 に な った の で あ る。
この私 設劇 場 派 に属 した ジ ョ ン ソ ン(BenJonson)、
ス トン(JohnMarston)は
、L・C・
ミ ドル トン、マ ー
ナ イ ツ(L.C.Knights)が
『ジ ョ
ン ソ ン 時代 の 演 劇 と社 会 』(DramaandSocietyintheAgeofJonson,
1937)で
時代 の社 会 的現 実 と劇 作 品 の 関 わ り合 い を詳 し く説 明 して い る
よ う に 、 経 済 発 展 の結 果 、 必 然 的 に変 質 を余 儀 な くさ れ る16世 紀 後 半 か
ら17世 紀 初 頭 の イ ギ リス の 市 民 社 会 に 内在 す る本 質 的 な 矛 盾 を誇 張 し戯
画 化 した 世 界 に描 出 し、 と りわ け、 初 期 資 本 主 義 の 時 代 に突 入 した この
時 代 の市 民 を いや お う な し に巻 こ む貨 幣経 済 の 非 情 で非 人 間 的 な力 と、
そ の 中 で欲 望 に取 り憑 か れ 狂 奔 す る市 民 た ち の狂 態 を、 ア イ ロ ニ ー を通
し て冷 笑 的 に、 しか も痛 烈 に 、 諷 刺 す る喜劇 を書 く劇 作 家 で あ っ た 。 こ
の よ う に 、 市 民 喜 劇 が社 会 の矛 盾 と人 間 の 愚行 を喜 劇 の 世 界 で批 判 す る
3
諷 刺 劇 とし て急 成 長 す る間 に 、 市 民 喜 劇 は この ジ ャ ンル に特 有 の独 自な
ドラ マ ツル ギ ー 、 コ ン ヴ ェ ン シ ョン、 ス トッ ク ・キ ャラ ク タ ー を案 出 し
て ゆ くこ とに な る。
具 体 的 に市 民 喜 劇 に不 可 欠 な 方 法 論 的 要 素 を二 つ挙 げ る な ら ば、「気 質
者 」(humourcharacter)と
(intrigueplot)と
い う人 物 設 定 と、 「イ ン ト リー グ ・プ ロ ッ ト」
称 され る プ ロ ッ ト構 成 法 で あ ろ う。
ジ ョン ソ ンの 完 成 した気 質 者 とい うス トッ ク ・キ ャ ラ ク タ ー は 中世 医
学 の 気 質 論 を劇 中 人 物 の 類 型 化 に 応 用 し た も の で あ った 。 因 に 、 気 質
(humour)と
胆 汁(cholor)、
は中世 医 学 で人 間 の 体 液
血 液(blood)、 粘 液(phlegm)、
黒 胆 汁(melancholy)の
四つの体液 があ る
を さ し、
人 間 の性 格 は この4種 類 の 体 液 の配 分 に よ っ て決 定 され る と考 え られ て
い た。 ジ ョン ソ ンの創 造 した 気 質 喜 劇 は、 体 液 の 均 衡 を欠 く奇 矯 な性 格
の人 物 を素 材 に し、 その 偏 執 狂 的 な 性 格 を人 間性 を喪 失 した 者 の典 型 と
し て諷 刺 の 対 象 と し、 笑 い の うち で 徹 底 的 に否 定 す る。 さ ら に、 複 数 の
異 質 な 偏 執 狂 的人 物 を戯 画 化 して 描 き、 彼 らの衝 突 か ら生 ず る グ ロ テ ス
ク な お か しさ を誇 張 して 提 示 し、 登 場 人 物 の 愚行 を明 示 して 観 客 に笑 い
と共 に或 る教 訓 的 な 効 果 を も もた ら そ う とす る もの で あ っ た 。 ジ ョン ソ
ン に よ っ て完 成 され た 、 この 気 質 者 とい うア イ デ ア は 、現 実 の 市 民 社 会
に 内 在 す る様 ざ ま な欲 望 に よ って 自 己疎 外 され た 人 間 を端 的 に 具 象 化 し
た ス トッ ク ・キ ャ ラ ク タ ー と し て、 市 民 喜 劇 を成 立 させ る重 要 な 登 場 人
物 とな り、 多 種 多 様 な気 質 者 の ヴ ァ リエ イ シ ョンが 市 民 喜 劇 に は現 わ れ
る こ と とな った 。
ま た 、 父 と息 子(=老
若 ・旧 新)の
陰 謀 対 陰 謀 の知 的 駆 引 きの 結 果 、
息 子 が 父 を巧 み に 出 し抜 い て 父 の財 産 を所 有 す る とい う プ ロ ッ トを原 型
とす る 「イ ン トリー グ ・プ ロ ッ ト」巳(とそ の 多 様 な変 種)は
、 ヨー ロ ッパ
の演 劇 で は、古 代 ギ リシ ア の メ ナ ン ドロ ス(Menandros)に
始 ま り、 ロ ー
マ の プ ラ ウ トウ ス(Plautus)や
テ レ ンチ ウス(Terentius)の
の典 型 が 示 さ れ 、 モ リエ ー ル(Moliere)に
喜劇 でそ
続 く喜 劇 の 重 要 な プ ロ ッ ト構
成 法 で あ る が 、 市 民 喜 劇 は イ ン ト リー グ ・プ ロ ッ トが 内包 す る逆 転 の発
想 と権 威 の否 定 ・価 値 の 転 当 の イ デ ー を重 要 視 して 、 この 時 代 の市 民 喜
劇 の 指 向 す る内 容 に適 応 す る よ う改 変 し なが ら、 イ ン トリー グ ・プ ロ ッ
トを 基 本 的 な プ ロ ッ ト構 成 法 と し て 活 用 し て ゆ く。 こ の よ う に イ ン ト
リー グ ・プ ロ ッ トを用 い る こ とで 、 市 民 喜 劇 は陰 謀 の喜 劇 、 復 讐 の 喜劇
4
を諷 刺 喜 劇 の 背 後 に持 つ こ とに な るの だ った 。
(二)
1625年 初 演(2)の 『古 い 借 金 を新 し く返 す 方 法 』一
と略 記
以 下 『古 い 借 金 』
は、 諷 刺 喜 劇 で あ り、 前 述 の市 民 喜 劇 の 系 譜 に連 な り、 市 民
喜 劇 の コ ン ヴ ェ ンシ ョ ン を一 面 で は活 用 し て い る喜 劇 で あ る こ とに 間違
い は な い 。 だ が 、 この作 品 を ジ ャ コ ビ ア ン演 劇 とい うパ ー ス ペ ク テ ィブ
の 中 に お き、 市 民 喜 劇 の 正 統 的 な概 念 と照 し合 せ て い くつ か の要 素 を具
体 的 に考 察 す る と、 『古 い 借 金 』が 諷 刺 の対 象 、 基 盤 、 主 体 、 方 法 な どの
諸 点 で 市 民 喜 劇 の諷 刺 とは 異 な り、 さ らに別 種 の 要 素 も付 加 され て 、 あ
き らか に市 民 喜劇 の 限 界 を超 えた 、 或 る独 自の 諷 刺 喜 劇 の 世 界 を 開拓 し
た作 品 で あ る こ と も理 解 され て くる の で あ る。
『古 い 借 金 』 を構 成 す るプ ロ ッ トは、 市 民 喜 劇 の必 要 条 件 の一 つ で も
あ るイ ン トリー グ ・プ ロ ッ トで あ り、 しか もジ ャ コ ビア ン喜 劇 の代 表 的
な作 品 の イ ン トリー グ ・プ ロ ッ トが そ の下 敷 き に な っ て い る。 エ リザ ベ
ス朝 演 劇 の戯 曲 は、 作 者 の独 自性 を強 くうち だ し、 原 典 ・出典 の換 骨 奪
胎 が な さ れ て い て も、 何 らか の粉 本 、下 敷 き とな る先 行 作 品 を持 つ もの
が 多 い が 、 『古 い借 金 』も、 市 民 喜 劇 の代 表 的 な劇 作 家 ミ ドル トンの 作 品
『老人 お と し』(、4TricktoCatchtheOldOne,1605)を
下 敷 き に して
作 られ た 劇 で あ る。
放 蕩 息 子 が 奸 智 にた け た叔 父 を、 詭 計 を用 い て叔 父 の持 つ欲 望 の 故 に
逆 に叔 父 を敗 北 に追 い こ み 、 失 わ れ た財 産 と名 誉 を取 り戻 す とい う、 市
民 喜 劇 が 多 用 す る典 型 的 な イ ン トリー グ ・プ ロ ッ トに基 づ く諷 刺 喜 劇 で
は あ るが 、 こ の二 つ の作 品 は き わ め て対 照 的 な異 質 の 劇 に な って い る。
1605年 と1625年 とい う、 ジ ェ イ ム ズ 朝 の 始 ま り と終 わ りに位 置 す る 『老
人 お と し』と 『古 い借 金 』の劇 的 世 界 が は っ き り異 な る こ とは、 市 民(諷
刺)喜
劇 の 出 発 点 と終 着 点 が 奈 辺 に あ るか を暗 示 す る もの で あ ろ う し、
二 つ の 同根 で は あ るが 異 質 の喜 劇 作 品 に20年 に お よぶ ジ ェ イ ム ズ 朝 の 市
民 喜 劇 の推 移 と変 質 の 跡 をた どる こ と もで き よ う。 こ こで は 、 理 解 を容
易 にす る た め 、 理 念 と方 法 論 の両 面 で 典 型 的 な市 民(諷 刺)喜
劇で ある
『老 人 お とし』 と比 較 検 討 し な が ら、 劇 を成 立 させ る外 的 条 件 と劇 の 内
部 で の人 物 の 機 能 変 換 と い う、劇 の 内 外 ・表 裏 二 面 に焦 点 を合 わ せ て 、
『古 い借 金 』 の独 自 な世 界
諷 刺 とロ マ ンス の世 界
5
を考 察 して ゆ
く こ と に した い。
まず 、 二 つ の作 品 の プ ロ ッ トを 要 約 し て お こ う。
『老 人 お と し』 は 、 ミ ドル トンが ロ ン ド ン を舞 台 に市 民 の 風 俗 生 態 を
写 実 的 に描 写 しな が ら、 現 実 の素 材 を喜 劇 の 枠 内 に再 構 成 し、 登 場 人 物
を喜 劇 の 典 型 的 な性 格 にた くみ に適 応 させ 、 市 民 社 会 に 内 在 す る物 欲 と
色 欲 をア イ ロ ニ ー を秘 め て諷 刺 す る喜 劇 で あ り、 古 典 的 と も い え る起 承
転 結 の き ち ん と した 、緊密 な劇 の構 造 を持 つ作 品 で あ っ た。 この 作 品 は 、
放 蕩 め あ げ く強欲 な 叔 父 ル ー カ ー に土 地 を抵 当 に と られ た 蕩 子 ウ ィ ッ ト
グ ッ ドが 馴 染 み の 娼 婦 と共 謀 して 、 彼 女 を裕 福 な寡 婦 に仕 立 て あ げ 自分
と結 婚 す る との 噂 を ま きち ら し、 叔 父 が寡 婦 の 金 を 目当 て に掌 を返 し て
彼 を大 事 に す る の を利 用 して 抵 当 入 りの 土 地 を と り戻 す 主 筋 に 、金 持 の
寡 婦(実
は 娼 婦)に 欲 得 が ら みで 求 婚 す る、 叔 父 と同類 の 男 ホ ー ドが 、
正 体 を明 か した 娼 婦 と結 婚 す る破 目 に な り、 ウ ィ ッ トグ ッ ド は愛 し あ う
ホ ー ドの姪 ジ ョイ ス と結 ばれ る傍 筋 が 重 な り、 さ らに 重 要 な エ ピ ソー ド
と し て、金 貸 しダ ン ピ ッ トの登 場 す る場 面 が付 随 す る構 成 に な っ て い る。
他 方 、 『古 い借 金 』で は、 ノ ッ チ ンガ ム の 名 家 の一 人 息 子 ウ ェル ボ ー ン
が 、 遊 蕩 の 末 に 町人 出 の 強欲 非 道 な叔 父 オ ー ヴ ァ リー チ に横 領 され た土
地 を 、 名 門 の未 亡 人 オ ゥル ワ ー ス 夫 人 の 協 力 を えて 、 『老人 お と し』と同
じ展 開 を へ 叔 父 を裏 切 っ た 手 下 の 詭 計 で 土 地 を と り返 す(主 筋)。 オ ー
ヴ ァ リー チ の娘 マ ー ガ レ ッ トを愛 す る未 亡 人 の義 理 の 息 子 オ ゥル ワ ー ス
は、 自 分 の 主 人 ラ ァヴ ェ ル 卿 に娘 を嫁 が せ 娘 を貴 婦 人 に し よ う とす る
オ ー ヴ ァ リー チ の裏 をか き、主 人 の援 護 の も とに マ ー ガ レ ッ トと結 婚 し、
未 亡 人 も ラ ァヴ ェル 卿 と再 婚 す る(傍 筋)。 主筋 と傍 筋 の合 流 す る終 幕 で
二 っ の イ ン トリー グ に敗 れた オ ー ヴ ァ リー チ は発 狂 す る。
さて 、 『古 い 借 金 』 に も 『老 人 お と し』 と同 じ よ う に、 市 民 社 会 の悪 と
欲 望 の体 現 者 と して 市 民 た ち の 一 群 が 登 場 す るが 、 『古 い借 金 』が 市 民 喜
劇 の 系 譜 に連 な る と考 え られ る理 由 の一 つ は、 現 実 の市 民 社 会 と市 民 の
実 態 が この よ う に リア リテ ィ を も っ て描 出 され て い る こ とで あ る 。 この
劇 に登 場 す るオ ー ヴ ァ リー チ 、 グ リー デ ィ(治 安 判 事)、 マ ロ ゥル(い ん
ち き弁 護 士)、 タ ッ プ ウ ェル(酒 場 の 亭 主)ら は、 劇 の舞 台 が ロ ン ドンで
はな い もの の 、 本 質 に お い て 都 市 の市 民 と規 定 され るべ き人 物 で あ ろ う
し、 彼 ら は現 実 に根 ざ した 生 活 者 で あ り、 この作 品 の現 実 的 な リア リズ
ム の 世 界 を し っ か り と形 作 る者 た ち で あ る。 『古 い 借 金 』に も一 方 で は現
6
実 の社 会 と人 間 を反 映 す る世 界 が 厳 と して 存 在 す るの を まず 理 解 し て お
く必 要 が あ ろ う。 現 実 を 反 映 し て い る とい う意 味 で 、 オ ー ヴ ァ リー チ は
1620年 代 の或 る種 の典 型 的 人 物 と して 、 リア リテ ィの 濃 い人 物 に創 られ
て い る。 オ ー ヴ ァ リー チ は ロ ン ド ンの しが な い 商人 出 身 で 、 郷 士 の娘 と
ナ
イ
結婚 す る こ とで 立 身 の 手 が か り をつ か み、 悪 どい 手 段 で 財 を増 や し勲 爵
ト
士 の称 号 も金 で 買 っ た 男 で あ る。 彼 自身 の豪 語 す る と ころ に よれ ば 、 そ
の 蓄 財 の方 法 は判 事 を買 収 し裁 判 を悪 用 し て の 土 地 収 奪 に よ る も の で
あ っ た 。彼 は無 神 論 を公 言 し、犠 牲 者 の呪 詛 も平 気 で、 自己 の能 力 とエ
ネ ル ギ ー だ け を信 頼 す る、 い わ ば時 代 精 神 の 一 面 を一 身 に体 現 す る人 物
で あ る。 蓄 財 を果 た した オ ー ヴ ァ リー チ の最 後 の希 望 は、 娘 を貴 族 に嫁
が せ 貴 族 の 外 戚 に連 な る こ とで あ っ た 。貴 族 と裕 福 な市 民 の子 女 と の結
婚 、 この 名 誉 と金 の 結 び つ き、 も し くは相 互 補 填 も、 当 時 の世 相 と上 流
階 級 志 向 の野 心 的 な市 民 の 意 識 を反 映 した もの で あ り、 こ の一 種 の 社 会
現 象 と もい え る異 な る階 級 間 の結 婚 は 、 強 制 結 婚 と と もに 、市 民 喜 劇 が
好 ん で と りあ げ る主 題 の一 つ で あ っ た 。 貴 族 と市民 の 子 女 が と にか く結
婚 し、 そ こ か ら また 新 た な 問 題 が生 ず るの が 市 民 喜 劇 の通 常 の パ タ ー ン
で あ った が 、 『古 い 借 金 』で は、 父親 の 願 望 が 相 手 の 貴 族 と娘 自身 に拒 否
され て、従 来 の 市 民 喜 劇 に は 見 られ ぬ或 る 悲 喜 劇 が 発 生 す る こ と に な る。
『老 人 お と し』 が 最 も良 い例 で あ るが 、 市 民 喜 劇 の主 役 は まず 市 民 で
あ り、 劇 中 の衝 突 ・葛 藤 も市 民 対 市 民 、諷 刺 行 動 の 主体 とな る の も市 民 、
諷 刺 の対 象 は 市 民 社 会 内部 の 矛 盾 と欲 望 に 取 り憑 か れ た 市 民 自 身 で あ
り、 劇 の生 ず る場 所 は矛 盾 の集 約 され る都 市 ロ ン ドン で あ った 事 実 を想
起 す る と、 『
古 い 借 金 』は市 民 喜劇 を成 立 させ て い た外 的 な 必 要 条 件 、 喜
劇 の場(舞
台)と 行 動 者(登 場 人 物)で 異 例 で あ る こ と に注 目せ ざ る を
え な い の で あ る。 市 民 喜 劇 の 必 須 要 件 とは 異 な る要 素 を導 入 した こ とに
よ り、 『古 い借 金 』 は市 民 喜 劇 を どの よ う に変 容 させ て い るの だ ろ うか 。
『古 い借 金』の 舞 台 は ロ ン ド ン を離 れ た 地 方 の小 さ な 町 ノ ッ チ ンガ ム 、
登 場 人 物 に も、 市 民 的 人 物 た ち に対 抗 す る グル ー プ と して 、 オ ゥル ワ ー
ス夫 人(地
方 名 士 の 未 亡 人)、 ウ ェル ボー ン(郷 士)、 ラ ァ ヴ ェ ル 卿(貴
族)、 オ ゥル ワ ー ス(小 姓)ら 、 市 民 階級 と は異 な る階 級 に属 す る人 物 が
登 場 して くる。 か れ らは 、伝 統 を重 ん じ相 続 に頼 り、 武 人 た る こ とを誇
りに し血 の 純 潔 に潔 癖 な グ ル ー プ で あ る。 この よ うな 意 識 は オ ゥル ワ ー
ス 夫 人 とラ ァヴ ェル 卿 の対 話 に典 型 的 に表 わ さ れ.てい よ う。 また 、 この
7
グ ル ー プ は 、 自己 犠 牲 、 名 誉 、 秩 序 の概 念 と結 び つ い た戦 い や 軍 隊 の イ
メ ジ ャ リー を台 詞 の 中 に数 多 く用 い て い る。 この よ うな軍 事 の イ メ ジ ャ
リー は 、一 つ の時 代 、 限 定 され た社 会 の 現 実 的 ・実 利 的 な モ ラル で は な
く、 抽 象 的 で あ る が故 に よ り普 遍 的 なモ ラ ル の 存 在 を写 しだ し訴 え か け
て くる 。 この 人 物 た ち を、 『古 い 借 金 』で は、 現 実 の社 会 を反 映 す る(リ
ア リズ ム)グ ル ー プ の 対 極 に、 観 念 的 な存 在 、 イ デ ー に お い て は ロ マ ン
チ シ ズ ム の 具 現 者 と して 設 置 さ れ て い る と考 えて みた い 。 こ の よ うに 考
え る と、 『古 い借 金』は、 市 民 グ ル ー プが 体 現 す る現 実 世 界 の リア リズ ム
と非 市 民 グ ル ー プ の人 物 が 抱 く ロマ ン チ シ ズ ム が 、 そ れ ぞ れ に 自 己 主 張
しな が ら ドラ マ が 展 開 され る劇 で あ り、 下 敷 き とな っ た 『老 人 お と し』
と この 作 品 の大 きな 違 い は、 この ロ マ ン チ シズ ム の要 素 を導 入 す る こ と
で 劇 の 二 面 性 、 重 層性 が 際 立 っ て くる こ とで あ る のが 理 解 され て くる。
と もあ れ 、 非 市 民 グ ル ー プが この諷 刺 喜 劇 の行 動 を起 こす 主 体 とな って
オ ー ヴ ァ リー チ をイ ン トリー グ ・プ ロ ッ トで 敗 北 に追 い こ む発 想 は、 従
来 の市 民 喜 劇 の 内 容 に本 質 的 な 変 化 を もた らす こ とに な ろ う。 市 民 喜 劇
に あ っ て は、 諷 刺 の 基 盤 に は市 民 社 会 の モ ラル が あ っ た が 、 『古 い借 金 』
で 諷 刺 の主 体 が依 存 す る モ ラ ル は、 市 民 社 会 の 外 側 の よ り広 い世 界 に あ
る、 市 民 社 会 の 次 元 を超 え た抽 象 的 で普 遍 的 な モ ラ ル に な っ て い よ う。
『
古 い 借 金 』 は、 市 民 喜 劇 の コ ン ヴ ェ ン シ ョン に新 た な要 素 をつ け加 え
て、市 民 的 欲 望 の 否 定 ・
諷 刺 とい う諷 刺 喜 劇 の土 台 の 上 に、非 市 民 グル ー
プ の価 値 観 ・モ ラル に守 られ た 、 古 くて 新 し い純 粋 な 愛 の世 界 を も創 り
あ げ て い る 。 この 愛 の世 界 は、 や は り、 ロマ ン ス と しか 呼 称 しが た い 世
界 で あ ろ う。対 立 す る人 物 ・プ ロ ッ ト、 問 題 ・状 況 を対 比 させ な が ら劇
を構 成 し、 相 反 す る要 素 の 作 用 と反 作 用 の うち か ら劇 の主 題 を浮 か び上
が らせ る の は ジ ャ コ ビア ン演 劇 の劇 作 法 の 常 套 手 段 で は あ る が 、『古 い借
金 』 が 市 民 グ ル ー プ の リア リズ ム と非 市 民 グル ー プ の ロ マ ンチ シズ ム の
対 立 ・発 展 ・止 揚 を とお して 創 りだ した の は、 諷 刺 とロ マ ンス の 世 界 に
他 な らな い もの で あ った 。
同 一 の イ ン トリー グ ・プ ロ ッ トを用 い な が ら、 『老 人 お と し』 と 『古 い
借 金 』 で は、 劇 を成 立 させ る外 的 条 件 が まず 異 な る点 を見 て きた が 、 さ
ら に 、 視 点 を劇 の 内部 に向 け て み る と、 こ こで も、 作 者 が 『古 い借 金 』
で 、 先 行 作 品 に も登場 す る ス トック ・キ ャ ラ ク ター の劇 中 で の 機 能 変 換
とそ れ に付 随 す る新 し い人 物 の設 定 を試 み、 イ ン ト リー グ ・プ ロ ッ トの
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内 に潜 在 す る 可 能 性 を 引 き 出 し再 生 させ て 、 独 自の 諷 刺 とロ マ ンス の世
界 を創 造 して い る の が 理 解 さ れ よ う。
『老 人 お と し』 と 『古 い借 金 』 が 異 質 な作 品 で あ る こ と を比 較 検 討 す
る際 に 、 多 くの評 者 が 二 つ の 劇 の 主 要 人 物 一
特 に、 イ ン ト リー グ を企
む トリ ッ クス タ ー と否 定 の対 象 とな る人 物 一
の 担 う役 割 の 違 い を指 摘
し て お り(3)、筆 者 も人 物 の 機 能 の 相 違 を分 析 す る こ とに した い。 劇 にお
け る人 物 の 機 能 の 相 違 は、 必 然 的 に そ れ ぞ れ の 劇 全 体 の 大 き な 違 い と
な っ て 現 わ れ て くる の で あ る。
さ て 、 『老 人 お と し』の 主 人 公 ウ ィ ッ トグ ッ ドは叔 父 とホー ドに対 す る
トリ ッ ク ス タ ー と、 ジ ョイ ス の愛 を う る 「恋 す る 男 」 の 役 割 で劇 の 展 開
に 関 わ っ て ゆ くが 、 『古 い借 金 』で は、 ウ ィ ッ トグ ッ ドの持 つ二 つ の 機 能
は 、 ウ ェ ル ボ ー ン(ト リ ッ ク ス タ ー)と オ ゥル ワー ス(恋 す る男)に 別 々
に 分 け て与 え られ る こ とに な る。 また 、 否 定 の対 象 とな る側 で は、 財 産
に 関 す る トリ ック と愛 情 に つ い て の トリ ッ ク 、 この 二 つ の トリ ッ ク の対
象 が 、 『老 人 お とし』で はル ー カ ー とホー ド と二 人 存 在 して そ れ ぞ れ が 一
っ ず つ の否 定 の対 象 で あ る の に反 して 、 『古 い借 金 』で は オ ー ヴ ァ リー チ
ー 人 が対 象 と され て い る。
この よ う に ウ ィ ッ トグ ッ ドが 持 っ て い た機 能 が 二 分 され た 結 果 、『古 い
借 金 』 で は ウ ェル ボ ー ン の役 割 が 単 一 化 さ れ 、 劇 全 体 に作 用 す る機 能 は
限 定 され る。そ の 反 面 、一 人 の 人 物 に付 与 され た あ げ く、 トリ ック ス タ ー
の要 素 に比 し て 比 重 の軽 い 、 ウ ィ ッ トグ ッ ドの 「恋 す る男 」 の要 素 が 分
離 され オ ゥル ワー ス に独 立 して そ の役 割 を担 当 さ せ る こ とで 、 「恋 す る
男 」 オ ゥル ワ ー ス の劇 中 で の充 分 な活 動 が 可 能 に な る。 そ の結 果 、 オ ゥ
ル ワー ス 中心 の プ ロ ッ トが 充 実 し 、 『古 い借 金 』の 愛 の 主 題 は大 き くふ く
らん で ゆ くの で あ る。 この プ ロ ッ トに は当 然 オ ゥル ワ ー ス の 愛 の保 護 者
ラ ァ ヴ ェ ル卿 の存 在 が 必 要 とな る し、 ラ ァヴ ェル 卿 を媒 体 と して オ ゥル
ワー ス とマ ー ガ レ ッ トの オ ー ヴ ァ リー チ に対 す る イ ン トリー グ も可 能 に
な る。 市 民 の 欲 望 を諷 刺 す る一 手 段 とし て市 民 喜 劇 が 好 ん で 用 い た 男 女
の 色 模 様 は 、『古 い借 金 』で は若 い二 人 の 純 愛 へ と昇 華 され 、色 模 様 の ヴ ァ
リエ ー シ ョン、 これ また 市 民 喜劇 お 馴 染 み の 「寝 取 られ 男(cuckold)」
話
不 義 密 通 は悪 い 夫 に対 す る妻 の喜 劇 的 復 讐
も、 この作 品 で は
ラ ァヴ ェル 卿 と未 亡 人 、 由緒 正 し き者 同 士 の 正 式 な 結婚 話 へ と移 し換 え
られ て お り、 この 二 組 の純 粋 な 愛 情 は 『古 い 借 金 』 の ロマ ン ス世 界 の 中
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心 に な っ て い る。
作 者 が市 民 喜 劇 特 有 の コ ン ヴ ェ ン シ ョン を用 い なが ら、 や は り独 自 の
機 能 転 換 を 図 っ て い る の は、 この劇 で の 気 質 者 の運 用 の仕 方 で あ る。 本
来 、 市 民 喜 劇 で の気 質 者 は市 民 の欲 望 の 歪 ん だ形 の体 現 者 で あ り、 奇 矯
な行 動 を す る 異 常 な性 格 の人 物 と して 、 そ の 行 動 も性 格 も観 る者 に嫌 悪
感 を も よ お さ せ る唾 棄 す べ き もの とな る よ う に、 きわ め て あ ざ と く誇 張
して 描 か れ る の が 常 で あ り、 そ の 否 定 的性 格 の故 に市 民 喜 劇 で は重 要 な
ス トッ ク ・キ ャ ラ ク タ ー に な っ て い た 筈 で あ る 。『古 い借 金 』で も、グ リー
デ ィ判 事 とい う気 質 者 を設 置 して お り、 この 人 物 は 、 裁判 官 とい う最 も
公 正 中 立 で あ らね ば な らぬ職 務 の 人 間 で あ りなが ら、 当 時 の腐 敗 堕 落 し
た役 人 の 本 質 を 喜 劇 の 世 界 で 象徴 的 に諷 す べ く、 欲 望 に弱 い人 間 で あ る
こ と を食 欲 に負 け る病 的 な食 い しん ぼ う とい う気 質 者 で体 現 し、 市 民 喜
劇 の ス トッ ク ・キ ャ ラ ク タ ー の 役 割 を一 面 で は担 う人 物 で は あ る。 だ が 、
この作 品 で は、 グ リー デ ィ判 事 は、 人 間 の欲 望 を あか ら さ ま に剥 き出 し
に し ど ぎっ く戯 画 化 され た 気 質 者 で は な く、 む し ろ、 一 種 の 狂 言 廻 し、
あ るい は、 浪 漫 喜 劇 の 道 化 を想 わ せ る、 愚 か で あ るが 故 に 愛 す べ き人 物
に な っ てお り、 この劇 で 愉 快 な楽 し い笑 い を 喚起 す る役 割 の 方 が 大 きい
とい え よ う。
ま た 、 イ ン トリー グ ・プ ロ ッ トの ト リッ ク ス タ ー 、 ウ ェ ル ボ ー ン も放
蕩 者 とい う市 民 喜 劇 の ス トッ ク ・キ ャ ラ ク タ ー で は あ るが 、 放 蕩 者 とい
う反 社 会 的 ・ア モ ラル な姿 勢 を最 後 ま で つ らぬ い て イ ン ト リー グ ・プ ロ ッ
トで 勝 利 を う る市 民 喜 劇 の ヒー ロ ー で は な く、この作 品 で は、ロマ ン ス ・
グ ル ー プ の 背 後 に あ る名 誉 、 秩 序 とい うモ ラル に復 帰 して ゆ くこ とに な
る。
こ の よ うな 点 を強 調 して 、 『
古 い借 金 』を市 民 喜 劇 で は な く、 貴 族 的 エ
トス も持 つ教 訓 的 な劇 と解 す る評 者 もい るわ け で あ る(4)。
『古 い借 金 』 は、 作 者 が従 来 の 市 民 喜 劇 を成 立 さ せ る外 的 な必 須 要 件
と劇 の 内 的 な 展 開 論 理(お
よび ス トック ・キ ャ ラ ク タ ー の 機 能 転 換)の
両 面 に新 しい 視 点 を導 入 し、 愛 の 主 題 を通 して ロ マ ンス の 世 界 を創 造 す
る と と もに 、 諷 刺 の限 界 ぎ りぎ りまで 現 実 世 界 で の悪 の 否 定 を追 求 して
い る劇 な の で あ る。
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(三)
1632年 初 演 の 『町 人 奥 様 』 で は 、 市 民 喜 劇 は さ ら に変 容 した形 とな っ
て現 わ れ る こ と に な る。 『町 人 奥 様 』 の プ ロ ッ トを紹 介 して お く と
ロ ン ドン の大 商 人 サ ー ・ジ ョ ン ・フル ー ガ ル は刻 苦 勉 励 して 成 功 者 に
な っ た が 、 弟 の ル ー ク は父 か ら継 い だ 財 産 を放 蕩 で消 費 し、 兄 の お情 け
に よ り債 務 者 監 獄 を 出所 し兄 の 家 に寄 食 して い る。 サ ー ・ジ ョン の妻 と
二 人 の 娘 は、 夫 の放 任 を 良 い こ とに贅 沢 な暮 ら しを し、上 流 社 会 の 虚飾
に ま どわ さ れ貴 婦 人 然 と して 、 虚 栄 の 日々 を過 ご して い る。 居 候 の ル ー
ク は義 姉 と姪 の 酷 使 や侮 蔑 に耐 え、 兄 に慈 悲 の 心 を説 い た りし て 回 心 し
た か の よ うで あ る 。負債 者 、徒 弟 、娘 の 求 婚 者 等 が そ れ ぞ れ の問 題 を持 っ
て この一 家 と関 わ りな が ら劇 は展 開 して ゆ く。 突 然 、 サ ー ・ジ ョ ン は、
全 財 産 の管 理 を ル ー ク に委 ね、 引退 して 修 道 院 に隠 棲 す る と僞 って 身 を
隠 す 。 事 情 が 一 変 す るや 、 ル ー ク は それ ま で の 僞 善 や 追 従 を放 擲 し て 、
自 らの無 限 の欲 望 を充 足 す るた め に、 負 債 者 や 徒 弟 を破 滅 に追 い こみ 、
義 姉 と姪 を徹 底 して 虐 待 し 、 や が て ヴ ァー ジ ニ アか ら来 た イ ン デ ア ンの
い けにえ
一 行 に三 人 を犠 牲 と し て売 り渡 そ う とす る。 こ の イ ン デ ア ン の 一 行 は
サ ー ・ジ ョ ン と姪 の求 婚 者 の変 装 した もの で あ り、 ル ー ク の 正 体 を つ か
ん だ サ ー ・ジ ョ ン は、 ル ー ク の誕 生 祝 い の 宴 席 で変 装 を解 き、 ル ー ク を
断 罪 し て追 放 す る。 妻 と娘 は今 ま で の 虚 栄 と傲 慢 を詫 び 、 夫 の許 し と求
婚 者 の愛 を与 え られ る。
『町 人 奥 様 』 で は 、市 民 喜 劇 を成 立 させ る外 的条 件(喜
劇 の場 と登 場
人 物)は 、 表 面 上 は 『古 い 借 金 』 以 上 に完 備 して い る よ う で あ る。 こ の
劇 の舞 台 は ま さ し く市 民社 会 の矛 盾 の 集 約 さ れ た 地 ロ ン ド ンで あ り、 登
場 人 物 も全 て 、 当 時 の ロ ン ド ン とい う現 実 の都 市 社 会 に生 存 す る生 き た
人 間 た ち 、 い ず れ も市 民 社 会 に帰 属 し、 あ るい は 同化 し よ う とす る人 物
た ち で あ る。
ナ
イ
ト
具 体 的 に は、 市 民 階 級 の 最 大 の 実 力 者 で あ り、 勲 爵 士 の 爵位 を持 つ富
裕 な 大 商 人 サ ー ・ジ ョン ・フ ル ー ガ ル ー 家 。 中 世 以 来 の名 門 の 貴 族 で は
あ るが 、 先 祖 伝 来 の荘 園 も抵 当 に入 れ 、 富 裕 な市 民 の 娘 と息 子 を結 婚 さ
ぜ 経 済 的 な援 助 を望 む レ イ シ イ卿 親 子 。 郷 紳 階 級 で あ りな が ら貨 幣経 済
の社 会 で は生 き る術 が な く、 息 子 を商 人 の 徒 弟 に せ ね ばな らぬ ゴ ー ル ド
ワ イ ヤ ー と トレ ー ドウ ェル の 親 子 。 地 方 の小 作 農 か ら実 力 で 郷 紳 階級 に
な り、 ロ ン ドン商 人 の娘 の 「都 会 ら し さ」 に惹 か れ て 結 婚 しよ う とす る
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プ レ ンテ ィ。 この 四 つ の微 妙 に利 害 関 係 の 交 錯 す る、 異 な っ た 階級 の 人
間 た ち を軸 に、 ロ ン ドン の 市 民 社 会 を 構 成 して い る様 ざ ま な市 民 た ち
フル ー ガ ル家 の 執 事 、 女 中 、(い か さ ま)星
占師 、(売 春 婦 ・女 衒 ・
や くざ 等 の)暗 黒 街 の住 人 、(放 蕩 や 事 業 で 財 産 を な くした)借 財 人 、(警
部 ・署 長 等 の)小 役 人
が 登 場 す る。
当 時 の市 民 社 会 を構 成 す る各 階級 か ら抽 出 され た よ うな 、 これ らの 多
彩 な 登 場 人 物 は、 作 者 の 目 に映 じた ロ ン ド ンの 市 民 社 会 か ら生 み だ され
た も の で あ り、 彼 らの お りなす 劇 中 の 葛 藤 は、 市 民 の 抱 く様 ざ ま な欲 望
の衝 突 と見 て 良 い筈 で あ る。 だ が 、 現 実 の市 民 社 会 を劇 の 素材 に し、 諷
刺 喜 劇 の 系 譜 を ひ きな が ら、 『町 人 奥 様 』が 典 型 的 な市 民 喜 劇 とは異 質 と
も思 え る、 教 訓 的 な観 念 劇 風 の 内 容 を持 つ劇 に な っ て い る の は何 故 で あ
ろ う か 。 この作 品 の 、 社 会 的 現 実 か ら劇 中 の 観 念 の世 界 へ の推 移 の プ ロ
セ ス を 考 察 す る こ とに し よ う。
まず 注 目 し な け れ ば な ら ぬ の は、 『町 人 奥 様 』 は 市 民 社 会 の 成 功 者
サ ー ・ジ ョ ン ・フル ー ガ ル をプ ロ タ ゴ ニ ス ト と し、劇 の 世 界 の権 威 の 象
徴 と して 設 定 して お り、 彼 の 価 値 観 ・モ ラル か ら登場 人 物 に対 す る裁 き
が行 わ れ る こ とで あ る。 この 人 物 が 社 会 的 現 実 か らい か に この劇 の プ ロ
ダ ゴニ ス トに創 造 さ れ て い るか を少 し調 べ て み た い と思 う。
『町 人 奥 様 』が 初 演 され た1632年 はチ ャー ル ズ ー 世 の 即 位 後7年
、 キャ
ロ ラ イ ン時 代 の 時代 の 本 質 が 顕 在 化 し て い る 年 代 で あ り、市 民社 会 も大
き く変 わ りつ つ あ る時 代 で あ る。また 、市 民 社 会 自体 の 変 貌 と関連 して 、
『
古 い借 金 』 が初 演 され た1625年 、 さ らに は市 民 喜 劇 が 開 花 した1600年
代 初 頭 か ら10年 代 と比 較 す るな ら ば、 市 民 喜 劇 の対 象 で あ り存 在 基 盤 で
あ っ た 市 民 の質 が 変 化 し て きて い る こ と を確 認 して お か な くて は な らな
い。 同 じ く現 実 を映 す 登 場 人 物 で あ りな が ら、 『町 人 奥 様 』に登 場 す る市
民 た ち は、 前 述 の 市 民 喜 劇 の 登 場 人 物 た ち とは異 質 の 、 キ ャ ロ ラ イ ン時
代 の 市 民 で あ り、 彼 らが 抱 く欲 望 も また 多 様 化 し肥 大 化 し、 単 純 な ら ざ
る欲 望 に変 質 し て きて い よ う。 そ して 、 こ の よ う に肥 大 化 した市 民 の 欲
望 は、 市 民 喜 劇 を成 功 させ て い た理 念 と手 法 で は、 も は や喜 劇 の 世 界 に
消 化 し きれ な くな って くる。 市 民 喜 劇 の 存 在 理 由 が 失 わ れ 、 自己 崩 壊 せ
ざ る を えな い危 機 が や っ て くる 。 『町 人 奥 様 』は ま さ に そ の 危 機 の 時 代 に
生 ま れ た 作 品 で あ る。
以 上 の よ うな 時代 の パ ー スペ クテ ィ ブ で見 て ゆ く と、 サ ー ・ジ ョン は
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東 イ ン ド会 社 に 連 な る 巨大 な貿 易 商 人 で あ り、 金 融 業 者 で も あ る。 この
劇 の 背 景 とな る1630年 代 に お い て 、 イ ギ リス は初 期 資 本 主 義 の 段 階 を終
わ り、 金 融 資 本 を中 心 に資 本 主 義 経 済 制 度 が よ り強 固 に確 立 され つ つ あ
る時 代 で あ り、 未 だ 市 民 社 会 の 二 極 分 裂 は行 わ れ な くて も、 一 方 で 従 来
の富 の概 念 を越 えた 富 の集 積 が あ る少 数 の 人 間 に よ っ て な され る こ とが
可 能 な 世 で あ っ た 。 サ ー ・ジ ョ ン は ま さ に その 少 数 の人 間 の 一 人 な の で
あ る。 ま た 、金 融 業 者 は 『ヴ ェニ ス の商 人 』(TheMerchantofVenice)
の 中世 的 な金 貸 し の シ ャイ ロ ッ ク、 あ るい は、 前 述 の 『
老 人 お と し』 の
ダ ン ピ ッ トの よ う に、 現 実 の共 同 社 会 の秩 序 を破 壊 す るマ イ ナ ス の 要 素
を持 って は い て も、小 規 模 で 人 間 と して の弱 点 を秘 め た 金 貸 しで は な く、
資 本 主 義 経 済 制 度 の 中で 利 潤 追 求 の合 法 的 な機 関 と して確 立 さ れ 、 字 義
通 り市 民 社 会 に あ っ て 市民 権 を得 た プ ラス の職 業 に携 わ る人 間 で あ る こ
と を確 認 し て お きた い。 さ ら に、 キ ャ ロ ラ イ ン時 代 の ロ ン ドン市 の 行 政
職 の幹 部 は、 この 経 済 面 の最 大 の 実 力 者 た る金 融 資 本 の所 有 者 が兼 ね る
こ とが 多 く、 しか も彼 らの多 くが ピ ュ ー リタ ン で あ った こ とを想 起 す る
と、 彼 ら の信 奉 した モ ラル が い か な る もの で あ っ た か は問 う ま で もな い
で あ ろ う。 これ ら市 民 社 会 の 突 出 した グ ル ー プ を中核 と し て実 現 され る
ピ ュー リタ ン革 命 へ と時代 は大 き く動 揺 して お り、 市民 社 会 に 隔絶 した
階 層 分 化 が な く、市 民 の あ ら ゆ る可 能 性 を歌 い あ げ る こ との で きた 、デ ッ
カ ー の描 い た 『靴 屋 の 祭 日』 の 時 代 は既 に終 わ っ て い た の で あ る 。
この よ う な社 会 的 出 自の サ ー ・ジ ョ ンが 市 民 社 会 の成 功 者 と して 、 現
実 の世 界 に君 臨 す る よ うに、 『町 人 奥 様 』の 劇 的 世 界 に もモ ラル とい う も
う一 つ の 絶 対 的 な権 威 の保 持 者 とし て登 場 す る時 、 この劇 に お い て 市 民
喜 劇 の概 念 は必 然 的 に崩 壊 して ゆか ざ る を え な い で あ ろ う
市 民喜劇
に は権 威 の 象 徴 的 人 物 は存 在 し なか っ た の で あ る か ら。
同 じ よ う に レ イ シ イ卿 を社 会 的 な パ ー ス ペ ク テ ィ ブ の 中 で 見 て み る
と、 この 人 物 は 、 前 作 『古 い借 金 』 の ロ マ ン ス世 界 で確 固 た る存 在 を示
した ラ ァ ヴ ェ ル 卿 の成 れ の果 て の 姿 で あ るか も しれ な い こ とが わ か る。
劇 の展 開 の 中 で 、 レ イ シ イ卿 はサ ー ・ジ ョン の対 極 にお か れ 、 精 神 的 な
権 威 を持 た ず 、 物 事 の 見 せ か け(ア
ピア ラ ン ス)し か見 えず 、 本 質(リ
ア リテ ィ)を 洞 察 し え ぬ人 物 と し て否 定 的 に形 象 化 され て い る 。封 建 的
土 地 所 有 経 済 の 崩壊 と共 に、 自己 の ア イ デ ン テ ィテ ィ も喪 失 し、 市 民 社
会 の世 に あ っ て 自 らの 存 在 意 義 を示 す こ と も適 わ ず 、体 面 の み を 維持 す
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る の に汲 汲 た る当 時 の没 落 貴 族 の人 間像 が 、 『町 人 奥 様 』で は レ イ シ イ卿
に多 分 に戯 画 化 さ れ た形 で 表 わ され て い る。 マ ッ シ ン ジ ャ ー が描 く喜 劇
(『古 い借 金 』 と 『町 人 奥 様 』)で は 、作 者 が 細 部 にい た る まで現 実 の 社
会 を客 観 的 に理 解 し、 変 革 期 の社 会 と人 間 の あ りよ うが 作 品 に如 実 に示
され て い る と評 さ れ る こ とも あ るが(5)、作 者 の 現 実 の 市 民 社 会 に対 す る
観 察 は、 この よ う な形 で 劇 中 人 物 に投 影 さ れ て い るの を我 々 は知 る の で
あ る。
また 、市 民 社 会 の 変 質 が市 民 喜 劇 の変 容 を う な が す とい う事 実 と共 に、
『町 人 奥 様 』 が 従 来 の 市 民 喜 劇 と は異 な り、 現 実 の社 会 ・人 間 ・問題 を
素 材 に しな が ら、 この 劇 が 僞 善 と虚 栄 、 富 へ の 無 限 の欲 望 に象 徴 さ れ る
人 間 の 悪 が 断 罪 と許 し の 中 に 喜 劇 的 浄 化 を と げ る観 念 劇 的 内容 を持 っ て
い る の は、 作 者 が 市 民 社 会 の欲 望 や 矛 盾 を 現 象 面 だ けで と らえ る の で は
な く丶 それ らを 現 象 の 根 源 に あ る本 質 的 な 人 間 の実 存 的 な悪 と して認 識
し、 一 つ の教 訓 ・モ ラ ル の教 示 を指 向 して い る か らで あ る こ と を理 解 し
て お き た い(6)。さ らに 、作 者 の指 向 す る教 訓 ・モ ラル が 、 『
古 い借 金 』 に
お い て も、 既 に小 市 民 的 なモ ラ ル で は な く、 市 民 社 会 の次 元 を超 えた よ
り抽 象 的 で 普 遍 的 な モ ラル で あ っ た が 、 『町人 奥 様 』で は、 さ ら に人 間 の
本 質 に 深 く関 わ る、 自然 法 的 も し くは宗 教 的 な次 元 の モ ラ ル とな って 提
示 さ れ て くる。
さ て 、 『町 人 奥 様 』の 重 要 な 主 題 をモ ラル の教 示 と して 考 察 す る際 に再
確 認 して お きた い の は、 市 民 喜 劇 とは、 つ ま りは、 市 民 階 級 の ア イ デ ン
テ ィテ ィ確 立 の上 に生 ま れ、 市 民 階 級 な し に は存 立 し えぬ も ので あ り、
劇 の 基 底 に は常 に小 市 民 的 モ ラ ル の 問 題 が 実 は潜 在 し て い る こ とで あ
る。 市 民 喜 劇 が市 民 社 会 の モ ラル 育 成 に貢 献 す る風 俗 喜 劇 の 流 れ に属 す
る場 合 は もち ろん 、 批 判 的 な 態 度 を と る諷 刺 喜 劇 に傾 斜 した 場 合 で も、
市 民 喜 劇 は 、不 道 徳(immoral)、
無 道 徳(amora1)の
要 素 まで も含 め て、
何 らか の 形 で 市 民 社 会 の モ ラ ル に 関 す る問 題 を提 示 し て い た の で あ っ
た。
た だ 、市 民 喜 劇 で は 、 この 小 市 民 的 モ ラル の 問題 は、 劇 中 の人 物 の 行
動 、 事 件 、 葛 藤 を通 して 劇 の 内部 か ら劇 の主 題 に付 随 し て浮 か び 上 が っ
て く る もの で あ っ た し、 どぎ つ く誇 張 し て戯 画 化 した マ イ ナ ス の 世 界 か
らプ ラス の世 界 を 逆 照 射 す る形 で 示 され る もの で あ っ た。
だ が 、 『町 人 奥 様 』の よ うに 、 現 実 の市 民 社 会 の 欲 望 や矛 盾 を実 存 的 な
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人 間 の 根 源 的 な 悪 とし て認 識 し、 現 実 社 会 で の 矯 正 で は な く、 宗 教 的 な
次 元 か らの人 間 の基 本 的 な モ ラル に 関 す る教 訓 の否 定 的媒 体 とし て取 り
あ げ る時 、 市 民 喜 劇 を成 立 させ て い た ドラ マ ツ ル ギ ー の 方 法 論 で は、 作
者 の 問題 意 識 を十 全 に 喜 劇 の世 界 に昇 華 す るの は難 し くな っ て こ よ う。
ま し て や 、 作 品 の 中 で権 威 の 象徴 的 人 物 を 設定 し、 そ の人 物 を通 して 或
る モ ラ ル の 存 在 をア ・プ リオ リ に う ち だ す場 合 、 市 民 喜 劇 の ドラ マ ツ ル
ギ ー の 創 りあ げ る世界 とは逆 の 世 界 を 目指 す こ とに な る。 『町 人 奥 様 』に
も現 実 の 市 民 社 会 へ の 厳 しい諷 刺 が 込 め られ て い る の は疑 う余 地 が な い
が 、 その 諷 刺 が 寓 意(ア
レ ゴ リー)に 連 な って い く こ と を知 る必 要 が あ
る 。 そ して、 作 者 が 諷 刺 を込 め た寓 意 の 世 界 を意 図 す る時 、 『町 人 奥 様 』
で は、 市 民 喜 劇 の ドラ マ ツル ギ ー の 解 体 も進 行 させ ざ る を え な い で あ ろ
う。
さ て 、作 品 の 基 盤 にな る市 民 社 会 の 質 が い か に従 来 の市 民 喜 劇 の背 景
の 市 民 社 会 と は 異 な り、 ま た 、現 実 か ら作 品 へ の 過 程 で作 者 の 創 作 の視
点 が 違 って い て も、 と に もか くに も、 『町 人 奥 様 』が 市 民 喜 劇 の 末 裔 と考
え られ て きた の は、 こ の劇 が現 実 の 市 民 と市 民 社 会 を諷 刺 を込 め て描 出
して い る とい う こ とで あ っ た が 、こ の極 め て 単 純 な事 実 は 別 に し て、『町
人 奥様 』は い くつ か の 点 で 市 民 喜劇 の コ ンヴ ェ ン シ ョン を 用 い て は い る。
フル ー ガ ル 夫 人 と娘 た ち の 上 流 階 級 志 向 を基 に した 、 貴 族 と裕 福 な市
民 の娘 との結 婚 話 一
劇 中 で 徒 弟 の一 人 が 両 者 の 関係 を 「殿 様 の伜 は旦
那 の金 、 旦 那 の娘 は殿 様 の 名 誉 が 欲 し い の さ」 とず ば り と言 い 当 て て い
る
を プ ロ ッ トの 中 心 に置 き、 異 な っ た 階級 間 の 利 害 関 係 の 葛 藤 を劇
化 して お る こ と、 また この 劇 の ア ン タ ゴ ニ ス ト、 ル ー ク が 「改 心 した放
蕩 息子 」とい う市 民 喜 劇 の ス ッ トク ・キ ャラ ク ター の タ イ プ の 一・
つ を装 っ
て登 場 して く る点
『古 い 借 金 』で も 「異 な った 階 級 間 の結 婚 」 と 「改
心 した 放 蕩 息 子 」 は使 わ れ て い た
、 あ る い は、 ロ ン ドン の悪 の 象 徴
で も あ る暗 黒 街 の 描 写 な ど は、 表 面 上 は市 民 喜 劇 の手 法 を そ の ま ま踏 襲
して い る よ う で あ る。 た だ 、 か つ て市 民 喜 劇 を成 立 させ い た これ らの コ
ン ヴ ェ ン シ ョ ン は、 『古 い借 金 』に お け る よ う に新 しい 視 点 か ら市 民 喜 劇
の コ ン ヴ ェ ン シ ョ ン を発 展 的 に応 用 し て い るの と は異 な り、 『町 人 奥 様 』
で は劇 の外 枠 をか ろ う じて 構 成 す るだ け で 、 その 機 能 は停 止 させ られ て
し ま っ て い る。
即 ち 、 「異 な った 階 級 間 の 結 婚 」の プ ロ ッ トが 、 お互 い の欲 望 の衝 突 か
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ら新 た な状 況 と問 題 が 生 じ大 団 円 に む か って 劇 的 に 展 開 して ゆ く とい
う、 劇 の 内 部 で の 必 然 性 を もた ず 、 フル ー ガ ル 夫 人 と娘 の 虚 栄 を悪 の一
典 型 と して 表 示 す るだ けの 役 割 に とど ま り、 彼 女 ら の受 苦 と許 しは別 の
主 題 と して 展 開 さ れ る こ とに な る。 「改 心 した 放 蕩 者 」の ル ー ク も 『
町人
奥 様 』 で は、 市 民 喜劇 の ヒー ロ ー の活 動 は封 じ られ 、 劇 の 前 半 で の似 非
回 心 の ポ ー ズ と後 半 の 手 段 を選 ば ぬ欲 望 充 足 の行 動 で、 僞 善 と無 限 の欲
望 とい う悪 の抽 象 概 念 を擬 人 化 した人 物 に創 りあ げ られ て い る。さ ら に、
暗 黒 街 の 描 写 もマ イ ナ ス の 世 界 か らプ ラ ス の世 界 の 矛 盾 を 逆 照 射 す る作
用 は重 視 され ず 、 た だ単 にル ー ク の手 段 を選 ば ぬ行 動 の エ ピ ソー ドに し
か な っ て い な い。
また 、 『
町 人 奥 様 』 は、 イ ン ト リー グ ・プ ロ ッ ト、 気 質 者 、 不 義 密 通 を
含 む 男 女 の 色 模 様 な どの 市 民 喜 劇 が 多 用 した 、 最 も特 色 の あ る コ ン ヴ ェ
ン シ ョ ン を捨 て去 っ て い る。 これ らの 市 民 喜 劇 の笑 い と諷 刺 をつ く り出
して い た 要 素 を除 去 す る こ とは、 『町 人 奥 様 』を諧 謔 と笑 い の エ ネ ル ギ ー
の や や 希 薄 な 劇 に して い るの も否 め な い 事 実 で は あ る。
しか し、 『
町 人 奥 様 』で は上 記 の よ うな 市 民 喜 劇 と して の不 徹 底 さ を否
定 的 要 素 と して 断 ず る の で は な く、 笑 い を犠 牲 に して まで モ ラ ル の 教 示
を図 る寓 意 の 劇 的 世 界 を創 造 す る のが 作 者 の 意 図 で あ っ た と解 さね ば な
らぬ で あ ろ う。 そ して 、 作 者 は 『町 人 奥 様 』にお い て 市 民 喜 劇 の コ ン ヴ ェ
ン シ ョ ンの 多 くを捨 象 した 代 わ りに、 この 劇 で 寓 意 を十 全 に形 象 化 し う
る方 法 論 と し て 、 エ リザ ベ ス 朝 演 劇 の 重 要 な 伝 統 的 要 素 で あ る道 徳 劇
(morality)の
構 造 とス トッ ク ・キ ャ ラ クタ ー の活 用 を計 っ て い るの で
あ る。
『町 人 奥 様 』 の世 界 は約 言 す る な らば 、 一 つ の大 きな 枠 組 み 、 基 本 的
に は道 徳 劇 の伝 統 を つ ぐ劇 の 構 造 に よ っ て 成 立 した もの で あ っ た 。 こ の
作 品 が 劇 の 進 展 で 劇 的 な転 回 点 と して二 つ の 逆 転 の構 造 を有 して お り、
一 っ は三 幕 一 場 の ル ー ク に突 然 状 況 が 好 転 し て 彼 が 優 位 を 占 め る場 面
と、 一 つ は最 終 幕 で の大 団 円 に連 な る サ ー ・ジ ョ ン に よ っ て真 実 が 明 か
され る場 面
こ の場 面 に はい か に もキ ャ ロ ラ イ ン時代 の 観 客 の好 み に
合 った 華 や か な仮 面 劇 の 要 素 が あ る
で あ るが 、 この劇 構 造 も、 「悪 」
の 一 時 的 な勝 利 の 後 に 「善 」 の 大 い な る力 と愛 の も と に 「悪 」 の没 落 が
提 示 され る道 徳 劇 の構 造 を応 用 した も の に他 な らぬ と考 え られ よ う。
さ らに 、 『町 人 奥 様 』の登 場 人 物 が 現 実 の社 会 に生 き る人 間 を素 材 に し
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て 造 型 さ れ て お り な が ら、 登 場 人 物 の 多 くが 或 る観 念 を 象 徴 的 に 表 わ す
擬 人 化 さ れ た 人 物 に な っ て い る の も 、 道 徳 劇 に 現 わ れ る ス ト ッ ク ・キ ャ
ラ ク タ ー の ヴ ァ リエ イ シ ョ ン と考 え る と納 得 が ゆ くの で あ る 。 こ の 劇 で
作 者 が 創 造 し た ル ー ク と い う人 物 は 、い わ ば 近 代 社 会 の 悪 の 権 化 と し て 、
後 に モ リ エ ー ル が 『タ ル チ ュ フ 』(LeTartuffe)の
タ イ トル ・ロ ー ル で 完
成 す る 僞 善 者 と い う 近 代 的 悪 党 の 原 型 と し て の 近 代 性 ・同 時 代 性 を 具 現
し て は い る が 、 エ リザ ベ ス 朝 演 劇 と い う パ ー ス ペ ク テ ィ ブ の 中 で は 、 明
ら か に 道 徳 劇 の 喜 劇 的 悪 漢(comicvillain)の
伝 統 に連 な る 人 物 で あ ろ
う。
『町 人 奥 様 』 は 、 い わ ば1630年
代 の 新 し い 道 徳 劇 で あ り、 市 民 喜 劇 の
晩 鐘 を鳴 らす 作 品 と解 す る の は筆 者 の 恣 意 的 な考 え に 過 ぎ ぬ で あ ろ う
か。
注
(1)市 民 喜 劇 に 関 し て は 、BrianGibbons,JacobeanC勿Comedy(HartDavis,1968)とAlexanderLeggat,CitizenComedyintheAgeof
Shakespeare(Univ.ofTorontoPress,1973)に
教 え られ る点 が 多 い が 、
両 著 で は マ ッ シ ン ジ ャ ー の 喜 劇 は詳 細 に論 じ られ て は い な い 。
(2)『
古 い借 金 』 の初 演 に つ い て は二 説 あ るが 、1625年 初 演 説 を採 る理 由 は、
筆 者 訳'『古 い 借 金 』(早 稲 田 大 学 出 版 部 、1989)の
解 題 を 参 照 され た い 。
(3)リ チ ャ ー ド ・レ ヴ ィ ン(RichardLevin)の
説 明 が 一 番 明 快 で あ る 。The
MultiplePlotinEnglishRenaissanceDyama(Univ.ofChicagoPress),
PP134-37.
(4)代 表 的 な の は ウ ィル ソ ン ・ナ イ ト(G.WilsonKnight)で
Labyrinth:AStudyofBritishDrama(NewYork,Norton,1962),
あ る。TheGolden
PP117-20.
(5)こ
の 見 方 を示 唆 し た 先 達 はL・C・ ナ イ ツ(L.C.Knights)で
あ っ た 。Drama
andSocietyintheAgeof/onson(1937;rpt.NewYork,Norton,1968),
PP270-300.
(6)こ
の 作 品 の 社 会 的 現 実 と人 間 の 実 存 的 な 問 題 の 両 面 を キ ャ ロ ラ イ ン 時 代
の 時 代 精 神 と結 び つ け て説 く、 マ ー テ ィ ン ・バ トラ ー(MartinButler)の
優 れ た 論 考 が あ る。"Massinger'sThecityMadamandtheCaroline
Audience",RenaissanceDramanewseries13(1982).
〔
本 稿 の(二)の
部 分 は、 筆 者 訳 『
古 い借 金 』(早 稲 田 大 学 出版 部 、1989)に
併 録 の 「マ ッ シ ン ジ ャ ー と 『古 い 借 金 』」に依 拠 した もの で あ る こ と を お 断 り
して お き ま す 。〕
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