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八尾 市文化財調査研究会報告 HO
老原遺跡第 13次 調査
奈良街道第 1次 調査
2007年
財団法人 八尾 市文化財 調査研 究会
八尾 市文化財調査研究会報告 H0
老原遺跡第 13次 調査
奈良街道第 1次 調査
│
│
│
│
│
│
2007年
財団法人 八尾市文化財調査研究会
は
し
が
き
大阪府 の東部 に位置す る八尾市 は、河内平野 の南部 にあ ります。河内平野 は旧大和
川水系 の河川 によ り形成 された肥沃 な土壌 を有す る土地で、古 くか ら人々の生 活 の場
として適 した地域で した。現在 で も先人が残 した貴重な文化遺産が市内各 地 に数多 く
残 されてお ります。
今 日の人尾市 の礎 を築 いた先人 たちが、 自然 を巧 みに利用 し、土地を開発 し、懸命
に生 きて きた痕跡 が、文化遺産 の一つであ る埋 蔵文化財 であ ります。私 たちは埋 蔵文
化財 か ら、「地域 に対す る愛着」 を育 み、「現代 に生 きる知恵」 を学ぶことがで きもの
と考 えてお ります。
このか けがえのない埋蔵文化財 が、近年 の開発工事 などの増加 によ り破壊 され消滅
してゆ く状況 にあ ります。そ こで私共 は、破壊 され消滅す る危機 にさらされてい る埋
蔵文化財 を、後世 に永 く伝 えるため、事前 に発掘調査 を行 い、その記録保存 を行 い、文
化 の継承 に役 立てる ことに努 めてい る次第 で あ ります。
今回報告す る、老原遺跡第 13次 調査 ・奈良街道第 1次 調査 は、公共下水道工 事 に伴
い平成 18年 度 か ら19年 度 にかけて実施 しました もので、中世 を中心 とした当時 の人々
の生活 の一端 を知 る ことので きる遺構 ・遺物が見 つか りました。
本書が地域の歴史 を解明 してい く資料 として、 また埋 蔵文化財 の保護 ・普及 のため
広 く活用 される ことを願 つてやみません。
最後 にな りましたが、一連 の発掘調査 に対 して御協力 いただきました関係諸機 関の
皆様 に深 く感謝申 し上 げると共 に、発掘調査 や整理作業 に従事 された多 くの方 々 に御
ネL申 し上げます。今後 とも文化財保護 に一層 のご理解、 ご協力 を賜 ります ようお願 い
申 し上 げ ます。
平成 19年 5月
財団法人 八尾市文化財調査研 究会
理事長 岩 崎
健 二
例
言
1.本 書 は、大阪府八尾市東老原 2丁 目お よび志紀町 3丁 目地内で実施 した寝屋川流域下水道飛
行場北増補幹線 (第 2工 区)下 水管渠築造工事 に伴 う発掘調査報告書である。
1.本 書 で報告す る老原遺跡第 13次 調査 (O H 2006-13)・
奈良街道第 1次 調査 (N K 2006-1)
の発掘調査業務 は、大阪府東部流域下水道事務所 ・八尾市教育委員会 ・財団法人八尾市文化
財調査研究会 の三者 で締結 した「寝屋川流域下水道飛行場北増補幹線下水管渠築造工事 に伴
1。
う埋蔵文化財発掘調査協定書」 に基づ き実施 したものである。
現地調査 の期 間・調査担当者 。調査面積 は、以下 の通 りで あ る。
老原遺跡第 13次 調査
期間 :平 成 18年 12月 18日 ∼平成 19年 3月 26日 (実 働 12日
調査担当者 :荒 川和哉 ・高萩千秋
)
調査面積 :約 52♂
奈良街道第 1次 調査
期間 :平 成 19年 3月 19日 ∼平成 19年 4月 13日 (実 働 12日
調査担当者 :荒 川 ・高萩 ・坪 田真 一
1。
)
調査面積 :約 89だ
本書 の執筆 ・編集 は、荒川が行 った。
1.整 理業務は、現地調査終了後、随時実施 し、平成 19年 7月
1.本 書作成 に関 わる業務 の担当者 は、以下 の通 りであ る。
31日 に完了 した。
遺物実測 】荒川 。中村百合 ・村井厚 三・村井俊子
【
遺物図面 トレース】荒川 ・市森千恵子
【
図面 レイアウ ト・遺構図面 トレース・写真 レイアウ ト】荒 川
【
遺物写真撮影】青 山 洋 ・荒川
【
他 に、鷹羽侑太 ・中浜輝志 の協力 を得 た。
1.本 書掲載 の地図は、大阪府八尾市発行 の 1:5000の 地形図 (昭 和 61年 測量、平成 6年 修正、平
成 8年 7月 編纂 )、 お よび八尾市教育委員会発行 の 『八尾市埋蔵文化財分布図』(平 成 19年 度
版 )を 使用 した。
1.本 書 で使用 してい る標高 は、すべ て東京湾平均海面 (T,P。 )で ある。挿図では「T.P.」 を省略
し、数値 のみを記 した。
1.土 色 については、農林水産省農林水産技術会議事務局監修 ・財団法人 日本色彩研究所色票監
修 『新版標準土色 帖』 1997年 後期版 を用 いた。
1.本 書 に掲載 した図面の縮尺は、平面図 ・壁断面図 ・遺構平面図 。遺構断面図については、各
図 に示 した。遺物実測図は 1:4で ある。
1.遺 物実測図の断面 は、須恵器が黒塗 り、瓦 は斜線、その他 は 白抜 きで表 した。
1.調 査お よび整理過程 で作成 した写真 ・図面等 の調査成果 に関連する資料 は、財団法人人尾市
文化財調査研究会 で保管 してい る。広 く利用 される ことを希望す る。
次
目
は しが き
例言
八尾 市 埋 蔵文化財分布 図
1.は
じめに ………………………………………… ……………………………………… …………… 1
2.遺 跡 の位置 と環境 ……………… …………………………………………………………………… 1
3.老 原遺跡第 13次 調査 の調査概 要 ……………………………………………… … … ……………… 2
1)調 査 の方法 と経過 …… ……………………………… ……………………… Ⅲ,… ……………… 2
2)層 序 ………………………………………………………………………………… ……………… 3
3)検 出遺構 と出土遺物 ……………………………………………………………………………… 4
4.奈 良街道第 1次 調査 の調査概要 …………………………………………………………………… 6
1)調 査 の方法 と経過 …………………………………………………………………… …………… 6
2)層 序 ……………………… … …………………………… ………………………………………… 7
3)検 出遺構 と出土遺物 ………………… ……………………………… …………………………… 8
5。
まとめ …………………………………………………………………………………………………10
報告書抄録 ・ 奥付
挿
図
目 次
図 1 調査地周辺図 ……………………………………………………………………………………… 2
図2
老原遺跡第 13次
調査区位置図 ………………………………………………………………… 3
図3
老原遺跡第 13次
地層断面お よび検出遺構平面図 …………………………………………… 5
図4
老原遺跡第 13次
出土遺物 ……………………………………………………………………… 6
図 5 奈良街道第 1次
図6
奈良街道第 1次
調査区位置お よび区割 り図 ………………………………………………… 7
地層断面お よび検出遺構平面図 ――……………………………………… 8
図7
奈良街道第 1次
出土遺物 ……………………………………………………………………… 9
図 版
図版
l
目 次
図版 2
︱︱︱IL
奈良街道第 1次 調査
調査地全景
機械掘削状況
奈良街道第 1次 調査
機械掘削状況
老原遺跡第 13次 調査
人力掘削状況
奈良街道第 1次 調査
人力掘削状況
老原遺跡第 13次 調査
遺構検 出面
奈良街道第 1次 調査
地層断面
老原遺跡第 13次 調査
落込 み 01
奈良街道第 1次 調査
溝 01検 出状況
老原遺跡第 13次 調査
地層 断面
奈良街道第 1次 調査
溝 01完 掘状況
老原遺跡第 13次 調査
調査 地全景
老原遺跡第 13次 調査
1.
は じめ に
入尾 市域 にお け る人 口増加 による増 える汚水 と降雨時 に急 増す る雨水 を効率 的 に排水 す るため、
大阪府東部流 域下水 道事務所 によ り、寝屋 川流域下水 道事業が進 め られてお り、八尾市東老原 2
丁 目お よび志 紀 町 3丁 目地 内 にお い て寝屋 川流域下水 道飛行場北増補幹線 (第 2工 区 )下 水管渠築
造 工 事 が行 われ る こ とになった。 工 事予定地 は周知 の埋 蔵文化財包蔵地 である老原遺跡、街道 で
あ る奈 良街道 の範 囲内 に当 たるため 、 工 事 に よ り破壊 され る部分 の発掘調査 を委託 された財 団法
人八尾市文化財調査研 究会 (以 下、八文研 とす る)が 、大阪府東部流域下水道事務所 。人尾 市教育
委員会 ・八文研 の三 者 で締結 した「寝屋 川流域下水 道飛行場北増補幹線下水管渠築造 工 事 に伴 う
埋 蔵文化財発掘調査協定書」 に基 づ き発 掘調査 を実施 した。
2.遺 跡 の位 置 と環 境 (図
1)
老原遺跡
老原追跡 は、人尾市 の南西部 に位 置 し、 東西約
1.O km、
南北約 0.8kmの 範 囲 に広が る弥生時代
4丁 目、東老原 1・ 2丁 目が
そ の範 囲 に含 まれ る。遺跡範 囲内 の現地表 の標高 は、T,P.+9.8∼ 12.6mを 測 る。
後期 以 降 の複合遺跡 で あ る。現在 の行 政 区画 で は、八尾市老原 1∼
当遺跡 は、東 を生 駒 山地、南 を羽曳野丘 陵 ・河 内台地、西 を上 町台地、北 を淀川 に囲 まれた河
内平野 の南部 に位 置す る。河 内平野 は、 旧大和川水 系 の平野川 。長瀬川 ・楠根 川 ・玉 串川 ・恩智
川が西 ない し北方 向 に流 れて い る。 当遺跡 は、 旧大和 川水系 の主 流 で あ った長瀬川 の左岸 一 帯 に
広 が る沖積地 の 自然堤 防 ・後背湿地 上 に位 置す る。 当遺跡 の北東縁 は奈 良街道 に当 た り、当遺跡
の南側 には、 田井 中遺跡 ・志紀遺跡が隣接 す る。今 回 の調査 地 は、当遺跡 の東端部 に位 置 し、 奈
良街道 に接 す る。
当遺跡 の概 要 お よび既往調査 の成果等 につい ては、既干Jの 報告書 (原 田
2004他 )に 詳 しいので、
本書 での記載 は割愛す る。
奈良街道
奈 良街道 は、四天王寺付 近 か ら平野 ・亀井 。太子堂 を経 て 、植松 か ら長瀬川沿 い に老原 ・ 田井
中 ・弓削 ・相原 の 旧村 を経 て 、大和 川沿 い に高井 田か ら青谷 に抜 け、大和 に至 る街道 で あ る。江
戸 時代 には亀瀬 街道 。大和街道 ・和州街道 と呼 ばれて い た 。奈 良時代 以 前 か ら交通 の往 来 が盛 ん
で あ つた。現在 の 国道 25号 線 は、そ の多 くの部分 を受 け継 ぎ、今 もなお八尾 市 内 を横 断す る主 要
道路 としての役 割 を担 ってい る。奈 良街道 は、街道 で あ るため 、周知 の埋 蔵文化財包蔵地 ではな
い部分 がある。八尾 市西部 では亀井遺跡 ・跡部遺跡 ・太子堂遺跡 。植松遺跡 の範 囲内 を横 断 し、市
南部 で は老原遺跡 。志紀遺跡 ・弓削遺跡 の北東縁 に当 たる。奈 良街道 は、周知 の埋 蔵文化財包蔵
地 の範 囲 にある部分 を除 き、発掘 による調査 は実施 されて い ない が、大阪府教育委員会 によ り、現
地調査 による資料 の収集 ・整理、現状報告が行 われて い る (大 阪府教育委員会
1989)。
今 回の調査
地 は、弓削遺跡 の北側 に位置 し、調査 地 の約 50m西 側 には弓削神社 の一社 があ る。
南側 の弓削遺跡 で実施 された発 掘調査 での調査成果 (岩 瀬
透 ・ 阿部幸 -1995。 西村 2007他 )
に よる と、今 回 の調査 地 に近 くな るにつ れて、遺 構 ・遺物 の検 出が希 薄 になって行 く傾 向が見 ら
れ る。
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-1-
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﹂ 諄 嬰了
良街道第 1次
O
(NK
(1:5000)
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200m
と監‐菖冨冨主三ェi臣 』
図
1
調査地周辺図
3.老 原遺跡第 13次 調査 の調査概要
1)調 査の方法 と経過
本書 で報告す る老原遺跡第 13次 調査 は、寝屋川流域下水道飛行場北増補幹線 (第 2工 区)下 水管
渠築造工事 (No 3中 間立坑部 )に 伴 い実施 した ものである。
調査地 八尾 市東老原 2丁 目地内の国道 25号 線 とその南西側 の歩道上 。公園 (工 事期間中は工事基
地)に 位置す る。
調査区 6.6× 7.8mの 方形 で、南西 ―北東方向にわずかに長い。調査面積 は約 52♂ である (図 2)。
調査時間 調査区の約 3/4が 国道 25号 線お よび歩道にかか るため、現地調査 は交通量 の多 い 日中
-2-
駐車 場
一
図2
老原遺跡第 13次
調査 区位置 図
には行 えず、片側交互通行 の交通規制 の もと夜間に行 つた。
掘削 現地表 (T,P.+12.6m)下 1.Om前 後 までは、覆鋼板設置 と地盤改良に伴 う工事 によ り掘削
されていたため、現地表下 1.Om以 下 3.Omま で行 った。現地表下 1.Om前 後か ら2.Om前 後 まで
は機械 で掘削 した。調査区中央部付近 を除 く約 3/4の 部分 で、現地表下 3.Om近 くまで地盤改良に
伴 う地層 の撹拌 ・固化材 による地層 の硬化 が及 び、また、柱状 の回化材 が残 っていたため、その
部分 も機械 により除去 した。調査区中央部付近 の現地表下 2.Omか ら3.Omま でを人力・機械併用
で掘削 し、遺構 ・遺物 の検出 に努 めた。
下層確認 現地表下 3.Omま での発掘調査終了の後、現地表下 9.Om前 後 までの下層確認 を行 った。
下層確認 は、工事 に伴 つて排出 される排土 を観察 し、遺物 の有無 を確認 した。
調査 の結果
中世以降に造成 された地層が確認 され、その上面で落込み 1箇 所 が検出 された。出
土遺物は、整理用 コンテナ (60× 40× 20 cm)1箱 に収 まる。
2)層 序 (図 3)
調査区で確認 された地層 は、 3層
(3-1層 ∼ 3-3層 )を 除 き、すべ て 自然堆積層 である。 3
層 は、 ブロ ック上 を主体 とす るか、 ブロ ック土 を含 む地層 で、人為的な造成 により形成 された地
層 と見 られる。
現地表下 3.Om以 下の下層確認 で確認 された地層は、暗オリーブ灰色 を呈する極細粒砂混 じるシ
ル ト∼粘土質 シル ト(現 地表下 3.0∼ 4.8m)、 黒色ない し暗オリーブ灰色 を呈す る極細粒砂混 じる
粘土質 シル ト∼ シル ト質粘土 (現 地表下 4.8∼ 6.Om)で 、粘質土 を主体 とす る。現地表下 7.0∼ 9,0
m付 近 で径 5 Hlm以 下 の礫混 じる極粗粒砂 ∼粗粒砂 の堆積 を確認 した。 下層確認部分 では、礫混 じ
る砂層 か ら流木が多 く出上 してい るが、 この 中に伐採 の痕跡 のあ るものを確認 した。以下に、現
地表下 3.Omま での埋蔵文化財発掘調査 で確認 した地層 について記載す る。
1層 :5Y6/2灰 オリーブ色径 511m以 下 の礫混 じる極粗粒砂 ∼中粒砂。板状層理が見 られる。
-3-
2層 :5GY4/1暗 オ リー ブ灰色 (上 部 は酸化鉄分 を含 み 7.5YR4/6褐 色 )糸 田粒砂 ∼極細粒砂 。板状葉理
が見 られ る。木本 の植物遺体 を含 む。
3層 :ブ ロ ック上 を主体 とす るか ブ ロ ック土 を含 む地層 で、 ブ ロ ック土 の種類 とその多寡 に よ り
以下 の 3層 に分 け られ る。土 師器 ・須 恵器 ・瓦器 の破片 が 出土。
3-1層
:2.5GY4/1暗 オ リー ブ灰色極細粒砂混 じる粘 土 質 シル ト・5GY4/1暗 オ リー ブ灰色
砂 質 (極 粗粒 )シ ル ト・5Y3/1オ リー ブ黒色 極細粒砂混 じる粘 土 質 シル ト・ 3-2層 のブ ロ ッ
クに径 2 cm以 下 の礫 が 混 じる。上面 の低 い部分 には 2.5M/2暗 灰黄色極細粒砂混 じる粘 土 質
シル トが 薄 く堆積す る。 3-2層 :7.5GY4/1暗 緑灰色極細粒砂 混 じる粘 土 質 シル ト(5GY4/
1暗 オ リー ブ灰色径
5 alm以 下 の礫 ∼極粗粒砂混
511m以 下礫 が まば らに混 じる。
3-3層
じる粗粒砂 ∼細粒砂 のブ ロ ックを含 む )イ こ径
:5GY4/1暗 オ リー ブ灰色細粒砂 ∼極細粒砂混 じる
粘 土 質 シル トに径 1.5cm以 下 の礫 ∼極粗粒砂 が まば らに混 じる。調査 区東部 では、砂礫 が主
体 となる。
4層 :5GY4/1暗 オ リー ブ灰色径 2 cm以 下 の礫混 じる砂礫。 土 師器 の破片 が 出土。
5層 :黄 灰色 ・灰色 の粘土 質 シル トで、砂 との互層 をなす か否 かで 、以下 の 2層 に分 け られ る。
5-1層
:2.5Y4/1責 灰色極細粒砂 混 じる粘 土 質 シル トと 5M/1灰 色 シル ト質細粒砂 ∼極細
粒砂 の葉層 の互層 。 4層 が残 る下位 では、5Y4/1灰 色細粒砂 ∼極細粒砂 の葉層 と 2.5W/1黄
灰色極細粒砂混 じる粘 土 質 シル トの薄層 が上位 に載 る。 5-2層 :2.5M/1黄 灰色極細粒砂
混 じる粘 土 質 シル ト。
6層 :7.5G1/4/1暗 緑灰色径 5 cm以 下 の砂礫 (礫 主体 )。 土 師器 ・須恵器 の破片 が出土 。
7層 :7.5Y3/1オ リー ブ黒色極粗粒砂 混 じる粘土質 シル ト。
3)検 出遺構 と出土遺物
・ 検 出遺構
3層 上面 (T,P.+10.5∼
10。
3m)で 、 中世以降 の落込 み 1箇 所 (落 込 み 01)が 検 出 された。
落込 み 01(図 3。 図版 1)
落込 み 01は 、人為 的 に造成 された地層 で あ る 3層 の上 面が、窪 んで い た ものである。調査 区 の
中央部付近 を除 く約 3/4が 工 事 に伴 う地盤改良材 の影響 で硬 く、機械 で 除去 したため、中央部 の幅
2mほ どの部分 しか検 出で きず、全容 は不 明で ある。検 出部分 での幅 は約 4.8mで 、落込み の肩 か
らの底 までの深 さは 20∼ 30 cmで あ る。概 ね、南 東 一北西方向 で は 中央部 が低 く、南西 一北東方向
では南西が低 い 。埋土 は 5GY4/1暗 オ リー ブ灰色細粒砂 ∼極細粒砂 (2層 )で あ る。落込 みの肩部分
の 3層 上面 で 、瓦器 の破片 が 1点 出上 して い る。窪 んで低 くな ってい る部分 には、 粘 土 質 シル ト
が 薄 く堆積 してお り、 2層 の砂 に よ り埋 没す るまでの 間、窪 んだ部分 に水 が浸 る地 表面 で あ つた
ことが窺 える。落込 み をなす 3層 が 中世 の堆積層 で ある ことか ら、落込 み 01の 帰属 時期 は 中世以
降 に比 定 され る。
・ 遺構 に伴 わない出土遺物
遺構 に伴 わない 出土遺物 は、 3層 。4層 。6層 か ら出上 して い る。以下 に、各層 の 出土遺物 に
つい て記す。
-4-
︱ い︱
+100m
+110m
+120m
※
地盤改 良材 浸透部 分
図3
老原遺 跡第 13次
地層断面 および検 出遺構 平面図
0
調査 区
遺構検 出部分
地層断面実 測箇所
(1:50)
2m
【6層 出上遺物】
01
土師器 高杯
残 存高 :3 8cm
調整 :杯 部外 面 ハ ケ調整
色調 :25Y5/2灰 黄褐色
02
須恵器 壺
復 元 口径 :10 6cm
調整 :回 転 ナデ 、外 面 にカ キ ロ
色調 :5聖 /1灰 色
03
須 恵器 甕
復元 口径 :24 0cll
調整 :タ タキ後 回転ナデ
色調 :5Y4/4灰 色
図4
老原遺跡第 13次
0
(1:4)
10Cm
※写真の縮尺は任意
出土遺物
3層 出土遺物
主 に 3-1層 か ら、土 師器 ・須恵器 ・瓦器 の破片 が 数点 出土 して い る。 出土遺物 か ら、 3-1
層 は 中世以 降 に形成 された と考 え られ る。
4層 出土遺物
砂礫層 で あ る 4層 か らは、砂礫 とともに他所 か ら流 されて きた土 師器 の破片 が 1点 出上 して い
る。甕 の体部 と見 られ るが 、時期 は不 明 で 図化 はで きない 。
6層 出土遺物 (図 4)
砂礫層 で あ る 6層 か らは、砂礫 とともに他所 か ら流 されて きた土 師器 ・須恵器 の破片 が 出上 し
てい る。 出土量 は他 の地層 に比 べ て多 い。出土遺物 の うち、 3点 (01∼ 03)を 図化 した。土師器高
杯 (01)は 古墳 時代前期 以 降 に見 られ る もので 、須恵器壷 (02)と 須恵器奏 (03)は 6世 紀代 の もの と
見 られ る。 6層 は、 出土遺物 か ら、古墳 時代後期 以 降 に堆積 した地層 と考 え られ る。
4.奈 良街 道 第
1次 調 査 の 調 査 概 要
1)調 査 の方 法 と経過
本書 で報告す る奈 良街道第 1次 調査 は、寝屋 川流域下水道飛行場北増補幹線 (第 2工 区 )下 水 管
渠築造 工 事 (No 5到 達立坑部 )に 伴 い実施 した ものであ る。
調査地
人尾 市志紀 町 3丁 目地内 の 国道 25号 線 とその北東側 の歩道 上・民有地 (工 事期 間中 は工 事
基地 )に 位置す る。
調査区 8。 3×
調査時間
10,7mの 方形 で、南西 ―北東方向 に長 い。調査 面積 は約 89♂ で あ る (図
5)。
調査 区 の約 3/4が 国道 25号 線 お よび歩道 に掛 か るため、現地調査 は交通量 の多 い 日中
には行 えず、片側交 互通 行 の交通規制 の もと夜 間 に行 った。
区割 り 調査区が狭 いため、区割 りは当初行 わない予定 であ ったが、記録 。記載 の便宜上、行 う
方が良い と判断 したため、以下のように行 った。調査区の地表下に覆鋼板 を設置す るための梁 (H
鋼)が 、北西 一南東方向に 4本 渡 されてお り、 H鋼 の中心 を境 に 5つ の区 に分 けた。 5つ に分けた
区を北 か ら 1区 ∼ 5区 と呼称 した (図 5)。
掘削 現地表 (T,P.+13.7m)下 1.Om前 後 までは、覆鋼板設置 と地盤改良に伴 う工事 により掘削
-6-
駐車場
図5
奈 良街道第 刊次
調査 区位置 お よび区割 り図
されていたため、現地表下 1,Om以 下 3.Omま で行 つた。最初 に、 2区 の機械掘削 を行 った。西部
で地盤改良に伴 う固化材が径約 1.5mの 柱状 に注入 されてお り、東部では地盤改良の影響 により硬
化 していたため、 この部分 を最大現地表下 2.7mま で除去 した。次 に、 1区 の機械掘削 を行 た。 1
区では注入 された柱状 の回化材が 3本 あ り、本来 の地層 はこの間の数 10 cmの 部分 に残 っていた。
しか し、本来の地層が残 っている部分 も地盤改良 に伴 い地層が上下に移動 していたため、本来の
位置を保 ってい ない部分が殆 どであった。現地表下 2.Om付 近か ら上では固化材の広が りや下位の
砂礫 の噴出 しが見 られた。 このため、現地表下 2.Omま でを機械 によ り除去す ることにし、 3区 ・
4区 ・ 5区 の掘削 を行 ったところ、現地表下 1,7∼ 1.9m以 下の地層が部分的に細長 く残 っている
部分 が 2箇 所あ つた。 この うち相対的 に地層 の残 りが良かった調査区南東部 に地層観察用 の畦を
残 し、地層 の記録 を取 ることにした。 3区 ∼ 5区 では、地盤改良に伴 う固化材 の浸透や、下位 の
砂礫 の噴出 し等 による地層 のずれにより地層が本来の位置 を保 っている部分が 1区 よ りも少 な く、
また、 NTTの 配管埋設等 による撹乱 によ り現地表下 3.Om近 くまで撹乱 を受けていた。 このた
め、地層観察用 の畦以外 の部分 を機械・人力併用で現地表下 3.Omま で除去 し、主に遺物採取 に努
めた。 1区 については、現地表下 2,Omか ら3.Omま で、本来の地層が本来の位置で残 っている部
分 を入力 によ り掘削 し、主 に遺物採取 に努 めた。
調査 の結果
地層観察用 の畦 の上で、室町時代後期 の溝 l条 が検出 された。出土遺物 は、整理用
コンテナ (60× 40× 20 cm)1箱 に収 まる。
2)層 序 (図
6。 図版 2)
︱︱︱︱︱︱︱IL
調査区南東 の地層観察用 の畦で確認 された現地表下 1,7m以 下 の地層 は、大別す ると3層 (2層
∼ 4層 )で ある。調査区南西部 の壁面お よび 3区 南西部で、 2層 の上位 の現地表下 1.6∼ 1,7mで 、
木本 の植物遺体 を含 む5Y3/1.5オ リーブ黒色径 5
11Hl以
下の礫混 じる砂質 (極 粗粒 ∼粗粒 )シ ル トを確
認 した。 これを 1層 とす る。 1層 か らは、須恵器 ・瓦器 ・瓦 の破片が出土 した。 2層 は 3つ (21層 ∼ 2-3層 )│こ 細分 で き、 3層 は 2つ (3-1層 ・ 3-2層 )イ こ細分 で き、 4層 は 5つ (4-1
-7-
層た 4-5層 )に 細分できる。 1層 。2層 は撹拌層、 4層 は河川堆積層 と見 られる 以下に、 2層
以下の地層 を個,別 に記載す る。
.。
2-1層
じる砂質 (細 粒 ∼極細粒)シ ル ト。管状の酸化鉄が見
,2.5Y5/3黄 褐色径 5 11ull以 下の砂礫混―
られる。
2-2層
:2.5GY4/1暗 オリーブ灰色 (上 部は 2,5Y5/2暗 灰責色)径 1,5cm以 下の砂礫混 じる砂質 (細
2-3層
粒 ∼極細粒)シ ル ト。炭化物粒 を含 む。上部に上位からの管状の酸化鉄が見 られる。
:2.5GY4/1暗 オリーブ灰色径 5 11ull以 下の砂礫 を含 む砂質 (細 粒 ∼極細粒)シ ル ト。
2-1∼ 2-3層 からは、奈良∼1室 町時代 の遺物 (土 師器・須恵器・瓦の破片)が 出土。
3-1層
:2.5GY4/1暗 オリーブ灰色砂質 (細 粒∼種細粒 )シ ル ト。 2-3層 より砂質で、 シル ト質
―
細粒砂 ∼極細粒砂 を葉層状 ・斑状 に含 む。
3-2層
4-1層
:2.5GY4/1暗 オ リーブ灰色 (3-2層 より明 るぃ)シ ル ト質中粒砂 ∼極細粒砂。
:10Y4/1灰 色 (下 部 は 2.5Y6/4に ぶい黄色)中 粒砂∼施細粒砂。葉理が見 られ、2.5Y4/2暗
4-2層
灰黄色ンル トの1葉層 を挟む。
:10YR4.5/3に ぶい黄褐色細粒砂 ∼極細粒砂。葉理が見 られ、上部 に2.5Y5/3.5黄 褐色砂
4-3層
4-4層
4-5層
4-6層
質 (極 細粒)シ ル トの薄層を挟む。
:10YR5/4に ぶい黄褐色径 5111111以 ―
下の礫 ∼中粒砂(上 部ほど細粒)。
:10YR4.5/6褐 色 シル ト1質 極細粧砂。
i10YR4/3に ぶい黄褐色径 ユ.5cm∼ 5 mmの 礫混 じる砂礫。斜交層理が見 られる。
:7.5YR4/4褐 色径 7∼ 3 caaの 礫混 じる砂礫。層理は見 られない。
+13.Om
地盤改良に伴う機乱│ヽラス)
+120m
+11.Om
(■
[::
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5め
2m
:::IFIIIIIIIII古 ::::::i:IIIIIユ
│
図 6 奈良街道第 1次 地層断面および検出遺構平面図
-8-
分
郎
出
機
i::
離
0
③
地盤 改 良に 伴 う槻 乱 等
面所
断箇
層測
・
地美
※
3)検 出遺構 と出土遺物
・ 検 出遺構
地盤改 良 に伴 うバ ラス を除去 した面 (現 地表下 1.9m前 後 )で 、室 町時代後期 の溝 1条 (溝 01)が
検 出 された。
溝 01(図 6・ 図 7・ 図版 2)
調査 区南東部 の地層観察用 の畦で、遺構埋土 と見 られ る地層 が 確認 されたため、畦 の上 に堆積
す るバ ラス を除去 し精査 した ところ、南北方 向 に伸 びる溝 が 検 出 された。北側 は、地盤改 良 に伴
い地層 が ず れてお り、南側 は土留 めの H銅 打設 によ り撹乱 されて い たため、全容 は不 明 で ある。検
出部分 で幅約 lm・ 深 さ約 15 cmを 測 る。埋土 は 7.5Y4/1灰 色極細粒砂混 じる粘 土 質 シル ト(木 本 の
植物遺体 を含 む)と 2.5Y5/1オ リー ブ灰色細粒砂 ∼極細粒砂 の薄層 ・葉層 の互 層 に 2-2層 のブ
ロ ックが 混 じる もので あるが、互層 はブ ロ ック土や礫 によ りそ の構造 が歪 み、 マ ー ブル状 の互 層
にブ ロ ック上が入 る層相 で ある。主 に埋土 の上 部 か ら、土 師器 ・須恵器甕 ・悟鉢 。羽釜 (土 師器 ・
瓦質土器 )。 瓦質土器井筒 ・瓦 (丸 瓦 )の 破片、骨 と見 られる小 片、拳大前後 の破砕面 の あ る礫 16個
が出土 してい る。出土遺物 の うち 3点 (04∼ 06)を 図化 した。瓦 質 土 器悟鉢 (04)は 室 町時代後期 (16
懸き〃 隼垂墓詞
避
一
潔
【
溝 01埋 土 出土遺 物】
0
04
瓦 質土器 福 鉢
調整 :ヘ ラ削 り (外 面 )、 すデ (内 面 )
横 ナデ (日 縁部 )
色調 :25Y55/1黄 灰 色 (外 面 )
7 5YR7/3に ぶ い橙 色 (内 面 )
05
瓦 質土器 羽釜
復 元 口径 i25 4cll
調整 :横 ナデ (鍔 ・ 口縁部外面 )
ヘ ラ削 り (体 部外 面 )
ハ ケ調整 後ナデ (内 面 )
色 調 :N45/1灰 色
06
瓦 質土器 井筒
調整 :ナ デ
色調 :10Y5/1灰 色
【2-2層 出土追 物 】
( ギ
'こ
07
と`
土師器 杯
復 元 口径 :14 6cn
調整 :横 ナ デ
色調 :10YR7/4に ぶ い 黄橙色
土師器 椀
復 元 口径 :12 8cn
調整 :指 オサ エ 後未調整 (外 面 )
横ナデ (内 面∼ 日縁 部 )
色調 :10YR3/3浅 黄橙 色 (外 面 )
10VR6/1褐 灰 色 (内 面 )
土師器 高杯
復 元脚 径 :9 2cm
調整 :ナ デ (外 面 )
指 オサ エ 後未調整 (内 面 )
色調 〔5YR6/4に ぶ い 橙色
砕
面
匠
三
コ破
O
(1:4)
10cm
※写 真 の縮 尺 は任意
09
図7
奈 良街道第 1次
-9-
出土遺物
10
丸瓦
残存長 :6 4cll
調整 :縄 ロタ タキ後 ナデ (凸 面 )
布 目 (凹 面 )、 ヘ ラ削 り (側 面 )
ナデ (連 結 面 )
色調 :10V55/1灰 色 (凸 面 ・連結 面 )
25Y7/1灰 白色 (凹 面 )
世紀 )、 瓦質土器羽釜 (05)は 室町時代 中期 (15世 紀前半)、 瓦質土器井筒 (06)は 室町時代 中期 (15世
紀)イ こ比定 で きる。遺構 の帰属時期 は、出土遺物か ら室町時代後期 (16世 紀)に 比定で きる。
2-2層 の上面 で検出 されたが、上面が地盤改良に伴 うバ ラスで覆 われていたために、
本来 の構築面 は不明であ る。 1層 ・ 2-1層 のブロ ックを含 まないこ とか ら、 2-2層 上面遺構
清 01は
である可能性が高い。埋上 の堆積状況 。遺物 の出土状況か ら、一時的 に水 の流れがあ り、あ る程
度埋 まった ものが、最終的に 2-2層 お よび土器 ・瓦 ・礫 で埋め られた もの と推測 で きる。
・ 遺構 に伴 わない出土遺物 (図 7)
遺構 に伴 わない出土遺物 は、1層 と 2層 か ら出土 してい る。 ほとんどが、土器 ・瓦等 の破片 で
あ る。以下 に、各層 の出土遺物 について記す。
1層 出土遺物
1層 は、先 に記 した通 り、残 っている部分 がわずかで、その分遺物 の出土量 も少 ない。出土遺
物 は、須恵器甕・瓦質土器 (器 種不明、奈良火鉢か)。 瓦 (平 瓦)の 破片が数点である。時期 を明確 に
比定 できる遺物 はないが、近世の陶磁器 は含 まない。 1層 は、出土遺物 と層位 か ら、中世後半 (室
町時代後期以降)の 堆積層 と考 えられる。
2層 出土遺物
2層 か らの出土遺物 は、 2-1層 か ら土 師器 ・砥石 の破片、 2-2層 か ら土 師器 。須恵器 ・瓦
(丸 瓦)の 破片、 2-3層 か ら土 師器 の破片 が出土 してい る。 2-2層 か らの出土遺物が 2-1・ 2
-3層 に比べ て多 い。 2-3層 か らの出土遺物 は僅 かで、破片 の大 きさは細かい。 2層 出土遺物
は、細 かい破片が多 く、器種 ・時期 を比定 で きるものは少ない。 この うち 4点 (07∼ 10)を 図化 し
た。土師器杯 (07)は 奈良時代、土 師器椀 (08)は 平安時代前期 ∼中期 (9∼ 10世 紀)、 土 師器高杯 (09)
は飛′
鳥時代 にそれぞれ見 られるもので、丸瓦 (10)は 調整等 の特徴 か ら鎌倉時代 に比定で きる。 2
-2層 は、出土遺物 と層位 か ら、中世 (鎌 倉時代以降室町時代 中期 まで)の 堆積層 と考 えられる。
5日
まとめ
今回調査 した老原遺跡第 13次 ・奈良街道第 1次 の各調査地 は、奈良街道 の旧街道筋に位置する
と推測 されるが、現地表下 1.Om以 上が調査 に先行 して行 われた覆鋼板設置 と地盤改良に伴 う工事
により掘削 されていたために、奈良街道に伴 う遺構があったか どうかは不明である。調査 では、と
もに中世 を主 とす る遺構 ・遺物が検出された。各調査 の現地表下 2.Om前 後か ら3,Omま での調査
成果 を以下にまとめる。
老原遺跡第 13次 調査
中世以降の人為的に造成 された地層 が確認 され、 この地層 の上面 で落込 みが検出 された。 この
地層の うち 3-1層 は、 3-2層 。3-3層 を、 3-3層 は 4層 。5層 を切 ってお り、少な くと
も2回 以上 の造成があった ことが窺 える。検出部分が僅 かであったため、 この地層 の広が りや造
成 された目的を考 えるに足 るデー タは抽出で きなかった。落込み と4・ 5層 を切 る窪みの方向が、
旧大和川水系 の主流 であ つた長瀬川にほぼ直交す ると見 られる ことか ら、長瀬川 に関わる土地利
用 ・水利 に伴 う造成 であ った可能性 を示すに留 めてお く。
奈良街道 1次 調査
室町時代後期 の構 1条 が検出 された。 この溝 は、先 に記載 した通 り、南北方向に伸 び、埋上 の
-10-
堆積状況か ら一時的 に水 の流れがあ ったことが窺 える ことか ら、何 らかの地割 りに よる用水等 の
用途が想 定 される。 しか し、わずかな部分 しか検出で きなか ったため、具体的な ことはわか らな
い。溝埋土 ・ 1層 ・ 2層 か ら出土 した遺物 は、土器 ・瓦 の破片 であ るが、土器 の破片 には瓦質土
器 の羽釜 ・橋鉢 。井筒 などの破片 が見 られることか ら、近 隣 に集落があった と推測 される。
参考文献
。原田昌則
2004「 Ⅲ 老原遺跡 (第 6次 調査 )」 「Ⅳ 老原遺跡 (第 7次 調査 )」 「 V 老原遺跡第 8次 調査」『財団
法人人尾市文化財調査研究会報告 81』 財団法人人尾市文化財調査研究会
・ 岩瀬 透 ・阿部幸- 1995 F寝 屋川南部流域下水道事業に伴 う中垣内・志紀 ・弓削 ・太平寺遺跡発掘調査肌要』
大阪府教育委員会
・ 西村公助 2007「
V
弓削遺跡 (第 6次 調査 )」 F財 団法人人尾市文化財調査研究会報告 97』
財団法人八尾市文
化財調査研究会
,大 阪府教育委員会 1989 F奈 良街道 歴史の道調査報告書 第 4集 』
土器の型式 。年代 について参考 に した文献
・ 菅原正明 1983「 畿内における中世土器 の生産 と流通」F藤 沢一夫先生古稀記念古文化論叢』(瓦 質土器悟鉢・瓦
質土器井筒 )
・ 森島康雄 1990「 中河内の羽釜」『中近世土器 の基礎研究Ⅵ』 日本中世土器研究会 (瓦 質土器羽釜 )
︱︱IL
-11-
Ⅵ
国
図版 司(老 原遺跡第 13次 調査 )
調査地全景 (東 か ら)
遺構検 出面 (北 西 か ら)
機械掘削状況 (北 西 か ら)
人力掘 削状況 (北 西か ら)
落込み01(西 か ら)
地層 断 面 (西 か ら)
図版 2(奈 良街道第 1次 調査)
調査地全景 (東 か ら)
機械掘 削状況 (北 か ら)
入 力掘 削状況 (南 か ら)
地 層 断 面 (北 か ら)
溝01検 出状況 (北 か ら)
溝 01完 掘状況 (北 か ら)
︲
︱
︱
︱
報 告 書 抄 録
ふりがな
ざいだんほうじんやおしぶんかざいちょうさけんきゅうかいほうこく110
書名
財 団法人人尾市文化財調査研究会報告 110
副書名
老原遺跡第 13次 調査 奈良街道第 1次 調査
巻次
シリーズ名
財 団法人人尾市文化財調査研究会報告
シリーズ巻 号
編著者名
荒川 和哉
編集機 関
財団法人 ノ(尾 市文化財調査研 究会
所在地
〒5810821
大阪府 人尾市幸町4丁 目58-2 TEL・ RttX
072-994-4700
発行年月 日 西暦2007年 7月 31日
ふりがな
所在地
ふりがな
所収遺跡名
コー ド
市町村
まら
おいヤ
老原遺跡
第 13次 調査
おおさかぶやおしひがしおいばら
大 阪府 人尾 市東 老原 2丁 目
27212
ならかいどう
奈 良街道
第 1次 調査
おおさかふやおししきちょう
大阪府人尾市志紀町3丁 目
27212
種別
東経
調査期 間
34度
135度
20061218
06う )
06分
10秒
20070326
135度
20070319
061少
1002
06う )
16秒
主な時代
主な遺構
老原遺跡
第 14次 調査
生産域 中世以降
落込み1箇 所
奈良街道
第1次 調査
集落
室町時代後期
生産域
溝 1条
要約
】
ヒ
糸
車
度分 秒
所収遺跡名
遺跡番号
主な遺物
調 査面積
調 査原 因
(雷 )
約 52∬
公共下水道 工事
約 89♂
公共下水道 工事
20070413
特記事項
瓦質土器 (中 世)
老原遺跡第 13次 調査では、中世に人為的に造成された地層を確認し、その上面で落込みを検出した。落込みとその基
よば直交すること
盤層となる人為的に造成された地層下面の深い部分の推定方向が、旧大和川の主流であつた長瀬川とイ
から、長瀬川に関わる土地利用・水利に伴う造成であつた可能性がある。奈良街道第 1次 調査では、室町時代後期の溝を
検出した。溝は南北方向に伸び、埋上の雄積状況から一時的に水の流れがあったことが窺えることから、何らかの地割り
による用水等の用途が想定される。
財 団法 人八尾 市文化財 調査研 究会報告 110
老原遺跡第 13次 調査 ・奈良街道第 1次 調査
発 編
行
集
平成 19年 7月 31日
財団法人 八尾 市文化財調査研究会
〒 581-0821 大阪府人尾 市幸 町 4丁 目 58番 地 の 2
TEL・ FAX 072(994)4700
刷
株 式 会 社 近 畿 印刷 セ ン タ ー
〒 581-0033 大阪府人尾市志紀町南 2丁 目 131番 地
TEL 072 (920) 3488
FAX 072(920)3455
表紙
本文
レザ ック 66 <260kg>
ニューエ イジ <70kg>
財団法 人八尾市文化財調査 研究会報告 H
二 〇 〇七 年
財 団法 人 入尾市 文化 財 調査 研究 会
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