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はじめに

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はじめに
曲
-
而
はじめに
Ⅰ
め
じ
Ⅰ
透明な車椅子用 テ一 フル (エステ
シュン ド の短期滞在施設で )
0 立 佐保持が安定するように 附載せ 台と 把持取っ手
が取り付けられた 歩行事 (ヤプ レ )
0冬の長いスウェーデンならでほの
職員用の タ ニン
クマシーン (ヤウレ のケア付き特別住宅で )
0 足元が見やすい
それまで自分が抱いていた日本の福祉現場イ
のメージと現実の間にある種の違和感が芽ばえ
たの
ところが、翌年、大学の演習の一環として特養
別護老人ホームで一か月間の実習をしたこで
と、
事情どころか日本の臨床現場の実情すら知らか
なったからである。
当時の私にとっては、社会福祉はあくまで教書
科や本のなかだけのものであり、スウェデ
ーンの
彼女の言葉は、どこか印象に残りつつも、そ後
のしばらくは頭から離れていた。というのも、
祉事情を知ったうえでの発言なのか
?﹂と切り替えされたのである。
青した。すると、間髪を入れずある女性から﹁
、それは、たとえばスウェーデンのよう国
なの福
自由競争の原理で考えるしかない。あえモ
てデルる挙げるならアメリカではないだろうか﹂発
と
と議論をする機会を得た。私は
、何の迷いもなく、﹁福祉もほかの産業と同じように、いゆ
わる
いたが、その夏のゼミで・﹁世界の福祉と日
の本
福祉のこれから﹂といったテーマで数人の学
生
療や福祉の分野とは違った仕事をしなが佛
ら教大学︵京都市︶の通信課程で社会福学
祉を学 んで
スウェーデンという国を初めて意識したの今
はから一五年ほど前のことである。当時私、
は医
ま
である。さらにその翌年、大学修了と同時に実 習で 興味を抱いた理学療法士になるために
要
只の
小金井市にある﹁社会医学技術学院﹂ 日三く へ羊
ま毛・コ0
日日色 号甘へ,の㏄
俺 こという専門学校 の夜
20
具体的な矛盾として 捉えられるようになってきた。そして、それ が理
間部に通いつつ、当時のいわゆる老人病院で リ ハビリテーション室の助手として働きはじめ たこ
ろから、その違和感が
白 なのだろうか、あの夏のゼミで言われた女性 の言葉が鮮明にフィードバックされるよ う に なっ
ていった。
それ以来、スウェーデンの社会制度や福祉につ いて書かれた本を読みあさるようになった。 そ
ンの 挑戦 レ ︵岡沢憲美著、岩波新書・一九九一 年︶と﹁クリッパンの老人たちスウェー
デン
デ
して、私のスウェーデンへの想いは徐々に確か なものになっていった 0 なかでも、﹁スウェー デ
の高齢者ケア﹂︵外山義 著、ドメス出版、一九 九 0年 ︶は、当時から今に続く私のスウェー
志向を決定づけた二冊であると言っても過言で ない。前者では、スウェーデンがいわゆる﹁ 生活
大国﹂への道を歩むようになっていった背景 や理念、そしてそれを実現していくための社会 制度
の整備過程について初めて系統だった理解を得 ることができた。後者では、一九八 0年代まで の
スウェーデンを描いたものであるにもかかわら ず、 私がこの本を初めて手にしたときの一九九 O
かくせん
年代後半の日本と比較しても、すでに途方に暮 れるほどずっと先んじているスウェーデンの 高齢
000
年である。スウェーデン ヰ
者 ケアの現場の様子に 惇然 とさせられた。そし て、当然のごとく、まだ 見ぬ スウェーデン ヘ の想
いが日に日に募っていった。
スウェーデンと直接の関わりをもちはじめたの は 六年前の二
おける高齢者のケアとリハビリの現場をこの 日 で見たいという想いがいよいよ抑え切れなく なっ
ているべ オ ・エクベリ弓の 0し寸汀品と氏 とい,っス
ていた私は、単独での﹁ケア・リハビリ研修 旅行﹂を計画しはじめていたが、ちょうどその ナ﹂ろ、
日本在住で環境コンサルタントとして活躍し
ウェーデン 人と知り合った。私は彼に、スウェ 1デ シならどこでもよいので、高齢者のケア やリ
ハビリについて研修できるところを紹介しても らえないかとお願いした。その結果、彼がよく 知
る スモーランド地方の中堅都市であるヴェク シ ョーという街に滞在することになった。
私自身が立てた計画は約八 0日間︵一一週︶の 滞在計画であったが、出発前に研修 地として 紹
つたところは、ヴェクショー 湖畔にある回復期の成人および高齢者向けの リハビリテ
うのかということを抽出できぬままの帰国とな
った 。
スウ
など、実にさまざまな日本との違いに圧倒され つつも、いったい何が日本とスウェーデンで はぬ哩
当時の私の力自重では、スウェーデンの臨床現場の様子や理学療法士、ケアスタッフらの職場 環境
レえ
、、
までの理学療法を中心としたリハビリテーショ ンの 現場を広く研修することができた。とは 、
エーデン八女性を紹介してもらった。そして、 彼女らの協力もあって結果的には成人から高齢 者
は 現地に着いてからということになり、当時、 ヴェクショーで小さな旅行会社を営んでいた
| ションセンター と街 なかに近いデイリハビリ センターなどの四週間分であった。残りの セ週間
㏄介してもら
よ
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そして、それからの五年間、ヴェクショーを 足がかりにスウェーデン と
日本の現場を往復しながら、その本質的な違 いを 探す旅をはじめることと
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った。これは、重い一次 障
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い,
ユ若人はいないのではないかとも思う﹂︵若い
療
齢 者のケアやリハビリの現場で働くスタッフに 片っ端から見せて回った。彼らの反応は 、大 きく
分けて次の二つであった。
﹁自分では見たこともない。おそらく、こう
法士 および看護助手︶
00
四年の初め、私は、スウェー
デ シにおける重度障害者の生活について自分
ス
な
﹁二 0年 以上前に見たことがあるし、担当した 記憶もある。今でもスウェーデン中を探せば ど こ
その翌年の二
りに納得のいく取材をしてみようと考えるよう になった。そして、臨床現場に深く入り込み、
する
@@
目し
ウェーデン 大 同士の会話をできるだけ正確に聞 き 取るためにスウェーデン語もその後の一年 間で
いである︶。とはいえ、そう 簡単にマスター
かなり勉強した︵本文のなかでも、臨床現場で 聞き取ったそのままのスウェーデン語を所々
したので、その臨場感を感じていただけたら 幸
ことはできないので、制度的な部分の聴取など のようにより複雑な会話が要求される場面では 英
-1
︶一般病床と療養病床をあわせもつ病院のこと。
三口
仮から栄養摂取のための
管を
入れられ、重度の四肢拘縮に
陥った日本の
高齢者の姿
ところで、私は前述した東京での老人病院での 勤務ののち、仙台では 療
一
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養 型、そして現在は大阪でケアミックス型の病 院 に勤務してきているわけ
う
こかにいるのかもしれないが、最近は見た ことはない﹂︵年配の療法士および看護助手︶
め
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ま
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と
だが、どの現場においても必ず目にしてきた のが、いわゆる重度の拘縮
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(そう
︵一九ぺージの注 6を参巴で 手脚が固まって 褥瘡ができ、長期にわたっ
は
デ ンを 訪れた際に、重度に四肢が拘縮して、
てが離席
三年、四度目にスウェー
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栄養の管を入れられたお年寄りの姿であ
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管を入れられて べッド に横たわっている日本の お年寄りの写真を、スウェーデンの成人およ び高
そこで私は、
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害を負った人が べッド 上に寝かされている時間 が長 いことにより づくられ
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サービスアパート・一般アパート・ 二円建て
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五月一八日︵水︶アパート訪問と認症
知フロアでの一場面
五月一七日︵火︶一戸建て住宅を訪問酩
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記
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録
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ヴェクショー中央病院の急性期と回
1セントラルヒーティングによる暖房システム鰻
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五月一六日︵月︶アパート訪問とデイスペーで
スのアクティウィティ
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ゆ ダル ポ の地域ケアとリハビリ
1夜間パトロールチーム 舘
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1個人のための補助器具 綴
|
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五月一九日︵木︶再び、エーリッと
クエーウァを訪ねる
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ルアーテュールを訪ねる
五月二0日 ︵金︶再び、シェと
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超急性期からのリハビリ開始
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五月二六日︵木︶入院および外来患者の臨床面
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ドン唯一の都市
簿 モーバッカのケア付き特別住宅Ⅲ
住居とケアの確保はコミュー
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援管理者インガリル・カールストレムヘのインタビュー
め マリエルンドの在宅リハビリ一般 アパートと 一戸建て
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法に支えられる1
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町を望む
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シャスティンの一日︵六月二九日米
・ ・晴れ︶
スティークの一日︵六月三0日 ・ホ ・晴れ︶
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認知症専門の住宅
街を歩けば、歩行草と車椅子に
出会う
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ニア湾を望む港へ
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から歴史
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9 家族支援事業11障害者の家族を支る
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*目昧的な活動内容
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*ヴィラ・ミルボー
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ゆ スウェーデンにおけるケアの民間委託とは? 弼
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壷在宅緩和医療ケアチームに支えられるロバート・グスタフソン
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ヴェクショーは 、数々の美しい森と湖で知られ る スウェーデン南東部のスモーランド地方の や
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や南に位置する人口約 セ 万人のコミューンで ある。﹁驚 Qo﹂
oと呼ばれるスウェーデン 版新幹 泉
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で、首都ストックホルムからは南西へ三時間半 、デンマークのコペンハーゲンからなら北東
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木0屯臼㌧0年と﹂、﹁オレフォシ ユ ︵0 自印
時間半のところにある。ここ ヴエ クショーから カルマルにかけての 一廿市は﹁ガラスの王国お ︶
P㏄・
痔色 ﹂と呼ばれ、日本でもファンの多い﹁コス タ
スモーランド地方を代表する街である。
ひ﹁の︶﹂などの世界的にも有名なガラス製品を
生み出しているガラス工房が点在しているが、
エクショーはその西の玄関 口 としても知られ、
スモーランド地方は、一八 00 年代半ばから 一九 00 年代前半にかけて、その不毛の土壌 ゆ,
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上の最小区分である。したがって、正式には﹁四手甲 の手の二だが、通常
﹂で、ここでは 高鈴音ケアに関する行政
ロず碑
国詰大学デンマーク語・スウェーデン語研究室編、早稲田大学出版部、二
地方行政区である 宅スウェーデン・デンマーク福祉用 語小事典﹂大阪外
行政体、地方自治体であるのに対して、レーンは王に国の出先機関、国の
くコランスティン グ との 違 いが分かりにくいが、ラン スティン グ が広域
フンド・レーンを 除
ランスティン グとほぼ同じ地理的区分である︵ゴッド -
その担当業務が大きく異なることに注意しなければならない。レーンは、
場合が多いが、ランスティングは王に医療を担当しており、日本の県とは
宙ぎ- がある。ランスティン グは広域行政体という意味 で、県と邦訳する
ちなみに、他の行政単位としてランスティング 宙目 ㏄口斡
目こレし
レーン
にあたる基礎的自治体である。
ル力単位﹂がある 0 駅からは ニキロメートル ほ どの閑静な住宅街である。
力通りに出る。そこからさらに 五 00 メートル ほど歩くと、通りと同じ名前の目的地である
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﹁ビ
える ドーム教会を真下から眺めながらリネー 通りを東に折れてヴィラ通りをしばらく歩くと ビ
北の大地特有の 、形のよい白く低い雲をのせた 抜けるような青い空を背景にして、 空高くそ び
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し 単位はスウェーデン語で﹁の
浸
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で、
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セ ページの本文でさらに 解説を加えてある。
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に、スウェーデンのなかでももっとも多くの 人 々が海を越えてアメリカ ヘ渡った土地としても 口目
継が
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﹁ビル力 ﹂とだけ呼んでいる。
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ヴェクショー
湖畔の並木道
られて
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4
5
第 1 章 ヴェクシ
6
7
ビル 力 のケア付き高齢者 住宅と緩和ケア住宅
Ⅰ
﹁あなたはマコトですね。私はミリアムです﹂
本日会う予定となっていた責任者のミリアム
いた。温かいコーヒーと小さな 甘 パンをご馳走 になりながら、さっそく本題に入った。
私がビル力苗守 もでしたいことについては 、 私の友人であるスウェーデン人の理学療法
また、管轄は異なるが、同単位内には﹁一次 医 南原クリ二
が多 い0
隣 の一般アパート、および一戸建てに住む高齢 者を含む場
あるが、一般的にはビル 力 のようにケア付きの 集合住宅 と
|二 0か所ほどあり、それぞれの単位によって 若干の違い
れている。こういった高齢者単位はヴェクショ | 全域に一
宇宙時よ 0の巨の︶﹂と﹁緩和ケア住宅 宙曲︶@曲
︶由セ
0び
のコ隼の︶﹂
らなると﹁サービスアパート 宙0まり①ゴ岸
③﹂で構成
と
度の障害をもつ高齢者を対象とする﹁ケア付き 高齢者 住
なっている﹁ビル 力﹂とはその南東地区内にあ る古同齢者
ヴェクショーコミューンは、高齢者ケアについ ては行政上﹁北西地区﹂と﹁南東地区﹂の 二 つ
ある。
じっくりと私の話に耳を傾けながらいずれも 快 く承諾してくれた。いよいよ、取材のはじま りで
ついても随時取材したいことなどをスウェー デ ン語 と英語で伝えた。ミリアムもガブリエラも
の様子をできるだけ詳しく取材したいこと、 さ らには、 彼 ︵
女 ︶らの職場環境や労働条件など @@@
ほ ついて知りたいこと、次に、今日から二上一 一日かけて、看護助手に付いて回りながら臨床 現場
自身から具体的に説明することにした。まずは 、ヴェクショーにおけるビル 力 の制度的位置 づナ
・|
イェーテ・ヘルス ィエン ︵のむ︵の下色コ
ぼ
︶かから ミリアムに事前に伝えられていたが、改めて、 私
士
今日一日私の案内役を務めてくれるという看護 助手のガブリ ェラ 再生ま 臼しがすでに待機 して
デ シでは一般に 、初めからファーストネームで 紹介しるう。ミリアムの事務室に案内されると
曲 昼のこであった。スウエ
クライン︵ 旨占目
その建物の周りを回っていたのが事務室の空か ら 見えたらしい。
こう に女性がすでに出迎えに来てくれていた。 どうやら、私が入り口を探しながら一度ぐるり
約束の時間通りにケア 棟 一階の正面玄関からなかに入ると、奥の事務室へと通じる 内 ドアの 向
十趨
ク ?半色のコ
の
甘し﹂、﹁薬局すつ0汀巴 ﹂、﹁リハビ リテーショ
ビルカ のケア棟
か
さ
は 五
合近
ッ
ン
第 1 章 ヴェ
8
ヴェクショー
9
第 1章
者︵ダウン症など︶用グループアパー
室 ︵﹁p
の︶
*
す︶﹂、﹁保育園︵守也の︶﹂、﹁成人陸生日
@
薄目もです
0の
巨色の
﹁︶﹂などもあり、それらは背の低い木製の柵で区分けされているだけで互いに た行
き 来しやすくなっている。このような単位のつ くり方は、スウェーデン全土においてほとん ど同
ミ口
、サービスアパートに住む五 0 人 ︵定数五 0 ︶の 計
現在、ビル 力 のなかで何らかのケアを必要とす る高齢者は、ケア付き高齢者住宅の 一三人︵ 定
じと考えてよい。
敏一三︶ "緩和ケア住宅の一一人︵定数一ミ
セ 四人である。
軸叩咬巳
そのなかで今回紹介するのは、とくに重度の ケアを必要とするケア付き高齢者住宅と緩和 ケ ア
をもっ高齢者が住む集合住宅である。日本の 施設
住宅の入居者である。先にも記した よう に、ケア付き高齢者住宅はスウェーデン
でいえば特別養護老人ホームにもっとも近いが 、その建物の造り、人員配置、ケアの内容など が
大きく異なると思われるので、あえて忠実に﹁ ケア付き高齢者住宅﹂と訳した。そして、 緩 和ケ
である。重度の障害を抱えているか、もしくは 末
る
障 生口
期 癌などのために症状をコントロール し、苦痛を 和らげる必要のある高齢者︵ときに六五歳 以下
の成人者も含む︶が住むところである。ケア 付き 高齢者住宅とは階段でつながっており、部
造り、繰り広げられるケア内容などは双方とも ほとんど同じである。
﹁はじめに﹂でも記したように、この本の最大 の テーマは、スウェーデンでも重度の二次
とよ
(そう
@Ⅰと
︵重度四肢拘縮、圧迫褥瘡、長期鼻腔 経 皆朱養など︶をもっ人々が日本と同じように存在す
こ
@つ
、看護助手に付いて 回
のか、もしそうでないとすれば、どのようにし てそれは予防されているのかを明らかにする
ぺ ージの資料 1 1 1 と表 1 1 1 を参巴
である。そこで、まずはケア付き高齢者住宅 と緩和ケア住宅の入居者の疾患名と障害の状態
いて情報を収集したりえで︵ 次
ながら、日勤帯の午後のシーンと職員数の少な くなる深夜勤時のケアの様子をじっくり観察 させ
てもらうことにした。
ウンデルフ@
エ
テシ
ユカ
ここで、先ほどから何度か登場している﹁看護 助手﹂という職種について事前に解説してお き
コⅠ﹁のの﹂と呼ばれている職種で、スウエー デ シの看護・ケア現場の最前線でもっとも 重 要な
ツ
Ⅰ
の
紺主 、英語では﹁ ヒコ年の﹁コミのの﹂とか
拐﹁m
紳﹁
む汀﹁
たい。看護助手は、スウェーデン語で﹁ けコネの
6ま
役割を果たしている。仕事の内容は、褥瘡や傷 の治療、採血、写楽、インスリン注射、検温、 血
せいしき
圧測定、ルーティーンのリハビリ、移乗介助、 清拭・シャワー介助、トイレ介助、食事介助 など
で、医療的治療から身体的なケアまでと幅広い 仕事をこなしている。
0目せ苧億オむ
︵のオ
﹁
曲
のごとでも 表
﹁スウェーデンの看護助手は、その職域の広さ から﹁ケア看護 師 ︵
。
現するほうが仕事の中身にあっているのではな いか﹂と、ガブリ ェラ は 丑ロぅ
ちなみに、日本にはこの看護助手にあてはまる 職種がない。あえて言うなら、日本の看護 師 と
介護福祉士を足して二で割ったような職種とい うことになろうか。
著者紹介
山口 文人 (やまぐち・まこと
)
1965 年、 北海道生まれ。
理学療法士。
社会福祉士。
狗協大学覚国語学部英語学科
中 退 後、 アルバイト生活をしながら、
佛教大学社会学部社会福祉学科
(通信教育課程
) 卒業。
その後、 社
会 医学技術学院理学療法学科
(夜間部
) 卒業。 東北大学大学院医学
系 研究科障害科学専攻
(病態運動学講座人間行動学分野
) 前期博士
課程修了。
障害科学修士。
東京、 仙台で当時の
いわ める老人病院と
老人保健施設に
勤務した後、
大阪府立看護大学医療技術短期大学部理学療法学科
(現 、 大阪府立
20
大学総合リハビリテーション
学部理学療法学専攻
) 助手を経て、
㏄年に高齢者のケアとリハビリについて
学ぶため、
長年想いを抱い
- デ シ を初めて訪れる。
印 その魅力の虜となり、
以来
ていたスウェ
毎年訪問を重ね、
2OnS 年で六度目となった。
2皿
0年より、
医療法人
錦 香会仮相第二泉北病院リハビリテーション
部 に勤務。
日本の理学寮油土が 見たスウェーデン
一福祉先進国の臨床現場をレポート一一
2006 年
4 月 2R
日
初版第
(検印廃止 )
1 利発行
きき
山
口
真
人
髪諸
武
市
一
幸
届
㎎
㎎
丘Ⅰ
93
落丁・乱丁はお 取り替えします。
定価は ヵバ 一に表示してあ ります。
38
323
02
26
0%
2l
〒 lBg. ㏄ 51
東京都新宿区西早稲田
3-16-28
http://www.shinhyoron.cojp
@ フオレスト
製本
装偵
清水製本プラス 紙工
山田英 春
Printed@in@Japan
⑥山口真人 2006
ISBN4
一
7948 円 698 一
1 C0036
Fly UP