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論文 - 政策研究大学院大学
ライセンス・オブ・ライト制度の導入について 【要旨】 諸外国には、特許権者がライセンス提供の用意がある旨を宣言することと引き換えに、特許料を減 額するライセンス・オブ・ライトという制度が存在する。この制度は、特許権者がライセンスを提供 するインセンティブとなり、社会的に望ましいライセンス契約の供給を増やすことができるのだろう か。本研究では、諸外国で採用されているようなルールに基づいて導入した場合、実施されている特 許であるか否かにかかわらず、制度が特許権者に与えるインセンティブは限定的であることや、権利 侵害誘発のおそれがあることを示し、これらを改善するための政策提言を行う。 2010 年 2 月 政策研究大学院大学 知財プログラム MJI09049 持田 恵梨 目次 1 はじめに………………………………………………………………………………………………………1 2 ライセンスが成立する条件…………………………………………………………………………………1 2.1 実施予定特許………………………………………………………………………………………… 2 2.2 補完的資産不足特許………………………………………………………………………………… 2 2.3 未評価特許…………………………………………………………………………………………… 3 2.4 防衛特許、価値のない特許………………………………………………………………………… 3 2.5 特許の性質によるライセンスの実現に対する障壁……………………………………………… 3 3 ライセンス・オブ・ライト制度とは………………………………………………………………………4 4 問題提起………………………………………………………………………………………………………6 5 ライセンス・オブ・ライト制度が特許権者に与えるインセンティブ…………………………………7 5.1 特許権者が実施している特許の場合……………………………………………………………… 7 5.1.1 仮説の設定………………………………………………………………………………………7 5.1.2 仮説の検証………………………………………………………………………………………8 5.1.3 小括………………………………………………………………………………………………9 5.2 特許権者が実施していない特許の場合………………………………………………………… 10 5.2.1 仮説の設定…………………………………………………………………………………… 10 5.2.2 仮説の検証…………………………………………………………………………………… 11 5.2.3 小括…………………………………………………………………………………………… 12 6 ライセンス・オブ・ライト制度下における特許権侵害……………………………………………… 12 6.1 仮説の設定……………………………………………………………………………………………12 6.2 仮説の検証……………………………………………………………………………………………13 6.3 小括……………………………………………………………………………………………………15 7 まとめ・政策提言………………………………………………………………………………………… 16 1 はじめに 特許権者は、特許を受けた発明を自分自身で実施し、収入を得るだけでなく、ライセンス契約を結 び、他社に実施させ、ライセンス収入を得ることもできる。 長岡・平尾(1998)によれば、特許がライセンスされることのメリットとしては、①研究開発への 重複投資の無駄が省かれる、②開発された技術が経済全体で広く利用される、③研究開発のリターン を高めてこれを促進するといった点を挙げている。また、社会的にみても、ライセンス契約は、ライ センサー(技術供与企業)とライセンシー(技術利用企業)の余剰を増やし(プラスとなるライセン スでなければ、契約は締結されない。 ) 、技術革新の促進によって、特許を利用して生産される製品の 価格が低下することやより高品質の財の供給により、消費者も便益を得るため、ライセンスは社会の 総余剰を増やし、望ましいとしている。しかし、特許権者の独占利潤を確保したいというインセンテ ィブや、企業間の情報の非対称の存在のため、実際には必ずしもライセンス契約の締結に至らないと している1。 つまり、ライセンス契約の増加は、社会的に望ましいことであると予想できるが、独占利潤確保の インセンティブや情報の非対称の存在のために、ライセンス契約は必ずしも締結されない。ライセン ス契約の成立を促進するためには、どのような政策を採用すればいいのだろうか。諸外国には、特許 権者がライセンス提供の用意がある旨を宣言することと引き換えに、特許料を減額するライセンス・ オブ・ライト制度という制度が存在する。この制度は、特許権者がライセンスを提供するインセンテ ィブとなり、社会的に望ましいライセンス契約の供給を増やすことができるのだろうか。 この論文では、まず、2 章において、ライセンスが成立する条件について考察し、3 章では、諸外 国におけるライセンス・オブ・ライト制度について参照する。4 章では、これらを踏まえて、この制 度の導入にまつわる問題提起を行い、5 章と 6 章では、制度に関して仮説を立て、その検証を行う。 最後に 7 章で、検証のもたらす政策的インプリケーションを元に政策提案を行う。 2 ライセンスが成立する条件 まず、どのような状況で特許権のライセンス契約が成立するかを検討するため、特許権のライセン ス契約の成立を左右する要因について考察する。 一般的に、ライセンスが実現するのは、ライセンス契約によって、ライセンサーとライセンシー双 方がより利益を得るときである。つまり、両者について、ライセンスによる便益が費用を上回らなけ ればならない。 ライセンサーの場合は、ライセンスによりライセンシーから実施料を獲得できる。また、クロス・ ライセンス(相互ライセンス)を行うことにより、相手の特許権の侵害を回避するに必要な迂回技術 を開発するための研究開発費が節約される。一方、ライセンス契約締結や管理のための費用(契約費 用)やライセンサーを探すための探索費用がかかる。また、ライセンサーが既に自社2実施している特 許については、新たな参入により、特許権者の利潤が減尐する。さらに、自社実施していない特許に おいても、将来の実施見込みがあれば、独占利潤確保の機会の喪失もコストとして考えることができ 1長岡貞男、平尾由紀子 2 (1998) 『産業組織の経済学 基礎と応用』 、p191,192 ここでは、特許のライセンス契約は多くの場合企業間であるため、自社、他社と表現する。 1 るだろう。 次に、ライセンシーにとっては、まず、ライセンス契約の対象となる特許が、ライセンシーが既に 生産している財の生産に関連するものであるとき、ライセンス契約の締結は、新しい技術の導入によ る生産費用の削減や付加価値の向上といった便益をもたらす。また、ライセンシーが、ライセンス契 約の対象となる特許を利用して、新たな市場に参入する場合は、その財の生産により得られる収入を 獲得する。費用面については、どちらの場合も、契約費用、探索費用、ライセンサーへ支払う実施料、 生産又は技術導入のための設備投資が必要となる。これらをまとめると、表 2 に示されるとおりであ る。 表 1 ライセンス契約の締結とライセンサー/ライセンシーの費用便益 自社実施あり ライセンサー ライセンシー 便益 実施料、クロス・ライセンスで迂 回発明費用の節約 自社実施なし 実施料 既に参入している 未だ参入せず 費用節減、付加価値の上昇 実施による収入 費用 契約費用、独占利潤の喪失 契約費用、探索費用、将来の利潤機 会の喪失 契約費用、探索費用、実施料、設備 投資 これらをもとに、特許の利用状況により、どのような要因が働くのか考察する。まず、既に自社実 施されている特許については、ライセンサー側はライセンス契約の締結によって、独占利潤を喪失す る。また、ライセンサー、ライセンシー双方にとって、実施料の交渉が折り合わない、契約費用が高 いといった問題も存在するだろう。特に、ライセンサー側は、ライセンスせずとも自社実施によって 利益を得ており、ライセンス交渉において強い立場に立つため、交渉が決裂しやすいと予想できる(た だし、クロス・ライセンスの場合は、両者がライセンサーでありライセンシーであるため、お互いの 持つ特許権の価値によって交渉の有利不利は異なる。 )。 次に、特許権者が自身で実施せず、他社にも実施許諾をさせていない不実施特許について、ライセ ンスが実現しない原因を考察する。不実施特許といっても、不実施の理由は様々であり、理由によっ て、ライセンスが実現しない原因は異なると考えられる。したがって、ここでは不実施特許を、①実 施予定特許、②補完的資産不足特許、③未評価特許、④防衛特許、⑤価値のない特許の 5 つの類型に 分類して、その類型別の要因を予想する。 2.1 実施予定特許 まず、①実施予定特許について分析する。ここで実施予定特許とは、将来自社での実施を予定して いるが、その他必要な技術が開発中であるといった理由により実施されていない特許とする。この実 施予定特許は、自社実施から利益を得ることを想定しているため、将来の独占利潤の現在価値を自社 実施している場合の独占利潤と同様に考えることができるため、自社実施されている特許と同様にラ イセンスが実現しない要因を考えることができるだろう。 2.2 補完的資産不足特許 次に、②補完的資産が不足している特許について考察する。西村・長岡(2004)では、企業の特許が 未利用となる原因として、4 つの要因を提示しているが、そのうちの一つが補完的資産に関するもの 2 である3。この特許は、特許の商業化に必要な設備、販売網といった補完的資産(complementary asset) の不足のために実施していない特許である。つまり、資金制約といった量的な資産の不足や、既存資 産との適合性といった質的な資産の不足により、特許権者は実施できない特許である。もし、このよ うな特許を実施し得る補完的資産を有する企業にライセンスを行えば、特許権者は、ライセンス料を 獲得し、実施企業も生産により収入を得ることができる。これらの特許は、探索費用、実施料、契約 費用の問題をクリアすれば、ライセンスに供される可能性が高い。 2.3 未評価特許 そして③未評価特許、つまり、特許として取得されたものの、事業化の可能性・収益性が未評価で ある特許について考える4。前掲の西村・長岡(2004)では、研究開発の非効率性も特許が利用されない 要因として挙げている。 保有特許の数が莫大な大手企業、 研究開発が効率的になされていない企業や、 特許が事業化のためではなく研究者の業績評価のために大量に取得されているといった企業では、こ のような未評価の特許が発生しうる。これら未評価特許の収益性は、玉石混交である。これらの特許 について評価がなされれば、それぞれ、自社実施されず、ライセンサーも現れない価値のない特許、 自社実施予定特許、補完的資産不足特許に分類することが可能となる。 2.4 防衛特許、価値のない特許 他社の権利化を防ぐために出願された④防衛特許は、その性格上、特許権者がライセンスに供与す る意思はないものと考えられる。したがって、この防衛特許については、ライセンスの実現の障壁を 考えるまでもない。さらに、⑤価値のない特許についてであるが、この価値のない特許とは、特許か ら得られるリターンが非常に尐ない、又は存在しないため、特許権者が現在実施せず、特許権者が将 来の実施する予定もなく、補完的資産不足特許のように他社がライセンスを希望することを想定する こともできない特許を指す。 2.5 特許の性質によるライセンスの実現に対する障壁 以上の議論をまとめると、 ライセンスの実現に対する障壁は、 図 4 のようにあらわすことができる。 図 1 特許の性質別のライセンスの実現に対する障壁 3 3西村陽一郎、長岡貞男 (2004) 「未利用特許権の構造とその要因分析」,p48. 3 これらをもとに、ライセンス契約の締結を促進する手段としては、どのような方策が考えられるか について検討する。まず、どのような特許に対しても共通する改善策として、契約費用を低めること でライセンスを促進することができる。次に、ライセンサーとライセンシーが合意できる実施料の決 定の障壁は、ライセンスに供される可能性がある特許に共通ではあるが、自社実施特許や実施予定特 許の場合、ライセンサーが交渉において強い立場に立つため、ライセンス交渉が決裂する可能性が高 く、より実施料が合意の上決定される障壁は高いものと考えられる。また、自社実施特許では独占利 潤が、実施予定特許では、将来の独占利潤がライセンスの障壁となる。そして、補完的資産不足特許 については、ライセンシーを探すための探索費用が、ライセンスへの障壁となる。価値のない特許に 対しては、将来の実施の見込みもなく、そもそもライセンス契約を締結したいという企業が現れない ため、ライセンスを促進するような対策を講じても、ライセンスは成立しない。 ここから、いかにして、ライセンスを促進することができるかについて議論する。既に議論した障 壁から、以下のような手段により、ライセンスを促進させることが考えられる。 ・独占利潤を補う利益をライセンサーに与える。 ・契約費用を低下させる。 ・ライセンシーの探索費用を低下させる。 ・ライセンス交渉に対する支援を行う。 本論文で論じるライセンス・オブ・ライト制度は、これらの障壁を取り払い、ライセンスを促進す ることができるのであろうか。まず、次章で制度の具体的な内容を述べる。 3 ライセンス・オブ・ライト制度とは 特許権の活用を促進するためには、我が国の特許法の例にもあるように、裁定により強制的に実施 権を付与する制度5も存在する。しかし、このほかにも、諸外国には、特許活用の促進を図るため、特 許料を減免し、ライセンス供与の意思を公表させ、ライセンシーの発見を容易にすることで、自発的 なライセンスを促す制度が存在する。ライセンス・オブ・ライト制度とは、イギリスにおける同種の 制度の呼称であるが、同様の制度は、ドイツ、イタリア、スペイン等にも存在する。また、フランス でも同様の制度が存在していたが、2005 年に廃止された6。 我が国においては、知的財産戦略本部7が作成した知的財産推進計画 2009 において、 「第 3 期知的 財産戦略の基本方針」 の重点施策であるイノベーション促進のための知財戦略強化を具体化するため、 オープン・イノベーションの進展に対応した環境を整備する施策として、以下のように実施許諾の意 思の登録制度の導入を検討するとしている。 5 不実施の場合の通常実施権(第 83 条) 、利用発明実施のための通常実施権(第 92 条) 、公共の利益のための通常実施 権(第 93 条)といった 3 つの類型がある。 6 「フランス知財庁は、ライセンス・オブ・ライト制度廃止の第 1 の理由を、ライセンス・オブ・ライトの利益(維持年 金の減額)を享受するものの、この制度によって第三者にライセンスされた特許はごく僅かであり、ライセンス・オブ・ ライト制度には、ほとんど効果の無いことが実証されたためと回答している。…」財団法人知的財産研究所(2009)「産業 財産権に係る料金施策の在り方に関する調査研究報告書」、p62 7 知的財産基本法第 24 条の規定に基づき、知的財産の創造、保護及び活用に関する施策を集中的かつ計画的に推進する ため、内閣に設置された機関。内閣総理大臣が長である知的財産戦略本部長を務める。 4 まず、このライセンス・オブ・ライト制度の、諸外国における具体的な実施内容及び実施状況を参 照する。細部については様々な相違があるものの、制度の基本は、ライセンスの用意がある旨を特許 権者が宣言した場合、特許料が減免されるというものである。イギリス、ドイツ両国とも、ライセン ス・オブ・ライト制度に登録された特許に係る特許料を 50%減額している。また、この制度には、登 録された特許についてライセンス契約が締結されるための、制度的保障が存在する。すなわち、両国 とも、制度に登録された特許について、ライセンスの申込があったものの、ライセンス交渉が決裂し た場合、申請により、政府に実施料の決定を請求することができる。また、認められるライセンスは、 非独占的ライセンスであること、そして、ドイツとイギリスで多尐の違いがあるものの、差止請求権 の制限など特許権の一部が制限されていることなど、特許権の広範な利用を促進する制度となってい る。また、いずれの国においても、制度に登録された特許専用のデータベースが存在し、情報提供の 仕組みも整備されている。 さらに、両国の違いとしては、イギリスには、一定期間実施されていない特許に対して、特許権者 以外の者が制度登録を請求し、これに対して特許庁長官が制度に登録させる強制登録制度が存在する ことが挙げられる。一方、ドイツでは、法律上の制度ではないが、法的拘束力を伴わずに実施許諾を 宣言する interesting in granting licenses といった制度も存在し、この制度を利用した場合、特許権 者は、独占的実施権、非独占的実施権のどちらでも設定することができる8。我が国において、特許流 通促進事業の一つとして実施されている「特許流通データベース」も、この interesting in granting licenses と同じ性格のものであると考えることができるだろう。以下、表 2 において、両者の制度を 示す。 8 財団法人知的財産研究所(2009)「産業財産権に係る料金施策の在り方に関する調査研究報告書」、p57 5 表 2 イギリスとドイツにおけるライセンス・オブ・ライト制度9 イギリス ドイツ 特許料の 50%が減額される。 特許料の減額 実施料の決定 当事者間で合意が形成されないとき、申請に応じて、行政が実施料を決定する。 非独占的実施権10 設定される実施権の種類 取消し後の特許料 侵害訴訟において、被告が LOR 宣言の登録に 実施権者が補償の支払いを怠る場合には、 基づき、ライセンスを取得することを約束す 相当の期間を定め、その期間内に支払いが るときは、特許権者による差止請求権の行使 なされない場合は実施を差し止めることが はできない。 できる。 また、損害賠償請求額の上限は、侵害前にラ イセンスが取得されていた場合の実施料額の 2 倍以内に制限される。 特許権者又は特許権者との利害関係のある契 第三者による発明を実施する意思の通知を 約を有する者は、実施権者が存在しない場合 受けていない場合、取消しの申請可能 又は実施権者全員の同意が得られた場合、取 消しの申請可能 取り消した場合、免除されていた特許料を納付しなければならない。 強制登録制度の存在 何人も、一定期間不実施の特許の登録申請が 可能 特許権の制限 登録の取消しの申請 なし なお、報告書によれば、制度の利用状況は、イギリスでは、制度への登録数は、年間 1000 件程度、 全特許数の約 4%と推定している11。ドイツでは、制度への登録数は、年間 3000 件程度、全特許数の 約 2.5%と推定している(ただし、ドイツでは出願前から申請できるため、特許査定を受けていない 出願も登録数に含まれている。 )12。また、interesting in granting licenses の利用状況は、年間 3000 件弱程度であり、ライセンス・オブ・ライト制度より若干尐ない利用実績となっている13。 4 問題提起 3 章で述べたライセンス・オブ・ライト制度は、特許料の減額によりライセンス供与のインセンテ ィブをある程度増加させ、調停の存在により実施料の決定が決裂するおそれがなくなることや、情報 提供サービスによりライセンス相手が見つかりやすくなるなど、契約費用や探索費用をある程度減尐 させることいったメリットが存在する。 他方、 ライセンス先をライセンサーが選択することができず、 無差別にライセンスを認めなければならないこと、差止請求権が制限されること等のデメリットがあ る。このようなメリットとデメリットのもと、この制度は、特許活用の促進に資することができるの であろうか。そこで、本論文では、制度に関して特徴的なルールを、諸外国の制度を参考にして 4 つ のルールを取り上げ、このルールの下で、この制度が、ライセンスの促進に資するかどうかを検討す ることとする。具体的な検討としては、まず、特許権が実施されている場合、実施されていない場合、 それぞれライセンス契約に関わるプレーヤーのインセンティブとして成り立っているかについて、検 討する。その後、差止請求権の制限が、どのような行動を誘引するかについても、検討する。 9 同、p.42-47,54-55 を参考に作成 イギリスでは、この制度の下で取得される第三者の実施権は、非独占的実施権であるが、特段の契約がない限り、実 施権者は特許権者に催告しても訴訟を提起しないとき、自己の名において訴訟を提起することができる。 (紋谷(2000)、 p8)また、制度の登録を取り下げれば、独占的実施権を設定することができる。 11 財団法人知的財産研究所(2009)「産業財産権に係る料金施策の在り方に関する調査研究報告書」 、p50,51 12 同、p58 13 同、p58 10 6 ライセンス・オブ・ライト制度のルール ルール① 特許料の半額減免 ライセンス許諾の用意がある旨を登録した場合、特許料(維持費用)を半額減免する。 ルール② ライセンス許諾締結の義務付け(無差別なライセンス) 登録した特許に係るライセンス交渉が決裂した場合、交渉の当事者のいずれかは、特許庁長官によ る実施料の決定を求めることができる。 ルール③ 独占的実施権の付与の禁止14 登録した特許に対し、独占的実施権を認める契約を締結することはできない。 ルール④ 特許権の制限 権利侵害訴訟において、侵害者側がライセンス契約を締結する意思表示を行った場合、賠償額は実施 料の 2 倍以下とし、差止請求は認められない。 5 ライセンス・オブ・ライト制度が特許権者に与えるインセンティブ 5.1 特許権者が実施している特許の場合 5.1.1 仮説の設定 特許権者が実施している特許が、ライセンス・オブ・ライト制度に登録された場合、まず、特許権 者は、特許料が半額に減額されるというメリットを享受する。そして、制度に登録されている特許に つき、ライセンス契約締結を求めるライセンシーが登場したとき、当該特許についてのライセンス契 約は、決裂することなく締結され、ライセンシーはライセンス条件に基づいて特許発明を実施する。 このとき、ライセンシーは、ライセンサーに対して定められた実施料を支払う。すなわち、ライセン サーは自分自身で生産することにより得られる収入のほか、ライセンス収入を得ることができる。一 方、このとき、ライセンサーは、独占的生産者ではなくなるため、自身の生産から得られる利潤が、 独占していたときに比べ、減尐する。また、このとき、社会的には、独占状態が終了し、生産量が増 加し、社会的総余剰が増加する。 ここで、特許権者が、独占利潤の減尐による損失を、特許料の減額というコストの減尐と実施料と いう新たな収入により補うことができれば、特許権者にとって、自身の保持する特許を制度に登録す るインセンティブは十分なものとなる。どちらが特許権者にとって利益となるかについては、特許料 の水準と特許の対象となっている発明の実施により得られる利潤によって異なり、利潤が特許料に比 して相対的に大きいものであれば、独占利潤の減尐による損失の効果が大きく働くと予想される。し たがって、実施により大きな利潤をもたらす特許、すなわち、市場規模が大きく、特許権者が実施に よって大きな利潤を得ることを可能にする特許については、この制度はライセンスを供与する十分な インセンティブとなりえないと考えられる。そこで、次の仮説 1 を立て、以下、次項において検証を 行う。 仮説 1 特許権者が実施している特許について、制度に登録されるのは一定以下の市場 規模を持つ製品に使用される特許であり、一定以上の市場規模を持つ製品に使用 される特許は制度に登録されない。 14 制度の登録を取り下げた場合、独占的実施権を設定できるが、本研究では、純粋に制度の枠内での検討を実施したい と考えるため、設定される実施権は独占的実施権として検討する。 7 5.1.2 仮説の検証 この項では、前節で立てた仮説 1 について、以下の条件下におけるモデルを設定し、検証する。 ・ 一人の特許権者(ライセンサー)と一人のライセンシーから成る世界を想定する。 (以下、必要に応じて、ライセンサーを企業 1、ライセンシーを企業 2 という。 ) ・ 企業 1 は、特許 a1 を保有しており、特許料αを政府に支払っている。 ・ 特許 a1 がなければ、製品 A1 を生産することはできない。 (製品 A1 の生産に必要な特許は、特許 a1 のみである) ・ 製品 A1 の逆需要関数は、p = x-Q(Q= n i=1 q i )である。 (x の値が大きいほど、製品 A1 の需要は大きく、企業に高収益をもたらす。 ) ・ x 製品 A1 の生産に係る限界費用は、企業 1 は 0 であり、企業 2 は c2(0< c2<2)である。 ・ ライセンシーは、数量競争を行う。 ・ 特許権者は、実施料として生産者の利潤のうち、r(0< r<1)割を徴収する。 まず、企業 1 が制度を利用せずに、製品 A1 を独占的に生産するとき、企業 1 が直面する逆需要関 数は、p = x-q1(q1:企業 1 の生産量)であり、企業 1 の利潤は、π1 = pq1-α = (x-p)p-αとなる。 企業 1 は、独占的生産者として、利潤最大化を目指し、自由に価格を設定することができる。ここで、 ∂π 1 ∂p = 2p-x であることから、 x は、q1 = 2 供給し、πm1 = x2 4 ∂π 1 ∂p x = 0 すなわち、π1 が最大値をとるのは、p = のときであり、企業 1 2 -αの独占利潤を得る。 次に、企業 1 は、特許 a1 につきライセンス・オブ・ライト制度に登録し、企業 2 にライセンスを供 与した場合について考察する。企業 1 及び企業 2 は、同質財である製品 A1 を生産し、生産する数量 により競争を行うとする。このとき、企業 1 及び企業 2 が直面する需要関数は、p = x-q1-q2 で表 すことができる。企業 1 から企業 2 に対して、実施料 L(L は定数)が支払われるとすると、企業 1 の利潤は、 α α π1 = pq1-2 = (x-q1-q2) q1+ rπ2-2 となり、 企業 2 の利潤は、 π2 = (1-r)(pq2-c2q2)= (1-r) (x-q1-q2-c2) q2 となる。 企業 1 及び企業 2 は、お互いの生産量を所与として、自身の利潤最大化を達成する生産量を選択す ∂π ∂π るとする。 (クールノー競争)このとき、∂q 1 = −2q1 − q 2 + x及び∂q 2 = (1-r)(−2q2 − q1 + x − c2 )に 1 ∂π 1 ついて、 ∂q 1 ∂π 2 = 0かつ ∂q 2 2 = 0 が成立することから、q1= から、企業 2 の利潤は、π2 = (1-r)(x−2c 2 )2 9 x+c 2 3 、q2= x−2c 2 3 、p = となり、企業 1 の利潤は、π1 = 以上の議論を整理すると、表 3 のようになる。 8 x+c 2 3 が導かれる。ここ (x+c 2 )2 +r(x−2c 2 )2 9 α - 2となる。 表 3 制度利用の有無とライセンサー、ライセンシーの利潤 制度利用の有無 企業 1 の利潤 企業 2 の利潤 LOR 制度利用なし x2 -α 4 0 LOR 制度利用あり (x + c2 )2 +r(x−2c2 )2 α - 9 2 (1-r)(x − 2c2 )2 9 ここで、企業 1 が制度を利用するためには、制度を利用することにより得られる利潤が、制度を利 用していないときの利潤を上回る必要がある。すなわち、以下の不等式を満たす必要がある。 (x+c 2 )2 +r(x−2c 2 )2 9 α x2 2 4 - ≥ r(x−2c 2 )2 また、ここで、0<r<1 より、 9 < r(x−2c 2 )2 -α (x−2c 2 )2 9 9 < 5x 2 36 − ≥ 5x 2 36 2c 2 x+c 2 2 9 − 2c 2 x+c 2 2 9 − α 2 α − が得られる。ここから、 2 α α 2 2 (0<)x<−4c2 + 6 c2 2 + となることがわかる。x ≥ −4c2 + 6 c2 2 + のときは、独占利潤を補うため に必要な実施料は、企業 2 の生産利潤を超えるものであり、企業 2 は支払うことができない。したが って、この x の範囲では、企業 1 は、独占して生産した方が、必ず高い利潤を得ることができるので、 制度に登録しない。 α ゆえに、特許 a1 が制度を利用するのは、0<x<−4c2 + 6 c2 2 + であるが、前述したとおり、x の値 2 が大きいほど、製品 A1 の需要は大きく、企業に高収益をもたらす。したがって、制度を利用するの は一定以下の市場規模を持つ製品に使用される特許であり、一定以上の市場規模を持つ製品に使用さ れる特許は制度を利用しない。 5.1.3 小括 前項の検討において、一定以下の市場規模を有する特許に限り、制度を利用する可能性があること がわかった。 次に、この結果が持つ社会全体に対する影響についての議論を行う。独占が解消された場合、社会 的総余剰の死荷重は減尐する。生産者が1者であるときの総余剰は、検証に使用した前項の条件に基 づけば、Π = 3x 2 8 である。同様に、生産者が 2 者に増加したときの総余剰は、Π’ = 4x 2 9 + 11c 2 2 18 − 4xc 2 9 (0< x c2<2では常に正の値をとる。 )となる。したがって、制度の利用により、独占が解消された場合、∆d =Π’ 5x 2 - Π= 72 + 11c 2 2 18 − 4xc 2 9 分だけ、死荷重が減尐する。この死荷重の減尐は、x の増加に比例する。つ まり、死荷重の減尐は市場規模の大きさに比例する。より市場規模の大きい特許が制度に登録されれ ば、社会厚生がより改善されることになるため、望ましいと考えられる。しかし、仮説の検証におい て、検討したように、市場規模の大きい製品に使用される特許は、制度に登録されない。 9 5.2 特許権者が実施していない特許の場合 5.2.1 仮説の設定 次に、特許権者が実施していない特許の場合について考える。不実施の特許のうち、ライセンスが 実現する可能性があるのは、自社実施予定特許と補完的資産が不足している特許である。 (価値のない 特許については、自社としても実施可能性はなく、ライセンス契約を締結して、実施したいと考える 他の企業も存在しないため、ライセンスの可能性はない。)自社実施予定の特許は、時間の価値の問題 を除けば、実施予定の特許と同様に考えることができるため省略する15。したがって、この節では、 補完的資産が不足して実施できない特許を対象として、制度がライセンス供与のインセンティブとな るのは、補完的資産不足特許のうち、どのような特許であるかについて、検証することとしたい。 補完的資産不足特許が制度を利用することには、どのような利点が存在し、どのような難点が存在 するのだろうか。補完的資産不足特許は、自社実施特許と違って、特許権者には、維持コストしかも たらさない。そのため、早急にライセンシーを見つけることが求められる。ライセンス・オブ・ライ ト制度では、特許権者にとって、自社実施特許の場合より、相対的に負担が大きい特許料を減額する。 更に、ライセンスの意思が公にされ、制度に登録された特許については情報が提供されるため、ライ センシーを探すコストが減じられると考えられる。 一方、制度のルールが、特許権者の制度登録へのインセンティブを低める可能性もある。特許権者 にとっては、より生産能力の高いライセンシーと独占的に契約することが、自身の利潤を最大化する ためには、最も望ましい。しかし、制度を利用した場合、5 章で示したルールの通り、特許庁長官に よる実施料の決定制度が存在し、独占的実施権の付与が禁止されているため、特許権者は、自身にと って望ましくないと考えられるライセンシーを排除することができず、ライセンシー一人に独占させ ることもできない。 ライセンス・オブ・ライト制度のルール(一部再掲) ルール② ライセンス許諾締結の義務付け(無差別なライセンス) 登録した特許に係るライセンス交渉が決裂した場合、交渉の当事者のいずれかは、特許庁長官によ る実施料の決定を求めることができる。 ルール③ 独占的実施権の付与の禁止 登録した特許に対し、独占的実施権を認める契約を締結することはできない。 このようにライセンス・オブ・ライト制度は、不実施特許の場合でも、特許権者にとって、前述の メリット・デメリットの両面を有している。特許費用の減額とライセンシーの費用の節減が、ライセ ンシーを選べないデメリットをどの程度補うかについては、特許料の水準と特許の対象となっている 発明の実施により得られる生産利潤やライセンシー間の生産能力の差によって異なると予想できる。 すなわち、市場規模が大きく、特許権者が実施によって大きな生産利潤を得ることが可能で、制度の メリットが相対的に小さくなる特許については、この制度はライセンスを供与する十分なインセンテ ィブとなりえないと考えられる。 そこで、次の仮説 2 を立て、以下、次項において検証を行う。 15 ここでは議論しないが、特許権者が実施可能な時期より他社が実施可能な時期が早ければ、前節で議論した自社実施 特許に比べライセンス・オブ・ライト制度登録が有利な範囲が広くなると予想できる。 10 仮説 2 特許権者が実施していない特許についても、制度に登録されるのは一定以下の 市場規模を持つ製品に使用される特許であり、一定以上の市場規模を持つ製品に 使用される特許は制度に登録されない。 5.2.2 仮説の検証 この項では、前節で立てた仮説 2 について、以下の条件下におけるモデルを設定し、検証する。 ・ 1 人の特許権者と 2 人のライセンシー(企業 1 及び企業 2)から成る世界を想定する。 ・ 企業 1 は、特許 a2 を保有しており、特許料αを政府に支払っている。 ・ 特許 a2 がなければ、製品 A2 を生産することができない。 (製品 A2 の生産に必要な特許は、特許 a2 のみである) n i=1 q i )である。 ・ 製品 A2 の逆需要関数は、p = x-Q(Q= ・ 製品 A2 の生産に係る限界費用は、企業 1 は 0 であり、企業 2 は c2(0< c2< )である。 x 2 ・ ライセンシーは、数量競争を行う。 制度に登録することで、特許権者のライセンシーを探すコスト S が節約される。 ・ ・ 特許権者は、実施料として生産者の利潤のうち、r(>0)割を徴収する。 まず、特許権者が制度を利用しない場合を考える。このとき、生産者の利潤の合計は、限界費用の 低い企業 1 が独占的に生産した場合が最大となる。特許権者の得る実施料は、生産者の利潤に比例す るため、特許権者は、実施料を最大化するために、企業 1 とのみライセンス契約を締結する。このと rx 2 き、特許権者は生産利潤の r 割を得て、特許料αを政府に支払うため、特許権者の利潤は、 4 -αと なる。 次に、特許権者が制度を利用した場合を考える。制度を利用した場合、無差別にライセンスを認め ないとならないので、企業 1 と企業 2 の両者が生産することになる。このとき、企業 1 の生産利潤は、 (x+c 2 )2 9 (x+c 2 )2 となり、企業 2 の生産利潤は、 9 となる。特許権者は、それぞれこれらの r 割を獲得し、特 α 許料 を支払う。また、このとき制度利用により、ライセンシーを探すコスト S が節約されているため、 2 制度を利用した場合の特許権者の利潤は、 r (x+c 2 )2 9 + (x−2c 2 )2 9 α − 2 + Sとなる。 ここで、特許権者が制度を利用するためには、制度を利用することにより得られる利潤が制度を利 用していないときの利潤を上回る必要がある。すなわち、以下の不等式を満たす必要がある。 rx 2 4 (x+c 2 )2 -α < r 9 + (x−2c 2 )2 9 r x+10c 2 x−2c 2 また、ここで、0<r<1 より、 36 < α −2+S r x+10c 2 x−2c 2 x+10c 2 x−2c 2 36 α (0<)x<−4c2 + 6 c2 2 + + Sとなることがわかる。 2 11 36 α α < 2 +S < + Sが得られる。ここから、 2 α x ≥ −4c2 + 6 c2 2 + 2 + S のときは、特許権者は、制度に登録せず、企業 1 に独占して生産させ方 が必ず高い利潤を得ることができるので、制度に登録しない。 α ゆえに、特許 a2 が制度を利用するのは、0<x<−4c2 + 6 c2 2 + + Sのときであるが、前節での議論 2 と同様に、x の値が大きいほど、製品 A2 の需要は大きく、企業に高収益をもたらす。したがって、制 度を利用するのは一定以下の市場規模を持つ製品に使用される特許であり、一定以上の市場規模を持 つ製品に使用される特許は制度を利用しない。 5.2.3 小括 前項の検討において、自社実施特許の場合と同様に、一定以下の市場規模を有する特許に限り、制 度を利用する可能性があることがわかった。 次に、 自社実施特許の場合と同様に、 この結果が持つ社会全体に対する影響についての議論を行う。 独占が解消された場合、社会的総余剰の死荷重は減尐する。制度を利用せず、生産者が1者であると きの総余剰は、検証に使用した前項の条件に基づけば、Π = 加したときの総余剰は、Π’ = 4x 2 5x 2 された場合、∆d =Π’- Π= 72 9 + + 11c 2 2 18 11c 2 2 18 − − 4xc 2 4xc 2 9 9 3x 2 8 である。同様に、生産者が 2 者に増 となる。したがって、制度の利用により、独占が解消 分だけ、死荷重が減尐する。この死荷重の減尐は、x の 増加に比例する。つまり、死荷重の減尐は市場規模の大きさに比例する。より市場規模の大きい特許 が制度に登録されれば、社会厚生がより改善されることになるため、望ましいと考えられる。しかし、 仮説の検証において、検討したように、市場規模の大きい製品に使用される特許は制度に登録されな い。 6 ライセンス・オブ・ライト制度下における特許権侵害 6.1 仮説の設定 ライセンス・オブ・ライトに登録された特許は、制度の趣旨上、広範な利用が目指される。ここに おいて、ライセンス・オブ・ライト制度では、特許権者による差止請求権の行使を制限しており、権 利侵害に対する救済措置が制限されている。もし、制度に登録したことが理由となって、差止請求が なされないことを悪用した権利侵害が増加すれば、特許権者の確保できたはずのライセンス収入の減 尐をもたらし、制度登録のインセンティブを損なうおそれがある。そのため、制度の利用により権利 侵害が誘発されないような権利侵害に対する救済措置を設定する必要がある。 5 章で掲げた検討の対象とする制度においては、損害賠償額の上限は実施料の 2 倍以下とし、差止 請求は認められないとしているが、このルールは、権利侵害の誘発を防ぐために他の救済措置の選択 肢に比して、十分なものであろうか。 12 ライセンス・オブ・ライト制度のルール(一部再掲) ルール④ 特許権の制限 権利侵害訴訟において、侵害者側がライセンス契約を締結する意思表示を行った 場合、賠償額は実施料の 2 倍以下とし、差止請求は認められない。 差止請求権が認められないことは、権利侵害者にとって権利侵害を行うメリットを増加させるため、 差止請求権を認めるか又は差止請求権を補う損害賠償額を設定しなければ、特許権侵害が増加する可 能性がある。したがって、次の仮説を立てることとする。 仮説 3 制度に登録されている特許について、差止請求権を認めるか、もしくは、通常 の実施料を一定程度超える損害賠償を課さなければ、権利侵害が誘発される。 仮説の検証に際しては、制度に登録した特許権に対して、差止請求権の行使の可否や損害賠償の額 について、いくつかのバリエーションを提示し、どのような救済措置を課すことが適当であるかにつ いて、検討することとする。以下、次節で、救済措置のバリエーションによる権利侵害行動の変化に ついて分析し、仮説について検証する。 6.2 仮説の検証 この項では、前節で立てた仮説 4 について、以下の条件下におけるモデルを設定し、検証する。 特許権者である企業 1 と、企業 1 が保有する特許権 a3 を利用する製品 A3(必要な特許は、特 ・ 許権 a3 のみ)を生産しようとしている企業 2 から成る世界を想定する。 ・ 企業 2 は、製品 A3 の生産によって、生産収入 R を得るとする。 ・ 企業 2 が企業 1 とライセンス契約締結した場合、企業 2 は、特許の使用について実施料 L(<R) を企業 1 に支払う。 (実施料は、ライセンス・オブ・ライト制度の利用の有無にかかわらず、常に同 額であるとする。 ) また、企業 2 は、企業 1 とライセンス契約を締結せずに、企業 1 の特許権を侵害して、製品 ・ A3 を生産するという選択肢も採用することができる。その場合、確率 p(0<p<1)で摘発される。 摘発された場合、企業 2 に対しては、損害賠償や差止処分(製造・販売禁止)が、場合に応じ ・ て課される。 企業 2 が、企業 1 とライセンス契約を締結して、製品 A3 を生産する場合、企業 2 の得る収入は、R -L…(1)と表すことができる。 以下、企業 2 が、企業 1 とライセンス契約を締結せずに、企業 1 の特許権を侵害して、製品 A3 を 生産する場合を考える。 (A)特許権がライセンス・オブ・ライト制度に登録されていない場合 企業 1 が、特許権 a3 をライセンス・オブ・ライト制度に登録しない場合、企業 2 が企業 1 の特許 権を侵害して得られる収入は、次式で表される。 R-pL-pR…(2) すなわち、企業 2 は、製品 A3 の生産により収入 R を得るが、確率 p で権利侵害が摘発され、その 際、企業 1 に対して、実施料相当額 L を支払い、差止により生産による収入 R を失う。特許権を侵害 13 した方が、企業 2 にとって有利になる条件は、(1)式及び(2)式から、 1 R-pL-pR > R-L ⇔ (L+R)( -p) > 0…(3) となり、 R L 1+ 0<p< 1 R L 1+ 1 R L 1+ のとき、権利侵害が発生する。 < p < 1 のときは、権利侵害は発生しない。 (ただし、R > L より、0 < 1 1 R L 1+ < ) 2 (B)特許権がライセンス・オブ・ライト制度に登録されている場合 差止請求権や実施料の額がどのような影響を与えるか検討するため、3 つの侵害に対する救済措置 のパターンを考える。 パターン① 通常の実施料を支払い、差止処分を受ける。 パターン② 通常の実施料を支払うが、差止処分は受けない。 パターン③ 通常の実施料の 2 倍を支払うが、差止処分は受けない。 (i) パターン① 通常の実施料を支払い、差止処分を受ける。 企業 2 が企業 1 の特許権を侵害して得られる収入は、 (2)式と一致する。 よって、0 < p < 1 R L 1+ のとき、権利侵害が発生し、 1 R L 1+ < p < 1 のときは、権利侵害は発生しない。 (ii) パターン② 通常の実施料を支払うが、差止処分は受けない。 企業 2 が企業 1 の特許権を侵害して得られる収入は、次式で表される。 R-pL…(4) 特許権を侵害した方が、企業 2 にとって有利になる条件は、(1)式及び(4)式から、 R-pL > R-L ⇔ (1-p)L > 0…(5) ここで、0<p<1 であることから、(5)式は常に成立し、このとき、摘発確率にかかわらず、常に権利 侵害が発生する。 (iii) パターン③ 通常の実施料の 2 倍を支払うが、差止処分は受けない。 企業 2 が企業 1 の特許権を侵害して得られる収入は、次式で表される。 R-2pL…(6) 特許権を侵害した方が、企業 2 にとって有利になる条件は、(1)式及び(6)式から、 R-2pL > R-L ⇔ (1-2p)L > 0…(7) (7)式より、 1 0 < p ≤ 2のとき、権利侵害が発生する。 1 2 < p < 1 のときは、権利侵害は発生しない。 以上をまとめると、次の図のように表すことができる。 14 図 2 摘発確率と権利侵害の発生の関係(特許侵害に対する救済措置の種類別) 1 1 R 2 1+ 0 L 1 p LOR 登録なし 権利侵害が発生しない 摘発確率を示す領域 権利侵害が発生する 摘発確率を示す領域 ①通常の実施料+差止請求 LOR 登録あり ②通常の実施料 LOR 制度登録により 新たに権利侵害が発生する 摘発確率を示す領域 ③通常の実施料の 2 倍 すなわち、摘発確率が、 0<p< 1 1 R L 1+ のとき、登録しなくても、登録しても救済措置の種類にかかわらず権利侵害が発生する。 1 R L 1+ < p < のとき、②通常の実施料、③通常の実施料の 2 倍の救済措置のもとでは、制度の利用によ 2 り、権利侵害が誘発される。 1 2 < p < 1 のとき、②通常の実施料の救済措置のもとでは、制度の利用により、権利侵害が誘発され る。 ここで、制度に登録した場合、権利侵害に対する行動を変化させないのは、①の通常の実施料を損 害賠償として課し、差止請求を認めるパターンだけである。③のように 2 倍の実施料を損害賠償とし て課した場合には、侵害の可能性を除去することはできない。しかし、③を変更して、通常の実施料 R の 1+L 倍に相当する額を損害賠償として支払うことにすれば、権利侵害に対する行動の変化を防ぐこ とができる。 したがって、仮説の通り、差止請求権を認めるか、通常の実施料を一定程度超える額を損害賠償と して課さなければ、侵害が誘発される可能性があり、差止請求権を認めないとするならば、具体的に R は通常の実施料の 1+L 倍、つまり、実施料に実施料率(実施料/生産収入)の逆数を割り増した額を 加えた額に相当する額以上を損害賠償として課す必要があることがわかった。 6.3 小括 前節での検討でも示されたように、摘発確率によっては、ルール上の最高賠償額である通常の実施 料の 2 倍を課しても、権利侵害が誘発されることがわかる。 権利侵害の摘発確率は、 特許権の性質や特許権者の権利侵害発見能力等により異なる。したがって、 確実に権利侵害の誘発を防ぐためには、制度を利用しない場合と利用した場合で、権利侵害に対する 行動が変わらないようにする必要があり、損害賠償額は通常の実施料相当額でよいが差止請求権を認 める、又は、通常の実施料に、実施料に実施料率の逆数を割り増した額を加えた額に相当する額の損 害賠償を課すかどちらかの方策をとるべきであろう。 15 7 まとめ・政策提言 5 章の検討で示されたように、実施している特許でも、実施していない特許でも、一定以上の市場 規模を持つ特許については、制度に登録されないことがわかった。より大きな社会厚生の改善を目指 して、市場規模の大きい特許が制度に登録され、社会厚生が改善されるようにするためには、いかな る方策が考えられ、また、それらは十分な効果をもたらすものであろうか。ここでは、下に示す 2 つ の対策の候補を考えることとしたい。 制度利用促進の手段 手段① 特許料の減額率を上げる。 手段② 特許料の減額率を収益に比例して上げる。 まず、手段①については、特許の減額率を上げることで、特許権者にとって、制度の利用がより高 い利益を与える市場規模の範囲を広げることができる。もし、特許料収入の減収をより尐なく、かつ、 制度を利用する範囲を広げようとするのなら、手段②のように、減額率を収益に比例して上げるとい う対策も考えられる。ただし、政府が企業の収益ごとに減額率を設定する管理するコストが存在する ことに注意しなければならない。しかし、これらの対策には上限があり、特許料全額減額以上のイン センティブを与えることはできないため、この対策の効果は限定的であるといえる。 次に、6 章の検討で示されたように、特許権者の制度利用に対するインセンティブを損なわない ため、制度に登録された特許権について、制度に登録されていない特許に比べてより侵害の発生頻度 が高くなることを防ぎ、制度の登録の有無によって権利侵害の行動が変化させないようにするには、 仮説の検証で示したように、以下の二つの救済措置のどちらかをとる必要があることを提言する。 制度利用による侵害誘発を防ぐ救済措置 ①通常の実施料を損害賠償額とし、差止を認める。 ②通常の実施料に、実施料に実施料率の逆数を割り増した額を加えた額を損害賠償額とする。 ライセンス・オブ・ライト制度とは、権利(及び権利が生み出す収益)を特許権者に帰属させなが らも、 特許の利用を促進する措置を講じていることから、 通常の完全な独占的排他権を有する特許と、 すべての者が自由に利用可能なパブリック・ドメインにある技術との中間に位置付けられる権利を創 出するものと考えられる。しかし、本研究で示したように、諸外国で採用されているようなルールに 基づいて導入した場合、特許権者に与えられるインセンティブが限定的であることや、権利侵害誘発 のおそれがあることがわかった。もし、制度を導入する場合は、これらの点に留意し、適切な施策を 講じることが求められると考えられる。 また、本研究では検討しなかったが、ライセンシーにとって制度がライセンス契約締結のインセン ティブとなっているか、クロス・ライセンス、パテント・プールといった他のライセンス手法との比 較も今後の課題であると考えられる。 16 謝辞 本研究は、諸岡健一教授(主査) 、紋谷暢男客員教授(副査) 、岡本薫教授(副査) 、安藤至大客員准 教授(副査) 、北野泰樹助教授(副査)の指導のもとに行いました。 諸岡教授からは、実務面についての指導や論文の構成について、紋谷教授からは、法的側面、特に 各国制度の在り方を、岡本教授からは、全般的に論文の構成や内容について、安藤准教授と北野助教 授からは、経済学的見地からの指導を頂きました。厚く御礼申し上げます。 また、本学知財プログラム教員及び知財プログラムの学生には大変貴重なご意見と励ましを頂きま した。ここに記して御礼を申し上げます。 【参考文献】 紋谷暢男 (2000) 「発明実施の活生化--自発的実施許諾制度」『特許研究』30 号、4-9. 財団法人 知的財産研究所 (2009) 「産業財産権に係る料金施策の在り方に関する調査研究報告書」 『平成 20 年度特許庁産業財産権制度問題調査研究報告書』財団法人 知的財産研究所. スコッチマー、スザンヌ(青木玲子 監訳、安藤至大 訳) (2008) 『知財創出 イノベーションと インセンティブ』日本評論社. 西村陽一郎、長岡貞男 (2004) 「未利用特許権の構造とその要因分析」 『平成 15 年度特許庁産業財産 権制度問題調査研究報告書』財団法人 知的財産研究所,44-59. 長岡貞男、平尾由紀子 (1998) 『産業組織の経済学 基礎と応用』日本評論社 英国知的財産庁 (2009) “Manual of Patent Practice – Patents Act 1977, LICENCE OF RIGHT AND COMPULSORY LICENSES Section 46”. 17