...

アフガニスタン復興支援に係る現地調査報告書

by user

on
Category: Documents
16

views

Report

Comments

Transcript

アフガニスタン復興支援に係る現地調査報告書
(Vers.2.1)
平成 14 年 11 月 19 日
アフガニスタン復興支援に係る現地調査報告書
− 留学生・研究者受け入れ,技術協力に向けて−
東京農工大学
望月 貞成(工学部機械システム工学科)
田谷 一善(農学部獣医学科)
島田 清 (農学部地域生態システム学科)
中久喜茂樹(学生部留学生課)
まえがき
東京農工大学は,去る 2 002 年 5 月に教官4名(望月,田谷,平沢および島田各教授)を
カブール大学視察に派遣し,両大学間の学術交流協定を締結した.東京農工大学は,カブ
ール大学と大学間協定を締結した日本で最初の大学であった.その後,視察結果等を踏ま
え学内に「カブール大学復興支援室(室長 望月教授)
」を設置し,文部科学省との協議の
下に具体的な支援方法について検討を進めてきた.その結果,アフガニスタン支援の一環
として,
(a) カブール大学から東京農工大学大学院への留学生受け入れ,および
(b) カブール大学教官の東京農工大学における短期研修
を計画した.(a)および(b)それぞれ 10 名ずつ募集することとし,カブール大学学長に推薦を
依頼したところ,それぞれについて 10 名および 15 名の学長推薦を伴う応募があった.
今回の我々のカブール大学訪問の主な目的は,上記(a)および(b)に応募した候補者との面
接を行うとともに,将来の技術協力に向けての調査および視察を行うことにあった.
アフガニスタンから日本の国立大学への留学生あるいは研究者の受け入れは今回が最初
の試みであるため,過去に参考となる例が無い.また,かつては高いレベルを誇っていた
カブール大学といえども,長い間の内戦により大学の教育機能は著しく低下していたため,
提出された書類のみによりカブール大学からの応募者の質を判断することは困難かつ危険
であると思われた.そこで,このたび文部科学省の支援により,東京農工大学カブール大
学復興支援室のメンバーである教授 3 名(望月,田谷および島田)と学生部留学生課職員 1
名(中久喜)の計 4 名がカブール大学を訪れ,応募者全員に対する面接調査を実施するこ
ととした.
上記教授 3 名は,去る 5 月に東京農工大学カブール大学視察団のメンバーとして文部科
学省の岸田副大臣(当時)の一行と共にカブール大学を訪れているため,それら 3 名にと
っては,今回の訪問は 2 度目であった.
留学生候補者および短期研修教官候補者との面接は,2002 年 11 月 6 日から 7 日までの 2
日間,カブール大学の学長室において実施された.特に「留学生候補者」に対する面接は
一人一人に十分な時間をかけ,様々な角度からの質問に答えさせた.
その結果,
「留学生候補者」および「短期研修希望教官」いずれについても,各応募者は
新しい知識を吸収したいという強い意欲を持ち,日本への留学あるいは短期研修を極めて
真摯に考え希望していることがわかった.よい意味でのハングリースピリットを感じさせ
られた.いずれの留学生候補者もカブール大学の現役の若手教官であり,それぞれの分野
における基本的専門知識については学部卒業程度以上のものを十分に有していると判断さ
れた.英語によるコミュニケーション能力は,個人差はあるが総じてかなり高いと言える.
特に短期研修希望教官の多くは流暢な英語を話すことがわかった.
次に,将来の技術協力に向けてのカブール大学の現状視察を行った.最近ようやく全学
1
の図書館にインターネットにアクセスできるコンピューターシステムが日本政府の支援に
より導入されたとのことである.学長室には,5 月にはなかった複写機とコンピュータが各
1 台置かれていたが,コンピュータはまだインターネットに接続されるまでに至っていない.
学長といえどもメールの送受信のためには図書館に出向かなければならない状況にある.
電力事情がいまだ悪く,昼間は殆ど停電している.
農学部,工学部および獣医学部を手分けして訪問し調査を行ったが.いずれにおいても 5
月に訪問した折の状況から大きな変化は観られなかった.とにかく,相変わらず何も無い.
農・工・獣医各学部いずれにおいても基本教育に最低限必要な機器さえ整えられていない.
ただ,農学部と工学部には世界銀行からの資金が割り振られることになっているので,そ
れによりいくらか学科共通的な設備を導入できると関係者は喜んでいた.後に詳細を述べ
る面接結果からも知られることであるが,カブール大学の人達のポテンシャルはかなり高
い.しかし,教育研究に必要な最低限の機器さえ何一つ無い.したがって,人的支援と相
俟った教育研究関連機器の支援を通じての技術協力は,少しの投資でも極めて大きな効果
を生むであろうことは間違いない.
今回のカブール大学訪問に際しては,上記以外にも,カブール大学と「留学生受け入れ
に関する協定書」を新たに取り交わし,また,在アフガニスタン日本大使館推薦による留
学生候補者との面接を行った.さらに,在アフガニスタン日本大使館および JICA 駐在事務
所(パキスタンのイスラマバードおよびアフガニスタンのカブール)をそれぞれ訪問し,
アフガニスタン支援に関連した情報の収集を行った.
本報告書は,上記の諸活動のそれぞれについて詳細を述べたものである.
2
目
次
1. カブール大学訪問に至った経緯
2. 訪問日程
3. カブール大学学長との会談および留学生の受け入れに関する協定締結
4. 面接結果
4-1
留学生
4-2
短期研修教官
5. 視察結果
5-1
カブール大学農学部
5-2
カブール大学工学部
5-3
カブール大学獣医学部
5-4
在アフガニスタン日本国大使館
5-5
国際協力事業団(JICA)パキスタン事務所
5-6
国際協力事業団(JICA)アフガニスタン事務所
3
1. カブール大学訪問に至った経緯
平成 14 年5月 17 日から 22 日まで,東京農工大学の 4 名の教授(望月貞成,田谷一善,
平澤正,島田清)が,岸田文雄文部科学省副大臣ら一行とアフガニスタンのカブールを訪
れ,カブール大学を視察した.その際に,カブール大学副学長,農学部長,工学部長,獣
医学部長ならびに各学部の教官と直接面談し,カブール大学の現状について調査するとと
もに,東京農工大学とカブール大学との大学間協定の締結を行った.この面談の際に,カ
ブール大学の教官から人的支援と物的支援に関する次のような要望があった.人的支援:(1)
修士号および博士号の習得を目的とした学生及び若手教官の日本留学,(2)教官の短期間研
修(2∼3 ヶ月)
,(3)日本からの教官の派遣.物的支援:(1)教育のための実験実習器材,(2)
教官が講義をするための英語の専門書,(3)教室の整備,(4)教科書等を印刷するための印刷
機.
以上のような調査結果をふまえ,東京農工大学は学内に「カブール大学復興支援室」を
設置し,カブール大学支援について文部科学省と協議を行ってきた.その結果,文部科学
省の特段の配慮により,平成 14 年度予算にて,カブール大学から日本国費留学生 10 名を
受け入れ,東京農工大学において修士課程及び博士課程に進学させる計画が提案された.
加えて,カブール大学の現役教官 10 名を短期間(2∼3 ヶ月)東京農工大学へ招聘する計画
が併せて提案された.この2つの人的支援は,まさにカブール大学が最も必要としていた
内容であり,しかも平成 14 年度からのスタートとなることから,現在アフガニスタンへの
支援として強く求められているクイックインパクトとして高く評価されるものである.こ
のような計画の中で 10 名の国費留学生及び 10 名の教官の募集に際し,カブール大学学長
から 10 名の国費留学生候補者と 15 名の教官候補者が推薦された.東京農工大学では,こ
れらの候補者について,国際的にもこのような計画は初めてのケースであることから,で
きるかぎり優秀な人材で,しかも将来のアフガニスタン復興に貢献できる人材を受け入れ
るために,カブール大学での現地面接の必要性を提案し,文部科学省に計画書を提出した.
これに対し,文部科学省は,その意義を認め,3 名の教官と 1 名の事務官の派遣が実現した
ものである.
2.訪問日程
訪問団の日程は次のとおりであった.
11月3日(日)
10:55
成田(東京)発(JL 717)
15:50
バンコク着
17:30
バンコク発(TG 507)
21:05
カラチ着 (泊)
4
11月4日(月)
07:00
カラチ発(PK 300)
08:55
イスラマバード着(泊)
10:00∼
12:00
14:00
カブール大学訪問時の業務について確認及び打ち合わせ
在パキスタン日本国大使館西崎氏とアフガン入国に関しての事
務打ち合わせ
16:00
JICA パキスタン事務所
中原所長と面談
19:00∼
21:00
カブール大学訪問についての打ち合わせ
11月5日(火)
09:00
イスラマバード発(UN―F170W)
09:10
カブール着(以後4泊,Silk Route Guest house)
10:30
在アフガニスタン日本大使館 篠塚書記官とカブール大学訪問に
ついて,調整打ち合わせ
14:00
カブール大学 「大使館推薦」留学生と面談
15:00
カブール大学訪問
Popal カブール大学長他と会談
「留学生受入に関する協定書」に Popal 学長署名
18:00∼
21:00
11月6日(水)
,11月7日(木)の面接についての打ち合わ
せ
11月6日(水) (本日よりラマダン始まる)
09:00∼
15:00
受け入れ予定留学生10名の面接
15:00∼
16:00
17:00
POPAL 学長と懇談
JICA アフガン事務所 地曳所長を訪問
19:00∼
21:00
本日の面接結果について意見交換
11月7日(木)
09:00∼
12:00
招へい研究者の面接 13名(2名欠席)
12:00∼
15:00
カブール大学施設(農・工・獣医学部)の視察
16:00∼
5
17:00
在アフガニスタン日本大使館 宮原公使を訪問,面談
19:00∼
21:00
本日の面接結果について協議
11月8日(金)
09:00∼
12:00
カブール市内視察
15:00∼
16:30
カブール市内視察
11月9日(土)
08:30
カブール発 (UN F−170W)
09:40
イスラマバード着
19:00∼
22:00
今回の訪問について総括的な意見交換及び今後の取り組みつい
て協議
11月10日(日)
19:30
イスラマバード発(PK 381)
20:20
ラホール着
23:50
ラホール発(TG 506)
11月11日(月)
06:15
バンコク着
08:35
バンコク発(JL 708)
16:30
成田(東京)到着
3.カブール大学学長との会談および留学生受け入れに関する協定締結
2002 年 5 月 20 日の東京農工大学とカブール大学との間の学術交流を目的とする大学間協
定を踏まえ,東京農工大学はカブール大学からの留学生受け入れ計画に積極的に取り組み,
文部科学省と協議を行ってきた.その結果,留学生 10 名を受け入れることとした.しかし,
上記大学間協定は本来研究者の交流を意図したものであり,留学生受け入れについては別
途協定を締結することが必要であるとの判断に至った.それゆえ,このたびのカブール大
学訪問に際しては,新たに「留学生受け入れに関する協定」の締結を行うこととした.
カブールに到着した 11 月 5 日(火)午後,早速にカブール大学を訪れ,学長室にて Popal
学長と面談した.カブール大学の農学部長,獣医学部長および工学部長代理が同席した.
Popal 学長は,国連主催の会議で 7 日に日本の広島へ向けて出発するという忙しい中であっ
た.米国で教育を受けたという学長は,きわめて明快な語り口で流暢な英語を話す.年齢
は50台半ばとのこと.好感をもてる人物である.“Tokyo University of Agriculture and
Technology” を何回も口にし,東京農工大学および日本国の支援に対して繰り返し感謝の意
6
を述べられた.けして外交辞令ではなく心からありがたいと思っている様子が強く伝わっ
てきた.学長の机の上には,我々が 5 月に訪問したときに贈呈した東京農工大学の盾が飾
られている.
「日本からの援助は押し付けが無いから良い」「日本は中立で非常にフレンド
リーである」とも言い,日本からの支援全般を高く評価し感謝していた.
早くからアフガニスタンの高等教育支援を掲げていた米国のパーデュー大学からの支援
状況を尋ねたところ,同大学はカブール大学支援計画を表明しているものの,まだ実質的
な動きはなく,9 月末までに設置される予定であったコンピュータセンターは実現されてい
ないとのことであった.
続いて,今回の留学生受け入れに関し必要な新たな「留学生受け入れに関する協定書」
英文・日本文各 2 部合計 4 部に,土産としてさしあげた東京農工大学名入りの万年筆を使
用し,Popal 学長より署名をいただいた.その場には,カブール大学側からは,Popal 学長,
農学部長,獣医学部長および工学部長代理が,また,東京農工大学側からは我々4 名および
日本国大使館から篠塚書記官が列席した.その協定書には,すでに東京農工大学宮田学長
の署名がなされていたため,その場で協定書の交換を行った.
4.面接結果
11 月 6 日(水)
,留学生候補者 10 名に対する面接を行った.イスラムのラマダンが本日
から始まることとなったため,アフガニスタンにおいても本日は全国的に休日である.し
かし,面接開始予定時刻の 9 時前に,事情があって遅れた者一人を除き候補者全員が集ま
っていた.一人約 30 分づつ,朝 9 時から午後 3 時過ぎまで休みなしに面接を行った.候補
者はすべてカブール大学の助手・講師・助教授クラスの教官で,年齢は 29−34 歳であるが,
東京農工大学大学院前期課程(修士)への入学を希望し,そのうちのほとんどの者は後期
課程(博士)への進学を望んでいる.応募の理由として,異口同音に「現在学士号しか持
たないため,もっと高度のアカデミックトレーニングとそれに応じた高い学位を欲しい」
を挙げ,また,各人に「東京農工大学での研究が終了した後の予定」を尋ねたところ,全
員が「カブール大学に戻り祖国の復興に尽くしたい」と明言した.女性の候補者が 1 名い
た.また,カブール大学の工学部に将来設置が検討されているコンピューターサイエンス
学科の中核を担いたいと,3 名の者が東京農工大学工学研究科のコンピューターサイエンス
関連への入学を希望している.面接に応じた候補者はいずれも極めてまじめで,しっかり
した将来展望をもっており,好感が持てた.
11 月 7 日(木)には,短期研修への応募者 13 名について面接を行った.前日6日はラマダ
ン初日のため休日であったが,翌8日もまた金曜日であるためイスラムでは休日である.
当日 7 日(木)は本来ならば平日であるが,休日に挟まれたためその日も休日とのことで
あった.そのような中,朝 9 時より一人 10 分から 15 分程度,12 時過ぎまでかけて面接を
行った.応募者は教授クラスが多く,海外で教育を受けた者も多い.農学部と獣医学部の
学部長も含まれている.いずれも長い間の空白を埋めるべく,日本においてそれぞれの専
7
門分野における最新情報を入手したいと大いなる期待を述べていた.各人を写真撮影し,
面接の様子はビデオに記録した.夕方宿舎において面接結果その他を踏まえて検討を行い,
15 名の応募者からカブール大学の農,工および獣医学部よりそれぞれ 3,3 および4名,計
10 名を選考した.
以下に,面接の詳細について,留学生候補者および教官候補者それぞれについて記す.
4-1 日本政府国費留学生候補者の面接
平成 14 年 11 月 6 日朝 9 時から今回の留学生候補者全員
(1 名 Farahmand Mohammad Yasin
は,遅れたため不参加)に対し,望月教授が今回の面接の趣旨,面接の内容,留学生とし
て選抜された場合の来日日程,日本での生活並びに大学院受験等に関して配布資料に基い
て説明を行った.その後,各候補者の個別面接を実施した.個別面接は,1 名あたり約 30
分をかけ,15 時過ぎに終了した.
個別面接に際し,東京農工大学からの主な質問事項は,以下の通りであった.
①姓名の正確なスペルと生年月日の確認,②本プログラムへ応募した動機,③東京農工大
学で希望する研究分野及び指導教官,④東京農工大学大学院を修了後の進路,⑤英語能力,
⑥その他
質問事項①の姓名の正確なスペルと表現に関しては,ほとんどの候補者の提出資料が手
書きであったことから解読不可能な部分があり,これを確認した.なお,個別面接中に判
明したこととして,アフガニスタンでは,名前には姓と名の概念が無く,たとえば 3 語か
らできている名前もひとつの“名前”であって,これを first name, family name, および middle
name に分割することは本来はできないとのことであった.しかし,生年月日と合わせて,
今後パスポートやビザの申請に際し,正確な姓名の記述が要求されることから,この点を
今後全ての公式文書において統一するよう各候補者に徹底して指導した.
質問事項②の応募動機に関しては,全ての候補者が一致して新しい専門知識の習得及び
修士号と博士号の取得を挙げていた.全ての候補者が修士課程から博士課程への進学を希
望したが,農学部志望の Osmankhil Mohammad Aamed 氏は,家庭の事情から来日後に家族
と相談の上で博士課程へ進学するか否かを考えたいとのことであった.また,応募動機の
中で特に注目を引いたのは,工学部から応募した 3 名(Rasuli Mohammad Homayoun, Hakim,
Abdul Waleed, Yaqobe Mohammad Homayoun)であった.この 3 名の候補者は,いずれもコン
ピュータ関係を希望しており,工学部候補者 4 名中 3 名がコンピュータ関係に集中した.
この理由を尋ねると,この 3 名は,工学部長と相談の上,将来カブール大学にコンピュー
タ関係の新しい学科を新設することを目指し,この機会を利用してコンピュータの各分野
を 3 名の留学生が,それぞれ勉学し,博士号を習得してカブール大学へ帰還して,新学科
設立の核となりたいとのことであった.この 3 名の候補者は,自らをパワー・チームと称し
て強い意欲に燃えている様子が良く理解できた.このようなカブール大学工学部の将来へ
向けた前向きな取り組みを聞いて,その真剣さに胸を打たれる思いであった.
8
質問事項③の研究分野と指導教官については,初めに候補者から我々が 5 月に訪問した
際に残してきた資料を読み,その中から自分なりに考えた希望を述べてもらった.その後
に,東京農工大学のそれぞれの研究分野の研究内容と教官の事情も踏まえて協議し,候補
となる研究分野について協議した.最終的な決定は我々が帰国後に受け入れ予定教官と充
分に協議して決定することとした.
質問事項④の大学院修了後の進路については,全員がカブール大学へ帰還し,アフガニ
スタンの復興に向けてカブール大学の教官として貢献したいとの強い意志を表明した.
質問事項⑤の英語力については,面接での質疑応答を通して判断すると,いずれの候補
者もコミュニケーションには問題なく,高いレベルであると評価された.候補者の中には,
過去に外国での短期研修の経験を持つ者もいた.また,カブール市内で行われている英語
の個人レッスンを受けたものやまったく独自に英語を学んだものもおり,平均して語学的
能力は高いと考えられた.
また,今回の現地面接に先立って,各候補者から提出された申請書類を東京農工大学留
学生課が詳細に検討し,不足する書類や不明瞭な点についてまとめ,望月教授からカブー
ル大学長宛に E メールで事前に連絡してあった.しかし,それに対する返答が無く,再三
にわたる催促にも応答がなかった.カブール大学との通信は,郵便も電話もまた e-mail も
未だ十分な信頼性がない状態であることから,その後のカブール大学側の対応について不
安を持っていた.しかし,今回の面接の際に,各候補者から,全ての指摘事項に対する回
答がなされ必要証明書類の提出など正確な対応がなされた.このことからも,今回の留学
生候補者のまじめさと本プログラムに対する真剣な取り組み態度が良く理解できた.
以上の結果から,今回現地面接を行った留学生候補者 10 名に関して,いずれの候補につ
いても先にあげた質問項目を充分クリアし,意欲に燃えた質の高い候補者であると評価さ
れた.
4-2 短期研修教官候補者の面接
11 月 7 日(木)
,短期研修教官候補者に対する面接をカブール大学学長室で行った.
対象者は農・獣医・工の 3 学部より各 5 名,合計 15 名の予定であった.しかし,工学部
教官 2 名が現れなかった.他の工学部教官の話によれば,その 2 名はそれぞれ建築学科,
及び土木工学科所属の教官であり,東京農工大学にはそれら該当する学科がないことから
自分達は選抜されないであろうと考え,面接に現れなかったらしいとのことであった.し
かし,東京農工大学農学部には農業土木系の講座があり,建築学科卒業の教官もいること
から,彼らを受け入れられる可能性が無いわけではない.そこで,11 月 8 日は金曜日で現
地の休日であることから,帰国の予定日ではあるものの国連機のフライトスケジュールの
関係で午前中に面接の時間を割くことができるので,学長秘書と相談の上,11 月 9 日(土)
の午前中に面接を行う予定を組み,学長秘書に 2 教官への連絡を依頼した.
ところが,11 月 8 日(金)の夜になって突然に,国連機の出発が 16 時 45 分から朝の 8
9
時 45 分に変更された.このため,11 月 9 日(土)の午前中に予定した面接は実施できなか
った.よって,面接人数は 13 名である.
各人 10 分程度の面接時間を予定したが,9 時から始めて 12 時過ぎに終了した.
個別面接では,次の各項目について確認した.①氏名(Family name, First name, Middle
name)の正確なスペルと生年月日の確認,②学歴・教育歴,③研修目的・研修分野,④英
語能力,⑤その他
今回の教官研修は現在授業を行っている教授クラスの教官を対象にしているため,最高
年齢は 65 歳にわたっている.一部の教授では生年月日のうち,誕生日の曜日が分かってい
るが日付が分からないという例があり,文化の違いを感じた.
氏名のスペルや生年月日の記載は,パスポートやビザの申請などの諸書類全体で一致し
ていなければならない.しかし,氏名を省略したり,Family name と First name の順番に無
頓着であったりする例があることから,スペルを確認した氏名や生年月日を記載した申請
書の写しを候補者に渡して,書類を準備することになったら間違えることがないように伝
えた.
学歴・教育歴について質問すると,カブール大学卒業後,欧米の大学の修士・博士課程
に進学した教官や欧米の大学で教鞭をとった経験を持つ教官もいることが分かり,往年の
カブール大学スタッフ陣の質の高さがうかがえた.このためもあって,英語によるコミュ
ニケーションについてはどの候補者についても問題がなかった.
研修に対する各人の目的を聞くと,多くの教官が日本の科学技術の発展にたいする賞賛
の言葉を述べ,実際にそれらに触れることが出来ることへの期待を述べていた.また,各
人について研修希望分野について確認し,東京農工大学のそれぞれの研究分野の研究内容
と照らし合わせて受入れ教官について協議した.
教官短期研修プログラムの定員は 10 名であることから,面接結果を検討し面接した 13
名より農学部 3 名,獣医学部 4 名,工学部 3 名,合計 10 を選考した.
5.視察報告
今回のアフガニスタン訪問においては,5(火)から 8(金)まで 4 日間のカブール滞在のうち
3 日間はイスラムの休日と重なったため,その間大学その他の機関の機能は基本的に停止し
ていた.しかし,我々は,面接以外にも可能な限り情報収集を試みることとし,カブール
大学の農学部,工学部および獣医学部,在アフガニスタン日本国大使館,パキスタンおよ
びアフガニスタンの JICA 駐在事務所を視察ないしは訪問した.以下はそれらの結果の報告
である.
5-1 農学部視察報告
11 月 7 日,短期研修教官候補者の面接が修了した後,N.A.Ahmad 獣医学部長の案内の下
に獣医学部を訪問する前に,農学部棟を田谷教授と島田教授が再訪した.
10
5 月に視察してから半年が経過しているが内部の状況はほとんど変わっておらず,実験室
は空っぽのままであり,講義室の黒板は小さく,椅子の数は少ない.唯一,前回空っぽだ
った大講義室に椅子があったことが変わった点である.しかし,それらは新品ではなかっ
たので,以前どこかにあったものが集められたものと思われる.
当日は休日であったため,授業は参観できなかったが,以前と同様に講義中心の授業が
続けられているとのことであった.農学も他の自然科学系学問と同様に講義だけでなく,
実験・実習によってその教育効果が高められるものである.一刻も早く実験室・実習室の
復旧が望まれる.
5-2 工学部視察報告
望月教授は Zaheb 教授および Hayeri 助教授の案内で工学部を見学した.休日ゆえ,学生
も教官もおらず建物内には人気が無い.5 月にすでに工学部を訪れていたので,今回はそれ
以後何が変わったかを見出そうとしたが,ほとんどなにも変わっていなかった.わずかに
製図室に製図版が 30 台ほど設置されただけであった.これも工学部 1 学年およそ 200 名が
使うには必ずしも十分ではない.世界銀行からの資金が工学部にも配分されることが決ま
ったとのことで,それによっていくらか備品などを整えることができるであろうと Zaheb
教授および Hayeri 助教授は喜んでいた.とにかく,どの部屋もすべて使用に耐えない破壊
された実験装置・器具以外には何も無い.化学の実験室には薬品のビン 1 本さえなかった.
ある実験室に,切り倒した木の幹や枝が置いてあったので,何に使うのか尋ねたところ,
住み込みの建物の管理人が暖房用に使う薪とのことであった.アフガン支援ということで
世界からいろいろな動きがあるが,大学まではなかなか支援の手は回っていないようであ
る.文字通り,見るべきものは何も無かったため,実験室や研究室の見学は短時間で終わ
ってしまった.
とにかく何も無いの一語に尽きる.それゆえ,何を援助しても喜ばれるであろう.しか
し,まずは,工学系の基本教育のための機器・設備がぜひ必要である.それらは,何であ
れ大いに喜ばれ有効に使われるであろうことは間違いない.
5-3 獣医学部視察報告
平成 14 年 11 月 7 日(木)14 時から獣医学部を視察した.視察に際しては,獣医学部長
の Ahmad Noor Ahmad 教授,前臨床講座主任 Ayubi Noor Mohammad 助教授,動物生産学講
座主任 Tanin Gul Mohammad 教授他 1 名の教官が対応した.本年 5 月の視察の際には,時間
的な制約から獣医学部の視察は,短時間しか行うことができなかったことから,今回は,
充分な時間をかけて視察を行った.カブール大学獣医学部は,国連開発計画(UNDP)から
の援助とアフガニスタン政府により 1974 年に設立され,1980 年初頭には,教官数 75 名,5
つの専門分野,21 の研究室からなる充実した欧米並みの規模の学部であった.全ての実験
室には,最新の設備が装備され,高度な研究が行われ,全ての教室には,オーディオシス
11
テムが完備され,学生は充実した教育を受けていたとのことであった.今回の視察の結果,
教室の壁や床には,内戦当時の砲弾による傷跡が残り,大きな穴はふさがれているが,未
だ電気はなく,暖房も止まったままであった.しかし,大小の教室には,肘付き椅子と小
さな黒板が整備され講義が行われている.微生物学,生化学及び栄養学の学生実習室には
砲弾で焼けただれた実験机,ドラフト,クリーンベンチなどが残されていたが,電気や水
も使用できず実習を行える状態ではない.次いで,各講座の研究室を訪ねたが,いずれも
同様の状態であり,壊されて使用に耐えなくなった実験装置とわずかな薬品が並んでいる
状況であった.教官の居室は,一部屋ずつ用意されているが,机と椅子が置かれているの
みであった.学部長室は,良く整備され広い部屋に会議用の机と椅子及び応接セットが置
かれ,会議や来客の対応が可能な程度に整備されていた.この部屋だけが 5 月の視察以降
に整備された部分であった.校舎の視察を終了し,次に大学から車で約 20 分ほど離れた場
所にある動物病院を視察した.動物病院は,以前にあった建物が破壊されたことから,現
在新しく建築中であった.獣医学部長の説明によると,彼がカブール大学獣医学部を卒業
して現在イギリスで活躍している卒業生に依頼して動物病院再建のための資金の寄付を受
けたとのことである.動物病院のある地域は,広い平地であり,現在もロバ,ヤギ,ヒツ
ジ,ウシが多数放牧されていた.内戦で破壊される以前には,各種動物の実験牧場として
機能していたとのことであった.このように,動物病院については,現在再建が始まって
いるが,中に入れる手術器具等については未だ目処が立っていないとのことであった.
以上のように,獣医学部では,5 月の視察以来,目だって整備された部分は,獣医学部長
室のみであった.しかし,視察当日は,休日であるにもかかわらず破壊された校舎の修復
工事が現地作業員により少しずつ進められていた.また,視察に際しては,獣医学部長を
含めて 4 名の教官が対応し,カブール大学獣医学部再建に向けて強い意欲と日本の援助へ
の期待が感じられた.獣医学部の建物を視察した際に,鉄格子で閉じられた部屋があり,
教官の説明によると内戦時代に監獄として使用された部屋であり記念に残してあるとのこ
とであった.また,壁に赤い×印が記されている部分があり,これは,この場所で人が処
刑されたことを記憶に残すために血で塗られたものであるとの説明であった.
最後に,獣医学部の建物の視察の際に,学部長が破壊された実験器具や冷蔵庫,培養器,
クリーンベンチなどが収納された部屋を案内してくれた.この部屋の中にある実験器具な
どは,日本でも現在使用されているものもあり,カブール大学獣医学部が 1980 年代初頭に
は,いかに整備された施設で充実した教育・研究が行われていたかを知る良い材料であった.
以上のように,獣医学部に関しては,5 月の視察以来学部長室以外は改善されていないの
が現状である.
5-4 在アフガニスタン日本国大使館
平成 14 年 11 月 7 日
(木)在アフガニスタン日本国大使館を表敬訪問した.日本大使館は,
当初民家を借用して業務が開始されていたが,その後旧日本大使館の敷地内にある建物等
12
の改修が終了し,移転した.日本大使館は,広大な敷地にフェンスをめぐらした中にある.
旧館の建物の一部を修復し,その中に大使室をはじめ業務に必要な設備を整えた業務室が
あり,日本から派遣されている大使館員と現地で雇用したアフガニスタン人スタッフで運
営されている.大使館開設以来,大量の業務をこなすために大使館員の方々は,休日も返
上して活動していた.
大使館では,駒野大使が日本へ出張中とのことで宮原信孝公使と面談した.宮原公使か
らは,アフガニスタンの近況に加えて,今後の支援国としての考え方,並びにアフガニス
タンの政治問題,アフガニスタンの憲法の制定とその後の正式政権確立などについて説明
頂いた.東京農工大学からは,今回の留学生と教官の現地面接に至った経緯を説明し,こ
れまでの外務省特にアフガニスタン大使館の協力に対して謝辞を述べた.特に,カブール
では電話事情が悪いため,面接の日程調整や連絡などでカブール大学との間を奔走してい
ただくなど,今回の面接や学長との会談が順調に行えたことは篠塚書記官の尽力の賜であ
ることを述べ,同氏の協力に対して深い感謝の意を述べた.
宮原公使は,アフガニスタンの復興に際しては,初等中等教育に対する支援及び女子教
育に対する支援に加えて高等教育(大学教育)への支援が極めて重要であることを強調さ
れた.宮原公使からは,今後の更なる進展に対して多くのアドバイスを頂いた.
5-5 国際協力事業団(JICA)パキスタン事務所訪問
平成 14 年 11 月 4 日(月)JICA パキスタン事務所を表敬訪問し,中原正孝所長と Fukai
Katsuyoshi アドバイザーと面談した.所長の中原正孝氏は,東京農工大学農学部生産工学科
の昭和 53 年度の卒業生である.Fukai 氏は,姪が現在東京農工大学工学部情報コミュニケ
ーション工学科に在籍中とのことで東京農工大学については,理解されておられ,本学の
カブール大学支援プロジェクトに関してもすでに知っておられた.Fukai 氏は,アフガニス
タン担当の Project Formulation Advisor であることから,最近のアフガニスタンの情勢や各国
のアフガニスタン支援に関する取り組み姿勢などについての情報を頂いた.また,カブー
ル大学から留学生や教官を招聘する際の交通手段について,国連機の運行状況,輸送能力
や予約法その他に関しての問題点など,これまでには得られなかった情報を頂いた.現在
は,アフガニスタンのカブールに入国する際には,イスラマバードを経由するのが最も順
調な経路となっており,JICA の支援が重要であることから,今後の協力を依頼した.中原
所長,Fukai 氏共に,東京農工大学が進めている 2 つの人的支援プロジェクトの内容を理解
され今後の協力を約束して下さった.
5-6 国際協力事業団(JICA)アフガニスタン事務所訪問
平成 14 年 11 月 6 日(火)カブールにあるアフガニスタン JICA 事務所を表敬訪問し,地
曳隆紀所長と面談した.地曳所長からは,7 月に JICA 事務所が開設されて以来の活動情況
と最近のアフガニスタン情勢について説明頂いた.特にアフガニスタンにおける識字教育
13
の大切さと早期に効果の上がる支援の大切さを説明頂いた.東京農工大学からは,これま
でのカブール大学支援の経緯と今回のカブール大学における留学生と教官の面接の内容,
今後の計画等について説明し,ご理解を頂いた.また,今後の文部科学省と JICA の協力に
よるカブール大学への高等教育支援等についても懇談した.
今後日本がアフガニスタンの高等教育支援を進めるに際しては,文部科学省と外務省の
密な協力体制が必要である.今回の短い日程の間に,上記の日本大使館と JICA 事務所を訪
問できたことは,アフガニスタンの最新情報を得られただけでなく,東京農工大学として
の今後の支援体制を考えるうえでも大変参考となった.
14
あとがき
アフガニスタンの高等教育支援に関しては,日本以外にも米国,ドイツなどが動いてい
るようである.米国は,Purdue 大学が中心となり人工衛星を利用した米国・アフガニスタ
ン間のインタラクティブな教育システムの構築を発表している.ドイツの援助計画の詳細
は定かではないが,最近ドイツより教授が何名かカブール大学を訪れしばらく滞在してい
たようで,その際講義なども行ったと聞いた.そのような中で,このたび文部科学省の支
援を受けて東京農工大学が実施する二つのプログラム:(a) 東京農工大学大学院への留学生
受け入れ,および (b) 東京農工大学におけるカブール大学教官の短期研修は,カブール大
学にとって外国からの初めての実質的な支援であることがこのたびの訪問で確認された.
アフガニスタン支援の基本は,想像を絶するほど悲惨な状況におかれた中で復興に向け
て懸命に努力している人々に援助の手を差し伸べたいというところにある.上記二つのプ
ログラムもその一環である.このたび東京農工大学が受け入れる予定の留学生あるいは研
修教官は,留学あるいは研修終了後カブール大学に戻り,日本で得た知識・経験を基に学
生の教育を行い,それを通じてアフガニスタン国の再建に貢献したいと明言している.こ
れらのプログラムに代表されるような形の人的支援は,留学生および研修者自身にとって
も,またアフガニスタン国にとっても意義があるのみならず,日本にとっても政策的に重
要かつ必要である.すなわち,国際機関を通じて資金を提供する間接的支援や物的支援も
必要であろうが,アフガニスタンの指導者を養成する最高学府であるカブール大学の教官
層の人材育成を支援することは,より直接的でありかつ長い目で観たとき高い効果を生む
ことが期待できるゆえ,日本にとっても大きな意義がある.
しかし,人的支援は継続して初めてその底力を発揮する.したがって,文部科学省およ
び外務省をはじめとする日本国政府諸機関においては,今後とも上記二つのプログラムに
代表されるような人的支援を継続されることを強く希望してやまない.
カブール大学の人的ポテンシャルはかなり高いにもかかわらず,教育研究に必要最低限
の機器さえ何一つ無い.したがって,教育研究関連機器の支援を通じての技術協力は極め
て効果的であるといえる.まずは,一般的な日本の理科系の大学であればどこにでもある
ような基本的な教育用機器の支援が望まれる.とにかく何も無いので,何を贈っても喜ば
れることは間違いない.一方,高度の機材になると,それを必要とし,また使いこなすこ
とのできる具体的な教官との関係を踏まえる必要が出てくるであろうが,今回は,運悪く 4
日間の滞在中の 3 日間がイスラム休日と重なってしまったためもあり,そこまでの詳しい
調査をすることはできなかった.ただ,再三述べたように,カブール大学には基本的能力
が高い人材が多くいるので,その観点からの調査を行えば,具体的な機器に対するしっか
りとした裏付けを持った多くの要望が出てくるであろう.
カブール滞在最終日の8日(金)は,イスラムの休日で,大学をはじめもろもろの活動
15
が休みであった.我々は,カブール市を一望できる小高い山に車で登った.そこからは遠
く雪をいただく神々しいほどの高い山々が眺望される.また,カブール市が周囲を山に囲
まれた平地にあることが手に取るようにわかる.市内には緑もかなりあり,ここから観た
カブールは実に美しい.カブール大学キャンパスは樹木に覆われた広大な敷地を有するこ
とが見てとれる.長い戦乱により市内の建物の多くは破壊され,人々の生活は苦しく,道
路を走ると舗装路面にはあちらこちらで穴が開いており土埃が多く喉に変調をきたすが,
この山から望むカブールは,広い道路を有し,町並みは整然とし,かといってあまり人工
的でもなく,実に調和の取れた美しい市である.子供も大人も,市内のあちらこちらでタ
リバン時代には禁止されていた凧揚げに興じていた.平和である.しかし,遊ぶ子供たち
の笑顔とその背景にある廃墟と化した建物群はあまりにもコントラストが強すぎる.この
平和が続くことを祈らずにはいられなかった.
今回のアフガニスタン訪問に際しては,文部科学省および外務省の関係の方々に大変に
お世話になった.深く感謝の意を申し上げたい.通常では簡単には行くことが許されない
アフガニスタンへの往復を可能とするためには,様々な多くの問題をクリアしなければな
らないが,在パキスタン日本国大使館および在アフガニスタン日本国大使館の方々および
本学の関係者の行き届いたお世話のおかげでつつがなく旅行することができた.今回の
我々の訪問を成功裏に終わらせることができたのもそれらの方々のおかげである.特に,
通信がままならないカブール大学との様々な事前連絡やカブール滞在中のアレンジメント
については,在アフガニスタン日本大使館の篠塚書記官に一方ならぬお世話をいただいた.
改めて深く感謝申し上げる次第である.
16
カブールは,この写真の上方はるかかなたにうっすら見える山脈と手前の
山々に囲まれた平地にある.
(国連機上より撮影)
カブールは遠くから見ると,山々に囲まれ,木々も多く美しい街である.
17
カブール市内のいたるところに破壊されたままの建物が残されている.
街の中は,無惨な建物ばかりだが,多くの人々でごった返し活気がある.
18
インターコンチネンタルホテル.ずいぶん先まで予約で一杯.ここに宿
泊の予約を取るのは大変難しい.
カブール市内における地雷除去跡の穴
19
カブール大学構内.緑多く,広大なキャンパス.
学長室にて.右から Popal 学長,望月教授,田谷教授,日本国大使館篠塚書
記官(島田教授撮影)
20
学長室にて.左から:田谷教授,Mohsini 農学部長,Ahmad 獣医学部長,
中久喜専門員,望月教授,島田教授,Popal 学長,篠塚日本大使館書記
官,Mukhtar 学長秘書,日本大使館現地職員
来日予定留学生 9 名 (1 名遅刻のためこの写真には含まれず.
)
21
我々の今回の宿舎,Silk Route. 一人 1 泊朝食つき(夕食なし)で US$90.
設備は粗末で,シャワーからの湯も深夜にならないと出ないのに法外に
高い値段である.需要と供給の関係が値段に見事に反映されている.ち
なみに 教師の月給が数十ドルである.
宿舎の夕食.野菜スープ,ラム肉じゃが,チャーハンのようなライス,ナン,
清涼飲料水一缶.りんごと葡萄.野菜スープは結構味が良かった.
22
Fly UP