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河井支部長・随筆 Part 2/4 [ 2009/10/17 ]
旅 の 空 河井竹彦 昨年4月に財団法人下水道業務管理センターへお ました。しかし、子供は、不思議と自分の母親がわ 世話になり、約 1 年が過ぎようとしています。予想 かるとも言っていました。 外に多かったのが、海外出張でした。訪問した国と 2 ネ パ ー ル 個人的に興味のあった事柄をご紹介させていただき ます。 8月 16 日(土)に成田を出発し、バンコクでトラ 1 サウジアラビア王国(1) ンジットのために 1 泊し、翌日午後にネパールの首 平成 20 年6月 19 日(木)夕刻、羽田空港から関 ローアップのための出張で、8月 22 日(金)までの 西国際空港経由エミレーツ航空でドバイに翌日早朝 7日間の旅でした。 到着。夕刻までホテルでトランジット。夜にリヤ ネパールは、長らく続いた王国から共和政体へ変 ド到着。6月 27 日(金)に帰国するまでの9日間の わって1~2年ほどのころでしたが、政情不安のた JICA プロジェクトの調査団の一員としての旅行で めに、多くの避難民が首都カトマンズへ集まってき した。 ており、水道水をはじめ社会インフラが不足してい 産油国サウジアラビア王国は、油と砂漠の国、と るとのことでした。 いった印象しかなかった国でした。夏の盛り前の時 泊まったホテルは、ホテル・ヒマラヤでしたが、 期でしたが、日中の気温はすでに摂氏 42 度。緑の 三種類の水を利用しているとのことでした。つまり、 少ない風景が最初の異国の印象でした。また、休日 一般の水道水、地下水をろ過処理した水、遠くの谷 が木曜日と金曜日で、土曜日から働き出すのに少々 間からタンクローリーで運搬してきた水。水道水、 戸惑いました。 地下水は、ホテル内の各部屋で使われるようですが、 水道水の約 50%以上が海水淡水化施設から供給 タンクローリーで運搬してきた水は、水泳プール用 されています。今回の JICA プロジェクトも下水道 に使っているようでした。 施設の維持管理の効率化であり、下水処理水の再利 訪問した時期は、原油価格が高騰していた頃です 用も主要なテーマでした。もともと水の少ない場所 が、ガソリンスタンドには、給油を待つ自動車と二 へ水を搬送し、消費し下水道を通じて排水されます 輪車の長蛇の列を見かけました。ガソリンは配給制 が、その行き先はワジと呼ばれる枯れ川です。地下 であり、給油すること自体が大変な様子でした。 (写 水汚染の発生しているところもあるようでした。 真−1) イスラム教ではムハンマドが、 「女性は彼女のプ 街中にはいたるところに小さな寺院や祠があり、 ライベート・ゾーンを隠し、近親者以外には見せな 早朝にお祈りをささげる人々を見かけました。多く いようにしなさい」と言ったことから、今猶保守的 の人々は、敬虔なヒンズー教徒です。カトマンズ市 なイスラム社会では女性は頭をふくめた体を隠す服 内を流れるバグマティ川は、ガンジス川につながる 装をすることが多く、買い物をするモールなど戸外 支流で、聖なる川と大切にされてきましたが、近年 で女性は黒い装束をまとっています。夫婦でも待ち 水質汚濁が深刻になっています。市内の有名な寺院 合わせ場所で自分の伴侶を識別できないこともあ で亡くなった人を荼毘に付し、聖なる川へと流す光 り、夫は携帯電話で確認することもあると聞かされ 景に出会いました。 58 管路更生 No. 10 都カトマンズに到着。JICA集団研修の研修員のフォ の人民元への通貨交換でした。ほかの国 ではホテルのフロントで通貨交換はで きたのですが、ここではできず、近くの Bank of China を紹介され、事なきを得 ました。世界でも指折りの外貨準備高の 中国で、通貨交換が厳しく管理されてい る一端を経験したように感じました。 朝夕の通勤時間帯には、自動車が道路 にあふれるのは、日本でも日常の風景で すが、鄭州でも同じように交通ラッシュを 見かけました。しかし、バイクの騒音が 少ないのが奇妙でした。よくよく見てみ ると多くの二輪車は、電動二輪車でした。 排気ガス、騒音の少ない交通ラッシュ風 (写真−1)給油を待つバイクの列(カトマンズ市内) 景でしたが、静かに背後から迫る二輪車 カトマンズ郊外には、棚田が広がり、青々とした には、慣れないと脅かされました。 水稲が夏風にそよいでいました。日本の農山村風景 この地方の特産品は何かと質問したところ、 棗 (な を思わせる眺めであり、アジアモンスーン気候に属 つめ、デーツ)のドライフルーツと言われ、驚きま していることを実感しました。 した。というのも、サウジアラビア王国の原油以外 の名物もデーツのドライフルーツであったからで 3 中華人民共和国 す。同じような風土なのかと不思議な思いになりま した。 10 月 14 日(火)の早朝、成田空港を出発し、上海 虹橋(ホンチャオ)国際空港経由で河南省鄭州国際 空港に夕刻到着。10 月 17 日(金)に帰国する三泊四 4 サウジアラビア王国(2) 日の旅でした。アジア太平洋水フォーラムのナレッ 再度のサウジアラビア王国は、年が明けて1月 ジハブに関する会合に出席するための出張でした。 30 日(金)夕刻羽田発、関西国際空港経由、ドバイ 鄭州は黄河中流域、夏、殷、周など中国古代の国々 でトランジット、31 日(土)の夜、リヤド到着の日 が勃興を繰り返した中原に位置する河南省の省都で 程で、2月6日帰国の8日間の JICA 調査団の一員 す。河南省の人口が約 1 億人、鄭州の人口が約 700 としての旅でした。 万人と言われています。空港は真新しい大きな国際 JICA プロジェクトの締めくくりの総括セミナー 空港でした。空港から市内中心部までは、片側2車 が主要な仕事でした。気温は、日本の初冬といった 線の高速道路で結ばれていました。夕刻の市内は、 感じで、朝夕は肌寒く感じられました。空気もいく 通勤ラッシュで混雑していましたが、信号機に赤信 らか澄んだ感じで、前回のようなざらついた感じは 号、青信号の残り時間の秒数表示があり、新鮮な驚 ありませんでした。少ない緑の中に花々が多く咲い きを感じました。 ていたように思いました。 ナレッジハブの会合は、アジア開発銀行と黄河水 緑を維持するためには、降水量の少ないこの国で 利委員会の共催でした。黄河水利委員会は、黄河の は、木立や芝生には、水遣りのための配管が細かく 水量、水質の制御を担当する組織です。黄河におい 施され、タイマーで散水されていました。葉の表面 ては高度化する水利用のため、水の流れない「断流」 の埃が雨などで流されず、みずみずしい緑ではなく、 と呼ばれる状況が 1997 年には年間 226 日あったと言 白っぽい緑の風景ですが、それでもほっとする気持 われていますが、この組織の精力的な活動の結果、 ちになります。 1999 年以降 7 年間にわたって断流を解消できたこと サウジアラビア王国の訪問前には、経路としてア が会合で報告されました。 ラブ首長国連邦のドバイ経由となります。ドバイは、 河南省鄭州のホテルで戸惑ったのは、ドル紙幣 800 メートルを超える「ブルジュドバイ」のビルに 管路更生 No. 10 59 象徴されるオイルマネーで発展を続けている都市国 産業ですが、その消費地が世界くまなく広がってい 家です。前回も今回も建設の熱気は同じように感じ ることが実感されました。 られました。日本企業の共同体が建設施工を行って また、この島には、戦後日本からの移住者が入植 いる都市交通のモノレールも最終段階になっている しました。ハイチとの国境沿いに多く入植先が設定 ようでした。 されたようで、ご苦労の多いことだったようです。 今回は、建設作業員用に用意された宿舎、レイ 一部、標高千メートルほどの CONSTANZA 地区へ バー・キャンプの下水浄化施設を見学する機会があ 入植した人たちは、野菜や果物の栽培で成功してい りました。日本メーカーの膜分離活性汚泥法が採用 るようです。また、この地区では、日本の柿が栽培 され、その処理水は、雑用水としてタンクローリー され、地元での名前も「カキ」と呼ばれているよう で搬出されていました。 です。サンチャゴ市長さんも季節になれば、味わう ためにこの地区へ出かけるとおっしゃっていまし 5 ドミニカ共和国 た。 2月は、カーニバルの季節でした。日曜日ごとに 2月 11 日(水)夜、成田発ニューヨークで一泊の 夕方から夜にかけてパレードが行われ、賑わうよう トランジット、翌日午後、ドミニカ共和国サント・ です。有名なブラジルのリオのカーニバルとは異な ドミンゴ到着。2月 22 日までの国土交通省の調査 り、牛をかたどったお面をつけ、牛追いの鞭を鳴ら 業務による 11 日間の旅でした。 しながらのパレードを見かけました。サンバを踊る この国は、カリブ海に浮かぶイスパニョーラ島の グループもあり、その音響には圧倒させられました。 東側三分の二を占める島国です。この島は、インド (写真−2) を目指したコロンブスが 1492 年に発見し、上陸した この一年足らずで経験した海外の旅を簡単に紹介 島です。コロンブス親子三代が過ごしたと伝えられ させていただきました。いろいろな風土と国があり、 る石造りの建物が世界遺産として残されています。 さまざまな人が暮らしています。それぞれの状況の 今回の調査対象は、首都サント・ドミンゴから約 中で真剣に下水道に取り組んでいる人たちと交流で 150 キロメートル離れたサンチャゴ市の雨水排水で きたことが最大の成果だったと思っています。今後 した。この二つの都市は、ハイウェイで結ばれ、3 ともこの関係を継続していきたいものです。 時間足らずで行くことができます。結構自動車も多 く、その約7割がアメリカ合衆国で生産された日本 車であるといわれています。かげりの見える自動車 (かわい・たけひこ ㈶下水道業務管理センター 常務 理事兼業務部長) (写真−2)カーニバルのパレード(サンチャゴ市内) 60 管路更生 No. 10