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(1 5) 四 季 報 平成1 8年3月1 3日(月4回・月曜日発行) 週刊 平成6年11月24日第三種郵便物認可 第4 6 9号 ビル 業界 四 季 報 株式会社ハタケヤマアソシエイツ 東京都千代田区岩本町2−13−6 ★会社概要 " 神南興業ビル ミツボシ第3ビル " 神南興業有限会社 東京都渋谷区神南1−2 0−1 0 ★会社概要 代表取締役 杉本 一二 事業内容 貸ビル業 設立 平成9年 代表 畠山 国久 事業内容 貸ビル業 ★代表ビル概要 ★代表ビル概要 名称 ミツボシ第3ビル 竣工 昭和6 0年 規模 地上8階 管理 ベニーエステートサービス 所在地 東京都千代田区岩本町2−1 3− 6 ★テナント 1階 ダイキン工業 2階 ダイキン潤 滑機設、ダイキンパワーテクノス 3階 コーポレイトデザイン研究所、ジィー ・バイ・ケイ、ユーディ・シー 5階 クラフト、ヤマダ電建 6階 名村情報 システム 7階 ハイケム8階 Fab rica ★沿革 畠山氏がビルを取得する以前は、ミツ ボシ衣料が自社ビルとして使用していた 物件だった。畠山氏はそのミツボシ衣料 で生産管理部に所属し、パターンメイキ ングと呼ばれる洋服の型紙製作を担当し ていた。 平成9年にミツボシ衣料が倒産し、ビ ルも売却されることになった。その際に 畠山氏は地下鉄に近い立地に着目。オフ ィスビルとして利用すれば採算が取れる と判断してビルを購入。同時にハタケヤ マアソシエイツを立ち上げ、ビル経営を 開始した。 ★ビル経営 ミツボシ第3ビルは2棟のビルを、通 路でつなげることにより一体のビルにな っている。廊下にはつなぎ目が現在も残 っており、どこからがもう片方のビルな のか確認できる。 「2棟それぞれが単独でビルを構成す るより、まとめて1棟になっていること で1フロアあたりの面積が広がり、テナ ントにとっても利便性があると思いま す」 (ハタケヤマアソシエイツ代表 畠山 国久氏) 元々1つの物件ではなかった為に各階 それぞれ壁で仕切られる形となり、一部 屋当たりの面積は広さに限界が生じてい る。しかし逆にその部分を活かして、テ ナントが必要とするフロアの面積によっ て、2つのテナントを区分けした状態で 入居させるか、フロア毎に貸し出すかの 選択肢が生まれ、うまくテナントのニー ズに合わせた経営を行うことができてい るという。 テナントの誘致は、全て管理会社のベ ニーエステートサービスに任せているそ うである。社員の中に丸紅と縁のある人 物がいたことが管理を委託するきっかけ となった。 「大手企業のグループ会社だからとい うわけではないと思いますが、テナント には上場企業を誘致し、入居にいたりま したので、仲介・ビル管理業務を任せて 良かったと思います」 現在ビルの稼働率は満室を維持してい るが、数年前に周辺ビルの市況に合わせ て賃料の値下げに踏み切ってからは、価 格は維持しているという。 「当初は値下げに応じるつもりはあり ませんでしたが、他のビルが次々と値段 を下げたため、当ビルも値下げを実行し ました」 現在エレベーターが設置してあるエン トランス周辺が暗いと感じており、改修 を行ってエントランスをもっと明るくし たいと考えているそうだ。 「エントランスが暗いとビル全体の雰 囲気も重い感じがします。明るさを演出 するために、現在どのように改修してい こうか検討しています」 交 通 ア ク セ ス 都営新宿線 岩本町駅 徒歩1分 名称 神南興業ビル 竣工 昭和5 0年8月 所在地 東京都渋谷区神南1−2 0−1 0 規模 地下1階、地上8階 設計・施工 大日本土木 管理 神南興業有限会社 ★入居テナント 8階 神南興業 7階 Sadisti c Action(女子洋服販売製作) 6階 レーヴサロン(エステ) 5階 ELENE(美容院) 4階 タント ンマッサージ 3階 バナナレ コ ー ド (中古レコード販売・買入) 2階 ク ルリ(和服レンタル) 1階 TIP TOP(靴屋) 地下1階 2 0KSad istic Action(女性用洋服 販売) ★沿革 昭和2 8年、現在の代表取締役である杉 本一二氏は大学を卒業したのち、渋谷で 父親が経営する木造2階建ての喫茶店を 手伝うようになった。 昭和3 9年の東京オリンピック開催に向 けた道路拡張整備にかかり、喫茶店を廃 業。土地の売却費用をもとに、残った土 地にビルを建築した。そして、貸ビル業 を本業とするようになった。 当時の公園通りには現在のような活気 がなく、経営があまり振るわなかった背 景もある。しかし、主な理由としては、 所有していた土地を渋谷区が買い上げ、 代替土地が与えられない状態であったこ とが大きいという。 ★ビル経営 道路拡張整備がきっかけで喫茶店を廃 業することになり、昭和5 0年8月、現在 の神南興業ビルを建築に踏み切った。 東京オリンピック開催時には、渋谷公 会堂が競技場として使われるなど、渋谷 はにわかに大勢の人が集まる場所となっ ていた。しかし、この頃の公園通りは、 ラブホテルや建築会社の寮などが立ち並 び、夜になると人通りが少なくなるよう なところであった。まちの移り変わりに ついて代表の杉本氏は、 「当時は、とても商店街とは呼べない 状態でした。まさか、こんなに活気のあ るまちになるとは予想もしておりません でした」 と、振り返る。そのため、建設当初か ら飲食店や美容院といったテナントへの 賃貸は想定しておらず、主に事務所を入 れるための設計にしていたそうだ。そし て今でもテナントには、現状の設備で十 分運営ができる店舗を入れている。 8階は、公園通りで暮らしながらビル 管理をするつもりだったため、自宅とし て活用している。 「ビルは自分の家でもあるから一生懸 命に手入れしています。面倒をみるとき の真剣さが違います」 と、杉本氏は自信をもって語る。 お世辞にも手入れが行き届いているとは 言えないビルと、手厚く管理しているビ ルを一辺倒に扱われるときほど悲しいこ とはないとも言う。 「ビルの美観を保つのは所有者として 当然のことです。しかし、ビル前の通り や、まちがきれいでないと、人は集まら ない。環境美化への取り組みも大切で す」 ビル前の通りを歩いてみると、確かに きれいに保たれている。周囲への気配り がモノを言うのだろう。 交 通 ア ク セ ス JR渋谷駅、 東急東横線・東急田園都市線、 東京地下鉄銀座線・半蔵門線、 京王井の頭線 各駅より徒歩10分