...

科学技術振興調整費 成果報告書 - 「科学技術振興調整費」等 データベース

by user

on
Category: Documents
124

views

Report

Comments

Transcript

科学技術振興調整費 成果報告書 - 「科学技術振興調整費」等 データベース
科学技術振興調整費
成果報告書
科学技術政策提言
S-T-I ネットワークと新産業創出:
新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
研究期間:平成13年度~14年度
平成 15 年3月
独立行政法人経済産業研究所
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
研究の概要
p.1
研究の詳細と参考資料
1. S-T-I ネットワークの定量分析
p.6
2. S-T-I ネットワークと中国のイノベーション・システム~
新たな産業創出を支える制度改革~
p.46
3. バイオテクノロジー分野における知のネットワーク:
アメリカのバイオベンチャーの事例
p.89
4. マイクロ・ナノ・システム・テクノロジー分野における知のネットワーク:
スイスの事例
p.98
5. バイオテクノロジー分野の S-T-I ネットワークに関する調査・分析
p.123
6. ナノ・マイクロテクノロジー分野における知のネットワーク:現状と課題
p.144
7. 科学技術政策決定メカニズムに関する調査
p.162
8. 欧州連合における科学技術政策:
コーディネーションとコーポレーション
p.170
9. 結論と提言
p.208
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
研究の概要
■目 的
現在の科学技術政策フレームワークは、技術革新と新産業創出を生み出す科学技術システムを一局面としてしか捕らえ
ることができず、これが包括的かつ有効的な科学技術政策を打ち出せない要因となっている。そこで、本研究は、科学
(Science)、技術(Technology)そして産業(Industry)をつなぐ知のインターフェースを包括的に捕らえる S-T-I ネットワー
クの分析を踏まえた政策研究を基に、わが国における「科学技術システム改革」の方向性を示唆することを目的とする。
■内 容
まず、インタビュー及びアンケート調査を主体として、特定の分野(例えば、バイオテクノロジー、ナノ・マイクロテクノロジ
ー)のわが国の S-T-I ネットワークの現状をサーベイする。次に、諸外国の S-T-I ネットワークとの比較を行うことによりわが
国の問題点を明らかにする。以上では、比較可能とするため、定量的なデータ(研究開発費、論文データ、特許データな
ど)を用いることとする。最後に、上記結果及び日本の経済社会的な現状を踏まえ、今後、わが国が取るべき科学技術政策
を提言する。
■ 推進体制
本調査研究は平成13年度と14年度の2ヵ年で行い、その調査研究体制は別添1のとおりである。また、本調査研究に対
して、様々な意見を拝聴するため、独立行政法人経済産業研究所を事務局として、産学官、マスコミ等の方々から構成さ
れる推進委員会を開催する(別添2)
■ 研究概要
(1)S-T-I ネットワークの定量的分析
(第Ⅱ2章参照、担当:経済産業研究所 玉田俊平太、東京大学 玄場公規)
STI ネットワークの定量分析を行うため、特 S-T-I ネットワークの定量分析を行うため特定定の技術分野の特許をサンプリ
ング抽出し、そこに引用されている論文に着目して分析を行う。すなわち、論文を科学的知識、特許を技術的知識及び産
業化の知識であると考えれば、S-T-ISTIのリンケージの強近さを定量的に分析する事が可能となる。ある分野の特許が引
用している論文の数が多ければ、その技術分野は科学とのリンケージが強い近いと解釈できる。さらに、本研究では、引用
された論文の著者のデータベースを作成し、分析を行う。これにより、S-T-ISTIネットワークの構築を検討する基礎資料を
提供することが可能になる。
特定分野として、バイオ・環境・ナノテク・IT・環境分野を同様同一の手法により分析し、各分野のサイエンス・リンケージ
の違いを分析することとする。また、著者の所属機関を分類することにより、し、大学・公的研究機関・企業など機関に着目
した S-T-ISTIネットワークの分析が可能になると考えられる。
(2)諸外国との比較研究に関する調査
①S-T-I S-T-I ネットワークと中国の産学「合作」~新たな産業創出を支える制度改革~
(第Ⅲ3章参照、担当:経済産業研究所 角南篤)
主に中国の「S-T-IS-T-I」ネットワークの全体像をつかむための調査を行った。調査した主な対象は、①大学、②大学が
所有する企業、③サイエンス・パーク管理委員会、④代表的な企業研究所・R&D センターである。地理的には、北京、上海
近郊が中心になっている。
1
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
以上のようなヒアリング調査のほかに、北京の研究者や政府関係者との意見交換を頻繁に行い、基礎的なデータや未公
表資料の収集にあたった。
主な調査活動:
大学や大学が関連する企業などの特許データ収集
大学の研究者による論文数や引用件数の収集
代表的な大学関連の民営科技企業に対するヒアリング調査
大学のTLOやインキュベーター施設の運営者に対するヒアリング調査
校企合作委員会の活動や関連する産学共同プロジェクトの実施状況の調査
国務院教育部、科学技術部、及び北京市の関係者へのヒアリングとデータ収集
さらに、14 年度は北京・清華大学与企業合作委員会による対する調査請負調査を通じにより、中国の先進モデルである
清華大学がいかなる産学合作ネットワークを構築し利用しているのかを分析することになっていることからに関し、具体的な
事例研究を行った。
①バイオテクノロジー分野における知のネットワーク:アメリカの状況
(第Ⅳ4章参照、担当:経済産業研究所 原山優子・入本慶宣)
アメリカにおいてバイオ企業が発展している地域として、Genentech 社、カイロン社などの大手バイオ企業のあるサンフラ
ンシスコと、先進バイオ企業の集中したサンディエゴを擁するカルフォルニア州を挙げることができる。これらの地域に共通
するのはスタンフォード大学、カリフォルニア大学、カリフォルニア工科大学等、ハイレベルな研究大学・研究機関が集積し
ているという点と、技術シーズの事業化に際して大学からのスピンオフ企業が大きく貢献しているという点に特徴がある。
本調査では、バイオテクノロジー分野における大学と産業の相互作用をベンチャー企業の役割に焦点を合わせて分析した。
何故アメリカにおいて20数年の間にここまでバイオ産業が発展することが出来たのか、カリルフォルニア州の地域特有の理
由と、成功したバイオベンチャー企業 Amgen の例をもとに説明した。
②ナノ・マイクロテクノロジー分野における知のネットワーク:スイスの事例
(第Ⅴ5 章参照、担当:経済産業研究所 原山優子)
19 世紀から時計産業の中心地であったスイスのニューシャテル州は 60 年代にメカニック時計から電子時計へのシフトの
機を逃した。日本・アメリカからのプレッシャーをもろに受けることになったが、その後、地域活性化、時計産業再振興という
目標のもと産学連携の地盤が形成され、州政府・連邦政府のサポートにより、マイクロ・システム・テクノロジー(MST)の道を
歩むこととなった。
本調査は、ニューシャテル州における産官学連携をベースとするクラスター形成の成功事例を取り上げ、クラスター形成
要因・成長要因等を分析した。また MST に牽引されて地域産業が活性化されていったと同時に、ニューシャテルと他の地
域に所在する研究機関の間でネットワーク化が進んだことから、その実態も調査するとともに、近接地域に所在するサイエ
ンス・パークが果たしてきた役割も検証した。
(3)我が国の特定分野の S-T-I ネットワークに関する調査
①バイオテクノロジーに関する S-T-I ネットワークに関する調査
(第Ⅵ6 章参照、担当:経済産業研究所 中村吉明)
昨今、全世界的にバイオテクノロジー分野の研究開発が加速度的に進み、それらのビジネス化が進んでいる。日本もそ
の潮流の中にあるものの、そのバイオテクノロジー分野の現状が必ずしも明らかでない。そこで、まず各種公開データを用
い、その現状を明らかにした。その結果、米国と比較して産学のバイオテクノロジー関係のプレーヤーが少なく、学術成果
に関しても、他国と比較してインパクトのある研究成果を出しておらず、特許に関しても、日本の他の分野と比較して競争力
がないことがわかった。
2
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
さらに、日本のバイオテクノロジーの研究開発に関する制度的・構造的問題について整理した。具体的には、バイオテク
ノロジー分野のイノベーションに関するボトル・ネックを他の分野のイノベーション・モデルと比較して論じた。その結果、日
本のバイオテクノロジー分野では、特許化した発明をさらに実用化する機能に欠けているという点を指摘した。このような機
能は米国では、ベンチャー企業が産学の間に入って重要な役割を果たしているが、我が国では、そのベンチャー企業が
米国に比較して少なく、それがイノベーションのボトル・ネックとなっていることを指摘した。
②ナノ・マイクロテクノロジー分野における知のネットワーク:現状と課題
(第Ⅶ7 章参照、担当:経済産業研究所 原山優子・和賀三和子・戸津健太郎)
本調査では、ナノ・マイクロテクノロジー(NMT)分野に焦点を合わせ、産業と大学の間にいかなるリンケージが存在する
かを分析する。産学連携を実践することによりどのような派生効果が生じるか、連携による相乗効果が起こりやすい状況に
あるか否かを考察した。
NMT 分野を選択したのにはいくつかの理由がある。まず第二期の科学技術基本計画における重点分野の一つにナノテ
クノロジー・材料が入っており、NMT は産業力活性化への貢献が期待されている分野である。日本における NMT の研究レ
ベルは世界のトップレベルであり、技術シーズという点からは産業化に向けたポテンシャルを持つ分野である。
しかしこのような状況にありながら、MST の産業化においては、製造プロセスに多大な投資を要すること、デバイス作成には
多種の複雑なプロセスを組み合せることが必要であること、少量多品種の生産体制が求められること等、阻害要素が多分
にあることから、日本においては市場化に成功した企業の数はまだ限られている。よって、いかに NMT を産業化に結び付
けていくかが今後の大きな課題となる。現状を把握することにより、どこにバリアが存在するか、またいかなる対応策が可能
であるかを模索することを本調査の目的とした。
(4)科学技術政策決定メカニズムに関する調査
①需要表現と米国の科学政策(第Ⅷ8章参照、担当:経済産業研究所 児玉文雄、東京大学 玄場公規)
我が国の S-T-I ネットワーク創設に向けた基本設計を行い、新たな科学技術政策を提言するため、科学技術政策の決
定メカニズムを調査分析する。わが国においては、新規産業を創出するため、S-T-I ネットワークが構築することが急務と考
えられる。一方、米国においては、特にゲノム関連の分野で、S-T-I ネットワークが戦略的に構築されていると考えられ、他
の国を圧倒して産業化が進展している。そこで、今年度は基礎調査として、米国におけるゲノム関連の科学技術と産業化
の推移を調査した。分析の視点として、需要表現システム及びベンチャーの役割という二つの視点を用いた。需要表現と
は、潜在的な需要を汲み取り、技術開発目標に翻訳し、その結果、研究成果を統合し、技術開発課題を達成するプロセス
である。最先端の技術分野で、必ずしも需要が明確でない分野では、需要表現というプロセスが技術政策として必要であ
ると考えられる。米国では、国家が戦略的に需要表現というプロセスを推進した可能性があり、その分析を行った。また、ゲ
ノム関連の S-T-I ネットワークにおいて、米国では、ベンチャー企業の機能が重要と考えられている。すなわち、大学等公
的機関と企業などのリンケージを担う機能をベンチャー企業が担っているという仮説に基づき、米国の事例を分析した。調
査の結果、当初の想定通り、米国のゲノム産業の創出過程において、国家による戦略的な関与及びベンチャー企業の機
能が重要であることが分かった。ただし、需要表現については、国家が直接関与したのではなく、大学・ベンチャー企業な
どの連携及び競合によって実現されたのであり、連携・競合の環境を国家として整備したという役割が大きいと考えられる。
②欧州のベスト・プラクティスの調査
(第Ⅸ9章参照、担当:経済産業研究所 原山優子・角南篤)
学際的研究の重要性が高まり、また技術移転等を柱とする産学連携の強化が進められている今日、科学技術システムを
サポートする政府サイドにおいても、幾多の省庁にまたがる科学技術政策が打ち出されるようになってきたが、過去の縦割
り型政策決定からコーディネーション、コーペレイションをベースとする政策決定メカニズムへの移行は未消化な部分が数
多く残っている。
ベスト・プラクティスの一例として、文化、政治組織、利害の異なる 15 の国から構成される欧州連合を取り上げ、科学技術
3
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
政策を分析した上で、メンバー国における科学技術政策との位置付けを明白にし、いかなるコーディネーション・メカニズム
を用いて、科学技術政策における意思決定がなされているかを明らかにした。
第Ⅹ十章においては、以上の分析を元にわが国のSTIネットワークの課題とその課題を克服するための提言をまとめた。
■ 研究推進委員会名簿
赤羽雄二
テックファームアジアベンチャーズパートナーブレークスルーパートナーズ マネージングディレクター
小此木研二
武田薬品工業株式会社医薬研究本部研究推進部長
小田切宏之
文部科学省科学技術政策研究所総括主任研究官(一橋大学大学院経済学研究科教授)
神永晋
住友精密工業株式会社マイクロテクノロジー事業部取締役事業部長
後藤晃
東京大学先端経済工学研究センター教授
小林信一
文部科学省科学技術政策研究所総括主任研究官(筑波大学大学研究センター助教授)
高木靭生
日経サイエンス 編集長日本経済新聞社編集局科学技術部長
4
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
「S-T-Iネットワークと新産業創出:新しい科学技術のフレームワークを求めて」
平
成
13
年
度
平
成
14
年
度
(1)
研
究
推
進
委
員
会
等
の
共
通
経
費
相
当
機
関
経
済
産
業
研
究
所
(2)諸外国との比較研究 に関する調査
○米国における
S-T-I ネットワーク
に関する調査
◆担当機関
経済産業研究所
○S-T-I ネットワークと
中国の産学「合作」
~新たな産業創出を
支える制度改革~
◆担当機関
経済産業研究所
(3)わが国の特定分野の
S-T-I ネットワークに関
する調査
(4)科学技術政策決定
メカニズムに関する
調査
○バイオテクノロジーに関
するS-T-I ネットワーク
に関する調査
○ナノ・マイクロテクノロジー
分野における
知のネットワーク:現状と課題
◆担当機関
経済産業研究所
○需要表現システムの
概念整理
◆担当
経済産業研究所
○S-T-Iネットワークの
定量的分析
◆担当機関
東京大学工学研究科
○ナノ・マイクロテクノロジー
分野における
知のネットワーク:スイスの事例
◆担当機関
経済産業研究所
○欧州連合のベスト・プラクティスの調査
◆担当機関 経済産業研究所
○科学技術政策決定メカニズムに関する調査
◆担当機関 経済産業研究所
5
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
1. S-T-I ネットワークの定量分析
(独)経済産業研究所
玉田
俊平太
1. S-T-I ネットワークの定量分析
■ 研究の目的
①
科学(S)と技術(T)と産業(I)との関係
ソローは、物的資本蓄積の役割を明確にし、持続的経済成長の背後にある究極の推進力として技術変化の重要
性を協調した(Solow, 1956)。すなわち、経済成長(=産出量の増大)の大部分は、投入される資本や労働の増加
量に直接関係しているのではなく、単位労働あたりの資本の増加量によるとし、その資本量の増加は「技術変化
(technical change)」という外部要因によってもたらされることを明らかにした。ソローによれば、第二次世界
大戦後の米国経済の急激な成長の半分程度は技術変化によって説明可能である。
一方、公的サポートを受けた科学i(S)が技術(T)、ひいては産業(I)における経済成長の原動力となっ
ているということは、科学者や経済学者の間では広く認識されており、それが、政府が科学に対してこれまでに
実施してきた支援の大きな動機となってきた(Narin et al., 1997)。例えば、マンスフィールドは、もしも大学
における研究の貢献がなかったとすれば、新しい製品や製造方法の10%は起きなかったか、あるいは、大きく
遅れたであろうと推定している(Mansfield, 1991)。経済的価値をもたらす技術変化の源としての科学に注目が集
まるに従い、科学と技術変化との間のリンケージに関する興味も増大してきている(Narin et al., 1997)。大学
の経済へ及ぼす重要性についてもまた同様である(OECD, 1990)。つまり、長期的経済成長の要因は、労働や資本
の投入もさることながら、技術変化によってその多くがもたらされることが明らかとなっており、科学がその技
術変化をもたらすとされる要素のひとつとして認識されているのである。
② 日本特許分析の必要性
近年、技術変化の指標として「特許」を、科学の指標として論文等の「非特許引用文献(NPR: Non Patent
Reference)」を用いて計算した、特許1件あたりの引用論文等数、すなわち「サイエンスリンケージ」は、技術
に科学が与えている影響を理解する指標として、いくつかの留意点はあるものの、有効であると考えられている。
そのため、米国や欧州に出願された特許のサイエンスリンケージを計測することによって、特許と科学の関係を
解明しようとする先行研究も多数存在する。
だが、調査した限りでは、日本特許を対象としたサイエンスリンケージの研究は見つけることが出来なかった。
サイエンスリンケージに関する調査や研究については、主としてデータが整備されているという理由から、米国
特許を対象としたものが多い。欧州特許庁のマイケルらによる研究においても、特許の引用している文献の調査
に関しては、日本特許のデータの不備により、米欧のみの比較しか行われていない(Michel et al., 2001)。平成
13年度版科学技術白書でさえ、米国特許庁にイギリス、フランス、ドイツ、日本、及び米国内から出願された
特許のサイエンスリンケージを比較し、日本のサイエンスリンケージの値が5カ国中最低であることを理由に、
i
本研究では、科学を、「自然についての、人間の経験にもとづく客観的、合理的な知識体系であって、厳密な因
果性の信頼の上に観察と実験を武器にした専門的、職業的な研究者によって推進されている学問の総称(村上陽
一郎)」と定義し、その目的を「自然界についての新しい知識を(学術)論文という形で発表すること(吉岡斉)」
と定義する(カッコは筆者による。ともに平凡社世界大百科事典 第2版「科学」及び「技術」の項より)。し
たがって、本論文では、数学及び厳密に定義された専門用語の体系でもって定式化され、学問分野化した技術で
ある「工学」も、その成果物が論文という形を採る限り科学に含む。
6
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
「論文の成果があまり利用されていないことを示している」と結論づけている。この白書が引用したデータは、科
学技術政策研究所による「科学技術指標 2000」からのものであるが、元は CHI Research Inc.の National Technology
Indicators Database を利用したものである。つまり、世界3大特許庁の一角を占める日本特許庁のデータは、こ
れまで十分に調査研究されていないのである。
日本特許が十分に調査研究されていないのは、日本特許が重要でないからではない。むしろ、日本という米国
や欧州に比肩する国内総生産を持つ地域における技術変化のメカニズムを研究するためには、日本国特許庁に対
して出願された特許について研究することが必要不可欠だと考えられる。なぜなら、国内マーケットしか対象と
しない非貿易財に関する技術や、輸出競争力の無い財の場合には、海外特許出願による出願先国における知的財
産権保護のメリットがないため、海外出願は行われないと考えられるからである。海外出願される技術は、貿易
財に関するものであるか、現地生産の際に必要となる技術であって、国内出願の2倍以上と言われるコストiを払
ってでも、出願先国において知的財産権を確保するインセンティブが存在する技術のみである。したがって、日
本における技術変化と、それに関連する科学の関連(リンケージ)の研究を行うに際し、米国特許等の海外に出
願された特許の分析のみでは、前述のような輸出競争力等の各種のバイアスを受けているおそれがあり、必ずし
も十分とは言えないと考えられる。
③ 日本特許分析の利点
日本特許を分析することは、利点が二つある。その一つは、米国特許における日本からの出願を分析する場合
に考えられる、前述のようなデータに関するバイアスが少ないと考えられることである。もう一つは、米国特許
が出願者に課している、参照文献記載の義務がない点である。日本特許においては、米国特許と異なり、申請さ
れた技術の新規性を立証するために、関連する特許やその他の文献(reference)を出願人が記載する法的義務がな
いii。米国特許申請に際しては、その技術の申請範囲を明確にするために、関連する文献を記載することが法律に
より出願人に対して義務づけられている。この義務を怠った場合、特許申請拒絶の理由となる。この米国特許の
法制度によって、米国特許出願に際してその新技術を考案した本人ではなく、その代理人が、その新技術考案の
際に発明者が依拠したか否かを問わずに関連しそうな文献を出来る限り多く記載しようとする傾向がある。また、
米国特許の審査官は、それを制限せず、申請書に記載された他の特許や論文等の文献を、そのまま特許の第一ペ
ージ(フロントページ)に載せてしまう傾向がある。さらに、米国においては、90年代に入ってこの制度の適
用が厳格化し、それが引用文献の増加につながったと言われている(Michel et al., 2001)。つまり、米国特許の
フロントページには、その技術が考案される際に、考案した本人の頭の中にあった以外の文献が混入している可
能性があり、それは判別できないのである。
④ 全文解析の利点
また、本研究では、特許のフロントページだけでなく、申請書全文を研究の対象とした。日本特許の全文を分
析することの利点は、特許の本文においては審査官によって後から追加されている文献がないことから、当該技
術を考案した者の考案時点における既知の論文等のみが記載されていると考えられる一方、フロントページを含
めることにより、出願人による既知の技術の隠蔽も防げると考えられる。
特許の本文は、出願人によって記載され、誤字等の場合を除き、原則として審査官によって修正されることは
ない。つまり、特許本文中には、当該技術を考案した者が、その時点で知っていた他の特許や論文等既存の知識
が、純粋に表現されていると考えられるのである。従って、日本特許の本文中には、新しい、産業に応用可能な
技術、すなわち、ソローの言うところの技術変化、が考案される要因となった可能性のある論文や特許が、より
ノイズの少ない形で記載されている可能性が高いのである。
i
弁理士への電話インタビューによる。
最近、特許法が改正され、出願人が他の特許や論文等の参照文献を記載する「努力規定」が設けられた。しか
し、依然として法的拘束力はない。
ii
7
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
一方、特許の本文のみの分析では、特許出願者はその技術の新規性を立証しようとするために既知の技術を故
意に隠そうとする可能性があるため、関連する特許や論文等の技術文献が、全ては網羅されていない可能性があ
る。しかし、特許のフロントページにおいては、特許審査官によって、その特許を審査する際に用いた関連する
文献が追加されている。
本研究においては、米国特許の様に法律によるバイアスがなく、かつ、審査官による確認によりその技術に関
連する特許や論文等が漏れていることもないと考えられる日本特許の本文とフロントページの両方を含む全文を
研究の対象とした。
⑤ まとめ
以上をまとめると、科学(S)と産業(I)における技術変化(T)との関係に関する研究が米欧特許のフロントページ
を用いてはこれまで行われてきている。しかし、日本特許においては研究があまりなされていない。かつ、特許
全文を研究することにより、新技術を考案した本人の頭脳の中において参照された、既存の論文等の知識をより
ノイズの少ない形で計測することができる可能性がある。
そのため、本研究においては、これまであまり研究されてこなかった日本特許について、その全明細書中で引
用している論文等を計測する。これにより、我が国の S-T-I ネットワークを定量的に分析することが可能になる
と考えられる。
■ 本研究の手法の妥当性
① 科学の指標としての論文
技術変化に対する科学の影響を研究するためには、被説明変数である技術変化と、説明変数である科学との両
方を、何らかの方法で計測する必要がある。本研究においては、科学の計測指標として、科学のアウトプットで
ある論文、及び、その類似物であり、より速報性を持つ学会発表紀要を用いることとし、これらを併せて「論文
等」と呼ぶ。ただし、本研究中「論文」とは、定期刊行物に掲載された文章を指すこととする。書籍、技術公開
は含まない。
より狭い論文の定義として、複数の審査員の査読を経て「論文」とのタイトルを付けられ、学術雑誌に掲載さ
れたもののみに限定する立場もあろう。しかし、本研究における技術変化は、特許法上の発明に該当する全ての
技術分野を対象としており、引用されうる定期刊行物も、分野的にもその刊行される国も非常に広範囲にわたる
可能性がある。その引用されている文章全てについて、論文と冠されているかどうか、その定期刊行物が査読付
きであるかどうかを弁別することは極めて困難である。また、必ずしも査読付き論文のみが科学の成果とは言え
ない。論文とまでは呼べないまでも、科学者の経験や直感に基づくアイディアが、エッセーなどの形で掲載され、
それが技術変化のきっかけとなる可能性もある。したがって、本研究においては、その文章が掲載されている形
態が「論文」と冠されているか否かを問わず、また、掲載誌がいわゆる学術雑誌かそうでない一般的定期刊行物
かを問わないこととする。
そもそも科学の指標として論文を活用しようとする手法、すなわち「サイエンスメトリクス」の起源は、19
20年以前に遡ることができる。例えば、1917年に発表された「比較解剖学の歴史」についての研究は、比
較解剖学という独特の科学分野を評価するために、参照文献とグラフの総数を分析したものであった。
1950年代に入り、論文を含むさまざまな文献を扱う図書館関係者の日々の業務に必要なものとして、書誌
情報データベースが開発された。これは、科学研究者の数が増大するにつれ、新しい研究成果を広める手段であ
る学会誌などの専門誌(journal)の数が急激に増加し、膨大な数の文献を効率的に検索する手段が求められてい
たことに由来するものである。1955年、ガーフィールドによって、科学技術文献用の引用インデックスが開
発されたことで、サイエントメトリクスという研究分野のコンセプトが確立された。この引用インデックスは、
8
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
フィラデルフィアに本拠をおく彼の会社、科学情報研究所(ISI:the Institute for Scientific Information)
が構築したデータベースの基礎をなすものとなった。
1965年、イエール大学の科学史家であったプライスは、専門誌の論文(journal articles)を活用して科
学知識の量的分析を行うためのさまざまな基本原則を体系づけた。その中には、用語の使い方(words usage)や
出版物(publications)における統計的パターンも含まれていた(Price, 1965)。
1976年、ナリンが、
「科学研究活動の評価における出版物と引用の活用(The Use of Publication and Citation
Analysis in the Evaluation of Scientific Activity)」を発表した。これは、全米科学財団(NSF:National Science
Foundation)の助成金によって行われた「評価的ビブリオメトリクス(Evaluative Bibliometorics)」という研究
プロジェクトの成果であった。そして、そのプロジェクトの中で書かれた論文が、「生物医学文献の構造(Narin et
al., 1976)」であった。この論文は、「ある論文が書かれた後、その論文が別の論文で何回引用されているかを
分析することで科学出版物の重要性を標準化する」という方法論を示したものである。
このような流れの中、1989 年、カズンズは、サイエントメトリクス分析に使われる測定指標(measurements)
を、①数量(quantity)、②テーマまたは研究領域(topic or discipline)、③科学的インパクト(scientific
impact)、④リンケージ(linkage)の 4 つのタイプに分類・整理した(表Ⅰ-1)。
このように、科学活動を計測するサイエントメトリクスは、単なる論文数の計測から始まり、引用関係を利用
することでリンケージを計測する手法が開発されてきた。本研究において、科学の計測指標として論文等を用い
ることは、こうしたサイエントメトリクスに関する先行研究を踏まえても、妥当性を持つと考えられる。
表Ⅰ-1 サイエントメトリクスに使われる 4 つの測定指標
測定指標
概要
①数量(quantity)
いくつの論文が特定の研究者や研究所によって書かれたかを単純に数
え、論文数を比較することで、科学者間の相対的生産性を測定するもの。
②テーマまたは研究領域(topic or
discipline)
専門誌(journals)に掲載されている論文を研究テーマあるいは研究
領域ごとに分類して、領域ごとにいくつの論文が書かれているかを数
える。これにより、どの研究分野が増加傾向にあり、どの研究分野が
減少傾向にあるかがわかる。
③科学的インパクト(scientific
impact)
後に出版された出版物による、論文記事の引用におけるパターンを研
究するもの。多くの研究者が特定の論文を引用しているということは、
その論文にあるアイディアは特定の科学コミュニティ内に強い影響を
及ぼしていると仮定することができる。マッピング(mapping)と呼ば
れるより複雑な方法では、科学領域における研究構造を明らかにする
ためにクロス引用(cross-citation)のパターンを見る。マッピング
手法を用いることで、その研究分野でもっともポピュラーな研究テー
マあるいは研究方法を特定できる。
④リンケージ(linkage)
リンケージによる測定指標にはさまざまなものがある。例えば、研究
者間のリンケージがその 1 つである。研究者間のリンケージを見るに
は、科学研究において異なる組織の研究者同士がどのように共同作業
しているかを知るために、論文の共同執筆におけるパターン(論文の
共同執筆者として 1 人以上の研究者がリストされているのはどこか等)
を調査する方法がある。
あるいは、異なるタイプの出版物に盛りこまれた技術的・科学的知識
の関係を分析するというリンケージ測定指標もある。例えば、ある特
許が新しい発明の一部としてある論文を引用しているなら、その発明
はその論文に書かれている基礎研究によって影響されていると仮定す
ることができる。
9
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
② 技術変化の指標としての特許
一方、技術変化については、特許が指標の一つとして使われている。例えば、アーチブギは特許を技術変化の評価指
標として使うことの利点と欠点について検討した(Archibugi, 1992)。特許データの利点として、①特許は創造的な活動、な
かでもビジネスとしてインパクトのある活動の結果の指標となる、②特許を取ることは時間とコストがかかるため、特許の出願
は、それがコストを上回る効用が期待されていることを示している可能性が高い、③特許は技術分野毎に分類されているた
め、独創的な活動の比率だけでなく方向性も示してくれる、④特許統計は大量のデータを非常に長い期間に渡って提供し
てくれる、などを挙げている。一方、彼は、特許データには以下のような欠点があることも指摘している。すなわち、①必ずし
も全ての創造的活動が特許として公開されるわけではない(企業秘密など他の方法で守られてしまう)、②特許制度上の制
約から、必ずしも全ての創造的活動が特許として保護され得ない、③技術分野や産業分類によって、特許性向、すなわち
創造的活動の量に対する特許件数の比率が大きく異なる、④他国への特許出願は、企業の出願先国における期待収益
に依存する、⑤それぞれの国の特許制度は国際条約の存在にもかかわらず差異があり、出願者にとっての魅力は、出願
先の国の特許制度のコスト、保護の効果の強さと長さ等によって異なる、の5つである。そして、これらの利点及び欠点があ
ることをふまえつつ、アーチブギは、特許には、一国あるいは国際比較のための技術変化の指標として多くの利用法がある
ことを指摘した。
以上のように、特許データは技術変化の指標として有効な指標たり得る。そのため、技術変化の研究において幅広く使
われている。特許分析は企業競争力の分析にも極めて有用であり、技術の比類ない道路地図であると評価されている
(Narin, 1993)。例えば、ナリンは研究者の生産性の分布を特許出願数から分析し、研究者の特許生産性には一定の法則
があること、また、研究所の発明者の最上位1%が同じ研究所の平均的発明者と比べて5-10倍生産性が高く、そして、上
位10%は同じく3-4倍生産性が高いことを明らかにし、人材のマネジメント、企業買収の際の留意点等に極めて有益なイ
ンプリケーションを得ている(Narin, 1995)。さらに、特許は、企業の戦略策定に幅広く応用されており、それは、競合相手の
評価、自社技術のコア・コンピタンス分析、合併・買収の目標決定、技術的な精査などが含まれるとしている。また、キーと
なる技術と高い経済的成功可能性を持つ会社の識別にも広く応用されているとし、例として、アメリカ、日本及びドイツの主
要自動車会社11社をあげて、その技術的な位置を特徴づける研究がなされている(Narin, 1993)。アルバートらは、ある特
許が他の特許に引用された回数と、その分野で見識を持った同僚のその特許の技術的重要性に関する評価の間には、強
い相関があることを見いだした(Albert et al., 1991)。すなわち、他の特許から多く引用されている特許ほど、同僚の評価も
高いという相関関係が明らかとなったのである。本研究の対象とはしていないが、将来の課題として、ある特許の他の特許
に対する影響や重要度を類推し、企業の研究開発活動等との関連性を研究する際の含意があろう。
③ 科学と技術変化の関係の指標としてのサイエンスリンケージ
特許がその申請書中で引用している特許以外の文献(Non Patent Reference)は、「サイエンスリンケージ」と呼ばれ、いく
つかの先行研究が行われている。アンダーソンらは、特定分野に国家がプロジェクトとして介入する合理性を説明するた
め、遺伝子工学分野技術と他の技術分野との、科学とのリンケージの強さの違いをそれぞれの分野に属する特許の引用
論文数から比較することを行っている。それによれば、遺伝子工学分野の技術が、基礎的な科学研究基盤と非常に強く連
関(リンケージ)していることが示された。遺伝子工学分野の技術として「ヒトの分子細胞工学分野の特許」を、基礎的な科学
研究基盤として「それらの特許がフロントページにおいて引用している論文等」を調査し、政府の研究助成機関の基礎研究
に対する援助が、どのようにして知的財産権の確立へとつながり、経済的に重要な技術開発を導くのかということを示した。
この研究では、1988年から1992年までに認可されたヒト分子細胞工学分野の1105件のアメリカ特許を抽出するために
オリジナルのプログラムを作成し、それら特許のフロントページに記載された引用文献を調査している。具体的には、引用
文献を特許と論文等に分け、特許と論文の連関(リンク)を把握する新しい手法(プログラム及びデータベース)を開発した。
その新手法は特許発明者の国籍、引用された論文の著者の所属機関、及び研究費に対する謝辞の調査を含むものであ
る。この分析により、アンダーソンらは、「バイオ技術分野は、特許化された技術が最も強く科学と結びついた分野であること
が明らかとなった。バイオ技術分野の特許は、論文を特許より6倍も多く先行技術として引用していた。先行技術として引用
10
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
された論文は、応用的なものではなく基礎的なものである。これは、技術変化に対して、好奇心に導かれた基礎的な研究
が果たす役割についての新しい証拠を提供するものである」と主張している(Anderson et al., 1996)。
ナリンらは、アメリカ特許と科学研究論文との間の引用関係(リンク)が強まっていることを追跡することによって、科学への
公的支援と産業技術の関連を検証しようとし、米国における公的研究機関の果たしている役割の増大を膨大なデータベー
ス分析から実証している。そして、アメリカの企業特許が引用している論文の73%は、公的研究からもたらされたものであ
り、その著者は大学、研究機関、その他の公的研究所に所属していることを明らかにした。また、各国の発明者は、期待さ
れるより2倍から4倍も多く自国の論文を優先的に引用している。特に、特許化された技術がアメリカの論文に依存する割合
は急速に増えているとしている。アメリカ特許がアメリカ人によって著された論文を引用する頻度は、最近の6年間に3倍に
なっている。具体的には、引用件数は、1987-1988年の約1万7千件から、1993-1994年には約5万件に増加した。
ちなみに、この期間のアメリカ特許総数は、30%の増加にとどまっている。そして、引用されたアメリカの論文は、現代科学
の主流であり、その特徴は、非常に基礎的であること、有力雑誌に掲載されていること、そして著者は一流の大学や研究所
に所属していることである。特に、最近では米国国立保健研究所(NIH)、アメリカ国立科学財団(NSF)、そしてその他の
公的機関からの助成を受けたものが多くなっている、と述べている(Narin et al., 1997)。
■ 本研究の構成
S-T-I ネットワークを定量的に分析するため、技術変化の部分集合であり、日本特許法に照らして新規性があり、実用化
可能かつ有用であるものとして一定の均一な基準で審査され、特許性有りとして公報に掲載された「特許」と、科学によって
生み出された知識を形式化したものと考えられる「定期刊行物に掲載された論文等の記事及び学会発表資料(以下、これ
らを「論文等」と呼ぶ)」との関係についての研究を行った。これは、別の言葉にすれば、科学の営みの結果としてコード化
され、公表された、公共財としての属性を持つ知識と、財産としての所有でき、技術変化を通じて生産性の向上、ひいては
長期的経済成長をもたらすと考えられる知識との関係について調査研究することであるとも言えよう。
11
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
2.サイエンスリンケージの日米比較
■ はじめに
まず、日本特許においても米国特許などのように、他の特許や論文の引用が存在するか否かを明らかとするため、バイ
オ技術分野特許と、その補集合特許のそれぞれに対するサンプリング調査を行った。それとともに、その結果がアメリカに
出願された特許と比べてどのような傾向にあるのかを比較した。具体的には、経済産業研究所・玉田・内藤が共同でその
権利を保有する特許データベースを活用し、以下の方法を用いた。
■ 方 法
対象としたデータは、特許公報CD-ROM1番(1993年)から300番(1999年8月)までの300枚分、約68万件であ
る。そのデータから、「バイオ技術分野」の特許を抽出する「フィルタリングプログラム」を作成した。
まず、テキストデータファイルから、国際特許分類で、C12/N15(Genetic Engineering)、C12/N1(Microorganisms)、
C12/N5(Cells)、C12/N7(Viruses)、A61K/48(Gene Therapy)に属するものを抽出した。これらの国際特許分類はア
ンダーソンら(Anderson et al., 1996)がヒトゲノム分野特許を抽出する際に使用したものと同一である。
国際特許分類(IPC分類)とは、特許の公報類を利用し、活用するための世界共通に利用できる分類を可能とするものと
して、1968年9月1日に第一版が発効した。当初は「特許の国際分類に関する欧州条約」をその根拠としていたが、その
後「国際特許分類に関する1971年3月24日のストラスブール協定」に基づき、1975年10月7日、IPC同盟が成立し、改
正作業が継続的に行われている(図Ⅰ- 1)。
図Ⅰ- 1 国際特許分類(IPC分類)
これに加え、テキストデータファイルの明細書項目中から遺伝子工学技術を含む特許を抽出するため、以下のキーワー
ドを含むものを抽出。これらのキーワードもアンダーソンらがヒトゲノム分野特許を抽出する際に使用したキーワードをなるべ
く適切に日本語に反映するようにして作成したものである。
・ベクタ遺伝子
・癌遺伝子
・遺伝子配列
・遺伝子療法
・ウイルス遺伝子
・バクテリア遺伝子、細菌遺伝子
・遺伝子障害
・遺伝子治療
・レトロウイルス
・細胞成長、細胞増殖
12
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
・リンホカイン
・シトキン、サイトカイン
抽出した特許は、上記の国際特許分類に該当するか、または、リストのキーワードを含むかのいずれかの条件を満たす
ものである。その中から、任意の300件を乱数を発生させて抽出した。本論文では、この方法で抽出された特許を「バイオ
技術分野特許」と呼ぶ。同時に、バイオ技術分野特許の補集合である残った特許から任意の300件を乱数により抽出し
た。(その他全ての技術分野特許のサンプル集合)
その後、どの程度の数の引用文献があるかを、それら600件のテキストファイルを一つずつ読み、引用部分を見つけ、引用
文献を抽出し、特許及び非特許(主として論文と学会発表)に分類した。
■ 結 果
① 引用されている論文等の所在位置
図Ⅰ-2 は、遺伝子工学分野特許の引用文献が、特許明細書のどの部分に存在しているかを示したグラフである。米国
特許は、全ての引用文献の約半分がフロントページにあり、また、フロントページと明細書本文中の引用文献は非常によく
相似している、として、ナリンをはじめとする研究者はフロントページのみを分析対象としている。(Narin et al., 1988)
しかしながら、今回行ったサンプリング調査の結果、日本においては、遺伝子工学分野のサンプル特許の全引用文献のう
ち4.2%しか「参考文献」中に文献が記述されていないことが明らかとなった。したがって、日本において米国同様の特許
引用文献分析を行おうとする場合、特許全文の分析が必要不可欠であることが明らかとなった。
具体例として、最もサイエンスリンケージが多く観測された特許を付録(エラー! ブックマークが定義されていません。ペ
ージ)に示す。フロントページ(【発行国】から【審査官】まで及びフロントページの続き以降)には特許や論文等が引用され
ていない。一方、本文中には【従来の技術】の項に非常に多くの論文が引用されている。【発明の要旨】、【発明の構成】に
も論文の引用が散見される。また、【実施例】中にも多くの手法に関する文献が引用されているが、書籍が多い。本特許は
米国企業による出願であるが、いずれの引用も、一読した限りでは発明に表現された技術の新規性を示すため、論文と同
様の手法で既知の事実を基に論を展開しているように思える。無関係な文献まで大量に引用しているようには見受けられ
ない。したがって、特許の引用している論文や学会発表資料は、特許が考案される際に発明者が知っていた知識が多く含
まれていると考えても、不合理ではないと思われる。
100%
80%
60%
フロントページ
本文中
40%
20%
0%
米国
日本
図Ⅰ-2 特許が引用している論文等の所在位置
13
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
注:米国のデータは“The increasing linkage between U.S. technology and public science”,
Francis Narin et al., Research Policy, Volume 26, No.3, pp. 316-330, 1997より抜粋
② 特許サンプルに占める論文等引用特許の比率
図Ⅰ-3 は、バイオ技術分野及びそれ以外の全技術分野のそれぞれの特許の引用文献を種類別に示したものである。
ここで注目されるのは、バイオ技術分野特許の23%は論文等のみを引用しており、特許と論文等両方を引用している特許
の比率59%と合計すると、82%の特許が論文等を引用している事実である。それに対し、それ以外の全技術分野平均で
は、論文等を引用している特許は、全体の15%にすぎなかった。そして、72%の特許は特許のみ引用、引用文献のない
ものも13%にのぼった。つまり、論文等を引用している特許の全300サンプルに占める比率が、バイオ技術分野特許は他
の技術分野特許と比較して多い傾向が見られた。
80%
70%
60%
50%
40%
30%
20%
10%
0%
バイオ技術分野
その他技術分野
科学文献のみ 科学文献も特
特許のみ引用
引用
許も引用
23%
0%
59%
15%
15%
72%
図Ⅰ-3 技術分野による引用文献の相違
14
引用なし
3%
13%
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
③ サイエンスリンケージの計測
図Ⅰ-4は、バイオ技術分野から300、それ以外の全技術分野から300サンプリングした特許が、それぞれ何件の特許と
特許以外の文献(論文等)を引用しているかを示したものである。また、表Ⅰ-2は、バイオ及びそれ以外の特許が引用し
ている文献の統計値をまとめたものである。日本の「バイオ技術分野」特許では、1 特許あたり平均値で約15件の論文等の
引用があった。これは、被引用特許の平均引用件数3.5件の4倍強である。中央値は7件、最高値は213件に及んだ。標
準偏差は21.6であった。
また、米国においては、ヒトゲノム技術分野において、平均値で論文等の非特許文献が特許の約6倍も多く引用されて
おり、この分野での科学依存性が高いことを浮き彫りにしているとされている。(Anderson et al., 1996)
5000
300サンプルの引用敬
4500
4000
3500
3000
論文等
特許
2500
2000
1500
1000
500
0
バイオ技術分野
その他の技術分野
図Ⅰ-4 特許300サンプルが引用している文献合計
表Ⅰ-2 引用文献の各種統計値
論文等
中央値
遺伝子工学技 平均値
術分野
最大値
標準偏差
中央値
その他全技術 平均値
分野
最大値
標準偏差
15
7
14.8
213
21.6
0
0.7
85
5.1
特許
2
3.5
37
4.8
3
3.8
137
8.8
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
④ 日米比較
表Ⅰ-3は、日本特許一件当たりの引用文献数を、論文等、特許、それらの合計それぞれについて技術分野による比較を
試みたものである。注目すべきは、論文等の引用件数が、バイオ技術分野の特許では4454件、特許一件当たり平均14.
8件と、それ以外の全技術分野の特許の引用件数211件、特許一件当たり平均0.7件の実に21倍にも達していることであ
る。対照的に、他の特許の引用件数は、バイオ技術分野の特許で1064件、それ以外の全技術分野の特許で1150件とほ
とんど差がなく、特許一件当たりの引用件数の中央値、平均値、標準偏差のどの指標でみても類似している。
表Ⅰ-3 サイエンスリンケージの日米比較
日本
米国
中央値 平均値 最大値 中央値 平均値 最大値
遺伝子工学
技術分野
その他全技
術分野
7
14.8
213
0
0.7
85
7
-
11.8
422
2以下
-
注: 注:米国のデータは“Human Genetic Technology: Exploring the Links Between Science and Innovation”, J. Anderson
et al., Technology Analysis & Strategic Management, Volume 8, No. 2, pp. 135-156, 1996 より抜粋
⑤ 日米比較に関する留意点
ただし、本項において行った日米比較については、以下に記すように、日本の特許制度と米国の特許制度にはいくつか
の違いがあり、また、比較対象とした部分、期間、技術分野も完全に同一ではない点に留意する必要がある。
第一に、請求範囲(クレーム)の広さや強さについて、最近でこそクレームの扱いは、日米においてかなり接近してきている
ものの、比較対照とした日米で相違があった点に留意する必要がある。なお、今後は、日本特許制度において、①1988
年以降、改善多項制の導入により、1特許内に多数のクレーム(請求項)を盛り込むことが可能になったこと、②1994年以
降記載要件の緩和により、機能的な請求の範囲の記載も可能となったこと、③均等性の議論についても、最高裁判所の示
した5つの条件を満たせば可能となった、等の制度改善により、日米間のクレームの広さや強さが接近すると予想される。
いずれにせよ、比較対象とした特許ではこれらの制度改正より前の出願(もっとも古いもので1986年)のものもあり得、この
点で完全な比較とは言えない。
16
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
また、引用文献の特許制度上の扱いが異なる点にも留意が必要である。繰り返しになるが、米国においてはフロントペー
ジに掲載される引用文献は、付与される特許の請求範囲を制限する先行技術を正確に叙述することが出願人に義務づけ
られているのに対し、日本特許においては「引用文献」項目は任意である。米国特許においては、出願人によって記述さ
れた後、審査官によって厳密かつ統制された手法で記述されており、アメリカ特許審査官は、全ての適切な先行文献を引
用するように強いプレッシャーの下にある、とアルバートらは主張する(Albert et al., 1991)。一方、日本特許においては、特
許庁の審査基準室が作成した統一基準に基づき、新規性や進歩性の有無の判断は審査官に一義的に委ねられている。
したがって、参照文献を記述することは特許の効力とは関係がなく、審査官それぞれに任されてきたのが実情である。これ
が、本項で明らかとなった引用文献の所在場所の相違の原因となっていると考えられる。
比較対象とした引用文献数も、アンダーソンは、特許のフロントページに審査官が選定して記入した引用文献のみを計
測の対象としているのに対し、本研究では出願人が記述した特許の全文から引用文献を抽出している。これは、ナリンら
(Narin et al., 1997)の研究においても同様であり、彼らも、特許本文内の引用文献は全く無視している。これをナリンらは、
同論文内で、米国特許分析の方法論的限界として認識している。しかし同時に、「米国特許のフロントページに記載されて
いる特許や論文等の引用文献は、審査官によって、当該特許の新規性の判断根拠として使用されているものであるため、
最も重要なものが含まれているはずである」とし、かつ、「実際上、特許本文中の至る所にある引用文献を抽出するのは、フ
ロントページのみを対象とするのに比べ、はるかに困難であるためこのような手法をとった」と弁明している。そして、その限
界の程度を検証し、フロントページが特許本文全体の引用文献をどの程度代表しているかを検証するため、簡単な検討を
行い、約半分の引用文献がフロントページにあり、かつ、フロントページの引用文献と本文中の引用文献の間には高い類
似性があったとしている(Narin et al., 1988)。そして、別の論文で、フロントページ内の引用文献のみの分析は特許全体の
引用文献を代表しており、技術の科学に対する依存性を相当程度過小に評価していると推測しても合理的であろうと述べ
ている(Narin et al., 1997)。
一方、本研究においては、日本特許全文から引用文献を抽出している。基礎科学分野においては、ある学術論文が別
の文献全文中に引用されている度合いが、論文数そのものと並んで研究の生産性を計測する基本的な指標とされている
(Anderson et al., 1996)。英国王立学会は、最近のレポートにおいて、英国の基礎研究におけるパフォーマンスを評価する
際、大規模なサイエンス・サイテーション分析を行い、「単なる論文数の計測は基礎科学の健全性の指標を提供するのに
対し、引用(サイテーション)分析はより付加価値のある弁別的な指標を提供する」と結論している。
その他の相違点として、アンダーソンの場合、アメリカ特許分類もフィルタープログラムに加え、さらに、最後に人手により
ヒトゲノム分野特許を絞って抽出している点において、厳密には日米で技術分野が完全に一致していない。
さらに、調査対象とした特許がアンダーソンの場合は1988年から1992年に付与されたものを対象としているのに対し、
本研究では1993年から1999年に付与された特許を対象としている。論文等の引用は年々増える傾向にある(Anderson et
al., 1996)ことから、日本特許の引用の方がこの点からも多くなっている可能性がある。
これらのように、本項で行った日米比較は完全に同一条件での比較ではないことに留意する必要があるものの、少なくと
もヒトゲノム分野におけるサイエンスリンケージが日本においても他の技術分野と比較して高く、米国と同様の傾向を持つこ
とが明らかとなったと言えると考えられる。
■ まとめ
本項における調査の結果、まず、日本特許にも論文等や他の特許に対する引用が存在するという事実が確認された。
同時に、日本特許においては、フロントページに記載されている「参照文献」(引用文献が記載される任意項目)を調査す
るだけでは引用文献の分析として十分ではないこともわかった。さらに、可能な範囲でサイエンスリンケージの日米比較を
試みたところ、主としてヒトゲノム技術からなる「バイオ技術分野」の特許のサイエンスリンケージが、他の技術分野と比較し
て明らかに多く、この傾向は日米で共通であることも明らかとなった。
17
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
3.主要4技術分野におけるサイエンスリンケージの計測
■ はじめに
本項では、前項において日本特許においても論文等の引用が存在すること、その引用する論文等の数、すなわち、サイ
エンスリンケージはバイオテクノロジー分野とその他の技術分野で大きく異なっていたことが明らかとなったことを踏まえ、果
たして日本特許におけるサイエンスリンケージは技術分野の違いによってどのように異なるかを調査した。具体的には、19
95年から1999年の5年間に特許性有りと審査され、公開された特許約65万件を対象とし、第二次科学技術基本計画に
おいて重点分野とされた、バイオテクノロジー、ナノテクノロジー、情報技術(IT)、環境関連技術の4つの技術分野に属す
る特許を経済産業研究所・玉田・内藤データベースより抽出した。さらに、それら特許部分集合からランダムサンプリングに
より300件ずつのサンプルを取り、無作為抽出300サンプルのコントロールとも比較しつつ、日本特許の他の特許及び論
文等に対する引用の傾向について、特許全文を対象に、目視により分析を行った。
■ 方 法
① 対象としたデータ
本項の目的を達成するため、特許データベースのデータの中から、1995年から1999年までの5年間に発行された特
許公報(特許庁の審査を経て拒絶理由のなかったものとして発行された出願)を対象として調査を行った。分析するデータ
をこの範囲のものに限定した理由は、公報の技術分野の分類に使われる国際特許分類(IPC)が 5 年ごとに見直されてお
り、この1995年から1999年までの5年間に発行された特許が、同じ国際特許分類第 6 版に基づいているからである。
② 4技術分野特許の抽出
つぎに、この特許公報データから、第二次科学技術基本計画において重点分野とされている、バイオ、IT、ナノテク、環
境の 4 つの技術分野における特許を選び出すためのフィルタリングプログラムを作成し、当該技術分野に該当する特許の
データベースからの抽出を行った。その際、バイオ技術に関する特許を抽出するプログラムについては、前項と同様アンダ
ーソンの研究と極力類似させたものを用いた。それにより、国際特許分類のうち、非常に狭い特定の領域の技術分類に該
当するか、あるいはヒトゲノム関係のキーワードを含む特許を抽出した。IT分野特許を抽出する特許は、国際技術分類G0
6F「電気的デジタルデータ処理」及びH01L「半導体装置、他に属さない電気的固体装置」とした。この技術分野に限定し
た理由は、あまりフィルタの選択度を落とす、すなわち目を粗くしてしまうと、多くの特許が該当しすぎてしまい、選ばれた特
許がランダムサンプリングに類似してしまう一方、あまりにきめを細かくしてしまうと、IT分野に該当する特許の一部を排除す
ることとなってしまい、全てを選択できなくなってしまうからである。本分野のフィルタは独自設計のものである。ナノテクノロ
ジー技術分野のフィルタは、経済産業省産業技術環境局技術調査課による「ナノ構造材料技術に関する技術動向調査
(平成13年6月5日)」において用いられているフィルタに準拠した。環境技術分野に関しては、日本国特許庁が、国際特
許分類とは異なる観点から作成し、国際特許分類と組み合わせて使用される「ファセット分類記号」中、「ZAB 環境保全
技術に関するもの」が付与されているものを抽出した。(表Ⅰ-4)
18
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
表Ⅰ-4 主要4技術分野特許抽出に用いたフィルタ
テーマ名
フィルタ
フィルタ適合特許件数
バイオテクノロジー
1) IPC:C12N15+C12N/1+C12N/5+C12N/7+A61K/48
7,555
2) 明細書中のキーワード:ベクタ遺伝子+癌遺伝子+遺伝子配列
+ウイルス遺伝子+バクテリア遺伝子+細菌遺伝子+遺伝子障害
+遺伝子治療+レトロウイルス+細胞成長+細胞増殖+リンホカイ
ン+シトキン+サイトカイン
3) 1+2
ナノテクノロジー
7,943
1) IPC(+FI):B82B1/00+B82B3/00
2) キーワード: ナノ+超微粒子+メソポーラス+(メソ*多孔体)+
自己組織+自己配列+(自己*アッセンブリ)+(自己*アセンブ
リ)+超分子+量子ワイア+量子ドット+量子井戸+量子細線+LB
膜+(ラングミュア*ブロジェット*膜)+(langmuir*blodgett)+分子
機械+(バイオ*素子)
3)
2
の デ ー タ を 次 の
IPC
に 絞 る :
A01N+A23B+A23C+A23J+A23L+A61K+A61L+A61M+B01D+B01F+
B01J+B03C+B05B+B05C+B05D+B07B+B09B+B22F+B23B+B23C+B
23D+B23K+B23Q+B24B+B25J+B32B+B41M+B62C+C01B+C01F+C
01G+C02F+C03B+C03C+C04B+C07B+C07C+C07D+C07F+C07H+
C07J+C07K+C08B+C08F+C08G+C08J+C08K+C08L+C09C+C09D+
C09K+C12N+C12P+C12Q+C21D+C22B+C22C+C23C+C23D+C23F
+C23G+C25BL+C25C+C25D+C25F+C30B+D01F+D03D+D04H+D0
6F+D06M+D06N+D21H+G01B+G01C+G01J+G01N+G01N033+G01
P+G01R+G01T+G02B+G02F+G03C+G03G+G03H+G05D+G06F+G1
1B+G11C+G12B+G21K+H01B+H01F+H01G+H01J+H01L
021+H01L 023+H01L 025+H01L 027+H01L 029+H01L 031+H01L
033+H01L
039+H01L
041+H01L049+H01M+H01S+H04B+H05B+H05G+H05H+H05K
4) 1+3
IT
IPC:G06F+H01L
49,995
環境関連技術
広域ファセット:ZAB
6,965
無作為抽出
なし
880,043
19
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
さらに、抽出したバイオ、IT、ナノテク、環境の 4 つの技術分野における特許集合から、疑似乱数による無作為抽出によ
って各分野300件ずつ、そして、比較対照として全特許集合から300件の特許を抽出した。すなわち、サンプル数は、300
件×5(重点4分野+全分野)=1500件となる。
上記の1500件の特許サンプルの全文を対象に、それら特許が参照している、別の「特許」、及び、主として論文等から
なる「特許以外の文献(Non Patent Reference;NPR)」を目視により抽出し、その傾向について分析した。
■ 結 果
① 論文等を引用している特許のサンプル全体に占める比率
各技術分野の 300 件のサンプルのうち、どのくらいの特許が科学技術文献を引用しているか、また、1 件の特許が最大何
件の論文等を引用しているかを示したのが表Ⅰ- 5である。
バイオ分野においては、300件中235件、率にして 78.3%もの特許が論文等を引用しており、また、1 件の特許が最大 111
本の論文等を引用していることが明らかとなった。
次いで、ナノテク分野の特許が300件中126件、サンプルの 42%が論文等を引用しており、また、1 件の特許が最大 73
本の論文等を引用している。続いて、IT 分野特許300件中47件の15%、最大8本、最後が環境分野の300件中24本で
8%、特許一件当たり最大9本の引用であった。これらを比率の多い順に並べたのが図Ⅰ-4 特許300サンプルが引用し
ている文献合計である。
表Ⅰ- 5 分野における論文等引用数、引用特許比率、一件当たり最大値
環境
ナノテク
バイオ
IT
論文等引用特許数
24
126
235
47
論文等引用特許率
8.0%
42.0%
78.3%
15.7%
一特許引用論文最大値
9
73
111
8
20
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
② 論文等と特許の引用の頻度
図Ⅰ-5 論文を引用している特許の比率(各300サンプル)及び図 Ⅰ-6 他の特許を引用している特許の比率(300
サンプル)からも明らかなように、技術分野によって、特許に引用されている論文等の数(サイエンスリンケージ)に大きな差
が出た。サイエンスリンケージが最も大きかったのはバイオテクノロジー分野であり、無作為抽出の平均値の約 19 倍の多さ
を示した。次いで、ナノテクノロジー分野が、無作為抽出の平均値に比べて約 3 倍の多さを示した。これに対し、IT 分野、
及び、環境保全関連技術分野は、平均よりも少ないサイエンスリンケージしかなかった(表Ⅰ-6 、表Ⅰ-7)
一方、特許の引用件数に関しては、ナノテクノロジー分野が、無作為抽出の平均値と統計的に有意な差がなかったほ
か、他の技術分野は無作為抽出より1%有意で平均値が低い結果となった。(表Ⅰ-8)
100%
90%
80%
割 合 (%
70%
60%
50%
40%
30%
78%
16%
42%
8%
12%
環境
無作為
20%
10%
0%
バイオ
ナノテク
IT
引 用 なし
引用あり
技術分野
図Ⅰ-5 論文を引用している特許の比率(各300サンプル)
100%
90%
80%
割 合 (% )
70%
60%
50%
77%
90%
86%
90%
IT
環境
90%
40%
30%
20%
10%
0%
バイオ
ナノテ ク
技術分野
21
無作為
引用なし
引用あり
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
図 Ⅰ-6 他の特許を引用している特許の比率(300サンプル)
表Ⅰ-6 技術分野別引用文献数(各300サンプル)
被引用科学論文
被引用特許
技術分野
引用数
特許 1 件あたり
引用数
特許 1 件あたり
バイオ技術
3,439
11.46
1,102
3.67
ナノテクノロジー
597
1.99
2,125
7.08
IT
95
0.32
927
3.09
環境関連技術
77
0.26
1,193
3.98
無作為抽出
179
0.6
1,749
5.83
表Ⅰ-7 引用科学論文等の平均の検定(5%、1%で同様の結果)
環境
ナノテク
IT
バイオ
サンプル数
300
300
300
300
平
0.26
1.99
0.32
11.46
標準偏差
1.108
5.761
0.927
14.560
判
有意
有意
有意
有意
均
定
表Ⅰ-8 引用特許の平均の検定(5%、1%で同様の結果)
環境
ナノテク
IT
バイオ
サンプル数
300
300
300
300
平
均
3.98
7.08
3.09
3.67
標準偏差
3.50
22.67
2.69
5.00
判
有意
有意
有意
定
3,500
科学文献
特許
3,000
2,500
2,000
引用件数
1,500
1,000
500
0
環境保全関連技術
ナノテクノロジー
IT
バイオテクノロジー
22
技術分野
無作為抽出
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
図Ⅰ-7 技術分野別被引用文献数(特許1件あたり平均値)
120
80
60
バイオ
40
20
0
23
291
281
261
271
241
図Ⅰ-8 技術分野別・ランク別1特許あたり引用文献数
251
221
ナノテク
231
1
11
21
31
41
51
61
71
81
91
101
111
121
131
141
151
161
171
181
191
201
211
サイエンスリンケージ
100
IT
環境
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
120
100
引用数
80
バイオ
60
40
ナノテク
20
環境
IT
0
図Ⅰ-9 技術分野別・ランク別1特許あたり引用文献数(引用のない特許を除いたもの)
24
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
③ 国際出願特許の影響
経済産業研究所・玉田・内藤データベース中に「国際出願番号」という項目がある。これは、PCT(Patent Cooperation
Treaty)という、出願人が1つの特許庁(受理官庁:日本国民等の場合は日本国特許庁)に対して、1つの言語(日本人の
場合は日本語又は英語)で作成した1つの出願(国際出願)を行うことにより、出願人が願書において保護を求めるPCT加
盟国(指定国)のいずれの国に対しても正規の国内出願の効果を得ることができるという条約に基づき、特許が提出された
際に付与される番号である。この条約により、一国に出願したことをもって、複数国に出願した場合と同様な法的効力を得
ることができる。
この国際出願番号を有することは、その特許がPCTに基づき日本以外の加盟国に対しても権利の主張が行われている
ことがわかる。表Ⅰ-9 は、国際出願の有無によるサイエンスリンケージの相違を技術分野毎にまとめたものである。バイオ
技術分野においては、国際出願番号が付与されている特許が300件中67件(22%)を占めた。つまり、約2割の特許が国
際出願されており、PCT制度に基づき複数の国に出願されていることがわかる。バイオ技術分野の67件、22%という国際
出願比率は、他の技術分野、すなわち、ナノテクの12件(4%)、ITの9件(3%)環境技術の6件(2%)と比較しても、比較
的高い。
表Ⅰ-9 国際出願の有無によるサイエンスリンケージの相違
国際出願
あり
特許数
引用論文等数
バイオ
67
1017
ナノテク
12
IT
環境
なし
平均サイエン
平均サイエン
特許数
引用論文等数
15.2
233
2421
10.4
38
3.2
288
561
1.9
9
1
0.1
291
94
0.3
6
8
1.3
294
71
0.2
スリンケージ
スリンケージ
しかし、逆に、最も国際特許番号が付与されている特許の比率が高いバイオ分野においても、約8割の特許はPCT制度
に基づく国際出願は行われていない、と言える。もちろん、ある国に出願された技術が別の国にPCT制度に基づかずに出
願されている可能性は否定できない。しかし、バイオ分野のように、多くの国に特許を出願することが合理性を持つと考えら
得る技術分野においては、国際出願が主としてPCT制度を用いて行われると仮定することは非合理ではない。PCT出願
されていない78%の特許においても、バイオ分野のサイエンスリンケージは10.4と、他の分野と比較して5倍以上多く、本
研究のこれまでの調査結果は、共通の新技術が複数の国に国際出願特許されているためではなく、技術の科学とのリンケ
ージが技術分野毎の本質的性質によって異なっているためである可能性が高い、と言えよう。
■ まとめ
本項の調査の結果、まず、日本特許においては特許が他の特許や論文等を多数引用しており、バイオ技術分野と他の
技術分野の比較において、論文等を引用している特許が、サンプル全体に占める比率が異なっている事実が確認された。
さらに、主要 4 技術分野特許の論文等の引用件数(サイエンスリンケージ)の分布が、技術分野毎に大きく異なっていること
が明らかとなった。
具体的には、同じ 300 件の特許サンプル中において、論文等を引用している特許全体に占める比率についても、引用
件数の合計数についても、多い方からバイオ、ナノテク、IT、環境の順であることが明らかとなった。
次項では、この結果の理由について、特許権者の所在地の国籍の観点から検討を行う。
25
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
4.出願人の国籍とサイエンスリンケージとの関係
■ はじめに
これまでの調査により、技術分野間でサイエンスリンケージに大きな違いがあることが明らかとなった。
本項では、技術分野間のサイエンスリンケージの違いをもたらしている要因をさらに詳しく調査するため、まず、技術分野によっ
て出願人の国籍に差異があるのかどうかを調査する。続いて、バイオ技術、ナノテク、IT、環境技術の4つの技術分野毎に、出願
人の国籍を日本、米国、欧州等の3つに区分し、それぞれのグループから出願された日本特許のサイエンスリンケージを計測し、
出願人の国籍によってコントロールした後でも技術分野によるサイエンスリンケージに違いがあるかどうかを検証する。
■ 特許権者の国籍の分析
① 方法
本項の目的は、発明が起きた場所の違いによって、技術分野毎のサイエンスリンケージがどのように影響を受けているの
かを明らかとすることである。サイエンスリンケージという被説明変数に対して、発明発生場所という変数がどのくらいの説明
力を持つかを検証することとも言える。この目的のため、本項では「特許権者の国籍」を「当該発明の出願人(大半が法人)
の住所欄に記載されている国」と定義する。
たしかに、一義的には特許を受ける権利は「発明者」に属する。また、発明は人間個人の頭脳によって生み出されるもの
であるから、「発明者」は自然人である。しかしながら、現実に出願される発明の大半は職務発明として、発明者が所属する
機関が特許を受ける権利を承継し、特許権者たり得る「出願人」となっている。このような状況で、国籍を発明者の住所によ
って定義した場合、欧州に住所がある研究者が、アメリカの研究所で、その研究所の資金や設備を使うなど業務を行う過
程で生まれた職務発明が、欧州国籍となってしまい、本項の目的である技術変化の発生場所とサイエンスリンケージとの関
係を検証するためには不都合が生じる。また、特許権は出願人が持つのであるから、特許権者の国籍を出願人の住所欄
に記載された国とすることは、特許法とも整合的である。従って、本項の分析法を適用した場合、日本国籍のバイオ研究者
がアメリカの研究所で行い、当該研究所が出願人となっている特許は、米国籍という整理になる。
② 結果
バイオ特許権者の50%が外国からの出願であった。外国籍の特許権者の比率は、ナノテクノロジーでは28%、ITでは
13%、環境関連技術では12%という結果となった。これは、前項において、技術分野毎に見た場合の1特許あたり平均サ
イエンスリンケージが多い技術分野の順番と同一であった。
割合
ベ ネ ズ エラ
100%
90%
80%
70%
60%
50%
40%
30%
20%
10%
0%
台湾
オ ラ ン ダ領 アン テ ィ ー ル
フィン ラ ン ド
オ ー スト リア
スペ イ ン
イ スラ エル
スウ ェ ー デ ン
オラ ン ダ
カ ナダ
イ ギ リス
韓国
オ ー スト ラ リア
デ ン マー ク
イ タリ ア
ベ ルギー
バイオ ナノテ ク
IT
環境
スイ ス
フラ ン ス
技術分野
ドイ ツ
メリカ
図Ⅰ-10 特許権者の国籍
26
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
■ 技術分野と特許権者とのクロス分析
① 方法
単に技術分野毎の特許権者の国籍を調査しただけでは、サイエンスリンケージが多いのは、外国人の出願比率が多く、
それが技術分野毎の平均サイエンスリンケージに影響を与えているだけではないか、という議論が成り立つ。そこで、技術
分野毎にサンプリングされた特許を、さらに特許権者の推定国籍で分類し、国籍別に1特許あたり平均サイエンスリンケー
ジを算出して国別に技術分野間の傾向を比較した。
② 結果
先ほどの議論に反し、国籍別に分析しても、サイエンスリンケージの絶対値こそ異なるものの、技術分野間のサイエンスリ
ンケージの相対的な差違は残った。その結果は、バイオが突出し、ナノテクがそれに続き、IT及び環境技術は論文等の引
用が少ないというものであった。
表Ⅰ-10
国籍別・技術分野別サイエンスリンケージ(表)
日本
欧州等
バイオ
17.20
6.17
16.19
ナノテク
4.53
1.21
2.97
IT
0.647
0.28
0.11
環境
1.142
0.18
0.68
日本
米国
その他
その他
米国
日本
環境
IT
ナ ノテ ク
20
15
10
5
0
バイオ
サイエン
スリン
ケージ
米国
技術分野
図Ⅰ-11 国籍別・技術分野別サイエンスリンケージ(グラフ)
■ まとめ
27
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
これらの研究結果から、特許の属する技術分野によるサイエンスリンケージ、すなわち、1特許あたり平均論文等引用数
の違いは、特許権者がどこの国の研究機関において研究しているかによる影響よりも、技術の持つ本質的な特性によるも
のではないか、と推測される。
28
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
5.請求項の数とサイエンスリンケージとの関係
■ はじめに
前項までの議論では、1特許あたり平均のサイエンスリンケージを技術分野毎に比較し、論じてきた。しかし、多くのサイ
エンスリンケージを持つ特許は、請求項も多いのではないか、そして、技術分野によって、1特許あたりの請求項に違いが
あるために、このサイエンスリンケージの技術分野による違いが生じているのではないか、という批判も当然あり得よう。
■ 方 法
そこで、サンプリングした4技術分野、1200件の特許について、特許1件ごとの請求項を数え、技術分野毎に、引用され
た論文等の件数を、請求項の合計で除し、いわば、一請求項あたりサイエンスリンケージを求めた。さらに、サンプル特許
の請求項の数と、その特許のサイエンスリンケージとの間に相関関係があるかどうかについて調査し、分析を行った。
■ 請求項数による分析結果
まず、4技術分野300ずつの特許サンプルを、権利者の国籍別に分類し、それぞれのサイエンスリンケージの合計を、そ
れぞれの請求項の合計で除し、比較を行った。その結果、米国特許ではサイエンスリンケージも多いが請求項も多いた
め、1請求項あたりのサイエンスリンケージは、かえって国毎の差が縮小し、技術分野による違いが際立つ結果となった。こ
こでも、最もサイエンスリンケージの多い技術分野はバイオテクノロジーであり、ナノテクノロジーがそれに続いた。日本国籍
の特許においては、ITがそれに続き、環境技術分野のサイエンスリンケージが最も低くなった。ここでも、バイオ技術のサイ
エンスリンケージが突出し、ナノテクノロジーがこれに続き、ITと環境技術は少ないという傾向に変化はなかった。
表Ⅰ-11 1請求項あたり平均サイエンスリンケージ(表)
バイオ
ナノテク
IT
環境
サンプル数
引用論文等合計
請求項合計
平均値
全体
300
3439
2444
1.41
日本
150
926
708
1.31
米国
83
1428
958
1.49
その他
67
1085
778
1.39
全体
300
598
2038
0.29
日本
214
260
937
0.28
米国
53
240
710
0.34
その他
33
98
391
0.25
全体
300
95
1146
0.08
日本
257
72
777
0.09
米国
34
22
328
0.07
その他
9
1
41
0.02
全体
300
79
1301
0.06
日本
264
48
915
0.05
米国
14
16
166
0.10
その他
22
15
220
0.07
29
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
サイエンスリンケージ
1.6
米国
日本
その他
1.4
1.2
1
0.8
0.6
0.4
0.2
0
バイオ
ナノテク
IT
環境
技術分野
図Ⅰ-12 1請求項あたり平均サイエンスリンケージ(グラフ)
■ まとめ
ここまでの研究により、4つの主要技術分野特許サンプルにおいて観測された、技術分野毎の引用論文等の数(サイエ
ンスリンケージ)は、特許権者の国籍や、請求項の数によってコントロールした後も、バイオテクノロジーが突出して多く、ナ
ノテクがそれに続き、ITと環境技術は少ないという事実が明らかとなった。すなわち、サイエンスリンケージは、研究機関の
国籍を問わず、技術分野自体によって大きく異なっている、と言える。
30
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
6.被引用論文の属性
■ はじめに
第5項までの観測結果は、それ自体新たな発見であると言えるが、同時に、なぜ技術分野によってサイエンスリンケージ
がかくも異なっているのか、という新たな問いを我々の前に投げかける。
■ 方 法
この問いに対する答えを模索するために、特許によって引用されている論文等を、東京大学において subscribe している科
学文献データベース ScienceDirect や東京大学図書館の蔵書をもとに、可能な限り収集した。その数は4000件以上に及ん
だ。そして、収集した論文等の著者の、住所から推定した国籍、著者の所属機関の属性を調査した。さらに、引用されている
論文等の謝辞から、当該論文等を助成している機関の属性及び国籍を調査し、それらの因果関係につき分析を行った。
図Ⅰ-13 被引用論文の収集
■ 結 果
① 論文著者の国籍
最もサイエンスリンケージが強かったバイオ分野において、引用されている著者の所属機関の国籍が明らかとなった約2
800本の論文等の分布を見ると、アメリカで研究した著者のものが60%と過半数を占め、日本のものは9%にとどまってい
る。3位以下の順位は、イギリス8%、ドイツ4%である。これは、我が国に出願されたバイオ技術分野特許の6割が、アメリカ
において研究活動が行われた論文の知識を何らかの形で参考にしている、と言えよう。
同様に、ナノテクノロジーにおいては約400本中アメリカで研究された論文がほぼバイオテクノロジーと同じ比率の5
8%、次いで日本が22%、以下イギリス6%、フランス4%の順となる。日本において研究された論文等が特許に引用された
比率が2倍以上に上昇しているのが注目される。
31
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
IT分野は、300サンプルの特許に引用され、国籍が判明した論文数自体が35本と、バイオ技術の80分の1、ナノテクと
比較しても10分の1以下に低下するため、バイオやナノテクと同列に研究機関の所在国比率を比較することには疑義なし
とはしないが、日本が14本、39%でトップ、米国が1本少ない13本で37%、次いで、ドイツが3本で9%であった。あえて言
えば、少ないながらも日本で研究された論文等の引用がトップとなり、常識とも整合的である。
環境技術も、同様に国籍が判明した論文等が43本と少ない。その中を見ると、日本が16本で38%を占め1位、アメリカ
が26%で2位、以下イギリス4本・9%、ドイツ3本・7%と続く。これも、強いて言えば環境関連技術は規制の厳しさや国土の
狭さ、国民の環境に対する熱心度(いわゆる「グリーンコンシューマー」の比率)等による環境関連研究活動の活性を示して
いるように見えなくもない。
スイス; 41; 1% スウェーデン; 40; 1%
その他の国; 128; 5%
カナダ; 45; 2%
オランダ; 45; 2%
ベルギー; 52; 2%
オーストラリア; 52; 2%
フランス; 97; 4%
ドイツ; 102; 4%
イギリス; 215; 8%
アメリカ; 1697; 60%
日本; 255; 9%
図Ⅰ-14 バイオ分野の被引用論文著者の国籍
オランダ, 5, 1%
イタリア, 5, 1%
その他の国,
12, 3%
スイス, 6, 1%
カナダ, 6, 1%
オーストラリア,
6, 1%
ドイツ, 10, 2%
フランス, 17, 4%
イギリス, 24, 6%
アメリカ, 229,
58%
日本, 83, 22%
32
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
図Ⅰ-15 ナノテク分野の被引用論文著者の国籍
香港, 1, 3%
フランス, 1, 3%
スペイン, 1, 3%
スウェーデン, 1, 3%
カナダ, 1, 3%
ドイツ, 3, 9%
日本, 14, 39%
アメリカ(本土), 13,
37%
図Ⅰ-16 IT分野の被引用論文著者の国籍
ロシア連邦, 1, 2%
韓国, 1, 2%
中国, 1, 2%
オランダ, 1, 2%
オーストラリア, 1,
2%
33
ベルギー, 2, 5%
インド, 2, 5%
日本, 16, 38%
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
図Ⅰ-17 環境技術分野の被引用論文著者の国籍
34
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
② 特許権者の国籍と被引用論文等著者の国籍のクロス分析
しかし、ここで想起されるのは、バイオ技術分野に出願された特許のうち、28%が米国からの出願であり、それを含めて5
0%の出願が日本以外からの出願であったという事実である。この比率は、他の技術分野の外国人(法人)出願比率が、ナ
ノテク28%、IT13%、環境技術12%と比較しても高く、「バイオ分野において米国の論文等の引用が多いのは、単に米国
からの出願に米国における論文等が引用されているだけではないか」という反論があり得よう。
そこで、一対多の対応関係にある、特許サンプルと被引用論文等を、リレーショナルデータベースソフトで連結した。その
後、核技術分野毎に、特許を出願人の住所から推定した国籍で絞り込んだ後、論文等著者の所属機関の住所から推定し
た国籍でさらに絞り込み、特許権者の推定国籍別・著者推定国籍別のクロス分析を行った。
具体的には、各技術分野300サンプルを、日本人(法人)による出願、アメリカ人による出願、それ以外(ほとんどが欧
州)、の3つに分類し、それぞれの国から出願された特許のサイエンスリンケージを計測した。
図Ⅰ-14 から図Ⅰ-17 までが、それぞれバイオ技術分野、ナノテク分野、IT 分野、環境技術分野300サンプルに引用さ
れている論文を、特許権者の推定国籍別かつ著者推定国籍別に集計した結果である。論文等著者の欄で「不明」としてい
るのは、特許明細書中に引用記述はあるものの、著者の所属機関が記されていない等の理由により国籍の推定が不可能
であった論文等である。前項において明らかとなったように、技術分野毎の300サンプルから引用されている論文等の数
は、技術分野の違いによって大きく異なっている。従って、表被引用論文等の合計値は、バイオ技術分野が3439件、ナノ
テク分野が598件、IT 分野が95件、環境技術分野が79件と異なることに留意が必要である。こうした技術分野間での論文
等引用件数、及び、特許権者の国籍による引用件数の差異を補正し、特許権者の国籍と被引用論文等著者の国籍との関
係をより理解しやすくするため、特許権者の国籍別に、「著者国籍別被引用論文等数」を「著者が判明した被引用論文の
合計」で除したもの(「相対引用件数」と呼ぶ)をグラフ化したものである。
その結果、バイオ技術分野においては、日本特許150サンプルに引用されている735本の論文等の研究機関の国籍
は、アメリカが53%、次いで日本の25%、欧州等の23%の順であった。米国の83特許に引用された1140本のうち、アメリ
カの論文等がやはり日本同様一番多く、次いで欧州等の論文25%、日本のものは3%であった。欧州等から出願された4
3件の特許は、891本の論文等を引用しており、これもアメリカのものが一番多く55%を占め、次は自らのエリアから40%、
最後が日本のもので、5%であった。
バイオ技術分野特許で特徴的なのは、出願人の国籍がどこであれ、米国の論文等の引用比率が一番高い、という事実
である。人の移動や言語の壁等、知識の伝搬にも一定のトランザクションコストがかかるとすると、距離的に近接した、あるい
は、言語が共通な地域の論文等をより多く引用する傾向があると類推されるし、実際にそういった先行研究も存在する
(Narin et al., 1997)。にもかかわらず、バイオ技術分野においては、米国の論文等の引用がどの国の特許においても最も
多いという結果は、ナリンの言う strong national component を凌駕するほど、アメリカがバイオ研究においては活発に知識を
発信しており、世界に対して影響を与えている、ということが言えるのではないだろうか。
ナノテク分野においては、日本特許229サンプルに引用されている260本の論文等の研究機関の国籍は、アメリカが64
本で43%、日本は62本で42%と、わずかながら米国論文等の引用が日本のそれを上回る。欧州等は22本で15%であ
る。米国からの53特許に引用された184本のうち、アメリカ自身の論文等が135本で一番多く、次いで欧州等の35本・1
9%、日本のものは14本で8%であった。欧州等から出願された33件の特許は70件の論文等を引用しており、欧州等自
身のものが一番多く49%を占め、アメリカの29本・7%、最後が日本のもので、7本・10%であった。
ITは国籍が判明した論文等が35本、ナノテクも42本しかなく、論文等のサンプル数が少ないうえ、出願特許の9割近く
が日本からのものであるため、議論は困難であるが、あえて傾向を言うなら、ITは日本の論文の引用が自国エリアからの引
用傾向(strong national component)に加えて、日本の論文等がアメリカにおいて対等に引用(とは言っても3本ずつである
が)されていることが挙げられる。
こうした調査から、「バイオ分野において米国の論文等の引用が多いのは、単に米国からの出願に米国における論文等
が引用されているだけではないか」という問いに対しては、以下のように答えることが可能である。
35
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
バイオ分野においては、特許権者の国籍に関係なく、アメリカの論文等が高い比率で引用されている。したがって、日本
において出願された特許、すなわち日本国内において権利を保護しようというインセンティブを持つ知的財産に、アメリカ
において行われた研究成果が、何らかの形で強く影響している、と言えよう。
ナノテクノロジーにおいては、バイオテクノロジーほど、強いアメリカとのサイエンスリンケージは見られなくなる。IT分野で
はそれが逆転しているようにも見える。
③ 論文著者の所属機関
図Ⅰ-19は、バイオ分野特許における被引用論文等の著者を所属機関別に分類したものである。
バイオ分野被引用論文の著者の所属機関の属性をみると、大学が約60%と多く、次いで国公立研究機関が約17%で、
両者を合計すると約77%となる。企業に所属する著者は13%である。
3000
2500
大学
国立研究機関
公立研究機関
企業
個人
その他
不明
2000
1500
1000
500
0
大学
国立研究機関
公立研究機関
企業
個人
その他
不明
バイオ
ナノテク
IT
環境
1636
473
40
366
10
242
10
190
38
14
130
2
30
0
12
0
4
18
1
1
0
22
12
1
8
0
0
0
図Ⅰ-18 論文等の著者の所属
その他
9%
不明
0%
個人
0%
企業
13%
公立研究機関
1%
大学
60%
国立研究機関
17%
36
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
図 Ⅰ-19 バイオ分野論文等著者の所属
その他
3%
不明
0%
個人
3%
大学
33%
企業
50%
国立研究機関
0%
公立研究機関
11%
図Ⅰ-20 ナノテク分野論文等著者の所属
その他
7%
個人
0%
不明
0%
大学
48%
企業
33%
公立研究機関
3%
国立研究機関
9%
図Ⅰ-21 IT 分野論文等著者の所属
37
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
個人
0%
その他
0%
不明
0%
企業
19%
公立研究機
関
2%
大学
51%
国立研究機
関
28%
図Ⅰ-22 環境分野論文等著者の所属
④ 論文の助成機関の調査
こうしたバイオ分野において特に強く見られるアメリカ論文等の引用は、いかなる理由によるものか、というものである。こ
の問いに対する答えを模索するため、各分野の論文の謝辞を調べ、”this research is supported by”というように、直接的に
助成を受けた記述を抜き出した。
その結果、バイオ技術分野特許が引用している論文等約4300件のうち、76%が助成を受けた旨の記述があった。これ
は、ナノテク分野の42%、IT分野の31%、環境分野の43%と比べても、高い数値であると言えよう。助成機関のほとんど
が米国に所在することも、バイオ分野の特徴である。
表Ⅰ-12 バイオ分野引用論文の助成機関の調査
総計
4281
無
1002
NIH(米国)
547
NSF (米国)
222
NCI (National Cancer Institute) (米国)
200
38
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
USPHS (U.S. Public Health Service) (米国)
168
American Cancer Society (米国)
157
(旧)文部省(日本)
93
National Institute of General Medical Sciences (米国)
89
39
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
表Ⅰ-13 ナノテク分野引用論文の助成機関
総計
334
無
192
NIH (米国)
14
NSF (米国)
12
AFOSR (Air Force Office of Scientific Research)(米国)
6
Litton Systems Inc. (米国)
6
USPHS (U.S. Public Health Service) (米国)
6
CNRS (Centre National de le Recherche Ccientifique)(フランス)
5
(旧)文部省(日本)
5
表Ⅰ-14 IT 分野引用論文の助成機関
総計
13
無
20
German Bundespost
(German Post Office)(ドイツ)
2
IBM (米国)
2
NSF (米国)
2
Federal Department of Research and Technology (ドイツ)
1
Ministry of Education of Spain(スペイン)
1
ONR (The Office of Naval Research) (米国)
1
表Ⅰ-15 環境分野引用論文の助成機関
総計
10
2
NEDO(日本)
1
Air Force Office of Scientific Research (米国)
Consejo Nacional de Investigaciones Cientificas Tecnicas, Rrepublic of
1
Argentina(アルゼンチン)
1
D.S.I.R(英国)
1
Naval Sea Systems Command (米国)
1
NSF (米国)
1
U.S.Atomic Energy Commission (米国)
1
U.S.Naval Ordnance Laboratory (米国)
1
不明
40
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
⑤ まとめ
これらの結果をまとめると、サイエンスリンケージが際立って多いバイオテクノロジー分野では、①引用されている論文等
の著者が所属する組織にアメリカの研究機関が多いこと、②その機関は大学等公的機関が占める割合が高いこと、さらに、
③論文の謝辞にアメリカの助成機関が記載されている比率が高いこと、の3点である。この結果は、バイオテクノロジー分野
においては米国が優位であり、産学連携や大学発ベンチャーが活発に生まれていること、NIHをはじめとする助成金額に
おいてもアメリカが多いと言われていることとも整合的である。
■ 結 論
序においても述べたように、長期的経済成長の要因は、労働や資本の投入もさることながら、技術変化によってその多く
がもたらされることが明らかとなっている。そして、技術変化をもたらすとされる要素のひとつとして、科学が挙げられている。
科学に対する公的支援も、こうした理由によって正当化されてきた。しかし、「技術変化に、科学がどのように、どの程度影
響を与えているか」という問いに対しては、未だ完全に解明されたとは言い難い。
一方、論文の引用している参照文献の研究に端を発したサイエントメトリクスは、科学の分野の評価指標の一つとして使
われるにとどまらず、特許同志の引用にも応用され、特許の重要度の評価手法としても使われている。そして、特許データ
には、技術変化の指標としての価値があり、論文は、科学の指標の一つとして活用されている。ゆえに、サイエントメトリクス
の手法を、特許とそれが引用している特許以外の文献に適用することによって計測された、特許が引用している論文等の
数(サイエンスリンケージ)は、産業の生産性向上の要因である「技術」と、知的活動の体系的集積である「科学」との間をつ
なぐ指標として、いくつかの留意点はあるものの、有効な指標であると考えられている。
しかしながら、日本特許を対象としたサイエンスリンケージの研究は、調査した限りでは見つけることが出来なかった。サ
イエンスリンケージに関する研究については、主としてデータが整備されているという理由から、米国特許を対象としたもの
が多い。欧州特許庁のマイケルらによる研究においても、特許の引用している文献の調査に関しては、日本特許のデータ
の不備により、米欧のみの比較しか行われていない(Michel et al., 2001)。つまり、世界3大特許庁の一角を占める日本特
許庁のデータは、これまで十分に調査研究されていない。
日本特許が十分に調査研究されていないのは、日本特許が重要でないからではない。むしろ、日本という米国や欧州に
比肩する国内総生産を持つ国における技術変化のメカニズムを研究するためには、日本国において出願された特許につ
いて研究することが必要不可欠だと考えられる。なぜなら、海外への特許出願には、日本国内に出願する2倍以上のコスト
がかかると聞いており、また、国内マーケットしか対象としない非貿易財に関する技術や、輸出競争力の無い財の場合に
は、海外特許出願による知的財産権保護のメリットがないため、海外出願は行われないと考えられるからである。したがっ
て、日本における技術変化とそれに関連する科学的知識の関連(リンケージ)の研究を行うに際し、米国特許等海外に出
願された特許の分析のみでは、データが前述のような国際出願コストや出願先国における輸出競争力等のバイアスを受け
ているおそれがあり、必ずしも十分とは言えない。
そこで、本研究においては、この「技術変化に科学がどのように、どの程度影響を与えているか」という問いに対して、日
本国特許庁の公報データを対象とし、以下のような研究を行った。
次いで、日本特許においても米国特許や欧州特許などのように他の特許や論文を引用が存在するか否かを明らかとす
るため、バイオ技術分野特許とその補集合特許のそれぞれに対するサンプリング調査を行った。
その結果、まず、参照文献の記載が法律で義務づけられていなかった日本特許にも他の特許や論文等に対する引用が
存在することが明らかとなった。同時に、日本特許においては、フロントページの「参照文献」(引用文献が記載される任意
項目)を調査するだけでは、引用文献の分析として十分ではないことが明らかとなった。さらに、可能な範囲でサイエンスリ
ンケージの日米比較を試みたところ、主としてヒトゲノム技術からなる「バイオ技術分野」の特許のサイエンスリンケージが、
他の技術分野と比較して明らかに多く、この傾向は日米で共通であることも明らかとなった。
こうした結果を踏まえ、1995年から1999年の5年間に特許性有りと審査され、公開された特許約65万件を対象とし、第
二次科学技術基本計画において重点分野とされた、バイオテクノロジー、ナノテクノロジー、情報技術(IT)、環境関連技術
の4つの技術分野に属する特許をデータベースより抽出した。さらに、それら技術分野毎の特許部分集合からランダムサン
41
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
プリングにより300件ずつのサンプルを取り、無作為抽出300サンプルのコントロールとも比較しつつ、日本特許の他の特
許及び論文等に対する引用の傾向について、特許全文を対象に、目視により分析を行った。
その結果、サンプルに占める論文等を引用している特許の割合についても、特許一件当たりの平均論文等引用件数に
おいても、多い順に、バイオ技術分野特許、ナノテク分野特許、IT分野特許、最後に環境技術分野特許という明らかな傾
向が見られた。これは、統計的に1%水準で有意であった。
この、特許が属する技術分野の違いによるサイエンスリンケージの違いについて、その原因を分析するため、特許権者
の住所から推定した国籍の分布が、技術分野毎にどのように異なっているかを調査した。
すると、バイオ特許権者の50%が外国に住所がある機関からの出願であり、その比率はナノテクノロジーでは28%、ITで
は13%、環境関連技術では12%という結果となった。これは、1特許あたり平均サイエンスリンケージが多い技術分野の順
番と同一である。当然、サイエンスリンケージが多いのは、外国人の出願比率が多く、それが技術分野毎の平均サイエンス
リンケージに影響を与えているだけではないか、という仮説が成り立つ。
そこで、技術分野毎にサンプリングされた特許を、さらに特許権者の国籍で分類し、技術分野別・国籍別に1特許あたり
平均サイエンスリンケージを算出し、その傾向を比較した。
結果は先ほどの仮説に反し、国籍別に分析しても、サイエンスリンケージの水準こそ異なるものの、技術分野間のサイエ
ンスリンケージの違いは残り、バイオが突出し、ナノテクがそれに続き、IT及び環境技術は論文等の引用が少なかった。
これらの研究結果から、特許の属する技術分野による1特許あたり平均論文等引用数の違いは、特許権者がどこの国の研
究機関において研究しているかによる影響よりも、技術の持つ本質的な特性によるものではないか、と推測される。
さて、ここまでの議論では、1特許あたり平均のサイエンスリンケージを技術分野毎に比較し、論じてきた。しかし、多くのサ
イエンスリンケージを持つ特許は、請求項も多いのではないか、そして、技術分野によって、1特許あたりの請求項に違い
があるために、このサイエンスリンケージの技術分野による違いが生じているのではないか、という批判も当然あり得よう。そ
こで、サンプリングした4技術分野、1200件の特許について、特許1件ごとの請求項を数え、請求項とサイエンスリンケージ
の関係について調査し、分析を行った。
その結果、米国特許ではサイエンスリンケージも多いが請求項も多いため、1請求項あたりのサイエンスリンケージは、か
えって国毎の差が縮小し、技術分野による違いが際立つ結果となった。ここでも、最もサイエンスリンケージの多い技術分
野はバイオテクノロジーであり、ナノテクノロジーがそれに続いた。日本国籍の特許においては、ITがそれに続き、環境技
術分野のサイエンスリンケージが最も低くなった。したがって、請求項を単位としても、バイオ技術のサイエンスリンケージが
突出し、ナノテクノロジーがこれに続き、ITと環境技術は少ないという傾向に変化はなかった。
ここまでの研究により、4つの主要技術分野特許サンプルにおいて観測された、技術分野毎の引用論文等の数(サイエ
ンスリンケージ)は、特許権者の国籍や、請求項の数によってコントロールした後も、バイオテクノロジーが突出して多く、ナ
ノテクがそれに続き、ITと環境技術は少ないという事実が明らかとなった。すなわち、特許のサイエンスリンケージは、特許
権者の国籍等を問わず、技術分野自体によって大きく異なっている、と言える。
この観測結果は、それ自体新たな発見であると言えるが、同時に、なぜ技術分野によってサイエンスリンケージがかくも
異なっているのか、という新たな問いを我々の前に投げかける。この問いに対する答えを模索するために、特許によって引
用されている論文等を可能な限り収集した。そして、収集した論文等の著者の、住所から推定した国籍、著者の所属機関
の属性を調査した。さらに、引用されている論文等の謝辞から、当該論文等を助成している機関の属性及び国籍を調査
し、それらの因果関係につき分析を行った。
最もサイエンスリンケージが強かったバイオ分野において、引用されている著者の所属機関の国籍が明らかとなった約2
800本の論文等の分布を見ると、アメリカで研究した著者のものが60%と過半数を占め、日本のものは9%にとどまってい
る。3位以下の順位は、イギリス8%、ドイツ4%である。
この結果から、我が国に出願されたバイオ技術分野特許の6割が、アメリカにおいて研究活動が行われた論文の知識を何
らかの形で参考にしている、と推測される。
42
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
同様に、ナノテクノロジーにおいては約400件中アメリカで研究された論文がほぼバイオテクノロジーと同じ比率の5
8%、次いで日本が22%、以下イギリス6%、フランス4%の順となる。日本において研究された論文等が特許に引用された
比率が2倍以上に上昇しているのが注目される。
IT分野は、300サンプルの特許に引用され、国籍が判明した論文数自体が35件と、バイオ技術の80分の1、ナノテクと
比較しても10分の1以下に低下するため、バイオやナノテクと同列に研究機関の所在国比率を比較することには疑義なし
とはしないが、日本が14本、39%でトップ、米国が1本少ない13本で37%、次いで、ドイツが3本で9%であった。あえて言
えば、少ないながらも日本で研究された論文等の引用がトップとなり、IT分野は日本も強いという筆者の感覚とも整合的で
ある。
環境技術も、同様に国籍が判明した論文等が43件と少ない。その中を見ると、日本が16本で38%を占め1位、アメリカ
が26%で2位、以下イギリス4本・9%、ドイツ3本・7%と続いた。
しかし、ここで想起されるのは、バイオ技術分野に出願された特許のうち、28%が米国からの出願であり、それを含めて5
0%の出願が日本以外からの出願であったという事実である。この比率は、他の技術分野の外国人(法人)出願比率が、ナ
ノテク28%、IT13%、環境技術12%と比較しても高く、「バイオ分野においてアメリカの論文等の引用が多いのは、単にア
メリカからの出願に米国における論文等が多く引用されていることに起因するのではないか」という反論があり得よう。
そこで、各技術分野300サンプルを、日本人(法人)による出願、アメリカ人による出願、欧州等からの出願、の3つに分類
し、それぞれの地域から出願された特許のサイエンスリンケージを計測した。
その結果、バイオ技術分野においては、日本特許150サンプルに引用されている735本の論文等の研究機関の国籍
は、アメリカが53%、次いで日本の25%、欧州等の23%の順であった。アメリカの83特許に引用された1140本において
も、アメリカの論文等が日本同様一番多く、次いで欧州等の論文25%、日本のものは3%であった。欧州等から出願された
43件の特許は、891本の論文等を引用しており、これもアメリカのものが一番多く55%を占め、次は自らのエリアから4
0%、最後が日本のもので、5%であった。
バイオ技術分野特許で特徴的なのは、出願人の国籍がどこであれ、米国の論文等の引用比率が一番高い、という事実
である。人の移動や言語の壁等、知識の伝搬にも一定のトランザクションコストがかかるとすると、距離的に近接した、あるい
は、言語が共通な地域の論文等をより多く引用する傾向があると類推されるし、実際にそういった先行研究も存在する
(Narin et al., 1997)。にもかかわらず、バイオ技術分野においては、米国の論文等の引用がどの国の特許においても最も
多いという結果は、ナリンの言う strong national component を凌駕するほど、アメリカがバイオ研究においては活発に知識を
発信しており、世界に対して影響を与えている、ということが言えるのではないだろうか。
ナノテク分野においては、日本特許229サンプルに引用されている260本の論文等の研究機関の国籍は、アメリカが64
本で43%、日本は62本で42%と、米国論文等の引用と日本の論文等の引用がほぼ同率となる。欧州等の論文等は22本
で15%である。アメリカからの53特許に引用された184本のうち、アメリカ自身の論文等が135本で一番多く、次いで欧州
等の35本・19%、日本のものは14本で8%であった。欧州等から出願された33件の特許は70件の論文等を引用してお
り、欧州等自身のものが一番多く49%を占め、アメリカの29本・7%、最後が日本のもので、7本・10%であった。
IT分野は国籍が判明した論文等が全部で35本、ナノテク分野は42本しかなく、論文等のサンプル数が少ないうえ、出願
特許の9割近くが日本からのものであるため、議論は困難であるが、あえて傾向を言うなら、IT分野や環境分野は自国エリ
アからの引用が多く見られる。
こうした調査から、「バイオ分野において米国の論文等の引用が多いのは、単に米国からの出願に米国における論文等
が引用されているだけではないか」という問いに対しては、以下のように答えることが可能である。
バイオ分野においては、特許権者の国籍に関係なく、アメリカの論文等が高い比率で引用されている。したがって、日本に
おいて出願された特許、すなわち日本国内において権利を保護しようというインセンティブを持つ知的財産に、アメリカに
おいて行われた研究成果が、何らかの形で強く影響している、と言えよう。
ナノテクノロジーにおいては、バイオテクノロジーほど、強いアメリカとのサイエンスリンケージは見られなくなる。IT分野では
それが逆転しているようにも見える。
43
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
こうしたバイオ分野において特に強く見られるアメリカ論文等の引用は、いかなる理由によるものであろうか。この問いに対
する答えを模索するため、各分野の論文の謝辞を調べ、”this research is supported by”というように、直接的に助成を受け
た記述を抜き出した。
その結果、バイオ技術分野特許が引用している論文等約4300件のうち、76%が助成を受けた旨の記述があった。これ
は、ナノテク分野の42%、IT分野の31%、環境分野の43%と比べても、高い数値であると言えよう。助成機関のほとんど
が米国に所在することも、バイオ分野の特徴である。そして、バイオ分野被引用論文の著者の所属機関の属性をみると、大
学が約59%と群を抜いて多く、次いで国公立研究機関が約18%で、両者を合計すると約76%となる。企業に所属する著
者は13%である。
これらの結果をまとめると、サイエンスリンケージが際立って多いバイオテクノロジー分野では、①引用されている論文等
の著者が所属する組織にアメリカの研究機関が多いこと、②その機関は大学等公的機関が占める割合が高いこと、さらに、
③論文の謝辞にアメリカの助成機関が記載されている比率が高いこと、の3点である。この結果は、バイオテクノロジー分野
においては米国が優位であり、産学連携や大学発ベンチャーが活発に生まれていること、NIHをはじめとする助成金額に
おいてもアメリカが多いと言われていることとも整合的である。
■ 参照文献
1.
Albert MB, Avery D, Narin F, McAllister P. 1991. Direct validation of citation counts as indicatours of industrially
important patents. Research Policy 20: 251-259
2.
Anderson J, Williams N, Seemungai D, Narin F, Olivastro D. 1996. Human Genetic Technology: Exploring the Links
between Scinence and Innovation. Technology Analysis and Strategic Management 8(2): 135-156
3.
Archibugi D. 1992. Patenting as an indicator of technological innovation: a review. Science and Public Policy 19(6)
4.
Mansfield E. 1991. Academic research and industrial innovation. Research Policy 20: 1-12
5.
Michel J, Bettels B. 2001. Patent citation analysis. Scientometrics 51(1): 185-201
6.
Narin F. 1993. Patent Citation Analysis: The Strategic Application of Technology Indicators. Patent World(April):
25-31
7.
Narin F. 1995. Inventive productivity. Research Policy 24: 507-519
8.
Narin F, Hamilton K, Olivastro D. 1997. The increasing linkage between U.S. technology and public science.
Research Policy 26: 317-330
9.
Narin F, Olivastro D. 1988. Science Indicators: Their Use in Science Policy and Their Role in Science Studies.
DSWO Press: The Netherlands
10.
Narin F, Pinski G, Gee HH. 1976. Structure of the Biomedical Literature. Journal of the American Society for
Information Science january-February
11.
OECD. 1990. University-Enterprise Relations in OECD Member Countries. OECD: Paris
12.
Price DJdS. 1965. Lttle Science, Big Science. Columbia University Press: New York, NY
13.
Solow R. 1956. A Contribution to the Theory of Economic Growth. QuArterly Journal of Economics 70(February):
65-94
14.
科学技術指標2000 科学技術政策研究所
科学技術白書平成13年版 文部科学省
44
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
付録
特許フロントページの例
45
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
2. S-T-I ネットワークと中国のイノベーション・システム ~新たな産業創出を支える制度改革~
経済産業研究所
角南 篤
陳 漓屏(研究アシスタント)
周 国栄(研究アシスタント)
清華大学・大学与企業合作委員会
周 遠強
1.はじめに:中国のイノベーションシステム改革と高まる「産学研」ネットワーク
近年中国では、これまでの国有企業とは違う技術革新をベースにした新しいタイプの企業(民営科技企業)が目まぐるし
い勢いで数多く設立されている。とくに、IT・ソフト産業など比較的高付加価値な科学技術を中心とした新しいハイテク企業
が集積している北京市北西部の中関村(ちゅうかんそん)、いわゆる「中国のシリコンバレー」には国内外から高い関心が寄
せられている。この地域には、中国を代表する北京大学や清華大学をはじめ、中国科学院など 30 以上の大学と 200 を超え
る研究機関が集まっており、また大学や研究機関からスピンオフした企業も数多く存在している。1980 年代の改革開放から
約 20 年、「中国のシリコンバレー」のダイナミズムは今や中国の技術革新のスピードアップによる急速な経済発展を象徴づ
ける存在になっている。
1980 年代以前の中国のイノベーション・システムは、「鉄の試験管」とよばれる旧ソ連をモデルとした中央集権型に制度
化され、国防関係や重工業の発展に関連する科学技術を中心に研究開発を行ってきた。このような国家主導体制におい
ては、民間ではなく国家級研究機関などが主な研究開発の担い手であった。しかし、改革開放に向けて大きな転換をはか
った際、それまでの経済的に非効率な研究開発体制を問題視した中国政府は、旧ソ連型イノベーション・システム(技術革
新システム)からアメリカ、とりわけシリコンバレーをモデルにした新しいイノベーション・システムの構築を目指し抜本的な改
革に着手したのである。産学連携のモデルとして常に取り上げられるカリフォルニアのシリコンバレーは、実際には自然発
生的に出来上がったもので、政府主導の改革によるものとは社会的背景が根本的に異なる。「中国のシリコンバレー」を実
質的に支えているのは民営科技企業とよばれるハイテク企業で、中でも大学・国家級研究機関発の「産学研連携」によるス
タートアップ企業は、この中関村のような政府に認定されているハイテク実験区に集積しており、そうしたことからこれらの地
域のなかにアメリカのシリコンバレーに喩えられるようなものも存在するようになった。
表Ⅲ―1 「科教興国」をめざした改革
S:
中国教育改革と発展綱要
(1993年2月13日)
211工程
T:
863計画―高技術研究発展計画
(1986年)
火炬計画―サイエンスパークの設立計画
I:
(1988年8月)
ソフト産業と半導体集積回路産業の発展に関する政策 (2000年6月24日)
S-T-I:
中華人民共和国科学技術進歩法
(1993年7月2日)
中華人民共和国促進科学技術成果転換法(1996年5月15日)
科学技術成果の転換を促進に関する若干規定(1999年3月30日)
中華人民共和国特許法
(2000年8月25日により第2回修正)
中華人民共和国特許法実施細則
(2000年7月1日)
46
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
日本でも、「科学技術創造立国」の確立を目指した科学技術制度の改革に乗り出したが、中でもとくに期待されているの
が大学での研究成果をもとにした新しいタイプの「産学連携」の確立である。一方、中国では、過去 20 年間にわたり政府が
積極的に「産学研合作」を作り出す環境を実現するための特別行政区の建設に携わっており、同時に北京大学や清華大
学などが設立した企業(校弁企業)集団は中国の民営科技企業の代表的企業に成長している。またこの様に、研究型大学
が自ら企業を設立し直接子会社として経営するのは世界的に見ても稀であり、まさに中国版産学合作といえる。現在、中国
全土における校弁企業の数は、5000 社を超え、全体で 480 億元を上回る収入を得ているが、そのほとんどが北京に集中し
ており、また校弁企業による総収入も北京大学と清華大学の経営する企業集団が三割以上を占めている。このように、校
弁企業の台頭にみられるようなこれまでの機能別に独立した R&D 機関が横断的なネットワーク化で結ばれるような改革を
推進しているのが現在の中国である。とりわけ、サイエンスパークやインキュベーション等、技術シーズを産業と結びつける
仲介性能を発展させる積極的改革は、日本にとっても参考になる点が多いと言える。
中国科技論文の共著情況
論文作者数及び共著情況
90%
3.2
100000
80%
3.1
90000
70%
3.0
80000
60%
2.9
50%
2.8
40%
2.7
30%
2.6
20%
2.5
10%
2.4
0%
2.3
70000
共著比率
論 60000
文 50000
数 40000
平均作者数
(人)
社内共著
地域内共著
地域共著
国際共著
30000
20000
10000
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
1999
0
1995 1996 1997 1998 1999
中国国内における共著論文(科学技術)の発
表情況
中国国内における共著論文の発表情況
4000
10000
9000
8000
7000
6000
件 5000
4000
3000
2000
1000
0
1500
1000
500
機
究
学
大
間
研
と
大
学
究
研
業
企
大
と
業
企
企
業
と
研
究
学
所
間
0
1992
1997
間
1992年
1997年
本 2000
関
2500
機
3000
関
3500
図Ⅲ―1 論文引用パターンからみた高まる S-T-I ネットワーク
(出所)
中国科技統計年鑑 2001 年、中国科技論文統計与分析
中国科技発展研究報告 2001 年
47
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
2.北京中関村にみる「産学研」合作の発展
北京中関村の歴史は、1980 年に中国科学院物理研究所の陳春先博士が、米国におけるシリコンバレーの発展に影響
を受け、自らこの地域に産学連携を目指した最初のインキュベーターを設立したことに始まる。その後、中国科学院からス
ピンオフした四通公司や聯想集団、また北京大学の北大方正、清華大学の清華紫光集団といった大学が持っているシー
ズをもとに発展した校弁企業集団など中国を代表するさまざまなハイテク企業が続々と誕生した。このような大学が保有す
る校弁企業や私営企業などを含めたハイテク企業の数は、この中関村周辺だけでも 4000 から 5000 社にも上り、総売上は
1000 億人民元を上回るまでになっている(中国社会統計資料 2000 年)。
R&D Intensity
7%
6%
5%
4%
1998
1999
2000
3%
2%
1%
0%
北京
天津
上海
広東
江蘇
山東
R&D Share
25%
20%
15%
1998
1999
2000
10%
5%
0%
北京
天津
上海
広東
江蘇
山東
図Ⅲ―2 地域別にみたR&D活動
(出所) 中国統計年鑑2001年に基づき作成
実験区総収入の地区別シ ェア
西安
昆明
深セン
広州
蘇州
1999
2000
無錫
上海
大連
天津
北京
0%
2%
4%
6%
8%
10%
12%
14%
図Ⅲ―3 地域別に見たR&D活動(続き)
(出所) 中国統計年鑑2001年に基づき作成
48
16%
18%
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
中関村の発展には、1985 年の「科学技術体制の改革に関わる中共中央の決定」以来、政府がさまざまな研究開発制度
の改革を行い、科学技術を経済成長に結びつける努力を続けていることが背景にあることは見逃せない。具体的には、国
家自然科学研究基金の設立(1986 年)による競争的研究資金の導入、技術移転サポート組織の設置や技術市場の整備
などによる産学研間の技術移転を促進する仲介制度の確立、大学や公的機関に所属する研究者の兼業を認めるなど人
材の流動化を目指した政策、そして、研究開発組織の規制緩和による産学研間の共同研究を活発化する制度改革などが
挙げられる。また象徴的な国家プロジェクトとしては、「863 計画」(重点ハイテク分野開発計画)や「火炬(たいまつ)計画」
(全国的な科技実験区の建設計画)などが代表的である。中国の科学技術政策は、予算配分による直接的な政策と優遇
税政などの間接的な支援策の大きく二つに分けることが出来る。
表Ⅲ―2 主要な科学技術政策
予算配分
優遇政策など
国家科学技術攻関計画(重点化プログラム)
「星火」計画
国家重点実験室計画
「火炬」計画
国家重大科学工程
国家重点新製品計画
「 863 」 計 画
国家重点科学成果活用計画
「攀登」計画
新技術の成果を広がる計画
国家自然科学基金
プログラム・レベルでの試行錯誤はあるものの、中国の特色としてはいずれの政策も長期間にわたって実施されており、
改革の流れを止めないような努力が見られることである。
中関村は 1988 年に正式に中国初のハイテク産業開発区の認定を受け、1999 年には国務院がこの地域を「科教興国」
の柱にする決定をしている。そして、こうした振興政策のほとんどが、この地域で起業を目指す研究者によって提案されて
おり、一見トップダウン方式で改革が進んでいるかに思われがちな中国政府が、実は中関村のダイナミズムに飲み込まれる
形で必死にフォローしているのが実態なのである。
表Ⅲ―3 中関村の発展の歴史と課題
<発展の歴史>
○
84年、中国科学院の研究員五名が国務院に対して、中関村にハイテク開発区の建設することを提唱、
「中
関村開発規画弁公室」が設置されるーあくまで市場メカニズムを主体とし政府は必要な場合において介
入、コーディネーション機能を行うということが基本
○
88年、党により、中央・地方政府、中国科学院などによる連合調査組が組織され、「北京市新技術産業
開発試験区暫定条例」が批准されたー中国初のハイテク産業開発区の誕生
○
91年、上地地区に情報産業開発区の建設
○
99年、江沢民による中関村視察、科学技術部と北京市による建設加速要求、北京市は「新技術産業開発
試験区」を「中関村科技園区」に改名
<主な課題>
①
都市基盤の未整備
②
人材供給:ジョブ・ホッピングと有能なベンチャー企業経営者の不足
③
ベンチャー資金の制約
④
自前の研究開発の確立
49
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
3.大学と校弁企業改革
中国では、学校による企業経営(校弁企業)の歴史はずいぶん長い。遡れば、1950 年代の「勤工倹学」(勉学と勤労の
両立)の思想に端を発する。当時は、大学というよりは小・中学校が中心であったが、「勤工倹学」を行っている学校に対し
ては所得税を免除される政策まで存在した。北京大学には理工系学生の実習を目的とした校弁工場はその当時にも存在
しており、1960 年代には相当程度の利潤を生み出すまでになっていた。そうしたなかで、1980 年代の改革開放により、大
学が企業を設立し経営するケースが多く見られるようになった。その背景には、大学を取り巻く厳しい財政状況により、科技
開発の市場化を通して予算難や教職員の厳しい生活環境からの脱却を目指したいという事情があった。1980 年代当初、
大学の校弁企業は「技術のコンサルテイング・技術の開発・技術の転換・技術サービス」という「四技サービス」が中心であり、
例えば、北京大学の北大方正は「新技術公司」として、清華大学の清華紫光は「科技開発総公司」としてそれぞれスタート
したのである。このころは、校弁企業の発展もまだ著しくなく、製品開発まで進出しておらず、「四技サービス」が主な業務で
あった。
その後、1992 年の鄧小平の「南巡講話」をきっかけに、こうした校弁企業の発展のスピートがいっそう速くなっていった。
1995 年には、中国全土に大学が 1010 校存在する中で 700 校程度が校弁企業を所有するようになり、2000 年の教育部の
統計によると、そのうち科学技術関連分野で 364 大学がハイテク校弁企業 2097 社を経営している。また、教育部の担当者
の話によると、2000 年のハイテク校弁企業全体の総収入は 368 億元で、そのうち利潤総額は 35 億元以上である。これらの
ハイテク関連企業の収入は校弁企業の総収入の 75%もあり、雇用している従業員も 23 万人で、うち科学技術者は 7.8 万
人という数に上る。大学に対しては 16.85 億元を還元し、国家に 25 億元の税金を納めている。また一方で、校弁企業は学
生に実習の場を与えるという役割も担っており、年間 78 万人が研究実習を学んでおり、そのうち 1000 人の博士、3000 人以
上の修士が研究活動を行っている。
R&D支出
500
400
1999
2000
2001
億 300
元 200
100
0
研究機関
大中企業
大学
図Ⅲ―4
(出所)中国統計年鑑 2002
大学が企業を直接設立し子会社化して経営する産学連携の在り方は世界的にみても稀なケースである。中国の大学を
めぐるいくつかの要因を挙げると、第一に、大学が保有する技術シーズに対して需要のない時期が長く続いたことが考えら
れる。改革開放以前の旧ソ連型イノベーション・システム下では、大学や研究機関での研究成果を産業として直接移転す
るメカニズムがなく、また同時に中国の工業化がある程度まで進まないと産学間での技術移転は困難であった。第二に大
学の財政運営の問題である。中国の場合も、大学の経費は主に国家予算によって賄われている。毎年、政府予算の中か
ら財政部より配分されるが、教育部は財政部に対して教育予算の増加を要求することができる。しかし、国からの教育関連
予算については財政逼迫が顕在化し始めた頃より厳しい緊縮圧力が続いている。そうした中で、北京大学や清華大学で
は、経費の半分程度を独自に賄っており、その中でも関連している校弁企業による利益の還元は大きな比重を占めている。
つまり、校弁企業は不足している予算を補充することを期待されている。
しかし、現在、大学と校弁企業の関係が見直されている。最近の中国では、これまでの大学が直接企業を所有・経営す
50
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
る形態から、独自のサイエンス・パークをベースにしたインキュベーション機能を強化し、大学の本来の役割である教育や
基礎的研究と企業経営を明確に分ける方向に向かっている。1994 年の「会社法」が公布される前に設立された校弁企業
は、ほとんどが「全資(国有独資)」であったために、国-大学―校弁企業の三者の間で大学が保有する財産の管理体制
があいまいになっていると問題視され始めている。教育部によると、2000 年には 5000 社強の校弁企業の 90%が「国有独
資」によるものである。したがって、最終的な経営責任者は国家であると言えるが、実際には大学が自己責任で比較的自由
に経営している。しかし、そうした場合、校弁企業の経営が何らかの理由で悪化すれば、大学が無限的に責任を負わなけ
ればならないことになる。企業の経営リスクをそのまま大学が負う形になるのである。経営が立ち行かなくなると負債も膨ら
み、現行制度の下では、県級裁判所でも大学の銀行口座を凍結することが可能である。このような大学が自ら経営する企
業に対し無限的責任を負う関係に、国務院は「校弁企業の規範化」により経営破綻の問題が各大学に拡散することを抑え
ようとしている。具体的には、校弁企業も現在の「会社法」に従わなければならないとし、北京大学と清華大学を全国の校弁
企業に先駆けて制度改正することを決定したのである。1994 年「会社法」の公布前に登記した校弁企業はすべて「全資公
司(国有独資)」の形態になっている。国有企業の改正(「会社法」の規定によって、すべての国有企業を有限、株式会社に
転換させる)により、校弁企業は大学から独立して有限会社または株式会社として再登録する。その結果、大学が企業の
唯一の株主になる一方、国家を代表し株主として有限責任、つまり出資した部分にのみ責任を負うことになる。
校弁企業の総収入
600
500
400
億
300
元
200
100
0
1992年
1994年
1997年
1998年
1999年
2000年
中国における北京と上海の大学数(2000年)
6%
(58校)
4% (37校)
90%
(946校)
51
北京
上海
他の地域
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
中国における北京と上海の校弁企業の総収入の割合
(2000年)
41%
48%
(229.9億元)
(200.82億元)
11%
他の地域
上海
北京
(53.83億元)
図Ⅲ―5
(出所)教育部科技発展中心の統計資料中国統計年鑑2001
中国科技発展研究報告2000によりに基づき作成
中国における北京と上海の校弁企業数
(2000年)
10% (568社)
12% (655社)
78%
(4228社)
北京
上海
他の地域
図Ⅲ―6
(出所)教育部科技発展中心の統計資料中国統計年鑑2001
中国科技発展研究報告2000によりに基づき作成
52
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
<ケース1> 清華大学モデル
校弁企業の経営管理について代表的なものとして、清華大学の制度がある。この問題は、これまでの「全資」による直接
的な管理から、校弁企業と大学の間になんらかの「防火壁」を建て起業経営と大学本来の教育と研究を明確に分けるかと
いうことである。その他多くの大学では、校弁企業を大学内の管理部が一括して管理するという「内部管理型」を採っている
のに対し、清華大学は、清華大学企業集団公司といういわばホールディングカンパニーを設け「間接的管理型」を選択して
いる。「防火壁」という意味では、清華大学モデルの方が、より明確に責任の分配を行っているように見えるうえ、よりアメリカ
の大学の体制に近づいてきていると思える。
清華紫光(集団)総公司
清華同方株式有限公司
大
清華紫光株式有限公司
清
華
企
業
集
団
清華大学建築設計研究院
清華大学土建工程総公司
国環清華環境工程設計研究院
中国学術電子(CDROM)雑誌社
学
清華工美環境芸術設計所
サ
イ
エ
ン
ス
パ
ー
ク
誠志株式有限公司
清華通力機電設備有限責任公司
……
図Ⅲ―7 清華モデル
出所)清華大学と北京大学の資料に基づき作成
校弁企業改革の問題点
実際には 1994 年頃から始まった校弁企業の改革は、1996 年の大学改革の動きとともに進んできた。しかし、改革のスピ
ードはまだまだ遅いという指摘もある。まず、大学と国家との間にまたがる複雑な所有権の問題は簡単に解決できるようなも
のではない。校弁企業は国有であるから所有権も国に帰属するはずであるという見方もできるが、実際には校弁企業の登
記については不明瞭な点が多い。なかでも、大学側が資金を投入せず、国からの経費にも頼らずに起業しているケースで
は、例えば、登記する資金額が 50 万元だとすると、大学から 50 万元を借りて登記が終わった時点でこの資金を返却するこ
ととなる。設備(学校実験用の設備など)の登録も、実際には企業は殆ど使用していないものも多い。大学が実際に投入す
るのは技術と人的資源である。したがって、大学や国家から資金投入がない状態で校弁企業が創業、発展し現在の莫大
な利益を獲得した結果、その資産の分配が問題になるのは必然的である。つまり、大学と企業、企業と国家、そして国家と
大学という三つ巴の関係により問題が複雑化しているのである。次に優遇税制の問題がある。本来、校弁企業に関しては
所得税を含む税制上の様々な優遇政策があるが、校弁企業が一旦有限会社になると税務局からのこうした免税措置も対
象外となる場合がある。また、有限会社の場合、株式に基づき利益を配当することが原則なので、学長が校弁企業から資
金提供を受ける際も取締役会の同意を得なければならない。これまでのように、大学が企業に対し容易に資金提供を要求
することができなくなり、校弁企業が大学やその研究科の利便性の高い資金源の役割を担うことが容易ではなくなる。石油
53
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
大学の場合、大学に所属する製油会社があるが、最近有限会社に転換された。この会社は、石油大学で教育実習や研究
の場を提供する一方、年間 40 万トンの製油を生産している。しかし、近い将来、経済貿易部は環境保護の立場から年間
100 万トン以下の製油会社を封鎖する決定を下す予定で、この校弁企業は、環境保護と経済効率からみても閉鎖に追い
込まれる可能性が高い。したがって、このような教育・研究目的で運営されている校弁企業をどういったルールの下で管理
するかまだ結論が出ていない。
北京や上海の代表的な大学以外では、校弁企業経営に失敗している大学が少なくないなかで、大学企業集団の経営
責任の所在を明確にし、大学に対する経営破綻から生じる債務に一定の限度を設けることが必要である。そうすることによ
って、本来の役割である教育と研究にある程度専念させる環境を作り出せる。校弁企業の経営と大学運営を明確に済み分
けた清華大学企業集団公司による管理メカニズムと大学独自のサイエンス・パークを使ったインキュベーション機能の充実
化は、これからの清華大学が、インキュベーターとして技術シーズを提供し、外部から適切な人材やベンチャー資金などを
調達していく方向に大きく進んでいくことを意味する。
4.公的研究機関の改革
中国では科学技術研究の成果を産業の発展に十分に活用されていない状況が続いてきた。硬直したイノベーションシ
ステムのもと、多くの科技成果は実験室に残ったままで商業化にはなかなか結びついてこなかったのである。こうした資源
の「浪費」が国家の財政に莫大な負担をかけてきた。そこで、中国政府は改革開放以降、とくに応用研究から得られた技術
の企業への移転を促進することを狙った。まず、1996 年に国務院が「九五期間の科技体制改革に関する決定」を、そして
1999 年 8 月に共産党中央・国務院が全国技術イノベーション大会において「技術イノベーションを強化、ハイテクを発展、
産業化を実現するための決定」を発表した。また、2000 年には国務院並びに科技部により「科学研究機構の管理体制の改
革を進めるための実施意見」が公表され、研究開発組織の改革が本格化していった。
1999 年 5 月、国務院は国家経済貿易委員会が管理する 10 の国家局に所属している 242 の科学研究機関に対して管
理体制の改革を行った。具体的には、242 の研究機関は直接企業に転換されたか、或いは特定の企業集団に譲渡された。
その内訳は、131 機関が企業集団に、40 機関が個別の科技企業に、18 機関が仲介的な組織にそれぞれ移転され、24 機
関が大学に吸収合併され、29 機関が大型国有科技企業に譲渡された。これら 242 の研究機関が企業として生まれ変わっ
たのは、中国のイノベーション・システムの重要な改革の一つである。その結果として、これらの研究機関は科学技術研究
の産業化に貢献しないと生き残れないという意識が大きく高まっていった。
なかでも、成功例としては、鋼鉄研究総院の中堅企業である安泰株式会社のように、企業として生まれ変わった研究機
関が数年のうちに証券市場に上場するというケースが最近見られるようになった。煤炭科学研究総院、西南化工院、長沙
鉱冶院など十以上の研究機関も積極的に上場の準備をしている。これらの元研究機関企業は、自らの技術の優位性を活
かして、市場メカニズムに則り新製品の研究開発に力を入れてきた。鋼研総院、有色院、農機院などは、転換後、大量の
R&D 投資を行い、応用基礎の研究及び重要な技術とハイテク技術に対しての研究を強化した。同時に、優秀な人材を引
き付けるために、内部の人事・給与制度の改革(昇格、収入、住宅の提供など)を行った。
また、企業集団に譲渡された研究機関(例えば、北京化工院は中国石油化学に、上海内燃機所は大シュ集団に)は、改革
開放以前の企業集団の技術開発の能力を飛躍的に高めることに成功している。結果として、企業集団の中に譲渡を受け
た研究機関のための R&D 投資を活発化させているところが増えており、弱体化していた産業部門でのイノベーションを活
性化させることにつながりはじめている。
さらに、地方に移管された研究機関は、地方政府からも様々な優遇政策を享受し、例えば、広東省に移管された広州有色
金属研究院は、中央政府と広東省の両方の優遇政策を得ながら地域の R&D 活動の中核的な存在の一つになっている。
54
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
<ケース2> 国家イノベーション改革と中国科学院
中国科学院は 1949 年に設立された中国における最大の国家科学研究機関である。また、中国の科学技術の最高学術
機関であり、全国の自然科学とハイテク技術の総合研究発展センターでもある。現在 108 ヶ所の研究所、5 万人近くの研究
者を抱えている。
1998 年 6 月、中国国務院の決定により、中国科学院は国家イノベーション・システム整備の試行――中国科学院知識イ
ノベーションプロジェクトを実行し始めた。これは 13 年間にわたるプロジェクトであり、開始段階(1998-2000 年)、全面実施
段階(2001-2005 年)、改善完備段階(2006-2010 年)の 3 段階に分けられている。
1998 年 6 月から 2000 年 12 月にかけて、中国科学院は知識イノベーションプロジェクトの開始段階の改革に取り組んだ。
その間に実施された改革は、創立以来、最も大がかりなものとなった。体制改革の内容として、最先端領域の特定、戦略方
向の明確化、重大研究プロジェクトの組織、科学院と研究所レベルでの科学技術イノベーションの新しい目標の設定など
が挙げられる。それらに基づいて、組織改変が積極的に進められた。2 年余りの実施により、科学技術研究は重大な進展
を見せ、基礎科学研究、戦略的なハイテクイノベーションと社会貢献などの面で大きな成績を収めた。
2001 年から、全面実施段階に入った。最初の 3 年間、プロジェクト実施の重点は研究所レベルに置くことになる。中国科
学院は 2001 年下半期から、科学技術イノベーション戦略行動プログラムの実施を決定した。
「科学技術イノベーション戦略行動プログラム」は中国の経済、社会発展と国家安全戦略の需要と世界の科学技術の先端
分野に基づいた戦略的な措置である。以下のような目標を目指している。
①
中国の第三段階の発展目標を念頭に置きながら、これから少なくとも 20 年の間に安定した科学技術研究体制を維持
し、過去の研究分野別の研究体制から先端分野を念頭に置いた横断的かつ柔軟的研究体制への変換。
②
中国経済の発展と国家安全の戦略的な需要から、ハイテク研究開発と産業化のルールに従い、コア技術のイノベー
ションと集団的イノベーションを実現するよう、管理、運営メカニズムのイノベーションを進め、国家戦略に関わるハイテク問
題と技術の大規模な産業化問題への取り組み。
③
世界的なレベルを狙いながら、中国の中長期的な戦略的需要に合わせ、基礎研究(特に学際的な科学研究)の若干
の先端分野に焦点を絞り、国内外の優秀な人材からなった研究チームを編成し、そのための支援、運営、評価体制を確立
しつつ、世界一流の科学技術成果の獲得。
④
中国社会の持続可能な発展に関わる重大な戦略問題について、産、官、学の連携を強化し、水準の高い、システマ
ティックな基礎研究により、国のマクロ的な意思決定に信頼性の高い根拠の提供。
⑤
開放と協力など多様な形式を通じて、社会的資源を十分に取り入れ、重要な公共科学技術イノベーションインフラと支
援体制の整備。
⑥
科学技術の普及と技術成果の大規模な産業化。科学技術の社会的価値の実現。
⑦
戦略的な考えを持った大規模な科学技術イノベーション活動を指導、管理できるリーダーの養成。イノベーション精神
と集団主義精神に富んだ科学技術のコア人材の育成。
⑧
中国科学院のイノベーション能力に応じた指導体制の整備。科学院レベルの戦略分析能力、統合調整能力、組織管
理能力の向上。
具体的には、三つのプログラムが含まれる。すなわち、「科学技術研究の配置と組織構造改革プログラム」、「科学技術イ
ノベーショングループの形成と発展、教育プログラム」、「国家科学研究機関の管理体制改革プログラム」である。
「科学技術研究の配置と組織構造改革プログラム」の実施によって、基礎科学、戦略的なハイテク、資源環境科学技術、農
業のハイテク及び人口と健康、国家安全に関わるハイテクといった 5 分野の研究任務の配分を行い、研究所の構造改革を
推進し、開放的な体制を整え、その総合的実力の向上を目指す。
「科学技術イノベーショングループの形成と発展、教育プログラム」の実施によって、国際的なルールに合致した人事制
度の形成、多次元、効率良い科学技術研究と管理チームの結成と成果主義的な配分、奨励体制の実現を目指す。
「国家科学研究機関の管理体制改革プログラム」の実施によって、海外の国家科学研究機関と NPO 組織の管理モデル
に基づき、近代的な研究所管理体制を整備する。一部の研究所において、理事会制度の導入と研究所発展基金の設立
55
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
などの模索を開始。予算額と資源の配置、科学技術活動の組織と管理、人材グループの形成、研究に関するインフラ整備
などの面で研究所にもっと大きな自主権を与える(注:中国科学院本部資料参照)。
中国科学院人員の増減状況
90000
80000
70000
60000
50000
人
40000
30000
20000
10000
0
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
CAS全院
1998
1999
2000
研究機関
中国科学院における正職員の年齢別分布
25000
20000
1990年
1995年
2000年
15000
人
10000
5000
上
以
歳
60
-
55
50
59
歳
54
歳
-
49
歳
-
45
40
-
44
歳
39
歳
-
35
-
30
歳
以
34
歳
下
0
30
数
図Ⅲ―8
(出所)中国科学院総合計画局のデータに基づき作成
56
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
5.「下海」と「海亀」:先進国とつながる中国の頭脳
中国政府は「科教興国」実現のために、海外で留学などによって活躍している科技人材を中国に呼び戻す政策を積極
的に行っている。今、中国では、今後の経済成長を支えると期待されている二つのタイプの新しい人材が注目されている。
一つは、「下海」と呼ばれ、身分を保証された公務員からリスクをとって起業するなど創業者として民間に転進した人材。もう
一つは、「海亀」と呼ばれる海外から帰国して研究者や創業者として活躍している人材である。政府も、これらの人材の確
保に最大限の優遇政策を行っている。とくに、海外からの帰国組みは、即戦力として中国のイノベーション活動を支える人
材として重要視されていることは、各地域間での人材獲得戦略の激化からも伺うことができる。その結果、各地域のサイエ
ンスパーク内にある帰国者用創業支援センターなど海外からの入居希望者であふれかえっている。中国科学院の「百人計
画」は、30 代、40 代の海外の第一線で活躍する若手研究者を中国に帰国させる計画で、研究資金を重点的に配分するな
ど資金面でのインセンティブを与えるなどある一定の成果をあげている。中国科学院による稲ゲノム解読など、最近の中国
の科学技術レベルの高さで世界を驚かせたのもこうした政策の結果である。その一方で、とくに欧米への海外留学生の数
も増加している。近年の「海亀」のサクセスストーリーが、こうした留学希望者の増加にますます拍車をかけているのも事実
である。
また一方で、マイクロソフトやインテルのような世界の代表的ハイテク企業の R&D 拠点を中国に誘致することで、海外から
の優秀で経験豊富な R&D 人材と、現地の将来性豊かな若手の R&D 人材育成を促進している。そのうえ、外資系 R&D セ
ンターの設立は、中国のイノベーション・システムの中心的役割の一つとして期待されている民間企業の R&D 強化につな
がると考えている。特に、今年発表されたマイクロソフト研究所による中国政府へのソフト開発人材育成支援は、外資系
R&D センターが中国の研究開発能力を高める影響を示した典型的な事例だといえる。
外資にとっても、最近の中国での R&D は、優秀な研究開発人材が豊富であり、かつ相対的なコストが低いこと、中国市場
のニーズに迅速に対応できること、それに付加価値の高い技術開発部門の現地化により、中国に対する企業イメージが高
まることといった理由で、拡大している傾向にある。
欧米は、中国における次世代の科学技術者を発掘し、養成するといった長期的な視点も持っている。中国にある欧米の
外資系研究機関では、中国国内の大学と連携するための専属のスタッフを置いているところも少なくない。また、公的機関
としては、ドイツのマックスプランク研究所などは非常に積極的に対中研究交流を展開している。最近、マックスプランク研
究所やフォルクスワーゲン財団が中国科学院に設立した上海高等研究所は、新たな中独間の研究交流の場所として注目
されている。
そうした中で、日本の政府や企業は、他の先進国に比べこのような人材獲得、育成戦略で大きく出遅れている。長期的
な視野に立った研究開発のソフト面を重視した政策の大胆な実施が急がれる。
表Ⅲ―4 留学生を中心とする科学技術系人材の帰国奨励策(主なもの)
(出所)中国教育部の資料に基づき作成
目 的
1. 留学人員の短
期帰国奨励
2. 留学人員に対
する科学研究費の
支援
3. 留学帰国人材
の登用・招聘
4. 留学人員の帰
国創業の奨励
施 策
担当部署
「春暉計画」
教育部
中国青年学者学術討論会資金援助
中国科学院、国家自然科学基金委員会
中国科学院王寛誠科学研究奨励金
中国科学院
国家自然科学基金委員会留学人員短期帰国基金 国家自然科学基金委員会
留学人員短期帰国(非教育系)資金援助
人事部
留学帰国人員科学研究始動資金
教育部
留学人員(非教育系統)科技活動選抜資金援助
人事部
国家傑出青年科学基金
国家自然科学基金委員会
「百人計画」
中国科学院
「長江学者奨励計画」
教育部
高級訪問学者招聘
中国科学院
全国各地に、孵化(インキュベーター)、転化、研究、開発等の機能を備えた「留学人員創業園
区」を設置
57
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
海外留学と帰国の動向
100000
80000
人
60000
40000
20000
0
1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998 1999 2000 2001
留学数
帰国数
図Ⅲ―9 海外留学と帰国の動向
(出所)中国統計年鑑2002年に基づき作成
300
200
人
100
0
38
36
歳
34
32
1995
1996
1997
1998
1999
2000
年
招聘人数
うち海外
平均年齢
図Ⅲ―10 中国科学院による『百人計画』の招聘人数
(出所)中国科学院総合計画局のデータに基づき作成
1999年共著論文相手国上位5カ国(地域)
15%
5%
28%
26%
日本
アメリカ
EU
中国香港
カナダ
26%
1999年国際共著論文機関分布
4% 1%1%
25%
69%
図Ⅲ―11 共著論文から見た国際共同研究
(出所)中国科技統計年鑑 2001 年・中国科技論文統計与分析
中国科技発展研究報告 2001 年 中国科学技術部 科技統計情報中心
58
大学
研究機関
医療機関
企業
その他の機関
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
学科別国際共著論文数(上位10科目)
論文数
図Ⅲ―12
(出所)中国科技統計年鑑 2001 年・中国科技論文統計与分析、
中国科技発展研究報告 2001 年、中国科学技術部 科技統計情報中心
表Ⅲ―5 中国で設立された欧米亜企業のR&Dセンター
名 称
○ 北京
○ 上海
設立時期
インテル中国研究センター
1998年
インテル無線技術研究センター
2000年
IBM中国研究センター
1995年
ルーセント・テクノロジー・ベル実験室
1997年
マイクロソフト中国研究院
1998年
マイクロソフト R&D センター
1995年
モトローラ中国研究院
1999年
ノキア中国研究センター
1998年
P&G 北京研究センター
1998年
ヘンケル中国洗浄剤研究発展センター
1999年
サムソン通信技術研究所
2000年
UTC 研究センター中国
1997年
SUN(中国)技術開発センター
1997年
HP(中国)デジタル信号処理技術センター
2000年
エリクソン通信ソフト研究開発上海
1997年
IBM 中国研究センター
1995年
インテル技術発展上海
1994年
ルーセント・テクノロジー・ベル実験室
1997年
VW 上海大衆研究開発センター
1999年
ロックウエル自動化上海研究センター
1998年
ユニリーバ上海研究センター
1996年
シュナイダー上海 R&D センター
1999年
59
機械計器
素材科学
計算技術
電子、通信とオート
メーション
環境科学
農学
化学
物理
臨床医学
基礎医学
350
300
250
200
150
100
50
0
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
表Ⅲ―6 マイクロソフトとノキア
(出所)インタビューをもとに作成
マイクロソフト
ノキア
名称
マイクロソフトアジア研究院
ノキア研究開発中心
設立日
1998 年 11 月
1998 年 5 月
研究員
150 名
150 名から 400 名規模
責任者
中国籍アメリカ人(元留学生)
フィンランド人
設立目
中国およびアジア太平洋地域発展の潜在力
中国の市場と人材がある。政治的な理由として R&D 拠点
的
に対する期待。当該地域の情報産業を発展
を中国に設けることで中国政府に対し、積極的な技術移
させる。
転を伴う徹底的なローアライゼーションの姿勢を見せる
大学との
1999 年から毎年国内の 10 校に 1000 万のソ
地元の大学と研究機関との協力体制を強化しようとしてい
協力
フトを無償に提供。「マイクロソフトフェロー」計
る。例えば、コンフェレンスやワークショッブなどの共催やイ
画など。
ンターンシップ制度、海外派遣サポート、研究機器の寄付
清華大学、浙江大学、ハルピン工業大学と共
など。
数
同実験室の設立。
雇用 制
研究員長期契約で、ストック・オプションがあ
度
る。副研究員は2年契約。
研究員の契約は3年
<ケース3>マイクロソフトの「長城計画」
マイクロソフトアジア研究院の概略
1998 年 11 月 5 日、マイクロソフトは、北京にマイクロソフト中国研究院を設立し、2001 年 11 月 1 日、マイクロソフトアジア
研究院に改名された。当該研究院は、マイクロソフトによる海外で2番目の基礎研究機関であり、アジア太平洋地域におい
ても初の研究所である。設立の目的は、中国およびアジア太平洋地域の経済発展の潜在力に対する期待に基づき、この
地域の情報産業を発展させようというものである。また、中国における豊富で優秀な人材を登用し、マイクロソフトの技術革
新に活かすことを目指す。
1998 年 11 月 5 日に成立して以来、1999 年から 2002 年まで 59 人の大学生がフェローシップを受け、そのうちの 6 人は
正式に Microsoft Research の研究員として採用された。研究員(フルタイム)の 95 人の中で、33 人は海外からの帰国者で
ある。「マイクロソフト専門家顧問委員会」も設立された。浙江大学の潘雲鶴学長、北京大学の遅恵生学長、清華大学の張
抜教授、香港科技大学の劉明雷名誉教授、西安交通大学のテン南寧副学長らコンピューター技術領域で有名な学者6名
が顧問となり、研究院の研究方向、運営に指導を行う。
・初代院長:李開復博士(現マイクロソフト副総裁)
・現任院長:張亜勤博士
マイクロソフトアジア研究院では、これまで 450 回以上の研究会が行われてきた。研究院は、中国国内の何十校にのぼる大
学に、3000 万元に当たる最新ソフトの寄付を行った。清華大学や浙江大学などとの共同実験室の設立や、西部教育への
支援などの活動も行った。
「長城計画」は以上のような活動の続きとして、それらをさらに進めたものであり、2002 年 6 月 27 日に中国教育部と「中国教
育部とマイクロソフトの協力備忘録」の調印の上、スタートした。その内容は、中国大学のコンピューター教育事業の発展、
60
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
科学研究レベルの向上と促進とを目的として、マイクロソフトはこれからの 3 年間に中国のコンピューター教育事業に寄付、
支援、サービスとコンサルディングを提供するころになっている。
学術交流
専門講座・
「 21世 紀 の
コンピュー
ター」会議
など
人材の養成
マイフロソ
フ ト 学 者
賞・研修生
計画など
教育シンポ
IT院 長 / 部
長のサミッ
ト・ソフト
学院院長論
壇等
長城
計画
ソフト学院
テキスト・
教師の養成
と技術交流
など
科目の配置
教材編集のた
めの資料の提
供・教学研修
環境の提供・
ソフトの提供
など
研究協力
ソフト学院
と科学研究
者の交流・
各大学の協
力
図Ⅲ―13
○NSRの長城計画
(出所)マイクロソフトアジア研究院の資料に基づき作成
マイクロソフトアジア研究院と中国大学の協力
1998 年 11 月に、マイクロソフトアジア研究院大学連携部が、研究院の設立に伴って創立された。大学連携部は、アジア
太平洋地域の大学と科学研究機関のためのマイクロソフトの窓口である。この部門は、一連の計画と活動を通じて、大学・
科学研究機関と基礎研究、人材養成、教科の共同開発などを通して、中国とアジア太平洋地域の大学の教育の質および
量と科学研究レベルの向上のサポートを行っている。
① 政府部門との合作
政府部門
協力内容
時間
国家自然科学
5年内に基礎研究の領域に協力関係を行う。双方は NSFC の基礎研究項目
基金委员会
に資金を供給し、共同の調査研究を行う。
人事部
国家人事部と MS は「ポスドク科学研究センター」を設立した。外資企業により
2001 年
設立されたのは、これが始めてである。
4月
中国の大学のコンピューターサイエンスにおける基礎研究への協力で合意
2002 年
し、マイクロソフトがスポンサーとして、3年間で大学に合計 2 億 RMB の寄付を
6月
教育部
提供する。
(出所)マイクロソフトアジア研究院の資料に基づき作成
61
1999 年 10 月
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
②
人材養成
名称
内容
設立時間
マイクロソフト学者奨
毎年 15 名の博士に毎月の奨学金を提供、国際学会の出席、研究院で
1999 年
学金
研修、ソフトの提供。
研修生計画
各大学の推薦により、3 ヶ月の研修を行う。
院生の共同養成
西安交通大学、天津大学、中国科技大学、香港科技大学、香港理工大
1998 年
学、シドニー大学、東京大学などと院生の共同養成の協力意向を調印し
た。
マイフロソフト技術ク
主要大学でクラブを設立した。教育部と共に人材養成のテストモデルで
ラブ
ある。内容は学術講座、技術サロン、ソフト開発コンテストなど。
学生の夏キャンブ
毎年の夏休み期間(一週間)に、研究院の見学や、各研究会の参加など
2000 年
2001 年
を行う。
客員/兼職教授
各大学に研究院の顧問院長、名誉院長、客員教授を招聘する。
1998 年
(出所)マイクロソフトアジア研究院の資料に基づき作成
③その他
教学の協力
研究援助
ソフトの寄付
公開活動
学術交流
科目の設立
中国基礎研究サ
教育サポート
「マイクロソフト」ソフト開発コン
学術訪問
教材の編集
ポート
研究サポート
テスト
客員研究員
短期的な養成
研究実験室の共
西部教育への
「21 世紀のコンピューター」国
情報センター
教学実験
同建設
サポート
際シンポジュウム
ソフト学院
研究項目の合作
マイクロソフト教育論壇
会議の寄付
(出所)マイクロソフトアジア研究院の資料に基づき作成
6.中国における科学技術仲介機構の現状、問題及び展望
一方、中国では近年、科学技術仲介機構が経済発展に対して重要な意義をもつことが次第に認識され始めている。科
学技術仲介機構を設立し、育成して、さらに発展させることは、中国政府の政策の中でも、ますます重視されてきている。
1999 年、「中共中央国務院による、技術イノベーション、ハイテク技術の発展による産業化の実現に関する決定」の中で、
“科学技術仲介サービス機構を大いに発展させる”ことが定められ、2000 年 10 月の第十回五カ年計画(2001~05 年)では、
科学技術仲介機構の発展をさらに明確にした。2002 年 12 月、科学技術部により、「科学技術仲介機構の総発展に関する
意見書」が出され、科学技術サービスシステムを完成させて、国家イノベーションシステムを促進することが提言された。
(1)科学技術仲介の発展の経緯
1978 年 12 月、中国共産党の第十一回三中全会をきっかけとして経済体制改革が始まり、その後、科学技術は第一の生
産力、というスローガンのもと、科学技術仲介機能の整備も始まった。そして、1980 年 8 月の、国務院による中国科学技術
協会の『専門家による安徽の情況に関する報告』に関しての提言で、その動きは加速した。この報告は、「科学技術のコン
サルティングサービスが非常に重要であり、これにより科学技術部門の社会への進出を可能にする。」と指摘した。
62
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
1981 年 2 月、旧国家科学委員会は「学会、地方科学協会による科学技術コンサルティングサービス機構の設立に関す
る通知」を公表し、科学仲介機構の雛型である科学技術コンサルティング関係の会社が相次いで設立された。中国科学協
会のコンサルティング機構の設立に伴い、各地で科学技術サービス機構が設立され、中国科学協会の「四技」活動も始ま
った。
1982 年 10 月、国務院は「経済建設は科学技術に依存しなければならず、科学技術は経済建設に向けて行う」という方
針を打ち出し、技術の普及と科学技術成果の移転の向上を求めた。
また、1985 年 3 月の「科学技術体制改革に関する決定」の公布によって、民営仲介組織が誕生し、これをきっかけとして、
技術市場が各地で相次いで設立された。さらに、管理監督機制を強化するため、1986 年「技術市場管理暫定方法」、1987
年「技術契約法」など関係法規が公布され、科学技術仲介業の管理に関しても、次第に法制化にされていった。
一方民間では、1986 年、科学技術仲介機構と関係する業界が、自発的に北京で全国的仲介機構会議を設立した。業
界会議を開き、経験と情報の交流を行うためであった。また、政府に、科学技術仲介業に法的基盤を与えることと業界組織
の設立という提案も出した。1989 年、旧国家科学委員会は「十年間における中国科学技術コンサルティング業の発展と現
状」というプロジェクト調査を行った。1991 年 8 月には、旧国家科学委員会と中国科学協会により北京で全国科学技術コン
サルティング活動研究会が開かれた。
1992 年、鄧小平の「南巡講話」以後、中国改革開放のさらなる加速により、科学仲介機構の発展も急速化してきた。1992
年 6 月、国務院の「第三産業の加速的発展に関する決定」の公布により、仲介組織、コンサルティング機構の登録も増加し
た。1995 年、中共中央、国務院の「科学技術の進歩の加速に関する決定」に基づき、旧国家科学委員会は「我国の科学
技術コンサルティング業の発展の促進に関する意見」を制定した。科学技術仲介機構の管理は次第に規範化、制度化さ
れてきた。
1999 年 8 月、中共中央が「技術イノベーション、ハイテク技術の発展により産業化の実現に関する決定」を公布した。この
決定の中で、科学技術仲介機構に対して営業税を免除するという優遇政策が定められた。
2001 年、朱熔基総理が国民経済と社会発展第十五年計画綱要の報告の中で、「生産に向けてサービス業を発展させ…
仲介機構の体制改革を実現する、会計、法律、管理、工学コンサルティングなど仲介サービス業を規範的発展させる.….」
と発表し、翌年の 5 月 21 日、徐冠華科学技術部部長は、中国は国外の仲介機構が国内の科学技術仲介サービス市場に
進出するのを奨励すると発表した。また、国際学術機構が事務所を中国に設立するのを奨励し、「国際科学技術協力の重
点プロジェクト計画」を積極的に実施する。
2002 年 12 月、北京で第一回の「全国科技仲介機構工作会議」が開かれ、その後、科学技術部は「科学技術仲介機構
の大々的な発展に関する意見」を提出した。2003 年 1 月 施行される「中小企業促進法」第四章において、科学技術仲介
機構に対し、政府各部門が企画、土地使用、財政など領域に科学技術仲介機構の設立に政策的な支持を与えると定めた。
WTO の加盟に伴って対外開放は新たな段階に入り、科学技術仲介機構は更なる発展を遂げると思われる。
全国技術市場における取引高
1000
800
億 600
元 400
全国
200
0
1995
1996
1997
1998
63
1999
2000
2001
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
全国技術市場の取引高
千万
25
20
15
10
5
0
1995
1996
1997
1998
年
1999
2000
2001
北京
天津
上海
江蘇
安徽
山東
広東
四川
貴州
雲南
陜西
全国技術市場における契約額の類別
350
300
250
億 200
元 150
100
50
0
技術開発
技術譲渡
技術コンサルティング
技術サービス
1995
1998
2001
全国技術市場における買い手別契約額
150
億
元
100
大中型企業
小型企業
郷鎮企業
50
0
1995
1996
1997
1998
全国技術市場における売り手別契約額
200
科学研究機関
大学
企業
技術貿易機関
個人及び組合
その他
150
億
100
元
50
0
1995
1996
1997
図Ⅲ―14
64
1998
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
表Ⅲ―7 科学技術仲介の発展段階
発展段階
Ⅰ
Ⅱ
Ⅲ(形成期)
Ⅳ(成長期)
時期
1979―1983
1984―1993
1993―2000
2001―
主 役
社会団体(科学協会、 技術市場社会団体(科協、企 各所有制の科学仲介機構 科学技術仲介機構は市
企 業 協 会 、 技 術 協 協、技協)、事業単位の企業化 及び企業が設立、
場競争の中で成長ハイ
会)、政府の研究機構・ 管理コンサルティグ機構、専門 事業単位の改革は科学技 レベルな人材
ソフトサイエンス研究機 家コンサルティググループ、ソ 術仲介機構が市場化にされ 大学、研究機関の参与
構、民主党派
フトサイエンス研究機構、海外 た
が活発化
の事務機構個体仲介の介入
原 因
共産党の三中全会科 国 務 院 の 指 示 、 科 学 体 制 改 市場競争、
知識経済化とグローバ
企業の需要、
学技術は経済の重点 革、
ル化、WTO 加盟、国家
中国工学コンサルティグ業の 国家機構改革、企業改革の 経済体制改革の更なる
発展、中国工学コンサルティグ 深化
促進
公司成立、生産力促進センタ
ーの設立……
(出所)政府資料に基づき作成
表Ⅲ―8 科学技術仲介機能
研究開発・創業センター
技術コンサルティング・センター
科技市場仲介
生産力促進センター、
科学技術評価センター、
技術市場、
創業センター、
科学技術競争入札機関、
その他「人材」「科技条件」市場
国家工程技術研究センター
情報センター、
知的財産権の取引所
国家工程研究センター
知的所有権事務所、各種の科学
技術コンサルティング機関
○
国家工程技術研究センター
国家工程技術研究センターは、重点研究機関や研究開発型企業、または研究大学の科学技術研究を活用するために、
商品開発・製造技術の研究開発の専門的人材と研究開発インフラを備え、総合的なサービスを企業に提供することを目的
とした施設である。工程センターは、科学技術部によって設立されたものである。科学技術と経済とを結び付け、研究開発
の成果を生産力へ転化させることを目指すと同時に、現在の中国の科学技術成果をレベルアップさせ、国内企業に海外
の先進的な技術を容易に導入させるための基本技術を提供する。
これまで、103 ヶ所の国家工程技術研究センターが農業、エネルギー、製造業、情報と通信、バイオ技術、環境保護、資
源開発などの領域で、全国各地に設けられている。
○
国家工程研究センター
国家工程研究センターは、国家計画委員会が、党中央の科学技術と経済との融合を目指した改革の方針に則って、科
学技術成果の産業への転化を加速させるために設置したものである。中国の産業競争力の向上を目的に、“八五”初期か
ら実施し始めた科学技術制度の改革のひとつである。同センターは、国際的に進んでいる研究開発の産業化に必要な知
識を養成し提供することを目指している。
センターは、2000 年末までで 84 ヶ所建設され、総額で 56.8 億元が投入された。うち、中央政府は 21 億元(世界銀行の
65
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
貸付は2億ドル)、地方政府と自己調達分は 35.8 億元。全体の収益は 187.66 億元、輸出による収益は 1.3 億ドル、譲渡し
た科学技術の主な成果は 1179 項目、技術譲渡契約は 2500、関わったハイテク企業の設立は 190 社にのぼるとされる。
(2)科学技術仲介機構の現状と課題
中国の科学技術部は仲介機能を、①生産力促進センター、創業センター、工程研究センターなど、②コンサルティング
型である科学技術評価センター、科学技術競争入札機関情報センター、知的所有権事務所、各種の科学技術コンサルテ
ィング機関など、③科学技術資源仲介型である技術市場、人材市場、科技条件市場、技術所有権の取引所など、大きく3
つのタイプに分けて、それぞれの発展を促進している。
2002 年 12 月 2 日、北京で開催された「全国科技仲介機構工作会議」によると、現在、全国の大中都市に科学技術仲介
組織は、約 6 万カ所あり、約 110 万人が従事している。中でも、インキュベーター施設は 460 カ所まで増加してきた。その内
訳は、国家級創業サービスセンター72 カ所、大学科技園 22 カ所となっている。
仲介機構は高い専門性が求められるが、中国の多くの仲介組織は政府の複数の部門の管理下に置かれているケース
が多い。このため、管理・運営の面において、行政の不効率が生じやすい。したがって、今後は、仲介機構の更なる市場化
を徹底することにより、仲介組織と政府部門の関係を徹底的に整理・縮小することが必要である。
66
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
7.中国のインキュベーターと今後の課題
(1)成功の経験
インキュベーターの「成功」とはインキュベートするハイテク起業家の持つ技術の迅速な事業化や販路拡大を可能とし、
また、市場競争の中で打ち勝つことができる経営力を付けさせることと考えている。これは、卒業企業の生存率、卒業企業
の売り上げや雇用の成長規模、卒業企業の中での株式公開企業数、卒業企業が納付した税収といった形で定量的に測
ることが可能である。支援対象企業の成功とは別の角度から、インキュベーターの成功の意味がもう一つ考えられる。それ
は、インキュベーター機関自身の経営の「成功」である。
表Ⅲ―9
(出所) 中国天津・上海インキュベーションセンターの資料に基づき作成
インキュベーターのタイプ
・
総合的
・
特定技術
-Software parks
-Biotechonology Incubators
-Agri-techonology Incubators
・
特定の市場
-International Business Incubators
-University Incubators
-Overseas Chinese Scholars Parks
・
非技術型
50 0
45 0
40 0
イ
ン
キ
ュ
ベ
ー
タ
数
35 0
30 0
25 0
日本
中国
20 0
15 0
10 0
50
0
1983
1 9 85
1 9 87
1989
1991
1 9 93
1 9 95
1997
1999
2 0 01
西暦年
図Ⅲ―15 インキュベーター数の推移
(出所)日本新事業支援機関協議会と中国天津・上海インキュベーションセンターの資料に基づき作成
67
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
① インキュベーション施設への資金援助を含めた中央と地方政府の支援
インキュベーターの健全な運営を確保する上では、中央政府、地方自治体等からの資金面での支援が欠かせない。ま
た、インキュベーターの入居企業に対し、資金面以外の、とくに地元・自治体の協力が必要であり、起業家精神に溢れた文
化があれば、それ自体、起業家にとって、メリットがある。
中国では、北京市、上海市などの地方政府が主導的役割を果たしている。具体的に、サイエンスパーク、インキュベータ
ー設置への支援、ベンチャーファンドへの出資、市内で稼動しているベンチャー企業への所得税などに対する減免など税
制面での優遇策を実施している。
インキュベーターのスタッフの主な役割は、入居者の日頃の総合的な相談相手、専門的な勉強会、相談会などの手配、
外部の協力者であるビジネスリソース・ネットワークの形成・維持、公的な支援や民間からの資金の確保を含めた機関の経
営管理などである。また、インキュベーション活動に協力する外部の専門家は、会計、法務、マーケティング、事業提携など
の専門性を生かしたサービスを無料又は市場よりも低価格で提供する。こうした内外の人材の力を合わせることにより、起
業家に対し、総合的なビジネス支援サービスが提供できるようになる。そして、これにより起業家は、基礎的な経営知識、幅
広い視野、戦略的な思考方法を学ぶことができる。
このような多様なサービスを効果的に提供できるようにするためには、入居起業家のニーズを正確に把握すること、複雑
な支援内容や支援ルートを整理した上でサービス機能を使い勝手の良いものとすることと、こうした内部スタッフと外部リソ
ースの間で適切な役割分担を行うことが必要である。
別の見方をすれば、インキュベーターとは、起業家とこれを支援する様々な経営リソースの間との総合的な「仲介機能」と
考えることができるだろう。情報化時代到来により、組織が分化し、各種機能の分散化が進む中で、分散した機能の間を仲
介するインキュベーターの経済社会的価値が高まっているところであるが、事業資金の乏しい起業家をサービスの対象とし
ていることから十分な収益性は期待できない。そこで中国と日本では、地元自治体などを中心にこうしたプログラムに対す
る資金的な支援を行っている。
表Ⅲ―10
(出所)上海市イノベーションセンターの資料に基づき作成
上海市のインキュベーター
上海市の24のインキュベーターの内訳
・
上海市科学技術委員会による
・・・・・・1社
・
国家ハイテクパークによる
・
大学や、大学と政府組織による ・・・・・・6社
・・・・・・6社
・
地方政府による ・・・・・・・・・・・・・9社
・
上場企業による ・・・・・・・・・・・・・2社
表Ⅲ―11
(出所)上海市イノベーションセンターの資料に基づき作成
上海市のインキュベーター
2001 年末までに上海で設立されたインキュベーターは
24 カ所にのぼる
○インキュベーション面積:444,437㎡
・
テナント企業:825社
うち118社は帰国した学者によって設立された
・
従業員:20,576人
・
イノベーション基金:86.5百万元
・
売上高:3.576億元
・利益:121百万元
・税額:168百万元
・
卒業後企業総数:169社
68
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
② フレキシブルなオフィスと情報インフラ
機能的なオフィスの提供を受けることは、起業家にとって、起業に伴う時間とコストの節減になるだけでなく、他の起業家
や支援者との出会いの機会の拡大、企業の信用の向上等といった様々なメリットをもたらす。
中国の一般的なインキュベーション施設の基本的な構成要素としては、オフィス、アドバイザリールーム、共用の会議室、
受付からなる。オフィスについては、パソコンを持ち込めば、直ちにインターネットに接続できるようになっていることが今や
必須の条件である。また、対象とする事業分野や重視する機能によっては、実験室、試作開発室が加わることになる。
アーリーステージの企業は、事業形態や事業規模の変化が激しい。したがって、それらが入居するオフィスについては、
2 つの面で柔軟性が求められている。一つは契約の「柔軟性」である。一律に年単位の長期契約ではなく、月単位程度の
短期契約の更新も可能となっている形の方が望ましい。いま一つはスペースの柔軟性である。企業の成長や業績低迷とい
った事情に応じて、スペースが弾力的に伸縮できることが望まれている。また、2~3 年間隔の入居企業の入れ替わりも予
定しておく必要がある。
③ 機関の経営能力の充実と有能なマネージャー・スタッフの確保
インキュベーターは、外部の公的機関から資金を調達しつつも、経営機関として自立し、経営の健全性を保つことが、良
質なサービスを提供する基盤となる。このため、マネージャーは経営者としての知識と感覚を持つ必要がある。また、インキ
ュベーターが良好な機能を発揮するために、専門的な知見を有するスタッフを確保し、その能力を研鑚することが可能な
環境を用意することが非常に重要である。
大学との連携関係を持っている場合は、インターンの学生を確保することが容易になっており、スタッフの獲得の面でも有
利である。また、こうした内部スタッフ以外に、外部専門家からなる諮問委員会の役割も良好な経営を維持する上で大きい。
④ 外部の多様な専門機関や専門人材を取り込んだリソース・ネットワークの形成とそれによるオーダーメードのサポート機
能の充実
外部ビジネスリソース・ネットワークに含まれるのは、大学・研究機関、産業支援機関、コンサルタント、企業戦略・ビジネ
スの専門家、会計士、弁護士、ベンチャーキャピタル、卒業企業の CEO 等のメンター、ベンチャーキャピタリスト、マーケテ
ィング専門家である。優れたインキュベーターは常にこれらの優秀な専門家グループを持っている。こうした外部の機関や
人材がインキュベーション活動に貢献しようとするのは、将来性のある起業家と早くから関係を有し将来のビジネスにつな
げられる機会を得ることになる。
インキュベーターは、相談の場(コンサルティング・デスク)の設定、個別起業家の事情に応じたアドバイザーの選定、
CEO フォーラム、交流パーティーの開催といった手法により、これらリソースと入居起業家とのマッチング・サービスを担う。
それにより起業家は、専門知識や新しいアイデアを入手することができる。また、外部の人材の一部には、諮問委員会のメ
ンバーとして、機関の運営への助言活動や入居者の選定にも参加を求めている。
⑤ 大学や研究機関などを取り込んだ産学連携のネットワーク及び技術、資本、産業のマッチングの場の提供
インキュベーター側からは大学に対し、大学が蓄積した技術シーズやアイデアへのアクセス、大学教官や学生による経
営、マーケティング、技術面などのアドバイスやリサーチの提供、起業家教育の提供、産学共同研究資金へのアクセス、開
発コストの低減に繋がる大学の研究施設や高価な研究機器の開放等を期待している。実際、大学との連携により、特に、イ
ンキュベーターの技術開発と商業化の面の支援機能が強化されている。一方、大学側からはインキュベーターに対し、教
師や学生へのスピン・アウトの機会の提供、スピン・インを希望する企業と大学で生まれた技術やアイデアとの出会いの場
の提供、大学で開拓された技術・アイデアの早期の事業化の機会の提供、学生に対する実践的な教育の場(Living Lab)
の提供、地域経済社会への貢献のアピールといった期待がある。
インキュベーターにとっては、技術移転の垣根を低め、技術の商業化を促進するための機能が、ベンチャーキャピタル
などからの資金獲得の支援と並んで、最も重要な機能である。具体的には、大学の教師や学生からのコンサルティングの
69
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
斡旋、キーとなる技術的知見を有する者の紹介、政府の技術開発資金の獲得や技術開発プロジェクトへの参加の支援、
利用可能な外部の研究施設の紹介といったものがある。
インキュベーターと大学
• インキュベーター:産学の橋渡しである
産 業
仲介サービス機関
企業創業
プロジェクト
市場開発
試作・開発
産 業 化
インキュベーター
ベンチャーキャピタル
シード基金
(出所)上海科技創業センター
図Ⅲ―16
⑥ ベンチャーキャピタルなどからの資金獲得支援機能の充実
急成長を図る起業家にとって、外部からの資金調達は、最も重要な経営要素の一つである。したがって、インキュベータ
ーは、ベンチャーキャピタルや公的プログラムからの直接投資、政府の技術開発資金、政府調達、地元金融機関からの融
資等の獲得を支援する機能を重視しており、具体的には、事業計画書の書き方の指導、資金供給機関とのネットワーキン
グの場の提供、技術開発補助金や政府調達への応募の指導といったことを行っている。
表Ⅲ―12 支援策
・
インキュベーター設立のための国の投資
・
テナント企業のための税制優遇政策
・
技術SMEsのための国家イノベーション基金
・
SMEsのための州・自治体のイノベーション基金
・
技術成果を無形資産として認める(企業価値の35%まで)
(出所)上海市イノベーションセンターの資料に基づき作成
⑦ 個々のインキュベーターの性格に合致した入居者をスクリーニングするためのプロセス
インキュベーターには、IT 関連分野のベンチャーの促成、大学・研究機関の技術を核としたバイオ系ベンチャーの支援、
製造業企業の販路開拓支援等、多様な性格を持つものが存在しており、一定の共通部分があるとしても支援機能には差
異が存在する。また、機関の経営面では、公的な支援に大きく依存するものから入居企業のエクイティを取得しその売却に
より利益をあげるモデル(インターネット・インキュベーター)まである。一般的に、特別なサポートを投じるに値するポテンシ
ャルを有する企業の選定が重要である一方、それぞれの支援内容と機関の収益モデルに合った入居企業を選定できるよ
う、スクリーニング・プロセスを整備する必要がある。
営利型のインターネット・インキュベーターについては、多額な支援コストの投入に見合い、直接投資した資金の早期回
収が可能な急成長型の情報系企業に支援対象を限ることが現実的であろう。
また、大学の技術へのアクセスの良さを最大の支援サービスとする場合は、大学が保有する技術と企業の戦略目標や能
70
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
力が合致しているかを判断するために、大学がスクリーニングに組織的に関与することが必要になる。更に、支援対象とな
る起業家のポートフォリオについては、関連事業者の集積による相乗効果を考えると共に、ある程度それを多様化すること
も重要である。それによって、企業間の情報やアイデアの交換がより有意義なものとなり、また、複数の入居企業によるビジ
ネスの直接な競合による紛争を避けることができる。
⑧ 機関パフォーマンスの適切な評価
適切な評価を行うことは、インキュベーターにとって 2 通りのメリットがある。一つは、自身の機能を点検することで、弱い
部分を強化し、無駄を省き、継続的な機能の向上と言ったことが可能になることである。今一つは、評価結果を公表するこ
とで、自身の活動に対する社会的な理解を獲得することが可能になることである。後者は、「攻めの情報開示」というべきも
のであり、卒業企業数、卒業企業による売り上げや雇用者数、卒業企業の中での株式公開(IPO)企業数、入居企業のベ
ンチャーキャピタルからの投資獲得額などが公表の対象となっている。
(2)今後の課題
① 入居企業に対する資金援助の不足
中国のインキュベーターに入居している企業の大半は、創業者(その多くは技術者)の持つ技術、自己資金とインキュベ
ーターの施設、政策の融合によって立ち上げられたものである。入居企業にとっては、資金が非常に不足しており、資金不
足はスタートアップ企業の発展を妨げる主な原因の一つとなっている。インキュベーションマネージャーの主な精力は外部
の資金源獲得に注いでいるため、施設運営を考える余裕はあまりない。
ここ数年来、社会各界が科学技術成果の産業化を重視するようになってきたのにつれて、科学技術型の中小企業を援
助する資金が多くなったとはいえ、全体から見れば、インキュベーション基金はまだ少ない。あるアンケートによると、直面し
ている主な問題と聞かれたスタートアップ企業の 40.7%が「資金不足」と答え、第一位になっている。インキュベーションの
資金源から見れば、スタートアップ企業の設立資本も主に自己資金から来ており、設立資本の 78.6%を占めている。シード
マネーからの比率は 11.7%、銀行の貸し付けは 3.4%、政府の投資又は寄付などは 2.4%である。
② 経営、管理の専門人材の不足
インキュベーターは優秀な起業家と企業が集まる場所であり、高い資質を持つ専門人材によって運営されなければなら
ない。しかし、現在、各インキュベーターは高い水準の人的資源が不足している。これは主に 2 つの方面に現れている。一
つは機関運営、管理の経験を持った人材の不足。インキュベーションスタッフは科学技術イノベーションに明るく、企業管
理にも詳しいプロフェッショナルな人材でなければならないが、目下、中国のイノベーションセンターの大半は行政的な性
格を持った機関で、そのスタッフの給与水準は市場レベルより低いため、優秀な人材を引き付けにくいうえ、在籍のスタッフ
にとって、能力向上のインセンティブも弱い。今一つはインキュベーションスタッフの年齢層の中高年化である。スタッフの
平均年齢が 40 歳を超えたインキュベーターも一部ある。
③ 更なる整備が求められる管理体制と運営体制
具体的には、機関本体と入居企業のパフォーマンスの評価システム、技術情報などのプラットフォームが十分に形成さ
れていないことが挙げられる。すなわち、標準化した管理体制が整っていない。それを意識して、一部のインキュベーター
は管理の標準化を図るよう、管理基準を制定した。例えば、天津市イノベーションセンターは、「インキュベーター管理マニ
ュアル」を編集した。その他、北京市留学生海淀創業パークは「入居企業の評価システム」を確立させ、北京ビジネス・イン
キュベーション協会は「インキュベーター評価システム」を立ち上げた。情報ネットワーク・サービス機能を改善するため、一
部のインキュベーターはそれ自体の情報ネットワーク・プラットフォームを整備した。情報サービスはインキュベーションサー
ビスの重要な部分で、天津市イノベーションセンターはウェブサイトで価値のある情報をタイムリーに公開し、入居企業同士、
企業とインキュベーターの間、インキュベーター同士の協力と交流を強めることによって、良い効果を収めた。
71
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
8.おわりに-日本の対応
中国の科学技術は 20 世紀の半分を、計画経済の下で「鉄の試験管」のなかに閉じ込められてきた。そして、改革開放の
下、過去 20 年間、中国のイノベーションシステムは目覚ましい変化を遂げた。中国も、急速に進化する科学技術の世界に
対応し始めたのである。こうした世界の先端科学技術のフロンティアに向かった中国の挑戦はこれからも続く。今日、中国
は研究開発を巡る根本的な制度設計という大きな課題を背負いながら改革を着実に進めているが、今後中国が新たな技
術革新の波に着実に乗れるかどうかは、これからも引き続き改革を続けていかれるかどうかにかかっている。
科技人材の面では、中国は、特に海外にいる中国人研究者や留学生を呼び戻すことで、科学技術の相対的な遅れを
一気に取り戻そうとしている。とくに、先進国、欧米で最先端研究が行われているバイオ、ナノテク、新素材などの分野を重
点的に伸ばそうとしている中国にとって、こうした分野の研究者が中国と先進国の間で知識ネットワークによりつながること
は非常に有益である。その背景に、現在、米国の自然科学分野の研究において、中国系(留学生も含む)の研究者が占め
る比重がきわめて高くなっていることは注目に値する。中国は、「頭脳流出」から「頭脳循環」への転換に向けた努力を続け
ることにより、ゲノム研究やコンピューターサイエンス、ナノテクなど、一部の分野で世界的な成果をすでに出しはじめている。
また、中国は「科教興国」実現のために、マイクロソフトやインテルのような外資系 R&D 拠点を、中国イノベーション・システ
ムの重要なアクターとして期待している。中国に今一番欠けているのは、知識の産業化に必要な豊富な経験である。市場
経済への移行が進む中、こうした人材の育成が急務になっている。最先端の科学技術研究だけでなく市場をもよく理解し
た研究開発人材が育つまでは、欧米での経験をもたらしてくれる「海亀」人材に期待が集まる。しかし、海外からもどってくる
人材のみでは、到底中国の更なる発展を支えるには限界がある。国内の研究教育環境の改革を進めることで、いち早く国
内の研究者・技術者の層を厚くしていくことが求められている。最近の、科技専門大学の新設ラッシュもそうしたニーズを反
映しているといえるが、これからは、そのようなハード面だけでなく、人材育成プログラムの充実化が重要になってくる。
R&D のグローバル化が進展するなかで、科学技術分野でのソフト面でのネットワーク化が「知識経済」において注目され
ている。日本も、真の「科学技術立国」になるために、公的研究機関や大学などの法人化や TLO やインキュベーション施
設のような仲介機能をサポートする制度改革をこれまでの既得権益にとらわれないよう積極的に進めなければならない。と
くに、中国の経験からも知識イノベーション・ネットワークの構築につながるような人材戦略は重要である。
中国の取り組みの中で、日本にとっては以下のような点がとくに参考になる。先ず、人材戦略の面では、人材の流動性を
高めるような制度改革である。中国は、大学や公的研究機関における雇用環境を柔軟的にするための規制緩和を積極的
に進めることで、「リスク」と「リターン」がマッチングするようなシステムを作り上げている。同時に、セーフティーネットとして名
目上複数のポストの兼任など柔軟に対応している。また、科学技術と産業を結ぶ仲介機能と知識イノベーションのネットワ
ーク化に必要なプラットフォームの設立を政府があらゆるレベルで行政支援を行っている点である。例えば、大学、研究機
関、自治体などが運営するインキュベーション施設に対してインキュベーションマネージャー(IM)などの人材育成や財政
面で積極的な公的支援を実施していることは重要である。そして、科学技術政策の立案や実施におけるコーディネーショ
ンがとくに地方自治体でうまくいっている面があり、注目に値する。中央政府の最高意思決定機関である国家科技領導小
組(主席、各大臣、中国科学院院長など十数名ほどの少人数で構成されている)が、中国の中期的な大枠の科学技術戦
略を決定する役割を担っている。そして、それに従い各自治体が独自の取り組みを行う際に、科学技術委員会(市政府、
地元大学、インキュベーションセンター、サイエンスパーク管理委員会など産学官のトップにより構成している)がコーディネ
ーション・プラットフォームとしての役割を担う。各自治体がこうした産学官による政策プラットフォームをもつことにより、多様
性のある地域イノベーションシステムの構築とそれらの間での競争メカニズムがはたらく。北京、上海などにみられる地域発
展のダイナミズムはこのような行政機能によって支えられている点が多い。日本にとって、台頭する「科教興国」中国は、新
たな知識イノベーション・ネットワーク構築のチャンスである。
72
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
表Ⅲ―13 中国の取り組み
・人材の流動性を高めるような制度改革:大学や公的研究機関における雇用環境を柔軟にするための
規制緩和を積極的に進めることで、「リスク」と「リターン」がマッチングするようなシステムを作り上げる。同
時に、セーフティーネットとして名目上、複数のポストの兼任などケースバイケースで対応する 。
①「所(院)長責任制」と「首席専門家制」による人事権の独立
②「固定」と任期付き「流動」研究員の双方を組み合わせた雇用体制の確立
③
兼職と職務発明による報酬制度の確立
④
国家重点研究室におけるPI制度
・科学技術と産業を結ぶ仲介機能と知識イノベーションのネットワーク化に必要なプラットフォームの設立
を、政府があらゆるレベルで行政支援する。例えば、大学、研究機関、自治体などが運営するインキュベ
ーション施設に対して、インキュベーションマネージャー(IM)などの人材育成や財政面で積極的な公的
支援を実施する。
表Ⅲ―14 科学技術政策の立案、実施におけるコーディネーション
・中央政府の最高意思決定機関:国家科技領導小組(主席、各大臣、中国科学院院長など)。
・各自治体の科学技術委員会:市政府、地元大学、インキュベーションセンター、サイエンスパーク管理
委員会など産学官のトップにより形成
・中央政府が科学技術戦略の方向性を打ち出し、それに従って各自治体が独自の取り組みを行う際に、
科学技術委員会がコーディネーション・プラットフォームとしての役割を担う
現在の中国の科学技術を先進国と比較しても日本の科学技術戦略を考える上ではあまり意味がないかも知れない。む
しろ、過去 20 年間にわたる中国の変化は非常に目覚しいものであり、この変化を科学技術の分野で中国と連携する機会と
してとらえることが重要ではないだろうか。欧米の先進国は、こうした変化をチャンスととらえ、着実に、中国の科学技術の進
歩と歩調をともにしている。来年、独法化をむかえる大学や公的研究機関の一部は、中国の大学や研究機関との間で連携
を模索しはじめている。また、日本の自治体も中国の大学と提携を模索しており、日中間での産学連携同士でのイノベー
ション・ネットワークがやっと動き始めている。清華大学では、地域(中国)-大学(中国)-大学(日本)-地域(日本)、RU-UR
と称して二国間連携を目指したプロジェクトもスタートしている。こうした動きを後押しするため、日中間での科学技術交流を
政府レベルでも推進することが肝要である。中国科学院の院長は、大臣と同等の政府ポストを与えられており、日本も民間
と政府が連携して中国と接していくことが求められている。まずは日本での留学や研究経験を持ち、現在、中国の科学技
術を担っている優秀な研究者へのプロジェクト支援を行い、こうしたフォローアップをもとに知識ネットワークを築き上げるこ
とも重要であろう。
73
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
<参考>
中国特許の出願状況(2000年)
25000
20000
発明
実用新案
意匠
15000
件
数
10000
5000
0
大学
科学研究機関
企業
政府機関
中国特許の認可状況(2000年)
20000
18000
16000
14000
12000
件
10000
数
8000
6000
4000
2000
0
発明
実用新案
意匠
大学
科学研究機関
企業
政府機関
発明特許の出願件数(機関別)
科技経費1億元にあたりに占める
発明特許の出願件数
9000
8000
14
7000
12
6000
5000
4000
10
研究機関
企業
大学
研究機関
企業
大学
8
6
3000
4
2000
2
1000
図Ⅲ―17 特許データに基づく分析
(出所)中国科技統計年鑑2001年
74
20
00
19
99
19
98
19
97
19
95
19
90
19
95
19
96
19
97
19
98
19
99
20
00
19
96
0
0
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
(億元)
(%)
1,000
1.2
1
800
開発
0.8
600
0.6
400
0.4
200
0.2
0
0
1995 1996 1997 1998 1999 2000
図Ⅲ―18 R&D 支出の推移
(出所)中国統計年鑑 2001 年に基づき作成
統計データ・リスト
○
中国統計年鑑
○
中国科技統計年鑑
○
中国科技論文統計与分析
○
中国科技発展研究報告
○
中国科学技術部 科技統計信息中心
○
中国科学技術部 1997 年アンケート調査
○
NSF Science & Engineering Indicators 2000
○
OECD Main Science & Technology Indicators 2000
現地調査ヒアリング先リスト
○ハイテク・IT 企業
神州数碼有限公司集団
北京六合万通微電子技術有限公司
四通集団公司董事
四通集団公司部長・高級工程師
松下電器研究開発(中国)有限公司
Microsoft Research, China
星潮在線網絡科技(北京)有限公司
東華ビジュアル・テクノロジー会社(帰国留学生のベンチャー)
Soft Trend Capital Corp.(ソフトバンク系)
張江ハイテクパーク(上海)
張江ハイテクパーク開発会社(上海)
上海中芯国際半導体製造株式会社
75
応用研究
基礎研究
R&D支出のGDPに占め
る割合
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
上海特律風根エレクトロニクス株式会社
無錫ハイテク開発区 富貴(無錫)電子有限会社
蘇州シンガポール工業団地
蘇州シンガポール工業団地開発会社
○バイオ関連
北京豊隆農業工程技術有限公司董事長・日本東都興業(株)
国家新薬スクリーニングセンター(上海)
麒麟鯤鵬生物薬業有限会社(上海)
清華大学生物科学と工程研究院教授・基因組研究所所長
○起業支援・政府関係部門
清華科技園発展中心
北京市中関村科技園区海淀区 管理委員会
中国民営科技実業家協会
中関村科技園区海淀園管理委員会 発展戦略研究中心
中華人民共和国教育部 科学技術発展中心高校科技産業処
○大学と校弁企業関係
清華大学与企業合作委員会
清華大学与企業合作委員会商情中心
清華科技園発展センター(インキュベーター)
清華大学企業集団
北京大学科技開発与産業管理部
復旦光華 IT 科学技術株式会社
ベル交大実験室
交大オムロンソフトウェア株式会社
科学技術仲介機構についての参考文献:
「中華人民共和国国務院公報」 http://www.china.org.cn/ch-gongbao
「科技仲介機構政策法規選」中国科学技術部 http://www.most.got.cn
「2002 年全国科技仲介機構工作会議文件選編」中国科学技術部
「我国大学科技園的发展态势」全国大学科技園工作指导委员会(2001 年 5 月 8 日)
王静「徐冠華論述中国科技仲介変革」(「科学時報」2002 年 12 月)
全国生産力促進センター
http://www.cppc.gov.cn
76
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
事例研究:
清華大学与企業合作委員会 周 遠強
(訳:周 国栄(経済産業研究所))
「知識経済」の時代の到来にともない、大学、とりわけ水準の高い研究型大学は国の発展に重要な意味合いを持つととも
に、社会発展の中核的な役割を果たしている。研究型大学は、経済発展と社会進歩を促進する貴重な原動力として、社会
生活における人材育成、科学研究、社会貢献といった三つの機能を発揮している。
第一部 清華大学の基本状況
1.清華大学の沿革
清華大学はよく「清華」と呼ばれる。1911 年成立当初は米国留学予備校であった。1912 年に清華学校と改名され、1925
年に大学部が設立され、四年制の大学生を募集し始めた。1928 年に国立清華大学と改名され、1929 年の秋に研究院が
開設された。
中華人民共和国が成立してから、1952 年の国家の学部調整により、清華は多科目の工業大学となり、工学技術人材の
育成に重点を置いた。工学技術と先端技術の人材を数多く養成し、「エンジニアの揺り籠」と言われていた。
1978 年以来、中国の改革開放政策の進展につれて、清華は次第に理科、経済管理、人文社会科学などの学科を復活さ
せ、新たな発展期に入った。現在、清華には理学院、建築学院、土木水利学院、機械工学院、情報科学技術学院、人文
社会科学院、経済管理学院、法学院、美術学院、公共管理学院、応用技術学院、医学院、新聞(マスコミ)学院など 13 の
学院(43 学部と 1 研究所が含まれる)と 5 の直属学部が設けられており、中国を代表する総合大学として、国の知識、技術
イノベーションの一端を担っている。
創立以来、「国家と社会に寄与できる健全な品格を備えた人材の育成」という教育理念の下で、清華大学は、10 万人近
くの卒業生を送り出している。そのうち、中国を代表する学界、実業界、政界の人材が数多く含まれている。例えば、中国ア
カデミー・メンバーが 25 名、中国エンジニアリング・アカデミー・メンバーが 24 名にものぼる。
2.清華大学の機能と位置付け
水準の高い人材を育成すると同時に、次のようなことにも取り組んでいる。
〇世界的な科学技術の発展を左右し、人類の直面している重大な問題に関するオリジナルな、戦略的、先見的な基礎研
究
〇国際競争力、国家の科学技術水準を飛び越えて発展させるような、国家戦略的なハイテクの研究
〇国家と地域の技術進歩、産業のグレードアップを推進できる、自ら知的所有権を持った応用技術の研究と科学技術成果
の移転
〇 国家と地域社会、経済、科学技術発展における重大な意思決定、政策と発展戦略に対する研究とコンサルティング
有名な研究型大学として、清華は「知識の伝授、科学技術イノベーション、社会への貢献」という三大機能を発揮し、産
学連携を重視しながら、科学技術と経済の融合、科学技術成果の産業化を推進することによって、国の経済と社会生活に
積極的に寄与している。国家と地域社会の発展と企業の技術革新の需要に基づき、ハイテク技術成果の移転と産業化、
戦略研究とコンサルティング、情報交換と伝播などの面で、社会にますます広範なサービスを提供していく。
77
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
3.清華大学の科学技術研究の基本データ(科学技術者、拠点、成果)
(1)科学技術者(いずれも 2001 年末現在)
清華に在籍している学生数は 20000 名以上で、そのうち、学部生は約 12000 名、修士課程は約 6200 名、博士課程は約
2800 名。
教師は 3000 名以上、そのうち、高級職(教授)は約 1000 名、副高級職(助教授)は約 1800 名、45 歳以下の青年教師は
約 1800 名、教師の総人数の 60%を占めている。フル回転の研究実力に換算すると、約 5000 名の研究者に当たる。
中国アカデミー・メンバーが 25 名、中国エンジニアリング・アカデミー・メンバーが 24 名となっている。
(2)科学研究拠点
現在、清華には 13 の学院(43 学部と 1 研究所が含まれる)と 5 の直属学部が設けられている。基礎研究と応用研究を両
立させ、学際的な学科の発展を奨励し、科学技術イノベーション能力の向上という方針の下で、清華は絶えず科学研究を
推進している。目下、39 の研究院(所)、32 の研究センター、49 の国家重点学科、24 のポスドク基地を持っている。ハイレ
ベルの科学研究基地として、13 の国家重点実験室、2 の国家専門実験室、10 の教育部重点実験室、1 の科学技術部重点
実験室、5 の国家エンジニアリング研究センター、6 の教育部オンライン研究センターを有しており、基礎科学、応用科学の
研究と科学技術移転の面で強い実力を誇っている。
(3)成果
長年にわたって、清華は科学技術分野で数多くの素晴らしい成果を上げた。1996 年以来、国家科学技術賞を合計 79
本獲得した。そのなかには、国家技術進歩賞が 52 本、国家技術発明賞が 18 本、国家自然科学賞が 9 本で、その数は全
国の大学の 1 位となっている。2001 年に清華は各種の科学技術賞を合計 348 本獲得した。その中には、国家レベルの科
学技術賞が 4 本(自然科学賞 1 本、科学技術進歩賞 3 本)、部・委員会レベルの賞が 67 本、省・市レベルの科学技術賞が
37 本、その他 240 本が含まれている。
1996 年から 2001 年にかけて、清華の特許出願件数は 1331 件に上っており、中国の大学の一位になっている。そのうち
2001 年度の特許出願件数は 441 件(342 件の発明特許が含まれる)、技術ライセンスは 187 件(100 件の発明特許が含ま
れる)である。
1996 年から 2001 年にかけて、清華は企業との技術協力プロジェクトを 4400 項目実施し、その金額が 15 億元に達して
いる。そのうち、2001 年度の企業との技術協力プロジェクトが 800 項目、その金額が 4 億元を上回った。
4.清華大学における技術移転と緊密な関係にある機関
(1)清華大学科学技術開発部(開発部)
清華の科学技術事業の責任を総合的に管理する部門は科学技術処である。その責任には、重点的な科学研究プロジ
ェクトの実施と科学研究契約書、研究経費の管理、科学技術成果の報告、評価、認定、奨励、発明及び特許の出願と知的
所有権の保護、国家レベルの重点実験室とエンジニアリング研究センターの管理などが含まれる。
科学技術処に所属する科学技術開発部(以下「開発部」と略す)は、清華と各省、市、地域間の協力に関わる業務に携
わっている。開発部は校長より権限委譲され、大学の各学院、学部と各省、市、地域、企業などの事業体との協力及び清
華の科学技術成果に関する技術契約、特許や技術ライセンスの実施に当たる責任部門である。つまり科学技術成果の実
際の生産力への転換を促進する役割を果たしている。
本稿でいう「横並び型」とは、そのプロジェクトと経費が企業によるものを指す。「縦割り型」とは、そのプロジェクトと経費が
政府によるものを指す。
78
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
(2)清華大学与企業合作委員会(以下「企合委」と略す)
95 年発足した清華大学与(=と)企業合作委員会は、清華と国内外の企業との長期的な協力、共同発展を実現するた
めの技術移転、科学技術成果の産業化の橋渡し役である。
2000 年から 2002 年にかけて、清華は中国国内企業と一定規模の共同研究機関を 50 ヶ所近く設立した。例えば、電気
機械学部と南京電力自動化設備工場、化学工業学部と南風化工グループとの共同研究機関の投資額はそれぞれ 2000
万元と 1500 万元に達している。英克莱会社が 2000 万元を投資し、清華と InGaN 研究開発センターを立ち上げた。
現在、国内外の 160 社以上が「企合委」のメンバーになっており、そのうち、上海宝山製鉄グループ会社、海爾グループ
な ど 国 内 の 130 社 と 、 IBM 、 GM 、 SONY 、 P&G 、 MOTOROLA 、 TOSHIBA 、 HITACHI 、 SAMSUNG 、 EDF 、 FRANCE
TELECOM など海外の 30 社が含まれている。
(3)清華大学企業グループ
「大学の科学技術成果に基づき、ハイテク技術成果の移転とハイテク技術の産業化を加速させるよう、ハイテク企業を生
み出し、科学技術企業をインキュベーションすること」を目指し、清華大学 100%出資の持ち株会社として、清華大学企業
グループは 1995 年に設立された。その主な仕事は大学発企業の資産の経営、管理と投資業務である。
現在、傘下に清華紫光、清華同方、清華サイエンスパーク、清華陽光、清華イノベーション投資などを含めた 40 社近く
持っている。その産業分野は IT(コンピューターソフトウェア、ハードウェア、インターネット技術、通信、マイクロ・エレクトロニ
クス)、人工環境と環境保全工学、民用核技術、新素材とエネルギー、生物工学、ファインケミカルと製薬、宇宙工学、光
学・機械学・電気学の一体化、ベンチャーキャピタル、コンサルティングなどにわたっている。そのうち、清華同方は 1997 年
6 月に、清華紫光は 1999 年 3 月に、誠志株式会社は 2000 年 7 月に株式上場を実現した。その後、清華企業グループは
引き続き直接または間接的に企業の持ち株、資本参加を行った。2002 年 4 月 30 日の終値を基準にすると、中国における
約 1160 社の上場会社の時価総額は約 3.7 万億元で、そのうち、清華グループの 7 社の時価総額は約 294.55 億元と、時
価総額全体の約 0.8%を占めている。95 年から 2001 年にかけて、大学発企業(校弁企業)の業績が長足の発展を遂げ、
売上高は 8 億元未満から 13 倍の 100 億元に、利益は 1 億元未満から 8 倍の 8 億元に、総資産額は 8 億元から 20 倍の
160 億元にそれぞれ増えた。
(4)清華大学サイエンスパーク
清華大学サイエンスパークは中国における 22 ヶ所の国家レベルの大学サイエンスパークである。完成した第一期工事
の延べ床面積は 19 万㎡、延べ床面積 51 万㎡の第二期工事も 2005 年の完工に向けて建設中である。
技術イノベーションと技術移転のプラットフォームの形成を目的とするサイエンスパークは、イノベーション環境の整備、起
業家の養成、科学技術企業のインキュベーション、技術移転の促進などの面で積極的な役割を果たした。
(5)深圳清華研究院、北京清華工業開発研究院、河北清華発展研究院
清華は 1996 年に深圳と「深圳清華研究院」を、1998 年に北京市と「北京清華工業開発研究院」を、2002 年 8 月に河北
省と「河北清華発展研究院」を設立した。これらの研究院は、清華の科学技術成果を地元企業へ移転する過程における橋
渡し役である。
79
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
第二部
清華大学の産学合作の具体的取り組み
清華は開放的な学校運営理念を貫きながら、社会への貢献を大学の責任としている。そのため、国内企業や地域との
協力を強化するとともに、海外の大学や企業との交流、協力にも大きな力を入れている。多様な産学連携の形式を通じて、
社会に寄与している。
1.学術と人材の強みを生かし、企業との協力の強化
(1)企業との技術契約の提携
1983 年発足した科学技術開発部は企業との協力のルートを積極的に開拓し、大学の技術譲渡と技術サービスを管理し
ている。96 年以来、清華と企業間の科学技術契約と経費の年間成長率は 30%に達している。2001、2002 年清華と企業の
間に合計 800 項目以上の技術契約書が締結され、契約ベースの金額は 4 億元を上回った。例えば、工業物理学部と清華
同方との「大型コンテナー検査システム技術開発プロジェクト」(契約金額 7000 万元)、エネルギー学部と北京市朝陽区と
の「朝莱農芸園生活ゴミ焼却、暖房エネルギー供給工場プロジェクト」(契約金額 1700 万元)、化学学部とレインボーングル
ープとの「有機電発光半導体部品開発プロジェクト」(契約金額 2500 万元)などが挙げられる。
清華と企業との技術協力は大きく 4 種類に分けられる。すなわち、技術開発、技術譲渡、技術サービス、技術コンサルテ
ィングである。そのうち、技術開発が約 6 割を占めているのに対して、(特許を含めた)技術譲渡契約は僅か 5%以下である。
協力の分野から見れば、学科分野の全般にわたっている。そのうち、IT(コンピューター、エレクトロニクス、電機)、バイオ、
環境保全、素材、化学工業などの割合が高い。
(2)企業との共同研究機関の設立
有力企業との共同研究機関の設立は大学と企業の協力の良い形式である。それによって、大学の人材、技術と実験設
備を生かし、企業の技術イノベーションシステムの形成に役立ち、企業の技術革新を実現でき、大学の技術成果の企業へ
の移転を加速できる。
2000 年から 2002 年にかけて、清華と国内企業との間に、一定規模の共同研究機関が約 50 ヶ所設立された。例えば、
電機学部と南京電力自動化設備工場、化学工業学部と南風化学工業グループとの共同機関の投資額は、それぞれ 2000
万元、1500 万元に達した他、英克莱社は 2000 万元を投資し、清華と InGaN 発光素材 R&D センターを設立した。
海外企業との共同研究機関は 60 ヶ所以 上設立された。国別では、米国が一位で 40%を占め 、例えば、IBM、
MOTOROLA、INTEL、COMPAQ、MICROSOFT、HP、BELL など、その次が日本の 20%で、例えば、日立、SMC、三菱、
NEC、オムロンなど。
共同研究機関の良い面は次のとおりである。
① 共同研究機関という協力方式によって、清華の R&D を企業の技術革新システムに織り込むことができ、重要な技術リ
ソースになる。
② 大学と企業の分業によって、大学の人的資源不足の問題をある程度解決できる。
③ 優位を取り入れ合うことによって、大学の R&D の「徹底化」を実現できる。
④ 人材の確保と経費の安定的な供給を実現することによって、優秀学科の発展を促進できる。一般的に、協力機関の経
費の三分の一は実験室の整備に充てられる。その他、「組織委員会」と「学術委員会」の設立を通じて共同機関の順調な
運営を組織的に保証できる。
⑤ 企業の人材が育つ。共同実験室では大学の教師が大半であるが、企業側からも一部の人が派遣される。共同研究を
通じて、企業の技術者も育つ。
⑥ 技術移転を加速できる。大学と企業の協力によって、サンプルから大量生産までのサイクルを短縮できる。
現実問題として、「学際的な研究開発チームを如何に編成するか」、「教師に対する利益分配」、「共同機関に対する標
準化管理」、「知的財産権の分配」などが挙げられる。こうした問題について、今後研究を重ねていく必要がある。
80
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
(3)特許、技術ライセンスの提供
技術(特許)ライセンシングは国際的な産学連携のやり方であるが、清華の現状からすれば、まだ少数に止まっており、
主流にはなっていない。これから中国の法整備の一層の進展、中国経済の発展と国際経済への更なる参入にともない、技
術ライセンシングの必要性がますます高まるように思われる。
清華のコンテナー検査システム技術を開発する過程で、契約型の技術開発協力の他、技術の使用者側の清華同方核技
術会社は売上高の 5%を清華にロイヤルティーとして支払った。
(4)技術の株式権益転換
① 基本的な状況
現在、このような企業は 20 社以上ある。清華が技術を提供することにより、一部の株式権益を持つ。企業の運営は清華
以外のところに任せる形となる。
② 技術の株式権益転換が生まれた原因
ⅰ.中国の企業の研究開発力が比較的に弱いことから、企業側は大学の科学技術の更なる進歩を求め、企業と大学の技
術協力を通じて、共同で企業を立ち上げる。
ⅱ.技術の供給者と需要者が利益共同体を形成させ、共にリスクを負うことによって、相互信頼を達成しやすく、意見の一
致も図りやすい。
ⅲ.技術の株式権益転換は、ある程度技術の供給者の技術に対する自信を反映できる。
ⅳ.技術の株式権益転換は、産学連携の現実的な解決策である。大学は資金不足のため、直接の資金投入は難しい。企
業は技術の株式権益転換の方が、一般的な協力より資金の投入額が低い。したがって、技術の株式転換は大学と企業の
資金不足または限られた資金という前提での産学連携の現実的な解決策である。
③ 効果
(経済的、社会的)効果からすれば、清華による技術の株式権益転換方式で設立された企業は、いい業績を上げるもの
が少なく、経済的な利益が出るところは更に少ない。
④原因の分析
ⅰ.清華の技術と実際設立された企業の間に「落差」が存在する。企業は技術から製品に発展するための更なる研究開発
の投入に耐えられない。言い換えれば、清華の技術には大量生産できる商品との隔たりが大き過ぎる。すなわち、サンプ
ル≠製品。例えば、ある技術は互換性が低く、設備と環境などに対する要求が厳しいため、一旦実験室から製品化の段階
に入ると、技術は既定の要求を達成できない。その上、たとえいい技術でも、順調な発展段階に入るには少なくとも 5 年以
上かかる。例えば、太陽エネルギー集積機やコンテナー検査システムなどの製品開発の成功例から、長期にわたる開発と
改善によって初めて大量生産できることが分かる。コンテナー検査システムを例にすると、実験室で実物大のサンプル作成
に成功し、それが税関の検査をパスして企業化段階に入ってから 5 年も経った今、ようやく国際市場進出できるようになっ
たのである。企業がサンプルから実際の製品までの隔たりが理解できず、研究開発時の困難に耐えられない場合も往々に
してある。
ⅱ.協力先を選択する時の盲目的、恣意的な要素。
協力先を選択するとき、盲目的、恣意的な行動を取り、企業経営者の選定も慎重に検討しようとしない。
ⅲ.資金供給が順調に行われていない。
必要な資金が順調に注ぎ込まれないため、最初の設計の変更に追い込まれたり、設備の性能を下げられたりするなど、紛
糾が起きてしまう。
ⅳ.協力先企業の動機不純
例えば、ある企業は設立時から清華との協力関係を利用して第二部市場の上場を目指していた。国の政策、経済情勢の
変化などによって、それが困難になった場合、協力の原動力が失われてしまう。
ⅴ.清華の投入不足
技術の供給と需要に隔たりが存在しているため、客観的に清華の十分な技術投入が求められている。しかし、実際に、
81
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
同じ技術を何社にも移転したり、研究者は次のプロジェクトに取り掛かったりするなどの原因によって、継続的な技術投入
が難しくなる。または、奨励メカニズムの不足で、研究者の企業との協力への意欲が削がれてしまう。
⑤ 技術の株式権益転換に関する問題点
ⅰ.現在、財務、管理などの経済・法環境の不備や情報の不透明さから、技術供給者は会社の今後の発展を懸念し、リス
クを負わない一回きりの技術買い取り方式を望む。
ⅱ.技術の科学的、公正な評価が難しい
ⅲ.技術の株式権益転換には、大学が確実に利益が得られるよう、大学の産業管理部門の専門的な(法人格)機関による
株式保有が必要であるうえ、持続的な標準化管理と規制も必要である。
ⅳ.技術の株式権益転換の実現後、大学、学部、研究チーム、個人の間の利益配分が難しい
ⅴ.企業と大学が共同で国家資金援助プログラムに応募するのは、今後暫くの間、中国の産学連携における重要な方式
であるとともに、産学連携を促進する大切な原動力でもある。
例えば、「863 ハイテク研究プログラム」は大学と企業との共同入札を条件としている。こうした角度から見れば、大学と企業
の協力は双方の当然の選択である。その具体例として、清華と中国の某航空エンジン開発グループが共同で進めている
「大型蒸気タービン」プロジェクトが第十次 5 ヶ年計画期間中の「863 プログラム」に指定されたことが挙げられる。
2.地方政府との協力を強め、地域経済と社会発展に寄与
(1)国内の三分の二に上る省政府と協議書を締結することにより、技術協力、人材育成、教育、地域経済戦略策定に対す
る助言など、様々なサポートを提供
協議書の締結は省と大学の双方が協力への重視を示している。協議書で重点分野と執行機関を明確に定め、それに対
し地方政府は資金、土地、政策など様々な支援をしていく。協議書は双方の協力を指導、支持する上で大切な役割を果た
している。
(2)各種の技術移転基金の設立
清華と一部の省、市政府が技術移転基金を共同設立したことにより、社会の投資を大量に引き付け、技術移転を促した。
清華は広東省、河北省、雲南省及び太原、塩城などと 1 億元を上回る技術移転基金を設立した。例えば、1994 年の総額
1000 万元の「広東清華科学技術イノベーション基金」、1998 年の総額 500 万元の「山東省政府-清華共同イノベーション
基金」、2002 年の「鞍山-清華シード基金」、環境保全、素材などの分野の研究をサポートするプログラムなど。
(3)R&D センター、技術移転センターの地元政府との共同設立
清華は 1996 年に深セン市政府と「深セン清華研究院」を設立した。延べ床面積 3 万㎡に上る同研究院には、成立して
以来合計 80 社以上の企業が入居し、インキュベーションサービスを受けている。その成長率は普通のスタートアップ企業
の 4 倍に達しており、年間売上高が 1 億元を上回った企業も 4 社ある。現在、同研究院の正味資産が発足時の 8 倍になっ
ているうえ、5 ヶ所の技術産業化実験室を持っている。今や清華の深圳に対するイノベーションサービスの窓口とプラットフ
ォームになっている。
1998 年成立した北京清華工業開発研究院は、政府の一部の機能を代行し、政府の資金を生かしながら重点的なプロジ
ェクトの技術移転を実現した。2001 年北京市から科学技術研究経費の援助を得て、清華と北京市の間に 200 のプロジェク
トが実施され、契約金額が 1.2 億元を上回った。同研究院は清華が首都経済に貢献する重要なプラットフォームになって
いる。98 年の研究院発足前、清華が北京市から受け入れた科学技術費は 100 万元未満だったのに対して、2002 年北京
市から受け入れる金額は約 4000 万元であった。しかも基本的に研究基金の性格を帯びたもので、企業の参加を特に要求
しない。現在、プロジェクト成立、跡付けサービス、プロジェクト終了清算、プロジェクト評価などの業務にはすべて、同研究
院が携わっている。
82
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
(4)地域発展、経済社会の発展に関わる重大プロジェクトの研究により、シンクタンクとして政策提言の役割を担う
経済、科学技術、環境保全などの問題について、清華の専門家たちが政府に政策提言し、シンクタンクの役割を果たす。
差し迫った需要を満たすよう、清華は雲南省の滇池の汚染対策プロジェクトを担当している。現在、植物の栽培量を拡大
することにより、固体の廃棄物を処理しており、水源の汚染に取り組んでいる。建築学院の中国アカデミーメンバーの呉良
鏞氏担当の「滇北西国家森林公園企画」プロジェクトの他、新疆タリム盆地の葉爾川地域の四種類の水資源転化研究は、
オアシスの水資源利用、灌漑区企画、用水管理などに科学的な根拠を提供した。このプロジェクトによって、140 万畝(中
国単位)の荒地を開拓しなくて済み、2.8 億元の投資を節約できた。西部大開発で、清華は雲南省のため「ハイテク産業発
展企画研究」、「雲南省ネットワーク企画研究」のプロジェクトを進め、雲南省のハイテク産業の発展と国民経済の情報化に
関する意思決定に大切なマクロ的な根拠を提供した。
(5)清華と地元政府の協力プロジェクトのモデル機能を生かし、地域経済を促す原動力に
例えば、ソーラ発電灌漑、照明プロジェクトは清華と新疆ウィグル自治区との協力プロジェクトであり、西部大開発の一部
でもある。新疆の貧困地域の皮山県での「太陽エネルギー・オアシス生態経済システムモデルプロジェクト」の実施により、
1400 人の村人の用水、電気と一部の灌漑問題が解決された。
このプロジェクトを実施するため、新疆の計画委員会主導で、新疆の地元企業共同体の「新エネルギー株式会社」を発
足させた。具体的な協力は次のとおりである。
○清華は二項目の特許技術を地元企業の共同出資した「新エネルギー株式会社」に譲渡すること。
○清華の技術協力費は 300 万元とすること。
○清華は技術の株式権益転換という方式で 1000 万元の株式権益を取得すること。
国の西部大開発の政策に合致しているうえ、清華の技術によって地元の環境保全と省エネが実現され、大きな波及効果
が発生した。2002 年に、同会社は 4 億元の注文を受けた他、新疆、四川、寧夏で同じプロジェクトを実施した。現在、北京
で研究院を設立し、各地に4つの工場を持っている。
(6)地域と企業のために各種の人材を育成
① 生涯教育と職業訓練
2001 年、清華大学は各種の短期研修コースなどを含めた生涯教育と社員教育を合計 150 プログラム、延べ 1 万人を対
象に実施した。
② 遠隔教育
コンピューターネットワークと衛星デジタル放送ネットワーク及びケーブルテレビを結び付けた遠隔教育プラットフォーム
を形成した。全国 100 以上の都市で遠隔教育ステーションを設立し、企業の管理者と技術者の生涯教育に取り組んでいる。
在籍者は 10000 人を上回った。
③ 修士教育
約 20 社の国内企業を工学修士インターンシップの受入先と指定し、企業のため水準の高い、即戦力のある人材を育成。
3.大学発ハイテク企業を発展させ、技術成果の産業化を促す
大学発科学技術産業はハイテク技術成果の産業化を加速できる。
(1)清華の技術を中心に、ハイテク企業を設立
大学発科学技術産業と学部との緊密な関係という自然的な優位は、科学技術移転を加速させ、成功させることができる。
中でも技術密集型、しかも学際的なハイテク技術移転の場合、開発期間の短縮、組織のしやすさ、技術移転の速さなどの
強みが目立つ。例えば、大型コンテナー検査システムという国際的なレベルの技術成果は、清華による国家プロジェクトで、
その技術は加速器、探知機、画像、牽引システムなどの分野にわたっている。清華同方は上場会社の資金力を生かし、研
究開発者と技術成果の一括受入れという形で産業化を実現した。その製品は中国国内の税関に使われているだけでなく、
海外市場へも輸出されるようになった。
83
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
清華は北京ガラス計測機器工場と合弁で、北京清華サンシャイン株式会社を設立した。アルミまたは窒素/アルミの選択
性熱吸収層を取り付けた太陽エネルギー真空収集ガラス管とその他の製品はスイス、日本、ドイツに輸出され、国内外から
32 項目の特許を与えられた。その莫大な経済的、社会的効果から、1998 年に国家発明賞、2000 年に国家科学技術進歩
二等賞を受賞した。
(2)大学発企業が「技術+資本」によって地元の国有企業の改革に参加
例えば、1998 年に、清華同方は江西半導体工場を吸収合併し、江西誠志会社を設立した。清華の技術革新により、同
年黒字転換できた。2001 年の売上高は 2 億元に達し、合併前の 7 倍になった。
4.大学サイエンスパークによる地域ハイテク産業の促進
1994 年設立された清華大学サイエンスパークは、2001 年 5 月に中国教育部と科学技術部によって、全国の 22 ヶ所の国
家レベルの大学サイエンスパークとして認定され、中関村サイエンスパークの発展計画の一環として位置付けられ、首都科
学技術イノベーションシステムの一部である。世界上位 500 社のうち、SUN、松下、三菱、P&G の他、国内で一定の影響を
持った 200 以上の会社が入居している。パークには、「創業園」が設けられており、海外から帰国した留学生、清華の出身
者と起業家精神のある卒業生、高学年の学生たちの創業を手助けしている。
清華の技術的優位と立地条件の優位に基づき、国内外との広範な交流を通じて、サイエンスパークはイノベーションと技術
移転のプラットフォームの形成を目指しながら、企業のインキュベーション、起業家の養成、技術移転の基地となっている。
また、珠海、南昌、西安で清華サイエンスパークのサブリージョンを設立した。
大学サイエンスパークは、イノベーション環境の整備とハイテク企業の発展の促進などの面で、積極的な役割を果たしてい
る。
5.国際的な技術移転のプラットフォームの整備、海外の先進技術の国内への移転の促進
清華は「国際技術移転センター」を設立した。ロシア、ウクライナ、ベラルーシ、ドイツの関係機関と技術移転代理協議書
を締結することによって、海外技術を中国へ導入し、国際的な技術移転を促進している。フランス、アメリカの関係機関と協
力して、それぞれ「中仏環境エネルギーセンター」、「中米環境エネルギーセンター」を発足させ、海外の先進技術の国内
企業への移転に力を入れている。
6.効率的でスムーズな情報交換ルートの構築
清華科学技術開発部に事務局を置いた中国大学科学技術ネットワーク(www.unitech.net.cn)は、教育部の指導の下で、
清華大学、北京大学、上海交通大学をはじめ、中国の 36 大学が共同発起人となっている。中国の大学だけでなく、国内
外の科学技術研究機関の 2 万項に上る研究成果や、技術情報と企業の需要状況などが公開され、大学と企業の情報交
換の大切なルートである。
7.国の関連法律、法規、政策に基づき、清華が相応する規定を制定したことによる、産学研合作の奨励、支援体制の形
成、技術成果の移転の促進、といった産学研合作にむけた環境整備
「清華大学の科学技術成果移転に関する若干の規定」では、清華技術成果普及応用効果賞が設けられ、教師による科学
技術移転に対する具体的な促進策が提言された。例えば、教師が技術移転のため一時休職を申請できる。それが大学の
知的財産権事務室に許可された場合、三年を期限に原職に復帰できること、一週間のうち 1 日を限度に教師の兼業を認
めること、特許基金を創設し、職務発明による特許出願に経済的な援助を行うこと、科学技術移転基金を創設すること、教
師の募集、業績評価の際、技術移転への貢献を選考基準に入れることなどが定められた。
84
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
8.その他の産学連携
ポスドク、大学院生、学部生のインターンシップを通じて、大学と地域、企業との関係を緊密なものにする。
第三部
技術移転における米中両国の研究型大学の機能の比較
産学連携の内容は、国の経済・社会制度によって決まる。清華の産学合作も例外ではない。
1.現段階の中国の状況は、大学と企業との産学連携方式の多様性と広範性をもたらした。
中国の現在の発展段階にはどのような特徴があるだろうか。第一に、経済メカニズムの根本的な転換が行われ、社会主
義市場経済メカニズムが確立されたとはいえ、中国はまだ市場経済の初期段階にあること。第二に、中国は長期にわたっ
て計画経済メカニズムが実行されたため、国有大、中型企業の技術開発、技術革新の能力がまだ弱い。近年、新しく発展
してきたハイテク会社の多くはまだ成長段階にあること。第三に、中国は国土が広く、地域間の発展が均衡に欠けるため、
違った地域で違った協力方式を取るべきこと。
2.比較してみれば、中国には、米国をはじめとする先進国と産学連携の具体的なやり方に大きな違いがあることが分かる。
アメリカをはじめとする先進国の技術移転では主に、特許の保護と技術ライセンシングの方式によって、技術成果の企業
への移転を実現する。技術成果の移転、すなわち産業化は企業が遂行するのが一般的である。アメリカなどの大学では、
特許の譲渡が技術移転の主な方式であるのに対して、中国の研究型大学の技術移転の過程で関わる分野は更に広いも
のである。技術成果と特許の譲渡だけでなく、技術成果の移転と産業化の過程にも関わり、様々な形式で国家と地域の技
術イノベーション、ハイテク産業の発展を支えるプラットフォームと環境を提供している。
具体的に、中国とアメリカの大学には、技術移転において次のような 12 の違いが存在していると考えられる。
(1)大学発企業
中国では大学発企業が数多く存在し、大学の技術の移転、商業化の重要な要素の一つとなっている。これはアメリカな
どの先進国で稀な現象である。
(2)TLO の機能
アメリカなどの先進国の技術移転機関(TLO)は、特許と技術ライセンスのマーケティングを主な責務としている。それと
対照的に、中国の大学では TLO に近い機能を持った機関(例えば、清華の科学技術開発部)は技術協力の促進に力を
入れており、その内容には、技術開発、サービス、コンサルティング、ライセンシングなどが含まれている。中国政府と産学
連携に対する支持と関心により、TLO の仕事には政府の科学技術、経済管理部門との協調、協力なども含まれている。
(3)TLO のスタッフの資質
アメリカの TLO の技術仲介者の主な責任は特許のマーケティングで、学校から権限委譲され、技術交渉の責任を負う。
技術仲介者には技術に関する知識だけでなく、豊かな交渉術と法律知識も必要である。
中国では、TLO スタッフの全体的な水準の向上の余地がまだ大きい。一部の優れた管理者は技術的な背景を持ってい
るとともに交渉も得意であるが、法律知識に対する突っ込んだ理解が不足している。
(4)特許出願するか否かの決定権
アメリカの TLO の技術仲介者は、ある発明について特許出願するか否かを独断で決めることができる。それはアメリカの
85
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
特許出願費用が高く、一般的に、特許を受け入れる企業を特定した後、特許出願するからである。
中国の情況はこれと違い、特許出願するか否か、出願費用の負担などについては、主に学部の研究チームまたは研究
者によって決められる。
(5)技術の価格決定
アメリカでは、TLO の技術仲介者が企業と特許の価格を協議、確定する。
中国では、ある技術の価格は主に研究者またはそのチームが企業と協議する。大学の管理機関は事後確認の役割を果
たす。
(6)技術移転の研究者の研究開発作業への影響
アメリカの TLO は教師の創造的な発明を奨励し、それをスクリーニングしてから TLO マネージャーによって特許出願する
か否かが決まる。研究者は企業の意思に従って研究方向を決めているのではない。そのため、研究者は主体性を十分発
揮でき、研究の自由度が高い。
中国の技術移転は企業の技術問題の解決に重点を置いているので、技術開発が主である。一部のプロジェクトは研究
者を単純作業に巻き込む可能性があり、短期目標に偏りすぎて、長期的な発展とレベルアップを妨げる可能性もある。
(7)法務費
アメリカでは、技術移転過程における法務費は驚くほど高く、中国では費用が低い。
(8)利益衝突の取り扱い
アメリカの大学の TLO マネージャーは大学を代表し、特許をめぐる交渉に当たる。発明者は交渉に関わらない。もし発
明者と受け入れ企業とに相関関係があれば、その技術協力には発明者の所属する学院の院長の再確認が必要である。
中国では、教師(研究者)が企業と直接、技術移転の価格について交渉するため、利益衝突の度合いが上がる。相関関
係の存在は一見合法であるが、実は違法な協力を招いてしまい、ある意味で大学の知的財産権の侵害をもたらすことにな
る。例えば、ある研究成果について当事者の教師は実際価格より大幅に低い値段で企業に売り込む可能性がある(教師と
企業の間に相関関係があるから)、その後、企業は他の方式でそれを商業化しまたは他企業に転売することによって、その
差額を儲ける場合がある。
(9)企業の資金援助を受けた発明の知的財産権
アメリカでは、バイドール法によって、連邦政府の資金援助を受けたプログラムの発明権が大学側に帰属すると定められ
ている。企業とその他の機関の資金援助を受けた発明権も、同法により一般的には大学側に帰属することになる。それと同
時に、企業の資金援助と企業の支払うべき技術ライセンス料(ロイヤルティー)が厳格に分けられ、前者で後者を相殺する
ことができない。
中国の知的財産に対する所有権は発展と変化の過程を経てきた。数年前までは、大学と企業の協力プログラムにおける
知的所有権は基本的に 100%大学に帰属していた。経済の発展と対外開放の発展にともない、知的所有権の分配につい
て、大学と企業がケースバイケースで協議するようになった。知的所有権の共有が事前に合意された場合、紛糾と意見の
違いが発生しがちである。
(10)特許出願数
バイドール法の実施前、アメリカの大学の年間特許出願件数は 250 件以下だったのに対して、93 年以来、年間平均
1600 件を上回っているうえ、ここ数年来、年間 2000 件を超えている。
中米両国の特許に関するデータを大雑把に見れば、件数はそれほど違わないが、細かく比較してみると、中国の発明
特許が少ない、電子、通信、創薬などの新興技術分野における特許が少ないうえ、国際特許がさらに少ないことが分かる。
86
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
全体的に、中国の特許は質量ともに、アメリカをはじめとする先進国との間に大きな格差が存在している。
(11)政府の機能と役割
アメリカ政府は大学に対して強力な資金援助を行っており、経済的、政策的に大学が基礎研究に専念するよう支持して
いる。バイドール法をはじめ、法律と政策の調整によって、マクロ的な環境から支持している。
中国では、政府の技術移転と産学連携に対する影響力が目立つように思える。しかし、その役割は具体的な協力に反
映される場合が多い。
(12)スタートアップ企業の株式保有
アメリカの大学の TLO は、スタートアップ企業のロイヤルティーの代わりにその株式を保有したがらない。しかし、コンピュ
ーター、ネットワーク、生物などの技術の発展により、教師、学生起業家が増え、株式所有権がロイヤルティーに替わる方
式が増えたため、結果的に TLO 所有の株式がますます多くなっている。例えば、1999~2000 年、スタンフォード大学の
TLO の 3690 万ドルのロイヤルティー収入のうち、1030 万ドルが株式所有権の売買益によるものである。
中国では、技術の株式権益への転換方式は増える傾向にある。しかし、管理の標準化と退出メカニズムについて、改善
される余地がまだ大きいため、技術の株式権益への転換方式の発展が制約されている。
3.米中両国の違いを分ける政治、経済、社会、歴史、法律、教育などの社会制度
(1)中国では、大学や、大学の科学技術者が多様な形式を通じて、企業との連携、産業化の過程へ参画することによって、
大学の科学技術成果の社会への移転を図ることが求められる。
長年にわたって実施された計画経済の下、中国の国有大、中型企業は一般的に自主開発と技術革新の能力に欠けて
いる。近年新しく発展してきたハイテク科技企業は一般的に成長段階にあるもので、規模が小さく、研究開発と技術革新の
能力がまだ弱いものである。しかし、大学の技術成果と発明特許は一般的に基礎研究またはハイテク技術分野の成果であ
り、産業化にはまだかなりの距離がある。従って国内企業が大学から提供された発明特許または技術成果の産業化の第二
次開発を有効的に実行できない情況の下で、大学や、大学の科学技術者が多様な形式を通じて、企業との連携、産業化
の過程へ参画することにより、大学の技術成果の社会への移転を図ることが求められる。
(2)中国大学の資金不足
アメリカの大学の経費の 85%が政府によるものであり、技術移転の収入の割合は 15%を占めるにすぎない。
中国の大学の主な経費の予算が国によるものであるが、国の予算が大学の運営と発展の需要を満たすことができないため、
企業との「横並び型」の協力費や、大学発産業の経費がある程度、資金の穴を埋めることができる。中でも清華は、近年の「横
並び型」の契約ベース金額が 4 億元以上になっており、科学研究費の全体(横並び型と縦割り型)の 50%を占めている。
(3)法環境の整備の違い
アメリカでは、法環境が相対的に完備しているため、技術ライセンシングの方式による企業との協力は大学に安定的な収
益をもたらす。中国では、市場経済メカニズムの形成、整備の過程において、法環境の整備される余地がまだ大きいため、
大学は、将来の収益への不安を避けるよう、一回きりの協力方式を好む。
(4)特許自身の商業的価値と社会大衆の特許の価値への判断の違いから、中米両国の大学の特許出願に対する態度の
違いをもたらした。
相対的には、アメリカの特許の最終的な商業化のレベルが高く、(大学、企業を含めた)社会大衆は特許を重視するため、
技術ライセンシングはアメリカで実現されやすい。それが技術移転の主な方式になっている。
87
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
(5)米中社会の「大学の技術産業化への参画」に対する考え方の違い
相対的には、発展途上にある中国社会の「大学の技術産業化への参画」に対する社会的認知と許容がアメリカより高い
ように思われる。
第四部
清華大学の産学合作に伴う問題点
産学研合作は一般的に中国社会や清華の発展に積極的な役割を果たした。しかし、その発展過程で、検討すべき問題
も存在する。例えば、人材育成、研究と社会貢献という三者の関係のバランスを如何に保つか。産学合作によって中国経
済へ貢献すると同時に、人材育成という大学の本来の役割への影響を如何に避けるか。発展とリスクの関係を如何に見る
か。技術移転の奨励政策が大学の教育や科学研究秩序に衝撃をもたらす可能性がある場合、大学側はその無形資産と
知的所有権を有効に守るよう、教師の技術移転への参入過程における利益衝突を如何に取り扱うか。一部の技術移転の
失敗例と一部の教師の不適切な行動によって、大学の名声にマイナスの影響がもたされる可能性がある。企業による大学
の無形資産、名称、名声への盗用、利益侵害の可能性、一部の教師が複数兼業し、教育や科学研究以外に、企業でも重
要なポストについているため、科学研究、企業の発展、教師の個人的な発展が影響される可能性がある、大学のハイテク
企業設立、運営に投資と経営リスクが伴われることなど。
これらの問題に鑑みて、清華は発展に着目すると同時に、管理の標準化と体制の完備によってリスクをコントロールする
よう努力している。例えば、清華は独立した企業グループを発足させ、大学の経営的性格を持った資産運営の責任を与え
る。企業グループは防火壁のように、投資と経営リスクを一定範囲にコントロールしている。技術協力プロジェクトの過程に
おける紛糾、訴訟などのリスクを軽減するため、清華は各学院、学部に監督、管理への更なる努力を促し、プロジェクト許認
可、経費の使用などについて、厳しくコントロールし、リスク保証金の設立などを求めることによって、大学、学院、学部、研
究チーム、チームリーダーなど、各方面が共同責任を負う形にしている。
88
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
3. バイオテクノロジー分野における知のネットワーク:アメリカのバイオベンチャーの事例
経済産業研究所
原山 優子、入本 慶宣
■ はじめに
第二期の科学技術基本計画において重点分野の一つとされているバイオテクノロジーは、知識集約型のニュー・エコノミ
ーの出現に大きく貢献し、今日 IT 技術と共に新産業創出の原動力となっている。またバイオテクノロジーは、James Watson
と Francis Crick による DNA の二重らせん構造の発見(1953 年)以来大きく飛躍し、70年代から数々のベンチャー企業が
創設された分野である。
アメリカにおいてバイオ企業が発展している地域として、ジェネンテック社、カイロン社などの大手バイオ企業のあるサン
フランシスコと、先進バイオ企業の集中したサンディエゴを擁するカルフォルニア州を挙げることができる。これらの地域に
共通するのはスタンフォード大学、カリフォルニア大学、カリフォルニア工科大学等、ハイレベルな研究大学・研究機関が集
積しているという点である。バイオ産業の発展は 1970 年代の後半、カルフォルニア大学の科学者 Herbert Boyer とベンチャ
ーキャピタリスト Robert Swanson との出会いに始まったといわれている。この二人により 1976 年に設立されたのが、組み換
え DNA 技術を元にしたジェネンテック社であり、この後アメリカのバイオ産業は目覚しい発展を遂げている。
ジェネンテック社は組み換え DNA 技術をもとに、糖尿病の治療薬であるヒトインスリン、小人病の治療薬としてヒト成長ホ
ルモン、心臓病発作等の治療薬として TAP(ヒト組織プラスミノーゲン活性化因子)、癌や肝炎の治療薬としてα-インターロ
イキンなどの医薬品を開発し、80年にバイオベンチャーとして初めて株式公開(IPO)を果たした。そしてジェネンテック社
の株式公開がなされた 1980 年代に入り、バイオベンチャー企業の設立が大ブームとなっていく。今アメリカだけでバイオベ
ンチャー企業は約 1300 社(日本はその 10 分の1の約 150 社)もあり、総売上高は 1500 億ドルに達する。
ジェネンテック社の例が示すように、バイオテクノロジーの分野においては、技術シーズの事業化に際して大学からのス
ピンオフ企業が大きく貢献しているという点に特徴がある。よって本論では、バイオテクノロジー分野における大学と産業の
相互作用をベンチャー企業の役割に焦点を合わせて分析する。何故アメリカにおいて20数年の間にここまでバイオ産業
が発展することが出来たのか、カルフォルニア州の地域特有の理由と、成功したバイオベンチャー企業アムジェン社の例を
もとに説明する。
■ カルフォルニア地域でバイオベンチャーが成長した地域特有の理由
カルフォルニア地域でバイオベンチャー企業が発展した主な理由として、以下の 4 点が挙げられる。
(1)スピンオフできる先端技術のセンターを有する地域
スタンフォード大学、カリフォルニア大学サンフランシスコ校、バークレー校等の有力大学に加え、公的研究所・大手企
業研究所・大手バイオ企業を有する。また、生活もしやすく、かつ子供の教育環境も良い土地であるため優秀な研究者が
集まる魅力的な場所になっている。
この地域が発展してきた大きな要因の一つは、大学院・研究所等が広域に開かれた産学連携システムを研究開発等の
面で作り上げてきたことがあげられる。新しいイノベーションを生み出すためには、異なった技術要素を新しい視点から統
合する必要があり、大学院・研究所等はそれらのきっかけを与える上で非常に大きな役割を果たしている。
スタンフォード大学は現在、周辺企業との産学共同研究の中核的存在であるとともに、エレクトロニクス、コンピューター・
サイエンス、バイオテクノロジー、ソフトウェア、材料科学、医科学などの大学の研究室で生まれた技術やアイデアがテクノロ
ジーライセンスという形で企業に有効に利用されている。また、スタンフォード大学を中心として多くのスピーカーシリーズ
(外部講師による講演会)が外部の人々にも無料で解放され、産学交流の場となっている。
89
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
(2)有力なベンチャーキャピタルのある地域
資金調達能力があり、技術のみでなくアカデミアからシーズを見つけ出しバイオベンチャー企業の育成の出来るベンチ
ャーキャピタルが近くにある。この地域でのベンチャーキャピタル、エンジェルはリスクマネーを供給するだけでなく、他の支
援組織をネットワークングする役割も果たしている。IT ベンチャー企業の成功を導いたシリコンバレーのベンチャーキャピタ
ルが既に存在したことも大きな点である。
《ベンチャーキャピタルの社会的役割》
従来の金融機関では難しいようなハイリスク・ハイリターン型のイノベーティブな技術を持った高成長の期待される新生企
業に資金を提供し、その代償として株式を保有し、ベンチャー企業の経営に方向性を示して新製品、新技術の開発を助け、
この経営への関与を通してベンチャー企業に企業としての付加価値を与える。
《ベンチャーキャピタルの機能》
機関投資家から募った資金をベンチャー企業に投資して株式を保有し、有利な株式公開(IPO)によってキャピタルゲイ
ンを得て、ファンドを出来るだけ増加させる。毎年ファンドの金額に応じた管理料の他にファンドの増額額に応じた成功報
酬を得る。ファンドから投資した企業がうまく IPO できないとファンドは赤字になり、その時点での VC の運営が困難になるば
かりではなく、次回以降のファンドも集まらなくなる。
《カルフォルニア地域における主要なベンチャーキャピタル》
•
クライナー・パーキンス・カウフィール&ベヤーズ(カルフォルニア州パロアルト)
•
セコヤ・キャピタル(カルフォルニア州メンロパーク)
•
メイフィールド・ファンド(カルフォルニア州メンロパーク)
•
NVCA(ナショナル・ベンチャー・キャピタル・アソシエーション)
《ナスダックの存在》
全米証券協会(NASD)が管理運営する「店頭銘柄気配自動通報システム」の略称で、1971 年に創設されたコンピュータ
ー上で取引が行われる店頭株式市場である。次の特徴を持つ:
•
創業1年半で株式公開ができる
•
赤字でも株式公開が可能
•
株式公開企業には四半期ごとの経営情報の公開が義務付けられている。
創業間もない赤字段階のベンチャー企業であっても、投資家への情報公開さえきちんと行っていれば資金調達の道が
大きく開かれている。多くのバイオベンチャー企業がナスダックに上場している。
《ハンズオン・サポーティング》
ベンチャーキャピタルがベンチャー企業サイドに寄り添って支援すること。
マネージングチームに人を送り込む、役員会に社外重役として出席するなどして、研究開発の進歩状況、契約、提携など
会社の会社経営をサポートする。資金が不足しそうな場合には、新たな資金調達プランを提案したり、人材が必要であれ
ばヘッドハンティングを行なうなどきめこまやかな支援を行なう。
(3)優秀なビジネスマンや経営者を得られる地域
ベンチャー企業には、学術水準が高くてもチャレンジ精神・ビジネス精神の乏しい保守的風土では生き延びられない。
技術は良くても経営の経験のない学者のみではベンチャーの成功は難しく、企業運営の出来る優秀な経営パートナーの
得られる地域が断然有利となる。
(4)地域行政やインキュベーター等のサポートを得られる地域
バイオ産業がアメリカで発展した原因として、ゲノム戦略を展開する強力な国家意志と具体的な戦略があった事があげら
れる。インキュベーターを始めとして、TLO、CRADA、SBIR などの存在があげられる。
《カルフォルニアのバイオ団体・インキュベーター》
•
ベイエリア・バイオサイエンス・センター http://babc.com
90
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
•
バイオコム/サンディエゴ http://www.biocom.org
•
カルフォルニア・ヘルスケア・インスティテュート http://chi.org
•
サザーンカルフォルニア・バイオメディカル・カウンシル http://www.socalbio.org
•
インターナショナル・ビジネス・インキュベーター http://www.internationalincubator.com
《政府資金援助》
2001 年度の国立衛生研究所(NIH)の予算は、200 億ドルを突破、この 10 年間で予算はほぼ倍増したことになる。NIH は
その膨大な予算の大部分を大学、研究所、病院など外部の研究機関の研究支援にあてており、1999 年には約 1 兆 4 億円
あまりの研究助成資金を投入している。
この研究資金は全国に一律にばらまかれるのではなく、各研究機関からの提案に基づき技術評価を行い採択が決めら
れていて、あくまでも研究者あるいは研究者グループへの競争に基づいた研究資金の分配が行われている。大学や地域
別配分といった要因は考慮されず、研究者の科学的な見識が考慮の対象となるところは、大きく日本と違う点である。選定
プロセスの透明性はアメリカでは特に重視される傾向にあり、審査プロセスやその結果は NIH のホームページを通じて公表
されている。
2000 年度には、NIH からカルフォルニア州に約 2470 億円の研究資金が投与されている。
《TLO の存在》
国家戦略を具体化し、ゲノムの分野をはじめ大学から民間への技術移転を促進してバイオベンチャーブームを引き起こ
したのが、1980 年のバイ・ドール法の制定とそれを契機とした数多くの TLO の設立である。アメリカでは多くの大学に TLO
が設置されており、膨大な金額のライセンス料収入を得ている(1997 年からの一年間で、アメリカ・カナダの TLO が得た収
入は、6.98 億ドルを超える)。最近の TLO は創業開始時のベンチャー企業の創業支援、その一環としての特許のライセン
シングに力を入れており、こうした努力により 1997 年度には 333 のベンチャー企業が設立された。TLO の活動の多くは生
物分野であり、AUTM の調査では、ライセンス契約数の約 7 割、ライセンス料収入の 87%がライフサイエンス分野の技術移
転となっている。
【補足】ナレッジ・エクスプレス http://www.knowledgeexpress.com
大学やバイオベンチャーに対してインターネットを利用した技術移転の場を提供している。紹介したい情報をインターネット
上に掲載できる。
《CRADA》
国立研究所からの技術移転を促進する制度として CRADA(Cooperative Research Development Agreement:共同研究
開発契約)がある。CRADA は国立研究所と民間企業が契約を結び、共同で研究開発を行う制度である。国立研究所と民
間企業は、研究者、機器、施設を相互に提供し共同研究を進める。ただし、研究資金は全て民間企業が負担し、成果は研
究開発を実施した企業が独占的に利用する権利を得ることができやすくなっている。この意味で CRADA は国立研究所で
行われた基礎研究を民間との共同研究と民間の資金により実用化するための制度だといえる。
《SBIR》
一般的には5年以上も収益の見込みのないまま多額の研究費を支出しなければならないゲノムベンチャーにとっては、
会社設立初期の資金繰りが最大の問題である。連邦政府により推進されている SBIR による支援は、設立間もないゲノムベ
ンチャーにリスクマネーを提供する役割も果たしている。
■ バイオベンチャー企業
遺伝子工学の発展により、バイオベンチャー企業が登場し、製薬産業においては少数の大企業が中心となっていた産
業構造に大きな変化がもたらされた。創薬に向けた研究開発のすべてのステップをイン・ハウスで行っていた過去の体制か
ら、アウトソース先、アライアンスの相手、M&A の対象としてバイオベンチャー企業を活用する動きが活発になってきた。さら
には大企業とベンチャー企業を交えたネットワークの形成が進んでいる。
91
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
アメリカのバイオベンチャー企業は企業戦略の違いから三つのカテゴリーに分類することが出来る。
①独自に研究開発を行い、事業化に成功すると販売も自社で行う独立型
②大手企業に技術のライセンシングを行ったり、大手企業のサテライト研究所のようになる大手企業依存アライアンス型
③初めは大手企業依存アライアンス型であったが、実績を上げ他者を買収することで独立型になる独立進化型
この三つの形態が存在するが、ベンチャー企業のほとんどは大企業アライアンス型のものが多い。
ここでは独立型で、20 年間で日本の武田薬品工業をしのぐ企業に成長したアムジェン社を例としてあげ、その歴史と成
功した要因を探ることで、何故アメリカでバイオベンチャー企業が成功したか、日米の違いは何なのかを探ってみる。
《アムジェン社》
【社長】Kevin W. Sharer
【所在地】本社はカリフォルニア州サウザンド・オークスにあり、米国内に4ヶ所の施設、日本を含む世界 20 カ国に海外支社
を置き、グローバルな展開をしている。
【設立】1980 年
【社員数】7,326 名
【上場市場】NASDAQ(AMGN)
【事業】バイオ医薬全般
【主な製品】
•
EPOGEN
血球増殖因子エリスロポエチン。本来肝臓で作られるもので、骨髄で作られるあらゆる血液のもとになる造血幹細胞に働
いて、赤血球への分化を促進する働きを持つ。89 年 5 月までにアメリカを含む 15 カ国で承認された。日本で認可されたの
は 90 年 1 月である。
•
NEUPOGEN
白血球の増殖因子。
(1)アムジェン社の歴史
《準備期間:1980 年 4 月~9 月》
•
ベンチャーキャピタリストによる立ち上げ
アムジェン(Applied Molecular Genetics)社は、バイオジェン社などの設立や財務・経営に参加した William Bowes らベン
チャーキャピタリスト主導によって設立された。彼らの発想は、「短期的な株取引によって利益をあげるよりも、中長期的に
強力な企業を作り上げることによって、最大の利益を得る」ことであった。
ジェネンテック社でも同じだが、ベンチャーキャピタリストが発起人になり人集めをし、起業している。ベンチャーキャピタル
主導という形態はまだ日本ではあまり見られない。
•
サンエンティフィック・アドバイザリー・ボード(scientific Advisory Board:SAB)
ベンチャーキャピタリスト達は、研究開発シーズを発見するためカルフォルニア州立大学ロサンゼルス校(UCLA)の分子
生物学教授であった Winston Salser 博士にアプローチし、彼を通じて世界的に著名な研究者に働きかけてアムジェン社の
SAB に参加するように呼びかけた。幅広く、分子生物学、細胞生物学、免疫学、タンパク質科学、有機化学の各分野からト
ップの研究者を SAB のメンバーとして集めた。
この SAB は、研究に関する専門的な情報提供・アドバイスを行うとともに、アムジェンの研究スタッフの人選・優れた人材
の紹介など、強力なサポート役を勤める。また SAB のメンバーに著名な研究者を迎えることによりアムジェン社の信頼性を
高め、科学界・金融界に技術レベルの高さをアピールすることに成功した。
SAB への参加の委員に対しては、一株当たりに 25 セントで 1200 株の株式を購入することが出来る(ストックオプション)とい
うインセンティブが付与された。結果としてこの株式は、株式公開時に一株当たり 18 ドルで普通株 7.5 株に変換することが
出来た。
92
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
•
CEO(最高経営責任者)の選定
1980 年 4 月、当時バイオベンチャー企業アボット・ラボラトリーズの経営責任者であった George B. Rathmann 博士に最
高経営責任者就任を依頼し、内諾を得て同年 10 月アムジェン社が設立された。彼は 1970 年代終りに遺伝子工学のアプロ
ーチに興味を持ち、この技術を修得するためにサバティカルを取り Salser 博士の研究室に滞在したという経緯があり、また
アボットの経営陣は遺伝子工学の導入に反対だったことから転職に踏み切った。最初の資本金はベンチャーキャピタリスト
達が出資した 10~30 万ドルであった。
創業段階から経営・財務・法務に強い人材を取締役会メンバーに採用し、バイオ新薬の研究開発だけではなく、バラン
スの取れた経営戦略を立てていた。
場所は Thousand Oaks で、SAB のメンバーの多数が所属するカリフォルニア大学ロサンゼルス校とサンタ・バーバラ校、
カリフォルニア工科大学といった研究機関の近くが選ばれた。
《初期投資:1980 年 10 月~81 年 2 月》
設立当初大手化学メーカーであるモンサント社が 2000 万ドルを投資したが、設立当初の課題は資金調達であった。この
ためアムジェン社は、5 年以内に販売による収益は望めないが、それ以降は投資に対する高いリターンを確保すること、具
体的には、設立後 5~7 年では投資家に対するリターンを 10 倍にするためのビジネスプランを添付して投資家に配布した。
このようなビジネスプランは、今ではゲノムベンチャーのビジネスプランとしては普通のものであるが、5 年以内にリターンが
なく 5~7 年に 10 倍になるというビジネスプランは、当時としては投資家の間で物議を醸すことになった。
紆余曲折を経たあと、1981 年に第一ラウンドが行われたが、結果としてはデュポンや別のベンチャーキャピタルからも投
資を受けられることになり、4 ヶ月のうちに研究開発資金として 1900 万ドルを確保することが出来た。この中には Rathmann
が以前係わっていたアボットからの融資も含まれている。
《組織化:1981 年 3 月~82 年 3 月》
•
企業構造の構築
企業構造については SAB の委員長である Winston Salser 博士がどの程度委員会の活動に時間を割くかが問題であっ
たが、彼が研究者としての活動時間のうち一部をアムジェン社の活動に割くことで解決した。また、組織的にはコロラド州ボ
ールダーとサンフランシスコに補助的な研究組織をつくることが決定された。
•
優秀なスタッフの確保
優秀な研究スタッフの確保は、アムジェン社設立にあたっての最優先課題であった。SAB のサポートにより、まず全米か
ら 6 人の研究責任者の候補が選ばれ、個人面接が行われて選考された。その後研究スタッフとして、タンパク質科学、細胞
生物学、免疫学、ウイルス学、微生物学、発酵化学などの専門家を雇用した。こうしてアムジェン社の研究スタッフは、1981
年末までに 42 人になり 82 年には 100 人となった。ここで注目すべきは、SAB のメンバーの知名度が優秀な人材を引きつ
けるのに一役買ったという点である。
《追加増資から株式公開:1982 年 4 月~83 年 7 月》
この頃主なゲノムベンチャーの研究開発予算が急速に拡大し、アムジェン社も二倍の予算が必要となった。そこで第二
ラウンドの増資が行われることになった。
5 ヵ年計画が作成され、三つの交渉チームがアメリカ、欧州、日本に派遣される。9 ヶ月で約 100 社と接触し、30~40 社が
有望投資企業としてリストアップされ資金調達された。
このように資金調達がスムーズにいったのは、ジェネンテック社のγ-インターフェロン、ヒト成長ホルモンに関する研究
開発が 1982 年末に終了するなどにより、投資環境が好転したことが有利な要因として働いた。
《株式公開後:1983 年 7 月~》
こうして発展してきたアムジェン社は、1983 年 7 月 NASDAQ(AMGN)を介して株式公開をした。一株当たり 18 ドルで 230
万ドル分の株式を売却し、4 億 1400 万ドルの資金を調達した。この株価は第一ラウンドの株価の 4、5 倍であった。
株式公開後アムジェン社が直面した課題は、設立当初発表した計画の信頼性について投資家に対する説明責任を果
たすことであった。というのは、当時資金調達を急ぐあまり信頼性のない研究成果の公表がゲノム関係のベンチャーによっ
て相次ぎ行なわれ、この分野への投資家の信頼が低下していたからである。このためジェネンテック社は、1982 年 9 月完全
93
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
に信頼が回復するまでは、長期にわたって研究開発を制限するという計画を発表した。アムジェン社は第一の新薬を市場
に投入することで、投資家の信用を回復した。
《第一番目の新薬:1988 年》
1988 年に、創業から8年後にして第一番目の新薬「EPOGEN」(赤血球の増殖因子)が市場に出された。
この年 Gordon M. Binder が二代目の最高経営責任者となる。アメリカでは、日本のように企業を立ち上げた人間が、その
組織をずっと経営するのではなく、立ち上げた人間は、ある程度の成長段階まで行くとその企業をやめ、次の企業の立ち
上げを行ったりする場合が多いが、アムジェン社はその典型的なケースである。適材適所の人材配置がなされており、明白
な役割分担がなされている。
《海外展開:1989 年~》
1989 年ヨーロッパに支社を開設したことに始まり、1991 年にオーストラリアとカナダに、1992 年に香港と日本にと支社が
出来、海外展開が始まる。
基礎研究はアメリカ国内で主に行い、各地域では臨床実験、マーケティング、販売のみ行っている。
《第二番目の新薬:1991 年》
1991 年に「NEUPOGEN」(白血球の増殖因子)が市場に投入され、アムジェン社は急速に売上高・利益を伸ばす。
1992 年に MCI、GE、McKinsey 等で管理職を歴任した Kevin W. Sharer が COO として加わる。
《『National Medal of Technology』を受賞:1994 年 12 月》
1994 年 12 月、アムジェン社は米国で最も権威ある『National Medal of Technology』を受賞。これは各種技術に特に優れ
た業績を収めた企業に対し大統領から贈られる最高の賞であり、その栄誉は、ノーベル賞に匹敵するとさえ言われている。
アムジェン社はこの権威ある賞を受賞した初のバイオテクノロジー企業である。
《近年の動き》
2000 年には、売上高 36 億 2,940 万ドル、税引き利益 11 億 3,850 万ドル、従業員 7,326 名と大きく成長。研究開発費は
8 億 4,500 万ドル(売上高の 23.3%を R&D に投入)の規模を持つようになった。
2000 年 5 月、COO であった Kevin W. Sharer が CEO に就任した。
2001 年サンディエゴを開催された国際会議 BIO2001 では、抗がん剤を投与した患者で頻発する粘膜炎に対する新薬開
発の臨床段階での結果が報告された。もし、表皮細胞成長因子(EGF)で粘膜炎が抑えられれば、抗がん剤の副作用を抑
制する、高利益で人気のある大型新薬となる可能性がある。
その他の創薬においては、肥満症治療薬がフェーズ2、パーキンソン病治療薬がフェーズ3、リウマチ治療薬がフェーズ
2、骨粗しょう症がフェーズ1の段階に達している。
2001 年にはイミュネクス社の買収がおこなわれた。米国アムジェン社と米国イミュネクス社は 12 月 17 日、アムジェン社が
イミュネクス社を総額約 160 億ドル(約 2 兆 500 億円)で買収すると正式に発表したが、160 億ドルという金額は、バイオ分
野での企業の買収では過去最大の規模となった。ここに名実ともに世界最大のバイオ企業が誕生したのである。
(2)アムジェン社の成功要素
《創業メンバーの構成》
•
ベンチャーキャピタリスト
•
SAB
•
経営陣(経営・財務・法務に強い人材)
の三者が一体となって難しい創業期の経営がなされた。また William Bowes、Winston Salser 博士、George Rathmann 博
士が柱となってそれぞれの持つ人のネットワークが動員したことも成功の要因となっている。
《明確なビジョンと企業文化》
アムジェン社の企業使命と企業文化には、創業者の Rathmann 博士の画期的バイオ医薬品開発への強いこだわりが表
現されていて、それが創業時のドライビングフォースとなった。
また、オープンで自由闊達な企業文化を重んじることにより、開発に携わる、異なる専門分野の人々の間で情報の共有化
94
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
とより迅速な意思決定が可能となった。
分子・細胞生物学をベースとする治療開発において世界のリーダーとなることをミッションとし、下記に示す「アムジェン・
カルチャー」に則り、運営をおこなっている。
① プロジェクトマネジメントを重視しよう
② 個人の働きではなくチームワークで目標を達成しよう
③ コンセンサスを重視した運営を行おう
④ お互いに心を開いて、仕事を進めよう
⑤ 仕事を担う者が自分でその仕事のプランを創ろう
⑥ 「誰が」でなく「何が」正しいかと考えよう
⑦ 信念を持って正しい道を歩もう
⑧ 持っている情報すべてをぶつけあおう
⑨ 型や形式にとらわれるのではなく、本質を見つめよう
⑩ 分子生物学や遺伝子技術を適用しよう
(3)営資源の集中化と徹底した研究テーマの絞込み
創業から売上が計上されるまでの8年間に、約300億円の R&D 資金を資本市場から調達し、そのほとんどが「EPOGEN」
「NEUPOGEN」の新薬開発につぎ込まれた。
テーマを絞ることのリスクとそこから得られるリターンとのバランスの取れた判断があった。
(4)バイオベンチャーを支える資本市場
バイオ新薬の開発には巨額な R&D 資金を研究開発段階に応じてタイムリーに調達する必要がある。米国においては、
売上がない赤字の企業でも株式を NASDAQ に公開することが可能であり、アムジェン社も創業3年目に NASDAQ に公開し
R&D 資金を手に入れた。
(5)優秀な人材の流動性
多くの優秀な人材を短期間に確保することが米国においては可能である。そこには専門知識を有する人材のプールを
提供する大学の存在と、大学の研究者が一定の期間を決めフルタイムで起業に参加ができるオン・リーブの制度、兼業の
制度が、産学間の人材の流動性を高めることに大きく貢献している。
優秀な若手の科学者が一時的に大学の地位を投げうってバイオベンチャーに参画することもあり、米国バイオベンチャー
の成功を可能にしている。それだけ、バイオベンチャーの起業は多くの科学者に対して魅力的な機会を提供した。
(6)知的財産の重要性
アムジェン社が経営努力と相等しく力を入れてきたのは知的財産権の取得とその防衛である。アムジェン社の経営歴史
は知的財産権の攻撃的防御とともにあり、そのための投資を惜しまなかった。
知的財産権はバイオベンチャーの生命線であり、次から次へと出現するコピー製品に対しての攻撃的防御がバイオベンチ
ャーの存続にも求められる。
ここでは一例としてジェネティクス・インスティテュート社とのエリスロポエチン(EPO)に関する特許権の争いを取り上げる。
1987 年当時、アムジェン社とジェネティクス・インスティテュート社はどちらもエリスロポエチン(EPO)に関する特許権を所有
していると主張していた。この特許は他社の実施を阻止するおそれがあり、業界では相互使用契約が交わされるだろうとみ
ていた。しかしながら、アムジェン社は EPO を最初にクローニングし、しかも治療に使える EPO 製品を生産したのは自社で
あると自負していた。さらに EPO に対するアムジェン社の功績は多大であり、特許法が認める独占権は自社に与えられる
べきだと考えていた。相互使用契約を結ぶかわりに、アムジェン社はジェネティクス・インスティテュート社とその使用許諾契
約者である中外製薬を告訴する道を選んだ。1989 年の予審法廷での判断は双方の特許は合法的かつ侵害しているという
95
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
もので、自社の組み換え EPO をその年に発売したばかりのアムジェン社には、相互契約の再考を促す圧力となった。増大
していくリスクに直面し、アムジェン社は次々に控訴をすることにした。この判断は功を奏し、アムジェン社の特許権は認め
られ、ジェネティクス・インスティテュート社の特許は失効した。この結果、ジェネティクス・インスティテュート社と中外製薬は
アメリカ市場から締め出されたのに対して、アムジェン社は 1996 年以降毎年 10 億ドル以上の EPO を売り上げている。
【補足:カルフォルニアにおける知的財産権・IP 戦略について】
•
知的財産権の役割
技術革新を目指す起業に対して、新技術や新製品、すなわち発明に関する見返りを確実に保証することが、知的財産権
が果たす役割であるが、バイオテクノロジーの分野では、知的財産権が企業体の存亡の鍵を握っており、企業を成功に導
くビジネス戦略上の決定的要素である。アメリカでは知的財産権への着目が早く、法整備や企業の IP 戦略が整っている。
•
バイオ特許のグローバル化
現在のようなグローバル化した時代では日本国内などに限定された特許権では、バイオ分野の莫大な研究開発投資は回
収できず、ビジネスとして成立するためには PCT(特許協力条約)を利用した欧米日の主要国への特許出願が必須となっ
ている。主要国の中でも最大市場の米国を除外したバイオビジネスはありえない。
•
カルフォルニアにおけるシリコンバレーとバイオテクノロジー産業の比較
二つの業界では知的財産権(IP)戦略が異なる。情報科学やコンピューター・サイエンスにおける IP はかねてから一点集中
型であった。コンピューター、IT 業界は共同体として強権を発揮し、また同時に、個々の企業にはニッチ(隙間)市場に参
入する機会があることを意味している。バイオテクノロジーでの IP 戦略は分散型である。企業は自社の価値決定を、独占所
有する IP でおこなっている。
(7)リスクテイキング
ベンチャー企業の立ち上げには、リスクテイキングの出来る人材とそれを可能にする環境が必要となる。経営者も科学者
もそしてそこに資金を提供する資産家も見返りとしての報酬の期待値を念頭に入れた上で各々に見合ったレベルのリスク
を取るわけだが、アメリカにおいては、失敗を許容し、学習の機会とする社会風土の存在と、そしてラーングプロセスとして
の起業の位置付けがベンチャー創出に貢献しているように見受けられる。
■ おわりに
IT 産業の発展を追うようにして 1970 年代後半に登場したバイオ産業であるが、カリフォルニア州のシリコンバレー、サン
ディエゴ地域に存在する研究大学において研究分野・教育分野として培われてきた分子生物学、細胞生物学、免疫学、タ
ンパク質科学、有機化学等が基盤となり、バイオテクノロジー産業のシーズとなった技術と新産業を支えていく人材が創出
されていった。
ハンズオンのサポートを提供するベンチャーキャピタリストと大学の著名な研究者との連携により創設されたベンチャー
企業は若手の研究者をひきつけ成長し、さらにはジェネンテックの例にもあるようにそこから“卒業生”がスタートアップ企業
を創出していった。またアボット・ラボラトリーズやバクスター・インターナショナルといった既存の大手製薬会社の出身者も
数多くベンチャー企業に参画したり、自ら起業するなど、バイオベンチャー企業が必要とする人材が存在した。このようにイ
ントラプレナーシップを実践しながら身に付けていった人達の流動性がバイオ産業のダイナミックスの根源となっている。
■ 参考文献
1.
新井賢一・浅野茂隆(監修)金島秀人・宮島篤・吉田文紀(編集)(2001)、「ゲノム医学の最先端と世界のバイオベン
チャー」、羊土社
2.
Bio ベンチャー、2001 年 7.8 月号~2002 年 3.4 月号、羊土社
3.
加藤敏春(2002)、「ゲノムイノベーション」、けい草書房
96
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
4.
梶川憲雄(2001)、「バイオゲノムベンチャー」、中山書店
5.
吉田文紀(1994)、「バイオの開拓者物語 アムジェン成功に軌跡」、サンワビジネス
6.
アムジェン社 HP(米国・日本)
7.
Burrill, G. Steven (1987), Biotech 88: Into the Marketplace, San Francisco, Ernst & Young.
8.
Depret, M-H. & Hamdouch, A. (2000), “Innovation networks and competitive coalitions in the pharmaceutical
industry: The Emergence and Structures of a new industrial organization,” European Journal of Economic and Social
Systems, 14(3).
9.
Lécuyer,
C.
(2001),
“Technology
and
Entrepreneurship
in
Silicon
Valley,”
Nobel
e-Museum
(http://www.nobel.se/about/sponsors/cisco/lecuyer.html)
10.
The Next Silicon Valley (2001), Next Silicon Valley: Riding the Wave of Innovation. White Paper, Silicon Valley
Network.
11.
Tool, A. (2000), “Structure and Performance in “Silicon Valley” Biotechnology,” Meeting, SIEPR, Stanford
University.
12.
Van Brunt, J. (2000), “Biotech’s Impeccable Lineage,” Signals Magazine.
97
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
4. マイクロ・ナノ・システム・テクノロジー分野における知のネットワーク:スイスの事例
(独)経済産業研究所
原山 優子
ニューシャテル大学
Alexender Mack
■ はじめに
ニュー・エコノミーの到来とともに、科学と技術が経済・社会の牽引的役割を担うようになり、それと同時に高等教育機関
の産業界への貢献に期待が高まっている。はたして高等教育機関はこのチャレンジに応ずる準備ができているのだろうか。
また高等教育機関と産業界との間に協力関係を構築する際、どのような促進要因や阻害要因が存在するのであろうか。ま
たその過程で政府はどのような役割を果たすのだろうか。
本論では、スイスのフランス語圏であるスイス・ロマンド地方におけるマイクロ・ナノ・システム・テクノロジー(MNST)分野の発
展に焦点を絞って、知の形成とその発展過程における高等教育機関iと産業界との協力関係の現状を調査し、分析を行う。
欧州連合委員会の第四次研究開発枠組計画(FP)は、「マイクロシステム」を次のように定義している:
センサー、プロセス、アクチュエーター機能を含むインテリジェントで精密化されたシステムである。これらは、通常、電子、
工学、光学、化学、生物学、磁気等の技術を 2 つ以上組み合わせて、単体のチップあるいはハイブリッドなマルチ・チップ
上に一体化されている。
ここではナノ・オーダーのマイクロシステムも対象とすることから、マイクロ・ナノ・システム・テクノロジー(MNST)と称している。
本論はまた、種々の政府の研究開発プログラムが高等教育機関と産業界との協力にどのような影響を与えているのか、
スイスの重要研究開発プログラム「マイクロシステム・ナノシステム・テクノロジー(PP MINAST、ミナスト)」等を例にとり、その
影響を考察する。
NMST 分野の研究開発(R&D)が現場でどのように実施されているかを理解するためには、高等教育機関と関連業界との
間に存在するフォーマルあるいはインフォーマルな関係を把握することが重要である。さらに、こうした関係が双方にとって、
あるいは一方にとって有益であるかどうかを検証することも必要である。そこで、本論では、この研究分野にかかわる当事者
間に相乗効果をもたらす要因、協力関係に弊害をもたらす要因が存在するかを確認するとともに、技術革新の過程におけ
る政府の役割も検証する。
本論の核心は「知のネットワーク」という概念にある。「知識」が人的な財産としてばかりでなく「経済・社会の推進力」
(OECD, 2000)として我々の社会で果たしている重要性を考えると、知識の生産がどのように組織的に行われ、それがいっ
たん生成された場合どのように経済・社会の変化をもたらすのかを知ることが重要である。
以下では、スイスの科学技術システムの概要を紹介した後、スイス・ロマンド地方の MNST 分野に焦点を当て、教育プロ
グラムと連邦政府および欧州連合の研究プログラムを概観する。次に、スイス・ロマンド地方の高等教育機関、MNST を専
門 と す る 企 業 、 Swiss Center for Electronics and Microtechnology (CSEM) 、 Swiss Foundation for Research in
Microtechnology (FSRM)、連邦政府関係機関へのインタビューから得られた情報の分析を行う。この部分は本研究の核心
部分をなすもので、MNST の分野にかかわる人たちの個々のスタンス、相互関係、「知のネットワーク」の存在を確認する。
結論では、スイス・ロマンド地方の MNST の分野で得られた結果と知のネットワークに関する結果を総括したうえで、特にマ
イクロシステムで活躍するさまざまな当事者と CSEM および FSRM との関係に注目する。最後に、スイスとヨーロッパの科学
技術施策が、高等教育機関と産業界との協力関係に及ぼす影響に言及して、本論を締めくくる。
ここで、本研究に協力して頂いたすべての方々、研究・教育機関、団体、企業に感謝したい。また、インタビューに参加して
頂いた方々や機関(第3章参照)に感謝する。
i 高等教育機関は、州立大学、連邦工科大学(EPF)、応用科学系大学(HES)によって構成される。
98
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
■ スイスにおける科学技術の現状
(1)高等教育の現状
スイスにおける行政の特徴は連邦政府と州政府の権限分担にある。基本的には州政府が主権を持ち、州レベルではカ
バーできない部分を連邦政府が補うという補助性(Subsidiarity)の原則が適用される。教育も例外ではなく、一般教育に関
する権限は州政府に、また研究・職業教育に関する権限は連邦政府に帰属する。
学術教育の色彩が強い大学は州教育局の管轄下、専門職者養成の要素を持つ工科大学は連邦政府の連邦工科大学局
の管轄下、さらに職業訓練と密接な関係にある応用科学系大学は職業教育・テクノロジー局の管轄下に置かれている。
州立大学のカテゴリーでは、現在7つの総合大学i、1つの専科大学ii、2つの小規模大学iiiが存在し、大学間の調整役とし
てスイス大学会議が設置されている。
連邦工科大学のカテゴリーでは、1855 年に設立されたチューリッヒ連邦工科大学に 1969 年にローザンヌ連邦工科大学iv
が加わったが、教育のみならず研究面で世界的なレベルvを保持している。運営方針に関しては、連邦工科大学局が提案
する中期計画を連邦政府が承認する形式を取るが、評価の際、当所の目標が未達成とみなされた場合、連邦政府は是正
措置を取ることができる。2000 年より資産購入に関する予算の大枠は連邦工科大学局に自治権が与えられ、教育・研究の
ニーズに応じて建設計画が立てられるようになった。このことにより自主運営のトレンドが打ち出されたが、さらに大学自治
強化を進めるためには現行の連邦工科大学法の改正が必要となる。
応用科学系大学(HES)viに関しては、1995 年に応用科学系大学法が制定され、職業専門学校の改革が行われた。スイ
スを 7 つの地域viiに分け、各地域内に既存する工学・商業・農業・教員養成・医療補助・観光等の職業専門学校の中から一
定の規定を満たしたものに応用科学系大学のラベルを与えるというものであるが、この改革によって欧州連合との互換性
(Euro-Compatibility)の問題が解消された。また職業専門学校に応用分野の研究機能をもたせることにより、産業への技
術移転が活性化されることが期待されている。
1990 年代に連邦・州の両レベルで財政赤字が表面化し、その結果として教育予算は縮小の道をたどった。高等教育機
関にも効率性・アカウンタビリティーが問われるようになり、競争論理、パブリック・マネージメント、評価の導入が求められる
ようになってきた。
高等教育機関は知識の創造・伝達という今まで果たしてきた公益サービス機関としての役割から一歩踏み出し、技術移
転を介して技術革新の原動力となり、よりアクティブに社会へ貢献することが期待されている。これら一連の外圧に対して、
連邦政府は新しい科学技術政策を打ち出し、高等教育機関に対する統制力を強化しつつある。高等教育機関も自ら対応
策を模索している。その流れの一つとしていくつかの高等教育機関の間で進められている協力体制の強化があげられる。
また高度技術者の養成を充実させる目的から、マスターコース・社会人コースが多数増設されつつある。産学連携に関して
は共同研究・技術移転を促進するため、ほぼすべての高等教育機関に TLO(Technology Licensing Office)が開設される
に至った。
(2)科学技術政策
《科学技術行政機構》
科学技術行政viiiは、内務省(Federal Department of Home Affairs)と経済省(Federal Department of Economic Affairs)の
Basel 大学, Berne 大学, Fribourg 大学, Geneva 大学, Lausanne 大学, Neuchâtel 大学, Zurich 大学。
St. Gallen 大学。
iii University College of Lucerne と Università della Svizzera italiana(1996 年創立)。
iv 1853 年に創立された Special School of Lausanne が発展したもの。
v チューリッヒは 20 名のノーベル賞受賞者を数える(Vision, 1997)。
vi 英語では Universities of Applied Sciences、フランス語では Hautes écoles spécialisées (HES)。« The
Universities of Applied Sciences in Switzerland », Vision (1999)参照。
vii 西部スイス、ベルン、中央スイス、南部スイス、東部スイス、チューリッヒ、北部スイス。
viii Swiss-science.org (http://www.swiss-science.org/html_e/frameset/frameset.htm)参照。
i
ii
99
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
二つの省の権限となっているが、前者は主に科学技術基盤の構築、後者は産業への寄与という視点から行政を司ってい
る。また連邦政府に対し科学技術に関する諮問機関として科学技術会議i(Swiss Science and Technology Council: SSTC)
が設置されている。学術振興財団(Swiss National Science Foundation: SNSF)は連邦政府の委任を受け研究の助成及び
研究者の援助を遂行している。
科学技術政策の重点化を計る為、1990 年に内務省直属機関として科学庁(Swiss Science Agency)が創設されたが、その
後、科学技術関連諸機関との調整機能の強化を図るため、科学技術長官(State Secretary for Science and Research)の率い
る科学技術事務局と教育科学局(Federal Office for Education and Science)から構成される科学研究グループ(Science and
Research Group)が科学庁に代わって内務省に設置された。連邦工科大学局(Board of the Federal Institutes of Technology:
BFIT)もそこに付随されることとなった。経済省においては職業訓練・産業労働関連の諸局を統合する形で職業教育・テクノ
ロジー局(Federal Office for Professional Training and Technology: OPET)iiが 1998 年に設置された。特に産業への研究成
果・技術移転iiiと次項で述べる応用科学系大学設立・運用の監督の任務を担うこととされている。
《科学技術基本計画》
研究プロジェクトとしては 1992 年に大学・産業における研究活動の活性化を目的とする8つの重要研究開発プログラム
(Priority Programs: PP)が設定され、SNSF に環境、バイオテクノロジー、情報通信、社会科学分野のプログラム、BFIT に光
学、新素材、マイクロ‐ナノシステム、コンピューター分野のプログラムの管理運営を連邦政府から委託された。プログラムは
8 年から 10 年の予定で計画され、それぞれ 6,000 万から 11,000 万スイスフランの予算が組まれた。1998 年に CSST によっ
て重要研究開発プログラムの評価がなされた(CSST, 1998)。PP は産学連携および学際研究の引き金となったが、センタ
ー・オブ・エクセランスの構築に至らなかったことから、2000 年から国家研究拠点(National Centres of Competence in
Research: NCCR)に引き継がれ、2001 年から五つの分野(ライフサイエンス、人文社会学、環境と持続的発展、情報・通信
テクノロジー、その他)から十前後のプロジェクトがスタートする運びとなった。テーマ別に設定された PP との根本的違いは、
それぞれの分野でけん引役を果たす主幹研究機関「Center of Competence」と研究ネットワークから形成される研究の中核
NCCR の構築にある(SNSF, 1999)。
経済省サイドでは OPET がマイクロエレクトロニクス分野でのシーズ開拓を目的とした MICROSWISS をスタートさせた。
科学技術政策面で特筆に価する事項は内務省・経済省が始めてジョイントで 1998 年に議会に提出し、1999 年 10 月に承
認された「2000-2003 年期の科学技術教育助成計画」である(Vision, 1998)。新構想を大きくまとめると次のようになる:
•
連邦政府・州政府の協力体制の確立
•
助成金を会して競争原理の導入
•
高等専門学校の応用科学系大学へのグレードアップによる高等教育機関としての位置付け
•
高等教育機関のネットワーク化
•
表Ⅴ-1 科学技術関係概算要求(2000-2003 年度)
(百万スイスフラン)
1
スイス学術振興財団(SNSF)
1432.0
2
学会
82.4
3
公共研究機関
92.5
4
国際協力
19.2
5
CSEM/FRSM
82.2
6
科学‐市民財団
4.0
7
技術・イノベーション委員会(CTI)
320.0
8
欧州連合関係
491.0
年に名称を Swiss Science
Council から Swiss Science and Technology Council(CSST)に変更。
ii Office fédéral de l'industrie, des arts et métiers et du travail を引き継ぐ形で設置された。
iii 主に技術・イノベーション委員会(Commission for Technology and Innovation: CTI)が担当。
i従来の機能に加えテクノロジー・アセスメントにも重点を置く事を表明する為、1999
100
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
9
大学・大学機関助成金
2053.3
10
応用科学系大学
847.0
11
職業教育
1292.0
12
欧州連合研修プログラム
67.0
13
科学技術教育助成計画に関わる概算要求総額(1~12)
6782.6
14
連邦工科大学関係
6231.0
15
国際協力研究
742.2
16
科学技術教育の概算要求総額(13~15)
13755.8
資料:経済省
産学連携強化、技術移転促進、センターオブエクセレンスの構築、ネットワーキングの概念に基づく当計画は、より高等
教育機関が科学技術・ハイテク産業の発展に貢献すべく、大学助成法改正及び研究法・応用科学系大学法の一部改正を
提唱した。先に述べた NCCR もこの計画に沿ったものである。
また財政面では科学技術教育助成計画を反映させた形で 2000-2003 年の科学技術関係概算要求iが出された。
《産学連携推進機関》
Commission for Technology and Innovation (CTI)
連邦政府レベルにおける産学連携推進政策の実施機関として Commission for Technology and Innovation(CTI)があげ
られる。
第二次世界大戦直後に連邦政府が打ち出した一連の経済刺激政策の中に、研究開発の補助金制度iiがある。経済省
が担当省iiiとされ、職業教育・テクノロジー局(OPET)ivが中心となって補助金の割り当て、研究成果の活用・特許権に関す
る規定が作成されることとなった。実施機関として Commission for Technology and Innovation(CTI)vが登場し、1982 年に交
付された法令「技術革新奨励補助金」viにより CTI の役割が明文化された。
根底にある考え方は、研究成果を産業界に円滑に移転することによって、景気刺激、雇用創出に結びつけるというもの
で、90 年代に再度襲った経済不況viiの際にもこの論拠が持ち出された。特に雇用創出を目的とした産業と各種公共研究
機関との連携が奨励され、1995 年と 1998 年に法令「技術革新奨励補助金」が大幅に改正された。具体的には CTI の役割
の拡張(中小企業援助の重点化、スタートアップの総括的なサポート)、それに伴う予算の増加、また研究機関としての応
用科学系大学から企業への技術移転に配慮がなされ、これらの新しい機能を重点的に遂行するため CTI Start-up と
CTI–HES が設置された。
CTI は 25 名のメンバーviiiから構成され、研究費の割り当て、研究成果の実用化奨励、企業、特に中小企業と公共研究機
関との交流推進を行っている。同じく連邦政府の研究補助金の割り当てを担当する SNSF との違いは、応用研究、主に製
品化に近い研究プロジェクトを取り扱う事と、公共研究機関の中でも特に応用科学大学を対象とする点にある。
CTI の第一の役割である補助金の分配は次のプロセスで行われる。草案の段階で、革新的アイデアを持つ企業は、まず
研究開発のパートナーとなりうる公共研究機関探しを行う。CTI は助成金申請書を公式に提出する前に、その分野におけ
る最新技術・特許の情報調査、フィージビリティ・スタディ等を行うことを強く奨励している。申請者は CTI に草案のチェック
表 1 参照。
Loi fédérale sur les mesures préparatoires en vue de combattre les crises et de procurer du travail (823.31)。
iii Règlement d’exécution de la loi fédérale sur les mesures préparatoires en vue de combattre les crises et de
procurer du travail (823.311)。
iv当初の名前は Office fédéral de l'industrie, des arts et métiers et du travail (OFIAMT)。
v 当初の名前は Commission pour l’encouragement de la recherche scientifique (CERS)。
vi Ordonnance sur l’octroi de subsides pour l’encouragement de la technologie et de l’innovation (823.312)。
vii 失業率に関しては http://www.statistik.admin.ch/stat_ch/ber03/fu0302.htm 参照。
viii 1/3 は公共研究機関、2/3 は企業から選出。スイスの軍隊同様「Milice」の体制が取られている。
i
ii
101
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
を依頼し、専門家からのアドバイスを受けることができる。
研究プロジェクトの計画書が仕上がった段階で、企業と公共研究機関の連名で申請書iが提出され、専門家による審査
にパスしたプロジェクトには OPET から補助金が拠出される。
基本的に企業は所要経費の 50%を最低限負担し、CTI は公共研究機関が行う研究開発に係わる人件費のみをカバー
することとされている。従って、企業派遣の研究者の給与、インフラ・機器・機材等に係わる費用はすべて企業持ちとなる。
このように研究開発経費の 50%を負担した企業には、研究成果の使用・活用権利が与えられるが、特許取得者・補償金に
ついては、プロジェクトに関係した当事者同士で取り決められることになっている。その際 OPET に対しては報告義務が課
される。この補助金の目的は研究成果の実用化促進であることから、プロジェクト参加者が自ら実用化を行わずして、第三
者にライセンスの権利を譲った場合、補助金の全額あるいは一部を返済する義務が生じてくる。
90 年代に入ってからの CTI の実績は表Ⅴ―2 のようになっている。CTI がサポートしたプロジェクト数は着実に増加し、
中小企業の割合も 1996 年に 80%を超え、1999 年には 89%に達している。
表Ⅴ-2 CTI の実績
期間
研究開発費総額
企業負担の研究開発費
プロジェクト総数
1992 – 1995
4.38 億 CHF
2.73 億 CHF
588
1996 – 1999
5.86 億 CHF
3.71 億 CHF
1034
資料:Conseil fédéral (1997) & Rapport d’activité 1998 – 1999, CTI (2000)
1995 年に増設された CTI Start-up の役割は、革新的なアイデアを持つ研究者等に、そのアイデアの商品化から企業を
起こすまでのプロセスを総括的にサポートすることにある。特にスタート間際の一番デリケートな時期を円滑に乗り越えられ
るよう形成されつつある企業をエスコートし、ベンチャー・キャピタルと手を組める状態になるまでインキュベートさせる役割
を果たしている。高等教育機関の TLO の中でもスタートアップ企業のサポートを業務として取り扱っているところが多くみら
れるが、あくまでも研究成果の実用化の一手段として受け止められており、雇用創出を第一の使命とする CTI とは目的志向
が幾分異なる。具体的には、まず提出されたアイデアが技術面で製品として実現可能であるかの事前チェックiiが行われ、
これにパスしたプロジェクトは技術面・経営面の二つのレベルでサポートが受けられる。技術面では、一般の CTI 補助金同
様、公共研究機関において行われる研究開発にかかる人件費に対して補助金が出されるが、CTI Start-up の場合、さらに
プロジェクト発起人の給与の一部iii、最新技術・特許の情報調査、フィージビリティ・スタディ等にかかる経費の一部を CTI が
負担することが可能になった。よってここでは企業 50%負担のルールは緩めて適用される。
CTI は研究成果の特許所得・ライセンシングに関する費用は一切援助しないが、法律家の紹介等、間接的なサポートを
行う。また経営面では、明日の起業家たるプロジェクトの発起人、その分野の専門家、ビジネス・コーチを交えミーティング
を重ねプロフェッショナルなビジネスプランの作成ivが行われる。出来上がったビジネスプランは年に 4 回持たれる産業委員
会vの場で発表され、審査に合格したものには、プロジェクトが革新的で高度成長のポテンシャルを持つものであるという品
質保障「CTI スタートアップ・ラベル」が与えられる。このラベルは現時点ではまだ幅広く浸透しているとは言いがたいが、す
でにベンチャー・キャピタルと交渉に入れる状況にあるというシグナルになっている。実際 CTI start-up はビジネス・エンジ
ェルの紹介も手がけており、その流れとして、CTI ビジネスセンターを Zurich に設立した。スタートアップの経験を持つハイ
テク分野のパイオニアの中で次世代のスタートアップに投資をしてみようという意思のある人々を対象とし、一口 15 万スイス
フランでメンバーを募り、「クラブ」形式で運用される。
i
補助金の受益者となる公共研究機関の責任者が申請者代表となり、企業側がプロジェクトの管理を受け持つ。
CTI が委任する外部の専門家が審査にあたる。
iii 研究機関が発起人を研究者として雇用(50%)するという形を取る。
iv コーチングに関する経費は一件に付き1~3 万スイスフラン。
v スタートアップの体験者 8 人から構成される。
ii
102
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
実績としては、スタートしてから6年間で、51 のプロジェクトが産業委員会で発表され、その内の 38 が CTI スタートアップ・
ラベルを獲得し、直接・間接的に 350 の雇用が創出された。現時点で 38 のスタートアップのうち1社だけ失敗に終わったと
のことである。
また起業家精神の啓蒙活動として、スタートアップを起こした起業家の体験談をまとめたものも出版iしている。
上記の CTI の概略から特筆に価するのは、自ら構築した専門家のネットワークをフルに活用し、トータルなサービスを迅速
に提供していることと、「人」を介しての技術移転を重視している点である。
今日 CTI は雇用創出からさらに一歩進んで強力なハイテク産業の構築に貢献しつつあり、そこに内務省サイドの科学研究
グループが推進する技術移転政策とある種の共通分母を見出すことができる。
Technology Licensing Offices(TLO)
現在 12 のスイス高等教育機関等iiに TLO が設営されている。
TLO の設置に関して共通して言えることは、すべて高等教育機関内部からの要望でスタートしたという点である。連邦政
府の経済政策、科学技術政策等の影響を少なからず受けてはいるものの、80 年代後半から 90 年代にかけて、技術移転の
重要性を高等教育機関自ら認めるようになり、TLO はその方針をフォーマルに表現したものと理解できる。
基本的スタンスは、研究成果の実用化を第一の目標とし、特許所得はその一つの手段と位置付けられている。委託研究
契約、ライセンシング契約等の際、高等教育機関の研究者と企業との交渉をサポートすることが、TLO の重要な任務の一
つであるが、その際、研究成果の実用化を促進すること、研究者の権利を守ること、研究者への正当な報酬を確保すること
を念頭に置き、契約条件を詰めている。従って、既製の契約書式iii及びガイドラインはあくまでも基本例として取り扱われ、
ケースバイケースで契約の交渉・契約書の作成が進められる。
TLO は企業と高等教育機関の研究者とのプラットホーム的な役割も果たし、双方のパートナー探しに寄与している。
また各 TLO は独自の専門家ネットワークを持ち、それをさらに広げる努力を続けているが、この人的資源が何よりもの強み
となっている。限られたスタッフで業務を遂行せざるをえないため、企業人、大学人から成る多種多様な専門知識集団を有
し、適材を適所に迅速に動員することによって TLO の効率を高めている。また TLO 同士の連帯も強く、インフォーマルなネ
ットワークivが形成されている。特に歴史の浅い TLO にとって情報交換、体験の共有等ができる同僚の存在は非常に貴重
なものとなっている。
その他スイスの TLO で特筆すべき点は、技術移転に対する広義な解釈で、特許・ライセンシングのみならず、あらゆるチ
ャンネルを活用し、技術の移転を産業活性化に結びつけるという意気込みが伺える。TLO のダイナミックスは多分に TLO
所長の人柄、リーダーシップ、人脈、企業経験に依存するところが大きいことも確かである。
問題点としては、第一に指摘されるのが人員不足である。また人員のみならず、業務内容に関してもクリティカル・マスに達
していない TLO が存在する。
TLO は外部社会への窓口的存在でもあり、それゆえに高等教育機関上層部の特に政治的なサポートが必須であるが、
技術移転に対する理解が得られているかと言うと必ずしもそうではない。また技術移転に抵抗を示す研究者自身もまだ多く、
これらの問題に対して多くの技術移転担当員は、成功例を積み重ねていく事によって、また技術移転、起業家精神等に関
する講座・ワークショップを企画する事によって地道に知的財産に対する意識改革を行っていくと語っている。
■要 約
■要 約
CTI (1999, 2000), Pionniers, Berne。
8 つの州立大学、2 つの連邦工科大学、連邦研究機関の Paul Scherrer Institute、重要研究開発プログラム SPP
BioTech。
iii Non-disclosure and Non-use Agreement、Invention Disclosure Form、Agreement Signature Form、
Technology Opportunity Sheet 等。
iv 2000 年 1 月にはスイス TLO 担当者のミーティングを Unitech 主催で開催された。2001 年には ETHZ 主催の
ミーティングが予定されている(Miéville, 2000)。
i
ii
103
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
■ スイス・ロマンド地域における MNST
本研究は、スイスのフランス語圏であるスイス・ロマンド地方を対象としている。その理由は、この地方iで、MNST が時計
工業の長年の伝統に支えられて飛躍的な発展を遂げたからである。加えて、スイス・ロマンド地方には、1983 年に設立され、
現在はチューリッヒとアルパナックにもセンターを持つ Swiss Center for Electronics and Microtechnology(CSEM)がニュー
シャテルにある。また、1978 年に設立された Swiss Foundation for Research in Microtechnology(FSRM)もニューシャテルに
ある。さらに、マイクロ技術の教育と研究の中心的な機関もこの地域に集中している。主なものとして、ニューシャテル州工
業高等専門学校(EICN)とボー州工業高等専門学校(EIVD)、ローザンヌ連邦工科大学(EPFL)とニューシャテル大学
(UniNE)があげられる。また、数年来、連邦政府は NMST を重点分野と位置付けてきたことから、数多くの技術プログラムが
立ち上げられた。
(1)マイクロシステムの教育
スイス・ロマンド地方でマイクロシステムに関する教育を行っているのは、EICN、EIVD、EPFL のマイクロ技術専攻(DMT)、
ニューシャテル大学のマイクロ技術研究所(IMT)、それに FSRM である。
《EICN》
EICN が提供している種々の教育プログラムのなかには、「マイクロ技術」があり、表面材料および表面技術、時計設計、
生産工学およびロボット工学、光学およびマイクロシステムの 4 つのコースから構成される。同校からは「応用科学系大学技
術学位」が授与される。
《EIVD》
EIVD では、工学系のなかにマイクロ技術学科がある。マイクロ技術の応用科学系大学技術学位取得のための教育は、
応用工学、材料学、建築工法、マイクロ技術の構成要素、製造技法、それに自動制御といった複数の分野にまたがったプ
ログラムをベースとしている。
《DMT》
EPFL の DMT は、この分野のエンジニア教育の入門レベル(第1段階)として、電子技術、建築基礎理論、電子工学、材
料抵抗、マイクロ技術の構成要素、光学、情報学という講座を用意している。次のレベル(第 2 段階)では、マイクロ技術(製
品・製造)、電子情報学、システム制御のような細分化された講座がある。理論教育は、製品管理、製造技術、応用光電子
学の3分野のうちの1つを選択することとなっている。
《IMT》
IMT における教育は、EPFL とニューシャテル大学の間で 1983 年 5 月 23 日に交わされた協定により、枠組みが決めら
れている。マイクロ技術の学位は EPFL から授与され、第 2 段階の教育は同大学で行われると定められている。2 年間の第
一段階の教育は、EPFL かニューシャテル大学のどちらかで実施される。マイクロ技術に関しては、電子工学(アナログおよ
びデジタル)、マイクロ技術の構成要素、マイクロ技術の材料、マイクロ技術のシステム設計といった講義が行われている。
ニューシャテル大学で第一段階を終了した学生は、EPFL で第一段階を終了した学生と同じ条件で、同大学の第二段階へ
の編入が認められる。学生には、その後の課程で、ニューシャテル大学に戻る選択肢が残されている。
《FSRM》
FSRM においては、現在、実用を目指した工学と工学技術の定期的な 120 の継続教育講座が提供されている。ここには
「工学講座」と「マイクロ・システム・トレーニング」の二つのタイプの教育プログラムがある。前者は、スイスの産業界の技術者
やテクニシャンを対象にしたもので、特にマイクロ技術に特化したものではない。提供されている 40 以上ものテーマのなか
には、例えば製造技術、組み立て技術、設計法、開発プロジェクトの運営などがある。講師は主に産業界から募られる。後
者は、ヨーロッパを対象としたもので、産業界、研究機関の技術者と研究者向けとなっている。マイクロシステムの工学、実
用化、応用に関連する 30 以上ものテーマが提供されている。講師は、専門の研究機関と産業界から募られている。
i
ニューシャテル州とジュラ州、それにボー州、ソルーズ州、ベルン州の一部を含むジュラ弓状地帯にそった地域。
ジュラ弓状地帯におけるマイクロ技術の略史については、Pfster(1995)を参照。スイスにおけるマイクロ技術
の地理的分布については、SWX Swiss Exchange et Technology Consulting Group(2001)を参照。
104
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
(2)連邦政府の研究プログラム
マイクロ・ナノ技術の研究開発を促進するために、連邦政府はいくつかの研究プログラムを立ち上げた。
学術振興財団(SNSF)所轄のものでは、すでに 1980 年に国家研究プログラム 13(National Research Programmes: NRP)
「マイクロ・電子光学」がスタートしている。NRP13 は、NRP24「表面化学物理」(1987-1995)に継承され、その後、NRP36「ナ
ノサイエンス」(1996-2000)へと移行した。そして、2001 年には、国家研究拠点(National Centres of Competence in
Research: NCCR)「ナノサイエンス-生命科学への影響、永続、情報通信の新技術」(NCCR Nanoscale Science)がバーゼ
ル大学を主幹研究機関として始められた。他の NRP 同様、実施期間は最長 12 年間とされている。
1992 年に着手された重要研究開発プログラム(PP)は、基礎研究と応用研究のインターフェースの役割を果たしてきた。
PP は、かぎとなる分野におけるコンピテンスを構築し、コアとなるテーマを中心に研究ネットワークを整備することを目的とし
ている。これまでに 8 つの PP が、連邦工科大学局と SNSF の管轄で実施されてきた。
前者が管理したマイクロテクノロジーに関係する PP には、「電子力学・情報システム工学」(PP LESIT、1995 年終了)、
「光学」(PP OptiqueⅠ,Ⅱ)、「材料」(PP Materiaux)、「マイクロシステム・ナノシステム」(PP MINAST)があり、後の 3 つのプロ
グラムはいずれも 1999 年に終了している。優先プログラム光学Ⅰ(PP OptiqueⅠ)は 1993 年に始まり 1995 年に終わり光学
Ⅱ(PP Optique Ⅱ、1996-1999)に替わったが、光学Ⅱは最初のプログラムの実施で得られた知識を産業界に移転し、新し
い事業を築くことを目的としていた。光学Ⅱとほとんど同時に、1996 年に PP MINAST がスタートした。実際には、MINAST と
「ナノサイエンス」(NRP36)の実施が承認されると、光学Ⅱプログラムにおいては、当初予定されていたマイクロ技術分野の
研究を新たなモジュールと差し替えることになった。MINAST においては、フォーメーションとして、少なくとも 1 つの産業界
のパートナーと 1 つの国の研究機関とが共同作業を行うことを条件としていた。CTI のルールに基づいて計画を策定しなけ
ればならなかったため、全体予算の少なくとも 50%を産業界から拠出することとされた。MINAST はさらに、定められた目的
にそって7つのモジュールiが組まれた。このPPが産業に与えた影響の分析は(COGIT, 2001)に掲載されている。
旧連邦景気動向調査局ii(OFQC)の行動・支援計画のなかに、スイスにおけるマイクロエレクトロニクスの応用を目的とし
た行動プログラム「マイクロスイス」(MICROSWISS、1992-1997)iiiがある。このプログラムは、基本的に中小企業を対象とする
もので、マイクロスイスのセンターを通して HES の協力を得て技術革新プロジェクト実現のためスキームを中小企業に与え
ることを目的としていた。マイクロスイスは、その「工程技術と機器」の研究部門で、スイスの半導体生産者と半導体技術を基
礎とした機器の生産者の研究を支援した。マイクロスイスの枠内でマイクロエレクトロニクスとマイクロシステム技術の分野の
プロジェクトを支援するために CTI から特別枠の補助金が拠出された。CTI は上記の PP、MINAST の支援も行ってきたこと
を指摘しておく。
現在の CTI の活動としては、連邦工科大学局によって創設された、目的指向の技術プログラム「21 世紀の科学技術のナ
ノメートル」(TOP NANO21)(2000 – 2003)の実施がある。このプログラムの目的は、ナノメートルを基礎とした新しい技術の
実用化によって、スイス経済、特に中小企業を強化することである。そして、ナノ技術の産業応用の分野における高等教育
機関の学問分野を広げ、この分野における新しい世代の専門家の出現を促すためにナノメートルをテーマとする教育の統
合を図ることである。事業化(スタートアップ)の支援もまた、重要な任務である。注目すべきは、ナノ技術のほとんどが学際
的に応用されている点である。このように、TOP NANO21 は、研究機関と産業界との共同作業、特に研究機関同士の共同
作業を促し、テーマごとに、EPF、大学、研究機関、HES 等からエクスパートが参集するプラットホームを形成することを目指
している。
i
7つのモジュールとは、ディスクリート・マイクロ技術、インテグレート・マイクロ技術、マイクロシステム・
センサーおよび統合技術、マイクロシステム設計・シミュレーション・エンジニアリング、応用マイクロシテム、
ロボットおよびマイクロマシン、ナノ技術およびナノ構造技術におけるマイクロステムの利用である。
ii 連邦景気動向調査局(OFQC)は 1998 年 1 月に廃止された。
そのいつかの部局と連邦産業・工芸・労働局(OFIAMT)
が再編成され、連邦職業教育技術局(OFFT)が創設された。
iii 現在マイクロスイスは HES をコアとしたマイクロスイス・ネットワークとして存続している。マイクロエレク
トロニクス分野の能力開発を目的として、メンバーの拠出金で運営されている。
105
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
表Ⅴ-3 マイクロ・ナノ技術分野とその周辺分野に関する国の研究プログラム
開始-終了
プログラム
名称
管轄機関
1980 -
NRP 13
マイクロ・光電子学
SNSF
1987-1995
NRP 24
表面化学・物理
SNSF
1992-1995
PP
電子力学・情報システム工学
連邦工科大学局
1992-1997
行動計画
マイクロスイス
連邦景気動向調査局
1993-1995
PP
光学Ⅰ
連邦工科大学局
1996-1999
PP
光学Ⅱ
連邦工科大学局
1996-1999
PP
MINAST
連邦工科大学局
1996-2000
NRP 36
ナノサイエンス
SNSF
2000-2003
目的指向の技術プログラム
TOP NANO21
連邦工科大学局/CTI
2001-
NCCR
ナノサイエンス
SNSF
(3)欧州連合の研究プログラム
欧州連合(EU)の第五次研究開発枠組計画のほかに、EUにおける MNST 促進のための 4 大プログラムがある。それら
は、NEXUS(Network of Excellence in Multifunctional Microsystems)、EUROPRACTICE、EURIMAS(EUREKA Industrial
Initiative for Microsystems Uses)、MINANET である。
このうち、NEXUS は EU によって 1992 年に始められ、現在はフランスのグルノーブルに根拠を置く非営利団体となってい
る。その目的は、マイクロシステム技術の発展を促進し、技術と市場に関する情報を共有すると同時に、補完的な役割をに
なう組織間の協力を活発にすることにある。NEXUS は「クラブ」のような機能を果たしており、企業や研究機関は無料で加入
できるが、例えば市場調査などの情報を得るには経費を支払う。NEXUS は、当初は長期的な研究を行う学術的な組織とし
て出発したが、年ごとに産業界の利用者にターゲットが移行していった。現在では、500 以上の組織がメンバーとして加入
している。その活動のなかには「利用者・供給者クラブ」(User/Supplier Clubs: USCs)があり、同じマイクロシステムの分野
で働く企業や研究グループが、技術的な問題や商業活動について議論するために参集している。現在、USC MEMS
Packaging をふくむ 10 の USCs がある。
欧州委員会の旧第三総局iのイニシアティブで、EUROPRACTICE はエスプリ計画(ESPRIT)の枠で 1995 年 10 月に開始
された。ASIC(Application-specific integrated circuits)、マルチ・チップ・モジュール(MCM)、あるいはマイクロシステムを生
産に適用することにより、ヨーロッパの産業にマイクロ技術が活発に導入されていくことを目指している。現在、
EUROPRACTICE は、5 つの生産クラスター(Manufacturing Clusters: MCs)、12 のデザイン・ハウス(DHs)、7 つのコンピテ
ンス・センター(Competence Centers: CCs)から構成される。それぞれの MCs は、少なくとも 1 つの生産技術を提供できる
製造設備を有する企業や研究機関の集合となっている。EUはこの生産クラスターのインフラ設備に投資し、受益者である
生産クラスターはその設備をマイクロシステムの開発にあたっている人たちに開放している。生産クラスターの利用者は、発
注した製品に対してその対価を支払うが、価格は外部発注に比べて廉価である。CCs は、相談窓口として、また特殊なマイ
クロシステムの実用化に際して、最も適したデザインを選択するためのサポート役として機能している(Curtis, 1999)。
EURIMAS は、ユーレカ計画の枠内で 1998 年に始まり 2003 年に終了する産業界向けのイニシアティブである。これは、
MEMS(Micro Electro Mechanical Systems)の商業化に特化している。ヨーロッパの他の分野の企業と協力して MEMS の応
用を促すことをその主な目的とし、ヨーロッパ産業界の研究開発プロジェクトの実施を支援することである。
MINANET は EU が資金面でサポートしているプロジェクトで、MNST 分野において、地域、国、ヨーロッパレベルで企画さ
れているプロジェクトの情報をデータ・ベース化することを目的としている。
i
現企業総局。
106
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
■ ヒアリング調査
(1)高等教育機関
《ニューシャテル州工業高等専門学校(EICN)》
概 説
ニューシャテル州工業高等専門学校(EICN)は、1996 年に応用化学系大学(HES)の認定を受け、大学レベルの技術教
育を行っている。ロークル市に設立され、マイクロ技術、機械、電気の3つの専攻からなっている。教育期間は3年で、その
後 12 週間の学位実習がある。注目すべきは、同校が授与する応用化学系大学技術学位はヨーロッパ全域で通用するもの
で、学科と選択した専門分野が付記されている。ニューシャテルに先端産業、CSEM、ニューシャテル大学の IMT および物
理研究所、天文台など研究機関が集積しており、またこれらの組織との連携は、同校の教育と応用研究に付加価値を与え
ている。
同校のマイクロ技術専攻には、30 人余りの教官スタッフと約 75 人の学生がいる。外部研究資金とコンサルティング・サー
ビス収入の総額は年間およそ 200 万スイスフランである。共同研究は地域、国の産業と行っているが、国際的な企業とのケ
ースもある。マイクロ技術分野の研究室は、西部スイス HES(HES-SO)とネットワークを組み活動している。このほか、同校は、
EPF、スイスおよび海外の大学、CSEM などの研究機関や学会と多くの協力関係を保っている。
知のネットワーク
ここでは同校と MNST 分野の専門機関との協力体制を記述する。
CTI は、1998 年、国全体で活用できるコンピテンスのネットワーク構築を訴えた。この「国家コンピテンス・ネットワーク」の
枠内で、EICN は、MNST 分野においてもう一つの工業高等専門学校と共同でプロジェクトを提出した経験がある。このプロ
ジェクトは最終的に却下されたことから、新しく IMT、CSEM、2つの EPF、工業高等専門学校を含む垂直的な構造が提案さ
れた。「マイクロシステム・プロジェクト集団」と名づけられ、この分野のすべての当事者を参画させることにより相乗効果を生
む出すことを目的とした。この提案は、国家研究拠点(NCCR)とは別の独立したものである。資金源としては、SNSF、CTI、
それに西部スイス HES の「戦略的準備金」を活用する計画がなされている。この「戦略的準備金」は、新しい活動を先駆的
に進める HES をサポートするため、特にスイス・ロマンド地方に割り当てられた準備金である。MNST のような高度な技術に
かかる経費は極めて膨大なため、EPF、IMT との連携、補完性の活用が必須となる。
ヨーロッパのレベルでのネットワークは、例えば EU のインターレッグ(INTERREG)プログラムの枠のなかで、フランスのフ
ランシュ・コンテ地方との間で行われている。ニューシャテル大学で、原子力物理に使用しなくなった機材を回収してイオン
ビーム分析センター(CAFI)を設立することに成功した。その際、フランシュ・コンテ大学と補完的にサービスを提供する立
場となったことから、インターレッグの財政援助(フランシュ・コンテとの共通基金がある)を獲得した。スイス側では、CSEM、
IMT、EPFL、それに連邦材料試験研究所(EMPA)の研究者が利用者となっている。また現在 40 余りの企業にもサービスを
行っている。
EICN は順調に HES に移行したが、これは共同研究者と、とりわけ学生にとってプラスの面が大きい。学生が企業との開
発研究や研究プロジェクトに参加することによって、学生の就職先が開けた。さらに、企業が必要としている MNST の技術
者はどんな人材かを企業に示してもらうことによって、同校は「企業のニーズにそった学生の育成」に努めている。同校は、
可能な限り、学位取得のための授業プログラムを調整し産業界の要請に応えようとしている。
企業との共同研究においては、CTI の枠外でも、HES-SO の戦略的準備金を活用するなどフレキシブルに対応している。
特に、SNFS のプロジェクトにしては応用的性格が強すぎる、また CTI のプロジェクトにしては十分に産業向けとはいえない
場合、戦略的準備金を活用したとのことである。
EICN は教育ネットワークにも組み込まれている。FSRM の教育プログラムに参加しており、同校の教官はここでも教鞭を
とっている。学位取得後の専門教育のレベルでは、ベルン大学、ニューシャテル大学、フライブール大学のネットワークで
ある BENERI が「先端材料―科学と技術」と称する講座を提供しているが、EICN の教官たちはそこでも講義を行っている。
この 5 年間の総括として、EICN の校長は、2つの異なるタイプの大学(従来の大学と HES)の間に存在する補完性をうまく
利用するすべを互いに磨いたのではないかと語る。
大学の基礎研究、HES の応用研究という補完性があるが、その背景には、大学と HES との間でパートナーの関係、“互
107
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
いに知っている”という関係があるからこそ成り立つものであるという。
同校と企業、特に中小企業との関係については、接触するチャンネルがいくつかあるが、最も重要なのが、教官を介して
の接触である。企業と学校との最初の接触は、半数以上がこのチャンネルで行われる。次いで、HES の「企業との窓口」で
ある、集積システム・コンピテンス・センター(CCSI)が登場する。実際、HES-SO が他の研究機関、大学教官との密接な関
係を築くことが出来たのは、こうしたセンターを通してであった。
コメント
EICN はスイスにおける MNST のパラダイムの出現には直接貢献はしなかったものの、この分野における地域のアクター
の一人であることが確認できた。応用研究を通して理論と実用とを結びつけるという HES の任務に従って、同校は MNST 分
野で活躍する地方企業の現場から出てくる要請に応えうる、良きパートナーとなっている。
《ローザンヌ連邦工科大学マイクロテクノロジー・センター》
概 説
EPFL のマイクロ技術センター(CMI)は、クリーンルームと高度な機器を備えた、教育・実験施設である。同センターは、
教育・研究面で、マイクロ技術プロセスへのアクセスを可能にするものである。そのミッションは次のようになっている:
•
マイクロ技術の基礎教育とより高度な教育を提供すること。
•
マイクロ技術分野の研究に欠かせない機器を提供すること。
•
マイクロ技術分野のノウハウと最新の知識を収集し、実践し、発信すること。
•
マイクロ技術分野の他の学術機関や研究センターとの交流を進めること。
センターの運用は、センター直属のマイクロ技術を専門とするエンジニアと技官によって行われている。これらのスタッフ
は、すでにある機器のメンテナンス、クリーンルームに設置する機器の評価、設置、稼動を担当する。また、機器を使用する
際の利用者の教育、要望に応じて新しい技術システムの設置、現在あるものの改良、研究者に対してテクニカルな面での
サポートも行っている。センターの利用者は、学部教育第2段階の学生、博士課程の学生、同校および外部の研究者であ
る。センターの主な活動には、実習、学期単位のプロジェクト、修士実験、学位取得のための実験、マイクロ技術に関連す
る実験的な研究、外部のパートナーとの連携による新技術およびプロセスの開発がある。クリーンルームの利用に際して、
まず教育、次に研究、最後に外部のパートナーとの共同作業という優先順位が決められている。クリーンルームでの作業に
は、内部外部を問わず費用が請求されるが、教育にかかわる作業の費用は同センターが負担している。
知のネットワーク
現在、CMI で作業を行っている企業(スタートアップ企業が中心)は 10 数社ある。さらに、CSEM も CMI が持つ特殊な機
器を利用している。CSEM との間では、費用を両者で負担することにより、機器の共有も行っている。また、かつて同校の助
手だった研究者が学位を取得後、スタートアップの準備段階として研究テーマを深めるために CMI を利用している。
開設以来、ネットワークを作ることが CMI の目標のひとつであった。実際、センターは経験を分かち合うために同じ趣旨の
研究所を世界レベルで探してきた。センター長のルノー教授は「他の研究所がうちと同じモデルで運用される必要はまった
くない。ネットワーク作りの目的は、『ほかから学ぶ』ことにある」と語る。数十の研究所と巨大なネットワークを構築するのが
目的ではなく、「ほかからフィードバックを受け」自らを改善することができるような、5つぐらいの小規模ではあるが密接な関
係が確保できるネットワークを考えているとのことである。Win-Win ゲームとなりうるネットワークを構想している。
コメント
EPFL の CMI は User’s Lab として機能することにより、スイス・ロマンド地方において、マイクロ技術分野の研究に他には
無い形でインフラを提供している。ここのインフラを利用することにより、マイクロ技術のプロセスに比較的安い料金でアクセ
スすることが可能になる。中小企業にとって、非常に有益なツールとなっている。
《ローザンヌ連邦工科大学マイクロ技術専攻ロボット・システム研究所》
概 説
ロボット・システム研究所(ISR)は、EPFL のマイクロ技術専攻(DMT)に属し、特にロボット、マイクロロボット、マイクロメカ
108
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
ニズム、精密機械の分野で学際的な研究を行っている。主な研究テーマとして、ロボットの機能設計、力学、精密化、精密
なシステムの摩擦のない軸受けの設計および制御、ナノ解析のための計測および装置、ロボットおよび自動システムがあ
げられる。ISR には 6 つの研究グループがあり、そのうちのマイクロマシン研究室と精密機械研究室はブルレー教授が指導
している。
知のネットワーク
EPFL の DMT とニューシャテル大学およびその IMT とのつながりは、極めて重要である。マイクロ技術分野における同校
とニューシャテル大学との関係であるが、ニューシャテル市が時計産業の中心地であり、また CSEM が設立されたことから、
DMT が設置される以前から緊密であった。さらに、1995 年には DMT、ニューシャテル大学の IMT、CSEM が結集した「マイ
クロ技術拠点」が形成された。これによってさまざまな形の協力関係が出来上がった。ニューシャテル大学のマイクロ技術
の学生はこの分野の学位が当校に存在しないことから、EPFL で学位を修了するようになった。ニューシャテル大学の 4 人
の教授が EPFL で専門課程の特別講義を行うようになった。両大学で行われる博士課程の論文審査に両大学の教官が相
互に参加することとなった。また、クリーンルームに関しては、CSEM は応用研究に軸足を置き、EPFL は教育に重点を置い
ていることから、補完的関係が形成された。このように、学位授与に関する密接な関係に加えて、研究面でも強い連携が見
られる。
ブルレー教授によると、企業との協力体制に関しては、中小企業と経歴豊富な大企業との差別化はしていないとのことで
ある。肝心な点は、学術面と産業面とのバランスをいかに保っていくかである。この問題は EPF、州立大学と HES との役割
分担という議論にも関連してくる。
コメント
EPFL は、マイクロ技術分野での 30 年間にわたる活動によって、スイスにおける MNST 技術の登場に貢献した主要なア
クターのひとりと位置付けられる。教育・研究組織として DMT を創設したことにより、この分野においてスイスのみならず世
界的に同校の存在を示すことに成功した。
《ニューシャテル大学マイクロ技術研究所》
概 説
ニューシャテル大学のマイクロ技術研究所(IMT)は、マイクロ技術の教育と研究を推進するため、1975 年に理学部に設
置された。創設以来、同研究所はインフラ面にも力を入れてきた。MNST 技術の研究を目的とする ComLab を同研究所と
CSEM の共同体制で設営した。ComLab が EPFL と HES-SO の学生にも開放されていることは注目に値する。
現在 IMT は約 120 人の研究スタッフを抱えている。研究者は教授や研究グループの主任の指導のもとで、主に、センサー、
アクチュエーター、マイクロシステム、応用光学、シリコン薄膜/光起電、信号処理、形状認識の分野の研究を行っている。
知のネットワーク
大学レベルでは、IMT と EPFL との「極めて親密な交流と協力」に注目する必要がある。ニューシャテル大学の教授が同
時に EPFL で授業を行うほか、EPFL とニューシャテル大学の学位は同等に取り扱われることとなっているため、EPFL の学
生がニューシャテル大学で講義・実験の単位の取得を行うことが可能であり、またその逆もできる。二重投資を避けるため、
機器の購入の際、調整が行われこともある。IMT と CMI との関係をよりスムーズなものにするために、両者の間で取り決めが
結ばれている。その一例が、CMI の IMT に対する特別料金である。
HES との関係としては、ロークル市およびブック市の HES との間に特別な取り交わしがある。研究結果に関する情報の共
有と、HES の学生の IMT における共同作業への参加である。
産業界からの研究資金は、同研究所の研究費の 20%から 30%の割合を占める。博士号取得者やポストドクによるスタート
アップの起業も、産業界との重要な媒体となっている。研究所の実験室としての事業モデルを確立したことから、IMT は企
業からフィージビリティ・スタディや実証研究の委託を受けている。受任者がプロトタイプを手にした後、量産に移行すること
を望む場合、スタートアップ企業の創設につながることもしばしばある。また、量産は大学の本来のミッションからはずれは
するが、IMT はこれまでに、限定された数のチップの製造を行った。その際、パッケージングは自らの持つ下請企業のネッ
トワークを活用して、外注した。
109
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
コメント
ニューシャテル大学の IMT は、時計産業発祥の地といった、この地域特有の環境を活用しながら、EPFL の DMT と同様に、
研究と教育によってスイスにおける MNST のパラダイムの出現に大きく寄与してきた。EPFL と補完的関係を保ち、また CSEM
の「良き隣人」として、IMT は、スイス・ロマンド地方の MNST 分野の研究および教育のプラットホームを構成している。
(2)スタートアップ企業
《Seyonic SA》
概 説
セヨニック社(計測および制御用マイクロシステム技術)は、1998 年にニューシャテル市で IMT のスピンオフとして事業を
開始した。同社は、マイクロリキッドの操作システムの開発と生産を専門としている。しばしば薬品とバイオテクノロジーの研
究分野で用いられるこのシステムは、マイクロ化されたシリコン基盤の MEMS をベースとしており、ナノリットルからミクロリット
ルまでのレベルで液体の流れの制御を可能にしているi。
知のネットワーク
新製品開発においてセヨニック社はニューシャテル大学と設立当初からの関係を継続している。同社は CTI の幾つかの
プロジェクトを IMT と共同で立ち上げている。ニューシャテル大学以外にもローザンヌ連邦工科大学とチューリッヒ連邦工科
大学、ロークル市の EICN とも連携している。
これとは対象的に、他の企業との共同プロジェクトは皆無に等しい。その理由は、セヨニック社は、より複雑な機械に組み
込まれるサブシステムの製造に特化しているからである。医薬品機器の製造業者が主な顧客である。同社は、こうした製造
業者とともに彼らの機械にシステムを一体化する作業を行うが、サブシステム自体の開発は独自に行っている。
知的所有権に関して、一例を取ってセヨニック社のスタンスを紹介する。同社はユーザーであるアメリカの企業のために
製品を提供したが、それは以前 IMT で開発した基本的製品とは少し差別化したものであった。よってその特化した製品は
アメリカの企業に独占的に引き渡されたが、サブシステムの技術そのものの所有権はセヨニック社に属し、ほかの企業にも
提供される。独立性を保持するため、同社はこのやり方をほかの製品にも適用している。
当社の社長のボワイヤ氏によれば、産学連携を促進するための最も重要な要因は「大学と地理的に近いこと」と「さまざま
なレベルで人のつながりがある」ことである。これらの要因によって同じ文化を共有することができ、情報の流通や人の行き
来が容易になる。セヨニック社の 2 人の創立者は、IMT の出身であるため、CTI やEUのプロジェクト等、働く環境、習慣を
共有している。彼らは、さまざまなプロセスやいろいろなレベルの枢要な人物を周知している。学生を介しての産学連携とし
て、同社はこれまでに研修生を1人受け入れている。しかし、産学連携に利点ばかりあるわけではない。その一例として、
CTI のプロジェクトを実施する際の手続きの煩雑さを指摘できる。これは、こうしたことに慣れていない企業にとって産学連
携を阻害する要因となっている。とりわけ難しいのは、研究機関や大学がどのようなプロジェクトに関心を持つのか把握する
ことである。また、プロジェクトを実施するために利用可能な機器について、企業に情報が正確に伝わっていないということ
がある。たとえこれらの情報が存在し公表されていたにしても、情報がすべての人にとって明確なわけではない。情報への
アクセス、つまり「何が可能で、大学で誰が何をやっているかを知ること」は、中小企業にとって重要な要素である。
また大学と企業をつなぐプラットホームとしてのサービス、例えば EPFL が提供しているサービスは、中小企業にとって容
易に活用できるものではない。重要なのは、その部門に相談相手となれる責任者が配置されているかという点である。また、
事務手続きの煩雑さも解決すべき問題である。
同社の下請企業のネットワークは、一部は大学から分離した時に継承したものだが、製品の開発に応じて広がっていき、
現状ではかなり拡散したネットワークとなっている。マイクロ技術の古い伝統を持つニューシャテルという土地柄から、このよ
うに下請けとなりうる企業が存在することは、この地方でMNSTを発展させるための要因の一つとなっている。セヨニック社
は、下請け企業との接触を持つために、ニューシャテル州の支援プログラムである経済振興センターの企業ネットワークも
利用している。
i
www.seyonic.com 参照。
110
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
コメント
セヨニック社は、IMT からの代表的なスピンオフであり、学問の世界から生まれた企業と高等教育機関の関係を示唆する
ものである。CTI のプロジェクトは中小企業にとって重要なツールであり、また産学連携を可能なものにしている。
《Colibrys SA》
概 説
CSEM のスピンオフであるコリブリス社は、2001 年 1 月 1 日の創業以来、100 人以上のスタッフを抱える企業となった。マ
イクロ技術とマイクロシステム(MEMS、MOEMSi)の製品、それに付加価値の高いコンポーネントの開発、製造、下請け、購
入、販売を業務としているii。
知のネットワーク
現在コリブリス社は外部との共同研究強化の戦略を立てている。特に、IMT、EPFL、CSEM を対象とし、すでに、IMT と共
同研究の契約を交わし、またドロイ教授との単発のプログラムをいくつか抱えている。同社はまた、EPFL とも、特に CMI の
施設利用に関して、緊密な関係を保っている。同社は CSEM から分離して以来、研修生を一人も取っていないが、これは
受け入れるゆとりがまだ出来ていないからとのことである。
ユーロプラクティスの枠では、コリブリス社は、企業が提案した計画にドロイ教授のチームなどとともに参加し、フィージビリ
ティ・スタディの初期段階を担当している。その次の段階で、技術または製品を自社で開発するか否かを判断する。この方式
は CSEM で採用していたものだが、コリブリス社はこれを「より明確に」適用したいと考えている。実際、CSEM の内部組織であ
ったときには、研究がミッションの1つであったが、コリブリス社になってからミッションは明確に製品開発に絞り込まれた。
コリブリス社と高等教育機関との関係は、「比較的うまく機能している」と CTO のルドルフ氏は評価している。しかし、同氏
は、大学がその知的財産の「創造」も含めて、応用の方向に押されすぎる傾向にあると警告する。長期ビジョン対短期ビジョ
ンといった、ターゲットとする期間の違いが曖昧になると、共同作業が困難になる可能性が出てくる。MNST のいろいろなレ
ベルでの研究や生産に携る人材がこの地域に大量にいることは、コリブリス社のような企業にとって、重要な要素となってい
る。CSEM 時代から既に行っている高等教育機関への研究費の投入は、相乗効果を生むものであり、産学連携の触媒的
な役割を担っている。コリブリス社は、共同研究のプロジェクトを通じて高等教育機関との連携を強めていく方針であると明
言している。
コメント
マイクロ技術をベースとする製品の開発、生産、販売をミッションとするコリブリス社は、技術革新のプロセスにおける最後
のフェーズに位置している。基礎研究に始まり、応用研究を経て、工業生産に至る一連の連鎖を完結するものである。
《Xemics SA》
概 説
注文生産による集積回路のプロバイダーであるゼミックス社は、CSEM のスピンオフとして 1997 年に創立され、現在 100 人
以上の従業員を擁し、低出力のアナログおよびデジタル・システム設計、ワイヤレス・コミュニケーション等を専門としている。
知のネットワーク
IMT や EPFL のような大学機関との関係は、創立以来ゼミックス社の優先課題とはなっていない。販売力より技術的なノ
ウハウの蓄積が同社の主なアセットだったため、創立後は「顧客指向の精神」を浸透させることに努力を集中した。副社長
のバルダン氏によれば、当時、CSEM の技術者にマーケティングを任せるという重大な過ちを犯し、結局、外部の人間に担
当させることとなった。そこから出てきた問題の1つは、大学との協力関係をどう保つかであった。大学の役割は比較的明確
であるが、「大学と産業界にまたがる」CSEM との関係はより複雑となる。こうした状況は、ゼニックス社のような企業と CSEM
との役割分担を容易にするものではない。
大学とは、学生の学位のプロジェクト、研修を通じで密接な関係にある。学生フォーラムへの参加と同時に、学位論文の
i
ii
Micro Optical Electro Mechanical Systems。
www.colibrys.com を参照。
111
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
プロジェクトと研修生の受け入れは、リクルートの手段となっている。また、大学の博士課程の学生へ財政的な支援も行って
いる。このような財政援助を行うことにより、同社は研究成果に優先的にアクセスができるようになっている。
バルダン氏によると、この分野で「極めてユニーク」な制度は、ボー州イべルドン(Yverdon)市にあるサイエンス・パーク
Y-Parc だというi。ゼミックス社は、EIVD の研究・技術移転センター(CETT)とそこで協力している。ゼミックス社のような企業
は、中小企業のプロジェクトに対して、財政、技術、実用化面でのサポート役を担っている。ゼミックス社はファウンダリとの
インターフェースとなり、既に標準化された製品の販売事業をスイスの中小企業と共同で幾つか実現している。バルダン氏
によれば、イベルドン市の Y-Parc は中小企業に一連の財政支援を提供するこの分野における「最もダイナミックな組織」で
あると評価する。これはまた、大学・研究機関のパートナーとプロジェクトを組む中小企業を対象とする CTI にとって理想的
な受け皿であるという。
コメント
CSEM のもう1つのスピンオフであるゼミックス社は、マイクロエレクトロニクスの分野で弱電力の製品を開発し供給している。
従って、この企業は CSEM にとって実用化の受け皿として機能しており、コリブリス社と同様に、技術革新のプロセスにおける
最後のフェーズに位置している。物理的に近いという事情が、ゼミックス社と CSEM との緊密な関係大きく貢献している。
(3)その他の機関
《Swiss Center for Electronics and Microtechnology SA》
概 説
Swiss Center for Electronics and Microtechnology 株式会社(CSEM)は 1984 年に連邦政府・州政府の支援を受け、3つ
の研究所iiを合併させた形でニューシャテル市iiiに設立された。エレクトロニクス、材料学、マイクロメカニックスの分野にそれ
ぞれ特化されたこれらの3つの研究所を合併させることにより、技術面での相乗効果が期待され、また生産に向けた技術プ
ラットホームの構築も求められた。「マイクロ技術を推進する」、「ユーザーズ・ラボとして機能する」という当初からのスタンス
は現時点でもまったく変わっていない。
具体的には、CSEM は次のミッションを掲げている。
•
この技術プラットホームをさまざまな産業分野で活用していく。
•
技術移転を介して中小企業を支援する。
•
マイクロエレクトロニクスやマイクロ技術、システム工学等の分野で新製品を開発し、またハイテクビジネスを創生する。
1994 年以降、CSEM は 39 の株主を数える。スイスの企業を主な株主としてスタートしたが、現在ではグローバル企業、多
国籍企業、アメリカの企業などが大半を占めており、また金融業界、保険業界の株主もいる。しかし、NPO の承認を得てい
ることから、株主への配当は一切行わず、利益は、技術プラットホームを強化するために再投入されている。
CSEM は、公的機関として位置付けを守りつつ、革新的な技術を生み出し、技術移転、応用研究、製品開発、フィージビ
リティ・スタディ、コンサルティング、システムエンジニアリング、特殊機械の生産を行っている。
また、大学及び公的研究機関が主に行う基礎研究と、新技術の商品化の間のギャップを、技術プラットホームを形成す
ることによりうめている。企業とは、フィージビリティ・スタディや将来の技術トレンドの見極めを行っている。
自らを「大学や研究機関と企業や投資家とを結びつける、『両者の橋渡し』となる企業である」と称する所以である。
CSEM のスタッフは、主に、研究者、マーケティング担当者、生産担当の職員、テクニシャンから構成されている。業務形態
別では、専門家、博士号取得者が約 3 分の 1、研究者と技術者が 3 分の 1 をやや上回っている。残る 3 分の 1 のうち、半
分弱がマーケティングと管理部門で、残りが生産などに従事するテクニシャンである。
CSEM は、多くの分野で一連の技術ivを開発し、そのことによってセンターの使命を達成している。技術が成熟し、そのア
www.y-parc.ch を参照。
後述の FSRM と時計業界の研究所、LSRH と CEH。
iii 現在、チューリッヒとアルパナックにも支店を持つ。www.csem.ch を参照。
iv 制御、機械工具、製造電気、教育、医学、ソフトウェア、通信、自動車、環境、時計製造、宇宙、ロボットな
どの分野が挙げられる。また、プラットホーム技術としては、マイクロ光学、マイクロ流体、マイクロ磁気、マ
イクロ組み立て、マイクロエレクトロニクス、生命化学、ナノ技術、表層技術、情報技術/システムなどがある。
i
ii
112
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
イデアを「橋渡し」する際、生産手段への投資が必要となる。その際、センターは新しいプラットホームや未来のプラットホー
ムに投資することを優先し、「生産手段には投資しない」というスタンスを取っている。外部の投資家にとっては、配当金の
無いセンターは投資先として魅力がない。また、資金面は十分満たされていることから、株主の構造は「凍結」されている。
外部の投資家の注目をスピンオフ企業の設立に向けるよう CSEM は努力している。
CSEM からのスピンオフの設立の経緯は多種多様である。ゼミックス社においては、徐々に外部資本を増額し、CSEM の
参加の度合いを薄めていくという手法が取られた。CSEM は当初は 100%の株主だったが、最終的には保有していた株式を
すべて売却した。コリブリス社においては、CSEM の生産手段が限界に達したことを機に設立が決定された。マイクロセンス
社は、CSEM が関連する分野の研究を止めた時、1990 年に設立された。フォトロニックス社は、アメリカの会社との合弁企業
で、CSEM と CSEM Instruments 社(2002 年に CSM Instruments 社に改称)の技術を継承した。2000 年には会社の設立が
加速し、4 社に達した。技術的なプラットホームを作るには成熟した段階に達するまでに 10 年から 15 年かかることがしばし
ばであることから、上席副社長のアルギ氏は、このプロセスを「正常」なものと称している。ユディリス社は、外部からの「情報
技術/情報システム」へのニーズに応える形で設立された。活動のアウトソーシングが行われたわけである。ヘプタゴーヌ社
は、CSEM チューリッヒの技術をベースとしたフィンランドの会社との合弁企業である。このほか CSEM から誕生した会社に
は次のようなものがある。ゼントロニカ、アバロン、ポジック、フォトンフォーカス(スタートアップ)、ゼムテック(スタートアップ)、
スペクトロ・ソリューションズ(スタートアップ)、スペース X(マイクロカメラと宇宙開発)。更にこのリストは長くなると思われる。
注目すべきはこれらの企業がすべてスイスで設立されたことで、このことは CSEM が「スイスの使命」を達成したことの証であ
るが、CSEM はほかの国にも連携の手を伸ばしている。
このリストに、不動産・金融会社のシラテック株式会社が加わる。同社は、CSEM の建物と施設を維持するために、1992
年に設立された。建物と土地は一部外部資金でまかなわれたが、極めて異例なことだが、連邦政府、州政府、ニューシャ
テル市が支援している。1984 年の設立以後に建てられた補助的な建物には、CSEM の独自資金、すなわちプロジェクトか
らの収益が投入された。
CSEM の二つの使命は、研究成果の移転・技術移転とハイテクビジネスの創造・雇用の創出に要約されるが、現在まで
に 10 以上の企業が創設された。上席副社長のアレギ氏曰く、「CSEM は風船にたとえられる。膨らんでいき、一定の大きさ
に達すると、一部を吐き出し、また膨らんでいく。」2000 年の総売上は 5 千万フランに上る。コリブリス社の創立とともに 130
人が去ったが、年間、およそ 60 人から 70 人が新たに補充されている。アレギ氏は、「センターにとって最も望ましい人数は
250 人から 400 人」だという。2001 年には、センターの人数は 270 人、それとほぼ同じ人数がスピンオフ企業とスタートアッ
プ企業におり、それらの売り上げの総額は 1 億フランを超える。スピンオフ企業とスタートアップ企業を含むセンターの売り
上げの伸びは年間約 10%で、センターの創設以来成長が続いている。スタートアップ企業とスピンオフ企業の成長率がセン
ターよりも高いため、成長はさらに加速している。
知のネットワーク
CSEM は、そのネットワークを広げるために、ニューシャテルのほかに、既にチューリッヒとアルパナックにセンターを置い
ている。多くの企業にとって、物理的な近接さが重要である。国内のほかに、海外に進出することも現在議論中である。イギ
リス、インド、アラブ首長国連邦、オーストラリア、アメリカ合衆国など幾つかの国が、現地の政府や企業、多国籍企業と共同
で、CSEM モデルを導入することを希望している。CSEM にとってのメリットは、交流を盛んにして、異なる技術の間でシナジ
ー効果を生み出し、同時に相互間の通商の量を増やすことにある。また、スイスに還流する技術の量が増えることにより、
CSEM の技術プラットホームの強化されることを期待している。
ほかの機関との関係では、CSEM は、フランス原子力庁(CEA)の公的研究所であるグルノーブルの電子技術機械工学
研究所(Léti)と優先パートナー協定(2001 年 6 月 13 日)を結んだ。日本との協力も視野に入れている。
「架け橋」として、また未来のテクノロジーを探求するために、CSEM は大学と連携している。センターの幾人かは、ローザ
ンヌ連邦工科大学、ニューシャテル大学、あるいはチューリッヒ連邦工科大学の教官として活躍している。彼らはセンターに
雇われているが、1 週間に数時間これらの大学の教官として勤務し、学生と大学に恒常的に接触している。その目的は、単
に学生にアイデアを移転するだけでない。学生は、CSEM の中で技術を開発し、独自の事業を立ち上げ、最終的に「アイ
デアの移転」を具体化させていく。
113
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
知的ネットワークを構築するために、CSEM は、スイスの大学ばかりでなく海外の大学とも協力している。創立以来、CSEM と
連邦政府との間には、4 年毎に業務提供契約を結び、これに基づいて、大学から生み出される科学技術知識をスイス企業
の競争力改善と技術革新に結び付けて行くために必要とされる公的な技術プラットホームが形成されている。この契約が
定めている活動は、予算のおよそ 3 分の 1 を占める。その成果は、技術的なソリューションやプロセスを総合した技術プラッ
トホームとなって現れるが、そこには CSEM に帰属する知的財産権がすべて含まれる。これらのプラットホームは、その後、
企業のソリューションを開発するために利用される。プラットホームとは対照的に、ソリューションは企業が所有権を持つ。な
ぜなら、企業が特定のソリューションを得るために金を支払うからであり、ライセンシングの権利は 100%企業帰属となる。こ
の領域、すなわち生産を目的とする産業プロジェクト、開発あるいは研究は、CSEM の活動のおよそ 3 分の 2 にあたる。
CSEM が直接投資家と提携することにより、ハイテクのソリューションや製品の技術移転、あるいはスタートアップ企業の創
立が行われる。基礎研究、応用研究、開発、さらには市場調査を含む製造に関する知識を同時に持つことが必要とされる
ことから、このような役割を大学が担うことは不可能に近い。ここに CSEM の存在意義が見出せる。
CSEM はニューシャテル大学とは完全に別組織だが、場を共有することにより、シナジー効果を図っている。ニューシャ
テル大学と物理的な隣接を活用して、CSEM と大学のマイクロ技術研究所(IMT)との間に複数の契約が結ばれている。そ
の一例が年間プログラムである。CSEM は自らがスポンサーとなっている 20 人余りの博士課程在学生の指導を行っている。
これらの学生は CSEM あるいは大学で研究活動を行うが、CSEM に直結したテーマを遂行する。
その他の連携としては、1998 年にローザンヌ連邦工科大学、ニューシャテル大学 IMT、それに CSEM が協定を結んだ
「マイクロ技術の中核」がある。これは、研究内容、研究領域、マイクロ技術への投資のコーディネーションを図るものである。
この「中核」には、研究用のクリーンルームとは別の応用のためのものが幾つか含まれている。ニューシャテルの研究用クリ
ーンルームは IMT と共有しており、費用も分担している。同様に EPFL のマイクロ技術センター(CMI)ともクリーンルームを
共有している。大掛かりな機器に研究施設がそれぞれ投資するのを避け、特定の機器を共有し、機器と設備のネットワーク
を作り上げ、最も質の高いファンダリー・サービスと一連の装置の提供することを目標としている。
このネットワークの中で、クリーンルームは研究用と生産活動用とに明白に分けられている。研究と生産とでは、機械に対
する要求が異なる。たとえ同じ機械であれ、研究活動が要求する条件は生産を保証するのに十分な条件とは言えない。従
って、異なるサポートチームと使用規則を持つ二つの設備が必要となる。
企業に対して CSEM は多様なタイプのサービスを提供している。技術相談の場合、相手企業の技術者と協力体制を組
む。製品開発に関する相談の場合は、企業のマーケティング・チームと共同作業に入る。また、企業は新しい製品、新しい
プラットホームを提起することができるが、この場合は、CSEM は直接企業の幹部あるいは投資家グループと話を進める。
CSEM はソリューションを作り企業に移転するケース、あるいは生産計画を含む製品の製作するケース、生産ラインの製造
のケースがある。後者の場合、CSEM で少量の生産を行うことも想定される。大量生産の場合、CSEM はベンチャー・キャピ
タルや既に設備を備えているスピンオフ企業に働きかけてスタートアップを設立させる。また、生産ラインを合弁企業の形に
移す、必要とあれば売却することも行われている。注目すべきは、CSEM は顧客として中小企業から大企業までカバーして
いる点である。しかし、中小企業に重心が置かれていることも事実であるが、売上高は多国籍企業のウェイトが大きい。多国
籍企業はしばしば完成した技術を購入しがちで、中小企業はどちらかというとソリューションを求める傾向にある。
CSEM の事業のネットワークは変化に富んでいている。投資家とパートナー関係を結び、幅広い融資方法を編み出し、
顧客の中小企業が容易にベンチャー・キャピタルにアクセスできるようにしている。また、CSEM は大学との連携を通して大
学の研究に片足を置いており、技術移転等の連携によって産業界にも片足を置いているのである。技術の実用化の可能
性を診断することや新しい技術の獲得を求める中小企業に対してコンサルティングも行っている。センターはさらに、製品
の開発や製造のためにネットワークを使って業務を行っている。顧客は、彼らのためにネットワークが整備されるよう、CSEM
に要望している。
コメント
CSEM は、エレクトロニクスとマイクロ技術の広い活動分野で、大学の研究と企業との仲介役を果たしている機関である。
その主な成功例は、スイスにおけるスタートアップやスピンオフの創設となって現れ、このことはセンターの初期の目標に合
致している。
114
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
《Swiss Foundation for Research in Microtechnology》
概 説
Swiss Foundation for Research in Microtechnology(FSRM)は、1978 年の設立以来、研究機関として機能してきたが、
1978 年にそのミッションが変更され、このマイクロ技術分野における研究と継続教育の支援ならびに調整を行う組織となっ
た。FSRM は、主に中小企業の要望に応えて、技術移転を支援するサービスを行っている。また、これらの企業のスイス国
内のプロジェクトや国際的な共同研究プログラムへの参加も支援している。職業団体や任意グループ、また政府の研究開
発プログラムの事務局としても機能している。FSRM はニューシャテル大学の委任を受けて、国際的なプログラム及びイニシ
アティブに関する情報ネットワーク「ユーリサーチ」の支部、ユーリサーチ・ニューシャテルを運営している。
知のネットワーク
FSRM の理事長によると、FSRM が関わっている種々のネットワークは、特に、そのメンバーを通じた人的なつながりと
FSRM が提供している継続教育の講座を基盤としている。継続教育を介し、企業や職業団体、連邦政府と密接な関係を保
っている。
ニューシャテル大学との関係では、何よりも人とのつながりが大事だが、地理的な近さも非常に重要な役割を果たしてい
る。注目すべきは、ドロイ教授のマイクロ技術研究所(IMT)着任に向けて強力に働きかけたという点である。1980 年代に、
FSRM は、伝統的な時計産業をターゲットとしたマイクロエレクトロニクスとは別に、マイクロ技術の講座を導入するべく努力
をしていた。MEMS という新しい「コンテンツ」をもたらしたのがドロイ教授であり、FSRM は新しい講義開講のロジスティックを
担当した。クリーンルームにおける授業も提供した。このようにして FSRM が着手した講座(EMS-MEMS、エレクトロ・メカニカ
ルシステム-マイクロシステム)は、当時通常のプログラムがカバーする範囲外にあった。現在では、この分野の講座に、35
の機関と 60 人以上の講師陣(大学の助手、博士課程終了者、教授)が参加している。講師陣と講義を通してネットワークが
形成され、これがまた地域の振興を可能にしている。
他に関係を持つネットワークとしては、EU が実施している、技術革新伝達センター(CRI)が挙げられる。CRI のスイスの
拠点の一つはローザンヌ連邦工科大学の科学技術サポート・センター(Cast)にあるが、FSRM はそこと連携を取っている。
FSRM が組織・人レベルで持つネットワークは、各種機関にとって「ワンストップサービスの窓口」の役割を果たしている。こ
の分野のさまざまな当事者へのアクセスを可能にするとともに、FSRM はこうした当事者間の調整役を果たしている。しかし、
支援活動に徹しているために、目立たず、正当に評価がなされないことも事実である。
地域レベルのマイクロ技術分野の促進プログラムは連携推進に貢献している。
コメント
FSRM は、マイクロ技術分野で活動しているアクターに多様なサービスを提供している。また、この分野において、幅広い
講座を提供することによって、継続教育の中核としての役割を担っている。
《学術振興財団(SNSF)》
概 説
学術振興財団i(SNSF)は、1952 年に創設された。スイス連邦の委託のもとに、研究プログラムを促進し、国家研究拠点
(NCCR)の設立を進め、高等教育機関のみならず、他の機関の研究(特に基礎的な研究)にも補助金を支給している。
SNSF には、理事会、研究会議、それに事務局がある。上部機関は理事会で、学術界、連邦政府・州政府、経済界、文化
界の代表者によって構成されている。研究会議には 4 つの部局があり、プロジェクトの申請を審査し、補助金を支給するか
否かを決定する。15 の研究委員会がスイスの各地域に設置されており、新進の研究者への補助金支給、補助金申請の審
査の手伝いをしている。事務局はベルンにあり、理事会と研究会議のサポートを行うと共に、SNSF の財務・運営に関わる業
務を遂行している。2000 年に、研究と高等教育機関の後継者養成をサポートするために 3 億 6,020 万フランを支給した。
研究プロジェクトの参加者の 40%弱は外国人であった。
i
www.snf.ch を参照。
115
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
研究プログラム
トップナノ 21 はプロジェクトを通じて産学連携を具体化しているが、バーゼルが拠点となっているナノサイエンス国家研究
拠点は、ナノサイエンスは、医学、生命学、化学あるいは物理を含めた学際的なアプローチを通して、まったく新しい分野
に挑む研究であることから、IBM がパートナーとなってはいるものの、産業界のコミットメントはまだ強くはない。SNSF は、国
家研究プログラム NRP36 やトップナノ 21 にも資金援助している。このことは、経済省が管轄する職業教育・テクノロジー局
(OPET)と内務省管轄下の SNSF が協力体制を組んでいることを示している。SNSF のもう 1 つのプログラムは、同じくナノに
関する国家研究プログラム NRP47「超分子機能材料」(2000 年 4 月スタート)である。ここにもまた、別々に管理されているが
オーバーラップする部分も含む 2 つのプログラム(NRP47 とトップナノ 21)が並存している。
大学と産業界との協力関係は、どの施策を使うかによって異なる。ミナストやトップナノ 21、あるいは連邦工科大学局の管
轄のプログラムでは、「高等教育機関と産業界との間に、橋を架けること」が重要な要素となっているが、国家研究拠点も含
む SNSF が管轄するプログラムでは、「まだ存在していない分野の基礎的な研究やその立ち上げを助ける」ことが重視され
ている。特筆すべきは、この二つの異なるタイプのプログラムが並存することによって、研究促進を責務とする諸機関にお
いて役割分担が可能になっているという点である。
SNSF と CTI との連携は、国家研究プログラム NRP47 とトップナノ 21 プログラムの同時公募に象徴される。当時、両機関
長のルディ教授とグンテロ教授は共同で業務にあたった。二つのプログラムにおいて、プロジェクトの二重採用、二重助成
を避けるため、最初から共同でプロジェクトの分担を行った。現在では、定期的に連絡を取り、情報交換をするに至ってい
る。しかし、強調すべきことは、並行するプログラム間の協力はプログラムそのもののレベルではなく個人的なレベルでそれ
ぞれのイニシアティブで行われている点である。正確には、プロジェクト間で交流が行われたのは、ようやくこの二つのプロ
グラムの同時公募が実現した時であった。よって、ほかのプログラムではこのような連携を行っていない。しかし、国家研究
プログラム NRP36 の枠では、幾人かの専門家が同時にトップナノ 21 の委員会に属していたことから、彼らは、SNSF 第 4 局
に、どこに重点を置くべきかを示唆した。第 4 局のプログラムの責任者には、コーディネーションや重複の問題をチェックす
る義務が課せられている。よって、彼らは当初から、相反しそうな機関(OPET 等)と接触し、この問題に対応している。
このため、ほとんどのケースで、特にプログラムの準備期間中にチェック機能が働き、他の機関にプロジェクトが提出され
ているか否か確認することができる状況となっている。また、プログラムを設定する際、政治的判断が加わることも記しておく。
例えば NCCR ナノサイエンスのケースでは、この分野をスイスの重点課題とするか否かについて、連邦議会で審議する前
に、内務省と経済省で数回にわたって評価・検討された。こうして、科学的な見地から決定を下す SNSF ではなく、下院で
研究政策に関する質問に答える立場にある内務省が調整を行い、国家研究拠点とすることを決定した。
教育、研究、技術開発の促進に関する 2000 年から 2003 年の第一次科学技術助成計画が 1998 年に策定されたことは、
連邦政府の二つの省、つまり内務省と経済省との協力関係が円滑であることを示している。連邦政府の戦略を明確にする
2004 年から 2007 年にかけての第二次計画は、現在、両省が共同で準備にあたっている。
また、研究助成策や研究助成プログラムを継続するか、あるいはほかのプログラムに変更するかを決めるには、評価が
必要となる。重点研究開発プログラムが研究助成策として適切かどうかについての評価はこれまでに一度行われた。現在、
2001 年に始まった NCCR についての評価作業中であり、数年後には次に続く計画を決めるためにこの方策のインパクト評
価がなされるであろう。国の NCCR に関する評価は、拠点ごとに、毎年、国際的な専門家からなる国際評価パネルによって
行われる。専門家は海外から招集され、現場を視察する。評価は二つの段階で行われる。一つはプログラムの内容につい
て、もう一つは方策そのものについてである。NCCR の評価は、内務省の科学研究グループ(SRG)によって行われる予定
である。既に重要研究開発プログラム(PP)については、研究プログラムを運営した経験のあるスイスの隣国の専門家による
国際的なグループが組織された。評価作業はプロジェクトの中間報告、インタビューをベースとする。プログラムに参加して
いる研究者、企業、現場のパートナー、ターゲットとなる分野の関係者、議員を対象としてインタビューが行われる。評価の
基準は、SNSF の担当者のみならず、外部、通常は内務省の科学研究グループも含めて議論される。
内務省と経済省のコーディネーションを図る協力体制は、「上部で」把握しきれなかったニーズに応えるべく、SNSF と CTI
が自ら提案したものであった。パイロット委員会のほかに、SNSF の第 4 局(国家研究プログラム、NCCR 担当)内には、CTI
の代表が 1 人常駐し、議論に定期的に参加している。同様に、CTI には SNSF の代表が 2 人常駐している。さらに、市場と
116
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
じかにかかわり情報交換を確実にするために、年に 1 回、SNSF、特に産業界に最も近い第 4 局と CTI との会合が持たれて
いる。注目すべきは、ここには「違った帽子」を被り、各種機関を渡り歩いている人の存在である。
また、応用志向のプログラムを立ち上げるためには、まず、その科学分野が一定の成熟度に達していることと、潜在的な
可能性を持つ研究者がスイスにある程度集積していることが必要である。この点を視野に入れた上で SNSF は、まずその基
礎研究プロジェクトを立ち上げ、そして、第二段階で、目的を絞ったプログラムを登場させ、最終的に実用化に到達、という
シナリオを描いている。一例として、ミナスト、トップナノ 21、国家研究プログラム NRP36 ナノサイエンスを挙げることができる。
これらのプロジェクトでは、基礎研究志向の SNSF と応用研究志向の 1CTI が補完的に機能している。
国際的なレベル、特にヨーロッパレベルでのコーディネーションを保証するために、SNSF はブリュッセルにスイスコアと呼
ばれる「アンテナ」を置いている。この事務所はスイスと諸機関やヨーロッパ諸国との接触を保ち、ヨーロッパにおける科学
技術政策の大筋をフォローすることを目的としている。
最後に忘れてはならないのは、プログラムを立ち上げる時、SNSF はフィージビリティ・スタディを実施しなければならない
点である。このフィージビリティ・スタディには、国際的なレベル、特にヨーロッパレベルにおける研究の進捗状況とスイスの
プログラムの貢献度の予測が報告されることとなっている。
SNSF の財政と各局間の予算分に関しては、2001 年に NCCR が導入されたことに伴って第 4 局が拡充された。一般的に
基礎研究には約 80%、多少とも進んだ研究には約 20%が分配されていたが、この基準は NCCR の導入によって変化した。
NCCR の場合は、SNSF がテーマを設定するのではなく、研究者が研究テーマを自由に提案できる体制を取っている。
コメント
SNSF と CTI は、スイスの研究を促進する二つの主要な公的機関である。この目的のために、SNSF は基礎研究を対象と
するプログラムを、CTI は応用研究という大きな広がりのある研究プログラムを提供している。この二つの機関は、コーディネ
ーション、より正確には幾つかの分野でそれぞれの特別なプログラムを一緒に実施するという重要な挑戦に挑んでいる。こ
こで重要なのは、重複を避けると同時に、基礎研究から応用研究への移行を確実にすることである。
■ おわりに
(1)マイクロ・ナノ・システム・テクノロジー
時計産業の長い伝統を誇るスイス・ロマンド地方ではマイクロシステム分野の研究がさまざまな公的、私的機関で進めら
れたが、このことは、ニューシャテル地方において「マイクロ技術」分野のコンピテンス、ローザンヌ連邦工科大学においてメ
カトロニクスといった部分的にマイクロ技術とかかわる分野のコンピテンスが既に蓄積されていたことに大きく由来する。学
際的な環境とクリティカル・マスに達している研究活動の存在は、この分野の発展に拍車をかけることとなった。
特にニューシャテルが際立つマイクロシステムの開発、公的な機関のアクターの間に見られるコーディネーションと協力体
制、連邦工科大学、州立大学、応用科学系大学の間の役割分担、また民間企業との補完性、といったファクターがスイス・
ロマンド地方におけるマイクロシステムのパラダイムの出現を可能にし、同時にその将来の発展を支えている。また、短期的
に物を開発する能力を持つ応用科学系大学は、中長期を目指す大学を補う形で市場指向の研究と開発を行い、この地方
における知の移転において極めて重要な役割を果たしている。
スイスはマイクロシステムあるいは MEMS の大量生産では小さな役割しか担っていないが、マイクロシステムの研究にお
ける国際的なポジショニングは高く評価されている。連邦政府は、毎年、マイクロ技術とナノ技術の研究、それにその隣接
分野の研究に 3,000 万スイスフランを投じているが、これは人口 1 人当たりでは世界で最も高い額である(SWX スイス技術
交流コンサルティンググループ, 2001)。また、スイスは EU の加盟国ではないが、大学においても民間企業においても、研
究プログラムへのアクセス、研究者のモビリティー、財政の面で何らの不利益を蒙っていない。
117
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
(2)知のネットワーク
高等教育機関、産業、政府の間には異なるタイプの知のネットワークがあり、これによって知の生産が活性化される。例
えばローザンヌ連邦工科大学とニューシャテル大学との間といったセクター内のネットワーク、および、セクター間のネットワ
ークが存在する。その中には、契約をベースとする CSEM と IMT の関係、FSRM が効果的に活用するインフォーマルな人
のネットワークというように多種多様な形態のものを含む。また、これらの関係は、「マイクロ技術の中核」のように継続的なも
の、CTI あるいは SNSF のプログラムのように短中期的なものもある。トリプル・へリックス・モデルに象徴される状況にある。
スイス・ロマンド地方におけるマイクロシステム分野の公的・私的な種々の機関の間には、公式あるいは非公式、継続的ある
いは期限付きといった極めて多様な関係のネットワークが存在する。教育、研究、それにファンダリーといった多様な性格
のネットワークの存在は、補完関係にある機関の間に異なるタイプの交流を生む基礎となっている。
異なるレベルにおける相互補完性は、この地方のマイクロシステム開発で重要な役割を演じている。教育の分野では、ロ
ーザンヌ連邦工科大学、ニューシャテル大学、ニューシャテル州工業高等専門学校、CSEM が継続教育で補い合い、
CSEM は現場教育の場としても活用されている。またマイクロ技術センター、CSEM、コリブリス社は、ファンダリー・サービス
の面で互いに補い合う関係にある。1つのアイデアは、異なるフェーズに異なる人材、活動、研究環境を通過し、市場化さ
れていく。スイス・ロマンド地方においては、この推移が「自然に」行われている。
例えば、ニューシャテル大学のマイクロ技術研究所とローザンヌ連邦工科大学の間の公式なパートナーシップは教育と
研究の補完性を担保するものである。マイクロ技術の学生は両大学で講義を受けることが可能で、特にニューシャテル大
学の学生にはそれが義務付けられており、学生の交換が活発である。教官のレベルでも交流が多い。マイクロ技術研究所
の教授はローザンヌ連邦工科大学で高度な専門の講義をする。マイクロ技術研究所とローザンヌ連邦工科大学とのこのパ
ートナーシップにさらに CSEM が加わることにより、「マイクロ技術の中核」が形成された。連携して研究を企画・推進し、そ
れぞれの機関のなかに科学的・技術的なコンピテンスを構築していくことを目的としている。この枠のなかで、CSEM は自ら
がスポンサーとなっている修士および博士課程の学生をフォローしている。応用研究指向の HES からも、学生がニューシャ
テル大学とローザンヌ連邦工科大学に来て教育を受ける一方、HES の教授がニューシャテル大学とローザンヌ連邦工科大
学で幾つかの講義を担当している。
スイス、さらにはヨーロッパレベルでは、FSRM が産業界、学会、スイス全国やヨーロッパからやって来る教師陣を集めて
組織している講座を通して作られたネットワークがある。
委託研究および共同研究のプロジェクトが、マイクロシステム分野において、民間企業と高等教育機関とを結びつける基
本的な手段となっていることは、疑う余地がない。公的な補助を受けていようといまいと、このようなプロジェクトのおかげで、
異なる機関で働く人たちが一緒になり互いに知り合うようになった。ネットワークという概念が示すように、アクターが互いに
自由に議論を交わし、相手方の知識やサービスを活用する術を磨いていく。
産学連携の「カルチャー」を築くためには、スタートアップ企業やスピンオフ企業の創立が大きく貢献していることがこの
研究から明らかにされた。民間企業にとって、学位取得のための研究プロジェクトのフォローアップ、研修生の受け入れ、
学生のフェーラムへの参加といった、産学連携の別の選択肢も存在する。これらのチャンネルを民間企業はリクルートの手
段として活用することもできるが、そのような動きは現時点スイス・ロマンド地方にはあまりみられない。
高等教育機関と産業界との間に新たな連携のチャネルを加えることについて、特に「上」からの押し付の場合、産業界は
有益でないと考えている。すでに存在する連携構造に新たな行政的レベルが加わることを危惧している。このような発想は
スイスが「ボトムアップ」のアプローチを重視する長い伝統を持つ国であることに発している。
スイスの高等教育機関とマイクロシステム分野に関連する企業との連携を阻害する要因のなかに、大学と企業の使命の
違いをめぐる論争がある。長期的ビジョン対短期的ビジョンという違いが挙げられるが、応用研究志向の HES は、このギャッ
プを埋めることに少なからず貢献している。また研究プロジェクトの採択と実際の資金供与との間のタイムラグも阻害要因の
1つとなっている。
スイス・ロマンド地方を対象とした本研究では、マイクロシステム分野において異なる機関を結び付ける幾つかのネットワ
ークを確認するに至った。これらのネットワークはしばしば重複している。つまり、同時に異なるネットワークに加わっている
アクターが数多くいるということである。またネットワーク形成において地理的に隣接していることの重要性も確認された。仲
118
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
介機関の存在、つまり「ハード」面をカバーする CSEM とサービス提供といった「ソフト」面をカバーする FSRM の存在は、ス
イス・ロマンド地方ばかりでなく国のレベル、さらには国際的なレベルにおいても、マイクロシステム分野で活躍する異なる
当事者間の協力を促進する触媒の役割を果たしている。
(3)CSEM と FSRM
スイス・ロマンド地方のマイクロシステム分野で活躍している公的、私的な種々の機関と CSEM および FSRM との関係は、
一般に、良好で緊密であると評価できる。CSEM は、仲介役という使命を果たすことによって、一方で大学の研究あるいは
研究機関と連携し、他方で民間企業と投資家と連携している。またインフラ面でも高等教育機関と民間企業と補完的に機
能している。FSRM は、教育サービスの提供を別にすれば、マイクロシステム分野で活躍するアクター間の調整役を演じると
ともに、マイクロ技術の推進に貢献している。
このように、CSEM と FSRM は、イノベーションという鎖を構成する必要不可欠な二つの環をなしている。鎖は「アイデア」
から始まり、市場に投入される製品で完結する。活用可能な資源を効果的に分配することに、アクターは努力を集中し、設
備面のみならず、組織面でもコーディネーションを試みている。CSEM のスピンオフ企業は、ひとえに既存のネットワークを
広げるばかりでなく、コリブリス社の場合は異なるタイプのファンダリー・サービスをも提供している。
(4)政府とEUのプログラム
研究促進の施策として、国のレベルだけでなくヨーロッパのレベルにおいても種々の研究プログラムが、しばしば並行し
て存在する。マイクロシステム分野のアクターは、このポルトフォリオの中から、それぞれのニーズに従って、プロジェクトを
選択することができる。プロジェクトが基礎研究寄りの場合は SNSF の支援のもとに、応用研究寄りの場合は CTI へと振り分
けられる。どの施策を使うかは、該当するプロジェクトのパートナーの参加の度合いによって決められる。
ある分野における研究の進展の度合いに応じて、マッチするプログラムを活用し、また研究の進展状況に応じてプログラ
ムを立ち上げていくことにより、シンプルなプロジェクトから国家レベルのプログラムへと研究プログラムの鎖が出来上がる。
このプロセスには、補完性と連携という見地だけでなく、キックオフの段階にある研究分野に対してスイスのポジショニングを
おこなうという政治的な意思が刻まれている。
民間サイドにとって、CTI の重要性を再度指摘する。CTI はしばしば民間企業が大学の扉をたたくきっかけとなり、そのプ
ロジェクトは中小企業にとって重要な財政支援となるとともに教育効果をももたらす。さらに、HES と民間企業間の CTI プロ
ジェクトは、タイミングの問題を解消することに貢献する。HES は短期的な応用を指向しているため、民間企業の要望にじゅ
うぶん対応できるパートナーとなっているようである。
マイクロシステム分野で活躍するさまざまなアクターは、ミナストのような国家レベルの大型プログラムは産学連携に大きく
貢献してきたと確信しているが、批判も幾つかある。MINAST のような国家プログラムは、基礎研究あるいは応用研究という
視点からのみ、他のプログラムとのコーディネーションを考慮するのではなく、プログラムを効率的に実現するためには設備
投資の面でもコーディネーションも必要となる。また研究分野のプロフィールの決定、プロジェクトへの資金配分を早急に行
うことは避け、関係者へ施策に関する情報を随時提供するべきだという意見もある。この分野における新しいプログラムが
「トップダウン」で決めることに対する懸念を表したものと受け止められる。最後に、プログラムのインパクトを正確に判断する
には、そのプログラムの中長期にわたる効果を待って評価することが望ましい。
民間サイドは、国家レベルの研究プログラムは長期的な基礎研究の性格を持つことから、高等教育機関に主軸が置かれる
傾向があると指摘する。これらのプログラムは、企業にとって将来のパートナー、次に開発すべき技術を特定することを可能
にする。また、ヒアリングから、プロジェクトを立ち上げる際イニシアティブを取るのは産業界ではなく、むしろ高等教育機関で
あることが明白になった。EU のプログラムは、国レベルのプログラムと同様、申請の作成はかなり複雑であり、また基礎研究の
性格を帯びているが、異なるパートナーと研究所の間のネットワークの形成には多分に寄与していることもわかった。
本研究で確認された知のネットワークの存在は、経済社会の一連の転換を生む基盤となっており、スイス・ロマンド地方
のマイクロシステム分野で活躍するアクターの均衡のとれた「自然な」組織化を可能にしている。異なるレベルのネットワーク
と「仲介者」として機能する機関の存在、関連機関の補完性のもたらす効果が、さらに物理的な近さによって増幅され、この
119
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
地域においてマイクロシステムは飛躍を成し遂げることとなった。
このような環境の中、国内の異なる地域の間で、また当該分野で活躍する機関の間で激しい競争がくりひろげられ、その
結果として「スイス・メイド」のマイクロシステムのモデルが構築されたのである。
■ 参考文献
1.
Arrow, K. (1962), « The Economic Implications of Learning by Doing », Review of Economic Studies, 29, pp.
155-173.
2.
Baraczyk, H., Cooke, P. et Heidenreich, R. (éds.) (1996), Regional Innovation Systems, Londres, University of
London Press.
3.
Benninghoff, M. et Ramuz, R. (2002), « Transformation de l’action de l’Etat dans le domaine de la recherche : les cas
de la Suisse et de la France (1980-2000) », Les Cahiers de l’Observatoire, N° 07, Ecublens, Observatoire EPFL
Science, Politique et Société.
4.
Bush, V. [1945] (1980), The Endless Frontier, A Report to the President, New York, réimprimé par Arno Press.
5.
Carlsson, B. (éd.) (1995), Technological Systems and Economic Performance: The Case of Factory Automation,
Dordrecht, Kluwer.
6.
CMI (2001), Liste des principaux projets au Centre EPFL de Microtechnologie, Lausanne, EPFL.
7.
COGIT AG (2001), MINAST Industrial Impact Studie, sur commande du comité directeur des programmes prioritaires
du Conseil des EPF, Bâle.
8.
Conseil fédéral (1997), Rapport du Conseil fédéral sur la mise en œuvre de la politique de la Confédération en matière
de technologie, Berne.
9.
Conseil fédéral (1998), Message relatif à l’encouragement de la formation, de la recherche et de la technologie
pendant les années 2000 à 2003, Berne.
10.
Conseil fédéral (1999), « Rapport du Conseil fédéral sur les points essentiels de la gestion de l’administration »,
Rapport de gestion 1999, Berne, Chancellerie de la Confédération suisse.
11.
Cozzens, S. et al. (éds.) (1990), The Research System in Transition, Boston, Kluwer Academic Publishers.
12.
Curtis, S. (1999), « Networks make the most of Microsystems », Vacuum Solutions, IOP Publishing Ltd., 31 mars
1999, News Focus.
13.
Edquist, C. (éd.) (1997), Systems of Innovation, Londres, Pinter Publishers.
14.
Etzkowitz, H. et Leydesdorff, L. (1995), « The Triple Helix-University-Industry-Government Relations: A
Laboratory for Knowledge-Based Economic Development », EASST Review, 14(1), pp. 14-19.
15.
Etzkowitz, H. et Leydesdorff, L. (1996), « Emergence of a Triple Helix of University-Industry-Government
Relations », Science and Public Policy, 23.
16.
Etzkowitz, H. et Leydesdorff, L. (éds.) (1997), Universities in the Global Economy: A Triple Helix of
University-Industry-Governemnt Relations, Londres, Cassell Academic.
17.
Etzkowitz, H. et Leydesdorff, L. (2000), « « Le Mode 2 » et la globalisation des systèmes d’innovation
« nationaux »: le modèle à triple hélice des relations entre université, industrie et gouvernement », Sociologie et
Société, 32(1), pp. 135-156.
18.
Freeman, C. (1987), Technology Policy and Economic Performance : Lessons from Japan, Londres, Pinter Publishers.
19.
Freeman, C. (1995), « History, Co-evolution and Economic Growth », IASA Working Paper, 95-76, Laxenburg,
IASA.
20.
FSRM (2002), Rapport annuel 2001, Neuchâtel, FSRM.
21.
Gibbons, M. et al. (1994), The New Production of Knowledge : The Dynamics of Science and Research in
120
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
Contemporary Societies, Londres, Sage Publications.
22.
Gu, S. (1996), « Toward an Analytic Framework for National Innovation Systems », Discussion Paper Series, avril
1996, Maastricht, United Nations University, Institute for New Technologies (INTECH).
23.
Jantsch, E. (1972), Technological Planning and Social Futures, Londres, Cassell / Associated Business Programmes.
24.
Lepori, B. (2002), « Le financement public de la R&D en Suisse 1969-1998 », Les Cahiers de l’Observatoire, N° 5,
Ecublens, Observatoire EPFL Science, Politique et Société.
25.
Leydesdorff, L. (1997), « The Non-linear Dynamics of Sociological Reflections », International Sociology, 12, pp.
25-45.
26.
Leydesdorff, L. (2000a), « Are EU Networks Anticipatory Systems? An empirical and analytical approach », in D. M.
Dubois (éd.), Computing Anticipatory Systems – CASYS’99, Woodbury, NY, American Physics Institute.
27.
Leydesdorff, L. (2000b), « A Triple Helix of University-Industry-Government Relations », The Journal of Science &
Health Policy, Vol. 1, No. 1, 2000.
28.
Leydesdorff, L. (2001), « Knowledge-Based Innovation Systems and the Model of a Triple Helix of
University-Industry-Government Relations », papier présenté à la Conférence “New Economic Windows: New
Paradigms for the New Millennium”, Salerno, Italie, septembre 2001.
29.
Leydesdorff, L. et Oomes, N. (1999), « Is the European Monetary System Converging to Integration? », Social
Science Information, 38 (1), pp. 57-86.
30.
Lundvall, B.-Å. (1988), « Innovation as an Interactive Process : From User-Producer Interaction to the National
System of Innovation », in : G. Dosi, C. Freeman, R. Nelson, G. Silverberg, and L. Soete (éds.), Technical Change
and Economic Theory, Londres, Pinter Publishers, pp. 349-369.
31.
Lundvall, B.-Å. (éd.) (1992), National Systems of Innovation : Towards a Theory of Innovation and Interactive
Learning, Londres, Pinter Publishers.
32.
Lundvall, B.-Å. (1997), « National Systems and National Styles of Innovation », papier présenté à la 4e Conférence
Internationale de l’ASEAT (Advances in the Sociological and Economic Analysis of Technology) : « Differences in
« styles » of technological innovation », Manchester, 2-4 septembre 1997.
33.
Maillat, D. et al. (1993), L’industrie microtechnique en Suisse, Neuchâtel, EDES, Institut de Recherches
Economiques et Régionales.
34.
Mc Kelvey, M. (1991), « How Do National Systems of Innovation Differ? A Critical Analysis of Porter, Freeman,
Lundvall and Nelson », in : Hodgson, G. and Screpanti, E. (éds.), Rethinking Economics: Markets, Technology and
Economic Evolution, Londres, Edward Elgar.
35.
Nelson, R. (éd.) (1993), National Innovation Systems: A Comparative Study, New York, Oxford University Press.
36.
Nelson, R. (1994), « Economic Growth via the Coevolution of Technology and Institutions », in Leydesdorff, L. and
van den Besselaar, P. (eds.), Evolutionary Economics and Chaos Theory: New Directions in Technology Studies,
Londres, Pinter, pp. 21-32.
37.
OCDE (1997), National Innovation Systems, Paris, OCDE.
38.
OCDE (2000), A New Economy ? The Changing Role of Innovation and Information Technology in Growth, Paris,
OCDE.
39.
OCDE (2001), Principaux indicateurs de la science et de la technologie, Vol. 2, Paris, OCDE.
40.
OFFT (2001a), Réseaux de compétences nationaux des Hautes écoles spécialisées, Mission, Berne, OFFT.
41.
OFFT (2001b), Soutien financier des réseaux de compétences nationaux des Hautes écoles spécialisées, Berne,
OFFT.
42.
OFFT (2002), Charte de l’Office fédéral de la formation professionnelle et de la technologie, Berne, OFFT.
43.
OFS (2002), Indicateurs « Science et Technologie », Neuchâtel, OFS.
121
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
44.
Perret, T. et al. (2000), Microtechniques et mutations horlogères, Hauterive (Suisse), Editions Gilles Attinger.
45.
Pfister, M. (1995), Microtechniques et Réseaux d’Innovation, thèse présentée à la Faculté de droit et des sciences
économiques de l’Université de Neuchâtel, Neuchâtel, Imprimerie de l’Evole SA.
46.
Porter, M. (1990), The Competitive Advantage of Nations, Londres, MacMillan.
47.
Rip, A. et Van der Meulen, B. (1996), « The Post-modern Research System », Science and Public Policy, 23(6), pp.
343-352.
48.
Romer, P. (1986), « Increasing Returns and Long Run Growth », Journal of Political Economy, 94, pp. 1002-37.
49.
Sábato, J. (1975), El pensamiento latinoamericano en la problemática ciencia-technología-desarrollo-dependencia,
Buenos Aires, Paidós.
50.
Sábato, J. et Mackenzie, M. (1982), La producción de technología. Autónoma o transnacional, Mexico, Nueva Imagen.
51.
Schoenenberger, A. et Zarin-Nejadan, M. (2001), L’économie suisse, coll. « Que sais-je ? », No. 2875, 3e éd., Paris,
Presses universitaires de France.
52.
Sheshinski, E. (1967), « Tests of the Learning by Doing Hypothesis », Review of Economics and Statistics, 49 (4), pp.
568-578.
53.
SWX Swiss Exchange et Swiss Technology Consulting Group AG (2001), The Swiss network of competency in micro-
and nanotechnology, Zurich.
54.
Thompson Klein, J. et al. (eds.) (2001), Transdisciplinarity: Joint Problem Solving among Science, Technology, and
Society, Bâle, Birkhäuser.
55.
Viale, R. and Ghiglione, B. (1998), « The Triple Helix Model: a Tool for the Study of European Regional Socio
Economic Systems », IPTS Report, Vol. 29.
56.
Ziman, J. (1994), Prometheus Bound: Science in a Dynamic Steady State, Cambridge, Cambridge University Press.
122
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
5. バイオテクノロジー分野の S-T-I ネットワークに関する調査・分析
経済産業研究所
中村 吉明
■ はじめに
2000 年 6 月 26 日、国際ヒトゲノム計画プロジェクトとアメリカのバイオ・ベンチャー企業セレラ・ジェノミクスがヒトゲノムの全
貌を明らかにしたと宣言した。同時に、クリントン大統領とブレア首相も出席して大規模なセレモニーが開催され、クリントン
大統領は「人類のもっとも偉大な一歩である」とその歴史的な意義を強調した。このイベントをさかのぼること数年前から、ヒ
トゲノムを含め多くの動植物のゲノム解読が行なわれ、それを創薬の生成等のビジネスにつなげようという動きが世界規模
で盛んになってきた。日本の企業も例外ではなく積極的にバイオテクノロジー産業に参入している。それに呼応するような
形で、小渕元首相は「ミレニアム・プロジェクト」iを提唱し、そのミレニアム・プロジェクト予算の 1200 億円の内、640 億円をバ
イオテクノロジー分野に配分し、政府資金を集中的にバイオテクノロジー分野に投入した。また、学も上記の国際ヒトゲノム
計画に参加し、量的には6%にとどまったものの、染色体の 21 番と 22 番の解読において質的に大きな貢献をした。このよう
に、日本でも、産学官がそれぞれバイオテクノロジー分野に関心を強めている。
一方、米国では、日本以上に NIH(国立衛生研究所:National Institutes of Health)が中心となって産学官のバイオテクノ
ロジー分野の研究開発を推進している。このような産学官で研究開発を進めてきた研究者の中には、この成果をビジネス
に活かそうと、上記のセレーラ・ジェノミクスをはじめとしたバイオ・ベンチャー企業を創設し、市中から大量の資金を獲得し
て、大規模なビジネスを始めている。
このような動きは日米に限られた話ではなく、欧州も同様な動きを示しており、全世界的にバイオテクノロジー分野の研
究開発の加速度的な実施とそれらをビジネス化する動きが顕在化している。
しかしながら、翻ってみると、「バイオテクノロジー」の定義もその市場規模などの現状も必ずしも明らかになっていないの
が現状である。本稿では、まず、その現状を明らかにすることから始める。すなわち、日本のバイオテクノロジー産業の現状
を各種の指標等を用いて明らかにする。その上で、バイオテクノロジー分野の S-T-I ネットワークの関係を「連鎖モデル」を
用いて説明する。次に、バイオテクノロジー分野において「産」と「学」の仲介機能の役割を果たしているバイオ・ベンチャー
企業の実態を明らかにする。さらに、日本のバイオテクノロジー分野の政策決定メカニズムを明らかにする。最後に、今まで
の議論をまとめて論述する。
■ バイオテクノロジーの定義と現状
(1)バイオテクノロジーの定義
バイオテクノロジーの定義は何だろうか。例えば、日本バイオ産業人会議・バイオ産業技術戦略委員会 [1999]では、
「「バイオテクノロジー」は、組換え DNA 技術、細胞融合技術、バイオプロセス技術などのモダンバイオテクノロジーを指し、
「バイオテクノロジー産業」とは、このバイオテクノロジーを使った産業を指す。」としている。これは、日本の伝統的な発酵醸
造分野を含んでいない、モダンバイオテクノロジーに特に注目した狭義の定義である。
小渕元総理は、平成 11 年 7 月 30 日の閣議で、「経済新生特別枠」(公共・非公共合わせて 5,000 億円)の設
立を決め、その予算編成過程において、総理自身が優先度合いについて仕分けを行い、予算配分を行なうことと
した。そのうち、特に、非公共の特別枠を、新たな千年紀を迎えるに当たり、省庁横断的な取り組みと官民の十
分な連携の下、戦略的かつ重点的な産学官共同プロジェクト、いわゆるミレニアム・プロジェクト(情報化・高
齢化・環境対応)と名づけた。その具体化については、要望段階から、内閣官房を中心として関係省庁の協力の
下、調整を行なった。
i
123
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
一方、発酵醸造分野のいわゆるオールドバイオから、最近の遺伝子改変技術を含む広義の定義としている例もある。相
澤英孝 [1994]は、「バイオテクノロジーは、生物を利用する技術と生物を作る技術と定義することができるであろう。バイオ
テクノロジーの技術には、伝統的な技術とニューバイオテクノロジーと呼ばれる新技術がある。ニューバイオテクノロジーに
は、DNA 操作技術、細胞操作技術、受精卵・初期胚の操作技術などの技術がある。」としている。
上記は、バイオテクノロジーの定義の中で、特にその範囲に注目して論じてきたが、次に、具体的にどのような機能を持
ったものをバイオテクノロジーとしているかを考える。具体的な事例をみると、21 世紀のバイオ産業立国懇談会 [1998]では、
「バイオテクノロジーとは、組換え DNA 技術や細胞融合等、基礎的な生命科学の成果を工業的に応用する技術である。そ
の応用は、化学工業、医薬品工業、農林畜産水産業、電子・機械産業、情報産業、環境・エネルギー産業など広範な産業
に及ぶ。」としている。また、歌田勝弘 [2001]は、バイオテクノロジーの定義を、「生物の機能を利用し、人類に必要な製品
やサービスを提供する技術である」としている。以上を要約すると、基礎的な生命科学の研究成果を工業化・商業化する技
術としていると解される。
これら範囲と機能に関する両面の定義を踏まえ、経済産業省製造産業局生物化学産業課 [2001]は、「「バイオテクノロ
ジー」とは、生体が有する物質変換機能、情報変換・処理・伝達機能、エネルギー変換機能を利用し、又は模倣する技術
をいう。これらの技術は、例えば以下のような面で利用・実用化されている。また、組換え DNA 技術、細胞融合、動植物細
胞培養等のいわゆる「ニューバイオテクノロジー」だけでなく、従来型の発酵・醸造技術、培養技術、変異処理技術等を含
んでいる。
①生物化学的プロセス(有用物質の生産、エネルギーの発生、環境浄化等)
②優れた新機能を持つ物質、物体、酵素、微生物、動植物の創出
③高度の生命現象の利用(遺伝子治療、診断技術、人工臓器等)
④生体機能を利用または模倣した鋭敏かつ特異性の高い検知、測定、情報伝達技術(バイオセンサー、バイオコンピュー
タ等)
⑤生命現象の解明の研究」としている。
しかしながら、翻ってみると、最近の世界的なバイオテクノロジー分野の技術革新の潮流は、ゲノムレベルのデータを活
用して新たな技術革新を目指すような「ニューバイオテクノロジー」にある。以上を踏まえ、本稿におけるバイオテクノロジー
の定義は、「近年の遺伝子組換え、ゲノム解析等の分野において、基礎的な生命科学の研究成果を工業化・商業化する
技術」とする。
具体的にはバイオテクノロジーは、どのように応用されるのであろうか。例えば、前述の 21 世紀のバイオ産業立国懇談会
[1998]では、「(バイオテクノロジーの)応用は、化学工業、医薬品工業、農林畜産水産業、電子・機械産業、情報産業、環
境・エネルギー産業など広範な産業に及ぶ。」としている(図1)。すなわち、バイオテクノロジーは、既存の標準産業分類で
は特定できない業際的で広範な産業と解される。以下では、バイオテクノロジーの分野にどのような企業が参入しているの
かを論ずる。まず、バイオテクノロジーの応用分野で最も知られているのが医療(バイオ薬品、遺伝子治療)であろう。この
分野に参入している主な企業は、武田薬品、山之内製薬等の製薬会社のほか、メディネット、メドジーン、ジェネティックラ
ボ、キャンバス等大学関係の研究者がベンチャー企業を起こし、医療機関等と連携してビジネスを行なっている例などがあ
る。情報(バイオインフォマティックス)については、日立製作所、富士通等のコンピュータ・半導体メーカが参入しているほ
か、医薬分子設計研究所、ファルマデザイン等創薬につながる化合物を探索するバイオ・ベンチャー企業のほか、セレスタ
ー・レキシコ・サイエンシズ、ダイナコム等の既存のゲノム関係のデータベースを効率的に使い、新たな化合物を探索するソ
フトウェアを開発するバイオ・ベンチャー企業がある。化学・発酵(バイオケミカル)については、三菱化学や住友化学工業
が実験用試薬や医療用試薬などの高付加価値なファインケミカル製品等を製作している。宝酒造、日立ソフトウェア、オリ
ンパス等は DNA チップを製作しており、これは電子(バイオエレクトロニクス)に該当する。この分野も、DNA チップ研究所、
TUM ジーン等のいくつかのベンチャー企業が参入してきている。また、DNA シーケンサーは島津製作所、日立製作所等
が製造しており、これは機械(バイオメカニクス)に該当する。環境(バイオレメディエーション)については、土壌等のダイオ
124
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
キシン類やトリクロロエチレンをバイオテクノロジーの力を借りて無害化している荏原製作所、栗田工業等が挙げられる。農
業・食品(人工種子、機能性食品)については、青いカーネーションを作ったサントリーやサカタのタネ、キリンビール等が
関与しているが、ヒトが摂取する遺伝子組換え食品については、日本ではパブリック・アクセプタンスが得られず、現段階で
は、日本ではほとんど生産されていない。
図Ⅵ―1
アミノ酸
洗剤用酵素
試薬
制限酵素
DNA 解析ソフト
バイオチップ
蛋白質機能解析ソフト
バイオコンピュータ
化学・発酵
バイオセンサー
バイオ
情報
バイオ
ケミカル
バイオ
インフォ
電子
エレク
マティ
トロニ
クス
クス
バイオ
テクノロジー
バイオ
医療
バイオ
薬品
メカニ
遺伝子
クス
人工種子
ヒトインシュリン
バイオレメ
機能性
ディエー
食品
インターフェロン
機械
DNA 解析装置
ション
農業・
マイクアク
環境
チュエーター
食品
組換えトマト
トリクロロエチレン分解
組換えダイズ
ダイオキシン分解
注)21 世紀のバイオ産業立国懇談会[1998]より抜粋
125
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
(2)日本のバイオテクノロジーの現状
① バイオテクノロジー関連産業の規模の推移
上述のとおり、バイオテクノロジー産業はその対象分野が多岐にわたり、標準産業分類では把握できないため、既存の
政府統計でその規模を把握することは難しい。唯一、時系列的に比較可能な統計は日経バイオテク [1990, 1992, 1993,
1994, 1995, 1996, 1997, 1998, 1999]である。本統計は、ニューバイオテクノロジーを対象とした統計であるi。これをもとに日
本のバイオ商品市場及び関連市場iiの推移をグラフ化すると図Ⅵ-2の通りになるiii。1999 年の総額は、1兆 2409 億円であ
り、1998 年の 1 兆 1562 億円より、7.3%増加した。最近でこそ伸び率が鈍化しているが、1990 年の 2954 億円に比較すると
4.2 倍の大幅増である。このバイオ商品市場及び関連市場の太宗を占めるのが遺伝子操作であり(1999 年で全体の
67.2%を占めている)、この遺伝子操作は、バイオ医薬品や遺伝子組換え酵素や遺伝子組換え食物が占めている。ただし、
遺伝子組換え食物のほとんどが輸入品であり、国内での生産は皆無である。
平成 12 年 3 月 31 日現在で実施した「平成 12 年度バイオ産業創造基礎調査」iv(経済産業省製造産業局生物化学産業
課 [2001])を基にバイオ産業を概観する。まず、1999 年度のバイオテクノロジー関連製品の年間出荷額vをみると約 6 兆
945 兆円である。本調査は、ニューバイオテクノロジーに加え、オールドバイオテクノロジーも含めたバイオ統計であるため、
上記のニューバイオテクノロジーのみを対象とした日経バイオテクの調査結果とは異なる数値となっている。分野別にみる
と、「食品」が約 4 兆 2,744 億円(70.1%)と最も多く約 7 割を占め、次いで「医薬品・診断薬・医療用具」が 8,450 億円
(13.9%)となっている。上記の日経バイオテクと比較するため、従来型の発酵技術、培養技術、変異処理
i
ただし、本統計は、各カテゴリーの定義が明確でないほか、数値自体の出所も明らかにされていないため、全体
の動きをみるのには適切であるが、個別の動きを見るのには信頼性が低いと思われる。
ii 本統計におけるバイオ商品市場は、遺伝子操作技術、細胞融合技術、細胞培養技術を用いた製品を集計してい
る。一方、バイオ関連市場は、酵素などを利用した製品や、研究支援機器、サービスなどを中心に集計している。
いずれにしても、本統計のバイオ商品市場及びバイオ関連市場は、いわゆるニューバイオテクノロジーを対象と
している。
iii
本統計は日本のバイオ商品市場及び関連市場の推移を示したものであり、国内生産額だけではなく、輸入額も
含まれている。
iv
バイオ産業創造基礎調査は、日本のバイオ産業の実態を明らかにし、今後のバイオ産業の振興にかかる基礎資
料を得ることを目的として行われた承認統計調査である。本調査は平成 12 年度が初年度であり、調査対象は、平
成 11 年通商産業省企業活動基本調査名簿、財団法人バイオインダストリー協会会員名簿、社団法人バイオ産業情
報化コンソーシアム会員名簿、社団法人農林水産先端技術産業振興センター会員名簿等から選定した企業である。
なお回収率は、45.5%である。
v
この年間出荷額は、国内で生産されたバイオテクノロジー関連製品等に係る出荷額(消費税を含む。)である。
この出荷額は、輸出額を含んでいる。
126
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
図Ⅵ-2 日本のバイオ商品および関連市場の推移
14000
12000
10000
その他
センサー
食品
医薬・ファインケミカルズ
分離・分析用機器試薬
細胞培養
細胞融合
遺伝子操作
8000
億円
6000
4000
2000
0
90
91 92
93 94
95 96
97 98
99
技術等、及び従来型の生物による環境汚染処理技術(活性汚泥処理、メタン発酵、コンポスト化処理等)などのオールド
バイオテクノロジーを除くと、9,632 億円となる。これは、日経バイオテク統計の 1 兆 2,409 億円に該当する。したがって、2
つの統計をもとに考えると、本稿でいうバイオテクノロジー分野の市場規模は、1 兆円程度ということができよう。一方、オー
ルドバイオテクノロジーの主要部分は食品分野であり、その 99.8%がビール、チーズ、ヨーグルト等の従来型の発酵技術、
培養技術、変異処理技術等である。
② バイオ関係学位取得者数の推移
以下では、1980 年から 1998 年までの日本と米国の学位取得者数を比較する。日本のデータは、文部省 [1981~1999]
を基に「生物学・薬学」の学位取得者を抽出し、米国のデータは、National Science Foundation [2001a]を基に「Biological
science」iの学位取得者を抽出した。日米を比較する上で、大学、大学院の制度が異なるために必ずしも単純に比較できな
い。例えば、米国のメディカル・スクールは大学院であり、そこへ入学する人のほとんどが、学部時代に生物学を専攻する
傾向にある。また、米国の薬学部は薬剤師養成学校の色彩が濃いが、日本の場合、基礎医学の研究を行っている場合が
多い。さらに、日本の場合、論文博士という固有の制度があり、医者の経験を積んだ後、大学に論文を提出し医学博士を
取得する場合が多い。これらの人々は、バイオテクノロジー分野の研究者でない場合が多い。このような日米の違いを踏ま
えて、日米のバイオ関係学位取得者数を比較するのは困難なため、今回は、上記の違いを若干考慮に入れて、日本では、
「生物学・薬学」の学位取得者を、米国では、「Biological science」の学位取得者を対象として比較したii。
まず、最新年の 1998 年の博士号取得者をみると(表Ⅵ-1)、日本の 476 人に対し、米国は 5,854 人であり、日本の 12.3
「Biological science」は、生化学・生物物理学、生物学一般、植物学、細胞・分子生物学、生態学、遺伝学、微
生物学、栄養科学、薬学、生理学、動物学等からなっている。一方、
「Biological science」は、
「Agricultural sciences」
と別項目となっているため、農学が含まれていない。また、この National Science Foundation [2001a] のデータ
はサイエンティストやエンジニアの博士取得数を記載しており、MD(Medical doctor)の数を含んでいないため、
医学博士は含まれていない。
i
ii
正確に日米のバイオ関係学位取得者数を比較するためには、博士の場合、個別の論文を一つづつチェックして
カウントするという方法が有益であると思われる。この場合でも、修士、学士の場合、米国は論文提出が義務で
ない場合もあるので、単純に比較できない。
127
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
倍の人が米国で博士号を取得しているi。また、学士号取得者も日本の 10,914 人に対し、米国は 67,112 人であり、日本の
6.1 倍の人間が米国で学士号を取得しているii。
次に、1980 年に対する 1998 年の日本の学士及び博士号取得者の伸び率は、それぞれ 1.3 倍、2.5 倍であり、米国の伸
び率の 1.4 倍、1.5 倍である。これをみる限り、日本は論文博士の寄与が相当高いということを考慮に入れても、近年、日本
のバイオ関連の博士取得は増加している。ちなみに「生物学」に限ってみると、1980 年に対する 1998 年の日本の学士及び
博士号取得者の伸び率は、それぞれ 2.3 倍、2.4 倍であり、これだけみると、従来言われている日本の大学の定員は柔軟
性がなく、ある産業が急成長しているときに大学の定員が伸びず、当該産業が衰退するころに大学の定員が増えるというこ
とは必ずしも言えないことがわかる。いずれにしても、学位取得者の絶対量が日米で大きく違い、米国と対等に競争してい
くためには、日本のバイオ関係の学位取得者については、今以上の大幅増が必要と思われる。
表 Ⅵ - 1 バ イ オ 関 係 学 位 取 得 者 数 の 推 移
1980
1981
1982
1983
1984
1985
1986
1987
1988
1989
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
日 本
学士
修士
8729
780
9369
849
9174
901
9086
999
8843
1055
9072
1093
9009
1158
9401
1229
9822
1302
9425
1388
10131
1422
10238
1557
10054
1601
10194
1738
10184
2000
10688
2191
10850
2320
10996
2419
10914
2607
博士
194
220
209
232
214
254
234
233
247
263
301
270
263
300
360
384
402
439
476
米国
B ac he lo r's M aste r's
47111
6536
44046
6015
42427
5931
40883
5741
39639
5440
39405
5095
39509
5048
39047
4999
37688
4810
36949
4953
38040
4893
40351
4806
43892
4848
47989
4840
52321
5276
56890
5495
62081
6286
65139
6594
67112
6368
D o c to ra l
38 0 3
38 0 3
38 9 3
37 4 1
38 8 0
37 9 3
38 0 7
38 3 9
41 1 1
41 1 6
43 2 8
46 5 0
47 9 9
50 9 2
52 0 3
53 7 6
57 2 3
57 8 6
58 5 4
( 注 ) 日 本 の デ ー タ は 文 部 省 「 学 校 調 査 基 本 報 告 書 」 (1 9 8 1 ~ 1 9 9 9 )
米 国 の デ ー タ は N a tio n a l S c ie n c e F o u n d a tio n「 S c ie n c e a n d E n gin e e rin g
D e gre e s:1 9 6 6 - 9 8 」(2 0 0 1 ) よ り 入 手
③ 遺伝子工学関連の出願特許件数の推移iii
日本の博士号取得者を「生物学」に限定すると、1998 年の博士取得者は 240 人であり、米国の「Biological science」
の博士取得者は、日本の 24.4 倍である。また、日本の博士号取得者を「生物・薬学・医学・農学」として、バイ
オテクノロジー分野の博士号取得者を最大限広義に捉えても 4,107 人であり、米国の「Biological science」の博
士取得者より少ない数値となっている。
i
日本の学士取得者を「生物学」に限定すると、1998 年の学士号取得者は 2,121 人であり、米国の「Biological
science」は、日本の 31.6 倍である。また、日本の学士取得者を「生物・薬学・医学・農学」として、バイオテク
ノロジー分野の学士取得者を最大限広義に捉えても 35,082 人であり、米国の「Biological science」の学士取得者
より少ない数値となっている。
ii
本データは、PATLIS (PATent On-Line Information System)を利用して集計した。日本に出願される特許は、
公開特許(出願日から 18 ヶ月後に出願の内容を公開される特許)と公表特許(PCT(特許協力条約)に基づき、
日本に外国語で出された国際出願の翻訳を公表されるもの)と再公表公報(国際事務局(WIPO)により既に国際
公開されている国際出願を第三者の便宜のために再度公開されるもの)の合計とした。外国人出願比率を計算す
iii
128
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
まず、日本の遺伝子工学関連の特許出願件数をみると、1980 年に 40 件だったものが、2000 年に 2,496 件となり、1980
年と比較すると 60 倍以上となった。これは、当該分野の技術革新が著しいことと、研究者、企業レベルで先行者利益を取
得するために特許取得競争が激しくなっていることを示している。特に、米国では、最近になって、バイオテクノロジー分野
の研究結果の多くが、特許になじむものと判断されるようになった(Nelson [2001])といわれており、日本も多少なりとも同様
な現象が起こっているものと思われる。次に、出願先国別のバイオテクノロジー基幹技術特許iの出願件数とその外国人出
願比率をみると(表Ⅵ-2)、出願先国が日本、米国、欧州のいずれかであっても、米国人の出願比率が高くなっている。こ
のことは、バイオテクノロジー基幹技術に関する競争力について、米国が抜きん出ており、日本の当該分野の競争力がそ
れほど強くないことを示している。
表Ⅵ-2 バイオテクノロジー基幹技術特許出願件数の推移
出願先国
日本
米国
欧州
日本
米国
欧州
全体
日本
米国
欧州
全体
日本
米国
欧州
全体
1990
1991
1992
(38.5%)
701
(40.4%) 581
(37.5%) 632
(40.0%) 619
(39.9%) 640
(39.0%)
695
348
(20.0%) 336
(21.7%) 331
(20.2%)
1,736
1,550
1,642
126
(10.1%) 111
(8.9%)
143
(10.5%)
871
(70.0%) 871
(69.7%) 918
(67.7%)
260
(20.9%) 261
(20.9%) 279
(20.6%)
1,245
1,249
1,356
(10.0%)
176
(12.4%) 139
(10.5%) 145
(51.6%)
769
(54.1%) 711
(53.7%) 745
474
(33.3%) 453
(34.2%) 514
(35.6%)
1,422
1,323
1,445
1993
606
(35.1%)
759
(43.9%)
331
(19.2%)
1,728
123
(7.8%)
1,112 (70.7%)
273
(17.4%)
1,573
153
(9.6%)
903
(56.5%)
502
(31.4%)
1,597
1994
650
(33.9%)
768
(40.1%)
443
(23.1%)
1,917
143
(8.4%)
1,223 (71.6%)
319
(18.7%)
1,708
158
(8.6%)
952
(51.9%)
655
(35.7%)
1,835
1995
655
(32.0%)
855
(41.7%)
461
(22.5%)
2,050
128
(7.7%)
1,293 (77.3%)
253
(15.1%)
1,673
179
(8.5%)
1,137 (54.0%)
707
(33.6%)
2,107
(注)特許庁[2001]より
④日米のバイオ関連予算の推移
日本のバイオ関連の当初予算を見ると、2001 年度予算は 2,849 億円と 2000 年度予算に比べて、7.1%の増加となって
いるii。これは最近のバイオブームを背景に、安定的に増加していることを示しているが、省庁別の割合を見ると、その割合
には大きな変動がみられない。これは、バイオ予算でも重点配分が必要なところに臨機応変に配分されていないことを示
唆するものと思われる。省庁別割合の若干の変化は、厚生労働省の予算割合の減少と旧科学技術庁の予算割合の増加
によるものでる。
表Ⅵ-3 日本のバイオ関連予算
経済産業省(旧通産省)
農林水産省
厚生労働省(旧厚生省)
旧文部省
旧科学技術庁
合計
予算額(億
円)
1997
1998
175
173
216
219
662
715
246
263
402
461
1701
1831
1999
173
259
754
275
598
2059
2000
272
311
850
429
798
2660
2001
299
323
893
426
908
2849
省庁別割
合(%)
1997
10.29
12.70
38.92
14.46
23.63
100.00
1998
9.45
11.96
39.05
14.36
25.18
100.00
1999
8.40
12.58
36.62
13.36
29.04
100.00
2000
10.23
11.69
31.95
16.13
30.00
100.00
2001
10.49
11.34
31.34
14.95
31.87
100.00
(出所)経済産業省資料
一方、米国のバイオ関連予算の推移をみると、2002 年の米国連邦政府のライフサイエンス研究予算は約 182 億ドル(1 ド
ル 120 円とすると 2 兆 6,645 億円)となっている。ただし、この数値は連邦政府の研究費のみの数値であり、連邦政府の開
発費や施設建設費を含めるとより大きな数値となる。
るため、上記の数値から 47 都道府県に居住する出願者を割り出し計算した。
i 特許庁 [2001] は、「バイオテクノロジー基幹技術」をバイオテクノロジーの中核技術とし、「遺伝子組換え技
術」、「遺伝子解析技術」、「発生工学技術」、「蛋白工学技術」、「糖鎖工学技術」、「バイオインフォマテ
ィックス」の6つの技術から構成されているとしている。
これらの数値は当初予算の推移を示したものであり、1998 年度の 2 つの補正予算、1999 年の 1 つの補正予算、
2000 年度の 1 つの補正予算は含まれていない。2002 年以降の数値は省庁が再編されたため公表されていない。
ii
129
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
表Ⅵ-4 アメリカ連邦政府のライフサイエンス研究予算(100万ドル)
1996
1997
1998
1999
2000
分野
5309.9 5320.2 5706.6 6477.6 10740.0
生物学(Biology)
環境生物学(Enviromental Biology) 704
582.5
604.5
720.6
740.0
農業(Agricultural)
616
641.3
762.8
849.4
895.0
医学(Medical Sciences)
4973.4 5532.7 5996.3 6801.2 4463.8
その他(Other)
461.1
584.6
487.4
573.6
1125.9
2001
2002
合計
12064.4 12661.3 13557.6 15422.4 17964.7 21118.1 22204.3
(注)2000、2001年度の分野別内訳は未発表。
(出所)National Science Foundation, "Federal Funds for Research and Development"
(http://www.nsf.gov/sbe/srs/nsf02321/pdfstart.htm)
ここで、日米のバイオ関連予算について考える。日本のバイオ関連予算については、その範囲について明確なクライテリ
アがある訳ではなく、各省庁の「ライフサイエンス予算」の公表値を足しあげただけである。一般的に、研究施設等の建設費
は当該項目に入っておらず、いわゆる人件費や研究開発機器費や消耗品費等の研究開発費の総計である。ただし、科学
研究費のように申請方式で予算要求時にはライフサイエンス関係の研究費が不明なものや、独立行政法人の運営費交付
金のように、独立行政法人の研究機関でライフサイエンスの研究を行っている部署がどの程度予算を使ったかが明確でな
く、その意味では、日本のバイオ関連予算を正確に表わしていない。
一方、米国のライフサイエンスの研究予算は、明確な定義のもと各省庁が支出した額を用途別に公表している(National
Science Foundation [2001b])。正確には、研究(Research)と開発(Development)と施設建設費(R&D plant)に分けて計上さ
れている。表Ⅵ-4 では、分野別の支出が明確な研究(Research)費を示したi。研究は科学的な知見の向上に寄与するスタ
ディのことをいい、開発(development)の研究から得られた知見を生産に活用するための経費と一線を画している。
したがって、日米のバイオ関連予算は、その内容の違いにより正確に比較することは困難であるが、少なくとも日本のバイ
オ関係予算は米国のそれと比較して大幅に低い値を示している。
⑤ 学術論文数と論文インパクトの国際比較
論文の「質」を評価するために、論文引用数を活用して各国別の論文の相対インパクトをみる(Beuzekom[2001])(表Ⅵ
-5)。これは、Science Citation Index (SCI)を基に作成したもので、論文引用数の各年の各国平均が 1 である。これをみると
日本の論文の相対インパクトは他の OECD 諸国と比較して低いものとなっている。このことから日本は多数の学術論文を出
している割には、その「質」の面では諸外国に劣っているといえる。
表5 バイオテクノロジーおよび応用バイオテクノロジーの国別相対インパクト
表Ⅵ-5
1986
ベルギー
カナダ
デンマーク
フィンランド
フランス
ドイツ
イタリア
日本
オランダ
ノルウェー
スペイン
スウェーデン
スイス
イギリス
アメリカ
1987
0.5
1.0
0.6
1.4
0.6
1.0
0.9
0.9
1.5
0.6
0.6
1.4
2.4
1.0
1.5
1988
0.8
1.1
1.0
2.7
0.8
1.1
0.8
0.9
2.4
2.9
0.9
1.8
1.6
1.2
1.3
1989
0.9
1.2
1.6
1.6
0.8
0.9
1.0
0.9
1.4
0.3
0.8
1.5
2.5
0.8
1.3
1990
0.9
1.3
1.4
1.3
0.8
1.3
0.5
0.8
1.4
3.1
0.7
1.5
2.0
1.4
1.3
1991
1.0
1.1
2.3
1.1
0.9
1.0
0.8
0.8
1.5
1.8
0.8
1.2
2.1
1.1
1.4
1992
1.9
1.1
1.7
1.3
0.9
1.4
0.6
0.8
1.6
0.6
0.8
1.5
1.6
1.1
1.3
1993
1.1
1.1
1.1
2.8
0.8
1.1
0.9
0.8
1.6
1.3
0.8
1.7
1.3
1.3
1.5
1994
1.0
1.2
1.4
1.2
0.9
1.1
0.7
0.9
1.8
1.2
0.9
1.9
1.5
1.2
1.4
1995
1.6
1.1
1.0
1.4
0.7
1.1
1.2
0.8
1.9
1.2
0.8
1.7
1.1
1.3
1.3
1996
1.5
1.3
1.4
1.0
0.7
1.4
1.3
0.7
1.6
1.2
0.8
1.7
2.5
1.2
1.3
1997
1.3
1.1
1.4
0.7
0.8
1.4
0.7
0.8
1.3
0.3
0.8
1.6
2.4
1.3
1.5
1998
1.5
0.9
1.5
1.6
0.9
1.4
1
0.8
2.0
1.4
1
1.6
2.0
1.1
1.6
0.6
1.0
0.5
2.3
0.6
1.5
1.5
0.9
1.2
1.0
0.7
0.8
3.3
1.3
2.0
平均
1.1
1.1
1.2
1.6
0.9
1.3
0.9
0.8
1.6
1.2
0.8
1.5
1.8
1.1
1.4
出典:Beuzekom[2001]
(注)各論文のインパクトは、他の論文によって引用された件数を基としている。ある論文がその分野の平均引用件数以上に引用されているのならば、その論文のインパクトは平均
以上であるといえる。本表によると1986年のベルギーのインパクトは0.5で、アメリカのインパクトは1.5である。すなわち、1986年にベルギーで書かれた論文の平均引用件数は
全世界平均の半分であるのに対して、アメリカで書かれた論文の平均引用件数は全世界平均より50%多いということである。
i
この研究費には、研究関係の間接経費であるオーバーヘッドも含んだ総額である。
130
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
⑥ 生物学関係の研究者の日米比較
日本の生物関係の研究者を見るため科学技術研究調査報告をみる。まずは、会社等、研究機関、大学等のように勤務先
毎の生物関係の研究を本務にしている者の合計をみると、1999 年の合計は 12,163 人である。一方、米国の「Biological
science」関係のサイエンティストとエンジニアの数をみると、1999 年は 1,186,600 人である。これは日本の約 98 倍であり、米国
のバイオ関係の研究者の層の厚さを感じさせる。また、人口百万人あたりの生物関係の研究者の人数をみると(表Ⅵ-6)、
1999 年の合計は 96.0 人である。一方、米国の「Biological science」関係の人口百万人あたりのサイエンティストとエンジニアの
数をみると 4351.5 人であり大きな差がある。ただし、日本の場合は生物関係の研究を本務にしている者のみであり、一方、米
国は当該分野の研究者のみならず研究補助者も含まれている数値なので、日本の方が過小評価、米国の方が過大評価し
ていることとなるが、それを差し引いても、米国の生物学関係の研究者の層の厚さの優位さは変わらないと思われる。
表Ⅵ-6:人口百万人あたり生物関係の研究者の人数
日本
アメリカ
会社等 研究機関 大学等
合計
1993
33.8
8.3
32.7
74.8
3806.2
1995
41.5
9.4
36.0
86.9
3924.7
1997
40.9
10.9
39.3
91.2
4118.7
1999
39.6
12.6
44.1
96.0
4351.5
日本のデータ出典:科学技術技術研究調査報告
アメリカデータ出典:SESTAT(Scientists and Engineers Statistical
Data
以上、日本のバイオテクノロジーの現状を概観した。バイオテクノロジーは幅広い分野にわたっており定義として確立され
たものではないこと、整備された国際比較可能なデータがほとんどないこと、また教育制度、特許制度、企業制度など制度
的違いが影響することから、国際比較は慎重を要する。しかし、とりあえずの比較結果として、日本は米国と比較して産学
のバイオテクノロジー関係のプレーヤーが少なく、また、政府予算支出も少ないと言えそうである。学術成果及び特許出願
に関しても、日本の他の分野と比較して競争力がないと言えそうである。以上は、バイオテクノロジー分野の研究開発のイ
ンプットとアウトプットの状況をみたものであるが、次項以降では、日本のバイオテクノロジーの研究開発に関する制度的・
構造的問題を中心に論述する。
■ バイオテクノロジー分野の S-T-I ネットワーク
技術革新のモデルの一つのモデルとして、「線型モデル」があり、そのモデルによれば、「技術革新は科学的な研究から
開発、開発から生産、生産から市場へと直線的に進むものとされている。」(青木 [1992]の 250 ページ)ただし、「このモデ
ルは(中略)最近クライン(Stephen J. Kline)とローゼンバーグ(Nathan Rosenberg)によって技術革新の実態を歪めているとし
て批判されている。彼らはそれに代わるモデルを提案しているが、そこでは線型モデルでの下流の局面から上流へのフィ
ードバックだけでなく、発明から市場へ至るあらゆる局面での科学との交互作用が強調されている。」(青木 [1992]の 250
ページ)このモデルは一般的に「連鎖モデル」と呼ばれている。
更に最近、特にバイオテクノロジーの分野で基礎研究がそのまま市場に出される商品になる例があると指摘されるように
なってきたi。すなわち、基礎研究がそのまま産業化に結びつくようなモデルである。たとえば、ゲノム創薬を取り上げ、ゲノ
ム解析技術の発達に伴ってシステマティックに基礎研究で病気の原因物質の特定が行なわれ、薬のシーズがそのまま薬と
なっていると指摘している。
例えば、平成 13 年 9 月 21 日に総合科学技術会議重点分野推進戦略専門調査会によって取りまとめられたライ
フサイエンス分野の「分野別推進戦略」では、「先端的な解析技術の開発や基礎研究の新たな展開が新規産業の
創出に直結」としている。
i
131
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
このような基礎研究がそのまま市場に出される商品に結びつけるようなモデルを、サイエンス・リンケージを持って説明す
ることが多い。アメリカの特許制度では、当該発明に参考とした先行研究(論文・特許)があれば特許申請時に明記すること
が義務づけられている。このデータを用い、米国 1 件当たりの論文引用件数を調べたものが、サイエンス・リンケージと呼ば
れ学術論文がどの程度特許作成に影響を与えるかを示す指標とされている。科学技術政策研究所 [2000]をもとに米国の
「全分野」と「生化学・微生物」と日本の「全分野」と「生化学・微生物」のサイエンス・リンケージを図Ⅵ-3に示す。まず、日
米で比較すると、米国の方がはるかにサイエンス・リンケージが高い。これだけを持って、日本は米国のレベルまでサイエン
ス・リンケージを高めなければ、日本企業の国際競争力がなくなってしまうとはいえないが、少なくとも米国は基礎研究を効
率的に特許出願に結び付けているということができようi。
図Ⅵ-3 サイエンス・リンケージの推移の日米比較
25
サイエンス・リンケージ
20
15
米国-全分野
日本-全分野
米国-生化学・微生物
日本-生化学・微生物
10
5
0
1985 1986 1987 1988 1989 1990 1991 1992 1993 1994 1995 1996 1997 1998
年
次に、「全分野」と「生化学・微生物」のサイエンス・リンケージを比較すると、「全分野」と比較して、「生化学・微生物」のサ
イエンス・リンケージがはるかに高いことがわかる。すなわち、「生化学・微生物」に関する特許については、基礎研究から受
ける影響が大きいことを示している。
これをもって、基礎研究が産業化に結びつくようなモデルの実証と言えるのであろうか。その答えは否である。確かに、
「生化学・微生物」分野の科学論文と特許とのリンケージが高いが、特許と製品化の間には大きな溝がある。このサイエン
ス・リンケージが高いというのは、図Ⅵ-4のDの近接性を示すものであり、基礎研究と産業化の近接性を示すものではない
と考える。
図Ⅵ-4に創薬の技術革新の「連鎖モデル」を示す。まず、創薬の場合、基礎研究で薬となる可能性のある化合物を探
すことができたとしても、選別された化合物の物性を調べる応用研究を行い、安全性について動物を用いて調べる前臨床
試験を経て、臨床試験を行い、その後、厚生労働省の承認審査を受けるという長い道筋があり、その中で約 40 万個という
i ただし、このサイエンス・リンケージは米国特許に関する、米国籍の特許出願者の論文引用件数と日本国籍の特許
出願者の論文引用件数を示しており、日本特許のそれは比較していない。それは、米国では特許出願に際して引用論
文のリストアップが義務付けられているが、日本は義務付けられていないため、日本の特許に関してサイエンス・リ
ンケージを定量化できないからである。また、米国では、引用文献の不開示があとでわかった場合には、Fraud と
して権利が取り消される可能性があるので、米国の出願者は、あとで問題にならないように多めに引用文献に言及す
る傾向にある。一方、日本の米国への出願者は、自国で引用文献のリストアップの義務化がないため、米国の制度に
なれておらず、米国の出願者と比較して多めに引用文献を言及する傾向がないものと思われる。そのため、日米のサ
イエンス・リンケージを比較した場合、実体よりも差が大きくなってでるものと思われる。
132
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
化合物が結局約 80 個程度に減ると言われている。結局、化合物が発見されてから新薬ができるまで、約 12 年から 15 年の
年月と約 150~200 億円のコストがかかることとなるi。一般的に、創薬と自動車工業等の産業の違いとして、「潜在的市場」
から「発明と分析的設計」へ移行するいわゆる「デマンド・プル型」の傾向は弱く、「潜在的市場」は結局、研究テーマの元と
なり、研究から「発明と分析的設計」に導かれる「サイエンス型」の傾向が強い。ただし、癌の特効薬の開発や狂牛病対策な
ど、「流通、市場」から長いフィードバックである F を通って「潜在的市場」に移行し、「発明と分析的設計」に移行することも
ある。また、「流通・市場」の中に医薬品の場合には「市販後調査」として有効性や副作用の有無についての調査があり、そ
の結果によっては「発明と分析的設計」あるいは「前臨床試験と臨床試験」などに戻ることもあって、流れは一方向とは限ら
ない。とはいえ、自動車工業等の組立産業では工場内あるいは工場・研究所間で頻繁に起こる f のフィードバックが、創薬
では相対的に起こる頻度が低い。
図Ⅵ-4 創薬の技術革新の「連鎖モデル」
R
R
3
3
D
C
K
1
潜在的市場
f
4
2
C
発明と
分析的設計
f
研究
K
4
1
知識
S
2 C
C
前臨床試験と
承認審査
流通,市場
臨床試験
f
f
F
(注1)C:中心となる技術革新の連鎖、f:短いフィードバック、F:長いフィードバック、K-R:知識を通して研究へそして C へと戻っていく環(問
題が K 点で解決されれば R への環 R3 は発動しない。研究からの回帰である環4はまれであるので破線にしてある)、D:研究と発明・分析
的設計を直接結ぶ環、S:科学研究サポート
(注2)Kline and Rosenberg [1985]、青木昌彦 [1992]をもとに作成。
すなわち、創薬の場合には、大学や研究機関などで解明されるサイエンスの知識を生かしつつ、基礎研究で薬となる可
能性のある化合物を探し、その選別された化合物の物性を調べる応用研究を行った後に「前臨床検査と臨床検査」、「承
認審査」、「流通、市場」へと続き、その間に、研究に立ち返ったり、「発明と分析的設計」に立ち返ることは比較的少なく、有
効でなければその時点で創薬の候補から脱落してしまう例が多いii。
また、自動車工業等の産業の場合は、「発明と分析的設計」を経て、技術革新が進んでいく段階において、現場で問題
点が生ずると「知識」や「研究」へのフィードバックが多いが、創薬の場合、ゲノム創薬以前では、「発明と分析的設計」を過
ぎた後には、そのようなフィードバックが少なかった。しかしながら、最近のゲノム創薬では、「発明と分析的設計」において、
「知識」とのフィードバックが多くなってきた。従来は、ある化合物が副作用等の理由で薬になる可能性が少ないという「知
識」のみが「発明と分析的設計」を行う際に重要な「知識」のフィードバックだったが、最近では、それに加え、ヒトゲノムの全
i
ゲノムビジネス研究会 [2001] による。
ii
もちろん、「前臨床試験」あるいは「臨床試験」の段階になって、新たな化合物に副作用が発覚した場合、「発
明と分析的設計」に戻って、その副作用を取り除くような発明を期待する場合も考えられる。
133
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
貌が明らかになったことや、コンピュータの格段の進歩により、このヒトゲノムの莫大なデータを管理することが可能となり、
バイオ・インフォマティックスが急速に進歩し、データベースを活用した新薬の探索が容易になったi。
また、創薬は、自動車工業等の産業と比較して、上記のように薬として上市するまで多大な時間とコストがかかる。一方で、
上市された製品から得られる利益は非常に高く、ハイリスク・ハイリターン構造となっている。最近では更に、ゲノムレベルで
創薬を探索する時代になり、今まで以上にコストがかかるようになってきた。製薬会社は他産業と比較して技術集約的であ
り、研究開発費の売上高比率が高い。
医薬品研究開発には規模の経済や範囲の経済があるとして、欧米では、合併が数多くみられるようになったii。日本でも
いくつかの合併が行なわれているが世界的な規模でみれば、小規模な合併といわざるを得ないiii。ただし、研究開発にお
ける規模や範囲の経済が強いことを明確にした研究がある訳ではない。詳細なデータを用いて計量分析した Henderson
and Cockburn [1996] においても、研究プログラム数が多いほど成果(特許数で計測)が比例的以上に増加するという範囲
の経済性はある程度の範囲でしか成立しないことが明らかにされている。また、各プログラムの研究開発費が同じであれば
企業の全研究開発費が大きいほど成果が大きいという意味では規模の経済性が認められているが、プログラム毎ではむし
ろ規模の不経済性がある。
欧米でも、合併によって、規模の経済を確保したにもかかわらず、自社の競争力を確保するため、今まで以上に、研究
開発に資金を投じ続けている。さらに、欧米の企業は大学の研究成果を創薬のシーズとして発展させているバイオ・ベンチ
ャー企業に注目していった。大企業であっても、すべての研究開発を自分で行なうことは資金やマンパワーの観点から困
難なため、大学やバイオ・ベンチャー企業と共同研究契約を結んだり、バイオ・ベンチャー企業の研究成果を獲得するため、
バイオ・ベンチャー企業からその権利を買ったり、あるいはベンチャー企業自体を買収したりする例が多々みられるようにな
ってきた。これは、いわゆる「企業の境界」の問題ということができようiv。「企業の境界」の問題は一般的に、部品調達のよう
な垂直連鎖で1つ上流の段階や、製品販売のような1つ下流の段階を企業内で行うべきか、あるいは市場取引で行うべき
かという問題である。このような垂直連鎖の問題だけでなく、企業の研究開発も、すべての研究開発を自社のみで行わず、
選択と集中を行い、その選択から外れた分野に関しては、外部から研究成果を調達するようになり、研究開発についても、
「企業の境界」をどこに設定するかは企業の重要な経営戦略の一つとなってきた。
翻って、日本はどうであろうか。日本は、製薬企業の集約化もあまり進まず、バイオ・ベンチャー企業もその数は少ない。
また、バイオテクノロジーの研究者の数も少ないし、この層の薄い研究者のほとんどが大企業に属しており、しかも雇用の流
動性が低いため、有能な人材がバイオ・ベンチャー企業へ行くようなシステムになっていない。さらに、創薬等のハイ・リスク、
ハイ・リターンの研究開発を行うバイオ・ベンチャー企業の創出を助長するような資金供給市場が整備されていない。加え
て、日本のバイオ・ベンチャー企業と共同研究したり、買収したりする例が非常に少なく、従来どおり、製薬会社は個別にツ
テのある大学の研究者等から非公式に創薬のシーズになるような化合物を譲り受けたりすることが多い。このために、
Odagiri [2001] が明らかにしているように、日本の企業も多くの技術導入や技術提携をしているものの、そのパートナーとし
てはむしろ海外の大学、バイオ・ベンチャー企業、製薬企業が多い。次の節で「産」と「学」の仲介機能の役割を果たすとさ
れているバイオ・ベンチャー企業の我が国の実態をみてみよう。
i
最近のノックアウト・マウス、DNA チップ等のリサーチ・ツールの発達は、「前臨床試験と臨床試験」のカテ
ゴリーでも、「知識」や「研究」のフィード・バックを盛んにした。
ii
例えば、1995 年にはグラクソとウエルカムが合併しグラクソ・ウエルカムが発足、1996 年にはチバガイキーと
サンドが合併してノルバティスが発足、1999 年にはアストラとゼネガが合併してアストラセネガが発足、ヘキス
ト・マリオン・ルセルとローヌ・プーランローラーが合併してアベンティスが発足した。
2001 年 9 月に大正製薬と田辺製薬の経営統合が発表されたが、その2ヵ月半後、白紙撤回となった。一方、2001
年 12 月にはロッシュの 100%子会社の日本ロッシュは 2002 年 10 月を目処に中外製薬と合併することを発表した。
iii
iv
例えば、小田切 [近刊]を参照せよ。
134
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
■ 日本のバイオ・ベンチャー企業の現状
(1)バイオ・ベンチャー企業の日米比較
いくつかの調査によると、バイオ・ベンチャー企業数の日米格差は著しい。例えば、日本のバイオ・ベンチャー企業数は
333 社だがi、米国のそれは約 1,300 社であるii。もちろん、こうした数値はバイオ・ベンチャー企業の定義に依存しており、日
米の定義の違いが企業数の日米差を過大にしている可能性を否定できないが、上に引用した数値が1対4という大きな格
差を示していることから、仮に定義を一致させて比較したとしても、日本のバイオ・ベンチャー企業数は米国のそれと比較し
てはるかに少ないことが想定される。以上は日米のバイオ・ベンチャー企業数の比較だけなので、それぞれの「質」を考慮
した比較となっていない。ある程度「質」を考慮するため、上場した日米のバイオ・ベンチャー企業数を比較してみよう。米
国のバイオ・ベンチャー企業のうち、「株式を公開している企業は約 300 社にのぼり、毎年数十社の新規設立がある」iiiとし
ている。一方、日本では JASDAQ、東証マザーズ、ヘラクレスという新興3市場に上場したバイオ・ベンチャー企業は 10 社
程度であるiv。
こうした日米差は、特許出願動向によっても見ることができるv。まず、日米のバイオ基幹技術における出願人種別出願
比率をみると、日本人による日本への出願のうちベンチャー企業が 11%を占めるのに対し、米国人による米国への出願の
うちベンチャー企業は 30%を占める。また、ポスト・ゲノム関連技術についてみると、日本人による日本への出願のうちベン
チャー企業が 12%占めるのに対し、米国人における米国への出願のうちベンチャー企業は 38%を占める。このように、特
許出願からみても日米差は大きく、日本のバイオ・ベンチャー企業が相対的に米国のそれより不活発であることがわかる。
仮に、バイオ・ベンチャー企業が産学連携の要として働き、新たなイノベーションの仲介機関となりうるのであれば、この日
米格差は産業の発展に対して致命傷となる。この日米の格差はどこから生ずるのだろうか。もちろん、日本の終身雇用制な
どの雇用形態、大学生の就職に関する大企業志向など従来から我が国に根ざした慣行もその大きな要因となっているが、
それ以外でも、義務教育時代の理科教育の問題、大学の閉鎖的な機構、大学の教員や企業人のモチベーションの違い、
あるいは、ベンチャー・キャピタルなどからの資金調達の困難さなどが、日本のバイオ・ベンチャー企業のみならず、ベンチ
ャー企業全体の設立を拒んでいたように思われる。したがって、単に日本のバイオ・ベンチャー企業の現状をみるだけでな
く、バイオ・ベンチャー企業とそれ以外の企業及び大学等との関係を明らかにするとともに、日本のバイオ・ベンチャー企業
が「産」と「学」をつなぐイノベーションの仲介機関として機能していない理由を明確にすることが、今後の日本のバイオ産業
の振興のために有効となるであろう。
(2)日本のバイオ・ベンチャー企業の実態とその連携状況
上述のとおり我が国のバイオ・ベンチャー企業は 200 社を超えているといわれているが、その中の 65 社を選びvi、調査表
をもとにインタビュー調査を行った。調査表の中身は、バイオ・ベンチャー企業のプロフィール、起業家のプロフィール、起
業時の障害、コアになっている技術、特許の有無・状況、技術提携の状況、株式公開、主要な課題、期待する支援施策な
ど、多岐にわたっているが、本稿では紙面の制約もあり、特に、バイオ・ベンチャー企業の技術連携の状況や特許の状況を
注視するとともに、大学の研究成果を産業化することを目的としたバイオ・ベンチャー企業に注目することとする。
iバイオインダストリー協会調査(http://www.jba.or.jp/oshirase/biovb333.pdf)を参照。
ii
日本バイオ産業人会議・バイオ産業技術戦略委員会 [1999]を参照。
iii
太田隆久・石井宏一 [2002]を参照。
iv
中村・小田切 [2002b]を参照。
v 特許庁 [2001]及び「テクノトレンド-技術動向」の中の「ポスト・ゲノム関連技術-蛋白質レベルでの解析と
IT 活用-に関する特許出願技術動向調査」(http://www.jpo.go.jp/indexj.htm)を参照。
社団法人バイオ産業情報化コンソーシアム [2001]、週刊東洋経済編集部 [2001]のバイオ・ベンチャー企業のリ
ストをもとに、バイオテクノロジー分野の業務に従事するベンチャー企業にインタビュー調査を申し入れ、了解
の得られた企業に対して調査を行った。
vi
135
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
日本のバイオ・ベンチャー企業の実態を論ずる前に、まず、「大学発ベンチャー企業」の定義を整理しよう。産業構造審
議会産業技術分科会産学連携推進小委員会 [2001]では、大学発ベンチャー企業の定義を「大学の技術シーズを活用し
て起業に結びつけるスタート・アップ企業」としているものの、大学発ベンチャー企業とその他のベンチャー企業との境界が
必ずしも明らかではない。一方、筑波大学先端学際領域研究センター [2001]では、「大学発等ベンチャー企業」を「大学
や高専(以下、大学等という。)が関係して設立されたベンチャー企業」と定義し、その関与の種別により、特許による技術
移転型、特許以外による技術移転(または研究成果活用)型、人材移転型、出資型に分けているi。本稿の「大学発ベンチ
ャー企業」の定義は、上述の筑波大学先端学際領域研究センター[2001]に順ずることとする。
まず、対象 65 社を起業元により5種類に分類した。「大学発ベンチャー企業」は、上述のとおり、大学が関係して設立さ
れたベンチャー企業をいう。「公的研究機関型ベンチャー企業」は、公的研究機関(独立行政法人を含む)の研究員が兼
業及び退職して自らの研究成果を産業化する場合や公的研究機関の研究成果を譲渡及び技術移転を行い産業化する
場合をいう。「子会社型ベンチャー企業」とは、創業時に 1 社及び複数の会社が 50%以上の株式を取得して、当該会社か
ら人的・金銭的等の支援を受けているバイオ・ベンチャー企業を指し、「既存企業の事業拡大型ベンチャー企業」とは、従
来はバイオテクノロジー分野の事業を行っていなかった企業が、何らかの理由により、当該事業に参入した企業のことをい
う。最後に、上記4分類に含まれないものを「独立型ベンチャー企業」とした。「独立型ベンチャー企業」のほとんどが、大企
業の研究者からのスピン・アウトである。結果をみると、46.2%が「独立型ベンチャー企業」、26.2%が「大学発ベンチャー企
業」であり、続いて、「子会社型ベンチャー企業」が 10.8%、「公的研究機関型ベンチャー企業」が 7.7%、「既存企業の事業
拡大型ベンチャー企業」が 4.6%であった。
次に、対象としたバイオ・ベンチャー企業の中心技術関連の国内特許をみると、出願中の特許件数の平均は 6.24 件(分
散 114)であるにもかかわらず、登録済みの平均が 1.74 件(分散 10.9)、実施済みの平均が 2.37 件(分散 50.6)となってい
る。バイオ・ベンチャー企業の特許動向を「技術系ベンチャー企業」と比較するために、榊原・古賀・本庄・近藤 [2000])を
用いる。同じ内容で質問していないため単純な比較はできないが、経営者自身の特許保有状況の調査の中で、「一つでも
特許を保有している経営者の割合は、創業経営者では全体の 556 人中 346 人、62.2%であるのに対し、非創業経営者で
は 108 人中 54 人、50.0%を占めている。…その保有特許数の平均を計算したところ、創業経営者 7.7(標準偏差 14.8)、非
創業経営者 20.9(標準偏差 72.1)」としている。一般的に、我が国のバイオ・ベンチャー企業は、特許出願はするが、審査
請求は出さず、結果として特許として登録する件数が少ないことがわかる。これは一つには、対象企業の多くが設立して間
もないため、審査請求期限に至っていないことによる。このほか、インタビュー調査によると、特許の重要性を認識し、出願
してはいるものの、費用をかけて特許権を確立するほど自分自身が出願した技術に価値があるかどうか判断しかねている
というケースもあった。また、知的所有権制度を利用して、自分の発明を他者の無断使用から守るとともにその価値を積極
的に確保しようとは考えておらず、他社から特許侵害等でクレームがついた時に備えて防衛的に特許を出願するにとどま
っているケースもあった。
技術提携の状況をみると、全体の 72.3%が大学・公的機関と共同研究を実施しており、全体の 41.5%が民間企業と共同
研究を行っている。また、全体の 35.4%が学識経験者をアドバイサーとしている。これは、バイオ・ベンチャー企業が研究活
動を自社だけでなく、他の機関とネットワークを組みながら進めていこうという意識の表れであると解される。バイオ・ベンチ
ャー企業を起業元で分類して、大学・公的機関と共同研究を実施している割合をみるとii、「子会社型バイオ・ベンチャー企
業」が 85.7%と際立って高かった。「子会社型バイオ・ベンチャー企業」は、親企業が多角化の一環としてバイオテクノロジ
i
「特許による技術移転型」とは、「大学等または大学等の教員が所有する特許をもとに起業」することをいい、
「特許以外による技術移転(または研究成果活用)型」は、「大学等で達成された研究成果または習得した技術
等に基づいて起業」することをいう。また、「人材移転型」は、「大学等の教員や技術系職員、学生等がベンチ
ャー企業の設立者となったり、その設立に深く関与したりした起業」をいい、「出資型」は、「大学等や TLO が
ベンチャー企業の設立に際して出資または出資の斡旋をした場合」をいう。なお、科学技術・学術審議会技術・
研究基盤部会[2001]でも、上記の定義を用いている。
母数の 65 社を「大学発ベンチャー企業」等の 5 類型に分けたため、パーセンテージで示すには、それぞれの母
集団が小さすぎる懸念もあるが、ここでは記述を簡単にするためパーセンテージを用いた。
ii
136
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
ー分野に参入するために、設立されることが多く、親企業がバイオテクノロジー分野の知見を有していないため、大学・公
的研究機関と共同研究をすることにより、当該分野の知見を高めていくことが多いからと思われる。また、起業元で分類して、
民間企業と共同研究を行っている割合をみると、「既存企業の事業拡大型ベンチャー企業」が 100%であった。「既存企業
の事業拡大型ベンチャー企業」は短期的に収益を確保したいとする企業が多いため、製品化研究を行う可能性の高い民
間企業との共同研究を望んだ結果からきたものと思われる。さらに、民間企業との共同研究数が大学・公的機関とのそれと
比較して少ない理由について、「日本の製薬企業は、日本のベンチャー企業に対して、絶対うまくいくと思っても、なかなか
共同研究や投資をしない。一方、海外のバイオ・ベンチャー企業に対しては、たいした技術を持っていなくても、すぐに共
同研究や投資をする傾向にある。」とする意見が聞かれた。とはいえ、半数近くが民間企業と共同研究をしていることとなり、
これは、バイオ・ベンチャー企業一社だけでは幅広い分野の研究開発や集中的に資金を投下するような研究開発を行うこ
とが困難なため、製薬大企業等と技術連携を行うことによって、範囲と規模の不経済性を回避する戦略を取っているものと
いえよう。
最後に主要課題としては、全体の 60.0%がスタッフの不足を挙げており、全体の 41.5%が資金難を挙げている。特にス
タッフの不足に関しては、博士号を取得しており、自発的に研究を行なう能力のある研究者の獲得が困難であるという声が
多く聞かれる。また、学士・修士程度の研究者・技術者に関しては、「インターネットで募集すると、全国から多数応募が来
て、不自由していない。」との指摘がある一方、「募集すると全国から応募が来るが、当方が必要としている人材が来ない」、
「バイオ・インフォマティックスと生物学の両方のわかっている研究者がいない」というように人材のミスマッチを指摘するバイ
オ・ベンチャー企業も多い。
以上、バイオ・ベンチャー企業は、大学、公的研究機関、他の企業とのネットワークを通じて、大学の知的資産を活用し
た産業化のメカニズムができつつあるように思われる。ただし、いくつかの問題点がある。第一に、発明に関する特許等の
知的所有権を確立しなければならないとの認識はあり、国内特許の出願までは積極的に行うものの、それを審査請求・登
録をしたり、海外の特許として登録するまでの頑強な特許戦略は取っていないことである。我が国のバイオ・ベンチャー企
業は、この戦略性の無さが、今後、収益をあげるようになった時に特許紛争等の大きな問題となることを認識すべきである。
第二に、バイオ・ベンチャー企業の人材確保の困難性が挙げられる。そもそもバイオテクノロジー分野の博士号取得者が
米国と比較して著しく低いことに加えi、前述のとおり、雇用の流動性が低いため、研究者を確保しようとしても有望な人材を
確保できないというのが実情のようだ。以上の状況に加え、国立大学教官等については、後述のとおり、兼業規制が緩和さ
れ、自分の発明を事業化する企業への兼業が可能となり、その兼業数が徐々に増えてきた。また、2004 年から国立大学は
国立大学法人化することとなっており、大学教員等の定員管理がなくなるため、一度企業に転籍した研究者が大学に戻る
など、大学と企業間の雇用の流動化がさらに進む可能性がある。むしろ問題なのは、大企業の研究者について雇用の流
動化が進まないことにある。最近、大企業ではリストラの一環として基礎研究所の縮小を進めているが、その際、在席してい
た研究者を営業職など研究と関係ない部署に配置換えするなど実態として研究人材が外部に放出されない傾向にある。も
ちろん、これは終身雇用制、年功序列などの日本企業の労働慣行の安定性に安住する研究者が多いことにも由来する。
また、企業の秘密保持の観点から、自らの発明した特許でさえも、スピン・アウトしてベンチャー企業を創設した際に、必要
な対価を支払う意向を示しても譲渡しない企業の過剰防衛も問題である。さらに、転職することにより、終身雇用制を前提
に設計されている年金、社会保障等に関して不利益が生ずることも、スピン・アウトのディスインセンティブとなっている。こ
れらの日本の仕組み自体が、結果的に研究者の雇用の流動化を抑制し、バイオ・ベンチャー企業によるスタッフの確保(研
究者・技術者)を困難にしているという側面は否定できない。また、バイオ・ベンチャー企業の経営をサポートする人材の獲
得も困難となっている。特に、経営戦略を練り、経営全体を統括する者、財務関係の専門家は、大企業に偏在しており、バ
イオ・ベンチャー企業の人材確保は難しい。さらに、我が国では会社全体を統括する CEO に足る人材が不足している。
MBA を取得した経験豊かな CEO に足る人材が豊富である米国とは大きな違いである。第三に、創業者のビヘイビアとして、
日本は「生物学・薬学」の学位取得者を、米国は「Biological science」の学位取得者を対象として、1998 年の
博士号取得者を比較すると、日本の 476 人に対し、米国は 5,854 人であり、日本の 12.3 倍の人が米国で博士号を
取得している(詳しくは、中村・小田切[2002a]を参照。)。
i
137
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
日本では、自らのバイオ・ベンチャー企業を売却し、その資金を元に、新たなバイオ・ベンチャー企業の設立を目指したり、
再投資するよりも、細々とでも、自分で管理できる形でバイオ・ベンチャー企業を存続させたいという願望が強い。これは、
技術が確立していて、市場も十分大きく、事業として成立する可能性を秘めているバイオ・ベンチャー企業が自ら成長の道
を閉ざしてしまうという結果をもたらしかねない。第四に、前節で指摘したとおり、我が国はバイオテクノロジー分野の学術的
な競争力も米国と比較して劣っているのが現状であるが、さらに、大学等で得られた研究成果を民間企業等に移転する技
術移転機関(Technology License Organization)も米国に比べて遅れている。我が国では、1998 年に「大学等における技術
に関する研究成果の民間事業者への移転の促進に関する法律」が成立し、当該法律に基づき多くの TLO が設立されてい
るが、まだ施行後数年しかたっておらず、本制度が大学に根付くまでに至っていない。
■ 日本のバイオテクノロジー分野の政策決定メカニズム
過去の政府におけるバイオインダストリー分野の関係省庁は、旧通商産業省(現経済産業省)、旧文部省(現文部科学省)、
旧科学技術庁(現文部科学省)、旧厚生省(現厚生労働省)、農林水産省の5つの省庁であった。予算額でみると、2001 年度
当初予算は 1998 年度当初予算と比較して 1.25 倍となっているものの、省庁別の当初予算の割合をみるとほとんど変動が見
られない(表 VI-3)。まず、ミレニアム・プロジェクトが策定される 1999 年度予算までの関係省庁のバイオテクノロジー分野の
政策決定メカニズムを概観する。次に、2001 年 1 月の省庁再編以降の4省による政策決定メカニズムを論述する。
(1)1999 年度予算までの関係省庁のバイオテクノロジー分野の政策決定メカニズム
1999 年度までは、バイオテクノロジー分野の関係省庁は、通商産業省、文部省、科学技術庁、厚生省、農林水産省の5
省庁であった。それぞれの省庁は、それぞれの設置法に記載された政策目的を達成するために、その道具としてバイオテ
クノロジーの研究開発を行い、利用を促進してきた。例えば、通商産業省なら、工業的なプロセスをバイオプロセスに変更
し、効率的で環境負荷の少ないプロセスを作ることを目的としたり、厚生省は創薬の過程でバイオテクノロジーを導入する
方策を検討したり、科学技術庁はバイオテクノロジー分野の基礎研究を促進したりしていた。各省庁の所掌をその政策目
的で分けていることから、それぞれの省庁のバイオテクノロジー分野の研究開発には、ある程度の重複があった。それぞれ
の省庁は、その傘下に、業界団体のほか、特殊法人、財団法人、技術研究組合などの関係省庁の政策実施機関(実施主
体)が存在していた。このことを青木・奥野 [1996]は「仕切られた多元主義」iと称し、以下の説明を行なっている。「同じ産
業に属している企業は製品市場を通じて激しい競争を繰り広げるが、公的政策を立案するにあたっての産業内企業の共
通の利害は、産業団体にとって調整され、所管省庁の原局・原課に取り次がれる。そして各省庁は、予算編成や国家計画
などの省庁間の交渉の場において、所管産業の利益を代弁することになる。また天下りの存在によって、官僚には所管産
業の利益団体の準代理人として行動するインセンティブが生じることとなる。このような多元的な利益が官僚機構を通じて
調整される政治経済体制は「仕切られた多元主義」と呼ぶことができる。」(青木・奥野 [1996])ii
以上の考えをバイオテクノロジー分野の政策決定メカニズムに当てはめて考えると図5の通りとなる。まず、バイオテクノロ
ジー分野の関係省庁は5省庁であるが、純粋な意味で業界団体を持つのは、通商産業省、厚生省、農林水産省の三省で
あり、その三省はそれぞれの業界団体の意向を踏まえて政策決定を行っているiii。科学技術庁や文部省については、業界
i
「仕切られた多元主義」は、日本の政策実施過程における様々な場所で見受けられる。例えば、情報通信をめぐ
る旧通商産業省と旧郵政省の覇権争いも「仕切られた多元主義」ということができる。さらに、最近の中国に対
するねぎ、しいたけ等のセーフガード発動問題についても、多角的貿易体制の最大の受益国であるいう認識が高
く、できる限り、保護貿易主義的な考え方を排除しようとする経済産業省と農業団体や農業関係議員の圧力のも
と、強力にセーフガードの発動を主張する農林水産省との関係も「仕切られた多元主義」といえよう。
ii 「仕切られた多元主義」
の最近の解説として、以下を参照のこと。http://www.rieti.go.jp/column/2001/0001.html
iii
通商産業省の業界団体として、財団法人バイオインダストリー協会、厚生省の業界団体として、日本製薬工業
会、農林水産省の業界団体として、社団法人農林水産先端技術産業振興センター等がある。
138
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
団体は存在しないが、科学技術庁であれば、理化学研究所や科学技術振興事業団等が政策の実施主体として位置付け
られ、文部省であれば、大学等がその実施主体として位置付けられている。また、その他の省の実施主体としては、通商産
業省であれば、財団法人バイオインダストリー協会i、工業技術院(現独立行政法人産業技術総合研究所)、製品評価技術
センター(現独立行政法人製品評価技術基盤機構)等、厚生省であれば、国立国際医療センター、国立循環器病センタ
ー、国立医薬品食品衛生研究所等、農林水産省であれば、社団法人農林水産先端技術産業振興センターii、生物系特定
産業技術研究推進機構、農業生物資源研究所(現独立行政法人農林生物資源研究所)等である。
図Ⅵ-5 1999年度予算までの関係省庁のバイオテクノロジー分野の政策決定メカニズム
科学技術会議
科学技術会議
科学技術庁
実施主体
文部省
通商産業省
厚生省
農林水産省
実施主体
業界団体
業界団体
業界団体
大学
実施主体
実施主体
実施主体
(注)
弱い指揮命令
政策決定の相互依存関係
人材の派遣
また、バイオテクノロジー分野も含む科学技術を振興するため、科学技術会議が存在し、それは、科学技術に関する長
期的かつ総合的な研究目標を達成するために必要な研究で特に重要なものの推進方策の策定等を目的としている。具体
的には、科学技術基本法に基づく科学技術基本計画の審議を行うほか、内閣総理大臣の諮問に応じて、「ライフサイエン
スに関する研究開発基本計画(平成9年8月13日内閣総理大臣決定)」などのバイオテクノロジー分野を含む幅広い分野
の科学技術振興に関して答申を行っている。しかしながら、科学技術会議の問題点としては、(ⅰ)バイオテクノロジー分野
の省庁の中で委員として参加している大臣が、科学技術庁長官と文部大臣のみであり、その他の関係省庁の参加がないこ
と、(ⅱ)機能として与えられている事項が、「特に重要なものの推進方策の基本の策定」にとどまっており、予算と人員の「資
源配分」まで踏み込んだ調整が所掌上できないこと、(ⅲ)(ⅰ)に関連するが、委員として、科学技術を応用する関係省(通
商産業省、厚生省、農林水産省)の参加がないため、「基礎研究のための基礎研究」の考え方が中心となってしまい、「応
用研究や社会への還元を念頭においた基礎研究」という考え方が希薄なこと、等が指摘できる。
以下では、従来の「仕切られた多元主義」で指摘されている一般例とバイオテクノロジー関係の政策決定メカニズムの違
いを明らかにしたい。違いの第一点は、一般例だと、それぞれの業界団体に参加している企業は、各省庁の業界団体それ
i
財団法人バイオインダストリー協会は、業界団体と実施主体の両方の機能を併せ持っている。
ii
社団法人農林水産先端技術産業振興センターも、財団法人バイオインダストリー協会と同様に、業界団体と実
施主体の両方の機能を併せ持っている。
139
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
ぞれ違う構成員からなっているi。企業は、その政策目的を達成するために、自らの属する業界団体を通じて、政府に働き
かけ、その政策の実行に圧力をかける。一方、バイオテクノロジー分野の例だと、通商産業省は化学系企業、厚生省は製
薬系企業、農林水産省は食品系企業の参加が中心ではあるが、通商産業省の業界団体にも製薬系企業や食品系企業が
多く加入しており、参加企業だけを見ると、どの省の業界団体か区別が難しい。したがって、各業界団体は、似た政策要望
を関係省に出すため、関係省は似た政策を重複して行うこととなってしまう。違いの第二点は、大学の役割である。他の分
野と異なり、バイオテクノロジー分野は最先端の科学技術を活用するため、大学の役割が非常に重要である。バイオテクノ
ロジー分野の政策決定メカニズムでは、大学は、文部省の実施主体と位置付けられるが、同時に、科学技術会議の委員や
他省庁が開催する審議会、研究会の委員として、それぞれの政策の方向性を示す会議に出席し、それぞれの会議で同じ
主張をしている。同時に、他省庁の実施主体に共同研究者や研究実施者としても参加している。したがって、大学の研究
者は、文部省の政策の実施主体以外にも、関係省庁等の知恵袋的役割や文部省以外の省庁の実施主体の役割を担って
いることとなる。
以上の現実を踏まえて、現行の政策決定メカニズムの問題点を考えてみたい。第一に、バイオテクノロジー分野に関して
は、関係省庁はそれぞれの政策目的を達成するための道具として使っていることから、政策の重複が非常に多い分野であ
るにもかかわらず、予算要求に関しては、それぞれの省庁が個別に大蔵省に持ち込んで査定を受けており、その調整はほ
とんど行なわれていない。科学技術会議という存在もあるが、それは、上述のとおり、参加者が基礎研究の関係機関に限定
されていたり、強い調整権限が与えられていないため、その重複回避と重点政策の集中化を行なうことができない。また、
マンパワー的にも限られており、独自の調査・立案能力を持っていない。この点は、科学技術政策一般における OSTP
(Office of Science and Technology Policy)、バイオテクノロジーに関する研究機能と研究支援・資金配分機能を一元的に併
せ持つ NIH (National Institutes of Health)を擁する米国との大きな違いである。第二に、バイオテクノロジー分野のような先
端的な科学技術には大学の役割が重要であるが、その大学の研究者の絶対的人数が限られていることと、彼らが各省庁
の審議会や研究会に参加して似たような政策を提言し、それぞれの省庁が、第一点で指摘した「仕切られた」形で別々に
似た政策を作り、予算を確保している点である。さらに、その実施主体として、各省庁の意向を強く反映できる特殊法人、社
団法人、財団法人等が別々に存在し、それらに別々に予算が投入されているため、政策の重複実施が行なわれている。
一方で、各省庁の実施主体として、限られた大学の研究者が共同研究者や実施者として参画しており、違う実施主体で同
じような研究開発が同じようなメンバーで行なわれている。第三に、通商産業省と厚生省と農林水産省の3省のバイオテクノ
ロジー分野の業界団体は、その構成者に重複があるため、業界団体からも所管省庁に対して、同じ政策を要求することと
なり、これが、第二点で指摘した「仕切られた」形で各省庁が似た政策を別々に実施することとなってしまう。
以上のことから、バイオテクノロジー関係では、似たような政策を限られた研究者や各省庁の複数の実施主体に対して重
複投資を行っていることになり、結果として、関係省庁の傘下にある実施主体の雇用が確保されることと、それらの重複した
研究の実施のための研究施設の建設費を享受する建設業界と実験機器や試薬を納入する研究開発関連ビジネスに利す
るだけであると考える。
(2)2001 年 1 月の省庁再編以降の4省による政策決定メカニズム
今までの科学技術会議の予算や人的な配分権限や調整機能の強化、さらに、ミレニアム・プロジェクトで行われた内閣
内政審議室の機能の恒久化をめざして、総合科学技術会議が 2001 年 1 月に誕生した。その機能の一つとして、「内閣総
理大臣又は関係各大臣の諮問に応じて科学技術に関する予算、人材その他の科学技術の振興に必要な資源の配分の
方針その他科学技術の振興に関する重要事項について調査審議すること」とあり、従前の科学技術会議と比較して、関係
省に対する調整権限が増大した。総合科学技術会議の構成員としては、科学技術政策担当大臣の他、各省大臣のうちか
ら、内閣総理大臣が指定する者として、文部科学大臣と経済産業大臣が議員に指名され、議長及び議員 14 人以内で構
成されている。さらに、バイオテクノロジー分野の議論を進める時は、「議員である国務大臣以外の国務大臣を、議案に限
って、議員として、臨時に参加させることができる」との規定に基づき、厚生労働大臣、農林水産大臣を臨時議員として、議
i
バイオテクノロジー分野と類似の事例としては、通商産業省と郵政省の情報通信産業があげられる。
140
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
論に参加することが可能となった。この結果、バイオテクノロジーの関係省全員が参加の上で、バイオテクノロジー政策を議
論する土壌ができた。
また、同時に行なわれた省庁再編の基づき、バイオテクノロジー分野の関係省は、図Ⅵ-6 の通り、文部科学省、経済産
業省、厚生労働省、農林水産省の4省体制となった。ただ、関係省と業界団体との関係、関係省と実施主体の関係、大学
と関係省、総合科学技術会議の関係は、それ以前と基本的に変化がなかった。
このような新たな政府組織のもとで、平成 14 年度の予算要求が始まった。まず、平成 13 年 8 月 10 日に「平成 14 年度
予算の概算要求に当たっての基本的な方針について」を閣議了解し、重点 7 分野iへの予算配分の重点化等を行う「構造
改革特別要求」を要求することとなり、この「構造改革特別要求」のうち「科学技術の振興」に該当するものについては、総
合科学技術会議が、効果的な研究推進、各省連携、成果の社会還元等の観点から施策を俯瞰・検討し、優先順位につい
て整理することとなった。総合科学技術会議はその整理にあたり、平成 13 年 7 月 11 日に総合科学技術会議で決定された
「平成 14 年度の科学技術に関する予算、人材等の資源配分方針」をもとに、ライフサイエンス等の重点 4 分野等に合致す
る施策を重視し、優先順位を整理した。このように、総合科学技術会議が資源配分方針を作り、それに基づき、各府省提
出のライフサイエンスを含む科学技術の振興に係る「構造改革特別要求」の優先順位をつけることとなり、2000 年度のミレ
ニアム・プロジェクトと同様にある一定の関係府省の調整機能を果たしているといえようii。
図Ⅵ-6 2001年1月以降の関係省のバイオテクノロジー分野の政策決定メカニズム
総合科学技術会議
総合科学技術会議
文部科学省
実施主体
経済産業省
厚生労働省
農林水産省
実施主体
業界団体
業界団体
業界団体
大学
実施主体
実施主体
実施主体
(注)
強い指揮命令
政策決定の相互依存関係
人材の派遣
重点 7 分野は(ⅰ)循環型経済社会の構築など環境問題への対応、(ⅱ)少子・高齢化への対応、(ⅲ)地方の個性ある
活性化、まちづくり、(ⅳ)都市の再生-都市の魅力と国際競争力、(ⅴ)科学技術の振興、(ⅵ)人材育成、教育、(ⅶ)
世界最先端の IT 国家の実現、である。バイオテクノロジー分野は、(ⅴ)の科学技術の振興の一部である。当該7
分野は、平成 13 年 6 月 26 日の「今後の経済運営及び経済社会の構造改革に関する基本方針」の一部として閣議
決定された。
i
ii
優先度については、◎:構造改革の推進を図るため、積極的に実施すべき施策、○構造改革の推進を図るため、
着実に実施すべき施策、△:構造改革の推進を図るため、他の施策との近郊にも配慮しながら、重点的、効率的
に実施すべき施策、×:構造改革の推進を図るため、必ずしも必要でない施策、の 4 つに分類された。△以上が
少なくとも実施が許される施策であるが、優先度付けの結果、全体で 1000 以上の事業が提出されたが、×とされ
たのは 10 数事業のみで、基本的には各府省のいいなりで、独自に重点投資を行なった事実はないとの批判もある。
141
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
総合科学技術会議が作られてから1年にも満たないので、現段階でその評価をするのは、時期尚早かもしれないが、少
なくとも、現段階では、その与えられた所掌事務をフル活用して政策の調整を行なっているとはいえないと思われる。バイ
オテクノロジー分野のように4省に政策実施官庁が分かれているような研究開発こそ、総合科学技術会議の存在意義が問
われる分野なので、「構造改革特別要求」に限らず、その他のすべてのバイオテクノロジー関係の予算に対しても総合科学
技術会議が調整と重点化を考えていくべきだと考える。総合科学技術会議の今後の更なるリーダーシップが期待される。ま
た、「日本のバイオテクノロジーの現状」で比較したとおり、米国と比較して、日本のバイオテクノロジー分野の政府投資額
は少ない。したがって、今後は、今以上に資金を投ずるべきと考えるが、同時に、その資金を有効に使っているか、レビュ
ーすることが必要不可欠である。
また、仮にバイオテクノロジー分野の各省の役割分担が行なわれたとしても、その実施主体が、各省毎に独自の機関を
活用しているため、非効率となっている。効率性を考え、それぞれの省が競争的な方法で実施主体を選定するように義務
づけるべきだと考える。これに合わせて、従来行われてきた○○省の研究開発は○○省の所管の実施主体に委託すると
いう考え方や○○省から○○所管団体への天下りというパイプを断つべきだと考える。実施主体は自らが競争的資金を獲
得するため、必要な人材を集め、研究開発を行い、もし、その競争的資金を獲得することができないのであれば廃止もや
むなしと考える。一方、実施主体の統合も一つの方法ではあるが、統合して失敗した時にリスクが高いこと、参入障壁が高く
なり新たな事業主体が参入しにくくなること、から適切でないと考える。その際、実施主体は複数の省から研究開発の委託
等がなされる可能性があるが、その際には、各省の実施主体の権限委譲の程度の統一化、事務手続きの統一化を行い、
できる限り研究開発の中身に専念できるような構造を持たせるべきである。
さらに、実施主体には大学の研究者が研究に参加しているが、米国と比較して大学の研究者の層が薄いため、様々な
省庁の実施主体に同じ研究者が参画することとなり、一部の研究者だけに集中的に資金が投下されることとなってしまう。
その実体を把握するために、現在、総合科学技術会議ではその実体を調べているところだが、今後は、定期的にその調査
を行うとともに、各研究者には、当該プロジェクトにどの程度のエフォートを当てるかを提出させ、そのエフォートに応じて、
研究資金を割り当てるべきだと考える。
■ おわりに
以上、バイオテクノロジー分野の S-T-I ネットワークの調査・分析を行ってきた。バイオテクノロジー分野の場合、研究開発
の成果が特許化される可能性が高いことから、サイエンスがテクノロジー化され、インダストリー化される蓋然性が高いとい
えよう。しかしながら、研究開発の成果が特許化されても、それが産業化されるまでには、大きな溝があり、必ずしもスムーズ
に行っていないのが現状である。その大きな溝は一般的に「死の谷」といわれている。米国の場合、この「死の谷」を埋めるた
め、バイオ・ベンチャー企業が重要な役割を果たしている。しかし、日本は米国と比べ、バイオ・ベンチャー企業が「質」、「量」
とも劣っているのが現状である。したがって、我が国は、今後、その「死の谷」を埋めるため、産業との仲介機能を果たすバイ
オ・ベンチャー企業の「質」、「量」の充実が望まれる。そのためには、バイオインダストリー分野の研究人材を増やすとともに、
大企業に多数滞留している有能な研究者の流動性を高めるような政策を講ずる必要があろう。一方、政府も積極的にバイオ
テクノロジー分野の研究開発等を行っているが、各省が類似の政策を全体の戦略を持たずにそれぞれ勝手に実施している
のが現状である。総合科学技術会議が、予算調整機能を持って戦略本部的な役割を果たすことが期待される。
■ 参考文献
1.
青木昌彦 [1992], 「日本経済の制度分析 情報・インセンティブ・交渉ゲーム」筑摩書房.
2.
青木昌彦・奥野正寛 [1996], 「経済システムの比較制度分析」東京大学出版会.
3.
相澤英孝 [1994], 「バイオテクノロジーと特許法」弘文堂.
4.
太田隆久・石井宏一 [2002], 『バイオビジネスのしくみ』東洋経済新報社.
5.
小田切宏之 [近刊], 「医薬研究開発における「企業の境界」-バイオテクノロジーのイン
142
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
6.
パクト-」南部鶴彦編『医薬品産業組織論』東京大学出版会.
7.
科学技術・学術審議会技術・研究基盤部会 [2001], 「新時代の産学官連携の構築に向けて
8.
~大学発の連鎖的な新産業の創出を加速するために~(中間取りまとめ)」.
9.
科学技術政策研究所 [2000], 「科学技術指標 2000」.
10.
ゲノムビジネス研究会 [2001],「巨大市場ゲノムビジネスのすべて」中経出版.
11.
榊原清則・古賀款久・本庄祐司・近藤一徳 [2000]「日本における技術系ベンチャー企業の
12.
経営実態と創業者に関する調査研究」、調査研究-73、科学技術政策研究所.
13.
産業構造審議会産業技術分科会産学連携推進小委員会 [2001], 「技術革新システムとして
14.
の産学連携の推進と大学発ベンチャー創出に向けて(中間とりまとめ)」.
15.
総務庁統計局 [1993, 1995, 1997], 「科学技術研究調査報告」.
16.
経済産業省製造産業局生物化学産業課 [2001], 「平成 12 年度 バイオ産業創造基礎調査報
17.
告書」.
18.
社団法人バイオ産業情報化コンソーシアム [2001], 「バイオ・ベンチャー等の動向に関す
19.
る調査研究」.
20.
週刊東洋経済編集部 [2001], 『ゲノムビジネス会社情報』東洋経済新報社.
21.
筑波大学先端学際領域研究センター [2001], 「大学等発ベンチャーの現状と課題に関する
22.
調査研究」.
23.
特許庁 [2001], 「平成 12 年度特許出願技術動向調査分析報告書 バイオテクノロジー基幹
24.
技術」.
25.
中村吉明・小田切宏之[2002a], 「日本のバイオテクノロジー分野の研究開発の現状と3つの課題」RIETI Discussion
Paper Series.
26.
中村吉明・小田切宏之[2000b], 「日本のバイオベンチャー企業-その意義と実態-」RIETI Discussion Paper Series.
27.
21 世紀のバイオ産業立国懇談会 [1998], 「21 世紀のバイオ産業立国懇談会報告書~豊かな
28.
国民生活に貢献するバイオ産業の実現~」1998 年 10 月 22 日.
29.
日経バイオテク [1990, 1992, 1993, 1994, 1995, 1996, 1997, 1998, 1999], 「日経バイオ年
30.
鑑」日経 BP 社.
31.
日本バイオ産業人会議・バイオ産業技術戦略委員会 [1999], 「バイオ産業技術戦略」1999
32.
年 11 月 24 日.
33.
文部省 [1981~1999], 「学校基本調査報告書(高等教育機関編)」大蔵省印刷局.
34.
Beuzekom, Brigitte van [2001], “Biotechnology Statistics in OECD Member Countries:
35.
Compendium of Existing National Statistics,” STI working papers.
36.
Henderson, Rebecca and Iain Cockburn [1996], “Scale, Scope, and Spillovers: The
37.
Determinants of Research Productivity in Drug Discovery,” Rand Journal of
38.
Economics, 27, pp.32-59.
39.
National Science Foundation [2001a], “Science and Engineering Degrees: 1966-98”.
40.
National Science Foundation [2001b], “Federal Funds for Research and Development:
41.
Fiscal Years 1999, 2000, and 2001”.
42.
Nelson, R. Richard [2001], “The Productive Role of American Research Universities in
43.
Technological Progress in the United States,” mimemo.
44.
Odagiri, Hiroyuki [2001], “Transaction Costs and Capabilities as Determinants of the
45.
R&D Boundaries of the Firm : A Case Study of the Ten Largest Pharmaceutical Firms in Japan,” Discussion Paper
No.19, National Institute of Science and Technology Policy.
46.
Forthcoming in Managerial and Decision Economics
(http://www.nistep.go.jp/achiev/ftx/eng/dis019e/pdf/dis019e.pdf).
143
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
6. ナノ・マイクロテクノロジー分野における知のネットワーク:現状と課題
(独)経済産業研究所
原山 優子、和賀 三和子、戸津 健太郎
■ はじめに
1990 年代から景気低迷が続く中、経済成長のパスにいかに乗り移るかが経済政策の大きな課題となっている。このよう
な背景の中、科学技術創造立国論が登場し、技術革新に支えられた新産業創出に期待が寄せられるようになった。科学
技術基本法の制定、それに続く科学技術基本計画により科学技術政策の枠組みが出来上がり、戦略的に研究開発投資
を行うことにより経済活性化を図るという政府のメッセージが一般にも浸透してきた。
同時に知の生産、知の伝達の場である大学と社会との関係の見直しが図られ、従来の研究と教育に加え、技術移転及
び人材育成を介して産業活性化に貢献すべきであるという認識が高まってきた。産と学の間の交流は古くから存在したが、
その形態と経済効果が今問い直されている。1990 年代終わりから、産学連携促進施策が打ち出された所以であるが、ここ
で問題となるのが、はたしてこれらの施策が産と学の間に人とアイデアの交流を促進し、好循環を生み出し、経済活性化へ
と結びついていくのかという点である。
本論では、ナノ・マイクロテクノロジー(NMT)分野に焦点を合わせ、産業と大学の間にいかなるリンケージが存在するか
を分析する。産学連携を実践することによりどのような派生効果が生じるか、連携による相乗効果が起こりやすい状況にあ
るか否かを考察する。また NMT の産業化に向けた施策についても言及する。
NMT 分野を選択したのにはいくつかの理由がある。まず第二期の科学技術計画における重点分野の一つにナノテクノ
ロジー・材料が入っており、NMT は産業力活性化への貢献が期待されている分野である。日本における NMT の研究レベ
ルは世界のトップレベルであり、技術シーズという点からは産業化に向けたポテンシャルを持つ分野である。
また、技術半導体微細加工技術を基盤としながらも、電子工学、機械工学、材料科学、物理学、化学、生物学、医学等
が融合することにより生まれる技術であることから、応用面でも多領域に広がりを持ち、よって市場性という面からも数多くの
新産業を生み出すポテンシャルを内包する分野である。研究システムという切り口から見ると、デバイス開発という目的を達
成するプロセスの中で基盤技術の研究が進められるという、モード2iタイプの研究体制がベースとなることから、大学と産業
との間に補完的な関係が想定できる。また基礎研究と応用研究との間に明白な境界線が存在しないこの分野では、産学
の連携が必須なものでもある。しかしこのような状況にありながら、MST の産業化においては、製造プロセスに多大な投資
を要すること、デバイス作成には多種の複雑なプロセスを組み合せることが必要であること、少量多品種の生産体制が求め
られること等、阻害要素が多分にあることから、日本においては市場化に成功した企業の数はまだ限られている。よって、
いかに NMT を産業化に結び付けていくかが今後の大きな課題となる。現状を把握することにより、どこにバリアが存在する
か、またいかなる対応策が可能であるかを模索することを本論の目的とする。
この研究を進めるにあたり、手法としてインタビュー調査と文献調査を用いることにした。NMT は科学分野として確立され
たのが 1980 年代であり、また日本において研究の輪が大学、産業界に広がってきたのもこの 20 年である。よってこの分野
におけるキー・パーソンを同定するのが容易であること、また数量的な指標では浮かび上がってこない産学の相互関係を
捉えることが今研究の重要なポイントであることからインタビュー調査を選択した。現在 NMT の研究に携わっている大学研
究者、すでにこの分野において製品化に向けた研究開発を行っている企業を対象iiとした。
以下では、日本において NMT がいかに発展していったのかを述べた後、この分野における知のネットワークの現状を分
析する。また海外の状況としてアメリカの事例を紹介し、日本との比較を試みる。最後に NMT が直面する課題を整理した上
で、NMT 分野における新産業創出に向けた政策提言を提示し本論を締めくくる。
i
ii
Gibbons, M. et al. (1994), "The new production of knowledge," London, Sage Publications.
インタビューのリストは参考資料を参照。
144
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
■ ナノ・マイクロテクノロジー(NMT)の発展
まず NMT の代表的なデバイスである MEMS と NEMS の説明から始める。
(1) MEMS
MEMS(Micro Electro Mechanical Systems:微小電気機械システム)は、電子回路、センサ、アクチュエータのような異なる
電気、機械要素を集積化したもので、小型でありながら、複雑で高度な働きをするシステムである。情報機器や自動車制御
の中枢を担うような高付加価値のデバイスを生産する技術でもある。微小であり省スペース、省エネルギーであるほか、一
括作製プロセスにより低コスト化が容易であること、多数の要素を配列させたアレイ構造が容易に作製できることなどが大き
な特徴である。
MEMS は電子、機械、光、材料などの多様な技術を融合したマイクロマシニング(Micromachining)とよばれる技術で製作
される。マイクロマシニングはシリコンウェハ上に集積回路を製作する際に用いられるエッチング技術、薄膜形成技術、微
細パターンの転写技術であるフォトリソグラフィ技術などをもとにしている。現在ではガラス、圧電材料、ポリマー、形状記憶
合金など、シリコン以外の微細加工も可能となっている。多種多様な材料を様々な形に微細加工する技術の開発、パッケ
ージングする技術の開発などによって、より複雑な構造、高度な機能をもつデバイスが生み出されてきた。初期の MEMS を
代表するデバイスとしては、ガスやイオンセンサ、圧力センサ、自動車用加速度センサなどが挙げられる。これらは従来機
械加工などで製作されていたデバイスであったが、MEMS デバイスの登場によって、小型化、高機能化、低コスト化を実現
した。現在では、インクジェットプリンターヘッド、光スイッチ、ディスプレイなどの「情報・通信」、加速度センサ、ジャイロ、圧
力センサなどの「自動車・民生・環境」、血圧センサ、pH センサ、生化学分析チップなどの「医学・バイオ」、走査型プローブ
顕微鏡、半導体検査プローブなどの「製造・検査」というように産業界の幅広い分野で用いられている。
(2) NEMS
MEMS の一部はナノスケールまで微細化が可能となり、この技術を用いて製作されたデバイスは NEMS(Nano Electro
Mechanical Systems)と呼ばれる。NEMS のアプリケーションとしてはデータストレージ用のプローブ、カーボンナノチューブ
を応用したデバイスなどが製作されており、従来の技術では達成できなかった特性を有している。NEMS はナノテクノロジー
の一翼を担う重要な技術として注目されており、今後も発展が期待されている。
(3)日本における NMT の発展
MEMS という名称iが登場する以前に、日本において初めて半導体微細加工技術を応用して開発されたのがトヨタ中央
研究所の半導体式圧力センサ(1963 年)であるが、その後、この技術のポテンシャルに注目した横河電気が 1970 年代に圧
力センサの開発に取り組み始めた。1980 年代に入り、これらのセンサが商品化された。アメリカでは MEMS の研究は主に
大学ii が中心となって行われていたが、日本においては企業の研究者が大いに貢献した。大学サイドでは、東北大学が
1960 年代後半から半導体微細技術の研究に着手してきた。松尾教授は 1971 年に ISFETiiiを発表したが、その後スタンフォ
ード大学と交流を深めつつ、また次の世代の研究者を育てつつ、この分野における東北大学の確固たる地位を築き上げ
ていった。
1980 年代に入ると、フロントランナーともいえるこれらの企業に続き、半導体技術の経験の無い企業も既存の製品の小
型化を目指しこの分野に参入してきた。当初これらの企業にとって基礎知識の蓄積及び新技術の習得が必須であった。ま
たこの新技術の製品化が可能であるかの見極めをつける必要もあった。そこで、これらの企業は東北大学の江刺研究室に
自社のエンジニアを派遣する道を選んだのであるが、ここで注目すべきは企業に新技術へ挑戦するすべを与えたのが大
学であったという点である。
1980 年代後半に“System on a chip”の概念は現実のものとなり、MEMS が新しい技術パラダイムとして確立された。日本
i
表1、表2参照。
主にスタンフォード大学、ケースウエスタンリザーブ大学、UC バークレー校、ミシガン大学、MIT。
iii Ion sensitive field effect transistors。
ii
145
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
においては、東京で開催された Transducers '87 が火付け役となり、マイクロマシニングが脚光をあびるようになった。これを
受け、大学・企業での研究開発が活発になっていった。当時、東京大学先端技術研究所内に、マイクロマシニング分野の
情報交換、新しい科学分野の確立を目的とする勉強会が発足した。1988 年にシンポジウムを開催し、また AT&T のガブリ
エル博士を客員教授として迎え、この技術分野の基盤を構築していった。
またこの時期には「極限作業ロボット」に続く大型プロジェクトの模索が始まり、日本ロボット学会が動き出し、「マイクロ・ロ
ボット」の概念を提唱した。結果的には 1991 年に 10 年計画、総額 250 億円の予算で大型プロジェクト「マイクロマシンの開
発」がスタートした。メカトロニクスの延長線上に位置付けられること、また学際的アプローチをベースとする技術であることを
示すため、「マイクロマシン」というネーミングが選ばれたとされるが、当時「基礎研究ただ乗り論」の状況にあったことから、よ
り応用研究寄りの半導体、ロボットの名称は一切使用しないという政治的配慮がなされたのも事実である。
1990 年代に入ると、この分野の論分数は増加の道iをたどったが、確実に技術シーズを製品化に結びつけるには至って
いないというのが現状である。大学の研究成果を有効に活かす仕組みがまだ未成熟であること、大学で製作された試作品
を企業のプロセスラインで生産するまでに、多くの時間と労力が必要であることなどが原因として考えられる。
■ 日本の現状
(1)産学連携の状況
ここでは大学と企業における NMT 関係者のヒアリングの結果を踏まえて、産学連携の現状について分析する。
《研究開発の連携》
今回調査した大学の研究室はいずれも積極的に産学連携を推進していた。研究開発の連携は「共同研究」「受託・委託
研究」「奨学寄附金」に大きく分けることができる。共同研究の場合、常駐もしくは非常駐の研究員を企業側から受け入れる
場合が多い。受託研究は、教授の考え方の違いにより積極的な研究室とそうでないところがある。概して私立大学のほうが
受託研究開発に熱心のようである。研究開発の連携を支える仕組みは充実してきている。特に私立大学の動きが早い。
企業側も大学との連携を評価している。連携の目的は委託研究を通じた研究リソースの活用、大学にある特殊な装置の
試用、最先端動向の情報収集、技術移転などである。複数の企業で「以前は大学との連携に熱心だったが、現在はより選
別的になっている」という指摘があった。これは社内で技術知識が蓄積されてきたことと、近年の経済情勢から企業内で研
究開発のあり方を見直す動きがあるためと思われる。また「事業化が決まっているような案件であれば全部社内で研究開発
を行う」という声もあった。大学側には大学としての役割を果たしてもらい、企業は大学という外部リソースを補完的に活用し
たいという願望の表れと考えられる。
企業と国公立研究所との連携はあまり言及されなかった。全般的に交流が少ないような印象を受けた。ただ1つの例外は、
(財)神奈川科学技術アカデミー(KAST)の事例である。これについては後述の「新しい産学連携のかたち」で概説する。
《産学連携を推進する仕組み》
大学と企業の連携を深めるには、大学側からの技術情報発信が不可欠である。調査対象となったいずれの大学でも、定
期的に会合を開く研究会などの活動を通じて連携を推進している。情報発信にとどまらず、研究施設の公開、ノウハウのデ
ータベース化、共同・受託研究への展開といった成果が着実に出ている。大学を中心とした産学連携の推進機構を下表に
まとめる。
センサシンポジウムの論文アクセプト数は 1990 年に 60、2000 年に 92;Transducers 国際会議での論文アクセ
プト数は 1991 年に 250、1999 年に 456。
i
146
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
表Ⅶ-1 産学連携の推進機構(大学サイド)
大学
機構
東北大学
ベンチャービジネスラ
年会費
会員数
備考
旧文部省により 1997 年に設立。
ボラトリー
東京大学生
(財)生産技術研究奨
奨励会 10 万円
産技術研究
励会「マイクロマシン
研究会 30 万円
所
の応用を探る研究
12 社
会」
名古屋大学
マイクロマシニング研
20 万円
シリコンエッチングシミュレーションソフトを商用
究会
化。
早稲田大学
マイクロ技術研究会
30 万円
約 20 社
立命館大学
マイクロシステム技術
10 万円
約 50 社
センター
オープンリサーチセンター(マイクロシステムセ
ンター)を 2002 年2月に完成。文科省、民間、
大学のマッチングファンド(4億円)により設立。
連携の形態としては上記の共同研究、委託研究、奨学寄附金の他に、頻繁に活用されてはいないが、客員教官として企
業から大学へと人が動くこともある。さらには常勤のポジションを得て大学に移籍するケースも存在する。特に当初からこの
分野に携わっていた企業iの研究者の中にこの道を選択した人が多い。このチャンネルを介した人の流れにより、企業サイ
ドの技術的ニーズ、製品化を視野に入れた技術開発のアプローチ等を大学にもたらすことが容易になる。また産学両サイ
ドの体験を有する研究者の存在は人・情報の流動性を円滑にさせるという効果もある。
《大学発のベンチャー設立例》
上記の人の移動とは逆に大学から企業への人の流れとして、アメリカでは活発に行われているベンチャー企業設立が挙
げられるが、日本においては 1990 年代の後半になってようやくスピンオフを促す方向で、法的、制度的、財政的整備がス
タートしたという状態である。1998 年の大学等技術移転促進法施行に続き、2000 年に国立大学教官の役員兼務が認めら
れたことなどから大学発のベンチャー設立の事例が増加している。筑波大学などの調査によると、全国の国公私立大学か
ら生まれたベンチャー企業は 251 社(2001 年 8 月時点)に上り、1年間で 65 社増えたという(日本経済新聞 2002 年 2 月
20 日)。米国では MEMS 分野の「教授1人に1社」と冗談めかして言われるほどだが、日本では歴史が浅くビジネス環境も
大きく異なることからそこまでの実績はない。大学教授の肝いりで近年設立されたマイクロシステム関連企業の概要を下に
まとめる。
i
例えばトヨタ中央研究所から立命館大学へ、日立中央研究所から名古屋大学と早稲田大学へ、横河電気から東京
農工大学へ。
147
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
表Ⅶ-2 大学発のベンチャー企業
社名
設立時期
資本金
事業内容
設立者と役職
(株)イニシアム
1999 年 10 月
4500 万円
医学・薬学・生化学等の基礎研究に用
東京工業大学岡畑恵雄教
いる化学薬品、理化学機器・分析機器
授、技術顧問(非常勤)
の開発、製造、販売並びに輸出入
(株)タウザー研
2000 年7月
触覚センサの実用化
究所
(株)ナノデバイ
日本大学尾股定夫教授、
代表取締役社長
2001 年 4 月
1200 万円
マイクロマシン、ナノデバイスおよび
立命館大学杉山進教授、
ス・システム研
MEMS の受託開発
代表取締役
究所
マイクロマシンおよび MEMS の受託
試作サービス
生体信号データ解析サービス
マイクロ科学技
2001 年 5 月
研(株)
1200 万円
化学プロセスの集積化技術とツール
東京大学北森武彦教授
の提供
技術コンサルティング
受託研究開発
(株)MEMS コア
2001 年 12 月
MEMS デバイスの試作研究開発、特
東北大学江刺正喜教授
許管理、試作品や少量生産品の供給
《その他の形態の連携》
これらのフォーマルな形態と並行して、従来から重宝されてきた、契約形態を取らない企業と大学の教員との中・長期的
コミットメントをベースとするインフォーマルな形の情報交換も存続している。企業がこのチャンネルを活用する理由は大きく
二つある。
協力体制を組む際、企業側の抱える問題、ニーズを明白にすることが必要となるが、企業側は情報公開に対し慎重な態
度を取る傾向にある。たとえ秘密保持契約を結んだとしても、これらの情報からその企業の技術トレンドが読み取られてしま
う恐れがあるからである。また大学側が企業のニーズに応えるポテンシャルを持っているか否かを判断する際、客観的な情
報以外に、研究者のコミットメント、価値観の共有等かなり主観的なファクターが作用してくる。これらの問題の根底にあるの
が情報の非対称であり、まず互いにシグナルを送り合い、信頼関係を形成し、その後に情報の交換を行うという手順が踏ま
れる所以である。もう一つの理由は、時として企業は戦略的配慮から大学との関係を公にすることを望まないという点である。
これも企業の技術トレンドが未公開の段階で起る問題である。
《新しい産学連携のかたち》
前述の「共同研究」「受託・委託研究」「奨学寄附金」はいずれも従来から実施されている産学連携のかたちであるが、新産業
創出にむけた技術革新の重要性が見直されるなか、連携を推進・強化するための新しい取り組みが登場してきている。ここで
は、地方自治体のレベルで科学技術の基盤充実と振興を目指す「(財)神奈川県科学技術アカデミー」の事例と既存の学会の
枠を越えて新興技術分野における産学官の情報交流を促進する「化学とマイクロシステム研究会」の事例を紹介する。
①(財)神奈川県科学技術アカデミー(KAST)http://home.ksp.or.jp/kast/
神奈川県の科学技術の創造拠点として 1989 年に創設されたKASTは、「科学技術振興基盤の充実」「産業の振興」「県民
生活の質的向上」「学術文化活動の推進」を目的として、「研究」「教育」「学術交流」の3つの事業に携わっている。研究の展
開にあたっては、研究プロジェクト・リーダーの自主性・創造性を尊重して外に開かれた流動的な運営を図り、プロジェクトの
成果は産業界、学術・教育分野へ向けて積極的に公開している。技術移転の仕組みも充実しており、特許実施許諾の例もあ
る。ちなみに 2001 年3月 31 日現在の論文掲載数は 709 件、特許出願件数は国内 379 件、国外 22 件となっている。
MEMS 関連分野では東京大学樋口敏郎教授をリーダーとする「極限メカトロニクス」プロジェクト(1992 年からの 5 年プロ
ジェクトと 1997 年からの2年プロジェクト)が実施されたほか、東京大学北森武彦教授をリーダーとする「インテグレーテッド・
148
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
ケミストリー」プロジェクト(1998 年からの 5 年プロジェクト)が進行中である。神奈川県川崎市高津区にある「かながわサイエ
ンスパーク(KSP)」の中にある研究室で進められる研究開発には企業からの参加もある。「インテグレーテッド・ケミストリー」
プロジェクトの場合、その研究開発成果である化学プロセスの集積化技術とツールの普及を目指して「マイクロ化学技研
(株)」が設立され、KSP内に本社拠点を構えている。
KASTは教育事業の一環として、企業の研究者らを対象とした教育講座を実施している。MEMS に関連した最近の例で
は「分析システムの集積化」と題して4日間のコースを行った(受講料一般 66,000 円)。また学術交流事業では、研究助成
のほか、セミナー、フォーラム、研究報告会、各種刊行物、ホームページなどを通じて情報発信を行っている。総合的に判
断して、KASTは他にあまり例を見ないユニークな科学技術振興および産学連携推進の機関と思われる。
②「化学とマイクロシステム研究会」
最新の研究成果はまず学会などで発表されるので、産学協同につながる情報交流では学会の果たす役割が大きい。
MEMS 分野では電気学会「センサ・マイクロマシン準部門」が中核的な役割を果たしているほか、日本機械学会、精密工学
会、電気化学会、応用物理学会などにも関連の研究会がある。学会活動はきわめて有意義ながら、内容の重複や負荷の
増大を避けるため研究者側で論文を投稿する学会を選別・固定化する傾向があり、その結果、関連はあっても自分の専門
領域から少し離れた分野の研究者と学術的な交流をする場が限られてしまう。交流促進の「場」が交流を阻む「垣根」にも
なりかねない。MEMS は様々な科学技術領域が融合する分野であり、その発展のためには異分野の専門家との活発な交
流が欠かせない。
こうした文脈の中、MEMS 分野でユニークな学術交流活動が始まった。東京大学藤田博之教授(電気系)と前述の東大
北森武彦教授(化学系)が発起人となって発足した「化学とマイクロシステム研究会」がそれである。この研究会は既存のど
の学会にも属さず、年2回の交流会を通じて化学、バイオ、MEMS 研究者に成果発表と情報交換の場を提供している。そ
れに加えて、2000 年度には日本分析化学会、日本化学会、日本機械学会、電気学会、日本薬学会で特別シンポジウム・
セッションを企画した。こうした異分野交流から新しい研究の取り組みも登場してきた。文部科学省科学研究費補助金「特
定領域研究(B)」として平成 13 年度に発足した「マイクロケモメカトロニクスの創成」には医学・薬学・生物学、機械・電気電
子・通信、合成化学・分析化学・材料化学の専門家が参加し、高度微細加工とマイクロ化学の融合した新しい学問分野と
新しい科学技術基盤の創造を目指す。この研究会の活動は特筆に値する。
(2)産学連携が大学にもたらすインパクト
3.(1)で同定した企業とのリンケージが、大学の研究活動、教育活動へどのようなメリット、デメリットをもたらすかを考察す
る。
企業に共同研究・委託研究等を通じでサービスを提供することにより、その見返りとして資金が大学に流れるわけであるが、
財政基盤において自己収入の占める割合が高く、また科学研究費補助金等、政府の研究開発資金の配分が国立大学に比
べて少ない私立大学にとって、研究活動を維持していく上でこれらの外部資金は必須のものである。また国立大学において
も、競争的研究資金獲得が奨励されるようになったことから、今後研究資金源としての比重は伸びるものと思われる。
製品開発を最終目標とする企業と連携して行う研究は、まさにモード2タイプのものであり、応用研究から派生的に新し
い技術パラダイムが創出され基礎研究の活性化へとつながっていく。よって社会厚生の視点からすると、企業との共同研
究・委託研究には外部効果が認められ、民間企業に還元される研究成果と公共財としての知的基盤が同時に創出され、
そのことにより NMT 分野全体の技術レベルが向上していく。東北大学の江刺教授はこの様な視点から大学が技術面でベ
ンチャー企業のインキュベートをサポートすることの意義を説いている。また企業側においてもすべてインハウスで行ってい
た研究開発を一部アウトソーシングする方向への動きが始まっていることから、大学側がこの機会を効果的に活用し、派生
効果を生み出していくことに期待する。
次に人材養成という切り口から分析する。企業のエンジニア・研究者を大学の研究室に受け入れることを大学側は評価
している。大学院生にとってフォーマル、インフォーマルな形で企業の人と議論をすることにより、アカデミックな視点以外の
アプローチを知る機会ができる。また大学が企画するオープン・ハウスもトレーニング効果を持っていると、東京大学の藤田
教授は認識している。大学院生が企業人の前で発表し、質問に答えることにより「企業が求める技術とは何か」、あるいは技
149
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
術開発の社会的価値ということを考える機会となる。
このようにポジティブな外部効果を持つ産学連携であるが、いくつかのデメリットも存在する。第一期科学技術基本計画
を機にポストドクの数を増やす施策が取られ、実質、その数は増加してきたが、イノベーション・システムにおける人材の流
動性が確保されていない現状において、アメリカでは研究者として一番生産性が高い時期とされるポストドクを効果的に活
用することが難しい。よって企業と共同研究・委託研究契約を結んだ際、ほとんどの場合学生が実験を担当することになる。
学費を支払い、トレーニングを受ける身分として大学に登録されている学生であることから、教育的配慮から担当するプロ
ジェクトが選択され、教官側の指導がなされるべきであるが、研究室の規模、研究プロジェクトの数からして、教育の質にし
わ寄せがこないとも限らないのというのが現状である。
(3)企業の大学に対する期待
企業から大学へ期待されていることは、研究開発に関することと、人材に関することの二点にまとめられる。まず研究開発
について述べる。
《要素技術、基礎技術研究、ハイリスクな先端技術研究の担い手としての期待》
大学の最重要な役割の一つは、従来同様、次世代を担う基礎研究を積極的に行うことであり、企業では取り掛かりにくい
ハイリスクな研究をとくに進めることである。とくに NMT の場合は、新しい要素技術がブレークスルーとなる場合が多く、期待
が大きい。
《大学との共同研究、装置利用によるデバイス試作への期待》
近年、大学の実験設備の充実、法整備など環境が改善されており、以前は共同研究への参加は大企業が中心であった
が、最近は中小企業の間にも要望が広がっている。また、NMT の研究開発を始めようとする企業にとって、試作装置を一
通り使用することができる大学の設備は魅力である。さらに研究開発が進んでいる企業においても、大学の特殊な装置は、
新たなデバイスの開発につながる場合があり、自由に利用できるような環境が望まれている。
《技術指導への期待》
NMT について広く見識をもつ大学教授のアイデアは、企業の研究開発について有用となる場合が多い。このとき、教授
側も市場のニーズなどの最新情報を得ることができるので、双方にとって有益である。大学へ技術相談に訪れる中で、他企
業で開発、保有している技術を紹介されることがある。NMT は幅広い技術を集積させたものであるので、他企業と共同で研
究開発をするメリットが大きいこともある。いわば、企業と企業の橋渡し役をすることである。眠っている技術の有効利用にも
つながる場合があり、双方にとって有益である。
《学会報告など最新情報提供への期待》
大学には、国内外の最新情報がそろっている。これらに自由にアクセスすることによって、NMT の最新動向を広く知るこ
とができ、研究開発に大いに役立つ。
次に人材についてまとめる。
《研究員のトレーニングについて期待》
幅広い技術をもとにしている NMT について、企業内で社員を教育するのは難しい。そこで、大学がトレーニングの役割
を担うことが期待されている。大学とは別に公的な人材養成機関が存在してもいいのではという意見も多い。
《研究員派遣による人の交流、ネットワーク形成への期待》
共同研究により大学に研究員を常駐させる場合、研究室内の教授をはじめとするスタッフ、学生、また他企業の研究員と
の交流が生まれる。様々な立場の人間が同じ部屋の中で研究生活を送ることで、刺激を受ける。研究員が企業へ帰った後
も交流は存在しつづけ、情報交換が続く。研究の進捗状況、実験条件など細かな情報を手に入れることができる。これは
公のものではないが、研究者どうしのネットワークの一つと言える。このような交流、ネットワークは幅広い知識、技術を必要
とする NMT 研究にとって重要であり、今後も促進されることが望まれている。
《有能な NMT 研究者輩出への期待》
大学から新たな技術を生み出すこともすでに述べたように重要であるが、学生を優秀な NMT 研究者に育成し、産業界
150
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
へ輩出することも期待されている。大学の NMT 研究は産業界と近い部分も多く、経験、知識をもった卒業生は即戦力とな
って活躍することが期待できる。
■ 米国の事例
米国の NMT 分野における産学連携に関して、2002 年 1 月にネバダ州ラスベガスで開催された国際会議 IEEE MEMS 2002
の会場で、産学連携に力を入れているカリフォルニア州とミシガン州からの有力研究者にインタビューを行った。その狙いは
文献調査では伺い知ることの難しい実情と本音を探ることである。インタビューに応じてくれたのは以下の3氏である。
-
Prof. Jack Judy, University of California at Los Angeles
Department of Electrical Engineering
-
Prof. Chih-Ming Ho, University of California at Los Angeles
Department of Mechanical and Aerospace Engineering
-
Prof. Khalil Najafi, University of Michigan at Ann Arbor
Department of Electrical Engineering and Computer Science
(1)現状
一連のインタビューから明らかになった共通事項をまとめると次のようになる。
①連邦政府の研究開発プログラム(例:NSF、DARPA、NIH など)は産学の協同を促進している。
②州政府レベルでも産学連携を後押しする枠組みがある。
③大学の技術移転機関が機能している。
④大学教官による企業へのコンサルティングは週1日が目安だが、厳守されていない様子。
⑤大学教官がベンチャーの起業に携わる際にどのような役職につくかは人さまざまだが、CTO や CEO、社長などの重責を
担う場合、1年程度の休職制度を使って事業確立に専念することも可能である。
⑥学生や社会人を対象とした数日間の短期研修コースを開設している。
⑦日本とは異なり企業から派遣されたエンジニアが大学の研究室で共同研究する事例は非常に少ない。これは知的所有
権の紛争を避けるための安全策である。
連邦政府のプログラムの一例を挙げると、米国国家科学財団(NSF)は 1973 年、様々な技術分野で長期的な産学連携を
促進するための産学協同研究センタープログラム(Industry / University Cooperative Research Centers Program)を創設、
また 1985 年には研究、教育、産学連携を重視する工学研究センタープログラム(Engineering Research Centers Program)
を創設した。これらの枠組みで設立されたセンターはいずれも継続中であり、コンセプトや運営形態の妥当性を示している。
後述するように MEMS 分野では前者のセンターが UC バークレー校に、後者のセンターがミシガン大などに設置されている。
また、1990 年代初めより大規模に MEMS 研究開発を後押ししている DARPA のプロジェクトでは、大学の研究者に応用研
究を進めるパートナーを民間から探して共同でプロポーザルを提出するように促すという。さらに、連邦政府が資金援助し
ている産学連携のユニークな例を挙げると、1998 年にカリフォルニア州で設立された Silicon Sight 社は NIH から 5 年間
1000 万ドル(約 13 億円)のプロジェクトを獲得、ジョンズ・ホプキンス大、ハーバード、MIT、UCLA などと協力して、視覚障
害のある患者向けに人工網膜システムの共同研究を進めている。
以下ではインタビューをもとに産学連携の取り組みや技術移転機関についてカリフォルニア州とミシガン州の実情を報告
する。
(2)カリフォルニア州
カリフォルニア大学は 10 のキャンパスを持ち、年間 24 億ドル(約 3120 億円)の研究予算を擁する巨大な知的生産集積
拠点である。カリフォルニア州はマイクロエレクトロニクス技術の革新的な研究とコンピュータおよび情報科学分野への応用
を支援するため、1981 年に UC MICRO プログラムを創設した。以来、500 社を超える企業がスポンサーとなってカリフォル
151
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
ニア大学における先進研究を支援してきた。2001-02 年を例にとると、96 社が 600 万ドル(約7億 8000 万円)相当の研究資
金・装置を寄付して 98 件のプロジェクトを実現している。この MICRO プログラムに続き、カリフォルニア州は 1996 年に広範
な産学共同研究プログラム(IUCRP)を創設した。IUCRP は前述の MICRO プログラムを取り込み、これを含めて6つの研究
分野(バイオテクノロジー、通信、デジタルメディア、生命科学向け情報技術、マイクロエレクトロニクス、エレクトロニクス製造
技術)を対象としており、カリフォルニア州立大学、マッチングファンドを拠出する産業界、カリフォルニア州の3者が協力し
て毎年数百件の研究資金を提供する仕組みができている。MEMS 関連の研究は主に MICRO で推進されている。
大学からの技術移転は 1991 年に設立された Office of Technology Transfer が統括する。特許収入の純益は発明者に
35%、キャンパス研究基金に 15%、発明者の属するキャンパスの一般プールに残りの 50%が分配される。カリフォルニア州は
特にバイオテクノロジー分野が強いが、技術移転の経済効果として同分野でこれまでに 140 社の新会社が設立されたとい
う。数字は把握していないが、MEMS 関連のベンチャーも多数ある。
デービス州知事は 21 世紀のカリフォルニア州の経済発展の礎となる California Institutes of Science and Innovation を
2000 年 12 月に発表した。複数のキャンパスが連帯する4つの機関でバイオ医療・バイオエンジニアリング(QB3)i、ナノシス
テム(CNSI)ii、通信技術(CAL-(IT)2)iii、情報技術(CITRIS)ivを重点的に研究する。州政府は各々の機関に対して4年間で
1億ドル(約 130 億円)の研究資金を拠出し、各機関は連邦政府や民間からその倍のマッチングファンドを確保する。例え
ばナノシステムを研究に取り組む CNSI には UCLA と UCSB が参画している。州政府からの資金は UCLA に 650 万ドル(約
8 億 4500 万円)、UCSB に 350 万ドル(約 4 億 5500 万円)が割り当てられ、主に研究施設の建設に使用される。次世代コ
ンピュータ(分子エレクトロニクス、スピントロニクス、量子コンピューティング)、バイオ NEMS、医療用分子イメージングなど
が主な研究テーマである。
このようにカリフォルニア州では州政府、民間、大学が一丸となって次世代の技術革新と経済発展を支える施策を着実
に実行している。ただし、大学の知的所有権の取り扱いについては依然として論議が進められており、すっきりとした結論
が出ていない。UC バークレーのホッジズ教授が行った9キャンパスを対象とした調査によると、特許権使用許諾の実践で
黒字を計上しているのは医学関係のキャンパス(サンフランシスコ、ロスアンゼルス、サンディエゴ)だけであり、農業関係
(デービス、リバーサイド)は収支トントン、その他(バークレー、サンタクルーズ、サンタバーバラ、アーバイン)に至っては赤
字である。同教授は、エレクトロニクスやコンピュータサイエンスの分野では商業的価値の高い大学保有の特許は少ないし、
知的所有権を強調することは「学び舎」としての大学の役割に害をもたらすので、大学の発明は公開してしまうか、民間のス
ポンサーに「ロイヤルティー無しの非独占権」を与えるのが良いと述べているv。前述した CNSI の例でも、施設の完成する2
~3年後にはインキュベーターの役割を果たすようになるが、知的所有権の問題は今なお検討中であるという。
以上は州政府の取り組みを記したものだが、NSF の役割も忘れてはならない。MEMS の発展に多大な貢献をしてきた UC
バークレーでは 1986 年に Berkeley Sensor & Actuator Center (BSAC) が設立された。民間企業と政府機関のコンソーシ
アムも資金援助をしている。年会費は 50,000 ドル(650 万円)で 30 社程度が会員として名前を連ねている。
(3)ミシガン州
ミシガン大学はもっとも古くから MEMS 研究開発を進めてきた世界有数の大学である。1970~90 年代に世界の主な学会
(Transducers、Hilton Head、MEMS、ISSCC と IEDM のセンサーセッション)で発表された論文総数は UC バークレーに次
いで第2位を占める。
このミシガン大学を中心として、NSF Engineering Research Center for Wireless Integrated MicroSystems(WIMS)が 2000
年に設置された。他に、ミシガン州立大学とミシガン技術大学が連携する。WIMS プログラムは研究、教育、産学連携/技術
移転を3つの柱としており、マイクロエレクトロニクス、無線通信、MEMS 技術を組み合わせて従来存在しなかった新しいセ
QB3: California Institute for Bioengineering, Biotechnology, & Quantitative Biomedical Research.
California Nanosystems Institute.
iii California Institute for Telecommunications and Information Technology.
iv Center for Information Technology Research in the Interest of Society.
v “University-Industry Cooperation, and the Emergence of Start-Up Companies,” RIETI 政策シンポジウム
「産
学連携の制度設計:大学改革へのインパクト」でのプレゼンテーション、2001 年 12 月 11 日、日本学術会議講堂。
i
ii
152
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
ンシングおよびコントロールシステムを作り上げることを目的とする。このプログラムの財源は NSF(50%以上)、コンソーシア
ム、ミシガン州、参画している3大学(固定費の削減など)によって賄われる。コンソーシアムの会費は次の通りである。
表Ⅶ-3 WIMS コンソーシアム会費
メンバーシップ
年会費
ミシガン州中小企業* 基本会費
$10,000
参加メンバー 基本会費
$50,000
オプション
WIMS 参加教授の指名
$50,000
技術者派遣
$60,000
賛助会員**オプション
$100,000
* 従業員 50 人未満で年商$10M 以下、もしくは Executive Committee の判断による。
** $100K 以上のオプションを選択した企業は、賛助会員の資格を持つ。
(出所:WIMS 説明資料)
産学連携のために上記のように一定の枠組みができているが、技術移転をいかに促進すべきか、米国でも大学にとって
今なお新しい課題であるとナジャフィ教授は指摘する。以前であれば、政府からの研究資金を使って得られた成果を論文
や教育を通じて公開することで社会に還元できたが、現在は研究成果と経済効果との関連性が問われるようになり、若干
の圧力にさらされるようになった。とはいえ大学は企業の開発センターに堕してもいけない。大学としては企業からの資金
提供の見返りとして研究成果を共有するだけでなく、企業との協力を通じて何かを学び取ることができるとか、学生がインタ
ーンシップを体験できるなど、双方にとって長期的にメリットがあるような関係を築いていくのが望ましいと同教授は述べて
いる。こうした教育重視の姿勢の一貫として社会人(および他大学の学生)の教育に力を入れる意向であり、セミナー、イン
ターネット授業、夏季短期研修コースなどを提供していくという。
(4) まとめ
米国では 1980 年のバイ・ドール法制定以後、大学から産業界への技術移転が著しく増加した。AUTM(Association of
University Technology Managers)の調査によると、同法制定以前に大学が取得した特許は年 250 件以下だったが、1993
年頃から平均して 1600 件を上回るようになり、近年では 2000 件を上回るようになっている。現在、技術移転を実施する大
学は全米で 200 校を超え、1980 年の 8 倍以上となっている。しかし当事者の話を聞く限り、バラ色の統計数字の裏には、
独創的な仕事をしたいという研究者の願望、次代の科学者・技術者を育成する教育者の役割と、研究成果を社会に還元
するという時代の要請のはざまで葛藤する大学人の姿がうかがえる。日本の研究会と比べると、コンソーシアムの会費がケ
タ違いに多い。その分、企業からの要求は厳しいものと推測される。
■ 日本における NMT の展望
(1)今後の課題
ここではヒアリングを行った際、NMT の分野における今後の課題として指摘された点を、研究開発、人材育成、インフラ、
製品化の四つの面からまとめてみる。
《研究開発》
NMT の分野の特徴である基礎研究と応用研究の密接な関係から、同時に先端的な研究と製品化をターゲットとする研
究開発を進めていくことがフロントランナーとしての地位を築くために必須となる。そこでいかに先端的研究と応用研究のバ
ランスをとっていくかという問題が生じる。企業においては製品開発を最終目的とした研究環境、大学においては「知識の
創造」のバイ・プロダクトである研究の教育効果、また応用研究から基礎研究へのフィード・バックを可能にする研究環境が
153
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
設定されている。この二つの異なる研究環境が存在するが故に、人とアイデアがそれぞれの成熟のレベルに適した研究環
境を求めて移動し、そこでさらに成熟度を増し、プロセス・イノベーション、プロダクト・イノベーションへとつなげていくことが
可能になる。よって大学の「企業化」、企業の「大学化」という形で先端的研究と応用研究のバランスを取るのではなく、大
学と企業の間で問題意識の共有を図りつつ、二つの異なる研究環境の補完的をフルに活用することが望ましい。
次に大学側として「産業が期待しているのは何か」を考える必要があるとの指摘があった。単にデバイスを小型化すること
だけが NMT の目的ではなく、デバイスの機能、使用環境、システム化への対応といった企業側のニーズを踏まえた上で大
学での研究を進めることにより、よりスムーズな技術移転が可能になる。産学間で問題意識の共有を図るということが必須で
あり、学会、コンフェランス等、既存のチャンネルを活用することによりコミュニケーションを深めることが可能であるが、TLO、
インキュベーション施設、産学協同研究センター等の役割の一つとしてコミュニケーションの場を提供することを位置付ける
ことが望ましい。
NMT は半導体微細加工をベースとしながらも、幾多の工学分野の融合により開発される技術であるが、さらに化学、生
物学、医学等と融合することにより応用分野は大きく広がっていく。分野毎に発展してきた学術体系の枠組みにとらわれず
に、それぞれの分野における専門家が連携を取り合いながらプロジェクトを立ち上げ、新しい技術パラダイムの構築に貢献
すべきだが、これには人の交流はもちろんのことであるが、横断的な研究を可能にする研究資金、研究施設、人材の配分
が必須となる。2001 年に総合科学技術会議が設置され、日本の研究システムの再考が進められている今日、多領域に渡り
新産業創出のポテンシャルを持つ学際的研究をサポートする措置が取られることを期待する。
企業側から指摘されたのは、将来の見極めが難しく、市場の輪郭が明確でない場合、新しい研究開発に取り組めないと
いう点である。NMT は技術基盤のひろがりが大きくしかも標準化・共通化が難しい分野であり、かつその技術を取り込んだ
製品の市場化が進んでいない状況にあって、企業としては、新産業創出のポテンシャルを持っていることを認識してはいる
ものの、独自でプロジェクトをはしらせるにはリスクが大きい分野とされている。この点においても、有効に大学との補完性を
活用することにより、企業の参入コスト、リスクの分散をすることが可能となる。
《人材養成》
NMT の産業化という視点からどのような人材が必要とされるかというと、一言にまとめると包括的にこの技術を把握できる
人あるいはチームとなる。企業のニーズを理解し、加工技術・工程の制約を踏まえた上で、いかなるデザイン、システム設
計が必要とされるかを判断し、また完成されたデバイスの市場性までも見極めることができる人材の存在が、技術シーズの
事業化の鍵となる。現時点においては、大学・企業が各々の場において守備すべき技術開発を行い、OJT の効果をあげ
てはいるものの、アイデアから製品化までのプロセスを包括的に体験する機会に恵まれることは極まれである。人材養成と
いう視点からも人材交流が必須なものとなる。
企業において、研究資源を有効活用し、経済効果の最適化を計るために、技術陣と経営陣が連携し技術マネージメント
を行う必要がでてくるが、この役割を遂行する人材を OJT のみで育成するには限度がある。また先にも述べたが、産業化に
際して、学際的研究が重要な役割を担うことから、一つの学術分野に凝り固まらず、フレキシブルに他の分野のアプローチ
を受け入れられる許容度を養うことも大事である。これらのことから、教育機関としての大学が、横断的に科目を取れるよう
にカリキュラムを設計し、また技術経営といった教科を取り入れることを期待する。
また NMT のように日進月歩で技術が進む分野において企業の技術者・研究者の再教育が必須である。ここでも OJT に
は限界があり、NMT 分野の技術レベルの底上げをするという観点からも、トレーニング・プログラムを公の機関が導入するこ
とが望ましい。幾多の分野にまたがること、また研究室によりトピックスとして取り上げる研究課題が異なることから、一つの
大学にトレーニング・プログラムを集中させるというより、教育機関をネットワーク化し、カリキュラムを組み立てるほうが効率
的である。
基礎知識・専門知識の供給といった本来の機能を十分に果たしつつ、より広義な教育を提供することを大学は求められ
ている。
《インフラストラクチャー》
半導体製造と異なり NMT においては標準化・共通化の難しい工程を多く含み、インフラの面からも多種多様で高額な機
械設備、高レベルなクリーンルーム等特殊な施設が必要とされる。よって新技術を開発するためには多大な参入コストが課
154
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
され、中小企業が NMT を取り入れることに躊躇する大きな原因となっている。また大企業においても新しいデバイスの試作
をする際、必要とされるすべての設備を自前で調達できるケースはまれで、他の研究機関、時によっては他の企業の設備
を活用するということが通常行われている。
大学は研究施設においても企業に対し補完的な役割を担っているというのが現状である。産学協同研究センター、VBL
等をオープンラボとして企業の技術者・研究者に開放するという試みがなされているが、これらの施設にはメンテナンス要
員の予算が組み込まれていないことから、必然的に大学院生、大学の研究者が対応することになり、施設のメンテナンスに
限界が生じてくる。人件費も考慮に入れた研究費の投入を期待する所以である。
現時点において NMT を作製できる設備を持っている大学は数が限られていることからも、すでに COE 的な存在となってい
る大学が公共的立場から他の大学、企業の研究開発をサポートしうる体制を構築することが望ましい。具体的には新技術
の動向への対応を可能にさせる設備投資、設備を使用する際のルール作り、メンテナンス要員の配置、技術相談・技術指
導の担当者の配置等が挙げられるが、肝心なのは、インフラ・人・ルールが揃って始めて効果的な施設の活用が可能にな
るという点である。
電気学会センサ・マイクロマシン準部門のメンバーが中心となり、ファウンドリ機能を持ついくつかの企業と提携しマルチ
チップサービス(MICS)を提供する組合が組織されている。アイデアを検証試作の段階に持っていくことを可能にするが、
一枚のウエハの上に数種のチップをのせることから、設計、プロセスの上での制約がでてくる。NMT 分野への参入者を増
やすという啓蒙的な役割を果たしているが、その次のステップへ移行するとなると、大学の研究施設と数社のファウンダリ施
設を兼用している現在の体制でニーズに応えるには限界があるように思える。
NMT の産業化という視点からも、上記のような大学の研究施設等を活用することによって検証試作までは可能であるが、そ
の先実用化に向けた製品化試作、量産を視野に入れた場合、このようなニーズに対応できる施設が存在するのかという点
が問題となる。
公共研究機関において産業技術総合研究所の機械システム研究部門、計測標準研究部門、大阪府立産業技術総合
研究所等、NMT の施設を有するものもあるが、それぞれの機関のミッションとの適合性、制度上の制約、人材面での制約
から、企業のニーズに迅速に対応できる環境が整備されているとは言いがたい。
さてファウンドリ機能を持つ企業であるが、半導体部門のインフラ、蓄積された技術を活用して MEMS のファウンダリ・サービ
ス業に参入するタイプと、自社の事業領域に MEMS 技術が関連していた企業とがある。カバーする範囲として検証試作か
ら量産までの一つのステップを行う企業、いくつかのステップを行う企業、自由度の高いプロセスを提供する企業、標準化
を重視する企業と様々であるが、ユーザー向けのサービスを開始してから日が浅いことから、実績を構築していくことがこれ
からの課題となる。また少数多品種であってもユーザーのニーズに合わせて安定したデバイスを提供すること、常に基盤技
術をリニューアルすることを要求される分野であることから、営業収益をあげるためにどのようなビジネスモデルを確立する
のかという課題も残る。
よって現時点において、製品化試作を必要とするユーザーに対し、ファンウンダリ・サービスを提供する企業は存在する
が、その中からユーザーが企業を選択する際、情報の非対称の問題が発生する。また NMT のように産業化が進んでいな
い分野においては、ユーザーにとってコンサルティング・サービスは不可欠のものであるが、これらの企業がどこまで対応す
ることができるのか明白でない。
《製品化》
NMT の分野において論文の数はかなり多くなってきたが、実用化可能なものが少ないとの認識がある。またシステム化
する際必要とされる要素技術が未完成であるとの指摘もあった。これらの問題に対しては、プロジェクト設定の段階で産学
間における問題意識の共有を図ることが有利に働くものと見られる。
このように知識の蓄積は成されたものの NMT の産業化が進んでいないという危機感をインタビュー先の多くの人たちが
共有していた。その原因として指摘されたのが、開発段階に応じたファンダリー・サービスが身近なところに無いという点で
ある。前記の東北大学の VBL、立命館大学のマイクロシステム技術センター、MICS、ナノデバイス・システム研究所、MEMS
コア等は、この欠陥を補うものとして設立されたと言っても過言ではない。政府の研究開発資金を活用し、あるいはベンチャ
ー企業を立ち上げることによりパッチワーク的にファウンダリ・サービスを提供する機関が増えつつある。企業の動きはすで
155
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
に記述した。ここであえて「パッチワーク的に」と書いたのは、これらの機関がコーディネートされていないという点を明白に
するためである。ファウンダリ・サービスとは規模の経済が働く分野であり、分散化するよりも集約した形でサービスを提供す
る方が効率的である。これまでの政府の研究資金は多種多様な受け皿を設け分散された形で投入されてきた。その結果
複数の研究機関においてインフラ整備が可能となったが、高額な装置の購入は難しく、設備投資の重点化が図られること
なく今日に至っている。
この問題の解決策の一つとして、既存のサービス・プロバイダーをネットワーク化し、コーディネート役を果たす機関を設
置することが考えられる。ネットワーク化により、各サービス・プロバイダーが持つ装置、技術基盤、ノウハウ、人材を補完的
に活用することが可能となり、またコーディネート機関を設置することにより、情報の収集、発信が可能となり、ユーザーとサ
ービス・プロバイダーのマッチングが円滑になされることになる。
しかし、アイデアを製品化させるにはシステムを構築するだけでは不十分である。コーディネート機関にはコンサルティン
グからソリューション・サービスまで幅広くユーザーに対応することが必要とされることから、システムを効率的に運用するた
めには技術面・経営面において専門知識・体験を備えた人材を確保することが重要なポイントとなる。
またサービス・プロバイダーの中に営利目的の企業と非営利目的の大学等の研究機関が共存する場合、コーディネート機
関においてはユーザーとファンウンダリのマッチングに関する明白なルール作りが必要となる。ここにおいてもシステム・人・
ルールが揃って製品化に向かったファウンダリ・ネットワークの有効活用が可能になる。
(2)政策提言
今後の課題として取り上げた問題を踏まえた上で、政策提言を試みる。
《ファウンダリ・サービス》
新産業創出のポテンシャルを持ちながら、参入コストの高さ、フレキシブルに対応できるファウンダリ・サービスの必要性、
多品種・少量生産という市場の特性等、これらの諸条件をクリアすることが困難なことから、今日まで大学・企業・国公立研
究所において蓄積されてきた知識・技術が産業化に結びついていないというのが現状である。アメリカにおいては着実に
NMT の産業化が進み、またヨーロッパ諸国においても NMT が新産業の基盤を形成しつつある。NMT の持つポテンシャル
を活用する術をつかめずにして、今日の状況が続くとしたら、この分野における研究プロジェクトは先細りとなることが自明
である。ここで企業の動機付けが薄らいだ場合、欧米で新しく構築されつつある産業への参入の道が閉ざされるのみなら
ず、これまで構築してきた知識・基盤技術の更新を怠ることにより、他の技術との融合から今後さらに裾野が広がっていく産
業への「入場券」をも放棄することになるのである。さらには、これまで企業と大学は相互にフィードバックを与えつつ NMT
分野の知識を構築してという経緯から、大学における研究活動にも少なからずマイナスな影響を与えると考えられる。
よって、新産業創出、次世代の産業への先行投資、研究活動の活性化という視点から、プロトタイプのレベルにまで持っ
てきた技術をいかに製品化、産業化させていくかということが政策課題となる。ここで一番のネックとして大学・企業の両サイ
ドから認識されているのがファウンダリ・サービスの問題である。ファウンダリ-・サービスを提供できる機関は、大きく分ける
と、大学内の研究施設とファウンダリ-・サービスをビジネスとする企業の二つとなる。前者は特殊な装置を持つものが多く、
検証試作まではすでにカバーしている。後者は、サービス・プロバイダーとしての実績を積み重ねつつあるという段階であ
ることから、明白に位置付けることは難しいが、製品化試作までこぎつけたデバイスを対象とすることが主流になるであろう。
このパズルで欠けているのが、検証試作から製品化試作までをカバーするファウンダリ・サービスである。一つには、5.(1)
で示したように、ファウンダリ・サービスをネットワーク化することでこのパズルの穴を埋めるという方法がある。その際、コー
ディネート機関の設置を政府がサポートすることが考えられる。既存の施設を活用し、立ち上げが比較的ローコストであるこ
とから、短期的に導入することが可能となる。しかし、目的の異なる大学・公共研究機関と企業のコーディネーション、ネット
ワーク間を移動するデバイスの品質管理・保証の担保、デザイン機能の充実等、カスタマーのニーズに対応できるようにな
るまでに更なる投資や調整が必要となるであろう。
これらのことを踏まえると、デザイン及びテクニック面からのサポート、コスト・パーフォーマンスの面からのアドバイス等、ソ
フト面でのサービスも提供しつつ、大学・企業(特に製品開発型中小企業)から生まれたシーズをインキュベートしていく機
156
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
関の構想が浮上してくる。インフラ面で巨大なコストがかかること、公共性を保ちながらも、ビジネス志向の技術開発にフォ
ーカスすること、またこの機関がもたらすとされる波及効果が多面に及ぶことから、一民間企業、一公共機関として設置する
のではなく、公共的要素を含むサービスを提供する見返りとして、政府から契約ベースで補助金を受ける、NPO の形態iが
ふさわしいと思われる。
ひとつの試みとして、「ナノ・マイクロテクノロジー・センター」構想を表Ⅶ-4に示す。
表Ⅶ-4 ナノ・マイクロテクノロジー・センター
ミッション
○技術シーズの実用化
○NMT 分野における技術基盤の構築
○専門技術者の育成支援
業務内容
○技術相談
○デザイン・サービス ○実証試作
○製品化試作
○少量生産
カスタマー
○中小企業を重視
公共性
○新産業創出に貢献
○中小企業のサポート
○技術基盤の拡充に貢献
他の研究機関との関係
○研究開発
○人材育成
大学:技術基盤の拡充を目的とする共同研究、委託研究
企業:試作品の共同開発
ファウンダリ・サービスをビジネスとする
○生産規模による差別化
企業との位置付け
財政基盤
○政府の補助金
○競争的研究資金
○会費
○サービス提供による収入
《人材》
人材という視点からも、パズルに欠けている一片がある。上述の仲介的役割を担うべきコーディネート機関あるいはナノ・
マイクロテクノロジー・センターにおいてカスタマーの受け皿となるプロフェッショナルである。これらの機関の実効性は、研
究者としての実績を持ち、かつ企業のニーズをデバイスとして表現するスキルを持つ人材を確保できるか否かにかかってく
る。研究者の流動性を妨げるバリアは、徐々に取り除かれはしているものの、大学・企業の両サイドの体験を持つ人材が少
ないというのが現状である。よってプロフェッショナルの養成が必須なものとなる。また NMT のように新陳代謝の激しい技術
分野において、企業がポジショニングしようとする場合、特定のスキルを持つ技術者の確保、またすでに雇用されている技
術者のスキルアップは避けることのできない問題となる。そこで、どこにこのような人材及び人材養成を求めるのかということ
になる。これらの観点から言えることは、今日、大学に求められるのは、教育機関としての役割であり、また大学はその役割
を果たすのに最もふさわしい機関であるという点ではなかろうか。既存の一般学生向けのカリキュラム、社会人を対象とした
レカレント教育、企業との共同研究・研究者の受け入れ等から派生的に生み出される教育効果等をより実効的に活用する
ことが望まれる。大学教育の社会のニーズへの対応性を高めることは一朝一夕にしてできるものではない。「大学発ベンチ
ャー」等といったキーワードに象徴されるように、知的財産に焦点を合わせた「短期的な大学の社会貢献」が重視される傾
向にあるが、「人的資本の形成とその質の向上」という本来の「中・長期的な大学の社会貢献」と前者との極端なアンバラン
スは避けるべきである。大学も自らのミッションを模索しつつある今日、オピニオン・メーカーとしての政府の責任は大きい。
i
利益が出た場合は、研究開発費として機関に再投入することを想定する。
157
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
■ おわりに
NMT 分野における産学連携の現状と課題についてここまで論じてきたが、産業政策の面から NMT 分野を考察して本論
の締めくくりとする。
経済低迷が続く中、ハイテク産業の代表的存在であった半導体産業も日本の経済成長の牽引役から一歩退いた状況に
ある。大手企業の技術開発戦略においても、インハウスの技術開発から数社の連携へと変化の兆しが見られる。しかし半
導体産業においては「少品種大量生産」というパラダイムが依然として存在することから、巨額な設備投資、シリコン・サイク
ルは避けがたいものとなっている。シュンペータの「創造的破壊」の光と影の両サイドを反映しているのがこの産業である。
このジレンマを回避する一つの術として、これまでの生産パラダイムに補完的な「多品種少量生産型」、「分散型」、「カスタ
ム志向」の産業構造への移行を考えるべきではなかろうか。まさに NMT 分野はその候補者である。新産業創出のポテンシ
ャルを持ちながら、市場の把握が困難なこと、市場規模が限られていることから、産業化に結びついた事例は数少ない。
NMT 分野が内包するオポチュニティをいかに活用していくか、またそれを政府がどのような形でサポートしていくか、産学
連携への大きなチャレンジである。
■ 参考資料
(1)文献
1.
Gibbons, M. et al. (1994), "The new production of knowledge," London, Sage Publications.
2.
Harayama, Y. (2000), “Technological Paradigm Change and the Role of University Research: The Case of
Micromachine and Japanese Research Universities,” Working Papers, No. 00.02, Department of Political Economy,
University of Geneva.
3.
機械システム振興協会(2002)、「マイクロ・ナノ製造技術ファンドリーネットワークシステム概念に関する調査報告書」
4.
筑波大学先端学際領域研究センター(2001)、「大学発ベンチャーの現状と課題に関する調査研究」
(2)インタビューのリスト
東京大学 藤田博之教授
東京大学 北森武彦教授
早稲田大学 庄子習一教授
立命館大学 杉山進教授
名古屋大学 佐藤一雄教授
東北大学 江刺正喜教授
産業技術総合研究所 前田龍太郎氏
大日本印刷 高野敦氏
フジクラ 滝沢功氏
オリンパス光学工業株式会社 三原孝士氏
インターメディア 小嶋忠茂氏
堀場製作所 松田耕一郎氏
158
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
日本国内における研究開発i
企業
1960 年代
1970 年代
1980 年代
1990 年代
豊田中央研究
オリンパス光 学が参
集積化ピエゾ型圧力センサ
村田製作所が参入(1990)
所が参入(1962)
入(1978)
(トヨタにより商品化:1984)
オムロンが参入(1990)
半導体式圧力
ISFET イオンセンサ
振動型圧力センサ Dpharp
振動型圧力センサ Dpharp (横
センサ(豊田中
(オリンパス:1978)
(横河電機:1986)
河電機により商品化:1991)
研:1963)
横河電気が参入
圧力センサ(デンソーにより
集積化アクティブ光学式マイク
デンソーが参入
(1970 年代後半)
商品化:1980 年代)
ロエンコーダ(NTT:1991)
NTT が参入(1987)
トキメックが参入(1994)
(1968)
静電浮上型慣性計測システム
(トキメック: 996)
3 軸容量型加速度センサ(村田
製作所:1996)
大学
自己複製型機
ISFET(松尾:1971)
集積化マスフローコントロー
械のコンセプト
マイクロ ISFET:セン
ラ:集積化クローズドループ
(渡辺:1962)
サパッケージング(江
制御(江刺:1986)
刺:1973)
マイクロ歯車(藤田:1987)
発表論文数が増加
Gabriel 教授東京大学へ招
聘(1989)
工 業 技
マイクロメカニクスリサーチグ
マイクロマシンプロジェクト中間
術院
ループ (計量研, 88-)
報告(96)
学会
電気学会センサ・マイクロマ
MEMS workshop 奈良(90)
研究会
シン準部門 (85-)
マイクロメカニクスリサーチグル
Transducers'87 東京
ープ (90-)
マイクロマシンリサーチグル
International
ープ (88)
Micromechatronics and Human
第1回センサシンポ (88)
Science (90-)
Symposium
on
マイクロマシン連合 (93-)
Transducers'99 仙台
技 術 政
極限環境ロボットプロジェクト
マイクロマシンプロジェクト(250
策
(83-90)
億円)
ロボット学会内での研究会
マイクロマシンセンター(91)
(88)
マイクロマシン国際シンポジウ
極限環境ロボット次期プロジ
ェクト調査(88-89)
ム(95-)
マイクロマシンサミット(95-)
通産省によるマイクロマシン
プロジェクトの発表 (89)
産総 研 内での 準 備委員会
(89-90)
i
この表の目的はマイクロマシンについて特記すべき事柄をまとめるもので、包括的なものではない
159
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
海外における研究開発
1950 年代
1960 年代
1970 年代
1980 年代
技 術 的
ピエゾ抵抗効果 (54)
初のマイクロマシンデバイ
シリコンをベースとした
加速度センサ, 複合セ
流れ
ナノテクノロジーのコン
ス:
圧力センサ
ンサ, アクチュエータ,
セプト(Faynman, 59)
イメージャ(60 中期)
シリコンのエッチング技
電子デバイス システム
ひずみゲージ (60 後期)
術によるマイクロマシニ
オンチップ化の実現
ングの誕生
⇒ マイクロアクチュエー
タ , MEMS の 誕 生 (80
後期)
固体センサアクチュエー
タが機械工学,ロボット
分野へ進出
電子 回路のオンチ ップ
化
Microdynamics in "Small
Machines,
Large
Opportunities" (NSF, 87)
企業
フォトファブリケーション
結晶異方性エッチング
"Silicon as a Mechanical
(RCA, 51)
(Bell Lab, 62)
Material" (Petersen, 82)
マテリアルオリエンテッ
シリコン微細エッチング技
マ イ ク ロ 歯 車 (AT&T
ド リ サ ー チ (Bell Lab.
術 (Westinghouse, 67)
Bell Lab, 87)
Honeywell,
Westinghouse)
大学
Stanford 大 スタート(中期
Case Western Reserve
LIGA プロセス (西ドイ
研究所
60)
大: マイクロモータ,
ツ, 82)
Berkeley, Michigan 大,
サーフェスマイクロマシ
MIT スタート
ニ ン グ
シリコン微小電極: シリ
Wisconsin: 80 中期)
コン微細構造(Stanford,
シリコンターボ加速セン
70)
サ (スイス, 86)
圧力センサ: センサパ
マ イ ク ロ 歯 車 (Berkeley,
ッケージング (Stanford,
87)
73)
静電マイクロモータ
集積化ガスクロマトグラ
(Berkeley, 88)
(Berkeley,
フィ: センサ + アクチ
ュエータ (Stanford, 75)
集積化圧力センサ: セ
ンサ
+ 電子回路
(Michigan: 79)
学会
Transducers (81-)
研究会
IEEE MEMS workshop
organized by Gabriel %
Trimmer (87-)
160
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
JTECH's
report:
Advanced
Sensors
in
Japan (88)
Transducers
in
CH
Montreux (89)
米 国 技
NIH ファンディング
術政策
NSF
funding
Emerging
on
Technologies
Initiative (80 後期)
Advanced
Research
Projects Agency funding
(80 後期)
161
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
7. 科学技術政策決定メカニズムに関する調査
(独)経済産業研究所
児玉 文雄
東京大学工学研究科
玄場 公規
■ 1.米国におけるゲノム関連科学技術政策と産業化の推移
(1)1970 年代
ゲノム解析、また遺伝子組換え技術に代表されるニューバイオテクノロジーの流れは、ワトソンとクリックのDNAの二重ら
せんモデルが提出された 1953 年に始まったといえる。ただし、遺伝子を構成するDNAの塩基配列をシステマティックに解
析する方法は、1975 年の英国人のサンガーによるDNAの塩基配列法まで待つ必要があった。この時点でゲノム解析を行
うことは原理的には可能であったが、ヒトゲノムのような巨大なゲノムを解析することは現実的に不可能であった。
そのため、ゲノム全体を解析する構想以前に、有用な蛋白質の生産を大腸菌等により行う遺伝子組換え技術の実用化
が先に進んだ。大腸菌等に有用遺伝子を組み込む、いわゆる遺伝子組み換え技術の開発は、既に 1972 年に行われてい
た。1977 年には世界初の遺伝子工学ベンチャー企業であるジェネンテックが設立され、1978 年に同社はバクテリアにヒト成
長ホルモンを作る遺伝子を組み込むことに成功している。
ここで注目すべきは、バイオテクノロジーの担い手としてベンチャーが登場し、以後の米国のバイオのビジネスモデルと
なったことである。ただし、この時点でのベンチャーのあり方は、科学と産業の橋渡しの役割というよりは、技術開発を自ら行
うのみでなく、それを製品として実現化し、最終製品を生産するという方向であったと考えて良い。
ジェネンテックは結果として大企業である 1990 年に Roche に買収されたが、やや遅れて 1980 年に設立されたアムジェンは
自社で開発から生産までを行い、現在では既に大企業といえる規模にまで成長している。
大学においては、米国のコーエン、ボイヤーの遺伝子組換え技術の特許が 1974 年に成立し、1997 年に特許の権利が
消滅するまでスタンフォード大学に多大な利益をもたらした。これは、以後の米国における特許の重視、TLO の発展と大学
経営との関わり、大学からのシーズ創出とベンチャー創業等において、トリガー的な役割を果たしたと考えられる。
なお、米国のバイオ政策面については、1970 年代には特筆されるべきものはないと考えられる。
(2)1980 年代
1980 年代になってもゲノム解析はすぐには提唱されていない。米国でなく、日本において 1980〜1983 年に実施された科
学技術庁のプロジェクトで、当時東大の教授であった和田昭允氏(現理化学研究所ゲノム科学総合研究センター長)が中
心になって、DNAの塩基配列決定装置開発が行われ、これはゲノム解析プロジェクトにつながる可能性があった。結果と
してこのプロジェクトはそのような発展をみなかったことは、科学技術政策からみて重要な問題といえるが、ここでは詳細に
触れない。
米国では 1980 年代に産業の競争力低下が論じられ、以下のような点で日本が明確に意識された。
・
米国の優れた成果をタダで使われている
・
米国は研究開発に優れていても商業化が苦手で、その結果米国の産業競争力が低下
以上をふまえて、基礎研究成果の商業化をいかに図り、米国の産業競争力を高めるかという視点から、以下のような政策
立案された。
①
バイ・ドール法(1980年):公的資金による研究成果の所有権を大学、中小企業等に認め、大学のTLO増加につな
がった
②
SBIR(1982年):ベンチャー企業、中小企業の研究開発、事業化を支援
162
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
③
CRADA(1986年):民間企業の研究費を活用した国研のシーズの技術移転促進
④
プロパテント政策:1985年のヤングレポートが代表例
以上の政策は、現在に至るまで、米国のバイオテクノロジー、バイオ産業の競争力強化に大きく貢献した。ベンチャー支
援策が充実してきた背景には、産業の競争力強化の視点とともに、マイクロソフトやアップルを始めとする IT 関連ベンチャ
ーが多数輩出したことも関係していると考えられる。特にバイオテクノロジーの場合には、その技術や産業がもつ以下のよう
な特性から、上記の施策が大きな効果を発揮したと考えられる。
①
バイオのシーズは大学や国研に多い
②
(ライセンスアウト等を含む)技術開発まではあまり資金がかからず、ベンチャーを創業しやすい
③
特許の保有、その活用が極めて重要
④
最終的な事業化には資金が必要で、大企業が担い手の中心となる
上記のような要因により、バイオベンチャーの設立は増加し、ベンチャーの担う役割も多様化した。自社が発展して大企
業になるというのみでなく、大学や国公立研究機関のシーズを導入して技術開発し、それを大企業に移転するといったモ
デルが確立したと考えられる。
大学においても、シーズの創出のみならず、研究者自体がベンチャーの創業に関わるという形態が多くみられるようにな
った。同時に、TLO の役割は拡大していった。
米国の場合、NIH 自体の研究費、また NIH を通じた研究費が非常に多いが、それらの成果である特許を利用した事業
化の道が開かれた。また、民間の研究費により NIH で成果があがった場合の成果である特許を独占的に利用することも可
能になった。大学(TLO)、大学や国公立研究機関の研究者、ベンチャーを中心とした民間企業にインセンティブが働く仕
組みができあがったといえ、上記の政策がバイオ産業振興に果たした役割は非常に大きかったと考えられる。
なお、ヒトゲノム解析構想は、米国では 1985 年頃にその萌芽があった。その過程で注目されるのは、当初 NIH よりも
DOE での動きが活発であったことである。しかし、技術評価局等も含め、多くの議論が行われ、多くの関連レポートが出た
後で、1988 年には国家としヒトゲノム解析推進を行うことが決定され、NIH と DOE の協力体制ができあがったことである。国
家としての戦略性、多くの議論が戦わされた後での省庁連携による巨大プロジェクトの推進といった点では、日本は米国に
見習うことが多いといえる。
もう一点注目すべきなのは、1985 年の PCR 法の開発、1986 年の蛍光法 DNA シークエンサー開発等、ベンチャー企業
による支援技術の開発が進んだことである。これらの技術も大企業に移転される場合や、これらを開発したバイオベンチャ
ー企業を大企業が買収する場合もある。しかし、独立した技術・事業として成立する点、またその技術開発がゲノム解析へ
貢献した点で科学の進展にも寄与したという点で注目する必要があると考えられる。
政策面においても SBIR の対象となっているテーマには、この支援技術に係る場合が多い。支援技術の強化がバイオテク
ノロジーとバイオ産業の競争力強化に係っていることを認識した上での戦略とみることができる。
(3)1990 年代
1990 年代にはヒトゲノム解析計画が進展した。
しかし、産業化の視点で注目されるのは、ヒトゲノム解析計画が開始された直後の 1991 年からゲノム情報を商業化する
ベンチャー企業の成立が相次いだことである。これらの企業は製薬企業等にゲノム情報を提供することで、対価を得る。こ
のようなビジネスモデルが成立し、いわゆるゲノムベンチャーが増加することは、ゲノム計画を開始した米国政府のシナリオ
にはなかったことと考えてよい。
これらの企業の中には、大企業への情報提供のみならず、複数の大企業と提携したり、自社で製薬企業になろうとする
企業(Millenium Phamaceuticals)等多様な企業があった。
しかし、多くは情報提供を基盤とした受託型の事業であり、創薬ベンチャーより短期で事業化、投資回収が可能といった
点で、1970〜80 年代に設立されたバイオベンチャーとは、異なるといえる。DNA チップのようなハードの技術を有する企業
も多いが、データベース、情報解析・処理等、情報・ソフト的な側面が、1980 年代までのベンチャーより強くなったことは間
違いない。
163
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
このようなゲノムベンチャーの中でもセレーラ・ジェノミクスは、国際ヒトゲノム計画と競合する形で事業展開を進めた企業
として有名である。その創設者であるクレイグ・ベンター博士は、元々は米国 NIH におり、1991 年に DNA 断片の特許を申
請し、1992 年には非営利の TIGR を設立している。遺伝子として発現する cDNA への注目、全ゲノムショットガン方式による
ヒトゲノム解読等、研究者として異端児とはいえるが、そのあり方は非常に注目される。
なお、前述したように、CRADA は 1980 年に開始されたが、その利用が急増したのは 1996 年頃からである。1999 年頃に
は、時価総額で 20 億ドル以上のゲノム解析ベンチャーがみられるようになった。
(4)2000 年以降
2000 年6月に、ヒトゲノム解析結果のドラフト概要が発表された。
一方、2000 年にゲノム産業が株式投資から得た資金は 314 億ドルにのぼり、史上最高となった。中でも株式市場からの
資金調達額は、全体の約 60%の 185 億ドルにのぼった。これは 1992 年から 1999 年までの 8 年間でゲノム産業が株式市
場から調達した総額 168 億ドルを上回るという記録的な数値である。
株式を公開する企業も増加し、2000 年には 68 社のゲノムベンチャーが株式を公開している。1997 年の 16 社、1998 年の 6
社、1999 年の 7 社と比較するとこの数値も記録的である。この背景には IT 関係からバイオ、ゲノム系への投資先の転換と
いうこともあった。
ただし、2001 年に入って、ゲノムベンチャーの株価は低迷し、新規株式公開を行うゲノムベンチャーの数も減少した。とり
わけ、2000 年までの牽引役であったゲノムベンチャーで株価低迷が顕著で、ゲノム解析ベンチャーのビジネスモデルは変
更を迫られつつある。これは、ゲノム情報が公開され、そのデータ提供のみでは事業として成立しにくくなったためである。
このような流れの中で、セレーラ・ジェノミクスは医薬品開発自体を行う方向にシフトしている。
■ 2.需要表現の視点での分析
(1)サイクルの検討
産業創出・技術進化サイクルの考え方においては、以下の4つのサイクルが存在する。
①
異業種間競争
②
需要表現
③
技術融合
④
トリクルアップ
このサイクルによって新規産業が創出されると考えられるが、新規産業プロセスにおいては、需要表現が最も不可欠な
要素である。以下、サイクルの考え方に基づき、産業化のプロセスを分析する。
ⅰ.異業種間競争
バイオテクノロジーについては、1970~80 年代の遺伝子組換え技術の実用化からを想定した場合、異業種間競合から
開始するのがよいと考えられる。
遺伝子組換え技術は、その基盤にあるサイエンスとしては生命のセントラルドグマに大きな影響を与える一方で、以前から
ある醗酵技術や酵素利用技術等と同様に、新たな生産技術として利用されたといえる。
その担い手も米国ではベンチャー企業が中心である一方、日本では医薬品開発には異業種である食品メーカーや化学
メーカーが参入し、医薬品メーカーと異業種間競争を引き起こした。前述したように、この時点では米国のベンチャー企業
も、科学と産業の橋渡しというよりも、既存の製薬大手企業と同じような事業を将来的に行うことを想定していたという意味で、
大手製薬企業の潜在的な競争者であったとみることができる。
ⅱ.需要表現
最初のバイオベンチャー企業であるジェネンテック設立に係ったのは、1976 年当時はベンチャーキャピタリストであった
164
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
スワンソンと、カリフォルニア州立大学サンフランシスコ校教授であったハーバート・ボイヤーであった。最初の2人の面会で
は、スワンソンがボイヤーに対し遺伝子組換え技術のビジネス化を提案したとされる。
科学技術としての遺伝子組換えを発展させたのは科学者であったが、「体内にある有用な物質(蛋白質)を大腸菌等に
より大量に安価に生産する」というイメージを具体化させ、付加価値が高い医薬品でビジネスにしたのはベンチャーキャピタ
リストであったとみることができる。いいかえれば、バイオ医薬品の潜在需要を技術開発課題として表現する需要表現を実
現したのは、ベンチャーキャピタリストもしくはベンチャーキャピタリストと学者の協同作業であったといえる。
最初の遺伝子組換え医薬品は糖尿病患者向けのインシュリンであり、米国では 1982 年、日本では 1986 年に実用化した。
以後、次々にバイオ医薬品は実用化することになる。
同様に農業分野でも、生産性向上等の潜在需要を技術的に実現した遺伝子組換え農産物が実用化した。遺伝子組換
え農産物については、消費者や特定の疾患者向けの特定の栄養機能に優れた農産物、鮮度保持効果に優れた農産物
の実現も技術的には考えられた。しかし、大勢を占めたのは、害虫抵抗性や耐農薬性という主に生産者にメリットのある農
産物であった。これは需要表現を行った主体が、技術開発を実施した農薬メーカーや化学メーカーであり、自社の既存事
業との相乗効果を想定した部分が大きいと考えられる。このような方向性は、以後の遺伝子組換え農産物の社会的受容性、
消費者に対するイメージといった点で、マイナス方向に働いたことは否定できない部分がある。
ⅲ.技術融合
ⅱ.のような需要表現がなされ、さまざまな遺伝子組換え医薬品や遺伝子組換え農産物が登場した。しかし、「生物に共
通な遺伝子」という科学的基盤の共通性があったとはいえ、応用分野は個別的で細分化されており、同時に機能の明らか
な最終生産物を遺伝子組換えで作るという特性上、既存プロセスの代替としての側面が強かった。
このような傾向により、技術開発は個別的、小規模であった。見方を変えれば、そのような技術開発であるがゆえに、ベン
チャー企業にも参入機会があったといえる。応用分野が医薬品であるがゆえに、最終製品までの技術開発費用は大きく、
また期間はかかるため、徐々に最終的な実用化は大手企業が担い、ベンチャー企業は橋渡しとしての役割が強くなった。
とはいえ、ニーズ、シーズの個別性・細分化という特性は否定できず、この結果大型の国家プロジェクトにはなじまなかった
といえる。遺伝子組換え技術、細胞培養、バイオリアクターなどをテーマとした国家プロジェクトは日本で行われたが、次世
代半導体開発等と異なり、ニーズ、シーズはかなり細分化されたものであったと考えられる。
このような状況を大きく変えたのが、ヒトゲノムプロジェクトであった。ヒトの遺伝子を含む全 DNA を解析することは、理論
的にはあり得たが、前述したように解析技術のレベルがその可能性を阻んだ。その意味では、高速の DNA シークエンサー
を開発するという 1980 年代前半の日本の試みは画期的であったといえる。
その開発により、ヒト遺伝子の構造、機能が明らかになり、さらにその結果未知の有用蛋白質の存在、生産が可能になるこ
とが考えられ、バイオテクノロジーは新たな発展段階を迎えた。
DNA シークエンサーを実現するためには、ロボティクス、エレクトロニクスに加え、蛍光試薬等のケミカル系技術、大量情
報処理のソフト系技術の融合が必要であった。さらに、後に登場する DNA チップにおいても、DNA という生体物質の技術と
半導体技術、集積化技術が融合しており、さらに大量情報処理のソフト系技術が必要とされている。これらは、遺伝子組換
え技術と異なりバイオの本流技術とはみられず周辺技術、支援技術とされるが、以下のような面からみても、非常に重要な
役割を果たしているといえる。
・
これらの技術がゲノム解析等生命科学を進展させるのに重要であり、国が巨大科学を実現するきっかけとなったこと
・
その後のバイオの国家レベルの競争力にも関係したこと
・
周辺技術、支援技術を生かした装置メーカー、それを利用して解析や受託合成、情報処理等を行うサービス系ベ
ンチャーが設立されたこと
・
結果として、大企業への橋渡し役という点では同様であるが、技術移転というより独自な機能を有し、比較的短期に
投資回収可能な新たなベンチャー企業のモデルができたこと(代表例はセレラやアフィメトリックス)
以上のような点を踏まえれば、これらの過程は技術融合であると同時に、新たな需要を表現する技術開発戦略であった
とみることができる。
165
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
米国におけるヒトゲノムプロジェクトの実現とその背景にある国家戦略は、上記について相当程度当初から念頭に置かれ
ていたとみることができる。
ⅳ.トリクルアップ
ヒトゲノム解析の進展、またそれに利用された支援技術や周辺技術の進展は、以下のような点でバイオテクノロジーに新
たな展開の方向を示した。
第一に、ゲノム創薬の進展であり、そのあり方は製薬企業に大きな影響を与えた。ヒトゲノムプロジェクトの進展により、新
たな遺伝子が発見され、その結果未知の蛋白質が発見される一方で、その対象数は有限であることも明らかになった。こ
の点は製薬における研究開発の重要性と競争を一層高め、世界的な企業再編のトリガーになっている。
また、ヒトゲノムプロジェクトの進展と DNA チップ開発の利用により、多数の遺伝子が関与する生活習慣病を含めた個人の
遺伝的多様性が明らかになってきた。その結果、従来型の遺伝子組換え医薬品とは大きく異なる個人に応じたテーラーメ
イド医療、テーラーメイド医薬という将来の潜在市場の方向性、それを実現するための技術基盤が明らかになってきた。
以上のような方向の中で、研究用やゲノム創薬用のみならず、個人の遺伝子診断、体質診断を行うための機器開発やサ
ービスが大きな市場を生むことが明らかになった。このような用途で成功する企業が、将来的にも成功する企業となることが
予想される。
ゲノム解析に伴う大量の情報の発生は、バイオと IT の融合技術であるバイオインフォマティクス分野の進展につながった。
欧米に比べて日本はこの分野で遅れているといわれるが、コンピュータ系、エレクトロニクス系企業の参入がみられ、これか
らが本格的な事業の拡大場面という状況になっている。
ⅴ.次段階の異業種間競合の可能性
以上の段階になって、バイオへの参入企業はドライ系企業の比率が高まり、今後さらに重要な役割を果たすと考えられ
ている。同時に、次の展開として新たな異業種間競合の萌芽もみられる。
具体的には、現在は製薬企業とバイオインフォマティクス系企業がアライアンスを組んだ場合、前者が主導のアプローチと
なっている。しかし、将来的には、ドライ系での予測や発見が先行し、バイオ医薬開発の主導権が後者に移ることも考えら
れる。
同時にバイオベンチャーの役割も再び変化しつつある。ヒトゲノムプロジェクトの解析においては、セレラにみられるように、
国際プロジェクトと競合するような形で事業を行うベンチャーが出現し、解析スピードの加速化といった点で大きな役割を果
たした。国や公共的な組織・プロジェクトと民間企業、しかもベンチャー企業が競合するような場面を生じたのである。
しかし、ヒトゲノム情報が公開されるにつれ、逆にこれらのゲノムベンチャーは情報提供や単純なデータベースの構築では
利益をあげる事業が不可能になりつつある。そこで、セレラのように医薬品開発に注力するといったベンチャーが増加して
いる。再び、遺伝子組換え医薬品開発が始まった 1970 年代のバイオベンチャーと類似した展開方向を目指しているとの見
方ができる。
以上のような点は、まだまだ流動的であり、将来の方向性はみえない。しかし、医薬品や医療についてもゲノム創薬のみ
ならず、細胞医薬、再生医療、遺伝子治療といったバイオの中での技術競合も生じつつあることは確かである。
166
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
図表 バイオにおける産業創出・技術進化サイクルの検討
産業の創出
技術融合
需要表現
●ヒトゲノム解析
プロジェクト
・DNAシークエンサー
(自動化+化学)
・DNAチップ
(バイオ+エレクトロニクス)
・バイオインフォマティクス
(バイオ+IT)
・遺伝子組換え医薬品
(生理活性物質)
・遺伝子組換え農産物
(生産性向上)
技術の累積性
技術の多様性
・遺伝子組換え技術
・醗酵技術
・培養技術
・酵素利用技術
・遺伝子診断、 SNPs解析
・遺伝子解析サービス
・ゲノム創薬
・テーラーメイド医療
・新機能蛋白創製
・バイオインフォマティクス
(大量の生体情報処理)
トリクルアップ
・製薬企業 vs IT企業
・官 vs 民間
・大手企業 vs ベンチャー
産業の高度化
167
異業種間競合
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
■ 3.ベンチャー企業の役割
STIネットワークにおけるベンチャーの機能を分析するため、本年度は、米国におけるバイオベンチャーを中心としたビ
ジネスの変化を調査した。以下、その結果を示す。
(1)1970 年代~1980 年代前半
1970 年代後半からバイオベンチャーは、バイオテクノロジー研究開発の牽引車となっていた。しかし、研究開発が重要
であったとはいえ、開発対象が明確な場合が多く、必要な資金も後のゲノム創薬に比べれば少額だったといえる。
このため、ベンチャー企業が開発~実用化までを行い、将来的には生産機能も有する垂直統合型の機能を志向する場合
が多かった。
ただし、シーズ提供者である大学研究者の存在、ビジネスを構築するベンチャーキャピタリスト等の存在、それらの協同と
いったバイオベンチャーの基本的なビジネスモデルは、
既にこの時点で確立されたとみることができる。
(2) 1980 年代後半
遺伝子組換え医薬品の開発例が増加し、ベンチャー企業が開発の前段階を担い、大企業に技術移転されるというパタ
ーンができあがった。この背景には、バイドール法や CRADA 等の政策とともに、研究開発資金の増加、大企業の側からの
ベンチャー企業の技術移転要請といったことがあった。その代表的な事例が、1990 年に Genentech が Roche の傘下に入
ったことである。
植物バイオの分野では、バイオベンチャー企業より、巨大化学企業等が熱心に開発を行うようになった。
また、ゲノムプロジェクト以前であるが、遺伝子分析を行うベンチャー企業が 88 年頃から増加し、1990 年代のゲノムベンチ
ャーの増加、そのビジネスモデルの先駆けとなった。支援機器である DNA シークエンサ開発を行う Applied Biosystems 社
(後に PE 社が買収)等の成長もあった。
結果として、1980 年代後半において、バイオベンチャーは、大企業への技術の橋渡し役または支援産業の担い手という
性格を強めることになった。
(3) 1990 年代
1990 年に開始されたゲノムプロジェクト後、1991 年頃からゲノム解析、ゲノム情報提供等を行うゲノムベンチャーが次々
に設立された。
これらの企業は大企業を相手に受託企業を行うことが基本であり、事業収支が比較的に短期に黒字化しやすいという特
徴をもっていた。さらに、DNA チップ開発等へ展開し、大手企業からのアウトソーシングを基本としているが、独自性を保っ
て複数企業と契約するといったビジネスモデルを構築した。
1990 年代後半になると、1998 年に設立された Celera Genomics 社に代表されるように、ヒトゲノム解析の国際共同プロ
ジェクトと競合するような役割を演じるようになった。
1990 年代はゲノムベンチャーの時代であり、大学から大手企業への技術移転の橋渡しを担うベンチャーも多い一方で、
複数の大手企業と契約を交わし医薬品開発のバリューチェーンの一部を担うような企業が増加した時代と考えられる。
同時に、1970 年代、1980 年代に設立された、第一世代、第二世代のバイオベンチャーも、大企業に買収される事例が多
いにせよ、一部の企業は発展したバイオベンチャーの成功モデルとなったことも見逃せない。
(4)2000 年以降
ヒトゲノムプロジェクトの成果が公表されて以後、一般的な遺伝子情報の解析やデータ提供のみのバイオベンチャーは
成立が難しくなった。
そこで、複数の大手企業との契約も行いつつ、自社における医薬品開発を行うバイオベンチャーが増加している。代表
的なゲノムベンチャーである Celera Genomics 社が、その代表例である。
168
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
一方で、大手医薬品メーカーからバイオ企業に投資された金額は増大しており、2000 年には 24 億ドルを記録している。
この背景には、ゲノム創薬等の最先端の研究開発においては、ゲノムベンチャーが生み出したシーズを利用するほうが大
手企業にとって効率的であるということがあげられる。大手医薬メーカーがゲノムベンチャーと提携する場合には、マイルス
トーン達成ごとに成功報酬を支払うという契約が多く、自社での投資よりリスク軽減につながる場合が多いためである。
同様に、大手製薬企業によるゲノムベンチャーの買収も増加している。年間の合併買収額は 1999 年に 138 億ドルを達
成し、2000 年以後もその勢いは衰えていない。
また、バイオベンチャー、ゲノムベンチャー間の合従連衡が国境を越えて増加している。これは、豊富な資金調達により、
一部のベンチャーは他のベンチャーの M&A が可能になったためである。
■ 4.まとめ
以上、米国のゲノム政策及び産業化の過程を需要表現という視点及びベンチャー企業の役割に着目して調査を行った。
その結果、当初の想定通り、米国のゲノム産業の創出過程において、国家による戦略的な関与及びベンチャー企業の機
能が重要であることが分かった。ただし、需要表現については、国家が直接関与したのではなく、大学・ベンチャー企業な
どの連携及び競合によって実現されたのであり、連携・競合の環境を国家として整備したという役割が大きいと考えられる。
169
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
8. 欧州連合における科学技術政策:コーディネーションとコーポレーション
(独)経済産業研究所
原山 優子、山中 崇行
■ 1.はじめに
学際的研究の重要性が高まり、また技術移転等を柱とする産学連携の強化が進められている今日、科学技術システムを
サポートする政府サイドにおいても、幾多の省庁にまたがる科学技術政策が打ち出されるようになっていきたが、過去の縦
割り型政策決定からコーディネーション、コーペレーションをベースとする政策決定メカニズムへの移行は未消化な部分が
数多く残っている。
ベスト・プラクティスの一例として、文化、行政機構、利害の異なる 15 の国から構成される欧州連合を取り上げ、科学技術
政策を分析した上で、メンバー国レベルの科学技術政策との位置づけを明白にし、いかなるコーディネーション・メカニズム
を用いて、科学技術政策における意思決定が欧州連合でなされているかを明らかにする。
以下では、欧州連合の組織の概要、政策決定メカニズムを紹介した上で、科学技術政策の分析を行う。欧州連合におい
ては近年、欧州研究領域(European Research Area: ERA)の実現に向かった動きが活発になっているが、その柱の一つに、
メンバー国間、地域間における科学技術政策のコーディネーションとコーペレーションがある。この流れの背景にある欧州
連合の基本的な考え方を紹介する。
■ 2.欧州連合の主要機関
(1)欧州委員会(The European Commission)
20 名の委員iから構成される。任期は 5 年。ただし出身国政府の意向に一切左右されないことを義務づけられる。委員は
それぞれ 1 つ以上の政策領域について責任分野を持つが、決定については 20 人の連帯責任である。
欧州委員会は基本条約の守護者であり、条約の規定や、基本条約に基づく決定が適切に適用されるよう図り、加盟国に対
し条約違反で提訴することができる。個人や法人に対しても同様に罰則を科すことができる。
また、欧州連合(The European Union:EU)の各機関の中で、法案を提出できる権限を持つのは欧州委員会のみである。
その他、政府間協力の分野でも、各加盟国と同様の立場で提案を行うことができる。加えて、欧州委員会は EU の行政執
行機関であり、条約の特定の条項を施行するための規則を発令して、各活動の予算の歳出を管理する。
(2)欧州議会(The European Parleament)
議員は直接選挙で選ばれ、議席数は合計で 626。議席数は各国間で割り当てられており、独が最多で 99、続いて仏・
伊・英は 87、というように定められている。
欧州議会は主には政策運営の監視を行う。特に欧州委員会や理事会に対して口頭や書面で質問をぶつけるという形で
政策運営に目を光らせている。また、欧州委員会の委員任命を承認し、2/3 の多数決で委員を罷免する権限も持つ。さら
に市民から提出された請願の検討、EU 各行政機関の過誤に対する苦情を処理するオンブズマンの任命を行うなどの活動
をしている。
EU の立法においては、欧州委員会が法案提出を行い、欧州議会と理事会が制定するという形が取られる。近年では立
法における欧州議会の権限が拡大されつつあり、これまでは理事会と比べて立場が弱かった欧州議会だが、いくつかの政
策領域においては対等の権限を持つようになった。
i
仏・独・伊・西・英から各 2 名、他の加盟国から各 1 名。
170
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
(3)欧州連合理事会(The Council of the European Union)
別名閣僚理事会と呼ばれ、様々な議題に対し、各加盟国を代表する閣僚によって構成される。例えば農産物の価格に
関する理事会に各国農相が出席することになる。
EU の活動は大きく 3 つに分かれる。すなわち、EU 内の活動、共通の外交・安全保障活動、司法・内務協力である。このう
ち、後者 2 領域では理事会は支配的役割を果たし、外交・安全保障分野では加盟国共通の立場を規定して共通の行動を
採択し、司法・内務協力の分野では協定を起草して加盟国に採択を勧告する。この2領域については全会一致が原則で
ある。
EU 内の活動については、理事会は加盟国間の意見の調整、及び、共通の政策の決定にあたる。政策決定は、単一欧
州議定書(Single European Act)や、欧州連合条約i(Treaty on the European Union)などで規定された手続きに沿って為さ
れ、政策領域によって手続きはやや異なり、一部領域では全会一致が必要だが、通常は、決定においては理事会では特
定多数決でよい。特定多数決とは、独・仏・伊・英が各 10 票、スペインが 8 票、ベルギー・ギリシャ・オランダ・ポルトガルが各
5 票、オーストリアとスウェーデンが各 4 票、デンマーク・アイルランド・フィンランドが各 3 票、ルクセンブルクが 2 票を投じ、
87 票中 62 票を得ることである。ただし、さらにいくつかの特定の場合は、62 票が少なくとも加盟 10 ヶ国からの票でなければ
ならない。また、欧州委員会とは立場の異なる決定を行う場合や、欧州委員会の同意を得た欧州議会の修正案を退けよう
とする場合は、全会一致でなければならない。
(4)欧州理事会(The European Council)
加盟各国の元首または首脳に欧州委員会の委員長が加わったメンバーで構成される首脳会議。各国外相と、欧州委員
会の委員のうち 1 人が補佐に当たる。欧州理事会は年に 2 回会議を行い、EU の将来の方向性を定め、活動を促す。
(5)経済社会委員会(The Economic and Social Committee)
雇用者・労働者・その他のグループ(農業従事者や科学者、環境保護活動家など)を代表する 222 人の評議員で構成さ
れる。政策決定において、大部分の決定は、採択前に経済社会委員会の諮問を受けることになっている。また、独自の発
議権に基づいて意見を発表することもある。
(6)地域委員会(The Committee of the Regions)
自治体・地方当局を代表する 222 人の委員と、その代理委員 222 人で構成される。地域の利害が関係する問題につい
ては地域委員会に諮問されなければならない。また、独自の発議権に基づいて意見を発表することもある。
■ 3.欧州連合における政策決定手続き
欧州連合において、政策決定手続きは次の 4 種類である。
•
諮問手続(Consultation procedure)
•
同意手続(Assent procedure)
•
協力手続(Cooperation procedure)
•
共同決定(Co-decision procedure)
この 4 種の政策決定手続は、最初は諮問手続から始まり、順に同意手続と強力手続、共同決定と導入されてきた。その
変遷は、端的に言えば、欧州議会の権限が強化されてきたことによる。
(1) 諮問手続
1957 年、欧州共同体設立条約ii(Treaty Establishing the European Community)の段階では、欧州議会は、欧州委員会
i
ii
マーストリヒト条約と呼ばれる。
ローマ条約と呼ぶ。
171
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
の発議に対して意見を述べるだけの役割しか持たず、その意見によって欧州委員会が修正案を出すこともできたが、発議
に対して理事会が決定を行う際に理事会はその欧州議会の意見を考慮に入れることは義務ではなかった。この政策決定
手続きを諮問手続と呼ぶ。
この諮問の手続きでは、欧州委員会の議案に対して欧州議会及び地域委員会と経済社会委員会の助言を受けた後、
理事会が決定を行う。
(2)同意手続
1986 年の単一欧州議定書(Single European Act)によって導入された政策決定手続きである。諮問手続との違いは、重
要な議案の決定に際し、理事会の決定には欧州議会の合意が必要という点である。ただし欧州議会が修正案を出すこと
はできない。また、地域委員会と経済社会委員会が手続きに加わることはない。これは同意手続の適用される政策領域が、
基本的に EU 外の第三国に関わる領域に限られているからである。
(3)協力手続
やはり 1986 年の単一欧州議定書によって導入された政策決定手続きである。同意手続はより複雑な手続きとなっており、
欧州議会は政策決定により強く関わることになる。欧州議会と理事会はそれぞれ議案に対し、二度の審議を行うことになる。
ただし決定においては理事会の方が強い権限を有する。
欧州委員会の議案に対し、まず欧州議会及び地域委員会と経済社会委員会が意見を述べる。この段階での欧州議会
の判断を第一読会(First reading)と呼ぶ。協力手続ではさらに、この第一読会を受けて、理事会が政策についての見解を
述べる。この理事会の見解を共通の立場(Common position)という。この共通の立場に対して、欧州議会が再び意見を出
すのであるが、ここでの判断は第二読会といい、共通の立場から 3 ヶ月以内でなければならない。対応はここで 3 種類に分
かれる。
まず 1 つは承認である。欧州議会の承認を得たのであれば、この後引き続き理事会にて特定多数決の賛成で可決され
れば決定となる。また、欧州議会が 3 ヶ月以内に反応を示さなかった場合も、承認されたものみなされ、理事会にて特定多
数決の賛成による可決で決定となる。
1 つは拒否である。拒否意見は欧州議会で多数決にて過半数の賛成で可決されなければならない。しかし第二読会に
て欧州議会が拒否した場合でも、理事会において全会一致で可決されれば政策は決定となる。
あと 1 つは修正である。修正案はやはり欧州議会で過半数の賛成で可決されなければならない。第二読会で欧州議会から
修正案が出された場合は、第二読会は一旦欧州委員会に送られ、欧州委員会は欧州議会の修正案を考慮し、理事会の
共通の立場に立脚して議案を再検討する。そして欧州委員会は再検討した自らの提案と欧州議会による修正案の両方を
理事会に送り、ここで理事会は欧州委員会による再検討案なら特定多数決の賛成で、欧州議会による修正案なら全会一
致で可決すれば、それが決定となる。またここでは理事会は欧州委員会による再検討案をさらに修正することもできるが、
その場合は理事会の全会一致が必要である。ちなみに理事会において 3 ヶ月以内に決定に至らなかった場合は不成立、
すなわち廃案となる。
以上、協力手続では欧州議会は政策決定の権限は持っていないが、決定の過程で欧州議会の意見は政策に対し重み
づけをすることになる。このように幾度も意見の交換を繰り返して政策決定を行う手続きが協力手続である。
(4)共同決定
1993 年に発効となった欧州連合条約(マーストリヒト条約)にて、新たな政策決定手続きが導入された。この新たな手続き
を共同決定と呼ぶ。共同決定は 1999 年発効の欧州連合条約、欧州共同体設立条約、及び関連法令を修正するアムステ
ルダム条約 i (Treaty of Amsterdam Amending the Treaty on European Union, the Treaties Establishing European
Communities and Certain Related Acts)にて若干の修正を受け、同時に適用される政策領域が拡大された。
i
新欧州連合条約またはアムステルダム条約と呼ばれることが多い。
172
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
欧州委員会の議案に対し、まず欧州議会及び地域委員会と経済社会委員会が意見を述べる。この段階での欧州議会の
判断を第一読会と呼ぶ。この後が協力手続とは異なってくる。第一読会の段階で欧州議会が何も修正すべき点を示さなか
った場合、もしくは欧州議会の示した修正すべき点を全て理事会が受け入れるのであれば、理事会はこの段階で特定多
数決の賛成によって政策の決定を行うことができる。
欧州議会が第一読会にて修正すべき点を示し、理事会がそれらに完全には同意できない場合、理事会は協力手続と同
様に共通の立場を出すことになる。 欧州議会は理事会の共通の立場に対し 3 ヶ月以内に第二読会を出さなければならな
い。対応はここで 3 種類に分かれる。
まず 1 つは承認である。欧州議会の承認を得たのであれば、この後引き続き理事会にて特定多数決で可決されれば決
定となる。また、欧州議会が 3 ヶ月以内に反応を示さなかった場合も、承認されたものみなされ、理事会にて特定多数決の
賛成による可決で決定となる。これは協力手続と同様である。
1 つは拒否である。拒否意見は欧州議会で多数決にて過半数の賛成で可決されなければならない。拒否された場合、
議案は廃案となる。これは協力手続と異なり、欧州議会の権限が拡大された点である。
あと 1 つは修正である。修正案はやはり欧州議会で過半数の賛成で可決されなければならない。第二読会で欧州議会
から修正案が出された場合は、まず欧州委員会がその修正案に意見を述べ、理事会が判断を下す。ここで理事会は、3 ヶ
月以内に特定多数決の賛成にて欧州議会の修正案を全て承認するのであれば、政策は修正された共通の立場にて可決
となる。また欧州委員会の意見が欧州議会の修正案に否定的である時、理事会は全会一致であれば欧州委員会の意見
に基づいた修正案の方を可決することもできる。一方、理事会が修正案に同意できない場合は、理事会の理事長は欧州
議会の議長と同意の下で、6 週間以内に調停委員会を召集することになる。
調停委員会は理事会と欧州議会の間で合意に達することを目的とした委員会であり、理事会のメンバーもしくはその代
表と、それと同数の欧州議会の代表により構成される。合意は理事会と欧州議会との共同の文書(Joint text)により為され、
共同の文書は理事会のメンバーもしくはその代表による特定多数決の賛成と、欧州議会の代表の過半数の賛成により可
決される。欧州委員会も調停委員会の手続きの中で、欧州議会の立場と理事会の立場の間での妥結に向けて、必要に応
じた発議を行うことができる。このような努力によって、調停委員会は欧州議会による修正案を基礎とした合意を指向する。
調停委員会の招集後 6 週間以内に共同の文書の合意に達すれば、共同の文書の承認後 6 週間以内に欧州議会におけ
る過半数の賛成及び理事会における特定多数決の賛成によって可決されることで、共同の文書に基づいて政策の決定が
行われる。ただし欧州議会と理事会のどちらかでも可決に失敗した場合、議案は廃案となる。また、調停委員会にて 6 週間
以内に合意に達することができなかった場合も、廃案となる。
以上、共同決定では欧州議会の権限が拡大され、欧州議会は理事会と同等の立場に立ち、双方が同意しないと容易に
決定とならない。欧州議会は EU の主要 3 機関の中で民意と最も近い機関であり、共同決定 はヨーロッパの民主的側面を
強化するものである。共同決定は一見複雑な手続きのようであるが、一方で欧州議会と理事会が初期の段階で意見の一
致を見れば早々と政策の可決を行える余地も十分にあり、必ずしも政策決定の遅延化を招くものではない。例えば 1993 年
の導入後、1997 年 6 月までに共同決定にて審理された案件は 103 件であるが、そのうちの 56 件は調停委員会の召集を
必要としていない。そのうちの 33 件は欧州議会が修正案を示さなかったもの、23 件は欧州議会の修正案に理事会が全面
的に同意したものである。
■ 4.欧州における科学技術政策
(1)概要
欧州の政策における科学・技術の研究開発体制は、大きく 3 つに大別される。1 つは欧州委員会が自らの助成金により
実施する体制であり、これは研究開発枠組計画(Framework Programme)と呼ばれている。また、1 つは欧州委員会が支援
する共同研究開発体制があり、COST や EUREKA といったプログラムがこれにあたる。もう一つは欧州委員会とは別に独自
に存在する体制であり、ESA、CERN や EMBL といった機関が含まれる。
研究開発枠組計画は、詳しくは後述するが、欧州委員会自身により組まれる共同研究開発プログラムである。研究開発枠
173
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
組計画は 4 年毎に組まれるプログラムであり、最初の研究開発枠組計画は 1984 年から開始され、近年では第 5 次 研究開
発枠組計画が 2002 年で終了し、2002 年には同時に第 6 次研究開発枠組計画がスタートしている。研究開発枠組計画は
欧州における研究開発の競争力の強化を目的としているが、原則として市場前段階の研究に領域を限り、近年では特に
EU 社会に対する貢献を強く指向していることが特徴である。
これに対し、COST と EUREKA は国境を越えた協力プログラムを支援する機構である。COST(Co-operation in the field
of Scientific and technical Research:欧州科学・技術研究協力機構)は欧州各国間の共同研究開発を調整する機関であり、
1971 年に設立された、欧州では最も古い共同研究開発機構である。COST は競争前段階の基礎研究と先端技術開発の
支援に主眼を置き、研究開発枠組計画や市場指向の EUREKA との棲み分けを実現している。現在では欧州の枠を越えて
多数の国家が参加している。
EUREKA はフランスの提案に基づいて 1985 年に設立された研究開発プログラム機構であり、EUREKA プログラムは欧州
のみならず、国境を越えた多数国の協力によるプログラムとして発展してきた。特徴は市場指向と企業主導性が強いことで
あり、欧州内の研究開発体制を強化しようとする研究開発枠組計画を補完する存在と位置づけられている。
ESA(European Space Agency:欧州宇宙機関)、CERN(European Organization for Nuclear Research:欧州合同原子力機
関)、EMBL(European Molecular Biology Laboratory:欧州分子生物研究所)などはそれぞれ特定分野に関する独自の研
究機関である。
欧州における研究開発活動を行う機関としては、他にも、共同研究センター(Joint Research Centre: JRC)が挙げられる。
JRC は欧州委員会に直属の研究機関であって、文字通りいくつもの研究所・機関が共同で研究を行うための組織であり、
いくつかのテーマ別のセンターを含んでいる。JRC に所属している研究組織としては、既存の大学等の研究室が参加して
いる例もあれば、JRC のために新たに研究所が組織されている例もあり、様々である。JRC は研究開発ももちろんだが、EU
政策の立案と実施にあたって欧州委員会を補佐するという役割も与えられている。また、JRC の予算は研究開発枠組計画
に含まれている。現在、JRC には以下の 7 組織が含まれる。
•
The Institute for Reference Materials and Measurements (IRMM:参照物質と計測研究所)
•
The Institute for Transuranium Elements (ITU:ウラン遷移元素研究所)
•
The Institute for Energy (IE:エネルギー研究所)
•
The Institute for the Protection and the Security of the Citizen (IPSC:防衛と市民の安全のための研究所)
•
The Institute for Environment and Sustainability (IES:環境と維持のための研究所)
•
The Institute for Health and Consumer Protection (IHCP:健康・消費者保護研究所)
•
The Institute for Prospective Technical Studies (IPTS:予期される技術研究に関する研究所)
(2)研究開発枠組計画
研究開発枠組計画は欧州委員会自身による研究開発プログラムであり、欧州の政策による科学・技術の研究開発の中
心でもある。研究開発枠組計画は、もともとばらばらに行われていた各技術分野における研究開発活動を1つの枠内に吸
収したものであり、4 年毎に EU の政策に沿ったテーマと予算が欧州委員会により提案され、政策決定の手続きを経て、公
的な EU 指令として決定される。研究開発枠組計画の決定は 1993 年の欧州連合条約以来、166 条(旧 130 条(i))に基づ
いて共同決定によって為されるようになり、例えば第 5 次研究開発枠組計画は欧州委員会による最初の原案提示が 1997
年 4 月にあり、1998 年 12 月に欧州議会と理事会とでそれぞれ共同の文書が採択されている。最近では第6次研究開発枠
組計画の審議が進められ、欧州委員会により原案が 2001 年の 1 月に提示され、2002 年 6 月に理事会が欧州議会の第二
読会による修正を承認して採択された。
研究開発枠組計画の特徴は、欧州域内の科学・技術の研究開発を強化することを目指すということと、同時に企業の公
正な市場競争の原則を乱さないために研究内容を市場前段階的なものに限るという点である。そして EU の政策として研究
開発枠組計画の目的が明確になっていなかったという反省に立ち、第 5 次研究開発枠組計画からは社会経済的目標があ
らゆる活動階層に渡って明確に掲げられるようになった。具体的には、第 5 次研究開発枠組計画では、それまで、情報通
信、ライフサイエンス、といった技術分野ごとに予算の編成を行っていたものを、社会経済的目標に立った 4 つのテーマ・プ
174
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
ログラム(Theme Programmes)
•
Quality of life and management of living resources(生活の質的向上と生活資源の管理)
•
IST(User-friendly information society:利用者の視点に立った情報社会の設立)
•
Competitive and sustainable growth(競争力のある持続可能な成長)
•
EESD(Energy, environment, and sustainable development:エネルギー、環境、及び持続可能な発展)
と、各研究機関の間の連携を促進するための 3 つの水平プログラム(Horizontal Programmes)
•
INCO2(欧州研究活動の国際的役割)
•
Innovation/SME(革新と中小企業の参加)
•
Improving(人材能力の向上)
とに整理したのである。さらにプログラムの決定が遅く、狂牛病問題のように突発的に生じた緊急性の高い問題に対応で
きなかったという反省から、第 6 次研究開発枠組計画では新たに特定プログラム(Specific Programme)が導入される。これ
は緊急の問題に即応するために確保されている予算分を指し、必要に応じて自由に研究テーマに投入することができる。
第 6 次研究開発枠組計画では 162.7 億 EUR のうち、約 13 億 EUR が特定プログラムのために確保されている。
第 6 次研究開発枠組計画において最も重要な構想が、欧州研究領域(European Research Area: ERA)である。ERA は、
欧州委員会による提案によれば、雇用の創出と競争力の強化のために科学資源をより効率的に運用するための「国境を
越えた」欧州の研究地域、であり、欧州において、国境を越え、国家間・地域間・各機関間の連携を強化して欧州全体での
研究開発活動を活性化しようという構想である。第 6 次研究開発枠組計画ではこのような連携強化に強く主眼をおいており、
テーマの分類も:
•
Integrating Research(研究の集積)
•
Structuring ERA(ERA の構築)
•
Strengthening the foundations of the ERA(ERA の基盤強化)
と整理され、第5次におけるテーマ・プログラムは第 6 次では統合研究(Integrating research)内にまとめられ、第 5 次から第
6 次への移行での全体の予算額の増分はほとんどが後者 2 テーマである ERA の形成と強化、すなわち地域連携の強化に
注がれている。
(3)第 5 次研究開発枠組計画の政策決定過程
第 5 次研究開発枠組計画では、EU 条約 166 条に基づき、共同決定にて政策決定が為された。経過は以下の通りである。
欧州議会は予算の増額を求めて修正案を提示、第二読会でも理事会の共通の立場での Euratom を除いた EC プログラム
全体の総予算 127.4 億 EUR に対して 150.4 億 EUR への増額を主張して折り合いがつかず、最終的に調停委員会におい
て 137 億 EUR で決着した。欧州委員会による最初の提議から決定に至るまで、20 ヶ月であった。
1997-04
欧州委員会の提議
1997-08
欧州委員会の提議の修正
1997-09
地域委員会の意見
1997-10
経済社会委員会の意見
1997-12
経済社会委員会の追加意見
1997-12
欧州議会の意見(第一読会)
1998-01
欧州委員会の提議の二次修正
1998-02
共通の立場に対する理事会の合意
1998-04
ECSC 狭義委員会の意見
1998-06
欧州議会の修正案(第二読会)
1998-07
欧州委員会の意見
1998-11
協議委員会による文書の採用
1998-12
欧州議会と理事会による文書の承認
175
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
(4)第 6 次研究開発枠組計画の政策決定過程
第 5 次研究開発枠組計画が 2002 年で終了するのを受け、2002 年からは第 6 次研究開発枠組計画へと移行する。第 6
次研究開発枠組計画は EU 条約 166 条に基づいて共同決定に従って政策決定が為され、2001 年 2 月の欧州委員会の提
議から正式に政策決定の審議が開始された。第 6 次の共同決定では予算面での意見の相違は少なく、欧州議会の第二
読会では主に ERA に向けた政策をより強める形で修正案が出され、2002 年 6 月に理事会が第二読会による修正案を全て
承認する形で決定し、16 ヶ月での決着となった。
2001-02
欧州委員会の提議
2001-07
経済社会委員会の意見
2001-11
欧州議会の意見(第一読会)
2001-11
地域委員会の意見
2001-11
欧州委員会の提議の修正
2001-12
共通の立場に対する理事会の合意
2002-05
欧州議会の修正案(第二読会)
2002-05
欧州委員会の意見
2002-06
欧州議会と理事会の決定
担当部局は、欧州委員会は当然ながら研究総局が担当、理事会は総務と雇用・社会問題及び研究、そして欧州議会に
ついては下表の通りである。
Responsible
Committee
Repporteur (political group)
Industry, External Trade, Research, and
CAUDRON Gerard (PSE)
energy
Opinion
Agriculture
REDONDO JIMENEZ Encarnacion (PPE-DE)
Budgets
RUHLE Heide (VERTS/ALE)
Citizens' freedoms and rights, justice
VATTIMO Gianni (PSE)
Culture, youth, education, media, sport
FRAISSE Genevieve (GUE/NGL)
Employment, social affairs
MANTOVANI Mario (PPE-DE)
Environment, public health, consumers
LIESE Peter (PPE-DE)
Fisheries
POIGNANT Bernard (PSE)
Regional, transport, tourism
JONCKHEER Pierre (VERTS/ALE)
Women, equal opportunities
GRONER Lissy (PSE)
また、欧州議会において第二読会の採択に先立って行われた討論の参加者は:
President, Caudron (PSE), van Velzen (PPE-DE), McNally (PSE), Plooij-van Gorsel (ELDR), Pietrasanta (VERTS/ALE),
Alyssandrakis (GUE/NGL), Ribeiro e Castro (UEN), Raschhofer (NI), Liese (PPE-DE), Westendorp y Cabeza (PSE), Ahern
(VERTS/ALE), Dell'Alba (NI), Purvis (PPE-DE), Linkohr (PSE), Fiori (PPE-DE), Zrihen (PSE), Matikainen-Kallstrom
(PPE-DE), Busquin (欧州委員会), Marimon Sunol (理事会)
である。
《第 6 次研究開発枠組計画の周辺活動の政策決定過程》
第 6 次研究開発枠組計画本体の政策決定と平行して、周辺活動の政策決定手続きも進められている。
特定プログラムに関して
特定プログラムに関しては、2001 年 5 月に 5 種の特定プログラムが提示され、政策決定に向けて手続きに入っている。
176
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
手続きは EU 条約 166 条の 4 に基いて諮問手続に従って為されている。現段階では欧州議会の意見が既に示され、理事
会により 2002 年 9 月に決定が為される見込みである。
2001-05
欧州委員会の提議
2001-10
欧州委員会の提議の修正
2002-01
欧州委員会の提議の修正
2002-05
経済社会委員会の意見
2002-06
欧州議会の意見(第一読会)
この問題に対しての担当部局は、欧州委員会は研究総局が担当、理事会は域内市場と研究、欧州議会に関しては以下の
通りである。
Strengthening the European Research Area
Responsible
Committee
Repporteur (political group)
Industry, External Trade,
van VELZEN W.G. (PPE-DE)
Research, …
Opinion
Agriculture
GRAEFE zu BARINGDORF Friedrich-Wilhelm (VERTS/ALE)
Budgetary control
LANGENHAGEN Brigitte (PPE-DE)
Budgets
HUDGHTON Ian Stewart (VERTS/ALE)
Fisheries
POIGNANT Bernard (PSE)
Structuring the European Research Area
Responsible
Committee
Repporteur (political group)
Industry, External Trade,
ZORBA Myrsini (PSE)
Research, …
Opinion
Agriculture
GRAEFE zu BARINGDORF Friedrich-Wilhelm (VERTS/ALE)
Budgets
HUDGHTON Ian Stewart (VERTS/ALE)
177
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
Be carried out by the JRC by means of direct actions for EC programme
Responsible
Committee
Repporteur (political group)
Industry, External Trade,
PIETRASANTA Yves (VERTS/ALE)
Research, …
Opinion
Agriculture
GRAEFE zu BARINGDORF Friedrich-Wilhelm (VERTS/ALE)
Budgets
HUDGHTON Ian Stewart (VERTS/ALE)
On nuclear energy for Euratom
Responsible
Committee
Repporteur (political group)
Industry, External Trade,
ALYSSANDRAKIS Konstantinos (GUE/NGL)
Research, …
Opinion
Agriculture
GRAEFE zu BARINGDORF Friedrich-Wilhelm (VERTS/ALE)
Budgets
HUDGHTON Ian Stewart (VERTS/ALE)
Be carried out by the JRC by means of direct actions for Euratom
Responsible
Committee
Repporteur (political group)
Industry, External Trade,
SCHWAIGER Konrad K. (PPE-DE)
Research, …
Opinion
Agriculture
GRAEFE zu BARINGDORF Friedrich-Wilhelm (VERTS/ALE)
Budgets
HUDGHTON Ian Stewart (VERTS/ALE)
参加と普及のルールに関して
今回の研究開発枠組計画の実行において、ERA の形成のための法的な環境整備の一環として、大学や研究機関等の
研究プログラムへの参加方法、及び、研究結果を他の研究者に広く行き渡らせるための方法について、欧州委員会が提
案したものである。手続きは EU 条約の 161 条及び 172 条の 2 に基づいて共同決定に従って為されている。現段階では欧
州議会の第一読会が示され、理事会の共通の立場を待っている状態である。
2001-09
欧州委員会の提議
2002-01
欧州委員会の提議の修正
2002-02
経済社会委員会の意見
2002-07
欧州議会の意見(第一読会)
2002-07
欧州委員会の提議の修正
この問題に対しての担当部局は、欧州委員会は研究総局が担当、理事会は研究、欧州議会に関しては下表の通りであ
る。
Committee
Rresponsible
Repporteur (political group)
Industry,
External
Trade,
QUISTHOUDT-ROWOHL Godelieve (PPE-DE)
Research, and energy
Opinion
Culture,
youth,
education,
ZORBA Myrsini (PSE)
media, sport
178
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
■ 5.欧州研究領域(European Research Area: ERA)に関して
ERA は科学・技術の研究開発をより効率的に運用するための国境を越えた研究地域を欧州にて構築しようという試みで
あり、第 6 次研究開発枠組計画の基幹を成している。ERA に関連しては大きく 2 つの内容の政策が練られつつあり、その 2
つは、第 6 次研究開発枠組計画のテーマにもなっているが、「ERA 関連(Structuring the ERA)」、すなわち研究内容の集
積・研究者の連携の強化・科学と社会の結合の強化・大型の設備の整備などの、ERA 構築に向けた直接的な政策と、
「ERA 基盤強化(Strengthening the foundations of the ERA)」、すなわち企業間・研究機関間の連携を仲介する活動を行っ
ている機関や組織への支援といった間接的な政策とである。そのような必要性は既に以前から求められており、例えば第 5
次研究開発枠組計画では JRC にそのような役割が期待されている。しかしさらに突っ込んだ政策を求めて、第 6 次研究開
発枠組計画の準備段階の 2000 年 1 月に「Towards a European Research Area」と題された指針が欧州委員会から理事会、
欧州議会、経済社会委員会、地域委員会に通達されている。欧州委員会は 2001 年 2 月に第 6 次研究開発枠組計画に向
けた正式な提議を出しているが、その前後:
•
Towards a European Research Area : COM(2000)6 ; Bull.1/2-2000,1.3.113
•
Making a Reality of the European Research Area : Guidelines for EU Research Activities(2002-06) : COM(2000)612 ;
Bull.10-2000,1.3.70
•
The Framework Programme and the European Research Area : Application of Article 169 and the Networking of
National Programmes : COM(2001)282 ; Bull.5-2001,1.3.56
•
A Mobility Strategy for the European Research Area : COM(2001)331 ; Bull.6-2001,1.3.79
•
The International Dimension of the European Research Area : COM(2001)346 ; Bull.6-2001,1.3.80
•
The Regional Dimension of the European Research Area : COM(2001)549 ; Bull.10-2001,1.3.96
と通達を出して、第 6 次研究開発枠組計画の政策決定の過程で ERA の実現に向けた環境整備を促している。
また、その他 ERA に関しては下記のような文書が発表されている。
•
Working Document
PROVISIONS FOR IMPLEMENTING NETWORKS OF EXCELLENCE
担当部局は欧州委員会 - 研究総局 - Unit B.2
•
Working Document
PROVISIONS FOR IMPLEMENTING INTEGRATED PROJECTS
担当部局は欧州委員会 - 研究総局 - Unit B.2
•
Speaking Notes
INTRODUCTION TO THE INSTRUMENTS AVAILABLE FOR IMPLEMENTING THE FP6 PRIORITY THEMATIC
AREAS
担当部局は欧州委員会 - 研究総局 - Unit B.2
•
Working Document
SUPPORTING THE COOPERATION AND COORDINATION OF THE RESEARCH ACTIVITIES CARRIED OUT AT
NATIONAL OR REGIONAL LEVEL (THE "ERA-NET" SCHEME)
担当部局は欧州委員会 - 研究総局 - Unit B.1
■ 6.ERA-NET SCHEME に関して
(1)概要
ERA の実現に向けていくつかの活動が行われているが、ここでは欧州委員会研究総局 Unit B.1 による Working
Document「SUPPORTING THE COOPERATION AND COORDINATION OF THE RESEARCH ACTIVITIES CARRIED
OUT AT NATIONAL OR REGIONAL LEVEL (THE "ERA-NET" SCHEME)」の概要を紹介する。この文書は欧州委員会
の研究総局内の Unit B.1 の現在の考え方を示したものであり、必ずしも公式な立場を示す物ではない。Unit B.1 は ERA
179
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
の国家研究開発政策、政府間のコーペレーション(National Research Policies, Intergovernmental Cooperation)の担当局
である。この Working Document(WD)は 2002 年 5 月 7 日に第 1 版が発表されたが、最新版は 8 月 5 日の第2版であり、
細部に変更が加えられている。
強調されているのは、ERA-NET はあくまでも、各国家・各地域の個々の研究活動を結びつけるものであって、新たに研
究活動を組織する類のものではないということである。ERA-NET の計画はボトムアップでしか行われないという点が特にそ
の性質を表している。つまり、欧州レベルで必要としているなんらかの研究分野に重点的に資金を投入する、というような話
とは無縁なのであって、末端の研究現場同士が結びつくことによって付加価値が生じると期待される時にその協調のため
の活動のみを支援するという内容なのである。
《目的》
ERA-NET SCHEME は、国家的もしくは地域的レベルで実行される研究活動の協力及び協調を支援する第 6 次研究開
発枠組計画のための主要な手段と位置付けられている。この SHEME の財源iは第 6 次研究開発枠組計画の特定プログラ
ム「Integrating and Strengthening the European Research Area」を通じて確保される。
ERA-NET SCHEME は、加盟各国並びに準加盟各国において国家的もしくは地域的レベルで実行される研究活動の協
力及び協調を促進することを目的とする。具体的には:
•
国家的もしくは地域的レベルで管理される研究活動のネットワーキングii
•
国家的及び地域的な研究プログラムの相互開放iii(Mutual opening)
を目指すものである。
最終的には、ERA の実体の形成に寄与することが期待される。既存の研究協力に関するプログラム、例えば COST や
EUREKA は、研究者レベルでのコーディネーションを促進するものであり、今点から、政策レベルでのコーディネーションを
ターゲットとする ERA-NET SCHEME は、これらのプログラムに対して相補的な存在となる。また、メンバー国が単独では取
り組むことが困難なプロジェクトを、複数の国がフォーメーションを組むことにより、実行可能なものになる。すでに、このよう
なアプローチが活用され始めている。その一例として、海洋科学の分野における、地中海沿岸諸国と北欧諸国との連携が
挙げられる。
一歩前進した形のコーディネーションを目指すことから、メンバー国の意志の尊重、ボトムアップのアプローチ、継続性が
重要な鍵を握ることとなる。
《研究分野》
ERA-NET の活動は社会科学や人文科学を含む科学分野と技術分野全てにおいて実行される。ERA-NET SCHEME は
一つの研究トピックを選り好みすることなく、ボトムアップにて実行される。よって、メンバー国の要望をベースに分野の選定
を行っていく。
《参加組織》
ERA-NET に参加するのは、原則として:
•
国家的もしくは地域的レベルで実行される研究活動に対する融資やそのような活動の運営に責任を持つ公的機関
•
そのような研究活動に対する融資や運営を行う他の国家的規模の団体、例えば研究組合や民間の研究・革新組
織や慈善団体など
•
自らの任務の一部として、国家からの資金を受けて全欧州にまたがって連携された研究活動を行っている、欧州
レベルの機関
1.6 億 EUR の予定。
複数の国にまたがるプログラムどうしを結合する活動および協調する活動。ここでは国家からの国境を越えた
融資は含まない。このネットワーキングにおいては、各プログラムの参加と研究への資金は、それぞれ所属する
国家機関・地域機関が負担する。
iii 複数の国の地域、複数の国にまたがるプログラムどうしを結合させ協調させる、国家からの国境を越えた融資
を伴って行われる活動。ここでは、共同の活動もしくは単独のプログラムに対する資金として、複数の国家から
共同で資金が用意されてもよい。この資金は、双方の合意の下で、他国での研究に対する財政支援に用いること
ができる。
i
ii
180
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
とされている。
ERA-NET に参加する組織や機関の最小限の数は、参加のための第 6 次研究開発枠組計画のルールにおいて、複数
の加盟国もしくは準加盟国(少なくとも2ヶ国は加盟国か加盟候補国であるべき)で設立された3つの独立した法人、とされ
ている。しかし欧州レベルでの有意義な効果を得るため、それぞれの ERA-NET は、少なくとも5つの加盟国もしくは準加盟
国で行われている研究活動を含むことが必要とされる。
(2)構想
国家的もしくは地域的レベルで実行される研究活動間での欧州規模でのよりよい協力を進めるため、それぞれの
ERA-NET は、連携する諸要素が徐々に深まっていくような一連の活動を発展させるように先を見越していくことになる。政
策決定者や同じ科学分野で活動の運営にあたっている者との間での情報交換を通じて、相互の共有する知識を増大させ
ていくことから ERA-NET 活動は開始され、ERA-NET は徐々にコーペレーションとコーディネーションのより強固な形態へと
導かれることが期待される。このような活動を遂行する際、肝心なのが、マネージメント機能であり、これを強化することが視
野に入れられている。
《ネットワーキング》
コーディネーションやコーペレーションのレベル、状況に応じて多種多様なネットワーキングが想定されえている。
情報交換
この活動の目標は、コミュニケーションを改善すること、相互で情報の共有をさらに進めて情報提供を通しての信頼の構
築を進めること、である。すなわち、プログラムの立案者や同じ科学・技術分野の活動の運営者の間で、情報や有益な実績
の組織的な交換を進めることである。
ここでの情報は、国家的及び地域的な研究・革新活動、すなわち国家的及び地域的な、プログラム、投資された事業、重
点研究、実績評価、組織化、管理・運営、などにおける情報として理解されるべきである。具体策として下記のものが挙げら
れている。
•
研究プログラムの立案者やプログラム・マネージャーによるフォーラム
•
プログラム・マネージャーの人材交流
•
ベンチマーキングとグッド・プラクティスの普及
•
電子媒体の活用
戦略的活動
以下の形態の戦略的活動が、プログラム立案者や、国家的もしくは地域的研究活動の管理・運営者によって推進され得る。
•
ERA-NET パートナーのプログラムの補完性を醸成
•
似通った目標を持ち、多国家規模の体制が設計できそうなプログラムの特定と分析
•
具体的なネットワーキング活動と相互の情報公開手段の特定と分析
•
国境を越えた協同活動の障壁、例えば行政上の障壁や法律上の障壁、の特定と分析
•
地域レベル・国家レベル・欧州レベルで実行される技術評価及び予測分析を基礎として新たに複数の学問分野にま
たがった仕事が発生するときに、その研究及び奨励における新たな機会と欠陥とを特定すること
•
共通の評価システムの設計
協同活動
具体的な協同活動として以下のものが挙げられている。
•
研究事業のクラスタリング:
国家的または地域的に財政支援を受けた研究事業に参加している研究者を対象とするワークショップやワーキング・グル
ープを開催し、旧来の科学情報を超える交流を図る。
•
多国家レベルの評価手法の活用:
181
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
将来的に、国家的もしくは地域的な研究システムを共通の評価基準・評価方法で評価するという方向に向けた試みである。
•
共同訓練活動:
博士論文の共同指導、国際博士号の導入などが考えられる。
•
施設や研究室の相互開放:
多国間の科学者が互いの研究設備や実験室を相互に利用することを促進する体制を発展させることである。
研究活動
ネットワーキングのなかでより、強い結びつきを持つのが国境を越えた研究活動プログラムである。具体的には、共通の
戦略、共同の作業プログラム、計画案の共通の呼びかけ、多国家の共通の評価、結果や経験の普及に関わる共通の計画、
を想定している。スキームとしては下記のものが明示されている。
•
研究者や研究活動の参加に際しては、それらが所属するそれぞれの国や地域が費用を負担する。
•
国境を越えた研究活動プログラムの実行では、国家の資金が必然的に国境を越えて流れることから、2つの可能性
がでてくる:
①国が、国どうしの相互の合意の下で、他国の研究者や研究活動の参加に対しても費用を負担する。
②計画の協同の提案の結果として、相互に合意された評価基準に従って、国々が事業に投入するための資金を協同で支
出して蓄積する。
《運営》
ERA-NET の運営にあたっては、長期的ビジョンに基づき、協力体制の継続性を重視することが望まれる。運営のための
課題としては、以下のものが挙げられる。
•
科学的側面、行政的側面での運営
•
戦略的活動の推進
•
科学面でハイ・スタンダードを維持
•
男女平等参画を推進
•
共同の研究活動の開始・実行、結果の調査
活動の運営に関連する費用は、ERA-NET の契約の下でカバーされるものとなっている。
(3)計画と契約
《計画案》
ERA-NET 活動に対する計画案は、ボトムアップを基礎として広く呼びかけられるが、2002 年 12 月に欧州共同体広報誌
(Official Journal of the European Communities)に公募の掲載、2003 年 6 月に締め切りという予定が組まれている。当初は
2400 万 EUR の予算が用意されている。その後、2005 年 10 月まで 6 ヶ月ごとに締め切りが設定される。
計画案には以下の内容が含まれるものとされている。
•
ERA-NET の明確な目的
•
ERA-NET に参加する国家的及び地域的プログラムにおいて ERA-NET の及ぼすインパクト、そして ERA の構築の支
援という視点からの ERA-NET の潜在的インパクト
•
ERA-NET の期間中、またその予定表全体を通しての、予想される活動の説明
•
参加プログラムの予算を添えて、協同参加者それぞれの説明、その国家的及び地域的システムの中での役割の説
明、その ERA-NET 内での役割の説明
•
ERA-NET の組織・運営・管理の計画
•
欧州共同体に支援を要請することの正当性
•
ERA-NET に支援される活動の、科学的な質を保証する手段
•
計画期間後の活動の継続性を確保するための手段
•
男女間の平等性が促進されることを保証するための計画
182
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
•
結果及び/又は経験の普及計画
計画案の評価に関しては、基本的な方針として次のものが挙げられている。
•
透明性(Transparency)
•
平等な扱い(Fair treatment)
•
公平性(Impartiality)
•
効率性と高速性(Efficiency and speed)
•
倫理的な考慮(Ethical consideration)
評価手続きは、欧州共同体の評価マニュアル、及び、特定プログラムの作業プログラムにおいて明示される。
評価にはピアーレビューの手法を用いることが想定されている。
コーディネーション活動の計画案に対する評価基準として下記のものが挙げられている。
•
プログラムの目的の妥当性
•
コーディネーションの質
•
想定できるインパクト
•
コンソーシアムの質
•
マナージメントの質
•
資源の活用
また、特定プログラム枠内の計画案に対しては下記の評価基準が用いられるとのことである。
•
プログラムの目的の妥当性
•
サポート活動の質
•
想定できるインパクト
•
マナージメントの質
•
資源の活用
《契約》
欧州共同体との契約においては、参加者の権利と義務を明らかにすることとされており、契約内容として次の点が示され
ている。
•
本文:活動範囲、期間、欧州共同体の助成金額、報告予定と支払い方式、初期段階での参加者の一覧、を詳述する
•
技術的な付録文書:ERA-NET の目的、共同活動の説明(すなわち参加者の役割の説明、資源の供給可能性の説
明、倫理的な規定、管理・運営組織の説明)を含む。
•
一般的な規定:第 6 次研究開発枠組計画の全ての手段に共通であるが、標準的な法的及び行政的規定、もし必要
であれば知的財産権の管理形態、およびとりわけ標準的な財政的規定を覆う。
•
活用される施策に特有な規定
契約書においては、欧州共同体の助成金の細目化は行わない。
参加者の義務と責任は次のように明確化されている。
ERA-NET 活動の技術面での実行は、その参加者の共同の義務となる。それぞれの参加者はまた、欧州共同体からの財
政援助の活用について、事業の中での自らの分担に比例した分、自らの受け取った総額全体に渡って責任を負う。
ここで、参加者が、加盟国や準加盟国によって間接的な活動への参加を保証されている国際組織、公的機関、法人である
なら、その参加者は自分自身の債務について単独で責任を持ち、他の参加者の債務についてまで引き受けないことになる。
複数の法人が一つの参加者として活動する共同の法人にまとめられている時、その責任は、共同の法人の設立に関わっ
た法律に従って限定される。
また、参加者は、欧州共同体が要請としなくとも、コンソーシアム協定(Consortium agreement)を結ぶことができる。その
場合、以下の点を明記することとなっている。
•
意志決定手順
183
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
•
参加者間での業務と資源の分担
•
欧州共同体からの支援金の管理
•
知的財産権に関して、契約において規定された一般的な取り決めに従っての、知識の創成に寄与した参加者間に
適用される詳細な取り決め
•
ERA-NET の有効な管理と健全な運営を確保するために必要とされる他の規定
(4)ERA-NET の運用
《ERA-NET 運用の軌道修正》
活動計画とコンソーシアムの構成に関しては、軌道修正が可能なものとされている。二つのケースが想定されている。
財政的配分の修正の無い場合
活動計画の修正の場合、中期評価の結果を踏まえ、欧州共同体の合意により、残り時間の軌道修正が許される。その際、
以下の事項がチェックされる。
•
多様な活動でコンソーシアムによって達成された成果
•
この分野の世界的視野における科学的及び技術的発展
•
ERA-NET の発展の帰結としての方向転換の必要性、もしくは新たなツールの導入の必要性
•
他の重要な要素
コンソーシアムの構成に関しては、コンソーシアム独自の判断で構成するメンバーを変えることができる。
財政的配分の増加を伴う場合
欧州委員会は、追加の資金を伴う ERA-NET 内の活動や参加者もしくはその両方を拡大する計画の開始を決定すること
ができる。
その際、標準の計画案(5.2 参照)に、次の二点を明白にすることとなっている。
•
新たな活動の概要と ERA-NET の目的との整合性、そして/もしくは、新たな参加者の説明と ERA-NET 内での役割
•
費用効果も含む、ERA-NET の拡大の付加価値
《知的財産》
第 6 次研究開発枠組計画に対して提案されている知的財産に関連した規則(IPR 規則)は、ERA-NET 活動も含めた第 6
次研究開発枠組計画の全ての活動に適用される。このルールは、研究活動の相互開示のネットワーキングの中で作製さ
れたあらゆる文書、ソフトウェア、データベースに適用される。
第 6 次研究開発枠組計画に対する IPR 規則は、協調もしくはネットワーキングされている国家的もしくは地域的プログラム
の結果には適用されない。それらの結果は、それぞれ適切な国家的もしくは地域的規則によって管理される。
(5)チェック体制
欧州委員会は、契約の規定に従った作業が適切に実行されることを保証するため、欧州共同体の財政的な利益を守る
ため、そして第 6 次研究開発枠組計画内の他の活動との最大限の相乗効果及び一貫性を確保するため、事業を監督する。
具体的には、ERA-NET 毎にプロジェクト担当官が任命され、フォローアップ、中間評価をおこない、その結果はプロジェク
トの修正、停止に結びつくこともある。
監査に関しては、活動に関する監査、会計監査、倫理的監査は ERA-NET 期間中に抜き打ちで行われ、成果の活用・普
及に関する監査は契約の修了時点で行われることとされている。
184
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
■ 7.おわりに
最後に、欧州連合がコーディネーションとコーペレーションを推進するに至った背景とこの方針の基本的な考え方を考察
i
する。
ここでは内的要因、外的要因、政治的要因の3つに分けて、この流れの背景を分析する。
内的要因として挙げられるのが、まずメンバー国間の研究開発に対する温度差である。欧州連合としての科学技術力を
伸ばすためには、相対的に研究開発活動の活発でない国の底上げを行い、全体としてのレベルアップむすびつけていく
ことが必須となるが、コーディネーションとコーペレーションはその有効なツールとして位置付けられている。またメンバー国
レベルの科学技術施策と EU が主体となる研究開発枠組計画とのオーバーラップが過去の経験から認められる。資源の有
効活用という点から、コーディネーションが望まれる次第である。
外的要因としては、アメリカ、日本、ヨーロッパの三極化を視野に入れた、科学技術分野における競争の激化があげられ
る。一つのエンティティとして存在するためには、一貫性が重要な要素となり、ここでもそのツールとしてコーディネーション
とコーペレーションが使われるに至ったのである。また欧州連合拡大の問題も少なからず、この流れに影響を及ぼしている。
参加を表明している国々との科学技術に対する温度差は、メンバー国間のそれより更に大きなものであると予想されること
から、対応策が必要となる。メンバー国間の補完性をより効果的に活用することが望まれる。
政治的要因として最も強く働くのが「統合」である。欧州連合の歴史を振り返ると、共通農業政策、経済通貨同盟、共通
外交・安全保障政策と、メンバー国は一歩一歩関係を深めていったことがわかる。この先、欧州連合が「Confederation of
States」の形をとるか「Federal State」にまで進むかは議論が絶えないが、方向性として、ある種の「統合」に向かっていること
は間違いない。その流れの中に科学技術政策も置かれていることは欧州委員会も強く認識している点である。まさに統合
の第一歩がコーディネーションとコーペレーションであり、それを具体化するためのツールとして、「欧州研究領域(ERA)」
の概念が登場したのである。
しかし、この概念がトップダウンで導入されたものではないことを欧州委員会は強調する。ERA の構想は、すでに第4次
研究開発枠組計画から芽を吹いていたが、メンバー国が自ら ERA の必要性を感じ、消化し、受け入れる状態になるまで、
欧州委員会は期を待ち、その時点で法的化するというプロセスを踏んだ。
ERA-NET 計画は、すでにある研究プロジェクトのレベルでのコーディネーションとコーペレーションから一歩進んだもので、
国家研究プログラムを対象としている。よって、ネットワークの形成のアクターは行政サイドの科学技術担当官となる。
欧州委員会は自らの任務を「コーディネーションのサポート役」としており、また政策策定プロセスに関する共通認識がスム
ーズに形成されるよう、財政援助を行っていくとのことである。
■ 8.参考文献
Co-Decision Guide
http://ue.eu.int/codec/en/EN.pdf
Decision-making in the European Union
http://europa.eu.int/institutions/decision-making/index_en.htm
European Union Research Directorate-General
http://europa.eu.int/comm/dgs/research/index_en.html
European Research Headline
http://europa.eu.int/comm/research/index_en.html
Governance in the EU
http://europa.eu.int/comm/governance/index_en.htm
Monitoring of the decision-making process between institutions
この章は、欧州委員会研究総局の Burmanjer 氏、Fischer-Dieskau 氏、Mandenoff 氏、Zanchi 氏とのヒアリン
グを参考にしている。
i
185
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
http://europa.eu.int/prelex/apcnet.cfm?CL=en
駐日欧州委員会代表部
http://jpn.cec.eu.int/
DG Research の資料:
!
SUPPORTING THE COOPERATION AND COORDINATION OF RESEARCH ACTIVITIES CARRIED OUT AT
NATIONAL OR REGIONAL LEVEL (THE "ERA-NET" SCHEME), Working Document, Unit B.1 - DG Research European Commission
!
PROVISIONS FOR IMPLEMENTING NETWORKS OF EXCELLENCE, Working Document, Unit B.2 - DG Research
- European Commission
!
PROVISIONS FOR IMPLEMENTING INTEGRATED PROJECTS, Working Document, Unit B.2 - DG Research -
European Commission
!
INTRODUCTION TO THE INSTRUMENTS AVAILABLE FOR IMPLEMENTING THE FP6 PRIORITY THEMATIC
AREAS, Speaking Notes, Unit B.2 - DG Research - European Commission
Eaton, J. et al. (1998), “European technology policy,” Economic Policy, 27, 405-438.
Kuhlmann, S. (2000), “Future governance of innovation policy in Europe - three scenarios,” Research Policy, 30(6),
953-976.
Peterson, J. & Sharp, M. (1998), Technology policy in European Union, St. Martin’s Press, New York.
■ 9.インタビュー
駐日欧州委員会代表部(2002/6/19)
一等参事官 Maurice Bourene 氏
EU Research DG(2002/9/17)
Link with Other Policies, Robert Burmanjer 氏
Inter-institutional Relation, Christian Fischer-Dieskau 氏
ERA, Anne Mandenoff 氏
ERA, Carmelita Stoffels 氏
Co-ordination with other Community Policies, Marina Zanchi 氏
186
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
【補論1】欧州宇宙政策におけるコーペレーション
経済産業研究所
熊田 憲、原山 優子
1.欧州宇宙開発の概要
欧州における宇宙開発は、1980 年に発足した欧州宇宙機関(ESA:European Space Agency:以下 ESA)を中心として、
従来から欧州全体を枠組みとして行なわれてきた。ESA は平和目的に限った宇宙活動を行なうという設立理念を持ち、そ
の存在は軍拡競争により競争力を持った米ソとは一線を画している。また現在アメリカが主導的立場にある宇宙開発市場
の中で、アリアン・ロケットの商業的成功をおさめるなどの数々の実績を持つ機関でもある。このように独立した宇宙開発機
関である ESA が牽引してきた欧州の宇宙開発であるが、近年、欧州統合の流れが加速する中で宇宙開発は欧州連合
(EU:European Union:以下 EU)による欧州政策の一環としての役割が重視されてきている。その背景には、研究開発活動
の成果の積極的な社会への還元を進める欧州政策において、これまで社会への成果の還元とは離れた存在であると考え
られてきた宇宙技術に対する認識の変化がある。その変化とは1つには宇宙技術の成熟により具体的な社会貢献の可能
性が明確になってきたことであり、もう1つは欧州の安全保障上の観点からも宇宙技術が重要なファクターであるという意識
が定着したことである。
この欧州全体としての宇宙政策という流れは、1990 年代半ばから表面化してくる EU から ESA への働きかけにはじまる。
1996 年 12 月の欧州委員会(European Commission:以下 Commission)による EU と宇宙開発に関する決議をはじまりに、
その後も 5th framework programme における ESA との連携強化などの決議を行なうなど、EU と ESA のコーペレーションの
促進を求める動きは加速してくる。2000 年代に入るとその動きはより具体化した形となり、長期的な展望としてではあるが、
ESA が EU の一部として欧州宇宙政策における主体組織としての役割を負うべきである、とのスタンスを表明するまでに至
っている。これらの連携強化に伴い 2001 年 3 月には Commission と ESA の共同特別委員会(Joint Task Force)が設立さ
れている。
2.EU の宇宙政策
2003 年 1 月に示された”Green Paper : European Space Policy”は今後の欧州宇宙政策の方向性を示す文書である。こ
のドキュメントは Commission と ESA が共同で作成したものであり、その中では「環境」、「セキュリティ」、「宇宙へのアクセス
の確保」、「国際競争」という項目が強調され、宇宙開発について今後 EU 内で幅広い議論を行っていこうというコンセンサ
スを図るものとなっている。今までの ESA の技術的成功を受けて、今後は EU の政策として宇宙開発に戦略的に取り組んで
いこうという意志を明確に示したものである。
宇宙開発に対する EU の認識について、Commission や航空宇宙産業の委員、EU の防衛責任者などがメンバーとなって
作られた特別委員会’The European Advisory Group on Aerospace’は、2001 年7月に”STAR21 : Strategic Aerospace
Review for the 21st century”を発表し、その中で欧州航空宇宙産業を分析し4つの原則を示している。
①
航空宇宙は、経済成長・安全・生活の質の向上などの欧州の目標を達成する上で重要である。それは、貿易・
輸送・環境・安全・防衛といった欧州政策と関連付けられ、また影響を与えられるからである。
②
航空宇宙産業の強固で世界規模の産業ベースは、欧州政策の選択とオプションに不可欠である。
③
世界の航空宇宙市場において産業的パートナーとしてあるためには競争力の維持が必要である。
④
革新的で競争的な航空宇宙産業において技術の最前線にいることが必要である。
このような原則を基盤として、EU は宇宙政策への関与の必要性について 2 つの理由をあげている。1 つには宇宙開発が
近代的な技術における成功の鍵になっているということ、もう 1 つには今日の経済・社会・文化におけるマネジメントのすべ
ての分野において宇宙利用が関連しているということである。これにより宇宙利用が EU にとっての重要課題であり、その技
術を開発し使用できる能力を維持することは欧州にとって高いプライオリティであるとされるのである。その中で EU は宇宙
187
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
技術による市民への利益、また企業に対する新マーケットの創出を考えており、特に宇宙関連技術に関しては欧州の産業
における競争力のブースターという位置付けでとらえている。
さらにこのような宇宙開発に対する認識のもとで、EU は世界の宇宙開発事情の変化に対する危機感を感じている。宇宙
関連技術および宇宙産業における急速な商業化により宇宙開発がより競争的な市場へと変化してきている現在において、
市場におけるアメリカの独占的地位を回避していこうというのである。これはすでにテレコミュニケーションやテレビなど日常
生活の一部においては宇宙技術に大きく依存している分野があり、今後はさらに気象・地図・環境・農業・輸送・セキュリテ
ィ・防衛などの分野においても宇宙技術の重要性が高まってくると確信しているからである。
3.EU の宇宙戦略
2000 年 9 月に Commission と ESA は共同で” Europe and Space : Turning to a new chapter”を発表し、宇宙に対する欧
州の一貫した戦略的取り組みを確立することの必要性を述べた。これは EU に政治的事項と同様に宇宙分野に対する役割
を与え、宇宙に対する欧州全体としての方向性を示すことを求めるものであり、宇宙開発における技術とアプリケーションの
発展において一貫した方向性を持ち投資を行うための加盟国の集結を目的としたものである。この戦略は 3 つのアプロー
チからなる。1 つは宇宙活動の基盤強化である。これは宇宙に対する独立したアクセスを維持するためには、産業的に高い
ポテンシャルが必要であるとされるためである。次に宇宙に対する科学的知識の獲得、そして最後に宇宙開発ベースのツ
ールを利用したマーケットの開拓と社会への利益還元である。
① 基盤強化
欧州が新しい宇宙におけるアプリケーションによって産業の強化をはかり、その利益を欧州全体に還元するために、EU
は ESA を含む宇宙機関や各加盟国と協力し宇宙活動の基盤を強化する必要がある。そして競争相手であるアメリカに対
する投資ギャップを埋めるためには、強力で革新的なアプローチを取らなければならない。このために EU は調和された 3
つの活動による技術開発プロセスを計画している。1 つは基本的技術の開発を本質的には公共のサポートによって追求し
ていくこと。次に公共あるいは商業的共同により開発された技術をパイロット・プロジェクトや承認活動を通して早い段階で
デモンストレーションすること。最後に市場を考慮することとユーザーの要求によりアプリケーションとサービスを開発してい
くこと、である。そしてこのような基盤強化のためには、欧州が独立した宇宙へのアクセスを保持することが必要であり、世界
市場で高い水準にあるアリアン・ロケットの競争力を維持していくことが重要である。
② 科学的知識
宇宙科学は一部の科学者や人類の美しい夢である、という時代は過ぎ、今日、近代的な社会における科学的進歩にと
って不可欠なものとなった。このため欧州は宇宙科学の特定の分野においても最前線の主題を追求することが必要であ
る。
③ マーケットと社会
マーケットの機会をつかみ社会の新しい要求にこたえる最新の宇宙技術を獲得することは EU の戦略上の鍵である。現
在の社会の一部は「知識ベースの経済」が到来したことにより、人工衛星や宇宙ベースの技術に依存するようになっている。
つまり、農業・環境・輸送・通信・セキュリティ・防衛などの分野において、EU の政策を定義・実行し、モニターしていくため
に宇宙分野のツールは EU にとって主要な資産となる。また新しいマーケットが人工衛星などの下流において出現しており、
このため人工衛星や打ち上げサービスが新たなマーケットの機会を開くということが考えられる。そして現在、ここには3つ
の主要な分野が存在している。1 つは”Communications satellite systems”、次に”Navigation and positioning satellite
systems”、最後に”Observation satellite systems”である。人工衛星はインフォメーションの特徴的な情報源であり、EU の意
思決定において重要な役割がある。
4.宇宙政策における EU の役割
今までは ESA が欧州における宇宙開発を推進してきており、これからも宇宙技術の中核機関としての活躍が期待されて
いる。その中で EU は宇宙開発において今後どのような役割を果たしていくのであろうか。EU は今までの ESA の技術的成
功を、宇宙開発における世界のリーダーとしての地位を獲得したと高く評価している。しかしながらこの成功は技術的そして
188
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
産業的な成功であり、今後の欧州においてはこれらの技術的優位を持続させながらも、さらにその技術を利用し発展させる
アプリケーションが必要であるとしている。その根底には 3 項で述べたように EU の目的や政策にとって今後宇宙開発がさら
に重要な役割を持ってくるという認識がある。つまり EU とのコーペレーションにより、ESA の宇宙技術そして宇宙産業の成
果を利用し、これを欧州全体の利益とするために EU が中心となって宇宙開発のアプリケーションを推進していくというもの
である。
なぜ EU がこのような役割を果たさなければならないかについて、宇宙政策の特殊性があげられている。その特殊性とは、
宇宙開発によるアプリケーションが 1 カ国にとどまるものではなく、他の周辺国(加盟国)にも影響を及ぼすため、その実行
においては加盟国間において多くの複雑かつ微妙な問題が発生するというものである。このため EU では各加盟国が独立
した宇宙政策を推進していくことは不可能であり、欧州における統合された宇宙政策が必要であるとしているのである。加
盟国間での問題の発生を防ぎ、宇宙開発による利益を欧州全体に還元するという意味において、EU 加盟国間の意思を一
致させその利益を最大化するためにも EU による宇宙政策が必要であると考えているのである。
5.ESA との関係
宇宙開発における ESA の成功は 1 カ国の独力で成し遂げられたわけではない。ESA の設立主旨からも、欧州各国が相
互の協力の下で勝ち得たものととらえる必要がある。そして EU の宇宙政策においても ESA と同様に EU 加盟国間における
協力と強調の重要性があげられており、宇宙技術を保有しているばかりではなく、すでに多国間における研究開発システ
ムを持つ ESA は、今後の欧州の宇宙活動においても中核となる組織である。EU が宇宙政策における役割を果たしていく
ためにも ESA とのコーペレーションは必要不可欠である。
欧州の宇宙戦略において EU と ESA はそれぞれのコンピタンスのもとでコーペレーションする関係となる。この関係にお
ける commission の役割には、①宇宙活動に対する正しい政治的・規定的な条件の確立、②ERA(Europe Research Area)
の目的と一致した共同 R&D の促進、③欧州規模のプロジェクトにアクターを集結する、という3点があげられている。そして、
そのオペレーションのためにつくられた特別委員会(joint task force)では共同プロジェクトにおけるマネジメントに対する提
案を行う。この委員会では ESA の技術を利用し、EU の一致した意思による宇宙開発のプライオリティを決め、主要な共同
プロジェクトにおいて科学技術・産業の公・私的なリソースを結集させることをミッションとしている。
Joint task force は宇宙のための欧州戦略を遂行するため 2001 年 3 月に commission と ESA が共同で設立した委員会
であり、2001 年 12 月には”Toward a European: Space Policy”を発表している。この委員会の役割は欧州における真実の宇
宙政策を開発することと、共通の目的に沿って欧州全体を協働させることであり、その活動領域は、commission と ESA の間
で関心が共有された全ての領域におよぶとされる。
委員会のメンバーは ESA の executive と commission の service 部門で構成されており、その組織は 2 つの階層からなる。
1つはそれぞれの組織から公式に任命されたメンバーで構成され、2 つの組織間の共通の関心範囲を表す。2 つめはさら
にオペレーショナルなレベルにおいて委員会によって決定されたタスクを実行することであり、任命国によって指名された
サポート・メンバーで構成されている。そして、その主要な活動は以下の6項目である。
①
欧州宇宙戦略の継続した開発とその遂行に対する共同提案
②
国 際 協 力 ・ 産 業 活 動 ・ RTD(Research and Technological Development) ・ デ ュ ア ル ユ ー ス ・ SMES(small and
medium-sized enterprises)などの戦略遂行に関する水平的問題の調査
③
宇宙がいかにして EU 政策をより良く遂行できるかに関する研究
④
Galileo や GMES(Global Monitoring for Environment and Security)という EU 政策に関係する2つの優先事項の進
展をモニターし、それら優先事項に関連している特定の問題を提言する。
⑤
異なるステークホルダーや特定の加盟国による発見に対する相談や議論を行い、適切な決定を行なうためのアジ
ェンダとして、ESA の委員会と commission に対して提案をする。
⑥
EU/ESA のフレームワークで ESA が EU の宇宙政策に関する政府実施機関として活動できるように提案する。
さらに Joint task force の仕事を考慮し、加盟国による協議によりジョイント構造として設立され、EU と ESA の加盟国からの
代表者により組織される Joint space strategy advisory group (JSSAG)がある。その目的は欧州宇宙戦略において扱われる
189
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
主要な問題において、繰り返しおこなわれる協議を意見一致に導くことであり、欧州の過去の協働経験から組織されたもの
である。Joint space strategy advisory group は宇宙に関連する全ての問題での Joint task force における活動に対して助言
し、また共に活動し、Joint task force からの提案における意見と推薦に定式化の機会を与えることを役割としている。
6.宇宙政策における ESA の役割
ESA は欧州における宇宙活動の中心機関として 20 年以上にわたり、その技術を牽引してきた組織である。その理念は
平和目的に限るという前提を持ちつつ宇宙活動を商業ベースとしてとらえた活動を行うことである。その設立の意義は宇宙
技術競争における対米ソ戦略という明確な目標を持ち、そのために欧州宇宙技術の集結と効率化を図ることである。ESA
の設立における批准文書や評議会規則などにみられるように、国家的なコンソーシアムとしての特徴が強い。スタッフの雇
用からその権限あるいはスタッフ自身の欧州内における移動の自由まで定められ、国家横断的な活動が保証されるなど、
対非欧州国家という明確な意思が感じられる。そしてこれまでに大陸的規模の努力により、公共資金を用いた研究とプレコ
ンペティティブな技術の支援で、欧州の宇宙技術を拡張してきている。これはそれぞれの国が単独で行っていた場合に達
成したであろうよりも多くの目的を獲得したとされ、アメリカよりもはるかに少ない資金により宇宙活動の全ての非軍事的分野
において欧州の存在を確立し、加盟国における科学的・産業的な能力を養成したとされている。
現在の ESA は、その主要なミッションを欧州の宇宙開発力の発達および宇宙への投資に対する利益を欧州に届け続け
ること、と認識している。そして宇宙活動による欧州に対する便益として以下の 12 項目をあげている。そしてこのようなミッシ
ョンを達成するために、ESA は現在も欧州における宇宙計画の立案と遂行(宇宙科学・人工衛星を基にした技術の開発・
欧州産業の促進)を行い、また宇宙による利益を人類全体と分かち合うために欧州以外の宇宙機関と協同するなど、欧州
における中核機関として活動を行っている。
①
宇宙開発による欧州の科学の強化と促進
②
宇宙科学の研究による医学の進歩
③
ロケット開発による新技術の生成
④
ESA のプログラムに参加することによる宇宙産業の便益と産業強化
⑤
衛星の資源探査による産業促進
⑥
GIS(geographical information system)による農業への貢献
⑦
より正確な天気予報
⑧
人工衛星によるデータ通信
⑨
より正確な地図の作成
⑩
衛星による自動車、列車、飛行機、船などのナビゲーション・システム
⑪
直接・間接的な雇用促進
⑫
欧州の頭脳流出を留める
これらの活動に代表される ESA の欧州宇宙政策における役割とは、今後も欧州における宇宙技術の中核機関として存
在することである。さらに今までも 1 カ国の単独組織ではなく多国間の共同体として活動してきたという実績は、そのシステ
ム自体もコア・コンピタンスととらえることができる。ESA の多国間における研究開発体制のマネジメントシステムは、その枠
組みが ESA から EU という主体の変更によって失われるものではなく、今後もプログラムマネジメントやプロジェクトマネジメ
ントを行なうマネジメント組織として、十分に中核組織としての役割を担って行くであろう。
しかしながら憂慮すべき点もある。ESA の積極的な関与を求める EU は、安全保障・防衛の分野においても、その役割を
ESA が持つべきであるという考えを示している。あらゆる国家・組織から独立した立場を保ってきた ESA が軍事政策の中に
組み込まれていくことは、国際共同や国際貢献における独立性や公平性という意味において、その存在意義を問われるこ
とも考えられる。
7.まとめ
EU が宇宙政策に対するコミットメントを強めてきたのは、90 年代後半からであり、さらに特別委員会を作るなどの実質的
190
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
活動に入ったのは 2000 年ごろからである。その背景には、冷戦の終結や Global Competition という流れの中で、EU 加盟
国における通貨統合などに代表される「ひとつの欧州」としての結束の強まりがある。また欧州全体の安全保障また経済的
見地からの宇宙開発における対アメリカ政策というものも存在している。過去宇宙技術に対する社会の評価は軍事あるい
は科学の進展への貢献というものが一般的であった。しかし現在では直接的な社会貢献(新技術・雇用・生活の向上など)
が具体的に示され始めており、”space application”という言葉は、このような流れにおける EU の宇宙開発に対するスタンス
を明確に表すものとなっている。これは宇宙開発を促進するというよりも宇宙開発によってもたらされたリソースを利用するこ
とに重心を置くもので、EU はロケットや人工衛星など、今までそれ自体が宇宙開発と呼ばれていたものを「インフラ」と位置
付けているともいえる。
このように EU が宇宙インフラを利用し”space application”を推し進めようとしていることには大きく分けて3つの意図がある。
1 つは新しい市場の開拓、つまり産業経済的側面である。次に安全保障上の側面、最後に宇宙科学の発展である。ここで
指摘しておく必要があることは、今までも欧州の中核機関として ESA が存在し、成果をあげていることである。ESA の存在が
ありながらあえて EU は宇宙政策に対してコミットを強めてきたのである。その理由は ESA が民事に関してのみ活動をおこな
うための機関であり、安全保障上の側面については関与しておらず、この部分に関して機能していないということにある。つ
まり、この宇宙による安全保障という部分が「EU による宇宙政策」の根源にあると考えられる。EU は宇宙開発において軍事
と民事は双子の関係にあり、相互に補足的でありまた依存しているため、両方を同時に行なっていくことが宇宙産業にとっ
て必要不可欠であるとしている。これは技術的なことに関してのみ適用されているわけではなく、単純に宇宙市場が 2 倍に
なるという規模の経済の意味も含んでいる。これらはまさに軍民一体で宇宙開発を行なっているアメリカを意識したものであ
り、このような認識が今までの ESA を中心とした開発体制だけでは不十分であると結論付け、EU による欧州全体の宇宙政
策という形となって現れたと考えられる。また EU は宇宙開発技術を、一度消滅すると再び手に入れることが難しい技術、ま
た新たに出発して追いつくことも非常に困難な技術と位置付けている。このような宇宙開発技術を安全保障と関連付けたこ
とは、その技術力の維持発展は、国防(欧州防衛)という観点から EU にとって今後さらに重要な位置付けとなってくるであ
ろう。
世界の情報技術による変革はここ 10 年あまりで産業構成を大きく変え、今後の産業発展はさらに情報技術と密接につな
がっていくと思われる。そしてこのような情報技術における宇宙技術の役割は非常に大きい。つまり情報技術の発展は宇宙
におけるインフラとしての人工衛星やロケットによるその打ち上げ、といった既存の宇宙開発産業の発展と密接にリンクする。
しかし情報技術を用いた産業発展という考え方は、ESA が行なってきた今までの宇宙開発とは異なる部分がある。なぜなら
ESA はロケットや人工衛星など、主として宇宙開発技術そのものに対する活動をしており、既存の宇宙産業以外の分野に
関する何らかの活動はあまり考慮されていない。このため EU が関連分野を含めた宇宙全体に対する政策を一元的に行な
う必要が生じたのである。EU によって一元化された体制により宇宙活動を行なうことは、EU 各国が独自に行なうことと比較
して、効率的に進められると同時に国ごとの格差の防止にもつながると考えられる。
このように宇宙技術をめぐる状況の変化が EU の宇宙政策への関与を強めている。しかしながら実際には commission が
宇宙政策の統合を進める一方で、実質的な宇宙活動においては ESA の働きが重要であろう。なぜなら ESA は技術の蓄積、
市場における成功という面で、欧州の宇宙開発において大きな実績を残している。さらに ESA は EU と若干の加盟国の違
いはあるにせよ、長期にわたり欧州全体という範囲で活動してきており、EU の欧州宇宙政策においてもその役割を十分に
果たせる能力を持っているのである。このため今後の宇宙開発を推進していく上でも中核機関として位置付けられる存在
であることに間違いない。この点に関して EU も「腕」あるいは「ツール」という表現を用いて ESA の重要性を認識し、実際の
宇宙活動は ESA が中心になって進めていくことを認めている。つまり EU と ESA のコーペレーションの成功が今後の欧州宇
宙開発の鍵といえる。そしてこのコーペレーションの焦点は、ESA の宇宙開発能力と ESA の持っていない「安全保障」と「他
産業の発展」の統合にある。この統合が EU に長期的で一貫性のある宇宙産業への投資や計画といった政策を行なう必要
性をもたらしたのである。しかしこのような宇宙政策における枠組みは、経済から防衛までを含みさらには加盟国全体の利
益を考慮する必要があるため、今後の欧州にとって大いに重要かつ有効であると同時に非常に複雑なものとなるであろう。
191
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
参考資料
1.
European Commission – Space HP (http://europa.eu.int/comm/space/index_en.html)
2.
ESA
3.
The European Commission and the European Space Agency
HP (http://www.esa.int/export/esaCP/index.html)
(2000) “Europe and Space : Turning to a new chapter”
(http://europa.eu.int/comm/space/doc_pdf/esa_en.pdf)
4.
The European Commission The European Advisory Group on Aerospace (2001) “STAR21 : Strategic Aerospace
Review for the 21st century” (http://europa.eu.int/comm/enterprise/aerospace/report_star21_screen.pdf)
5.
The European Commission and the European Space Agency Joint Task Force (2001) “Towards a European: Space
Policy” (http://europa.eu.int/comm/space/doc_pdf/spacetoward_en.pdf)
6.
The
European
Commission
(2003)
“Green
Paper
:
European
Space
Policy”
(http://europa.eu.int/comm/space/doc_pdf/greenpaper_en.pdf)
7.
Carl Bildt, Jean Peyrelevade, Lothar Spath (2000) “Towards a Space Agency for the European Union”
(http://ravel.esrin.esa.it/docs/annex2_wisemen.pdf)
8.
“CONVENTION
FOR
THE
ESTABLISHMENT
OF
A
EUROPEAN
SPACE
(http://www.esa.int/convention/)
9.
“ESA COUNCIL RULES OF PROCEDURE” (http://www.esa.int/convention/rules_2.html)
10.
日本貿易振興会・技術交流部(2000)『欧州の産業技術開発政策の動向』JETRO 技術情報 No.415
192
AGENCY”
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
【補論2】EU の科学技術政策:コーディネーションを支える政策ネットワーク
経済産業研究所
角南 篤
近年、EU の科学技術政策は、加盟国であるヨーロッパ諸国のイノベーションシステムに大きな影響力を持つまでになっ
てきた。とりわけ、フレームワークプログラムなど代表的な研究開発プログラムは、メンバー各国の R&D には欠かせないもの
とされている。EU にとって、当初、科学技術政策は、他の政策領域に比べ、共有している問題認識や対応策からみても比
較的政策面でのコーディネーションの問題は少ないと考えられていたところがある。しかし一方で、フレームワーク・プログラ
ムを中心とした助成政策では、メンバー国間での駆け引きが非常に活発に行われるようになり、こうしたメンバー国のコーデ
ィネーションは EU の科学技術政策で重要になっているのも事実である。ここでは、EU の科学技術政策のなかで、とくにメ
ンバー国間の政策コーディネーションが求められるプログラムに焦点をあて、EU が如何にコーディネーションの問題を克服
しているのか探ってみる。そして、科学技術政策をめぐる政策ネットワークに着目し、そうしたネットワークがどのようにして政
策コーディネーターとしての役割を担っているか明らかにする。
政策決定過程における政策ネットワークの存在やその役割については、これまで比較政策研究などの分野でも頻繁に
取り上げられてきた。また近年、アメリカ研究では、多元的で比較的多様なアクターが参加する政策決定メカニズムを前提
に、そうしたアクターたちがネットワーク化しつつある政策課題について、継続的に関わる状況をとらえている分析が多く見
られるようになった。
この補論は、主に英国サセックス大学科学政策研究所での研究をサーベイした上で、EU の科学技術政策の研究で知ら
れるマーガレット・シャープ教授を始めとする同研究所の研究者へのヒアリングに基づいてまとめたものである。
1.EU の R&D 政策の出発点と転換期
EU の研究開発に関する政策のこれまでの変遷については、他の章に詳細な記述があるので、ここではとくに 1980 年代
以降、EU の中心的産業技術政策となった共同研究開発プログラムに焦点をあてる。共同研究開発プログラムは、ESPRIT
や EUREKA(EU ではなくフランスのイニシアチブ)など欧州の代表的な研究開発政策になったこともあり、その後のフレー
ムワーク・プログラムでもひとつのテーマになっている。とくに、これまでバラバラに競争していた産業界や行政、研究開発
のアクター間で、共同のプロジェクトを運営していくことから生まれるネットワークやコミュニティーが、EU という超国家的組織
において政策決定のコーディネーション機能など重要な役割を担うようになっている。例えば、IT 政策では、ビッグ12ラウン
ドテーブル(IT 関連企業 12 社によって一部形成されている IT 政策コミュニティー)が持つ影響力は大きい。そして、こうし
た経験は、近年の産学連携や地域クラスター等の主要プログラムにおいても生かされていると言える。
1980 年代以降の EU の R&D 政策をめぐる環境変化には、いくつかの要因がある。まずは、冷戦の終焉である。それから、
技術や R&D のグローバル化により一国の政策の限界や先進国間での経済活動の格差が顕在化したことなどが挙げられる。
それから、80 年代の日本経済の台頭やその後のアメリカの復興などによる EU の産業競争力の相対的な低下は、EU の関
係するアクターに大きな危機感を植え付けると同時に、アクター間の協調を促す重要な意味を持ったといえる。
193
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
ローマ条約 (1957)
The Davignon イニシアチブ(1982)
日本経済の台頭に対するヨーロッパの対応
E.Davignon(European Commissioner for Industry, 1977-1985)
ビッグ12ラウンドテーブル
結果として、ESPRIT がスタート(日本の VLSI)
EUREKA(フランスのイニシアチブ)
SEA とマーストリヒト条約 (1987,1993-Ratified)
1995 グリーンペーパー:フレームワーク V へ
テーマ:Producer から User へ
2.EU の R&D プログラムの変遷
EU がこれまで行ってきた科学技術に関するプログラムは多種多様である。それらを科学的な研究と技術開発の二つに
大きく分けると、以下のようになる。ここでは、実際の R&D 活動が、科学的研究から技術開発へ横に流れるようにつながって
いるといったリニアモデルを想定しているわけではない。現実はもっと複雑で、こうした領域もかなりの部分が重なっていると
いえる。しかし、それぞれのプログラムには R&D 活動の目的の多くが政策として明記されているので、それらに基づいてマ
ッピングしたものが以下の表である。
○EUの主なR&Dプログラム
科学的研究
基礎
技術開発
応用
Pre-competitive
Commercial
ESA
CERN
EU
EUREKA
EMBO
ERSO
AIRBUS
RTD プログラム
COST
ESF
ILL
(出所) Peterson and Sharp (1998)
194
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
なかでも、RTD(リサーチ&技術開発)と呼ばれている R&D プログラムは、科学研究でいうと応用の分野と技術開発でい
うところの「Pre-competitive」の領域にあたると考えられている。この「Pre-competitive」という考え方は、80 年代に欧米で登
場し、当時のレーガン・サッチャーという市場原理を最大限に引き出すための限定的な政策介入を建前とした保守政権に
とって、相対的に低下する産業競争力を引き上げる積極的な R&D プログラムを打ち出す格好のコンセプトになったところが
ある。つまり、「Pre-competitive」の領域であれば、市場原理が作動する前ということであり、市場に取って代わるような政策
介入をしないという政権の建前を維持しながら堂々と行える R&D プログラムになるということである。
また、EU の研究開発政策を資金面から分類すると、以下の三つのタイプに分けることができる。なかでも、一番多いタイ
プは、EU と関連する産業界でコストをシェアするプログラムである。それから、EU の研究開発政策における JRC の活動は、
とくに EU が直接研究開発を行う機関であるということもあり、その設立背景について以下で紹介する。JRC のフレームワー
クプログラムにおける役割の変遷については、本論の方の原山レポートを参照されたい。
○EU の R&D 政策:Funding のタイプ
FP の3つのタイプの主な内容
Shared-cost actions:
研究開発プロジェクトの多くはこのタイプであり、産と官でランニングコストの
50%ずつ負担するタイプ
Concerted Actions:
プロジェクトパートナーを構成するためのセミナーや会合の開催を支援するた
め、EU が 100%コストを負担するタイプ
Direct Actions:
JRC を通して直接研究開発を行うタイプ
(出所) Peterson and Sharp (1998)
○
Joint Research Council
JRC は、最初、Euratom の一部として設立され、Ispra(イタリア)、Karlsruhe (ドイツ)、Geel(ベルギー)と Petten(オランダ)の
4カ所に分割された。Euratom は 67 年に、EEC と ECSC に合併され、その後、JRC の活動範囲は、たとえば環境問題から
技術標準の研究といった境界領域の研究テーマを含むまでに広がった。その一方で、JRC の役割と組織そのものに関する
議論は続いている。そうした中で、80 年代後半をピークに数々の改革が実施され、「顧客-契約者」ベースの体制により近
づけながら、基金面ではさらにオープンな競争環境の整備を進めていった。しかし、フレームワークⅣでは、依然その資金
の4分の3(1億 ECU)は、直接EUの研究予算から出ている。
1996 年までに JRC は直接、DGXII の管理下に置かれることになり、同年 4 月からは、委員会の中に別個の DG が任命さ
れた。5 カ所に 7 つの機関が設立された:
●
Institute for Reference Materials and Measurement (GEEL);
●
Institute
for Trans-uranium Elements (Karlsruhe);
●
Institute
for Advanced Materials(Petten);
●
Environmental Institute(Ispra).
●
Space-Applications Institute(Ispra);
●
Institute for Systems, Informatics and Safety (Ispra);
●
Institute for Prospective Technological Studies (Seville,Spain).(1994 年設立)
なかでも、IPTS は、スペイン南部のセビーユに 94 年に設立され、技術トレンドを調査・予測するフォーサイトプログラムを
中心に活動をしている。
195
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
3.EU 科学技術政策の意思決定プロセス
EU は、いくつものレベルに分かれている多重的なガバナンスによって成り立っており、多様な政策がそれぞれの政策の
タイプに基づき、異なったレベルやアクターによって決められていると、研究者の間では通常考えられている。Sharp は、以
下のような三つのタイプに分けた概念を用いて、EU の科学技術政策における意思決定プロセスの説明を試みた。
○
EU の R&D 政策の意思決定タイプ
意思決定タイプ
主なアクター
Level1
長期的ビジョン、戦略政策
欧州理事会
Level2
アジェンダセッティング
欧州理事会、COREPER
Level3
政策形成、コーディネーション
欧州委員会コミティー
*Policy Network
理事会グループ
(出所) Peterson and Sharp (1998)
Sharp によれば、EU の場合、他の政策分野と異なり、科学技術政策は、「Level1」と「Level3」での意思決定が重要かつ
一般的だと分析している。とくに、科学技術政策のハイ・ポリティックスといわれている「Level1」での意思決定を巡っては、
関係国間での駆け引きは想像以上に激しいものになっている。
フレームワークプログラムに関連する予算を巡っては、明らかに、最も高いレベルの政策決定プロセスによってメンバー
国間の調整が実施される。したがって、5年ごとに行われるフレームワークプログラム予算についての選択は、歴史的な意
志決定となり、EU の研究開発の方向性を中長期的に決定することを目標としていた。フレームワークプログラムの予算の大
枠を決めるにあたっては、EU のメンバー国の様々な国益を政府間レベルの折衝で合意することを目指している。それに対
して、ほとんどの EU の政策は、少なくとも、メンバー国の政府間(inter-governmental)と同じくらい、あるいはそれ以上にア
クター間・組織間(inter-institutional)での活発な政治的駆け引きを経て決定されることが多い。
EU の政策決定プロセスにはいくつかのパターンがあるが、一般的には、委員会が政策プロポーザルを議会に提示し、
必要があれば議会が修正を加え、それを理事会が承認するというものである。詳細は、表を参照。
フレームワークプログラムは、マーストリヒト以降の期間に、「二重の」法的手続きに縛られていた。この手続きは、Single
European Act のなかで生まれたもので、フレームワークプログラムの 5 年間の予算とプロジェクトテーマを最初に決定する
際には、理事会の全会一致による投票が必要とされる内容になっている。また、この決定の後に、委員会はさらに個々の研
究プログラムについても理事会の同意を得なければならない。
SEA によれば、理事会は、フレームワークプログラム決定の最初の段階では、議会の意見を聞くことのみが求められてい
た。しかしながら、第二段階では、議会に修正権が与えられている。こうしたことから、フレームワークⅢでは、個々のプロジ
ェクトの内容を巡り、組織的な駆け引きが激しく行われ、実際の研究プロジェクトの実施は予定より 13 ヶ月から2年間遅れた。
こうした状況を打破するために、1991 年には、大々的に組織間でのコーディネーションを測るための調整が継続的に行わ
れた。なかには、委員会、議会、そして理事会のそれぞれのトップが集まり、ただ研究開発政策について議論するといった
こともあった。
Maastricht Theory はフレームワークプログラムの5年間の予算とテーマの設定について、新しい co-decision の手続きを
導入、議会に実際上の拒否権を与えた。しかしながら、理事会はそれまでの全会一致のルールを維持した結果、研究開発
政策のみこうした制度によって政策決定されることになった。
○
EU の R&D 政策:意思決定プロセス
①欧州委員会による FP 予算と大枠な内容の承認
②欧州理事会へ欧州委員会から①のプロポーザルの提出
196
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
③欧州議会による第一回目の審議(修正案提出)
④欧州議会による第二回目の審議(再修正案提出、採決)
⑤理事会と議会で意見が不一致な場合、調整委員会の招集
⑥理事会と議会で同意 Co-decision(理事会:全会一致)
⑦委員会による ESPRIT,RACE のような個別プログラムの申請
⑧理事会による個別プロジェクトの承認(委員会に必要があれば伺い)
⑨委員会が個別プログラムの作業工程を組み立てる
⑩委員会が“Calls for Tender”によって資金調達する
⑪第三者の専門家グループによる個別プロジェクトの評価
⑫委員会による個別プロジェクトへの資金的支援
EU の研究開発政策の決定プロセスにおける第二段階では、個々の研究プログラムが認められる際に、マーストリヒトは
議会の権限をコンサルテーションに限定した。従って、理事会は議会の修正案を無視することが可能となった。結果的に、
議会は、一般的な予算と優先的プロジェクトテーマが定められた後の5年間、議会のフレームワークプログラムに対しての
影響力がきわめて限定的になってしまった。
4.EU の R&D 政策決定プロセスのコーディネーション
EU の R&D 政策におけるコーディネーションの問題は、以下のように大きく分けて二点ある。
① 政策過程におけるメンバー国間のコーディネーションの問題
② メンバー国における R&D 活動のコーディネーションの問題
研究開発政策の場合、後でも触れるが、政策の内容が他の分野に比べてきわめて専門的であることから、産業技術分
野別の「政策ネットワーク」が EU の R&D 政策の意思決定をコーディネートする場を提供している。また、こうした「政策ネット
ワーク」をまとめているのは、欧州委員会である(リング・リーダー的存在)。欧州委員会はアジェンダ・セッティングにおける
影響力を各レベルの意思決定プロセスで持っていることから、タスクフォースなどを利用しながら政策ネットワークの形成を
支えている。こうして、政策ネットワークは、「政策ブローカー」としてそれぞれの意志決定に関与している。
◎ 政策コーディネーション機能を持つ政策ネットワーク
例:EU-IT 政策ネットワーク、EU-BT 政策ネットワーク
○
圧力団体と政策決定プロセス
圧力団体は従来、政策決定プロセスにおいて合意形成の中核的存在であると考えられてきた。実際、多くの政策決定に
ついての研究では、様々な圧力団体を、関連する政策のアウトカムを決定する重要なカギの一つであると定義しているもの
が多い。
これまでの圧力団体の研究は、大まかにいうと3つの理論に基づくアプローチによって行われてきた。それらは、多元主
義的、コーポラティズム的、マルクス主義的アプローチである。中でも、多元主義とマルクス主義は、政策の中心的なアプロ
ーチであると見なされてきた。圧力団体とは、公的政策に影響を与えるために、社会のある特定なセクションの利益を代表
することを模索する組織である。つまり、それらのアプローチは、政策は社会の中で発生する圧力によって決定されるもの
であると見なしているのである。国家は、こうした利益団体やいくつもの社会階級のどれかの利益に応えなくてはいけないと
いう考えである。
197
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
しかし、近年の理論研究は、国家が個別かつ独自の利益を持ってそれを追求し、政策決定にひとりのアクターとして影
響力を行使することができるといった考えを取り入れ始めた。また、圧力団体が重要であっても、その政策のインパクトは、
国家・行政官の利益と、特定の政策分野に存在する関係-政策ネットワーク-のタイプによるものであるということも言われ
るようになった。グラント(1989a)による研究は、圧力団体を、国家との関係において「インサイダー」と「アウトサイダー」のグ
ループに分けることを提案している。
政策ネットワークは、inclusion と exclusion のメカニズムによって、政策過程に参加するアクターをインサイダーとアウトサイ
ダーに峻別し、ネットワークの安定化を図っている。
Heclo(1978 年)は、政策ネットワークは、鉄の三角形に取って代わるイシューネットワークとともに、よりオープンになることを
示唆してきた。イシューネットワークの中では、政策セクター内で莫大な数の関係者が代わり、政策目的における合意はほ
とんどなくなってしまう。
英国では、リチャードソンとジョーダン(1979 年)が、閉鎖的な政策決定プロセスのサブシステムに焦点をあてるために「政
策コミュニティー」という概念を導入した。また、Rhodes(1988 年)、および Marsh と Rhodes(1992a)が、政策ネットワークのよ
り全般的な考察を進めるために、これらの概念を組織化し明確化する試みを行ってきた。
○政策ネットワークの性質とタイプ
政策コミュニティー
イシューネットワーク
Membership
Number of participants
Very limited, some conscious
Large
Exclusion
Type of interest
Economic/professional
Wide range of groups
Integration
Frequency of interaction
Frequent, high quality
Continuity
Membership, values, outcome
Contacts fluctuate
Fluctuating access
persistent
Consensus
Values
All participants share basic
A degree of agreement but
conflict present
Resources
Distribution of resources
All participants have resources.
Some participants have
within network
Relationship is one of exchange
resources, but limited
Distribution of resources
Hierarchical leaders can
Varied and variable
within participating
deliver members
and capacity to regulate
organizations
Power
There is a balance among
members. One group may be
Unequal power. Power
zero-sum
dominant but power is
positive-sum
(出所) Marsh and Rhodes (1992c).
政策ネットワークは、圧力団体と国家の関係をカテゴライズする手段である。政策決定プロセスでの重要な変数は、圧力
団体と国家との間 -政策ネットワークタイプ- や、利益と国家・行政官との間 -ガバナンス- による関係である。
政策ネットワークは、国家と圧力団体との間で政治的資源の交換場に存在するとも考えられる。これは限られた情報の交換
198
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
から、政策決定プロセスにおける圧力団体の活動の制度化につながる。政策ネットワークもまた、アクター間に存在する関
係のつながりの強さの程度により、限定され安定的なアクターが参加している比較的排他的な政策コミュニティーから開か
れたイシューネットワークまで、実際にはさまざまなタイプが存在すると考えられている。
最初に紹介したとおり、BIG12による EU の IT 政策ネットワークの影響力は、EUREKA にも顕著に見られる。HDTV や
JESSI も EU の多国籍企業グループが大きな原動力になっている。
○
The ‘ Big 12’ Round Table of Industrialists (1982)
ICL
AEG
(UK)
(West Germany)
Thomson
(France)
Olivetti
(Italy)
GEC
Siemens
Bull
STET
(UK)
(West Germany)
(France)
(Italy)
Plessey
Nixdorf
(UK)
(West Germany)
CGE-Alcatel
(France)
Philips
(Netherlands)
(出所) Peterson and Sharp (1998)
従って、個別の産業構造は、その分野の政策ネットワークの性質を決める上で重要な要因の一つといえる。例えば、EU
内では最近まで、バイオ分野での政策ネットワークはほとんど存在感がなかった。その理由のひとつは、EU の化学や製薬
業界がバイオ分野での政策ネットワークの構築に必要性を全く感じていなかったことである。日本でも、最近までは同様な
状況が見られた。そして、近年の業界全体の経営不振やバイオ分野での米国の台頭などを受けて、EU の化学業界を中心
にバイオ分野での EU プログラムに積極的に関与するようになってきた。業界と委員会との接触も頻繁になり、バイオテクノ
ロジー政策ネットワークが形成されはじめると、フレームワークプログラムのバイオクラスターへの参加企業が
Rhone-Poulenc-Rorer, Unilever, Roche and Hoechst など大手企業を含めて倍増した。
一方、フレームワークプルグラムが拡大される中で、関連する政策ネットワークのメンバーも増加していった。また、IT 政
策ネットワークのように、メンバーの拡大に伴って参加しているアクターも多様になり、結果としてネットワークの結束度や外
部からの独立性も低くなっていく場合も見られるようになった。
○
専門知識をもったアクターと政策コミュニティー
専門的知識をもったアクターが参加する政策のコーディネーションについての研究のなかで、Peter Haas の「エピステミ
ック・コミュニティー」についての研究と、ポール・サバティエの「advocacy coalition」の研究が、政策決定における
Knowledge-Bearing Expert の役割に光を当てたことで有名である。
公共政策の研究における重要な流れとしては、政策決定に対する「専門知識」の影響を理解することに立脚する研究が
多く見られ始めた。その中でもとくに、政策決定における専門知識をもったいわゆる政策エリートの役割は、広範なケースス
タディーをもとにした興味深い研究によって提示されている中心的な課題の一つとなっている。
政策ネットワークの概念は、政策決定の過程において、原則的に利益集団と国家の間にもともと存在している関係や、国
家・行政官や為政者の活動を理解するための、重要な変数となっている。政策ネットワークは、国家・行政官や為政者、利
益集団、当該する政策分野において恒常的に相互作用している圧力団体と政策のエキスパート、により構成されている。こ
れらのアクターたちは、彼ら相互の関係のバランスをとり、さらにネットワーク化を高めてゆくために、それぞれが提供可能な
社会的・政治的資源を交換し合うことによって相互作用してゆくということになる。
このようにして、ネットワークに政策の専門家を含むことによって、「鉄の三角形」やコーポラティズムに取って代わることにな
る。専門知識を資源としても持つ政策エリートは、
実際、それらのネットワークのメンバーとして新しい政策の流れを作る役割を担っているともいえる。政策論議においてこ
199
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
のような政策エリートは、持ち寄った専門知識を駆使することにより、政策プロセスにおいて、政策ネットワークの活動を先導
してゆく重要な存在となっている。
5.欧州委員会と政策ネットワーク
科学技術政策に関連する政治は、通常は他の政策に比べて非常に地味で目立たない。しかし同時に、他の政策に比
べ技術的であり要求される専門性が最も高いのも事実である。結果的に、科学技術政策は、専門家など政策エキスパート
の影響力がとくに大きくなっている。EU の科学技術政策も例外ではない。そして、EU 科学技術政策は、数年に一度の予
算作成に関連する「ハイ・ポリティックス」のレベルとその下の個々のプログラムの管理運営に関わるレベルの間の中間的な
ところで活発な意思決定プロセスが展開される。この中間的なレベルでの意思決定プロセスでは、欧州委員会が用意した
政策プロポーザルをめぐりメンバー国が様々な駆け引きを行った後、ある政策が選択される。一般的な流れは、欧州委員
会によるプロポーザルを議会が修正し、理事会が投票するといった、以下の表のとおりである。こうした政策過程では、議会
がとくに共同決定のルールのもとに徐々に影響力を増してきている。東欧などへの R&D 資金の支援策など議会が興味をも
っている政策については、議会の力が顕著になってきている。また、理事会も時には委員会のプロポーザルの内容や R&D
資金の細部についても変更を迫るというような行動を取ることもある。
しかし、通常、科学技術政策は他の EU の政策に比べて理事会・議会・委員会間のせめぎ合いが少ないのが特色である。
先に述べたいくつかのケースを除いては、大体、委員会の用意したプロポーザルが議会による大きな修正もなく理事会で
採択されるのである。マーストリヒト体制以降は、委員会と議会がそれまで以上に共にプロポーザルの策定に関わるというこ
ともあり、こうしたケースが増えている。
科学技術政策は、専門家による影響力が最も高い政策のひとつである。その反面、専門性を持たない政治家やその他
のアクターは、科学技術政策にはほとんど関わりをもたないことが多い。政策の内容が理解しにくいこともあり、彼らや彼らを
動かす一般的な有権者からみても相対的に関心の低いのが科学技術政策だといえる。結果として、政策決定プロセスに
おいて専門家の役割が重要になっている。
専門性の高い科学技術政策を民主的にコントロールするというメンバー国、議会や外部のアクターの要求に応え、委員
会は、フレームワークプログラムの継続的な政策評価を行っている。しかし、委員会の評価はあいまいなで不明慮な点が多
いといわれている。評価プロセスがオープンだとはいえないところが非難の原因の一つとなっている。また、委員会自身、評
価の内容については、関連する専門家によって構成されているアドバイザリーコミティーによって動かされることも多い。こ
のように、ある特定の専門家集団によって形成された政策コミュニティーの影響力が顕著にみられるのも、科学技術政策の
性質であるといえる。
専門家、官僚、産業界や研究者の間で政策形成が行われた後、次の段階では、より広い範囲の政策関連アクターを交
えて、誰がどのくらい政策アウトプットを得られるかといった重要な意思決定が行われる。この段階では、政策ネットワークが
大きな影響力を行使することになる。各分野で共通の政策ラインを提示することができ、その上 EU 全域で広範囲の政策ア
クターをネットワーク化している政策ネットワークは、欧州の科学技術政策においては中心的存在に成長してきつつある。
政策ネットワークは、メンバーが比較的固定されており外部からある程度独立していれば、集団行動に典型なフリーライドの
問題などいわゆるコレクティブ・アクションの問題が起こりにくい。政策決定の場で政策ネットワークが行使できる安定した影
響力は、メンバーがそれぞれ持ち寄る政治的資源に委ねられている。したがって、共通の政治目的の下でのメンバー間の
協力が強固であればあるほど、政策決定プロセスでネットワークが果たす役割も当然大きくなる。
政策ネットワークは、EU の中でもとくに科学技術に関する政策決定プロセスにおいて大きな影響力をもっている。科学技
術の専門性の高さや急速な技術革新とイノベーションのグローバル化から、EU のメンバー各国独自の国益を見出すことが
難しくなっており、結果的に EU の政策決定に追従するケースが多くなっている。とりわけ、共同研究開発プロジェクトにつ
いては、関連する政策ネットワークがプロジェクトの実施を担うだけではなくメンバー各国の戦略的な対応にまでにも大きな
影響力を発揮している。EU の科学技術政策において、政策ネットワークは、長期的な政策の方向性が決まった後、実際の
中期的なプロジェクトレベルで誰に対してどういった内容でどの程度の規模の資源配分を行うかについての意思決定に大
200
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
きな役割を果たしているのである。
委員会の研究開発政策の役割が比較的専門性が高く、かつ一般に注目されることが少ないということは簡単に理解でき
る。委員会の用意するプログラムプロポーザルは、一般からみて非常に技術的な内容が中心で、それをめぐるやり取りにつ
いても複雑で透明性が低い。研究開発政策は、通常、先述した「レベルⅡ」で重要な内容が形作られる。プロポーザルが
政策決定プロセスの入り口で具現化され、最終的に実施されるからである。
委員会はヨーロッパにある産業界の研究開発や技術研究のコミュニティーに頼りながらプログラムを実行している。また、
結果的に、理事会に対する影響力を強めるためにも、こうした専門性も高く多様なアクターの参加による強固な政策ネット
ワークを形成することにも力を注いできたことになる。
Ruberti の新構想、European Science and Techonology Assembly、は、その良い例である。1994 年に創設された
ESTA は 96 の著名な学者と実業家を、委員会へのアドバイザリー機能として組織化したものである。それは、フレームワーク
V を巡る議会や理事会対策に大きな役割を果たしたと、Sharp らは説明している。
政策エキスパートの委員たちを組織化したもののなかでもう一つの重要な例として Sharp が指摘しているのは、R&D
Advisory Committee の(IRDAC)である。それは、EU の研究開発を産業政策的な観点からプライオリティーをおいている
重要な技術開発政策である。
1995 年後半、委員会は IRDAC のメンバーを拡張し、ヨーロッパの代表的なアソシエーションの5人のトップと同様に、
UNICE やヨーロッパ交易組合連合といったよりシニアレベルの実業家を含むようになった。委員会は、研究開発政策の制
度化を実施する過程で、ESTA や IRDAC のような政策ネットワークによる諮問パネルを政策形成に組み込んだ。結果的に、
こうした専門家のパネルは、政策の実行においても重要なアクターとなっているのである。専門家パネルのメンバー構成は、
しばしば他の幾つかの同様な専門家パネルとオーバーラップしており、委員会が構成メンバー間の調整役を担っている。
Sharp によれば、委員会にアドバイスを行うように特定された1000以上の Committee は、その70%以上が科学技術の専門
家によって構成されている。
EU フレームワークプログラムでは、予算配分を巡りメンバー国間で活発な政治的駆け引きが行われる。しかし、5年に一
度、予算と優先テーマの大枠が決定された後は、基本的にメンバー各国の EU の R&D 政策に対する影響力は低く、政策ネ
ットワークの重要性が増す。そして、そうした政策ネットワークでは、委員会が政策決定の議題設定を行う立場から「リング・リ
ーダー」的な取りまとめ役を担っている。委員会は、こうした政策ネットワークを駆使して、メンバー各国、議会や理事会に対
する政策課題の設定など政策決定プロセスでの影響力を行使している。タスクフォースを利用した政策ネットワークの動員
は、こうした点に非常に有効に働いている。Cresson は、とくに 700MECU のフレームⅤの委員会プロポーザルを巡って、タ
スクフォースによる政策ネットワークの活用により有利に運んだとされている。EU の資金を配分する特定の活動と計画につ
いての手続きと、誰が何を得るかという決定は、独立した専門家に強力な役割を与える。結果は、テクニカルな、または科
学的な土台によって正当化されるかもしれない。
○
タスクフォース
タスクフォースは、ドロール白書に最初に登場したのち(1993 年委員会)一度はあまり聞かれなくなったが、 研究開発の
産業コミッショナーとして指名されたエディス・クレソンと、同じく再選されたマーティン・バングマンよって 95 年に復活した。
両者ともに、フレームワーク IV 計画の作成プロセスにおいてプログラムの焦点の欠如に対する度々の批評に応えたいと思
っていた。タスクフォースは、EU と国家レベル双方におけるリソースのコーディネーションを目的に立案されたが、それは、
93 年の白書で採り上げられ、直接的に行政・産業界の利益につながるイノベーション問題に、より密接に焦点を絞るためで
あった。それは、タスクフォースのために選ばれた8つの科目からも読み取ることができる。
●
new-generation aircraft;
●
the car of tomorrow;
●
vaccines and viral illnesses;
201
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
●
the train and railway systems of the future;
●
inter-modality in transport;
●
the ship of the future;
●
environment-friendly water technologies.
タスクフォースに与えられた最初の仕事は、それぞれの地域における研究のプライオリティーを明確にし、産業界による
EUの研究開発を効果的に実用化する速度を速めるイノベーションの妨げになるものを明確にすることであった。彼らは、
産業界、ユーザー、研究者、そして行政と共同作業をし、異なったタイプの組織の研究開発をコーディネートする方法を探
求することが求められた。委員会(96c:4)は、EU メンバー国をまたがる研究活動が分裂してしまうことを押さえるという、委員
会が求めるコーディネーション機能を果たすものとして、タスクフォースに期待感を寄せていることを明確にした。
EU のケースから分かるのは、フレームワークプログラムのような研究開発政策において、大枠の予算配分や中長期的な
優先テーマの決定を巡っては、メンバー国間でかなり活発な駆け引きが行われると言うことである。こうした、政治的駆け引
きがメンバー国間や委員会と議会、理事会間で起こることは、研究開発政策も他の EU の政策に比べて必ずしも例外では
ないことを意味する。しかし、フレームプログラムなど研究開発プログラムの細部にわたる個々のプロジェクトに関する政策
決定では、委員会とそのベースとなる政策ネットワークがメンバー国や議会などに対するコーディネーション機能を担って
いると言える。また、こうした政策ネットワークが個々のプログラムや研究開発政策の内容やその方向性が決められる過程
で、大きな影響力をもっていることも明らかである。政策ネットワークの持つ専門的知識が、研究開発にともなう技術的な内
容の専門性の高さを背景に、他の非専門家のアクターたちに対して有利な立場にあることがその理由である。そうした政策
ネットワークの影響力をうまく利用しているのが委員会で、「リング・リーダー」的な役割を担うことで関連する政策ネットワーク
の形成に寄与している。そして、委員会は、タスクフォースなどを有効に用いて、政策ネットワークの影響力を背景に議会や
理事会対策を進めている。
参考文献
1.
Andre, M.(1995)‘Thinking and debating about science and technology at the European level’ , Science and public
policy, vil.22,no.3,pp.205-7.
2.
Arnold, E. and Guy, K. (1986) Parallel Convergence: National Strategies in Information Technology. London, Pinter.
3.
Bush, V. (1945) Science: the Endless Frontier. Washington, DC, National Science Foundation.
4.
Cawson, A. (1992) ‘ Interests, groups and public policy-making: the case of the European consumer electronics
industry’ , in J. Greenwood , J. R. Grote and K. Ronit (eds) Organized Interests and the European Community.
London, Sage.
5.
Cawson, A. and Holmes, P. (1995) ‘ Technology policy and competition issues in the transition to advanced television
services in Europe’ , Journal of European Public Policy, vol.2, no.4, pp.650-71.
6.
Cawson, A., Morgan, K, Webber, D., Holmes, p. and Stevens, A. (1990)Hostile Brothers: Competition and Closure in
the European Electronics Industry Oxford, Clarendon.
7.
Davignon Group(1996) The Role and Medium Term Future of EUREKA: An Assessment and Recommendations.
Brussels, EUREKA Secretariat.
8.
Dosi, G.(1983)`Semi-conductors: Europe’s precarious survival in high technology’ in G. Shipherd, F. Duchene, and
C. Saunders (eds) Europe’s Industries: Public and Private Strategies for Change. London, Pinter.
9.
Freeman, C. and Soete, L. (1997) The Economics of Innovation. London: Pinter.
10.
Georghiou, L., Stein, J., Janes, M., Senker, J., Pifer, M., Cameron, H., Nedeva, M., Yates, J., and Boden, J. M.
(1993) The Impact of European Community Policies for Research and Technological Development upon science and
Technology in the UK. London, HMSO.
202
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
11.
Gibbons, M.,Limoges, C., Nowotny, H., Schwartzman, S., Scott, P., and Trow , M. (eds) (1994) The New Production
of Knowledge: The Dynamics of Science and Research in Contemporary Society. London, Sage.
12.
Hobday, M. (1995) ‘ The Technological Competence of European Semiconductor Producers’ , Sussex European
Institute Working Papers in Contemporary European Studies, no. 11. Brighton.
13.
Keliher, L.(1987) Policy-making in information technology : a decisional analysis of the Alvey project, PhD thesis.
London School of Economics.
14.
Krige, J., and Guzzetti, L. (eds) History of European Scientific and Technological Cooperation. Luxembourg,
European Commission , European Science and Technology Forum.
15.
Peterson , J.(1995b) ‘ EU research policy : the politics of expertise’ , in C. Rhodes and S. Mazey (eds) The state of
the European Union Volume 3 : Building a European Polity ? ,
16.
Harlow and Boulder, Longman and Lynne Rienner.
17.
Pererson , J. (1996) ‘ Research and development policy’ , in H. Kassim and A. Menon (eds) The European Union and
National Industrial Policy. London, Routledge.
18.
Peterson, J. and Sharp, M. (1998) Technology Policy in the European Union. London, Macmillan Press.
19.
Rhodes, R. A. W. (1990) ‘ Policy networks : a British perspective’ , Journal of Theoretical Politics, vol.2 , no. 1,
pp.293-317.
20.
Sharp, M.(1993) ‘ The Community and new technologies’ in J.Lodge (ed.) The Eurioean Community and the
Challenge of the Future. London, Pinter.
21.
Sharp, M. and Holmes, P. (1989) : Strategies for New Technologies: Six Cases from Britain and France. Oxford, Philip
Allan.
22.
Sharp, M. and Pavitt, K. (1993) ‘Technology policy in the 1990s: old trends and new realities’ , Journal of Common
Market Studies, vol.31,no.2,pp.129-51.
23.
Sharp, M. and Shearman , C. (1987) European Technological Collaboration. London, Routledge & kegan Paul for the
Royal Institute of International Affairs.
24.
Smith, M.J.(1993) Pressure, Power and Policy: State Autonomy and Policy Networks in Britain and the United States,
New York and London, Harvester Wheatsheaf.
25.
Strange, S.( 1998)’ Who are EU? Ambiguities in the concept of competitiveness; confusion concerning causes and
consequences’ , Journal of Common Market Studies, vol.36, no.1, pp101-14.
26.
Sunami, A. (2001) “Learning from the Japanese – Research & Development Policies of the UK and the US in the
1980s」the US in the 1980s” Ph.D. Dissertation, Columbia University.
27.
Wallace, H. and Young, A. (1996) ‘ The single market: a new approach to policy’ in H. Wallace and W. Wallace (eds)
Policy-Making in the European Union. Oxford University Press.
28.
Ziegler, N.(1998) Governing Ideas. Ithaca, NY, Cornell University Press.
203
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
結論と提言
1.政策研究の振興
STIの定量分析では、STIネットワークの強さが、分野によって大きく異なることが定量的に示された。そのため、日本の
科学技術政策立案において、技術分野毎に異なるアプローチが必要であることを示唆している。特に、重点分野の一つと
されているバイオ分野では、基礎研究と技術・産業の間に強いリンケージがあることが示された。また、ナノテク分野につい
ても、平均よりも強い結びつきがあることが示された。
特許に引用されている科学論文等の著者の多く(77%)は大学や公的研究機関に所属しており、産業振興のためには、
公的機関への研究支援は極めて重要であることが示唆された。また、引用されている科学論文等の著者の国籍は、バイオ
分野においては米国の論文が6割であることが判明した。さらに、引用されている科学論文等のうち、入手できたものの7
7%が助成を受けており、基礎研究に対する研究助成は大きな意義があることが実証された。
科学技術政策の基礎資料として、どのような助成機関がどの分野に助成を行ったかといった詳細な分析が重要と考えら
れるが、本研究では、サンプル数が少なく、詳細な分析はできなかった。今後、本研究と同じ手法を用いて、より大規模な
調査研究を行えば、詳細な政策分析が可能であると考えられる。すなわち、本研究の重要な政策提言の一つとして、次の
ことが導かれる。従来、専門家の意見の集約や行政の施策との摺り合わせによって、科学技術政策の方向性が決定される
ことが多かった。その手法自体は、必ずしも問題があるとは言えないものの、莫大な予算の支出を伴う日本の科学技術政
策を立案するにおいては、科学的な分析結果に立脚した政策立案が必要不可欠である。少なくとも、重点分野の相違を定
量的に分析し、重点化の対象・内容の精査・見直しを行うなど重要な科学技術政策立案においては、定量的指標に基づく
分析は必要不可欠である。本研究の結果のように、重点分野間においても、科学と技術のリンケージには大きな相違があ
ることは明白であり、そのような普遍的な事実に基づいた議論が重要である。
しかし、従来、日本においては、定量的な科学技術政策研究の蓄積が乏しく、有効な定量分析手法は、ほとんど示され
ていない。本研究では特許の論文引用という定量的な分析手法により、重点分野のサイエンスリンケージの違い、依拠して
いるサイエンス分野の論文誌・著者の国籍・助成割合など政策立案に必要不可欠なデータを提供できることを示した。すな
わち、科学技術政策研究の分野でも有効な定量分析が十分可能であることを実証したと考えられる。今後、本研究のような
有効な定量分析手法に基づき、より多くの分野に対する大規模な調査を行うことにより、科学的分析に基づく政策立案が
可能になると考えられる。そのため、今後、本研究のような科学的な手法を用いた政策研究を一層支援していくことが望ま
れる。
具体的な政策目標として、まずは、科学技術研究費などの費目区分に「科学技術政策」や「技術マネジメント」分野の項
目を追加することが必要不可欠と考えられる。また、予算規模としては、米国では、科学技術予算の 10%程度を政策研究
予算として用いているが、性急に、これだけの予算配分は難しいとしても、将来的には、目指すべき政策目標であると考え
られる。しかしながら、その予算の受け皿としての研究機関や人材が日本では極めて乏しいことから、まずは、喫緊の政策
課題として、政策研究を担う人材の育成や教育機関整備が当面の課題となろう。
2.制度改革と人材育成
-中国の経験から-
本研究を通して、欧米のみならず中国においても、人材の流動性を高めるような制度改革が進められていることが明らか
になった。すなわち、大学や公的研究機関における雇用環境を柔軟にするための規制緩和を積極的に進めていることを
詳細に明らかにしたことは、本研究の一つの成果と考えられる。
中国のイノベーション・システムの改革では、旧制度のもとで停滞していた科学技術をいち早く国際水準に近づけるため、
最先端の研究を支える人材不足の解消は解決しなければならない大きな課題の一つとして位置付けられている。その柱と
なるのは、国内の限られた人材を適材適所に効率よく投入することと、海外に留学している優秀な人材を本国に呼び戻す
ことという二本で成り立っているといえる。中国では、国内の地理的な労働移動に関して戸籍制度などの実質的な障壁が
204
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
存在するが、科学技術分野については各自治体が例外的に優遇政策を実施してきた。例えば、上海のポスドク優遇政策
や技術系ベンチャー促進など自治体が優秀な人材を集めるために、研究開発人材や技術型ベンチャーの創業者に対し
て特例として戸籍取得を認めるなどの人材獲得戦略を採っている。また同時に、中国人海外留学生に対しては、研究費や
創業資金の提供のほかに、留学生創業支援センター設立などハード面での帰国支援政策を行っている。その上、各国の
留学生組織と連携しながら就職情報の提供や国内外での就職フェアの開催も積極的に展開している。
こうした国内外での人材戦略を可能にしているのは、1985 年の「科技決定」以降、次に挙げるいくつかの重要な制度改
革が実施され、改革開放以前まで硬直化していた各研究機関や大学など研究開発者の雇用環境の柔軟化と組織横断的
な研究人材の流動化が実現したからである。先ずは、①「所(院)長責任制」と「首席専門家制」による人事権の独立が推し
進められてきた。これは、研究開発に従事する各機関が、その組織の代表者の責任で独自に人事を行うことができるという
ものである。また、研究・教育機関による企業設立が頻繁になると同時に、営利企業の雇用体制と従来の非営利研究・教
育機関としての雇用体制の峻別を徹底するよう促している。次に、②「固定」と任期付き「流動」研究員の双方を組み合わせ
た雇用体制を確立することを目指している。とくに、公的研究機関に対しては、「固定」・「流動」研究員の二つのタイプによ
って構成されることが原則として要求されている。そして、もう一つ 85 年以降、進められてきた改革に、③兼職と職務発明に
よる報酬制度の確立がある。なかでも、兼職の促進は、改革開放以前までの硬直したイノベーション・システムを打破する
重要なカギであると考えられ、中国版「産学研」連携の発展の足がかりになった。また、最近では、企業内での研究開発を
促進する上で、研究者に職務発明から生じた利益からのある一定のリターンを約束するインセンティブメカニズムを構築す
るような制度づくりが行われている。このようなインセンティブメカニズムは、大学や公的研究機関に属する研究者にも適応
されている。こうした一連の改革は、人材市場を育成し「競争」と「流動」をベースにした市場メカニズムによる効率的な需給
バランスを達成するための社会制度の整備を、最終的な目的にしている。
以上のような研究人材に関する人事制度改革に競争的研究資金を抱き合わせたのが「国家重点実験室プログラム」で
ある。国家重点研究室の認定を受けると、その実験室の主任である「首席専門家」(PI)の裁量で、研究グループを構成で
きることになる。この場合、「固定」と「流動」の二つのタイプの研究者を雇用することが求められるが、人選については基本
的に PI に任されている。また、研究補助人員の採用から実験に必要な装置の購入についても、原則として、PI の裁量に委
ねられている点は、まさに米国の PI 制と同様の内容になっているといえる。現在、中国全土で認定されている国家重点研
究室の研究項目は、9000 件を大きく上回っているが、これらの実験室は、国内外の専門家により構成されている学術委員
会によってそれぞれの研究テーマや内容を中心にプロジェクトレビューを各年度末に行っている。こうしたことも、先端的な
研究課題をもちこめる海外帰国組みの若手研究者に独立性の高い研究環境を与えることにつながっている。
研究開発においても地域間格差がまだ大きい中国ではあるが、北京や上海といったある意味突出した地域での研究開発
には、研究者の流動性や若手研究者の独立性が高く、米国の PI 制度に近いような研究環境を整備しているところも多い。そ
うした国家重点実験室の中から、イネゲノムのいち早い解読など世界の研究者を驚かせるような研究成果が出てきている。
日本においても、同様な人材流動化のための人事制度改革を例外を設けずに徹底して行い、流動化に伴う「リスク」と「リ
ターン」がマッチングするようなシステムを作り上げることが必要である。例えば、セーフティーネットとして、研究員が複数の
ポストを兼任することで、リスクを軽減し、研究者の流動化に対するインセンティブを高める柔軟な制度を確立することも必
要不可欠である 。中国では、科学技術政策においてとくに人事制度を重要視しながら、20 年近くも改革を続けてきた。日
本も、じっくり腰を据えて、研究開発人材の流動性を高め、若手研究者の独立性を引き出すような徹底した制度改革を長
期的視野に立って断行することが求められている。
3. 仲介機能の充実
科学・技術・産業という異なるドメインの間に正の連鎖とフィードバックがスムーズに働くためには、インターフェースとして
機能する媒体の存在がカギとなる。多種多様な仲介機関が想定されるが、基礎研究機関と産業の間を移動する人・アイデ
アの性質・成熟度、関連する分野の特徴によって、必要とされる仲介機関のタイプが異なってくる。その例が、バイオテクノ
ロジー分野におけるベンチャー企業であり、またマイクロ・ナノ・システム・テクノロジー(MNST)分野におけるファウンダリ・サ
205
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
ービスである。
バイオテクノロジー分野においては、研究成果の特許化が技術移転の前提であり、また大学で生まれた研究成果が産
業化に直結するケースは稀である。創薬においては、ゲノム創薬の手法の導入、解析手法に関するリサーチ・ツールの発
達により、上市までの時間が短縮化しつつあるが、ハイリスク・ハイリターンの構造に変化は無い。このような諸条件の中で、
技術移転を可能にするのがベンチャー企業である。アメリカにおいては、大学のシーズをもとにベンチャー企業が設立され、
そこでインキュベートされたアイデアの多くはライセンシング、M&Aといった形で大企業に吸収され活用されていった。日
本において、知的所有権に係わる戦略、経営戦略に能動的に取り組んでいるのは、一握りのバイオベンチャー企業でしか
ない。また大企業の持つ吸引力は多少衰えてはきたものの、依然として、人材の流動化への歯止めとなっている。ベンチャ
ー企業にとって、研究者・技術者のみならず、経営スタッフの確保が大きな問題となっている。ベンチャー企業の経営戦略
をサポートしうる人材の供給源として注目されるのが大企業であることから、雇用環境に柔軟性を持たせることが大企業に
望まれる。
MNST 分野においては、基礎研究機関と産業は研究開発と人材育成の両面においてパートナーとしての関係を構築し
てきた。また既存の枠組みを活用するのみならず、新しい連携のかたちも創作されている。基礎研究機関と産業がインター
アクションを行うことにより、この分野の技術は躍進し、世界的にも高水準なレベルに達している。このように、イノベーション
の基盤がすでに存在するわけだが、正の連鎖の中に一つ欠けているものがある。通常、産学連携の派生効果として一番に
挙げられる技術の製品化および新産業創出である。この分野では検証試作から製品化試作までをカバーするファウンダ
リ・サービスが欠陥していることがそのネックとなっている。基礎研究機関と産業の連携により生み出されたアイデアはデバ
イスという形で表現されるわけだが、それをフィジカルに実現するファウンダリが必要となる。欧米では現に MEMS Exchange、
EUROPRACTICE といったフォーマルなファウンダリ・ネットワークと、これらのサービスを提供できる機関が緩やかに結びつ
いたインフォーマルなネットワークが存在し、MNST 分野の技術の製品化、産業化に大きく貢献している。スイスにおいては、
大学・研究機関・民間企業の間に教育・研究・ファウンダリといった異なるレベルでネットワークが形成されており、相互補完
性 が フ ル に 活 用 さ れ て い る 。 特 に 基 礎 研 究 機 関 と 産 業 の 中 間 に 位 置 す る Swiss Center for Electronics and
Microtechnology(CSEM)株式会社は、橋渡し役として大きく貢献している。CSEM モデルの導入も一考に価する。
日本では近年 TLO、インキュベータ、ベンチャー・キャピタル等の仲介機関への認識が高まり、設立に際して公的支援
が行われるようになってきた。新しいプロフェッションとして浸透しつつあるが、技術に関わる経営戦略をサポートする人材
の養成が急務である。仲介機関の現場における個人レベルの体験と情報を共有する場を形成することが早急に望まれる。
またフォーマルな技術経営(Management of Technology: MOT)教育もこの分野での人材養成に欠かせないものであるが、
MBA とは一線を画す、ハイテク産業の協力支援、トランス・ディシプリナリーなアプローチ、体験・実証に基づいた教育プロ
グラムの構築が技術経営のプロフェッショナル養成には必須である。既存の欧米諸国の MOT プログラムを単に再現するの
ではなく、日本の研究開発現場に根差した MOT プログラムの開発が望まれる。
4.科学技術政策におけるコーディネーション
学際的研究の重要性が高まり、また技術移転等を柱とする産学連携の強化が進められている今日、科学技術システムを
サポートする政府サイドにおいても、幾多の省庁にまたがる科学技術政策が打ち出されるようになっていきたが、過去の縦
割り型政策決定からコーディネーション、コーペレーションをベースとする政策決定メカニズムへの移行は未消化な部分が
数多く残っており、仕切られた多元主義が依然君臨している。
科学技術政策のコーディネーションのベストプラクティスの一つとして取り上げられるのが、スイス学術振興財団(SNSF)と
Commission for Technology(CTI)との連携、またこれらの機関が帰属する内務省と経済省との連携である。
内務省と経済省は科学技術助成計画の策定を共同で準備する。また重点分野の選定においても、連邦議会の審議にか
ける前に、内務省と経済省の間で評価・検討が行われる。
SNSF の第 4 局(国家研究プログラム、NCCR 担当)には研究プログラムのコーディネーションや重複の問題をチェックす
る義務が課せられており、相反しそうな機関(CTI の母体である OPET 等)と事前に接触し、この問題に対応している。
206
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
また内務省と経済省のコーディネーションを図る協力体制を SNSF と CTI は自ら提案している。パイロット委員会のほかに、
SNSF の第 4 局内には、CTI の代表が 1 人常駐し、議論に定期的に参加している。同様に、CTI には SNSF の代表が 2 人
常駐している。注目すべきは、各種機関を横断的に行きかう人が存在するという点である。
科学技術政策のコーディネーションのベストプラクティスとして取り上げた欧州連合の事例においては、コーディネーショ
ンは目的達成の一つのツールとして位置付けられている。
統合を視野に入れた欧州研究領域(ERA)が導入され、そこでは国家研究プログラム間のコーディネーションが推進され
る。しかし、ここではトップダウンでコーディネーションが行われるのではなく、あくまでも、メンバー国の要求に応じて欧州委
員会がコーディネーションのサポートを行っていくというボトムアップのスタンスが取られている。また政策策定プロセスに関
する共通認識の形成にも重点が置かれている。
日本においては、大学等技術移転促進法の制定の際、文部省と通商産業省の連携体制が組まれた。また「我が国全体
の科学技術を俯瞰し、各省より一段高い立場から、総合的・基本的な科学技術政策の企画立案及び総合調整を行うことを
目的」として総合科学技術会議が設置され、科学技術政策のコーディネーションの枠組みが整った。このような状況にあっ
て、スイスと EU の科学技術政策のコーディネーションの実践から何を学ぶか。まず挙げられるのが、省庁間の人の交流で
あろう。委員会のような一時的なものに限定せず、一定期間出向させるという形態を取ることにより、共通認識の形成、研究
プログラム間のコーディネーション、両省の補完性の活用に貢献するものと考えられる。また、総合科学技術会議において
は、コーディネーションのサポートという役割を強化することが望まれる。トップダウンで示された科学技術政策の方向性に
基づき各省庁が施策を策定するわけだが、複数省庁にまたがる、あるいは重複する施策については、総合科学技術会議
がコーディネーションのサポート役として機能することが望ましい。平成 14 年度にスタートした知的クラスター創成事業(文
部科学省)と産業クラスター計画(経済産業省)、起業家人材の育成を目的とする技術経営(MOT)教育プログラムを、これ
らの試みの実践の場とすることを提唱する。
207
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
9. 結論と提言
■ 1.政策研究の振興
STIの定量分析では、STIネットワークの強さが、分野によって大きく異なることが定量的に示された。そのため、日本の
科学技術政策立案において、技術分野毎に異なるアプローチが必要であることを示唆している。特に、重点分野の一つと
されているバイオ分野では、基礎研究と技術・産業の間に強いリンケージがあることが示された。また、ナノテク分野につい
ても、平均よりも強い結びつきがあることが示された。
特許に引用されている科学論文等の著者の多く(77%)は大学や公的研究機関に所属しており、産業振興のためには、
公的機関への研究支援は極めて重要であることが示唆された。また、引用されている科学論文等の著者の国籍は、バイオ
分野においては米国の論文が6割であることが判明した。さらに、引用されている科学論文等のうち、入手できたものの7
7%が助成を受けており、基礎研究に対する研究助成は大きな意義があることが実証された。
科学技術政策の基礎資料として、どのような助成機関がどの分野に助成を行ったかといった詳細な分析が重要と考えら
れるが、本研究では、サンプル数が少なく、詳細な分析はできなかった。今後、本研究と同じ手法を用いて、より大規模な
調査研究を行えば、詳細な政策分析が可能であると考えられる。すなわち、本研究の重要な政策提言の一つとして、次の
ことが導かれる。従来、専門家の意見の集約や行政の施策との摺り合わせによって、科学技術政策の方向性が決定される
ことが多かった。その手法自体は、必ずしも問題があるとは言えないものの、莫大な予算の支出を伴う日本の科学技術政
策を立案するにおいては、科学的な分析結果に立脚した政策立案が必要不可欠である。少なくとも、重点分野の相違を定
量的に分析し、重点化の対象・内容の精査・見直しを行うなど重要な科学技術政策立案においては、定量的指標に基づく
分析は必要不可欠である。本研究の結果のように、重点分野間においても、科学と技術のリンケージには大きな相違があ
ることは明白であり、そのような普遍的な事実に基づいた議論が重要である。
しかし、従来、日本においては、定量的な科学技術政策研究の蓄積が乏しく、有効な定量分析手法は、ほとんど示され
ていない。本研究では特許の論文引用という定量的な分析手法により、重点分野のサイエンスリンケージの違い、依拠して
いるサイエンス分野の論文誌・著者の国籍・助成割合など政策立案に必要不可欠なデータを提供できることを示した。すな
わち、科学技術政策研究の分野でも有効な定量分析が十分可能であることを実証したと考えられる。今後、本研究のような
有効な定量分析手法に基づき、より多くの分野に対する大規模な調査を行うことにより、科学的分析に基づく政策立案が
可能になると考えられる。そのため、今後、本研究のような科学的な手法を用いた政策研究を一層支援していくことが望ま
れる。
具体的な政策目標として、まずは、科学技術研究費などの費目区分に「科学技術政策」や「技術マネジメント」分野の項
目を追加することが必要不可欠と考えられる。また、予算規模としては、米国では、科学技術予算の 10%程度を政策研究
予算として用いているが、性急に、これだけの予算配分は難しいとしても、将来的には、目指すべき政策目標であると考え
られる。しかしながら、その予算の受け皿としての研究機関や人材が日本では極めて乏しいことから、まずは、喫緊の政策
課題として、政策研究を担う人材の育成や教育機関整備が当面の課題となろう。
■ 2.制度改革と人材育成
-中国の経験から-
本研究を通して、欧米のみならず中国においても、人材の流動性を高めるような制度改革が進められていることが明らか
になった。すなわち、大学や公的研究機関における雇用環境を柔軟にするための規制緩和を積極的に進めていることを
詳細に明らかにしたことは、本研究の一つの成果と考えられる。
中国のイノベーション・システムの改革では、旧制度のもとで停滞していた科学技術をいち早く国際水準に近づけるため、
最先端の研究を支える人材不足の解消は解決しなければならない大きな課題の一つとして位置付けられている。その柱と
なるのは、国内の限られた人材を適材適所に効率よく投入することと、海外に留学している優秀な人材を本国に呼び戻す
ことという二本で成り立っているといえる。中国では、国内の地理的な労働移動に関して戸籍制度などの実質的な障壁が
208
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
存在するが、科学技術分野については各自治体が例外的に優遇政策を実施してきた。例えば、上海のポスドク優遇政策
や技術系ベンチャー促進など自治体が優秀な人材を集めるために、研究開発人材や技術型ベンチャーの創業者に対し
て特例として戸籍取得を認めるなどの人材獲得戦略を採っている。また同時に、中国人海外留学生に対しては、研究費や
創業資金の提供のほかに、留学生創業支援センター設立などハード面での帰国支援政策を行っている。その上、各国の
留学生組織と連携しながら就職情報の提供や国内外での就職フェアの開催も積極的に展開している。
こうした国内外での人材戦略を可能にしているのは、1985 年の「科技決定」以降、次に挙げるいくつかの重要な制度改
革が実施され、改革開放以前まで硬直化していた各研究機関や大学など研究開発者の雇用環境の柔軟化と組織横断的
な研究人材の流動化が実現したからである。先ずは、①「所(院)長責任制」と「首席専門家制」による人事権の独立が推し
進められてきた。これは、研究開発に従事する各機関が、その組織の代表者の責任で独自に人事を行うことができるという
ものである。また、研究・教育機関による企業設立が頻繁になると同時に、営利企業の雇用体制と従来の非営利研究・教
育機関としての雇用体制の峻別を徹底するよう促している。次に、②「固定」と任期付き「流動」研究員の双方を組み合わせ
た雇用体制を確立することを目指している。とくに、公的研究機関に対しては、「固定」・「流動」研究員の二つのタイプによ
って構成されることが原則として要求されている。そして、もう一つ 85 年以降、進められてきた改革に、③兼職と職務発明に
よる報酬制度の確立がある。なかでも、兼職の促進は、改革開放以前までの硬直したイノベーション・システムを打破する
重要なカギであると考えられ、中国版「産学研」連携の発展の足がかりになった。また、最近では、企業内での研究開発を
促進する上で、研究者に職務発明から生じた利益からのある一定のリターンを約束するインセンティブメカニズムを構築す
るような制度づくりが行われている。このようなインセンティブメカニズムは、大学や公的研究機関に属する研究者にも適応
されている。こうした一連の改革は、人材市場を育成し「競争」と「流動」をベースにした市場メカニズムによる効率的な需給
バランスを達成するための社会制度の整備を、最終的な目的にしている。
以上のような研究人材に関する人事制度改革に競争的研究資金を抱き合わせたのが「国家重点実験室プログラム」で
ある。国家重点研究室の認定を受けると、その実験室の主任である「首席専門家」(PI)の裁量で、研究グループを構成で
きることになる。この場合、「固定」と「流動」の二つのタイプの研究者を雇用することが求められるが、人選については基本
的に PI に任されている。また、研究補助人員の採用から実験に必要な装置の購入についても、原則として、PI の裁量に委
ねられている点は、まさに米国の PI 制と同様の内容になっているといえる。現在、中国全土で認定されている国家重点研
究室の研究項目は、9000 件を大きく上回っているが、これらの実験室は、国内外の専門家により構成されている学術委員
会によってそれぞれの研究テーマや内容を中心にプロジェクトレビューを各年度末に行っている。こうしたことも、先端的な
研究課題をもちこめる海外帰国組みの若手研究者に独立性の高い研究環境を与えることにつながっている。
研究開発においても地域間格差がまだ大きい中国ではあるが、北京や上海といったある意味突出した地域での研究開発
には、研究者の流動性や若手研究者の独立性が高く、米国の PI 制度に近いような研究環境を整備しているところも多い。そ
うした国家重点実験室の中から、イネゲノムのいち早い解読など世界の研究者を驚かせるような研究成果が出てきている。
日本においても、同様な人材流動化のための人事制度改革を例外を設けずに徹底して行い、流動化に伴う「リスク」と「リ
ターン」がマッチングするようなシステムを作り上げることが必要である。例えば、セーフティーネットとして、研究員が複数の
ポストを兼任することで、リスクを軽減し、研究者の流動化に対するインセンティブを高める柔軟な制度を確立することも必
要不可欠である 。中国では、科学技術政策においてとくに人事制度を重要視しながら、20 年近くも改革を続けてきた。日
本も、じっくり腰を据えて、研究開発人材の流動性を高め、若手研究者の独立性を引き出すような徹底した制度改革を長
期的視野に立って断行することが求められている。
■ 3.仲介機能の充実
科学・技術・産業という異なるドメインの間に正の連鎖とフィードバックがスムーズに働くためには、インターフェースとして
機能する媒体の存在がカギとなる。多種多様な仲介機関が想定されるが、基礎研究機関と産業の間を移動する人・アイデ
アの性質・成熟度、関連する分野の特徴によって、必要とされる仲介機関のタイプが異なってくる。その例が、バイオテクノ
ロジー分野におけるベンチャー企業であり、またマイクロ・ナノ・システム・テクノロジー(MNST)分野におけるファウンダリ・サ
209
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
ービスである。
バイオテクノロジー分野においては、研究成果の特許化が技術移転の前提であり、また大学で生まれた研究成果が産
業化に直結するケースは稀である。創薬においては、ゲノム創薬の手法の導入、解析手法に関するリサーチ・ツールの発
達により、上市までの時間が短縮化しつつあるが、ハイリスク・ハイリターンの構造に変化は無い。このような諸条件の中で、
技術移転を可能にするのがベンチャー企業である。アメリカにおいては、大学のシーズをもとにベンチャー企業が設立され、
そこでインキュベートされたアイデアの多くはライセンシング、M&Aといった形で大企業に吸収され活用されていった。日
本において、知的所有権に係わる戦略、経営戦略に能動的に取り組んでいるのは、一握りのバイオベンチャー企業でしか
ない。また大企業の持つ吸引力は多少衰えてはきたものの、依然として、人材の流動化への歯止めとなっている。ベンチャ
ー企業にとって、研究者・技術者のみならず、経営スタッフの確保が大きな問題となっている。ベンチャー企業の経営戦略
をサポートしうる人材の供給源として注目されるのが大企業であることから、雇用環境に柔軟性を持たせることが大企業に
望まれる。
MNST 分野においては、基礎研究機関と産業は研究開発と人材育成の両面においてパートナーとしての関係を構築し
てきた。また既存の枠組みを活用するのみならず、新しい連携のかたちも創作されている。基礎研究機関と産業がインター
アクションを行うことにより、この分野の技術は躍進し、世界的にも高水準なレベルに達している。このように、イノベーション
の基盤がすでに存在するわけだが、正の連鎖の中に一つ欠けているものがある。通常、産学連携の派生効果として一番に
挙げられる技術の製品化および新産業創出である。この分野では検証試作から製品化試作までをカバーするファウンダ
リ・サービスが欠陥していることがそのネックとなっている。基礎研究機関と産業の連携により生み出されたアイデアはデバ
イスという形で表現されるわけだが、それをフィジカルに実現するファウンダリが必要となる。欧米では現に MEMS Exchange、
EUROPRACTICE といったフォーマルなファウンダリ・ネットワークと、これらのサービスを提供できる機関が緩やかに結びつ
いたインフォーマルなネットワークが存在し、MNST 分野の技術の製品化、産業化に大きく貢献している。スイスにおいては、
大学・研究機関・民間企業の間に教育・研究・ファウンダリといった異なるレベルでネットワークが形成されており、相互補完
性 が フ ル に 活 用 さ れ て い る 。 特 に 基 礎 研 究 機 関 と 産 業 の 中 間 に 位 置 す る Swiss Center for Electronics and
Microtechnology(CSEM)株式会社は、橋渡し役として大きく貢献している。CSEM モデルの導入も一考に価する。
日本では近年 TLO、インキュベータ、ベンチャー・キャピタル等の仲介機関への認識が高まり、設立に際して公的支援
が行われるようになってきた。新しいプロフェッションとして浸透しつつあるが、技術に関わる経営戦略をサポートする人材
の養成が急務である。仲介機関の現場における個人レベルの体験と情報を共有する場を形成することが早急に望まれる。
またフォーマルな技術経営(Management of Technology: MOT)教育もこの分野での人材養成に欠かせないものであるが、
MBA とは一線を画す、ハイテク産業の協力支援、トランス・ディシプリナリーなアプローチ、体験・実証に基づいた教育プロ
グラムの構築が技術経営のプロフェッショナル養成には必須である。既存の欧米諸国の MOT プログラムを単に再現するの
ではなく、日本の研究開発現場に根差した MOT プログラムの開発が望まれる。
■ 4.科学技術政策におけるコーディネーション
学際的研究の重要性が高まり、また技術移転等を柱とする産学連携の強化が進められている今日、科学技術システムを
サポートする政府サイドにおいても、幾多の省庁にまたがる科学技術政策が打ち出されるようになっていきたが、過去の縦
割り型政策決定からコーディネーション、コーペレーションをベースとする政策決定メカニズムへの移行は未消化な部分が
数多く残っており、仕切られた多元主義が依然君臨している。
科学技術政策のコーディネーションのベストプラクティスの一つとして取り上げられるのが、スイス学術振興財団(SNSF)と
Commission for Technology(CTI)との連携、またこれらの機関が帰属する内務省と経済省との連携である。
内務省と経済省は科学技術助成計画の策定を共同で準備する。また重点分野の選定においても、連邦議会の審議にか
ける前に、内務省と経済省の間で評価・検討が行われる。
SNSF の第 4 局(国家研究プログラム、NCCR 担当)には研究プログラムのコーディネーションや重複の問題をチェックす
る義務が課せられており、相反しそうな機関(CTI の母体である OPET 等)と事前に接触し、この問題に対応している。
210
S-T-I ネットワークと新産業創出:新しい科学技術政策のフレームワークを求めて
また内務省と経済省のコーディネーションを図る協力体制を SNSF と CTI は自ら提案している。パイロット委員会のほかに、
SNSF の第 4 局内には、CTI の代表が 1 人常駐し、議論に定期的に参加している。同様に、CTI には SNSF の代表が 2 人
常駐している。注目すべきは、各種機関を横断的に行きかう人が存在するという点である。
科学技術政策のコーディネーションのベストプラクティスとして取り上げた欧州連合の事例においては、コーディネーショ
ンは目的達成の一つのツールとして位置付けられている。
統合を視野に入れた欧州研究領域(ERA)が導入され、そこでは国家研究プログラム間のコーディネーションが推進され
る。しかし、ここではトップダウンでコーディネーションが行われるのではなく、あくまでも、メンバー国の要求に応じて欧州委
員会がコーディネーションのサポートを行っていくというボトムアップのスタンスが取られている。また政策策定プロセスに関
する共通認識の形成にも重点が置かれている。
日本においては、大学等技術移転促進法の制定の際、文部省と通商産業省の連携体制が組まれた。また「我が国全体
の科学技術を俯瞰し、各省より一段高い立場から、総合的・基本的な科学技術政策の企画立案及び総合調整を行うことを
目的」として総合科学技術会議が設置され、科学技術政策のコーディネーションの枠組みが整った。このような状況にあっ
て、スイスと EU の科学技術政策のコーディネーションの実践から何を学ぶか。まず挙げられるのが、省庁間の人の交流で
あろう。委員会のような一時的なものに限定せず、一定期間出向させるという形態を取ることにより、共通認識の形成、研究
プログラム間のコーディネーション、両省の補完性の活用に貢献するものと考えられる。また、総合科学技術会議において
は、コーディネーションのサポートという役割を強化することが望まれる。トップダウンで示された科学技術政策の方向性に
基づき各省庁が施策を策定するわけだが、複数省庁にまたがる、あるいは重複する施策については、総合科学技術会議
がコーディネーションのサポート役として機能することが望ましい。平成 14 年度にスタートした知的クラスター創成事業(文
部科学省)と産業クラスター計画(経済産業省)、起業家人材の育成を目的とする技術経営(MOT)教育プログラムを、これ
らの試みの実践の場とすることを提唱する。
211
Fly UP